説教ノート <2016年1月から12月分まで>
前に戻る <BR>12月25日の説教から ルカ伝福音書2章1-20節 「誕生の目撃者をだれにするか」 久保田文貞 イエスの宣教の第一声は「時は満ちた、神の国は近づい た。悔い改 めて福音を信ぜよ」(マルコ1:15)ですが、その後の イエスの活動は、個々の 人に向き合い、その課題に取り組 んでいくという地味で、けっして効率のよい ものではありま せんでした。こうなったのは、イエスが普遍的な理念をかか げ、それを普及させようとしたからではなく、人々の間を打 ち寄せていく神の 真実に身を預けていったからでしょう。自 分が息巻いてどうなるものでも ない。神ご自身が「憐れもうと する者を憐み、慈しもうとする者を慈しむ」、 その神の働きに 仕えようというのでしょう。だが、それがユダヤ教神殿 権力 者たちの気に障り、妨害を受けるようになった。イエスは何 を思ったか、彼ら の本拠地エルサレムに乗り込み、そこで逮 捕され、裁判を受け、十字架刑の判決 を受け、殺されてし まう。福音書としては、この受難と死の事件は大変な事だ か ゙、為政者ローマにとっては、一握りの被占領民の抵抗ぐ らいのことで、ロー マ側にはイエスの名も出てこないのが現 実でした。 そのイエスをメシヤ、キリ ストだと真剣に告白する人々が 現われる。それだけでなく、そのキリスト が神の独り子だとす る者たちが現われる。常識的に考えてイエスはただの 人で はなくなる。その生まれから問題になりうる。いや生まれる前 から神の子て ゙あったにちがいないとなるでしょう。 とすれば、全能の父なる神の子で ある以上、子もまた全 能なる力をもってよいだろう、〈イエスよ、あなたがほ んとうに 神の子なら、成人してからなどと言わずに、いますぐその全 能なる 力を発揮して、この世界のあらゆる苦悩、貧困、それ ゆえの人間同士の争い、それ らすべてを解決したらどうか〉 と、われら凡人はそう言いたくなる。イエスを 試みた悪魔な らずとも、あるいはカラマーゾフの兄弟に登場する大審問 官なら ずとも。 ところがイエスの死のすぐ後から芽生えた、イエスはキリ スト、神 の子と告白した人々の間で、そういう期待がほとん ど生まれてきませんで した。イエスの誕生物語がある時点 からささやかれ始めましたが、イエスをスー パーマンにする ようなキリストの誕生物語にならなかったのです。 ルカのクリ スマス物語について言えば、不思議な事、神 秘に満ちたことがいくつかちりは ゙められてはいるものの、良 く考えると実に簡素で控えめなのです。母マリヤ は天使の 祝福を受け、神の子の母となると約束されても、すこしも思 いあがるこ とがない。世の片隅で人目に触れることなく子を 出産する、そういう物語になっ ていきます。 誕生の夜、野で寝ずの番をしていた羊飼いたちに天使 が現われ、 救い主が生まれたことを伝えます。天から地上 にもたらされた最初の知らせが です。すると天が開け、天の 軍勢が現われる。重武装のローマの軍勢を思わ せるストラ チアと言う語を使ってはいますが、軍勢が手にするのはむ しろ楽器、 音楽隊、ハレルヤを歌う合唱隊とでもいうべきも の。もちろんこの音楽を聴く のも羊飼いたちだけ。 天使たちが天に去ったとき、羊飼いたちは、救い主の誕 生を見に行きます。物語は頑固に、ヨセフを除けば、羊飼 いたちだけを幼子と 母の誕生の目撃者とします。天使と天 の軍勢を差し引けば、それは、ただの人 の日常の片隅で起 こったただの赤子の誕生以上でも以下でもない、といわ ん ばかりなのです。 比喩的にどのように言われようと、現実に当時も羊飼い は底辺階層の人々でした。彼らは定住的な農村の周辺に 寄りそう、旧約に登場す る「寄留の民」のような存在です。律 法がたびたびイスラエルが弱小の 民であった頃の姿を彼ら に重ね、よろしく遇するように言っていた人々です。 その彼 らが、メシア誕生のメッセージを最初に受けたこと、その目 撃証人となっ たことの意味は大きいのです。 これに対して、黙示文学的なイメージからする メシア 登場は、ヨハネ黙示録などが描くように、どうあってもメシア が先 頭になって、武具を備えた天の軍勢アーミーを引き連 れ、天から現われてくる図て ゙す。たしかにクリスマスの図は かんぜんにそれを捨てているのですが、後 のキリスト教はメ シア誕生とは別のもう一つのメシア到来=再臨について思 弁をめ ぐらしていきますが、そこではかならずしもそれを捨 てきれていないのて ゙す。最後の審判が下る日には、御使い たち、天の軍勢は執行を猶予されていた この世の諸勢力を 完膚無きまでに叩きのめすだろうという俗説がけっこう強 力 に信じられたのです。これでは、クリスマス物語の持つ意味 が半減、い やほとんど骨抜きにされてしまいます。やはり、 天の軍勢は、武装放棄し、いま や合唱隊、音楽隊、あるい は大災害が起これば重機や支援物資をもって出動す る災 害支援隊のようであるべきなのです。そのことを真っ先にか んじとっ たのは、あの羊飼いたちでしょう。
12月18日の説教から マタイ伝福音書1章18〜23 「マリヤ再考」 久保田文貞 マタイ版、ルカ版のイエス誕生の物語の核には、「使徒 信条」第2項の 頭にある「主は聖霊によりてやどり、処女マリ ヤより生まれ」と同じものが 流れています。しかし、その取り 入れ方が両者の間で大きくちがいます。そ こで両者を比較 しながら、今回はマタイ版について話します。 ルカ版で「処 女降誕」について書いているのはルカ1章 です。そこでは天使ガブリエルか ゙マリヤに直接「あなたは身 ごもって男の子を産む・...その子はいと高き方の子。 つまり 神の子と言われる」というお告げを知らせる。するとマリヤは 「どうし て、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人 を知りませんのに。」 という。そこで天使は「聖霊があなたに 降り、いと高き方の力があなたを包 む。だから、生まれる子 は聖なる者、神の子と呼ばれる」と。そしてその応答 として 彼女がマリヤの賛歌を歌うということになります。 これに対してマタイ版 では、一貫してマリヤは脇役です。 まずヨセフがマリヤが身重になって いることを発見したとい う。そんなばかな、本人の方が先に気づいていたは ずだと 私も思いますが、ルカ版に出てくるマリヤの心配(ルカ1:29, 34)は無 視されます。マタイ1:19「夫ヨセフは正しい人であっ たので、マリアのことを 表ざたにするのを望まず、ひそかに 縁を切ろうと決心した。」とヨセフの心の 内を表すだけです。 マタイ1章1-17にアブラハムからキリストまでの42代の 父 系図が出てきますが、そこに4人のスキャンダラスないわく つきの女性の 名タマル、ラハブ、バテシバ、ルツが挿入され ています。タマルは子が ないまま夫が死に、弟オナンの子 種をもらうことになるが、オナンはそれを拒 否、そこで彼女 は街娼に化けて夫の父ユダと交わって子を儲ける。それが 第 5代パレスです。ラハブについてヨシュア記2章、バテシ バはサムエル記 下11章以下、ルツはルツ記を見てくださ い。この取り上げ方は間違いなく、ユ ダヤ的な父権制社会 を何の疑いもなく引き継いでいるユダヤ人の男マタイの 感 覚を表しています。となれば、聖霊によって身ごもるマリヤ も、この感覚の 延長で見ているのでしょうが、同時にヨセフ こそが訳有り女マリヤを受け 入れ、その後に起こる危険を回 避させ、イエス成長の土台を築いたのだというの でしょう。 系図のことをもう少し述べておくと、系図の中に名が出て いない 母達こそ由緒正しいイスラエルの母達となります。た とえば、箴言31章10以下に は、男たちの陰に隠れて、しか し男たちを支えているユダヤの女たちの理想像か ゙出てきま す。そこから自立した女たちが出現していく可能性もありま すが、 当面はこの理想像は男が描いた像です。 マタイの女性観、母親観を窺わせる二 つの例を挙げま す。一つはマルコ10章の離婚についての問答でイエスは、 律法 に則って離縁状を出せば離縁してもよいかという問い の注文を外すようにして 「...神が合わせられたものを、人は 離してはならない」と言う、さらに夫、妻の 裏切り行為に対し ては、妻も夫も同等の離婚権をもつと言う。男と女を同等に 見て います。これがマタイ版になると「不品行のゆえでなく て、自分の妻を出して 他の女をめとる者は、姦淫を行うので ある」と男側の問題としての離縁問題だ けに矮小化されてし まいます。それはマタイ的には新しい真の律法ともいうべき 「山上の説教」5:32に要約されるのです。 もう一つ、マルコ10章35以下、ゼヘ ゙ダイの子ヤコブとヨハ ネ―ペテロと並んでエルサレム原始教会の重鎮にな る弟子 ―が、「栄光をお受けになるとき、ひとりをあなたの右に、ひ とりを左に すわるようにしてください」と、誰が見てもピンとは ずれな頼みごとを する。ユダヤ人クリスチャン・マタイとして はエルサレム教会の先輩がこんな ことを言うはずがないと 思ったか、このセリフをその母親を登場させ、母親の ものと しています。実際彼らの母がどんな人かマタイが知ってい たと思えま せん。マタイの母親観がそこに投影されていると 見てよいでしょう。「母性愛 過剰で自分の息子の立身出世 を願うエゴイスティックな母親」、これは多くの 男が 自分の母のことで思い当たることがあるものです。ユ ダヤ人男性た ゙けでなく、「異邦人」男性にもある種の リアリティをもって聞かれたところて ゙しょう。 こうしてマルコが書き記してくれたイエスの言動の 中で決して忘れ てはならぬこと――ガリラヤで社会的 に見捨てられていた人々、なかでも身寄 りのない寡婦 たち、貧しい女性たち、病をかかえた女性たちを立ち 上がらせ、そ の中にはイエス運動に参加していった女 性たちもいた、そういう大切な動き――を、 残念なが らマタイは意識してかしないでか、元に戻そうとして いるのではな いでしょうか。 このことはイエス誕生物語のマリヤの扱いにもでて いるので す。後のキリスト教が基本的にこのマタイの 感覚と同じ道を歩みます。女性を 男性の下に従わせる 宗教になっていってします。そして女性が教会の中で 抑圧 されていくのと逆比例して、マリヤ崇拝が拡がっ ていくのを思うと暗く重たい 気分になります。なんと か、もう一度これを逆転させたいと思っています。
12 月 11 日の説教から ルカ福音書17章1~4節 「赦しについて」 関 秀房 この題に決めたのは二つの事柄です。ひとつは 10 月 6 ~ 7 日に福井で行われ た日弁連 の人権擁護大会で考えたこと、もうひとつは観が 10 月 30 日に亡く なったことです。 日弁連の人権擁護大会では死刑廃止を 2020 年 までに達成 したいとの宣言を採択した。しかしそ の宣言に強く反対する弁護士たちもいた。被 害者 遺族を支援する弁護士たちで被害者遺族の立場に 立てば、死刑は存置され るべきであるという。国 家が死刑制度を維持する理由は被害者遺族のため て ゙はないことは明らかである。 私が支援している佐々木哲也さんは両親殺しの 容疑で死刑にされた。たとえ佐々木さんが両親を 殺害していたとしても残され た家族が死刑を望む わけはない。事実は殺していないので、無実を主 張すると、 反省がないという事で極刑が下される。 両親殺しという事例は沢山あるが、 死刑になった 事例はない。 国家が死刑を維持するのは被害者遺族のためで は ないことは明らかである。被害者遺族を支援す る弁護士たちは、目の前の被害者 遺族の事だけを 考えて国家が視野にない。弁護士は死刑を求刑さ れる容疑者て ゙もその被告に寄り添って弁護する。 しかし現在の刑事司法状況での弁護活動は、 とて つもなく困難である。長期間の拘留、密室での取 り調べ(非可視化)、資 料の非公開、感情的な被 害者遺族の裁判参加。冤罪が避けられない環境で ある。 事実多くの冤罪が発生している。 被害者遺族の中にも、死刑を望まない人たちも いる。韓国のコ・ジョンウォン(高貞元)さんは 母親、妻、一人息子を一度に殺さ れた。(ビデオ 『赦しーその遥かなる道』参照)絶望に苦しみ自 殺さえ考えたか ゙、犯人を赦すことで歩き始める事 が出来た。その決断と行動が様々な人々 との交流 を生みだした。 観は 5 月 2 日様子がおかしくなりだした。私は それでも時間がたてば回復すると思いこみ、医者 などに連れていくことを 考えなかった。でもその 思惑は外れ、立っていることもできず、風呂場で へたり込み、目も開けてくれない状態になって、 あわてだした。どうにか手当 てしてくれる獣医を 見つけ、運び込んだ。医者は症状を見て血管肉腫 と判断し、 心臓とそれを覆う膜の間に血が充満し ていたものを取り除いてくれた。血管が 破裂し、 心臓の働きを衰えさせていたらしい。医者からあ と二カ月と言われた。 ショックだったが、私の判 断ミスであのまま死なせなくてよかったとホッと した。それから 213 日観は生き続けた。 死なせ てしまった責めを残されたものは 負う。本当は自 分が一番責任を感じているが、ややもすれば、他 人にその 責を転嫁する。その責が大きければ大き いほど他に転じた憎しみは容易に 解けない。しか し憎しみ恨みは自分を解放はしない。赦しを必要 とするのは自分て ゙ある。コさんが示してくれた「赦 し」がそのことを語っている。 11 月 11 日田尻賢一さんが処刑された。被害者 家族を支援する弁護士が声明を出した。 「死刑は 最高裁も認め法律に定められたものであり、それ に反対するのは法律を 守らなくてよいと言ってい ることと同じである」と。田尻さんは無化され、 死 刑囚は人間扱いされない。 憲法はどんな人で も基本的人権があると宣言して いる。国家は暴走 するもの、だからその暴走から人を守るのが憲法 である。 カンボジアは死刑を廃止した。残念なが ら大虐殺の後に。
12月4日の説教から ルカ伝福音書21章28、31、36節 「頭を上げた」 久保田文貞 キリスト教の終末論思想は、主として古代ユダヤ民 族の間で起こった黙示文学 思想に由来します。それ がキリスト教に入ってから、凡そ次のようになります。 世界は天地創造に始まり来たるべき終末へと方向づ けられ、すべての時が 直線化され、一回限りの時とし て先鋭化させる。われわれ人間の世界史という線分 の外側を、超越者の天界が取り囲むことになる。その 天界からメシアがやって きてこの世界を救済すると理 解するわけです。 こういう世界観が生まれたきっ かけは、少数民族で あったユダヤ人が大国の狭間を生き、時に民族消滅 の危 機に立たされ、それを預言者的な文学表現で表 すよりなかったのだと説明され ます。世界の外側の天 界から救いが来ると、そこに希望をおくよりなかったと い うわけです。もっとも四六時中そんなことを念じたわ けではないでしょう。 窮地を脱すればすぐに現実の日 々の暮らしが続くことになります。でもそ んな中で窮地 を脱した救いの記憶を残していく、そこからの特異な 黙示文学とい うことでしょう。 キリスト教は、ユダヤ教の民族主義的な狭さ・偏狭 な「律法」 主義から必死で脱出し、「異邦人」世界へ伝 道していくことになります。それて ゙もかなりの間、それ は異邦人のユダヤ人化という現われ方をした。ユダヤ 人 出身の使徒パウロは自身異邦人への使徒として位 置づけ伝道しますが、彼は 自分の生きている間に、か の「終末」がくると信じ、それがかなりの部分、 彼のメッ セージを構成していた(第一テサロニケ)。この終末へ の現実的な緊迫感 が初期キリスト教の特徴のように言 われますが、聖書学者の田川建三は『キリ スト教への 招待』で、これを何十年も引っ張り続けたのはパウロ ぐらいだ と言います。拝聴すべき見解だと思います。 終末のイメージはふつうそんな にリアルに維持できな い、それが大半の人間です。たいていは一時のリア ル なイメージを物語として意識の一角に押しとどめ、 文学化し内面化する。ひと つの「終末論的な構え」と して受け取りなおされるでしょう。もっともパウロ も最後 にローマの監獄で書いた(これも一応田川説による) ピリピ書(1:23)て ゙は、「私の願望からすれば、(この 世を)去って、キリストとともに居たいと願っ ている」とい うわけで、彼の終末論も自分の死の実存的な問題へ と変質させてい ると言えます。そんなに固く言わない までも「やがてあなたと天でまたお会 いしましょう」とい うあわい願望として今も残っているとおりです。 今回のルカ の言葉は、イエスの言葉になっていま すが、それがどの程度イエスのものと 言えるか、イエス のものとしてどういう場でどんな意味を込めてのものか 確 定的な事はわかりません。90年ころのルカの「終末 論的な構え」が、イエスが それを語ったとして受けとめ ているだけで、まずイエス自身のものではな いでしょ う。今回はそこを詮索しないことにします。 ルカの言葉に執着したいと 思います。28「これらの ことが起こりはじめたら、身を上げ、頭を上げる がよ い。あなたがたの贖いが近づいているのだから。」と 31節はルカ特 有の言葉。マルコ13章はもっぱら、終 末的なうわさが起こっても冷静に事を見 極めよという 調子なのですが、ルカの場合、その「緊急事態」の中 から見えて くる終末のしるしを見逃すなというところに 重点が移るのです。意地悪く言う と、周りの連中にとっ てはこの緊急事態は〈審き〉なのだが、われらクリスチ ャンには〈救い〉なのだ、だから「救いの兆を見逃さな いように、頭を上げ、 しっかり前を見よ」となる。それが 内面化、実存化されていくわけです。 この 「構え」 って、はっきり言ってわたしはお奨めできません。 この世の有象無象の うめきをよそに、自分は彼方 からやってくる救いをつかまえようとひとり頭を もた げ前を見つめて生きよ、という構えに見えて なりません。それくらいならば、 マルコの伝える 言葉のように、どうしようもないと思ったら、ひ たすら逃げよ、 それでいいんだ。おそらく、危険 だから頭なんかあげるな、と言うでしょ う。そし てきみがどこに逃げ隠れようと、その時には「人 の子」が来る時 に来て(13:26,27)援けてくれる、 だから、その時はその時でお任せするよりな いよ という。それで良いのでは。
11月27日の説教から ローマ人への手紙13章8-14節 「なにか引っ越し前のような――告 白と勧告――」 久保田文貞 12章から13章にかけて、一見ローマのクリスチャン たちに 日々の暮らしについての勧告のことばになって います。それと比較すると1章から 11章までは神学論 文のような体をなしています。彼にはまで見たこともな い帝 国の都に行って伝道しようと、そのための地なら しをしておこうというのか、気負っ たところがあるように 見えます。 パウロの手紙の特徴は、諸教会の具体的な問 題に 自分の受けた福音の一番大事なところを惜しげもなく からませながら書い ていくところです。その点でロマ 書はちょっと違う雰囲気なのですが、て ゙もよく考える と、帝国の都に住むクリスチャンたちに、福音のエッセ ンスと共に、 すぐにも必要となるような知恵(勧告)を 書いたつもりなのでしょう。なにしろ まだあったこともな い人たちの、それも彼の想像力を働かせたうえでの 勧告て ゙すから、うまくヒットしたかどうかかなり疑問で す。 11、12章を読んで、 ふっと感じたのは「これって、私 らが引越しするまでの〈知恵〉に似ている」 ということで した。私事ですが、子どもの頃、父の仕事の都合で社 宅替 えをさせられた。子どもには遊び友達と別れ、住 み慣れた家から引っ越すわけ で、引っ越しの決まっ た1,2か月の間で子どもなりに友達同士との貸し借り や人間関係を整理したりそれとなくお別れを告げなけ ればならない。その時の、 やがて去っていかなければ ならない不安定な感じ、しかしなにかそれまで と違っ て、欲がなくなり、我もはらなくなる。或る意味、良い 子に成っちゃうわ けです。もっとも引っ越しなんか忘 れてしまうと、またもとの自分に戻ったりす るわけです が、でもなにか成長したかもしれない気もします。 伝道者パウ ロは、「終わりの日」に「人の子」キリスト がやってきて、約束されて救いへと 移されていく、そ の日までこの地上での生活を、手抜きすることなく、 つまり 暮らしの問題一つ一つをちゃんとやり遂げよう 言っているわけです。それが 福音と勧告のことばがセ ットになっている理由です。なるほど、パウロ の理解で は、クリスチャンはこれから引っ越してしまうというあり 方を取ってい るわけですが、だからと言って、引っ越 し前の生活をちゃらんぽらんなも のにしないと、彼は そういう勧告しているわけです。すぐ隣の隣人と、取 引の 相手と、子どもの友人やその親と、時には権力を 傘にした官憲と、そして身近て ゙あるけど、かならずしも 完全にわかりあえているとは言えない家族との、日々 の暮らしの中でできあがってしまっている人間関係を ちゃらんぽらんなも のにしないで生きようというわけで す。 パウロを始めクリスチャンたちは、 キリストを信じて生 きるという大事件をくぐり抜けた。さらには次の大事件 も 控えている。しかし、その中で、たんたんと商売を し、家事をこなし、隣人とつ き合い、最後の引っ越しま で生きていく。このような中で「生きていく」を、 それな りに精いっぱいやろうというパウロの姿勢にわたしは 驚かされます。 ひとり一人にとっての一大事件は、いろいろな形が あって起こることです。先 日、2年前に再審請求が一 時とおり、釈放された無実の死刑囚袴田巌さんを描 い たキムソンウン監督の「夢の間の世の中」という映画 を見ました。映画は冤罪事件 の内容に触れず、ひた すら釈放されたけれども拘禁症のため障害をかかえ てし まった袴田さんと、姉として袴田さんを援けるひで 子さんの生活を撮ったものて ゙す。無実のまま死刑囚と なって49年獄中にいたこと、その袴田さんが釈放を勝 ちとったことは一大事件です。映画会には狭山事件 の石川一雄さんも来ていまし たが、こういう一大事件 をくぐり抜けた彼らが、必死に生きているのを見、 聞 き、大きな感動を覚えました。拘禁されていた狭い官 房の中で歩き続けたとい う袴田さんは、釈放された後 も部屋の中を歩き続けている。歩く、生きるというこ と の意味を取り戻そうとされていると理解してよいかどう かわかりません。袴田 さんのそれは、石川さんのよう に冤罪を作った社会をしっかりと告発しながら生 きると いうのとは違いますが、キム監督が描く袴田さんと姉 のひで子さんの 生きる姿に、だれにでも響いてくる 「勧告」の言葉が隠されているように思 えてなりませ ん。(うまくつなげられなかったが、どこかでつながっ て いると確信して...)
11月20日の説教から マタイ伝福音書25章31-46節 「いつ私は、~したでしょうか」 久保田文貞 25章31以下の話は、24章3節からマタイが終わりの 日についてイエス が述べた話を集めた形になってい て、その最後のものになっています。だか ゙、これはま ちがいなくマタイの創作によるものです。 イエス自身は、黙示文 学的な終末のことを語ったと しても(マルコ13章)、一般に流通していたものを論評 した程度、自ら積極的に終末論議に参加したとは思 えません。イエスが捉えた福 音はあくまでユダヤ人社 会の思惑を否定しかねない神のストレートな恵みその ものでした。 イエスがエルサレムに乗り込んで神殿勢力と対峙 したことは確 かでしょう。結果、神殿勢力から訴追され ついには十字架刑に処せられることに なった。でも曲 げることはありませんでした。すぐに死んで葬られ三 日 目に死人の内から神が引き上げたという信仰が湧 き起こりました。最初期の クリスチャンたちはイエスを 神から遣わされたメシア=キリストであると告白しま し た。「終わりの日」に「人の子」イエスが再び遣わされ、 信者たちを神から の賜物である命へと引き入れるだろ うと信じました(第一テサロニケ4:13以下)。 少なくとも 第一世代のクリスチャンたちは「終わりの日」の到来を 緊張感を持って 待ち望んでいたでしょう。だが、この 時点で、生前のイエスの運動とか なり違ったものにな っています。 マタイの時代(90年頃)、第2世代からさらにその 次 の世代になって、「終わりの日」のイメージはかなり変 容したと思われます。 第一世代、第二世代が終わりの 日を迎えずに死んでいくのを目の当たりに見 て、その 次の世代の人には、当然ですが、来月にも終末が来 るのではない かという切迫感の問題ではなくなってい た。むしろいつかやってくる終末をど うとらえ、それに 向けてどう生きていくか、各自の倫理的な姿勢の問題 へと内在 化していったのでしょう。マタイ25章31以下 の話はそのような背景で創作され たものでしょう。 この話でいくつか注目すべきこと、まず羊か山羊か に人 を選り分ける「王」が神ではなく、再臨のキリストに なっていること。その判 定の基準が「わたしの兄弟で あるこれらの最も小さい者のひとりに」どうし たか、食 べさせたか、飲ませたか、宿を貸したか、服を着せた か、病の時に見舞っ たか、ということ。「最も小さい者 たちのひとり」こそ、実はキリストであると いうわけで す。そしてこの話のポイントは、羊に分類される者も、 山羊に分類 される者も、どちらも自分がどちらに振り 分けられるか確信をもてていない、 ということです。人 は自分にとって誰がその「最も小さい者」であるかだ けでなく、誰がそうであったかさえ分からないまま、こ の法廷に立たされる ということになります。このような倫 理的な迫り方がものすごくマタイ的で す。 物語的には、すべての人間を寓話的に羊と山羊の 2項に分類するわけです が、その基準が自分には隠 されたままになっているということであれば、 もはや羊 と山羊の2項対立自体が意味をなさなくなります。 この問題は、改革者 カルヴァンの予定論に似たも のがあります。神の主権、キリストの主権を徹底 させて 考えると、確かに人がなにをしたからと言って神に請 求できるものなん かひとつもないことになります。また 信仰のみというわけで、「キリストを信し ゙ます」とどんな に自分に言い聞かせても、それが救いの保証にはな らない。 究極的には「君が救われる者か、そうでない かはただ神の御心一つによる」 というわけです。カル ヴァンの弟子たち、その系統の者たちは、ではどう し たかというと、自分が救われたものであることを確証す るために、毎日一刻 一刻を救われた者に相応しく生 きてみせるということで、ひたすら「精進した」 のです。 でもそうなんだろうか。素朴にイエスが語り始 めた福音は、神か ゙人を無罪か有罪か判定する方だ と誰しも思っている。だが、イエスが捉 えた福音 は人をその二項に分けることを止める、むしろ法 廷自体を閉じて、神自 ら法廷の外に出て、罪人と されるはずだの人たちのところに行って彼・彼女 を 良しとする、そのままの在り様で神の恵みの中 に招き入れる。イエスの福音はそ ういうものだっ たのではないでしょうか。それは「最も小さき者」 はだれ かなどと無理して探す必要のない、実にさ ばさばしたものというべきで す。
11月13日の説教から コリント信徒への手紙II 10~11章 「素顔とはなにか」 板垣弘毅 ホンモノかニセモノかは、わたしたちの日常の食品表 示、論文の コピー、芸術作品、仮想通貨等々、いつまでも 古くならないテーマで す。素顔と仮面、ニセモノとホンモノ の境界線は人間にとっては常にあいま いでしかあり得ない ものです。 安部公房の長編『他人の顔』は、薬品を 浴びて焼けただ れてしまった男が、精巧な仮面をつくって別人になっ て妻を 誘う話です。彼は、その見知らぬ男に従ってしまう妻に落 胆します。 小説の終わりの方に妻からの手記があり、実は 妻は仮面の男が夫だと 見抜いていて、感謝さえ感じて誘い に乗ったのでした。妻は夫に抗議し てこう書くんです。「仮 面は仮面であることを相手に分からせてこそ か ぶった意 味がでてくるのでしょう」「あなたも初めは仮面で自分 を取 りもどそうとしていたようですけれども、でもいつの間にか 自 分から逃げ出す隠れ蓑としか考えなくなってしまいまし た。それでは仮 面でなく別の素顔と同じではありません か。」 鋭い指摘です。 コ リントの信徒への手紙IIの10~12章にかけてパウロ が異例の長さで、自 分は偽伝道者ではないと必死に弁明 しています。後からやってきた別の伝 道者たちがパウロは 本物ではないと信徒たちを説得したからです。 仕方なく彼 は「愚かなことだ」とくり返しつつ、自分の実績、能力、体験 を誇るんです。個々の説明は省略しますが、だれだって自 分がホ ンモノであることを証明するのは大変ですね。 日本キリスト教団には牧 師認定のために「教師検定試 験」という制度があります。わたしたちはこ の制度に異議申 し立てをしてきました。わたしは信徒でも聖職者でもな い、 親鸞の言葉を借りれば、僧でもない俗でもない、というとこ ろを 意識的にとって、聖書を読みまた牧会も伝道もしてき たつもりです。きょ うの個所についてほかの牧師たちとは 違って気になるとすれば、陰に陽に 牧師「資格」が問われ てきたからかもしれめせん。 森達也という監督の 「FAKE」(変身する、見せかける、い んちき、虚報という意味)というドキュ メンタリー映画があり ました。目も耳も不自由な作曲家・佐村河内守が 現代のベ ートーベンと話題になりますが、ゴーストライターが彼 の障 害も作品もニセモノであると表明し、その後脚光を浴び、一 方は袋 だたきです。映画の中で、佐村河内はゴーストライ ターの存在を隠 したことは悪いことをしたと思うが、あくまで 共同作品だ思う、と主 張します。ピアノを弾く力も楽譜を読 む能力もない彼に、森監督は「曲を 作れば?」とすすめる。 やがてクライマックスの?ラストシーンがあり ます。ホンモノ であることを証明するのは大変なことです。虚像と実像、 仮 面と素顔の境い目はあいまいです。「ほんとうのじぶん」と はだ れなのか、佐村河内守とはだれなのか、それは映画 を見るわたしたちたす ゙ねられている。映画は断定していな い。ホンモノというものを明らかにす るのは誰か。メディア が正義ずらして決めていてよいのか。誰かが 「ほんとうの その人」を教えてくれるというのはウソだよ、「FAKE」だ よ、 というメッセージですね。 ホンモノでない、実物は弱々しく弁舌 もぎこちなく、生前 のイエスとは出会ってもいない、権威筋のお墨付きも ない ...などといわれたパウロですが、そのパウロが答えたかっ たことは結局、「神のまなざしがある」ということだと思いま す。経 歴や業績、見た目のよさ、つまり強さが証明すること ならイエス・キリス トの福音と関わりのないことです。わたし たちは社会的関係のなかでと ゙うしても一定の仮面を付けて 生きざるを得ない。また一方、自分の素顔 だって、自分の 自分の 思いこみにすぎないひとつの仮面です。それは 神からみら れた顔とは違う。聖書の見方では、人はその人として召さ れて いる。自分という召しを生きるとは、神だけに向けら れ、神から見られる 顔がある、そのことを大前提にすること です。 イエスは言いました。 『わたしが来たのは義人を招くため ではなく、罪人を招くためだ。』 「罪人」とは福音書では多 くは律法を守れずまともなユダヤ人、つま り人間ではない と格付けされた人々を指す言葉だとすれば、世の中の 評 価でも、また自己評価でも、捨てられた人びとを招くために イエス は来たのだと告げられています。たぶんこの言葉を からだの真ん中 でとらえたのは、自分が少なくともイエスの まなざしの中では捨て られていないと気づいた人たちで す。神からみられた顔は、だれにも、 自分にも分からない、 ただイエスが見てくださる顔こそが素顔だ、 それはいかな る仮面よりも確かだ、その気づきです。だからとりあ えず大 胆に仮面を付けることができる。真も偽も串刺しにするもの に 場を空けておけるからです。自分自身の仮面も、ほかの 人の仮面も、当然 権力の仮面も固定化しないですむ。この 自由をイエスを通して持てるのか ゙、キリスト信徒なのだと思 います。まさに、「仮面は仮面であること を相手に分からせ てこそ かぶった意味がでてくる」のです。
11月6日の説教から ヨハネ伝福音書5章21-25節 「生ける者も死にし者も」 久保田文貞 実は我家に仏壇がある。一緒に暮らしている義母 は浄土真宗 の信徒だから。真宗では家庭の仏壇を重 視している。家族生活の真ん中 に仏壇を置くように勧 められる。仏壇は家庭内チャペルといったところた ゙。 高齢の義母は歩く力が弱まった為もあって、朝に線 香を焚いて仏壇の 前でじっと座っているのをよく見か ける。ことさら念仏を唱えているわ けではない。その日 の分の過去帳を見ながら、亡くなった家族、親たち、 夫、兄弟たちのことを偲んでいるのだ。彼女にとって 仏壇は礼拝の場所 というより、死者たちとのコミュニケ ーションの場なんだなあと、私は想 像している。 宗教の如何にかかわらず、ときには仏壇もなく、写 真や遺品 などを通して、人は時として親しかった死者 たちとなんらかのコミュニケー ションを取ろうとすること はきわめて自然なことだと思う。 いや、それは 自然なことどころか、生きている者が親 しかった死者たちを弔い、葬り、 想起しつつ、彼らに 耳を傾け、語ろうとする根源的な対話こそ人としての あ り様の一つの終着点ではないかとさえ思える。私た ちのほとんどは間違 いなく忘れられていく。そう思う と、子や、兄弟や、夫や妻たちが独りの 死者のために 精一杯してくれる弔い、葬り、想起の意味は限りなく 重い。 だが、人としてのこの最小の完結の仕方すら許さな い最悪の出来事が 私たち人間を襲った。ナチスによ るホロコースト、ヒロシマとナガサキの 原爆。弔い、葬 り、想起し合う家族もろとも消滅させてしまう。ナチスが ユダヤ人を絶滅収容所に送り込み、家族、親族、町 の居住地の知り合いた ちもろとも、ガス室で消滅させ た。同様に原爆は、亡くなった家族や友 人たちを生き 残った家族や友人たちが埋葬し、想起すること自体 を否定し た。 家族や親しき者たちによる弔い、葬り、想起を奪い 取ってしまった出来 事の後を、なおも生き残った者はどう生きるか、とても重い課題だ。 た しかに時と共に、静かに忘れられていくというの は自然な事だ。ほんらい 私たち庶民はそれを静かに 受け入れていくことができいる。だが、 ホロコースト、ヒ ロシマ、ナガサキは静かに忘れ去られていくことを許 さ ない。 これをどう考えればよいのだろう。一つ考えられる のは、この ような絶滅へと直に手を下した者を捕まえ て裁ききるということだが、 どんな刑をもってしても不 可能なことだ。それらの出来事を起こしてし まった人 間の歴史を問わずしてそれがなにになるだろうか。 ナチスに 抗して運動したハンナ・アーレントは亡命 先のアメリカでホロコーストの 実態を知ることになっ た。彼女は犠牲者たちに代わってナチス残党を血祭 り に上げようとする同胞たちに訴えた。ナチスや全体 主義国家を産み出した 近代社会やその国家を自分 たちのこととして検証しようと。ときに美しき理 念のもと 市民革命、社会主義革命などによってきずかれた国 家や社会か ゙これからもホロコーストを産み出しかねな い可能性をしかと見ておこうと した。最後までどうすれ ば人が他者を絶滅しようなどと思わない 社会を作れる か考えようというわけだ。 にもかかわらず、一つ一つの命 を大切にしあう大前 提が崩れ始めているように感じる。クリスチャンは、 そ の大前提を神がキリストにおいてすべての人を救おう とされたという 出来事によって支えられていると信じる 群れである。今日の聖書箇所も その一つの信仰表現 である。いずれにせよ、この大前提を、自分だけ の都 合で、自分たちの集団だけの営利のために、あるい は自分たちの理 念や価値観のために、さらには社会 や国家のために毀してよいわけがない。 人は、自分 の家族、友人たち、仲間の身近な一つ一つの命を愛 おしみつつ、 死者たちと一緒になって築いてしまっ た、止めようにも止まらない経済の体 制や、諸国家の どう猛な欲望を、自分もその一員であることを自覚し、 せめてその分の反対表現をしっかりしていくよりない と思う。
10月30日の説教より ペトロの手紙一5章8-11節 「神様ごめんなさい」 飯田義也 日常、私が自問自答しながら、自覚的には日本語が大 好きな 民族派ですが、自分は頑固頑迷な「サヨク」ということ に過ぎないの ではないかなどと思い巡らしていまして、今日 のテキストにあるように、 世の中の大勢を占める価値観と真 っ向対峙する感覚が日常的な体験として あるものですから、信仰に基づく信念と頑迷の違いを考えたいのです。 祈りのない宗教はないと言われますが、願いを繰り返し 述べるだけと いうのが多くの宗教的祈りの実態なのではな いでしょうか。わたした ちキリスト教徒は、何でも言葉にして 神様と対話するという点で、他の 宗教と比較して抜きんでて いるのではないかと思っています。私も昔教 会で「祈りには 請求書の祈り(願い事)と領収書の祈り(感謝)がある」と いう お話を聞いていますので、神様に甘えて無理なお願いば かりするよ うなことはしないようにしています。 ところで、祈るということには大き な前提があります。それ は対象があるということです。聖書は、祈り の対象が本当の 神様でなければならないことを繰り返し述べていま す。それ は人間が、ニセの神を対象とする間違った信仰に、これも 繰り返 し陥ってしまったからで、これは今もその通りの状況 があると思います。 日本人の大きな部分を占める人々は、金儲け本位の新 興の宗教を見抜く力を 持っていますので、それへの忌避感 から宗教自体を避けようとするので すが、そのことでマスメ ディアによる情報操作に乗ってしまいマスメ ディアを通じて 喧伝される「拝金主義」や「能力主義」根拠のない優越 感、 即ち差別や偏見に支配されてしまうことになるのです。宗教 へのかか わりを避け中立な価値観を持っているつもりで、 かえって宗教の名をもた ない、邪悪な価値観に翻弄されて しまうのです。事物から意味を抜き、数 値化できること、多く の場合「お金に換算できる」ということに重きを 置く価値観で すが、それに乗ってはいけません。たとえば、高齢者福 祉と いうお年寄りへの相互支援のこころからスタートした行為 も、介護事業 と名を変えて「金のためにお年寄りによくして あげる」というような印象 になってしまいました。 この延長にあるのが人間による人間の支配であ り、ペトロ の手紙でもそのことが大きなテーマになっています。今日 の聖書日課としてこの箇所を取り上げた人たちも、今の世 界情勢にこの手 紙がメッセージを送り続けていることを意識 していたに違いありません。 さて、神様との対話の話をしてきましたが、人間同士の対 話も難しいこと があるようです。「評価は他人がするものだ」 というごく一般的 な事実があります。 最近、多くの求職者の方と面接をするのが仕事で す。そ の中には、こういう云い方は申し訳ないのですが、自分自 身のこ とが好き過ぎて、他者と対話ができない人がいるの です。 もち ろん普通に言葉は交わせますし、何でもない日常会 話で問題が起こる わけではありません。しかし、例えば仕事 のことで少し直してほしい ことなど指摘するなどというところ で、会話が成立しなくなるのて ゙す。他者から見た評価を受 け付けないだけでなく「自分ができて いないのではなく、で きていないと指摘する人が間違っている」とい うような応対 になるので、関わる人の方が傷つけられてしまいます。全 人的な価値に高低をつけるつもりはありませんが「職場」と いう目的をもっ た集団では「目的達成の妨げになる人」とな ってしまいます。対話が できなければ、どんなに世界が広く ても、どんなに関わる他者か ゙愛情をもっていても、心通わせ ることができず一人きりの人生になっ てしまい、そのこと自 体が地獄と云えそうなのですが。 明日(10月31 日)は宗教改革記念日、ルターが、その時 代の教会に対して「聖書に立ち返 る必要がある」と、改革的 な提案をして対話を挑んだことを記念する日 です。ルター は「頑固頑迷に大多数の者の常識に歯向かった」のでしょ うか。彼の作詞による讃美歌を見るだけで、そうではなかっ たことか ゙わかります。自分には力はないが神様が砦なので 向かってゆくのた ゙という決意や、悩みぬき神様との対話をし 抜いて信念を得たことが歌詞 になっています。 私達が「神様がご存じだ」という際に「他者は どうあれ自 己評価、しかも肯定的評価だけ」ということでは、神様と の 対話(信仰)が前提になっていません。やっぱり、神様を唯 一の神とし て信じることと自分を神とすることは違うのです。 謝るというのは、皆 様よくご存じのとおり、そこから生き方 を変えてゆくことです。いま 日本全体、というより世界全体で 「神様ごめんなさい」と謝らなけれは ゙ならない時が来ていま す。
10月23日の分 マルコ伝福音書7章1-14節 「民衆にとってパリサイ人は誰か」 久保田文貞 マルコ伝に出てくるパリサイ人が、そのまま歴史的事実と してのパ リサイ派ユダヤ人であるわけではない。では、歴史 的パリサイ人はど うだったかというとほとんど分からない。パ リサイ人が出てくる史料は、 福音書以外にユダヤ人歴史家 ヨセフスのもの(マルコより後)と、2世紀後半以後の ラビ・ユ ダヤ教のもの。前者は、ユダヤ戦争は一部の過激派によっ て扇動さ れたものに過ぎず、ユダヤ人全体はローマがあっ てこそのユダヤ教で あることを承知している、それを歴史物 語的に証明しようとするもので、現代感 覚でいう歴史ではな い。後者は、律法の精神をどう自分たちの時代に合わせ 解 釈ができるかに腐心する。これも歴史的事実をさぐる材料 にはならない。 その点で、マルコは、繰り返しになるが、イエ スの十字架と死と復活の物語に 傾斜していく原始教会の神 学に、ガリラヤ時代のイエスの生涯をぶつけていく わけで、 そこに新たな視野を切り開こうとする精神は、現代の歴史理 解にほかの 二つよりはるかに近い。「群衆」がそうであったよ うに、「パリサイ人と律 法学者」もまた、マルコがイエスを描き 出すために、積極的に、踏み込んで創 作したパリサイ人・ 律法教師である。歴史・実存的であるとさえ言える。 イ エスの宣教の初めから、弟子が現われ同時に群衆が 現われる。少し遅れて(2・ 16-18)パリサイ人・律法学者が 現われる。イエス-群衆-弟子-パリサイ人は、 互いになく てならぬ存在になっている。イエスの福音は、「取税人」「罪 人」を招 く。その延長上に「大勢の人たち」=「群衆」が位置 する。イエスと民衆の結び つきを、いつも横からパリサイ人 と律法学者が批判するという構造になってい る。つまりイエ スの福音は、律法違反者として断罪されるべき<取税人・ 罪人>を、 いま神はそれを善しとしてしまうというもので、そ うなれば、ユダヤ人の社 会体制は一挙にそこから崩れてし まう。律法を自分の生活にどう組み入れていく かという、こ れまでの努力もすべて水の泡に化しかねない。マルコのイ エスの 描き方には、その批判者となるユダヤ教体制派がど うしたって必要になる。 敵役としてパリサイ人・律法学者が 立てられる。その限りは、歴史的事実とは 言いがたい。 たとえば、7章1節以下、エルサレムからパリサイ人・律法 学者 がやってきて、イエスの弟子たちが手を洗わない不浄 な手でパンを食べ ているの見て、「なぜ、あなたの弟子たち は、昔の人の言い伝えに従って歩まな いで、不浄な手でパ ンを食べるのか」と詰問する。イエスの答えは、彼ら が口先 で神を敬うが心は離れていると、その形式主義と欺瞞を指 弾する。こ の場面は、どうみても原始教会の弟子たちに由 来する伝承のように見える。原始 教会での宣教を補強する 言葉に違いないと見える。うがった見方かもしれない が、手 洗いなどにかまってはいられずそのままの手で食べるの は、弟子 たちというより群衆の方だろう。いずれにせよ、ここ の弟子は、イエスに弟子 と同じように従っていく群衆でも一 向にかまわない。だから、パリサイ人 らとのこの論争の締め くくりは、14節、群衆が論争を初めから聞いていたのを前 提 にして、群衆を呼び寄せていう。「わたしのいうことを聞いて 悟るがよい」 と。パリサイ人は形式主義者とされ、偽善者とさ れていく。彼らに良いところか ゙ないのである。 というわけで、パリサイ人像はやはり創作的な場面にお け る、創作的な敵役とされたものである。パリサイ人の歴史 的実体は第一次史料 的にはほとんどない。しかし、それら の史料が間接的に指し示す社会的な位置、 さらに後のキリ スト教に及ぼす役割は無視できない。 新約時代の百年ぐらい 前から、神殿を牛耳ってきた祭司 勢力とは別の、ユダヤ人中間層の中に律法を読 みこなし、 それを生活の中に合理的に生かし、信仰的で敬虔なるユ ダ人が存 在した。基本的には、ナザレのイエスもそのような ユダヤ人の一人であり、 離散のユダヤ人になるパウロもそ のようなユダヤ人のひとりである。イエ スの宣教を別とすれ ば、パウロの伝道の仕方などは、多分にユダヤ教信徒 運動 的であり、その宣教活動の方式をとっている。 パリサイ派が、その信徒 運動の一つであることは間違い ない。それがイエスの福音宣教と思想的にぶ つかろうとも、 現実の姿としてはパリサイ派の社会的な位置と原始教会の 位置か ゙それほど大きく違わない。パリサイ派の訓練を受け た優秀なパリサイ人ハ ゚ウロは、たとえどのような劇的な改宗 をしたとしても、その生活形態は良くも 悪くも依然としてパリ サイ派的なのだ。 その合理主義的な倫理観、魔術的なも のからの解放とい うキリスト教の、とりわけプロテスタントのテーマの一つは、 パ リサイ派から継いだものだと、かつてマックス・ヴェーバーが 指摘 した。その生活態度の延長上に近代市民社会を置け たとしても、それでそのまま 近代市民社会=私たちの社会 の構造と実態が見えてくるわけではない。来年、宗 教改革 後500年になるが、それなりに考えていきたい。
10月16日の説教から マルコ伝福音書6章6-13節 「群衆にとって弟子とは誰か」 久保田文貞 (今回はその要約というより、話をした後の観 想めいたノートとして記しま す。話した内容は説 教原稿の方にありますので、どうしてもという方 にはお分 けします。) マルコ福音書で、群衆が弟子をどう見たかとい う取り上げ方 をしようと思いました。もちろん、 そこに行く前に、色々な問題がころがって います。 マルコにとって弟子とはなにか。弟子をイエスと 群衆の間においてマルコ はなにを語ろうとしたの か。さらにマルコの話を聞く聴衆たちの集団で「弟 子」 はどう考えられていたかということも考えな ければならないか。それから、こ の話のなかで私 が一番時間を割いたのは、マルコが原始教会の中 で薫陶を 受けた「十字架と死の神学」の付録のよ うに付きまとっていた諸伝承の方に興味を 持ち、 ガリラヤで始めたイエスの宣教活動を探求しよう としたこと、それこそ が福音書の成立をうながし たものです。そこからそれまでほとんど目も 向け られていなかったガリラヤの意味が見えてきた。 さらにそこでイエスに 同伴していく「群衆」とい うものが浮かび上がってきた。と同時に原始教会 で一つの権威となっていた「弟子」というものが 問題化されたということで した。 これらは依然として田川建三の見解から出るも のではありません。他の論 者のものを(日本語の 限りですが)読んでそれに対するいろいろな批判 があ るのが分かりましたが、私にとっては、基本 的な構図と読みの迫力において田 川のものを超え るものはありませんでした。 マルコがこのように弟子の権威を イエス自身の 宣教活動のまな板のうえにおいて料理して見せて くれたことは、なん ど反芻しても味が衰えること がありません。最近ではケーリュグマ神学 などと いうおおざっぱな言い方をせず、ただひたすら細 かい専門的な議 論ばかりが目につきますが、とて も私らにつきあってはいられないものば かりで す。 でも教会で話をしていて、つまり教会とい う現場で、多少と も「論理」的にぶつかるのはや はりケーリュグマ神学そのものです。十字架 と死 (と復活)の神学であり、さらに三位一体論的に 進化してしまう「使徒的伝承」 (使徒信条はその 典型です)の問題にどう向き合うかということで す。 正直 に言えば、マルコ伝福音書で話してい る時は、比較的な展開がスムーズに 行きます。も っとも、マルコ伝自体にも原始教会を、つまりは ケーリュグマ的な ものを、けっこう抱えながらや っているわけで、その中にある葛藤を感じま す。 それはマルコ伝を編集した著者だけに照準を合わ せて済む問題ではありま せん。 大貫隆の読み方は、何と呼ぶのか知りませんが、 その著者マルコを囲み、 その福音書の言葉を聞く 聴衆のいる教会との共同の産物として読もうとす るものて ゙す。この読み方は、すべての言葉に関わ っていきます。語る者、書く者と、聞 く者、読む 者とが協同して作っているということは、実はイ エスと聴衆(群衆)の 間にも問題化することです し、イエスとパリサイ人の論争においてもある種 の 共犯関係があるし、マルコとパウロという間接 的か直接的かにしろ、反発し合 うか引き合うかの 共同の関係がある。そこには時間的な後先にはひ っかからない ような共時的な問題があります。大 貫の書くものを読んだかぎり、いつも聖 書の著作 が同時代的なイヴェント、劇場公演の文化全体で もあるかのように 訴えかけてきます。ものすごく おもしろいのですが、でも今の時代に何も つかみ どころがない浮遊した自分の感覚に引き戻される 感じなのです。 今の教会の現場で語る自分の言葉も、自分の実 存的な告白の意味など毛頭もな い、確かに教会の メンバーと共にそのつど紡いできた共同の生産物 です。 それがどう言われようと貴重な事実です。
10月9日説教より ヨハネ伝福音書9章1-3節 「今は見えるということ」 松浦 和子 久しぶりに回ってきた説教(小話)、なにを話そうかなあ ーと考えているとき、 6/26久保田さんの説教 (「反論する勇 気」)に出遭いました。ききながら、この箇所にしようと決めま し た。思い入れの強い箇所だからです。 内容に入っていく前に、少しだけ私の 幼少のことを話しま す。故郷は島根県の安来市、中海と山に囲まれた1万足ら ず の小さな町です。あの出雲名物、安来節の本場です。 生まれたのは5人きょうた ゙いの3番目、1938年生。「この年 は国家総動員法が施行された年です」と自己 紹介をしま す。ということは、1945年8月15日迄の6年間、じわじわと庶 民の暮 らしの中に入り込んできた戦時体制の中で育ったと いうことです。乳児の時 は別として、多感な幼少期が非常 時であったことは、私の成長に不穏な影を落 としたと思いま す。幸い直接に空襲には遭いませんでしたが、毎夜のよう に鳴 る空襲警報は、思い出すだけで身震いします。 子供だって容赦なし、何だっ て駆り出されました。出征兵 士の見送り、千人針、神社の掃除、火の用心夜回り、 子供 隣組の催し、などなど、なんでも一致団結、一億一心、挙 国一致、一つ に絡め捕られた。今思い返すとあれはなんだ ったんだろうと、悪夢のようで す。 私は母の実家の田舎に疎開をしていたので、現場には 立ち合いませんでし たが、100年も続いた大きな構えの商 家は、物資を運ぶ軍用道路にするというの で、あっけなく壊 されてしまいました。終戦10日前というのですからひどい も のです。そして敗戦の日を迎えて、私は田舎の生活が気に 入って、居着いて しまったため、町に帰ったのは3年生の時 でした。立て直した家には、居候の家族 も含めて13人もの 大家族、居場所がないので、よく外で遊びました。ある 日、 町角で紙芝居を見ました。「ノアの方舟」「魚にのまれたヨ ナ」などの話 だったと思います。 面白さに惹かれて日曜学校に行くようになり、中学3年生 て ゙受洗。それから3年位は熱心に通ったでしょうか。いつし か離れていきました。 就職、結婚、転居と人生の節目を、さ っぱり聖書から遠のいて暮らしたのです から呆れます。 30代になって三重県の桑名市の社宅に住んでいた時、 親子で 親しくしていた友人が、ある時「これから奉仕に行く」 というのです。奉仕は 本殿を掃除して身を清め罪を償うの だと。罪はいろいろあるが、一番重い罪は 目が見えないこ と、先祖三台に及ぶというのです。その時故郷の父のことを 想いました。私が安来を離れるとき、一すじも光ささない目 にいっぱい涙を ためて声をあげて泣いた父のことが重なっ てのです。父は43才の時眼底出血、 数年経て左目は緑内 障、入退院を繰り返し、両眼を失明しました。多分あの戦中 戦 後の激動の心労が身体をむしばんだのだと思います。 エ? 目が見えない のは先祖三代の所為? それを父 が背負ったの? そんな馬鹿な、理不尽な。 その時 今日の聖書の箇所がよみがえってきたのです。 「本人が罪を犯したからて ゙も、両親が罪を犯したからでもな い。神の業がこの人に現われるためで ある」――長年眠っ ていたイエスへの関心が一気に戻ってきました。このイエス の 答えはうしろ向きの人間をぐるりと回して前向きにする力 があると、ある牧師 は言っていますが本当です。現代だっ て、私たちは因果応報的な考えから抜 け出していません。 あの時○○しなければ、どうして私が、...等々。 責任の 所在は大事ですが、過去に囚われていては先に 進めません。問題なのは、大切 なのはこれからどうするか、 なのです。 聖書のことばはたった一語で人を 救うことがありますね。 今日の箇所、神の業はこの人に示されたのです。やっ かみ 深い群衆はこの人をパリサイ人のところへ連れて行って目 を開けたのはあの 人なのか、どうして見えるようになったの かと執拗に聞き出します。その上両親 を呼び出して尋ねる のです。両親は答えます。「わたしどもは分かりません。 本 人にお聞きください。もう大人ですから自分のことは自分で 話すでしょ う」きっぱりと頑固として、いいですね。そして目 を開かれた人は「あの方か ゙罪人かどうかわたしにはわかりま せん。ただし一つ知っているのは目が見 えなかったわたし が今は見えるということです。」と答えました。まっすぐ なあっ ぱれな信仰だと感心します。イエスは言われます。「こうして 見えない ものは見えるようになり、見える者は見えないよう になる」と。見えると言い張る 者への警告です。イエスの投 げかけた言葉はなんて玩味があるでしょう。 先は、101歳で亡くなった亡くなったむのたけじさんの本 を読みました。敗戦の 日に新聞社を辞めて、故郷秋田に帰 り、週刊新聞「たいまつ」をずうっと発進し 続けた方です。 前書きに「大きく見える問題に直面したら、形の大きさに 脅える な。そこにある小さいもの、弱いもの、薄いもの、軽い ものに注目せよ。問題の解 決のカギは、そこにある」とありま した。今日の箇所に通ずる一本の芯が、 道すじがここにも あります。
10月2日の説教から マルコ伝福音書5章24-34節 「動き出す群衆」 久保田文貞 前回、民衆・常民を見い出していく〈近代〉思想の中 の一つのまなざしのことを話した。 それは近代が見捨 てようとしたものを、かかえ起こすことであった。だが、 それもまた近代だからこその作業であった。同じまな ざしが、マルコ伝 福音書の「群衆」を見出したと言える だろう。前回、その点不十分ままま終えた ので、今回 は福音書記者マルコがどのように〈群衆〉を浮かび上 がらせ ているか確認したい。 3章前半までの描き方は、イエスの驚くべき癒しの 業を まぢかに目撃した者たちからその出来事を聞い て、大勢の人々が集まってきた という書き方。3章20節 で一度解散した群衆がまた集まってきたと書くわけだ が、こういう設定は、マルコがずっと後にガリラヤ地方 を取材して、イエ スの周りにいつも群衆がいたことを 調べ上げた上での創作である。こう して集まった群衆 とイエスがいっしょにいるとき、21節、身内のものが来 る。 その間、律法学者といわゆるベルゼブル論争(22 -27)とそれと関連した伝承 (28-30)がはさまれてい る。31節すると外で待っていた家族が待ちきれなく て、人をやってイエスを呼びつけるという場面になる。 その時、「群衆がイエ スを囲んで座っていた」、イエス は自分を取り囲んで、座っている人々を見回 して、言 われた「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄 弟がいる。」 と。自分の家族に当てつけるように、群衆 を家族と宣言するイエスの言葉を、マル コはここに配 置する。この群衆は、どう転ぶかわからないようなただ の大勢 ではなく、むしろイエスの理解者、自分で選び 取ってイエスの周りに集まっ てくる人々として描かれ ている。 4章1節以下、日が改まってまた群衆が登場 する が、少なくともマルコには同じ群衆のつもりだろう。イ エスは彼らに親 しく喩をもって教えを語る。夕方にな って解散。イエスと弟子たちは群衆と別れる。 5章1節 からは、ゲラサの地で悪霊払いの奇跡、この物語は 異質な伝承だった のだろう。土地の人々は体よくイエ スを追い払う。 対岸にイエスが戻ると再ひ ゙群衆が現われる。21-4 3節まで構造的にみると、イエスと群衆が一緒にいる と いう大枠の場面に、会堂司ヤイロの娘の奇跡物語(22 -24、35b-43)と、その間に 挟まれた形で長血を患 った女の奇跡物語(25-34)が配置されている。筋の 流れ としては、ヤイロがイエスに娘を助けてほしいと願 いでる。それを聞いたイエ スは彼の家に向かう。その 時、24節、大群衆オクロス・ポリュスがイエスに同 行す る。この群衆は、ただ珍しいもの見たさに同行してい るのではなく、イエ スに共感し弟子たちの一部のよう に随伴しているように描かれている。 この大群衆 の中での出来事が、イエスの服に触れ る女の物語です。24節に大群衆がイ エスに「押し寄せ た」と表現しているが、それがこの奇跡の伏線になっ ている。 27節新共同訳も口語訳もほぼ同じ、彼女は 「群衆の中に紛れ込み、後ろからイ エスの服に触れ た。」と。直訳的には彼女は「群衆の中に入って」とい うだけ。 「紛れ込み」と訳すと、群衆に身を隠してそっと触ると いうニュアンスになる。て ゙も、マルコが描いている群衆 は個性が埋没しているような烏合の衆ではな い。むし ろ、彼女はイエスと共にある群衆の一人であることを 選び取って、そ の上でイエスのそばまで行って衣に 触れた。マルコはそう書いていると思う。 28節口語訳 は「せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけ るだろう と、思っていた」と訳しているが、そこには女性 は遠慮深くあってこそという訳 者の思いがにじみ出て いる。マルコは単純に「衣にでも」の「でも」は、 強めの 副詞で、英語のandにあたるカイをくわえているだけ。 むしろ彼女は、 随伴する一員として衣にでも触れ ば自分の病が治ると期待してイエスの衣を 掴む。 イエスは「あなたの真実があなたを救った。安心 して池」という言葉を彼 女に送る。それは、衣に 魔術的な力があったから病が治ったのではないと 読 みたい。だが、群衆には魔術でもなんでもいい のかもしれない。(6:56) と してもマルコが見出した群衆は、イエスの福 音が招きよせた人々であるが、 それに応えて自ら イエスと共に動き出す群衆と見たい。
9月25日 礼拝説教から マルコ伝福音書3章7-10節 「群衆が群衆として」 久保 田文貞 はじめ「群衆の発見」という題にしようかと思ったが、 そうすると発見され ていく群衆に焦点を当てているよう でありながら、いつのまにか発見する側の 知的な態度 の自己主張に陥りかねない。だから「群衆を」でもなく 「群衆が 群衆として」と題した。その方がマルコ伝の 「群衆」に相応しかろうと思う。 と ころでこの「群衆」は、近代に見いだされていく 「民衆」「人民」「大衆」等々 と共通するものがあるよう に思うが、少々検討しておく。 明治藩閥政権は、列 強に負けじと知的人間たちを 駆り集めて暴走気味の近代化を図った。その結果、 民衆は置き去りにされ、社会は以前以上に引き裂か れ矛盾は拡大した。だが、 民衆の反抗はすぐに強権 的に押しつぶされた。遅ればせながら知識人たち が この矛盾に立ち向かったのだが、それも西欧由来の 批判的知性をもってし たというのが実態だ。 確かに西欧でも近代文明がよき伝統文化を破壊 し、 民衆の生活を破壊していく事が指摘されていた。 例えばロマン派はそうやって 「民」を、伝統文化を発 見していく。グリム兄弟が田舎を回って民間伝承を採 取したのもその一つであるように。 この動きは日本においても特有な形でなさ れてい く。柳田国男の仕事はそのひとつだ。柳田は明治の 官僚の一人として近代 化推進の真只中にいたわけだ が、そのかたわら近代が置き去りにしていく 「民」の語 りの中に捨ててはならぬものを見い出していく。添え を書き留めていく なかで、常民の生活、伝承、思いの 中に常民の文化、知恵があると気づいて いく。 歴史家家永三郎との対談で、柳田は、表現力はな くとも常民の知恵こそ日 本思想史に重要なものだとい うようなことを言う。すると家永は、民衆の思想は 「一 世を動かす」ことはできないだろうと言う。柳田は〈そ んなことはない。 インテリが無学の人をひっぱっていく こともあるが、そこに坊主と神主ぐ らいしかいないとき は、村を動かしているのは無識の者の判断だ〉みたい なこと を言う。なかなか表現されてこない常民の智恵 に耳を傾け、それを書き留めようと いうわけだ。 その点で、近代キリスト教は苦しい。キリスト教にと って、民衆 は宣教の対象とみなされ、しかも神と〈我〉 との厳格な関係において鍛えられた自 我こそ、近代 国家の善き国民たらんとしてきた。そのような上から目 線で宣教対 象たる民衆を研究さえする。 このようなキリスト教に対して賀川豊彦の姿勢は対 照 的だった。独り神戸の「貧民窟」に移り住んで、どん 底に生きる人々に「 一 種の固い道徳と、愛と、相互 扶助」を見い出し、生協活動や労農運動に飛び込ん でいく。その限り上から目線の宣教は控えられ、賀川 はどこまでも民衆に寄 り添おうとする。だが、そこで彼 一流の天真爛漫な福音主義が開花する。 争議の場 で、労働組合員から「賀川ひっこめ」とやじられる中で かまわず 福音を語ろうとする。ずっと後になって、彼の 著作に差別語が頻出していたこ とが批判されるが、問 題はそれ以上に、かくも民衆に寄りそおうとした言葉 か ゙「福音主義」なんて言われ、たしかにそうやって滑っ てしまうキリスト教をど うとらえるかということだろう。 いずれにせよ、原始キリスト教団以来、構造 的に民 衆をただの宣教の対象にしか見ないことが問題だ。 マタイ伝最後の言 葉のように、異教徒=ユダヤ人以 外の諸国の民が、支配者であろうと、被支配 者の民 衆であろうと、すべて宣教の対象になったのである。 でも、それは 違うよ。ナザレのイエスの福音の考え 方ではない。イエスは民衆=「群衆」をそ んな風にみ ていないと主張していくのがマルコ伝の著者である。 イエスが活 動を始め、人々が彼の業に驚き、注目す る。マルコ伝の描き方では数日後に、 大勢の人々が イエスの周りに集まる。この大勢の人々に、著者マル コは3章後半 あたりからオクロス=「群衆」という語を宛 てる。彼らは単なる宗教思想の伝播の対 象、キリスト 教のお客さんではない、むしろ群衆がイエスの随伴 者、イエスの 連帯者であり、自らの意思で立ち上がっ ている民衆だというタッチで描 いていく。マルコが捉え た群衆は、近代が構造的に民衆を見落としていくと き、 何を語りかけてくるだろうか。 次回につづく。
9月18日説教より 《説教ノートの続き》 キリスト信徒たちやパウロはここからもイエスの福音を理解し ていると思います。 贖罪の儀礼の律法は、どうしても赦 せない、その罪の前 でなすすべなく立ちつくすしかない、そのような罪責を深 め たところから始まっているのだと思います。でも律法はいっ たん定められる と「立ちつくす」というところから人間を解放 してしまう! パウロはこう言って います。「ところが今や、律法とは関係 なく、しかも律法と預言者によって立証 されて、神の義が示 された」 (ローマ3:21)つまり今述べたようなユダヤ教の 信 仰を踏まえて、「今や」「律法と関係なく」(直訳すれば「律法 なしに」)神の 義が示された! 「神の義」とは一方的に注ぎかけられる神のまなざしと言 っ ておきます。ここでは一方的な無償で与えられる罪の赦 しです。それは「イ エス・キリストを信じる(直訳:「イエスキリ ストの信仰」!)ことにより、信じ る者すべてに与えられる神 の義なのだ、だからそこには何の差別もあるはす ゙がない」と 言ってます。 人が抱く信仰ではなく「イエスご自身の信仰」 (と読むべ きだと思います)、つまりわたしたちがいくらぐらついても、 反 対に固い信念に生きていても、人を救うのは、イエス・キ リストの神への信頼なん だ、わたしたちに先立ってイエスが 神に信頼している、という信仰です。た ゙からそこには何の差 別もない。パウロにとって「キリスト・イエスの贖い」と は、そう いうメシアの日の救いのできごとが「今このとき」自分に起こ って いるという体験でした。その経験は、十字架のキリストと の出会いからでした。 イエスは律法の外に放棄されていま す。そのイエスを神はよしとされた、義とされ たのだ!とパウ ロは確信しました。パウロだけではなかったと思いますか ゙、 書き残したのはパウロです。律法が罪人と断定した人を、か けがえの ない「いのち」と受けとめるのが神の国の福音だと すれば、パウロたちに とって罪は、最終的に律 法が決めるものではなく、一つの「いのち」の祝福に 向き合 えていない状態、をいうのだとわたしは思います。 このイエスのまなざ し、無条件でひとびとを食卓に招いた イエスのまなざし、きょうの言葉で は「イエス・キリストの信仰」 からわたしたちは、初めて罪とか赦しとかを考えさ せられ るのでしょう。 ドキュメンタリー映画『赦し~その遥かなる道』では、 生前 の妻の屈託のないい笑顔のビデオなどを見ながら、犯人を 八つ裂きに したい、自分がなぜ生きているのかと苦しみ問 いながら、同時に自分が生 きるためには犯人を赦すほかな いと決断する、死刑廃止行動にも加わる人が描か れていま す。しかし「赦す」ということがどういうことか、苦悶するんで す。 個人的なことではありますが、わたしも自分の父親を 「赦す」ことができ ない。しかし自分が存在する以上その男 を否定できず、立ちつくすほかない んです。 また、今年の3月に、懲役22年という地裁の判決が出た 三鷹ストーカー 殺人事件の女子高校生の父親も、「希望が 消え、将来も消し飛ばされた。1人の 殺人で極刑は難しいと いう判断はこの裁判ではあり得ない」と控訴。ただ地 裁判決 後両親は、被告に極刑を望んでいるが、「被告に対する裁 きは、神の裁 断に委ねます」とも弁護士に言っていたそうで す。この両親はカトリックの信者 です。「赦す」とはどういうこ とでしょうか。 「アウシュヴィッツでは 赦しそのものが殺されたのだ」と問 いかけるあるユダヤ系フランス人の哲学 者に応えようとする 本があります。(J.デリダ『赦し~赦し得ぬものと時効に かか り得ぬものもの』) 人は人を赦すことはできないし、赦され ることもでき ないのではないか。しかし、もし赦しがあるとす れば、赦しが不可能と見 えるその格闘の中で「その地点に おいてこそ、まさしくそして唯一、赦しの可能 性が呼び求め られるのではないか」というのです。人間が赦せない極限 の ところで初めて「赦し」ということが始まるのだ。「赦し」という のは、 もしあるなら、人間を越えたところからしか来ない。デ リダは宗教的な信仰と は別の次元からさまざまに考察しま す。 パウロたちが気づいた福音は十字 架の福音でした。人々 は悲しみや苦しみの中で先回りするように傍らにいっしょ に いてくださる神をイエスの中に見出したのでした。「罪の赦 しを信ず」と いう告白はひとつの教理として独り歩きした時 点で転倒する。だから、わたし たちキリスト信徒も、つきつめ れば赦したり赦されたりすることができない 現実の中に立ち つくすほかないのだと思います。ただ、答のない空洞を神 にゆ だねて、(できれば事実を見つめつつ)もちこたえること はできるのだと 思います。
9月11日説教 ルカ伝福音書19章38-44節 「積極的平和主義の真偽」 久保田文貞 8月からずっと「平和」をテーマにして聖書箇所を選 び考えてきた。 結論めいたことを言うと、この世界の問 題に対して聖書から一意的な判断を引き出 すことは できない。当然「平和」問題にキリスト教的な決定的答 えはない。今回 はどうか。 ルカ伝がクリスマス物語において、ベツレヘムの野 に現われた 「天の軍勢」が「天には栄光、地には平 和」(2・14)と賛美することは周知の通り。 これを受ける ようにして、イエスと弟子たちが最後にエルサレムに 入城する場面 (19・35以下)に「天には平和、いと高き ところには栄光」という賛歌が歌われる。 エルサレム入 城のシーンはなんとなく、過越しの祭り気分も手伝っ てメシアを迎え る群衆の歓呼の中、軍馬ではなく柔和 なロバに乗ってイエス一行がエルサレ ムに入っていく と、私たちの頭の中にできあがっている。けれども、そ れは マルコ版、マタイ版の記述とごっちゃになったも の。ルカ版では、よく見ると イエスが意味ありげにエル サレムに入城するパフォーマンスは弟子たちが 作り上 げようとしたように書いてある。上着を道に敷いたのも 弟子たちとしての 「彼ら」であって、口語訳や新共同 訳が「人々」と補ってそれを群衆たちが したように訳し たのは、マルコ、マタイの描いた情景に合わせたにす ぎない。そ して賛美のうたを声高らかにうたったのも弟 子たちである。39節から見えて来る 図は、周りにいた 群衆(39)は、むしろイエスに文句を言うパリサイ側に いて、弟 子たちのパフォーマンスを冷ややかに見て いるのだ。つまり弟子たちの熱狂的 な平和と栄光の 賛歌の声は、エルサレムに集まるユダヤ人たちから完 全にスベッ たものになっている、そういう描き方だ。 エルサレムに入城した後も、ルカ伝特 有の特徴は、 イエスは最後の食事が行われる最終日まで、エルサ レム市内に入 らないで、神殿にだけ入るように描いて いる。マルコ伝が描くように(マル11・ 11、15)市内を通 過せずに神殿に行かれないだろうと思うが、ルカ伝は 断固 市中と神殿を区別する。見えてくる図は、イエス が神殿を大真面目に浄化せんと 奮闘するも、神殿当 局者たちやパリサイ人らユダヤ人たちはイエスを排除 しよ うと躍起になるばかり(ルカ20・19、22・2)。 これらの事が示しているのはこう である。イエス運動 は、ローマに反乱を起こし独立をかちとろうとする政 治的メ シアではない。エルサレムに行ったのはあくま で神の国の、信仰の中心となる べき神殿を浄めようと しただけ、だがユダヤ人たちはそれを拒否し、イ エス を十字架刑に処した。神はそのイエスを蘇らせ、イエ スこそ神の子、真のキリ ストであることを示したのだと、 そのためには最終的に現実のエルサレムを捨 てた、 それがユダヤ戦争と陥落の歴史。要するにクリスチャ ンは政治的には 「ローマの平和」、ローマの秩序に従 う善良な市民であり、宗教として(その時代 にそんな 言葉がないが実質的にはその通りだ)信仰としての み、究極の神の 平和を求めるのだと、いうわけだ。こう してルカ伝もまた、キリスト教は国家 の秩序に従う、お 行儀のよい市民宗教なのだという、後々まで国家と教 会の在 り方の基礎を築いていることになる。 これを正面から否定することは難しいが、 でも何か大切なものを捨ててしまった気がしてならない。先にもちょっと紹介し たが、安倍首相が持ってきた「積極 的平和主義」の大元で、安倍に対して間 違っていると抗議したノルウェー出身の平和学者ガルトゥングのことをもう一度。 彼は平和に対する反対概念として 暴力を提出した。そして暴力行為者が見える直 接的な暴力を問題にするだけでは平和はこない。行為者が見えてこない構造的 暴力(例えば豊かな国 、人間たちが貧しい国、貧しい人間たち富を圧倒的 に有 利に持って行ってしまう。そこから起こる偏 在、差別等々)をなくしていくことが 重要だと説 いている(と私は見るのだが)。このように広義 に重層的に平和と 暴力ということを捉えるなら ば、そう簡単に「天の平和」に究極の価値を定め、 地上の平和を下位にみておくなどというわけには いかないだろう。
9月4日礼拝説教から マタイ10章34-36節 「消滅する平和」 久保田文貞〈私が地上に平和を投じるために来たなどと思うな。 平和では なく、剣を投じるために来たのだ。何故なら 私は人を父親から、娘を母親から、 嫁を姑から引き裂 くために来たからだ。〉(田川訳) なにが起ころうと最後は家族の絆だという常識に挑 戦する言葉である。イエ ス死後の教団はこれを、神の 裁きが下る終わりの日、キリストの再臨の時に当て た 言葉として理解し伝承したのだろう。マタイもそれに従 っている、というより 強化している。 この言葉は、ルカ(12・51以下)とマタイに共通する いわゆるQ資料 のものだ。70年代後半くらいから盛ん に紹介されてきた文学社会学的な読みによっ て(かく いう私も早くからそれに飛びついたのだが)、この伝 承群を担った特 定の集団(Q教団)を想定し、この言 葉は家族を捨てて渡り歩く遍歴の説教集団の生き 方 に重なると説明された。キリスト教が既成のユダヤ教 共同体から離れ、新し い集団(教会)を形成していっ たとき、家族と断裂しても信仰の道を選び取ってい く 生き方を後押ししてくれるような言葉が注目されたのs ろう。 けれども、言 葉の社会学的背景を仮説的に想定し て、それらの言葉をその枠だけで理解しよ うというの は今思うと、あまりおもしろくない。家族のしがらみを 捨てた宗教説 教者が、日常的に生活している人々に 向かって、「私が来たのは、家族の平和 を固めに来た のではない。むしろ分裂だ、家族は対立してバラバラ になる」 とイエスの口を借りて力説してみたところで、 〈あんたらは、家族を捨てている からそんなことを言え るんだ〉と言われかねない。説教者は聞いてくれぬな ら 〈足のちり払って出て行ってやる〉と抗議のつもりか もしれないが、実際のとこ ろは、住民から〈あんたらが 踏むべき土などここにはない、さっさと払って でいき な〉と言われかねない。むしろ、そこに押し込められて しまった言葉とそ の背景から自由になって読み直して みたい。 ボヘミアン的な遍歴を一義に考えて いる人々から みると、平凡な家族の平凡な平和ということになろう が、実際の家 族は案外平和とほど遠いものだ。それ は前回取り上げたように「対幻想」自 体が絶えず脅か されつつ家族をし、またそれ自体が「共同幻想」に逆 立して へばりついているのだから当然のことだと思う。 そのことは聖書の時代も今 の時代も同じことだと確信 する。わざわざ終末論のお世話にならなくとも、 外面 からは想像できないほどに家族は亀裂をかかえてい る。差別、排除、無関 心、それらの加害性も被害性も 内にもっている。要するに家族は自体として平和て ゙ も、平和の基準でもない。家族としては「わたしが来た のは平和ではない、 分裂だ」と言われるまでもなく、普 段から分裂の危機を抱え込んでやってい る、だから そう言われて驚かない。家族はそういうギリギリのとこ ろで、 家族をしているのだから。家族の多くは小市民 的だ、自己本位だなどと言 われ、終末論的な審きを 説教されてもオタオタしないのだ。 そこで聖書学の教 えを破って、私はこれを生前のイ エスの言葉として考えてみたい。その際、常々思っ て きたことだが、イエス自身、けっこう家族を引きずりな がら「宣教活動」 をしていたのではないか。家を出て カペナウムを根拠にして活動しているイエ スを家族が 訪れてきたり(マルコ3:31以下)、イエスは弟子たちを 連れて帰郷した り(マルコ6:1以下)。家族の思いとイ エスの思いがぶつかってしまうのは確かた ゙が、でも家 族と完全に断絶していない。むしろ家族を抱え込み、 家族同士の 亀裂を体験し、家族の平和の苦い思い 知ったうえで、〈地上で平和を与えるた めに私は来た のではない。むしろ分裂を与えるためだ。父は子に、 子は父に母 は娘に、娘は母に、姑は嫁に、嫁は姑に 分裂するだろう〉と言う。イエス自身、 家族ときわどく関 係しながら、だれもが家族の平和が引き裂かれつつ 日 常を必死で繕いながら暮らしていることを慰める言 葉。それでいい。ギリ ギリのところで、ひび亀裂を修復 しながらやるのが家族であり、平和 だというわけだ。 8月28日の説教から ヨハネ伝福音書14章23-31節 「当面の平和」 久保田文貞 27節「 わたしは、平和をあなたがたに残し、 わ たしの平和を与える。わたしはこれを、世が与 えるように与えるのではない。」 の平和と、今日 私たちが使っている平和の語とどんな関わりがあ るかを考え てみたい。 この言葉の背景となっているのは、いよいよイ エスが「世の支配者」 によって十字架刑に処せら れ「世」から去る寸前、共観書で言えば「最後の 食 事(晩餐)」の席でのものだ。ヨハネ伝福音書 のクライマックスの言葉群に属す る。これまでは っきりと語らなかったことを弟子たちだけについ に奥義を明か すように、まるで遺言のように語る。 それを「弁護者」=「聖霊」、「助け主」 (口語訳) によって復活者イエスが語っていることを 隠そ うともしない(16、26 15・26)。 弟子たちに明かされたことのポイントは「わた しが父の内におり、 父がわたしの内におられる」 ということであり、イエスの言葉はただのこと ば ではない、神の行う業だという宣言だろう(10- 12)。ここまで言われ てしまうと、あとはなにを かいわんやと皮肉りたくなるが、この奥義を知っ て地 上に残され、ヨハネ伝の言葉を語りそれを聞 く人々は真剣である。この地上で さらにどう生き ていくかという現実の課題が残されていることを 知っている。 神なる人イエスは彼らに「掟」を置 いていった。それは単純なもの「愛する」とい う ことだった。イエスを愛する事、神を愛する事、 そのイエス・神が愛するす べての人と「あなた」 自身を愛する事(21)。15章12節で「わたしがあ なたか ゙たを愛したように、互いに愛し合いなさい。 これがわたしの掟である。友の ために自分の命を 捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたし の命じること を行うならば、あなたがたはわたし の友である。」ヨハネ伝全体を通して、 すべての人に送るメッセージだと言ってよいだろう。「わ たしは、平和を あなたがたに残し、わたしの平和 を与える。わたしはこれを、世が与えるよう に与 えるのではない。」とはそういう信念から来る平 和ということになる。 こ の平和は、信じている神に裏付けられている とはいえ、現実には小さなヨハネ伝 共同体と、か れらがその殻をやぶって手を伸ばしている小さな 世界での 「互いに愛する」というだけのことにな る。ローマが周辺の敵を打倒し拡大し 続けその内 側に築いた「ローマの平和」と比較しようもない ほど小さい。けれと ゙も、軍事力で勝ちとっていく 内側の平和とは違い、ここに生まれている平和は、 イエスから愛され、イエスを愛し、神から愛され、 神を愛し、そのことと分かちか ゙たく人を愛し、人 から愛される関係とその「業」によって、一人ま た一人と広か ゙っていく平和ということになる。 このイエスの愛、神の愛を「カッコに入れて」 ということを正統主義キリスト教は許さないかも しれないが、私には「愛し合い なさい」という言 葉を人々に託していった神=イエスは、喜んで「カ ッコの中に 入って」、そのような平和のために働 く人々を祝福されるであろうと思えてなら ない。 たとえ小さくとも、まず自分の手元から平和を 積み重ねていくよりない。 権力で築く平和は間違 いなく内側から亡びる、おそらくそれは日本国憲 法が 深い反省のもと到達したものと通じると思 う。だが、ここにきて日本は再ひ ゙力で無理やり押 しとおし、自分たちだけの内側の「平和」を手に しようとし ている。そういう力による平和が外か らでなく内側から次々と崩れて言ってい ることを 知らないのだろうか。どんなに強力な軍事力で抑 えようと反発は必 ず起こる。支配者が被支配者を 抑え込む理不尽さ残虐さは、かならず抵抗す る方 法の理不尽さ残虐さへとつながる。内側の見せか けの「平和」でもそれな りの説得力を持ってしま うことをしかと把握しておきたい。
8月21日説教《説教ノート》 ピリピ人への手紙4章4-7節 「不透明な平和」 久保田文貞 先週の平和礼拝の語り合いの時、「戦争を次世代に 伝えるために家族の 場が最も大切だと思う」という発 言がありました。20世紀以後の近代戦で はとくに戦争 は国民全体を動員し一般人をも大量殺戮する。すべ ての人間を加害 者・被害者にする。一般人の生活の 真只中に戦争が割り込んできて、職場、学 校、組合、 近隣、そして家族を巻き込んでいく。家族は人の暮ら しの末端に位置 づく。そう考えると、戦争の加害・被害 が家族の暮らしをどう壊したか、親 が子に伝えることの 大切さを改めて感じた。 思想家吉本隆明は50年以上前にな るか「共同幻 想論」を発表した。共同体が必然的に持つ共同観念 を共同幻想と呼 ぶ。日本が国家をあげて太平洋戦争 に突入し、国民の生活、文化、観念を巻 き込んでいっ た在り様を睨んでの本だ。その中で、吉本は、人間の 意識・ 観念の水準(幻想)を個人・家族・共同社会三 つに分ける。個的幻想、対幻想、共同 幻想と。この辺 まではどうということはないが、吉本が提出したものの 一 つのポイントは、対幻想と共同幻想との関係は逆 立しているということだ。つ まり家族の思い(価値観、 関心、利害も含めて)は、共同体の思いと反対の関係 にあ る、もちろん共同幻想の最たるもの・国家と、そう とらえてよいだろう。このよ うに見ておくと、国家と個 人、国家と家族のことが異様にねじれてパンパ ンに張 っていたことが、自分の中で少しずつほぐれてきたよ うに思う。 少なくとも、共同体の思いを統合してそびえたつ国 家の思いに対して、男と女の 対の関係から生まれる 家族の思いは、十分に張り合っていけるだけのものを もっ ているということだ。共同幻想の非常時は、対幻 想の非常時でもあるが、対 幻想には対幻想独自の原 則が働いていてよいということだ。ダブル・スタ ンダー ド、二重規範をどうどうと生きてよいということだろう。 国家か ゙どんなに非常事態をかいくぐるための物語を 作ろうと、それとは別に家族に は家族の物語をしっか りと作り、場合によっては国家のスタンダードを放り捨 てていいんだということだ。 今日の聖書箇所は、パウロが自弁伝道の最初 に作 り上げることになった(それから4,5年経っている)ピリ ピ教会への手紙 の一部、それも終わりの挨拶の部分 である。パウロがピリピの人々をこ とのほか信頼してい るのがわかる。ピリピはローマ退役軍人などを殖民し て建設された人工都市である。そこの人々に商売で 移り住むユダヤ人がい た。もちろんそこでは完全な少 数派、彼らは強い同胞意識で結ばれていたに 違いな い。パウロの伝道はまずはそのようなユダヤ人同胞組 織を介して始め られた。ユダヤ人の中には当然イエス をキリストとして説き回るパウロに反対 する伝統主義者 が存在した。彼は同意してくれた人々と別に集会を持 つことにな るが、それが教会(エクレシア)である。 5節後半以下「主はすぐ近くにおら れます。どんなこと でも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を 込め て祈りと願いをささげ、求めているものを神に打 ち明けなさい。そうすれば、 あらゆる人知を超える神 の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエ ス によって守るでしょう。」 ピリピの町で身を寄せ合ってキリストを待ち 望む人 々へのパウロのいたわりを込めた挨拶の言葉である。 このグループ は、町から見ればどうということのない小 さなもの。でも、ローマ的な町の 人々の思いとは、対 幻想のように逆さになっている。 「どんなことでも、思い 煩うのはやめなさい」 はいた だけないが、教会(エクレシア)は意識の上では 神の 家族、教会員同志は兄弟・姉妹のように観念している 家族である。その限り、 ローマ的なピリピの都市社会と 逆さの関係だ。「思い煩わない」とは、逆さ の関係にあ ると認めて生きると解するなら、この擬似家族はそれ なりに意味を持つ。 だが、疑似家族はくるっと単なる 共同幻想に反転してしまうのもよく見てきた ことだ。い ずれにせよ、「平和があるように」と祈るよりないくら い、ここ でも平和はすっきりと見渡せるわけではない。
《平和礼拝》 8月14日の日曜礼拝「語りあい」の記録。 (文責・久保田) A「参院選の結果、安倍政権は支持されたとして 憲法改正に乗り出しはじめたか ゙、経済を争点にし て勝ったわけで国民は全権委任したわけではな い。憲法改 正には世論調査の結果を見ても半数以 上の国民が反対している。しかし、与党か ゙勝利し てしまうこのズレは何なのだろう。 小学校で本の読み聞かせ活動を してきた。例年 6年生に戦争と平和をテーマにした本を取り上げ てきた。けれと ゙も今年は学校側が自粛したのか、 声がかかってこない。自民党の HP は、教 諭や教 員が子どもたちに「偏向的」なことを話したこと がわかったら、教育 委員会や学校に抗議しようと、 親たちに呼びかけたそうだ。学校現場はこれま で にないような先生達に対する締め付けがあり、そ れに負けて先生たちも自粛 してしまう。いま学校 でそんなことが起こっている。」 B「反ヤスクニ子ど もと女性のデモをやっている が、最近になってデモに対する町の人の反応か ゙分 かれてきたように思う。無視する人が多い反面、 賛同する人はしっかりと態 度で示してくれる。」 C「今年も東混のコンサートで峠三吉『人間をか えせ』 聞いた。その歌詞は広島原爆の被害者の姿 を生々しいほどに表現していて、歌を 聞くのがつ らくなる。戦争の加害の問題は当然として、被害 のこともしっかりと 伝えて行くことが大切だが、 伝えていくことの工夫をこらしていく必要を感 じ た。」 D「戦争ということを後代に伝えるための最も大 切な場は家族だと思 う。家族の間に影を落として くる戦争のことを父や母などから伝え聞くことが 大事だ。 近代と現代の境目をよく見るべきだ。第一次大 戦で現代は始まっ た。それまでの近代戦とはちが って、一般人の大量徴兵、そして毒ガスなと ゙によ る大量殺戮がはじまる。国民全体が動員され戦争 協力に参加する。さ らに動員された科学者が核開 発をし、全てが被害者になる可能性がある。戦 争 はそれぞれの生活、家族を巻き込んでいく、それ が現代だろう。 日本 では明るい明治が終わり、軍事的破局へと 突き進む。国民が総動員され、男 たちは戦地に駆 り出される。恐ろしいことにここで民衆の質が変 わった。日露 戦争のポーツマス条約に不満を持っ た人々が官邸や新聞社を焼き討ちした。民 衆が加 害者になっていった。 戦争自体が変質し、国を挙げての戦争は結局非 武装の民衆を殺していく。原爆もそのひとつだ。」 E「終戦記念日近くになるとこ れまでマスコミは 太平洋戦争を特集する番組が多く、それを視るの が楽しみ だった。けれども今年はそれが減ってし まった。ドストエフスキーの『悪 霊』に無垢な人 々に情報を与えない事の罪のことが書かれてい た。オリンピッ ク報道もファッション情報も含め て、いま世の中全体が情報を隠し合う形になっ て いるように思う。」 F「自分はいろいろな関係で韓国に親しい人がい る。い ま在日を排除しようという露骨な動きがあ るが、マスコミ情報もあまりに日本 中心的だ。8 ・15を韓国のように解放記念日として祝っている ことをもっと日本 でも受け止めるべきだ。」 〈記録者のひと言〉...戦後も、国民こぞってと い う民族主義的な質がなにごとにつけ残っている。 その意味で戦前も戦後も つながってしまう。オリ ンピックのような機会があると、それが堂々と前 面に出てきて、いつのまにか日本人の勝利を喜ぶ 日本主義者になっている自分に はっと気づく。私 らは国を挙げて人々をごっそりと持っていこうと する力に 抗するような日常を構築し、家族の絆を 作れればと思う。/礼拝の中に位置づけ た、「語 り合いのとき」の言葉が、〈賛美〉〈祈り〉にどう つながっていく のかなと思う。
8月7日説教より マタイ伝福音書10章1-16節 「〈平和があるように〉と」 久保田文貞 マタイ伝10章12、13節「その家に入ったら、『平和 があるように』と挨拶しな さい。家の人々がそれを受け るにふさわしければ、あなたがたの願う平和は 彼らに 与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあ なたがたに返っ てくる。」の言葉から、キリスト教が世 界に向けて語る〈平和〉の意味を考えて みたい。 これが、イエスが12弟子を派遣する言葉の中に出 てくる。共観福音書 の二資料説によれば、弟子派遣 の伝承には、マルコ型とQ資料型がある。ちょう どルカ 伝福音書がマルコ伝型(ルカ9・2-5)とQ資料型(同1 0・1-12)をほぼそ のまま収録してくれていたため、マ タイ伝の弟子派遣が両者をマタイ風にブレ ンドしてい ることが明瞭にわかる。 両者の特徴を見ておくと、まずマルコ型 では、弟子 派遣の目的は、この伝承のまとめとして12節「悔い改 めさせるために 宣教した」と書き添えられているが、全 体として「汚れた霊」を追い払うことに (7)重心が置か れているのは明らかだ。そのことはマルコ伝自体が、 最初か ら、癒しの業と宣教を分かちがたく描いてい る。福音を教えを宣べ伝えること として重視する向き には、マルコ伝が癒しの業を強調しすぎていると見え るか もしれない。次にQ資料型の弟子派遣では、《ど こかの家に入ったら、まず、 『この家に平和があるよう に』と言いなさい。 平和の子がそこにいるなら、あ な たがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなけれ ば、その平和はあ なたがたに戻ってくる。》(ルカ10・5 -7)という。その目的は、祝福つまり(神の) 平和エイ レーネー=シャーロームの祈りを置いてくることと言っ てよいだろう。Q 資料全体の思想傾向として、その時 代をいまにも起こるであろう「終わりの日」 に臨んで、 人はどうあるべきかということにある。弟子たちは、そ の限りの 平和を説き回るというわけだ。 マタイ伝の著者にとって、もちろん両者は一つの こ ととして捉えたのだろう。マルコ型とQ資料型の弟子 派遣を融合することに何 の疑念も持たなかったと思わ れる。「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝 えなさ い。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を 患っている人を清くし、 悪霊を追い払いなさい。」(マ タイ10・7、8)は著者マタイが作文したかもしれな い が、とにかく人々の間で現に何が起こっているか、と いうことを抜きに 「神の国」の宣教はありえないと言うの だろう。 こうしてみると、「平和があ るように」という言葉を人 々の間に、置いていくことは、ただ甘い言葉を触れ回 ることではなく、人々の心身の病と向き合い、なにがし かの癒し、安らぎを 作り出していくことなのだろう。現 代のボランティア医療活動に近いと言うへ ゙きかもしれ ない。おそらくそれが5章9節「平和を作り出す人はさ いわい」とい うことなのだろう。 ただし、そのマタイが相変わらず「異邦人の道に行 っ てはならない。また、サマリア人の町に入ってはなら ない。 むしろ、イスラエルの 家の失われた羊のところ へ行きなさい。」(5、6)と狭量な共同体主義のドツボ に嵌っていることを忘れてはなるまい。神の民イスラエ ルが毀れてしまっている というので、それを修復すると いうのでは、どうみてもイエスの福音のはな はだしい 誤解だろう。 もうひとつ、このマタイ伝10章は、弟子派遣の心得 の 言葉が、延々とつづく。マタイの編集の作であるこ とは言うまでもない。 もうこうなると、生前のイエス時代 の弟子派遣の言葉というよりは、マタイ同時代 の宣教 の実践的な問題が語られる。それはそれで興味深い ものだが今回は それを取り上げない。ただ、その中に 平和に関して無視できない言葉が現 われる。34節「わ たしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思っ てはな らない。平和ではなく、剣をもたらすために来 たのだ。」 マタイが捉えてい る平和は、おめでたいばかりのも のではない。むしろその平和は同時に深刻 な亀裂を 産み出すものであるという。かなう限り深いところでこ れを読み取り たいと思う。
7月31日説教ノート マタイ福音書5・38-42 「とん挫した聖書読み」 久保田文貞 26日未明、重度障害者はいなくなるべきだ と言葉 通り施設の利用者19人を殺害したという報道を受け 言葉を失った。キリスト 教精神からすればこの世がい かに不条理であろうと、聖書の言葉がゆらく ゙ことない、 動揺するな、この世にキリストの十字架と死以上の不 条理があろう か、キリストの復活はそれに打ち勝つと 言うのでしょうが、それでこれをや り過ごせません。も っとも公式的な聖書読みに陥らないよう腐心してきた 私の読 みも思想も、より以上に崩れてしまったことを 認めないわけにはいきません。 マタ イ5・38-42 「『目には目を、歯には歯を』と言 われていたことは、あなたがたの 聞いているところであ る。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向か うな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほか の頬をも向けてやりな さい。...」の文は基本的に命令 文です。5・21から7・14まで、旧約の律法・十 戒に変 わる新しい教えとして書かれています。5・17にあるよ うに、「律法の完成」 だというわけです。 ここもそのひとつです。新共同訳の見出しは「復讐 して はならない」となっているが、間違いです。悪意に 対して歯向かわず「求め る者には与えなさい。」という わけです。日常茶飯にすぐにも起こりかねない 被害 者と加害者の話です。相手を一方的に悪人と呼んで いるが、相手側にも それなりの理由があるだろう。被 害者側の視点だけにたちすぎていないか。 ほとんど の法体系が暴力的な自力救済を否定しているよう に、相手がいきな り暴力に訴えてきても直対応しては 駄目、後は法が救済してくれる...なんて話て ゙はない でしょう。そこまで言わずとも、小さな憎悪に対して直 対応すると、 思っても見ないような憎悪のスパイラル に引きずり込まれる。そうならないよ うに勇気をもって その連鎖を断ち切りなさいと読めなくもないです。 これの後に Mat 5:43-48「『隣り人を愛し、敵を憎 め』と言われていたことは、あなたがたの 聞いていると ころである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を 愛し、迫 害する者のために祈れ。...」と。前段が日常 的な生活のこととすれば、こちら は敵・味方、つまりあ る共同体の内部と外部の問題になります。「隣り人」 「敵」 とは、古きイスラエル部族共同体の内、外を前提 した言葉です。ただし新約時 代のイエスの言葉にお いては事情は大きく変化し、敵・味方は国家規模のも のから、 ごく身の回りで現われる仲間と敵対者にもな るでしょう。現実の枠組みはと ゙うあれ、「敵を愛し、迫 害する者のために祈れ。」とイエスは言われたというわ けです。えてして人は、敵・味方の線引きをするが、 そんな枠組みにとらわれ ず、むしろ「敵を愛する」と越 境してしまいなさいと。そもそも45節 「天の父は、 悪 い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正し い者にも正しくない者に も、雨を降らして下さる。」と言 うのだから。敵と味方の垣を取り払ってしまえ というわ けです。 東西冷戦時代に、平和の問題はいかに核戦争を 回避できる かというのが最大の問題でした。だが、そ れは先進国の発想だとイント ゙の学者ダスグプタが問 題提起しました。南の途上国では「戦争が無 くても平 和がない」と。北欧の若き学者ガルトゥンクが「積極的 平和と消極 的平和」という概念を出しました。(安倍首 相が使ったやつです。けれども、 それが安倍の積極 平和主義とは誤解そのものであることがわかります。) カ ゙ルトゥングは、ダスグプタの出した非平和を、構造 的暴力と名付けまし た。それは、行使する者が明確に なっている「直接的暴力」「物理的暴力」とは ちがっ て、誰がその暴力をふるったかわからない匿名の構 造的暴力であって、 「極度の貧困、飢餓、無秩序、政 治的抑圧、難民、人種差別等々」、それらの環境 の 中で人々が死んでいく、あるいは自死していく。人は そこから簡単に抜け 出せない。平和か戦争かという問 題で覆いきれない構造的暴力が戦争の温床に なるで しょう。そこはいくら力でねじ伏せようとしても解決には なりません。 積極的平和主義とは、構造的暴力をなく していくことであって、安倍首相のよう に集団的自衛 権を行使して、紛争地に出かけていくことではない、 それだけは 確かです。 マタイ福音書に話を戻すと、5・9「平和を作り出す人 はさいわい」と は、身のまわりで起こる小さな暴力の陰 に、じつは構造的な暴力が潜んで いる。そんな足元 の平和を実現してこそ...と。あの忌まわしい事件はそ んな終わ り方を許さない、そのことを正直に言ってお くだけにしときます。
7月24日説教ノート エレミヤ書 29章1-9節 「その町に平安があってこそ」 飯田義也 聖書日課で指定されている今日の箇所を読んで、 第一印象は「いやな感じ だなぁ」でした。昨今、政府 が明らかに世論情報を操作して国民不在の政治 状 況を作り出しており、例えばポケモンのゲーム流行も 意図された愚民政策 ですし、政府による人権侵害の 情報は大手メディアが伝えないなど、それ こそ「メシ ア」が待望されるような状況です。そのような中で、わ たしたち、 神のみ声に聴こうとする人々は、少数化さ れ分散化されて、細々と命脈を保ってい ます。神の声 を伝えようとすれば弾圧される世の中がすぐそこに迫 っている ように感じます。 イスラエルが2600年前に味わった同様の状況で語 られたの が今日読んだ預言です。「わたしが、あなた たちを捕囚として送った町の 平安を求め、その町のた めに主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あ な たたちにも平安があるのだから。」ということば。「もう 抵抗とかしないて ゙、生き残りを考えて安楽に過ごそう よ」と言っているように読めなくもありま せん。そんな風 に広い門から入ろうとしてしまいがちな自分を戒めて くれるのか ゙聖書の言葉じゃなかったっけと思って、生 ぬるくていいのかなぁと感じたわ けです。 ともあれ、まずは「バビロン捕囚」とそこに至る歴史 をおさらい してみましょう。イスラエル民族は、カナン に定住した後、しばらくは王を置か ずに共同体を形 成していました。遊牧民族の系統であり、強制力が不 要な共 生社会を形成できていたのだと思います。王 制という総指揮官を置かない制度 での指導者が「士 師」です。しかし、やがて領土拡大志向の列国に圧迫 さ れる中で、王制を敷かざるを得なくなりました。サウ ル、ダビデ、ソロ モンの三世代王朝として栄える時代 です。王朝が栄えたというよりやむを得す ゙王制を敷い たというニュアンスが、サムエル記の記述に伺えま す。 その後、 バビロニアによる侵略を受け、カナンでの生 活が脅かされるようになって きます。西暦前587/586 年、ネブカドネザルはエルサレムを滅ぼしました。 ラキ シュやアゼカを含めユダの他の都市も征服し、生き残 った人々のうち政治 や宗教、学問の中枢にいた人々 をバビロンに強制移住させました。そこから約 50年 後、西暦前537年の初めごろ、ペルシャの王キュロス2 世がバビロニ アを倒し、捕らわれていたユダヤ人たち がエルサレムに帰還して神殿を再建す ることを許す 布告を出したのです。 そもそも人類はなぜ戦争をするようになっ たのだろ うかと疑問に思って調べてみました。考古学者たちは いま、人類は、 その発症から数百万年の間、平和に 生きてきたと言います。少数の集団で1日3~4 時間 の労働必要な狩猟をし、あとは踊ったり、しゃべったり 好きなことをして過 ごす生活、戦争をする必要がなか ったのです。人間以外の野生動物では、 縄張り争い があっても追い払うだけですが、人間は殺し合いをし てしまい ます。約1万2千年前に、家畜の餌を作るとこ ろから農耕が始まったとされていま す。狩猟、農耕か らさらに「搾取」という生き残りの手段を発見した人々 がいた のでしょう。その領土拡大志向の集団と、季節 や気候によって居所を変えなけれ ばならない集団と の間に、衝突が生じて戦争が始まったという説が有力 なようです。まさに士師が世話役をする遊牧民と王制 のペリシテ人(カタカナ にするとわかりにくいですがパ レスチナ人です)という構図になるかと思い ます。 今日のことばは、いま「大変な世の中になったなぁ」 などと危機感を募 らせる個人の感情に向けられた言 葉ではなく、二世代、三世代と強制移住の背景 を背 負って生き続ける民族に向けられた言葉です。名前 もバビロニア風にな り、生活習慣も違ってきていたで しょう。しかし世代を超えてアイデンティティ を保つ必 要から、ユダヤ民族は「ことばの民族」へと変化してい きました。民 族の地域性だとか身体的特徴を超えて 「ユダヤ民族である」と言える根拠か ゙、聖書の言葉だ ったのです。 そのような状況の言葉としてとらえる時、この 箇所か らのメッセージとして聴こえてくるのは「希望」です。ほ とんど絶望 してしまいそうな状況の中で、神から与え られる希望をよすがに暮らしていた 民族に思いを馳 せます。
7月17日説教 ヨハネ福音書8章31-38節 「自由について」 久保田文貞 自由という 語は素朴に「自らに由り」と読める。この語自体 にすでにある種のメッセージ 性が感じられる。「について」な どと第三者的に語るのはお門違いかもしれ ない。私は「自 由について」とちょっと引いて考えてみたい。古代から現代 まで 数々の自由についてのとらえ方があり、その中に聖書 の、ヨハネ伝の自由を置い て考えてみたいからである。 私事だがいまから60年以上前、私が幼稚園に 行ってい た時のこと。絵が好きだった私に、模造紙3枚ぐらいの白い 紙を先 生が用意してくれて、「なんでも自由に描いていい よ」と言ってくれた。蒸気 機関車の絵をいっぱいに描いた。 なんとその絵を卒園まで部屋の上部大人で も手の届かな いところに貼ってくれた。どうしてそうなったのか覚えていな いか ゙、よっぽどうれしかったのだろう、それが「自分」の起点 のようになっ ていていまも忘れられない。 ほんとうに「自由に」と言われたかどうか怪しいも のだが、 自分の思い出の中では「自由に」なのだ。そしてその自由 の前に クラクラしながら筆に絵具をひたして描きだす自分が あるのだ。 どんな 場合も、人にとって突如目の前に生まれた空白を 埋めていくにはちょっとしたエイ、 ヤーという踏み出しの瞬 間があるだろう。歴史的に考えてみれば、王権を倒 した民 衆が革命によって手に入れた自由への踏み出しに似てい るかもしれない。 しかし市民革命の結果手にした社会的な 自由は、その後の歴史をよく考えてみると、 けっきょくはほ かのいかなる自由よりも経済活動の自由が突出していき、 一部の 裕福な市民(ブルジョワジー)だけのためのものでは なかったか。そんな 古い歴史を紐解くまでもなく、再び問題 化するだろうTPP(「環太平洋戦略的 経済連携協定」この仰 々しい名前に懲りて誰もがTPPと英字略を使うが、その中 身 を隠ぺいするための「戦略」なのだろう。関税はなくなり、国 別の保護、経 済力の違いによる保護を取り外すことになる。 どこであろうと防波堤をなくし、 大津波が来てもそれに晒し てかまわないと。資本にとっては復興はこれ以上ない おい しい話なのだ)も結局は自由な経済活動のこと。いま「自由 について」考え る時、いまもなお古典的な自由の矛盾を脇 に置いていくわけにいかない。 古代イス ラエルの民の救いの物語は、エジプトの地で奴 隷状態にあったイスラエルの 民の窮状を神ヤハウェが聞き あげ、神が民をエジプトの地から脱出させ、 解放=自由に したことに始まると言ってよい。その自由は、神との約束を 伴う。そ の自由を悦びと捉え、希望と受け止め、その自由に おいて神ヤハウェのみを神と するということならよかったの だが、 民はそれを条件付きの契約と誤解しはし ゙めた。そう なれば、約束はむしろ負担となり、自由さえ負担となるだろ う。 近代の自由が落し穴にはまってしまったことに似ていな いか。 新約においてど うか。イエスの福音がもたらしたものが自 由に関わることは言うまでもない。 最小限で言っておくと、イ エスの福音に自由という概念を晒してみれば、自由 は決し て状態概念には収まらないだろう。そのことはそれに続くパ ウロたちの 下で引き継がれていったと思う。パウロら最初期 の教会はイエスの十字架の 死と復活の出来事に世界・人 間の救い、和解、自由をみる。このくだりは別に考 えること にして、つぎに本題のヨハネの自由について触れておく。 ヨハネ伝が 自由という語を使うのは実は8:31-38だけ。 ここでパウロ神学とどう切結ふ ゙か「いちおう言っておく」ぐら いか。とにかく積極的に「自由」という語で 語らない。 31節「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなた がた は、ほんとうにわたしの弟子なのである。また真理を知 るであろう。そして真 理は、あなたがたに自由を得させるで あろう」。これを聞いてユダヤ人たち は、自分たちはそもそも が自由であり、神のみ心のままにその自由の状態を維 持し ていけるように努力と工夫をしているのだとでも言いたいの だろう。 人が自由を手にしている、自由の状態にいると思い込ん でいると、ろくなこと はない。かの落し穴にハマるだろう。ヨ ハネ伝的に言うと、「わたしのうちにと どまっている」うちの真 理と自由こそというわけである。人間が独り手にて ゙きる自由 は真の自由ではないということになるか。イエスとつながっ ていて の自由というわけである。だがヨハネ伝のイエスの言 葉は自由という言葉を 使ってここ以上に語らない。 総じてこれらの考察をとおして、次のことを言って おこうと 思う。人は与えられた、あるいはかちとった「~の自由」だけ でやろ うとすると、どうしても他者を貶めていくことになる。で きることなら見たく ないことだが、見ないわけにはいかない。 対して人が 「~への自由」をよく 生きるには、そこで出会う 他者との関係でそのつど確かめ合って自由に生き ていくよ りない。自分の状態でなく、他者との自由な関係の中での 自由をみつ けていくよりないだろうと。
7月10日礼拝説教より マタイによる福音書6章9~10節 「みこころの天にあるように、地にも」 板垣弘毅 マタイ福音書6章、主の祈りといわれるところの冒頭です。 こ の祈りはルカ福音書11章にも伝承されていて、ほとんど 同じ文言が伝えられ ているので、人々の心に強く刻まれ、イ エスに従った最初のキリスト信徒たちの 集会や礼拝でくり返 されたのだと思います。 「御心が行われるように、天に おけ るように地の上にも」(10節) はルカにはなく、「み国が来ま すように」た ゙けなので、マタイ福音書が、自分たちの礼拝で 唱和するために付け加えた のかもしれませんが、「み国が 来ますように」と深くつながった祈りです。 信徒の深い信仰 がこめられた告白になります。 イエスはこれを祈れ、といわれま した。祈りは、定めがあ ってもなくても祈ることによって祈りになる、行為が 一つの実 態をもたらす、ほんらいそのような行為なのです。儀式の一 項目になっ ているなら、それはその宗教団体の限界でしょ う。 「御心がなされますように」 きっとどんな祈りであっても、わ たしたちの祈りは先ずここから始まるほか はないはずです。 祈る人それぞれの願いはそれにつづきます。イエスが 促す 祈りは神に呼びかけ、わたしたちのどんな思いより先に、神 の国が来る ように、神の意志が行われるようにと祈ります。 そうはいっても「神の国」「神 の意志」など人の知りうるところ ではありません。だから祈るならまずゆ だねよ、そこから始ま るのです。 人の願望でも絶望でも決して埋めること ができない空 洞、人間の思惑が無であるところ、神だけが人間のため に、 その人のために埋めることができる空洞、「あな」がある、そ んな在り ありようを「みこころが行われますように」という祈り に託したのです。 イエ スも処刑前夜、「この杯をわたしから取りのけてくださ い。しかしわたしの願う ことではなく御心に適うことが行われ ますように」と祈り、十字架にかけられ てゆきます。そう祈っ たイエスですが、マルコ福音書によれば処刑されると きに 「わが神よ、どうしてわたしを見捨てたのか」と叫びます。「神 の意志」 「みこころ」は人にとって、イエスにとっても無限の 空洞,未知だということで はないかと、わたしは思います。 ただすぐに付け加えねばならないことが あります。それ は、旧約、新約(あるいはユダヤ教、キリスト教)に通じる信 仰 ですが、人間の空洞を埋めてくださ神は「恵み深い」とい う信仰です。つ まり最初にあるのは祝福、その人が気づい てもいなくても最初にあるのはいの ちへの祝福、肯定だとい うことです。それはどんな自己肯定感、自己嫌悪感 にも先 立っています。祈りはその恵みへの応答としてある、という のが聖書を流 れる信仰です。親鸞にもそういう信心があると 思えます。 イエスは、恵み深い 神の意志、一人一人への祝福を神 の国の福音としました。その神の国はいつも人間 の意表を つく仕方で指し示すことになりました。イエスの食卓の客や たとえ話に あらわれています。「神の国」も「みこころ」も、言 葉に置き換えることがで きないできごとです。言葉にしたと きはすでに過ぎ去っているような何 かです。 「みこころが行われるように、天におけるように地にも」 は 人類か ゙、また一人一人が、内にかかえる空洞、孤独のよう に言えると思います。だ れにでも恵まれている空間です。そ してその穴をを通して他者と、また世界と 出会ってゆくのだ と、わたしの言葉では言えると思います 「あな」(谷川俊太 郎・和田誠・福音館書店)という絵本を 読みます。...ある日曜日、ひろしは穴を掘 り始める。ひたす ら掘ります。あなの中で「いもむし」に出会い「かたの ちから が ぬけて」掘るのをやめる。「あなの なかは しずかだっ た。つちは いい においがした。...『これは ぼくの あな だ』」 ひたすら「あなに すわりつ づけた」 穴の中から見 える空は、「いつもより もっと あおく もっと たかく おもえ」 ます。「そのそらを いっぴきのちょうちょが ひらひらと よこ ぎっ ていった」 すると、ひろしは立ち上がり、「はずみをつ けて あなから あがっ た そして あなをのぞきこんだ。あ なは ふかく くらかった...」 「『これは ぼくの あなだ』もう いちど ひろしは おもった。」 実生活に結びつかな いことをいってきたようで気か引け ますが、ある「絵」本には底力がありま す。人を実生活に向 かわせる底力です。それはどこかで言葉を越えたことた ゙と 思う。 ひろしは2回「これは ぼくの あなだ」と思います。1 回目は掘る のをやめて、ほっとしたとき、2回目は穴を地上 からながめたときです。そのと きは、自分の穴なのに、「深く て暗いところだ」と思う。この「あな」はこころ の空洞の比喩で すね。人は自分の孤独を見つめることによって、もとより恵 まれ てある自らの空洞に気づいてゆく。神だけが満たしうる 領域がある、それ を言い表そうとする言葉はいつも後手、後 手になるものだと思います。
7月3日説教より ヨハネ福音書10章1-6 「羊の囲いと羊飼い」 久保田文貞 10:1-5 「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門 を通らないて ゙ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であ り、強盗である。 門から入る者か ゙羊飼いである。 門番は 羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼い は自分の羊の名を呼んで連れ出す。 自分の羊をすべて 連れ出すと、先頭に立っ て行く。羊はその声を知っている ので、ついて行く。」 9章の流れからこれを読 むと、「羊の囲い」とは、イエ スによって盲目を癒された男が、敢然とイエスを 信じ ると表明し、そのためパリサイ人から会堂追放処分を 受けるた後、そこへ と身を寄せる「囲い」のように読め るようになっている。ここで、盲目を癒され 目が見える ようになるということは、この男一人に起こったことでは ない。む しろヨハネ伝においては、9:39「わたしがこの 世に来たのは、裁くためである。 こうして、見えない者は 見えるようになり、見える者は見えないようになる。」と い うようにすべての人に起こる象徴的なことだ。というわ けでこの囲いに入 る〈羊〉は、ユダヤ人会堂共同体か ら「イエス問題」を起こして追放された人々 ということに なる。 さらにヨハネ伝でユダヤ人(共同体)とは何を意味 するか。 イエスが「わたしは世の光である」と言われる 時、ユダヤ人=パリサイ人は 「その証は真実ではな い」と真っ向から否定した(8:12以下)。ユダヤ人は 「下 のものに属している」(=下から出た者である)、自 分たちは神に選ばれた民で あると自負しているユダ ヤ人こそ、じつはもっともこの世的な存在であって、 イ エスを拒否する世の代表選手だ、というのが一貫した ヨハネ伝のとらえ方て ゙ある。だが、「この世」の代表選 手であるユダヤ人共同体の背後に、ロー マ帝国という 怪物が控えているはずなのだが、ヨハネ伝はそこには ほとん ど触れない。 従って、ユダヤ人共同体から追放処分された者た ちは、実はこの 世から追放処分された者たちを象徴し ていると見てよいだろう。だから、追放 された者たちが 身を寄せ合う〈囲い〉は、世から逃れた者たちのアジ ールのよ うな存在である。翻って考えると、この世のし がらみから新しい自由を手にし ていると見ることができ よう。だが、10章1-6節の限りでいうと、そこに いれば 安全だというわけにはいかないように読める。「門を通 らないでほか の所を乗り越えてくる」侵入者にだまさ れて、連れ去られてしまうというのだ ろう。その後は推 して知るべし。 「門から入る者が羊飼いである。門番は羊 飼いには 門を開き、羊はその声を聞き分ける」というのである。 「羊飼いは自分 の羊の名を呼んで連れ出す。」とい う。(もっとも、もともとの喩は、〈囲い〉そ のものがこの地上を指し ていたのかもしれない。おそらくそうだろう。けれと ゙も、ヨハネ伝編集 者が9章に続けたときは、やはりこの囲いの中の羊は、イエス 告白 をして会堂追放処分された者たちの群れとしているだろう。わたし もそのよ うに読んでいく) 追放された者たちが一時避難所のようなところで身 を寄せ 合って不安が隠せない人々の間に、まことの 羊飼いがやってくるということに なる。そして羊飼いは ひとりひとりの名を呼ぶと。情況的には、世から追放さ れ てこれからどうなるかと不安に駆られている人間 が、イエスから名を呼ばれ るという事態を示している。 「羊はその声を聞き分ける」というある種の能力を持っ ている。裏を返せば、羊は知った声で名を呼ばれ、そ こで付いていくかあ るいは付いていかないか、決断を することができる。人間はそういうひとつの ノリシロをも っていると言ってよいのかもしれない。ヨハネ伝にた びたび出て くる、《もし、呼びかけにこたえ、自ら決断 するならば》(6:51、8:51、10:9、 12:26,12:46-48な ど)という言葉群をそれに結び付けてもよいだろう。名 を 呼ばれた者は、そこで自由に、責任を持って決断 を下す。羊飼いに命じられ て囚人のようについていく のではない。自由な決断をして羊飼いについていく ・・・少なくともヨハネ伝の、イエスの言葉はそう言って いる。
6月26日の説教から 異境の青い空の下にも ・・・ウズベキスタン 関 惠子 今年の4月下旬、1週間ばかり中央アジアのウズ ベキスタンに行ってきた。 四方乾燥した陸地ばか りで、海に面する地域はなく点在するオアシス以 外は果 てしない土の砂漠が続いていた。日本の1. 2倍の面積の国土に3千万に満たない人々 が平和に 暮らしていることを知った。 人々の暮らしぶりはみずみずしく、 多くの子供 や若者に出会った。旧ソ連から独立してまだ20年 余りというが教育 は行き渡り、経済は伸び盛りで GDPは年々6~7%増を維持しているという。 平和 をようやく享受出来た喜びにあふれる国とい う印象だった。 訪れた街々は観光 地として世界歴史遺産に登録 されていたが、それらのどの街にもイスラム教の 宗教施設、即ち神学校(メドレセ)と祈りの時を 知らせる対をなす塔(ミナレット)、 そして人々 が祈りを捧げる教会(モスク)が聳えていた。い ずれも濃淡豊か なブルーのタイルで彩られ、その 色はかつての都の名前をとってサマルカント ゙ブル ーと称するそうだ。神を形あるものとして造った り描いたりすることは 戒められ、建造物には一面 に幾何学的なアラベスク模様とコーランの金石文 が 描かれていた。 こうした宗教施設をはじめ王の宮殿や国そのも のも過去幾たび 破壊され殲滅されたのか計り知れ ないが、その度ごとに人々は巨額の費用も労 も惜 しんだとは思われない。修復、再建をくりかえし 今なおその途上にあるのか もしれない。 ツアーコンダクターの彫りが深く浅黒い肌のウ ズベク人男性 によれば、 この国の男達は週に何回かモスクに行って祈る。 アッラーの神の方向 に向かって真摯に祈る。行け なければ家やその場で祈る。女達は同様に家で 祈 る。モスクには入らない。男達の婚姻の相手は当 人が決めるのではなく神の 意志に基きほぼ母親が 決める。それで良しとすることが平和な家庭を築 く 基礎になると思っているためでまず疑問を差し 挟まない。その意味家の妻の役 目は重く大きい。 神の威光と恵みは暮らし向き全てに向かって顕 わされ、(と信し ゙られ)疑いのない感謝の祈りが たえず捧げられる。 神学校で養成された 神学生はやがて人々の信仰 を真に取り次ぐ教師として各地に派遣され、コー ラ ンを説き、唱え、尊崇を集めている。 こうした説明を受けながら、この国の宗教 はい まだ形骸化することなく生きて働いていると思っ た。日本にもあったであ ろう原風景的な様子を今 となっては羨ましいとか懐かしいとかいうのでは ない。 疑問や批判の目で見るとそれもきりがない と思う。けれども青く澄み渡った 空の下で、同じ 色に染め上げられた輝やかしい宗教施設を背景 に、男も女も 子供たちも溌剌として幸せそうに見 えた。未知の国であったせいもあり毎日が 驚きの 連続だった。とても感動した。
6月19日説教ノート ヨハネ福音書9章24-27節 「反論する勇気」 久保田文貞 9・1-12は、記者ヨハネ が使用した「しるし資料」からのも ので、ここは共観福音書的な奇跡物語によ く似ている。だ が、イエスが癒すことになる動機が少し違う。弟子が次 のよ うな質問をする。「ラビ、この人が生まれつき目が見えない のは、だ れが罪を犯したからですか。本人ですか。それと も、両親ですか」と。イ エスの応えはすっきりしたものだ。「本 人が罪を犯したからでも、両親が 罪を犯したからでもない。 神の業がこの人に現れるためである」と。生まれ つき目が見 えないというのは、彼の罪によるものではない、病と罪との 間に因 果関係はないというわけだ。 この男の眼の傷害など、神の業が現われるため のお道 具の一つに過ぎないと言わんばかりである。ここには、よく 宗教が 現実の人間の問題から舞い上がってしまう傾向がみ られるかもしれない。心身 の障害とその苦悩をかかえた男 の頭越しに、ラビと弟子の高尚な議論が通り過 ぎてしまうこ とになりかねない。 もちろんこの物語がそのような高尚な宗教的 な議論を目 的とするものではない。奇跡物語ということ自体、この宗教 の問題に 立ち向かう何かを持っているように思う。生まれつ き目の見えない男の、彼だけ が知る苦悩を、神はご自身の 業としてそれに取り組み、取り払ってしまったと いう出来事 の、神ご自身の提示なのだ。その男の頭ごしに神の業が過 ぎ てゆくように見え、先生(ラビ)と弟子の議論の神学教材 のように見えるけれど も、奇跡物語という枠はどこかでそれ を杭止める力強い働きをしているように 思う。 定型的な奇跡物語の常として、その奇跡を目撃したり聞 いたりした人々の賞 賛で閉じられるのだが(マルコ1・27な ど)、ヨハネ9・8以下は、この男か ゙、まず近所の人々に自分 の身に起きたことを堂々と証言していく展開になって いる。 この男の証言でもって、近所の人々(9章全体からすれば、 彼らはパリ サイ人らがリードしているユダヤ会堂の一般メン バーということになる)の 通念が攪乱させられたというわけ だ。そこで13節以下、人々はこの男をパ リサイ人の所に連 れて行ったという。 歴史的な補足をしておくと、ヨハネ伝に出て くるパリサイ 人は、ユダヤ戦争でユダヤ側がローマに敗北(70年)した 後、 戦争を回避したパリサイ派の一部がエルサレムから西 45キロのヤブネで再 組織したグループに属している。つま り玉砕していった好戦的な組織から離脱 し、その戦い方を批判し、戦後復興しようとしたパリサイ派である。この点はシ リア・パレスチナ付近のキリスト派にも言えるはずだが、細か い歴史的な 史料はないので確実なことは言えない。だが、 その辺の事情は、ヨハネ伝の 内容にも、パリサイ派ユダヤ 人側の将来にも影響したことは間違いないだろ う。 かの癒された男は、パリサイ人の尋問を受け、少しも臆 することなく自分の 見に起こった事を証言する。18節以下 では両親も喚問される。両親は《だれか ゙目を開けてくれたの かも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きくださ い。も う大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう》と言う。 これに 対して彼らが会堂追放を恐れたためと書いている が、なぜか私にはこの両親 の言葉にすがすがしいものを感 じる。 パリサイ人の言い分は、その日が 安息日であって、イエ スの奇跡行為が安息日規定に違反すると、それゆえイエ ス は罪を犯している、そのような罪をかかえまま善き業がなさ れるはずはない と、気の毒なくらい単純で形式的な論理を 担わせられている。この論理に、男は 《あの方が罪人かどう か、わたしには分かりません。ただ一つ知っているの は、目 の見えなかったわたしが、今は見えるということです》と、事 実をぶ つける。確かに、一つの反証となる事実をぶつける ことで、破壊的な威力をも つものだ。 だが、厄介な事には、権力を握った者たちの論理はたと え破綻し ていようと、開き直ると始末に負えないものだ。彼ら の最後の切り札は、排除て ゙あり、この場合は〈会堂追放処 分〉である。 《彼らは、「お前は全く罪の中に 生まれたのに、我々に教え ようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。》 会堂追放処分にどのくらいの歴史的意味があるかわから ない。ただ、ヨハネ 伝の群れは、この男のように「イエスを信 じます」38節と堂々と宣言しその上て ゙追放された人々が核 となっている群れであることは間違いなかろう。 ヨハネ 伝の この群れと対決しているパリサイ派ユダヤ人が、共観書に 現われイエス が対決するパリサイ人や、あるいはずっと後に 一本化されて現われてくるラ ビ・ユダヤ教のそれと、どのくら い関係しているか、あるいはどのくらい 隔たっているか、わ からない。とにかく、追放された(と考えて)ヨハネ伝の群れ と、 かたや対抗するパリサイ派勢力の間にあまりに距離があ りすぎて、はたして 本当に追放劇があったのかとさえ疑いた くなる。ただ、この群れが追放され た先で、同じように閉鎖 的な集団になったように見えない。「イエスを信じ る」という 宣言をした人々は徹底して開放的で自由なのだと思う。
6月12日説教ノート ヨハネによる福音書8章28-30節 「イエスを信じた」 久保田文貞 人(々)が「イエスを信じる(た)」、あるいは「わた し(イエス)を信じ る」という語句が述語として出てく るのは、ヨハネ伝福音書である。意外なこ とに共観 書にはほとんど出てこない。短く「イエスを信じる」と いうだけて ゙何かが通じ合ってしまうような群れが、そ の背後にあるのを感じさせる。 8章は1~11節、本来ヨハネ伝のものではなか った「姦通の女」の物語が置かれて、 その後にイエ スが「わたしは世の光である」と宣言して始まる言葉 が語られ る。するとすぐそれに対してパリサイ人の 反論が続く。「あなたは、自分の ことをあかししてい る。あなたのあかしは真実ではない」 と。こうしてイ エス とパリサイ人の対論が始まり、57節まで他に例を 見ない両者の長い論争が つづく。これの論点をひとこ とで言えば、イエスはいったいだれか、イエ スはどこか らきたのか、イエスの父はだれで、どこにいるのか、と いうこ とであり、それにイエスが答えていくというもので ある。その結果としてむ しろ両者の亀裂はいっそう深 まり、「そこで彼らは石をとって、イエスに投げ つけ ようとした。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て 行かれた」という形て ゙終わる。 ただし、これらの論争は雪だるま式に増えたと思 われる。それぞ れの層を確定することはできない が、すくなくとも中身に断層が感じられ る。論争を 繋ぐ編集上の言葉に一貫性がないのもその一つ の証拠だろう。 「彼ら」は前半、パリサイ人と言われ ているが、20節以後のところからユダ ヤ人と呼ばれ 始める。さらに27節、イエスが父について語られた 言葉を「彼ら」 は悟らなかった。しかし、30節「これ らのことを語られたところ、多くの人々が イエスを信 じた。イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われ た...」とな る。 このようにイエスがパリサイ人=ユダヤ人に語り かけ、彼らの間に「イ エスを信じた」人々と「悟らな かった〉人々が生まれる。もちろん、ヨハネ伝 福音 書をことばにしている群れが、まずはこのような「イ エスを信じた」 ユダヤ人から成ったはずである。 では「イエスを信じた」という一線を 越えるとは何 なのか。パウロ時代(50年前半まで)の最初期の、 特に異邦人伝道 の教会の場合、イエスをキリストと 信じと告白し(これは異邦人にはユダヤ人の 救い 主概念を受容したという決断を意味する)、洗礼を 受け教会=エクレシア*に加 わるというわけだが、ヨ ハネ伝の群れはそういう結社のようなタイプでは な いだろう。また2世紀から顕著になる正統主義的な 救済機関的な「教会」とも 違う。 ヨハネ伝の背後に感じられる群れは、イエスに出 会い、イエスがどん なかたか、どこから来たかたか、 という確信を「イエスを信じる」という短い 表現で言 いきってしまう人々の群れである。誤解を恐れず言 えば、一種神 秘的体験によってイエスを信じて疑 わない人々の群れである。イエスが十字 架にかか ったこと、死んだこと、復活したことを「われらの罪 のため」「私のた め」とかいう自己移入もせず、また イエスが神の子、いな神であることを、 それとしてそ のまま受け取る人々である。彼らの群れには加入 儀礼なんかはいら ないだろう。地上の地上性を更 新してしまって、地上を闊歩する復活者イエスを 信 じる人々なのだから。 魅力は感じるけど、私たちの世界にどう位置付 けられるか、あまりに難しい。 (エクレシア...もとはギリシャ・ポリスの「民 会」の意 だが、クリスチャンは終末の日までの間、キリストに よって救いを 約束された者たちの集いの意味に解 して使った。日本語はこれを「教会」と訳した が、な んども言ってきたように、誤訳に近い。と言ってもエ クレシアに戻して、 古代の感覚に頭を塩漬けにして しまうわけにはいかないから、その訳語の「誤」も 含 めて引き受けるよりない)
6月5日説教ノート ユディト8章11-17節 「父権社会と女性」 久保田文貞 月一度の聖書を読む会(水曜午後)で今「続編」を読んでいる。そこで読み、語り合っ たことの報告を兼ねてこれを取り上げた。 今日引用した箇所は、ユディトがべトリ アの町の人々に演説した格調の高い文であるが、礼拝で読み上げることを意識して選 んだ。読めばすぐわかることだが、全体の物語はユダヤ教的な教訓ふんぷんとした大 衆時代小説である。最初に有名なバビロニアの王ネブカドネツァルが登場し、まずメ ディア(後のペルシャ地方)を撃退するが、パレスチナなど西方の属国がこれに従わ ず、怒った王はこれを殲滅せんと、将軍ホロフェルネスを立て攻撃させるというのが 時代設定である。しかし前100年頃書かれたと言われるユディト書の作者は、伝統的 な列王記やその他の歴史文書を、王の名以外すべて無視、ほとんどが勝手な創作であ る。 とにかくホロフェルネス軍がべトリア(この地名も架空)というユダヤ人が引 きこもった城砦を包囲、兵糧を絶ち、いよいよ弱ったべトリア陣営を攻撃しようとす る。それが第一場である。危機に瀕したユダヤ人たちは全滅を免れようと降伏しかか る。そこで一人の婦人が立ち上がり演説する。それが男を魅了してやまない美貌のも ちぬし寡婦ユディトである。彼女は人々に、神の力を信頼せよ、神に自分たちの想定 図を押し付けるな、「神からの救いを待ち望みつつ、助けを呼び求めましょう。御心 ならば、わたしたちの願いを聞き入れてくださるでしょう」という。この辺の彼女の 言葉は、色々な歴史的艱難をくぐってきたユダヤ人たちをほろりとさせるはずだとい うことを作者は知っている。彼女はそこでただの訓話を垂れただけではない。奇策が あることをほのめかす。 人々が何が起こるのかと見守る中、翌朝、侍女と二人、べ トリアの門を出て、敵方に下る。美しいユディトは、言葉巧みに敵に取り入り、敵の 大将ホロフェルネスの元に侍ることに成功する。後は大衆小説張りに、色香に負けた ホロフェルネスの寝所に入り、酔いつぶれたホロフェルネスの寝首を掻くということ になる。侍女に首を持たせ夜陰に乗じて凱旋するという次第。意気の上がったべトリ ア軍は早朝総攻撃をかける。驚いた敵軍は、大将にと駆けつけると、ホロフェルネス の首がない、あわてた敵軍は総崩れとなり、べトリア軍が勝利するという話。その物 語をいくつかの詩編のような言葉が組み込まれているが、筋立てはほとんど日本の 〈講談〉のようなものだ。 この物語を読んで多少感想を述べてみたい。ひとつは、 寡婦としてのユディトという設定。旧約物語でよく使われるモチーフだ。家父長制社 会で女性が寡婦となることは、夫の後ろ盾をなくすこと、まして男の子がなければ、 窮地に立たされる。寡婦とは低位に立つ女性の中でも、さらに後見人のない弱い立場 の女性の代名詞であり、それはまたパーリア(普通賎民と訳されるが…)的な位置に いるユダヤ人の象徴的なものでもある。しかし、父権的な男優位社会の物語が、その ようにして、最底辺の女性を物語の重要な位置に置いて自分の民族の立場を象徴させ るというのがなんとも痛ましい。創世記38章のタマルの物語、ルツの物語など。ただ しユディトが、寡婦であることに少しも陰がない。ヒロインとなっただけでなく、明 らかに余計なその後日談は彼女が亡き夫の財をよく管理し105才まで生きたとさえ言 う。 もうひとつ、上と関連するが、誘惑者としてのユディト。初期の強い父権制部 族社会では、男の後見をもって生きるよりない女性は、結婚すれば親元を離れるより ない。その移動さきで、父親に代わる新たな後見人の下に生きる。つまり女性は、一 種の異邦人性の位置に置かれる。異邦人的に生きるよりない女性は、一つのぁ戦略の ような形で誘惑者となる。男を魅了させてしまう女性は、父権制部族間の秩序を攪乱 する存在となる。父権的な共同体間に男たちだけだったら面白くもおかしくもない物 語しか生まれないところだが、古い旧約の物語の女性たちはそうやって物語を作る。 士師記14-16章のサムソンと、彼の秘密を握って神通力を奪ってしまうペリシテの女 デリラの物語も同じく興味深い物語だ。ユディトの場合、美しい彼女は、敵陣営に異 邦の誘惑者として現われ、寝首を掻くという猟奇的な行動にでる。ヨーロッパの画家 たちが飛びついてその場面を描いているのはご存じの通り。 だが、そういう異邦的 な誘惑者としてしか、物語に現われない女性像はどんなにヒロイン化されようと、ほ んとうに女の性を持って生きる人間には見えない。男たちに妙にヒロインとされてい る女たち、ジャンヌ・ダルクにも、ドラクロワが描いた「自由を導く女神」にも共通 する。男たちの勝手に任され商品化されたアイドルもそのひとつかもしれない。だが、 そんな独りよがりの男たちを嘲笑って自由に生きようとする女性たちを、嗤うことな どとてもできないが。
5月29日説教ノート 詩編133篇1-3節 「共にいる恵み」 飯田 義也 詩編133編には、序文がついていま す。新共同訳聖書の タイトルのように後世の加筆ではなく聖書本文にある注釈 て ゙す。都に上る歌」と訳されていますが、巡礼の旅の際に歌いな がら歩いてい たそうです。現代人は、巡礼ということをしなく なりました。 ひたすら歩き、歌 う・・というか、お経を唱えるといった感 覚かも知れません・・詠唱修行といった 感じです。身体的に は苦しいほど歩き続けながら、自分の人生を振り返り、 小さ いころから繰り返し聞いた物語と重ね合わせたり・・といった 人生のリセット 作業ができたのだと思います。そこには感謝 があり、痛悔があり、新た な展望や洞察があったでしょう。 今日の詩ではアロンという人物が出てき ます。旧約聖書で モーセとセットになって登場する人物です。人はそれぞれ 「わたし」を生きていて、それは一人称の人生であるはずな のですが、他 人からは「モーセとセット」とか言われてしまう とすれば悲しいことですね。 なぜかボーボワールの「第二の 性」を思い出しました。 出エジプト記は、 エジプトから脱出した難民の群れが、一 つの民族を形成してゆくという物語、 もちろんこの記述その ものが事実という読み方はしなくていいわけで、幾世代 にも わたる歴史の積み重ねを、少数の人物に集約させて一つ の物語にまとめたも の・・と考えた方が、現代人には理解し やすいと思います。ここからは物語の枠 組みに従って話を します。 脱出の指導者モーセには、姉と兄がいました。歴史的 な 出来事を物語化するとき、一人の英雄的な人物によってな されるということになっ てしまいがちですが、少なくとも3人の 人物として表現する必要があったと いうことが読み取れま す。 三歳上のアロンとさらにその姉のミリアムです。ミ リアムは 聖書で最古の舞踊音楽の作者です。アロンですが、モー セは何ら かのコミュニケーション障がいを抱えていたと考え られており、そのモーセのス ポークスマンの役割を果たした 人物です。いわば、礼拝の奏楽者、司会者、 説教者でしょ うか。 わかりにくい神の真理を民衆にわかるように伝えるのが 祭司の役目で、その役割を担う人々がアロンの一族と呼ば れることになりま す。 三権分立というような言葉もない時代ですが、この3人、 例えばモーセの国際 結婚をミリアムとアロンが批判するな ど、相互牽制的なあり方もしています。 聖書に記述が面白 いのは、その際「純血主義」が勝利するのではなく、神の 罰 を受けるところです。 審判が公平でなければスポーツは成立しません よね。分 立しているはずの三権が結託してしまうようなことがあれ ば、国 民はやってられません。いい悪いはともかく、相互牽 制は必要なことですし、人 が真理に従うという姿勢は、なく てはならないことなのですがね。 閑話休題。 最大の山場は、モーセが「十戒」を書きあげるというか、 石板に彫り上げる のですが、そのことを、神から授かると表 現するところに聖書的な大切な価値 観が現れるわけです が、そのために彼が一定期間山に身を隠すということ が起 こります。アロンは、イスラエルを代理統治せざるを得なくな り、そこて ゙、最大の失政を行ってしまいます。イスラエルの 信仰においては偶像を神として はならないわけですが、金 製品を民から集めて、祭儀の対象とする牛の像を作っ て祭 ってしまうのです。 偶像を神とする(偶像礼拝)・・ということは、なぜい けない のでしょうか。それは、真実の神は人間を超えているので、 人間の側か らすれば探求し続けることでしかかかわることが できないわけですが、 偶像はイメージはわかりやすい反面 「これが神だ」と決めつけて、神への思 考を停止してしまうこ とになり、神の声(天啓・天恵)を聴くことができなくなっ てし まうからです。 で、・・。それを戒めるモーセも、怒りのために行いを誤 り、巻き込まれるようにこころざし途中で死ぬ運命となってし まいます。アロ ンも約束の地、カナンを見ることなく、民族放 浪の途中で亡くなります。 今回与 えられた機会に、アロンに焦点を合わせて出エジ プト記、レビ記、民数記と 読み返しました。モーセ(あるいは モーセに代表される指導者)の陰で、指導者の 光に対する 「かげ(ユングの用語でシャドー、栄光の人物の陰を歩む人 と 考えてくださっても結構です)」の役割を担って歩んだア ロン。私は、自分の 人生が見透かされているような気がしま した。一人の人が生きて死ぬという ことを心にとめて生きる 大切さを、再び意識しました。 こうした内的巡礼の後、 改めて詩を読み返すと、あるいは (できれば)詠唱してみると、この詩133編が、 また違った意 味を語りかけてくるのではないでしょうか。
5月22日説教より ヨハネ福音書8章1ー11章 「人の罪を問うこと」 久保田文貞 この物語は伝承史的に、有力な写本群ができった後の、6世紀以後に 陽の目を見る物語であり、どうひっくり返しても後々の作のものである。ただ、福音 書の論争物語などよく読みこなし、イエスが相手の質問に直答せず、むしろ相手を問 いの中に引き入れるといった風をうまく使いこなしていると言えよう。それでも物語 から受けるリアルな印象は多くの人の心を打ったことは間違いない。近世画家たちの 画材の多く取り上げられ、なかでもブリューゲルの絵が興味深い。参照あれ。 主題 的には、罪の赦しについて、つまり姦淫の罪を犯し重大な律法違反を言い逃れしよう にもできない女を、イエスが赦し、「行きなさい」と宣言する物語である。5世紀に かけて起こったドナトゥス論争が背後にあったと考えるのが自然だろう。ディオクレ ティアヌス帝の迫害下、コロんでしまった者が後に悔い改めて司教になり、その司教 から叙階(司教になる儀式)を受けた者の司教としての資格は有効かという論争であ る。政治がらみもあるが、教会の罪を許す権威は、過去に罪を犯した司教が介在して もゆるぎないとするか、過去に罪を犯した司教を退けるかという問題である。結果教 会が分裂(シスマ)したという事件の元になる。 姦淫の罪は、旧約以来、神ヤハウェ を裏切って異教の神々を礼拝する罪を象徴するものとされた。それは最高法規と考え られた十戒の第七戒であり、申命記法典はこれを聖なるタブーを犯した最も重い罪と して、石打の刑を持って罰せよとする(申命記22:22)。石打の刑は、町の城壁から 後ろ向きに突き落とすことによって、聖のタブーを犯したものをイスラエル共同体か ら「取り除く」ことを意味したと言えよう。 男たちの支配する社会は、その内に 〈聖〉を抱え込むことによって辛うじて持ちこたえたのだろう。もちろんその〈聖〉 を女の不浄が汚すのを病的に嫌ったのもその一環である。婚外の女の性破りをこの共 同体は異常に怯えているわけだ。 物語は、女が姦通の現場を取り押さえられて男た ちから連行されてくることから始まる。それがほんとうに朝早くということであれば、 一晩かけての姦通事件のように思わせる。どうして彼女の婚姻関係が破綻したのかな んてことを考えてもみない。血走った男たちが狂ったようにこの女を引き立て、そし てイエスに「さあ、レビよ、あなたはこの女を石打の刑にするかどうか」と意地の悪 い質問をイエスに投げかける。暗く淡い色で残っているブリューゲルの絵の男たちの いやらしい顔つき、もはやその女以上にイエスを侮蔑しているように描く。 3節、 その時イエスは地面にものを書いていたとする。2節は、イエスが宮で人々の教えて いた時の事であるという。おそらく、2節はさらに後の付加で、ヨハネ8章にこれを ねじ込むためのつなぎの節だろう。場面が宮である必然性はない。この時のイエスの 仕草は謎めいている。少なくとも姦通の女を連行してくる男たちの熱狂を無視しよう、 あるいはそれに加わるまいという意思を感じる。しつこく聞く律法学者、パリサイ人 の問いにイエスは、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつける がよい」というもの。答えというより、機知にとんだ問い返しであり、物語としては 年寄りの順にそこから立ち去ったという。誰だって、完全無欠の奴なんていっこない から。イエスは女に「あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかっ たのか。」と聞いた。女は「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたし もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」 となって物語を結ぶ。 でも、それではあまりに安易な解決。ユダヤ教父権制に典型 的な男中心社会はじつは少しも傷まない。彼女は再び男中心の社会に戻って、「二度 と罪を犯さないように」と(男たちはこれからも他人に石を投げられないほどに、罪 を犯し続けるのかもしれないのに)いうことになるのか。そして、どうしてもドナトゥ ス論争の影が差す。依然として、女は誘惑に弱い生き物だと言わんばかりに、女の姦 通を比喩として用い、ある男たちの罪を許せるかどうかの議論に使う。それでいいの か。問いばかりが膨らむ物語である。
5月15日説教 ヨハネによる福音書6章1-16節 「いのちのパンという云い方」 久保田 文貞 約聖書申命記に「人はパンだけでは生きず、人は主 の口から出るすべて のことばによって生きる」(8:3)と あって、この言葉は得てして宗教者をして、即 物的な パンを卑しめ真の命を尊ぼうとする根拠にしてきた。 けれども、食へ ゙ることと生きることは分かちがたく、パン かみ言葉かの、どちらが大切 かなどと決めることはで きない。 どの福音書にも出てくる5千人の供食の物 語は、む しろ主なる神の前に生きる人間としてパンといのちを 切り離せないと宣 言しているように見える。だが、宗教 者の解釈が現実には力を持ってしまう。 天上の生の ために、地上の生を卑しめてしまう精神性の魅力にな かなか勝てるもの ではない。 マルコ福音書が採取した5千人の供食の物語(14: 13以下)は、イエス の話を聞きにはるばるやってきた 群衆たち、「飼う者のない羊のようなあり様」 つまりは 何らかの助けがいまにも必要な人々の腹ごしらえをど うするかとい う問題を解決する話である。4千人の供食 物語(8:1以下)という姉妹編があるか ゙そこでは集まっ てきた群衆は「三日間もわたしと一緒にいるのに、何 も食べ るものがない」、自分の家に帰って食べるように 言っても「途中で弱り切っ てしまう」群衆である。そのよ うな中でイエスは数少ない食糧を祝福して裂き、 それ をみんなで食べたらみんな満腹したという物語であ る。人々が現実的 にお腹がすいて困っている、そのこ とを奇跡を持って現実的に解決しようという わけであ る。誰が考えてもこれは矛盾している、奇跡とは非現 実の空想の産物 であり、現実的な解決になっていな いことは理の当然だから。だが、この 物語でイエスは すこしも魔術的な仕草をしていない。ただユダヤ人が 食事 の際ふつうにする所作、食べ物を祝福して=神 に感謝して、食卓に集うすべての 人と分かち合うとい う所作しかしていない。いわゆる超自然的な奇跡行為 者として イエスは振る舞ってはいない。何が起こって いるのかわからないけれど、それ でみんなは満腹し た。そんな非現実的なというかもしれないけれど、もは や 〈現実ってなに?〉というところに行ってしまって、そ れ以上何を言ってもむだと いう領域だ。 ヨハネ福音書が他の共観福音書とちがって、イエス を全然別の 視点から見ているのはこれまでと同じ。け れども、この5千人の供食事件はヨ ハネと共観書が共 通して取り上げる数少ない例。なにしろ二百デナリの パ ン、パン五つ、魚二匹、男5千、12かご、この数字 の一致は絶対。だがヨハ ネでは、群衆の食糧危機と いうのは動機になっていない。パンと魚は圧倒的に 少 ないことを弟子の言葉で印象付け、神の子キリストの 偉大なる奇跡に焦点が 合わされる。イエスにおいて 神の偉大なる力が示されればよいのである。た ゙から、 群衆から、このような力を持ったイエスを王にしようと いう声が上がっ てしまう(15節)。 このようにヨハネ伝はよくもわるくも、神の子救い主 (メシア=キ リスト)において示される偉大なる力・栄光 があまりにかがやかしく、そのあお りを受けて、人間の 現実が色あせてしまうほどなのだ。現実の世界と神の 世 界が転倒してしまう、人間の世界の小ささ、少なさ、 弱さは、神の前で大きな もの、たくさんのもの、強さ に。このような転倒の中で、現実のパン以上のい のち のパンが現われてくる。そして現実のパン自体が、じ つはいのちの パンの比喩なのだと。 倒錯だと言ってしまえば、それだけのことだか ゙、な にもかもすべてうまく倒錯させてしまうと全く別の世界 が構造的に現れ てくると言えなくもない。少なくとも、 そういう切り替えをしてこの世界をまった く別の方から 見てみると、けっこう大切な発見があったりする。問題 はそのどっ ちの世界にしがみつくかということではなく て、できれば双方の世界を切 り替えて見るということで あり、世界がそういう副次的な見方を許す、という より、 そういう別の見方をするような構造になっていると受け 止めることだろう。 二つ、ないしはそれ以上の見方の 差を見ておくことが大切なのではないか。そ の上での 「現実的」なパンの問題へと・・・。
5月8日説教より 民数記11章10~15節 「立ちつくす希望」 板垣 弘毅 熊本、大分の地震。突然その日常は崩壊し、食べ物 にも窮する人々を十分な食事 をとりながらテレビで見 て、迫るものがあります。 わたしたちの小さい孫 たちはアンパンマンがすきで す。作者のやなせたかしさんは、「究極の正義 というも のは、ひもじい者に食べ物を与えることだ」といいま す。アンパ ンマンは空腹の人を後回しにして悪とたた かう正義の人ではありません。たたか う力が落ちても 自分の顔を食べさせてあげます。アンパンマンと同じ よ うに、飢えた民から食べ物を懇願されて、指導者モ ーセはもう身がもたなくなっ ています。出エジプト記 にも並行する記事がありますが、きょうは民数記 から 学びます。 きょうのところはエジプトでの奴隷状態から脱出した モー セと民の一行の旅がシナイの荒野にさしかかると ころです。出エジプト記 にはシンの荒野になっていて、 そこで、食べるものが尽きて民が叫んで います「エジ プトから導き出して荒野で死なせるのか」モーセが神 に頼み、 天から「マナ」という食べ物が降ってきます。 しかし、民数記では、空腹は 満たされたあと、マナば かり食べさせられていると、民の不満が爆発してい ま す。「誰か肉を食べさせてくれないものか。 エジプト では魚をただ で食べていたし...」 少しとんで20節 には、「どうして我々はエジプ トから出てきてしまった のか」、と「主の前に」民が嘆いたと記されます。食へ ゙ たいという欲望は、神によるエジプト脱出という恵み を帳消しにします。 < 主が激しく憤られたので、モーセは苦しんだ。> モーセは苦しむ。約束の地に までこの民を導くことが 自分の放棄できない召しだからです。その召し を実現 することで自分になるわけです。民と神の間で立ちつ くしています。 <なぜわたしはあなたの恵みを得ることなく、この民 すべてを重荷として負わさ れねばならないのですか。 > {恵み」ではなく、「重荷」を背負うために生き る のか? その「重荷」こそ「恵み」だと気づくのは決 まって「遅れて」です。 そのタイムラグをわたしたち は生きています。 わたしには重すぎる、負いきれ ない荷物だ。<どう してもこのようになさりたいなら、どうかむしろ、殺 し てください。...> どうしてこんなことになるのかといえば、自分が自 分て ゙あることを神からの召し、外からのまなざしに置 いているからです。 困り果 てた他者の「顔」は、「わたしを生きのびさせ よ」「わたしに食べ物を」とい う命令、「無限」・「存在 の彼方」からの命令であって、その命令に従うとき人 は、自分自身となる。(E.レヴィナス)モーセの召し、 と同じです。その命令 に従うことでわたしのよいとこ ろが呼び出される、人はなんのために生きる か、先ず 自分のために生きるのだけれど、その自分は他者のた めにあるのた ゙、自分というのは他者のために存在した ときに意味をもつ。収容所で処刑され たボンヘッファ ーという神学者なども「他者のためにある教会」とし て展開し ます。レヴィナスも強制収容所からの生還者 でした。 自分というものが壊さ れたところで、他者のまなざ しの中で自分を発見してゆくできごとは、 イエスの神 の国の福音そのものでもあります。向こうから招かれ た「客」だ! という発見を、最初のキリスト信徒もパ ウロも、しているんです。 たとえ奴隷 にもどっ ても、死が待っているとしても、マナではなく肉を食 べたい、こ の衝動のような欲求はわたし自身のまわり では薬物やアルコールなどの依存症 の方たちとの交流 とも重なります。ギャンブル依存もあります。あるい は幼児 虐待を経験しその心的外傷から自由になれない 人もいました。モーセも「肉を食へ ゙たい」という叫び に、制御不能で暴走する車に乗ってしまったような「困 り 果てた他者の顔」を見たのではないかと思います。 わたしは民数記の視点(11章) とは別に、立ちつ くすモーセに共感します。やなせさんは「ほんとうの 正義という ものは決してかっこいいものではない。そ のために自分も傷つくものです」と いいます。顔を食 べさせるアンパンマンと「殺してくれ」と言うモーセ が重 なります。「傷」もまた自分。今は約束の彼方に向 かい旅の途上です。約束(祝福)を 見失わないように 今の小さな自由、とりあえずの自由を手がかりにする、 そん な生き方をモーセは示しているのだと思います。 それができるのは、モーセ の立ち位置からは、神の約 束があるからです。約束とか神の国とか、宗教特有 の 幻想、時には危険な思いこみだという人もいます。否 定はできませんが、 イエスの福音に立ち帰れば、それ は、現実のどんな絶望も絶対化しないという 希望なの です。自分が壊れたところにイエスのまなざしがある んです。 そのまなざしの中に「わたし」も「あの人」 も、あるのです。自分の絶望で は埋め尽くせない余地 です。
5月1日説教より ヨハネ福音書11章17-44節 「ラザロよ、出てきなさい」 久保田文貞 ラザロ復活の舞台であるベタニヤは、共観福音 書でもイエス の生涯にとって重要な村である。イ エス一行が最後にエルサレムに入って数日 間の行 動をした時、夜になるとエルサレムから2キロほ ど離れたベタニヤに戻っ て宿泊していたことがう かがえる。ある女から塗油されたのもベタニヤで ある(マルコ14:3以下)。 ヨハネ伝では、最後のエルサレム行きの直前に ラザロ 復活物語が置かれ、すぐそのあとマルタの 家で妹マリヤから塗油される(12:1 以下)。 さらにヨハネ伝の場合、ラザロ復活事件はイエ スが極刑になる直接の 引き金になったという書き 方をしている(11:45-57、12:9-11)。けれど も、よく 考えてみるとどうしてもイエスの死へと 至る時系列としては、イエスより前にか くも決定 的なラザロ復活事件が来るのはどう見てもおかし い。そもそもそん な重要な事件があれば共観書の 著者たちの収集力に引っ掛からないはずが ないか ら。冷たいかもしれないが、ラザロ復活劇は歴史 的事実とは言いがた い。 だが、ヨハネ伝を創作しそれを読み伝えたグル ープの人々にとって大 事だったことは、歴史的事 実の時系列の問題ではない。それを打ち破っても、 いま・ここに、つまり彼らが日常を生きている地 平に、キリストが臨在し実在 すると本心からそう 思っているはずである。ラザロも、マルタも、マ リヤも、 ほんとうはなもなき、ただのかれらの仲 間の一人一人に過ぎないのだが、 その象徴的な「兄 弟・姉妹」の身の上に起こった事件は、仲間みん なが共有する 事件であると感じ取っているのだろ う。 マルタが、共観書ルカ10:38の物 語でのように、 ここれも活動的な、(そこではひとこと多い)女 性として出てく る。イエスがラザロの病気を知って故意に遅れて(11:4-7、11―15)マルタの家 に 向かう。その時もマルタは真っ先に飛び出して イエスを迎えに出る。マリヤは家 で涙にくれ、喪 に服したままという印象である。二人のキャラク タ―はルカ伝 承に通じるものがある。けれども、 この物語で、マルタは、イエスの「私 は復活であ り、命である。私を信じるものは、死んでも生き る。生きてい て私を信じる者はだれも、決して死 ぬことはない。このことを信じるか」と いう宣言 をそのまま受け止めて、「はい、主よ、あなたが 世に来られるはずの 神の子、メシアであると私は 信じております〕と答える。このやりとりはいわ ゆる「信仰告白」の原型とも言うべきもの。こと にプロテスタント教会の根本 にかかわることだ。 共観書は、とくにマタイ伝では、ペテロが果た してい る「信仰告白」を、ヨハネ伝ではマルタに なさしめている。明らかにペテロの 権威化に対抗 して、マルタというほぼ伝説化している女性にこ れを託していると 思わざるを得ない。そこにフェ ミニズム的な共感があったかどうかは別に して、 ヨハネのグループの、名もなきまま埋もれるであ ろう人々に、マルタ、 マリヤ、ラザロという象徴 的な名を冠してイエスと向き合う人間の姿を描い たと いうことだろう。 昨年、ベラルーシのアレクシエービッチという 作家が賞 をもらって話題になったが、彼女は実は 文学者というよりノンフィクション作家 である。 戦争に駆り出された女たち、虐殺を目にした子供 たち、チェルノブイ リ原発事故で被害を受けた人 々、名もなき「小さな人」たちの「個人の事実」 を 採集して書いていく。彼女にとって、フィクシ ョンであろうと、ノンフィクショ ンであろうと、 名もなき人々の「個人の事実」を描こうとする身 構えにとってと ゙ちらでも構わない。ヨハネがラザ ロ事件を通して描いたことに通じるよ うに思え た。
4月24日説教より マタイ福音書 6章5-13節 「ハーバードの人生を変える授業」のススメ 加納尚美 時々本屋に行き、その時に「ピン」ときた本と出会い、 家のあちこ ちに数種類の本を置いて、行く先々で少しずつ読むのが楽しみて ゙ す。一気読みは、物語や小説のみで、本の中に入り込んでしまうの で普段 は読めません。さて、そんな風に手に取ったのが、ダル・ベ ン・シャハー著 「ハーバードの人生を変える授業」(だいわ文庫)で す。山積みになってい たので大分売れ筋のもののようでした。著者 はハーバードで哲学と心理 学を学び、組織行動学で博士号を取 得し、「ポジティブ(肯定的な)心理 学」なるものを提唱しているよう です。 とても読みやすいハウトウ本で、○○し たらもっと人生を肯定的 に評価できるようになる、幸福感が高まるというもの で、1週間に一 項目ずつ実行し、45週まで続きます。その最初の課題が、 「感謝す る」ことです。2人の心理学者が、被験者を2つのグループに分け て、実験群にはちょっとでも毎日感謝することを5つ書いてもらった ら、そうしな かったグループの人たちよりも、より幸福になって意思 が強くなって、エネ ルギッシュで楽観的になり、最終的に「感謝して いた人々はよく眠れるように なり、より多く運動するようになり、身体 的な不調も減った」という結果がで ました。そこで著者は具体的に 感謝ノートを作ることを薦めます。その際に「書 いていることを目の 前に思い浮かべたり、書きながらもう一度経験しているよ うに感じた りしてください」と具体的な助言もしています。 また、第2週には 「習慣化する」ことです。より良い変化をもたら すために必要なのは、自制心を 養うことではなく習慣を取り入れる ことだというのです。もっと幸せになれ ると思うことを習慣として取り 入れ実行することを薦めています。 このように45項 目が続きますが、この本のススメの多くを私はす でに実行しているようだ ということに気が付きました。この本を読ま なくても、日々感謝し、楽しく暮ら している自分を再発見したのでし た。そこで、少々落ち込み気味を経験してい た友人にこの本を薦 めましたら、彼女からも「加納さんにはこの本不要かもね」と。 確か に・・・ 特にこの最初の「感謝する」と「習慣化する」は、私の幾ばかりの 信仰によるところが大きいことに気が付きました。その中心が、日々 の「祈 り」であったのではないかということです。 <キリスト教との出会い> 私は、 新潟県のお寺や神社が多い小さな城下町の商店街で育 ちました。ばあちゃん 子でしたので、浄土真宗の仏事と神社の行事 は生活の一部でした。キリスト 教は、クリスマスケートとプレゼントが ちょうど流行りだし、幼い者同 士、仏壇にお参りするとプレゼントを もらえるらしい、という真剣に情報交換 していました。中学3年の秋 のことです。ポール・ギャルコ作の映画、「ポ セイドン・アドベンチャ ー」という映画を友人と見に行き、その中に登場す る牧師が、沈みゆく船の中で乗客を救うために勇気ある行動をしながらも神に 激し く祈っていました。その祈り方は、それまでの私の生活にあった「お 参り」 や「お経」とは違い、神に問いかけ、格闘していました。次の 週に、映画「ベン・ ハー」をみて、後にも先にもない経験、私はまる で雷に打たれたような気持にな り、この世界には神がいるらしい、こ の世界は自然にあるのではなく、創造さ れたのだ、と直感してしま いました。それから私のキリスト教探索行動が始ま りました。 <祈り始める> 本やラジオ、キリスト教の通信講座、教会巡りをして、 とても小さ な日本ルーテル教団の長岡教会に通い始めました。思春期特有 の時期と も重なったのでしょうが、すると自分の中に、罪意識のセン サーが働きかえっ て悩みが深くなり、自分が信じられなくなりまし た。ゲド戦記第1巻の影 に怯えるゲドのようでした。真剣に精神科を 受診した方がいいのかと思っ たこともありましたが、教会の方に悩 みを手紙で打ち明けると、コリント13章、 ローマ人への手紙7章の15 -25節を毎日読むように薦めて下さる方がいて、半ば すがるような 気持で毎日これらの箇所と聖書の通読をしていました。そして、 毎 日、主の祈りと自分の言葉で祈るようになりました。また、ドストエフ ス キー、トルストイ、三浦綾子、遠藤周作、クオ・ヴア・デス等々、悩 みからの 出口、答えを見出すための読書するようなりました。先の 映画の牧師の格闘にも似 ていたかもしれません。でも急な変化は ありませんでした。 そんな高校生活の 終わりのことです。受験の帰りに初めて立ち 寄ったキリスト教書店での店員さ んとの会話をきっかけに洗礼を受 けることを決めました。38年前になります。本音 としては儀式の一つ というような気持もあったのですが気持は不思議と楽にな りました。 自分の影を受け入れられたのでしょう。以降、多少なりとも色んなこ ともありましたが、今思い出しても最大に苦しかったのはあの高校 生の頃でし た。そして、私には信仰が必要であることの思いは変わ らず、主の祈りと自 分の言葉で感謝することを続けています。つま り、祈りを通じて、感謝するこ とが習慣化されていたのでした。 <祈りの意味> 祈りは私自身を自他に解放し対 話を通じて、大きな存在の中に 入ることです。但し、私の祈りの言葉の語彙は 乏しく、定型の祈りの フレーズや他の方々との祈りに合わすことは私にとっては 祈りをより 豊かにしてくれることです。心は、神経細胞内のネットワークの中に あるといいます。そういう意味では、宗教心、信仰心は、ニューロン 同士の結ひ ゙つき、ネットワークの密度によって太くなり、育ててられ てゆくと言いいます。 多少なりとも私の中で生じてきた変化であり、 習慣化されることによって、 ポジティブ(肯定感)さも養われてきたよ うです。そのことにも感謝! 「意 識を向けるものは拡大します。恵まれた部分を考えれば、人 生はもっとよくなり ます。何が起きようとも感謝できるようになると、チ ャンスやいい人間関係、 お金までもともに流れこうむるようになりま した。(オブラ・ウインリー)」
4月17日説教より ヨハネ福音書4章7~15節 「境界線を踏み越えて」 久保田文貞 イギリスの古代法学者アラン・ワトソンは、ヨ ハネ福音書の「しるし資料」の元 が実はパリサイ 派ユダヤ人たちのキリスト教攻撃のための本だっ たという 説を出している。つまりそれでもって、 パリサイ派ユダヤ人がしきる会堂 の礼拝に参加し ながら、あのイエスをキリストと信じる者に、イ エスがキリ ストでもなんでもなく、ダメな男かと いうことを説得としていたというわけ だ。 この仮説を批評することはできないが、その視 点に立って見ると納得て ゙きることや興味ある新し いものが見えてくる。そのひとつが4章のサマリ ヤ の女の話である。それをパリサイ派側のイエス 攻撃本のところまで下げて みると、サマリヤの女 は性的な誘惑者になる。たしかに、物語の中で彼 女がか つて5人の夫があり、現在は一人の男と同 棲しているいう(ほぼありえない設定 であり、以 前からこれにはサマリヤ人の特別な歴史が喩とし て象徴的に隠され ていると説明された。そうかも しれない)。彼女がサマリヤの町では身持ちの悪 い危ない女とみなされていたと言わんばかりであ る。そのことは、女が昼の 暑い盛りに水汲みに、 それもスカルの町から数キロ離れたヤコブの井戸 までやっ てこなければならない不自然さにも現わ れている。ヤコブの井戸のは、エルサ レムからガ リラヤを通ってダマスコ、メソポタミア地方に貫 通する街道沿い から少し入った所にある。街道沿 いはサマリヤにとっても、ユダヤにとっても、 そ の他そこを通るあらゆる民にとっても、境界線上 にある。 女は、そのような境 界線に立って、井 戸辺で旅人を誘惑しようとでもいうのか、水桶を 持って男を 誘う。このような物語仕立てが、むか つくような差別の上に立っていると思うけ れど も、もしこれがサマリヤ人をイスラエルから脱落 した汚れた者達として差 別しているパリサイ派ユ ダヤ人(ヨハネ福音書の成立時代とされる90年 代のハ ゚リサイ派は、ユダヤ戦争に参加せず生き延 びたパリサイ派(ヒレル派)か ゙海岸近くのヤムニ ヤに議会を再興したもの。もっともキリスト教徒 もユダヤ戦 争に参加せず避難した、そういう二つ の仲である)の作というのなら、なるほと ゙と思う。 ヤムニヤから見て北東の山間部に住むサマリヤ人 への彼らの差別意識は 消えていない。そのサマリ ヤ人たちへ伝道しているという(使徒言行録8: 5)クリス チャンへの軽蔑も勘定に入れて読むと、 サマリヤの女の振る舞いは、イエスへの誘 惑とい うことになるのだろう。イエスがその女から水を 飲ませてもらったとい うことは、結局その女の誘 惑に負けたのだととらえるわけだ。十分、イエス と 彼をキリストだと信じる者たちへの攻撃材料に なる。 もちろんヨハネ福音書著 者は負けていない。こ のような悪宣伝物たる「しるし資料」を逆手にと って、それ をのり越え、正面から反論を加えよう としているというのがワトソンさんの読み だ。 著者ヨハネは、しるし資料の中にある悪意をす べて消してしまい、むしろ 善意で包み込む。サマ リヤの女にかすかに残る誘惑者の香りを極力減ら し、イエ スが与えるとする「いのちの水」の性の 象徴的な意味を完全に塗りつぶして、 それこそ「永 遠の命に至る水」であると、イエスの口をして言 わしめる。そして このイエスの真意が女に通じ、 彼女はいまやサマリヤの町々村々の民の伝道師 の ようになる。そしてサマリヤの郷でも、真の神の 礼拝が行われると言う(21 節)。 とすれば、これがパリサイ派への反論になるか どうかは別として、 パリサイ派版「しるし資料」 をみて揺らいだサマリヤ人たち、またキリストを 信じるユダヤ人たち、を慰め力づけたにちがいな い。
4月10日説教より ヨハネ福音書4章7~15節 「境界線を踏み越えて」 久保田文貞 イギリスの古代法学者アラン・ワトソンは、ヨ ハネ福音書の「しる し資料」の元が実はパリサイ 派ユダヤ人たちのキリスト教攻撃のための本た ゙っ たという説を出している。つまりそれでもって、 パリサイ派ユダヤ人か ゙しきる会堂の礼拝に参加し ながら、あのイエスをキリストと信じる者に、イ エスがキリストでもなんでもなく、ダメな男かと いうことを説得としてい たというわけだ。 この仮説を批評することはできないが、その視 点に立って 見ると納得できることや興味ある新し いものが見えてくる。そのひとつが4章 のサマリ ヤの女の話である。それをパリサイ派側のイエス 攻撃本のところまて ゙下げてみると、サマリヤの女 は性的な誘惑者になる。たしかに、物語の中で 彼 女がかつて5人の夫があり、現在は一人の男と同 棲しているいう(ほぼあり えない設定であり、以 前からこれにはサマリヤ人の特別な歴史が喩とし て象徴 的に隠されていると説明された。そうかも しれない)。彼女がサマリヤの町では 身持ちの悪 い危ない女とみなされていたと言わんばかりであ る。そのことは、 女が昼の暑い盛りに水汲みに、 それもスカルの町から数キロ離れたヤコブの井 戸 までやってこなければならない不自然さにも現わ れている。ヤコブの井戸 のは、エルサレムからガ リラヤを通ってダマスコ、メソポタミア地方に貫 通 する街道沿いから少し入った所にある。街道沿 いはサマリヤにとっても、ユダヤ にとっても、そ の他そこを通るあらゆる民にとっても、境界線上 にある。 女は、 そのような境界線に立って、井 戸辺で旅人を誘惑しようとでもいうのか、水桶 を 持って男を誘う。このような物語仕立てが、むか つくような差別の上に立って いると思うけれど も、もしこれがサマリヤ人をイスラエルから脱落 した汚れた 者達として差別しているパリサイ派ユダヤ人(ヨハネ福音書の成立時代とされる 90年 代のパリサイ派は、ユダヤ戦争に参加せず生き延 びたパリサイ派 (ヒレル派)が海岸近くのヤムニ ヤに議会を再興したもの。もっともキリスト教徒 もユダヤ戦争に参加せず避難した、そういう二つ の仲である)の作というのな ら、なるほどと思う。 ヤムニヤから見て北東の山間部に住むサマリヤ人 への彼ら の差別意識は消えていない。そのサマリ ヤ人たちへ伝道しているという(使徒言行録 8: 5)クリスチャンへの軽蔑も勘定に入れて読むと、 サマリヤの女の振る舞いは、イ エスへの誘惑とい うことになるのだろう。イエスがその女から水を 飲ませても らったということは、結局その女の誘 惑に負けたのだととらえるわけだ。十分、 イエス と彼をキリストだと信じる者たちへの攻撃材料に なる。 もちろんヨハ ネ福音書著者は負けていない。こ のような悪宣伝物たる「しるし資料」を逆手にと って、それをのり越え、正面から反論を加えよう としているというのがワトソン さんの読みだ。 著者ヨハネは、しるし資料の中にある悪意をす べて消してしま い、むしろ善意で包み込む。サマ リヤの女にかすかに残る誘惑者の香りを極力減 ら し、イエスが与えるとする「いのちの水」の性の 象徴的な意味を完全に塗りつ ぶして、それこそ「永 遠の命に至る水」であると、イエスの口をして言 わしめ る。そしてこのイエスの真意が女に通じ、 彼女はいまやサマリヤの町々村々の 民の伝道師の ようになる。そしてサマリヤの郷でも、真の神の 礼拝が行われる と言う(21節)。 とすれば、これがパリサイ派への反論になるか どうかは別 として、パリサイ派版「しるし資料」 をみて揺らいだサマリヤ人たち、またキ リストを 信じるユダヤ人たち、を慰め力づけたにちがいな い。
4月3日の説教から ヨハネ福音書3章1~9節 「新たに生まれる 」 久保田文貞 高3の時、世界史の教師から紹介されて 『クォ・ヴァディス』を読みました。小説の最後の部分で、皇帝ネロの迫害が 激しくなる中、唐突にペテロが出てくる。信者たちは教会の指導者ペテロが迫 害されてしまうことを怖れてローマから離れるよう説得、ペテロは身を切られ るような思いでローマを出て行く。すると向うから光が来る。彼はすぐにそれ がキリストであることを悟る。Quo vadis,Domine?「主よ、何処へ行き給うや」 (ヨハネ13・36)と声をかける。するとキリストは「汝、民を見捨てなば我再 び十字架につかん」と云い、城門に向かったと。ペテロは気を取り戻すとすぐ キリストを追ていくという話です。自分史的にはこれがかなりのインパクトに なって、神学校に行ってしまったのです。それはどうでもいいのですが、これ がキリスト教的な生への決断の一側面を見事に表していることは否めません。 けれども、この局面は別にキリスト教に限らず、人間がそこから一度は逃げた 方が良いだろうとしているところへ、自分とは逆に何かが中へと向かっていく のを感じて、「そうだ、自分も」と翻っていく、そんな局面を表しているとも 思えます。 今日の聖書箇所から、ユダヤ社会の指導者の一人であるニコデモが夜こっそりとイ エスを訪ねてきて、慇懃に尋ねる。私なりに翻案すると<あなたがなさっていること で人々はあなたが神の子メシアなのではとうわさをしています。聞いたところでは、 誰も見向きもしなかった人の苦しみに目を留めその人を癒し、助けられたという。神 から遣わされて者でなければできることではありません。それはわたしも認めましょ う。で、これはここだけの話にしておきますから忌憚のないところをお話し下さい。 ほんとうのところあなたはどうしようとなさっているのですか>と。 談合の根回 しでもあるまいに。ニコデモがこうしてイエスにすり寄ってきたことに対するイエス の言葉は、「アーメン(誠に)、アーメン、あなたに言う」という例の特異な言い回 しから始まります。ここでは妙に神学的に解釈する必要なんかないでしょう。<あな たが張り巡らそうとするバリアなんか無視して、ズバリあなたの素の心に分け入って 言いますよ>ぐらいに受け取って十分だろう。 <だれでも新しく生れなければ、神 の国を見ることはできない>と。<えっ、そうきますか。ずいぶんストレートですね。 ならばこちらもストレートにお聞きしましょう。人は年をとってから生れることが、 どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうかと。 もちろんあなたが言われるのはそんなことではないでしょう。いったいどういうこと なのです。><なら、さらにストレートにこう言いましょう。 だれでも、水と霊と から生れなければ、神の国にはいることはできない。肉から生れる者は肉であり、霊 から生れる者は霊であると。あなたにとって、こんな言葉もただの風の音ぐらいにし か響かないでしょうか。もっともその風にしたって、何処から何処へ吹くかっていう 思いというか自由があってね、それに乗れなかったら、人にはもうどうしようもない ですけどね。><どうして、そんなことがあり得ましょうか>と、ここにきてちょっ と間抜けなニコデモの言葉、なんて言っては失礼でしょうか。とにかく、せっかくオ フレコにして、イエスの本音を聞き出そうとしたニコデモは、舞台の上ですべってし まうことは楽屋でも同じということを身につまされて知ったということでしかなかっ たというわけです。二つの世界をなんとかつなげようとしたニコデモの思いの篤さは 感じますけど、この程度ではどうにもならなかったということでしょう。 なにか途 方もない世界へと人間を誘うイエスと、この世界の内側で指導者としてあれこれ気を まわしながら立ち回るニコデモとの間に立ちはだかる切れ目は深刻なものでした。ニ コデモは、キリストに出会った、声を聞いたけれども、すれ違ったままでこの会見は 終わってしまったということでしょうか。
3月27日復活祭礼拝説教から 「信仰の空疎」 マルコ福音書16章1-8節 久保田文貞 他の宗教は分からないので、キリスト教のことで言うと、信仰というのは神と自分 だけの、他人には割り込めない関係の事柄です。そこに他人が入り込んでくるような ことがあれば、容赦なく突き放すことになるでしょう。ヨブ記の例を出すまでもなく、 苦境に立たされたヨブは、妻から「神を呪って死ぬ方がましでしょう」と言われても 神に信頼を寄せ、神に一人向き合おうとする。しかし神は応えない。彼は自分の生ま れた日を呪い、神に抗議し始める。そこに3人の友人が割り込んできて、「罪のない 人が滅ぼされ、正しい人が絶たれたことがあるかどうか。」と、お前は気づいていな い何らかの罪を犯したに違いないのだ、「人が神より正しくありえようか。造り主よ り清くありえようか。」というわけです。友人にはヨブの傲慢さしか見えない。神と の関係を打ちたてようと独りもがいているヨブの顔の向きが気に食わないのでしょう。 「こっち見ろよ。いっしょに神について語り、いっしょに礼拝しよう。」善意からか もしれないけれど、真剣に神に向き合おうとする自分には迷惑なことがあるのです。 孤独に立ち上がるよりないことなのです。 誰もが反論するでしょう。聖書の神は、 イスラエルを自分の民として選ばれた、その民が共に神を礼拝することを求める神で あると。民が共同し、助け合い、睦み合い、施しあう、そういう関係を生きるように 求める神であると。だがヨブ記の問題は、義人ヨブがいきなり一人苦境に立ったとい うより、今や民自身のあるべき関係が壊れてしまったがゆえの義人ヨブの孤独な苦難 の問題を背景としているように思います。 ユダヤ人は、同胞愛に固く、自らを信仰共同体のように装っているが、確かにその 綻びを必死で繕おうとする宗教者がいるけれども、その共同性は、今や少しも神に 祝福されたものになっていない。信仰者の紐帯を確かめるはずの安息日の徹底が図 られれば図られるほど、民は無残にもずたずたになっている。イエスがガリラヤで 見た人々の姿もそのようだったと言ってよいでしょう。イエスはその引き裂かれた 人々を覆う神の福音を聴き、神の国を見られる。福音書は一生懸命その福音の力強 さ、神の国の圧倒する勢いを語ろうとする。その気持ちは分からぬでもないけれど も、福音書記者がそう強調すればするほど、ほんとうはほとんどの人に確実に思え たことは、その外見は力弱く、何の保証もなく空疎なものでしかなかったというこ とでしょう。ルカ7章32節は洗礼者ヨハネの悔い改めへの呼びかけも、イエスが知 らせた福音にも、『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったの に、泣いてくれなかった。』というわらべ歌のまんまだった、つまり私たちが福音 書記者と共に称讃したいとおもう福音の力、神の国の勢いは、ほんとうは空を打つ、 さんざんな結果に終わったというのが実情だったのでしょう。もちろん、そんな空 疎な福音を、また現実の保証など何もない神の国を、たとえ多くはなくとも、信じ た人々がいた。人から何を言われようと、振り返ることなく、イエスの福音を神の 祝福と受け取ることができるとはものすごいことです。ずっと気に成っていること ですが、福音書の中でイエスに従ってきている人々が何人も出てきますが、不思議 と彼らは互いに疎遠です。彼らが仲睦まじいなんて記事がほとんどありません。も ちろん実際にはイエスと一緒に行動している以上、連れてこられた病人の応対をし たり、腹のすかしている人々の食事の世話をしたり、仕事の相談に乗ったりと、 「弟子たち」は声をかけ合い、協力し合ったはずです。否定するつもりはありませ ん。けれども、福音書はそういう共同性に関心がない。イエスの一行がエルサレム に入った後、いっそう深刻です。弟子たちはイエスと最後の食事をとります。でも 弟子たちには固有の仲間意識みたいのは微塵も感じられません。彼らはいっそう無 口だったと想わされるのです。食事のすぐ後、イエスが暗い園で逮捕されます。弟 子たちは逃げたと書かれていますが、ある意味大いに同情します。なにかあるだろ うと最後まで従ってきたのに、gン実はなんのことはない空疎な福音を宣べ伝えた 師匠は何の抵抗もできずに逮捕され権力者の下に送られていく。弟子たちがお互い 気遣いながら逃げたなど考えられない。ずたずたになって独り一人が暗い夜の中へ、 より遠くへ拡散していくという図でしょう。イエスが独り有罪判決を受け、磔刑に なっていくところを3人の女性が目撃しました。3人の女性は名が書かれていますが、 どんな人たちか確実なことは分かりません。しかし、最小限言えることは、イエス 処刑の時まで、さらに葬りの時も3人が一緒だという、3人が身を寄せ合っているこ との奇跡的な事に驚きます。この3人が、またもいっしょに空疎なる墓を目撃し、 その空疎さの中に、神がイエスを掻き上げた力を知らされたこと、3人いっしょに です。寄り添いながら知るわけです。
3月20日の説教からルカ福音書9章10~17節 「しかし、イエスは言う」 板垣 弘毅 3月10日(東京大空襲)その翌日の3月11日(東日本大震災)、今年もたくさ んの情報に接しました。戦災でも震災でも、被災した庶民は先ず何より食べる心配を しなければなりません。71年前の敗戦後の飢えは無一物の被災者として、幼い頃の わたしも経験してきました。でも「ただ食べる」ことと「いっしょに食べる」ことは いのちにとってなにか根本的に違うと思います。 教会暦では受難週です。十字架に かけられる前の晩、弟子たちと一緒に過越の食事をします。その食卓は印象深く記憶 されています。(4つの福音書、パウロの手紙でも)イエスが「いっしょに食べると いうできごと」で伝えていることがイエスの福音の核にあることであり、最後の晩餐、 聖餐にもそれが反映されている、そうわたしは思います。自分の関わった教会では聖 餐と欠かせない食事、を実践してきました。きょうは、イエスが5000人もの人と 一度にいっしょに食べたというお話です。この伝承も4つの福音書に記されています。 数十年言い伝えられ書きとめられて伝承されてゆく過程でいろいろな要素が付け加わっ ていったと思います。こんなお話は宗教によくある与太話だと片づけてしまえば、で きごとを伝えた人の感動にはひびき合えない。最初の感動に触れることは大切なんだ と思っています。 大勢の人がイエスの話を聞きに来るのですが、ルカでは、ここで イエスは神の国について語り、病に痛めつけられている人たちを直したと記します。 病気が悪霊の仕業とも信じられていた社会です。悪霊の支配下にあることは神の国に ふさわしい人間のあり方はではなかったのです。 夕方になります。弟子たちは心 配する。暗くなれば足もともおぼつかない。「人里離れたところ」です。弟子たちは 群衆の宿と食べ物を気にかけ、解散させることを勧める。ところが、イエスの答は 「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」、弟子たちはびっくりする。このイエス の答が、この伝承を人々の心に刻み込ませた核心だったとわたしには思われます。奇 跡的な食事よりもこの言葉に、です。弟子たちは、あたりまえの判断をしている、あ たりまえでないのはイエスの方です。 弟子たちは、先生冷静なってください、とで も言うように現状を告げます。どの福音書にも男だけで5000名、と記されていま す。オーバーな言い伝えになっていったんだと思いますが、イエスはこともなげに弟 子たちに、君たちが自分で彼らに食べ物を与えよ、と命じています。この落差!はイ エス自身が神の国を生き始めていたからですね。そこから世界を見ている。だから今 この場所が飢えた人々がいる場所でなく、いっしょに食べる出来事が起こる場所であ るほかないんです。 イエスは神の国を「ぶどう園の労働者」を題材にしてたとえま した。(マタイ20章)賃金を支払う段になると、全員、夕暮れ時に送り込まれた労 働者も、契約どおりの1デナリオン。早朝から働く者が不満を漏らす。すると主人は こう言います「自分の分を受けとって帰りなさい。わたしはこの最後の者にもあなた と同じように払ってやりたいのだ」 これが神の国だ、とイエスは言います。きょう の場面でも同じです。弟子たちは群衆を解散させてそれぞれの食事をさせるよう提案 します。「しかし、イエスは言う」とルカは記します。「あなたがたが彼らに食べ物 を与えなさい。」 ここで起こっているできごとは「いっしょに食べる」というでき ごとの中で気づく「いのち」へのまなざしです。イエスの神の国は、たとえ話のよう に、失われそうな一人のいのちを見つめています。人はだれもイエスによって、参加 無条件で「いっしょに食べる」つまり「いのち」を喜び合うような食卓に招かれてい る、それは言葉より確かな招きです。それがここで弟子たちに命じられているんです。 いっしょに食べるとき、イエスはひとりひとりの「いのち」も神のできごとだ、神の 国はこういうものだ、と告げているのだと思われます。だからこそ最初のキリスト信 徒たちは、聖餐(この日本語表示はいいとは思えませんが)のかたちを、ことのほか 大切にしたのです。 「この日に食べるわれらのパンを、きょうもください」と祈れ、とイエスは命じま す。「わたしの」でなく「われらの」は家族、隣人、国境を越えた「いっしょに食 べる」を含むでしょう。今も日本の子供の貧困率は6人に一人、このごろニュース でも「こども食堂」として子供の「食べる」を、応援する運動が紹介されます。こ ういう「いっしょに食べる」は「生命」だけでなくかけがえのない「いのち」に向 き合うひと時だと思います。貧困、つまりこの構造的な格差は、こどもの心身に巨 大な圧力をかけ、それをはねのける精神の強度を子どもたちはどう培えばいいのか。 自分の「いのち」に「よし」と言ってくれるのは他者の「いのち」だけです。自分 のためにだけ食べるときに気づきにくいのが、この生かされている「いのち」。
3月13日の説教からマルコ福音書12章13-17節 「返した後に残るもの」 久保田文貞 再び神殿をバックにパリサイ人が、論争を吹っかけてきます。 「皇帝に人頭税を支払うことは許されているかいないか、われわれは支払うべきか否 か、どちらでしょうか」と。この問いはパリサイ派の中でもずっと論争が続いていた らしい。おそらく一方には、異邦の支配者ローマに人頭税を納めるのは律法に抵触す るというグループと、もう一つは、ローマと戦わずとも神はやがてローマを滅ぼすだ ろうから、いまは律法にのっとって自らの現場と人間関係の中で淡々と生きいていけ ばよいというグループ。前者から反ローマ的な運動が起こり、やがて66~70年のユダ ヤ戦争へとつながっていきます。 イエスに論争を挑んだパリサイ派がイエスにどの ような罠をかけようとしたか分かりませんが、その答えの如何によって、イエスは彼 らから反ローマ分子とみなされる。パリサイ派から見れば、「宮清め」なんて生意気 なことをするなら、反ローマを掲げてローマ軍に突進して見せろ、その方がずっと分 かりやすいとでもいうことでしょう。 イエスはここでも相手の土俵に乗ることなし に、逆に論争相手の発想を攪乱してしまいます。相手の悪意を見抜いたイエスは、 「デナリ銀貨をもってきて見せなさい」。そして、「これは、だれの肖像と銘か」と 逆に聞く。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、イエスは言われた。「皇帝のもの は皇帝に、神のものは神に返しなさい」と。 誰が見ても実に見事なかえし業です。 デナリ銀貨には、ユダヤ人としては忌避すべき偶像の類たる皇帝の像が刻まれており、 そこに傲慢にも「神聖なるアウグストゥスの子でみずからアウグストゥスたるティベ リウス・カエサル」と刻銘されているわけで、返せというなら突っ返してやりなさい と。 問題は、その後に「神のものは神に」という語がつけ加わっていることです。 歴史的なキリスト教の流れとしては、クリスチャンが決してローマに敵対する輩でな いことを必死で弁証しましたから、「神のものは神に」というキリストの言葉を、そ の後もずっと政治と宗教の棲み分け論の格好の拠り所にしていきました。それは近代 国家の政教分離論にもつなげてきました。 しかし、ここに政教分離論を読むことは 無理です。田川建三は『訳と註』のここの箇所に次のように書いています。《…「皇 帝のものなら皇帝に納めなさいな」と説明的に言っておいて、その後で一息間をおい て、本音をボソッと付け加える、それでまあ、神様のものってんなら、神様にね…》 《これは税金問題なのだ。「カイサルのもの」が帝国の税金ならば、「神のもの」は 神殿税をはじめとして神殿に吸収される一切のものを意味する。》というのです。 この論争を周りで聞いている庶民からすれば、ローマの人頭税であろうと、神殿税で あろうと、お上は有無を言わさず税の支払いを要求し、もっていく。そういう現実を しかと見ないで、ローマに対する人頭税の納付の問題は如何と、〈神学的〉に論議し たところで何になる。パリサイ派のみなさんは、どうなんです。 「納めた」後、 「お返しした」後、庶民には本当は何も残りません。支配者はその見返りとして秩序 や平和を置いていってくれるなんてのは方便です。彼らが全部持って行ってしまわな いのは、また来年も収奪してやろうとしているからです。今後も税を穏便にとり続け るためには、庶民共にその生活を保証してやっていると思わせておくためなのです。 根性の曲がった視方だとは思いますが、半ば事実です。 現在は、近代国民国家とし て、国民が主権者になっており、国民の意思に基づいて立てられた国家装置に権限を 委託した形の上で、国家財政も成立っています。その形も、ちょっとでも国民の主権 意識が怪しくなれば、すぐにも庶民から収奪する国家に変節するでしょう。 庶民= 生活者は基本的に主権に群がる権力志向の人間とは別の存在です。国家の主権を持つ のは国民なのだと言われても、それは形容矛盾としかいいようがありません。ある種 のため息しかつけないような、「ボソッとしか言えない」ようなところです。ここの イエスの言葉のなにかしら空疎な感じに通じるものがあるでしょう。
3月6日説教より マルコ福音書11章27-33節 「何の権威で?」 久保田文貞 すぐ前の「宮清め」 事件に続いて、イエスは神 殿当局者から「何の権威によってこれらのことをす るの か。だれが、そうする権威を授けたのか」と尋 問を受けますが、逆に彼らに 質問します。「一つだ け尋ねよう、それに答えてほしい。そうしたら、何 の権威 によって、わたしがこれらの事をするのか、 あなたがたに言おう」と。 それは ただの論争術ではなく、実は相手が問い を発するその根拠を逆に問うという 形をとります。 そこまで降り立つことができれば、彼らと問いを共 有で き、いっしょに考えてみようじゃないかという響 きさえ感じます。 みなさんも アンケートというのを受けたことがある と思います。企業は商品の好感度や商品 開発のた め一般消費者にやっています。また、病院に行くと 診察の前に問診票を欠 かされます。それらは一方 的に聞いてきて、ハイかイイエで答えて下さいと、 一 方的な問い方です。最後に自由な意見を、感じ たことを書く欄があることも ありますが、こちらから の質問を受けて応えるはずもなく、すべてあちら側 の裁断に任されてしまいます。権威ということで言 えば、まさにそういう問い 方で十分と思っているそ の構造自体が権威的です。 〈権威〉という発想は、 一方向的な力の働き方 を前提にしています。イエスに〈お前は何の権威で そんな ことをするのか〉と問う彼らは、自分たちは 神殿という権威の中枢にいると確信し ています。現 に流れている神殿の権威を疑ったり、それに棹差す ような別の権威な どありえないと思い込んでいるわ けです。 イエスが提出した問いは、で はヨハネの洗礼バプ テスマは天からであったか、それとも、人間からか とい うものです。神殿管理者たちははたと困ります。 バプテスマが天からのも のだと答えたら、ではな ぜヨハネを信じなかったのか。そういうヨハネか ゙逮 捕され殺されてしまったのにまぜ抗議しなかったの か、と問われる。反対に、 人からのものだと言えば、 預言者ヨハネを愚弄することになり、ヨハネを信奉 していた群衆たちが恐ろしいと。それで彼らはヨハ ネのバプテスマが何 の根拠によるものかについて、 「わからない」と答え、直接にイエスの質問に答え ることを避けたというわけです。 イエスびいきの我々からすると、イエスが 論争に 勝ったと喜びたいところですが、良く考えてみるとイ エスも〈何の権 威によってそうしたのか〉答えてい ない、いや答えるのを止めたというより、同し ゙よう に自分も「わからない」と答えたかったのかもしれ ません。 ここまで翻 訳に従って「権威」という語を何度も 使ってきましたが、原語はエクスーシアと いう語で す。「~から」という意味のエクと、「であること」「存 在すること」 という意味、英語の being にあたるウ ーシアからなる語です。つまり〈人間自体 からでは なく、外からやってくるなにか〉ほどの意味になり ます。それに抗え ないようなものとなれば「権威」 ということになりますし、外から来たモノを自 分で受 け止めて、他者に文句を言わせないモノとして示す ことができれば、 自分の権利(一コリ9:4など)、自 由(Iコリ8:9、行伝5:4など)、力(黙示録)と訳 される語です。これらの権利や自由は、近代のそ れと同一だとはとても言えま せんが、無関係ではあ りません。他者に権利や自由を主張すれば、どうし ても〈その権利やその自由はどこから来ているか〉 という問いの前に、立たされ うるからです。それが どこの何からであろうと、まずは問いを共有して み るよりない、そして「わからない」と戸惑いを共有 するのも立派な答えのように 思います。少なくとも、 権威、権利、自由などは、どうしても自分自身に 根拠 があるとは言えないような何かをかかえている。 そういう「余白」があること を認め合うことが大切 だと思います。 その点で、安倍首相は格好の反面教師 です。憲 法も、安全保障も、経済も、なんでもかも、自分 が決められる、そ ういう権限を代議員3分の2近くが これを許してくれていると思い込んでいる。 実際に そうなっていないのは与党の得票率や世論の支持 率からそうなっていないの が歴然としていますが。 この独断主義が蔓延するのがなによりも恐ろしい です。
2月28日 説教マルコ福音書11章15-19 節 「神殿は必要か」 久保田文貞 エルサレムで活動を開始した初代教会は、イエス の十字架と死と復活を原点に据え、イエスの 十字架 死による罪の赦しを確信し、イエスをキリストと告白、 終わりの日に希望を もって臨むあり方を掴んでいきま した。だが、それまでのガリラヤで のイエスの宣教活 動はなんだったか。その観点からガリラヤ時代とその 後のエ ルサレムの数日間を合体させ、イエスを理解し ようとする試みがありました。そ こから見れば、イエスち のエルサレム入城場面は画期の出来事であり、しっ か り書き込むべきところですが、実際には、ザカリヤ預 言に彩られすぎて いて現実味がありません。 マルコはすぐ次に「宮清め」事件を置きます。エル サレムは当時のユダヤ教のセンターです。その核とな のが神殿です。それ は支配者ローマが、神殿組織に ユダヤ人の日常を指導する一定の自治権を与え てい たものですが。 イエスたちのガリラヤ宣教活動で明らかになったこ とは、神殿体制側の人間たち、律法学者やパリサイ 派ユダヤ人たちの陰険な妨 害でした。明確な理由は 分かりませんが、それにもかかわらずイエスはある 時 決然とエルサレムを目指しました。行けばどういうこと になるか、お察しの 通りですと言わんばかりに福音書 は構成されています。 エルサレムに入ったイ エスはまず神殿で行動を起 こします。そこで境内にいた商人を追い出し、両 替 商、犠牲の小動物を売る店の台をひっくり返し、商品 運搬業者を追い返す、人身 に対する暴力は避けたと しても、その行動は明らかに暴力的です。その点で、 10数年ほど後にマルコ伝の改訂版を書いたマタイ、 ルカともども老婆心なのか、 その暴力行為を減らして 書いています。とにかく、マルコによれば、その行動 か ゙神殿側に「イエスをどのように殺そうか」と殺意を抱 かせた。ただ群衆が イエスの教えに魅了されていた ので、彼らは群衆を恐れて手が出せなかったと いうの です。この行動の意味は、神殿に対する否定的なも のと言わざるを得ま せん。 イエス自身が自分のその行動についてこう言われ たとマルコは伝えていま す。 「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべて の国の人の祈りの 家と呼ばれるべきである。』ところ が、あなたたちはそれを強盗の巣にし てしまった。」 と。イザヤ書56章7節の引用です。ここに「すべての国 の人 の祈りの家」とあるのが見落とせないことです。マ タイ(19:13)とルカ(19:46) は「すべての国の」を削り 取っています。この預言は、バビロン捕囚から解 放さ れ神殿(第二神殿)を再建するにあたっては、「すべ ての民の祈りの家」にな るはずだというもの。つまりそ の神殿から発せられる救いのメッセージはユ ダヤ人の 独占物ではない、「すべての国民」に開かれていると 受け取れるよ うな言葉なのです。しかし現実には第二 神殿再建をもって始まるユダヤ教団は、 他国民を「異 邦人」として差別し、自らの「選民意識」を研ぎ澄ませ ていくこと になります。もっとも現実は彼らこそ差別さ れ、彼らが異邦人を差別するのはそ の裏返しのような ものですが。こうしてエルサレム神殿が「すべての国 民 の祈りの家」となるのは終末の日までお預けになっ てしまったことになります。 イエスは、この宙に浮いてしまった「すべての国民 の祈りの家」という預言の言 葉を、あらためて、そこに ある現実の第二神殿にぶつけたことになります。ユタ ゙ ヤ教徒にとって、神殿は選民であることを保証してく れる数少ない拠り所、そ れが「すべての国民」=異邦 人の「祈りの家」となれば、神殿の意味をなさな い。イ エスの行動とその説明は神殿自体を否定する意味を 帯びていたと云うべ きでしょう。 神殿とはなにか、初代教会の人々も、なかなかそ れ自体の否定まて ゙踏み込むのは難しかったらしい。 使徒行伝最初の数章によれば、エルサレム原 始教会 の人々は、イエスに極刑をもとめた連中が管理する神 殿詣でを、積極的 にか不承不承にか、しています。し かし、同時にステパノの説教のように「神の ために家 を建てたのはソロモンでした。 けれども、いと高き方 は人の手で 造ったようなものにはお住みになりませ ん。」という言葉も知っています。(7:47、 17:24のパ ウロの説教も参照)。少なくとも、70年の神殿崩壊以 後、教会は神殿の 存在理由に命を懸ける必要が無く なってしまいました。けれども、神殿が象 徴したことの 問題は依然として残るでしょう。
2月21日説教 マタイによる福音書13章31~34節 「最後の言葉は言えない」 板垣 弘毅 「男はつらいよ」という渥美清主演の映画シリーズ全48 作、私的な思い入れがいっぱい ありますが... 16歳の時、 父親とのいさかいから家を飛び出し、テキ屋稼業の 旅の日 々を送る「フーテンの寅」が、妹さくらと叔父(おいちゃん)夫 婦が住む、 生まれ故郷の葛飾柴又の団子屋にときどきもど って来ます。でも、流れ者と 定住者たちには埋めがたいす きまがあり、やがてトラブルが起き、その 際においちゃんが 言う「出てってくれ」に対して寅次郎が返す言葉が「それ を 言っちゃあおしまいよ」です。かくてまた旅人の日常へもど ってゆきます。 このトラブルは、ほとんど「寅さん」の不器用 な感情のコントロールや思いこ みによる摩擦なんですが、 そこには、「芸者に産ませた子」である自分を受 け入れてく れる者への飢餓感、欠如感があるんです。それを言ったら 「おしま い」という言葉は何かを断ち切る言葉ですね。寅さ んは、「どうせ~だから」 とどうしようもない自分の欠如を根 拠にされると、いたたまれない。 「出てって くれ!」と言うような、「それを言ったらオシマイ」 という関係を絶つ「最後の言葉」 はどこにでもあります。災害 でも原発でも戦争でもそうです。どう せ一人の力ではおよば ない、逆らえない、決定的と思える時が「来たらおし まいさ」 という言葉が最後の言葉になり得ます。何か終わりを先取り するような 終末論はきっと全部ダメなんじゃないかと思いま す。 「神の国」という言葉た ゙って、人間が発する限り、最後の 言葉ではなく、「神の国は迫っている」と 告げたイエスも神の 国については「たとえ」で語ります。 むしろイエスという 存在を通して、つまり「できごと」として、人々に迫ってくる「神の 国」が あったはずで、そういうイエスを「主」とか「キリスト」とか 「神の子」と告 白する人たちが最初のキリスト信徒になって ゆきました。 「天の国はからし種に 似ている。人がこれを取って畑に 蒔けば、 どんな種よりも小さいのに、成長 するとどの野菜よ りも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木にな る。」伝承過程からもイエスがくりかえし語り、人々に直に迫 ってきた言葉だっ たのしょう。 イエスはいろいろな面から、角度から神の支配について 語ります。ここでは農民 にとって身近な「たね」の成長を取り 上げています。 経験的に知っている日常生 活の身近な 自然です。その中に働く不思議だけど確かな、種と大地と太 陽の 必然。神の国も神の支配も人には見えない、見えない けれど確かに、世界に蒔か れている、それがやがて見える 現実になる、小さく弱く見えることの中に確か に、神の支配 はある、それに気づけ、 とイエスは言われる。イエスから直 接聞 いた人たちは、社会層としては下層以下の人が多かっ たと思われますから、 絶望 的な現実を希望に向かわせる話 しだったのでしょう。イエスとの出会いは世界 と自分を見る眼を変えさせるできごとだったはずです。 しかしそれは 「神の」支配であって、人の想定を越える。 イエス自身は実感していた神の支配 を、言い表す方法は 「たとえ」つまり比喩でしかありませんでした。比喩とい うの は言葉の限界を越えようとする試みでしょう。 きょうの福音書の言葉に響き 合うことは、イエスから聞い た民衆と希望を共有することです。きょうの関心事 からいえ ば、希望とは「どうせ~だから」という最後の言葉を言わない こと です。文字通り「最後の」言葉は、聖書では神のもので す。人間の言葉には ならない。イエスは言葉以外では、神 の国をふる舞いで告げる。厳格な律法 の規定に反しても、 参加無条件の食事の場や病気治療などの「できごと」を もっ て、神の支配を指し示します。ですから神の国のたとえ話 からわたしたちか ゙受けとるのは「できごと」への招き、促しで す。イエスの食卓への招きて ゙す。最後の言葉はきっと神さま がくださるから、この目の前の現実をまった く違う目で見る できごとを生きてみないか、という招き、促しなのだと思 いま す。 神の国、神の支配はそこに起こる一つの「できごと」と してしか伝 わりません。聖書の時代の社会で、「あのとき、あ そこで」起こったことが 「今、ここで」同じ驚きや喜びをもって 起こること、神が起こしてくだ さることを信じるのがわたした ちの信仰です。イエスの言葉に聞き入ってい た多くの人たちが「おっ、生 きるのも捨てたもんじゃないぞ」と思ったりす る。自分自身も隣人も今までとは違う輝きをもって立ち上がる、そんなちい さ なできごとをイエスの言葉はいつでもどこでも起こしている んです。 そしてもう一つ、ちいさなできごとに目を向けられるのは、 「最後の」言葉は 神に預けることができるからです。ふだん でも「これで決まり」とい うふうに断定的に、権威をもってある いはあきらめを伴って語られる人間の言葉に 振り回されな い、ある落ち着きと希望を「神の国の福音」は与えてくれる からで す。
2月14日説教より ローマ人への手紙16章3-16節 「家の教会」 久保田文貞 3節以下に 「~さんによろしく」というパウロから の挨拶がズラリと出てきます。現在の 形ではローマ信 徒へ宛てたものですから、まだ行ったことのないロー マの人 たちの固有名をパウロがこれほど知っているの は理に合わない、またプリ スカとアクラ夫妻はエペソ に滞在していたし、その家の教会の「アジア州で キリ ストに献げられた初穂」と言われるエパイネトの言及 から、エペソの信 徒たちのことだろうという説があり ます。この説に添って読んでいきます。 「よろしく」と訳されているのは、アスパゾマイ「挨 拶する」という語の2人称 複数形の命令の形になって います。「皆さんが~さんによろしく伝えて下さい。」 という形になります。つまりこの「よろしく」の源は パウロからというより、神 からの祝福に基づいている からそうなるのでしょう。だから、あなた方は互 いに その神の祝福を分かちあおうと、そういう挨拶を交わ しましょうということな のでしょう。この挨拶のまと めの16節を見て下さい。 「あなたがたも、聖なる 口づけによって互いに挨拶を 交わしなさい。キリストのすべての教会があな たがた によろしくと言っています。」 この挨拶が、神の恵みの中にある人間同 士の関係を 喜び合うそういう性質の挨拶だということがわかりま す。 ここ には26人ほどの名がでてきます。プリスカとア クラ夫妻のようにたくさん の言葉で言い表されている 人、数個の形容の言葉をつけられている者、名前だ け の人もいます。名前で、ユダヤ人、非ユダヤ人など、 ある程度出自が わかります。とにかくこれらから、こ のグループにはユダヤ人-非ユダヤ人、 自由人-奴隷 のいろいろな出身の人達が混ざっていると推測できる そうで す。 私の印象ですが、不思議と名前だけの人と、形容句 をもらっている人と の差が気になりません。だれが重 要人物で、だれが一般の教会員かな んて区別がないと いう感じを受けます。互いに交わすこの人々の挨拶が、 す べて神の恵みに分け隔てなく受けていることに由来するからだと思われます。 とは言っても、これら人々の間のそれぞれの特質、 役目について触れています。 「協力者」プリスカ夫妻、 「非常に苦労した」マリア、「一緒に囚われの身」と なり、パウロより「先にキリストを信じる者になった」 アンドロニコとユニ アス、「主のために苦労して働い ている」トリファイナとトリフォサというユダ ヤ人女 性、「主のために非常に苦労した愛する」ペルシス(お そらくペルシャ 系の女性)、「主にあって選ばれた」ル フォス、その母「彼女はわたしにとっての 母」など。 それらの中身は具体的には何を指しているのかわかり ませんが、基 本的に一人一人がみな同労者であり、み な教会の中で何かの役目を担ってい る、そういう教会 が目に浮かびます。 プリスカ、アクラ夫妻に負うところの 多い「家の教 会」について。長いキリスト教の歴史で、教会が既成 化し、権威 主義的な組織に陥って動きが取れなくなる と、かならず出てきたのが教会改 革運動でした。新し く生まれる小集団はえてして「家の教会」の形に戻り ます。 もっとも日本のように、長くて百十数年の若い 教会では、伝道を始めようとすれ ば、まず家庭集会か らというのは当然のことで、聖書の原点に戻るまでも ないのですが。 「家の教会」はプリスカ夫妻にとって大きな集会所 をもつこ とになる教会への単なる通過点ではないでし ょう。プリスカ、アクラ夫妻は 生まれながらのユダヤ 人です。1世紀はなぜかユダヤ教が異邦人伝道に 熱心 だったようです。その結果、ユダヤ人の集会に「神を 畏れる人々」と呼 ばれた異邦人席が設けられた。しか し、儀礼的な食卓に非ユダヤ人を遮断し た。キリスト を信じるようになるまでは、この夫妻の家の集会もそ うしていた はずです。けれども、キリストを信じるよ うになってこの夫妻の家の食卓 は「もはやユダヤ人も ギリシャ人もない」。メシアを待ち望み、神の恵みを 分 かちあう食卓を「異邦人」に解放していった集まり となったのでしょう。アジ アの初穂と言われているエ パイネトは間違いなく非ユダヤ人です。その彼と この 夫妻の「家の教会」は感謝をもって主の食卓を共にし ました。それは教会への 通過点でなく、教会の本質を 備えたそのものというべきなのでしょう。
2月7日説教より ローマ人への手紙16章1‐16 「その一 女性宣教者の活動」 久保田文貞 前回は、第一コリント14章33節の言い訳しよう がない、また弁護しよ うがない言葉「女たちは教会 では黙っていなさい」をめぐって考えました。 そこで 一つ言えることは、近代的な人権論を旗印にして 古代のテキストに分け入っ て、イエスは宜しい、パ ウロはダメだ、と判定したって何にもならないとい う ことです。そもそもが自由と平等を旨とする近代人 権論は、自由な経済活動 をもとめた市民社会の理 屈です。その自由や平等の理念が、より深刻な差 別や 抑圧を産み出していることを差し置いて、それ でパウロを批判する資格など ありません。では、どう するか。丹念に一つ一つの記事を読むよりないで しょ う。 ローマ-ユダヤ社会でがっちりと根を下していた 父権主義に浸かりきっ ていたパウロがあのような発 言をしたからと言ってそれほど驚く必要はない でし ょう。ただし、当のパウロは、今日の聖書箇所に出 てくるフェベのよ うな教会に仕える女性と協同行動 をしていることを見逃すことはできません。フェ ベを 「ケンクレアイの教会の奉仕者」として宛先の教会 に斡旋に近い紹介をして います。 奉仕者(ディアコノス)はこの時代、まだ後の教会 位階制の身分を表し ていません。コリントから数キ ロほど南の港町ケンクレアイの集会(エクレシア) の 世話役=執事をしていたが、パウロがいなければ 福音の話もすれば食 卓の世話もしたと推測しま す。イエスの時代からまだ20年ほどしかたっていな い教会で、イエス時代の弟子たちの活動の名残は 残っていたでしょう。イエス の周りでその活動に参 加していた人たち、広義の弟子たちは、イエスの言 葉によっ て立ち上がった男たちや女たちであり、そ の活動に「仕える」者たちです。 この「仕える」ことはまちがいなくイエスの言葉から 来ていると考えてよいと思 います。 「あなたがたの間ではそうであってはならない。かえっ て、あなた がたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える 人となり、あなたがたの間で かしらになりたいと思う者 は、僕とならねばならない。それは、人の子がきた の も、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また 多くの人のあがな いとして、自分の命を与えるためで あるのと、ちょうど同じである」。 (マタイ 20:26-28) この仕えるの中身は、自分でできることを選んで 自分か らしていくという類のものでしょう。男だから こうしなくてはならない、女た ゙からこうしなくてはなら ないということがない。これは別に近代的な人権論 か ら出てくる読みではありません。「もはや、・・・男も 女もない。」(ガラテヤ 3:28)そのままです。 この勢いは、イエスの死後、イエスをメシアと信 じ、そ のメシアがやってくると信じた人々の集まり (エクレシア)で、少なくともハ ゚ウロ時代まで生き続け たでしょう。 パウロと同時代を生きた人々がパ ウロの手紙に も出てきます。かならずしもパウロから導かれ、クリ スチャンに なり、奉仕者となったわけではない人々 が存在しています。すぐ次の3~5節に 出てくるプリ スカという女性は明確にその一人です。彼女はクラ ウディウス 帝のユダヤ人追放令がでて、ローマから コリントに移住してきた人です。 彼女は自分の家を 開放してエクレシアの場を提供していただけでなく その教会 の指導者です。宛先の教会に集まる人々 の中に何人もの女性がいます。「あな たがたのため に非常に苦労したマリア」も、「主のために苦労して 働いているト リファイナとトリフォサ」もそうです。これら の女性たちは、むしろプリスカ の影響下にいるのでは ないかとすら思えます。いずれにせよ、彼女たちは、 男 たちと同じように自分のできること、自分の選んだこ とを自由にやっている のです。それがメシア・イエスが やがて来るときにふさわしいあり方だ と確信して。
1月31日 礼拝説教から ルカによる福音書 10章17-20節 「サタン的働きに抗して」 飯田義也 前回の説教で「ある(存在論)」というところか ら考え始める考え方と 「与えられている(贈与論 あるいは所与論)」というところから始める考え方 があ り、信仰の生き方において「与えられている」 というところから考えてゆくことか ゙大切なのだと お話しさせていただきました。それらは相容れな いばかりて ゙なく、むしろ、人間の生から「意味」 を抜き取り経済活動だけに専念させよう と、意図 して「与え」を否定する人々がいることも指摘さ せていただきました。 現代のサタンとは、こうし た過度な資本主義、あるいは新自由主義なのかも 知れま せん。 今日の聖書の箇所「ナザレのイエス教団」の束 の間の成功の記事です。 このあとキリストは十字 架への道、ある意味で滅びへの道を歩むわけです の で。 今日の箇所から前の方へさかのぼって読むと、 キリストは一人で宣教を お始めになり、その宣教 内容よりも癒しの力によって認められ、まずは12 人の弟 子、そして今回72人の弟子、と「教団」が 成長してゆく過程を味わわれています。 そこで「ル カ」が克明に記すのは、キリストだけがその状況 に対してたた ゙ただ「是」とするようなありかたを していらっしゃらなかったことです。彼 は、ご自 身が殺害されることを見越し、予告していました。 力ある業を行いな がら、しかし、それが神様への 道じゃない、神の国への道じゃないという ことを よくご存じでした。 教会は、初期のころから「よって立つ言葉」に 苦労してきました。 「サタン的な働きに抗」する前に、内部の一致も たいへん難し かったのです。現在でも多くの教会 で告白する「使徒信条」も制定されると きに大き な議論がありました。特に、イエス・キリストを 信じる内容として 「おとめマリヤより生まれ、ポ ンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」となっ て います。奇跡をおこなったとか宣教内容がこのよ うであったとか、弟子たち を愛したとか一切省か れています。このことは大切です。 まさに、今日のキリス トの言葉に直結していま す。 私達は、神様への信仰をもつとき、そのための 行動 に邁進しようとしますが、その行動自体が多 様で、成功する者もあれば、 ある意味「十字架に かかる」者もあります。キリストは、業を見るの ではない、 その成否を見るのではないと、ご自身 の未来を見据えながら私達に語り掛け ます。 神への応答を生きる時(それは「贈与論」に基 礎づけられて生きる時だ と考えたいのですが)私 達は「天に名が書き記されている」というのです。 そしてそのことに思いを馳せることが大切だとい うのです。私達は、一人ひ とり、どの一人も漏ら されずに、天に名が書き記されています。そのこ との 救いの大きさは、いかなるものでしょう。キ リストの救いにあずかる者であ りたいと改めて思 った次第です。
1月24日説教 第一コリント14章26-40節 「一人一人のちから」 久保田文貞 私た ちが教会のことを考えようとするとき、まず聖書読み に戻ります。そこには新 約文書を作っていった人々の集まり があり、まずはイエスとその周りに集まっ ている人々の集 団、それから磔刑のゆえ亡くなったイエスをキリストとして宣 教す る集まり(エクレシア=日本語で教会を訳していましま した)などを睨みながら、 自分たちの今の集まりのことを考え ます。はたからものすごい時代錯誤になって いると見られる でしょうが、それが最終的な教会(エクレシア)の範型になる と思っています。 ..... ただ伝統的な言い伝えに基づいて教会をやる(変な表現 ですが、見逃して下さい)のもありでしょう。しかし、私たちは 日本キリスト 教の一連の問題から、近代(日本)的人間とし て批判的かつ自己批判的にキリスト教 とその教会のことをと らえ直すよりないという場に立ちました。 そうすると聖書読 みによって、現われてくる教会はそう単 純ではありません。第一次史料的にはハ ゚ウロが形成に参与 したり(ガラテヤ、ピリピ、テサロニケ、コリント)、 あるいはこれ から関係する教会(ローマ)に宛てた手紙を通して現れてく る教会だ けです。当然、彼の手紙から見えてくる教会は彼 の経験と主観を介したもので すからそれを勘定に入れなけ ればなりません。 パウロが主題的に、教会とは 主イエスの十字架の死によ って人の罪が許され、今や神の救い・恵みが与えら れたと 信じる者たちの集まりとしていたと言ってよいと思いますが、 そうした 集まりが日一日と続いていく間に、それらの集まりに も日常の課題が出てくる し、そのひとつひとつをたとえ小さ なことでも「主題的に」処していかなけれは ゙なりませんから、 そのための集まりの形式、組織性を避けて通れません。コリ ン ト教会の場合、その地にパウロが宣教を始めてから数か 月滞在して教会づく りをした(50年頃)ものの、かれはなんと かなったと思ったか、そこを離れて別の地 に宣教に行きまし た。数年後、コリント教会の諸問題を伝え聞いて意見を述べ る、 それがコリントへの手紙です(55年頃)。 そこで組織されていく集まりの形は、 ゼロからではありま せん。パウロにとっても、コリントの人々にとっても、 自然とそ れぞれの中に刷り込まれている集まりの仕方がありました。 それはハ ゚ウロの伝道の仕方からもわかることです。彼はま ず訪れる地域(たとえば第 2伝道旅行でのガラテヤ、ピリピ、 テサロニケ、コリントなど)に住んて ゙いるユダヤ人の集会に行 ってイエスの福音を宣教します。それらの集会の形は、 パウ ロ自身もそこで育った、地中海各地に離散しているユダヤ 人の、それそ ゙れの土地での寄留者集団の、大小の差こそあ れ、集会とその日常です。その ようなユダヤ人寄留者の集 会の形の上に、福音が伝えられ教会が作られてい きまし た。もう一つ無視できないのは、そのユダヤ人集会自体が 特に1世紀 に外部に熱心に伝道いていたことです。その結 果、ユダヤ人集会には「神を畏 れる人々」(新共同訳では 「神をあがめる」人)と呼ばれた異邦人求道者が いて(使徒 行伝13、17,18章など)、おそらくパウロの福音宣教をいち はやく受 け入れたのも彼らだと考えてよいでしょう。 コリント教会の場合、12章以下を 見ると、預言者とか異言 とかどちらかと言うと異形な現象が盛んになって、熱 狂的な グループが出てきています。パウロは頭から否定しません。 多分ハ ゚ウロ自身、初期にはそういう異形な経験をしたのかも しれません。だがそれ から20年ほどたって、彼もまたかつて 親許で経験してきた日常的で静謐なユ ダヤ人集会の形の 必要を感じたのでしょうか。予言や異言という熱狂に傾い て いく教会に、秩序(14:40)あり、品位(7:35)ある姿をと勧め、 そういう指導が できる人を立てようとしたようです。 そして33節「神は無秩序の神ではなく、 平和の神である。 聖徒たちのすべての教会で行われているように、」と言っ て、例の評判の悪い言葉に入っていきます。34節「聖なる 者たちのすべての教会 でそうであるように、婦人たちは、教 会では黙っていなさい。婦人たちには 語ることが許されてい ません。律法も言っているように、婦人たちは従う者で ありな さい。何か知りたいことがあったら、家で自分の夫に聞きな さい。婦人 にとって教会の中で発言するのは、恥ずべきこと です」と。しかもパウ ロはこれを「わたしがここに書いてきたこ とは主の命令であると認めなさい」 という。わざわざ逃げも隠 れも出きないところに自分を置いてです。少な くとも共観福 音書にはこのような主の言葉は伝承されていません。 イエスの周りに 集まった集団を思い起こせば、ふだん黙 らされ表現したくてもできなかった 女性たちが積極的に行動 し語り始めている様子がうかがえます。今風に言え ば女性 たちがボランティア的に参加しています。そしてイエス死後 も数年、 使徒行伝の作者の限界はありますが、そこにエル サレム付近の集まりで女性た ちが活躍している姿が散見さ れます。だが、イエス時代に比べ女性たち の陰が薄くなって いくのは確かです。それから20年ほど経ったパウロ周辺 の 教会に、けっこうたくさんの女性たちの名が上げられ、教会 で活躍してい たことが分かります。そう単純化できません が、これら名前の挙がった女 性たちを、次回からできるだけ 追っていこうと思います。
1月17日説教 使徒言行録15章 「哀しみをもてあます異邦人」 板垣 弘毅 「よそ者」とは何か、と いうのは、いつでもどこでも規模の 大小を問わず、人間の社会で普遍的 な問題です。難民か ら保育園まで。30数年前のヒット歌謡曲『異邦人』(久保田 早紀・詞 曲)は片思いの人の失恋の歌です。あなたにとっ て私は通りすがりの 「ちょっと振り向いてみただけの異邦 人」に過ぎなかったのだ、と心の傷を 癒すために出かけた 異国の旅先で気づいているんです。「異邦人」という言 葉に は、どこか「外」の人のかなしみがこめられている感じで す。きょう の聖書では非ユダヤ人を異邦人と呼ぶのです が、この異邦人どう向き 合うかが、最初の教会には大問題 でした。 使徒言行録15章は「エルサレム使徒 会議」と見出しが 付いています。十字架で処刑されたイエスこそ、ユダヤ教 徒が待望するメシアだ、キリストだと信じるキリスト信徒が 誕生し、や がて各地にぽつぽつと集会(教会)ができはじ め、西暦48年頃に起きた のが、きょうの出来事です。 社会の隅々まで、また人々の心の隅々まで律 法の秩序 が支配している環境です。イエスの福音を、どう受けとめる か、生 まれたばかりの教会で早くも分裂が起こります。(使 徒言行録では6章以下) 結果だけいえば、イエスに従いも っと自由に生きるべきだと主張するグ ループはエルサレム 教会にいられなくなり、都を落ちして北へ向かい、シリアの 商業都市だったアンティオキアにあった教会が拠点になり ます。この町には、 大きなユダヤ人の居住区もありました。 パウロもこの教会から異邦人伝道に派 遣されています。 ユダヤ教社会の中では、キリスト信徒はほんの少数派 です が、ここアンティオキア教会では反対です。イエスの福 音は人を律法から解 放すると受け止められていました。 人は救われるために先ず割礼を受けてユダ ヤ人になっ て、メシアを信じて、それからキリストを告白できるはずだ、 と主張する人たちがエルサレムからやってきます。(1~2 節) ところが、アンティ オキアの教会では、律法から自由な 福音だからこそユダヤ人異邦人の別なく 救いの希望をもっ て生きて行けると信じたのでした。アンティオキア教会はハ ゙ ルナバとパウロを、拠点エルサレム教会へ派遣します。結 局エルサレム側は、 割礼がキリスト者になるための条件に なるようなことは、異邦人に求めるべき ではないと判断しま す。(11節) パウロにとってもこの会議は重要で、自らの 手紙にくわ しく報告しています。ガラテヤの信徒への手紙の2章では、 パウ ロは、このとき、自分はエルサレム教会に異邦人伝道 の許可をお願いしに行ったの ではなく、神からの啓示によ り、自分の伝道活動について意見を求めに行ったの だ、エ ルサレム側に「屈服して譲歩したりはしていない」と胸を張 り、「わたし たちがキリスト・イエスによって得ている自由」を 守ったのだ、と誇らしげ です。結局、エルサレム教会側は ユダヤ人へ、アンティオキア教会側は異邦人 へ、伝道対象 を分担することが決められました。(ガラテヤ2:9) 熱心なユダ ヤ教徒で、キリスト信徒を弾圧さえしていた パウロが、なぜ、イエスこそ ‘メシア’だと確信してしまった のか。この確信、最初の信徒たちが共有したも のですが、 それは、ユダヤ教の背景の中で、十字架という最悪最低 の刑て ゙果てた一人の人間を通して神が御業をなした、とい う発見でした。人がこ れこそ神の栄光にふさわしいとふり 仰ぐようなところには神はおられず、弱さ が際だったところ で、その弱さそのものの「いのち」を肯定してくださっ てい る、ここに終わりの日の希望、神の国の希望を、パウロも 見たのでした。 だから、パウロは、神により近いと確信する パリサイ派のユダヤ人であっ た自己を否定し、ユダヤ人も 異邦人もない救いをのべ伝えたのでした。 異邦 人は異 邦人のまま救われる、十字架にたどり着くイエスの 福音ならそうでしか あり得ない。イエスの語る神の国では、律法の 外におかれた、事実上の非ユダ ヤ人、つまり「異邦人」が 神の国の祝宴の客になっています。 イエスの福音で は、ユダヤ人のままも、異邦人のままもない、「本来の私」なん て神が決める ことです。 神が決める! ということに希望 をもつ。最後のところは神だけか ゙埋めてくださる空洞なんで す。 久保田早紀の『異邦人』の最後の名文句は 「あとは哀し みをもてあます異邦人」です。相手の人への果てしない思 いを「サ ヨナラ」一語の手紙に込めて、そのあと、もてあま す孤独な哀しみ、私には神だ けが満たしうるものとして、つ まり空洞として抱えて生きてゆかねばならない、 抱えてゆく ことができる、そういう孤独なのだと思えます。だれもが固 有の、その人だけの空洞を抱えている。 たかが歌謡曲、 かもしれませんが、 私なりに深読みするとこうなります。ど んな教会だって、平信徒も聖職者も、 求道者も脱落者も、 内部の人も外部の人も、この空洞を抱える、つまり「哀しみ を もてあます異邦人の群」なのだと思います。
1月10日説教より 第2コリント5章13-17節 「新しく作られた人間」 久保田文貞 5章1-4節を見ると、パウロの目は地上の「住みか」=生で はなく、なによりも天上 の住みか=永遠の生をと、熱望して いることがわかります。けれどもこの願いは、 この地上で「う めき」「苦しみもだえる」ことを前提にしています。だから、 地 上の生なんかどうでもよいというように流れていきません。微 妙な表現で すが、「それを脱ごうと願うからではなく、その上 に着ようと願うからで あり、それによって、死ぬべきものがい のちにのまれてしまうためである」。 つまり地上の生の上に、 「永遠の命」を上から着て、地上のそれを天上の生命ゾー エーで呑みこんでしまおうと考えます。約束された来るべき 目標に向かって いくのだが、その途上の、地上での「いま・ ここ」をどう生きるかと、必 死に工夫して語っているわけで す。 わが教団の70年問題を私も経験することに なりましたが、 そこで見たものは、高名な神学者や説教家らが歴史的な現 実 に向けてそれなりに発言していったわけですが、言葉の 軽さを労働者・学生た ちから追及されるや、キリスト教の「真 理」の中に逃げ込んでしまった。それ はだれにでもある人間 の弱さということでは片づけられませんでした。自分も含め てですが、 自分の言葉が持ちこたえなくなると現実から逃避 する、あたかも現実の方が未 成熟で、洗練されていないだ けのこととでも言わんばかりに。これがキ リスト教「真理」の本 質的問題ではないかと、そういうキリスト教を批判するい うこ とが私たちの課題となりました。 その点から見ると、パウロのイエス理解 がどうしてもその分 岐点です。今日の言葉も、キリストにあって始まった新 しい 事態の、地上と天上の板ばさみのなか、そのせめぎ合いを どう生きるか とパウロはもがいているわけです。 この地上と天上が離れていることを埋 め、保証してくれる ひとつのものが「霊」だと(5)と言いますが、これについ ては ここではそれ以上触れられていません。また最後の審判で キリストが現 れて、そこで地上の生の逐一が裁かれ(10)、そ の報いを畏れているがゆえに、 この地上の生をないがしろ にできないと読み取れるようなことを言いますが、 この辺りの 表現はユダヤ教以来の常套的な表現のように見えます。 彼の真骨頂は 13節ぐらいから始まります。「もしも我々が 正気でなかったのなら、神に対 してであり、正気であるのな ら、あなた方に対してである。」(田川訳) 天上 と地上の乖 離の問題に対する彼自身の心情をそう言い換えました。地 上の事柄に 「正気」で、つまり<外に出て>しまわないで、向 き合うんだというわけで す。この姿勢はどこからくるかという と、キリストの愛=十字架に死んだキリス トの生き方からとい う運びになっていきます。「一人の者がすべての者のた めに 死んだということは、すなわちすべてもの者が死んだので、 またす べてもの者のために彼が死んだのは、生きる者たち がもはや自分で生き るのではなく、その者たちのために死 んで蘇らされた方において生かされるた めなのだ、と。」(田 川訳) 「キリストが」と言わず「一人の者が」と、な んでこん なまわりくどい言い方をするのかと思いますが、そこはひと つのハ ゚ウロの気遣いが顕れていると言うべきでしょうか。つ まり、人はまずそ の人がキリストであるかどうかも知らず、彼 がただの一人の人として、 すべての人のために、もちろん自 分のためにも、十字架につけられ死んでしまっ たという事実 にぶつかる。そのことの広くて深い意味、すなわちいま・ここ で のすべての人の生き方に関わる一大事だと知る。そして、 その後、すべての 人間が彼の死によって、生かされると知 る。彼がキリストだと知る。一人の 人間の、すべての人間の 死に至る死、いのちに至るいのちと知る、彼はキリスト なの だと。 こういう一つの認識の道を、説こうとしたのでしょう。 パウロ がこの地上の体を脱ぎ捨て、天上の住みかを着こ もうと熱望しながらも、こ の地上のすべての人間の生をない がしろにできなかった最大の理由はここに あったと言うべき でしょう。 16節「だから我々は、今から後は、誰をも肉に よって知る ことはしない。もしも(以前は)キリストを肉によって知ったとし ても、 今はもはやそのように知ることはしない。」(田川訳)。 当の田川さんは『訳と註』 でかなりの字数をもって、パウロが 史的イエスに対する知り方を捨てて、信 仰のキリストへ走っ ていく問題を論じています。この点は以前から大いに薫陶 を 受けてきました。けれども、その論点で割り切ると唐突す ぎる感がします。 脈絡上はそれだけのものではないと思い ます。13節からの流れからすると、や はり、一人のただの人 の地上での死を、すべての人のための死と受け止め(こ の 限りは少しも天の事柄ではない)、しかしこのことを「死んで 蘇らされた方 において生かされるためなのだ」と知る(これが 神の事柄だと知り告白するこ と)。16節のことばは、このよう な認識の流れを言い換えたものなのでしょう。 それによっ て、この言い換えが、彼の思いもよらぬ広がりをもち、史的イ エス か、宣教されたキリストかという論題に巻き込まれること になるのは致し方ないこ とだと思います。 それはそれ、要するに現代の私たちの問題の仕方です。 とし ても、パウロがこの地上のいま・ここをどう生きるかを大 事にする一番の論 拠を語ろうとしていることを忘れてはなら ないでしょう。
1月3日説教 ヨハネ福音書10章24-30 「あなたはキリストか?」 久保田文貞 今日の 箇所は、イエスが宮清めの祭のときエルサ レム神殿の中にいると、ユダヤ人か ゙イエスに詰問する 場面で始まります。「いつまでわたしたちを不安のまま に しておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとは っきり言っていただ きたい」と。イエスは「わたしは話し たのだが、あなたがたは信じようと しない」と応えられ る。そして「あなたがたはわたしの羊でない」さらに「 わ たしの父がわたしに下さったものは、すべてにまさ るものである。そしてた ゙れも父のみ手から、それを奪 い取ることはできない。わたしと父とは一つで ある」と いう言葉が出てきて、ユダヤ人たちはイエスを石で打 ち殺そうとし た。「あなたは人間であるのに、自分を神 とした」からと言われる。 イエスは 34-36節で、詩篇82:1を引用して反論し ますが、そもそもこの詩編はよくも旧約 聖書に紛れ込 めたというほどの奇怪な個所で、周辺の神エールの 前に集められ た神々の会議が出てきます。本来、ヤ ハウェはその会議に参加した神のひとりに 過ぎないと 読めるところです(アイスフェルト)。ここの「あなたがた は神々 だ、いと高き者の子だ」という文言を挙げて、イ エスは自分が神の子と呼 ばれてなんの不都合があろ うという論調になっています。 英の古代法学者アラ ン・ワトソンが「イエスとユダヤ 教」という本を書いています。古代の有名な テキストは ローマ法と同じく、多数の資料の混成物であって、共 観福音書だ けでなく、ヨハネ福音書も諸資料の混合 によってなるとしています。そこに含ま れるカナの婚礼 (2章)、ニコデモとも密会(3章)、サマリヤの女(4章)、 ラザロ 復活(11章)などを分析して、これら資料がユダ ヤ教会堂内の保守派とイエス 信奉者の論争状況を写 していると見ます。その伝で言うと、10章22以下のあ まり 目立たない論争物語も、シリヤか小アジアあたり のユダヤ教内の論争状況を表 していると、見てよいで しょう。そこでは、ユダヤ教からイエス信奉者たち がま だ固有の教会へと独立できていない状態、あるいは 会堂から追放された り、自分の意志で会堂と訣別した りしたグループも生まれてきて、それぞ れがまだ完全 に分離しきっていない過渡的な状態になっていると考 えます。ヨ ハネ福音書には、イエスとユダヤ人の、た いていは神殿の中で、行われる論争 が何本もでてき ますが、共観書のあっさりとした論争と違って、ほとん ど の場合すぐに完結しないで、だらだらと続いていく 様子が窺えます(5章 10節以下、7、8、9章など)。 そう見ると、10章の場合も、結局、ユダヤ教会堂 共 同体のなかで多数派ユダヤ人たちが少数のイエスを 信奉する者たちに、彼 がはたしてメシアかどうか、証 明せよと迫るような図が見えてきます。イエ ス信奉者 たちはあきらかに人数でも理屈の上でも劣勢だけれ ど、頑張って いる姿が思い浮かんできます。カナの婚 宴での奇跡、パリサイ人ニコデ モの話、サマリヤの女 の話などを上げて説明しても、会堂の皆を説得する だ けのものにならない。でも、「わたしたちは、メシア・ イエスによって呼び集 められた羊です。」と率直に公 言することをいとわないということでしょうか。 とにかく、それによれば、ヨハネ福音書はユダヤ教 とキリスト教会とが、ま だ論争状況にあって、お互いが やりとりを重ねていた過渡期の様子を窺わせま す。双 方が、いやそのほかのグループ、バプテスマのヨハネ のグルー プもいたかもしれない。それぞれがお互い の信仰の立場に立って議論すると いう論争場面をま がりなりにも共有していたと見たいと思います。確か に、ヨハ ネ福音書がそのような論争状態を一歩抜け 出して、一つのまとまった主張を持つ 福音書書き上げ ているわけですが、としてもまだ論争状態が続いてい る ことはなんとなく認めている。彼らは会堂から追放さ れてくる人間を受け入れるけ れども、向こう側の審問 を受けて立つ(12章42など)のです。そういう幅広い 論 争状態は一定程度の寛容さを互いに持っていたから こそ成り立ったのだろうと 思うのです。人と人との関係 を絶対的に分けてしまう前の、はじけたかと思う と溶け 合ったり、輪郭ができたかと思うとすぐまた消えたりす る混沌をバ カにしてはいけない、けっこう豊かなものを 産み出す始原じゃないかと思うのて ゙す。 るためのポイントになってしまう。どう考えたってそれは倒錯だろう。〈行〉によっ て義を得ようとすることは、神の恵みの流れにさからって、逆に上ろうとすることだ から。 「人から誉められようと」して施しをしているという批判は、おそらくマタ イが偽善者呼ばわりする「律法学者やパリサイ人」の胸には届かないだろう。それは こういうことだろう。「傍から見ていると、君たちは自分のために、自分のエゴで施 しをしているとしか見えないよ」ということだ。それはものすごく意地悪な批判だ。 〈おまえは自分の生活をまずがっちり守っておいて、その余った分のかぎりで他者に 施しをしている、結局それはエゴイズムだろう、ほどほどの施しをするちょっと裕福 な市民を演じてみせ、ますます自分の安定を図ろうとする、それは偽善ではないか〉 と。いまの自分の生活に引きつけて考えてみると、たしかに当たっているところがあ る。この市民社会の中で、がっちりと当面は自分の家族の生活を守っていくというこ とがだれからも後ろ指を指されるはずのないと思うのだが、でもそれがなにかにさか らって成り立っているのだと思わないわけにいかない。マタイ的に言えば、なにか偽 善くさいのである。 3節に「右の手のすることを左の手に知らせてはならない」とい う言葉が出てくる。聖書の言葉を、脈絡を外して解釈をすると叱られるが、これはそ の脈絡から飛び出し、そのまま我々の時代にも深い意味を要求してくるような言葉だ。 この言葉は、人の心と行動は決して一枚岩になっていない、分裂しているという事態 を見ている。その前提の上で、そうであってはならないという立場に立っている。け れども、現在の人間はかならずしもそう考えない。人の心も行動も、多様で重層的で あることをそのまま受け止めようとする。分裂した心にマイナスの価値評価をしない。 右の手のすることと左の手のすることが異なるからといってすぐに否定しない。1人 の自分として他者に向き合うことを失敗したからといって、それ自体を逸脱、錯誤、 悪としない。そういう自分をそのまま受け入れ、自分の足取りを見つけて歩いていけ ばよいというあり方も可能なのだ。 右の手のすることも左の手のすることも、すぐ れて自分のことであることを受け入れるよりない、いやそれでいいと捉えたい。4節 「隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」 18節の言葉 もそうだが、人が神と向き合い、神と張り合い、神と義に真剣に取り組もうなどと本 気で考える人には、はなはだ辛辣な言葉だ。けれども、ひとたびその縛りから逃れて 受け止めれば、要は8節から読み取れるように、父は私たちに必要なものを知り尽くし ているのだ。とすれば誰がどこで見ているなどというこわばりを捨てることができる だろう。
1月11日の説教から 申命記6:1〜9「愛と言葉」 板垣弘毅 村上春樹論の短編の中に『タイランド』というのがあります。ある女医さんが専門の 医学学会の会議でタイに行き、貧しい山あいの村に住むおばあさんの家に案内され、 あなたの体の中には、白くて堅い子供の握り拳ぐらいの石が入っている。やがて夢の 中に緑色の大きな蛇が現れてくるだろうから、怖がらず、しっかり蛇の首を押さえな さい。その蛇があなたの石を呑み込んでくれるから、そう告げられます。女医さんは 考え、その石とは、自分を裏切って離婚した男性にまつわる憎しみだと思うわけです。 その思いを通訳の男に打ち明けようとすると、彼はこう言います。「夢を待つのです。 ドクター。今は我慢することが大切です。言葉をお捨てなさい。言葉は石になりま す。」 きょうは申命記6章です。旧約聖書、ユダヤ教の中心にあるような信仰告白 の言葉が記されています。「聞け(シェマ!)、イスラエルよ。われらの神、主は唯 一の主である。あなたは心を尽くし、魂をつくし、力をつくして、あなたの神、主を 愛しなさい。」 ユダヤ教では朝と夕に唱えることが義務づけられている祈りで、そ のまま「シェマ」と言われます。先ず第一に神ヤハウエの恵みに向き合え、というこ とだと思います。 「神を愛する」ということはどういうことでしょうか。だいたい、 そんなことできるのか?「神を愛している」と言えたとき、きっと自己流の偶像になっ ていると思います。神を「愛さない」ことが何であるかは言えても「愛する」とは何 かついては言えないでしょう。 神を愛するには、先ず神のみに向き合う、気づくとい うことから出発するしかない、「主を愛しなさい」命令なんです。人間の自発的な愛 情とは違います。短距離選手のスタート・コースのように、君の出発点はここだ、ほ かじゃない、と言われます。一方的な神の恵みに応えるかたちの第一歩です。続く6 節以下で、ユダヤ人がこの言葉をいかに大事にしたかが分かります。形式的な「言葉」 を守ることが命じられていたのではないはずです。みずからの自覚にも資格にも先だっ て、すでに君たちは受け止められている、そのことを忘れるな。 イエスの時代、 律法学者、ファリサイ派の人たち、民衆の指導的立場にあった人たちが本来の律法の 精神に反していると、イエスは強く批判します。ユダヤ教指導層は、すぐにイエスを 抹殺してしまいましたが、彼らもシェマについてはこう言っています。<マルコ12: 28〜32!> でもここでイエスはレビ記にある隣人愛の律法を「シェマ」に続 けています。イエスはどうして二つ並べたのか。十戒よりも重んじられたほどのシェ マというイスラエルの民の信仰告白が「石」になっていたからだと思います。 例えばある絵に引きつけられて言葉にしないで見入っているときと、その絵につい ての解説を読んだあとでは何かが違うと思います。今度はその解説の言葉ぬきに絵を 見ることはできません。納得と感動はどこか違います。言葉はできごとを離れて独り 歩きます。信仰告白も同様です。言葉ができごとを「説明」します。やがてその説明 こそができごとだ、という転倒が起こります。 まず無条件で招かれている、それが イエスの福音でした。それを条件付きの招きにしてしまう。石のような言葉にしてし まった。イエスはそういう転倒を第二の戒め、「隣人を自分のように愛せ」、で食い 止めたのだと思います。これだって「石」になってしまうことを免れませんが、イエ スは「神を愛す」ことは隣人を、他者を愛するできごとの中で知らされる、知らされ ることだと言っているんです。人が自分であれ、と招かれていることは、自分と同じ ように神から「いのち」を与えられている他のできごとに出会うしかないのです。 「神を愛せ」と命じられても人間には不可能です。せいぜい神に愛されている自分を 受け入れることから始めるだけです。カール・バルトという神学者は、「信仰告白は 歌や踊りに近い」と言っています。最初の感動を指し示す言葉だからです。でも教会 の歴史では、神を讃美する言葉なのに、この言葉を共に唱えられない人は我々と同じ ではないと、排除や区別の道具にもなりました。信仰告白の言葉はとてもきわどいと ころにある言葉の一つだと思います。 冒頭の短編のように、ひとりで抱えて、言葉 にすれば「石」になる孤独、つまり誰も埋められない空洞は神に向けられています。 神だけが埋められる空洞がある。それが聖書の信仰だと思います。言葉を捨てて緑色 の蛇が夢に現れるのを待ちなさい、そんな外からのできごとでしか救えない石を人は 抱えている、というわけですね。 イエスは、言葉が石になることをよく知っていた と思います。神の国を、言葉だけでなく、開放的な食事などのできごとにしています。 わたしたちにできることは、日々、具体的に、意のままにならない他者のいのちに出 会うことなのだと思います。教会の信仰告白の言葉は、隣人と出会い神を讃美し、感 謝するための一つの道具です。
1月4日の礼拝説教から ヨハネの手紙一 4章7−12節 「神は愛だから」 飯田 義也 今日の聖書の箇所は、3年サイクルの聖書日課(日ごと に読む聖書の箇所)で印象深いところです。3年ごとに読むわけですが、そのたびに 新たな発見があります。 そして、オープンコミュニオンの課題とも重なる箇所だと 思っています。自分の考えとして聖餐式はオープンでなければならないという思いが 強まっているのですが、現在の教団では、逆の流れとなっています。 信仰をもって から、行いによって救われるのではないと言われながらも、どのような生き方が神様 の御心にかなうのかと考えてきました。差別を助長する聖餐式をやりたいとは思いま せん。神様の前に正しくいきたいと思うのです。 今日、この聖書の箇所で言われて いる大切なこととして、私たちの神への信仰が先ではないというところにチェックを 入れたいと思います。神様がまず人間を愛してくださっていると書かれています。人 間の方で神様を大切にしなさいというのとは違うのです。 たとえば「なんで自分は こんな人生なんだろう・・」なんて考えることがあります。神様が愛してくださって いて、この人生というのなら、受け入れなきゃしょうがないですよね・・と考え直す のです。 これまでわたしは、地獄の業火で焼かれる者とは、原発推進論者に他なら ないとか、差別主義の支配者に他ならないとか、聖餐を何か特権のように考えて分け 隔てをする人に他ならないとか考えてきたように思います。 でも今回、この箇所を また味わってみて、分け隔てしている自分に気づいてしまいました。差別してはいけ ないなどと主張しながら、心の中で「あの人たちは救いがたい人たちだ」と、下に見 ていたのです。 前回の説教では、十人の乙女が花婿を迎える箇所からお話をしまし た。十人の乙女は分けられるがそれは最後のことです。終末なのでやむを得ず分けざ るを得ないということなのです。改めて、それまでは同じ生活圏で生活しているとい うことが意識されてきます。 異邦人の神というのは、人間的には驚愕の自分とは異なる生活習慣を持つ人々を、 神は栄えさせていらっしゃるということを指します。 人間が「あんな奴が生きてい るなんて信じられない」なんていう人を、神は平然と生かしておられるのです。 絶 句せざるを得ません。 神を知って愛するということがわかると書かれています。人 間が自らの力で愛するとは言われていない。 神が先に愛してくださっているのです。 神様から愛されちゃったら、これはもうしょうがない、受け入れざるを得ない。神様 から愛される者としての生き方をしてゆくほかはない。そういうことなのだと思いま す。 そしてここで神様は、関係の中に働く方として書かれている。前述を受け入れ がたいので、信じないと否定することは自由です。でも、人と人がかかわる中に、神 様は働いてくださるということです。