説教ノート <2015年1月から12月分まで
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12月27日説教 ヨハネ福音書15章16節
 「選ぶこと選ばれること」 久保田文貞 「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしが あなたがたを選 んだ。」という言葉は「選ぶ」というこ との大切な面を語っています。すぐ 浮かぶのは、「受胎 告知」で一介の乙女マリヤがイエスの母として選ばれ たことです。神がマリヤの胎を神の子のやどる胎に選 んだこと、一切はそ こから起こりました。 ほとんどの場合、選ばれたものは天狗になります。 安倍 首相が最たる例です。昨年の総選挙は半数に満た ない投票数にもかかわらず、 自民党が小選挙区で75% の議席数をとってしまう。比例代表制で少しは緩和さ れていますが、それでも全体として50%未満の投票数 で3分の2以上の議席をとっ た与党から安倍が再選され、 その後の安保法制で見る通り、彼は憲法から逸脱 する ことも辞さないことになりました。 選ばれた者がいつのまにか選ぶもの を追い越してし まう。これは政治に限らず、なぜか、選ぶ-選ばれる に基 本的に付きまとうところがあります。というわけ で「あなたがたがわたし を選んだのではない。わたし があなたがたを選んだ。」という言葉は、 選ばれた者に 次の傲慢の道を開いてしまう、そういう面を持ってい ることを見て おかなければいけないでしょう。 ではなにが言われているか。15章の文脈 に戻して考 えてみます。 イエスの言葉として、わたしはまことのぶどうの木、 私の父は農夫であると、またあなた方はわたしという ぶどうの木につながっ ていなさいと言われる。私につ ながっていないと実を結ばないと。つながっ ているこ とは私の愛にとどまることであり、私の愛の内にとど まって、お互 いに愛し合いなさいと言われる。 イエスという木につながった後どうしろこう しろと は言わない、ただその愛の内にとどまって互いに愛し 合いなさいという のです。その点ではパウロの「教会 はキリストの体」論と重心の置き所が 違います。パウ ロの場合は、キリストの体の一つ一つの肢体としてど んな役割 を負うべきかという具体的な奨めに向かって いきます。有機体的教会論になって います。 でもここでは、つながっていればよい。つながって いればよ い実を結ぶというのです。では、つながると いう以上、自分の意志決定て ゙つかんでいるということ か。そうとすれば、自分で何を掴むか、自分で 選んで いることになる。ここに生まれる自負に対して、しか しそれは「あなたか ゙たがわたしを選んだのではない。 わたしがあなたがたを選んだ。」 ということをとことん 覚えておけよということなのでしょう。 それにしても「選 ぶこと」と、「選ばれること」は、 対等な関係になれない、そもそもが非対 称的なのだと いわんばかりです。 話が戻りますが、あのマリヤは選ば れて、鼻にかけ て偉くなってしまわない。決してエリートにならない、 からこその マリヤだと私は思いたいです。神が神の子 の母としてマリヤを選ぶという 選びは、そこだけ切り 取ってみますと、ものすごく非対称的です。そのマ リ ヤの口をして「この卑しい女」と言わしめるのですか ら。 かつて1968~70年の 全共闘運動の中で人間の声を閉 塞させる一切の権威、組織の解体を求め、同時に それ を知らずの内に追い求めてしまう自己の解体、否定を 自身に課し、呼びか けたわけですが、その時、女性た ちから声が上がった。女たちはこれまて ゙男たちとその 体制から否定され、解体され続けてきた。なんで今さ らあの男た ちと一緒に自己否定しなければならないの、 これから女たちは自立し自己肯定し ていく、男から選 ばれる女でなく選ぶ女になると宣言しました。リブで す。その後の展開をいま追いませんが、少なくともそ の時の彼女たちの提起は衝 撃的でした。 さて、これとほぼ同じように、マリヤを選ばれたマ リヤとし て「卑しき女」という自己否定をそのままお しつけ、こちらがわ、つまりは男の 側から分かったよ うな顔をしてしまう自分がいないでしょうか。誤解を 恐れす ゙言えば、神が選ばれたマリヤは自己否定や解体 など必要のない、はじ めからただの人、ただの女性、 わたしたちが手を突っ込む必要なんかない人 だったの では、と思うのです。パウロは「有力な者を無力な者 にするため に、この世で身分の低い者や軽んじられて いる者、すなわち、無きに等しい者 を、あえて選ばれ たのである。それは、どんな人間でも、神のみまえに 誇 ることがないためである。」(Iコリ1:28,29)とコリ ントの信徒たちに書いてい ますが、たとえパウロであ れ、マリヤにはそんな言葉をかける資格も必要も ない のではないかと思います。 いずれにせよ、選ぶことだけでなく、選 ばれること も自慢してしまう私たち人間によくよく注意しておか ないとなりませ ん。


12月20日の説教から 「小さな解放」 マタイ福音書2章1~17節 板垣弘毅 「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘム でお生まれになった」 当時イドマヤ人のヘロデ(在位前40~4)が、ユ ダヤ人の王として任命されていまし た。歴史家ヨセフ スの記述では、ヘロデは残忍な王で、王の地位を揺る が すと思うものは、家族さえも殺しました。妻の弟、 祖父、それから妻自身も、また 二人のあいだに生まれ た子も。 はるばる「占星術の学者が東の方から」エル サレム までやってきてヘロデに『ユダヤ人の王』として生ま れた人物がい ると伝えます。歴史的事実というより、 クリスマス物語として、最初のキリスト者 たちのあい だで、早くから語り伝えられてきたものだと思います。 「これを 聞いてヘロデは不安を抱いた。エルサレムの 人々も皆同様であった。」 『ユタ ゙ヤ人の王』といえば、旧約では、「神の子」と いう表現も、「イスラエルの 王」「ダビデの子(孫)」と 結びついていて、クリスマス物語では、ダ ビデの由来 する家系とか、ダビデの町ベツレヘムにこだわるんで す。ヘロデが心配するのも、さもありなんというとこ ろです。 マリアとヨセ フは、お告げででエジプトへ脱出し、 ヘロデ王はベツレヘム一帯の 二歳以下の男の子を一人 残らず殺害してしまいました。これがクリスマス物語 に書かれていることです。 このような幼児虐殺の事実は旧約のモーセの誕生物 語 を下敷きにしてなされた創作だと言われています。 いわば旧約の故事の我田引 水的な使い方ですね。大切 なのは書いた人と読む人との間に起こることです。 こ の言葉に込められた思いに、どれほど深くひびき合え るか、だと思いま す。 最初のクリスマスを描く聖書は暗い人間世界をさし 示します。それが変わら ぬ人間の姿であり、そこにイ エスが誕生したと伝えたいのです。 今年も真夜 中に事件に巻き込まれて命を落とした子 供のニュースが後を絶ちませんでした。 背景に子供の 貧困、つまり脱出しがたい格差の社会があるわけです が、夜 働かざるをえない母子家庭の子らにとって「夜」 をどう過ごすか、まことに 切実なことなんです。この 「子供の貧困」ひとつとっても明るい見通しはありま せん。この「夜」をどう過ごすか。 だからといって逃げ出して、生きるこ とを止めるわ けにはゆかない、私たちは生きる意味なんか考える前から、生まれて 生きている。 イエスの誕生に幼児虐殺が伴ったことは、とても理 解できること ではありません。でも聖書はこう書きま す。「こうして預言者エレミアを通し て言われたことが 実現した」 エレミア書からの強引な我田引水なんで すが、 聖書が伝えたいことは、救いとは、人間の望み が実現することではなく、神 の望みが実現することだ、 ということです。だから、世界の意味なんかを 固定化 しないで、生かされている「いま」を生きる、宮崎駿 流に言えば「ひと まず生まれた子をみんなで祝福して、 いっしょに苦しみながら生きてゆきま しょう」なので す。 沢木耕太郎の若い頃の一人旅を描く『深夜特急』と いう本 で、インドを旅していたとき、生活共同体であ り、孤児院でもあるアシュ ラムで、その日この共同体 入る二人の少女にであう。いわば社会からも家族 から も捨てられた子です。「彼女たちの放心したような表情 の奥に、もう自分の 身にどんなことが起ころうとも驚 きはしない、といった絶望的な無関心さが 秘められて いると感じられ」て不憫だったと言っています。数日 後、こざっ ぱりし、シラミ対策で髪も短く、幼稚園児 のようでかわいくなるのですか ゙、すべてに無関心でた たずんでいる。ある日、世話係の年長の子供が 年下の 子を地面に座らせ、髪を結ってあげているのを見ます。 櫛でとかし、小 さくまとめてゴムで止めている。そこ にあの二人の女の子がやってくる。年 長の子が笑いな がら何かを言った。たぶん「髪が伸びたら結ってあげ るわね」とでも言ったのだろう、と沢木さんは思いま す。すると、意外にも、 幼い子らの瞳に微かに光が宿 った、それは確かに幼子たちが外界に興味を取り 戻し たことには違いない、と感じるんです。後にテレビで 旅を再現したと き、この場面で、沢木さんはこう語っ ていました。「人を解放させるのは、髪か ゙のびたら結っ てあげるからね。というような些細な言葉なんだ」。 ファシ ズム国家、差別的な仕組みなどから、革命や自 由を勝ち取るような大きな解放 があり、またそれとは 別に、置かれた場でその暗さに封じ込められることな く自分の与えられた光を灯し合うという小さな解放が ある、と思います。幼い少 女の瞳に宿った光、です。 子供の「夜」だって深いのです。ここでは大は 小を兼 ねるというわけにはいきません。 人 は ま ず た だ 生 き る 、「 ひ と ま ず 生 き る 」、 そ の こ と に集中する。そのときふと、思いがけず、こんなこと があるの なら生きているのもわるくないなあという瞬 間、がおとずれるはずて ゙す。それは決まって! 他者の 思いがけない存在です。人生の一貫性は 神に任せれば いい、イエスの福音です。
12月13日説教 ルカによる福音書1章25-38節 「神の子ととなえられん」 久保田文貞 クリスマス 物語が想像力の産物だと申し上げま した。けれども、そこではこれが 私たちが言う歴 史的事実かどうかなどということに初めから関心 がないよ うなところがあります。想像力をはたら かせて、イエスこそ神の子であると告 白する所以 を少しでも語りたい、というのが物語作者らの思 いです。 イエ スがガリラヤ地方で宣教を開始し、数年の うちにそこを切り上げ、ユダ ヤ教の中心であるエ ルサレムに行く。エルサレム神殿体制とおりあい がつかな かった。結果的にイエスはローマ帝国へ の反逆者に仕立て上げられ、死の判決を 受け殺さ れました。イエスの十字架死に至る歩みの中に多 くの人々が神の真実を よみとりました。最終的に 彼らはナザレのイエスを、メシア=キリスト、神 の子、 救い主と受けとめ、告白しました。イエス の生涯において神の真実が成ったとい う、それ以 上でも以下でもない、というわけです。そのよう な思いから編み 上げた物語のひとつがクリスマス 物語ということになりましょうか。前回の繰 り返 しになりますが、この物語を編み上げていった人 々の思いを、また想像力 をもってよみとれればと 思います。ただし、その想像力はイエスの死と共 にと ゙こまでも落ちていく人々をひき上げていく、 そういう想像力です。 クリス マス物語にも定まった方向性がありま す。天使が「神の子ととなえられるだ ろう」と告 げる相手の母マリヤは、決して偉大なる母などで はなく、その子 の母は一介の乙女にすぎなかった と。たしかに不思議で、大人にとってはそん なこ とあり得ないと思うようなことが、この誕生物語 をとり巻いているのです が。 天使は、マリヤに〈あなたは聖霊によって身ご もる〉と告げます。マリ ヤは、「どうして、そん な事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫 があ りませんのに」と応えます。 天使は言います。「聖霊があなたに臨み、いと 高き 者の力があなたをおおうでしょう。それ ゆえに、生れ出る子は聖なるもので あり、神 の子と、となえられるでしょう。」 天使の言葉が一介の乙女に伝えら れていくの ですが、彼女がただの乙女でしかないことに 変わりありませ ん。この誕生物語を作った途 方もない想像力も、マリヤをそれ以上にも以 下にもし ないのです。 このことは、マルコ福音書が、マリヤをただの 母親にしておく こととつながっているように思い ます。マルコ福音書ではどちらかというと 否定的 にしか出てこない母マリヤです。5人の男の子と、 2人以上の姉妹を育てあ げる肝っ玉母さん。家を 出て行った長男イエスが、帰ってきてほしいとこ ろな のでしょうが、でもそうやって自分の子が人 々から信頼され何かのリータ ゙ーとして活躍してい るのを目の当たりに見て、諦めて兄弟を連れて故 郷に帰って いく、そういう母です。 イエスの母が、そういう母だということを、ク リス マス物語がなんとか守りにぬいているという ことがとても大事な点だと思い ます。「聖霊によ って身ごもった」という内実はどうあろうと、乙 女マリヤは 〈ただの母〉にすぎない、生まれる子 も〈ただの人〉にすぎない。「聖霊 によって身ご もった」と告げられ「そんなことがあり得ましょ うか」という ただの母からイエスは生まれる、少 なくとも私にはこれで十分です。 そのイ エスが、ただの人として生き、そこから ただの人として神に信頼して福音を 述べ、そのよ うに生きて、つかまって極刑にされても何もでき ないただの人 として死んでいく。その人に神の信 実が宿る。そういう人の誕生物語がクリ スマスな のでしょう。
12月6日  説教
ルカ福音書1章26-31節
 「乙女マリア」 久保田文貞 横浜で「万 博問題と宣教論」というテーマで話をし ました。当時の歴史や発言などを紹介 しながら思うと ころを述べました。質疑のとき、若い人から〈70年代の 教団問 題の話を聞くといつもその説明は分かる気が するが、どうしてもギャッフ ゚を感じて、ではどうするとな ると自分の力にならない〉という意見が出 されました。 世代論というより当事者性という普遍的な問題がある でしょう。 人と人の間のギャップはどうにもならないもの なのか考えさせられました。 もうひとつ、NHKの再放送で、映画『母と暮らせば』 を制作中の山田洋次監督の 話で、庶民の生活を破 壊する長崎原爆もさることながら、戦時中の生活感を い かに若い俳優に伝え映像化するか、その苦心を語 っているのを聞きました。監督は、 若い女優さんに白 いご飯に生卵をかけて食べるというイメージがあの当 時 なんだったか想像力をはたらかせて、セリフを語っ てほしいと注文を付けるのて ゙すが、なかなかOKをださ ない。時代のギャップを想像力をはたらかせて 乗り越 えてほしいということでしょう。 さて、イエス誕生の物語について、一番 古いマルコ 福音書にそれがないことはご存じの通り。イエスの母 は福音書の 中に二回出てきますが、イエスはむしろ 家族を吹っ切るかのように周辺の人を指 して「ここに わたしの母、わたしの兄弟がいる。神のみこころを行う 者はだれ でも、私の兄弟、また姉妹、また母なのであ る」(3:31以下)という。またイエ スがナザレに里帰りし た際(?)ナザレの会堂で聴衆が舌を巻くような話を し たところ、彼らは「 この人は大工ではないか。マリヤ のむすこで、ヤコフ ゙、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではな いか。またその姉妹たちも、ここにわた したちと一緒に いるではないか」と囁く(6:1以下)。ことほどさようにイ エス の家族についてそれだけしか報告していませ ん。マルコの執筆時(60頃、または70 年)降誕物語が 断片的に存在したかもしれないが、いずれにせよマ ルコには 必要なかったのでしょう。その点では、さらに 10年以上はやくから宣教のため に手紙を執筆したパ ウロも同じです。彼はガリラヤでのイエスの事績に さえ 関心がない、まして誕生物語など圏外でしょう。 降誕物語を回収したの は、福音書記者マタイとル カです(90年頃)。両者にそうとうの違いがあります が、共通しているのは、イエスがベツレヘムでマリヤよ り生まれたこと、 マリヤはヨセフの許婚者であったが男 を知らなかったこと、聖霊によって身こ ゙もったことで す。その上にそれぞれが神話的かつメルヘン的な物 語を加え ています。 パウロ-マルコと、マタイ― ルカの間に明らかにギャップがあり ます。マルコがか ろうじてえがくイエスの母マリヤの像から見えてくるの は、 家を飛び出して、群衆の間でなにごとかを語り、 行動する息子イエスからと ゙んどん離れて、おろおろす るばかりの母親です。これに対してマタイとル カは、母 マリヤを神の子の母とします。その懐胎の仕方も尋常 でないこととして 語り上げるわけです。 マルコも福音書で、パウロにしても手紙で、イエ ス が十字架につけられて死なれた、その後神によって 挙げられた出来事をたた ゙の歴史的出来事として語る のではなく自分に関わりのあることとして、自分の 救い としてまずは物語る、その意味で母マリヤに関心が及 ばなかったのて ゙しょう。これに対してマタイとルカの降 誕物語は、そのイエスが神の子であ るというところに 重心を移します。その告白の中で、イエスが母マリヤ から生 まれた出来事をも、自分の救いのこととして語 っているのでしょう。このように 告白された降誕物語 は、明らかに想像力の所産です。ですから、それはな くて もよかったと口をふさぐのもありだと思います。だと しても、ある時期から、 降誕物語をキリスト教の大切な 祭りとして守ってきたのも事実です。 そこで私 はこのように思います。想像力をもって降 誕物語を創造し、また受け入れることか ゙できた人々が いる反面、降誕物語をなしで良しとする人々もいる。 でも、 それぞれイエスのあの出来事を想像力をもって 自分のこととして受け止めた始点 は同じです。その想 像力をもって互いに受け入れあおうではありません。
11月29日 ヨハネによる福音書1章1-13節 「与えられているということ」 飯田義也 今日は皆さんに一足早いクリスマスの「言葉のプレ ゼント」を差し上げたい と思います。 ジャン・リュック・マリオンというカトリック系の神学者 ・哲学者 がいます 彼はまず「現象学」の祖フッサールの議論から始め ます。フッサール は、事物に関する判断を中止・中断 して(エポケー)それが本質的な事柄であ るかどうか 考えること(還元)が必要だと主張したのです。考えの スタート 地点、いわば言語体系の創造のはじめを探 し、その結果「主体」と「対象性」 だと言いました。議論 が始まり、ハイデッガーが、対象は「存在する」 のでは なく「起こってくる」のだと「生起」ということを言いまし た。古代人 の直観である「創造」にだいぶ近い感じで す。 さて、さらにマリオ ン・・。もっと「還元」を深めて「与 え(贈与論)」というところに行き着くので す。 こうして「存在論」VS「贈与論」の図式が完成しま す。準備が長くなりま した。つまり、何か考えの出発点 に「ある」を置くか「与えられている」を置くか ということ です。ここに大きなおおきな違いが生じることに私は 気づきま した。 障がい児教育の専門家から聞いた話。ある夫婦に 重症の障がい児が生 まれた場合「子どもを作った」と 考える人々は障がいを持った子を育てないこ とが多 いのに対して「子どもを授かった」と考える人々は、そ の子を大切に育 てるというのです。出発点の大切さ、 伝わりますか。 「ある」に対しては「ない」 が対義語になります。「与 えられている」に対しては「返す」でしょうか。 マ リオンは「ある」ものだから経済活動が可能になる と言ったそうです。「交 換」は「与え」と対立する概念で す。だって、見返りを求めた瞬間、贈与は贈 与でなく なりますものね。「持っているもの」なら売り買いでも 「与えられた もの」なら「あげる」「返す」ということになりますよね。それはフランス語だ と「応答する」という言 葉でもあります。まさに教会が「神への応答と感謝の しるしとして献金をいたします」などと礼拝で伝統的に 言ってきたことともつ ながることです。 キリスト者が死を怖がらないとされてきた本当の理 由も、 現代社会でキリスト教が疎まれる理由もそのあ たりにあるかと気づきました 「ある」と考える命は「なく」 なります。無になってしまうから怖いのです。 「与ええ られた」命ならどうでしょうか。ただ「お返しする」だけ です。 与えられた命をもとに返すということになりま す。今日は深くは触れませんが、 そこにある「委ねざ るを得ない」感じも大切に味わいたいところです。 この あたりは北海道で暮らして、アイヌ民族の方々 から学んだ気がします。お墓 は「たもの木」一本の墓 標で、ある年行って木が倒れていると「その人の魂は 神様のもとに還った」として、もうお参りしないということ になるとのこと。 経済 教徒(?)らは「贈与論」が嫌いです。この世は 偶然できたのだ。意味なんか ない。人はただお金を 稼いで生活を立て、お金を使って楽しみ、経済活動 だ けで生きるのだと、お金をふんだんに使ってそうし た価値観を広め続けてい ます。それに対して、確か にお金は必要だけれど人を幸福に生かすのはそのこ とではない、・・と抵抗する必要があり、その要請は日 に日に強くなっている 現状だと思います。 スタート地点を「与えられている」ことに置き「愛」を 説く ことが大切です。説教は「与えられている」というこ とを徹底して言葉にして ゆくときに神の言葉であり、説 教自体が言葉のプレゼントでなければ なりません。こ れも伝統的に受け継がれてきたことです。宇宙のブラ ックホー ルに対するホワイトホールのように、光 の言葉を語っていきたいと思います。また、 その ように試みる時、私たちは、今日の聖書に書かれ ているように「神の子」と呼 ばれるのです。
11月22日 羽生の森教会と合同集会 マルコ福音書13章1-2節
 「わが解体」 久保田文貞 この集会は、元東京復活教会と、元羽生伝道所、 北松戸伝道所の3つが集 まっています。3つにはた だ知り合いだっただけでなく深いつながりが あり ます。ご存じない方もいると思うのでこの機会に それぞれがこだ わり続けてきたことの一端なりと も分かちあっていただけたらと思い、お話しし ま す。 それは1970年の万博に教団がキリスト教館に参 加することをめぐって 起こった反対運動に始まり ます。NCC(日本キリスト教協議会、プロテス タント諸 派の連合体)とカトリック教会がこれを 建設することになりました。万博の主催者 らの意 図は、戦後日本の経済的復興と発展により、科学 技術と生産力の誇示、さら に戦禍をくぐっても残 った伝統文化、このように欧米文明と融合した日 本におい て、人類の進歩と調和とがここに見事に 開花している。それを認めてもらおうと いうわけ です。キリスト教としては、この場を宣教の一機 会ととらえていこうと キリスト教館建設を企図し ました。そのテーマは「目と手――人間の発見」。 近代技 術文明の行き過ぎはともすると人間を疎外 する。キリ館はそれをしっかり見抜く 目となる。 また近代文明は人間を振り落すかねない、それを ささえ、かかえ起こす 手となると。 だが、国家予算が67年度5兆円、70年度7兆円の 時代に1兆円を かけて万博の工事が始まったわけ で、結果、周辺の生活・環境が破壊され、 大企業 だけが儲かり経済格差が拡がる。万博の政治的意 味を如実に示して いるのは69年訪米した佐藤首相 とニクソン大統領の会談とその共同声明です。米 ソ冷戦下、ベトナム戦争の北爆が続く中、日米安 保の維持強化を約束したうえ、 沖縄を返還、ただ し米軍基地はそのまま以後も自由に使用できる、 その当時は 密約ですが、核兵器もそのまま残すと いうものです。米国のアジア戦略に 完全に組み込 まれることになりました。万博は60年安保の二の 舞を演じないないよ うに、人々の目をお祭りの方に逸 らせておくためのものでした。 このような万博 に参加すべきではないというの が反対者たちの主張でした。近代的な経済・ 文化 の発展という表の面の裏側で、かならず無視され 切り捨てられていく人間 を吐き出していくことに なるのが社会科学的に確認されてきた現実です。 歴史 的にキリスト教は、近代の政治、経済、文化 の推進の側に寄り添って己の場を占め ていきまし た。そこで「目」となり「手」となって働くこと があったかもしれ ない。だが、ほとんどはその構 造を根本的に見とおすことなく、だらだ らと近代 社会の宗教、文化として協力したに過ぎないので はないか。万博を文 化的に飾ってくれと頼まれれ ばハイハイと出て行くだけのものでしょうか。 万博キリ館はキリスト教宣教の一宣教というわ けにはいかなかった。日本のキリス ト教は近代日 本の国家の仕組みの中に根元から組み入れられた ものだった。国家 の動員に対して、動員されたこ とを隠してほとんど自発的にやっていますという 顔をして、応えていった。そういう日本基督教団 でよいのか、万博問題はそのよ うな自己批判をこ めた問いだったと思います。柄谷行人がよくいう ように 「批判はもとより単なる相手を非難する ことではなく、吟味であり、むしろ自 己吟味であ る」と。この自己批判、自己吟味にはおのれ自身 を解体する契機を含 んでいると思います。70年代、 80年代私たちは、自己吟味をこめて日本基督教団、 日本のキリスト教に対して根本的な問いなおしを 求め、当然自身にも課してきまし た。 この姿勢を続けることが難しいのは当然です。 次の世代にどう継承する かなんて考えるゆとりは ほとんどありませんでした。出会った人々と言葉 を交 わし、確実に何かをしていくよりありません。 私たちはなおも70年から引きずっ ている思いをも って、やれるところで何事かをやっていくでしょ う。それで いいと、ここに集まった3つの教会の 古いメンバーたちの多くが思っていると、 私は見 ています。
11月15日ルカ福音書9章57~62節 「いのち~不連続の連続」 板垣 弘毅 先週、埼玉 県羽生市の児童養護施設をめぐるドキュメン ト番組があり、自分も同様の施 設の出身であり、また羽生と いうことで関心をもって見ました。登場した子ら は、幼いころ は親に「捨てられた」と思うまいと必死に自分に言い聞かせ ているん ですが、やがて自分が捨てられて「ひとり」であるこ とを思い知らされ、 境遇を必死で耐えてゆきます。100m競 争を1m下がってスタートするのような子 らを前に、自分にな にができるかと思いつつ生きてきたと思います。きょうは イエ スに従う、ということから考えます。 イエスは何をしたのか。今から2000年く ゙らい前、さほど 広くないパレスチナの一角に、すい星のように現れ、1,2 年、 駆け抜けるように生きて、刑場の露と消えています。主 に社会の最下層といえる人々 に共鳴しています。こ難しい ことは何も言っていないはずです。一言で言え ば、「神の国 は近づいている。悔い改めて(=方向転換して)それに今 備えよ」 といったのだと思います。神の国を待つという信仰 は、、当時のユダヤ教徒に 一般的でしたので、イエス独特 のものではありません。でも、イエスは、 神の国は近い、もう はじまりかけている!といったので、ユダヤ教がわから は抹 殺されたのでした。イエス自身は、世界の終わりとともにや ってくる「神の 国」を、天上での大宴会にたとえたりしていま す。それも地上では虫けらのよ うに扱われた人が、その「い のち」を大切にされて、優先的にその宴会に連なっ ていると いうイメージです。この「神の国が近い」というイエスの福音 をも とにして、きょうのところを見てゆきたいと思います。 3人の弟子志願者が登場 します。 「狐や空の鳥にはねぐらがある」人間であるわたしには、 「枕する ところもない」、野宿同然だ。わたしにしたがってく るということは、こんな 生活が待っているんだ。(58節)別の ところで領主ヘロデのことをイエスは 「あの狐」と、また「死体 があるところに禿鷹も集まる」と言っているので、 ここの狐と 空の鳥は、肉食を習性とする生き物にかけて権力者をイメ ージしてい るのかもしれません。民衆を搾取する権力者た ちの豪邸とは対照的に、居場所を失っ ている人々と同じよう な生活を、イエスは生きています。 次の、父を葬ってから 従いたい、という志願者には「死ん でいる者たちに自分たちの死者を葬らせよ」 (60節)と言い ます。文字通りにとれば、葬儀はするな、放っておけという ことて ゙す。律法では、特に肉親の父親の葬儀は大切で、そ のために厳格をきわめた 安息日の規定からも免除されてい たくらいです。この言葉は「今」というときを イエスと共に生き ることに目を向けさせます。イエスに従うということは、世の 中 の価値とは別の価値を、死のなかにではなく、今生きるこ とのなかに見出す、と いうことなのでしょう。 三番目の「まず家族へいとまごいに行かせて」(61節)と いう志願者には「鋤に手をかけて後ろを振り向く者は、神の 国にふさわしくない」 と言います。家族というつながりも、イ エスに従うことに比べたら二の次なん だ、と言っています。 つまり、家族なら、親子なら当然、という世の中の通念に くさ びを打っています。イエスに従う、つまり「迫っている神の国 に備えて生き て行く」ということはこういうことだと断定しま す。 一度切れなくてはつなが れない関係というものがありま す。親子関係もそのひとつ。自分の孤独を見つめ られる人 が、他者の孤独にも連帯でき、寄りそうこともできるのだと思 い ます。 神の国が近づいている、それに備えることが人の生きる 緊急の課題た ゙、それはきみが、何をおいてもぶつかるべき 問題なのだ、 君はどうな んだ?世の中の基準からではな く、たったひとりの、肩書きもレッテルもない 「ただの人」とし てわたしに向き合えるのか?、とイエスは言います。この迫 り 方は、1世紀のパレスチナのほんの片隅という限定のなか で言われたことです が、今もわたしたちの胸を打つ指摘、 生きた言葉だと思います。 イエスの「神 の国」とは、「一人のいのちの、不連続の連 続の希望」です。これはわたしの言 い方です。「不連続」と いうのは断絶、人間では決してつなぐことがで きないこと。 その代表が「死」です。「不連続の連続」というのは、人には と ゙うしようもない断絶を「つなぐ」方がいること、その方への 希望です。人 間の側からはあくまで「希望」ですが。 イエスに従うということは、この 「神の国」の希望を地上で 生きるということになります。スタートライン(遺伝子 であれ環 境であれ)が1m前か後かで人は決まるはずがない、ただ の 人の「いのち」を見つめる方への信頼を手放さない、そう いう生き方です。「永 遠の命」といっても、この地上で一人の 人が与えられたいのちをどう生きる か、それが神の国の希 望につながっている のだとわたしは思っています。
11月8日の説教から ルカ福音書10章38~42
 「必要なことは一つ」 久保田文貞 フランスの思想家ナンシーは、『訪問』(ルネッサンスの イタリヤの画家ポントル モが、マリアのエリサベツ訪問を描 いた絵について書いている文章)の中で、 キリスト教絵画と は、「文字を知らぬ民衆のために用いる聖書の挿し絵」で はな く、「絵画における、絵画としての、絵画を描く、キリス ト教的な何かなのであ る。」と言 っています。 多くの示唆に富 む本ですがそのひとつ、人が他 者 のもとを訪れ、そこで向き合う 顔、まなざしの意味を考えさせら れます。それ に触発されてルカ1 0章38節以下の物語について、 絵画を参考に話してみます。 物 語は、イエスがエルサレム 行きを決意して途中、マルタ、マ リヤ姉妹の家を訪れ るところから始まります。そして、 「彼女にはマリアという姉妹がいた。マリア は主の足もとに 座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのも てなし のためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って 言った。「主よ、わたしの 姉妹はわたしだけにもてなしをさ せていますが、何ともお思いになりませんか。 手伝ってくれ るようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マル タ、 マルタ、あなたは 多くのことに思い悩 み、心を乱してい る。 しかし、必要な こ とはただ一つだけ である。マリアは良 い方を選んだ。それ を取り上げ てはなら ない。」 主題的には、それ がイエスの最後の 言葉にあるのは、だ れが読んでも明らか です。これらの絵の 数は、古くからある 降誕物語や受 難 物 語に関する絵とちがって多くはなく、後期ルネッサンス時代 以後に現われ てきます。 代表的なものとして16世紀後半の聖書画を多産したティ ントレット(伊) の絵(左欄下)をご覧ください。イエス、マル タ、マリヤの顔の向き、まなざ し、その三角形は印象的で す。聖書画とはいえ、2人の女性の個性ある姿勢と、隠 しも しない自己主張に圧倒されます。 他に注目すべきなのはオランダ・ルネッ サンスのJ.ベー ケラール「マルタとマリヤ」(下)のような絵。イエスとマリヤ は 絵の奥に配 置され、手前 の台所にマル タと、超リアル な水産物、野 菜、果物な ど 豊富な食材が 描かれます。 同様な絵はイ タリヤのカンピによっても描か れています。おそらく、奥の イエスとマリヤは消えて、ここから写実的な静物画か ゙成立 するのかもしれません。そのような近代的なモノの見え方 が聖書画の中に 現われているのは興味深いことです。 マルタとマリヤ物語は、もともとイエスの 言葉から、マル タとマリヤの内面に重心が移っていくのはやむを得ない作 りになっ ています。17世紀
のスペインの宮廷画家ヴェラスケスの「マルタとマリヤ」は、 イエスと、その言葉を熱 心に聴いているマリヤを後景に下げ、(この点は前のベー ケラール等と同じ)、前景に大きく台所で「接待のことで忙 しくて心をとりみ だし」ている不満も露わなマルタを描いて います。男がなにを囁いているかわ かる気がします。 このようにイエスの訪問と言葉を受けたマルタとマリヤ に起こ る心の波紋を、それぞれの画家が描いています。こ れらもまた貴重な、イエス と出会う人間の物語でもあり注 目すべきでしょう。
11月1日 永眠者記念礼拝の説教より コヘレトの言葉7章1~6節 「賢者の心は弔いの家に」 久保田文貞 わが教会恒例の永眠者記念礼拝は、先に亡く なられた教会員 の方々、友人や家族を覚えつつ礼拝をし てきました。「覚えつつ」というのはある 種のぼかし表現で す。「偲ぶ」という美しい日本語がありますが、神を 礼拝する ということと、故人を偲ぶというのはどうもつながりが悪いとこ ろがあります。 日本古来から親、祖父母、先祖が自分の命、家族を守っ てくれ ているという固有な信仰がありました。私はクリスチャ ンとしてわたしを守って くれるのは神だと理屈の上でそう言 うのですが、一方で親たち、祖先た ちを想う心情と無縁であ りません。ただ、それが祖先の霊を信仰するかとな るとそう はなりません。でも、人の祖霊信仰を批判がましく言うつもり はあり ません。 確かに、キリスト教徒は〈神以外のものは礼拝しない〉と教 えられます。 だが、そこで実際に働いているのは、不合理な 信心を捨てるといった近代主 義的な合理精神の方が大き いかもしれません。ではその次の信仰上の闘いはと ゙うする のかと言われれば、私はそうしないと答えます。 なるほど人々の祖霊 信仰を国家が政治利用して戦死者 を英霊として祀るとなれば、これは次元の違 う問題であり、 明確な政治上の意見を明らかにすべきでしょう。でも、そ れ を信仰上の闘いにしないということです。なんてひ弱な信仰 だ、そんな信仰 ならなくてもいいだろうと思われるでしょう。 聖書の宗教信仰はもっと救いの 確信に満ちた強いもので はないのかと言われるでしょう。しかし、聖書の中に は、中 心志向的なものと逆なものもあります。遠心的な、しかしぎり ぎりのと ころで信仰するあり方が各所にあるのです。ときに は一種の宗教批判という べきものもあります。それらのひと つが旧約聖書のコヘレトの言葉です。 コ ヘレトとは旧約の原語で、ユダヤ教の集会(カーハー ル)で何らかの役割を持 つ者をコヘレトと呼んでいるのです が、それ以上は分かりません。旧約思想 の大きな流れに逆 らうような言葉がふんだんにでてきます。4章1節以下 わた しは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見 た。見よ、虐げられる人 の涙を。彼らを慰める者はない。見 よ、虐げる者の手にある力を。彼らを慰める 者はない。死ん だ人を、幸いだと言おう。更に生きて行かなければならない 人よりは幸いだ。3 いや、その両者よりも幸福なのは、生ま れて来なかった者た ゙。太陽の下に起こる悪い業を見ていな いのだから。 人の間に起こる災難や悲劇 をそのまま受け入れるよりな いという物言いです。神は何をしているのか、神は 人の間 に起こっていることに介入して救ってくれないのか、と抗議 すべきなのに、 そうするつもりはないというのです。 3章19節以下には 人間に臨むことは動物に も臨み、これも死に、あれも死ぬ。 同じ霊をもっているにすぎず、人間は動 物に何らまさるとこ ろはない。すべては空しく、すべてはひとつのところに行 く。 すべては塵から成った。すべては塵に返る。 一体、イスラエルの弱小の民 を選び、救い出してくれた神 はどこに、民がほか民の神々の魅力に負けて逸 脱すると激 しく怒る神はどこに行ったのかと思います。 7章13節以下にこうも言 います。 神の御業を見よ。神が曲げたものを、誰が直しえようか。 順境には 楽しめ、逆境にはこう考えよ。人が未来について 無知であるようにと神はこの 両者を併せ造られた、と。 神のみ業がどこかで働いているらしい。でもそ れはなにか わからない。神は弱き者をどうみているか、それを救い出そ うとされ ているのか、わからない。だから、人としては順境を 楽しみ逆境にひたすら耐え るよりないというのです。 8章15節(ほかに2章24など) それゆえ、わたしは快楽 をたたえる。太陽の下、人間にとっ て、飲み食いし、楽しむ以上の幸福はない。そ れは、太陽 の下、神が彼に与える人生の日々の労苦に添えられたもの なのだ。 一見すると無力感からか、とにかく歴史にコミットする ことを諦めた人間が、な らばとその日その日を最大限 楽しんで暮らそうじゃないかとそんな声が聞 こえます。 ただ、コヘレトは、それが「神が彼に与える人生の日 々の労苦に 添えられたもの」と言い、「自分の労苦に よって魂を満足させること。...神の手か らいただくも の」(2:24)「神の賜物だ」(3:13)と言います。とにかく、 ここに は神の人の歴史への介入や、それにどう参与 するかなんてことは考えない。たた ゙、どうあろうと神を 信頼し、すべてを神の賜物であると、感謝しつくすタ イプの人間が聖書の中にいるということです。マタイ 福音書6章25節以下のイ エスの言葉を思い出させま す。 「なにを食べようか何を飲もうかと、...思い悩 むな」 一見するとコヘレトの言葉と真逆な聞こえます。で もそこに飛躍的な批判 精神をよめないでしょうか。今 こうして生きている。思い悩まないで、神に信 頼してそ れを楽しめと。
10月25日礼拝説教から 民数記5章1-4節 「差別の心 その2(ツァラアトに関して)」 久保田文貞 旧約でツァラアト(日本聖書協会で「らい病」となっ ていたものか ゙1993年位からで「重い皮膚病」(新改訳 ではヘブル語の原語。ここでは旧 約のはツァラアト、 新約のはレプラとする)の語が最初に出てくるのは、 モー セが神ヤハウェの言葉を取り継ごうとするとき、そ れを民が信用してくれな い場合どうしたらよいかと神 に問う。神は「手をふところに入れよ」と命じ、 モーセ が手を出してみるとツァラアトになっていたという件で す(出エジフ ゚ト4章6)。ここでツァラアトは神の力の痕 跡、神がモーセの体に刻む聖痕(ス ティグマ)です。 民数記12章1節以下の物語もこれに類すると言え ます。女預言 者ミリアムの不平に対する神のNOの徴 =聖痕としてツァラアトが現われます。 こ のように古い時代、ツァラアトは聖なる痕跡を持つ 者として畏怖され、日常の場所 から分けられ特別な場 所に置かれたのです。それが何かの理由で汚れと判 定 されるようになったのですが、ただの汚れではなく、 聖なるモノに関わる 祭司によって査定されるべき聖痕 の扱いにされています。レビ記13,14章に記さ れたツ ァラアト認定のやたら細かい異常なまでの手続きはそ のことを示していま す。 民数記5章1-4節では、物語上モーセに導かれて 荒野を放浪するところです が、そこでツァラアトの者、 流出ある者、死体に触れて汚れた者たちが宿営 の外 に出されるということが出てきます。ツァラアトも外に出 されるが共同体 から完全に追放されるわけではない。 宿営の外部のテントに隔離され、民が移 動する時に は後の方を離れてついていくという関係のように読め ます。レビ記14 章は、ツァラアトが快癒したと認定され ると一般テントに復帰できるという道 があるわけです。 このような扱いのベースにあるのは、やはり畏怖さ れても いた聖痕の者たち隔離の問題です。一般者た ちは聖なるモノに直接触れないよう バリアで守られて 日常を暮らす。けれども、聖なるモノによって身体を 痕つ けられた者たちは日常から隔離され、バリアのな い剥き出しの生を営むよりない。 聖痕を持つ彼らは、 神から逃げも隠れもできないところで生き続けるよりな い。それがこのことの意味するところでしょう。 ここでいきなり近代の日本 に飛びますが、それは19 07年国立癩療養所の設立以来、国はこの感染症を 不治 の病ととらえ遺伝病説にのって終身隔離しなけ ればならないものとします。隔離 された患者さんたち を終生ケアすべき特別の人々として臨んだのです。 患者 さんたちの生をまさに剥き出しの生として国が、 そして施設と医療従事者たちか ゙、よく言えば受け止 め、現実には隔離管理したのです。もちろんそこには 本 当に善意の医療従事者たちがいたことを疑いえま せん。キリスト教精神に基づ いて長島愛生園で医療 に従事した神谷恵美子さんの『生きがいについて』を 読 むとき、その真摯さと実践には頭が下がる思いで す。けれども、時代的な 制約以上にショッキングなこと は、国、療養施設、医療が強制的に隔離された 患者 さんたちの身体を、剥き出しの生のまま介護し治療し 管理し掴みきってしまえ たという現実です。 フランスの思想家フーコーが、古代の王権が牧人 のよう に羊たる人民に対し丸ごと権力を及ぼす牧人 =司祭型権力と同型のものが、近 代社会において個 人の生を、剥き出しの生として支配し管理してしまう深 刻な事態 を描きました(『性の歴史1』)。現代社会で、 私たちは個人的にいろいろなバリ アで守られていると 思っているかもしれませんが、その実は、実効的なバ リ アは取り払われ、あられもない剥き出しの生をむん ずとナニモノカに掴まれてし まっているというのです。 「らい予防法」が廃止され(1996)、ハンセン病患者 さ んが解放されたことはほんとうによろこばしいことでし た。けれども、 隔離から解放されたその先には、実は すべての人間が剥き出しの生のままに、 ナニモノカに 支配され、管理されているとなれば、手放しで喜ぶこ とはで きないでしょう。それが私たちの現実です。
10月11日 ルカ福音書17章11-19節 「差別の心」 久保田文貞 イエスが10人の「癩病」の男 をいやしたという奇跡 物語ですが、清められた者の内でイエスに感謝する た めに帰ってきた者はサマリヤ人だけだった。そして このサマリヤの男の信仰か ゙彼を救うという。つまりキリ ストの救いを受けただけではだめだ、キリ ストのところ に戻って感謝する。そういう徹底した信仰をもちなさ いと、かなり教 訓化された物語になっています。 現在の日本聖書協会発行の聖書の「思い皮膚病」 という訳は、1990年代前半まで「らい病」になっていま した。新約ギリシャ語 ではレプラ、旧約ヘブライ語で はツァラアトという古代語を、日本社会に もあった「癩 病」と同じものとしたわけです。1873年、ノルウェーの ハンセン がレプラがらい菌による感染症にすぎないこ とを発見しました。もっとも ヨーロッパには14世紀頃か らレプラ感染者は減少し、近代ヨーロッパの「先 進」国 には存在しない病、つまり「後進」の植民地病だけに 存在する病とされて いましたから、この発見によってこ の病気をゆがめてきた差別的な構造はすぐ にはなく なりませんでした。1953年になって、元「植民地」合衆 国では、差別 構造と一体となっていたレプラという語 を廃止し、ハンセン病と名を改め、感染 力の小さい、 治療が可能な単なる皮膚疾患となっていきます。 日本でも同年、 米国にならって?「らい予防法」が 作られましたが、この法律は患者さんを治療 施設に 終身隔離できるように事実上合法化してしまいまし た。この悪法が撤廃 されたのは1996年のこと。患者さ んや治療従事者、支援者の声に応えて「厚生省」 は なぜかくも対応が遅れたか検証することになりました。 その報告書が出た のが2005年、ついこの間です。近 代的な知識が現実の差別構造に対してなん の力にも ないことの見本です。 近代の研究で、古代からレプラなど各社会 に存在 した病は、現在のハンセン病と一致しないことも分か っています。そうなる とこれは身体の病というより、差 別や排除を作り出す社会の病ではないか。とと ゙のつ まりはこれを他人事にできない。自分も所属している こちら側の社会が それを作りだしてきたのですから。と いうことは、レプラを「重い皮膚病」 と訳しかえたところ で、それが差別や排除の現実から回避するものでし かな かったら実質的な差別の温存になってしまうでし ょう。 マルコ福音書の出だし のところに、レプラの男がイ エスの側に来た。社会的に遮断されていた彼が 境界 線を越えた行動に出たことを意味するのでしょう。が、 「みこころでし たら、きよめていただけるのですが」(新 共同訳)と屈折した物言い、これに 対してイエスは「深 く憐んで」とありますが、西方写本型の本文では「怒っ て」(田川はこれを採る)となります。私も、レプラの男 の気持ちと行動をかくも 歪めさせていることにイエスが 腹を立てたと読みたいです。イエスは「手を伸 ばして 彼にさわり」と、かれの精一杯の言動に応えて境界線 を破毀した行動に出 ます。これを目撃した人々に衝 撃が走ったことでしょう。 ルカ17章11節以下の 物語が、教訓化されたものと 先に言いましたが、明らかに後退しています。10 人の レプラの男たちが「遠くの方に立って」イエスに癒しを 求め、彼らはそこ で癒されます。この距離の取り方は 〈律法〉(レビ記13章)に即しています。ま た、この癒し の結果を祭司に見せて癒されたことを承認してもらい なさいというこ とになります。これも〈律法〉に即してい ます。こうして彼らは社会復帰するわけ です。ところが ユダヤ人の9人はイエスに戻ってこない。サマリヤ人 の男た ゙けが感謝の報告に来て、イエスから「立ち上が って、行きなさい。あなたの 信仰があなたを救った」と いう言葉をいただくという物語になっています。 確 かに、社会復帰した9人はどこに復帰したのか、 なんのことはない、かつて彼らを 差別し排除した社会 に復帰した、つまりは彼らは差別する社会の側に戻っ たという だけに終わるかもしれません。もちろんそうな らないかもしれません。これに対 して二重に差別され ていたサマリヤ人の男の信仰は、あの差別社会へ復 帰しないて ゙よかったねということであれば、それは差 別・排除する社会から回避したた ゙けということになりか ねません。「立ち上がっていく」先をどこにするかか ゙問 題です。自分で決めるよりありませんが・・・。
10月4日の礼拝説教から 「同じ人間に過ぎない」 板垣 弘毅 使徒言行録14章8~20節 「ルステラに足のきかない人が、すわっていた。」 パウロ がこの人をいやします。「群衆はパウロのしたことを 見て、声を張りあげ、 ルカオニヤの地方語で、「神々が人 間の姿をとって、わたしたちのところにお 下りになったの だ」と叫んだ。 ルステラというルカオニア地方の町は、小アシ ゙アの内陸 部にありますが、移り住んだユダヤ人の集落もあったのか もしれ ません。 ルカオニア人の住む街で、地元の宗教が 人々に心を捕らえていたのて ゙しょう。自分たちの物語に組 み込んで感動するわけです。こういう変身物語 は世界中に ありますね。この神々を丁重に迎えなくてはならない、とい うことで 「そして、郊外にあるゼウス神殿の祭司が、群衆と 共に、ふたりに犠牲をささ げようと思って、雄牛数頭と花輪 とを門前に持ってきた。」 あわてたパウロた ちは叫びます。「皆さん、なぜこんな事を するのか。わたしたちとても、あな たがたと同じような人間 である。」 今、現在のわたしたちでも、「同じ 人間」と言葉の上で、 アタマで理解していても、「自分たち」の常識や仲間意 識か らはずれた人をさげすんだり、反対にあがめたりして「同じ 人間」 と見てないことがよくあるわけです。「あなたがたがこ のような愚にもつ かぬものを捨てて、天と地と海と、その中 のすべてのものをお造りになった生け る神に立ち帰るよう にと、福音を説いている」 このパウロの言葉を「イエス・キ リストの父なる神以外は すべて偶像礼拝なのだ」という風に教科書的に読まな い方 がいいと思います。偶像とは、自分が自分の願望の奴隷 のようになってい る有り様ですから、キリスト者だって陥り かねません。 パウロはここで、 異教の神々を「偶像」といっています が、それは「生ける神」から見ているから です。これは旧約 からキリスト信徒を貫く聖書の見方です。「主は生きておら れる」という言葉が、人間の自己主張を沈黙させる合い言 葉でした。「生ける 神」、この「生ける」、生きているというの は、一つ所にとどまっていない、固 定されない、いつも自由 に働く神、ということです。 使徒言行録を読んでいる と、聖霊が主人公のようです。 聖霊というのは神のはたらき、働く神のことて ゙す。人間のあ らゆる「もうおしまいだ」という絶望を乗り越えさせるのも聖 霊、 また人間のあらゆる「もうただの人間じゃない」というお ごりを打ち砕くの も生ける神なのです。 その自由な神に、 立ち帰る福音を伝えているのだ、とハ ゚ウロは語っていま す。それからその神について少し説明しております。(16 節以 下) イエスならこう言います。神は「悪人にも善人にも太陽を 昇らせて、正しい人 にも正しくない人にも雨を降らしてくださ る」、自然をたとえにして神をさし示 しています。ここでは神 は自由な「生ける神」であって、人間の意表をついて、 無条 件に一人一人をお恵みになる、ということです。 イエス の福音は、律法て ゙確立された境界線を終結させるものでし た。神の救いには、ユダヤ人という 条件は外れている、神 は境界線の内側の、つまり「近くにいる」者だけを救う方 で はなく、「遠くにいる」者も救う方だというのです。ルカも使 徒言行録て ゙、この福音を伝えようとしているのです。ルカ的 な限界もあるのですが。 ひとりひとりは、神の前ではただの人です。これがイエス の福音です。 イエスの十字架から知らされる福音がどうい うものかといえば、救いからい ちばん遠いと、人間が決め 込んでいる人間に神は向かうということです。 「遠くにいる 者」に神は向かう。それが神の自由、「生ける神」です。人 間か ゙自分の願望を詰め込んだ神々にひざまづいてしまう のと逆です。人間の 営みとしての教会は、どうしても組織 や信仰告白を固定化して、自分たちこそ 「近く」にいる者の だと思いこみがちです。教会は人間の確立した境界線を い つも越えて「遠くにいる」者に向かう群、のはずです。 30年続いているヘ ゚シャワール会は、中村哲という医師 の、アフガニスタンでの活動(医療から砂 漠の緑化まで)を 支援する組織です。彼は、キリスト者ですが、一日一回は サウジアラビアのメッカに向けてイスラム教徒たちと一緒に 礼拝をしています。 これを偶像礼拝というか?。中村さん は考える。大切なのは外側の違いではなく、 中心にある共 通なもの近づくことだ、たとえば、干ばつで、2万人の人か ゙ 餓死してしまう危機の中で、砂漠を緑化して作物を作るこ とに反対する人はい ない。タリバンも共産主義者もキリスト 者も関係ない。そういう共通の善と共通 の悪いことを確か める生き方が、人間の間に信頼を生む、そして共通の信頼 が 人々を共通の神にであわせる。そのとき自分を含むす べての人が、ただの 人として、つながってゆくことを実感せ ざるをえない。書斎の頭の中で生ま れた思想ではありませ ん。わたしは自分の目の前にある関係に具体的にできる 限りの時間や体力を用いて、イエスとであった人々の喜 び、驚き、希望とひひ ゙き合いたいと思ってきました。
9月27日説教より
 マタイ福音書6章10節
 「究極以前として」 久保田文貞 安保法制を強行採決していった国会の中、9月3 日個人情報法とマイナンバー法の改 正案が自・公 の与党と民主などの賛成多数で可決成立。早速、 10月から国民 一人一人に割り当てられている12桁 のマイナンバーが通知され、番号カード 申請が促 され、さらに各自収入を得ている事業所にその番 号を知らせる義務を負 うことになります。つまり、 今回の改正により、国家が国民一人一人の所在と 家 族構成、収入の実態、預金口座などを管理把握 するための総背番号制度へと一段 階すすんだこと を意味します。こうして個人・法人等の税番号、 年金、健康保険 などの社会保障番号などが一律化 され、2018年1月からすべての預貯金なと ゙の口座 番号に直結します。これによって個人、家計の収 入は丸裸にされ、税のと りっぱくぐれがないよう にする、つまり公平を目的とすると説明されてい ま す。 さらに、東京新聞によれば、政府の IT 総合戦 略本部のマイナンバー分科 会では、将来はすべて のキャッシュカード、クレジットカード類、個人 のケータイ番号、免許書番号、医療、教員免許な どの各種資格取得番号つまりは 個人の職種、技能 もマイナンバーに書き込み、これらの個人情報を 国が把握て ゙きるように着々と策が練られていると 報じられています。 どうなっていく か、はっきりしています。国家 は、災害の時だけでなく、緊急事態、要するに 「戦 時体制」に誰がどんな技能を持っているか一目瞭 然となり効率よく人を活 用、動員しようと。政府 の思い通りにしていくためには、一応いろいろな 法改正か ゙必要になりますが、現在は、すでに国家 秘密法のがあり、国家が知り得 た国民の個人情報 自体が国家機密になり、それが実際にどの程度の 情報まて ゙組み込まれているか正確につかめないの です。法改正ないまま、裏で個人情 報の一元化の 問題は、わたしたちが把握している以上に進めら れている可能性か ゙あります。こうして国が国民一 人一人を家族、家計、教育、健康、旅行、趣味、 思想傾向、宗教、あらゆる面で把握し管理する。 このマイナンバー制から外れ て生きていくことは 至難の業になります。 このことは、国家が主権者たる国民の 一一を知 り尽くして管理把握し、最終的には国家が国民を 統制する賭場口に立っ ていることを意味します。 つまり国民主権は息の根を止められ、国家主権が それ にかわる、ほぼクーデター的な事態なのです。 まるで国家が神のように、 神の目、神の耳、神 の手をもつように見えます。少なくとも私たちク リスチャンは 人一倍、そのような事態に敏感です。 もっとも、〈神のように〉とは見えても、 そのよ うな神は人の勝手な思い込みの神ではあります。 旧約聖書が偶像を強く 忌避するのは、人が神を 自分の手元に置き、神に代って神のように振るま いうる と思い込むときの、最悪の結果を感知して いるからでしょう。 第一次、第二次安 倍内閣がしてきていることは、 国家が究極的な力に手を出し、まるで神のよ うに 振る舞い得る形にすることではないかと思いま す。究極的なものを手にして はならぬ者が、それ を手にするとき、さらに突き進んでしまう最悪の 事態をな んとか抵抗してやめさせることが必要で す。 毎日曜の礼拝でも、わたしたち は〈主の祈 り〉を祈ります。その中に「み国を来たらせたま え。み心の天になる如 く地にもならせたまえ。」 という句があります。神の究極的な恵みを願いも とめ る祈りになっていますが、それは同時に、神 以外の何人もそれを手にはできな いという叫び、 宣言でもあります。今、安倍政権のもとで、国家 が究極の ものを手にしたかのように権力を振るお うとするとき、この祈りをする者は、断し ゙てそれ に抵抗するぞという表明でもあります。いろいろ な形を取りながら の、人のこころの最も深いとこ ろからの不服従の表明になるでしょう。
9月20日説教より ローマ信徒への手紙 8章31~38節 「御子をさえ惜しまず」 板垣 弘毅  昨日安全保障関連法案が参議院本会議で可決され、 「安保」と「沖縄」と安 倍政治の誤った判断によって、「戦後 70年」2015年が歴史的な年になった。戦後 民主主義が終 わった、という思いと、同時に、何かが始まった、つまり戦後 民 主主義とはなんだったのかをとらえかえす何かが始まっ たように思う。71才に なったわたしも、自分が生きることにな ったこの70年間を自分の出生前後から肯 定つつ考えなお そうと思っている。 未来を希望をもって切り開ける展望なんて、と ゙こにもない なかで、わたしたちは生きている。生きて行かねばならな い。難 民や子供の貧困の現実も、自分のちいさな実感とし て少しも改善していない。そん な中できょうの聖書を読むこ とになる。きょうのようなパウロの手紙からは無 理だという声 も、特にパウロに批判的な人たちから聞こえてくる。そうか。 こ こで31節の「神が味方する=わたしたちのために(い 、、、 る)」を32節では 「わたしたちすべてのために」と強調して、 神が「御子をさえ惜しまず死に 渡された」と記す。聖書をク ールに読む人にとっては、神が御子をお与えになっ た、と いう信仰告白的な表現は何か白々しいだろうが、この表現 は、最初の教 会が、キリスト者が、イエスのできごとに与えた 言葉だ。ユダヤ人に とってもなじみが深いものであったはず だ。「そのわたしたちの罪をす べて、主は彼に負わせられ た。」(イザ53:6以下) 31~32節は、言葉で言えな い一 つのできごとを指している信仰告白の言葉だ。そのできごと をパ ウロは自分と切り離せないこととして体験したのだ。「御 子をさえ惜しまず死 に渡された」 は言うまでもなく十字架の 死を指している。十字架のできごと の中に絶望と希望の両 方を見出したのが、キリスト教の核心だった、とわたし は思 う。 先ず絶望とは。 わたしが絶望といったのは、人間の危機的状況に神 が 介入し苦しみ、痛み、死を除去されるだろうという願望や幻 想を十字架は砕 いている。人間が描き出す神が拒否され ているのだ。イエスは刑場で神に 向かって「どうしてわたし をお見捨てになったのか」 と叫んで死に向う。十字 架は人 間の苦悩やあらゆる暗闇の中に、神が入り込んできたと語 るのであっ て、信仰者が苦しみから解放されるとは決して語 っていない。 ところで、戦後 70年の今、より平和で明るい未来を思い 描ける人は少ないのではないだろう か。広島、長崎、またホ ロコースト、そしてわたしも被災した東京などの都市へ の無 差別爆撃の教訓もさらに後退しているかに見える。世界が 改善されるという 幻想は砕かれているが、それはあの十字 架が告げることだった。 イエスは 人間の苦痛を取り除くためではなく、苦痛にあえ ぐ者の傍らにいて、それを分 かちあうためにこの世界に来ら れた。「御子をさえ惜しまず死に渡された」この 洞察がキリス ト教の中核だとわたしは思う。 では十字架のできごとの 中に見出す希望とはなにか。苦 しい状況も、見込みのなさも、死への不安も、以前 のままだ が、十字架によって、イエスが、わたしの傍らにおられる以 上、わ たしは、そしてあの人も 孤立していない。 私とあの人とのあいだには、神のまなざ しがある。わたしの 「いのち」 は少なくとも神に覚えられている。この 「向こう」 からわたし たちに注がれるまなざしが、希望だ。わたしたちが気づこ う と気づくまいと、キリストはわたしたちのそばにいてくださる。 これが 十字架から見出された福音なのだ。 以下は一句一句深みのある言葉だが、い ままで述べたこ とを踏まえて読めば心にしみてくるのではないだろうか。 週 報では割愛せざるをえない。 社会の片隅で目立たず生きて死んだ無数 の人たちがい る。世間的には何の業績も、生きた痕跡さえも遺さない人 々であっ ても、その人が生きたということは神が決める、「人 を義とするのは神だ」 (33節)。これはユダヤ人が共有する 信仰だが、終わりの日の裁きで、神 が「よし」としてくださると いうことだ。その人の存在の決定的な肯定だ。 取るに足りな い人などいないのだ。 パウロにとっていうまでもなく、何の 取り柄もない、いわば 抽出されたあとのコーヒー豆のようなカスとなって捨てら れ たイエスの歩みがすべて、神に「よし」とされた、そのできご とが 「復活」だった(34節)。そのキリストが 「神の右にいて取 りなしてくださる」 という。 これもまたユダヤ教的な神話的な表現だが、「とりなす」と いう言 葉が指し示そうとすることは一つの確信、実感だ。苦 しむ一人一人にキリスト の目が注がれている、という彼らの 身に起こっているできごとだ。 生前 のイエスは、神なき者とレッテルを貼られた人たち、 罪人や徴税人、遊女や病む者 や障害者たちを、無条件で 招いた食卓を、来るべき「神の国」の先取りとして 味わって いたようだ。このイエスのできごとがこの「とりなし」という言 葉 に込められていると思う。取るに足りない人は、この食卓の 客にはいない。「キ リストの愛」(35節)は、十字架と結びつく 限り何か情緒的な愛とはちがうもの だと思う。「主キリスト・イ エスによって示された神の愛から、わたしたちを引 き離すこ とはできない」(38節) 死は神から離れることではない。だ からこ そ生きている今が、神の前でどう生きるかが大切だ。 人間の未来に幻想 は持てなくても、この暗さの中でこそ、わ たしたちは〈自分〉を生きることが できる、という希望は持つ ことができる。人と人の間にこのイエスの招きか ゙ある事を忘 れず、苦しむいのちをも肯定して、生きる 。
9月13日の説教から 哀歌3章19~28節
「救いを黙して待つ」 久保田文貞 古代ローマのキリスト教の歴史文書として殉教物語 というのがあります。何 万という殉教者たちがたとえ火 で焼かれようと最期まで信仰を捨てず 神を賛美しなが ら死んで行く様子を物語るのです。けれども、歴史学 的に精査していくと、ほとんどは誇張と虚像、実際に 処刑された者は百人足 らずであるということです。こ れらは信仰を全うした殉教者を一般信徒 に模範とし て示すためのもの。さらに言えば、殉教の恐ろしさを 迫害に負け て棄教することの恐ろしさに並べてみせ、 一般信徒に決断を迫るためのもの と言えましょう。 当然のことですが、教会の司教・監督がどんなに教 育しようと、キリスト教が広まっていけばいくほど一般 信徒は実際の社 会生活の中で異教的なローマ社会 と折り合っていくよりない問題をかかえて いったはず です。そしてひとたび迫害が起こると棄教者も増え る、こ れも自然の理です。一般信徒は教理上の議 論に関心を持たない、それより殉 教物語の方が信徒 教育に有効だろうと、それが成功するかどうかは別 に して教会の指導者たちがよくする発想です。迫害や 苦難を共有し一緒に 乗り越えていくという方法は、共同体の紐帯を強化するために一番手っ取り早い 方法 だったのでしょう。 そもそも旧約の民イスラエルはそうやって形成さ れ た節があります。イスラエルの民が共有する苦難の歴 史はいろいろあり ますが、中でも出エジプトと荒野放 浪の物語と、ダビデ以後4百 年続いた王国が滅ぼさ れバビロニアに強制移住させられた歴史のふた つが 主なものと言ってよいでしょう。 さて「哀歌」は前回述べたように、 バビロニア捕囚民 の歌とされています。私は強引にも敗戦記念集会の 歌と して1,2章を読みました。けれども3章は、少し趣 が異なります。多くの学 者はこれをもっと後の作としま す。1,2章ではエルサレム落城の中で起こっ ているこ となど具体的な記述を織り込んだ悲痛な歌になって いますが、 これに比して、例えば3章1~14節は具体 性が後退し抽象的かつ象徴的になっ ています。敗 戦、亡国、捕囚の実際をいちいち具体的に上げるま でもなく、 民として〈苦難〉を共有していることが前提に なっていると風です。 もう ひとつ、3章全体にわたって、口語訳にそのま ま訳されているように〈私〉、 〈彼〉、〈私たち〉が混在し て出てきます。おそらく、哀歌では、1人称・ 2人称・3 人称であろうが、単数・複数であろうが、とび超えて唄 え てしまう。歌の中に〈私〉・〈彼〉=神として飛び込む か、どちらもありな のでしょう。旧約用語のひとつに、 「集合的人格」というのがあります。 物語に出てくる人 格を〈私たち〉イスラエルの民の事として語り、読むとこ ろ に起こるものです。ここもそれが露出してしまってい る箇所なのでしょ う。 さて、3章前半は苦しみばかりが迫り上がってきても う出口がな い、もう絶望しかないという事態になりま す。「わたしが主に望むところの ものもうせ去った」(1 8)と。ところで、「しかし、わたしはこの事を心に思 い起 す。それゆえ、わたしは望みをいだく」(21)とこの歌は 翻るのです。 22~29節までここに記しませんが、ぜひ とも読んでください。これは 単なる軽業的な心理の切 り替えではないと思います。「どうか、わが悩 みと苦し み、にがよもぎと胆汁とを心に留めてください。わが魂 は絶 えずこれを思って、わがうちにうなだれる。」こ んな時も主への信頼は 途絶えない。「望みをいだく」 のだけれども、「主の救を静かに待ち望 むことは、良 いことである。主がこれを負わせられるとき、ひとりす わっ て黙しているがよい」と歌う。希望は自分の心の 持ち方でどうとなるも のでなく、静かに待ち望むもの。 つまり希望はあちらからやってくるものと して歌ってい るのです。「口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあ るて ゙あろう。」口を塵につけるとは、地に額をつけるこ ととは違う、地面に口を つけて自分から語りださないこ との象徴行為です。苦しみ、悲嘆のさなか、 もう顔を 上げていられない、口を地べたにつけてじっとして主 からの救 いを待つ、それが希望だというわけです。
9月6日説教より哀歌2章1-7 「敗戦と祭りと」久保田 文貞 吉永小百合さんが「戦後何年という言葉がいつま でも続いてほしい」と言っ ているそうです。安倍首相が ずっと「戦後レジームからの脱却」と言って きて、憲法9条を無視して安保法制を通そうとしやがて憲法改正 へと踏み出そうと しているのと対照的です。 戦後とは何か、出発点となるその理解が既に違うて ゙ しょう。それはただの軍部が暴走した太平洋戦争、大 東亜戦争などでは なく、そこへと至る明治以来の近代 日本の帰結としての、鶴見俊輔さんが提唱し た15年 戦争の戦後でしょう。隣国の民衆を収奪し殺戮し、沖 縄の民衆を犠牲にし、 広島、長崎の住民を、諸都市 の無差別殺戮をもたらしたあの戦争の戦後です。近 代国家の戦争はその関わりがどうあれ、本質的に総 力戦をもたらし、したがっ てその戦争の責任からまぬ がれようがない戦争であり、その戦争の戦後で す。そ うとらえるかぎり「戦後レジームの脱却」なんて言葉は 出てきません。 旧約においても〈戦後〉が大きく浮かび上がってくる 時がありました。最 終的に南王国ユダがバビロニア帝 国にとどめを刺され(前597)、国家が 解体した後の〈戦後〉です。エルサレム都市国家に過ぎない王国は 包囲され城 壁が破壊される。無防備となった住民は 子どもから年寄りまで敵のなすが ままにされ、拠り所と なっていた神殿が焼かれる。ほとんどの庶民は捨てら れ たらしいのですが、残った国の有力者は千キロ以 上離れたバビロ ニアに強 制移住された。ただ彼らは その地で、直近の戦争の〈戦後〉ではなく、イス ラエル の民総体の亡国の問題として捉えはじめます。 「哀歌」は捕囚民がささ げる鎮魂歌レクイエムです。 「主よ、目を留めてよく見てください。これほ ど懲らしめ られた者がありましょうか。女がその胎の実を育てた子を食い物 にしているのです。祭司や預言者が主の 聖所で殺されているのです。街て ゙は老人も子供も地 に倒れ伏しおとめも若者も剣にかかって死にました。 あなたは、 ついに怒り殺し、屠って容赦されませんで した。」(2:20) 現実の敵はバビロ ニアなのに、その敗北を齎したも のは神ヤハウェの怒りの手だと捉えています。 アモス 以来の預言者たちが理解した神の審判としての歴史 の味方ではあります が、もはやエルサレムを失い、 「主の足台」=神殿もない(2:1、7、4:1)、トーラー をさ え無くなった(2:9)。 かくもめためたにやられ、国が消滅してしまう経験 を した。ふつうこういう小民族の敗北の物語など残ら ない。吉永小百合さんの言て ゙言えば、戦後何年なん ていう人もいないし、云う意味もなくなる。歴史の小さ なあぶくとして消滅してしまうのが落ちです。 けれども、捕囚民となった 人々はそれを忘れない。 亡国をもたらした戦後ということを忘れず、その敗戦て ゙ 何があったかを語り伝えてこのような歌を残したわけ です。現代まで続く 神殿崩壊の祭ティシャ・ベアヴ で、アブの月(太陽暦7,8月)に歌われます。 もっと言 えば、古代ユダヤ教はこのような神から棄民された出 来事の再理解に 始まると言ってよいでしょう。このこと は今は深入りしませんがとても意義深 いことです。 とにかく、哀歌は、捕囚の地での、もしあったとすれ ば、敗戦 記念集会での鎮魂歌のように思います。哀 歌は5つの哀歌Lamentationsからなりま すが、その4つ はアレフから始まるいろは歌、つまり覚えやすくできて います。 いつまでも「戦後」であることから目を逸らさな いという歌なのでしょう。1 章1節も2章1節も新共同訳 で「なにゆえ」、ヘブル語のエーカーという語で始 まり ます。どうしてこうなったか、独り廃墟の中に身を置い てこの事態をみつめ なければならないか、1章1節の 言葉は印象的です。 日本では戦後、一億総懺 悔ということが東久邇宮 総理から国民に呼びかけられました。敗戦は国民全 員 に責任 がある、だから過去は皆で反省し、これから は前を向いて国を復興し ていこうというわけでしょう。 けれども、哀歌はそういう風にならない。責任 を人に 転嫁しない。一人廃墟エルサレムに坐して神に向き 合い、自己の責任を受け 止める。そういう総懺悔とい えば総懺悔の仕方をするのです。敗戦記念集会、 あ るいは礼拝といってよいか、そこで一人一人が神と向 き合う、そういう祭り の中で歌うのが哀歌なのです。
8月30日説教より 出エジプト記32章30-35節 「民の仲介者は神に」 久保田文貞 エジプトから脱出したイスラエルの民にとって 〈祭 り〉とはなんだったかと いう事を考えます。 脱出に成功はしたものの荒野をさまよう民は、持ち 出した水や 食べ物が底をつき、途端に荒野で生きて いく困難にぶつかります。神は民 の窮状をご覧にな り、仲介者モーセの訴えを聞かれ、民を見離されるこ とはなかっ た、と物語っていきます。 そして一行がシナイ山の麓に差しかかかった時、 神は 民を麓にとどまらせモーセ一人を山に登らせま す。そこで神はモーセを介して 民と契約を結ぼうとい うわけです。つまり〈祭儀〉はもうここで始まってい るの です。モーセは祭儀を執り行う祭司として、神の言葉 をじかに聞く預言者 として、神と民の間に立つ仲介者 として振る舞っています。祭儀は神の呼びかけ で始ま ります。ここまで神が何を為したかが宣言され、その 上で1 9章4 節「今、もしわたしの声に聞き従いわたしの 契約を守るならば、あなたたちはす べての民の間に あってわたしの宝となる」と。 こうして律法が、その基本 法 たる十戒がまず示され、関連する諸 法規が31章手 前までながながとモー セに言い渡されるのですが、こ の間、物語の進行上民は麓で待たされている ことに なります。保険なんか契約するとこれを読むなといわ んばかりの小さな字 でぎっしり何ページにもわたる約 款が書いてありますが、たいていの 人はそんなの無 視しますがが、なにかそれと同じように契約上の細か い規定 まで含めて山の上ではモーセだけがそれを聞きとめる、一方、麓では民か ゙なにも聞かされず放置さ れている格好になっています。退屈するのも無理もな い状況です。民は不安になる。32章1節 「モーセが山からなかなか下りて来ない のを 見て、民がアロンのもとに集まって来て、『さあ、我々 に先立って進む神々 を造ってください。エジプトの国 から我々を導き上った人、あのモーセが どうなってし まったのか分からないからです』と言う」。 祭儀の途中で、仕 切るべきモーセが山に登ったき り帰ってこない、それならこっちはこっちで ここまで脱 出できたことを祝おうじゃないか、自分たちで祭りを続 けよう じゃないか、という声に聞こえます。だが、このままでは神が実感でき ない。リアルにその力の働き具合を感じ取れない。現にひとたび仲介者モーセか ゙いなく なると、神から見離された感覚になり、 神の実在さえ 疑わしく思えてく る。ならば、〈自分たちに先立って進 む神〉を実感できるしるしがほしい、 そこに神がいると 分かるような何かがほしい。モーセの兄弟アロンに訴 えたわ けです。それではと、アロンはエジプトから出る ときにモーセが持たし た金銀(12章35節がその伏線 になっている)を集め、金の子牛を作らせる。そこて ゙一 つ考えられることは、この金の子牛は神々の像という よりも、神ヤハウェの台 座として機能させようとしたの かもしれない。セラフィーム(イザヤ6:2)や神の箱 のよ うに。 民は、神が「先立って行き、主が共にます。見離す ことも、見捨 てることもない」(申命記31:8)という言葉 を当然のことと思っていたでしょう。 しかし、当然と思 い込んでいるからかえって疑う意味の恐ろしさを知ら ない、神 が共にいますことを疑うことのないように、そ こに神がいることのしるしを持っ ていたいと思うのも無 理はないかもしれません。リアルな実感をもてるように 金の 子牛が必要なのであり、そのリアルな実感を互い に確認しようとでもいう風 に〈まつり〉の中で熱狂しリア ルさに酔いひしれる、アロンは民のそういう面に 応えてやることもありだと配慮したと私には見えます。でも これって、やはり 歪んだ宗教性であり、悪しき祭司性 の芽のようなものではないでしょうか。 旧約の神、主ヤハウェの一面はそんな〈まつり〉の 中での神と民との一体感なん か厳しく退けてしまうとこ ろにありいます。主が求める〈祭儀〉はそこで神と 民と が言葉を介して約束する契約の式であり、神と人とが 言葉を介して向き 合うことなのです。モーセによって 与えられるトーラーは約束の言葉なのです。 だからそ れで人をがんじがらめに縛り付け、人がそれでは窒 息して しまうなんて思う必要のない神と人との約束の 言葉なのです。
8月23日の説教から ゼカリヤ書9:11-17 「輝かしいこと」 飯田義也  聖書の箇所は、日本聖書協会の「愛読こよみ」 の今日の聖句なのですが、 今日ここを読むことを 1年前に計画していたというのは、何とも貴重な めぐ りあわせです。 札幌でも、19歳の女性の呼びかけで、戦争法案 に反対 するデモが始まっています。500人くらいで 大通公園をラップのリズ ムに乗せて歩きました が、こちらが手を振ると振り返してくださる通行 人の方が多かったので気持ちよく行進しました。一方では公安警察も紛れ 込んでいましたけど、こ ちら 大物でないのでがっかりしたかもしれ ませ ん。 戦争を仕掛けようとする国と、占領され略奪、 搾取される国。あの 15年戦争を再び仕掛けようとするかのようなこの国の大きな課題の中で聴く に は、あまりにもぴったりと符合する箇所です。 ゼカリヤ書は、紀元前 6世紀に書かれたような スタイルを取っていますが、実際には紀元前4世 紀の、 いわゆる「アレキサンダー大王の東方征服」 を 知っていないと書けない内容 が書かれていま す。また、今日読んだ9章からは、学者によって 「第二セ ゙カリヤ」と呼ばれる人々によって書かれ ているよ うです。歴史の教科書 は、事実を記述し ているように装いながらも征服した側からの話で 終わっ てしまうのですが、実際には征服される人 々がたくさんいたということ です。小アジアから イスラエル、エジプトまでそうした侵略を受け ています。 「希望を抱く捕らわれ人よ、砦に帰れ。今日もま た、わたしは告け ゙る。わたしは二倍にしてあなた に報いる。」と呼びかけられるのは「ユタ ゙」「エフライム」「シオン」・・総称すればイスラエルです。 もちろん、 征服されていましたから、マケドニア 帝国の一地方であったわけです。 それに対して神 に 攻撃される「ヤワン」は、ギリシャ(マケドニ ア)をや んわり表現するときに使われる名前。 ゼカリヤ書は、キリストの時代にはよ く読み込 まれた書物だったようです。今日読んだところの 少し前には、 救い主がロバに乗って来るという記 述があり、キリストがエルサレム に入場する際に わざわざロバを借りてきて演出をしたことは、現 代の私 たちに有名になっています。迎えた当時の 群衆もよく知っていたのだと考え られます。 ...で、征服された国が解放されるという話、や はり歴史的な 書物ですので、現代社会の「非暴力 的抵抗」というような発想はまだな くて、神によ って 征服者が復讐を受けるかたちで救われていま す。 まさ に70年前までの15年間の戦争の時に、この 記述とまったく同じ事態が起 こっていることに驚 かされたわけです。 そこにおいて美しく、輝かしいのは、 決して日 本ではありません。韓国・北朝鮮であり、中国、東南アジアの 人々です。 わたしたちは、信仰に関して個人レベルの救い というところに 関心を持ちがちですが、今日の箇 所での救いは、民族としての救い、 解放です。こ のまま日本は、再び「ヤワン」になるのでしょう か。国と して、民族として、どのような未来をつ くることが、輝かしいことなのて ゙しょうか。
8月16日説教より アモス書5章21-27節 「まつりの意味」 久保田文貞  今年も8月15日、お盆で帰省する人も、家で高 校野球を観戦する 人も、休暇で旅行する人も、多 くの人が日常の緊張を離れ、いつもの時間から 別 の〈とき〉に入りこむかのようです。それは祭り の時に似ています。終戦 or 敗戦・記念日の時間 はそんな〈とき〉の中に組み込まれます。 えてしてまつり=祭 儀の時空は、人を歴史の外 に追いやり、歴史の中で取るべき個の主体的な責 任 を回避させてしまうかのようです。 イスラエルの歴史の中で、預言が文字と して残 っているイザヤ、エレミヤなどの記述預言者の中 で最初に現われたの がアモスです。前8世紀、北 王国イスラエルのイエフ王朝(口語訳でエヒウ) のヤラベアム2世の時、アッシリア帝国の圧力が 弱まって小国イスラエルは繁栄 を謳歌することが できました。通商が盛んになり富が蓄積され、外 部との 文化・宗教の交流も増えました。結果、何 が起こったか、アモスの言葉を拾って みると、 「正しい者を金のために売り、貧しい者をくつ一足のため に売るからで ある。 7彼らは弱い者の頭を地のちりに踏 みつけ、苦しむ者の道をまげ、また父 子ともにひとりの女 のところへ行って、わが聖なる名を汚す。 8彼らはすべて の祭壇のかたわらに/質に取った衣服を敷いて、その上 に伏し、罰金をもって得た酒 を、その神の家で飲む。」(2 :6-8) 「あなたがたは正しい者をしえたげ、ま いないを取り、門で 貧しい者を退ける。」(5:12) この王朝は社会矛盾を覆い隠す ように、シケムや ベテルの聖所で贅を尽くした国家祭儀を執り行わせ ます。申 命記的歴史家に言わせれば「彼(ヤラベア ム2世)は主の目の前に悪を行い、イス ラエルに罪を犯さ せたネバテの子ヤラベアム(1世)の罪を離れなかった。」 金 の子牛を礼拝する、つまりは異教の偶像礼拝を取 り入れたことを意味しました。 そ してイスラエルには「自由な者もいなくなり、またイスラエルを助ける者もいなかっ た」(列王記下14:24、 26)と申命記的歴史家が言います。ここでいうイ スラエ ルの「自由な者」とは、王国時代になって からも地方で堅実に耕作者として働い てきた農民 層であり、この「自由な者」の間にこそイスラエ ルの伝統たるヤハウェ 宗教が生きていたと思われ ます。 アモスは「テコアの牧者のひとり」(1:1)と言 われ、国家祭儀の官制預言者アマジヤとの論争に おいて自らを「わたしは預言者 でもなく、また預言者 の子でもない。わたしは牧者である。わたしはいちし ゙く桑 の木を作る者である。」(7:14)」と述べています。そして ヤハウェはそ のような現場にいる彼を呼び出して預言 者として立てたと自負します。その彼か ゙、国家祭儀を 批判して、今日の聖書箇所、5章21-23の預言をし ます。ここは関根 訳で。「わたしは君たちの祭を憎みかつ退け、君たちの集会の香りを喜ばぬ。君 たちがわたしに 燔祭を捧げてもわたしは君たちの捧げ物を受け入れぬ。 肥え た獣の生け犠えを見ようとも思わぬ。遠ざけよ、多く の君のうたの騒ぎをわた しから。君の琴の音をわたしは聞 かぬ。」 そんな空虚な祭儀を止めて、「公義を水 のように ほとばしらせ、正義をつきざる河のように流れしめよ。」 それこそヤ ハウェ礼拝の実質であると言わんばか りです。祭儀というものはひとつ踏み 外すと転げ 落ちいるようにあらぬところに人を引きずり込 む。歴史の現実を見 抜く目を失わせ、公義(ミシ ュパーツ)、正義(ツェダーカー)を滞らせてし まう。 けれども、祭儀とはそんなものではない。 イスラエルの伝統的なヤハウェへの 礼拝(祭儀) とは「自由な者」たちがその生活の中で質素にか つ厳かに立ち上け ゙る礼拝であり、そのような祭儀 ではヤハウェの言葉がしっかりと聞き取ら れ、そ こでは自ずと公義と正義とがほとばしる水のよう に流れ出す。祭司 の場は、無我の恍惚の場ではな く、そこでこそ個の責任が問われるばで あるとい うのでしょう。敗戦記念日もそのような祭りの場 にしたいものです。
8月9日の説教より 平和礼拝 ルカ福音書12章4~7節 「どこに向かって泣けばいいのか」 板垣 弘毅 花森安治『一銭五厘の旗』に「戦場」という1945年3月 10日の東京下町の空襲をめく ゙る写真と詩があります。 戦 場は海の彼方にあるもので「ここは『戦場』ではなかっ た」 とくりかえされていますが、周到な計画による大型爆 撃機の殲滅作戦の場が 戦場でないはずがなく、 「こここそ 今度の戦争で、もっとも凄惨苛烈な『戦場』 だった」 とわ たしも思います。このアメリカの戦争犯罪を、日本の侵略 戦争も含 めて、決してゆるせせない、と思ってきました。わ たしはこの『戦場』の焼け跡で育 ちました。49頁の写真 の真ん中にある建物は、焼け残ったわたしが通った久松 小学 校、カメラがもう少し左を写せば隅田川べりにわたし の中学校もあります。です から、この詩と写真はわたしの 原風景のようになりました。空襲の日は、わたしは実 際は 満1才の赤ん坊でしたが、52頁の呆然とたたずむ母子写 真を見るたびに母は 「ほんとにこんなだったんだ」 とくり返 しました。おしめのはいった風呂敷包を 持って防空壕に逃 げたあと、もどってみると一面焼き尽くされていたわけでし た。 母がそう言うたびに、この背中の赤ん坊が自分に重な ります。わたしは焼け野原 で育ちました。詩に「生きていた のが幸せか、死んだ方が幸せか、わからなかっ た」 とあり ますが、なりふりかまわない戦後でした。わたしたちの戦後 はほんの ちいさな体験なのですが、その肌触りは多くの人 と共感して、無差別の都市爆撃と いう戦争を忘れまい、と思います。きょうの聖書、このイエスのことばの断片が、 どのような状況で語られたのかなどは聖書からは知られません。聖 書学から伝承 の成り立ちや社会的背景など、自由な仮説を立てることはできますが、なんと言っ ても、ことばで伝え ることができるのはもともと限られています。ことばでは 伝 えられない「できごと」の衝撃は、自分のできごとを重ねる しかないのだと、 わたしは思います。 「体を殺しても、そ の後、それ以上何もできない者どもを恐 れるな」 (4節) 人はいつかは死にます。死ねば一切が無になる、という 人には死 後の地獄も浄土もなく、宗教も葬儀も墓も必要な いというひともいます。いま「無」 という言葉の意味をかっこ に入れて考えても、死は体験できないわけですし、死ね ば すべては無になるんだという人の多くは、「無」ということば で死を了解し ようとしているのだと思います。とすれば、別 の死の了解の仕方もあるというわけ です。4節は、次のよ うなことだと思います。肉体はいつかは死を迎える、しかし その死に意味を与え られるものはいないのだ、国家が名誉の戦死だ、英霊だなと ゙と意味づけることもできないし、すべてが無だなどと個人 が決めることもて ゙きない。そんな人間的な意味づけを恐れ てはならない。与えられた生命の終わると きがある。死は 必ず来るけれども、それは生きることの一部だとも言える。 与 えられた自分といういのちをその人の到達点まで生きれ ばいい。イエスは、「誰を 恐れるべきか...殺した後で、地獄に投 げ込む権威をもっている方だ」 (5節) そ の方を恐れよ、と いっています。ここで「地獄」とは、神話的な表現ですが、そ の人が生きたことを全否定する世界のことなのだと思いま す。生まれたことも、無 かったことにする。そんなことができ るとしたら神だけですから、神を恐れよと いうのです。逆に 言えば、その人が生きたことを覚えてくれる方だけを信頼 せ よ、ということです。 『戦場』をかろうじて生きのびた母は、1980年8月、 死ぬまぎわも病魔に苦しめられ、 ひびだらけの古いゴムポ ンプをしぼるように痩せた胸を激しく上下させていま した。 わたしは彼女の背中をさすりながら、このつらさが永遠に つづくかと思う ような夜をすごしていました。そのとき、ある 思いにとらわれました。このひとの 「いのち」、この人の叫 びは確かに、まちがいなく受け止められている! ことば にはできないひとつの「できごと」でした。イエスは十字架 の上で「わが神、 わが神、どうしてわたしを見捨てたのか」 と叫びました。苦しげな母のありよう は、このイエスに重な ります。苦しみながらこのひとはいま、自分が与えられた 「いの ち」最後まで走りきろうとしているんだ、とおもっていまし た。やがて、 いろいろな信徒の人との出会いもあって、原 始教会やパウロの、十字架と復活とい う信仰表現、信仰告 白に響き合うものが自分の中に根を下ろしてゆきました。 きょ うの写真のたたずむ女性の姿を、母に重ねれば、54 頁の靖国神社に突っ伏している 女性には重なりません。 「戦場」ではないとされた街の戦災死者は英霊ではありま せん、ただの人です。「しかしここの、 この『戦場』で 死んでいった 人たちの死 については どこに向かって 泣けばいいのか」 とありますが、このただの人の嘆 きも あのイエスの「どうして見捨てたのか」 という叫びとひびき あっています。 嘆き、叫ぶ人の傍らに、イエスはいます。人間のやり場のない悲しみや怒りも、それ を投げかける 方がいる、という信頼を、7,8節のイエスの言葉は告げて います。 その前の言葉とは別の状況でイエスが語られた 言葉だったでしょうか。伝承した 人たちがつなげたところに 聖書が伝えようとしている「いのち」への基本的な信 頼と希 望を思います。<7~8節 ! >
8月2日説教より 詩篇1篇 「善と悪と」 久保田文貞 この詩編は、詩編が編まれた最終段階に、詩編全 体の序文として付け加 えられたと言われます。 詩篇 には多くの場合、義しい者と「悪しき者」、「敵」か ゙対立 的にでてきます。この詩編も「正しい者」(ツァッデイー キーム)と「悪しき 者」(リッシャーイーム)【口語訳】、 「義人」と「悪しき者」【関根訳】、「神に従 う者」と「神に 逆らう者」【新共同訳】、訳はどうあれ、両者は峻別さ れ、中間的 存在を許さないかのようです。このように峻厳な仕分け方は、人だけのレベルで で きるものではない。神がなす究極の審きに根拠をお いて初めて可能だったの でしょう。5節に「正しい者の つどい」というのが出てきます。この詩篇を歌って いる 者は当然ながらこの「つどい」の中にいます。しかし、 常識的に考えれば 100% 「正しい人の集い」なんてあ りえません。(サンデル教授の問題の立て方に触 れた が省略) にもかかわらず、こういう歌を唱和する集団を想定 するとすれば、 それはどんな集団なのでしょう。考えら れるのは、神殿のような聖なる集会とその 祭儀的な場 です。聖なる祭儀の場で、自分は正しい者であるか、 悪しき者か、と 追い詰め、自分は「神に従う者」「義な る者」であると宣言する。その時、この詩 編に心から唱 和できることになるでしょう。この時、聖なる者に向き 合う、もの すごい〈わたし〉が立ち上がるわけです。こ の「私」は、他者一般が「正しい 者」と「悪しき者」に二 分されることに疑問を抱かないで平然とした顔をして いる。 ヤハウェの律法をよろこび、昼も夜もその律法を 想う人。そういう人間になりきる ことを疑わない。反対 にそれができない人間は救いようのない「悪しき者」に な るというわけです。2節「ヤハウェの律法を悦び、昼も夜もその律法を 想う人。」 とは、関根によれば「想う」は、犬や獅子の低 いうなり声を形容する語から来てい るそうです。男が 四六時中唸るように律法を唱えているというイメージでしょう。 昼夜律法を唱えているという人間の姿はどう 見ても不自然です。律法が果たして そんなことを要求 していたかどうか、多分そういうことではないだろうと思 いま す。さかのぼりますが、1節、新共同訳で「いかに幸い なことか 神に逆らう者の 計らいに従って歩まず 罪 ある者の道にとどまらず 傲慢なものと共に座らず」、 自分はこういう人間にならなくてよかったという思いに 引き込まれます。「悪しき者」 が「歩む」「とどまる」「座 る」と深みにはまっていく姿を短いながらうまく歌 い込 んでいます。「聖なる集い」はここに集うことが許され ない人をよく観察し ていることに驚かされます。だが、そこに集う義人たちもちょっと油断すれば「風 に吹かれてもみがら・ごみのように飛ばされてしまう。」 というわけで聖なる集 会は、逸脱の可能性を吹き払 い、罪を贖ってくれる場でもあります。罪の贖いは動 物の犠牲をもって成立します。イエスの時からそう遠く ない古代ユダヤ教末期の集 会の詩編です。イエスの福音は罪に怯えるこういう義人の集まりか らの言葉であり ません。律法を昼夜うなるように口ずさ みがら罪から身を遠ざける在り方をせよ とは言いませ ん。マルコ2章1~12節の物語は象徴的だと思いま す。イエスは、中風 の人とその友人たちの熱意にうた れて、「子よあなたの罪は許された」と言い切る。 それ はちょうど詩編1篇のように人を善悪で分けてしまう聖 なる集いに挑戦するか のように。これに対して、聖なる 集いから派遣されたエージェントのようなありい 峰学 者が反対意見を述べる。「この人は、なぜあんなことを 言うのか。それは神 をけがすことだ。神ひとりのほか に、だれが罪をゆるすことができるか」と。 もっともな問 いです。聖なる集いの外で罪が許されるというようなこ とが怒っ てしまえば、彼らの立場はなくなってしまうか らです。9,10節、イエスは、律法学 者から見れば、 汚れた者のつどいとしか見えない集まりの中で、聖な る集い以上 のことを、聖なる集いを解体してしまうよう な言葉を宣言します、「あなたに命じ る。起きよ、 床を取りあげて家に帰れ」と。
7月26日説教より マルコ福音書2章18-22節 「ヨハネの弟子とイエスの弟子」 久保田文貞   バプテスマのヨハネにも弟子がいました。ヨハ ネが処刑された時 遺体を引き取ったのは彼の弟子 たちでした(マルコ6:29//)。それ以後もヨハネの 弟 子たちはイエスの弟子たちと並行して活動して いたらしい。今日の箇所は、ヨハネの 弟子とパリ サイ人が断食をしていたことで、人々はイエスに 問うた、「ヨハネの 弟子たちとパリサイ人の弟子 たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、 なぜ断食をしないのですか」。 それにしても、師匠の思想を直接比較すればいい ものを、その弟子たちの言動を基準にして比べ てみる感覚ってなんなのか疑いたく なります。た しかに宗教的指導者と弟子の関係は服従の度合い が強いものです。 教祖やその師匠の思想に直接さ わらないで、弟子の水準で比べておいた方が気か ゙ 楽とでもいうのでしょうか。このような間接的な比較をしようとする動機 は、お そらくイエス死後の原始キリスト教団の中 により強くあったと言うべきでしょう。 この物語 には、ヨハネの弟子たちとパリサイ人の弟子たち と、自分たちイエスの弟 子たちをきちんと分けよ うとする意図が透けて見えるように思います。その問いに 対するイエスの解答は、19-20節と2 1-22節のふたつからなります。最初の答えは「婚 礼の客は、花婿が一緒にいるのに、断食ができる であろうか。花婿と一緒にいる 間は、断食はでき ない。」婚礼の時は、花嫁と花婿を囲んで、みんなが大 いに談 笑し飲み食いをする祝祭の時。ただし現実 的には、この時だけはと自分のかかえて いる深刻 な問題や矛盾を忘れようという時でもありますけ ど、本当に深刻な時は いやでも後からやってくる。 「花婿が奪い去られる日が来る。その日には断食 を するであろう。」戦争を題材にしたドラマは、戦争が愛し合う男 と女を引き裂く 場面を使います。表現のうまい下 手はあれ、もうそれだけで十分人の心をつかむこ とができます。もちろんここで引き裂かれるのは、 神から派遣されたメシアと蜜 月を過ごした祝祭の 時が、メシアが殺され地上からいなくなる出来事 を指してい ます。その時こそ断食の時というので す。19-20節はイエス死後の原始教団の心境を 言 い表した言葉です。これに対して、マルコがここに持ってきたと思 われる 21-22節の言葉はこうです。 「だれも、真新しい布ぎれを、古い着物に縫いつ け はしない。もしそうすれば、新しいつぎは古い 着物を引き破り、そして、破れが もっとひどくな る。...」古いものに新しいものを取り付けたりつないだ りすると、 新しいものが古いものを壊してしまう ということでしょう。だれでも経験的によ く分か ります。古い着物に継ぎあてするときは古い布で、 新しい着物には新しい 布で、ということになりま す。イエスが実際にどんな状況で何を指してこの言 葉を語ったのかわかりません。そこでマルコに即 して18節の問いへの答えとしてと ると、ちょっと 妙なことになります。パリサイ人の弟子集団はま ちがいなく古い、 イエスの弟子集団が新しいこと になるわけですが、パリサイ人の弟子集団にイエ スの弟子集団の生き方、考え方を無理につなげる とそれが古いものを否定しかねな い。そこで、古 いものは古いもので、新しいものは新しいもので それぞれがそ れぞれの方法で事に当たるよりない ということになります。いずれにせよ、 21-22節の言葉は、なにか醒め た感があります。よそのグループのことまでとや かく言う必要はない、それぞれ自分のことをしっ かりとおやりなさいと、どうして もそうなってし まいます。
7月19日の説教より マルコ1章8、ルカ3章16 「イエスとヨハネ ――霊と水と――」 久保田文貞 前2世紀から後2世紀ごろにかけてユダヤ教は〈自分た ちをいじめぬいてきた世界 に対して神の裁きが下り悪人は 滅ぼされ、最後まで神に忠実であった自分たちは 完全なる 神の平和が充満する王国に住まうようになる〉という漠然と した観念=終 末待望を持っていました。これを宗教的なイ メージとして描いたものが黙示文学 (ダニエル書、ヨハネ黙 示録)であり、それとは別に、1世紀には横暴を極めたロー マ総督らの圧政に対して現実的・政治的な解放運動がた びたびおこりました。66 年に始まるユダヤ戦争はその頂点 に立っていると言ってよいでしょう。また1世紀 から2世紀に かけて、神が派遣した自称あるいは他称のメシアを中心に 一挙に終末 の歯車を回そうとする民衆運動もありました。イエスと洗礼者ヨハネもその大きな流 れの一つと言えま すが、ここに比較のために55年頃起こったエジプト人預言 者の 運動を考えてみます(ユダヤ戦記II:261-263、ユダ ヤ古代誌XX:167-174)。使徒行伝 21:38に、パウロが最後 にエルサレムで拘束されて千卒長からその嫌疑がかけら れた当の逃亡預言者です。歴史家ヨセフスによると、彼の 運動は荒野(前に述べた ように、イスラエル宗教の荒野 は、エジプトから脱出したとき40年さまよった荒野 であり、 その後のユダヤ人にとっては放浪した民が最後にヨルダン 川を渡ろう とした東岸が「荒野」の象徴的な場所なのです が)から起こり、そのエジプト人 預言者はそこで群衆を呼び かけたらしい。そしてエルサレム郊外のオリーブ山へ の終 結を訴え、3万の群衆が集まったという彼は、「命ずればエ ルサレム城壁は たちまちのうちに崩れ落ちてそこから都の なかへ入場できるようになるが、その奇 跡をオリーブ山か ら彼らに見せてやりたいのだ」と、そして暴動を恐れたロー マ 総督フェリクスは軍を送って400人を殺し200人を殺した と...ヨセフスは書いていま す。とにかく、ヨセフスは彼を始 め多くの扇動者があったことを報告していますか ゙、「ペテン 師」「嘘つき」「いかさま師」が「烏合の大衆」をたぶらかした と いう目で見ています。このヨセフスはどこにいたかと詮索 したくなりますが、彼 は35,6年、宗教貴族の家に生まれ、 この時20歳くらい、間違いなくエルサレム場内に 出いりす るユダヤ人エリート。『戦記』にローマ軍が出動したとき「市 民が一丸 となって防衛に当たった」と書かれていますが、私にはこの中に彼もいたとしか思え ません。なぜ慎重で体 制派に身を寄せているヨセフが66年に始まったユダヤ戦争 にガリラヤ隊の将軍になったか疑問ですが、とにかくその 前の総督フロロスの余 りに残虐な暴政に我慢ならなかった というよりありません。しかし思うように進まな かったガリラ ヤ部隊は1年で敗北しヨセフスは投降していまいます。 ヨ セフスに 深入りしすぎました。要は、このようなヨセフスが 描くエジプト人預言者です から、その眼の位置からの記述 として考えておかなければなりません。エジプト からきた預言者はひょっとすると、エジプトから モーセ率いる荒野の道をたどっ てヨルダン東岸=荒野の 終点にやってきた、そこから民に訴える。ここまでの立ち 位 置は洗礼者ヨハネと同じです。そこに集まる群衆も時代か らはじき出された貧 しい庶民というべきでしょう。ここはヨハ ネもイエスも同じ。(マタイ11:7) たた ゙彼はエルサレム郊外 のオリーブ山終結を訴える。そこから奇跡的に城内へ突入 す るという図をあたまに描いている。もちろん彼らは素手で す。軍事的計画的な反乱 など考えていなかった。もしそう ならヨセフスがそれを書かないわけはない。ヨセ フスはユダ ヤ戦争では実に周到な準備をさせたのですから。エジプト 人預言者 の頭は神の裁きの絵を幻想的に見ているだけな のです。ヨセフスは「たぶらかす」 預言者と「たぶらかされ た」群衆をどちらも侮蔑的にみるのですが、・・・。そ れと比較すると、彼より20年ほど前になりますが、洗 礼者ヨハネは確かにエルサレ ムの革命的な審判の絵を見 ないのです。荒野にとどまってただ集まってきた寄る 辺な い群衆に悔い改めのバプテスマを実践していくだけです。 ヨハネの下では、 時間が止まってしまっている感じです。も う最後の審判の迫ってくる前でそれ以 外になにもしようが ないという諦念のようにも見えます。では、エジプト人預言 者とイエスを比較するとどうか、材 料があまりに少ないので結論的なことは言え ませんが、妙 に似たところがある。最後、エルサレムに向かうところで す。たた ゙し、イエスは彼のようにエルサレムに集結するよう にと群衆に呼びかけませんで した。弟子たちとそれほど目 立たずに、エルサレムに行った。そして数日間、オリー ブ山 を拠点にしてではありますが、イエスは裁判にかけられ磔 刑に処せられまし た。彼らのそれぞれの歩みを感慨深く思 います。
7月12日説教より ロマ書8章26-30節 「祈れない者への福音」 板垣弘毅  かつて加藤周一といういつも冷静な感じがする思想家が、どうせ死ぬなら、戦 争に抗ってじたばたして死にたい、といっ ていました。そんな小さなジタバタの つみかさねも「いのち」 の大切な部分だと思います。祈りもそんなジタバタの一 つ、 きょうのところでは一人の祈りが取り上げられています。200 0年前のこの手 紙の読者にはこのままで伝わるコトバだった かもしれませんが、やはり難解で す。「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。 わたしたちはどう 祈るべきかを知りませんが“霊”自らが言葉 に表せない呻きをもって執り成して くださるからです」(26) “霊”は「神の霊」で、人の霊や汚れた霊でない、とい うことで す。神の霊は、人の感じる力や考える力では捉えることがで きない神 の力、といっておきます。ただ人は神の働きを「おく れて」気づく「瞬間」を聖書 は大切にしています。その神の働 きに気づける部分が、その人の霊、内なる空洞、 神さまがそ の人にふさわしく埋めてくださるすきまだと思います。霊み たいなあ いまいなものにつきあう気がしない、信じたければ どうぞご自由に、と言って くれる人もいますが、わたしは、こ のローマ書の8章から希望を与えられている人に 共感してい ます。「弱いわたしたち」 というのは、困難の中いる人の重 圧が語ら れているわけです。 パウロは、何を祈ったらいいのか、突きつめればこれが分 からないものなのだ、と言っています。必死に祈るほど、人は 祈れないことを知る、 わたしたちがこころを集中して、そして 時間を考えずに祈っているとき、誰もが たどり着かざるをえ ないところですね。激しく祈っても習慣的に祈っても、神を 信 頼するはずの祈りが、どこかで自己満足と折り合ってしまう、 白々しくなる、 そういう意味では祈りは自分を裸にします。 「どう祈るべきか知らない」 とい うことは、他者との関係 でも思い知らされる真実だと思います。わたしたちは、そ の 人だけの固有の名前の持ち主に呼びかけます。そのとき顔 のように、一人の人 の思いも固有なのです。そのうえ使うコ トバは当然誰でも使えるすでにできあ がっているコトバです から、相手がわたしのコトバで、わたしの思いを受け止 めてく れることは、よく考えれば不可能です。 コトバが伝わるとい うことは、 祈りに近いと思います。たいていは、だいたい分か るところで、あるいは誤解も折 り込み済みで、折り合っている のだと思います。コトバが届くということは一つ のできごとだ といってもいいかもしれません。そこに、その人が「いる」とい うというできごとから、コトバを介して、でもコトバを越えて 何かが伝わるこ とを、その実感をパウロは「霊のとりなし」と いったのではないかと思います。わ たしたちも、ある人がそこに「いる」 という重さに心底共感するときがあるので はない でしょうか。 「霊自らが言葉に表せない呻きをもって」 これはパウロか ゙ 教会の中で実際にであった、異言をさしているという人もい ます。「祈り」は、 つきつめればどう祈ればいいか分からない ものだとしたら異言に近いのかもしれ ません。「霊はとりなし てくださる」 「呻く」 ような事実の中でできることは できる だけする。しかしそれがすべてではない。それをわたしたちの 思いを越 えて完成する方がいる、これが信仰者の希望です。 (28) イエスの福音というで きごとは、であった人のできごとに よって伝わりました。パウロもその一人て ゙す。神はどんなち いさな一人も見捨てないという福音を、パウロのコトバでは、 その人をその人として、神は召し出された、というふうになり ます。人は誰でも、 固有名詞が示すようにその人として生き るよう召されている。パウロはこう言いま す。28節。 「神を愛する者」 とりあえずキリスト者ですね。神の召しが先 行す るんですから、キリスト者、非キリスト者のちがいはない わけです。 キリスト者 とは、そのことにとりあえず気づかさ れているだけです。 「神は前もって知っ ておられた者たちを、御子の姿に似たも のにしようとあらかじめ定められた。」 (29) 「まえもって」「あらかじめ」という表現でパウロが強調したかったのは、 人間の「選び」 (きょうの言葉では「その人として召し出されている事実」) は、 まったく神の恵みなのだ、ということです。「厳密に考えればキリスト者なるもの は決して存在しない。存在するのはキリスト者になる永遠の機会だけ だ」(カール・ バルト) 「召し出されてある」 という事実は、す べてのひとの足もとに差しださ れているめぐみなのです。で すから人がその人としてあることは根源的に祝福な のです。 わたしはそこから出発したい!。幼児のように受け入れるほ かはない根源 的な信頼です。学問や修行や霊感で気づく悟 りなどではありません。神の召し がその人にある、といわざる を得ない人の存在は、神のできごとの比喩だと思っ ていま す。ですから「御子の姿に似たものに」 なるというのは、パウ ロの中で は、この十字架のキリストの姿が浮かべられていた はずです。裸で空っぽの手 を差し出すように神の前に立って よいのだ、という福音です。そういう者たちに神 は「栄光をお 与えになった」 といいます。これは神の国の希望ですが、そ んな君 の苦しみ・悲しみをわたしは決して忘れないという神の 約束です。「み国を来たら せたまえ。御心が天にあるように 地にも行われますように」 という主の祈りは希望 です。
7月5日説教より マルコ1章2-15 「洗礼者ヨハネと群衆」 久保田文貞 福音書の中で、「宣べ伝える」とか「宣教する」と 訳されるケーリュッセインとい う語があります。イエ スが福音を宣べ伝える(マルコ1:14)、あるいは「弟 子たち を宣教に遣わす」(マルコ3:14-15)のよう に。イエスの活動は、初めからこの語で表 現され ます。そして宣教活動の結果、当然ですが人々 が集まってきます。それを マルコは、群衆オクロス と言う語で表します。こうしてこれまで照らし出され る ことのなかった人々の群れが「神の国」の福音 によって誕生する、それが群衆で す。この群衆の誕生には前史があります。洗礼者ヨ ハネのもとに集まる人々の群れ がそれです。(マル コ1:4-5) ヨハネの活動についてイザヤの預言(Is 40:3)を引照 し「ヨハネが荒野に現れて、罪のゆる しを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝 えてい た。」これによって「ユダヤ全土とエルサレムの全 住民とが、彼のもとに ぞくぞくと出て行って、自分 の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテス マ を受けた」と報告されています。イザヤの預言は、 やがて神の審判が下る、そ のための心構えをせよ ということです。ヨハネはずっと日延べになってい た神の 審きの日がいまこそやってくるのだと、人と してやれることはただ、罪を悔い改 めてバプテス マを受けるのみだと言い、ヨルダン川のほとりでそ れを実行した ということになります。バプテスマというギリシャ語は、バプテイン「浸 す」 という日常語動詞の強意形バプタゼインから 造語されたものです。つまり、人を 川の水の中に 浸し切る、あるいは人を水没させる、溺れさせると いうことを表して います。水没させるということは、 死をイメージさせます。詩編には、死、滅びの 象 徴としての大水がたびたび出てきます。例えば 「死の綱は、わたしを取り巻 き、滅びの大水は、わ たしを襲いました。」(詩18:4)のように。〈人よ、せまりく る神の審判を前に、一切の罪を悔いてその 身を大水によって滅ぼし、神に一切をゆ だねよ、 そうすれば神は許して下さる〉ということでしょう。 大水に沈められ るということは死と滅びの象徴 であるとともに、しかしそこから引き上げられる とい う救いの象徴でもありました。「主は高い所からみ 手を伸べて、わたしを捕 え、大水からわたしを引き あげ」(詩18:16)のように。 ここには、ヨハネの呼び かけに応え、悔い改め て、水=死をくぐり抜けようとする人間の決断が要 請されて います。ヨハネの下で誕生した群衆は、 その要請に応えた強い人間集団の香りがし ます。 ヨハネから洗礼を受けた(マルコ1:9)イエスもその 一人になるわけですが。  ヨハネは大胆にも領主ヘロデを人の道に外れ た者として予言者としてヘロデをや り玉に挙げた らしい、それで逮捕され処刑されます。(マルコ6:1 6) イエスはヨハ ネが逮捕された後、ガリラヤで宣 教を始めました。イエスも間近に神の審判が控 え ているということでは師匠たるヨハネの思想を引き 継いでいます。しかし、イ エスは神の審判のポジ の面、〈良い知らせ〉=福音の面をみる。その神の 業の降り 立つところは、これまで見向きもされなか った人々、「罪人」というレッテルを張 られ、それを 甘んじて受けてきた人々が吹きだまるようにして暮 らしていたガ リラヤの隅々だと言わんばかりに、赦 し、恵まれる神の国の福音を宣教していきま す。 イエスの福音宣教の下に集まってくる群衆は、 神の裁きの間近なことを感じ 取って、決断し起死 回生しようとする何ほどか強い人間の集まりでは ありません。 そういう構え方はとくに必要ないとし た。神のめぐみにただただ信頼して一切を 預けわ たし、イエスに信頼していく。大変危なっかしい無 防備な人間の誕生という ことになります。災害に備 えてとか、危機に備えてとかいう今の私たちの風 潮とは まるで反対なものになります。無責任じゃな いかと言う人もいるかもしれませんか ゙。
6月28日の説教より マルコ1章35-45節 「一人になって祈る」 久保田文貞 「朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで 祈っておられた。」 イエスが群衆から距離を取ろうとされたという最初の 記事にな ります。群衆がイエスの前に現われるまでの いきさつを追っておくと、まず洗礼 者ヨハネの活動があ ってそこに各地から人々が集まってきた(4節)、その群 衆が まずあります。イエスもその一人になります(9節)。この点については次回に譲りま す。 マルコによれば、イエスはヨハネが逮捕された後、ガリラヤに行って宣教活動を 始めます(15節)。準備段階 としてペテロ以下4人の弟子を採ります(16-20)。一行 は カペナウムのユダヤ教会堂でデビュウー。そこでイ エスは「権威あるものとし て」教え、そこにいた「汚れた 霊に取りつかれた」とされている男と対面します。冷 め た目で見れば、むしろ熱狂的な反対、抗議を受け、イ エスがそれに正面から NOを言う、そんな場面のように 見えます。事実はどうあれ、マルコはガリラヤ一帯 に評 判になったと言います(28)。それからペテロの姑の家でイエスは病の彼女を癒 さ れる、するとそれが町中の評判になって、夕方から夜 にかけて「病人や悪霊に取 りつかれた者」が続々と集 まってきて、イエスと4人の弟子がその対応に追われる 様子が窺えるような描き方になっています。押しかけて きた病人たちと、マルコか ゙2章4節以後ひんぱんに使用 される語〈群衆〉(オクロス)とは地続きだと言ってよ い でしょう。ただ、35節の「朝はやく、夜の明けるよほど前に、イ エスは起きて 寂しい所へ出て行き」というのは、文学的 な手法としては、前の晩ペテロの姑の家 (もしかしてペ テロは「鱒男」さん?とにかくそこはペテロの家かもし れません)に 集まってきた人々でごった返していた様子 と対比的に描かれていて印象的になって います。けれども、その対比は単なるレトリックではないでし ょう。マルコ福音 書の中で、イエスが群衆から距離を取 る構図というのがたびたび出てくる(3:9、4:10、4:36、 6:1、6:32、6:46、8:9な ど)。それらは、押しかけてくる群 衆、それに精一杯こたえようとするイエス、そし て群衆 から離れようとするイエスが描かれていて、いったいこ れは何だろうと思 わないでしょうか。マルコとしては、 〈イエスが群衆たちに教えられた、群衆たち は大いに 感動した、押しかけてきた群衆の願いや悩みに応えら れた、病人たちは大 いにいやされた・・・〉と描くだけで も十分だったはずです。それに対して実 際には、その ようなイエスが敢えて群衆と距離を取る、あるいは群 衆と遮断しよう とばかりに離れていく図を描くわけで す。そうなると、イエスと群衆との間で、 微妙な位置にな るのが弟子たちです。群衆とイエスの間を執りなして、 イエスの 宣教活動がスムーズに行くようにアシストする 役割。イエスがペテロたちを弟子 にして活動を始めた 時の最初の意図はそこにあるように見えます。でも、そ れはひ とつの〈制度〉でもあります。イエスと群衆の距 離が近すぎると思うと弟子たち は間を割って入るわけ です。象徴的な例が10章13節以下の子どもの祝福の 場面て ゙す。弟子は、イエスが大人たちに話をしていると き前をちょろちょろ動き回る子と ゙もたちを「じっとしてい なさい」とでもしかるところです。ここでは、イエス、 子ど もたち、その母親たち、夫たち、おばあちゃん、おじい ちゃんたちが、一 続きにイエスの話を聞き、イエスに信 頼のまなざしを送っている。イエスもそれに 応えてい る。弟子たちが、その群衆とイエスの間に割って入って ならない、もしそ ういう機能しかしないなら、弟子などい らないと言わんばかりなのです。伝承を 通して、マルコはそういうイエスと群衆の構図 をしっかりと描きながら、一方で明 らかに群衆とイエス の間の距離をなんども描くわけです。結論をぼかすこ とにな りますが、私にはこう思われます。かくも群衆た ちに近く寄り添うイエスと、と次 になぜか群衆と距離を 取ろうとするイエスとは、そのままにしておくのが一番 し ゙ゃないかと。正解は無用だと思えるのです。
6月21日説教より ローマ書8章18~25節 「希望における救い」  板垣 弘毅 先週、1997年に神戸連続児童殺 傷事件の元「少年 A」が書いた本が発売されました。わたしは新聞や雑誌 のほか殺 害された少女の母、少年の父、さらに「少年A」 の父母の書いた本を読んだりしてま したが、本人の手記 の出版には、被害児のお父さんの強い反対にとても共感 します が、出ている以上読んで考えようと思いました。 礼拝の場で引用しつつ加えた解 釈などはここでは全部省 略します。32才の彼が、14才のそのときの自分を中 心に 自己分析している内容は、わたしはどうしても共感 できないし、説得されませんて ゙した。 ただ、一つだけ胸を打つものがありました。さてこれを導入としてきょう の聖書を読んでゆきます。 ローマの信徒への手紙の8章です。いろいろ準備しなか ゙ ら難しい解釈とぶつかるんですが、専門書など関係なく、 日本語でこの個所 を読んで深い慰めを得ている信徒の人も知っています。 キーワードは希望です。 これは人間的な期待とはちが う意味で、聖書の根本的な信仰です。 きょうは交読 文で詩篇96編をよみました。「野と、そこにあるすべてのものよ、喜び勇め/森の 木々よ、共に 喜べ/主を迎えて/主は来られる、地を裁くために来ら れる」 しかも 神は「正しく」「真実をもって」さばくの だから、自分の今の苦しみはきっと顧み られるというの です。メシアが来る、すべての人が、ユダヤ人も例外で はな く、裸でただひとりで神の前に立たざるをえない、 神が人間のあらゆる想定を 越えた決着をつける、そうい う「終わりの日」が来る。そういうメシア思想、メシ ア ニズムは、ユダヤ人にもキリスト教徒にも、苦しい現実 を見つめ、自分を取り もどし、耐えさせる最後の力、希 望をあたえました。「現在の苦しみは将来わたし たちに現されるはずの栄光 に比べると、取るに足りないとわたしは思います。」 (1 8節) パウロはこの旧約以来の信仰を、イエス・キリストと の出会いからさらに 深めています。そのパウロにわたし は共振してきました。虫けらや石ころのように 無意味に 始末されたイエスを神には「よし」とされている、虫け らや石ころのよう に始末されるものに神は目をそそがれ る、まったく別の角度から「いのち」が肯定 される瞬間 が彼の身を襲った。言葉にはできないけれどこういう一瞬のようなと きが誰にもあり、終わりの日に人が救われ るとしたらそんな神さまの「よし」とい うときなのだと 聖書は語っていると思います。人の自己実現の努力の果 てにあるよ うな救いではありません。18節は苦しみの 中でのそんな一瞬を語っていると思いま す。パウロは、十字架のイエスにであった経験から、イエ スと共にこの世界の苦難 を生きようと思った。あるいは この世界の苦しみの傍らには必ずイエス・キリスト がい ると気づいた、のでした。その苦しみの中で君は、かけ がえのない君だ ということに気づくのです。「将来わたしたちに現されるはずの栄光」とは、終わ りの日の逆転ではなくて、今このときに、苦しみの中で 自分の、あるいはあの人た ゙けの「いのち」があるという ことです。神さまのまなざしの中にある不滅の「い のち」 を信じて、そこに最後の希望が持てるとパウロは言いま す。 イエスなら 「君たちの髪の毛一本までも数えられて いるのだ。恐れるな」というでしょう。 そのことをほんとに知るのは終わりの日なのだけれど、 それを信じて今を生きる ことはできる。そしてふと気づ く瞬間もある。18節はそういうことをわたしたちに 告 げています。以下の句の読みはそこから出てきますが割 愛します。パウロは言 います。世界はうめいている。キリスト者 も例外ではない。終わりの日に決定的に 永遠の「いのち」 が明らかにされることを待望しつつ、今は苦難がある。(2 2~23 節)でも外からの決定的な救いを待つことがで きることが救いです。これはもは や人間的な期待ではあ りません。外から自分を肯定してくれるという希望です。 そのまなざしにふと気づく瞬間が今の救いです。だからパウロはこう言いえま した。24~25節。冒頭の本は、目を背けたいほどの犯罪を少年期に犯し てしまった人 間の絞り出すような叫びなのか、自己弁護 の一種なのか、そのどちらでもあると 思いますが、この 書き手の思いはどうであれ言えることは、この人が「生 きる」 にあたって、彼の「いのち」を肯定する、ただの 人として見守ろうという外からの たくさんのまなざしが あるということです。彼は自分のいのちを肯定してくれ る 人々から、あらためて苦しみつつ生きようとする(と 思う)。そこはわたし(たち)と同 じです。終わりの日の希望というものは、決して夢物語ではな く、今を直視する 時に、外からのいのちの肯定としてあ るということ、君しか歩けない道をわたしは備 えている という上からの祝福なのだということがきょうは言いた かったことです。
6月14日の説教より ロマ書2章1-3節 「正しさの転機」 久保田文貞 ...『わたしは正しい、神はわたしの公義を奪われた。わ たしは正しいにもかかわらず、 偽る者とされた。』と... (ヨブ記38:5) おそらくヨブに人生の危機が訪れるまで、自分が正 しいか どうかなんて問いは必要がなかった、ただ神に 信頼して(なんてことも言わず)た んたんと生きて行けば よかった。けれども、ヨブは財産、家族を失い、自分の 身 体、プライドまで侵されて、「正しさ」というものの根拠 を根本から問う転機に したということでしょう。それは一 つの選択です。でも、他の道もないわけでは なかった。 友人たちが言うように、どんなに自分が正しいと思おう と不完全な人 間は知らずのうちに罪を犯す存在なんだ と認め、この災難を最後まで忍従しても よかったはずで す。でもそれを選ばなかったわけです。そこでいきなりパウ ロに飛びます。パウロはヨブのパ ターンとちがって、初めから神によって義と されるあり方 を〈求道〉しています。あの改悛から20年後ぐらいのこと になります が、ピリピへの手紙でこう述懐しています。(ピ リピ 3:5-6 )「わたしは八日 目に割礼を受けた者、イス ラエルの民族に属する者、ベニヤミン族の出身、ヘブ ル人の中のヘブル人、律法の上ではパリサイ人、熱心 の点では教会の迫害者、律 法の義については落ち度 のない者である。」 (同8-9)「キリストのゆえに、わたし はすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように 思っている。それは、わた しがキリストを得るためであ り、律法による自分の義ではなく、キリストを信し ゙る信仰 による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、 キリストのうちに自 分を見いだすようになるためであ る。」もちろんキリストとの出会いによって生し ゙た一大転機 だろうと思いますが、ひたすら神に義とされることを求め るという点 で、揺らいでいないというか、変わっていませ ん。もっとも、これはガラテヤ教 会にユダヤ人伝道者が 現れ、異邦人クリスチャンにユダヤ人であるためのしる し・割礼を要求した。ガラテヤ教会の人々は動揺し、中 には割礼を受けた者もいる らしい。パウロはそのような 割礼要求に反論する中で、いわゆる信仰義認論を展 開しました。キリストによっていろいろなしがらみから解 放され、それでいいじゃ ないか、彼らに割礼をほどきし てユダヤ教に改宗させるというのでは、キリスト の十字 架の死は台無しだというわけです。パウロ自身の転機となったのは、十字 架につけられ て死んだキリストとの出会いでした。これが彼のそれま での神の 義、正しさを求める方向を180度変えました。 律法を守ることによって神の義を求め ることの底に潜む 人間への楽観主義と、自己の罪を認めない傲慢さから は義に至る ことはない。ただキリストを信じる信仰によっ て義とされるという発想の転換をす るわけです。彼は晩 年、拘束されながらもローマに行くことになり、ローマの 人々 へ手紙を書きます。そこで彼は自分の信仰の原理 をまとめて書いた。それがロマ書 の中で中心的に書か れる信仰義認論です。ガラテヤ書でそれを書いたとき は、 ガラテヤ教会に起きた具体的な問題によせて展開 した一つの議論でした。その後の コリント教会の問題に 直面したときパウロはそれには全く触れず、そちらの事 柄 に合わせて彼の福音理解を展開させています。で も、ロマ書の場合は、よく言われ るように、総括的な神 学議論になります。そこではキリストの信仰なしに、すべ ての人間が〈義〉されえないという論理になっていきま す。結局は、神によって義 とされるあり様を、すべての 人間に判で押したように要求することになってしまい ま す。やりすぎだと思えてなりません。この点、かのイエスはどうだったか気に なるところで す。イエスにも転機はあったでしょう。だからこそ公然と 福音の宣 教を始めたわけですし、さら彼にはもう一つの 転機がある。イエスは自覚的にエル サレムに乗り込む。 そこにはただ神によって義とされるというものとは別のも のか ゙流れています。それがなにか、別に考えてみたい と思います。
6月7日の説教から 「正しいとどうして言えるか」 久保田文貞 〈正しさ〉とはまずは小さな人間仲間の中で、真実の 素朴な基準とその人間仲間の 規定や約束に基づい て、ほとんど実測しながら確かめ合って構築されていく もの です。イスラエルの前史のような形で、アブラハム、 イサク、ヤコブら族長の物 語が出てきますが、それぞれ の部族集団は個別的でありながらも、単独で存在 でき ません。それぞれに共通の原則や規則、習俗があり、 それらの間でトラフ ゙ルが起これば、〈正しい〉〈裁き〉が成 立して治まります。例えば創世記38章、 ユダと、長子エルの妻タマルの 問題。エルは子をもうけることなく早死にし、妻タ マルは 二男オナンの子種を受ける権利があったが、オナンは それを拒否する。そ こでタマルは奸計をめぐらし街娼に 化けて、父ユダの子を宿す。そうとは知らぬ ユダは息子 の嫁が「姦淫」したとして処罰しようとする。タマルは証 拠の品を見 せて自分の腹の中の子がユダの子であるこ とを証明する。ユダは「彼女はわたし よりも正しい」と、子 をもうけようとしたタマルの意志が、形式的な法の力を 超え ていることを認めるのです。ユダ部族の家長と他の 部族から嫁いできた女の確執 が、当事者同士の間で 〈正しい〉〈裁き〉へと実を結ぶわけです。とても貴重な 話だと思います。次に出エジプトを経験したイスラエルが神ヤハウェの 下で連 合、契約をし(ヨシュア24章)、そのことによって 以後、部族間のトラブルをかかえ ていきます。部族間を 公平に裁く者が必要になります。その中立性、公平性 を保証 する共通の法、まずはトーラーだと考えてよいで しょう。けれども、それを形式 的に当てはめてもトラブル は解消しない。裁き人(聖書では士師と言う語で、英語 版では、ジャッジ)が部族間の隙間に生じたトラブルを 権威をもって裁いてこ そ、お互いが納得するというもの です。その裁き(ミシュパツ)の最終の根拠は、 いうまで もなく生きた神ヤハウェの意志(言葉)です。王国時代に入ると、必然的に 王とその官吏や神殿の 祭司が、裁きの担い手になります。そして権力機構に 必須の 構造的腐敗が横行します。民は、王も官僚も神 殿の祭司ももはや頼りにならない。 そういう中で出てき た注目すべき人間が、在野で民間の宗教者(と近代的な感覚 で言っておきます)である〈預言者〉です。 前9 世紀のエリヤ、エリシャは話が ややこしくなるのでここで は省きますが、北王国イスラエルのオムリ朝に現われ た 農民であるアモス、それ以後、出自やそのバックグラン ドの差はあれ、ホセ ア、ミカ、イザヤ、エレミヤらの預言 者が出てきます。ここではアモスの言葉た ゙け読みます。 Am2:6以下「これは彼らが正しい者を金のために売り、 貧しい者をく つ一足のために売るからである。」ここに出 てる〈正しい者〉は特別な義人のこと ではない、今風に 言うと「善意の生活者」普通の人のことです。人間仲間 で当然 のように折り合いをつけながら、毎日を必死で普 通に暮らしている人です。そう いう人間たちを踏みつ け、彼らから搾り取り、彼らをどん底に追いやる者たち をヤ ハウェは許さん、そういう者を裁くと預言者は宣告 します。他には何の現実的な後ろ 盾などないまま、神 の言葉として宣告するわけです。預言者の語る「神の 言葉」 は、トーラーの内実を問うわけです。だが、トーラーの内実としての〈正しさ〉の ままに生き ている者が、どう見ても正当な裁きとは思えないような 不幸な結果か ゙出てくる。それはなぜですか。〈正しさ〉と いう形式に落ちいって、内実を欠き、 人を愛することの ない〈正しさ〉だというなら、咎めを受けましょう。でも、そ んな器用なことはできませんと、そう心から主張できる 人だっていると思います。 ヨブは言った、『わたしは正しい、神はわたしの 公義を奪われた。わたしは正しい にもかかわらず、 偽る者とされた。わたしにはとががないけれども、 わたしの 矢傷はいえない』と。(ヨブ34:5-6) 神の腹の内まで入り込んで、裁き(ミシュパ ツ)の プロセスに異議を唱えんという勢いです。結局正 しさの最終的な根拠など どこにもない、ことに人 が毎日の生活の真っただ中で、一所懸命生きてい るそ の<正しさ>を超えるようなそれ以上の〈正し さ〉の根拠など、たとえ神であろうと ないという べきではないか。そういうところまで行ってしま っているということ です。 (もっとも今思うと、これは旧約の最後に位置す るヨブの言葉をもって初め て起こったことという よりは、その初めから人の〈正しさ〉を云々言う 時、いつも ついて回ったことでしょう)
2015年5月24日 説教より 第Iコリント15章12-28節 「望みをかける」 飯田義也 今日はペンテコステ、日本では 聖霊降臨日と呼 んでいます。使徒言行録にあるペンテコステの記事には「炎 のよ うな舌が現れた」と書かれています。みんなが 異口同音に、それこそ炎のように語 り始めたわけ です。しかもいろいろな異国の言葉で語り始めた とあるのは、世界 中に宣教が始まったということを 私たちに伝えます。世の中にはこういうことが起 こるケースがありま す。何か古い「あたりまえ」にとらわれていた状態 から新しい 当たり前が示され、伝えられるうちに、 ある瞬間から「新しいあたりまえ」が多く の人々の 間であたりまえになって行くようなことです。使徒言行録では、続いて ペテロの説教、世界 で最初のキリスト教の説教が記されて行きます。も ちろんレ コーダーのように考えるよりは、初代教会 の宣教内容がここにまとめられていると 考えた方 が現代的ですが。ここでは、旧約聖書に書かれて いた預言がキリスト において実現したという点に主 題があるように思われます。復活にも触れてはい ま すが「あなたがたが十字架につけて殺したイエ スを、神は主とし、またメシアと なさったのです」と、 十字架の死に重きが置かれています。今日読んだパウロの 言葉は、このペテロが述べ 伝えたとされる内容から見るとさらに踏み込んで い ます。 キリストから始まった「新しいあたりまえ」 の一番大切なことは復活だとい う主張です。人々 が救われて生き、互いに調和して生きる時代が始 まっているの ですが、その根幹になるのは復活へ の信仰だとパウロは強調しています。今日の 聖書にあるように、わたしも「死者の復活 などない」と言う一人かも知れません。 死亡診断の 確立した現代では、死んだ人が生き返るということ はありませんから。 教会に、初代の頃からそのように言う人たちがいたことを知ってなんだか安心し ま した。聖書の言葉を字義通り「そうなんだ」と主 張するような人たちを「ファンタ ゙メンタリスト」と呼び ますが、教会は初代の頃から、そういう信仰だけ が認め られてほかを排除するようなありかたをして きたわけではないのです。 死者の復 活ということを信ずるとき、私たちは一つ の矛盾、あるいは緊張関係を引き受ける ことになり ます。あり得るはずのない、いったん死んだ人が 生きているというこ とが「あるのだ」と主張するわけ ですから。日々会社で働きながら、議論にな りますが、矛 盾ない言葉を語る人の「勝ち」というような結論に なることがよく あります。しかし必ず、その陰で矛盾 を引き受けさせられる人が出てくるのです。 私たち のしていることはたいがい矛盾していますので。 復活を信じる生き方をす るときわたしたちは、キリ ストの後を追って矛盾を引き受ける生き方を選ぶ ように なります。やってみるとたいへんですが、そ れで周囲の人が活きいきと生きられ るようになり、 さらに矛盾を分け合って楽になれれば、本当の意味での平和がやっ てくるのではないでしょうか。ある神父が「神は人知を超えたものであるから 人 間(ごとき)に証明されてはならない」とおっしゃ ったそうです。復活も同様です。 人間ごときに説 明されてはならない深い内容がきっとあるので す。「この世の生 活でキリストに望みをかける」とい う以上の、本当の意味で「望みをかける」生き 方は 復活信仰にあるとパウロは主張します。わたしも、 会社人間として、日々矛盾 を人に押し付けて生き ようとするようなありかたの渦中に身を置きながら、 自分か ゙矛盾した存在であることに気づくことの大 切さとか、大変さを引き受けることの 大切さは教会 から学んだなぁ、その根幹にはキリスト教の持つ 復活信仰があるの だなぁと改めて学んだ次第で す。この新しいあたりまえに望みをかけたいと思い ます。
5月10日の説教から マタイ福音書5章43ー45節 「敵を愛するという矛盾」 久保田 文貞 「隣人を愛し、敵を憎め」という倫理的な発想は、一つ の共同体の中では当然のものです。 古代イスラエル の、それも王国成立以前の部族社会の法として律法と いうのがあるわけで すが、そこで「隣人」ラーア、というの は、部族内の共住者であり、その隣人に友好的で あれ というのは当 然です。反対に敵に対し憎めというのは旧約にはそのままの 言葉としてはできませ ん。そんなことを言う必要がない わけです。敵は憎むまでもない、共同体の外部 の敵に 対して、ほとんど戦闘の心構えとか、呪い方とか、敵を つかまえたらどう するか、逆に敵に捕まったらどうする か、というような話になっている。わたした ちの法感覚で いえば、戦争法的なものです。ところが部族共同体時代から千年経 ち、王国時代か らも数百年経った新約時代、イスラエル共同体は実体 として崩壊し ている。残っているのは大国支配のもとで エルサレムを中心に宗教団体のようにし て多少の自治 権を認められた神殿体制のみ。もっともこういった宗教 にありがちて ゙すが、頭の中だけでいまだに世の主権者 たる神がいつか自分たちを歴史の表舞 台に立たせてく れると信じているのです。この感覚、他人ごとではありま せん が。この問題には今は触れません。さてマタイが再構成した福音書で、イエスが 今日の 言葉を語ったとされるガリラヤの事情を簡単に述べて おきます。諸説あっ て微妙に違いますが、基本的に は、ガリラヤ地方はユダヤ人以外の諸民族が混入 して いました。領主ヘロデ・アンティパスはお金が懐に入れ ば何でもあり、つ まり自分の領地で商業・金融・諸産業 を興すものを歓迎する。ヘレニズム時代版の グローバリ ズム・新自由主義です。農村の土地持ち農民は税と貨 幣経済に対応 できず、小作化したり日雇い化する。町 によっては定職のないユダヤ人であふれ、 また町によ っては異邦人だらけ。ちょっと図式的すぎるかもしれま せんが大方間 違いないでしょう。というわけで「隣人を愛し、敵を憎め」なんて古典的 なユダ ヤ法は意味をなさない状況なのです。極端に言 うと同胞と呼べる存在は隣にいない、 隣はユダヤ人であれ「異邦人」であれ、いつ自分の敵対者になるかわ からない。 マルコ12章28以下や、その補足版ルカ10章 25以下はその辺の事情を示しています。古 代のユダヤ 法にしがみついている〈律法学者〉とイエスの間で、律 法の中心はと ゙こにあるか議論がされます。あたかも見 解が一致しているようでありながら、 中身はすれ違って います。ルカの〈良きサマリヤ人の譬〉はそれを良く表し ていま す。強盗に襲われた人の〈隣人〉はもはやユダヤ 人ではなく、イスラエルから放擲 されたサマリヤ人にな っているという話です。実はマタイ福音書成立時代は、一部 のユダヤ人がロ ーマを相手に闘い自滅していったユダヤ戦争後のこと で、もは やエルサレムという中心を失い、残りのユダヤ 人もイエス派のキリスト信者も、帝 国の中に当然のごとく 離散し、ユダヤ人感覚で言えば、まさに異邦人の間に 生 きていくよりない。そういう中での「敵を愛し、迫害す る者のために祈れ」になっ てしまっているのです。一つの問題は、マタイの場合、その根拠として 次のように 言葉を繋げていきます。45節後半「天 の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太 陽を のぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を 降らして下さるからであ る。」 いわゆる後のキリ スト教神学でいう創造論を挙げています。徹底的 な創造 論の下では、たしかにユダヤ人も異邦人も ない、そういう差異は差異でなくなっ てしまいま す。パウロが何度も使ったヘレニズム・キリスト 教のスローガンに 共通したものでしょう。徹底し た終末論に通じるものがあります。使徒行伝14章 1 以下にパウロがリストラで、人々に説得する言葉 がこれに似ています。〈神は 雨を降らせ、収穫を与 え食べ物と喜びで、必要なものを恵んでくださる〉 とい うようなことを言う。すべての人への神の恵 みの下で、隣人も敵もないだろう。 バラバラにさ れた人間情況の下では、だれもが隣人であり、だ れもが敵に なりうる、というわけです。マタイのここに出てくる言葉がそのままイエス ご自 身の言葉とは考えにくいですが、イエスがガ リラヤの人々の中でこのような言 葉を述べたとし ても少しも不思議ではないありません。山上の説 教の言葉は十分 その名残をとどめているでしょう。
5月3日説教から マタイ福音書7章1-2節 「裁くな。裁かれないため」 久保田文貞 裁きということが成り立つためには、裁く者も裁 かれる者も同じ土俵に立っている ことが必要で す。まさに相撲のように。もっとも相撲の場合、判 定が怪しいと背 後に審判団がいて行事の判定を 覆したりします。究極の判定は土俵の外からされ ま す。このことは裁きの本質を象徴しているように思い ます。共通の場に起こった争い をその場の中で判 定する。それで不服があったり、他人が納得しな いと、場の 外に立っているかのような審判者が判 定しみんなが納得するという図です。だか ら、戦争俘虜のように共通な場が設定され ない一方的な力関係ができてしまう所 では裁きは 成立しません。ハーグ、ジュネーブ条約以後、降 伏した敵の俘虜を 軍法会議で裁けなくなっている 通りです。新約書の文脈で、人間の裁きとして問 題になる 人物がいろいろ出てきます。「他人をさばくことに よって、自分自身を 罪に定めている。」(ロマ2:1) ことの問題状況が指摘される代表は、福音書の 「ハ ゚リサイ人」です。マタイ7章2「あなたがたがさばくそのさばきで、 自分もさ ばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、 自分にも量り与えられるであろう。」 と直接言われ ているのは、山上の説教の聴衆ですが、この福音 書を読み進めてい けば、特に23章をもって、それ がパリサイ人に集約されているのがすぐわかり ま す。そのようなパリサイ人の問題はなにか、現場に 臨んでいる行司のようであ りながら、すぐに法の権 威の陰に隠れる。法の権威に基づいて外からの 判定を伝 えているようでありながら、現場の人間の ように泥にまみれている。23章のパリ サイ批判は そのように読めます。そしてこれはパリサイ人だけ の問題ではない、 すべての人間の問題状況だと、 マタイ福音書はそれを強く意識しています。山上の 説教を聞いている群衆は、福音を聞きそれに 目覚めた群衆であり、イエスの本当の 弟子のよう に生きるように勧められていますが、その人間の 問題状況から自由で はありません。 「人をさばくな。自分がさばかれないためである」と は、パリ サイ人に向かって言われているのではあ りません。山上の説教を聞き、福音につい て知っ た、神の恵みの極意を把握した、と思い込んでい る聴衆に向かって言われて います。「知っている」 と思うことが、まさに他人を裁くポイントに引き込み ま す。ボンヘッファーに『倫理』という本があります。一 次大戦が過ぎやがて大 恐慌、そこにファシズムが 起こり、西欧キリスト教倫理なんてものが崩壊した そ の先に、なお『倫理』なんて言えるか、彼はそう いう逼迫した所からこれを試みまし た。彼は最終 的にヒットラー暗殺計画という究極の選択をし、そ れに失敗して獄に 繋がれそこで死にますが、そこ で書いたものや関連の手紙を友人のベートゲか ゙ まとめて終戦後刊行された本です。この本の大半がマタイ5-7章の講解のようにな っています。この7章の箇所について創世記2章 の創造物語を参照させながら、「人 間は善と悪を 知ることによって他者を裁く者になる。」そして神 に肩を並べ人を裁 くようになる。こうして他者を裁 くことによって神の領域を犯す。「他人を裁くこと は、自分自身の行為に固執することだ」ともいう。裁くということは、最終的に土俵 の外に出 るよりない孤独な行為です。そこで手にでき る法はごろごろしている でしょうが、究極的 にはそこも飛び越えて自分以外に根拠を持た ないところで 判定するよりない。だがそれは 神しかできないことです。土俵の中の行事ぐ ら いにしとけ、間違った判定をして殴られる ようなことがあってもひたすら誤りを認 める よりない位でしょうか。そういうのが嫌な人 は、ひたすら人を裁く側に回ら ないことです が、それもまたものすごく難しいことです。
4月26日説教から マタイ福音書5章14節 「世の光」 久保田文貞  1967年4月に日本基督教団議長鈴木正久の名で 出された「第二次大戦下における日 本基督教団 の責任についての告白」(戦責告白)は、教団が 戦争を「是認し、支持し、 その勝利のために祈り努 めることを、内外にむかって声明」したこと、「世の 光」、 「地の塩」である教会は、あの戦争に同調す べきではなかったこと、「見張り」 の使命をないがし ろにしたことの「罪」を告白し、ふたたび同じ過ちを繰り返さ ないと決意を表明した。 形式的に言えば、教団が「見張り」の使命をなしたかど うか検証する以前に、その成立自体が軍 国主義化していた国家の要請に応えての事 であ り、翼賛体制の下ですべての宗教が統合され国 家管理のもとに置かれたわ けで、責任の問題は 太平洋戦争直前の事だけではない、15年戦争突 入前から、さ らに明治国家の成り立ちと近代日本 の歩み全体にかかわることだった。もっと言え ば、 問題は欧米の近代キリスト教の中に刷り込まれて いたし、そもそものキリスト 教そのもの、聖書の読 みそのものにかかわる。 マタイ5章の「あなたがたは地の塩 である」「あな たがたは世の光である」という言葉は前回も述べ たように、イ エスが群衆に説教したという設定にな っている。このような宣言を受け止めるべき 群衆は ただの一般聴衆ではない。5章3、4、6節などの神 の国の福音、祝福を受け た人々に、単なる聴衆か らつぎの段階へ、この世界に対して「地の塩」「世 の光」 としてこれから生きていくように誘い、そう要 求していると言ってよいだろう。群 衆(聴衆)は、招 き入れられた福音の出来事に、「これからどう生き ていくべきか」 という一定の方向を含んだ磁場の 中に立たされていることに気づかされる。マタイ に とってはもはや「群衆」は、そこから離れたらどこに 戻るかわからないような偶 然集まってきた〈衆〉ではなく、方向性を持ち、ある種の倫理性を持つこ とになる 群衆である。その意味では山上の説教の 聴衆は、イエスの弟子であり、イエスの 死後も彼に 信頼して従っていく〈呼ばれた者たち〉=教会でも ある。では、神の 福音の恵みを受けた者たちは、どん な方向性を持つことになるか、それをマタイは 次 のような表現でイエスに語らしめる。「昔の人々に 『・・・』と言われていた、 しかし私はあなた方に言 う」と。まず伝統的な律法の言葉をあげ、それを行 き詰 らせ、転倒させ、不可能なほどに徹底させる。 例えば、「隣人を愛し、敵を憎め」 という共同体倫 理を「敵を愛し、迫害するもののために祈れ」と言 い換える。ある いは「目には目を、歯には歯を」と言われて きたが、イエスは「だれかが右の頬 を打つなら、ほ かの頬をも向けてやれ」と言われる。これらは新し い倫理の創設て ゙はなく、むしろ倫理の解体であ る。 「これからどう生きるべきか」という方向 性を 定めようがない、ということだ。イエスの福音に応え て、新しい共同性を組 み直し、応答責任の質と量 を高めていくといったことを、ほぼ放棄するよりな いと いうことだ。「世の光」としてこの世界に凛と輝いているため にはどうしたらよい かというような発想を捨てる方 がよいと、そのぐらいまで言えるような、ところ があ る。山上の説教は「世の光であれ」と強烈に倫理を 要求しているようであり ながら、実はほとんど倫理 として立てようがない、と言っていることになる。こ うして「世の光」とは、自分が強い意志をもっ て光るわけではなく、福音の出来事 に生きるという ことが 「山の上にある町は隠れることができない」 ように隠れ ようとしても隠れることができない、「世 の光」になっているということなのだ。
4月19日説教より 「イースターその後、いのちという切符をもって」 聖書 マルコ16:1~8 コリント1 13:12~13 板垣 弘毅  3人の女の人が、傷だらけ血だらけの体を香油できよめようとお墓に行ってみ ると、白い服を着た若者が言い ました。十字架に付けられたイエスは、死からよみ がえ って、ここにはおられない。彼女らは「震え上がり、正 気を失って」墓を 「逃げ去っ」て、誰にもこのことを告 げません。「恐ろしかったからである」と、 いちばん古い マルコ福音書は記し、ここで終わっています。マルコ福音書は始めに 洗礼者ヨハネからイエスが洗礼 を受け、そのとき天が裂けて霊がくだり「あなた は私の 愛する子、私の心にかなうものである」という声が聞こ えた、と記してい ます。ここから始まりきょうのところ で終わっています。イエスの活動は人間の意 表をつく霊 の働きのもとにあり、人間のできることはほんとうは、 なんか説明を加 えることではなくただ恐れることだと、 マルコはまず言いたいのです。誰とい うこともなく伝承 されていった物語は、そこで事実として何が起こったか という 関心よりも、その物語が伝える感動に共感するの が一つの悪くない読み方だと思 います。何が起こったか、は断定できませんが、多くの人がイ エスと「出会う」 というできごとを体験したのは間違い ないでしょう。集団的な熱狂状態だ、と言 う人がいても、 どう言おうと一つのできごとが起きています。イエスが 甦っ たというできごとが弟子たちを変えたわけです。死 んだ人が復活するなんて、 信じられない、というのがふ つうです。だからここには信じられないことが起 こって いる、先ずそれを、それだけを、きょうのマルコ福音書 は伝えているのて ゙す。 わたしたちが何を信じるかなんて、それほどたいしたことではない。事実、弟子 たちのように、師と信じたイエスが犯罪者として処刑されるとなると、師を見捨て て逃げ去ってしまいます。わたしたちが信じたり信じなかったりするよりも、神 さまがわたしたちを見捨てないということの方がたしかなことだ、聖書は伝えてい ます。惨めすぎる十字架につけられたイエスを、神は見捨て ていないのだ ! と気 づいた弟子たちが、イエスが復活し たことを確信したのです。わたしたちが信 じても信じなくても、気づいても気づ かなくても、神さまはわたしたちひとりひ とりを見捨て ないのだ、それがイースターのメッセージです。神はどんな人も 見捨てない、それがイエスが、できごととして伝えてくれたことでした。もちろ ん神はキリス ト教徒だけの神ではありません。神はひとりひとりに「いのち」を与 え、決して見捨て ることはないということを、たとえば自覚的な仏教徒で あった 宮沢賢治という人も、宮沢賢治の仕方で語り続け た、とわたしは思います。膨大な 宮沢賢治論や作品論があることは知っています が、自分の触感、手触りの宮沢賢治 がいちばんわたしに は確かだと思っています。 きょうは「銀河鉄道の夜」の一場面を考えます。主人公のジョバンニは天の川が 横切る天空を見ながら 寝入ってしまい銀河鉄道の旅に出ます。そのころ親友の カム パネルラは川に落ちた友だちを救った後、溺れて行 方不明になっています。ジョ バンニは、カムパネルラの 死出の旅路、銀河鉄道の旅に同行します。ジョバンニ は、 カムパネルラとどこまでもいっしょにいきたいと思うの ですが、とうとう 別れるときが来ます。決定稿というか、 第4稿では削除されているんですが、カ ムパネルラがい なくなったとき、ひとり列車の中にのこされたジョバン ニの前 に黒い大きな帽子をかぶった大人の人が現れます。 「さあ、切符をしっかりもって おいで。おまえはもう夢 の鉄道の中ではなしにほんとうの世界の火や、はげしい 波の中を大股にまっすぐ歩いてゆかなければいけない。 天の川の中でたった一つ のほんたうのその切符を決して おまえはなくしてはいけない。」「天の川の中でたっ た 一つのほんたうのその切符」言いかえればその人の「い のち」という切符、なの だと思います。人は誰でも皆一 枚のその切符をもっている。誰とも取り替えること がで きない、取り替える必要もない、その人という存在が「い のち」です。 どんなに苦しい、悲しいことがあってもその切符をし っかりもっていれば、どこ までも君の道を行けるんだ。 そういうたった一つの「いのち」の切符は、自分にた ゙け でなく、あの人も与えられている。そのほんとうの切符 を大切にし合えること が、宮沢賢治の言う「幸福」なの だと思います。「いのち」という切符は聖書から 見れば、神に知られて いる、という一つのできごとなんです。「ほんたうの切符」 を与えた方は、その人だけの道も用意されているはずで す。イエスが復活したと いう知らせは、見捨てられる人 はいない、「いのち」には意表をつく意味があるの だとい うことを教えてくれます。
4月5日の説教より マルコ福音書16章1~8節 「イエスは墓にはいない」 久保田文貞受  受難物語がほんの2,3日の一連の出来事を一 息に間断なく語ってきて、イエスが息を 引き取り葬 られたことを、マグダラのマリヤともう一人のマリヤ が見届けたとい うことで、時間的に言うと、物語の 進行が突如、穴をあけることになる。金曜の日 没 前から日曜の朝まで36時間以上の空白があること になる。イエスが埋葬されて いた時間、歯車が止 まっている。この物語に組み込まれていた誰もが この閉ざさ れた時間に後戻りすることが許されず、 イエスを引き渡したことから逃れられない。 16章になって、つまり「三日目」の朝、埋葬を最 後まで目撃した二人の女が「行っ てイエスに塗る ために、香料を買い求めた。そして週の初めの日 に、早朝、日の出 のころ墓に行った」。重い墓石を どうしたものかと心配していたが、墓に行ってみ る と墓石はすでに転がされていた。中に入ってみる とそこに若者がいた。彼が 言うには、イエスは「上 げられた」(新共同訳の「復活された」の「された」 は敬 語で「復活した」とキリスト教的に訳したことに なりそうすべき理由はあるが、 ここは本来、ごく普 通に使う動詞「起こす」「上げる」の受動態で表現 されてい る。古い伝承に即して「上げられた」とか 「起こされた」としたい)、ここにはいな いと告げ、次 のような命令をする。 「今から弟子たちとペテロとの所へ行って、 こう伝 えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ 行かれる。かねて、あ なたがたに言われたとおり、 そこでお会いできるであろう、と」 その女たちに も他の弟子たちにも、イエスはガリラ ヤで会うと言うことの意味は大きい。マルコ 福音書が報告してきたように、イエスの宣 教活動のほとんどは、ガリラヤだった。 ガリラヤの 町や村で人々に食事をし語らい、ガリラヤで人々を癒し弟子たちと活 動してきた。その意味では最 後の数日のエルサレム滞在は異常な時間であり、 出 来事だった。イエスはそのエルサレムで裁判を 受け、処刑され埋葬されてしまう。 エルサレムで生 涯を終えるが、どう考えてもエルサレムでのことは 彼の生涯の 本来の姿ではない。「ガリラヤである だろう」とは、彼の福音の原点こそガリ ラヤだという メッセージが込められているとしか考えられない。しかし、こう伝 えられた女たちは、「墓を出て、そ こから逃げ去った。すっかり震え上がって、気 も転 倒していたからである。そしてだれにも何も言わな かった。恐ろしかったか らである。」どう考えても喜び勇んでそうするはずだと思うの が自然だ。そ れでマタイ福音書は、マルコのこの 部分を「そこで女たちは恐れながらも大喜ひ ゙で、 急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために 走って行った。」と書き換 えている。マルコの復活物語は、女たちを喜ばさせない。 墓から逃げ出したと言い、 「すっかり震え上がっ て、気も転倒していた」というのは、直訳的に「震 えと自失 (エクスタシー)に陥った(をもった)」であ る。けっして恰好のいいものではなかっ たというわ けだ。本来ならこの栄誉ある務めを大喜びで弟子 たちの下へ走るべ きなのだろうが、女たちの「逃 亡」「震え」「茫然自失」ということで報告し、 マルコ 福音書はそこで終わる。後ろにつづくのは、本文 に〔 〕がつけられてい る通り、後代の加筆で最初 の福音書になかったもの。で、どうなのか、なにも語 らない。マルコ福音書 は、この出来事をどう思うか、聞き手に丸投げして 終わる。 少なくとも、墓に納められてしまってすべ てが崩れた、終わったと思い込んでい る「あなた がた」に報告する、彼は上げられて、ここにはいな い、ガリラヤで 会うだろう、と。その報告をどうとらえ るか、あなた方自身で考えてください、 というわけ だ。日本基督教団 北松戸教会 週報
3月29日の説教から ルカによる福音書 17:20-37 「神の国はあなたがたの間に」 飯田義也  子どもの頃、近くの教会の牧師から謎をか けられたのを思い出します。 「誰 も聞いていない森の奥で、木が倒れたら ・・音はしてると思う?」 当然「してると 思う」と答えたわけですが「そ れは、音がして倒れていると想像しているあ なた がいるからで、本当に誰もいなかったら 音もしていない のよ」 「???」その女性 牧師は、最新の実存主義 哲学の知見にのっとっておっしゃっていたの でした。アイ ンシュタインが発見した「質量とエネ ルギーの等価の法則」が指し示す哲学的な 意 味は「存在と関係の等価」であると看破した のは、東京大学の廣 松渉でした。 簡単に言えば、存在がなければ関係もなく、 関係がなければ存在もないという ことです。 関わる者の何もないところで何が起ころうと それは存在すらし ない ということになるわけ です。キリストのおっしゃる「実に、神の国はあ なたがた の間にあるのだ。」神の国は、関係性 の中に生じてくるということです。私たち が他者とどのようにかかわり他者が 私たちとどのようにかかわるか、延長すれは ゙、 神様が私たちとどのようにかかわってくださ っているか、ということの中に 神の国が宿り うるということなのでしょう。そう思って、他者とかかわるのです が、実 際の人間関係では、うまくいかないことだら け・・。挫折ばかり味わっ ています。今日は 棕梠の主日。救 い・・というか答えのない話になりましたが、イー スターに復活できるか とも思います。自らの人とのかかわりの限界を思い知るこ と は、神の国が人間的な努力によってもたら されるというような傲慢に陥らないため なの かもしれません。
3月22日の説教から マルコ福音書15章43-47節 「イエス、陰府に下る」 久保田文貞  これまでも述べてきたように、福音書記者 マルコが受け取った「受難物語」は、歌 うよ うにして伝えられた〈語りもの〉だったとい う仮説に則ってとらえてきた。イ エスに従っ ていった多くの人々は、おそらくふだん文字 を読んだり書いたりしな い=できない人々だ ったろう、そういう人々がイエスの最後の出 来事を、最後の 最後まで目撃したとしても、 あるいはそこから逃げてしまったとしても、 自分の こととして体験したことであり、その 出来事を〈語り手〉として彼ら自身の言葉て ゙ 語り、同じく文字を使わずに暮らしてきた多 くの人々=〈聞き手〉に伝えられた 出来事な のだろう。それは、いまどきの牧師もどきが 聖書の研究書を学習し、 その意味を解釈して 意味を取り出し、そんな研究をする必要もな かった信徒=聴衆に 説き明かすという関わり 方をしている私たちとは百八十度違う世界の話だというよ りない。 このような説話的な受難物語は、まさに語り手と聞き手のつくる世界なのて ゙あって、決 して、正しい福音、真理をテキストから学び 取って、それを未だ知ら ず、生活の中でいろ いろな悩みを抱えている信徒たる聴衆に説き 教えるというよ うな、つまり正しい理解がご つごつした無理解を整除していくような世界 の話て ゙はない。イエスのことを語り伝え、イ エスのことを聞く人々の作り出す世界は、解 釈され取り出された意味が支配していく末に 姿を現していく人間集団の世界とはち がう。受難物語はとりわけイエスがつぎからつぎ へと人々の間を「引き渡され」、 日本語的な言 い方でいえば「たらいまわしされ」、讒言を受け、イエスは抗弁する こともなくほとんど黙 ったまま、結局十字架刑の判決を受け、下級 兵士からの侮辱、 通行人・見物人の嘲笑のあ げくについに息絶え、死んでいくという語り の物語た ゙。ほんの数日で起こった一連の事柄を、切れ 目なしに語り通し、聞く者はそれに耳 を傾け 続ける。語る者のそれぞれの心のゆらぎがあ り、それとはまた別に聞く者 の心の揺らぎが あるだろう。けれども、それが何であり、何 でなければな らないか、どう解釈すべきか等 々、それらなしに語ったことにならぬとか、 それ なしに聞いたことにならぬとか言わない。 しかるべき解釈や意味があって、それを 解し て聞くべきだなんてことを言わない。説話の 世界はそれ自体で、ひとり歩み 続けると言わ んばかりなのだ。今回の下りは、イエスが息絶えた後のほん の数時 間のこと、アリマタヤのヨセフが埋葬 許可を申請し、遺体をおろし布にくるんで墓 に納めた。前回登場した3人の女性が引き続 きその埋葬をしかと目撃する。〈語り〉 の奥で響いている声を音楽的にと らえるとすれば、 一切の〈楽〉の音をとりさ っ た残りの音というよりない。イエスを「た らいまわし」してこのような死へと貶め、 冥 府に追いやった〈語り手〉〈聞き手〉を含むす べての人々の、取りようのない 〈責〉、補修し がたい〈毀〉、茫漠とした〈闇〉が露出するだ けである。人の 声が途絶え、行き場のない低 音だけが響く。この意味を解する人間のいと なみは 退けられる。 「受難物語」の語りの終 曲はそのように〈聞き手〉に迫ってくる。あ のパウロがイエスの十字架の死を解釈し 意味を取り出していくいとなみとは全く異 質 のことをやっているように思えてならない。
3月15日の説教から マルコ福音書15章39−41節 「イエスの死と女性たち」 久保田文貞  39節は、受難物語(14:1〜16:8)のクライマックスと言われる。なぜな ら十字架上のイエスが息を引き取ると、その真向かいにいた百卒長が「まことにこの 人は神の子であった」と言うから。だが、イエスを「神の子」称号で呼ぶことにマル コ福音書は決して積極的ではない(3章11、5章7)。1章1節の「神の子」称号がこの福 音書の表題のようにして出てくるが、これが後から挿入されたもので原本になかった ことについて田川『訳と註』に詳細に論じられており、この論の右に出るものはなかっ た。要するに、受難物語の百卒長の言葉は、後の正統主義が「よくぞ言った」と溜飲 を下げるようなものではない。 実は受難物語が形成されていった時代(パウロの時 代と重なるだろう)の少し前、アウグストの血を引くガイウスが皇帝(37−41)にな るが、彼は自分が「神の(実)子」であると妄想し自分を神として礼拝するように命令 する。受難物語の語り手には、たとえ時代錯誤であろうと、この百卒長がガイウスの 命令に従い皇帝礼拝をした経験者であると見ているはずだ。その意味でローマの士官 が最悪の処刑の仕方で殺されたイエスの死を真近かに見て「この人が神の子だった」 という言葉の意味は単純ではない。「おれは神の子だ」と言い張る狂気に満ちた権力 者に追従して頭を下げるくらいなら、ユダヤ人の王と揶揄され屈辱受け放題の、無実 のまま殺されたイエス、しかも彼はすべてを引き受け抗弁すらしない、だまったまま 死につくイエス、そんな彼こそ「神の子」と言う方が理にかなっていると思いたくな る。読み込みすぎかもしれないが、何重にも折れ曲がった複雑で、意外な「告白」め いた言葉である。 受難物語の終局で突如、女たちのことが語られる。イエスの死を 「遠くの方から見ている女たち」があり、その中の3人の名前が挙がる。ひとりがマグ ダラのマリヤ、彼女はマルコ福音書受難物語でイエスの死の目撃者であり、イエスの 屍が墓に埋葬されたことの証人であり、次章ではその墓が空だったことの証人となる。 彼女は受難物語にしか名前は出てこない。(ただしルカ伝では8章1節以下に「7つの悪 霊を追い出してもらった」女という記述があるだけ)  もう一人、 小ヤコブとヨセと の母マリヤという人物。これがマルコ6章3節「この人は大工ではないか。マリヤの むすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、こ こにわたしたちと一緒にいるではないか」 の記事から母マリヤだというのが伝統的な 節。田川『訳と註』も詳論してこれをとる。3人目は「サロメ」これはゼベダイの母 だろう。受難物語の流れからすれば、イエスが逮捕された後、男弟子たちは「みな、 イエスを見捨てて逃げてしまった」(14:50)わけで、その汚名は消しがたく残った ままだが、女たちがイエスの死を最後まで見届け、その証人となったとする。41節に はこう書かれている。「彼らはイエスがガリラヤにおられたとき、そのあとに従って 仕えた女たちであった。なおそのほか、イエスと共にエルサレムに上ってきた多くの 女たちもいた。」おそらくマルコの付記だろう。さりげなく彼らが「従って仕えた」 と翻訳されているが、この福音書においては「従う」と「仕える」は、男女にかかわ らず弟子の基本的な条件である。イエス集団の本体が男たちで、女たちはその「まか ない」、つまりは後方支援していたということではない。女たちも福音宣教の前線に 立っていたと解する。私も一人の男として、男たちは逃げて、女たちこそイエスの死 と葬りと復活の証人となったということは何度でも肝に銘じておかなければならない と思う。人が当然と思い、それが自然だと思っていることを、破棄して新しい関係を 作る、それがイエス集団だろう。
3月8日の説教から ローマ8:1〜11 「今、このからだにおいて」    板垣弘毅  前回取り上げた7章の続きです。が、それにしても難解です。(当日の説教全体の 要約は無理なので、2つの節についてだけ触れることにします。) 「つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉にお いて罪を罪として処断されたのです」(3節) ここは聖書学者によれば、パウロよ り前の初期の教会がすでに確認し合っていた伝承、信仰告白の言葉でした。(ガラテ ア書4:4やフィリピ書2:7なども同じ内容)天地創造より前からおられた方が人 となられたという、とてつもない言葉でイエスを告白したわけです。パウロは「罪深 い肉と同じ姿で」と言い添えています。いろいろ解釈があるなかで、わたしは、十字 架刑のキリストが思い浮かべられているのだと思います。「神の子」などと決して言 えない姿までおとしめられたはりつけの犯罪者として、イエスは、神ならぬ人間とし て生きたというのです。人はほんとは神について何も語ることはできないのだ、人が 神を信じるから「よし」されるのではない、そんな神は十字架で砕かれている、出来 合の信仰などもたずに、まず無力な君の存在が、よしとされている、十字架のイエス がそれを示す、とパウロは言います。 「イエスを死者の中から復活させた方の霊が、 あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなた がたの内に宿っているその霊によって、あなたがたを死ぬはずの体をも生かしてくだ さるでしょう」(11節)  キリストの受難の伝承を、パウロは一歩遅れたかたち で受けとりましたが、この節の「神はキリストを死者の中から上げられた(甦らせ た)」という言葉は、原始教会のいちばん始めの頃の断片的な信仰告白のひとつです。 パウロは「死者の中から」を十字架と結びつけて受けとります。 コリントの信徒へ の手紙㈵では初めの方で、「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十 字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた」とも言っています。 まったく絶望の淵に立たされたキリストが、あらゆる信仰が無になったところで、神 がそのイエスをよしとしておられる、復活信仰は神からの一方的な「いのち」の肯定 としてパウロ自身をも救ったのだと思います。わたしにとってもそうです。 ある年 のレントの期間に電話がありました。その人はそのころ30代半ばの溶接工で、2月 小雪の舞う小倉港で、港湾設備のクレーンの点検修理をしていたそうです。吹きさら しの高いところで揺れながら命綱のロープを頼りに作業していたとき、突然、復活は この命綱のようなものだと分かった、と夜、飲み屋から電話してきたんです。孫請け の零細企業の社長が、俺たちからピンハネした金でクルーザーとかベンツに乗ってい る。しかし俺は絶対仕事の手は抜かない、イエスは復活したんだ… わたしもそのと き彼の生き様も含めて、イエスの復活ができごととして伝わってきたんです。パウロ だってそうやって神のできごと、つまり「霊」の働きで復活のキリストが身にしみた のだと思います。 最後の「生かしてくださるでしょう」という未来形は、「罪に裁 かれることはない」(1節)と同じく、終わりの日への希望です。わたしたちの、死 で終わる生命を考えれば、死を越えた希望ともいえます。十字架にかけられたイエス を神はよしとされた、パウロが腹の底から味わったのは、無に等しいと見られた人す べてのひとりひとりの「いのち」を神は祝福している、というできごとだったと思い ます。 それは、創世記の物語が伝えるように(前回)人としての限定を生きること であり、死を越えて(「終わりの日に」といってもいいですが)ひとりのいのちが受 け止められるはずだ、という希望を持って、今を生きることでもあります。 今週は 3月10日と3月11日があります。理不尽で無惨な死という点では川崎の中学生リ ンチ殺害事件と同じです。イエスの処刑もこの人間社会の中で起きています。だから パウロの経験はいまでも新鮮なはずです。「肉に従って生きる」だけで、人間として の祝福された限定を見失う、つまり「神の如く」なって他者のいのちを破壊できると 思い上がることは、いつの時もあったわけです。わたしたちは、先ず身近な他者のい のちを現実的に大事にし合うことで、あの祝福された人の限定を見失わないようにす る。またできればさまざまな権力にも、それを見失わさせない生き方をする、パウロ はそれを「霊に従う」つまり‘神の起こす出来事’にどこかで耳をすます生き方と言っ ていると思います。
 3月1日の説教から マルコ福音書15章33-39節 「力がイエスを殲滅する時」  久保田文貞  受難物語はマルコが福音書を書いた時点よりずっと早くに成立していた。一説によ ると調子と節をもった〈語り〉だったと言われる。 それは文字を使う必要のない人々 が軸となって語り始め、文字を知らない人々によって聞き継がれた民衆の間に起こっ た文学的事件だったと。これは近代の識字率の感覚で考えてはならないだろう。古代 において文字は家産の経営、取引の記録・計算、そして何よりも支配者の支配と管理 の道具である。イエスの十字架と死を、他人事でなく自分にかかわる事ととらえた多 くの人々は、文字が支配し管理する世界の外側に生きた人々だった。受難物語がその 初めは口承の物語だったというのは単なる文学上の問題ではなく、民衆がほかの民衆 に語り始める事件だったと受け止めたい。 前回とりあげた、ゴルゴダの丘までの道 筋に起こったこと、ゴルゴダの丘において兵士たちがイエスを笑いものにしたこと、 兵士たちがイエスの下着をくじで分けたこと、そして通行人と祭司長たちの嘲笑「他 人を救ったのに、自分を救えない」、これらの出来事や言葉は目撃者のような語り口 になっている。けれども、それがほんとうに目撃した事実に基づくかどうか、裁判官 のような詮索をすることはこの場合ナンセンスである。受難物語を語る人は、イエス を裏切って引き渡した人間たちの連鎖の中に自分を見、三度イエスを知らないと言っ たペテロの中に自分を見、イエスを神を冒涜したものと判断したピラトに引き渡した 大祭司の中に自分自身を見、イエスを十字架につけよと絶叫した群衆の中に自分を見、 イエスを嘲笑しののしった兵士や通行人の中に自分を認めつつ語るのである。自分が イエスを十字架へと追いやった、民衆、群衆の中の一人になっていることに気づきつ つ、この受難物語の自分がまっただ中にいるようにして語り伝える。その節回しと調 子は、痛ましい歌である。 だから、受難物語の語り手にとっては、〈なたは本当に 目撃したのかどうか〉、〈あなたの、あるいは誰かの創作なんじゃないか〉、と問わ れても痛くも痒くもない。このイエスの十字架の出来事は自分自身にかかわる出来事 であり、自分自身が問われるている出来事である。目撃したかどうか以上に切実なこ ととして、自分で自分たちの間に起こったことを語るわけだ。 そうして、受難物語 のいよいよ最後の段になる。イエスが絶命するくだりである。受難物語の語り手は、 イエスを十字架へと引き渡した当事者の一人としてイエスの死を語らなければならな いのである。「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と叫ばれ たと受難物語の語り手は言う。これはもともと詩編22編1節の言葉だが、この件りに はその他にもこの詩編の言葉を織り込んでいる。十字架の出来事をこれら旧約の言葉 を基にしてだれかが創作したに違いないと、かなりの聖書学者はそう考えている。そ の可能性があるが、一方、覚えていた詩編の言葉をユダヤ人イエスがその状況の中で 叫んだとしてもおかしくない。 受難物語の語り手は、十字架上のイエスのこの絶叫 の言葉を、身を刺されるような思いで、同時に神がこのようにしてイエスを死へと引 き渡すことになる自分を「わが神、どうしてこの〈私〉をお見捨てになったのですか」 を叫ぶ思いで語っていたのではないか。受難物語の語り手と聞き手の世界では、人間 のあらゆる闇、憎悪、罪悪をイエスの死に収斂させてしまうことが起こるけれども、 それはあくまで、〈わたし〉とイエスとの関係の中でこそ始まり、起こり、気づかさ れることである。
2月22日の説教から マルコ福音書15章16−33節 「イエスは十字架につけられた」 久保田  14章から始まる受難物語はほんの2,3日の間の出来事を一気に物語る。裁判か ら十字架の場面に移って、進行が一層早まり聞く者たちは緊張せざるをえない。あれ これ思いやる間がないほどだ。後から遅回しにし反芻してみるよりない、とそのよう にして…。 15節「ピラトは群衆を満足させようと思って」あえて危険な独立運動家 バラバを釈放する。これはピラト個人の姑息さの故というより、この種の民衆宣撫策 はローマの支配の仕方に一貫したものである。とかく民心から離れた政治がうわべだ けで民衆の歓心を買おうとするのは、今私たちが目の当たりにしていることでもある。  「イエスを鞭打ったのち十字架につけるために引き渡した」 十字架刑の残酷なと ころは、飢えと渇きと身体の重みが手足に撃たれた釘にかかる苦痛の状態で死ぬまで 何日も放置されることにあるという。イエスを鞭打って弱らせてしまうことは苦しみ を短くしてやる温情の表れか。21節に、ちょうど通りがかったシモンが十字架を無理 に負わされたという故事が出てくる。通例、十字架刑を受ける囚人が刑場までそれを 担がされるが、イエスの場合それもできないほど弱っていたということの伏線になっ ているのだろうか。9時に張り付けられ3時には絶命してしまうわけで、それは温情あ る鞭打ちは故だというのだ。ありそうなことだと思うが、この故事が張り付けられて いるのは、誰しもマルコ8章35節の言葉を思い出しながら〈自分たちの身代わりになら れて十字架上に死なれたイエスの、その十字架の重みの一端をシモンが担うことがで きた〉その幸運を称讃してのことだろう。 これと対照的に、イエスを死刑囚として 引き渡された兵士たちはイエスを愚弄し侮辱する者として描かれる。だが、このこと の裏を返せば、この下級兵士たちが実は受難物語を後々ずっと抱えもつキリスト教徒 たちから愚弄されることになってしまう。それが受難物語の狙いだったとは思えませ ん。そもそもローマ辺境に送られてくる下級兵士のほとんどは別の地でやはりローマ から侵略されその生活の基盤を失った男たちから編成されていたという。24節、兵士 たちは「くじを引いて、だれが何をとるかを定めたうえ、イエスの着物を分けた。」 とある。これが詩編22・18の言葉になぞられて語られているとしても(この詩編では 下着を分け合う詩人の敵を犬呼ばわりしているが)、兵士たちがイエスの下着を分け 合うほどに貧しかった事実を減じることはない。ローマから愚弄され後にキリスト教 徒からも愚弄されるだろう下級兵士がなす愚弄、それら人間の根源的な愚弄の一切を イエスは身に帯びて十字架につけられていったと、受難物語は聞くすべての人に語ろ うとしているのだろう。26節「イエスの罪状書きには『ユダヤ人の王』と、しるして あった」と言うが、そのすぐ後に「イエスと共にふたりの強盗を、ひとりを右に、ひ とりを左に、十字架につけた」と言う。そして通りがかった者たち嘲笑する。29節 「ああ、神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ、十字架からおりてきて自分を 救え」。祭司長たちも「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。イスラエ ルの王キリスト、いま十字架からおりてみるがよい。それを見たら信じよう」。〈自 分自身を大切にできないものが、どうして他者を大切にできるか。我と汝の世界は、 汝のために我を捨てるそういう世界だ。しかし、そこは他者、第三者を踏み込ませな いわれと汝だけの世界である。だが、我と他者の世界こそが今問題なのだ。ここでは、 我は他者のために命を捨ててはならない。自分の命を捨ててくるようなものを他者は 信用しない。〉 これは私の短い神学校時代のキリスト教倫理の時間である教師が言っ たことを私なりにメモをしておいたものである。その時はある種の感動さえ覚えて後 からノートした。しかし、改めて読み直すと、この一見わかりやすそうな図式にごま かされてはいけないと思う。 少なくとも受難物語は人々の罵りに対して、こう主張 することになるのか。〈イエスは他者を救わんがために自らの命を落としたと。〉  ちょっと「自爆テロリスト」に通じるような言葉でほんとうに座り心地の悪いことだ が、〈まず自分のために命を大切にしろ、他者のために命を捨てるな〉とは言わない。 それは確かなことだ。だが、それよりなにより、実はイエスは、何も言わなかった、 自分で自分を救うということを何もしなかった、というのが受難物語の伝えるところ である。
 2月15日説教から マルコによる福音書15章1-15節 「イエスを裁く裁判」      久保田文貞 受難 物語(14―15章)によれば、イエスの裁判は、ユダヤ議会によるものとローマの総督 ピラトによるもの二つになる。前者では当然、律法とその判例に基づく裁判になるが、 祭司長(神殿貴族)らと律法学者ら裁判をする側のイエスに対する憎悪と殺意が先走っ ていて証人調べもままならない様子が描かれている。(14:55-59)だが、イエスは 彼らの偽証に何も抗弁しない。裁判長の大祭司が問う。「あなたは、ほむべき者の子、 キリストであるか」。イエスが言った。「わたしがそれである。あなたがたは人の子 が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。イエスが自分から 神が遣わした天的なメシアであると宣言したことが大祭司の逆鱗に触れ、議会全員が 「イエスを死にあたる者と断定した」と言う。  こうしてユダヤ議会はローマ総督 に上訴した形になっている。当然ローマ支配下でユダヤ議会の司法権は制限されてい ただろう。ヨハネ福音書では「人を死刑にする権限はない」(18:31)と言っているが、 歴史的には確かめられていないらしい。 ピラトの裁判で、ユダヤ議会側の冒頭の陳 述が省略されている。いきなりピラトが「お前は、ユダヤ人の王であるか」と尋問し たことからみて、イエスがユダヤの王を僭称し、ローマに対して暴動、反乱を企てて いると訴えたのだろう。もし反乱の行使がなされていたら、軍がそれを鎮圧し、首謀 者と一味は即刻殺されたにちがいない。イエスの場合、その事実がなかったから、暴 動未遂容疑というところか。結局、裁判は総督のさじ加減ひとつでどうとでもなる、 被侵略民に対する非正規の裁判でしかなかった。だが、この裁判でもイエスは尋問に 答えない。ピラトの見せかけの好意にも、装った無関心にも応えない。すべてを受け 入れようとしているようにみえる。人々が祭の間の恩赦を求めたとき、ピラトはバラ バそれともイエスのどちらを解放してほしいかとユダヤ人たちに尋ねる。イエスを死 に追いやった責任は自分にはない、と逃げ道を作っているように見える。 〈ピラト は言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると、彼らは一そう 激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。〉 腰の引けた責任回避する男と、憎悪 に駆られて止まらなくなってしまった群衆が、イエスを挟んで空転する。イエスは初 めにピラトの尋問に答えたように見えるが「それはあなたのいう通り(というより、 「あなたの言っていること」)としか言わない。事実上何も答えていないということ だろう。 受難物語のすぐ前の13章で、やがて神殿も崩れるとイエスが言うと、弟子たちが 「そのことはいつ起こるのですか。…どんな前兆がありますか」と尋ねた。その答え が13章の最後まで続く。マルコ福音書の読者は、やがて来る終末の日までの〈今〉を どのように過ごすべきかをイエスに尋ねていることになる。〈…気をつけていなさ い。…わたしのために、衆議所に引きわたされ、会堂で打たれ、長官たちや王たちの 前に立たされ、彼らに対して証しをさせられるであろう。…人々があなたがたを連れ て行って引きわたすとき、何を言おうかと、前もって心配するな。その場合、自分に 示されることを語るがよい。語る者はあなたがた自身ではなくて、聖霊である。〉   復活者イエスが直にマルコの読者に応えている。彼らが衆議所に「引き渡され」会 堂で撃たれ裁判を受ける事態を迎えるだろうという。これを聞く人々は当然あのイエ スの裁判のこと、そこで沈黙を守るイエスのことを想起するに違いない。だが、13章 のイエスは、沈黙ではなく語れ、というわけだが、その語りは自分の中から湧き出す 言葉、おしゃべり、自己理解、ではない。「語る者はあなた方自身ではなくて、聖霊 である」という。 だが、それはあのイエスの沈黙の上に、その沈黙によって保証さ れることだ。その沈黙の上で、聖霊による語りが起こると言わんばかりである。 イ エスを、十字架につけよという人々の絶叫、憎悪は実はまた自分の絶叫でもあり憎悪 でもある、そのことを認めてそこからもう一度自分を立て直すよりない、受難物語は そう言っているように思う。
2月8日の説教 ローマ7章14~25節「無防備を生きる」    板垣弘毅「なぜ神は祈りに応えて くれなかったのだろう。何ともいえぬ理不尽さに信仰の無力さえ感じてしまいました」 後藤健二さん殺害に関していただいた手紙や問いかけにきょうのお話でも応えられれ ばと思います。 よく知られたパウロの「告白」です。創世記2~3章の「失楽園」 の物語を下敷きとして7章を読むといいと思います。人は楽園で祝福に満ちた存在で した。神は園の中央にある「善悪の知識の木」からだけは、取って食べてはならない と命じます。この木は何か、わたしは人間が人間であるための限定なのだと思ってい ます。恵みの限定です。「わたし」という、たった一つの限定を神が置きたもうた、 というほかありません。パウロが律法は本来「霊的なもの」(14節)だ、「聖なる もの」だ、というのはこのことです。この限定、「わたし」であることを「神の召し」 といっても「恵み」と言っても「神の自由」と言ってもいいです。 物語は、その楽園に蛇が現れ、女に近づき、禁じられた木の実を食べれば、「目が 開けて神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ」つまり、人間とい う祝福された限定を越えて「神のようになれるよ」とそそのかします。  神のよう に「善悪を知る者」になった人は楽園を追われ、衣を着て、大地を耕す者になります。 人間としての喜ばしい限定を越える誘惑と絶えず戦うことが日常になります。蛇と出 会うまでは命令、戒めは無いのと同然、パウロの表現では「律法に対して死んでいる」 状態だった、わけです。 ゲーテの「魔法使いの弟子」という詩があります。 魔法使 いが、まだ見習の弟子に水くみを言いつけて外出します。この弟子は、古い箒に呪文 をかけて、箒に水くみをさせてしまいます。 ところが、 「止まれ,止まれ よして くれ!/もうたくさんだ これ以上!/文句を忘れた どうしよう? 箒をもとに戻す にはなんと言うたかあの言葉?」 自分が魔法をかけながら、手に負えなくなって洪水 のようです。原発に限らずわたしたち人間のすることに通じている警告ですね。君の 呪文は先生並みだ、水くみなんか箒にやらせればいいんだ、というささやきが聞こえ るんです。創世記で、蛇がつけ込むのも同じ点ですね。与えられたものを努力して生 かすことは当然ですが、知らずに人間としての限定に触れてしまう危険と背中合わせ だ、ということです。創世記の物語は、「人間」という限定が「恵み」なのだと告げ ています。先週、「イスラム国」の殺害映像もそうですが、「人を殺してみたい」と 思い続けていた女子学生が実行してしまったというニュースも注目されました。この 人も、魔法使いの弟子になったのでしょう。  「人間という限定」を越えたアダムを、パウロは自分もその一人だと、「わたし」と 言っているのだと思います。 楽園で蛇の誘惑に合うまでは人は「律法と関わりなく生 きていた」(9節a)しかし、蛇が登場する。(9節b) 神のごとく、という誘惑で す。そのとき初めて神の命令が戒めとなる。 パウロにとって、人は、人間としての 限定を絶えず自覚して生きてゆかねばならない「魔法使いの弟子」、恵みの命令を戒 めに変えてしまった者なのです。(11節)人間は、自分の手術の傷を見て改めて健 康に留意するように、律法に対して常に最初の恵み、人としての限界を心に刻めと告 げられるというのです。「わたし」という1人称単数を集合的に使うことはあります。 「わたしはケンジ・ゴトウ」連帯の表現として、世界の町で見られました。ここでも 「わたし」はパウロ自身を含む、蛇の誘惑に乗ってしまったすべての人間です。恵ま れた限定を見失い、律法を使って自己実現し、神のようになろうとする人間です。神 の名で、また信仰をもってさえ、戦争や欲望を正当化してしまう。人は共同の戒めを 自己実現の道具とし、またそれで挫折するものだと思います。「わたしは何と惨めな 人間なのだろう」とパウロが嘆きます。しかしすぐ「わたしたちの主、イエス・キリ ストを通して神に感謝」と続けます。「あなた方は、キリストの体によって律法に対 して死んでいる」(4節)に立っているからです。 キリストの「体」によって、つ まりイエスの十字架の死によって、戒めとして働く律法から、わたしたちは解放され たのだ。律法にすがることもできない人たち、自己実現の手段を持たない人たちが、 その弱さのままによしとされていること、理不尽きわまりないイエスの十字架を前に、 律法にすがって神のごとくなろうとする人間は崩壊していること、パウロは腹の底か ら知ったのでした。 自分と人間の悲惨さを嘆かざるを得ないその場で、そこに十字架につけられたイエス がいて、そのイエスを神はよしとされている。まったく違うまなざしが注がれている。 わたしたちが自分に絶望したところで見えてくる希望がある。「わたしたちの主キリ ストを通して神に感謝」 全身震えるような絞り出すような叫びに共感。
《2月1日羽生の森教会多摩集会との合同集会で飯郷友康さんの話から 「説話研究の秘密だニャン」要約  ユダヤ教には旧約聖書がありますが、それをラビ(教師)たちが 解釈て教えました。それらは口伝、ミシュナ(反復)として伝えられ、2世紀末に文書 化されました。それ以後、ラビたちの厖大な解釈が集積されタルムード(教学)にな ります。これはユダヤ教の慣習法の集積物です。 タルムードは結局、法解釈が最も 重要な作業だったわけですが、それをハラハー(「歩み」ほどの意味だが、私は「行 儀」と訳します。日本の「行」にあたります)と言います。ユダヤ教のラビたちはそ れ以外の部分をすべてハガダー(説話)とします。例えば安息日の法があります。そ の安息日をどのように守るかという行儀の議論がハラハーです。これに対してその安 息日はどのようにできたか、実は神が天地創造を行って7日目に休んだ、だから人も また休むという説明がハガダーです。行儀の議論の中に雑談ぽく説話ハガダーが入っ てくる。往々にしてハガダーは軽く見られました。だから、中世にはすでにハガダー を省いたハラハー抜粋版ができています。これに対して〈行儀〉の背景にある説話も 大切だということで、説話だけを集めた本(説話集・アンソロジー)もできました。 私はこの研究をしているわけです。 説話、昔話にはオリジナリティはありません。 説話というのはみんなに人気のある〈ウケル〉話からできています。このことは現代 でも同じことです。ジョージ・ルーカス監督のスターウォーズでも昔話を研究して作っ た型通りの〈ウケル〉話です。旧約の出エジプト物語もそうです。水戸黄門も同様で す。福音書の物語もそういうところがあります。これらの説話は歴史的事実の世界と は違うところに生きています。伝えられていく説話は、伝言ゲームのようにかならず 歪んでいくのですが、変わらないところがある。説話学はこの変わらないところを注 目します。 旧約中の人物でモーセと、預言者エリヤも死んだという記述がない。だ から出エジプト記念祭たる過越祭の食事に、ユダヤ人はエリヤのための空席を用意す る。あの厳格で残忍なともいえる恐いエリヤがみすぼらしい恰好をしたやさしいお地 蔵さんのように過越しの食事に、それ以外の時も訪ねてくるという説話を捨てきれな い、説話というのはそういうところがあるんです。 説話というのを研究していると ユダヤ教、キリスト教だけでなく、いろいろな文化に共通する普遍的な面が見えてき ます。神学校で将来牧師になろうという学生に言います。聖書にも説話一般に共通す ることが多々ある、けれどもキリスト教でやるならキリスト教だけにしかないものを 探り出し、こだわってやってほしい、それなら私はなるほどと思います。イエス様が 乙女マリヤから生まれたという説話にこだわるなら、同質の説話は他にもいくらでも あることを知ってほしい。教会は他の説話に見られないところを語るべきだろうと。 説話研究からいうと、大人物は変わった生まれ方をするというのが〈ウケル〉話の定 番です。そういう型にはまらない異物のような部分が貴重ではないかと思います。 説話においては、事実かどうかというのは問題にしません。事実であろうとなかろ うと人を感動させ実際に人を動かす説話を問題にします。(略・創世記2章はじめ、 七日目の話) ただ、旧約の説話にはいろいろなわからない点が出てくる。現代人 は文法の乱れだとか、仮説を立てて歴史的原因を探るけれども、古代の人々はそれ を別の説話(物語)で説明するのです。昔話・説話には特定の時、場所はありませ ん。それに対して伝説は〈いつ、だれが、どこで〉という事に関心を持ちます。そ の意味で新約の福音書は、説話的であると同時に伝説的です。〈いつだれがどこで〉 という事実への関心を持っています。しかし、一説話研究者としてはそれでも事実 かどうかに重きを置きません。問題はどのように語られるかということだと思って います。 (質疑応答で、ルツ記の話がでました。関心のある方は録音がありますのでどうぞ聞 いてみてください。)    (文責・久保田)
 1月25日の礼拝説教から マルコ福音書7章1-8節              久保田文貞 前回についで 宗教儀礼の問題について、マタイ6章では〈施し〉〈祈り〉〈断食〉を偽善におちい らず、どのように徹底して実践するかというアプローチの仕方を取っていた。  マルコ7章1以下では、エルサレムから下ってきたパリサイ人と律法学者が、手を 洗わないまま食事をする何人かのイエスの弟子たちを律法違反として告発する事から 入る。3,4節で手洗いの規定を丁寧に要領よく説明しているところからみて、この 福音書の読者の多くはもはやユダヤ人の因襲をよく知らなかったようだ。ユダヤ教指 導者(ラビ)たちの古い文献(2世紀ぐらいから)でいかに些末な点まで彼らが議論 し清潔さを追求していたか、田川『イエスという男』(173 頁以下)に詳しい。例えば、 ワインのボトルを手を洗う前に開けるか、洗ってから開けるか。つまりボトルの清さ を何よりも優先させるかどうかの判断の違いか。このように律法の徹底にこだわるの は、70年以後ユダヤ人が根拠地として神殿を失い、興隆してきたキリスト教との確執 の中、トーラーと伝統を遵守することに執心していく様を映し出しているかもしれな い。それより5,60年ほど前のイエスの時代のガリラヤで、律法学者たちの議論がどの 程度実践的な意味を持ったかどうかは、はっきりわからないらしい。 イエスは律法 学者らの告発に対して、二つの反論をしたとする。そのひとつ6-8節では、イザヤ書 29章13(70人訳)を引用し、彼らの律法主義が〈口先で神を敬うが心は遠く離れてい る〉と指摘する。もうひとつ9-13節で、十戒の「父と母を敬え」を引いて、彼らが実 質父と母をないがしろにしていることを批判する。こうして13節彼らは「受け継いだ 言い伝えで神の言葉を無にしている」と言う。角を取った翻訳になっているが、直訳 すれば「あなたたちが伝承したあなたたちの伝承でもって神の言葉を無にしている」 となる。律法解釈をめぐる冗長な議論の痕跡が、はるか前から、少なくともイエス時 代あるいはその直後から、続いていたことを示唆している。 全体の印象として、7章 1節以下のイエスと律法学者の論争は、私には作り物くさく感じる。むしろこの論争を 実質的に引き立てているのは、マルコ2章15節以下の事態であって、律法をめぐる摩擦 が、イエス集団のまわりで日常的に起こっていたことがうかがえることである。「そ れから彼の家で、食事の席についておられたときのことである。多くの取税人や罪人 たちも、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。こんな人たちが大ぜいいて、 イエスに従ってきたのである。…」(マルコ2章15) 神の恵みがいまや律法の固い覆 いをすりぬけて、律法の解釈などから遠く離れている人々の上に、直に降り注いでい る、それがイエスとその周りに集まってきている仲間たちの実感だろう。 何が汚れ ていて、何が清いか、必死で律法の掟に照らし、それを議論し、解釈し、追求してい く人間の努力を、そしてそれを生涯にわたって真摯になしてきたことを、あっと思う 間に無にしてしまうイエス運動が、律法学者たちには憎らしくてたまらなくなる、そ ういう彼らの心情がわかる気がする。イエスとその仲間たちはただただ、神の恵みを 喜び、律法議論なんか知らんと、酒を飲んで歌っているだけにしかみえないのだから (ルカ7:34)。 何につけ追求し、真摯に議論し、丁寧に創造し、修練していけ ば、そこに何らかの価値を生み、差異を作り出し、美しいもの、豊かなものを産み出 す。それをいきなりなんの修練もせず、努力もせず、そんな彼らが神の恵みを直、受 けるなんて許せないと思ってしまう在り方に、自分がいつしかはまってしまったので はないかと恐れる。
 1月18日の説教からマタイ福音書6章1-4節  久保田文貞 1-24節は、全体として〈われわれが、 義とされていることを実践するのは、他人に見せるためでなく、神に見てもらうため だ〉(1節)というテーマになっている。2節以下それを三つのユダヤ教の儀礼、 〈施し=慈善〉〈祈り〉〈断食〉について語っていくという運びになっている。 2- 4節は、だれが読んでも間違えようのない明確な言葉だろう。ここで使われている〈施 し〉エレーモシュネーという語は、憐みという語から合成されているから「人に憐れ みを施す」という意味合いをもってしまう。つまりマタイの取り上げ方自体がそうな のだが、〈施し〉は、義とされることのための宗教的な「行」になってしまっている。 理屈の上では、神から恵まれたものを他者と分かちあうという原点に立てば、施しと は何ということのない人と人との自然な行為のはずなのだ。しかし、その行為自体に 特別の価値が付加されて、〈行〉として独り歩きしてしまう。さらにそれが義とされ るためのポイントになってしまう。どう考えたってそれは倒錯だろう。〈行〉によっ て義を得ようとすることは、神の恵みの流れにさからって、逆に上ろうとすることだ から。 「人から誉められようと」して施しをしているという批判は、おそらくマタ イが偽善者呼ばわりする「律法学者やパリサイ人」の胸には届かないだろう。それは こういうことだろう。「傍から見ていると、君たちは自分のために、自分のエゴで施 しをしているとしか見えないよ」ということだ。それはものすごく意地悪な批判だ。 〈おまえは自分の生活をまずがっちり守っておいて、その余った分のかぎりで他者に 施しをしている、結局それはエゴイズムだろう、ほどほどの施しをするちょっと裕福 な市民を演じてみせ、ますます自分の安定を図ろうとする、それは偽善ではないか〉 と。いまの自分の生活に引きつけて考えてみると、たしかに当たっているところがあ る。この市民社会の中で、がっちりと当面は自分の家族の生活を守っていくというこ とがだれからも後ろ指を指されるはずのないと思うのだが、でもそれがなにかにさか らって成り立っているのだと思わないわけにいかない。マタイ的に言えば、なにか偽 善くさいのである。 3節に「右の手のすることを左の手に知らせてはならない」とい う言葉が出てくる。聖書の言葉を、脈絡を外して解釈をすると叱られるが、これはそ の脈絡から飛び出し、そのまま我々の時代にも深い意味を要求してくるような言葉だ。 この言葉は、人の心と行動は決して一枚岩になっていない、分裂しているという事態 を見ている。その前提の上で、そうであってはならないという立場に立っている。け れども、現在の人間はかならずしもそう考えない。人の心も行動も、多様で重層的で あることをそのまま受け止めようとする。分裂した心にマイナスの価値評価をしない。 右の手のすることと左の手のすることが異なるからといってすぐに否定しない。1人 の自分として他者に向き合うことを失敗したからといって、それ自体を逸脱、錯誤、 悪としない。そういう自分をそのまま受け入れ、自分の足取りを見つけて歩いていけ ばよいというあり方も可能なのだ。 右の手のすることも左の手のすることも、すぐ れて自分のことであることを受け入れるよりない、いやそれでいいと捉えたい。4節 「隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」  18節の言葉 もそうだが、人が神と向き合い、神と張り合い、神と義に真剣に取り組もうなどと本 気で考える人には、はなはだ辛辣な言葉だ。けれども、ひとたびその縛りから逃れて 受け止めれば、要は8節から読み取れるように、父は私たちに必要なものを知り尽くし ているのだ。とすれば誰がどこで見ているなどというこわばりを捨てることができる だろう。
1月11日の説教から 申命記6:1〜9「愛と言葉」     板垣弘毅     村上春樹論の短編の中に『タイランド』というのがあります。ある女医さんが専門の 医学学会の会議でタイに行き、貧しい山あいの村に住むおばあさんの家に案内され、 あなたの体の中には、白くて堅い子供の握り拳ぐらいの石が入っている。やがて夢の 中に緑色の大きな蛇が現れてくるだろうから、怖がらず、しっかり蛇の首を押さえな さい。その蛇があなたの石を呑み込んでくれるから、そう告げられます。女医さんは 考え、その石とは、自分を裏切って離婚した男性にまつわる憎しみだと思うわけです。 その思いを通訳の男に打ち明けようとすると、彼はこう言います。「夢を待つのです。 ドクター。今は我慢することが大切です。言葉をお捨てなさい。言葉は石になりま す。」 きょうは申命記6章です。旧約聖書、ユダヤ教の中心にあるような信仰告白 の言葉が記されています。「聞け(シェマ!)、イスラエルよ。われらの神、主は唯 一の主である。あなたは心を尽くし、魂をつくし、力をつくして、あなたの神、主を 愛しなさい。」 ユダヤ教では朝と夕に唱えることが義務づけられている祈りで、そ のまま「シェマ」と言われます。先ず第一に神ヤハウエの恵みに向き合え、というこ とだと思います。 「神を愛する」ということはどういうことでしょうか。だいたい、 そんなことできるのか?「神を愛している」と言えたとき、きっと自己流の偶像になっ ていると思います。神を「愛さない」ことが何であるかは言えても「愛する」とは何 かついては言えないでしょう。 神を愛するには、先ず神のみに向き合う、気づくとい うことから出発するしかない、「主を愛しなさい」命令なんです。人間の自発的な愛 情とは違います。短距離選手のスタート・コースのように、君の出発点はここだ、ほ かじゃない、と言われます。一方的な神の恵みに応えるかたちの第一歩です。続く6 節以下で、ユダヤ人がこの言葉をいかに大事にしたかが分かります。形式的な「言葉」 を守ることが命じられていたのではないはずです。みずからの自覚にも資格にも先だっ て、すでに君たちは受け止められている、そのことを忘れるな。 イエスの時代、  律法学者、ファリサイ派の人たち、民衆の指導的立場にあった人たちが本来の律法の 精神に反していると、イエスは強く批判します。ユダヤ教指導層は、すぐにイエスを 抹殺してしまいましたが、彼らもシェマについてはこう言っています。<マルコ12: 28〜32!>   でもここでイエスはレビ記にある隣人愛の律法を「シェマ」に続 けています。イエスはどうして二つ並べたのか。十戒よりも重んじられたほどのシェ マというイスラエルの民の信仰告白が「石」になっていたからだと思います。 例えばある絵に引きつけられて言葉にしないで見入っているときと、その絵につい ての解説を読んだあとでは何かが違うと思います。今度はその解説の言葉ぬきに絵を 見ることはできません。納得と感動はどこか違います。言葉はできごとを離れて独り 歩きます。信仰告白も同様です。言葉ができごとを「説明」します。やがてその説明 こそができごとだ、という転倒が起こります。 まず無条件で招かれている、それが イエスの福音でした。それを条件付きの招きにしてしまう。石のような言葉にしてし まった。イエスはそういう転倒を第二の戒め、「隣人を自分のように愛せ」、で食い 止めたのだと思います。これだって「石」になってしまうことを免れませんが、イエ スは「神を愛す」ことは隣人を、他者を愛するできごとの中で知らされる、知らされ ることだと言っているんです。人が自分であれ、と招かれていることは、自分と同じ ように神から「いのち」を与えられている他のできごとに出会うしかないのです。 「神を愛せ」と命じられても人間には不可能です。せいぜい神に愛されている自分を 受け入れることから始めるだけです。カール・バルトという神学者は、「信仰告白は 歌や踊りに近い」と言っています。最初の感動を指し示す言葉だからです。でも教会 の歴史では、神を讃美する言葉なのに、この言葉を共に唱えられない人は我々と同じ ではないと、排除や区別の道具にもなりました。信仰告白の言葉はとてもきわどいと ころにある言葉の一つだと思います。 冒頭の短編のように、ひとりで抱えて、言葉 にすれば「石」になる孤独、つまり誰も埋められない空洞は神に向けられています。 神だけが埋められる空洞がある。それが聖書の信仰だと思います。言葉を捨てて緑色 の蛇が夢に現れるのを待ちなさい、そんな外からのできごとでしか救えない石を人は 抱えている、というわけですね。 イエスは、言葉が石になることをよく知っていた と思います。神の国を、言葉だけでなく、開放的な食事などのできごとにしています。 わたしたちにできることは、日々、具体的に、意のままにならない他者のいのちに出 会うことなのだと思います。教会の信仰告白の言葉は、隣人と出会い神を讃美し、感 謝するための一つの道具です。
 1月4日の礼拝説教から  ヨハネの手紙一 4章7−12節 「神は愛だから」        飯田 義也   今日の聖書の箇所は、3年サイクルの聖書日課(日ごと に読む聖書の箇所)で印象深いところです。3年ごとに読むわけですが、そのたびに 新たな発見があります。 そして、オープンコミュニオンの課題とも重なる箇所だと 思っています。自分の考えとして聖餐式はオープンでなければならないという思いが 強まっているのですが、現在の教団では、逆の流れとなっています。 信仰をもって から、行いによって救われるのではないと言われながらも、どのような生き方が神様 の御心にかなうのかと考えてきました。差別を助長する聖餐式をやりたいとは思いま せん。神様の前に正しくいきたいと思うのです。 今日、この聖書の箇所で言われて いる大切なこととして、私たちの神への信仰が先ではないというところにチェックを 入れたいと思います。神様がまず人間を愛してくださっていると書かれています。人 間の方で神様を大切にしなさいというのとは違うのです。 たとえば「なんで自分は こんな人生なんだろう・・」なんて考えることがあります。神様が愛してくださって いて、この人生というのなら、受け入れなきゃしょうがないですよね・・と考え直す のです。 これまでわたしは、地獄の業火で焼かれる者とは、原発推進論者に他なら ないとか、差別主義の支配者に他ならないとか、聖餐を何か特権のように考えて分け 隔てをする人に他ならないとか考えてきたように思います。 でも今回、この箇所を また味わってみて、分け隔てしている自分に気づいてしまいました。差別してはいけ ないなどと主張しながら、心の中で「あの人たちは救いがたい人たちだ」と、下に見 ていたのです。 前回の説教では、十人の乙女が花婿を迎える箇所からお話をしまし た。十人の乙女は分けられるがそれは最後のことです。終末なのでやむを得ず分けざ るを得ないということなのです。改めて、それまでは同じ生活圏で生活しているとい うことが意識されてきます。  異邦人の神というのは、人間的には驚愕の自分とは異なる生活習慣を持つ人々を、 神は栄えさせていらっしゃるということを指します。 人間が「あんな奴が生きてい るなんて信じられない」なんていう人を、神は平然と生かしておられるのです。 絶 句せざるを得ません。 神を知って愛するということがわかると書かれています。人 間が自らの力で愛するとは言われていない。 神が先に愛してくださっているのです。 神様から愛されちゃったら、これはもうしょうがない、受け入れざるを得ない。神様 から愛される者としての生き方をしてゆくほかはない。そういうことなのだと思いま す。 そしてここで神様は、関係の中に働く方として書かれている。前述を受け入れ がたいので、信じないと否定することは自由です。でも、人と人がかかわる中に、神 様は働いてくださるということです。