説教ノート 2013年1月から12月分まで

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12月29日の説教から  イザヤ所63章7〜9節 久保田 文貞  26日安倍首相は靖国参拝をして談話を発表しまた。「本日、靖国神社を参拝し、国 のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠をささげるとともに、 尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。・・・」と。その後の 言葉でこの参拝が平和への誓いであることを必死で強調しているのですが、私にはむ なしい言葉としか思えませんでした。 あの戦争はアジアの隣人たち1500万の人々を殺 害し、朝鮮半島の社会・経済を破綻させ、男たち・女たちを徴兵・動員し家族をずた ずたにしてしまった。その戦争責任をぼやかしたまま、政教分離の原則を踏みにじっ て戦死した兵士を御英霊として尊崇するなどという言葉がどれほど虚偽に満ち、危険 な意味をはらむか、少しも理解できていない。そんな国家指導者を私たちが抱いてい ることに恐れを感じます。 このことを念頭に置きながら、イザヤ書63章を通して、 わたしたちが歴史を受け止め、それに耳を傾け、歴史を語るということがどういうこ となのか考えてみたいと思います。 イザヤ書56〜66章は第三イザヤとして区別され ます。書かれている予言の内容から、ペルシャ帝国の勃興によってバビロンによる捕 囚が終わった後の預言とされます。捕囚されていた民がエルサレムに帰還して目にし たのは廃墟となっていた町であり、焼けて崩れ落ちた神殿の跡でした。この予言を読 むと、来るべき輝かしいエルサレム復興のイメージが次から次に出てきますが、実は その背後にそのイメージとは似ても似つかない現実が横たわっているのが知られます。 「あなたは再び「捨てられた女」と呼ばれることなく、あなたの土地は再び「荒廃」 と呼ばれることはない。」(62:4)と言うが、現実はまさに「捨てられた女」「荒廃」 そのもの、どう立ち上がってよいか途方にくれる民が目の前に。「城門を通れ、通れ、 民の道を開け。盛り上げよ、土を盛り上げて広い道を備え、石を取り除け」(62:10) と言うが、現実は壊された門はどこを通り抜ければよいかわからず、道らしき所に石 が転がっていてまっすぐに進むこともでいない。「わたしたちの輝き、わたしたちの 聖所、先祖があなたを賛美した所は、火に焼かれ、わたしたちの慕うものは廃墟となっ た。」(64:10))この預言者の目の前に、およそ50年前にバビロンの攻撃で焼け落 ちた宮の残骸しかないことがわかります。その光景を見て落胆した民に共感し、沈痛 な思いで彼らに神の前に立ち戻って、イスラエルを窮地から購い出した歴史を想い起 すよう促すのです。(63:7−64:11) こうして神ヤハウェの前に帰り立ち神に告白 する民に向けて、この現実を乗り越える約束の予言をするわけです。 第三イザヤの 予言は、旧約聖書全体の終結部分に含まれると言ってよいでしょう。しかし、そこに 未来に向けて明確な答えは隠されたままですが、旧約聖書は救いの約束だけをして閉 じます。ゲーム感覚で言えば、この民は〈上がり〉となる最後の札を待ったままの状 態に置かれたままになります。その歴史をどう受け止め、どう捉え、どう語っていく か、任されたまま生きていくことになります。 確かに人々にとって歴史とは、現代 の歴史学が探求する歴史的事実とその社会科学的な記述とは少し別の地平で、さあ、 あなたはどう生きるのかと迫ってくるところがあります。わたしたちにとって、あの 戦争はもはや直接かかわった歴史ではないけれども、その歴史を抱え持つ民の一員と して、では今をどう捉え、これからどう生きるか問いかけてくる歴史として生きるよ りありません。 阿部首相の談話が物語る歴史をNOと言って選び取るかどうか、自分 で決めていくよりありません。私たちはこの国の民の一員として、それを聖書を読み つつ決断していきたいと思うのです。


12月22日 マタイ福音書2章1〜8節 「クリスマスの影」    久保田文貞  マタイのクリスマス物語は、ルカのそれと違って、イエス誕生の場面には一切触れ ていません。東方の星占い師がエルサレムに来てまずヘロデ大王の王宮に行き、ユダ ヤ人の王として生まれた方はどこにいるかと尋ねるというところから始まります。こ れを聞いたヘロデ王やエルサレムの住民が不安になる。ヘロデは律法学者らを集め調 べさせた。出てきた答えはユダヤのベツレヘムだった。そこで星占い師たちをベツレ ヘムに遣った。星に導かれて行き家に入ってみると「幼子は母マリアと共におられた。 彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として奉 げた」という。その後、彼らはヘロデの帰るなという夢のお告げを聞いてそのまま国 に帰った、というだけなのです。 星占い師がユダヤの王の誕生を知らせる星を観測 してからユダヤまで旅をし、宮廷で王と面談し、学者たちが調査し王が回答を得て、 星占い師がベツレヘムに行くという全体の行程を勘定に入れると数日間が経っていま す。マタイの物語ではイエス誕生から星占い師らの訪問を受けるまで何も語っていな い、星占い師たちがそこに行ったときには、義父ヨセフもいず、幼子イエスと母がい るのみです。つまり、イエスの誕生にだれも会いにも来ていないこれでもかというく らい寂しい誕生なのです。 そして最初に「謁見」に訪れたのがユダヤ人が公式的に 忌み嫌う星占い師の異邦人。それも的外れといわんばかりの「ユダヤ人の王」、この 尊称は福音書の終局部分でやはり異邦人ローマ総督ピラトが裁判でイエスに向かって 「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問する所で出ており、それが罪状書きとして十字 架に貼り付けられた称号でした。つまりマタイとしては、ユダヤ人の王は尊称でなく 誤称あつかいなのです。星占い師らの誤解がヘロデ大王の猜疑心を招き幼児虐殺とい う事態を引き起こしてしまった。そしてこの同じ猜疑心がついにはピラトの猜疑心に つながりイエスを処刑してしまうったのだと、こうしてイエスは誕生から死に至るま で、異邦人の誤解を受け抹殺されてしまうが、そうなった原因はその背後にいつも控 えているユダヤ人——ヘロデ大王の背後で驚き怪しんだエルサレム住民のユダヤ人、 イエスが行く先々で妨害したパリサイ人と律法学者たち、ピラトの裁判を傍聴しなが ら「十字架につけよ」と叫んだユダヤ人群衆——と言わんとしているように見えます。 この福音書の最後で、ホレブの山でモーセが民に遺言して逝ったようにして復活者イ エスが弟子たちに「すべての異邦人を私の弟子にしなさい」と言い置いて昇天する様 子が描かれています。イエスのことを誤解しやすい異邦人たちではあるが、かれらこ そ自分の弟子にするようにと命じているようにも聞こえます。 このクリスマス物語 の最後は、「聖家族」は旧約のいくつかの物語のようにエジプトに避難します。メシ ア(=キリスト)は権力の暴力に直に対抗せず、家族と共に避難民になっていきます。 メシアは権力を避けるだけでなく、権力を取りにもいかないと言っているように聞こ えます。「聖家族」を「王家族」のように描いてはいけません。暴力的な権力から逃 げ散りじりになりそうな家族とともにいることを覚えておきたいです。 
 12月15日の説教から マタイ福音書1章18−25節 「乙女マリヤより生まれ」  福音書の中でイエス誕生について描いているのは、マタイ福音書とルカ福音書の二 つですが、両者の共通することはそう多くはありません。㈰イエスがベツレヘムで生ま れたこと、㈪父親がヨセフであること。㈫マリヤは聖霊によって身籠ったこと。の三つ です。㈰㈪は、ここに誕生するイエスはダビデの子孫であり、旧約聖書が指し示してい るところの真のメシア=キリストであると宣言していることになります。 これに対 して母マリヤが聖霊によって子を宿したという㈫は、ある意味で㈰㈪を否定するものです。 イエスが天から神の子という身分を授かったということなら、マルコ福音書1章 10,11節のように洗礼を受け聖霊が天から下り「あなたはわたしの愛する子、わたしの 心にかなう者」という天の声があったということで十分であり、そうならば何の問題 もなかったと言えます。ところが、出自も定かでない一介の乙女が聖霊によって身籠 り彼女からメシアが生まれるというのでは、殊にユダヤ人にとっては受入れがたいス キャンダルなことになります。それはまたヘレニズムの冷静で良識を重んじる人々に はバカげた狂信的な説話とされたにちがいありません。 それは自分たちは合理主義 的で科学的だと思い込んでいる私たち現代人にとっては古代の神話的表現に過ぎない と思うのとそう違いはないでしょう。だが、合理精神の中に生きている現代のキリス ト教徒は、その神話的表現の奥に潜んでいる意味をくみ取ればいいのだと実にきわど い聖書読みをすることになります。そしてむしろ近代の合理主義精神こそ問題ありと して聖書を読もうとします。聖書を読み、聖書にもとづいて近代合理主義の呪縛にか けられた人間を解放できると・・・。そうできれば、キリスト教もまんざら捨てたで ないというわけです。 しかし、そこでその神話の背後にある、合理主義に毒されて いない意味を取り出して、さあどうだとキリスト教は現代-近代を本当に克服できるで しょうか。そこで取り出してきたと言って見せた〈意味〉はしょせん現代の意味世界 の内側の意味でしかない。比較的、良心的で、倫理的な。 ならば、そこにどんな意 味があるのかなどという構え方をしない方がいいでしょう。それを解釈し理解できる 意味にあつらえたりせずに、驚き怪しみ理解できないこととして聞き、一介の乙女マ リアから私のメシア=救い主が生まれるという不条理(ほんとうは不条理でもなんで もない、なにがしか卵へのうながしがあれば乙女から子は当然に生まれるのですから) の前に立つというよりありますまい。自分たちの意味体系の向こう側からの声をこち ら側に引き込んで強引に意味あるものにしてしまうことをやめた方がよいでしょう。  聖霊によってマリヤが身籠ったということで何がここに起こっているかという事柄 をそのとおりに言葉に移すよりないでしょう。言葉に移すことで、確かに事柄が言葉 によってねじふされ命にかかわるような変形を受けてしまいかねない、そのことを十 分に弁えたうえで、そして時にはある種の変形を許してくださると確信しながら、事 柄をことばに移すよりありません。従って、ことばに写し取ったのはあくまで暫定的 な表示に過ぎない、ましてその言葉に形而上学的な真理が宿っていたり、あたらしい 意味が生成されたりなどということはいっさいあってならないでしょう。するとどう なるのでしょう。ただ、ただ、ことばが事柄の周辺で歌われ、踊りとなり、そうやっ て祝祭の中に立ち上げられるということなのでしょう。
 12月8日の説教から マルコ福音書12章18−24 「生きている者の神」      久保田文貞   サドカイ人がイエスに論争を挑む話です。サドカイ人という のは、一世紀後半の歴史家ヨセフスや新約の福音書に出てくるだけで、パリサイ人や エッセナ派のように自分たちの主張を書いている明確な文書も残っていなく(ただ 「シラの書」ぐらいが彼らのものと言われる)、神殿貴族などユダヤの金持ちだけの 会員制クラブのようなものだったようです(ヨセフス)。というわけでエルサレム周 辺に居を構えていただろう彼らが、ガリラヤの田舎で直接にイエスに復活論争をしか けたとは考えにくいし、また論争の中身からみても、イエス死後、ユダヤ教諸勢力と 対抗して復活信仰を弁証していかねばならなかった原始教会の中で作られた物語だと 考えてよいと思います。 彼らがイエスにしかけた論争は、ふるく家父長制部族社会 に存在した義兄弟婚(レヴィラト婚)制度〈兄が子をもうけないまま妻を残した死ん だ場合、その弟が兄嫁と結婚して跡継ぎをもうけねばならない〉に関わるものでした。 それは7人兄弟が次々と死んで、長男の妻が次々と弟たちの妻された場合、その妻も 死んでいよいよ復活の時、その女はだれの妻になるのかという問題でした。サドカイ 人は、パリサイ人らと違って復活を否定していました(もっともこれは福音書にのみ 出てくる情報ですが)。その質問が復活信仰にたつクリスチャンたちにいかに悪意の あるものになっているか明らかです。 サドカイ人の、古代部族社会の習俗・義兄弟 婚を取り上げて〈ためにする〉ような議論と、それをどう切り抜けるか腐心した原始 教会の人々を私たちはちょっと嗤えないんじゃないかと思います。 今高齢(化)社 会に突入していく中で、各行政から高齢者に介護保険のための問診票が出されていま す。そこに「あなたは同じことを何度も聞くと家族から言われますか」という問いが ある。するとそんなことはないと気丈な高齢者は〈いいえ〉にマルを付ける。はたで 見ていた家族は〈はい〉にマルすべきなのにと思う。かく云う自分も最近記憶力が衰 えてひとごとではないのですが。記憶と共に自分を一つにまとめておく力が弱ってく る。さらに自分が何者か、自分が何に所属しているのか、等々、自分の輪郭線がぼや けてくる。まだしっかりしているうちは、自分のなかにいろいろな競合関係や齟齬が あってもなんとか自己を一つに統合できて維持できるのですが、ひるがえって考えて みれば、自己を一つにしておく力とは、裏返せばほんとうはバラバラに引き裂かれて いる自己を一つに見せている偽善的な自己ということにならないでしょうか。むしろ 高齢になってきてバラバラな自分に戸惑い収拾がつかなくなってきちゃったという方 がずっと正直かもしれません。私たちはそういう社会に生きているのではないかと思 わされます。 とすれば、復活ということがあるなら、そのバラバラな〈わたし〉は あなたの前でどんな顔をすればいいのか、とにかくサドカイ人の意地悪な質問は義兄 弟婚によって引き裂かれている女性だけの問題ではない、〈わたし〉の問題でもある という思いにさらされます。そこでイエスがサドカイ人に言われます。「神は死んだ 者の神ではなく、生きている者の神である。あなたがたは非常な思い違いをしている」 と。バラバラでいいんだよ、無理してつじつまを合わせなくていいんだよ、という言 葉に私には聞こえます。(ルツの話はここでは割愛しました。)
 12月1日の説教から 創世記22章1−18節 「犠牲」 久保田文貞 「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。」 (12:1) 神からの命令と祝福の約束のみをたよりに、アブラハムは故郷ハランを旅立 ちます。この旅の行く先であるカナンがどんな土地なのかなにも知らされていません。 予定もたてられず、計算もなり立たないものでした。アブラハムはただ信じて歩み出 したというのです。この信頼こそアブラハムが信仰の父とされた所以であり、ことに パウロがアブラハムを信じて義とされる信仰義認の元型として取り出したところです。 (ロマ4:16など)   キエルケゴール(1813−1855)は『おそれとおののき』とい う書で、神の理にかなわぬ命令、要求にもかかわらず、「アブラハムは信じた」とい う局面を何度も何度も反復させて描いています。未来に向かって踏み出していくアブ ラハムの中に、不条理ゆえに信じる信仰を見出し、背理に向かって飛躍し決断する人 間を描いていきます。この本の中で中心的な役割を果たすのがひとり息子イサクの奉 献の物語になっています。 物語の滑り出しで、神がアブラハムに呼びかけ、アブラ ハムが「ここにいます」(口語訳は直訳的に。新共同訳は「はい」だが)と応える。 同種の呼応の図が、この物語に3回出てきます。イサクと父アブラハム(7)、それか ら御使いとアブラハム(11)。この短い物語に二つの人格の間に取り交わされる呼応 の確認には、襟を正して向き合うという儀礼以上のものを予感させます。 神はアブ ラハムを「試された」(ニッサー)とは、モーセが十戒を民に語り聞かせた時にも 「神があなたがたを試みるため」と、同語の不定詞で表現されています。これらには 試される人間が試す神を、なにがしかの疑いをもって受け止めるのではなく、神と人 との信頼関係をさらに堅くするための試練として感謝して受け止めているのがわかり ます。そしてここでは、やっと正妻サラに授かった息子イサクを(21章)犠牲として 捧げよと命じ、アブラハムを試すことになります。 前述したキエルケゴールは、神 の命じたことに従うアブラハムが、妻サラ、子イサク、家の者に、旅の目的を告げず、 また3日間の行程でも何も語らないことに注目し、その沈黙の意味を追求していきま す。「信仰の騎士」として神に向き合うアブラハムの両者の間に、妻や息子さえ割り 込めない、説明する言葉が成り立たない、そういう絶対的な関係だと言わんばかりで す。けれども、キエルケゴールがそこに他者には手が出せないような神聖な関係を築 き、他者あるいは歴史をはじき出すようなスペースを確保しようとしているわけでは ないことは言っておかなければなりません。それはレギーネ・オルセンとの婚約破棄 の彼なりの掘り下げと、その時代を生きる「憂鬱」の中での言葉であり、ひいては彼 が19世紀の近代主義に妥協した市民主義的キリスト教を批判する中での言葉です。キ ルケゴールにはアブラハムの憂鬱と沈黙とが痛いほどひびいていたのだろうと思いま す。 としても、自己が絶対なる他者に向き合い信仰的な決断・飛躍をする時、別の 他者をはじき出すよりない、時には別の他者に『死を与える』(デリダ)、犠牲に捧 げるよりないという問題をどうするか。キエルケゴールはその本の中で「倫理的なも のの目的論的停止というものは存在するか」という項を設けてそのことに苦闘してい きます。 独りの他者と真剣に向き合い、事を為さざるを得ないとき、避けがたく別 の他者を排除してしまうという普遍的な問題がここに横たわっています。他者の呼び かけに応えることの根源的な責任と、そのために別の他者に「死を与え」てしまう罪 性責任とは抜き差し難くわれらの前にあるのだ、それを受け止めるのも人として一つ の在り方でしょう。またこの重荷をあの「お方」が解いてくださると信じて生きるの も一つの在り方でしょう。 もってまわった言い方をしましたが、それはたしかにキリ スト教の在り方です。しかし、それが人間の問題の救いの方策・手段あるいは理念と して取り出された途端、それはただのイデオロギーに堕してしまうことを教会はしか と押さえておくべきでしょう。
11月24日の説教から マルコ福音書10章13-27節 「人間にできることについて」  久保田文貞  マルコ10章13節~16節は、 幼子を受け入れるイエスのエピソード、「幼子のように神の国を受け入れる 者でなければ、そこに入ることは決してできない」と。この話の次に、富め る者の物語が出てきます。だれが読んでもすぐ気が付くことは、すぐ前の幼 子と、富める者との、イエスの前に出てくる登場の仕方の違いです。子ども たちは場の雰囲気を読み取り、大丈夫とわかったら、大人たちの間に入って いく。そういう子どもがイエスの周りをうろちょろしている。そういう登場 の仕方です。これに対して次の富める者の登場の仕方は、こうです。〈「イ エスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて 尋ねた、「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょう か」〉と。この二つの物語を福音書記者が意図的に並べていると考えるのが、 聖書学者の通常の方法ですが、としてもイエスに近づいていく二つのパター ンは、私たち聖書に学ぶ者たちにとって大変象徴的な意味を持っていると思 います。 では、その結果がどうなったかというと、子どもたちのばあいに は、まずイエスの弟子たちにたしなめられたということが出てきます。弟子 たちは熱心さのあまり、イエスと大人たちの間に築かれている真剣な関係を 少しでも邪魔するものを排除する行動に出てしまうわけです。しかし、イエ スはこのような対応をする弟子を叱りつけ、子どもを招き祝福する。言って みれば、割り込みを禁じるような共同性なんかいらないということでしょう。  一方、金持ちの男の方はどうでしょうか。彼がイエスとの間に築こうとし た関係は、純粋培養したような混じりけのないイエスと自分との関係です。 彼はイエスの周りにできている共同性の空気など読みません。イエスに自分 の問いをぶつけ、自分の信仰的な決断を表明するものです。これに対してイ エスは「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな 売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようにな ろう。そして、わたしに従ってきなさい」となんとも意地悪な要求をします。  たいていの解釈は、イエスがさらに混じりけのない純粋な服従を要求し、 この男はそこまで服従できなかったということになりますけど、私にはそう 思えません。ここではじかれているのは、富への執念ではなく、彼の豊かす ぎる信仰心、完璧な服従心で塗り固めたような共同性ではないかと思えてな りません。確かに、この後の展開を見るとこの解釈は無理があることを認め ざるをえません。〈すべてを捨てて従え〉としか読めないような29節以下の イエスの言葉が控えているのですから。けれども、私にはイエスが純粋な服 従心、信仰心に満たされた共同体づくりを目指していたとはどうしても思え ません。その是非はおいておくことにして、捨てる事の不完全さを追求した のはイエス死後の、共同意識の綻びを恐れた「原始教会」ではないでしょう か。例えば、使徒言行録5章1-6節のアナニヤとサッピラの物語。 あの富 める者に突き付けられた「足りないこと=欠けている一つ」とは、他者をは じき出してしまうような熱心さ、純粋さを解体することであり、独り永遠の 命へといたる真実を手にしようとする真剣さ(エゴイズム)を捨てることで はなかったかと思うのです。イエスが感じ取って説いた神の国の福音は、そ の男が追い求めたような求道心のはてにやっと手にすることができるような ものとは根本的に違うのではないでしょうか。それは、イエスの周りに集まっ た人々の、思惑がごった返したような雑多で、問題だらけのある意味いい加 減な人間集団がまるごと祝福されてしまうというものでしょう。「人にはで きないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」という27節の言 葉をそう理解したいです。 あくまでその上で、祝福されているその雑多な 人間仲間の中で、私たちは「人にできること」として互いを大切にしあい、 かなうかぎり正義を追求し、思いをつくしていけばいいのではないでしょう か。
《説教ノート》 ルカ12章22~31節   「空の鳥を見よ」 板垣弘毅  「いのちのことで何を食べようか、体のことで何を着ようかとと思い悩む な」で始まるよく知られたところです。 11/3のお話で久保田さんはこう 話されました。空の鳥、野の花のように生も死も「神のたなごころのうちに あって祝されている」と信じて「死の迫りを打ち消して生きる」こと、この 「祝福」を「気遣い合いながら生きられれば」それに越したことはないのだ が、しかしそれを許さない現実がある。「空から無人殺人機がとんできて罪 もない子供が荒々しい途方もない力によって命を奪われてしまうような死」 がある。「どう自分たちの命の中に織り込めばいいのか答えが見つからな い。」際限なくそのような暴力的な力に向き合う生き方をするしかない。 (斜体字引用は週報から)イエスが目を向けているのは、「いのち」が結び ついている「体」というものの「かけがえのなさ」その人の代わりはだれも いない、ということだと思います。「霞でも食っていろと言うのか」といっ た反論がすぐ出てきそうですが、この反論には沈黙でしか応えられない。民 衆の飢えにも向き合っていたイエスの言葉です。この言葉が「届く」という ことはどういうことでしょうか。 人間が一生懸命励むように、カラスは種もまかず、刈り入れもせず、貯え もしないでも神はカラスを養ってくださる。抜け目なく賢いカラスもここ ではそのままで生かされている存在の代表です。野の花は種が落ちたとこ ろに根を張りのびるだけ。人間があくせくするように、働きはしない。ま た、布を織るようなこともしないのにそのまま花として生かされている。 自己保存や自己実現の努力より以前にそこにあるという事実に目を向けよ と言っています。 さらに律法社会をちゃんと生きられる人からは、何の価値もないと思われ たものに目が止められています。(カラスは穢れた生き物 レビ11:5)あっ てもなくてもいい、いやできれば見たくないと思われるものにイエスは目を 注ぐ。民衆からはありふれた見慣れた風景の中に、世間の価値から逸脱した (律法の外にある)神の働きを見ているのだと思います。めざましい奇跡や 業績の中に、ではなく。 もちろん伝承した人たちによって、さまざまに改 変されているはずですが、それでも言葉を介して伝わってくるイエスのまな ざしがあります。 この生前のイエスの言葉を、直接、ストレートに聞いた 人は、自分の「いのち」に改めて気づいたのではないでしょうか。そしてう れしかったでしょう。このイエスの言葉を最初のキリスト者たちは、十字架 刑によってさらに深めたのだと思います。木につけられた者は呪われたもの として、律法の外にいます。そんな奴、どうなっても知るか、という世界で す。イエス自身カラスや踏みつけられて引き抜かれ炉に投げ込まれる野の花 と同じところにいることになりました。 そのイエスのまなざしによって自 分の「いのち」を受けとり直してゆく、そんな関係のできごとのゆきついた 形をこの処刑の中に見た人々が、「神はわたしたちと共におられる」という 告白をしてゆきました。わたしにはそう思われます。  久保田さんはこう 言っておられます。「恐らくイエスの死を目撃し、それを自分のこととして 受け止めた人々は、それが成功したか失敗したかはともかくも、その難問に 立ち向かうべしと言う回路を組み入れているとは思います。その回路は今は ほぼ死に体となっていますが。」久保田さん流の凝縮した表現。この「難問」 というのは、神学の言葉では、なぜこの世界にこんな理不尽な苦難があるの か、神の正義はどこにあるのか、といった神義論と言われる問題でしょうか。 とすればわたしも同感で、キリスト教の多くの神義論では説得されません。 かつて「有人殺人機」(東京大空襲)に被災し生まれてまもなく母子難民と なり、東京の混乱を生き延びてきたわたしは、この無差別爆撃の事実が脳裏 を去ることはありませんでした。 久保田さんは「自分のこととして受け止 めた人々」と言われています。その人々の中に自分も入ると思っています。 「キリスト教」として現出するものに深い絶望を抱かざるを得ず、“棄教” すべきと考えたときも、貫けなかったのは、自分の原風景のような焼け跡の 東京とその中でたまたまであったた幼い日々の教会でのイエスの肯定感だっ たのかもしれません。 自分史の中では繰り返し反芻してきたきょうの言葉 です。教会の中には教条的な信仰告白ではくくりきれないイエスとの出会い が根強くあると思っています。言われるとおり「野の花のように、空の鳥の ように生きるだけではすまない」現実があります。ただ自分の場合はそうい う現実に生きる人と、教会という生活の現場でも出会ってきました。「思い わずらうな、カラスのことを考えてみよ、野の花をよく見よ」と言い、その 通り生きてしまったイエスのまなざしに自分を取り直した人はいつの時代も いたと思います。教会の中にもいたと思います。
 11月10日豊島岡教会南花島集会所との合同礼拝から 「アブラハムに対する神の約束」       創世記15章1-18a節 マルコ福音書12章18-27節    豊島岡教会南 花島集会所 飯島信牧師  今朝、私たちに与えられた聖書の御言葉は、創世記第15章1節以下18節前半 までです。まず1節で、「主の言葉が幻の中で」とあることにより、アブラ ムは預言者として立てられていることを物語ります。そして、「わたしはあ なたの盾である」との言葉により、ヤハウエの神自らが、アブラムの擁護者 であると言います。「神、我らと共にいます」との御言葉の通りに、神様自 らがアブラムと共にいて、彼の生の全てを引き負い、彼を守り、彼を支え、 彼を導くと言うのです。それは、一方では、生も死も、自らの全てを神様に 委ねなさいとの神様からの呼びかけです。 「あなたの盾である」と言う言 葉と、「あなたの受ける報いは非常に大きいであろう」との言葉は、ただ続 いているのではありません。この二つの言葉の間には、人間の側からすれば 厳しい断絶があります。その断絶は、神様の呼びかけに対する私たち人間の 側の応答の問題が生まれるからです。 この断絶を乗り越え、神様の言葉を 受け入れるには、アブラムが神様のその言葉を信じて、自分の生も死も、そ の一切を神様に委ねる必要がありました。アブラムは、その断絶の狭間にあっ て、自分が「受ける報い」の意味について、神様に問いかけます。アブラム にとって、彼の今の人生の最大の関心事は、自分の家の跡継ぎの問題でした。 そのようなアブラムの思いを受け止めた神様は、その思いに応えられます。 「あなたから生まれるものが跡を継ぐ」と。それにもかかわらず、アブラム は、にわかにその言葉を受け入れることが出来ませんでした。そこで、神様 はアブラムを外に連れ出し、星を見させ、神様の創造の業をアブラムに思い 起こさせました。弱い人には、弱い人のようになり、神様自らが近づかれた のです。 そして、「アブラムは主を信じた。」そして、「主はそれを彼の 義と認められた。」このわずか短い二つの文章に、キリスト教信仰の何かが 凝縮されています。アブラムは、ただ主の言葉を信じた。「主を信じた」。 それだけです。信じる、幼子(おさなご)のように。アブラムは、「あなた から生まれる者が跡を継ぐ」との神様の言葉を、ただ「信じた」のです。そ して、その信仰、それだけをもって、神様は「彼の義と認められた」のです。  神様とアブラムの間、そこには人間の最も深いところで、生き死にを賭け た神様とアブラムとの人格的な関わりがあります。己の生き死にを掛けて神 様に問うべきことが何かをしっかりと自覚し、祈る。その時、神様からその 応えが必ず得られます。 神様がイスラエル民族との間に立てられた旧き契 約を経て、新約、即ち新しい契約の時代が訪れます。救いがイスラエル民族 を越えて全人類に及ぶとの約束です。今、私たちは、その約束のもとに生き ています。私たち一人ひとり、今、自分になくてはならぬ最も大切なものが 何かを常に問い続け、祈り求め、神様に良しとされる歩みを全うすべく、今 日与えられたこの一日を生きて行きたいと思います。
 11月3日の説教から ローマ人への手紙6章8-10節 「主は人の死を共に死す」  久保田文貞  生きるということは、誕生と死によって縁どられています。その間に挟ま れている生の在り方は自分の意思で選び取ったり、決定したりできますが、 これに対して、誕生と死は、どこに向かっていくのかわからないまま子や人 は投げ出されることになります。 ただ、誕生はこちら側で生きている人々 にとって明るいニュースです。これに対して死はそうはいかない。生きてい る自分たちの側から死の世界について手出しができない、それでいて生きて いる者としてだれにもひとしく確実に死によって限界づけられている、とい うことが起きているのです。それは、人はいつかは死ぬさ、という程度のこ とではなく、刻一刻が生命に関わる大事件をかかえて生きているということ を意味します。人は、常に死からの脅迫を突きつけられている、そういう事 件の被害者として生きている、それも一面の事実です。 もちろんだれもこんなことを毎日意識しながら生きるなんてことをしません。 動物たちや植物たちのように、つまり命をいただいている生き物たちのよう に、いつかは死ぬかもしれないが、そんなことを気にしないで、のびのびと 生きていく。命を受け入れて生きていく。人もそれをお手本にしていけばい い。たしかに死ということは一つ一つの命についてまわるけれども、その一 つ一つの死も大きな命の連鎖のひとつにすぎないと。この健全な命のやりと りやふるまいをほとんど賛美しながら、いつのまにか死の迫りを打ち消して しまう、これはものすごく魅力的です。 聖書の中にもそれと限りなく近い言葉がでてきます。例えば、マタイ6章 25節以下「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りい れることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下 さる。…野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、 紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモン でさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」 神がここにでて きますが、この思想には、生と死の世界を分け隔てるものはない。天国とか 地獄とか、もちろんありえない。すべては神のたなごころのうちにあって、 命はすべてそのまま祝福されている。とすれば、一つ一つの生の終わりとし ての死もまた祝福されているという言葉です。 いずれにせよ、祝福された生と死を受け止め、神にあるいは人同士お互い に感謝できるということがものすごく大切なことだと私も思います。死を 常に気づかって生きるよりない生であるけれども、そのような気遣いがた しなみのように淡々と行われて、命をいただくもの同士がその命を気づか い合う、それがとても大切なことだ、ハイデッガーという哲学者はそうい うことを言っていると思うのですが、これに異存はありません。けれども、 この後が難しいのです。そういう命と死の自然なやり取りをぶち壊してし まう力があるからです。それも例外的であったり、偶然であったりするわ けではない、むしろ意図的で組織的で、そこから容易に回避できない力と してやってくる、その力の前に命は捻じ曲げられ、踏みにじられ、分断さ れた死がやってくる。これをあの祝福の言葉でどうやって乗り切ることが できるかということです。その力の前で、命は、そしてやがて迎える死は どうとらえ、なにをするか、という問題がでてきてしまう。空の鳥のよう に、野の花のように生きるだけでは済まない事件が、私たちの存在に必然 的に伴っていた死を別の意味で掻き起してしまうということです。出来れ ば踏み込みたくない。踏み込んでしまうと、それはそれで別の世界が開け てくるのでしょうが、空の鳥も野の花も確実に見えなくなってしまう世界 です。端的に言えば、空から無人殺人機が飛んできて、罪もない子どもが 荒々しい途方もない力によって命を奪われてしまうような死を、どう悲し み、どう自分たちの命の中に織り込めばよいか、答えが見つからないまま にそのような力に向き合う在り様を無際限にとるよりない、そういう生き 方が始まるでしょう。  うまく語れないのですが、おそらくイエスの死を目撃し、それを自分のこ ととして受け止めた人々は、それが成功したか失敗したかはともかくも、そ の信仰の中にこの難問に立ち向うべしという回路を組み入れてはいると思い ます。その回路は今ほぼ死に体になってはいますが。
10月27日の説教より コレヘトの言葉 3:1−8 「弔いと生命の歌」  加納尚美 弔いとは何か 国語辞典でいえば、「人の死を悲しむこと」とあります。語源は、 「訪れる(とぶらい)」とうもので、生者が死者を訪れるという意味になるようです。 地球上に70億人が住んでいるとはいえ、私たちが弔う人々は限られています。そこで は、今日は弔いとはつながりの深い人との「死」という「別れ」を特別なものにする 一連の行為としましょう。 弔いを通じて、一連の儀式が文化、地域文化、個々の家、 宗教よって各々違います。「就活」「婚活」から、「終活」という言葉も盛に使われ ている昨今です。「終活」では、弔われる人の準備ですが、弔う側の経験や自分の生 と死に向き合う活動だと思います。これまでの各家文化に嵌め込まれた方法の中では、 人々は準備しきれない表れでしょうか。 人類は長い歴史の中で、弔う文化を育み継 承してきました。イラクのシャニダール遺跡はご存知でしょうか?未知な事柄を現代 の尺度で解釈するという事もなきにしもあらずですが、共感できるものだと思います。 悲しむことは生きる力さて、「悲しみ」を別な言葉で「悲嘆」とも言います。この過 程を悲嘆プロセスといいます。カウンセリングや保健医療、看護では、悲嘆に直面す る人へのケアを「悲嘆ケア」と使っています。必ず死別に関することでなく、様々な 状況を説明する言葉でもあります。ざっくり言うと、十分に悲しめることが回復につ ながると言われています。助産、看護領域では、流早産、死産、子どもを亡くした方、 障害の受容、家族の死、災害での死別、トラウマ(心的外傷後ストレス障害)等々で 研究や実践報告、現場でのケアに応用されています。言い換えると、弔うことは、再 び悲しむ当人が生き返る回復のプロセスの一部ともいえます。悲嘆のプロセスには、 「ショック期」「喪失期」「閉じこもり期」「 癒し・再生期」と分けられるといいま すが、人によっては行きつ戻りつ、するとも言われています。 個人的な経験 今年の3月に87才であった父を亡くしました。生まれてから、空気のよ うにいつもいてくれた父が亡くなり、28年前に母を亡くしたよりも、ぽっかりと大き な穴があいています。突然での死ではないので、「ショック」というよりも、「喪失 感」なのでしょう。 6月に15年程一緒にNPOを立ち上げ、活動してきた友が逝きまし た。享年73歳。彼女がみなに残したあいさつ文に、「お先に、向こうで待っています」 でした。 また、この教会と場で一緒に礼拝をしてきたきょうだい、姉妹たち・・・・ 「死」を通じての親しい人々との別れは、人折に触れ、一緒に過ごした記憶が蘇り、 「ささやかな日常的なエピソード、語り、表情等々」は二度と帰らないのだろうか? すべては灰となり無に帰すのだろうか?それなのに、日常生活は回っていく、世界は 動いていくのはなぜだろうか?同時に生きているとは?死とは何か?後回しにして、 考えたくなかったことが迫ってきます。 日常に死は満ちている 死を考えることを後回しにしていた?というのはもしかした ら、子ども隠れん坊のようなものだったことに気が付ききました。私たちの日常生活 は多くの人々の生きた証と死で満ちています。例えば、讃美歌や聖書、前奏曲に使わ れる数々のスコア、このオルガンを作った人たち。現在地球の人口は70億人、これは 固定ではなく日々生まれ、亡くなる人がいて、「今」の人口よりも、「亡くなった人」 の数の方が遥かに多いのです。 つながっていること、未知であること、それでも生きていること人の一生はなんだろ うか、人生の意味は何か、父や他のたくさんの思い出の意味を探りながら、実は「今」 を十分に生きることの集積だろうかとも思います。気が付いたとき、わたしがいたよ うだけれど、さかのぼれば母の胎内での成長、生命の歴史がまぎれもなくありました。 これはみなさんにとっても同様。全くの未知であり、生と死はつながっています。宇 宙の始まり、ビックバン、多次元の宇宙・・・・人類はこの世の不思議さを解明しよ うとしています。知らないけれども私たちは生を受け、信じ、生きてゆき、そして死 んでいきます。 深い領域に食い込む宗教とその危険性 弔い、悲しむことは、こうした生きていく意 味を探り、畳み込み、生を充実してゆき、つなげることでのように思います。重要だ からこそ、ここの毒(第三者に利用されること)が入りこんだら、怖いな、と思います。 最後に今の私の気持ちにぴったりの歌を紹介します。「生命の歌」歌詞 Miyabi 作 曲 村松崇継 NHK朝ドラ だんだんのテーマ曲 生きていゆく事の意味 問いかける その度に 胸によぎる愛しい 人々の温かさ この星の片隅で 巡り合えた軌跡は  どんな宝石よりも 大切な宝物 泣きたい日もある 絶望を嘆く日も そんな時そば にいて寄り添うあなたの影 二人で歌えば なつかしく蘇る ふるさとの夕焼けのや さしいあの温もり 本当に大事な物は隠れて見えない ささやか過ぎる日々の中にか けがえない喜びがあるいつかは誰でもこの星にさよならを言う時が来るけれど命はつ ながっている生まれてきたこと育てもらえたこと であったこと わらったことこの すべてにありがとう この命にありがとう
10月20日説教から ルカ福音書11章2−4節 「祈るときこう祈りなさい」 久保田文貞  宗教画の影響からかイエスは祈りの人であるという印象があります。ルカ福音書に 描かれているイエス像は確かによく祈ります。ルカ18:1に「イエスは失望せずに常に 祈るべきことを、人々に譬で教えられた」とあって、裁判官に訴え続けた寡婦の話が 出てきます。 けれども、共観福音書を綜合的に検証すると、イエスは必ずしも祈り を奨める人ではありませんでした。祈りに熱心なのは、むしろパリサイ人・律法学者 だったというのが共観書の元になっているマルコ福音書の描き方です。後のユダヤ教 諸文書から類推すると、ユダヤ社会では早くから子どもたちにトーラー(モーセ五書) の朗誦、詩編の歌唱、祈祷文などの暗唱、ユダヤ人としての約束事などを教えていま した。模範的な家庭では朝夕の祈りを欠かさなかったと考えてよいと思います。 ユ ダヤ教の祈祷文の代表的なものとして、カディシュという短い祈祷文と、「18の祈祷 文」という長いものがありました。後者は、神への呼びかけだけで日本語訳で170字ぐ らいあります。内容的にも異端者への呪いや、後に加えられたキリスト教徒への呪い のようにセクト主義的なものが含まれます。イエスは律法学者たちの長たらしい祈り を批判しました。マルコ12:38以下「律法学者に気をつけなさい。…また、やもめた ちの家を食い倒し、見えのために長い祈りをする。彼らはもっときびしいさばきを受 けるであろう」と。 確かにイエスが祈る場面がマルコでは3回ほど出てきます。その 一つ6:45以下。ゲネサレ湖畔で群衆に教えていたイエスが、弟子たちを先に向こう 岸に送り出し、群衆とも離れて一人山に登って祈られたという記事が出てきます。意 地悪く言うと、独りだったのでイエスが「山で祈って来たよ」とでも言わない限り何 していたかわからないので、弟子たち、あるいは伝承した人たち、あるいは福音書記 者が、イエスは祈っていたとイメージしているだけなのです。ただ、イエスが何度か 弟子たちや群衆からすうっと離れて独りになったと報告がなされています。そういう 記憶が周りにいた人たちの間に残っていたのでしょう。そこで祈っていたかどうかは 別として、イエスがひとりになる時間を作っていたということがとても気になること は確かです。イエスがそういう時間を大切にしていたというだけで私自身はものすご く満足です。 ルカ11:1以下に見られるように、ユダヤ教や洗礼者ヨハネの弟子たち が使っているような祈祷文を「自分たちもほしい」という弟子たちの願いに対して、 それではとイエスが「祈るときには、こう言いなさい」と教えました。それで〈主の 祈り〉が残されているわけですが、私にはどうしても、この祈りがイエス死後のキリ スト教で過剰に評価されてしまった思わざるを得ません。 ルカ版の〈主の祈り〉の 前半はカディシュの祈りに類似していますが、それをさらに簡略化しています。後半 は、カデシュの祈りにはないものです。しかし、それはおよそ弟子に秘伝の祈りを教 えておくというものではなく、庶民の身近な暮らしの中で祈るならこんな祈りを祈っ ておきたいね、という感じです(これが近代的な読みだと言われればその通り、近代 的な読みを免れるいかなる読みもあり得ないと思いますが)。 はっきり言って、弟子が自分たちもちゃんとした祈祷文が欲しいとこぼしていたと すれば、イエスはそれにまともに応えたとは言い難い。田川建三説にならって、む しろ〈無理して祈らなくてもいいよ、まあ祈るならこれぐらいかな〉ということで はなかったでしょうか。前回のマタイの言葉を借りれば、「あなたがたの父なる神 は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。」(マタイ6: 8)ということなのだと思います。もちろんイエスは人が心底祈るよりない事態を決 して否定はしていないし、そういう時は堂々と祈り求めなさいと言われます(ルカ 11:5-13)。
 10月13日説教から マタイ福音書6章5−8節 「祈りの長さについて」  久保田文貞  マタイ6章は全体の構造からいうと、偽善的な心の告発がテーマになっています。 1節「自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。」 マ ルコ12章38以下に偽善について出てきます。祈っていることを見せびらかせるだ けで、心がともなわない上辺だけの行為、腹のなかは悪意に満ちたそんな人間が批判 されています。こちらの方が分かりやすいです。 ところがマタイでは、神の前で義 とされるかどうかが問題だというわけです。人からどう思われるかは二の次になりま す。マタイの理屈は、神から義としていただくべき自分の行為を、先に他の人々の前 で見せびらかせて、「あなたは義人だね」と報いを受けてしまったら、もう神から報 われることはないというのです。神からも、人からも褒めてもらいたいと欲張る、そ ういう二心は神さまの前では成り立たないよ、というわけです。 神から義とされることを望むふりをして、ついでに人からも良しとされようとする こと、これがマタイで取り上げる偽善なのです。つまり、偽善は、人をだますからで はなく、神をだますから重大な悪であり、人間にとって倫理の根本問題になるという わけです。 6章では、この偽善の問題を、2-4節の「施し」、5-6節の「祈り」、 16-18節の「断食」の三つを取り上げ、三つとも「そうすれば、隠れたことを見て おられる父が、あなたに報いてきくださる」という言葉で閉めています。 施しにして も祈りにしても、断食にしても、神から義しとされることを望んでいるか、人から報 われることを望んでいるか、すべてお見通しだというわけです。 とすれば、人間の 心の奥の奥まで読まれてしまっている以上、ほんとうは偽善の問題なんか吹っ飛んで しまうはずですが、・・・。 祈りについて、5,6節で「偽善者たちは、人に見て もらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らはす でに報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って 戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」と言います。 何か違 和感を感じられませんか。祈りが、施しと断食と同じ宗教的な〈行〉の一つになって います。これは、形式主義を嫌うイエスの言葉とは思えません。イエスは、人前で祈 るか、それとも人前を避けて密室で祈るか、ということを問題にしないし、祈りの 〈行〉に報いがどのようにあるかなどとは考えなかったでしょう。人が祈るという行 為をだれから評価されるかという問題の立て方は見当違いでしょう。祈りの〈行〉が 報われるかどうかという感覚自体が、「行為義認」の萌芽になるでしょう。行為義認 論というのは、信仰義認論を主張したプロテスタント正統主義が出した議論ですが、 簡単に言えば、人は信仰によって神から義とされるのであって、人が積み上げた功績 が評価されて神から義とされるのではないという、議論です。 この部分のマタイの 考え方は、神から義とされることを求める限り、人が功績を積んで報われようとする ことはありなのです。だから、祈りが人から評価されてしまうことを恐れ、人が見て いない所で祈れというふうになります。そうすれば神だけが、お前がほんとうに神に 祈っていることを評価してくれると。変だと思われませんか。生意気なようですが、 祈りは評価される問題でなく、神と人との関係が成立しているかどうかが唯一の問題 でしょう。 最後に、7節の祈りの長さの問題ですが、祈りが長いのを〈異邦人〉に 特有なことのように言っていますが、マルコでは「見えのために長い祈をする」のは 律法学者としています。マタイという人はどうしてもユダヤ人優越意識が身について いる感じです。としても、8節「あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなた がたに必要なものはご存じなのである。」の言葉は好きです。都合のよい言葉だけイ エスに遡るはずだ、というのはあまりに虫がいいのでやめときますが、とにかくこう 言うと、祈りの問題なんか吹っ飛んでしまいますが。
 10月6日説教から 創世記1:1〜5、ヨハネ福音書21:15 「地域包括支援センターの夢」  飯田義也  創世記の始め、日本語の訳だと神のことばが全能なので光が存在するようになった ともとれますし、主に西洋でそのように解釈されてきましたが、ヘブライ語本来の意 味では、神が混沌に向かって呼びかけ、応答として光が出てきたというニュアンスな のだそうです。神はこの世界を呼びかけ応える「対話の世界」として創造されたとい うことです。 さて、このたびわたしが配属されることになった「地域包括支援セン ター」ですが、高齢者虐待の防止が、その役割の一つとなっています。本教会のある 松戸市は、高齢者虐待防止では日本の先進市の一つです。初代の松戸市高齢者虐待防 止ネット−ワーク会長とシステム作りを学びに、アメリカまで行ったことを思い出し ます。 アメリカは、国としてはどうだろうかと思います。たとえばシリアで化学兵 器が使われ、武力で攻撃するというのです。これを虐待家庭にたとえるととてもわか りやすくなります。高齢者を虐待している家族がある…そこへ屈強の男数人で行って 「てめぇ虐待なんかするんじゃねぇ」と脅して、虐待がなくなったとしても、それっ て、より大きな虐待で小さな虐待を止めたってことですよね。 虐待のある家庭はあ る意味安定しています。力関係で誰も逆らえないから安定している…そこへ虐待を止 めようと入っていくのが、虐待を止める人たちの仕事です。アメリカでお会いしたア ダルト・プロテクティヴ・サービシーズの方々は、虐待のある家庭に一人で訪問しま す。ちなみに日本では絶対に一人で行ってはいけないことになっています。理由は被 虐待者も殺されているわけではないので、いやな目には遭うだろうけど犯罪までには 至らないだろうということ、威圧的に関わることの弊害が懸念されることの2点です。 そして、これは日米共通ですが、あくまでも対話と支援で虐待を止めます。 力によ る平和とは、キリスト者にはおなじみだけど世間では知られていないことば「パック ス・ロマーナ」です。ローマの強大な武力への恐怖から戦闘が起こらない状態を言い ます。そこから抜け出してシャロームの平和、あるいはアラビア語でサラームの平和 を目指す試みが虐待防止です。 一方、地域包括支援センターでは、単身生活をして いる方々など、地域で暮らす支援の必要な老人の支援も行います。これなどは、「わ たしの子羊を飼いなさい」と言われるキリストに従う業です。現代社会では、拝金主 義者による反宗教キャンペーンが酷く、教会がやっても批判されるだけになってしま います。こうして考えると地域包括支援センターは、非宗教的教会であると言えましょ う。地域に一定の役割を果たしていきたいと思っています。 しかし、さらに思うの です。 こうして対話の世界、愛の世界を広めようと試みながら、そうした取り組み は、原典を示さずに結論だけ言うようなものです。最初のお話しは野本真也先生から、 ペトロが教会を託されるシーンのお話しは岡山孝太郎牧師から伺った受け売りです。 なぜ対話の世界なのかというおおもとは、聖書になります。そのことを言うととたん に受け入れられなくなることがあるわけですが、教会は、ねばり強くそのことを保ち 続けてきましたし、今後もそうあり続けたいと思うのです。
9月29日 申命記30章15−20、マルコ12章28〜34 「祝福をえらべ」  板垣弘毅 約束の地を前にして死に行くモーセが語ります。「生と死、祝福と呪いをあなた方の 前に置く。あなた方は命を選べ」 ここは全体では、これをまとめた申命記史家の総 括の部分に属し、資料の社会的な背景なども考えられますが、物語としても今も古び ない問いかけをしています。祝福を選ぶ、これは具体的には律法を守ることになりま す。(16〜18節)  「賭け」 とはちがいますが 選ぶのは人間です。「命と祝 福をえらべ」と命じられながら、それを知りつつ「死と呪い」を選んでいってしまう 人間の在り方を聖書は見つめていると思います。たとえば核エネルギーや地球温暖化 の歴史などを見ても通じるものがあると思います 創世記冒頭の楽園物語で、なぜ神 は、楽園に食べてはいけない木を植え、誘惑する蛇を置いたのか。それは人間には分 からない。この命令以外は何をしても自由でした。無制限、無条件の自由はきっと自 由ではない。自己の意識は環境との異和から始まり、自分ではない自分を発見し続け てゆくものであることを神話的物語で語っているのだと思います。「園の中央の木」 について蛇は女をこう言って誘惑します。その木は実は「善悪を知る木」であり、そ れを「食べると眼が開け、神のように善悪を知る者になる」のだと言います。この 「神のように」は狭い宗教的な枠を越えて、普遍的な深さがあると思います。 この 誘惑に乗って、人間は神 (悪魔と言ってもいいですが) のようになろうとする。人間 は人間である、「神」となろうとしなくていい。 ある根源的な人間としての限定を 告げていると思えます。どんな善悪だってせいぜい人間の規模の善悪だとすれば、限 定のない自由はないでしょう。この限定のことを聖書は祝福というのだと思います。 楽園を追放された人間は、これからはみずから土を耕し、自分の意志で自分に向きあ うことが求められます。 祝福と呪い、命と死をあなた方の前に置くと、きょうのモー セは言います。「祝福」は限定された自由を持つ「いのち」のことです。 そして 「呪い」とはその祝福を放棄すること、創造物語では「神のように」なること、「い のち」を人間の所有とすることだと思います。 モーセが「命を選べ」というときこの 生命そのもののの尊厳を言っているのではありません。創造物語に添えば、命を自分 のものと言えるときは、神の意志を実現しているときです。自分のものでないとき自 分のものだという矛盾したというか、引き裂かれたというか、それが聖書の人間観に はあると、思います。 モーセは「祝福と命を選ぶ」ことを律法に託しますが、旧約 聖書全体では、律法の姿は人間を押しつぶす重荷のようなものではありません。「主 の律法は完全で、魂を生き返らせ/主の定めは真実で、無知な人にいのちを与える。/ 主の命令はまっすぐで、心の喜びを与え…」(詩19編)他。 神は、なぜか、パレ スチナの弱小の民を顧みて祝福してくださった、その恵みに応えようという信頼が、 応える形が律法の底流にあるわけです。しかし、祝福である律法は、特権的な選民思 想になり、自己実現の道具となります。自分たちを正当化する党派的なイデオロギー になります。「法」という言語はそういうものなのでしょう。律法を守っているから、 その「正しい」おこないによって神の祝福は確かだという転倒を私たちはしてゆく。 このような逆立ちを私たちの世代は特に(?)自戒してきたと思います。私たちが 「呪いを選ぶ」という可能性は「法」を偶像化するこの転倒のことも含んでいるのだ と思います。 イエスは律法を一息で、全身全霊で神を愛し、自分のように隣人を愛 することだといいました。(マルコ12:28〜) イエスの振る舞い、教えから、 わたしたちは「祝福を選べ」「命を選べ」という促しを聞くことができます。限定さ れた人間としての祝福を今生きろ、神のようにならなくてよい、という促しです。 「神」という言葉を使いたくなければ、人間の「知」や「言語」が決して埋められな い空洞を持ち続けると言ってもいいです。
9月20日 申命記30章15−20、マルコ12章28〜34  「祝福をえらべ」       板垣弘毅約束の地を前にして死に行くモーセが語ります。「生と死、祝福と呪い をあなた方の前に置く。あなた方は命を選べ」 ここは全体では、これをまとめた申 命記史家の総括の部分に属し、資料の社会的な背景なども考えられますが、物語とし ても今も古びない問いかけをしています。祝福を選ぶ、これは具体的には律法を守る ことになります。(16〜18節)  「賭け」 とはちがいますが 選ぶのは人間で す。「命と祝福をえらべ」と命じられながら、それを知りつつ「死と呪い」を選んで いってしまう人間の在り方を聖書は見つめていると思います。たとえば核エネルギー や地球温暖化の歴史などを見ても通じるものがあると思います 創世記冒頭の楽園物 語で、なぜ神は、楽園に食べてはいけない木を植え、誘惑する蛇を置いたのか。それ は人間には分からない。この命令以外は何をしても自由でした。無制限、無条件の自 由はきっと自由ではない。自己の意識は環境との異和から始まり、自分ではない自分 を発見し続けてゆくものであることを神話的物語で語っているのだと思います。「園 の中央の木」について蛇は女をこう言って誘惑します。その木は実は「善悪を知る木」 であり、それを「食べると眼が開け、神のように善悪を知る者になる」のだと言いま す。この「神のように」は狭い宗教的な枠を越えて、普遍的な深さがあると思います。  この誘惑に乗って、人間は神 (悪魔と言ってもいいですが) のようになろうとする。 人間は人間である、「神」となろうとしなくていい。 ある根源的な人間としての限 定を告げていると思えます。どんな善悪だってせいぜい人間の規模の善悪だとすれば、 限定のない自由はないでしょう。この限定のことを聖書は祝福というのだと思います。 楽園を追放された人間は、これからはみずから土を耕し、自分の意志で自分に向きあ うことが求められます。 祝福と呪い、命と死をあなた方の前に置くと、きょうのモー セは言います。「祝福」は限定された自由を持つ「いのち」のことです。 そして 「呪い」とはその祝福を放棄すること、創造物語では「神のように」なること、「い のち」を人間の所有とすることだと思います。 モーセが「命を選べ」というときこの 生命そのもののの尊厳を言っているのではありません。創造物語に添えば、命を自分 のものと言えるときは、神の意志を実現しているときです。自分のものでないとき自 分のものだという矛盾したというか、引き裂かれたというか、それが聖書の人間観に はあると、思います。 モーセは「祝福と命を選ぶ」ことを律法に託しますが、旧約 聖書全体では、律法の姿は人間を押しつぶす重荷のようなものではありません。「主 の律法は完全で、魂を生き返らせ/主の定めは真実で、無知な人にいのちを与える。/ 主の命令はまっすぐで、心の喜びを与え…」(詩19編)他。 神は、なぜか、パレ スチナの弱小の民を顧みて祝福してくださった、その恵みに応えようという信頼が、 応える形が律法の底流にあるわけです。しかし、祝福である律法は、特権的な選民思 想になり、自己実現の道具となります。自分たちを正当化する党派的なイデオロギー になります。「法」という言語はそういうものなのでしょう。律法を守っているから、 その「正しい」おこないによって神の祝福は確かだという転倒を私たちはしてゆく。 このような逆立ちを私たちの世代は特に(?)自戒してきたと思います。私たちが 「呪いを選ぶ」という可能性は「法」を偶像化するこの転倒のことも含んでいるのだ と思います。 イエスは律法を一息で、全身全霊で神を愛し、自分のように隣人を愛 することだといいました。(マルコ12:28〜) イエスの振る舞い、教えから、 わたしたちは「祝福を選べ」「命を選べ」という促しを聞くことができます。限定さ れた人間としての祝福を今生きろ、神のようにならなくてよい、という促しです。 「神」という言葉を使いたくなければ、人間の「知」や「言語」が決して埋められな い空洞を持ち続けると言ってもいいです。
 9月22日詩編78編1−8節「悪より救い出し給へ——      医学と戦争につ いて」  五十嵐忠彦  八月の信徒説教というつもりで準備した話題です。 旧日本陸軍ー満州の部隊に7 31部隊という細菌・化学兵器部隊の存在していたことは今日ひろく世間の人々に知 られています。私が731部隊と出会ったのは1973年 C大学医学部に入学した ころです。学園紛争の後半期ー終息時期でした。当時、大学の基礎研究の教室から新 設の「防衛医大」に教授として転任する事案があり、学生が反対し学園祭にて、同部 隊の問題を指摘する自主映画が上演されました。その時、私達ははじめて旧日本軍・ 軍医らの中国での残虐な行動を知った次第です。生体実験や毒ガスでの未決囚人の大 量殺人が医学データ収集および戦争の武器作成の目的に秘密裏に旧満州ハルピ ンにて 実施されました。自主映画にて国内から告発し、加えて当時新設される防衛医科大学 にても将来計画されるのに反対しようということでした。軍隊と医学が結合した場合、 非常に危険だと懸念されたからです。最大の問題は旧陸軍の同計画に関わった人達が 戦後米軍により戦犯として裁かれることなく免責され加えて戦後の医学界を生き延び、 支配的な勢力を保持し続けてきたことです。以後、徐々に「同部隊の悪業」の証拠が 発見されはじめ、最近ようやく「戦争と医学」の検証が国内の民間レベルで開始され 始めています。 職業柄、進行期の悪性腫瘍の治療にたずさわっておりますが、最近 の動きはきちんと「説明と同意」をとって治療をなすという義務が課せられて います。 が不思議なことに理由は「ナチスドイツの生体実験を二度と繰り返さないように」と は宣言されているのですが、肝心の自分の国、先達達の過ちは、すっぽり抜けており ます。いわば欧米先進国の模倣のようにお題目を唱えて、現実に関わるように促され ているような気がしてなりません。 これらの大きな悪に関わることは多分私達はな いかもしれませんが、他人の歴史を借りての告白、関係性への促しは釈然とはしませ ん。イスラエルの民への旧訳の教えは繰り返し、繰り返しあなたは?あなたがたはど うだったのか?と何回も問うてきている教えだったと思うのですが、、、。 できる こととしては、いままで通り等身大での関わりを、他者との関わりを忘れずに求 めて ゆきたいと思っていることに変わりはありませんが、、、。
《説教ノート》 9月15日礼拝説教からマタイ福音書5章27−30節「姦淫するな、 について」 久保田文貞 マタイはこれをイエスの言葉として書いているが、私は21節以下の「殺すな」の部 分と同様、これはイエスの口を借りたマタイの(特定の教会の)言葉であると思う。 少なくともイエスはこのような律法の徹底化、実践を要求することはなかったと思う から。イエスの福音=律法の完成という見方はユダヤ人キリスト者たるマタイ教会の 苦心の産物だ。このマタイの言葉の読みに入る前に、律法の「姦淫するな」について 見ておく。 「姦淫するな」という法は十戒の第7番目の掟である。おそらく古代イ スラエルの部族連合時代の法であり、父権制社会の内部にあって他の男の妻や婚約者 に手を出してはならないという規定であった。これは女性の人権を配慮した法ではな く、女性が男の所有物とされていた社会にあって男の所有権の保護を目的としていた のだろう。だから、姦淫事件とは、相手の男が、妻ある男の権利を不法に侵害したこ との問題だった。夫を裏切ることになる女性も厳罰に処せられたが(申命記22章 22節)、聖なる法を破った男に対する厳罰規定なのである。とはいっても、この法の 効果はそうやって間接的に妻や娘たちを守ったことは確かである。 そこでは家長を なしていた男の妻になったり、その娘になっていく女性たちがこの法の保護下にはい るわけだが、そのような家の娘に生まれることがなかった女性たちや、家族をなす男 性の妻になれなかった女性たちは、そのような法の保護の外を生きていくよりなかっ たろう。結局、父権社会にあっては、そこに組み込まれなかった女性は、「姦淫する な」という法の外側を生きるよりなかったはずである。 イエスの時代、後1世紀は、 地中海沿岸地域の小地主農民が没落し家農業が解体していく時であり、ユダヤ社会も 同様であった(シュテーゲマン)。「姦淫するな」という法が実効的に働くような社 会が崩壊していたということである。それでもこの法は、人間社会の基本的な夫と妻 のあり様と無関係ではない。 マタイ福音書が「姦淫するな」という法を以前として 父権制社会の男の問題として言うわけだが、これを拡大解釈して「だれでも、情欲を いだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。もしあなたの右の目が 罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地 獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である」と徹底していく時、もはや父 権制社会の枠を破って、あらゆる男と女の深部に突き刺さるに違いない。それにして も、このマタイの言葉は、情欲の思いをいだくこと、さらに異性をそのような想いで 視るということを人間の意識の中に主題化させてしまうことになる。良きにつけ悪し きにつけ、聖書を読む青年たちの意識を後戻りできないほどに掘り起こしてしまった 事は確かである。 おそらく、この問題についてイエスが発言した言葉は、マルコ10 章12節//マタイ19章9節のものだろう。そこでは離縁状を出せば妻を出してもよいこと になっている古法に対して、イエスは公然と異議を唱える。離縁自体を否定し、「だ れでも、自分の妻を出して他の女をめとる者は、その妻に対して姦淫を行うのである。 また妻が、その夫と別れて他の男にとつぐならば、姦淫を行うのである」とまで言う。 これは「姦淫するな」という法の徹底化の問題ではない。離縁状を出せば離縁できる とする律法の否定であり、離縁した男、離縁した女も、再婚したら「姦淫」に当たる という。「姦淫するな」という法が崩壊する社会にあって新しい局面を迎え、妻と夫 が新しい倫理を打ち立てるべきだと言っているように私には見えるのだが。
 9月8日 マタイ福音書5章43−48節 「敵を愛する」    久保田文貞  この箇所は、ルカ福音書6章27−33節に平行箇所がある。ルカとマタイに共通する 資料の中に存在していたイエスの言葉だ。比較すると次のことが分かる。マタイの方 が21−48節の6つの律法批判(反対命題)に嵌め込んでいるから、元の形が崩されて いるとされる。ルカの方は原型を尊重する傾向がある。基本的に粗忽な方がオリジナ ルなものというのはいつものことだ。聖書批評では、骨とう品や絵画と同じでオリジ ナルな方が価値が高いとされる。その前提になっているのは、オリジナルの最終版は 実際のイエスの言葉だという暗黙の了解である。一見すると、イエスを神の子キリス トと告白する信仰の態度と、真正のイエスの言葉を探る批評精神とは、だれが考えて もうまく折り合うわけはないのだが、一方の歴史主義的な聖書批評の底流には、イエ スの言葉を目標点とするナイーヴな信仰が隠されているのも確かなことだ。 とすれ ば、聖書批評的な読みを最初から省略して、信仰的な読みから始めて何の不都合があ るだろうということになる。結局は理屈をこねて聖書を批評的に読む以前に、〈おま え〉の傍らにキリストが立たれていることを認め、〈おまえ〉はそこから始めればよ いではないかと、わが恩師横田勲牧師がこの不肖な弟子の私に何度戒めたことか。と ころが、今もそれを聞き入れず、批評的な読みから始める。どうしてそうなのか別の 機会に書こうと思う。 オリジナルに近いルカ版は、「聞いているあなたがたに言う。 敵を愛し、憎む者に親切にせよ」で始まる。ここではマタイのようにこれからはこれ が『隣り人を愛せ』という律法の言葉に代わって、有効な原理になるという響きはな い。ただ、イエスの言葉は預言者の言葉のように「神の恵みと審き」を宣告するのに 似ている。このことを時を経て振り返れば、マタイのようにそれまでの律法の言葉に とって代わる究極の言葉、あるいは律法の完成型と見ることもできるかもしれない。  「自分を愛してくれる人を愛したところで、貴方にどんな恵みがあろうか。」 愛 してくれる者を愛するという自然を、そのまま受け入れるだけなら、ある種の同語反 復にすぎない。愛するとは相手がどう応えてくれるか未明の状態の中で投げかける賭 けのようなもの。あるいは自分が愛されるような存在ではないと、自分自身に愛想を 尽かしている時に、思いもよらぬ人から雷に打たれるように気づかされるもの。その ような愛は、愛し合うもの同士の共同性の中で流通しているものとは質的に異なるも のだ。おそらくこのような愛は、共同性をそれまで守り続けてきたメンバーには、は なはだ迷惑な代物に違いない。悪くすると、共同体全体を壊しかねない。なるべくは やく例外にしてとり繕おうと、檀那たちがはしりまわるのが想像つく。 愛するとい うことの徹底を図ると、おのずと敵を愛するという、形容矛盾に陥るのかもしれない。 愛することができない者、愛してはならぬ者と同義である〈敵〉に、愛はみずからの 意味を壊しながら向きあおうとする。平穏な人間関係にはあって、あまりに過激でス キャンダルなことになる。 この点でパウロのロマ書13章8節以下とは180度違 う。パウロは「隣人を自分のように愛せ」という言葉をそのままイエスの言葉と信念 しているようだが、・・・。
 9月1日マタイ福音書5章21−26節 「『殺すな』の向こう側」   久保田文貞  イエスの律法主義に対する批判は、まずはイエスとその弟子たちが律法を守ってい ないというパリサイ人からの批判に応えた反論という形で始まる。マルコ2章23節以下 の安息日論争など。弟子の安息日規定違反を咎められたイエスの反論は、ダビデも腹 が減って祭司しか食べてはならぬものを食べたという故事をあげて、「安息日は、人 のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日 の主である」というものであった。快哉なり。安息日は神の安息のためではなく、人 のためだとイエスは宣言する。つまり人間に良かれとみなされれば安息日規定は廃棄 されてよいと宣言している。 けれども、マタイはこの物語を微妙に書き換えている。 マタイ12章1節以下。先に挙げたイエスの言葉を削除し、『わたしが好むのは、憐みで あって、生贄ではない』とホセアの預言を付け加える。マタイは、イエスのように律 法の効力をトップさせるのではなく、 律法を完遂させるために、個々の律法の奥にあ る、神の意思を汲み出そうと腐心するわけだ。 これとちょうど同じようなことが、 マタイ5章21−26節に見られる。トーラーの中心に位置する十戒の第6戒「殺すな」 という規定を廃棄せよとは言わず、〈兄弟に腹を立てたり、罵ったり侮辱したりする 者は審きを受ける〉、つまり他者の人格を無視したり、他者を抹殺する言辞を吐くと いうことが、他者を殺すことと同じことだ。そういう律法の徹底化を促すわけである。  われわれの近代刑法の原理は、動機を無視するわけではないが、動機だけでは裁か ない。実行が伴って初めて裁くことになる。これに対して、マタイ福音書でのイエス の言葉は、心情の中に発露した他者に対する憎悪も含めて裁かれるぞと云う。 人間 の心に潜む憎悪が殺人につながるとして、マタイが抉り出していく先に、受難物語の イエスの磔刑死があるように思えてならない。受難物語は、裁判の傍聴人であった群 衆たちが「十字架に着けよ」と連呼し、総督ピラトは、個人的な悪意など毛頭もない かのようにイエスに弁明を促す。被告が弁明しなければ訴状に同意したとみなされる 危険はどこの裁判にもみられることだ。ピラトとしては群衆たちの暴動化を防ぐため に、イエスを有罪とする形で事をの収拾を図った。そうやってイエスは、群衆たちが 手を下したでもなく、ローマ権力も治安を優先させたというだけで、だれに責任があ るかあいまいなままに処刑されていった。 群衆たちは、ほとんど何も弁明しないイ エスに腹を立てていたのではないかと思う。ののしられても唾されてもされるがまま にしているイエスに〈むかついた〉ということだろう。受難物語は、特定のユダヤ人 のではなく、人間一般のとしか言いようのない、われら人間すべての中に潜む 腹立 ち、怒り、人を平気でののしる本性、見て見ぬふりをし、組織の自立性に責任を押し 付けてしまう無責任性の一切が、よってたかってイエスを死にいたらせしめたと、捉 えているように思う。  (そこで話を終えたが、懇談会でいくつかの反論があった。その一つ、私なりの言 葉で言うと、〈殺すな〉という律法の徹底化、精神化、その前提にイエスの死を置く ことによってそれが一層際立たされるが、そうやってすべてを一括りにしてしまい、 結局は一つ一つの問題を見えなくしてしまうことこそキリスト教の問題ではないか、 というもの。ほぼ同意だが、その批判でキリスト教を批判しきれるかどうか、次の問 題があると思った。 )
 8月25日 イザヤ書2章1−5(ミカ書4章1−4節) 「恒久の平和」   竹内憲一  東京大空襲や沖縄戦を経て8月6日の広島・9日の長崎の原爆投下、15日の敗戦に至る 経過から、8月を特に平和を記念する月と見ていることが多い。間違いではなが、アジ ア太平洋戦争、第二次世界大戦全体の惨禍や東西冷戦から現在に至る国内外の状況も 見て、平和を受け止めなくてはならない。 平和という言葉には、㈰国家間に戦争が行 われていない状態、㈪植民地支配や抑圧・差別から解放されている状態、㈫自然環境と の共生の意味が幅広く含まれている。平和ではないこの世界にあって、反動的な勢力 との闘いを通して生み出していくしかないのが、平和ではないだろうか。 聖書の平 和(旧約ではシャローム)には、㈰〜㈫の全ての意味が含まれる。聖書には「神—人— 自然」の立ち位置があり、とりわけ旧約聖書の場合、書き手の時代背景・思想により、 平和の意味が異なってくる。他方、神の名による戦争や差別の記述もあるので、<解 釈>を通して意味付けをし続けるしかない。 とりわけ旧約聖書の予言書には、平和 に関するすぐれた洞察が数多く示されている。紀元前8世紀の予言者第一イザヤの書 (1−39章)もその一つである。テクストのイザヤ書2:1−5は第一イザヤの書に含ま れる。 この2:1−5の言葉は、ミカ書4:1−4にも記されている。2:1−5は回復を語 る予言である。1節と5節は編集句である。・2節:終わりの日,ヤハウェの山,山々, 丘陵・3節:すべての国,多くの民,ヤハウェの山,ヤコブの神の家,律法(教え), シオン,ヤハウェの 言葉,エルサレム・4節:諸国,審判する,多くの民,裁定する, 剣は鍬に,槍は鎌とされ,国と国,戦火を交えず,軍備を競わない(以上中沢訳から)  戦禍の続く当時の世界の平和革命を示唆し、武装解除、軍備の廃絶が語られる。平 和の意味としては㈰を指しているが、この言葉を本部の壁に記した国連も達成できてい ない。ヤハウェの教えが武装解除に先行するのと、シオン・エルサレムを中心にした 国際平和の実現が示唆されている。予言者の時代的・民族的・思想的な背景による。  「正義を洪水のように…尽きることなく流させよ」(アモス5:24)、「正義が生み 出すものは平和であり、…とこしえに安らかな信頼である」(イザヤ32:17)など、 社会正義への実現を促す言葉は予言書の随所に記されている。平和、正義、公平と神 への信頼が問われている。 イエスの誕生物語で、羊飼いたちは「天には栄光神に、 地には平和よい意志のうえに」(ルカ2:14)という天使の歌声を聴く。平和が地の問 題であり、よい意志のものたちにもたらされるという課題が示されている。キリスト 教は過去において幾たびも戦争を含む非平和的な道に直接・間接に加担してきた。平 和は少数者において反動的な勢力と闘いつつ実現していくしかないが、壊憲の危機に ある日本国憲法の価値を捉え直しつつ、核廃絶(原発・核兵器)などの課題を、キリ スト教の内外の「よい意志」との交流や連帯を見出ながら続けていくことだろう。 「安らかな信頼」に立って。
 8月18日 「福島と広島、長崎」   大田一臣  原発事故以来、福島県が行ってきた、健康管理調査は、「被曝の影響なし」という 結論をつくりあげる調査であるという批判があります。 2012年4月、「健康管 理調査検討委員会」で「秘密会」の存在が毎日新聞に暴露されました。検討委員が事 故との関係をあえて質問し、調査担当した福島県立医大がそれに応えるというシナリ オも用意されました。なぜ? 検討委員会座長の山下俊一福島県立医大副学長は、長 崎の放射線影響研究所所長として被爆調査にあたってきた人物です。 県民健康管理 調査は、日米の広島長崎の被爆者調査の流れをくむと言われています。広島と長崎に 原爆が投下されたとき、マンハッタン計画副責任者ファーレル陸軍准将は、記者会見 で「広島、長崎では死ぬべきものは死んでしまい、放射能の為に苦しんでいるのは皆 無」などという発言を繰り返し、それがアメリカ政府の公式見解となっていきました。 「あの戦争は、『民主主義とファシズムとの戦争』であって、『核』は通常兵器の枠 内であり、残留放射能の人体への影響など絶対にあってはならない」とする内容が正 当化されねばならなかったのです。 原爆投下直後 日本軍による調査団がいち早く 広島、長崎に入りました。「陸軍省広島災害調査班」をはじめ、理化学研究所の原爆 開発計画「陸軍二号作戦」を担った仁科芳雄も広島に調査に入り、8月10日に既に 「原子爆弾ナリト認ム」という報告をしています。また、多くの帝国大学の医学部も 広島、長崎に調査団を派遣しました。 そうした動きの多くは、ポツダム宣言受け入 れ後、アメリカの原爆調査への協力をする動きへと変わって行きます。9月3日には 日本政府代表が、占領軍前進総司令部へ「原爆被害報告書」を提出しました。9月1 4日には、「学術研究会議原子爆弾災害調査特別委員会」が発足し、 2年以上かけた 日本軍からの調査180冊1万ページが、日本側によって英語に翻訳され、アメリカ に渡されます。その後調査は、広島、長崎の現地調査機関として、原爆傷害調査委員 会(ABCC)へと引き継がれていきます。 アメリカはその後アイゼンハワー政権に移り、 対ソ連を想定した「先制核攻撃」戦略のもと、同盟国への戦術核兵器の配備が行われ ました。一方において原子力の「平和利用」の国連演説を実体化するために、世界各 国と「原子力協定」を結びます。そうしたアメリカの政治戦略の中で行われた核にま つわる調査研究は、結局の所、原子力産業の世界的輸出のためのものであり、(「耐 容線量」から「許容線量」への変遷)被爆者の医学的情報は、それに従属するものと しての位置づけでしかない事がわかります。45年7月16日アラモゴード砂漠にお ける、原子爆弾原爆実験に代表されるように、アメリカは核実験で、多くの人体実験 をおこないます。それらはすべて本人の同意なしに行われています。 ABCCは75年、 日米共同放射線影響研究所(放影研)として再編されました。被爆者調査は、長期に わたって被爆の影響を見る関係上、行政の協力が欠かせません。そうした調査も、被 爆者の救済ではなく、核戦争を頂点とする軍事戦略上必要なものとして強調されるも のでした。 原子力政策のもと、日本の被爆者は切り捨てられてきました。原爆症認 定基準にしても、被爆者手帳保持者25万9956人のうち、原爆症と認定されたの は、0.78パーセントにすぎません。爆心地から2キロ以内にいた人のみを被爆者とし、 それ以外をすべて非被爆者とします。「黒い雨」が西北以降に30キロ以上にわたっ てふり、多くの人々を被爆させているのに。でたらめな認定基準は、初期放射能によ る被爆だけを対象にしていますが、内部被曝にかなり影響すると言われる放射線降下 物(アルファー線、ベータ線など)の調査は、45年9月の枕崎台風の暴風でふきと ばされた以降の値によるものです。こうした初期のでたらめな値によって被爆者は半 世紀以上理不尽な線引きを強いられてきました。 しかし、それでも広島、長崎の被 爆者運動と福島の人々との結合がはじまっています。 「震災と原発被害被災者対策 に関する要請」には「原発事故による被害者に健康管理手帳を公布し、被害者の生涯 にわたる健康管理に国と東電が責任を持つ事」などを被団協の人たちが訴えています。 福島と広島、長崎が強くつながろうとしています。
 8月11日  平和を考える礼拝より   ロマ書14章13〜17節を読んだ後、説教の部分で出席者の語り合いの時が約一 時間にわたって行われました。簡単に話題を追うような報告になりますが、お許しく ださい。  初めに、飯田静世さんがシャンソン「リリー・マルレーン」を歌いました。M.ディー トリッヒの歌で有名になった反戦歌です。少女時代に体験した空襲の記憶と重なると いうことでした。歌詞をあげておきます。(中西礼訳)1. いくさに行く前の夜   子どものように泣きじゃくり  私の名前をあなたはつぶやく  ※いとしいリリー・ マルレーン   いとしいリリー・マルレーン2.窓の下を兵隊の  長い列が町を 出る  私を見あげてあなたは叫んだ  ※(くりかえし)3.夜空の下鉄砲を   抱えたまま眠る歌  汚れた私の写真を取り出し  ※(くりかえし)4.地獄のよ うな戦いに  身を捧げて傷ついて  倒されたあなたは最後に叫んだ  ※(くり かえし)5.平和の日は来たけれど  あなたはまだ帰らない  瞳を閉じれば聞こ えるあの声  ※(くりかえし) ほとんどの方が直接の戦争を知らなかったのです が、親や年輩の方たちから伝え聞いた戦禍のことを焼け跡の中で戦争を記憶する世代 の人もいました。 ゼロ戦についてのドキュメント番組から、ゼロ戦が第2次大戦の 初期には大変性能の良い戦闘機であり、連合軍側は無欠の零銭を押収して徹底的に分 析したとのこと。軽量で身軽なゼロ戦の技術と欠点が知られてしまい、後期になると 劣勢になり、特攻機として使用され連合軍艦隊に自爆していったこと、さらに戦後の 日本の産業界は、これらの科学技術を生かしながら、電気製品、高速電車・自動車製 造などで飛躍を遂げたこと(嶋田さん)、などをふりかえり語り合いました。 また 大戦の終結に近いころ、あまり知られていないが柏の軍施設でジェット戦闘機「秋水」 の開発も行われていた。完成を見なかったがその技術は卓越していたと言われます。 (恵子さん)   科学技術は平和時は人間の豊かな生活のために利用されるが、い ざとなると軍事技術が優先され、核に代表されるように恐ろしい兵器製造の技術にな る。原子力発電は象徴的である。原発は潜在的核保有国であるために必要であると自 民党の国防族は言う。(久保田さん)しかし、原発ほど軍事的に危険なものはない。 原発が通常弾頭のミサイル攻撃を受けるだけで核攻撃を受けたに等しい事態が起こる。 防衛の理屈が立たないだろう(秀房さん)、などなど。 これと全く別の視点から、 (板垣さん)はこの夏、飯田市で行われた〈いいだ人形劇フェスタ〉に行ってきたと のこと。アジアの国々と日本各地から数百の人形劇団が集まって、公演しあう祭りの ようです。平和というのは平和運動家や市民運動をやっている人が平和を作るのでは なくて、このような祭に集まる人のように、何気なく日常生活からハレの日を取り出 していく、そういうのが平和なのではないか、とコメントされました。 その他、い ろいろな方の発言がありましたが、書けませんでした。申し訳ありません。 (文責・久保田) 
 8月4日 説教から マルコ福音書11章22−23節 「余は如何にして…なりし乎」   久保田文貞   7月29日の麻生副総理の発言の一部、「ある日気づいたらワイマール憲法が変わって、 ナチス憲法に変わっていた。あの手口に学んだらどうかね」。言われているように、 これには大きな間違いがあります。ナチス憲法など存在しないし、「ある日気づいた ら変わっていた」のではなかった。ナチスが意図的に国民をだまし露骨な脅迫と弾圧 をやりながらワイマール憲法を封殺し、国家を法秩序の〈例外状態〉(シュミット) =戒厳令状態においたということです。麻生氏は「憲法改正は静かな雰囲気でやった 方がいい」と言おうとしたのだと「失言」を取り消したが、これはこれで歴史的錯誤 以上の問題発言です。やはりマスコミなどもあまり取り上げず、国民が気が付かない うちに憲法改正してしまえという本音が透けて見えます。今春に出された「自民党憲 法草案」自体の問題でもありますが、〈国民主権〉に変えて「国家主権」を優先させ ようとする、これが一番の問題です。 実は「国民主権」という近代国家の原則は、 その出発の時点から理想的な所があります。100%の国民の総意など確かめようがあり ません。部分的で後付け的な面がどうしてもあるのです。歴史的に完全に自主的で自 発的な憲法などないのです。多発的、非自主的な面を持とうと、〈国民主権〉という フィクションを国家は絶対に手放してはならないと頑固に倒錯しているよりないので す。押し付けられた事からしか始まらないことって、大事なことにけっこうあるもの です。 今日の説教題は内村鑑三の『余は如何にして基督信徒になりし乎』(1892) から採ったものです。内村は別のところで、自分はそれを何故クリスチャンになった かを書きたくなかった、どのようにクリスチャンになっていったかということを書こ うと思わったというようなことを言っているそうです。内村は札幌農学校に入って、 上級生たちから強制的に「イエスを信ずる者の契約」に署名させられたというのです。 自分は自発的にクリスチャンになったのではない、多発的になってしまったというこ とです。 これに対しては、強制された信仰告白など、拷問されて言わされた自白の ようなものだ。信仰告白は主体的な選択、自発的な告白でなければならない、という のが正論でしょう。自分もずっとそう思ってきたし、ほぼ今でもそう考えている所が あります。けれども、〈主体的に〉ということには必ず落とし穴があります。意地悪 く言えば、主体的にそれを選んだというすぐ裏側に、主体的にそれを捨てるという決 断が潜んでいると言えなくもありません。内村の場合、多発的に署名させられたから こそ、もはや自発的にそれを消せない、そういう自分をとことん引き受けるよりない という所にいたのかもしれません。(ここまで柄谷行人「自主憲法について」に触発 されています。) 今日の聖書箇所は、イエスが「神を信じなさい。よく聞いておく がよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは 必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。」と宣言する 所です。原文では〈山に向かって、「持ち上げられて、動かされよ」〉と、受動態が 使われています。自分が動かすのではなく、神のよって動かされるのだという謙虚な ニュアンスが含まれているのでしょう。けれども、検証するまでもなく、そんなこと ありえません。信じるに値しないと判断せざるを得ないことを「イエスは信じなさい」 と命じる。強制的かつ多発的にです。 人にとってけっこう大切なことが、このよう な多発性、非自主性の中で、つまり主体性の出番がなんかの理由で止められているそ の隙間に起こると捉えたいと思います。
7月28日説教から  マタイ5章7−10節 「平和を実現する人はさいわい」  前回までは、マタイとルカに共通するイエスの至福の言葉でイエス自身の言葉まで 遡りうるものを中心に話しました。今回は、これらのイエスの至福の言葉を、イエス 死後に立ち上がった原始教会が受け継いだところに焦点を合わせて考えていきたいと 思います。とはいっても、厳密にはマタイとルカが共通に使った資料の伝承段階(年 代的にはイエスの死の34年ごろから80年代後期ぐらいまでの50年間のことです)と、 マタイがそれを受けて福音書の中に収めた言葉とは分けて考えなければなりませんが、 ここではマタイの言葉に焦点を合わせて考えたいと思います。 マタイは、これを社 会・経済的に「貧しい者」「飢える者」への祝福の言葉としてでなく、「心の貧しい 者」「義に飢え渇く者」への祝福の言葉に読み替えました。マタイが〈精神化〉(田 川)させてしまったと言い方ができるでしょう。 しかし、これが原始教会によって 参照された時、話者イエスと、すでに特別な位置にいる弟子たちと、周辺の群衆、三 者の物語の中に収まっていたのです。その物語の中でイエスの祝福がオリジナルなも のとどう変わっているかなどと云う批判など思いもよらないその教会の会衆が、今イ エスの祝福の言葉を聞いている聴衆です。そして著者自身も含まれるところの教会は、 これらのイエスの祝福の言葉を神の国の言葉として、さらに言えば、神の言葉として この地上で聞いているのです。そういう集団がこの地上に生れているのです。   あわれみ深い人たちは、さいわいである、   彼らはあわれみを受けるであろ う。  心の清い人たちは、さいわいである、  彼らは神を見るであろう。  平 和をつくり出す人たちは、さいわいである、  彼らは神の子と呼ばれるであろう。   義のために迫害されてきた人たちは、さいわ  いである、  天国は彼らのも のである。  7節からだけを書きだしましたが、その前の言葉も含めて、人間の間に起こる社会的 現実、例えば貧困や飢餓、それを引き起こす争い、差別、憎悪が、〈神の国〉の相か ら見ると恵みが増し加わる有利なポイントに見えるてくるはずです。するとここに新 しい人間が生まれてきます。〈神の国〉の〈さいわい〉を約束された者たちは、これ から憐れみ深く、清くあろうとし、平和を作り出す者、義のために迫害を怖れぬ人に なる。だから、このような言葉を語り継いでいると自認する弟子たちは、〈一般の教 会員よ、私たちにならい、そういう生き方をせよと迫るわけだ。神の国の恵みを第一 義にとらえる集団がこの地上に生まれ、現実の世界を神の相のもとに透かして見せる。  これはひとつの「精神化」にはちがいないでしょうが、この人間社会にあっては同 時に、意図はどうあれ〈政治〉を張ることになる。神の国の恵みのことだけを想い、 信仰として振る舞えども、一つのポリティックス(政治)の場所に再び立たなければ ならないことになります。「平和を作り出す」ことが政治的だというのは見え見えの ようですが、ここでの平和は神の平和であり、世の政治力学の間で束の間生じる平和 ではないと説明されできました。けれども、そこから生じる、この世界の政治をすり 抜けようとする脱・政治的態度こそ、より政治的な位置を取ることになると知るべき でしょう。最悪なのは、そうやって世の為政者に白紙委任状を手渡して、自分はあっ ちの方ばかり見ているという在りようでしょう。ならいっそう、憐みとか心の清さな ど傍らに置いて、しっかり政治をした方がましかもしれません。
7月21日 マタイ福音書5章5−7 「義に飢え渇く者はさいわい」 前回申したように、イエスにまで遡りうる言葉は、ルカ版の6章20、21であろうとい うのが最近の学者たちの共通の見解です。    さいわい、貧しい者。   神の 国は汝らのものである。   さいわい、今飢える者。   汝らこそ満ち足りよう。    さいわい、今泣く者。   汝らこそ笑うであろう。  (田川訳)この言葉 がだれに向かって語りかけられたか。決定的なことは誰にも言えませんが、閉ざされ た弟子集団だけに語られたとは思えません。明らかに貧しい者たち、どう見ても満足 に食べていない者たち、前の夜泣きはらした女たち、今泣きわめいている幼な子たち、 彼らを前にして、「さいわい」と言葉を投げかける。貧しい者たちに、神の国はあな たたちのものだと言い切る。〈今〉飢える者たちに、「すぐにも」(「今」に対応す る未来は「すぐにも」と解したい)あなたがたこそ腹いっぱいになるだろうと。〈今〉 泣く者たちに、すぐにも笑うであろうと。 これらの言葉は、ルカもマタイも、そし ておそらく両者に共通する「資料」でも、無理解な群衆ではなく、それなりに理解で きている弟子たちにむけて語られたはずだとされていますが、イエス自身の言葉は自 分の周りに集まる群衆に語りかけられたものだと解したいです。集まってきた群衆を、 ご利益欲しさに押し寄せてきた迷惑な存在というような描き方(ルカ6:18)をすべき ではなかったと思うのです。 イエスの心理に踏み込んで解釈することに躊躇します が、イエスは人でもあるわけですからその意識の面を探って不都合はないでしょう。 イエスは自分の周りで世界の様相がガラリと変わるような事態が起きていると感じ取っ ていた、そしてイエスがユダヤ教の諸先輩から聞いていたような手続きや順序を無効 としてしまうように、想定外の仕方で〈神の恵みの一方的なラッシュが始まっている と、その力に則ってイエスはその磁場に身を投げ出し、神の恵みの中を彼自身も生き る、それは神の国が、その恵みのラッシュの中にいる者の間に形を取り始めていると いうことでしょう。それは実現しつつあり、しかもまもなく実現するであろうことで あり、人はそれを約束とも受け取り、貧しい者たち、飢えた者たち、泣く者たちもま たその約束を胸に抱いて、その約束が実現するまで前を向いて歩き始めます。そこで、 貧しく飢えた者たち、泣く者たちが今分かちあい、今慰め合い、今手を取り合って歩 いていくということが起こるだろうと思います。 これはイエスの言葉の解釈の問題 にはなっていないだろうと思います。人はどちらかと言えば、特別な奥義を知ったも ののような顔をして、その言葉を精神化したり、一般化したり、理念化したりしない 方がイエスの捉まえているものによりちかいことでしょう。解釈とは、外側からやっ て来たものを、内側の言葉に言いかえ、内側のしかるべき場所(それは内側の都合で す)に収めて見せるということです。そういう離れ業をするのが聖職者だとすれば、 やはりイエスの言葉を聞くのにそういうものはいらないでしょう。 
7月14日説教から マタイ福音書5章1−4節 「貧しい人は幸い」      久保田文貞  1、2節は〈山上の説教〉の場面設定になります。イエスは平地にいる群衆の間を抜 け、ひとり小高い場所に上り、座った。次に弟子たちが彼のもとに近寄った。彼らは イエスの周りに座ったということでしょう。そこから少し離れて群衆たちが取り囲む 図が見えてきます。 イエス→弟子たち→群衆という序列が浮かび上がってきます。 マタイが自分の福音書を書くにあたって重要な資料のひとつとして採用したのが『マ ルコによる福音書』ですが、ここではイエスは弟子たちの頭越しにむしろ群衆に親し く語り接していく図が描かれているのと対照的です。この序列化は早くから弟子を頭 とする原始教会の中で生まれていったと思われますが、マルコ福音書の著者は明らか にこれを壊そうとしました。おそらくイエス自身の姿勢に弟子と群衆との序列などな かったとマルコは確信していたのでしょう。 3節「心の貧しい人々は、さいわいであ る」という文が、ルカ版6章20節では「貧しい人々はさいわいである」となっています。 この差は歴然としています。「心の」が付いていなければ、なによりもまず「貧しさ」 とは社会・経済的な貧しさそのものです。近代の聖書学は総じてルカ版をオリジナル としています。おそらくイエスはそう語ったろうと思います。 初期イスラエルの法 には(出エジプト23章以下など、さらに申命記15,24章など)、貧しい人々や寄留の 外国人への配慮を執拗に規定しています。おそらくカナンで定住を始め農地を獲得し ていった民が、自分たちの出自というべき〈貧しき寄留者〉層のことを忘れてなるま いという意志の表れだったのでしょう。この伝統はずっとユダヤ教まで続いています。 (前190年ごろの『シラ書』7:32以下など) マタイが「心の」と後から入れたのもそ れなりの根拠はありました。どの宗教にも見られることですが、ユダヤ教の価値観に 「貧しさ」を宗教的な清貧に転嫁していった歴史があったからです。(詩編37、ヨ ブ34:19、箴言13:7、19:1,28:11、シラ10:30、クムランなど)。当然、キリスト教の 歴史の中にもずっと流れています。 20世紀前半のドイツでナチス政権にキリストの 主権を侵すものを見抜いたキリスト者たちが抵抗しました。けれども、弾圧の前にそ の運動は瓦解していきました。その中で若き神学者ボンヘッファーは、弾圧に抗して キリストに従っていくことがどういうことか考えつめて生きました。そこで書いた本 が『服従』です。彼はその本の大半を〈山上の説教〉の解説という語りで書きました。 3節について彼が書いていることはざっとこんなことです。貧しさも、あるいは禁欲主 義的な断念の決意も、それ自身の中には何の価値もない。イエスの招きを受け、それ に答える中で困窮とか断念の中を生きるということが起こるというのです。イエスか ら招かれ、祝福の約束を与えられて初めて貧しさということが分かると。…そして彼 はヒットラー暗殺の運動に参加していきました。キリスト教の清貧思想の究極の形だ ろうと思います。 ただ、イエスの言葉をよく保存しているのはやはりルカの「貧し い人々は幸い」という言葉でしょう。イエスはそのまんまの現実の貧しさにある人々 に向かってこの言葉を語ったのだと思います。だれでもこの矛盾に満ちた言葉を聞け ば、その背後に真の意味が隠されているに違いないと、詮索したくなります。 けれ ども、イエスはこの言葉を聞いた人がどんなに理解に苦しもうと、どのように動揺し ようと、貧しさの中にいる人々にそのまま、神の福音の祝福の言葉として語り伝える、 そういう切り口の言葉を残したということです。 (説教後の懇談会で、これに対してかなりの批判を受けました。それぞれの言葉の通 りに報告できませんが、私としては次のように受け取りました。…あなたの説教は、 聖書の批判的な読みををして見せた後、言えるのはこれだけという話に聞こえる。で はそのつぎに、聖書は何を私たちに語ろうとしているというのか、それが伝わってこ ない〉と。まことに痛い点を突かれ、すぐ何も言えませんでしたが、その後考えたこ とは以後の話の中で述べていきたいと思います。)
7月7日説教から マタイ福音書5章17−22節  5−7章の「山上の説教」は著者(マタイ)が設定した場面に、主としてルカと共通 の資料に伝承されていたイエスの言葉をもとにして、マタイなりに整理し構成された 説教です。 1節から始めるべきですが、マタイの趣旨が明確に表れている17−22節 をさきに取り上げます。というのは、序曲のような3−10節の祝福の後、11〜20節で急 に様子が変わり、聴く者へ強い要求が出されます。言うとおりにしないと〈外に捨て られて、人々に踏みつけられるだけ〉〈地獄の火になげこまれるだけ〉という次第で す。全体の構造からみて、マタイがこの説教をまとめ上げた趣旨は、耳に痛い11−20 節の方に主眼が置かれていると言わざるを得ません。 「わたしが律法や預言者を廃 するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたの である。よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることは なく、ことごとく全うされるのである。・・・わたしは言っておく。あなたがたの義 が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはで きない。」(17、18、20) 伝えられたイエスの言葉が軸になっていますが、それら を並べ替え、マタイの意図に合わせてかなり修正しているので、ニュアンスがだいぶ 変わっています。「天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、 ことごとく全うされる」というのは、ルカ16章17節に似た言葉がありますが、おそら くイエスの場合、パリサイ派ユダヤ人の律法に対する姿勢を批判的した表現だったと 思われます。初めに書かれたマルコ福音書においては、律法の拘束にとらわれず福音 を語り行動していくイエスと、それが律法違反になることを指摘しイエス運動を批判 するパリサイ人との対置がはっきりしています。これに対し、マタイの論点は、イエ スは律法を否定したのではなく、律法の完全な〈成就〉を要求したのだと理解したわ けです。つまりイエスの福音はユダヤ教から外れたものでなく、ユダヤ教の完成であっ たと論点を変えたのです。 けれども、イエスの福音はどうみても、正統主義的なパ リサイ派ユダヤ人から周辺に押いやられた人々、元ユダヤ人、「罪びと」、私たちに 引き寄せて言うと〈負け組〉ユダヤ人の方を向いて語りかけられ、その業がなされて いきます。マタイのように考えるのは無理があります。 パリサイ派運動とは、民族 の危機意識に燃えて、今こそ律法を基準としてユダヤ人共同体の崩壊を止めようとす る面を持っています。そのために律法を、それも一部宗教家に要求されたものまで含 めて、一般人の生活の当てはめていったのです。彼らの律法への熱意が庶民に守りき れないような要求をすることになったのです。当然脱落者が多発することになりまし た。こうして脱落者を社会の周辺に追いやって、ユダヤ人共同体の正当性、優越性を 担保しようとしたのです。同じようなことはどこにでも見られますが。 イエスの福 音はこれと対置すると180度違うと言えますが、それを反律法主義、反パリサイ主義に のみ位置づけると違ってしまうだろうと思います。マタイとしてはその問題に対して、 イエスの福音はむしろ律法の完成だという一解釈を打ち出したわけです。〈私たち (クリスチャン)はあなたたち(ユダヤ人)とは違う、はいさようならというわけに いかない。私たちこそ真のユダヤ人だ〉と。これはパリサイ派ユダヤ人に対しては宣 戦布告と響いたはずです。 マタイのこの論点は、彼なりの必然性があったとはいえ、 だいぶイエスの福音と外れていったとおもわざるをえません。
6月23日の説教から ルカ福音書15章11〜32節 「無条件で受け入れる」   板垣弘毅  下関、深川をへて、北松戸に22年ぶりにもどってきました。説教というのは、礼拝 という伝統的な儀式を場として、聖書を土台になされる、説教者と聴く人たちとの共 同作業だ、と思ってきました。つまり、自分の聖書の読み方だけでなく聴衆の思いと 生き方への配慮の中で成り立つことで、書き言葉にはならないできごとのようだと思っ てきました。 わたしが北松戸に戻ってきた最初の礼拝での説教の聖書の個所がここ だったので、その説教を一つの問いかけとして受け止めて、何か対話できたらと考え ました。わたしとはずいぶんちがう読みでありまた説教者の立ち位置だなあと感じ、 自然に自分の読み方は何なのかと考えることになりました。 新約学者、田川建三は、 このたとえ話は、まったくイエスらしくないお話で、最初期の教会の「いかにもキリ スト教のドグマに合わせて作られた(悔い改めれば救われるのだよ、という)説教話 にすぎない」と切って捨てています。つまり、イエスに遡らない、教会の作文だとい うわけです。久保田さんの説教も、田川さんの研究を踏まえながら、このルカによる 「悔い改め物語」を批判的に読み込んでいるわけだ。でも、ある素材から何を受けと るかは当然違いが生まれるものだと思う。 説教として取り上げるとき、一つには、 自分自身がこの物語に共鳴していること、またそれとともに、この伝承を牧師という 務めとの関わりで読まざるを得ず、目の前にいるあの人この人との関係の中で、いわ ば複眼的に他者の目も繰りこんで読むということ、があると思います。つまり他者の 感動に共鳴するという読みがあります。たとえば、きょうの放蕩息子のたとえなら、 鮮明に思い出せるのは、ある薬物依存に苦しむ青年のことで、ある時期から彼をぬき にしてここは読めないのが個人的事情です。 この物語が伝えるものには、キリスト 教のドグマをはみ出る何かがあると、わたしには実感できます。たとえルカ福音書の 著者かあるいは伝承した人々の作文だったとしても、それを通して人の心に届く何か があると思う。その何かがイエスの福音、もっと言えば「神の国の福音」といえるも のだと、わたしはわたしなりに信じてやってきたと思います。 何かいたたまれない 理由があったにせよ、親の財産を生前分与をしてもらって家を飛び出した息子、遊び まくって、異郷で持てるすべてを使い果たし、飢えて死にそうになる。耐えかねた息 子は、「そこで彼は我に返ってこう言った」心の中である反省をする。父のところに は有り余るほどの食べ物があるのに、ぼくはここで飢え死にしそうだ、こんなのおか しい、自分の犯した罪は謝って、使用人として雇ってもらおう、そう思い立ち、故郷 を目指す。せっぱ詰まった求職活動で、念頭にあるのは、まずわが身の安全。この息 子はまだ本気で「赦し」を求めていない。わたしにはそう読めます。ところが、父親 はこの息子を、まだ遠くにいたのに、見つけて、走りよって抱きしめ、無条件で赦し てしまう。息子の用意した苦しまぎれの言い訳の最後まで、全部を言わせずに抱きし め、次いでめったにない大宴会になる。息子はこの時初めて、自分が「赦される」と いうことが、どういうことなのか気づいたのではないか、と思います。 こちらのちっ ぽけな言い訳、正しさ、人間の正義などよりはるかに大きな、というかまったく別の まなざしで、自分はお父さんに見つけられているんだ ! そういうことに気づいたは ずです。イエスの伝えたいこと、言いかえればイエスの福音は、ここだと思える。 「悔い改める」という、本人の自覚をこえて、人は神の支配に向きあわされているの です。その意味では、わたしも、安上がりな「悔い改めれば救われる」という物語と して読むことはできません。本人の自覚やつじつま合わせ、また正義や信仰をこえた まなざしが注がれている、言いかえれば一つのいのちが神の支配に向きあわされてい るんだと、イエスは告げているのだと思います。 このお父さんは、「見つかった」 とくり返します。「死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだ から喜び祝うのは当たり前ではないか」 お父さんは(つまり神は)息子を見つめて いる。この「いのち」を見つけ出す「まなざし」こそ「神の国」だよ、とイエスは言っ ています。それは、兄息子の「正しさ」「正義」さえもこえるまなざしなのです。  久保田さんはこう読みます。兄は従順を装って、心は父を離れ「悔い改める必要のな いフリをしていた兄こそ根源的な罪に陥っていた」とルカは言いたいのかもしれない が、兄をこのような罪に陥らせたのは実は「父」なのだと。 ここのところはわたし 流に補って読めば、兄は、自分の「根源的な罪」を悔い改めることを求められている が、父のそばで従順に生きることこそ、本来、人のあるべき生き方とは言えないのだ。 父の権威を前提とした正義の前に悔い改めを求めるキリスト教こそ批判されるべきだ、 と久保田さんは言いたいのではないかと思います。 ルカが、あるいは初期キリスト 教会がイエスの口に乗せて、このようなドグマを語らせている。だからこの「放蕩息 子のたとえ話」も一つの批判的な素材として、反面教師として読まれるべきなのだ、 というわけです。そのように読める鋭さに敬意を払いつつ、わたしは、この物語にあ るイエスのまなざしを、教会という場で出会った人と、複眼的に読んできたと思いま す。 ところで、 このたとえ話は、ルカ福音書15章にあります。15章を見ると、 もう二つイエスのたとえ話があります。100匹の羊のうち1匹が迷い出たら、羊飼 いは「見つけ出すまで探す」のが当たり前だ、という話、なくした銀貨を「見つけた」 人の喜び、そして「いなくなっていたのに見つかった」放蕩息子のお話です。息子の 帰りを待つだけの無力な父親は、「まだ遠くにいたのに、息子を見つけて、憐れに思 い、走り寄って抱き、接吻した」 どれも「見つける」物語です。  社会という「見えない関係」が、反対に「まなざしの地獄」(見田宗介)となって ある人には突き刺さる場合もあると思います。でも一方で、きょうのたとえ話の父 親のように、「見つけて」「走り寄る」二人称の「まなざし」だけが、人に、生き ることの実感(リアリティ)を創りだしているのだと思います。また、この父親は、 家で勤勉に父に仕えていた兄の、自己責任論に立った不満にこう答えます。「死ん でいたのに生き返った、いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽し み喜ぶのは当たり前ではないか」  この「当たり前」という、「いのち」(=存在 のかけがえなさ)への無条件の肯定感は、自分で作り出すことがなかなかできない ものだと思います。他者のまなざしがつくりだすものだと思います。もっと言えば、 なんでここまで、と不思議に思えるほど見つめてくれる他者のまなざしが創りだし ているものが、この「喜ぶのはあたりまえだ」という言葉の背後にあることだと思 います。   地位とか、財産とか、家族とか実績とか、そういうものでは測れない神さまが見る 見方がある。イエスはそこから世界を、人間を見ています。イエスのまなざしの中で は、人間の正義と非正義は絶対のものではないんです。本人の自覚をこえて、人は神 の支配に向きあわされている。イエスは、きょうの主人公の苦し紛れの窮余の一策も、 兄の正しさも、神の国のまなざしで見つめています。 このまなざしに気づいた人が することは、神に見出された自分や他者の「いのち」に向きあうこと。
6月16日の説教から マルコ福音書4章26−29節 「おのずから育つ種」    久保田文貞 少なくとも、これはイエスが思い抱く〈神の国〉を比喩として語っ ていることは確かだろう。27−28節がもともとの比喩で神の国の成長に焦点が当てら れているが、それに対して29節の方は審きに焦点が移っており、2次的なものらしい。 とにかく人の日常生活のすぐそばで見られることが比喩として取り上げられる。これ とよく似ているのがルカ13章20−21節、「神の国を何にたとえようか。パン種のよう なものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」 というもの。どちらも神の国がこの地上で成長していくことについて、人は「どうし てそうなるのか知らない」「おのずから」成長するのだというのである。 イエスは、 神の国について多くの譬えを用いて語るが、それを直接、思弁的・論理的に語ること はない。一般に比喩というのは、語る者の頭の中に理念のようなものが先にあって、 それに何等か関連のある別の物事を示して、相手にその理念のようなものを間接的に 伝えようとする。とすれば、イエスが語った多数の譬えを重ね、綜合し、絞っていけ ば、神の国の概念がもっととらえやすくなるはずだと誰しも考える。だが、理屈の上 では、間接的に比喩として語られたものはいくつ並べても間接的なもの以上にはなら ない。 それとは別に、複数のイエスの神の国の譬えを分類すると、「放蕩息子」 「失われた羊」「良いサマリヤ人」「タレント」など一回的な物語形式の譬話という グループがあり、別に今日のテキストのような身の回りで繰り返し起こるような事物 に目をとめて語られるような比喩的な譬もある。さらにマルコ4章21,22節のようなほ とんど格言の形式のものもある。 今回は二番目の比喩形式の譬えを取り上げるわけ だが、これをただ表現形式の違いというだけでなく、そこからイエスが語る〈神の国〉 の実相的な面が見えてくると捉えたい。つまり比喩が比喩の趣きを捨てて、神の国の 実際に近づくということ。人の毎日の生活のただなかで、まかれた種がなぜか知らず におのずと芽を出し、穂となり、実を結んだり、あるいは女がパン種を入れて混ぜる と全体が膨らんでくるという愉快さ、明るさが、比喩というより〈神の国〉そのもの に見えてこないだろうか。イエスの言葉にはそういう響きが感じられる。 イエスの 〈神の国〉についてのもの言いをこの語の歴史的な使われ方から見ることも大切だ。 〈神の国〉というのは、神の王的支配のことだが、歴史的にこれが問題になるのは、 現実のイスラエルの最後の王国南ユダが滅亡した後のことだ。 つまりヤハウェの支配 が何らかの意味で現実の王国政治と完全に関係を断たれてしまった後、どうその事態 をとらえなおすかということに人々は直面した。その中で神の直接的な王的支配とい うことがユダヤ教の信仰的主題として立ち上がってきたのである。例えば第二イザヤ 52:7,10。ヤハウェが世界の王として即位する夢のような図が語られるが、その現実 的な保証は微塵もない状況での言葉なのだ。 さらに宗教団体にすぎなくなっていた ユダヤ教は、アレクサンダー帝国分裂のあとシリアのセレウコス朝によってその信仰 を否定される危機に至るが、その時彼らの間で浮かび上がってきたのが終末的な「神 の国」の願望(例えばダニエル2:44)であり、それと平行して現実に起こったこ とは、捨身的なテロリズム・ゲリラ闘争(マカベア戦争)であった。どちらも政治的 な願望をもった神の国運動という点で共鳴し合っている。この流れは、キリスト教が 成立していく後2世紀までユダヤ教の中で続いていたが、イエスの運動も時代的にそ の中にすっぽり入ってしまう。しかし、イエスの神の国の語りは、終末的(未来的) かつ政治的願望とは一線を画しているように見える。未来にではなく〈今〉、政治支 配とは全く別の仕方で「あなた方の自分たちのすぐ身の回りの〈ここ〉で、おもしろ いように起こっている出来事、それがイエスの語る神の国である。〈今〉〈ここで〉 「これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました」 (ルカ10:21)というわけだ。
《説教ノート》 6月9日の説教からエレミヤ書10章1−16節「偶像を批判する」       久保田文貞 この部分は後にエレミヤ書を編纂者の言葉とされている。 確かに、エレミヤに直接的な偶像批判は多くない。偶像批判というより、宗教批判、 神殿祭司批判が目立つ。例えば7章21−28。ここで、神の救いと審きの歴史・神の言 葉に正面から向き合おうとせず、形骸化した神殿祭儀の批判こそ、エレミヤの真骨頂 というものだろう。 偶像が威力を発揮するのは、他国の侵略者がそのシンボルを神 殿の一番良い位置に置かせて、真の支配者がだれであるのかを誇示し、宣撫しようと した時である。その時こそ、ヤハウェこそ主であるという意識が政治化し、偶像への 攻撃が激しくなる。 だが、偶像批判というのはイスラエルの歴史の中で比較的新し い。前8世紀後半アッシリアの外交政策に屈服するよりなかった北王国イスラエルの 支配層に対して、在野の預言者ホセアが偶像を呪う。「そして彼らは今もなおますま す罪を犯し、その銀をもって自分のために像を鋳、巧みに偶像を造る。これは皆工人 のわざである。彼らは言う、これに犠牲をささげよ、人々は子牛に口づけせよと。」 (ホセア13:2)おそらく、ヤハウェを象徴する像・金の子牛よりはるかに大きく きらびやかなアッシリアの神々の像が聖所の中に並べられていたのであろう。もっと も金の子牛の像は、ヤハウェがその背に乗る台座、もしくは乗り物と観念されていた ようだ。批判を免れたセラピムも同じ。こちらは鳥の怪物のような形状、ヤハウェが これに乗って空を飛ぶと観念されたようだ。「神の箱」などは神輿そのもの。という わけで、最後まで残った象徴物はヤハウェそのものの像ではないが、古くは族長時代 に明らかに族長の神々の像が存在したことが古い記述に出てくるし(士師記17−18章、 サムエル上19:13、創世記31:19)、考古学的にも発掘されているという。 偶像批 判がイスラエル宗教の主席に納まるのは、バビロニア捕囚以後である。彼らは異国の 収容所で、なぜ母国が破滅したかを信仰的に反省した。その中で、モーセ五書が現存 する形に編集され、サムエル記、列王記などが編集されたのである。偶像批判もその 中で脚光浴びる。今日のテキストのような偶像批判は、きみたちが拝んでいるのはた だの木片に過ぎない、ばかばかしい、というような揶揄、カラカイである。拝むべき は、生きて働く、見えない神だと。 これが弱小な一宗教的な共同体の孤高なる意地 というならわかる。パウロもアテネのアレオパゴスで同じような演説をしたと使徒行 伝が語る(17:27以下)が、これが微笑ましく思えるのは、文化的なギリシャ人から 見れば、〈この野蛮人(バルバロイ)が何を言っておるか〉とバカにされる中で、ほ とんど誰にも伝わらない中で独り力説するからだ。 論理的には、近代植民地主義の 時代に西欧の宣教師がよく使った「メッセージ」に似ている。しかし、こちらは「未 開人」の礼拝対象を侮蔑し、植民地支配のお先棒を担ぎながら、西欧人型の礼拝を勧 めるわけだ。 だが問題の根っこにあるのは、神の像のあるなしではなく、ひたすら 聖なる者を拝む姿勢そのものにあるのではないか。つまりは宗教そのものと言っても よい。礼拝するということが、何を絡め取り、何に関与し、何に作用してしまうか、 そのことを強く反省するよりない。それを抜きにすれば、強い者の宗教が弱い者の宗 教を伏し拝ませるという、あの古代の宗教そのままではないか。 弱者のやせ我慢は 美しいが、強者のやせ我慢は迷惑なのだ。抵抗者の偶像批判は聞くべきものがあるが、 支配者のものはたとえ偶像批判であろうと危険だと知るべきだ。
6月2日の説教から 使徒言行録2章41−47節 _「教会の理想型について」 久保田文貞  ペンテコステの聖霊降臨をもって初めて教会というものが誕生するというのが使徒 行伝2章の物語であった。その初めの教会の姿を、それから50年後にルカが描いて いることになる。 明らかに誕生したばかりの教会が、理想化されている。ルカが理 想化したか、またはそれ以前に伝えられていた伝承自身が理想化したか、決定的なこ とはわからない。44−45節を見ると、彼らは、自分の資産をすべて売り払いそれを共 同体(教会)に差出し、共同生活を送っていたということになる。分配は平等だとい うから原始共産的な共同体である。 この形態はヨセフスが報告するエッセナ派のも のに似ている(『古代誌』XV18以下)。ただし、彼らは「妻を伴うこともなければ、 奴隷も所有しない。…彼らは手ずから働くと同時に、人の嫌がる卑しい仕事も交代で 行う」という。彼らはエルサレム神殿を無視し、あるべき神殿祭司のように清めの戒 律を自己に課し律法を守ったという。この点は律法だけでなく宮参りにも熱心だった エルサレム原始教会とはちがうが。とにかく、この形態が原始教会よりずっと先にユ ダヤ教の一派の中に存在していたことは注目に値する。 歴史的に、エルサレム原始 教会はゼベダイの子ヤコブが処刑され(43)、ペテロが去り、主の兄弟ヤコブも処刑さ れ(62)、ユダヤ戦争前夜の60年代半ばには消滅した。古代の教会史家エウセビオスに よれば、戦争前にペラ(エルサレム北東50kmヨルダン川東)に避難したというから、 一部の人がそこに行ったかもしれない。しかし、事実上この教会は30年続いて、歴史 の舞台から消えるのである。 使徒行伝著者ルカが聖霊降臨で初めて教会が誕生した と書くことで、強引に以後の教会史が一元化された。キリスト→12使徒→エルサレム 教会→世界宣教が実線で繋げられたことになる。けれども、実際はそうではなかった。  どう考えてもエルサレム教会を経由しないで、それと並行して生れたグループがあ る。ルカ自身も述べているように、ギリシャ語を話すユダヤ人(ヘレニスト)らのグ ループ(使徒6:5、9)。さらには、マルコ15,16章で最後に重要な役割を果たしたマ グダラのマリヤら数人の弟子たち。彼らは〈復活者がガリラヤで弟子たちに会う〉と いう約束を受けてガリラヤに行き、エルサレムの弟子たちとは別にそこで独自の活動 をしただろうと、この推測を妨げるものはない。要するに、ルカが一元化した救済史 が外すことになったいくつかのグループがそれなりに存在したと捉えるべきだろう。 イエス死後、イエスを信頼した人々が多様に動き始めたということ、このことをしか と心に刻んでおくことは大切だ。自分とは別の形のイエスへの信仰・信実を、私たち はほとんどつかみ損ねているだろうが、そういうものが同じように存在しているとい うことを受け止めたい。聖霊ということで言えば、聖霊はそのような働きもまた運河 していたのだと、感謝して受け止めたいのである。 そういう意味では、ルカがいか にも整然と神の救済の歴史・教会史を、一元的に書いてしまったことによって、もし ある人々を無かったことのように消し去ってしまうとしたら、畏れ多いことである。 新約書の書き手もそして私たち読み手も含めてこの事を忘れてはなるまい。
 5月26日の説教から フィリピ書2章6−11節 「神であることをやめる神」 久保田文貞 〈彼は、神の形をしていたが、神と等しくあることを獲得物とはみなさず、みずから を空しくし、僕の形を取り、人間と同じになった。そして姿においては人間となり、 みずからを低くし、死にいたるまで従順になった。十字架の死にいたるまで。この故 に神もまた彼を高く引き上げ、あらゆる名にまさる名を与えた。それはイエスの名に おいて、天上のもの地上のもの地下のものすべてが膝をかがめ、すべての舌が、イエ ス・キリストは主である、と告白するためである。父なる神の栄光へと〉               (田川建三訳) これは、パウロが「キリストを模範とせよ」 (新共同訳「見出し」)という文脈の中に出てくる韻文的なものである。早くからパ ウロの文ではなく、当時流布していた賛歌を引用したものとされてきた。というわけ で、この引用された賛歌について考えてみたい。 誰が見てもまず気づくことは、神 の在す天から低き地上に、そしてまた天に、という上下の運動、しかも最高から最低、 最低から最高へという落差のことだろう。天高くいます神と同じ高さにいた「神の子 キリスト」が、人間の住む地べたの、それもその人間が死んで地下に埋葬されるまで 落ちた。「この故に」神は再び彼を最高位に引き上げたという。この感覚はパウロが 書いたものの中に出てこない。偽書であるコロサイ1章の思想に近い。また上から下へ というモチーフだけで言えば、クリスマス物語(ルカ1,2章、マタイ1,2章)もこの 思想と関係があるかもしれない。 フィリピ書が書かれた時と場所は、日本では佐竹 明『ピリピ註解書』以来、パウロの第3回伝道旅行時エフェソに滞在していた時に書か れたという説が有力になっているが、伝統的にはパウロがローマに幽閉されていたと きとされる。近代主義的な読みを嫌う田川建三の『訳と註4』はローマ説。私たち読 者はあれを読めばあっちに、これを読めばこっちに、右往左往するばかりだが、近代 のテキスト批評的な聖書読みに納得して、その奥にあるものに触れることなしにキリ スト教批判をしている気になっているとすれば不幸なことだ。 ここはローマ説に則っ て読む。前27年ローマが皇帝を抱くようになって、皇帝が神の子とされ、カリグラ帝 のように神を自称する者も現れて、ローマのクリスチャンたちが、「真の」神の子キ リストは死にいたるまで自らを卑下されたという思想を、特別な思いをもって歌った。 そう想像してまちがいないだろう。だとすると、この歌詞には裏返った政治の臭いが ある。カリグラ帝や、ティベリウス帝、ネロ帝の狂気や恐怖政治をなどを目の当たり にして、政治に踏みつけられ捨てられた者たちの怨念が、いつか下から上へと上げら れる日が来るに違いないと思って当然ではないか。。 だが、此の歌にはもう一つ別 の軸がある。それは、ひょっとしたらパウロの書き込み(佐竹)「十字架の死に至る まで」という句。本来、十字架は美的な要素を持つクロスとは真逆の、奴隷の反乱な どの罪人を棒ッ杭に吊るす最悪の処刑であって、法規定内の死刑にも値しない者に対 する共同体からの放擲、排除、抹消、呪いを意味する。だからキリストは、〈下に〉 でなく、〈外に〉「門外に」(ヘブル書13:12-13)呪われながら死んだ、そういうモ チーフがおそらくパウロによって加えられた。このモチーフは、上下の縦の運きでな く、内から外、外から内という水平の動きに軸を移そうとする書き込みに思える。包 容力のある(矛盾を認めようとしない)信仰深い人々は、二つの軸を融和させ使い分 けていくのだろうが、私には、この横の軸にいるキリストは、神であることを止める 神としなのであり、このことにもっと注目したいと思う。
 5月19日の説教から 使徒言行録2章1〜13節 「ペンテコステの出来事」   久保田文貞  復活者イエスが復活後40日間地上にとどまってから昇天し(ルカ24:50,51、使徒1: 9−11)、第 50(=ペンテコステ)日目に一同の下に聖霊が下ったという筋書きは、 80年から90年ごろに書かれたルカ文書だけに出てくる。ここには、終末論的な終わり の日を目前にしていると思い込んでいた原始教会やパウロ時代(35−55頃)とは違っ て、ユダヤ戦争(66−70)が終わってエルサレムが破壊された後も終わりの日が来ない 〈今〉、イエス・キリストの福音・救いを、そして〈この世〉、この歴史をどうとら えなおすか、否が応でも答えを出していかなければならない。それが福音書の書き直 しとそれ以後の教会の活動の位置づけをしたルカ文書のテーマだった。イエスの十字 架の死と復活をもってキリストの時は終わった。その後に続く〈われわれ教会の時〉 とは何かというわけだ。 キリストの時と教会の時の切り替え、それが使徒言行録1章 と2章の記事になる。とりわけこの切り替え点の記事はルカの救済史的理解の帰結であ る。ここで使用された五旬節(ペンテコステ)は過ぎ越し祭・種入れぬパンの祭(イ エスの復活の日は過ぎ越し祭直後)から50日目、刈り入れ祭のこと。後のラビ・ユダ ヤ教で正式に律法授与の日と認定されるが、すでに1世紀に五旬節と律法授与は結びつ いていたのかもしれない。ルカは五旬節を聖霊降臨=新しい契約の授与の日として取 り込んだのかもしれないと言われる。昇天した復活者イエスに代わって、教会を守り 導く聖霊が降るという図式である。興味深いのは昇天が40日目、聖霊降臨が50日目、 キリストの時と教会の時の合間の、救済史から外れた10日間の存在である。この間に イスカリオテのユダの事故死と、使徒欠員の補充の記事が入れられている。あまり気 持ちのいい感じがしない。 その後のキリスト教は今に至るまで、ルカ救済史神学の 歴史理解をほぼ全面的に受け入れ、自分たちの時間を聖霊の働く〈教会の時〉として 自己理解することになった。ある意味それはとてもわかりやすい歴史観であるけれど も、では、新約聖書自身がそのような救済史観で固まっているかというとそうではな い。少なくともイエスの宣教と磔刑となった生涯と、相当の距離がある。また磔刑に 処せられているイエスを自己の罪からの解放のためと読み込んだパウロの言葉のかず かずともそのまま実線で結びつけることはできない。マルコ、マタイ、ヨハネの他の 福音書の理解とも違う。要するにルカの救済史観は新約諸文書の中の一つの貴重な理 解であるということまでである。 もうひとつの留意点、〈聖霊〉。ずっと後の教会 は父・子・聖霊なる三位一体の神という神学的教理を捻出するが、その問題はおいて、 ヘブル語聖書以来、〈霊〉が神の力の働きとして、あるいは神の言葉=預言と共に人々 に実感されているのを私たちは読む。これを近代的な精神医学や心理学で追求しても あまり意味がないだろう。ただし、使徒2章1-12節のような記事は上記したようにルカ の創作した神話風物語としか思えない。使徒2章出来事は〈非神話化〉の対象にもな らない。単純にルカは何を考えているかということだ。 けれども、神に信頼を寄せ て生きていこうとする者にとって、こちら側のものではない何か、こちらの言葉で言 えば、風とか息とか霊とかが、こちらに働きかけてくることがある。それがこちら側 の隙間に入り込んできて、私たちに働きかけてくるとしか言いようがない。このよう なことに留意し、しっかりとチャンネルを空けておこうと思う。
 5月12日の説教から ガラテヤ書5章1−6節 「愛において働く信」  久保田文貞  16世紀初頭、宗教改革者ルターが、教会の堕落を批判して、拠り所としたのは 「信仰のみ、聖書のみ」という原理であり、その要諦となったのはパウロの信仰義認 論であった。若きパウロは律法による義という在り方を追求した。それは律法という 規準に照らして、この地上で神から義とされるためのポイントを積み上げる在り方だ。 これに対して、パウロはキリストの啓示を受けた後(ガラテヤ1章)、〈信〉によっ て義とされる在り方を練り上げていく。この切り替わりについてパウロ自身はそれほ どはっきりと説明してくれない。 ルターの場合、律法による義の在り方に挫折し絶 望する中で電撃的な覚醒を経験し、パウロの信仰による義を見出した。ここにはこち ら側の修練と求道、だがその結果としての挫折と絶望の果てに、あちら側から見えて くる光明、日本仏教が探り当てた他力本願のことを思うとなんとなく胸に落ちる。  ガラテヤ書5章をみても、パウロはこの切り替わりの心の機序を説明しない。信によっ て義とされる在り方と、律法によって義とされようとする在り方とは、切り離され、 無縁になっている(カタルゲオー)という。信仰義認と律法義認は、同じ義認論の対 抗する両面のように見られてしまうが、実はほんとうは無関係というべきかもしれな い。 確かに、律法の行いによって義のポイントを積むことと、信じて義とされるこ ととは、神によって義とされることを求めているという点で、同じ土俵に立っている ように見える。 聖書でいう〈義〉とは、裁判用語である。被告が無実であると決ま れば、義とされる。預言者から始まって後期ユダヤ教の中で、この義が、神の法廷で 義と判定されるかどうかへと収斂されていく。ことに不寛容な帝国や権力によって、 信仰的に一途なユダヤ教徒が迫害を受ける時には、終末論が前面に出てくる。終末論 は、殉教死をとげても最後の神の法廷で義とされることを約束してくれたのである。 前2世紀以後、ユダヤ教の基本的な通念となって、人々は究極の神の法廷で〈義とさ れる〉在り方を求めたのである。パリサイ派も、エッセナ派も、迫りくる終末の日に 向けて自分たちの生活を整える方法を模索したわけだ。 間違いなく、パウロは真正 面から自分が〈義とされる〉在り様を求めた。その意味では、熱心なパリサイ派ユダ ヤ教徒であったパウロも、回心後の信仰による義を求めたパウロも、同じ神の義を求 める人間である。そして、パウロ以後のキリスト教すべて、とりわけ宗教改革者ルター の系譜に入るプロテスタント・キリスト教徒も、この「法廷」の前提にした在り様を 取ることになる。 けれども、今、私らはすべての人がこの法廷に立たなければなら ないとか、立つはずだなどと、主張するよりないのだろうか。「神の審きは近い」な どと脅迫めいた宣伝カーの声に同調すべきか。否。 パウロの言葉の限りで言うと、 彼は古代のユダヤ教徒であってその枠からなかなか抜け出せないのだが、でも所々で ハッとするようなことを言う。5章1−6の間にその一つを見る。「愛において働く 信」とは田川建三訳だが、田川はこれを、信仰には「愛の実践」を伴わなければダメ という「ちゃちな」結論にしたことを批判的に書いている。 私には、この「信」に 「義とされる」がもはや抜け落ちてしまって、無意識に義の法廷にこだわる在り方を とらないパウロの一面を見る気がする。当時のユダヤ教徒にとって〈愛〉は、人間の 感情のことではなく、神の愛のこと(田川の指摘の通り)、そこで働く信は、義の法 廷で自分が義とされるかどうかなどどうでもよい。「愛において働く信」を生きるだ けだという声に聞こえる。
5月5日の説教から ヨナ書3章 「誤信」 久保田文貞  ヨナ書はヘブル語聖書の預言書を集めた部分に置かれているが、実際は、列王記下 14章にちらっと名前が出てくるだけの預言者ヨナを題材にして200年ごろに作られた教 訓的で童話的な要素もある短編歴史小説である。 あらすじは次の通り、〈ヨナはアッ シリア帝国の首都ニネベにいって審判の預言をするように神から命ぜられるが、それ に従わず神の力の及ばぬであろう西の果てタルシシ行きの船に乗って逃げる。しかし 途中嵐に遭って難船、原因がヨナであることが分かって、ヨナは海に投げ込まれるが、 大魚に呑まれ、神に降参する。すると陸に吐き出され、神の命に従ってニネべで審判 の預言をする。ところが、町の住民も王もその予言を聞き悔い改めて神に祈る。神は 思い返して審判を止める。ヨナは怒るが、神は暑さにさらされたヨナの小屋を〈とう ごま〉の木陰で涼しくしてやる。ヨナが喜んでいると、翌日〈とうごま〉の木が枯れ、 砂漠からの熱風に苦しめられる。神は言われた、ヨナは自分が育てたものではない 〈とうごま〉を惜しむが、神は十二万もの人間がいるニネヴェを惜しまないでいられ ようかと。〉 ヨナ書のポイントは一つである。次から次へと起こる「異教徒」によ る帝国的な支配(アッシリア帝国、新バビロニア帝国、ペルシャ帝国、アレクサンダー 帝国、その将軍たちが引き継いだ国家エジプト・プトレマイオス王朝、シリア・セイ レイコス王朝)の歴史の中で、〈神の民〉という自意識だけを持ち続けるユダヤ人と は何かということだ。つまり諸帝国の辺境に位置する弱小の被征服民であるにもかか わらす、選民意識だけは強く持ち続けるユダヤ人と現実の落差、それがヨナ書の問題 である。だから、ヨナ書は、プライドだけは捨てないあらゆるマイノリティにとって は、魅力な物語でもある。 物語に戻る。ヨナがタルシシへ逃れていく時の船上はそ のまま異教世界であった。ヨナは一般船客に紛れている。異教徒の間に〈同化〉した ユダヤ人のように。嵐が起こるとその原因をもたらした神は誰の神かということが船 員(異教徒)の間で問題になり、籤を引いて占うことになる。この時点でヤハウェは 神々の中の一神に過ぎない扱いをされることになる。物語上、ヤハウェが相対化され ているのを受け入れているのが一つの皮肉だ。籤がヨナに当たると、ヨナは異教徒の 間で自分がユダヤ人であることをカミングアウトする。神に選ばれた民としてのユダ ヤ人が世界の中に、散りじりになり隠れるようにして存在していたことがばれちゃっ たという感じである。そこでヨナは自分をスケープごととして海に投げ入れるように 促す。誤解を怖れずいえば、ヨナは自ら〈いじめ〉の対象になることを選択していて、 この振る舞いは、いつも自分たちは「異教世界」にいると自意識してしまう〈ユダヤ 人〉が選ぶ位置を象徴的に指示しているようにみえる。 悔い改めの祈り(2章)によっ て大魚の口から吐き出されたヨナは、ニネベに行って命じられた通り審判予言をする。 二ネべの人々にとって、ヨナは被征服民の狂気じみた預言者にすぎない。「あと40日 で二ネべの都は滅びる」などと街角で語れば反感を買って殺されかねないと読者のだ れもが思う。だが結果は人々の悔い改め、そして審判中止。ヨナの預言が「誤信」だっ たと晒すことになる。ヨナのプライドを傷つけられただけの問題ではない。異教の帝 国の中で、しかし神に選ばれた民としてぎりぎりの所から語るよりない者の存在根拠 にかかわる。ヨナの失望、怒りを理解できるものは理解するがよいというわけだ。  ヨナはこの異教の都の「町の外」に小屋を据え、斜めから世界を見ることになる。
 4月28日の説教から マタイ福音書18章21〜35節 「赦しが拓く地平」      久保田文貞  イエスの福音のキーワードの一つに「あなたの罪は赦された」という赦しの宣言 (マルコ2:5)があるだろう。そこでは、神だけが人を赦すことができるのだと分かっ たような顔をしているだけではだめだ。今や神の福音(恵み)が世界を襲い、人が人 を許すということが起こる(マルコ2:10)と言われる。 ペテロが「 主よ、兄弟がわ たしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」 とイエスに質問した時、イエスは「七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するま でにしなさい」と答えたと言う。元来、この伝承は、〈今や、神の赦しは、神の独占 でなく、むしろ人はその恵みの下、赦しが人から人へと手渡されていく、そういう世 を生きている。だから七たびなんて言わず、その七十倍まで〉という意味として受け 止めたい。 マタイ18章全体は、教会というものが成立して数十年経ち、「罪の赦し のバプテスマ」を受けたクリスチャンの間に再び罪に陥ってしまう者が少なからず現 れて、その事態に答えを与えてくれる〈主の言葉〉を整理して並べている。イエス死 後のキリスト教会をすべて誤謬とは思わないが、少なくともイエスが宣べ伝えた〈赦 し〉のダイナミックで無制限な広がりを、教会の中に縮約してしまった恨みがある。  この問題は、その次の譬の理解にも大きく関わる。「一万タラント」は莫大な数字 である。ヘロデ大王の死後、長男アルケラオスがユダヤ、イドマヤ、サマリヤの相続 をローマによって承認されたが、その年税収が600タラントだった(ヨセフス『ユ ダヤ古代誌』)という。そんな膨大な借金などあり得ない。考えられるのはこうであ る。「一万タラント」とは王すなわち神が家来すなわち人に貸した他の何にも替えら れない〈生命〉のことであろうと。人は神から預かった命を、神を裏切って返せない。 怒った神は取り立てようとしたが人がひれ伏して謝ったので赦してやった。その後、 赦された人は自分が貸していたものを仲間から厳しく取り立て赦してやらなかった。 そこでそのことを知った主人は怒って人が借金を返すまで獄につなぐ、というのであ る。 マタイが教会員の罪の問題に答えてくれるものとしてこの譬を置いたわけだが、 本来この譬のポイントは、降りそそぐ神の赦し・めぐみは人から人へ伝わっていくの であり、いかなるものもそれを止めてはならないという脈絡で理解したい。 20年 ほど前に出たP.フライシュマ『風をつむぐ少年』を紹介。16才のブレントは親の転 勤で何度も転校しなければならず、その度に周りを気にしながら自分の居場所を探し てこなければならない。その彼が転校先の高校で大失敗をし、自暴自棄になって事故 を起こす。その事故でこれから大学へ行こうという18歳の女性リーを巻き込んで死 なせてしまう。そこから大きな負い目をもったブレントの赦しへの旅が始まる。リー の母親から合衆国の四隅に、リーが好きだった風車人形を立てるように言われ、独り 長距離バスに乗ってそれを造り建てていくのだ。彼はその旅でいろいろな人間に会う。 前のように周りを気にしておどおどしていられない。ブレントが出会う人ごとに、ぶ つかる課題ごとに、命の大切さを知らされ、赦されるということがどういうことか掴 み取っていく。そして彼の建てたリーの顔に似せた風車人形が彼の思い知らぬ形で他 の人に何かを伝えていく。このお話の合間合間に、風車人形が合衆国のそれぞれの四 隅で起こす小さな物語が配置されている。わたしには七度を七十倍にする赦しの出来 事のようにおもわれてならない。とにかくブレント少年は、最後には自分の責任を自 分で負い、どんな人にも優しい男に成長していったのがわかるという具合だ。
 4月21日の説教から ヨブ記11章 「正しさのゆらぎ」 久保田文貞  ヨブの3人の友人の中の三番手がツォファルである。友人たちのヨブに対する反論の 仕方で共通するのは、まずヨブの唇・言葉そのものへの批判。「言葉が多い」「空虚 な意見」「お前の唇がお前を不利にする」「言葉の罠の掛け合い」の否定など。 ツォ ファルの論理は単純である。・・・ヨブよ、おまえは、自分は正しいと主張するが、 神は測り知れない知識をもち全能者である。人は神を究めることはできない、天のこ とはわからない。ただ人にはその限界を知って神に向かって手を伸べるという賢さが ある。そのような賢さを持つことができれば、「人生は真昼のように明るくなる…」。 それができなければ、「希望は最後の息を吐くように絶える」・・・というのである。  こうして友人たちに共通することは、神は絶対に正しいという前提。どんなにヨブ が自分は正しい、間違っているならそれを示してほしいと主張しても、いかんともし がたいのだ。そもそも人は自分のしたことをすべて認識しているか、自分で気づかな いまま通り過ぎた失態や欠けをもっていないだろうか。自分は正しいと思っていても 神の目から見れば重大な欠けをもった存在なのだと。 これは論理としてとても強い。 違うと言えば、お前は神より正しいのかと足を掬われるような構造をもっている。言 い返せば言い返すだけ墓穴を掘る、そういう論理だ。 だが、ここにはある種のニヒ リズムがある。自分は正しいなどと主張するな。神の前に出たら、端から降伏してし まえ。理由が思い当たらなくとも、まずはごめんなさいを言い、従順な姿勢を示せ。 そうすれば間違えはないというのである。 太平洋戦争の敗戦処理内閣と言われた東 久邇内閣は「一億総懺悔」という言葉を掲げた。「一億総玉砕」を切り替えた言葉に すぎないが、好意的に見れば、あの戦争に対して国民一人一人が責任を自覚して懺悔 しなければいけないということなのだろう。実際にはこの言葉はすべってしまう。む しろその言葉で責任を取った気にしてしまったという意味では、戦争責任の問題をあ いまいにする原因の一つになったというべきだろう。この言葉を強く推したのが、東 久邇内閣のブレインの一人になっていた賀川豊彦牧師であったことは偶然ではない。 彼が20年代からずっとキリスト教社会事業や百万人救霊運動の推進者であった。 キ リスト教に限らず、どんな哲学的思想や宗教理念、そんな大風呂敷を広げずとも、私 たちの身近な信仰や考えも含めて、まだ決着のついていないこと、つまりそのまま受 け止めて咀嚼していかなければならないことを、さきに言葉で括って始末してしまう ということがあるものだ。ヨブの友人たちの論理に通じるものだ。 ・・・個人に抗 いようもない大きな力と論理で、○○は絶対的に正しいとされている。ならばさきに ごめんなさいしておくこと、それが知恵というものだ・・・。卑近な言い方をしたが、 霊験新たかな宗教的真理も、崇高な哲学的理念も、この種の後退をいくらでもする。  ヨブが神の前に最終的にへりくだるのを見越してヨブを支持する必要はない。むし ろ神は正しいから正しいという理屈に落ちないでゆらぎながらもどこまでも踏ん張る ヨブに敬意を払いたい。  
 4月14日の説教から ヨハネ福音書13章1~20節  「復活者は僕の如く」      久保田文貞  天皇明仁・美智子夫妻が震災被災地に行って、学校体育館か公民館かの避難所で被 災者を見舞うニュース映像を見たことがある。夫妻は、敷物の上に座っている年寄り や母子たちに合わせ膝をついていた。昭和天皇には考えられなかった姿勢である。国 のひとつの頂点に置かれている天皇夫妻が民衆の目線と同じ地平に降り立つ図像であっ た。復興が遅れようと、仮設住宅の不具合が次から次へと出てこようと、そんなもの 吹っ飛んでしまうほどに、貴賤譚を地でいくような感動を多くの人に与えたに違いな い。 さて、ヨハネ13章1節以下の洗足物語は、これと同じ効果をもつ。ここでのイエスは 「神から出てきて、神にかえろうとしている」(3)「神の子」(1:34他)であり、その イエスがいよいよ「この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、 世にいる自分の者たちを…最後まで愛し通された」と、そしてそれを象徴する行為と して弟子たちの足を洗うという行動に出たのだから。イエスは「夕食の席から立ち上 がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、 それから水をたらいに入れて、弟 子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた」という。上着を脱いだと あるが、〈ちょっと羽織を脱いで〉というわけではない。上着を脱げば事実上の下着 になってと考えてよい。洗足は当時、客人が、主人の僕から受けるべきサービスであっ た。というわけでホストたるイエスがそのような行為をとるのは異常なことだった。 ペテロは恐縮して断るのだが、イエスはそれを許さない。となれば、〈高貴なお方が 賤しい民の足をお洗いになる〉ことの効果は増すばかりである。 神の子がこの地上 に肉の姿=ただの人間の形で降り立ったというのがヨハネ一流の受肉論である。地上 的なものにからめ捕られている人間を闇から光へと救い出すためであるというのがヨ ハネ福音書の基本的な見方である。さらに、その地上の務めを全うするために神の子 イエスは地上の闇の勢力に殺される。だが、神は闇に勝たんとばかりにイエスを復活 させ、自分の身元に引き揚げさせると。これではまるっきりグノーシス神話と変わら ないではないかと言われるかもしれない。たしかにヨハネ思想には、間違いなく似た ところがある。今日取り上げた13章1−3もその一つである。 けれども、ヨハネには もう一つの面があるように思えてならない。復活したイエスは、神の在す天上の方に 戻るとは書いていない。復活者は弟子たちに現れたというが(20章)、そこで懐疑的な トマスには、手の釘後を見せ、刺された脇腹に触れさせるほどに生々しい姿を見せた という。その後も復活者は弟子たちとリアルに食事をし、たびたび弟子たちの前に現 れたと書いて福音書を閉じるのである。神の子イエス=復活者はまるで地上にとどまっ たままであるかのように。 このことは、グノーシスめいた天上に戻る神の子神話と は異なった面を示している。生々しい肉なる姿をした復活者の存在をどれだけ強弁し てもいつまでも通用するはずがない。けれども、ここにはひとつの思想が鳴り響いて いる。それは、今日の聖書箇所をもじって考えれば、かつて地上に降り立ったイエス は十字架に死んで復活し、そのことによってすでに「神にかえ」った(13:3)、むし ろ復活者を「この世」にとどまらせることによって、神にとっての「この世」の意味 を大幅に変更し、そのようにして神はもはやこの世の外、天上に在す在り方をやめて 復活者となってか、とともにか、この地上に住まうと。 で、ついでに天皇に物申す。 膝をついたはいいけれど、ならばそのままずっと膝をついたままのスタンスで民の間 に暮らしたらと。
 4月7日の説教から ルカ福音書15章11−32節 「父と子と——放蕩息子の譬から」 久保田  ルカ福音書ではイエスの福音を受け入れることをむしろ〈悔い改める〉として表現 します。各福音書の最後に、世界に福音を伝えよという復活者イエスの命令が出てき ますが、ルカの場合「その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムか らはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらの事の証人 である。」という言い方になっている通りです。放蕩息子の譬には直接〈悔い改め〉 という語が出てきませんが、どう読んでもそれがテーマになっていることは確かです。  放蕩息子の譬を改めて読んで、いくつか気になることがありました。一つは、放蕩 息子と言われる弟がとことん落ちて、「我に返って言った」(17節)「…ここを発ち、 父のところに行って言おう。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対 しても罪を犯しました。…』」と言って、父の所に帰るところについてです。この弟 の悔い改めは自力で、罪の状態から這い上がろうとします。そこまで落ちて自力で這 い上がれるものか言われるかもしれないが、ともかく彼は〈悔い改め〉、父の所に帰 るという行動を起こします。父の視野に入るまで弟の悔い改めの決心はゆるがないわ けです。これに対して父の方は、遠くから息子を見つけて「憐れに思い、走り寄って 首を抱き、接吻した」というのです。息子は「お父さん、私は天に対しても、またお 父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。」と告白 をし、父は彼を歓待したというわけです。 物語を読む解く限り、まず自分で〈悔い 改め〉てから自力で戻ってこい、そうすれば許していやるという形になっている、そ れが第一です。つまり罪とは、父(神)のもとを去って自立することであり、悔い改 めとはそれを自覚して父に帰るということになります。 それで話を終わればいいの ですが、次に兄の話がでてきます。弟が父に迫って財産分与が為された時、兄も取り 分をしっかりともらう。けれども兄は父のそばを離れず、父の言いつけを守る。父は その兄が友達と宴会をするときに子ヤギ一匹すらくれなかった。それなのに弟が身上 を食いつぶして帰ってくると、肥えた子牛を屠って与える。あまりの依怙贔屓、不条 理、自分はもう耐えられない、そう父に訴える。すると父は言う、「お前はいつも私 と一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」と。弟はそれまで死んでいたのに 生き返ったのだから祝ってやろうじゃないかと言う。それで兄も納得して大団円で終 わっているかというとそうでもない。妙な余韻を響かせて終わります。 兄は喜んで父のそばにいたのか、いつも父の言いつけをただ守っていたのか。いや、 彼は背く勇気がなかっただけ、耐えて父のそばを離れなかったにすぎないと言えない か。いや、彼は父の元を離れていないかのように見えて、その実、心は父を離れてい ることが今や自分にもわかってしまったのではないか。悔い改める必要のないふりを していた兄こそより根源的な罪に陥っているというのでしょうか。 この問題は翻っ て考えると、実は父親の問題です。父は、一度離反した弟が自分の元へ回帰したとい うことでいい気分になっているが、一方で兄は父のそばで離反することもかなわず、 ただそばにいたし、これからもそばにいろと言われ、耐えていかなければならない。 兄も弟のように〈悔い改め〉ればいいのだと言われるかもしれないが、兄は帰るに帰 れないのです。今後も悶々と父のそばで生きていかなければならない、としたら、そ れは兄の問題というより、そういう要求をする父の問題ではありませんか。
3月31日の説教から 「イエスの死に向き合って」   マルコ15章29−38節、16章6節 久保田文貞  聖書批評学的には、受難物語の史実としてくみ取れるものは、15章15節「彼(ピラ ト)はイエスを…(兵士らに)引き渡した。」20節「(彼らは)磔刑にするために (イエスを)外へ引き出した。」37節「イエスは…息を引き取った」ということぐら いだと言います。あとはすべて受難物語を作った人々、すなわち後の教会の人々がヘ ブライ語聖書、ことに詩編 22編やイザヤ書53章などを参照して信仰的に創作したと いうわけです。 ではそれらはすべて虚構かというとそういうことではないでしょう。 それまでイエスに従ってきた男たちや女たちにとって、あれよあれよという間に、イ エスが逮捕され裁判を受け磔刑の判決を受け執行されてしまった、しかも三日目に葬 りの作法を完遂するために墓は訪れた女たちから墓が空だったという証言を聞いた、 彼らの衝撃、あるいはトラウマはそう簡単には鎮まるものではなかったと思います。 とにかく最後までイエスと行動を共にした男の弟子たちは、14章50節イエス逮捕のあ と「皆、イエスを見捨てて逃げ出した」と告白せざるを得なかったように、自分もま たイエスを裏切ったという自責の念は相当のものだったがはずです。 16章の空の墓 を目撃したという女たちからイエス復活の話しが発信されたと思いますが、あの男た ちがすぐにこの話に飛びついたとはわたしには思えません。ルカ福音書24章13節以下 エマオへの途上の二人の弟子に復活者が現れた話や、ヨハネ福音書20章19節以下の復 活者が現れる話は、復活信仰が初代の教会の中で確立した後のレゲンデ(伝記物語) での範疇のものであり、もっぱら死人の復活がほんとうにありうるのかという懐疑に 対する説得の問題になっています。これらはイエスの磔刑死の余韻定まらぬ中の心情 とは別物です。 上に述べたように、多くの男たちも女たちも復活話にすぐ乗れなかっ たと思えてなりません。わたしの勝手な想像ですが、かなり多くの弟子たちがイエス の死を復活につなげて乗り越えられなかったと思います。だからと言って、彼らがす べて絶望したまま故郷に帰ってひっそり暮らしたなどといえないでしょう。イエスの 死をそれなりに受け止めて自分なりの生き方を定めていった人々も当然いただろうと 思うのです。もちろんもともと帰る場所がない人々もいたでしょう。その人たちはエ ルサレムに残ってあの物語を自分のなかに取り込もうとしたでしょう。 空の墓の事 件を神が死人の中からイエスを「掻き起した」そしてその挙げられたイエスに会った という出来事は、信仰の水準の発言です。イエスの死の前に叩きのめされた人々の何 人かが、なんとかしてイエスの磔刑死と葬りの向こう側に突き出られないかと模索し、 あの女たちの物語に出会って、立ち上がることを許されたと感じ取っていくために、 相当の時間が必要だったと思います。だが、それも一様には進まなかったでしょう。 マグダラのマリヤをはじめとするあの女たちは復活者を追ってエルサレムを離れてし まう。それぞれの思い思いに復活者の幻影は出没したのでしょう。その後の正統派キ リスト教が呼ぶ教会史のスケールでは、ペテロ、ゼベダイの兄弟、イエスの弟ヤコブ が中心となったエルサレム教会、そこから認可されたアンティオキア教会とパウロが 復活信仰のもと、主イエス・キリスト神の子という信仰箇条げと成長していきます。 私たちもそのラインの上にいることになりますが、そのイエスの福音の中身のゆえに、 イエスの死を正統主義キリスト教のような理解の仕方をせずに事実上教会史から消え て行った人々とその想念の空白をしっかりと心に刻んでおかなければならぬと思いま す。私たちは確かに復活の信仰の流れにいる(よりない)のですが、少なくともイエ スの死は復活信仰より大きいとだけは覚悟しておくよりないと思います。
 3月24日の説教から ルカ福音書16章1〜8節 「背任の理」 久保田文貞  1a節と8節の福音書記者が付加した枠を取り去ると元来の伝承になります。イエスが 語った物語でしょう。この物語はルカ伝だけに出てきます。マタイも知っていたかも しれません。いずれにせよ、いたく座りの悪い話しです。主人の財産管理を任されて いた執事が「無駄使い」をしているとの内部告発があって首になりそうになる。そこ で失業した時のために主人の債務者に恩を売っておけばそちらで雇ってもらえるだろ うというので、その借用証書を書き直させ減額してやるという話しである。ルカはこ の話に出てくる執事を「不正な管理人」(8節)と受け止めました。だから、この話を どう教会の徳を高めるお話にするか苦労するわけです。一般の群衆には直接聞かすわ けにはいかないと思って、やおら弟子たちに語り始めることにしています。そして9節 「不正にまみれた富で友達を作りなさい」10・11・12節「小さなことにも忠実であれ」 (「小さなこと」と「不正な富」が等値になっているようですが、私には今も理解で きません。)13「二人の主人に仕えることはできない。神と冨とに仕えることはでき ない」(これも当の話とどういう関連があるのかよく理解できません)と、わたしか ら見るととんちんかんな(失礼)説明をしています。なんとか建徳的な話につなげよ うと福音書記者が苦労しているのです。 では、もともとの話はどうなのか。語られ た主イエスの手を離れて、漂流していたところを最終的にルカが捕獲したわけで、ご 本人に伺ってみない限り真意はわかりません。ただ、文面からすれば、この執事を悪 く書いているように見えません。その主人がそのやり方をほめた(8節)というのは無 理があります。むしろ、これを語っているイエス自身がこの執事に行為をもっている と考えたほうが自然です。 田川建三『イエスという男』では、元の伝承がこの執事 を不正なものとしていないことを明確にしています。年貢や利息を阿漕に取り立てる 不在地主の財産を任されていた執事が、主人の目を盗んで債務者たちに何かと便宜を 払い、主人の損となるようなことをしていたのだろう。主人側から見れば、明らかに 背任行為になるわけですが、執事は首になる前にえいとばかり不在地主の債権を減ら し債務者の額を減らしてやったと。 想像力たくましくすれば、そんな事件が実際に あって大方の議論はこの執事に非難が寄せられる、けれどもイエスの評価はこの執事 のしたたかさを手放しで褒めるという具合。たぶん当時のユダヤ社会の良識も、動機 はどうあれ、善意の管理をせずしかも証書を額面を書き直させるような背任行為をし た執事を良しとするわけはなかったでしょう。社会的に罪人、不浄なものとされてい た人々にイエスの福音が向かっていったところから考えると、この執事の行ったこと は快哉かなというのが分かる気がします。社会的な評価はどうあれ、困った人を助け るそれでいいよというわけですごく分かりやすいです。 ところがルカ福音書の記者 は前に述べたように、これをいわゆる宣教論の問題に移し替えてしまいました。キリ スト教の宣教のためになるなら、此の世的にはそれが不正行為になるかもしれないが、 かまわないというという論理です。極論すれば目的のためには手段を択ばないという のと紙一重です。
 3月17日の説教から マルコ福音書10章32−34節 「教会の力」       飯田義也  きちんと調べたようなお話しもできず、日常の他愛もないお話しをさせていただき ます。 昨年の6月から職場で「ソレイユ倶楽部」というのを始めました。介護予防 のフィットネスクラブです。要は、自分自身が要介護状態になるのをでき るだけ防い で、公的なお金を使わないようにすることでしょうか。そこで、毎回のようにジョン・ レノンのCDがかかり「イマジン」を聞くともなく聞 いています。天国はないと想像 してごらん…なんていう歌詞で、彼は共産主義者だったのかな、なんて思うのですが、 あるとき「キリスト教は滅びる」な んて発言して物議を醸し、あわてて「教会を批判 したわけではない」などと訂正したり、主体的な唯物論者というわけではなかったよ うです。「彼は銃 で殺されたなぁ」なんてことも頭に思い浮かびます。 老人ホーム というところは、日常的に人が死を迎えるところです。先日も朝まで元気でいた方が、 気持ちが悪い具合が悪いと言い始め、夕方普通に医 院を受診していたら、そこから救 急搬送、結果的には「大動脈瘤破裂」が死因でした。 あっけない死、お別れでした。 昨夜も看護職員から電話がありも う今日明日の命かもしれないとのことでしたが、お 話ししているいま、少し持ち直していらっしゃるようです。人は死んで行き、復活す ることはありま せん。 また、老人ホームも一般的な職場として、人間関係のごたご たがあります。巧妙に他人をいじめる人がいたり、とりあえず威張ってしまってあれ これ 指図する人に多くの人が従ったり…。イマジンの歌詞のように「living life  in peace…」ではない現実です。 そして、先日の選挙結果にがっくりきたり、キリ スト教世界でもローマ教皇の選挙(コンクラーベ)があったり…。昔の、小柳伸顕牧 師の説教要旨が ふと目にとまりました。「先日、教皇ベネディクト16世の就任式をテ レビで見ていて、イエスはどこにいるのかと思いました。まさか、あの就任式の 場に はいなかった」今回辞任したベネディクト16世が就任したときのことです。 キリス トはいない…? 本当に、神不在、キリスト不在の状況を生きているなぁと思います。 心の中でほとんど常に「かみさま」と呼び続けている自分に気付きます。 今日のテ キストは、キリストの復活の予告とされています。旧約聖書の予言の成就のために十 字架に向かうキリストが描かれています。さて、旧約聖 書には復活はどのように書か れているのでしょうかと、ちょっと調べようとしました。日本語訳で「復活」という ことばはたった一ヶ所。しかも「奉仕 が復活した」ですし「よみがえり」ということ ばも使われていなくて、これはある種、意外なことでした。 復活は比喩としてダニ エル書や詩編に書かれています。…が、読みようによっては、名誉が取り戻されるこ との比喩として読めるような書き方です。 古代の人々は、人が死ぬと復活しないこ とは現代人よりも知っていたでしょう。人は死んで行きますし、戦争を繰り返す中で 殺されていったのでしょ う。復活とはそんなに軽いことばではなかったのだと確かめ ることができたと思っています。 そうした文脈で考えると、キリストの死と復活と は、凛と立ち上がって立派に語られたことばではないかもしれないと、改めて思って います。キリス ト教徒は死んでも復活できるんだ…みたいなカラ元気ではなくて、もっ と絶望的な中から絞り出されるように語られたことばではなかろうかと。 キリスト ご自身が「このまま活動を続ければ自分は殺されるだろうなぁ…」と考える中で、生 きている世界だけでは解決は望めず、しかし、軽率にあ の世を持ち出すでもなく、復 活でもしなければやられっぱなしだという感じで語られたことばかもしれないなと思 うのです。 教会の力というのは、人間の力をねじ伏せる強大な力ではなくて、全然 違った種類の力なのだと思います。「教会の権威」なんていうことでは全くな い…。  さて、ひるがえって我が身ですが…。 もちろん殺されもしない、神様のために何 かしていますなどともとうてい言えないわたしですけれど、それでも、黙示的世界を 思います。ヨハネの黙 示録21章に描かれる世界です。 やがて「ただ人々が平和に住 む」世界がくるのでしょうか。
3月17日の説教から マルコ福音書8章27〜30節 「告白する人間の問題」    久保田文貞  改革者ルターがローマを頂点とする教会の堕落を批判しその権威と根本的に対抗し た時、「人が義とされるのは信仰による」(ロマ3:28)というパウロのテーゼに依拠 したということが、その後のプロテスタント教会の礎石となったとことを疑う者はい ません。それは原始教会の「わたしは主イエスを信じる」という地点まで遡ってのこ とでした。こうしてプロテスタントは「私は信じる」という在り方を、聖書に見出し、 それまで陰に置かれていた主体的自己を引っ張り出したと見ることができます。さら に神に向き合い信仰告白するこの〈主体〉は、旧勢力の束縛から自己を解き放ってい く近代的な〈個〉の自立と交錯し引き合ったと言ってよいでしょう。私たち近代日本 のプロテスタント・キリスト教はその心地よい波に乗りすぎた、もっと言えば足をす くわれ、気づいてみれば近代日本に呑みこまれてしまったということです。 これに 対して、〈告白する主体〉とはほんとうはそんなものではないという言い方が可能で す。確かに、告白がある種の特異な理念への同意であるとか、あるいは特別な共同体 に帰属することの意思表明であるとか、いう説明がなされるかぎり、社会学的なアイ デンティティの問題として処理すればよいことです。〈告白〉とはそんなものではな いとキリスト教は切り札を切ることができる、そう思い込んでいます。改革者と共に、 新約聖書こそが真の告白を支持してくれると、そう期待しています。 マルコ8章2 7以下は、人々がイエスを何と呼んでいるかというイエスの問いに、弟子たちが、バ プテスマのヨハネだとか、エリヤだとか、預言者のひとりと見ているようだとか、答 える。では弟子たち自身はどう考えているかとイエスが問う。弟子のひとりのペテロ が「あなたこそキリストです」と答えた、というものです。この伝承は、イエス死後 の原始教団の中で生まれたものです(ブルトマン)。少なくとも生前のイエスは自分を 宣べ伝えることに全く関心がない。イエスを誰と見るかどうかということは、イエス をキリストだとしてイエス自体を宣べ伝えの対象とした原始教団の関心事だからです。 この伝承はペテロがイエスをキリストであると告白したことで頂点に達しているよう に見えます。ここまで見れば、同箇所のマタイ(16:13以下)のように、人々がイ エスをいろいろなカテゴリーを使ってレッテルを貼ったのに対して、ペテロはイエス をキリストであると答えます。これはレッテル貼りとはまったく次元の違うことであっ て、ペテロのそれはまさに〈告白〉なのだ、という結論。イエスを神の子キリストと 信じ告白するということは、そういう概念規定に同意することではない。それは神に 向き合う在り方をする人間の根本問題だという具合に。 でも、イエスは「彼のこと について誰にも言うなと彼らを叱りつけた」(田川訳)という言葉でこの伝承は終わっ ているのです。すんなり読めば、「イエスはキリストである」という弟子たちの答え も一つのレッテル貼りに過ぎないと読めます。この伝承を創っていく時に、〈こうい うのってイエスが嫌っていたことだよな〉という記憶が残っていて無視できなかった ということでしょうか。 自分で危ないことを書いているなというのがよく分かりま す。つまりこの次の議論は、結局、〈告白する主体〉へメスを入れていくことになる からです。絶対者なる神に告白しつつ向き合う〈私〉、そりゃあ、へこむよりありま せん。なんせ相手は完全なる方、こちらは穴だらけ、隙だらけ、ずたずたなわけで、 完全なる方に向かって告白したからと言ってその見返りに主体が確立したり美化され たりするわけありませんから。私は今〈告白する〉という在り方を根本的にとらえな おさないと、という思いです。どう転ぶかわかりません。〈ほんとうの告白〉はない と、ゼロ点から考えるよりないでしょう。
 3月10日の説教から ルカ福音書22章66−70節  「イエスよ、お前は神の子か」  聖書学者によれば、受難物語(マルコ14,15章)の中身を探究していくと、そ の骨格となっている事実の連鎖は、イエスの逮捕、裁判、磔刑、死というごくわずか な情報になってしまうと。ほとんどはイエス死後の原始教団が旧約の言葉をもとに創 作したり神学的に潤色したりしたものだと言います。確からしきことは、イエスはユ ダヤ暦ニサンの月12日ごろ神殿警備隊によって逮捕され、ユダヤ最高法院により構 成された裁判を受け、そこで死罪に相当すると決定され、ローマ総督ピラトのもとに 送還されたこと、ピラトは反逆罪として磔刑の判決を下し、イエスは兵に引き渡され、 エルサレム郊外のゴルゴダで処刑され死んだということ、だけです。 今日の箇所は、 ユダヤ側の最高法院による裁判の箇所になります。 受難物語の一番古いもの(マル コ)では、裁判が証人調べから始まっています。そこで証人たちの証言が食い違って いて証拠として採用できなかった。死罪には二乃至三人以上の証言の一致が必要とい う律法(申命記17・6など)があり、最高法院の構成員として律法学者が目を開か せていましたから、そこは無視できなかったという筋書きです。ルカ版は証人調べの 箇所をすべて抹消しています。マルコ版によると、それで困った裁判長=最高法院議 長大祭司カヤパは、被告人に直接尋問したことになりますが、ルカではここからが裁 判になります。マルコ版とルカ版で尋問の言葉が少し違いますが、基本的には同じ事 なので、ルカ版ですすめますが、尋問の趣旨は「あなたはキリスト、神の子なのか」 ということです。これに対してイエスの応えは新共同訳で「私がそうだとはあなたが 言っている」としていて正確な訳だと思います。口語訳が「あなたの言うとおりであ る」というのは明らかに間違いです。マルコ版の応えは写本によって違いが生じてい て、議論がややこしくなるので省略しますが、結論的にはルカのように読む根拠はあ るようです。この答え方は次のピラトの裁判で「お前はユダヤ人の王であるか」とい う尋問に対してイエスが答えた時も同じです。「それはあなたたちが言っておいでの ことだ」(田川訳)、つまりイエスは自分からメシア(キリスト)、神の子とは言わ なかったということです。 ここで受難物語としてはどう言い繕うと、イエスが磔刑 になった最大の理由は、イエスが神の子と自称し神を冒涜したというユダヤ側の判断 にあると理解しています。それで属国の傀儡政府であるユダヤ当局はローマ側の裁判 によりイエスを国家反逆罪で殺ろしてもらおうとしたと…。だからたまたま当時のユ ダヤ権力者の質が悪かったというのではなく、キリスト教救済史観からして、ユダヤ 人がもっている神理解こそがキリストを磔刑にしたととらえるわけです。実際、後々、 キリスト教徒は自らの社会的ストレスを処理できなくなって、すぐそばにいた古き、 しかし今や社会的弱者でしかなかった友人・ユダヤ人をその都度差別し迫害しました が、その理由、正当化をユダヤ人の神(の子)殺しに求めたのです。 それにしても、 「それはあなたたちが言っておいでのことだ」というイエスの言葉は、ユダヤ人やピ ラトを指してのことだけでは留まらない。踝を返して、そもそもイエスをメシア、神 の子と言いたてるキリスト教徒に向けて「それはあなたたちが言っておいでのことだ」 のように聞こえてなりません。それはイエスを磔刑に追いやった理由が何か、その責 任はだれにあるか、などという青臭い議論の問題ではない。もっと根本のこととして、 イエスをキリスト、神の子と理解し告白することがすでにぶれてしまっている、少な くともそう言うならそのブレをちゃんと勘定に入れておきなさいよということではな いでしょうか。
 2月24日の説教から ルカ福音書21章20−24節 「エルサレム」   エルサレムは、紀元前1000年ごろダビデ王がこの都市を攻略し都とした時から、紀 元70年に第一次ユダヤ戦争でユダヤ側が負け破壊されるまで(もっとも紀元前6世紀、 南王国ユダがバビロニア帝国に滅ぼされた時もエルサレムは廃墟となりますが、復興 されています)古代ユダヤ教の神殿所在地であり、宗教・文化・政治の中心でした。  その長い歴史の中で、この中心性を本格的に内部告発したのは預言者エレミヤとナ ザレのイエスぐらいでしょう。ただしエレミヤは現実のエルサレムに対してはこっぴ どく批判するものの、やがて来たるべき「回復の日」(30-31章)には喜びをもっ てシオン(エルサレム神殿の立つ丘)に集結しようと呼びかけます。回復するエルサ レムが中心であることに変わりありません。 イエスの場合はどうか。キリスト教教 義から自由な近代の聖書学研究から見る限り、イエスはエルサレムに対する終末論的 な幻想を持っていないと言ってよいでしょう。マルコ13・14に「荒らす憎むべき もの」(この語は紀元前2世紀のシリア・セレウコス朝の汎ギリシャ主義者アンティ オコス4世がエルサレム神殿に中に立てさせたゼウス像を暗示するものとしてダニエ ル書に出てきます。)が「立ってはならぬ所に立つ」という表現が出てきいますが、 イエスは、その日が決定的なエルサレム崩壊のときであると言っていることになりま す。 著者マルコがこれを70年エルサレム陥落を見て、事後予言的な言葉としてイ エスの口に入れたというのが一般的な理解ですが、そうだとしてもこの言葉はエルサ レム崩壊だけしか語らず、やがて来たる終末のときにエルサレムが復興しエルサレム が救いの中心になるという幻想を抱いていません。マルコ福音書が60年より前に書 かれたという田川建三説によれば、「荒らす憎むべきもの」を再び神殿内に立てむと した汚辱事件は、70年エルサレム崩壊のことではなく、紀元40年の悪名高きカリ グラ帝が自身の像を神殿内に立てさせようとしてユダヤ人が猛烈な抗議をした事件の ことを指しているとします。としてもイエスの事後予言であることは変わりません。                 いずれにせよ、マルコでは救済が完結する場とし てエルサレムをもってくる発想はないようです。ではイエス自身はどうかというと、 福音宣教活動をガリラヤで始め、エルサレムに上ってそこで処刑されたということ以 上はわからない。ただマルコ伝は復活者イエスがエルサレムで弟子たちには会わず、 あくまでガリラヤで会うとして、エルサレムには終始否定的なイエス像を提出するば かりなのです。 これに対して、ルカ福音書はイエスはエルサレム郊外のナザレで生 まれ、両親と共に神殿に詣でて幼児祝福を受け、エルサレム崩壊については、マルコ 版を修正して、エルサレムが他人手に渡るのは「異邦人の時期がみちるまで」とチェッ クを入れ、最終的にエルサレムが神の都として回復する道を拓いておくわけです。さ らに復活者イエスはエルサレム近郊で弟子たちに会い「その名によって罪のゆるしを 得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。」 (24:47)と言う。さらにルカ福音書の最後はイエスはベタニヤ(エルサレムと 目と鼻の先)で昇天し、残された人々は「非常な喜びをもってエルサレムに帰り、絶 えず宮にいて、神をほめたたえていた。」となっています。ルカ福音書では、イエス の救いの出来事はエルサレムで始まり、エルサレムから世界にキリスト教が伝播され るという図式になっています。ガリラヤでのイエスの宣教活動は〈エルサレム→世界 神学〉に回収されてしまうことになります。 結局、ルカの救済神学は、ダビデ王お 抱えの宮廷預言者ナタンの預言(サムエル下7章)のエルサレム神話の枠内にとどまっ ています。ダビデ王によるイスラエル統一とメシア神話の上にキリスト教を位置づけ ます。これとは対照的に、どうみてもイエスの福音活動には中央エルサレムの否定し か見えてこないのです。さらに言えば、ナザレ人イエスからはダビデ・メシア神話を 肯定するようなものは出てこないのです。 私は実は、〈復興〉という美名のもとに なびかされていく東北の中央化に疑念を抱いています。ガリラヤをエルサレムでまと めてはならないという思いに似ているのですが。
2月17日の説教から へブル人への手紙12章1−13節 題「規律の原動力」 久保田文貞 〈こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれている のであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの 参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。〉  自分が若いころ決して嫌いではなかった聖書箇所でした。けれども改めてヘブル書 を読み返していくと、全く別の感覚が生じてきました。「このような多くの証人に雲 のように囲まれている」と言う時の「証人」とは直接には11章以前で挙げられている 旧約聖書に出てくる証人たちのことですが、実際に読者として思い浮かんでしまうの は、はるかかなたの旧約の証人たちに留まらない、すべての自分の身近な証人たちひ とりひとりです。多くの証人に雲のように囲まれて心強い限りのはずなのですが、裏 を返せば、多くの先輩に多方向から見張られていて息苦しい感じがしてしまうのです。 「いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競 走を、耐え忍んで走りぬこうではないか」と、証人たちの注視している中、最後まで 頑張りぬこうというわけです。徹底した「がんばろう」精神です。そして5節から13節 まで間に、新共同訳では「鍛錬」(口語訳では「訓練」)、「鍛える」という語が1 0回も出てきます。「鍛錬」の原語はパイデイア、「鍛える」はパイデユーオー、ど ちらも「子ども」パイスという語からの派生語です。語感としてこれらには幼くて弱 弱しい子どもを鍛えるという意味が見えてしまいます。ただし11節の「鍛え上げる」 はギュムナゾー、現代語のジムの語源です。これは裸(ギュムノス)で鍛え上げると いう語感の言葉です。現在の問題になっているオリンピック選手や運動部の体罰的な 訓練やしごきと無関係とは言い切れません。もっともこちらは鬼コーチや監督による 訓練であり、そちらは自己鍛錬、つまり自分で自分の体を鍛えいじめぬくわけで、大 本では大きな違いがないのではないかと思います。 ヘブル書の思想で特徴的なこと は、キリストによる罪の贖いは一回かぎりのこと、二度目はないということ。「いっ たん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、また、神の良き み言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、そののち堕落した場合には、ま たもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたた び悔改めにたち帰ることは不可能である。」(6・4以下)。だからこそ厳しい戒律を 要求するのでしょう。 これって、修道院的な倫理観に似ています。こんな厳しい戒律 では、俗人はついて行かれない。というわけなのか、罪の許しの権能を持っていると 主張した「教会」が2回目以降の罪を赦すことになっていきました。 宗教改革以後、 プロテスタントとりわけカルヴァン派の教師たちは、かつては修道士にしか要求され ていなかったような規律を、一般信徒自らに課すようになりました。職業を神の召命 と受け止め、金銭欲からでは説明できない合理的な職業倫理にいたる、それが資本主 義の精神と結びついたと考えたのがマックス・ウェーバーです。そう考えると、ヘブ ル書の鍛錬思想がその源流にあるように思えます。 しかし、そもそお鍛錬を称揚す る思想の根底には、どうしても下から上への這い上がりの思想があるのではないでしょ うか。これは現象的には下から上への動きですが、それは結局は上からの誘いに対す る下々のけなげな呼応ではないでしょうか。それが資本主義の精神と出会ったからと 言って、なにか喜ばしいことではない、ある種の偶然に過ぎないと、ウェーバーはそ の辺は醒めています。 そして、これが肝腎なことですが、私の見るところ、イエス とその周りで起こった生の変革の動きは、この手の合理的倫理、規律、鍛錬の筋とは 全く別の筋ではないかと思います。「がんばれ」「鍛えろ」そういう声掛けとは別の 所にいると思います。むしろ「がんばらないでいい」「そのままでいい」というもの だったと思います。
 2月10日の説教から 第一ペテロ2章11—17節 「国家にどう向き合うか」   久保田文貞  1969年、自民党議員提案で靖国神社法案が上程され戦後の靖国問題が正面に出てき ました。敗戦国日本は、戦前の天皇制軍国主義国家体制から国民主権の平和主義国家 を目指し、わけても国家と神社神道との結びつきを切り離しました。それは戦前の国 家体制に二度と戻してはならないという意志を表明した日本国憲法の目玉の一つでし た。靖国法案はこれに対する挑戦でした。 このことは日本のキリスト教界にとって 一つの試金石となりました。戦前敵性宗教として目をつけられたキリスト教は抑圧さ れるがままほとんど抵抗らしい抵抗もできませんでした。国家総動員の一環としての 宗教団体法に屈した〈日本基督教団の成立〉そのものがそれを物語っています。戦後 の靖国問題は戦前の抑圧の歴史を、キリスト教界に想い出させるものでした。ほとん どの教会がこれに反対しました。 ところでその理屈として唱えられたのが、政教分 離論でした。成熟した民主的な近代国民国家においては、政治と宗教は分離している べきだというものです。その切り口だけ取ればその通りだと思います。しかし、戦後 65年以上の日本の歴史を見る時、政教分離論のカードはほとんど空振り状態にあると 思います。そもそもキリスト教教会にとって政教分離という理念は近代的な国家理論 に相乗りする形の妥協的な産物です。もっともこの妥協はかなりの意味があることは 私も認めますが。 けれども、そこにはキリスト教にとって本当はもっと深刻なこと が含まれています。ここでキリスト教と言ったのは、新約聖書を正典結集していった 正統主義キリスト教のことを考えて言います。新約文書のなかでは遅くに書かれたも のほどそれに近づいていることになりますが、今日取り上げる第一ペテロの手紙とい う偽書は、95年前後、悪評高いドミティアヌス帝からネルウヮ帝、ハドリアヌス帝へ と五賢帝時代への変わり目、小アジア(現トルコ西部)においてやっと力をつけてき た教会がローマ帝国に対してどういうスタンスを取るべきかを述べています。一言で 言えば〈クリスチャンは「この世の旅人であり寄留者である」(口語訳)、だから 「すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。」〉と。旧約聖書を読んだこと がある者ならだれもが初期イスラエルの族長たちに代表される寄留者(ゲール)とし ての生き方を想い起すでしょう。圧倒的に有利な都市国家住民に対して半遊牧的な生 活をしていた族長たちは都市周辺に寄生していた弱小の群れでした。都市住民に対し て居住権をもたない、都市国家と契約して草地利用権などを得ようと努めるわけです が、基本的に都市住民に適用される法の保護の外におかれた放浪の民でありました。 後にイスラエルはそれら都市国家群を征服していき、王国を形成するまでになります が、最終的に国の形を失ってしまいます。以後宗教団体として当初エルサレムに神殿 =本部をもつが基本的に大国の中の一宗教にすぎない、そういう暮らし方をするより なくなります。国をもたない以上どこにも住める、気が付けばイスラエル黎明期の族 長たちのようにそれぞれの地に在って寄留者たるよりない生き方と取っていきます。 寄留民として当面、市民権をもたないままそれぞれの地で暮らし、現実的にまずはそ れぞれの地の「権威」あるいは「国家」に従っておく、そういう立ち位置を取るより ないわけです。 4世紀までキリスト教を公認しなかったローマ帝国下にあってクリス チャンも程度の差こそあれ、法の保護外に置かれることを覚悟するよりなかったので す。しかし、それは確かに政治的な差別であり否定的な制約でありましたが、と同時 にある意味で彼らがそのような在り方を進んでとった面があります。クリスチャンた ちは、自分たちの〈現在の生〉は来たるべきキリストの完全な救いの時まで、しばら くの間この地上では暫定的に生きていけばよいというところから来ているものです。 自分たちの信仰を守る上でのことなら、命を捨ててもよい、かえってそのことによっ て救いは早まると考えていたほどです。 近代国家の元ではキリスト教は、宗教とし て自由を与えられ、市民権ももっているからもはや寄留者ではないと、もっぱら内側 の人間のような顔をしていますが、本当にそういうことなのかと私は考えてしまいま す。 もう一つは、民主的な近代国民国家の内側にいることに何の問題もないかとい うことがあります。国民主権をうたう国家もまた、その成り立ちからして、必然的に 部外者を除外しながら国家形成するという点です。国民一人一人の意志を確かめるこ となく、あるいは国民投票という形式をとれば必ず反対する少数者の意志を切り捨て、 近代国民国家は出発するよりなかったという限界を抱えています。彼らにも法的保護 を与えているではないか言うかもしれないが、彼らの意識からすればそんなものはな いということになる。今や主権者たる国民の一部が形成する教会が国家を享受する内 側にいて、これに乗れなかった人々がまさに寄留者のごとく不完全市民かのようにと して存在しているというのでは何とも皮肉なことです。
2月3日の説教から ルカ福音書18章1−8節 「弱者の声を聴け」 久保田文貞 《ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。ところが、その同じ町に ひとりのやもめがいて、彼のもとにたびたびきて、『どうぞ、わたしを訴える者をさ ばいて、わたしを守ってください』と願いつづけた。彼はしばらくの間きき入れない でいたが、そののち、心のうちで考えた、『わたしは神をも恐れず、人を人とも思わ ないが、このやもめがわたしに面倒をかけるから、彼女のためになる裁判をしてやろ う。そしたら、絶えずやってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう』》  イエスのこの譬話は、ルカ伝にしか出てきません。福音書が書かれていく頃、クリ スチャンたちの間にたくさんの伝承があって、人気があってよく使われる伝承から、 反対にぱっとしない人気のない伝承もあったことでしょう。この譬は「人を人と思わ ないあるい裁判官」も「やもめの訴え」も今一その中身がはっきりしないから、その 裁判官が最後にはやもめの訴えを聞いてしまうという結論がうまく位置づかない、だ から話に使う者にもそれを聴く者にも人気がない、というわけで一種のはぐれ伝承で だった。それをルカが拾ってやったと思います。ルカとしては1節と6−8節を枠を 作って、この譬を弟子たちに語ったことにし(1月20日説教ノート)、「昼も夜も 叫び求めている選ばれた人たち」=同朋のクリスチャンへの言葉として理解します。 つまり、〈あなたたち「悔い改めた者」に、いまだに約束の救いの時、最終的な終末 の時が訪れてこないけれども、あきらめず祈り求めなさい、神がその祈り求めに応じ ないはずがあろうか〉というわけです。まさにイエスの譬として伝えられていたもの の、取り扱いが厄介な伝承を、キリスト教終末論の教えの型枠に嵌め込んだのです。  では、もとの譬はどうあったか。2−5節だったとしてよいと思います。イエスが これを語ったとして(よほどの根拠がない限りこれを疑う必要はないでしょう)、そ れはアラム語で語られたはずです。「人を人とも思わない裁判官」は、おそらくイエ スの活動した場、ガリラヤでは重罪事件を除く軽微な犯罪の刑事裁判や日常的な民事 裁判は、ユダヤ教の法学者=「律法学者」に委託されていたようですから、この裁判 官もいわゆる律法学者として考えてよいと思います。そうすると「神を畏れぬ」律法 学者というのは普通に考えればものすごく変ですから、もしこの言葉が最初から混じっ ているとすれば、ものすごい皮肉であるか、強烈な否定のニュアンスが込められてい るはずです。いずれにせよ、この裁判官は父権制社会で有力な男性の後押しのない寡 婦の訴えに耳を貸すいわれも時間を割いてやる意思もないということでしょうか。具 体的には書いていませんが、この寡婦は男にだまされよほどの悔しい思いをしている とみたい。彼女は相手方を絶対に許せない、なんとしても裁いてほしいというわけで す。「人を人とも思わぬ」という語は直訳すれば「人に敬意を払わぬ」ということで すが、ここでは人の事情など斟酌せず、ただ法を厳格に運用するしか能のない法律バ カを連想させます。この裁判官からすればそんな軽微な事件など訴訟に値しないと思っ たか無視していた、けれども訴える女性のあまりのしつこさに負け、やっと重い腰を 上げて裁いてやったというのです。 ここまで読み込んでみて、これはもう譬の体を なしていないという印象です。いや、譬としてイエスが話しているのではない、ほん とうにそんなことがあってイエス自身が聞かされた話であり、それにいたく感動し、 イエスがこの話を他の人たちにしたということではないでしょうか。〈だまされて悔 しい思いをしたやもめが、あきらめず訴え続けたために、普段とてもやもめの訴えな んか聞かない、高慢ちきな律法学者がやっと腰を動かしただって、面白いねえ、いい 話だよ、ねえ、きみはどう思う? ぼくはすきだねえ、この話。・・・〉 私はルカ の額縁は額縁で一考に値すると思いますが、イエスの話のもとをあまりに壊してはま ずいよ、とは思います。けれども、そんなルカさんのおかげでイエスのお話が伝えら れているのだから、ぜいたくは言えないかもしれません。
1月27日の説教から ヨブ記9−10章 「正しくても罪ある者とする」  正しいことをしているのにそれを阻害するものが現れる、正しいとする者たちはそ れを悪として駆除しようとする。それ自体は当然のことですが、けれどもそれが生命 にまで関わることであるなら、はたしてその正しさはそれほどの力をもつかどうか、 首をかしげたくなります。抽象的な言い方をしましたが、アルジェリアで起きた日本 人従業員を人質とした「テロリスト」、それに対するアルジェリア軍の強硬措置のこ とを考えています。テロリストという言い方は、冷戦後90年代以降の諸国家再編に なにがしかの期待を持った少数者たちが期待を裏切られたことへの抵抗として、各地 の政権に反抗した勢力に与えられたレッテルです。その中でも一番大きな枠組みは、 9・11を頂点にした諸国家群対イスラム抵抗勢力、アフガンのイスラムの抵抗連合 組織アルカイダ系の勢力です。今回のアルジェリアの事件もその一環としてよいと思 います。この基本的な図式から言えば、正しいのはだれか、決定的なことは言えない 構造になっています。諸国家群側が圧倒的に優勢ですが、正当性ということで言えば、 絶対に正しいとは言い切れません。今回犠牲になった「日揮」の海外職員を、政府も マスコミも日本の「企業戦士」として祀り上げ、まるで靖国神社に英霊として祀ろう かという程の熱の入れようですが、そうすればするほど土壺に嵌っていく感がしてな りません。 アフリカ諸地域の貧困のかなりの責任が、近代西欧の植民地主義にある ことは確かです。彼らが豊かなアフリカを壊し、貧困格差の中に落とし込んだという 歴史は疑いようがありません。同様のことは西アジア一帯でも起こっていることです。 そこにイスラムの宗教が絡んでいることはどちらかと言えば偶然ですが、事態を複雑 にしてい事は確かです。社会の崩壊と、その表れとしての格差と貧困の結果、勝ち組 の諸国家群が「テロリスト」と呼ぶ反抗勢力を生み出している、彼らにはそれなりの 名分があるのです。亡くなった従業員の人々には本当にお気の毒ですが、そのことと 勝ち組国家群の問題は別のことです。相手を憎悪してそれで済む問題ではありません。 向こう側が絶対に悪いというわけではありません。 ヨブ記9−10章は、この物語 の山場です。 〈たといわたしが正しくても、わたしは頭を上げることができない。〉  〈たとい正しくても答えることができない〉 〈罪もないのに、突然、鞭打たれ、 殺される人の絶望を神は嘲笑う〉 〈あなたはなにゆえわたしのとがを尋ね、わたし の罪を調べられるのか。あなたはわたしの罪の ないことを知っておられる。またあ なたの手から救い出しうる者はない。あなたの手はわたしをかたどり、わたしを作っ た。ところが今あなたは かえって、わた しを滅ぼされる。〉 これと対照的にヨ ブの友人たちは、命を脅かす程の苦難に理由がないはずはない、神に対してヨブ一族 に何らかの罪を犯したからこそ今そのような苦難にあると、神の正しさを微塵も疑わ ない、伝統的な神義論に立っています。ヨブの究極の問いは、そのような神義論をえ ぐっていきます。そこには人間にとって絶対的な「正しさ」というのが実体的にあっ て、それを手にした者が一方的に正しくなるなんてことはない、その「正しさ」が神 に依拠するものであっても、人がその正しさをわがものにしたり、あるいはその正し さの完全な判定者になることはできまい、そんな訴えをしているように思います。別 の視点から見れば、人が手にする「正しさ」とは一つの「正しさ」に過ぎない。もっ ともこのような絶対的なものからの撤退は、開き直った相対主義のゆえに、かえって 途方もない高慢さに結び付いたりすることがいくらでもありますが、多くの場合はよ り実り豊かになるはずです。当然のように胡坐をかいている社会通念の常識を根本か ら疑い、真実を誠実に追い求める姿勢につながるものでもあります。
1月20日の説教から 第二コリント5章13—17節 「人間イエスとキリスト」 久保田文貞  16節「わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい。かつてはキリ ストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい。」(口 語訳) ショッキングな言葉です。パウロがこのような言葉を残した背景にはおそら く、パウロの批判者たちがパウロを攻撃する時、パウロが生前のイエスを知りもしな いのにイエス・キリストの使徒と自負して伝道しまわっているとはなにごとか、とい う論点を出してきたからだと思います。もっとも生前のイエスについて知らなかった らイエスについて論じることはできないなんて言ったら、思想の伝達などありえませ ん。批判者たちもそこまで言っていたのではないでしょう。彼らの言い分の論拠を多 少代弁させてもらえば、こういうことなのではないでしょうか。〈生前の主イエスに ついて私らが知っており君たちに伝えること(福音書のいろいろな伝承と通じるでしょ う)にもっと耳を傾けよ。主イエスの十字架と死だけを強調する君の福音理解はどう みても生前のイエスのみ言葉やみ業を無視しているとしか思えない。結局きみが主イ エスを直接知らないというのが君の限界なのかもしれないが〉と。ひょっとしたらそ れはさらにパウロの使徒としての資格問題まで具体的に踏み込んでいたのかもしれま せんが、その辺はなにせパウロ側の言い分しか聞いていない我々としては想像するよ りないのですが、決定的なことは言えません。しかし、それは他方の反論を欠いたパ ウロの言い分は半分割り引いておくべきです。 パウロの方はここでも述べているよ うに、「ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。 そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにで はなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。…だれ でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去っ た、見よ、すべてが新しくなったのである。」と、卑近な言い方をすればスウィッチ が入ってしまって、後戻りできない所まで独り行ってしまっているという感じです。 これに対して、パウロという男は生前のイエスを知らないはずだという批判めいた言 葉は、おそらくコリントの敵対者に特定のものではなく、彼の活動全般に対してそこ かしこで囁かれていた、それがコリント教会の間で露出してしまったものだから彼は むきになってしまったと。 14日静岡県の稲子の家で横田勲記念研究会があり、そ こで千葉宣義さんが話をされた中で、横田著『傍らに立つ者㈵』で史的イエスとキリス トについて書いている箇所を取り上げていました。横田さんは〈わたしにとって、具 体的に、直接的に、圧倒的に迫ってくる関係としてのキリストと無関係であるかぎり、 「史的なイエス」には、なんの興味も感じませんし、バルトのように、「わたしは史 的イエスを知らない」とはっきりいえます。〉(97頁)と書いている。つまり「わた し」と直接に関わり、「わたし」に迫ってくるキリストを押し上げてくるようなナザ レの主イエスしか「わたし」には関心がないという宣言です。千葉さんは、このよう に「わたし」の生き方に関わるキリストを押し出してくるイエスと、史的イエスとは どう関係しているのか、できることなら横田さんに直接確かめたかったと言われまし た。千葉さんとしては、あのように死んだイエスとの関わりを、後の人々がそれぞれ の多様な状況の中で多様な仕方で言い表した新約諸文書を読むことによって考えてい きたいと言われました。(もっとも、私のメモと私の主観的な受け止め方でこれを書 いていますが) 私の立ち位置も千葉さんの言われることに近いと思いました。ただ、 それは横田さんの宣言めいた言葉にはほとんど引っかからない感じがします。
 1月13日の説教から ルカ福音書12章16−26節 「寿命について」  久保田 文貞  16—21節はルカ福音書だけに蒐集されたイエスの譬話です。群衆の中の一人が イエスに、遺産を分けてくれるように依頼したという枠を、福音書記者ルカが設定し たようです。彼は遺産の取り分をめぐっておそらく兄弟と争いになっていたというこ とでしょうか。 前にも言いましたが、田川健三さんによれば、ルカはイエスの言葉 の聞き手として、弟子たちと、群衆と、パリサイ人・律法学者の三つに分類していま すが、ここでこのたとえばなしを聞かされる人は、遺産の取り分を争うような金銭欲 の強い男であり、とすればルカの頭の中では群衆=未信者が相応しいということにな る。クリスチャンは欲深くないはずだと考えているわけです。そんなことは全くと言っ てよいほどありません。ただ、キリスト教だけではありませんが、欲深くあってはな らないと教えられているけれども、普通の人と同じくらい欲深い、そういう変な屈折 をしているのがクリスチャンをはじめ多くの宗教家の轍というものです。 イエスの 譬話は実に単純です。多くの土地を持っている農民が豊作だった。どうしようかと、 笑いが止まらないのでしょう。倉を立て直してしまいこみ、これで老後も何不自由な く暮らせると、自分で保険をかけているようなものです。みんなが老後の保障をやり くりして安定した社会を築くことができるのなら、それは福利上の美談ということに なりますが、一世紀のローマ帝国周辺の社会はそんな生やさしい所ではありませんで した。成長期の地中海農業はぼろぼろになって多くの小農民の生活が破綻をきたして いる一方で、ほんの一部の者が富裕層としてのし上がるというふうだったようです。 イエスの活動したガリラヤ地方も例外でなく、強烈な格差社会が出現していたと思わ れます。イエスの譬のオチは、金持ちがいくら将来に向けて宝を積んだところで、神 は今夜にもお前たちの命を絶つであろうと、だからウィットのきいたシャレにもなら ないそのまんまの否定のことばです。 そこでルカは、イエスが群衆を方から身をか わして、やおら弟子たちに向かって言ったことにしています。「命のことで何を食べ ようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。…カラスのことを考えてみなさい。 種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神はカラスを養ってくだ さる。」 ちなみに同じ言葉はマタイにも出てきますが、そこではイエスは群衆も弟 子も分け隔てせず、思いのたけを語っています。ルカの場合は群衆と弟子たちを完全 に意味を持たせて分けています。ルカ福音書のクリスチャン読者はまちがいなく、自 分たちはそこに出てくる「弟子たち」の一人であり、キリスト教の真理を知らない群 衆たちとは違うというプライドみたいのがあるわけです。こういうのって、ガリラヤ でのイエスと群衆、イエスと弟子たちの関係からずれてしまっていると思います。  欲を出そうにも何も持たないほとんどの群衆にとって、先の安心のために蓄えほくそ 笑む金持ちがその日の晩に死んでしまうよと語るイエス。心配なんかするなよ、神さ んはカラスだってちゃんと養うときは養ってくれる。気楽にいこうよ。そのまんま。 群衆も弟子たちも使い分ける必要なんかないですね、ルカさん。
 1月6日の説教から 第一コリント9章16−23節 「自分を捨て自分になる」    久保田文貞  9章に入ってパウロはそれまでの脈絡を外して急に使徒として報酬を受ける権利に ついて論じ始めます。パウロの使徒職の正当性に対して何らかの批判があってそれに 対する反論ということなのでしょう。その批判の中に使徒の報酬の問題があったらし い。これについてパウロはまず、福音のために働く者は報酬をもらう権利があるはず だと力説していきます。当然自分たちにもあるだろうと。しかし自分はその権利をひ とつも利用しなかった、どうだ、すごいだろうという論の運びになっています。 正 直、私にはよくわかりません。福音のために働く者が、傭兵のサラリーのように報酬 を受け取ったとは考えられません、それがどのように制度化されていたか怪しいもの です。だからパウロがその報酬を受ける権利を一切使わなかったと言われても、それ がどれほどの誇りになるのか評価しようがありません。 むしろ次の箇所に注目した い。19節以下「わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を 得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。ユダヤ人には、ユダヤ人のよう になった。ユダヤ人を得るためである。・・・」さらに「律法の下にある人には律法 の元にある人のように」「立法のない人には律法のない人のように」「弱い人には弱 い者に」と続きます。 こういう態度が果たして成功するかどうか知りませんが、セー ルスマンがみせる態度の一つのように感じます。自我を殺して徹底的に顧客に合わせ るというような。けれども、顧客の側から言えば、こういう人に合わせるタイプの営 業マンの姿勢をソデの方から見てしまったら営業のためとはいえあまりいい気持ちが しないし、信頼できなくなりそうです。〈自分を殺してまで君は何をやり遂げようと いうのか。その押し殺された君の自分を、僕は不気味に思うよ〉 そう、「できるだ け多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった」という卑屈さの裏 に潜む強靭さには、関心はするけど、やはり不気味さを感じます。そもそも福音の宣 教のために力を惜しまず働いたからと言って、なにも自分を捨てて相手に合わせる必 要などないはずです。そういう態度も可能なはずです。 ここで、ある一つのイメジ がぼくの頭を捉えます。よほど注意してかからないといけないのですが、それはディ アスポラのユダヤ人、ちょっと前まではパーリアとしてのユダヤ人(ウェーバーなど) のイメジです。殊に近代のヨーロッパ、アメリカの間で市民権を十分に得ることがで きないまま身を寄せ合って生活したユダヤ人、迫害が起こればそれに刃向うこともで きず別の町に移住するよりない、そこで再び不安定な身分で暮らすよりない。ナチス の時代のように迫害がヨーロッパ中を吹き荒れた時には、次から次へと逃れていくよ りない。彼らは移り住んだ地でできるだけ目立たず暮らす。買い物をするにもそこの 土地の訛りを早く覚えてその地の人になりすまさければならない。忌憚なく態度に表 わす子どもたちの間でこそそれが要求されるから、ユダヤ人の子たちは言語の天才の ようになる。レオン・ポリアコフ『反ユダヤ主の歴史』(5巻もの)に中世から現代 まで嫌というほどその成功例と失敗例が出てきます。 移住の原因がポジであれネガ であれ、彼らが移住していくときのフットワークは、私のように定住型百姓の出の人 間のそれと出来が違うだろうなというのが正直な感想です。 ちょっとまねできないと 思ってしまいます。  カフカの作品で未完成の『城』という小説があります。主人 公のKはまずまちがいなく(同化)ユダヤ人である作者と重なっているでしょう。測量 士Kは城の支配する小さな町に仕事の依頼を受けてやって来るのですが、城の硬直した 官僚主義のためKの仕事がない。そして異常なまでに城の支配におびえる村はかたくな に自らを閉ざし、Kは最終的に居場所をつかむことができず、作者から未完のまま放り 出されるのですが。 前にリトアニアから方々を渡り歩いてニューヨークのスラムに 到達した表現者ベン・シャーンの家族のことを話しましたが、彼の絵や線画にどうし ても悲哀と強靭さの入り混じったディアスポラの(同化)ユダヤ人を感じてしまいま す。 パウロは福音のためなんて言っていますが、僕にはそれよりディアスポラユダ ヤ人の子孫のひとりのパウロを感じてしまうのです。