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説教ノート 2008年1月から12月分まで

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《説教ノート》12月21日の礼拝説教から マタイ福音書1章23節 「インマヌエル」   久保田文貞  これは、イエスより700年以上前の預言者イ ザヤの預言のことばです。前734年ごろ大国アッ シリアのティグラト・ピレセルは対エジプト政策 としてその入り口にあたるパレスチナに進軍し、 南西部ガザを制圧します。これに対抗してダマス コと北王国イスラエルは同盟を結んでアッシリア 抵抗戦線をつくり、これに南王国ユダの王アハズ を組み入れようとしますが、アハズはおそらくアッ シリアを恐れ、これを拒みます。両国とユダとの 間で戦争になるわけですが(シリア・エフライム 戦争)、アハズはアッシリアに援軍を頼んでしま います。とにかくこの間アハズ王はびびりまくっ ていたらしい。このようなアハズに対して、宮廷 の顧問預言者のような位置にあったと思われるイ ザヤは、あっちについたり、こっちについたりし ないで、ただヤハウェを信頼して毅然としている ように忠告しているのですが、その一連の預言の 中にインマヌエル預言(7章1−17)があるの です。「主が御自らあなたたちにしるしを与えら れる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。」インマヌエルと は、「万軍の主がわれらと共にある」という言葉 と同様、祭儀に起源をもつ宣言であり、祭司によっ て〈聖戦〉と見なされた戦いを前にした奨励的な ことばだったようです。そこではおそらくアハズ 王が生まれ変わってインマヌエル〈神われらと共 にあり〉という名を与えられ、信念に固く立って 歩めというメッセージがこめられていたのでしょ う。 「おとめ」(アルマー)とはもともと処女 の女性を意味しません。しかし七十人訳聖書がそ れに処女の女性を意味するギリシャ語パルテノス をあてて翻訳してしまった。マタイはこの預言を マリヤの処女懐胎の証言ととり、イエス誕生の預 言と解したわけです。というわけで、処女懐胎の モチーフはイザヤのインマヌエル預言が生み出し たという可能性も否定できません。マタイよりさ らに数年後書かれたルカ福音書がさらにこれを受 けて処女懐胎の「伝記」物語的な敷衍をしていき ます。2世紀に書かれた外典のヤコブ原福音書で は神の子の母マリアの生まれまでたどり、ヨセフ を老人にしてマリアはイエス以外に子を持たなかっ たとさらにマリアを特化せざるを得なくなります。  これらのイエス誕生物語の核にあるのは神の子 イエスの誕生であり、そこからほぼ必然的に出て きてしまう「聖霊によって身ごもった」というモ チーフです。正直言って、イエスを実体的に「神 の子」、つまりは〈神〉その方自身であると言っ ていくことには論理的に無理があります。その無 理を消すために、新たな無理を重ね、「信じる」 ということに過剰な負担を与え、それを過剰に要 求してしまうことになってしまいました。「神を 信頼する」、あるいは「イエスを信頼する」と自 然に表現されたものを、低次の〈信〉と見なし、 一方では不可能なこと、常識では追いきれない不 思議なことを丸ごと信じるようにせまることになっ てしまったと思わざるを得ません。 わたしたちは、ほんとうはイエスがだれの子であ ろうと、どのようにして生まれようと、どうでも よいと思っています。この世界にいどころを無く してよわっている人々の所にいっしょにいること を選び、そこに神の恵みを見いだすイエス、そう した生き方を続けていく中で権力に殺されてしま うイエス、私たちは彼を信じて、彼がよりどころ とした神の恵みに生きていこうと思う、それで十 分なのです。


《説教ノート》12月14日の礼拝説教から 使徒行伝17章27節 「神は遠く離れていない」 久保田文貞  神が遠いとか近いとかいうのは距離感の問題で はないだろう。神との関係が持てているかどうか の問題だろう。そしてこの種の議論が胸を打つの は、神が遠くてその兆しもとらえられない、探し 求めても向き合うことができないと人が叫ぶ時だ。 たとえば詩篇22編のように「わたしの神よ、わ たしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか。 なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず、呻きも言 葉も聞いてくださらないのか。わたしの神よ、昼 は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙 ることをお許しにならない。」  これに対して、 使徒行伝17:27のパウロのアテネ説教のこと ばはあまりに楽観的だ。ほんとうにそうだったか は別にして、使徒行伝の書かれた時(90年頃) もギリシャのアテネはソクラテス、プラトン、ア リストテレス以来、哲学の伝統の町としてイメー ジされている。パウロがその町の広場で当時の哲 学者たちから招かれて持論を展開する。・・・あ なたがたギリシャ人は信仰深い、「知られざる神」 に捧げる神殿さえ造っている、そうだその神こそ がこの世界を創造した、したがってこの世界の内 部で探し求めさえすれば神を見出すことができる、 神は人間から遠く離れてはいない、人間はみな神 の子孫だと言っていく。だから、手で作った神像 は神ではない・・・はっきり言ってここまではど こにでも転がっている浅薄な宗教論で、アテネの 知識人はなんの興味も持たないだろう。その説教 はそのあとから突如景色が変わり、審きの日、悔 い改め、さらに「神が選んだ人」が死者の中から 復活したことへと話しを移していく。当然、聴衆 たちはあきれて「もういいよ」と相手にしない。  使徒行伝の著者は聴衆の頑なさのせいにしてい るように見えるが、いずれにせよその「伝道」説 教は失敗だったと見なしているようだ。だが、な にが失敗しているのかまでは突っ込んで書いてい ない。 先にアテネ説教の前半に対して「浅薄な 宗教論」と言ったけれども、其処に流れているの はこの世界の内部に神の真意が潜んでいる、人は それを探し出せば掴むことができると誘っている 言葉である。そのためにはなにもかも世界の内部 に調達できるよと呼びかけている言葉である。だ から何なんだと言って相手にする気も起こらない ところだけど、よく考えるとほんとうはけっこう 深刻な言葉だ。浅薄とはいえその主の宗教論は、 この世界の内部に潜む〈原理〉を掴んだものは、 この世界を把握し、理解し、支配する根拠をもっ ていることを保証する、ときには自らがその支配 者に躍り出る可能性さえもつからだ。さらに「こ の世界」を「人間」と置き換えてみれば、それが いっそう深刻な発想であることがわかる。世界の 人間をモノのように把握し、理解し、働きかけ、 管理し支配できるという自信をつけ、それを後ろ から押ししてやるようなものだからだ。 この世 界の内部をよく探せ、見抜け、そこに横たわって いる法則をつかめ、そうすればこの世界を把握で き、支配できる・・・これは、そのまま近現代に 突出している問題だ。「近現代」などという感覚 そのものにすでにこの問題が横たわっている。  この世界の内部の奥深くにあるもの、それが「神」 の名によって保証されていようと、「理性」の名 によってであろうと、この世界内部の言葉で当然 のように、世界と人間を把握し、理解し、対象化 できるととらえてしまう問題性が、あのアテネ説 教にあることを忘れてはなるまい。
《説教ノート》12月7日の礼拝説教から ホセア書2章20−25 「夫と妻の間に」    久保田 ホセアの中心になっている預言が発語されてくる ところは尋常ではない。「主はホセアに言われた。 『行け、淫行の女をめとり、淫行による子らを受 け入れよ。』」(1:3) 妻ゴメルは異教的な習 慣を取り入れた神殿付きの聖娼だったと思われる。 命じられるままにホセアは彼女を娶り、夫婦生活 に入る。ゴメルとホセアの尋常でない夫婦関係、 そして家族の日常の場が彼の預言の言葉の源泉に なる。 ひとりの男とひとりの女とが向き合い結 ばれて閉じた心的世界のことを、思想家吉本隆明 は「対幻想」と呼んだ。「幻想」という時、その 心的世界が現実の世界に対して転倒、あるいは倒 錯していることを示唆している。恋人同士が見つ め合っているとき他の世界が見えなくなっている だけではない。実は価値観が転倒し、判断力も倒 錯していうると見なされる。 しかし、それをと りまく現実世界の方も吉本によれば「共同幻想」 として閉じられ転倒しているものとして告発され るから、転倒とか倒錯と言ったところで、どこか に実体的な最終審級があるわけでもない。転倒も 倒錯も他方から見ればそう見えるだけで、要はそ れぞれが逆接的な関係にあると吉本は捉えている と思う。 どのような前歴があれ、ゴメルはホセ アの妻であり、だれもふたりの対の世界を貶めた り、ましてこれを擬装結婚だと決めつける根拠は ない。3人の子が生まれるが、結婚後もゴメルが聖 娼を続けて子を宿したかもしれないとしてもであ る(1:3の言葉はそれを裏付けている)。 預 言者の務めは、神の言葉を聞いて、それを正確に 人々に表出することだ。俗世の人々が生きるこの 世界の限界点に立って、向こうから来る〈言葉〉 に身をさらしそれを受けとめるわけだ。預言者た ちは一般にこの聖なる務めを、例えば神殿内部や、 聖なる所で、あるいは聖なる祈り、瞑想の中で執 り行う。だが、ホセアの場合、妻ゴメルとの対の 世界の中に生じる限界点、対の世界の裂け目にお いて預言者になる。 このことをどう捉えたらい いのだろう。本来閉じているべき対の関係の中に、 彼の世界からの〈ことば〉が割り込んでくるのだ。 これは、家族ごと信仰生活に入るのを理想とする 「クリスチャンホーム」のように、対の世界を信 仰的な言説に全面的に引き渡した風をするのとは 違う。クリスマス物語自体がそうであるからやむ をえないと思うが、この延長線上に、父ヨセフと 母マリヤそして赤子のイエスを「聖家族」として 祭り上げるのもちがう。神話的な表象に満ちたク リスマス物語の核は、神の子イエス・キリストの 誕生を神の〈ことば〉がこの世界へ介入するとい う点にある。この介入は、未婚のマリアが懐妊し、 それを婚約者が自分の子とすることを受け入れ (ホセアに似ているのは偶然ではない)、ついに 子が誕生するというわけで、神がヨセフとマリヤ の対の世界に割って入るという介入なのだ。 閉 じよう、閉じようとしがちな私たちのこの世界の 向こう側に、この世界にあるなにものも通用しな い〈他者〉が向かい合って立つ。それは対の世界 に介入した神の在り方に限りなく近い感じがする。  
《説教ノート》11月30日の礼拝説教から コロサイ書1章13−20節 「神の子誕生について」      久保田  アドヴェント(待降節)、クリスマスを迎えま す。一般にあっさりと「クリスマスは、神の子イ エス・キリストの誕生を祝うお祭りです」と説明 されます。けれども問題は〈神の子〉をどう捉え てそう言うのか。もし単に神の生み出した者、神 の心にかなう人という意味ならどうということは ありません。旧約でも多くはありませんが、神の 民とほとんど同義で「神の子ら」という言い方が 使われています(詩篇29:1,89:6、ホセ ア1:10)。しかし、初期キリスト教の中でナ ザレのイエスを〈神の子〉という称号で呼び始め たときは、たとえばマルコ福音書では、神から遣 わされ、神の救済の意志(神の国)を地上で実現 していく者(マルコ1:11)、しかし地上の勢 力によって殺されてしまうのだが、かえってその ことがいっそうただならぬ者であることを訴え (マルコ15:39)ているというように、イエ スという存在が、この世界内に根拠をもたない神 の事柄に関わっていると捉えています。それはメ シア(ヘブル語)=キリスト(ギリシャ語)とだ け言っておいた方が無難だったかもしれません。  ユダヤ教(旧約聖書を生み出していく古代ユダ ヤ教、イエスの運動と彼をメシアと呼び始めた初 期キリスト教を含めて)の根底を流れるものを言 い表すひとつとして、「メシア的終末論」という のを上げることができると思います。それは、こ の地上のわれわれ人間が生きている世界の向こう からだれかが呼びかけ、あるいは襲いかかってく るという感覚の中で浸みだしてくる世界観です。 わたしにはそこで呼びかけてくるのが何者かとい うこと以上に、自分が生きている全=世界、世界 内のすべての意味・価値、無限に続くと意識され ている時間も空間も、この呼びかけと襲いかかり によって、限界づけられるということに注目した いのです。当然、全=世界を把握し認識し所有で きると思っている者は、この呼びかけを無視しな ければなりません。この世界の外から呼びかける 者に絶対に耳を貸してはならないと絶えず触れ回っ ているはずです。この世界内には自ら所属する世 界の限界を認識するという離れ技をやってみせる 知性がないわけではありませんが、これとそれと は別物です。メシア的終末論によって気づかされ る世界は、あくまで彼方からのなにがしかの呼び かけや襲いかかりによって、つまり他者との出会 いという「人」格的な関係の中でつかみとる世界 です。 イエスもまた、その二つの世界が衝突す る真っ直中を経験された方だとまずは言うことが できます。そのイエスをメシアだと言い表すのも 自由なことだと思います。さらに言えば、そのイ エスを神の子だと言い表す人がいてもいいと思い ます。しかし、どの言い表しも所詮はこの世界内 の特別の名称に過ぎない、どんなに思いこめてそ の出来事とその出来事の真っ直中に立った人を異 界からの人のように表現しようと、それは呼びか けに対するこちらがわの応答でしかないのです。 この呼びかけはだれにも占有できるものではない。 ましてこの世界をその呼びかけに応答した告白者 が支配できるようなものではない。 真っ直中に 立って呼びかけを聞き取った方の、その誕生を特 に喜ばしい日とするのもよいでしょう。人の誕生 それ自体、あの根源的な呼びかけの声を含んでい るように思います。
 11月23日の礼拝説教から ヨハネ福音書10章1−16 「私は良い羊飼い」        久保田文貞 西アジアのステップ地帯に住んでいる人々にとっ て、〈羊飼い〉というイメージは身近なものにち がいない。古代イスラエル以前から西アジアでは 〈王〉や指導者の喩えとして「羊飼い」というこ とばを使っている。旧約では、預言者エレミヤ、 エゼキエル、ゼカリヤなどに集中して表れる。ほ とんどが民のリーダーの譬えである。 イスラエ ルの先祖として崇敬されてきた族長アブラハム、 イサク、ヤコブらは、都市と契約して周辺の草地 を小家畜に食わせながら暮らしている半遊牧生活 者だった。彼らが放牧する「群れ」(ツォーン) は羊と山羊(3対1位の割合だという)の混ざっ たもの。牧者は群れの安全を管理しなければなら ない。そこで、羊は牧者の口笛一つで集団に動く らしいが、山羊の方は個別行動が多く、なかなか 言うことを聞かないらしい。『ゲド戦記』の中で 魔法力を失って山羊飼いに戻ったゲドが強情な山 羊に四苦八苦するのが思い出される。マタイ25 章32節以下に、審きの日になって牧者(神)が 羊と山羊を左右に分け、羊を救われるべきものに、 山羊を滅ぼされるべきものに審いていく物語に見 られるように、羊は従順なものの喩として、山羊 は不従順なものの喩となっていることも頷ける。 (私の正直な気持ちとしては、指示されるままに 群れて従う羊より、我が道を行こうとする山羊の 方がずっと親近感を覚える)。 しかし、乾燥帯 に暮らす人々にとって単独行動は生死の境を行く ことに等しい。群れから離れた羊はそのまま死を 意味した。ルカ15章1節以下の失った羊の譬え 話のとおりである。 ヨハネ10章1節以下の 「説教」も、このような環境条件を熟知している 人々の中でよりリアルになったはずだ。羊が群れ の中にいなければ生きていけないこと、夕になる と放牧地から羊たちを集めて狼などの攻撃から守 るために囲いの中で休ませること、その囲いの門 の横に仮小屋があって羊飼いたちが番をしている こと、従順な羊たちとはそのような枠組みの中で 浮かび上がってくる像なのである。ただし、注目 すべきことは、ここでは従順な羊たちと彼らの 「良き羊飼い」とは相補い合うような関係になっ ていることだ。「わたしは自分の羊を知っており、 羊もわたしを知っている。」 羊たちは羊飼いの声 を識っているとされている。 一時期よく指摘さ れていたことだが、ヨハネ思想には、地上的な物 質に捕らわれている光を集めに神の子がやってく るというグノーシス神話の背景がいやでも浮かん でくる。グノーシスはこの世界を神に反逆した天 使が、自己の支配する世界を創造した産物として 捉え、光が被造物としての人間(肉体)の内部に 幽閉されていると考える。地上的な存在を否定す る。ヨハネが「この世」というときそれは明らか にキリストに敵対するものであり、この「説教」 では、集められた羊たちが憩う囲いの外はキリス トと光の子らとしての羊に敵対する世界とすると 実にすっきりするのは確かである。もちろんこれ はユダヤ教の伝統(旧約)に根拠をおいた正統的 なキリスト教教理から大きくそれるが、ユダヤ教 の神はこの世界の地上性に対して徹底的な批判を 突きつけてきたのもその伝統の一部である。どん なに賛美しようと創造の謎と問いは過去も現在も これからもつきまとう。否定的な現実を前にして、 キリストを牧者として集められその囲いの中で生 きようとする人が後を絶たないのもわかる気がす る。
11月16日の礼拝説教から 第2コリント3章4〜6節 「文字は人を殺し、霊は人を生かす」       久保田文貞  ユダヤ教の律法(トーラー)にかぎらず、古 代、文字を刻み、あるいは書き付けるということ は、宗教的な呪術と深い関わりがあったと言われ る。文字に押し込められたものは力となって、人 に襲いかかる。商業取引の契約書や領収書は古代 の文字使用のもうひとつの世界であるけれども、 力としての文字の意味は変わらない。刻まれ、書 き込まれた中身はそのまま力になる。 実際の歴 史的な経緯はどうあれ、シナイ山で神の手で刻ま れた十誡は、イスラエルをくくる強い絆となる。 聖所や神殿で神にまみえたとする体験や神による 歴史的救済の経験から遠く隔たっていくにつれ、 ことに後期ユダヤ教においては、書かれた文字トー ラーが唯一の拠り所となっていった。書かれた文 字がそのまま神の意志の表れとなって、人を恵み、 拘束する。そしてトーラーへの熱心が、その違反 に怯え、他の違反者を見つければ糾弾するという 悪循環に陥ってしまった。・・・これが「キリス トに出会い」大きく舵を切っていくパウロが、強 く意識したトーラーの問題である。後のキリスト 教が、特に宗教改革者たちが引きずっていくこと になる捉え方だ。 第2コリントの2章でパウロ が直接に書いていることは、彼自身の使徒として の資格の問題である。彼と対抗的な位置にいる他 の伝道者は権威筋の推薦状をもって巡回している が、パウロにはそれがない、自分で自分を推薦す るという傲慢を犯している、と非難されていたら しい。この問題は第一の手紙以来続いていること で、今もコリント教会のかなりの部分がこのこと に動揺していたのだろう。これに対するパウロの 弁明はこうである。「あなたがたは自分自身が、 わたしたちから送られたキリストの手紙であって、 墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板 にではなく人の心の板に書かれたものである」 (口語訳)ここには、もし推薦状をというのであ れば、パウロの推薦状は、神の権威を委託された 組織から発行されるものではなく、現に彼の宣教 によって息づいている教会そのものであるという。 書かれた文字にではなく、書き込む神自身に根拠 をもとめる。そして書き込まれた内実としての生 きた教会こそ自分の推薦状である。パウロの資格 を問う者はその福音が宣べ伝えられて実存する教 会を見よ、というわけである。 私のような教団 の牧師資格を持たないままやってきたものには、 鬼の首を取ったようなところがあり、飛びつきた くなるような言葉である。けれども、これですべ て問題が解かれていくなら、少なくとも思想的な 前提としては楽なものだと思う。「文字は殺しま すが、霊は生かします」(新共同訳)、口語訳は 「人を殺し…人を生かす」というように「人を」 を補って訳しているが原文にはない。もちろんだ れがこの欠落している目的語を補うにしても「人 を」ということになろうが、それが欠けたままに なっていることにそれなりの開かれた意味の地平 がある。しかし、その意味の地平はやはり大きな 問題だ。「文字が殺し、霊が生かす」と締めくくっ て落っことしていくもの、あるいは「霊」ガイス トに多大な権威を引き渡してしまうことは、より 大きな問題となるのは確かだからだ。
 11月9日の礼拝説教から 出エジプト記3章 「私は有ってある者」    久保田文貞  前回述べたように、ここまでモーセは二度にわ たってファラオ(エジプト王)の殺意から避難・ 逃亡したことになる。その避難先で、はじめはファ ラオの王女の庇護のもとにあり、つぎは砂漠の民 ミディアンの祭司に保護され、7人の娘のひとり と結婚し二人の子をもうけることになる。つまり 避難先の生活はいずれも密のように甘い香りがす る。  3章は、そのミディアンの生活をできる ことならそっとしておいてやりたいという読者の 安価な期待をいだかせ、いや逆にその生活を物語 はきっと毀しにいくという予感も感じさせながら、 モーセを独り神の山ホレブへと近きよせる。 す ると亡命生活の甘美な日常に異形な空間が割り込 んでくる。「柴の間に燃え上がっている炎の中に 主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火 に燃えているのに、柴は燃え尽きない。 モーセは 言った。『道をそれて、この不思議な光景を見届 けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろ う。』」   モーセの聖なるものへの好奇心。 「主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧に なった。」聖なるものは、彼がもう後に戻れない ことを知っている。そしてそれが彼の甘美な日常 を破ることになる。物語を聞いている者は、自分 も同じ不安の中に引き込まれるにちがいない。  2章から続いてきた物語はヤハウェストの語りに よるが、4−6節、9−14節、ここでエロヒス トが物語に荷担する。「わたしはあなたの父の神 である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの 神である。」 ヘブル人らの父祖の前に立ち、彼 らと共にあり、彼らを導いた神が、今モーセの前 に現れる。その神が、エジプトにいるイスラエル の人々の悲痛な叫びを聞き、イスラエルを救出す る。この点ではヤハウェストとエロヒストの物語 は共通している。「わたしはあなたをファラオの もとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプ トから連れ出すのだ。」エロヒストの言葉だが、 ヤハウェストの物語も共有している。問題は9節 以下である。その大きな計画を聞かされて逡巡す るモーセはその命に従うためには「神の名」を明 かしてほしいと迫る。そして「 神はモーセに、 「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言 われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよ い。『わたしはある』という方がわたしをあなた たちに遣わされたのだと」という。この不可解な 名乗りは、ヤハウェという名の響きが、ハーヤー (to be, to become) という語根から来ていると だれにも思わせることから来ているだろう。口語 訳は「有って有るもの」と訳した。私には、どう みても、神は真面目に答えていないとしか思えな い。聖なるものの名を人間に引き渡さなかったと ものの語り手は言っているのかもしれない。だが、 確実なことは、その聖なる方が父祖たちと共に、 彼らの前にあって、現に父祖たち一人一人を導き、 父祖たちの神であることを承認してきた神である こと。そうであったこと、そうあること、そうあ るであろうことをイスラエルの人々に対しても認 める神であるということだ。名は隠れたまま、い や名さえ捨てて、人々の前にあり、人々の助けて となり、人々にこれからも共にあるであろうとい う神だ。本質的にはイスラエルという名辞も吹っ 飛ぶだろう神である。 
 11月2日の礼拝説教から ヨハネ9章41節 「言い張ること」   久保田文貞  ヨハネ9章は、イエスの奇蹟(ヨハネでは「し るし」という)によって盲目の目を癒された若者 が、イエスに反対しているユダヤ教会堂のリーダー たちの審問を受け、むしろ逆に彼らを説諭し、つ いに会堂追放処分にされるという話しである。   (日)その時代に典型的に流通していた奇蹟物語の範 型(例えばマルコ8章22−26)を元にして、 物語を癒された男がイエスを証言し会堂から追放 されていく「伝記」になっている。つまりイエス とその若者の癒やしと出会いの出来事から関心が 次の段階の事柄に移っているということだ。上に 例として挙げたマルコ8:26のように「その人 を家に帰された」としてそのままにしておかない。 ここでは、癒されて家に帰った男の事後談に中心 がズレ込むのである。 ヨハネ福音書が書かれた のは、90年代のことと言われている。この時代 は、武力でイスラエル独立を目指して戦ったユダ ヤ戦争がローマ軍によって殲滅されて20年以上 経っていう。残留したユダヤ人の多くは国家的独 立を軍事的に目指す運動を放棄し、むしろローマ 帝国庇護の下、認可宗教教団としての道を進む。 彼らはイスラエル独立の熱心を封印して、トーラー への熱心に命をかけ、会堂共同体を練り上げてい く。この福音書を紡ぎ出した共同体は、そのよう なユダヤ教会堂からイエス・キリスト告白ゆえに 追放された人々の集まりだった。  (月)実は、最初か ら奇蹟物語自体が単なる刺身のツマになっている。 人間の体に起こる障害はだれの罪の結果なのかと いう弟子たちの問いが提出されて、「神の業がこ の人に現れるため」とイエスの口に言わしめる。 しかし、実際のイエスの活動の匂いを残している 共観福音書の古層にあたるかぎり、イエスが「神 の国(恵みの支配)」のせまりくる勢いの中で、 そこに身を投げ打って立ち働いていたときに、 「神の業がこの人に現れるため」という間の抜け た言葉が出てくるとはどうしても思えない。 (火)いずれにせよ中心なテーマは、癒された男の「伝記」 的な要素の中にある。会堂のリーダーたちから審 問を受けたとき、「見える」ようになった若者は 自分が「見える」ようになったという事実を突き 出す。両親が証人として召喚されるが、両親は会 堂追放を恐れて息子が「見える」ようになったい きさつについてノーコメントを押し通す。若者は 再度呼び出されて、審問者たちに反撃しながら、 ひたすら「生まれつき目が見えなかった者の目を 開けた」という事実を頑として言い張るのである。 そして会堂追放処分、現実にはディアスポラユダ ヤ人の集会所から除名され仲間同士の社会的経済 的な互助組織から追い出されることになる。そん な彼の前にもう一度イエスが現れ、イエスが自分 の身を明かすということになる。若者は「主よ、 信じます」と言って、ひざまずく」。こうして今 や若者には自分が「見えるようになる」というこ との真の意味を知ることになる。それはただの事 実ではないというわけだ。一方、「見えている」 と思い込み、他者は見えていないと裁きたがるパ リサイ人にこそ「罪は残る」という。
10月26日の礼拝説教から ロマ書6章1−15節 「罪の呪縛から」  久保田文貞  6章1節に「罪に対して死んだわたしたちが、 どうして、なおも罪の中に生きることができるで しょう。」という言葉が出てくる。 「罪に対して 死んだ」ということは、罪の結果死んだとか、罪 のゆえに死んだということではない。罪との関係 を断ち切ったということだろう。少なくともこれ までの罪に絡めらとられている自分の構造を清算 したということだと理解したい。7節「死んだ者 は、罪から解放されています。」ということも同 じ思いだろう。 ここには、まず第一にパウロの ユダヤ人としての基本的な死生観が働いているよ うに思えてならない。肝心なのは、どのように生 きるかということなので、死んだあとのことを詮 索したり、心配したりしなくてはならないような 死を死なない。誤解を恐れず言えば、これはむし ろ死んだら終わりだという死生観に限りなく近い。 死後は土に帰るよりない。無に帰す。人として死 それ自体はそれとして受けとめるよりない。けれ どもそのように死をそれとして受けとめることは 簡単なことではない。 「罪に対して死んだ」と いう「死」は、「罪の中に生きない」という死を 死んだことになるだろう。裏を返せば、この死は、 「罪の中に生きない」で「生きていく」というこ とだろう。パウロにとって、無なる死を恐れる前 提が外れてしまったのだろう。罪に怯え、しゃか りきになって罪に陥ることを避け、過剰に倫理的 になり、自己を審くように他者も審いてしまう悪 循環にはまる。自己の首を絞め、同時に他者の首 を絞める、その先にあんぐりと口を開けて待って いる死に突進していくような死の縛りから外れる。 「罪に対して死ぬ」ということはそういうことだ ろう。 パウロは、このことを洗礼=バプテスマ という儀式の中に読みとる。3節に「キリスト・ イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたち が皆、またその死にあずかるために洗礼を受けた」 と書いてある。「結ばれる」とか「あずかる」と いう語は、翻訳者の補いの言葉で、原語に忠実に 訳せば「キリスト・イエスへとバプテスマを受け た私たちすべては、彼の死へとバプテスマを受け たのだ」(青野太潮訳)となるべきところだ。こ こでは、おそらく「キリストへとバプテスマを受 ける」というのが、通常の言い方だったろう。そ れを、パウロが「彼の死へとバプテスマを受ける」 と表現しなおしたと理解すべきだろう。 5節は 「キリストと一体になってその死の姿にあやかる ならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう」 と訳されているが、「姿にあやかる」という微妙 な訳はあやしい。やはり青野訳のように「似通っ たかたち」の方がよいと思う。バプテスマという 宗教的パフォーマンスに唯一意義があるとするな ら、それは「キリストの死のかたちに似通う」と いう象徴的な意味を持つかぎりのことだというの だろう。だが、やはりこれ自体妖しい表現だ。バ プテスマという儀礼的な行為にいくらそのような 意味を持たせようとしても、儀礼そのものは極め て神秘主義的儀礼として一人歩きしはじめる。 「キリストと共に十字架につけられる」というこ とが儀礼にの中にそのまま填め込まれてしまいか ねない。「十字架」と「死」は、それまでのイエ スの言動の帰結としての、十字架の死であった。 それは正規の裁判外の、反乱奴隷に対して執行さ れた最悪の死、バプテスマの儀礼の中に納まりき らない死であることを隠してはならないだろう。  
10月19日の礼拝説教から 出エジプト記2章 「モーセ物語1」   久保田文貞  エジプトの王ファラオは、イスラエルの子孫が 増え強力になってきたことを恐れ、彼らに都市ラ メセスの工事にあたらせ、「強制労働の監督をお き、労働を課して虐待した」。それでもイスラエ ルの人々は「虐待されればされるほど」増え広がっ たので、エジプト人はイスラエル人を嫌悪したと いう。この外国人労働者の肉体に対する畏れ、彼 らに対する嫌悪、そして差別の物語はまるで現代 社会の話しのようだ。 王は最悪の施策に出る。 助産婦に命じて「男の子なら殺し、女の子ならば 活かしておけ」と、われわれには残虐に見えるが、 ひとつの産児制限による古代版人口政策と言える。 だが、助産婦の抵抗にあって、さらに露骨な男児 殺害命令、「生まれた男の子は、一人残らずナイ ル川にほうり込め」と。 古代西アジアでは基本 的に父権社会が大勢を占めており、女性の民族性 はカウントされていない。父親の種が民族を決め るというのである。 このような時代に、モーセ が生まれた。母親は3ヶ月間、乳飲み子のモーセ を隠し育てたが、ついに隠しきれず、籠に入れて ナイル川の茂みに置いてやる。「ナイル川に放り 込め」という命令に対して、アスファルトを塗っ た籠に入れてナイルの茂みに置いてくることとの 間にどれだけの差があるのか、案外微妙なところ だが、子を思う母親の必死の工夫がうかがえる。  物語は、極端から極端へ流れる。モーセを拾い 上げたのは、ファラオの王女ということになる。 モーセはエジプトの王族の子女の間で育てられる。 ここに、多分の後の付加だろうが、王女がモーセ を拾い上げた様を、モーセの姉が見ていてことに して、その姉が乳母を紹介しようと王女に申し出、 そして実の母が乳母となってモーセの幼年時代を 育てたという話しが加わる。いずれにせよ、王の 男児殺害命令から避難したモーセは、王女や侍女 たちに囲まれて甘美な日常を送るのである。 し かし、青年になったモーセは、同胞のイスラエル 人がエジプト人監督から虐待されているのを目撃 し、そのエジプト人を殺してしまう。翌日、イス ラエル人同士の喧嘩を仲裁しようとしたところ、 「お前はあのエジプト人を殺したように、このわ たしを殺すつもりか」と責められ、前日の事件が 広まっていたことを察して、東の砂漠地帯に逃亡 する。そこでミディアン人が住んでいるオアシス で、娘と出会い、娘の父親に見込まれて、その娘 と結婚することになる。そこで子どもをもうけた という。 こうしてモーセはまたもエジプトの王 の敵意から2度目の避難をするわけだ。これら二 つの避難先に共通することは、女性の姿があるこ と、甘美な日常があること、そこが異邦性の中だ ということ。 次の3章は、2度目の避難先、ミ ディアンでの生活から、今度は神から呼び出され て、そこを捨てエジプトに向かうことになる。そ して出エジプト全体の物語の流れからすれば、モー セの正味の、ある意味で公的な活動に入っていく わけだが、とにかくそれは、かつてモーセを暖か く迎え入れてくれた甘美な日常を断ち切った世界 なのである。イスラエル民族誕生の出エジプト物 語は、異邦性の中で培われていた日常を、さらに 時に甘美な味わいのある、汗し苦労することがあっ てもすぐ手の届くところに実りを確かめることが できる、そのような人の日常を否定し、ひたすら 男中心の、選ばれた民であるという自意識過剰な 物語なのだ。避難先に表れたような女たちのキャ ラクターは、その後の出エジプトと荒野の物語に はほとんど表れてこないのである。 これをなん と読もうか。少なくともイスラエル宗教の成立の 物語の中には、男子優生主義、父権制、選民意識 が芯の芯までへばりついていると。
10月12日の礼拝説教から マタイ福音書25章31−46節 「倫理の崩壊」     久保田文貞   マタイ伝に特徴的なことは、 倫理の徹底主義とでもいうべきものだ。ユダヤ教 から引き継いだ掟を、内面のいっそう深いところ で捉えなおし、そうやってパリサイ派の律法主義 を超えようとした。表面的な律法の遵守にひそむ 自己の偽善性を告発することによって、降り立っ た地平から、パリサイ派のいまだ自己の偽善性の 視座を見抜けていない点を告発するわけだ。  「自分の義を、見られるために人の前で行わない ように、注意しなさい。・・・あなたは施しをす る場合、右の手のしていることを左の手に知らせ るな。それは、あなたのする施しが隠れているた めである。すると、隠れた事を見ておられるあな たの父は、報いてくださるであろう。 」(6:1、 3−4) 人の行いの見えているところより、もう 一つ深いところ、つまり人の行いの水準から「隠 れているところ」で、人の行いは評価されるとい うことだ。ここでは、行いの裏に潜んでいる動機、 行いのほんとうの理由等々のことを言っているわ けではない。倫理的な問題、つまり行いの正しさ のことが問題になっている。その正しさが、隠れ ているところから暴かれてしまうというのだ。  そのすぐ後に、次のような言葉がある。 「 あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を 閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈 りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあな たの父は、報いてくださるであろう。」(6:6)  隠れているところのさらにその奥底に、隠れた ことを見ている神がいるという。つまり、人が 「隠れたところ」と思っているところより、さら に「隠れたところ」から神が見ている。というこ とは、人が自分の偽善性を自己告発したつもりに なって、良しとするところには、最終的な善の根 拠がないことになる。 ということは、もはや倫 理的な根拠の根拠を人は持つことができないこと を意味する。倫理的な正しさを追っていく道筋を 人は持てないということだ。言い換えれば〈倫理 の崩壊〉と言ってもよいだろう。 ところが、マ タイはこの論理を徹底させない。25章31−46節の 作り物臭い物語を考えてみよう。ここでは、良き につけ悪しきにつけ、自分にはそれと気づかなかっ た行いが善として、あるいは悪として審かれると いう。自分で下していた評価の予想が無効になっ てしまう。基準はなにかというと、「最も小さい 者のひとりにしたのは、わたしにしたのである」 ということだ。しかし、このように明かされた基 準をいただいて、ほんとうは再びやり直そうとい うわけにはいかない。この基準は、人には基本的 に隠されている。あくまで最後の審きの座におい てのことなのだ。だれが「最も小さい者」かとい うことは、隠されているのである。
 9月28日の礼拝説教から マルコ福音書2章23−28 「安息日、人が生きる」      久保田文貞  古代イスラエルにおいて、安息 日規定は法の基本法として知られる〈十誡〉にあ るとおり、かなり古くからこの民を他から区別す る象徴的な規定だった。それが農業民のものであ れ、半遊牧的な牧畜民のものであれ、イスラエル は家族だけでなく、奴隷(使用人)、さらには家 畜たちにも適用した(申命記5:15)。 作業 能率ためには6日間労働したら、7日目を休む方 がよいという合理的な理由にすぐにとびつきたく なるが、実際にはその起源からなんらかの祭儀的、 「宗教」的なものが付与していたのだろう。出エ ジプト20章の十誡の記述では、神が6日間天地 創造の業を労し、7日目に休息した創世記1章の 物語をその根拠に上げている。この創造物語は、 6世紀バビロン捕囚期以後のものとされるから、 根拠というよりは、後付けの理由だろう。として も、この説のおもしろいところは、では第2週以 後は神はずっと休息することにならないか、とな ると・・・。もうひとつの申命記5章は、イスラ エルが奴隷状態にあったエジプトからヤハウェが 導き出したことを想起する日として安息日を守る とする。これも申命記的な後からの解釈といった 方がよい。 これら以上に興味深いのは、出エジ プト記31章13節以下の記述である。そこには、 安息日を汚すものはかならず殺され、この日に労 働する者は共同体から追放されるとある。この記 述は、祭儀施設たる幕屋建設と祭司の諸規定の脈 絡の中に出てくる。これはレビ記17〜27章の いわゆる「神聖法典」の祭儀規定に近い。時代的 には捕囚期以後の祭司がリーダーとなった時代の ユダヤ教の中で文書化された規定である。印象と しては、一般の人々の間にゆるやかに残存してき た古い規定が、祭司集団の手で神学的に意味づけ られ、徹底化されたものだろうということになる。 この神殿祭司集団の規定が後にそのまま信徒レベ ルに横滑りしていって、すべてのユダヤ人に厳格 に守られるべき規定になっていく。祭司の生活を、 信徒の生活に引き寄せていったのがパリサイ派で ある。 いずれにせよ、安息日規定はイスラエル の歴史の中で再解釈され、改訂され続けてきたこ とは確かである。そのオリジナルがなにかもはや 知りえない。旧約に安息日として出てくる十誡の 記述そのものが、解釈なのだから。 ただ、合理 的な説明では説明のつかない「聖なるもの」が当 初から関与していくつかの小さな共同体(部族) の中で守られていたとしか言えない。 イエスが、 安息日の解釈の歴史をわれわれのように認識した はずがない。「直感」的にイエスは安息日にまつ ろいつく「聖なるもの」のしばりが、神が憐れも うとして憐れむ人間を締め上げてしまっているこ とを見抜く。「安息日は人のためにあるもので、 人が安息日のためにあるのではない。それだから、 人の子は、安息日にもまた主なのである」(マル コ2:27−28) これはすでに「聖なるもの」の 縛りから解き放たれていると思い込んでいるもの からすれば、もはや当然の言葉のように聞こえ、 いつしか無感動に響くことになろう。しかし、 「聖なるもの」の縛りの中にいるものには、それ を受け入れるか、拒否するかのいかんにかかわら ず、既存のすべてを混沌に放り込むような効果を 持つはずである。
9月21日の礼拝説教から 使徒行伝19章23−40節 「神々の中の神」 久保田文貞  使徒行伝の著者ルカ(ルカ伝と同一の著者という のいうのが定説だからルカとしておく)が、この 文書を書いたのは90年代半ばである。問題のア ルテミス神殿事件が起きたのは、パウロが53− 55年頃、エペソに滞在していた時期である。事 件の顛末については、かなり詳細な目撃情報を元 にしているように見えるので著者はおよそ40年 前の事件の情報を何ものかから得たのだろう。し かし、そこに著者自身の時代感覚が大きく左右し て物語を書いたことは否めない。 50年代半ば には、まだキリスト教は単なるユダヤ教の分派と してしか認知されていない。いわゆる「クリスチャ ン」christianusが治安を乱すものとして現れるの は、60年代に入ったネロの時代である。タキトゥ ス「年代記」によれば、帝都ローマに大火が起こっ て、ネロが放火させたという噂がたち、ネロはそ れを打ち消すためにクリスチャンを犯人に仕立て、 処刑したという。ユダヤ教の分派「クリスチャン」 に対する無責任な噂はかなり早くからすでにたっ ていた。彼らは近親相姦だ、無神論だ、人類憎悪 だなど。 それ以後はじまる前期キリスト教徒迫 害事件(3世紀半ばのデキウス帝による全市民へ の皇帝礼拝命令(250年頃)以後は後期)の法的な 根拠は、意外に不明である。結局、クリスチャン への悪意ある噂、社会・経済的不安、特に祭りの 見せ物の要求などがからまって、騒動が起き、治 安の名目でクリスチャンがやり玉に挙げられ、処 刑される。2世紀の殉教物語を読むと、そこで殉 教者はどんな責め苦に遭おうとも「私はクリスチャ ンである」と喜々として証言する(「証言」と 「殉教」と同語である)。非ローマ市民や、外国 人、奴隷などの裁判権を付与されている総督など 代官たちには、任地の治安こそ第一義であった (もちろんそれは彼自身の自己保身でもある)か ら、治安を乱すものを取り除くこと、民衆の人気 をとり、民衆を宥めることに為政の主眼を置いて いた。キリスト教徒はそのスケープゴートになっ たのだ。 エペソのアルテミス神殿事件の物語も、 騒動は途中で町の行政官の機転により沈静化する ことになるが、基本的に、後のキリスト教徒迫害 事件のパターンと同じである。 エペソはローマ 帝国アジア州の首都、当時は海に面した商業都市 でもあった。その山の手に壮大なアルテミス神殿 があった。アルテミスは胸にたくさんの乳房をもっ た東方系の女神である。「デメテリオという銀細 工人が銀でアルテミス神殿の模型を造って、職人 たちに少なからぬ利益を得させていた」とあるか ら、そこに各地から多くの参詣人があり、神殿関 係のいろいろな商売がはやっていて賑やかな門前 町の体をなしていたのだろう。きっかけは、パウ ロたちが「手で造られたものは神様ではない」と 言って、営業妨害をしていると取られたところに ある。〈神殿の神々の像はただの木ぎれに過ぎぬ、 神でもなんでもない、自分たちの神こそ真の神だ〉 と言えば、人々が怒るのも無理はない。営業妨害 というより、自分たちの神々の威信を傷つけられ たことへの怒りである。その上、クリスチャンた ちは自分たちの立場が不利なものになっているの に、それが迫害事件へと成っていくのは、さらに クリスチャンの間で殉教を聖化させ、その反応が ますます人々の怒りを買う。こうしてローマの官 憲が乗り出のりだすことになれば、治安を口実に 極刑となり、祭りの見せ物になっていくというわ けだ。 結局、国家という閉鎖的な絶対的な権力 と、絶対の真理だと思い込む宗教との、あいだに もろに突っ込んでいった者たちの悲劇としかいい ようがない。
 9月14日の礼拝説教から ヨハネ福音書8章1−11節 「姦通の女へのイエスのまなざし」  加納 尚美  この記事は、早朝のオリーブ山に群衆が集まり、 イエスの話に耳を傾けているときの出来事。姦通 現場で律法学者とファサイ人が捕らえた女を連れ てきて、イエスは試みられる。試みる者たちは、 現場を押さえるために、女の周辺事情を探偵のよ うに調べて追跡していたのかもしれない。裁く側 を絶対の正義とし、その女を律法に逆らった者と して糾弾し、命さえ奪おうとする。そして、姦通 は女一人ではできず必ず相手の男との協同作業に も関わらず誹謗されるのは女だけである。女の行 動の潔癖さのみを図られることは、つい最近まで、 あるいは今の国や地域によっては現存する事象で もある。 イエスの対応は見事である。「あなた がたのうち罪のない者が、まずこの女に石を投げ なさい」というと、結局人びとは石を投げずに去っ ていった。人々の行動を180度変更させる言葉とた ぶんその言葉を発する勢いは静かな物腰ながら凄 味があったに違いない。イエスのまなざしは、裁 く人、裁かれる人との間に、見えない橋を架けて いるように感じる。 さて、話は少し聖書から離れる。姦通を罪としな がらも、2000年前も今も、人の色恋やゴシップ程、 私たちの好奇心を惹く話題はないかもしれない。 既婚中年男性たちが不倫や援助というカモフラー ジュの下に若い女性を買春する等はもちろん、中 高年女性がヨン様に熱をあげるのを精神的不倫と いう人もいる。日本社会は法的には一夫一婦制で あるが、実態としては婚外婚で生まれた子どもを 男性が認知するという制度もある。生まれた子ど もの人権には親の事情は関係ないはずであるが、 嫡出児、非嫡出児といった差別が現存する。 法律は人が社会を形成する中で作り変更するもの であるが、性に関する事は建前と実情が乖離する ことが多いのではないか。とくに性に関してはタ ブーも多い。長年の家父長制の下に、女・子ども は男の動産とされ人権が無視されてきたことが背 景にある。一方、昨今の性科学で立証されてきた 事実は、私たちに染み込んでいる性に対する認識 を変えさせるものがある。人の性行動の意義とし て、生殖、快楽、関係性と分類される。まずは、 人の性別というものは絶対でなく結構不安定なも のであること、男女とも性欲があるが反応の仕方 には男女差があること、長い人類の歴史の中で生 き抜くために150万年前から一夫一婦制に近い男女 の関係を作り上げてきたことなどがある。また、 寿命が延びることで生殖・子育てを中心とする期 間が相対的に短くなり、関係性という観点からの 捉えなおしを各人が長い時間をかけてせざるをえ ない。
9月7日の礼拝説教から シラ書34章9〜13節 「新しい中国−−哈爾濱を旅して」      関 恵子 退職したら行きたいと思っていた、中国黒竜江省  哈爾濱を旅してきた。時あ たかも中国の威信をかけたオリンピックの真っ最 中だったが拍子抜けするくらいの平常さの中、北 京経由で哈爾濱空港に降り立った。 中国東北部 は、旧日本国満州と言われたところで、もう過去 の歴史とするには未だ浅く記憶に新しい。 この夏期リレー説教でもとりあげたことがあるが、 満州からの引き揚げを体験した人々の重苦しい帰 還の記録に今回も何冊か目を通した。藤原 てい 「流れる星は知っている」・藤原咲子「母への詫 び状」・宮尾登美子「朱夏」「仁淀川」・加藤淑 子「ハルビンの詩が聞こえる」・なかにし礼の 「赤い月」は最もリアルで生々しい。・・大輪の 薔薇のごとくに美しく且つ、命を繋ぐためには何 でもする強靱な意志と欲望に満ちた女性 波子を 主人公にして、生きのびて帰ってきた人間の修羅 の姿が象徴的に描かれていた。五木寛之は“忘れ ねばこそ、思い出さず候”の言葉を引きながら、 書こうと思えば万巻にもなろう程のことがあった。 少しは書きもしたが多くはその域に達していない。 書かないまま終わるだろう・・と「運命の足音」 の中で語っている。“地獄は必定”とも続けてい る。 一方侵略された側の人々の有様を忘れるわけには いかない。そこには更に凄惨を極めた累々たる蹂 躙の哀しみの闇が深く沈んでいる。大河を擁した 広大無辺のその大地に、私は10日間お世話になっ てきた。 実際の哈爾濱市は予想をはるかに越えた繁栄ぶり だった。人口1400万人。哈爾濱の貌、大河松 花江が市街地に沿って豊かに流れていた。中国人 留学生を一人支援したが、その母親が私の旅を宿 も含め全面的に引き受けてくれた。彼女の家は市 民が暮らす極普通の8階建てのアパートの1室だっ た。あまりにもシンプルな家の中だった。寝室に ベッドとクローゼットと書架、もう1室は数学塾 を開いて仕事としているため、テーブルが2台、 積重ねのイスが20個ほど。台所とトイレ兼シャ ワールームはとても狭くバスタブは無い。でも朝 晩の洗面とお風呂に戸惑った他はなにも困らなかっ た。 暮しの全てはむしろ屋外と直結していて、充実し ていた。松花江沿いの堤防兼公園も中央大街をは じめとしたたくさんの通りも、朝晩を問わず人に あふれ活気に満ちていた。一日は長く朝は5時頃 から市が立ち、朝食や果物、野菜などふんだんに 売っている。薄いビニール袋を提げた人々が賑や かに行き交う。公園は健康維持のための器具がず らりと備えてあり、実に良く活用されていた。夕 方から夜10時過ぎ頃までは食事と憩いの時間。 広場はダンスやコーラス、楽器の演奏、太極拳な どさまざまなレクリエーションとおしゃべりの輪 がいつ果てるともなく続く。レストランのメニュー は豊富で安くて量が多い。食欲も旺盛でしゃべり ながら豪快な食べっぷり。おしゃれをして老いも 若きも元気に華やいで見えた。 市民の暮しはみ んな外向きで明るく、遊び時間がふんだんに取り 入れられていて、孤独な人が見あたらない。日常 が人と人とのつながりの中で営まれていて置き去 りにされようがない様子なのだった。いつの間に か私も招き入れられて、暖かい歓迎の輪に何度も 取り囲まれた。日本人と知っての上で・・とても 嬉しかった。言葉は通じなくても、受入れられて いることがすぐわかる。 中国はこれからも更に 豊かになって前に進んで行くだろう。問題もたく さん抱えているけれど、市民社会には学ぶべき姿 がたくさんあった。刺激的で愉快で、何かほっと した旅の感想を持ったのだった。    関 惠 子
8月31日の礼拝説教から マルコ福音書 1章40−42節 「清濁併せ呑みつつ」      飯田 義也  〈さて、重い皮膚病を患っている人が、 イエ スのところに来てひざまずいて願い、 「御心な らば、わたしを清くすることが おできになりま す」と言った。イエスが 深く憐れんで、手を差 し伸べてその人に 触れ、「よろしい。清くなれ」 と言われる と、たちまち重い皮膚病は去り、そ の人 は清くなった。〉  重い皮膚病の人がキリストのもとに来て「清く」 なりたいという希望を表明し、キリストの「よろ しい。清くなれ」という御言葉によって瞬時に癒 されるというこの物語、現代社会を生きる私達は、 清いとか清くないとか云々すること自体に課題が ひそんでいることを知っていますから、読むと複 雑な気持ちになってしまいます。 ただ「癒し」 ということ自体は、私達の現実の体験から考えて も、望むことでもあり、起こりうることでもあり ます。私の体験から言えることとして、とくに 「うつ」からの癒しという点で、教会は、いまで も力ある言葉を持っていると思います。私は、仕 事柄「うつ」の病的状態や、それを取り巻く課題 に悩む人々と関わることが多いのですが、ふだん 語られている非宗教的な用語を使うより、聖書的 なアプローチの方が、ずっと簡単にサポーティヴ な言葉を語ることができます。聖書には、一貫し て「とらわれ」からの解放が語られていると思っ ていて、ここにあるのも「やまい」という「とら われ」からの解放の物語だと言えるでしょう。  古代の人々の「とらわれ」の中には、現代からは 簡単に見通せることもあるわけで、この古代のエ ピソードから二千年が経ったいま、聖書の記述が そのまま読めるところもあり、ずいぶん軌道修正 された部分もあり、・・という状況を私達は生き るようになりました。 キリスト教が「罪」とい うとき、それは犯罪を指してはいません。「的外 れ」ということです。罪からの解放が福音だとす れば、かみさまの御言葉に出会って、常に「的」 の方向に軌道修正を受ける必要があるということ です。聖書にこだわりながら、かみさまの指し示 す方向を求めて立ち続ける教会で、私達は、清濁 併せ呑みつつ生きてゆくわけですが、その中で、 折に触れ軌道修正を受けるということなのでしょ う。
8月24日の礼拝説教から  マタイ8章14−17節 「病むことの光」  松浦和子  天の虫と書く蚕は、自分のからだを包み込んで 繭となる。この不思議な生き物は、驚くほどの量 と強靱な糸を紡ぎ出して裂となる。 今夏、少し ばかりの蚕を飼う機会を得て、60年前、田舎に 疎開をしていたとき、夜な夜な祖母が引く糸繰車、 ひと抱えの生糸ができると、こんどは機織り。そ の宇宙的な静けさと神秘が甦ってきた。 ぴーん とたてに、確実に、等間隔に張られた経糸は、言 うなれば宿命、元からあるもの、動かしがたいも の、先天性とも言えようか。 この経糸の間に、 今日ある生きる日々の吐息を、証しを織り込んで いく、−−−これが緯糸。 じーっと織布が仕上 がっていく様を見ていると、この必然のように、 頑としてある経糸は、人にとっての生老病死のよ うだと思う。 というのも、周りにあまりに病気 の人が多いからだ。70歳という私の年令の心細 さが、それを故意に意識させるのか、人生80年 の生涯なれば、病むことも当然にして、必然なの か。 次々と病を得て、病気のデパートみたい、 とへたっている友人がいる。まさかの自己で、1 級の障害者になった人もいる。いま私が関わって いる主に統合失調症の人たちは、大概はこれから という青年期に発症して、緩急を経ながら、長い 年月この病苦と付き合っていく。家族の日常の葛 藤や苦悩も計り知れない。 この精神病者は“実 に病を受けたる不幸の外に、この国に生まれた不 幸を重ぬるものと言うべし”(呉秀三)という実 態と歴史がある。彼らを忌み嫌い、拒否し、拘禁 し放置する疎外の文化は、近年まで当然のように まかり通ってきた。ここ10年、開放病棟の試み や、地域活動センター.グループホーム、家族会 設立などの、さまざまな取り組みが地域に広がっ て、彼らを取り巻く状況は随分と緩やかになって きたけれどまだまだ偏見の根は深い。 今、福祉 も文化も、憲法25条で規定されてきた生存権す ら危ういこの国の貧困は、今に始まったことでは ない、何か根源的なことのように思う。 私の生 家は、私がもの心ついたとき、いつもひと部屋に 病人がいた。中風で寝たきりの祖母、神経を患っ たのち、 眼底出血をして40代半ばで失明をし た父。恍惚の人と言えば可笑しくもあるが、昼夜 逆転して数年間、家族を振り回した祖父、諍いも 絶えなかったので、母の苦労は並大抵ではなかっ たが、5人の子どもと居候の同居人は、頭を寄せ あって、役割分担を決めたりして、けっこう楽し んですごした。今思うと、病む人が身近にいたか らこそ、自然に身についたことも多かったように 思う。 家の中には病む人がいて当たり前、順ぐ りに病んでいくものだ。それでどうにか疑似形態 のような家族が保たれている、という風な妙な感 覚が今もわたしにある。 なぜ人は病むのか。人 は病んで何をどう告発しているのか。だれでもが 抱く問いの一つに回答を促してくれる一冊の本に、 この8月出遇った。 石牟礼道子、多田富雄の往 復書簡、〈言霊〉(藤原書店) 紙片がつきたので、どうぞ読んでください。健や かな病者からの逆照射は、わたしたちの足下と、 その彼岸を照らしてくれるでしょう。
《ノート》「8・17 平和について考える礼拝」に よせて 「新約聖書と「平和」」のメモ  久保田文貞  新共同訳聖書の新約にかぎって言うと、「平和」 という語が、78回出てくる。エイレーネーとい うギリシャ語の名詞と、それから派生した語をほ ぼすべて「平和」と訳している。これに対して口 語訳聖書の場合は40回になる。口語訳では約半 数を「平安」と訳しているからである。ちなみに 新共同訳には「平安」という訳語はゼロである。 そのうち、イエス自身が「平和」「平安」エイ レーネーという語を使ったと思われるものは少な い。マルコには、「塩は良いものである。だが、 塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって 塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちな さい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」と いう動詞形のエイレーニューオーだけ。口語訳で は「互いに和らぎなさい」と訳される。日本語と しては口語訳の方が自然だ。 イエス自身に遡り うるものとして、あとはマタイとルカにほぼ共通 するQ資料。すぐ思いつくのは「平和を実現する 人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼 ばれる」だが、これはマタイ5:9のみ。ルカに はない。通説では、3〜7節(5節を除く)の至 福の言葉がイエスに遡るとされていて、9節は記 者マタイの筆になる。むしろマタイ10:34// ルカ12:51「地上に平和をもたらすために、 わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを 投げ込むためにきたのである。」の方がイエスの 語った言葉の可能性が大きい。しかし、これも多 くの学者はイエス自身に遡れないという。 結論 的に言うと、マルコでも、Q資料でも、イエスが 語ったと言える「平和」「平安」と訳される語は ほとんどないということになる。福音書に出てく る「平和」「平安」は、結局イエス死後のクリス チャンたちの語彙なのである。 新約聖書の中で 最も早く書かれたものは、パウロ書簡である。真 正のパウロの筆とされるものの中で、エイレーネー とその関連語は24回使われる。そのうち9回は、 挨拶の言葉の中に現れる。例えば「恵みと平和 (平安)とが、あなたがたにあるように。」(第 1テサロニケ)。ユダヤ教徒が挨拶に、シャーロー ムつまり「神の平和(平安)があるように」と言っ てきた。パウロも手紙に常套語のようにそれを使っ ている。もちろん、パウロの場合エイレーネー= シャーロームは、ユダヤ教徒一般がこめている意 味と同じでない。エイレーネーは、やがて到来す る神の国の平和である。ロマ5:1でパウロは言 う、「このように、わたしたちは、信仰によって 義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キ リストにより、神に対して平和を得ている。」こ の平和は、十字架につけられて悲惨な死を死んだ イエスを神の究極の恵みとする、ふつうの人間の 感性から言えば理解しがたい「神の平和エイレー ネー」である。 パウロの思想は基本的に初代教 会の信仰世界にあるが、パウロの思想の一部に光っ ているこの逆説的な理解はパウロ自身の中でも、 すぐに後退してしまいがちである。つまりそれは 伝えようとして伝わるものではない。その逆説的 な「平和」の理解も、最終的には人間の秩序にそ のまま順接している「平和」になっていく。マタ イ、ルカの中にその兆しが見えるし、その後のキ リスト教はますますそうなっていく。世界の権力 の「平和」を後押しし、典礼的な「平和」の祈念 を反復するだけになってしまうのである。
8月10日の礼拝説教から 『どういう時、詩は詩にならないか」  詩編39章6〜7節 大田ほたか  どういう詩が詩にならないか、という問題はわ たしが考えていた以上に難しいことでした。何故 なら、人の感受性、感じ方というのは実にさまざ まで、十人十色だからです。私の経験からすると、 私が書いた詩が自分にしてみたらすごいなあとう ぬぼれていたとしても、読んだ相手は全く感動し てくれないというパターンが多かったように思い ます。そこで今二つの詩を用意しました。どちら の詩に感動しましたか? ちなみに私の書いた詩 ではありません。原文は英語です。 「1」糖蜜半ポンド買いに出て、アマアマ通りを 歩いていたら、ばったり出会った、顔なじみのミッ キー・サンプス、僕に言うに、「うちのお祭りに 来ないかね」ちょっぴり考えたのさ、ちょっぴり かんがえたのさ、かまわないよ、と答えて僕はつ いてった。 家の戸口に坐っていたら、ばったり出会った、顔 なじみのミッキー・サンプスの弟、僕に言うに 「家に来ないかね、ミッキーは病気だよ」ちょっ ぴり考えたのさ、ちょっぴり考えたのさかまわな いよとこたえて、僕はついていった。 ついていったら病気だ、ひどい病気だったのさ、 僕に言うのに、「ねえ、君、僕が死んだらお葬式 に来てね。」ちょっぴり考えたのさ、ちょっぴり 考えたのさ、かまわないよとこたえて、僕はつい ていった。 ついていったら本当の葬式だ。墓場でばたばたじ だんだ踏んだり、墓場でぺっぺっとつばをはいた り人はいろいろ、でも、僕は、顔なじみのミッ キー・サンプスを思ってゴシゴシ目をこ すった。 [2] 事をはかるは人、事をなすは神という。私は お前が眠る臥床を訪れた。小さな薔薇に混じり咲 く小さな薔薇よ、お前は薔薇のように生きている。 お前の幼い足も疲れ果てたのか、花の散りしかれ た床から起きて微笑もうともしない。しかし、お 前は戯れているのだ、戯れに死を装っているのだ。 本当に眠っているのだと私は思ったほどだった。 まぶたは静かに空を向き、髪も風にそよがず、眼 はそっとそっとのぞいているよう、だから、私は 嘆かなかった。 神はすべてを知り、時をえて事をなす。私は微笑 し、優しくお前の名を呼んだ。美しく飾られた薔 薇の花束に、私も一枝そえ、お前を戯れるままに しておき、立ち去った。  一読して、2の詩のほうが1より優れていると 思われたかもしれませ ん。2の詩は、気品があり、 韻もふんでおり、音楽的で、何をとっても1の詩 より優れていると言えましょう。しかし、私はこ の詩にあまり心を動かされませんでした。1の詩 も2の詩も、親しかった人の死をテーマにしてい ます。死というのは重く、非常に現実的な話なの で、いくら奇麗な薔薇の花に彩られていても、詩 を美化した甘ったるい香料でしかありません。し かるに1の詩は、主人公の親しい友人の死ですが、 「ちょっぴり考えたのさ、ちょっぴり考えたの さ、」というリフレインが最後のクライマックス へとしかれているカーペットのような役割を果た しています。葬式の場面では、墓場でじだんだふ んだり、ぺっぺとつばを吐く人など人はいろいろ。 でも。この、「でも」という言葉は重要な言葉だ と思います。「僕は顔なじみのミッキー・サンプ スを想って眼をごしごしすった」というのがキー フレーズです。いわゆる殺し文句です。眼を「ご しごし」こすったという言葉は、非常に強いこと ばです。いずれにしても、1の詩のほうが死を扱っ た詩としてはリアリスティックだし「ごしごし眼 をこすった」人に慰められます。 どういう時、 詩は詩にならないか、という問題に私は答えを出 すことはできません。ある人には感動を与えたり、 ある人にはつまらなく想われたり、打てば響くよ うに心にピッと詩人の感性とつながったり、ぽん ぽんと面白いように詩のテンポに乗ることができ たり、ユーモアに満ちていたり、と人生いろいろ、 詩もいろいろです。
8月3日の礼拝説教から 出エジプト記23章14〜19節 「村や町を守り伝える力」  関 惠子 最近2冊の本を見て、半世紀〜100年ほど前 の日本の田舎の暮らしぶりをを想い起こす機会に なりました。一つは「イザベラ・バードの日本奥 地紀行を読む=宮本常一」…平凡社、もう一つは 「オコナイ〜湖国・祭りのかたち」…INAXギャラ リー企画編集。 イザベラバードは英国人で1831年生まれ。 医 師であり牧師であった家庭で育ち、若い頃から世 界の辺地を見聞して歩いた大変勇気のある旅行家 であり冒険家と言ってもいいと思います。日本に は47歳の時明治11年(1878)に渡航して、新 潟や東北地方や北海道のアイヌの村々を訪ねてま わるのです。その旅行記を素足の民俗学者とも言 われる宮本常一が読み解いてくれているのが「日 本奥地紀行を読む」です。今から130年も前の日本 の田舎ですから、江戸時代とすこしも変らない風 景だったと言えます。それを内側の日本人でなく、 外国人の女性の目で見ている。それも技師とか教 師とか領事館員とかの任務を携えた人間でなく、 何の特権もない一人の人間として当時の民衆と接 している。 イザベラは一人の日本人通訳者だけ を伴って、泥まみれになって各地をまわるのです が、未踏の人々に出会うときの基本的な視線、態 度がまっすぐで予断や偏見がない様子にも驚かさ れます。女性の社会的な地位や職業の場などまる で考えられてもいない時代に、知らない国の片田 舎を旅するなど、とてつもないことです。外国人 の女の旅行者を受けいれる側も、イザベラもびっ くり仰天することばかりだったことがたくさん書 かれています。 地方の非衛生的な環境には辟易 しますが(蚤・蚊・ダニなどが容赦なく飛びつい てくる。人々は裸に近く身につけていても着替え ない。洗わない)、勤勉さや親切さ人なつこさに は感心し、景色の美しさ、誇りある習俗習慣、文 化の高さには称讃を惜しみません。プライバシー をそんなに叫ばなくても鍵など掛けずに安心して 旅行のできる国、美しい山河、ある程度のレベル のある宿屋のもてなしの素晴らしさ、都市の町並 みの精緻さなどに感動しながら、アイヌも日本の 人も区別なく旅を続けていったのです。このあと 何度も日本を訪れたということですから、彼女を 魅了してやまない何かが当時の日本に山ほどあっ たということでしょう。 一方、イザベラの旅の解説者、宮本常一も全く 超人的な旅の実践者で、日本全国を隅々まで訪ね、 その道程は16万キロにも達したといわれています。 貧しさと隣り合せながら、辺地の人々の間に分け 入り、自らと同じ目線で現代の日本が忘れ去って いく消滅すれすれの生の資料を丹念に塊集し、独 自の民俗学の世界を拓いていきました。 二人の 生き方はどこか共通していて、どこまでも夢を追 い続ける希望に満ちています。その道案内は私を もう一度見失った過去の時代のなかに佇ませ、お もしろさ、懐かしさ、哀しさの玉手箱を開けるよ うなときめきをおぼえさせてくれました。 もうひとつ、今銀座のINAXギャラリーで開かれ ている「オコナイ」という企画展とその図録につ いての感想です。 それは滋賀県などの村部に伝えられる、おもに 正月の行事で、「神事」として毎年きわめて大ま じめに取組まれている祭りの再現展示でした。神 饌という供え物が中心ですが、古来からの伝えと 寸分変らずさまざまな不思議な形で造られ、恭し く飾り付け、村人は全員紋付き羽織袴の正装で神 との饗宴の場をとりおこないます。 女はご法度、各家の跡継ぎの男達だけのまつり ごとです。特にその年の当家と呼ばれるリーダー は肉食を絶ち、潔斎をして神迎えの姿勢で臨まな ければなりません。一俵の餅米で作られた大きな 鏡餅がいくつも並び、藁や紙や植物の造り物が供 えられた神前はおごそかな雰囲気に包まれます。 こうして誰も異を唱えずにただ古来から受け継ぐ 感謝と祈りの形を今もくりかえす。なぜそのよう に形作り、なぜそのように所作するのか誰も知ら ないまま、畏れを知るもの達の思いは真っ直ぐに 捧げられる。それが「オコナイ」でした。そんな 行事が郷里の近くに残っていることになぜか私も ホッとしたのです。 今日の旧約聖書の中にも、 驚くほど似通った神祭りの行事が記されており、 人間の行為は類似していると感じました。 現在の私たちはこの半世紀ほどの間に思い切り の贅沢を知りました。暖かさ・涼しさ・清潔さ・ おいしさ・美しさ・便利さ・・たくさんの贅沢さ を消費し続け、その末にある種の空しさに到達し てしまったと気付いています。見渡せば夢が限り なく続くはずの未来に崖っぷちの虚無が広がるば かり。自殺者の数は3万人を超え、20代の死因のトッ プを占めるといいます。 いきどころのない閉塞 感、プレカリアートなどという不安な造語、八方 塞がりの今の状態から迂回する方法をまじめに探 し当てなければアトがないと暗示されたような二 冊の本でした。
7月27日の礼拝説教から エレミヤ書22章24−30節 「大地よ、主のことばを聞け」       久保田文貞 「大地よ、大地よ、大地よ、主の言葉を聞け。 主はこう言われる。「この人を、子供が生まれず/ 生涯、栄えることのない男として記録せよ。彼の 子孫からは/だれひとり栄えてダビデの王座にす わり/ユダを治める者が出ないからである。」 (29−30)  「大地よ、大地よ、大地よ、主の言葉を聞け」 というのにまず驚きました。なんでこんな表現を するのだろう。旧約の預言者が語る神の言葉は当 然、人間を対象としています。エレミヤも当然、 ユダの人々に「主はこう言われる」という常套句 などで語っています。ここではもはや人間に語る ことはできないとでもいうのでしょうか。大地に 向かって、それも三度くり返して、「主の言葉を 聞け」というのです。その中身は、「この人を、 子供が生まれず、生涯、栄えることのない男とし て記録せよ。彼の子孫からは、だれひとり栄えて ダビデの王座にすわり、ユダを治める者が出ない からである」というものです。 この人とは「ユ ダの王ヨヤキム(エホヤキム)」のことです。ヨ シヤ王がこともあろうにエジプト軍と戦って戦死 し(メギドの戦い)、廷臣たちは王子のエホアハ ズを即位させますがすぐにエジプトは彼を退位さ せ、叔父のエホヤキムを王にし、エジプトの臣下 にしたのです。605年有名なカルケミシュの戦 いでバビロニア軍がエジプトを撃退することでま た大きく情勢が変わりました。エホヤキムは早速 バビロニアの配下に寝返る。その後再びエジプト 軍が優勢になったと聞いて、やっぱりエジプトだ となると、またバビロニアに反抗する。業を煮や したバビロニア王ネブカデネザル世はもうゆるさ んとエホヤキムを攻撃。その間に死没してしまい ますが。とにかくエジプトとバビロニアの大国の 勢力の揺れ動きのはざまに立たされて、気の毒な くらい翻弄された続けた王でした。 しかし、こ の王が巨大な帝国にへつらう小心者というだけで はないのです。「災いだ、恵みの業を行わず自分 の宮殿を、正義を行わずに高殿を建て、同胞をた だで働かせ、賃金を払わない者は。彼は言う。 「自分のために広い宮殿を建て、大きな高殿を造 ろう」と。彼は窓を大きく開け、レバノン杉で覆 い、朱色に塗り上げる。あなたは、レバノン杉を 多く得れば、立派な王だと思うのか。…あなたの 目も心も不当な利益を追い求め/無実の人の血を 流し、虐げと圧制を行っている。」とエレミヤの 預言にその内政についても書かれています。労働 者から絞れるだけ絞り上げ、税収をあげ、その資 金で豪華な宮殿を建てまくる。大国の前にとこと ん卑屈な思いにさせられた王が、自分の国民に対 して過酷にふるまい、贅を尽くした宮殿をつくっ て鬱憤を晴らす。そのまわりにはまちがいなくエ ホヤキムの根性と同類の廷臣たちが蟻のように絡 みついている。最悪な図です。 でもふり返ると、 この図、どこかで見たことあるという感じ、それ もごく身近で。エホヤキムのような身像はもたな いけれど、やはり外政では大国の目色をうかがい、 内政では持たざる者、声を上げるのが難しい者か ら、まっ先に税を取り上げ、集めた財をほしいま まに使おうと、持てる者たちだけで毎日祝宴を張っ ている連中を。
 7月20日の礼拝説教から エレミヤ書31章31−35節 「前提を問いに付すこと」      久保田文貞  モード、流行のはやり・すたれというものにい つもはかなさを感じるのですが、同時に、そこに は新しいモノを創造すること、そしてそれを受け 入れること、つまり新しさはなにかという問題に 象徴的な意味合いがあると思うのです。それは、 どんなに斬新なものを創造するにも、かならず過 去から引き継いだ素材や発想との関係の中でしか 新しいモノを創造できないということです。服装 とは、身体を守るという用途だけでなく、社会的 に他者に発信している記号でもあります。新しい 記号を発信するには、それまでの組み合わせ方、 発信の順序をいかに変えてしまうか、だれも見た こともない、聞いたこともない、感じたこともな い、信号を発信すればいいわけです。もちろん、 そこで重要なこととして浮かび上がってくるのは、 自分の置かれた他者との関係の中で、その表現が どのように位置付くかと言うことです。新しいだ けで、人々が飛びつき、〈買い〉もとめる、そし て創造した者が大もうけをする−−それもまた、 それなりの意味はあるでしょうが。 〈ことば〉 も記号の一つです。というと〈ことば〉に失礼か も知れません。先の服装を社会的な記号として捉 えたり、その新しさを考えたりしたのは、とりも なおさずすべて〈ことば〉を介してのことですか ら。いずれにせよ、ことばを駆使して新しい考え 方を表現するということは、どうひっくりかえし ても〈ことば〉の地平でやるよりないのです。 〈ことば〉にはいろいろな言語があるとはいえ、 とにかく生まれながらの母語に始まって、つまり その継承の中でしか私たちは考えていくことが出 来ないのです。 その認識の上に立って、エレミ ヤの31章の預言を考えてみたいと思います。彼 の活動は南王国ユダが大国アッシリアとエジプト の間にあって揺れ、それがついには新興の新バビ ロニアの前に決定的に屈しなければならない約4 0年の期間に渡りますが、その後半には南王国ユ ダがバビロニアによって属国におとしめられ、つ いには都を破壊され、王家の者たち、重臣は殺さ れ、支配階層はバビロニアに強制移住させられる というイスラエル史にとって究極的なダメを押さ れます。それまで築かれ伝承されてきた価値=宗 教、制度が粉砕されたのです。31章の預言はそ の前後のいずれかの時になされたものと考えたい と思います。預言者エレミヤはもはやなにも頼れ るもののない亡国の憂き目の中で神ヤハウェのこ とばとして、しかし「見よ、わたしは彼らを北の 国から連れ戻し、地の果てから呼び集める。その 中には目の見えない人も、歩けない人も、身ごもっ ている女も、臨月の女も共にいる。彼らは大いな る会衆となって帰って来る」と語り、彼らに「新 しい契約」について示唆します。「主はこの地に 新しいことを創造された。女が男を保護するであ ろう。」「この契約は、かつてわたしが彼らの先 祖の手を取ってエジプトの地から導き出したとき に結んだものではない。…来るべき日に、わたし がイスラエルの家と結ぶ契約は、…わたしの律法 を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す」 と。イスラエルの父権主義の伝統の中で基本的に 女は成員の一人に数えられませんでした。その来 るべき日には、身ごもっている女も、臨月の女も、 ただの「産む機械」でなく一人のメンバーとして 数えられ、いやそれどころか、「女が男を保護す る」という、それまでの記号のただの組み替えで は出てこないことばが語られるのです。もちろん それとても、継承した記号の地平の範囲内の〈こ とば〉にちがいないのですが、その組み替えの原 動力は彼方から来るとしか言えない、そういうと ころに立たされているのでしょう。
 7月6日の礼拝説教から コヘレトの言葉12:9−14 「隠れていること」         久保田文貞 9−10〈コヘレトは知恵を深めるにつれて、より良 く民を教え、知識を与えた。多くの格言を吟味し、 研究し、編集した。コヘレトは望ましい語句を探 し求め、真理の言葉を忠実に記録しようとした。〉 11〈賢者の言葉はすべて、突き棒や釘。ただひと りの牧者に由来し、収集家が編集した。〉12〈そ れらよりもなお、わが子よ、心せよ。書物はいく ら記してもきりがない。学びすぎれば体が疲れ る。〉13−14〈すべてに耳を傾けて得た結論。 「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間 のすべて。神は、善をも悪をも、一切の業を、隠 れたこともすべて、裁きの座に引き出されるであ ろう。〉  本来の「コヘレトの言葉」は8節で終わってい るらしい。9節以下は明らかに後代の人の添え書 き。8節「なんと空しいことか、とコヘレトは言 う。すべては空しい、と」が結論ではあまりに過 激だから。それにしても「コヘレトの言葉」が物 議を醸し出したことがこの最後に付け加えられた 言葉から知れる。 9−10節を書き足した者Aは、 「コヘレトの言葉」にとにかく賛同する。人生は 空しいの連発をして、ことに老年を迎えからだが 衰えていくことを、単に個人の死としてだけでな く、世界のこととして詩情豊かに歌いながら、ま さに「空しい」で始めて、結論「空しい」(へベ ル)で締める。Aは「コヘレトの言葉」に、知恵 が深まった、よりよく民を教えた、知識を与えた、 さらに多くの格言を吟味し、研究し、編集したと 評価する。コヘレトは「望ましい語句を探し求め、 真理の言葉を忠実に記録した」と褒めちぎるのは、 なんだろう。ユダヤ教の伝統からみてとても正統 な書き物と言えないコヘレトの言葉を正典の中に 組み込むために無理して書き添えておいたのかも 知れない。としたら書記Aは相当の人物だと思う。 11節の言葉は書記Aのものではない。賢者の言葉 というものは、このようにもともと危険なものを はらんでいるというのだろう。「ただ一人の牧者 に由来し、収集家が編集した」というとき、牧者 と収集家は同一人物としていっているのか。「格 言」は共同で一定の権威の元で精査されているも のではない、個人的なひらめきの中でドキッとす るような言葉が集められているのだ、魅力はある が気をつけろと言いたいのだろう。12節「書物は いくら記してもきりがない。学びすぎれば体が疲 れる。」ほどまでに記したことも学んだこともな い者としてはいやみに聞こえる。11と12は同じ書 記の手によるだろう。13−14節の書記Cは一番た ちが悪い。これが「コヘレトの言葉」とどうひねっ てもつながらない。「神を畏れ、その戒めを守る」 ことができないのが「人間のすべて」とコヘレト は言いたかったはずだ。「すべては空しい」のだ。 これに対して「神が、善をも悪をも、一切の業を、 隠れたこともすべて、裁きの座に引き出される」 というなら、そしてその裁きが法に基づいてなさ れるというなら、「空しいもの」はないというに 等しい。それではおもしろくもおかしくもない。 「隠れたこと」は暴けばいいというものではない。 ラベルや表示(=法)に頼るから、擬装などと大 騒ぎをするのだ。商品などというものはもともと 擬装されたものでしかない。それを承知で消費す るよりないのだ。
 6月29日の礼拝説教から エゼキエル20章44節 「お前たちの悪い道や堕落した行いによることな く、わが名のゆえに、たしが働きかけるとき、… わたしが主であることを知る…」    久保田文貞  エゼキエルの預言の場は、バビロニアによって 定められた捕囚地でした。南王国ユダがバビロニ アのネブカドネザル王によって滅ぼされ、エルサ レム神殿は破壊、城壁は解体、都市の建築物は焼 失、王の側近たちは捉えられて殺され、連れ去ら れた王家の者たちについては、王子たちは王の前 で殺され、王は目をくりぬかれるという事態にな りました。そして国の主だった者たち、役人、祭 司、都市の指導層、地主など3千人余がバビロニ アに強制移住させられました。これは国の人口全 体から見れば少数のエリートたちです。一般都市 住民層、小作人など多数の人々は取り残され、侵 略してきた者たちが土地を奪い、そこで雇われ働 かざるを得ない状況だったでしょう。 バビロニ アに連れて行かれた人たちは、いくつかのブロッ クに別れ、特定の地区に住まわされました。みな が仮設的な住居に同様に住み、食事も当初は配給 されたはずです。そこでの共通の経験はそれまで ずっと失せていた同胞意識をいやがおうにも強め たにちがいありません。収容生活はかなり自由が あったらしく、集会も許されていたらしい。「人 の子よ、あなたの同胞は城壁の傍らや家の戸口に 立ってあなたのことを語り、互いに語り合ってい る。『さあ、行って、どんな言葉が主から出るの か、聞こうではないか』と。そして、彼らはあな たのもとに来る。民は来て、あなたの前に座り、 あなたの言葉を聞」きにきた(33章)というの ですから。つまりエゼキエルが預言をすると聞く と、かなりの人々が集まり集会ができた。わたし たちの感覚でいえば、礼拝があり、説教があり、 賛美がある。以前のエルサレム時代には人々は、 神殿という国の宗教施設で贖罪的な祭儀や、定期 的な儀式に参加すればよい。当然マンネリ化し、 義理で出席する体のものだったろうと推測します。 それが、バビロニアでは神殿はない、ただの集会 です。祭司も神殿と組織を背景にこなしていれば いいというものではない。ここにきて祭司のなん たるかを根本的に考え直す。すべてのひとが自分 のこれまでのありようをラディカルに問い直すよ りない。国を失い、神殿を失い、家、土地、財産 を失って、自分たちが何ものか出発点に立って考 える。そして、彼らは集まり、長老たちの歴史 (物語)を聞く。預言者と名乗る者の預言を聞く。 律法の朗読を聞く。その理解を巡って、議論する。  このバビロニアでの共同生活こそ後のユダヤ教 の母体となっているはずです。神殿というハード ウェアがなくなって、律法や預言などのソフトウェ アが前面にせりあがり、詩篇もトーラーもこれま でとは異なって身近になり、さらに歴史(物語) を共有するのです。 エゼキエルの20章は、な ぜユダが滅び、彼らが捕囚されたか、歴史を掘り 起こし、歴史的な総括をしています。自分たちは、 偶像を拝み、ヤハウェを裏切った、その結果とし て国を滅ぼしてしまったと預言者は遠慮会釈なく 言う。聞く人々には苦い指摘です。こんな預言を すれば、一部の人が怒り出すかもしれない。だが、 エゼキエルは逃げ隠れもしない歴史を共有すると は、いっしょに自分たちの誤りを認め、それに対 する審判を共有するということなのですから。こ の説教的預言の締めくくりが、冒頭にかかげた言 葉でした。
6月22日の礼拝説教から 出エジプト記1章 「モーセ物語のはじめ」     久保田文貞  エジプト側の資料に依れば、前1350年頃、 パレスチナ一帯に飢饉が起こって、「生きていく 場所のない半遊牧民の一団が、パロの地に住み場 を求めてやってきた」。1200年頃、国境管理 役人も、ベドウィン諸部族の国境通過を許可して 彼らを保護したことを報告しています。アピル (ヘブル)と呼ばれる半遊牧民の一団が、土木工 事に熱心な第19王朝のラメセス世(1301−1234) のもと、新都市ラメセスの建設のために徴用され たことがうかがわれます。ここにイスラエルの先 祖たちがいたと推測されます。 しかし、1−7節にヤコブの子12人の名簿が でてきますが、これはずっと後のもです。実際に は、国境を越えて入ってきた「外国人労働者」の 一部が厳しい労働に耐えかねて脱走を試み、半遊 牧的な生活に戻って、条件の悪いステップ地帯を さまよい、後に他の半遊牧部族と連合していった ということでしょう。 8−12節のヤハウィス トの記述では、「この民は、われわれにとって、 あまりにも多く、また強すぎる。さあ、われわれ は、抜かりなく彼らを取り扱おう。彼らが多くな り、戦いの起るとき、敵に味方して、われわれと 戦い、ついにこの国から逃げ去ることのないよう にしよう」。そこでエジプトびとは彼らの上に監 督をおき、重い労役をもって彼らを苦しめた。彼 らはパロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建 てた」と言います。まるで、現在の諸国家が低賃 金労働を移民外国人に当て、やがて外国人が増え すぎると外国人排除の政策をする原型のような記 述になっています。しかし、もともとエジプトの ような古代の専制国家にとって、近代的な「外国 人」の発想はない。王は一部の官僚を従え、加え て圧倒的な軍事力を背景にした支配集団であって、 自国の民であろうと、他所からきた民であろうと、 かなうかぎり税を取り立て、必要とあらばほしい ままに民を徴用するわけで、ヤハウィストが記述 するように、なにか増えたイスラエルに恐れをな して、緊急時の予防のために彼らを奴隷状態にし て過酷に扱ったというのは、事実にそぐわないで しょう。そこには、定説に従えば、イスラエル部 族共同体がはじめて国家として成立したダビデ王 朝時代に生きるヤハウィストの置かれた歴史感覚 があるわけで、その中での「外国人」の位置づけ が大きく作用していると言わざるをえません。つ まり、国家が成立してその中に「外国人」という ものが問題になるということは、一つには自国の 民を登録することであり、同時に「外国人」をそ れとして区別して抱えるということです。近代国 家においては、その「外国人」もまた登録させる わけですが、古代にそこまでできたかどうかは別 として、ダビデ王朝はなんらかの形で国内の「外 国人」に線を引いていたはずです。 15−22 節は、資料的にエロヒストの手によるとされます。 増えすぎたアピルへの人口政策がなんらかの形で エジプトの政策日程にのぼったかもしれませんが、 少なくともヤハウィストやエロヒストのいうよう に、個別イスラエルに対する人口政策があったと は思えません。まして、生まれてくる男児を、助 産婦に命じて殺させるというのは信じがたいです。 ただ、ここで男だけがイスラエルとしてカウント される。つまりイスラエルに所属する父親の、息 子だけがイスラエルの民になるわけで、基本的に 女子は関係ないわけです。女子はイスラエルにカ ウントされないということです。ちなみにヤコブ の12人の子の4人の母親は、レアとラケルは同 族とされているものの、はるか彼方のラバンの娘 であり、残りの二人は異邦人のはしため、つまり 4人ともイスラエルの娘ではないのですから。 
6月15日の礼拝説教から マルコ16章14〜18節 「なぜ死刑廃止を願うか」     関 秀房  私が死刑廃止を願うのは、以下の三つに要約さ れるだろう。 冤罪は過去にあったし、今も確実 にある。国家による殺人が許される事の意味。死 んでいい人を認める事の意味。 については、再 審を通して、死刑台から生還した人が、いる事か ら明らかである。そして現在も、名張事件の奥西 さん、袴田事件の袴田巌さんが有名であるが、私 が面会している死刑囚の佐々木哲也さんも冤罪で ある。その他、大勢の人が冤罪を主張している。 元死刑囚の免田栄さんは、拘置所で何人もの冤罪 の死刑囚を見送ったと述懐している。佐々木哲也 さんの東京高裁の判決文を読んだ。5万字に及ぶ 判決文である。それを最高裁は是認した。それに 対し佐々木さんはB5判300頁余(5万字以上) の「再審レポート」を書いている。彼はそれまで にも膨大な枚数の無実の訴えをしている。「再審 レポート」と「判決文」を見比べると、裁判所は 初めに結論ありきで、それに都合の悪い証拠(有 力な無罪証拠)は排除し検討もしていない事が分 かる。刑事裁判の初歩である、「疑わしきは被告 人の有利に」はこの裁判でも無視されている。  については、ブッシュがテキサス州知事時代、 如何に多くの死刑を執行したか(群を抜く全米1) を見れば分かる。このような者を大統領にしたツ ケが今アメリカを襲っている。死刑と戦争は同根 である。国家が人の命を奪っていいという事は、 「法」「正義」をかざして政敵を亡き者にし、政 権に都合に悪い、反体制の人々を殺す手段を与え る事になる。ナチスも共産主義国もカンボジアも 大量虐殺を正当化した。国家にそのような権利を 与えては行けない。憲法は国家を規制するもので あり、日本国憲法にもこうある。  第13条【個 人の尊重と公共の福祉】すべて国民は,個人とし て尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する 国民の権利については,公共の福祉に反しない限 り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要 とする。(身柄を拘束しておけばいいので、殺す 事はない) 第25条【生存権,国の社会的使命】 (1)すべて国民は,健康で文化的な最低限度の 生活を営む権利を有する。(2)国は,すべての 生活部面について,社会福祉,社会保障及び公衆 衛生の向上及び増進に努めなければならない。 (国家にはこの視点が必要)  について。とから 自ずから、は判断される。誰にも殺す権利などは ない。この人は死んでいいと、他人からましてや 国家から言われる筋合いはない。「法」や「正義」 で死んでいい人など認める事が出来るのか。鳩山 にそんな資格も権利もない。私はむしろ、死刑囚 にこそ、本当に殺人が如何に愚かか語る資格があ ると思っている。親鸞は言う、「善人なおもて、 悪人おや」と。地獄を体験した人、極限まで体験 した人、最後の最後まで突き進んでしまった人の 言葉(視点)は、きっと今の社会に我々が持ち得 ない視点を与えるだろう。  最後に聖書の箇所。 「全ての造られたものに福音をのべ伝えなさ い。・・・信じない者は滅びの宣告を受け る。・・・」キリスト教はこの言葉からイスラム や南米やアフリカで何をしたかを考えるべきであ ろう。                      以上
6月8日の礼拝説教から ロマ書8章26節 「霊の執り成し」  久保田文貞 ロマ書8章は、〈霊〉(プニューマ)について 語ります。霊とは何か、私にはできることなら触 れたくない問題です。正直言って分からないので す。〈古代人〉特有の表象であって、〈現代人〉 にはもはや掴みがたいものと言って通り過ぎたい のですが、キリスト教は依然として古代の信条 (使徒信条やニケイア信条など)に基づいて、神、 キリスト、聖霊の三位一体のドグマの上に立って いるので、何か言わないわけにはいきません。  まず言えることは、パウロは「神の霊」「キリス トの霊」(9)と言っておきながら、一方で「この霊 こそは、わたしたちが神の子供であることを、わ たしたちの霊と一緒になって証し」(16)、「“霊” 自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成し てくださる」(26)するという言い方をします。霊 が神やキリストとは別に独立した意思をもったも ののように語られます。 近代的な理性やその申 し子の近代医学から見れば、自分の心の内部に自 分以外の者が入り込んで自分を操っていると意識 したり、行動したりする〈現象〉は病されてしま います。ストレスや疲労などで自信喪失に陥り、 自分という心棒がぐらついたり、バラバラになっ たりするような病的な意識になるけれども、治れ ば自分をしっかりとコントロールできるはずだ。 こうして近代主義は、社会を、世界を見渡すこと ができる自分というものを前提にしています。  けれども、このような自信満々の近代主義が前世 紀に何をしてきたか、それまでの歴史にもないほ どの大量虐殺、自然破壊等々、説明する必要はな いと思います。 世界史を記述することができ、 世界の現実をつかみ取ることができ、世界をこう 設計しようと将来を企画することができる近代主 義の前提になっている「人間そのもの」の点検を 避けて通れないのです。 人の意識や行動を病と 判定する能力を持っていると自認してきた現代的 な理性そのものがむしろ基本的にボタンをかけ間 違えているのではないか、とすればあの〈古代人〉 の霊に対する尋常ならざる「畏敬の念」を嗤うど ころか、人として同じ地平に立って、近代主義的 な先入観なしに、その人に起こっている事柄を見、 それに耳を傾け、自体をしっかりと記述すること はできないだろうか、と思うのです。ただし、こ のことは、パウロの言葉の意味をこちら側に理解 しやすいように、意味を書き直そうというのでは ありません。 パウロをはじめ聖書に登場する人々 はどんなに強烈な自我の持ち主であろうと、最終 的に神の前に立ち竦んでしまう人間です。強靱な 神と人との関係だけならそれとして分かるのです が、その二者の間に霊という別の者が介在するの です。〈われ〉と〈なんじ〉の純粋な世界を切り とることはできない。〈われ〉と〈なんじ〉の関 係の間に、〈われ〉と〈なんじ〉の心の内部にあ るようでいながら、確かに二者とは自律した働き と主体性をもった存在が関与するということです。 それが一人の関係性を絶対化させないで、むしろ 二人の関係を相対の中に置き、他者の世界に結び つける契機をもつ。それは単なる働きではなく、 それ自体が〈われ〉と〈なんじ〉に関与するもう ひとつの〈われ〉〈なんじ〉として自律している のです。
6月1日の礼拝説教から ヨハネ福音書10節9節 「門」 久保田文貞  「門」というイメージは、ほとんどの場合外側 にいる人が中に入るときくぐらなければならない 関門と意識されています。つまり、「門」という のは、願望する向こう側(内部)に自分はいない、 自分は外部にいるのだと気づかされる壁がまずあっ て、しかし閉じられているけれども、内部に通ず る入口が眼前にあるという人の基本的な体験を言 い表しています。 漱石に「門」という小説があ ります。友人の許嫁を奪ってしまった宗助とその 許嫁を捨てて宗助の元に走ったお米は崖下の路地 奥にひっそり暮らす。二人とも愛を貫いたがゆえ に負った負い目をかかえて生きていかなければな らない。お米は開きなおったようにその生活を受 け入れて妙に明るいのですが、宗助は悶々として 吹っ切れません。そこで同僚から紹介されて鎌倉 にある禅寺の庵に入って数日間の修行をする。  「自分は門を開けて貰いに来た。けれども門番は 扉の向側にいて、敲いてもついに顔さえ出してく れなかった。ただ、「敲いても駄目だ。独りで開 けて入れ」と云う声が聞えただけであった。」  結局宗助はその「門」をくぐらないことになりま す。そしてこう書かれています。 「彼は後を顧 みた。そうしてとうていまた元の路へ引き返す勇 気を有たなかった。彼は前を眺めた。前には堅固 な扉がいつまでも展望を遮ぎっていた。彼は門を 通る人ではなかった。また門を通らないで済む人 でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦ん で、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」  宗助はそうして自分が選び取ったお米との生活 に戻ります。楽天的なお米はやってくる春を喜ぶ けれども、宗助はまたじきに冬になるよと下を向 いているということで終わります。門をくぐらず その下に立ち竦んでいく在り方を「不幸な人」と 書いていますが、「門」の中の悟りから無縁な門 の外側の「不幸な」世界をむしろ引き受けていこ うという強靱な意志を感じます。 ところで、ヨ ハネ福音書はイエスの言葉として、「わたしは門 である。わたしを通って入る者は救われる。その 人は、門を出入りして牧草を見つける。」という 言葉を残しています。どうひねってもここでは、 イエスという「門」の中に救いがあってその外側 に救いがないということになります。さしずめ宗 助ならこの門に入らないということになるでしょ う。しかし、ガリラヤで「罪人」とされた人々に こそ福音を、と宣教したイエスには、門の中に入 るかどうかということは問題にならないはずです。 Q資料に「求めよ、そうすれば、与えられるで あろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。 門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろ う」(マタイ7:7//ルカ11:3)という言葉 があります。ここでは「門」を叩けばいかなる審 査もなしに無条件に中に入れてしまう、つまり 「門」の内と外の境界線が無意味になってしまう、 したがって入口としての「門」自体が解体してい くと読むべきだと思います。もちろん、マタイも ルカもその背景にある教会も、まずまちがいなく 解体し不要になるべき「門」のこととして理解し ていません。イエスを信じる教会の中に救いがあっ て、その「門を叩け、そうすれば開けてもらえる だろう」と、救いのある中側からこの言葉をとら えているでしょう。そして、今もキリスト教の教 会の多くがそう読むでしょう。どんな宗教にも共 通するところです。だが、イエスはそのような救 いの内と外の前提を外してしまう、「門」ところ で私にはどうしてもそうは読めません。
 5月25日の礼拝説教から 創世記50章 「でも旅は終わらない」 久保田文貞  創世記50章は、12章から始まったアブラハム、 イサク、ヤコブ、12人の子らの長い旅の終結であ り、小さな遊牧的な一族が12部族に成長しイスラ エルという一つの民のベースが整ったという区切 りでもあります。もちろんこれは、ひとつひとつ の小さな物語をダビデ王朝で完結を見たイスラエ ル国家の前史として、後代に編み上げた壮大な物 語の第一部の終結でしかありません。彼らが半遊 牧民として主として都市周辺を移動しながら住ん できた〈カナン〉(ほぼ現在のパレスチナ地域) は、神から約束された土地であるという信念の根 拠となる物語になっています。そしてこれは現在 のイスラエル国家が「聖書」に基づいて想定し主 張する「固有の」のイスラエル国家領域の根拠と さえなっているのです。こういう国家意識の根拠 になっていると考えるといつも興ざめになってし まうのですが、一方でそれらの小さな部族の活き 活きとした民間伝承がそこかしこに見られてそれ が創世記を読み続ける原動力でした。 また50章 は、37章以降から続くヨセフ物語の終結でもあり ます。ヨセフが、他の兄弟から売り飛ばされた先 のエジプトで成功し、飢饉で住めなくなったカナ ンから家族を呼び寄せることになり、イスラエル はエジプトで王のお墨付きをもらってゴシェンの 地に住みつくことになります。それまでの住み方 とは明らかに違って、所有権を持った定住に近い 形を思わせます(47:6、11)。そこで父ヤコブは ヨセフに家長権を与えて死んで行くのですが、墓 は「先祖たちの墓に葬って欲しい」と言い残して いきます。ヨセフはエジプトの大臣として権力機 構を動かして盛大な葬儀をして故郷の墓、つまり アブラハムが買い取り、サラ、イサク、レベカ、 ラケルらの眠る、カナンの「マクペラの畑の洞窟」 に葬られるのです。このことは、ヤコブにとって エジプトの有利な土地での定住が決して一族の最 終地ではないことの意思表示かもしれません。カ ナンへの執着、むしろそれは編集者の強い意志か もしれません。しかし、一族にとってカナンは都 市王国の周辺で家畜を追いながら旅する場所でし た。カナンは唯一所有権を持つのはそこに「買い 取った」墓だけなのです。定住先をもたず、ただ 墓だけが一族の旅の定点になっているというのな ら、心打つ物語だと思います。けれどもそこが後 のイスラエル国家の名分として格上げされてしま うと一挙に別の意味になってしまいます。この格 上げのモチーフに重大な役割を果たしているのが ヨセフ物語です。12人の兄弟の末から2番目の ヨセフが、ヤコブからほとんど偏愛に近い形で選 ばれ、他の兄たちを押さえて、家長になる、それ を兄たちも承認せざるを得ない(15−21)。一族 はやがてヨセフが死に後ろ盾を失うけれども、エ ジプトの有利な定住の間に人数を増やし、かつて 神の祝福されたとおり(12:1−3など)大きな民 になった…。これらすべて次のエジプト脱出の複 線になっていることですが、この定住で実は、ヤ コブ一族は明らかな変質をしている。物語にのっ とってのことですが、カナンに戻るとしてもそこ で旅をするものになれない、あるいは旅をするこ とを否定的にしか捉えられない、そういう民に変 質してしまっていると思うのです。モーセの導き で出エジプトして、荒野を40年旅をすることになっ てもその生活を肯定的に捉えられなくなっている。 カナンに戻ったらそこを自分の土地として定住し なければならない民になってしまう。ヨセフ物語 にそのことが目立って仕方ありませんでした。
5月18日の礼拝説教から マルコ福音書7章31−37節 「差異について」        久保田文貞  福音書の奇蹟物語を読むとき、いつも一種のも どかしさが残る。「耳の聞こえない者」が「聞こ える」ようになり、「口のきけない者」が「きけ る」ようになるのだから、イエスの福音によって 癒された人の喜びに割ってはいって、差し出がま しいことを言うのは気が引けるけれども、だが、 こうした物語が福音伝播に目的意識を持った教会 組織の物語として使われるならば、話しは別であ る。 一人の人が生まれつき(?)耳が聞こえず、 発話ができない、コミュニケーションが十分に取 れない、等々、その人のハンディキャップを取り 除くために、現在ではより科学的に、医学の上で も補助技術の上でも、格段の進歩があったことを 認めよう。しかし、「進歩」という評価をすると き基準となっている価値観について注意しておく 必要がある。聴覚が十分あるいは全く機能してい ないということと「聞こえない」ということとが 必ずしも同じではない。発音機能が不十分だとい うことと表現したことを受けとめてもらえないこ ととは別のことだ。医学や技術が取り組むのは、 人間の機能を一部だけ切り離した部分的なもので しかない。他者の表現を聞くことができないとか、 他者に表現したことを受けとめてもらえないとい うことは、ほんとうはそういう機能の問題ではな い。 以前、ろう(聾)の子どもたちに「健常者」 と同じ発声ができるように訓練する教育のことを 取り上げた。聴覚が機能していなくても読唇術と 発声ができれば社会的はハンディをかなり解消で きるはずだという発想である。実際、ものすごい 努力をしてそのハンディを克服した人がいたのだ ろう。それはそれですばらしいことだ。では、そ れをろう教育としてすべての子に課すとなったら 話は別だろう。昔からろうの人たちは手話を使っ てお互いに表現していた。健常者はそれではさぞ 不便なことだろうと…。いつのまにか「健常者」 は聴覚のせいでろう者が十分なコミュニケーショ ンがとれないと錯覚し始める。手話では十分な表 現をすることができないし、他者の表現を十分に 受けとめられないはずだと思い込む。手話は、音 声言語の補助手段に過ぎないと決め込む。もっと 良い補助手段ができればそれに代えてやろうとい うわけである。手話で表現してきた人たちが、抗 議した。手話はただの補助手段ではない、手話は 独立した表現の時間と空間をもっている、音声言 語より劣っていると考えるのは健常者の思い上が りだ。こうしてこれらの人々は主として手話言語 を使い「ろう文化」の自立を訴えた。今、NHK 3チャンネルの晩の番組に手話ニュースと手話の 表現による放送があるが、NHKもいちおうその 人々の主張をくんで制作していることになってい る。が、やはり手話を補助手段として捉えてしま う限界を超えることができていないと思う。 コ ミュニケーションが十分でないことは、表現手段 の問題ではなく、表現者とそれを受け取る者との 関係の問題だ。聴覚の機能障害を、そく社会的な 障害に直結させてしまうのはやはり「健常者」の おごりだ。そもそも「健常者」なんてほんとうに 胸張って言える人間がどこにいるだろう。「健常 者」のふりして「健常者」の側についている者た ちのある種の〈黙契〉にすぎないだろう。そうい う怪しい「多数派」が社会を支配して当然のよう にふるまっているに過ぎないのだ。
5月18日の礼拝説教から エゼキエル書33章12節、マルコ福音書2章14節 久保田文貞 「 人の子よ、あなたの同胞に言いなさい。正しい 人の正しさも、彼が背くときには、自分を救うこ とができない。また、悪人の悪も、彼がその悪か ら立ち帰るときには、自分をつまずかせることは ない。正しい人でも、過ちを犯すときには、その 正しさによって生きることはできない。」(エゼ キエル) 「 また途中で、アルパヨの子レビが収税所にすわっ ているのをごらんになって、「わたしに従ってき なさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、 イエスに従った。」 (マルコ)   イエスが活動を始めて、はやくに「弟子」をと ります。レビは収税吏の下っ端だったと想います。 この仕事はユダヤ人にとっては支配者ローマのた めに同胞から税を取り、しかもユダヤ人が忌避す る偶像=皇帝の顔が刻まれた通貨を扱わなければ ならない卑しむべきものでした。神の法(トー ラー)に則って清潔に生きようとしていたユダヤ 教徒から見れば逸脱者であり「罪人」でした。イ エスはそのような仕事をしていたレビを弟子とし たわけです。収税利を弟子としたというイエスの 弟子採りの物語はやはり注目すべきことだと想い ます。 もうひとつ、よく言われることですが、 レビの決断の早さ。でも、わたしは決断の早い遅 いはたいした問題ではありません。弟子を採ろう とする側から見れば、決断の早い者の方が都合が いいに決まっていますが、採用される側から見れ ば、それまでの仕事を辞めて新しい仕事に入る切 り替えの問題です。しかし、それ以上に白い目で 見られていた仕事からラビ(ユダヤ教教師)のご とき人物の弟子になるという転身を意味していま すから、取りようによっては「罪人」の仕事とさ れた収税吏を捨てて、レビは「義人」の仕事を手 伝うと読めなくもない。けれども、物語ではその すぐ後、イエスは彼の家に行って食事をするので すが、そこには「多くの収税吏や罪人たちも、イ エスや弟子たちと共にその席に着いていた。こん な人たちが大ぜいいて、イエスに従ってきたので ある。」 と書かれていますから、レビは弟子にな るために、収税吏の仕事を辞めるにしてもそれま で彼がつき合ってきた仲間たちを捨てるわけでは ないです。ここが当然ですが、難しいことです。  レビにはどうしても、一種の出家の要素がある。 ただの転職ではない。庶民の日常と水準が違う世 界に足を踏み入れることになります。ふつう師に 「従う」という在り方は、師が伝える理(うまい 言葉が見つからないので「理」といっておきます) の世界に生きることです。ただし、イエスの伝え ることは言葉を駆使して理念で現実をねじ伏せた り、指導したりすることではありません。あちら の方からこちらに向かって押し寄せてくる神の恵 み・神の国の波に乗ってサービスしようというこ とです。そういう出家なのです。だからその恵み の波がガリラヤで暮らす庶民の日常に向かってい くかぎり、彼らの「理」はそこに自ずとそこに向 かうのです。イエスに従うということはそういう ことだと想います。 (実は、先週、話したのはエゼキエル書の方で、 「神の言葉」のインスピレーションを、文章化す る中で練り上げ、ときには弁証していく預言者エ ゼキエルの特長とその問題、そういう在り方が 「神の言葉」を語る=神に「従う」ということが どうなるかということを話しました。そこにこの マルコの言葉をぶつける予定でしたが、そこまで 行きつかずに途中で終わりましたので、ここには その部分を書いておきました。)
5月4日の礼拝説教から ミカ書5章4、ヨハネ14章27 「かれこそ平和」 久保田文貞 「彼こそ、まさしく平和である。アッシリアが我々 の国を襲い/我々の城郭を踏みにじろうとしても/ 我々は彼らに立ち向かい/七人の牧者、八人の君 主を立てる。」(ミカ5:4) わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平 和を与える。わたしはこれを、世が与えるように 与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。 (ヨハネ14:27)  紀元前8世紀、南王国ユダに現れた預言者ミカ の語る「平和」シャロームも、1世紀末のヨハネ福 音書がイエスの口に含ませた「平和」エイレーネー も、現代の平和概念とは大きな開きがあります。 すべて存在の根拠を神に置いて、生きている聖書 世界の古代の人々が、シャーロームやエイレーネー を使うとき、神から与えられた生の平安、安らぎ が前提なのです。巨大な国家が圧政を弾いたり、 諸部族間の戦いがあったり、いろいろな人間の悲 惨があったりするけれども、それらのすべての事 象を超える神のシャーローム、エイレーネーこそ が第一の問題なのです。近代の側から言えば、そ れは信仰の世界だということになりますが、定義 はどうあれ、われわれには想像を超えたところで、 かれらは神の「平和」を語り、それを追求するの です。 これに対して、我々が頭にえがく平和の 意味は、まずは国家間、民族観の戦争のない状態 のことであり、大文字の「主権」を国家に集中さ せ、暴力装置の管理をすべて国家に委託している 近代市民国家においては、国家が戦争をしないこ とを抜きにして「平和」を語れません。これは、 そういう在り方をしてしまっている現代において 必然的なことですが、同時にそのことによって 「平和」の意味が矮小化され、分断されてしまう というきらいがあります。国家間の戦争からでき るだけ遠のいている状態が第一義の平和として優 先され、それ以外の人間の福利は、社会的な課題 として二義的な意味しか与えられない。戦争が起 こったら元も子もないというわけで、国家防衛費 を優先させたり、一方それを批判する勢力も平和 主義優先に陥るという具合です。 昨日は憲法記 念日の休日でしたが、日本国憲法をよく読むと、 そういう平和優先主義をとっていないのです。 憲 法「前文」は「全世界の国民が、ひとしく恐怖と 欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」を 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、 われらの安全と生存を保持しよう」と呼びかける のです。つまり国家間の平和は、人間が安心して 暮らせる社会を実現するための手段であり、決し て自国の防衛や国家間の平和が第一義のもの、政 治も思想もそれをまず優先させようとは言わない のです。人々が「自由のもたらす恵沢」を保ち、 「福利」平和に安心して互いに生きる権利のため に国家権力を認めるけれども、国家間の平和の実 現のためには武力ではなく、「平和を愛する諸国 民の公正と信義に信頼して」それを実現しましょ うというのです。 いわゆる基本的人権と平和主 義はひとつの根から出た、どちらを優先すること もできない同一の価値によるものであり、主権者 たる国民によって承認された国家はその実現のた めに存在するのみだと、憲法は言っているのです。  この考え方に、聖書のお墨付きを与えるなどと 偉そうなことを言うつもりはありません。ただ、 うまく説明できないのですが、なにか響き合うこ とだけは確かだと思います。
4月27日の礼拝説教から 創世記 49章1〜28節 「ヤコブの最期の祝福」 久保田文貞  老齢になったヤコブが最期を迎えて、12人の子そ れぞれに祝福を与えるところです。歴史批評的に は、アブラハムに始まるイスラエル族形成の物語 は、ずっと後の、それも決して一律ではないので すが、イスラエル共同体のイデオロギー群のもと にあります。49章の「ヤコブの祝福」の中に素材 としては相当古いものもあるかもしれませんが、 この12のリストも、その中身も、明らかに数百年 後の部族の運命を知っている者たちがまとめたも のであることは疑いようがありません。 つまり 物語は、遠い昔を語っているようでいて、実際に はヒストリー(歴史・物語)を語っている者たち はそれを通して自分の思いを語っているに過ぎな いと言わざるをえないのです。もちろんこの言葉 は、翻ってわたしにも斬りつけてくる言葉である ことは承知のうえで、気づいたいくつかのことを 述べます。 まず、12人の子ら(諸部族)は擬 制的な家族共同体として、ヒストリーを共有して いかなければなりません。それには諸部族が共通 の敵(外部)をもつような緊急時はよいとして、 平常時には当然そのための超越的な存在や、それ を固める儀礼的な場が必要となったはずです。物 語はそれを反復するための格好の働きをします。 中でも、家父長の最期のことばは、寄せ集め的な 12部族を否が応でも鷲づかみにするはずです。死 はどうあろうとこちら側に生きるものの生を輪郭 づけてしまいます。死を迎えた者の言葉はあちら がわからやってくることばに限りなく近い。祝福 であろうと呪いであろうと生き残る者の生を強烈 に方向づけてしまいます。 もうひとつ、ヤコブ の祝福(呪い)は、族長物語全体の特徴を受けて、 12人の子らを死の床に集めておきながら、依然と して〈偏愛〉ぶりを隠すことはしない点です。ガ ド、アシェル、ナフタリなどのように一行で通り 過ぎる者がいるかと思えば、ユダには新共同訳で 17行、ヨセフには19行という具合です。ヨセフ族 の株を実質的に子のエフラエム族が引き継ぎ、そ れが北王国イスラエルの主流派になり、ユダ族が ダビデ・ソロモンの血を受け継いで南王国を支配 するという現実の歴史を反映しているわけですが、 そして物語はそのイスラエル政治史をイデオロギー として押し固める働きをするわけですが、それに しても家族内部の偏愛の問題はそれだけでは説明 しきれないものを含んでいると思います。父親・ 母親の偏った愛、兄弟間のねじれた愛憎、これら は、近代人の一般的な通念からすれば、むしろ家 族崩壊の種のようなものです。それを民族形成の 存在根拠を語る物語の柱に置くのですから。その 偏愛を、全イスラエルの先祖であり、家父長の最 期の言葉として悪びれることなく宣言するのです。  民族の一致をつくっていくイデオロギーを政治 が歓迎するのは当然です。とすれば12の支部はもっ とバランスよく一致へと誘うような物語の方が都 合がいいはずです。しかし、そうなっていない。 現実の家族のあいだにどうしても引き込んでしま う偏愛があるように、イスラエル神聖政治は神の 偏愛を呼びこんでしまう、そういうことなんでしょ うか。政治は良きにつけ悪しきにつけ〈合・目的〉 的です。しかし偏愛は最初から非・合理的なので す。 この矛盾はいまもわたしたちの間でしっか りと呼吸していると思えてなりません。
4月20日の礼拝説教から 詩篇104篇24節、ヨハネ黙示録4章11節 「万物を創造された方」    久保田文貞  「主よ、御業はいかにおびただしいことか。あ な たはすべてを知恵によって成し遂げられた。 地 はお造りになったものに満ちている。」                (詩104の24)  ユダヤ教から引き継いでキリスト教には神が世 界を創られたという天地創造論と呼ばれるひとつ の「教理」があります。聖書全体を通じて「神が 天地を創造した」という信仰的な捉え方が書かれ ているとして、教会は信徒大衆にそう教えてきた のです。人々はその物語を耳で聞き、歌詞で感じ とり、時に啓発的な図版などを通して目から入っ ていったわけです。 16世紀に宗教改革が起こっ て「教え」のインパクトが変わります。だれもが 自国語で聖書を読めるようになり、「教え」は単 に教会の僧職たちが教えてきただけでなく、自分 の目で直に読んで確認することになります「教 え」が表記された文字、それも聖なる書物の文字 に裏打ちされたものとして人々の頭に刷り込まれ たのです。このことは「教え」の正確な伝達には 有効でしょうが、逆にそれによって失われ、かえっ て見えなくなってしまったもの、感じとれなくなっ てしまったものがあるように思えてなりません。  少なくとも、いわゆる天地創造の「教え」とし て聖書から切りとってきたものについて、点検 (もちろんそれも聖書の読み行為には違いありま せんが、教会的な教えの前提からできるだけ自由 に読むと、という意味です)してみると、その元 にあるのは、どうみても教会の「教え」とか「教 理」という水準のものとは違うのです。 詩篇 104篇の詩は、創造について触れているかなり古い ものだと思われます。創世記1章の天地創造の物 語とは別の展開をしていて、いわゆる祭司(P) 典として弁別されている1章の文の成立と時間的 にひけをとらないでしょう。しかし、創世記1章と 詩篇104篇の詩は、同じ神の世界の創造のことを書 いているけれども、響きが違います。散文と詩の 違いと言ってもよいかもしれません。創世記1章 は一種の典礼文であり、そのかぎりでは文として の「教え」にずっと近い。これに対して詩篇104篇 は、信仰的な賛歌のあいだに並べられているとは いえ、この世界、自然に感動するひとりの人間の 息吹が感じられてならないのです。 例えば 「野の獣はその水を飲み 野ろばの渇きも潤される。 水のほとりに空の鳥(水鳥)は住み着き 草木(灌木)の中から声をあげる。 ・・家畜のためには牧草を茂らせ 地から糧を引き出そうと働く人間のために さまざまな草木を生えさせられる。 ぶどう酒は人の心を喜ばせ、油は顔を輝かせ パンは人の心を支える。」(11〜15節) や 「あなたが闇を置かれると夜になり 森の獣は皆、忍び出てくる。 若獅子は餌食を求めてほえ神に食べ物を求める。(祈る) 太陽が輝き昇ると彼らは帰って行き それぞれのねぐらにうずくまる。 人は仕事に出かけ、夕べになるまで働く。」(20〜23) この歌詞は、典礼歌として意図して書かれたもの ではないでしょう。それは世界の初めについて思 辨して書かれた創造論ではなく、詩人がこの世界 に生き、この世界を観察し、それを創られたもの として表現せざるを得ないところで、その感動を 歌にする。ですから、それはこの世界の現在の、 目下の創造についての歌だと思うのです。すくな くとも、教会のような信仰共同体に「教え」とし て伝達することばにはなっていません。ところが、 最後の35節 「どうか、罪ある者がこの地からすべてうせ 主に逆らう者がもはや跡を絶つように。」   これだけはちょっと余計ではないかとい う気がします。
4月13日の礼拝説教から 民数記23章12、ルカ6章27 「敵を愛し・・」          久保田文貞 民数記22−23章のモアブの王バラクとペトルの 預言者バラムの物語は、イスラエル史観が多民族 の物語を取りこんでしまう強引な物語です。荒野 を彷徨しているイスラエル族がアモリ族を「ひと り残らず撃ち殺して、その地を占領した」という 事件のことを聞いたモアブの王バラクが、ペトル の霊能者バラムを招いてイスラエルを呪い倒して もらおうというのです。後代のイスラエル神学か ら見れば、バラムは完全な異教の宗教者です。し かし、ここではバラムは諸部族の神々に通用する 国際的な霊能者として現れてきています。つまり そのようjな国際的な霊能者が活動するフィール ドがあるということ、ということはイスラエルの 神ヤハウェも神々の中の一つの神としてそのフィー ルドを生きているということです。そこでは、諸 部族とその神々はときに同盟し=祝福し、ときに 敵対し=呪い合う、そういう多様でたがいに重な り合いながら、生きていかざるをえないのです。 こんなことは当然のことですが、後のイスラエル 神学、さらにそれを引き継ぐキリスト教神学は、 ヤハウェこそ真の唯一の神とし、他の神々は偶像・ 木偶としかみないので、この多様なフィールドが 見えなくなっているのです。 さてバラムはその フィールドで一種のフリーのコンサルタントとし て営業活動しているわけです。モアブの王バラク が敵のイスラエルを呪ってほしいと、クライエン トの依頼を受けて、コンサルタント・バラムは動 き出します。しかし、専門家として何度分析して もクライエントの要望とは結果が反対に出てしま う。「客観的にイスラエル祝福」と出てしまうわ けです。「敵を呪ってほしい」という依頼内容に 「敵を祝福してしまう」という分析結果が出てし まう。バラムの専門家としての真骨頂です。営業 だから金で動くのだけれども、分析結果をクライ エントの喜びそうな内容に曲げてしまわない。  「バラムは答えた、「わたしは、主がわたしの口  に授けられる事だけを語るように注意すべきで  はないでしょうか」。(民数記23章12)  敵を呪わず、祝福してしまう・・そういうこ とが起きるフィールドが見えなくなってしまって いる護教的な「神学」は、結局、敵を呪い、味方 を祝福する神に行きついてしまいます。そういう 神学によってこの物語を回収してしまうわけです。   「しかし、聞いているあなたがたに言う。敵 を愛 し、憎む者に親切にせよ。のろう者を祝福 し、 はずかしめる者のために祈れ。」(ルカ 6の27、8)  このイエスの言葉をどんな場に置き 直してやればよいか、もはや決定的なことはだれ にも言えません。しかし、「敵を呪わず祝福する」 あるいは「敵を愛し憎む者に親切にする」ということは、 共同体形成的な自己中心的な閉じた世界を攪乱し、 開放することだけは確かです。敵と味方の境界を 毀してしまいます。せっかく築いた外部から仕切 られた内部が、無防備になって外に開かれてしま います。内部を固めるために改変された物語のし きりが取り払われ、その凝り固まった関節が外さ れ、再び自由に動き回りはじめます。 「敵を愛 し憎む者に親切にする」という言葉は、共同体内 であるいは故郷の内部で窮屈な思いをしている者 の自虐的でアクロバット的な倫理を語っているの ではないでしょう。それは共同体や故郷を前提と する倫理ではなく、共同体や故郷を攪乱し解体し た先に現れてくる新しいフィールドで生きる者の、 自由で現実的な、たえず生成する物語を語ること になるでしょう。 
3月30日の礼拝説教から  「わずかの間、わたしはあなたを捨てたが  深 い憐れみをもってわたしはあなたを引き寄せる。」    (イザヤ54章7節) 「神の賜物と招きとは取り消されないものなので す。       (ロマ11章29節)  しばらくの間、一部ローズンゲンという聖書日 課を使って礼拝テキストにしようと思います。ロー ズンクとはドイツ語で「標語」ほどの意味です。 18世紀のドイツで前にもお話ししたことがあるツィ ンツェンドルフ牧師が、一日一句の聖書箇所を選 んで、仲間の信徒の人々に勧めたのが始まりです。 聖句をぶつ切りにして脈絡を外して一日一日に当 てはめていきます。今日ロマ書11章29節であれば、 明日はエペソ書5章8節と跳びます。一種の日めく りカレンダーのようになります。 問題がありま す。聖書をそのように細切れにして、胸を打つよ うな聖句をバラバラに並べていくのでは、聖書を 恣意的に読むだけではないか。もっともな疑問で す。かくいう私も近代聖書学の強い影響の元に聖 書を学んできましたから、テキストの意味を「釈 義」するには、原典を言語的・辞書的に調べ、そ の語の歴史的使われ方、著者の使い方、文学的な 様式とその歴史、文書の編集の痕跡や意図、著者 の歴史的背景などなどの研究を通して、はじめて 正確に解釈できるという漠然とした前提を持って いました。もちろんどんなに正確な「釈義」をし たところでみながみなピッタリ一致するわけでは ありません。「釈義」の議論があるわけです。他 者を納得させる根拠を示し、できることなら解釈 の新しい方法を見つけて自分の解釈を主張す る・・・こんなことを学者たちが行い、それをわ れわれ素人の聖書読みが追っかけまねてみるとい うわけです。これが近代聖書学の前提になってい る聖書解釈です。 そんな面倒なことをしないと 読めないのか、という思いがだれの胸にも湧きあ がってくると思います。よく考えれば、言葉と意 味の関係は基本的に恣意的なものでしかないはず です。例えば「ほん」という音声が、実態として の本を意味するのは約束でしかありません。本の 実体と、「ほん」という語は恣意的に結ばれてい るだけです。そこをさらに突き進めば、では本の 「実体」とはなにか、それを人は言葉ぬきに語れ ないのです。ということは「実体」が言葉より先 に確実にあって、それを根拠にして主張したり納 得しあい権威づけることはできないのです。すべ ては人と人との関係の中で言葉を介して、恣意的 に決定されていくのです。人と人との関係と対応 していることばのネットワークそれがあるだけで す。 近代聖書学が、どんなに正確な手続きを踏 んでも実は、それは聖書学徒らのネットワークで 彼らの恣意性のそれなりの秩序づけ(「論理的説 得力」と言ってもいいですが、そういうともうな にかものすごい権力的です)を上手にしているに 過ぎない。そこで確定された釈義的な意味とは、 彼らの解釈の城塞の中での、城壁の外から見れば すぐわかるように彼らの恣意的な意味でしかない のです。その城壁の内部に入れない、あるいは入 らないものには、正直言って彼らの取り上げた意 味は役に立たないのです。 ローズンゲン的な読みが、もとより恣意的なの はわかります。ちょっと開きなおっているといっ てもよいでしょう。けれども、読みの恣意性をしっ かりと受けとめていれば、あの権威あるようにみ える堅固な城壁の中であろうと自由に出入りでき るわけです。 〈神があなたを掻きおこし引き寄 せる。神の賜物と招きは、なにがあろうと、おま えがどんな者であろうと取り消すことはない。こ のことばを胸に一日を生きる、恣意的であろうと なかろうと。要は、他者の恣意を踏みにじらない こと。〉
3月23日復活祭礼拝説教から 使徒行伝3章11−16節 「ペテロの復活説教」     久保田文貞  囲碁ゲームの言葉に「手を戻す」というのがあ ります。攻めすぎるとスキが生まれものだ、手を 戻して陣容を整えることを意味します。私は、こ れまでキリスト教を批判的に検証するべきだとの 思いで、自己の信仰も含めてあらゆる面で追究し てきました。伝統的な神による天地創造の信仰、 イエス・キリストへの信仰、神による人間の救い という信仰等々、北松戸教会の場から聖書を批判 的に読み、発表してきました。けれども、いつも ある種〈攻めすぎ〉のような感覚を持ち、どこで 〈手を戻す〉かたびたび考えさせられました。  正直言って、手を戻さなくてはと思いながらも、 手を戻せるところがなかなかないのです。そこで 意識的に使った方法は、伝統的に固められたもの を組みほぐし、その上で組み直しながら「手を戻 す」というもので、そうやっていわゆるただの 「本卦還り」にならないように工夫したつもりで す。成功したかどうかは別にして。 この点で、 受難節や復活祭のような教会暦というのはいつも 以上に「手を戻す」ように要請してきます。もち ろんそれに呼応していつも以上にていねいな批判 も要請されるわけですが。キリストの復活のこと は、イエスの処刑と死をどうとらえるかというこ とと表裏の関係にあります。イエスの処刑と死を、 人間の救いの完成ための一段階としてとらえれば、 復活はイエスの処刑と死の必然の結果ということ になります。伝統的に、人はそうやって神の救済 の歴史の連鎖の中に自己を組み込んで良しとして きました。 しかし、そのようなキリスト教の救 済の歴史は、図書館の宗教の一区画のほんの小さ なスペースの書棚に収められてそれだけのことで す。 イエスの処刑と死はそんな体裁のよいもの ではないだろう、むしろ裁判所の正式な記録外の、 ただ処刑人の、数年で廃棄される記録簿あたりに 記されるばかりのものではないか、と思うのです。 つまりユダヤ教のリンチをローマの総督が奴隷の 反乱として水面下で処理してしまった程度の、参 照されることのない、記録として残されることの ない、処刑であって、後代の教会が「十字架」と いうシンボルに格上げすることができるような上 等のものではなく、死んだカラスを木にくくって カラスを追い払うたぐいのものでしかないという ことです。 私たちの時代でも、およそ国家が反 逆者を処分するときの、国家の理想型は同じです。 正式に歴史に記載されることなく、世論にもマス コミにも注目を浴びることなく、黙殺されるよう にして抹殺する。例えば大逆事件のように、とき に大物を見せしめのように舞台を作って処分しま すが、ほんとうはそれは国家にとって危険な賭な のです。間違えればそれがきっかけで自らを危う くするでしょう。 私は、イエスの処刑は黙殺型 の抹殺処分になるはずのものだったと思います。 事件の処分関係者たちは〈また、預言者、メシア と騒がれた狂気の男が処刑されたらしいよ〉とう わさに上るぐらいですぐ忘れられてしまうと踏ん でいたでしょう。  でも、そうならなかった。で、人はそこから想 像力逞しくたくさんの物語を作り、その処刑と死 と〈復活〉の意味を冗舌に語り始めるでしょうが、 その処刑と死は、そのような意味づけさえ退ける ような無意味な死として死なれたことを胸に刻ん でおくべきです。
3月16日の礼拝説教から ヨハネ福音書13章21−30 「なにがイエスを殺すか」 久保田文貞  クリスチャンは、敬愛するイエスを最悪の形で 処刑させてしまったことに、自分もなんらかの、 いや決定的な責任があると認める存在です。この ことは讃美歌によく歌われます。例えば、讃美歌 21の313番の3節「これほどの痛み苦しみ 何のた めに受けられたか。ああ私の罪を担われ苦しまれ た」。バッハのマタイ受難曲第19曲に使われてい るものです。原詞の意味はより明解です。「すべ てのこのような(主の)苦しみの原因はなにでしょ うか。ああ、私の(数々の)罪があなたを打った のです。おお、主イエスよ、あなたが(いま)耐 えていること、それを私が引き起こしてしまった のです。」 ここにはドイツ敬虔主義の誇張があ るとしても、基本的には、自己を、イエスを死に 追いやった共犯者として認める在り方は、福音書 の受難物語から来ています。受難物語を形成して いる重要なモチーフのひとつは、イエスの弟子た ちが、イエスの苦難と無惨な死の意味を悟ること ができず、恐怖のあまりイエスを見捨てて逃げて しまったことの悔悛にあると言ってよいでしょう。 イエスを十字架の死に追いやってしまったのは、 仲間のイスカリオテのユダがイエスを裏切ったこ と、ユダヤの議会がイエスを殺そうとしてローマ に訴追したこと、ユダヤ人たちがイエスを「十字 架につけよ」とせまったこと、等々だけではない。 実は、イエスの死後、イエスをメシアと信じ、集 結するクリスチャンの共同体を作っている弟子た ちも含めて、彼の死に責任があるのだということ です。 イスカリオテのユダは、イエスを十字架 に引き渡していく連鎖の初動を受けもったことに なるます。そのかぎり責任は人一倍重いように見 えます。なんといっても彼はイエスの弟子の一人 (ヨハネでは会計係をしていたと報告されている) であったにもかかわらず、イエスを金(マタイで は銀貨30枚)と引き換えに役人に引き渡す(=言 語では「裏切り」と同語)と約束し実行してしまっ たのだから。 ヨハネ福音書は、ユダの裏切りへ の心の動きに微妙な書き方をします。「「主よ、 だれのことですか」と尋ねると、イエスは答えら れた、「わたしが一きれの食物をひたして与える 者が、それである」。そして、一きれの食物をひ たしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダ にお与えになった。この一きれの食物を受けるや いなや、サタンがユダにはいった。そこでイエス は彼に言われた、「しようとしていることを、今 すぐするがよい」。」ユダの裏切りは、ユダに入 り込んだ悪魔によって仕組まれたものだと言わん ばかりです。とにかく、ユダの責任をできるだけ 特別あつかいしないで書いているのです。 福音書はおしなべて、ユダも最後の食事を一緒 にしただけでなく、例のイエスがパンと葡萄酒を 分け与える儀式にもユダを外していないのです。 ユダの裏切り行為に福音書はもっと嫌悪してしか るべきなのに、ことにヨハネは極力それを押さえ ているように見えます。マタイはユダが自殺した 物語を伝えますが、ユダにも良心の呵責があった こと、ただ彼の悲劇は「主がユダのために死んだ」 ということの「ため」のもうひとつの面を読み取 れなかったことにあると言っているようです。  その点でルカは使徒行伝1:18−20では、まさに 〈あんなことをしたから天罰が下った〉となんと も俗っぽい閉め方をしています。 ルカを除けば、 他の福音書は、イエスの死の責任をユダに特別重 く負わせてはならない、と工夫しているように思 います。「私のために」「私の罪のために」イエ スは木にかけられたと括るとき、その「私」には ユダも当然含まれるわけです。この「私のため」 をユダが受け入れるかどうか、それは自由です。 昔はその自由を悪魔的なもののように言っていま したが、その自由こそキリスト教の呼吸点のよう に思うのですが。
3月9日の礼拝説教から  テトスの手紙2章   前回に引き続いて牧会書簡を読みます。牧会 書簡(&テモテ、テトス)はパウロの手紙の増補 版として120年頃書かれ、読み始められました。前 回ふれたように牧会書簡は〈委託された信仰〉を 付け加えたり変えたりせずに伝えられたとおり守 り、そしてそれを次世代に継いでいくことに強い 使命感をもっているのです。しかしその強い守り の姿勢の故に、イエスがその弟子たちとともに活 動し語っていった〈福音〉と似て非なるものが牧 会書簡を生み出した教会に出てきてしまったと述 べました。 なぜそのような守りの姿勢に入って しまったかという理由は明確にはわかりません。 トラヤヌス帝(98−117)時代のキリスト教への弾 圧が散発的に続く中で、教会が防御態勢に入らざ るをえなかったのかもしれません。しかし、だか らといって教会が守るべき中身の選択の問題は外 圧と直接関係ありません。どんなに外部の妨害が 強かろうと、いやそれならばいっそう教会が伝承 してきたものの中でなにを一番大切なものとして 受けとめ、その中で生きていく、ということの重 みがますというものです。 牧会書簡が守りの姿 勢に入って、イエス運動の中で輝いていた一つの テーマをいかに後退させてしまったか見てみたい と思います。それは女性の生き方の問題です。イ エスの周りに集まった人々が社会の如何なる階層 の人々であったか、明らかです。当時のユダヤ教 秩序のなかで神の法に違反したとされ、結果ユダ ヤ教共同体の利権から外された人々、すなわち 「罪人」というカテゴリーに入れられた人々でし た。イエスは彼らの方に向かい、彼らをを招いて、 彼らの中にこそ「神の国」が開かれていることを 宣言し、その姿勢を貫きました。その的確な例が 女性の処遇です。イエスの周りに現れる女性たち は、その仲間と出会って変わっていきます。例え ばマグダラのマリヤのように、あるいは前々回の マルコ14章3節以下のイエスの頭に香油を注ぐ無名 の女性のように。 これに対して、牧会書簡では、 「婦人は、静かに、全く従順に学ぶべきです。婦 人が教えたり、男の上に立ったりするのを、わた しは許しません。むしろ、静かにしているべきで す。」(1テモテ2:11以下)「年老いた女には、 聖なる務めを果たす者にふさわしくふるまい、中 傷せず、大酒のとりこにならず、善いことを教え る者となるように勧めなさい。そうすれば、彼女 たちは若い女を諭して、夫を愛し、子供を愛し、 分別があり、貞潔で、家事にいそしみ、善良で、 夫に従うようにさせることができます。これは、 神の言葉が汚されないためです。」(テトス2:3 以下)のように、教会の中の女性の位置を低め、 女性が教会で語ることを禁止し、女性の自立性を そぐために女性を家庭に縛り付けるとしか読めな いような言葉を並べています。 教会は女性が語 り始めて混乱したと言わんばかりです。このこと は女性に限りません。−−これまで会堂で語る訓 練も受けていず、人の前に出られるような人間で ないものは、おしゃべりをせず、黙って慎ましく 従順にしていなさい。そして伝えられたこと、言 われたことをただ粛々と守り、秩序正しくしてい なさい。−− そうやって牧会書簡は何を守ろう というのでしょう。けれども、恐ろしいのはそう やって非勢の中で守られたものが勢力関係が変わっ て多数派となり、ひとたび権力の側に立ってこの 守りの姿勢が秩序維持のイデオロギーになるとき です。現在のアメリカのキリスト教保守派のよう に、聖書に基づいて女性を家庭に縛り付け、社会 (教会)の秩序を乱す自立的な女性、男性をやり こめる女性を押さえて、「神の秩序」(?)を守 ろうとして、保守的な権力の同伴者になってしま います。
3月2日の礼拝説教から テモテへの第2の手紙 「脱出できない穴か」   久保田文貞  第一テモテ、第2テモテ、テトスの3つの書簡 を牧会書簡と呼びます。テモテもテトスも共にパ ウロが弟子としていた人物で、同労者(新共同訳: 協力者)、兄弟と呼ばれている人物です。テモテ はパウロがアンティオキア教会の指導者バルナバ と袂を分かってから、宣教を開始して以来の同労 者で、パウロが手紙の中で何度も言及する人物で す。「このことのために、わたしは主にあって愛 する忠実なわたしの子テモテを、あなたがたの所 につかわした。彼は、キリスト・イエスにおける わたしの生活のしかたを、わたしが至る所の教会 で教えているとおりに、あなたがたに思い起させ てくれるであろう。」(コリ4:17など) そ のテモテへのパウロによる手紙ということになっ ていますが、内容はパウロの真正の手紙と異なり ます。大きな違いはパウロが〈信仰〉というとき、 人がキリストに出会い、キリストを信じるという 個人とキリストとの関係性をいつも根っこにもっ ているというところがありますが、牧会書簡の中 では〈信仰〉は「一つの客観的な『寄託物』(デ イアテーケー)として預けられているとの自己理 解」(タイセン)にたち、その寄託物をパウロが 管理し、それをテモテやテトスに委ね、さらにそ れを信徒たちに譲り渡す。だから〈信仰〉をひと りひとりの人間の主体においてどういう個別の関 わり方をしているかとか、どういうその人なりの 決断があったかとかいう余白部分をゆるさない。 譲り渡された〈信仰〉という客観的なものを、そ れぞれの人が主観的に告白し変えたり、付け加え たりしてはならない、という立場を取ります。  〈信仰〉がそれぞれの人の主観的な契機だけで成 り立っていると言い切ることは難しい。私たちが 実際にイエスに出会って、話をしたり行動を共に することができ、その中で自分で考えたり決断し たりするわけには生きません。聖書の言葉のよう に私たちはなんらかの客観的なものとして伝えら れるモノなしにはこの〈信仰〉は成り立たないか らです。そのことは素直に認めたいと思います。 けれども、それだからといって逆にその〈信仰〉 をだれかが責任を持って管理しなければならない というのは善意から出たものであったとしても思 い上がりです。キリストを信じる〈信仰〉が客観 的に成り立っていると表現せざるをえないもうひ とつの理由は、人は、およそキリストにかぎらず、 自分の前に他者が場所的にも時間的にも先に立っ て、自分に向かい合っている、その他者に自分が 存在をかけて信頼していくよりないという在り方 をして生きているということであり、その他者と の関係は自分の主観的な独り相撲ではどうにもな らないということだと思います。その人と他者の 関係を、それ以外の者が管理したり固定化したり するわけにはいきません。 牧会書簡は信仰を寄 託物として管理する〈監督〉を教会の中におき、 その周りに〈長老〉〈奉仕者〉を組織し、〈信仰〉 を守ろうとしています。明らかに防御の姿勢です。 自分たちの正統な信仰を守るために、他者とのダ イナミックな関係を切り落とし、自己凍結させて しまう。凍結させてただ保存しているということ だけに自己満足している在り方です。このような 在り方と、あのイエスの語ったこと活動したこと とは180度違うと思います。
2月24日の礼拝説教から  マタイ26章6−13 「トラブルを歓迎する」     久保田文貞  一人の女性がイエスの頭に香油を注ぐ話は、受 難物語(マタイ26−27//マルコ14−15)の始めに 出てきます。受難物語を構成したのが誰にしろ、 その構成者はこの話をイエスの埋葬の準備として 位置づけました。受難物語の終わりが、十字架上 に死んだイエスを女たちが埋葬の最後までみとっ て閉じていることと呼応していることはまちがい ないと思います。 さて塗油の舞台になったのは、「ベタニヤで重 い皮膚病の人シモンの家」となっています。かつ ては「らい病」と訳し、キリスト教は時にその病 人たちに手を差し伸べるポーズを取りながら実際 には差別の上塗りをしてきた長い歴史があって、 聖書のレプラを「重い皮膚病」と訳し変えたから と言ってその歴史をぬぐいさることはできません。 どう訳すにしろこの原語を訳して使うときは添え 書きなしに通り過ぎることはできません。聖書そ して教会が、構造的にこの病にかかった人を差別・ 隔離してしまったことに重大な責任があったこと を批判しておかなければなりません。構造的にと は、宗教者の主観的な善意とか悪意の問題ではな い、だからキリスト教の「懺悔」とか「悔い改め」 でことを済ますわけにはいかないということです。  さて、受難物語の脈絡を超えて、イエスが宗教 的にタブーとされてきたこの病にかかった人の家 で食事をしたことの意味は衝撃的ですが、それよ りも驚くべきことは、その人の名がシモンと記憶 されていることです。その観念的・思想的意味よ りも先に、イエスはシモンという人と親しく食事 をするお付きあいをしているという現実的な人間 関係があるということです。 そういう人間関係 の中に、もう一人女性が登場します。名が控えら れていませんが(ヨハネではラザロの姉妹マリア になっていますが、これはヨハネの構成上の後付 けでしょう。ルカではこれを受難物語から外し、 彼女を「罪ある女」とし、同じ根っこから出た物 語でしょうが、全く別の解釈で異質の物語になっ ています)、彼女は高価な香油をイエスの頭に注 いだというのです。 この食事の席にはこうして 自由に得体の知れない連中が出入りできる雰囲気 が感じられます。とにかくイエスは「罪人たち」 と進んで食事をしました(ルカ15 :1以下など)、 徴税人、儀礼的に不浄とされた人々、肢体不自由 者、困窮者、売春婦、生活が破綻した人々…といっ しょに。この女性はそんな中からイエスに近寄っ てきたと考えたいと思います。 彼女はどんなつ もりでイエスの頭に高価な香油を注いだか、福音 書は直接そう書いていませんが、聖書学者フィオ レンツァが言っているように、元の伝承は彼女が 預言者のようにイエスにメシア就任の意をこめた 儀式を演じて見せたのだという理解に乗りたいと 思います。受難物語構成者はその理解に積極的で なかったことは確かです。彼女はこう言いたいで しょう。「メシア就任式がこのような食事の席で わたしのような無名の女預言者によって行われる というのでは不満だと思う方もいらっしゃるでしょ うが、それならばいっそうやってみる価値がある というものです。」 これはいろんな意味でもの すごい攪乱です。これを見た人の反応が「なぜ、 こんなに無駄遣いしたのか」というのはケチとい うより問題のスリカエと言うべきでしょう。
 2月17日の礼拝説教から 創世記48章 「最後まで偏愛」    久保田文貞  ヤコブ一族がヨセフの好意に よってエジプトに移住し、いよいよ年老いたヤコ ブは生涯を閉じようとするとき、エジプト人の妻 との間にヨセフがもうけた二人の子マナセとエフ ライムを祝福し、二人をヤコブの養子とします。 物語上はすでに十二人の子どもが揃っているので その必要がないのですが、この十二という数は、 そもそもが後の十二部族連合イスラエル、それを 土台にして王国を築いていったサウロ、ダビデ王 国がヤコブを共通の先祖としたための数字合わせ が背景にあります。つまり実際には各部族にそし て部族間に複雑な歴史があって、いつも十二に揃 えておくには無理があるわけです。結局、この養 子物語は、ヨセフ族の末裔マナセ族が消えていき、 エフライム族が大きくなった歴史が反映している と思われます。 そこで再び〈偏愛〉のモチーフ が使われます。ヨセフが長子のマナセをヤコブの 右に、次男のエフライムを左において祝福しても らおうとしたところ、老ヤコブは右手を左側にい るエフライムの頭に、左手を右側にいるマナセの 頭に、手を交叉させて祝福してしまいました。息 子たちの父親ヨセフは「そうではありません」と 老ヤコブの腕を正そうとするのですが、ヤコブは それを拒んで思い通りに祝福してしまいます。こ うして兄マナセが弟エフライムに先を越されてし まいます。読者は、ヤコブ自身が母レベカの偏愛 を受けて、兄エサウから長子権をもぎとってしまっ た過去を重ねて読まなければなりません。 〈偏 愛〉という言い方は、自由と平等の理念の上に立 つ近代主義的な見方に過ぎるかもしれません。37 章を取り上げたとき(昨年4月)、父ヤコブが第 11子のヨセフを偏愛することをどうとらえるか考 えました。偏愛のモチーフは、4章のカインとア ベルの物語から族長物語にかけて、個々の物語を 縫い合わす縦糸のようにして貫いています。それ は神の恵み=特別の選び(偏愛)は、小さな貧し い一部族が、王国にまで至る大いなる民へと引き 上げられたという救済史のエンジンでした。この 救済史を王朝時代に編集したグループをヤハウェ ストと呼びますが、その救済史神学を的確に表し ている言葉が出エジプト33章のつぎの言葉です。 「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜 物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。 わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする 者を憐れむ。」 ここにはイスラエル国家神学の エゴイズムを正当化する思想へとすぐに転用され てしまう選民思想がぬきさしならぬ形で縫い込ま れていると思いますが、しかし同時に人が他者を 愛するときどうしても避けがたく通過せねばなら ない問題状況を照らし出しているとも言えます。 人が他者を愛するということは、じっとして博愛 の境地を自ら愛でていればよいというものではあ りません。むしろ人をかき分けて彼/彼女のもと に行き、それ以外の他者を振り捨てて彼/彼女を 愛するよりない。偏愛抜きに人を愛することはで きないと言ってもよかろうと思います。 けれど も、それが恋愛には当てはまっても、複数の子を もつ親が子を分け隔てしてはいけないと誰でも思 うでしょう。理屈はそうですが、胸に手を置いて よく考えてみると、それでも子を愛するという局 面ですら人は一人の人を他をかき分けて愛するこ としかできない限界を抱えていると思わざるを得 ません。そんな偏りを必要としない際限のない財 をもつわけにはいかないとしたら尚更です。いま 誰を愛するか選び決定するよりないのです。
2月10日の礼拝説教から マルコ6章1〜5節 「死刑・自殺・プレカリアート、自己責任?」                 関 秀房  10年前から死刑判決が増え、殺人事件は横ば いなのに死刑確定者は倍増している。自殺者も9 8年から急激に増えだし1.5倍の3万人になってい る。そしてプレカリアートは1600万人。いまや働 く人の3人に1人、24歳以下では2人に1人。 これら「死刑」「自殺」「プレカリアート」は無 関係のように見えて、実はつながっている。これ らは自己責任で済ませる問題ではない、日本の構 造変化の問題である。 95年日経連の『新時代 の「日本的経営」』は正職員とスペシャリストと 不安定なフリーターとを峻別して、うまく組み合 わせて使っていくよう求めている。そして政府を 動かし法律を「改正」し、その枠作りを完成させ る。これによって、企業優遇税制と相まって、企 業は空前の利益を上げた。 「プレカリアート」 とは「Precario(不安定な)」と「Proletariato (プロレタリアート)」をあわせた造語である。 その言葉を持ち得たとき、悪いのはいままで自分 のせいだと思っていたことが、はっきりと構造と してそうなっているのだと自覚する。 千歳烏山で森達也と雨宮処凛(かりん)の死刑 についての対談があり、彼女の「生きさせろ」の 本を買う。そこにはこうある。  我々は反撃を開始する。 若者を低賃金で使い 捨て、それによって利益を上げながら若者をバッ シングするすべての者に対して。 我々は反撃を 開始する。 「自己責任」の名のもとに人々を追 いつめる言説に対して。 我々は反撃を開始する。               経済至上主義、市場原理主義の下、自己 に投資し、能力開発し、熾烈な生存競争に勝ち抜 いて勝ち抜いて、やっと「生き残る」程度の自由 しか与えられていないことに対して。  ・・・・・・ 闘いのテーマは、ただたんに 「生存」である。生きさせろ、ということである。 生きていけるだけの金をよこせ。メシを食わせろ。 人を馬鹿にした働かせ方をするな。俺は人間だ。  この主張は、死刑囚にも、自殺者にも、プレカ リアートにも当てはまる。枠組みを創ったのは45 歳以上の、「勝ち組」の我々だ。彼らは日々一生 懸命働き、働きすぎて体をこわし、精神を病み、 底辺に追いやられる。我々は年金で悠々と暮らし ている。こんな世の中でいいのか。プレカリアー トと共同して戦えるのか。それとも自己責任論に 逃げ込むのか。イエスに対して「大工ではないか。 マリアの子」ではないか、と言ったように、雨宮 処凛を「右翼くずれのリストカット常習ねいちゃ ん」ではないか、というだろうか。       以上
 2月3日の礼拝説教から 第一コリント1:1−3    「手紙」     久保田文貞 差出人はパウロ、受取人はコリントの教会、当 時のユダヤ人の手紙は冒頭にこれを明記し、その あとに「神の平安を」と挨拶を書いたというので、 この手紙はその書式に基本的に則っています。で すから、短く「使徒パウロが、コリントの教会へ、 神の平和が(あるように)」で済むところを、こ のようにながながとそれぞれに言葉を付け加えて いるのは尋常ではありません。そうなった理由の ひとつは、書き出しから手紙を書く者の思いが先 立ちあふれ出してしまった、それ程に熱い思いが 手紙の形状を超えてパウロからコリントの教会の 人々へ流れていこうとしているのでしょうか。  これに対して、この書き出しの言葉を聞いて、う れしく思った人、あるいはドキッとした人、その 先をあまり聞きたくないと思った人、いろいろあ りそうです。確かに、手紙を受け取ると差出人を 見ただけで、うれしくなったり、ちょっと構えた り、あるいは破り捨てたくなったり、決まってし まうことが多いものです。 「おかしなはがきが、 ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。 かねた一郎さま 九月十九日あなたは、ごきげん よろしいほで、けっこです。あした、めんどなさ いばんしますから、おいでんなさい。とびどぐも たないでくなさい。 山ネコ 拝 」  まちがいだらけの、おまけにへたくそな字のは がきだったけれども、「一郎はうれしくてうれし くてたまりませんでした。はがきをそっと学校の かばんにしまって、うちじゅうとんだりはねたり しました。」  一郎は、こんな手紙でも、山ネ コから呼ばれているということでうれしがってい ます。翌日、どこに山ネコがいるかも知らず山の 方に向かって出かけます。クリの木や、キノコや、 リスに聞きながら行くと、山ネコの馬車の馭者 (別当)に会います。彼がハガキを代筆したので すが、一郎に「あのぶんしょうは、ずいぶんへた だべ」と悲しそうに言うので、一郎は気の毒になっ て「さあ、なかなか、ぶんしょうがうまいようで したよ」と誉めます。別当はそれをすごく喜ぶと いうところがあります。代筆しているだけですが、 この手紙の輪に加わっているだけでうれしいとい うことなのでしょうか。 山ネコが一郎に手助け を頼んだ裁判は、ドングリ同士で「だれがいちば んえらいか」と争っている事件でした。一郎が示 した解決策は前に「お説教」で聞いたというので すが、「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃ で、まるでなっていないようなのが、いちばんえ らい」と。賢治は法華経を信じた人として有名で すが、このくだりの「お説教」はひょっとすると 福音書のものかもしれません。 この裁判にみん なが呼ばれていることに注目したいのです。山ネ コはこの裁判を仕切っているような顔をしていま すがなにかズレています。実は山ネコもドングリ 事件に呼ばれている、別当も、一郎も、当のドン グリも呼ばれているのではないでしょうか。ちょっ と見当違いの感がなきにしもあらずですが、キリ ストから「呼ばれた」パウロが、コリントに「呼 び出された人々」(教会の原義)に神の平和、福 音の挨拶を送って一同に会す。さあ、ドングリの 裁判にも似た事件とその和解がこれから始まると 言ったところでしょうか。
 1月27日の礼拝説教から マタイ24章15−28 「終末のメシア」   久保田文貞  マタイ24章は、マルコ13章に比較的忠実に 従っています。そこには、神の最後的な審判の時 にいたって、この世界がどのような事態になるか、 かなりリアルに書いてあります。・・・国家間の 緊張が高まり、戦争のうわさ・流言飛語が飛び交 い、自分こそ救世主だと名乗る者が次々と現れ、 世の中全体が浮き足立つ。みなが疑心暗鬼となっ て、密告、不法な弾劾の連鎖、混乱…。それは、 終末の前史であってまだ終わりの時ではない。さ らに極まって、「(預言者ダニエルによって言わ れた)荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つの を見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダ ヤにいる人々は山へ逃げよ。…」 マルコ福音書 が書かれたのは多数説によれば70年で(その時 期確定の論拠のひとつがこの箇所です)、マタイ 福音書はマルコからさらに20年近く後にマルコ 福音書ともうひとつ別の資料を使って書き直した ものですが、両福音書の読者は、終末について述 べた言葉を読んで、それがユダヤ戦争(66−7 0(73))の、特にローマ軍によるエルサレム 包囲と70年の陥落の事件とダブらない者はいな いと思います。 ローマがユダヤ一帯を支配し始 めたのは,前63年のことですが、当初はユダヤの地 の政治−経済的支配を実効あらしめるため、ユダ ヤ教を帝国内の公認宗教として保護するのを得策 としました。ヘロデを王として封土したのも同じ 理由でした。しかし、王の死後、基本的には息子 たちに分割支配を許可しますが、この政策は少し ずつほころびていく。ヘロデ家を介した間接支配 を無視する総督や皇帝が現れ、ローマ側がパレス チナ一帯を直接に支配し収奪しようとする動きが 目立ってきます。神殿の冒涜やユダヤ教の慣習を 無視した行為が目立ち始め、それに対してパリサ イ派ユダヤ人の抵抗やテロが起こっていく。50年 代になって緊張が高まってきます。60年代には祭 司貴族も既得権を狭められ抵抗し始めることにな ります。ローマ側の弾圧とユダヤ側の反撃の悪循 環、社会全体が浮き足立ち、混乱していきます。 66年に総督フロルスの神殿宝庫略奪、虐殺があっ て、一挙に戦争状態になりました。 この戦争に 至る社会不安の中、エルサレムの原始教会では62 年、指導者「主の兄弟」ヤコブが大祭司アンナス 二世の恨みをかって殺され、その後の歴史はほと んど消え入るばかり。ただエルサレムのキリスト 派(後のキリスト教)の人々は戦争が起こった66 年にペラ(エルサレム北東80Km)に避難したとい う伝承があるのみです。その4年後エルサレムは ローマ軍によって攻め落とされ、廃墟にされてし まいます。 マルコが70年に福音書を書いたとす れば、彼が採取した終末についての言葉は、当然 エルサレム陥落の歴史を織り込まれているとみる べきでしょう。そして、神の審きとして終末の第 一段階はエルサレム崩壊、神殿の消滅をもって切 りがつけられたとする歴史観に道を開きます。エ ルサレム神殿というシンボルと、第一世代とイエ スの肉親が維持してきたエルサレム原始教会とに 代わって、イエスの伝承を絶やさないために「福 音書」が創られたのだという見方も可能かもしれ ません。とすれば、エルサレムから、つまりロー マ帝国対ユダヤ教の対立と混乱から逃げたキリス ト教は、ある意味で賢くそこを回避したものの、 根本的にはそのツケはまだ支払われていないわけ で、このままだとキリスト教はこれからもずっと この種の問題に逃げ回っていきかねません。
1月20日の礼拝説教から 創世記47章 「ヨセフの政治」    久保田文貞  37章から続いたヨセフ物語は、実質的に37章で 終わりになります。10人の兄たちは、ヤコブの寵 愛を得た弟ヨセフを抹殺しようとしました。実際 にはヨセフは隊商に売り渡され、奴隷としてエジ プトの高官の家に買われます。そこで、才能を発 揮して執事に取り立てられ、さらに夢解きの能力 によって、豊作と飢饉が7年ずつ続くと解き、ファ ラオの信頼をかちとって宰相の地位にまで上りつ めます。豊作の間に収穫物を国庫に保管させ、い よいよ飢饉の7年間が始まるとそれを売りに出し たのです。飢饉は父ヤコブと兄弟の住むカナンの 地もおそいます。ヤコブはエジプトに行けば食糧 が買えると聞いて息子たちを買いに行かせます。 そこから劇的な再会のドラマが始まります。ヨセ フと10人の兄弟たちとの再会、ヨセフの同胞ベニ ヤミンとの再会、ついにヨセフが兄弟であること を名乗り、一族全員をエジプトに呼び、父ヤコブ との再会。こうしてヤコブとその子12人の一族70 名はエジプトに特別待遇で住むことになった、め でたし、めでたしというわけです。そしてヨセフ が兄弟たちからエジプトに売り渡されたことも、 そこで成功したことも、一族がエジプトに移住し たことも、すべて神がイスラエル(ヤコブとその 子孫)を救済する壮大な歴史の一部なのだという のが物語の言わんとするところなのでしょう。  この後、ヤコブが遺言を残して死に、ヨセフも死 んで創世記は閉じるわけですが、その前にどうし ても気になることがひとつ。それは、エジプトの 官僚となったヨセフの政策とその結果について。 神の補助を受けてヨセフは、豊作時に穀倉に食糧 を蓄え、凶作時にその食糧を民に売っていきます。 「ヨセフは、エジプト中のすべての農地をファラ オのために買い上げた。飢饉が激しくなったので、 エジプト人は皆自分の畑を売ったからである。土 地はこうして、ファラオのものとなった。また民 については、エジプト領の端から端まで、ヨセフ が彼らを奴隷にした。」(20−21) 確かに 不正とは言えないけれど、豊作と飢饉の間を、神 を味方にして先を読めたからこそファラオと貴族 的祭司集団(ヨセフも含む)のために莫大な利を 稼いだわけです。現代的に言えば神からの情報を 得たインサイダー取引で大儲けしたということで しょう。こうしてヨセフはアジア的専制国家を完 成させたのです。後にファラオの専制支配が裏目 に出て、イスラエルの子孫は特権を失ってファラ オの奴隷となり酷使されることになります。 イ スラエルの救済の物語のドラマチックな筋立てを より効果的にするために、しがない半遊牧民ヤコ ブ族から、内輪もめのようにしてよそに奴隷とし て売られた若者が、すべての民の土地を取り上げ る専制的な政策を実行する宰相になっていったわ けです。この救済物語のそこを流れているのは、 歴史から見向きもされないような弱小の部族が、 神によって力ある民に引き上げられるというある 種の上昇志向です。では、神の救済とは人間の上 昇志向に応えるものなのか。力の弱い、貧しい、 少数の人間たちが、強い、豊かな多数の人間にな ることが、救いなのか。法的な権利から除外され てきたパーリア(賤民)が、逆に支配者となって 豊かな土地を手にいれることが、神の救済なのか。 旧約聖書自身もこの問題に揺れています。この範 例に反し、それを捨てるように語りかける言葉が いくつも出てきてしまいます。もしイエスもその 流れの中に置いてみれば、あきらかに彼はそのよ うな範例とは全く逆を向いています。
1月13日の礼拝説教から ルカ福音書2章29−32 「今こそ去らせてくださる」 久保田文貞  ルカのクリスマス物語の後日譚のような箇所で す。ヨセフとマリヤは「清めの期間が過ぎたと き、…その子を主に献げるため、エルサレムに連 れて行った」と。一般の子どもにこういう風習は ないそうです。律法(民数記6章)にあるのは、 なんらかの理由で「ナジル人」として特別に神に 捧げる場合です。民数記によれば、ナジル人とは、 人が何かの願をかけたりして一時、神に献身して いる者ということになりますが、このしきたり自 体はイスラエルの歴史以前からあるもの、どの民 にも差はあるものの、基本的に似た制度がありま す。おそらく、共同体が内に閉じるために外に支 払わなければならない供物、犠牲のひとつ形でしょ う。閉じた共同体が外部とやりとり(アクセス) するための装置にもなっているはずです。 この 物語では、両親が赤子のイエスをナジル人規定に のっとって神に捧げたと言いたいのです。儀礼的 にその子は〈聖別〉されることになります。その ようにしてその子は、こちら側からあちら側に、 時にはそれが内部から外部へというように、なん らかの境界線を超えて移っていくのです。この境 界線越えに〈祭司〉が、つまり此岸と彼岸の境界 で入出手続きをする専門家が、いるわけです。こ の場合、その務めを、メシアを待ち続けてきた老 シメオンがしています。シメオンはその子を抱き 上げて歌をうたいます。それが、ラテン語でヌン ク・ディミティスという文句ではじまる歌です。 カトリック教会は、先月取り上げたマニフィカー ト(マリアの賛歌)とならんで重視している歌で す。やはり修道院などで晩祷時に朗詠してきまし た。 この歌は、シメオンがイエスを抱いて、こ の目がメシアを抱いたのだから、もう自分は安ら かに去ることができるという内容ではじまります が、同時にメシアを迎えた世界への祝福(31−32) の言葉。それから彼は両親とイエスを祝福した (34)。つまり物語的に、ここに、祝福=境界線 を越える話しが重なっているのです。ひとつは待 望したメシアに会えて「今こそ去らせてくださる」 と境界線の向こうに消えていくシメオン。ナジル 人のように境界線を越える赤子イエス。境界線ま できて子どもを引き渡し戻っていく両親。ここで 両親がその子を連れて帰っていったとしてもかま わないのです。しかし、交差する祝福の歌に、暗 い影のような言葉が添付されています。「…この 子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上が らせたりするためにと定められ、また、反対を受 けるしるしとして定められています。35 あなた自 身も剣で心を刺し貫かれます。」 境界線を越え る者を追いかけまつわりつく影は、祝福の言葉の よこに呪いの言葉を貼り付けていくのです。 北 松戸教会は礼拝の最後の祝祷を民数記6章24以下 の言葉を選んで司式者が朗読してきました。この 祝福の詞は、もともと聖別されて彼岸に追い遣ら れていくナジル人へ、祭司が祝福する言葉だった と言われます。祝福は異界へ旅立つ者へのたむけ の言葉、境界線で異人と出会ったり、境界線を越 えたとき異人から奪い取った祝福の言葉なのです が、これら祝福の言葉は、いつもある種の影を持っ ていることを覚えておくことが大切だと思います。 影と立ち向かわなければならないからこその祝福 と覚えるべきかもしれません。
1月6日の礼拝説教から マタイ福音書2章12−23 「悲しみの声が聞こえた」  久保田文貞  マタイのクリスマス物語は、ユダヤ教・ユダヤ 人を飛び越えて異教世界・異邦人へというベクト ルが強く感じられますが、それだけでなくこの異 邦世界の救世主となるキリスト誕生の始めから不 吉な暗雲が立ちこめていることを告げます。〈メ シア〉が誕生したことを感知して、異邦のマギ (占星術師)がユダヤの王ヘロデの所にきて、誕 生した「メシア」はどこにいるか尋ねた、すると ヘロデは自分の地位が奪われることを恐れて「2 歳以下の男の子を殺」させたというのです。ヘロ デという男は、土木事業に長けていたことで有名 ですが、同時に、常に次に誰がローマの実権を握 るかを読み、実力者に媚びて安堵するのがうまい 男でした。しかし晩年は、自分の地位が狙われて いることを恐れ、妻や親族、息子まで刃にかけて 殺す残忍な男でした。嬰児虐殺の記述は聖書以外 には認められないのでフィクションかもしれませ んが、としても彼の人柄からして十分ありうる話 しです。 ところでマタイは、預言者エレミヤが、 前721年北王国イスラエルがアッシリアに滅ぼされ た亡国のことを、新バビロニアによって滅ぼされ ていく同胞の南王国ユダの滅亡(前597年)の一教 材のようにして語った言葉(預言)を、強引にも ヘロデの嬰児虐殺の予言であると解釈してここに 持ってきています。 「叫び泣く大いなる悲しみ の声が/ラマで聞え た。ラケルはその子らのた めになげいた。子ら がもはやいないので、慰め られることさえ願わな かった」(エレミヤ31: 15) しかも複雑になるのですが、ラケルとは、 イスラエル12部族の父ヤコブ(創世記の物語の 伝説上の人物で、族長物語の歴史背景は前13世紀 よりまえ)の妻のひとりで、9番目のヨセフと末っ 子ベニヤミンの母であり、ラマに彼女の墓があっ たとされていた。その場所はまさにヨセフ族(エ フライム)とベニヤミン族の住む地域のあいだ、 北王国イスラエルの中心に近く、アッシリア軍に 蹂躙された地域で、その阿鼻叫喚を墓場の影から 一族の祖母ラケルが聞いて嘆いたというのです。   ついでに言うと、創世記35:19によると、そ のラケルは旅の途中、末っ子ベニヤミンのお産が 原因でエフラタ=ベツレヘムでなくなり、そこに 葬られたことになっています。つまりマタイの頭 の中で、メシア暗殺のためのヘロデによる嬰児虐 殺=ベツレヘム=ラマ=エフライム族とベニヤミ ン族の惨劇=祖々母ラケルの嘆きは、時間を超え て連合しているのです。 「預言者**によって 言われたことが、成就したのである」とはマタイ の常套句ですが、彼がそのようにして自由に歴史 を飛び越え、旧約の物語を連合させながらやろう としていることはなにか、それは、小さなイスラ エルという一民族の神とその信仰を通してはじめ て、世界の救い主とその信仰が明らかになったと いう誇大な信念に基づいていると言えます。 そ の転換点たる〈キリスト〉の誕生に、なぜその始 めから「悲しみの声」が響き渡るようなことにな るのか。ほとんど身代わりのようにして多くの二 歳以下の男子が殺されなければならないのか、救 済者キリストの父なる神はなにを考えているので すか。マタイさん、フィクションにしてもきつす ぎると思いませんか。まるでヤコブ一族が飢饉を 避けてエジプトに下ったように、「聖家族」はエ ジプトに逃げて難を避けたと、そんな作り話でお 茶を濁すことはできません。あとで〈キリスト〉 は十字架にかかって死ぬのだから、殺された嬰児 たちの苦しみをわかってくれようとはあまりに雑 な説明です。このことにだれも明解な答えを出せ ないのというのが、正解というよりなさそうです。