説教ノート 2011年1月から12月分まで
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12月25日礼拝説教から ルカ福音書2章8-17節 「平和という語の問題」 久保田 文貞 ルカ伝のクリスマス物語の終わりに、 天の軍勢が現れて、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人に あれ。」という賛歌を歌ったということになっている。つまり神の子の誕生とともに、地 上に平和が実現するというメッセージがこめられているのだろう。ここで平和と訳されて いる語は、主としてヘブル語聖書のシャーローム、それをギリシャ語に翻訳した時のエイ レーネーである。そこに込められた平和の語義は広い。近代語の平和だけでなく、健康、 無事、平安、救い、順調。例えば戦況の順調さのことをシャーロームで表したりする。 (サムエル下11:7リシュローム・ハッミルヒャーマー) 古代イスラエルの人々は、この世界で実現するシャーロームを神がもたらしてくれたも のとして受け取ろうとする。身近な家族の健康、幸福、それは隣人との平安、秩序なしに ありえない、さらに民の平和があってこそであるが、そのどれも神ヤハウェの贈りものと して受けとめる。けれども、そのシャーロームも、一部の人間たちの権益を守るための秩 序維持になってしまえば、いくら神殿祭司やお抱え預言者がシャーロームを繰りかえし呼 号しても空しい。むしろそれは神のシャーロームをねじ曲げ、否定するものとして告発さ れる。例えばエレミヤ28:15、同6:13,14。平和でないのに、平和だ平和だと 言いふらすことは、実質の伴わない美辞麗句を並べて人心を惑わすだけのことではない、 油断させて滅亡へと至らせる悪意だというわけである。 こうして聖書を読んでいる頭で、そのまま現代にワープしてみようと思う。 原発事故について。原子力は核分裂の連鎖反応によって起こるエネルギーであると教え られた。元になっている理論は、地球上の自然の物理的な事実を理論化したものではない。 あくまで物理理論にもとづいて産み出されたもの。無理矢理〈核分裂〉の連鎖反応を起こ して実現させるエネルギーは、人類が安全にコントロールする能力をはるかに超えたもの だ。ただ人間はこの危険なエネルギーを戦争という破壊のために、実現させてしまった。 さらにまずは効率性のよいエネルギーを原潜、原子力空母の推進力に使った。管理しきれ ない原子炉を自らの危険も顧みず戦略的・軍事的に利用した。そのための米国など保有国 の財政負担は厖大なものになった。それを回収するためにやむを得ず、核エネルギーを平 和利用と称して原発セールスをやった。1960年代後半からのことである。ちなみに65年東 海村原発で日本初の原子炉稼働、70年敦賀1号商業用原発稼働、71年東電の福島1号機稼働。 60年代後半から70年代にかけて、私事であるが、学生(運動)時代、全国学園紛争の時 代であり、全共闘運動の時代である。反万博、ベトナム反戦、原子力空母寄港阻止、反安 保、沖縄返還あるいは独立、反公害そして原水爆禁止運動の時代。けれども、それらの運 動の中で「核の平和利用」の問題を見過ごしていた。万博に送られてきた電源が敦賀原発 から送電されていることを知らなかったし、それがどんな意味を持つのか、しろうはずも なかった。それにしてもまんまと騙されていた。平和利用を信じているわけではなかった が、だからといってそれを本気で問題化させてこなかった。 結局、戦略的核エネルギーを管理しきれないまま手にした連中は、「平和」という甘美 な語をそれにまぶして、超危険物のまま商品化し軍事費捻出に当てたということだ。福島 原発の事故とはそういう性格のものだった。〈平和〉という語に酔ってはなるまい。
12月18日 礼拝説教から 第一コリント4章1-5節 「裁くのは主」 久保田文貞 パウロのこの言葉が、クリスマス前週の礼拝のテキストに選ばれているのは、おそらく このパウロの言葉には、神の審判に先立ってフライイングをしてしまうことのないように しようという響きがあるからだろう。パウロは、やがて主が〈再臨〉し神の究極的な世界 への審判=〈終末〉の最終段階が始まろうとしている矢先に、他者を審いたりすることが ないようにしようと自らも自戒しているわけである。 クリスマスがキリストの〈再臨〉と重ね合わされたのは、キリストが神の子としてこの 世に生まれたのを第一の〈来臨〉(パルーシア)とし、やがて〈終末〉の時に「人の子が 雲に乗って現れる」(マタイ24:30、マルコ13:26、参照Ⅰテサロニケ4:17、黙示録 1:7等)のを第二の〈来臨〉deutera parousiaとして整理されて教理化していったが、 考えればすぐわかる通り、実際の顛末は逆であって、まず最初に前2世紀辺りからのいわ ゆる「黙示文学思想」の流行の中で終末時に「人の子(ある一人の人ぐらいの意味)が雲 に乗って現れる」という表象がユダヤ教徒の間にむしろ通俗的に広まり、次にイエスもそ の世界観の中を生きていたということである。しかし、イエスが自分をその雲に乗ってや ってきた「人の子」だという自意識は持っていなかった。そう見えるのはあくまで次の段 階の遡及効果によるものだろう。とにかく、イエスの信従者たちの間で、十字架上に死ん だイエスが「死人の中から上げられた」(復活)という信仰が広がり、その出来事が神の 究極の審きと恵みの時に直接結びつくものとして捉えられた。すなわち「上げられたイエ ス」が終末時に「雲に乗って現れる人の子」に違いないという確信に至った。パウロと彼 に信仰を伝えた人々の確信であり、福音書を生み出したマルコもそれを引き継いでいる。 もちろんこの段階に、イエスの宣教とその後の出来事を全く別に考えていた人々が存在し たことを考慮に入れておかなければならないけれども、とにかく、それが後のキリスト教 正統主義の源流に位置する人々の捉え方であったことはまちがいない。 次の段階はおそらく70年もしくは80年代以後、そのように「終末」 に「来臨」するイ エスは、本来的に「神の子」であったと後付け的に結論づけられ、クリスマス物語を産み 出し、それを第一の「来臨」と位置づけたわけである。 それとは別に「神の子」という呼称について、皇帝礼拝の関係で考えておかなければな らない。第3代の皇帝カリグラは過度の猜疑心に苛まれ恐怖政治を断行し、元老院議員や 皇族を処刑し、一方で民衆たちに媚び(ポピュリズム)、自己を神の子として皇帝礼拝を 最初に要求した人物であり、その後の皇帝たちの逸脱のパターンを造った人だ。皇帝を 「神の子」とすることに真っ向から不服従を貫いたのはユダヤ人たちだった。そういうか けひきが続き、しかもローマ対ユダヤの戦争(66-73)の事件と平行して、イエスを神の 子と告白していくクリスチャンとはなんなのでしょうか。〈問い〉を提出したまま終わる というのは今どきはやらないそうなのですが、ここは独断的に突っ走らず、パウロ的に 「先走って審かない」とずるく逃げておこうと思います。
12月11日 東京復活教会、羽生伝道所の合同礼拝から ガラテヤ人への手紙3章26-29節 「ユダヤ人もギリシャ人もない」ということの問題 久保田 文貞 3つの差異(民族的な差異、階級的な差異、性別の差異)が否定され、「キリストにあ ってひとつになる」とされる均質社会の問題の、拡がりについて。 「キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。もはや、 ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キ リスト・イエスにあ って一つだからである。」 この言葉は洗礼の式文として流通していた。パウロはそれを引用している。この差異解消 の宣言文は、イエスの宣教内容を表現している。マルコが伝えるイエスと罪人たちとの食 事場面(Mk2:15-17)、擬して言え「もはや義人も罪人もない」に遠くない。 このスローガンは、キリストの救いによって差異が解消されている今を強調する。しか し、実際にはユダヤ人とギリシャ人、奴隷と自由人、男と女の差異は残存しているから、 現存する差異を仮象化してしまう。パウロの次の言葉は、その差異を宣教の方策のために 利用するだけのことになる。 「わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら 進んですべての人の奴隷になった。20 ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ 人を得るためである」 もはや、神の真実によって「キリストにあって」救われているので、そういう人間的な 差異など問題ではないというわけだ。 もうひとつ浮かび上がってくる問題は、〈二項図式〉ので問題である。「もはや、ユダ ヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。」という論理は、世界に はユダヤ人と、ユダヤ人でないもの=異邦人=ギリシャ人(もちろんそれ以外の民族がい るのだがそれをギリシャ人に代理させられると思い込んでいる)で世界は構成されている。 両者を否定すれば世界には差異はなくなると発想する。人間には男と、男でないもの=女 しか存在しないとして、その両者だけを否定すれば人間の性の差異はすべて否定できてい るという前提である。つまりそれ以外の在り方は存在しない。そういう判断に引き込むレ トリックである。常識的にはほぼ正しいと思わせる。このように二項図式の問題は、それ 以外の在り方、例外を封じる。つまりこの二項図式は、「もはやユダヤ人もギリシャ人も ない」といいながら、世界には異邦人キリスト者か、異邦人未信者かのどちらかしか存在 を許されていない。この世界でいまだユダヤ人であると自己主張する者はあり得ないとい うわけである。 二項図式は、表面上は二元論のふりをするが、その実、いつも一方が、もう一方を否定 している、事実上の一元論なのだ。 けれども、ユダヤ人がヘゲモニーを握り、ギリシャ人が差別されるような社会で、「も はやユダヤ人もギリシャ人もない」ということができるならばそれは抵抗の言語になる。 逆に、ユダヤ戦争後のようにキリスト教が断然優勢になっていく社会では、ユダヤ人であ ることを許さない差別の言語になる。決定的な言葉の限界である。
12月4日 礼拝説教から ヨハネ福音書5章36-47節 「均質化の陰」 久保田文貞 5章は安息日の癒やしの奇蹟物語を核にして、安息日違反についての論争が付け加えら れ、さらにいくつかのイエスの言葉がそれに続くという階層構造になっています。安息日 の癒やしとユダヤ人との論争というのは、共観書マルコ3章1以下と共通しています。 マルコの場合、2章23以下では、弟子が安息日に麦穂を積んだということで非難され ると、ダビデの故事を引用し、イエスは「安息日は人のためにあるもので、人が安息日の ためにあるのではない。それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」。また3 章1以下の方では、イエス自身の安息日違反の嫌疑がかけられたことに対して、「安息日 に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と反論します。 この二つのイエスの、安息日についての言葉は、人間という視点にたって、肩の力を抜 いた、近代にも通じるような、きわめて自然な見解になっています。6日間労働したら7 日目は1日休むというように、本来は合理的な安息日規定が、いつのまにか宗教的・神学 的な意義づけがなされ、「聖なる日であり、主の最も厳かな安息日」(出エジプト35: 2)として「聖別」されてしまったというなら、原点に戻って、窒息しかかった安息日自 体を解放するということになるでしょう。はたして、イエス自身がそのように人間論的視 点から安息日を本来の姿に戻すという歴史的意識を持っていたとは考えにくい気がします。 ヨハネ伝5章では、、安息日違反に対する嫌疑がかけられたイエスの反論は、「わたし の父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」というものです。つまり、 神は安息日であろうとなかろうと常に〈働いている〉のだから、自分もまた「父のひとり 子」として安息日であろうとなかろうと〈働く〉というのです。 イエスが自身をほんとうに「神のひとり子」として自覚しているかどうかという問題の 真偽のほどはおいておいて、ただ、そういう宣言をすることによってこの世界はどうとら えられているか、見ておこうと思います。少なくとも、宗教が安息日として〈聖別〉した 特別の日を無効にしてしまう。神のひとり子の前に、宗教的な価値、宗教的な時間の凹凸 を地ならししてしまう。いわば、世界を例外を許さない、神の支配下に降ったのっぺらぼ うなものにする、そういう宣言をしていることになります。ウルトラ神学的な業がかけら れるわけですが、その結果として世界はいろいろな宗教的味付けがしてあったものがみな 向こうにされ、むしろ世俗化されてしまう。 しかし、現実には、世界は凹凸だらけ、単純なものではないです。では、そこで、この ウルトラ級の業は、それをなんと言うか。プロローグの言葉で言えば「光はやみの中に輝 いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」ということであり、現実の凹凸は闇の 陰にすぎないとして、最終的に無視してしまうのです。 ヨハネには、世界を強引に地ならししてしまうというように、現在のグローバリズムに 似た面があります。差異を許さない、のっぺらぼう的な障壁のない世界市場が求められ、 その市場の中を巨大な資本がやりたい放題に転げ回って富を集中させていくというように。
11月27日 礼拝説教から ヨハネ福音書7章25-31節 「メシアがどこから来るか知らないこと」 7章は、ほかの章と違って基になる物語があって、そこに〈説教〉部分が付け加わって いくという構造をしていません。それぞれの部分が錯綜しています。ただし、テーマはは っきりしています。それは、イエスをキリストとするのが妥当かどうか、と同時にその出 自について検討するような議論を集めています。 この議論に加わるキャラクターは多彩です。この福音書に出てくる脇役がほとんどが顔 を出しています。まず、兄弟(7:1-8)。彼らは、活動するならガリラヤのような田舎では だめ、中央に出てやるべきだみたいなことを言う。とてもわかりやすい発想です。それに 対するイエスの応えは「時はまだ来ていない」つまりまだチャンスがきていないとなら、 わかりますが、あとの肝腎な言葉(?)はいささかトンチンカンな印象がします。要する にイエスと兄弟との間でどうしようもないズレがあるというわけです。共観書では母マリ ヤもそれに加わっています(マルコ6:3)が、ヨハネでは母マリヤは別格にされます(ヨ ハネ19:25)。 その後、イエスはこっそりとエルサレムに行ったことになって(10-53)、ユダヤ当局 から睨まれているにもかかわらず公然と境内でアジテーションをする。ここでヨハネ伝で おなじみの「ユダヤ人」が登場します。ここでは当局のエイジェンシーとして位置づけら れています。これとは区別されて「群衆」が出てくる。この群衆たちは祭りの間各地から 集まってきている者という設定なのでしょうか、イエスに好感を持つ者もいれば反感を持 つ者もいる、多様な存在として描かれています。そして「ユダヤ人」と「群衆」のつぶや きめいた言葉それぞれに、イエスの言葉を置いていくという描き方になっていますが、や はりイエスが応えている言葉は、人々の疑問や懸念、憂慮に直接に応えていない。彼らが 目を凝らして見ても、スクリーンに像を結ばない、それを意図的にやっているような印象 です。 彼らはどうしてわからないか、それはメシア・イエスはかの世からその主である 神から来た者だからというわけです。だからこの世のどんな尺度を持って来ても、測り知 ることはできない存在であり、どんな概念をもってしても表現しきれない存在だというこ とになります。ガリラヤからメシアが出るかというのとほぼ同じくらい、ダビデの町ベツ レヘムから出るとも言えない。おそらくヨハネ伝共同体では、イエスがベツレヘムに生ま れたというクリスマス物語を無視していたに違いありません。 クリスマス物語について言えば、この世界に敷かれたことのある、旧約の中の古いレー ルを引っ張り出してきて、メシア降誕のために敷き直しているけれども、ヨハネは風に言 えばそのレールもご無用ということになりましょう。そのような過去の宗教的な装置を使 えば「ユダヤ人」も「群衆」も歓迎するだろうが、所詮それはこの世的なお道具であり、 装置にすぎない。そういう枠を嵌めるとかえってほんとうのメシアに出えない。では、ど うすればそのメシアにあることができるか。 9章35、36の言葉を借りるとこうなります。 「あなたは人の子を信じるか」。「主よ、それはどなたですか。そのかたを信じたいので すが」。「あなたは、もうその人に会っている。今あなたと話しているのが、その人であ る」。「主よ、信じます」と。
11月20日 礼拝説教から ヨハネ福音書18章33〜40節 「ピラト曰く『真理とはなにか』」 久保田 皇帝ガイウスに陳情に言ったユダヤ人フィ ロンによれば、36年サマリヤ人虐殺事件の責任問題でユダヤ総督ピラト失脚の4年後、ヘ ロデ・アグリッパ1世がガイウスに出した手紙の中で、ピラトの「性格は強情かつ無情に して冷徹」で、「賄賂、暴行、強盗、弾圧、軽蔑、絶え間ない判決なしの処刑、留まると ころを知らない、耐えがたい残虐行為」が支配していたと書いています。それを証明する ようにヨセフスの『ユダヤ古代誌』、『ユダヤ戦記』がピラトが起こした事件を報告して います。そこに結ぶピラト像は最悪なものですが、福音書、とりわけルカ伝とヨハネ伝の イエス裁判に出てくるピラトは一見、むしろ公平性を志向する裁判官のようなキャラクタ として描かれています。一般には、これは第一次ユダヤ戦争(66-70年)の後、ユダヤ教 一派と見られがちなキリスト教が、教祖イエスは最終的にユダヤ側からの死刑求刑によっ て殺されたのであって、けっしてローマ帝国に怨みを持つものではないこと、ローマに友 好的であることを訴えようとする磁場の中で書かれたからだと説明されます。 共観書では、ユダヤ議会の裁判でイエスは「ほむべき者の子」「神の子」であるかと問 われ、それを肯定したとして、神を冒涜する最高級の罪と判定されました。(マルコ14: 63、ルカ22:70)ユダヤ側に死刑執行権がないということでピラトの下に引き渡したとい うわけです。しかし、ローマ側の裁判では「神冒涜罪」は成立しない、そこで「ユダヤ人 の王」僭称による反逆罪という告発状を書いてピラトに出したということでしょう。 ピラト側からすれば、訴状のように「ユダヤ人の王」と僭称しただけでそのまま国家反 逆罪を適用するわけにはいかない。「いったい何をしたのか」(35)具体的な反逆に当た るような実行行為がないかぎり無罪とせざるを得ないからです。その後のやりとりは噛み 合っていません。 イエス「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属してい れば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実 際、わたしの国はこの世には属していない。」 ピラト「それでは、やはり王なのか」、イエス「わたしが王だとは、あなたが言っている ことです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真 理に属する人は皆、わたしの声を聞く」 ピラト「真理とは何か」 これで二人のやりとりは途切れています。 ピラトの結論は「私には、この人に何の罪も見出せない」 後の顛末はご存じの通りです。 特にヨハネ伝の場合、ピラトの、そしてローマの支配・権力及ぶ範囲は所詮〈この世〉 のみであって、イエスの「証し」する〈真理〉に対して手出しすることはできないし、 〈この世〉は自分で〈真理〉を掴み取ることができない、両者は本質的に噛み合うことは できないのだというある種のペシミズムを感じます。 もちろん、両者を架橋するのはイ エス自ら証しする〈証し〉であり、〈この世〉の人間側からはそのイエスの証しを知るこ とであり、イエスを全的に信頼することであるというのです。
11月13日 礼拝説教から ヨハネ福音書6章27〜35節 「パンの奇蹟...」 久保田文貞 ヨハネ6章1-15のパンの奇蹟物語はマルコ6章30以下の5千人分のパンの奇蹟物語 の改訂版になっています。マルコの方は、すぐ前の所でイエスが弟子を二人一組にして派 遣する記事が書かれています。弟子たちが何をやっていたか、マルコはこう報告していま す。「12人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を 追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。」(6:12-13) イメージをふくらませて言うと、イエスの一団はまずはじめに村人らを集めて説教する。 「神の国は近い。神の恵みは私たちの思いを超えている。悔い改めるように」のように。 その次は「油を塗って多くの病人をいやし」と言うように、案外現実的な医療活動をやっ ている。「多くの悪霊を追い出し」というのも超自然的な奇蹟というより今風に言えばカ ウンセリングに近いのでは。とにかく集会の後で、実践的な活動をしたということではに でしょうか。これらの活動は無償の奉仕活動でした。当時も基本的には治療は有料だった らしいです。 イエスの一団の評判は爆発的だった。それがマルコ6章の基調です。ガリラヤの領主ヘ ロデ・アンティパスもその評判を聞いて不安になるという話しが挟まれますが、その後イ エスの一団に大勢の群衆が押し寄せてくる。イエスは弟子たちを静かなところで休ませよ うと群衆と離れようとしたが、察知した群衆は先回りして来てしまう。イエスの一団はあ くまで群衆に付き合うという感じになっています。5千人というのは主催者発表みたいな もので、ただものすごい人数ということでしょう。 時間も遅くなって全員がお腹がすく.食事をどうするかという話しになって、件のパンの 奇蹟になるわけです。なにがどうおこったか、よくわからない、ただ「パンくずや魚の残 りを集めると、十二のかごにいっぱいになった」と。つまりその結果だけを報告する。ア メリカのジョークに、〈象のジョーク〉というパターンがあります。「象を冷蔵庫に入れ るにはどうすればいい?」「ドアを開け、象を入れて、ドアを閉めればいいのさ」「じゃ、 キリンを冷蔵庫に入れるには?」「ドアを開け、象を出して、キリンを入れて、ドアを閉 めればいい」 どうもわたしには5千人分のパンの奇蹟物語はそんなジョークに近い感じが します。マルコが描くのは、イエスとその一団がかくも群衆たちに懇ろに語りかけ、群衆 たちの悩みに寄り添い、押し寄せる群衆たちの腹の心配までしてくれた、そんな群衆たち のイエスらへの信頼の図です。 これに対してヨハネの場合は、「群衆」はただイエスとその弟子たちの奉仕活動の相手 になっているだけではない、むしろ「群衆」は〈教会〉に集まる聴衆であり、イエスの奇 蹟によってそのパンにあずかるとはいったい何なのかと考えさせられ、それに応える責任 を持った存在にされています。パンの奇蹟=「しるし」という現象面のうらに隠れたほん とうの意味をくみ取れ、そしてそれに応えよという形になります。つまり26節以下のよう な「説教」が奇蹟物語に付け加えられる。 「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のた めに働きなさい。」 その働き(業)をするためには何をしたらよいかという弟子の問い に「 神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」つまり「わたしが (キリストが)命のパンである」と捉え、キリストを信じることだ、となります。 醒め た形で言えば、第一次の、民衆に対するイエスの宣教活動(マルコ)と、それを消化して いった第二,第三世代の信仰的な解釈が見られます。もちろん初めの方が圧倒的にインパ クトがありますが、現実にはその展開の形(ヨハネ)の方をどうするかということの方が 私たちにとっては放っておけないことです。
11月6日 礼拝説教から ヨハネ福音書15章5節 「わたしはぶどうの木」 久保田文貞 11月第一日曜を教団では「聖徒の日」 「永眠者記念日」としていますが、元はカトリック教会が11月1日と「諸聖人の日」と定 め、殉教者や公式に「聖人」と認定された人々の功徳にあずかり、かなうことなら彼らに ならわんとするる日として守りました。しかし10世紀のクリュニーの改革運動は、諸聖人 だけではまずかろうと、亡くなった一般信者たちのためのミサを守る日を提唱、これに由 来して、後の11月2日「死者の日」が定められました。16世紀の宗教改革では〈聖書のみ 〉原理にもとづいて、聖書に書いていないカトリック教会の制度・習慣を廃棄しますが、 聖人崇拝もその一つでした。ただ、「死者の日」については、ルター派の一部の教会や聖 公会は当時から残しました。 「日本基督教団」は、ご存じの通り太平洋戦争下の総動員体制の流れの中で、宗教団体 法によりプロテスタント諸派が抵抗らしい抵抗もせず強制的に合同させられた教団です。 (それは強制されただけでなく、教会として積極的に協力もしました。その反省として 1968年になってやっと「戦争責任告白」が議長名で出されました。しかし、それも反対す る人が多く総会の議決とすることができていないのですが)「教団」は体質的に持ちより 所帯的な教会なのです。どこかの教派によって培われてきた習慣や制度が取り立てて問題 なければ受け入れていく、よく言えば柔軟な構造をもっていました。「永眠者記念日」は そのようにしてかいくぐってきた記念日です。 〈死者をどう受けとめるか〉、おそらく生きている人間には正面から死に向き合って生 きていくことは至難の業になると思います。ましてその点で完全に一致することなどでき ないでしょう。実は聖書自体が多様な捉え方をしていて一つではありません。そういう意 味では、ヘブライ語聖書も新約聖書も持ちより所帯的なところがあります。当然といえば 当然です。信仰者として生きたからといって、〈死〉を一つの教理の中に統一させること などできません。生き方が多様なように、死も多様です。 これを踏まえた上で、ヨハネ福音書を析出していったひとつの集団(以下ヨハネ教会と いっておきます)の死の捉え方のことを考えてみたいと思います。イエス死後生じたクリ スチャンたちの死に対する感覚は、ある意味普通の死の感覚をベースにしています。つま り死んだら人は土に帰る。しかしその彼らに特徴的なことは、そうして普通の死を死んだ 信者たちが、終わりの日に復活し、この世の終末の後〈永遠の命〉に入ると捉えていた、 もっともそれは公約数的(「標準文法」的)に言えるかも知れませんが、絶対ではありま せん。これに対して、ヨハネ教会の人々は、すでに終わりの日は来ていて、神=イエスを 信じる者は〈永遠の命〉をすでにいただいている。5章24節「わたしの言葉を聞いて、わ たしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死か ら命へと移っている。」 もちろんこれは彼らの根本的な人間理解の仕方に関わっていま す。イエスキリストを信じて生きるということの新しく受け取りなおした〈生〉という観 点から、〈死〉を新しい次元に作り直してしまっています。生も死もこの新しい同じ地平 に並んでいるわけです。「わたしはまことのぶどうの木」というのは単なる組織論的な表 象として言っているわけではありません。生きている者も死んでしまった者も、まったく 同じようにぶどうの木たるキリストにつながっているという表明です。 このような表現が時に大きな力となって人を支えるだろうことに異論はありません。け れども、人間の重たい現実の生と、そして人間の悲惨な死をそのままにして、高次の生と 死の、同様に祝福されて地平に入っていればいいと言うのでもありますまい。
10月30日 礼拝説教 ロマ書7章7-13節 「罪意識の向こう側」 久保田文貞 罪の問題は責任の問題と深く絡まり合っています。私たちの社会では、重大な罪は法的 に問われ処罰されます。刑に服しそれを全うすれば法的には責任を果たしたことになり、 赦されたことにもなります。この制度は、罪を犯した者が、その行為の責任主体であるこ とを前提にした仕組みです。現在の私たちの社会でこの制度を根本から疑問に感じる人は ほとんどいないでしょう。 これに対して、今日の聖書のパウロの言葉は全く別の響きをもって私たちに迫ってきま す。 「もし律法が『むさぼるな』と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかっ たであろう。…」 この議論の背景には、神の民イスラエルに特別に、神から与えられた〈法〉と、それに逆 らう人間の罪の問題という、現代人にはもはや過去の遺物となったような捉え方がありま す。しかし、いまもなお、神に呼びかけ、神のことばを聞かんとして生きている者には、 パウロの書いた言葉は遺物でなく、私たちには依然として現実味を帯びた言葉です。 〈法〉とは人間の間で交わされた約束の束と考えれば、約束した責任主体は当然違反すれ ば(罪を犯せば)、処罰されることに何の問題もない。近代国家の法体系の一つの基礎で す。けれども、それだけではすべて説明しきれません。交わされた約束がすべて正しいと は言えないからです。歴史的にも約束の束の上に成り立っている国家や社会全体がすべて 善ととは言えないことは確認済みです。どうしても、国家・社会を超えた〈正義〉を根拠 とするような〈法〉が必要になります。しかし、こう言ってしまうと、それも大変危険な 領域に足を踏み入れることになります。理屈は簡単です。では、国家・社会を超えた〈正 義〉をだれが〈正義〉と判定するか。国連がやればいいというのは一つの知恵ですが、国 連というのは形式的に〈主権〉国家の集まりです。国家主権を脅かす国際紛争になると多 数決原理も機能しなくなるのはご存じの通りです。 ここには近代の矛盾がどこにも行き ようがなく集約されていると言えます。〈法〉は現実の社会や国家を超えたところから支 えてくれるような原理の原理を必要とするのだけれども、〈神〉を切り捨てた近代にはそ れがないということです。 パウロの言葉は、クリスチャンならずとも近代が〈神〉を捨ててしまって、ぽっかり空 いた穴の周辺で起きているぎくしゃくとしたこと、つじつまの合わないことを揺さぶるよ うな言葉です。 「律法は罪なのか」 あえて私たちに引き寄せて言えば、〈法〉体系とその現実態として の国家自体に欠陥があるのではないかということです。そうだと言ってしまえばいいもの をパウロは「だんじてそうではない」と力む。つまり一方では、「律法がなかったら、罪 は死んでいるのである」と言う。〈罪〉をほとんど神話的に生き物のように表現してしま うことに同意できませんが、少なくとも〈罪〉の問題を表面的な〈責任主体〉に負わせば すむものではないという問題提起としては受けとめることができます。つまり〈法〉も 〈主権国家〉も〈個人主体〉も、あの穴を埋めきれずにゆがんだまま、互いに調整できな いということ、だからそれぞれがよかれと思って駒を動かしても、新しいゆがみ、難問を 抱えるよりないと。〈法〉やその現実態としての〈主権国家〉が、むしろ〈罪〉を揺り動 かし目覚めさせてしまうという想定外の事態を受けとめるよりないと。 これは近代的な主体を享受している人には不可能だと感じるでしょう。しかし、ある意 味でクリスチャンはすんなりと受け入れることのできる世界です。「すんなりと」などと いうのは無責任かもしれませんが、これまでそういう歪みの中でずっとやってきたのです から。
10月23日 礼拝説教 マタイ福音書 7章24~27節 「聞いて行う者」 飯田義也 この教会の、敬愛する久保田さんや関さんの前で、ずいぶん大胆な説教題を掲げてしま ったものです。「聞いても行い得ない者」としての言い訳を「説教」と呼べるかどうか。 殺されることもなく、逮捕されるようなこともなく「よい人」・・つまり他者からみて自 分の都合のよい人間・・として生きてきております。 この頃、あえて誤解される言い方をすれば「悪魔はいるなぁ」と、つくづく思うように なりました。正確に表現すると「古代の人が悪魔の業と呼んだ現象は現代にもある」とい う言い方でしょうか。悪魔としてチェックされなくなった現代社会では、悪魔的な力は勢 いを増し、世を支配しているかのようです。というか「でした」と、少し過去形にしたい 希望もあります。 聖書に「マモン」と名付けられて出演しております。神と富とに兼ね仕えることはでき ないといわれる「富」拝金教という言い方もできると思います。 パックスロマーナになぞらえてパックスアメリカーナという表現がありましたが、それ が実はパックスマネイナというかパックスマモーナであることが、世界的にも明らかにな ってきています。 なにせ、人間ひとりくらいの力ではどうにもならないのです。権力の側に入ってしまっ たら、言うことが変わってきます。行うことも変わってきます。 昔、この箇所で「盤石の信仰を持ちましょう」というような説教を聞いたことがありま す。キリスト教のオフィシャルな教義としては、行いによって義とされるわけではないか らです。で、あまのじゃくな私は、25年ほど前のことですが、行いの結果によって義とさ れるわけではないけれども、人生の方向を「神の国運動」の方向へと向き変えることが求 められているという説教をしました。 ひとりの人間が生きていて、何も行わないということもないわけです。歴史上名を残す ような仕事をするべきなのでしょうか。現代には民衆史観という立場があって、いわゆる 歴史上の偉人といわれる人物ほど、犯罪的という意味での「罪」も深いことが明らかにな ってきています。 日常のほんの一言でいいから、神の国の方向を向いたことばを使うようにして行くとき に、いつか、終末が到来すると、これは、今でもそう思っています。 あの9.11の真相について、インターネットの情報が流れたとき、向かうべき敵のあ まりの大きさにたじろいでしまいました。そして、今回の東京電力福島第一発電所の事故 です。 この期に及んで、なお、原発が必要だとある意味「言ってしまう」人たち・・。金で人 を動かす力を持った人たちです。 「聞いても行わない」どころか、聞かないで行ってしまう人たちで、一人ひとりに分離 すると、悪魔がとりついていることが直感できるような人ではありません。もちろん「こ の人に悪魔が取り憑いている」というような直感自体が、偏見であり、差別につながりか ねない言明なのですがね。 出エジプト記の記述を思い出します。イスラエルの民を追ったエジプト兵ですが、一人 ひとりには家族もいたでしょうし、飯の種としてやむを得ず雇われていた兵もいたでしょ う。しかし、それは酌量されません。むしろ、エジプトの王は命をかけることもなく日常 の暮らしを続けていたでしょう。 今日のテキストを改めてみてみると、やはりある種の行為が勧められていることは確か です。 投機的な金との戦い、金の力との戦い、パターナリズムに陥ってデモに行かなきゃなど と考える必要はないでしょうが、いや、もちろんでもに参加したいということであればそ れも立派な行いですが、それを強要される意識でとらえる必要はないという意味です。私 たちの思い、行動、語ることばを神の国への思いに重ねて行ければと思います。 この頃、教会にあまり来なくなっていて「フリーライダー」になりかけている自分を反 省しています。
10月9日 礼拝説教 ルカ福音書16章1-13節 1~8a節が本題の譬えです。この譬えはここルカにしか出てきません。とにかく新共同 訳聖書の見出しに「不正な管理人の譬え」とあって、簡単に言えば中間管理職の不正が褒 められる話しで、これをキリスト教的な教えに嵌め込むためには相当な無理を通さなけれ ばなりません。8b節~13節はいくつかの語録がならんでいますが、まさにこれらはこ の難物なる譬えをキリスト教的に解釈した跡なのです。 8b節「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。」 主人への裏切り行為が正当化されない限り、この背任行為を賢いやり方と言うわけにはい きません。 9節は「(たとえ)不正のマモンによっても友達を作れ」。どのような富(マモン)であ れ、今目の前にいる人のためにそれを差だし、友を作れ」 一見これでなにほどかキリス ト教的にこの譬えを回収できたように見えます。けれども前節の流れの中で読めば、賢く ふるまって、不正のマモンで仲間を作れとなり、不正なやからがますます増えるだけとい うことになりかねません。 10~12節「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不 忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなけ れば、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものにつ いて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。」 はっきり言 ってこの理屈はよくわかりません。まして本題の譬えとどう関係づけようとしているか考 えれば考えるほど混乱してきます。 さらに13節 「どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他 方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と 富とに仕えることはできない。」 マタイでは6章24節の山上の説教に出てきます。 とにかく単独で伝承されているイエスの言葉であり、それとしては含蓄に満ちた格言風の 言葉です。けれども、この言葉を本題の譬えに関連づけることは無理があります。 こうしてネジレにネジレて本題の譬えを空中分解させてしまった感があります。 どう理解すればよいのでしょうか。私は田川建三説が一番説得力があると思います。私 の言葉でいうとこういうことです。 〈小作人が小作料を納めきれないと、不足分に高い利息を付けて貸したことにする、そう して小作人に莫大な借りを作らせ縛りつける、そういうあこぎな不在地主が執事に管理を 任せている。執事は小作人に同情して、日頃から誤魔化して報告していた。それをだれか にちくられて、主人から糾問され、解雇されかかる。そこでいっそう大胆に、小作人の証 文を減額して書きかえさせ、主人に抵抗する。〉 田川は次のように言う、「小作人にフタ媼年貢高を押しつけ上に、加えてそれに法外な 利息を上乗せして、暴利をむさぼる地主の行為を告発しようとしている。…実際にはそう 言う地主を押さえつけるのは不可能であっただろうから、せめてものこと、気の利いた執 事はうまく借金の棒引きをしてやった、という譬え話を創作したのであろう。いかにもイ エス的にわさびの利いた話しになっている」。 つまりは、この執事のしたことは不正でも何でもない、地主に貪り取られ負債でにっち もさっちもいかない小作人の苦しみを軽くしてやろうとして堂々と小作人の側に立った正 義の執事・管理人なので、そのことを明確に述べればなにも苦労は要らなかったのです。 地主にとっては「不正」かもしれないが、小作人にとっては正義なのですから。
10月2日 礼拝説教 エステル記 「自己同一性の問題」 読めばすぐわかる通り、エステル記は民族主義的な歴史小説である。「神」とその関連 語が一つも出てこない。それに対して日本語聖書で「ユダヤ人」と訳されているものが40 回以上。新共同訳では50回のうち47回がエステル記。原語「イェフーディー」は、民族内 の家系家族表などでは「ユダの子ら」=「ユダの家系の者」という意味で創世記からエズ ラ・ネヘミヤまで使われている。これはイスラエル12部族内で他の部族に対するとき意味 を持つ家族名なのであ。 一方、「ユダヤ人」と訳される時には、バニロニア帝国によって滅ぼされ(前587年) バビロニアに強制移住させられた南王国ユダの民のことであり、外国人/異邦人(ゴー イーム)に対しての「ユダヤ人」という意味を持つ。近代の使い方、英語のJewに近い。 歴史的にはそのバビロニアをアケメネス朝ペルシャが滅ぼす(前539年)と、亡国ユダの 難民たちを解放し、エルサレムへの帰還、さらに神殿建設も許可するが、あくまでペルシ ャ帝国内の文化的社会的な少数民族としてのことであった。つまりイスラエルという地盤 から言えば「ユダの子ら」であった人々が、今や帝国内の「宗教」団体として公認された 「ユダヤ人」「ユダヤ教徒」として様変わりして現れた。 このことは帝国がペルシャからギリシャ(アレクサンダー大王のマケドニアとその配下 のエジプト・プトレマイオウス朝、セレウコス朝シリヤ)、ローマに移っていっても基本 的に変わりなかった。(ただしセイウコス朝支配下で、政治的に去勢された「ユダヤ人」 に飽きたらず権力を奪取した時代もある。後1世紀のユダヤ戦争はその流れである) 帝国内宗教としての「ユダヤ人」が歴史舞台の最初に現れた時代、それが『エステル 記』(以下『記』という)物語の時代背景である。 『記』の内容をザックリと言ってしまえば、ペルシャのクセルクセス王の宰相ハマンによ るユダヤ人への差別撤回闘争の物語である。 王妃ワシュティが王の宴への召しを拒否、怒った王は賢人会議に諮問、ワシュティを離縁 し新王妃を探すべき、そうしないと〈女たち〉が夫の言うことを聞かなくなるという結論。 国中の〈美女〉が集められ後宮に送られる。(なんとも〈性〉を侮辱した物語である) ユダヤ人モルデカイの姪エステルもその一人で、王の目に留まり王妃になる。モルデカイ は政府内の反乱を知って未然に防ぐ。宮廷日誌に記録されるが王の目に留まらず。王の寵 愛を受けていた宰相ハマンは国民に自分を拝礼させようとするが、ユダヤ人モルデカイは 公然と拒否。それがユダヤ人の故と知って、ハマンは国中のユダヤ人を迫害。素性を隠し ていたエステルはユダヤ人であることを証し、抹殺されそうになったモルデカイを助け、 ハマンを失脚させ、反ユダヤ人勢力を粛清するという話しである。 たいていの差別・虐待の事件にみられるように、ここでも差別事象を内に抱えている包 括的な最終的な権力(ここでは帝国の王)は、その恣意的な差別事象には中立的な位置に いるように振る舞う。しかし最終権力者の中立性は、差別者(ハマン)の側にこそ有利に 働くというのもよくあることだ。物語もそうなりどうだった。それをエステルが機転を利 かせて逆転させる。被差別者ユダヤ人の団結と叡智の勝利の痛快さに読者を引き込むわけ だ。けれどもこの物語は、依然として王はそのまま中立的な最終権力者に終わる。つまり はその最終権力者のある種寛容な手のひらの中で、ユダヤ人はせっせと強力な自己同一性 の訓練と実質を積みあげていくというわけだ。〈帝国〉に離散した少数民族の悲哀とド根 性のむしろ痛々しい物語である。
9月25日 礼拝説教 ルカ福音書14章25-35節 「『捨てる』について」 久保田文貞 14章1節以下は、イエスがパリサイ人の家 の食事に招かれた時のことにしてまとめ上げられている。その真ん中に有名な「大宴会の 譬え」が置かれている。内容的に言ってこの譬えを中心にして構成されているとしか思え ない。その前の部部については前回を参照してほしい。今日はその後の部分になるが、そ の前に大宴会の譬えについて。この譬えをルカの脈絡から切り離してみれば明らかなよう に、ほとんどの聴/読者は、その譬えの中で自分が招待されながら理由をつけて断った客 ではないかと恐れをなすはずである。ちょっと自分の生活レベルより裕福な者たちという 趣があるにせよ、それらの理由があまりに日常的で、彼らの理由を聞いていると自分に思 い当たるように仕組まれているといってよい。つまりこの大宴会の譬えの伝承者たちはそ うやって自分たちの実存をゆさぶる在り様に身の丈を合わせてきたということができる。 神の恵みをお断りしてしまうかもしれない自分を問題化し、かかる上で〈ではどうしたら、 招かれたら、すぐ喜んで宴会にのぞむ自分へとなるこどができるか〉という所へ入ってい くわけだ。 そこで「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わた しのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。 自分の十字架を負 うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない。」という 言葉をつなげる。イエスの言葉として他でも聞いたことがありそうなものだが、実は、当 のマルコ10章29とその平行句マタイ19章29//ルカ18章29では、「わたしのためまた福音 のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害 も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受け る。」というものだ。ところがこの言葉はイエスの弟子になる条件として「捨てる」とい うことが言われている。似て非なるものだ。 しかも、次の28節では、家を建てるならよく計算して自分のもてる資金に見合ったもの を立てるべきだという。できもしないのにでかい邸を造ろうなどと思うなと読める。また、 31節以下は戦いを始める前に敵が2万、味方が一万とわかっていたら戦ってすべてを失う のではなく、和して残せるものは残せと読める。つまり、どちらもできもしないのに全部 捨てようなどと思うなとしか聞こえてこない。 そう言っておいて,また元に戻る。「それと同じように、あなたがたのうちで、自分の 財産をことごとく捨て切るものでなくては、わたしの弟子となることはできない。」 な んだろう、このつぎはぎの仕方は。 一つの説明は、ルカは〈神の子〉が地上を行く「キリストの時」を全歴史の特別の時と して中心に置く。それ以前は律法と予言の時で、それ以後は「教会の時」、ただしこれも 聖霊が活きて働く特別の時(「使徒行伝」の時)であり、自分(ルカとその読者=つまり 私たちもその中に入れられる)は〈終末〉までの中間時を活きるという壮大な救済歴史観 をもっている。とすれば、「キリストの時」をすべてを捨ててイエスに従った弟子、最初 の「教会の時」を聖霊の思うままに伝道し伝道された弟子たち(アナニヤとサッピラはそ れに反したが故に呪われた)を特別枠に入れることになり、その後の「中間時」を生きる ものにとってはすべてを「捨てる」かどうかではなく、それを象徴的に読みかえて、モノ に対する執着心を捨て、そうすることによって身の丈にあった実質的な「捨てる」をすれ ばよいというのだろうか。 因みにマタイの王の婚宴の譬えでは、聴/読者は自分たちは当然のように街の通りにい た庶民ということになる。
9月18日の説教 ルカ福音書14章7-14節 「倫理化させない倫理」 久保田文貞 ルカ福音書だけに、イエスがパリサイ人の家で食事をする場面が3回も出てくる。マル コもそして当然ながらマタイも、たとえあったとしてもそのような場面を採用しなかった ろうことは想像がつく。イエス運動に関心をもつユダヤ人だっていただろう。そんな好奇 心旺盛なユダヤ人がパリサイ派だということもありそうな話しだ。全体に脇の甘くなって いるルカが飛びつきそうな場面だ。だからといってこの場面がそのままあったお話しとい うことにはならない。ルカも結局はパリサイ人批判のためにこの場面を使う。 パリサイ人たちがこの食事会で席順を気にしていることを見破って、たとえを語ったと いう。「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。…」その理由としてあげている のは結局あとからもっと偉い人が来ると下位の席に移されて恥をかくから。だからまずは 末席に座っておけ。そうすればあとから「もっと上席にすすんでください」と言われ,面 目を施すことになるという。ほとんど譬えになっていない。席順を気にするパリサイ人へ の直接的な批判だ。 けれども、譬えだとはいえ、この批判自体が上昇志向丸出しの理屈の上に成り立ってい る。これはマルコ12章38-39//ルカ20章46のイエスの言葉から創作したできの悪い二番煎 じ。 11節はもともとこのできの悪い伝承にくっついていたのだろうか。 「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」 これは、古代ユダヤ教ヘブライ語『聖書』に一貫して流れている思想だ。 「主は貧しくし、また富ませ/低くし、また高めてくださる。」(サムエル上2章7、その 他イザヤ2章11、エゼキエル21章31、詩29篇23等) 『聖書』の中で、高めたり低くしたりする主体は〈主〉すなわち神である。主がおごる 人間を低くし、卑しめられている人間を高めるというのが、そこにある基本である。人間 の上昇志向は断ち切られ否定されるのである。 12-14節の言葉も、できの悪さは前と同じぐらいひどい。食事会に友人や兄弟、親族、 金持ちを呼ぶな、お返しをするかもしれないから。むしろ,貧しい人、体の不自由な人、 足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。お返しができないからという。失礼な話 しだ。貧しい人もお返しぐらいする。 あまりに劣悪な内容で、さすがにルカはこんな程度の悪い作文はしないだろう、たぶん 質は悪くとも関連のあるイエスの言葉伝承だし、せっかくだからというので並べてしまっ たのだろうと、私は勝手に思っている。 それにしても、次に並べられているあの衝撃的な「大宴会の譬え」の前にこれらの雑な 言葉伝承を置いてしまうルカさんの感覚にわたしは首をひねくりたくなる。ここでは 序 列がどうのこうの言う前に、そもそも君たちは招かれているのかということが問題だ。招 待された連中はその招待を当然だと思っている。その上で、しかし自分の大切な財産の管 理や捨てがたい人間関係の維持のために、招待を断る理由が立派に成り立つと思っている。 自分を招いてくれた「お方」は、自分の財産も人間関係も祝福してくれる「お方」だ、だ からそれらへの配慮を否定するはずがない、お断りしてもなんの問題もないと思っている。 断る理由も持っているという当然の権利のように見えることが、実はぬきさしならぬ生 のかまえになっており、それがこの招きによって問われている。断った人間は,ついにそ の招きがそれほどの問いだとは最後まで気づかずに。
9月11日 礼拝 「 南アフリカに行きました」 加納尚美 今年の6月13日(月)から19日(日)まで大変短い期間ですが、3年に一度開催される「国 際助産師連盟」の評議会に出席するために、南アフリカ共和国クワズール・ナタール州 ダーバン市に行きました。現地には4日間の滞在で、その大半が会議参加でしたが、運営 会で是非話を聞きたいと言われ、今年のリレートークのメンバーに加わることになりまし た。依頼された理由は、そんな遠くへはめったに行けないからとのことでした。 さて、ダーバンは一昨年サッカーのワールドカップが開催されて日本からも多くのサッ カーファンが訪れたところですが、確かに決して近くはありません。成田―香港間は6時 間、香港―ヨハネスブルク間13時間、ヨハネスブルク―7ダーバン間1時間30分と約20時間 のフライトを要します。エコノミークラスでの空の旅は、体力と忍耐力、プラス様々なグ ッズ(退屈しのぎ、首やお尻の痛み軽減などなど)は不可欠です。私自身は切望したわけ ではなく、学会の係りの仕事として、職場の諸々の調整をして飛行機に飛び乗りました。 そして、空の上で、海外に行く際には必ず用意する「地球の歩き方―南アフリカ」で熟読 し、会議の膨大の資料に目を通し、それまでの南アフリカに関する知識は断片的な知識を つなげようとしました。 飛行機の上から眺める南アフリカ(インド洋側)は、低い灌木と丘陵、畑なのか野生の ままの野原なのかわからない緑地が続いていました。ところどころ焼畑の煙があがり、黒 く焦げた畑が見えました。ヨハネスブルク、ダーバン空港、タクシー運転手、ホテル職員、 国際会議場で出会う職員は黒人でした。ホテルで部屋を案内してくれたベルボーイは大変 がっちりした体格で人のよさそうなお兄さんで、コンゴ民主共和国の内戦のため兄弟で移 民してきたとい言っていました。タクシー運転手とは、アパルトヘイト時代に若い医大生 として黒人意識運動を指導し、1977年に拷問を受け惨殺されたスティーブ・ビコ(映画 「遠い夜明け」)について話を聞きました。現在子どもたちは必ず南アの歴史を学ぶ中で。 ビコについても勉強するそうですし、彼(運転手、30歳くらい?)もビコを尊敬している そうです。 私は学会開始前には帰国したのですが、ダーバンでの助産師の学会は大成功だったよ うです。ダーバン大会は6年前にブリスベン会議で投票によって決まったのですが、その 際に南アのプロモーションビデオにはマンデラさんも登場していました。90年近く続いて いる国際助産師連盟ですが、アフリカでの開催は今回が初めてでした。今回の大会長は、 映画「遠い夜明け」の冒頭場面で、草原で声高だかに歌うカモシカのような足をしたアフ リカ女性、という感じの方でした。会議が終了後、アフリカの女性たちが「Reach to the goals」(国連決議の目標達成を歌にしたものがあるようで)会場で歌い、踊りだすとこ こは不思議な熱気に包まれました。また、「ワツワワワワー」と口に手をやり囃し立てる のも圧巻です。 こうした国際大会でいつも思うのは地理や歴史の知識の有無は出会う相手への理解を左 右するということですが、短い旅とはいえ、もう少し勉強していったらさらに豊かな旅と なったことだろうと思っています。帰国後読んだ新書アフリカ史(講談社現代新書、 1997)には、南アへのオランダから移住について、次のような記述がありました。フラン スがナント勅令を廃止してプロテスタントへの保護政策を捨てた1685年以降、新教徒の一 派であるユグノーが大量にオランダに流れ込み、彼らは信仰の自由を得たが経済的に困窮 を極めケープに移住したのが発端となったとのことです。この後、ヨーロッパは理性と合 理精神に輝く啓蒙の時代を迎えるわけですが、同じ時代をそれとは対照的にアフリカは暗 黒大陸として世界史に登場することになったとのことです。学会ではこうした両者の末裔 が集ったことになります。 南アは治安が悪い、ということはガイドブックにも外務省のHPにも書かれており、例え ば、殺人事件は日本の110倍とのことです。ホテルから会議場まで徒歩で20分ほどだった ようですが、タクシーで行くようにホテルマンにはアドバイスを受けました。ただ、息子 からブブゼラ(サッカーの声援で使われるラッパのようで、ブブブブーと音がするもの) をお土産で頼まれ、探し求めて街中の市場に行きました。そこでは大きな民芸品店があり、 面白いモノや掘り出し物がわんさかあり、楽しかったです。木彫りのマスク、像、絵等々 圧巻でした。ブブゼラのみならず、アフリカの若い女性を描いた絵(額なし)を日本円で 5000円くらいで買い、柏の画材屋で額に入れてもらい家に飾って毎日みています。私の亡 くなっ た母と母方の祖母になんなく似ています。ここ10年の間、人類のDNA分析の画期的な進歩 により、現生人類は15-20万年前にアフリカから世界中に移動していったことは有力な説 となっているようですが、この絵を見ながら今「人類の足跡10万年全史」を夜な夜な読ん でいます。 同じ祖先を持ちながら、アフリカの歴史に触れるとそこには悲惨な数が列挙されていき 気が遠くなります。それゆえに、私が訪れたダーバンは23年前に見た「遠い夜明け」とは 全く別の政治状況であることに人間の偉大さを改めて感じさせられました。
9月4日の説教 ルカ福音書13章1-9節 「『悔い改め』の外側に」 久保田文貞 1-3節。残忍なローマ総督ピラトが、ガリラヤの叛徒を捕まえて殺しその者たちの血 を、儀式用の羊の血に混ぜたという。ピラトが失脚した理由は35年サマリヤ人のメシア 運動を残忍な手段で鎮圧し、サマリヤ人たちから逆にシリア総督に訴えられ、皇帝の裁断 により更迭されたということが歴史的に明らかになっている。この事件の言い伝えがめぐ りめぐってルカのところまで到達したという説が一般的である。とすれば「ガリラヤ人」 は実は「サマリヤ人」(ガリラヤとサマリヤは隣接している)、この「いけにえ」の儀式 はゲリジム山のサマリヤ人の神殿のものということになる。ただしこれはやはり仮説で、 真偽のほどはわからない。とにもかくにも、ユダヤ戦争の時エルサレム陥落間際にローマ 側に帰順したユダヤ人歴史家ヨセフスもその他のローマ側の記述も、ピラトという男は彼 のパトロンであった野心家セイヤーヌスの子分で,騎士上がりの残忍な男というイメージ しか伝わっていない。しかし、ご存じの通りそのピラトが福音書の受難物語におけるイエ ス裁判では4福音書に差はあるものの、いかにも「優柔不断で弱腰」であり、むしろ沈着 な官僚のような姿で描かれているのはなぜか。諸説あるが、やはりユダヤ戦争後、ローマ 側から見てクリスチャンも生き残ったユダヤ人のひとりとしか見られなかった、そういう 状況を恐れて〈いいえ、わたしたちはユダヤ人とは違います。イエスの福音はあのものた ちのようにローマを敵視しません。ローマの平和とイエスの福音は背反するものではなく 両立するものであります〉と言いたかったのだろう。それが残忍な権力者ピラトさえ、好 意的に見てしまうキリスト教のいやらしいと言えばいやらしいところだ。 これに対するイエスの言葉として出てくるものはまずまちがいなくルカによるもの。ガ リラヤ人がかかる災難にあったのは、その男がほかの誰より〈罪深かった〉からだと人々 は思うかもしれない。そうやって人々は自分たちはあのような仕打ちを受けるほどには過 激でも罪深くもないと思って、自分を安心させる。しかし、そうだろうか、シロアムの塔 が倒れて死んだ18人の事件(一説によるとこれもピラトがらみの事件かもしれない。あ る時ピラトはエルサレム城内のシロアム水道拡張建設の資金を神殿金庫から強奪する。怒 ったユダヤ人群衆が抗議すると、ピラトは部下を群衆に紛れ込ませ棍棒で殴りかからせる。 その工事の時になにがしかの塔が倒れ、ローマによって奪われた神殿の金で雇われた人夫 が犠牲になったのだと)も同じこと。被害者はやはり自分とは違って罪深かったと解し 人々はそうらって安心する。けれども、そうではない。「あなたがたも悔い改めなければ、 皆同じように滅びる」というわけである。 ここには、人間の罪には濃淡はない、〈過激派〉や〈汚れた仕事をする者〉が特別では ない、神の審判の日に審問されて耐えうる者はない、だから「悔い改めよ」という神学的 な人間観がある。一見するとここには神の審判の前にすべての人間を平準化してしまう力 がありそうに見える。例えば洗礼者ヨハネも同様なことを「荒野」で叫び声を上げたと言 われる。しかし、ヨハネは真っ正直にその言葉を不正義なる為政者ヘロデ・アンティパス にぶつけ逮捕され処刑されてしまう。ルカのこの言葉にはそういうインパクトはない。む しろ残忍なピラトがらみの事件をただの災難、もしかしたら自然災害にまでしてしまい、 その上での万人の罪深さが唱えられ、〈悔い改め〉が勧められる。 さらに言えば、このような人間に対する見方は、イエスの場合と大きく異なる。イエス の説いた福音は、洗礼者ヨハネやその亜流ルカのように、神の恵みに与るための条件にな っている〈悔い改め〉を求めない。イエスの福音は、条件なしに、神の恵みが一方的に、 ユダヤ教的な「義」、あるいは「人間的な正しさ」というものを打ち立てようがない人間 たちに及ぶというものなのだ。 そうするとすぐに、では神の恵みに与った人間は次にどう生きるべきなのかと詮索した がる人がいる。まさにルカがその一例。そういう詮索はやめた方がよい。
8月28日の説教 「2011原発事故 放射線被ばく ヒトの細胞への影響 低線量被ばく - 現在、将来は? を 学ぶ」 五十嵐 忠彦医師 放射線とは、 狭義には、放射性物質から放出される α(アルファ)線・β(ベータ) 線・γ(ガンマ)線 の総称のことである。 広義には、X線・中性子線・宇宙線など も含めて、すべての電磁波および粒子 線を指し ている。 正確には放射線を出す能力を放射能と 呼び、放射能を持つ物質を放射性物質 とよぶ。 放射線には、 (1)原子核反応や原子核の壊変によって発生する (2)原子のエネルギーレ ベルの変化によって発生 する 2つがある 。 元素 は 原子核 + 電子でできている。 原子核 は 陽子 + 中性子でできている。 原子 核 は 結合のエネルギーが 強い。 この結合エネルギーをとりだすことが、原子力あるいは原子爆弾に利用される。 例として セシウム137は、 放射性物質=放射性同位元素 ー 放射線をだす物質であり、 放射線としては ガンマ線を出している。 放射線の透過能力は、アルファ線は紙1枚程度で遮蔽できる。ベー タ線は厚さ数mmのアル ミニウム板で防ぐことができる。ガンマ線 は透過力が強く、コンクリートであれば50cm、 鉛であっても10cm の厚みが必要になる。中性子線は最も透過力が強く、水やコンク リー トの厚い壁に含まれる水素原子によってはじめて遮断できる。 ヒロシマの人達の多くは、 中性子線によって殺された。 放射線による細胞への影響 は、1) 高エネルギーの場合: 10 -100Gy (Sv)にて、 細胞の膜が破壊される。 2)医療ー治療用のエネルギー: 0.5 から5Gy(Sv)にて、 細胞のDNA障害、アポトーシス、 細胞の自爆死が起こる。 3) 低線量被ばく: 10ー100 mSvでは、 染色体の組み換え異常などが起こるとされる。 宇宙飛行士での低線量被ばくの研究が進んでおり、血液のリンパ球に異常が起こることが 報告されている。 震災後の原発事故にて東北、関東地方に大量に拡散したものが放射性同位元素であり、 地表に積っている。 東葛飾地区にも清掃工場中心にホットスポットの存在が確認されつ つある。これを呼吸器を通じて体内に吸入し長期間ー保持した場合、低線量被ばくを数ケ 月ー数十年受けることになる。 国内で今後どのような健康被害が出現してくるのかは誰も予測できない状況である。目 に見えない、感じない状況である。 原子力の世界 = 発展する宇宙の原動力 核融合(太陽の内部)、 放射線にて激動す る宇宙は満ち満ちている。原子核現象の止まってしまった場所 が 地球であり そこに生 命が誕生した。 原子力の世界は自然とは全く質的に異なる世界であるという(原子 核物 理学概論:菊池正士)。 神学: 創造論の立場 - 被造物 であるヒトが 元素を壊し始める とは どのように理 解したらよいのであろうか? もうずいぶんと地球を破壊している上に 「ひとが自然を支配してよい」と言ってきた キリスト教欧米神学には根本的な誤謬があったのではないだろう か? わたしたちは、まさに人間自身によって聖書には記されていない、まったく未知の時代 に向きあわさせられつつあるのだーと思う。 こどもたちを、おとなも、すべての生命をどのように守ったらよいのだろうか?
◇聖書を読む会、15日(出席者3人) マタイ27章3-10節では、ユダはイエスを神殿権力に銀30枚で引き渡した(=原語で は「裏切った」と同語)ことを悔いて、金を返しに行く。しかし受け取ってもらえず、も らった銀貨を神殿に投げ込んだ後、首を吊って死んだという。 さらに神殿側は、その金を納めるわけにはいかないとして「陶器職人の畑」を買い、外 国人墓地としたという。 マタイは基本的に、メシア・イエスの出来事が「聖書」(旧約)に「予言」されたこと が成就したものととらえて、後付け的な説明をする。けれども、ここではそれが逆転して、 「聖書」の故事(前半は第2ゼカリヤ11章13節にからませて創作、後半はエレミヤ書に出 てくるイメージからマタイが勝手に織り上げた創作)から無理矢理ユダの最後の物語を作 り上げているとしか言いようがない。 ユダの最後について、ルカも取り上げる。使徒行伝1章18-20節、 「このユダは不正を働いて得た報酬で土地を 買ったのですが、その地面にまっさかさ まに落 ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出 てしまいました。このことはエ ルサレムに住む すべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言 葉で『アケルダマ』、つ まり、『血の土地』と呼ば れるようになりました。詩編にはこう書いてあり ます。 『その住まいは荒れ果てよ、そこに住む 者はいなくなれ。』 また、『その務めは、ほ か の人が引き受けるがよい。』どちらもイエスを 裏切ったユダの悲劇的な末路を伝え ていま す。」 これもルカがほとんど創作したものだろう。 ルカは「頭が下になって」いる状態だった表現しているからまちがいなく身投げしたと言 いたいのだろう。 マタイとルカに共通するのは、ユダが自殺したこと、報酬となった銀で「血の土地」が 買われたことだけ。とにかく、ユダの最後についてクリスチャンたちの間でうわさが飛び 交い、90年頃マタイとルカが「聖書」の言葉でそれを飾ったのだ。 2世紀半ばフリュギアの監督パピアスは更におぞましいまでのユダの最後を描いている。 後の正統主義キリスト教がユダをどのように扱ったかは推して知れよう。 これに対して最初の福音書記者マルコの記述は注目に値する。マタイとルカのイメージ を振り払って素朴に読むと、マルコは、イエスを十字架に引き渡した責任をユダだけに押 しつけていない。なによりもユダも〈最後の晩餐〉で「聖餐」を受けている(マルコ14章 20)。イエスを「引き渡し」(=裏切り)、「知らない」といい、見捨てたのは、ペテロ もほかの弟子たちも、同じことだ。その責任は12人の弟子全員にあると言っているので はないか。マルコは福音書を60年ないし70年に書いたと言われるが、ユダの死のことはひ とことも書いていない。 パウロが第1コリント15章3以下に伝える「最も大事な言い伝え」は、「回心」(33 年頃)の3年後にペテロにあった(ガラテヤ1章18)ときに,伝承されたことだろう。そ の中で復活のイエスが 12人に現れたと言われている。ここにユダが入っていないなど とはひとことも言っていない。ユダを12人から外したのはずっと後(90年頃)のルカ の伝承(使徒行伝1章26)からだ。 イエスの死後、ユダがいつ死んだか、信頼できる情報はない。少なくとも、マルコが福 音書を書いたとき、ユダの最後に関心はなかった。だれがいつ死のうと、要はあの12人は 等しくイエスを死に追いやった責任を免れず、「わたしたちの罪のため」死んで葬られ、 3日目に起こされたイエスの出来事の中に引き込まれているのである。
8月21日の説教から 「私の出会い」 金子明夫 今から35年ほど前のことです。テレビの富士通のCMで今でも脳裏に残っているシーン がありました。四国山岳信仰の霊山である「石鎚山」の山頂で、雲海の朝日を背景に山伏 が法螺貝を吹いてるシーンがあり、そのバックミュージックが妙に心に残ったのです。確 か1年足らずでCMも終わり、私もその後、その音楽を耳にする事はありませんでした。 それから4~5年経過したある日、合唱仲間から演奏会の招待を受けました。「マタイ 受難曲」といった重々しいJSバッハ作曲の大作でした。この時点では全然興味がなかっ たので一度は断ったのですが、一度ぐらいは聴いてみようかと思い直し東京文化会館へ足 を運びました。案の定、最初の3曲目ぐらいで瞼が重くなり周りを見ると、所々で頭が垂 れている人を発見! なんとなく安心して心地よい眠りに入りました。全68曲3時間の 大曲、途中の休憩を挟み、2部が始まりましたが、やはりウトウトしていると、突然あの 懐かしい朗々たるメロディーが流れ始め、「ハッ!」と目が覚めました。それは「マタイ 受難曲」の終曲で”皆が涙して墓に膝まつき、墓の中のイエスに安らかにお眠り下さい。 ”と合唱で歌うシーンでした。エ~この曲だったのかと頭の中に映像を描き妙に感動した 覚えがありました。 しかしこの大曲が世の中に日の目を見るには、かなりの時間を要したようです。あの 「結婚行進曲」で有名な作曲家「メンデルスゾーン」により楽譜を収集編さんし「バッ ハ」が亡くなって約80年後に、初めてベルリンで慈善公演として演奏されたそうですが、 初公演は不評だったみたいです。メンデルスゾーンは、バッハの埋もれていた名曲の多数 や、シューベルト、ベートーヴェンなどの曲も世に出すのに関わったそうです。メンデル スゾーンは当時の作曲家としては珍しく、裕福な家庭で生まれ育ちました。父親のアブラ ハムが銀行家として成功したことにより、自分自身の音楽活動とは別に、過去の偉大な作 曲家の曲を世に出すことに奔走したようです。メンデルスゾーンがいなければ、世に埋も れていた、現在演奏されているバッハの大曲はあり得ないのではとも言われます。余談で すが、メンデルスゾーン家はユダヤ人一家でしたが、父親の代でルター派に改宗したそう です。ドイツに住み暮らす以上、迫害から逃れるため必要な選択であったと思われますが、 完全に逃れることは出来なかったようです。 次に「ブラームスのドイツレクイエム」 最初にブラームスのドイツレクイエムを聴いた時の印象は、何か暗くて取っ付き難い曲だ なと思いました。しかし噛めば噛むほど味わいある曲との印象を持ち、いざ合唱で歌って みると「これは素晴らしい!」との感を深めました。有名な4つのレクイエムとされる、 モーツアルト、フォーレ、ヴェルディ、そしてブラームス、3つはラテン語でカトリック の典礼文で、ある死者のためのミサ曲ですが、ブラームスのレクイエムはドイツ語に翻訳 された聖書の中から、彼自身が曲に合う文章を 抜き合唱曲としたそうです。他の3曲と反対に「生きる人のため」の曲としたところです。 第1曲目の「悲しんでいる人は幸である。彼らは慰められるであろう」(マタイ5・4) から始まります。私が特に感じ入ったところは、2曲目の「人はみな草のごとく、人の栄 光はみな草の花のごとし、草は枯れ花は散る」(第1ペテロ1・24)の部分です。キリ スト教を離れ、生ける人々全てに共通する言葉です。仏教でも同じ意味を持つ言葉がたく さんあります。当たり前のことですが、人種、宗教、貧富に関係なく年は 平等に取り、やがて滅亡に至ります。人が持つ運命は避けようがなく、故に古今東西に渡 り人は神仏に祈りを捧げ、救いを求めたのではないでしょうか。自の生き方を問われる名 章句と思います。
8月14日 〈平和を考える礼拝〉から はじめに「ショックドクトリン 大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改 革」--ナオミ・クライン新著を語る--というデモクラシー・ナウ配信のビデオを見た。 2007年に出版された本であるが、日本では来月に飜訳が発売予定。デモクラシー・ナウの 紹介によるとこうである。 〈投資家の利益を代弁するシカゴ大学経済学部は、「大きな政府」や「福祉国家」をさか んに攻撃し、国家の役割は警察と契約強制以外はすべて民営化し、市場の決定に委ねよと 説きました。… 民主主義の下では実現できない大胆な自由市場改革を断行したのが、ピ ノチェト独裁下のチリでした。無実の一般市民の処刑や拷問を行ったことは悪名高いです が、それと同時にシカゴ学派による経済改革が推進されたのは、クラインによれば偶然で はありません。これがショック・ドクトリンの、最初の応用例だったのです。ショックの 効用を研究したもう一つの機関は、カナダのマッギル大学でした。同大学の精神医学科は CIAの資金で拷問手法としてマインドコントロールや洗脳の実験を行っていたようです。 囚人に幻覚剤を投与し、近く刺激を奪って長期の孤立状態に置くことにより、精神を幼児 まで退行させ、人の言いなりにさせる手法は、現在グアンタナモやアブグレイブで使われ ている拷問マニュアルに酷似しています。戦後イラクで連合軍暫定当局(CPA)のブレ マー代表は意図的に無政府状態と恐怖の蔓延を助長する一方で、急激な民営化を進めまし たが、これを個人に対するショック療法のパラレルとしての国民レベルのショック療法と みることもできます。… このようなことを公然と認める経済学者たちの発言が、たくさ んの文献に残されていたことでした。自由市場経済を提唱する高名な経済学者たちが、急 進的な市場経済改革を実現させるには、大災害が不可欠であると書いているのです。〉 つまり急激なショックを受けると人はだれも精神的な抵抗力が弱くなる。そのショック を人為的に起こして洗脳したり転向を強要したりし、20世紀前半から始まったどす黒い 精神医学悪用の歴史があるのは周知のとおりだ。しかし、自由主義経済を世界的に展開し さらなる利潤を上げようとする人々が、ある時期から意図的に利用し始めた。社会全体が なんらかの大きな衝撃にみまわれると、これまで自由市場の拡大の障害となってきた伝統 的な法慣習や制度の抵抗力がなくなる。その機に乗じて、資本に都合のよい経済体制、政 治体制を変革させてしまえばよいという戦略である。 9月にこれが日本語版で出版される意味は、大きいと思う。3・11東日本大震災とい う衝撃的な大災害を体験している日本が、まさにこれまで培ってきた社会的な抵抗力のレ ベルが下がってしまったと言えなくもないからだ。 もちろん、この衝撃的なショックは逆に働かせることも可能だ。新自由主義者たちの勝 手にさせない、今こそ〈民〉の視点に、あるいは「日本国憲法」の上に立った「復興」を、 原発に頼らない社会変革を、等々。けれども、津波被災地に見られるように、ハードウェ アとしての〈ブツ〉は破壊されてゼロからの出発をするよりない。〈ブツ〉としての抵抗 力はゼロ。残された者のソフトウェアと結束力で復興させていく。被災者がヘゲモニーを 取るのはもちろんだが、支援する一人一人の責任も重い。政治にどういう舵を取らせるか ということは、すべての国民の責任だ。われわれの抵抗力の真価が問われることでもある。 ことに心配なのは、原発事故を前にして、今後のエネルギー政策のゆくえである。まちが いなく、かの新自由主義者、市場自由主義者たちはむしろこれぞチャンスと自分たちに有 利な結果をもたらそうとしているのだから。 (久保田 記)
8月7日の説教から 箴言 29章1~11節 「三人の絵師」 関 惠子 昨年から今年にかけて三人の画家といったらよいか絵描きの作品に接した。どの一人も それまで全く知らなかったが、私が語るなど気が引けるようなそれぞれ異才を放つ生き方 を通した天才たちだった。 高島野十郎、田中一村、狩野一信の三人だ。パソコンからの画像や図録を見ながらお聞 きください。 江戸時代に区切りをつけて近代から現代に至るまでの道のり、戦争や災害などを乗り越 えながら日本は急速な発展を遂げました。科学技術の躍進はそれまでの暮らしの姿を一変 させてゆきます。昔はボタン一つでと言っていた文明の力をさえ超え今はワンクリックな どといって一度に開いていく花々のように我々は物質文明の波に溺れました。 TVや車、洗濯機や冷蔵庫、クーラーなどと無縁の人というのは皆無と思われます。でも 普通の暮らしを選んだ私達はというと、3・11の震災の後原発の放射能にさらされ恐れ 震えながら毎日を暮らしているのです。 三人の画家達は急な上昇の流れにあえて乗らずに世の中からのがれ厭世隠遁の趣で暮らし 中心をはずれた暮らし方を選びました。一方、描く絵については過激なまでに止むことな き追求に労を惜しまなかった画家たちです。いずれも写実を極めました。 高島野十郎は九州の久留米生まれ、1890~1975まで生きました。東京帝大、農学部水産 学科を群を抜く成績で卒業しながら嘱望された道を選ばず、反対を押し切って好きな画の 道を選びます。40代になって4年間のパリの暮らしを経験し新しい西洋絵画の動きや思想 哲学に触れながら帰国しました。そうそうたる履歴をかかげることなく画壇からも遠くは なれて思索の絵を描き続けました。彼の自画像はどれも凄みを帯びて人を近づけません。 東京オリンピックの開発で住居を追われ、増尾の農家の作業小屋をアトリエとしました。 禅や真言の経典を座右として売る絵ではなく深い画境を絵にしていました。東部電鉄の宅 地開発の嵐にさらされ、精一杯の抵抗もむなしくブルトーザーが地響きを立てて野十郎を 追いやってしまいます。「ろうそく」の絵は彼を少し有名にしました。 一村もまた生まれながらの画の天才です。八歳にしてすでに米邨の号で梅を描きその英 才ぶりは人々の大きな期待を集めました。得意とする大輪の牡丹花のようでした。しかし その後は大きく屈折の生涯をたどってゆきます。 田中一村は千葉市美術館の精力的な企画により全貌が今明らかにされています。野十郎 と同時代を生きていますが、接触はありません。彼もまた中央画壇に失望し光・自然あふ れる奄美大島に限りない可能性を見出し、千葉の地を棄て単身南の果てへと転居します。 日常は裸で過ごしました。自分で畑作物を丁寧に作り食べ物は殆ど自給自足です。暮らし は困窮し奄美の染色工となって働きつつ画材の調達をしています。住むところも人々の好 意に甘んじ、当時恐れられたハンセン氏病の人たちの寮に起居し乞われるまま断ち難い故 郷の肉親の肖像画を写真を頼りに何枚も描いています。農家のアバラヤを改造しアダンの 樹やたずねてくる赤ショウビン鳥たちなどたくさんの美しい傑作を遺しました。電気や水 道などはない暮らしでした。 二人の生き方は現在の我々の日常を鋭くあぶりだします。 狩野一信は先の二人の画家とは単純に比較できません。近代以前幕末ぎりぎりまでを生 きた江戸の絵師です。人が暮らしてきたそのままに生きるしかなかった彼は、お抱え絵師 のような保障された境遇でもなく、当たり前の生活苦に追われながらの暮らしでした。自 分の絵の構想を芝増上寺に持ち込んで取り上げられたのが38歳それからの10年を羅漢を描 く大作に打ち込みます。羅漢というのは要するに人間です。人の日常の様子や心模様、希 望、絶望、天国、地獄、生老病死などをテーマに縦横3m余の大画面に100幅の大願をた てて取り組みました。私はかくもたくさんの僧衣(袈裟)を一度に見たことはないと思い ました。死人の着衣を脱がして再生したものから、きらびやかなものまで様々な羅漢の行 状の中に描き尽くされています。神を恐れ畏みつつ自然と共に生きていました。つい最近 江戸博で100幅全てが展示されました。近現代の災難を辛くものがれた100幅の絵はそれま での科学技術の到来以前の人間の暮らし模様を物語っています。彼は90幅あたりで力尽き 48歳の短命で維新を見ずに亡くなっています。 私達の住んでいる東葛の地のすぐそばで、大勢が目指した高度成長をあえて回避して描き たい画にのみ集中していった三人の画家達。
7月31日の説教から ルカ福音書7章36〜50節 「女の振る舞い、男の眼差し」 久保田文貞 NHKの今の朝ドラ「おひさま」という番組を半分くらいは見ている。多分今80才後半に なる女性の一代記、それを老齢になった主人公がある「主婦」に語るというスタイルを取 っている。ここまでのところ戦前から戦後の苦しい時代を主人公の家族がどう切り抜けて きたかという家族ドラマである。だがどう見ても私には、〈女性〉が主人公という以上に 〈女性〉のドラマという印象が強い。漠然と岡田恵和という作者も女性だろうとよく考え もせず思っていたが、男だと知ったとき「げぇっ」だまされたと感じた。このドラマは別 の面から言えば、古い時代男社会の下で抑えつけられていた女性が自己に目覚め自由を獲 得していく話しである。御覧になっている方はお分かりになるだろうが、そのためにその ドラマに出てくる人物はおしなべて影が薄い。問題はこのような女性解放劇を、男が書く ときでてきてしまうどうしようもないネジレのことだ。それまで抑圧する側にいた男が、 転じて女を解放してやろうというその〈解放〉とはなにか。ちょうど、それまで鳥かごに 入れていた鳥を、飼い主のある種の気まぐれで可哀想に思って空に放してやる、そうする と鳥はそれをどうとらえ、どう生きていくか、あるいはその解放劇を第三者はどう見るか。 ルカ7章36以下の「イエスと罪の女」の伝承が、マルコ「ベタニヤでの塗油」の伝承 と同根のものであることはまちがいない。ルカは、マルコで受難物語(14-15)の始 めに置かれた塗油物語をあえて切り捨てて、別バージョンの伝承を選びとり、ガリラヤ時 代の物語として配置した。マルコ版では塗油する女性は「一人の女」となっていて、彼女 はイエスの頭に油を注ぐ。そこではこれがまもなく処刑されるイエスの「葬りの準備」だ ったということになっている。ひょっとするとこの伝承では、女がイエスにメシア就任の 儀礼を施そうとしたという物語だったかもしれない。いずれにせよ女はイエスに跪くでも なく実に堂々としている。 これに対してルカの場合、女は「町で罪の女」(=現または元娼婦)となっている。彼 女の登場の仕方は「後ろに立って、彼の足下で泣き、涙で彼の足をぬらしはじめた。そし て自分の髪の毛でぬぐい、彼の足に口づけした。そして香油を注いだ」(田川訳)。この 改訂版で、香油を注いだのが足だったとつないでいるようだが、やはり元は頭だったこと を思わせる。とにかく、ルカ版では、側にいたパリサイ派の男がこれを見てイエスに触れ ている女が「罪の女」であることを問題にしているのだ。(マルコでは高価な香油の無駄 遣いを弟子が批判したことになっている。)そして罪の女のイエスを慕う気持ちが受けと められ、イエスはこの女の罪を赦すというように、物語のテーマは〈悔い改め〉〈罪の赦 し〉という福音書記者ルカの好きなテーマになる。 他の福音書に比べてルカは、イエスによって救われていった女性たちに照準を合わせた 物語を多く伝えている。1世紀のヘレニズム社会の家父長制の下で束縛されてきた女性た ちの解放の物語は「ハナシにな」ったのだろう。けれども、注意しないといけない。その 解放の物語も所詮は男の眼差しのもとで、男の用意した物語の中で、新たに作られる女の 物語に終わる可能性のことを。結局は、男のまなざしの中で、理想的に作られた女性像を 振る舞う女性でしかないことを。 『チャタレー夫人の恋人』のコニーも、『或る女』の葉子もアメリカに渡ることが、自 由と解放の象徴のようになっているが、こうして自由へと飛び立たせたのは、ローレンス や有島武郎という男であり、そのレールを走った女たちがほんとうに自由を手にするか怪 しい。単に男のまなざしをフェイド・アウトさせて、彼女の解放が成立するわけがない。
7月24日の説教から ルカ福音書7章11-17節 「寡婦、息子、イエス」 民間説話としてほぼ世界的に〈奇蹟物語〉という文学類型が広がっているが、こうして 福音書と弟子の行伝の中にもいくつも〈奇蹟物語〉が出てくる。ことに福音書の場合、 〈奇蹟物語〉は最初期のキリスト教の布教のための講話の中で用いたものと考えられてき た。初心者にまずはキリスト教にはどんな御利益があるか、病人の癒やしなどの〈奇蹟物 語〉でインパクトを与え、それで引きつけておいてしかる後に、イエスの言葉の真の意味 やパウロが説いているような奥義・宗教的な深い真理を学んでもらう、そういう読みなの だ。最初期の教会だけでなく、そう読む近・現代の教会も、初心者から入信志願者をつの る〈伝道〉のためには、入信すればどんな御利益があるかまず分かりやすいところで提示 しておく、それから徐々に〈福音〉の〈真理〉をつかめばよいという前提に立っている。 この前提は聖書を読む者として捨てた方がよい。はじめて福音書なる形態の文書を書い たのはマルコ福音書の著者である。おそらく彼はガリラヤ時代のイエスの活動を聞き知っ て、イエスの死と復活にもっぱら焦点を合わせていた「受難物語」(マルコ14-15 章)だけでは満足できなかったのだろう、そこへと至る過程、そもそもイエスのガリラヤ での宣教活動の記述なしに、イエスの死=真実のイエスを理解できないはずだという思い にかられた。それが福音書執筆の動機と私は考える。 そこで彼は、病人の癒やし、悪霊に憑かれた者たちの悪霊払いの活動を何度も紹介する。 それが後に〈奇蹟物語〉という文学的な枠組に納まっていく断片的な伝承群になる。初期 の教会が先ほど述べたような使い方をしたかもしれない。しかし、マルコが福音書に〈奇 蹟物語〉を織り込んでいく時、それは、単なる入信者を引きつけるための二義的な伝道戦 略などと理解していない。 《イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そ のためにわたしは出て来たのである。」 そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪 霊を追い出された。》 (マルコ1:38-39) これまで繰り返し述べてきたように、教えといやしとはどちらもイエスの中心的な業な のだ。このことは福音書の存在根拠にかかわる。イエスの宣教活動は、ガリラヤの人々の 間に起こっている惨憺たる有り様に向かって、究極的に神みずからがそこで助けを求める 人々に手を下しはじめる、その恵みの出来事に、彼とその仲間が身を投じて働くというこ となのだ。私たちの世界で言えば、イエスとその仲間はそうやってガリラヤ中でボランテ ィア活動をしていたということなのだ。 「近くのほかの町や村」のひとつにナインの村があったと考えてよいだろう。ナインの 村は、後に「海の道」として栄える街道沿いの村、イエスの出身地ナザレとは別の道筋だ が、5,6キロ離れた所だ。不信心な私には、葬られようとしている死者が「目覚めなさ いエゲルテーティ」(=ルカの時代のキリスト教では「甦れ」「復活せよ」という意味) と命じられて起き上がるというのは信じがたいのだけれども、ナインの村でのある出来事 の記憶にたどれる話しかもしれない。そこでもイエス集団の活動の像は、町や村を巡り歩 いて、救援活動をするボランティア活動である。当時の職業奇蹟行為者たちとは違って、 神の恵みのわざに身を投じて活動する彼らの報酬は無料である。 こういう活動が社会の 中心にせり出してくれば、それまで社会の秩序のなかで支配してきた人々にははなはだ迷 惑なのだ。ヴォランティア活動は補助的で周辺的な例外的な活動であるかぎり、貪欲に使 いこなそうとするだろうが、その枠を決して超えさせない。超えようとすれば猛烈なバッ シングが始まる。イエス宣教活動の結果の通りである。
7月17日の説教から ルカ福音書17章11-19節 「距離による演出」 久保田文貞 すぐ前段の17章1以下の百卒長の僕の奇蹟物語で、特にルカはその百卒長がユダヤ人 の教師にして奇蹟行為者(と少なくともこの異邦人には見えたろう)に対して直接会って 僕の病を治してもらいたいと異邦人の〈分際〉で依頼してはならなぬと自分に枷を嵌める タイプの人間に加工していた。遠慮深さ、謙虚さの徳が好きらしい。同物語のマタイ版を 見ると百卒長は普通にイエス本人の所に来て僕の治療を願っている。ここでは謙虚さの美 徳が求められていない。多分、こちらの方が原型に近いだろう。もとの話のポイントは、 神の恵みが統制の取れた軍の中を命令がストンと落ちていくように人々の間を落ちていく。 それを人間の力や秩序で止めたり再配分したり、とにかく勝手にいじるわけにはいかない のだという点にあったはずだ。 ルカは次の、ルカに固有の奇蹟物語で、またも同じ遠慮深さ、謙虚さの徳を称揚しよう とする。「そして彼がある村に入ると、十人の癩病の男が彼に出会った。この者たちは遠 くに立って、みずから声をあげていった、『師なるイエス様、私たちを憐れんで下さ い』。」(田川訳)(田川がギリシャ語レプラをこう訳すことについては『新約聖書訳と 註1マルコ福音書・マタイ福音書』166頁と『同訳と註2上』390頁参照されたい。 私としては、『聖書』という古代文書が、体に痕跡を残した病を社会的な差別の対象とし てしまった汚点を今さらお手盛りで拭い消してはならぬし、その後『聖書』を担いだキリ スト教世界が懲りもせずつい最近まで差別し続けてきた歴史を整形してしまってはならぬ と思う。この語が依然として現在のハンセン病被患者や被治癒者に差別されたことの苦痛 の念を起こさせてしまうとしたら、その語を刈り取るのではなく社会的差別の撤廃に力を 注ぐべきだと思う。そういうわけで私は「田川の訳を敢えて使う。) ところでこの10 人を「遠くの方に立」たせたのは、これがルカが受けた伝承自身かもしれないが、すくな くともルカはこの距離感に何の問題も感じないで、10人のこうした登場の仕方を許容し た。偉大なるイエスに彼らのように距離を取って接しようとするけなげさ、遠慮深さ、謙 虚さがすぐ前の百卒長の姿勢と重なってくる。物語の配列上当然ルカはこれを意識してい ることは確かだ。こういう距離のとり方に共感してしまうどうしようもない性(さが)を 私も認める。けれども、この遠慮、謙虚をイエスはどう思うだろう。 マルコ1章40以下で癩病の人がイエスに近寄ってくる。すると「イエスは怒って、手 をのばしてその男にさわり、言う、「望む。清められよ」。(同訳)二人には不自然な距 離感はない。またマルコ5章25以下、長血を患っていた女の話し。「イエスのことを聞 いて、群衆にまじって来て、後ろからその衣にさわった。彼の衣にでもさわれば自分は癒 されるだろう、と言っていたのである」(同訳)イエスはなにかを感じて「誰が私の衣に さわったのか」という。女は恐れ、自分がさわったことを話した。すると「娘よ、あなた の信頼があなたを救った」という話し。彼女は群衆の中に紛れ込み彼の衣にさわるよりな かった。屈折を強いられていると誰も思うだろう。イエスが誰がさわったのかと探してい る。彼女には知らんぷりをしてその場をやり過ごすこともできたろう。しかし彼女は名乗 り出る。自分が取ってしまった距離を捨てて、彼女はイエスの前に出る。「恐れ、ふるえ、 …ひれふし」という姿勢を取りながらも、「真実をすべて話した」。二人の不要な距離は なくなっている。 残念ながらわがルカのこの奇蹟物語は、イエスと被治癒者の距離はそのまま。イエスは 遠くから指示するだけである。
7月10日の説教から 詩編23章1-6節 「人生は旅」 久保田文貞 詩篇120-134篇に、巡礼歌「都に上 る歌」が集められている。有名な121篇「われ山にむかひて目をあぐ、わが扶助はいづ こよりきたるや」がその一つだ。特にバビロニアから帰還して第二神殿が建立された後、 大きな祭りになると各地からユダヤ人がエルサレムに巡礼に来た。これらの詩篇は巡礼者 が都を前に口ずさんだものだろう。基本となっているテーマは神の座・エルサレム神殿・ シオンの山への賛歌である。 日本人の感覚かもしれないが、あまりに目標がきっちりと定まっていて、そこへ到達す ることが約束されているような旅は、旅として想念されない。巡礼たちは聖地を訪れ、ま た生活点に戻っていく。それは旅ではない。 目的地が定まらず、それでもなお先へ進まなければならない、そういう途上性の度合い が出てくると、旅として想念されてくる。聖書の物語でいえば、アブラハムの出立(創世 記12章)は神の命じた目的地へ移動のためとはいえ、そこに着くのが何時か、またそこ がどこか、不明のままの出立だった。ヘブル書11章8節が書いているように、アブラハ ムは神を信頼して行く先を知らずに旅に出たのである。それは導かれるままに旅を続ける、 つまり途上性を生きるということを意味しているだろう。 出エジプトという大きな物語も、この途上性が重要なテーマになっている。エジプトの 奴隷状態からモーセの手引きで逃げたイスラエルの民は、40年間荒野を旅した。とすれ ば、それは旅というなまやさしいものではなかったろう。当初は、明日の草場・水場もさ だまらぬ砂漠地帯の放浪生活をしなければならず、遊牧民の中でも最も劣悪な条件を帯び て移動し続けるよりない民だった。その厳しい途上性を、幽かに神への信頼を持ち続けて、 生きる。それがイスラエルの民の、ひいては現代にまで至る離散のユダヤ人の真骨頂だと 思う。もっとも外部からそんな規定をすることが〈ユダヤ人〉に迷惑この上もないかもし れないが。それにしてもこの旅を終結させるような、約束の土地への侵略、聖戦、王国の 建設、神殿の確保、これらはいずれもかの途上性とは正反対のものだ。 前8世紀の預言者アモスは、聖所ベテルやギルガルに巡礼していかにもヤハウェへの信 心を誇示する面々に辛辣な警告を発する。「ベテルに助けを求めるな、ギルガルに行く な」(アモス5:5) 聖地に行くくらいなら、むしろ「町の門で正義を貫け」(5:15)と。 つまり〈君らのうわべの宗教心など要らぬ。それより君らの現実の生活の場で正義をつら ぬけ〉と。これは日常の場から聖なる場へつごうよく切り替えて、現実からの責任逃避を 糾弾する言葉として受けとめよう。 神を信頼する中で神の真実に応えて生きるとは、聖なる場を見つけてそこに移動すること ではなく、自身の生きる現場で誠実にその途上性を生きるということだろう。 詩篇23編には〈都詣での歌〉のような熱狂はないけれども、たんたんと旅を続けて来、 これからもまた続けていく旅人のしぶとさを感じてならない。 ---目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。 わたしの 助けは来る、天地を造られた主のもとから。どうか、主があなたを助けて、足がよろめか ないようにし、まどろむことなく見守ってくださるように。見よ、イスラエルを見守る方 はまどろむことなく、眠ることもない。主はあなたを見守る方、あなたを覆う陰、あなた の右にいます方。昼、太陽はあなたを撃つことがなく、夜、月もあなたを撃つことがない。 主がすべての災いを遠ざけて、あなたを見守り、あなたの魂を見守ってくださるように。 あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。 ---
7月3日の説教から 創世記9章9-17節 「「天罰だ」などという問題」 久保田文貞 西南支区発行の小冊子「キリストの平和」の中に、小山晃佑『神学と暴力』という講演 録があった。おそよこんなことが書いてある。 ・・・暴力は人間だけの問題、人間の頭脳が時には説明のできない暴発的な暴力を振る い、時に計算して意図的に敵を抹殺するために暴力を振るう。ことにそこに聖なる神の名 が関与してくると、祝福される者と、見捨てられる者に二分される。天国と地獄と言って もよい。人間の権力への意志がこの神の名による二分法を利用すると、神の側に立つ者は その外側にいる者を排除し抹殺し差別する大義名分を握ることなる。だから「人間の堕落 が神の暴力を起こすという神学を乗りこえる必要がある」という。 ノアの洪水物語で、神が洪水を起こした理由は人間の堕落にあるという前提に立つ。堕 落した人間を一掃するために洪水を起こす。ただそこに神に従う無垢な人、神と共に歩む 人ノアがいた。神はノアの家族だけを方舟に避難させる。洪水になれば他の動物も犠牲に なるから種類に応じて一対ずつ箱舟に避難させる。 (子どもの絵本で、つがいとなった 動物たちが方舟に乗り込む様子などを見ていると、私もついほほえましく感じてしまった ものだ。) だが、選ばれなかった動物たちは洪水の〈巻き添え〉になる。100%悪い 人間なんていないだろうから、人間にも〈巻き添え〉になったものがいたと考えたくなる。 神がノアを選び救い出すために巨大な暴力が神の名において世界的な規模で実行された。 それがノアの洪水の物語だ。悪い奴は滅ぼされても仕方ない、神が悪いのではない、堕落 した人間が悪いのだというわかりやすい理屈だが、実に危険な思想だ。 どんな暴力も巻き添えということが起こると指摘する。いろいろな歴史的な例を挙げら れているが省略する。ひとつだけ聖書から挙げられている例を紹介する。出エジプト記1 7章、エジプトを脱出したイスラエルの民が荒野を放浪していた時、アマレク人がイスラ エルを攻撃した。これにはイスラエル側は相当頭に来たのだろう。伝承では神はモーセに こう言ったという。『わたしは、アマレクの記憶を天の下から完全にぬぐい去る』と。」 しかしアマレク側からすれば彼らが守ってきた領域に無断で入ってくる者を排撃するの は当然の自衛行為だろう。このアマレクに対する怨念はずっと後々まで続く。サムエル記 上 15章以下にこの怨念は引き継がれている。 神の名によって振るわれる暴力は、敵を全滅させても後ろめたさすらともなわない。巻 き添えになる者に対する憐憫の情もない。これこそ暴力の事実上の姿だ。・・・ 洪水物語の前提は、世界を救われるものと滅ぼされるものに二分すること。ことは善・ 悪の二分法にとどまらない。さらに私たちが生きている近代は、この世界を「よりよく」 把握するために当然のように種々の尺度を持って二分する。西洋と東洋、文明と未開、精 神と物質、男と女などなど、世界のありとあらゆるものを分析し分類する。偏見的なイデ オロギーによってだけでなく、客観的で冷静なる〈理性〉〈科学〉の名のものとに、まず それぞれの線引きして二分し、それぞれを関連づけ、こうして世界を認識する。20世紀後 半のポスト・モダン(近代の問題点をさまざまな形で明らかにしていった思想としてお く)は、このような対象を二つに分けて認識しようとする態度自体に、根源的な暴力があ ることを指摘した。理性的・科学的認識のために、当然のように世界を二分し分類する、 そのことによってどれだけの切り捨て、犠牲、巻き添えが起こってしまうかということが、 頭から消えている。 こうして無意識のうちに私たちみんなが荷担している暴力、それこそ問題だ。 3・11の地震・津波を「天罰だ」と石原知事が言った。私が聞いてすぐ感じたのは、己 は天から俯瞰できるという彼の相変わらずの傲慢ぶり。けれどもよく考えよう。自然の猛 威が人間の想定や管理を超えて、破壊と非破壊、死と生すら二分していった。こういうこ とを私たち自身すぐに達観してしまう。実は私たちも隠れてあるいは無意識のうちに、平 然と世界を二分し、それに伴って起きてしまう犠牲や巻き添えをあたかも自然災害のよう に達観できてしまう位置をとっていたのではないだろうか。石原知事は傲慢だという時、 けっこう自分も同じ傲慢に陥っていないか。 ああ、世界を二分して始まるこの種の傲慢さは、キリスト教も懲りずに犯している過ち だ。大いに自省すべきだろう。
6月26日の説教から ルカ福音書14章15-24節 「秩序が宙吊りに、快哉なり」 「宴会の譬え」の前半部分は、まず午餐会に招待された人々の対応に焦点が当てられる。 一人は畑を買った者、というからにはまちがいなくすでにかなりの畑を所有している者、 次は牛のくびき5つ買った者というから少なくともまずは牛が5頭はいる、いやほかに、 すでに十分なくびきをもっている牛が相当数いる感じがする、すなわち相当の家畜業者、 3番目が妻をめとった者、1世紀地中海沿岸世界は経済変動の激動期で、従来の小地主農 民層が没落していく時だったという、そういう時代、伝統的な婚宴披露をして花嫁を迎え うる者は残り少ない中産階層に属していることを予感させる。私たちの時代もそうだが、 貧しい若者が好きな男や女とねぐらを共にしはじめるだけでは伝統的な婚宴としては現象 してこないものだ。 要するに、ここに出てくる予定された3人の招待客はなかなか裕福な連中でありどちら かといえばエリート層に属する。古代コプト教会が迫害を避けて秘匿した「トマス福音 書」が20世紀に発見された。イエスの語録集の体裁をとっているが、64段にこの譬え と同根のものが出てくる。そこで言い訳をして断る客は金融業者や不動産業者、さらには 村ごと買い取る大土地所有者など、裕福さ加減はルカの譬え以上である。 これらの予定客が招待を断る理由は、財産管理であったり家あるいは家族内の調整であ る。なにほどか財産を持ちこの世のしがらみをわたりながら生きているほとんどの読者は、 それが資産の大小のことではなく、他者の招きを同じように言い訳して断ってしまう自分 の問題であることに気づかされるという次第である。 後半部分は、招待した客が断るというなら「町の大通りや路地に出て行って、貧しい者 や身体障害者(anaperos)や足なえや盲人をここに連れて来い」(田川訳)と主人は僕に 言う。それでもまだ空きがあるというので、今度は町の城壁の外の「街道や囲い地に出て 行って、無理にでも人を連れて来い。私の家がいっぱいになるように、と」(同)言う。 ここに至ると、もう比喩というよりは、イエス自身のガリラヤでの活動の姿をそのまま とらえたスナップ写真のように感じる。 主人は招待客に断られて、この午餐会を中止にしなかったことに注目したい。物語の運 びから言えば、すでに準備してしまっているからということだろうが、それが神の恵みを 象徴する午餐というのであれば、その招待を人が言い訳して断るというなら、一切を取り やめにすることの方が道理が通る。けれども、神の恵みとしての宴は中止しなかった。な んどもこの物語を聞いたことのある人は、えてしてそのことを忘れてしまう。準備してい たものが余るともったいないからではなく、そもそもはじめから、招待を受けるにたるな にものをも持たず、なんの資格もない人、体に障害があって物乞いをするよりない者、仕 事がなくてぶらぶらしている若者や娘たち、町の片隅の地べたにうずくまっている年寄り たちのためにこそ実は用意されていた午餐会であるかのように。 この午餐会は、招待予 定者、参加有資格者たちが既得権のように維持していると思い込んでいる参加条件自体を 破棄するための午餐会だったというのは言い過ぎだろうか。いずれにせよ、午餐会に招待 されるべき既存の社会秩序はこの午餐会自体によって宙吊りにされてしまう。つまりはほ とんどの読者がこの譬えによって宙刷りにされる。招待の中身を吟味して相当の理由をつ けて断るか、一応主体的に。あるいはそれを吟味する言われもないしつける理由もないま ま〈来いよ〉と言われて〈うん〉と言って行ってみる。両方を並べてどちらかを選ぶ判断 基準はない。
6月19日の説教から 使徒行伝2章1-13節 「霊が働くということ」 近代主義的な世界観・人間観の中にいる者としては、聖書に出てくる〈霊〉という漢訳 語のイメージはどうしてもなじめない。旧世界の遺物のように感じられてしまう。この語 の座り心地の悪さを正直に告白するよりない。近代の常識的感覚として、意識や心、気持 ち、感情などなど、これらは人間の内面にあると考える。これに対して〈霊〉というと人 間の内部や外部を自由にアクセスできる〈なにものか〉を指すことになり、そういうもの が実体的に存在するということになる。近代合理主義の合意として、他者に再検証でいな いようなモノの実在を認めない。お化けもUFOも存在を信じるのは自由だが、それを第 三者に証明できない限り、仮想的な存在でしかないことを甘受するよりない。もっとも、 わたしたちの日常では、現実には居ても居なくても、けっこう普通に〈幽霊〉に怯えあう、 そういう心情を共有しあっている。人間の内面に限られるものとはいえ、その内面は孤立 しているわけではない。意識や心理、精神は言葉を使っていくらでも通じ合うことができ、 互いに共有できる普遍的な精神をたしかめることができる。わたしたちはそういう共通理 解はもてる。 けれども、聖書が〈霊〉という語であてているものは、明らかに人間の外部から人間に 働きかける〈なにものか〉の実体的な存在を語っている。〈霊〉と訳されている元の語は、 ヘブライ語聖書ではルーアッハ、それをギリシャ語に訳した時にプニューマ。どちらも語 の初原的な意味は〈風〉、〈息〉である。古代の人々はこの流動するものに、意志を感じ とり、ときに善意を、ときに悪意を読みとったのだろう。そこまではわたしたちにもわか る。木々の戦ぎをみてそこに美を感じとることも、悪意を感じとることもできる(映画 「ハプニング」は何だったか、私は大失敗作だと思うが)。 先週は、ペンテコステ(聖霊降臨日)であった。使徒行伝は〈聖霊)が天から降りそそ ぐ時をペンテコステ、教会の始まりの時として描く。この〈聖霊〉が働いてキリスト教が 世界(ローマ)に布教されていく様を描くわけだ。つまり使徒行伝は、キリスト教の宣教 というものを、この特別の霊が諸霊を制圧し無化していく過程として描く。当たっている かどうかは別として、〈聖霊〉は、まるで毒をもって毒を制するかのように、世界から妄 想的な諸霊を一掃して脱魔力化(ウェーバー)したということになろうか。 けれども、実際にはキリスト教による西欧世界の制覇とともに、〈神・キリスト・聖霊 〉が世界に君臨するかのような錯覚に陥ってしまった。脱魔力化どころではなく、魔力の 一元化というべきだ。神の名によって、救われる者(=キリスト教徒)と滅びる者(異教 徒)、正統なる信仰を持つ者と異端の信仰を持つ者、秩序を守る者と社会に混乱を招く者 等々、このようにキリスト教世界の内部と外部に分け、内部の平和のためには外部への暴 力的排除、抹殺を承認してしまう。 使徒行伝が描くように、聖霊がどんなに内部を治め制御し、内部を美しく形成しようと、 少しでも外れた者を見せしめのように排除し抹殺していくかぎり、それは空しい。(使徒 行伝5章のアナニアとサフィラの記事を見よ) どんなに「伝道」に熱心であろうとも、こういう聖霊の名を借りた二分法、覇権主義、 その帰結としての一元主義は、あのイエス・キリストの福音と大きくずれてしまっている。 そのことに気がつかない、宗教的な熱心さがけっこう現在でも息を吹き返しているのがこ わい。 近代合理主義がよいとはとても思えない。そこには別の二分法、それがゆえの一元的な 覇権主義、暴力が歴然としているから。しかし、だからといってかつて追い払われた諸霊 を担ぎ出し、復権させるのがよいとは思えない。そういうのはたいてい担ぎ出した奴の魂 胆が見え隠れしている。 おまえはなにを言いたいのか、と問われるだろう。世界を制覇したり二分しない、よわ よわしく不甲斐ないけど、殺されても人を裏切らない者のみちをこれからも探していきた い。
6月12日の説教から 出エジプト記15章20-21節 「出エジプトの奇跡」 久保田文貞 イスラエルの民の語り伝えてきた出エジプト物語の前半はこうなっている。パレスチナ 一帯で部族的な半遊牧生活をしていたグループが、その地を襲った飢饉を逃れて豊沃なエ ジプトに避難する。やがてファラオ(エジプト王の呼称)は新都市建設のためにこの難民 たちを奴隷的に酷使した。その苦しみと呻きを神ヤハウェが聞きあげ、指導者モーセを遣 わしてこの民を救済する。この救済の頂点にあるのが、エジプト軍の追っ手をすぐ後ろに 控えて絶体のピンチに陥ったイスラエルの民を、神はエジプトの戦車隊を海の中へ投げ込 んで殲滅し、救い出すという話し(13-15章)である。 くどいようだが、すべては語り伝えられた物語のことである。それを歴史的に特定しよ うとしても意味がない。比較的確かなことは、紀元前1200年頃、現在のパレスチナ地域に 半遊牧的な生活をしていた弱小な部族が連合し、オアシス周辺の農地を占有し特権的な位 置にあった小都市支配者たちに水利権や草地利用権などをめぐって対抗した。この部族連 合の精神的柱は、神ヤハウェが彼らを集められ救済してくれたという信仰であった。伝承 では12の部族ということになっているがいずれにせよそれぞれ固有の歴史を持っていた 諸部族が、神ヤハウェによる救済というひとつの共通の歴史=物語をもつことにしたので ある。アブラハムに始まる、イサク、ヤコブ、ヨセフのそれぞれの族長物語も、そして出 エジプト脱出物語も、シナイ山で律法を授与された物語も、まずまちがいなく各部族もち よりである。モーセ五書の物語全体がそれぞれを繋ぎ合わせたパッチワークのようなもの だろう。 けれども、その物語に通底しているいくつかのスピリットがある。そのひとつは無産者 として寄留をくり返さざるを得ない弱い立場の者たちが、ときに支配者から酷使され隷従 された。神ヤハウェが彼らを集めた。これがイスラエルの源流である。この弱小の民を救 い出すのが神ヤハウェである。少なくとも出エジプトの段階ではイスラエルが強いのでは ない、むしろ神はこう言う、「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにし ていなさい。」(14:14)彼らには戦う力がなかった。 出エジプトの物語は、ずっと後のいろいろな歴史的な弱者や虐げられた人々の支えとな るが、よくわかる気がする。18,19世紀アフリカからアメリカへ強制連行された奴隷 たちの、またアジアや南アメリカの独裁者や南アフリカの人種差別の圧制のもとで解放を 求める人たちの物語になる。 出エジプトの物語のインパクトは、神自ら苦しむ人々のために戦い直に手を差し伸べて 下さるという点にある。取りようによっては、神と民の間に介在するモーセもただの従者 に過ぎない。神自らが働かれるから、人と神の間に特別の位置を占めようとする〈教会〉 なぞもういらないという根拠になる。「解放の神学」を危険視した、かつてのカトリック 教会教理省長官ヨーゼフ・ラッツィンガー、現教皇ベネディクトゥス16世は、このよう な「解放の神学」を異端視して動き回った人物である。 もっとも出エジプトの物語は、やがてパレスチナを神の約束の地として略取しイスラエ ルはその地で支配者となる。ここまで読み込むと、出エジプトの物語は成功話を浮き上が らせるための単なる苦労話にすぎなくなる。虐げられた人々が支配者に逆転勝利したこと の賛歌、支配者のイデオロギーにならぬとも限らない。そういう物語に落としこめられて しまう可能性ははじめからあるが、それとは別の虐げられた人々に固有の優しさと、勝利 を祝うにも神の救いの業を賛美するだけのものが、出エジプトの通底音として鳴り響いて いるのも確かである。 今日の聖書箇所は(出エジプト15章20-21)、ヘブライ語聖書の諸伝承の中で最 も古いものとして伝わる女預言者ミリアムの歌である。馬と乗り手を海に投げ込む神の勝 利を喜ぶのみである。ひょっとしたらミリアムの視界にモーセ自体がいなかったかもしれ ない。とにかく、彼女の勝利の賛歌にモーセは出てこない。 バーバラ・ウッド『女性司祭』というミステリー小説がある。フェミニスト考古学者 キャサリンがアカバ湾で女預言者ミリアムの痕跡を探していた時に、キリスト教をひっく り返すような1世紀末の文書を発見する話しである。キャサリンが、男性中心主義的なユ ダヤ教-キリスト教が封印する3人のミリアム(預言者ミリアム、イエスの母ミリアム、 イエスの弟子のマグダラのミリアム)を引き継いだ古文書の著者の意をくんで、いろいろ な妨害をかいくぐりながら飜訳・公表できるかどうかという物語なのだ。関心のある方は どうぞ読まれたし。
6月5日の説教から Ⅰテサロニケ5章12-22 「完済の日へ」 久保田文貞 パウロに感じる魅力は、ユダヤ人としての自己を突き破り新しい地平に踏み出す熱意と 大胆さにあると言ってよいと思うが、同時にいつも事柄を冷静に見る目をもっていること だ。この習性は彼が幻のイエスと出会ってからの足取りにもよく表れている。前にも何度 か述べたように、パウロはイエスが処刑(30年頃)されてから2,3年後に幻のイエス に出会う体験をしているが、バルナバにスカウトされてアンティオキア教会にデビューす るのはそれから14年後である。その間の行動を直接知ることはできない。後にバルナバ と訣別し、まずまちがいなくアンティオキア教会の援助がなくなり、自給伝道体制に入っ ていった。こうしてパウロ独自の展開が始まるが、必要に応じて自分が関わっている教会 に手紙を送って指示・勧告した。そのところどころでパウロは自分史を語る。ガラテヤ書、 コリント書など。素直に考えれば、パウロの思想は彼の現実の奮闘の中で醸成されたとい うことになる。けれども、パウロ自身が、当然の権利だと思うが、後から自分史を味付け してしまう。しかし、デビューするまでの14年間の自分史を、ほとんど語らないままに していることが気にかかる。 第一テサロニケ書簡は、彼が書いた手紙で残っているものの最初のものとされる。バル ナバと別れてすぐにマケドニア地方で伝道活動、ピリピを経てテサロニケに行っている。 たぶんそこで数か月、集会を組織した。それから1年後ぐらい経って、コリントからこの 集会に手紙を書いたとされている。この手紙の中身は、それから2,3年後のガラテヤ書 で明確になってくる〈信仰によって義とされる〉というテーゼなどがまだ出て来ない。 1章9、10節に彼がそのころ宣教したことの要点が示されている。 「あなた方がどのようにして偶像から神へと向き直り、いける真実の神に仕えるように なったかを、また、神の御子が天から下ってくるのを待望するようになったかを、告げ広 めている」 前半は〈異邦人〉が偶像を捨て〈生ける神〉を崇敬するという、各地に離散していたユ ダヤ教に普通に見られる異邦人への伝道のパターンである。また「神の御子が天から下っ てくるのを待望する」というのは、キリスト教的だと思われるかもしれないが、それ自体 はユダヤ教の一つの思想、黙示文学的なもの。さらに言えば、ヘレニズム時代(紀元前3 世紀から)ユダヤ教とそこから枝分かれしていったユダヤ教諸派が、地中海沿岸部からア ジア東方にかけてそれぞれの宗教と出会い、相互に影響を受けながら発達していった宗教 思想でもある。4章の死人の復活の問題も含めて、〈主の日〉を把握の仕方はユダヤ教の 一セクトの範疇の中に入ってしまう。そのようにこの書簡ではほとんどがユダヤ教の枠内 に入ってしまうのだが、そこからはみ出しかかっているものがないわけではない。10節 「御子とは、神が死人の中から甦らせた方、すなわち我らを来たるべき怒りから救って下 さるイエスのことである。」 しかし、これとても〈御子〉を神の派遣したメシアという 限り立派にユダヤ教内一セクトにいまだ収まりうる。 4章後半から5章にかけて〈主の日〉とパウロ入っているが、〈主〉はユダヤ教の神で はなく天に上げられたメシア・イエスのことをイメージしているかもしれない。その主の 来臨パルーシアのことが直接語られる。黙示文学的な展開が、テサロニケの異邦社会の中 にどれだけ伝わっているか疑問だが、〈主の日〉の復活思想が熱烈に受けとめられたらし いことがわかる。パウロのそれに対する応えは、どちらかというと熱くなりすぎている 人々を冷やす体のものである。「その日は何時くるか」、知りたくなるのは当然だ。これ に対して「夜中の盗人のように来たる」と答える。これは常套的な答えである。けれども 彼はこうも言う。「あなた方はみな光の子、昼の子なのだ。我々は夜や闇の子ではない。 であるから、ほかの人々のように眠り込むことなく、目覚めて、しらふでいよう。」(田 川訳) 〈主の日〉に人生の目標を掛けるならハイになって熱狂しながら待つのが自然かもしれ ない。けれども彼はしらふで待とうと言う。このブレーキをかけるような言葉、ノリと動 きの悪さ、あの14年の長いアイドリング期間の腰の重さに通じるのだろうか。
5月29日の説教から ルカ福音書7章1-10節 「権威の問題」 久保田文貞 近代の〈権威〉についての定義は「自発的な服従や同意を喚起する能力あるいは関係で ある」とされ、強制力によって無理に服従させる力と区別している。つまり服従の自発性 を自ずと促すような社会的な力のことになる。したがって権威とは、このような威力を発 する側と受ける側の共犯関係という条件が揃って成立する。問題はこのような関係を事実 上故意に利用しようとする権力が生まれ、それをすすんで受け入れるような人間が再生産 される体制が出てきてしまうことだ。かつてファシズムを導き寄せた社会心理として権威 主義的性格ということが指摘された(エーリッヒ・フロム)。過剰な権威に怯えた人々が 過剰に服従の意を表してしまう。しかし、そのような人々は強者には帰順し、弱者にはイ ジメ行為をする、そういう使い分けをする。権威は常にこのような権威主義の問題に晒さ れているだろう。 さて、百卒長の僕の物語はマタイとルカに共通するQ資料に属する。中心は8節の言葉 である。ルカもマタイもここはほぼ同じである。両者の違いは百卒長のイエスに対する態 度とくに謙虚さの評価である。おそらくあっさりとしているマタイの方が原型に近いだろ う。そこではユダヤ人の教師イエスに対する異邦人としての遠慮というモチーフはそれほ ど強調されていない。イエスが賞賛するのは、百卒長がその中を生きている軍の統制され た支配力に類比させて、神の恵みの支配力はそれ以上であろうという観測に対してである。 神の恵みを中断させたり、停止させたりすることはできない。人の思いを超えて神の思い のままに神の恵みは貫徹する。イエスは百卒長のちょっと的外れな権威に対する帰順の意 を、神に対する信頼という方向に修正しようとしている。 これに対してルカの著者は、権威の圧倒的な流れにではなく、権威に帰順していく百卒 長の謙虚さに照準を合わせる。こちらでは、この百卒長は、僕の救命を知人のユダヤ人長 老を介してイエスに依頼し、イエスが家に近づくと今度は(おそらくユダヤ人の)友人を 介して言葉をくださいと言わしめる。イエスを異邦人の家の屋根の下に迎えることはでき ないという謙虚さを強調してみせる。ルカは異邦人系のクリスチャンである。〈もはやユ ダヤ人もギリシャ人もない〉 という差別の解消を謳歌する位置にいながら、なぜこの物 語上で異邦人である百卒長に、ユダヤ人にたいする謙虚さをかくも強調して演じさせるの だろうか。むしろイエスが百卒長に〈そんな気の使い方をするな〉とどうしてイエスの口 をして言わしめないのか。うれしくないネジレが見て取れる。結果的にギリシャ人系クリ スチャンにユダヤ人に対する裏返った差別の種を蒔いていることになるだろう。 ここには〈権威〉という言葉につられて、権威に飲みこまれ過剰に反応してしまう人間 の問題が横たわっているように思う。ルカの描く百卒長の姿は、こちらから低姿勢でお迎 えに行ってあたう限りの服従の意を示す、そうしてご褒美をいただくという「模範」にさ れてしまっている。そもそもこの話しは、神の恵みの特徴は、人間の能力やあるいはまっ たく逆のように見える謙虚さや、そのような態度や力に関わりなく、明確な命令と速やか な実行にあり、それがわたしたちのあいだに襲いかかって来ているという一点にあるのだ ろう。しかし、ルカはそのような通り道に軌跡のように残る統制的支配力に応え従う人間 に美しさを感じてしまうらしい。それって捻れていると思いませんか。
5月22日の説教から ヨハネ黙示録 6章12節~17節 「第六の封印」 関 秀房 地震、津波、原発の3・11以降2ヶ月以上経過した。どれか一つでも、大変な災 害である。それが3つも重なってしまった。しかも一つ一つの規模が桁外れて大 きい。しかし、いかに巨大とはいえ地震、津波だけなら支援の体制も組みやすい。 今も進行している原発だけは本当に余分である。 この間、「記者クラブ」以外の、ネットやフリージャーナリスト、反原発の研 究者の意見を見聞きしてきた。政府、官僚、東電、大手マスコミ、御用学者は 「想定外」を連発し原発事故は「やむをえなかった」と強調する。しかし、原子 力、原発に懐疑的な知識人は早くから危険性を指摘している。これは人災である といわれている。確かに人災であるが、人災と一言で片付けてはいけない。なぜ このような危険な原発が、被爆国であり地震多発国である日本に設置され続けて きたのかという構造を明らかにしないと、のど元過ぎれば・・・となってしまう。 独占企業である電力会社が広告費をふんだんに使うのはなぜか。そもそも電気料 金はどのようにして決められるのか。マスコミや学者が原発を推進してきたのは なぜか。一般の企業と違って、電力会社はかかった総事業費の約4パーセントを利益にして よいとなっている。利益を出すためには、一基5000億円する原発を作れば、200 億円の利益が確保される。札束でまず一基作れば、後は継続して原発を作らない と自治体は税金が得られない仕組みになっている。広告費も、現地対策費も、大 学のひも付き研究費も、官僚の天下りもすべて経費となり利益となる。まさかと 思うが、今度の補償費賠償金をも経費とみなして、料金の値上げを認める案もあ る、冗談ではない。潤沢な資金で有名大学の教授を取り込み、大手マスコミには 広告費で手なずけ、官僚には天下りのおいしい地位を約束する。有名大学の卒業 生も、有力な教授の下に付き、有名企業やマスコミに就職を斡旋してもらう。そ の弟子達が原発に都合の悪いことを話すわけがない。政府の原子力各委員会は、 原発推進で固められる。このような「原発シンジケート」が様々なところで機能 してきた。しかしながら、安全、クリーン、安価の三本柱がここに来てまったく 反対であることが証明された。広島の原子力爆弾はウラン0.8kg、それに対して 原発一基で年間1000kgのウランを使う。それだけ死の灰と言われる放射能の廃棄 物が蓄積されていく。その処理も定まっていないし、超危険なプルトニーウムも 作られてしまう。真っ当な学者ならこの事だけでも、原発はやめるべきだと判断 すべきなのだ。安全保障の面で、中曽根などが原爆ほしさに原発推進を進めてき たらしいが、原爆で安全が保証されることはないし、むしろ原発を持つことはこ の上もなく危険であることが証明されてしまった。電源を絶たれた原発は暴走し 日本に住めなくなる(戦争でなくとも、テロで停電させることはそれほど困難で はない)。原発がないと電気が不足すると、計画停電で脅しをかけたが、現在で も電気が不足することはないことが証明されている。もちろん節電は必要で、早 急に自然エネルギー発電を研究すべきであることに変わりはない。 人間は我が物顔でこの世を謳歌している。生物の進化を見るときに極度に飛び 出た生物は自滅の道を歩む。豊かな生活とは何か。松下竜一は「暗闇の思想を」 で、中央の半分の所得でも、美しい空の下に住み、遠浅の海で貝堀を楽しみ、自 転車で足りる広さの町・・・これこそ心豊かな暮らしでは、という。
5月15日の説教から 出エジプト記12章1-14節 エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。「この月をあなたたちの正 月とし、年の初めの月としなさい。イスラエルの共同体全体に次のように告げな さい。『今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一 匹用意しなければならない。もし、家族が少人数で小羊一匹を食べきれない場合 には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合 う小羊を選ばねばならない。その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。 用意するのは羊でも山羊でもよい。それは、この月の十四日まで取り分けておき、 イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、その血を取って、小羊を 食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。そしてその夜、肉を火で焼いて食べ る。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。肉は生で食べたり、煮て 食べてはならない。必ず、頭も四肢も内臓も切り離さずに火で焼かねばならない。 それを翌朝まで残しておいてはならない。翌朝まで残った場合には、焼却する。 それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これ が主の過越である。その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であ れ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプト/のすべての神々に裁 きを行う。わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちの しるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジ プトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。この日は、あな たたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝 い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。 「過越の物語」 久保田文貞 エジプト王ファラオとその国にたいするヤハウェの9つの災いは、だんだん深 刻さを増していく。10番目の災いは、男子の初子の死、跡取りの死であった。 この悪魔的な災いから逃れるためには、たとえイスラエル民といえども、この災 いを〈過ぎ越す〉ためになさねばならぬことがある。 一歳の傷のない雄の仔羊を家族ごとにこれを屠り,その血を取り「小羊を食す る家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗らなければならない。」 ヤハウェ は「その血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。」こうしてイスラエル の初子は滅ぼされないというのである。それがエジプトから脱出する記念の食事、 〈過越祭〉の作法となる。 もともとは、さらに古い遊牧民の魔除けの祭りから来ているという。そうかも しれない。けれどもその過越の祭りが、出エジプトというイスラエルの民の救い の歴史の中に組み込まれたことをもって、非歴史的な神話や祭儀が〈歴史化〉さ れたのだと、ヨーロッパの近代の旧約学者は重視する。 聖なるものが,人間の生の営みと接触し、人間の間で生じる出来事を意味づけ そこにアクセントをつけていく。そこから出来事に責任をもつ人間が誕生し、出 来事の単なる連鎖ではない歴史が意味を帯びてくるというわけだ。今もなおこの 〈歴史化〉という視点は魅力的であり、例えば先の大戦を運命のように時間のか なたに葬り、歴史にたいする責任を回避するこの国の人々の問題に対して、大い に有効な視点だと感じるが、そう指摘してみたところで実際に歴史が動くわけで はない。 話を戻す。パレスチナの方から飢饉を避けて流れてきた人々は、文明国エジプ トでの隷従生活の中で本来の遊牧的な生活を忘れていたと考えてもよいだろう。 指導者モーセは、エジプトからの脱出を控えた民全員に過越の食事を取らせるの だが、この食事は脱出後の遊牧的な食事を想起させる。それともうひとつ、隷従 の民はたぶん一堂に会すことはできなかったろうが、とにかく同じ時間に一斉に この食事をしている。食事が一体感を増すことは世の常だが、一歳の家畜を満月 の夜に食し、その血を支柱と鴨居に塗る、それだけでもこの食事の共同意識の度 合いは凄まじいものがある。 この食事のポイントは、自己の民の〈初子〉がヤハウェによって殺されないた めの食事であると理解されていることだろう。この食事は、贖罪論的な解釈の賭 場口に立っている。仔羊が宥めの供え物(犠牲)となって、わが家の初子(長 男)を助けてくれたと考える。その延長上に、神殿で引き継がれていく過越の犠 牲があり、やがて神殿祭儀の論拠となる。こうして過越は民の現実から離れ、何 度も解体の危機に陥り。空疎化しそして〈非歴史化〉に逆戻りした。 この過越の食事の問題はある意味で最初から内包している問題である。共同の 食事は、聖なる食事として特化してしまう方が分かりやすいし、神話的表象を抱 え込んでいる方が伝承されやすい。けれども、出エジプトの食事は、一部神話的 な表象をその中に持ってはいるものの、中心は家族の食事、生活的なごく身近な 食事なのである。これから荒野をさまよっていく民の象徴的な共同の食事なので ある。民がその食事のことを忘れるようなら、再びその作法を反復し、神が救い 出した民であることを想起する、その限りの端的な食事なのである。 「たしかに〈屠りの犠牲」と呼ばれているものであるが、聖書の中で犠牲と呼 ばれているもののどれにもにず、まさしく聖別の食事である。…ここで自然な、 通常の人間の行為、即ち食事が…共同体の行為へと高められ、…その食事は「神 のために」食べられるのである。」(マルティン・ブーバー『モーセ』)
5月8日の説教から」 千葉大園芸学部庭園での野外礼拝の話しから 「原発はいらないと言う」 久保田文貞 〈地震と津波は自然災害だが原発事故は人災だ〉と言われる。たしかに、気仙 沼市や三陸町など大地震があれば津波が予想されるようなところに町を造ってい たからと言って、人はそれを人災として突き離すことはできないだろう。 人災というとき、それが人的な過失や失敗によって起こったこと、次にその責 任を問いただし被害者への賠償責任が生じると誰もが思う。けれども、今回の原 発事故の直接の責任は東京電力にあるとはいえ、被害の甚大さを考えると東電だ けにかぶせたら営業しながら賠償していくというスタイルを取るにはあまりにも 賠償額が高すぎる。かといって東電の資産を食いつぶすわけにはいかない。そん なことをすれば首都圏の電力は致命的になる。 責任は、原発に頼るエネルギー 政策を決めてきた国にある。それを許した国民にある。それが正解だと思うけれ ど、そういう議論に流れていくと結局、国民総責任論が浮上してきて、責任の所 在がぼやけてしまう。石原都知事は津波を「天罰だ」と言ってのけたが、それを 言うなら,原発事故に対して言った方がまだよかったかもしれない。しかし、も ともと「天罰」論は床屋・風呂屋の庶民談義談ならともかく、本来事故を予防し、 事故があったら被害者を救済し、そのように責任を果たすべき為政者の一角にあ るものが云うことではない。 けれども、各論をうやむやにする国民総責任論や天罰論に流されずに、〈総論 〉をしっかりと固めておくことが大切だと思う。 核エネルギーなど、量子力学に踏み込んだエネルギーは、それまでの地球に降 り注ぐ太陽エネルギーの恩恵にあずかる諸エネルギーと桁が違う。それを利用で きれば将来のエネルギー問題はすべて解決するとして飛びついてきたのもわから ないではない。けれどもこれら桁外れのエネルギーは弊害も無く安全に利用でき という保証がなければならない。こと核エネルギーの場合失敗は許されない。だ から原発事故が起こったらどうするかではなく、絶対事故を起こさないという想 定のもとで原発は推進されてきたことになっていた。想定外のことが起こっては ならないはずの事故なのだ。ここはいろいろな人がいろいろな言い方で言葉を重 ねているが、「でも起こったしまったことにそういっても仕方ない」というとこ ろに戻ってしまがちだ。 原子力エネルギーを利用せざるを得なくしたのは50年代後半の石炭エネル ギーから原油エネルギーへの転換、それに伴う「技術革新」だ。わたしたちが実 感するところではそれまでのエネルギー消費と格段に違って、電気エネルギーの 利用とその生活形態の変化である。 そこへ原油はやがて枯渇し(?)、原子力へというシナリオ。そこで忘れられ てならないのは、原子力産業への巨大企業の膨大な投資。日本の政治と経済は構 造的にエネルギー政策の舵を切り直すことはできないところまできている。さら に大風呂敷を広げて云えば、これは〈近代〉日本の突き進んできた王道ともいえ る。しかし、その道は一度は「大東亜戦争」に突っ込んで散々な目にあう。しか し、その後ほとんど舵を切りなおさず、戦後日本は「頑張った」と。今度は「原 発事故」にぶつかってまたぞろこれを乗り切ろうとがんばる。先には何が待って いるか。私にはどう見てもろくなことはない。 なすべきことは、膨大なエネルギーを管理・所有することとは別の、しっかり とした側道を付け広げるということだ。
5月1日の説教から ルカ福音書24章13-35節 ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマ オという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。 話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められ た。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、 「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は 暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレ ムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じな かったのですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言っ た。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉 にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、 死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あ の方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、その ことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちが わたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけ ずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と 告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言 ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」そこで、イエスは言われた。 「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられな い者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではない か。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分 について書かれていることを説明された。一行は目指す村に近づいたが、イエス はなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。 そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き 止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたと き、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。す ると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人 は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたした ちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、 エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、 シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくだ さったときにイエスだと分かった次第を話した。 「顔」 久保田文貞 福音書の最後に復活後日談が出てくる。マルコ福音書の場合は、4世紀の『教 会史』の著者エウセビオスの証言があるとおり本来16章8節で終わっていたと いうから、9節以下が付け足しであり、中身もマタイとルカからのパッチワーク みたいなものであって、論外。復活物語の後日談として比較的まとまっているの はルカとヨハネである。ここではルカに的を絞る。 そもそもルカは、福音書の前文で述べているようにマルコ福音書の不完全さを 補うつもりで福音書の完全版を造ろうとしている。おもな補修作業の一つは、降 誕物語を付け加えてイエスが「神の子」であることを示すこと、もう一つはイエ スの語録として欠けているものを付加すること(Q資料)、もう一つは、マルコ が空の墓のままに終わらせている復活の出来事をはっきりと物語化して示すこと、 である。しかし、降誕物語も復活物語も,マルコが手を出さなかったのはマルコ が執筆した時点ではどちらも明確な市民権を持っていなかったからに違いない。 有り体に言えば、それらがすでに話しとして出回り始めていたとしてもマルコに は眉唾物と見えたということだ。 ルカ24章13節以下の顕現物語は、著者ルカが明らかにマルコからの「空の 墓」物語を受けてそれに繋げる工夫(19-24節)をしているのが分かる。ルカは なんらかの伝承を受け取ったかもしれないが、それを十分に咀嚼し自分の物語と してしまっている。けれども、筋の運びは、基本的に古今東西に見られる聖者伝 説のパターンを共時的に踏襲している。異界的な聖者が現れてもはじめはそれが 誰か気付かない、なにかのきっかけがあってその者がかの者であることを認知す るという具合である。例えば「聖杯伝説」に何種類も出てくる。それがルカでは、 16節「二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」、30節「一緒に 食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いて お渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かった」というように。 このモチーフはヨハネ21章の顕現物語にも出てくる。 ルカとヨハネの復活顕現物語に特徴的なのは、やはり食事場面が中心になって いること。ルカの方には2度復活者との食事が出てくる。上に述べたように、復 活者がパン裂きを行ったときそれがイエスだと気づく。これらの伝記的物語の地 続きに、生前のイエスとの食事の思いでがあるのだろう。ガリラヤでイエスがそ の地の民と無礼講のようにして「神の国」の饗宴を催していた。そこではイエス がすすんで皆のためにパン裂きをし、惜しげもなく祝福の祈りをし、人々は時間 も忘れて談笑していた。あの日々と繋がっている実感の上に、復活者の顔が見え、 共時的に食事をする物語が築かれたということだろう。 復活者イエスが「現れた」ということはどういうことか、マルコ福音書の著者 からすれば、「空の墓」のあとを物語としてしまうのではなく、問いとして開い たままにしておきたいということかもしれない。だから、「イエスはあなたがた より先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお 会いできるであろう」(マルコ7節)という言葉のひとつの解答であるにはせよ、 そこに「顔」を見せてしまう顕現物語では不満なのだろう。そもそも「顔」は、 あらわになっているようで実は決定的に肝腎なものが欠けている、「空」なのだ から。
4月24日の説教から ローマ書6章3-11節 3 それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために 洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。 4 わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとな りました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられた ように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。5 もし、わたしたちがキ リストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれ るでしょう。6 わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、 罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知ってい ます。7 死んだ者は、罪から解放されています。8 わたしたちは、キリストと共 に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。9 そして、死 者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。 死は、もはやキリストを支配しません。10 キリストが死なれたのは、ただ一度 罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられる のです。11 このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリス ト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。 「神が起こした」 イエスがエルサレム神殿当局に逮捕され、糾問を受けた後、事実上神殿当局は イエスの極刑を求めてローマ侵略軍に突き出し、イエスは処刑されてしまった。 そして「3日後」マグダラのマリヤら女性たちが墓に行ってみると墓は空だった (マルコ16章8節まで)という。この知らせをそれまでイエスに従ってきた 人々、殊に後にイエスの「弟子たち」として特別の位置に立った人々が、どれほ どのショックの中で、これをどのように受けとめたか、ここがその後のキリスト 教の出発点である。 生前のイエスとそこに集まっていた人々の集団の実体は、この精神的なインパ クトの陰に隠れてもはや原形をとどめぬまでに変形されてしまったはずだ。 〈あれほど信頼して付き従ってきた師、ある者は彼をイスラエル救国のメシア とさえ期待してもいた、その師を自分たちは見殺しにしてしまった〉という罪責 感、挫折、そして絶望…。 もしイエスがそのまま墓に眠っていてくれたならば、彼らの絶望や挫折は、ど のくらいの時間が必要か分からぬが、時が癒してくれるのを待てば良かった。そ の後人々はてんでに自分の道を模索したはずだ。けれども、師の屍が墓にないと 聞かされて、これらの絶望、挫折、罪責という人間のそれなりの感情は行き所を 失う。説明がつかなくなる。攪乱、茫然自失…。 心理的にこの辺の流れを追うことにどれだけの意味があるか分からないが、確 かなことはその事件のあと人々の震えが治まり、未分化な心の状態が整理され、 消えてしまったイエスにどう自己を関係づければよいか、説明をつけ始める。 使徒行伝を読むといかにもすぐに、50日後には新しい共同体が生まれたかの ように描いているけれども、実体は分からない。少なくとも残された人々の間に なにか形を成してくるにはかなりの時間が必要だったと思う。「彼は(神によっ て)起こされた」とか、そのように起こされたキリストに「会った」とかいう物 語は、何重もの自己自身への説明と失敗の繰り返しの中で、練り上げたものにち がいない。意地悪く言えば、それは彼らの心のカモフラージュであり、出来事へ の不適切な飾り付けでなくもない。 パウロの場合、直弟子と違って生前のイエスと交わりはないが、おそらくイエ スの処刑死から数年後にキリストの幻に「出会った」という体験(使徒行伝風に 言えばだが)をしている。このことを彼は、15年ほど後になって、「ガラテヤ 信徒への手紙」の中で「神が、御心のままに、御子をわたしに示し」(1章16 節)と自分の言葉で表現した。パウロはこの出会いがどのような現象かあえて詳 細に語ることをしていない。まるで語らない方がよいと思っていたかのように。 いずれにせよ最初の出会いのあと3年間、彼は「アラビアに退い」ていた。出会 いを体験して自分の心を整理するためにまずそれだけの時間をかけたと言えよう。 それからエルサレム教会に行って2週間滞在し(35、6年頃)ケファ(ペテロ) と主の兄弟ヤコブだけに会ったという。その後彼はアシア州(現在のほぼトルコ にある故郷タルソで〈一介のクリスチャンとして粛々と生活をする〉と言いたい ところだが、実際には一介のユダヤ人青年として粛々と生活していたと言う方が 適っている。人目には、ナザレのイエスをメシアだと言い張るユダヤ人青年と見 えたに過ぎないはずだ。それから10数年後、異邦人伝道に熱心なアンティオケア 教会の指導者バルナバの目に止まり、パウロはバルナバを補佐し頭角を現したと いうわけだ。留意して置かねばならない点は、バルナバもパウロも傍目にはその ままユダヤ人であるということ。つまりアンティオケ「教会」とは言っても、ユ ダヤ人クリスチャンが主体となっている、イエスをメシアと信奉するユダヤ教の 一分派だということ。 そこでパウロの証言によれば、ユダヤ人としての戒めを異邦人にどこまで要求 するかという点でバルナバと意見が合わなくなって(ガラテヤ2章)、彼は独自 の伝道生活に入ったということ。こうしてパウロは、アンティオキア「教会」の スポンサーから独立して、つまり自弁の、ボランティア伝道活動に入る。その結 果、ガラテヤ、ピリピ、テサロニケ、コリントなど諸「教会」の形成に尽力し、 それらに助言・勧告のための手紙を書く。その手紙を書く手が、彼のそれらの 「教会」との関係性の中で、独自の信仰理解を表現していくことになる。 残っているものとしては最後の手紙(56年頃執筆)がローマの教会へのもの である。6章の中身はだれが読んでもすぐ分かるとおり、洗礼(バプテスマ)を 受けることの意味を挙げて、キリストの死と復活を自分の身にどう受けとめるべ きかを説いている。下手な説明は要しないと思う。それぞれで読んでくだされば よい。ただ、言っておきたいことは、あの攪乱から、この表現に行きつくまで少 なくとも20数年かかっている。それはパウロの描いているキリストの死と屍不 在の解釈の物語である。20数年人生をかけただけのことはあって強固な言葉だ。 けれども、こういう言葉に結実する強固なる〈キリストの死と復活〉の物語故に、 生前のイエスの原-事実を覆い隠してしまうことを心に銘記しなければと思う。
4月17日の説教から ルカ福音書19章28-40節 28 イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行か れた。29 そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベ タニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、30 言われた。「向 こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつ ないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。31 もし、だれか が、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさ い。」32 使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。 3 ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくの か」と言った。34 二人は、「主がお入り用なのです」と言った。35 そして、子 ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せ した。36 イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。37 イエス がオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見 たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。38 「主の名によ って来られる方、王に、/祝福があるように。天には平和、/いと高きところに は栄光。」39 すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向か って、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。40 イエスはお答えに なった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」 「辺境から中央を撃てるか」 久保田文貞 地政学geopoliticsという便利だが、いわくつきの言葉がある。地理学に政治、 経済史的な視点を織り込んだもので、それなりの説得力を持つ。けれども、この 近代的な学の成り立ちの歴史をみると、西欧帝国主義の世界支配、遅れてそこに 割り込むドイツ帝国主義(ナチス)の御用学問だったことが分かる。政治経済史 的にどこが世界の先進的な中央であり、どこが後進的な周辺か、それを文化・社 会的かつ地理学的に意味づけていく。勝った者が大義名分をとるだけのことと言 えなくもない。学問の一番危ういところだ。けれども、まさに〈地政学〉的にど うまちがっても中央になり得ないし、そもそも中央を志向しない周辺というもの がある。あわよくばいつか中央になってやるという野心を持たない周辺、ときに は支配の欲望の外側に捨て置かれるか、支配の欲望の気まぐれに晒されるだけの 周辺、それを〈辺境〉と呼んでおく。 ところで、マルコ福音書の研究で、辺境としてのガリラヤをほかの何よりも強 くわたしたちに印象づけてくれたのは田川建三であった。そのことはガリラヤで 宣教をはじめたイエスが最後にエルサレムに上り、そこで中央のユダヤ当局と対 峙し処刑されるという福音書の筋書きに良く見て取れる。けれども、ガリラヤか らエルサレムという地方から中央へという志向性だけでこの物語をみるとおかし なことになるだろう。イエスの宣教運動は中央の支配を目指した地方の失敗とい うものではない。 マルコ11章1-10のエルサレム入城の物語は、イエスが子馬または子驢馬にの って、人々の敷いた上着の上を、巡礼者たちの賛美の歌声のなか行進してエルサ レムの門をくぐっていくという図をえがく。しかし、それがなんの意味があるか, マルコはそれほど明確にしていない。マルコの改訂版を作ったマタイ(21章1以 下)はそれをゼカリヤ書9章9の予言に重ねて、柔和なる非戦のメシアとして意味 づけ、またルカは降誕物語の天の軍勢の賛美「天の栄光と平和が地に」(ルカ2 章14)という賛美を受けて「天に栄光と平和」(19章38)という賛美に入れかえ、 やはり神の子メシアのエルサレム入城を印象づけている。 この物語がもともとメシア入城というモチーフをもっているとすれば、マタイ とルカの味付けも一つの理解かもしれない。いずれにせよ、イエスの死後あるい は復活信仰の誕生以後、教会はイエスのエルサレム入城とそこでの裁判と死刑の 意味を自分のものとするよりない。 ひょっとしたら、ヨハネ福音書が描いているようにイエス集団は、活動してい た2,3年の間に何度かエルサレムに行っているかもしれない。その方が自然であ るし、エルサレムの言動と2審級に渡る裁判のすべてを最後の1週間(キリスト 教の暦で「受難週」というがそれに従えばイエスの死が金曜であるから事実上は まる5日間である)にまとめるのは無理がある。マルコがそれでもエルサレム行 きを最後の1回にまとめて筋立てたのは、イエスのエルサレムに向かう決断の中 になにほどか〈辺境〉から中央を撃つ指向性があったのだと読み手に印象づけた かったからだろう。 この場合の〈辺境〉とは、前に述べたように、決して中央支配権をもぎとろう という意志をもつものではなく、〈辺境〉から〈中央〉を撃てるとしたら、それ はなにかという〈辺境〉魂とでもいうものを書いておきたかったということでは ないか。たぶんhエルサレム入城のパフォーマンスは、権力の側から見れば茶番 であり、マンガに見えたろうが、辺境を生きる人間から見ればそれは悲しいけれ ど歌心に満ちた感慨深い行進ということになるだろう。
4月10日の説教から ルカ福音書20章9-19節 イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、こ れを農夫たちに貸して長い旅に出た。収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を 納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの 僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。そこでまた、ほかの僕を送 ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返 した。更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した。そこで、 ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。 この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』農夫たちは息子を見て、互いに論じ合 った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のもの になる。』そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。さて、 ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。戻って来て、この農夫たちを殺 し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。」彼らはこれを聞いて、 「そんなことがあってはなりません」と言った。イエスは彼らを見つめて言われ た。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。『家を建てる者の捨てた石、 /これが隅の親石となった。』その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、そ の石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」そのとき、律 法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話され たと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。 「外に出された者は」 「葡萄園の農夫」の譬えが受難物語のすぐ前に置かれていることから、最後に 送られる「愛するり息子」がイエスのことを指しているということはだれの目に も明らかであるようになっている。この配置からすると、神の「愛する子」イエ スの受難予告のように見えるが、実際にはこの譬えはイエス死後、イエスを「神 の子」と告白するようになっていく原始教団の中で創作されたものに間違いある まい。 神が葡萄畑を作って収穫を待ったが、よい葡萄を実らせなかったとしてこれを 見捨てるというモチーフは、預言者イザヤの言葉(5章1-7)に見られる。ま た送られた預言者たちが回心を説いても彼らを殺し神に反逆したというモチーフ もヘブライ語聖書(ネヘミヤ記9章)に、民の預言者にたいする通念として存在 する。 こうしてみるとこの譬えは、前半に出てくる葡萄園の主人が送ったしもべたち を「叩き出した」(ルカ)「頭を叩いて辱しめた。…殺された」(マルコ)「打 ち叩き、…殺し、石打ちにした」(マタイ)とさんざんなのだ。ルカだけが僕た ちが殺されたと書かなかっただけ。ルカがそうしたのは最後に送られる「息子」 の殺害と差をつけるためだろう。 「息子」の殺害について、マルコは「彼を捕 まえて殺し、ぶどう園の外に放り出してしまった。」 これに対してルカとマタ イは「外に放り出して殺した」となっている。どちらでも同じようなものだが、 外に出してから殺したという方が、エルサレム城外に出されてからはり付けられ 殺されたイエス殺害を正しく表現していると思ったのだろう。 いずれにせよ、葡萄畑は神が期待を寄せる内部として表象されている。実験農 園としてイスラエルというパイロット・ファームをつくり、そこに神と人間の正 常な関係を作り出す、さらにユダヤ教神学的には実験農場の成功を通してこの世 界全体を救済するというのだが。とにかく農園主がこの農場にしもべたちを送っ て良い実を実らせようとしたのだが、しもべたちは農夫たちに殺され失敗してし まう。そうあってはあらぬというのがイザヤやネヘミヤの言葉が向いている方向 である。 しかし、実験的にある場所を囲って、その内部に農夫を住まわせ模範的な農園 を造るというあり方に対して、その内部の人間たちが出した反応は拒否であり、 むしろ内部を乗っ取るということになる。送られたのがしもべであろうと、ひと り息子であろうと、内部の者たちは外部から送られてくる者を外へ放り出し殺す というあり方をとったということだ。 譬え話では、農園主たる神は内部を乗っ取られたままにせず、その農場を廃棄 処分にし荒れるに任せたということになる。息子はというと外に放り出されて殺 されたままだ。こうしてみると、そうだ、この譬えには〈救い〉がない。〈内部 〉は破壊されてもはや〈内部〉という概念さえ存在しないように破綻しているは ずなのだが、それは神が葡萄畑を手放しただけのこと、実はいまや世界はあの反 乱を起こした農夫たちの子孫に取り込まれて最悪の〈内部〉の時代に突入してい るのではないかとさえ思えてくる。
4月3日の説教から 詩篇17篇 1主よ、正しい訴えを聞き/わたしの叫びに耳を傾け/祈りに耳を向けてくださ い。わたしの唇に欺きはありません。2 御前からわたしのために裁きを送り出し /あなた御自身の目をもって公平に御覧ください。3 -4あなたはわたしの心を調 べ、夜なお尋ね/火をもってわたしを試されますが/汚れた思いは何ひとつ御覧 にならないでしょう。わたしの口は人の習いに従うことなく/あなたの唇の言葉 を守ります。暴力の道を避けて5 あなたの道をたどり/一歩一歩、揺らぐことな く進みます。6 あなたを呼び求めます/神よ、わたしに答えてください。わたし に耳を向け、この訴えを聞いてください。7 慈しみの御業を示してください。あ なたを避けどころとする人を/立ち向かう者から/右の御手をもって救ってくだ さい。8 瞳のようにわたしを守り/あなたの翼の陰に隠してください。9 あなた に逆らう者がわたしを虐げ/貪欲な敵がわたしを包囲しています。10 彼らは自 分の肥え太った心のとりことなり/口々に傲慢なことを言います。11 わたしに 攻め寄せ、わたしを包囲し/地に打ち倒そうとねらっています。12 そのさまは 獲物を求めてあえぐ獅子/待ち伏せる若い獅子のようです。13 主よ、立ち上が ってください。御顔を向けて彼らに迫り、屈服させてください。あなたの剣をも って逆らう者を撃ち/わたしの魂を助け出してください。14 主よ、御手をもっ て彼らを絶ち、この世から絶ち/命ある者の中から彼らの分を絶ってください。 しかし、御もとに隠れる人には/豊かに食べ物をお与えください。子らも食べて 飽き、子孫にも豊かに残すように。15 わたしは正しさを認められ、御顔を仰ぎ 望み/目覚めるときには御姿を拝して/満ち足りることができるでしょう。 「無実の訴え」 無実を訴える人の歌である。いろいろな理由で苦境に立つ人間の「嘆きの歌」 というジャンルが詩篇の一つの定番になっている。 1、2節は、詩人が無実を主張し正しい裁きを要求する。古代イスラエルでは、 事実上の一審は町の門で行われる法廷で、裁判官は裁きの資格を持つ町の長老で ある。この詩人がかくも無実を主張しなければならないということは、裏を返せ ば原告の訴えに対してうまく反論ができない、このままだと不利な判決が出る、 きわめて旗色が悪かったをことを示す。 勝村弘也の『詩篇』註解によれば、被告はその法廷を捨ててアジール(日本で 言えば「駆け込み寺」)たる聖所に逃げ込んだことを暗示しているかもしれない という。夜の神殿で「わたしの心をあなた(神)は試し、夜に吟味された。わた しを試験されたが、わたしに恥ずべき行為を見出されない。私の口は度を超さな い、人の行為に関しては」(3、4節、勝村訳)。 アジールから出るわけにはいかない。敵は手ぐすね引いて詩人を打ち倒そうと 狙っている。 「主よ、立ち上がってください。御顔を向けて彼らに迫り、屈服させてください。 あなたの剣をもって逆らう者を撃ち、わたしの魂を助け出してください。主よ、 御手をもって彼らを絶ち、この世から絶ち、命ある者の中から彼らの分を絶って ください。しかし、御もとに隠れる人には、豊かに食べ物をお与えください。子 らも食べて飽き、子孫にも豊かに残すように。わたしは正しさを認められ、御顔 を仰ぎ望み、目覚めるときには御姿を拝して、満ち足りることができるでしょ う。」 この詩篇の背景になっている訴訟の具体的なことについてはなにも触れられて いない。実際どんな冤罪を負っているのかわからない。けれども確かなことは、 無実を訴えても聞いてもらえない被告がじかに神に訴え救済を祈願するという詩 篇が、ユダヤ人の間でずっと歌い続けられていくという事実だ。 詩篇は神を賛美する歌とはいうものの、百パーセント賛美しているわけではな い。賛美へと至るプロセス(物語=歴史)も歌う。敵の攻撃を受け、身体や心の 痛みを受け、どうすることもできない窮地に立たされる物語の中で、しかし神に 呼ばわり、助けを求める。こうして神の大いなる力によって救い出され、それで こそ賛美の中身が映えるというものだ。そういう歌をユダヤ人は二千年以上歌い 続けたわけだ。歌い続けながらおのずと人間のそのようなあり方が歌を通して長 い間刷り込まれる。異邦人の支配する全世界と、その間を縫うように生きてきた ユダヤ人は、そうやって自分と神との緊張をもった関係を探ってきたのだろう。 そこから出てくる人間像は、いかなる精神的・肉体的な拷問を受けても自供・ 自白しない屈強な人間が範型化され、輩出される。その人間は神に真実を告白し、 神に対してしか頭を垂れない、強靱な自由意志を持った人間というわけだ。 キリスト教はヘブライ語聖書を自らの正典としてぱくったわけだが、ユダヤ教 徒ほどでないにしても詩篇歌を歌い続ける。しかし、クリスチャンにとって究極 の苦難はすべてキリストの苦難に包括されていくから、ユダヤ人がもってきた苦 境での緊張と強靱な意志は到達点ではない。2,3世紀に、それ以後もときおり、 キリスト教の中に〈殉教〉者が出てくるけれども、それはキリストの苦難に殉じ るという形をとる。詩篇の詩人たち、詩篇を歌うユダヤ教徒の苦難の受け止め、 神に対峙する主体を鍛え上げるものとはかなり違うものになっている。 私にはこのどちらにもなにか異和感があるのだが・・・
3月27日の説教から ルカ福音書11章24-26節 「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つか らない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、 家は掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほか の七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後 の状態は前よりも悪くなる。」 「諸霊、多様さの効用」 この箇所はマタイとルカに共通なQ資料の言葉である。 内容的には〈悪霊を 払ってもらった人がその後もう直ったと安心してそのままにしていると、また悪 霊が戻ってきて前よりもいっそう悪くなることがある〉という問題を扱っている。 つまり〈悪霊払い〉にもアフターケアが必要だということを暗示している。釈義 上はこれによって、この言葉が生前のイエスのものではなく、後のQ資料を担っ た信仰共同体から補足的に付け加えられたのものということになる。実際ほとん どの註解書がこの箇所をそれ以上詮索しない。 けれども、このような悪霊払いの後日談が付け加えられたという事実の意味は 大きい。イエスの悪霊払いの効果が年月がたつと失われてしまうことを暗示する。 「神の国」と「宣教」を結びつけたのはルカに特有な表現だが、イエスの悪霊払 いが単なる治療行為ではなく、「神の国」の到来を示す具体的な事例としてルカ が受け止めているのは間違いない。マルコもマタイもそれを「福音」「説教」の 中身として受け取っている。その悪霊払いがどのような理由にしろ、ふたたび悪 霊に憑かれてしまうなんてことが起こったら、「神の国」「福音」「宣教」の緊 急なる意味が減退してしまうから。 とにかく「神の国」の到来のスケジュールが大幅に遅れ、それが休止状態に入 ったとも言えるわけで、そのことをどう考え、その休止状態をどのように切り抜 けていくか問題となったはずだ。イエスの死後、弟子たちはイエスの宣教の業を それなりに引き継いだはずだ。ボランティア的な悪霊払いや治癒行為を継承した だろう。しかし、そこでも悪霊払いのその後、治癒行為のその後に責任を持たな いような「宣教」活動はありえなくなるだろう。 「悪霊払い」に限って言えば、「宣教」活動は依然として人々に取り憑いてく る諸悪霊を相手にすることになる。使徒行伝のパウロのように毅然として霊にむ かい「イエス・キリストの名によって命じる。その女から出て行け」と言い、た ちどころに霊が女から出ていった(16章18)ということになったとしても、出て 行った霊がふたたび女に、それも前よりも強力なのが複数取り憑かないとも限ら ないのである。もうこうなると、キリスト教もユダヤ教も悪霊払いの意味も効力 のほども同じことである。創造者なる神の一元的な支配の元で被造物のあいだを さまよう諸霊は、神の権威によっ立っている(と自認する)エクソシストによっ て理屈の上ではどうとでも処理される。 イエス自身もおそらく神の支配力に信頼して「悪霊払い」をしたのだろう。で も、そのとき重心はどこにかかっているかが重要な問題だ。悪霊払いによって、 神の支配がこの世界に対して一元的に貫徹することが示されるという神学的な事 柄にポイントを置いているか、あるいは悪さをしている霊を追い出して被患者の 当面の問題を解決するという人間の問題に主眼点を置くか、それは「悪霊払い」 の裏表のような関係に見えるが、そのちょっとした差はとてつもなく大きい。 〈悪霊〉などという神話的表象を出て考えれば、結局は人間と諸霊(=精神、 諸理念といってよいかもしれない)の関係のあり方の問題である。〈霊〉に束縛 されずむしろ〈諸霊〉と自由につきあって軽やかに歩むこと、それがイエスの 〈宣教〉の響きのように思う。
3月20日の説教から ルカ福音書11章14-23節 --ベルゼブル論争のルカ版について-- 「ベルゼブル論争」物語は、驚異的なイエスの悪霊払いの業が「悪霊どものか しらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」という批判とそれに応える言葉 からできている。これにはマルコ資料(3章22-29節)とQ資料(マタイとルカ に共通な資料)があって、ルカ版は両方の資料から合成されている。 マルコ資料の方は、イエスが気が変になっているという評判を聞いた家族がイ エスを取り押さえに来た(3章20、21)という記事と、イエスが家族が来たこと を知って「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」周囲に集まっていた 人をさされて「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神のみ こころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」とい う有名なセリフを言われる記事の間に、この論争物語がサンドウィッチ的に挟ま れている。挟む側の家族の無理解というモチーフと、挟まれる側のベルゼブル論 争には当然ながら関係がある。そこでのイエスの反論はサタンといえども内部分 裂していたら内部崩壊するはずだという論理であり(3章23b-26)、自分がやっ ているのはまず兇悪な悪霊を制圧してクライアントを解放する(27)ということ だ。その内部分裂、内部崩壊の例として〈国〉と〈家〉が挙げられている(24、 25)。その〈家〉の内部分裂の具体例のようにしてイエスの業を理解できない家 族と〈悪霊払い〉を続けるイエスとがぶつかっているのである。どうみてもイエ スの家族にたいする批判が見えてくる。 ルカ版は、マルコ資料にある家族の無理解の枠組を外している。全く別の脈絡 に置いている。母マリヤの処女懐胎をあそこまで潤色した物語を採用し、マリヤ を神の子の母として承認しているルカとしては、マリヤを無理解な家族の一員に 加えることに忍びがたかったのだろう。 ルカが取り込むもう一つの資料Qの方は、別の反論をのせる(18b-19)。も し、ベルゼブルの頭として悪霊を追い出しているという論理でイエスを批判する なら、その同じ批判は当然、ユダヤ教で公認されている悪霊追い出し業エクソシ ストさんたちに向けられることになる、そうなればそんな批判をされた彼らが今 度はあなたたちに反撃するよ。あなたたちは名誉毀損で訴えられ審かれることに なるよということだろう。イエスを批判する人々への弱点を突いた批判であるけ れども、はたしてどれだけ有効かよくわからない。 Qで重要なのは20節のことばだ。「 しかし、わたしが神の指によって悪霊を 追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。」 このQの言葉を受け取ってそれを記しているルカはまちがいなく、イエスの〈指 〉によってなされている「悪霊払い」が〈神の国〉が現に到来しつつあることの 証左とみている。けれども、Q資料が残しているこの言葉がイエスに遡るとして、 イエスがはたして〈神の国〉をどうとらえていたかとなるとそう簡単ではない。 田川建三はマルコの研究を通して、当時ユダヤ教徒の間で民族主義的な通念と なっていた〈神の国〉理念にイエスは「まったく 興味はないけれども、現在目 の前で、病気をかかえて苦労している人の病気が治った、それがどんなにすばら しいことか、『神の国』なんぞと言いたければ、これが神の国というものだろう、 と言っているだけである」(『イエスという男』)という。田川の見解がこのQ 資料の言葉に当てはまるかどうか、厳密な学的議論はわからないが、一考に値す るものだと思う。
3月13日の説教から ルカ福音書4章1-13節 「力への誘惑」 久保田文貞 ルカ4章以下に並行するマルコ伝によれば、イエスは洗礼者ヨハネからバプテ スマを受けた後、「そしてすぐに、霊が彼を荒野にほうり出す。そして40日の 間荒野に居て、サタンによって試みられた。そして野獣ととともにいた。そして 天使たちが彼に仕えた。」(田川訳)とだけ書いている。ヨハネから洗礼を受け た後の試練の40日間は、形の上でイエスがヨハネ的な在り様を継承しているよ うにも見える。けれどもこの40日の後イエスはヨハネと全く別の在り様をとる ことになるのだから、それはヨハネ的なものを吹っ切るための時間だったのかも しれない。とにかく原始教団は、洗礼者ヨハネグループの位置をイエスと比べれ ば「その方の履き物の紐をかがんで解くほどの資格もない」と言わしめているわ けだから、40日間荒野でサタンに試されたことをむしろマイナスに評価してい る可能性がある。つまり荒野で修行したって意味はない、イエスはそのことを思 い知ってガリラヤの生活圏に入っていったと見ることができる。 けれども、荒野で試練を受けたことを明確にプラスに評価する物語が生まれた。 マタイとルカに共通する部分から仮説されるQ資料では、荒野でイエスが試され た内容を、神話的な語り口で伝記物語化している。イエスに設問し試す者はマル コではサタン、Q資料ではディアボロスとされるているが、いずれにせよこの世 にはありえないような異界からの力をもたらす天的存在である。 悪魔の設問は、マタイ伝とルカ伝で設問の順序が違う。マタイの方が整理され ているが、基本的に大きな差はない。ルカに従えば、第一の試しは「神の子なら、 この石をパンになるように命じたらどうだ」と悪魔が言う。イエスは「人はパン だけで生きるものではない」と申命記8:3を借りて退ける。。第二の試し、も し悪魔を拝むなら一切の権力と繁栄を与えようと言うが、イエスは「あなたの神 である主を拝み、ただ主に仕えよ」と申命記6:4、10:20の言葉をもって 退ける。第3の試し神殿の屋根に立たせ「神の子なら、ここから飛び降りたらど うだ」と言うのに対して、「あなたの神である主を試してはならない」申命記6 :16という言葉をもって退ける。 総じて、悪魔の誘いは、イエスが神の子ならその力を行使したらどうだという ものだ。 「大審問官」ならずとも、そうすれば人間の世の難問、人間の苦渋はすべて解か れていくはずだ。《大いなる力を持ったお方よ、その大いなる力を出し惜しみせ ずわれらの間にそれを発揮したまへ。》と。もっと意地悪く言えば、棒ッ杭に架 けられたイエスに向かって、「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、 自分を救ってみろ。」(マタイ27:40)となるだろう。 ここに、人間の難問と苦渋を救い出すために、〈力への意志〉をいま明示でき ないことがなにか道徳的に意味あるかのようにし、やがて究極的な時がきたあか つきにそれを発揮しようというのでは、詐欺そのものだと糾弾するニーチェの声 が響いている。彼は、まず自身こそがすべての存在者に備わっている〈力への意 志〉を覆い隠すものを取り除いて、ひるがえって〈力への意志〉のままに生きよ うと宣言し、その光の中をあゆみ進むという。 Q資料が示している、誘惑を拒否したイエスと力への意志を正面から受けとめ よと言う悪魔との対峙は、はたしてイエスの生き方、それを最初に著したマルコ の意図、それに同意する人々の問いに対してどれだけ有効なのだろう。 次に取り上げるベルゼブル論争(ルカ福音書11章14-26)の物語がこの問題に 答えようとしている。
3月6日の説教から マタイ福音書17章1-9 「イエスと栄光の姿」 久保田 最初期のキリスト者がナザレ出身のイエスをメシア(キリスト)とすることは、 ヘブライ語聖書とユダヤ教の伝統から少しも逸脱しない。同様にイエスを〈神の 子〉とすることも、神の意にかなう者(申命記32章、詩篇29章、ホセア2章)と いう意味で使うなら問題はなかった。けれども、最初期のキリスト者たちは、 〈神の子〉称号を「神的な本性をもった人」という意味で徐々に使い始めた。伝 統的なユダヤ教ではありえないことだから、またローマ皇帝ガイウス(=カリグ ラ帝37-41)が皇帝礼拝を要求し現人神(=神の子)であることを主張していた 時に重なるから、キリスト教が無視できない勢力になってくると、〈神の子〉称 号は微妙な問題になったはずだ。 初めの福音書著者マルコは、イエスが神性をもつ〈神の子〉と告白する人々の 中にいたことは事実だろう(マルコ1:1、15:39)。そこでマルコ9章2以下の 「山上の変身」物語はどう位置付けられるだろう。マルコが採取したこの伝承は、 イエスを神的な存在として高めようとする方向を向いていることは確かである。 おそらくこの物語は、エルサレム教団で一時期、柱のような存在になっていたペ テロ、ゼベダイの兄弟ヤコブとヨハネ(ガラテヤ2章9)が、イエスと同伴した とされていることから伺われるように、その3人のだれかからなんらかの形で発 信されエルサレム教団の中で錬成され流通しはじめたものだろう。としても、こ の物語は栄光に輝くイエスを神性をもつ者のように描いていると同時に、ユダヤ 教のスーパーヒーローたるモーセと、昇天したと伝えられる(列王記下2章1 節)最初の預言者エリヤとほとんど同格に置いている(マルコ9:5、マタイ17: 4)。物語は、イエスが3人の見ている前で変身(メタモルフォオー=現在語 metamorphose)し、そこに天にいるモーセとエリヤもいっしょにいる、その3人 それぞれに一つずつ三つのテントを張るとペテロが言い、すると「これはわたし の愛する子、(「わたしの心に適う者」はマタイの付加)これに聞け」という声 が雲の中から聞こえた、そういう構図の幻を語っていることになる。声は、マル コ1:11の言葉と同じである。 私見だが、イエスが、モーセ、エリヤ級の天的存在であることをある幻・体験 をもとにして作られた元の物語に、この声が加えられて俄然、イエスは単なる天 的存在ではなく、モーセとエリヤをも凌駕する〈神の子〉に引き上げられている。 もっとも、共観書の別の物語でイエスは〈神の子〉の称号で呼ばれるのを嫌う。 3章11「汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、「あなたは神の子だ」と 叫んだ。イエスは、自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒めら れた。」という。また5章1以下ゲラサ人の地で鎖に繋がれていた男が「いと高き 神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」という が、ここでもその言葉は「汚れた霊」から出た言葉とされている。その限り決し て「神の子」称号には否定的になっている。 だが、この点で、マルコ福音書のそれぞれの物語は錯綜している。マルコが著 者として明確に「神の子」称号を積極的に使うのは、1:1の表題と、ローマ軍 の士官の「まことに、この人は神の子であった」という言葉だけである。たしか にこのように福音書の始めと終わりに、とても大切そうにして、象徴的にそう呼 ばれる。というといかにも格好がいいのだが、その福音書のど真ん中に、めずら しくけばけばしい臨在体験めいた物語で、「神の子」称号を直接使わないが、イ エスが神の本性をもった方だと言わんばかりの物語を配置したのは著者マルコで ある。とにかく、この変身物語のイエス像だけが妙に「栄光」に輝いて、私は戸 惑ってしまう。
2月27日の説教から ルカ福音書5章12-26節 「割り込むよりないこと」 現代、ハンセン病と分類される皮膚病はつい最近までらい病という呼び名で度 し難い差別の対象にされてきたことはご存じの通りである。社会衛生の通念だけ でなく、らい予防法や優生保護法など法規定にもとづく種々の社会の仕組みも含 めて、患者さんを差別してきた。この法体系がすべて見直され廃止されたのは1 996年のことであり、実際にこれまでの強制隔離などに国が賠償責任を自覚す るに至ったのは、患者さんや、元患者さんが訴訟に及んでから、ついこの間のこ とである。 この病気の症状にたいする周囲の偏見のために、古代から世界中で患者さんを 差別してきた。人の暮らしの身近な共同体の中で、ことにそれぞれの宗教がその 差別に荷担してきた。実は、聖書、キリスト教もその根っこから深くこの差別に 関わっている。新約原語でその患者をレプロス、ヘブライ語でツァラアトと呼ぶ が、それぞれの社会特有の差別を受けていた人々である。 もちろん共観福音書を読めば、イエスの宣教開始の活動のひとつが、レプロス の癒やしである。(マルコ1章40以下、その並行箇所)マルコの場合、レプロ スが登場するのは、イエスの受難物語の入口、イエスがベタニヤで女性から頭に 香油を注がれる段、その舞台となるのがレプロス・シモンの家である。結局、マ ルコではこの2例しかないが、イエスの宣教活動の最初と最後を縁取るようにレ プロスが印象的に登場する。マタイとルカの共通資料であるQ資料では、牢獄に あった洗礼者ヨハネが弟子を使わしてイエスに「来るべき方はあなたでしょう か」と問わせる段がある。これにイエスが答えて(敢えて1954年聖書協会口語訳 で1981年版のものを引用する。少なくとも30年近くこのような訳を私たちは詠ま されたことを肝に銘じておくため)「盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はき よまり、耳しいは聞こえ、死人は生きかえり、貧しい人人は福音を聞かされてい る」と。(ルカ7章22とマタイの並行箇所11:5)これはQ資料によるイエスの 福音宣教についての総括的報告文である。 ヘブライ語聖書を信奉して生きたイエス時代のユダヤ教社会では、神に選ばれ た共同体を純潔に保つために、ツァラアトは汚れた者として排除される象徴的な 位置を担わされてきた(レビ記13章)。つまり聖なる神に選ばれるために、民が 清いことを証明するために、汚れし者を規定してそれを排除してみせる。 イエスの神の国・神の審き=救いがこの世界に襲いかかるという宣教は、ユダヤ 教社会から不適格者として処分され排除され放棄された人々の上に、「義人」の 頭を飛び越えて及んでいくというものだった。レプロスもそれらの一人だったと いうことだ。 しかし、それがまたイエス死後のキリスト教では、福音宣教のお道具にされて しまう。「罪人」「取税人」「売春婦」「レプロス」は、ルカ的に言えばその神 の国の恵みを受けて「悔い改め」、キリストによってそれらの否定的な事態から 救われたという標本材料にされてしまう。こうなると元レプロスならまだしも現 レプロスは、依然として救いの対象としかみなされない。漠然とした「罪人」な らごまかしも利こうが、スティグマを負ったレプロスの人々は、いつまでたって もキリスト教の福音を証しするかっこうの否定材料にされる。これはまだ現役の 差別そのものだ。
2月20日の説教から ルカ福音書8章4-15節 「寓話のはば」 久保田 イエスの譬えを読む(聴く)時、だれでもこう感じたことがないだろうか、 〈語り手が直かに言わんとするところを語ればいいものを、なぜ譬えで語るのか 〉と。おそらく弟子たちも、イエス死後の教会も、イエスの譬え群を前に感じた にちがいない。ひょっとしたらイエス自身も。この問題に対する福音書記者マル コの答えは「イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言 葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちには ひそかにすべてを説明された。」(マルコ4:33,34)である。これはイエ スへの信従のほどが垣間見えるだけの言葉だ。 しかし私はイエスの譬え群をそのように見ない。つまりなにか語りたいモノが 先にあって、それを群衆(大衆)に隠しておくか、分かりやすくするか、いずれ にせよ、イエスの譬えは〈真理〉をどう表現するかいう工夫の上で出てきたと、 そのように見ない。むしろ、イエス自身がまずまかれた種が生長してくる(マル コ4:26以下)ことに驚き、そこになにかが示されていることを感じとったの であり、燭台の上におかれた明かりを見て、それがなぜ寝台の下でなく燭台の上 であるのか、そんなささいなことに目を留め(マルコ4:21以下)、そこからな にかを感じとる、そういう体験が彼自身の上にあったと見る。この心の状態はヘ ブライ語聖書の預言者の召命記事に近い。エレミヤ1章11以下、など。だからイ エスの譬えは〈真理〉が先にあってそれをうまく表現するための修辞的な努力の 産物という前提で、その順序を逆にすれば譬えのうらに〈真理〉が見えてくると いうものではないだろう。 ところが、どうみてもそれと反対になにか語り伝えたいモノがまずあって、そ れを修辞的な工夫として譬えを用いているとしか見えないものがある。その典型 的な例が「種まきの譬え」マルコ4章3-8(とその平行箇所/マタイ13:3-8、 ルカ8:5-8)である。13-20節の解説があるからなおそらそうなのだが、この譬え は露骨に寓話的である。辞書的には寓話とは「擬人化した動物などを主人公に、 教訓や風刺を織り込んだ物語」とあるが、これは一見してものすごく教訓的、そ れも後の教会の伝道論的訓話なのだ思ってきた。だがそのような理解はあまりに 13節以下の解説に引きずられていないか。 マルコの場合、道ばたに落ちた種、石地に落ちた種、いばらの中に落ちた種は、 いずれも単数形になっている。良い地に落ちた種だけが複数形である。畑に落ち ずに実を結ばなかった三つの種を除くほとんどの種が良い地に落ちて何十倍にも 実を結ぶというのである。どちらにアクセントがあるか、その答えは瞭然として いる。〈たしかに運悪く適切でない地に蒔かれてしまった種があるが、そんなこ とを心配する必要はない。ほとんどの種は祝福されて実を結ぶ〉というのかもし れない。 ルカの場合、良い地に落ちた種も単数形である。つまり4種類の地がそれぞれ 単数の種を受けるべく並んでいて、〈さあ、あなたはどのような地としてその種 を受けとめるか〉となる。結局良い地をもって種(=みことば)を受け容れない 者は実を結べない、淘汰されるという具合である。マルコ福音書の解釈部分も丸 ごと受けたルカとしては、さらに明確に寓話化させて受けとめたということにな るだろう。 共観福音書ではいずれもマルコ4章13節(同平行箇所)以下の寓話的説明で括 っているが、マルコに残された3-8節の譬えにはイエスが語ったものが保存され ていて、上に見たようにそれは寓話的解釈を要求するようなものではないだろう。 神の恵みの時、〈ほとんどの種は祝福されて実を結ぶ〉というように聞こえる気 がしてならない。
2月13日の説教から 出エジプト記7章~11章 「ファラオの頑迷さについて」 久保田 一年以上途切れていた出エジプト記の読みを再開したいと思う。 おそらく歴史的には、前14,3世紀頃パレスチナ一帯で遊牧的生活をしていた 人々が極端な乾燥などの気候変動のために生活困難になり、豊かな穀倉地帯であ るエジプトに難民として流れていった。エジプトの方は少なくとも一時期より多 くの労働力を求めるほどに豊かだった。そこにもやがて矛盾が噴出しより専制的 なファラオが現れ、外から流れてきた下層民を奴隷的に酷使する。まるで現代の 縮図を見ているようだ。 パレスチナ系難民は言語的にも通じるものがあったろう、その境遇の中で一体 感に目覚め奴隷状態におかれたエジプトからの脱出に成功し、パレスチナに何と か舞い戻る。そのような歴史的な経験を共有するグループの物語が核になって、 出エジプトの物語が長い時間をかけて語り継がれていったと思う。 これがひとまとまりの物語として編まれることになるきっかけは、イスラエル の民が大きな転換点に立つときだ。一つはヤハウェストと呼ばれる人々。おそら くダビデが12部族連合体からひとつの王国に編成した後。その後もいくつかの 物語編集のあとがみられる、なんといっても最初のヤハウェストの作業が傑出し ている。 しかし私たちが手にしているヘブライ語聖書、王国がバビロニアによって滅ぼ され(前587頃)、その支配者層がはるかバビロニアの幽閉地に強制移住され る中で、自分たちのアイデンティティを再確認し、総括的に編集されたもの。つ まり、亡国の憂き目にあった反省(それも当然複数の視点がある)の中で自らの 出自を問い探る中で、出エジプトの物語の決定稿が徐々にできたこと。それら各 層に目配りしながら物語を読むのは難しいが、できるかぎりそうするよりない。 出エジプトの物語が7章から11章にかけて、ファラオ対モーセの確執をこく もふくらませているのは何だろう。エジプトに10余の災禍が起こる。ヤハウェ ストだけに限ると、ナイルの汚染、蛙とあぶの異常発生、ペストの流行、雹=異 常気象といなご襲来による農業被害。これに、ずっと後の祭司資料の災い(杖を へびにする魔術、ナイルを血にする魔術、ぶよ、皮膚病)、さらに編集者の付加 (暗闇)。当時の発達したエジプトの官僚制からみて、実際にファラオが奴隷民 の代理人と直接交渉をしたとは考えられない。記憶に残ったかずかずの災禍と、 ファラオの過酷な支配・頑迷さを最初に結びつけたのは、脱出に成功した民かも しれない。しかし、モーセとファラオの長い交渉の間、肝腎の民は蚊帳の外であ る。 物語の構成上からみて、異常に誇張されているファラオとモーセの対決シーン で、真の主役は、モーセというよりむしろ神ヤハウェである。奴隷状態にあるパ レスチナ系難民から見れば、帝国エジプトの王ファラオは雲の上の存在にほかな らない。そのファラオが、10余の災禍を経ても引き下がらない。だが、よく読 み込めば、そのつどの交渉でファラオは、神ヤハウェの威光に畏れをなして譲歩 しはじめ、ついには神ヤハウェに対して自分の契約違反を認め民を去らせること に同意さえする。神ヤハウェにファラオが抵抗するドラマは、いつしかヤハウェ がファラオを優に超えた存在とみえてくるようにできている。こうして神ヤハウ ェの力によって、モーセを指導者にすえ民をエジプトから去らせる。まさにファ ラオを凌駕する力を持った神としてヤハウェが民の前にデビューする。だが問題 は、ヤハウェの目的が下層民の救済にあるとしても、結局ファラオと対抗しなが ら、発揮する威力の向きがやがてどうなるかということだ。
2月6日の説教から ルカ福音書5章33-39 「宴席の断食」 久保田文貞 ある人が、洗礼者ヨハネの弟子たちと、パリサイ派の弟子は、断食しているの に、イエスの弟子たちは断食していないのはなぜか、と問う。宗教的な〈断食〉 とは、この世とは噛み合いようのない〈聖なるもの〉へこちらから近づいてゆく にあたって、自分の生に対する積極的な向き=生への欲望を、折ってみせること だ。このような捉え方には、〈聖なるもの〉が私たちの生を肯定する(祝福する とか、恵むとか)というより、否定する(罰を与えるとか、徹底的な浄化を要求 するとか)という悲観的なものがある。わたしたち人間の現実から推して、「神 の審判の日」が無罪判決の喜びの日、祝福の日になるとはどうしても思えないと いうわけだ。洗礼者ヨハネも、新約書では不当なまでに評判の悪いパリサイ派ユ ダヤ人たちも、〈聖なるもの〉に正面から向き合おうとし、真面目に自身の宗教 に取り組んでいる人たちなのだ。 彼らに問題があるとすれば、〈聖なるもの〉の先んじた知識ゆえに、自分たち の身近なまわりの人々を否定的・悲観的にしか認められなかったことかもしれな い。もちろん彼らが周りの人々を見放して遺棄したわけではない。殊勝にも彼ら は、周りの人々にむしろかいがいしく手を差し伸べ、彼らを〈聖なるもの〉の方 へむき直させようとしたのである。ある意味で、私らにもおなじみの、とっても 分かりやすい良心的な知識人ではある。しかし、彼らには手を差し伸べてやって いるのに、振り向こうともしない連中が許せない。彼らの無知ぶりを嘆き、つい には彼らを審判者になりかわって審いてしまう。これまた分かりやすい良心的な 知識人に似ている。 もっとも洗礼者ヨハネ・グループとパリサイ派グループとの違いを見ておくこ とも重要だ。パリサイ派は、〈聖なるもの〉に通じる制度--「律法」に基づく 生活とその訓練、それを検証する仕組み--を手にしているという自負をもって いること。ヨハネ・グループは〈聖なるもの〉の襲来--神の審判の迫り--に 有効な、日常的な宗教制度はないとしていたこと。ただし、指導者ヨハネ逮捕の 後、弟子グループが師匠ほどにその緊迫感を維持し続けたとは思えない。ある種 の制度かをしているかもしれない。 これに対して、イエスの構えは全然ちがうものだ。ひとつは、ダビデの例。ダ ビデが家来の将官の妻バテシバに恋して、その将官を戦死させバテシバを妻にし てしまった大スキャンダル。その子が重病に罹りダビデは断食して祈るが、その 子が死んでしまうと、ダビデは立ち上がり断食を止めてしまう。「子がまだ生き ている間は、主がわたしを憐れみ、子を生かしてくださるかもしれないと思った からこそ、断食して泣いたのだ。だが死んでしまった。断食したところで、何に なろう。」(Ⅱサムエル12:23)と割り切るところがすごい。このような記 事を暴露するのもすごい。これを弟子たちの断食不履行に引用するイエスもすご い。 イエスの本意は、単に臨機応変に決断するダビデ的なものにあるのではない。 すでに「花婿はいっしょにいる」のだという。今や〈聖なるもの〉にこちらから 身を整えて伺うというのではない。こちらがなんの準備もできていないところに、 すでに花婿は到着している。私たちにできることといえば、断食したり、急いで 正装したり、信仰深いポーズをしてみせたりすることではない。そうではなく、 いっしょに「飲んだり食べたり」してこの時を喜び祝うことだけだという。人々 から「あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と 言」われようと(ルカ7:34)いっこうにかまわない。
1月30日の説教から ルカ福音書21章1-9節 「貧しさについて」 久保田文貞 イエスの初発の宣教活動には、身 体の障害を抱えた人、慢性疾患をかかえた人、心的な煩いもつ人への癒やし行動 とともに、ユダヤ教共同体から排除された脱落者への救済、そして「貧しい人」 への支援などが見られる。後の原始教団の流れにあるマタイ福音書の言葉で言え ば、「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている 人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を 告げ知らされている。」(11章5節)。飜訳は初めの4つは「目の見えない 人」とか「足の不自由の人」「重い皮膚病を患っている人」「耳の聞こえない 人」と冗長なものになっているが、原語は、誤解を恐れず言えば当時の差別語の オンパレードである。共同体から排除・差別されたり、されかかっている人々を くくるカテゴリーである。そこに「貧しい人」が並べられていることは注目に値 する。 「貧しい」という概念はユダヤ教徒の伝統において必ずしも否定的なものでは なかった。例えば箴言16章19「貧しい人と共に心を低くしている方が/傲慢 な者と分捕り物を分け合うよりよい。」あるいは同19章1「貧乏でも、完全な 道を歩む人は/唇の曲がった愚か者よりも幸いだ。」このように〈貧しさ〉を徳 に高めることには枚挙にいとまなし。 しかし、イエスの宣教活動の中で突如歴史の表面に出てきた人々は、日常的に 排除され差別されていた人々であり、見えなくされていた人々と言うべきだ。そ こに挙げられる「貧しい人」とは、「名もなく、貧しく、美しく」というような 徳に回収される〈貧しさ〉を負っている人ではなく、共同体からはじき出されて 「生活の溜」を無くしている人、互助の制度的な支えを失っている人のことだろ う。イエスの宣教活動は、現実に排除され、あるいはされかかった人々、居場所 を失った、あるいは失いかけた人々にチョクぶつかっていく。 後の原始教団は、無理からぬことでもあるが、その人々を概念化した。つまり 自分たち(教会)の対象(これから伝道する人)をよりよく(と思っている)把 握するために、ラベリングすると言いかえてもよい。しかし、概念化、ラベリン グ、カテゴライズ、微妙に違うが、共通することは、〈今ここに〉いる「貧しい 人」たちは、言ってみれば一同に集められて対象化され、「さあ、これからあな たたち貧しい人々に施しをします。順に並んでください」みたいな景色になって いく。こういう概念化は、本体のやぐら骨がちょっとでも傾けば、業務は縮小さ れ、概念化はますます進み、単なる理念になりかねない。 けれども、そういう基本的な問題を抱えながらも、キリスト教はいつもあのイ エスの宣教の原点にたち帰らされる。そして〈今ここに〉いるのは他者である前 に自分であることに気づく。 「わたしたちは支援するときに、どうしてもこちら側に神さまがいるとか、自 分の側から相手に仏さまの力を届けてあげるという発想になりがちでし た。・・・それとは逆なのです。・・・『そうではない。神さまはむしろ、手助 けを必要とするまでに、小さくされてしまっている仲間や先輩たちと共に立って おられるんだ』」(本田哲郎『釜ケ崎と福音―神は貧しく小さくされた者と共 に』岩波書店、2006年)
1月23日の説教から ルカ福音書6章1-11節 「安かれ」 イエスが安息日に人を癒やしたというのでパリサイ派ユダヤ人から 非難され、それに反論するという論争物語である。福音書には安息日に関わ る論争物語が平行箇所分を除いて8回、他に安息日に大勢の人を癒やしたと いう漠然とした報告を考慮するとかなりの数に上る。ことにイエスの初期の 活動を思わせる記述では、会堂(シナゴク)でもたれる安息日集会の中、あ るいはその前後、病人を癒やす場面が目立つのである。 マルコによれば、 まずイエスは行動を起こす前にペテロ兄弟やゼベダイの子らを弟子にするが、 その日は彼らが漁をしていたというから安息日ではないだろう。しかしその 後、イエスと弟子集団が行動するのはほとんど安息日に行動している。イエ スが安息日に会堂で教えるというのは、福音書で定型的な枠組になっている といってよい。 基本的にユダヤ人は安息日に仕事を休み、律法を解釈する 判例集によれば、880m以上移動してはいけないとされる。そこでユダヤ 人は安息日に家の近くの会堂に集まる。安息日が始まる金曜夕の集会、土曜 の午前と午後の集会(があれば)の集会のどれかに出るというのがユダヤ教 徒のならいであった。イエスと弟子たちが、手始めに人々が仕事を休んで集 まる安息日を行動の日としていたのは必然だったろう。そして週日には彼ら も仕事に就いていたということは十分に考えられる。そのかぎり日曜に集会 を持ち行動する私たちに案外近いかもしれない。 ルカ6章6以下の物語は、 安息日会堂集会の最中か、それが終わったところでか、イエスは「右手が萎 えていた」人を真ん中に立たせ、「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で 許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅 ぼすことか。」と言って、みんなの見ている前で「手を伸ばしなさい」と命 じる。すると手は元通りになったという話しである。これは奇蹟というより は単純な癒やしのわざを行ったということに過ぎない。これを見て、厳格な ユダヤ人はこれが安息日規定違反だと捉えた。 安息日規定がイスラエル社 会に定着してくるのはダビデ後の王国時代のことである。それがモーセ五書 にかっちりと嵌め込まれるのは、意外にもずっと遅くなってからのことであ る。たぶん捕囚期後、つまり前6世紀後と言われる。そこでは神が創造の技 を6日間行い、7日目に休まれたという厳かな理由が附され、十誡という特 別な掟に格上げされる。「安息日に仕事をする者は必ず死刑に処せられる」 (出エジプト31章15)とまで言う。 どう考えても、もともとは作業、 特に農作業を、円滑に進めるためにはかえって7日毎に休息日を設けた方が 効率がよいという知恵から生まれた制度だったろう。けれども自分たちの王 国が滅亡し、400年余神殿を中心にしてきた信仰が危機を迎え、イスラエ ルの民としてアイデンティティを再構築しなければならなかった。その中で 生まれたのが私たちの見るヘブライ語聖書である。その真摯な姿勢には頭が 下がる。しかし、現実が破綻した中で精神だけを頼りに再生しようとすれば 〈転倒〉〈倒錯〉がからみつくのも世の常だ。宗教が、信仰が、硬直した規 定を自分に課し、労働に休暇が必要だという現実的な理由は吹っ飛んでしま う。 こうなってしまうともうバカにできない。醒めた理屈で、それをひっ くり返すことなどできない。 「人の子は安息日の主である。」とイエスが その確信をどこから持ってきたかはさておいて、〈転倒〉した安息日をもと にもどすためには、まず安息日の真っただ中でそれが宣言されなければなら なかったというのは当たり前とは言え、重いことである。
1月16日の説教から ルカ福音書5章1-11節 「漁師であること」 久保田文貞 ルカのこの物語はマルコ1章16-20節の弟子召 命物語が、ほかの要素を交え「伝記」文学的に増幅されたものだろう。前の 晩から不漁でへこんでいたペテロにイエスが網を打つように命じその通りに すると大量だったというモチーフはヨハネ福音書の復活物語の後日談(ヨハ ネ21:1以下)としても出てくる。ただし、そこでは一応、復活者イエス と弟子たちが海辺で食事をするが、その食材を得るための奇蹟になっている。 だが、1,2節の弟子名の記載にこだわっているところを見ると召命物語と 復活物語の掛け合わせという感がする。真の弟子とは復活者と共に食事に与 れた者であり、イエスの命じられるままに漁をし多くの魚を取れたのだと。 ルカ版は、マルコ1章10節「人間をとる漁師」というイエスの言葉を、 大漁の奇蹟物語を付与してより印象づける物語に改造しているのはまちがい ないと思われる。さらにマルコでは、ペテロとアンデレの兄弟とゼベダイの 子ヤコブとヨハネの兄弟の召命物語は別のものになっているが、ルカ版はそ れを明確な一つの物語にする。 マルコ福音書著者は60年代のエルサレム 教団に出入りしていたか、少なくともそのうちの誰かと交通していただろう。 この4人がイエス死後のエルサレム教団の中心人物であったことを知ってい る。イエスの活動の当初からこの4人が活動に関わっていたと言えば十分だっ たのだろう。他の弟子の召命物語はない。取税人レビの召命物語があるが、 彼は「十二弟子」名簿にない。彼のその後は不明だ。 召命物語の解説とし てよく言われるのが、イエスが「従ってきなさい」と言うと、弟子たちはす ぐに、後先のことを考えず従ったということの強調だ。たしかに全幅の信頼 をして人に従うとことにはそういう面がある。しかし、ここでは4人がイエ ス運動の初期からすべてを目撃したということが確認されればよかったのだ ろう。 やはりここで心にひっかかるのは「人間をとる漁師」という〈もの 言い〉だ。投網漁法は一網打尽という言葉があるように、一本釣りのような 他の漁法と違って稚魚であろうとどんな種類の生き物であろうと無差別に捕 獲する。ある意味で残酷な漁法なので、多くの河川で制限されているという。 この漁法による漁をもって「人を取る」の比喩表現として「伝道・布教する」 に当てられるとあまりうれしくないのはなんでだろう。ひとつは、布教の結 果得た信徒を、かかった魚のように表現することに恥じない感覚への不快。 同じ感覚はよく歌われる「讃美歌21」の98番にも感じる。布教対象者を 当然のように「迷える羊」と歌う。もっともこれはあまりに布教者に対して 意地悪な言い方にすぎるかもしれない。福音の宣教も他者に対する一つの伝 達という面がある。そのために力や時間を割いて活動する者が事実上現れる。 それをペテロのようにそれまで漁を専門に生活してきた男が、イエスの仕事 を手伝いはじめるとすれば、これからは「人間をとる漁師にしよう」とイエ スが表現したからと言ってどうこういうことはないかもしれない。それでも、 その言葉をもってなんらかの権威づけの根拠にしようとすれば、だいぶずれ てしまう。布教家を特別視するような方向に働くズレ方には相当注意した方 がよい。
1月9日の説教から ルカ福音書3章15-22節 「イエスの洗礼」 久保田文貞 ヨハネは、一回切りの「罪の赦しを得さ せるための悔い改めの洗礼」(マルコ1章4節)を宣教した。バプテスマを 「洗礼」と訳されてきたが、「浸す」(英dip)という意味の動詞バプティゾー からきており、その受動態の意味を含む名詞であるから、「浸礼」と訳した 方がよいと思う(佐藤研「はじまりのキリスト教」)。佐藤によれば、ヨハ ネはユダヤ教の中に続いてきた汚れを浄める「沐浴」を勧めたわけではない。 沐浴であればクムラン教団のように自分自身で自分の身を日々繰り返し洗え ば徹底した清めになる。ヨハネの場合は、自分でするのではなく浸礼を受け るのだ。ヨルダン川に体を浸すことの意味は、水におぼれて死をかいくぐる ことだという。詩篇42章7-8)「ヨルダンの地から、ヘルモンとミザル の山から あなたの注ぐ激流のとどろきにこたえて、深淵は深淵に呼ばわり、 砕け散るあなたの波はわたしを越えて行く。」 あるいはサムエル記下22章 5「死の波がわたしを囲み、奈落の激流がわたしをおののかせ、 陰府の縄が めぐり、死の網が仕掛けられている。」など。この「大水」による死のイメー ジが「浸礼」行為の前提にあるという指摘だ。このことは「罪の赦しを得さ せるため」の「浸礼」とよく繋がる。罪と死の関係についてイザヤの預言に 次のような言葉がある。22章14「『お前たちが死ぬまで、この罪は決し て赦されることがない』と万軍の主なる神が言われた。」 ロマ書6章7 〈死んだものが罪から解放される〉という考え方はユダヤ教の中に行き渡っ ている通念である。 バプテスマのヨハネは、黙示文学的な神の支配(国)、 神の裁きの迫りを前に、人々を水に浸し、死をかいくぐらせることによって 罪の赦しを経た〈体〉にさせ、「悔い改め」メタノエオー=向きを変えさせ る。バプテスマのパフォーマンスは人間の改変劇だということなのだろう。 ナザレのイエスが、このヨハネによる「浸礼」を受けた。後のキリスト教 から見れば、イエスがヨハネから罪の赦しを得るためにバプテスマを受けた というのはまずいと思ったか、イエスのバプテスマの後、「水の中から上が るとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧に なった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」とい う声が、天から聞こえた。」(マルコ1章10)と筆が入って、イエスのバ プテスマを特化している。 この後、共観福音書によれば、イエス集団は 「浸礼」に手を出さない。イエスの宣教は、人々にバプテスマを受けるとい うようななんらかの決断すら要求せず、神の国のラッシュは義なる人々の頭 を越えて、「罪人」と後にクリスチャンが呼んだところの〈地の民〉のひと びとの方に行ってしまう。 このような宣教者イエスがエルサレムに乗り込 んで、ユダヤ教神殿勢力から危険視され、政治犯として告発され、処刑され た。一部の女弟子を除いてほとんどの追従者たちが絶望しイエスを見限って 逃げたのは周知のとおり。殺され葬られたイエスの亡骸が墓にない、神のよっ て挙げられたという報告さえ入って、人々は愕然とする。 攪乱・・・。そ の中で浮かび上がってきた一つのプログラム、イエスの死を自分の身に帯び ること、イエスと共に神によって死から挙げられること、そのプログラムの 実行のために検索されて引き出されたものは、ヨハネの提起したバプテスマ だった。パウロが描いたロマ書6章はパウロ自身の実存的な告白でもあるが、 それ以上にイエスの死を自らの死に引き寄せ、再び生きることに成功した人々 の心的記録也。
1月2日の説教から ルカ福音書2章22-38 「ヌンク・ディミティス」 ルカ福音書著者は、ユダヤ教の伝統から大きく外れてしま う神の子降誕物語を、一方でできるだけユダヤ教の枠にはめこもうとしてい る印象を受ける。まず降誕物語の序章はヘブライ語聖書に出てくる古典的な 文学(Ⅰサムエル記1,2章など)からの焼き直しである。さらに2章22- 38節の降誕物語の後日談で、「聖家族」は「律法に従って」(22節) 「律法に書かれているとおりに」(23)「主の律法に言われている通りに」 (24)「律法の定めを守って」(27)と微妙に表現を変えてユダヤ教規 定の通過儀礼に従順であったと印象づけようとする。 「清めの期間」(2 3)とはマリヤが男子分娩の汚れを清める(レビ12章)ためのものか。そ こでは男子の場合33日外出禁止、女子の場合は66日になる。これを産婦 の体を慮っての産休のためとよく好意的に解されるが、結果的に母体保護と なったかもしれないが、女性の血を汚れとみなす宗教的な浄-不浄論のなせ るわざと見るべきだろう。 ここにはもうひとつ出エジプト記13章2節、 11節以下から「すべての初子を聖別してわたしにささげよ」という規定を 持ってきて、両親がそれを守ったとする。もっともこの規定は小家畜飼育民 のもので、羊などの家畜が対象になった。神殿体制が確立すると、それはあ まりに高価だというので、山鳩あるいは家鳩に値切ることが許されていたと いう規定である。このイエスの時代に下ると長子誕生の感謝と祝福式として 通過儀礼化していたらしい。 この故事のうらにもう一つの律法規定が参照 されている。民数記6章の誓願成就の取り決め、主の前に誓願したものをナ ジル人(ここでは誓願したかぎりでの者としての聖なる者=ホモ・サケル) とし、その誓願成就の「焼きつくす捧げもの」と「和解の捧げもの」として やはり雄羊と雌羊(貧しい者は山鳩と家鳩ですますことができる)を神に捧 げよという規定がある(民6章12以下)。ルカがどちらを念頭においてい たか、大した問題ではないだろう。民数記の方は、規定の捧げものを終えた ナジル人=誓願成就者を 祭司が次のような言葉で祝福する 「主があなたを 祝福し、あなたを守られるように。 主が御顔を向けてあなたを照らし/あ なたに 恵みを与えられるように。 主が御顔をあなたに向けて/あなた に平安を 賜るように。」これはわが北松戸教会が20年以上礼拝の最後の 祝福の言葉として司式者が読んできたことばである。ルカの方に目を転じる と、エルサレムにイスラエルの慰められるのを待ち望んでいたシメオンとい う老人がいたと言い、彼が幼子を抱き、神をたたえて言ったという。 「主 よ、今こそ(ヌンク)あなたは、お言葉どおり /この僕を安らかに去らせ て(ディミティスくださ います。わたしはこの目であなたの救いを見た からです。これは万民のために整えてくださっ た救いで、異邦人を照らす 啓示の光、/あなた の民イスラエルの誉れです。」この「シメオンの歌」 は、民数記6章で祭司によって祝福があるようにと祈られた祈りが今や応え られて「目で救いを見る」にいたった感謝の祈りになっている。つまり民数 記6章の完成型とでもいうべき形でイエスの宮参りとシメオンの祝福と感謝 の物語がここにあるのである。 ユダヤ教側からの諾否派別にして、ルカが こうしてユダヤ教のレールの上に神の子降誕物語を据えたこの苦心がその後 のキリスト教の方向を大きく定めたことは確かである。