説教ノート 2014年1月から12月分まで

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 12月28日礼拝説教から コヘレト4章13-16節 “13 貧しくて も利口な少年の方が老いて愚かになり忠告を入れなくなった王よりも良い。 14 捕ら われの身分に生まれても王となる者があり王家に生まれながら、卑しくなる者がある。 15 太陽のもと、命あるもの皆が代わって立ったこの少年に味方するのを私は見た”    これは新共同訳だが、口語訳の15節は“わたしは日の下に歩むすべての民が、かの わらべのように王に代って立つのを見た”となる。「少年・わらべ」や「王」が何を 指すか、歴史上の人物を想定しているのか、わからない。13節の「少年」と15節の 「少年」が写本上同一かどうかも確定できない。 というわけで、どの読みをとるか 恣意的なものになってしまう恐れがある。もっともこれは聖書読みに常に付いて回る ことである。口語訳の15節では、王に代わって立つのが「皆」とし、そこに「民」と いう訳語を入れる。この民がイスラエルのことを意味すると考えてのことだろうか。 だが、「日の下に歩むすべて」とはイスラエルの民を超えて「すべての人民」とも読 める。王にまさる「貧しくて賢いわらべ」の延長上に「日の下に歩むすべての人民」 が立ち、それが王に代わって立つとなれば、心わき立つではないか。16節の前半の解 釈はその前の部分をどう理解するかで大幅に変わる。いずれにせよ、この革命的な期 待感に、コヘレト一流の冷や水を浴びせる言葉が印象的だ。〝これまた空しく、風を 追うようなことだ。”(ここまで、先週の「説教」から割愛したところ。割愛すべき ではなかったと反省しここに記しておくことにしました。)  ルカ誕生物語のクライマックスを歌い上げるように天使と天の軍勢の賛歌が出てく る。天から響く賛歌「天に栄光、地に平和」が、誕生したイエスが安らう家畜小屋の 土間と、羊飼いたちが野営する地べたの上に響き渡るという構成だ。「日の下を歩む」 人間たちは、その地べたの上にだれよりも低くかつ弱く、地べたにおかれた飼い葉お けに寝かされひくひくしている「神の子」イエスを見下ろすばかりなのだ。私は、こ こに天から響く歌声の高さ、地べたの低さ、見下ろす自分たちの視線の多少の高さが 気になって仕方ない。 突如、神学的な表現を借りて言うと、神の事柄が地べたの上 を歩む人間たちのところに生じるということであり、もっと言ってしまえば、神の栄 光と平和が地続きになっているということだ。当然こういう言表には危険な錯誤が付 きまとう。人間が神の事柄を手にし、それに干渉する力があると錯覚すること。この 思い違いを糺すことこそ、かかる神学の最大のお仕事のはずだが、その反対にほとん どの場合は、地上に降り立った栄光と平和を自分のものしてしまう権力者たちのお手 伝いをしてしまう。いっそ天のことは天に、地べたのことは地べたに としておく方 がよいのではないかと、そんな思いで、多くの人が「天には栄え、地には平和」と歌っ たりしていないだろうか。 古のイスラエルにおいても、神の箱を地べたで担ぎまわっ て熱狂し、地べたに神の居場所=神殿を作って王権のイデオロギーとなり下がる、そ ういう苦い経験をいくつも重ねてきたが、その上でのメシアなのか。クリスマス物語 が成功しているか、やはり失敗作になるか、などと評価するなど傲慢の極まりだが、 少なくともそこに流れているのは、いつも私たちの錯覚をはねのけるような地べたに ひっつくようにひくひくとして寝ている赤子のイエスを前にして、君はなにものかと 妙に問われている自分を発見する。とにかく、成長した彼は人間の期待をよそに、ずっ と地べたを沿うように歩き通し、地べたに建てられた十字架上に死んでいくのである。  というわけで、天の賛歌を耳にしているつもりになって、地べたに寝そべる赤子を 見下してしまう自分の目線を恐れる。


 12月21日の礼拝説教から ルカによる福音書1章45~53節 「待つこころの空洞」   板垣弘毅  クリスマスおめでとうございます。 クリスマスのメッセージは心温まる静かな喜びであるとともに、家畜小屋で生まれ、 そして若くして刑場に消える救い主の出発点であることもまた忘れられていません。 クリスマスは闇の中のとてつもない希望、なのだと思います。 ルカ福音書のクリス マス物語では、平凡な村娘であるマリアは驚き疑い惑いつつ、でも、「御言葉どおり この身になりますように」と自分の成り行きを引きうけていきます。今日読んだとこ ろはマリアが、一足先に子を宿したエリサベトを訪ねる場面です。エリサベトは「主 がおっしゃったことは必ず実現すると信じる」人間の幸いを告げています。(45節) それに応え「マリアの讃歌」が続くわけです。 ここで、子を恵まれた感謝や喜びだ けではなく、マリアは、低い者に目をとめてくださる神をたたえています。自分のよ うなものに目をとめてくださった、そのことを幸いと言います。終わりの日の「救い 主」とはそういう方だ、と讃美しているんです。聖書全体の底に流れる信仰です。  「思い上がるものを打ち散らし、権力ある者をその座から引き下ろし、身分の低いも のを高く上げ、飢えたものを良いもので満たし、富めるものを空腹のまま帰らせま す。」平凡な村娘が口にするには熱烈な革命の歌のようですね。神の支配とこの世の 支配者のむなしさを容赦なく語っています。 クリスマス物語というのは、決してハッ ピーエンドとは言えない生涯を、見渡しながら、誕生物語で暗示というか、映画で言 えば予告編のような性格も込めて描かれているのだと思います。 何よりこの讃歌が イエスの生涯そのものでした。でも、当のイエスは十字架で惨めこの上ない死を遂げ ているわけですし、このマリアの讃歌は、見果てない夢みたいなものではないか、と 思う人もいると思います。常識的には十字架は敗北でしかないのですが、聖書は違う 見方をするわけです。イエスの神の国のたとえ話でも無条件の招きに応えるのは社会 的評価ではきわめて低いところにいる人、影のところにいる人です。わたしたちがイ エスから知らされたことは、神は権力とか地位とか血筋とか財産などから人を見ない、 ただその人を見るということです。 一つ例を。マルコ福音書12章です。貧しいや もめのレプトン銅貨2枚の献金、いってみれば10円玉2枚の献金が「誰よりもたく さん」とイエスはみています。自分の存在を全部差し出すからだ、と言うんです。イ エスはこのようにに見る! ということです。イエスはこの人そのもの、ただの人を祝 福しています。 マルコ福音書では続けて、イエスの神殿崩壊の予告の言葉を置いて います。 イエスと弟子たちは、誰もが目を見張る巨大で壮麗なエルサレム神殿を前 にしています。イエスが、巨大で壮麗な神殿を見て、その廃墟も見ていたということ はたしかです。 たとえそれが神殿や教会をつくるというような人間の「最善の」努 力であったとしても、神の目からは別のように見えるとイエスは言っているのだと思 います。これもイエスの神の国の、終末的なまなざしです。確かに、見る者を圧倒す る神殿の輝きに、やもめの献金は何の足しにもならない。しかし、イエスの目はそこ には向かない。今ここでしか生きられない、貧しいやもめが、自分の持ち場で、等身 大の自分を差しだした、イエスはそこに神の視線を見ています。 このやもめに、きょうのマリアが重なります。「身分の低い、この主のはしためにも、 目をとめてくださった」とうたっています。ここでイエスは、巨大なエルサレム神殿 と、世間的には存在感の乏しいひとりのやもめを並べて見つめ、その神殿の廃墟を見 ています。さらに世界の破局をも見ているんです。<あなたがたはこれらのものに見 とれているが一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る> この言葉には、人間の努力が、その最善の努力であっても、破局を迎える、しかし それが神の意志であるならば、その破局から、はじまる何かがある。そういう希望を 語っています。 目の前の絶望的な有り様がすべて、ではない。神殿には絶望、やもめ には希望がある。 最初の頃のキリスト者は、十字架刑に処せられたイエスに、その 絶望の中に希望を見出したのでした。きょうのマリアの讃歌、革命によって権力を奪 取するということではなく、エルサレム神殿と対等以上に、ただひとりの貧しいやも めの存在を対峙させるということなのです。この希望は天国や浄土への憧れに身を託 すことではなく、このやもめやクリスマス物語のマリアのように、自分を、背伸びも 卑下もせず、等身大で神に差し出すことだけが、神殿を超えるのだ、とイエスは言っ ているのでしょう。外観や風評や世間体にとらわれずただの人としてのその人の魂に 響き合うような関係を作っていくほかありません。
12月14日の説教から ルカ福音書46章~55節 「権力者よおごるなかれ」 久保田文貞  クリスマス物語は、ガリラヤ地方で宣教活動を始め、2,3年後に エルサレムに上って神殿勢力とぶつかり最終的にローマに引き渡されて処刑されたナ ザレのイエスこそ、真のメシア(キリスト)、神の子(ただ神のみ旨に従う者たちと いう意味ではなく、神の実子)であるというテーマの下に構成された戯曲である。も し一方の極に〈史実〉という世界を置くとすれば、その対極に位置する〈歴史=物語〉 に入る。だから、フィクションとして構築されたものと突き放すようにして語ること ができるが、それだけではすまない。 そもそも聖書(旧約も新約も)自体が、構成 された歴史物語であり、構築された戯曲のようなものだ。「構築された」とここでい うのは、それは舞台の表だけでなく、舞台の袖や裏から見ようとすればいつでも見ら れるようになっていた、つまり構築されたものであることを最初から隠していない。 人々にその裏を見せるべきでないと長い間、キリスト教正統主義が封をしてきたに過 ぎない。 この構築された舞台劇の観客はただのお客ではない。この構成劇にみずか らも新たにその構築にたずさわる参加者である。特にクリスマス物語が背後に儀礼的 なものが潜んでいるとは誰もが感じることだ。子どもたちのクリスマス・ページェン トは子どものためだけの参加劇ではなく、すべての人にその劇を構築すべくそれぞれ の参加の仕方をいざなう戯曲である。それぞれが観客ではなく主なる出演者になって しまう構造を持つ。 構築されている物語であるから、出演者が持ちよったいろいろ なお道具が異種混合的に並んでいる。とりわけ(賛)歌は最良のお道具だ。 マリヤ の賛歌は、懐妊したマリアが先に懐妊していた親族のエリサベツを「訪問visitatio」 した時、エリサベツから祝福を受けた後に、「私の魂は主をあがめる」という歌い出 しではじまる。「あがめる」はその語根から「大いなるもの」「高きもの」をあがめ るというニュアンスが感じられる。ラテン語のマグニフィカトも同じ。こうして神を 賛美した後、48節の正確な訳は「主はそのはしための低きをかえりみ給うた」(田川 訳)。この高低のコントラストは、クリスマス構成劇の特徴である。26節以下神のも とから遣わされた天使ガブリエルと乙女の対比、そのガブリエルの言葉、またベツレ ヘムでのイエス誕生の次第でも。 この歌が〈本歌取り〉をしている「ハンナの歌」 (サムエル記上2章)の場合、懐妊したハンナは喜び。主によって強められ、敵をあ ざ笑うなど、詩編の感謝の歌を直に引用するのだが、マリアの賛歌の場合、マリアは 与えられる恵みに対してひたすら自分の低さを歌う形に変えている。 転じて51節以 後は、〈本歌〉に戻るというか、伝統的な詩編のスタイルの従う。「主はそのみ腕を ふるい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き下ろし、身分の低 いものを高くあげ、飢えた人を良い物で満たし、富める物を空腹のまま追い返されま す」 大国の間で虐げられてきた弱小の民イスラエルの抑圧された思いが、神の恵み を受けて一挙にほとばしり、権力関係の逆転、下の者が上になり、支配者・侵略者が 滅び、金持ちが破産し、押さえつけられてきた民衆が権力を握り、極貧の者が富者に なると。 民衆の女が子を宿すと、こういう詩編を歌う習慣があったのだろうか。で も、それと権力の逆転劇とどうつながるのかわからないが、いずれにせよ、クリスマ ス構成劇では、民衆のただ普通の乙女マリア懐妊の感謝の歌を通して、生まれてくる 子によってこの世界に何が起こるかを指し示すことになる。劇の参加者よ、この乙女 の歌声に耳をそばだてよ、共に歌えと言っているように聞こえる。
12月7日の説教から ルカによる福音書16章1~9節 「計算を超えた恵み」 久保田文貞  隣の部屋の男がいきなり女性の部屋に侵入し切りつけたという事件があっ た。男は危険ドラッグにより異常な行動をしたというニュースになっていた。これに ついて思ったこと、一つは、NHK的なニュースの品格からいうと、社会の汚点のゴミみ たいなニュースということになるだろう。一方、間違いなく報道ワイドショーは細部 にわたって事件を調べ上げ、視聴者の好奇心に応えようとしたろう。どっちのニュー スの取り上げ方にも承服しかね、なんか気分が悪い。もう一つは、自分も使ってしまっ た「異常」の問題です。容疑者は危険ドラッグにより精神に異常があったという言わ れ方をする。麻薬や覚せい剤などの薬物は正常な精神を壊してしまうから社会から根 絶せよ、これになんの疑問を持ってはならない、その判断は百パーセント正しいとい う社会全体の締め付けがくる。私はこれに不快を感じる。善と悪、正常と異常、正統 と異端、こうも当然のように振り分け、お前はどっちだという圧力を感じる。そうなっ たら埴谷雄高ふうにプフィと言いたくなる。「制服向上委員会」の歌の文句「ケッ、 ケッ、ケッ」の感覚に似ているかもしれない。 埴谷雄高(1909-1997)は太平洋戦 争前、不敬罪、治安維持法で逮捕され、懲役2年執行猶予4年の判決を受け出獄、転向 者の烙印を押されるが、戦後独特の位置から作家活動をする。彼の代表作『死霊』は、 地下で活動する人の異母兄弟とその同士や恋人たちの観念的対話劇だが、そこに三輪 与志という中心的な人物がでてくる。彼がこだわるのが「自同律の不快」というもの、 《俺は-》と呟きはじめて、《-俺である》と呟きつづけることがどうしてもできな い、「あえてそう呟くことは名状しがたい不快なのであった。」と。 俺と俺との間 に不快な深淵が亀裂を広げ、この不快が宇宙的な気配として広がっていく。 たぶん、 それは善と悪、正常と異常、正統と異端、常識と非常識などのふるい分けに対する不 快とも重なるだろう。篩分ける必要のないものまで篩分け、戦争に負けてガラクタに なってしまったのに、こりずにガラクタを集めて再び篩分け構築していく。そういう ことが不快でたまらないというのだろう。 小説ではこの問題を宗教的に言いなおし たり、彼岸的なもので説明することを強く退けるが、そのこと自体が示すように彼岸 的なものの促しを強く意識しているように思う。プフイは彼岸的なものを拒絶し、逃 げ場のないこの地上にとどまるという表明か。 しかし、このことは次のようにも言える。逃げ場のない地上に身をさらすように、彼 岸からの光線に身をさらすと。彼岸からの祝福の歌声をよろこんで聞くだけ。彼岸か らの招きに応えて歩みだすだけ。そんな普通の暮らしでは、正常も異常もない、振り 分けたり、振り分けられたりしていることに頓着しないで、まぜこぜの現実の中で、 そのつど生活していくというようなことが起こるだけである。この事態は、たしかに キリスト教の伝統的な言葉でいうと、終末論めいている。だが、Mk13:7「そうい うことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。」つまり世界の終末と いう想定図からものを判断しない、この地上の事柄を篩い分けないというある種の拒 絶がある。  アドヴェント、神の子キリストの誕生を待つ時として切り取った時間である。神の 子が生誕するということは、神的なものと地上的なものの交わる接点として、クリス マスを宗教的儀礼の中に収め、いろいろなシンボルで飾りたてる。だが、このキリス ト教の行事のうらにしっかりと流れている大事を見誤ってはならないだろう。それは、 彼岸から向ってくる光、力、声に晒されて、まもなくすべてものが打ち付けられてい た釘がゆるみはずれ、既成の物差しで測れない事態になる。善と悪、表と裏、正常と 異常、正当と異端、そういう区別が意味を失う。神の子キリストが生まれると宣言す ることはそういう事態を宣言することだろう。
11月30日の説教から ルカによる福音書11章27-28節 久保田 文貞  イエス降誕の物語は、天の使いのお告 げによる二つの懐妊の話で始まります。ひとつは祭司ゼカリヤと妻エリサベツの老夫 婦に、もうひとつは半年遅れて乙女マリヤに。 古代ユダヤ教の社会は父権制が徹底 していて、女性は男の子を産んでなんぼのものという世界でした。子がなかった老夫 婦に男の子が与えられると知らされ、老夫婦にとって14節「喜びと楽しみ」となると いうのも納得がいきます。翁と媼にいきなり子が与えられたおめでたい話はどの世界 にも通じることです。 一方、マリヤの方は男を知らないまま聖霊によって身ごもる という話で、エリサベツの奇跡的な懐妊物語と根本的に違います。ここではマリヤ自 身が直接天使から28節「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられる。」 とその理由が明かされないまま祝福を受けます。マリヤは自分が何を祝福されている かよくわからない。先が見えていない、にもかかわらずとにかく自分が祝福されてあ ることを知ることになります。戸惑い考え込むのも無理ないでしょう。さらに「神の 恵み(カリス)を得た。あなたは身ごもって、子を生む」と告げられると「どうして そういうことが起こりえましょう。わたしはまだ男を知らないのですから。」と率直 に疑問を返します。「聖霊があなたの上にのぞみ、いと高き者の力があなたを覆う…」 と天使が言います。そういうわけでマリヤの戸惑いはすぐに溶けていきます。「見よ、 (私は)主のはしため。あなたのお言葉どおりにこの身になりますように。」という 言葉で「お告げ」(Annunciation) の物語は終わります。彼女は、事態のすべてを読み 切ったわけではありますまい。神が小娘たる自分を用いて何事かをしようとしている、 それで十分だった。さあ、どうぞ、この自分において神の業がなりますように・・・ ということなのでしょう。恵みを受ける人間の根本的な姿勢でありましょう。 この 後、マリヤは親族のエリサベツを訪問する物語(Visitation)があり、ここではマリ ヤはエリサベツから祝福の言葉をもらいます。洗礼者ヨハネとイエスが胎児の形で会 うことになります。おそらくヨハネの誕生物語とイエスの誕生物語がかなり意図的に 掛け合わされたものででしょうが、もう一つの山場になっています。 この二つの場 面の、天使とエリサベツがマリヤを祝福する言葉をとって、中世キリスト教会はア ヴェ・マリアという歌を作り歌ってきました。(後にこれにマリヤへのとりなしの祈 りが付け加わっています)。この歌の背景には神の子の母なるマリヤを、人の罪の赦 しをとりなす特別な存在とするマリヤ信仰があります。正面の十字架につけられたイ エスの強烈な姿に対して、翼廊に見られる柔和で優雅なマリヤの姿が控えている、二 つがコンビになって信徒の心をよくとらえるだろうことは理解できるが、それは聖書 の福音とは似て非なるものです。 ルカ11章27-28節が後々のマリヤ崇拝に宛てたも のではありませんが、無関係ではないでしょう。〈イエスがこう話しておられるとき、 群衆の中からひとりの女が声を張りあげて言った、「あなたを宿した胎、あなたが吸 われた乳房は、なんとめぐまれていることでしょう」。しかしイエスは言われた、 「いや、めぐまれているのは、むしろ、神の言を聞いてそれを守る人たちである」。〉  ルカ福音書は、その母を崇拝し高めようとした女の言葉を、イエス自身がNOと言っ たと書きます。誤解を恐れず言えば、母マリヤを祀り上げないということは、母マリ ヤから生まれた子も祀り上げない。母も子も、徹底的に肉なる子を生む母であり、肉 となった子であり、ただ神の言葉にもとづいて神の恵みがその身に起こることにおい て、恵まれる。それはすべての人において親しく起こりうることだというのでしょう。
11月23日の説教から マタイによる福音書25章6-13節 「備えよ常に」    飯田義也  誰にでも年間の暦の 中で記念の日というのはあるものかと思います。教会にもあります。今日は、カトリッ クでは「王であるキリスト主日」ルター派 の教会だと「最後の審判の日曜日」と呼ば れます。キリスト教の新年はアドヴェントから始まりますので、今日は、年末最後の 日曜日ということにな り、最期を考えたりする日としてきたのです。 さて、最後の 審判ということなのですが、人生の最期で後悔したくない…といったくらいのことな のでしょうか。キリストと出会う中で、平穏無事な人生を喜ぶ陰で踏みつけられる人々 があることなどに気づいたりして、自分さえよければいいということでは全然ないと 思うようになってきたのではないでしょうか。 記念日といえば、10月31日は宗教改 革記念日でした。宗教改革の趣旨ですが、歴史の教科書くらいの単純な理解として、 当時の教会が、死後の罪 の許しを「贖宥券(免罪符)」…まあ「お札」でしょうか… を買うことで得られるなどと喧伝していたことへのプロテスト(抵抗)として、教会 への問 題提起を行ったところから始まりました。このことで、人間が簡単に天国に行 ける搭乗券を買えるわけではないということを改めて確認したのです。 カトリック 教会では、聖礼典として「七つの秘跡〔洗礼・堅信・聖体(聖餐)・ゆるし(告解)・ 病者の塗油(終油)・叙階・結婚〕」があります が、プロテスタント教会の「聖礼典」 は、洗礼と聖餐の二つだけです。世の中に「こうでなければならない」ということが そんなに多いわけじゃないと いう主張です。 まあ、95か条の提題を教会の扉に打ち 付けるという発表方法は「メールを送る」なんていう現代の意思疎通からは信じられ ないような方法ではあり ますが。 その後のカウンターリフォーメーション(宗教改 革の真理性を認めてカトリック教会も自己改革をしました)も勘案すると、カトリッ ク・プロテスタ ント含めて、聖礼典を「贖宥券」的に考えることは避けなければなり ません。何か権利を得たように考えるなら、そのような儀式はない方がましかもし れ ません。 さらに現代社会の中にあっては、洗礼ということも絶対条件とは言えない と思います。神は「異邦人の神」だと伝統的に言われてきました。異教徒 で、自分と は全然違う生活習慣を持った人であって、自分の価値観からは許容できないと思って しまうような人を、神は生かしていてくださるというこ とですよね。わたしは、老人 ホームで働いて多くの人々を見送りながら「一人ひとりに対して神が悪いようになさ るはずはない」との確信を強めてきま した。根拠のない確信ですが、ある種「信仰」 と呼べるかもしれません。神は同じとことに招かれていても「ラザロと金持ちのたと え」のように、そこ を天国と感じる人と地獄と感じる人に分かれてしまうのかもしれ ません。 今日の「十人の乙女のたとえ」でも、人が二つに分けられてしまうさまが 描かれます。 世の中、こうでなければならないということが多くない、あるいは、 こうであれば安心ということが多くないとすれば、いろんなことが起こりうると いう ことにもなります。いろんな事態に備えておくことが必要になるわけです。 花婿が 「終末のキリスト」とか「最期における救い」であることはよいとして、灯が何を指 すか、油は何を指すか、さんざん「こうでなければならな い」という議論が繰り広げ られてきましたが、そこはそれぞれ「私はこう思う」でいいのではないでしょうか。 いずれにしても、人生のいろんな事態に 備えうる感性を磨きたいと思うのです。洗礼 は、人生の通過点、天国へのパスポートの意味はなく、神に応答し、備える人として ありたいという言明 (行為の言葉)です。今日洗礼を受けられた方はもちろん、昔受 けた方も今一度思い起こせれば幸いです。洗礼を受けていない方も、神の同じ恵みの も とにあることを心にとめてくだされば。
11月16日の説教から ルカ福音書10章38-42節 「マルタとマリアのいるところ」   久保田文貞 物語は単純明快だ。イエスと一 行がマルタの家に招かれる。妹のマリヤがイエスの足もと近くに坐ってイエスの話に 聞き入っている。すると接待のため忙しくしていた姉がイエスに「妹が私を手伝うよ うに言ってください」と言う。するとイエスが「マルタ、あなたは多くのことに気を つかい、混乱している。必要なことは一つだけだ。マリアはよい方を選んだ。それを 彼女から取り上げてはならない。」と。(田川訳をもとに) いつも下働きをさせら れてきた女性が勇気を出して、イエス自身の気配りのなさに抗議するという図とみる とちょっと愉快だ。だが、「忙しいのだから手伝って」と直接妹に言えばいいものを、 イエスの権威を借りて妹を動かそうとしている、とするとちょっと残念だ。としても 接待の仕事を早く切り上げて、自分たちもイエスの話を聞きたいのだというなら気持 ちはよくわかる。 この物語は共観福音書ではルカだけに。姉妹の名はヨハネによる 福音書11,12章にも出てくる。そこからすると90年頃のシリヤ近辺の諸教会で二人の 名前はイエスに仕えた女性として流布していたのか。実際にこの二人が生前のイエス とどうなっていたかは不明。ただ90年代のシリヤ付近で、この二人の姉妹がどこの教 会にもいる女性たちを象徴する存在になっていたと言ってよいだろう。そしてこの象 徴性は、私たちの国のように小規模の教会に今もなお相当のリアリティがある。 こ の物語のポイントが、終わりの部分のイエスの言葉にあることは論を俟たない。「必 要なことは一つだけだ。マリアはよい方を選んだ。それを彼女から取り上げてはなら ない。」 そこには当然とはいえ、マリヤとは言わずだれでも、時にだれかの足もと で、何を置いても、その人の話を集中して聞きたいということがあるものだ。その機 会を、他の人が自分の都合で奪ってはいけない。ひるがえって考えてみれば、どこに でもある、だがとても大切な人と人との関係の切り口の問題だと言えよう。その時、 マリヤはイエスの話を聞くことを選んだのだ。さらに言えば、マルタも接待という仕 事を選んでいたということだろう。 これを教会の女性論として男たちが反省的に捉 えることに意味はあるだろう。だが、この姉妹を安易に教会内女性の象徴のように捉 え、再び新たな固定化に陥ってはならないだろう。 としても、それぞれの人生にお いて自分にとって必要なことは一つだけであり、自分でそれを選ぶという局面がおご そかに浮かび上がってくる時というものは、だれにでも起こりうるものだ。それがイ エスの言葉に耳を傾けるというところで起こっていることの物語である。 (付記・・・このことをこれまで続けてきた家族論のつながりの中で私は考えている。 物語は、イエスと二人の姉妹の家族という中で起こる。「必要なことをひとつ選ぶ」 ということが、家父長的な社会で、男っ気のない、その限り密閉された姉妹の間で起 こるからこそ、この選択の差異が強烈に伝わってくるのだと思う。物語の作法から言っ ても、ここは兄弟でなく2人きりの姉妹家族がよいと私は思う。 ヨハネ福音書の場 合、この姉妹に弟(ほんとうはマルタとマリヤ、ラザロの生まれ順は不明、ただヨハ ネ11:5から類推されている)が加えられる。マルタとマリヤのキャラクタはルカ福音 書の場合と同じ(12:2)。11章は病気で亡くなったラザロがイエスによって蘇らされ る話だが、事柄の重大さのわりに、じつは姉妹に比べてラザロの影は薄い。女二人、 男一人のこの家族(これもまた教会の兄弟・姉妹の象徴になっていることは間違いな い)がイエスに向き合う時の重心は、ルカの物語とは全く別のところに移ってしまう。 正直言って、もうヨハネのこのきょうだいの物語にはリアルな家族論はほとんど掻き 消えているのである。)
11月9日の説教から 使徒19:11~20   「君は何者か」      板垣弘毅  現在日本には千数百人の無国籍の人がいるという。実態ははるかに 多いそうだ。私もかつて台湾人の政治犯の人が、台湾に強制送還されることを阻止す るために、無国籍確認の訴訟を最高裁まで関わっていたことがある。難民認定が下り ないなどの理由で健康保険や教育を受けられず、セーフティーネットからこぼれ落ち てしまう人も少なくない。それに「おまえはいったい何者だ」と言われる環境を生き ることになる。 使徒言行録19章。パウロの第3回伝道旅行と言われる旅が始まる ところだ。 西暦54年頃、パウロはエフェソという大きな都市につき、そこで2年滞在してい る。ユダヤ人の反対に遭いつつ成果を上げる。パウロの働きをルカは、イエスになぞ らえて過剰に称える。「イエスの名によって」「めざましい奇跡を」つまり悪霊を追 放している、そう言いたいのだ。(10~11節) 悪霊とは、“その人を本来のそ の人でなくしてしまう力”と言えるのではないかと思う。「何かに取り憑かれたよう に」と表現することもあるから、それほど特別な感覚ではないだろう。さてパウロが めざましい活動をしているエフェソの町で「ユダヤの祈祷師」が「イエスの名によっ て」悪霊を追い出していた(13節)庶民にとっては、体によく効いてくれる呪文な らば何でもよかったのだろうか。ところが霊に取り憑かれた当人から反撃を喰らう。 悪霊が、自分を追い出そうという相手がホンモノでないと見抜く。イエスともパウロ とも違うぞ、「おまえはいったい何者だ」そのニセ祈祷師を袋だたきにしたというの だ。(17節)コケにされているユダヤ人の祈祷師に、どこか自分が重なってしまう。 私は40年前、それこそ修道院にいるような思いで学んでいた神学校で、いわゆる全 共闘運動に遭遇し、その過程で、イエスの福音とは遠く離れてしまう硬直したキリス ト教に深く疑問をいだくことになった。結婚したので学習塾を営んで生計を立てつつ、 同時に北松戸教会とともに、日本キリスト教団への異議申し立て、とくに教師制度に 問いかけをしてきたつもりだ。教師検定試験を拒否したので、教団側は「信徒伝道者」 という名称を作った。私はこれを「信徒」と「伝道者」の間に点を打って、信徒とも 伝道者とも決められない、この「間の点」の上に立つ思いで牧師の務めを果たそうと 思った。 健常者と障害者、正常と異常、日本人と外国人など、そういう出来合の区 別から出発するのでなく、間の「と」の上に立つような生き方がいいと思ったのだ。 すると、どうしても「おまえはいったい何者なのだ」という問い(自問も含む)から 解放されない。  しかしマルコ9章38節以下では、勝手に「お名前を使って悪霊を追い出す」者を、 弟子集団が「わたしたちに従わないのでやめさせようとしました」という内向きの行 動をとろうとすると「やめさせてはならない」とイエスは言う。「イエスの名によっ て」悪霊を追い出している人がいたら、それは神の支配にふさわしい生き方だ。神の 国のできごとだ。「逆らわないものは味方だ」人間が引く境界線を、神の国・支配は 越えているのだ。 イエスは神の国を全身で生きた。神の國のまなざしの中では、不 当な力に抑圧された人々も解き放たれるというイエスの確信がある。だからイエスは、 悪霊に取り憑かれている人々を放っておけない。 だからここで「イエスの名によって」行為することを、イエスが「やめさせてはなら ない」と言った、この開放的な神の国のまなざしは、弟子集団(教会)を越え、また 「おまえは何者なのだ」という自問も越えているのだと思う。そこに私は救われてき た。 君は何者か? 私は何者か? IDカードの提示ですまない深い問いかけにな ることもあるこの疑問符に根本的に答えられるものは何か。それは他者だ。他者の人 格だ。だれか他者が認めてくれる、という受身の関係しかないのだと思う。福音書を 読むと、イエスと出会った人々の多くは国籍、居住地、職業、業績などで自己確認で きない低い社会層の人間だった。「何者であるか」はその人に注がれるイエスのまな ざしの中にあったのだと思う。君もあの人もイエスに招かれている、神の国に招かれ ている、その確かさは自己認識を越えているんだ、そう福音書の証言は告げる。イエ スは、弟子集団に加わらず「イエスの名によって悪霊を追い出す」行為をやめさせて はならないと言った。「悪霊」とは、「その人をその人でなくしてしまう力」だといっ たが、心身の病気だけでなくその社会の悪霊的な力に屈しないでいられることがイエ スの招きに生きることになってゆくだろう。  イエスの目に映るままの自分を生きてゆこうとするのがキリスト者というものでは ないか。
 11月2日の説教から ルカ福音書19章40節 「石が叫ぶ」       久保田文貞 〈39節 そして群衆の中から何人かのパリサイ派の者が彼に対し て言った、「先生、あなたのお弟子さんたちをお叱り下さいな」 40節彼は答えて言っ た、「あなた方に言う、この者たちが黙れば、石が叫ぶであろう」〉(田川訳) 弟 子たちがメシアのエルサレム入城場面に群衆を扇動し讃美の歌をもって歓呼の声をあ げさせた。そのことに腹を立てたパリサイ人を突如登場させた。間違いなくルカが書 いたシナリオである。 としても40節の言葉は、普遍的な響きを持った言葉である。… 民を力ずくで黙らせても、ついには絶対に口を開くことのない石が叫ぶであろう。い くらでも脈絡を超えて、声を発することかなわぬ人の共感を得る言葉だ。 ことに私 たち近・現代に生きる者の基本的な構えですらある。外側の力によって、時に内側か らも押し黙らされている者たちよ、声をあげよ、告白せよ、必要なら告発せよ、そう いう掛け声を出し合って何層にもなる拘束から解放されてきたのだから。ながらく黙 らされてきた石が弾けるように、声をあげ、自分たちの物語を語る、それが近代民主 国家の建前だ。 だが、あらゆる拘束が解け、自由に叫び、自由に物語を語ることが できるようになって、言葉がそこらじゅうに湧き出、言葉が充満する時、自分の語り だす言葉が空しいことに気づく。相手が語る言葉の空しいことに気付く。そこで吐い た言葉が次々に死んでいくことに思い当たって、言葉を語らなくなり、聞かなくなっ ていく。 駅頭で道行く人に、理不尽な為政者を告発することばを投げかける稀有な 人たちがいる。言葉に潜在する力に託して、眠りこけた人々の意識を覚まし、やがて 語りだす自分を取り戻してほしいという願いはよくわかるのだが、語ることと聞くこ とがどうしてもかみ合わない。理不尽な為政者がこれをあからさまかつ不細工に黙ら せようとすれば、いつか噛み合うこともあるのだろうが、そうはならない。失語とい う状態が蔓延し持続している。 シベリヤに抑留され収容所を経験してきた詩人石原吉 郎の文章に『沈黙と失語』というのがある。重労働の毎日、ラーゲリの生活は言葉か ら着実に意味を削いでいく。一人一人が身を寄せ合っているのに孤立し会話がなくな る。言葉が死んでいく。そういう失語のことを書く。だが、失語状態のど真ん中で、 ある男が脱走する。銃声がして静謐が。そこでは失語状態なんて言ってないで、誰か がやむに已まれず叫ばなければならないのに、兵士が遺体の指を踏みつけても、失語 とは全く別の沈黙が。「脱走」という詩はこう書く  沈黙は いきなり  向き合わせた僧院のようだ  われらは一瞬腰を浮かせ  われらは一瞬顔を伏せ る  撃ちおとされたのはウクライナの夢か  コーカサスの賭か  すでに銃口は 地へ向けられ  ただそれだけのことのように ・・・ 私たちの今の状態と、シベリヤの収容所の中と比べるのもおこがましいと は思うが、なぜか類似しているように思えてならない。この失語状態に有無を言わさ ずここに沈黙をもたらすものは、やはり死のはずなのだが、どうしてか死さえも決定 的な沈黙をもたらしてこないのが今の私たちの状態だ。 ルカ福音書が編んだ通りに、 「この者たちが黙れば石が叫ぶであろう」という言葉をイエスの言葉に押し戻して、 石が弾けて語りだすのをさらに待つよりないのだろうか。  10月26日の説教から マルコ福音書6章14−29節 「最悪の家族」 久保田文貞  福音書の中に現われてくる家族の中で、避けて通れないのがヘロデ・アンティパス の家族である。ヘロデ大王の死後(4AD)、遺言によりその領地は四割分され、その一 つのガリラヤとペレアをヘロデ・アンティパスに与えられた。彼の治世にイエスはナ ザレで成長し、30年頃ガリラヤ湖周辺で福音宣教活動を始め、最期にエルサレム(ユ ダヤはローマ直轄地)で磔刑に処せられた(33頃)ことになる。 基本的に著者マル コの関心は、イエスの露払いともいうべき洗礼者ヨハネの最期である。ヨハネがガリ ラヤ領主ヘロデ・Aに処刑されたことは史実らしい。(ヨセフス「古代誌」18/5/4)そ こではヨハネが危険人物とみなされ殺害されたと。だが、マルコはこれについてスキャ ンダラスな伝承を拾ってきて福音書の中に入れた。 つなぎとなっているのは14−16 節のヘロデ党内部で、イエスは何者かという議論があって(8章27-30のペテロの告白 と比較)、領主でありながら小心者のヘロデがイエスを「わたしが首を切ったあのヨ ハネがよみがえったのだ」と言うところ。この後に一種の聖者伝説のようなヨハネ処 刑譚が出てくる。今回私が注目するのは奇しくもここに描かれた歪んだとしか言えな い家族のことだ。この家族を論じるにはその成り立ちを触れておくのがよい。 対シ リヤ・セレウコス王朝のギリシャ化政策に抵抗しついにユダヤ独立を勝ち取ったハス モン家(142−63BC)の内紛に乗じて、ユダヤの南、イドマヤ出身の将軍アンティパト ロスが実験を把握していく。ちょうどその頃ユダヤに進出してきたローマ軍と手を結 び、息子ヘロデ(大王、キリスト誕生物語の王)がパレスチナ一帯の王に任じられる。 それがヘロデ王家(37BC)の始まりである。ユダヤ人から見れば、元来彼らはハスモ ン家の外人部隊に他ならない。問題はヘロデ家の婚姻関係。大王はハスモン家の血を 引くマリアンメほか10数名の妻との徹底した政略婚、その子たち、親族たちも系図を みると頭が変になりそうな近親婚のオンパレード。 この物語のヘロデ・Aの妻ヘロ ディアは、彼の腹違いの兄ヘロデ・ボエートスの元妻。その娘サロメは、ヘロデ・A の腹違いの弟でトランスヨルダンや現在のゴラン高原の領主フィリポスの妻になる。 この家系にはそれはほんの一部なのだ。 マルコ6章18によれば洗礼者ヨハネは「兄弟 の妻をめとるのはよろしくない」と公言して憚らなかったということらしい。ただし、 よくよく考えればそれも、厳格に近親婚を否定する律法から来る一つの習俗と考えら れないでもない。イドマヤ人のような砂漠の少数民族が生産、再生産単位を守ってい くのに、ユダヤ人から見た婚姻のタブーは全く別のものになりうるから。としても、 彼らにしては急激に途方もない権力を手に入れたことは確かであり、そのグループが 保身に回るとき何が起こるか想像に難くない。家族関係に普遍的な模範が成り立つか どうかは別にしても、 この物語をオスカー・ワイルドは「サロメ」という戯曲に書 いた。そこでは、預言者ヨカナーンへの殺意をむき出しにするヘロディアと、預言者 を畏れるヘロデという2人の絡みの上に、義父ヘロデは美しいサロメに熱い視線をな がし、妻ヘロディヤが嫉妬、しかも娘サロメは義父と母の心をもてあそぶようにダン スで挑発。ついにヘロデはサロメ殺戮を命じて終わるというもの。 歴史的にはヨセ フスによれば、老いたこの夫婦は失脚してガリア(現在のフランス)地方に流刑とな りその地で死す。ユダヤ人たちはそれこそ洗礼者ヨハネを殺した復讐(崇り)だと言っ たという。
 10月19日、南花島集会との合同礼拝より コリント㈼ 10章1〜10節 「ただの人の誇り」 板垣弘毅  日本人としての誇りとか国辱とか、やたらに目に付く。スポーツの国際試合では 「国の威信にかけて」などという。政治でも経済でも日本を誇らしいと思いたい本が 書店でもならぶ。排他的で、ありのままを見たくない傾向は危険だ。それはともかく、 誰にも誇りというものはある。国や故郷や母校、地位や名誉も誇りになる。それらは 他と比べて生まれるものだろう。しかしまったく違う誇りがある。 パウロは西暦5 0年頃コリントに教会を立ち上げたが、彼が去った後、さまざまな問題が起こる。もっ とも難しいのが創設者パウロ自身への不信感だった。 パウロは本物の伝道者なのか? ふさわしい人物なのか?10章から彼は自分の誇りを語り出す。「恥ずかしいことだ」 とくり返しつつ。 パウロという人物は手紙では強気だが実際会ってみると体も弱い、卑屈で話しも貧 しい人だ といわれていた。 (1,10節) しかし今度は自分の確信に従って断固戦う と宣言している。 福音は神の力による武器で、個人の実績を誇るつもりはない、と言っ てもどうしても自慢話に響く。結局は最後には「喜んで自分の弱さを誇る」(12: 9)ということになるが、ここではまだ強気だ。 価値観の異なる人々の多い国際色 豊かな港町だったコリントで、イエスの福音を伝えること、つまり「キリストに従わ せる」(8節)ことは、確かに戦いだったわけだ。パウロが武器としたのは十字架の キリストだけだ。 生前のイエスには無知だといわれたパウロを、やむにやまれぬ伝 道者にしてしまったのは、一言で言えば、あらゆる望みを絶たれた十字架刑に処され た方を通して神が働いているという発見をしたからだった。神など期待しないところ で、神は働くと気づかされたからだった。ここで「神の知識に逆らう」とかキリスト への「不従順」といわれていることは、きっと十字架を拒否したり美化する傾向に対 して告げられていると思われる。 十字架につけられたイエスを誇るわたしたちだっ て、君たちとおなじキリストの者だ。そこを考えてくれ。十字架の福音を伝えること は「あなた方を建てるためなのだ」この務めを誇りとしても、恥にはならないだろう と言っている。(7〜8節)  パウロの誇りとは何か。対面を汚されまいと戦っている とは思えない。きょうの8節によれば、教会を「造り上げるために主がわたしに授け てくださった権威」だけがパウロのこだわる「誇り」だった。 教会を「造り上げる」とは何か。それは第一に建物や組織を作るということではな く、人の交わる場を作ることだということだ。教会とは人のできごとだと思う。そこ で神が働くできごとだ。 パウロはおなじコリントの信徒への手紙で、「時が縮まっ ている」と言っている。迫っている神の国に備えるような生き方、いのちのつながり を、今ここで造り上げようと訴えている。 教会というのはもともと組織を生き延びさ せることが目的で集められていない。イエスに招かれた人々の集まりだった。その後 イエスの福音を伝承していく過程で、だんだん緻密な教会「論」ができあがるが、出 発点はイエスの開放的で、無条件な、どんな資格も問われない招きだ。その暫定性、 開放性を忘れないことだ。  パウロが「造り上げよう」とした教会は、キリストに 従うできごとだった。イエスはこの世の誇り、地位とか家柄とか業績とか財産などを 誇りとすることができない人々を招いた。教会もそうだ。イエスの福音を伝える。パ ウロも言っている。「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを思いおこしてみ なさい。…神は地位ある者を無力な者とするため、世の無に等しい者や見下げられて いる者を選ばれたのです。」(㈵コリ1:26以下) イエスの招きは、誰かと比較して自分を誇ることができない人たちに向けられてい た。イエスの目はその人の「いのち」に向けられていた。唯一無二の「いのち」だ。 もし「誇り」というものがあるとすれが、イエスから見つめられているという誇りだ。 人が、自分であれ関係者であれ、人が作りだした誇りではなく、その人に備わってい る「いのち」の誇りだ。ただの人の誇りだ。イエスの招きはそこに焦点が当てられて いたのだ。 修復も再建も不可能と思われるほどに自分が壊れてしまうようなときが ある。それは戦乱や自然災害や大きな事故に巻き込まれる場合だけではない。職場で、 日常の人間関係で、重い家族の関係で孤立を痛感する状況がある。きびしいうつ病な れば孤立無援だ。教会に住んでいると壊れそうな人にしばしば出会う。いっしょに途 方に暮れながら、そんなときに自分たちの傍らにイエスがいるのだと思える。パウロ が十字架に見出した神だった。もし自分をイエスのまなざしから見ることができれば まだ壊れていない自分を発見できる、まだ自分で居られるのではないか。その自分が きっと最後の誇りではないだろうか。
 10月12日の説教から マタイ福音書20章20~24節(-28節) 「どうして母か」 久保田文貞  前回に引き続き、マタイ福音書の中に見える家族の問題を考えてみたい。 マタイ 福音書20章20節以下の話はマルコ福音書の中に収められた伝承(マルコ10:35-45) をマタイが少し手直して取り入れたもの。マルコではゼベダイの子ヤコブとヨハネが イエスのところに来て、「栄光をお受けになるとき、ひとりをあなたの右に、ひとり を左にすわるようにしてください」と何とも自分勝手な願いをする。だれが読んでも それがイエスの福音が示している方向をひどく誤解していることがすぐわかる。この 兄弟はペテロの次に共観福音書の中でその都度重要な場面に名指されて出てくる。ま たイエスの死から10年ほど経ったとき兄ヤコブの方はアグリッパ1世のキリスト教徒迫 害の際に殉教死したらしい(行伝12章1節)。原始教会でも重要人物だが、マルコは彼 らに対して何とも不名誉な逸話を残したことになる。 ところでマタイはここに母を 登場させ、さきの身勝手な兄弟の願いを母の言葉として書き換えている。あれほどイ エスの近くに早くから従ってきた弟子であり(マルコ1:19以下、//マタイ4:21以 下)、その後は殉教さえした教会の指導者をそんな低次元の誤解をするキャラクター として登場させるには忍びないと考えたか。兄弟に対するイエスの批判を母が受ける ことになる。 自分の子のためには後ろ指を指されようとも他の子たちを押しのけて 自分の子を先頭に出してやろうとする母の厚かましさ、あるいはそうせぬまでも今に もそうするのではないかという熱い母の目線を感じると、子としてはいたたまれない 思い、時に迷惑にさえ感じるものだ。ゼベダイの子らの母をこんな形で登場させたマ タイ自身も、実はこういう母への思いに心当たりがあるのだろう。 アメリカに Jewish Mother という言葉がある。一時期までコメディーや漫画で野放図に使われて いたがあまりに差別的であるとして最近では表立っては現れてこないらしい。しかし、 今でも、「過保護で子供に甘く」、そのくせいつまでも子供に口うるさく干渉する母 親の代名詞のようにして使われるそうだ。根拠のない差別にすぎない。そえはどこに でも見られる母の姿であって、それも感謝すべき母性愛の裏面だけを強調したものに すぎないだろう。 もっともそれでも気をつけなければならぬことがある。私たちは、 普遍的な母親像をわかったような顔をして言うが、実はそれは近代的な価値観の中で 作られた母親像だということ。フランスの女性論者ミシェル・ペロー著『歴史の沈黙… 語られなかった女たちの記録』は多岐にわたる内容だが、近代市民社会が女たち妻た ちをいかにして型にはめてしまったか、そしてそこにはどんな矛盾があるか具体的に 書いていく。特に印象的だったのは、近代社会の草創期、資本主義をけん引した起業 家だけでなく、市民社会を革新的に構築しようとした革命家たち・組合運動家たちの それである。彼らは男たちが外で活動し労働するためにいかに女たちが家の中で家事 をこなし子育てをすべきかという言説を張り巡らしてきたという。こうして型にはめ ようとする感覚はJewish Motherという型でユダヤ人女性をみようとする感覚とほとん ど違わない。 現代の女性は少なくともそんな型にはまった女性観から自由だ、家族 内の人間関係からも社会一般の人間関係においていまだ問題はあるとしても、自由で 自立した女性を目指していると言われるかもしれない。夫や子と感覚は前世紀までの ものと簡単に言えない。しかしそれも立派に一つの型にすぎない。空の手で古代の女 性観を見下げて論じるわけにはいかない。 マタイが母を登場させたことにより、23 節の「父によって備えられた(新共同訳「定められた」)」が浮上してくることにな る。子に対する地上の母の配慮に対する、天の父の配剤という対照である。ここでは あの聖家族と同様、地上の父の影は薄い。地上の父は天の父の前に表てに出てこない。 誤解を恐れず言えば、地上は母の天下なのだ。これこそユダヤ的な父母の姿だと僕は 勝手に思っているが、ちがうかしらん。
 10月5日の説教から マタイ福音書1章18-25節 「複合家族」    久保田文貞  今や神の恵みが堰を切ったようにこの世におよびつつあるという確信の下に、破格 の言動をもってイエスは振る舞う。側近の弟子たちだけでなく、イエスに心酔した人々 も、イエスの死後も彼の印象的な言動を語り継いだ。福音書の素材となった諸伝承は それを映し出している。 我々はこれまで〈家族〉という観点からイエスの言動と彼 の死後の継承、あるいは変形とを合わせて考えてきた。生前のイエスのすべての事柄 も、それらの継承と変形、時には後代の関心から付加されたものからなる福音書やパ ウロの書簡によって知るよりないから。仮説的に、イエスの周りに寄り添い彼のアジ トに出入りした人の多くが家族崩壊の憂き目にあっている人々であるとしてきた。 「分裂」(ルカ12:51)「敵対」(マルコ13:11)を先取りするように。そこからマ ルコ3章31節以下の言葉を理解しようとした。「神のみこころを行うものはだれでも、 わたしの兄弟、また姉妹、また母のなのである」。分断された人々の上に神の恵みが 働いてこその言葉だろう。この言葉に〈父〉が欠けていることに注目したい。 イエ スの死後、福音書が成立する20年余前にパウロが諸教会に書簡を書いたが、ガラテヤ 4:5以下に次のような言葉がある。【しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女か ら生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。それは、律法の下にある 者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。このように、 あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ 御子の霊を送って下さったのである。したがって、あなたがたはもはや僕ではなく、 子である。子である以上、また神による相続人である。】  「神の子」という称号 がイエスに特化するずっと前から、あの神の恵みの下で人々は「父なる神」の子らで あり家族だという〈信〉の中を生きてきたということだろう。このイメージは旧約聖 書を懐いてきた人間には特異なものではないが、それがユダヤ人の間でどうみても神 の恵みから最も遠いとみなされてきた人々が真っ先に神の子らに数えられていること、 それが衝撃的なことである。 そのような中でイエスを神的な存在に押し上げる「神 の子」「メシア」誕生の物語が生まれてくる。だれよりも先にあの〈神の恵み〉の噴 出のただなかに自ら飛び込んでその恵みの作り出す人と人との関係を生きたイエスが、 一角ならぬ存在であり、その彼が〈神の恵み〉へ突進するようにして権力者によって 抹殺されたことを反転させ、彼こそ活けるメシアであるという告白者たちが続々と現 われたことを畏れをもって受け止めたい。だが、その告白者たちの告白を聞くより前 に、私たちが心から揺るがされたことは、イエスの福音によってわれわれの予想を超 えた〈神の恵み〉がまずイエスの周りの人々に降り注いだこと、その振動の中にその 後も、そして今も、気づこうと気づくまいとしっかりとその〈信〉の中にあることが 大事であろう。 聖霊によってマリヤは身ごもったという「神の子」誕生物語を受け て、マタイの誕生物語は許嫁で夫となるヨセフを、アブラハム、イサク、ヤコブ、そ してダビデ、ソロモンといったイスラエルの代表的な人物の系図につなげる。もちろ んそれが後付であることはまちがいない。としても、タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤ の4人の女性を挿入することによって気づく者は気づけといわんばかりにその系図に傷 があることを示す。神の子らのひとりであるイエスの周りに編成される家族の、その 系図のなんと寄せ集め的なことか、私はちょっと安心する。
 9月21日の説教から  ルカ16:1~13  「まなざしが救う」   板垣弘毅  先週NPO法人「羽生の杜」キックオフ会 議というのをやりました。その核になる理事、田村信征さんは挨拶で、先日なくなっ た羽生教会の小田原紀雄さんの、死を前にした言葉に促されて自分は羽生に住居を移 して取り組むと、宣言していました。盟友のまなざしを深く心に刻んで、71歳で借 金からスタートする試合のキックオフに臨んだ、というわけです。このまなざしは裏 切れない、というまなざしがありますね。私にもあります。*  きょうは聖書の中で も特別に難解だと言われているところです。1~8節aまでがイエスの元来のたとえ 話でしょう。 「ある金持ちにひとりの管理人がいた。」(1節)たぶん不在地主が、 誰かの密告を受けた、管理人がごまかしているとか、収入の一部を横領しているとか 言ったのでしょう。管理人はあわて悩みます。「どうしようか、主人は私から管理の 仕事を取り上げようとしている。土を掘る力はないし、物乞いするのも恥ずかしい。」 (3節)肉体労働はプライドが許さないというこの男でも、頭をひねって別のなりふ り構わない手段を考える。「そうだ、管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎 えてくれるような者たちをつくればいいのだ」(4節)主人の債務者たちの帳簿は自 分があずかっているので、それを書き換えて負債を軽くしてやり「恩」を売り、解雇 されたとき、その人たちに雇ってもらう!「不正」は承知です。でもイエスのたとえ 話は意外なオチで打ち切られます。「主人はこの不正な管理人の抜け目のないやり方 をほめた」(8節) イエスは何を言おうとしたのか。わたしはこう考えます。イエ スのたとえ話はほとんど「神の国」に関わることですが、このお話でも、イエスにとっ て実現しつつあった「神の国」のまなざしで語られていると思います。 「不正な管 理人」を「ほめた」主人には、イエスご自身か神が重ねられていて、管理人の行為に 寛大なのです。この管理人も「不正」は自覚しています。でも身の安全の一策として やっている。その「不正」を見るのとは別の目で、イエスは、苦しまぎれに生きのび ようとするこの男を見つめている。この男は、物語の中では「主人」によって「その 抜け目なさ」を肯定されていますが、もっと深いイエスのまなざしによって肯定され ているんですね。この本人のあずかり知らないまなざしこそがイエスの神の国なんで す。イエスの「神の国(支配)」への招きは、人の「なり」も「ふり」も条件としな い、人間の定める「不正」や「正しさ」とは別のものだからです。イエスの視点から は、人間の決めた「正しさ」「不正」は絶対ではない。それらは「神の義」からは、 せいぜい人間の規模ではかる正義・不正義だよ、神のまなざし、神の国の福音からは、 この管理人の男のような、なりふり構わない生き方だって、まだ救いの範囲だよとイ エスは言っているのだと思います。 きょうのお話が、なぜこのように、わたしには 読めるかというと、直前の「放蕩息子のたとえ」とつながっているからです。ルカは、 並べて共通するテーマを考えているはずです。 家を飛び出した息子は空腹のあまり、 心の中である反省をする。「そこで彼は我に返ってこう言った」(15:17)父の ところには「有り余るほどのパンがあるのに、ぼくはここで飢え死にしそうだ」何か 変だ、そうだ、お父さんに自分の罪を謝って、使用人として雇ってもらおうと思いつ き、故郷を目指します。このつぶやきは、きょうの管理人とほとんどおなじですね。 両方ともせっぱ詰まった求職活動で、念頭にあるのは、まずわが身の安全!です。こ の息子はまだ本気で「赦し」を求めていない。ところが、父親はこの息子を、まだ遠 くにいたのに、見つけて、走りよって抱きしめ、無条件で赦してしまいます。息子の 用意した苦しまぎれの言い訳もぜんぶ言わせずに、めったにない大宴会。息子はこの 時初めて、「赦される」ということに気づいたはずです。こちらのちっぽけな言い訳、 正しさ、人間の正義などよりはるかに大きな、というかまったく別のまなざしで、自 分はお父さんに見つけられているんだ ! そういうことに気づいたはずです。本人の 自覚をこえて神の支配に向きあわされているんです。 このお父さんは、「見つかっ た」とくり返します。「死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった のだからよろこび祝うのは当たり前ではないか」お父さんは(つまり神は)息子を見 つめている。この「いのち」を見つけ出す「まなざし」こそ「神の国」だよ、とイエ スは言っています。兄息子の「正しさ」もこえるまなざしなのです。 きょうの主人 公、不正な管理人の、生きるためのちょっとずるい窮余の一策も、神の国のまなざし で見つめられます。このまなざしに気づいた人がまずすることは、神の国では受け止 められている自他の「いのち」を 今! 生きることです。  *1~13節まで、伝 承、編集など、聖書学者たち  の仮説や自分の感想は、当日お渡しした別紙を。
9月14日の説教から マルコ福音書10章29-31節 「福音のために家を捨てる」  久保田文貞  10章17節からの脈絡からいうと、ここは「捨てて」「従う」というテーマが見えて くるところだ。裕福でユダヤ教の戒律も守り、その上「永遠の生命」を求めてイエス の指導を受けようとする男に、イエスは「一つあなたに欠けている。行って、お持ち のものを売り、貧しい人々に与えなさい。そうすれば天に宝を持つことになるだろう。 それから私に従ってきなさい」と言う。するとこの人は顔を曇らせて悩みつつ立ち去っ た、そういう話だ。それから財産を持っている者が神の国に入るのいかに難しいか説 き、それを聞いた弟子たちは「ではだれが救われることができよう」と言う。ここで ペテロが「私たちは一切を捨て、そしてあなたに従ってまいりました」と言う。それ から29節以下の言葉が続く。 口語訳、新共同訳とも「私のためまた福音のために」 家や家族・財産を捨てた者はだれでも、「今この時」に百倍の家族と財産を受け、 「来たるべき世で」永遠の生命を受けるだろう、と順接的に訳されている。このよう に順接的に訳すと、捨てて従ってきたと言ったテロはそのまま肯定されているように 見える。 けれども、ここの構文は二重否定が使われていて、ねじれた文になってい る。つまり、「家や兄弟や姉妹や母(単数)や父(単数)や子どもたちや畑などをイ エスまた福音の故に捨て(従っ)た者で、今(マルコと同時代の教会の時)において 家々や兄弟や姉妹や母たちや子どもたちや畑などを百倍も、迫害とともにではあるが、 受けることなく、また来たるべき世で永遠の生命を受けることのない者は、いないで あろう。」(田川訳、カッコの中は自分)と二重否定を使って表現されている。ペテ ロの自慢に対して、捨てて従った人は大勢いる、「その人たちも皆、十分な報いを受 けるでしょう」と。28節以下は、ペテロがすべてを捨ててエルサレム教団の指導者に なっているイエス死後の状況を反映している。 ところで私たちが今取り組んでいる のは新約聖書と家族というテーマである。その関連で言うと、今回の箇所はイエス死 後の教団の中で、家族がどう位置付けられているかということを示唆していることに なるが、内容的には前回のマルコ3章31節以下を引き継いだものになっている。そちら では家族がイエスを群衆たちの間から呼び出さそうとした時、イエスが群衆たちを見 まわして「見よ、これぞ我が母、我が兄弟。神の意志を行う者こそが私の兄弟、姉妹、 母である」と言っていた。 そこではイエスの血族としての家族は関係を断たれて、 イエスの周りにいる群衆こそ「わたしの家族」と言われている。 こちらでは、イエ スの死後=「今や」それが百倍にもなって「家族仲間」として存在しているというわ けだ。「すべてを捨てて従う」という点では、マルコ福音書はペテロの独走を押さえ るのだが、家族のしがらみと財産の執着心をほとんど等しく捨てるべき物にしている ことに疑問を持っていないようだ。 としても、だれに向かって「家、家族、畑」を 捨てて従えというか、という問題がどうしても出てくる。イエスの周りにいた群衆の かなりの人々がそもそも家も家族も破たんした人々だろうと想定した。それが私たち の思い入れがあることは承知の上で。何も持たない人に「捨てよ」とさらに要求する なら、家、家族、畑への願望を捨てよとでもいうのだろうか。そうするとマルコ3章 31以下の言葉が浮いてしまう。あるいはこれは寸前の「富める男」のような持てる者 へのことばなのか。マルコはそう限定しているのだろう。だが、マルコもエルサレム 教会が権威を持っていったイエス死後の人だ。そこでは「捨てて従う」というのは、 クリスチャンになるという自覚的な生き方を選ぶことにずっと近づく。「捨てて従う」 というよりは「捨ててより以上のものをつかむ」ということになるだろう。
9月7日の説教から マルコ福音書3章31-35節 「家族に対して問う」   久保田文貞  前回、マルコ福音書の奇跡物語で見たように、イエスは病いやショウ害のために自 分の居場所を失ってしまった人々を癒し、できることなら〈家〉(オイコス)に帰る ように勧める、…私はそういう想いをもって、いわゆる「帰還命令」が奇跡物語の終 わりにくっついている物語を読んだ。 癒された者が家族やそれに代わる人間仲間の なかに帰れてこそ、癒しの〈業〉が完成されるというものだ。だが、一度居場所を失っ てしまった人に元のあるいは新しい居場所を提供するというのはほんとうに難しい。 イエスが「悪霊に取りつかれた女」から悪霊を追い払った=癒された(ルカ8:2)あ と、帰れる居場所がなかったのだろうか、彼女マグダラのマリヤはイエスと弟子たち の間で賄いのような仕事を任されて、そこが彼女の新しい居場所になったと思って間 違いあるまい。。 マルコ福音書10章13節に、イエスが子どもたち(パイディア)を 来させるままにさせる話が出てくる。この子どもたちは「人々が連れてきた」という ことになっていて、ふつうには親たちが連れてきたと思うわけだが、実際には親たち とは書いていない。マルコによく出てくる3人称複数形の動詞のみである。うがちす ぎだと言われるかもしれないが、イエスの周りにできている集団は、前述の女性たち も含めて、居場所をなくした人々に居場所を設けていたとすれば、居場所のない子ど もたちの面倒みているということだって十分ありうる。ルカの場合、この「子どもた ち」を「乳飲み子たち」(ブレテー)として書きなおしており、親たちがイエスに乳 飲み子を祝福してもらう話として組み立て直している。だが、マルコの場合は、子ど もたちがちょろちょろイエスや弟子たちの周りを動き回っているという図の方が自然 だ。彼らに親たちはいないと考えて不思議ではない。 ひととき居場所を失った大人 たちがそうしたように、親を亡くし満足に職にありつけない「子どもたち」の当面の 居場所になっていたと考えたい。ゲネサレ湖周辺の、このガリラヤの辺境の町々に居 場所を失った大人たちや病人たち、心の病のゆえに家族から離れている人たちが肩を 寄せ合ってなんとか生きていたとすれば、そこに居場所を失いかけている子供たちも いたと考えるよいだろう。 そのように見てよいとすれば、マルコ3章31節以下の 物語は何の違和感もなく読むことができる。  「さて、イエスの母と兄弟たちとがき て、外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。ときに、群衆はイエスを囲んですわっ ていたが、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねて おられます」と言った。すると、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの母、わ たしの兄弟とは、だれのことか」。そして、自分をとりかこんで、すわっている人々 を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がい る。」 イエスは神の「福音(恵み)」の相の下に今あると確信し、なによりもまず 居場所のない人々、よるべない人々との間に、神の「恵み」の果実が実を結んでいく ことを示す。それはイエスにとって宗教的な理念などというものではなく、それらの 人々と共にその果実をありがたく頂戴する、活動のことである。 イエスにとって、 この活動をたとえ血を分けた家族であろうと止めることはできない。もし家族がそれ がわからずイエスを引き留めようというなら、 自分をとりかこんで、すわっている人々 こそ私の母、私の兄弟、私の子どもというよりない、そういう活動、そういう恵みの 中にいるということなのだろう。古代の物語のような気がしない。
8月31日説教より マルコ福音書8章22-26節 「家族のもとに帰る」  久保田文貞 イエスの活動した30年頃のパレスチナは、ヘロデ大王(在位前37~ 前4年)による驚異的な公共事業がもたらしたバブル経済後、じわじわといろいろな破 たんが襲ってきた時代であった。当然、それまでの緩やかな庶民の生活を、好景気自 体がそのタガを緩め、その後の不況が直に家族を崩壊させていく。まちがいなく私た ちのバブル崩壊後の続く不況に似ているところがあると思う。 イエスがおもに活動 した地域、ガリラヤ地方の東部辺境(ゲネサレ湖周辺の小都市カペナウム、ベッサイ ダ、マグダラなど)で、マルコ福音書がえがくような、イエスのまわりに現われる 「群衆」(オクロス)は、その不況やその後の失政のあおりを受けて、産み出された 「地の民」に違いない。とにかくマルコが蒐集して福音書の中にしっかりと位置づけ た奇跡物語には、イエスがそのような群衆たちに寄り添いつつ活動したことが描かれ ているのである。 イエス死後も奇跡物語は語り継がれ、その後の原始教団によって 神学的意味付けがなされていくが、その原型はあくまでもイエスに劇的に出会い、な にがしかの賜物を受けた人々の、そして神学的な意味などに関心を持たない人々の想 いから生まれたものだろう。 現在でもそうだが、病は医学が対象とする疾病(disease)という心身の問題と、そ れを取り囲む家族や社会が意味づけるもの(差別や排除)とその人の関係性総体と しての病気(illness)という二つの側面がある。(L.Eisenburg「疾病と病気」) 奇跡物語において、イエスに出会い癒されることになる人々は、病いや生まれつき の心身のショウ害、事故の後遺症などによって、社会、共同体や職場を出て行くよ りなかった人々であり、あるいは強制的に追い出された人々だろう。そのほとんど が家族の後ろ盾、支えを得られなかった人々だろうと思う。もちろんユダヤ古代社 会にもそれなりの〈施し〉による最低限の給付の仕組みなどがあったものの、彼ら に対する社会復帰への支援の仕組みなどはない。  イエスのいくつかの奇跡物語の最後に共通して見られる言葉群がある。代表的なの はマルコ2章11節「あなたに命じる。起きよ、床をあげて家に帰れ」というもの。日 本の聖書学者はこれを「帰還命令」と訳している。こういう漢字4字熟語にしてしま うと途端に雰囲気が変わってしまうが、要は、イエスが癒しを終えて、その人のこれ からの生き方を気遣う言葉を残したものである。癒された人々へのイエスの気遣いの 仕方は、家への「帰還命令」という形式的なものではなく、一つ一つ見ると、癒され た人々の立ち位置によって異なっているのがわかる。例えば、母親の願いで癒された 娘は、母親のもとに返し(マルコ7:29, 30)、社会的宗教的な差別・排除を受けて いたレプラの人たちには宗教的な差別を解くために治癒認定をすすめる(ルカ17:14) など。 今回の箇所は、一人の盲人の癒しの物語であり、当時のヘレニズム社会にあっ た奇跡物語に似ていると言われるが、「そしてその男を家に帰らせ」 (マルコ8:26) という言葉には、単に文学的な常套語以上のものがあるように思う。彼の家が村境に あろうと、村の内部にあろうと、家族が彼とどのような関係にあろうと、イエスはこ の場合、彼を彼の家、住まいに還して、彼がこれからどう生きるかすべて彼自身に任 されたと読むよりないと思う。 総じて、人はなんらかの住まいを根拠にするよりな い。それを家、社会がどのように認知しようと、自分のすみかと人間仲間が生きるこ とを受け止めてくれる。
 8月24日礼拝説教より マルコ福音書8章22-26節 「家族を考える①――〈信〉との行き違い」 久保田文貞 芹沢俊介『家族という意志――よるべなき時代を生きる』(2012)を読んだ。彼が 東日本大震災の被災地に足を運んで活動していく中で、これまで感じてきた大人と子 どもの家族観の違いがはっきりしてき、この本を書くことになったという。「はかな さ」と「よるべなさ」と題した序章で始まる。家族を失い、家を失い、職や田畑を失っ た大人たち、人為を超えた力の前の「はかなさ」に打ちのめされる。だが、「はかな さの感覚は、再度、現世に戻ろうとする、その時の踏み台としてはたらいているのか もしれない。…これ以下はないという底打ち感として作用するのではないか。」さら に「生きられる感情」へとつながりうると。だが、家族を失い、家を失った子どもに とっては事態はまったく異なる。子どもにとって、親、家族は「居場所」であり、 「受け止め手」を意味する。震災によって親を失った子どもに「よるべなさ」がその まま襲う。「子どもの単独の力だけで修復は不可能である」「…命の存続を脅かす力 となるだけだ」と。これまで彼が考えてきた家族論の集大成としてと言ってよいだろ うか、受け止め手を失っていく子どもにとどまらず、「老いるいのち」にいたるまで 広く「家族の絆を問いなおす」本になっている。 この本に触発されてのことだが、 この家族論をもって、新約聖書の家族論を私なりにあらためて読んで見たいと思う。   まずはじめに、家族のことと思想や宗教のことの関わりについて検討しておく。こ とに宗教は我が物顔に家族の中に介入してはばからない。もともとどの宗教も〈部族〉 信仰と無関係に発展したものはないから互いに家族と信仰の間の脇が甘いのだろう。 としてもキリスト教が普遍的な世界宗教に足を踏み出した限り、家族と共同体信仰の 間に潜在していた行き違いがおのずと表面に現れてくるだろう。 マルコ6章1-6節、 イエスが弟子を連れて郷里(パトリス、父の地)の会堂で教えた時、聴衆は「この人 は大工ではないか。マリヤの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。 またその姉妹たちも、ここにいるではないか」と。「こうして彼らはイエスにつまず いた。」と彼らにその責任を課しているけれど、その後、次のような言葉が続く。 「そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をお いていやされただけであった。」 マルコのこの物語伝承では、イエスの家族をよく 知っている郷里の人々の〈想い〉と、そこを飛び出してなんらかの普遍的な信仰・思 想をもち公的な活動をしているイエスたちの〈想い〉とがどうしようもなくすれ違っ ている、ということが最小限の着色で語られている。家族・肉親の〈想い〉と、すべ ての人間に共通すべきように思える〈想い〉とは根本的にすれ違うものだと、小さな、 だがとてつもなく重要なメモを残してくれているように思う。 護教(会)家たちは、 このような行き違いを許さない。護教論がそうなるには理由がないわけではない。福 音書には家族の〈想い〉を正面から解体するようなイエスの言葉伝承が控えているか らだ。例えばマルコ3:21,31.同10:29,30. ルカはこの物語(ルカ 4章16-30)をイエス宣教開始記念日のように位置づけ、郷里の人々がではなくイエス 自身が郷里の人に語ろうとしないストーリーに書き換え、故郷を出ていくよりないと 印象付ける。ルカはそれが行き違いではなく、普遍的な信仰が必然的に家族・郷里の 〈想い〉を後退させる物語にしたのである。その後の教会は家族の〈想い〉を取り込 んで、再び家族の〈想い〉を普遍的な信仰の〈想い〉の下位に封じ込めいく。 芹沢 は同書の2章に「家族論の時代」を書く。いま家族論がどのようにせり出してきたか ということだが、そのほとんどは吉本隆明の「対幻想」を軸にして語る。個と共同の 間に家族の〈想い〉がいかに自律的にあるか、あらためて考えさせられる。行き違い のもとを大事にしながら、これらのことを考えていきたい。
8月17日 説教より 聖書・ミカ書4章3節 “主は多くの民の争いを裁き はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。 彼らは 剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。 国は国に向かって剣を上げず  もはや戦うことを学ばない。”  (毎年この礼拝は、説教担当者はいない。礼拝参加者の自由な語り合いの時間とし てきた。今年、初めに現在のイスラエル軍によるガザ攻撃の様子を伝える画像や動画 を見た。街中が突如、爆撃にさらされ、逃げ惑う人々。病院が爆撃され子どもらの命 も奪われていく映像・・・。今回の語り合いの時は主としてイスラエルのガザ攻撃を めぐってのものだった。) ・イスラエル軍のガザ攻撃は、イスラエルの少年が殺された事件に対する報復である と報道され、イスラエル対パレスチナの応酬合戦のように見え、つい喧嘩両成敗式の 仲裁的な位置に立ってしまいがちだが、両者の圧倒的な武力、経済力のちがいからそ れが単なる報復合戦などでないことがわかる。日本は中立を装うが、ガザ侵攻に対し て中立とは即イスラエルへの加担を意味するだろう。・パレスチナ問題の根は、ヨー ロッパ・キリスト教のユダヤ人差別と排外主義にあるだろう。近代になってユダヤ人 の解放が叫ばれたが多くの壁にぶつかった。そのような中でシオニズム(ユダヤ人の 新天地を求める運動)が起こっていく。・ヨーロッパ帝国主義の破たん(第一次大戦) と共にドイツにおいてナチスが進出。その超国家主義はユダヤ人絶滅政策を実行して いった。多くのユダヤ人が避難、彼らの多くがシオニストの手引きでパレスチナに移 入した。・問題は「その間」と「その後」の大国(最初はイギリスの無責任な退却、 建国後はアメリカの一方的な肩入れ)の政策の破たんがその後のパレスチナ問題の重 大な要因である。 ・国連(事実上、英・米・仏・露の取引による)は、アラブ系住 民が住んでいた地域にユダヤ系居住区を強制的に作り、両者を分割させてイスラエル 建国を承認。これによってアラブ系住民(パレスチナ人)が難民として土地を追われ る。ここからパレスチナ人の土地を返せという運動が続く。・その後もこの分割政策 は数度にわたる戦争でより徹底していき(オスロ宣言)、ここ数年はイスラエル側に よるパレスチナ側への強引な入植、それへの抵抗運動、入植が難しくなると、パレス チナ人の住むガザ地区、西岸地区を高い鉄壁で囲い封じ込めてきた。・パレスチナ側 の抵抗があると、イスラエルはこれに数倍の制裁を加える。このイスラエルの武力、 財力を支えるのがグローバルに展開するユダヤ系資本であり、構造的にそれを無視し て動けない米、英など。・今回のイスラエルの一方的な攻撃も、イスラエルとパレス チナの不均衡な対立関係の結果であり、大国の小国、小民族支配という現代世界の構 図の矛盾をそのまま現している。・安倍首相が出した「防衛装備移転3原則」は、こ れまで自民党内閣が約束してきた武器輸出規制の三原則を破棄することになる。これ によってまずは高性能兵器の日本製ミサイル部品の輸出などが始まろうとしています。 ただし直近のニュースで三菱重工はアメリカのF35戦闘機の開発に参加しないと発表。 裏で何が起こっているかわからないので喜べない。(終わりに、アッシジのフランシ スの「平和を求める祈り」を交読して祈った。)
 7月27日の説教から ロマ書7章15〜25節 「私の実態、そして解放はあるのか」 久保田文貞  「わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する 事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。」 読む者にむかって、 パウロは自分を抉り出してみせる。一つの告白だ。「私は…告白します」というくく りでものを言えば、それ自体で意味を帯びてしまう〈告白〉の形に慣れてしまった私 たちを引き寄せているかのようだ。けれども、ひるがえって考えてみると、告白する 主体の〈誠実さ〉をどんな見せつけられようとその誠実さがなにに向けられていくか 示されなければ白けてしまうと言われても仕方ない。としても、どこに転ぶかわから ない〈誠実さ〉ゆえにこそ、自己を閉じ込め呪縛する力の裏をかき、その壁をうがつ こともあろう。 「そこで、この事をしているのは、もはやわたしではなく、わたし の内に宿っている罪である。」 呪縛する側は相当にしたたかなのだ。パウロは、自 分を規律する律法の向こう側に〈罪〉を見出している。言い換えれば、〈罪〉を見定 めたからこそ、律法にからめ捕られている自分を発見したと言える。 「このような わけで、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なる ものである。」 さすがにユダヤ人パウロは〈律法〉を貶めることはできなかったと いうことか。「律法そのものは聖なるものである」とか「律法は霊的なものである」 とか言うけれども、所詮は律法が役を終えて消えていく花道を作ってやった、そんな 響きがしてならない。 だが、どう言おうと「罪は戒めによって機会を捕え、わたし を欺き、戒めによってわたしを殺した…」のである。ここでいう「戒め」(エント レー)一般の中に「律法」(ノモス)特殊が含ませて考えているらしい。律法と言え ばユダヤ人だけのことだが、戒めと言えばあらゆる人間を何らかの形で縛っているも のだ。この告白は一ユダヤ人だけのものではなく、人間一般にもかかわっているのだ よというのだろう。人間の前に立ちはだかる罪の力はまるで自分の手足のように〈戒 め〉を使いこなす。〈戒め〉は、罪とその闇のゆえに、その出自がどうあれ立場を失っ ている、無効となっているというわけだ。 このような事態に巻き込まれた自分を冷 徹に見通しているパウロの〈私〉はどこから来ているのだろうか。読者はいつのまに かパウロの言葉に吸い込まれていく。そして彼は次のように絞り込んでいく。 「わ たしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたし を救ってくれるだろうか」(24) 告白劇を見ているようだ。もしト書きがありなら、 「ここで〈間〉を入れる」とするところだろう。この〈間〉の長さは読む者が経験し てきた闇の深さにまかされている。 深い闇に迷い込み、身動きが取れなくなった 〈私〉が突然「わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。」 と口にする。少なくともこの件(くだり)ではその〈間〉の部分に何の説明も言葉もな い。どちらかと言えばくどいくらいの弁舌家パウロが、ここに言葉を入れなかったこ とが心憎いまでである。 あれほど〈私独り〉の告白劇であり、独り闇をさまよった 〈私〉世界が、突如〈私たち〉世界になって「私たちの主イエス・キリストによって 神に感謝」となる。あの孤独な闇の世界で実は多くの孤独な人間たちがあの闇をさま よっていたということか。 
7月20日の説教から第一コリント11章23−26節「主の晩餐」      久保田文貞  未受洗者に配餐するK牧師を教団常議員会・教師委員会は免職処分する(2010)ま でに至った問題は、K牧師側がこの免職を不当として裁判所に教団を告訴したが (2011)、去る6月6日最高裁の上告棄却をもって終わった。この件について裁判所は、 宗教上の真理に関わるものに介入しないという姿勢でよしとしたわけだ。言い換えれ ば、少なくとも聖餐に関する教会内のディベートや多少のバトルに国家は口を出しま せん、ということ。良くも悪くも日本基督教団の聖餐関係論争は、これで「信教の自 由」(?)を手にした教団権力の手に渡されたということ。 ここでもしキリストが 現れたら「聖餐ってなんのこと」と言われるだろうほどに、なにか遠く離れている。  イエスは福音の宣教を始めてすぐに、当時のユダヤ人が、不浄な人々と同席して食 事をしないというタブーを破って、食事をした。福音書は、このような食事の場面を なんども使っている。最初は、取税人レビの家で(マルコ2:14・15)、最後(主の 晩餐をのぞく)は「らい病人シモンの家」(聖書時代もその後のキリスト教時代も連 綿と差別語のレプロンを無反省に「救い」の対象としかみないことを肝に銘じつつ) で(マルコ14:3以下)。このことは、イエスと出会った人々の記憶として、イエスと 共にする食事の場面が刻み込まれていたことを示す。 パウロがコリント教会の手紙 の中で触れているように、この教会では具体的にどのようにしていたかはっきりしな いが、日曜集会の中に食事を折り込んでいるのが見て取れる。その限り、主を待望し て集められた者たち(エクレシア)が実質的にも信仰的にも共にした食事と見たい。 つまり現にイエスがそこにいたか、あるいは主を待望しつつかの違いはあれ、あれら の食事と堅くつながっていると見たい。 コリントの食事に関して、明らかにそれと は別にとらえるべき儀礼的な食事部分がある。(㈵コリ10:16、17、同11:20以下)こ れは福音書の受難物語の「過越の食事」(マルコ14:17以下)の伝承と同根のもの。 この食事に、ペテロをはじめとする何人かの弟子たちが同席した。彼らの記憶を核と する伝承だろう。しかしこの食事の直後イエスは逮捕され、すぐに裁判が開始、判決 に至る。弟子たちはイエスを見捨てて逃げた自責の念に駆られたことだろう。だが、 それ以上に師の説いた福音に幻滅し敗北を認め、そして絶望してしまったこと。ほん の数日ではあるがその最悪のシナリオの中を、弟子たちの記憶は一度通り抜けている。 その苦渋の記憶の最後のページが「主の晩餐」である。 イエスの死と復活の言い伝 えを受けて、すべての記憶もまた塗り替えられる。最後の食事が、ガリラヤの福音宣 教の時に弟子たちもたびたび同席したあの食事につながる。捨ておかれた人々、排除 されていく人々、埒外とされてきた人々が招かれる、神の恵みの支配(バシレイア= 国)の宴の食事(ルカ14)につながる。 「主の晩餐」は弟子たちが占有する特別な 食事、密儀的な儀礼の食事に閉じられていくべきものではなく、すべての人が飲み祝 う〈お食事会〉のように開かれていくべきものだろう。
7月13日の説教から「どう生きる このいのち」 ローマ書6章1〜8節       板垣弘毅  講読している新聞の連載小説五木寛之『親鸞』〜完結編〜先週最終回になりました。 何の関係もないわけですが、鎌倉時代の民衆の叫びや願いと現在が重なりました。9 0才で死ぬ最晩年の親鸞は、悪人ほど深く本願に救われるというなら、もっと悪をな せばさらに往生は確かになる、という造悪論には苦慮します。救いは人間の努力や業 績によらないのだという他力信仰は、今の世の中をどう生きるかが問われるわけです。 きょうのところでは「恵みが増すように罪の中にとどまるべきだろうか」(1節)パ ウロも言われたのか。ヤコブの手紙では、彼の後継者たちも批判されています。 「罪 に対して死んだわたしたちが、どうしてなおも罪の中に生きることができるか」(2 節)。ここには洗礼という儀式以前のパウロの深い体験が告げられているのだと思い ます。彼はユダヤ教パリサイ派のエリートとして、信念に基づいてユダヤ教異端のイ エスのグループを迫害しました。そのさなかに十字架につけられたイエスにであう体 験をしてしまう。法学徒パウロは、木に架けられた者は呪われて神の祝福から外にい るという律法を知っている。律法が問題外とした人間を、神はそのまま受け入ている、 義としている。さらにその十字架につけられた方が、わたしを招いている、自分の罪 を云々するよりその招きに応える方が先なのではないか、「罪に対して死んだ」は、 そういう意味ではないでしょうか。 「キリスト・イエスへと洗礼を受けたわたしたちは彼の死へと洗礼を受けた」(岩 隈訳)「罪に対して死んだ」という自らの体験を、彼は洗礼という儀式に結びつけて いると思います。 ところで、洗礼儀式そのものは、パウロ以前から生まれたばかり の教会がひとつの入会儀礼として大切にしていたものでした。「キリスト共に死んだ のなら、キリストと共に生きることにもなる」(8節)も洗礼と関わるパウロ以前の 教会の伝承だといわれます。最初のキリスト者たちは、復活信仰から、きっとイエス の洗礼にも倣って、洗礼式の中に、罪の赦しと新しい生、永遠の救いの約束を込めて おこなっていたのだと思います。 「キリストの死への洗礼」とは言うまでもなく十 字架のイエスに出会ったという彼の原体験から来ています。このとき自分の中のすべ てが崩壊したのです。自分というものに死んだ。この方の招きの前では、自分の信仰 も無信仰も違いはない!  自分の確かさが自分の中にはなく、他者のまなざしにそれ を見つけて、かろうじて生きのびられた、という経験を、誰もがしているはずです。  しかし3節以下でパウロはこの洗礼儀式に、自分の思いを込めて、いわば再解釈し て展開しいるのではないかと思います。もっとも罪深い姿でひとりのいのちを肯定し ているキリストのできごとの比喩として洗礼がある。だから彼にとっては洗礼という 「儀式」によって罪が浄められたりするのではない。洗礼が人が救われるための見え る保証でもなかったし、洗礼儀式の中の神秘的なキリストとの一体感とも違うとわた しは思っています。 十字架のキリストに出会って、彼の表現によれば「共に葬られ」 た。洗礼はそういうもとにある、生卵を踏みつけたような、グシャっと潰されたでき ごとを表現する儀式なのです。自分の「義しさ」があるとすれば、十字架に架けられ た方の招きの方にある。「否定」そのものがそのままで「肯定」になっている。これ が「死」を見つめたパウロの復活信仰です。伝統的な表現を使って「キリストは御父 の栄光によって死者の中から復活させられた」と言います。さらに「そのようにわた したちも新しいいのちに生きるため」だ。「イエスの殺害(つまり十字架刑)を体に まとった」自分だと言っています(㈼コリ4:10) つまりこれからは十字架に至る イエスの生き方を自分もする、それが「新しいいのち」の約束につながっているとパ ウロは言いたいのだと思います。 イエスの生き方、とは何か。イエスは生前人々か らこう言われました「罪人・徴税人の仲間」と。たぶん社会の評価の最下層の人たち に対する定番的な差別表現だったのではないでしょうか。「罪人・徴税人の仲間」、 その呼び名にふさわしく生きたイエスには十字架が待っていた。そのイエスが復活し た。「死者の復活」はユダヤ教の伝統の中に根づいていた信仰です。あのイエスが死 者の中から神によって起こされたという信仰はすさまじい落差の中で告白されたと思 います。パウロは原始教会のこの信仰告白を、自分の身に起こったできごとして受け てしまう。できごとの伝達はわが身のできごととしてしか伝わらない。牧師が書斎で ひねり出す言葉よりも信徒の率直な「証」のほうがイエスの福音に響き合っているで しょう。
7月6日の説教から 雅歌1章15−17、ロマ書7章1−6 「比喩の結婚」         久保田文貞 1日、安倍首相は強引に集団自衛権行使の閣議決定をしました。新聞 ではこれは個別的自衛権に加え集団的自衛権さらに集団安全保障を現憲法のもとで行 使しようというものと説明してますが、長たらしい閣議決定の文章読むと、その理屈 は屁理屈と虚偽に満ちています。それは日本の安全と自由な経済を脅かす脅威をすべ て自衛権行使をもって吹き払えるという論理です。つまり個別的自衛権は憲法も国連 も保証している、その自衛権のために集団的自衛権、さらに国連の集団的安全保障さ え行使可能だという理屈です。しかもこれを安倍首相はヒットラーのように国民の情 緒に訴え、“赤ちゃんを抱きかかえた母親に不安そうな表情で後ろから寄り添う子ど ものイラスト”を見せて、紛争国から避難する妊婦や子どものいる母親、子どもたち が攻撃された時、憲法上、集団的自衛権がないからといって手をこまねいていいのか というようなことを言うわけです。7月1日にも同じようなことを言いました。 政 治的に厳密な論議をすべき時に、こんな情緒的なことを言うべきでないという批判が あったそうですが、報道によれば、世論調査では総理のあの説明が70%以上の好感を 得たといいます。安倍が言う守るべき“妊婦、母親、子どもの”の向こうにいるのは だれか、それは夫、父親=男たちなのでしょう。つまり安倍の頭の中では、〈男たち よ、君たちはそこにとどまれ、、妻や子どもたちのために戦え、自衛権を行使せよ〉 と。古い男女役割観が元になっています。こういう論理が眠っていたようなジェンダー 役割論を掻き起し、世論として着床してしまうように見えます。だが、実際は変わっ たと見えていた〈心的イメージ〉はほとんど変わっていなかったということでしょう か。 中世キリスト教神学に、存在の類比アナロギアという概念があります。神とあ る被造物の間に見られる関係が、別の被造物の間にも見られるとき、両者は類比の関 係にあるとします。神と国家、神と婚姻の関係がそれぞれ同様な関係にあるならば、 国家と婚姻には類比しているとされます。すると、婚姻の理屈で国家が説明され、国 家の理屈で婚姻が説明されてしまいます。もっともこの種の説明はユダヤ・キリスト 教に限りませんが。 たとえばラビ・ユダヤ教、どうみても恋愛歌としか見えない 「雅歌」を、神とイスラエルの関係を愛する者の婚姻の関係として表象したものとし て捉え、ヘブル語正典に加えました。今でも過越祭の期間に雅歌を歌います。 パウ ロも婚姻の比喩をメシア・イエスの〈今・ここ」 を表現するために使います。その使 い方は、ユダヤ教の伝統的なものに影響されていますし、神学的な類比の思想に近い ものがありますが、パウロの場合、根本的に何かが違います。そこではつぎのように なっています。妻は夫の存命中、律法に規定されているように夫に従属=拘束されて いるが、夫が死ねばその律法の規定から自由になる。メシア・イエスにおいて起こっ た神の福音のもとでは、夫が亡くなった妻のように律法から自由になっているのであ り、二度と律法の拘束のもとに入るべきではないと。 類比という概念を借りて言え ば、どうみても神の創造の秩序としては別格の律法、神の意志そのものである律法、 ゆえにどうしたって取り外すことができない秩序そのものである律法から、まるで夫 が死んだ女のように自由になるなんてことがあるだろうかと、だれも人は思う。そう いう倫理の原型のようなものを無効にする力なんてありえないと、だれも思うでしょ う。ところが、パウロはそれをちゃぶ台をひっくり返しでもするように、無効にして しまうわけです。メシア・イエスの〈今・ここで〉、婚姻の比喩は無効なのです。  と、安倍首相に言っても通じないかもしれませんが、そこから私たちは問題を立て直 していきたいと思います。
ロマ書6章1−4節「キリストの形に倣う」  久保田文貞  ロマ書5、6章の議論は、イエスという一人の男がすべての人間の救いに関わること だという前提に立っています。つまり一人の男イエスがあのように十字架にかけられ て、死んだ、葬られた、よみがえった一連の出来事がすべての人間の罪の赦しにかか わり、すべての人間の新しい生き方、自由に関わるというのです。 これはイエスを キリスト(=メシア、救世主)と信じるのがキリスト教なわけですから、パウロがそ ういう論じ方をするのは当たり前のことではあります。けれども、生前のイエスを知っ ている人々、彼ら目撃証人からじかに伝え聞いた第一世代のクリスチャンにとって、 はたしてイエスの死と復活の出来事が以後どれくらいの意味をもつのか、あるいはど のくらいの空間的、時間的な射程を持っていくのかということがほとんどつかめてい なかったと思われます。 その第一世代の中で、だれが何と言おうと確かなことがあ ります。そのひとつが十字架につけられて殺されたナザレのイエスの出来事を、すべ ての人の罪の赦し、神の恵みの福音と理解して、いちはやくパウロがこの世界に向け て提示しようとしたということです。もっともパウロもそれを明確にして動き始める まで10数年がかかっています。またパウロと並行して、あるいはパウロより先に、イ エスの十字架の死と復活の出来事を、旧約の神を畏れ敬う異邦人に伝え始めた人々が いたのも確かなことですが。 パウロは、神を畏れる異邦人にもキリストの福音が及 ぶというレベルではなく、それは全人類に及ぶという主張をしていきます。そこで使 用する理屈が〈アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってす べての人が生かされる〉(第一コリント15:22、ロマ5:12以下)。どうみても旧約聖 書の強引な神学的前提を押し付けるような読みですが、むしろここにはもう少し別の 重要なポイントが潜んでいるように思います。 それは、「ひとり(イエス)の義な る行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶ」(5:18)ということ。ひ とりの人に起こったことが、パウロ自身に起こり、パウロひとりに起こったことが、 ほかの人にも起こるというところにパウロは立っています。キリストに出会った自分 の事件は、すべての人間の事件だと転換し始めているのです。これは他の人から見れ ば、とんだ誇大妄想、大きなお世話となりますが、でも思想というものには根本的に お節介という面があります。いや、そうでなければならないところがあります。その スウィッチの切り替えがパウロに起こっているということです。 6章になると洗礼と いう議論に入ります。洗礼の儀礼についてパウロはどちらかというと消極的なところ があります。(第一コリント1章15以下)。しかし、6章では、一人の人間の古い生き 方から新しい生き方へ転換する出来事の(比)喩として洗礼場面を引き出します。洗 礼という出来事においてあなた自身に起こった出来事は、あなた自身だけの個人的な 出来事ではない。それはキリストの出来事がパウロに及んで、そのパウロの出来事が すべての人の出来事になると確信し、異邦人の使徒へと赴いたパウロと同じような事 件であるいうことでしょう。 洗礼という儀礼は、あのキリストの出来事の(比)喩 としてとらえるべきでしょう。もしかしたら、洗礼という儀礼とは別のなにかを通し て、その出来事を自分のこととし、それを他者のこととして投げかけていくというあ り方も可能ではないかということです。としても、洗礼という儀礼は確かにキリスト の出来事のまちがいなく(比)喩だということでしょう。
6月22日説教から マタイによる福音書7章24−27 「ペテロの教会」         飯田義也  カトリックの総本山は「サン・ピエトロ大寺院」という名前です。ロシアにも「サ ンクトペテルスブルグ」という都市があります。私たちプロテスタ ントも含めて、ペ テロの名の下に建立された教会が世界中に広まっているのだなぁと改めて思いました。 「山」というのは言語を問わず信仰の場である ようです。キリストの「山上の垂訓」 も山で語られたとされています。 マタイによる福音書は、映画や楽劇を「作るつも り」で読むと、構成の見事さが浮き彫りになります。プロローグには誕生の象徴的な シーンが置か れ、宣教のはじめが大雑把に示されます。4章の最後に、キリストの教 えなどどうでもよくて、ただ癒されたい、奇跡を見たいといった人々が群がる シーン があり、5章以下で山上での教えが記されていきます。 今日のテキストは、その山上 で語られたとされるキリストの教えの最後に位置しています。そして、ここを境に、 キリストの「行い」にテーマが移 り、最も大切なメッセージである受難へと向かって いくのです。 歴史の中でどれだけ多くの人がこの箇所の言葉を聞き、行動したりし なかったりしただろうかと思いを馳せます。たとえば、平和へのメッセージや反 差別 へのメッセージは、聖書に明らかに示されていると思うのですが、現代の世界がどれ だけ平和かを考えると、かえって後退しているのではないかと さえ思わされます。  今日のテキスト、何気なく読んでいて、新たに気付いたことがありました。マタイに よる福音書の著者は、一方で、キリストのこんな発言も記録して いるということと結 びついたのです。16章18節の言葉です。重ね合わせると、ここで言われる、砂上の楼 閣ならぬ「岩上の楼閣」は、ペトロ (「岩」の意)の教会にもかかっているのではな いかなと思ったのです。意識的か無意識的かはわかりませんので、意識だけで考えよ うとする人たちか らは「読み込みである」と言われそうですが、・・。 この福音書、 主役はもちろんキリストですがサイドストーリーとしてペトロも登場します。彼は、 名簿上「筆頭弟子」です。4章18節にまず登場 し、先ほどのところなど、いくつかの 記述があります。中で、印象的なのが26章69節以下、ペテロが激しく泣くシーンがあ り、この福音書ではそれ がペトロに関する最後の記述です。ラストシーンの復活のと ころには、名前は出てきません。 キリストを裏切ってしまって号泣したペトロは、 わたしたちどの人の中にも住んでいるのではないでしょうか。このペトロが岩と呼ば れ、今日のキリ スト教は、この岩の上に存在をゆるされているということになります。 神の期待に添うことのできない「わたし」裏切ってしまって号泣する「わたし」 を神 は用いてくださるということを、心の中で重ね合わせながら読みたいと思いました。  今日のテキスト、ともあれ、私たちに「行動に裏付けられた言葉を語る人」あるい は「言葉以前の事実や思惟の積み重ねを大切にした言葉を語る人」 であるよう期待し て、そうした生き方を勧めていることは確かです。 わたしたちの言葉の前提には、 その人の人生があり地域の人のつながりがあること、その基礎には、どの一人も大切 にしたいという神の思いがあっ て、わたしたちの生き方は、そのことに裏付けられる 必要があることを、いま、再び大切にしたいと思うのです。
6月15日の説教からローマ書5章6〜11節 「義とされる、ということ」  板垣弘毅  無差別で人を傷つけたりあやめたりする通り魔的な事件で、殺傷した当人が「誰で もよかった」「死刑になりたかった」と口にすることがあます。先週もありましたね。 その人を孤立させた社会が言わせた望みない言葉でもあります。この孤立に向き合え るか。希望があるのか。 パウロは、人は行為によってではなく信仰によって義とさ れると強調します。「信仰義認論」と言われ、以後解釈の歴史が伴う教理になりまし た。一言で言えば「義とされる」は神に、人間ではなく神に、よしとされる、義と認 められることです。(「義」については言うべきことがたくさんあるにしても) 3 章には「イエス・キリストの信」によって、信じる者すべてが「神の義」にいたる、 つまり義とされると記されています。(3:22直訳 新共同訳はとらない) わたし たちが、神に「よし」といっていただくのは、イエス・キリストが信じたその「信」 による、わたしたちが信じるか信じないかよりも、イエス。キリストの神への信頼の 方が確かだ、ということになります。イエスが神に信頼したできごとは福音書に記さ れていて、イエスが告げた福音はそれを全否定するような十字架だった、という結末 になっています。 1〜5節でパウロは神に「義とされる」ことは、すべての人が例 外なく立つ神の前での最後の審判で「よし」とされる希望につながっていると語り、 6節以下でキリストはわたしたちがまだ「不信心」(礼拝しない者、異邦人も含む) であり「罪人」であり、神の「敵」であったとき、「わたしたちのために死んでくだ さった」といいます。つまりわたしたちの信仰心と関わりなく一方的に、あるいは客 観的にキリストのできごとは起こった。言いかえれば、わたしたちの主観的な気づき より前に、わたしたちの外からわたしたちのためにキリストのできごとは起こった。 「死んでくださった」と言っています。 「今や、わたしたちはキリストの血によっ て義とされた」(9節)「血」とは十字架で流されるイエスの血ですね。旧約聖書に あるように人の罪の身代わりとして捧げられる獣の血に重ねて、「贖いの血」と考え る人もいます。新約ではヘブル人への手紙がとくにそうです。わたしはこう思います。  「血」はユダヤ教ではいのちの源であって、「イエスの血によって義とされた」と いうのは十字架で死ぬことになるイエスの地上のいのちによって義とされた、イエス のできごとによって、人は神によって外からよしとされた、ということ、です。この 「できごと」に気づくことができたのは、無惨な、人としての誇りなど微塵もない十 字架刑にもつまずかないで、そこに神からの招きを見出した人だったと思います。世 間の目からははじかれた人でした。世間とはまったく違う目で「よし」としてくださ る福音。イエスの生き方が示した福音でした。だからイエスの血によって義とされる という告白は、さまざまな業績主義(行為義認)と真反対に、この世からはじかれた 人を招くできごとなんだと思います。通り魔事件の行為者のセリフ、「誰でもよかっ た」が、同じ言葉で神の招きになっています。 ルカ14:15〜24の神の国の!たとえをみてください。宴会の席を埋めたのは 社会から排除された人たちだった。「無理にでも」連れてこいとまで言われています ね。「誰でもよかった」んです。街の片隅にうずくまっているような、孤立した人に 向けられている。 さらに「キリストの血によって義とされた」わたしたちはなおさ ら「神の怒りから救われる」(9節)と希望を告げます。聖書の天地創造から終わり の日の永遠の救いまでの壮大な物語をそのとおり共有できなくても、わたしとしては、 その物語が伝えたい大切なことに共感せざるを得ません。それは、最後のところは神 が決める、そこは人間が埋めなくてよい空白なのだ、という信仰です。神がつける決 着に余白を残しておけることは、いつの時にも苦難の中にある人の希望なのではない かと思います。イエス・キリストのできごとはそれを示しています。 イエスの口から、神の国に招かれる客は「誰でもよかった」限りなく低いハードル だった、と語られています。無条件で招く視線です。「イエスの信仰によって義と される」「イエスの血によって義とされる」とは、もっとも孤立した人をも招くで きごとなのです。北松戸もできるだけそのような教会でありたい。わたしたちにで きることは、イエスのできごとに触れて、まず目の前の人の小さな他者になること だと思います。
 6月8日の説教からロマ書5章5章1-5節 「とてつもなく宗教的に」   久保田文貞  パウロは、ガラテヤ書とロマ書で人は「信から義とされる」という議論を展開してい ます。いわゆる信仰義認論と呼ばれるものです。ことに16世紀に宗教改革者たちがロー マカトリック教会の権威に対抗するために「信仰のみ、聖書のみ」を軸に据えたこと で、プロテスタント教会にとって決定的なものになりました。すなわち宗教的な真理 とそれに伴う人間の救済は、伝統的・宗教的をもった教会を通して与えられるのでは なく、個人の信仰から、すなわち神と信仰する人間との関係そのものから与えられる と捉えるようになりました。こうして伝統的、非合理的なものを疑い、主体的に決断 する近代的人間の成立と一面で重なっていきます。しかし、さらに近代的・啓蒙主義 的人間のほとんどは神自体を廃棄していきます。現代のキリスト教は、その大勢にさ からって、神を廃棄せず信仰する近代的人間の道を探っているのだという見方をして いきました。 この考え方は、宗教改革者たちの聖書の読みの延長上に位置づけるこ とができます。だが、本当に聖書がそれを裏付けてくれるがどうか、たえず検討しな ければなりません。その一つの切り口として、近代の信仰義認論がパウロ的な信仰理 解の流れにのるものかどうかを検証すべきでしょう。 細かい議論を省いてここでは 結論的なことを申し上げます。例えばガラテヤ書2章16節「人は律法の実行ではなく、 ただイエスキリストへの信仰によって義とされると知って、私たちもキリスト・イエ スを信じました。」(新共同訳。口語訳については省略します)という点。厳密に訳 している田川訳はこうなっています。「だが、人間はイエス・キリストの信によるの でなければ、律法の業績からでは義とされない、ということを知って、我々もまたキ リスト・イエスを信じたのである。」つまりパウロにおいては、「イエスを信じる信 仰によって義とされる」ではなく、イエスにおいて示された(神の)信実によって義 とされると。とすれば人間の義(倫理)への渇望はかえって邪魔になる。近代的人間 の洗練された信仰的決断をそこに読み込みすぎてはならないということになるわけで す。 けれども、この義への渇望自体について、パウロ自身が「熱心の点では教会の 迫害者、律法の義については落ち度のない者」として「律法による自分の義」(ピリ ピ3:6−9)を追求したと告白している。つまり「神によって義とされる」という在り 様を、彼は個別に掴みとろうと奮闘したのです。このように個人的な修練を立ち上げ ていく傾向は、パウロだけのものではありません。後期ユダヤ教の知恵文学(箴言、 伝道の書、シラの書)に見られます。しかし、それらは自分の業績を誇示して義を掴 み取ろうというのではなく、むしろ淡々と律法(トーラー)に寄り添いながら終わり の日々を待つ、そういう個人として精進していくのです。その流れから見れば、パウ ロは正直にそこからすでに逸脱してしまった自分をさらけ出します。 彼の真骨頂は、 イエスが十字架に死んだこと、そのイエスを死人の中から挙げられたことによって、 神の恵み、神の裁き、神の義、神の愛、が示されたと見る点にあります。そこで、自 分自身の義への渇望自体が無意味になってしまったこと、そもそも義への渇望そのも のの中に、人間の虚偽、傲慢を垣間見たということでしょう。
 6月1日の礼拝説教から エフェソ書1章15−23節 「教会はキリストの体」 久保田文貞  エフェソ書の中にも「教会はキリストの体(ソーマ)」という言葉が出て きます。前回見たように、教会を人間の体の喩で表現したのは第一コリント 12章が最初です。両者を比較して考えてみたいと思います。最初に、断っ ておきますがエフェソ書はパウロが書いたものではなく、おそらく90年代半 ば以降にパウロ文書を編纂したグループが書いたものだという最近の研究の 通説が圧倒的に説得力があるので、それに従います。 パウロがコリントの 教会に宛てて「あなた方はキリストの身体である。そしてそれぞれがその肢 体なのだ」(㈵コリ12:27)と言った時に、その手紙全体を通して読むとすぐ に気付くように、教会内部に意見の違いがあり、差別としか見えないような ことが起こり、ある種の階級差が生じていようと、最終的に教会はキリスト の体として一つなのであり、教会員それぞれがその肢体・部分の一つ一つな のだという主張でした。 エフェソ書の場合、「教会はキリストの体」とい う時、具体的な特定の教会を指していないのです。(この点で、同じように 偽書とされるコロサイ書が、特定の教会への手紙の体裁を必死に取ろうとし ているのと対照的です。)4章4節以下に、「体は一つ、霊は一つ」と標語 のようにして出てきますが、ここに出てくる「一つ」は、キリスト教会全体 を指しています。パウロがコリント書で肢体として教会員一人一人に優劣な く描かれていた図がここでは背景に退き、「キリストに基づいて身体全体が、 補助的なあらゆる番いによってつなぎ合わされ、組み上げられ、それぞれ一 つ一つの分の尺度に応じて、力強く、身体の成長を成すのであって、その結 果それぞれが愛においてみずからを建てることになる。」(田川訳)と、こ こでは体全体が使徒たち教会の指導者らがまずその体を作り上げ(4:11以 下)、それぞれの節々を組み合わされ、一体化されていることが強調されて いきます。 1章15節以下にも表れますが、この手紙全体を通して現れるもう 一つの注目すべき点、それは「私たち」と「あなた方」の区別です。まず 「あなた方」について2章11節、3章1節に明らかなように、「あなた方」は、 異邦人出身のクリスチャンであり、当然の帰結として「私たち」はユダヤ人 出身クリスチャンになります。そしてこの両者は抜き差しならぬ敵対関係に あったことを感じさせます。 よく好んで引用される言葉ですが、2章14— 15節「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意 という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成って いる戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひ とりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのもの を一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまっ たのである。」の「二つのものはどうみてもこの「私たち」と「あなた方」 です。90年代、エフェソ周辺のクリスチャンたちが少なくともある時期、抜 き差しならぬ抗争関係にあったらしい。おそらくこれと重なる時期、場所的 には違うでしょうが、ヨハネ福音書を懐く教会がユダヤ教との辛辣な抗争状 態にあり、そちらでは会堂から追い出されてしまったことと比較すると、こ ちらでは様相がだいぶ違います。教会内部のユダヤ人クリスチャンと異邦人 クリスチャンということで収まったということでしょうか。それにしても、 ここではユダヤ人側が教会の指導者層として出てきており、異邦人側は新参 者として扱われていますが、それがどのくらい実態に即しているのかわかり ません。いずれにせよ、パウロの真筆の手紙と比べると魅力が減退している のはどうしようもありません。
 5月25日の説教から     第一コリント12章1−11節  「カリスマと教会」     久保田文 貞 12章全体がどうみても教会組織論のように見えます。教会はキリストの 体であって、各自はその肢体、部分であり、それぞれが与えられた力を出し 合って、福音宣教という目標に向かって進むと。少なくともこれはそれから 50年位後の「牧会書簡」(テモテ第一、第二、テトス書)にみられるような 〈監督〉を父親のように権威づけ、教会をピラミッド的な階層にしていく組 織論から比べると、民主的な香りさえしてきます。 パウロの組織論は、現 代の経営学者バーナードの有名な企業協働組織論に似ています。彼は、それ ぞれが上意下達的に動くのではなく、それぞれの創意工夫をもって目的に向 かって前進し企業全体の成績を上げようというのです。 けれども、パウロ は組織論めいた図はどこから出てきたか見なければなりません。若きパウロ はその十数年前ダマスコ付近で、神がキリストを彼のうちに啓示したことが きっかけとなって、それまでのパリサイ派的な律法への熱心のあり方を捨て、 〈異邦人への使徒〉として180度方向転換することになりました(ガラテヤ1 章)。もっとも、パウロのこの方向性は初めからすべてが明確なものではな かったようですが。パウロにとっては、異邦人への使徒という使命感は、単 に福音をユダヤ人から異邦人へ世界的に拡大し、布教するということではな いのです。彼には、イエスが宣教した福音も、イエスが十字架につけられ、 神によって挙げられたという出来事で完結するのです。そこで起こったこと は、今やユダヤ人もギリシャ人(異邦人)もなく、イエスに〈信〉を寄せる すべての人間に起こる究極の救いの出来事なのだというのです。 この事態 は、預言者の第一イザヤが「終わりの日々」を描いた預言、シオンにイスラ エルの民だけでなく、すべての民=異邦人が上ってくるという事態だという ことでしょう。イエスの死と復活の事件が起こって、この世界は神の究極の 救いの事象に突入したのであり、神の霊=神の息が世界中を駆け巡りはじめ、 その「霊の現われ」が、各自にいろいろな賜物(カリスマ=恵みカリスのよ うなもの)が与えられている。教会とは、このキリストにおいて始まった救 いの出来事を受け止め、そこに〈信〉をおいてキリストを信じ、身を寄せ合 う人々の群れなのです。 だから、ここに身を寄せ合う人々の間に、霊の現 われ、霊の賜物は、そのひと時ひと時、それぞれの人に与えられることにな ります。これらそれぞれの霊の賜物、霊の現われが部分部分として組み合わ さり、重なり、補い合って、キリストの体なる教会の業が動いていくという のです。28節以下もそのようなこととして読むべきです。もっともそこでは、 使徒、預言者、教師を第一、第二、第三としていますが。そして「力ある業」 「癒しの賜物」「援助」「管理(田川「舵取り」)」「いろいろな舌(異 言)」と並べられています。ただしこれらはすべて原語では〈口語訳〉や 〈新共同訳〉のように「者」としてではなく、事柄として書かれています。 霊の現われ、賜物が、事柄として並んでいるというのは、ありがたいことで、 次のような視野を開かせてくれます。例えば、「癒しの賜物」、つまりここ では癒す人の能力だけのことが言われていると取る必要はなく、霊の現われ、 霊の賜物は、同時に癒されることの賜物もそこに等しく組み込まれていると いうことです。霊によって癒される賜物をもらう人と、癒しの業を行う賜物 をもらう人が、教会の中で「癒しの賜物」を協働することになります。同じ ように「援助をするも賜物」「されるも賜物」、これらの賜物はすべて、そ のように組み合わされ、補い合っているという組織論になります。この辺は すごくいいなあと思っています。
5月18日の説教から マタイによる福音書27章15〜18節 「血の責任」 板垣弘毅 イエスが、そのころローマから派遣されていた代官、 ポンテオ・ピラトの法廷に立たされている。ユダヤ人指導者たちが、訴え出 た根拠は、ユダヤ人の王と名乗って、ローマに反抗をもくろんでいる者だ、 という捏造である。 ユダヤ人指導者、また扇りたてられた群衆の「十字架につけろ」という叫 びやピラト自身の安全を優先した判断の中で、イエスとバラバは何も語って いない。ここに言葉を発している人間と沈黙している人間がいる。言葉を発 している人が、自分を偽ったり見失ったりしているのに対し、沈黙している 二人は、そっと視線を合わせていると感じられる。物語が伝えたいことは、 受け手がその物語世界で共振する、呼応するのでなければなければ届かない。 沈黙するイエスはバラバを見つめ受け入れている、わたしにはそう思える。 だからここで赦されるバラバを、贖罪論的に読みたくはない。彼は、沈黙す るイエスに向き合う人間だ。イエスの沈黙は、「あなたの御心が行われるよ うに」 という前の晩のゲッセマネの祈りの延長なのだ。  イエスはここで 「冤罪だ」と主張しない。 袴田巌さんのような、冤罪で苦しむ人たちのひと りになっている。彼らの傍らにいる。傍らにいる、という心理的表現は言葉 の表現を越えることだと思う。 わたしたちからは無条件かつ偶然であって も、イエスがバラバの傍らに立っていることは事実で、この沈黙の中でバラ バは神に受け止められてしまっている、これがこの物語の光景だ。 同時に、 「耳をすます」ことができない人間も描いているわけだ。 「十字架につけろ」 と叫びつのる人々はついにはこうまで言う。 「その(イエスの)血の責任 は、我々と子孫にある」(25節) この言葉は物語の中では、エスカレート する成り行きで、思わず叫んでしまった言葉のようだ。これがマタイ福音書 の著者の付け加えだとしたら、マタイの思いをはるかに越えて後世に拡大し てしまった言葉になった。 マタイ福音書が書かれたころなら、この言葉は、 歩みは始めたばかりのキリスト教の、母胎であるユダヤ教からの脱出宣言の ように聞こえる。 しかし教会が強大な権力を帯びてゆく後の歴史では、い わゆる反ユダヤ主義の教説がキリスト教会に定着してしまう。 ここに絶叫 する人と沈黙する人がいる。仕組んだ人たちがいるとはいえ異様な成り行き のなかでイエスを血祭りに上げる人々。思いがけずそのイエスを身代わりと して死刑を免れるバラバ。「手を洗う」ピラト。ひとりの人の血が流され、 その「血の責任」をめぐって想いが交錯する。 彼らはともにイエスのまな ざしの中にいる。それがイエスの「沈黙」の意味なのだ。 わたしたちは、「十字架につけろ」と叫ぶ側の人間にもなってしまうし、 またバラバのように偶然のように救われている自分を発見することもある。 イエスのまなざしはそのどちらにも注がれている。さらにイエスは、ここに は登場しない無数の冤罪に苦しむ者の傍らにたたずむ方でもある。 イエス のできごとの中で、わたし(たち)の愚かさを知らされ、また赦しも気づか されるのだと思う。
 5月11日の説教から ヨハネ福音書10章11節 「〜のために命を捨てる」  久保田文貞  「わたし(イエス)は羊のために命を捨てる」(ヨハネ10:11、14-15、 17−18)というのは、新約聖書の中でもヨハネ独特の言い方です。イエスの 死後、かなり早くから〈わたしたちの罪のためにイエスが死なれた、よみが えった〉という信仰が生まれていますが、イエスの死の出来事をどうとらえ るかという解釈とそれへの信仰的決断の問題でした。それと比べると、ヨハ ネ福音書のこの言葉は一歩踏み出て、自己放棄がイエスの主体的な選択であっ たということになります。当然、それは出来事を傍から見て解釈するという にとどまらず、イエス自らが〈自分は君たちのために命を捨てる〉と宣言す るという形をとりました。 自己放棄というと、私はすぐに宮澤賢治の童話 のことを連想してしまいます。その一つ晩年の「グスコーブドリの伝記」 (1932)で考えてみましょう。イーハトーブのはずれ、貧しいきこりの家の ブドリという男の子の伝記です。10歳の頃、冷害と干害が続いてどうにもな らなくなった父親は「オレは森に行って遊んでくるぞ」と言い残していなく なってします。母親も父さんを捜しに行くと言って出たきり帰ってこない。 ブドリと7歳の妹のネリだけが残される。すると男が来てネリをどこかに連れ て行ってしまう。ブドリが住んでいた家は壊されテグス(蚕糸)工場になる。 ブドリはそこで働かされる。その工場もなくなって、次に赤ひげの地主のも とで沼畑(水田)でオリザ(稲)を作る仕事をする。ブドリはそれらの仕事 をよくこなし、研究熱心でもあった。感心した地主はブドリをイーハトーブ の町で塾を開いているクーボー博士のもとで学ばせる。博士はよい成績でパ スしたブドリをイーハトーブの火山局のペンネンナーム老技師に紹介し、ブ ドリはそこで助手としてはたらく。火山局は爆発でその地方に被害が出ない ように、爆発のエネルギーを海の方に逸らすことに成功する。さらに、イー ハトーブ地方の冷害と干害の影響を少なくするために火山の爆発を利用する 作戦にでる。噴火によって地球上の二酸化炭素を増やし温暖化させ、大気中 に噴出した灰によって雨を降らすと。今では考えられないような乱暴な作戦 だが、とにかく火山局としては、火山の爆発で冷害と干害の両方をなんとか 抑えてやろうというわけだ。山腹で爆発を引き起こすためのスイッチをだれ が押すかという問題が起こるが、結局ブドリが押すことになるが生きて帰ら ない。爆発は成功して、気温は暖かくなり雨も降って、「たくさんのブドリ のお父さんやお母さんは、たくさんのブドリやネリといっしょにその冬を、 暖かい食べ物と、明るいたきぎで楽しく暮らすことができたのでした。」と いう終わり方をします。 ブドリの犠牲は、お国のためではなく、イーハトーブの田舎でひたむきに 生きる一つ一つの家族のため、崩壊したブドリ自身の家族のためというのが、 ちょっとした救いになっているのですが、でも最後のところが、公のため、 国家のためにすり替えられてしまう危険にいつもこの種のお話はさらされて います。 この問題は、ヨハネ文書の「羊のために命を捨てる」キリストの 自己放棄にもついて回ります。それは、「主は、私たちのために命を捨てて 下さった。それによって、私たちは愛ということを知った。それゆえに、私 たちもまた、兄弟のために命を捨てるべきである。」(第一ヨハネ3:16)と なり、さらにはこの「私たち」というのが、いつどこで「会社のため」「お 国のため」死ぬ「私たちに」転移してしまうかもしれません。 〈自分の命 を賭して他者を愛す〉というのが他者への愛に満ち、ものすごく主体的のよ うでいて、その実、ものすごくエゴセントリックで没主体的です。自分の命 を自分のためにささげるというのでは自分の尾を食らうウロボロスにしかな らないでしょう。 私見ですが、そもそも「〜のために命を捨てる」なんて 言い方をしない方がよい。ただ、多少こじつけっぽくなりますが、この聖書 の「捨てる」という語は、日常的にふんだんに使う「置く」という語そのも のです。もちろんここで「捨てる」「放棄する」というのが当然の訳ですが、 でも、そこには、「〜のために命を(そこに)置く」というニュアンスを排 除しきれません。そのことは、一方的に自分が「〜のために自分の生を置く」 側の人間だけでなく、人からおいてもらう側の人間でもあり、そのやり取り の中に置かれているということの表明でもあります。そのことはお国のため にではなく、ウロボロスでもなく、自分の身近な人同士の間の、大切な生の やり取りのことと理解したいと思います。
5月4日の説教から 出エジプト記12章17-22節 「迂回の意味」  久保田文貞  過越祭は現代のユダヤ教でも三大祭りのひとつです。ニサンの月(太 陽暦の3,4月にあたる)の14日、神の指示によってモーセが、エジプトの地で奴隷に されていた彼らの先祖へブル人を、ファラオの手から救い出してくれた歴史を記念す る祭りです。その日、家族・親族が集まって記念の食事をします。この食事の儀礼の 中でホスト役の父親が、出エジプトの歴史を物語る聖書の言葉を朗読し、子どもたち に伝承していくわけです。 マルコによれば(14:20)、イエスが弟子たちと共に最 後の食事をした後、神殿警備隊に逮捕されたのが、この過越祭の日ということになり ます。(ヨハネ福音書がこれを過越祭の前の日にしています(ヨハネ13:1)。その 後の裁判の日程などから見て、こちらの方がありそうに思います。) マルコ�が伝承 として受けた「受難物語」は、そのようにしてイエスを過越の子羊として表明したかっ たのでしょう。 この点では、新約文書の中で最初に書き残しているのはパウロです が(第一コリント5:6-7)、十字架にかけられたイエスを過越しの仔羊として象徴的 に理解したのはパウロの前からですから、相当早い時点からあったことになります。 キリスト教が、イエスを過越の仔羊という表象を使っていることを無視できません。  出エジプト記12章の記述によれば、過越しの故事は、へブル人がこぞってエジプト から脱出する晩の、出立つ寸前の、日本風に言うと〈固めの杯〉のようなものと言っ てよかろうと思います。そもそもへブル人という存在は明確ではなかったはずです。 カナン(現パレスチナ周辺)の方から出稼ぎに来ていた者でモーセといっしょに逃げ ようという気がある者はだれでもへブル人であり参加できる、そういう脱出劇だった と思われます。その固めの杯をそれぞれの家で目立たぬようにやるようにというので しょう。その際、子羊の血を門口に塗っておく、その血が徴となって、神ヤハウェが エジプト人を討つときにその門の家を「やり過ごす」、それが過越の意味です。 さ らに古くは、カナン一帯の遊牧民が天幕を引き払って出立する時の犠牲の儀式であり 魔除けとして門に血を塗る習俗があった、それに似た習俗はずっと後々まであったと いうことです。 ユダヤ教が出エジプトの物語を自分たちイスラエルの民の出発点、 前提、根拠としているのはもっともなことです。実際にはちょうど後期青銅器時代か ら鉄器時代に入って、革命的に農業生産が飛躍し始め、一大社会変化が起きていく時 で、それまで周辺の半遊牧的な弱小部族が徐々に農業生産に加わっていく、やがて土 地を持ち、所によって従来の都市貴族を追い出し代替わりしていく、そうやって出エ ジプトを経験した部族や、シナイ契約をした部族など12部族が出そろって、神ヤハウェ を信仰する人々がカナンに住み着いていったと思われます。つまり、それぞれの部族 の長い歴史を一連の救済物語として編みなおし、部族連合の物語としてこれを共有し ていく、これがイスラエルの民の成立だったのでしょう。 十字架に死したイエスを 過越しの仔羊と告白し信じていったのは、かつてイスラエルが救済物語を共有しなが ら形成していった仕方をお借りしたというべきでしょう。けれども、そこにはイエス ご自身が犠牲の生贄であり、それもすべての人間の罪のための贖罪であるという、ユ ダヤ教も考えもしなかった、神の子イエスによる贖罪思想を決定的にそこに織り込む ということにしたのです。 共同体にとって、何ものかを犠牲にするということがほ とんど必然になっているという、共同体のメカニズムが存在するのでしょう。けれど も、はたして今もそこにどれだけの意味があるか、そう簡単に割り切れるものではあ りません。
4月27日の説教から ヨハネ福音書11章17-27節 「ある復活理解」      久保田文貞 「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生き る。」 何らかの目的をもってできている人間仲間を一応共同体と呼ぶことにしてお きます。一つの共同体が出来上がっている以上、まずは維持していかなければならな いことになります。それを脅かすものが現れれば、とうぜんそれを繕おうとします。 しかし、うまくいかないとそれを異物として排除しようとします。もちろんそれだけ では先細りするだけです。共同体は同時に一方で抱え込もうとします。共同体にとっ てもっとも効果的なのは、排除しようとした異物を逆に抱え込むことです。この排除 と抱え込みが共同体のほとんど必然的なメカニズムだといってよいでしょう。 一般 に排除はよくないと教えられます。しかし、排除しようとする力を否定し、逆の力を はたらかせて、それを元に戻せばそれで修復が完了し、より共同体が強化されたこと になるのでしょうが、実は次に、より激しく傷つける排除を準備するだけのことにな りかねない。共同体を維持し、強化することには、そのような排除と抱え込みがいつ も伴うと言わざるを得ません。もちろん、排除を否定し、排除する共同体を批判する ということが無意味だとは思いませんが、しかし、基本的にそれは次善の策になって しまう。いずれにせよ、共同体にある限り自分もまた排除し抱え込む力学のもとに置 かれ、意志するとしないにかかわらず、そのひとりとして生きるよりないと、それが 共同体の現実だという思いに至らされてしまいます。どこかでこの連鎖を断ち切らな いと思いますが、それがものすごくむずかしい。 で、このことを念頭に置きながら、 ヨハネ福音書を読みにいきたいと思います。ヨハネだけに出てくるラザロの復活の物 語です。 イエスが死んだ人を復活させる物語は、マルコ5章会堂司ヤイロの娘の物語 (マタイ、ルカの並行)と、ルカだけにあるナインの寡婦の息子の物語(7:11)に もあります。どちらも基本的に病人の癒しの物語の水準の話です。癒しの奇跡物語は、 それとしては一人一人の排除されかかった人を救い上げようとすることで、先に述べ た共同体の排除と抱え込みの修復の問題になります。人々が共同体のヘリに追いやら れ、排除されるままに放置されたことを、神の国はそうではないと義憤をもって食い 止めようとするイエスの姿に感動しますが、結局はそれもただの共同体が本質的にもっ てしまっている排除と抱え込みのシステムに加担しているだけではないかという疑問 が起こります。 否、イエスの場合、それは単なる補修作業ではない。排除と抱え込 みによって中心へ中心へと手繰り寄せようとする共同体の本質に対して、イエスのや り方はそのような共同体を裾の方から裏返ししてしまうような何かです。イエスの福 音は、共同体の周辺に追いやられ、あるいは囲い込まれ、共同体強化の材料�とされて きた罪人、病人、遊女らといっしょに神の国のパーティーを実行していってしまう、 神の恵みはもう始まっているよ、という共同体にとっては倒錯的、逆転的ななにかで す。そこでは、破滅だと思っていたことが幕開けになり、絶望だと思っていたことが 希望になり、どうしようもない罪人だと思っていたものが義人になっている、共同体 のほうが中心をなくし、骨抜きにされていることになります。 としても一番手ごわ いのは、人間の死です。どう美化し、どう抱え込もうにも、ほんとうは後がない、ひっ くり返しようがない、それが死です。さきほどから周辺という言葉を何度か使いまし た。ひっくり返しても死だけは、ひっくり返しようがないではないかと私も文句を言 いたいのです。けれども、神よって死から生へとひっくり返されたイエスは、ちゃち な私の思いを超えて、死ももろともにひっくり返してしまう。それがどうもラザロの 物語らしいと思っています。
4月27日 イースター礼拝から ルカ福音書24章36~49節  「復活を信じる」  板垣 弘毅  イースター、おめでとうございます。 と ころどころルカによる変更があったり、ルカ以後の書き込みもありますが、最初のこ ろのキリスト者のイエスへの思いが込められた物語になっています。史実性や執筆の 動機や背景を考えるだけでなく、この物語で伝えたかった最初の信仰者のイエスへの 思いにひびき合えればと思います。 信頼して従っていたイエスが、十字架で処刑さ れて、心の底からがっかりした二人の弟子が、エルサレムを後にして、とぼとぼと故 郷へ向かって帰る途上にイエスが伴って歩いています。でも落胆しきった二人はそれ がイエスと気づきません。見知らぬ、旅の同伴者なのです。そこでイエスが、イスラ エルの救い主とはどういう方かを説明します。このルカ福音書の場面はたくさんの絵 になっています。 二人の弟子は夕方、エマオという村について、この見知らぬ旅人 を誘って、宿に入ります。「パンをとり、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しに なった」この場が、生前のイエスと共にした食事の場と重なったとき、あっ、先生だ ! イエスだと気づきます。人の気づきに先だって、つまりひとつのできごとの中で、 傍らにいてくださる、それが復活のイエスです。 自分の言葉、自分の願望ではイエ スがみえないんです。イエスとともに過ごした出来事が、いまここで、起こっている その場で、できごとの中ではっと気づかれる。ここにイエスがおられる!ここではそ のように描かれています。 だから「二人の目が開け、イエスだと分かったが、その 姿は見えなくなった」自分の目で確かめようとしたときには見えない、自己流の神を 当てはめようとすれば見えない、と伝えているのです。   それからすぐ二人は、 暗い夜道を、後にしてきたエルサレムに引き返します。仲間の弟子たちと合流するた めに方向転換したというのです。そして報告します。 弟子たちの真ん中に突然イエ スが立ち、恐れ惑う弟子たちに宣言します。「まさしくわたしだ」大船渡の医師、3. 11の現地からも発信していた山浦玄嗣さんのケセ�ン語で読んでみるとこうなります。 「なにぃおっかながってれ? なすてうたがえ? 見ろ おれァ両方手ど両方あすぃ (足)。おれだでば。 おれさすがってみろ」 「まさしくわたしだ」はケセン語で は「おれだでば!」です。 生前弟子たちのこころを慰め、踊らせ、望みを抱かせたあ のイエスが、ここにおられる !  しかし、弟子たちは疑うしかない。一昨日、十字架 の上で、衆人環視の中で、無惨な死を遂げたばかりのイエス、ユダヤ人を解放するメ シアだと期待する弟子たちの夢(21節)を、木っ端微塵に打ち砕いたイエスがそこ にいるのです。 「おらだでば!」といわれても弟子たちは、腹の底からは気がつか ない。ここでもイエスの方から魚を食べ、食事の場というできごとをそこにつくり出 します。 そしてイエスは弟子たちに語りかけます。旧約聖書が告げていたメシアこそ、わた しなのだ。「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する」 最初の教会 の信仰告白がイエスの口に乗せられています。これ以外に自分たちの経験を言い表す 言葉がなかった!  十字架のイエスは、人々のメシア像を完全に裏切っているわけ です。「メシアは苦しみを受け」という告白にたどりつくのは、ここです。弟子たち が期待した「自己流の」神は全部壊れています。全壊のあとで、今までのものが何も かもがれきになったところで、はじめて、この「まさしくわたしだ」に、人は気づく。 自己流の神さまを見ようとしている人には見えない。逆に主イエスに見つめられてい ることに気づくとき、傍らに立つ方がわかる。 だから人間の想定が全部はずれたよ うな、がれきの山のようなただ中にこそイエスはいるはずです。そこが終わりでも絶 望でもない、絶望する君の傍らにわたしはいる、それが復活のイエスに出会った人々 の信仰でした。 キリスト者であろうとなかろうと、気づこうと気づくまいと、イエ ス・キリストは孤独な魂の傍らにいる、�そうわたしは信じています。あなたの落胆に もまた絶望にも、喜びにも希望にも寄りそっておられる。そして悩みながらも、ため らいながらも、迷いながらも、それでも他者に向きあおうとするあなたの傍らにもイ エスは立っている。でも、自分の願望を神の名で語る人には、傍らに寄りそう方は見 えないのではないかと思います。 イエスが復活した ! という信仰告白は、私たちの 絶望の先に神の未来があるということです。その希望を指し示す矢印のような他者に 出会うことがあります。私たちは孤立した孤独な魂の傍らに寄りそってくれる他者で す。そんなイエスのごとき他者に出会って、わたしも今まで生きてくることができま した。
 4月13日 礼拝説教から  マルコ福音書11章1-10節 マルコが福音書に採用したこの伝承は、教会暦にいう棕櫚の主日、つまりイエス一 行がエルサレムに入場する故事を描いています。この日が日曜かどうか福音書からは わかりませんが、ずっと後のキリスト教がこの日を日曜として、この日をもって受難 週が始まるとしました。 まずまちがいなくこの伝承はこの入場をゼカリヤの預言 (9:9-10)の「成就」として描いています。旧約聖書の引用好きなマタイがそれを 付記したように。 ゼカリヤの預言はこうなっています。 「シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王 はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。 すなわち、ろばの子である子馬に乗る。わたしはエフライムから戦車を断ち、エルサ レムから軍馬を断つ。また、いくさ弓も断たれる。彼は国々の民に平和を告げ、その 政治は海から海に及び、大川から地の果にまで及ぶ。」 これは、バビロニアに強制 連行されたユダヤ人たちが、バビロンを滅ぼしたペルシャ帝国によって解放されエル サレム帰還が許された時の預言です。それはユダヤ人自ら軍事的に戦い取った解放で はなく、少数民族に寛容な政策をとったペルシャから与えられたものです。捕囚民は バビロン捕囚を神から離反した故の罰と神学的に受け止めた(エレミヤ、エゼキエル、 申命記史家など)わけですが、それと同様に、今度はペルシャからの解放を神による 救済・恵みの出来事としてとらえる、それが預言者ゼカリヤの言葉にも表れています。 解放されたユダは、ロバの背に乗った新しい王メシヤをと共に、入場するというので す。本来なら敵の抵抗を迎え撃って、軍馬に乗ったメシヤと共に入場するところが、 こうして平和の裡にエルサレムに入場できることは神の恵みだと受け取っているわけ です。 ゼカリヤ預言のメシア入場の図と、イエスのエルサレム入場はぴったりと重 なるわけではありません。この入場に使われたのがロバだったこと、また群衆が歓呼 して迎え入れることは共通しますが、イエス入場の場合、どうみてもメシヤ・イエス の心は晴れない、イエスの表情は沈痛なものだったとだれにも想像させてしまう筋立 てになっているのです。 ゼカリヤ預言の場合、神が構築してくださった平和の裡に 入場するので、軍馬など必要ない、ロバでよかったというべきですが、マルコが描く イエス入場の場合、イエス自身がロバを選択し、ロバを用意する(マルコ11:1-6) 物語が丹念に描かれています。イエスはエルサレムの支配勢力のなかに、あえてロバ にのって入っていく。オオカミの中に自ら犠牲となることを選ぶように、入っていく、 そういう描き方です。それは力を誇示し、力で支配しようとする、ローマ帝国ならび にその傀儡政権になっているエルサレム神殿勢力の充溢する力の中に、全然別のもの、 非‐力、無力を投げ入れるかのようです。その中で、非-力は、一瞬のうちに飲�み込 まれ跡形もなく消えてしまったと思われるに違いありませんが、さにあらず、非‐力 は、力の充満の中にちゃんともぐりこんで非‐力のまま生き残る、いや力は気づかぬ 間に非-力によって解体されるだろう、そう読み込めるように思えてなりません。
 4月6日の説教から 第一テモテ4章1-7節 「反面教師も時にはよいか」  久保田文貞   第1テモテ、第2テモテ、テトスの3 つの手紙を、牧会書簡と呼ばれます。それらはパウロが弟子のテモテや、テトスに宛 てた監督による教会運営の勧告なのですが、思想的にも、言葉の使い方でも、また背 景となっている歴史的環境もすべて、それらがパウロが書いたものではないことを指 し示しています。 まず、教会論が違います。パウロは第1コリント6章や12章で教 会に〈キリストの体〉という比喩を当て、教会員それぞれは与えられた恵み・賜物 (カリスマ)をもった肢体であると言います。これに対して牧会書簡では、教会は監 督を家父長とする家の比喩で説明し、監督の下に手足となって働く執事を置き、そこ にユダヤ教のシナゴグ(会堂)組織に由来する長老たちが監督を補佐し、一般教会員 は親権者によって養われる子どもたちとしてイメージされています。明らかに教会トッ プの指導体制が強化され、固定化されているのがわかります。 結果として、牧会書 簡ではパウロ以上に女性に対する差別が強化されます。「女が教えたり、男の上に立っ たりすることを、私は許さない。むしろ静かにしているべきである」(Ⅰテモテ2:12)。  結婚についても、パウロは結婚するよりはシングルでいる�方が望ましいと発言して いますが、牧会書簡では結婚を奨励します。(Ⅰテモテ5:14)これは婚姻関係を愚弄し 性的な放逸にふけるグノーシス主義に対抗してのことだと説明されますが、正統主義 が異端を攻撃する言葉によほどの注意が必要です。ここではむしろ父権主義的な監督 の権威を強化していった結果としての婚姻の奨め、シングルの否定と読むべきでしょ う。 その他、奴隷制についてもパウロと牧会書簡の間には違いがありますが、省略。  このように、パウロの時代からおそらく50年位経った2世紀前半の小アジアのある 教会群が監督を中心に組織を強化しなければならない事情があったにせよ、次のこと は言い訳できないほどに問題です。それは、牧会書簡の著者Xは、明らかにパウロとは 違うことを主張するところで〈私は…〉を強調するのです。 牧会書簡は、パウロ書 簡集として出回っていたものに、2世紀になってから第2部、あるいは第3部として 付け加えられたという説(タイセン)があります。とすれば、牧会書簡の著者Xとし ては、パウロははじめ「未婚者たちややもめたちに」結婚しないでいる方がよいと言っ たけれども、後に弟子のテモテやペテロには、シングルでいるのはよくない結婚させ よと言っているとパウロ自ら前言を修正しているというわけです。「私が望むのは、 若いやもめは再婚し、子どもを産み、…」という調子で。 著者Xは、パウロの名を使って、パウロの思想を修正してしまう。まるでカッコウ がほかの鳥に托卵し、ついには生まれたカッコウの雛が温めてくれた母鳥の雛を巣か ら叩き出してしまう(とカッコウを責めるのは人間の勝手読みですが)かのように。 もっともこの手法は、原始教団もよく使った手です。イエスの名を借りて、自分たち に都合の良い話を作ってしまう。 他の権威ある者の言葉を借りて、さも自分が言っ ているように話したり書いたりしてしまう、結果として意識するとしないにかかわら ずその轍を踏まぬ者はないでしょう。別にほとんどの人の発言は科学論文ではないの で、オリジナリティを明確にしなければならないということではありません。でも、 他人の言葉や思想にまみれながらも、奮闘し生きようともがいている人が語る言葉は、 やはり必死に生きようとしている者の胸を打ちます。 その意味でパウロは、聖書(旧 約)やユダヤ人に伝承された言葉、ヘレニズムの言葉を彼自身の生において捉えかえ し、編みなおしていると言ってよいと思います。こういう言い方は畏れ多いのですが、 ナザレ人イエスもユダヤ教の凝り固まった言葉を解体し、彼がとらえた神の真実の相 のもとで、編みなおし語っているからこそ人々を動かすのではないでしょうか。
3月30日の説教から ローマ人への手紙4章9-13節 「義への渇望の行方」     久保田文貞   宗教 改革者ルターが、パウロの信仰義認論を盾にして当時のローマ・カトリック教会と対 抗し改革を行ったことは中高の教科書にもある通りです。ガラテヤ書2章15節以下に よれば、「人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエス を信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。 それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるた めである」と。  そしてこれが逆にプロテスタント教会の原理原則とされて、信徒を縛り始める。わ が日本基督教団でもそうです。信仰的な真理だという言説が、実際にはその意図と関 わりなく政治的力になって諸教会、信徒、教職を締め付けた、それが70年ちょっとの 教団史の現実です。 宗教の現実として、聖なるもの、それに携わる者(聖職者)が、 儀礼や教えをとおして人間社会の中で力を持つ構造ができてしまう問題がありますが、 しかしそれを突き崩し〈改革〉するのも、また聖なるものと、それに携わる者による ことが多いのも事実です。パウロの信仰義認論は、当時のユダヤ教の行き詰まりを打 開するための対案として機能したと思われます。 ただ、私たちプロテスタント教会 の特徴は、この事柄を一部の聖職者の問題にせず、すべての信徒の問題と地続きのこ ととして問題化したことです。確かにこのことは、パウロの言葉の中に十分読み取れ ることでした。パウロがもともと属していたパリサイ派ユダヤ人は信徒運動でもあり ましたから。けれども、このことは、宗教が信徒の生活を過剰に支配してしまう、あ るいはその良し悪しは別として、宗教が、あるがままに生きようとする人の生を、転 倒させかねないという結果をもたらします。 パウロが信仰義認の思想をどのように 獲得したか難しいところですが、その答えのきっかけになる言葉としてロマ書3章21節 以下を挙げることができるでしょう。翻訳の問題には触れませんが、原文に忠実な田 川訳をみますと「それはイエス・キリストの信による、信じるすべての者へといたる 神の義である。そこには何の区別もない。」となります。このパウロの言葉を次のよ うにとらえていいでしょう。人がイエスキリストを信じる信仰によって、人は神から 義とされるというのではない、つまり神から義とされるために、イエス・キリストを 信じるのではない。それでは、信仰が救いの条件になってしまう。極論すれば、人が 信じようと信じまいと、神が罪のもとにある人間を救い出そうとされて、そのままの 人間を義となさる。それが「イエス・キリストの信(実)」ということなのでしょう。 パウロはこのことをイエスの十字架の死の出来事に見出したのは間違いないと思いま す。そこに彼が見るのは、神自身が人間の前に立てる神の信(真)実と、それをかす め取ろうとする人間の欲望の対立です。パウロはその対立の磁場の中に、意識的にと いうか戦略的にというか、自分を置いているように見えます。このちょっとした段差 に足を取られて、「イエス・キリストを信じることにより(「イエス・キリストの信」 の新共同訳)」というように訳したくなる意識が生まれてくるのではないでしょうか。  宗教史的に言えば、神に義とされようとするということは、終末論的な物語に自分 を入れ込む在り様のことです。そして意識するしないにかかわらず、それは義とされ なかった人間が滅ぼされていくのを傍から眺める人間の側に立つことになります。 現 代のキリスト者はそんな古代の幻想と自分は関係ないと言うでしょうが、少なくとも パウロやその周辺にいた人々にとって「神から義とされる」ということをそのような 図柄で考えていたはずです。この図柄の先にはまちがいなく、「滅ぼされない、救わ れるために信じる」という転倒が起こっていくでしょう。けれども、この図柄は、イ エスが立っていた神の信(実)のもとでの、イエスと人々との親密な関係、ときに死 に至るまでの過酷な関係と、全く違って見えるのです。
 3月23日の説教から ヤコブの手紙2章1~14節 「教会の倫理という問題」      久保田 3月11~14日に、日本基督教団は仙台で東日本大震災国際会議を開きました。こ れに対して、1995年阪神淡路大震災で被災した兵庫のS牧師が公開質問状を出しました。 その論点を私なりに要約してみますと、…社会的弱者・少数者と共同・共生し、時代 の社会の虚偽を糺す在り様と切り離すことができないキリスト教の教団が、この震災 によって引き起こされた出来事の中で、地震被害者、津波被害者の支援に正面から取 り組まず、、東電による原発事故の実態隠し、政府・東電による放射線被ばくの危険 の隠ぺい等々に対し、糾弾する声も上げもしなかった、では教団がなにをしていたか というと、オープン聖餐をした一牧師を教理上の逸脱者と決めつけ断罪することに躍 起になって諸教会を締め付けようとするばかりだった。このようなら教団が大震災に 対しても少しはやったよと外国から関心ある人々を招き、学者に講演をさせて国際会 議を、お金をかけて開いたとしても、それはただのアリバイ工作ではないか…そのよ うな批判だと私は受け止めました。 教団を批判するこの質問状に、私も同意するかと問われれば、「はい、同意しま す。」と言えますが、ほんとうは、この批判は実は私に対しても半分くらいは向かっ てくるわけで、他人事のように「はい、その通りだと思います」とは大きな声で言え ないのです。自分らもカンパした、やれることはした、いけるときは反原発のデモに も参加した、自分の住む町もホット・スポットになって署名し集会に参加し活動もし た、などなど言えなくもないのですが、それもアリバイ作りに過ぎないのではないか と指摘されたら、自信をもって応えられないというのが実情です。 ここで聖書を読 んで一つの問題を考えてみたいと思います。それは、パウロの信仰義認論(イエスを 信じる信仰によって神に義とされる=救われる)が、彼の死後数十年経って当然のよ うに独り歩きし教会が信仰・真理問題に明け暮れして、行いが伴わない教会とその信 者に対して、正面から疑問をぶつけたのが、ヤコブの手紙です。「わたしの兄弟たち よ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役 に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。」(ヤコブ2:14)「信仰も、それと 同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。 」(ヤコブ 2:17 )  神学的にどうあれ、至極まっとうな感性の持ち主の言葉だと思います。こういう批 判を受け止められない、神学的な言説は根本から廃棄した方がよいというものです。 確かに、自分の行いの業績を、まるでポイントのように貯めて神の義を獲得するとい うのは、高尚な神学を待たずとも、ごく普通に間違っていると言えます。そういうこ とならば、そもそも「神の義」など持ち出す必要はありません。どこその商店街のよ うにポイントがたまったら〈お伊勢参りにご招待〉という方がよっぽど正直です。 だが、信仰義認をベースにして、その上に、取ってつけたように、パウロ自身も 「姦淫する場、殺すな、盗むな、むさぼるな」その他のどんな掟があっても、「隣人 を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。(ロマ13:9) と言っていく わけです。あまりに調整的。表面的な律法のいちいちを守り抜こうなどとしない方が よいが、メタ律法、律法の極意はしっかりと身に着けて行動せよと言っているのと同 じです。意地悪く言えば、これもアリバイ工作的です。 ではお前はどう考えるのか、 と問われると思いますが、次回に続きを述べます。
3月16日の説教から 使徒行伝2章43~3章10節 「教会の実像に」    久保田文貞   著者ルカは明らかにエルサレム教会の草創期を理想 化、神話化しています。ルカがこれを書いたのは、50年経った後のこと、おそらくエ ルサレム教会の始まりの言伝えを受けてのことでしょうが、その教会は62年ころ主の 兄弟ヤコブが処刑された後指導者を失い、ユダヤ戦争勃発の66年にはエレサレムから 消えてしまったものですから、後の信仰者の熱い思いによる伝承と、ルカの想像力が 物語を作ってしまったでしょう。 そのことを念頭に置いたうえで、よせばいいのに、私なりにその始まりの時を再構 成したいという欲求に負けて綴ってみます。・・・イエスの死後弟子たちはエルサレ ム市内の宿に滞在した(使徒1:12)。そこでの彼らはイエスを見捨てた自責の念に駆 られ、絶望し悲嘆にくれる3日余を過ごした。そこにイエスの墓に行った女たちから、 〈空の墓‐復活〉の知らせを聞き、怪しみ狼狽する。時がたつとともに、それが何を 意味するか、必死で考える。イエスは彼らにガリラヤで会うというのが、女たちの伝 言だ(マルコ16:7)。だが、弟子たちはなぜかエルサレムから離れなかった。そこで ルカは女たちの「ガリラヤに行け」伝承を削除して(ルカ24:9)男たちをサポートす る。使徒行伝では、イエスの十字架の死と葬りの場面で唯一活躍していた女たちは姿 を消す。おそらくガリラヤに帰郷したのだろう。ルカはこれを意図的に無視したと言 わざるをえない。・・ このガリラヤ問題の根は、イエスにも責任があります。なぜ 地方ガリラヤを離れ中央エルサレムに上って(マルコ10:32)、故意にと見えるわけで すが、ユダヤ当局と決定的対立に入っていったのはイエスの意志としか見えません。 イエスはガリラヤで奮闘しても奮闘しても神の国の決定的な風が吹かない、業を煮や し弟子たちを連れてエルサレムに紀子㎜だ、そこで神殿勢力に対決し、あるいは神殿 の御座から動こうとしない神に対して挑戦するようにして揺さぶりをかけたのでしょ うか。 だが、神は最後まで動かなかった。事実上イエスを見捨てた。弟子たちから すれば、もはや自分たちがこの絶望から立ち直るためのよすがはない。すがる弟子た ちを振り切るようにイエスは死に赴くままに任せ、そのイエスを神が見捨て、弟子た ちもそれに倣うようにイエスを見捨てた。その陰で、辺境のガリラヤは二重三重にも 捨てられているのですが、弟子たちはそこまで見通す視力を失っている。 そこに先 の女性たちから復活のメッセージが届くわけです。たぶん弟子たちの感性では、イエ ス運動を壊滅せしめたエルサレムにこそ、そこからこそ、イエス復活の知らせが発信 されるべきだという思いにとらわれたのでしょう。あの問題に満ちたガリラヤでイエ スの福音がまずはじめに宣教されたとしても、ことはそのままエルサレムにもある、 要は〈どこでもいいんだ〉と。ある意味にではガラにもなく弟子たちは世界を宣教の 対象として見据えたとでもいうのでしょうか。少なくともルカはそうとらえています。 世界への福音宣教をエルサレムからと。 けれども、そのようにして大仕掛けに、ガ リラヤやそのほかの辺境を無視してエルサレムから発進してしまったキリスト教は、 常に切り捨てていくものを構造的に抱えてしまったと言えませんか。もちろんこのこ とはそ�のまま私にも他人ごとではありません。少なくともキリスト教は、あの時「ガ リラヤであなた方と会う」という言葉を胸に抱いて故郷に戻っていった人々の物語を もっと大切にすべきだったでしょう。
3月9日の説教から 「倒されても滅びず」  コリント㈼4:7〜12  板垣 弘毅 ある教護院(今は児童自立支援施設)「北海道家庭学校」の谷昌恒校長の言葉。 「わたしは子供の問題を考えながら困難というもの、涙なんていうものは、あるより ない方がいいんだけれども、しかし人間の実相は、ないよりある方がいい、というも う一つの側面が、どうしてももあるんだ、人間とはそういうものだと思う」 ない方 がいいのに、ある方がいい、こういう矛盾した言い方でしか言えない現実はあるんだ、 ということです。いつも、ほんとにそうだなあと、思いめぐらしている実感です。  まだ産声を上げたばかりのコリントの教会。さまざまの問題の中で、きょうのところ は、生前のイエスに会っていないパウロが、イエスの直弟子中心のエルサレム教会か らのお墨付きがない偽使徒だ、という批判に答えている文脈です。パウロは答えます。 自分が心血を注いできた、このコリント教会そのものが、自分の推薦状と言えないの か、そしてきょうのところの直前、彼はこう言います。わたしは「自分自身をのべ伝 えるのではない。主であるイエス・キリストをのべ伝えるのだ」 6節では、みずか らの回心の体験に触れています。そのキリストが、闇の中から光が照らすように、自 分の「心の中に輝いた」のだと語っています。突然のような回心です。この内的な確 信こそ推薦状にまさる、と言うわけです。 その回心する前のパウロは誇りあるユダ ヤ教パリサイ派でしたから、「木に架けられたものは神に呪われた者だ」という律法 の規定を、当然イエスにも下されたものとして疑わなかったはずです。(ガラ3:1 3=申命21:23) しかしそのイエス・キリストが彼の心の中に現れたとき、気 づかされたことは何か。何か人間にとって仰ぎ見るような姿ではなく、律法によって 最悪の人間というレッテルを貼られた被処刑者としてで現れ、しかもそのままで神に よしとされている、そう思わざるをえない、あり得ないできごとが起きているという 衝撃だったと思います。この確信から偽伝道者という中傷に立ち向かったのでした。  パウロが復活のキリストにであったという体験は、十字架につけられたままの、悲 惨な姿を思い浮かべるべきだ、という青野太潮さんという聖書学者の見解に、学問的 な仮説というのでなく、じぶんの実感として近いものを感じてきました。 パウロは 「イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外」は語らない、と言っ ているところもあります。ここを十字架による罪の赦し、贖罪論としてとらえるより、 悲惨な姿の中にある神の意志を読む方がいいと思います。わたしたちが苦しみ悩んで いるそのままが受け止められている。苦しみ悩みつつ、世界に一人しかいない自分を 生きて行け、わたしはそういう人の傍らにつねにいる。それがきっとイエスの福音、 またパウロが気づた十字架の福音というものではないかと思います。 「わたしたち は、このような宝を土の器に納めています」(7節)「宝」というのは、今まで述べ た十字架の福音を指しています。苦しみそのものが受けとめられている、という福音 です。この福音がわたしという壊れやすい「土の器」に容れられている、あふれてい る。 苦しみが人の救いだといえば宗教的な倒錯、と言えるかもしれません。でも、 人は苦難のただ中でも与えられた自分を実現して行く者だというのは、最初の校長先 生の現場からの言葉でも言えると思います。パウロは十字架のイエスの中に、なぜか そこに神の御心を発見した。だから次のように言えました。「わたしたちは四方から 苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、 打ち倒されても滅びない」(8〜9節) 我慢強いこと、打たれ強いことの奨励では なく、この窮地から脱することができたら神は信じられるというのでもない。苦しん でいる、恥じ入っている自分が肯定されているというある確信が語られていると思い ます。 自分を外から見る視点です。 「常にイエスの殺害をこの体に負って歩き回っ ている」(10節 青野訳) 10節の「イエスの死」。「死」という語は一般的な 「死」(タナトス)という語ではなくネクローシスという「死に至らせる」「殺害」 という語をわざわざパウロは使っています。イエスの死に方にこだわっているわけで す。生きる限り人は「イエスの死にさらされている」が、それは「イエスの命が現れ るため」だ。(11節)どんな苦難であっても、それは生きるに価する。人はその人 だけの「いのち」を生きている。この否定を生きることが肯定されている。 あるハ ンセン病患者の方の言葉。「恥でないことを恥だとしているとき、ほんとうの恥にな る」自分の苦しみを恥とせず、苦しむ自分を、神の前で、少なくとも否定しないで持 ちこたえる精神の弾力を、十字架の福音も教えてくれます。 
3月2日の説教から 第2コリント1章3−7節 「呼びかけあう関係」  久保田文貞  今私たちの教会では、中長期的な展望を探るため協議会を重ねています。この議論 をしているとき、私は教会とは何かという問いに再びぶつかっているのを感じていま す。 この教会は、1975年に私ら夫婦と板垣夫妻の4人で集会を始めました。最初の礼 拝ですでに確認していた短い文を読みました。 〈私たちの集会〉・根拠  聖書において示された『十字架につけられ、死から蘇っ た、イエス・キリ ストが私たちの救い主である』という信仰は、私たちの生の根拠で あります。・所属   私たちの伝道所は、日本キリスト教団の信徒の数名が発起者と なって始められたものです。現在、この伝道所は、当教団から未だ法的にな認可を受 けていませんが、『日本キリスト教団に所属する』とは、この教団を神の教会たらし める聖霊の働きにあずかることであると、私たちは確信しています。・信仰告白 私 たちは、この集会において、共同の信仰告白を目指します。この歩みの中で現行の教 団信仰告白と関わり、さらにあるべき教団の共同の信仰告白を目指します。 1975年 4月6日      日本キリスト教団 北松戸 伝道所 今の私はこういうまとめ方をしないと思いますが、この短い文章表現にこめた思い は、教会を自分たちで始めるよりなかった時に、自分たちの思いのままに教会を設 計できることに対する畏れであり、ともかくこの出発はどうあがいても神の恵みの 中に召集されたものだと、表現しておかなければならなかった、ということだと思 います。この確認をしたうえで、あとはほんとうに自由に、思いのままに、そして それは1970年万博にキリスト教館を出典することへの批判に始まった教団問題と教 職問題を睨みながら、この松戸で集会をしていくことになりました。少しずついろ いろなメンバーが加わり、それぞれの集会に対する思いが多様になり、そのつど一 歩一歩〈北松戸〉をデザインし形作ってきました。この点では、基本的に今も変わっ ていないと思います。  さて、今日の箇所は第2コリントの初めの部分の言葉です。この短い段落の中に1 1回も「慰め」という語が出てきます。パウロはこの語が好きなのでしょうが、特に ここではこの語に酔っているようなところがあるかもしれません。原語では動詞パラ クレオ—、名詞パラクレーシスが使われています(パラは「傍ら」カレオーは「呼 ぶ」)。原初の意味は「呼びかける」というほどの意味。ですから、この段落はおお よそこんな風に読み換えてかまわないでしょう。神が人に「呼びかけ」、その「呼び かけ」に促されて人が人に「呼びかける」、そのようにして互いに「呼びかけ」あう、 そこに呼びかけられている者の集まりがある、と。この呼びかけが、文脈によって 「慰め」になったり、「励まし」になったり、ときには「奨め、戒め」、「宣教」と 訳されたりします。  「教会」という語が、エクレーシアの翻訳語であるのはご存 じのとおりです。古くは民会など召集された者たちの集会を意味しました。原始キリ スト教は、キリストによって恵みを約束された者たちのグループにこの語をあてがい ました。この語もカレオー「呼ぶ」(エクは「〜から」)を軸にしています。 こう してみると、教会は神の呼びかけに応えて呼びかけあう者の集まりと少なくともパウ ロにおいて観念されていることがわかります。このとらえ方は新約書全体を覆ってい るでしょう。 ものすごくキリスト教的な表現になっていますけど、人の集まりの根 底を考えてみると〈なにものかに〉「呼びかけられて」そこで「呼びかけあう」よう に集められてあると受け取ることが、どんな人の集まりにもとても大切なことだと思 うのです。
2月23日の説教から 第2コリント4章8−9節 「不屈は神のもの」   久保田文貞  〈わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらな い。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。〉 これがお手本だ、常 にこういう姿勢でいけ、なんて言われても、無理だ、自分はそんな強くないと、私な んかはすぐに引き下がります。けれども、こういう強靭な精神を持ったクリスチャン の先輩がいたと、思い当たる人がいます。   パウロのこういう強さはどこから来 るのでしょうか。このすぐ前の言葉に〈しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に 持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでな いことが、あらわれるためである〉とあります。つまりその強さは神から来ていると いうわけです。さらに5節では〈 我々は自分自身ではなく、主なるイエスキリストを 宣べ伝えているのであり、我々自身をイエスによるあなた方のしもべとして宣べ伝え ている〉とも言います。 そして6節、これはパウロが回心した時の経験を自分の言 葉で語った貴重な個所だと言われています。彼の回心については、使徒行伝9章1節 以下などに、ルカがその伝記的伝承(最近漫画界やオリンピック・マスコミでよく使 われますが、これこそまさに文学様式のジャンルの一つであるレジェンドです)を伝 えていますが、明らかに後代の人の脚色でそれは今のマスコミ的な受け狙いと同根で す。これに対して、回心の中身にパウロはきわめて寡黙なのですが、その内面的な漂 白としては、この6節ぐらいなのです。〈「やみの中から光が照りいでよ」と仰せに なった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたち の心を照して下さったのである。〉 この照らし出された彼の感覚と、10節以下の 言葉は連動していると思います。〈いつもイエスの死をこの身に負うている。それは また、イエスのいのちが、この身に現れるためである。わたしたち生きている者は、 イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたし たちの死ぬべき肉体に現れるためである。〉 パウロが自分の宣教の言葉を神のもの であって、自分から出たものではないと言う時、その「神から」というのは、絶えず 死に渡されているイエス、それゆえに神がイエスをいのちへと挙げたもうという出来 事に、いつもパウロが戻るから出てくる言葉なのでしょう。この十字架につけられ、 挙げられたイエスとの関係に常に自分を重ねていくパウロは、この生き方・命のつか み方を当然のようにクリスチャン一般に要求していきます。パウロは、イエスの直弟 子ではないが、このイエスに対するあり方は、最後にイエスを捨ててしまった(と懺 悔した)ペテロたち直弟子と軌を一にするものだったはずです。そして、これは後の キリスト教正統主義が「使徒的伝承」として受けたものです。 けれども、イエスに 出会い、イエスから新しくいのちへ踏み出す力を与えられた人々は、すべてこの「使 徒的伝承」に組み込まれるべきかと考えると、すぐにそうではないことに気づきます。 原始エルサレム教団やパウロらの教会の型に入らない、イエスの信奉者たちがたくさ ん存在したと言わざるを得ません。「使徒的伝承」のレールの上にのっかている「教 会」ではくくりきれないところに、イエスの真実を受け取って生きる人々がいたと認 識することの意味が「教会」にとってものすごく重要だと思います。  パウロの不屈 の精神はそれとしてご立派だとは思います。けれどもそれが、イエスに信頼し、イエ スに新しい生きる力をいただく人間仲間一般の、理想やお手本とされるべきではない でしょう。そもそもパウロ自身が言うように〈その測り知れない力は神のものであっ て、わたしたちから出たものでない〉のですから、彼もそんな強靭な精神力を人に要 求しないはずです。
2月16日の説教から ルカ福音書6章32−36節 「敵を愛する」  飯田義也  昨年秋に、日本における認知症患者数が462万人と発表されて人々に衝撃を与えまし た。この数字だと、世界の認知症患者数の1割以上が日本人ということになります。 認知症予防は火急のテーマになりました。 わたしは普段「介護予防教室」などでお 話しをする立場ですので、少しずつ情報収集を続けてきたわけですが、最近の研究で、 人類と、穀類や砂糖などの糖質との微妙な関係が明らかになってきていまして、これ だったかと気付くところがありました。 いまの人類が種としてスタートして大雑把 に100万年(短い説では70万年)ですが、農耕生活はたかだか1万年に過ぎません。そ れまでは狩猟・採集生活です。糖質はほとんど食べていなかったのです。お米を食べ なくても生きていたということです。最先端の学者達の間では、人類は設計上、穀類 を食べる体になっていないのではないか…などということが言われ始めています。  食事と血糖値上昇が課題なのです。 私たちにおなじみのインスリンですが、血糖値 を下げるホルモンというだけでなく、脳の中で記憶とか学習といったことがらに重要 な役割をしているということがわかってきています。極端な言い方で恐縮ですが、脳 で働くべきインスリンが体にまわってしまうことで、長期的には記憶などに影響が出 ると考えてもいいかと思います。(学術的にはもう少し複雑なようですが) なるほ ど、この説なら、米食が主である日本人に認知症が多くなるのも頷けます。 さて今 日の聖書にある「罪人」ということば…‥的はずれなことをする人たちという語感で はないでしょうか。神さまの言葉を聞こうともしない人たちを指しています。的はず れじゃなくありたいわたしたちに、愛することのできないような人たちを愛しなさい とは、ずいぶんご無体なおことばです。キリスト教徒がこれを訓言としてとらえて、 いやで仕方なかった人と和解できたというようなことがあるとすれば、それはそれで、 素晴らしいことだと思います。「罪人」が他人として扱われているところも少し気に なります。 実は、パウロの贖罪思想に結晶するわけですが、この「罪人であるわた し(旧約聖書だと個人というよりイスラエル民族)」が罪ゆるされるというところに いたるまでに、長い歴史があることを思わされます。 申命記や師士記あたりに書か れる時代の思想は、行為義認というか、神さまの言葉を守っていれば繁栄できるとい う単純なものです。実際に他国を侵略して皆殺しにすることなどが、あたりまえのこ と、神の祝福を受けることとして書かれています。しかしイスラエルは被侵略の歴史 を歩み始めます。義認の考え方もルツ記あたりになるとかなり変わってきて、義人が 苦しむことで有名なヨブ記を例にとるまでもなく、イザヤ書的な価値観の逆転が書か れるようになってきます。そしてついに、神の子が残虐に殺されてしまうということ が起こるのです。その神の子、キリストが「敵を愛する」ということをおっしゃって います。 今日のテキストの後半に「悪人」という言葉も出てきます。神さまの声、 真実だとか事実に基づいて考えようとする人に対して、事実に基づかないものを信じ 込ませようとする人、当時の言葉なら「偶像礼拝」をさせようとする人。現代社会で も心から悪人だなと思うような人がいます。たとえば原発の課題だって、素人目にも 成り立たないことが明白なのに、金の力で推進していく現実があります。いと高き方 は、本当にこれら悪人にやさしいと思います。むしろ私たちよりずっと権力を持って いたりお金を持っていたり、私たちよりずっと元気にたくましく見えます。 この糖 質に関する新しい研究成果についても、権威ある学会の学者達がこぞって「糖質制限」 をつぶそうと謀ってきている現実があります。糖尿病や高血圧、認知症は「治らない」 病気ですから製薬会社はその患者に生涯にわたって薬を提供する必要が生じ、製薬に いそしむことになります。簡単に治ることがわかるとどうなるでしょうか。 敵を愛 するとは、その人達の事実無根のプロバガンダとかその人自身がもっている偏見とは 闘いながら、そういう人たち自身には肯定的な関心をもっていかなければならないと いうことなのでしょう。 そのようなことどもを背景に、つらつら考えると、最近私 には、旧約聖書が、半遊牧民族の農耕民族による被侵略の歴史、また、定住化・農耕 化の歴史として読めてきて、とても新鮮な感動を覚えています。
2014.2.8 板垣弘毅  土曜の午後、インフルエンザの久保田さんに礼拝司会と何か話しをといわれて、午 前中に書いた、ある方の手紙への返信を読みました。その方はわたしの前々任地の教 会の方で、50代初めの女性Aさん。「うつ」で「どん底」で自分を見つめた長い手 紙をつい最近もらっていました。(当日紹介した手紙の内容は省略)Aさん お手紙 いただいてから、思いめぐらしておりました。手紙で文字にするのはずいぶん大変だっ たと思います。……牧師という仕事の余韻はこのようなたったひとつの物語の受け手 になれるところです。… 一昨日、うつで苦しんでいる友人、その奥さんと電話で2 時間くらい話しました。その人はもう30年以上牧師をしている人ですが、Aさんと 同じように、自分の果たせない責任と、「感情が動かない」ことに苦しんでいました。  私は結果的にたくさんのうつの人と話すことになりました。牧師にもなりきれず、 カウンセラーでも何でもないので、ただ聞き続けるだけでしたが…話してているうち に、期間が長く、つながりが深くなればなるほどある思いに近づきます。 うつが 「病気」である限り「治療」法が考えられ、抗うつ剤も有効なわけですが、「病人」 が「治る」というのはどういうことなのか。抗生物質が効いて熱が下がる、というわ かりやすい場合だけではないわけです。…きのうの牧師さん…いろいろ言ったわけで すが、Aさんには、次の詩をおくります。 (まどみちお詩集『ぼくがここに』童話 屋より)—— ぼくが ここに —— ぼくが ここに いるとき/ほかの どんな ものも/ぼくに かさなって/ ここに いることはできない もしも ぞうが ここ に いるならば/そのぞうだけ/マメが いるならば/そのひとつぶの マメだけ/ しか ここに いることは できない ああ このちきゅうの うえでは/こんなに  だいじに/まもられているのだ/どんなものが どんなところに/いるときにも  その「いること」こそが/なににも ましてすばらしいこと として 「マメが い るならば そのひとつぶの マメだけ しか ここに いることは できない」その 人の代わりはどこにもいない。Aさんの代わりもわたしの代わりも。代わりのないこ とを「だいじにまもられている」と受け止められることを、わたしたちは、イエスの 「いのち」への祝福から気づかされてきたと思います。イエスの福音を伝承してくれ た教会の人たちのおかげです。(これを曇らす教会の人も少なからずいるわけですが) 「 ぼくが ここに いるとき ほかの どんなものも ぼくに かさなって ここに  いることは できない」 としたら、「うつ」の「ぼく」もかけがえのない「ぼく」 なのではないでしょうか。 長府時代も次の深川教会でも、わたしには想像を超える 苦しみや心の世界を生きている「うつ」(に限りませんでしたが)の人に多く(といっ ても時間に限度がありましたが)であってきました。 いつも、その人しか歩けない 道を歩いているのだ、と思ってきました。そしてその人しか歩けない道を歩いている ならわたしと同じだ、と思ってきました。この詩集の最初にあげられているのは「カ ンナ」という詩です。—— カンナ —— カンナが さいて/そこを いぬが とおりました カンナが さいて/ そこを  わたしも とおりました あるひのこと あるひとが/というような わたしで…  かぜは なくて/ひが てっていました この詩はわたし流には、「ぼくが ここに」と裏表です。手入れもしないのにたくま しく夏ごとに、道端でほこりにまみれて咲いている、ありふれたカンナ、そのカンナ と並べば「いぬ」も「わたし」も同列で、「あるひのこと あるひとが」偶然に、と いうような、誰でもいいような「わたし」がここにいます。ただの人です。誰でもい い無数の人のひとりの「わたし」が、「ぼくが ここに」の「ぼく」なんです。 「ど んなものが どんなところに いるときにも」そうです。 慰めにも抵抗にもなる詩 だと思います。「かけがえのない・ただの人」を、泣いたり笑ったりしながらお互い 過ごしてゆきましょう。 「かぜは なくて ひが てっていました」 こんなことに 気づける時が一番大切だと思います。 こちらにも遊びに来てください。     
 2月9日の説教から ヨハネによる福音書4章19〜26節 「まことの礼拝」 久保田文貞  4章はの逸話は、イエスがエルサレムからガリラヤに戻る途中にサマリヤを通りか かり、井戸辺でサマリヤの女に声をかけたことで始まります。ここにはユダヤ人はこ れまでサマリヤ人を差別しユダヤの男子に交際を禁じていました。イエスはユダヤ人 とサマリヤ人の垣根を取り外してしまうような挙に出たわけです。 この逸話に関連 して別の伝承の言葉がつなげられています。神を礼拝する場所としてのエルサレム神 殿とサマリヤ神殿とどちらがほんものか、というものですが、ユダヤ側の方が圧倒的 に優勢の状況でサマリヤ側は神殿まで差別されていたのでしょう(20節)。イエスは この議論を根元から揺るがすような言葉を語ります。「この山でも、またエルサレム でもない所で、父を礼拝する時が来る。・・・」「まことの礼拝」が起こる場所とは、 固定したどこかの場所のことでないらしいことがすぐわかります。繰り返しこの言葉 を聞いたものには、そのような礼拝が現実に起こるのは将来の何年何月のことかとい う時ではなく、今だということが。「まことの礼拝」とは〈唯一のまことの神でいま すあなた=キリストを礼拝すること〉でありますと。(17章3節) しかし、まことの 生ける神を礼拝するということでは、律法の第一の戒め「あなたはわたしのほかに、 なにものをも神としてはならない。」それと第二の戒め「あなたは自分のために、刻 んだ像を造ってはならない。」の中に刻み込まれたものであり、それがイスラエルが 自分たちの信仰を実現しようとした歴史でありました。 まことの礼拝という物言い には常に、神でない者を礼拝してはならないという否定の物言いが付きまといます。 けれども、この否定がけっこうある種の法悦をもたらします。自分への戒めをこめて 言いますが、神でないものへの礼拝をどんなに告発したとしても、それはまことの礼 拝には絶対に届かない。中世世界なら話はそれで終わりになりますが、近=現代の人 間には、神でないものへの礼拝の拒否・告発それ自体が、無神論として告発される危 険をかかえるどころか、全く別の側から評価されてしまうことになるという問題です。 ややこしい言い方をしましたがごく単純なことであります。神仏を礼拝しない、迷信 を信じないという近代主義の一側面と、ユダヤ教・キリスト教の偶像否定は妙な形で 結びついてしまう。 けれども、ヨハネのまことの礼拝はこの点で実はより破壊的と いうか、私たち人間のユダヤ教的、キリスト教的通念を根底から揺さぶりかけます。 まことの神にして、まことの人であるキリストを礼拝することこそまことの礼拝だと いうのです。正統主義者みたいなことを言うなと叱られるかもしれません。確かに、 そっちの方に引っ張っていけばいくらでもそっちにもっていかれかねないことばです が、もちろんそういうつもりは一切ありません。キリスト教はキリストを神聖化し、 彼を神殿に再び神でしかないかのように括り付けてしまう、これってものすごく安易 な解決法だったでしょう。まことの人にしてまことの神を礼拝するとは、神の方に比 重をかけて一つにしておけば間違いなさそうですから。けれども、ヨハネによる福音 書は、そうはさせぬと、愚直とも思えるほどに、まことの神にして、まことの人イエ ス・キリストを証ししていく。それは私たちにまことの人イエスを神に集約させてし まう元凶だけのように見えるでしょうか。それとは正反対に、まことの神キリストに、 まことの人イエスをぶつけているようにも見えます。 わたしには、まことの神にし て、まことの人イエス・キリストという新約表現の矛盾・パラドックスを、かつての キリスト教のように自分のもとにまでそのまま引っ張ってきてはならないと思います。 もちろん考え方を新約時代までそのまま戻せというのはありません。まことの神にし て、まことの人という物言い自体がどこか別の次元に降り立っている。それを見つけ て細々と組み立てなおすぐらいかと思います。 
1月26日の説教から ピリピ書1章3−11節 「教会のたどる道」     久保田文貞  ピリピ書簡の挨拶の続きのような箇所です。パウロとピリピの信徒の群れ (ekklesia)の間にほかには見られないような親密な関係がここだけでよくわかりま す。今日は、この群れ(以後これを教会と呼んでおきます)の存在とそのたどる道に ついて考えてみます。 この教会の始まりについて知る史料は、パウロの書いたこの 手紙と、それから30数年後の使徒行伝だけです。パウロはいわゆる第2回伝道旅行 (これはアンテオケ教会のペテロとバルナバとの衝突事件(ガラテヤ2章)の後、彼 が独自の伝道を始める最初のもの)事実上の出発点をマケドニアにしています。上陸 して最初の伝道地がネアポリスの北数キロほどのローマ植民市ピリピでした。50年 頃のことです。使徒行伝によればそこにユダヤ人の紫布商人ルデヤという女性がいて 彼女も集会に参加している。書簡の方ではエボディア、シンティケという二人の名前 が出てきます。たぶんどちらかがルデヤでしょうか。パウロは彼女らのいる集会をとっ かかりにしてキリストの福音を伝えるわけです。 パウロが何かの事件で囚われの身 になっていた時(1:13,14など)この教会に宛てて手紙を書きました。書かれた場所が どこか諸説ありますが、ここではローマからとします。するとこの手紙は61年頃書か れたことになります。いずれにせよ、ピリピ教会が50年に誕生したとして10年経っ ていることになります。この教会がその間一度パウロが訪問していますが、さらに人 を介して連絡を取り合っていますが、どう考えてもパウロと直接接触している日数は 微々たるものです。この書簡やずっとのちの使徒行伝に現れるピリピ教会の10数年 のほとんどの実態は、これら新約文書の水面下に隠れています。こうしたことはピリ ピ教会だけではありません。新約や教会史に名前の出てくる諸教会すべてに当てはま ります。さらに、教会の名前すらもてず、忘れられていった人、教会の名前ももてな かったグループもあったでしょう。ピリピ教会ではメンバーの名前さえ残るわけです が、どの教会の場合でも、教会の実際の歴史は、その周辺や背後に埋もれていく人々 の上にのっかって続いてきたということをしっかりと押さえておく必要があります。  ピリピの教会のことで言えば、1世紀の様子はパウロ書簡と使徒行伝の情報に一切か かっているわけですが、その二つの言葉群も実はそうやってピリピ教会の日常の活動、 そこの教会員らの現実を語り出したというよりも、はるかに膨大にそれらを語りえな かった、あるいはそれに失敗していた、と言わざるを得ないのです。パウロはそれを 補うかのように、この教会とやりとりをすればするだけ喜びに満たされ、感謝してい るように書きます。それはそれとして読みますが、ひょっとしたら手紙を書いている 時のパウロの気分、報告者の言葉などに大きく左右されただけのことかもしれない。 水を差すようですが、パウロのこの喜びの気分の背後にどれだけの人の苦悩が置き去 りにされているか知れないのです。言葉の限界と言えばそれまでですが、聖書の読み 行為はそれではすみません。聖書と言えども歴史的な言葉であり、それは常に忘れら れた人間たちとそのかき消された言葉の上に浮かび上がったものにすぎないと、謙虚 に読むよりないでしょう。
1月19日の説教から 「あの狐に伝えよ」  ルカ13:31〜33    板垣 弘毅 先週のある日、日暮里駅での人身事故の記事がありました。停車しようとした時、何 か音がして、さがしたが見つからず、そのまま発車。終電後、ホーム下の空間で発見 されて死亡が確認された。事故から1時間半後、被害者は40代半ばの男性の会社員 で新年会の帰りだった、大体そんな内容でした。10行ぐらいの小さな記事を思いだ したのは、同じように地方新聞の片隅で報じられた交通事故で、つい最近身内を失っ たからでした。遺族にとってはこれはとても「大きな」事件です。わたしたちの世の 中は、ニュースにもならない小さな、でも取り替えようもない無数の「いのち」でで きあがっています。きょうの聖書は、イエスがそんな「いのち」に向き合った、それ だけをやり抜いたということが語られています。きょうのところはルカ福音書だけが 保存したイエスの言葉です。ここではあるファリサイ派の人たちが、なぜか、イエス の身を案じて逃亡を勧めています。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを 殺そうとしています」ヘロデと言われているのは、当時ガリラヤ・ペレア地方の領主 としてローマから認められていた、ヘロデ・アンティパスのことです。自分の不倫関 係をきびしく責めたヨハネを捕らえて首をはねた王ですね。 最初イエスもこのヨハ ネの、きびしく心身を清めて神の国に備える洗礼運動に加わります。でもやがてヨハ ネのグループから離れます。イエスから見える「神の国(支配)」はいわば誰もが無 条件で招かれる祝宴で表すような場だったからだと思えます。ところが、ヘロデは、 ヨハネの仲間のひとりだったイエスが、ヨハネの死後もガリラヤの人々の注目を集め ていることが気になったようです。「いったい何者か」(ルカ9:7〜9)得体の知 れぬものへの恐れも含んで、イエスも何とか捕らえて、息の根を止めようと思うヘロ デという領主が描かれています。イエスはなんと言ったのか。「行ってあの狐に、 『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわた しが言ったと伝えよ』」(32節) 狐になんの罪もありませんが、どうも昔から狐 はどこか胡散くさい動物の代名詞になったりします。旧約聖書でも(エレ13:4) 2世紀のイソップ寓話集でも。 ここは新共同訳の訳ではよく分からない?(当日お 配りしたメモ参照)イエスは、今日も明日も、取りつかれた人からその悪霊を追い出 し、心身の苦しみでうめく人たちを、癒す働きをやり続ける、三日目だって、やり通 すよ、と言っています。 ヨハネはヘロデの悪行を指摘したのですが、イエスはヘロ デが何を言おうと、私は私がすることをやり抜くだけだ、と言っています。それが迫っ ている神の国にもっともふさわしい生き方、自然な生き方だということです。 その ころの社会では、病気や障害、家族の不幸は、本人や先祖の罪の結果とか、悪霊の取 り憑きと考えられました。もう存在自体が律法違反というわけで、それだけで「罪人」 の烙印を押され、「救い」の対象外でした。この人たちは救われなくていい、と世の 中が見なしていたのです。古代社会では日常のことです。もっとも基本的人権が銘記 された近代の法の下でも「救われなくていい人間」は暗黙にまたむしろ合法的に決め られているわけです。死刑囚もそうです。「福島」「沖縄」も例外的な負担が固定化 されてゆく。 イエスは「救われなくていいいのち」を拒否しています。ひとりの 「いのち」は律法の適用で決められない、だから「今神の国に備えることは、ヨハネ のように断食で身をうちたたいて律法を厳守することではない。神の国が今ここにあ るように生きることだ」と確信しました。ひとりの「いのち」が悪霊に閉じこめられ ていたら、それゆえ律法で罪人に定められ、救いの外に置かれているとしたら、今こ こで、解放された「いのち」がかがやく場を作ってしまおう、それが神の国に備える ことなのだと、イエスは語り、みずから生きたのだと思います。それはイエスにとっ ては自然な成り行きでした。でも、イエスにであってそうだ ! と、共に喜んだ人たち は少数でした。多くの人はこの男をただの変人、跳ね上がり者、妄想家のひとりと断 定したはずです。 イエスとはいったい何者なのか? ヨハネも牢の中から、弟子に尋 ねさせています。(ルカ7:21〜)「来るべき方(ほんとうの救い主のこと!)はあ なたなのですか」イエスは、ここで起こっているできごとで、君たち自身が判断した まえ、と答えています。神の国は誰がなんと言おうと、ひとりのいのちが祝福される 「できごと」なのだ。このイエスのメッセージの中に、きょうのイエスの言葉もあり ます。目の前の「いのち」のために、「今日も明日も悪霊を追い出し、癒しをやり通 すよ。三日目だって同じことをやり抜くだけだよ。」この小さなできごとを今つくり だすことが希望につながっているんだよ、とイエスは言っています。 
1月12日の説教から ヨハネ福音書3章16−21節 「裁くことの意味喪失」    久保田文貞  3章16〜21節は、その前のニコデモとイエスの物語部とはを明らかに別に伝承してい た言葉です。『ヨハネの手紙』と同じ系列に属す言葉でしょう。 これがニコデモの物 語につなげられ、それがより深化されると考えてのことでしょう。その一つのキーワー ドとなるものが「裁く」ということです。 …神が御子を世に遣わされたのは、世を 裁  くためではなく、御子によって、世が救われるた めである。御子を信じる者 は、裁かれない。信 じない者は、既に裁かれている。 しかし、ニコデモ物語から 〈世の裁き〉というテーマにどう繋がるのかそれほどはっきりしません。 ニコデモ の登場の仕方は、公人として人目を忍ぶように暗がりの中、イエスが行った〈しるし〉 =奇蹟に惹かれ「神の下から来られた教師」に会いに来るというものです。ニコデモ のこの距離の取り方を無視するかのように、イエスはいきなり「人は、新たに生まれ なければ、神の国を見ることはできない。」という言葉をぶつけます。そして〈地上 のこと〉と〈天上のこと〉の間にある乗り越えがたい壁をニコデモに突きつける形で 問答を切ってしまう(10〜15)印象です。  〈地上のこと〉についての裁きという ことであれば、ニコデモはユダヤ議会の議員であり、ユダヤ人の間の訴訟の上級審の 裁判官にもなりうる立場の人です。ニコデモは7章にも出てきます。そこでは、イエス の方が人目を避けてエルサレムに来ているのですが、祭りで高揚した気分の中、民衆 にせがまれてイエスが神殿で説教する。そうすると賛否両論別れてちょっとした騒動 になる。これを察知した神殿当局は下役にイエスの身柄を捉えてくるように命じるが、 捕えることができない。そこで議会で議論が起こる。その時、ニコデモが発言します。 「我々の律法によれば、まず本人から事情を聴き、何をしたかを確かめたうえでなけ れば、判決を下してはならないことになっているではないか」と。つまり裁きが恣意 的になってはならない、証拠に基き法に照らして公正な手続きを踏まなければ裁いて はならないという至極もっともな意見です。けれども現実の政治は一方でこの当然の ことがつまらないことが理由で曲げられる。「あなたはガリラヤの出身なのか。よく 調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。」 法的な保護の外 にあった教会の指導者であるヨハネ福音書著者にしても、かくも公正な公人の存在を どれだけ思慕したかその気持ちが伝わってくるような物語です。なのに、そのニコデ モを撥ね除けてしまう切ない物語なのです。 〈地上のこと〉では人々の優秀な指導 者であり、どれほど公正な裁きをする人物であろうとも、キリストの前では、「新た に生まれる」よりないというわけです。なぜなら御子キリストは世を裁くためではな く、世を救うために天から遣わされているのだから。 というわけで、御子を信じる 者にとっては、裁くということはもらや意味をなさない。敢えて言うなら、この御子 を信じないということが、自らに裁きを招くことになると。つきつめれば、もはや 「救われる」という標識を与えられる者も、「裁かれる」という標識を宛がわれる者 にとっても、「裁き」ということが意味喪失し、同時に特定の誰かが救われるという ことの意味も解体されていくよりないでしょう。 実質的に、私たちはこの〈地上の こと〉に依然として残る、互いに裁き合う現実の中に置かれることになります。「新 たに生まれ」損なったかもしれないニコデモのような人が、そこで改めて公平に裁く ことの意味が浮上することになるでしょう。それを大切にせねばと思います。
 1月5日の説教から コヘレト7章13-14、20-21、27-29 「人として考えはじめる」   久保田文貞  「コヘレトの言葉」は、「箴言」「ヨブ記」ユダヤ教の知恵文学の基本になってい る「神を畏れる」というところに立っています。  …わたしは知った、すべて神の 業は永遠   に不変であり付け加えることも除くことも許さ  れない、と。神は 人間が神を畏れ敬うように  定められた。(3:14)そこからコヘレトの場合にはと くに  …この空しい人生の日々に  私はすべてを見極めた。  善人がその善の ゆえに滅びることもあり  悪人がの悪のゆえに長らえることもある。   善人過 ぎるな、賢すぎるな、どうして滅びてよ  かろう。(7:15−16)  …善のみ行っ て罪を犯さないような人間はこ  の地上にはいない。人の言うことをいちいち   気にするな。(7:20)諦念にも似た悟りの境地が言い表わされています。 旧約聖書 は基本的に、弱小の民イスラエルが神ヤハウェから神の民として選ばれ、周辺の諸部 族や大帝国のはざまでたえず救われてきたという経験をおよそ千年にわたって繋げて いく、イスラエル救済の歴史書という側面があります。とくに出エジプトと約束の土 地を奪取したこと、王国が滅ぼされバビロニアに捕囚、そしてペルシャ帝国の下解放 され、いつか最終的な神の救いを待つユダヤ教徒として生きていくこと、等々。とこ ろが、知恵文学全体に特徴的なことですが、コヘレトも出エジプトに代表されるこれ らイスラエルの救済史にほとんど無関心なのです。   …わたしの魂はなお尋ね求めて見出さな   かった。千人に一人という男はい たが千人に  一人として、よい女は見出さなかった。ただし  見よ、見出したこ とがある。神は人間をまっす  ぐに作られたが人間は複雑な考え方をした  がる、 ということ。 (7:28−29)  女性にはずいぶん失礼な話だが、これが「千人に一人としてよい男も、女も見出さ なかった」というなら、一般的な知恵の語りです。気になるのは「千人に一人という (よい)男がいた」ということ。なんだこれはと思いました。そして得た私なりの結 論。この千人に一人という男はコヘレト自身だろうと。相当の思い上がりということ になりますが、自分は頭一つ分だけ抜けていると思っているらしい。 ともすると大 変謙そんで、力まず、柔軟なものの見方をすすめていたりするのだが、ときどきくび すを返したように言う。「この空しい人生の日々に私はすべてを見極めた。」と。ま たこうも言う「太陽の下、更にわたしは見た。裁きのZにあくが、正義の座に悪があ るのを。わたしはこうつぶやいた。正義を行う人も悪人も神は裁かれる。…」(3: 16)また「わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た。…」(4:1) と。 ここに立ちあがっている「わたし」コヘレトは、今やほとんど神の視線をもの にしています。「千人に一人」の頭一つ抜けた男として、世界を俯瞰し、ともすると 睥睨しているとさえ見えます。もはやそこでは神の救済史なんかにすがりつかない。 そして「すべてを見極めた」(7:15)と言ってはばからない。こんな人の書物が旧約 聖書に入っていることにあらためて驚きます。まさに「神は人間をまっすぐに作られ たが人間は複雑な考え方をしたがる」(7:16)ということでしょうか。 かけに応えることの根源的な責任と、そのために別の他者に「死を与え」てしまう罪 性責任とは抜き差し難くわれらの前にあるのだ、それを受け止めるのも人として一つ の在り方でしょう。またこの重荷をあの「お方」が解いてくださると信じて生きるの も一つの在り方でしょう。 もってまわった言い方をしましたが、それはたしかにキリ スト教の在り方です。しかし、それが人間の問題の救いの方策・手段あるいは理念と して取り出された途端、それはただのイデオロギーに堕してしまうことを教会はしか と押さえておくべきでしょう。