説教ノート 2009年1月から12月分まで
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12月27日の説教から マタイ福音書2章1−12節 「東方の星占い」 久保田文貞 神によって選ばれた民として強い自負をもち、神 によって与えられた「律法」を守るべく定められ たユダヤ人(教徒)は、一貫して自分たち以外の 人々を〈異邦人〉として一線を画し、自分らの宗 教的生活から締め出します。しかし、異邦人とまっ たく接点がないというわけではありませんし、こ ちらからで向いていって異邦人を攻撃したりしま せんでした。商取引などは許される限り「異邦人」 といくらでもするのです。現在のイスラエルに集 結するユダヤ人はそうでないのが残念でなりませ んが。 ユダヤ人と異邦人の関係は、「日本人」 と「外人」の間にあった関係と似ている面があり ます。仲間と他者という私たちと地続きの問題を 考えてみたいと思います。 マタイ福音書は、ユ ダヤ人出身のクリスチャンを中心とする教会、外 部から見ればユダヤ教イエス派の改訂版福音書で 90年頃書かれたとされます。一番の特徴は、ク リスチャンはユダヤ人以上に〈律法〉の精神を完 全に守ることになると理解しました。(5章17、 8など) そうやってユダヤ人からクリスチャン への転向の正当性を確認しようとしたといえるで しょう。しかし、ユダヤ教から脱出するために最 大のネックになったのは、ナザレ出身のイエスを 〈神の子〉〈キリスト〉として神の地位に高めた ことです。1、2章のクリスマス物語はその難題を 乗り越えるための一つだと言ってよいでしょう。 まずユダヤ人の血統を断ち切るかのように、イ エスは聖霊によって身ごもり処女マリヤから生ま れたという伝承を採用します。また、イエス誕生 を認知して挨拶に来るのが、〈異邦人〉を象徴す るような東(アラビア)からきた星占い(マギ) たちです。彼らは星に導かれてユダヤにやってき たと。ユダヤ教で、星は、太陽や月と並んで神の 被造物としかみなさない。(創世記1章16,ヨ ブ25章2、詩篇8章3) ヘブライ語聖書で、 星が神の子の誕生の場へと導いたり、神の意志を 指し示すような役回りをすることはほとんどあり ません。星占い自体を固く否定しています。(申 命記4章19) イエス誕生をユダヤ人のだれも 知らず、マギたちだけが星に導かれて新しい〈ユ ダヤ人の王〉に挨拶に来るというのは、大変挑発 的な物語なのです。 〈ユダヤ人の王〉という称 号は受難物語の中にも出てきますが、総督ピラト やローマ兵士がそう呼ぶだけで、結局、この称号 を発するのは〈異邦人〉だけです。この称号はユ ダヤ教の外部から内部に押し寄せ、あらぬお節介 を及ぼしかねないものです。 こうしてマタイ伝 クリスマス物語は、ユダヤ教を揺さぶります。そ れはユダヤ人クリスチャンたちがイエスを神の子 キリストと信じることによってもたらされた攪乱 に関わっていることです。ユダヤ教の内部にどっ ぷりと浸かっていた人間がイエスと出会うことで 揺さぶられ、ついにはユダヤ人と異邦人の隔壁自 体を問題化するところまできているということで す。想定外のことがどんどん起こっていきます。 〈異邦性〉のもっとも高い占星師がやってきて、 事情も知らず、ピントはずれの称号でイエスを礼 拝するという諧謔を織り込まざるを得ないように。 さらにそれへの反応(ヘロデの)の見当違い、嬰 児虐殺という過ぎた悲劇、それに引きずられ聖家 族をエジプトに脱出させるというズレまく り、、、、この攪乱が、ユダヤ人と異邦人という 概念の攪乱のために大切なお道具になっているこ とを、まじめに受けとめたいと思うのです。
12月20日の説教から ルカ福音書1章39〜56節 「マリヤの賛歌」 久保田文貞 ルカ福音書1章5節から80節までに2つのモチー フがあります。1つは洗礼者ヨハネはその誕生の 仕方においてもイエスの先駆けであったこと、も う一つは母マリヤは聖霊によって身ごもったこと です。使徒信条(4世紀)はさらに古いローマ古 信条(2世紀)をもとにして作られたと言われま すが、「主は聖霊より(によって身ごもり)そし て処女マリヤより生まれ」となっていたと推測さ れています。90年頃それぞれ編まれたマタイと ルカ福音書にクリスマス物語がありますが、聖霊 によって身ごもったということが両者に共通して います。 イエスを神の子キリストと信じ告白し た人々は、イエスがこの世界に遣わされたことの 意義を特化し、さかのぼってその誕生を神話的表 現で語ったわけです。この処女降誕の物語にこめ られている思いは、イエスの誕生の出来事は、こ の世界と人々を救おうという神の主体的な意志に よるものだったということでしょう。そこにはダ ビデの子孫ヨセフという父親の血統を割り込ませ ないというかなり思い切った処理が成されたとい うことを読みとるべきでしょう。イエスがダビデ の子だという告白はかなり早くからささやかれ、 パウロもその伝承を受けている(ロマ1:3)し、 マルコも、そしてマタイは特に強くその伝承を強 化していると言えます。けれども、そのマタイで さえ、イエスが聖霊によって身ごもったことに同 意し、一介の処女マリヤを聖霊によって身ごもま せ、イエスを産ましめたのです。後に、そのマリ ヤとその女系列を聖化してしまう冗舌な伝記(た とえば外典ヤコブ福音書など)が出てきますが、 処女降誕のモチーフを創った最初の動機から言え ば、マリヤの過度の聖化はぶちこわしになるはず です。 しかし、マリヤは清楚な方がよい、謙虚 な方がよい、一介の処女のままの方がよい、とい う思いは、それ自体がかなり男本意であり、父権 的な発想です。結局、男どもはマリヤを女性の鏡 のように敬慕しながら、女はマリヤのようにあっ てほしいと、逆に女性の重石にしてしまいかねな い、事実そうだった、そういう問題があると思い ます。 ところが、その処女降誕の物語の延長線 上に〈マリヤの賛歌〉が置かれています。「わた しの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である 神を喜びたたえます。 身分の低い、この主のは しためにも目を留めてくださったからです。」と いう謙虚さを絵に描いたような文句で始まります。 しかし、その後、主なる神はこのように貧しい女 に目を留め、偉大なこと(イエスを身ごもませた こと)をなさったといって、これを世界に対する しっぺい返し、革命的な事と捉え、次のように歌 いつなぎます。 「主はその腕で力を振るい、思 い上がる者を打ち散らし、 権力ある者をその座か ら引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、 飢えた 人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い 返されます。」快哉かな。 男本意の父権性が当 然のこととして見なされているユダヤ教社会、ロー マ社会では、同様に女性は一人前に見なされてい ませんでした。しかし、マリヤの讃歌はそういう 社会的歴史的条件をこともなげに無効としてしま うように、一妊婦が歌う歌なのです。神の前に絶 対の謙虚さを手にした女性が、男たちが支配する 人間の社会、歴史を前にして、ひるんだり恐れた り怪しんだりすることなく、自分の子供をこの世 界に、かつ歴史に、解き放つ強い母親になってい くのです。別に母親が賛美されているわけでもあ りません。神が一介の人間を選び、権威や権力か ら自由になって、考え、振るまう人を祝福してい るということでしょう。
12月13日の説教から マルコ福音書1章1−8節 「荒野の意味」 久保田文貞 福音書の冒頭に洗礼者ヨハネの登場を置いたの は記者マルコ以前の伝承によると推測されますが、 同じようにこの福音書記者が、ルカやマタイが扱っ たクリスマス物語の原型がすでになにほどか存在 していて、しかしそれを採用しなかったと推測す ることもできます。福音書の冒頭に洗礼者ヨハネ の物語を置くことと、クリスマス物語をさらにそ の前に加えることとの間にどんな関係が成り立つ か考えてみたいと思います。 洗礼者ヨハネの登 場に「預言者」からの引用として「見よ、わたし はあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準 備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の 道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」が冠 されています。これはヘブライ語聖書からのその ままの引用ではなく、 出エジプト23章20節と イザヤ書40章3節などからブレンドした言葉で すが、要はヨハネが「荒野」という外部から内部 に向かって「神の言葉」を語ったと言おうとして います。またヨハネが「らくだの毛衣を着、腰に 革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた」(6 節)と、前9世紀の預言者エリヤの風姿を真似て いたというのも「荒野」から堕落した文明の内部 にむけて審きの預言活動をしたエリヤに擬えてい るのです。この物語の直接の趣旨は、洗礼者ヨハ ネがキリストの前に使わされた「露払い」だとい うのでしょうが、なんといっても「荒野」からヨ ルダン川の川向こうの内部への呼びかけになって いるというモチーフは、キリスト教から出たとい うより洗礼者ヨハネ自身から出てきたものであり、 キリスト登場の「露払い」以上の意味があると思 います。 イエスはヨハネから洗礼を受けた後、 「霊はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四 十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けら れた」(13) と記されています。イエスは「洗礼 者ヨハネに従って」と言わずとも、「ヨハネのよ うに」〈荒野〉に赴いたと言ってよいでしょう。 「時は満ち、神の国は近づいた」で始まるイエス の福音宣教活動は〈荒野〉から押し出され開始さ れたのです。 イエスは、洗礼者ヨハネ以上に 〈荒野から〉ということを積極的に考えていたか もしれません。〈荒野〉を人々が日常を暮らして いる〈内部〉に割り込ませていくように行動して いるからです。人々が暮らす日常と言っても、そ れはのどかな田園ではなく、優雅な都市でもない。 そこでは、農民が権力者から搾り取られ没落し、 宗教的な支配者から抑圧されついには共同性から 排除されている、そういう場所であり〈内部〉な のです。イエスは周知のように、「神の国」の恵 みとその福音が、搾取され没落し、抑圧され排除 された人々に向かっていると察知し、これを身を 寄せあうようにして〈内部〉の中になんとか居場 所をもうけようとしている人々の〈外部性〉に、 福音宣教活動の拠点を置くのです。それは、イエ スが〈外部〉から押し寄せてくる〈神の国〉を、 〈荒野〉という〈外部〉から〈内部〉に広がる 〈外部性〉に招き引き入れたと言えます。 ユダ ヤ教の漠然とした深い伝統(預言者的な伝統でも ありますが)の中に、神の言葉、神の恵み、そし てそのメッセンジャーとしてのメシアは〈荒野〉 からという通奏低音が響いていますが、これはユ ダヤ教の枠にとどまらず、われわれ人間の基本的 な事態に関わることだと思うのです。キリスト教 とは杭にかけられて処刑されたイエスを神の子キ リストとして告白するわけですが、わたしにはそ の告白定式の一歩手前の所をもっと大事にすべき だと思えてなりません。 イエスを神の子キリスト と宣明する以上に、イエスが〈荒野〉で受けとめ その中に身を投げ打って、それをもって人々の内 部にあろうとしたこと、そこで人々の日常を共に 歩もうとしたことにもっと目をとめた方がよいと 思うのです。「イエスは神の子キリストだよ。難 しく考えないでそう告白すれば楽しいよ」とクリ スマス物語は言うかもしれませんが。
12月6日の説教から ヘブル書2章1ー4節 「大きな救いに無頓着でいられるか」 久保田文貞 ヘブル書の全体的な論点は、キリスト教が表面 上ほかの諸宗教と違って、神殿もなく、祭司もな く、犠牲もないけれども、実はキリストこそ神殿 であり、祭司であり、犠牲の究極の形なのだと主 張するものです。この文書がその議論に入る前に、 第1、2章で、天におけるキリストと天使の関係 について論じています。 天使という存在は、1 世紀にあってヘレニズム宗教にかなり一般的にみ られるものです。現代の私たちにとって、天使と いう神話的な存在を実在する者と考えることはで きません。ただ現代が失っているなにかを憂いて、 メルヘン的な物語に仮託して表現したりするとき 天使の登場となったりするのみです。基本的に天 使にそれ以上の意味を見いださないのです。しか し、古代の人々は私たちに理解しがたいほど、い ろいろな天使に囲まれて生きていたらしい。聖書 に限っても、ヘブライ語聖書のかなり古いそうか ら、御使い・天使(マラク)が登場し、前2世頃 の新しいダニエル書まで一貫して出てきます。た だし、この周辺的なキャラクターとしての天使は、 ユダヤ教としてもガードが甘く、ほかの文化圏の 宗教的な要素とかなり混ざっているようです。古 いセラピムやケルビムはバビロニヤから、名前の ついている有名なガブリエルやミカエルなどはペ ルシャからといった具合です。いずれにせよ、天 使は、神のいる天界と人との間を取り持つ、当然 の存在として何の疑いもなく受け入れられていた らしいのです。 特にユダヤ教後期、ペルシャの 影響が強くなっていた時代、天の宮廷に使える者 天使たちの位階制が発達し、位の高い善なる天使 がいるかと思うと、高位だが悪い天使、サタンの ような者もいるのです。 とにかく、新約にも広 く天使が登場します。福音書にも書簡の中にもご く自然に登場します。そしてけっこう重要な場面 に登場しています。たとえばおとめマリヤが聖霊 によって身ごもったというのを知らせる天使ガブ リエル、またイエスが葬られた墓に女たちがいっ てみると墓は空で、気がつくと墓のところに白い 衣を着た青年がいたという伝承があるわけですが、 これも天使です。また荒野でイエスは試みにあい ますが、そこに現れる天使サタンもいます。それ 以外にも新約諸文書の著者たちは、総じて天使を 深く考えることもなく、ほとんど癖のように何気 なく天使を登場させています。 その意味では、 ヘブライ書の天使に対する正面からの議論は、注 目に値します。神は世界の創造とともに天界の秩 序を作り、「御子は天の高い所におられる大いな る方の右の座にお着きになりました」という。そ して「神はその長子をこの世界に送るとき、「神 の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」と言われました」 という。また「天使たちは皆、奉仕する霊であっ て、救いを受け継ぐことになっている人々に仕え るために、遣わされた」という。イエスを天界に おける天使の一員に過ぎないという考え方を退け る。神は「彼を天使たちよりも、わずかの間、低 い者とされた」けれども、「死の苦しみのゆえに、 「栄光と栄誉の冠を授けられた」のを見」たと言 います。天使を神とキリストに使える従者として 最終的に固定しています。 ヘブライ書の天使に ついての考察は、結果的に天使不要論につながり ます。天使は物語のキャラクタとしては重宝され ていますが、おそらく誰も本気には考えていない。 どうでもいいものとしていると思わざるを得ませ ん。
11月29日の説教から 「見ることと分かち合うこと」 真下 弥生 マルコによる福音書 第7章31節から37節筆 者はキリスト教主義の大学で、教養科目の一環と して美術史(主にキリスト教美術)を教えていま す。神学・牧会学の教授を主とする教育機関にお いて、美術史は決してメインストリームにはなり 得ない分野ですが、この分野に対する少なからぬ 関心は、学内外からしばし感じるところです。書 店に行けば、キリスト教美術の入門書が平積みに なり、「崇高な信仰の表現」「西欧文化の真髄」 などのキャッチコピーを掲げた、欧米の美術館の 大規模な展覧会もしばし開催されます。キリスト 教のコミュニティにおいては、美術表現によって 賛美をしよう、という動きとして表れることもあ ります。 しかし、キリスト教の教義の核となっている「十 戒」には、「あなたはいかなる像も作ってはなら ない、、、それらに向かってひれ伏したり、それ らに仕えたりしてはならない」(出エジプト記2 0章4から5)と定める、いわば偶像崇拝を禁じ る条項があります。形あるものを拝むという行為 がはらむ問題のみならず、そもそも神は人間の感 覚では知覚し得ない存在であるにも関わらず、人 の手によってそのようなものを描き得るのか、と いう命題もあります。同じ文書を聖典とするユダ ヤ教、イスラム教においては、具体的な美術表現 が差し控えられてきた歴史がありますが、他方キ リスト教世界は、絵画・彫刻等、視覚表現を著し く発達させました。キリスト教文化における美術 の隆盛は、実はその自己矛盾の上に成り立ってい ることは、日本のキリスト教界において、十分に 自覚されているとは言いがたいように思います。 聖書が、日常の言葉ではないラテン語で書かれ、 なおかつ文字の読み書きの出来ない人々が圧倒的 に多かった時代において、キリスト教の教義や聖 書の物語を、絵画・彫刻等、視覚に訴える形で表 現することには、宣教・教育の上で、多大な効果 がありました(そもそも、「美術」とは何かとい う定義をまず提示しなければならないところです が、その形態は、先に挙げた絵画・彫刻の他にも 多様な形があり、また、必ずしも視覚だけではな く、触覚、聴覚等、他の感覚に訴える表現もあり ます。ここではひとまず、「主に視覚に訴える芸 術表現」と、ゆるく定義しておきます)。6世紀の 教皇グレゴリウスは、字を読むことの出来ない人 たちにとって、絵画はあくまでテキストの代替物 であると述べつつも、その効果のほどは認めてい ます。キリスト教が時を経て変質するにつれ、視 覚的表現も許容され、時によっては歓迎されていっ たのです。 デューラー 受胎告知1511 その ような美術表現は、それぞれの時と場所において、 あるいは時を越えて、今現在の私たちをも含め、 多くの人々の目に入ることとなりました。特に、 聖書の物語を描いた美術表現は、教会の礼拝堂の 中で、街中の装飾を通して、印刷物によって、さ まざまな媒体を通して、さまざまな階級の人々の 目に触れることになりました。人々が共通のもの を見る行為は、文化や社会の規範を形作る、ひと つの要素となります。キリスト教世界の文化も例 外ではなく、それは現在も連綿と続いています。 そのひとつの例として、キリスト誕生の物語が、 キリスト教世界の美術の中でどのように描かれて きたか、クリスマスの近づく今、ご一緒に見てい く時を持たせていただきました。このエピソード を美術で表現するにあたり、おおよその定型が定 着してきた時期にあたる14世紀初頭、イタリア北 部の古都・パドヴァに建てられたスクロヴェーニ 礼拝堂に描かれたキリスト誕生物語を軸にしなが ら、さまざまな時代と地域で描かれてきた、キリ スト誕生の物語を比較していく趣向を取らせてい ただきます。今回はスライドとプロジェクターを 使わせていただきましたが、これもまた、皆で分 かち合うひとつの形と言ってもよいかもしれませ ん。要約の掲載にあたり、筆者が多くの言葉を費 やすよりも、実際の作品の一部を掲載させていた だきたいと思います。ご自身の目によって、また、 今日の礼拝を守るみなさまがご一緒にこれらの絵 を見ることによって、先週の感想、新たに起こる 感想を、楽しく分かち合っていただければ幸いで す。
11月22日の説教から ルカ福音書12章35−48 「腰に帯びして」 久保田文貞 35節から39節も、また42節から48節も明 らかに終末を迎える人間の心得について述べてい ると分かります。前回、終末に突入しはじめると、 それまで人々が依って立ってきた世界のいろいろ な秩序は崩壊し、人間の最後の絆である家族まで 及ぶというマルコ13章の記述(小黙示録)を取 り上げました。細かいことですが、その家族の崩 壊に親や兄弟や友人から「引き渡される」(裏切 られる)けれども,そこに「妻」が欠けているので す。これを引用するマタイもルカも微妙に改めて いるのですが、ことにルカならここに「妻」を書 き入れそうなものですが、書き込んでいません。 こう言うのは、実は、マルコが10章29節で 「わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉 妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれで も、、、」というイエスの言葉を、ルカは18章 29節で「神の国のために、家、妻、兄弟、両親、 子供を捨てた者はだれでも」と「妻」を書き入れ ているからです。これはルカ14章26節でもやっ ています。イエスが「神の国」は近づいたと宣教 することは、広義に終末論的なもの言いだったと 思います。少なくともイエス死後、復活信仰に生 きたキリスト教はそこから終末の第一波が始まっ たと理解しています。イエスの宣教した「神の国」 の前にルカ的には妻も含めた家族の絆がかく乱さ れてしまう。ルカの終末の第2波を描いている小 黙示録的な記述の中に「妻」が入っていないのは どうしてか、私は気になるのです。同時に順序は 逆になりますが、マルコでは父や子というより強 固な家族の絆を断ち切るように言っておいて、そ こに「妻」を外したのはどうしてか。マルコがイ エスの言葉をそのまま伝えていたとしたら、やは りルカと比較して実に興味深いことです。牽強付 会と言われようと、引っかかりついでに今日の聖 書箇所をこれに関連させようと思います。「腰に 帯を締め、ともし火をともしていなさい。主人が 婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開け ようと待っている人のようにしていなさい。」 ストレートな〈勧告〉、もっと言えば〈戒め〉そ のものです。けれども、そこに婚宴の比喩が割り 込んでくる。婚宴の比喩と言えば、この箇所のマ タイ版25章1節以下では、明らかに婚宴そのも のが終末の宴であり、そこでは花婿(キリスト) が到着したのに居眠りをしてしまった愚かな乙女 が宴席から締め出されてしまった話しになってい ます。 どちらも、「なおもこれからキリストが やってくる」というところに読者を立たせ、「目 を覚まし」て、彼を迎え入れなさいという点で共 通しています。ここには明らかにもっと早く起こ るべき終末の出来事が起こっていないことを修正 する必要があったことをうかがわせます。終末の アジェンダを、キリスト教が書き換えなければな らない事情があったということです。終末の出来 事をイエスの神の国の宣教を第一波とし、イエス の死と復活を契機に第二段階に突入し、やがて再 臨のイエスが到来する第3波へと広げ、それは際 限なく延長させる可能性を持たせたことになりま す。 そこで、もう一度あの攪乱と崩壊のことを 考えたいのです。ルカはそこに欠けていた〈妻〉 をひっくるめてしまう。そして、ルカは婚宴を即 終末的事態にしない。婚宴の後にほろ酔いかげん の主人が家に帰ってくる。その帰ってくる場所こ そが究極の終末論的な終点であって、すでに退席 した婚宴(そこでは新しい夫と妻が誕生したはず です)は終末論的事態そのものとして扱われてい ないのです。結論的に言って、どうもルカは家族 解体にとどまらず男・女の関係の解体まで突き進 む可能性を示唆している印象です。
11月15日の説教から マルコ福音書13章5−13節 「君を愛すことは彼を憎むことという地平」 久保田文貞 マルコ福音書の13章は、世の終わりつまり終末 についての言葉が集められていますが、この問題 に分け入るには、福音書の中に重層的に含まれて いるものをふ分けしておくのがよいでしょう。1 前2世紀頃からのユダヤ教の中に醸成してきた終 末の通念、2イエスやその師・洗礼者ヨハネが表 現してきた「神の国」「神の審き」、3イエスの 十字架の死後、復活信仰を中心にした原始キリス ト教の終末理解と福音書。 1について細かいこと は省かなければなりません。とにかく古代ユダヤ 教に、世界に神の審判が下って世界の終末に至る という世界観つまり終末論が出てきました。それ が文書の形で現れてくるのは、ヘブライ語聖書諸 文書が締め切られ最終的な編集を受けていく時期 のことです。前2世紀頃の旧約のダニエル書とか、 外典のエノク書、エズラ書など。ユダヤ教の中で、 終末のビジョンが語られる文書や思潮はけっこう 後半に広まりますが、決して正統派のラビ(学者 層)のものではありません。マルコ13章の終末 に関するほとんどの情報はこれらの俗説っぽいも のの寄せ集めととらえるべきです。3では、イエス を終末論的なメシヤに仕立てていきましたから、 ユダヤ教の終末に関する俗説もかなり無批判に利 用してしまっているところがあります。重要なの は2に分けた層、つまり洗礼者ヨハネと、彼を師と して出発したイエスとその「神の国」運動が、1 と3とのズレです。1と3に塗り込まれているマ ルコ13章を丁寧に読むと、その中に2が少し垣 間見えます。結論から言うと、イエスはそこに描 かれているような終末の図にあまり関心を持って いないと解します。確かにイエスのまわりでは、 終末論的な世界の危機が切迫しているような緊張 感があるように描かれています。しかし、この世 の終わりについてミーハー的な関心を持っている のは弟子たちをはじめ取り巻きであって、これに 対して、イエスは、あたかも世の終わりの兆しに しかみえないような戦争や地震や飢饉が起こるけ れども、それはまだ「苦しみの始まり」にすぎな いとブレーキをかけていると解します。 2のイ エスの運動は確かに終末的な神の支配を中心に持っ ています。しかし、その重心は、神から義しとさ れた人間が、人々の通念を無視して、一般に罪人 として外部に排除された人間であったという想定 外の「神の自由な恵み」へと移っています。つま り終末論の格好はしているけれども、もはや人々 が了解して共同意識として持ち上げてきた終末論 の埒外に出てしまっていると言わざるをえません。 終末論という宗教的通念自体が毀れてしまってい る。あちら側からやってきた「神の国(支配)」 の第一波は、人々がとらえてきた磁界の向き、そ の秩序を完全にぶっ壊してしまった、それが2に おいて垣間見られた出来事です。今日の題「君を 愛すことは彼を憎むことという地平」についてご く切り詰めて言っておきます。もう少し磁界の比 喩を引っぱって言うと、人々がとらえてきたある 意味安定した磁界のもっとも微視的な世界は男と 女のいかにも「自然に」みえる対の世界とその延 長の家族と言ってよいでしょう。これをこわして しまうと人間自体がこわれかねません。ところが、 イエスの言葉にその磁界もこわしてしまいかねな いものがいくつか含まれています。今日の箇所で 言えば12節「兄弟は兄弟を、父は子を死に追い やり、子は親に反抗して殺すだろう」。これは単 に終末における偶発的な混乱と言えないこともな い。しかし、「神の国のために、家、妻、兄弟、 両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではそ の何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受 ける。」(ルカ18章30)、これは磁界のかく 乱が起こるべくして起こることを意味します。実 はこれはマルコ10章29から30をルカが書き 直したものです。微妙に異なるところがあります が、そのひとつ見逃しそうなのは、元のマルコ版 に「妻」がないことです。ルカ版では「神の国」 が起こす磁界のかく乱が、夫と妻の間にまで及ぶ と読めてしまうのです。一見、ルカの方が徹底し ています。このかく乱によって人間のあらゆる絆 がバラバラにされてしまうというわけですから。 けれども、ほんとうに深刻なのは妻を欠いている マルコ版だと思います、、。
11月8日の説教から ヤコブの手紙2章14〜26節 「信仰は行為である」 久保田文貞 修道士ルターは、当時のカトリック教会の腐敗 に我慢ならず、1517年、「95箇条文」の公 開質問状を城門に掲げ抗議、これをもって「宗教 改革」が始まりました。このような改革に踏み出 す力の元になったのは、修道士として内面の戦い を経た上に培った経験があったからだと言われま す。ルターがぶつかった問題は、自己が功績を積 んで自力で神の祝福を勝ち取り自分の正しさを自 己主張することに潜むエゴイズムでした。それを 自力で振り払うことができない。そこで彼を勇気 づけたのはパウロの書簡の言葉でした。キリスト を信じる信仰によってのみ,自分は神から義とさ れるだけだと。この「信仰のみ」は、同時にロー マ教会の権威によらずただ神の言葉たる「聖書の み」によることを明らかにしました。この「信仰 のみ」「聖書のみ」を弱めたり曲げたりする力に 対して反対したのです。ルターは聖書のドイツ語 翻訳でも有名ですが、聖書学者でもありました。 彼にはヤコブ書の言葉は「信仰のみ」という原理 を貶めるものとうつったのです。ヤコブ書を「藁 の書」として嫌いました。 ヤコブ書2章14節 にこうあります。 「わたしの兄弟たち、自分 は信仰を持ってい ると言う者がいても、行い が伴わなければ、 何の役に立つでしょうか。 そのような信仰 が、彼を救うことができる でしょうか。」 ヤコブ書が、パウロのガラテヤ 書やロマ書に出てくる「信仰による義」という問 題の立て方に反対していることは確かだと思いま す。 ガラテヤ書2章6節以下 「けれども、 人は律法の実行ではなく、ただ イエス・キリ ストへの信仰によって義とされる と知 って、 わたしたちもキリスト・イエスを信 じまし た。これは、律法の実行ではなく、キ リスト への信仰によって義としていただくため でし た。 けれども、単純に二人の言葉を並べてぶつ けてもあまり意味がありません。パウロは「十字 架につけられたままのキリスト」への強烈な邂逅 の中でキリストへの〈信〉をとらえたのであり、 それを割り引こうとするものにはなんであれ抵抗 したのです。彼と同じくユダヤ人出身のキリスト 伝道者たちは、異邦人からキリスト者になった人々 (当時一般にはユダヤ教への改宗者に見えていた) にユダヤ人としての掟を守るように要求したから です。 一方、ヤコブ書の著者がぶつかった問題 は、時系列的にはその20数年後のことです。パ ウロは61年頃処刑され、ユダヤ戦争で反ローマ のユダヤ人が壊滅状態になり、キリスト教会もユ ダヤ人グループもユダヤを追い出されました。ど ちらのグループも新しい出発のための立て直しを 迫られている。当然新興キリスト教の方が身軽だっ たはずです。複数の福音書が編まれ、パウロの書 簡が回状されて読まれていきます。ユダヤ教の方 は徹底抗戦を回避したものの敗北感に苛まれ、神 殿を失い手元にある律法(トーラー)に固執せざ るをえない。両グループは完全に離反していきま す。そのような力学が働く中でキリスト教の中に 律法からの自由を謳歌するパウロ主義の亜流が目 につくようになったらしい。 ユダヤ教が持って いた良き伝統、それはイエス自身の運動の根幹を 成していたものであり、マルコやマタイら福音書 記者たちが書き残したものであり、パウロが十分 に知らなかったものです。ヤコブ書が表現力にお いてパウロに負けているのは確かですが、言わん とすることはまさにマタイ福音書と大変よく似て いるのです。(ヤコブ2:5とマタイ5:2,ま たヤコブ3:18とマタイ5:9など) 貧しい 人々への配慮を欠いたキリスト信仰などあり得な いというわけです。
11月1日の説教から 詩篇62篇 「力と慈しみと」 2、3節 わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。 神 にわたしの救いはある。 神こそ、わたしの岩、 わたしの救い、砦の 塔。 わたしは決して動揺 しない。6−9節 わたしの救いと栄えは神にか かっている。 力と頼み、避け所とする岩は神の もとにあ る。 民よ、どのような時にも神に信 頼し 御前に心を注ぎ出せ。 神はわたしたちの 避けどころ。 古代イスラエルの讃美歌である 詩編にたびたび出てくる歌詞です。歌の文句につ いて、解説者風にあれこれ言うのはヤボだという のは分かっているのですが、そのヤボをあえてす ることにします。 古代イスラエルの人々はこの ような歌詞が気に入っていたのでしょう。こんな 歌詞を繰り返し歌う人々とはどんな人たちなのか, 気になります。「沈黙して、ただ神に向かう。神 にわたしの救いはある。」という文句から連想す るのは、歌い手が〈この世界の中ではなにもでき ない、黙るよりない。神だけしか頼るものはな い・・〉と感じているわけで、いつもぎりぎりの 所にいて、苦境にあるということです。古代イス ラエルの民が、こういう歌をたくさん残したとい うことは、彼らが歌を歌いたい気分になるといつ も言葉が出てこないような苦境にある自分に思い 当たるのかも知れません。そして神にのみ信頼す る自分をかき立てていく。少なくとも、そういう 歌の歌い方をする。 この歌の感じは、わたした ちの国の演歌や古い唱歌の中の或る部分と似てい るようなきがします。旅に流れて、港から港をわ たり、酒場でカウンターの隅にうずくまる、そう やって北へ北へと下っていく・・・実際には歌い 手の99%がそんな生活をしていないけれども、 なぜかそういう歌が好きな人が多くて、そんな歌 で心を通わせてしまう。 詩篇の歌い手がすべて そうだというわけではありませんが、このような 歌をくり返し歌う人々は敵に囲まれて今やなにも できない、ただ神にのみ頼るしかないという悲劇 的な生のスタイルを共にする人たちなのです。歴 史的には古代イスラエルだけにとどまりません。 ずっとユダヤ人たちはこんな歌を歌う自身のスタ イルを作りながら、故郷から追い出されて都市や 国々の片隅でしたたかに生きていったのです。 ・・・いつも彼らは敵対して、襲いかかり、亡 き者にしようとして一団となり、人を倒れる壁、 崩れる石垣とし、身を起こせば押した押し倒そう と諮る。人間なんて空しいもの、欺くもの。自分 たちはそんなものにはならない。暴力に依存しな い。搾取を空しく誇らない。力は力を生むだけだ。 自分たちは確信する、「力は神のものであり、慈 しみは、私の主よ,あなたのものである」と。 居丈高な権力者が支配するこの世界にあって、神 の設けた〈避け所〉アジールに、自分たちの影を 薄めて寄留者(ゲール)のように、マッチョな男 のようにでもなく、着飾った貴婦人のようにでも なく、持ち去られた徴たちの痛々しい痕を優しく さすりながらあの歌を歌う・・・ 残念ながらそ れはキリスト教のではなく、かつあのイスラエル 国家につながらない、かつての、そしていまも各 地に散っている一部のユダヤ人の生のスタイルに 重なった歌なのです。
《説教ノート》 10月25日の説教からマルコ 福音書10:2〜12節「離縁の理由」 久保田文貞 現在、結婚式の時によく読まれるテキストです。 「天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造 りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻 と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもは や別々ではなく、一体である。 従って、神が結び 合わせてくださったものを、人は離してはならな い。」 けれども、現代の夫婦、家族にこの言葉 を横滑りさせてうまく収まるかと言えば、はなは だ疑問です。封建的な家制度を崩壊させたあとに 〈核家族〉というものが期待を受けて現れました。 しかし、その近代の家族・夫婦の実体は、文学者 たちがいち早く嗅ぎ取ったように、その始めから 矛盾を内包していたというべきでしょう。 一つ の例として小島信夫という作家が1968年から13年 間にわたって『群像』に書き続けた『別れる理由』 という小説をあげます。主人公は前田永造という 大学教授です。まずその家族が実に複雑なのです。 その家に妻の友人絹子が来て、3 人のちょっと風 変わりな会話で小説が始まるのですが、その後い くつかの家族の話しが出てくるが、どれもみな複 雑な家族構成で、しかもその間に複雑な密通があっ たり、さらに夢や妄想の次元に入ったり、読む方 は混乱しないようにメモるのですが、そのメモを みると、だれとだれが親子関係だとか、だれとだ れが密通したとか、だれがだれに対して妄想して いるとか、ばかばかしいメモで溢れてしまうといっ た具合です。やがて三角関係が入り乱れ、アキレ スの馬が話し始める。筋が破綻し、作者自身が永 造に電話をかけてくる。主人公がこの小説の主題 はなんなのかと作者に問い詰める。この長い電話 に続いて、『月山』の著者森敦が出てきて、小島 と長い電話…そして小説は破綻したかのように終 わります。 この小説に妙に惹かれました。ここ にでてくる家族の物語は、確実にわれわれの間に ある家族と同期し、同調している感じがするので す。実はこの小説が破綻したのではなく、われわ れの〈家族という物語〉が破綻していると知るべ きでしょう。 このような〈家族の物語〉にイエ スのあの言葉を拙速にぶつけるわけにはいかない と思います。その言葉は、ファリサイ人がイエス に問いを投げかけて貶めようとしたという常套の スタイルをもった論争物語の中に出てきます。 「夫が妻を離縁することは律法にかなっているか」 どうか。律法では「妻に何か恥ずべきことを見い だし、気に入らなくなったときは、離縁状を書い て彼女の手に渡し、家を去らせる。」(申命記24: 1)ことをよしとしています。さすがに男に有利で あまりに身勝手な形式的な書面主義の規定がユダ ヤ教でも、ことに新興キリスト教の間でも問題化 していたのでしょう。 これに対して、創世記1、 2章の創造物語まで遡って考察するというのは特 別のことではなかったはずです。ただ、「 人は父 母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」 (創2:8)を受けて,イエスの言葉は「もはや二人 ではなく、一つの肉なのだ。従って、神が一緒に くっつけたものを、人は離してはならない。」 (田川訳)と徹底します。ここには終末論的な臨 界状況における特別な倫理が出ているというので はなくて、男と女のあるがままの自然な結びつき を,律法という書き物に代表されるような支配的 な言葉でもって、いびつなものにしてしまうのに 「反対」と言っているように見えます。 ところ で、あるがままの自然の結びつきが美しいとか、 それこそ普遍的な倫理だとか言っているのではあ りません。あるがままの人間の行動や関係、ある がままの家族や夫婦は実は毀れた体をしていて何 ら問題ないというべきです。
10月18日の説教から ヘブル書11章1−6節 「ーーに踏み出す」 久保田文貞 「信仰とは、望まれている事柄を確信し見えな い事実を確認することです。」 ここで「確信」 と訳されている語はヒュポスターシス、字義的に は「根底にあって支えているもの」つまり根拠が あって「確信」をもてる状態ということなのです が、1章3節では「御子は、神の栄光の反映であ り、神の本質の完全な現れ」と書いているときの 「本質」と訳されている語もこのヒュポスターシ スです。 この語は、新約文書にあまり見られな い哲学的な感覚の語です。それと関連して11章 1節の「信」を定義しようとする文自体がやはり 哲学的なスタンスから「信仰」をとらえています。 ヘブライ語(旧約)聖書の感覚も、またその世 界を共有して生きたイエスの感覚も、「信仰」と いうものを抽象して論ずるということがありませ ん。「信仰」は、卑近な現象の背後に隠れている 真理や超越的なものを認識することができる心の 状態ではなく、目の前にいるあなたと私の、ある いは彼、彼女と私の関係の在り様と同じ地平にあ る、神と私との関係の一つのあり方の表明なので す。 これに対して、一見するとヘブル書は信仰 の問題を抽象的な議論に引きずり込もうとするわ けですが、よく読むと実はそうでもない。「信仰 とは望まれている事柄を確信し、見えない事実を 確認すること」だという文は、ギリシャ哲学的な 様相をとっているけれども、実はこれはギリシャ 哲学風な「論証」不可能だといっているのに等し い。ヘブル書の著者は、これを創世記のアベルと カインの逸話から、エノク、ノア、アブラハム、 イサク、ヤコブ、ヨハネ、モーセ・・・とそれぞ れがどのような事態の中で神を信頼し歩んだがと いうことを「信仰によって」(ピステイ)という 一語をそれぞれの人物と神の関係を述べる頭にか かげて、えがいていくのです。 例えば、「信仰 によって、アブラハムは、自分が財産として受け 継ぐことになる土地に出て行くように召し出され ると、これに服従し、行き先も知らずに出発した のです」というように。 旅立とうとするアブラ ハムの前にこれからなにが起こるかということが 隠されています。今の現実から想定するわけには いかない将来の事柄を、「信仰によって」アブラ ハムは〈確信ーヒュポスターシス〉するわけです。 それは今の現実の背後に隠れている〈本質ーヒュ ポスターシス〉を掘り当てることではありません。 アブラハムの前に隠されていることは、彼が神と の関係において神を信頼し、実際に旅へと踏みだ し、こうしてかつて見えていなかった事実を確証 することになるというのです。 「信仰にあって」 は、だれもあらかじめ何事か優位に立てるような ものはない、みんなスタートラインに立つときな にも持っていないことになります。隠されている ものを探し出す能力や、そのための地図や羅針盤 もない方がいい。探し求めている間に、なにやか やと途中で会得し蓄積できていると思っている豊 富な経験も捨てた方がよいかも知れない。「信仰 にあって」〈ーに踏み出す〉という在り様は、む ずかしく考えることはないでしょう。そのように 踏み出せば、迎えてくれる他者との関係で、そこ で新しい関係が生まれ、新しい経験が与えられ、 なにも心配はいらないよということなのでしょう。
10月11日の説教からルカ福音書9章51−5 6節 「エルサレムとサマリヤと」 久保田文貞 共観福音書によれば、おもにガリラヤで活動し ていたイエスは弟子たちを連れてエルサレムに向 け旅立ちました。この旅立ちを印象的に書いてい るのがルカです。「イエスが天に上げられる日が 近づいたので、エルサレムへ行こうと決意して、 その方へ顔をむけ」(口語訳)たと。そしてルカ だけがサマリヤを通っていったと書いています。 しかし、そこで過越祭にエルサレムに向かうユダ ヤ人と見なされたからだというのだろう、村人は 一行を歓迎しなかったというのです。そこでなに かと目立つゼベダイの子の兄弟が「天から火を降 らせて、彼らを焼き滅ぼしてやったらどうです」 みたいなことを言う。するとイエスが「冗談にも そんなことを言うもんじゃない」と二人を戒めた ということなのでしょう。 とりわけルカ文書 (ルカ福音書と使徒言行録)は、サマリヤとそこ の人々についての記事を書き込んでいます。ルカ が基本的な資料として使ったマルコ福音書と比べ ると歴然としています。マルコではサマリヤの 「サ」の字も出てきません。マタイも異邦人と同 格にして一回切り(10章5)。このマタイの扱 い方に出てしまっているように、サマリヤ人はユ ダヤ人から忌み嫌われているのです。歴史的には 明確なことは分からないのですが、前3世紀頃、 エルサレムを中央としてきたユダヤ教主流派に対 抗して、父祖ヤコブのゆかりの地シケムのそばの ゲリジム山を聖所とし、独自のモーセ五書(トー ラー)を抱いたグループとして出現しています。 ことに前108年、マカベア一族がシリア(セレ イコス朝)の支配に反抗してゲリラ闘争をしてい きますが、その後裔のハスモン家がついに王=大 祭司となり、例外的にあのパレスチナの地にユダ ヤ教神政国家が短期間ですが誕生しました。その 時の大祭司=王ヒルカノス1世が分離派のサマリ ヤ教団を粛清しようとしたのです。不利な立場に おかれたサマリヤ人達はエジプト(プトレマイオ ス朝)勢力やシリヤ勢力に援助を求めようとした が、それを察したヒルカノスはサマリヤを攻撃し、 ゲリジム聖所を破壊したのです。エルサレム・ユ ダヤ教とサマリヤ教団とは決定的に仲違いします。 この教団の伝承によれば、サマリヤという名称 は、「守る」からでた語「守る者」という意味だ と言います。それをエルサレム・ユダヤ教側が、 悪名高きアハブ王や后イゼベルを出したオムリ王 朝の首都サマリヤとダブらせているにすぎないと いうわけです。ことにバビロン捕囚以後、エルサ レムに帰還しそこに神殿を再建したユダヤ教は、 民族の純血イデオロギーを高揚させるために、か つてアッシリヤに滅ばされ混血と異教混淆にまみ れ操を失った北王国とその首都サマリヤの人々を 踏み台にしたのです。もちろん、これと後のサマ リヤ教団とを実線でつなげることはできないでしょ う。 問題は、そのエルサレム・ユダヤ教のサマ リヤ人に対する差別意識を前提にして、イエス死 後のキリスト教とくにルカ文書がサマリヤ人伝道 を特化しているのではないかという点です。悪く すると、サマリヤ人を出汁にして、ユダヤ人をこ けにするということになりかねない。いや、現在 でも「サマリヤ人ー」などという名のついた慈善 的な事業が数多あるのです。当のサマリヤ人がど う思われるかはなはだ疑問です。 現在イスラエ ルの「西岸地区」ゲリジム山近傍にサマリヤ教団 の人々が720人ほどいるそうです。100年ほ ど前には何十万人のサマリヤ教徒が存在していた が、迫害や戦禍によって激減したそうです
10月4日の説教から テサロニケ後書3章6−13節「働くことと喰う こと」 久保田文貞 パウロはテサロニケ教会の人々へ「人もし働く こと欲せずば食すべからず」と命じていたと言う。 この言葉はレーニンがロシア革命時たびたび使っ てフレーズで、後にスターリン憲法第12条「ソ 連邦において労働とは、”働かざる者、食うべか らず”の原則のもと、働きうるすべてのソヴィエ ト市民の誇りであり、また義務である。」(その 後削除)の中に残った。ひとにぎりの貴族・僧侶・ 土地所有者・資本家たちの搾取を廃し、プロレタ リアート(労働者・農民・兵士)独裁を実現しよ うとした共産主義革命において、「働かざる者、 食うべからず」というフレーズは貴族・ブルジョ ワジーに対して言われたものであり、そのかぎり 自然なものだ。しかし、これが原則として逆に人 民を縛り始めると途端におかしくなる。いろいろ な理由で働けない人が必ず出てくるから。 レー ニンがパウロの言葉を借用としているというのが 通念だが、パウロの場合もこれを原則とするとお かしくなるのは同じだ。もっとも、近代の聖書学 はテサロニケ後書を、パウロの名を借りた偽書と して扱う場合が多いが、えてして、パウロがこん な不細工な発言をするはずがないとしてパウロの 言葉から外してしまう。しかし、明確な反対理由 がないかぎり、パウロのものとして読む方がよい だろう。 テサロニケ第二の手紙は、第一の手紙 で述べた「主の日」(キリストの再臨と最後的な 審判)が間近であること、それに対する心がけの すすめによって引き起こされた問題に対する追伸 として位置づけることができる。第一の手紙の反 応として「主の日は既に来てしまった」(2章2) と言う人がいて、「動揺して分別を無くしたり、 慌てふためいたり」した人々がいた。そこでパウ ロは、「主の日」が来る前には「反逆が起こり、 不法の者、つまり滅びの子が出現しなければなら ない」といい、まだそれらの者たちを「抑えてい る者」がいて「主の日」は来ていないと言う。現 代の私たちにはくだらない議論だと感じるが、彼 らは真剣なのだ。不法の者の到来を抑えているつっ かえ棒がまだ外されていない。「主の日」はその 後の話であるというわけだ。それにしても、パウ ロが実際どう思っているか知らないが、いつつっ かえ棒が外されるか分からないのに、いたって冷 静だ。 もしかしたらもう「主の日」は来てしまっ た。この新しい世においては、もはやあくせく働 く意味などない、「やめた、やめた」と言う人々 が現れたのかも知れない。「怠惰な生活をし、少 しも働かず、余計なことをしている者がいる」、 「自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕 事をしなさい」と言う。「主の日」の到来が抑え られていると認識できているからか、とにかく冷 静で常識的である。この常識を備えていることで、 きっとパウロは讃えられこそする非難されること はないだろう。 けれども、イエスが神の国の福 音を罪人とされた民衆たちに語り始めたとき、実 は「主の日」到来のスイッチは入っていたのであ る。イエスが棒っ杭に吊され殺され、そのイエス を神が死人のうちから挙げたと信じる者があらわ れて、第二のスイッチも入っている。新しい「世」 がすでに始まっている。その中でそれまで押さえ つけられ、数えられなかった人がむしろ数えられ、 解放されつつあると言ってきたのではないか。喜 びのあまり勤めを休んで、いっぱい休暇を取って、 はじけたからと言って、「怠惰」だと非難し、 「冷静に働け」ということで話しを締めるという ので良いのだろうかと思う。ある種の熱狂にブレー キをかけるパウロを評価したがる人が多いが、入っ たスイッチを再び切ることになるのではまずいと 思う。
9月27日の礼拝説教から 出エジプト記6章 「祭司とか僧侶とか」 久保田文貞 モーセ物語が、5章以後はげしくモーセの兄弟ア ロンの記事が増え、アロンが割り込んでくる。こ うなったのは、モーセ5書の素材になっているい くつかの資料を編み直した或る祭司集団の編集者 が自分たちの見解を大胆に介入させていった結果 だ。このような編集作業が始まったのは、南王国 ユダが新バビロニア帝国に完全に滅ぼされ、国の 主だった人々がバビロニアに強制移住され収容さ れた(バビロニア捕囚という)後のことだ。捕囚 の地で神殿業務を無くし一般の人々と同列に立っ て生活せざるをえなくなった祭司たちは、神と民 の間を執り成すという原点に戻ろうとしたのかも 知れない。彼らは亡国の歴史を、持ちだした資料 や伝承に基づいて、総括しなくてはならないとも 思ったろう。もちろん彼らの間に考え方の違う祭 司集団があり、その総括に影響を与えたにちがい ない。一つはアロン系とザドク系のながれ。ザド ク系祭司の起源は、ダビデ王国が諸民族を支配す るための融和策の一環として、エブス人の都市国 家エルサレムを攻略した後、そこを王国の拠点と したダビデが旧エルサレム神殿の祭司たちを取り 込んだことにある。捕囚時代のアロン系を自負す る祭司集団にとってはザドク系の祭司を亜流とす る意識が働いていたかも知れない。 ただ、古い 資料に出てくる祭司は、基本的に一種の技能集団 で、異界の「神」と人事を取り結ぶ境界の仕事を 専門とした人々というべきものだ。例えば、モー セ物語でモーセがミディアン人のキャンプに亡命 したとき、彼の舅になったエテロは祭司なのであ り、その舅からモーセは、おそらく舅の「神の杖」 を受け継ぎ(4章18)、エテロは祭司として当 然のようにイスラエルを祝福する(18章1以 下)。職能集団として祭司は、別の神と民の間に 入って祭司としての仕事ができるということだ。 アロン系の祭司は明らかにこのような寛容さ或 いはいい加減さを嫌い、ヤハウェ宗教に純粋に仕 えてきた祭司の血統を重んじようとした。6章1 4−27の系図もそのあらわれだ。また7章1− 2節「主はモーセに言われた。『見よ、わたしは、 あなたをファラオに対しては神の代わりとし、あ なたの兄アロンはあなたの預言者となる。わたし が命じるすべてのことをあなたが語れば、あなた の兄アロンが、イスラエルの人々を国から去らせ るよう、ファラオに語るであろう。』」もそうで ある。ここではアロンは、モーセの3才上の兄と されている。 6章は、いわゆるP資料のモーセ 召命の記事である。直接には同じくP資料である 2章25節以下にこの部分がつながるのだが、こ ういうと話しがすごくややこしくなる。つまり祭 司編集者が、P(祭司)資料をその他の資料、J資 料やE 資料とならべて編集していることになるか ら。実はP資料自体も捕囚時代かその後のもの、祭 司的編集者の編集も捕囚時代かその後のもの。双 方に共通するのはどちらもアロン系を優位に立た せていることだ。すべては仮説の話しだが。 祭 司の派閥のことなどどうでもいいと言われそうだ が、モーセ物語の裏に人間くさいドラマのかずか ずがいつもついて回ることを知っておきたい。い つもそういう想像力が必要だと思わないが、純粋 にそれらの物語に自分を沈めてみるとともに、そ こから自分を取り出して物語を想像力を働かせて 冷厳に見ることも必要なのだろう。
《説教ノート》 9月20日の礼拝説教から伝道 の書3章「生命の誕生と変化に関する考察」 加納尚美 伝道の書は、小さく凝り固まっている木の葉の ような自分を大空に舞い上がらせてくる哲学書の ようであり、折にふれて開く。最近読んだ最も面 白かった本に「宇宙創成:上下」(サイモン・シ ン著、新潮社 2009)があり、久々に伝道所の書 を思い出すことになった。この本は、宇宙はいつ、 どのように始まったのか?という人類の問を神話 時代か辿り、生涯をかけた自然現象の観察、計算、 思考を繰り返してきた有名無名の科学者たちの挑 戦と挫折が生き生きと描かれている。そして、こ の世界には始まりと終わりがあるとするビッグ・ バンモデルを打ちたて、検証されるに至る科学史 を読者は追うことができる。とはいえ、私達が知 りえているのは大海の浜辺の砂粒にすぎない。 私の51回目の誕生に、年老いた父親が「お前が生 まれた時はこんなだった」と言っても私はちっと も覚えてはいない。今ある自分はあたかもずっと いるようでいながらそうではない不思議さ。また、 私の胎内で育ち生まれてきた子どもの同じ思いを 抱くに違いない。たった1個の受精卵が細胞分裂を 短期間に繰り返し、60兆個の細胞を有する人にな るドラマを私達はみな経験しているのである。同 時に、細胞と個体の死をまた経験することになる。 今私達を構成している物質のすべてはビッグバン により生成された物資ということであり、壮大な 宇宙史の中でのかけがえのない一人一人であると いう。「皆チリから出て皆チリに帰る(3:20)」 さて、SFではないが、地球外知的生命の存在する 可能性は案外高いというのが科学者たちは見積もっ ている。だが未だにサインは得られていない。そ こで、もし文明が一旦発生したら長くは続かない のではないか?という推測されている。人類は20 世紀に科学技術の進歩を急速に進め2回の世界大戦 を行い、原爆まで製造し大虐殺に使った。その後 も核開発を進めている。21世紀に生きる私達のあ り様がかけがえのない生命を育んだ地球の行く末 を左右する。それゆえ、今という時を愛しもう。 「人はその働きによって楽しみにこした事はない (3:22)」
9月13日の礼拝説教から マタイ福音書18章10−20節 「迷い出た羊」について 久保田文貞 この譬え話の資料として、現在マタイ、ルカ、 トマスの三つの福音書がある。遡れば、まずマタ イとルカに共通するものが、底本となったQ資料 に含まれていたことは確かだろうが、それ以上の ことは確定できない。さらに、イエスがこの譬え を語ったとして、その原型がなにか、推測の域を 出ない。 まずルカについて、ここでは「いなく なった羊」は、見つけたら家に帰し、友人や隣人 と一緒に喜ぶといい、「それと同じように、罪人 がひとりでも悔い改めるなら、悔い改めを必要と しない99人の正しい人のためにもまさる大きい 喜びが天にあるであろう」という。つまり、「い なくなった羊」は基本的に罪を犯した者、道を踏 み外した者であって、あくまで悔い改めることが 条件になっていて復帰する。ルカ福音書では、罪 人の元に歩みよるイエスを描きはするが、たいて いがその罪人に悔い改めを要求する。 マタイに ついて、この譬えの枠組(10、14節)で、「これ らの小さい者のひとり」へ配慮するように戒めら れている。誰が読んでも「迷い出た羊」は、「こ れらの小さい者のひとり」のことである。羊飼い は、99匹を山に放置してまでも、「これらの小さ い者のひとり」を見つけようとして必死に捜すと いう。この福音書全体を通して、「これらの小さ い者のひとり」は、キー・ワードになっている。 (ことにイエスがエルサレムに入ってから(21章 以後)多くの説話を残したことになっているが、 その最後の譬え(25章31以下)の40節を見よ。) マタイの設定した枠組とその物語の印象が強 烈なので、福音書を読み、または聞く者にとって、 まずはかつて「迷い出ていた」自分自身が「これ らの小さい者のひとり」としてキリストから見出 されたことに思い当たる。そして、次には自分も また「迷い出た」「これらの小さい者のひとり」 を見つけ出すお手伝いをすべきだとなる。これは ある意味で限りなく倫理的なのだが、「この世」 的には限りなく先行きの暗い生き方を指し示すこ とになる。どう言い繕っても、99匹の羊の側が 大勢であり、多数派であり、力を持っている側で ある。「迷い出る」とはそこから「迷い出る」と いうことであり、何らかの形でアウトサイダーに 踏み外したことを意味する。99匹を残してとい うが、残された99匹は自分たちだけで十分生き 抜く力を持っているように見える。このようなマ タイに共鳴するのはかなり屈折した自分というこ とになる。 譬え話の原型は確定できないと言っ たが、あえて試みれば、〈ある人が100匹の羊 を持っていた。その1匹がいなくなった。99匹 を残しておいて、捜しに出かけないだろうか。そ して見つけたら大喜びをするだろう〉となる。 一般に言葉の解釈には、それがどのような場面で だれに向かって語られたかが決定的な要素になる けれども、この譬えの場合、そこにあまりたいし た意味はない。この譬えを語る者とそれを聞く者 (たち)同士の間になりたっている人間関係、例 えば教会のようなものが、この譬えを真摯に受け とめると、かならずそれは裏切られ、崩れていく だろうから。 その裏切られ方の好例はルカの解 釈に顕著に見られる。「いなくなった羊」=罪人 が悔い改めるというのでは、もとの百匹に戻るだ けで、ルカには100匹の羊の根本的な状況が少 しも読めていない。問題はそこから「いなくなる 羊」なのであり、神の恵み(神の国)はそのいな くなった羊に惜しげもなく注がれている、そのよ うな出来事が起こっているということのはずだ。 「残された羊」は、神の恵みから放置され、捨て られたのだ。「残された羊」とは「いなくなって」 捜し出され、悔い改める羊が復帰する場所ではな い。
9月6日の礼拝説教から ルカ福音書10章30−36節 「良きサマリヤ人」について 久保田文貞 このたとえ話は、29節の「わたしの隣り人と はだれのことですか」という問いにまず応え、3 5節で物語が終わってから、「この三人のうち、 だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思う か」と、質問者が逆に問われ、物語を枠づけた 「小さな縁取り」をもっている。この外側に、さ らに大きな額が全体を囲っている。そこでは律法 専門家がイエスの律法解釈の力量を試そうとして 質問するのだが、逆に質問者がイエスによって 「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読 むか」と問われる。ただし、両者のの質疑の内容 はいたって陳腐なものだ。「心をつくし、精神を つくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあ なたの神を愛せよ」という申命記の言葉は普通の ユダヤ人なら毎日念仏のように称えているもので あり、「自分を愛するように、あなたの隣り人を 愛せよ」(レビ記18、19)については、自分 の仲間と仲良くせよというのだから、同語反復的 な自同律の域を超えない。これに対するイエスの 答えも、「あなたの答は正しい。そのとおり行い なさい。そうすれば、いのちが得られる」という 一見陳腐なものだ。ただ、これらの言葉の中に、 見のがしてしまいそうなことがある。それは、 〈神を愛する〉と、〈隣人を愛する〉とが、並記 されていることだ。ことに原語では、直訳調にす れば、「心をつくし・・主なるあなたの神を、ま た、自分を愛するように、あなたの隣り人を、愛 せよ」となる。つまり人と人の水平な関係性と、 神と人との垂直な関係性が、ここでは対等に、あ るいは同等に置かれている。まるで、人と人との 関係に、神と人との関係をそのまま映し出せるか のように。とすれば、隣り人とはだれかという問 いは、神とはだれかという問いに匹敵し、いやあ ちらの問いなしに、こちらの問いも成り立たない ほどに、二つは関わりあうことになる。としても、 人と人との関係を「隣り人」との関係に絞り込ん でしまうことに問題はないか。物語はこの問題に 挑んでいるように思う。 物語の舞台となる場所 は、エルサレムとエリコの間の街道筋である。ど ちらの都市も城壁によって内部が防御されている。 「隣り人(プレーシオン)」とは、寄り集まって 住むことができる所ではじめて意味をなし、壁に よって防御された内部の人同士、あるいはなんら かの共同性を前提している。つまり生活圏の外部 では、隣り人の関係を成り立たせる諸前提はオフ になる。圏外においては、ユダヤ人もサマリヤ人 も、祭司とかレビ人などの地位も、解除される。 ちなみに街道沿いの「宿屋」も圏外である。誤解 を恐れず言えば、襲った強盗も圏外だからこその 存在である。 その点で、襲われた者が(当然の ようにユダヤ人と解釈されてきたが、物語には 「ある人」としか書いてない)ユダヤ人とされ、 そこを通りかかった神殿祭司や、下級神殿労働者 (レビ)に、ユダヤ人同胞としての互助義務を期 待するにしても、そこではまず自身のユダヤ人性、 ユダヤ人としての権利、地位もオフになってこと を思い知らなければならない。圏外では、圏内で 通用した着衣の形式も色も、その意味が解除され た状態になっている。圏外では、人は「裸の生」 を生きるように促されているのだ。「隣り人」と いう言葉にわずかに残っている最小の意味、「す ぐ近くにいる人」が圏外においてそのままの意味 を担うのみである。 だから圏外では、「良きサ マリヤ人」の「良き」はほとんど意味をなさない。 「サマリヤ人」も「祭司」も「レビ人」も一度み な漂白されてあるよりない。少なくとも、ルカ福 音書の時代(90年頃)、ユダヤ人の圏内として のエルサレムもエリコも、ユダヤ戦争(66−7 0)後、エルサレムでは現実的に城壁はこわされ 街は破壊され廃墟となり、エリコもローマ軍の前 に開城を余儀なくされた。それらの内部は外に向 かって放り出されることになる。物語は、寓話の ような趣を取りながら、「隣り人」という概念を 攪乱し、地位や名前や名誉が好きな人をかえって 不安に陥れる。
8月30日の礼拝説教から ヨハネ福音書5章1−5節 「表現するということ」 松浦和子 先週の大田ほたかさんのはなし、発言、異議申 し立ては、今日の私のテーマ「表現するというこ と」につながる。自分の胸の中を、一人の事柄に 留めないで、外に向かって発信する。発せられた 言葉は相手に投げかけられて、問題が明らかになっ ていく。また、根深い偏見のこと、差別のこと、 障害者の置かれている現実のこと、不断は隠され ていることに光が当てられて、思考を迫られる。 近年、統合失調症の人たちが、自分の言葉で、 人前ではなす試みがなされている。 先日は、2 人の青年の体験談を聞いた。発症当時の苦しかっ たこと、長い入院生活、日々の生きづらさ、・・ 不器用に語るその体験に、胸を突かれながら、な ぜか心が温もっていった。そして常識的な価値観 をひっくり返されもした。 北海道の「べてるの家」では、年に数度、妄想大 会が開かれるという。幻聴のことを幻聴さんと呼 んで、自分の弱さを言葉にする。弱さを隠さない。 弱さの情報公開ともいうのだそうだ。自分をある がままに語ることによって、妄想はなくならない けれど、語った本人が少し楽になっていく。元気 になっていく。 表現すること自体が内包している豊潤さだろう。 赤ちゃんは、生まれたときから泣いたりむずかっ たり笑ったり、周囲に向けて全身こめて自分をア ピールする。人間は存在そのものが表現体なのだ。 表現しないでは生きていけない存在なのだ。そし て、他者と結んでいく。成長とともに表現の技法 は、演ずることであったり、奏でることであった り、あらゆる芸術に結実していくが、私たちのさ りげない日常行動(料理したり、そうじした り・・)だって、今日を生きているわたしの表現、 と言っていい。 今日の聖書は、ベトサイダの池 のほとりでのこと。ベトサイダの池のまわりには 5つの回廊があって、そのまわりに大勢の病人た ちが群がっていた。そこに横たわっていた38年 も苦しんでいる人にむかって、「治りたいか」と イエスは問われた。 その人は、堰を切ったよう に、窮状を訴えた。イエスはその切実な訴え(表 現)をまっすぐ受けとめて、即座に「床を担いで 歩きなさい」と言われた。ーその日は安息日であっ たと聖書は続く。 古代イスラエルにおいて、安 息日に人をいやすことは十戒で固く禁じられてい る大罪であった。が、イエスは直感的に人間の回 復を優先された。 安息日であろうと、私たちが 表現することを押しとどめないイエス。捕らわれ ているいくつもの縛りから解放してくださるイエ ス。表現することは恵みのわざなのだ。つぶやき であれ、勇気のいる発言であれ、このイエスが味 方をしてくださる。
8月23日の礼拝説教から 詩篇6篇1−5節 「主よ、いつまでなのでしょうか」 大田ほたか アエラという朝日新聞社の発行している雑誌に、 その記事は載っていた。 3月30日号に、「抗 うつ剤で妻を殺害」という「スクープ」という見 出しの付けられたセンセーショナルな記事である。 ページをめくってみると、パキシルやルボックス などの抗うつ剤を服用している精神障害者たちが、 次々と暴力行為、他人に暴力をふるったり、クル マを傷つけたり、あげくの果ては、妻を殺害して しまったり。また、その例がたくさん載っていて、 30代男、疑わしい、とか20代女、関連性あり とか、そういった例がまとめられていて、まるで 精神障害者はモルモット、実験動物のような、そ して犯罪者扱いだ。せめて、男性、女性という書 き方をしてほしかった。 最初は気がひけたが、 夫に話を打ち明けると、彼はアエラに対して抗議 文を書いて、それを朝日新聞に持ち込んだ。する とアエラの編集局から実際に会ってお話を聞きた い、と返事がきた。抗議文にたいしては、「我々 は精神障害者を差別しているわけではなく、ただ、 薬の副作用が攻撃性をもたらすということを知っ てほしかったのであって、それを、医師、看護師、 患者、家族の人たち、などに、伝えたかっただけ だ」という返答がきた。 けれど何か、悶々とし たものがこころの中に沈殿していった。私の心の 中で何かが渦巻いていて、この記事をこうして世 間に流れさせては絶対いけない、と感じたからで ある。けっきょく夫に背中を押されて、思ってい ることを全部ぶちかまして来なよ、という言葉で 決心がつき、アエラの編集長に会った。私が伝え たかったのは、こんな記事の書き方では、精神障 害者はこわい、ああいうひととつきあうのはやめ よう、とか、こんな薬をのんでいるやつとはつき 合えない、とか、おそろしい薬をのんでいる、す ぐさまアパートから出て行ってもらおう。と、読 者は編集者の側の意図とはまったく違った方向へ 差別の一歩を踏み出すでしょう。ということ。 編集長さんは、それについては納得してくれて、 伝わっていなかったということに関しては認めて、 謝罪の言葉が聞けた。もう一つ私の伝えたかった のは、精神病者は実験動物ではない、ということ。 いろんな例を持ち出して並べ立てても、障害者は 不愉快な思いをするだけだと伝えた。マスコミは 新聞や雑誌に、こういう症状が何例、こういう症 状が何例とこぞってデータを記しているが、同じ 思いをしている人は何人いることだろう。本当に 不愉快だ。 私はお願いしてみた。精神病は他の 病気とは違っている、社会病という一面も持って いる。だから、話題にするならもっとデリケート になって欲しい、こういう問題についてはどうか もっとデリカシーを持ってほしい。ということ。 あの記事を読んだ人たちはどうしているのだろ う。多分不愉快と不安にかられながら、じっと耐 えているのだろうか。いつになったら精神障害者 への偏見、差別はなくなるのだろう。いつになっ たら私たちは大手を振って街を歩けるのだろう。 記事の中で、精神障害者は、あきらかに犯罪者扱 いされてる。このごろのマスコミのありかたが、 あらゆるところで精神障害者が犯罪をおこすとか おこしたとか、精神障害者はこわい、何をするか わからない、こわい人たち、こういう人たちが世 間にいるとは恐ろしい、いっそ閉じ込めてしまえ、 という考えの人たちをますます増やしていく。こ の記事は、あきらかに、編集者が知ってか知らず か、まさに保安処分の問題につながる。
先週(23日)は「平和を考える礼拝」であり 《説教ノート》はありません。 ー「平和を考える」によせてー 久保田文貞 1 日本国憲法前文の言葉を借りれば、〈平和〉 とは「政府の行為によつて」「戦争の惨禍が起ら ない」状態、つまり国家間で戦争がない状態と定 義ができます。これは、「戦争していなければ平 和なのか」とすぐに反論したくなるような、あま りおもしろくない定義ですけど、本質的にいつで も転げ落ちかねない悪魔的な国家に、戦争をさせ ない状態を維持するということはものすごいこと だであり、そういう意味では極めて現実的な定義 だと思います。 2 ヨーロッパ史で中世以来、17世紀の宗教戦争 の時まで、戦争を正しい戦争と誤った戦争にふる い分けたといいます。神=教会が良しとする戦争 と、そうでない戦争、当然神が良しとする側の戦 争は聖戦であり、敵は殺さなければならず、その 勝利は神のみこころに適うことでありました。そ こでは〈中立〉ということはなかった。けれども 宗教戦争は敵・味方ともに神の名による戦争であ り、キリスト教徒同士の戦争でした。そのため、 このような戦争の判定に神・教会という判断基準 を使えなくなったのです。戦争は主権を主張する 国家間の問題決着の手段となりました。国家は戦 争をする権利(交戦権)をもっていると承認しあ うわけです。ことにナポレオン戦争以後、戦争は 国家間の全面戦争になっていく。それまでのよう な傭兵同士の制限戦争(もちろん傭兵たちが一般 民衆に傍若無人の暴挙をはたらいたのは確かです が)ではなく、ナショナリズムが高揚され、国民 皆兵という無差別的な近代戦になっていきます。 さらに武器の発達が進み戦禍はすさまじいものに なりました。そんな中で、国際間の戦争のルール 作りがなされました。有名なのが1907年のハー グ条約です。国家が戦争を起こすときは、まず宣 戦布告をしてから攻撃するとか、兵隊は軍服を着、 軍服を着ていない者を殺してはならないとか、捕 虜を保護するとか。 ただし、軍服を着ていない一 般人を装った戦闘員(ゲリラ)は条約の規定外、 つまり裁判なしに銃殺される。結局、一般民衆が 殺されても彼/彼女がゲリラだったと言われれば それまでだったのです。とにかくこのようなルー ルを決めて、それからは国際間で次々と同盟関係 が結ばれ、軍事力の均衡が図られて平和を維持す るというのが基本的な理念でした。この力の均衡 を嫌えばスイスのように中立を宣言することがで きたのです。けれどもその後起こった二つの大戦 では同盟が戦争を抑止するはずだったのが、いざ 戦争が起こると逆にドミノ的に戦争を拡大させる ことになりました。その反省として国際連盟、国 際連合がそれぞれ大戦後に作られました。そこに 共通する理念は、世界中の国家がこれに加盟し各 国間で牽制しあい、その結果として平和状態を作 ろうという〈集団的安全保障〉の考え方です。で すから現在の国連の考え方は各国が武力を持つこ とを前提にするものです。これは中立を許さない システムです。 3 とすれば、日本国憲法の平和主義は、一見し て国連の集団的安全保障の考え方と根本的な所で 齟齬があります。日本国憲法は戦争と武力行使を 放棄しているだけでなく(9条1項)、軍隊イコー ル戦力を持たず国家の交戦権をもたない(同2項) というからです。紛争が起こっても「正義と秩序 を基調とする国際平和を誠実に希求し」あくまで 話し合い(外交交渉)で解決しようというのです。 国連の考え方よりも二歩も三歩も進んでいます。 政治的にはあまりに理想的に思われがちですが、 決してそうではない、国際社会に対してまがりな りにも、この希有のスタンスをこれまで取りえて きたことをもっと評価すべきでしょう。 4 ところが自民に代わって政権をとらんとする 民主党のかなりの部分に、日本国憲法のこの精神 を捨て去り、安易に国連の集団的安全保障をよし とする傾向が見られます。かれらが変にやる気に なっているだけにいっそうの危険を感じます。 (去る7月19日の「活かせ9条松戸ネット」の学習 会でお呼びした横田耕一さんの講演で学んだこと がこの文章の下地になっています。)
8月9日の礼拝説教から コリント第二 2章5ー11節 「赦して、力づける」 関 秀房 パウロとコリントスの教会の人々との間に紛争 が生じた。パウロがキリスト教倫理の問題につい て偏狭で因習的な個人的嗜好(ユダヤ人的)を押 し付けるものだから反発した。パウロは多少譲歩 しつつ、結局は自説を強引に主張する。信者になっ たら結婚するな、偶像礼拝者とつきあうな、異教 の神殿の犠牲の獣の肉を食うな、女は外出すると き髪の毛を布で覆いなさい、等々。そして二つの 事が問題になった。 1.パウロが自分の言うこ とはキリストの命 令だというが、本当にそうか という疑問。 2.エルサレム教会のために多額 の募金を集 めることを強制しようとした。パウ ロというのはなんと思い上がり、威張りくさった、 嫌味な人物であることか。 他方人類の宗教思想 の歴史に残した足跡は非常に大きい。自分の行為 によってではなく、神からの恵みによって救われ る。信仰義認。(田川建三の私なりの要約)田川 の批判は今だから言えることで、私は2000年前の 人物パウロが、ユダヤ教の一派であり、まもなく 神の国が到来すると信じていた状況では、やむを えないと考える。 今日の題に即して、いくつか の話をする。 神戸の少年Aを家庭裁判所で見てき た裁判官の弁護士の話。少年院に送った6000人の 子どもたちのうち端にも棒にもかからないと思っ た少年は一人だけ。あとは更正できている。現在 の厳罰化の中で、この証言はインパクトがある。 永山則夫さんの弁護人は高裁のとき四人の被害 者遺族に会いに行き、一家族を除いて会えるよう になり、初めは永山と呼び捨てにしていたが「さ ん」がつくようになり、いい関係が出来て、無期 を獲得した。しかし検察は、その被害者家族にあ なたたちは極刑を望むと言う調書を作っている、 その気持ちを変えては被害者は浮かばれないと、 ゆり戻しに成功する。結局死刑を確定させた。検 察権力は自分たちの面子が大事で、人の気持ちな どどうにでも出来ると考えている。 ブッシュ前 大統領の場合。テキサス州知事時代、一番多くの 死刑を執行する。多分無実の人もいただろう、何 よりこんなに多くの犯罪を発生させたのは政治の 責任である。証拠をでっち上げてまでして、多く の市民を殺害しても「正義」のイラク戦争を行う。 彼もクリスチャンだと言う。 わが国の森法務大 臣。就任一ヶ月で記録を精査したといい、無実の 久間さんを執行する。そしてその大きな疑惑を葬 り去るためか、解散の決まった後、3回目の執行を 命令した。韓国の高貞元(コ・ジョンウォン)さ んの話。2003年10月9日母親、妻、長男を殺害され る。犯人を殺したいと憎み、事件を食い止められ なかった自分を責め、自殺をも考えていた。聖書 を何回も筆写し、どうせ死ぬなら犯人を赦してか ら死のうと思ったら、自分も救われた。私も同じ ようなことが出来るかどうか疑問だが、真実だと 思う。 パウロの考え。人間が救われるのは、た だ神による恵みだけである。人間が人の命を奪う ことが出来ると思うのは、大きな間違いである。 人間は一部の罪を罰することは出来ても、全人格、 全行動を罰することは出来ない。何も知らないし、 力もない。ただ恵みによって赦すことが出来る。
8月2日の礼拝説教から イザヤ書2章1から5節 「脱走兵を歌う」 飯田静世 PTSD(心的外傷後ストレス障害)は最近(19 80年)になって、アメリカ精神学会が明確に定 義したひとつの病態である。PTSDについて認識し ている医師も国によってかたよりがある。人は愛 し、痛みを感じ、恐れ、怒り、そしてトラウマ (心的外傷)に反応する。科学技術がどんなに発 達していても、こと精神生活の問題となると、昔 より洗練されたと言えない。歴史がめぐり、文明 が進み、あるいは衰退しても、人間の感情の本質 は変わらない。PTSDは年令、性、信仰、国籍、地 位、教育程度、貧富の差を問わず襲いかかる。誰 がPTSDになるかを今の段階で推測することはでき ないが、トラウマとなる自己に巻き込まれた人の 30から60パーセントがなる。 PTSDは、トラ ウマを受けたその後にかなり遅れて発症すること が多いため、病人が過去をふり返り、トラブルの 原因になった出来事を的確に指摘することができ ないケースが多い。 戦場は、肉体的にも精神的 にもつねに高いリスクと共存している場である。 闘いの恐怖は、戦争が終わったといっても、簡単 に消え去らない。兵士でも一般人でも、いったん 戦争に巻き込まれた人は、生涯にわたって戦争の 影響を受け、その家族も人間関係の破綻に追い込 まれる。ベトナム帰還兵の既婚者のうちの38パー セントもの夫婦が破局を迎えている。 多くの人々 が、戦争が終わってりつ然とその姿を現すPTSDを めぐっていつまでも苦しみを受けるであろう。い つの時代でも、どこの戦争でも、そこに記録され た戦争犠牲者よりも、もっと多くの犠牲者がいる のだ。 遙かな昔、兵士たちの人権は認められず、 戦いの結果、兵士に心理的ストレスに苦しんでい るような兆候が見られようものなら、仮病を使っ ているのか、臆病風に吹かれている、あるいは反 逆者だと見なされ、ひどい懲罰を受け、処刑され た。 第一次世界大戦中の英国の処刑者数は19 14年が4名、1918年が46名であったが、 極端な不安の兆候を示した者や、自己コントロー ルができなくなった者は、やはり犯罪者として処 理されたことが判明する。 第二次世界大戦まで には、戦争による心理的疾患として認識されるよ うになり、兵士を処刑することはなくなった。こ の大戦の終わりまでに50万人のアメリカ兵が戦 争ショックのため退役した。国立ベトナム帰還兵 再適応援助機関の調査によれば、ベトナムに兵役 に行ったアメリカ人314万人のうち47万人が PTSDにかかっていると推定される。 イザヤ書2 章4節「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒め られる。彼らは剣を打ち直してすきとし、槍を打 ち直してかまとする。国は国に向かって剣を上げ ず。もはや戦うことを学ばない」という御言葉は、 夢幻ではなくこの世を御国とするための最も現実 的な合理的な主なる神からの戒めであることを、 今心に深く刻みたいと思う。(デビット・マス 「トラウマ・・心の後遺症を治す・・」より) 最後にシャンソン「脱走兵」を歌う。このシャ ンソンは遺骨で帰還した父を嘆き悲しんだ末、夫 と墓に眠っている母と、長い捕虜生活の末、妻を 盗まれた兄をもつ質朴な若者が兵役拒否によって、 生命を絶つ唄である。
7月26日の礼拝説教から ロマ書9章19−28節 「崩壊の時」 久保田文貞 「パウロのすごいところは」なんて書き始めそうになったが、そうするとす べてが分かっているような所に立ってパウロを評価できると思い込んでいる自分 に嫌気がさしてはたと手が止まってしまう。止めるわけにいかないから、自分の 身の丈に合わせて、そしてパウロにもーこれも傲慢なことだがー彼自身の身の丈 まで降り立ってもらってこれを書くことにしよう。 「わたしには深い悲しみがあり、私の心には絶え間ない痛みがあります。わた し自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神 から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。」(ロマ9章2、3) パウロはユダヤ教のエリート教育を受けて自信満々(律法)のエージェントと して活動、(律法)をないがしろにしている「クリスチャン」(ユダヤ教イエス 派)を律法違反のかどで摘発する男だった。その若きパウロが33年頃(「聖書 大辞典」1989「年表」)復活者イエスに会うという体験をし「回心」した。彼が アンティオキア教会のバルナバに見出されて再び歴史に登場するのは14年後の47 年である。彼の「回心」には10数年の年月を要したということか。活動を再開し たパウロは、自身がユダヤ人キリスト者でありながら、もっぱら「異邦人」への 「伝道」を自分の使命とした。 よく言われるように、ユダヤ教徒は、外部の人々(異邦人)に布教して信者を 増やすことを使命としない。「イスラエル」とは神からこの世界への救いのしる しとして「選ばれた民」であって、基本的に外部の人々にとっては、まずユダヤ 教徒になってから神から救われるというコースをとる必要はないのである。 も っともディアスポラのユダヤ人たちの集会や会堂(シナゴグ)に「神を敬う者」 と呼ばれた外部からユダヤ教に関心を持った親派の異邦人が存在するが、理解者 としては歓迎されたものの、ユダヤ人たちが彼らを増やすことを信仰的な課題に したことはない。 パウロの「異邦人」への「伝道」がユダヤ教的にどれだけずれていたかそれだ けでもわかる。しかし、パウロはあくまでユダヤ人として敷かれたレールを走っ ている。つまりユダヤ人が「伝道」してユダヤ人を増やすことには意味がないこ とを知っている。この点でパウロの敵対者としてコリント教会などに現れている 「ユダヤ人キリスト者の巡回説教者」(現象としてはパウロもその一人のように 見られただろう)は、異邦人「改宗者」たちにユダヤ人としての戒律を守るよう に説いて回った。ここには、異邦人はユダヤ人になって始めて救われるのだとい うユダヤ教らしくない「ユダヤ教拡大主義」がある。パウロにとっては、ユダヤ 人を「選民」「しるし」としてもちいながら、世界に書き込まれていた「神の救 いは神の恵み」が、「今や」この世界に現実に降り注ぎ、すべての「異邦人」が 救われていると知らせて回るその一事にあるといってよい。それをあたかもユダ ヤ人たちが自分らの頭ごなしに神の救いがもたらされてしまった、自分たちは袖 にされてしまったと嘆くようなら、それこそユダヤ人の悲劇、思い過ごし、同胞 パウロにとってはやりきれないことだというのだろう。 同じようなことがこちら側で起こっている。「異邦人」「伝道」をキリスト教 の勢力拡大という意味にとるならこの言い回しはほとんど意味をなさない。いや、 イスラエルが排他的な国家として暴力的に存在することと並んでそれは害悪だと いってよい。神の究極の救いは、もはや「究極」などという大げさな言い方を捨 てるべきだろう、すべての人が神の恵みの下にあることを喜ぶ、そういうところ にわたしたちがいるということなのだろう。
7月19日の礼拝説教から マタイ福音書7章15−29節 「結論という失敗」 久保田文貞 5章「(心の)貧しい人々は幸いである。天の 国はその人たちのものである」という劇的な言葉 で始まった「山上の説教」がいよいよ終わりに近 づく。「山上の説教」はほとんどがいわゆるQ資 料(マタイとルカに共通なイエスの語録集)の言 葉を元にしている。ルカと比較してわかることだ が、ここではイエスの個別のことばが並べ直され、 さらにマタイの言葉が付け加えられていることが 分かる。マタイは、マルコ福音書とQ資料をおも な素材とし、〈編集〉作業をして福音書の決定版 を作ろうとしたが、山上の説教はその中のイエス の「教え」集として、ほかの物語断片の編集とは ちがう独特な編集がなされる。冒頭に置かれた祝 福の言葉はここに集められた教えが「天の国」の 事柄を指し示していることを宣言する。 この 「教え」のことばを最初に実際に耳にするのは、 マタイが属している教会の人々である。5章から 7章までの教えを続けて聞くための1クールとし てほどよい長さかも知れない。とすれば、編集さ れたイエス語録にとって終章は突如やってくるの ではない。7章7節「求めよ、そうすれば、与え られるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすで あろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえ るであろう。」を受けるようにして、12節以下 「だから、何事でも人々からしてほしいと望むこ とは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法で あり預言者である。狭い門からはいれ。滅びにい たる門は大きく、その道は広い。そして、そこか らはいって行く者が多い。」へと続くとき、「教 え」の門はそろそろ閉じられていくと感じとられ ないか。入門への門は広く開け放たれているが、 ついに「天の国」へ、命へと至る門は実は狭いと 気づけと言わんばかりである。マタイの教会はす べての人が招かれ、門は開かれている。このよう にイエスの招きに集まった人々がすべて「天の国」 へ入るわけではない。「偽預言者を警戒しなさい。 彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところ に来るが、その内側は貪欲な狼である。」 教会 の中には「偽預言者」も紛れ込んでいる。悪い実 を結ぶことはないが、しかしよい実を結ばない木、 結局それは「悪い木」だというのだが、そのよう な毒にも薬にもならない者が教会の中に混じり込 んでいるといい、そのような木は切り倒されて火 に投げ込まれるという。「わたしに向かって、 『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけ ではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが 入るのである」という。 また「わたしのこれら の言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家 を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があ ふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、 その倒れ方がひどかった」という。 こうしてイ エスの「教え」は〈これまでみなさんはいい気持 ちで聞いてきたかも知れないが、あなたがたを篩 い分けますよ〉という終わり方になっているので ある。 こういうまとめ方をされると、こうなふ うに言いたくならないだろうか。〈なんというこ とだ。そもそも、貧しい私たちはしっかりした地 盤の上に家を建てられないから、危険を承知で砂 の上に住んだりするのだ。だからこそ、ワラをも すがる思いで「求めなさい。そうすれば与えられ るであろう」ということばに頼んで、あなたのと ころに来たのに。この期に及んで、「砂の上に家 を建てた愚かな人」と言うのか。…〉 マタイさ んがこのような抗議の言葉を聞いて逆ギレするよ うだったら、、マタイ福音書をもう信用すまいと 思う。反対にマタイさんがそのような抗議に真剣 に耳を傾けるなら、もう少しこれに付き合おうと 思う。
7月12日の礼拝説教から マタイ7章7−14節 「求めよ、さらば与えられん」 久保田文貞 「求めよ」「捜せ」「たたけ」に対象語はつい ていない。「門を」というのは翻訳の過程で補わ れたもので原語にはない。本来は「なにを」とい う対象語を伴うべき他動詞が、対象語を欠いたま ま並べられている。「求める」とか「捜す」とか 「たたく」といった動作・姿勢自体が独立した意 味を獲得している。「なにを」ということが特定 される前に、「なにかにむかって」〈求める〉・ 〈捜す〉・〈たたく〉という生きる姿勢が取り出 されている。 唐代の禅僧南嶽は、修行者馬祖が 熱心に座禅をしているのを見て「貴方はなにをし ているのか」と尋ねる、馬祖は「今、一所懸命坐 禅三昧に入ろうとしています」と、「座禅三昧に 入ってどうするか」、「座禅して仏(覚者)にな りたいのです」。すると南嶽は庭に下りて瓦のか けらを拾い、庭石でゴシゴシこすり始める。馬祖 は南嶽に問う、「老師は何をなさっているのです か」「鏡を造ろうと骨折っているのだ」。すると 馬祖は笑いながら「ご冗談でしょう。瓦をいくら 磨いても鏡にはなにません」と。すると南嶽は 「そのように、いくら座禅をしても仏にはならな い」と言ったという。馬祖は「ではどうしたらよ いのでしょう」と教えを請うた。南嶽は「牛車が 動かなくなったら、車をたたくのがよいか、牛を 打つのがよいか」と諭した。修行者馬祖は涙を流 して礼を述べたという。 なんとなく分かったよ うな分からないような感じがするのが禅問答だが、 たぶん牛車を捨てて(?)牛を動かすことこそ大 事といっているのだろう。いずれにせよ、南嶽大 師は馬祖にむかって、きみは対象を抹消し、求道 そのものの姿勢を過大視していないか、あるいは そのプロセスの美しさに酔っていないかそうでは なく、もっと卑近なところに真実があると言って いるのではないか。 「求めよ…」という言葉は ルカ福音書(11章)にも収録されている。しかし、 そこでは弟子が祈りについて教えてほしいという 物語的な枠組みのなかに収められている。まずい わゆる「主の祈り」が教えられ、さらに旅の友人 を客として迎える人の譬えが語られる。客をもて なす食べ物がなくて、真夜中に近くの友人にとこ ろに行ってなにか食べ物を貸してくれというが、 断られる。それでもしきりに頼めば起きて必要な ものが与えられるという話しである。その後に、 「求めなさい・・・」というこれらの言葉がくる。 ルカの方も直接の対象語を欠いているが、少なく とも脈絡から、求め、捜し、たたく対象が、〈い ま、自分に必要な物〉として示唆されていると言 えないだろうか。ここでは漠然とした修行、求道 が勧められているのではない。生きていくのにほ んとうに必要なもの、抽象的な何か精神的に奥深 いものではなく、卑近で具体的なもの、どうして も必要でないと困ってしまうものが、求められて いる。 宗教としては、マタイ的な「求めよ.さ らば与えられん」の方が奥深いし、人生訓として 有効な感じがする。けれども、おそらくイエスの 関心はそちらにないと言ってよいように思う。イ エスは宗教的な求道の奥深さを知らないわけでは あるまい、けれどもイエスは敢えてもう一度ひっ くり返して、ガリラヤの衆生の面々が、生きよう として必死に子らや年寄りに食べさせるものを求 め、なんとかして仕事を見つけようとしている事 実にがっちりとくい込む神の国、神の恵みの来た らんことを共に求めようとされていると思う。
7月5日の礼拝説教から マタイ福音書6章22−34 「野の花を見よ」 久保田 文貞 マタイの5−7章は、イエス語録資料Qのいく つかの言葉を、マタイなりに並べ替え、あるもの にはけっこう手を加えたりして、マタイが作った 山上の説教という枠の中に流し込んだものだ。5 章1、2節の物語部分となる枠は極端にやせてい るが、考えようによっては福音書全体が〈山上の 説教〉の枠としてよいだろう。その意味では、こ れは単なる「語録集」を超えている。「聖書日課」 がどうしてこのような切り口にしたのかわからな いが、依然として編者マタイはなんらかの意味の つながりをもたせているかもしれないし、無関連 を承知の上でイエスの言葉を並べているかもしれ ない。 22、23節は、澄んだ目を通して他者や外界を見る ことが問題になっているのではなく、外にいる他 者から見つめられた〈あなた=私〉の目を通して 全身が見通されてしまうことが問題になっている。 目が外部世界への窓なのはだれしも認めるところ だが、その窓から内部を隠しようがなく、全身が 晒されているというのだからちょっと恐いことで ある。 この言葉のあとに24節「だれも、二人の 主人に仕えることができない。…神と富とに使え ることはできない」という言葉がくる。どちらに もいい顔をして誤魔化そうと思っても目を見れば バレちゃうよという感じになる。富への執着を断 ち切って、ただ神にのみ仕えよというわけである。 この論調はある意味で何のひねりもない。ユダヤ 教敬虔主義の広がりの中からいくらでも出てくる 言葉だ。イエスもそういう広がりの中を生きてい たことは確かだけれど、イエスがそれを強調する 必然性はない。むしろ、ダブル・バインド、二重 の拘束の中で四苦八苦している人間の所まで下り 立って、決定不能の事柄にとことん寄り添い、決 定を急ぐ者には叱りつけさえするイエスの言葉の 物語に感動を覚える。例えば、マルコ12章18 −27節。ここでは復活否定論者のサドカイ派の 一人がイエスに論争を仕掛ける。亡き兄のために その妻を弟が婚姻するというレビラト婚制度で、 全員が亡くなって復活したあかつきには、7人の 兄弟の妻となってしまった女性を、どの兄弟が妻 とできようかという架空の意地の悪い質問である。 イエスの答えの結論は「神は死んだ者の神ではな く、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変 な思い違いをしている。」というものだ。架空と はいえ、七人の夫の妻としてマルチ・スタンダー ズを生きた女性の苦労と強さのことを少しも考え たことのない男たちに「生きている者の神」とい う言葉の重みがどれほど伝わったか。言葉の上で 言えば、俎上に載せられた女性のために、神さえ 人の数分、つまりは「アブラハムの神、イサクの 神、ヤコブの神」として切り裂かれることの衝撃 力。たぶん、マルコさえもこんな読みを想定して いなかっただろうし、解釈する私にも想定外の結 論なのだが。 マタイが、「神と富とに使えるこ とはできない」と一見すると一元主義的の言葉を 意気揚々と引用した後に、25−34節の「思い 煩うな」という一連の言葉をつなげたのは幸運な ことだった。「空の鳥」、「野の花」が、「神と 富」のどちらを選ぶかという選択肢の前に立って、 富を捨て神を選んだとはだれも思わないだろう。 「生けるもの」そういう選択肢を超えたところで、 ダブル・スタンダードであろうとなかろうと、生 きていく。「空の鳥」、「野の花」はそういう地 平を指し示す。人の問題にすり寄せて言えば、神 の恵みは、無防備で危険がいっぱいの所に晒され た人々の中に、燦然と輝き、降り注いでいるとい うことだろう。あたかも人が決定できたかのよう に思うスタンダードとその効果に関わりなく。
6月28日の礼拝説教から 第2コリント8章8−15 「主の豊かさと貧しさ」 久保田文貞 「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧 しくなられた。それは、主の貧しさによって、あ なたがたが豊かになるためだったのです。」 8章の冒頭でパウロはマケドニアの諸教会に与 えられた神の恵みについて述べている。彼らは 「極度の貧しさ」のなかにあって、「人に惜しま ず施しをする」という人々だったという。そして 「聖なる者たちを助けるための慈善のわざと奉仕 に参加」したいと申し出た。これは、ロマ書15 章26節「マケドニア州とアカイア州の人々が、 エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援 助することに喜んで同意したからです」と書かれ ていることだ。エルサレムの教会が、実はだれの ためにどの程度の支援を必要としていたのか、はっ きり分からない。とにかく、48年頃、ペテロと 主の兄弟ヤコブらのエルサレム教会側とバルナバ とパウロらのヘレニズム教会側との画期的な会議 がエルサレムで行われた。そこでパウロは、「ペ トロには割礼を受けた人々に対する福音が任され たように、わたしには割礼を受けていない人々に 対する福音が任されていることを知」った(ガラ テヤ2章)。つまり、異邦人加入者に割礼を受け させる必要がないという確認をとったわけだ。た だし、そこでエルサレム側から条件が出された。 それは「ただ、わたしたちが貧しい人たちのこと を忘れないように」(ガラテヤ2の10)という ものだった。第2コリントの中に入っている手紙 や、ローマ人への手紙が書かれたのは55,6年 の頃であるから、それまでずっとパウロはこの貧 しい人達への援助を着々と進めていた。しかも、 パウロは49年には何らかの理由でバルナバと袂 を分かち、つまりアンテオケ教会の援助の下での 伝道活動を止め、事実上パウロの自律した伝道活 動をはじめているから、エルサレム教会への支援 は意地でも止めるわけにはいかなかったのだろう。 パウロがその初めから関わったピリピなどのマケ ドニアの諸教会はこの募金活動に7年間ほどずっ と協力的だったということだ。 では「エルサレ ムの聖なる者たちの中の貧しい人々」とはだれか。 エルサレム教会とはどんな教会か。使徒行伝のは じめの部分にペンテコステに始まる教会の様子が 書かれているが、これはそれから60年以上たった 後の著者ルカの手による、すでに66年にエルサ レムから消え、ユダヤ戦争のためにエルサレムは 廃墟となっている時代の、理想化されたエルサレ ム教会像であるから、頼るわけにはいかない。パ ウロの手紙以上にエルサレム教会について知らせ てくれるものはない。そこから想像力を働かせる よりない。 そこで、イエスの死の後、復活のメッ セージをはじめに発信したのはマグダラのマリヤ だが、そこでは「主はガリラヤであなたたちに会 われる」と聞かされている。そのメッセージの通 り、おおくがガリラヤに戻ったろう。マグダラの マリヤも。しかし、ペテロや数人の弟子たちはエ ルサレムに残るか、またはエルサレムにもう一度 舞い戻ってきたことになる。彼らはエルサレムで 活動を開始する。といっても、彼らがエルサレム で敬虔なるユダヤ教的なセクト運動をあらためて 目指したとは思えない。どう考えても師匠イエス がガリラヤで活動した福音宣教活動のレールの上 に乗ってエルサレムでの活動をしただろう。1世紀 半ば地中海経済が崩壊し、経済格差が進み、多く の破産者が路頭に溢れたという。このことはユダ ヤ、ガリラヤでも変わりなかった。都市エルサレ ムにも生活に破綻した者たちが溢れていた。表面 的にはガリラヤより悲惨な光景があったかもしれ ない。エルサレムで活動をはじめたペテロたちの 主眼が、そんな「貧しい人たち」への支援活動だっ たということは大いにありうるだろう。そしてそ の彼ら自身がたいしたバックアップもなしに、あ のイエスでさえ2、3年できりをつけざるをえな かったガリラヤでの活動にならって、「会議」の 時まで20年近く続けていたとしれば、「聖徒た ち」自身もまちがいなく疲弊しきっていたとしか 思えない。 パウロはそんな彼らの事情を胸を痛 めて見てきた上での、意地でもやめられない支援 だったと思う。「反貧困」のために聖徒たちがど れだけたたかったかは不明だけど、いずれにせよ エルサレム教会はぼくらのロマンである。
6月21日の礼拝説教から イザヤ書60章19−22 「世界の主の問題」 久保田 「太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず月の 輝きがあなたを照らすこともない。主があなたの とこしえの光となりあなたの神があなたの輝きと なられる。」(19) イザヤ書56−66章は、第3イザヤと呼ばれる。 といっても、実際には60−62章の予言をした 人物(ここでは彼を第三イザヤと呼んでおく)を 中心とした時期を異にする複数の予言が集められ ているというのが最近の有力な説らしい(関根清 三など)。中心となる第三イザヤの予言は前51 5年、ペルシャ帝国のひごのもとエルサレムにい わゆる第二神殿が完成した頃ということになって いる。 539年ペルシャによるバビロンからの 解放、エルサレム帰還と神殿建設の許可が出て、 神殿再建がスムーズにいったわけではない。早立 つ気はあっても、破壊され居住禁止地区になって いたエルサレムでの再建は、人的、経済的条件に 欠け、資材の流通もままならなく、ほとんど進ま なかった。再建が順調に運ぶまで20年近くかかっ たらしい。520年、再びペルシャの後押しがあっ て総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアが、再建に取 りかかる。予言者ハガイとゼカリヤが側面から支 援、15年に帰還の民の悲願ともいうべき神殿が 完成した。ありあまるはずの予算で官僚が企画す るハコモノ建築と違って、民が総掛かりで金集め をし、身を粉にしながら労働し、また祭司や予言 者も明確な目標を打ち出すことが出来、そうやっ て造り上げた新神殿であったろう。 しかし、完 成後、その神殿をどう位置づけるか、あるいはこ れからそこで礼拝がなされ民にとって明確な基軸 が出来ることになるが、いったいイスラエルとは なにか、ペルシャの版図の一部となって自分をど う位置づけるか、すなわち自分はその世界に向かっ て何者か、などなど答えを出して行かなくてはな らない。成り行き上、新神殿の完成という高揚し た気分のまま、神殿体制の促進、そして祭司指導 型のイスラエル、ナショナリズムへと流れ込んで いくのが目に見えている。少なくともハガイの予 言(例えば2章20節以下)はそのパターンだろ う。 第三イザヤも神殿完成を画期的な出来事と して受けとめていたことに変わりはない。けれど も、彼の目には新神殿の威容も吹き飛ぶような神 の「輝き」つまり神の「栄光」が映る。神殿再建 に一体化できた、手でつかめるようなリアリティー によってではなく、神殿の向こう側から差し込ん でくる輝きの中で、イスラエルの民を位置づける。 栄光は、世界に向かって開かれている。「国々は あなたを照らす光に向かい、王たちは射し出でる その輝きに向かって歩む。」(60章2節) 神 殿を守る城壁は再建されていない。無防備なシオ ンの丘にさらされたままなのだが、第三イザヤに は「あなたの城門は常に開かれていて、昼も夜も 閉ざされることはなく、国々の富があなたのもと にもたらされ、その王たちも導き入れられる。あ なたに仕えない国も王国も滅び、国々はまったく 廃墟となるであろう。 レバノンの栄光は、糸杉、 もみ、つげの木と共に、あなたのもとに来て、わ たしの聖所を輝かせる。わたしはわたしの足を置 く場所に栄光を与える。」(60章11−13) というように世界に向かって開かれているという が、ヤハウェの世界はけん主義に帰結しかねない 芽を残す。状況からいって、イスラエルには世界 を支配する現実の力など皆無なのだが。第三イザ ヤが予言し夢想する世界主義は、栄光はもはやイ スラエルを超えてすべての民に向かっているとい うものだろう。「貧しい人」「打ち砕かれた心」 「捕らわれた人」(61章1節)への恵みと自由 の普遍主義である。第三イザヤの編集者56章1 −8。もっとも、依然としてヤハウェの世界支配 に転移する危険は依然としてつきまとっていはい るが。
6月14日の礼拝説教から エゼキエル書18章25−32節 「牧人からの離脱」 久保田文貞 国が滅ぼされ強制移住させられたバビロニアの 〈収容所?〉生活の中で、ユダの人々は、400 年ほど前に預言者ナタンによってダビデ王の子孫 に約束されていた王国がなぜ滅んでしまったか、 考察し議論していたにちがいない。その常識的な 答えは、父祖たち、王国のリーダー、特に王たち が犯した罪総体の報いというものだ。例えば、列 王記などを編集した申命記的歴史家の歴史観はそ れに近い。 そもそも父祖の犯した罪が子孫に及 ぶというのは、部族共同体の連合として生まれた イスラエルには必然的なとらえ方だ。家長たる父 が失敗すれば一族の生存に関わるから。エゼキエ ル書18章2節に引用されている格言『先祖が酢 いぶどうを食べれば、子孫の歯が浮く』もそんな 背景をもった格言だろう。 これに対して、エゼ キエルの預言は真っ向から否定する。父たちの罪 の結果が子たちに及ぶのではないというのだ。そ の原理は単純であって、正しい者は「必ず生きる」 (5−9)、これに対して悪しき者は「必ず死ぬ」 (10−13)というものだ。つまり「罪を犯し た本人が死ぬのであって、子は父の罪を負わず、 父もまた子の罪を負うことはない。正しい人の正 しさはその人だけのものであり、悪人の悪もその 人だけのものである」。 今風に言えばもっとも 単純な自己責任論である。 亡国の原因を過去の 王たちの罪過に負わせて、それで総括したつもり になる。たしかにそこには、他者に責任を負わせ、 自己の責任を転嫁してしまう問題がある。エゼキ エルの預言はそれを告発していると言える。けれ ども、イスラエルの民にとってはこの自己責任論 は血や土地で結ばれた共同体からの決定的な離脱 を意味する。 血で結ばれた半遊牧的な共同体こ そ、イスラエルの原点である。その共同体のあり ようをもっともよく表しているのが〈牧人と羊〉 の喩である。エゼキエルの預言も34章でこの喩 を使っている。そこでは羊の群れを養わなかった 牧人を告発し、これからは「わたし(神)は自ら 自分の群れを探し出し、彼らの世話をする」、そ して「羊と羊、雄羊と雄羊との間を裁く」という のである。それは、単なる牧人として群れを養う というのではない。羊一頭、一頭の間に割り入っ て裁く。つまりはそれぞれの羊は牧人と一対一の 関係に立たされる、そういう〈牧人型支配〉とし て徹底されるのだ。 それまで群れのリーダーに すぎなかった牧人たちは廃され、新たに神ご自身 が直接に牧人となって一人一人に向き合って裁く というのである。共同体の一員としてではなく、 ひとりの人間として一対一で神と向き合うそうい う人間が要請され、そういう人間があらためて共 同体を形成することになる。それはそれで人間一 般の共同性(支配)の問題にさらに深刻なものを 刻み込むことになる。 ここまでくるとどうして もイエスが展開する牧人のことに触れておかなく てはならない。イエスの失われた羊の譬え(ルカ 15の4以下)に出てくる牧人は、失われた一匹 の羊を探すために九九匹を残して出かけてしまう。 「残す」(kataleipein)は英語のleaveと同じく 「放置する」「捨てる」という意味にも地続きの 言葉である。つまり牧人の務めを放棄して一匹の 羊を探しに行くというのである。牧人がはじめに 任されていた共同体は少なくとも一度放棄された というかぎり前のままではありえない。共同体を 締めていたタガが外れている(out of joint)。そ こでは牧人型支配は中断したと思う。しかし新約 聖書諸文書も後の教父文書も、そしてキリスト教 も元に戻して相変わらず、牧人支配型を垂れ流し てきた。それを近代国家が教会に代わって牧人支 配をものにしてきたことを現代の思想家フーコー が批判するのを聞いて胸が痛む。
6月7日の礼拝説教から マタイ福音書1章25から30節 重荷を負う者、我に来たれ」 久保田文貞 11章25−27節のイエスの言葉は、ルカの1 0章21−22節とかなりの部分一字一句一致す る。マタイとルカがいわゆるQ資料とマルコ福音書 とを机に並べてそれぞれの福音書を書いたことが 知れてわくわくする。形式的には「天地の主であ る父よ」という呼びかけで始まる祈りの形をとっ ている。けれども、「父のほかに子を知る者はな く、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を 知る者はいません」というように、父なる神と神 の子との特別な関係を述べる言葉は、イエス自身 のものではなく後の教団のもの、おそらくQ文書を 残した集団の言葉とされる。としても「知恵ある 者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示し になりました」という言葉には、この世界の知の ヒエラルキー、価値体系を、逆転させるものがあ る。逆転は、神と神の子、それに加えて秘儀を示 された人間だけに知られるという。もはや祈りと いうより宣言に近い。 ルカの方では、「それか ら」、つまり祈りは終えてから、「イエスは弟子 たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた」と なる。ルカの場合、終始これらの言葉は閉じられ た内部の者たちだけに語られた秘儀的なものになっ ている。この閉鎖性はルカによるのではなく、ル カが特にチェックせずQ資料の言葉をそのまま通し ているからだろう。核心的な真理は内部の者にし か理解できないことを強調するのはQ集団のもの である。Q集団の場合、この閉鎖性が伝道意欲の エンジンになっているだろう。 マタイでは、 イエスは祈りを中断せずに、そのまま「疲れた者、 重荷を負う者はだれでもわたしのものに来なさ い・・・」(28)と語り続ける。28−30節 の言葉は、マタイだけに出てくる言葉である。Q 資料になかったと推測され、マタイ特殊資料と言 われる。田川建三はこの一部がイエスの言葉に遡 る可能性もあるというが、いずれにせよ、ここに は教団のドグマ的な響きはなく、イエスが、神の 国への招きを代読しているような言葉である。 (わが北松戸教会のホーム・ページを作ってくれ たO.Kさんは、この聖書の言葉を表紙に掲げた。 またずっと前に、北松戸教会の礼拝で招詞として 読んでいたこともあることばだ。) 新共同訳は 「疲れた者kopiontes、重荷を負う者・・・」と訳 されているが、動詞kopiaoとその名詞koposはもと もと労働の意味が強い。労働してくたくたになっ た者。田川訳はその意をくんで「労苦する者」と 訳す。現在のように、社会の秩序が地球規模で破 綻し、人間の労働が露骨に踏みにじられている時、 労働でくたくたになった人々に時空を選り分けて とどくような言葉になっている。 「わたしのも とに来なさい。(わたしがあなたがたを)休ませて あげよう。」 労働し休息し、また労働し休息す るというのは、労働する者には体で知る知恵のこ とだ。他者に労働させて利潤を上げようとするも のには、休息は利潤を効率よく上げるための道具 にしか見えない。労働者の労働だけでなく休息を も管理しようとする。けれども、こんなのは休息 ではない。次の労働に必要な休息は、本来労働自 身がそうあるべきであるように労働者のものなの だ。その休息は労働と共に労働者の権利なのだ。 けれども、現実には労働もそして休息も利潤を次 から次へと休むことなく産み出そうとするものに 押さえ込まれている。 「休みも取れず労働しく たくたになって人、わたしのところにきて休み、 休息と労働を取り戻してください」とイエスが言 う。教会はそのように言うイエスの弟子でありた い。
説教ノート 5月31日の説教より ヨハネ黙示録 2章1〜7節 「なお、あるがままに」 関 秀房 「仙波敏郎」という人のことを伝えたくて、聖書 の箇所をどこにしようかページをめくり、ヨハネ 黙示録を選びました。解説書によると、「黙示」 とは、隠されている秘密を明らかにするというこ と、そして「黙示文学」ではむしろ義(ただ)し い人こそ、この世で苦しみを受け、この悪の世界 はいつまでも続くのではなく、やがて破局が全世 界を訪れ、それに続いて神の支配は実現し、悪霊 は滅ぼされる、とある。しかしながら、現実は 「終末」は訪れず、義しい人は苦しみを受け続け ます。仙波敏郎さんは現職の警察官で、実名で 「警察の裏金」を告発しました。すぐさま報復人 事で、一日中何もすることのない部署に回されま した。それまでも公文書偽造に当たる、偽の領収 書を「警察の組織のため」ということで上司から 求められても拒み続け、警察の裏金つくりに一切 協力しなかったため、昇進の道を断たれ「巡査部 長」という地位に留まり続けました(5月11日テレ ビ朝日ドキュメンタリ宣言で放映)。同期で一番 早く「巡査部長」になり将来を嘱望されながら、 義しいこと(組織に従わない)を行い、一途に仕 事に打ち込みます。それが遠因で息子さんが殺人 事件を犯すという災難も発生します。自殺、辞職 を考えますが、家族の支えがあり、それを乗り越 えます。告発した後は、高校の友人東氏が彼を支 え、裁判(不当配転)をともに戦い励まし続けま す。裁判には勝利しますが、東氏が仙波さんの退 職を前にしてがんで死亡するという悲劇も。鹿野 武一(1918〜1955)と石原吉郎は友人であり共にシ ベリアに抑留された。鹿野は人生の岐路で一般的 に人が選ぶ方向と逆の道を選ぶ。三高、京大の道 に進む学力がありながら薬専に進み、専門学校を 卒業し幹部候補生に志願する資格があったがせず、 自分はされても初年兵にスリ ッパビンタはせず、 語学堪能で教官(内地)を選ばずハルビン特務機 関を選ぶ。兵役除隊後省立病院等に勤務するも、 公職一切を辞して開拓団に一農民として入植。敗 戦後ロシヤ兵にとらわれた人を助けるため通訳を 依頼され、それが元でシベリヤに抑留される。強 制収容所でも進んで割の合わない仕事、立場に自 分をおく。過酷なシベリアでは、そのことは死を 意味するのだが。二人の歩みは強靭で驚くばかり だ。ずるがしこく、少しでも得をしようと頭を働 かし、悪いことを考えている私などは足元にも及 ばない。でもこのような人を前にすると、反省し、 共感し何がしか協力できないかと考える。「終末」 はこなくても、人生の終わりは確実にやってくる。 「あなたには取り柄もある。・・・の者たちの行 いを憎んでいることだ」(6節)自分ではできなく ても、警察の裏金、検察の不正義、権力の人権弾 圧を「憎む」ことはできる。私たちはどうありた いのか、自分の人生を省みるに、あるがままに生 きてきたように見えて、さまざまなことに影響さ れてきた。悪影響も良い影響も受け入れて、なお、 あるがままの自分でありたいと思う。
5月24日の礼拝説教から エフェソ4章1−16節 「寛容と傲慢」 この箇所はよく〈教会 の一致〉を言い立てる時のテキストとして選ばれ、 また〈キリストの体〉なる教会に連なるものの心 得を語るテキストにも使われる。〈一致〉がテー マとして浮かび上がってくるということは、なん らかの不一致があるからだとだれでも想像がつく。 この手紙の冒頭で差出人がパウロとなっている が、近代の研究者はおそらく100年頃に書かれ た「偽書」だとしている。偽書とはいえ、ここに はキリスト教正統主義の精神がいかんなく描かれ、 しかもパウロの名が出ているから、4世紀に新約 正典が決定された時、なんの問題もなくそのひと つに数えられた。 けれども、微妙にパウロ本人 の手紙とずれている。そのひとつが「霊による一 致」「体は一つ、霊は一つ」という表現はパウロ が第一コリント12章やロマ12章などで比喩的 に使うものだが、そこには何とかして現実にバラ バラになっている教会を「からだは一つ」と言っ てまとめようという苦心の言葉として読める。そ れがエフェソスへの手紙になると、さらに「主は 一人、信仰は一つ、洗礼は一つ」という表現が表 れる。明らかに定式化している。これはバラバラ なものを求めよう、「キリストの体」につなぎと めようと苦心している言葉とは思えない。この言 葉を語っている者の側に「一つ」が握られている。 つまりなんらかの異論を述べるものは自分たちの 一致を乱すものとして、「一つ」の外側に追い遣 られる。 「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ」 という言葉が、反対者の問いの正当性のいかんに 関わらず、これを封じ込める。この言葉を反復す ることによって自分をその中心により強く据えて いくことになる。組織的にはより完成に近づいて いるかたちになるだろう。しかし、ナザレ人イエ スの周辺で起こった福音の出来事、その中に見ら れる心揺さぶるような人と人とのあの関係から、 遠く隔たったものになる。いや、エフェソスの手 紙が手本とした当のパウロが、ガラテヤ、コリン ト、ピリピの「教会」とのあいだで実際の課題に 心を寄せ苦心しながら築いていったものからも大 きく逸れている。 そこでは、「一つ」であるこ とが抽象的に目的化され、かつそれ自体が一人歩 きして、「一つ」になるための倫理が要求される。 その倫理とはなにか。「一切高ぶることなく、柔 和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに 忍耐し、平和のきずなで結ばれ」る。「謙虚」と か「忍耐」とか「寛容」とか「互いの愛」とか 「平和」とか、パウロもこうした言葉をよく使っ た。それは、聖霊の贈りものとして与えられる。 その与えられたものをしっかりともっていようと いうすすめである。クリスチャンのモットーのよ うにさえなっている(?)ものだ。 けれども、 エフェソスの手紙では、それらの徳目は、一致の ための徳目である。一致のスローガンの下では、 異論を立てて自己主張せず、一致に必要とあらば を何事も忍耐し、寛容で互いに平和等々。意地悪 く言えば、すでに一致している者たちの間で、寛 容も愛も現実的に出番はないはずだ。寛容が発揮 され、愛が試されるべき〈他者〉がいないのだか ら。 この問題の出所のひとつは、パウロにある。 前述したように、バラバラになりかかった教会を なんとか一つにまとめようと苦心して言葉を残し たのは彼であるから。およそ共同体であるかぎり、 「まとまる」という課題を捨てきることはできな い。ただ、それが目的化し、差異を抹消し、その 目的に沿わないものを切り捨てるということにな れば、それ自体が寛容でなくなり、同化主義とい う傲慢を犯すだけだろう。教会がそれでよいわけ はない。
5月17日の礼拝説教から ルカ24章50−53節 「キリスト昇天物語について」 教会暦では、復活祭後40日目がキリストの昇天 日とされている。使徒行伝1章は、ルカ福音書の短 い昇天物語(24:50−53)をつないで、40 日目に復活したイエスがエルサレム近郊のオリー ブ山で弟子たちの見ている前で天に昇ったという 物語に拡張している。イエスの昇天物語は他の福 音書には出てこない。ルカ福音書と使徒行伝を書 いた著者ルカの特有の物語である。 ただし、ル カの昇天物語を除くと、初期キリスト教の共通理 解では、イエスが神に「上げられた」こと(= 「復活」)と「天に挙げられる」(=高挙)こと が区別されていない。例えば、パウロは、第一コ リント15章で、イエスの復活を論じ、そのまま主 が「来臨する」ことを語る。来臨するというから には、主は天にあることが前提になっている。さ らに終末に際してキリストは神の片腕のような位 置に立っているように語る。そういう立ち位置が 天にあるととらえられているのはいうまでもない。 2世紀後半まで復活と昇天を分ける物語はルカ 以外には見当たらない。使徒信条が「三日目に死 人の中よりよみがえり、天に昇り、神の右に座し 給へり」というのは、ずっと後の「正統派」の教 理になってからのことである。 ルカがこのふた つを区別していく理由は、ルカ特有の〈救済史的 神学〉にあるだろう。ルカの救済史観を簡単にた だると、神の子キリストがベツレヘムに生まれ、 まずガリラヤで宣教を始め、キリストは意を決し てエルサレムに上り、そこで木杭にかけられて死 に、神によってよみがえされる。こうして人間は 地上に「神の栄光と平和」を見る。しかし、ガリ ラヤに始まり、エルサレムで展開される救済の物 語は、それで完成したわけではない。エルサレム から世界へ、この救済の物語が発信されなければ ならない。そうして最終的に神による人間の救済 物語が完結する。そのためには、復活の主はいつ までも地上をさまよっている必要はない。世界へ の救済物語の伝達は「聖霊」みずからが行う。キ リストはそれまで神の側におり、世界の救済の完 結する時、「再臨」するという。これがルカが描 く救済史のスケッチである。 このようなルカの救済史観には、見落とせないこ とがある。それは、世界のとらえ方の問題である。 (ベツレヘム-)ガリラヤ地方-都エルサレム- 世界(その中心ローマ)という地政学的なビジョ ンの中に、神の子の誕生から福音の宣教、十字架 と死と復活、昇天、聖霊降臨という救済物語を織 り込む。こうして救済物語は、世界を地政学的に 制覇する物語になっている。つまり当時の世界を さらに制覇しようとするローマ帝国の世界支配と 同じベクトルを持っているということだ。ルカが 奇しくも築いた世界救済史と、ローマの世界支配 がくっつくのはなんの不思議もないこと、もはや 時間の問題だ。そして実際そうなった。 けれど も、ナザレのイエスの神の国の福音宣教がそのよ うな形で世界制覇の思想ともいうべきものに変質 していくとは、どうかんがえても合点のいかぬこ とだ。むしろイエスはガリラヤの人々(ユダヤ教 的な義人にではなく「地の民」)をめがけ、神の 恵みが襲うようにして降り注ぐ中を生き、その上 で処刑されて殺された。けれどもその絶望的な出 来事に神は失望していなかったこと、神はそうやっ て人間が築いてきた地政学的な支配の対象となる 〈世界〉へという方向とは全く別の仕方で、「憐 れもうとする者を憐れみ、恵もうとするものを恵 む」ということがあらわにされるのだ。残念なが ら、ルカが描いた救済史はそのことを覆い隠して しまわないか。だとしたらそれは失敗作だと言わ ざるを得ない。
5月10日の礼拝説教から 列王記下18章20−39 「毀誉褒貶の向こう側へ 南王国ユダのヒゼキヤ王(728〜700年) の物語は、ヘブライ語聖書の中で、列王記下18 章1〜20章20、さらに歴代誌下29章1〜3 2章33、イザヤ書36〜39に書かれ、異常な ほど言葉が多い。その理由は、おそらく神殿祭司 からヒゼキヤ王が模範的な王とみなされ、バビロ ン捕囚(587年)以後に祭司集団(一般に申命 記的歴史家と言われる)によって編纂されたサム エル記・列王記でそれが確定され、ペルシャによ る解放(538年)以後、エルサレムに帰還し神 殿が再建され、神殿宗教教団となったユダヤ教の もと前3世紀半ばになった歴代誌においてさらに ヒゼキヤ王が再評価されたことによる。 列王記 下にこう書かれている。「父祖ダビデが行ったよ うに、主の目にかなう正しいことをことごとく行 い、 聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、ア シェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を 打ち砕いた。… 彼はイスラエルの神、主に依り頼 んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような 王はなく、また彼の前にもなかった。 彼は主を固 く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主がモー セに授けられた戒めを守った。…」(18章2− 7) ヒゼキヤの歴史的な実体は、18章13 −16に記されているところであろう。701年 エルサレムを包囲したアッシリア軍の前に、ヒゼ キヤはその軍門にくだり、エルサレムを開城、神 殿と王宮の宝物をアッシリアのセンナケリブ王に 貢いだと書かれている。こうした朝貢を続ければ 間違いなく、他の王たちのようにアッシリアの神 の神殿建設をせざるをえず、他の王たちと同じよ うに歴史家から腐されたにちがいないが、ヒゼキ ヤはそうなる前に開城の翌年に持病のため死んで しまったらしい。 ヒゼキヤは列王記が報告して いるように、一定の神殿改革に功績があっららし い。ただ、このような小国の内政改革や政治的安 定また経済的繁栄は、アッシリアやエジプトなど の宗主国側の事情に左右される。ヒゼキヤが「聖 なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ 像(アッシリアの神)を切り倒」すことができた のは、王の後退と帝国内の反乱が起こって、西の 方に目がいかなかったためでしかない。歴代誌下 29〜31章に、過越祭の規定や礼拝のやり方な ど神殿祭儀改革の詳細が執拗に記載されているが、 それらはヒゼキヤの名を借りた歴代誌の編纂者た ちの言葉である。 こうしてみると、ヒゼキヤは そばに偉大な預言者イザヤがいたり、政治・外交 的には運が良かっただけである。やはり、注目す べきは申命記的歴史家たちが捕囚となっているバ ビロンにおいてイスラエルの歴史を総括的に書い たことである。彼らは〈なぜ選ばれた民イスラエ ルの王国が滅ぼされたのか〉という問題への答え を見つけ出すために歴史を掘り起こした。そうし て始めて新しい未来へと踏み出すことができると 考えたのだろう。敗戦によって王国の主権は放棄 させられ、国家としての体裁を一切失った。しか し、バビロニアの占領政策のおかげなのだが、彼 らは強制的に移住されながらも、民としてのアイ デンティティーまでは奪われなかった。民として、 敗戦・亡国をどうとらえるか、申命記的歴史家集 団が基本的に立てた基軸は、単純で明快だ。他の 神々に走らず、ヤハウェ信仰を貫徹できたかどう かという基準で、王たちや民の指導者を再検証す ることだった。数多の王たちの中でヤハウェに忠 実だった王は例外的だった。そのような王があま りにも少なかった。現実には王国としてあるかぎ り、強国の下で必然的にそれらの神々に塗れるよ りなかったと総括したくなる歴史だった。王国の 形をとって他の強力な王国に立ち向かう必要が神 によって選ばれた民にほんとうに必要なのかとい うところまで行き着くだろう。
5月3日の礼拝説教から 第二コリント3章1−6 「何に記帳されてあるか」 私たちは自分の存在が「登録されている」こと から免れるわけにはほぼいかない。「ほぼ」と言っ たのは「登録」を忌避して圏外にでることができ ないこともないから。ただし、「登録」と引き替 えによって得る権益の外に出ることになる。難し いことだが、ほんとうにそれができるならそそら れることではある。 十数年前まで「登録」は、 例えば戸籍簿や住民票の場合、こちらが書式にし たがって〈書いた〉届け出を役場の書記が手ずか ら正本に書き付けていた。わたしの存在が紙っぺ らに書き込まれていくとき、違和感を感じたが、 それでも書記の手で書きとめられる事にかすかに 〈人事〉の息吹を感じられたし、少なくとも自分 をそんな文字面なんかでつかめるものかと自負を 抱くこともできた。 けれども、今は役場の書記 は目の前で届け出用紙を見ながらキーボードに打 ちこむだけである。自分の存在がデータとして、 つまり0と1のデジタル信号に変換されて電子的 に管理されることになる。こうなると異和感では すまない。このままだとやがて住民基本台帳に年 金番号も所得の動きも一元的にネット化され、そ の管理の広がりと処理のスピードによって、自分 の存在は完全に国家に見透かされることになるだ ろう。 これは公的なネットワークの問題だけで はない、私的な消費も通信も娯楽も、種々のカー ドによって処理され、まちがいなくそれが縦横に ネット化され、寡占的に管理され、まちがいなく 公的なネットといつでもドッキング可能な形になっ ていくだろう。いや、すでに銀行の口座は国税の ネットワークと一体化しつつある。 アナログ的 に書記によって登録されることと、デジタルな情 報として登録されることの差に、いちいち目くじ らを立てていられないということで、なかば諦め てデジタル化、カード化に従っているが、その差 は弓矢と核兵器ほどの差といってもよいかもしれ ない。それにしては私たちはあまりにノウテンキ ではないか。 上に述べたことと、今日の聖書箇 所をつなげるには無理があると言われるかもしれ ないが、共鳴しあうことがある。誤解を恐れず言 うと、パウロは人が通常受け入れた「登録」「登 記」の外で活動した。パウロのその創立に貢献し たコリント教会に、明らかにパウロに敵対する巡 回伝道者がやってきて、教会を混乱させた。彼ら はおそらくエルサレム教会関係の権威筋からの推 薦状をもって、それを持っていないパウロを業績 を否定した。彼らの言い分は、《クリスチャンに なるということはユダヤ教の神の信者になること であり、ユダヤ人の一部になることだから、ユダ ヤ人としての最低の掟を守れ》《しかるにパウロ は律法からの自由をそこら中で触れ回っている》 云々。これに対するパウロはそのような主張を受 け入れるエルサレム教会やその同調者の推薦状な どいらん、自分の推薦状は神ご自身が書き込まれ たところのコリント教会の「あなたがた」自身で あるという。少なくともエルサレム教会の権威筋 が管理する「登録」の外に確信をもって出てしまっ ている。 しかし、問題がないわけではない。パ ウロはそうやって人の手にする書き込みの外に出 たわけだが、彼は神みずから書き込む「登録」の 領域に分け入ったのではないか。ということは、 完全に徹底した、一元的な「登録」の世界を切り 開くことにならないか。その後のキリスト教の展 開をみると、この問いに、NOと応えきるのがむ ずかしい。 だが、わたしは次のように思う。パ ウロは、自分の推薦状は霊(神)が書いたコリン ト教会の人々であるというレトリックをもちいる が、そこで響いている主調音は、真の推薦状をも つかどうかではなく、推薦状に頼る在り方の外に 出るというそのことであると。
4月26日の礼拝説教から 出エジプト記5章 「専制の問題」 4章では、 モーセが神から召命を受け神のメッセンジャーと して立ち上がる経緯が書かれていた。そこで留意 すべきは、モーセがただの人ではなく、「神の言 葉の男」、後に予言者と言われる者になったこと だ。5章では、そうやって選び分かたれた神の人 モーセは、祭司アロンとともに、エジプト王の所 に行く。 モーセ物語を史実として確認すること はできないが、ここに登場するファラオは古代エ ジプト第19王朝のラメセスか次のメルエンプ タハのどちらかということになっている。常識的 には大王国エジプトの王が一介の祭司に謁見する など考えにくいことだが、物語ではモーセらはほ とんど対等に王と会談する。隷民らが信奉する弱 小の神、その預言者、祭司とはいえ、まずは異界 に通ずる者として遇したのだろうか。 モーセは ファラオにむかって、神ヤハウェから聞いたこと をあくまで使者として伝える、「イスラエルの神、 ヤハウェがこう言う。『わたしの民を去らせて、 荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』 と。」 これに対してファラオはこう応えた、 「ヤハウェとは一体何者なのか。どうして、その 言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせ ねばならないのか。わたしはヤハウェなど知らな いし、イスラエルを去らせはしない」と。 この ファラオの応えは、使者モーセの後ろに控えてい る神の名など知らない、したがって神として認め ないというものだ。ヤハウェなるものは、ファラ オの背後に控えているエジプトの神オシリスに対 等に、神格あるものとして向き合えるような神で はないというわけだ。圧倒的に優勢なる神が、劣 勢なる神を飲み込み、押しつぶそうとする瞬間の 図が見て取れる。 だから当然、モーセーとアロ ンの身分も一度は異教の祭司として遇したが、神 を神として認めない以上、彼らを祭司としても認 めない。「お前たちも自分の労働に戻るがよい。」 というわけである。エジプトのような先進的な官 僚国家であり祭司位階制が発達した国家にあって、 祭司として認められず「労役に戻れ」と命じられ ることがどんなに屈辱的なことか想像に難くない。 しかし、この言葉はモーセには通じていない。 「神のことばの人」は何かの権威に認可された資 格でもないし職制としての祭司でもない。人とし て「労働に戻る」ことは当たり前。労働し生活す る一介の男がヤハウェの言葉を聞いて、立ってそ れを伝えるべき者に伝えるにすぎないのだ。だか ら、ファラオがどう応えようと「神のことばの人」 としての務めは変わらない。 エジプトが先進的 な官僚国家と前に書いたが、ファラオの命令に動 く官僚の姿が物語の中に垣間見られる。「ファラ オに任命された追い使う者たちは、監督として置 いたイスラエルの人々の下役の者」。これらは、 イスラエルに対するファラオの労働強化の命令を 執行する官僚であるが、こうした組織は広大なエ ジプトをくまなく覆っているはずだ。また煉瓦の 日毎生産量、煉瓦造りの素材としてのワラの自己 負担等々、その命令の緻密さがうかがわれる。 キリスト教がイスラエル救済史を引き継いで、モー セを通して古代エジプトを見る目は、奇怪なアジ ア的オリエント専制国家としてさげすみがちだが、 事実はその逆であって、何千年という古代エジプ トに厖大な歴史があるものの、総じて欧米対オリ エント図式なんかで括れないことはエジプト学の 示すとおりである。モーセ物語から見たエジプト が異様に変形されていることを心しておかなけれ ばならない。とにかく物語は先進国エジプトに、 米粒ほどの隷民化した少数者をひとりの指導者の 下なんとか脱走できたというものなのだ。
4月19日の礼拝説教から 使徒行伝13章23−31 「イエスの死はなんだったか」 前回、イエスが「わたしたちの罪のために死ん だ」という最も古い言い伝え((特)コリ15:3)の さらに基底に「私たちの罪のため」がまだついて いない「神はイエスを上げられた」「墓は空だっ た」(受難物語など)というマグダラのマリヤら 女性たちの証言があることを述べた。この証言は 淡泊で寡黙過ぎるほどなのだが、そうなった理由 は、その「復活」証言をかなり早くから「わたし たちの罪のため」と解釈した男弟子のヘゲモニー が結果的に女性たちの証言を締め出してしまった からだろう。わたしには彼女たちは、墓のそばで 「白い長い衣を着た若者」が語っているように、 イエスにガリラヤで会えると信じてエルサレムに 残った男弟子たちと別れ、ガリラヤに帰省したの ではないかと思える。 しかし、実際に大きな問 題は「わたしたちの罪のため」と解釈した者たち の歴史が、後にキリスト教「正統派」へと流れ込 んでしまったということだ。前回も述べたように 途中、マルコ福音書記者は、ガリラヤでの諸伝承 を編集し受難物語にそれを接ぎ木することによっ て、「わたしたちの罪のため」という解釈から始 まる理解に修正を加えようとしたが、十分に成功 しなかった。マタイとルカが福音書の改訂版を出 し、それがより広く受け入れられていった段階で、 マルコの修正の意図はそこに呑み込まれてしまっ たというのが実情だった。つまりより強固にイエ ス・キリストは「わたしたちの罪のために死に、 葬られ、上げられたという理解の枠組みがヘゲモ ニーをとることになったのだ。 ただし、直接に イエスと同じ釜の飯を喰ったペテロたちと、幻の イエスにしか会っていないパウロとの「わたした ちの罪のため」という理解には、ほとんど質的な 差がある。ほんとうはそれを同じ罪という語で言 い表せない差かもしれない。ペテロたちにはあく まで師匠イエスを見捨てて殺させてしまったとい う信頼の裏切り(引き渡し)の罪意識であり、そ の上での「神はイエスを上げられた」である。こ れに対してパウロでは、自己自身の深層にとぐろ を巻く、自己中心的で、他者を殺しても自己の義 をつらぬこうとするどす黒い心、それに絡みとら れている人間実存の罪、それを一身に集めたよう に棒杭にくくりつけられたままでいる悲惨なイエ スに出会うことで「わたしたちの罪」を見いだし た、その上での「神はイエスを上げられた」なの である。しかし、両者には同時に大きな共通点が ある。どちらも、イエスとの関わりにおいて、自 分がより正しく誠実に生きようとする真面目さか らくる罪の意識であり、その上での復活理解であ る。けれども、どちらもイエスと自己との関係性 に基礎をおくゆえに、他者との関係性が二義的に なってしまうという題を抱える。 イエスはなぜ 棒杭にかけられて死んだか。マルコ福音書が提起 したのはガリラヤ時代に光をあて、神の究極の恵 み=「神の国」が自分の正しさを追求する人々の 頭ごしに、それまで棄民として顧みられなかった 「地の民」(マルコは「罪人」とする)のうえに、 一方的に注がれていることを示そうとしたという ことであり、エルサレム中央に乗り込んでいった イエス運動が、ローマ覇権のもとでのユダヤ教支 配体制を台無しにし破壊すると恐れ、イエスを告 発し、処刑させたのである。その上でのイエスの 死と「神はイエスを上げられた」なのである。た しかに、それは「わたしたちのため」の出来事だ と言おう。それを自分の裏切り行為として、ある いは自分の実存の罪として、表白することが的外 れとは言わないが、ズレを含んでいることは否め ない。あの女性たちの驚きのところまで立ち戻っ て考えたい。
《説教ノート》 4月12日の礼拝説教から ルカ23章44節〜24章3節 「イエスの墓は空だった」 イエスに信頼をよせ付き従った人々は、イエス が処刑され、そこになにかを読みとってそれぞれ の生を歩みはじめるよりない。とりわけ刑死を目 撃し、埋葬を手伝った女性たちが「安息日」の掟 破りを避けて開けの日曜の朝、イエスの墓で目に したこと、つまり「イエスの墓は空だった」とい う証言は激震のように人々の心を揺さぶったはず だ。しかし、その女性たちの知らせは、墓が空だっ たということに加えて、刑死したイエスが「復活」 したというものだ。ただし「復活」と翻訳されて いる語は「彼は上げられた」(マルコ16:6、ルカ 24:6、マタイ28 :6)と、ごくふつうの動詞「上 げる」の受動態アオリスト時制表現でなされてい るにすぎない。 おそらくマルコは福音書を執筆 するずっと前に、すでにひとまとまりになってい た「受難物語」伝承またはそのメモをもっていた のだろう。中でもこの「彼は上げられた」という 言い伝えの核心には手が付けられずに残っている。 マルコが受けたよりずっと早く、パウロはイエス の死後4、5年のうちにエルサレムでペテロと主 の兄弟ヤコブに会い(ガラテヤ2:4)、おそらく この肝腎の「言い伝え」を受けたと思う。第一コ リント15章3以下に記されている「言い伝え」がそ れである。そこにも「彼は上げられている」と同 じ動詞が使われている、ただしそこでは受動態完 了時制で。「彼は上げられた(または「上げられ ている」」が、後の「復活」というキリスト教の タームとなって、そのまわりに新しい物語が次か ら次へと湧出していくことになるが、やはり、最 初期の単純な表現の意味は大きい。 新しい物語 とは、いずれにせよ最初に女性たちがもたらした 素朴な知らせに対する、それぞれの実存の深みか ら、しかし既成のいろいろな表象を駆使して、つ まり想像力たくましく創作した物語なのだ。もち ろん、その知らせの、自分なりに捉えてた「ほん とうの意味」をなんとか他者に知らせたいという 思いの中で創出された物語にちがいない。けれど も、それら多くの物語のスタート点は驚くほどに なんの彩りもないあの単純な出来事の知らせなの である。「墓は空だった」「彼は上げられた」こ のふたつがイエスの刑死と埋葬後を生きる者のス タート点だということを示すに過ぎない。 パウ ロが受けた伝承には「わたしたちの罪のため」と いう重大な表現があるが、これはあのスタート点 から走り出したペテロをはじめとする男弟子たち が捉えつけ加えた「意味」だろう。気をつけなく てはいけないことは、「墓は空だった」と「彼は 上げられた」という表現が、「わたしたちの罪の ため」と捉えたペテロら「エルサレム原始教団」 (?)の物語の所産である「受難物語」に含まれ ていることだ。このことは何を意味するだろう。 それは、イエスの刑死と埋葬、そして「復活」を 「わたしたちの罪のため」とだけするなら、まさ に「受難物語」だけで事足りるということだ。パ ウロがそれにはまった典型だ。ガリラヤ時代を知っ ているペテロやエルサレム教会の連中が、生前の イエスのことについて何を言おうとパウロにはほ ぼどうでもいい、イエスが「わたしたちの罪のた めに」死に葬られ「復活した」ということ以外の 伝承はすべてその中心に奉仕するものでなければ ならないと彼は考えている。エルサレム教会のほ とんどがこうしたパウロの理解に近かったろう。 けれども、ガリラヤ時代に関心を寄せれば寄せる ほどマルコはそれに物足りなさを感じたと思われ る。それがどの程度のものかそれほどはっきりし ていない。マルコが集めたイエスの伝承のかなり の部分に、ペテロたちのイエス理解が影を落とし、 伝承の残存自体を選別している。けれども、それ でもなおイエスとその仲間の間に怒濤のように押 し寄せてくる神の恵み=神の国を浴びて生きる、 あの力は薄れない。
《説教ノート》 4月5日の礼拝説教から マルコ14章12−26と平行箇所 「最後の食事のこと」 久保田文貞 前回、すでにマルコの前にほ ぼできあがっていた「受難物語」にマルコはガリ ラヤでのイエスの活動について集めた伝承を集成 してつなぎ合わせ、福音書を完成させたと述べた。 つまりガリラヤでの宣教活動から受難物語に光を あてないとイエスの苦難と死を十分に理解できな いと考えたのだと思う。この視点からイエスが弟 子たちと最後の食事をした場面、いわゆる〈最後 の晩餐〉をどう考えたらよいだろう。イエスが逮 捕されたのが夜であるとすれば、直前の食事が事 実上最後の食事になるが、イエスがその食事を最 後の食事と受けとめていた根拠はない。しかし、 イエス一行がエルサレムに入ってから通常夜は都 の外のどこかに逗留していたらしいから(マルコ 11:19)、「過越の食事」をいつもの晩の食事と は違って特別の場所に用意した(14:12以下)と いうのはありそうな話しである。しかし、この食 事に12人の弟子だけが同席を許されたというの は学者たちがほぼ口をそろえて言うように後の教 会の「弟子12人」主義の作り出したものであろ う。ガリラヤの諸伝承の物語を受難物語につなげ たマルコにおいて、ガリラヤの「地の民」(福音 書は「罪人たち」という)が神の国の食事に招か れているというトーンは一貫したものだろう。そ こには12人を特化する意味はないだけでなく、最 後の食事をあのガリラヤでのかずかずの食事と切 り離して特別のものとするいわれはない。ただし、 明らかにマルコはガリラヤの物語と受難物語を連 続させる。二つを調和させてしまっているのかも しれない。だがどう見ても、マルコ時代にはかな り礼典化されている「主の晩餐」=「最後の食事」 と、マルコが発掘していったガリラヤでのイエス と人々の食事とは違う方向を向いていると思わざ るを得ない。「最後の食事」が単なる食事ではな く、イエスの言葉が示すとおり、パンを裂いて弟 子たちに与え「これはわたしの体である」と、杯 も同じように弟子たちに与え「これは多くの人の ために流されるわたしの血、契約の血である」と 言われる。マルコが福音書を書いた時(70年頃) より20年ほど前に、パウロがコリント人への第 一の手紙11章23以下(52年頃)で「主から受けた」 として、マルコが受けた〈受難物語〉の中の「最 後の食事」場面に出てくるイエスの言葉とほぼ同 じものを記している。パウロの手紙の言葉と福音 書のイエスの言葉とが一致するものがほとんどな い中で唯一といっていいほどぴったりと重なるの が主の晩餐の言葉である。パウロが回心したのが 通説では33年頃であり、35年頃エルサレムでペテ ロや主の兄弟ヤコブに会った(ガラテヤ1:18以下) から、おそらくその時かその後、「主から受けた」 という言葉を伝授された。つまりかなり早くから 定型化され、受難物語の創成期からその中に組み 込まれていたろう。しかしコリント教会の例(11 章)が示すようにその言葉は基本的に持ちよった 食材で行われる教会員同士の会食(「愛餐」アガ ペー)の一部に組み込まれていたにすぎない。つ まり後の「聖餐式」のような儀式化されたもので はない。マタイやルカが福音書改訂版を書いた90 年頃の時にはかなり儀礼化していたかもしれない。 さらに10年後の一部の教会の規則を反映している ディダケー(12使徒の教え)になると、聖餐は バプテスマを受けた者以外には与えてはならぬと しっかりとかんぬきがかけられることになる。 これらの流れを通じてみると、イエスの処刑死の 衝撃の中で弟子たちが「わたし(たち)の罪のた め」の苦難と死という物語でそれを受けとめ、そ の中で最後の食事も再構成し、パウロも受難物語 もそのラインの中にはいっているように思う。し かし、そこには決定的な落とし穴がある。イエス の死は、ガリラヤでの神の国の宣教活動の延長線 上にある。もし最後の食事があるとしたら、その 食事もガリラヤでの食事の延長線上にあるだろう。 後の儀礼化された聖餐式はどうしてもその逸脱の ようにしか見えない。
《説教ノート》 3月29日の礼拝説教から ルカ19章28−44節 「エルサレム入りの意味」 久保田文貞 いわゆるイエスの「エルサレム入 城」をもって、「聖なる」受難週が始まるという 教会暦はずっと後のキリスト教の話しだが、福音 書の受難物語の記述の基本構造もイエスのエルサ レム入城でイエスの最後の特別の活動が開始する ことになっている。これまで見てきたとおり、マ ルコをはじめ、マルコの改訂版をつくったマタイ も、そして特にルカの場合はよりいっそう、入城 以前から徐々に高まっていくように書かれている。 おそらく福音書が書かれるずっと以前からイエス の刑死へといたる物語の核はいろいろな言い伝え を引き寄せ受難物語へと成長していたに違いない。 いや、そもそもマルコが福音書を編む基本的な動 機は、その受難物語に、ガリラヤでのイエスの活 動を伝える諸伝承を加えなければ十分ではないと いうものだったろう。エルサレムでの刑死を理解 するためにはガリラヤから始めなければならぬと いう視点をマルコが持っていたということだ。こ れは、イエスの刑死にほとんど自虐的に自己の罪 を重ね、転じて赦しを見いだしていったペテロを はじめとする弟子たちの実存史の上に組み立てら れていった受難物語が、ガリラヤでの出来事を放 置してしまい、そのためイエスの福音を矮小化し てしまったことへの批判がこめられているのだろ う。とすれば、イエスと弟子たちのガリラヤから エルサレムへの移動と転換は福音書の生命線と形 づくると言ってもよい。 田川建三は、「エルサ レム入城」の記事は「初期キリスト教団の理念が 生み出したものであるから、ここからイエスの出 来事を直接に想像するわけにはいかぬ。」(『イ エスという男』97頁)という。確かに、ロバに 乗ったイエスを囲む群衆が歌う詩篇の語句は、仮 庵祭にエルサレムに参詣する巡礼たちが歌う歌で あり、ロバに乗ったメシア像は前6世紀の預言者 ゼカリヤの預言(9章)からとってきたものであ る。この預言はメシアが軍馬ではなく、もっぱら 運搬用に使われたロバにまたがってエルサレムに 入る、すなわち政治的独立を目指した軍事指導者 としてのメシアではなく、ペルシャの支配下に服 するひとつの民の宗教的なメシアを意味すること になる。だが、ユダヤ教のその後の歴史はアレク サンダー以後、シリアのセレウコス朝支配の下で 政治的独立なしに自由な信仰を全うできないと思 い知ることになる。イスラエル救国のメシアへの 待望はもっぱらイスラエル独立の英雄的メシアの 待望となって、いろいろな他称自称のメシアが現 れては消えることになる。イエスも一部の人々か らそのようなメシアにされかねない時代を生きて いた。イエスがメシアを自称していた証拠はない、 むしろそう名指されるのを否認していた。ただし、 イエスが弟子たちと、ただの年中行事としての神 殿の祭りに行ったというのではなく、ガリラヤの 活動の意味とその延長において、なんらかの意図 をもってエルサレムに入ったことは確かだと思う。 ゼカリヤの預言したメシア像をイエスが受け入れ てそのようなパフォーマンスをしたとすれば、イ エスはすくなくともゼカリヤ預言的なメシアであ ることを受け入れたことになる。しかし、そんな 単純なことではないだろう。それはどう考えても、 ローマ帝国から怪しみ睨まれていたイエス派とし ては、〈わたしたちは決して民を煽動し政治的独 立を目指すメシアを信奉する者ではございません。 わたしたちを一宗教として認めてください〉とい う動機が、受難物語の中に埋め込まれているとい うことである。 しかし、ガリラヤからエルサレ ムへの移動とは、去勢されたメシア主義への転換 とはべつのことを語ろうとしているのではないか。 ガリラヤの〈地の民〉にこそ神の究極の恵みが展 開されることを確信したイエスは、そのダイナミ ズムをエルサレムにぶつけて、結果悲劇的な刑死 を遂げる。地上に主権を打ち立てようとするメシ ア主義はまがいものであることが暴かれるのであ る。
《説教ノート》 3月22日の礼拝説教から ルカ福音書19章1−10節 「徴税人という記号」 前回の「やもめ」の場合には、古きイスラエ ルの伝統の中で、すでに弱者保護の象徴的存在と してラベル化されており、それがイエスが活動し ていた時はどうだったか、そしてそのイエスを神 の子キリストと信じたキリスト教は「やもめ」を さらにどのように処遇したか、腑分けして考えて みました。これに対して「徴税人」の場合は、ユ ダヤ教の正典の中に出てこない、新しいカテゴリー です。「徴税人」がパリサイ派ユダヤ教から汚れ た人々(地の民)として扱われたのには次のよう な背景があります。ギリシャ的な異教徒権力シリ アのセレウコス朝による神殿陵辱に端を発したハ スモン一族による抵抗運動は、異教的な汚れを排 斥しようとするユダヤの政治的独立運動へ発展し ていきました。パリサイ派もその中で生まれた運 動です。しかし一時は成功した政治的独立も、強 力なローマ帝国がその前に立ちはだかり、外から も内からも崩れ、パレスチナはローマの属国ある いは属領にされてしまいます。イエスの時代、ロー マの属国化したガリラヤではローマの求めに応じ て関所がもうけられ、人・物の通行税が徴収され ました。実際には、徴税の仕事を定額で請け負っ た者が人を雇ってローマのために徴税するわけで、 そこに相当の財力もを持った徴税請負人と、それ に雇われる下っ端徴税人がいることになります。 ユダヤ民衆にとってはいずれにせよ腹立たしい税 の徴収人であり、それも侵略者ローマに仕える売 国奴、そしてユダヤの政治的宗教セクトパリサイ 派の忌み嫌う汚れの人=地の民です。 これが 「罪人」というキリスト教の概念に結びついたの です。ちなみに福音書で「罪人」という語を多用 するのはルカです。マルコでは2章15−17、 後は受難物語2箇所だけで計5回。それがルカで は14回。回数だけで判断できないけれども、基 本的に〈罪人〉という語はキリスト教がユダヤ教 から分離・成立し、イエス時代に逆投影されてい うる面が大いにあります。イエスがユダヤ教の戒 律からみて忌避されていた人々=〈地の民〉と仲 間付き合いしたのは確かですが、それを〈罪人〉 という概念に置き換えたのはキリスト教なのです。 結論から言いますと、ルカ19章1以下の徴税 人ザアカイの物語は、〈罪人〉救済教団(キリス ト教)の作り物だと思います。ザアカイは徴税人 といっても徴税請負業者であって、収税所に座っ て働いていた後にイエスの弟子になる徴税人レビ とは全く階層の違う金持ちです。イエスがこの種 の人物にわざわざ手を差し伸べる図は他にありま せん。ザアカイは〈背が低い〉と記されています。 イエスをよく見られるように先回りして木に上る、 ちょっと諧謔なプロットが使われています。物語 としておもしろいかもしれないが、やはり「徴税 人」という記号の過剰な使い回しの結果の物語で しょう。 記号の過剰な使い回しはほとんど無意 識に続きます。背の低い、金銭欲に絡み取られて いるザアカイの像に、後に圧倒的に優勢になった キリスト教は、劣勢になった〈ユダヤ人〉を重ね てみるのです。(ここでハリウッドの子ども向け 映画「ホーム・アローン」は白人家庭の少年が親 族と一緒のクリスマス旅行からおいてきぼりをく う話しですが、底に出てくる盗賊のイメージとユ ダヤ人イメージの重なりのことを話しました。) 「徴税人」「罪人」という記号は過大な意味を帯 びた象徴語になり、「罪人」救済教団と結びつい た社会勢力の、システム維持の道具になっていき ます。というわけで、残念ながらザアカイの物語 を今あまり評価できません。イエスと弟子たちが エルサレム入城まぎわの高揚した気分に、この物 語をあてがうマイナスの方が気になります。
《説教ノート》 3月15日の礼拝説教から ルカ福音書18章1〜8節 「寡婦という記号」 久保田文貞 古代イスラエルの父権制社会では、夫に死なれ た妻は、レヴィラート婚で義兄弟の妻となるか、 親元で養ってもらう。実家に帰ったところでそこ の居心地がよいはずがありません。それもできな ければかなり悲惨なことになったはずです。この ような居場所をなくした「寡婦」は律法の中で 〈孤児〉、〈寄留の外国人〉と並べられて、あき らかに社会的な弱者の象徴的存在として出てきま す。「寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはな らない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であっ たからである。寡婦や孤児はすべて苦しめてはな らない。」(出エジプト22:20,21、申命 記24:17以下) 律法がこれらの社会的弱者 の保護を強く呼びかける根拠は、そもそもイスラ エルとはエジプトで外国人労働者として奴隷状態 にあった民を、神がご自分の民として選びとり、 そこから救い出してくださったことにあるという わけです。だから、それは単なる社会保障制度と いったたぐいのものではありません。イスラエル 人としての存在根拠に関わるものだったというべ きです。王国時代の諸矛盾を検証し、前6世紀前 半にトーラーの編纂をした原申命記には、「畑で 穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取り に戻ってはならない。それは寄留者、孤児、寡婦 のものとしなさい。」と具体的に書かれています。 地方の人々の古い絆の中に、あの社会的弱者を思 い遣る習慣が残っていたのでしょう。申命記の原 本を書いたグループがそのような習慣の中に、強 制された制度ではなく、トーラーの根本精神を汲 み上げたのではないでしょうか。 おそらくバビ ロン捕囚から解放された後のユダヤ教の歴史の中 で、「寡婦」「みなしご」という概念が再確認さ れて、社会保障的な制度をうみだすということも 大いに考えうることです。 福音書の中に、イエ スと同時代(30年頃)のガリラヤの社会状況が 影を落としているとしても、基本的には福音書が 書かれた時代(70年から90年)から見た社会 状況がより強く反映しています。「寡婦」に関し ては、イエス死後のエルサレム教団の中で意識的 に取り組んでいる。使徒行伝6章1節以下によれ ば(32年頃の事件を90年頃に書いている)、 ヘブライ語を話すユダヤ人キリスト者「寡婦」と、 ギリシャ語を話すユダヤ人(世界各地に離散して 住んでいるユダヤ人の子女や商人たちの妻たち 「寡婦」との間の処遇差別が問題になっています。 つまり教団の中で何らかの「寡婦救済制度」が存 在していた。ということは、この記事を書いてい る記者ルカ周辺の教会でも「寡婦」救済制が前提 にあるかもしれない。少なくともルカは、単純に やもめという語の使用回数で他の共観書に比べて も、マタイ1回、マルコ3回、ルカ9回+使徒行 伝3回、ちなみにマルコの3回はすべて12章4 1以下の「寡婦の献金」のところで使われるだけ です。ルカはこの言葉を8この別々の場面で使っ ています。ルカがいかにこれに関心を注いでいる かがわかります。第一テモテ5章3以下を是非ご 覧下さい。そこには2世紀初のある教会が、寡婦 登録制をやっており、どんな「寡婦」が保護を受 けられるか書かれています。あきらかに「寡婦救 済制度」が存在しています。お読みになればわか るとおり、鼻持ちならぬ制度です。これは、古き イスラエルの人々の「寡婦」や「孤児」「寄留者」 ら弱者がなぜ大切な人々なのかと説いた根本精神 や、社会から排除された人々の間に「神の国」の リアリティを説いたイエスの福音から、ほど遠い もの、恩着せがましい制度に成り下がっています。 〈寡婦〉をめぐる聖書の顛末でした。
《説教ノート》 3月8日の礼拝説教から ルカ福音書17章7−21節 「受難週前のルカ風アラカルト」 久保田文貞 ルカ福音書の15〜18章に は、ルカだけが集めた資料が多く使われています。 福音書全体の流れから言うと、9章51節「さて、 イエスが天に上げられる日が近づいたので、エル サレムへ行こうと決意して、その方へ顔を向け」 て以来、イエス一行は苦難を受けるエルサレムへ 特別な旅立ちをしたことになっていて、今日の箇 所はその旅もいよいよ終わりに近づき、よりいっ そう緊張感を高めているところです。たぶんマル コの記述ではもの足りないと感じたルカは自分が 取り寄せた特有の資料を使って補っているつもり なのでしょう。 この最後の旅の間のイエスの宣 教の要点は「神の国」=終末は、どのようにして いつ起こるか、それをどう捉えるか、それを単な る「見える形」の現象としてではなく、そのイメー ジの裏にひそむ人間にとってのほんとうの〈意味〉 を知れ、というのです。つまりうわべの出来事の 表面的な意味ではなく、堅い言葉で言うなら、イ エスの周辺に起こる出来事やイエスの語る言葉の 真意を〈解釈」せよということです。比喩的な出 来事や言葉でしか示されていないことを、自分の 日常の空間と時間の中で、つかみ取れということ でしょう。「神の国は、見える形では来ない。 『ここにある』『あそこにある』と言えるもので もない。実に、神の国はあなたがたの間にあるの だ。」というのはそういうことだと思います。 7〜10節の言葉は、主人と僕の譬えです。主人 サイドに立てば、僕としての仕事を全うさせよ、 僕を甘やかす必要はないということになります。 僕から見れば、主人にすべきことをしたまでで、 それ以上のなにかを要求したりしないという主人 に対する謙遜の徳を説いているように見えます。 このような徳目を「神の国」がやってきている中 で説くとはどういうことでしょう。それは、単に あの黙示録的・宇宙的・劇的な展開をただ受動的 に受けとめるということではなく、新しく解釈さ れた「神の国」において人は〈仕える〉、しかも 〈謙遜に〉という生き方をし続けていくというこ となのでしょう。 11節から19節には、イエスが十人の重い皮膚 病(レプラ)を患っている人々を「清くする」と いう奇蹟物語が出てきます。古代のユダヤ教は、 レプラの人を社会から排除するという宗教的な規 定(レビ記13章など)をもっていました。その 規定を自ら受け入れていることを意味しているの か、彼らは「遠くの方に立ったまま」イエスに 「憐れんでください」と叫びました。イエスが彼 らを見て「祭司たちの所に行って、体を見せなさ い」と応えます。その際、イエスは彼らのほうに 近づいたわけではないから、遠くから応えたこと になります。この物語のイエスはその隔絶した距 離を埋めていないのです。ちょっと冷たいんじゃ ないかと私などは思いますがいかがでしょう。彼 らは祭司の所に行って清くされたことを証明して もらう。レプラはまさに宗教上の病であることを 示しています。そこで、ユダヤ人から忌むべき者 として嫌われていたサマリヤ人だけが報告に戻り 感謝したというのです。これはなんなのでしょう。 「神の国」では、ユダヤ人の特権も過去の宗教的 なタブーも無効だ、それらを超えてイエスに感謝 しイエスに信頼する者が讃えられるということな のでしょう。けれども、これもまた、「神の国」 の到来とは日常性の危機をもたらすというのでは なく、反対に、ここで説かれる「神の国」はむし ろ危機の日常化、例えばレプラとして認定された 人を清くする(誤解を恐れず言えば)〈制度〉を、 キリストを信じる者たちの教会が引き受けること になることを意味します。 この倫理と制度と、 その基になっている解釈でいいんだろうか。これ ほどイエスからズレてていいんだろうかと、私に は思われます。
《説教ノート》 2月22日の礼拝説教から コロサイ書1章19−20 「神の右に座し」 久保田文貞 福音書やパウロを読んでイエスに引かれ、イエ スを信じる人々に引かれ、自分もそのグループに ついていったわけですが、キリストが本当に神の 子であるかどうか、という論議には最初からあま り関心がありません。どうでもよいとまではいい ませんが、賛成にしても反対にしてもその論議自 体が空振りだとおもうのです。「そんな論議をし ている暇があったら、手足を動かし他人がしてほ しいと言っていることをせよ」と自戒しつつこつ こつ生きている人にならっていく方がよほどいい と思います。 というわけで、あたえられた今日 のテキストはできれば避けたいのですが、最後ま で気乗りがしないことになります。 〈主イエス キリスト〉が「神の子」という称号で呼ばれたの は、パウロの手紙で確認できるように、かなり早 くからのことです。「神の子」という呼称は旧約 の詩篇やホセア書に少ないながらも神に選ばれた 民として使われていますから、〈主イエスキリス ト〉に、神から遣わされ神の意のもとに民を救済 する者=メシアとして「神の子」という称号が付 与されるかぎり、それ自体問題がないのです。パ ウロにおける使われ方は、まだユダヤ教の許容範 囲を完全に超えていないでしょう。 けれども、 コロサイ書1章に見られる「御子」はあきらかに それと違う水準で捉えられています。そこではも はや「神の」という限定語が外れて、定冠詞付き の「御子」(もちろん言語には「御」という接頭 辞はありません)だけになります。つまり「父な る神」の実子としての「子」という称号になって います。コロサイ書と同じ頃に書かれたと言われ るルカ福音書のクリスマス物語も神の実子として のイエス誕生を描いているので、この呼称のこの ような特別の意味は90年代頃から水準をアップ させたのかもしれません。 コロサイ書はイエス・ キリストが神の「御子」ということになれば、全 体との関連でそれがどういうことになるか、見事 に思辨しまくります。〈主イエスキリスト〉は宇 宙的なスケールで世界と神の和解者とされ、世界 の創造の原因でもあり目的でもあり、死に打ち勝 つ〈いのち〉を生きる最初の者であり、すべての 〈いのち〉の基であるとされます。ここでは「御 子」は人間というより神としての本性をすべて持っ ている方として最高の位に位置づけられています。 この点では、ルカ福音書とすこし違います。ルカ では人の子としてのイエスが同時に「神の子」で あることに腐心しています。基本的にはマルコに ならって人の子としてのイエスの「神の子」性を より神話的に物語ったわけです。コロサイ書はそ れよりさらに進んでイエスの「人の子」性を揚棄 してしまって神の本性をもった「御子」を全面展 開します。〈マジかよ、そこまで付き合いきれな いよ〉が本音です。めちゃぶりの三振ってとこだ と思います。 ただちょっと興味を持ったのは、 この思弁の材料としてコロサイ書が当時の「キリ スト賛歌」のひとつを引用していることです。1 5〜19節まで、〈御子〉の神性を一番大胆に 「語る」というより「騙って」しまっているとこ ろですが、実はそれは〈ウタ〉の水準のことなの です。讃美歌なら唄っちゃうけど、その歌詞を論 理の水準で考えたり議論したりすることになると、 付いていけないということがあると思います。ま さにそれです。というわけでこの議論から逃げる ことにします。
《説教ノート》 2月15日の礼拝説教から ルカ6章27−36節 「敵以前の異なる者」 久保田文貞 「敵を愛せ」というのはクリスチャンのモットー のように思われている。たしかにこの言葉は「社 会的な動物」たる人間にとって衝撃的である。人 はなんらかの仲間と共に生きるよりない存在だ。 その仲間を「愛する」がゆえの仲間であり、その 仲間を傷つけ否定してくる者を「憎む」のは人間 の本性的なものと言ってもよい。「仲間を愛せ」 というのはたしかにあくびの出るような同語反復 である。 これに対して「敵を愛せ」という言葉 はこの原理を攪乱させるものだ。「仲間を愛せ」 を反転させて「敵を愛せ」と言ってみたくなる。 自分や仲間に向かって、「憎み」「悪口を言い」 「侮辱し」「殴りかかり」「上着を奪う」者に自 然に反応するだけではなにも始まらない。そもそ も「愛する」ということはなにか。「他者」を愛 することではないか。自分や仲間にとって「他者」 とはなにか。自分や仲間が生きている内部に外側 から自分や仲間に対峙してくる者である。そのよ うな他者との出会いの初めを思い起こせば、自分 や仲間との間に築かれていることばやふるまいが そのとおり通じてくれない非対称で異形なる存在 だったではないか。いや、いまもわかっているつ もりでまだほとんど通じないままであるのかもし れないような存在ではないか。もちろん、自分や その仲間は、他者たちにとっての他者であること、 非対称で異形な存在であることを改めて受け入れ なければならない、そういう関係ではないか。 人にとって「愛する」という根源的な態度が問題 となるとすれば、そのような「他者」をこそ愛す るかどうかにかかっているだろう。 「 自分を愛 してくれる人を愛したところで、あなたがたにど んな恵みがあろうか。」「自分によくしてくれる 人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろ うか。」「 返してもらうことを当てにして貸した ところで、どんな恵みがあろうか。」「自分を愛 してくれる人を愛したところで、あなたがたにど んな報いがあろうか。」(マタイ5:46)とい うことはそういうことなのだろう。 そこに「罪 人でも」、「罪人さえ」同じことをしているじゃ ないかという説明はせっかくのことばを一挙に後 退させてしまうような余計な書き込みと言わざる をえない。「罪人」として社会の外部にはじき出 された人々の間にこそ、あるいはまずそこから、 「神の国=恵み」が全面的にゆきわたり、開花す ると宣言した人こそイエスであったのではないか。 後のキリスト教がそれでもなお「罪人」を再生 産していくのはどうしてだろう。「敵を愛せ」と いうのが原理のようになって、皮肉なことに「敵 を愛せ」ないとおぼしき人々を新手の「罪人」に 位置づけ、「悔い改め」を要求し、ある種の「聖 化」へともたらすというのでは、元の木阿弥では ないか。「罪人でも」とか「罪人さえ」あるいは マタイの場合のように「徴税人でも」「異邦人で さえ」「同じことをしているではないか」という のでは、「敵を愛せ」ということばが突きつける 根源的な、人と人との関係の攪乱と新しい布置と その感動を解消させてしまうだろう。 とはいえ、 人が現実に生きていく上でどうしようもなく他者 を排出し、「異邦人」「罪人」を再生産してしま う構造の中に巻き込まれていくことから、自分一 人観念的に突き出ているかのようにふるまうこと ができないと自戒しておこう。
《説教ノート》 2月8日の礼拝説教から 出エジプト記4章「言葉を口に託す」 久保田文貞 ・・・それでもなお、モーセは主に言った。「あ あ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではあり ません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった 今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、 舌の重い者なのです。」(10) モーセのこの口の重さは何だろう。〈自分はヤハ ウェの命によりエジプトの奴隷となって酷使され ているあなたたちを救出するためにきた〉と彼ら に言っても信用してくれないのではないかという 自信の無さゆえだろうか。たしかにこの問題は大 きい。『主がお前などに現れるはずがない』と言 われれば、モーセにはその不信をぬぐい去ってく れるような後ろ盾がないから、そこで凍りついて しまうかもしれない。これに対して、ヤハウェは 彼らの不信をぬぐうために、あっと言わせるよう な奇蹟を見せつけてやろうというわけだが、モー セのためらいはそれでも消えない。重ねて神にも の申す。「わたしはもともと弁が立つ方ではあり ません。」「弁がたつ」の原語は「イーシュ・デ バーリーム」すなわち「言葉(複数)の男」であ り、そのまま日本語にできないから「弁が立つ」 とはうまい訳だと思うが、「言葉の男」という直 訳も、読み手の想像力を誘う響きがしておもしろ い。〈自分には、神の言葉に人の言葉を対応させ ていくことはできない〉、〈自分には神の言葉を 取り次ぎ、人の言葉を代弁するような「言葉の男」 という位置に立つことはできない〉という表明で はないか。 だから、「あなたが僕にお言葉をか けてくださった今でもやはりそうです。全くわた しは口が重く、舌の重い者なのです」というのは、 モーセが自分の資質を謙遜に語っていることばと は受けとめたくない。〈神から託されたらしいも のを、立て板に水を流すごとく、ペラペラと何の ためらいもなく語れるなんて事があってよろしい だろうか〉とモーセは言いたかったのだとぼくは 勝手に思う。「口が重い」「舌が重い」、「言葉 の男でない」と神に抗うモーセにぼくは魅力を感 じる。これをもっと強く「反抗」と呼びたい気が する。相手はゴジラやキングコングよりも大きく て強い神である。その神がおまえの後ろ盾になっ てやろうと言い、「さあ」と促している。それで 何の文句があるか。断ったら踏みつぶすぞと言わ んばかりである。 物語では、モーセは「だれか ほかの人を見つけてお遣わしください」という。 すると神は、モーセにひとつの代案を出す。モー セの兄弟で、雄弁なアロンを補佐として付けてや ろうというわけである。急に、宗教学が喜びそう なテーマに移っていく。モーセが神の霊を受け、 それを兄弟アロンが言語化して、ここでの言葉を 借りると「言葉の男」として民に語るというわけ である。アロンは後々の祭司族の宗祖のような存 在にされていく。いや、そもそもこの物語自体が その結果の生産物だという方が正しいかもしれな い。そういうとみもふたもないが、いずれにせよ、 ここでアロンがモーセに付きそうことになって、 一挙にあのためらいがかき消えてしまう。宗教家 たちにはありがたい添付ということになろうが、 ヤハウェとモーセのもみ合いの深刻さが薄められ てしまうのは惜しいことだ。
《説教ノート》 2月1日の礼拝説教から 使徒行伝18章24−19章7 久保田文貞 使徒行伝の著者がこ こで描いていることは著者から見ておよそ40年 前の初期キリスト教の一コマです。著者はいろい ろな資料や伝承を掻き集め、エルサレムの教会設 立に始まって、ペテロやパウロによって、福音が 世界に伝えられていく神の救いの歴史を〈聖霊〉 の働きによるという観点からまとめました。後半 はもっぱらパウロの、ついにはローマにまで達す る伝道のことが書かれています。 18章24節 以下は、パウロのいわゆる第三伝道旅行期間に彼 が2年間エペソに滞在しますが、その少し前52, 3年頃のエペソで活動を始めたアポロのことが、 ほぼ番外編のようにして、書かれています。使徒 行伝によれば、アポロはエジプトのアレクサンド リアの出身でユダヤ人、聖書(キリスト教の言う 旧約聖書)に精通し雄弁家だという。アレクサン ドリアはプトレマイオス王朝の首都だった所であ り、ヘレニズム文化の拠点、かなり早くからユダ ヤ人が多く住んでいます。ギリシャ語訳旧約聖書 である70人訳聖書が翻訳されたのもここです。 注目すべきは、そのアポロが「イエスのことにつ いて熱心に語」るほどにイエスの情報を得ていた こと、さらにヨハネの洗礼を知っていることです。 明らかに、使徒行伝が王道のように歩んでいる歴 史とはべつの流れのバプテスマのヨハネ−イエス を語るグループが存在していたことを物語ってい ます。このグループはアポロを伝道者として、各 地に離散して住んでいるユダヤ人に向けて、アレ クサンドリアから宣教派遣したと見てよいでしょ う。 このことは重要なことです。私たちはとも すると、使徒行伝がえがく一本線のような初期キ リスト教史を思い浮かべますが、実際にはイエス について宣教しようと言う複数のグループが存在 し互いにクロスしていたという事実を押さえてお かなければなりません。 また、52,3年頃、 エペソではクリスチャンたちもユダヤ教会堂の集 会に出ているということ。そこでアポロは洗礼者 ヨハネ−イエスの宣教をしているのです。しかも、 そこにローマから出てきてコリントの集会をパウ ロと共に育てたプリスキラ、アキラ夫妻がそこで アポロの話を聞いている。この夫妻は、49年ク ラウディウス帝による、ユダヤ人のローマからの 追放令(たぶんクリスチャンがらみの事件が騒擾 と見えたらしい)にひっかかって50年頃コリン トへ来ている。そのかぎり、この夫妻もパウロと 別の流れにいたとということです。夫妻はコリン ト教会を離れてパウロといっしょに52年エペソ に来た。パウロはその後夫妻を残してエルサレム に行きます。夫妻はアポロの話しを聞いて、彼が 知らないことを説明したというのです。おそらく その中身は、コリントで夫妻とパウロの間で調整 済みの福音理解のことだったのでしょう。それが 十分に伝わったかどうか微妙ですが、この後、5 3年頃アポロは、たぶん夫妻の紹介状を持って、 コリント教会に行く。そこで雄弁な彼は多くの人々 の心を掴んだようです。第一コリント1章12節、 同3章12節に話題となって出てくる〈アポロ派〉 です。〈聖書〉の知識をふんだんに使って、キリ スト論証をしたことでしょう。ただ、それがどれ ほどパウロの福音理解と通じていたかわかりませ ん。 いずれにせよ、ここを見ただけでも、基本 的にキリスト教の歴史は主要な一本線を引いて、 えがくことはできないのです。主要な一本線の歴 史を書こうとした使徒行伝自体が一本線で掛けな いことを暴露してしまっていることがわかります。 使徒行伝からすれば、人々のイエスへの思いが多 様で錯綜していたなどというのは、不本意な歴史 でしょうが、無理して下手に束ねない方がいい。 周縁にある教会、周縁にいる信徒、周縁に活動す る伝道者を窒息させるような教会であってはなら ないでしょう。
《説教ノート》 1月25日の礼拝説教から ルカ福音書21章7−19節 「勝たない」 久保田文貞 21章7節以下は、いわゆる「小黙示録」と呼 ばれているマルコ13章3〜37節のルカ改訂版 です。しかし、これはもともとユダヤ教の中で通 用していた「黙示」(隠されていたことが表に表 されるという意味ですが、実体は神の最終的な審 き(=終末)がついに始まる、その前にどんな兆し があるかを述べ、そこで神から派遣されたメシア がどんなことをするか、どんな審きが行われるか ということ幻想的に物語ったもの)の小片を、マ ルコがキリスト教的に改訂したものです。ユダヤ 教黙示文学との決定的な違いは、メシアをナザレ のイエスに特定していることですが、共通してい るところで注目すべき事もあります。 それは 「そういうことは起こるに決まっているが、まだ 世の終わりではない。」(マルコ7)「こういう ことがまず起こるに決まっているが、世の終わり はすぐには来ないからである。」というところ。 つまり、すでに終末的な予兆は起こっているけ れども、終末自体が起こっているるわけではない からジタバタしないようにと留保をつけています。 マルコのこの言葉は、おそらく資料の中から受け 取ったものでしょう。ユダヤ教黙示文学の場合も それがどんなに幻想的な表現をしていても、「だ からといってこの幻想がそのまま起こっているな どと思うなよ」という留保つきだったのでしょう。 黙示文学の代表的なダニエル書をみてもわかりま すが、ほとんど妄想的なヴィジョンが滔々と続く、 知らずに読むと著者は「正常な神経?」の持ち主 かと疑われるほどです。しかし、著者は読者より はるかに冷静に計算をしていて、メタファにメタ ファを重ね、まさに「なにかを隠す」というある 種の秘儀を楽しんでいるのではないかとすら思え ます。 ところが、マルコの時代(通説にしたがっ て70年頃)になると、黙示文学の比喩的な意味 が変わってきます。ユダヤ教の場合は、66年頃 からローマと戦争状態に入っていき、70年には 都エルサレムが陥落し、神殿も破壊される、それ こそ終末的事態を経験するわけで、比喩として、 ある種のシャレとしての黙示文学がそのまま留保 なしの状態に入ってしまいます。キリスト教(ま だユダヤ教イエス派といっておいた方が正確かも しれません。)の場合、メシアをイエスと特定し おり、そのイエスは処刑されてしまっているわけ で、メシア登場はもう終わっていることになりま す。つまり比喩としての黙示文学はここでも比喩 ではなくなっています。ユダヤ教での留保は「そ う熱くならないで、比喩をみぬけ」という感じで すが、キリスト教ではまじめに死んで復活したメ シア=キリストが再びこの世に登場する「再臨の 日」「終わりの日」までのものすごく生真面目な 留保になります。比喩が比喩でなくなっている、 いや比喩そのものの中にみんなで浸かってしまっ ていて比喩であること自体が隠されているという ことでしょうか。 いずれにせよ、マルコ版もそ の改訂版としてのルカ版も、「民は民に、国は国 に敵対」するような危機的な情勢になっても、ま た戦争や暴動、地震や飢饉、疫病など、人々にこ の世の末かと思わせるような事態が起こっても、 それが終末だと大騒ぎしてはならないというわけ ですが、そうやって手に入れる冷静さというのは、 なんでしょう。もともと、比喩的なシャレのよう な黙示文学を、そのままイエス・キリストに当て はめ、比喩そのものの中にはまり込んだキリスト 教にとって、人間の歴史がどれほど切実なのかと 人から疑われるでしょう。だが、私から言わせて もらえば所詮だれもがそれぞれのやり方で比喩の 中を泳ぎ渡っていくよりないと思っています。
《説教ノート》 1月18日の礼拝説教から ローマの信徒への手紙1章8〜17節 「福音を恥としない」 飯田義也 ローマの信徒への手紙 は、パウロの手紙としては後期なので、言葉がか なり学問的な感じになっており、むずかしいと感 じるかも知れません。また、今日のところでも 「福音を恥としない」と、微妙な表現を使ってい ます。「福音」とは「グッドニュ−ス」の意味で、 突き詰めて考えるとキリストの復活のことです。 だとすれば、もっと積極的に「福音を喜びとする」 くらいの発言をしてもよさそうなものなのです が、・・。初期の手紙の頃から様々な経験をして、 パウロはこの手紙を書いています。集大成でもあ りますが、老獪さが出てきているとも言えるでしょ う。先日の礼拝で読んだ使徒言行録にもあったと おり、パウロはギリシャの人々にこの福音を宣教 しようとして、さんざんな目に遭っています。死 んだ人間が生き返るわけはないと、古代の人々も よく知っていたということです。 今日のお話は、 私にとっては、高知へ移住する前に総括的な説教 ということになるようです。まず、説教というこ とについて触れておきたいと思います。この教会、 派手に人を変えるような・・つまり集う人が涙し ながらこれまでの人生と違う人生を歩もうと決意 するような、メッセージがあるわけではなく、む しろそれは違うと、拒絶し、一方で、キリスト教 に初めて触れる人からはむずかしくてわからない と言われながら、礼拝が守られ続けているのは、 久保田文貞さんをはじめとする、講壇に立つ人々 の説教への姿勢によると思います。医療や福祉関 連の講演会に行くことが多いのですが、すばらし い内容の話でも、その「すばらしい話ができる私」 というところに関心が向いている話がけっこうあ り、それが聞こえてしまうと、いやになってしま います。言葉に仕えて行く姿勢だと思い、高知へ 行ってもそれを忘れないようにしたいと思ってい ます。 昔の話ですが、北海道に住んでいた頃、 留萌教会の福島恒雄さんが「人間にとって、他人 というのは言葉なんです。」とおっしゃり、今で もその言葉の深さに思いをはせます。言葉に過ぎ ない他人に対して、テロリスト呼ばわりして害を 加え、自分は正義を守ったつもりでいる・・とか。 実際に苦しむ人に対して、何を言ってあげられる でしょうか。私達は、言葉に導かれて人生を歩み ますが、現実と言葉との関係をとらえながら、言 葉を大切にする姿勢を失わないようにしたいもの です。パウロは、そうした意味で、手紙をたくさ ん書いたと思います。 高知県人は、坂本龍馬が 好きです。何せ空港さえ「高知龍馬空港」ですか ら。龍馬は、たいへん筆まめで、たくさん手紙が 残っており、伝説になりやすかったと思います。 龍馬の実像について、近年、そんなに大人物では なく、薩摩の営業マン的な役割だったのではない か・・という見方があります。実際、権力をもっ ていなければ世の中全体の決定に関与することは むずかしく、小松帯刀の方が影響力を持ち得たと いうのは確かでしょう。このこと、キリスト教と イエスの実像の関係、教会という限界とか、・・ それらのアナロジーになっています。 「実際の 龍馬VSナザレのイエス自身」「伝説の龍馬が好 きな高知県民VSキリスト教徒」高知県に行くに あたって、権力者でなかった人物に好感を寄せる 人の多い県に行くのだと思うと、心が軽くなりま す。33歳で殺されてしまった坂本龍馬には子供は ありませんでしたが、甥がいて、坂本直寛という 方です。明治に入り、高知県から、たくさんの人 が北海道に移住しますが、北光社という組織がそ のマネジメントをしておりました。(もちろん、 このこと自体の課題もありますが。)直寛は、植 村正久の説教を聞いてキリスト教徒になり、北光 社を支える働きをしつつ、旭川教会に牧師として 赴任しています。坂本「家」の墓は、道央、札幌 と旭川の中程、浦臼町にあるそうです。家族全体 に、言葉を大切にする雰囲気があったのでしょう。 福音に生きる人々を生み出していきました。 福 音は、すべての人が救われるというようなきれい ごとではありません。マリアの讃歌に「主はその 腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権 力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者 を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める 者を空腹のまま追い返されます。」とあるように、 この世の価値観の逆転です。復活が矛盾している というなら、この世界はより矛盾しているし、復 活があり得ないというなら、この世界はよりあり 得ない・・というか、あってはならない「ありよ う」をしています。 パウロは、そうした福音に 生きる生き方を、自分がするというだけではなく、 人々と共有して行こうとし、その決意を改めて書 いていることがわかります。 世界情勢、日本の 社会状況、つくづく、聖書に書いてあることは本 当だなぁと思うこの頃です。私自身振り返ると、 やってきたことは本当に小さいのですが、これか らも「福音を恥としない」生き方ができればと思 います。人々の中で生きること、キリストの死に 生かされて生きること、そして、有名にならずに 生きること・・そんなことを考えています。
《説教ノート》 1月18日の礼拝説教から ルカ福音書2章30−31 「異邦人を照らす啓示の光」 久保田文貞 幼子イエスが両親に連れられてエルサレム神殿 に「お宮詣り」した時の逸話が22節から38節 に記されています。そこにふたりの老人が出てき ます。ひとりは翁シメオン、もうひとりは女預言 者で84歳のアンナ。シメオンは「正しい人で信 仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望 み、聖霊が彼にとどまっていた。26 そして、主が 遣わすメシアに会うまでは決して死なない、との お告げを聖霊から受けていた。」と紹介されてい ます。つまり、福音書記者としては、シメオンと いう人物に古き良きイスラエルを体現させている と言ってよいでしょう。そのシメオンが幼子イエ スを抱いて神を賛美しました。「主よ、今こそあ なたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせて くださいます。わたしはこの目であなたの救いを 見たからです。 これは万民のために整えてくださっ た救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民 イスラエルの誉れです。」 ラテン語の聖書で Nunc dimittis で始まるこの賛歌は、カトリック 教会では最も重要な賛歌の一つとしてたびたび歌 われるものです。「讃美歌」560、「讃美歌2 1」にも180番、181(560番に同じ)番 に出てきます。この歌の内容は、キリストは、イ スラエルがずっと求めてきた神の救いの実現者で あり、これでイスラエルの使命は終わったから、 自分は世を去るというものです。つまり、なぜイ スラエルが他の民から聖別されて存在したか、そ れはこの世界の救い主メシア=キリストを世に送 り込むための装置であったのだ、その務めが終わっ た以上、イスラエルの存在意義はなくなったと、 言っていることになります。これが紀元90年頃 に書かれたルカ福音書のイスラエルを見る目であ り、そこに流れている考えです。当然、これまで イスラエルがアイデンティティを得るために排出 してきた〈異邦人〉ももはや意味を失う。救い主 は全・世界の救い主であり、イスラエルも異邦人 もないというわけです。この見方はキリスト教的 救済史観から生まれたあまりに図式的で身勝手な ものと言わざるをえません。これをもって異邦人 性はすべて解決されるのだ、というのですから。 正月から、現在起こっているイスラエルのガザ 攻撃の情報や映像が毎日メイルやインターネット で配信されてくるのを見て、こんな子とではいけ ないと思いながらも無力感に苛まれています。いっ たい、このイスラエルの〈異邦人〉への執拗な攻 撃にキリスト教救済史はいまも「異邦人を照らす 啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れ」と賛 美することができるかと。 ここにはアイデンティ ティを得るために次から次へと排出してしまう異 邦人を塗りつぶして、共同性を完成させようとす るごく自然の人間の欲望が塗り込められているの です。この事実のラッシュを抜け出て、ひとり救 済史神学の高みから知ったような顔をして鳥瞰す るというのは、現実に繰り広げられている人間史 の塗りつぶしにほかなりません。 まちがいなく それはイエスがもっとも嫌ったたぐいの立ち位置 です。
《説教ノート》 1月4日の礼拝説教から ガラテヤ3章9節 「信じて生きるよりないか」 久保田文貞 ガラテヤ書でパウロが展開している提言は、ユ ダヤ教の律法(=掟であり、コードである)を異 邦人改宗者にも適用すべきかどうかという問題に 対して、人は律法を守る行いによって義とされる のではない、キリストを信じる信仰によって義と されるのだということでした。 キリスト教揺籃 期に、異邦人(非ユダヤ教徒)がクリスチャンに なるということは、ユダヤ教徒になることだとい うのが当然のように考えられていました。ですか らユダヤ教徒になった以上、〈割礼〉儀式を経て その掟を守るべきだとする要求をなかなか断ち切 れなかったらしいのです。 パウロもかつては人 一倍、律法を遵守することに熱心でした。そのあ まりクリスチャンが律法を軽視するのを見過ごし できず、彼らを糾弾した過去を持っています。け れども、あるとき「十字架につけられているイエ ス」に出会うという体験をします。この衝撃な体 験を経て、突然にというよりは相当の期間を費や して、〈信じて義とされる〉という結論に到達し たらしいのです。〈義とされる〉ということは神 から審きの座で義(無罪)と認められる、〈救わ れる〉、神の恵みに許に完全に入るということを 意味しました。人は自信の努力や功績によって義 とされるのではない、神の〈憐れみ恵もうとする 憐れみ・恵み〉によってただただ義とされるに過 ぎない、そのことを指し示すのが〈十字架につけ られたイエス〉だというのです。 このパウロの 回心の〈物語〉を私たちがいま読むとき、求道す る者の成功物語にしてよみがちです。だれでも自 分探しにエネルギーを使った経験があると思いま す。そのような時、忍耐、克己、熱心、根性・・・ この種の言葉が心の中を踊りまわります。そして 難行苦行の果てに、単純に自分を発見し、結果と して成功を手に入れるならどうということのない 成功物語ですが、しかし、多くが失敗し挫折する。 そのとき浮かび上がってくるのが広い意味での 〈信仰義認〉です。〈求道〉の果て、〈求道〉の 超越として、ただ信じることによって〈求道〉中 の自分探しの時には見えなかったなにか新しいも のが開けてくる、そういう成功物語なのですが。 確かに、一面から見ると、パウロの物語を〈求道〉 の果ての成功物語と読めなくもない。 でも、こ の世界内の私探しの〈求道〉の果てに、いったい どこに行ってしまうのか、そこからこの世界はど う位置づくのか、あるいは自分の立ち位置はどこ か、〈求道〉の場を提供したこの世界は放置され たまま、そのままのこるのか。この世界はなにも 問題解決に至らず、〈求道〉の、そして〈私探し〉 のただジムに過ぎないのか・・・。 お正月とい うは、なにか旧年の〈求道〉の果てみたいなとこ ろがあって、この世界を突き抜けてしまっている ところがあります。なにが起ころうと頭の上を素 通りさせてしまう。ゆったりとした顔をして、 「これをして」と言われれば「はい、はい」と言っ てさからわない。かといって自分から何事も始め ない。つまり〈信仰義認論〉の行きつくところと 似たものがあります。 けれども、この〈読み〉 はやはりパウロの物語の誤読でしょう。では真の 読みはなにかということはわかりません。そんな ものないといった方がいいでしょう。どう誤読す るかというよりないと思うのですが、この〈誤読〉 はよくないと思うのです。 この世界内の〈求道〉 の果てにこの世界を突き抜けてしまうという問題 がどうして起こってしまうのか、それは「私の義 を追及する」という〈求道〉自体に潜んでいるよ うに思えてなりません。