説教ノート 2010年1月から12月分まで
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12月26日の説教から マタイ福音書2章1〜12 「降誕物語の闇と影」 久保田文貞 降誕物語は、神の恵みが充満する〈かの 世〉の神の子が〈この世〉に人の姿をとって生まれたという事柄を扱う。キ リスト教の母体となっているユダヤ教の大前提は、唯一の絶対なる神と被造 物たる人間界とは絶対的に隔絶されて、ただ神の言葉だけがかの世からこの 世へ示されるだけとする。その意味から言っても降誕物語は、創造者たる神 と被造物たる人の間に引かれた境界線を超える物語だ。ルカ福音書の降誕物 語は、メルヘン的なイメージと音楽的な響きによって、そのことの驚きと畏 れを喜び「天に栄光、地に平和」で満たされて終わる。 これに対してマタ イ福音書の降誕物語は、その越境によって起こる出来事の、むしろ不吉で、 ネガティヴな面を終始描こうとしているように思う。イエスは聖霊によって 妊ったマリヤから産まれたという設定だから、養父の系図にどんな意味があ るのかわからないが、その男系図に4人のスキャンダラスな女性の名をまと わりつかせている。3節のタマル。ユダの長男エルの妻タマルは夫に早く逝 き別れ、弟オナンの妻になるがオナンは彼女に種を与えることを拒否して侮 辱する。捨て置かれたタマルは街娼に化け舅ユダと寝て妊る。そうして産ま れた双子がペレツとゼラである。さらに5節のラハブ(ヨシュア記2、6 章)、ルツ(ルツ記)、6節ウリヤの妻(ベテシバ)、4人とも曰わく付き だが、同時に4人とも〈異邦人〉の娘である。もっともこのレベルの娘たち を特別の意味をこめて〈異邦人〉とするのはエズラ、ネヘミヤ以後だろう。 ただし、この福音書の著者の異邦人理解が、当時のユダヤ教の理解そのまま であることを勘定に入れなければならない。(マタイ5:14、6:7、3 2、10:5、18:17など)要するにせっかくの義父ヨセフの系図は蒼々 たる名が並んでいようと、実は散々なのだと書いているわけだ。メシアの家 系を人間的な家系に遡ってもなんの精算もない、それが結論である。 神の 民として選ばれたイスラエルの内部にそのまま収まるようにメシアが生まれ たか。否。ユダヤの新王誕生を察知したのは、イスラエルの輪郭線を破って 介入してきたマギ(占星術師)だった。彼らはイドマヤ人出身のユダヤの王 ヘロデの宮殿を訪ね新王の拝謁を願い出る。つゆ知らぬ王は新王誕生と聞い て自分の位を狙うものを抹殺しようとした。そして1才未満の男子虐殺の命 令を出したというのである。このようにマタイのイエス誕生物語には、スキャ ンダラスな家系と、忌むべき異邦のマギの来訪と彼らによるメシアの礼拝と いう意図的なタブー破りをともなっている。まるでルカ伝の降誕物語の栄光 に陰をさすための帳でも設けるかのように。 24日の賛美礼拝のプログラ ムにアンドレア・デル・サントの〈聖家族〉(1528年)を載せた。ルネッ サンス後期フィレンツェの画家だが生涯は謎に包まれている。晩年なぜか、 視線をそらした暗い顔をしたマリヤ、なにをそんなに困っているのかと声を かけたくなるようなヨセフ、そんな両親のもとどうみてもかわいくないキリ スト、という聖家族を描いた。マタイの降誕物語を受けているかのように。 とにかくあの断絶を破るタブー違反にともなう陰が降りているとしか言い ようがない。(デル・サント「聖家族」部分) http://www.wga.hu/art/a/andrea/sarto/3/holyfamy.jpg
12月19日の説教から ルカ福音書2章1-14節 「大いなる贈与」 久保田文貞 ] 降誕物語は、神がひとり子をこの世界に与え給うたことを語ろうとしている。 神の、人への「大いなる贈与」の物語だと言ってよいだろう。 贈与とは、 無償で与えることだ。贈与ということで身近に見られるのは、例えば親が子 に食べ物や必要なものを与える場合。家族の中でのもののやりとりは基本的 に贈与である。ムラのような自然発生的な共同体においてももののやりとり は無償の贈与の連鎖のようなものである。確かに無償でいただいた贈与に対 して、無償で新たな贈与をお返ししなければならないから、〈ただより恐い ものはない〉と言われてきたように、返礼を怠れば共同体から閉め出されか ねない。贈与だけで成り立つ空間は原則的に〈閉じている〉と言ってよい。 次に、問題になることは、その共同体の周縁または外部で共同体メンバー 以外の他者と出会うということだ。そこでなんらかのコミュニケーションが 起こる。第一に常識的には物の交換。交換が成立するためには、それが等価 交換であると意識される必要がある。しかし、交渉すること自体、閉じてい なければならないはずの共同体を開かせることになる。またはじめ等価かど うか判断する基準などないとしなければならない。そこで手探り状態で交渉 し、しかも待っている仲間や家族(これまでかれらとは贈与の関係しか結ん でこなかった)を説得できる交換でなければならない。そこには外に向かっ てと、内に向かってとの、命がけの越境があること考えておかなければなら ない。 さて、降誕物語の場合、越境するのは外から内に向かって、相手側 が一方的に越境してくる。そのうえ、双務的な交換ではなく、一方的な、無 償に引き渡される贈与なのだ。 ヘブライ語聖書では、ヤハウェがイスラエ ルを選び自分の民とする(詩篇135など)〈贈与〉に対する〈お返し〉と して、民は律法を守る約束をする。一部のイスラエル人にとって、この交換 は贈与とお返しと言うよりは、双務的な交換のように見えた。ヤハウェのイ スラエルに対する恵みが不十分なら、当然十分なお返しをする必要はないと。 これに対して降誕物語はこの世界に神の子イエスが生まれたことを、神の 無償の贈与として受けとめている。ザカリヤとエリサベツの老夫婦に子が与 えられる、「その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人 もその誕生をよろこぶ。」マリアに天使が現れて言う、「あなたは神から恵 みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む」 マリヤは言う「どう して、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんの に」 天使は答える。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包 む。…神にできないことは何一つない。」 マリアは言った。「わたしは主 のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」 エリサベト が訪ねてきたマリヤに言う、「 あなたは女の中で祝福された方です。・・・ 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」 降誕物語は、この世界に天から降り立つ天使、この世界に割って入ってく る神の恵み、この世界の男を知らない乙女の胎に着床する神の子、いずれも この世界の外からの一方的な介入の物語だ。私たちに、無償の贈与というの は現実に難しい。贈与めいていてもすぐに打算が入ってくる。親子の間です らそうだ。クリスマスの神の贈与はある意味強引で純粋な贈与だった。だが、 そこでもやがてこの贈与に対して、〈諸君、これだけの返礼はすべきだ〉と 余計なくちばしをはさむ組織ができてしまう。その組織こそ、その贈与を管 理していると思い込んだ教会だ。情けないことだが。
12月12日の説教から ヨハネ福音書1章1-18節 「ヨハネによる物語解体」 久保田文貞 ヨハネ福音書は、マタイ、ルカ両福音書 より遅く、90年代に書かれたというのが通説である。ヨハネ福音書著者 (以下ヨハネという)が、マタイ、ルカ両福音書を読んでいたかどうかわか らないが、それらの福音書の初めに出てくる降誕物語伝承の存在について知 らなかったというより、少なくとも部分的に知っていたとする方が自然だ。 とすればの話だが、ヨハネは、キリスト誕生についてのマタイ、ルカのよう な描き方をしない方がよい、あるいはもっと明確にそういう描き方を捨てる べきだと考えたのかもしれない。 ヨハネ福音書1章の冒頭ロゴス受肉の言 葉は、ロゴス・イエス、神の子キリストのより本質的な〈起源〉について語っ ているように見える。マタイやルカの降誕物語を作り上げている民間説話的、 メルヘン的なイメージゆえに流されてしまいかねないより大事なことを、ヨ ハネは典礼的な、定型賛歌のような、格調たかい言葉で表現している。 初めに言(ロゴス)があった。 言は神と共にあった。 言は神であった。 この言は、初めに神と共にあっ た。 万物は言によって成った。 成ったもので、言によらずに成ったもの は何一つなかった。 言の内に命があった。 命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。 暗闇は光を理解しなかった。 ・・・ 具象的なイメージはまるで夾雑物であるかのように避け、たとえ抽象的にす ぎると言われようと、象徴的な表現に終始していく。ただし、少し後に現れ るグノーシスの表現の仕方に多く見られるような、謎めいた意味の飛躍、連 合を多用し、読み取れる者だけにある種の満足感を与えてやるような密儀的 な象徴表現ではない。ヨハネの場合、むしろ奥義、秘儀とすべきような肝腎 のポイントを、典礼的な言語の中ではあるが、隠すことなく指し示している。 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 言は 世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 言は、自 分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。 しかし、言は、自分を 受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資 格を与えた。 こ の人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によって でもなく、神によって生まれたのである。 言は肉となって、わたしたち の間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。 それは父の独り子として の栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。 しかし、どんなに隠し立てなく語ろうとも、「ロゴスが肉となる」、つま り「ナザレのイエスが(やがて)神の子とされる」ではなく、「神のひとり 子がナザレのイエスとなる」のあいだに横たわる飛躍、差異は如何ともしが たい。論理的にも倫理的にもわれわれの世界外とせねばならぬ〈なにがしか〉 が、われわれの世界内に持ち込まれる事実を承認せよと言うのだから。〈物 語〉や〈秘儀・典礼〉で特別枠に置いておくのも一つの手ではあると思うが、 〈カレ〉はその枠に収められたままであるのをよしとしない方だけに大変な はずだ。
12月5日の説教から マタイ福音書25章1-13節 「目を覚ましていなさい」 久保田文貞 どう考えても、イエス自身が死後(復活後)天 に昇り(「父なる神のお側にまします」ことになる)しばらく経ってから再 びこの世にやってくると、生前に予告していたとするのは考えにくいから、 「終わりの日」の完遂とキリストの再臨のシナリオは、イエス死後の教会の 信仰の中で徐々に練り上げられていったものだと受けとめるのが順当だろう。 もっともそう言ってしまうと、キリスト教のシナリオのほとんどがイエス死 後に作られたものということになって元も子もない。だが、そう言ってキリ スト教を貶めて嗤うことはできない。イエス死後に彼への信仰が構築していっ たキリスト教は、部分的には隙があるものの、全体的には壮大な大伽藍のご ときものとなった。少々の近代的歴史主義をもって〈ほら、キリスト教なん て作り物に過ぎないさ〉と言ったところでびくともしないし、キリスト教は イエス自身さえ造り替えてしまい、起源を覆い隠してしまったのである。 〈いつイエスが再臨するか「その日、その時は、だれも知らない。天使たち も子も知らない。ただ、父だけがご存じである。」〉紀元1世紀の小さな信 仰集団の間で盛り上がっていた信仰者たちの〈今・この時〉の特別な受け止 め方が、すべての人間の〈今・この時〉に関わることになった。もっと大袈 裟に言えば、人間の歴史の〈今・この時〉を凛として張りつらぬく縦糸になっ たということだろう。マルコ福音書13章33-37節の一連の言葉は象徴 的だ。「気をつけて、目を覚ましてい」なければならないのは、自分らイエ スの弟子たちだけのことと、弟子たちが責任感というよりある種の自負心に 酔い始めていると感じたイエスは「あなたがたに言うことは、すべての人に 言うのだ。目を覚ましていなさい。」と締めくくった。つまり、マルコ福音 書記者は、それが密室の宗教の奥義のようにしてはならないと、イエスとい う方は釘を刺しておくような方だったと書いたわけだ。 しかし、絶えず目 を覚ましているということは、拷問のようなものだ。まぶたを開けさせ眠ら せない、そういう心の状態である観念を刷り込むというのは洗脳の常套だ。 四六時中、仮想の緊急事態=緊張状態の中において意識を過剰に集中させ、 事実から目をそらせる、これこそ現在私たちが置かれている事態に似ている。 「目を覚ましておれ」というのも諸刃の剣のようなところがある。マルコ1 3章14以下の記述を見ていると、「終わりの日の破局の瞬間にキミがどう しているかというのは最終的には運だよ、なるようにしかならんさ」と聞こ えてくる。「人は24時間目を覚ましているわけにはいかないのだ、気晴ら しも必要さ、酒に飲まれて誰かから殴られることだってあるだろう、そのと きはあきらめて殴られればいい、人がどう言おうと。つまり何をしたって来 るべきものは来るさ」と。 でも、マタイ25章の方は、どうも言葉にそう いう隙がない。「目を覚ましておれ」「賢くあれ」と。居眠りして、さらに いざというときの準備も怠っていて、結局その瞬間を逃した愚かな娘たちは 主人(神)から「わたしはお前たちを知らない」と言われる。「泣きわめいて 歯ぎしりするだろう。」とこれらの物語自体を強く締め付ける。居眠りした り、はめをはずしたり、そういう人間の別の面を裏に隠して、いつも目覚め ている、賢い人間の面だけを表に出させようとする。だが、マタイの名誉の ために言うと、裏に隠すことになる人間のネガの部分に、人一倍鋭利な想像 力を働かすのもまたマタイの特徴である。そのネガの「隠れたところ」をさ らに「隠れたところから見ておられる神」のもとに晒されているとして気を 抜かないのだ。なにやら鬼の気配を感じる。
11月21日の説教から ルカ福音書23章35〜43節 「他人を救っても自分は」 久保田文貞 処刑用の棒っ杭に架けられたイエスを人々が あざける場面である。 マルコ伝にも同じようなあざけりが3回出てくるが、 ルカ伝とは微妙に違う。マルコ伝(15:29-32)は、初めに「そこを 通りかかった人々」が 「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字 架から降りて自分を救ってみろ。」 と言う。次に「祭司長と律法学者」たち が「かわるがわる」に「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イス ラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろ う。」 と言う。3番目にイエスと共に架けられていた犯罪にも侮辱する。し かし、彼らの台詞は書かれていない。 ルカ伝の場合、一番目は「民衆と議 員」、二番目はローマの「兵士たち」、三番目が二人の「犯罪人の一人」と なり、どれも「自分を救え」という言葉が共通している。ここではそれが単 なる気の利いた侮辱の言葉というだけでなく、その言葉の含意するものを執 拗に抜き出して強調している風に見える。〈キリストは他人を救われるが、 「ご自分を救う」ことを放棄なさっているのだ 〉と。これはパウロが引用し たピリピ書2章6節以下の「賛歌」を想い出させる。いずれにせよ、受難物 語の一節から、ルカ伝著者が強調したモチーフは、想像以上に広い地平を持っ ていると思う。 突然、脈絡を破って現代の話しに持っていくが、いま「自 助」あるいは「自力救済」とか「自己責任」とか、やたらこの種の言説が目 立つ。なんのことはない、国家財政が窮迫してきて、社会保障費に回す分が 足りなくなって、必死に「自助」の精神を喧伝しているにすぎない。現在の 経済の現実は圧倒的に資本主義経済であって、まず後戻りできない。しかし、 マルクスの資本主義批判が示したように、資本主義には本質的な矛盾がある。 二十世紀になってこの矛盾をどうにか宥め透かす方法として、社会民主主義、 つまり資本主義の恣意を押さえて社会保障を完備させ資本主義の矛盾を国家 が保障する考え方が起こった。日本の戦後民主主義はその路線だった。けれ ども、前世紀末からそれで資本主義の矛盾が超えられないことが明らかになっ た。そして「自助」「自力救済」などが叫ばれる。もっと身近に言えば、最 近やたら傷害保険や老後保険のCMが多いのにお気づきだろう、つまり「社 会保障」として国家が利益抜きでやってきたものを「自力」でやってくださ いと言っておいて、しかもそこにグローバルな保険金融システムが利益を求 めてたかっている。薄利多売の商売だが、地球規模で「小さな政府」を叫ぶ 諸先進国家に後押しされているから莫大な利益を生む。かつてのアメリカの シンジケート(ギャングのシステム)が政府と組んで組合の保険金などから 暴利をむさぼっていたのと同じ構図だ。 近代の「自助」という概念は、1 9世紀英国の医師サミュエル・スマイルズの「自助論」が自由民権運動時代 に紹介され、「天は自ら助くる者を助く」という語で知られていた。なんと なく権力に対抗する人民の自立精神のようにも聞こえるが、実際は、貧民救 済がどうしようもない問題になってきて、手の施しようがなかった時の政府 がこれは利用できると飛びついた観念に過ぎない。 そもそも「自力救済」 「自助」という語は、根本的に言語矛盾をはらむ。自分の力ではどうしよう もないから他者の力が必要とされて、「救い」とか「助け」というものが真 剣な課題になってくるのだ。それを「自力で救済せよ」とか「自らを助けよ」 など言うことがなんの意味もなさないことを知るべきだ。自らをではなく他 者を救う・他者を助けるということが放棄されたら、そもそも国家などなん の存在理由がないと同じように…。
11月14日の説教ノートから 黙示録3章14-22 〈日本基督教団〉設立と問題」 久保田文貞 これから、ノーマルな意識とはかけ離れた終末的絵図を描き出そうとす る預言者が、現実に存在したであろう7教会に宛てた手紙を添えている。最 後のラオディキアへの手紙として「あなたは、冷たくもなく熱くもな い。・・・熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から 吐き出そうとしている。」 中途半端はだめ、優柔不断は嫌いだという、き わめて感覚的表現で、他の6個の書簡と同じくぼかしまくりの内容だ。著者 は当時の教会間に流行していた書簡形式の伝達法を採りいれるも、それらの 教会の具体的な事柄に踏み込むだけの情報がなかったのだろう。この預言者 は終末の幻には強い関心を持つが、教会の現実にはあまり関心を持たない、 それでもこれを教会の方々に読んでもらいたいという思いがあって、一応書 簡という形のものを挿入したのか。いずれにせよ、黙示文学的(ユダヤ教終 末の預言)な言語と、書簡形式の勧告のことばとの落差はあまりに大きい。 ここから、どうして日本基督教団(以下「教団)の成立の問題に入っていく か、こじつけるつもりはないが、聖書に代表される宗教言語と、教団の歴史 的な現実の落差。その落差の大きさの故か、どっちかに軸を据えるともう一 方がぼけてしまうということ。教会にとってタテマエとしては、宗教言語の 方が主軸になる、しかしそうやって現実の自己の歴史をぼかしてしまう。そ れは黙示録の時代から同じことだ。 教団ははじめの一歩から躓いた。1938 年、国家総動員法が敷かれ、国は戦時体制に入る。中国に対する15年戦争が 日本側の陰険な策謀によるものであったとは、戦後明らかにされたが、30 年代に入って国家、社会を批判する言論・思想弾圧、社会主義者や自由主義 者への取締強化など、「緊急事態」の質がどんな種類のどのような性格のも のか見極められなかったとすれば、よほどの鈍感か、現実逃避としか言いよ うがない。もちろん自分もそのような場にいたら、あの「緊急時」に自己保 身に陥ったであろうことを十分に想定していま書いている。1941年、日本の プロテスタント諸教会は当時の有事法制たる宗教団体法によって、国家統制 のもと「日本基督教団」として統合された。(ここにかねてからあった教会 の「合同」の意思を読みとろうとして、これを合理化する見方がある。例え ば「戦責告白」もそのひとつ。)当初は比較的教派の伝統を考慮した「部制」 をとったが、6部(ホーリネス教会系)、9部(きよめ教会、自由基督教会 系)が断固天皇崇拝を拒否し治安維持法で有罪判決を受けると、教団執行部 は、有罪となった牧師らを免職・除名し、さらに当局の圧力で部制を廃止し た(43年)。教団はキリスト者であることは「臣道を実践し、皇国に奉ずる」 ことと信徒教育をし、43 年、第3回教団総会は軍用危険の受け継ぎをし、献 金を募って軍用機4機を献納した。また44年復活祭、新約時代の書簡文学に 範をとって「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」を 占領地の諸教会に、大東亜戦争に協力するよう勧告するという次第。 これ が「終戦」の詔勅(「敗戦」と言うべきだが、昭和天皇とあの詔勅を言わし めた勢力はそう言おうとしない)を迎え、東久邇内閣の一億総懺悔に「右へ ならい」、富田教団総理も総懺悔をキリスト教的に粉飾して「終戦」、以後、 日本基督教団は、連合軍推奨の民主主義の旗振り役となる。 自分を棚に上 げて戦中の教会をなじるつもりは毛頭無い。ズブズブに国家体制に追従した 教団指導者に比すれば、純粋な信仰を持ったグループの人々の抵抗の方がは るかに尊い。けれども、そんな評価の仕方になんの意味もない。あの落差を しっかりと見つめ、両方を交差させつつ自分のこととして検証していくより ないだろうと思う。
11月7日の説教から エレミヤ書16章6-8節 「死者を悼む人を力づけるために」 久保田 16章1節から9節まで、エレミヤの 絶望的な預言がつづく。エレミヤが預言した時代情況は、南王国ユダが大国 の勢力に巻き込まれて日に日に衰退していき、ついにバビロニア帝国によっ て完全に滅ぼされてしまった時である。彼の預言の多くは否定的な神の審判 の代弁にならざるを得なかった。 この預言は、すでにユダ王国の緊急事態 に敗戦という結果が出てからものかもしれない。エレミヤは、敗戦後バビロ ニアに捕囚された一級市民とは別に、残留市民たちの間で預言活動をしたら しいが、結局バビロニアに対する抵抗運動があって、バビロニア側の報復を 恐れた人々はエジプトに逃げることになった。エレミヤは不本意ながらその グループと共にエジプトに行き、そこで消息を絶っている。 1節の「この ところ」がどこか正確には分からない。あるいは「このところ」はバビロン のことで、後にエレミヤの預言を集めた人々がバビロンの状況に合わせて作 文したのかもしれない。10節から13節の公式的な歴史理解は、その地で イスラエルの民を総括的に歴史編纂したとされる「申命記的歴史家」の理念 に近いからだが、9節までをエレミヤ自身の預言に入れない根拠にはならな い。 内容的には、①結婚して子をもうけるな、②弔いに行くな、③祝宴に 参加するな、ということになる。けれども、むしろこれらの預言の否定的側 面の裏側に心惹かれる。「妻をめとる」「息子や娘を得る」ということを否 定する。そこがたとえ難民収容所や、バビロンの捕虜収容所であろうと、民 として生き続けるための最低の営みとしての婚と出産を禁じるのかと、異論 が出るのではないかと思う。そういう楽観論を想定しての預言なのだろうか。 親族や友人の「弔い」に行くなというが、むしろ故人のために「嘆くな」 「悲しみを表すな」という方が辛辣だ。そして神が与える「平和(やすらぎ) も慈しみも憐れみも取り上げる」というのだから。一般には、どんな事態に なっても人の死を悲しみ、嘆き、そうして慰め合い、神はそれに応えて安ら ぎ、慈しみ、憐れみを与えてくれると言うべきところだが、そういう楽観論 をここでも断つ。「死者を悼む人を力づけるために」、「死者の父や母を力 づけるために」(この夫婦は〈子〉を亡くしたのだ!)、「でもきみたちは これからも生きていく。とにかくいっしょにごはんを食べよう」と言わない ように、というわけだ。酒宴の席に着くことについてはいわんもがな。 こ の悲観的な預言は、〈どんな状況をこれから迎えようとも、ともかく生き続 けていくのだ〉という甘い期待の芽を摘むことだ。〈これからも生き続ける〉 としても、イスラエルの民として生き続けることはできないとしか聞こえて こない。選びとった自分の民イスラエルに裏切られた神の容赦のない断罪の 言葉を、エレミヤは曲げることなく語った。 しかし、エレミヤの預言を借 りて、かたくなまでの厳しい裁きの言葉をしかつめ顔して反復する〈学者た ち〉には、「いや、エレミヤの預言の裏側を読めよ」と言いたい。親しいも のを亡くした人や、子を亡くした親たちといっしょにいて、神の平和をもと め、さあ飯を喰おうと肩を叩く、来月はあいつの結婚だ、祝宴に出て祝福し てやろうと楽観的すぎると言われようと言ってやりたい。 イエスの言葉に 印象的なものがある。「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。 だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちること はない。」 人間の歴史などとかまえてしまうと、国家の歴史や思想的な言 葉などがせりあがってくるが、ひとりひとりのいのちを思うと、このイエス のことば以上のものを求める必要がないと思う。
10月31日の説教から 第一テモテ5章20-25 「審く教会の問題」 久保田文貞 テモテ善・後書簡、テトス書簡は伝統的 に「牧会書簡」と呼ばれる。エフェソ書やコロサイなどの第一次偽書群から さらに下って、120年以後のものになる。牧会書簡と言われているように、 その内容は教会運営に関する勧めである。背景となっている教会組織は、監 督(エピスコポス=のちに「司教」bishopと訳されたもの)が家父長的に支 配し、それをユダヤ的な長老団が指導機関としておかれ、さらに執事(ディ アコノス=のちに「助祭」と訳される)が実際の仕事をこなす、それらが組 織的な役職となっていることを示している。このような教会制度が必要となっ た時代背景は、例えばⅠテモテ1章4節「作り話や切りのない系図に心を奪わ れたりしないようにと。このような作り話や系図は、信仰による神の救いの 計画の実現よりも、むしろ無意味な詮索を引き起こします。」と書かれてい るグノーシス主義の流行である。それが教会の内外に浸透してきて、その運 動から教会を守ろうとしたため教会が組織固めをしたというのがこれまでの 教会史の理解である。後に牧会書簡がパウロの手紙として正統主義によって 権威づけられ、新約正典の中に位置付けられる。その時は、さらにこの教会 制度は普遍的なものになるが、牧会書簡が書かれた時はいまだ一地方のパウ ロを信奉する一部の教会の文書であったろう。 グノーシスとの対抗上とは いえ、この教会組織の理念が正当化されるわけではない。だれが呼んでも眼 を覆いたくなる女性蔑視(Ⅰ2:8-15、3:11-12,特に寡婦につい て5:9-16)はどこから来るのだろう。パウロにも女性蔑視的な部分が 無いわけではない(Ⅰコリ11:34など)が、彼が活動していた諸教会(集 会)で女性たちが明らかに男たちから自律し教会活動に参加していたことを 彼自身認めないわけにはいかなかったはずだ。またパウロは寡婦たちに結婚 をしない方がよいと勧める(Ⅰコリ7:8)。ところが、Ⅰテモテでは結婚を 義務化する。これは明らかにパウロの考えと異なる。だからこそ、この手紙 ではパウロの名を借りて、彼自ら「以前の」考えを改めて、別に言い直した かのように見せる必要があったわけだ。 ひょっとしたらグノーシス的な 「作り話」をやたら拡げていくのが女たちだとこの偽書の作者は思っている かもしれない。4章7節「俗悪で愚にもつかない作り話は退けなさい。信心 のために自分を鍛えなさい。」の「愚にも付かない」とは原語で「婆さんぽ い」(田川訳)という意味の語である。つまりこの著者は、年取った女の、 寡婦のおしゃべりこそキリスト教の真理を危うくするものという先入観を持っ ているとしか見えない。女に話しをさせないで、寡婦を結婚させ、男に従わ せること、それが異端的な教えから教会を守ること、そのために男を指導者 とする教会制度を固めることだと考えているのだ。 この種の感覚の教会が、 罪の問題をどう考えているか。「罪を犯している者に対しては、皆の前でと がめなさい。そうすれば、ほかの者も恐れを抱くようになります。」(5: 20) はっきり言って、このような人間の罪の問題に向かっていく力に魅 力もなにも感じないのは私だけだろうか。 想い起こしてほしい、義人たちの 頭越しに、罪人を宴に招き、彼らをよしとする神の恵みのラッシュに身を晒 して貫き通そうとしたイエスを。百年経ってこうも変節したキリスト教のこ とを覚えておこうと思う。
10月24日 第一ヨハネ3章1-10節 「罪を許せなくなる共同体」 久保田文貞 ヨハネの3つの手紙は、だれが読んでも、前回のヨハネ福音書を産み出し た教会の流れの中にあると気づく。ただし、大きな違いの一つは、対抗する 相手が替わっているということだ。福音書で対抗する位置にあるのは「ユダ ヤ人」である。そこでは、ユダヤ人は「受肉」したイエス・キリストが神で あることを拒否し続ける〈この世〉の代表として始めから最後まで一貫して 描かれていた。 これと比較して、ヨハネの手紙群では、「ユダヤ人」とい う語は一度も出てこない。こちらでの対抗相手は、直接名指しされていない が、「イエスがメシアであることを否定する」「御父と御子を認めない者」 (Ⅰ2:22)と言われる「反キリスト」、すなわち「イエス・キリストが肉 となって来られたということを公に言い」(Ⅰ4:2、Ⅱ1:7)表さそうと しない人々である。 この対抗相手の違いは、神の救いの歴史理解にも違い が出てくる。ヨハネ福音書では、受肉のイエス=神というところにアクセン トが置かれ、教会の人々と共に〈今〉復活者キリストはいる。その限り、こ の世界はキリスト=神の救いの〈今〉に蔽われている、そう理解した。この 救いの〈今〉を生きるものにとって、キリストを信じるかどうか、それが人 間の「罪」の問題を含めて全てを決定した。キリストを信じないことこそ、 神への反逆であり、罪だった。 これに対して、ヨハネの手紙は、この世界 に降り下った神の子キリストが「肉体において到来した」ことに力点をおく。 ということは、背後に神(の子)キリストの肉体はあくまで仮の姿であって、 到来したのは神そのものであると主張する者がいたことを意味する。のちに 正統主義キリスト教がイエスの身体性を否定する説を異端とし〈仮現説〉と 呼んだ。ヨハネの手紙はこれを対抗相手にしていることになる。イエスの身 体性を否定するとは、〈この世〉を否定的にとらえていることだ。ヨハネ福 音書も〈この世〉を支配するサタン、「この世の君」、それと内通している とした「ユダヤ人」を神キリストの敵対者としたけれども、手紙の対抗相手、 「仮現説」論者は、人間の肉体を構成する物質世界そのものを否定的にとら えたらしい。 「手紙」の教会がこのような相手と対抗したことで、「福音 書」の教会と異なる結論に導かれる。ひとつは、イエスの死を肉体の死とし てとらえ、復活者は神のもとに去ったという1世紀後半のキリスト教一般の 終末理解に近づくことになった。 「さて、子たちよ、御子の内にいつもと どまりな さい。そうすれば、御子の現れるとき、確信を 持つことができ、 御子が来られるとき、御前で 恥じ入るようなことがありません。」(Ⅰ2: 28) キリスト者の〈今〉を、キリストの死と復活と終末との間の「中間 時」ととらえる。当然、いまだ中間的な時間を生きることになるから、罪の 問題もごく一般的な人間の失態として浮かび上がってくる。 「罪を犯す者 は皆、法にも背くのです。罪とは、 法に背くことです。」(Ⅰ 3:4) 人間一般の罪をどうするかという地平に降りて、罪を論じることになる。 「福音書」が、イエス=神であることを拒否する人間の問題としての罪に全 ての罪を集約させてしますのに対して、「手紙」は、終末までの間、この世 界の人間の一般の罪まで視野に入れることになるが、ほんとうに歴史におけ る人間の悪の問題、罪の問題に踏み込むわけではない。 結局、「福音書」 がこの世界に引き下ろし、過激な信実に接触したこの世界の緊張感が、「手 紙」ではほとんど後退してしまう。
10月17日の説教から ヨハネ福音書15章18-27 「罪--拒絶すること」 久保田 ヨハネはマルコなどの共観福音書のように、受難物語の前に、イエスの出 来事の伝承断片を集め、それを時系列で並べ(そのかぎり歴史的叙述だ)、 イエスの出来事を報告し、〈ほらイエスは神の子、神が送られたキリスト、 救い主でしょう〉という説明的かつ説得的なスタイルを取らない。ヨハネで は、イエスは始めから神のもとにいる、神の言葉、光りだという。 その光は、まことの光で、世に来てすべての 人を照らすのである。言は 世にあった。世は 言によって成ったが、世は言を認めなかっ た。 言は、自分の民のところへ来たが、民は 受け入れなかった。しかし、言 は、自分を受 け入れた人、その名を信じる人々には神の 子となる資 格を与えた。 (1章9-12節) ヨハネは、共観書のように、イエスに よって示された神の国の到来という衝撃が、どのような出来事となり、人々 がどのように受けとめ、生きなおそうとするか、ということに重点を置かな い。例えば、マタイ、ルカのように、その衝撃をどう解釈し、深化させ、意 味づけるかということによって、衝撃を緩和したりしない。ヨハネは「この 世」に突きつけられているものが、肉体となった神の言葉=イエス・キリス トであると言う。最終的に、20章28節で弟子のトマスがイエスに呼びか けたように、イエスその人がそのままで「わたしの主、わたしの神」なので ある。そのイエスの言葉を聞くことができない、そのイエスを信じられない 「この世」の人間は、基本的に神と敵対するとみなされる。「この世」=わ れわれの世界=現実=歴史は、そのようなイエスを受け入れない限り、呪わ れた闇の中に埋没するわけだ。(8章37-47) ひとりひとりの人間は、 キリストを信じるということができるばかりである。信じるということは、 キリストの言葉を聞いて主体的に決断する人間がそこに生まれることになる。 だが一見するととても主体的な人間のように見えるけれども、それはこの世 界の中で葛藤しながら、いろいろな人との出会いを大切にし、他者の考え方 に耳を傾け、もつれた糸をほどく方途を模索し、そのようにして歴史的に決 断していくような人間とはほとんど関係ない。キリストを信じるかどうか、 神の言葉をきくかどうか、この世の闇をぬけでるかどうか、キリストの肉体 に隠れた真理を見出すかどうかだけが試される。信じるかどうかという決断 がすべてであり、自分のまわりにごまんといる信じなかった者は闇に後退し ていくのを見届ける人間である。 ヨハネ福音書にはイエスを信じる者たち へイエスによって「新しい掟」が与えられているという。「互いに愛し合い なさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合い なさい。」美しい言葉であるけれども、この美しい関係の彼らを囲んでいる のは「この世」を象徴しているユダヤ人であり、その背後にいるサタンの配 下「この世の支配者」らの憎悪である。 というわけだから、イエスを信じ る者たちの間の罪の問題が無いわけではないが、「イエスを信じる」という ことの中で自分の罪を告白し認めることにより、どこかに吹っ飛んでしまう。 ヨハネにおいては、問題はイエスを拒絶・憎悪し、この世の闇に踏み込んで いく、より主体的に見える罪だということになる。
10月10日の説教から ルカ福音書15章8-10節 「罪-悔い改めという篩」 久保田文貞 「懺悔」「悔い改め」はキリスト教 に限らず救済宗教には付きものである。罪罰を犯したからと言って一切の寛 恕ぬきに審くことになれば、人間などひとたまりもないから。救済が成立す るためには審判が、さらに救済-審判が機能するためには、悔い改めと赦し のシステムが必要になる。 イエスの宗教運動における福音のメッセージは、 神の救済と審判の緊急事態(「神の国は近づいた」)に神の恵みは「義人」 の頭越しに「罪人」に向かうというものだった。彼の活動は彼の処刑により 2年ぐらいで終わってしまう。その限り、「悔い改め」という審判と救済の 間に生じる手続きの問題はほとんど起こらない。つまり、イエスの短期の活 動の中で、「罪人」が「悔い改め」なければ救われないなどということは問 題にならなかった。 もっとも、福音書で「悔い改め」ということばが登場 するのは、イエスの先輩である洗礼者ヨハネのことばだった。彼は肉薄する 神の審判の日に備えて「悔い改めの洗礼を受けよ」と人々に迫る。それはあ くまで緊急避難措置の勧めと言ってよい。洗礼者の逮捕のあと、イエスは前 述した活動をする。福音書を注意深く比較して読むと、古い層の伝承では、 明らかにイエスの言動から「悔い改め」の勧めは抜けているのである。 「悔い改め」のモチーフを強く前面に押し出したのはルカ文書(使徒行伝も) である。イエスによって救われた者たちの主体的な応答の問題に注目したわ けだ。イエス亡き後、復活を信じたクリスチャンたちの集まり(教会)にお いて、「神の恵みは「罪人」にこそ及ぶ。ハイ、おしまい」というわけには いかなくなった。「罪人」としてひとたび恵みにあずかったとして、ではこ れからはどう生きていくか、という主体的な応答が問われたことを示す。 「悔い改め」が、クリスチャンになることと重なることになった。 ルカ福 音書の中で「悔い改め」モチーフをもっともよく描いているのはやはり15 章であろう。15章の始めの「見失った羊のたとえ」も次の「無くした銀貨 のたとえ」も、実は、本体のたとえ部分はけっして「悔い改め」のことを言っ ているとはよめない。救われたものの主体的応答の仕方などなにも書かれて いない。一方的に神の恵みが恵みの対象者「罪人」に向かっていることが強 調されているにすぎない。福音書記者ルカはたぶんそれを百も承知で、それ らの「たとえ」の結論部に「悔い改める一人の罪人については、悔い改める 必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」 (7)「一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」 (10)という言葉を置いた。 その次のたとえは「放蕩息子のたとえ」で ある。に反抗した弟は生前贈与を受け取り放蕩三昧をして食いつぶし、父の もとにいって「わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しま した。もう息子と呼ばれる資格はありません」とまさに「悔い改め」の意を 表そうと決意するわけだ。だが物語では、「まだ遠く離れていたのに、父親 は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」という のである。弟の「悔い改め」が救いの条件になっていないと言っているかの ようである。前の二つのたとえにおいて、多生唐突に感じた「悔い改め」だ が、ここでも主体的決意としての「悔い改め」が決して救いの条件になって いないと受け取れるのである。 「悔い改め」という訳語の響きには、イエ スの宗教運動とはかけ離れた救済制度の臭いがするけれども、少なくともル カが「悔い改め」に焦点を当てている時、それが制度の中で「救われる者」 に要求される主体的な条件になっていないことに注目したい。
10月3日の説教から マルコ福音書14章10-26節 「いつも用意されている席」 久保田文貞 日本キリスト教団では、10月の第一日曜日 を世界宣教日としてきた。近代になって世界が地球規模でとらえられ始め、 特に19世紀以後、キリスト教は欧米の帝国主義的植民地支配の文化広報係も どきを任じて「世界宣教」の新しい展開をして見せた。しかし、その結果は 2度の世界大戦とその後の冷戦を経て、二十世紀後半には博物館入り、最近 の言い方でいえばよくて世界遺産にしてもらって安堵するというのが実情で ある。今さら「世界宣教」かというのが正直な気持ちだ。 けれども、キリ スト教の世界宣教の課題はその始めから抱えもっているものだ。「だから、 あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子 と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守 るように教えなさい。」(マタイ28:19以下、ルカ24:47以下参照) つまり、ユダヤ教の内部から異邦人という外部へ福音を宣教するというのが、 キリスト教の存在理由になっていると言ってよい。よく言えば、内部の閉鎖 性を打ち破って外部に出ていく、そして他者に向きあう精神ということにな る。 しかし、その反面で外部を支配し抑圧する精神的支柱にもなり得る。 両面あると言って見物を決め込むわけにはいかない。どんなに良い仕事をし たと誇らしげに言っても、その裏でまったく逆のことが行われていれば、台 無しになる性格のものだから。 キリスト教が他者の支配と抑圧の道具にな り下がってしまう岐路はどこのあたりにあるのか、うまく言えないが、その ひとつとして〈聖餐〉の儀礼化ということをあげたい。〈聖餐〉は、イエス と弟子の〈最後の食事〉を、イエス死後のキリスト教が儀礼的に飛躍させた ところに成立したと見る。ただし、わたしたちは、マルコ福音書14章10-26 節に伝えられている伝承の核として、イエス自身がホスト役を務めた〈最後 の食事〉の中に、伝統的ユダヤ教の〈過越の食事〉の枠を取りながらも、そ れを毀していくなにかがあったと思う。いずれにせよ、わたしたちに残され ている言葉は、上記のマルコのものも、パウロが残したものも(Ⅰコリ11)、 すでに儀礼化を経た伝承の言葉であり、そこから〈最後の食事〉推測するよ りない。 一つは、制定の言葉が体を食し、血を飲めというもので、ユダヤ 教の規定違反、タブーの破棄を含む。この言葉の設定は〈過越の食事〉を内 部から破砕する意味を持つ。と同時に、この破壊は新しい共同性のシンボル に生まれ変わる可能性を秘めるわけだ。しかし、それがすべてそのままイエ スに遡りうるかどうかかなり怪しいと思うが、当然決定的なことは言えない。 もう一つは、〈最後の食事〉場面に「引き渡し」(「裏切り」という 意味もあった)のモチーフを抜きがたく入れていること。「イエスを引き渡 したユダ」がマルコの食事の記述の限り、最後までこの食事に加わっていた。 途中で退席したと思いがちになるのは、あくまでヨハネ伝の影響。(ヨハネ 13:21以下) イエスを公権力に「引き渡し」死に至らしめた直接のけっ かけを作ったのはユダであるが、マルコによる受難物語は、この引き渡しに 対して十二人の男弟子全員の責任だと描いている。とすれば、「引き渡し」 に責任のあるみんなが裏切りながらこの食事を共にし、あの制定の言葉を受 けているということになる。食事の席はイエスを「引き渡す」もの全員に用 意されているのである。とすれば、この食事において内部も外部もないとい うべきだろう。内部を毀して外部へという標語は成り立たないのである。
9月26日の説教から コヘレトの言葉9章1~12節 「無罪と無実」 関 秀房 コヘレトの言葉9章「さあ、喜んであな たのパンを食べ気持ちよくあなたの酒を飲むがよい。」「行かなければなら ないあの陰府には仕事も企ても、知恵も知識も、もうない。」「魚が網にか かり鳥が罠にかかるように人間も突然不運に見舞われ、罠にかかる。」 押 尾学さんの裁判は裁判員裁判の対象ではなかった。「保護責任者遺棄致死」 罪に相当しないことは「推定無罪」が貫かれていれば当然です。検察の鑑定 人さえ救急車を呼んでも90%の確立しか助からないといっているのです。90 %の確立で助かるのだからという論理は刑事裁判では成り立ちません。つま り「疑わしきは罰せず」であり「疑わしきは被告人の利益に」が原則なので す。しかし現実は裁判員裁判になり、テレビ・新聞・週刊誌はその原則を主 張しない。「無実」と「無罪」がわかっていないのだと思う。 刑事裁判で は「無実」(「真実」と言い換えてもいい)かどうかを争っていないという ことがどういうことかを考えれば、「死刑」などということが如何にだいそ れたことかわかるはずです。たとえ殺人に関わっていたとしても、被告の一 部分でしかありません。裁判では被告の全生涯を検証などしないにもかかわ らず、死刑判決では、極悪非道、人でなし、更生など望めないとあらん限り の罵倒をして死刑を宣します。 「ライファーズ」というアメリカの終身刑 囚が罪を悔いて改心し、ほかの囚人にも大変大きな影響を与えているという ドキュメンタリー映画があります。人間は変わりうるという証明です。永山 則夫さんは高裁で無期でした。一度3人の裁判官が死刑にはあたらないと判決 したものを、検察は上告し死刑にもって行きます。「疑わしきは被告人の利 益に」の原則を破っています。彼の「無知の涙」等の著作によって生き方を 変えた人が大勢いたでしょう。自殺を思いとどまった人もいたことでしょう。 著作の収益を被害者に受け取ってもらってもいました。新宿バス放火事件 (6人が死亡、14人が重軽傷)で杉原美津子さんは全身80%火傷の重傷を負っ たが、回復し、自らの希望で被告人に接見し無期の犯人に「もう一度やりな おして欲しい」と言葉をかけている。NHKBS(未来への提言)で死刑を廃止し、 囚人にやさしい国である北欧ノルウェーの現状を森達也さんが報告している。 ノルウェーも1960年代までは厳罰化によって犯罪者が増え、1970年 代になり、受刑者の社会更生を最大の目的にする。衣食住もほとんど外と変 わらず、ビジネスホテル並で、受刑者同士も自由に話し、隔離も最小限で時 折帰宅もできる。日本の現状とあまりの違いに驚くばかりです。厳罰化のア メリカの現状はノルウェーの対極にある。アメリカではこの40年で、刑務所 に拘禁される囚人の数が約6倍に増大した。究極の厳罰化はいくつかの州で導 入されている3ストライク制度である。同じ犯罪を3度犯すとほぼ自動的に終 身刑となる。たとえば万引きで3回検挙されても。何でもアメリカに倣う日本 は確実に厳罰化の道を歩んでいる。犯罪そのものは減少傾向にあるのに、オ ウム事件以降この20年で受刑者の総数はほぼ2倍に増加した。無期囚は終身刑 化し、死刑判決や執行数も急増している。ノルウェーのリーダーであるニル ス・クリスティは、犯罪者を社会から隔離せず、懲罰的な収監を見直すこと を提案し、多くの弟子が法務行政に携わっている。「犯罪者にモンスターは いない」「すべての人間は人間である」と言う。 私たち人間には真実はわ からない。まして人の将来など左右できるわけがない。過ちや罪を犯しても やり直せる世界、やさしく見守るノルウェー型の社会を私は望みます。
9月19日の説教から マタイ福音書5章27-30節 「罪--マタイ的深化の問題」 久保田 「あなたがたも聞いているとおり(律法で は)と命じられている。しかし、私は言っておく」という枠組で、山上の説 教に6つの賭場が出てきます。このようにまとめたのは福音書記者マタイの 編集の手によるものです。そうは言っても、ルカなどとの比較からおそらく イエスにまで遡る言葉が相当含まれているようです。27節以下の〈姦淫〉 についてのことばの核の部分はイエスのものという説に乗って進めます。 「姦淫するな」という法は、元来は古代イスラエル草創期の部族時代の共同 体の根幹にある法でした。共同体内部の隣人の妻を寝取ることを聖法にまで 高めて禁止したわけです。王制を必要とするくらいイスラエル社会が大きく なってくると、現実の〈姦淫〉罪事件も当然微妙な問題が出てきて、法解釈 的な議論が持ち上がり、裁判上もいろいろな判例が出来ていく。パリサイ派 ユダヤ人はそういう法の切り口に神経をとがらせている人たちです。そうい う意味では、この〈姦淫罪〉をめぐるイエスの言葉の出し方は、基本的には パリサイ派の律法解釈論の中に入るでしょう。しかし、イエスのこの法の解 釈の詰め方はちょっと異常です。「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれ でも、既に心の中でその女を犯したのである」というのです。ここでは男の 側の責任の問題が追及されています。これと呼応しているかのようにヨハネ 福音書8章で、〈姦淫罪〉に問われているのは女性は、「あなたたちの中で 罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」というイエス の一言で、罰せられることなく解放されていきます。男たちのだれも彼女の 罪を咎める資格がないことに気づいたからという物語です。 「みだらな思 いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」 この言葉は、残念ながら男の本性を付いていると思います。それをイエス が述べたとすれば、イエスもこの深刻な男の本性を自覚していたに違いあり ません。つまり、男がこのような目で女性を見ないなどということは無理な のです。それでも、それを言うとは何なのでしょうか。まず一つ言えること は、他人の姦淫を咎める資格など人にはないのだということ、しかし、おま けとしてこれからはそうならないようにと、すなわちヨハネ8章の括り方で す。 もう一つは、律法に対する人間の深い罪の可能性を自覚し、「律法の 完成」にむけてこの言葉を継いでいくことです。しかし、この方法は、人間 の内面を深く掘っていくでしょう。よい方に転がれば、自己の責任主体を強 化することになるでしょう。しかし、悪くすると、もうこれでいいというこ とがないから、無限地獄にはまり込み、強迫観念に苛まれないとも限らない のです。 ただ、マタイにはこういう安全弁が付いています。「隠れたとこ ろにおられる」神があなたの「隠れたことを見ておられる」(6/4、6、 18)と。罪なる自己を掘り下げていかざるをえない人間の内面への隠れた 深化を、さらにより深く隠れたところで神はすべて見透されているというこ とになります。そしてその神は 「求めなさい。そうすれば、与えられる。」 と言い、「求める者に良い物をくださるにちがいない」(7,7以下)神で あるのですから。
9月12日の説教から ガラテヤ書2章15-21節 「パウロが穿つ罪の問題」 久保田文貞 古くは、暴力的な抗争で勝ち上がった権力を、 教会は〈神の定めた権力〉として叙任する役を演じ、しかしそうやって欲望 渦巻く俗世界をさげすみ、自らは神的な存在に最も近く、聖なるものを執り 仕切る位置に立とうとしました。そんな人間観と世界支配の仕方が人々の信 頼を得るはずがありません。教会はいろいろなかたちの抵抗を受けることに なりました。 そのひとつが「宗教改革」と呼ばれるプロテスタントの抗議 だったと言えます。けれども、その世界観・人間観に実は大きな変更はなかっ た。やはり、人間をおとしめ、世界を悲観的に見てしまったのです。例えば、 カルヴァン派、南部ドイツのプファルツ州で1563年出されたハイデルベルク 信仰問答から「3問 あなたは自分の悲惨を何によって知りますか--神の 律法からです。」「5問 あなたはこれらすべてを、完全に守れますか。- -守れません。それは、私には生まれつき、神と自分の隣人を憎む傾向があ るからです。」「6問 であ、神は、人間を、そのように悪い・よこしまな 者として、作り給うたのでしょうか。--否、そうではありません。(略)」 「7問 では、人間のそのような荒廃した有り様は、どうして起こったので しょう。--それは私どもの最初の祖先であるアダムとエバの楽園における 堕落と不従順から起こったことです。なぜと言って、私共の本性は、毒せら れてしまって、私共は、みな罪のうちに孕まれ、罪のうちに生きることになっ たからです。」「8問 しかし、私共は、どんな善に対してもまったく無能 力であり、あらゆる悪を行う傾向を持っているというほどに、荒廃している のでしょうか。--そうです。私共がかみの霊によって新たに生まれるので ないならば、その通りです。」 このような問答が129問、洗礼前の若者に教 育される。宗教改革の諸教会において、どの程度受けとめられたかを別にし て、このような教会教育が熱心になされました。民衆の教育という点から見 れば、近代の扉を開くような出来事ですが、同時にそれはキリスト教の正統 主義教理をカトリック教会より一層強く民衆に刷り込むことになったことで もありました。人間に対する悲観主義を、一部の真面目な宗教者(修道僧) が取り組むだけでなく、すべての人間に負わせていく・・・これがプロテス タント・キリスト教に表向き特徴的な この生真面目な悲観主義は、パウロ からきています。彼はまずパリサイ派ユダヤ人として人一倍、律法に励んだ。 だから処刑されたナザレ人イエスをメシアとし、律法からの自由を謳ったる ユダヤ教イエス派の人々を糾弾した。けれども、律法を遵守することによっ て得られる〈義〉の内実に何か割り切れない者を持っていたのでしょう。イ エスになんらかの形で「出会った」パウロは、イエスが「わたしたちの罪の ため」に十字架につけられ死んだという伝承にぶつかって、徐々にキリスト を再解釈したものと思われます。神の法のまえに人間として義なることを主 張することの傲慢の罪の問題が、ナザレ人イエスの十字架における無残な死 によって、すべてが書きかえられなくてはならない、と思ったことでしょう。 しかし、パウロのこの真剣さは、なんと言おうと、パリサイ派ユダヤ教の真 剣さの敷いたレールの上での真剣さであり、その行きつく先としてのキリス ト教を母体となるものです。 ナザレ人イエスの人間理解がこれとは大分違 うのではないかということは、前回述べました。ここで二者択一をするつも りはありませんが、自分を、そして人間をまずどう見て生きていくか、とい うことを、たとえどのように高邁な思想や信仰であろうと人に当然のように 押しつけるのはやめた方がよいと思います。それだけのことかと言われそう ですが、このそれだけのことが今なお重苦しいこととして存在しているので すから。
9月5日の説教から マタイ6章12節//ルカ11章4節 「イエスの罪の理解」 原始教団は、「キリストが、…わたしたちの罪のた めに死んだ」(Ⅰコリント15:3)という言い伝えをパウロが受けたと言って いるように、イエスの十字架の死を「わたしたちの罪のため」と理解しまし た。これをパウロがさらに深化させ後のキリスト教の人間観が決定的なもの になりました。 しかし、この理解はイエスがガリラヤで活動していた時の、 「罪」の問題に対する理解の仕方と大分異なります。では、イエスはそれを どうとらえたかということを今日の主題にしたいと思います。 イエスの生 涯を初めに書いたマルコ福音書に、新共同訳聖書で〈罪〉という語は10回 しか出てきません。そのうち2回は洗礼者ヨハネに関するものでこれは除外 します。また10章11,12節の罪は夫婦観の姦淫、つまりは不倫のこと を〈罪〉と訳しているのでこれも除外します。残り6回使われますが、それ も事実上は2場面(2章1-12節「中風の人の癒やし」に4回、3章20 -30節に「ベルゼブル論争」2回、)に出てくるだけです。そこで共通す ることは、罪の問題にこだわっているのは、イエスではなく、パリサイ派ユ ダヤ人の側だということです。 マルコ福音書がこの「罪」にあたる語をハ マルチアというギリシャ語を使いますが、6回ともすべて複数形で使います。 この点でパウロが「罪」という語を自分の論旨に合わせて使う時はもっぱら 単数形で使うことと対照的です。マルコでそれが複数形になっているのは、 パリサイ派ユダヤ人が律法違反をカウントすることによります。パリサイ派 ユダヤ人は、創世記から申命記までのモーセ五書の中に書かれた律法を61 3個と数えました。律法を箇条のひとつひとつとして受けとめ分節化したわ けです。パリサイ派の感覚は、これこれの事実は刑法第何条第何項に違反す るから有罪・・・裁判官のように現実に生きている人間を裁いていく感覚に なっています。罪を当然カウントするものとしてとらえているから、複数形 になるわけです。イエスは、そうやって現実に生きている人を、罪で分節し、 結果、人を仕分けていくことの無意味さを訴えていると言ってよいでしょう。 わたしたちはイエスが人々に教えたという〈主の祈り〉を今も使っていま す。これは、マルコ福音書資料とは別の、マタイ・ルカに共通の資料Qに収 容されていたものですが、その一文「わたしたちの罪を赦してください、わ たしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭 わせないでください。」というのがあります。新共同訳は、「わたしたちの 罪を赦して下さい」と前半を訳しましたけれども、後半を「負い目」と訳し た語と同根の語ですから、〈負い目〉と訳すべきでしょう。「そして、我ら の負い目を許し給え。我らもまた我らに負い目あるものを許しましたから」 (田川訳) 「主の祈」で、罪(ハマルチア)を使わず経済上の負債とか負 い目という意味の「オフェイレーマ」を使っているというのは意味深だと思 います。イエスは、その語のキリスト教が中心概念に育て上げていく〈罪〉 という言葉に執着しないのです。「罪」ある者として定められていく人々か らその負い目を解いていくことに関心があったというべきでしょう。 《説教ノート》 8月29日の説教から「われもこうの会の活動について」 大田 一臣 今、日本においては、格差や貧困の 現実が日常の生活の中で猛威を振るっています。派遣切りや雇い止めなどの 雇用不安に加え、年金問題、医療制度の改悪、生活保護の打ち切りなどの社 会保障制度ががたがたです。こうした問題は、いつ私たちの日常にふりかかっ てもおかしくない状況です。わたしたち、「われもこうの会」は、松戸駅周 辺の路上で生活している人たちに声かけをして、セイフティネットの網にか かりづらくなって格闘している人々と、いろんな話をしながら、活動をおこ なってきました。 以前は健康ランドに寝泊まりしながらアルバイトをした けども、体調不良で無職になった女性と一緒に、福祉事務所に同行し、医療 券を発行してもらい、病院に受診して、即日入院、手術をする事ができたこ と。女性が入院していたあいだにほっとねっとの人たちと住まいを探して、 退院と同時に生活保護の生活をすることができた例。あるいは、40代の男 性で、駅周辺で寝泊まりをしていて、職を探している人とは、福祉事務所に 同行し、生活保護申請をしたり、ハローワークに同行したりしながら、「就 職安定資金融資」や「住宅手当」などの補助金を受け取る事ができたことな ど、いろんなことを経験しています。 また、さる6月12日には、松戸市 民セン ター201号室にて、「まつどわれもこうの 会活動報告会」をひらくこ とができました。千葉県中核地域生活支援センター 「ほっとねっと」の職員 の方からの報報告では、われ もこうの会との連携を通して、具体的に路上 生活者との生きた関係を作ってきたこと。現実の路上生活者の人との結合を 作る上で、行政では限界があるなかで、われもこうの会が粘り強いかかわり で関係を作ってきた事などが報告されました。また、それと同時に、われも こうの会との連携したりくみの成果と同時に、教訓として今後どうするかと いう課題も浮かび上がっ た事が報告されました。 比較的SOSが出せる力、生 活力などの有無で支援のありかたが違ってくる事、連絡手段が限られている 中でわれもこうの日常的なかかわりが重要である事などが報告されました。 また、そのあと、市川市福祉部福祉事務所自立支援担当の職員奥田浩二さん の講演がありました。市川市は、市川ガンバの会などの路上生活者支援団体 との連携を通した自立支援事業を押し進めてきた経過などが報告されました。 特に、路上生活者支援の際、当事者における障害の有無を把握しながら、き め細か い支援をしなければ、生きにくい現実があること。それをしっかり把 握して、きめ細かい支援をしないと当事者に対する本来の支援にはつながら ないなどの報告があげられました。「居宅獲得後のケア」を通した自立支援 のありかたなどが紹介されました。 わたしたちは、そうした会の取り組み を進める上で、いろんな事を考えなければならないと思います。路上生活者 の人たちに対するいわれない差別的な襲撃など、排外主義的な側面が社会的 にはびこっている現実。さまざまな理由で社会的な関係、家族の関係を断絶 しなければならず、あるいはさまざまな障害をも抱えながら生きにくさをは ねかえしている事に、理解をしていく努力をしなければならないと思います。 日常の中で培っている私たちの道徳観で、知らず知らずに安易に人格をさば き「だらしない」「なまけもの」というレッテルを貼って人々を裁いていな いか、今一度立ち止まってかんがえるのもいいかと思います。
8月22日の説教から 詩篇146篇 「八月黙想」 松浦和子 炎暑列島、日本。こんな今年の八月も、十人いれば十人の、それぞれ の戦争体験が新聞やテレビで語り継がれている。 どの体験も想像を超え ている。改めて戦争は、敵も味方もない、屍、累々、破壊と死だとつくづ く思う。 沖縄の1フィート運動の中で公開された一枚の写真「白旗の少 女」に衝撃を受けた。 爆砕された焦土の山道を、白旗(実はふんどし) をかかげて投降した少女。当時6才、比嘉富子さん。私と同年齢でこの体 験、この落差。それに比して私はと言えば、山陰の一万足らずの町にもやっ てきた空襲を逃れて、田舎に疎開をしていたので、戦争が終わったことも 大分後になって知った。それでもあの不気味な空襲警報、防空壕の息苦し さなどは、身体がしっかり覚えている。 大きな商家であった私の家は、 物資を輸送するため、道路を拡張するというので、あっけなく強制撤去さ れてしまった。それも終戦の十日前というから呆れる。すっぽり空いた跡 地に立って母は泣き崩れたが、子どもの私はそのことが理解できなくて、 ぼんやり突っ立っていた記憶しかない。 二年が過ぎて、私は八才になり、 町に帰ってきた。家は再建されたが、親戚が身を寄せたりして、十三人の 大所帯であった。いつも空腹であったけれど、家の内も外もゴチャゴチャ して活気があった。 ある日、狭い路地に入ると「アボジー」「アボジー」 と男の子の泣き声がしている。薄暗い低い家屋から子どもなのにすすり泣 くように洩れてくる哀切な声、今も私の内に留まって薄れない。 又ある 時、町中から離れた海岸の一隅に、朝鮮人集落があることを知った。クラ スにも名前は日本名だが、それらしき男の子が入ってきた。私が外界とつ ながった、関心が外に向かった時と言えようが。その私の知らないでいた 外の世界は、とてつもなく大きな鋼鉄のような深刻な破壊の力でもあった ことを知るのは、ずうっと後年になってからのことだ。 前後して、父が 極度の神経症を患って、内にこもった。戦中戦後の重圧、大家族をかかえ た経済的な負担、いま考えると一億一心、八紘一宇、内鮮一体、やたらと 一の文字が重用されて人を縛った戦争の狂気が、父の身体に正直に反応し て、発病したのでは、と思っている。 私は七年前、一人の青年と出会っ たことがきっかけで、統合失調症の人たちと地域ケアのようなことをして いる。 父のことを思い返すと、いくらか分かってくのだけれど、人の心 身は、過剰なストレスや、重い負担が被さってくると、一挙にバランスを 崩してしまう。 病むということは、そのギリギリのところで、心身が悲 鳴を挙げている、それは得体の知れない未知なものへの恐怖であり、ふあ んであり、苦しい! 助けて! の叫びであろうのだ。 彼らは時代を先取 りしているのかもしれない。生き方の方向を示唆しているのかもしれない。 仲井久夫さんという精神科医の指摘がある。--企業や社会が変貌してい く中で、個も問われるが、人間には長い間培われてきた、いろいろな地層 があって、一挙に変化すると破綻が来る。敗戦のメンタリティが、日本を 復興させたけれど、この勤勉のスタイルは、再建の倫理としては有効に機 能するけれども、問題は再建が成ってからは、目標がはっきりしてこない ことだ。勤勉が切り札にならなくなった今は「クリエイティブであれ」と 鼓舞するのだけど、創造性というのもたいへんな投機なのです。加えてリ アルタイムで入ってくる情報、そのことによって同質化、同期化すること の危険、その兼ね合いが難しい--と。一地域の出来事が瞬く間に世界中 に拡散して、休むまもない神経。戦争に向かう狂気は私たちの日常を孕ん でいることを自覚していたいと思う。
8月8日の説教から 「世界の半分が飢えるのはなぜ?」 (ジャン・ジグレール 合同出版)を読んで 加納尚美 毎年6-7月になると、授業で国際保健医療活動について担当 します。今年もまたその季節が到来し、授業終了したところです。といっ ても私にはさしたる実績があるわけでもなく、また研究テーマではないで のですが、他に担当者がいないというのが何よりも理由です。私以外の非 常勤講師は、NGOと日本国際協力事業団の専門家経験者に来ていただいてお ります。学生は現場の話には目を輝かせて聞いております。私は、現場の 人たちと学生とのつなぎ役と思っています。 いわゆる発展途上国への国 際保健協力がメインテーマになるわけです。なぜ、国際協力をするか?国 際保健は、歴史的には植民地での人々の健康(支配者側の健康管理)がそ もそもの出発でした。しかし、現在では理念としては健康とは人権であり、 すべての人が享受しうる権利を持つことそのための「受け入れがたい格差」 を是正していくのが国際保健医療学の目指すことになっています。では、 「受け入れがたい格差」とは何かが、大変重要になってくるわけですが、 これらを判断するためのいかに客観的な指標を作るかはその後の事業を左 右することにもなります。 「受け入れがたい格差」の一つとして、貧困 があり、貧困による「餓え」という問題があります。飽食の日本にいると 想像力が働きにくくなりますが、国際レベルでは大きな問題です。1998年 にアジアで初めてノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは貧困 を次のように定義しています。「貧困とは、人がもつ潜在能力、すなわち、 自分の価値観に沿った生き方をする自由を著しく制限するもの」彼は、幼 少時代にインド、ベンガルで起きた大飢饉を経験し、貧困を撲滅するため の経済学を目指しました。自然災害があったとしても言論の自由が守られ、 女性に教育の機会があり、子どもの数をコントロールできる地域や国では 貧困から脱出できる、と述べていいます。2009年の世界の人口は69億人で す。地球上には1万年前は数百万人の人類のみでしたが、紀元1世紀には4億 人くらい、19世紀半ばに10億人、1950年には25億人でした。約60年間に3倍 近く世界人口は増えています。その中で、1日1ドル以下の収入で暮らす人々 を絶対的貧困者といいますが、急増しています。多くがアフリカ、南アジ アに集中しています。1日2ドル以下での生活者の推計が約23億人、3人に1 人と言われています。そしてこの人々は常に植えと隣り合わせで生きてい るわけです。そのため、ジャン・ジグレールは、「世界の半分が飢えてい る」と述べているわけです。一方の先進国では肥満や生活習慣病が問題に なっています。では、地球上に住める人数には限りがあるのか?人口のコ ントロールが課題なのでしょうか?途上国の食料生産は最近30年で約3倍に なっており、世界中で生産される食料が平等に分配されるならば問題ない という試算がなされています。問題は、食料そのものの量でなく、発展途 上国が強いられて来た経緯であり、現在の食料供給システム、そしてそれ を支えるすさまじい開発と自然破壊があります。環境学者の石弘之は、 「火山噴火・動物虐殺・人口爆発」(洋泉社)2010年で、植民地化による 大規模なプランテーションが作られ、輸出作物の生産のために肥沃な土地 を地元民が追い出され、環境破壊が進行してきたこと、同時に膨大な人的・ 経済的搾取のシステムがつくられてきたことを多くの事例を述べています。 大規模地震で壊滅的な被害を受けたハイチは例外ではありません。 27年 前くらいになりますが、フィリピンミンダナオ島のバナナ農園とパイナッ プル農園を有志で見学に行ったことがあります。まさに「バナナと日本人」 の世界でした。以降私は有名な多国籍企業のバナナは買わないで、バナン ゴンのバナナをずっと買っています。とはいえ、同様のことは、他の輸出 作物、海産物で起きており、そのお陰で、以前は贅沢品とされた多くの食 料品が日本にもあふれかえっています。忘れていた訳ではないけれど、ジャ ン・ジグレールはこうした不平等な現状をわかりやすく書いています。 問われているのは、富む国が貧しい国を助けるという慈善事業の推進では ありません。私たちの生き方を方向転換しない限り、地球上に生きる人類 に、生き物の未来は暗いのです。ある宇宙物理学者が書いていました。地 球と同様に知的生命体が誕生する確率は相当高いが未だに何の応答がない のは、文明が発生して100万年は持つ惑星が極度に少ないのかもしれません。 地球上に文明が発生して1 万年、私たちは共生のための新しい物語を持た なければならないと、この本を読み強く思いました。是非、買ってお読み ください。
8月1日の説教から イザヤ2章1-5節 「銃口」 飯田静世 シャンソン歌手であり作詞・作曲家でもあ るジャック・ブレルの歌“愛しかない時”は、1956年にソ連軍がハンガリー に侵攻した時に反戦歌として作られ、若者達から圧倒的な支持を受けた。 その中の一節「開いた銃口に話しかける時」を口ずさんでいると、ふと三 浦綾子の『銃口』が浮かんで来た。 『銃口』は三浦の最後の小説である が「この小説ほど多くの人々の積極的な取材協力をいただいた例はない」 と作家自身記している。まさに主のお導きによって完成した作品と言えよ う。 1940年に設立された北日本教育連盟の内容が左翼的だという理由で 指導者が検挙され、芋ずる式に多くの教師達が逮捕された。日米開戦をは さむ1940-42年にかけて全国各地に広がる生活綴り方教育に力を入れる教 育者達が治安維持法違反の疑いで検挙された。ある事実が合っての「弾圧」 というよりも、ためにする捏造であった。 この事件の弁護士高田富與氏 がその記録の中で記している言葉を抜粋すると 〈北海道各地の教師五十数名を同様の容疑で一斉に検挙し、図書や児童文 集などの証拠物を押収し、札幌警察書をはじめ各地の署に留置し取調署間 の盥回しを行い、一人一人を引き出し、多数の警察官が取り囲み暴行を加 えて自白を強要し、その自白で聴取書を作成し、身柄と共に検事局に送っ た。その検挙の無謀な取調は見る人の眼を覆わしめた。中央検察庁の何人 かが生活教育や生活綴り方教育、殊にその研究などの団体に対して治安維 持法(1925)違反の疑いをもち、この地方に指令したのではない。指揮に 当たった検事や取り調べた警察官らは、時代の教育思想や教育実践を理解 すべき努力を欠いて、中央指令に盲目的に追従し…独断的に無反省にこの 被疑者達を犯罪者とすべくひたすら努めたと言ってよい。〉 1925年に生まれた治安維持法は、共産主義を否定し、社会主義運動の弾 圧を目指した。その後、改悪強化され一切の反政府運動を弾圧し、国民の 自由と権利を脅かす悪法となった。信仰・言論などすべてを国家統制のも とにおき、侵略戦争をすべく虎視眈々とその機会をねらっていたのだ。そ して銃口は実にそのために私たち国民一人一人に向かって開かれていたの だ。 小説『銃口』では統制国家の背後にある天皇制が大きな黒い影となっ てどっかりと位し、人々の生活を追い詰めていく有り様が、教育勅語や奉 安殿や児童の作文などを通して描かれている。戦中戦後を通して小学生だっ た私にも、当時の若者達の苦悩が迫ってきた。 また、小説の中でタコ部 屋から脱走してきた韓国青年を隠匿し解放させる緊迫劇も忘れることがで きない。 戦争の無意味さ、虚しさをその時代の中で生き苦しんだ主人公 竜太を通して描いているが、これはまさに厳しい反戦小説だと思った。
7月25日の説教から ルカ福音書 16章 19-31節 「世を終えるまで喜び楽しむ」 飯田義也 このごろ私は、この 「聖書」が神の言葉だと言われることに感銘を覚えています。国家の繁栄 をたたえる言葉や、偉人の偉業をたたえる言葉が神の言葉だと信じられて きたわけではないのです。 宗教には、世の終わりに関する言葉、死後の 世界に関する言葉がつきものですが、それ自体に関心を持つよりも、それ に対比して自分の終わりや生きている世界のことを考えるようにする方が よいようです。 ルカ福音書のラザロと金持ちの話、いわゆる「あの世」 の話で、対照的にこの世というものが浮き彫りになります。この「金持ち」 は、物語の中で名前さえ付けてもらえていなくて、扱いの軽さが印象的で すが、それぞれ「天国」と「地獄」にいながら、お互いに声が届いている ところがおもしろいと思います。同じところを神の国と感じ、苦しみの場 所と感じているのではないかと思います。 この物語、神など信じない立 場の人から見ても、人間、現世の状況に対して、どこかでバランスを求め ているのだなとは感じていただけるのではないでしょうか。 私達キリス ト者の使命には、この世を神の国とする努力に自らを参加させて行くこと があると思うのですが、幸せに生きる人のいる反面、踏みつけられていく 人がいる世の中から、すべての人が幸せな最期を迎えられる世の中を目指 す方向に身を挺したいと思いました。 さて、現世の現状の話です。 1 億2千万人の国、日本。年間死者数は、百十万人です。これが2038年に年 間百7十万人になるというのが厚生労働省の試算。6十万人分の死に場所 を整備しなければなりません。火葬場も足りなくなるといわれています。 自宅で最期を迎えたい人にそのためのインフラを整備する作業が必死で進 められています。終末期の医療をどうするかについても、私達一人ひとり が自分の希望を周囲に伝えておく必要があります。人工呼吸器を装着する かどうか・・これについては苦しそうに過ごす人が多いように思います。 しかし、自分の恩給で妹夫婦が生活しているからと、自ら希望した方もい らっしゃいました。経腸栄養にすると、平均して3年くらい長生きすると 思います。・・が、呼べば応えるといった程度の状態が1年くらい続き、 介護職員が「本当にこの人のためになっているのか」と滅入ってしまうの が現場の悩みです。これも一概に否定できないのは、再び元気になりチュー ブを外せる人もいらっしゃることです。自分の死を思い、そこからまた、 自分の生を思う作業、ときどきしてもよいのではないでしょうか。 高知 城は、ご存じ山内一豊が開城しましたが、彼は、長曽部一族を惨殺したこ とを自覚していて、このままでは自分は西方浄土に行けないと、高知城の 西側の屋根を唐破風にしました。唐破風は、神社仏閣の屋根の形式です。 どのような生き方、死に方が、神の国に通じているのでしょうか。
7月18日の説教から 第二コリント6章1-10節 「神に仕える者として」 久保田文貞 〈パウロはほんとうにキリストの使徒なの か。〉(Ⅱコリ13:3)、〈生前のキリストと会ったことがあるのか〉( Ⅱコリ5:16)、〈幻のキリストに会っただけではないか〉(Ⅱコリ3: 18、4:6、12:1)〈エルサレム教会からの推薦状をもっていない ではないか〉(Ⅱコリ10:18)等々、結局、〈パウロのは使徒としての 資格がないのではないか〉当時のコリント教会でパウロに対して、そのよ うな批判的な言葉が飛び交っていたと思われます。 第2コリントのパウ ロの言葉に触れると、いつも教団の教師試験をボイコットして「牧師」を してきた私には密のような言葉でついつい手を出したくなるのですが、だ からといってパウロに下駄を預けるわけにはいきません。ほか以上にしっ かりと距離をとって読まなければと自戒しつつ・・・ この手紙は、ほぼ 全体として、パウロの使徒としての資格問題に対する彼の反論が重要なテー マのひとつになっていると言えるでしょう。そしてここ6章1-10の中 に、その反論の仕方のひとつが出ていると思うのです。 まず1節、新共 同訳では「わたしたちはまた、神の協力者として」と訳されていますが、 口語訳では「協力者」のところが「共に働く者」と直訳しています。「神 と共に働く」ではあまりにも畏れおおいと感じたのか、新共同訳はパウロ を「協力者」に格下げしたということでしょうか。しかし、ここは傍目か ら見て心配になるくらい、パウロがハイテンションで自信過剰になってい るところです。「神と共に働いている」という自意識に資格の在りや無し やなど当然吹っ飛んでしまいます。ただ、反論としてこういう論理を使っ てしまうとある意味おしまいです。 2節、イザヤ書49章8節の言葉を 引用して、「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」と宣言し、3節「わた したちはこの奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも人に罪の機 会を与えず、 あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています」 と。つまり宇宙的世界的規模の大転換たる 「今や、恵みの時、今こそ、救 いの日」に、パウロと数人の弟子たちの作業はまさに神の恵みと救いに直 結していて、それまで彼(ら?)が経験したものもすべてひと色になって しまう。 〈苦難、欠乏、行き詰まり、 鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、 飢餓〉も、 〈純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、 真理の言 葉〉も、ま反対の事柄の差異が消滅してしまう。そして「栄誉を受けると きも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにも」 というように、彼の活動に対する世界の側からのいろいろな反応も彼にとっ ては好評も悪評も関係ない。彼の宣教活動とこの世界との関わりの間にあ る現実的な効果も評価も意味がなくなってしまう。その極めつけが、「人 を欺いているようでいて、誠実であり、人に知られていないようでいて、 よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられ ているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、物乞 いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有し ています」ということなる。口語訳以来、この箇所は名訳とされ新共同訳 もそれを引き継いでいますが、実際はもっと淡泊な表現です。岩波訳や田 川訳などで確かめてください。とにかく、2つの相反(パラ)する憶見 (ドクサ)が、その対立を超越し無化してしまうような逆接(パラドク ス)、修辞的にはおもしろいかもしれませんが、そこに信仰者だけが入り 込めるのだと、互いに悦にいるようであれば、あまりお薦めできません。 もっとも、なにかの結果、そういうパラドクスをかかえることはあるでしょ うけど。いずれにせよ、パラドクスそのものは、やはりなにかのプロセス で生じたものであり、そこに滞留すべきものではないでしょう。
7月11日の説教から エレミヤ書23章23-32節 「預言者の立ち位置」 久保田文貞 イスラエルの黎明期(前13~11世紀)は、 半遊牧的な部族や弱小農民が時に応じて同盟し、先進都市国家に対抗して いました。そこでは同盟に参集した民とその神(々)の間を取り持つ〈宗 教〉が大きな役割をしました。同盟は兄弟の契りを結ぶことによって、共 通の父をもち、それぞれ戴いていた神が実は同じ神であると告白すること になるわけですが、そこで重要な働きをするのが祭司だったと言えると思 います。 やがてイスラエルが力をつけてくると、当然敵も強大になるわ けです。イスラエルは周辺の強固な軍事的勢力に対抗するため、部族同盟 の形を捨て、王制(平時にも軍(傭兵)を維持し、行政命令権、税徴収権、 緊急時の徴兵権などを王が有す)に移行します。それを完成させたのがダ ビデ、ソロモンの時代(前10世紀)のイスラエルです。 部族単位に発展 してきた宗教と平行して、ここに来て王国の神殿を中心にもつことになり ます。そうは言っても神殿は、同時に民にとっても神を常時呼び出すこと ができる〈場〉であり、祭司はそれが臨界点に達しないように宥め、民の ためその効用を引き出す、つまり宗教的な救済の制度でもありました。し かし、それは事実上の王立神殿です。王制の矛盾を神殿が隠蔽したり緩和 したりする、そうやって神殿自身が矛盾をかかえていきます。 官製の神 殿を忌避しそこから飛び出したヤハウェの意思を、いろいろな表象を通し て表現する者として立ち上がる人こそ、預言者です。預言者は、公的・制 度的な神殿などに囲われた〈神〉と、そのような制度を飛び越えて直に神 と接触する人のことです。 南王国ユダが、東北のアッシリア帝国とその 後のバビロニア帝国、南のエジプト帝国に挟まれまさに消沈せんとすると き、エレミヤはヤハウェの熱き意思を受けて〈預言〉するのです。 「わたしは、近くにいる神で、遠くにいる神ではないのか。人が隠れた所 に身を隠したならば、彼を見つけられないというのか。天にも地にも、わ たしは満ちているではないか。」(23-24)(以下、主として関根清 三訳)神殿に閉じこめられたままでいない神ヤハウェはどこにでも居られ る、つまり人がどんなに距離をとろうしても、逆にどんなに自分の身に引 きつけようとも、神はのぞまれるままに好きなところに臨在するというこ とだろう。 「麦を麦藁と比べてどうするのだ。このように、わが言葉は 火のようではないか。また、岩を砕く槌のようではないか。それ故、見よ、 わたしは、互いにわたしの諸々の言葉を盗み合う預言者たちに対抗し、見 よ、わたしは、自分たちの舌先を用いて御告げを告げる預言者たちに対抗 する。見よ、わたしは偽りの夢幻を預言する者たちに対抗する」(23- 32) これらの言葉は、どれもネウム・ヤハウェ、「ヤハウェのお告げ」 という枠付きの言葉。「わたし」とは神ヤハウェのことです。しかし、偽 りの夢預言者と神ヤハウェが同レベルで対抗するわけがないので、事実上 対抗するのはエレミヤです。「わたし」ヤハウェとエレミヤとが混ざり合っ ていると言わざるをえません。 25-28節を除いたのは、ここに顔を 出しているのは、バビロン捕囚時代エレミヤの言葉を回収し利用した申命 記的歴史家の言葉と言われるからです。彼らは、ユダ亡国の原因は人々が 律法を軽視し、異教の神々を礼拝したことの罰だったという定式をイスラ エルの歴史のすべてにはめこみます。としても、神殿の外に立つ預言者の 中にも、大衆の飛びつくるような夢を騙る預言者がいたことが知られます。
7月4日の説教から マルコ福音書8章14-21節 「イエスのパン種?」 久保田文貞 マルコでは、6章から8章21節まで 〈パン〉をモチーフとした話題が続いているが、偶然ではないだろう。は じめは 弟子を各地に派遣にあたっての心得として「旅には杖一本のほか何 も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、・・・」(6:8) と。その活動の内容は「布教」というより、ほとんど医療奉仕活動とでも いうべきもの(6:13)だったから、この清貧のすすめも、〈きみたち はむしろ商売として医療や悪霊払いをするのではない、なによりも神の国・ 神の恵みが席捲していくことがらに仕え、神の恵みが向かう人々の中にあ れ〉ということなのだろう。 弟子たちがそれなりに広めた活動の結果と して、5千人集会(6:30-44)あるいは4千人集会(8:1-10) といった大規模集会が実現したのかもしれない。少なくとも著者のイメー ジはそのように見える。大集会を実行するときの問題は、食事をどうする かということだ。4千人集会の場合は3日間も続いたように書いてある。 (8:2) 想像力たくましくすれば、集会の裏方をやったのは弟子たち だろうから、彼らにすれば参加者の食事をどうするか、やきもきしていた ろう。だが、イエスはと言えば、そんなのどうとでもなるといわんばかり なのだ。そしてどちらの集会でも、少しばかりのパンを祝福して裂き、何 千人という人の腹を満たしたと〈奇跡〉をもって問題を解決してしまった。 2つの集会の間に挟まれているツロ・フェニキアの女とその娘の癒やし の物語(7:24-30)にも共通することだが、イエスはパンの問題を ないがしろにしているわけではない。腹を空かした人々がパンを食べるこ との大切さを十分に知っているように見える。少なくともマルコはそのよ うに描いている。けれども、パンの問題をあっさりと〈奇跡〉物語でかた づけてしまっている印象をぬぐい去ることができない。マルコより20年 後に書かれたマタイ福音書で、パンのことで「思い患うな」(マタイ6: 25)と説くことになるイエスが、マルコの中にもすでに生きづいていた ように見える。 8章14節以下は、パンのモチーフの終わりになる。事 実上の結論と言ってもよいかもしれない。ここでも弟子たちのパンの憂い をしつこいように叱って(17,18)、パンのことを憂うなら「「ファ リサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒め られた。」となっている。 7章1節以下、ファリサイ派の人々と律法学 者が中央エルサレムから来たというから、それまでのガリラヤ在住の連中 とは違って、中央を仕切っている指導層からの調査団だろうか。イエスは 彼らに面と向かって「偽善者」と言い、彼らは「神の言葉を無にしている」 と宣告する。連中が怒り心頭に発すのを見越してか。ファリサイ人のパン 種とは推して知るべし。 ヘロデのパン種とは、何だろう。前回も参考に してほしい。ヘロデ家は、ユダヤ人と遠戚になるエドム(ヤコブの兄弟エ サウの子孫-創世記25章)系のイドマヤ人の出という。前ヘロデ大王は 旗色を読むことに長け、アウグストゥスに取り入って、属邦ユダの王の地 位を得、息子たちをローマに遊学させ、ローマ風の帝王学を学ばせた。当 然その子ヘロデ・アンティパスも同類、ユダヤ人から見れば異教の風俗に まみえ、権勢欲の塊のような男だ。ファリサイ人のパン種が、宗教の権威 を傘に着て民衆を支配することに比すれば、ヘロデのパン種とは軍事力と 策略によって民衆を支配することになろう。 イエスとしては「神の国」 =神の恵みのおよびつつあるところでは、ファリサイ派的な支配でもなく、 ヘロデ的な支配でもなく、まったく別の事が起こっているということだろ う。では、ほかにどのような支配が残るかと問うかもしれない。だが、そ れもまた不用な心配ということ。パンの問題は大切だ。けれども、その問 題の先を読みすぎて心配しすぎると今のことを見落としてしまうというこ とか。
6月27日の説教から マルコ福音書6章14-29節 「洗礼者ヨハネの殉教」 久保田文貞 前回申し上げたように、故郷で宣教が失 敗した後、イエスが弟子を二人一組にして各地に派遣した記事が出てきま す。留意すべきは、イエスが弟子たちに依託したことは、治療行為や悪霊 払いなど、それをほぼ無償でやること。今風にいえばNPO的な社会運動に似 ています。後のパウロの伝道活動と比較してちがう点は、パウロの場合は イエス・キリストを宣教の対象にしているところです。 ところで、マル コ福音書では明らかに5、6章あたりからイエスの活動範囲がカペナウム 周辺からガリラヤ全土に広がっているように見えます。そのひとつの帰結 として書かれているのだろうか、イエスのうわさがガリラヤの領主ヘロデ・ アンティパスの耳に入ることになります。うわさとは、イエスのことを 「洗礼者ヨハネが死者の中から生きかえった」というものもあれば、「彼 はエリヤだ」「昔の預言者のような(ほんものの)預言者だ」とか云々。 洗礼者ヨハネを処刑したのはヘロデですから、気にかかるのは当然です。 処刑のいきさつは昔から演劇や演舞の格好の素材となっています。ヘロ デは横恋慕して兄弟の妻ヘロディアを娶った。この結婚を、預言者ヨハネ は、歯に衣着せず糾弾したらしいのです。ヘロディアはヨハネを憎悪しま した。その後の顛末は福音書を読んで確認してください。ヘロデは洗礼者 ヨハネを怖れ、妻ヘロディアを怖れ、人々の口を怖れ、しかし権力と虚栄 におぼれ、けっきょくヨハネの首をはねさせたわけです。 小心者のヘロ デが、イエスがヨハネの生まれ変わりではないかという風聞にどれほど恐 怖を感じたか想像にかたくありません。としても、マルコの著者は、ほと んど洗礼者ヨハネの伝記物語(Legende)ともいうべき「殉教」物語に、イ エスを神のキリスト(メシア)として讃える福音書の中にどんな位置づけ を与えているのでしょう。 わたしたちは、イエスの先駆者と言われる洗 礼者ヨハネと、メシヤであり〈主〉(キュリオス)であるイエスとは根本 的に違うと教えられてきました。そのことはヨハネ自身が言っている(1: 7-8)と。もっともすべてキリスト教サイドの見解なのです。 けれど も、そうは言いながら、福音書はもうひとつ別のトーンで、この二人はど ちらも同じように、二人の無責任な権力者によって殺されているというこ とで一致しているのです。二人の命の行方に対して究極の権限をもちなが ら、しかし他人の顔色をうかがってしか判断できないような、優柔不断な 顔をした権力者によって。 逆になっている。ふつうには民ぐさたる人々 は、権力者の非道とも見える絶対的な裁定に恐れをなして〈優柔不断〉に ふるまうよりない。ところがここでは、怖じけづいているのは、殺される 二人ではなく、二人に極刑を下す権力者なのだ。ここ福音書においては、 殺される側の人間こそ神の恵みの側に立っており、殺される人から神の裁 きと恵みとが人々に語りかけられるのです。そのかぎりは、二人に差はあ りません。この二人のどちらが優位しているかという問題など、そもそも ツボを外した議論だと言わんばかりです。 当日の話しの最後にエーリッヒ・ケストナーの「かの革命家の誕生日を祝 う」という詩を読みました。
6月6日の説教から マルコ福音書1章29-39節 「霊の向こう側に」 久保田 今年の1月から2月にかけて、イエスの宣教活動の始まりの部分を集中的 に取り上げました。イエスは最初ガリラヤのナザレ=故郷を捨て、洗礼者 ヨハネのもと洗礼を受け、荒野=外部で修行、瞑想の期間をもったらしい。 しかし、ヨハネ逮捕をきっかけに〈荒野〉から出て、再びガリラヤという 人間社会=〈内部〉に入っていきました。ヨハネのように荒野と人間社会 との境界で宣教活動をするのではなく、イエスは人々の暮らしの中に入っ ていくことの意味を私たちは考えました。この転換と心理的な動機として、 イエスが〈神の国〉の急襲・ラッシュを感じとったと考えたわけです。 今回はそれに付け加えることになります。一つは、ユダヤ教研究者から言 われてきたように、イエスの振る舞いは、ユダヤ教パリサイ派の近くに存 在したハシディーム(敬虔派)、--ただし近代のマルチン・ブーバーな どのハシディームとは異なる--の行者ハシッドに似ていると言うこと。 彼らはガリラヤの農村に住み、農民のために雨乞いの祈りをし、治癒行為 を行い、知恵以上に実践を、そして一切の施し=義を追及し、貧しさ尊ぶ。 また彼らは女性たち、妻の役割を重んじる。というわけでイエスの活動の かたちを彷彿とさせます。人間社会の〈内部〉ということで言えば、ハシ ディームはパリサイ派と同じように日常社会の内部での生き方にこだわま す。ただし、ハシディーム派はパリサイ派の不徹底さを裁ち切り、それを 人々の生活の内部にあって徹底します。こうしてみると、いろいろな点で イエスの言葉や振る舞いに重なることがわかります。例えば、マタイ5:24 「その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから 帰って来て、供え物を献げなさい。あなたを訴える人と一緒に道を行く場 合、途中で早く和解しなさい。」、マルコ10::21 「イエスは彼を見つめ、 慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持って いる物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」など。もちろんイエスがハ シディームに属していたということはできません。ただ、そういう形がす でにあったということは注目すべきです。 もう一つ、29-39節の物語で、 イエスが奇蹟行為者として人々の期待を集めてしまい、ペテロの家に日没 後、つまり安息日が終わったとたん、人々は病人や霊に憑かれた者を連れ てきたが、イエスは悪霊払い、治癒師としての人々の評価に満足しなかっ たということについて。悪霊払いや治癒師の多くは商売だったというから、 人々は治療費を置いていったかもしれません。イエスと弟子集団の収入源 になり得たはすです。けれどもイエスは治療費を基本的に受け取りません でした。(マルコ6:7-9)つまり、イエスは職業的な奇蹟行為者・治 癒者を生業とせず、「ガリラヤ全治を巡り歩いて、諸会堂で教えを宣べ伝 え」たというのがマルコの描くイエス像です。この点では、農村に定住し たハシディームとはちがい、路上説教者集団の形をとったことになります。 路上説教者というと格好いいですが、宗教史全体から言えば、〈風狂乞喰〉 のようにして広場・市・祭りなど人々が集まる所で説教してまわり喜捨な どで生きていく人々のヘレニズム版です。マルコの言う「宣教する」ケー リュッセインはそれに近いです。 もちろん、マルコを始め、初代のキリ スト者のように、イエスを〈特別のメシヤ=キリスト〉〈神の子〉として 見る眼には、背景となっている既成の宗教者のかたちなどずっと後ろに退 いているはずです。イエスは悪霊を払うエクソシストではなく、むしろ 「神の国」をもたらす神の霊の風に乗って人々の間を動き回る方として受 けとめられたのですから。としても、現代人のキリスト教として、既成の 宗教者と、福音書が示す特別な〈お方〉とのコントラストを注視しないわ けにはいきませんから。
5月30日の説教から ローマ書8章1-17節 ロマ書ではそれまでほとんど語られなかった「(神の)霊」プニューマ (・テウー)が登場する。「霊の法則(ノモス)」が「罪と死とのノモス からあなたを開放した」(2)と言い、「律法(ノモス)が肉により無力 になっているためになし得なかった事を、神は成し遂げた」(3)と言う。 キリストがこの地上の人間にもたらしたドラマを「御子を、罪の肉の様で 罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。」とも言う。 おそらくパウロはこれを、当時流通していた式文のようなものから拝借し たのだろう。 この手紙を書いた1年ほど前、彼はコリント教会への手紙 で、神の霊に憑かれたように異言をかたり、熱狂するグループの問題に直 面しているけれども、初代の教会が「神の霊」という言い方をひろく使っ ていたらしいから、パウロは「神の霊」自体を否定していない。例えば第 一コリント6:11など。コリント教会内の霊的な自由要求や異言の熱狂 などに対して、パウロはきわめて現実的・良識的に対処している。「霊」 という概念を積極的に使って自分の考えをあらわそうとしていないと言う べきだろう。 その点ではロマ書8章1以下は彼の言説としては特異な感 がする。〈みなさんが親しく利用している「神の霊」という概念を使って 言えばこうも言えます〉というところだろうか。けれども、かなり危険な もの言いをしなければならなくなっているとわたしには感じられる。当時 のヘレニズム思潮の底流を流れる霊肉二元論的な通念に深く入り込んでい るからだ。「御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を 罰せられたのである」という言葉を受けて、「肉に従って生きるなら、あ なたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを 殺すなら、あなたがたは生きるであろう。」と言う。こういう言説は、宗 教心や道徳心を説くときの常套であり、しかしその表現によって現実の 「肉」の問題を形而下のこととしてしまう。せっかくの人間の霊=精神 (エスプリ)の働きを、現実の問題に向き合い思考し策を練り実践へと向 かわせることから削いでしまいかねない。 「すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。」(1 4)、「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、 子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは 「アバ、父よ」と呼ぶのである。」(15) ナザレ人イエスが、捕らえら れる寸前にゲッセマネの園で「アバ、父よ」(「わたしのお父ちゃん」に 近いアラム語)と呼びかけて祈ったことはマルコが伝える(14:36)。 それではあまりにも俗っぽいと思ったか、マタイもルカも「父よ」という 呼びかけを厳かなものに戻している。パウロはその近称の不敬をおそれず 「アバ、父よ」を再現する。(ガラ4:6でも)ここで興味深いのはすべ てクリスチャンに、このように近称で「アバ、父よ」と呼びかけてもおか しくない「神の子ども」の身分を保証していることだ。このような近称を 使用する〈場〉は、高尚な宗教の場ではない。子どもが「お父ちゃん」と 呼びかけておかしくない〈場〉は、現実的な問題が錯綜してできている 〈日常〉の場であり、父ちゃんの仕事が最近うまくいってないとか、野菜 の値が上がったのはなぜかとか、役人が公平に仕事をしていないとか、金 貸しが無慈悲に取り立てるとか、そういう日常の〈場〉なのだ。 〈神の 霊〉によってそういう〈神の子〉の位置に置かれているというならおもし ろいと思うのだが。そのずっと前に、ナザレ人イエスが「神の国」の風 (プニューマ)に吹かれて、人間の肉の現実にまつわるいろいろな矛盾に 向き合わざるを得なかったことを想い出す。そこにいる肉なる人間みんな に「アバ、父よ」と呼びかけて祈ろうよと言われたのを思い出す。
5月23日の説教から 「わたしの詩」 大田ほたか 天空 これより先は私の魂が、大空を泳いで天を目指す。 高度3000メートル、見渡す限りの、岩、岩、岩、岩のかたまり、一輪 のコマクサが気高く咲く、そこが山の頂。ここまで、自分の足で登ってき た、けれど、もっと高いところが大空にはある、私の魂はそこを目指して 来た。魂は翼を持っていて、飛び立つ準備ができている。さあ、行け、高 く、高く、飛べ。 目に見えない鳥よ、私の魂よ、おまえは、遠い故郷に戻るのだ、どうして も肉体を連れて行くことのできない、天のふるさとへと帰るのだ。 真昼の梟 暗闇に定められた身なれども、ふくろうは街の灯りを恋していた、陽気に 陽気に、人々は飲み食いして、語らい、歌を歌っていた。 ふくろうは哀しくなった、それでも、「私には翼がある。どこへでも好き な時に好きなところへ行くことのできる、翼がある」ふくろうは夜の森に 帰った。 深山に定め置かれた身なれども、ふくろうは、広い広いと噂される海に憧 れた、ある日のこと、ふくろうは思い切って、海へ出かけた、水も、空も、 限りなく青かった。星空しか知らないふくろうは、驚き、ため息をついた、 驚くばかりだった。そして海、ふくろうはその向こうにある世界を夢見た、 けれど、「私は翼を持っている、空を飛べる」 ふくろうは海とその向こうの世界が忘れられなかった、わずかに丸みを帯 びた水平線、そこへ行って、いろんな知らない世界をみたかった。 行こう。 その時、どこからともなく声がした、 ふくろうよ、行ってはならない、 おまえの翼は、海を飛ぶようにできてはいない、森に戻りなさい、 そこにとどまるのがおまえの、一番の幸福なのだ。 幸福とは冒険だ、 ふくろうは翼を広げた。 行ってはならない、ふくろうよ、 運命に 逆らってはならない、それでもふくろうは飛び立った。 ふくろうよ、行ってはならない、 森に帰れば、野うさぎや、野ネズミ や、 食べるものはいくらでもある、 安心して生きて行かれる。 しかしふくろうは、もう、遥か彼方を飛んでいた。
5月16日の説教から ガラテヤ書3章6-9節 「信仰という不透明な出発」 久保田文貞 「説教」という枠を与えられた話しのためのメモのままで。・パウロは、 ユダヤ人である。その限り〈ユダヤ人〉と〈異邦人〉という硬直した度し 難い二項図式が彼の前に立ちはだかる。もっともこの二項図式を生き切る というのも、一つの選択肢にはちがいない。そうできればそれなりに幸せ というものだろう。だが、それが意外に難しい。・二項を対立してなにか を産み出そうとする試みにはウソがある。二項はそれぞれが等位ではなく、 実は初めから第一項を第二項に優位させている。ユダヤ人と異邦人、男と 女、自由人と奴隷とか、内部と外部とか。つまり二項主義は一元主義のカ モフラージュなのだ。・本気でこれを生ききろうとすれば、二項主義のメッ キがはがれて、窒息しそうになる。外気を呼吸しなければ生きられない。 〈日本人〉を本気で生きようとすれば、〈日本人〉を止めてみるよりない のと同じだ。・パウロはユダヤ人を本気で生ききろうとしてユダヤ人の外 部=異邦人へと出る。第二項=異邦人が、第一項が優位に実在するための 単なる媒介項でしかないということを否定するために、本気で第二項に自 己を措定する。・パウロはこの転換・飛躍を、ユダヤ人を生き切る試行の 中で復活者イエスに出会うという妄想状のレベルで、つかみとるのだ。二 項主義の世界から、「2つの月」が夜空に浮かぶ世界に足を踏み入れたの と似ている。(村上春樹『1Q84』)・このユダヤ人世界=二項主義か ら異邦人世界=第二項へという変換は、復活者キリストとので在りでほん とうに説明できるかというとこれは怪しい。・もちろんキリスト教はそこ を肯定する。そして結局、あらゆる人間を一度ユダヤ人に作りかえ、「律 法による義」のもとの人間にしてから、「律法によっては義となり得ない」 という認識を通過させ、そこでキリストを登場させ、キリストはおまえの 罪のため、おまえの罪を帳消しにするために十字架にかかったと。これが キリスト教正統主義が構築する回路。この回路を人に刷り込まないとだめ だと思っている。はたしてそうか。 ・角度をかえて、AがBを信頼すると、BはAに応えなければという磁場 に立たされる。この応答をAがBの「義として算入する」というのは不整 合な感がする。けれども、信頼する者と信頼された者のあいだに流れる問 いかけと応えとは、バランス・シート的な簿記に記帳できない。・第一項 の簿記が成り立つ世界に「義として算入」できない別勘定が侵入してきて しまう。レベルのちがう妄想状の世界がはみ出してきてしまう。第二項が 単なる第一項のダシではないことになる。・こうしてユダヤ人であるか、 たまたまユダヤ人ではないかという問題は急激に光を失って、さほど大き な問題でなくなる。ユダヤ人であろうとそうでなかろうと、神は〈おまえ〉 を信実をもって信頼している。信頼された人は、人として応える〈場〉を 生きることになる。手を握られて、握り返すかどうかという〈場〉を生き る。体をよじるも良い。目を反らせるも良い。眼を合わせ、握りかえすも 良い。どうあれ応えて生きる、というのがすべての倫理の根元だろう。そ れ以上の、それ以下のいかなる倫理もこれに比べれば無に等しいだろう。・ ああ、それにしても、キリスト教か非キリスト教徒かという安易な二項主 義がいまだに跋扈している。恥ずかしい。
5月9日の説教から 詩篇137篇 「バビロンの川の畔」 久保田文貞 われらバビロンの河のほとりにすわり、 シオンを思ひいでて涙を ながしぬ われらそのあたりの柳にわが琴をかけたり そはわれらを 虜にせしもの われらに歌をもとめたり、 われらを苦しむる者 われらにおのれを歓ばせんとて シオンの唄ひとつ歌へといへり 典型的な哀歌(エレジー)になっています。異国の河のほとり、廃墟と 化した故郷への哀愁、涙、柳、琴・・・、そして勝者は捕虜に自国の歌を 歌えという、「われら外つ国にありて、いかでエホバの歌を歌わんや」と 嘆きます。どんなエレジーも基本的に哀歌の要素がまず先にあって、そこ から組み立てられているととらえるべきところがありますから、ここに歴 史的な出来事がそのまま反映されていると考えるわけには生きません。ブ ルースや日本の演歌の叙情と同じパターンのところがあります。たとえば 「港町ブルース」でもよい、「カスバの女」でもよい、自分はいまだ故郷 にしがみついてそこから出られないくせに、〈流れ者〉に哀愁を感じてし まうという具合です。 けれどもこの詩篇には型どおりの哀歌の枠をとり ながら、もう一方で〈ユダヤ人〉の特別の歴史が横たわっています。紀元 前6世紀に事実上都市国家にまで縮小していたユダ国が完全にバビロニア 帝国によって息の根を止められ、拠点のエルサレムと神殿(シオンの丘に 建っていた)が破壊されました。国のおもだった者は千キロ以上離れたバ ビロニアに強制移住されました。これはその亡国の経験の中での歌です。 しかし、この歴史的経験はそれだけの意味に尽きない。故郷=国を失って はじめてユダヤ人は、その土地と民の歴史を超越する神を見出したという べきです。そこではじめて彼らは〈ユダヤ人〉になったといってもよい。 彼らはパレスチナを捨ててもなお彼らの神たろうとするヤハウェに出会っ た。だからこそ、その異国の地ではじめて今わたしたちが手にしているヘ ブライ語聖書の原本を書き記したのです。それは〈ユダヤ教〉の誕生であっ たといってよいでしょう。 彼らがエルサレムを拠り所として漫然とその 内部に暮らしている間、神ヤハウェはなかなかそれとして知られなかった。 彼らが拠ってたつ国=内部を失い、中心とした神殿を奪われ、外部をさま よっていくよりない立場になってはじめて、神はエルサレムや神殿などを 拠り所とする方ではないことをあらためて知ったのでしょう。そもそもイ スラエルとは、〈族長たち〉のような流れ者の集団であり、外部にあって いつも神と共に流れていく者であったことを、バビロニアという異国の地 (外部)で再認識し、その上で彼らに伝えられた諸伝承、諸文書を総括的 に編纂したのです。 137篇の哀歌エレジーは、そのような共通の歴史 認識が地盤になっています。でもこの〈バビロン捕囚〉は一時的な歴史の 災難、神の鞭でしかないのでしょうか。それに懲りて懺悔し許されて、再 びエルサレムに神殿を再建し、故郷をもつことができるのでしょうか。そ の程度の歴史的経験だったのでしょうか。そういう問いが、ユダヤ教の中 に通奏低音のように鳴り響いているようにわたしには思われます。そして もしキリスト教がなにほどかユダヤ教に恩義を被っているとするならば、 この通奏低音をこそ私たちの存在の基盤に据えなければならないのではな いかと思います。
5月2日の説教から ヨハネ福音書15章1-11節 「わたしはぶどうの木」 久保田文貞 「私はまことのぶどうの木、あなたがたはその枝である」という表象には、 キリストを幹とし、信徒をその枝とする共同体の強い絆が感じられます。 10章の羊飼いと羊の表象で示された意味に近いでしょう。ただし、ぶど うの木の方は良い実を結ばない枝は切り落とされるという剪定の条件が加 わってきています。「人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとど まっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、 あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしに とどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそ れを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。」(新改訳) 口語訳や新共同訳がぶどうの木に「つながる」と訳しているのは、脈絡 的にそう訳せるところですが、ちょっとした意訳です。ここは新改訳や岩 波(小林稔)訳のように「とどまる」となっている方がいいと思います。 メネイン(「とどまる」とか「まもる」)という動詞は、新約全体でざっ と数えて110数回使われています。そのうちヨハネ文書で76回(およ そ67%)使われます。その理由はヨハネ文書でこの語を、信者がキリス トのうちにとどまる、神・キリストの愛にとどまる、ことばにとどまる、 光の中にとどまる、といった表現をする、また逆にキリストが、神が、神 の愛が信者の中にとどまるとも表現します。神・キリストも、信者も、相 互に「とどまる」と使います。「人がわたしにとどまり、わたしもその人 の中にとどまっている」(5)のように。この関係は、主体的な決断の関 係というより、双方が同じ場の中にとどまっている状態の表現です。この 状態にとどまっている限り、おのずと「良い実を結ぶ」「互いに愛しあう」 という状態をもたらすということになります。「愛する者たち、わたしが あなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから 受けていた古い掟です。この古い掟とは、あなたがたが既に聞いたことの ある言葉です。しかし、わたしは新しい掟として書いています。(第一ヨ ハネ2:7) 「初めから受けていた古い掟」実はそれこそは「新しい掟」なのだが、そ れに「とどまってい」なさいというわけです。 教会に入ってキリストを 信じると始めに表明するとき、確かに主体的な契機がはたらくわけですが、 その後は受けた掟にとどまることが強く要請されるのです。明らかに主体 的な決断の契機が後退しています。その状態を保持することは「とどまる こと」、これは「ユダヤ人の血にとどまって生きること」に限りなく近づ いていると言えます。 わたしは、ヨハネ共同体の絆の強さに圧倒されま すが、それが「とどまっている」という状態を維持するために、〈わたし はこう思う〉〈わたしはこうする〉という主体的な契機を肝腎のところで 外していってしまう気がしてならないのです。 そしてこの「とどまる」 が、歴史的なユダヤ人のように少数派である限りは、いろいろな可能性を 生み出す源になるだろうと思うのですが、後のキリスト教が多数派になっ て実権を握った側の「とどまる」ということになると、手の施しようのな いものになりかねない、それがとても気がかりです。
4月25日の説教から ヨハネ福音書13章31-35節 「互いに愛しあう-網状のもの」 ヨハネ福音書、そしてヨハネの手紙に「互いに愛しあいなさい」という 「新しい掟」がここ以外にも出てきます。15章12節以下、第一の手紙 3章11節以下 同2章7節以下も。この「新しい掟」はまずはヨハネ共 同体内部の掟です。内部の掟としてはごく当然の掟です。 ヘブライ語聖 書のレビ記19章に「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたし は主である。」という言葉があります。この「隣人」への同胞愛精神は、 出エジプト記から申命記までの律法(トーラー)の中に実に具体的に指示 されています。それだけ取ってみれば、まさに「互いに愛しあう」ことの 手引き書だと言えるかもしれません。 一般に共同体にとって「互いに愛 しあう」ということがヨコ糸であるとすれば、命令-服従関係というタテ 糸の面がどうしても出てきてしまう。形成期の古いイスラエル共同体には、 この命令-服従のタテ糸は神-人関係で事足りていました。けれども、イ スラエル共同体が勢力を持ってくると、共同体内部に命令-服従のシステ ムが必要になりました。やむをえないとはいえ、想像力を働かせればすぐ わかるとおり、このタテの関係がヨコの関係をずたずたに切り裂くことに なりました。 ここでその歴史的な経緯は省きますが、イエス時代のユダ ヤ教の相貌は、ずたずたに個別化された個人の内面化された信仰と、その 信仰によって結束し、内部の内部に生まれるセクトあるいはフラクション です。ナザレのイエスが立ち上げた神の国運動は、例えばパリサイ派ユダ ヤ人のように内面化し主体化していった信仰心とぶつかったらしい。イエ スは、迫り来る神の国の、常軌を逸した恵みの嵐の中を駆け抜けることに 集中したのですから。 イエスの死後、イエス復活の信仰が興って、クリ スチャンの集会=教会が生まれました。ヨハネの教会はそれから7,80 年後のクリスチャンの群れです。「互いに愛しあいなさい」というこのグ ループの「新しい掟」は一見するとユダヤ教から引き継いだ同胞愛の焼き 直しのように見えますが、ここではそれがどのくらい現実味を帯びていた かはわからないまでも、少なくとも言葉上「友のために自分の命を捨てる こと、これ以上に大きな愛はない。」( 15章13)とまで言い切ります。 先に挙げたユダヤ教律法の現実的な指示をともなった隣人愛の域を超えて います。言葉どおりにとらえれば、それは復活者キリスト以外に中心を認 めない、リゾーム(根茎)状の徹底した愛の共同体を追及したものという ことになるでしょう。そこに「新しい掟」をうまく回転させるリーダーの ような存在(長老)はあるかもしれない。けれども、彼らはキリストの陰 に隠れて表には出てこない・・・。それは人間の共同体に必然的なタテ糸 の関係を隠してしまう、権力の無風状態を思わせます。 もちろん、そう いうナイーヴな集団がある種の力に無防備であって、簡単に乗っ取られて しまう、それが歴史の教訓ではあります。 もう一つの問題は、「友のた めに自分の命を捨てること」と言うのですが、早晩「自分」とは「自分た ち」に拡張し、その「友」とは共同体外部の他者に拡張されていくはずで す。「自分の命を捨てる」という宣言の大きさに見合う者は、友であろう と敵であろうと、自分以外の他者にほかならないからです。従って、「自 分の命を捨てる」ほどに「互いに愛しあう」という掟は根本的に自己とは なにかを問いなおす道を開き、ひいては「自分」の所属する集団を根本か ら問いなおし、それを解体してしまう力を秘めていると言うことができる と思うのです。
4月18日の説教から ヨハネ福音書10章7-18節 「羊飼いと羊の喩」 久保田文貞 ヨハネ福音書独特の「わたしは~にである」という厳かな宣言のような 響きのする言葉群のひとつです。「わたしは羊の門である」「わたしはよ い羊飼いである」。これらの文は、特に「わたしは」の部分が代名詞で強 調されたていて、それに呼応してその宣言を受けとめる〈羊たち〉たる 「あなたがた」が自ずと浮かび上がってきます。 一般には「よい羊飼い」 と従順な「羊」という信頼関係がなんとも牧歌的なイメージで描かれてい てホッとするかもしれませんが、私はこのくだりを読むたびに、実はちょっ と気が重くなります。伝え聞くところによれば、羊たちは羊飼いや牧羊犬 の前に個性をほとんど殺して指示どおり群れとして行動する習性を持って いるそうです。その点、これに対して新約では悪いイメージを付されてい るヤギの方は、自己主張の強い従順でない者の象徴にされています。(ヤ ギの習性は『ゲド戦記』から私の頭に焼きついたものですが)。 このよ うにヨハネ福音書は、キリストと信者の関係を、よき羊飼いと従順な羊に 象徴させているわけですが、それはどうも牧歌的なものではなく、むしろ 〈強盗〉や〈狼〉に追い詰められた小さなか弱い集団がひとかたまりになっ て震えるように身を寄せあっている、そうするとそこに羊たちだけが安心 して通って入れる門が現れる。その向こうによい羊飼いが待っている。こ の羊飼いが復活者キリストであることは論を待たないでしょう。彼らは復 活者キリストが〈今もここに〉「現臨」(ギリシャ語聖書のパル-シアの 訳語として造られた語ですが、なんのことはないもとは「側にいる」ほど の意味ですが、それを神の現臨、復活者キリストの現臨、後には「再臨」 という特別な意味を与えられてしまう言葉です)しているという強い確信 の中に立っていたのでしょう。 しかし、このような確信の強度は、現実 の迫害の程度と比例しているわけではない、ある時からそれとは無関係に 働きだしている強い被害意識と孤立感があるものです。個性をだれかにあ ずけてしまって、ひたすら群れの一員として従順になり、幻の復活者キリ ストに思慕する。私もキリスト者のひとりとして、このことを悪し様に言っ たり、批判がましく言ったりするとはできません。 前に中世南仏の、ロー マカトリック教会から異端とされたカタリ派のことを何度か話しましたが、 ここを読むと彼らのことを想うのです。正統主義キリスト教の出来映えか ら比べれば明らかに教理的かつ思想的に劣ると思いますが、純粋な彼らは まさにヨハネ福音書をこよなく愛し、自分たちを攻撃する〈この世〉を悪 の世界とみなし、復活者キリストと共に住まう永遠の住まいに移り住むこ とを夢見たのです。貧困へと追い詰め、異端として攻撃し、居場所を取り 上げてしまったのは、彼らの言う〈この世〉の世俗的権力とそれと結託し た宗教的権威の悪魔的な力でした。あの人たちが抱いているキリストは妄 想の産物だ、こちら側に真理があり権威ある教会がいる、そう言って彼ら を断罪し自己の正当性を手にしようなどと思ってはならないでしょう。 よい羊飼いと羊の牧歌的なイメージを救い出すには、その群れの中から囲 いの外側をその羊飼いと共にしっかりと観ることができ(16節)、単に 囲いを拡げて外を囲い込むのではなく、その外側に向かって踏み出す勇気 を持った個性的な羊を演じきってみせることでしょう。「あなたがたはキ リストの体であり、ひとりひとりはその肢体である。」(第1コリント1 2章27)のパウロの言を借りれば、あまり従順に見えなくとも個性的な 肢体=〈足と手)になって外へ踏み出すのです。
4月11日の説教から ペテロ第一 1章3節 「希望をもって生きる」 畏れ多いことだとは思いますが、前回に続いて、私たちはあの女性たち から発信されたと思われる復活信仰の誕生の瞬間に割り込もうとしてきま した。〈復活信仰の誕生〉という言い方自身にすでに歴史主義的な先入見 が入り込んでいると認めざるをえませんが、肝腎なのは、その歴史の事実 性の問題というより、その歴史的事実がその後の人々に大きく関わり、人々 を動かす出来事になったという点です。それ故の出来事への関心からそこ に割り込んできたわけです。 女性たちの証言は、処刑死したイエスの亡 骸が無かったということ、イエスは〈上げられ〉人々にガリラヤで会うと いうことを核としています。新約書のほとんどがこの出来事への二次的な 割り込みと解釈から成っていると言ってよいと思います。前にも言いまし たが、ペテロらの「わたしたちの罪のため」という十字架と復活の理解、 それを継承したパウロの理解も二次的な割り込みと解釈をした。また福音 書という文学をマルコ(?)が書いたわけですが、イエスがエルサレムで 処刑死し、「上げられた」という出来事と、ガリラヤでの活動を結びつけ ること自身も大きな割り込みのひとつです。 これら第1世代の割り込み と解釈のあと、80年代後半から90年代の第2、3世代の割り込みと解 釈が続きます。マタイ、ルカ福音書と使徒行伝、ヨハネ文書、そして第一 ペテロ、エペソ書などです。ここでの共通した特徴は、復活者イエスを、 神の子キリスト、再臨のキリストとしてとらえていることです。(もっと も新約聖書は、後の公会議で正統主義が確立された上で結集されています から、復活者イエスを神の子ととらえなかった割り込みと解釈の仕方を排 除していることを勘定に入れておかなければなりません) 近代聖書学の 研究成果として、「第一ペテロの手紙」がペテロの名を借りた偽書である こと、90年代以降に書かれたことが一般に認められています。1章3節 以下の言葉「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたた えられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれ させ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした 希望を与え…」を読むと、正統主義へ橋渡しする「健全な」「信仰」が描 かれていて面目躍如といったかんがします。しかし第一ペテロで気になる のは、この地上での生を「仮住まい」(1章1、17)、「旅人」(2章 11)ととらえることです。この捉え方は、ユダヤ教ヘブル語聖書から借 りてきた概念でしょう。イスラエルの民が神の民として形成されていく途 上の経験と重なり、バビロン捕囚後の後期ユダヤ教のユダヤ人たちの途上 性と無関係ではないでしょう。後のキリスト教がさらにこれを利用してい きますが、「第一ペテロ」はその濫觴になっています。 しかし、万人の 救いへと前進し向かっていったキリスト教が、この地上での在り様を「仮 住まい」「旅人」としたことは、ある種の後退であり、〈マニフェスト違 反〉に似ています。この地上に直に及んだ神の国の到来の衝撃を経験した 人々は、自分たちの立ち位置を〈仮住まい〉などと言わなかった。これに 対して「第一ペテロ」は、〈仮住まい〉と言いつつ、この地上の権力、制 度、つまり皇帝と総督に服従しなさい(2章13)と勧めます。「第一ペ テロ」の時代皇帝と言えば圧倒的にドミティアヌスの影響が強かったはず です。『皇帝伝』を見ればわかるとおり軍事的策略家であり陰険な人物で す。そういう皇帝や総督になんであれ服従しなさいって言ってしまうわけ です。「仮住まい」志向には結局、復活者神の子キリストの世界への強い 願望があるのかなと思います。あの出来事へのこのような割り込みと解釈 には私は一線を画したいと思います。
4月4日の説教から マルコ福音書16章1−8節 「復活について」 女性たちがイエスの処刑死の目撃をして、おそらくそこから受難物語最 古の層(15章20−41)の言い伝えが形成されたという理解に立って、 前回の話しをしました。イエスの現実の死を、目のあたりした人々の証言 が核になっていることになります。そこには「棒っ杭」スタウロスに掛け られたイエスが絶叫・痙攣し死を遂げたことを眼に焼き付けた人々の体験 があるということです。人がそれまでの肉親や他者の死を見、他者の死を 通して死が絶対的に人間の前に君臨し、如何ともしがたくすべてをシャッ トアウトしてしまう、つまりそのような他者の死を知っているものとして、 彼女たちもイエスの死の前に立っていたのでしょう。彼らはそういう厳と した事実の報告者・目撃者であります。けれども、イエスの死もやはり他 者の死であり、その死をやはり他者の死を通してしか知りえない、そうい う経験であり、それは死に逝くものの死に対して生き残った者に絶対に表 現できないと思い知らされる経験です。それは生き残った者には葬りの儀 礼を通してしか応えられないものです。 彼女たちの一連の経験はイエス 死後三日目、葬りの儀礼を完遂するために墓に行ったとき予想外の展開に なります。墓の入口の石が転がされており、中に入ると亡骸を納めてあっ た横に「若者」がいて、〈イエスが挙げられ、ここにはいない〉ことが告 げられたというのです。続いて「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げ なさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言 われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」 ここで「さあ、行って、 弟子たちとペトロに告げなさい。」という言葉は、イエスの死と葬り、空 の墓についての女性たちの目撃証言と、ペテロたちの〈私たちのため〉と いう十字架解釈(ペテロらのエルサレム原始教団)の受難物語(主として 14章)をつなぐ言葉になっているので、除けておきます。彼女たちは『あ の方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、 そこでお目にかかれる』と。」という言葉を聞いたと考えたい。ここに見 られるガリラヤ志向は、ガリラヤでの物語を、受難物語に連結させたマル コ福音書の基本的な志向に合致します。ただし、マルコ福音書自体がエル サレム教団の贖罪信仰でまとめられている〈受難物語〉をそのまま受け入 れて、そこにガリラヤでの前史を連結させたことを考慮に入れておかなけ ればなりません。ある意味でマルコ福音書のコンプレックスがここにある と思いますが、重心はガリラヤ志向の方に傾いていると言わざるを得ない と思います。 ひとつの問題は、やはり女性たちの報告の内容「イエスが 上げられた」という不可解な出来事と異界の若者の存在の説明責任の問題 です。彼女たちが若者から間接的に聞いて出来事とはいえ、その事柄の中 身は、イエスの死を絶対に踏み越えられない他者の死として受け入れず、 再び彼女たちにガリラヤで会うことができるものにしてしまっていること になります。彼女たちの空の墓の出来事の報告は、厳粛なイエスの処刑死 の事実報告に潜んでいた、〈あるなにか〉をこじ開けてしまってい る。・・・その説明責任を問うものは問えばよい。疑う者は疑えばよい。 でも、わたしたちは立ち上がり、上げられた方のもとにはしり、そこで生 きぬくと・・・彼女たちはそう言っているように聞こえます。「わたした ちの罪のため」にイエスは死んだという男たちの物語とちょっと違うよう に思います。
3月28日の説教から マルコ福音書14章32−42 「ゲッセマネの夜」 久保田文貞 マルコがおそらく受け取った〈受難物語〉は14、15章だろうというの が大方の説です。さらにその最古の層は15章20−41節と言われます。 そこにはイエスの処刑と死のことが書かれています。その最後にマグダラ のマリヤとゼベダイの妻マリヤとサロメの3人と他に何人かの女性たちが いたとメモのようなものがあります。この最古の伝承はおそらくイエスの 死を目撃したこれらの女性たちから発信されたものだと思います。彼女た ちは、権力が牙をむき、煽られた群衆が行き先を見失った中を、逃げない でイエスの最期まで看取ったわけです。 この最古の層からその前後に物 語が付加されていって私たちは〈受難物語〉の最終版を読んでいることに なります。その前半の14章は、イエスがユダヤ当局から逮捕され裁判を 受ける段ですが、同時にここにはイスカリオテのユダの裏切りだけでなく ペテロをはじめとする弟子たちの無理解、いや無理解という以上に弟子た ちもユダと同質というべきイエスへの裏切りを働いていたのではないか、 というモチーフが通底しています。ベタニヤの香油、過越の食事とユダの 裏切り、さらにペテロの裏切り予告と三度知らないと言ってしまう物語、 ゲッセマネの園での弟子たちの居眠り、そしてイエス逮捕後、男弟子たち は危険を感じて逃亡、ともかく後のエルサレム原始教会の指導者になって いった弟子たちの告白譚になっています。 とすれば、女性たちによるイ エスの死の報告に始まっていつしかふくらんでいった受難物語は、結局、 「わたしたちの罪のため」という男たちの告白物語によって染色されてし まったということにならないでしょうか。こうしていつのまにか、イエス の死の最期まで見届けた女性たちの報告は、「わたしたちの罪のため」と してイエスの死を意味づけ内面化した男たちの告白物語に絡め取られてし まったのです。 ところでゲッセマネの祈りの物語も元はその男たちの告 白モノと言えますが、もちろんそこに第三者の語り手が介在しています。 不覚にも眠ってしまった弟子がイエスの祈りの中身を知るわけはないです から、少なくともその部分は後の語り手の創作です。それにしても、ここ には「イエスはこう祈ったはずだ」という妙な信仰的な確信が見えてしま うわけですが、これはまさに〈蛇足〉。イエスがそこで何を祈ったか、わ からないままにしておく方がよほど効果的だろうと思います。もっとも、 ヨハネ福音書のこの部分にあたる箇所(17章)は、長いイエスの祈りを 書いていますが、こちらはイエスの言葉すべてにわたって、福音書の作者 にイエスの霊がのりうつったかのように創作しまくるので、まったくジャ ンルのちがう作品です。共観書のゲッセマネの祈りは、弟子たちの居眠り 告白譚でしかないとすればあまり興味ありませんが、そこからイエスの苦 悶(もっともこれも私の勝手な読み込みかもしれません)が、あるいはむ しろ祈りという語りかけの中で言葉が消失していくところが、そして語り かける相手との関係の立て直しのときが垣間見えてくるように思うのです。
3月21日の説教から マルコ福音書10章32−45節 「イエス、決意す」 久保田文貞 32−33節は、ガリラヤで弟子たちとともに宣教活動していたイエス が、やがて「人の子」はエルサレムに上りそこで祭司長・律法学者たちに 「引き渡され」「死刑の宣告」をうけ「侮辱」され、殺され、三日目に復 活するだろうと言う〈受難予告〉の箇所です。受難予告はマルコ伝に三回 出てきますが、ここは第三番目のものです。ちなみに第一が8章31、第 二が9章30−32です。これらは、どれも福音書記者の編集句、つまり イエスの活動についてのたくさんの逸話(といってもほとんどは原始教会 の宣教の例話)を蒐集した人物がそれらを繋ぎ合わせて福音書を編んだわ けですが、その時の編集上のことば、ちょうどバラバラ写真をアルバムに 編集する時、そこに短く添える言葉のようなものです。その編集句の中で、 〈受難予告〉は独特の位置を占めます。 では、それにはどんな意味があ るのか、気がついたことをいくつか述べます。まず、三回出てくる受難予 告の後に、かならず弟子たちの無理解、誤解、トンチンカンな反応という べき話しになっています。弟子と言えば、一番よくイエスを理解しイエス に従った者というイメジがあったでしょう。その中で男弟子たちは、〈受 難物語〉(広義にエルサレム入城からとするとマルコ11章から、狭義に 逮捕、裁判、判決、侮辱、死刑の一系列とすれば14、15章)の帰結と してイエスを放置して逃亡したのですから、ガリラヤ時代の〈受難予告〉 を理解できるはずがないと思いますが、福音書記者はなぜかそのことを三 回も印象づけるのです。それが一点目です。 次に、近代の聖書学の成果 のひとつに、まずはじめに〈受難物語〉がひとまとまりの物語として成立 していた。マルコはそれをもっていて、その〈受難物語〉に、ガリラヤ時 代の宣教の諸記事をくっつけた。前に述べたように、ガリラヤ時代の諸逸 話はマルコが蒐集して編集したわけで、〈受難予告〉はまさに両者のノリ シロのような働きをしています。 当然、マルコのこの作業にはなにがし かの意味があります。考えられることは、イエスの死後、エルサレムで開 始した原始教会が〈受難物語〉を第一義に位置づけていたということです。 イエスの処刑と死の出来事から逃亡した男弟子たち、ペテロ、ゼベダイの 子ヤコブとヨハネらが、イエスが三日目に復活したという女性たちからの 報告を受けて、立ち上がってできたのがエルサレムの原始教会です。彼ら の心理的契機がどうあれ、彼らがイエスの死を「私たちの罪のため」と告 白した(第一コリント15章3以下)ことはまちがいないでしょう。そし てこのことはギリシャ語を話すユダヤ人の間でも広まり、ステパノやパウ ロとも共有できた信仰の核だったと思います。〈受難物語〉はその信仰系 と重なっています。70年(60年?)頃、マルコ福音書が書かれました が、これは、それまでの受難物語中心主義に対して、ガリラヤ時代の宣教 活動を同格に引き上げ、むしろガリラヤ時代の宣教活動の理解なくして受 難物語の理解はないと主張していると考えられます。 とすれば、ガリラ ヤ時代にも依然として弟子たちは無理解だったとは、もはや単なる良心的 な弟子たちの自責の告白の問題ではない。イエスのことがよくわかって従っ ていたと思われていた弟子たちは、ガリラヤ時代から、つまりはその最初 から実はイエスの福音のことをなんにもわかっていなかったととれなくも ないのです。このことはとっても深刻なことだと思います。とくにイエス のことをわかったような顔をして話している自分のような者には。とにか く、その無理解の奴腹がキリスト教の創始者の位置にいるのです。
3月14日の説教から ヨハネ福音書12章24節 「犠牲の議論の裏」 久保田文貞 「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば、 多くの実を結ぶ。」 「種」という表象を使ったイエスの譬は、共観福音書の中に複数あります。 マルコ4章26、30以下など、神の国は、微少な種が自ら成長して大き な植物になると譬えられています。またパン種の譬え(Qマタイ13章3 3)も。変種として毒麦の譬え(マタイ13章24以下)がある。さらに種 まきの譬えなど。どれがイエス自身の譬えで、どれが後の教団の改変にな るものか、断定的なことは言えませんが、少なくとも〈種〉をモチーフに した譬え自体の成長の跡を否定すべくもありません。 さて、これらの譬 えの系列の中に、ヨハネ12章24を入れてよいでしょう。「一粒の麦」 イコール小が、「多くの実」イコール大になる基本的なモチーフは前にあ げたものと同じですが、ここでは一粒の麦が〈死ぬ〉ことによって多くの 実を結ぶとなります。そして「自分の命を愛する者は、それを失うが、こ の世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」(25)へ と繋がっていきます。以下の展開は、キリストが栄光を表す時がきたこと、 この世が審かれること、そしてこの世にあって光の子として歩んできた者 たちを集めて自分の下へ引き寄せるということになります。 ヨハネ福音 書の特徴は、〈この世〉というものを意識的に対象化させ、より否定的に 見ているということです。もっとも、人間の世界史の審きを招き寄せる、 神の国(支配)の到来という終末論的な福音自体の中に、〈この世〉に対 する否定的な見方が含まれているのは当然です。 だが、宗教的な思想の 表現としての終末論もまた、人間の価値体系を屈折して表現するただのイ デオロギーでしかないという事実から免れるわけにはいきません。〈この 世〉の最終の審きにおいて、信仰的に義なるものが救われ、不信仰なるも のが滅びると宣言するものの、現実の歴史は悪が栄え義が滅びるというよ うに、いくらでも逆になっている、だからこその終末論的な審判、つまり 彼岸からの神の直接の審きを希求するあつい思いにうたれる、、、これ自 体、とっても観念的なわけです。そのような思いに立って、この世がどう 見えてくるか、その信仰者の心の動きが手に取るように観察できるのがヨ ハネ福音書です。〈この世〉の「暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行く のかわからない。」キリストは〈この世〉を審くためにきたのではないが、 キリストの言葉を受け入れないということ自体がもう審きなのだ(12章 47以下)となります。 理屈上は〈この世〉がキリストを受け入れない 者の場として残る限り、〈この世〉は〈闇〉そのものになる。つまりその かぎり〈この世〉は否定されることになります。現実には、信仰が〈この 世〉をいくら否定しても、〈この世〉は意気揚々と残存する、とすれば 〈この世〉は地獄、〈この世〉に絡み採られている人間は地獄を生きると 見なされることになります。この信仰は現実と逆転しています。こうなる と、グノーシスや後のマ教、カタリ派にぐっと近づいています。正統主義 キリスト教は、〈この世〉は神の創造物であって、これを否定するのは神 の創造を否定することであり、〈異端〉と判定しましたが、ほんとうはな んの解決にもなっていません。ただ正統主義が力を背景に突っ張った歴史、 結局は創造された世界を肯定することによって、世界を支配する力の肯定 にすりかわっていっただけです。何が正統で、何が異端か、という議論は 不毛です。
3月7日の説教から 第1テモテ書簡5章 「テモテ書簡の教会」 久保田 誰でも一読してすぐ感じると思います。寡婦に対する教会の互助の勧め をする温かい顔をしているつもりなのでしょうが、腹の底でどうしようも ない女性差別のオンパレードになっています。当時の家父長制の限界を割 り引いたとしても、福音のフの字もない。ただある団体が寡婦を内部に抱 えてどうしたらよいかということを当時のモラルに添って実用的な支持を しているだけです。 この手紙は、教会制度として監督をもうけていること(3章1以下)、本 来ユダヤ教の制度であった長老制をとっていること(4章16など)、ま た信仰が真理と並べられて教えの対象となって(2章7)、イエスキリス トを信じることによって起こる生の具体的な危機を追及するのではなく、 受け渡された「信仰」を中身はどうあれ言われたままに「持ち」続けるこ とがすすめられていること(3章9、4章1)などにより、多くの聖書研 究者たちはこれを2世紀初め頃の、パウロの名を騙った偽書としています。 もっとも、著作権の感覚は現代とは全く違い、例えば3世紀初め頃のカル タゴの神学者テルトリアーヌスは「弟子たちが公にしたものは、彼らの教 師の作品と見なされてよい。」(マルキオン駁論)とまで言います。むし ろ弟子たちは自分の名ではなく、尊敬する師の名で発表することこそ美徳 とされていたわけで(ピュタゴラス学派)、その点のモラルに大きく違反 していません。パウロやイエスの弟子たちの名を借りた偽書(マルコ、マ タイ、ルカの福音書に後からつけられた著者の名も同様)が1世紀終わり から2世紀にかけぞくぞくと出たのは、結局教会が「使徒的伝承」を真理 の基準として据えなければならない事情があったとなかば温情的に説明さ れています。 しかし、そうやって使徒の権威を持って、キリスト教信仰を守らなければ ならないという前提が、こんなにも前面に出てきてしまっているというこ とが問題です。このような教会の守りの姿勢のゆえに、安価な「健全で、 有徳的な宗教」に必死で着地しようとやっきになってしまったと思います。 家父長のような監督が教会内の大事な点に採決すべきなのであって(3 章)、長老は監督を補佐し(5章17)、執事たち(ディアコノイ)はた だ長老の手足となって命じられるままに行動する(3章)。これがこの教 会の姿です。女性は慎ましくしていて、男を教えたりしてはならない等々 (2章9−15)。 これが、どれだけイエスだけでなく、パウロなど初 期の教会とも、遠く離れてしまっているかお分かりいただけるものと思い ます。神の国の襲来、惜しみなく降りそそぐ神の恵みのラッシュ。その中 に立ちそれに共鳴しながら活動するイエスも、そしてそのイエスが杭にか けられて死んだことに集中し神の恵みのラッシュを新しい形で読解したパ ウロも、私たちの生活や歴史が、恵みと同時に、一つの危機に晒されてあ ることをあらわにしてくれたと思うのですが、テモテ書に書かれているあ の健全で有徳的な信仰と教えにはそれが全くといっていいほど見えてこな いのです。人はいうかも知れません。「否、おまえが言っている中身こそ、 テモテ書の中に手渡されている信仰という対象物だ」と。しかし、固く包 装されてしまった「信仰」は、その中身がどんな崇高な真理のように言わ れていても、ただのがらくたにすぎないと思うのです。
2月28日の説教から ヨハネ福音書9章13−34節「大人になるについて」 久保田文貞 「両親は答えて言った。『これが私どもの息子で、生まれつき目が見えな かった事は知っています。しかし、どうして今、目が見えるようになった かは、わかりません。誰が目を開けてくれたのかも私どもはわかりません。 本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょ う』」 イエスに敵がい心を持った「ユダヤ人」が、イエスが安息日に若き盲人 の目を治癒したことを聞き、安息日違反事件の調査に乗りだしという話。 13節以下は、普通の奇跡物語様式(例えばマルコ3章1−5)の後日談の ようにして付加された物語だが、付加された方に重心が移っていくのはヨ ハネによくあるパターンです。 まず、癒された本人の召還と尋問があり、 若者は的確に癒された事実を証言する。ユダヤ人側にも癒し行為がそのま ま安息日違反になるかどうか判断に迷いがあるように書いています。次に 両親が尋問を受けます。上に引用したのはその時の証言です。生まれつき 目が見えなかった子が突然見えるようになったという事実だけを証言する が、どうして、どのようにそうなったか知らないというわけです。両親の 証言には、親としての責任回避のようにもみえ、あるいは子に自立を促す 教育的な意図があるとも見えます。22−23節に福音書編集者が顔を出 して、両親が下手なことを言うとユダヤ人から追放されかねないと恐れて いたからだと書き足しています。いずれにせよ、両親の思わくはどうあれ、 物語自体は読者の身勝手な想像力の世界では、イエスに出会って親離れし、 新しい生に歩み出す青年の物語にもなります。24節以下の尋問は、ユダ ヤ人の方が被告人側の承認に論理的にやり込められている調子になってい て、しかし、それでもその青年を会堂追放処分にする。こうしてユダヤ人 側の不条理が印象づけられる具合になっています。 わたしは昔からこの 物語が好きでした。若い頃は両親などから自立していく「私探し」の物語 として共感しました。年を経て子から突き放される側になったが、それで も若者たちがそうやって自立していく話は好きです。もちろん福音書とし ては、イエスによって新しい生を受けるところに力点が置かれているので しょうが、そのしばりを解いて読んだからといって誤読ということはない でしょう。 もうひとつ、気になるのはやはり「ユダヤ人」という物言い と先読み。ここではイエスも含むところの社会歴史的実在としてのユダヤ 人ではなく、明らかにイエスを敵視しクリスチャンを迫害する「ユダヤ人」 という概念を被害者意識で作り上げられたもの、プロレスのヒール的存在 になっている。福音書読者の中にいつの間にか、ユダヤ人の悪役が刷り込 まれていく。わたしのようにこの列島の中にいて外に出たことのない者は 生身のユダヤ人(出会っていてもわかっていません)を知らないし、小説 や映画の中のやはり作り上げられたキャラクタとしてしか知らない者は、 福音書にあるこの刷り込みを抱えたままなのです。一切が仮想空間で事が 済むならそれだけのことですが、こうして作り上げられた概念がいつ現実 の差別につながるかと思うと恐ろしいと思います。そしてそれは直接に持 ち出されるのではなく、ある種の転移をして外貌を変えて外に出て行く可 能性さえ持っているはずです。 いずれにせよ、そういう刷り込みこそ捨 てて人と接していった方こそイエスであったことを肝に銘じておきたいで す。
2月21日の説教から マタイ福音書6章26節 「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れ もせず、倉に納めもし ない。だが、あなたがた の天の父は鳥を養ってくださる。」 言われていることは比較的はっきりしている。〈神によって救われ、神の 恵みを受け取るにはどうしたらよいかと思い煩うな。あなたたちがそのた めになすことなど知れている、いやかえって何もしないが方がよい。神は あのように小さな鳥も神は養ってくださるのだから〉ということだろう。 当時もユダヤ人たちは自分たちは神の民として特別に選ばれた存在であ ると受けとめていた。このことを民全体として自覚的にとらえなおし、宗 教的な集団になったのは前6世紀のバビロン捕囚のときであった。その時、 ダビデ王以来続いた政治的王国が消滅し、拠り所であったエルサレム神殿 が破壊され、強制移住された民の一部は、バビロニアの居留地で生活をは じめた。しかし、歴史的には最悪の時期に、むしろそれ故に、彼らは「選 ばれた神の民」であったし、これからもそうあろうことの意味を再認しよ うとした。 そのような彼らにとって、同時に重要なことは子孫にその信 仰的な歴史理解を伝えていくことにあった。その直接の場は、子どもたち の教育である。律法の学習だけにとどまらず、神の選びの歴史、民の神へ の裏切りの歴史を学んだ。これまでも述べてきたように、これが事実上の ユダヤ教の成立である。苦境の中で神の真実を求め、自身の歴史を顧み、 民の結束を固め、後継者を育てていく。この姿勢はユダヤ人がそのつど嘗 めなければならなかった悲惨な歴史の中で何回となく、反復された。 け れども、この生真面目さと熱心さにも、いやそれだからこそと言うべきか もしれない、気付かない落とし穴があった。どんな苦境にあっても神に向 き合っていると確信をもち、自分の歴史を真摯に反省した上であたらしい 生き方ができ、それを親から子、子から孫へと受け渡している営みの全体 になんの欠陥があろうか。このことはユダヤ教徒に限ったことではない。 どんな社会においても、同じような自負をもつ人たちに共通する問題であ る。「真剣に、あらゆる方途をためしながら子らを育て、養い、社会がそ のために力を尽くす。しかもそれを全体が苦境に立っているときにやって いく。それにケチをつける者をゆるさん」。そんな声がいまも聞こえてく るような気がして仕方ない。 イエスの先の言葉は、このような人間社会 が見落としてしまっていることに関わる。それはあまりに当然すぎて、言っ ても始まらないことだと言われるかもしれない。このようなイエスの言葉 に、すこしも心が動かされなくなったしまったとは悲しいことだ。 イエ スがあの言葉を語ったであろう動機はとにかく神の国があちらの側から彼 のまわりで襲いかかってきているという、妄想にも似た実感であったとわ たしは解する。また、それは比喩的に述べられた言葉というより、イエス のまわりに現実に起こっている表象の一つと言うべきだろう。〈見よ。鳥 がさえずり、えさをついばみ、こんどは空を舞っている。花も鳥も人も同 じく、この神の恵み、神の国を受け取り、なんと楽しそうではないか。わ たしたちはその中で、育っていく。大きくなっていく。〉イエスはそう言っ ているように聞こえる。
2月14日の説教から 申命記8章1−10節 「人は何によって生きるか」 久保田文貞 申命記は、イスラエルがモーセの導きでエジプトを脱出した後、40年 間荒野を放浪し、約束の地カナン(パレスチナ)を目の前にして、モーセ が最期の説教を人々にする、つまり遺言(テスタメント)をするといった 形にデザインされている。12章から26章は出エジプト記以下の律法の 改訂版であり、それをモーセの説教が挟んでいる構造になっている。8章 の言葉は、その前半の説教の中に含まれる。 現代の研究の趨勢によれば、 申命記は、南王国ユダのヨシヤ王の宗教改革の記述(列王記下22章)に 出てくる神殿で発見された「律法の書」を形成した学派の流れをくんだ人々 が、王国滅亡(587年)後バビロン捕囚の地で、イスラエルとユダ滅亡 の歴史の意味を捉え返した書である。なぜ都エルサレムのシオンに立つ神 殿を失ったか、なぜ約束の地から再びはがされたかを問い、それでもなお ヤハウェ信仰に生きるということがどういうことか答えようとした記録で ある。そのような現実の否定に遇って、なお真実とは何かを追及した人々 の書き物である。換言すれば、彼らが編集した歴史書は宗教としてのユダ ヤ教の真のスタートを切った象徴的な書と言ってよい。 申命記の説教の 中には、印象的な言葉がいくつもあるが、「人はパンだけで生きるのでは なく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」(8の3) は、 注目に値する。新約でもイエス語録集(Q資料(マタイ4の4、ルカ4の4)) の荒野の誘惑の物語に引用されている。 この言葉は人間がいかなる逆境 にあっても、人はパンだけでは生きられない、むしろ「ヤハウェの口から 出るすべての言葉によって生きる」のだという〈もの言い〉になる。この 信仰は詩篇の中のそこここに見られる。たとえば詩篇23篇「死の陰の谷 を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださ る。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。わたしを苦しめ る者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。、、、命の ある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。」 「主の言葉」とは、 学び取る「律法(トーラー)」の言葉とか、宗教的真理のことではないだ ろう。「わたし」の傍らにあって、「わたし」を支え慈しむ「あなた」の ことばである。このことは宗教一般に通じるものがあるだろう。〈絶望と 苦難〉の中にある人間の現実を、「あなた」の真実をもって結び直してく ださると受けとめるのである。 「宗教」という社会現象が掛け値なしに 成立するのは「近代」けれども、バビロニアに強制移住させられたユダの 人々は、奇しくも「近代」にも通用するような高質の宗教に到達していた と言うべきだろう。ユダヤ教とユダヤ人の歴史とは、少なくとも第二次大 戦までは、「絶望と苦難」をかいくぐりながら、もっともみごとに人間の 生の歴史にそれを編み込み、演じて見せてくれたと思う。 一方、われら がキリスト教では、イエスがひとり試みに遇うも、悪魔の誘惑をしりぞけ る。しかし、その先に栄光ある勝利が約束されているわけではない。石を パンに変える力を拒否し、メシアとしての権力掌握、そして超能力を拒否 したイエスに、この世界への〈絶望と苦難〉が待ち受けているのだ。受難 するメシアの物語は、イエスの十字架の死に凝縮させ、その一点にすべて を結びつけることになる。パウロは言う、「わたしはイエス・キリスト、 しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何 も知るまいと、決心したからである。」 その十字架への信従のほどはす ごいことだが、大審問官が言うように石をパンに変えることに関心を無く したことによって呼びこんだ問題、キリストの十字架に人間の絶望と苦難 を託したことによって呼びこんでしまった問題は、いっそう深刻なことだ と思う。
2月7日の説教から マルコ福音書4章35−41節 「イエスの奇蹟は何だったか」 久保田文貞 これまで述べてきたように、マルコ伝はイエスの福音宣教の開始を、 「教え」と「わざ」に分離できないものとして描いた。会堂(シナゴグ)の 安息日(サバト) の集会で、「神の国」の福音について発言し、その延長線 上で「悪霊を追い出す」。それは、これまでシナゴクで読まれた律法(トー ラー)の理解を超えたものだった。トーラーの反復によってイスラエルの 歩むべき道が自ずと指し示され、やがて神から義とされるという制度が、 イエスが捉えた、迫り来る「神の国」神の恵みのラッシュのまえに、無効 となり取引停止になる、そういうことが起こっているというのだ。いや、 そもそもユダヤ教という制度=宗教は、跳梁跋扈する〈悪霊たち〉に対し てなすすべなく、ただ自己保身に奔って聖域にこもり外部を無視している だけ。これに対し、神の国=神の恵みは、その制度・宗教の外部に放置さ れている人々を、むしろ恣意的に選び出し、堰を切ったようにそこへとほ とばしる、イエスはその流れの中に身を任せているといったあんばいなの だ。悪霊に取り憑かれた人から悪霊を追い出すのは、その神の国の勢いの 宣言であり、実現にほかならない。これを目撃し、このことを自分のこと として記憶した人々にとって、イエスの教えがまったく新しい教えだった と想起し、イエスを奇蹟行為者として言い伝えることになんの異和感もな かったのだろう。 イエスの福音は、彼の独創的な思想の所産ではない。 イエスは、まずまちがいなく本気で神の恵みのラッシュの中を生きている と確信していた。われわれ現代人の醒めた目からすれば、イエスはほとん ど「狂気」の世界にあったということになるかもしれない。けれども、そ ういう合理主義的な現代人が自分たちの理解できなかったことを〈狂気〉 として外に放り出したり、内に閉じこめたりして、自らを硬直させ、窒息 させてきたことを承知しておかなければならない。 また「悪霊を追い出 す」「病を癒す」ということを〈比喩〉とし、非神話化して理解しようと いうのも姑息なことだ。現代人として理解できないことを理解できるよう に改鋳してこちら側に引き寄せようというわけで、あまりに自己中心的で はないか。いったい理解しがたいものを自分の理解できるものに作りかえ て、どうして「他なる者」を理解できたと言えるだろうか。 さらに「悪 霊を追い出す」ということと、その人を正常な位置に据えることと同値で はない。悪霊を追い払ってもらった人が帰っていける場所がそのまま、か つて彼を悪霊に憑かれた者と診断し追放した〈制度〉〈宗教〉の内部にな ると考えるのはあまりにおめでたい。癒された人にイエスが「起きよ、床 を取りあげて家に帰れ」と命じる(マルコ2章11など、「帰還命令」と いわれる)箇所がいくつか出てくる。しかし、家に帰れるようなケースな らもともとたいした問題ではない。むしろ癒されても帰るところがないの が現実だったろう。「帰還命令」などと理念化しない方がよい。帰れるこ とができるなら帰ってもらったらよい。だが問題は帰るところがないとい うことなのだ。悪霊を追い払ってもらって、病が癒されて帰ってくる者を 迎えようとしないのは、実は家ではなく、家の者にそうさせない構造になっ ている〈制度〉〈宗教〉なのだ。というわけで、神の国・神の恵みのラッ シュは、どうしても〈制度〉〈宗教〉に手をつけないわけにはいかないの だ。彼岸と此岸の教会を破って押し寄せてくる〈神の恵み〉〈神の国〉は 〈制度〉〈宗教〉の外側だけで完結するわけにはいかないのだ。
1月31日の説教から マルコ福音書4章1−9節 「イエス、教え始める」 久保田文貞 4章1節から32節まで5つの譬えが集められている。マルコではこれ らの譬えが「教える」ということの中身になっている。1章21節にイエ スはカペナウムの会堂で最初に「教えた」となっているが、その時は具体 的な内容は触れられていないが、安息日の集会の聖書朗読の後に行われる 解釈意見の開陳の形をとっていると想像される。しかし、マルコ伝は、そ の教えが「律法学者のようにでなく」と書き、尋常ではなかったと印象づ ける。39節はイエス一行の一連の言動を「ガリラヤ中の会堂に行き、宣 教し、悪霊を追い出した」とある。3章14節では、弟子たちを「派遣し て宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせる」というように、イエスの活 動の基本的な形を弟子たちにもとらせたと書いている。マルコ伝の著者は、 こうしてイエス集団の初めの頃の活動を描くにあたって「教える」「御言 葉を語る」(2−2)「宣教する」「悪霊を追い出す」、病人を癒すとい うことが一体となっているように見える。また「教える」の場を会堂に設 定するのは、6章2節まで、もしかしたら6節の伝道旅行も会堂でのこと かもしれない。会堂での「教え」は、安息日礼拝が前提になるだろう。6 章34節以後、会堂での教えの場面はない。安息日での会堂での発言がで きなくなったためか、集まった群衆に野外や自分の家で教えるようになる。 マルコがどの程度このことを意識して書いたのか分からないが、「教え」 の聴衆が安息日に会堂に来る人々から、野外にイエス集団の後を追う群衆 に換わっていることに注意したい。サバト(安息日)にシナゴク(会堂) に行ってトーラー(律法)に耳を傾け、罪を悔い、いのり、信仰を告白す る、そういう形をとれる人々はその一人一人の生はどんなに重いモノがあ ろうと、やはり立派に「信徒」をやっている人たちなのだ。彼らの多くは、 イエスが安息日に教え、その延長上で癒やしのわざをすると、安息日違反 ではないかと問う。こういう連中はイエスが「罪人や徴税人と一緒に食事 をしているのを見て」,「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするの か」と問う。イエスは彼らにかかずらわって無駄な時間を過ごすことを止 めたということなのだろうか。以後イエスのまわりに押し寄せる人々には 安息日かどうかなど関心の外である。ただ、イエスの教えの言葉と癒しの わざを求めてくる、とマルコ伝はそういう筋立てになっている。4章に話 を戻す。1から9節まで有名な「寓話」イソップ物語のような訓話である。 13節から20節まで解説までついている。結論から言えば、私には1− 9の譬えはどうみてもイエス死後の教会のための「寓話」であってイエス の譬えのように見えない。おそらく4章26以下「成長する種」、4章3 0以下「からし種」の譬えの群から、二次的に作られたものだろう。ただ し、「寓話」としてはイソップ級のみごとな作品だと思う。しかし、所詮 は行きつく先の知れた「寓話」、初めから解説などいらない話しなのだ。 これに対して、たとえば、4章26以下「成長する種」にしても、4章3 0「からし種」の譬えにしても、ちまちました倫理的な響き、閉じられた イメジはない。そうではなく、人が見逃している、しかし、人の想定外の 大きな力を見出しておどろく、そういう驚きに巻き込むような話しである。 オープンな事柄の中に人を巻き込み,「で、わたしはどうするのか」という 問いの中に立たせるような話しである。イエスを美化するつもりは毛頭な いが、彼岸からはじけてきた神の国、溢れんばかりの神の恵みというメシ アニズムのただなかに身を投げ込んで動き、語るのである。
1月24日の説教から マルコ福音書1章21−28節 「イエス、宣教を始める」 久保田 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始 められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、 権威ある者としてお教えになったからである。 そのとき、この会堂に汚れ た霊に取りつかれた男がいて叫んだ。 「ナザレのイエス、かまわないでく れ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」 イエ スが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその 人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。 人々は皆驚いて、論 じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。 この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」 イエスの評判は、 たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。 「荒野」という外部からガリラヤという内部に活動の場を定めたイエス は弟子を採り、ゲネサレ湖畔の町カペナウムに拠点を定めた。この町はロー マ帝国から安堵されていた領主ヘロデ・アグリッパが治めるガリラヤのは じっこにある。すぐ隣はヘロデの兄弟フィリッポスの領地。カペナウムは その国境近くの町で税関所があり、ローマ守備隊の駐屯地もある。要する にいろいろな人が出入りする辺境の町である。そして不安定な辺境の社会 に共通することだが、破産して土地や家を失った者たちが職を求めて集まっ てくる。それがユダヤ人であれば、もはやきれいごとは言っていられない、 食うためには何でもするよりない、そういう町だ。 マルコ伝は、まっ先 にイエスがこの町の会堂に行って「教え始め」、人々は彼が「律法学者の ようにではなく、権威ある者として教えた」ことに驚いたと書く。そして 人々はイエスがその会堂にいた「霊にとりつかれた男」から「汚れた霊」 を追い出したのを見て驚いたとなる。 この安息日の会堂での出来事をマ ルコ伝はイエスの宣教の最初のこととしている。実は、聖書日課の順番で 行っている一連の説教の予定で、この後「イエスの教え」「イエスの癒や し」という純に進んでいくのだが、マルコ伝を一資料にして福音書の改訂 版を作ったマタイはまさに「教え」(山上の説教)と奇蹟物語=癒やし (わざ)とを整理しきっちりと分ける。しかし、マルコには「教え」と 「癒やし」を分けるというより、それを分けられないものとして意図的に 提示しているように私には見受けられる。これまでも言ってきたように、 マルコ伝はやはり「イエスの十字架と死と復活」(受難物語)に収斂し抽 象化する原始キリスト教信仰の傾向に対して、ガリラヤでのイエス集団の 人々の間での具体的な活動を付加することに使命を感じている。マルコ伝 はガリラヤの宣教をベースにしてこそイエスの十字架と死とその展開とし ての復活信仰が理解されるべきだという視点で福音書という文学ジャンル を作ったという最近の聖書学のひとつの考え方を支持したい。 つまり、 「教え」と「わざ」はイエスの宣教において切っても切り離せない関係に あった。そもそもイエスの活動の動機は、神の国・神の恵みがストレート に群衆たちの間に降りてきているという直感であり、その「うながし」に よるものであった。「教え」と「癒やし」、「ことば」と「わざ」を悠長 に分けている暇はない、いや、そういう整理自体がその「うながし」の障 害になると言ってもよい。それは反省的に会得した知行合一などというも のではない。神の国・神の恵みそのままに信頼し、天真爛漫にふるまうと ころで生まれてくるものだろう。
1月17日の説教から マルコ福音書1章14−20節 「イエスの弟子」 久保田文貞 「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝 えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と 言われた。」 洗礼者ヨハネが〈荒野〉=外部から、人間社会=内部にむ かって告発する言葉とそのさまは、内部にいる人間には不気味なものだっ たはずだ。ヨハネが具体的に行った告発として推定されるのは、前回述べ たように、領主ヘロデの倫理問題だった。権力者は彼の口を封じるために 逮捕し監禁した。ヨハネには弟子集団があったが(6−29など)、ヨハ ネ逮捕後、彼らは師にならって「荒野」を拠点にして修道生活をし、ヨル ダン川やガリラヤ湖周辺で悔い改めの洗礼活動をしたらしい。 イエスは このヨハネのモードをとらずに、「ガリラヤに行き」独自の活動を始めた というのである。この「ガリラヤへ行き」というのが、マルコではことの ほか重要な意味を持つ。そもそもマルコ(?)という人物が〈福音書〉を 書いた動機は、ガリラヤでのイエスの事績を、十字架の死と復活の物語の 前に付け加えることだったと言ってよい。 ペテロらが始めた第一世代の エルサレム教会の宣教内容は、たとえば第一コリント15章のパウロの言 葉で言えば「キリストが、、、、わたしたちの罪のために死んだこと、葬 られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこ と、、、」、すなわちイエスの十字架の死と復活による罪の赦しに集中し たものだった。ある種のこの熱狂のゆえに、第一世代の弟子たちには自明 のことだったろうが、イエスがガリラヤでどのような宣教をしたかという ことが抜け落ちていった。実際、第2世代のパウロにとっては「わたしは あなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリス ト以外、何も知るまいと心に決めていた」(第1コリ22)と言わしめる ように。マルコはこのように、ガリラヤ時代のイエスの事績を欠落させて いくことが正当化されていくのにがまんがならなかったのだろう。 イエ スが〈荒野〉を去ってガリラヤに行ったのは意図的なことだったのであり、 確信をもってのことだったと読むべきだろう。(田川「原始キリスト教の 一断面」) マルコの復活物語で、墓からよみがえったイエスは「あなた がた(マグダラのマリヤら)より先にガリラヤへ行かれる。かねて言われ たとおり、そこでお目にかかれる』と。」(16:7)という若い男のメッ セージが語られるのも、マルコの意をくんだ言葉だろう。 このイエスが「神の国は近づいた」と言いつつ「神の福音を宣べ伝える」 行動をガリラヤで起こす。ガリラヤは確かにヨハネの〈荒野〉という外部 から見れば、人々が生活する〈内部〉なのだが、問題はその内部が毀れて 人々の暮らしが成り立たなくなっている、私たちの言葉で言えば、まさに セイフティ・ネットが毀れて、内部にいながら人間らしい暮らしができな い事態に陥っていたのである。イエスが活動の拠点としたガリラヤ湖畔の 町カペナウムやその周辺にはそんな人々が吹きだまりのように集まってい たのだろう。イエスが「ガリラヤに行き」というときのガリラヤとは、毀 れた内部の外部のようになっているガリラヤのことだ。 神の国=神の恵みは、そのような場で暮らせなくなっている人々に照準を 合わせ、惜しげもなく降り注ぎつつある。「さあ、その恵みの降り注ぎの 中に入って、ヴォランティアのように立ち働いてみないか」 これがイエ スが弟子を招いていく基本的なスタンスだと読みとりたいと思う。ガリラ ヤでイエスと弟子たちがこれから活動していく中身は、神の恵みの降り注 ぎを人々といっしょにになって受け取ること、それを記銘しそれを語り継 ぐことだ。
1月10日の説教から マルコ福音書1章9−11節 「イエスの洗礼」 久保田文貞 聖なるものであれ、穢れたものであれ、どちらも内部にかかみつづけ るわけにいかない、そこで外部に〈掃き出す〉ことになる。この二つのも のはその点で共通している。そうはいっても、〈掃き出し〉は徹底してい るわけではない。日常の内部に穢れを抱え込んでしまうというのが現実だ。 ヨハネが説いた洗礼(バプティスマ)は、神の審判をひかえて、人の罪 の穢れを水で洗い清めようというものだった。この〈掃きだし〉をすすめ、 それを執行するのが、「荒野」、外部で修行を積み、聖性を自分のものに した修験者ヨハネである。このようなヨハネからナザレ出身のイエスは 「洗礼」を受けたと考えてよいと思う。 洗礼を受けた後、イエスはヨハ ネのように荒野で修行したけれども、ヨハネが逮捕されてしまう。おそら く、彼はガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスの倫理にもとる婚姻問題を 群衆の前で歯に衣着せず批判したためだろう。(マルコ6−18以下) この後、イエスは「荒野」から出、ガリラヤという内部に入り、カペナウ ムという小都市に拠点を置いて、弟子をとり活動していく。 しかし、福 音書に見る限り、イエスはヨハネが「罪の赦しを得させるために悔い改め の洗礼を宣べ伝えた」(4節)という宣教活動を継いでいない。では、イ エスの宣教活動はなにか、マルコ伝は次のようにそれを集約しています。 それは 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と いうものです。そしてマルコ伝では、イエスは群衆たちの見ている前で汚 れた霊に取りつかれた男からそれを追い出すという象徴的な行為をもって、 独自の活動をしていくことになります。マルコ伝の記述によれば、到来し つつある神の国、神の恵みが、洗礼という清め=罪の掃き出しの儀礼を飛 び越えて、「罪人」や病者、悪霊に疲れた者たちの間に入っていったイエ スの活動のまわりで起こっているということになる。ヨハネの〈洗礼〉バ プテスマは、どう見てもレビ記14,15章などの聖職者たちに要求され た特別の浄めの儀式を、後期になって一般信徒の日常にまでそれを引き込 んだある種の原理主義(エッセネ派やパリサイ派)の延長線上にあります。 福音書がいかにイエスの洗礼を肯定的に描こうとも、イエス自身の活動の 中にそれがまったく欠けているのを否むべくもない、それ程までにイエス の活動から洗礼は姿を消しているということだ。 ところが、イエスの死 後、神がイエスを死人の中から引き上げたと信じる人々が起こり、イエス こそ神が遣わしたメシア=キリストだと告白する群れが特別な自覚に達す る。神の恵みの時、聖なる群れとして集められたと。それが原始キリスト 教です。ここにおいて、俄然、洗礼がその聖なる群れに入ることの儀礼と して再び新たな意味を持って呼び出されたということだろう。 この洗礼 の意味をいっそう深く表現したものとして、パウロの手紙(ロマ書6章など) がある。それはそれでなかなか興味深いものだが、イエスの宣教内容と原 始キリスト教の宣教内容の大きなズレができてしまった。「罪人」の意味 が大きく異なってしまったのだ。罪や穢れが深化したものの、現実の人間 の間の差別や排除の問題が見えなくなってしまった。清めの儀礼が、復活 者キリストがわれらの罪を赦す儀礼となり、聖なる者の群れへの入会の儀 礼になった。そしてその儀礼の中で告白する主体として鍛え上げられた。 イエスの時には予想もしなかった事態が起こっている。それは、この聖徒 の群れ=教会が神の恵みを暫定的に実現する救済機関としてこの地上に留 まりつづけるという事態である。洗礼者ヨハネの運動から飛び出して、ガ リラヤで展開した運動とは天地ほどの差があると言うべきだろう。
1月3日の説教から ルカ福音書2章41−52節 「お宮参りなんかするのか」 クボタ文貞 ルカ福音書は誕生物語だけでなくイエス少年時代についても報告してい ます。前にも申し上げたように、こういう後日談的なものが追加されてい く背景には、初期のクリスチャンたちが待望していた「終わりの救い(審 き)の日」つまり「終末」が起こらなかったという現実をどう乗りこえて いくかという問題があったことでしょう。誕生物語はそのひとつでした。 さらに、2世紀に入ると少年イエスや母マリヤ、使徒らの伝記、列伝、外 伝で溢れていきます。少年イエスものでは「トマスによるイエスの幼児物 語」が伝えられています。もちろん「史実とは関係なく、大衆の好奇心や 物語的興味を満たすための読み物」(八木誠一)です。それは超能力を持っ た少年イエスの奇蹟物語集であり、その奇蹟もおもしろ半分のものであっ たり、ときには自分の気にくわない者を呪う、呪われた者は枯れてしまっ たりするというような怪しい読み物になっています。これらはキリスト教 正統主義からあきらかに見下されていた。けれどもそれら自身が正統的な 教理に逆らっているとは見なされなかったのか、神学的な異端とみなされ ず、むしろ「大衆」伝道の道具として黙認されていたらしいのです。(わ たしはここに「大衆」という語を2回使っていますが、ちょっと異和感が あります。八木の言葉を使っていえば、「大衆の好奇心や興味を満たすた めの読み物」でなく、「史実と関係」があり、高尚な思想的な読みの方が 価値があると、あっさりと認めることはできないと思うからです。) と にかく、ルカ福音書はまだ高尚な神学的な衣装をまとっていると評価され、 外典の伝記物は「大衆」文学として見下されるというのは感心できません。 問題は、イエスが宣教したもの、イエス処刑死以後イエスをキリストと して告白した中に流れていたものが、さらにどこかで大きく後退し変質し てしまったことです。つまり、イエスの宣教と、イエス死後の原始教団の 宣教との違いは、イエスが宣教することと、イエスを宣教することとのど うしようもなく明確な違いですが、わたしにはその違い以上の違いが、そ の次にきているように思えてなりません。それは、メシアニズムの熱狂に 生きることと、その熱狂から醒めたことの間の違いです。 メシアニズム とここで言ったのは、人間の住むこの世界と歴史の彼岸からなにものかが、 彼岸と此岸との決して架橋できない懸崖を破って此岸に及んでくる迫りを 感じとる、そのようなあり方のことです。イエスはこの迫りに共振して活 動を起こした、この彼岸からの吹き出しと揺さぶりはユダヤの辺境に吹き 寄せられたほんの一握りの人々の生につかの間及んだだけのことでしたが、 その小さな攪乱は人間の世界と歴史を根本から揺さぶることになるだろう、 これがイエスとそのまわりに出来事となったことであり、それをひとつの メシアニズム(の熱狂)とわたしはよびたいのです。 けれども、この出 来事を受けとめ、その中に生き続けることがなかなかできない。人はこの 異常な吹き出しの跡を神話の中に押し込め、さらにそれを神学化し支配の 道具とするのです。その意味では、「大衆」文学の「大衆」を侮辱しなが らする伝記ものは、罪が軽い。それはサブカルチャーにしか見られないし、 傍流、「外典」として脇にうち捨てられたまま、相手にもされなかったの です。イエスの幼児物語とか少年物語の伝記ものが、本流の「神学」や 「教え」に直接手を出さない限り、無害と見なされ放り置くというわけで す。 いずれにせよ、これらの主流にしろ傍流にしろ、メシアニズムの吹き出し から大きく後退し変質していることだけは確かではないかと思うのです。