説教ノート 2012年1月から12月分まで

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12月30日の説教から ピリピ4章5節 「主はすぐ近くにいる」 久保田文貞  マタイの降誕物語で、夫ヨセフに主の使いが現れてこのように言うというところが あります。「見よ、おとめがみごもって男の子を生むであろう。その名はインマヌエ ルとよばれるであろう」と。イザヤの預言(7章14節)に基づいた故事であることを何 としても記しておきたかったのでしょう。 古代イスラエルの基本的な思想として、 神は人の世界から隔絶した彼方にゐますのであって、その神を人は見ることもできな いし、触ることもできない。ただ神は自分の選んだ民を預言者モーセなどを通して間 接的に導き、時によってその歴史に介入するのみ。これが基本的な神と人間の距離感 だと言えましょう。ずっと後になってエリヤ以下、多くの預言者が現れます。遠くに います神が、断絶を破るかのように例外的に預言者を通して、神から離反してしまっ たイスラエルの民に言葉を投げかけるわけです。イザヤの預言もそんな言葉の一つに はちがいありませんが、インマヌエルと呼ばれる男の子が生まれると、つまり単に言 語として聞かれる神の言葉ではない、〈神われらと共に〉という名を持った、まるで 神の救いの顕れかのような男の子が誕生するという出来事になる言葉だというわけで す。 マタイが回収したイエス誕生伝承は、イザヤのインマヌエル予言とイエスの誕 生とを直結してしまいます。このつなげ方にはかなりの無理があると思いますが、一 人の男の子を通して、神の恵みがこの世界に直接介入していく、そういうことがある んだ、そうことが起こり得るんだ、ということならわかる気がします。キリスト教神 学的な、キリスト論的な色彩に染まる直前の、神の恵みが観念的な言葉に貶められる のを嫌って、ただの小娘から生まれた男の子がその周りの人々にインマヌエルになっ てしまうということが起こることがあるのではないか、と。 パウロはイエスをキリ スト論的に頂点にまでもたらしつつ、次のような印象的な言葉を残しています。「あ なたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。あなた がたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない。 ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神 に申し上げるがよい。」  パウロが呼ぶところの「主」とは、神ヤハウェのことで はなく、「主イエス・キリスト」のこと。イザヤのインマヌエル予言の中にあった微 妙な神の直接介入の問題は、パウロにはもう存在していません。パウロにおいては、 主イエス・キリストに神の恵みの直接介入が実現されてしまっていて、「主は近い」 どころか、神の直接介入はすでに完了している、終末論的に言えば、神の恵みは終末 が来る前に完全にフライイングしてしまっている状態なのです。 正直言って私はそ のパウロの言葉に乗れません。「主あって喜びなさい」というキリストへの集中と、 キリストにすべてを包まれてあろうとする、これがナザレのイエスの言葉と活動と、 その結論のように置かれている死をなんとかして自分の腑に落としめる理解の延長上 に来るものだろうかと怪しむのです。


12月23日の説教から ルカによる福音書2章1-7節 「居場所がなかった」 久保田文貞  ルカ伝のイエス誕生物語の一部2章1−7節には、対照的な二つの極が出てきます。 一つはその時代の頂点にいる皇帝アウグスト、もう一つは、その皇帝命令に振り回さ れる夫とその身重の妻。この設定は多分にルカ伝の「誕生物語」の創作です。歴史的 には、イエスの誕生はヘロデ大王の死(BC4年)の前とされています。シリア総督キュ リニウスが執行した人口調査は、ヘロデ大王死後ユダヤの領地を相続した息子アルケ ラオスが失政した(AD6年)後、ユダヤが皇帝直轄州に編入される時の租税台帳更新 のためのものと考えられ(実際、この人口調査にはガリラヤ地方で抵抗運動が起こっ ており、それがアルケラオスの財産整理のためと説明され騒動が治まった)時代的に 遭わないのです。またヨセフ・マリヤ夫婦はナザレに住んでいたとしか考えられませ んから、登録はわざわざ100キロも離れたベツレヘムになど行く必要がないのです。 これらからイエスが、ベツレヘムから出たダビデの子孫だという言い伝えを強化する ための拵えものでしかないことが判明しています。 ルカ伝の「イエス誕生物語」の 舞台と時代設定が拵えものだけに、その中にルカの思想が露骨に出ています。それは、 ローマから見れば、辺境にしか過ぎない属国ユダヤの、それも一寒村にすぎないベツ レヘムに、真のメシア=キリストが生まれたのだという、歴史のアイロニーを最大限 に引き出すためのトリックになっているということです。しかもそのベツレヘムで、 彼を生む母親は社会的には未婚のまま身籠った女性であり、その両親が宿を取ろうに も「客間には余地(トポス=場所)がなかった」という状態でイエス・キリストは生 まれ給うたという、文学的には貴賤譚的な処方を使っています。 誕生した真のメシ アには「居場所がなかった」、それをローマ帝国の初代皇帝アウグスツスの名を挙げ て、その対極に置いているわけです。さらに、このメシア誕生の第一報は天使によっ てベツレヘム近郊の草葉で羊の番をしていた羊飼いたちに知らされたとなっています。 羊飼いというイメージは、古代セム社会では場合によって、羊の群れを絶対的に統率 する支配者・王の象徴にされたり、後のキリスト教ではイエス自身(ヨハネ伝10章 など)を、またそれに準じてなのか教会の指導者(牧師)の象徴になっていますが、 一世紀頃の現実のユダヤ教社会では、末端の羊飼いは動物の世話に追われ、安息日で あろうと休むわけにはいかず、律法実践を果たせるような位置にいようもなく、社会 の周辺的な存在でありました。イエス誕生の知らせが羊飼いに伝えられ、誰よりも早 く彼らが赤子のイエスに会い、両親を祝福し、その報せを人々に伝えたというのも、 この物語の基本姿勢に一貫しています。 というわけで、ルカが描いた誕生物語の確 かな一つの側面は、ここに生まれたメシアは世界の政治的・軍事的頂点に立つローマ 皇帝の支配の仕方とは正反対の方から、居場所さえない所から、始めようとされてい る「神の支配」の始まり。〈神の支配〉〈神の王国〉とは言え、それは人間の支配や 王国とは真逆のもので、このメシアは人々を支配するというのではなく、人々に仕え る(〜の奴隷となる)、人々のために命を捨てる、そういうあり方をするメシアだと 言っているように読めます。 残念ながら、キリスト教の歴史はこのようなイエス誕 生物語の読みをやり切れなかった。むしろこの世の新しい王としてこの世に居場所を 確保し、この世を新たに支配する者として、メシア=キリストを引きまわしてしまっ た、と言わざるを得ません。これにはルカに若干の責任があります。貴賤譚的な誕生 物語には、今に見ておれ、いつかこの卑しい生まれの者が世界を制覇してやるという 下心を忍ばせかねないからです。
 12月16日の説教から ルカ福音書17章20−24節 「メシア到来の前に」     久保田文貞  ちょっと言い訳。こんな題をつけてしまったけど、クリスマス前の話になるから程 度の意味しかありません。メシア=キリストが到来することと、「神の国はいつ来る のか」というパリサイ人の問いをかけてみたわけです。「神の国の到来」と「メシア 到来」とを同一視してしまうのはずっと後の大雑把なキリスト教感覚でしょう。福音 書記者ルカ自身も、さすがにこの二つを混同していません。ただルカは、この世界へ の神の直接介入というユダヤ教の中にあった〈神の国イデオロギー〉をイエス・キリ ストの宣教と直接に結び付けた1世紀後半のキリスト教の真っただ中にいて、その思 想に準拠しているのです。「神の国の到来」と「メシア到来」とを限りなく近づけた と言えるでしょう。 「神の国は、見える形ではこない。『ここにある』『あそこに ある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなた方の間にあるのだ。」(新共同 訳)この言葉をイエスの言葉として受け止めているルカとその読者・聴衆は、イエス の周りで「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は 清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知ら されている」(ルカ7:22、新共同訳1987)ということが起こっていると見ている人々 です。 このような見方は、ユダヤ教の中で生まれていたメシア思想に位置づけるこ とができないものです。くどいようですが、ユダヤ教メシア思想は、神が人間の誤っ た世界支配を〈政治的に〉〉審判するという意味での「神の国イデオロギー」と、そ の実現のためにメシアを派遣しその審判に〈政治的に〉備えさせるというものであり、 どうしようもなく政治的なものでした。それに対して、ルカをはじめ1世紀後半のキリ スト教は、「神の国」「メシア到来」から政治性を抜いたものを構築し始めている。 つまり、キリストの誕生を持ってキリスト教型「神の国」の到来の物語を創ろうとし ているのです。 今日の聖書箇所「神の国はあなた方の間にある」という言葉は、ク リスチャンには別の意味で人気のある言葉ですが、ここには「神の国」は政治闘争の 挙句に勝利するなんて必要はない、すでにあなたがたの間にあるという主張を含んで います。 この言葉は「神の国はいつ来るか」というパリサイ人の問いに対する答え です。イエスの答えは、神の国にへばりついている政治を取り去って、さあ新たに 「神の国」思想を作り直しましょうというのではありません。おそらく田川健三さん がいろいろな所で書いておられるように、イエスは「神の国」を積極的な意味で語ら なかったというのが真実でしょう。ただし、これをもってイエスが「神の国」思想と いう世界観そのものを意識的に批判したということはできません。それはものすごく 近代主義的な人間論に立った冷めた見方です。 イエスの言葉に、古い「神の国」理 念に代わる新しい「神の国」論をもっていると見たのは、イエス死後、イエスが復活 したと、そしてイエスは〈キリスト〉〈主〉〈神の子〉として告白していくキリスト 教の見方です。政治抜きの「神の国」思想、「メシア=キリスト論」をぶち上げたわ けです。 しかし、今から思えば、「政治抜きの」という政治の問題を考えないわけ にはいきません。それは「政治は嫌いだ」という言葉の政治性と言ってよいです。 (16日『週報』の《複眼》の私の文章こそよい例かもしれません。)この政治性をよ くわきまえて行いと、すごく変なことになります。今の若い人々が政治に嫌気がさし ているというのは私にもよく分かります。この総選挙でもそういう投票行動・非行動 がよく出ていると思います。しかし、その政治性をしっかり自分でつかんでいないと、 政治の好きな連中から使われるだけ使われることになるということです。キリスト教 はその問題をいやというほど世界史にさらしてきましたから。
 12月9日の説教から ルカ福音書12章54−56節 「時を見分ける」  久保田文貞  「しるし」に関するイエスの言葉として、より重要なのはマルコ8章11−12の 言葉でしょう。そこで「天からのしるし」を求めるのはパリサイ人で、彼らがイエス に議論を吹っかけたことになっています。これに対するイエスの応えは「しるしは今 の時代(直訳は「このゲネア(世代の人間)」、田川訳では「この輩」)には決して 与えられない」という拒否の言葉でした。このマルコの言葉と、ルカだけが伝える1 2章54−56の言葉とはどのくらい関連した伝承か、明確なことは言えませんが。   「あなたがたは、雲が西に起るのを見るとす  ぐ、にわか雨がやって来る、と 言う。果してそ  のとおりになる。それから南風が吹くと、暑く  なるだろう、 と言う。果してそのとおりになる。  偽善者よ、あなたがたは天地の模様を見分   けることを知りながら、どうして今の時代(直訳  は「このカイロス(この 時)」)を見分けることが  できないのか。」 ルカ伝ではこれが「群衆」に向け て語られたものとします。ルカ伝で「群衆(オクロス)」とはどんなイメージで考え られているでしょうか。 ルカは9章51節から17章まで、ほぼマタイとルカに共 通する資料を使って書いています。それは「イエスは言った」というト書きしかない 語録の寄せ集めだったと考えられています。それらの伝承のそれぞれがだれに向かっ て語られたかという観点から、ルカは整理し、それをト書きに書き加えていきました。 その際、ルカは三つの聴衆のパターンを使います。第一がイエスの言葉を一応理解で きる「弟子たち」(当然ルカの想定している教会を含みます)、第二がイエスの言葉 を理解できない「群衆」(ルカにとっては教会員以外の大衆も念頭に置かれている)、 第三が、イエスに敵対する律法学者・パリサイ人。 というわけで、「群衆」に語る とは、このイエスの言葉は理解されないものというレッテルが張られているというこ とになります。そこで彼らには空の模様は見分けられても、「今の時代は見分けられ ない」という結論になってしまいます。ということは、裏を返せば、ルカの頭の中で は、「弟子たち」には「今の時代」を見分けられるはずだということになります。  「今の時代の人間」が「しるし」を読めるかどうか、マルコとルカは微妙に違います。 マルコ伝では、パリサイ人は「天からのしるし」を求めるけれども、「しるしはこの 時代の人間には決して与えられない」とする。パリサイ人がその時代の象徴的な人間 と考えられています。そして人間の側から、神の意思を読み解けるようなしるしは存 在しないときっぱり言ってしまいます。それに対してルカ伝では、群衆(⇒クリスチャ ンでない者)には「このカイロス(時)を見分けられない」、弟子(⇒クリスチャン) には見分けられる、となります。 伝承上は当然これらの言葉は、イエスが語ったも のとして伝えられるわけですが、実際にはいろいろなバージョンが出てきてしまって、 福音書記者たちはそれを取捨選択し、どんな場面にそれを収めていくか相当苦労した と思います。としても、マタイ・ルカ→マルコ→イエスとさかのぼっていくとき、マ ルコの方がイエスの言葉に近いと考えるのが自然でしょう。 いずれにせよ、基本的 に神へとさかのぼるような「しるし」はないということです。このような発言が出て くる人間の側の前提は、第一に、人は神の意思を表すしるしを探し求める存在だとい うこと、第二に、人にはしるしをみとめて、それを読み取る能力があるということ、 第三に、当然神は人にしるしを示しているはずだと期待していることです。この前提 は、人間にとっての宗教の条件でもあります。少なくとも人間の側から天=神のしる しを求めても、そんなものはない、というのがここでのイエスの言葉です。ほとんど 宗教の否定のような言葉の質を持っています。 
 12月2日の説教から ルカ福音書12章49−53節 「分裂しない理由」 久保田文貞  49節「わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。」51節「あなたがたは、 わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。あなたがたに言っ ておく。そうではない。むしろ分裂である。」 イエスの言葉として福音書に伝えら れるものには、何かに憑かれたようなハイな気分から発せられたものが多い。「福音」 の「宣教」に繰りだしたイエス自身の高揚感によるものかもしれないし、そのイエス を黙示文学的な終末のメシア=キリストとして告白した教会の手が入ったものかもし れません。いずれにせよ、そこには人間社会の堕落に憤懣やるかたのない思いで、神 の審判の吹き荒れる中に身をおいて審きを叫ぶ預言者のパターンが横たわっています。 一時期イエスの師匠であった洗礼者ヨハネはこの審きの預言的な言葉に徹していまし た。49節の言葉は洗礼者ヨハネのものにすごく近い言葉です。 実際にそれらが真 にイエスの言葉かどうかはともかく、イエスが時代に対して立っていた構えの一面を よくあらわしていると思います。イエスの立ち位置を次のように考えます。それは、 この地上の世界から絶対的に隔絶されている外部から絶対的他者である神が、なぜか それまでの関係の仕方とは全然別のやり方で、この地上世界に直接介入し、その〈支 配〉の力が今吹き荒れているということです。歴史的には、このスピリットは前2世 紀ごろからユダヤ教思潮の前面に出てきた黙示文学的な展開と言えます。洗礼者ヨハ ネも神の直接介入を感じ取って「悔い改め」の「洗礼バプテスマ」を説いたのです。  イエスはヨハネ運動から別れて独自な活動をします。イエス運動の特徴は、吹き荒 れる神の支配のラッシュが〈義〉を全うできない人間の審きに向かうのではなく、 〈義〉を全うしていないダメ人間(新約聖書は適切かどうかはともかく、これらの人々 を「罪人」と呼びました)とみなされていた人間たちの間に注がれる神の恵みの「よ き報せ」に投じて行動しているということです。 そう考えると、平和ではなく分裂 をもたらすという言葉も、それなりの新しい意味を帯びるのではないでしょうか。地 上の人間社会が真の平和を築くために争いも辞さぬと、いや実際に戦争をしていくわ けですが、そうやって人間が勝ち取ったほんとうの平和のまやかし。それがどれだけ 人間を不自由にし呪縛してきたか。  これと類似したことは、ごく身近な家族の中 で日常的に起こることです。若者が父に抵抗して家を出る。娘が母の言いつけを守ら ずやりたいことをやる。兄弟・姉妹が意見が違て仲たがいをする。それが試練を経て 円満に終結することもあるでしょうが、多くは家族の崩壊の形で終わる、それが悲惨 なものとかならずしもいえないでしょう。分断されたとしても子どもたちは親を乗り 越えて次の自分たちの時代に突入していくだけのことです。 黙示文学的な物語に類 比できるようなことが起こっていると考えられなくもありません。イエス死後の新約 聖書の世界の人間たちは、福音のために家族分断され、おそらくその次に教会という 新しい家族をもらって、そこで手を打つということが起こったのでしょう。当然そう なるだろうとは思いますが、それがイエスが生きた神の恵みのラッシュの中での人の 在り様かと言えば、だいぶ別物になってしまっているように思えてなりません。
 11月25日の豊島岡教会南花島集会と合同礼拝での説教から マルコ福音書4章9-12節 「聞く耳のある者は聞きなさい」 久保田文貞  9節の言葉は、福 音書に何回か出てきます。日本語では区別がつきませんが、原語では構文に微妙な違 いがあります。例えばこれはマルコ4章23節にも出てきますが、23節の場合には 直訳すると「もしも聞く耳を持つ者は聞きなさい」となります。その他、関係代名詞 で表現しているもの、分詞を使っているもの、マタイの場合には「耳のある者は聞き なさい」と簡略化されていたりします。 その細かい違いは、ひとつには共観福音書 がマルコが初めに書かれ、20年後くらいにマタイ、ルカはたぶんその写本それを見て それぞれ改訂版を書いたというプロセスで微妙な変化が出たことによると考えられま すが、私としてはそれ以上に、イエスの口癖のようなアラム語の言葉が弟子たちの耳 に残っていて、それがギリシャ語を話す人々に語られるときギリシャ語に直して語ら れた時の折々の差の名残から来ていると思えてなりません。これらの違いのその先に アラム語のイエスの言葉が響いてくるような気がするのです。アラム語やヘブライ語 の強調表現のひとつに定形動詞に不定詞を重ねて表現するのがありますが、「聞きな さい」のすぐ前に不定詞「聞く」が並んでいるのも、そんな強調表現をイエスが使っ ているのではないかと想像して私はひとり悦に入っています。誰もこんなこと言って いないので間違っているかもしれませんが。 今日の聖書箇所はどう見ても変な所で 切っていると認めざるを得ません。9節は種まきの譬の閉めの言葉として使われていて、 10-12節は別の伝承を持ってきているのは明らかです。この箇所に、みなさんも違和感 を覚えませんか。どう読んでも、イエスは自分の弟子だけにしかわからないように謎 かけし、それ以外の者には真理を隠すために譬で語ったのだということになります。 確信しますが、イエスはそんなケチな方ではないと。これは後のキリスト教指導層が 権威化して、奥義を隠しておくという了見から生じた言葉だと思います。 13節か ら、「種まきの譬」の解説版が出てきます。〈種〉とは「神の言葉」のことだ、道端 に落ちた種とは、…のことだと、すべて寓意的に解説するので興ざめしてしまう。少 なくともこの解説版は、明らかに原始教会の伝道論の色が濃厚で、イエスのものでは ないと前にもそう申しました。しかし、1-8節の譬えを読むと、それ自体がすでに寓 意的解釈を要求しているとしか思えないような作りになっている、それで以前はこれ もまた原始教会の作だろうと申しました。けれども、その後、イエスが寓意的な話し をするわけがないと決めつけるのも問題だと思うようになりました。 とにかく、4章 1節から23節まで、マルコがここでテーマにしていることは、「聞く耳のある者は 聞くがよい」と2度も譬とその解説の閉めに使っていることからもわかるように〈聞 く〉ということです。〈見る〉ではなく〈聞く〉がテーマにされていることの意味は 深いと思います。 〈見る〉も〈聞く〉も同じく人間の感覚ですが、〈見る〉にはモ ノであろうと人であろうと対象に向かって、対象を捉え理解し監視し、それを自己に 取り込もう、さらに言えば支配しようという意向が働いているといえないでしょうか。 (レヴィナス) それに対して、聞くはモノではなく相手が発信する心を受け止める ことであって、自己の領する域の中に引きこんで聴取するのではなく、閾の外からの 声を聴きとめることができる行為なのです。 レヴィナス的に言えば、自分の域内の 〈他人〉ではなく、自分の閾外の〈他者〉に聞くことができる「聞く耳のある者は聞 きなさい」をこのような意味に捉えたいと思います。
11月18日の説教から ルカ福音書10章25-37節 「他者を愛せるか」  ここでイエスは律法学者から何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができ るかと問われます。イエスは彼に、律法に何と書いてあるか、それをどう読むかと問 い返します。律法学者が答えます。「『心をつくし、精神をつくし、力を尽くし、思 いをつくして、あなたの神である主を愛しなさい、また隣人を自分のように愛しなさ い』とあります」と。前半は申命記6章4-5節の引用、後半はレビ記19章18節の一部の 引用です。ユダヤ教徒なら子供の時から暗唱されているような有名で重要な章句です。  ルカ伝が下敷きにしたマルコ伝の平行箇所12章28節以下では、律法学者はイエ スに何が律法の中で一番大切かを質問します。するとイエス自身が答えます。第一に 神を愛することをあげ、第二に隣人を愛することを付け加えます。そして「この二つ にまさる掟はほかにない」と言う。隣人を愛するという横軸があってこそ神を愛する という縦軸があると。「第一」と「第二」が普通は序列化されているが、第一の掟も 第二の掟も同等だということで、イエスは律法学者と意気投合して終わります。 ル カ版の場合、律法学者はマルコ伝のように賢くない。「自分の立場を弁護しようと思っ て『では、私の隣人とはだれのことですか』」とイエスに突っ込みを入れます。もっ ともそれがなんで自己弁護になるか私にはよく分かりませんが。 この質問に対して、 イエスが有名な「良きサマリヤ人の譬話」を語ることになります。この譬話を終える とイエスは「さて、あなたはこの三人の中で、誰が追いはぎに襲われた人の隣人になっ たと思うか」とまた問いを返す形になっています。律法学者の問いとイエスの問いの 間に、微妙なズレがあります。 そもそも「隣人」とは〈私〉を中心にしてその近く にいる人のことです。古代イスラエルの部族社会ならその仲間です。それぞれが〈私〉 を中心にした仲間同士の愛で、それが一つの共同体の中で自己完結しているように見 えます。けれども、どんな共同体も別の共同体に出会い何らかの理由で交通せざるを 得なくなるはずです。それが敵として出たら闘うまでですが、時には同盟関係になる こともありますが、いずれにせよそこにそれまでの隣人とは違う他者との関係という 問題が出てきます。 近代社会は共同体がこわれ、〈私〉中心の内側は家族ぐらいで、 基本的にあとは〈私〉の外側の人間、他者・他人の世界です。結局は〈私〉が中心に いて他人を仲間にしていく、それが「隣人を愛する」ということなのでしょうか。こ の場合「わたし(たち)の隣人とはだれか」という問いは「わたし(たち)から見て、 どこまでが隣人になりますか」という問いであり、自己の拡張の範囲の問題であり、 結局は自己愛に終始した問いとなります。 これと照らし合わせると、イエスの設問 は「だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」というものでした。こ れは、自分を中心にした世界に次から次へと新しい隣人をつなぎとめ、自分のように 愛する、そのようにして自分世界を拡大していくということではありません。イエス の設問の元になっている感覚は、それとは違って他者の主体を起点にします。他者か ら出発して自分がその他者の隣人になる問題として提示するのです。 それは、自分 が強盗に襲われた被害者を見た時、道の向こうを通る「祭司」「レビ人」はだめ、彼 を助ける「サマリヤ人」がよい、そうやって自分中心の倫理問題にしてはだめ、とイ エスは言っておられるように思います。他者の隣人になれているかどうかは、他者に 出会ったところでちゃんと他者と向き合ったかどうかにかかっているということでしょ う。
 11月11日の説教から ロマ書5章1-11節「キリストによる和解」  この箇所は、パウロが生きる〈今〉がどんな時なのかをしっかり見ておく必要があ ります。それは、イエスの十字架死という近接過去と、やがて来る「終わりの日」と いう近接未来の間に挟まれたパウロ自身の生涯ほどの時間のことでありました。この 〈今〉は1節「我らの主イエス・キリストによって神に対する平和を得ている」(以 下、断らなければ田川健三訳)いまであり、「信から義とされた」いまです。 この 〈今〉の始点は、25,6年前の過去、6節「キリストが、当時まだ我々が弱かった頃に、 不敬虔な者たちのために死んでくれた」事、8節「我々がまだ罪人であった時に、キリ ストが我々のために死んでくださった」事、10節「我々がまだ(神の)敵であった時に 神の子の死によって神と和解させていただいた」事です。これらはすべてギリシャ語 の過去に起こった(当然一回ということになるが)ことを表す時制アオリストで書か れています。 この近接の過去に起こったキリストの十字架の死・復活の事件によっ て世界は決定的に変わってしまった、つまりその日をもって神の裁きの日、終わりの 日へのカウントダウンが始まったというわけです。もっともパウロはその時まだこれ を受け入れていなかった、というよりクリスチャンを迫害する側にいました。その彼 がダマスコ付近で何らかの体験をして転向する。それから少しずつ、彼は自分の〈今〉 理解を練り上げていく。たぶんダマスコの体験から20年ぐらいたってエペソでこの 「ローマ人への手紙」を書いている。そういう〈今〉なのです。 ついでにこの箇所 に現れる近接未来のことに触れておきますと、2節「また神の栄光の希望をもって誇っ ている」というときの希望の的になっている「神の栄光」の時であり、9節「彼によっ て怒りから救われることになろう」時、10節「和解された我々は彼の生命において救 われることになる」時です。新共同訳聖書がこの部分を「和解させていただいた今は、 御子の命によって救われるのはなおさらです」と訳しているが、ここに出てくる「今」 は原語にはありません。〈今〉救われていると言っているのではなく、〈過去にキリ ストの命で神と和解させていただいた私たちは、やがて到来する終わりの日に確実に 救われるでしょう〉と言っているのです。 私たちは、どんなに想像力をたくましく し、感情移入しようとも、このキリストの死と、「終わりの日」に挟まれた〈今〉を 生きるパウロの緊迫感を理解できないだろうと思います。彼はその〈今〉を患難を受 けている〈今〉として特徴づけています。一般に「終末の遅延」と言われますが、キ リスト教はこれを伸ばしに伸ばしてわれわれの今をも、〈パウロの今〉を維持し続け、 早2000年近くたつわけです。 「終末の遅延」で先延ばしすることをせず、それを誤 算として認め、パウロ的な〈今〉を組み替えたグループがすでに新約文書成立の過程 で存在しました。それは、ヨハネ福音書を生み出した人々です。一言で言えば、ヨハ ネ福音書ではキリストの受肉、到来、死と復活ですべてが完結している。つまり終末 はすでに来たという理解です。後にキリスト教はこの二つの異物を無理やり一つにし て、世界を説き伏せた格好になっています。 しかし、これが有効だと思えません。後のキリスト教がとっている〈今〉理解は、 パウロの〈今〉理解に負うものですが、その元は後期ユダヤ教黙示文学的歴史観に 大きく依存するものです。イエス自身はこの黙示文学的世界観・歴史観にとらわれ たユダヤ教に正面からと言わずとも少なくとも斜めから風穴を開けてしまったと思 います。 その点を外さないようしっかりと見ていきたいと思っています。
 11月4日の説教から コヘレトの言葉3章18―22節「すべては塵に返る」 久保田文貞 〈わたしはまた、人の子らについて心に言った、「神は彼らをためして、 彼らに自分たちが獣にすぎないことを悟らせられるのである」と。人の子らに臨むと ころは獣にも臨むからである。すなわち一様に彼らに臨み、これの死ぬように、彼も 死ぬのである。彼らはみな同様の息をもっている。人は獣にまさるところがない。す べてのものは空だからである。みな一つ所に行く。皆ちりから出て、皆ちりに帰る。〉  古いイスラエルの民は人が死ぬと塵に返っていくことを実感していたでしょう。旧 約聖書には塵アーファールという語が頻出します。しかし、幸せな人生を送って神の 祝福のもと塵に返る人と、災厄の日々をすごし悲運のまま塵に返っていく人の塵に返 るではまったく意味が違います。殊に義のために闘い非業の最期を遂げた人が無念に もそのまま塵に返るのでは不条理ではないか、人々のそんな想いに応えるように、神 は塵から人を造られたと同じように、塵に返ったその人を塵の中から引きあげ、よみ がえらせたまうという信仰が芽生えてきたのです。その死が悲劇的であればあるほど、 復活への渇望が大きくなったのです。 イスラエルの場合、前6世紀以来、何度とな く民族全体が外敵によって絶滅の危機に立たされました。政治的メシアが待望され民 全体の栄光の日が歴史の目標になっていったのです。「すべての肉なるものは共に息 絶え、 人はちりに帰る」(ヨブ10:9)からやがて 「地のちりの中に眠っている者 のうち、多くの者は目をさますでしょう」(ダニエル26:19)という期待へと大きく 移っていきました。特に迫害、殉教が激化していくとき、それにめげず信仰を守り抵 抗した人が義人とされ、永遠の命を得るとされ、彼に見習えとなるのは時間の問題で す。 前にも書いた通り、コヘレトはそういう発想を嫌った。世界の終末が来て、最 終的に義人が救われ、悪人が滅ぼされるという図式に反対して、人は「皆ちりから出 て、皆ちりに帰る」と言う。義人も悪人も、その点では差異はない。人間と家畜の間 にも、差異はないと宣言するのです。 コヘレトの思想は、当然キリスト教の前提を 揺さぶります。パウロは、律法を守ることによって義を積むあり方を否定し、信仰に よる義を説くわけですが、いずれにせよ神から最終的な義をいただくかどうかという 点で同じです。コヘレトは、そのような義をめぐる気合の入れ方に異議を申し立てて います。人が動物より優れているかどうかなどと競うことなど「空」ヘベル。「この 地上には空しいことが起こる。善人でありながら悪人の業の報いを受ける者があり、 悪人でありながら善人の業の報いを受ける者がある。これまた空しい」そして彼は 「わたしは快楽をたたえる。太陽の下、人間にとって飲み食いし、楽しむ以上の幸福 はない。それは、太陽の下、神が彼に与える人生の日々の労苦に添えられたものなの だ。」(8:14-15)という。 筆者にはこの言葉が福音書のイエスの言葉「何を食べ ようかと、命のことで思いわずらい、何を着ようかとからだのことで思いわずらうな。 命は食物にまさり、からだは着物にまさっている。からすのことを考えて見よ。まく ことも、刈ることもせず、また、納屋もなく倉もない。それだのに、神は彼らを養っ ていて下さる。あなたがたは鳥よりも、はるかにすぐれているではないか。」とほと んど同じ響きをもっているように見えます。
 10月28日の説教から マルコ福音書10章29-30節「畑を捨てねばならぬこと」    久保田文貞  新約聖書 はどの文書も、その材料になっていた伝承断片も、イエスの死後数十年を経て書きと められたものだが、それらを読むときいつも気になるのは、それらが生前のイエスの 活動と言葉をどのくらい継承しているか、あるいはどのくらいそこから乖離しまたは 裏切っているか、ということです。(もっともこの乖離はイエス死後起こったキリス ト教信仰の所為ばかりにはできない。文章の字面そのものが常にその文を生み出して いる内実をかならず裏切っていることを忘れてはならないだろう。) マルコ10章28 -31節は、17節から始まった物語全体の結論部になっています。第一は17-22節「富 める青年の物語」です。永遠の生命を売るにはどうしたらよいかという男の質問に、 イエスがユダヤ教律法の基本である十戒の後半部と隣人を愛せという根本法規を示す と、男は「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と誇らしげに答えた という。するとイエスが「あなたにかけているものが一つある。行って持っているも のを売り払い、貧しい人々に施しなさい。」という、すると男は悲しみながら立ち去っ たという物語です。 ここにはイエス死後のキリスト教でなければならぬ言葉がほと んどありません。律法を守ってきたと簡単に言えてしまうことの問題を突き出し、そ の徹底を要求するというわけで、むしろユダヤ教のラビが言いそうな言葉です。律法 の完成を強調する点ではマタイに近いですが。。 23-27節は、おそらくイエス語録集 から「金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がまだやさしい。」と いう、ユダヤ教ラビ風のユーモアたっぷりの皮肉、弟子たちがお驚いて「それでは誰 が救われるだろう」と言うと、「人間にできることではないが、神にはできる。神は 何でもできるからだ。」という。多少陳腐なまとめ。 そして三つ目の部分28-31節。 ペテロが自分があの去った男とは違って何もかも捨ててイエスに従ってきたと主張す る。日本人の感覚からするとちょっと厚かましいというか、美しくない感じです。そ うはあらじと、マタイ版の方では、ペテロの主張を肯定的にとらえ、ペテロの権威を イエスの言葉が保証するように挿し込まれています。(マタイ19:28) しかしマル コ版では弟子たちは総じてイエスを誤解する人間の代名詞。ここでもそのままペテロ を称賛しているとは言い難いです。 そして29-30節の強烈な言葉。細かいことだが、 29節と30節の二つの放棄リストは微妙に違います。一つは後者には父がないこと、こ れは新しい家族の父は神以外にはいないという考えなのでしょう。もう一つは「畑」 と「母」とは29節では単数、30節には複数と使い分けられています。これが意味する のは、29節の古い家族から今や30節の新しい家族になって、複数の畑を共同で耕作し、 年老いた女性たちはみんなの母たちだということなのでしょう。だから、これをペテ ロに答えたものとして解すれば、「私のため福音のためにいろいろ捨てた者が、いま や、迫害を受けながらではあるけれども、新しい家族、新しい共同農地、新しいいの ちをもらっているのだよ。ペテロよ、お前だけが全部を捨てたかのように威張るなよ」 ということになりますか。 それにしてもイエスの周りに集まってきた者は、ペテロ のように職業や家族を改めて捨てるかどうか決断するまでもなく、抗いようもなく、 畑を取られ家族バラバラにされ何もかも失ってイエスのところにきた人たちなのです。 「捨てるべき物をいっぱい持っていた青年よ、ペテロよ、君たちは私に従ってくると 言うなら、まず捨てる者など何も残っていなかった人たちにこそまず仕えよ」と言う イエスの声が聞こえてくるような気がしてなりません。
10月21日の説教から コヘレト7章10-14節 「神の業を見よ」   久保田文貞  「10なぜ、往時の日々に起こったことの方   が、これらのことよりも良かったのか、  と言うな。あなたがこのことについ て問  うのは、知恵から(出た)のではないか  らだ。[11-12は本来別の所にあっ たとし  て略される]  13 神の業を見よ。まこ  とに彼が曲げたものを、だれ がまっすぐ  にできようか。14 良き日には、良きも  ののうちにおれ、災いの 日には、(しっか  りと見よ)これに対してはあれをも、神  は造った。人間は 自分の後のことは少し  も見つけられない、ということの故に。」      (勝村弘也訳) 新しい説によるとコヘレトは、黙示 文学批判の書とされます。前2世紀末シリヤのセレウコス朝アンティオコス・エピファ ネス時代(175-164)、版図全体にヘレニズム文化の押しつけがはじまり、ユダヤには 律法の巻物の焼却や神殿の凌辱→ユダヤ人の抵抗→アンティオコスによる弾圧→ゲリ ラ戦が起こりました。ダニエル書に代表される黙示文学は、預言者が恍惚の域で見る 幻想の文学ですが、ユダヤ教迫害への抵抗の文学です。神によって選ばれたイスラエ ルが殲滅されかかって、いよいよ神は人間の歴史の最後の閉めに入る。そこで起こる ことはすべて神が決定したことであって、ユダヤ人であろうと異邦人であろうと、義 人は救われ悪人は審かれる、義人よ、、耐え忍べ、神の義のために命を懸けて戦え、 そうすれば救われるというメッセージを発信したのです。当然修羅場のような現実は いたるところで見られるわけでもないし、四六時中起こるわけでもありません。しか し、宗教的な観念にとってそれがこの世の終わりの象徴のように感じ取ったのでしょ う。昭和の最初の四半世紀、日本に起こった宗教事情に似ています。 コヘレトの文 章の所々に、この観念の熱狂に冷水を浴びせるような内容が現れます。「後に起る事 を知る者はない。どんな事が起るかをだれが彼に告げ得よう。」(8:7口語訳)、8章 14節には、歴史は義人が悪人のように扱われ、悪人が義人のように扱われる、黙示者 が視る事と全く反対の事が目の前で起こる。神の秘密の計画がこれから起こるとは思 えない。「空(ヘベル)である」と。 黙示思想の前提に、善と悪、生命と死、義人 と悪人というように二元論的に分ける見方があります。少し前の前3世紀ユダヤ教知 恵文学のベン・シラはその代表的なものです。例えば「善と悪と相対し、命が死と相 対しているように、罪人は信仰深い人と相対している。いと高き方が作られたすべて のものに目を注げ。一つずつどれもがそれぞれ対になっている。」(33:14以下)  二元論は一般的に対になっている前項の方が優位に立つようになっています。つまり は前項の方が後項の力をそぎ、覆い隠し、抹殺する力の磁場を潜在的に持っているの です。時間軸にそれをあてがえばまさに黙示思想です。 コヘレトも基本的にはベン・ シラの対の思想に近いものを持っています。けれどもコヘレトの中に見られる二元論 では「これに対してはあれも造った」という言葉に見られるように、善と悪、義人と 悪人、男と女の二対はそれぞれそのまま置かれるという感じなのです。「往時の日々 に起こったことの方が、これらのことよりも良かったのか、と言うな。」(7:10)  始まりから終わりにかけて進行する時間の勾配を感じさせないのです。14節を口語訳 で「順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。神は人に将来どういう事があるかを、 知らせないために、彼とこれとを等しく造られたのである。」
10月14日の説教から ロマ書14章1~12節「食べる人・食べない人」 久保田文貞 「信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。何 を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べているのです。」   パウロはまだローマに行っていない段階でこの手紙を書いています。その点、他 の手紙と異なります。そこでは教会の中で何が問題になっているか、例えばコリント 教会の場合のようにパウロは情報を持っていないと思われます。ローマのクリスチャ ンたちに対しても、パウロはいろいろな勧めをしていますが(12-14章)、一般論と しての倫理的な勧めにならざるを得なかったのでしょう。 教会での食事の問題は、 コリント教会への手紙の中で、ひとつの焦点になっていました。そこには二つの問題 がありました。ひとつは主の晩餐と実質の食事の不具合、労働してきた人が教会に行っ てみたらもう食べる物がないという不公平をどうするか(第一コリ11章)、もうひと つは、一度、異教礼拝の偶像に供えられた肉をクリスチャンは食べてよいかどうかと 迷う人がいるかと思うと、他方では律法から自由となったのだからどんな肉でも食べ てよいはずだという原則に走る人、この相反する意見の調停のことです。 第二の問 題の背景には次のようなことがあります。地中海沿岸都市はユダヤ人から見て当然異 教社会です。其々の土地の神々を祀った神殿が大きな町には複数あり、そこではたく さんの動物が贖罪のために捧げられていました。それらの肉が町の食肉業者に卸され 市場で売り出されていたと言われます。ですから教会で食事をするに際して、市場か ら買ってきた肉を食してよいかどうか、問題になったのです。少なくとも、クリスチャ ンはまだユダヤ教の内部にいるという意識を強く持っていたはずです。ユダヤ人が異 教の偶像神に捧げられたもの口にしないのは当然です。 パウロもその一人ですが、 地中海沿岸に広がっていったヘレニズム・キリスト教の間では、原則として異邦人ク リスチャンにユダヤ人のようになることを要求しなかった。だからこそヘレニストの ステパノ(使徒行伝6章)はユダヤ人によってエルサレムで石打刑にされたし、改宗前 のパウロ自身律法主義者としてクリスチャンを迫害していたのでした。 私たちの関 心は、イエスがガリラヤで福音の宣教していたとき、福音書の中にたびたび現れる食 事の場面です。そこでイエスは〈罪びと〉〈取税人〉〈娼婦〉と積極的に食事をして いたことが窺えます。また話を聞きに集まった群衆たちとの印象的な食事もありまし た。それらの食事と、パウロが創設していった教会の集会ごとの食事と、どの程度つ ながっているのだろうかということです。 冒頭に引用したロマ書14章でもうかがえ るとおり、ヘレニズム諸教会で集会での食事が教会活動の重要な要素になっていたと 言ってよいでしょう。その点ではパウロとは特に関係なく、福音書の中に描かれたイ エスとの食事の印象が消し難くヘレニズム教会に流れていたと言ってよいでしょう。 14章1以下のパウロの言葉は、肉を食べてよいかどうかという問題に対して、互いに裁 いてはならないと実にわかりやすく勧めるのですが、イエスの食事の場を流れていた 熱い空気からするとだいぶ後退した感じが否めません。
 10月7日の説教から マタイによる福音書第5章38-42節「生きてるからこそメシも食える」 飯田義也  A(インターネット上の誹謗中傷に備えて匿名 と致します。)さんと一緒にご飯を食べたのはいつだったかなぁと思い出します。彼 女の家の誰かの誕生記念日だということで招待を受け、ご自宅に伺って、楽しく過ご したことを思い出します。 当時、Aさんが高崎高校(群馬県内トップの難関校)に 入学できたというよろこびも重なっておりました。医師の一家ですので、病院を引き 継ぐ子がいてくれればという期待もありました。高崎南教会のメンバーで病院の院長 夫妻であるお父さんとお母さん、兄2人、弟1人の6人家族でした。教会が好きな子 で、弟のBくんとキャンプなど一緒に行きました。その後わたしは高崎を離れてしま いますが、時々情報が入り、兄弟姉妹の中で祥子ちゃんだけが医師になったと伝えら れ、よかったなぁと思っておりました。 ちなみに弟はいま、ロックグループを率い てけっこう人気が出てきています。兄の1人も妹を思ってか、釜が崎で音楽活動をし ています。 教会の礼拝では説教において「神の言葉」が語られます。本気で語って いるのかと問われるところですが、生半可である自分を感じています。 よくよく考 えてみれば私たちは、神の言葉を生き、最後まで神の言葉から離れなかったがゆえに 殺された方への信仰をもっているわけで、追随して本気で神の言葉を生きようとすれ ば、殺されかねませんし、実際、殺されてきた歴史を私たちは知っています。  今日は世界聖餐日、世界中の教会で聖餐式が行われる日です。聖餐には「餐」とい う字が使ってあり「一緒にメシを食う」ということが行われるわけです。聖書にある 最後の晩餐でのことばが制定語となっていることはたいへん象徴的です。明日には殺 されるという危機感の中で、裏切ることがわかっている人も一緒に楽しく食事をした わけです。楽しくというのは、ヨハネの洗足の場面描写から想像したことですが。  Aさんが両親の病院には戻らないと許しを請い、釜が崎の診療所に勤めるようになっ たのは、10以上年前だったかと思います。釜が崎の医療は2分化していて、一つは貧 困ビジネスとしての医療、もう一つはほぼキリスト教にバックボーンをもつ、阻害さ れた人々とともにある医療です。純粋で、ストレートに神の言葉を生きようとした祥 子ちゃんが逆恨みを買い、煙たがられたであろうことは想像に難くありません。いま から約3年前、祥子ちゃんは木津川河口付近で遺体で発見されました。本当に悲しく、 やりきれないことです。神の言葉を彼女に伝えたのはわたしです。自分は生半可に生 きながらえながら、より純粋にことばを受け取って生きた人が殺されたのです。いつ か人々に伝えなければと思いながらもなかなか人に言えませんでした。 今日のテキ ストは「右のほほを打たれたら左のほほを・・」というキリスト教徒でなくとも知っ ているフレーズです。わたし自身実践しているかと自問自答しますが、全然できてい ません。素直に実践して生きた人々のことを思うのみです。  私たちは、それでもAさんが神の平安の元にいることを信じますし、信じることを 許されています。 かたや生きている私たち。キリスト教徒がキリスト教徒であるが ゆえに殺される時代はとうの昔に終わっています。生きている人は、ある意味みな生 半可(失礼!)なのでしょう。生半可な者同士、生きているからこそ一緒にメシも食 えますし、笑いあったり、時にはいがみ合ったりもできるわけで、その一方で今日の メシが一緒の最後かも知れないという可能性をいつも背負っていて、それが主の食事 の原点なのだと思います。  9月30日の説教から 第一コリント3章10-17節「土台を考える」 久保田文貞  「私に与えられた神の恵みによって、私は知恵ある建築家として土 台を据えた。ほかの者がその上に建物を建てる。それぞれがどのように上に建てるか は、自分で気をつけるべきである。すでに置かれている土台以外に誰も土台を据える ことはできない。その土台はイエス・キリストである。」 パウロは約一年半かけて コリントに教会(エクレシア)を作り育てた。彼の伝道の仕方はまずその地のユダヤ 人ディアスポラ(各地の離散者)の集会や、会堂があればその地の会堂の集会に行っ て、十字架につけられたイエスがキリスト=メシアであると説いた。その聴衆は、異 教都市コリントで居留民として滞在しているユダヤ人が安息日に集まって礼拝をして いるところへ行って、(旧約)聖書ギリシャ語訳の朗読の後、パウロが発言を求めて 聖書について解説するという形をとった。その限り、形の上でも、メシアについてさ らにその復活に関しての証言という意味でも、ユダヤ教的な一つの解釈にのっとった 解説であり、立派にユダヤ教内部の事柄であった。しかし、律法からの自由という点 で保守的なユダヤ人とぶつかった。 ディアスポラ・ユダヤ人集会には、それぞれの 地でユダヤ教信仰に関心を持った異邦人(「神を畏れる者たち」)も参加していた。 パウロの主張は、十字架につけられたイエスが「私たちの罪のために」死んで復活し たこと、このキリストを信じる者にはもはやユダヤ人もギリシャ人もなく、神のよっ て義とされる。ギリシャ人=異邦人はユダヤ人になるために割礼を受けたり、ユダヤ 教の律法をユダヤ人のように遵守する必要はないと説いた。 当然だが、それがユダ ヤ教保守派の人々の反感を買うことになった。ちょっと前のフィリピでも、テサロニ ケでも、パウロと同調者はその地のユダヤ人集会から追い出される。もっともパウロ はそれも計算済みだった。追い出されたところで、安息日の翌日、主の(復活の)日 =日曜に新たに集会を立ち上げる。神から召された者たち=エクレシアとして教会を 建てる。もっとも建てると言っても、ほんとうはまだ建物などない。どこかの家を借 りて集会をしたのであろう。ここにユダヤ教の集会から脱皮・自律したキリストの集 会を設立すること、それがキリストという「土台を据える」ということだ。パウロは 自身、コリント教会の土台を据えたものとして自負している。パウロにとって、土台 を据える者とその上に建築する者は、どうしても教会=エクレシアとは別の特別な位 置にいるらしい。(13-15) これに対して、エクレシアとして建てられた側の「あ なた方は神の宮であり、神の霊があなた方の中に住んでいる」(16)と言う。 「神 の宮」は単数である。つまり「あなたがた」が全体として「神の宮」であると言って いる。一人一人の人間が「神の宮」だとパウロは言わない。つまり人間の心が神の宮 で、そこに神の霊が宿るということではないらしい。キリスト教の中には、人の心に 神の霊が宿るという理解の仕方をしている宗派(メノナイト派やアーミッシュ派など) があるが、パウロはそうは考えていない。キリストという土台の上に集められている 者たちが教会として働きをしているとき、それが「神の宮」であり、その中に神の霊 が宿っているということなのだ。  「キリストの土台の上に建てられる」 というこ との意味は何だろう。パウロがそう言うことによって、キリスト以外のなにかが土台 になることを排除しているのだ。だが、この排除の面はふつう見えない。キリストを 土台に据えることが、何かを排除するのではなく、排除されることによって始まるよ うに見えるから。だが、ある時、逆転して露骨に排除しながらキリストの土台が据え られることが起ころう。
10月7日の説教から 「西洋の魔女と助産婦」    加納尚美 1991年のニューヨークの秋、街に「魔女」のグッツや広告が溢れだした。「魔女」 とはグリム童話のヘンゼルとグレーテルや人魚姫にでてくるイメージしかない私に とっては不思議な感じがした。そういえば、その夏、家族でボストン郊外のセイラ ムという町に行った際に魔女美術館があったことを思い出した。そこでは、アメリ カで起きた最後の魔女裁判を蝋人形たちが再現していた。1692年に200名近い村人が 魔女として告発され19名が処刑、1名が拷問中に圧死、5名が獄死したという。その 審理にあたった判事の一人は緋文字を書いたホーソンの先祖にあたるという。その 時は史実の重みを感じるというよりも、観光の目玉の一つにされていた感じがした。 大学院の授業を取り始め、クラスの担当教授の勧めで市内の助産師に活動を参与観 察することになった。クラスメイトから助産師を紹介してもらい、いずれもダウン タウンにある5つ病院に通った。そこでアメリカの助産師は日本に比べて歴史が浅く、 人数も少ないことを知る。ある助産師は、「doctor killed midwife」と言っていた のには驚いた。  そんなある日、ニューヨーク州立大学で、1冊の薄い本を見つけ た。題名は「Witches, Midwives, and Nurses--Complaints and Disorders」(The Feminist Press )であった。現在邦訳バーバラ・エーレンライク、リー・イングリッ シュ著「魔女・産婆・看護婦―女性医療家の歴史 、りぶらりあ選書がある。その本 には、女性たちは生活経験の中で、癒しや助産に関わり、多くの薬草を使い、それ らの一部は近代薬学でも用いられている。ところが医療専門家の出現により、女性 医療家の排除、弾圧が始まり、中には魔女狩りの対象になった者も少なくはない。 17-8世紀には、産婆術までに男性開業医が蚕食し、産婆たち結集するが女たちの信 頼勝ちとれなかったという。今まで考えてもみない視点であり、ジグソーパズルの 失われたピースが嵌め込まれ問題の本質が見えた、感覚を今でも忘れられない。魔 女狩りの歴史を概観する。ある種の人々が超自然的な力を行使でき、善い呪術や悪 い呪術を行う能力をもつ魔女は、古代から様々な地域で信じられてきたが、決して 魔女ということだけで迫害されるということはなかった。ところが、14世紀に新し い魔女大量出現することなる。教会は、1318年、異端審問から魔女狩り(解禁)し たためである。1431年、ジャンヌ・ダルクの異端審問により死刑にされた。15世紀 半ば、新しい魔女の創作と魔女裁判確立された。最後の魔女裁判はヨーロッパ各地 では18世紀終わりまで続いた(森島恒雄:魔女狩り、岩波新書、1970)。アン・ルーエリン・バー ストウは、魔女狩りの新しい歴史(創元社、2001)の中で、公文書研究の知見を分析し、 魔女狩りと現代の女性に対する暴力と差別の問題に関わりについて指摘している。 主要な迫害の時期は、1560-1760であり、その間20万人(80%女性)が告発され10万が 死刑(85%女性)らしい。社会は、過剰人口による土地不足、食物不足、飢餓、失業、 社会不安、犯罪の増加していた。その背景には、アメリカ大陸の植民地からの富の 流入によるインフレーション、貧富の差の増大、乞食、放浪者、家なし、泥棒増加 し、膨大な下層階層が生みだされた。これらの「社会的緊張」の増加への対応策と して魔女告発が利用された。下層で、貧しく、老いた、身寄りのない女性がターゲッ トにされることが多かった。しかし、女性たちは母親から相続した知識や技術のネッ トワークに依拠しながら「力」をもつ。「呪文・水薬を使った病治し、分娩、堕胎、 未来占い、失恋した者に助言を与える、呪い・呪いの除去、隣人間に平和をもたら すこと」を地域で行っていた。それらが聖職者との摩擦、医学の台頭による競合者 として「脅威」になっていった。魔女狩りの記録には、賢女」への男性の恐れが如 実にみてとれる。産婆マーガレット・ラングの生涯産婆として尊敬され、仕事に機 敏で正確であった(スコットランド)が、1967年に魔女として告発され、壮絶な拷問 ののち、絞首の後火刑、処刑の後他の犠牲者から区別された。産婆で敬虔な女性と して尊敬されていただけに、神への冒瀆行為が衝撃的なものだった。こうした処刑 は公開され、男女問わず、女性を最終的に支配するのは男性であることを教える手 段となった。群衆の中に佇む女性たちは、呪術を生業とする者に近づくまい、産婆 の助けが必要でも行くまい、隣人にも口を閉ざしていった。共同体は、競争心や嫉 妬心や不信感に満ち、魔女狩りの起こった地域では、女性たちは生きるか死ぬかの 思いで互いに猜疑心を向け合わざるを得ない。自分自身のことについて遠慮なく語 ることに恐怖を感じ始めた。自己主張をする女たちは告発される恐れを持ち、次第 に受動的で服従的な女性像が作り上げられていく。この16・17世紀は、ヨーロッパは 新大陸で奴隷を投入し現地住民を殺戮し、ヨーロッパ内では女性を魔女として迫害 していった。女自身が真に心開いて主張できるまでには、記録にも残らない多くの 犠牲者の声に耳を傾けなければならい。その声は、欧米の医療制度、教育体制をモ デルとして構築してきた日本の医療の中にもあるに違いない。1985年、ドイツのゲ ルンハウゼン村でかつて魔女を幽閉した塔を観光的な呼び物とすることに女性たち は抗議した。プラカードにはその塔で殺された者たちの名前を張り付けていた。彼 女たちは叫んだ。「私たちは死んだ人々の<名前>を忘れない」と。セイラムでは どうだったのだろう?
 9月16日の説教から ヨブ記9章「義の落し穴」 久保田文貞  友人ビルダトの言葉は、基本的に友人エリファズの考えに同じです。神は 絶対的に正しい、もし人間の間に災厄があるなら、それは人間から出た悪のゆえであ り、責任は人間にある、だから自分の罪を認め神の前に謙遜にあれ、という感じ。ビ ルダトはそれに加えて、たとえヨブに誤りがないとしても「あなたの子たちが彼に罪 を犯したので、彼らをそのとがの手に渡されたのだ。」、つまりヨブは父としての責 任を取らされているのだというわけです(8:4-6)。 この公式的な神義論が簡単に 論破できないのは、彼らが神は絶対的に義しいという点に身を寄せながら語るからで す。世界を知恵をはたらかせて観てみよ、すべては神の叡智に満ち満ちている、それ にくらべて人間はなんと脆弱で誤りだらけか、と少なくとも当時としては反論しにく かったということです。 ビルダトに対するヨブの言葉は、「ほんとうにもう、あな たの言っていることはわかりきったことだ。人が神の前に(新共同訳「よりも」と訳 す)正しい」。神がどれほどの知恵と力を持っていることか、いくらでも並べ立てら れる。としても、人は神に問うことぐらいは許されよう。しかし、神はなにも答えな い。神がヨブ自身のすぐそばを通り過ぎたり、いや自分の真ん中を刺し貫いていくこ とさえあったのかもしれない。けれども、神に問いかけても神はヨブを無視する (11)。もっとも、自分も神に面と向かって反論できまいが。 ヨブのブレ方は、神 が人前に姿を現す一歩手前のことを語っているように見えます。その点で友人エリファ ズの体験と比べると興味深いです。 「わたしに、言葉がひそかに臨んだ、わたしの  耳はそのささやきを聞いた。すなわち人の熟睡 するころ、夜の幻によって思い乱 れている時、 恐れがわたしに臨んだので、おののき、わたし の骨はことごとく震 えた。時に、霊があって、わ たしの顔の前を過ぎたので、わたしの身の毛は よだっ た。そのものは立ちどまったが、わたしは その姿を見わけることができなかった。 一つの かたちが、わたしの目の前にあった。わたしは 静かな声を聞いた、」(4: 12-16)  エリファズは伝統的な神顕現の一パターンを踏襲している、というよりこ れほど見事に霊的体験を観察し記述している例は他にないのではないかと思います。 ヨブ記の著者の文章表現力をほめるべきでしょう。ひょっとすると、著者はエリファ ズの深夜の霊体験に疑いを持っていないのではないか。著者はエリファズのとらえて いる絶対的な神の義しさは神から直に示されたものとして認め、その上でなお人間の 苦悩をどうとらえるかヨブの言葉を通して考えようとしているのでしょう。 神はエ リファズに啓示したような形で、ヨブに答えません。ヨブは「神よ、なぜお答えにな らないのか」としきりに願うというよりは抗議する。そして事実上、ヨブは神に向かっ て大胆な呼びかけをする。神が自分と対等な場に下りて、自分とやりとりできる法廷 に立って自分の義しさを弁論したらどうかと。もっとも、ヨブはわかっている、それ が実現したとしても、神はその法廷をさばく「裁判官の顔を覆われる」。中立である べき裁判官を自分に従わせ、意のままに裁かせてしまう。自分の反論は無視され、罪 ありとされる。そもそも、すでにそうやって自分は一方的に裁かれているのではない か。ヨブとしては証人を立てようにも、防禦の弁論をしようにも、許されないし、聞 かれないのだから。 〈義〉は原告にも被告にも対等な位置にあって中立的に働いて こその義です。それが一方の側に有利になるように定められ、裁判官もその側に立つ。 そういう法廷で裁かれるなんてことが許されるのかという問題です。 こう要約して みると、昨今の日本の裁判所の問題に共通します。国家意思が何よりも優先され、こ とに刑事事件で、裁判所は国家意思の側に立ち、被告は絶対的な権力を握る国家意思 と戦わなければならない。これでは初めから公正で中立的な裁判などできるわけはな いでしょう。なんともやりきれないとヨブに同情します。
9月9日の説教から ヨハネ福音書9章13-34節「神のみわざが彼の上に現れる」  久保田   9章2節、イエスの弟子が師に尋ねます。「この人が生れつき 盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」  この質問には前提がある。 神は絶対に正しいのだから、世界の不幸や、悪を導きい れたのは人間の罪だという素朴な神義論。それは、古代イスラエルの場合、神によっ て選ばれたイスラエルの民が築いた南北の王国が、アッシリア帝国やバビロニア帝国 によって滅ぼされてしまったという事実を前にして、バビロニアに捕虜として移住さ せられた彼らが歴史的な反省・総括をした時に決定的に入り込んできた考え方です。 神は正しかったし永遠に正しい、誤っていたのは我らイスラエル、我らが神の正しさ・ 真実に背いたことによると。その後起こったペルシャ帝国によって解放され、エルサ レム帰還が許されて、神殿再建さえ許された人々が、モーセ5書や預言書(申命記的 歴史書を含む)を編纂し、いわゆるユダヤ教が始まりました。つまり血統イスラエル が義とされるのではない。イスラエルの中の神の義を追い求め、良しとされた者だけ が義とされる。そのような宗教の始まりでした。 イエスの弟子のかの質問もそのユ ダヤ教が敷いたレールの上に載っています。そんな質問をした弟子に限らず、神の義 がまずあって、それを人がどう取り込むか、それによって人間は救われもし、罪に定 められもする、ということが、イエス十字架の死と復活を「わたしたちのため」と信 じて生まれたキリスト教の基本でもありました。特にパウロは、古き掟=律法を守る ことによって義とされるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされること を強調しました。律法のとらえ方がユダヤ教と大きな違いですが、しかし、神に義と される者が救われるという点では同じです。パウロの議論は、人が神から義とされ救 われることに集中します。そのためには、律法を守る行いによるのではなく、キリス トを信じる信仰によると、つまり信仰自体が一種の功績にしてしまう。信仰のない人 間をあらためて罪人として突き落としてしまう。そうやって信じ(き)ることができ ない罪人を不断に再生産し、一方罪の許しを不断に供給する教会を動かしていく、こ れはほとんど物理学が理想とする永久機関のようなものです。 ヨハネ伝のイエスは、 弟子の質問にどう答えるかというと、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯し たからでもない。神の業がこの人に現れるためである」と。目が見えないことが本人 や両親の罪のためだとするなら、ルカ伝風に云えば本人や両親が悔い改めなければな らない、そうやってキリストを信じる道に立ち直らなければならないということにな るでしょう。そしてパウロにもどって、キリストを信じることによって救われる=神 によって義とされると。しかし、ヨハネ伝のイエスは、「神の業が現れるため」とい う。極論すれば、その人の「信じるかどうか」というような主体的な構えなど無視し て、神の業がそこに現れたいと思えば彼の上に現れるということです。 ただし、こ こに「彼の上に」という言葉が省かれずに添えられていることに注意したい。たしか に、神の業は人の主体的な構えによることなく、現れるのだけれども、人間にそっぽ を向いて現れるというのではないのです。あくまで現実にこの世界で生きていく「彼 の上に」なのです。ヨハネ伝の言葉がそれをどのくらい意識して「彼の上に」を書き 添えているかどうか本当のところはわかりませんけど、少なくとも私は、ここを注目 したいと思います。神の業は一人一人の彼・彼女の上に現れると。
 9月2日の説教から コヘレト1章1-13節「終末論の否定形」 久保田文貞 「伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。日の下で人が労するすべ ての労苦は、その身になんの益があるか。」  仏教文化に囲まれている我々には、すとんと落ちる言葉です。しかし、キリスト教 徒として構えて読むと違和感を持たざるをえない言葉です。10節以下に次のような 言葉があります。 「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それは われわれの前にあった世々に、すでにあったものである。前の者のことは覚えられる ことがない、また、きたるべき後の者のことも、後に起る者はこれを覚えることがな い。」 これはどう読んでも、いわゆるキリスト教の教理である天地創造と終末の時 間論から大幅に外れた言葉です。もっとも、コヘレトの言葉は、頭の中で論理を展開 させた文章とはまるで違います。以下。 「風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所 に帰る。川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てき た所にまた帰って行く。」  具体的な身近な事象に言葉を寄せながら、物事の道理を捉えていくのです。これは 「箴言」や「ヨブ記」などと同じく、ヘブル語聖書の中の〈知恵文学〉と分類される 言葉のスタイルです。 これに対して、この世界を時間的、空間的に俯瞰して視る思 考法がヘブル語聖書の中にあります。例えば、創世記の天地創造神話にはじまってノ アの洪水神話で終わる一連の原初物語(創世記1~10章)は、初めに神が世界を創 造し、天使や人間たちの反逆と堕落の姿を見て、義人ノアの家族と動物一つがいずつ を残して洪水を起こし、汚れた世界一掃するものです。ここには神話表現を使ったと はいえ、世界を丸ごと把握する思弁が働いています。 このような思考に走らせたも のは、神に選ばれたはずのイスラエルが没落してしまった歴史の反省だったと理解し ます。遠くバビロニアに幽閉されたイスラエルの宗教指導者たちが世界的な規模で自 分たちの歴史を総括し、神がこの世界に関わる意思・意向をくみ取り、彼ら固有の宗 教=ユダヤ教を作り上げました。その軸になったのが、人として神の義につながりう る律法(トーラー)と神殿です。けれどもそれだけで歴史は乗り越えられなかった。 このユダヤ教のけなげな営みを踏みにじる力が容赦なく襲ってきたからです。人間の 力ではどうしようもないと思いつめたところで夢想されたのが、神の究極の禁じ手と もいうべき、直接介入です。ノアの洪水の後、神自身がそれを禁じ手としたはずのも のです(創9:11)。最終的に神が世界に介入し、義人(ユダヤ人ではない)を救 い、悪人を滅ぼし、世界史を終わらせるという預言の流行(紀元前2世紀以降)でし た。これを黙示文学的終末論と呼んでいます。キリスト教もこの流れと無関係ではあ りません。 コヘレトの言葉は、物の見事にこれと反対の見方をしています。要する に黙示文学的な世界の把握の仕方、義人と罪人を二分し、神の直接介入を求めない終 末論の否定形でものを語るわけです。3章11節以下。  「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思 いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわ めることはできない。わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽 しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。またすべての人が食い飲みし、そのす べての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である。」  
8月26日の説教から マタイ福音書16章1~4節「今日に続く明日」   松浦 和子  開沼博氏(1984生、いわき市)は、3・11以前の社会は、 確実に原発の存在を忘却しきっていた、と言う。然り、私もその一人だ。 1986年チェ ルノブイリで原発事故が起こったことをニュースで知ったときは、恐怖が走った。東 海村の臨界事故のときは、逃げ場がないと震撼とした。何という時代を迎えたことか と、高木仁三郎さんや、広瀬隆さんのはなしを聞きに行った。甘蔗多恵子さんの「ま だまにあうなら」の小冊子は、わたしたちの代弁であった。 が、年月と共に問題は 日常に覆われてしまって、私たちの意識下に沈んでいったのは、浅慮であった。 若 い開沼博氏と、元福島県知事、佐藤栄佐久氏(2009年、知事抹殺の著者)との対談集、 フクシマから考える日本の未来「地方の論理」(青土社)の分析は興味深い。 3・ 11に起きたことは、それ以前から、日本の社会が抱えてきた問題、そのものではなかっ たか。例えば「地方」(裏側)と「中央」(表側)の関係。日本の戦後成長の歪 み、―― いま福島県が置かれている状況は、歴史的に見て非常に根深いものである と。 又、この成長を進めてきたこの国の閉鎖性は、チェルノブイリ以上だと嘆く。  信じられないことだが、議事録がない。重要なことは隠蔽する。国民不在。 その ことに気づいた市民たちは、いま「もうだまされないぞ‼」と町に出て声を上げている。  今や「原発いらない」「原発ゼロ」は民意となった。原子力発電稼働の先には「核 を持ちたい」「憲法も変えたい」思惑も見え見えだ。 核と人間は共存できない。そ してひとたび事故が起きれば、被害は国境を超えるのだ、とこれだけの犠牲をもって 私たちは学習したことを、しっかり腹に据えたい。―― そこから未来を考えていく。  もはや安全神話に操られた昨日のようには生きていくことは出来ない。 ・・・2 9、30日と一泊二日で茨城県の北、鵜の岬に行ってきた。白砂の海辺を歩き、夜は さざ波の音で眠った。朝5時8分、水平線から朝日が昇った。1年前の大荒れは嘘の ように今日の海は穏やか。海原が徐々に染まっていく。 太古の昔からつづいている 地球の営み、今日のはじまり。壮大なドラマ、―― これは未来の子どもたちから借 りているもの。このままで、いやこれ以上壊さないで、汚さないで 返さなくては  ――  浜辺に佇んでひととき、私は詩人となり、祈りの人となった。イエスはおっ しゃっているに違いない。「時のしるしを見分けなさい」と。
 8月19日の説教から 「母体への放射線影響について」 出エジプト記、第1章15-21節 いがらし 忠彦  福島原発の事故は全世界が注視した大災害であった。原子力、放射能の危険性の中 で、ヒトへの重大な脅威のひとつは妊婦や胎児あるいは幼児への影響である。昨年い ち早く米国産科外科学会や放射線物理学会では、妊娠中の被爆に関する緊急レポート がまとめられ論文として、あるいは各ホームページ上に発表された。方法は、最新の データや従来の確実な、かつ長期的観察データを基礎に研究者間の意見をまとめる形 が採用された。妊娠中の被爆による健康被害のリスクの要点は、1)妊娠何週である か?胎児がどの発達段階にいるか?2)実際に被爆した線量はいくらか?3)どの程 度、長期間被爆したか?等に依存するとされる。重大な被害が予想される時期は、 妊 娠8-12週目、胎芽から胎児になる初期の段階が最も危険。被ばく量は50mSv以 上の場合ーやや危険である。200mSv以上では確実に重大な被害がでる。臓器では 中枢神経に影響がでる。ただし多くの場合ー被害は流産という形となる。低線量で被 爆した場合には、ほとんど問題はない。出産できた場合、こどもに遺伝的疾患はほと んど起こらない。要点は以上でした。大規模かつ長期にわたった九州の有機水銀公害 では胎児水俣病が深刻な問題となった。 しかしながら現在のところ福島原発事故で の妊婦への影響はない、正確には「未知の不安に置かれている」と言える。「長期的 にも問題ない」と考える根拠はヒロシマ、ナガサキにて被爆した日本女性*および被 爆二世の膨大かつ長期的データがもとにーー米国の論文の科学的根拠のもとになって いる。日本人は決して忘れてはならないことだと思う。 旧約に伝えられる伝承ーー エジプト王の幼児せん滅の命令の後、母親達は必死にこども達を守った。その後イス ラエルの人々は数十年後、エジプトを出て行った。生命を軽んずる人々や思想とは我々 は共存はできないのだと思う。歪んだ豊かさの夢とは決別すべきことを古い物語は示 唆しているのではないだろうか? そう思います。(*8月強制徴用されて来ていた 韓国人・朝鮮人女性も被爆しました。) 
8月12日「平和を考える礼拝」から 久保田 文貞  12日の礼拝は敗戦の日の前の日曜を 「平和を考える礼拝」として、いつもの説教の部分をフリートークにして行った。お 盆休みにかかって出席者が少なかったのだが、気づいてみると今年は筆者の久保田 (1944年生まれ)が一番年上で、太平洋戦争の時代を直接知る人が一人もいない ということになった。戦争の惨禍を親や年長者から伝え聞いた者たちだけだから、ど うしても話が散漫になる。戦争経験のない第二世代や第三世代が今や世の中の主流に なっている。それでも戦争を知らない者が太平洋戦争を体験するわけにはいかないけ れど、なんとかして自分たちの経験の中に祖父・祖母、父・母、年長者たちの戦争体 験を織り込んでいこうとする心意気はとても大切な気がする。 とにかくこちらは伝 聞の世界、それを想像力を働かせて心の中にしまいこもうと必死だったけど、なにか しっくりこないものを感じた。例えば、私が子供だった頃、何の席だったか酔った叔 父は戦地のことを語りだした。工兵隊の将校だった叔父は南洋で米軍機の攻撃をかい くぐりながら飛行場を作っていく様子を饒舌に語ったかと思うと、ふっと口を閉ざす、 隣の輸送船が魚雷を受けて沈没、海に投げ出されて漂流する仲間を救い上げる話、そ れも話はどこかで切り上げるよりないわけだが、かならず妙な沈黙が座を白けさせる。 子供の時の感覚を今こうして書いているわけだから、これ自体だいぶ怪しいものだけ れども、あの妙な空気だけは忘れない。なにかの機会にその叔父に会うといつもその 時のことを想い出した。 これは年長者に昔の話を聞くとき感じていたある種の共通 の空気かもしれない。私が高校生だった頃、祖母が時々我が家に来た。明治17年生 まれの祖母と話す機会がもてた。せがんで昔の話を聞いた。 その中の一つ、関東大 震災のときのこと、祖父(1878-1956)が田舎町の町会長をしていたという。家に町の 人が来て、「朝鮮人が井戸に毒を投げて回っているから水原さん(祖父の姓)来てく れ」と言ったと。祖父は居合抜きの道場主であったから家には日本刀や槍などたくさ んあった。これは戦後私が祖父母の家に遊びに行った時もなぜかかなりの刀剣、槍の 類があった。後で思うと戦時中に接収されなかったのかと不思議に思うが。とにかく 当時は道場に練習用の刀剣も含めて相当のものがあったという。祖父は刀を腰に差し、 案内人の後を翔けるように出ていったという。祖父の頭髪はずっと江戸時代の剣術士 のような時代錯誤のまげを結っていた。その祖父が出かけて行って何をしたかは祖母 も知らないという。祖母から聞いたのはここまで。 震災のあった9月1日以後の数 日間、流言蜚語が飛び交い「朝鮮人」「中国人」があらぬ嫌疑をかけられ「日本人」 から虐殺されたり家を叩き壊されたりした。祖父の住まっていた高崎のすぐ隣の本庄 町では4日、警察が保護した朝鮮人を群衆が襲い署内で43名が、ほかに町内で40 数名が殺され80余名の朝鮮人(女性や子どもも含む)が虐殺された。高崎では虐殺 の記録は見当たらなかったが、祖父も自警団の責任的な地位にいたにちがいない。 (虐殺のあった各地で主だったものが逮捕され裁判にかけられたが、その裁判の様子 を聞くと反吐が出そうになる。被告も傍聴人も裁判官すらも朝鮮人の被害の状況を時 に笑いながら審理していたという。有罪になった者も後に昭和天皇就任の恩赦を受け る)  年長者の昔の話は、途切れて語れなくなってしまって当然かもしれない。そ れは抹消されていく記憶の海から、ほんの一角の沈みそこなったものを語るにすぎな いから。
 8月5日の説教から ヨブ記8章  第二の友人ビルダドが登場します。 ヨブはすぐ前でかなり突っ込んだ友人に対する非難の言葉を投げかけましたが(6: 14-30)、ビルダドはそれに直接答えていません。耳には入っていなかったようです。 ヨブが最初に自分の生を呪い、神に抗議した言葉に衝撃を受け、そこで頭に血が上っ てしまったように見えます。だからでしょうか、ビルダドの反論は、第一番手の友人 エリファズに輪をかけてカチンカチンの神義論者まるだしのものです。 「神は公義を曲げられるであろうか。全能者は正義を曲げられるであろうか。あなた の子たちが彼に罪を犯したので、彼らをそのとがの手に渡されたのだ。」 (8:3-4)  ビルダドが、神が正しいということを証明するために、描いて見せる被造物のひと つひとつの記述は部分的には詩的で美しいのですが、ギリシャ人のようにそれで論証 するようなものにはなっていません。「神は天地の創造者だ、神は真実だ、真理だ、 正しい。そこに悪があるとすれば愚かな人間の罪のゆえ。悲惨は罪に対する罰にすぎ ない。」と信じる者には、森羅万象の動き、そこにからむ人間の営為の一切が神の真 実の中に読み解かれ、なにもかもが正しい、真実の営みのように見えるというだけの こと。草が生え枯れていく事象もヨブが栄え落ちぶれていく個人史も、ビルダドには すべて神の真実にかなっていて正しい。冷めた目から見れば、「AはAだからAであ る」という同語反復の世界でしかありません。 けれども、この世界に浸りきった人 の目にはそうは見えないようです。〈人はその神の真実の流れに身を任せてこそ、神 はその人を自分のふところに迎えてくださるであろう〉と。 ビルダドの世界は、信仰者が安住するには快適な世界です。自然の災害も、人間の 歴史の不条理も、すべて神の真実の中の出来事であるから、基本的にすべては正しい。 神の真実の風呂敷から飛び出してしまうようなものは何もない、東日本大震災であろ うと、沖縄がさらに米国の戦略の中に組み敷かれようと、シリアで起きている虐殺で あろうと、すべて神はその正義を貫徹していく図のどこかに位置するにすぎない。そ こから根本的に外れるものなどはないのだ・・・というわけです。 露骨にそう言い 切る人は少ないとはいえ、信仰者の多くはこの古典的な神義論を心の隅に抱いている ものです。正直に告白すると自分も心の奥の奥に、揺らぎながらも神に対するそんな 信頼を持っているような気がします。そんな信仰心のゆえに、現実の人間の問題に向 かっていくとき、それが最後の逃げ場として隠し持っているとしたら、ものすごくま ずいと常々思っています。神義論を人間の否定的な現実から逃げるために使うとした らやはり宗教などやめた方がいい、神の正しさに逃げるならそんな信仰心は捨てたほ うがいいとさえ思います。 ビルダドがヨブの叫びにいらだち、正論にこだわるのは、 ヨブの叫びの中に神の正しさを疑う不遜な姿勢を感じ取ったからでしょう。しかし、 ビルダドの叱責にも似た語りは、二人の間にできている裂け目には何の役にも立たな いものです。論争としてもまったく不毛です。
7月29日の説教から ヨハネ福音書5章1-18節「この人と行く」   久保田文貞   奇蹟物語は、それまでの過酷な状況にあった人が、イエス に出会うことによって、そこから抜け出るという人間ドラマです。別の形でイエス出 会い体験をした聴者や読者は、そのドラマを自分のこととして聞き読もうとします。 John5:6「イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを 知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。」 読者は、イエスのまなざしを 無意識に自分に向けられたものとして読む。イエスが病人に「なおりたいか」と語り かけた言葉を自分への言葉として聞きます。小説を読んだり映画を見たりするとき同 じようなことが起こりますが、とりわけ聖書の場合は、自分の問題を聖書にぶつける ようにして読むところがありますから、そこにはまり込みます。 ヨハネの物語は、 奇蹟物語を共観書の奇跡も語りのように短い物語にしておきません。イエスによって 癒された人間の後日談を書きこんでいます。5章10-18節、9章14-38節も参照。どち らも、ユダヤ人がイエスの安息日違反を問題にし、その癒しの無効を主張する。そう するとそれまで病人として隔離された人が怖れることなくユダヤ人に反撃する。直接 そうは書いていませんが、どう見てもそれまで消極的だった病人がユダヤ人を前にし てイエスの癒しの真実をおそれず宣言する、そのような驚くべき変化があったと言わ んばかりです。「わたしはこの人と行く」と宣言をして、新しく踏み出す人間になる。 こういうことは共観福音書の奇跡物語にはほとんど書かれていないことです。 癒さ れた人間がイエスと出会ったことによって、もはや過去の世界にからめ捕られた古い 人間ではない、そこから突き出た新しい人間として歩み始めたという宣言です。 こ のドラマの読者、観客は、ここに至ってもはや単なる第三者の感情移入でなく、イエ スに出会って癒された人と自分を同一視するような感覚に入るわけです。癒された者 がほかの第三者ではなく「あなた自身」だというのです。 ヨハネ福音書はさらに、 神話的な表現を使って、人はそれまで絡め取られていた「闇の世界」・「罪の世界」 から、イエスとの出会いを通して「光の世界」・「命の世界」へと抜け出るたという のです。キリスト教徒にはお馴染みのものであるけれども、実はこれはヨハネにおい て拡張され際立った神学的な人間理解、世界観です。 この人間観の問題は何でしょ うか。キリストを拒否する世界を「闇」「罪」と称し、キリストを信じてはじめて光 といのちに移される。そうやって世界を二元論的に単純化し、そうやって世界を把握 できていると思い込む。皮肉な言い方ですが、〈真理〉を見たと自負する目も決して 万事が見えるようになるわけではない。ヨハネ9:41でイエスはユダヤ人に「今あ なたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある」と言います。け れども、このことはそのままイエスを信じて「見えるようになった」と自負する者に もう一度投げ返されるべき言葉でもあります。見えなかったものが見えるようになる と同時に、これまで見えていたものが見えなくなるというのでは何にもならないでは ないか、もっと言えば、見えなくなったことを認めず全部見えると言い張るとなれば まさに「罪」=虚偽そのものです。 世界を神の相のもとに整然と見ようとする。こ の「見る」ということの経済は、見えてこないものはもはや見る必要がないと無視し て恥じない、これは「見える」と自負する者に必ず付きまとう落し穴です。新しく踏 み出すのは大いに結構だけれども、それで別の世界を歩むわけではない。同じ世界を 見、歩むよりないでしょう。
7月22日の説教から コヘレトの言葉3章1~22 「桜の芽生える時、枯れる時」   関 秀房 「伝道の書(コヘレトの言葉)」は今 の私に心地よい。7月なのになぜ桜の芽生えるときなのか?をまず説明したい。6月8日 庭の桜の枝を切り取った。「桜切るバカ、梅切らぬバカ」は知っているが、マンショ ンの小さな庭に桜の木をもともと植えてはいけなかった。大きくなりすぎて、隣にも 上の階にも迷惑になる。それで長く伸びた枝をはつった。桜の精が怒ったのか、その 日に惠子さんは自転車で左手を骨折。殆どはゴミとして出すも、緑がきれいなので、 枝を小さく切ってジョッキに挿してながめる。桜を切って1ヶ月以上たつが、不思議な ことに、一本の枝に芽が出て新しい葉が出てくる。挿し木・接木があり、不思議と思 うのが間違いかもしれないが、ちょっとびっくり。「はい、これでお終い」もいいが もう少し話す。 基本的には、「伝道の書」の「空の空、空の空、いっさいは空であ る」に異存はない。それでもなお、生活で、本で、ネットなどで出会う人々の中に 「希望」や「感動」を受けることがあり、それも心地よい。本体(木)から切られ、 枯れることが定められた一本の枝に小さなみずみずしい若葉を見つけた感じ。 湯浅 欽史(ヨシチカ)さんは都立大の元教授。気さくで先生カゼなど無縁。月一「綾瀬駅 で死刑について考えて見ませんか」のビラ配りでは、誰よりも多くのビラを配る。姿 勢を低くして、声をかけて、笑みを浮かべてお読みくださいとお願いします。また湯 浅さんは毎週死刑囚と面会。面会時間は20分、そのために4時間はかける。高木仁三郎 の原子力資料室の古くからの会員で福島の事故前から反原発のために動き回り、細い からだで、心臓の手術を受けながらもくもくとやっておられる姿を見ると、本当に立 派。 レシャード・カレッド医師 1950年アフガニスタン・カンダハール生まれ。9人 兄弟の4番目で長男。カブール大学医学部、日本の戦後復興の本に出会い驚き感動し興 味が。69年国費留学で来日。千葉大留学生部で日本語と基礎科目。外国人に部屋を貸 す家など無い為、日本語を学ぶため「下宿先求む」の新聞の小広告。造園業を営む老 夫婦無償で部屋を提供。夫婦は満州からの引揚者。金を受け取ってくれないので3ヶ月 で下宿を出る。3年後、京都大学医学部に編入。そこで教育学部の秀子と出会い反対を 押し切って結婚。漢字文化の日本語の壁あるも、医師国家試験を3度目でパス。一人前 の医師になり母国に帰ろうとしていた79年3月ソ連のアフガン侵攻。「遺書」を書き、 夏と冬の休暇には貯めた金で薬を買い、母国に帰って医療奉仕。82年に島田市民病院、 以後7年。89年JICA(国際協力機構)「イエメン結核対策プロジェクト」チームのリー ダー。家族と赴任。人と制度を同時に作り、馬車馬のような働き、中東での結核治療 成績はトップ。島田市民からの懇願で開業。大手銀行はダメで、信用銀行の融資で93 年開業。2002年12月アフガニスタン・カンダハール郊外NGO「カレーズの会」週刊金曜 日(人権とメディア)、山口正紀氏の安田好弘「死刑弁護人」を紹介するも省略。  頑張っている姿、到底考えられない姿、行動。これらを垣間見たとき、自分の今の 姿を反省させられる。65歳を超えて、これからの歩みを考えたとき、整理しなくては と思う反面、やれるとこまでやってみよう、出来ることを続けようなどと様々な思い がある。頑張って新しい芽を出すもよし、枯れるも良し。
7月15日の説教から 使徒行伝24章10-21節 「合法だという思想」      久保田  使徒行伝21章から28章まで、パウロがエ ルサレムでユダヤ主義者に訴えられて、ローマに捕捉され裁判になるくだりになって います。要約すると、ユダヤ主義者がエルサレムに現れたパウロを捕まえて、彼の宣 教の中にある律法無視を糾弾しようとする。騒動になってエルサレムに駐屯していた ローマ軍が止めに入る。ユダヤ主義者たちの怒りが収まらず、千卒長は鞭打ちにして その場を収めようとすると、パウロが正式な裁判を要求する。こうしてユダヤ側は最 高法院で取り調べ要求したが、そこではパリサイ派とサドカイ派の争いになって取集 がつかなくなった。パウロはユダヤ側の正式の訴追を受けて、自分がローマ市民権を 持っていることを主張し、カイザリヤに駐留している総督フェリクスでの裁判になる。 この裁判でパウロは皇帝に上訴し、ローマに向かい、途中難破をしたりするがローマ に着く。これが大まかな筋の運びです。使徒行伝の著者ルカはこれを95年頃書いてい ます(「聖書歴史年表」)。パウロが実際にこの裁判を受けるのは58-60年ごろです から、ルカはそれから40年後にこれを書いていることになります。ルカは、パウロの エルサレムへの旅などに「わたしたちは」という言い方で書いていることろがありま す。(たとえば21章や27、28章ほか)それはおそらくパウロが随行者のだれかに旅行 日誌を目盛らせていたもの、それをルカが手に入れたと思われます。(もっともこれ には諸説ありますが、すべて真偽は不明)。とにかく、ルカがある資料に基づいて旅 行の様子を書いたのでしょう。 しかしこれに対して裁判の訴状や反論、弁明などの やりとりについて、ほとんどルカの創作でしょう。裁判を傍聴していた者の記述はあ りません。まして裁判記録がとられていたとしても、それを30数年後にルカが手に 入れるとは考えられません。まして千卒長が総督に宛てたローマ内部の書状をルカが 写せたはずがないから。 それにしてもこの7章にわたる最後の裁判の過程について の丁寧な記述にルカが力を込めたことだけは確かです。 その記述に見られる一つの 特徴は、ローマの裁判に対して過剰なまでの信頼です。ことにユダヤ主義者の弁護人 テルティロの切り出し方、「フェリクス閣下、わたしたちが、閣下のお陰でじゅうぶ んに平和を楽しみ、またこの国が、ご配慮によって、あらゆる方面に、またいたると ころで改善されていることは、わたしたちの感謝してやまないところであります。」 裁判を有利にするために裁判官を持ち上げておくのは弁護人の常套とはいえ、この姿 勢はパウロ側にも当然のように貫かれています。裁判権を行使しているローマ権力に 今更抵抗しても始まらないという打算と考えられなくもありませんが、むしろルカの 本音が出ていると言えましょう。 もっともルカがこの段をえがく基本方針は、エペ ソから来た長老たちにこれからどうするか決意を話すところがあります。「ユダヤ人 の陰謀によってわたしの身に及んだ数々の試練の中にあって、主に仕えてきた。…今 や、わたしは御霊に迫られてエルサレムへ行く。あの都で、どんな事がわたしの身に ふりかかって来るか、わたしにはわからない。」 ほんとうはどんなことが起こった のかわかりませんが、少なくともルカは信念を持ってあえて裁判を引き受けつつパウ ロはローマに行ったのだと捉えています。
7月8日の説教から ヨハネ福音書4章43〜54節「出来事の正面図と側面図」 久保田文貞  この奇蹟物語は、Q資料のマタイ8章5以下、ルカ7章1以下の 「百人隊長のしもべの癒し」と同根の奇蹟物語です。ヨハネ伝では「(王の)役人」 の「息子」の癒しとなっていますが、いずれにせよイエスに癒しを依頼した人物は、 非ユダヤ人であることが読み取れるようになっています。Q資料の方で、特にルカで は、百卒長が癒しを依頼する時も知り合いのユダヤ人長老を介したり、マタイではイ エスを自分の屋根の下に迎えられるようなものではないと言い、どちらも異邦人とし てユダヤ人イエスに敬意をもって対していると印象付けています。そして異邦の軍隊 組織の中で命令伝達がそつなく行われているように、イエスにおいても病魔に対して 「出ていけ」と命じればその通り実現されるはずだというようなことを「百卒長」が いう。するとイエスはそこに「信実」「信仰」の在り様が現れていると言って感心す る。その上での奇蹟的な癒しということになっていきます。このようにQ資料の奇蹟 物語では、非ユダヤ人社会の中にこそ神のことばへの信頼が息づいているという逆転 的なモチーフに重点が置かれてい御明日。 これに対してヨハネでは、非ユダヤ人 「役人」自身の言葉は省略され、単に「主よ、子供が死なないうちに、おいでくださ い」とだけ言う。むしろ、「あなた方は、しるしや不思議な業を見なければ、決して 信じない」とほとんど嫌味のようなことを言われるのです。 要するに依頼したのが異 邦人であろうと、癒されるのがその子であろうと、イエスの偉大なる奇蹟行為に照準 が合されることになります。つまり依頼者の依頼の仕方とか、その信仰的な実存に目 が行くとすれば、それは奇蹟物語の中に混じっている夾雑物であるかのように、奇蹟 行為者イエスの力にのみに関心を注ぐべきだと言うのでしょう。 奇蹟物語を理解す るのに、野家恵一の「歴史の正面図と側面図」という見方に触発されて考えてみます。 ここで野家の論をたどることはしません。図法としての正面図も側面図も一つの方向 から光を当ててできる投影図であり、その意味では同質のものです。問題は出来事の 外から光を当ててできる投影法自体が持っている限界です。奇蹟物語に応用していう と、イエスとクライエントとの間に一つの出来事が生じてそれが物語となる。この物 語には何らかの歴史的出来事が核になっている、そう考ようということになる。無理 からぬ発想ですが、そこには物語とは原・出来事に外から光を当ててできた写像だと いう前提があります。近代の広義の歴史主義と言ってよいでしょう。この問題点は簡 単に言えば、観察者が初めから出来事の外に立ってしまうということです。確かに歴 史的出来事は、時間・空間軸に並べて、それらの因果関係の諸仮説、支配被支配の関 係図、消去や省略の力学等々、魅力は多いのでしょうが、先ほどの図法とは別の意味 で、観察者は歴史の側面図しか見ていないということです。歴史軸の外に出ないで出 来事の中に入ってその正面からとらえることはできないか。投影図法の正面図ではな く。そもそも奇蹟物語が最初にこの出来事を正面から体験し目撃し物語り始めた時の ものと、それがやがて教団の教えに則して改変されプロパガンダとして使用された時 のものと、似て非なるものになっていないかと私は思います。 ヨハネ伝に見られる ような、奇蹟行為者としてのイエスこそ偉大なり、神の子なりと賛美する純粋なまな ざしに気圧されそうになりますが、ではと言ってかかる純粋に主観的なまなざしが、 出来事の正面図として残るのかと問われれば、私は違うと答えざるを得ません。  
7月1日の説教から ヨハネ福音書4章5-26節「イエスとサマリヤの女」 久保田文貞  ヨハネ4章と前後の脈絡から言って、ロゴス・イエスこそ活ける水 であるという宣言のようなものが浮かび出てきます。この主題を肉付けるようにして、 いくつかの材料が使われています。 その一つは、「サマリヤ」という地政学的な記 号化された地名です。サマリヤは北王国イスラエルの首都(前876-722)でした。北 王国を滅ぼしたアッシリア帝国は被征服民に対して同化政策をとりました。被征服民 を混血させ、当然その宗教や文化も毀すことになります。そのために北王国の人々は イスラエルとしての血統もその信仰も失ったというようなことが列王記下17章に書 かれています。しかし、これは南王国ユダがバビロニアに滅ぼされ(前587)、ユ ダの「主だった人々」がバビロニアの地に捕囚され、そこで形成された歴史観の産物 (申命記的歴史と言います)です。自分たちは北王国の民のように国は失えども信仰 をも失ってはならぬというわけで、あくまでユダ側の主観的な史観なのです。この史 観がその後のユダヤ教のいろいろな局面の中で何度となく、正統主義を強化するため に使われました。ユダ族のセンターであるエルサレムに従わない人々を「混血の」 「汚れた」脱落した異端の民としてサマリヤ人やイドマヤ人を排除して、ユダ族の純 粋さを担保するための記号として使ったのです。後1世紀後半、キリスト派の人々が ユダヤ教から別れていく過程で、力学的にはキリスト教もサマリヤと同じくユダヤ教 異端の記号として機能させられ、キリスト教徒とサマリヤ教団が親和的になった(こ の傾向は80年代以降のルカ福音書、使徒行伝、そしてヨハネ福音書に現れます。ち なみに50年代に活動したパウロにも、60年代の伝承を集めて編纂された最初ん福 音書マルコには「サマリヤ」という記号はひとつも出て来ないことは注目すべきです。 マタイに一度だけ、ただし10:5で、むしろユダヤ教的な使われ方のみです。) もう 一つは、女性と井戸辺の労働。乾燥帯地域の井戸は日本のような湿潤気候下の井戸で は考えられないような意味があるでしょう。地中海一帯の古代の町や村は基本的に防 衛上小高い丘の上に防護壁で囲われているそうですが、問題は水です。小高い町の中 に水量豊かな井戸は難しい。壁外の低地に良い井戸が位置することになる。また街道 近くの井戸は旅人使用可という公的な意味がどうしても出てくる。創世記の井戸辺の 物語(創24章、29章)に見られるように。しかし、この井戸の水を人間と家畜の飲み 水として利用するために水をくむ労働が欠かせない。それを女性にやらせたという社 会構造が見えてくる。ヨハネ4章の場合、女は5人の夫と離別し、現在は結婚してい ない男と共同していると。このことは彼女がその町で周辺的な存在でしかないことを 示唆している。想像たくましくすれば彼女は、村人から井戸水の汲み上げ労働をしな がら糊口を凌いでいたと。そんな彼女がその村と外部とが接触する場所にいて、イエ スと出会う。そして外部の情報としてのイエスの言葉を村人に語り伝える、そういう 役回りをするのです。しかし、物語の終いに伝えられた村人たちは「わたしたちが信 じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。」と言って、彼女の役回りは終 わったとして事実上無視してしまうように書かれています。どうもヨハネは、マルタ・ マリヤ姉妹の時もそうだが(11章)、行動的な女性を一定程度評価するのですが、 「ハイ、そこまで」と言って、それ以上出てきそうになると頭を叩いて「ひっこめ」 と言っているような印象を受けます。 周辺的な物語の材料を追ってきましたが、私 としてはほんとうはそれらが周辺的ではない、ということが結構大事なことだと思っ ています。
 6月24日の説教から ヨブ記7章「神が離さない」  久保田文貞  ヨブは見舞い(?)にきた3人の友人たちにぶちまけるようにして自分の 生を呪い不条理な苦しみ故に呻吟するのでした(3章)。ヨブに対して友人エリファ ズが言う、「だれが罪のないのに、滅ぼされた者があるか」と。つまりは神の前に正 しい人間などいないというわけです。彼は意気軒昂としてヨブに神の偉大さを説いて いきます(4、5章)。これに対してヨブの言葉、〈全能者の懲らしめだって。なら ば自分に及んでいる災いの根拠を示してほしい。聖なる者の言葉をもって私の誤って いるのは何か直答してほしい。〉(6章) 正論を反復するだけのエリファズへの反 論の空しさを思ってか、ヨブの言葉は直接神に向けられていきます。もちろんそれも 空しい。どんなにヨブが神に真実をぶつけても神は沈黙している。神はエリファズの 説くような神学的正論のかなたにマシマスだけなのか。 矛先を変えてヨブは訴えま す。まず人間の生は、屈強だからというので兵卒として引っ張られいきなり戦闘場面 に立たされ戦うよりない兵士のようなもの、「傭兵」(新共同訳はこう訳す)という 語を多くの訳は「日雇い労働者」の意味にとっています。対句とはいえ全体として喩 の運びは軽いので、兵役の喩を続けるのではなく、日雇い賃労働の喩に飛ぶ方が、素 人ながら私にはすっきりします。とにかく激しい戦闘、労働の後に期待した報酬はな んと「空しさの月日」、くたくたになって休息の場となるべきネグラが不安と焦燥の 「夜」だけ(13、14)。ヨブだけに限らず、これが人間の人生ではないかというので す。(7:1-6) ゼコール、「記憶せよ」と口語訳は訳しましたが新共同訳は「忘 れないでください」。2人称単数の命令形です。全能者への語りかけだと解すべきで しょう。「(大いなる方よ、)思い出してください」(=英remember)自分の命が息 =風(ルーアッハ)であることを。もっとも、息を神によって吹き込まれて人の命が 立ち上がったのですから、忘れられてその息が引き揚げてしまえば途端にいのちの火 は消えてしまうのです。そしてヨブの目は幸い(よきもの)を見られなくなる。いや それ以上に恐ろしいことが起こる。それはヨブを見る者の目がヨブを認めなくなる、 神がヨブの方を見る(つまりどこに目をむければヨブがいるか神は知っているという だ)けれどもそこにヨブがいないということが起こる、そこにいないから見えないと いうならどうということはないけれども、そこにいるのに相手には見えない、見ても らえないということが起こる。他ならぬ死が割り込んでくる。生物学的な死ではなく、 関係の死です。 11節からヨブの言葉は意識的に神に反問していきます。ヨブの苦 悶からの訴えを聞き慰めを与えてくれないなら、ヨブを構ってくれるな、与えてくれ ている息を引き取ってほしいというのです。神が自分との関係を絶たないばかりに、 その根拠も知れず自分はなおも苦しまなければならないのか。四六時中神が自分を見 ている、それが恵みに感じられない。そうなるとかえってそれが苦痛の元、重圧でし かないというわけです。「今や、わたしは横たわって塵に返る。あなたが捜し求めて もわたしはもういないでしょう」とヨブは神に向かって言うのです。ヨブの方から神 を退けようとしているように見えます。しかし、〈神はヨブを離さない〉のです。
6月24日の説教から ヨブ記7章「神が離さない」  久保田文貞  ヨブは見舞い(?)にきた3人の友人たちにぶちまけるようにして自分の 生を呪い不条理な苦しみ故に呻吟するのでした(3章)。ヨブに対して友人エリファ ズが言う、「だれが罪のないのに、滅ぼされた者があるか」と。つまりは神の前に正 しい人間などいないというわけです。彼は意気軒昂としてヨブに神の偉大さを説いて いきます(4、5章)。これに対してヨブの言葉、〈全能者の懲らしめだって。なら ば自分に及んでいる災いの根拠を示してほしい。聖なる者の言葉をもって私の誤って いるのは何か直答してほしい。〉(6章) 正論を反復するだけのエリファズへの反 論の空しさを思ってか、ヨブの言葉は直接神に向けられていきます。もちろんそれも 空しい。どんなにヨブが神に真実をぶつけても神は沈黙している。神はエリファズの 説くような神学的正論のかなたにマシマスだけなのか。 矛先を変えてヨブは訴えま す。まず人間の生は、屈強だからというので兵卒として引っ張られいきなり戦闘場面 に立たされ戦うよりない兵士のようなもの、「傭兵」(新共同訳はこう訳す)という 語を多くの訳は「日雇い労働者」の意味にとっています。対句とはいえ全体として喩 の運びは軽いので、兵役の喩を続けるのではなく、日雇い賃労働の喩に飛ぶ方が、素 人ながら私にはすっきりします。とにかく激しい戦闘、労働の後に期待した報酬はな んと「空しさの月日」、くたくたになって休息の場となるべきネグラが不安と焦燥の 「夜」だけ(13、14)。ヨブだけに限らず、これが人間の人生ではないかというので す。(7:1-6) ゼコール、「記憶せよ」と口語訳は訳しましたが新共同訳は「忘 れないでください」。2人称単数の命令形です。全能者への語りかけだと解すべきで しょう。「(大いなる方よ、)思い出してください」(=英remember)自分の命が息 =風(ルーアッハ)であることを。もっとも、息を神によって吹き込まれて人の命が 立ち上がったのですから、忘れられてその息が引き揚げてしまえば途端にいのちの火 は消えてしまうのです。そしてヨブの目は幸い(よきもの)を見られなくなる。いや それ以上に恐ろしいことが起こる。それはヨブを見る者の目がヨブを認めなくなる、 神がヨブの方を見る(つまりどこに目をむければヨブがいるか神は知っているという だ)けれどもそこにヨブがいないということが起こる、そこにいないから見えないと いうならどうということはないけれども、そこにいるのに相手には見えない、見ても らえないということが起こる。他ならぬ死が割り込んでくる。生物学的な死ではなく、 関係の死です。 11節からヨブの言葉は意識的に神に反問していきます。ヨブの苦 悶からの訴えを聞き慰めを与えてくれないなら、ヨブを構ってくれるな、与えてくれ ている息を引き取ってほしいというのです。神が自分との関係を絶たないばかりに、 その根拠も知れず自分はなおも苦しまなければならないのか。四六時中神が自分を見 ている、それが恵みに感じられない。そうなるとかえってそれが苦痛の元、重圧でし かないというわけです。「今や、わたしは横たわって塵に返る。あなたが捜し求めて もわたしはもういないでしょう」とヨブは神に向かって言うのです。ヨブの方から神 を退けようとしているように見えます。しかし、〈神はヨブを離さない〉のです。
 6月10日の説教から マルコ福音書16章1-8節「マリア・マグダレーナのこと」  久保田  実はここ10数年間に日本基督教団は開いていた扉を閉じ、 時計の針を逆回しするような伝統主義にますますはまり込んでいます。ゆるんだ「教 職」(牧師)の権威を回復させ、外に拡散した「信徒」のエネルギーを教会内部に取 り戻そう…一見すると〈北松戸〉とは正反対の方向のように見えますが、こんな議論 に足を取られてはなりません。彼らのスローガンは「宣教から伝道へ」というのです が、そんな種分けは不毛です。 マグダラのマリア(以下マリアという)は4つの福 音書の中で、ルカ伝8章2節にイエス集団に随行している女性たちの一人として登場 する以外はすべて、イエスの十字架の死と葬り、よみがえりの目撃者として出てくる だけです。 さて第一コリント15章3節以下にパウロが受けた大切な「言い伝え」 が出てきます。そこではイエスが「私たちの罪のために死んだこと」「葬られたこと」 「三日目に死人のうちからよみがえったこと」の3項が出てきます。そしてよみがえっ たイエスがペテロに現れ、12弟子に現れ、500人の弟子たちに現れた。最後にパ ウロにも現れたという書き方になっています。新約聖書の中でも最も古い言い伝えが ここに嵌め込まれています。 マルコ福音書が伝える受難物語の最後の部分は、「死 んだ」「葬られた」「よみがえった」という」この3項にいずれもに、マリヤを名簿 に筆頭にした女性たちが出てくるのです。ルカ福音書の著者は教会の中でも下位に置 かれていた女性の地位を引き揚げようと、女性の絡む物語を重視します。イエスと弟 子集団に女性たちが大いに貢献していたことを忘れてはならないと思っていたでしょ う。8章2節は格好の言い伝えだったと思われます。しかし、こうした物分かりの良 い、女性に配慮したがり屋の男性が女性の自立をほんとうに歓迎するかというと案外 そうではない。御眼鏡にかなった女性と男性との品位ある社会を夢想するばかりだっ たりするのです。 気になるのは、イエスの死と葬りとよみがえりの目撃者として受 難物語で伝えられた女性たちはどこに消えてしまったか。70年頃に成立した福音書 の中にほとんど登場しないということは、イエス死後の40年の間に彼女たちに沈黙 させる力が働いていたとしか思えないのです。別の観点から見れば、そのことはどう して「受難物語」から彼女たちが抹消されなかったかということでもあります。 こ れに対してひとつの光りを与えてくれるのが、近・現代に発見されたグノーシス的な 内容とされ2世紀初頭のものと考えられる「マリア福音書」です。そこに書かれてい る思想は新約後のグノーシス的なものですが、注目すべきは、マリアがイエスよみが えりの知らせをペテロら男の弟子たちに伝えた時の男たちの反応の仕方です。あから さまに、女の語ったことはイエスの語ったことと違った理解だ、とか、イエスが女に そんな奥義を教えるはずがないという場面になっています。〈女〉が宣教するなんて 考えられないという頭の構造です。マリア福音書が2世紀の終わりごろのものとして も、とにかくマリアと男弟子の底流を流れる確執は、福音書時代の教会に流れていた 性差の感覚につながっていると想像します。結局、マリアの宣教活動をイエス死後の キリスト教の主流な流れは、マリアら女たちの宣教を余計なものとして排除していっ たと想像するよりありません。 伝説では、マリアは辺境のガリア、南フランスに流 れて行ってその地で没したやしいのです。たくさんの伝説が残っているそうです。
6月3日の説教から マルコ福音書1章40−45節 「痕跡」        久保田文貞  人の歴史を書いたり語ったりということは、百パーセント記述することはできませ んから、かならず大幅にカットするよりありません。他者と出会って知り合いになる にしても当然限界がありますから、自分の視界に入らなかった人は〈知りませんでし た〉というよりありません。そこでこういうことになります。〈自分は視界に入って いた人を無視しなかっただろうか〉と。しかし見える範囲としての視界自体がほんと うに客観的なものなのか、自分のえり好みの網で狭めたり勝手に広げたりしていない か、どうか。つまり人間の視界自体がすでに主観的なものでしかないのではないかと いう問題があります。 私はそのことを受け入れて考えるよりないと思います。人の 基本的な構えとして、いつも見え出会うことができたはずの他者をカットしてしまう ということです。これを現実として受け止めたとして、では次にどうするか。一つは やむを得ないとしてそのまま無視し続けること、もう一つは自分が無視してしまった、 あるいはしまっている人を一人でも多く見つけてその人と出会いの場を設け、消滅し かかった歴史を取り戻すことのどちらかです。 わたしが福音書のイエスの物語が好 きなのは、イエスが歴史の視界から消えていく人と出会いの場を一つ一つ築き、その 人との歴史を作っていくところです。福音書に出作る奇跡物語のそういうところがい いと思っています。 マルコ1章40以下の物語でそのことを見てみます。ここでイエス に出会った人は、レプラ=病理学的に今のハンセン病とされていますが、この時代は 社会的に忌避され差別された意味の病にかかっていました。この人が自らすすんでイ エスに願い求めました。「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」 しか しここには辛辣な問題提起の意味が込められています。〈人々の評判となっている先 生よ、あなたも私を不浄な者として忌避し差別するのですか、それとも私をここから 救い出す方なのですか。〉 奇跡的な癒しがどのようなものであれ、イエスは彼を視 界の外にして通り過ぎませんでした。彼の問いを正面から受け止め、抹消されかかた 人を起こし、彼との出会いを歴史として記録(憶)したのです。もちろんこれは一般 的な歴史というものを一義にするものではありません。イエスと〈わたし〉の関係の 中に生まれる歴史です。 しかし、それが一般的な歴史と無関係というわけではあり ません。奇跡物語の「終結場面」とされる部分がここでは比較的長いものになってい ます。イエスはレプラが治ったことを祭司に見せて、神殿に奉げ物をして治癒証明を 発行してもらいなさいというようなことを言うのです。つまりイエスと彼の関係だけ の立ち上げだけでなく、社会復帰の手続きを果たしなさいというわけです。 イエスだ けとの関係を主観的に立ち上げればいいというものではない。それを社会的に認知さ せ、一般の歴史の中にあなたの復帰を記載せしめよということになるでしょう。 で は、ヨハネ福音書の奇跡物語(特に9章)のように癒された人がイエスを神の子キリス トとして人々に伝えることを促すものがたりかというと、こちらの奇跡物語はそこに 主題を持っていきません。社会復帰の勧めの前に、こういうセリフがあります。「イ エスは彼をきびしく戒めて(「息巻いて言い含め」大貫訳)、すぐにそこを去らせ」 と。単純に読んで、イエスは福音宣教の一環としての「業」を、人々に言い広めよと この人に言わない、逆にそういう行動に出るなと言っています。この奇跡の業を一般 史に登録する必要ないという意志表示だと思います。 この人が治ってしっかりと社会 復帰するそれですべてよい。この奇跡が変に担がれたりしないように釘を刺したとみ るべきでしょう。
 5月27日の説教から ルカ福音書16章19−31節 「格差の崩壊」 久保田文貞  「物乞いのラザロと金持ち」の話です。この二人を見る限り、二人の間にはものす ごい格差が存在する。一人は大邸宅を構える大金持ち。もう一人ラザロは勝手口で捨 てられた食べ物を漁るような物乞い。やがての二人とも死んで、死後の世界では金持 ちは地獄に、ラザロは天国にいく。金持ちは遥か天上にあのラザロが父祖アブラハム のもとで優雅にすごしているのを見て、アブラハムに自分の親族にこうならないよう に忠告してやりたいと願う。アブラハムは〈そんな必要はない、彼らにはちゃんとモー セの律法がある。それを守るよりない〉と言う。 この物語は、ルカだけに出てくる。 富者と貧者の逆転という点ではイエスの福音に近いのが、富者が生前にモーセの律法 を守らなかったから地獄に落ちるというのはあまりに公式的だ。福音書上はイエスの 言説というより、「パリサイ人」の言説のように見える。 もっとも一世紀後半から 二世紀にかけてのキリスト教の傾向として再び律法主義に舞い戻っていくところ(た とえばクレメンスの手紙など)があり、このも語りが、律法主義化したキリスト教の 作とする仮説が有力だ。 けれども、ユダヤ教の律法イデオロギーが支配する社会の 中で、これを否定していくイエス運動の中からこのような物語が生まれたも考えられ る。 いずれにせよ、ここでは物語の前提となっている貧富の格差が、単に個別なも のではなく社会的なものになっていることを確認しておきたい。前2世紀からキリス ト教が生まれた後1世紀にかけて、世界史的に地中海沿岸地域で広く諸民族にわたり、 それまでの伝統的な家=ギリシャ語のオイコスに代表される小土地農民層が破産し都 市貧民層になっていく、一方でいわば勝ち組となる少数の大土地所有者が現れるとい う社会現象が広がっていた。同様なことはイエスが生きたガリラヤ地方でも起こって いたらしい(シュテーゲマンなど)。 もっとも、ルカ福音書の著者が生きたのはお そらくシリアあたりのヘレニズム文化圏。そこはローマ社会のひずみが現れる地方、 ローマの被支配地、やはり各地の伝統的な共同体が崩れ、格差が現実となっていたは ずだ。 しかし、部分的には崩壊した社会からそれなりに復興が始まり比較的健全な 社会が形成された所もあったろう。ルカ文書の使徒行伝を見るとそこには裕福な官僚 や資産をもった人が多く出てくる。当然その読者からなる教会はけっこう裕福な人々 だと仮定してよいだろう。またルカ福音書は、ほかの福音書に比べて〈富〉の誘惑を より強く問題提起している。裕福に対する警鐘、あるいは自戒の念と言ってよいだろ うか。あるいは、自分たちは格差社会の中で、決して欲望の亡者ではないし、単なる 勝ち組ではない。貧富の格差を埋めるであろう、着実に育ちつつある健全なる中間層 なのだと言いたいのでしょうか。 だが、歴史的にはひとつの大きな社会が毀れ、繕 うべくもない格差社会が生まれて、それが立ち直るために、あとから健全なる中間層 が現れて社会を立て直すなんてことはほとんどありえない。近代のこの2百年の歴史 を見る限り、格差社会そのものを崩壊させ、新しい世を生み出すのは皮肉なことに 〈戦争〉だけだったという暗い記憶しかない。 とにかく私たちの間に徐々に進んで いくこの格差社会を二度と〈戦争〉をもって解消するなんてことのないようにしなけ ればならない。けれども、自分はただ枯渇する中間層を守ればいいなどと言っていら れない。そんな緩やかな想念などすぐにも吹き飛ばされかねないのが現実だから。
 5月13日の説教から ヨブ記6章 「関係のぶれる中で」 久保田文貞  [4,5章の友人エリファズの勧告を要約すれば、神の前に完全に正しい人間はいない ということ、従って人がどんな災禍に遭おうと自分の罪に対する罰としてそれを受け 入れるべきこと、いずれにせよ神の深慮は計り知れないということになるかと思いま す。神学的な装いをもった、健全で常識的な通念です。、もっともこの種の通念はユ ダヤ教やキリスト教に限らずほぼどの社会にも通ずる一つの態度・姿勢です。その深 部に横たわっているのは、共同体からはみ出さない在り方をまず第一にすることであ り、個的な主張や利益を捨てて公的な社会の考え方に従うことであります。 このよ うなエリファズの言葉を、3章と6、7章で(少なくともいまのところ)挟むヨブの 言葉は、危険で常識を超えた体のものです。3章では、自分の生まれを呪い、産んで くれた母に愚痴を言い、その苦痛の意味、意図を明らかにすることなくただ苦痛のど ん底に陥れる者はなにか。それはだれもが想像する通り神に他ならないのですが、ヨ ブはそれを神に面と向かって抗議するでもなく、まして同座する友人たちに直接訴え るでもなく、神からも友人からも視線を外すようにして、まるで空に向かってまくし たてるのです。6章に入って、エリファズの「ご高説」に応えるように語り始めます。 そこで初めて「全盲者」「神」に言及されます。 「全能者の矢が、わたしのうちにあり、わたしの霊はその毒を飲み、神の恐るべき軍 勢が、わたしを襲い攻めている。」「どうか神がわたしの望むものをくださるように。 どうか神がわたしを打ち滅ぼすことをよしとし、み手を伸べてわたしを断たれるよう に。」「わたしにどんな力があって、なお待たねばならないのか。わたしにどんな終 りがあるので、なお耐え忍ばねばならないのか。」  この言葉の流れは、「わたしは聖なる者の言葉を否んだことがない。」と言うもの の、「健全で常識的な神学的通念」しか持ち合わせない者には逆立ちしても通じない でしょう。それはどう言い繕っても、完全なる〈不信〉の言葉です。古くから十字架 上のイエスの思い「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」 (マルコ15:34、√詩編 22:1)にヨブの言葉を重ねることがなされてきたようです が、それを宗教的な経験の中に括らない方がよいと思います。後の解釈がどうあれ、 イエスがそこで浸されていた思ひを「神から捨てられた」という絶望の言葉で表現し た以上のものは他にないと思います。 ヨブのこれらの言葉を読むとき、私にはどう してもヨブが自分の苦難を呪詛したのではなく敬虔のうちに受け止めたなどとは言え ません。少なくともヨブの台詞から感じるのは、ヨブの激しい心の揺れです。ここで は、ヨブは神にま向かうことを避け、当面は通り一遍のことしか語らない友人の常識 的通念、その繰り返し、それで済むと思っている「楽観主義」をなじるのです。 し かし、結局、ヨブが真に向き合うべき方への関係を定められずに揺れている、そうい う印象しかありません。だが、それは当然と言えば当然のことです。私たち人間の言 葉は、そもそもほとんどつねに、真に向き合うべき者との純粋な関係の中で、投げか けあうなんてことはない、たいていは方位を程よくズラして、しかも間接的な材料で、 いかにも直接的な装いをさせて語っておくよりない、そういうところがあります。翻っ て考えるなら、このブレ加減がむしろとても大切なのではないかと・・・。
 5月6日の説教から エレミヤ書2章1〜13節 「民としてのまとまり」 久保田文貞 エレミヤの預言活動の始まりは「ヨシヤ王の第13年」というから前626年のこと です。ヨシヤ王は若くして父王マナセの位を継ぎました。その時代はアッシリア帝国 全盛期で、辺境の小国ユダはアッシリアの威を着て生き延びるよりない時でした。宗 教・文化的に宗主国アッシリアのものを受け入れるよりないし、同じく周辺の属国同 士でも宗教的文化的な壁を高くするわけにはいかない、混じり合うよりないというの が現実でした。ヤハウェ宗教、とりわけその神殿は異教の偶像や習俗にまみれていた のです。ヨシヤ王の時代もその矛盾をひきずっていて、ユダの人々は多分にそのこと に麻痺していたのでしょう。 初期エレミヤの預言は正面からこれに批判を加えます。 彼の預言が原点とするのは、あのエジプトから救出され神の導きのままに荒野を旅し た経験です。荒涼とした砂漠の中、イスラエルは神ヤハウェにしがみつくようにして 過ごした。神と共にイスラエルは新婚の夫婦のように蜜月の時を持ったというわけで す。両者の関係を夫と妻の比喩にこだわり、それを自分自身の結婚生活の中まで引き こんで捉えた預言者は、彼より100年以上前のホセアですが、この比喩をかりてエ レミヤは、二人が出会い結ばれた時、その新婚の時代に集中させます。 けれども、 妻たるイスラエルにとってそこが夫たる神ヤハウェ以外の者に頼ろうにもほかに頼る もののない砂漠だったことは、はたして新婚の純粋な愛を育むのにほんとうに最適の 場所だったかどうか。だが、同じように、畏れながら、夫たる神に対しても言ってお きたいと思います。妻たるイスラエルが夫たる自分(神)しか頼るものがない殺伐な 所で、自分への純粋な愛を確かめようとするのですかと。神よ、妻を荒野に囲って他 のものを見させないというのはあなたの臆病さのゆえと言えないでしょうかと。ほか に邪魔がない所で、いつまでも蜜月を続けるわけにはいかないのです。 そのためな のでしょうか。神はイスラエルを不毛な荒野から豊饒な土地に移り住ませます。イス ラエルはそこを神からの「約束の地」と解しました。当然、実りの多い土地は人々が 集まる所、ほかの神々が身を寄せ合い、物が交換され、異文化が交流しあう所です。 神に純愛とを寄せていたイスラエルにとって、誘惑の多い所、神とイスラエルの関係 をこわしかねない魅力に富んだ所、実際そこに入った妻イスラエルはのめりこむよう に誘惑に負けていったのです。 振り返れば、あの蜜月の床となった荒野はいったい なんだったのか、「穴の多い荒れた地、かわいた濃い暗黒の地、人の通らない、人の 住まない地」でしかなかったと見えてしまう。イスラエルが蜜の流れるような土地に 気を奪われ、そこに華やぐ文化に心を寄せるのは当然ではないか、神ご自身そのこと を最初から知っていたのではないだろうかと、エレミヤに聞いてみたく思います。  とにかく、初期エレミヤ(2〜6章)の預言は、先輩の預言者たちと同じく、イスラ エル・ユダの王国時代に異なる民、異なる文化との交流・影響を、ゆるめることなく 否定します。それらから自身を引き離し、そうやって自身のアイデンティティを引き 寄せ、固めようとするのです。そうやって自分たちをさらに強固な民へと編み上げよ うというのです。 これに対して、「主はどこにおられるか」と尋ねない祭司、神を 理解しない律法教師、神に背き人々を指導する者、異教の神に依拠して預言する者」 たちとは散々な言われ方ですが、他の民、他の文化、他の宗教と折り合いをつけ要領 よくやっていこうという連中ですが、エレミヤはそういう調子の良さ、打算を許さな い、実に付き合いにくい男ということになるでしょう。 でも、人からなんと言われ ようと、街中を荒野を突き進むような顔をして歩み通すというのが、ぶれずにまっす ぐ進む者の姿なのでしょう。
 4月29日の説教から 黙示録3章14−22節 「ほどほどにすることの罪」   久保田文貞 「ヨハネの黙示録」は名前が示す通り、前2世紀ごろから表れるユ ダヤ教黙示文学の枠に入ります。新約書の中では特異な文学形態ですが、翻って考え れば、キリスト教自体がユダヤ教の黙示文学の申し子というべきでしょう。黙示文学 に通底する世界観は、堕落した世界に対して、神が最後の審判を執行する、そのため に神から「人の子」「メシア」等が派遣され、少数の義人を救い、悪人を審判する、 そのようにして悪人が支配する「この世」全体を消滅させ、新しい世界がやってくる というものです。マルコ福音書13章5〜25節も、立派な黙示文学的な言葉にほか なりません。少なくともイエスもまたユダヤ教的な黙示文学の伝統の中に生きていた ことは確かです。イエスの「福音」「神の国」の宣教も、どのような人々を選び実現 していったとふり返ると、それが黙示文学的な世界観のひとつの具体的な展開の形だっ たと了解することができます。彼の死後のキリスト教の理解もその上でのことだった いうことができるでしょう。 ヨハネ黙示録は一世紀末、キリスト教が決定的にユダ ヤ教から離れ独特な展開を見せたとき、ほとんど擬古的に古典的な黙示文学の表現を 使って、やがて到来するであろうキリストの再臨を訴えています。 このような特異 な表現に至った理由として、一時期小アジアで起こったドミティアヌス帝(81−96) 期のキリスト教徒の迫害があげられます。終末論的な黙示文学の動機づけが高まるの は、迫害されている少数集団の内部であろうことは想像つくところですから。著者は、 奇しくも同じように前2世紀、シリアのセレウコス朝によるユダヤ人迫害の中で預言 の言葉として書かれた抵抗文学=ダニエル書から多くのイメージを借りて、ヨハネ黙 示録を書いたことになります。 1章にあるように、著者はエペソ近海のパトモス島 からアシア州の7つの教会当ての手紙を添えた「黙示」を送ったと言います。無責任 な群衆のうわさによって、キリスト教徒をスケープゴートとした迫害事件がおこる。 地方行政官は何の役にも立たない。いやそれどころか中央のローマ自体が皇帝による 恐怖政治で乱れに乱れているのだから。魔手はいつ自分たちの身に及ぶかもしれない とキリスト教徒が恐怖しているはずだ、と著者は島から眺め、自分に下ってくる黙示 =啓示=預言に身を高ぶらせ、表記する、わけです。 でも、その文書を充てられた 7つの教会と黙示録の著者とはかなりの温度差があるのは当然です。ドミティアヌス 時代のアシア州の迫害は実はローマからの指令によるという証拠が一切なく、結局そ の地方の事情で散発的に起こったものだとされています。つまり、島の預言者の耳に 入った迫害物語が、彼の心を大いに掻き立て、大部な黙示が書かれ送信されたという ことでしょう。 7つの手紙の最後がラオディキア宛の手紙ですが、ここに印象的な 言葉があります。「あなたは冷たくもなく、熱くもない」「なまぬるいので、あなた を口から吐き出そう」と。当時、ラオディキアは織物業や目薬生産で有名な町で豊か だったらしい。おそらくこういう町ではスケープゴートは作られない。でも著者のイ メージはアシア州全域で迫害が迫っている、だから「生ぬるい」ままでいることは許 されないと。私から見れば、「なまぬるい」所に生きていられるということはありが たいことでそれ自体は非難すべきことではない。もちろん自分だけ生ぬるい所にいて よしとするなら、それはまずいかもしれない。でも、それはまた別の問題です。やは り、著者とこれを受け取る教会のズレが気になります。
 4月22日の説教から ヨブ記5章  「正論の空虚」    久保田文 貞・前回までの補足…呪いに満ちたヨブの叫びは友人への語りかけと言うより独白め いたものだが、どんな独白も本質的に聞き手を前提にしています。その第一の聞き手 はヨブ自身です。だが、その語りを引き出したのはたとえ届かなかったにしても三人 の友人にちがいありません。 ・エリファズは正論を述べます。「だれが罪のないのに、滅ぼされた者があるか。」 (4:7)「人は神の前に正しくありえようか。人はその造り主の前に清くありえよう か。」(4:17)これにまともに反論すれば、反論した者が傲慢だということにされて しまうでしょう。「苦しみ」や「悩み」に遭っても「わたしであるならば、神に求め、 神に、わたしの事をまかせる。」(5:8)むしろ「神に戒められる人はさいわいだ」 (5:17)と言います。しかも、この正論は自分で練り上げ、理屈をつけたものではな く、ひとり静かな夜、人々が熟睡しているとき神からの啓示があって聞いた言葉だと 言うのです。 正論を語るから、正論として聞けというわけです。君も私もこの正論 の内側にいる、私たちは正論の内側にいるよりない存在なのだ、仲間同士の同語反復、 繰り返し、そして共同性の再確認・・・。 ヨブはこの正論の共同性を踏み外してい る、これが、ぼくから見ればエリファズの直感、でも彼に言わせれば〈神から啓示さ れたことば〉となります。 ・神の思いがまずあって、それが人に啓示され人がその言葉を聞く、そして人はそれ に従って生きる−−という系列、それがエリファズの正論の成り立つ磁場です。その 系列にふさわしからぬ〈苦しみ〉や〈悩み〉があっても、所詮は人間の神に対する反 逆の結果として与えられる罰にすぎない。どんな人間の悪巧みや反抗も、その偉大な る系列に序していることを承認する限り、それに対する罰はその頭の上を超えていく という論理です。 しかし、この神妙で従順な論理にひとつの打算が隠れています。 〈神さまの前で好い子にしていればかならず良いお恵みをもらえる〉という打算です。 だが、よく考えてみれば、これこそサタンが神にあの賭けを促した動機に通じるもの です。 「ヨブが利益もないのに神を敬うでしょうか。」(新共同訳)「ヨブはいた ずらに神を恐れましょうか。」(口語訳)(1:9) 「利益もないのに」「いたずら に」と訳されたド語「ヒンナーム」はたとえば「ただ働き」の〈ただ〉ということ (創世記29:15)、つまり、人が神を畏れるのは、神から相応の恵みをもらうという 等価交換の原理のゆえだという理屈です。サタンはこの人間の下心を見抜いて、お目 出たすぎると見えた神の心をくすぐってみたということになります。こうして見ると、 正論を吐くエリファズと、人の下心を見抜くサタンとは、同じ視覚に立っていると言 わざるをえません。 これに対するヨブの立ち位置は、むしろ「利益もなく」「いた ずらに」「理由もなく」(関根正雄訳)神を畏れるところにあると言えましょう。誤 解をおそれずいえば、神と人の関係は、利益を度外視し、理由を問われても答えられ ないような、いたずらとか、あそびの相をもった関係だということ。 ・カール・バルトが『教会教義学』の最後の「和解論」のその最後の部分で「ヨブ記」 にもとづいて書いてます。もちろんヨブはイエス・キリストではないが、「ひとつの 原型」であると言います。神に対して「いたずらに」「ただで」行われる自由な神奉 仕をする真の人間として、ヨブが「ひとつの原型」をなしていると。なるほどイエス は神の前に打算的な要求をしない、「理由なしに」神の業を受け入れ、自由に神に奉 仕します。たしかにその「理由なし」の構えは最終的にヨブに見られるものです。
 4月15日の説教から ペトロ第一1章3−9節 「見えないが信じる」   久保田文貞  第一ペテロの手紙は、通説では90年代、ペテロの名を借りて書か れたアジア(現在のトルコ東部一帯)の諸教会への回状。『聖書大事典』(教文館) のこの項目は異常に力が入っていて「本書と使徒ペテロとのかかわりを否定すべき積 極的理由はない」と結論付けるのですが、その説明をどう丁寧に読んでも〈本書が使 徒ペテロと直接の関わりがあるとすべき積極的な理由もない〉としか思えません。  96年までは、自分を「主にして神」と言わしめ、専制的な恐怖政治を行ったドミティ アヌス帝の時代、小アジアでクリスチャン迫害が頻発しました。ドミティアヌスがキ リスト教徒迫害の命令を出した形跡はないようですが、あらぬ噂を立てられていたク リスチャンが民衆の不満のスケープゴートにされる事件が頻発したのです。1章6節 「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならない」、3章14節「義のために 苦しみを受ける」などの言葉は、この迫害を前にした言葉として捉えてよいでしょう。  1章は洗礼の時の説教として説明されますが、ここではこの書簡が自分たちが生き ている〈今〉をどうとらえているかと言うことに焦点を合わせてこれを読んでみたい と思います。3節「神は豊かな憐みにより、私たちを新たに生まれさせ、死者の中か らのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え」、やがて来る 「イエス・キリストが現れる時」、「終わりの時に…救いを受ける」、それが〈今し ばらくの間〉の〈今〉です。著者はある意味で正直に、この〈今〉の問題を引き受け て語っています。8節「あなた方は、キリストを見たことがないのに愛し、今見なく ても信じており、言葉では言い尽くせいない素晴らしい喜びに満ち溢れています」と。  裏を返せば、これは復活したキリストが今ここにはいないという認識をあらわにし ている言葉です。 復活したキリストとの出会いについて最も古い確かな伝承はパウ ロの第一コリント15章3節以下の言葉です。そこでは最初にペテロが次に「12人」に さらに500人の弟子たちに現れた(直訳的には「見られた」)と表現されています。お そらくこの伝承は、キリストの十字架の死の出来事の数年後、パウロがダマスコ近傍 で「神が、…御子をわたしに示し」(33年)てから3年後、ケファ(ペテロ)と主の 兄弟ヤコブに会ったと書いている時に受けたと考えます(ガラテヤ1章13節以下)。ち なみに第一コリント書簡をパウロが書いたのはそれから20年後の54年頃ですが。  つまりパウロやペテロの生きていた時代(64年頃まで)は、復活のキリストを〈見た〉 人間が実在する世界だったということです。けれども、少なくともマタイ、ルカが福 音書をマルコにならって書いたときには、もはや復活したキリストが現れた(見られ た)ということはない。ルカの場合は明確に復活者は天に挙げられたと書きます。 (使徒1章6節以下) 復活者を「見なくても信じる」いや「見ないと信じない」と いう問題が起こっているわけです。90年代前半に書かれたヨハネ福音書も「見ない で信じる」をそれなりに主題化させています。(ヨハネ6章29以下、20章24以下、11章 40も) ただしヨハネの場合は「見えなくとも」今ここに復活者はいると信じるとい う仕方で「見えなくとも信じる」のです。 これに対して第一ペテロの方は、「見え なくとも信じる」という「信仰の結果なるたましいの救いを得ている」という仕方で、 「言葉につくせない輝きに満ちた喜びにあふれている」〈今〉を生きるのです。この 〈今〉にとっては「終わりの時」(5節)はいつでもよい、極論すれば特に来なくても よい所まで行っています。
 4月8日の説教から ローマ人への手紙6勝1−11節 「罪に死に、神に生きる」  6章1節で、パウロは「恵みが増すために罪にとどまる」なんてとんで もないと書くわけですが、この心のはたらき方は「精神分析」の方から言うと人間に とって基本的なものということになります。……乳児は誕生とともに急激な変化にさ らされ自分を養ってくれる人——多くの場合母親であるわけだが——、が受け止めい つもそばにいてくれる中で成長する。けれども、やがて母親がそばにいる時間が減っ てくる。母親の不在という問題を抱え込むわけだが、そこで一つはことば、母親と呼 びかけあって学習したママという音声が母親不在の時、発動される。しかしママ、マ マと呼び換えてもすぐママは来ない。ママという言葉が母親不在の穴を埋める働きを している。こうしてそれがただの音声ではなく、ママのイメージであり、ママの代替 物にもなる。そして次に、母親を奪ったものが実はもうひとりトーンの低い声を発し ながら中途半端に出没するパパというやつだということを薄々感じ始める。いつもそ ばにいるべきママをパパが連れて行ってしまう、このステップは父親を憎悪すること でつかむよりない自分。エディプスコンプレックスのはじまりでもある。ここでのもっ とも根源的な三角関係を経て人は自我を形成するよりない。さらにその後、弟や妹が 誕生すれば、いっそう複雑で強烈な三角関係に叩き込まれていく。この原初的な三角 関係の時代に、父親や兄弟に目を奪われている母親の関心を引くために、自我はあえ てトラブルを引き起こす。…… 実に単純な理屈ですが、一応理にかなった態度では あります。「恵みが増すために罪にとどまる」という理屈がこの心理に近いことは誰 もが感じることでしょう。 ヘブライ語聖書では、創造物語のすぐ後にカインとアベ ルの物語が出てきます(創世記4章)。〈楽園を追われた父アダムと母イヴの間にカ インが生まれ、彼は地を耕すものとなった。次に弟アベルが生まれ、彼は羊を飼うも のとなった。二人は初めての産物を神に捧げる。しかし神はアベルの捧げものを喜び、 カインの捧げものを無視した。嫉妬に狂ったカインは弟を野原で殺してしまう〉とい う話です。エディプス・コンプレックスと、嫉妬の力学的な構造は似ていますが、母 のところに神が置かれている点と、いきなり兄弟同士の嫉妬になる点が違います。さ らに言えば、カインとアベルの物語は性的な要素が払拭されていることです。 パウ ロが「恵みが増すために罪にとどまる」なんてとんでもないと、この心理の綾を否定 してしまうのは、嫉妬の始まりに人間の〈性〉を消去したところから始めているカイ ンとアベルの物語に通じるものがあるように思います。そこにはすべてを神の前の人 間の問題から解釈する精神が貫いています。神の前に神の目を汚すような人間関係が 罪であり、神に目を向けてもらおうとするあまり、兄弟に目を奪われ、結局は神の方 を見ていない人間の問題ということにされる。 カール・バルトは『ロマ書』の6章 の件でも、盛んに強調するのは、罪とは、人間が神と人間の境をあいまいにしたり超 えられと思い込む傲慢だということです。確かにパウロはそのような線で人間の罪を 捉えていると解するのが正しいかもしれません。とにかく、パウロは、罪をキリスト が一身に引き受け十字架につけられて死んだこと、そして神がそのキリストを死人の 中からよみがえらせること、このことをバプテスマによってなぞることによって人は 罪の支配から解かれ、新しく生きると言います。 でも、この罪の理解は母と子と父 の間に始まる人間とその自我の問題の次から始めているように思えてなりません。そ うなるのはアダムがイヴを知る前に、誕生と同時に母親に受け止められそこから自我 を得たことを創造物語が触れていないからだと思えてなりません。
 4月1日の説教から  マルコ11章1−11節 「エルサレムに入ること」  当時のユダヤ教の都エルサレムから見れば、イエスが宣教していたガリラヤ は、ローマの封主ヘロデ・アンティパスが治め異教徒が混在する辺境地域と観念され ていました。要するにガリラヤは古代イスラエルの版図には属するがユダヤ地域外で あり、伝統的ユダヤ人の共同体は壊れかかっており、その中で都市部は無産的な「地 の民」l「罪人」、失業者、流れ着いた外国人が身を寄せあうと捉えてよいでしょう。  イエスと弟子集団はその小都市に居を構え、そこで福音の宣教と奉仕活動をしてい ました。しかし、マルコ福音書によれば、ある時期(9、10章)からイエスはガリ ラヤからエルサレムに上り、そこで神殿勢力から迫害を受けなければならないと思い 始めたように描かれます。11章はそのエルサレム入りの場面ですが、エルサレム入 りのなんらかの伝承を受けていると思いますが、マルコは特別な思いを込めてこれを 書いているようです。 ここで注意すべきは、イエス自らロバに乗って入るというパ フォーマンスを演じて見せたこと。背景にゼカリヤのメシヤ預言「見よ。あなたの王 が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、柔和でろばに乗る」 があります。メシヤが軍事的に独立を目指す者であれば、軍馬に乗ってやってくるの がのぞましい。それを「ろばに乗って」ということは軍事的勝利を求めない、平和の メシヤだという〈象徴行為〉だと理解されます。 けれどもこの意図が群衆によって 理解されていたかどうか、はっきり書かれていません。群衆はただローマからユダヤ 独立の指導者メシヤを期待して、民族主義の匂いの紛々とした詩編歌を合唱してイエ ス一行を迎えたというのです。 エルサレムに入ってからのイエスの言動として伝え られているものは、どれもユダヤ教中央支配層とそれに依拠したユダヤ人一般にに友 好的でない、むしろ敵対的です。ついには神殿勢力がイエスを拘束・審問、死罪と結 論し、最終審級としてのローマ総督に移管し十字架刑を求めたことは周知のとおりで す。 注目したいのは、イエスが地方ガリラヤを離れて、自分を迫害すると認知して いた中央エルサレムにどうしてわざわざ乗り込んだのかということです。私にはどう もよくそのイエス自身の動機が見えてこないのです。マルコをはじめ福音書は、おそ らく初代エルサレム教会の「神学」的な反省をこらした見方で、例えば第二イザヤの 〈苦難のしもべ〉のモチーフを使って造形しているので、イエス自身の動機とズレが あるように思えてなりません。 ただ、マルコ福音書はイエスを処刑したエルサレム をほとんど否定しているのは明らかです。マルコ福音書が70年に書かれたという説 によれば、その年はユダヤ戦争が敗北し、目の前でエルサレムが廃墟とされた時です。 もしかしたらそれとダブラせているかもしれません。あるいは田川説のように60年 以前に遡らせ、その上での現実にまだ神殿が存在するエルサレム批判なのかもしれま せん。これによれば、いまだエルサレムにしがみついている教会批判をともなってい るわけですから迫力があります。復活者はエルサレムではなく、ガリラヤで弟子たち に会うというのです。その点で、ルカはこれを削り取り、エルサレムから始めた原始 エルサレム教団を肯定し、そこからさらにパウロを経て、〈ローマに=世界〉にとい う路線を再構築してしまいます。私には、どうみてもエルサレムをどのように否定す るかが問題ですが、とにかくイエスの福音をとらえる時、エルサレム中央志向でなく、 〈ガリラヤに〉という辺境志向の動機を捨ててはならないように思います。
 3月25日の説教から ヨブ記4章 心におおきな傷をかかえてしまうと、いろいろとぎくしゃくした行動が 出てきて、人とうまく関係を持てなくなったりしてくることがあります。なにがつ らいって、本人が一番つらいわけですが、それでも何とか解決しなければならない。 古典的な心理学的な見方ですが、そうなってしまったのは、もとの出来事があまり に衝撃的で受け止め損なってしまったからだと解釈します。  「出来事を受け止める」とは、言葉でもってその出来事を整理し納得する、つまり 出来事を言葉化することです。そうやって出来事を心の奥に畳み込むことができれば もう悪さをしないで、静かに記憶の外に出て、不用なものは忘れられてしまうという わけです。 もちろんその場合でも、「言葉化する」ということは独り言してしまい こむことではありません。「言葉化する」とは、他者に語りかけ、他者が聞きとり、 他者がそれに応える、さらに自分がそれにまた応じるという場に出来事を据えるとい うことです。「言葉化する」と言うことは、「社会化する」ことと似ていますが、何 も社会的に出来事を共有しなければならないということではありません。たった一人 だけでもいい、二人三人でもいい。要は出来事が共有される場が成立すれば、あとは 自ずと道が開かれていくように思います。 それは、言葉化することでわだかまって いたものがすうっと抜けていくと言ってもいいのですが、すぐ次にもっとやっかいな ことが待ち受けています。それは、言葉にしたとたんに、本当のことがすり抜けてし まうという問題です。そもそも言葉というのは、出来事を受け止め損なったというこ との裏側で初めて成立する。言いかえれば、人は真実を受け止め損なった代償として 言葉を手にする。言葉化するとはいかにうまく真実をごまかして宥めるかということ になってしまいます。 とにかく、言葉にしたとたんに本当のことがすり抜けるとい う問題自身が、言葉をもっている人間にしか起こらないということを考えておかなけ ればなりません。 ヨブとエリパズの間で始まった議論の問題のひとつがここにある と思います。ヨブは3人の友人がやってきたからこそ、自分の身に起こっている苦難 の不条理を言葉にします。自分の生まれを呪い、自分の生涯をそのように定めている 者に抗議するのです。やり場のない怒りに満ちた独白のように見えますが、3人の友人 が聞き取っているということに注目したいです。ヨブが意識しているにせよしていな いにせよ、そうやって言葉化したことによって、言葉が行きかう場を作っているので す。 最初にエリパズが「黙っていられない」とヨブの開いた場に加わります。ヨブ が自分の苦難を言葉化したことに応えようというわけです。〈あなたはみんなの鏡の ような人だった。そんなあなたにも自分に気づかない欠点=罪があるのだ、〉「考え てみよ、だれが罪のないのに、滅ぼされた者があるか。」〈それなのにあなたは不遜 にもいのちを与えてくれた創造者に抗議するのはあなたらしくない〉・・・型に嵌め られないようなヨブの苦境を、エリパズは神学(ここでは絶対者なる神を登場させて 決済する(人間の)理念としておいます)の枠組みに入れて解釈し、ヨブをその解釈 の中に置こうとします。『人は神の前に正しくありえようか。人はその造り主の前に 清くありえようか。』(17) エリパズはそれを独り静かな瞑想で捕えたと言います (16)。この瞑想の場がクセモノだと直感するのですが、今は深入りしません。とに かくエリパズがそこで神学的見解をぶちまけてしまえば、ヨブが開いた場はまたたく まにぶちこわしになります。それこそその場をサタンの開いた賭け場=帳場に引き渡 してしまうことではありませんか。 そしてこのエリパズの理解が開陳されたことに よって、ヨブが言葉化して開いた場が、決定的に真実を受け止め損ない、真実をすり 抜ける言葉の場になってしまった、私にはそう見えます。
 3月18日の説教から  ヨハネ福音書12章1−8節 「塗油の陰に潜むこと」  この物語が、マルコ14章3節以下の塗油物語、マタイ22章6節以下、それから ルカ7章36節以下と伝承上、根を一にするのは間違いありません。まず注がれる香 油の位置に注目したいと思います。マルコとマタイでは女は頭に注ぎます。ルカとヨ ハネは足に塗ります。マルコ福音書が一番早く書かれ、マタイとルカが少なくとも 100年以上後でそれを資料として使っていたと言われていますから、足−タイプの方が 新しいと思われますが、ルカ版の伝承がマルコと別ルートのものであった可能性もあ るわけで決定的なことは言えません。ただルカ版の方がもともとの簡素な伝承に文学 的に手が入っている度合いが強い。またヨハネの場合は物語としては簡素であるが、 ラザロの姉妹マルタとマリヤの家に設定され、女もマリヤになっていて、ヨハネ特有 に考え抜かれた神学的ストーリーの中にはめ込まれていて、福音書記者の裁量が強く 働いている印象です。 ルカ以外はどれもイエス自身がこの塗油を葬りの準備と位置 づけ、周りの人物の女に対する叱責をたしなめるという話になっています。けれども 伝承の歴史としては、以前にもお話ししたように聖書学者のフィオレンツァの説に則 していえば、もとの伝承は葬りの準備の塗油ではなく、ナザレのイエスをメシア(王) に就任させる塗油儀礼であって、その女が男たちをしり目に敢行したのだと、それを 受難物語を形作っていったエルサレム教団が後からこれを葬りの準備に解釈しなおし たと言うことかもしれません。このひっくり返し方が面白いと思います。いくらイエ スがエルサレムの現勢力と対決が深まり迫害されることを予感していたとしても、そ の女の特異な行為を葬りの塗油とまで解釈したかどうか疑問です。むしろ祭りを控え たエルサレムを目の前にしたベタニアで、女が機転を利かせてメシア就任式めいたパ フォーマンスをやってのけるという方が説得力があると思います。 イエスの十字架 と死を描き出す受難物語(マルコ14−15章)が塗油の話を葬りの準備としてその初め に置いた意図は明白です。しかしその分かえって作り物くさくなります。それがヨハ ネ福音書はさらに神学的な意図が強くなってきます。共観書の受難物語とちがってヨ ハネのイエスはより強く神学的な反省を経て〈神の子〉キリストとされます。イエス・ キリストは、天地創造の前から神のことば=ロゴス・イエスとして神的な存在である という宣言からヨハネ福音書は始まります。その神の子キリストが今やこの世の勢力 の象徴的な存在になってしまっ〈ユダヤ人〉のイニシャティブにより殺される、とし てもすべては神の救いの計画の想定のもとにあると、捉えます。徹底した神の子・キ リスト論ですが、反面どうしても困難な問題を抱えてしまう。それは、イエスの苦難 や死が、神の救いの計画の想定内の事柄であるとするなら、その苦難や死の意味が薄 れてしまうことになります。 これはイエスに限らず、ある人の苦難や死を物語の中 に取り込んでしまうとき、かならず背負い込んでしまうジレンマのようなものです。  イエスの葬りは後に(ヨハネ19:38以下)議員であったアリマタヤのヨセフやニコ デモなどが協力した丁寧な埋葬が行われたことになっています。絵柄的には十分悲劇 的なのですが、イエスの死と苦難はすでに打ち勝たれたもの、無力なものでしかない という通奏音が初めから鳴り響いていて、不安も絶望も約束された栄光の前に色あせ てしまっているという感じなのです。イエスの裁判を前にした不安と緊張感、イエス を見放してしまった罪責、イエスの死と埋葬を認知しその先が見えなかったところに 襲ってくる絶望、それらが伝わってくるマルコの受難物語の方が心動かされます。
 3月11日の説教から ヨブ記3章 《わたしの生まれた日は消えうせ よ。男の子をみごもったことを告げた夜も。その日は闇となれ。神が上から顧みるこ となく、光もこれを輝かすな。》ヨブは自分の生まれを呪います。それは、人はなに はともあれ神に祝福されてこの世に生まれたのだという人間の大前提を否定するよう な言葉です。 「お母さん、なんで私なんか生んだのよ」子が、思いっきり母親に抵 抗して口にしてしまう言葉です。母親への最低の侮辱になるはずです。でもたいてい はそんな言葉はそう長くはつづくものではありません。そんな子の呪いの言葉をやが て母は哀しみの表を浮かべながらも包み込んでしまうだろうと誰もがうっすらと期待 して終わるからです。ケーテ・コルヴィッツのいくつもの母が子を抱く彫刻や絵が表 現しているものへの期待と言ってもよいです。 これに対して、異様に長く執拗なヨ ブの生まれへの呪いは、いつのまにか折り合いがついてしまうような、そんな母性へ の期待を感じさせず、ひたすらまっすぐに創造者なる神、人間を祝福して存在あらし めた神への抗議をゆるめない。そのヨブに神も意地を張ってだろうか、答えない。互 いの意地がぶつかり合っているように見えます。《なぜ、わたしは母の胎にいるうち に死んでしまわなかったのか。せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。なぜ、 膝があってわたしを抱き、乳房があって乳を飲ませたのか。》 母を飛び越えほとん ど母を無視して、父なる神に心を向けるのです。とにかく心理的に言うなら、善し悪 しは別にして「甘え」という心理構造の対極を走っているのです。《そこでは神に逆 らう者も暴れ回ることをやめ、疲れた者も憩いを得、捕われ人も、共にやすらぎ、追 い使う者の声はもう聞こえない。》 皮肉なのでしょうか。生まれを呪い葬られた者 の世界、母の胎を祝福して外へ出て行くことができない者たちの世界、そこでは意外 にも暴力が無効になり不思議な安らぎがある。支配も被支配もない。小さい人も大き い人も共生し、奴隷も自由人なくなる、というのです。闇と死の世界は濃淡も色彩も ないのっぺりとした灰色の世界だといいたいのでしょうか。それとも、苦しみと心痛 の果て、祝福の外に、被造物の外側に垣間見せた世界に、案外魅力があるかもしれぬ と言っているのでしょうか。《なぜ、労苦する者に光を賜り、悩み嘆く者を生かして おかれるのか。》 3章通じて「光」「闇」「命」が頻出します。これらは神のこと ばによる世界創造論(=ことば)(創世記1章)のタームです。なぜ苦しむ者が祝福 の象徴ともいうべき光にさらされ、なぜ心痛む者になおも命が与えられ頑張れ頑張れ と背中を押されなければならないのか。苦しむ者にはそっと隠してくれる陰こそ臨ま れる。心痛む者には静謐が求められているのであって、命の躍動はかえって辛い。ヨ ブはそう訴えているのでしょう。 「引かれあれ」という神の言葉で創造は始められ ました。最後に人を創造し祝福して創造の業を終えました。第2創造物語(創世記2 章4節以下)を重ねることが許されるなら、人に命=神の息を吹き入れることをもって 創造の業を完成させました。そこでヨブの問題は、そのように光と命を与えられた祝 福された人間がなぜその光を疎ましく思い命から身を引こうとするほどに、かくも苦 しみ、心痛しなくてはならないのかという問いであります。たぶんもうその答えの中 身には関心がない、むしろ彼の問いにあのお方が正面から応えること、それがありさ えすればヨブの訴えはほとんど目的を果たすことになるでしょう。
3月4日の説教から ヨハネ福音書7章53-8章11節 「〈物語〉って結局男のものか」 久保田文貞  この箇所は《》の中に括られています。その理由は、これが長い間どの福音書にも 採用されず単独で伝承されたもので、9世紀ごろになってやっとヨハネ福音書の現在 のことろに収まったということです。つまりはぐれ断片ですが、その魅力的な中身か ら捨て難かったのでしょう。その魅力の元を探ってみたいと思います。  話は、姦通の現行犯で捕えられた女を律法に則して石打の刑にするかどうかを、律 法学者らがイエスを試すために問いかけ、イエスがそれに対して彼らをぎゃふんと言 わせるような答えをし、この女の罪が許されるというものです。  ところで新共同訳の4節は「先生、この女は姦通をしているときにつかまりまし た。」となっていますが、直訳的には「姦通をされた(分詞の受動態です)現行犯 (エパウトフォーローまさに「現行犯」という法言語)で捕まえられた」とされるべ きです。第一義的には女は姦通の被害者です。  律法の基本と考えられていた十戒の第7戒に「姦淫してはならない」(出エジ20: 17)というものですが、申命記(22章20以下)は違反者の石打刑まで規定していま す。だが、ここでいう姦淫の規定は、まず男が同胞の男の妻を犯してはならないとい うのが基本です。そもそも古代ユダヤの法の原則は男だけを法の主体としてみてお り、女は父または夫の所有物とみなされていたのです。ところが先の申命記では姦淫 罪は例外的に〈姦淫された〉女も従犯者として石打刑に定めています。一般には女性 から法的権限を奪っておいてこういうところだけ被害者であるべき女も引き出して裁 くというのはほんとうに胸糞が悪いですよね。  新共同訳に『旧約続編付』というのがあります。「旧約」と「新約」の中間時代の ユダヤ教文書を集めたものですが、その中に『ダニエル書補遺スザンナ』というのが あります。--スザンナは裕福なバビロニアのユダヤ人の妻で、大変美しい人だっ た。その家には庭園があって客人が多かった。同胞の長老でその地の裁判官でもあっ た二人の男がスザンナに惚れ込み、それぞれが手籠め(こういう語は使いたくないけ れどこの場合はまさにそれなので)にしようとして鉢合ってしまう。さぞバツが悪か ろうと二人が恥じて帰ればいいものを、この二人は共謀して姦通しようとする。二人 は抵抗するスザンナに、思いを遂げさせるか、あるいは別の男と姦通していたと彼ら によって告発されるかどちらかを選べと迫られ、スザンナは告発される側を、つまり 二人の長老が偽証する側を選ぶ。スザンナは偽証により有罪となり神に祈る。すると その祈りが聞かれ、預言者ダニエルが二人の長老の偽証の矛盾を暴きスザンナを救い 出す--という話です。(詳しくはお読みください。短い話です)  ヨハネ8章が『ダニエル書補遺スザンナ』から何らかのモチーフを受けていると以 前から指摘されてきましたが、似ているのは男の欲望の被害に遭った女が裁かれる、 または裁かれそうになることだけ。しかし、それ以上に私には、両物語を底の方で支 えているのが、男の意識の妙なネジレにあるように思えてなりません。法的な主体を 独占しておきながら、性においては受動であるべき女から己の主体までもからめ捕ら れてしまう男のコンプレックスの物語なのです。これが誘惑した女がただ悪くて、男 の方が清廉潔白だったというのでは、物語にはならないわけです。姦通罪を犯してし まうか、そうならずに踏みとどまったかどうか、なんてのは男のそのまんまのこと で、何のロマンも感じさせません。あくまで法的に受動的で従犯にされてしまかねな い立場の女こそが姦通劇のヒロインになるはずだと、それはあくまでねじれた男の意 識の誂える物語なのです。かくいう私も男ですが。
2月26日の説教から ヨブ記2章 「神とサタン」 久保田文貞  ウィリアム・ブレイクの挿絵映像を見ながら話しました。  1,2章の物語の登場人物中で、脇役のサタンに注目したいと思います。主役のヨ ブはどんな災難に遭っても揺るがない義人で、自分の財産がすべて失われ、自分の息 子7人娘3人が死んでしまっても「主が与え主が奪う」と賛美し、さらに自分の体の 皮膚ができもので覆われようと神の真実を疑わない忍耐の人、百点満点なのです。こ のような完璧なヨブを引き出していくのはサタンです。サタンは天界と地上を行き来 でき、天界で神のお側に侍っているより地上を巡り歩くのが好きというのです。地上 の人間たちに魅かれ人間を観察し、人間の心を読む。うわべや身分だけで人間を判断 しない。懐疑する。人々からどんなに義人・信心深い人と慕われようと、いやそれだ からこそというべきか、そういう人間の裏の裏まで見、真実の姿を追求せずにはいら れない。人の善意と同時にその裏に刷り込まれている悪意もまたしっかりと見てい く。 このようなサタンを見ると悪魔でも異界の人でもない、むしろ現代人の中で成功した 人に良く見かけるタイプに似ている。気の置けない友人など欲しがらない、友人らし き者はいるし、むしろ冷静な彼を妙に信頼し、難しい決断がいる時にはけっこう人か ら頼られる。彼はちょっと冷たいところがあるが、人をあるいは現実の社会を見抜く 力はすごい。彼は自分の観察し推し量った結論を、必要と思えば慇懃に、正確に提示 できる。むしろ権威に逆らわないが媚びない。「サタンよ、おまえは地上をふらふら 巡り歩いて何を生産するでもなく見歩くそうだが、少しはヨブを見習え。」と権威の 大御所から諭されて、侮辱されたといってカットしたりしない。彼に恭順の意を示し ながらも、自分の観察力によって養ってきた懐疑的な意見を正直に話す。  〈人間はそんなに単純なものではありません。表ではどんなに義人であろうとその 裏には言い知れぬ負い目を持っているものです。ヨブが義人でいられるのは、むしろ その負い目を隠せたればこそです。ヨブを評価するなら、それを隠し通しているとい う点です。でも、そうやって人は無理をしているから、ちょっとでもそれが狂い始め ると急転直下、ハチャメチャになったりするものです。そういう人間の虚々実々が面 白くてたまりません。だから逆もあるわけです。手の付けられないような悪党がい る。そいつの体をかち割ったところでなにも良いものは出てこないだろうとみんなが 思っている、けれどもあるときそんな男が今にも餓死しそうな子になけなしの金を やったりする。確かに奴の内面は真っ黒なのです。そのどこからそんな優しさが出て くるか誰にも読めない。けれども、人間ってやつはそういうことをする。神さま、あ なたは権威の元なる権威の持ち主だ。正義の原因となる正義の元を管理しているとみ なされた方だ。義のすべて見通すことができるとご自分でも自負していらっしゃる。 だが、人間というやつはそんな天界の玉座を占めるあなたをも欺いてしまう。もちろ ん人間にあなた以上の力があるわけではありません。一人一人を取ってみればちゃち な存在です。しかし、なざかあなたの期待を裏切るとてつもない力を持っているので す。試しにあなたがお好きなヨブをとことん叩いてごらんなさい。きっと私の申し上 げていることがわかるはずです〉と。ヨブというよりは、神を揺さぶるサタンに漢詩 を持つ所以です。
 1月22日 礼拝説教から  ヨハネ福音書2章1-11節  「最後のカナの婚礼」 久保田       ヨハネ福音書では、ペテロや「イエスが 愛した弟子」など代表的な弟子がいますが、基本的にはメンバー全員がイエスにつな がっている弟子として位置づけられていることを前回述べました。この福音書を産み 出している教会では、少なくとも理念として後の正統主義教会のような位階制を否定 していたのではないかと思います。しかし、このことは教会の外の世界への関係のと り方を狭くすることになります。イエスを信じない=イエスに結びつけない人間は、 イエスを信じないと言うこと自体が実は審かれたことであり、闇の世界=滅びの世界 にとどまる者たちだと理解してしまう。教会とその外の世界の接触点は、イエスを信 じるかあるいはイエスを信じないかの決断の一点です。どうも、この境界線の上に 〈しるし〉セーメイアというものが置かれているようなのです。  今日の聖書箇所は有名なカナの婚礼の件です。ガリラヤのカナでイエス家族の知人 の婚礼があり、イエスと母マリアが招待された。宴もたけなわになって葡萄酒がなく なった。母が「どうしましょう」とイエスに相談する。イエスの返事は「婦人よ、わ たしとどんなかかわりがあるのです」と素っ気ないのですが、福音書としては「私の 時はまで来ていません」ということらしい。そこで子細は省きますが、イエスは給仕 係に水をくませ、それを上等の葡萄酒にしてしまうという奇蹟をしたというのです。 ヨハネの表現では「栄光を現した」というのですが、これが「最初のしるし」だと書 かれています。4章52に「第二のしるし」と出てきますが、その後もとにかくイエ スは人々が驚くような「しるし」をして見せることになります。そして人々はそれら の「しるし」をみてイエスをかの「預言者」とみるか、ユダヤ救国のメシアとみる か、神からきた者とみるか、いろいろな反応が出てきます。  この世界はイエスが放つ「いるし」に晒されていると言わんばかりです。ヨハネ共 同体の意識は、自分たちこちら側の人間は、外に向かってしるしが演じられている舞 台裏にいるというわけです。  私にはこの教会の外の世界に向き合う位置のとり方がすごく気になります。なるほ ど教会内部のある種の平等・均等さはいいなと思います。けれども、それが外の世界 を意識の上で隔絶、それも共同に隔絶してしまった後のものであるなら、これに乗り たくはありません。  もっとも宗教などというものは、なにほどか個的にであれ、共同にであれ、俗世間 と隔絶するよりないところに位置しているとは思います。けれども、そこで外の世界 に向かって、〈君らには全部は見せられないけど、君らが好きそうなほんのうわべの 「しるし」だけは見せてやろう〉と、こんな出し惜しみをして、その上〈この「しる し」の裏にあるほんとうの意味を君たちは見破ることができるか、そうこれはテスト なのだ〉と、こんな風に「宗教」は世間をコバカにするよりないものでしょうか。と ころで、正解はというと、その裏に意味深ななにかが隠されているとかではなくて、 「イエスを信じる」というだけ、オチにもならないオチみたいな話しです。     とすれば、今日の「第一のしるし」は変種です。この「しるし」は知る人ぞ知る「し るし」であって、弟子たち以外には(弟子も来ていたんですね)ほとんどの列席者が 気付かずに、〈なんで後からいい酒を出すんだ、まあいい、とにかく、もう一度、お 二人の前途にカンパーイ〉とご機嫌な感じで楽しむばかり。つまりはそれは「しる し」になっていないしるしです。この婚礼のかぎりでの「イエスの宗教」(あまり良 い表現とは言えませんが)は世間の婚礼の宴をただ盛り上げること以上に世間に要求 をしない。私は叱られても「先生、こういう「しるし」でいいんじゃないですか」と 言いたいです。   
1月15日 礼拝説教から   ヨハネ福音書1章35-51節 「弟子」    久保田文貞  マルコ、マタイ、ルカの福音書のイエス の弟子採り物語で、弟子たちはイエスの方から呼びかけられ、あたかも一目で師に惚れ込 んだかのように、即座に自分の職業を捨て、師イエスに従っていったものとして描かれて います。この場合、弟子が主体的に決断して従っていくという印象を受けます。そして弟 子たちは、「癒しのわざ」(今風に言えば医療活動)「教え」(講話や生活相談など)か らなるイエスの福音宣教活動を助ける運動員、もっといえば〈活動家〉になっていくわけ です。社会現象的には、イエス弟子集団はボランティア的な奉仕活動集団の性格を色濃く もっています。  これに対して、ヨハネ福音書で描かれている〈弟子〉はこれとは根本的に違っています。 まずヨハネ福音書は、弟子たちの決断にあまり関心をもっていないという描き方なのです。 最初の二人の弟子は洗礼者ヨハネの弟子だったと書かれています。洗礼者ヨハネがイエス に会ったとき「見よ、神の子羊だ」と言ったのを聞いて、イエスのところに行って尋ねま す、「どこに留まっているか」と。この問答は奇異な感じですが、おそらく〈神の子キリ ストがこの地上のどこに留まるだろうか〉という怪しげで「神学的」な意味が込められて いる感じがします。それから二人は「イエスに従った」というのでが、ちょっと先生を変 えた位にしか見えないです。 この二人のうちの一人がペテロの兄弟アンデレということ になっていて、今度はアンデレが兄弟シモンをイエスに紹介をします。イエスは彼をケフ ァ『岩』=ペテロと呼ぶことにすると書いてあって、それでもうペテロはイエスの弟子に なってしまいます。  次にフィリポですが、彼の場合はイエスが「私に従いなさい」と命じる。けれども、こ こでもフィリポの反応について福音書は無視しています。彼はもうそれだけで弟子になっ ています。そしてこのフィリポが次のナタナエルにナザレのイエスが例の預言者だという ようなことを言う。ナタナエルは疑うわけですが、そのナタナエルのことを知らないはず のイエスが、ナタナエルがイエスに会う前に何をしていたか言い当ててしまう。尋常では 考えられない奇蹟的なことをイエスがしたということです。すぐ後のカナの婚礼の物語で は水を葡萄酒に変えた奇蹟物語が出てきて、ヨハネ福音書はこれを「最初のしるし」と言 いますが、ナタナエルの行動を言い当ててしまったこともほとんど「しるし」と言うべき ものです。弟子採り物語はいつのまにか「しるし」物語に吸い寄せられてしまっています。 「しるし」に驚いて従った者も〈弟子〉に数えられていくのですが、「しるし」の本質を 見抜けない者は去っていく、その程度の弟子だったとなります(6:66)。  総じて、主体的に決断してイエスの宣教活動のお手伝いをしにいく弟子の姿はヨハネ福 音書にはありません。ここではイエスの言葉を受け入れ、イエスの招きの輪に留まってい ればすべて弟子とされるのです(8:31)。 弟子はイエスに付き従う衆に対するリーダー でもエリートでもない。イエスを信じる者すべて、イエスに「つながっている」(この 「…につながる」は15章4以下では「…に留まる」と訳が違うだけで同語です。弟子とは、 イエスの中に留まっている、イエスにつながっているものすべてのことです。そのかぎり、 ペテロも「イエスが愛した弟子」もイエスを信じるすべての者たち=弟子たちの代表的な 人ぐらいの意味しか持ち得ないのです。  さてこの福音書の〈弟子〉観の問題は何か、ひとつはイエスに従うものすべてを均質な 弟子として差をつけないわけですから、その弟子共同体の組織的な位階制を保証するもの がない、よく言えば平等な共同体ということになりますが、逆から言えば共同体としての 組織力は落ちるでしょう。もうひとつは、この共同体は、イエスを信じるか信じないかで 内と外を二分化しています。単刀直入に言ってイエスを信じない外の世界は〈闇〉として 捨てられた世界になってしまいます。これを共観書のイエス集団のガリラヤの民衆たちに 向き合う位置と比べれば、その問題性がよくわかると思います。
 1月8日 礼拝説教から    洗礼者ヨハネ (ヨハネによる福音書の著者とは全くの別人)はイエスに先んじて〈神の 支配=神の国〉が直にこの地上に及ぶという危機を感じとって、人々にそのことを訴えて 活動した人です。マルコ伝など共観福音書では、浸礼者ヨハネは「罪の赦しを得させるた めの悔い改めの(一回的な)バプテスマ(浸礼)」を人々に勧めたと言います。われわれ 現代人から見ると、危機に対するこういう了解の仕方はもはや成立しないだろうと思いま すが、では、そんな宗教的な表象などまったく意味がないかと言えばそうでもないと思い ます。  ヨハネ伝に付き合って考えてみます。実はヨハネ伝では、前述の「罪の赦しを得させる ための悔い改めのバプテスマ」という言葉を出していません。意図的に封じたと言ってよ いと思います。ヨハネ伝は、洗礼者ヨハネの口をして「水で洗礼を授けるためにわたしを お遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖 霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。」と言わしめ、このようにして ヨハネ伝はイエスを、単に「神の御旨を行う人」としての「神の子」から、伝統的なユダ ヤ教では考えられない神と同格である「神の子」に引き上げているのです。  バプテスマ論議だけで言うなら、神の国到来の危機の前に、洗礼者ヨハネは己の罪を告 白懺悔し「悔い改め」その決断のしるしとしての〈水によるバプテスマ〉を受けよと奨励 したわけであるけれども、自分の後に来る方(ナザレのイエス、神の子キリスト)は、聖 霊によって洗礼を授けるという言い方をします。ここでは、水による洗礼と聖霊による洗 礼の格が違うのだということでしょうが、そこには別の響きがあります。  〈水による洗礼〉を受けるとは、受ける者が告白し悔い改めようとする主体的な意志が 立ち上がっています。前に立ちはだかる危機に、人間の主体的なものが対抗しなければな らない、あるいは対抗できるはずだという強い倫理的な意志が要請されていることになり ます。ここでは、法的な表現を使えば、双務的な有償契約によるある種の交換になってい るのです。危機からの救い・解放と主体的・倫理的な決断とが、洗礼者ヨハネの共観書に 短く伝えられていうる説教にはそういう響きがなっていると言えましょう。  これに対して、〈聖霊による洗礼は、聖霊が人間の主体的な決断を条件とせず、聖霊自 らの主体的な行為として人に洗礼を授けてしまうという構図を取っているのです。やがて やってくる危機とは人間の想定をはるかに超えたものであって、その危機の前に人はただ 一方的なあちらからの救いに帰すよりないと。あえて法的な表現を使えば、片務的・一方 的な無償の贈与ということになるでしょうか。もっとも法の世界は、一方的な贈与といえ どもあくまでそれは片務的・無償ではあるけれども一つの諾成契約として客観的な交換の 事実をもたらす。第三者にそのような贈与があったことを明示すべきだという前提があり ます。贈与がなにか人には見えない主観的な部分で成立してしまうのではなく、客観的な 事実として社会的なものであるというのは示唆的です。そして一つの贈与には、それに応 えるようにしてもう一つ別の新しい贈与がつながり、またそれに別の新しい贈与がつなが るという想定を超えた事実の連鎖が起こるだろうと思うのです。
 1月1日 礼拝説教から    詩篇103篇6-13  この詩篇も所詮はウタの歌詞である。「歌は世に連れ世は歌に連れ」という法則がここ でも成り立つだろうか。歌は世と共に、世は歌と共に、その微妙な綾や陰影をもっていっ しょにどこへ行くともしれず流れていく、詩篇もそんな歌なのだろうか。  「わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって、聖なる御名をたた えよ。わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。」  この歌を歌う者に呼びかける。おまえの魂をすべて掻き集めてこの歌を歌え、おまえの 持てるものすべて動員して主を賛美せよと。つまりはそのようにしてイスラエル共同体、 信仰共同体の歌の輪に入れと。とすれば、「歌は世に連れ」のようなどこにでも転がり込 むような無責任な〈魂〉へ呼びかけるというのではなく、この歌を歌うには、おまえの主 体をかけるような凛とした信仰の姿勢が要請されているということだろうか。  国家のために国民を動員しようとしたり、信徒にすべてを差し出させようとして、共同 で歌わせようと仕組まれた歌には、みな同じ臭いがするからいやだという人がいる。「君 が代」や「軍歌」と、「讃美歌」と同じではないか、それならばいっそう、「歌は世に連 れ」風に肩をいからせることもない演歌やポップスの方がましだというわけである。けっ こう説得力のある思いである。  けれども、私には賛歌がすべて「君が代」的な天皇賛歌、国家発揚の賛歌に等しいとは 思えない。この詩篇でいえば、おまえの魂をすべて国家に差し出せ、信仰共同体に同化せ よということではない。  むしろ私には「おまえの美しい魂だけでなく拭いきれぬ悪意も、おまえの長所だけでな く欠点も、おまえのだれにも了解可能な筋の通った意識だけでなく、不可解で倒錯したい びつな精神も、そのすべてをもって主を讃えよ」と聞こえる。つまり、おまえの魂はたと え主に賛美しようと集まって来ていようとも、おまえの魂はそれでもって純粋な魂なので はなく、夾雑物の混じった、依然としていびつで醜い魂であって、罪の赦し、病の癒し、 墓から贖いだし、慈しみと憐れみをいただかずして立つことができないような存在なのだ と言っているのではないか。  この歌を歌う群れは、義を装うことなく、問題に満ちた者の群れであることを表白し、 この世界を漂う、やはり「歌は世に追レ、世は歌に連れ」ということを共有する群れであ るということができる。  6,7節の「主はすべて虐げられている人のために、恵みの御業と裁きを行われる。主 は御自分の道をモーセに、御業をイスラエルの子らに示された」ということばも、そのよ うな脈絡の中で受け取りたい。後々までイスラエルの信仰は、モーセを通して示された荒 野の道ゆきを理想化するが、それは決して純真な信仰の旅ではなく、問題を抱えたままの いびつな魂の道ゆきへの〈恵みと御業〉だったと読み解きたい。 「人の生涯は草のよう。野の花のように咲く。風がその上に吹けば、消えうせ、生えてい た所を知る者もなくなる。」このような言葉を聞くとまた「歌は世に連れ」という私たち のことわざとダブってくる。17節「主の慈しみは世々とこしえに主を畏れる人の上にあ り、恵みの御業は子らの子らに」 ここで終わらせるべきだ。