説教ノート <2017年1月から12月分まで>
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12月31日の説教から ヨハネ伝福音書2章1-11 「カナの婚礼について」 久保田文貞 ヨハネ伝2章、イエスがガリラヤのカナの結婚式に 招かれ、そこで水を葡萄酒 に変えてしまうという〈しる し〉を行ったという話が、書かれています。これか ゙ヨハ ネ伝の公的な活動のデビューになります。母マリヤも 一緒であり、イ エス家族の知り合いの結婚式のように 見えます。採用されえたばかりの弟子数人 も臨席して います。 一般に婚礼とは新郎と新婦がその共同体社会の 中で新し く家族を形成し、以後はそこで約束事や習 慣に従ってまいりますと表明する場て ゙あり、共同体全 体の儀礼でもあります。イエスと母もその共同体の一 員として 立ち会っていることになります。 でも、イエスは弟子たちを伴って出ていること が示 すように、これまでのイエスではない。ただマリヤの長 男、ヨセフの 家の跡取りだけではない。村社会の人た ちもほんとうはイエスがもはや異物 になっているのだ けれども、そのことが彼らには分かっていないというこ と になっています。 キリスト教神学的には、神の子キリストが受肉してイ エスとな り、神はこの世界にイエスが何者であるかを 示し、この世界の人間が神の子 キリストを知り信じるよ う「この世」に臨んでいると。それは神の啓示の事と さ れ、全て問題は人が神の啓示を受け入れるかどうかと いうことになります。 しかし、そういうドグマでヨハネを読むのではなく、、 それまで共同体 のメンバーの一人にすぎなかったマ リヤの子イエスが、突如、異人・神の人 となって、その 共同体の儀礼の真っ最中に加わっていることに注目 したいと思いま す。 母マリヤが気を利かせて「葡萄酒がありませんよ」と イエスに声をかける。 これまでだったら、イエスもハイ、 お母さん、あちらの人に申しつけましょう とでも言っ て、共同体の善き一人を演じたでしょう。けれども、イ エスの 返事は「わたしとあなたの間にどういう関係があ る、女よ。私の時はまだ来 ていない」というものでした。 新共同訳は「婦人よ」と訳していますが、原語 はグナ イ、婦人などという品のいい言葉ではなく、父系社会 の中では男目 線からのむしろ性差別的な響きを持っ た「女よ」がつかわれているのです。 こ のやり取りが意味するところは、イエスとマリヤの 関係をただの母と子の関係 にみなされることを拒絶す ることです。婚礼という共同体の儀礼の中で、イエ ス はその一角を切り崩しています。その限りその共同体 を壊わし始めていることを 意味します。 しかし母はイエスの異様な言葉、態度を責めませ ん。むしろ、母マリ ヤは「仕える人たちに言う、「もしも この人があなた方に何かを言ったら、それ をしてやっ て下さい」と。母としてはその瞬間に、息子がこの共同 体の人では なくなろうとしていること、ここから出て行く 人になることを悟ったのかもしれま せん。イエスもその 母の直感をすぐ見抜いたのでしょうか。結局は求めら れる ままに、水をそっと葡萄酒に変えてやるという粋 なことをします。 ヨハネが書き 足しているように神学的には「まだ時 が来ていない」からということでしょ うが、物語全体の 運びとしては、この地上の異人イエスは、ここ共同体 の儀礼 である結婚式の場で母との関係を象徴的に切 断してその共同体にゆさぶりを かけたように、以後、ニ コデモの物語においても(3章)、サマリヤの女の物語 に おいても、ベトサダの病人の場合においても、みな 彼らが所属する人間仲間 から一人の人間をひきぬこ うとでもするように、その一角にゆさぶりをかけて いく 話になっているのです。ヨハネによる福音書のイエス は、人間仲間の側から 見れば、その共同性からひとり ひとりを引きはがすようなことをする、ひいて はその共 同体を根底から突き崩すような働きをすると見えるは ずです。最終的 な「時はもう始まっている、すでに来 つつある」、この世はそのようにして古き 共同体から一 人一人がはがされ、あたらしいイエスとの関係の繋が りへと生 まれ変わっていくというのが、ヨハネによる福 音書が切り開く世界です。な にか、古い共同体から近 代的な個人の世界を切り開いていく運動と、善きにつ け悪 しきにつけ、似ているようにみえませんか。
12月24日賛美礼拝の説教から ヨハネ伝福音書1章1-5節 
「光は闇の中で」 久保田文貞 クリスマス物語は、ナザレ出身のイエスが神から遣わされ たメシア=救世主だということ以上に、彼か ゙正真正銘神の 子だ、その誕生の初めから神の子だったのだよという物語 て ゙す。イエスが活動を始める前に、洗礼者ヨハネから洗礼 を受けますが、その とき天から「あなたはわたしの愛する 子、わたしの心に適う者」という声があっ たという記事がマル コ1:11に出てきます。それによれば、イエスはあくまで 御心 に適う人間で十分だとされている。もしかしたらマルコは処 女降誕説を小 耳にはさんでいたかもしれない。そんな神話 なんか不要だというわけです。 これに対して、マタイとルカ が採集した誕生物語はイエスが生涯の途中から神 の子に なるというのは人間の理屈だ、神にできないことはない、始 めからつま りマリヤが胎に子を宿したところから、イエスは神 の子だったと、それが信 じる者の態度だとするわけです。 考え方に混乱があったときに、起源から 考えてみるというこ とは、良く行われます。あまりありがたくない例では、日 本の 天皇制です。古代、天皇をただの大王としてでなく、大王 の中の大王、 特別な存在とするために、中国の例にならっ て天の皇=王だと言うために、天孫降 臨つまりは神の子孫 とする。こうして権力基盤を盤石なものにする。近代的な表 現 で言えばこれは政治イデオロギーそのものですが、とに かく誰もが 確かめようのない初めに強引に戻ってそこから理 由づけしよとします。さすが にキリスト教の息のかかった国 々では、王が神の子だとは言わず、神から 授かった王権だ と少し自重しているわけですが、神の威を借りる点では同 じ です。 クリスマス物語も残念ながらそれと同じ面があります。実 の 母マリヤはとうに亡くなっている。イエスの弟や妹ももうい ない時代に、実話を知っ ている人がいなくなった時代に、イ エスは生まれた時から正真正銘神の子だっ たという物語が 語られ始めます。このことは言い逃れできないでしょう。 け れども、イエス誕生の物語は王たちの物語と決定的に 違うところがあります。 王たちの場合は、出発点は、栄光と 権威、権力に満ちた王です。それを背景に初 めにさかのぼ ろうとします。「王は神の子だった」と。そんなことありえない だろうと言わせない。誕生の時、神話的な不思議があった とか、ときにはダ ビデ王のように一介の羊飼いでしかなかっ た、がしかし、そのような王か ゙英雄であり、今やおしなべて 栄光の冠を頭に戴いていると。 イエスの場合、 その最期は時の最高権威者ローマ皇帝 の代官のもと、最も屈辱的な処刑方法で晒 されたこと。失敗 のメシアのざまでしかなかった。ところがそのイエスにす ゙っと 従ってきた者たちの間に、神がイエスを死から引き上げて 下さったとい ううわさが広がって、こうしてイエスが真に救い 主であるという信仰が 起こりました。イエスが神の子であると いう告白はその信仰から生まれていき ました。こうして、まば ゆい栄光のキリストではなく、最悪の処刑たる十字架 につけ られたまま死に絶えたキリストへの〈信〉が、その始めへとさ かのぼっ てイエスはだれとして生まれたかという〈信〉にたど り着いたのです。 ルカ 福音書の誕生物語によれば、イエスは、未婚の、シ ングルマザーになるはす ゙のマリヤから、彼女がそのことでつ らい思いをしないようにと夫であるこ とを申し出たヨセフとい っしょに、住民登録のため故郷へとやってきた旅の途中て ゙ 宿も取れなく家畜小屋で、ひっそりと生まれたとなります。そ れは話題にもな らないような貧しい庶民の誕生の絵でしか ないと。それを目撃したのは、最下層 を生きた羊飼いでし かなかったと。ただ、羊飼いたちが野原で野営しなか ゙ら聞 いた天の軍勢のコーラスだけが、クリスマスの飾りのようにあ るだけ だったと。 ですから音書の誕生物語では、その初めから十字架の 死を暗示す るかのような、時の王ヘロデの悪意が影を差 し、マリヤと父ヨセフ、嬰児イエ スはエジプトでの難民生活 から家族を始めるという。 イエスの誕生までさ かのぼって、想像力をめ マタイ版 クリスマスは、スキャンダラスで不吉で すらありました。そこで は誕生も、その生涯の終わりのようだったと言わんは ゙かりで す。 ヨハネ福音書の場合、イエスの誕生の顛末も飛び越え て、詩的 表現でもって、この世の初めまでさかのぼってしま います。その上で、闇 のような〈この世〉に光がさして輝き始 める。大方の世は彼を理解できず、 彼を闇に引きずり込もう とするが、世にそんな力はない。 それぞれに表現の 違いはあるものの、〈信〉の向かう歩み 方は行く先は同じなのかもしれません。
12月17日の説教から ヨハネ黙示録12章1~10a、12b~1節(田川訳) 「出産を阻止しようとする力」 久保田文貞 『J黙示録』12章冒頭、原著者が天を仰ぎ、二つの徴=幻 視的な像 を見たという。一つは「太陽を着ている女」で、彼 女の足下に月、髪の上に12の 星の冠、相当の人物である。 「彼女は子を孕んでおり、生みの苦しみと苦痛て ゙叫んでい る」と。もう一つの徴は「大きな火焔色の龍。七つの頭と十 角を持ち、 頭には七つの帯冠。...」 そこで龍は生まれてくる子を食べるため、女の前に立っ ているという。「女は子を産んだ」と記述は淡白なものだが、 読む者をして、 迫ってくる危険の中で女は子を産んだのだ と知れる。5b節に突然しらっとし た解説めいた言葉が入る。 「この者がすべての民族を〈鉄の杖でもって〉 牧するようにな る。」再び視覚的になって「この子は神のもとへ、神の座の もと へと奪いとられた。そして女は荒野へと逃げた。」 この後、天のスクリーンには 大天使ミカエルと龍(それは 悪魔=サタンであると明かされる)の闘いが繰り広け ゙られ る。古代宗教史的には天上で善なる天使と悪魔が闘うとい うのは普遍的 なものだ。ユダヤ教黙示文学もその影響を受 け、J黙示録に流れてきたものだ。 この戦いで龍の旗色が悪 くなり、龍は天から締め出される。これが12章まて ゙のおおま かな筋になる。その後、戦いの場を地上に移して13章以下 本論の最後の 審判の場面に入っていくことになる。 ここで『J黙示録』についての簡単な情報を 述べておく。 今回、田川建三『訳と註』シリーズの「ヨハネ黙示録」(2017/ 8) を参考にした。彼はそこに新しい説を発表している。われ われが手にする黙示録 は「原著者」が書いたものを、「編集 者S」が大幅に加筆し、「改竄」したもの だという。注目すべ きは、原著者のえがく審判は、権力に奢り人間を圧殺す る 龍(=ローマの皇帝)とその従者のような獣たち(皇帝に着く 諸国の権力者たちに) を滅ぼし、それとは反対に、これまで 圧政に苦しんでいた諸国の民は神の恵 みの下に置かれる というもの。これに対して編集者Sの思想は、神の掟を守る 者の みが最終的に救われるという。神の掟を守らないユダ ヤ人と、守るべくもな い世のすべての民族、すべての異邦 人は例外なく裁かれ、残虐な仕方で徹底 的にみな殺しにさ れる(例えば16、17章)と。とすれば、私たちが信をおいた イ エスの福音からはどうみても編集者Sの思想には行きつか ない。二人の言葉を なるべく読み分けて、原著者の言葉を ていねいに追うよりないだろう。 そこて ゙12章であるが、10節後半から12節前半を除くもの が原著者の黙示の内容に なる。前述したように、この後の1 3章以下は天を追われた龍が地上で新たに戦 いを起こし、 それを天的な勢力「小羊」の軍が龍の勢力を撃退していく ことにな る。4章~12章はその序曲にあたるが、12章は13章 に始まる最後の審判の直前の序 曲にあたる。 ところで、12章の身重の女と出産の徴にだれでも母マリ ヤと子 イエスの降誕物語を思い浮かべるだろう。だが、近代 聖書学者たちの間て ゙は、12章1-6、13以下の女の物語と、 ルカ、マタイの降誕物語とは違いすぎると して、この資料で は女は教会を、子は信徒を象徴すると解釈するものがある と いう。ここは素直に、原著者の幻視した像に多少の歪み があっても、これは母マ リアの像だと思う。(岩波版『ベアトゥ ス黙示録注解』の挿絵をスライドで 見てもらった。写本家ベ アトゥスは8世紀の修道士だが、彼の遺した見事な挿 絵を後 の写本家が次々と模写したものが30以上残っているそう だ。われわれ はこれを見るとクシナタヒメを喰わんとするヤマ タオロチを思い出すけど。他に ブレイク「大いなる赤き龍と 日をまとう女」を見ると、ユングの本に出てくる 挿し絵かと思 う。二つともネットですぐに見られるので、どうぞ) 12章 の身重の女の前に立ちはだかる龍が、生まれ た子を呑み込もうと待ち構えてい るという図は、マタ イ福音書2章の不吉な陰を射した降誕物語の印象に重 なる。東 方から来た忌むべき占い師から「ユダヤ人の王 として生まれた方は、どこに おられますか。」という言葉を聞 いたヘロデ大王は不安に駆られて2歳以下の男子 を悉く殺 させたと云う。その前に母マリヤと義父ヨセフとイエスはエジ プトに 避難したことになっているが 。 原著者の視た幻視として暗示されてくるのは、 最高権力者を象徴する龍にとって、女から生まれ てくる子は、すぐにも潰してお かなければならな い相手だと、龍は知っていることだ。それはマタ イの降誕 物語の暗部にも見られることだが、原著 者もマタイの降誕物語を知っていてこ んな幻視を みたのかもしれない。おそらくこの様なことは今 もなお続いていること だ。現在で言えば、巨大な 権力者とそのエージェンらは、どんなに今、 小さ .... く力弱いとしても、本質的に自分に敵対してくる ものがなにかと鋭い 勘を働かせ、それを根絶しよ うとしてくる。彼らは逃げるしかない女にも恐怖 を 抱き、追いつめようとするのだ。
12月10日の説教から マタイ伝福音書2章1-11節 「賢者の贈り物」 渡邊 弘 示村陽一という英文学者によ れば、アメリカ社 会は「異なった民族からなる異民社会」で、その 文化的基礎 は清教徒たちによる「勤勉と節制」で ある。「勤勉に働くものにこそ神の祝福か ゙ある」 として、貧しいのは怠惰がもたらしたものと考え る。同時に「機会の平 等」は保証するが、その結 果については「自己責任」と考える。自由で平等 は 競争をもたらす。人々は絶えざる競争に社会で 生きている。 O.ヘンリーの短 編『賢者の贈り物』を読む にあたってこうした文化的背景を理解しなければ なら ない。この物語の登場人物デラとジムは貧し い。競争では負けている人で ある。その結果お金 がないので自分の大切なものを犠牲にして相手に プレセ ゙ントする。この意味を踏み込んで解釈した い。 マタイの福音書には11節で 「家に入って みると、幼子は母マリアと共におられた。彼らは ひれ伏して幼子を拝 み、宝の箱を開けて、黄金、 乳香、没薬を贈り物として捧げた」と記しており、 何かを犠牲にしたとはない。 ヘンリーは「犠牲」という言葉を付け加えて、 「犠牲」 により贈り物をする人こそ賢者であると 結んでいる。つまり、成功者でない ものが贈り物 をするには何かを「犠牲」にしてしかできないア メリカ社会の現 実を記述しているのではないかと 理解できるのではないか。 ヘンリーの別の 有名な短編『最後の一葉』も、 結核にかかったジョンジーという画家の卵の女 性 を救うために、ドイツ系移民の老画家ベアマンが 真冬のニューヨークで 壁に葉っぱを描き、それに よりジョンジーの命を救うのだが、自らの命 と引 き換える形をとる。自己犠牲である。ヘンリーは マタイ福音書をはじめと する聖書の解釈をしてい るのである。 日本の中学校では「道徳」で賢者の贈 り物を教 材にしている。そのネライは相手を思いやること の美しさ、思いやりと感 謝を学ばせるというもの だ。 私たちの日常を振り返ってみるとどういったこ とが見えてくるか。私は平日電車通勤をしている。 夜は9時までの仕事なので 9時半ごろ電車に乗 る。結構混んでいても9割くらいの人がスマホの 画面を見 つめている。視覚障害者、聴覚障害者、 高齢者が目の前にいても御構い無し。な ぜ席が譲 れないのか不思議に思うことがよくある。非常に 残念な気持ちにな る。自分が犠牲となるというよ うな意識でなくとも自分の連れ合い、恋人、家 族、 身内がそうした状況に遭遇した時、こうされれば 有り難いと思えることを することは当たり前とな る意識を作り行動できることが必要なのではない か。 この道徳教育が成功しているならば席を譲ら ないなどということはない。 思 いやりとか感謝とかは極めて主観的に判断さ れるものだ。おそらく、そうした人 たちはある一 定の人は成功者であって席は競争で勝ち獲ったの だから譲れな いという人もいるかも知れない。(実 はそうではなく「俺が先」「早い者勝ち」 の日本 文化のせいであろう。)しかし、大多数の人は成 功を勝ち取ることはで きないのが現実。これはア メリカの方がもっとシビアであろう。毎日が 必死 の思いで生活しているのだ。 ヘンリーは「犠牲」で相手を喜ばせよう とする ことを称賛・奨励しているようにも見えるが、実 はそうしたことを許さな い現実社会に対する告発 をこの作品の中でしたのではないか。と私は思う。
12月3日の説教から コリント第一書簡7章29-31節 「時は縮まった上で」 久保田文貞  “兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫って います。今からは、妻のある人はな い人のように、泣く人は 泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、 物を 買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人 は、かかわりのない 人のようにすべきです。この世の有様は 過ぎ去るからです。” これだけ 読むと、現実から一歩離れたとこに立って熱くな るなという声に聞こえる。あるい はいつも醒めた目で現実を 斜めから見ようとするインテリの言葉のようにも聞こ える。 でもパウロがこのように言う背景には、まずかれ自身の特 有な〈時〉 の理解がある。1章の言葉を使えば今は「十字架 につけられた」「キリストにあっ て」私たちは救われたのであ り、「賜物に何一つ欠けるところがなく、わたし たちの主イエ ス・キリストの現れ(=終わりの日)を待ち望んでいる」時で ある。 その時までのいくばくかの間、罪から解放され、自由 を謳歌できる中にいる が、だからといって狂喜のあまり何を してもよいというわけではない。一部 のコリント教会の信徒 の間に、実際にそのような逸脱があったらしく、それが パウ ロがこの手紙を書いた理由の一つである。 7、8章を読む限り、極端な 禁欲、不自然な離婚、その反 動のように性の放縦といった混乱があったようにう かがえ る。また信徒どうしの間で「主人」と「奴隷」の関係が一方的 に破 棄されるような混乱もあったのだろう。このような逸脱、 混乱の原因を作ったの は、パウロの責任と言われても致し 方ない。パウロとしては、それは誤解、福 音のはき違えであ り、真意はこうだと手紙に書いたというところだ。 では、 パウロはそれに対してどのように忠告し、奨励する か。ひとつは「おのおの主 から分け与えられた分に応じ、そ れぞれ神に召されたときの身分のままで歩 みなさい。これ は、すべての教会でわたしが命じていることです。」 た だ し田川によれば、「身分のまま」は狭すぎると。田川は「招き たもうた時 のまま、そのままに歩むべきである」と訳す。 すると、奴隷の主人が「お前 を解放してやる」と言っても、 奴隷としては「いやけっこうです。私は奴隷身分 のままでい ます」と言ってやれとパウロは言っていることになるだろう か。 自由人パウロは奴隷の現実を知らないからそんなこと が言えるのだという批 判の仕方ができるかもしれないが、で はそう批判する人はどのくらい奴 隷の現実を知っているの かlと反論されて答えられる人はそうはいないだろう。 「招き たもうた時のまま、そのままに歩む」というのは、どこにあっ ても息を吹 き返すような力を持った言葉だ。 同じように、7章29以下の言葉にも不思議な魅 力がある。 もっともここにも意地悪に言えば、現実から一歩離れた仮想 的な位 置に立って言っているだけではないか。例えば、「妻 のある人はない人のよ うに」なんてしゃれて言っているのを 妻が聞けば、「あなた、わたしの行けな いところに逃げて、 なにをしようっていうの」という話じゃないか。そして 「泣く人 は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように」だ と? ここ は泣くところだろう、あれは手放しで喜ぶところだ ろう。あなた、なにを 気取っているんだ。人の心ってものが ないのかと。次には「買う人は持たない 人のように」だと? 「買う人は買わない人のように」では、田川が言うように 万引 きの手法になってしまうから「買う人は持たない人のように」 としたか。で もこの物言いは、買えないで持っていない人は 関係ないといわんばかりだ。 「まるで・・かのように」という認容の語法が良く見えること があるけれと ゙も、また確かにそれがある人にとっては救いに なることもあろうが、基本的 に不用な回り道、誤解の温床に なるかもしれない。 森鴎外が大逆事件について何 か書いてくれと友人の山 縣有朋に頼まれて書いたものが『かのように』という小 説だと いう。ここに詳細を書けないが、結論だけ言うと、科学的に は天孫降 臨、万世一系の天皇などありえないが、それを否 定すれば日本の「御国柄」 が無くなってしまう。ありえないの であるが〈あるかのように〉認めて、天 皇に国を治めてもらう のがよろしかろうというのである。鴎外自身が渡独中 に、H. ファイヒンガーの『かのようにの哲学』を読んでの主人公に 託した論理 である。虚構主義を提唱するこの哲学は、身の まわりの事実、科学的な事実も含 めて、すべて理屈づけよ うとする衝動(論理衝動)によって加工されたものとし、 真理 であるかのしているにすぎないと。そこをくぐり抜けてみえて くるもの は、人間が生きようとする事実があるという事。それ を読んだ鴎外がそれ に続けて、日本が天皇を据えて生きよ うとするすべてを肯定しようというわけ である。 パウロの「かのように」といっしょにするなと言われるかもし れない。 だが、完全なる神の、完全なる審判を前にして、そ の寸前のいくばくかの時 間にある世の現実など仮想的な 「かのように」でしかないとするなら、両者は 大差ないのでは ないかと思えてしまうのだが。
11月26日の説教から テサロニケ第一5章1~11 「希望を兜として」 久保田文貞  第一テサロニケ書簡は、遺されているパウロ書簡の 中でも最も 古いとされる。新約の中でそれ以前のもの は無いから、新約のうちでもこれか ゙最初の文書という ことになる。今日の箇所と直前の4章13節以下を見る と、終末 が目の前に迫っている前提でパウロからテサ ロニケの信徒たちに奨めがな されている。この手紙が 書かれたのは彼の「第二伝道旅行」の最中、50年頃 コリ ントでというのが通説だ。 そこには次のような背景がある。イエスの死後、 イエ スをメシア(キリスト)とする信仰が始まるが、少なくとも 地中海東部沿岸 のヘレニズム社会に早くに拡がって いたクリスチャンたちによって、神による 世界審判の 日、再臨のキリストが現れ、キリストを信じる者すべて が救わ れる=天に移されるという信仰がすでに20年 位の間に、広められていた。だか らディアスポラのユ ダヤ人たちにも、その周辺にいた異邦人の「神を恐れ る 者」たちにも、ユダヤ教メシア主義自体は時々伝わ ってくるニュースのひとつに 過ぎない。ピリピでも、テ サロニケでも、パウロの宣教はそのような メシア主義の ひとつとしてまずは聞かれたろう。けれどもパウロの説 くキリ スト・イエスについての宣教は破格のものとして 受け取られたはずだ。メシア は最悪の十字架刑に死 んでしまったというのだから。そのイエスをメシアとす る ことに多く人々が躓くべくして躓いただろう。おそらく パウロにとって は想定内のことだろう。だが、十字架に かけられたキリストに反応し、そこ に本当の救い主キリ ストを見た人々が少なからず現れる。ピリピやテサロ ニ ケの信徒たちの誕生である。 だが、パウロの宣教は、以前から漠然と広 まってい た終末論に油を注ぐことにもなった。彼がテサロニケ を離れた後、キ リストを信じた者たちの間で終末につ いての想念が暴走し、些末な議論は妄 念の体をなし たとしか思えない。彼らは、終わりの日がいつ来るかと いう当然の 疑問だけでなく、終わりの日に死人たちは どの時点でどのように復活す るのか、生きたままその 日をむかえることになるだろう自分たちの立場とどう 違 うか、などの議論があったことが窺える(4:15-17)。お そらくこれらの議 論の周りにはもっとグロテスクな議論 もあったに違いない。 一部の人たちがあ らぬ方向に進んでいると感じた のだろう。コリントにいるパウロ先生に伺っ てみようと、 それが何らかの伝手でパウロに届き、パウロが応えた のか ゙この書簡だと思う。 この書簡で注目すべきは、終末の様態と時期につ いて の返答を後半に置いていること。それから書き始 めなかったことがひとつの示唆 になっているかもしれ ない。5章1節からは、終末の時期についての応えで あるか ゙、「その時、その時点については、あなた方は 書いてもらう必要もないだろう」 (田川)。その質問自 体に対する皮肉になっていると解したい。それがいつ 来るか という発想自体がズレているよというわけだ。 「主の日は夜中の盗人のよう に来たる」。今来ない だろうと油断したときに破滅が来るよと、ものすごく 意 地悪なことが言われている。たしかにそんな強迫観念 に陥ったらそこからます ゙出られないよ。君らは闇の中 にいて、恐ろしいモノが通り過ぎるまでじっ と隠れてい るよりない、だがついに見つかって引きずり出され・・・ (アン ネの日記の話をしたが省略する)と、そういうこと じゃないんだ。君らは、闇 の子、夜の子ではない。光 の子、昼の子なんだ。闇がおそってきても、隠れ たり 逃げたりする必要がない。目をつぶる必要もない。目 を開けて、凜とし てればいい。「我々は昼の者である から、信仰と愛の胸当てをつけ、救いの希 望の兜をか ぶって、しらふでいよう」「イエス・キリストはわれらのた めに死 んだ。それは我らが目覚めていても眠ってい ても、彼と共に生きるためであ る。」以上。 とにかく、パウロとしては終末の各論には興味がな い。彼にあっ ては、虚仮威しでしかない終末論はなる べくはやくデコレーションを取り払 い、解体された方が よかったろう。〈いま・ここで〉〈彼(=キリスト)と共に生 きる〉とは、解体しつつある終末論から離れて、〈いま・ ここで・彼=他者と共に 生きる〉に集中する事だと、多 少強引に読み換えることにしたい。
11月19日の説教から マルコ福音書10章46~52節 「ここからは」 板垣弘毅 歴史的な局面であれ、個人的な場面であれ、わたし(た ち)は「これ まで」と「ここから」のあわいで、たたずむように 「これから先」と考える 時、また場所があると思います。 あっさりと記された小さな奇跡物語です。マ ルコ福音書の 書き手はこの伝承のどこかに共感したはずです。バルテマ イ という名の人物が、エリコという町にいて、盲人で、路傍で の物乞いを生業 としていた。彼は人々のざわめき、口々に 交わす言葉から、ナザレ人イエスか ゙いると聞いて、道ばた で叫び始める「わたしを憐れんでください」。 周りには「イエ スの弟子たちや多くの群衆」がいた。どうして<多くの人々 か ゙叱りつけて黙らせようとした>のかわかりません。とにかく この場の秩序を大事に する人たちがいたわけです。彼はさ らに叫び募る。イエスがざわめきの 中で聞きつけ立ち止ま る。イエスのまなざしが注がれる。盲人バルテマ イの「これか ら」が開かれて行く、その瞬間です。<「あの男を呼んで来 な さい」> ここで印象的なのは「安心しなよ、ほら立って、おまえを 、、、 呼んて ゙いるぞ」と誰かが言っていることです。誰ですかね。 ここから先は、あ のイエスがなんとかしてくれる、この人はイ エスへの信頼を、この物乞いの男と 共有しているんです。 先の「叱って黙らせようとした」人たちとは対照的です ね。土 ぼこりの舞う道ばたで上着をかぶるようにうずくまって物乞 いを していたのでしょうか、<盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り 上がって> 「ここまて ゙」の自分を脱ぎ捨てるようにイエスの 声のする方へ進んでいく。「再び見 えるように」なりたい! <「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人 は、すぐ見えるようになり> ます。 「信仰(ピスティス)」と訳されるところは、 やはり「あなたの 信(ピスティス)」、イエスへの率直な信頼、としたい。わたし 流に言い換えれば、自己理解とは別の、イエスの目に映っている自分の発見です。 わたし(イエス)が見たままの君を、 君は生きることができる、できるんた ゙、それが君の救いだ。 「ここから先は」君は盲人・物乞いというくくりから 解かれて、 ただのバルテマイだ。 「見えるようになった」は、このできこ ゙とに出会った人びとに とっても「奇跡」だったのです。だから伝承され てきました。 ここで何が起こったのか、想像力をひろげて、バルテマイの いるところに自分をおいてみれば、言葉にしがたい共感が あるはず。それ ぬきには古代的な伝承の一つに過ぎない でしょう。イエスのまなざしがハ ゙ルテマイという名に注がれ る、バルテマイはわたしでもあなたでもいい、 その人だけの あり方が,その人しか歩けない道が、祝福されている、「行 け、 君の信頼が、君を救った」「ここから先は...」そのイエス のまなざしがその 人を離れない。 遠藤周作の『侍』という長編があります。終わりの方に今 日の聖 書と響き合う場面があります。 舞台は、徳川へと日本の統一政権が交代して行 く時代、 東北の雄藩、伊達藩の家臣で慶長遣欧使節として知られ はせくら る支 倉六右衛門常長を題材としています。小説の中では 「侍」と呼ばれて登場しま す。「侍」は、藩主の命で、1613 年出発。太平洋を越え、メキシコを横断して大 西洋に出て、 これを越えて、スペインを横切り、ローマに着き、時のロー マ法王 パウロ五世に拝謁する。「侍」は、同行する神父の本 意も藩の意向も知らず、 ただ藩への忠義を果たすために、 百人あまりの使節団長として実に苦難に満ちた 旅を続け、 何と七年後に帰国。ところがこの間に日本は激変し、キリス ト教は禁 止され、国も鎖国体制にむかっている。メキシコで は「侍」も商売のためになる と説得されて受洗している。頼り にする重臣も「時勢が変わったのだ、殿のお 考えも変わっ たと思え、おまえのお役目などもうないのだ」と突き放す。そ の 下男の一人に与蔵という者がいて、これもまた主人にひ たすら忠義を果たし「侍」 に寄り添ってきました。御政道の 理不尽さ知ってから、異国の「宿舎で毎夜、壁 の上から自 分を見下ろしたあの男」、イエスを思うようになります。侍 は、下男の 与蔵に「信じているのか、あの男を」とたずね、そ の信心に共感し、「人には 申すなよ」 と忠告もします。やが てかたちだけでも切支丹に帰依した「侍」 に切腹が命じられ る。評定所に向かう侍に、いつの間にか雪の庭に正座して う つむいていた与蔵が叫ぶ。 「突然、背後で与蔵の引きしぼるような声が 聞こえた。『ここ からは......あの方が、お仕えなされます』 侍は立ちどま り、ふりかえって大きくうなずいた。そして黒光りする冷たい 廊下を、彼の旅の 終わりにむかって進んでいった。」 侍は、藩命に裏切られますが、与蔵のまなざしは不変で す。与蔵がイエス に重なっています。きょうの聖書では、群 衆の中の誰かが言った「安心しな、 立てよ、イエスがおまえ をお呼びだ」という言葉です。イエスのまなざ しのなかに、バ ルテマイの限界を超えた未来がある。勝手な絶望や願望で 埋めつくさず、言葉にならないその空洞をわたし(たち)はも ちこたえることが できる。イエスに促されて。(不十分な要約 ですみません)
11月12日の説教から マタイ伝25章14~29節 「能力に応じてというのか」 久保田文貞 有名な「タラントの譬話」である。あるお大尽が能力 に応じて下僕に5タラント、2タラント、 1タラント預けて 旅に出た。5タラント、2タラント預かった下僕は、それ で商売 して5タラント、2タラント儲けた。だが、1タラン トを預かった下僕は主人が 「蒔かない所から刈り、散 らさない所から集める酷な人」であるので「地を掘 り、 主人の金を隠しておいた」。主人が帰ってきて決算 し、5タラント、2タラン トを儲けた下僕は主人から誉め られ、1タラントを隠しておいた下僕は追い出された と いう話。 マタイは、この譬話を24,25章の中に置く。イエス が最後の審判に ついて語ったとして集められた言葉 の中に置く。どうみてもマタイはこの譬話を、 〈主人= 神から預けられたわれらの能力を、主人が戻るまでの 間=終末の日が 来るまでの間、できるだけ活用し主 の委託に応えよう〉という勧めの言葉と して理解してい る。 そう解釈するのは自由だ。そもそも譬話というもの は、昔 話や優れた絵本がそうであるように、作者の意 図、こう解釈されるべきだ といった正解など吹き飛ばし たところに立っているように思えてなんぼかの ものだ ろう。絵本で言えば、子らが絵本の絵を見、聞いて、 心が熱くなっ たり、固まったり、震えたりする。そのとき いっしょに見、聞いているおにいちゃ んやおねえちゃ んやお友だちが笑ったり、憤慨したりみながら、自分 もその 中に入っていく。学習というよりは共感してい く。大人が考えるような意味とは ちがうだろう。昔話や 譬話には同じところがあると思う。 この譬がはた して本当にイエスが語ったものかどう か、決定的な事は言えない。でも、素 材となっている のは、賭けのすすめである。生真面目な教会の指導 者がこんな 題材の譬話をつくるはずがないと思う。ま た、イエスは弟子たちが彼をメシ ア=キリストであると 告白しようとすると、諌めたぐらいだから、まして自分 が再臨のキリストであることをほのめかす譬をするは ずがないだろう。 とすれば、私たちはイエスが語ったであろうこの譬 話の、どこを面白く思 い、どこに憤慨し、いつしかそれ が自分への問いになってくることをどこに 見い出すの だろう。 一つの鍵は、やはりタラントの価値である。タラント は ギリシャの貨幣単位だが、超高額だ。デナリに換算 すると6000デナリ になるという。デナリは一日の労働 賃金(マタイ20章)。ちなみに千葉県の地域最 低賃金 基準が時給868円、8時間労働したとして日給約7千 円。こんな換算は無意 味ではあるが1タラントは4200 万円ということになる。主人が8タラント持っ ていたこと になるから、数億の資産家ということになる。イエスの 話の聞き手〈群 衆〉から見れば別世界の人間たちの 話だろう。その下僕が2億、1億位の投資 をして2倍の ぼろ儲け。ばかばかしくも腹立たしい話。イエスも聞き 手とと もに憤慨しているに違いないと、確信する。 としても、投機に失敗したらと思って 主人が怖くて、 1タラントを隠しておいた小心な奴。笑えるけど、ちょ っと待 て、なにか冷たい風がすうっと自分たちの間を 吹き抜ける。自分も主人=他者もた ゙れも傷つかないよ うに、託されたものを仕舞い込み、そのままお返しす る。そう すれば間違いないとするコンジョウっておかし くないか。あのパリサイ派の 連中みたいなことにならな いか。それって神から授かった力を、神から示された 法 どおり少しもはみ出ることなく、額面通り神にお返し しようという厳格主義(アク リーベイア)じゃなか。むし ろ、託されたものを、ときに他人に向けて、ときに 他人 といっしょにエイヤーと「命がけの飛躍」をして賭けて みること、換言すれ ば主人から家産を託された執事 のように、ときに堂々と逸脱し自由裁量で管理・ 運営・ 配置(エコノメイア)してみようと。権力者や強欲な金 持ちたちのエコノメイ アにはうんざりだが、思い切って ずらして眺めるとけっこう参考になる よ・・・ハッハッハ。 そうこの譬話を読んでみたいと思う。譬話に正解な どな い。これという脈絡は譬話の方で捨てている。受 け取る者自身の脈絡で選び 取るよりないのだと思う。
11月5日の説教から ヨブ記19章25,26節
 題 ・「アガナイを生き、死ぬ」 久保田文貞 人が亡くなれば家族・知人が弔い、葬り、想起して くれる。死せる者 と生ける者のその絆が全く無くなった ら恐ろしいことだ。前世紀のナチスによ るホロコースト と、広島・長崎の原爆に通じることは、死者を弔い、葬 り、想起 してくれる家族・友人知人もろとも消去(こん な言葉を人の死に使うべきではな いが)してしまったと 言わざるを得ない。 先週は宗教改革500年(11月はロシア 革命100年) だったが、直接のきっかけになったのが免罪符であ る。亡くなっ た親や兄弟、配偶者などの罪を贖うため に教会が発行した免罪符を買うわけた ゙。「ただキリスト ・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償 で 義とされる」というパウロの言葉に賭けたルターとし ては許せない越権行為と見 えたのだろう。亡くなった 家族との距離を何としても繋ぎとめておきたいと思 う 人の弱みにつけ込んだわけだ。これは、生きている家 族から、亡くなった家 族の関係のことになるが、その 反対の物語が、ルカ16章19以下の「金持ちとラ ザロ」 の譬である。死んで地獄に落ちた金持ちが、ふと見 上げると天国 で楽しそうにしているラザロを見つける。 生前自分の邸の門前で物もらいを していたラザロだ。 金持ちは言う。「父よ、...私の父の家へラザロをつか わしてください。わたしに五人の兄弟がいますので、 こんな苦しい所へ来る ことがないように、彼らに警告し ていただきたいのです」と。死者の方から、 生者の方 へ、コミュニケーションを取れないかという話だ。 生者と死者の絶対的 な隔離は、家族も赤の他人も 関係ない。でも多くの人はそのことを認めたがら ない。 身内の死者たちを弔い、葬り、想起できるように、同 朋の死者たちをも弔 い、葬り、想起できるとして、より 強いきずなを作ろうとする。 「わたしのた めに、~は 生きて、死んだ」「~の死によって、いま活かされてあ る」 こんなふ うに言って、自分と死者の絶対的な距離を ぼかしてしまおうとする。この作法は、 けっこう互いに 生きている者どうしの間で、とりわけ自分とほとんど分 かり あえないと諦めてきた他者との間で、試されつつ 実用さえされてきたことでは ないか。 だが、より深刻なのは今生きている自分といまあそ こに生きている他 者との間の、縮めたくても縮まらない 距離だろう。もしかするとそれは自分と他 者だけの問 題ではない。自分とあんなに親しかったはずの身内 の者や友人た ちの間に生まれていく断絶でもありう る。 「他者」とどう向き合うか、その一 つのあり方として 「他者」のためにアガナウという試みがあった。辛気臭 い言 葉だが、その実質はいまもなお姿を変えて試さ れつつある。例えば身近なと ころで、身内の者が負債 を抱えて困っている時に代わって弁済してやること。 あるいは戦死者を国が英霊として靖国神社に祀り、遺 族に年金を支給すること、 これもアガナイに違いな い。 だがこの手のアガナイには下心がある。離 れていく 理由があって離れていく者たちをアガナイによってつ ばぎとめよ うというのだから。強引な手法は次の失敗 を生むに違いない。 ヨブは故なしの 自分の不幸を呪い、神に抗議す る。その姿を見て友人たちが忠告する。その不幸 が 自分の罪のゆえであることを認め神に謝罪せよと。な るほど正論だ。自 分の身体・財産・家族さえも差し出 し、神からアガナイを受ける権利を掴み取れ という。け れどもヨブは友人たちの勧めを拒否してこういう。 「わたしを贖う 方は生きておられ、ついには塵の上に 立たれるであろう。この皮膚が損なわれ ようとも、この 身をもって、わたしは神を仰ぎ見るであろう。」 ヨブは、自 分でアガナイの道筋を立てるわけにはい かない。アガナイは神ご自身が なさるべきものという。 「まことに人はだれも自分を贖うことはできない。 そのいのちの価を神に払うことはできない。」(詩 編49:2) 少なくともヨブが くぐったところから見えてくるもの は、人は自分との距離も含めて、他者との距 離を勝手 にアガナイによって詰めるわけにはいかない。自分と 死者たちと、自分 と生ける他者たちとを、最終的にア ガナイによって人と人とを結んでくださ るのは神のみ だというわけだ。
10月29日の説教から 「和解」 飯田義也 ローマの信徒への手紙 5章1-11節 今年は宗教改革500年が教会の内外で話題です。 先日(10月26日)届いた雑誌「週刊 金曜日」では、そ の時代と現代が重なるという一文が寄せられていまし た。 ルターの改革の背景には、印刷技術による情報 革命があり、彼が行ったのは宗 教批判だけではなく、 知識を一部の権威者だけの寡占から解き放って大衆 の ものとするコミュニケーション革命であったとの主張 です。現代社会もインター ネットによる新しいコミュニ ケーション革命のさなかにあり、新たな時代の幕が 開 いているというのです。マルティン・ルターがヴィッテンベルグ大学 の扉に 問題提起の文書を掲げた1517年10月31日(宗教改 革記念日)は、水曜日だっ たようです。翌11月1日は 「聖人の日」なので、その前日だからと掲げたと すれ ば、彼の心に「教会の『聖人』なんてくそくらえ」という 気持ちがどこ かにあったのかもしれない・・などと想像 してしまいます。 彼の関心は、信仰に 生きることであり、宗教改革に至 る前から「人はなぜ生きるのか」という問い を常に持っ ていたということです。そのテーマは、今日の聖書の 箇所に如実に表 れています。神との和解、神との間 の平和に基礎づけられて、人は救われて生き ることが できるというのです。 この日を皮切りに、彼はローマ教皇レオ10世 の怒りを 買い、4年後アウグスブルグ国会で弾劾され、有名な 「我ここに 立つ」という言葉をもって集まった5000人に 1人で立ち向かいつつ破門されるとい う経過をたどり ます。少し巨視的な目で、ルターに至る歴史を俯瞰して みましょ う。「暗黒時代」と呼ばれる中世に対し、ルネ サンスから始まる「近世」という 時代区分、ルターは、 その入口に立っています。中世の終わり「大航海時 代」と呼 ばれる部分で、教会は、あるいはヨーロッパ大 陸の人々は、いったい何をし ていたのでしょうか。南米ボリビアの都市ポトシは、標高3967mと、世界 て ゙最も高いところにある都市ですが、1546年にスペイン人が築き、ペルー やアフリカから奴隷を集めて銀鉱 で働かせていた歴史があります。いまも亜鉛 の採掘が 続けられていて、清冽なイメージとは裏腹に公害のひ どいところた ゙そうです。 コロンブスがカリブ海の島サン・サルバドルに到達し た のが1492年。それまでにもアフリカ大陸で「奴隷狩 り」といった状況は始まっ ておりました。 ルターの歩みと並行して、南米への侵略が激化して いきます。エ ルナン・コルテスとフランシスコ・ピサロに 代表されるスペインの航海者・侵 略者(スペイン側の 用語「コンキスタドール」は「征服者」の意)たちです。 アステカ帝国の植民地化が1520年、インカ帝国の滅 亡が1532年、侵略正当化の 理由は「キリスト教に帰依 しないこと」でした。一方、ローマ教皇が教会分裂 を 避けようと「トリエント公会議」を開催するのは1545年 です。こうしてみると、 ルターが「贖宥券」を売り、資金集め に終始する教会を批判したという「定説」 は不十分な 気がします。彼が戦ったものは、戦争を仕掛けて略奪 の限りを尽く す国家や政治の尻馬に乗って策動す る、宗教の腐れ切った状況ではなかったで しょうか。 そしてそのことは、解決したわけではありません。現在 の日本にも、 まるで同様な状況が厳然とあるではあり ませんか(読者よ悟れ)。私たちの戦 いは、まさに緒に 就いたところです。「和解」は、この背景、現状を踏まえて語 られる必要 があることがらです。 技術(造船や印刷あるいは核・インターネッ ト等)が開 発されると、まずは他の人を抑圧することに使う人々 がそれに群 がり、次に商業利用する人々が続き、最 後に、平和のための動きに用いられる という構図は、 昔も今も変わっていません。平和とは、その過程で分 断された人々 の和解ということです。分断されていた 神と人とが和解するということが 「神との間に平和を得 ている」ということです。誰の言うことも聞かない頑迷と 「我ここに立つ」という 崇高さとしてとらえられる「告白的生」とは、一見非常 に 似ていても、分断をもたらすか和解をもたらすか、 まったく違うわけですが、 今日の聖書を通して、その 違いと救い(告白的生)に至る道が示されています
10月22日の説教から マタイ伝福音書25章1-13節 「来たるべき日に備えて」 久保田文貞 「目を覚ましていること(グレーゴレイン)」、「見張っている こと(フ ゙レペイン)」は、最初期のクリスチャンたちの間で重 視されていました。十字 架刑によって殺され葬られたイエス が神によって挙げられた(復活した)と信し ゙た人々は、その イエスが「終わりの日」に再来するに違いない、その日に備 え て「目を覚まし、見張って」いようとしたからです。 この姿勢はイエスが弟子 たちと共に最後にエルサレムに 居た時、イエス自身が終わりの日に弟子たちに語っ た言葉 (マルコ13章3節以下)と重ね合わされ、強化されていったこ とでしょう。 けれども、マルコ13章は、弟子たちの質問に対 し、当時ユダヤ人の間に流布し ていた終末についイエスが 論評するという形になっています。そこではむしろ 終末論的 な熱狂に絡め取られそうになっている弟子たちに「人に惑 わされないよう に気をつけなさい(ブレペテ)」と言っていま す。つまり〈あれこれの出来事を 世の終わりの徴しだなどと 云って騒ぎ立てる連中がいるが、君たちは状 況をしっかりと 見抜き、なすべきこと、なさぬことを冷静に選び取れ〉と言わ れているのではないでしょうか。 マルコよれば、最後の食事(結果的にそうなっ たわけで すが)の後、イエスと弟子たちは祈るためにゲッセマネの園 に行き、 イエスはそこで弟子たちに三度も「目を覚ましてい なさい」を連発します。この 場面でずっとイエスから離れな かったというペテロ、ヨハネとヤコブ兄弟 の三人には忘れら れない思い出なのでしょう。結局彼らにも復活後の「目を覚 ま していなさい」と、このことが重なっていたと思われます。 また13章34以下に小 さな譬があります。「家を後に旅に 出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任 を持たせ、門番 には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなもの だ。」 と。終末の日がいつ来るか「だれも知らない。父だけが ご存じであ る。気をつけて、目を覚ましていなさい」というわ けです。13章全体の流れから 見れば、やはり終末の熱狂 を覚まそうとした言葉の群の中に置くべきでしょ うか。とすれ ば〈目を覚まして見張りをする門番の仕事だけではない。そ れ ぞれに仕事が割り当てられて責任を持たされている。こ の世界のおぞましい 歴史と現実をしかと見、洞察し、判断 し、批判する力をもて、その上で君に託さ れた仕事をなせ。 気をつけて(ブレペイン)目を覚ましていること(グレーゴ レイ ン)とはそのようなことだ〉と。 けれども、再来のキリストを願望する最 初期の教会からす れば、いつ来るかわからない再来の日=終わりの日を「目 を覚 まして、見張っていなさい」という主の言葉として受け止 めることになるでしょ う。いずれにせよ、この言葉はイエスが 終末について消極的に論評したか、あ るいは終末を積極 的に待望せよと言ったかの分岐点に立っているように見え ます。 さて、初代教会の基本姿勢のようにしてある再来のキリス トへの待望と備えの問題 は、時と共に修正を余儀なくされ ていきます。待望している終末が遅れていると 感知せざるを えなかったからです。パウロから三、四十年は後になるマタ イ 伝福音書25章1節以下の「十人のおとめ」の譬はそれをよ く物語っています。 この 譬では、10人のおとめが花婿をともし火をもって迎え に出て行くと言います。 「迎えに出て行く」ということ自体が 花婿到来の「遅れ」を示唆しています。先 ほどのマルコ 13: 32以下の譬のように「主人」の方が僕たちを急襲するゆえに 「目を覚まして警戒せよ」とされていたのが、こちらでは花婿 の到着が遅れ ているので迎えに行くのですから。それでも なかなか到着しない。それで 10人の乙女は全員眠りについ てしまいます。愚かな乙女と賢い乙女が五人ずつ 出てきま すが、その差は予備の油を持参してきたかどうかなので す。10人、 つまり賢いおとめの方も「目を覚まし」ておく必要 がなく、眠っていいというこ とになります。終末は当分来ない かもしれない、目を覚まして待ち続けるわけには いかない から眠ってかまわない、でも花婿が来たという声がしたらす ぐ起 きて備えの油を容れて迎えよというわけです。終末の 遅延にどう対処するかと いうことが賢さの基準になっていま す。「目を覚まして警戒せよ」がここまて ゙後退しています。 私には、ある時点からイエスの宣教した福音から脇に逸 れてし まった感が否めません。イエスが何事か神の贈り物 のようなものを感知して、 その出来事の招きの中に飛び込 み、それを群衆たちと共に喜んで受け取ってい く。それは 人々によって築かれてきた〈世〉の仕組みとは根本的に違 っていた。逆 向きだったとさえ言える。このことは、ただあり がたく神の恵みを受けてお ればよいというものでもない、 〈世〉の逆向きの力の働きを、しかと観察し、 洞察し、その上 で自分のできること、できないことを見極める。そのように 「眼をさまし、見極める」のだ、と言っているように思います
10月15日の説教から マタイ伝福音書21章18〜32節 「自己義認の顛末」 「二人の息子」の譬は、イエスがエルサレム市内に入り、そ こにいる ユダヤ人たちに語り かけた話のひとつになります。 譬えの登場人物は、葡萄園の主人と二人の息子だ けで す。ユダヤ社会に人が聞けば、葡萄園の主人が神を暗示 していると 受け取るのが当然です。葡萄園の中=イスラエ ルだけに関心が向いていると も言えます。さて、二人の息 子ですが口語訳も新共同訳もこれを兄と弟にして います が、原語では「第一の者」と「ほかの(もう一人)の者」という 微妙な表 現になっています。つまりこれをかならずしも兄・ 弟と解す必要がないので す。 でも兄・弟と訳されるとどうしても、放蕩息子の譬(ルカ15 章)が頭に浮 かんできます。そこでは弟の方が最初に出て きて、父から遺産の分け前を先 にもらい、遊び呆けて最底 辺に落ちてしまう、ついにどうしようもなくなって 父のところに 戻ってくる。父はその息子を突き返すことなく喜んで迎え入 れる。 それを見て、それまでずっと父に仕えてきた兄が嫉 妬に狂う、そんな話で す。 放蕩息子の譬を念頭に置いて、こちらの「二人の息子」 の譬を兄・弟の物語と して読むと、ちょっとした混乱に陥りま す。こちらでは父から葡萄園に行くよう に言われた兄が「い いえ」と言ったが思い直して出かけた、弟の方が「はい」 と答 えて行かなかったというのですから。しかし、この譬の結論 部は「徴税人や 娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の 国に入るだろう」となっています。 ここからすると、徴税人や 娼婦たちが物語の「兄」になり、弟の方が「あなた がた」正統 なるユダヤ人ということになってしまう。いかにも座りが悪い て ゙す。 ということからか、重要な大文字写本B(ヴァチカン写本) はこれを入れ替 えて、「第一の息子」(兄)が「はい」と答えた が行かず、「もう一人の息子」 (弟)が「いいえ」と答えたが行 ったとする。ここでは「第一の息子」がユ ダヤ人で、「もう一 人の息子」が「徴税人や娼婦」とされて、実にうまく収 まるわ けです。もちろん本文批評上では、うまく収まっていない方 がオリシ ゙ナル、B写本のように整然としている方が二次的と されます。そこで私たちも 収まりの悪い方を、読んでいきた いと思います。 とすれば、ここはやはり兄・ 弟とすべきではなく、二人の 息子を両者並列させて考える方がよいです。 イエスは「この 二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか」と問う、 問 いの形式にはなっているが答えるまでもない。「いいえ」と 答えたが「行っ た」という方がよいに決まっています。しか し、問題は正解云々ではなく、 「はい」と答えたのに実際に 「行かない」人間が次々に現われてきてしまう実際 の状況で す。それがマタイ的な問題にぴったりなのです。マタイ的な 問題 とは、イエスによって示された新しい律法を完全に実 践できるかどうかという こと、逆から言えば「はい」と答えなが らできない偽善の問題です。マル コ福音書ではわずかに一 回しか出てこない(マルコ7:6)偽善者が、マタイ福音 書で は14回も使われます。直接にはパリサイ人批判として出てく るわけです が、どうしてかくも偽善にこだわるかと言えば、著 者自身の信仰理解のタ イプからくるのでしょう。マタイ自身 も、彼の教会のメンバーも、周りのク リスチャンをすべてその ような目から見てしまう。「はい、信じます」と信仰 告白をし て、イエスが山上の説教などで「教えた」新しい「法」を実践 して いるか、「最も弱い者」に実際に手を差し伸べている か、「きみは、『はい』と 答えておきながら行かなかったという 偽善者になっていないか」。「どう言い 逃れしようと『隠れた ところにいます神』は見ておられるぞ」というわけです。 この譬はおそらくイエスにさかのぼるものではないでしょ う。あまりにマタ イ的、マタイ倫理学的です。 そもそも「はい」と答えて「行く」のです。「い いえ」と答えて 「行かない」のです。もちろん「はい」と答えたのに行かれな く なることは。逆に「いいえ」と答えたのに行くこともあるかも しれない。でも、 その乖離を倫理的に意味づけ、拡大し、新 たな倫理問題であるかのように引き 回そうとするマタイ倫理 学にわたしは乗れません。 イエスの言葉感覚は、あの百人 隊長をほめたように「『行 け』と言えば行くし、『来い』と言えば来る」(マタ イ8:9)を生 きているというべきでしょう。「はい」と言ったら行く、「いい え」 と言ったら行かない真実を当然のように生きています。 かくありたいと思います。
10月8日の説教から マタイによる福音書20章1〜16節 「何時から働いていたのかと言いたくなるが」 久保田文貞 このイエスの譬話は、日本社会でいう寄せ場の話です。 しかし教会 でこの譬話を読むと、労働時間に応じて賃金を 公平に支給せよという了見の狭 い労働者の思いに対して、 すべての人を同じように恵もうとされる神の愛、そ の愛を実 際に身をもって示す神の子キリストの愛...、感謝、感謝とな ってしまい ます。どうしてそうなっちゃうのか。 イエス死後、イエスを神の子、キリストと 告白していく信仰 集団(教会)は、イエスの言動の一切を神学的に解釈し、良 くも悪 くもイエス・キリストに集中していきました。新約聖書は その集積の一部です。 だからそこには彼らの神学がべとべ とに塗り込まれています。クリスチャ ンになるということは、そ の信仰告白を受け入れるということだとされ、私たち はその 神学に自ずと慣れ親しんでしまいます。その神学が全て無 意味だと は申しませんが、元にあるイエスその人の言葉や 行為を一色に塗りつぶして他 を許さないというなら、それは 言葉の暴力です。さいわい、彼らの遺した4つの福 音書に、 元のイエスの言動とおぼしきものの存在がある程度浮かび 上がっ てきました。この作業そのものは、19世紀以来の近 代聖書学の文献批評によるもの で、その限り近代歴史主義 の限界を十分に計算に入れておかなければなりませ ん。そ こで、イエスの言葉として比較的よく原型が保たれて伝えれ たのが、 いくつかの譬話であり、今日のもその一つです。 語り手イエスも、葡萄園の主 人が〈神〉であると、聞き手が そう理解するだろうことを、間違いなく承 知していたでしょ う。でも、それは後のキリスト教神学の枠に収まらないこと も 確かです。ユダヤ人社会において、イエスにおいても当然 そうですが、 世が〈神〉に覆われ、創造され、その手の内に あることは大前提です。その上 に宗教も法も政治的権威も 当然立てられていると人は思っていた、そういう社会て ゙す。 けれども、イエスの何らかの信仰体験――この表現ももの すごく近代主義 的でまずいのですが、ほかにうまい言葉が ないのでそう言っておきま す――は、おそらくその大前提 の上に立てられているあらゆる権威や組織を、ほとん どちゃ ぶ台ごとひっくり返してしまうような質だったと思います。 この譬 話は、冒頭に言ったように寄せ場を題材にしてい ます。近代の寄せ場は、定職を持 てず、最終的に日雇い 肉体労働で稼ぐよりない人々が職を求めて集まる場 所で す。そこにはピンハネをする手配師がいて仕事を斡旋す る。どのくら いの労働ができるかで日給の格差がつく。当 然、寄せ場は、日雇い労働者 の多くが住まいがないので、 ドヤの町になる。ただし、現在の寄せ場の 状況は一昔前と 変わってしまった。雇い主側は、寄せ場を通すとかえって 高くつく ので寄せ場を利用しなくなっていった。寄せ場で人 を求めない。ネットや新聞 広告などで人集めをする。寄せ 場には激しい肉体労働が無理になってきた人 がほとんど。 良い仕事がなく、ドヤにも入れない。フクシか路上生活かと いう現実です。 要するに(こういう時の「要するに」は犯罪的だが)、近代 の 寄せ場は、職を奪われた者に再び職を与えることができ ない、利益優先の社 会構造が生み出した矛盾の縮図なの です。それが今のネット社会では別の 形をとって、派遣制 度、ほんの2,3行のネットや新聞広告、ドヤにあたるのは2 4 時間営業のマンガ喫茶やネットカフェ等々になっている。 でも構造は変わって はいません。 イエスの時代、ローマ帝国が支配し、弱小ユダヤ民族は その下て ゙なんとかやりくりしているわけですが、その社会の 片隅で、雇い主が、 日雇い労働者を物色して雇いいれよう とする図は、〈寄せ場〉の図と同じものて ゙す。ただし、当時の 社会労働状況について確実なことは分かりませんが、こ れ については田川建三『イエスという男』206-248頁が詳しい です。とにかく、 イエスは〈寄せ場〉的な図を譬話に使用し て、彼のまわりに集まる〈群衆〉に聞か せたことになります。 それは〈群衆〉たちが身につまされて背負っていた見慣れ た日常の図です。聞いていた人々にとって、それはなにか 「高尚な」神学的真理 を説くための譬話として聞こえてこな かったでしょう。イエスもそのような意図 で譬話を語ったとは 思えません。〈群衆〉たちが直感していた、社会構造への 不 満、労働の搾取、さらにその矛盾が自分たちの間を引き裂 き、労働者同士にさ え差別が引き込まれてきてしまってい る、・・・これをどう考えたらいいのた ゙と誰しも思うでしょう。で も、搾取され、分断され、明日のご飯の心配を している君た ち、ああ、君らのほんとうの主人は君らに一日の生きるに必 要なもの をきっとくださる。そう信じて、抑圧し搾取し分断し てくるものに対して、我 慢できないときは抵抗して良いんだ よ、そんな時でも一日に必要な糧は与え られるよ...と言わ れているように思う。
10月1日の説教から マタイ伝福音書19章23-30節 「捨てるを捨てられるか」 久保田文貞。 今日の箇所は、〈キリストのために、家族も財産も捨てる 者は、永遠 の命を受ける〉と途方もないことを言っていま す。もっとも、宗教書というものは このような極端な表現をぶ つけてくるものです。そこで人は、一種のバリ アーを張っ て、宗教の言語に対し安全弁を設け、いただける範囲でい ただく ということをします。でもこんな方便が通じるかどうか でも、普段は働 いているこのバリアーが、消えることがあ る。それまで信頼してきた人間 関係がこわれてしまったり、 仕事を失ったり、そんな時、前に読んだことが ある宗教の言 語が頭をもたげます。時宗の一遍証人は、父親や親族の 影響で 若いころから経典に親しんでいたが、親が亡くなっ て財産を引き継ぎ、妻 をもらい子をもうけ、けっこうな生活を かまえるわけですが、親戚との血を見 るほどの争いに巻き 込まれ、ほとほと嫌気がさして妻子を連れて国を出る。す ぐ にその妻子も捨て、遊行の道に踏み出します。「南無阿弥 陀仏 決定往生六十 万人」というお札を、踊り念仏をしな がら配っていきます。彼は「捨てる」を徹 底し、「身をすつる すつる心をすてつればおもひなき世にすみ染めの袖」なん て 言う。捨てる心も捨てられるかと問題にするわけです。こ の世のもろもろを捨て ようとひたすら念仏するのだが、捨て ようとする意識そのものにある作為自体 はなかなかどうして も捨てられないと、そこまで自分を追い詰めていく。一遍 の 魅力はそのすさまじさであり、私たちが築いたと思っている バリアーな ど吹っ飛ばしてかねないのです。 その点で、新約聖書の方はどうなって いるか。マルコ10: 1-31が元になって、マタイもルカもこれを書いています。 「捨てる」をテーマにした、17-31を中心に読んでみます。 一人の財産のある (byMk)青年(byMt)、議員(byLk)がイ エスに走り寄って、「善い先生、永遠の命を 受け継ぐには何 をすればよいか」と問う。この青年もきっと何かのきっかけ て ゙、あのバリアーが外れた状態なのでしょう。青年がイエス を「善い先生」 と呼びかけたことが問題にされます。「神おひ とりのほかに、善い者はだれ もいない。」と。それから、十戒 の後半第5戒から10戒までの掟が読み上げら れる。1戒から 4戒までは「神おひとりのほかに、善い者はだれもいない」 のひ と言に込められているかのように。青年は「そういうこと はみな、子供の時から守っ てきました」と云う。そこでイエス の言葉「あなたに欠けているものが一つあ る。行って持って いる物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、 天 に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 するとその人はがっ くりきて、悲しそうに去って行ったという 話です。 1から4の掟については聖を 聖とせよともいうべきもので 人には踏み込むこともできないが、後の6つの 戒めは現実 生活に関わるもの。人の生活に関わる掟です。青年はそれ を子ども の時から全て全うしていると胸を張る。イエスはほ ほえんで言われたのだろう。 「欠けているものが一つあるよ」 と。6つの戒めの根本にあるものを、君は忘れて いるというこ とでしょう。 これには弟子たちみな驚いた。それではだれが 救われる だろうと。弟子たちの驚きと、諦めの心底に、なにか別のも のが潜ん でいる。それは救いとは、善なる行為をしたご褒 美だという応報思想。 決定 的なのが最後に出てくるペテロの自信に満ちた告 白です。「このとおり、わ たしたちは何もかも捨ててあなたに 従って参りました。」という。マタイはこれに 加えて(20:27) 「では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか。」と露骨 なのですが、マタイの場合、どうもペテロの「捨てて従いま す」という告 白を否定的にとらえていません。「君は、そこま で捨てて私についてくるか。う い奴じゃ」という感じで終わり ます。 しかし、元になるマルコの方 (10:29-30)には、なにか「ペ テロの全てを捨てて従っていく」という勇ましい答 えをはね のけているようなものを感じます。はっきりとは書いていない のです が、どうしてそう感じるのでしょうか。マルコ8章27-3 0で、ペテロか ゙イエスに「あなたはキリストです」と告白する、 しかしイエスはこれに対して 「誰にも言わないように」とくぎを 刺す。いわゆるメシアの秘密の論拠となると ころですが、わ たしは明確にペテロの告白を撥ねつけてものだと理解しま す。その残影に拠るからでしょう。としても、10章28-30の 最後は、すべてを捨 てきったところで「後の世では永遠の 命を受ける」と究極の応報思想を口にす る。マルコもその点 で、マタイの付加の言葉(19:27)「では、わたしたちは何を いただけるのでしょうか。」と同じ線上を行くように見えます。 「捨てるこ とによって何かをいただこうとする心まで捨てられ ないか」という一遍の境地 に入っていかないわけです。
9月24日の説教から マタイによる福音書18章21〜35節 「帳消しにした次は」 久保田文貞 キリスト教徒は古代イスラエルの伝統に倣って神やイエス を「主」と呼びま す。主なる神の前にひれ伏す「私」は主の 僕であるという関係を受け入れている からです。つまり主人 と奴隷という古代の一人間関係の在り様をもって、今もな お 神と人との関係を表現できると思っていることになります。だ が、これは まずは単純に、自立した主体として自他ともに認 める現代の人間理解に対立する 在り方です。そこをどう考 えたらよいか、これを今日のテーマにしたいと思い ます。 さて、フランス革命(1789~)の精神は、神=>教会の権威 を否定することによっ て、人民が自由と平等なる人権の基 本原則を獲得したわけです。わが日本国 憲法も前文で「わ れらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から 永 遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉あ る地位を占めたいと思ふ。 われらは、全世界の国民が、ひ としく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存 する権利を 有することを確認する。」と謳い、第18条に「いかなる奴隷 的拘束も受 けない」と明記しています。 しかし近代市民社会の人権も、実はそう単純ではあ りま せん。そのような人権の基底にあって、それを支えているの はなにかと考える と途端に困ります。「生まれながら」とか 「自然に」とか言ってみたり、「創造 者」あるいは「神」と言っ てみたり、としても現実の社会関係に起こってくる問題 はそ れでみなが納得できるわけではない。まして日本国憲法の 場合、「天 皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴 であつて、この地位は、主権の 存する日本国民の総意に基 く」という。「天皇」は国民の一人であるようでい ながら、向こ う側にも足を突っ込んでいるようなあいまいな存在。彼が主 権 や基本的人権の根拠だとそこまで言う連中はほぼいない けど、歴史的にヨー ロッパ・プロテスタント系諸国の、今も背 後に隠れて〈まします〉神のような 位置にいて、それが何か の拍子で表に担ぎ出される可能性がないとは言い 切れな い、へんてこな位置にいます。 そこでマタイ18章21節以下ですが、マ タイは18章をイエ スの言葉を自分の教会の内部問題に適用させていきます。 「小さ な者」「罪を犯してしまった者」にどう向き合うか、それ はイエスの言葉の単な る応用問題ではなく、中心問題にし ていきます。 22節以下の譬話は、王と、家 来(新共同訳で「家来」とし ていますが、ドゥーロスの第一の意味は奴隷、下 僕)の話で すが、王が最初の下僕に一万タラントン貸していたという。 ヘロ デ大王の死後、息子アルケラオスが相続したユダヤと サマリヤの歳入が600 タラントンいうから、推して知るべし。 譬を聞いていた連中に、そんな大金を貸 し与えられる者と して頭に浮かぶのは、ローマ皇帝ぐらいでしょう。主人(王 は主でもある)は全部返済するように命じるが、返せないと すぐに知って、 「主人は、彼が売られ、またその妻子も、所 有している物も一切売られることを 命じた。」(田川訳)、 つまり主人は一方的に差押え彼の家族、全財産を処分さ せ るというわけです。そこで下僕が「寛大にしてください。そ うすればす べて弁済いたしますから」と懇願する。もちろん そんな大金を返済できるわけ がないのにそう言ったと印象 付けられる。主人はその下僕を赦してやったという。 イエス死後のキリスト教とは、その人がかくも莫大な借金 を赦してもらえたのは、 神の子イエスの贖罪のゆえと観念し ただろうが、イエスの語った譬にそんな解 釈の余地はない。 借金を赦した貰った男は、自分とあの主人に対しては同じ 立場 の下僕にあって、百デナリの借金を返せという。百デ ナリとは、一労働者が 100日労働分の賃金ぐらい、急に現 実的な額になった。それが返せない。4カ月 分ほどの収入 を一度に返せと言われて返せるはずがない。一日デナリ、 家 族持ちにはぎりぎりの生活費だろうから。彼は「どうか寛 大にしてくだ さい」と懇願するが、その男は、彼を赦さず、債 務不履行で獄に入れてしまっ たという。そうすると、そのこと を人づてに聞いたあの主人は怒って、その無慈 悲な男を 返済するまで刑執行人に引き渡したという。 イエスがこの話をどう いう場面で話したかわかりませんが、 そこでこれを聞いていた「群衆」は、 百デナリ返せなくて四 苦八苦している階層に属すると思って間違いないでしょ う。 快哉。手を打って喜んだことでしょう。 でも彼らの喜びをあなどっ てはいけません。快哉を口に する彼らにとって、いまや王はローマ皇帝なんぞて ゙はない。 負債を返しきれないと知っている彼は、その大元の債務を 赦してもらっ ていることを感じ取った上での喜びを喜んでい るんだろうと思います。 しかし、こうしてイエスの話の聞き手たちは、人は根源的に 大いなる御方に赦され てあるよりない、それを忘れた人間 は自分で自分の首を絞めるようなものだと 解したのかもしれ ません。そこで、私たちも誘い込まれます。私たちもまたそ の 根源的な赦し、然り、Yesにあってこその、自分たちの自 由、平等、自立主体なのた ゙と。
9月17日の説教から マタイによる福音書18章10〜20節
 「人が数えられる時」 久保田文貞 マタイ18章は、著者マタイが自分の所属する教会の中の 小さく弱き者たち を大切にするということがいかに教会にと って重要なことであるか説いている と言ってよいでしょう。6 節「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつます ゙かせる 者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる 方がましで ある。」というわけです。 そのつなぎの中に「99匹と1匹の羊」の譬話が置か れて います。羊の所有者は99匹を山に残して1匹をさがしにい くわけですが、 99匹が残された山とは、シナイ山や5-7章 のイエスの山上の説教など、聖なる神 の言葉が聞かれる山 を意味すると言われます。つまりマタイの理解では、迷い 出 た一匹とはみ言葉が聞かれる教会から迷い出た信徒を表 象しています。羊飼い はその一匹を見つけたら迷わずにい た99匹よりその一匹を喜ぶというわけで すが、としてもその 一匹は99匹の群れの中に帰っていき、めでたしめでたし と いう話になっています。 この譬話はルカ伝にも出てきます。ルカでは、イエス が徴 税人・罪人と親しく食事したりすることにパリサイ人が批判 するという 場面設定で、その批判への応えとしてこの譬話 が語られます。羊はマタイのよ うに「迷い出た」のではなく、 単に「いなくなった」「失った」のです。 「あ なた方の中に百匹の羊を持つ人がいて、それらの中の 一匹を失った。その人は、 99匹を荒野に放置しても、それ を見つけるまで失われた羊の下に歩いていかない であろう か」。 荒井献は本文批評を駆使して取り出した原型(仮説)で す。そ の場合の99匹が放置された荒野は、いつ天敵に襲 われるかしれない危険な所、す ばわちこの羊飼いは99匹 を捨てていなくなった1匹に賭けたわけです。衝撃的な 展 開です。 ルカとしては、暗に、イエスは優秀で清廉なパリサイ人を 捨て、 徴税人・罪人を探し当てることを選んだとなりましょう。 ただし7節「このよう に、悔い改める一人の罪人について は、悔い改める必要のない九十九人の正しい人 について よりも大きな喜びが天にある。」と付け加える。「悔い改める」 とい う条件をつけるわけで、ちょっと興ざめです。 以上は前に話したことがあ ると思いますが、今回これを読 み直して、一つの問題を感じました。 100匹の 羊の所有者はどうやって一匹いなくなったこと がわかったのだろう。このよ うな譬話解釈からすればルール 違反の問いですが、素朴に疑問を持ちました。 たとえ彼が 一匹一匹見分けられたとしても、100くらいになるとどの一 匹が いなくなったか知るには、特別な記憶術でも用いない 限り、数えてみるよりない。 さらに追及してよければ、〈数える〉とは自然数と個物を 対応させていくことて ゙す。複数の個物をそれとして個々をと らえていくに超したことはないけれど、 あるところからそれら 個物を自然数に還元できるようにする。その際、数えられ る ように、個物を、例えば邪魔なものを切り落としたりして、整 形してしまう。 つまり、あの譬話で言えば、それが走り出す 前に、登場させる羊を百匹、数 えられるように揃えてその上 で〈数える〉ということがあっての百匹。その百 匹のうちの一 匹が自己責任で「迷い出た」にしろ現象として「いなくなっ た」 にしろ、実は登場する前に数えられて登場している羊の うちの一匹だということ です。 〈数える〉ということは、辞書的に「その中の一つに加え る。数に入れる」 という意味があります。数えはじめる前の、 数える対象にするというほどの 意味です。「お前は数えられ る対象として合格だ、入れてやる」そのように 「数えられた」 羊としての100匹の一匹がいなくなったらどうするかという 話 になっています。 だが、そこでいなくなった一匹を捜し、見つけ出す ことの 意味が改めて浮かび上がってきます。荒井の原 型によれば「99匹を荒野に 放置しても、それを見つける まで失われた羊の下に歩いていかないであろうか」 という姿 は、数えるということを放棄したものの姿のように思います。 数えること ができる位置から降り立って、「見つけるまで失わ れた羊の下に歩いていく」 という行為は、数え安いように粒 を揃えて、ある定点から数え出していく行為とは まったく別 の行為だと思います。
9月10日の説教から マタイによる福音書25章40節 「いと小さき者に」 久保田文貞 マタイ伝25:31~46は、最後の審判について審判 官キリストと、羊と山羊 の比喩を使って物語られたもの です。マタイ伝では24,5章に終末についての言 葉が 集められていますが、その終結部にこの譬話を置い ています。そこでは 再臨のキリストが審判官になりま す。というわけで生前のイエスの言葉でな く、イエス死 後の教会の言葉とされます。さらに中味がマタイ的な 特徴を帯び ているので、マタイの創作と考えられま す。 内容を検討します。まず、「すへ ゙ての国民が」集め られて、羊と山羊に分類される。「すべての国民」とい う 語はマタイの別の箇所では「すべての異邦人」と訳 される語です。ただし ここでは、「終わりの日」の審判 にあたっては、ユダヤ人も異邦人(非ユダヤ 人)も逃 れようがない。パウロもたびたび引用した「もはやユダ ヤ人も ギリシャ人(=異邦人)もない」ということになりま すか。 羊とヤギという名つ ゙けは子どもじみたもので すが、ヤギにはいい迷惑です。物語に従え ば、人は どうして自分が羊またはヤギに分類されたのか、理由 が分から ないまま審判の場に出ていくことになります。 羊は右に、山羊は左に隔てられ、お もむろに審判官 が判決を下す。まず羊に、「わたしの父に祝福された 人たちよ、 さあ、世の初めからあなたがたのために用 意されている御国を受けつぎなさい。」 と。判決理由 「あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわ いてい たときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、 裸であったときに着せ、病気 のときに見舞い、獄にい たときに尋ねてくれたからである』。」 すると羊とされ た人々は、「いつわたしたちはあなたに そのようなことをしたでしょうか」と問 う。審判官キリスト は答える、「あなたがたによく言っておく。わたしの兄 弟て ゙あるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、す なわち、わたしにしたので ある」と。次に、山羊に対し てこれとちょうど逆のことが物語られます。 「小 さい者」という語について、旧約の場合ほとんど が「小さい者」と「大きい者」 がセットで出てきます。例 えば申命記1:27、エレミヤ6:13など。基本的に 「小さ い者から大きい者まで」という表現でもって、子供から 年寄りまでと か、身分の高い者から低い者まで、兵隊 から将校まで、「みな」という使い方 をするのです。 これに対して、マルコに出てくるイエスの断片的な 言葉「わたし を信じるこれらの小さな者の一人をつま ずかせる者は、大きな石臼を首に懸け られて、海に 投げ込まれてしまう方がはるかによい。」(9:42)では、 小さい 者の一人をつまずかせる位なら、二度と浮か び上がれないようにつながれ て海に投げ込まれた方 がましだと、ドキッとするような衝撃的な言葉になっ て います。「大きな者」たちが抹消されていて、「小さな 者」に焦点が合わさ れ、「小さな者」だけが「浮かび上 がる」わけですが、ここでは最 後の審判は直接には出 てきません。終末論に囲い込まれる前のイエスの福 音の出来 事の響きが感じられます。 著者マタイは、マルコ伝の改訂版を書いていくと き、 すぐ前の元々別の伝承断片の言葉41節「はっきり 言っておく。キリストの弟子た ゙という理由で、あなたが たに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報 い を受ける」という言葉と、42節の結びつきを感じ取った のでしょう。そこ から最後の審判の場面の寓話的物語 が生まれたと考えます。 マタイとしては、42 節の過激なイエスの言葉は、人 間に対する神の究極の裁きの中においてこそ理解て ゙ きると考えていたのでしょう。しかし、マルコ4:42の言 葉は、〈いま・ここて ゙〉の「小さな者をつまずかせる」者 に対する強い警告になっています。〈いま・ ここで〉神 の福音=よき知らせはそこにいる「小さき者」のうえに 〈いま・ここ で〉はたらいている、その神の働きを邪魔 するものは二度と浮かび上がれな いようにつながれて 海に投げ込まれた方がましだというのです。終末論 と いう枠組みで言えば、もうそれは神学的な議論の段 階など吹っ飛ばして いる。〈いま・ここで〉「小さな者」の 上働いている福音の出来事に、君たちも 加われという わけですから。
9月3日の説教から マタイ伝福音書6章8~9節 「御名が崇められますように」 板垣弘毅 礼拝の定番「主の祈り」の最初、マタイ福音書の言葉で言 えば、 「御名が崇められますように」、 もっと適切に訳せば 「御名が聖とされます ように」という祈りを考えます。 英語圏では「主の祈り」は、こう祈れ、とイエ スが弟子たち に教えた祈りだったでしょうか。 「あなたの名が、聖とされ ますように」と、「聖とする」神にむ かって祈るという変な祈りです。人間が 介在しない!(文語 文の「御名を崇めさせたまえ」は、この祈りの根本への誤 解?) イエスの同時代、ユダヤ教の会堂で常に用いられたカデ ィッシュの祈りとい うのがあり、イエスもかつて唱和したでしょ うか、その出だしの部分が重 なります。 「神の偉大な名が、御自身の思いによって創られたこの世 界で大き く崇められ、聖とされますように。願わくは、神の国 が我々の生きているうちに、 そしてイスラエル全家が存続し ている間に築かれますように。神の偉大な名が 代々限りな く、永遠に祝されますように。...」 今でも一日3回の礼拝の最後に唱 えられているとのこと です。イエスはこの祈りを 「御名が聖とされますように、 御国が来ますように」 と、たった二行にします。カディッシュの祈りには、 「神の国」 という言葉で、黙示録にあるような、過酷な外部の政治支配 からの終 わりの日の解放、神の圧倒的な介入を望む民族 的な願いが込められています。と すれば「主の祈り」も神の 国への希望を祈るものであったはずです。神の 国(=支 配)が世界の隅々まで行きわたるように、という祈りです。こ れをイ エスがたった二行の祈りに修正したとしたら、きっとイ エスには新しい事態が 始まっていたんです。 モーセの十戒では、ヤハウエ(神の固有名詞、「主」と訳 されている)は、わたしはイスラエルの民を奴隷の家エジプ トから脱出させた神 だ,と前置きして、第三戒にあなたの 神、主の名をみだりに唱えてはならない とあります。イエス はこの神を,「アバ」(お父ちゃん)とよび、「天にいます わた したちの父よ」と祈れ、という。イエスの祈りでは、カディッシ ュにある 「神の国が我々が生きているうちに...」といった部 分も削られ、きっとイエス 自身が神の国の到来を身をもって 生き始めていたからしょう。「わたしが神の 指で悪霊を追い 出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来た のである」(ルカ11:20)とも言っています。このイエスから見 える世界を「神の国 のまなざし」といっておくと、このまなざし の中では、ユダヤ教の律法は その役目を終えています。た とえば食物の規定も食卓の作法なども解かれ、ケ ガレを帯 びた「罪人・徴税人」たちともわいわい食事もする。 「御名が< 聖とされ>ますように」は、イエスでは、律法的 にケガレから<区(聖)別される> ということよりも、人間の願 望をはるかに超えたことが実現しますように、とい うこと。人 のどんな期待や願望も、またどんな絶望も越えている神の 働きに、 いつでも開かれていることができるのだ、というのが イエスの福音だ と思います。 しかしこう祈るよう教えたイエスは、十字架刑に処せられ、 カディッ シュの祈りにもうかがわれるように、ユダヤ教のメシ アに託されていた政治的 な解放者というイメージとは正反 対の姿で終わってしまう。最初のキリスト信 徒たちは、このイ エスが最悪の死に方をしたことを落胆しつつ心に沈め、イ エス の生前の数々の言葉、できごとと重ね合わせ、改めて、 神の国という希望を受 けとり直したのだと考えます。このイ エスが社会の最下層の、律法からあたり まえの人とは認め られない人たちの一人一人に約束した神の国の祝福、そ の人たち と同じ姿になりはてた絶望的な死のなかに、いか なる神“像”も超えた神の国の出 発点を見たのだと思いま す。どんな事態も絶対化、固定化しない、神が備え てくださ るものがあるという原始教会の信仰は(パウロもその一人で すか ゙)、イエスの「御名が聖とされますように、御国が来ます ように」という祈り と深く通じています。 「あなたの名が聖とされるますように」は、聖とするの は当 然人間でなく神です。「他のいかなるものからも期待できな いような行 為が意味されている」のです。神に対して、人間 が埋めなくていい空洞を確 認する祈りなのです。この空洞 を埋めることができる方への希望なんです。 心の底からこう 祈ることができるとしたら、その人は今の自分にも環境にも 絶 望はできないはずだ、またどんな神“像”にも屈せず、自 分たちの正当化 に神の名を持ち出すこともありえないと思 えます。今与えられた場で、自分が できる課題を探し求め る人間になるほかないと思います。 かつて下町の深川教会 で、Sさんという故郷をすて、ひと りアパートで暮らす高齢の男性と親しくな りました。彼は「天 にましますわれらの父よ」の次の句からは覚えられませんで した。しかし彼が口にできなかった「御名が聖とされるよう に」は、彼にお いてできごとになっているというのが、イエス のまなざしでした。(不十 分な要約ですみません)
8月27日の説教から マタイ福音書12章43〜50節 「未整理のまま動くと...マタイの家族」 久保田文貞 今日の箇所の聖書日課の「福音書」によるが、それ と並んで 「使徒書」としてコロサイ書3章18節以下が指 示されています。 妻たちよ、主を 信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。 夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当 たってはならない。 子供たち、どんなことについても両親に従いなさい。父 親た ち、子供をいらだたせてはならない。いじけるとい けないからです。 あまり に家父長制的で、今時の家族への勧めの言葉にしよ うもありませんが、時代的 にはユダヤ人社会でも、ヘレニズ ム社会一般でも自然な家族観だったよ うです。しかし、ここ では家父長が強権を発動して妻や子を縛りつけるわけ でな い。むしろここには思いやりある夫、父が登場する。当然、 妻も子もそれ に応えようと良き妻、良き子を演じようとする。 そんな家族が浮かんできま す。頭となる家長がこんな理想 的な夫であり、父、主人であるなら、それは それでいいじゃ ないかとなりますが、家族はそうともいかない。アンデル セン 童話の『マッチ売りの少女』のことを想い出してください。理 想的な家族の 団らんは窓の外から覗いてしまった少女の胸 を傷める針にもなるのです。 これに 対峙するかのように、マタイ12章43節以下の言葉 が次に来ます。 イエスがなお 群衆に話しておられるとき、その母と兄 弟たちが、話したいことがあって外に 立っていた。 母や兄弟としては、長男のイエスが家を出てしまって 困っている、 「話したいことがあるのでイエスを呼んで ください」という感じであ るが、元のマルコの場合は 「気が変になっている」と聞かされた家族がイエ スを 取り押さえに来たと言っていますが(マルコ3:21)、 マタイはイエスのその後 の家族に遠慮してしまってこ れを切り捨てています。 イエスの家族自体にも一種の 家庭崩壊の影が差して います。イエスは明らかに母や弟たち妹たちの諒解な しに、 家を飛び出しています。そして今、彼は「群衆」 といっしょにいるというので す。マルコの場合、群衆 とは、イエスが「飼い主のいない羊のような有様を深 く 憐れむ」群衆であり、イエスの周りに集まってき(5 :27、5:31、8:1),イエスに 「従い」(5:24)、「イエ スの教えに喜んで耳を傾ける」(12:37)、そして「群 衆 を弟子たちと共に呼び寄せ」「・・・わたしに従いなさい」と いう群衆です。 マルコが伝える伝承に現われる〈群衆〉は、社会経済史 的にいうと、長い間地中 海沿岸地域に広く分布した小規模 農地を持った家(オイコス)経済が破綻し、土地 や家の基盤 を失った人々が都市に溢れ、日雇いの土木労働者、季節 農業労働者と してしか暮らせない、その多くが職を得られな いまま凌いでいくよりない。寡 婦や身寄りのない子たちがど うなるか推して知るべしの状態だったと思わ れます。マルコ 福音書に現われるイエスは、そのような群衆にこそ、神の恵 みあれ、 神の善き知らせが鳴り響け、と声を上げ、彼らと共 にあろうとするのです。 大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさ い。母上と兄弟姉妹がた が外であなたを捜しておら れます」と知らされると、イエスは、「わたしの母、 わ たしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人 々を見回して言われた。 「見なさい。ここにわたしの 母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、 わ たしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」(マルコ3:32) マタイではどうなって いるでしょうか。 イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだ れか。 わたしの兄弟とはだれか。」そして、弟子たちの 方を指して言われた。「見なさ い。ここにわたしの母、 わたしの兄弟がいる。 新共同訳では、イエスが「弟 子たちの方を指して」と なっていますが、田川訳「自分の手を弟子たちの上に 伸 ばして」となっています。「人の頭の上に手をざすの はユダヤ教の伝統的な 祝福の儀式的しぐさ」と解説し ています。マタイの場合、マルコの「群衆」が 「弟子 たち」に入れ替わって、それがイエスの新しい家族だ となってしまいま す。マタイは群衆と弟子をどうして も階層分けしないと気が済まない(マタイ 5:1)。おそ らく、マタイ・グループの教会も〈弟子〉と一般〈群 衆〉の差が 付けられているのでしょう。ユダヤ教会堂 から追放されながらも、断固、イ エスを信じて律法を 全うするユダヤ人キリスト者たることを選んできた者 た ちこそ真のイエスの家族という思いがあるのでしょ う。 マタイ12章全体が、 宣教すれどもイエスを拒絶する パリサイ派ユダヤ人と、イエスに関心を寄せ 「ついて くる」人々を切り離そうとしています。が、その上で なお「ついてく る」人々と弟子たちを分けようとする。 依拠するユダヤ共同体をなくし、家族と も縁を切った マタイ教会の孤独な人間たちが、再び教会を疑似家族 に見たてよ うとする姿が見えてきますが、いかんせん イエスが群衆それ自体を母とし兄 弟、姉妹と宣言した 事柄とずいぶん離れてしまっている印象は否めません。
8月20日の説教からマタイ伝福音書10章16-25節久保田文貞 前回(8/6)、パウロに名を借りたコロサイ書簡とエペソ書 簡の間の類似と違いに ついて述べました。ユダヤ戦争敗北 後(70年)、各地で「異邦人」(非ユダヤ 人)教会が優勢にな って、ユダヤ人出身キリスト者が少数になりました。そん な 中、エペソ書簡の著者は、キリストの福音がまずユダヤ人の 間に伝えら れそこから教会が出発したことを念押ししていま す。 これと同質の問題意識をル カ伝と同時代(80年代?)の マタイ伝福音書も持っています。「異邦人」ルカによる福 音 書と使徒言行録は、イエスの福音がユダヤ人パウロを介し てすべての 「異邦人」=世界へ引き渡されていくことになん のわだかまりももっていません。 これに対してマタイ伝の著 者は、非ユダヤ世界への宣教命令を受けとめつつも (28:2 0)、それがユダヤ教という母体から生じたことの意味に終始 こだわ ります。 マタイとその仲間は、ユダヤ戦争(66-70)の敗戦後、イ スラエルをど う立て直すかという課題を引き受けようとしたふ しがあります。徹底抗戦派が 全滅して、非戦派のパリサイ派 ユダヤ人は周辺に避難民として流れて行ったわ けですが、 実はその中にエルサレム教会の人々も入っている、そして その流れ の一つにマタイの仲間たちもいたのではないか。 ユダヤ人避難民の中の有力な グループはパリサイ派ユダ ヤ人ですが、彼らは避難先で早速に共同 体を再建し、ヤム ニヤに議会(サンヘドリン)を招集し、エルサレム神殿を失っ た 後のユダヤ教再編事業に立ち向かっていきます。マタイ とその仲間たちもはじ めは、各地に展開されたユダヤ会堂 の集会に参加していたらしい。そこでイエ スがメシヤである ことを同胞のユダヤ人たちに開陳していく。彼らはメシヤ・ イ エスこそ真のイスラエルを再建する要であると、ユダヤ人キ リスト者として それを示すことこそ自分たちの使命だと、少な くとも主観的に考えていたことて ゙しょう。 10章5-42節は、イエスによる弟子派遣の心得の言葉と なっていますか ゙、マタイが大はばに手を入れています。明ら かに自分たちの伝道志願者たち へのものと意識していま す。 マタイは「異邦人の道に行ってはならない。・・・む しろ、イ スラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。」と書き 加えます。 〈いまやエルサレムが消滅し、エルサレム教会も 解散状態だ。この時こそメシ ヤ・イエスによって真のイスラエ ルを再建しよう。そうして初めて次の課題であ る異邦人伝道 にまい進できるというものだ。そのためには、パリサイ派ユタ ゙ ヤ人たち以上の意欲をもって、律法の真の完成を自分たち のモノし、神がます ゙ユダヤ人の間に起こした福音の出来事 をわれわれの間に確立しようではない か〉と。 だが、マタイらの思惑通りにはならなかった。11-15節の 言葉もイエ スの語られた言葉だが、微妙にマタイ化されて います。マタイ・グループ が手がけたユダヤ人伝道はほとん どが失敗に終わったことを思わせます。 「地方法院(複数)」 は戦争前のエルサレム議会(単数)ではありません(マルコ 13・ 9も複数です)。いずれにせよ、マタイ・グループは、パリ サイ派ユダ ヤ人の会堂から追放され、時には各地に認可さ れていた非ユダヤ人の地方議会に 告発されさえし、もはや 現実の再建ユダヤ教から締め出されてしまっている中て ゙ の、福音書編集なのではないかと思います。10章をそのま ま読むと悲壮感が 漂っていますが、でもマタイ福音書全体 からすると、自分たちを締め出した再 建ユダヤ教に対する 対抗意識と同時に、北方あるいは西方に威勢よくはびこる 異邦人教会のい面々に向けて、ユダヤ人キリスト者として範 を垂れておかなけれ ばならぬという矜持が見え隠れしてい るように思います。 吉本隆明は文筆活動 のごく初期、敗戦の数年後『マ チウ書試論』を書きましたが、キリスト教とい う新思 想の持ち主マタイがぶつかった旧思想ユダヤ教パリサ イ派との思想 的抗争に注目しました。そこに何らかの 別の思想をもって生きようとする人間にとっ て普遍的 な問題があると感じ取ったと言えましょう。私たちも これまで見て きたように、マタイ・グループがイエス の特異な生涯と言葉を軸に、ユダ ヤ教再建派と対峙し、 山上の説教(5-7章)にみられるように旧思想を超え るような 新思想を練り上げていくわけですが、一方の 旧思想の側も、新思想の衝撃力 がままならぬものであ ると徐々にわかっていく。そして旧思想・再建ユダヤ 教側も間接的にではあるのですが、他に追従を許さぬ ような律法の解釈を積 み上げ続け、キリスト教に対峙 していく。容易ならぬことに、マタイも単純に思 想を 先鋭化させたのではありませんし、ユダヤ教も解釈に 特化したわけでも ありません。双方とも生身に人間が 生きている地平に根を届けさせながらの思 想的対峙に なっています。そこがすごい。普遍であることの徴だ と思いま す。 前回(8/6)、パウロに名を借りたコロサイ書簡とエペソ書 簡の間の類似と違いに ついて述べました。ユダヤ戦争敗北 後(70年)、各地で「異邦人」(非ユダヤ 人)教会が優勢にな って、ユダヤ人出身キリスト者が少数になりました。そん な 中、エペソ書簡の著者は、キリストの福音がまずユダヤ人の 間に伝えら れそこから教会が出発したことを念押ししていま す。 これと同質の問題意識をル カ伝と同時代(80年代?)の マタイ伝福音書も持っています。「異邦人」ルカによる福 音 書と使徒言行録は、イエスの福音がユダヤ人パウロを介し てすべての 「異邦人」=世界へ引き渡されていくことになん のわだかまりももっていません。 これに対してマタイ伝の著 者は、非ユダヤ世界への宣教命令を受けとめつつも (28:2 0)、それがユダヤ教という母体から生じたことの意味に終始 こだわ ります。 マタイとその仲間は、ユダヤ戦争(66-70)の敗戦後、イ スラエルをど う立て直すかという課題を引き受けようとしたふ しがあります。徹底抗戦派が 全滅して、非戦派のパリサイ派 ユダヤ人は周辺に避難民として流れて行ったわ けですが、 実はその中にエルサレム教会の人々も入っている、そして その流れ の一つにマタイの仲間たちもいたのではないか。 ユダヤ人避難民の中の有力な グループはパリサイ派ユダ ヤ人ですが、彼らは避難先で早速に共同 体を再建し、ヤム ニヤに議会(サンヘドリン)を招集し、エルサレム神殿を失っ た 後のユダヤ教再編事業に立ち向かっていきます。マタイ とその仲間たちもはじ めは、各地に展開されたユダヤ会堂 の集会に参加していたらしい。そこでイエ スがメシヤである ことを同胞のユダヤ人たちに開陳していく。彼らはメシヤ・ イ エスこそ真のイスラエルを再建する要であると、ユダヤ人キ リスト者として それを示すことこそ自分たちの使命だと、少な くとも主観的に考えていたことて ゙しょう。 10章5-42節は、イエスによる弟子派遣の心得の言葉と なっていますか ゙、マタイが大はばに手を入れています。明ら かに自分たちの伝道志願者たち へのものと意識していま す。 マタイは「異邦人の道に行ってはならない。・・・む しろ、イ スラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。」と書き 加えます。 〈いまやエルサレムが消滅し、エルサレム教会も 解散状態だ。この時こそメシ ヤ・イエスによって真のイスラエルを再建しよう。そうして初めて次の課題て ゙ある異邦人伝道 にまい進できるというものだ。そのためには、パリ サイ派ユダ ヤ人たち以上の意欲をもって、律法の真の完成を自分たち のモ ノし、神がまずユダヤ人の間に起こした福音の出来事 をわれわれの間 に確立しようではないか〉と。 だが、マタイらの思惑通りにはならなかった。11-15節の 言葉もイエスの 語られた言葉だが、微妙にマタイ化されて います。マタイ・グルーフ ゚が手がけたユダヤ人伝道はほとん どが失敗に終わったことを思 わせます。「地方法院(複数)」 は戦争前のエルサレム議会(単数)ではあり ません(マルコ 13・9も複数です)。いずれにせよ、マタイ・グループ は、パリ サイ派ユダヤ人の会堂から追放され、時には各地に認可さ れて いた非ユダヤ人の地方議会に告発されさえし、もはや 現実の再建ユダヤ 教から締め出されてしまっている中で の、福音書編集なのではないかと 思います。10章をそのま ま読むと悲壮感が漂っていますが、でもマタ イ福音書全体からすると、自分たちを締め出した再建ユダヤ教に対する 対 抗意識と同時に、北方あるいは西方に威勢よくはびこる 異邦人教会のい面々 に向けて、ユダヤ人キリスト者として範 を垂れておかなければならぬと いう矜持が見え隠れしてい るように思います。吉本隆明は文筆活動のご く初期、敗戦の数年後『マ チウ書試論』を書きましたが、キリスト教とい う新思 想の持ち主マタイがぶつかった旧思想ユダヤ教パリサ イ派と の思想的抗争に注目しました。そこに何らかの 別の思想をもって生きようと する人間にとって普遍的 な問題があると感じ取ったと言えましょう。私 たちも これまで見てきたように、マタイ・グループがイエス の特異 な生涯と言葉を軸に、ユダヤ教再建派と対峙し、 山上の説教(5-7章)にみら れるように旧思想を超え るような新思想を練り上げていくわけですが、 一方の 旧思想の側も、新思想の衝撃力がままならぬものであ ると徐々に わかっていく。そして旧思想・再建ユダヤ 教側も間接的にではあるのて ゙すが、他に追従を許さぬような律法の解釈を積み上げ続け、キリスト教 に対峙 していく。容易ならぬことに、マタイも単純に思想を 先鋭化させたの ではありませんし、ユダヤ教も解釈に 特化したわけでもありません。 双方とも生身に人間が 生きている地平に根を届けさせながらの思想的対 峙に なっています。そこがすごい。普遍であることの徴だルを再建 しよう。そうして初めて次の課題である異邦人伝道 にまい進できるとい うものだ。そのためには、パリサイ派ユダ ヤ人たち以上の意欲をもっ て、律法の真の完成を自分たち のモノし、神がまずユダヤ人の間に起 こした福音の出来事 をわれわれの間に確立しようではないか〉と。 だが、マタイらの思惑通りにはならなかった。11-15節の 言葉もイエスの語られ た言葉だが、微妙にマタイ化されて います。マタイ・グループが手が けたユダヤ人伝道はほとん どが失敗に終わったことを思わせます。「地方法 院(複数)」 は戦争前のエルサレム議会(単数)ではありません(マルコ 13・9も複数 です)。いずれにせよ、マタイ・グループは、パリ サイ派ユダヤ人の会 堂から追放され、時には各地に認可さ れていた非ユダヤ人の地方議会に告発され さえし、もはや 現実の再建ユダヤ教から締め出されてしまっている中で の、福 音書編集なのではないかと思います。10章をそのま ま読むと悲壮感が漂ってい ますが、でもマタイ福音書全体 からすると、自分たちを締め出した再建ユダ ヤ教に対する 対抗意識と同時に、北方あるいは西方に威勢よくはびこる 異邦人教 会のい面々に向けて、ユダヤ人キリスト者として範 を垂れておかなければなら ぬという矜持が見え隠れしてい るように思います。吉本隆明は文筆活動のごく 初期、敗戦の数年後『マ チウ書試論』を書きましたが、キリスト教という新思 想 の持ち主マタイがぶつかった旧思想ユダヤ教パリサ イ派との思想的抗争に 注目しました。そこに何らかの 別の思想をもって生きようとする人間にとって普遍 的 な問題があると感じ取ったと言えましょう。私たちも これまで見てきたよ うに、マタイ・グループがイエス の特異な生涯と言葉を軸に、ユダヤ教再 建派と対峙し、 山上の説教(5-7章)にみられるように旧思想を超え るような新思想 を練り上げていくわけですが、一方の 旧思想の側も、新思想の衝撃力がま まならぬものであ ると徐々にわかっていく。そして旧思想・再建ユダヤ 教側も 間接的にではあるのですが、他に追従を許さぬ ような律法の解釈を積み上け ゙続け、キリスト教に対峙 していく。容易ならぬことに、マタイも単純に思想を 先 鋭化させたのではありませんし、ユダヤ教も解釈に 特化したわけでもありま せん。双方とも生身に人間が 生きている地平に根を届けさせながらの思想的対 峙に なっています。そこがすごい。普遍であることの徴だ と思います。と 思います。
8月13日平和を考える礼拝「語り合う時」 から ヨブ記7章17-18節を読む。 (久保田記) 以前から「平和を考える礼拝」という呼び方に違和 感を覚えるという人が何人 かいらっしゃいました。その 呼び方に賛同してきた私も、ある種の戸惑いがあ りま す。礼拝は神を賛美し、み言葉に耳を傾ける時では ないか。説教の部分を話 し合いの時にするというのは いかがか、礼拝は人間が思いを主張し合う時で はな いだろうということです。まして聖書がいう〈平和〉の根 本は神の平和 (シャーローム)ですから。 たしかに、相手を誹謗したり自分の力を誇示した り、 ときにこちらには忍耐力もあると余裕をみせたりし て、なんとか戦争を回避して、 ほれみろ、これが平和 だと、トランプや金正恩のように互いに嘘ぶいてみ て も、私たちには平和からほど遠いとしか思えません。 けれども、やはりマタ イ伝5章9節「平和を実現する 人々(エイレーネーポイオイ)は、幸いである、そ の人 たちは神の子と呼ばれる。」というイエスの言葉を思い 出します。エイレー ネーポイオスは、英語のピースメイ カーと同じ、調停人、仲裁者の意味で 使われた言葉 です。ひょっとすると策を講じて戦争を回避する交渉 人も、それ に含まれるのかもしれません。歴史的現実 からすれば、結果として戦争がない こと、それが平和 だというよりないかもしれません。神が下さる平和と、 人 間が作り出そうとする平和が一つになることを祈念 して、平和を考える礼拝を 模索していきたいと思いま した。 ただの井戸端会議ではないか、と言われるか もし れません。庶民が気兼ねなく、母が夫や子どものこと で愚痴をこぼ しあい、ときに近所のいざこざを治める 知恵を出し合い、ときにお上に文句を 言い、うっぷん を晴らす・・・。でも、イエスはそんなおしゃべりをにこ に こしながら聞かれ、ある時はいっしょに腹を立て、そ うだよねと相槌を打って 下さるんじゃないか、と思いま す。(わたしもけっこうファンダメンタルなとこ ろで教会 に繋がっているなと思わされながら)。前置きが長くな ってすみ ません。以下が報告です。 8月15日「終戦記念日」の問題を当日の週報『複 眼』 (終戦記念日)について話しました。たまたま中国 からいらした王さんを前にして、 日本が東アジア諸国 に侵略したことに頭を下げるよりありませんでした。 昨今の米・北朝鮮とのやり取りのこと、それに日本 の安倍政権は米一辺倒で何も 貢献できていないこ と。小さいながらも私たちも声を上げなければならな いとの発言がありました。 今やほとんどの人が戦争を知らなくなってきて、 そ のうち体験者から直接話を聞くこともできなくなるでし ょう。どう継承し ていくか、工夫が必要です。 最後に、松浦さんが絵本『だれのこどもも ころさせな い』(西郷南海子文、浜田桂子絵)を朗読してくれまし た。 せんそうさ せない こどもをまもる せんそうさせない おとなをまもる ママはせんそうしない ときめた パパもせんそうしないときめた みんなでせんそうしないときめた ずっとずっときめてきた せんそうのりゆうをつくるのやめよう せんそうのど うぐつくるのやめよう だれのこどももころさせない だれのこどももころ させない
8月6日の説教から 出エジプト記22章20(21)節 「寄留の外国人」 久保田文貞 《寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならな い。あなたたちはエジプトの 国で寄留者であった からである。 寡婦や孤児はすべて苦しめてはな らな い。もし、あなたが彼を苦しめ、彼がわたしに 向かって叫ぶ場合は、わたし は必ずその叫びを 聞く。》(22:20-22) 出エジプト記で「十戒」 (20:1-17)の後に置かれ ている「契約の書」(20:22-23:17)の言葉です。「契 約の 書」はその内容から王国成立時代前、イスラエル がカナンに定住した後、すなわ ち士師時代を反映し た法令集と言われます。ここでは23章9節にも出てくる 寄留 者(ヘブル語でゲール)について考えます。 寄留者とは「自分が属している 氏族や家族から離 れて異教に滞在すること。寄留者は、そこで市民とし ての法的 権利を持たず、その土地の人々の客人に対 する保護に頼って生活する」(岩波『旧 約聖書』の解 説)人々です。 イスラエルの父祖たちとされるアブラハムら族長 は 草地を求め家畜を追って生活する遊牧民ですが、彼 らが求めた草地にはた いてい先住民の既得権がある わけで、族長たちは自分たちの産物と交換条件て ゙草 地を借りるよりない。アブラハムらは定住民にとってゲ ールそのもので す。ほかにもゲールにはいろいろな 形態があった。例えば、職人、行商人、 芸能民など。 彼らは寄留する共同体において「よそ者の寄留者」ゲ ール・ウェ トーシャーブ(創23:4)ですが、その共同体 の下層民としてけっこうしっかり と組み込まれている様 子が窺えます。(レビ16、17章などでは、祭りの参加 者 として取り扱われています)。 「契約の書」の背景では、イスラエルの民が 定住者 側で、そこに〈よそ者〉が寄留していることになってい ます。「契約の 書」もまたそのような寄留民に対して 〈優しくあれ〉というわけです。なぜな ら、自分たちもか つては「エジプトの寄留者であったから」「寄留者の気 持 ちを知っている」(23:9)からだと。22章21節以下で は、寄留者ゲールと並へ ゙て、寡婦アルマーナー、孤 児ヤートーム、さらに貧しい者を虐待してはならない こ と、優しさ、配慮をもとめています。新共同訳聖書は、 22章20-26節に「人道的 律法」と見出しをつけていま す。結果として人道的と読める言葉は、旧約の中にほ かにも多々あります。そして、このような人道的な倫理 は古代西アジア一帯に普 遍的に存在するものです。 専制的支配者が支配を貫徹するためには、貧困層の 不満を宣撫し反乱や暴動を抑止する必要があったか らです。そんな大規模なこ とを考える以前に、前に述 べたように、小さな町ほどの都市国家においても、 市 民権のない寄留民=何らかの理由で外からやってき た者、夫や父を亡くして法 的支えを失った寡婦や孤 児たち、破産人たち、等々、実は彼らが不平や不満 を言 わず、粛々と下働きをしてくれる以上、その共同 体になくてならぬ存在だと、 市民権をもつ住民たちは 知っているわけです。 ひねくれた見方だと言われるか もしれませんが、 「人道的律法」などというものは、つねに支配層たち が貧 困層からの反抗を砕くための宣撫思想、温情主 義(パターナリズム)に堕しかね ない代物です。 イスラエルはかつてはゲールであった。しかし、今 は、それ をまるで卒業したかのように、定住農耕民に なった。そこで、ゲールであっ た時のことを肝に銘じ て、自分たちの目の前にいる貧しい人、寄留民にや さしく しようと、しかし、それがいつまた逆転するかわか らない。そんなふうに自分を 相対化して言うなら、それ も良いかと思います。 けれども現在のシオニズム・ イスラエル国のように、 先住のパレスチナ人を2級市民に貶め、ゲールとして 静かにしているなら仕事をさせてやろう。が、ちょっと でも反抗するなら、テ ロリストとして最悪の「異邦人」 「敵」として扱う。そんなイスラエルは「 寄留者 を虐待 したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジ プトの国で寄 留者であったからである。」をどう読むの でしょうか。聞いてみたいで す。
7月30日の説教から
「主の山に備えあり」 創世記 22章1-19節 飯田義也 現代の社会では、日常的に「生きていることがあたりま え」になってしまって いて、生きていることが死と隣り合わせ であることに気が付きにくい時代な のかもしれません。ふだ んの暮らしに浸かっていると「あのとき死んでいたか もしれ ない自分が生きているのだ」というような感覚にはなかなか ならないの ではないでしょうか。 夏になるとときどき思い出すのが宮澤賢治作の「銀 河鉄 道の夜」です。主人公の少年ジョバンニが尊敬する友人、 カンパネ ルラの犠牲死と時を同じくして銀河鉄道に乗り、死 の世界を垣間見るというストー リーです。死に思いを馳せる ことによって、生きるということの深みが増すの だと意識させ られる物語です。 死の危機を経験して生きるというテーマは、聖 書の中で繰り 返し現れてきます。 今日の聖書に出てくるアブラハムは、わたし たちにとって は神話の中の登場人物です。ただ、多くの聖書学者が実 際にい ただろうと考えていて、美化されるだけではない性 格や行状の描写から、そ ういう可能性もあるかとわたしも思 ってはいるわけですが、創世記は、個人て ゙あるアブラハム の物語を始める前段階として人類の歴史を語っていて、そ こて ゙は人類全体が死滅させられる神の計画の中で、神ご自 身が意を翻してく ださって、再び繁栄を得ることができる物 語が描かれています。そう 「ノアの箱舟」として有名なお話 です。 人類全体も一度は滅ぼされかかってい るし、アブラハム の家系も一度は途絶えかけていて、それは後のダビデの 人 生にもつながりルツ記にもつながり、バビロン捕囚期のエゼ キエル書 等の思想にも表れ、さらにはキリストの死と復活に おいて完成する、通奏低音のよ うに共通して継続する底流 のテーマなのです。 「これらのことの後で、神はア ブラハムを試された。」と今 日の物語は始まって行きます。これには語り手の解 釈が入 っていて、物語の最後の神の宣言に「あなたがこの事を行 い、自分の独 り子である息子すら惜しまなかったので」云々 とあって、アブラハムが神 の試験に合格したので子孫繁栄 を約束されたような話になってしまっていますか ゙、そうした 「よい子生活のすすめ」というような狭量なお話では全然な いと思 います。  「神が、『アブラハムよ』と呼びかけ、彼が、「はい」と答え ると」とあり、神と人との呼応する関係が強調されます。 たとえ対話の関係が 成立していても、対話はいつも笑顔 というわけにはいきません。 とんでもない声 が聞こえます。「あなたの愛する独り子イサク を」「焼き尽くす献げ物として ささげなさい」というのです。 アブラハムは、すっかりその言葉にとらわれ てしまいます。 行先は「モリヤの山」・・三日の行程は、松戸からと考える と(途 中「守谷」もありますが)ちょうど筑波山くらいの距離感 なんだと思います。 薪と火は持って行くが、いけにえの動物は持たない旅。 聖書の記述がそのまま 重苦しくわたしたちにものしかかり ます。「イサクは父アブラハムに、『わたし のお父さん』と呼 びかけた。彼が、『ここにいる。わたしの子よ』と答えると、 イ サクは言った。『火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ 物にする小羊 はどこにいるのですか。』アブラハムは答え た。「わたしの子よ、焼き尽く す献げ物の小羊はきっと神が 備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。」 最初に強調された対話の関係性ですが、ここでも呼びかけ 応える関係は成 立しています。しかし、どんなに対話しても 平行線のまま。 子も自分の心配を直 接は聞けないし、父も本心は言えな い・・という中で、とうとう行き着くところ まで行ったそのとき、 神の翻意が聞こえてくるのです。 「そのとき、天から 主の御使いが、『アブラハム、アブラハム』 と呼びかけた。彼が、『は い』と答えると、 御使いは言った。 『その子に手を下すな。何もしてはならな い。』」 3度目の呼びかけと応えで、神ご自身が反対のことをお っしゃる います。「これまでの言説と矛盾するじゃないか」と いうことなのでしょう か。神の翻意がなければアブラハムとイ サクが救われることはありません でした。神は、矛盾や緊張 関係を引き受けて、人が生きる方向に導いてくだ さいます。 主が備えてくださることによって、救いのない人間同士の 現実に光 が差し込むのです。アブラハムはその場所を「ヤ ーウェ・イルエ(主は備えて くださる)と名付けた。そこで、人 々は今日でも『主の山に、備えあり(イエ ラエ)』 さて、現代社会の、人間同士では平行線のままで解決でき ない状況 に主は備えてくださるのでしょうか。 このことの後、アブラハムは、自分か ゙掘り当てた井戸のあ る地、ベエル・シェバに住んだと聖書の記述は結ば れてい ます。
7月23日の説教から エフェソス書簡2章19節 「それでも異邦人・寄留者を作り出す」 久保田文貞 再び異邦人の問題に戻ります。最初に「異邦人」という言 葉でカミュの『異邦 人』を思い出すと言った。カミュは、社会 に溶け込めず、疎外された若者ムルソー を描き出す。大戦 後、戦争でブッ毀された社会を再建・復興させようと世界は 突進する。インフラも制度も、そして人間も。でもその動きに 虚偽を感じ取っ てしまったのか、それに乗れない若者たち が出てきてしまう。家族、友人、そし て人の命さえ、霞んでし まう。そんなエイリアンみたいな人間、それが異邦人 だとい うのだろう。だが、半世紀以上が経って、どうなったろう。飛 躍を承知で言うが、いつごろからか、周り中が異邦人だら け、かく言う 自分も含めてだが。みんなが異邦人になってし まうとどういうことになる か。それが今回のテーマだ。 エフェソス書簡について、私の手持ちの解説書や注解 書で最も説得力のあるもの は田川建三の説だったので、そ れをまず紹介する。エフェソス書簡は、同し ゙くパウロの名を 借りた疑似パウロ書簡であるコロサイ書簡の焼き直し。両 者 の重要な違いは、コロサイ書簡の方がいわゆる「異邦人」= 非ユダヤ人出身 の教会指導者が書いたもの。それに対抗 してエフェソス書簡はユダヤ人出身の 教会指導者が書き改 めたものという。たしかにコロサイ書簡は旧約的な表現や、 ユダヤ人についてほとんど触れない。エフェソス書簡では、 こうなる。「我々 ユダヤ人こそが神によって最初に選ばれた のだ。(1・11)...我々が最初 から「イスラエルの市民権」(ポ リテイア、口語訳では「イスラエルの国籍」) を持っていたの で、あなた方異邦人はそこから疎外されていたのだ(2・1 2)。...あなた方は恵みによって後からそこに加えてもらった 「共同相続者、共同の 身体、共同受領者」にすぎない。(3・ 6)」と。なるほど、「我々」とはユダ ヤ人教会人を指し、「あな た方」とは異邦人教会人を指すとして読むといっそうク リア ーになる。コロサイ書簡が書かれたのは一世末頃、おそらくエフェソ ス書簡 の著者は、コロサイ書簡が疑似パウロ書簡として書 かれたものであったこと を知っていたからこそ自分もパウロ の名を借りて書いたのだろうという。 とい うわけで、たびたび引かれところであり、有名なところ だが、2章14節以下「実に、キリストはわたしたちの平和であ ります。二つの ものを一つにし、御自分の肉において敵意 という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律 ずくめの律法を廃棄 されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一 人 の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、 両者を一つの体とし て神と和解させ、十字架によって敵意 を滅ぼされました。」について、この「両 者」が実は「我々」= ユダヤ人キリスト者と「あなた方」=異邦人キリスト者の ことだ となると、いささか水を差された感じだ。もちろんこの言葉か ら、対 立する国や社会集団に広げて、それを解消し、和解 させる神の働きを想うのは自 由だが、エフェソス書簡の書き 手の想いとは離れてしまっていることは覆うへ ゙くもない。 要するに、コロサイ書簡においては割礼を受けた者すな わちユダヤ 人はわずか3人(コロ4・11)、ほとんどが異邦人で あり、異邦人の救いに終 始する。それはおかしいだろうとエ フェソス書簡の著者の言い分。わからないて ゙もないが、周り がみんな異邦人になってしまえば、異邦人・「外国人」 「よそ 者」の意味が喪失するという理屈だ。「以前は遠く離れてい たが、今 や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって 近い者となった」「あなた がたはもはや、外国人でも寄留者 でもなく、聖なる民に属する者、神の家族 であり、...」 という わけだ。 図式的だが、今や、ユダヤ人と異邦人の 対立構造をバ ネにして両者を和解させ、それを次々に再燃させていくと いうパ ウロ的な構図は、疑似パウロ主義者としてもひとつの 行き詰まりに差し掛かる。 では、つぎにどうしようというのだ。 異邦人教会としては、自分を疑似ユ ダヤ人にし、教会の外 の人々を次の異邦人に仕立てることになる。でも、そう いう 構図の立て方はなにか間違っていると思う。 イエスの福音のことを想う。イエ スは、神の福音を恵みと して受け取る人間の在り様に、前提を設けない。差をつけ ておいてから、それを解消して見せるというパフォームをし ない。「み名があ がめられますように。御国が来ますように。 み心が天で行わわれるように 地上でも行われますように」と 願うよりないすべての人に、それで十分とい う。ひとはそこ にいてよい。ひとはそこからはじめればよい。イエスはそう言 われているように思う
7月16日の説教から マルコ伝福音書12章13-17 「二つの王国説の誤り その2」 久保田文貞   宗教改革者ルターが提起した二王国説を「誤り」 などと僭越な題をつ けて後悔していますが、その 古典的な説がいまも近代国民国家の片隅で息つ ゙い ていることを申しあげたかったのです。 ルターがこの説に到達したのは、 カトリック教 会とタテマエとしてその擁護者であった神聖ロー マ帝国という二つ の保守勢力との対抗上やむを得 ない面がありました。教会が「完全なるもの」 と して神の国の真理・恵みを保持し、それを地上の 「不完全なものたち」に配剤す るという神の恵み の代理機関になっている。その錯誤のゆえに、教 会は必然的に堕 落したのだと。教会がなすべきこ とは、十字架につけられた神の子キリスト を信じ る信仰によってのみ人は神によって義とされるの だと言う。教会は聖書 にもとづいて福音を宣べ伝 える、それ以上でもそれ以下でもないというわ け です。 では、ルーターにとって地上を治める国家とは なにか。やがて来 るべき救いの完成の日・終末ま での期間=「中間の時」にあって、国家はこの地 上を夜警のようにいまだ罪から脱しきれない人間 の犯罪行為を取り締まるのだ とする。教会は神の 真理・福音宣教に、国家はこの地上の事柄に、そ れぞれ専念 し、互いに棲み分けをしようではない かというわけです。それをカトリック教 会の世界 支配に反対して、宗教改革の教会は世界を宗教の 桎梏から解放してやる形 になっているわけです。 岩波文庫のルター著『現世の主権について』とい う本は、 ルターが1520年自分を支持する領主たち の前で説教したものがベースになっ ています。領 主たちはルターから奨励されて地上の支配権を自 信をもって行使する、 そういうタテマエになって います。その限り、まだ説教する神学の方が優位 に 立っていると見なされているわけで、中世キリ スト教的な感覚が色濃く残って います。後に市民 革命などを経て近代国民国家が政治と宗教を分離 させる原則―政 教分離―を作っていくわけです が、そこでは、国家と宗教が対等に棲み分け をし たなどという感覚は消滅していきます。宗教は、 芸術などと等しく、国民 の私的関心や興味のため に指定された領域にとどまっているよりないこと になり ました。いまや二王国説はクリスチャンの 頭の中の関心にすぎません。 前述した 『現世の主権について』という本の副 題は「我々は之に対して何處まで服従の義 務を負 うか」となっています。基本的にローマ信徒への 手紙13章1節以下をもとに してこの地上に神に拠 らない権威はないとし、それゆえ「上に立つ権威 に従えと奨 めます。ここで「服従」と訳された言 葉はゲホルザーム gehorsam というト ゙イツ語です。 私は前回、グリューンの『従順という心の病い』 という本を紹 介しました。その「従順」の元の語 がまさに gehorsam です。グリューンは ドイツ人 に特徴的な従順さというものが、生まれたての子 どもが母親との 抗争の中で屈服させられ従順さを 身につけるよりなく、さらに父親によって厳し く しつけられ、屈服するよりない。そのようにして 子は傷つけられ、自己嫌悪を植 えつけられ、それ が他者に向かう時、上位の者には屈従的になり下 位の者には権 威的になる、社会はそういう悪循環 に覆われることになる。その最悪なケースが ナチ ズムだと。では、人はその悪循環をどう断ち切れ るか。グリューン はそれに対して言葉少ないので すが、他者との共生の中で獲得していく共感 の心 だと言っているようです。おそらくグリューンは、 地上の権力者に従順 であれと命じるルターにも、 そしてパウロにも反対と言っているのでしょ う。 従順さを徳とすべきでない。それは深刻な社会病 理を引き起こす病なのた ゙と言っているように思い ます。
7月9日の説教から ローマ人への手紙書13章1-7節 「権威への服従 二つの王国説の問 題 その1」久保田 文貞 アルノ・グリューンの『従順という心の病』(村椿嘉信訳)を 紹介します。著者は 1923年ベルリン生まれ。両親はユダヤ 人。この生年をみれば彼がどんな 少年期、青年期を送るこ とになるか説明を要しないと思います。 グリューンの本 は『「正常さ」という病い』という翻訳がはじ めに出て、私は題名に誘われて 買ったのですが、精神分 析の専門書で半分も読まず放置してしまいました。 潔癖症 のように、「正常さ」を異常に追求してしまう病のことかと思っ たら、著者 はいろいろな症例を挙げ、実は正常に育てられ た子こそすでに正常さという病 いなのだと、そういう本だっ たことを記憶しています。 『従順という心の病』 もどうやら基本的に同じなのですが、 特に印象に残ったことは、乳児と母 親との権力ゲームの指 摘です。精神分析を広めたフロイト的に言えば、乳児 が母 親に乳を求めれば、母親は自然に乳を与える。それは本 能、生物学的な衝 動であって、本質的に子と母は親和の関 係にあるとみなされています。これに対 して、グリューンは、 新生児が母親の乳を求める、しかし母親は思い通りに乳 を 与えるわけではない。子に服従を強いる、そこに子と母の 権力ゲームが起 こっていると見ます。もちろんこの権力ゲー ムに父親が介在し複雑になります が、いぜれにせよ、子は 両親それぞれとの権力ゲームに入る。子はそこて ゙傷つき、 屈服させられていく。同時に子は屈服する自分に激しい自 己嫌悪をもつ。 それはすぐに兄弟や他者に向かい、他者を 支配するか、屈服するかという権力ケ ゙ームになっていく。 グリューンは、ナチスに抵抗らしい抵抗ができず、 従順に ヒットラーを受け入れてしまったドイツ人の中にある権力依 存の傾向が どこから来るか、精神医として分析していきま す。 そして、その従順さのかげ に屈従した自分への嫌悪、 その故に他者に対する屈服の要求、攻撃が表裏一体に な っているとみます。当然だと思いますが、それはドイツ人に 限らず、ユ ダヤ人にも、ほとんどの人間に共通する。でも、 それぞれの文化によって、 従順さの社会的な評価に違い が出てくるのは確かです。 では、人はこの支配 と屈服の権力ゲームの連鎖からどう やったら抜け出ることができるという のでしょうか。グリューン は、共感すること、共生すいることが大事だと いうようなこと を言っていますが、この本であまりページを割いて語って い ません。 パウロはまだ会ったこともないローマの信徒たちに書きま す。 「すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜ なら、神によらな い権威はなく、おおよそ存在している権威 は、すべて神によって立てられたもの だからである。」 この種の議論は、当時インテリや学生に向けた国家論な ど によく見られるものですが、パウロはこれをローマに生活 している一般信徒 たちに語っているのが尋常ではありませ ん。生活者にはとって、目の前の権力 者が税を払え、命令 に従えと言えば不承不承ならがそうするよりない。従わ なか ったら権力者がなにをするか知れたものではないからで す。国家が何 の権威よるものかなど関係ありません。だが、 パウロはそうじゃない、 なんで権威に従うか、税を払うか、単 純に権力者が怖いからではない。権力 者に従うというのは 「神学的」な意味があるといわんばかりです。 パウロ がこの手紙を書いたのは一般に55,6年頃とされて います。ローマではあの悪名 高きネロがその2年ほど前に 即位し、前皇帝の実子の弟を毒殺した頃です。ロー マの信 徒もそのうわさを聞いていたのではないか。そんな彼らにい くら遠くにい てローマのことを知らないとはいえ、「すべての 人間は上に立つ権威に従うべ きである」と言てしまうのは何 でしょう。 正直言って、パウロこの言葉に 「従順さという心の病い」 に通じるものがあるように思えてなりません。パ ウロの場合、 神のよる究極の終わりの日、すなわちキリストが再臨する時 まで、 当面、少数者として庶民としては、この世の権力に逆 らわず、従順にしていなさ いという以上でも以下でもないで しょう。しかし、後に教会は少数者でな くなる。いやローマの 公認宗教となり、さらに国教になる。そうなると、この言葉 は まったく別の意味を持ってしまいます。権力者側の論理とし て、権力者に対する 批判、反抗、反逆の芽を摘み取ってし まう論理になるわけです。
7月2日の説教から マルコ伝福音書1章40~45節 「越境するまなざし」 板垣 弘毅 6月23日、沖縄戦の死者の「慰霊の日」夜の報道番組 で、去年の4月にうるま市で 起きたアメリカ国籍の軍属の男 による強姦殺人事件の抗議集会で、これは日本の 問題で もあると、アピールした女性への、ネット上で書き込まれた 言葉が 紹介されていました。たとえば、また琉球処分だと か、すさまじい言いたい 放題です。この女性は、沖縄戦を 知る祖父に励まされたりしながら、本土との 溝を考え続けて ゆく、というようなことを言ってましたが、取材記者に「どう し たらいいんでしょうねえ」と途方に暮れる風でもありました。 国境、人種、 歴史、言語、宗教、性別、病気などあらゆるも のが、こちら側と向こう側をわ ける印としてつかわれてきまし た。誰かが引いた境界線の「向こう側」にあると 思うものに は、その前提から自由になることは至難なことです。 新約聖書は、ひ と言で言えば、越境するイエスと出会っ た人々の証言集で、どんな解説、 仮説もこの「出会った」と いう感動に自身が「触れて」いない読みはこの文書か ゙伝え たい何かにたどりつかないと思えます。 「主はモーセに仰せになった。イ スラエルの人々に命じ て、重い皮膚病にかかっている者、漏出のある者、死体に 触れて汚れた者をことごとく宿営の外に出しなさい」(民5:1 ~4) 律法の定めで す。ケガレの反対は「聖」、神は「聖」です が、人間は聖ではない、聖書 では神が聖であることに向き 合えないことがケガレ、といえます。ここ では「重い皮膚病」 などのケガレが挙げられています。この者たちは宿 営の外 に、つまり共同体のメンバーである資格を失うわけです。 < さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来 てひざまずいて願 い、「御心ならば、わたしを清くすることが おできになります」と言った。> この「重い皮膚病」を、ハ ンセン病と断定はできませんが、ヘブライ語で はツァーラ ト、ギリシャ語ではレプラで、その伝染性を恐れたのか、非 常 に強いケガレを帯びた者というレッテルが貼られ、古代か ら差別されていま した。レビ記にある律法の規定では「重い 皮膚病」の者はこういう格好をせよ、 とされています。「衣服 を裂き、髪をほどき、口ひげをおおい」さらに「わた しはケガ レた者です」と叫ばねばならない。イエスの時代もそうだっ た のかわかりませんが、この病人が定められた地域から歩 み出して、イエスのと ころにやってくるということが、すでに いろんなことを乗り越えているはず です。この病の人は言い ます「みこころならば(直訳 あなたが欲するならは ゙)わたし を清くすることができます」 「あなたが望めばできることな のです」と言っています。この素朴な信頼、見る人によって はとんでもない妄 想、思いつめ、です。イエスはどうされた か。 < イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ> 村や町の共同体から排 除された者が、当たり前の人間に してください、と願う。「深く憐れんで」 (別の写本では「怒っ て」。どちらにしても)、イエスは目の前のできごと に心を揺さ ぶられ、手をさしのべてその人に触れる。これも禁じられて いる ことです。触れた人にもケガレは伝染し、社会から締め 出される成り行きで す。 <「よろしい(直訳 わたしは望む)。清くなれ」と言われる と、> この「重い 皮膚病」の人の「あなたが望めば...おできにな れます」という信頼と、イエ スの「わたしは望む」、二つの「望 む」のあいだに「その人に触れる」という行 為があります。 「触れる」というのは、言葉を介さないつながりです。発語 を 支える沈黙といってもいいです。「触れる」感受性は、同時 に自分も傷にさら されていること、ですね。イエスも境界線 を越えて、この人の孤独に連帯する。 「病気の色だけに支 配される」人間として見ず(小林麻央ブログ)、この人 自身を まなざし、「わたしは望む、清くなれ」と宣言する。この言葉 の重さ、あ るいは深さに少しは近づけたでしょうか。このでき ごとへの驚きや感動か ゙、まずこの伝承をつくっていったのだ と思います。 <たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった> 何重にも引かれた境界をこえて、 イエスがその人に「触れ る」。そこにその人だけの「いのち」の叫びを聞い たからで す。神が祝福した、一つの「いのち」です。そのいのちに呼 応する できごとは、人間の引いた境界線を越えてゆくことな のだと思えます。そし て神の前でかけがえのない「いのち」 が覚えられているかぎり、イエスの まなざしの中では、「病 気」に自分を語らせることはできないし、もちろん 「病気」で 他者を語ることも不可能です。このまなざしの中では、キヨ サ とケガレの境界線も、また生と死の境界線も、超えられて います。(いつもなが ら不十分な要約です。必要なら全文を 送ります。教会気付けで板垣まで)
6月25日の説教から ガラテヤ書4章8-15節 「今は神から知られている」 久保田文貞  前に申し上げた通り、ガラテヤ教会(教会とは言い条、 〈家の教 会〉、私たちのイメージでは定期的な家庭集会に 近いものでしょう)は、他の 教会とは違って100%「異邦人」出 身者だったようです(4章8,9節)。確かに「異 邦人」への宣教 というのが彼の使命だった(2:8)のですが、彼の基本的な 宣教方式はピリピへの宣教の仕方(16:12以下)を典型とし てよいと思いますが、 まずは、たぶん伝手を通してユダヤ人 集会に行く。そこで福音を語るわけ です。この方式はアンテ オケ教会のバルナバといっしょに行った「第一回伝 道旅行」 以来のもの、第2回、3回ではパウロはアンテオケ教会から 独立して宣 教していますが、その場合もまずはユダヤ人の 集会での宣教から始めるの です。その限り、この宣教方式 から浮かび上がる「異邦人」とはギリシャ 語を母語として生 活してきたユダヤ人(ヘレニスタイ)の前にいる異邦人であ り、 そのようなユダヤ人から見えてくる「異邦人」です。使徒 行伝(13:1617:4、黙 示録19:5等)に出てくる「神を畏れる 人びと」「神を敬う人びと」がそれで すが、歴史的には、ユダ ヤ人の周辺で改宗はしないけれど神を畏れた人々 が前か ら存在していたことが知られています。パウロの宣教方式を ざっと 見るとどうしてもこのようなユダヤ人集会周辺の「異邦 人」を相手にしている と言わざるを得ません。その方が手っ 取り早かったからだろうと、非難めい たことを言うつもりはあ りません。そこには彼の福音への入り方の独自なものが 関 わっているだろうと思います。 だが、パウロとガラテヤの人たちへの 出会い方はそれと は違っていました。4章13、14節によれば、彼がアンテオケ 教会と袂を分かってマケドニアに向かう途中で持病(?)が 出てガリラヤとい う田舎町に逗留することになった。そこの 人はユダヤ人パウロを忌み嫌ったり 差別することなく(こう言 うパウロには普段から「異邦人」によって忌み嫌われ差 別さ れてきたという意識が垣間見える)親切に介抱してくれたら しい。その意に 感謝して快方に向かっていたパウロがひとし きり、ユダヤ教や律法について 何の予備知識もない「異邦 人」に福音を、「十字架につけられたキリスト」(3:1)を 宣べ 伝えたということだと解したいと思います。 私が問題にしたいことはこ うです。ユダヤ教を知らないガ ラテヤ人に、「十字架につけられたキリスト」 の福音を説くた めに、最低限の必要な律法への感覚を、急ごしらえでおく より なかった。律法をもっていない人々に、「あなたがたが“ 霊”を受けたのは、律 法を行ったからですか。それとも、福 音を聞いて信じたからですか。」と問 いを立てても無意味だ からです。 パウロ自身そのことを察したからでしょ うか、8節以下、矛 先を変えてこう書きます。「あなたがたはかつて、神を知ら ずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。し かし、今は神を 知っている、いや、むしろ神から知られてい るのに、なぜ、あの無力で頼りに ならない支配する諸霊の 下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとして いる のですか。あなたがたは、いろいろな日、月、時節、年など を守ってい ます。」 ガラテヤの人々には、なるほど「律法」の呪縛というもの はなかった ろうが、「あの無力で頼りにならない」神々、諸霊 の呪縛の下にあったことを 覚えていよう。それがキリストによ って解放され自由となったのではないあか。 それなのにな ぜ、またユダヤ人の日や、月、時節の縛りを受け入れようと する のか...(4:10をそう解します)。 問題はこういうことになります。「律法」という前 提のない 「異邦人」に、ただキリストを信じる信仰によってのみ神から 義とさ れると、それを理解してもらうために、「異邦人」の前 にわざわざ「律法」と いう踏み台を構築してやるか、どうかと いう問題です。あまり愉快でない問 題設定ですが、宣教の 使命に責任を感じている側としては、よりよい福音理 解のた めと称して、「異邦人信徒」の教育課程に「律法」を入れる べきだとい うことです。 ガラテヤはどこかという論争に絡まることですが、 同じ 異邦人でも、ガラテヤ人がパウロから相当に遠く にいた「異邦人」であ ることは確かです。ひょっとし たらパウロのギリシャ語を十分に理解でき なかった可 能性があります。3:1「物分りの悪い(直訳的には「バ カな」)ガ ラテヤ人」呼ばわりは気の毒かもしれませ ん。。ここにはどうしても宣教者を 中心において、そ の周りの「異邦人」という構図があって、それが作り 出して しまう限界があるかもしれません。 「しかし、今は神を知っている、いや、むし ろ 神から知られている」そういう「異邦人」ガリラ ヤ人をどこまでも見てお けばよかったのにと思い ます。
6月18日の説教から ガラテヤ書2章1-8節 「異邦人のままでいい」 久保田文貞 〈異邦人〉という語の響きに、私(1944年生まれ)からする と哀愁を帯びたものを 感じます。『異邦人』『反抗的人間』と かまずは題名に惹かれてカミュの本を 読みました。〈なぜ射 殺してしまったのか〉、裁判官に動機を問われ、ムルソー は 「それは太陽のせいだ」と言う。法廷内にくすくすと笑い声 がする。とにか く、母の死の知らせを受け遠くの養老院に出 かけていく最初のシーンから斬首刑に なるまで、ムルソー は一貫して世界の異邦人でしかない。そんなものに共感す るのは単なる青年の感傷だと言われれば反論するつもりは ありませんが、い ま思えば第二次大戦後、〈さあ、戦争は終 わった、これからどうする? どこ に帰属する?なににな る?...〉、ほとんどの人がうわべでは目をぎらぎ らさせて復 興へと突進していく。でもなにかウソっくさい。私などは戦前 のこ となど知らないのに、その落差に眩暈する若者たちの きもちだけわかった気に なって、カミュや椎名麟三を読んで いたと思います。 私の場合「異邦人」と云う とそこに戻ってしまうのですが、 パウロが云う「異邦人」はだいぶ違 います。ユダヤ人にとっ ての「異邦人」です。だが、問題はそれ自身が 一意的では ありません。それぞれの身の置き所によって違ってきます。 使徒行 伝6章1節以下に原始エルサレム教会において 「ギリシャ語を使うユダヤ人」(ヘ レニスタイ)から「ヘブル語 を使うユダヤ人」(ヘブライオイ)に対し、ヘレニ ストの仲間の 貧しい女性たちへの配給が少ないという訴えがあったという 記事 が出てきます。ここに云うヘレニスタイは、当時のヘレ ニズム世界で母国語 をギリシャ語としていたディアスポラ (離散)のユダヤ人の内で、かなり 早くにクリスチャンになっ たグループ。その代表がステパノら7人衆(5節) でしょう。彼 らも離散のユダヤ人がするように神殿のあるエルサレムに 巡礼 する。そこで十字架につけられたイエスが主・キリスト・ 神の子であると信 じた。その限りペテロらイエスの直弟子た ち、ヘブル語アラム語を母語とす るユダヤ人と親しく交流し たでしょう。でも滞在が長くなれば、言葉の 問題からヘレニ スタイは別の集会(礼拝)をもったでしょう。またヘレニスタイ は、 律法からの自由という思想を徐々に鮮明にさせていっ たようです。この流れをく む人々が、ユダヤ教に関心を寄せ てきた異邦人たちに、共通の母語ギリシャ 語を通して積極 的に宣教していく...想像に難くありません。 けれども、同じ ヘレニスタイとして、パウロのような屈折の 仕方もあった。彼は離散のユダヤ 人として、パリサイ派ユダ ヤ人にならい、律法を厳格に守ることを通して真の ユダヤ 人たろうとする。ヘレニスタイ・ユダヤ人として、ヘレニスタイ ・クリ スチャンたちの律法への自由の表明は何としても許せ ない(使徒7:58、8:3)。近親憎 悪と言ってよい。このパウロが 180度転換してかつてヘレニスタイ・クリスチャ ンを撲滅しよ うとしたが、「今は宣べ伝えている」(ガラ1:23)ことになった わけです。そして彼も「キリストにあって」律法からの自由を 唱えることになり ます。そして回心から十数年経って、ヘレ ニスタイの代表団としてエルサレム教会 の指導者たちと会 談し、異邦人への宣教の使命を確認してきたのです。ここ で パウロは異邦人への向き合い方を大きく変更し、それま では否定的媒介者で しかなかった異邦人こそ彼の福音宣 教の一義的な対象者となったわけです。 私は ここに一種の悲惨を感じます。パウロはキリストを信 じて律法の呪縛から解 放され、その喜びを異邦人に語る。 でも語られる異邦人には律法の呪縛という ものがない。律 法を比喩として、なんらかの呪縛からの自由という図を心に 描き、 キリストにあって解放されたと異邦人たちとしてはそれ を追体験しようとする。て ゙も、そこにユダヤ主義ヘレニスタイ ・クリスチャンが顕れる。律法は比喩な んかじゃない。イエス をキリスト=メシアと信じる以上、君たちは立派なユダ ヤ人 だ。多くは要求しない、割礼を受け、ユダヤ人になりきれと。 2章4節から パウロが「にせ兄弟」と呼び捨てる連中、どうみ ても彼らもギリシャ語 が自由なヘレニスタイ・ユダヤ人。パウ ロと限りなく近い位置にいる人たち です。 私たちはこの争いをもっぱらパウロ情報をもとにし て見ているので、 その分割り引いて考えなければなら ないでしょうが、イエスが説教し始め た福音がそれま でにない新しい事態を引き起こしたことから見て、パ ウロの 切り開いていく新天地に魅力を感じるのが確か です。でも、私には、ずっ と気になってきたことがあ ります。人をしてまず〈あなたは異邦人なのだ〉 とす る。その〈あなたがキリストを信じるならクリスチャ ンとして迎えよう〉 と。ここにキリスト教宣教の一種 のステレオタイプを見てしまいます。 イエスの 福音の始動のプロセスはもっと型破りだっ たと思います。
6月11日羽生の森教会(多摩集会と羽生集会)と の合同集会のでの大川大地さんの話 の要約 マルコによる福音書4章35節~5章20節 「この人は一体誰なのか -マルコ福音 書のイエスと新しい帝国主義の始ま り?」 「この人は一体誰なのか」。荒れ狂う嵐を制し たイエスに向かって弟子たちが発 した問いは原始 キリスト教に共通の問いだった。原始キリスト教 はこの問いに応 えるための運動であったと言って もよい。直弟子たちにとって、イエスとは「復 活 の主」であり、パウロにとっては「十字架のキリ スト」であった。では、 歴史上はじめて、十字架 と復活に至るまでのイエスの生涯を「福音書」と いう 形で残したマルコにとって、イエスとは一体 誰だったのだろうか。 今日のマ ルコ研究は、この福音書が紀元70年の エルサレム陥落の後に執筆された書物だ ろう、と いうことで大方が一致している。66年に始まった ユダヤ戦争は、当 初こそユダヤ側が連続で勝利を 収めていたものの、ウェスパシアヌス将軍 の登場 により、ガリラヤの都市や村は破壊され、70年に エルサレム神殿がウェ スパシアヌスの息子ティト スの手によって炎上する。ユダヤ戦争とは、神殿 の 崩壊と多くの都市、村落共同体の崩壊による既 成の社会システムの根本的な崩壊を 意味した。マ ルコは、社会混乱と無秩序の中から自らの福音書 を生み出したので ある。 彼は、この時代に生きる群衆を「飼い主のい ない羊のような有様だ」 (6:34)と理解している。 この群衆は「三日間も食べ物を持っておらず、こ のま ま家に帰らせると道すがらに倒れてしまう」 (8:2-3)ような状態にあり、「家、家 族、畑を失 った」(10:29)者が大勢いた。マルコ福音書の関 心は、このような混 乱と無秩序の中に生きる共同 体に、「飼い主」としてのイエスを提示すること で ある。エルサレム神殿崩壊後の「信仰なき時代」 (9:19)を、新しいイスラエルの王 たるイエスが 導き(3:13-19.)、都市や村落共同体が破壊され、 「兄弟は兄弟に、 父は子に、子は両親に対立する」 (13:12)ような時代を、「神の意思を行なう者」 によって構成される「新しい家族」(3:31-35)の 家父長たるイエスが治める。 こ の福音書は「神の子イエス・キリストの福音 のはじめ」(1:1)という言葉で幕を 開ける。「神 の子」と「福音」は、ローマ皇帝崇拝の用語であ る。マルコは意図 的に自らの福音書の主人公イエ スとローマ皇帝の姿を重ね合わせているのだと言 える。イエスがそうであったように、地と海に支 配権を誇るのもローマ皇帝の 姿であり、嵐を鎮め るのもローマ皇帝であり、病を癒すのもまたロー マ皇帝て ゙ある。イエスは、「レギオン」(ローマ軍) を豚(豚はローマ建国を象徴する動物 の1つであ り、エルサレム陥落の主力部隊の紋章である)に 乗り移らせ、コント ロールする。あたかも指揮官 やローマ皇帝の如き姿でパレスチナとその周辺地 域を巡回するイエスは、ユダヤ戦争の艱難を「産 みの苦しみ」(13:8)であると 宣言して十字架で 死んでいくが、他ならぬその場所でローマの百卒 長が 「実にこの人こそが神の子であった」(15:39) と宣言することになる。 マルコ にとって、イエスとは、あたかもローマ 皇帝の如き姿で戦争後の無秩序と混乱を 制定する 「圧倒的な力」なのである。共謀罪が国会で強行 採決された。段々 と「戦争の噂」(13:7)が現実 味を増してきた。この時代を生きる私たちにとっ て、 イエスとは一体誰なのだろうか。マルコ福音 書のイエスは、「強い日本」を目指 す勢力に有効 な対抗軸となり得るのだろうか。 6月4日の説教から ガラテヤ書6章1-5 「共に荷を運べ」 久保田文貞 ガラテヤ書においてパウロはいわゆる「信仰義認」 を前面に押し出した。 「人 は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの 信仰によって義とされると 知って、わたしたちもキリスト ・イエスを信じました。これは、律法の実行で はなく、 キリストへの信仰によって義としていただくためでし た。なぜなら、 律法の実行によっては、だれ一人とし て義とされないからです。」(2・16) 要 するに律法に書いてあることを必死に実行して 業績を積んでも、それで神から 義と認められるもので はない。ただイエスを信じるという一点において義と 認められたんだと言う。注意すべきは、パウロはこれを ユダヤ人にでは なく、ガラテヤの異邦人たちに説い た。問題になったのは、パウロが去った 後に、ユダヤ 人キリスト者の巡回説教者が来て、《キリスト=メシア を信じ たなら君たちはもうユダヤ人である。ユダヤ人と してこれから生きて行くか ぎり律法を守るべきである》 という理屈を説いた。 それなりに理にかなった 理屈だ。《確かに律法の業 績がそのまま計算されて義と認められるわけでは な い。神の義はそんなちゃちなものではない。そこはパ ウロのいう通りだ。 しかし、そうやって神の義にあずか った以上、君らはユダヤ人になったのだ。 だから律法 に適った生活をするのは当然じゃないか。もちろんそ れによって義 とされるというのではないのだ》と。 でもパウロは、それを認めたら元に もどってしまう。 結局、律法に縛られ不自由になると直感したのだろ う。だ から、一歩進めて次のようにも言ってしまう。 「私は神の恵みを無にはしません。 もし義が律法によ って得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味 で す。」(2・21) ちょっと言い過ぎたかと、こうも言う。 「それでは、律法は神 の約束に反するものなのでしょ うか。決してそうではない。」(3・21) 結局、 律法はキリストが現れるまでの「養育係」だった のだと。 そうなると、や はりどうしても律法はご苦労さんという ことでお役御免になってしまう。い やそれだけではな い、律法をかつての養育係でしたと陳列棚に並べて おく と碌なことにならないから、廃棄してしまえという理 屈も出てこよう。だが、 パウロは後のロマ書ではこうい う。 「それでは、わたしたちは信仰によって、 律法を無に するのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立 するのです。」 (3・31) 煮え切らないと言えば煮え切らないけれど、この微妙 さは分かる気か ゙する。 では、そこをどうくぐりぬけるか。 「律法全体は、隣人を自分のよ うに愛しなさいという一 句によって全うされるからです。」(5・14) 「霊によっ て導かれるなら、律法の下にはいない」(5・1 8)とも言う。「霊の人」とはパウロ の用語では、クリスチ ャンと同じ意味あいになっている。そこで、19節以下 の悪徳表が出てくる。また22節以下の徳目表も出てく る。ヘレニズム当時の道 徳律を借りてきているだけと いうので評判の悪いところだ。 パウロとして も苦しいところなのだろう。教会をやっ ていく以上、どうしたってある種の共 同性が生まれ、な んらかの共同倫理的なもの出てきてしまう。でもそれ は絶対 に、かつてイスラエルの民が縛りだと受け止め た律法とは別物なんだ。敢え て言えば「霊の果実」と して君たちの間に与えられるようにして起こる人間関 係、 それで十分なのだと。 「互いに重荷を担いなさい」と言えば、これもやはり 新手の律法かと思うかもしれないが、それはあくまで 「キリストの律法」だ。 やらなければならないと思って、 奮い立ち、青筋を立てて頑張ってしまうことて ゙はなく て、「霊の果実」として君たちの間で出来事として起こ るとても自然な 事なんだ...と聞こえる。 目の前にたくさん荷物がある。さあ、手を貸し て。 みんなで運ぼう。
5月28日の説教から ヨハネ伝福音書9章1~7節 「病と罪とは関係ないと」 久保田文貞 「イエスが通りすがりに、生まれつき目が見えない人を見 かけられた。」こ この「見かけられた」は原語は単純に「イエ スは見た」。もちろん「見た」にはい ろんなニュアンスがある のは当然だが、そこは読み手の判断に任すべきた ゙ろう。当 然、弟子たちもこの人を見た。そこで彼らはこう質問する「ラ ビ、 この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯し たからですか。本人 ですか。それとも、両親ですか」と。 不愉快な質問だ。「うまれながらの 盲人」を前にして、素 朴ながらもある種の神学的な問いを発した。「弟子たちは」 と いうのだから、そこにいた弟子たちみなこの神学的な問いに 関心を持ったとい うことになる。 質問自体が、二重にいやらしい。「この人が生まれつき 目が 見えないのは、誰かが罪を犯したからですか。それと も、誰かの罪などとは 関係がなないのですか」というならまだ しも、質問は「本人ですか。それ とも両親ですか」という。そ の盲人がこれを聞いているかどうかなど、まっ たく気にとめら れていない。視覚に障がいを持っている人に聞こえないわ けが ない。他人が背負っている障がいを前にして、その原 因が誰の罪によるもの かなどと言う議論を、しかもそれを本 人か、両親かとラビに問いかける弟子の 無神経はどこからく るのだろう。神学的議論はなんでもありなのだろうか。 神学 のお通りだと言わんばかりにそれが人の心を傷つけてもか まわないとい うのか。そういう感覚の弟子を引き連れている ラビもラビではないかと問わ れよう。 でも、この問答の救いになっているのは、ラビ・イエスの 答えだ。 この盲人にとって、不快感が消え去ったわけでは ないにしても、師匠が「本 人が罪を犯したからでも、両親が 罪を犯したからでもない。」と言ってく れた。 生まれつきの病や障がいが誰かの罪のゆえとする発想の 貧困さ。そんな 偏見があるのは知っている。ヨブも家族が崩 壊し体中にできものがで きてもがき苦しみ嘆いているところ に、友人が見舞いに来てヨブをたしなめ る、「罪のない人が 滅ぼされ/正しい人が絶たれたことがあるかどうか。」 と。友 人らは、人間の不幸にはかならず、人間の罪がへばりつい ているのた ゙。人間の罪が原因で人の不幸が起こっている、 なのにヨブは罪を犯して いないのになぜ自分に不幸が襲う のか、神が間違っていると言う。その傲慢 さこそ度し難い罪 だというわけだ。 ヨブは神に直談判をし、神に向かって問 う。が、そんな問 いを恫喝するような神の声。神が吼えたということ自体が 答 えだといわんばかりだ。そこに人間の罪と不幸の関係を解 いてくれる方程 式は出てこない。少なくとも第三者の神学的 論議は割り込む余地がないと言って いるように聞こえる。 弟子たちの質問の根本的な間違いは、ヨブの友人の位 置に 立って、罪-原因論を問おうとしていることにあるだろ う。イエスの答えは、罪― 原因論自体を否定し、それは「神 の業がこの人に現れるためである。」という。 田川建三は「この著者はせっかくその偏見を排除しなが らも、話を「神のわざ」 に持って行ってしまう。...自然現象の すべてが神のおかげと考えるのであ れば、いやでも、自然 の災害も神の所為だということにならざるを得な い。...神の 栄光が顕れるために、どうしてこっちが失明して苦労しない と いけないのだ」と云う。 確かに人間の不幸をネタにしてなされる神議論は結局、 「神の栄光」を賞賛して見せる、まさに神意を「忖度」するよう なところがある。 もしそこにいる盲人を前にして、さような神 学議論へと流れていくなら、の嫌味は ぴったりだと思う。だ から、イエスが「神の業がこの人に現れるためて ゙ある。」と言 われたからと言って、これに飛びつき、現実の病や障害が 「神 のわざがこの人に現われるためである」と繰り返すだけ なら、田川のいう 通りだ。 だが、この物語はこのあと、弟子たちの神学論議をほと んどうっ ちゃってしまうかのように、イエスはこの盲人に向き 合う。そしてまるでヘレニ ズムの奇跡行為者〈神の人〉がな す魔術めいたことまでして、彼の目を見え るようにしてやる。 ここには、神のわざがこの人に顕れますようにと、神への 信頼をもってこの人に向き合うイエスと、自分の障がいを受 け止めて生きてきた 青年が向き合って立っている。あの弟 子たちが提出した神学的問題などいま や吹っ飛んでしまっ ていると思う。「神の栄光のわざ」は、その神学的問題の 解 答などではないのだ。 神の業がイエスと青年との間に起こって、結果、 盲人は 目が見えるようになるが、その彼が人々の前で自分に起こ ったこと を堂々と証言していく。弟子たちがイエスに向けた 神学論議の場では危うく、 ただの検体、モルモットにされか ねなかった青年が、ここではむしろ弟子た ちを追い抜いて、 神の業の証言者となる。イエスが神の業の真只中にいたこ との 証言者となったのである。 もはや、この青年は、神のわざの栄光を顕すための ただ のだしに使われたわけではない。神はこの青年を神の業の 中にひとりの 人として招き入れたというべきだろう。そこに招 き入れられた青年は、自分の 郷里の人の前で、それから町 のインテリのような顔をしているファリサイ派の人々 の前で、 それから頑固なユダヤ人(少なくともヨハネ福音書はそう思 っている) の前で、自分に起こった神の業を証言するのだ。 宣教とはこれだといわんは ゙かりに!
5月21日の説教から マルコ福音書6章53-56節
 「病人を癒す」 久保田文貞 今日のマルコ福音書の記述によれば、55節イエス の行くところどこでも人々は病人を 床にのせて運んで くるという。そして56節イエスは「村でも町でも里(アグ ロス、第一義では「畑」、口語訳は「部落」とする。農地 に囲まれた集落のこと だろう)」に「入っていく」エイス ポリュースタイ。 この「入っていく」は、5 章35節以下の会堂司ヤイロ の娘の奇跡物語の場合、イエスは泣き叫ぶ人々を家 か らだし娘が寝かされている部屋に「入っていく」時に も使われている言葉だ。 これを読む者に、亡くなった 娘が横たわる部屋の中で起こる出来事へと、決然 と 踏み込んでいくイエスの強い意志を感じさせる。この 「入っていく」はたた ゙移動する動作を表現するだけで はなく、人が置かれている状況の中に主体 的な意志 をもって入っていくことを表していると言ってよいだろ う。 ここで 人々は、村や町の広場に病人たちを担架に のせて運んできたという。いや時には 農地の間に散 在する集落の井戸端のような広場にも。私のイメージ をいわせても らえば、イエスが広場(アゴラ)に入って くるが早いか、人々が病人を運 んでくるが早いか、い ずれにせよ、両者ともその広場でガッチリと出会 う。 マルコ福音書は、イエスのこのような癒し行為をそ の初めから書き続けている。 確かに 1章14節以下「ヨ ハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神 の 福音を宣べ伝えて、 「時は満ち、神の国は近づい た。悔い改めて福音を信 じなさい」と言われた。」とあ るが、「神の福音を宣べ伝え」の「宣べ伝 え」ケーリュッ セインは言葉だけの、言葉に重心を置いた布教活動 を指すので はない。それは、イエスが認知し信頼した 「神の国」の出来事、そのここかしこ での実現に対応 するあらゆる活動のことだろう。そのような意味で、人 々か ゙続々と彼の下に病人たちを運び込み、そこへと 「入っていく」ことも、悪霊に 憑かれたとされた人達が やってきイエスもその人と向き合っていくことも、「神 の 国の宣べ伝え」の補完的な付加物でも、その実践部 門の一部でもなく、宣 教活動、宣教運動そのものであ ると言わんばかりなのだ。 私事であるが、 視力が落ちた感がして町の眼科に 行った。大きな病院に行くように指示され、 後日、紹 介された病院に混むだろうと診療開始の9時前から行 ったのだが、 色々な手続きやら、検査やら、その都度 待たされ、先生の診察は3時ごろになるた ゙ろうと言わ れ愕然。やっと奥まった診察室でドクターに会う。15 分ほどの 診察、そのほとんどは光学機械で自分の眼 球が見たこともない光に曝され、 残像のせいか女医さ んの顔もよく判別できぬまま次の予約を入れて終わ る。ロヒ ゙ーに戻って診察券カードを機械に入れ機械 が請求した金額を差し込んで終 わり。一体これは何 だったのだろうと考えた。やっと大寺院の大伽藍に案 内さ れ、そこからさらに奥まったところにある治療院の 行者にお会いできたと云った 感じ。いやでもそれと比 べたくなる。イエスが自ら、運ばれてきた病人 たちの 所へ入っていき、病人たちとひとりひとりと向き合う様 子が思い出される。 嗚呼、待合室の椅子に諦め顔で 待ち続ける私ら患者たちのところへ、医者たちか ゙踏み 込んできて、「どうした」と声をかけてくるような医療が そこかしこ で起こらないだろうかと... そんな情景を 夢見る。 MSF(国境なき医師団)とい う活動が、世界中で、 紛争地や災害地、飢饉が起こっている地域でなされ ている。医師や看護師、薬剤師、管理者たちがボラン ティアで働く。以前、 その活動を報告する映像を見 た。患者たち、けが人たちが運ばれてくる場所 へ、ま さに医療従事者たちが入っていき、医療活動をして いく場面が報告され ていた。MSFの用いられ方、資 金面など勘ぐればいろいろあるようだが、 現場で純粋 な思いで働く彼女たち、彼らたちの思いは、あのイエ スの宣教活動 に限りなく近いだろうと思う。そういう医 療が、宣教活動が そこかしこで 実現されるよう冀救 する。
<5月14日の説教から> 民数記6:22~27
「祝福」 板垣 弘毅 わたしたちの「礼拝」の最後に用いられている民数記6章 の「祝福」に ついて考えたいと思います。 「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。 主が御顔を 向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。 主が御 顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように。」 新・旧約書で「祝福」とい う言葉はその使われ方も意味内 容も深く根を張っている言葉で、きょうの民数記 の言葉は、 共同体の儀礼としてすこし整った形になっています。「祝 福」が (「呪い」と共に)もともと呪術的な起源を持っているの は創世記の物語をを読むと 分かりますが、元来別れるとき の、祝福あれ!という挨拶の言葉だったというこ とです。「み顔を向けて平安を授けてくださるように」...この「平安」はシ ャ ロームという言葉で、今でもあらゆる挨拶の言葉になりま す。 民数記6章の祝福は、よく「アロンの祝福」と言われ、旧 約聖書でいちばん読ま れることが多い個所だそうです。古 い定型の祈りですから、聖書のあちこ ちにこのヴァリエーシ ョンがあります。(週報では割愛します)現在でもユ ダヤ教の 会堂の礼拝で使われていますし、キリスト教の礼拝でも用 いられる よく知られた祝福で、とても古い時代から人々の間 で用いられていた定まった 言い方のようです。 アロンはモーセの兄で、アロンの子孫だけが、祭司に な ることができたと記されています。(出40:12~15 民17:1 5) イスラエルの祭 司の原点みたいな人物です。祭司とい うのは、神と民の間を結ぶ通路のような 役目を負う人です。 イスラエルは祭司を通して神の聖(キヨ)さに触れることが で きるわけです。祝福の祈りをすることは、神が人間を祝福す るというひと つの「できごと」なのです。古代では祝福の言葉 は言葉に終わらず、具 体的なできごと、現実を変えてゆくで きごとになると信じられていまし た。民数記6章の「祝福」も 特別な言葉で、神が人間に語りかける「おめでと う」です。 人は吟味したり納得したりする前に、神が「おめでとう」と語 り かけて、「顔を向けて」くださる、わたしたちのありのままを みていてくださ る、そこから出発してよい、出発しなさいとい うのが聖書の祝福です。 クリス マスものがたりの「受胎告知」の場面では、祭司で はなく天使が、神と人 間の接点で、平凡な村娘を祝福しま す。「おめでとう、恵まれた方。主があ なたと共におられ る。」「おめでとう」と訳された「カイレ」という、ギリシャ 語は、 直訳すれば「喜びなさい」です。「カイレ」は「ようこそ」「サヨ ウ ナラ」「こんにちは」...という挨拶の言葉にも使われるの で、「おめでとう」 でいいわけです。ここで人は「喜べ」と命令 される。これが神の挨拶な んです。この神の挨拶からその 人が始まる。人のありのままとはそういうこと だ、わたしたち の自己理解がありのままではない。神がみるままである こと がありのままであるというのが聖書の信仰だと思います。わ たしたち からは永遠の空洞ですが。 でも、人間の現実から異議が唱えられるかもし れません。 赤ちゃんの誕生はもんくなく「おめでとう」ですが、ほんとう に 「おめでとう」と言えるのか、理不尽な現実に、わたしたち は立ちつくすことも あります。悲嘆にくれる人の祝福とは何 か、恐らく答のでない問いです。 「ヘ ゙テルの家」のケースワーカーの向谷地さんは、死にも 笑いがある、哀しみを喜 びとして暮らす生き方があるといい ます。ベテルの家というのは、北海道浦 河町にある精神障 害などをかかえた人たちの当事者の活動拠点です。授産 施設、 共同生活、グループホーム、福祉的ショップなどがあ ります。ベテル の試みで「当事者研究」があります。たとえ ば、統合失調症などを抱える 本人が、自分の苦労の専門 家になって、その人なりのやり方で、医者などの 専門家によ らないで、助け船を出し合うというものです。たとえば、「幻 聴 さん」が現れたとき、どうやって向き合い助け合い「幻聴さ ん」とつきあうか を知恵を出し合って暮らしやすくしていくん です。 その「当事者研究」、つまり 自分の苦労を病気のせいに する、病気の仕業だ、病気が治れば君は正常だ、 というの でなく、病気に自分を語らせるのでなく、自分の言葉で「語 る」こ とによって「症状」にすきまをつくる、ということなのだと 思います。精神障害 といわれる場を、それを自分の生きる 場、与えられた場として引きうけてゆくひと つのありかたで す。 向谷地さんは言っています。ベテルの葬儀には、「笑い」 がある、激しく過酷な日々を生き抜く中で、比較的短い時 間で一生分のエネ ルギーを使い果たして天国へ旅立つ人 も少なくなくない。ベテルの葬儀は人生 の無意味を嘆くよう なものにならない。不思議と笑いがある。その笑いは現実を 逃避する笑いではない。もちろん快いことがあって笑うので もない。苦しみ がある、にもかかわらず笑うのだと向谷地さ んは言います。「問題だらけ の日々を送り、傷つきやすく、 不器用で、息を吐くように苦労が絶えない日々 を生きてき たわたしたちを支えてきたのはやはり『にもかかわらず笑う こと』 哀しみを喜びとして暮らす生き方なのである」 人間がまったく否定的な状況 のなかで、「にもかかわらず 笑うこと」ができると、こころのすきまをも てるとしたら、向こう からこのわたしに指してくるまなざしでしょう。最初の キリスト 信徒たちがイエスの十字架に見出した福音もそれだと思い ます。
5月7日の説教から マタイ福音書18章12-20節 「一人の意味、二、三人の意味」 久保田文貞   今日の聖書箇所に、数、100,99,1,2,3 が出てきます。ま ず「迷い出 た羊」の譬えですが、1匹の羊が迷い出たので 羊飼いは99匹を山に残して捜 しに出かけます。それを見つ けると迷わないでいる99匹のためよりもその1匹のた めに大 喜びするだろうと。この物語はルカにも採取されています。 ほとんど 同じですが、微妙な違いがあります。ルカでは99匹 が残された場所か ゙野原です。注解の多くが、マタイにとって 「山」はイスラエルに律法が授 与された場であり、イエスによ って新しい真の律法が説かれた山上の説教の場 であること を指摘します。これをもう一歩突き進めれば、99匹が残され た 「山」は不毛な荒野ではなく、新しい教えが説かれる場、 マタイの時代にすれ ば、それは教会と言ってよいでしょう。 迷い出た羊は教会の外へ迷い出たのて ゙あり、99匹が残さ れたところは教会。だから、羊飼いが迷子の羊を見つけ た ら、喜び勇んでそれを99匹のいる教会に連れ戻すことにな るでしょう。こ れに対して、ルカの方は、見つけた羊を担い で「家に帰り、友達や近所の人々を 呼び集めて、『見失った 羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言 うであろうと なります。おそらく15・5-6はルカの付加でしょう。やはり家に 帰りますが、99匹について言及されません。視界の外に追 いやられています。 こ の譬は教会から迷い出た者たちへの福音的な物語とし て使われたと言われます。例 えば17,8世紀イギリス、産業 革命の前夜、農民が農地を追われて失業者とし て都市に 流れ着く。そこにはそれまで彼らをつなぎとめていた共同体 (教会)か ゙ない。もちろん都市には大教会があるけれどもそ こに彼らの居場所はなかっ た。そこに迷い出た羊を探し当 て保護するキリストを説く福音説教者が現われ、 新しい教会 が生まれていく。そんな状況でこの譬が力を発揮するだろう な と思います。日本のキリスト教伝道の初期の時代も、同じ ような読まれ方をした でしょう。 しかし、この譬が真にイエスその人にさかのぼるとすれ ば、こ の譬えはQ資料がいくつも伝える神の国の譬えの一 つとしてよいでしょう。とす れば、ここに登場する羊飼いは父 なる神その方とみるべきでしょう。「神の 国」の到来は99匹と もいうべき神の恵みが優先して与えられるだろうとみな され ていた人々の頭越しに、むしろ体制からの脱落者たちの上 に直かにあたえられ る、そういう事態をこの譬が表現してい るということになります。 こうなると、 マタイの理解は苦しくなります。マタイはこの 譬の後に、教会員の罪の問題をど う処理するかという流れ にしていきます。つまり残された99匹、迷い出た羊も保護 さ れ、回復した全体(教会)として、それでも再び迷い出る者 が出現した場合、 どうするかという話になっていきます。ま ずそれと気づいたある人がこっ そりと諭してみる。それでも 言うことを聞かないなら、もう一人誰かを連れて行っ て二人 で諭してみる。それでも失敗するなら教会全体に事を公け にして裁けと いう話です。「異邦人または取税人同様に扱 いなさい」と。迷い出た羊を捜しに 出かける話はどこにいっ ちゃたのかといぶかしく思います。さすがにまず いと思った か、18,19節をここにおいて「あなたがたが地上でつなぐこ と は、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、 天上でも解 かれる」と、教会の裁きの正当性を保証しようと いうわけですが、なんともし がたいです。 さらにもう一つの言葉をここにもってきます。 「二人または三人 がわたしの名によって集まるところには、 わたしもその中にいるのである」 そ れだけ取り出さば、私たちのような小さな教会には「そ れでいいんだよ」 とイエスが言ってくれているようななぐさめ の言葉ですが、マタイの脈絡 に置かれると半減、いや反対 の意味になりかねません。「二人または三人」はすく ゙前の(1 6節)「二人または三人」を想像させるからです。「二人また は三人」て ゙やったことは、そのまま教会の裁きとしてよい、 「わたし」キリストが保証す るとなりかねません。 私は、迷い出た羊の譬えも、「二人または三人の集まり」 の 言葉も、マタイが創った教会法的な脈絡から解き放って、 それぞれ個別に読む よりないと思います。ただし「二人また は三人」の方は、イエスにさかのぼる 言葉ではなく、イエス 死後のキリストを信じた人々の間で生まれた言葉で しょう。 でも、私達のような小さな群れへの、彼らからのすてきな祝 福の言葉た ゙と思っています。
4月30日の礼拝説教から フィリピの信徒への手紙 1章20-26節 「愛は板挟み」 飯田義也 キリスト教徒として、現代の日本を日常的に生きている と、自分が嫌 になるような現実ばかりが目につきます。神様 のことを思えば、経済社会も 政治もまったく間違っていると 思うのだけど、その社会に巻き込まれなけれは ゙生きていけ ないわけで、何も考えなければ、食に困るわけでもない便 利な 生活を享受し、気の合う人たちだけと付き合って楽しく 過ごせるものの、その ことで「友だち」じゃない人を意識的 無意識的に排除してゆくことになって 行きます。『敵を愛せ よ』なんて聴かない方がずっと楽なのですが・・そ うはいかな いと理解はしています。 今日の聖書はパウロの言葉ですが、パ ウロは、教会内部 の政敵に対して「愛敵」の精神で臨むのだとの決意を述べ ています。そこで板挟みになっている。 フィリピの信徒への手紙は「獄中書簡」 と言われます。ロ ーマ政府によって幽閉されていたのです。まだ「キリスト教・ クリスチャン」という言葉も生まれていない時代でした。ナザ レのイエスの福 音に生きようとした人々は、大きな迫害を受 けました。 まずは、ユダヤ教の一 派だと考えられていた枠を飛び出 し、使徒のひとりステファノはユダヤ教徒 らの手による投石 で殺されます。パウロは、そのときユダヤ教の側にいて殉 教 の死者について喜んでいたというのです。 その後、パウロが寝返って宣 教を始めたことで、福音宣 教は当時の地中海世界に向かい、ローマからも疎まれ、 迫 害されることとなります。 さらにパウロ個人というところでは、今日の箇所 に示され るように、内部闘争の標的とされていたのでした。生前のイ エスから直 接教えを受けたわけでないばかりか、はじめは 迫害する側にいたのですか ら、使徒としての権威がないと 悪しざまに言う人々が教団内部にたくさんい たということで しょう。 そのような目に遭ってもなお、パウロを駆り立てた福 音と は当時の社会でどのようなものだったのかと想像を広げま すが、な かなかわかりません。キリストから直接教えを聴い たわけではないですし、新 約聖書もまだないわけで、伝聞 と、それを伝える人々の行動がすべてだっ たでしょう。 私の日常は、認知症を抱える人々との関わりが多くを占 めます。 認知症は『いま』がわからなくなるのが特徴です。たとえ ば思い起こすこ とができなく(想起障がい)なっていきます。 最近のことから思い起こせなく なるので年齢が若返ります。 年齢がわからないわけですが、生年月日は 正確に言えたり するのはそのためです。 特別養護老人ホームに入居していること が頭に入らない あたりは、障がいもあるでしょうが、受け入れられないと いう ことかもしれません。 さらに特徴的なこととして、意識が特定の時代に戻っ て行 く、回帰して行くことが挙げられます。決して「子ども帰り」は せず、 自分が一番輝いていた時代に還るのです。 よくある「帰らせてください」と いう訴えですが、なぜか、男 性はほぼ「仕事があるので」ですし、 女性の多くは「子ども にご飯を作ってやらなきゃ」です。 人は認知症になっ て、一番人のためになっていた時代 に還って行くのです。人間とはなんと健気な のだろうかと思 います。 今日のパウロのもう一つのテーマとして「役割意識」 が記さ れています。 自分は、いっそ死んでしまいたいとも考えているが、生 きて 使命を果たすのだと決意しているのが今日の箇所です。人 々に喜びを もたらすために生きるのだというのです。この、 パウロの自問自答、自分と のコミュニケーションは、板挟み になりながら生きてゆくことへの決意表明とな ります。愛は 板挟みですが、反対から考えると生と死というほど板挟みに あっ ても手放さない喜びがキリストの愛だというのです。 翻って自分を考える と、例えば共謀罪で逮捕されたりしたら と想像するとすぐ手放してしまいそ うでもあり、怖いのです。 まあ、パウロにならなくてもと自分を肯定するし かないわけ ですが、しかし、パウロの人生を真反対に向けさせた呼び かけ が、今の私にも向けられていることだけは確認しておき たいと思います。 使徒 言行録9章の記述です。 パウロ(ヘブライ名サウロ、アラム語訛りでサウル) に対して、 キリストの「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と いう 呼びかけがあり、キリストに生きるアナニアという人の愛 敵の行為が加わっ てパウロは、人を迫害する生き方から敵 を愛する生き方へと人生を変えたので した。
4月23日の説教から 雅歌1章1節~17節 「逆巻く時代と歌」 関 惠子 歌は神様に向かって願い事をどうか許可してください、聞 き入れてください と、訴え祈るところから出来ている文字だと いうのは白川静です。口に載せて 声に出して神様に祈り奉 るのが歌の成り立ちと言われます。歌の出来方において 始 めに出てくるのはやはり恋歌でしょうと言われたのは柳田国 男であり谷川健 一など民俗学の先生方です。 雅歌は若々しく、恋に憧れるドキドキした内 容に満ち溢 れています。とても言葉に出来そうもないようなことさえ口に していま す。男性からの返歌はとても少なく、女性からの熱 愛の歌がほとんどです。 大胆で積極的で官能的な歌が続 きます。男性の寵愛を一心に得ようとする女 性の声が響き 渡っています。位のある男性への恋歌ですから一筋縄では いき ませんが、程度の差こそあれ、私たちもこんな熱い時 代を通り過ぎてきたのて ゙ありましょう。 歌というと古事記や万葉集、古今集、新古今集、百人一 首など を思い浮かべます。恋の歌は相聞というジャンルに 分けられ、初期の歌ほど おおらかで開けっ広げですがやが て男女や階級の上下が顕著になりま す。仮名が出来、知性 や教養が問われ、支配階級の占有になるにつれ、東歌の ような自由なおおらかさ、誰でも歌ってよい詠み人知らずの ような世界からは 外れていきます。長い時間を経て現在は また誰もが自由に詠む時代を取り戻しま した。言文一致の 流れや、歌の改革の提唱等があり身近な暮らしの様子を詠 むこ とで新しい歌の世界が広がりました。 昨年イスラム世界に旅した時の連作を ここに載せます。 ☆ 土漠の地中央アジアのオアシスに青き塔眩し宗都輝く ☆ 異境 には異境の神の光満ちサマルカンドブルー吾が旅照ら す
☆ シルダリアとア ムダリア流れ民若きウズベキスタン友と連れ行く 私が歌に惹かれ、自分て ゙も詠んでみようかと思ったのは、 30代の頃からです。意識して作ったのは 1985年に初めてヨ ーロッパ一人旅をしたときでしょうか。吟行詠というよりは 旅 日記のようなものです。・・はるばる来ぬる旅をしぞおもふ・・ そんな気 持ちだったと思います。今は歌会に入っているの で、上の句でも下の句で も思いつけば書き留めておき、月 に一度の歌会に備えるようにしています。 次に 詩編です。全編を通して喜怒哀楽の人間模様が大 河の流れのように展開します。 殆どが王ダビデによって著 わされたとされています。神に向かう人々の 感謝と賛美と希 望、喜びと悲痛な叫びや問いかけや祈りがドラマチックて ゙ す。1章と79章はまるで現在の世界の絶え間ない戦争と惨 状がそのまま示唆 されているようです。 日本では叙景、叙情の歌を花鳥風月の言葉にして詠 み、 事に寄せ物に寄せ 心に浮かぶ詠嘆を和歌の流れに 載せていく歌の形式が確立さ れました。国歌大鑑には膨大 な和歌が何巻にも渡って記録されています。定型三 十一 文字の和歌は連歌や俳諧の短詩も作り出し、近代になって からは短歌、俳句と 呼ばれました。ゴロが良く、口をついて 流れるような言葉の調べは、この 国の人々にとって日常普 段でも欠くことのできない要素となっています。歌は それ自 体としては時代に対する即効的な発言の力とは成り難いも のです。優雅に 花鳥風月を詠んだとて何の意味があろうか とよく思いました。でも人は歌わ ずにはいられない。そして 永く記憶される。誰もが幸せを願い求めて生きてい ます。 韓国籍の老齢の歌友は生涯地下足袋はいて土方人生 を過ごし、妻に先立た れ、病と貧困を嘆きながら父のアリラ ン、母のソーランを歌い続けています。別 の友は全てを失 って大陸から引き上げ、妹を亡くし母も亡くし、後年娘をも 亡く し、大陸を恨み続けながらなを秀歌を詠み続けるので す。花鳥風月は抵抗が ありました。そんなの詠んでどこが おもしろいか?力になるのか?世が変わ るほどの力があっ て役にたつのか?目の前のことが何も変わらないのが常た ゙ と思います。体制を批判する社会詠と言われるような歌は、 勇気がいると思い ます。反社会的な言動はすぐ取締りの対 象とされ、言論は自由ではなかったか らです。花鳥に託す のも自然の流れと理解できます。 哀歌は哀しみの歌です。 国を亡したユダヤの民がバビロ ンに捕囚され支配を受け、辱められ、大勢 の民が奴隷とさ れて酷使される。略奪や蛮行がほしいままにされる。離別と 死 が日常的となる。エレミヤの歎きと怒り、包囲の恐怖、捕 囚の屈辱と苦難、神へ の背きの後悔、そしてもう一度神に 許しを請い神への信頼の回復を願っています。 挽歌は死 者を埋葬するために挽いていく歎きと哀惜の歌です。尊い 命が戦争や 災害や事故によって奪い去られる理不尽さを 私たちも厭というほど見てきていま す。肉親との普通の死別 さえ悲しみに耐えないのに無理やり引き離される犠牲の死 はたとえようもありません。数限りない挽歌が詠まれ続けま す。
4月16日の説教から ヨハネ伝福音書20章1-18節 「すがりつくのはよしなさい」 久保田文貞 イエスが復活するときの物語、復活したイエスが現われる 物語、 どれも文学的タッチからいうとレジェンド(伝説)的で す。人々の豊かな、 ときに問題ある想像力の産物です。で もその核になっている事実的な事柄(検証 に堪える歴史的 事実とはいいませんが)に関心がいきます。イエスの十字 架の 死を目撃した数人の女性がいて、彼女たちはイエスの 葬りも目撃したこと、イエ スはちゃんとした墓に葬られたこ と、金曜の3時に息を引き取って3日目、日曜の朝 その女性 (たち)が墓に行ったこと、墓の石がどけてあってイエスの遺 体が なかったこと、これらが事実的な事柄だと思っていま す。4つの福音書に共通す るのはその女性たちの中にマグ ダラのマリア(以下マリアとする)がいるとい うことです。 マリアについては何度か取り上げ繰り返しになりますが、 少し コメントしておきます。彼女については受難物語の最後 の部分と復活物語以外には ほぼ出てきません。例外はル カ8:2です。そこにはイエスの宣教活動の一行の中 に女性 たちがいたと報告し、その一人に「7つの悪霊を追い出して 病気を追い出 してもらったマグダラの女と呼ばれるマリア」 がいたとされるだけで す。イエスの一行に何人もの女性が いて活動していたという点ではマルコ15:41 と同じです。さら りと付け加え程度の記述ですが、それだけにものすこ ゙く貴 重な報告です。イエス一行に女性たちが立ち働いていた... これだけ しか書かれていないけれど、もうそれだけで彼女た ちがその集まりの中て ゙いかに貢献していたか目に見えるよ うです。でもそれをほとんど書かない で済ませられた男ども の意識もまた浮き彫りにされるところです。 このマリ アが埋葬と復活の証人となった事実を無視する わけにはいかなかったのでしょ う。男たちは、イエスの裁判 と共に逃散し、十字架のイエスさえ目撃できていな い。他人 の心の中に踏み込むようでいい気持ちがしませんが、彼ら は自分の 不甲斐なさを嘆き、師を見捨てた自責の念から動 くこともできず、イエスが 亡くなって葬られたと聞いてぺちゃ んこになっていたろうと思います。でも、 女性は強かったな んて話に持っていくことは許されませんし、それ自体女性を バ カにしていることです。明確にマリアはやるべきことをしよ うと動けた。ど こからその力が出ているのだろうと思います。 ヨハネ伝によれば、朝マリア が墓に行ってみると石が転 がしてあった。それですぐ引き返してペテ ロと「イエスの愛 する弟子」に報告、3人で墓に取って返す。遺体を包んで い た布を見い出すばかり、男二人は帰ってしまう。マリアが ひとり残って泣いて いると、誰かが声をかけるそれが誰かを 確かめることなく会話する。するとそ の人が「マリアよ」と呼 ぶ。自分の名前を呼ぶその声で彼女はそれが復 活のイエ スだとわかる...映像が浮かんできそうな表現です。〈イエス か ゙あなたの名をよびかける。あなたはその方がイエスだと初 めて知る〉この 呼びかけと、呼びかけられることを通して根 源的な人と人との関係が立ち上 ると、言えるのでしょうか。 マリアは感動して、イエスに「すがりつこうとし た」のか、イ エスは「すがりつくのはよしなさい」と言われたと。Noli tange re me.(ノリ・タンゲレ・メ「わたしに触わらないで」というラテ ン語)という表題 の絵がルネッサンス絵画にいくつもありま す。意味深なことは分かるのですか ゙、ここでは次のような事 を言わんとしていると思います。復活者はリアルにあ なたの まえにおられるのだが、触れ合えるような存在ではないと。 新共同訳 「すがりつくのはよしなさい」とか新アメリカ標準聖 書訳Stop clinging to me.としているが、こうなるとむしろ「わ たしに依存するのはやめなさい」「自立 しなさい」という調子 に聞こえる。でもここはそうではないでしょう。あく までマリア は最初に復活者イエスに出会った人であり、そのことを最 初に告け ゙広めた人間として描かれているのです。 このマリアここから先、聖書から姿を 消してしまいます。ま るで彼女の一切を何かの力が抹消したかのように見えま す。あるいはマルコが伝えるように、若者がマリアに伝えた 言葉「イエスはあ なたがたより先にガリラヤへ行かれる。か ねて、あなたがたに言われたとお り、そこでお会いできるで あろう、と 」(マルコ 16:7)云う言葉を受けて、 ガリラヤに戻っ たのでしょうか。エレサレムに残った男弟子たちと別れて、 独 自の宣教活動をしたのかもしれません。ひょっとすると20 世紀におおよそが明ら かになってきた「マリヤによる福音 書」のように、正統主義キリスト教から睨まれ る中身(グノー シス的だと言われました)だったのかもしれまんが、それに ついてはまたの機会に。
4月9日の説教から 
マタイ福音書 27 章 11~26 節 「ポンテオ・ピラトの下に苦しみを受け」 久保田文貞  マタイ26-27章、マルコ14-15章は、ベタニヤで或る女 から塗油、 最後の食事、ゲッセマネの祈り、逮捕、ユダヤ議 会の裁判、引き続きポンテ・ ピラトの裁判、刑吏への引き渡 し、処刑、死まで、ほとんど24時間の中に収 まるぐらいのス ピード、切れ目なし、アメリカの娯楽サスペンス「24」を 思わ せる展開です。なじみ深いバッハの「マタイ受難曲」は約3 時間、この 詩劇を間断なく演奏し、聞く者の心を終わりまで 掴んで離しません。作曲者の 技量もさることながら、受難物 語自体がそのようにできているのです。 わ れわれの常識からするとあまりに訴訟手続きが早すぎ ると思うけど、そこは 確かなことは分かりません。逮捕以後 の一連の推移を見ていた者は、この物語の制 作側(後の教 会の人びと)の中にはいません。ただ、大祭司邸の中庭に ペテロ が途中まで様子を窺っていたことになっていますが、 ポンテオ・ピラト とのやり取りを見ていた者はこちら側にはい ないはずです。十字架の段になっ て数人の女たちが遠くか ら目撃していたばかりです。いずれにせよ、受難 物語は歴 史的事実の報告ではなく、ずっと時間が経ってから、信仰 者たちの 語り伝えをもとに創りだした詩劇なのです。 ピラトの裁判には、大勢の群衆 が詰めかけいたとありま す。ピラトが祭りの習慣に則ってイエスかバラハ ゙かどちらを 許そうかと、訴訟を起こした祭司長たちに聞く。祭司長たち はそれ に応えず、集まった群衆を唆して「バラバの方を」赦 し、イエスを「十字架 につけよ」と叫ばしめたという展開にな っています(マタイ27:20、マルコ14:43)。 ギリシャ悲劇のコ ロスのように、この群衆を先のバッハ受難曲の合唱隊に歌 わ せますが、「イエスを十字架につけよ」の群衆の叫びの歌 は、「祭司長たちに よって糾合された、いわば右翼の動員」 (田川)の声に聞こえます。 昨今の失態続 きの閣僚、本人とその妻の疑惑、安保法 制以来の数々の憲法無視、従来なら当然失 脚すべき安倍 内閣が、50%を超える支持率をもつ世論調査の不思議とは 何で しょうか。権力者によって唆され動員された「群衆」「大 衆」とどこが違うの かと思わざるを得ません。ピラトの前で叫 ぶ群衆を、私たちに嗤う資格は ないでしょう。 前後しますが、ユダヤ議会の裁判で大祭司がイエスを尋 問するところがあります。 ・・・「何も答えないのか。これらの人々があなた に対して不 利な証言を申し立てているが、どうなのか」。 しかし、イエス は 黙っていて、何もお答えにならなかった。大祭司は再び 聞きただして言った、 「あなたは、ほむべき者の子、キリスト であるか」。 イエスは言われた、「わ たしがそれである。...」 ほんとうは、イエスがメシアを自称したとしても、 そのこと がユダヤ教側から罪として糾弾されることはない。イエスが 偽称メ シアなら議会が手を出す必要もなく自滅するはずで すから。でもいつにな く、ユダヤの権力者たちはイエスに苛 立ち、本気で抹殺しようとしたと、そう いう書き方です。 彼らのイエスに対する憎悪はピラト裁判にも持ち越されま す。 ユダヤ人歴史家ヨセフスが少しのちに書いているように 数年後にはサマリヤ教 団の祭に集まった群衆を虐殺するよ うに命じた残虐な代官であったピラトか ゙、この裁判では中立 的で公平な裁判官に見えているのはそのためでしょう。 ここでマタイにだけでてくるちょっと面白い話。19節、 「また、ピラトか ゙裁判の席についていたとき、その妻が人を 彼のもとにつかわして、「あの義人 には関係しないでくださ い。わたしはきょう夢で、あの人のためにさんざ ん苦しみま したから」と言わせた。」 まさに夢で何かを感じてしまうスピリチュアルな傾向をも った妻。どこか の国の首相の妻アキエの話に似ています。・ ・・・「主人と意見が違うように見 えても、目指すところは一 緒で、日本を取り戻したいんです」(アキエ)。で、 自分のスピ リチュアルの拠って立つところは神道かもしれないようなこと をいう のですから。 最後になったが裁判における、被告イエスの描かれ方。 イエスか ゙発した言葉は、ピラトの「あなたはユダヤ人の王で あるか」という尋問に 対して 「あなたがそう言っておいでな のだ。」(田川訳)だけで、あとは 沈黙。中心にいるべきイエ スは、まるで空虚な点のよう。この吸い寄せるよう な沈黙が、 この詩劇を聞く者の立ち位置を決めさせるのです。これが 終わっ たあと君はどこに向かっていくのか、君は、ひょっとし てピラトのようにいか にも中立的な場所にもぐりこめたと冷静 に、しかしうっすら笑い、その裁判と判 決と刑の執行を見届 けるだけにするのか。あるいは、君はバラバのように、 彼の 死のゆえに命が助かった、儲けたとうそぶいて法廷を去る のか。でも覚 えておけ、君がどう思おうと、君の命は彼の死 によって生かされていることを。 詩劇はそんな風にわたした ちを揺さぶってくるでしょう。
4月2日の説教から 創世記25章29〜34節 「長子権などどうでもよい」 久保田文貞 創世記12章以後、アブラハム、イサク、ヤコブ、その12人 の子らの族長伝説になります。そ の子孫がモーセの手引き によってエジプトを脱出し、荒野を40年放浪、その 間シナ イで「律法」を与えられ、ここにイスラエルが特別の民である こと認 識する。彼らは約束された地カナンに侵攻し、ついに は王国を作る・・・。そのほ とんどは歴史的事実として確かめ ようもない口頭伝承の世界です。ダビテ ゙、ソロモン王朝の時 代(前10世紀)になってやっとそれらしき考古学的資料が 確 認されます。旧約の世界を歴史的に確認しようとしてもほ とんど何もでてこな いようです。伝えられた聖書を読みこん だうえで、ほぼ確認できること は、イエスラエルの民の総括 的物語(歴史)と法の集約は、南王国ユダが滅亡す る事態 (前6世紀)になってはじめて精力的に行われたということで す。私もそ の説に従って読んでいきます。 アブラハム以下の族長伝説は、その揺籃期、む しろ前史 の位置にあります。無理に時系列に押し込めば、前1500年 頃、世界史的 にはパレスチナ地域でも農作可能なところに は都市国家が散在し、ずっと 前からすでにヒッタイト帝国や エジプト帝国の支配下に入っていた時代で す。族長らの生 活はそれら小都市周辺に寄生する羊などの飼育業者であ り、土 地を所有せず定住しない遊牧的な「寄留民」(ゲー ル)でした。歴史の日陰を 生きていた人々です。 カナンにおそらくじわじわと入っていったと思われま す が、時には抵抗を受け、力ずくで農地や都市に侵攻したの でしょう。そ こで彼らが定住した後、かつて寄留民としてしか 生きられなかった時代を大事 に語り継いでいった、それが 族長伝説の核になっています。彼らの法(トー ラー)は、自 分たちの過去を想い起し、寄留の民を懇ろに扱うようたび たび注 意喚起しているのもそうした表れです(出エジ22:21 など)。 さてその族長社 会はどうしようもなく家父長的・男優位社 会ですが、今はそれは問わないこ とにします。族長物語の ほとんどは基本的に家族の物語です。精々数十人の家 族 単位でやっていくよりない寄留民の生活はかなりきつい生 活だったでしょ う。族長伝説は彼らがけっこう裕福な財産を 持っていたように書かれつことが ありますが、それは伝承し ていった者たちの願望の現れでしかないでしょう。 しかし、 これとは反比例して彼らの共同体と、それを守る神につい て、ゆるぎな い誇りと、信仰心をもっているのです。だからこ その代々語り継がれる伝承 が成り立ったのだと思います。 彼らが家を守ることの当然の帰結として、血 のつながりを 重視したことが窺えます。自分の息子にどこから妻を娶らせ る かが、部族を維持する為の重要なモメントでした(16章な ど)。 家父長権を兄 弟のどちらに与えるか、まして双子となれ ばそれが問題になります。せまい 胎にいる時から双子は蹴 飛ばし合っている。胎内での蹴飛ばし合いとは、寄 留民とし ての資産が二人に分けられない限られた者であることを象 徴していま す。生まれてから兄エサウと弟ヤコブは案の定、 相続権をめぐって争うことに なる。ここで母リベカが弟の側 について策を諮るのですが、この母の偏 愛の問題も今回は 触れないことにします。 とにかく、限られた資産をどちらが 父ヤコブから続するか ですが、もちろん伝説は、これがただの家庭内事 件ではな いと受けとめている。ここで子が父の資産を受け継ぐという こと は、この家族の神の祝福を受けることを意味します。一 介の一寄留民の父の資産に 限りがあるわけですが、同時 にそれは神の祝福にも限りがあると観念され ていると思わ れます。族長物語には、12章2節のように、神がその子孫ら を「い つか大いなる民にしよう」と約束する言葉が何度か出 てきますが、裏を返せは ゙「今は、そうはいかないので、お前 だけを祝福しよう」ということではな いですか。揺籃の中の赤 ん坊のような小さな民を神も今は必至で祝福し守ろう と、意 地悪く言えば、小さな神の小さな祝福と言わざるを得ませ ん。 兄エサ ウが狩に疲れ腹をすかせて帰ってくる。エサウは 弟ヤコブがつくっていたスー プをのどから手が出るほどに 欲しい。ヤコブは長子権と引き換える約束 をするならスープ をやると言う。エサウは「長子権などどうでもいい」、 目下の スープの方がいいといってスープを食べてしまいます。小さ な神の 小さな祝福を受けることの意味を軽んじたわけで す。世界の支配権をどうと でも左右できる神の祝福なら喜 んで受けよう。でもちっぽけな家族を祝 福するだけの父の 祝福、それを後押しする神の祝福なんてくれてやるというわ け です。でも、確かにそんな打算は信仰には成り立たない ですよね。
3月26日の説教から マタイ福音書17章1-13節 「神の愛する子」 久保田文貞 「神の子イエス・キリストの福音の初め」とはマルコ福音書 の冒頭、タイトルのように出 てくる。ではイエスを「神の子」と 人間の中で呼び当てたのはだれかとい うと、汚れた霊たち と(マルコ3:11,5:7)、イエスが十字架上に死んだ時、それ を見ていたローマの百卒長(マルコ15:39)だけなのだ。 ただ、それに加えるへ ゙きであろう二つがある。一つは、イ エスがヨルダン川で洗礼者ヨハネ から洗礼を受けると、「あ なたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」が聞 こえた という(マルコ1:11)ときのもの。もうひとつは、今日の箇所 (マルコ9:2以下)、 イエスが弟子3人を連れ山に上ったとき、 イエスの服が真っ白に輝き、天から 「これはわたしの愛する 子。これに聞け。」と天から声が聞こえたという。つま りこの 二つは、イエスが「わたし(神)の愛する子」だとするのは天 が認証し たことだというわけである。 こうして見ると、特異な仕方ではあるが、イ エスを「神の 子」と呼ぶことにマルコは一応同意していると言わざるを得 ない だろう。マルコを5回とすると、マタイは12回出てくる。マ タイはサタンの試練 (4:3,6)、山上の説教(5:9)、弟子の 告白(14:33、16:16)、さらに大祭司の審問 (26:63)、通行人 や祭司たちの侮辱(27:40,43)に、全体に積極的にイエス は神の子 であると印象付けていく。 では、マルコの場合、どう「イエスが神の子」 いうのだろう。 よく言われているように、人間を神の子と呼ばせたのは、イ エ スと同時代人ならすぐ思い浮かぶのはローマ皇帝アウグ ストである。イエ スの死後、原始キリスト教時代には、カリグ ラ帝はそう自称し、皇帝礼拝を要求 した。イエスを「神の子」 とした原始キリスト教の告白が、皇帝を神の子とした 皇帝礼 拝を十分意識した上でのことに違いない。イエスは、皇帝と は真反対の再 下位も位置し、抗弁することもなく、貧弱で、 自らを救うこともできない。そ して最悪の侮辱的な処刑方法 で殺された、そういう神の子であると、告白した わけだ。 このこととどうしても関連させて考えてしまうのが、天皇制 のこと である。昨年の8月8日に放送された「お言葉」。明仁 天皇も高齢になって退位か ゙したいのだと大半から受け止め られ、現在生前退位に関する特別法が検討さ れている問 題である。原武史(放送大学教授)が指摘しているが(3/11 松戸て ゙の講演会、3/18朝日の記事)、一つは憲法上の問 題。第1条に「天皇は日本国の象 徴であり日本国民統合の 象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の 総 意に基く」というのであるから、「本来は天皇を規定するはず の法が、天 皇の意思で作られたり変わったりしたら、法の上 に天皇が立つことになってし まう」(原)。朝日の記事では、 原は極めて慎重に、今回の政府や有識者会議の問 題点 を、憲法上の法的な問題とし、あくまで皇室典範通り摂政を 立てればよい という代案まで述べる。けれども講演を聞いて わたしが感じたのは、記 事の最後の部分、「お気持ち」(「お 言葉」に同じ)が昭和天皇の終戦詔書=「玉 音放送」に通 底しているという指摘のこと。当時軍部は終戦案に喧々諤 々、徹底抗 戦派が依然として強く、御前会議で決められず 非常手段として「聖断」を仰 いだ。そうするとあれほどの徹 底抗戦派も潮が引いたようになってしまう。 国民全体も「玉 音放送」一発で手のひらを返したようになってしまう。その 変わ り身の早さ、それは今回の「お言葉」も等しい。さらに 講演の中で、昭和天皇と 明仁天皇の共通点として、「詔書」 は「なんじ臣民の衷情も、朕善く之を知る」 「常になん じ臣民と共に在り」と言い、「お言葉」は「天皇の務 めとして,何よ りもまず国民の安寧と幸せを祈ること を大切に考えて来ましたが,同時に事に あたっては, 時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思い に寄り添う」と 言う。戦前も戦後も全国をくまなく行 幸した昭和天皇、それを踏襲し全国を「象徴 行為」と して「全国に及ぶ旅」をした明仁天皇。そして結局は 「我が国の長い 天皇の歴史を改めて振り返りつつ,こ れからも皇室がどのような時にも国民と 共にあり,相 たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして 象徴天皇の務 めが常に途切れることなく,安定的に続 いていく」ようにという。1946年1月の 『人間宣言』「朕と汝ら 国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ば れ ...。天皇をもって現御神とし、かつ日本国民をもって他の という。どちらも、 天皇が天照大神の子孫であることを 否定しない。現人神ではなくとも、神の 子孫であると いう観念の上にのっていることに変わりない。 さて、私たちはなお も、イエス神の子告白と、天皇神の子 孫論としっかり比較し、応えていかなけれは ゙ならない。
3月19日の説教から ルカによる福音書14章15~24節 「路地裏の宴会」 板垣 弘毅 いま『コートニー』(ほるぷ出版 谷川俊太郎訳)という絵 本を読みました。兄妹が、 動物保護センターからもらい受け てきた犬のお話です。両親は「血統書付きのちゃ んとした 犬」を連れてこいといいます。子どもたちはたくさんいる犬の 中で、 だれももらい手がいない、老犬のコートニーを選びま す。この子どもたち は、大人や大人みたいな子供とはちが った目を持っているんですね。ところか ゙コートニーはめちゃ くちゃ役に立つ犬で、料理、育児等々、大助かりです。 でも ある日突然コートニーはいなくなります。親たちは言いま す。「あの犬はタ ゙メだといったじゃないか。けっとうしょつきで なけれればだめだ」 何ヶ月か後の夏休み、海で沖に流さ れそうになった子どもたちを乗せたボー トが救われます。絵 本では隅っこの方にコートニーが小さくかすかに描かれ て います。「いったいどういうことだったのでしょうね」で絵本が 終わっ ています。 この絵本はきょうのイエスの神の国のたとえ話に深く共 鳴していると思 います。 きょうのところでイエスは、神の国を大宴会にたとえてい ます。預言者 も、その日には「万軍の主はこの山で祝宴を 開きすべての民によい肉と古い酒 を供される」(イザヤ25: 5)「死を永久に滅ぼし」「すべての顔から涙をぬく ゙い」 とし るされています。ユダヤ人が待望していたこの「神の国」が、 イエスにとっては今まさに始まりつつあったようです。だから イエスは、言っ てみれば「神の国のまなざし」で人間も社会 も見ています。 さて、ある人か ゙盛大な宴会を今まさに開こうとしています が、招待された人たちは商売の取引 とか財産の管理とか で、みな断ってきます。かなり裕福な階級の人のようです。 「家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路 地へ出て行き、貧しい 人、体の不自由な人、目の見えない 人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』」 当時のユ ダヤ人社会一般からは脱落した人たちです。「ちゃんとし た」ユダ ヤ人ではない、「ちゃんとした」食事に紹介されるこ とはあり得ない人たちで すね。ユダヤ人社会の食事規定 は、食べるもの、作法だけでなく連なる人 にも厳格な規定が ありました。さらに空席を埋めるために、そこら辺にいる誰て ゙ も、異邦人でもかまわず「無理にでも」 連れてきなさい。本 人の意志に もかまわず連れてくるんですから、これはもう 「招き」とは言えないかもしれ ませんね。神の国はたとえばこ のようなものだ、とイエスは言うのです。 イ エスは、日常のできごとの中でも神の国を伝えていま す。「ちゃんとした」 ユダヤ人にとって、参加無条件の食事 の場など、危なくて近寄れません。 家族を救うコートニーが、日本なら殺処分寸前の、徹底 的に棄てられた犬であ ることは、生と死をまたいでひとつの 「いのち」に目を注ぐということでは どこかイエス・キリストに 重なります。 福島から横浜市へ自主避難したある小学 生が避難先の 学校で「ばいきん」 扱いされ、つまり「ちゃんとした」人間て ゙ はないなら何してもよいと、くりかえし金銭をたかられていた とのことです。 「自主」といっても好んで避難したわけではな い。そのうえ行政が勝手に区 切った「帰還困難区域」と言わ れる場所でない避難者には、3月から、避難地で の住宅の 借り上げ金の無償提供が打ち切られます。住宅無償提供 の延期を県会 議員たちに請願した避難者たちは自民党幹 部から「勝手に逃げたものが何を言 うか」と言われたと新聞 にありました。事故が起こらなければ避難することも なかっ たわけで、「ばいきん」扱いは子供の世界だけではない、世 の中か ゙そうなんですね。生きていながら死んでいるような、 例外的な領域を、人 間はいつもどこでも自分たちの共同体 の中につくりだしていくのです。そ んな生がそのまま死であ るようなところをふまえて神の国の福音は告げられ、 受け継 がれていったはずです。「ばいきん」扱いされた小学生が 「つら いけどいきてゆくことにきめた」 と言ったのは、本人は 「しんさいでいっぱ いしんだから」 と少し背伸びして理由づ けているんですが、わたしは、 この少年が自分に注がれる 世間とは別のまなざしの確かさに気づいたから だと思いま す。 イエスの「放蕩息子のお話」では、まったく自己破壊的に 家 をとびだし落ちぶれて飢えてもどってきた弟息子を、父 親は「勝手に逃け ゙たものが何を言うか」なんて言わず、大宴 会を持って迎えます。この宴会に、 これまでまじめに父の事 業を支えてきた「ちゃんとした」兄息子は加われない。 家の 外で怒りに震えている兄息子に父親はこう言います「いなく なっていたのに 見つかったのだ。死んでいたのに生き返っ たのだ。よろこび祝うのはあた りまえではないか」 この「あた りまえ」は、兄(わたしも!)の考える自己責任論 の「あたりま え」とはちがいます。一人の人の「いのち」のかけがえなさを 見 つめているところから出てくる「あたりまえ」ですね。こんな 「あたりまえ」か ら語られたきょのの「たとえ話」です。 そのイエス自身が、「罪人・徴税人の 仲間」と言われなが らまったく開放的な食事の場を生きていました。イエスの食 卓ができごととしての神の国の比喩、でした。 「無理にでも」というの ですから、この招きには、人の自覚や 誇りのあるなしに関係ない、誰でもその 人に懸けられてある 恵みが先行しているんです。棄てられているかに見える君 たちはしっかり受けとめられているんだ、神の支配の中で棄てられていないとい うできごとでした。こんな比喩をおたが い生きて行きましょう。
3月12日の説教から マタイによる福音書12章22〜32節 「なにが人を癒すか」 久保田文貞 イエスが町々村々をまわって宣教し「すべての病 気、患いを癒し た」(9:35)と、その評判はガリラヤ地 方だけでなく、遠く中央エルサレムに まで聞こえたらし い。マルコ3:22によれば、エルサレムから「律法学者」 らの 調査団が派遣されたように読めます。彼らの見解 はイエスが「悪霊どもの支 配者(であるベルゼブル)に よって悪霊どもを追い出しているのだ」と 判定。マタイ 福音書では、たびたびイエスの側に張り付いているパ リサイ 人をイエスの批判者に特定します(12:24)。い ずれにせよ、社会的権威筋の代表た る律法学者・パ リサイ人らが、急に始まった無資格・無認可のイエス の活動を 潰すための理屈です。その理屈には、ある 種の社会的原理が応用されています。 病気や障がい にはかならず原因があり、それを治癒するにはその原 因をつき とめ取り除けばいいと。それ自体はいかにも 正当な構えをしています。その方法 と手順を科学的・ 医学的にやれば、そのまま現代の医学の構えと同じ です。 紀元1世紀、ヘレニズム社会に広く行き渡って いた原因論は、病気や障がいは悪 霊の仕業による と、神話的に意味づけられたわけですが、原因を突き 止めそ れを取り除くことで治療するという構え方そのも のは、古代も現代も同じ格好 をしています。その限り、 後で述べるように、同質の問題を抱え得るでしょ う。 パリサイ人の批判に対するイエスの反論は、マルコ 3:23b-26(//マタイ 12:25-26//ルカ11:17-18)「ど うしてサタンがサタンを追い出すことができ ようか。そ してもしも一つの国が自分自身に対して分裂したら、 その国は立つこ とができない。...」というもの。それで は悪霊のかしらベルゼブルと、 手下の悪霊たちとが内 部分裂を起こすことになる。そんなことになったら、さ す がに悪霊たちの世界は自滅するよ、ばかばかしい ということでしょう。イ エスが、突き動かされ感じ取って いる真実は、いまや病人や、障害者たちの現 実の苦 悩を取り払っていく力が次々と実現されていくこと。イ エスはその真った だ中にいて、その力の下でひとり一 人の命のために使えるならどんな力だっ て動員して やってやるよ。ベルゼブルによって悪霊を払っている と人が悪 態をつくならつけ。人を癒そうとする力をだ れも押しとどめることはできな いということでしょう。 これって、確かに病気や障がいを管轄するエージ ェ ントからみれば、反社会的な事象とされるでしょう。 社会としては、それなり の権威筋が病気や障がいを 認定し、原因についての共通理解をたて、治療法を さだめ、相当な手続きを踏んで、治療すべきは治療 するという仕組みが尊 重されなければならないという わけです。 昨今、健康というよりは病気をテー マに1時間も2時 間もかけてやっているバライティ番組が連日のように 放映され ますが、放送する側もそれを見ている視聴 者側も、みんなで病気や障がいに ついての社会通念 を作っていく。そういう通念と医療体制が病や障がい をもっ た人を助けていくはずだというイメージが造られ ていきます。けれども、 それで病者や障がい者の現実 の苦悩が解決していくというのはほとんど錯 覚です。 科学的であろうと、非科学的であろうと、原因を突き止 め治療法を 突き止め、医療体制を正当に築けても、 その正当性で満足してしまうなら、人の 苦悩、人の命 に手をかすことはできないと思います。 マタイ12:27,28//ルカ 11:18b-20は、マタイとル カに共通するQ資料の言葉ですが、前者と比べて明 らかに2次的、イエス亡き後、とくに再臨のメシア・イエ スを説いて回ったQ資料の 人々の言葉の可能性が高 いです。イエスの前の反論に見られるどちらに流れ る かわからないような危なっかしさ、シニカルさが無くな ります。病やショウ害 を悪霊の仕業だと考える通念を まともに受け入れて、悪霊払いのために「神の霊」 「神 の指」(ルカ)をストレートに持ってきます。こう言ってし まうと、「神の霊」 は悪霊払いのための新しい権威・新 しい治療法として固定化してしまいかねない。 イエス が真実に身をさらしてその力の中に立って人々と向き 合い、癒した出来事 と別のものになってしまうでしょ う。
3月5日の説教から マタイ伝福音書4章1-11節 「誘惑」 久保田文貞 サタンの誘惑の物語は、イエスの死と復活の後、イエスこ そ神の子であるという 信仰が成立していく中で生まれた物 語でしょう。「イエス=神の子」という告 白は、かなり早くから 人々の口に上がったと思われます。 マルコ1章9-11節、イ エスがヨルダン川でヨハネから洗 礼を受けたとき、「あなたはわたしの愛す る子、わたしの心 に適う者」という声が、天から聞こえた、そのあとすぐに、 「霊 がイエスを荒れ野に追いやった」(これが原典の直訳で す)。この霊は、 パウロに見られるような特別のパッケージに 包んだ「聖霊」というより、 イエスを荒れ野に追いやるような 力が働いたぐらいの抑制した感じを受けま す。 荒れ野で、イエスはサタンによって「試みられた」(ペイラ ゾー。「try、 検査する」にあたる)。後々これは「サタンの誘 惑」という意味に定まっていきます が、マルコの描き方はい たって淡白なものです。サタンはヘブル語、元来自 分を法 廷に訴えた訴追者の意味だそうです。ヨブ記にみられるよう に、サタ ンは天使のひとり、ヨブの罪を調べ、それを告発す る、神の前の法廷で検察 官の位置を占めています。それが ヘレニズム期に流布した悪魔思想に加わえら れ、固有名詞 化していきました。 とにかく霊がイエスを荒れ野に追いやり、そこ でサタンが イエスを審査したというのです。マルコ伝の脈絡で言うと、 サ タンが、天からの声のとおり「神の愛する子、心に適うも の」であるかどう か審査をしたということです。というわけで、 サタンは誘惑者というより、イ エスが神の子として適格かどう かの審査をする試験官なのです。 審査の中味 を伝えるのは、マタイ、ルカの共通資料(Q資 料)です。Q資料のサタンとイエスの 問答が、多分に神話的 になっていますが、としてもマルコの脈絡に添って、サ タン は悪魔というより、神の子の適格性を審査する検査官と見 ておくべきです。 サタンがイエスに言う、「神の子なら、これらの石がパン になるように命し ゙てみよ。」と。イエスの答え、「『人はパンだ けで生きるものではない。 神の口から出る一つ一つの言葉 で生きる』/と書いてある。」申命記8:3の引用て ゙す。この 回答に試験官サタンは、そっと心の中で丸をする、一問目 は合格とい うことです。 2問目 神殿の屋根の端に立たせて「神の子なら、この 下に身を投 げてみろ。」(これが直訳)。「『神は御使いたち に命じて、その手にあなた をささえさせ、あなたの足が石に 打ち当たることのないようにされる』と書いて あるのだから。」 試験問題の方が詩編91:11を引用。これに対するイエスの 回 答も申命記6:16を引用して「『あなたの神である主を試 みてはならない』とも書 いてある」と。この回答に試験官とし ては、正解、よくぞ正解したというところ でしょうか。 3問目、「次にサタンは、イエスを非常に高い山に連れて 行き、こ の世のすべての国々とその栄華とを見せて言った、 「もしあなたが、ひれ伏し てわたしを拝むなら、これらのもの を皆あなたにあげましょう」。 イエスの回答、 「するとイエスは彼に言われた、「サタン よ、退け。『主なるあなたの神を拝し、 ただ神にのみ仕えよ』 と書いてある」と。審査官として、またもイエスは正解し たと。 審査の結果、疑わしい訴因はすべて消えたということか。 「サタンよ、退 け」とは受験者の言葉にそぐわない。むしろ 「審査官よ、もうやめてくれ。」と いうことでしょう。 試験官サタンは、ヨブ記的に言えば、神に「あなたの愛 する子は、あなたの考えているとおりの神の子でした。」と報 告するよりないた ゙ろう、そういう物語なのです。 ドストエフスキー『カラマゾフの兄弟』に、 世なれた兄ドミ ートリが神学生の弟アリョーシャに聞かせる詩劇がでてき ま す。中世スペインの異端審問時代、地方の教区を監督する 審問官は、一人の男 が民衆に混ざっているを見い出しま す。すぐにそれがイエスだと悟りま す。彼を捉えさせて審問 官はイエスを(再)尋問する。おまえはかつて神の子として 正解をした、オレもおまえが真の神の子であることは認めよ う。おまえが真 の神の愛する子になって、この世界はどうな った。お前が石をパンに変えて しまう力を放棄したことによ って、力も弱く、根性もなく、取りえもない人間たち は、いつ までもパンにありつけず苦しんだのだ。かれらはお前のよう に 信念をもって飢餓に挑むわけではない、ただ苦しんだ。 お前はそういう人間 をほったらかして正しい神の子のあり方 を選んだ。オレはお前が見放した屑の ような民衆を宣撫し、 力ずくでも労働させ、そうやって彼らにしかとパンを 与えて やることにしたのだ。さあどうだ、オレ・サタンのやっているこ とに 文句あるか・・・。 いまもはたと考え込んでしまいます。大審問官の前 でイエ スはほとんどものを語りませんでした。
2月26日の説教から マタイによる福音書14:22〜36 ・「溺れる弟子」 久保田文貞 いまも時々「奇跡」という語を目にする。たとえばNH Kスペシャル 「奇跡の大自然」というように。宇宙や地 球の誕生、生物の誕生等、映像で表現 されていくとえ 神秘そのもの、確かに奇跡と思えてくる。視聴者には それが役に 立つかどうかというより、創造されたファン タジーを消費していくだけのこ とだ。自分たちの生活 実感とほとんど無関係なのだ。奇跡とか神秘という語 は、いかに生活実感からかけ離れているかの謂いで しかない。 けれども、そん な生活からかけ離れていて、当面何 の役に立たなくても、趣味や好奇心の対象には なる。 これってものすごく近代的・現代的な感じがする。い い意味でも悪 い意味でも、人間中心的だ。余暇を楽 しむように神秘・奇跡ワールドを散策 してみようという わけだ。自分の趣味で部屋をエキゾチックに飾って みるこ とと変わりない。そういう意味で人間中心的なの だ。こういう現代人の感覚を 一応押さえておいて、新 約聖書の奇跡物語を読み直してみたい。 日本語聖書で 「奇跡」、「しるし」、「不思議」、「力あ るわざ」と訳されているもとの語も いくつかあって、そ れぞれに統一した訳し方はない。状況に応じて訳者 がい ろいろ工夫しているようだ。当然だが、大衆を小 ばかにしたような「不思 議」には醒めた目線で描か れ、人を助け起こし人々を圧倒するようなものには 「力 あるわざ」とするように。 マルコ6章2節に「力あるわざ」デュナミスと いう語が でてくる。すぐ前の「長血の女の癒し」と「ヤイロの娘の 癒し」を 受けて、イエス一行は郷里ナザレの会堂で人 々の口から「このような力あるわ ざがその手で行われ ているのは、どうしてか。」と怪しむ声を聞く。そし て5 節、「そして、そこでは力あるわざを一つもすることが できず、た だ少数の病人に手をおいていやされただ けであった」という。ここで興味 深いのは、イエスは郷 里で「力あるわざ」はできなかったが、医療行為と して の手当てはできたとしているところだ。そこに「力ある わざ」を見なかっ たのは、郷里の人たちがイエスを知 っているがゆえに、醒めてみていただけ と読めなくも ない。イエスとしてはそれが「力あるわざ」とみなされよ うと、 ただの医療行為とみなされようと、どっちでもよ い。神の恵みによって人か ゙癒されていくという現実の 方が大切な事だった。マルコはそういう描き方を して いるように思う。だから、部外者でイエスの名を使って 悪霊を追い出して もイエスはそれをやめさせない。イ エスが鷹揚な人だというのではなく、 「力あるわざ」は もともと彼のものではない、かれがどうこうできるも ので はないということなのだろう。 とにかく、「力あるわざ」がイエスの 周りで次々と出 来事になっていくと、マルコ福音書は書いていくように 見える。 もっともデュナミスという語をここでしか使って いないが。 イエスはほかの 奇跡行為者のように報酬は貰わな い。イエスの行った力あるわざは、神がこの 世界に及 ぼす恵みの業の一つ一つとして書かれるだけであ る。それが癒し のわざとして現われる場合もあれば、 自然的な奇跡として現われる場合もある。 この世界を いま神の福音・恵みが民衆たちの上に降り注ぐ、ある いは恵みが 襲いかかる。その事態をイエスはいち早く 察知し、その神の恵みのままに自分の身 を預けて活 動している。ライ病として差別されていた人の家での 食事も、わず かな食材で5千人の群衆の腹をいっぱ いにしたことも、あるいは海の上を歩き難 破しそうにな った舟を助けてしまうことも、すべて神の福音がこの世 界に介入 して起こった力あるわざとしてならべて書い ていくのだ。 あのイエスのもと で起こった神の恵みは、人の想定 を超えて、いつどこでも襲いかかり、はし ゙け飛ぶかもし れない。福音書を読んでいくとそういう思いに立たさ れる。あ れから2000年、私たちの世界は人間の知性、 組織、制度等々でがっちりと組ま れた硬質な世界のよ うに見えるけれども、かの恵みの自由さの前にひとた まりも ないかもしれない。
2月19日の説教から ルカ伝福音書12章13-21節 「神の前にゆたかでありたい」 久保田文貞 〈主の祈り〉に「われらの日用の糧を今日も与えたま え」という祈り が入っている。ここには「自分が今日を 生きるための食べ物、それだけて ゙十分です」と、さらに 言えば「それ以上のものをむさぼろうとする欲望か ら 自由にしてください」ということだろうか。ルカ伝はほか の福音書に比較し て、財産、富に執着する欲望の問 題に着目している。今日の箇所もその一つであ る。 群衆の一人がイエスに相談を持ちかける。「先生、 わたしにも遺産を分けて くれるように兄弟に言ってく ださい」(13)と。遺産相続で発生する権利という の は、労働に対する賃金のような請求権と違って、法的 な権利とはいえ、贈与のよ うに降って湧いてくるような ところがあり、その取り分をめぐって争うかとな るとなに かあまりに厚かましい、もしわたしなら腰が引けてしま うかもしれな い・・・。 相続のことは、「放蕩息子の譬え」(ルカ15:11以下) にも出てくる。そ ちらでは弟が父親に自分の取り分を 生前贈与してほしいと願う。それを受け取っ た弟は放 蕩の限りを尽くして蕩尽してしまう。アホな弟だなと誰 もが思うだ ろう。その財産を元手にして増やせばいい ものを、と。 だが、この譬話の父 親はどうみても神のことであり、 財産は神の恵みのこと指している。だから、 弟の生前 贈与の要求は、神の恵みの先取りの請求。言ってみ れば、弟がこれか ら受け取る恵みを先にまとめて下さ いという要求になる。だが次の日から恐ろ しい日々が 続くだろう。神の保護というなの呪縛から自由になる わけだが、 同時に神の恵みの外を自分で生きること になる。「われらの日用の糧を今日も与 えたまえ」とい う祈りの外の世界を生きるわけだ。 相続問題に対するイエスの答 えはつれないものだ った。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停 人に任命したのか。」 そこで譬えを語る。13-15節の問答と、16-20節 の譬えと微 妙なずれがあるように感じるが、とにかく遺 産相続の問題から、より多く の財産や収穫を得ようと する欲望、それも周到な欲望へと重心が移る。おそら く 元々別の伝承とされるのかと推察するが、両者に共 通するものがなくはない。 耕作者にはいつになく豊作の年があるだろう。蔵を 立て直してそれを将来のた めに保管しておこうという わけだ。ここにはなにも不当なことや不法なことはな い。農園の経営としてむしろ優れているとさえ言える。 この譬をイエスが語った としておくが、その場合、譬え の語り手イエスもそれを承知の上。しかし、この 世的 には少しも非難すべきことがないこの農民の経営上 の処置が、全く別の 方向から、つまり神の恵み、神の 福音の相の下から照射してみると、別物が見え てくる というのだろう。 「神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げら れ る。お前が用意した物は、いったいだれのものになる のか』と言われた。」 とイエスは言われたとある。 だが、この言い分はちょっといただけない。な んか 妙に説教臭い。いつ死ぬかわからない人の命、なの に富を蓄積してどうなる のかと。さらに道学者然と「自 分のために富を積んでも、神の前に豊かにならな い 者はこのとおりだ」となってしまう。かく言うわたしはここ から「神の前にゆ たかでありたい」という畏れ多い題を つけてしまったのだが、陳腐な倫理を 説いて話を終 えるわけにはいかない。 むしろここでも、問題はこうだ。期待し ていた以上に 神の恵みを手に入れたと思い、余剰の分を蔵を立て て保管しておこう とする根性に、ただの欲望ではなく、 神の恵みの先取り、ある種の生前贈与の 要求に似た 逸脱が隠されているということなのだろう。本人は正当 で合法的 な権利だと思っている。なにしろ余剰な恵 みを保管しておこうと思っているだ けだから。しかし、 その適切な処置のはずのものが、神の恵みのベクト ル からすると、かえって恵みを受けることの障りになっ てしまうということなのだ ろう。日々の必要な恵みを受 け取ることで十分豊かじゃないかというのだろ う。
2月12日の説教から マルコ4章26~32節 「神の国の比喩に囲まれて」 久保田文貞 4章33,4節「人々の聞く力に応じて、このように多くの たとえで御 言葉を語られた。たとえを用いずに語ることは なかったが、御自分の弟子たち にはひそかにすべてを説 明された」というのが何とも気になることばだ。 前回 の繰り返しになるが、21-25節を読むかぎり、マルコ において、神の国の 福音の秘密が群衆には隠され、弟 子には明かされるというような、弟子と群衆の 間に差 をつけることをしない。22節「隠れているもので、あら わにならないもの はなく、秘められたもので、公にならな いものはない」と言われたとおりであ る。「神の国」の 福音はすべての人に開かれているという。ただ、それ に人か ゙耳をふさぐか、聞き取ろうとするか、その差は どうしようもなくある。「あ なたがたは自分の量る秤で 量り与えられ、更にたくさん与えられる。持ってい る人は 更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取 り上げられ る。」というわけである。 マルコ福音書を全体的に見る時、彼がイエスの死後、 弟子たちの権威主義の傾向をイエス自身の視点を借り て批判的に書いていることは 疑いえない。というわけ で33,4節の言葉は、編集者マルコの考え方と違う方 向 を見ていることになるのだが、マルコという自分は だからといって、受け取っ た伝承を勝手に書き換えな いでそのまままずは書き留めておくということをす る。批判的なものは別のイエスの言葉伝承(21-25節) をそれにぶつけることで果 たそうとするわけだ。 26-29節「成長する種の譬え」に「神の国はつぎの よう なものである」という枕が置かれる。3-25節に 出てくる譬えでは、福音の言 葉を受けとめる人間の情 況が比喩的に語られてきた。それに対して、26節以下 は、 イエスによって語られている「神の国」の福音が 地上でどのような展開をし ていくかという点にテーマ を移していることになる。「神の国」というイメージ は、前2世紀ごろからユヤ教に芽生えてきた終末論と 無関係ではない。おおよそ 〈神から派遣されたメシア が、全権を託されてこの世の諸勢力を撃退し、その後 に神の民の平和な世界が来る〉というのがユダヤ・メ シア主義だ。これか ゙現実的な運動となる時、それは当 然、この地上を支配する権力者たちへの反体制 運動の 様相を示す。それが成功した暁にこそ神の国が出現す る・・・それが ユダヤ教終末論の基本公式である。こ のような終末論的な「神の国」がやっ てくるとなれば、 それはこの世界にとって一つの緊急事態である。安保 法制の 中で日本政が「6つの事態」なるものを示して 「法整備」を強行した。だが 「事態」とはなにか、政 治哲学的には戦争のように主権国家と主権国家体のも のか ゙ぶつかり合う時の、法の限界、例外、異常を指す。 だからそれは主権国家の 限界を示すと当時に、さらに 言えば主権には法の外側で暴れることもありだ という 究極の主権の主張でもある。だが、子の主権論の反対 側にあるのが 日本国憲法である。主権者たつ国民がし っかり国家の手綱を握っていればそ んなことは起こら ないというのが日本国憲法なのだが、これを国民が怠 れ ばもっとも恐るべき「事態」だ。 終末論的な世界理解は、この世界の外側か ら例外的な もの、想定外のものが襲いかかってくるというある種の「事 態」論の ようなところがある。それに対して、こちら側の価値 観、方法論、予測がすへ ゙て無効になって仕えない。そういう 「いま」理解になる。キリスト教終末論は基 本的にそれで世 界に「説教」してきたわけだ。だが、イエスのこの譬えは、 そ ういう雰囲気にはならない。 人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうち に、種 は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人 は知らない。 土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず 茎、次に穂、そしてその穂に は豊かな実ができる。29 実 が熟すと、早速、鎌を入れる。 この「人」が 神とすれば、神は農夫が土地を耕し、種をま くという当然のことはするが、 あとは土に任せ、種自身の成 長する力にまかす。それ以上手を出さない。そして農 民が するように、時が来たら、収穫するわけだと。最後の部分が 終末に関 するものと言えなくもないが、全体として緊急「事 態」が近づいている、目 を覚ませ、身構えよ、といういわゆる 終末論的態度はそこから出てこない。「変に 構える必要な んかないよ。そのままでいいんだよ。終末だ、緊急事態だな んて声に惑わされないでね。」そんな風にしか聞こえてこな い。次の譬え(30-32) も、なにかキリスト教が伝道される と、爆発的に拡大するなんて理解をしない方 がいい。「そう そのまま感謝して暮らしていればそれでいいんだよ。わた し はそのままのきみを祝福するよ」としか言われていないと、 ぼくは思う。
2月5日の説教から マタイによる福音書13章10〜17節 「でも喩で語りあえる」 久保田文貞 伝承されたイエスの譬を集めてひとまとまりに仕立 てたのはおそらく マルコ(4章)がしたことだろう。マタイ 13章はほぼそれに従うが、いくつか の修正、削除をし ている。二人の編集の差から浮かび上がることを考え てみた い。 場面としてイエスは船に腰かけて群衆が陸地にい ることになっている。マタ イでは群衆は立たされるのだ が。最初に種まきの譬を語る。マルコの場合、 群衆へ の語りはそれで終わる。イエスが独りになったとき、弟 子に近い人が 譬について質問したという。そこで譬で 語ることの意味を解き(4:11-12)、「種 まきの譬」の解 き明かしをする。その場面のままさらにほかの譬を語 るという筋に なっている。 これに対してマタイの場合、13章1~52節まで群衆 に語り続けること にされている。「種まきの譬」につい て、質問するのは弟子である(10)。だか ゙、その場合に も船の中に座っているイエスと陸に立っている群衆の 基本的な設定 は変わらない。常に弟子たちはイエス の傍らにいるのだと言わんばかりであ る。群衆たちが すぐ側で見ている真ん前で、どうして群衆に譬で語る のかと質問したことになる。どうみてもマタイは、イエス →弟子→群衆という階層 構造でとらえている。実は、 山上の説教(5-7章)の場面でも、 5千人との食事の 場面でも、この階層構造が無視できない。 たしかに、マルコの場合も4章1-20 節に関しては、 イエスが群衆への語りと、側近の者たちへの語りを区 別している。 群衆には譬で語り、速記員のものには秘 密(ミュステーリア)を語るという具合に。 だが、マルコ は1-20節の伝承セットのすぐ後に「ともし火」の譬を置 く。 「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置 くためだろうか。燭台の上 に置くためではないか。隠 れているもので、あらわにならないものはなく、秘 めら れたもので、公にならないものはない。聞く耳のある 者は聞きなさい。」と。 これは、明らかにすぐ前にある〈弟子には秘密が明 かされ、群衆には譬で語 る〉という前提と矛盾し、あの 階層構造をぶち壊しにしてしまうものだ。さら にマルコ 8章11-21節では、パリサイ派ユダヤ人の無理解に 並べて、弟子た ちの無理解を、イエスをして嘆かせる が、群衆たちにはおしなべて同伴者で あり、理解者で ある。 少なくともマルコは、譬え語りというものが、いまだ 「秘密」を解さない人々(群衆)への当座の語りという 考え方を手放しで容認して いるとは思えない。確かに マルコはイエスが「人々の聞く力に応じて、このよ うに 多くのたとえで御言葉を語られた。」といい、弟子には 「ひそかにすべて を説明された」と書いている(33)。 では、「ひそかに」語った「すべて」とは 何だろう。後に 語られる受難予告(8:31など)のようなもののことか。あ るいは 4章13-20のことを言っているのか。群衆への 語りと違って、弟子たちがイエスと 直に語り合う中での 親密なやり取り以上には考えられない。要するに、隠 してお くというようなものではなく、その言葉を自分の ものにできているかどうか 位のところだろう。もっともそ のことこそ語り合いにおいて最も大切な事だか ゙。 マタイは、マルコ4:21-25を削除してしまう。マルコ が逡巡したものを切り 捨てた。弟子たちには秘密が明 かされているということを疑わない。18-23節の譬 の 解明は弟子たちにしか示されなかったと、〈そうだ、自 分たちはこれに倣って 今後このような譬えの解き明か しをしていくのだ〉と。 この二人の捉え方の差は、 時 代状況の差かもしれない。マルコがエルサレム原始 教会にあった弟子の権威主 義に疑問を感じ、イエス の生涯に戻って福音に回帰しようとしたこと、一方マタ イは、ユダヤ戦争の敗北でエルサレムが廃墟になり、 結果諸教会のセンター がなくなり、再構築していくべ き場に立っていたことのように。 いずれにせ よ、人が譬え=比喩でものを語るという ことが指し示していることの意味は重 い。比喩の語り が、例えば宗教的な体制が人々を支配するために秘 密を小出 しにする道具となってはならないということで あり、 逆に、比喩の語りはそのよ うな体制を、庶民の 生活のまわりで生じる知恵や、ユーモアや、からかい で ぎゃふんと言わしめるのだ。
1月29日の説教から マタイ福音書21:12〜16、 使徒言行録7:44〜50 「『神の家』考察」 久保田文貞 関東神学ゼミで『「紙上の教会」と日本近代」(赤 江)を読んでき た。内村の無教会運動を社会史的な 面から追跡した本だ。内村は教会組織でな く自己の 信仰が先行しうる特別な能力と位置をもつ人だったこ と、さらに信仰 と日本国民たることの両立の困難を覚 えながらもそれを手放さなかった稀有の人 であること を改めて知らされた。無教会という特異な形をとった 必然を納得した。 明治期、既成の教会の課題は欧米 の宣教師から自立することだった。ただ、ほ とんどの 場合それは日本人が宣教師の代理を務めたにすぎ ない。これに対し 内村は自分の頭で欧米の枠にとら われず教会とは何か考えた人だ。「監督な し、牧師な し、憲法なし、洗礼なし、洗礼式なし、按手礼式なし、 楽器と教壇とを 備へたる教会なし」、さらに教会の無 い人の教会ともいう。としてもやはりそれは 運動であ り、連なる人々のコミュニケーションは必要。その媒体 として雑誌・講 演会・集会という三つが主たる場であ る。それらが1890~1930年の40年間、大 正デモクラ シーから国家主義の高揚への変化の中でなにが時 代状況への抵抗 になり、弟子たちも含めてなにがそこ から乖離させたのか考えさせられる本で あった。 使徒7章はイスラエルの歴史を〈幕屋・聖所・神殿〉 史という切り口から 説明する。神はエジプトで奴隷の ように酷使されたイスラエルの苦難の声を 聞き、 そこから救いだし、40年の荒野彷徨のすえ、約束 の土地を与えたという。 この経験を通してイスラ エルは神の民の自覚をもったと言えよう。その間 ずっと 神は民と共にあり、神が民に所=聖域とし て、幕屋→神殿を取り上げるのだ。 初期のイスラエル の民が神と接点をもて民と共に移動する幕屋であっ た。神か ゙常に臨在する神殿=神の家ではないという わけだ。 「いと高き者は、手で 造った家の内にはお 住みにならない。」(48) まさに宗教改革である。 マタイ 21:12以下の「宮清め」はマルコから由来す る。直接には神殿で商いをする者達を イエスが暴力 的に追い払いったという物語である。その後でイエス 預言者イ ザヤ(56:7)とエレミヤ(7:11)の言葉を借りて この行動の意味を述べる。マタイ の14-17節は「宮清 め」の後、イエスはそこで病人を癒し、子どもたちはホ サ ナと賛美する、まさに神殿はかくあるべしという描き 方だ。 もう一点、マタイ 版とマルコ版の違いは、マルコが 「『わたしの家は、すべての国民の祈の家と となえらる べきである』とイザヤの預言をほぼそのまま引用した のに対し、 マタイは「『わたしの家は、祈の家ととなえら るべきである』」としたところ。 要するに「すべての国民 の」をマタイは抹消した。 この引用句は、イザヤと言っ ても第三イザヤの言葉 だ。この預言者の時代背景は、ペルシャがバビ ロニア を滅ぼし、ユダヤ人たちの帰還を許した(前538年) 後、エルサレムで 神殿再建運動が始まったときのこと である。第3イザヤの預言は、新しい神殿 のイメージに 向けた一つの提案である。城壁はまだ破壊されたま ま、全くの 無防備な町に神はどんな神殿を望まれるか か。以前のようなイスラエルの国家神 殿としての意味 はもうない。それは「すべての民の祈りの家」とこれま での神 殿の発想を逆転させたもの。神はもはやイスラ エルだけの神にあらず、諸国民 の神というわけだ。 だが、この預言がどれだけ真剣に受け止められた かといえば、元も子もない。その後のネヘミヤ、エズラ 時代、本格的に神殿再 建がなされていくが、お世辞 にも「すべての国民の祈りの家」とはならなかっ た。イ スラエル宗教は大国の影響で変成を余儀なくされ、 神殿は形骸化し、民は 分断され、もはや民として共同 に神の恵みを受け取れるような場ではなかった。 いやそもそも新約時代の後期の人たち、マタイ たちにとってもはや神殿はなかった (70年)。真に 神にまみえることのできる場所はどこか、もう探 す必要はない、 復活者キリストにから、ことばを いただければ十分となっていく。マタイは そうい う中で、「すべての国民の」を削除したわけだ。 キリストを信じる 者だけに許された祈りの家=教 会を想念したのだろう。だが、イエスの宮清 めの 真意は、だれにせよ〈聖域〉をわがものにするな ということだったろう と思う。
1月22日の説教から 創世記21章14~20節
 「神は子どもと共にいる」 久保田文貞 『こどもさんびか』の歌詞にあるように「わたしたちは小さく てもおめぐみなさるかみさま」と 漠然と、同時に確信をもって 神は幼い子どもをこよなく愛されるはずだと思っ ている。だ が、この確信をひっくり返すような子どもへの悲惨な出来事 が 次から次へと起こっていることを知って何ともやりきれな い毎日を送っている。 昨 年8月アレッポへのシリアとロシア軍の攻撃があってた くさんの市民、女性、子 ども、老人たちが犠牲になった。救 急車の中で灰と血にまみれた少年がオ レンジの椅子に座 っている写真(「救急車内の少年」)を新聞でみて衝撃を受 け た。ジャーナリストのエレナ・ゴルドバーグはこの写真を 「悲劇のポ ルノ」のように消費させてはならないと訴えた。そ の衝撃を、なんでもよい自分 でできることを行動にしてほし いということだろう。私もこれを説教の枕と して消費してしまう ことのないようにしよう。今も昔も犠牲は逃れる術をもたない 社会の弱者に過酷に襲いかかる。どうしてそんなことが続く のか、どうやっ たら少しでもそうさせないことができるか、強 がってみえるかもしれない が、ほとんど力のない老説教者と してなんとか言葉を絞りだすことにしよう。 とにかく私らは聖書に耳を傾ける。創世記16章と21章に あるアブラハムの子イシュ マエルの物語を読もう。5書資料 説によれば、J資料とE資料が別々に、アブラ ハムの妻サラ とエジプト人の女奴隷(JとEで違う語が使われていて微妙 な 意味の差があるようだがここでは無視しておく)ハガルの 物語である。 16章のJ資料の物語で、アブラハムとサラの間に子がな く、高齢になったサラ は自分の女奴隷ハガルのところに夫 アブラハムを入らせ、跡継ぎをえようと する。ハガルは身籠 り、正妻サラを軽んじるようになった。そこでサラは夫 に訴え てハガルをどうにかしてくれというわけだ。この物語のアブラ ハム は「好きなようにすれば」と全く不甲斐ない態度をとる、 というか「正」妻サラ が強いのである。サラはハガルをいじ め、追い出してしまう。半遊牧的な 部族共同体での話であ る。家父長が一番の権威・権力をもっているが、女 性とは子 を産む道具にしかみようとしない家父長制の下で、跡継ぎ を設ける話 になると正妻の権威が夫以上にものが言える。 と、自分も含めて男たちは変な 納得をしている。身重なハ ガルが追放された所は砂漠的な荒野、わずかに散 在する 泉は貴重な水場で彼女は主の使いに会う。主の使いはハ ガルに、女主人 のもとに帰って「その手に身を任せなさい」 (口語訳)という。そうすればお前の 子孫を増して多勢にし ようというのだが、戻ればどうなるか、酷な話で はある。 21章のE資料の物語は、既にイシュマエルが生まれ、高 齢のサラに子イ サクが生まれるという奇蹟的な出来事が起 こった後の筋運びになる。ハガ ル追放の物語はこちらでは イサクをかかえての追放となる。ただし、17章25節 によれば イシュマエルはその時13歳、その後にイサクが生まれたこと になるか ら、21章8節でてくるイサク乳離れの通過儀礼(3歳 に行われたという)の時点で は16歳位になってします。 細かいことだが、ハガル母子の追放物語のきっか けは、 二人の子がいっしょにいる場面を見てサラが不快に思った ことにある (9-10)。Jに従えば、二人の年齢差が14歳ほどに なる。とすれば二人が一 緒にいて何をしていたかと言えば、 16歳ぐらいの子が3歳の子を「からかって いた」(新共同訳) と解して、当のヘブル語動詞をそう訳したのである。だか ゙、 Eの物語からすれば、後述するように15,16節からイシュマ エルは幼児で なければならない。年齢問題に気づいた古 代の70人訳は、Eの物語に合わせて9 節に「彼女の子イサ クといっしょに」と補ってサラは「遊ぶのを見た」(口語訳) と なったのである。 物語に戻ろう。サラは「自分の子と女奴隷の子が一緒に 遊んでいる」のをみて不安を覚え、夫アブラハムにハガルと その子イシュマ エルを追放するように催促する。ここでも不 甲斐ない夫であるが、アブラ ハムはイシュマエルも自分の 子であるからと悩む。そのかぎりEの物語のアブ ラハムは、 家父長然としていなく、優柔不断なのだ。Eに特徴的な夢 の中での 神のお告げ(夢とは書いていないが、「次の朝早 く」もEの特徴、それが夢と 知れる)があって、イシュマエル の子孫を「一つの国民」にすると約束してくれる。 それを信 じてか、アブラハムは母子をベエルシェバの荒野に追放す るとい うのである。その荒野は、パレスチナとエジプトの間に あって、母と幼児 が生きていくにはあまりにも過酷な場所で ある。ハガルはついに自分の子か ゙餓死するのを見るに忍び ず、樫の木の下におき、「弓の届くほどの距離」 のところから 息子に対座したという。母も泣き、息子も泣いたという、日本 で言 えば、説教節のようなお涙頂戴の物語である。 ここで「神はわらべの声を 聞かれ」、再び神はイシュマエ ルの子孫を「大いなる国民とする」と約束する。 井戸が示さ れ、母子は水を得、20節「神はわらべと共にいまし」となる。 父親 の優柔不断も、母達の確執も、その背景にある理不尽 な家父長制も超えて、神は幼 子を見捨てないという。
2017年1月15日の説教から 「抵抗と連帯 ――クィア神学の可能性――」 堀江有里 今日は貴重な機会を与えてくださり、ありがとうございま す。 わたしは、 これまで「信仰とセクシュアリティを考えるキリス ト者の会(ECQA)という1994年 に京都ではじまったグルー プで活動してきました。いまはおもに性的マ イノリティの相 談業務に従事しています。また社会学でアイデンティティ 論や 社会運動論を勉強してきましたが、最近はキリスト教の なかで同性愛者差別に 〈抵抗〉するための方法論としてクィ ア神学をやっています。 クィア神学で問い 直す対象となるのは異性愛主義です。 異性愛主義とは、人間を「女」と「男」に わけ、権力関係をも って配置した上で、両者が“つがい”になることを“あたり ま え”とする考え方です。その装置は、生殖至上主義イデオ ロギーと終身単 婚制によって維持され、男性中心主義(性 差別)とセットで駆動しています(竹村和 子『愛について:ア イデンティティと欲望の政治学』岩波書店、2002年)。つま り、 異性同士で“つがい”をつくらない同性愛者のみなら ず、シングルマザー や、婚姻外での性行為をおこなうセック ス・ワーカー、そして“つがい”を終焉 する異性間の離婚も、 この異性愛主義には合致しないあり方としてマイナスのレッ テルを貼られることになります。 キリスト教もその歴史のなかで異性愛主義を再 生産・維 持しつづけてきました。そのあゆみを問う方法としてクィア 神学は、批 評理論や文学研究などで発展してきたクィア理 論を使って神学を考える流れて ゙す。クィア理論の発展の背 景には、キリスト教文化圏での抑圧・排除と抵抗か ゙あるの で、神学的には再応答ともいえるのかもしれません。 クィア(queer)と はもともと男性同性愛者への蔑称です が、攻撃や嘲笑を向けられた人びとか ゙、あえて引き受けるこ とで意味が転換され、“当たり前”とされる性/生のあり 方を 問うツールとなりました。社会運動では1980年代後半から の合衆国における エイズ・アクティビズムのなかで「非規範 的なセクシュアリティやジェ ンダーへの差別や排除の気運 が高まる中(...)既存の規範にしたがわない性や 身体の正 当性を臆面もなく主張し、それを認めない規範を公然と批 判」するために 使われてきました(清水晶子「『ちゃんと正し い方向にむかってる』:クィア・ポ リティクスの現在」三浦・早 坂編著『ジェンダーと「自由」』彩流社、2013年)。 また、学 問では1991年にテレサ・デ・ラウレティスという精神分析学 のフェミ ニストが、レズビアン「と」ゲイ、人種・民族など、ひと まとまりにさ れることへの問いとして使いはじめました。 クィア神学という言葉を最初に使っ たのは、ロバート・ゴス という神学者です(R. Goss, Jesus Acted Up: A Gay and Lesbian Manifesto, Harper, 1993)。ゴスは、同性愛者た ちの経験からキリ スト教内部で異性愛主義を問う作業をつ づけます。かれ自身、イエズス会に 所属していましたが、19 80年代後半にエイズをめぐる直接行動を中心とする 「ACT UP(力を解放するエイズ連合)」で活動し、自らも男性同性 愛者である ことを表明しました。その後、メトロポリタン・コミュ ニティー教会という教派 に移動しました。この教派は、ペン テコステ派の教会を追放されたトロイ・ペ リー牧師が1968年 に創立したもので、基本的にはかれの所属していた信仰理 解 を継承しています。 ゴスの後、さまざまな人びとによってクィア神学は広か ゙っ てきました。大きく分けると、性的マイノリティをマジョリティ 規範のなか に包摂するよう働きかけるか、マジョリティ規範 のもっている排他性自体を根源 的に問うか、という立場のち がいがあります。わたしは後者が重要だと思っ ています。そ の意味において、クィア神学とは「権力と語り合う神学的言 説の中心 にではなく、その周縁にその場所をとる」ものであ り、「周縁の神学」と位置 づけることができます。神学そのも のへの問いを考えたいのは、久保田文貞 さんたちをはじめ 「キリスト教批判」を遂行してきた先輩たちから学び、そし て それをわたしなりのかたちで継承してきたいと思っているか らです。異なっ た課題のなかで根源的に問う作業をつづけ ることで〈連帯〉は結果的に生ま れてくるような気がしていま す。 今日の「マリアの讃歌」はルカ共同体によるハ ゚ラダイム転 換への夢想が描かれているテクストでもあります。洗礼者ヨ ハ ネとイエス、その二人を産むエリザベトとマリアという女性 たちが対比的に 描かれています。この誕生物語には歴史 に対する神の革命的力のイメージや、解 放の神学とフェミ ニスト神学の間を結びつける働きが読まれてきました(R.Rリ ューサー『性差別と神の語りかけ :フェミニスト神学の試 み』新教出版社、1996年)。 しかし、女性の身体によって重 要な人物が排出され、そしてマリアという女性の 口を通して 革命的なメッセージが語られる。まさに女性の身体が利用 されて いく物語としても読めます。解放の言説として読み取 りたくなる欲望があること をわたし自身、突きつけられるテク ストとも向き合いつつ、自分自身のよって立つ 場をも含めて 問いつづける作業を今後もつづけたいと思います。
2017年1月8日の説教から コリント信徒への手紙II 12章1~10節 「“弱さ”を見る 目」 板垣弘毅 パウロは、10章から12章にわたって延々と、自分が誇れ るとこ ろを列挙しながら、コリントの教会の信徒たちに自己 弁明している。自分が去っ た後にやってきたパウロとは異な る福音理解をする人たちが、パウロは本物 の使徒ではな い、などと吹聴したからだ。きょうのところでは反対者たち に 負けてはいないと、「仮に(霊的な体験を)私が誇る気にな ったとしても真実を 語るのだから、愚か者にはならないでし ょう」(6節)と、自らの宗教体験まで も披瀝する。(週報では 細かい検討は省略しますが)やがてパウロはようや く「誇る」 ことの限界に気づく。私が神に捕らえられているという確信 は、ひ とつのできごとであって、言葉にすれば人間の限界 を越えられない、そう 気づいてゆくのだろう。そこで思い上 がるなと、「私の身にひとつのとけ ゙が与えられた」 「とげ」と はパウロを苦しめた持病のことで、この病に はそうとう苦しみ 再三祈ったがキリストの答は「わたしの恵みはあなたに十分 て ゙ある。(キリストの)力は弱さの中でこそ十分に発揮される のだ」 だった。 人がいかなる誇るべきものをも崩された、根こそぎされ た、それを「弱さ」 と言えばそこで、キリストの力に気づく、い や気づいても気づかなくて も、キリストの力は働いている、と いうのだ。この「キリストの力」 とは何か。 マルコ福音書 が伝える刑場でのイエスの断末魔の叫び 「わが神、わが 神、なぜわたしを見捨てたのか」には、人がおかれたどんな 否定的なあり方 も、神はその人のものとしてみている、かけ がえのない絶望を、神は見ていてく ださるという「信」が込め られているだろう。神が見ていてくださるな らどうなるのだ、 といわれても分からない、ただ、自分の、また自分たちの 否 定的な姿を、神はそれとして受けとめてくだる、そういう希望 がキリスト信 徒にはつねに残ると思われる。だからイエスは 最後の絶望を神に投げかけてい るのだ。 わたしが深く影響を受けた信徒の方々の一人で、10数 年前に、73才 でなくなった40数年教会の奏楽の奉仕をさ れた女性がいる。最後の半年は病院 のベッドで、看護師さ んたちは、意識のない人と見ていた。でもわたしか ゙ゆくとか すかにまつげの反応などでコミュニケーションがとれる。家 族 の人たちも「牧師に任せる」ということで、最期を看取るこ とになったのもわた しだった。当時わたしはその方が、与え られたいのちをその方らしく全うして いる姿に畏敬の念をも って、その人の傍らで讃美歌を歌えるのがなにかうれし く思 えた。しかしその方が亡くなってから気づかされることがあ った。人か ゙延命治療に近いかたちで生かされている苦しさ だ。人間の弱さの極限のよう な姿、誇りも何もなく、その方は こんな状態から解き放たれたいと切望していたの かもしれ ない。でもやがて、彼女が、無力という、そのかたちでしか 伝え られないことを伝えてくださったのだと、気づくようにな った。それはきっ とその方が意志したことではない、ないの だけれど彼女は彼女の絶望で 神に用いられている、という べきできごとだった。このようないわば 「メシア的召命」=終 わりの時(時の終わりではない!)からの呼び出し、にスヘ ゚ ースを空けておく、空けておけることが信徒の自由と希望を 生み出すのでは ないか。 だからその召命とは、自己責任 論では決して伝わらない、その方が 彼女の思いも越えて伝 えている「キリストの力」なのだ。 パウロはまだ気力 があるから「弱さを誇る」などと言えた。 その奏楽者の方の現実では、もは や「弱さ」など誇れない。 わたしは、きょうの9節の言葉の深い意味をその方を通 して 神から教えられたと思う。「すると主は、『わたしの恵みはあ なたに十分で ある。(つまり君だけの絶望も知っているよ。 わたしの)力は弱さの中でこそ(君 が思いもしない仕方で) 十分に発揮されるのだ』 と言われました。だから、 キリストの 力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで(つまり 安心し て)自分の弱さを誇りましょう。」 だから安心して絶望 してよい、何もできな くて立ちつくすことができる。 最初に相模原の障害者施設での殺傷事件なと ゙をを取り上 げて「生きるに値しない命」というものがいつの時代も現実 にあ る、あるのだけれど、それに抵抗するのがまた人間なん だ、といった。石 原慎太郎のような自己責任論は結局自分 に帰ってくる、石原だって、老いと病て ゙「自らが『不要なも の』と見なしてきた存在に自分がなろうとしている」の だ、だ から誰も人間の「弱くある自由」を尊重しなければならない、 とその 新聞の論者は言う。そのとおりだがきょうのパウロはそ の根底に、人間の強 さとか弱さとかを問題にしない何か、も っといえば、十字架につけられたキリス トにあるように、絶望 的弱さを希望の根拠にしてしまう神のまなざしがあるこ とを 告げている。絶望的な弱さがあるからといって、君が君であ ることに 変わりはない、それをわたしは見つめている、という まなざしだ。最初の年賀 状の女性も弱者であろうとなかろう と彼女だけの世界を生きている。 安心して 絶望できる、だからこそ、その暗闇の中でも、蟻 が戦車に立ち向かうよう に、人間の絶望や願望を、また権 威や権力を絶対化しない生き方も生まれてくるは ずだ。わ たしはパウロのようにめざましい霊的な体験からかなり遠い 者た ゙が、それでも彼女の姿を通して、今でも、キリストの語り かけを聞く思い がする 。
2017年 1月1日の説教から ヨハネ伝福音書1章1-14節 「言葉は神と共に」 久保田文貞 人にとって、なにかの始まりについて言うことは、何 かが終わったと言ってい ることになります。12月27日 安倍首相はオバマ米大統領と真珠湾のアリゾナ記 念 館を訪問し、演説をしました。日米が「明日を拓く『希 望の同盟』になったの は「寛容の心がもたらした『和解 の力』だ”とか、“真珠湾は和解の象徴だ”と 歯の浮く ような言葉を並べた。「戦後レジームからの脱却」、 「日米の間で、 『戦後』が完全に終わったと示したい」 というわけです。これがいかに過去 の負の記憶を抹消 し、責任放棄の典型的なものか、ここでこれ以上多く 語ること はしません。 だが、確かに戦後の暗いイメージをズルズル引き ずって いくだけなら、きちんと向き合ってその時々の 最大の答えを出して行って方が よいとは思いますが、 安倍は都合の悪い過去に向き合うことをしない。それ で 明るい展望も未来もないでしょう。としても、人は少 なくとも安倍のようにで なく、それなりに過去を清算し て前に進むよりないという面があります。しかし その前 進の「はじまり」にはかならず、記入漏れ、無意識の隠 ぺいを伴って しまう。それが人の歴史の限界です。 それをふまえて、「初めに言があった。 言は神と共にあった。」という書き出しではじめるヨハネ福音書の 1章を読んて ゙みたいと思います。福音書記者ヨハネは マタイ伝、ルカ伝が福音書の冒頭にお いたキリストの 誕生を描いたクリスマス物語のところに、賛歌、詩的 散文をもって きます。そこにクリスマス物語のようなメ ルヘン的な要素はありません。もしかし たらそのような 絵画的、音楽的なイメージに目を奪われてはいけな いと言ってい るかもしれません。それに対してこの賛 歌は「ことば」をもってきます。ここて ゙のことばは、日本 語に言う「ことのは」、人のコロコロと変わっていくかり そ めの心の「ことのは」のことではなく、神のことばのこ とです。日本語訳聖 書はこれを「言」という漢字で人の 「言葉」と区別しました。それは、彼岸から の、つまり 〈世〉界の外側からの「ことば」であり、その具体的な表 れとして 「神の子」が〈世〉において「肉となった」出来 事なのだというわけです。 ここでいう「肉となる」とは、 人間になるということの意ですが、人間になっ たからと いって、彼が高貴なお方であるとか、絶大な力をもっ た英雄になるの ではない。むしろその反対で、ただの 人にすぎない。人の子そのままの形 をとって「世」にき たというわけです。後の神学がこれを神の子の卑下ケ ノー シスとして論じていくように、キリストがただの人の 子として〈世〉に来た という点は一つのポイントになっ ています。マタイ、ルカの誕生物語もこの点て ゙は共通 しています。 したがって、この賛歌は神の子キリストが〈世〉にや ってきたという事実を、人の歴史に期を画するような 一事件とは見ていません。 〈世〉がその内に彼岸から のロゴスを受肉・受容したことは、神のことばに よる 〈世〉の創造にも匹敵することだと言っているわけで す。神の子キリスト が受肉して真の人となったのは、一 つの神話的な物語ではすまない。〈世〉の 根源的な始 まりアルケーそのものであり、もっと言えば〈世〉の根 源的な終わ りテロスそのもの、われわれの歴史の原始 であり、われわれの歴史の目標そのも のであるという ことです。だから、やがていつの日か神話的な世の終 末か ゙くるという発想も消し飛ぶような信仰的思想で す。 安倍首相のようにただ 過去を無責任に清算して新 しい未来をなんてやりかたで歴史を区切ろうとするの はどう見てもよろしくないことですが、例が悪すぎたか もしれません。 もっと慎重で説得力のある歴史の画期 をしているものについても、このヨハネ(賛 歌)の前に は、形なしにされてしまいかねません。 しかし、神の子が到来したそ のこと自体が〈世〉の根 源的な否定でありえたにもかかわらず、神の子は受 肉したままのただの人でありつづける。そしてほとんど の〈世〉の人は彼 を知ることなく、受け入れない。逆か ら言えば、神はそういう〈世〉のあり方を 直ぐに破棄し てしまってもよかったのに、あたかも〈世〉を受け入れ るかのよう にしているということを意味しています。 〈世〉は審きを実行してしまわない神の 不決断のもとに ある。反抗し続ける〈世〉を復活者イエスは受肉者とし て、ひたす ら命のことばを伝え続ける。それが光は闇 にかがやき続けるということだ というのでしょう。