説教ノート 2007年1月から12月分まで

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2007年12月23・24日の礼拝説教から ルカ2章1−20節  「メシアが誕生するというもの言いについて」 久保田文貞  クリスマス物語は、イエスの誕生の物語である が、すべてはイエスがガリラヤではじめた活動に 起点がある。そのイエスの活動をよく表している 言葉として、群衆たちを前にして語った彼の有名 な祝福の言葉をあげよう。「あなたがた貧しい人 たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのもの である。あなたがたいま飢えている人たちは、さ いわいだ。飽き足りるようになるからである。あ なたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。 笑うようになるからである。」(ルカ6:20-21、 マタイ5:3-9)イエスは当時のユダヤ教社会のな かで破綻し罪人として烙印を押されていた人々の 間にこそ、神の国の福音・恵み・祝福が注がれて いることを確信し、弟子たちと共にその中に身を 置いた。それで物語が終わればものすごく分かり やすいわけだけれども、そうはならなかった。  当初からイエスの活動に対して反対があった。伝 統的に宗教的な正しさを追求してきたユダヤ教徒 からのものだった。この人々の後ろに控えるもの となんらかの決着をつけなければならないと感じ たのだろうか、解釈はいろいろあるが、イエスは 数人の仲間と共に、ガリラヤ地方をあとにして、 ユダヤ教の中央エルサレムに上る。イエスの目か ら見てユダヤ教中央は彼のあの福音の敵対者のよ うにしか見えなかったようだ。また中央の人々か ら見ても、イエスの志しのことごとくが抹殺の対 象にしか見えなかったと言える。数日でイエスは 彼らから露骨な敵意を浴び、反乱騒擾の汚名をき て告発される。イエスは、この告発と裁判にほと んど抗弁しなかった。多くの弟子たちはそのよう な彼に付いていけないと思ったのだろう。彼を捨 てて逃げた。そして彼は最悪の処刑の形、十字架 刑を求刑されてもなされるがままであった。彼は 死んだ。人々から見放され、神からも捨てられた と受けとめたまま、彼は死んでいった。 しかし、 最後までイエスの死を見とどけ葬りをした女たち が、イエスを見たと言いだした。イエスは神によっ て死人の中からかき起こされたと言葉が継ぐもの がいた。恐らく逃げた弟子たちからであろう、イ エスはわたしたちのために十字架につけられて死 んだと言葉を繋げた者たちも出てきた。ガリラヤ で彼が罪人たちと席を共にして食事をしたこと、 病人の病と闘ったことなどの記憶が繋ぎとめられ ていった。これらのことを神学的に整理したがる 人々がいて、イエスは神(の子)だという線を越 える者も現れた。 後から思えばかなり怪しい神 話的な物語もイエスを信じる信仰の故にパスして いったわけだ。クリスマス物語もそういう意味で はかなりすれすれのきわどい物語である。多分、 十字架につけられたイエス以外になにも知りたく ないというパウロあたりがそれを聞いたら、一笑 に付したであろうような物語だが、クリスマス物 語は、たしかにイエスをキリストと告白する信仰 の周りに繋がれていった物語群の壺をうまくつか んでいる誕生物語なのだ。あるいはこうも言えよ う。クリスマス物語は粉飾と言われればいいわけ できないような神話的な素材を使って創作された 物語であるが、イエスを神の子と告白する人々の、 それなりの節度と抑制の利いた物語になっている ことを認めないわけにはいかない。


12月16日の礼拝説教から ルカ1章38−56 「マニフィカート」  久保田 文貞  教会音楽によく現れるマニフィカートは、(バッ ハ等、現代ではジョン・ラターのマニフィカート はお薦め)ルカ1章38〜55節のマリヤの賛歌を歌っ たものだ。その歌の歌い出しがラテン語聖書で magnificatとなっていてそれが題名のようになっ ている。中世修道院の聖務日課はほぼ2時間おき に聖書朗読(主として詩篇)と時祷を課してきた が、中でも重視された晩課の時(夕食時)に、 Magnificatがひときわ声高に詠唱または朗誦され たという。宗教改革者ルターは、マリヤ崇拝を批 判しながらも、この晩課に唱えられるMagnificat は賞賛する。 彼が1520年ローマ法王から破門さ れ、彼の君主、ザクセン選帝侯フリードリッヒに 身柄引き渡しを要求され、ピンチに陥った時、ル ターに心服していた若きヨハン・フリードリッヒ 公は、選帝侯が法王の処分に従わぬように説得し たという。選帝侯ももとより法王の要請を断わる が、そのことをヨハン・フリードリッヒ公は喜び いさんでルターに手紙を送った。ルターはそのこ とに感謝して、やがて君主になるヨハン・フリー ドリッヒ公に『マリヤの賛歌』という書物を献呈 する。実際には21年春に完成するが、その時期は 有名なヴォルムス帝国議会にルターが召還されて、 皇帝以下諸侯の前で自分の信念を告白し、帝国は ルターを保護外に置くという処分を受け、その後 すぐにヨハン・フリードリッヒ公の手引きでヴァ ルトブルクの孤城に匿われるということになる。 そこで聖書がドイツ語に翻訳されたというわけだ。  とにかく彼の『マリヤの賛歌』は宗教改革の重 要な節目に書かれた。その内容は、これから君主 となる若き公に、君主という社会の頂点に立つ者 にして、いかに『マリヤの賛歌』が重要な意味を 持つかということ説くのである。「…抑々人間の 心はその本性、血肉であって、自ら思い上がり易 くありますのに、尚その上、権力と財と栄誉とが 其手に与えられるときは、この強力な機因に動か されて、尚更一層思い上がりと不適極まる自信と を抱くに至り、ために神を忘れ、その臣民を蔑ろ にし、悪をなしても罰せられずに済む領域を持つ が為に悪に走り、獣と化し、その欲する所のみを 為し、なは君主とはいえ、その所業は悪魔なので 御座います」(吉村善夫訳、岩波文庫)  昔も 今も変わらない権力を握る者がほとんど必然のよ うに陥る傲慢を言い当てていると思う。そしてル ターは「治る者は慎み深くあれ」(ロマ12章)を 引きながら、全聖書の中でこの点で有益なのは 『マリヤの賛歌』であるとし、「神に対する畏れ」 「神は如何なる主にてましますか」「その御業は 尊貴卑賤の中に如何ように現れるか」、若き公に これを講釈する。マリヤは自分が神の母になるこ とを「悉く神の恩寵に帰して、自分の功績に帰し はしない」。彼女は自分がただの卑しい女でしか ないところに立ちつくす。国家の為政者たる者は、 神の前でこのような彼女の姿勢こそ忘れてはなら ぬというわけだ。 16世紀のドイツという歴史的 制約を割り引いて考えれば、今、まがりなりにも 市民主権という場に立つ我々にとっても看過でき ぬ内容を持っている。もちろんルターのように、 主権のさらにその上に神という存在をおいて考え ないのが現代であるが、では、あの傲慢からなん らかの形で抜け出ているかと言えばそんなことは ない。神という共通項を失って、国家主権、市民 主権の傲慢をどう凝視し、そこからどうかいくぐ るか、それを捨てることができるか、私たちは 『マリヤの賛歌』を読みながら、思いをはせたい。
12月9日の礼拝説教から ルカ福音書1章26−38 「母マリアについて」  久保田文貞  イエスを、神の意志をうけとめ、それに応えて 神の恵みの中に身をおき、その中で他者と出会い、 十字架の死に至るまで生き抜いた者、神から「油 注がれし者=メシア=キリスト」として認証され た者、神のみ心をおこなう者としての「神の子」 (それならば旧約の中にいくらでも出てくる)と するだけではもの足りなかったのだろうか、最初 期のキリスト教会の人々は、イエスを本質的かつ 実体的に「神の子」としたと前回も申し上げた通 りである。結果、イエスの誕生を本質的・実体的 なる神の子の誕生物語として創作することになる。 その無理は「神の子」を宿したことになる母マリ ヤに及ぶ。イエスがそのような「神の子」ならば、 それを宿らせた子宮もただの子宮ではない。つま りその母はただの女ではない。「神の子」の母親 に罪があろうはずがない。罪深い女が陥る性の欲 望(もちろん、今そんなことを真顔でいう奴など いないと思いますが)に捕らわれていたはずがな い。母マリヤはイエスを産む前も後も「神の子」 の母としてだけ存在した、つまりキリストに同胞 の兄弟はいなかったと。この種の推論を進めるこ と自体が、敬虔さの自己主張であり、信仰表現に なってしまうから、とどまるところを知らない。 母マリヤはそのような神学的な推論の的になって しまったと言える。 しかし、どうひいき目に見 ても、クリスマス物語以外に母マリヤを特別な女 として見る見方は新約書にほとんど存在しない。 ただひとつヨハネ福音書で、イエスの母マリヤが 他の女たちとイエスの死を前にして十字架の下に いたとする箇所があるが(共観書では母マリヤは そこにいない)、ヨハネの意図はどうあれ、これ はずっと後に母マリヤの哀しみ賛歌STABAT MATER の準拠するところであり、宗教改革の時にマリヤ 崇拝がルターらによって否定されて、その対抗上 このSTABAT MATERが重要な典礼歌になっていると いう具合である。 いずれにせよ明確なことは、 マルコ福音書を初めとする共観書の中で、母マリ ヤはむしろ世間を騒がす活動家のふつうのおふく ろという感じで登場してくるだけであって、クリ スマス物語に描かれるような母マリヤの伝記的位 置づけは、基本的に本来のイエスの物語からみて、 二義的な、枝葉末節的なものでしかないというこ とである。 ただし、では本来的なイエスの物語 はなにかと、ここで再び喧しい神学的な推論合戦 が起こるくらいなら、二義的な枝葉末節とおとし められようと、ふくよかな、あらゆるものを受け 入れてくれる観音様のような母マリヤの伝記のあ たりを逍遙していた方がよっぽどいいじゃないか と思うのは私だけだろうか。アヴェ・マリヤとい う歌詞は、ルカ1章28節の天使の言葉「恵まれ た女よ、おめでとう、主があなたと共におられま す」と、親族のエリサベツがマリヤに言った言葉 「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎 の実も祝福されています」の2行にいくつかの言 葉が加えられた短い詞である。カトリックでは天 使祝詞といってロザリオの祈りの時に丁寧にやる ときには150回アヴェマリアの賛歌を祈る。人々 はこうして自分の願いを「恵みあふれる」マリヤ (Maria gratia plena)に託し、彼女の援助をえて、 神に祈ったという。こうなると、マリヤのイメー ジはカトリックの聖堂の左手によくある、観音様 に似たマリヤ像のあの〈お顔〉なのだが、それは クリスマス物語のある一つの延長と言えよう。
12月2日の礼拝説教から ルカ福音書1章5−25 「ザカリヤとエリサベツ」     久保田文貞  マタイ、ルカ両福音書の最初に置かれているク リスマス物語は、マルコのようにナザレのイエス の活動とその結末を書きとめ、彼が神の真意を実 現したことを告げることで満足せず、イエスが本 質的あるいは実体的に〈神の子〉であるというと ころまで踏み込んで描こうとした。ナザレのイエ スをそのような意味の〈神の子〉とするには、ど うしても無理があるから、かなり強引な物語作り が行われた。 ルカの場合、イエスの先駆者ヨハ ネの生まれから説き起こし、バプテスマのヨハネ をイエスの親族にしてしまう。しかも二人の誕生 の差を6ヶ月に定め、母胎にいるときに二人を接 触させている。しかも、ヨハネの父ザカリヤと母 エリサベツを祭司の家系とする。 ルカ福音書の成立は90年代(タイセンら)とす れば、ユダヤ人がエルサレムとその神殿を、対ロー マとの戦争で失ってからすでに20年経っている ことになる。神殿とそれをつかさどる祭司職をお く制度はもはや昔のものであり、ユダヤの地から 離れた異教徒出身のクリスチャンにとっては、さ らに縁遠い制度であり、数百年前からユダヤ人を 通してクリスチャンたちに伝わる「聖書」(ユダ ヤ人の聖書=キリスト教のいう旧約聖書だけが存 在していた)の中に描かれている祭司制度だけが 現実味を帯びることになる時代である。こうして、 クリスマス物語全体に言えることだが、そうした 「聖書」の中の“お道具”を使いながら〈神の子〉 イエスの誕生物語を構成したのである。 そもそ も、人々に神の審判に備えて「悔い改め」のしる しとしてバプテスマを受けるように奨励し、また 自己の命を危険にさらすようなことになっても王 家の歪んだ近親婚の批判をゆるめなかった豪壮な 預言者然とした洗礼者ヨハネが、自分の生まれに こだわり、血筋になんらかの意味づけをするよう なタイプの人とはどうしても思えない。 ただ、 このクリスマス物語の作家に伍して言ってみれば、 ヨハネは外見的に預言者的であるけれども、彼の 中心的なメッセージである「悔い改めのバプテス マのすすめ」の中に流れているものは、預言者と いうよりは案外祭司的なのである。つまり、怒り に満ちた神の審きのまえに、人々を悔い改めさせ、 神を宥め、神と人とを和解させようとする、それ こそ神と人との間に立ってする祭司の〈仲保〉的 な役割にほかならない。クリスマス物語が洗礼者 ヨハネの本質を〈祭司〉的なものと読みとった故 に、ヨハネを祭司の出身としたのかもしれない。  もっとも洗礼という清めの儀式を、神の終末的 な審判に備える在り方は、同時代のエッセナ派 (=クムラン教団、ユダヤ戦争に参戦して消滅す る )にも見られ、その修道院的な生活は、まさに 祭司の有り様を日常に引き延ばしたものだったと いうから、その意味でもヨハネに〈祭司〉性を読 みとるのは当然のことだったかもしれない。 そ れにしても、このように洗礼者ヨハネを祭司の家 系としたり、イエスと誕生差を6ヶ月とし、二人 を縁続きにしたり、どれをとっても基本的に入ら ぬお世話である。イエスは根本的にヨハネと違う。 イエスには、神の審きの前に悔い改めのバプテス マは要らなかったのである。バプテスマなどなし に、「盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はき よまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧し い人々は福音を聞かされている」のだから。(ル カ7:22)
11月25日の礼拝説教から ロマ書10章8−13 「信仰告白がつくる地平」 久保田 文貞 「では、なんと言っているか。「言葉はあなたの 近くにある。あなたの口にあり、心にある」。こ の言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の 言葉である。すなわち、自分の口で、イエスは主 であると告白し、自分の心で、神が死人の中から イエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは 救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、 口で告白して救われるからである。」  パウロは、キリストを信じると表明することが、 それまでのユダヤ教徒として在り方を根本的に覆 すことになると、確信していたにちがいない。ユ ダヤ人として生きるということは、イスラエルの 救いの歴史を生き、その徴として彼らに与えられ た律法をスタンダードとして実践することを意味 した。しかし、パウロの中で突如、律法を守り、 義を蓄積することで神の救いに到達すると約束さ れていたことが、破綻する。そのきっかけになっ たのは何か、後にどういう経路をたどって彼の十 字架の死と復活の神学へと至るか、今は問わない。 結果的に「信じて救われる」というところに行き つく。 〈告白する〉という聖書の語は、「同意・ 承認する」の意で一般に使用されてきた語である。 この「同意」の表明が、罪過を問われるなどなん らかの自己の危機の表明となれば、自らの罪責を 負うことへの同意であり、そのまま懺悔を意味し、 自己の汚れた内面の告白の様相を強く帯びること になる。告白が自己の内面をえぐるとなれば、そ の分、告白する〈個〉は内面を深化させ鋭利なも のにする。 アウグスティヌスの『告白』は、当 然のことであるが、〈告白する〉という語を多用 する。「主よ、私はあなたに向かって、自分の想 い出を想い出す(recolo 「繰り返し掘り起こす」) 限り告白します。」(,11)そうやってアウグスティ ヌスは自分の記憶の中を巡り歩き、古代社会にあっ て見事に〈個〉を深化させ開花させた。 だが、 パウロが突き出している〈キリストを信じる〉と いう告白は、内面をえぐり出し、責任主体を強固 にするという以上に、それまで自己が張り付いて いた社会から自己を引きはがすということの方が はるかに重要なことだ。私たちはえてして、告白 が別の新しい共同体(キリスト教会)に入るため のパスポートのように思いこんでいるが、少なく ともパウロにはそのような告白の理解もなければ、 同様にバプテスマ(洗礼)を入会儀礼として意味 づける意図はない。彼が「心に信じて義とされ、 口で告白して救われる」というときに、決定的な ことは、それまで彼を呪縛していたユダヤ教のネッ トワークから抜け出ること、そしてユダヤ教を対 象化し、結果それまでそこからしか見てこなかっ た〈外部世界〉を、全く新しい視座から見ること になるということである。 告白とは、共同体の 綱領に同意してそこに自己を沈めることではない。 そうではなく、ここで告白とは、共同体から自己 を引きはがし、共同体から踏み出すこと、そうし て他者の生きる外部に自己を晒すこと、すなわち 内部を放棄することだ。パウロが異邦人の使徒と して異邦の世界に足を向けたと言うことは、もう ひとつの選択ということではなく、十字架につけ られて死に、死人の中からよみがえったイエスを キリストと信じる告白の必然的な唯一の選択だっ たのだ。
11月18日説教から マタイ福音書24章 「終末について述べるということ」 久保田 文貞  「どうぞお話しください。いつ、そんなことが 起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時 や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。  ちょうど世界の始まり=世界が創造された次第 について表現されているように(創世記1,2 章)、ここでは世界の終末=神による世界の終結 の次第について、弟子たちが好奇心を持ってイエ スに尋ねているという設定である。「 多くの者が わたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと 言って、多くの人を惑わすであろう。 また、戦争 と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していな さい、あわててはいけない。それは起らねばなら ないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に 敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、 ききんが起り、また地震があるであろう。 しかし、 すべてこれらは産みの苦しみの初めである。 その とき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また 殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名の ゆえにすべての民に憎まれるであろう。 そのとき、 多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合う であろう。 また多くのにせ預言者が起って、多く の人を惑わすであろう。 また不法がはびこるので、 多くの人の愛が冷えるであろう。」 しかし、最後 まで耐え忍ぶ者は救われる。 そしてこの御国の福 音は、すべての民に対してあかしをするために、 全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれか ら最後が来るのである。」 このイエスの言葉と されているものは、部分的にはイエスに遡る言葉 もあろうが、全体としては、イエス死後の教団の ことばである。少なくとも、マタイがマルコを資 料にして福音書を書き直したときは、ユダヤ戦争 が終わってから10数年たっており、著者は逐次 その戦争の惨劇を知っており、ことにエルサレム 陥落と廃墟と化した事実を目の当たりにしていた はずだ。イエス死後、近いかと思われた終末到来 が長引いて弛緩しはじめたところに、このエルサ レム陥落、ことに神殿崩落の現実はまちがいなく 終末の予兆としか見えなかったはずである。この ような中で、ひとりの人の思想がどんなに優れて いようと、それもまたこなごなになり、多様な理 解や想念が付け加わり跡形もなく埋もれてしまう ことが想像される。たぶんそのような中で必死に イエスの思想をたぐり寄せ、自分たちの特別の理 解で塗り固め、後世に繋げることにそれなりに成 功したグループが、後の正統主義として権威を集 中させていったのだろう。彼らはときどきの危なっ かしい理解も含めて、じょうずにそれらのを掻き 集め、相互に干渉させて新約の正典を作っていっ たにちがいない。イエスの思想は、それら諸理解 の圧力のもとかなりの変性を受けながらも、新約 のそこかしこに化石化されて姿をとどめている。   では、終末論についてはどうか。もちろん、イ エスが神の国の福音を語ったとき、広義の終末論 を生きていたことを誰も否定できないけれども、 どうみてもイエスが世界を俯瞰してこの世界の終 わりの様子を冗舌に語る位置にいるとは思えない。 彼にとって終末論は、ただ神の恵みがこの世界に、 われわれ人間の想定外の形で、われわれのあらゆ る価値基準を無化したところにおよぶということ を、ただ自分の生と、他者との関係の中で示すよ りなかった、そう言う終末論を生きたのである。
11月11日の礼拝説教から コロサイ2章 「影と実体」        久保田文貞  「心を励まされ、愛によって結び合わされ、豊 かな理解力を十分に与えられ、神の奥義なるキリ ストを知るに至る」(口語訳) 新共同訳になる とさらにまろやかな翻訳になるが、原典はもっと べとべとした当時の宗教感覚を繁栄した語でつづ られている。直訳すれば「彼らの心(複数)が励 まさ(慰めら)れ、愛においてつなぎ合わされ (19節では関節、腱が「つなぎ合わされ」と出て くる語に同じ)、悟りの(がもたらす)確信の十 分な豊満へと、神の、キリストの奥義の認識へ と・・・」ぐらいか。「キリストのうちには、知 恵と知識との宝が、いっさい隠されている」 地 上の欠乏、不確実、混乱に幻滅し、天上界の充満、 確信、秩序を渇望する世界観が1世紀から2世紀 にかけてのヘレニズム社会に共通する感覚である。 そこでつぎに地上と天上をつなぐ仲介者がだれか ということになる。パウロの流れをくむコロサイ 書によれば、その真の仲介者こそキリストだとい うわけである。そのキリストに、「秩序正しい様 子とキリストに対する強固な信仰」という形で、 「信仰の確立」という言い方で、関わる。 手紙 の受取人も書き手も、とにかく当時の宗教的な共 通感覚にべったりとはまりこんでいる。「むなし いだましごとの哲学」、哲学と言ってもここでは 先に述べたような宗教的な世界観ぐらいの意味で ある。そこに昔からのギリシャ哲学のいろいろな 考え方が適当に利用されて諸説乱れ飛ぶと言った 具合である。「世のもろもろの霊力」と訳されて いるのは、「コスモスのストイケイア」、古いギ リシャ哲学では、ストイケイア=構成要素とは、 地、水、火、風の四元素のことを意味した。ヘレ ニズムになると、その四元素は単なる「世界の構 成要素」ではなく、「天上界になびくべき、地上 界の要素」として神話化していく。例えば、ひと りの人間のなかに「地」「水」「火」「風」の要 素=霊力がせめぎあう。「言い伝え」とはその諸 要素の神話的表現のことだろうか。  「キリス トにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、 かたちをとって宿っており、そしてあなたがたは、 キリストにあって、それに満たされているのであ る。」(9節) 天上界のことは、あのようなストイ ケイア理論の展開によって到達されるのではない、 そういう冗舌は不要なのだ、天上界に充満してい るものは、すべてキリストの中にあるという。そ うはいってもこの地上界で人間はなんらかの天界 の兆候を読み解き、それに従った生き方を取ろう とする。けれども、暦とか天体とか気象とか、あ くまでそれは兆候以上のものではない、「来るべ きもの影」でしかない。「実体」は「キリスト」 であるという。 コロサイ書が、その時代にあって何をしようと しているか、およそのことが分かっていただけた と思う。好意的に言えば、ヘレニズム的宗教の思 辨に対して、キリストを「十字架につけ」、「死 人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰」 をぶつけていく。だが、実際にはそれ以上のこと をやってしまう。ここまでくると、それはイエス の福音の、パウロ的な展開などとはとても言えな い。イエスの福音が、この地上界を捨てて、天上 界に凱旋するための道案内であったり、天上界の 充満をこの地上で展示するものとはどうしても思 えない。むしろイエスの福音は、天上界を引きず り下ろし、この地上に生きるひとりひとりに天上 界が独占していた宝を惜しげもなくすべて配給し てしまう、そういうイメージに近い。
−−−11月4日永眠者記念礼拝説教から−−− マルコ12章27節   題「永遠のいのち」  「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の 神である。あなたがたは非常な思い違いをしてい る」。 パリサイ人の論争の中で、イエスにしか けられた問いに答える形で発せられたイエスの言 葉です。レビラート婚の風習で、ひとりの女が7 人の兄弟の妻になった場合、みな死んだ後、この 女は誰の妻になるかという問いでした。ためにす るような問いであり、問い自体の無意味さはとも あれ、イエスの答えは、ある意味で衝撃的なもの です。 後のキリスト教会のもっとも古い信条に、 使徒信条というのがあります。その中に、キリス トを告白する段で、キリストは「生ける者と死せ る者とを審き給わん」という言葉が出てきます。 この言葉は新約書の中では、使徒行伝10章42と第 テモテ4章1になどにありますが、新約書文書の時 系列でかなり後ろの方の文書の言葉になります。 おそらく2世紀後半には基本的なドグマの一つになっ ていたと思われます。 明らかに先のイエスの言 葉と別の方向を向いています。としても、この言 葉が「生ける者と死せる者」を同等に扱っている ことに注目したいと思います。「死せる者」とは、 同じ使徒信条でキリストが「死人の中よりよみが えり」と言っているときの「死人」と全く同じ語 です。そこでは死というものを、あくまで死人の 死としてとらえ、抽象化していないのです。   私たちの文化では、生と死は漠然とある種の抽 象化された生と死をことあげしていきます。こと に仏教では、そのような生と死の味わい深い言葉 をたくさん残しています。「六道輪廻の間にはと もなふ人もなかりけり 独りむまれて(生まれて) 独り死す 生死の道こそかなしけれ」(一遍) 「この生死は、すなはち仏の御いのちなり。これ をいとひすてんとすれば、すなはち仏の御いのち をうしなはんとする也。これにとどまりて生死に 著すれば、これも仏の御いのちをうしなふなり」 (道元) 私も心情的には、生死に執着しない、 「形見とて 何か残さん 春は花 夏ほととぎす  秋はもみじ葉」(良寛)のように、自然の流れ の中に身を置いておくありかたの方がずっと近く に感じます。 少なくとも、イエス死後のキリス ト教のあの信条に代表されるような、死生観は日 本の仏教の死生観とは相当隔たりがあります。そ こでは、「生ける者」と「死せる者」の体から生 死を抽象せず、むしろ「生ける者」と「死せる者」 の〈からだ〉の現実に恥じらうこともなく執着す るのです。しかし、この執着が、確かにこの世で のエゴイズムとして現れ、他者を支配する権力の 名分になって、暴れ回ること枚挙にいとまありま せん。けれども、使徒信条の名誉のために言って おけば、「生ける者と死せる者とを審き給わん」 とは、この世界で、人が他者を支配することの前 提となっている、「人を審く」権能はキリスト以 外にないという宣言にならなければならないもの でした。つまり人間には「生きる者と死せる者を 審く」根拠も力も持ってはならないと突き詰める べきでした。 「神は死んだ者の神ではなく、生 きている者の神である。」 仏教とは全く別の経 路からではありますが、結論はそう離れているわ けではないと思いませんか。
10月28日の礼拝説教から マタイ24章1〜2 「教会が崩壊する」   久保田文貞  新共同訳聖書など、小見出しを付けている訳本 は、ここのところに神殿崩壊の予告あるいは預言 という内容の見出しをつけている箇所です。「宮」 とは明らかにエルサレム神殿のことで、「よく言っ ておく。その石一つでもくずされずに、そこに他 の石の上に残ることもなくなるであろう」とは、 神殿崩壊のことを指しています。これを、ローマ の侵略に対してユダヤ独立を目指して闘ったユダ ヤ戦争で、ユダヤ側が完敗しエルサレム神殿が破 壊された事件の事後預言としてみる見方(その場 合には、マルコ福音書が70年以後に書かれたと され、当然この物語は70年以後の創作となりま す)もあります。一理あると思いますが、別にイ エスのガリラヤでの活動の内容からして、エルサ レムの神殿体制に対する批判を語っていたとして も驚く必要はないでしょう。私としては真正のイ エスの言葉であっても、事後預言であっても、ど ちらでもかまわないのです。 問題は、神聖なる 神殿が神通力を失って、それが単なる人間の作っ た構築物に過ぎないものとして語られていること です。宗教史的には、このような発想の一大転換 を可能にするのは、この場合、キリスト教が決定 的な影響を受け、ユダヤ教の中に高まっていた終 末論によると説明する所でしょう。こういう説明 を受けると、「ああ、そういうことなのか」で終 わってしまいますが、その身になって考えるとも のすごいことです。終末論というのは、この世界 の彼岸にあるとみなされていた神の事柄が、人間 が経験する世界に直接に及ぶ事態を問題にします。 人間が構築した物すべて、堅固な建造物だけでな く、伝統的な社会、文化、さらにあらゆる関係性 等々、身も蓋もなく晒されてしまう事態を意味し ます。この世界内に、それでも特別で神聖な場所 や、特別に聖別して造られた神殿なども、その事 態にあっては特別な扱いを受けない。我々がもっ とも価値があり、大切だと思っていたもの、それ こそ本質的なもの、根教の根拠だと見なされてい たもの、そういうものもすべて人によって構築さ れたものでしかないことになります。終末論は、 〈最後〉・〈究極〉に晒された人間の問題です。 〈究極〉的にそれを認識する自己も構築物として 晒してしまう可能性を孕んでいます。 現在の人 間社会を研究する学の一つに社会学があります。 これは、家族関係や、地域共同体、職場における 人間関係、宗教、学校教育、文化などあらゆる現 代社会の事象を研究するわけですが、そこでは基 本的にこの社会関係を〈構築されたもの〉として 徹底的に探っていきます。つまりあらゆる人間の 事象が構築されたものとして晒されていきます。 例えば、性のことに関して言えば、男はこうある べきだとか、女はこうあるべきだというように、 人がどう抗おうと本質的に決定しているという前 提で性を考えない、男女の差異もすべて歴史的に 構築されたものとして、そのように晒した上でと らえなおすわけです。 誤解を恐れず言えば、限 りなく終末論に近い作業をしていると思います。 本質を前提にしたり、価値観を先行させて、他者 やその他者同士の関係を見ない。この否定は、も ちろんその裏側に、すべての存在をできるだけあ るがままにとらえ、すべての人をその生きている 出来事そのものとして受け入れる、そういう素地 を持っていると思うのです。
10月21日の礼拝説教から 創世記42〜46章 「再会」  久保田文貞   物語の進行は次のようになります。ヨセフの夢解 きの通りに、7年間の豊作の後、7年間の大飢饉 がエジプトとその周辺に起こった。カナン(現在 のほぼパレスチナ)に住んでいたヤコブ一族にも 飢饉が襲い、エジプトに行けば食糧があることを 聞いたヤコブは10人の息子たちを食糧の買い付 けにエジプトへやった。そこでのヨセフと兄弟た ちの再会の物語が始まります。(21日は42章か ら46章までを朗読しました。)ここでは再会の ドラマの詳細を追うことをしません。ぜひ読んで いただきたいと思います。とにかく引き裂かれた ヨセフと父ヤコブと兄弟たちの劇的な再会を大衆 演劇的な手法を使って盛り上げていきます。先に 兄たちだと分かったヨセフがこらえきれずに懐か しさのあまり別の部屋に引っ込んで泣いたという のですが、ということは兄たちに自分がヨセフで あることを伏せておくことを意味します。また人 質を取って弟ベニヤミンを連れてくるように強要 する。当然兄弟たちはその意図を測りかねて不安 になります。さらに兄弟たちのそれぞれの荷物に、 穀物代金として支払った銀をそっと入れておく。 それを見つけた兄弟たちが恐怖に駆られるのを見 越しているのでしょう。ここには、兄弟たちへの 思慕と共に、かつて自分を穴に落とし奴隷として 売りはらった兄たちへの恨みがせめぎ合っている、 そういう微妙な心理が感じ取れます。 しかし、 ヨセフによって仕組まれて生じた兄弟たちや父の 不安−と言うよりは恐怖−が、この再会を一層ド ラマチックなものにしています。この恐怖はどこ から来ているかと言えば、強大な王国エジプトの 権力機構を傘に着た高官ヨセフと、辺境の半農半 遊牧的小家畜業者にすぎない一庶民の目もくらむ ような落差からでしょう。本来は、兄弟たちの妬 みがヨセフを父ヤコブとその家族から引き裂いた のですが、それが今は権力に引き裂かれているか のような錯覚を、読者に与える。 引き裂かれた 家族再会のドラマは、古今東西を問わず物語の普 遍的なモチーフになっています。例えばシェーク スピアの「リア王」、目をかけた上の二人の娘に 追放され荒野をさまようリア王と、父に真実を言っ て勘当された末の娘コーデリアとの再会、しかし 彼女はイギリス軍に殺され父は娘の亡骸を抱くこ とになる。父と3人の娘という家族が、王家の故 にそのまま権力の欲望の中にたたき込まれて裂か れていくのです。日本なら説教節「さんせう太 夫」、地の豪族によって、母と姉弟が引き裂かれ、 姉は殺され残った弟厨子王が姉の霊の加護によっ て太夫のもとを逃れ、後に任官して母を訪ね再会 するという話しです。 これらのモチーフに共通 することは、親子や兄弟の絆を、動かしがたい権 力や運命が裁ち切り、切り離された肉親との再会 が叶わないという設定があり、それをなんらかの 力が働いて再会できる、あるいはできないという ものです。現在の拉致家族問題にも見るようにこ のモチーフのインパクトは想像を超えたものがあ ります。 そして問題は、引き裂かれた家族が再 会をすますと、あの裂け目が嘘のようにスーッと 閉じてしまうことです。ヨセフ物語のように。  それに対して現在の拉致問題の異常性は、小泉訪 朝で再会を果たした家族と、果たさなかった家族 が握り合った手を放さず、あの裂け目を閉じさせ なかったことです。それを家族の側も政治を利用 して再会を果たそうとし、自民党の一部(安倍前 首相など)も再会を政治的に利用して利害が一致 したように見せている。こういう利害の一致は、 戦没者家族の国家補償と、国家による戦死者を 「英霊」として祀ることにも見られます。ここで は裂け目はただ消えていくのではなく、むしろ裂 け目を作っていく権力の問題を逆に補強するコー スへと踏み込んでいるということでしょう。
10月14日の礼拝説教から 箴言7章6−27 「箴言の女性観」     久保田文貞  「箴言の女性観」という題をつけてしまいまし たが、こういう問題の立て方をするとすでにそれ だけで読む前からある種の先入見を持ってしまう ところがあります。女性に関わる事柄に触れてい ることと、女性という存在を対象化して論じるこ ととは、別物です。つまり、一つの社会を対象と して選び、そこに女性というカテゴリーを当ては めて、そのようにして切り取った〈女性〉につい て論じる場合、そのこと自体がかなり歴史上特殊 な近代主義の営みにすぎないことを心しておかな ければなりません。私たちは『箴言』と名付けら れている2000年以上前の西アジアの片隅の文学を 読んでいるわけですが、もしそこで「箴言の女性 観は…」などとしたり顔で論じたりすれば、それ はちょうど半村良の『戦国自衛隊』と同じような ことになるでしょう。(この小説は、近代装備し た自衛隊のある中隊がワープしていきなり戦国時 代に横滑りしてしまって起こる架空のお話しで す。) というわけで近代主義的な前提をできる だけもたずに、〈女〉について箴言が語っている 言葉を集めて読み(ということは残りは人間一般 というのではなく、あくまで〈男〉を前提にした ことになる)、現代人としての枠の中で女性につ いて、ということは同時に男性について、考えて みることしかできない、そういう「箴言の女性観」 になります。 箴言は、基本的に息子に対する父の教えという のが軸になっています。ですから、箴言が女性に ついて触れるとき、まずその息子にとっての母の 問題になります。例えば「わが子よ、あなたは父 の教訓を聞き、母の教を捨ててはならない。」 (1:8)、他に23:22以下など。そして父の 教えは、「賢い妻を見つけること」であり、どの ような女が妻としてよいか(12:4、31:10以下な ど)となります。特に「争い怒る女と共におるよ りは、荒野に住む方がましだ。」(21:19)、ま た「騒がしくて、慎みなく、その足は自分の家に とどまらず、ある時はちまたにあり、ある時は市 場にあり、すみずみに立って人をうかがう。」 (7:11以下)と、つまり論争をするような女性を 嫌い、外出好きの女性はそれだけで浮気者ときめ つけるといった具合です。さらに、父の教えは、 遊女などの誘惑する女に近づくなと言います(6: 24以下、7:4以下、)。 とにかく、父から息子 への勧告が、それがただ親子の関係だけのことで なく、社会全体の倫理の骨格になっています。そ の中で女性の生きる道は、夫の慎ましい妻、息子 の賢い母としてしかありようがないのです。その 系列から外れている女性は、家父長的な家を基本 単位とするこの社会の危険な存在としてか見られ ないのです。 初めに述べたように、このような 男女間をもった古代の一社会に対して、近代主義 的な人間観に立ってもの申しても意味がないし、 まして〈聖書〉のひとつの箴言の中に現代にもあ てはまる人間の基本的な規範(それを聖書のメッ セージなどという)があるというのも、結局は 「戦国自衛隊」的な飛躍にしかならないでしょう。 言い換えれば、わたしたちは、現代の人間社会・ 歴史を生きる者として自分で考え、決定するより ないでしょう。現代を生きるクリスチャンとして、 教会仲間として、〈聖書〉という古典からではな く、むしろそれとふれあいながら、解を出してい くよりないでしょう。いずれにせよ、「箴言」の 中に描かれている世界を、どんな正当そうに見え る手続きを経ても現代に接ぎ木するわけにはいか ないのです。
10月7日の礼拝説教から コロサイ書1章9−23 「先在のキリスト」 久保田文貞  コロサイ書がパウロの真正の手紙ではないこと は多くの学者たちの認めるところです。コロサイ 書が対面している問題はどうみても1世紀末期の 状況に対応していると見られるからです。2章に 描かれている「世のもろもろの霊力に従う人間の 言い伝えにもとづ」き、「わざとらしい謙そんと 天使礼拝」に人々を誘う「空しいだましごとの哲 学」とは何かを特定することはできませんが、1 世紀終わりごろの哲学(フィロソフィア)的風潮 は限りなく宗教に近づいていて、2世紀に入って 花開くグノーシス主義(9月9日の《複眼》をご 覧ください。》に地続きになっていると言ってよ いものです。その風潮にはユダヤ教もキリスト教 ももちろんその他の宗教もみな巻き込まれている と見ておかなければなりません。  当然、パウ ロの流れをくむ諸教会もその影響を強く受けてい きます。コロサイ書の著者は後で見るように確か にパウロ的な信仰に基づきながら、教会に忍びよ るグノーシス的傾向に対抗しているのですが、同 時にグノーシスに材料を用意し、その基盤を提供 する基本的な世界観・人間観という点では、多分 に共通していると言わざるをえません。いや、そ れは、すでにパウロの思想自体が持っていたこと ですが。パウロが、十字架につけられ死んだ〈イ エス〉に出会う経験をし、その信仰を表現し肉付 けしていく時、当然のことですが当時の世界観・ 人間観と無関係でいるはずはありません。彼は、 1世紀から2世紀にかけてヘレニズム社会で通念 となっていた霊・肉二元論的な前提(ロマ書7, 8章他)、世界に超越する真理とそれを奥義的に 知ろうとする態度(第1コリント2章7など)を 十分に呼吸していたので、コロサイ書だけの問題 ではないことを憶えておかなければなりません。  それにしても、コロサイ書が1章15節以下に 引用していると言われる賛歌は、キリストを「見 えない神の形であって、すべての造られたものに 先立って生まれた」、「万物よりも先にあり、万 物は彼にあって成り立っている」とまで歌ってい ます。歌の文句はどうしても心の過剰な燃焼のも とにあって思想的に無防備になってしまうもので すが、それにしても引用されているのは「神学」 的な議論の場ですから、思想的な責任を負わなけ ればなりません。キリストが万物=世界のあらゆ る被造物に先立っているはずだという思辨は、終 末論を宇宙規模まで広げ、キリストを単なる伝令 でなく神的存在とすれば、ユダヤ教的な背景を持っ たパウロ思想からもすぐ手の届くところにありま す。けれども、この思辨を促進したのはやはり1 世紀末期からますますグノーシス的に展開した当 時の世界観です。真理を追究するバネとしてこの 現実の矛盾に満ちた世界を否定する、つまりこの 世界を足蹴にして超越した真理にもっぱら関心を 寄せていくというものです。私にはコロサイ書の キリスト賛歌は、この上昇志向に同乗していると 思えてなりません。もちろんコロサイ書はグノー シス一般と同じようにこの世界を否定していませ ん。当の賛歌も最後に神とこの世界の「和解」を 歌うわけです。けれどもこの賛歌は明らかにキリ ストを、世界を超越し、世界に絶対的に先行して いる神・界(プレーローマ)のスターにすること に半分同意していると言わざるをえません。この ツケはかならず厖大な債務として跳ね返ってくる はずです。それは口ではこの現実の世界との和解 といいながら、いつもこの現実の世界を、歴史の 現実を生きる人間を踏み台にして上昇し、支配し ようと知の態度、あのイエスがいちばん嫌ってい たものを背負い込んでしまうというツケの問題で す。
9月30日の説教から マタイ福音書23章29−36節 「律法と預言者」     久保田文貞  「あなたがたは、わざわいである。あなたがた は預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こ う言っている、 『もしわたしたちが先祖の時代に 生きていたなら、預言者の血を流すことに加わっ てはいなかっただろう』と。このようにして、あ なたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、 自分で証明している。」 パリサイ人を、「預言 者」を抹殺してきた勢力に組み入れ、その責任を 問う言葉になっています。もし可能なら、パリサ イ人側からの反論が雪崩を打つようになされるは ずです。当然彼らも預言者が語った言葉が、神の 言葉から発していることを認めていたわけで、一 部の迫害された預言者に対して責任を負うべきだ と言われて「はい、そうですか」と受け入れるわ けがありません。 23章のパリサイ批判語録の ベースになっているのは、マタイとルカに共通し て出てくるいわゆるQ資料の言葉です。そこでは、 パリサイ人対預言者を対置し、明らかに自らを預 言者の側に置いてパリサイ人を批判する手法が採 られています。この対峙は何を意味するか、考え てみたいと思います。 預言者は、一方で「神の 言葉」を語る者として畏敬されていながら、なぜ 迫害されるか。理念型的に言えば、古代ユダヤ教 社会はモーセを介して与えられた律法(トーラー) とその解釈と実践のもとに作られた社会生活を営 んでいる。そういう日常としくみを生きているわ けです。これに対して、預言者は霊的に神の言葉 を聞き、それを民に告げる者として現れます。し かし、神の言葉を直接聞き取られた預言の内容が、 律法とその上に築かれた社会や日常に合致しない ことが出てきてしまう。そのような場合に預言者 は必然的に少数派であり、その預言の内容を受け 入れたがらない多数派や権力者から攻撃を受ける ことになる・・・ まずまちがいなく、Q資料の ことばを担っていた人々は、少なくとも一時は 「パリサイ人」(実在のパリサイ人である必要は ありません)と彼らが刻印する多数派によって自 分たちは昔の預言者のように「迫害」を受けたと いう自己理解をもっていたはずです。 では、こ のような自己理解を、イエスも持っていたかと言 えば、似ているが肝腎のところが違うと思います。 イエスの神の国運動は、律法違反者として見捨て られていた人々こそ神の恵みの向かうものとして 捉え、そのめぐみを起こりつつある出来事として その中に入り込んで語り、行動していく。確かに、 そこでトーラーを重んじ、その解釈と実践をモッ トーとするユダヤ教パリサイ派の人々から、批判 を浴び、時に妨害され、敵意をいだかれることに なりました。けれども、ここは私の勝手な理解で すが、イエスはパリサイ人との対峙を象徴化させ 固定化しない。彼の福音を後退させ、妨害する力 に対して、弟子でもパリサイ派でもサドカイ派で もはっきりと敵対するし、確信犯的に福音を前面 に出し、トーラーや社会通念を無視するのです。  しかし、このイエスの神の国運動の顛末は、あ る意味で必然だったと思いますが、この世界を蹂 躙する力から抹殺されてしまうということになり ます。イエスは最悪の処刑の形で殺され、弟子も 弾圧を恐れて逃げてしまう。このまま彼の神の国 運動は封印されてしまってよいか。人々は起きあ がります。ペテロも、パウロも、その他いろいろ な人が。Q資料を担った人々もそれなりに立ち上 がった人々だったでしょう。しかし、それぞれが 微妙なズレを持っている。イエスを中心に言えば (ほんとうはイエスを中心に据えなくとも言いの ですが)、それぞれがその歴史を生きてイエスか らズレていきます。おそらく、弟子派遣のイエス の言葉をまともに自分のものにして、各地を風狂 乞喰のように説教して回ったQの言葉を説いた連 中も、そうしたズレをもっていたはずです。
9月23日の礼拝説教から   創世記40章 「夢解き」             久保田文貞  オーストリアの精神医学者であるフロイトが、 神経症の研究と夢の分析をしながら突き当たった 無意識の問題を離れて、私たちは夢について語れ ない所に来ています。しかしながら、キリスト教 思想にとって、近代主義的な人間観にとっても (これについてはここで述べる余裕がないので保 留しておきます)、この無意識という場は、一種 の鬼門と言うべきものです。旧約聖書では神は 「測り知れない」業を行う方であり、マタイの基 本的な思想となっている「隠れた所で」信仰者の 「隠れた事」を見ている神(マタイ6章3以下) という捉え方がキリスト教の伝統的な考え方になっ ています。そこでは、無意識は神の手中にあって、 人はそういう心の構造自体を問題化することはあ りません。 ヨハネ物語の夢解き話の場合もそう ですが、無意識の中で発生してくる夢を、神のメッ セージと捉え、その夢に託された神意を解くこと が課題となります。ただし、ヨハネの夢解きは、 41章8節の「魔術師」や「知者」の夢解きとは 違うという主張があるように感じます。ヨハネの 夢解きは、夢の意味をなんらかのテクニックで探 り出し、分析をしてその意味をあぶり出すという のではありません。 40章の8節で王パロの役人が「わたしたちは夢を 見ましたが、解いてくれる者がいません。」とぼ やいているとき、彼らの頭には「魔術師」や「知 者」の夢を解く力に期待を寄せていたということ になるでしょう。ヨハネの答えは「解くことは神 に依るのではありませんか」ということでした。 ヨハネは役人たちや、王の夢を難なく解いてしま います。ヨハネ物語は、夢を解くのは神自身であ り、ヨハネにその夢解きの結果を語るという位置 に立たせているだけなのです。けれども、そこに はどうしても無理があります。ヨハネのしている ことは、どこをどう見てもヨハネのなんらかの能 力が関与して開く〈夢解き〉以外の何ものでもあ りません。マタイのクリスマス物語のように、夢 の中で神の意志は〈夢解き〉の必要などない仕方 で告げられたというのなら、エジプト的な魔術や 知恵とはちがうということがよくわかります。し かし、ヨハネの夢解きは、パロの役人たちが誤解 したようにまさにエジプト的な夢解き行為と同じ に見えたわけです。結局、ヨハネ物語はエジプト 的な文学モチーフを使い、非魔術化しようとした けれど、不完全であったということでしょうか。  いぜれにせよ、古代の人々の夢は、神意が告げ られる場、解かれるべき謎に満ちた所、異界との 窓口と考えられていました。初めにふれたように、 フロイトは夢を無意識からの信号として見、無意 識も含めて人間の心全体の現実を対象として研究 しました。私たちは今、彼の研究成果の上で漠然 と無意識を当然のこととして受け入れていますが、 よく考えると無意識の働きを心的な現実として受 けとめることは、近代にとっても、キリスト教思 想にとっても、根底を揺るがすような破壊因子を 内に持つということでもあります。キリスト教信 仰にとって、ベースになっているのは神に向き合っ て立つ主体〈わたし〉です。「敬虔なる魂」はそ の〈わたし〉は不完全なわたしであると告白する けれども、その〈わたし〉性そのものは100%の 〈わたし〉です。その〈わたし〉に無意識という ものがあるとするならば、わたしが隠したい事を 隠しておく場であり、隠れた所で〈わたし〉の隠 匿物を全部透視している神の働く場ということに なります。しかし、このような表現は多分に神話 的な幕を掛けた表現です。フロイトはそれを「心 的現実」として客観的な対象物として捉えたとい うことです。私たちは今、基本的にそのような場 に立っているのです。
9月16日の礼拝説教から ピリピ書4章10−20 「パウロの宣教の始め」      久保田文貞  ピリピの集会の人々が、パウロに対して他の集 会には見られないような親密さを持って、彼を援 助してきたことは前にも触れました。いわゆる第 2回の伝道旅行で最初にマケドニヤを訪れたとき、 上陸した所からすぐのピリピの町のユダヤ人たち の集まりで、パウロはイエスの福音を語ったと思 われます(使徒行伝16章11以下)。それが49年頃 です。それからおよそ5年くらい経ってから、彼が エペソに滞在中にガラテヤ書や第1、第2コリン ト書など手紙を量産しているのですが、そこから ピリピ書も書いています。しかし、そこで彼は彼 の宣教が理由で投獄されるような事態になりまし た(ピリピ1章13など)。このようなパウロに対し て、ピリピの人々は500キロ程離れた海の彼方から 経済的に人的に支援したのです。パウロからすれ ば、彼らが自分の福音の内容をよく理解してくれ ているがゆえの支援と受けとめていることがピリ ピ書からよくうかがえます。特にこの箇所は、そ の支援への感謝で満ち溢れています。 ここで、 実質的にピリピでの伝道が15節のパウロのことば に見られるように「福音宣教の初め」となったわ けですが、そもそも第2回目の伝道旅行は何だっ たかふり返っておきたいと思います。現在のトル コ南部各地を回った第1回の伝道旅行と言われて いるものは、アンティオケア教会の指導者バルナ バのアシスタントとして動いていました。それは アンティオキア教会の資金による教会の事業でし た(使徒行伝13章1以下)。これに対して第2回の 伝道旅行は、アンティオキア教会と訣別して、パ ウロが主催し、彼の理解者テモテとはじめた自弁 の伝道行動でした。訣別の発端になったのは、ガ ラテヤ書2章11以下のアンティオキア教会のある食 事の席で起こった事件でした。なんらかの事情で ペテロはエルサレムにいられなくなって、バルナ バやパウロのいる異邦人伝道の盛んなアンティオ キア教会に身を寄せていた。たぶんペテロも異邦 人伝道に強い思いを持っていたからのことでしょ う。アンティオキア教会では異邦人もユダヤ人も 同席して食事をしていたようです。両者が同席す るということは、異教の神殿に捧げられた供物の お下がりの肉などを当然のように食べてきた異邦 人と、それを不浄な食べ物としてタブーしてきた ユダヤ人と食事を共にすることです。バルナバも ペテロも、そしてパウロもなんらかの律法違反覚 悟の上で、同席していたと思われます。キリスト の福音によってこうして異邦人たちも自分たちユ ダヤ人と同席できるようになったと自負していた。 でもそこでは依然としてユダヤ人を軸に置いて異 邦人を見ている。しかし、その食事の席に突如、 エルサレムから来た律法に厳格であることを求め る人たちが来て、ペテロとバルナバはたじろぎ、 そそくさと食事の席を退こうとしました。それを 見たパウロは彼らの行動に虚偽をかぎとり、公衆 の面前で彼らをなじったのです。イエスの福音を 受けとめた者たちの間で、異邦人とユダヤ人も同 席して食事することは、キリストの福音によって、 なにかユダヤ人が異邦人の間にユダヤ教シンパを これまでになく積極的に受け入れていくといった ことではない。そこにはユダヤ人化した異邦人が いるだけです。イエスの福音は、ユダヤ人はユダ ヤ人性を解体し、異邦人もユダヤ人に対する異邦 人性を解体し、一人一人がそういうラベルをはが した他者としてお互いに認知し合うということで はないでしょうか。とにかくパウロは、自分のユ ダヤ人性を対象化し、そうしてこれまで見えてい なかった真の異邦人=他者に、自分も一人の他者 として向き合う、そう言う伝道旅行へと旅だった のです。それが第2回伝道旅行だったと思います。
9月9日の礼拝説教から  「傷つき、傷つける経験のはざまで」   ローマ:7章;15-25           加納尚美  昨年度、文部科学省研究費にて「ドメスティッ ク・バイオレンス(DV):被害者への急性期看護 ケア」という教材DVDを作りました。制作にあたっ ては、テレビ局関係の方々、この問題に一緒に取 り組んできた仲間たち、等々の協力、制作会社も 儲けにならない仕事ならが社会貢献として第2作目 を仕上げてくれました。シナリオの原本は現場の 助産師と私が作り、それらを基にテレビ局関係の 方々とディレクーらはボランティアで内容を吟味。 ナレーションもプロのアナウンサーですがボラン ティアです。これから教材評価として多くの方に みていただき報告書を書いていくことになります。  今回のテーマであるDVですが、昔からあった問 題ですが、最近法律ができてことによって社会の 関心事になってきました。親しい関係の中で暴力 は、日常生活にあまりに密着しこびり付き当事者 も取り込まれているので気がつきにくいものです。 ドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」の中 で登場人物に「世界人類は愛せるけれどすぐ隣に いる奴は絶対愛せない」と言わせていた場面があ りますが、プライベートな生活の日常にこそ他者 をどのように見ているか、が如実に現れることを 言い当てているような台詞であったか、と今思い 浮かびます。人と人が対等な関係性の中でともに 生きるのか、誰かが優位に立ち、劣位な人を支配 しながら成り立つのか、DVの問題は同時に子ども 虐待の問題ともかなりオーバーラップしています。  日常の関係性の中に潜む暴力というテーマにつ いて、今回DVD制作者の打ち上げでは、是非さらに 突っ込んだ座談会のような第二弾を作らなければ という話もでました。その際のテーマになるのが、 本日提示したテーマです。 傷つける側と傷つけ られる側との距離は相当なものだと感じます。私 たちの多くは両方の立場を日常生活の中で経験し ているのではないでしょうか?そして、私たちが ジェンダー、社会的立場、物理的・心理的等々の 立場によって「力」や「権力」の差を持つ時、他 者、もしかしたら自分との対峙の仕方が現れると 思います。 私自身、女性への暴力、という問題 に関わって十数年経ちます。その中で何かしら自 己の傷つき経験から支援者になる方が多いですし、 むしろ自分も含めて傷ついた経験が皆無という人 はいないと思います。しかし、支援者側が自分の 傷つき経験を十分に見つめて悲しめない時、支援 者というより二次被害をさらない引き起こすこと になります。自分の弱さや悲しみを見つめること は、勇気と希望がないとできません。 本日の聖 書の箇所は、自分の内面のまさに「悪」を見つけ てしまった高校生の私に、教会の管理人のご老人 (多分当時80歳近く)が毎日読むように教えて下 さった箇所です。私はすがるように毎日読みまし た。24節までのパウロの独白、嘆きに共感しつつ、 25節には達せられない日々でした。自己を信じ、 自己に裏切られ、自己を見つめられないまま・・・ という自分の枠の中での格闘だったのかもしれま せん。振り返ると「時」は螺旋階段を登るように 振り返ると進んでいました。そんな私の存在を丸 ごと認めること、つまり自分を信じられるから出 発する。そこが私にとっての再出発となりました。 自分との付き合い方であり、概念的な世界人類で なく、日々出会う人々、つまり家族、職場、友人 等々との付き合い方の原点になるところです。私 の場合、向き合う勇気、希望の源泉が、イエスの イメージであり、それは「癒し」というものかも しれません。人によっては違うものかもしれませ ん。 しかし、経験のはざまをこれからも幾度と なく迷い行き来することになるでしょう。
9月2日の礼拝説教から コヘレトの言葉7章15-22 「『魔笛』…善人すぎるな、賢すぎるな」  久保田文貞  ケネス・ブラナー監督の「魔笛」という映画を 見ました。モーツァルトの「魔笛」を映画化した ものです。もとの台本では、特に時代は指定され ていませんが、第一幕がエジプトの原野が、第2 幕では城塞のような僧院が、舞台となっていて、 中世を思わせる設定です。それをこの映画は、第 一幕を第一次大戦の線上とし、第2幕の要塞のよ うな所を戦火に追われた民衆の避難所、けが人や 病人の医療施設、戦災孤児たちの保護施設、そに はすこしでも平和を築いていこうとする戦時下の NPOのセンターのように描かれています。その ため原本とだいぶ違いが出てくるのですが、その 違いは当然、登場人物にも及びます。原本では、 日本の狩衣を着た王子タミーノは、映画では第一 次大戦の若き将校になります。鳥刺しパパゲーノ は、伝書鳩を扱う兵卒です。夜の女王の3人の侍 女は、従軍看護婦に。あの魔法使いとして恐れら れている夜の女王は、映画では好戦的な司令官と して描かれます。夜の女王に敵対する原本の僧院 長ザウストロは、映画では今風に言えばNPOの ような平和団体の高潔なる指導者となっています。 問題は、ザウストロに奪われた夜の女王の娘パミー ナですが、原本でもそうなのですが映画でもタミー ノが愛するただの美しい娘としか描かれていませ ん。どうしてザラストロがパミーナを奪い幽閉し ているのかその動機がよく分かりません。さらに 原本でザラストロの家来でパミーナを監視する獄 吏、奴隷たちからも嫌われているモール人(ベル ベル人)のモノスタートスは、その幽閉がなんの ためなのか理由がはっきりしないから、ただの色 情漢になっていますが、映画では平和団体の指導 者ザラストロがどうして獄吏を必要とするのか一 層説明がつかなくなっています。 もともとがモー ツァルトの友人で、初演ではパパゲーノを演じた 芝居小屋の座長シカネーダーが台本(リブレット) を書いた時から童話などのモチーフを掻き集めて、 ひねり出した作品で、二人がフリーメイソンの会 員であって、このオペラで二人はフリーメイソン の思想を描こうとしたという説があることになっ ていますが、それゆにかあらすじに無理があると 指摘されてきたオペラです。映画は、戦争を象徴 する夜の女王と、平和を象徴するザラストロのふ たりを対照させて、結果的にある種の勧善懲悪的 なものを強化しています。原本にも、夜の女王と 3人の侍女と寝返ったモノスタートスが奈落に落 ちていき、ザラストロが「太陽の光が夜を追い払 い、偽善者の不正の力を滅ぼした」と最後に歌う わけで確かにそういうところがあるのですが、で もそれでは説明のつかないものがあるのです。そ れは、モーツァルトがそれぞれの登場者に与えた 音楽が、身分や立場、善人か悪人かなどを越えて いて、その人間ひとりひとりをあたたかく見てい ないと書けないような歌を歌わせているというこ とではないでしょうか。誰が正しくて、誰が間違っ ているか、モーツァルトはそのような2分法とは 別の次元で人を見て音楽を作っている。 表題にかかげた「善人すぎるな、賢すぎるな」 というコヘレト言葉の続きには「どうして滅びて よかろう。 悪事をすごすな、愚かすぎるな。ど うして時も来ないのに死んでよかろう。」とあり ます。またそのもう少し後で「善のみ行って罪を 犯さないような人間は/この地上にはいない」と も言っています。これはいい加減の勧めみたいに 響きますが、その〈いい加減さ〉とはどんな人に も美しい音楽が、詩がほどこされうるのだという メッセージのように思えてなりません。  8月26日の礼拝説教から 「子守唄は何を語るか」  大田 一臣  私が小さい頃、「みすず姉ちゃん」という近所 のお姉さんがいました。みすず姉ちゃんは、私を いつもおんぶしてて、大田家の行事にたびたび出 現していました。小学校3、4年生のころから、 数年間ねえちゃんは私の前から姿を消しました。 中学卒業後滋賀の紡績工場に働きにいってました。 その後天草に帰ってきて、それからずっと私の中 学、高校、大学の初期まで、私の思春期の大方の 舞台で大きな影響を与えていました。今から思え ば。 姉ちゃんは説教をたれることもなく、甘や かす事もなく、静かに私のまわりにいるという感 じでした。11年前みすず姉ちゃんは、病気で亡 くなりました。 私とみすず姉ちゃんとの関係は、 「奉公」というつらい労働を介したものではなく、 姉ちゃんの自由意志に基づいた近所付き合いその ものから発展した関係なので、私たちの世代では 「子守り」とか「紡績工場」とかの話は、「特殊 な」関係ではなくて生活のなかに根付いたもので あったし、天草という土地の貧しさから、みな同 じ貧しさのなかで生きていた当時の現実だったの かもしれません。「子守唄」、「紡績工場」など のキーワードは、私が読んだ子守唄に関する本の 中では、日本資本主義の暴力的な発展を支えた女 性たちの負の歴史を語るキーワードとして非常に 重く、一種の荘厳さをも醸し出しながら語られて います。 それは正しくて、歴史の大方の舞台で 語られる女性達の血を吐くような労働の歴史を直 視しなければならないと思います。本のなかで紹 介されている高群逸枝さんの言葉「屈辱時代の終 焉への花束として、熊本五木の子守唄をささげた い。・・女の中でも最も下積みの女とされた、江 戸封建期の子守り娘たち、その娘達が血を吐く思 いでつくりあげた唄の数々…・」という言葉に象 徴される五木の子守唄の悲しい歴史は、子守唄一 般から想像される子供をあやす優しい守子ではな く、「奉公」のきびしい労働のなかで日常の自分 たちの境遇をかたった悲しい唄でした。五木の子 守唄は、1930年代に採取された資料によれば、 70以上の唄があり、「正調」もの、元唄といっ たものも存在しません。今、全国で歌われる五木 の子守唄は戦後レコード化されたものが元になっ ているという現実があります。そのなかのいくつ か。  つらいもんばい 他人のまま(食事)は 煮え ちゃおれども  のどこさぐ(のどを棒で引っ掻 くようだ)  おどま勧進かんじん あんひととたちゃよかし (衆)   よかしよか帯よかきもん(着物)  山を越えこえ使いにきたが  芋のひとつもく れはせん おどんが うっちんずろば 道端ゃ 埋けろ 通 る人ごち 花あぎゅう(わたしが死んだら、道端 に埋けてくれ。通る人ごと花をあげてくれるだろ う) 五木の子守唄にあらわれた守子の厳しい現実をか いま見る気がします。
8月19日の礼拝説教から 「厭戦の歌」    飯田静世  人間の自由・平等・博愛主義の名の下に闘い獲 得した1794年の革命をフランスの人々は誇りをこ めて「カトルズ・ジュイエ(7月14日)と呼ぶ。 シャンソン・フランセーズ(以下単にシャンソン とする)の中にはこの精神が脈々と波打っている。 文明の驚異的な進歩の中(特にコミュニケーショ ン技術の異様なまでの)人々の情念にスピードが 加わると、すべての感情が深まらず、濃いも一時 の気まぐれ、悲しみの傷跡さえも残らないと言わ れている。シャンソン歌手のダミア、ピアフ、ア ズナブール、モンタンなどが歌いついできたシャ ンソンの情念の世界は、娼婦、異邦の民、貧しく 名もない市井の人々、戦争へ駆りだされる若者、 権力者と抗う心などへの視線は熱くて純粋だ。そ ういう視線の中で、ショパン、ピカソ、藤田嗣治、 ジョセフィン・ベーカーなどの異邦人アーティス トたちが活躍できたのである。 では、いくつか のシャンソン歌手と歌を紹介しよう。まず、ジュ リエット・グレコ。「実存主義の動く広告塔」と 言われたジュリエット・グレコの生涯はシャンソ ンの旗手にふさわしい。1927年南仏に生まれ、両 親は離婚。1940年(第2次世界大戦)パリ陥落、 ドイツ軍占領時代が始まる。母レジスタンスに参 加。1943 年母ドイツ軍に連行され、グレコ姉妹は 刑務所に入れられる。グレコ年少のため釈放され た。1944年にパリが開放され、翌年45年に母と姉 が帰還した。その後、母は海軍に志願してインド シナへ服務した。 ジュリエット・グレコは、サ ルトル、ボーヴォワールの出入りするサンジェル マンのカフェに出入りする。貧しくて着る物のな い彼女は、男友達にプレゼントされた背広とズボ ンの裾を折り返してきていたところ、パリの新 ファッションとして流行してしまう。1949年、米 雑誌「ライフ」が実存主義発生の地であるサンジェ ルマン・デ・プレのマスコット的存在であったグ レコの写真を4ページにわたって掲載した。世界中 にジュリエット・グレコと実存哲学という言葉が 拡がる。ノーベル賞を断ったサルトルはグレコに 多くの詩を捧げたが、今回は「蟻」と、ルイ・ア ラゴン(第2次大戦中抵抗運動家として詩集「エ ルザの瞳」を発表後地下に潜った)の「エルザの 瞳」、マリー・ヂュマ「私の兵隊さん」(外人部 隊の)、ジャン・パチストの「さくらんぼの実る 頃」をCDで紹介した。
〈8・12平和を考える礼拝〉を終えて再び考え る          戦争で生き残ったものが 戦争の被害を語ることはやさしい。けれども、戦 争で生き残ったものが戦争の加害を語ることはむ ずかしい。ひとりの人間として戦争を体験したも のは、どうしてもそこからぬけだせない。それを エゴだと批判するのはやさしい。けれどもそう批 判する者もほんとうにそのエゴから自由になるの はむずかしい。 近代国家の戦争はできるだけ多くの国民を動員 する。そうやって反戦思想や戦争批判を語る場を つぶす。そうやって兵役拒否にはしる若者をねじ 伏せ駆り立てる。戦争になると、近代国家が隠し 持っている不合理と暴力の化けの皮を恥ずかしげ もなく晒してしまう。 近代国家がどんなに自由 や平等を説き、時には国家に対する不服従さえ容 認するように見えても、主権国家が主権の行使と して戦争をする権利をもっているとするかぎり、 いざ戦争となれば基本的に国家は国民を〈総〉動 員する。国民主権のタテマエは、国家が戦争状態 にはいると共に仮死状態におかれる。国家主権が、 国民を〈総〉動員する。戦前の日本はそうだった ろうが、戦後の日本は違うと思うのは楽観的すぎ る。 現行「日本国憲法」の平和主義は、ほとん ど本質的といってもよい主権国家の持って生まれ た戦争する国としてサガを、封印した。人間の自 由と平等、平和を実現するためにはまず国家の交 戦権をもぎとらなければならないと知ったから。 この認識は、観念的な理想主義の結論ではなく、 戦争に動員されて加害者になり被害者になった多 くの国民が経験して得た叡智の結果である。だが、 これは本来肉食動物のライオンが今後は菜食主義 者として生きていきますという宣言のようなもの。 日本が敗戦国でありながらやっと認められて連合 国の仲間入りして、近代国家になっていくとき、 交戦権を承認し合っている国家の一つになってい く国連へのイニシエイションを果たしたのだ。自 分で狩りをしない肉食動物に。 〈総〉動員はか つてのファシズム国家のようにはなされないとぼ くも思う。けれども、真綿で首を絞められるか、 ごつごつした麻紐で首を絞められるかの違いだ。 3年前に成立した「武力攻撃事態等における国民 の保護のための措置に関する法律」、有事法制の ひとつである。だらだらとやたら長ったらしい法 律だが、この法律に沿って、各自治体(松戸市も) が国民保護計画を作っている。防災計画のような 体裁だけれども、有事の国民操作をどうするかと いうマニュアルである。他の有事制諸法と連携さ せれば立派に国民総動員法はすでに存在する。こ の国民保護計画に同調して町内会が自警団を組織 し、街路が監視カメラで監視される。真綿の中に 棘が交じりながらしっかりとぼくらの首を締め上 げはじめている。こういう国家に対して、NOを 言い続ける、これは政治の課題でなく、福音宣教 の課題だと多少うそぶきながら。(久保田文貞)
8月5日の説教から マルコ16章1〜8節 「復活」とは     関 秀房    北松戸教会で、マルコ福音書を 通して長年話してきましたが、ようやく最後の章 にたどり着きました。  16章は19節まであ りますが、古い写本は8節までしかありません。 9節以下は括弧に入っているのはそのためです。 8節まででは納得のいかない人たちがつけ加えた のでしょう。ですからここは、実質マルコ福音書 の最後のフレーズといえます。  聖書講解では 「イエスの復活は、神の救いの行動の決定的行為 である。キリストの十字架は、とにかく復活がな ければ現実の出来事とはならなかったのである。 神は、復活を通してイエスの地上の全てのわざが 神の支配の始まりであることを宣教し、・・・神 の支配の中へと連れて行くところの終局的わざで ある。」と言っています。果たして、マルコ福音 書はそのように言っているのでしょうか。 この 箇所のマタイ、ルカの併行記事を見ると様々なエ ピソードが語られています。9節以下は逆にマタ イ、ルカから影響されたのかも知れません。なお 「新共同訳」では20節で終わらず、「結び二」 として8節の「婦人たちは、・・・だれにも言わ なかった」を逆転させる「婦人たちは、・・・す べてペテロとその仲間たちに手短に伝えた」と記 しています。共観福音書(マタイ、特にルカ)、 後で付加された記事などから、逆にマルコ福音書 の主張が思料されるのではないでしょうか。例え ば、マルコでは、遺体がないことも確認せず逃げ 帰ったが、マタイでは遺体のある場所を確認させ ています。「先にガリラヤに行く」が、ルカでは ガリラヤで話したことに変えられています。もう 一つ、パウロの「コリント15:3−8」には 「最も大切なこと、私たちの罪のために死に、葬 られ、復活したこと。そして多くの弟子たちに現 れた」とあります。パウロのこの記事はマルコよ りも古く、直接マルコが見ていなくても、そのよ うな信仰が幅をきかせていたことは確かでしょう。 この流れに対してマルコは別のイエス像(信仰) を提起したと言えます。私には聖書講解の言って いることはマルコのイエス像とは違うように思え ます。  私たちが生きていく上で、現実から逃 避しないで、死を飾らないで、事実と向き合い、 その死、生涯から何を学び取るかが、大切のよう に思います。光市事件の少年が赤ちゃんを間違っ て殺めてしまい、押入に入れドラえもんに助けを 求めたことについて、弁護団の創作とか、ありえ ない話とかテレビのワイドショーは批判します。 しかしなぜ少年がそのような行動をとったのか、 その事実から何が見えてくるのかを学ばなければ いけないでしょう。「復活が無いなら、宣教も信 仰も無駄」とパウロは言い切ります。そう言いき るパウロの状況を考え、その影響が何をもたらし たのかを、マルコは指摘したかったのだと思いま す。  現代に生きる我々も、「事実」の前に立っ たとき、最後の節、8節が言うようになるでしょ う、「逃げ去り、震え上がり、正気を失い、何も 言わない、恐ろしいから」。キリストの「復活」 が解決を与えるのでしょうか、イエスと一人一人 との交わりが力を与えるのでしょうか。
7月29日の礼拝説教から ピリピ4章2〜7節 「主は近くにいます」      久保田文貞  ピリピ書を3通の手紙が1通の手紙に合成され たものとする見解によれば、4章2節以下は、第 3の書簡とされています。この部分からも、ガラ テヤやコリントなどの他の教会には見られないよ うな、パウロとピリピの教会員の親密な信頼関係 のことが伝わってきます。2節に、エウオディヤ とシュンテュケーという二人の女性が出てきます。 彼女たちはパウロの宣教活動がなんらかの妨害に あったとき「共に闘った」女性らしいのですが、 教会の中でちょっと浮いた存在になったらしい。 パウロは「主にあって同じ思いを抱きなさい」と 勧めます。そして二人をシュジュゴスにサポート するように頼みます。とにかく、パウロが「宣教」 して回った各地のユダヤ人集会の中で、それまで 陰に隠れていた女たちが男たちと同じように活躍 した。が、すぐに揺れ戻しがあってパウロがいな くなると女たちは浮き上がってしまう。そんな様 子がうかがわれます。 それにしても、パウロは 「主にあって常に喜びなさい。もう一度私は言お う、あなたがたは喜びなさい」(4節)と繰り返す この喜びとはどこから来るのでしょうか。フィリ ピ教会の人々のパウロへの手厚い援助と信頼ゆえ でしょうか。確かに、それもあるでしょう。(10 節)けれども、4節の「喜ぶ」は「〜を喜ぶ」で はなく、ほとんど自動詞のようになっていて、目 的語なしに喜ぶ喜びの状態を表しているように見 えます。パウロは自分の理解者たちのことを想っ ていると、彼らが自分と共に同じ喜びの中にある と微塵も疑わず、その喜びに身を震わしていると いう感じです。その思いがフィリピの人々のほん とうにそのまま伝わっていたのか、分かりません けれど。 彼の法悦にも似たこの喜びの源は、イ エスが他のだれあろう自分のために十字架につけ られて死んだ、そのことによって彼は今や神の恵 みの中におかれていること、それこそが「主にあっ て喜ぶ」ということだったのです。では、この喜 びをなぜ彼は自分だけ一人で味わうことをせず、 「共に喜」ぼうとするのか。それは、彼がイエス に出会う前に、ユダヤ人として律法を全うすれば 義とされるという在り方を他の誰よりも熱心に追 い求めていたユダヤ人としてのアイデンティティ に関わっています。神から選ばれた救われるべき 存在として優位に立っているユダヤ人の徴として、 律法による義を手にいれること、そしてそれに精 進する。けれども、追い求めても追い求めても、 なにか影がつきまとう。ユダヤ人という神に選ば れ、義しとされる一員になるはずが、自己の救い だけをがむしゃらに得ようとする。気が着くと周 りに誰もいない。彼は十字架につけられて死んだ イエスに出会って、彼とまったく正反対の生き方 をした人を見る。その人は彼が追い求めてきた求 道心を無効にするかのように、実は破綻しつぶれ てしまっている「私のために」十字架につけられ 死んだのだと「知る」・「思う」・「気づく」。 律法に寄りかかる特別の位置にあるユダヤ人とい う内向きの、内側に閉じた共同性はむしろ邪魔に なる。パウロは「異邦人」へと向かったのです。 ユダヤ人と共に喜ぶことが素直にできない。ユダ ヤ人を通して、しかしそのユダヤ人共同性を解体 する先で、この喜びを受けとめる人々を彼は探す 旅に出、そうやってピリピの人々に出会い、彼ら と共に喜ぼうというのです。 パウロがとらえて いる「イエスにあって共に喜ぶ」人々の集まりは、 共同体内部になにか保証するものが前もってあっ て、その配給を請求する権利をもてるような共同 体ではないのです。それは基本的に内に閉じた共 同体ではありえないのです。共同体としては常に ある種の背理を身に帯びていくよりない集まりな のです。「主にあって」なのだけれども、実はた だ「主は近い」というよりない集まりなのです。
 7月22日の礼拝説教から ネヘミヤ 8章9−12節 「祝祭の日」           久保田文貞  ネヘミヤ書によれば、おそらく紀元前445年、 エルサレムの城壁が完成して、ペルシャのユダヤ 総督であるネヘミヤと、祭司でありペルシャの書 記官でもあるエズラは、二人に協力して民を身近 に教えてきたレビびとを従えて、未明から民を一 堂に集め、礼拝をささげたという。そこでエズラ はトーラー=律法を午前中いっぱい使って朗読し た。空が白み、声は新築の城壁にこだまして朗々 と響き渡る。やがてそこここから嗚咽の声が上が り、むせび泣く者さえいた。朗読が終わると誰と もなくそれぞれの口からアーメン、アーメンとい う声があがり、神殿の柱を揺するほどになった。  午後には数人のレビ人が律法のありがたさ、厳 しさを語った。人々は涙を浮かべてうなずきつつ それを聞いた。終わったのは夕方であった。最後 に総督ネヘミヤが前に立って言う。・・・今日は、 主の聖なる日。嘆いたり、泣いたりするに及ばな い。これで解散するが、この後は好きなところに 行って、肥えたものを食べ、甘いものを飲め。そ の備えのない者には分けてやれ。主の聖なる日に、 憂えてはならない。主を喜べ。それがきみらの力 だ。・・・ 人々は思い思いに集まり宴を開いた。 緊張の糸も解け、新しい城壁に肩を持たせ仲間と 飲むワインは格別だった。歌が飛び出し、バカ話 に花が咲き、腹の底から喜び祝った。喧嘩もあっ た。また泣き出す者もいた。酔いつぶれる者もあっ た。何があってもいい、すべては新しい城壁の内 にあって、喜びというオチが付いた。宴は深夜ま でつづいた。これが人々の力になると説明するの は難しいけど。  バビロニアを滅ぼしたペルシャの王クロスの勅 令により、エルサレム神殿の再興が許された (538B.C.)にもかかわらず、神殿の再建は遅れ完 成を見たのが515 年。だが、城壁もなくまる裸の 状態だ。さらにそこを事実上支配するのは、古く からユダと対立してきた北王国イスラエルの名残 の残る州都サマリヤ総督だった。エルサレムはそ の管轄下、不自由を強いられた。この問題の解決 は、ペルシャ王アルタクセルクセスの献酌官であっ たネヘミヤが、クロスの勅令が無視されているこ とを訴え、エルサレムの総督として赴任、つまり エルサレムはサマリヤ州から分離しユダ州の都に なり、援助を受けてエルサレムに城壁を作ること、 そのための募金活動も許され、事実上の武装化が 許可された。これをもって以後エルサレム神殿共 同体は、ペルシャ公認の一定の武装化した自治権 をもった集団になる。これがこの完成祝いの背景 である。こうしてペルシャの庇護の元、一定の自 衛権を持った、新しい神殿自治体としてのユダヤ 教支配体制が開始する。民はほんとうに手放しで 喜んでよかったかどうか。 横田勲は『傍らに立つ者』の3章4「礼拝」と いう項で、この聖書箇所を使い、「主を喜び祝う ことこそ、信ずる者の力なのです」「この喜びの 飲み食い、このことが礼拝とセットになっている ことは重要です。」(117頁)と言う。ネヘミヤ書 のあの礼拝とその後の喜びの宴が、「礼拝と主の 晩餐のルーツであるでしょう」とまで言えるかど うかわからないが、喜びの宴を礼拝と切っても切 り離せないものと言うのはその通りだと思う。宴 の好きだった横田さんの言葉と言うより、いつも 彼の傍らに立っていると信じている主イエスとの 喜びの宴げを本気でやられていたのだろう。
7月15日の礼拝説教から    箴言2章 「父から子へ、何が伝えられるのか」   久保田文貞  古代ユダヤ教の教典・旧約聖書の中の文学的な ジャンルのひとつに〈知恵〉文学というものがあ ります。それはまさに人が生きる上での知恵であ り、教訓をまとめたものです。前回のところで言っ たように、官僚や執事の心得集的なものから、家 訓的なもの、それから広く一般社会での処世訓の ようなものからなっています。けれども、王国形 成以前の族長時代から連綿と続いている家父長制 の倫理が基礎として横たわっています。箴言の初 めのところに、新共同訳聖書のややお節介な見出 しで言えば「父の諭し」という知恵の言葉が出て くるのも当然です。社会倫理の源は、家父長なの であり、「父の諭し」なのです。家父長から伝授 される〈知恵〉は、長男へ、その他の男子へ、妻 へ、娘へ、家人へ、雇用人へとゆき渡っていく。 この「箴言」がソロモン王の名を着せられている ように、家父長が王のような存在になればそれは さらに広い広がりを持つでしょう。しかし社会全 体を基本的に流れる〈知恵〉の源はまず〈父〉だ というのが家父長社会の原則なのです。 いや倫 理の源は、神だという反論が聞こえてくる気がし ますが、それは人間関係の間に張り巡らされた諸 規定の網とはレベルの違う問題で、〈倫理〉とい うこととは違うと思います。そもそも「主を畏れ ることは知恵の初め」(1:7)とか、「知恵を授 けるのは主。主の口は知識と英知を与える」(2: 6)ということは、家父長に教わらなくとも、人が 神に対峙する中で自ずと学び取ることばのはずで す。問題は、その基本的な言葉に続けて、家父長 は秩序を重んじ、あるいはそれをうまく利用し、 要領よく世間を渡って、よき家父長になるための 言葉を続けていくわけです。それらの中に私たち にもときどき光明を与えてくれるようなことばが ところどころあったりするから、とても有り難い 書物に思われるけれども、それは過保護にすぎま す。 家父長制の中で培われた言葉は、基本的に 家父長制的な倫理観に読者を誘い込みます。第一 の問題点は、社会的に認められている権威者の教 えに従順となり、事実をありのままに見る目を失 い、誤りに対して批判する力をそいでしまうこと です。その結果は、女性を見れば誘惑者だと(男 を軸にしかものを見ていないのでこういう表現に なってしまう)と思い、危なっかしいことには手 を出さない、秩序志向的で、自己保身を勧める言 葉になっていきます。 現代のジェンダー論は、男性優位社会を無意識 に認めてきた社会構造を〈性〉の成り立ちから再 検証して、社会的歴史的にいろいろな拘束の中で 作られた性・ジェンダーを問題化し、最終的に自 分の性を所与のものとして絶対視することなく、 むしろそれを選択する自由さの中に人々を招こう としています。そこでは「受けとめる」というこ とと「選ぶ」ということが交差しています。そこ にはなにか人として根源的なものがあるように思 います。人は、どうしても受けとめざるをえない もの、他者から授けられたとしか言えないものを 持つ存在です。けれども、人はそれを受けとめな がら、次に、あるいは同時に、自己の責任におい てそれに応えて「選び取る」存在でもあります。  私の住む市川市は、つい最近、男女共同参画平 等条例を某教会の攻勢にのって、改悪してしまい ました。詳細はインターネットでご覧ください。 ものすごい逆流現象が今各地で起こっているよう です。〈知恵〉の教えに従ってあなたは静観しま すか。
7月8日の礼拝説教から 第一コリント11章17〜34節 「教会の食事」         久保田文貞  コリント教会に起こった諸問題を、エペソにい る教会の事実上の設立者であるパウロの所に、手 紙で問い合わせた人々がいて、それに対してパウ ロが応えているのがこの手紙です。問題の一つが 教会での食事でした。 コリント教会の集会の日、 食事(デイプノン)が行われたが、「食事のとき 各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者 がいるかと思えば、酔っている者もいる」(21節) ということが起こり、それが教会内のスキスマ= 「分裂」(口語訳)になっているというものでし た。新共同訳はスキスマを「仲間割れ」と軽い感 じで訳しますが、パウロへの報告者も、受け取っ たパウロも、それが食事の際の単なる仲間割れと いうことでなく、深刻な分裂状態と捉えていると 思います。 その食事をパウロは〈主の晩餐〉キュ リコン・デイプノン(20節)として特別な食事と して考えている。多分、彼は初めからその感覚で 伝え、教会の食事を位置づけたのでしょう。わた したちの感覚から言うと、これは聖餐式だという ことになります。確かにパウロは後の聖餐式の制 定文となる〈主のから受けたもの(言葉)〉(23 b〜25)を、手紙の読者に想起させています。け れども、この食事は一方で明らかに、端的に言っ てコリント教会の食事会です。始まりの時間が明~/ 確でなく、早くから行って準備している人がいる かと思うと、食べ始めている連中もいる、中には もう出来上がっている者もいる、都合で途中から 参加する人が当然のようにいて、そう考えると2、 3時間は続いているようなただの教会の食事会で す。私たちの教会で「料理を作って食べて語る会」 というのを今月14日にやりましたが、まさにそ れに近い感じがします。コリント教会の多くの人々 はパウロがどのようにその食事を受けとめていた かに関わりなく、またそれをどの程度理解してい たかに関わりなく、これを「教会の食事会」とし て捉えているということでしょう。 そこで、こ の食事会が教会の「分裂」の原因になったと考え るべきでなく、「分裂」があったから食事会もギ スギスしてきたのでしょう。とにかくその食事会 は少なくともある人々には楽しくなくなっている、 いやつらいものになっている。そこでパウロが示 した勧告は、この教会の食事会を、伝承された 〈主の晩餐〉(マルコ14章22-26//)にもどし、パ ンと葡萄酒を中心にした簡素なものにし、集まる 時間をきちんと決め、実質の食事は家で済ませて くるというものでした。 この解決法がこの場合、 最善だったかもしりませんが、同時にはじめは楽 しかっただろう〈主の晩餐〉と実質の食事が違和 感なく織り混ざっていた教会の食事会を、スキス マ=分裂の深刻さを回避するために取りやめにし て、〈主の晩餐〉だけに絞ってしまおうというパ ウロの勧告に、私は寂しいものを感じます。しか ももっと悪いことに、それがずっと後々の教会が 〈主の晩餐〉を完全に儀礼的な枠の中に押し込め てしまう時の論拠になっていること、さらには29 節「 主の体のことをわきまえずに飲み食いする者 は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているの です。」という言葉が聖餐に関する教会法の拘束 規定にさえなっていることです。29節の言葉は、 パウロの名誉のために言っておくと、主と共に食 事をする、あるいは主の体を食する私たちの食事 会に分裂を持ち込むことなどありえない。それを 持ち込むものは呪われよという意と理解すべきで す。福音書に多く描かれているところの主イエス が招かれた食事に、この食事会は通じているのだ から、と捉えたいと思います。
7月1日の礼拝説教から マタイ福音書23章24−28節 「白く塗った墓」       久保田文貞  マタイは、パリサイ派ユダヤ人を批判するため の理屈として、外側と内側の矛盾を告発していま す。「あなたがたは、わざわいである。杯と皿と の外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ち ている。」  外面は美しくみえるが、内面は汚 いという批判です。このようなやり方は、他者に 対する批判や他者を評価するとき、だれでもある 程度は使ったことがある方法でしょう。パリサイ 派ユダヤ人がイエスの言動に、律法違反を肯定す るような質を感じとって、イエスを攻撃しはじめ たとき、イエスの方からはパリサイ派ユダヤ人に 向かって、「杯と皿との外側はきよめるが、内側 は貪欲と放縦とで満ちている」ぐらいの反論は当 然出てきておかしくありません。  27節の 「あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は 美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不 潔なものでいっぱいである。このようにあなたが たも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と 不法とでいっぱいである。」という言葉は、マタ イだけに出てくる言葉であり、どう見てもマタイ の作文でしょう。マタイは、5章以下の山上の説 教に見られるように、クリスチャンはパリサイ派 の人々がやっている以上に律法を守りきらなけれ ばならないと捉えています(5 :14−15)。イエ スは律法を無視したのではなく、律法の本質を説 き実践した人だと、マタイはイエスの言動を読み 直しているわけです。マタイがかくも律法にこだ わり、依然として神の意志は律法の神髄にこそあ るのだと捉える捉え方は、イエスの関心から少し 外れていると言わざるをえません。 マタイは、 パリサイ派の人たちが陥った外面と内面の矛盾を 徹底的に批判することによって、律法の本質を完 全に生きるためのエンジンにしているふしがあり ます。 外面と内面の矛盾というのは、まずまち がいなくマタイ自身の心の中で、強く意識されて いたはずです。その意識の網をマタイはパリサイ 派の人の言動にかぶせて、自分の内面と外面の矛 楯の問題をより先鋭化させるというわけです。 そこでは、偽善の問題は、言うことは美しいが心 の中では汚いということで終わらず、追求する意 識を内面化・深化させ、結局意識自体の問題にし ているのです。こだわりはじめた意識は内面と外 面のちょっとした差異まで許さない。内面と外面 の完全な一致を求めて、絶え間なく、内面と外面 のズレが告発されていく。つまり、端から見れば 楽しんでいるとしかみえないようにして、律法の 完成を、言い換えれば倫理的な苦行を、追求して いくわけです。 近代になって、それは日本の近 代でもよいのですが、このようなマタイの内面へ の掘り下げは、意識の掘り下げと主体の確立とい う近代のテーマと共振しました。偽善的な自己を 告発し、内面を深化させることによって内面を形 成し強化することになったのです。日本近代でキ リスト教がけっこうこの点で影響力を持ったので す。 けれども、内面の意識と、外面の言動のズ レ、矛盾を指弾する以前に、意識自体がむしろ不 整合なもの、人の言動も当然そのブレの中で動い ているものだと、最近は不整合な主体を追いつめ ず、それこそ人間だと受け入れようとしています。 これは、イエスが神の国について教え、それを生 きた在り方と限りなく近い感じがします。神の国 に招かれるということは、〈あるがままの自分で いい〉(ルカ12:22以下)、ブレがあったりズレ があったりしてそれでいいという言葉を受け入れ ることでしょう。
6月24日の礼拝説教から 創世記39章 「説教すると抜け落ちること」 久保田文貞  ヨセフはエジプトに連れて行かれ、王の高官の 家の奴隷として売られた。そこで彼は頭角を現し 主人の目にとまり、ついに彼は主人の財産の一切 の管理を負かされその家の執事長になる。この破 格の出世の理由は「主がヨセフと共におられたの で幸運だった」という。こういう解説が付くと一 挙に興ざめしてしまうが、「通俗的」なヨセフ物 語をモーセ五書全体の救済史物語の脈絡の中に組 み込んだ「神学者たち」の英断に感謝してがまん しよう。 ことの始まりは、高官の妻が、「顔が 美しかった」奴隷身分のヨセフを誘惑しにかかる こと。現代的にいえば、明らかに身分関係を利用 した女からイケメン男へのセクハラということだ。 毎日のようにヨセフは誘惑されたがそれを「大き な悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょ う」と断り続けたというのである。こういう解説 が付くと、誘惑する女を弁護する手立てが無くな る。そのとおり物語の筋はこの女を最悪の女とし て描いていく。ある日、その妻は人気のないのを 幸いに、ヨセフに言い寄り衣を掴んで放さないの で、ヨセフは着物を脱ぎ捨てて逃げたというので ある。37章、38章と同じく〈着物〉がここで も重要な役割をする。女はヨセフが残していった 着物を証拠品として家の者たちに、そして戻って きた夫にこう訴えたというのである。口語訳で 「主人がわたしたちの所に連れてきたヘブルびと は、わたしたちに戯れます。彼はわたしと寝よう として、わたしの所にはいったので、わたしは大 声で叫びました。15 彼はわたしが声をあげて叫ぶ のを聞くと、着物をわたしの所に残して外にのが れ出ました」と。もうヨセフには身分関係からいっ て抗弁しようがないし、なんと言っても残された 着物が彼女のおもわくどおり〈証拠〉としてかか げられ、もはやただの着物ではなく、今や物語の キーポイントになる。 人の衣服が良い身体を機 能的に保護するだけでなく、化粧や宝飾品と並ん で社会的な象徴・記号としての役割をするという ことはよく知るところである。けれども、その衣 服が象徴化し、記号化するということは、人が衣 服にもたせた単なる役割のひとつではない。記号 化した衣服は人の指示を離れて、逆に人間関係を 拘束したり、物語を作ったりする。人はいかにも 〈証拠〉品として特定しその物を閉じこめ、勝ち ほこったように振る舞うが、それは象徴化・記号 化したモノがまるで生き物のように寝返ったり、 増長したりするからだ。あの女がヨセフの残した 着物を証拠品として高くかかげて自分の奸計を果 たしたように思うだろうが、〈証拠品〉におとし められた着物はやがて彼女をおとしめるはずだ。  42章40以下「お前をわが宮廷の責任者とする。 わが国民は皆、お前の命に従うであろう。ただ王 位にあるということでだけ、わたしはお前の上に 立つ。」 ファラオはヨセフに向かって、「見よ、 わたしは今、お前をエジプト全国の上に立てる」 と言い、 印章のついた指輪を自分の指からはずし てヨセフの指にはめ、亜麻布の衣服を着せ、金の 首飾りをヨセフの首にかけた。 最後に勝利したのはヨセフでもなく、そうさせ た神でもなく、ヤコブの偏愛の象徴となった晴れ 着であり、タマルの喪服であり、高官の妻におと しめられた証拠品であり、指輪や首飾りと似合う 亜麻布の衣服であると言っておこう。
 6月17日の礼拝説教から フィリピ書3書17−21 「本籍はどこか」       久保田文貞 「どうか、わたしにならう者となってほしい。ま た、あなたがたの模範にされているわたしたちに ならって歩く人たちに、目をとめなさい。」 多 くの現代人は、こういう言葉をあまり好かないと 思う。他人を「模範」(tupos、タイプという言葉 の語源)にしてそれに倣い、型にはまった自分を 作っていく在り方に抵抗を感じるだろうから。し かし、案外、師匠や先輩の「模範」に倣い、自分 を型に嵌めるという方法をとっている。ことに ティーンエイジャーの時を思うと、放っておけば 暴発しかねない自分をあえて型に嵌め、すすんで シゴキを受け容れようとする。そうやって自己を 責めることによって自己を手にいれていく、自分 探しあるいは自己形成をそれなりに楽しんでいる 姿だと言えるかもしれない。模範を垂らす側も、 弟子や後輩が模範をそのまま受け入れ、そのため に苦しんでおけばいつか本人の役に立つと、一応 人を納得させるだけのひきだしを用意している。  このような心理的な自虐と加虐のやりとりの背 後で前提になっていることは、経済的にも社会的 にもいかにこの世界の中で自己を確立し、揺るぎ ない地歩をそこに固めることができるかという自 己形成の基本感覚だろう。そこでは、模範に倣う、 型に嵌めるとしても、それは自分で選択した自己 確立のための教室でしかない。 けれども、パウ ロが「私に倣え」「模範をまねよ」と言っている 感覚は、自己に重心を置いている近代の感覚とは だいぶ異なるように思う。 パウロが十字架につけ られたキリストを宣教する原動力となっているの は、この世界の外側から、メシア(=キリスト) によって手引きされた異質の世界が〈今〉この世 界に食い込んでいるという時差、あるいは空間差 である。そちらの世界と時間から早くこちらの世 界と時間に飛び越えよ、といううながしなのであ る。その世界から早く自己を引きはがし、メシア の世界に乗り移れと言っている。もちろん、すで に乗り移ったと見えても、またすぐに引き戻され たりして、実際にはそのせめぎ合いを生きるより なにのだが。そして、メシアの世界は、この世界 に食い込みはじめているとはいえ、〈十字架〉に 象徴されるように、いつもこの世界の敵意を受け、 決して楽なものではないのだが。  「わたした ちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・ キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望ん でいる。 彼は、万物をご自身に従わせうる力の働 きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自 身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるで あろう。」 それは〈この世界内に自分の国籍はない、彼岸 の国にこそ自分の真の国籍がある〉とかまえて生 きることを意味する。パウロたちはほんとうにこ の横滑りがそのうちに起こると一時期とらえてい たふしがある。しかし、なかなかそれが来ない。 〈いつ?〉と聞かれただろう。彼は、〈いつ〉そ れに完全に乗り移ってしまうかということより、 この世界の中でそうやって完全に乗り移っている 在り様を取ることに重心を移していく。意識して か無意識のうちにか、彼は確かにそうやってけっ こう重要なことをズラしてしまった。 ぼくらに とっては、ここでさらに次のようにズラしていく よりない。ほんとうに大切だと思うものを自ら次 から次へと抹殺し毀していくこの世界の中で、確 実に無国籍状態で、だがこの世界に踏みとどまり、 もう少し前なら革命だという言葉で通じたような 時間と場所を横滑りさせる力を内に秘め、それを 育て、支援しつつ生きてみるということになるだ ろうと。
6月10日の礼拝説教から 箴言1章  「「知恵」の収まるところ所」   久保田文貞  箴言は、概観してすぐ分かるとおり、格言的な 〈知恵〉を集めたものです。序(1:1)によれば、 「ソロモンの箴言」となっています。 ソロモン が知恵者であるという伝説は、列王記の記述から きています。列王記上3章で、ソロモン王がダビ デの跡継ぎの地位を確立するために、神に〈知恵〉 を与え、王としての認可を与えてほしいと嘆願す る(王上3:5以下)。すると、神が夢枕に現れ て「あなたは…(富も)また敵の命も求めること なく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見 よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに 知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも 後にもあなたに並ぶ者はいない。…」語ったとい うのです。そして有名な物語、遊女二人が生き残っ た子をめぐって自分の子だと争う事件で、ソロモ ンは大岡裁きと同じような名裁きをした(王上3: 16−28、大岡裁きの方がこの故事を剽窃した というのが真相でしょうけど、しかしソロモン裁 きもどこかからパクった可能性大です)というの で、知恵ある王として決定的な印象を作り上げて います。 古代西アジアで、知恵文学というジャンルにお いて、圧倒的にエジプトのものが群を抜いていた ようです。イスラエルはエジプトに比べると生ま れたての赤ん坊のような国ですが、ソロモンは必 死に先進国エジプトから先進技術や文物を輸入し ようとした。彼はダビデ時代ように周辺を荒らし 回って領土を拡大していくならずもの国家と違っ て、明らかに富と軍事力によって王国を維持する タイプに変えようとしています。そうなるために は軍人ではなく、王政を維持するための執事・官 僚が必要になります。官僚のリスト名からも分か るとおり、ソロモンはそのためにエジプトやその 他の「外国人」を積極的に雇った。 当然彼は、執 事・官僚を育てる制度も導入したでしょう。  「箴言」には単なる処世訓的な〈知恵〉というよ り、寛容と忍耐と冷静さ、そして服従を説く言葉 に満ちています。エジプトにならって官僚育成の ためのマニュアルとしてソロモンが作らせたもの があるのではないかというのが定説になっていま す。箴言の言葉は基本的に秩序志向的、体制維持 的になります。けれども、庶民がだれとなく語り 伝えた生活の知恵もたくさんあります。生活の知 恵が争いを避け、家族や隣人の間で平安を求める のは当たり前です。 これらの知恵の言葉の前提 になっているのはこの世界が基本的に神の創造の 秩序に適っているという漠然とした了解です。こ の世界、人間社会の中に神の秩序が横たわってい るとすれば、それを見抜く力を養い、その秩序に 沿って国を治め、生きていくということで十分で あることになります。しかし、現実にはそれでは すまない。神の秩序が内在しているはずの〈人間 の歴史〉が、実は無秩序であり、不正がはびこり、 崩壊していく、それもたまたまということではな くて、構造的に、不可避にそうなっていると受け とめざるを得ない歴史、現実がある。これに対し て〈知恵の言葉〉は、個別的にはそのような矛盾 を避ける方法を教えるかもしれないが、その矛盾 を根本から正す力を持てない。世界に内在する知 恵が、世界が構造的に秩序を喪失したという感覚 のもとで力になりようがないからです。 このよ うな知恵の言葉の停滞性に対して、なにが有効か といえば、向こう側から、毀れかかった内部に向 かって発せられる言葉、旧約では、〈預言の言葉〉 です。預言者は世界内のではなく、外からのもの、 「霊」を聞き取って語る。外部から揺さぶるよう にして襲ってくる神の言葉が、内部の秩序志向の 〈知恵〉を、破棄するように迫り、矛盾をつき、 告発さえする。そして根本からの変革をうながし、 求めるのです。〈知恵〉の言葉に〈霊〉の言葉を 私たちもぶつけられないか、そんな思いです。
 6月3日の礼拝説教から マタイ福音書23章16−22節 「真実を保証するもの」   久保田 文貞   すぐ前の箇所で、マタイ はパリサイ人を偽善者だと批判していましたが、 ここでは「ものの見えない案内人」とと言い換え ます。これはQ資料のことば「彼らは盲人を手引 きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きする なら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」(15: 14)から取ってきたものでしょう。現代に感覚か らすれば、ものすごい差別的な表現で、逃げも隠 れもできない言葉ですが、これは、他者を裁くこ との問題を掘り下げた、同じくQ資料のイエスの 言葉「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自 分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁 があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの 目からちりを取らせてください、と言えようか。… 7:3以下)と同じ内容だと考えてよいと思います。   イエスのこういう言葉は、〈パリサイ人〉にと いうより、自分の弟子たちに向けた警句ととらえ るべきでしょう。いや、それどころか、イエス自 身が、突き抜けてきた問題を表していると、わた しには思えてなりません。 マタイが、パリサイ 人批判を書き並べている中で、〈偽善者〉と共に、 〈ものの見えない案内人〉というレッテルを彼ら に貼っていくときには、どうしても、この自己を 検証していく回路が薄くなっているように見えま す。もちろん、前にも述べたように、そうしてパ リサイ人を批判しながら、無意識のうちに自分の 墓穴を掘っていくプロセスを引き受けざるをえな い。そこにのみ、マタイの文章の魅力があるでしょ う。 しかし、16節以下の誓いの問題は、パリサ イ人批判の諸箇条の中で、失敗作だと言わざるを えません。〈誓い〉とは、単純に言えば、約束を 担保し保証するものですが、古代世界では神的な ものにかけて〈誓う〉わけで、破れば、神的なも のの〈呪い〉を受けることになります。それは我々 には想像できないような深刻な事態だったはずで す。ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスが、誕 生日の宴席で姪のサロメの踊りに感服し「彼女の 願うものは、なんでも与えようと、彼は誓って約 束までした」ということがありました。するとサ ロメは、母を叱責してきた預言者ヨハネの首を求 めました。ヘロデは預言者の首をはねることの不 吉を感じて逡巡するのですが、〈誓い〉を破るわ けにいかない。首をはねるように命じたという故 事が福音書に報告されています。(マタイ14: 1以下//)   23章16以下の言葉は結局、ユダヤ 人にとっては実質的に〈神にかけて誓う〉わけで すが、「神の名」を口にすることはタブーだった ので、その代理として「天」「神殿」「神殿の黄 金」「祭壇」にかけて誓うというように変節して いきました。そこでこれら代用品はあくまでただ の物体であるから、効力がないという屁理屈を言 う奴がでてくる。そこでああだ、こうだと議論を たたかわす。マタイはそんなのはナンセンスだ、 何を代用しようと、神にかけて誓ったのだから、 有効だという論理にのっかっています。 だが、 マタイさん、忘れていませんか、5:23以下のイエ スの言葉「わたしはあなたがたに言う。いっさい 誓ってはならない」を。そこでは、〈天〉、 〈地〉、〈エルサレム〉、〈自分の頭〉、つまり どんなものにも指して誓うなと言われているので す。「あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しか り、否、否、であるべきだ」と締めています。何 かに保証してもらう在り方を取らない、というこ とは、怖いことですが、自分をそこにさらすとい うということでしょう。そうできるのは、人がそ こで何かに託すまでもなく、すべてのことは〈神〉 のむねの中にあるのだから。その信頼を越えてな にものかにかけて誓うなんてことはたいていろく なことはないということでしょう。
 5月27日の礼拝説教から 創世記38章 −−ヨセフ物語 その2 「衣装が作ってしまう事」  久保田文貞  遠山の金さんやスーパーマンのドラマを見て気 になることは、金さんが奉行の姿に、そしてクラー ク記者がスーパーマンに、その逆もそうなのです が、着替えるとまわりの人はみな本人だと気が着 かないことになっている。ところが、ドラマを見 ている私たちお客さんには、そのことを隠さない で、ばればれになっているのを、当の制作者たち が了解している。シリーズものだから仕方ないと いうこともあるでしょうが、それだけではなさそ うです。 近代人は、服装は替わっても中身の自 分は変わらないということを当然だと思っていま す。〈我思う故に我在り〉です。この観点に立て ば、遠山の金さんやスーパーマン的な衣裳替え物 語は、変装が不完全なばかばかしい話しというこ とになります。しかしそれでも、このばかばかし い衣裳替え物語に多くの人が惹かれています。な ぜ?  近代的な自我が確立する前、人は世界を、 自己を中心にして捉えなかった(もっとも、こう いう言い方自体、近代的な発想だということは十 分承知しますが、私たちはこっちから言うよりな い。それを自分の特権でなく限界と受けとめま す)。人は様式や形に服していたのです。服装の ことで言えば、人が服装を決めるのではなく、服 装が人を決めるということでしょうか。こう言わ れるかもしれません。「同じようなことは、近代 人にも起こる、例えば、スーツを着て身なりをき ちんとしていると中身の自分もそれに合わせて毅 然とするし、ラフなスタイルをすれば中身もラフ になった気になる。そんなのは取り立てて言うほ どのことはない」と。でもこれも近代の側にいる からこそ言えることです。 決定的なことは〈こ ちら〉=近代の側からこれ以上言うことはできま せん。想像力で〈あちら〉を楽しんだり(衣裳替 え物語のように)、〈こちら〉を相対化させて 〈こちら〉の問題を考えたりするよりありません。  さて、前置きが長くなりましたが、ヨセフ物語 の前部分(37−39章)は、まさに衣裳が人を決定し てしまうというモチーフが続々と出てきます。ヨ セフが父ヤコブからもらった晴れ着の着脱が起こ す事件、血に染められた晴れ着がヨセフの死の符 牒となること、それは近代的な実証や検証のもと に晒される単なる証拠ではないのです。 そして、 ユダとタマルの物語( 詳細は38章の物語をお読み ください)では、兄が亡くなってその弟たちが兄 嫁タマルをもらって兄のために子を作らねばなら ないという風習(リベラート婚)に、弟オナンが 子種を地に漏らす話しが出てきます。タマルはど うしてもユダの家系の子がほしいと思い、寡婦の 〈服装〉を脱ぎ、遊女の〈服装〉をして義父ユダ をだまし子種をもらってしまう。ここでは、服装 が人を決定するという公理を、一介の女(物語を 読めば一目瞭然のことですが、そこでは女性は 「子をもうけるための者」、家長の言われるまま にすべき者でしかありません)タマルが意識的に 顛覆させてしまうという物語になっています。様 式でしかものが見えない父権的な首長ユダを出し 抜いて、まんまと寡婦タマルは、本来なら寡婦の 妊娠は掟の違反として処刑されるところが、自ら の意思で子を産むことに成功するわけです。フェ ミニストならずも、このタマルの勇気、力強さに 乾杯! 最後に、ではこれは〈こちら〉近代の側 からの読みなのでしょうか。それともタマルは 〈例外〉なのでしょうか。様式や掟に従わなけれ ばならない生きていかれない社会でタマルの中で 立ち上がった〈主体〉はどこに向かうのでしょう。 それを〈こちら〉近代というのではおもしろくあ りませんから。
5月20日の礼拝説教から マタイ  7章 1〜6節 「裁判は人を裁くのではない。」 関 秀房  周防監督が「ほぼ日刊イトイ新聞」(糸井重里 のHP)の対談で語っていたことです。NHKの裁判員 制度を扱った番組のタイトルが「あなたは人を裁 けますか」としていたが、これは間違いであると。 私も指摘されるまで、おかしいとは思いませんで した。裁判のシステムを誤解していることから生 じる錯覚です。ここで言う裁判とは刑事裁判をさ します。つまりある事件が発生し、警察・検察が 強制捜査を行い、事件を解明し、証拠を揃え、起 訴し、裁判になります。この裁判では、検察が犯 人とされる被告の有罪を立証しなければなりませ ん。その立証に少しでも疑いがあれば、犯人は無 罪となります。ですから弁護人は検察の立証の一 部でも崩し、疑いがあると裁判官に認めさせれば いいのです。「推定無罪」が原則ですから。無罪 と無実は違います。裁判は無実を証明するもので はありません。裁判はもともと無実かどうかを争っ ていないからです。「無実のゴビンダさんを支援 する会」というものに入っていますが、支援者が ゴビンダさんは無実だと思い支援すること勝手で す。そして無実だから無罪であると確信するのも 勝手です。ただ裁判では、あくまでも検察の言い 分に疑いがあると言えればいいのです。弁護側に は捜査権などないのですから、無罪の立証責任は ありません。しかし昨今の裁判は確たる証拠なし に状況証拠の積み上げだけでいいとされ、多くの 冤罪が生じています。弁護側に無罪の証明を求め ているのです。人を裁くということは、その人の 生涯を裁くことになります。誰もそんなことはで きないのです。なぜならその人の生涯の全部を知 りえないからです。先日の聖書を読む会で、外典 偽典に関し、久保田さんが言っていました。今わ れわれの手にしている聖書はたまたま正典として あるのだと。三位一体という教理も、「異端論争」 に偶々勝ったからといえる。ローマカトリック以 外の地でもクリスチャンはいたであろうし、その 勢力は大きかったといえる。ただそのころの資料 がないからといって、存在を否定してはいけない。 これでもわかるように、目にしていないもの、認 識し得ないものの方がはるかに多いということで す。裁判で検察の求刑を聞くと、特に死刑求刑な どは、極悪非道、冷酷卑劣、鬼畜で回生の余地な し、・・・と、あらん限りのすごい言葉で死刑を 求める。罪を裁いていたはずなのに、求刑では人 を裁いてしまっている。裁判の範囲を超えている といえる。次元の違うすり替えが行われている。 そもそも刑罰として死刑があることが矛盾といえ ます。裁判で全人格を否定する死刑を求刑するこ とができるはずがないのです。そのような証拠も、 立証もしていないのですから。われわれが聖書を 信じることはいいでしょう。でも聖書以外にも真 実を知る道があることを否定はできないのです。 無実を信じることは勝手ですが、我々は無罪であ ることを求めるしかないのです。裁判で無実は証 明できませんし、裁判で死刑を宣告することも出 来ないのです。この世に人間として生まれている ことは、同じような制限の中で生きざるを得ない のです。神にはなりえないのですから。  5月13日の礼拝説教から ピリピ書3章12〜21節 「前に向かって」      久保田文貞 「わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な 者になっているとか言うのではなく、ただ捕えよ うとして追い求めているのである。」「後のもの を忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、 目標を目ざして走り」 12,13節の中のことばです。 パウロの生き方を熱く語っていることばです。文 字を読む者というより、聞く者に声がストレート に向かってくるような感じで、心の中に強引に割 り込んでくるようなことばです。だれでもそう言 われたら抵抗できないというか、人として生きる かぎり基本的に承認せざるをえない、簡単に言え ば「一生懸命、頑張った」というような内容です。 人すべてに通用する、自民党の総裁にも、アメリ カの大統領にも。「だれでも」「人すべてに」と 書いておいて、例を挙げようとすると、議員とか 大統領とか、出てきてしまうのはわたしの皮肉屋 のせいかなといっしゅん思いましたが、そうでも ない。やはりここには上り詰めたら大統領にまで 行ってしまうような上昇志向があるのではないか、 ということは、やはり上昇志向を嫌い、こういう ことばに抵抗したくなる人がいるのではないか、 と。「頑張れ」「頑張れ」と言われれば言われる ほど醒めていくひとがいるものです。 そして、 さらに意地悪く、次のような疑問が湧いてきまし た。イエスはこういうことばを語るだろうか。 イエスとパウロをお二人並んでいただいて比べ るのはあまり意味がありません。イエスは神の国 の福音を、「罪人」として社会的に存在させられ た人々に宣べ伝えました。結果、ユダヤ教体制派 から睨まれ、奴隷の反乱者に適用される十字架刑 にかけられて殺されるわけです。パウロが宣べ伝 えるのは、このイエスがキリストだということ、 自分の中に食い込んでいる「罪」のためにイエス は十字架につけられて死に、復活したということ。  話しが複雑なのは、パウロが福音書に書かれて いるようなイエスの生涯全体、つまり「神の国」 「神の恵み」はそのような人々にこそあるという 姿勢を貫き、ガリラヤで「罪人」たちに語り、彼 らと食事をし、結果殺されたという生涯全体を視 野に入れて、イエスをキリストと告白するのでは なく、彼は十字架と復活の部分だけに焦点を合わ せて「イエス・キリストを信じる」のです。つま り二人を同じスタート地点に並ばせることが意味 がないだけでなく、二人の進む向きがちがうと言 わざるをえません。 二人の始点を揃えられない、 向きもちがうというならば、ベクトルの合成のよ うに考えて、イエスの終点をパウロの始点にした らとこざかしいことを考えてみましたが、数学の ようにはいきません。 「ガンバレ」とカタカナ的に言うのと、「がん ばらなくてもいいよ」とひらがな的に言う違いを 解消しないほうが良いし、そもそも誰に何を「ガ ンバレ」といい、誰に何を「がんばらなくてもい いよ」と言っているか、この差に目をつぶるべき ではないと思います。 ところが、子どもを育て ている親御さんだったら、どうしてもこの2つを 使い分けたくなる。けれども、子どもが転んだと しましょう。「さあ、自分で起きなさい」(ガン バレ)と声援をするか、「だいじょうぶ」と言っ てすぐ起こしてやるか。そんなのどっちだってい いよと言われそうですが、転んで起きあがろうと する子どもにとっては、決してつまらない問題で はないのはたしかです。あなたならどうされます か。
  5月6日の礼拝説教から マタイ福音書23章13−15節    「正しさに酔う者」      久保田文貞  前回、マタイのパリサイ人批判と、イエスがガ リラヤで対峙したパリサイ人の問題との間にズレ があることを申しました。共観書(マタイもその 一つなのですが)から炙り出されてくるイエスの パリサイ人批判は、「律法を守れと他者に強要し て、その結果、人が生きるということを根本から 支えている神のめぐみを干からびさせてしまうこ と」だったと書きました。 マタイの場合は、 「律法を守れと他者に要求する」パリサイ人の姿 勢が批判されるのではなく、律法を守れと言うだ けで、自分ではそれを実行しないことが問題とさ れます。なぜそうなるか、「人に見せ」て、人か ら重要人物と見なされ、先生と呼ばれようとする、 つまり動機が不純だというわけです。ですから、 彼らは偽善者(ヒュポクリテース=俳優、見せか けの上手い者)だとして糾弾されます。 けれども、こういう批判はかならず、いやほと んど同時に自分に返ってくる。幼児がむずかって 「おかあさんのバカ」って言うと、怒った母親が 「ひとをバカっていう子がバカなんです」と叱る。 論理学的に考えると「?なんだこの論理は」とな りますが、子どもは直感的にお母さんの反撃にぐ さっと胸を打たれる。でもお母さんをバカって言っ てしまった事の大きさにパニックになって、「バ カ」を連発して泣きじゃくる。頬ひっぱたかれる かして一段落。 他者に投げかけた言葉が反射し て自分を撃つ言葉になるというのは、言葉の基本 的な構造にかかわるものです。それは言葉の普遍 性にかかわり、言葉の真偽にかかわるものです。 そして言葉を駆使しながら正しさを追い求める真 摯な姿勢の根拠でもあります。しかし、他者を縛 る言葉はかならず自己を縛り、他者を裁く言葉は かならず自分を裁く、その息苦しさから逃れられ ません。そうやって自己は内面をより深く穿つこ とになるけれども、このことはパリサイ人を偽善 者として批判するマタイにも当然跳ね返ってくる ことです。 自己と他者の偽善性をえぐっていく過程という のは、互いに足を引っ張り合って無限の闇にはま りこんでいくのに似ていて、その次の問題は、そ こで傍観を許さない、つまりこの事態を目撃する 者すべてを巻き込んで落ちていくことにならない か、という問題です。 13節「あなたがたは、天 国を閉ざして人々  をはいらせない。自分もは いらないし、  はいろうとする人をはいらせも しない。」 15節「あなたがたはひとりの改宗者 をつく  るために、海と陸とを巡り歩く。そし て、  つくったなら、彼を自分より倍もひどい   地獄の子にする」 これは、パリサイ人の悪 意の、そしてパリサイ人を偽善者として追い立て たマタイの、特殊な問題だけではありません。言 葉を操って、人になにがしかのうながしをなし、 人を教えることができると何の疑いも持たず人を 教え、自分は見えると思いこんで見えないと思い こんでいる人の手を引く者たちが、必然的におち いる図です。 かく記す〈わたし〉も当然手を引 き合い足を引っ張り合いながら落ちていく者たち と同じ部類に入りながら申します。そうやって落 ちていく〈ワタシタチ〉をできることなら無視し て、思いのままにあの方についていってください。
 4月29日の礼拝説教から マタイ福音書23章1−12節 「人が支えられていること」  久保田文貞  エルサレムにいる「祭司長たち」「長老たち」 は神殿の高級官僚であり、大土地所有者、農園経 営者であり地のボス集団です。彼らはローマの統 治政策に協力的な支配層として安堵され、自分た ちの特権にむしゃぶりつきながら、一方ではロー マと共に民を収奪している連中です。けれども、 それだけではこの体制を維持できません。曲がり なりにも神殿支配体制の中に、神の権威という筋 が通っていることを否定するわけにはいきません。 神が民に突きつけている律法=トーラーとその救 いの歴史があるからこそ、ユダヤ人なのです。神 殿体制を補うユダヤ人魂があってはじめて、ロー マの支配も、ローマに身を売り渡して特権を手に いれた連中のユダヤ教支配体制も安泰になる。そ のユダヤ人魂をしっかりと民に植え付け、それに 基づいた日常生活を指導する役割を担ったのが、 律法学者であり、パリサイ人と呼ばれる人々です。 彼らは日常の隅々まで手を届かせ、トーラーに基 づいて民を教育し指導し相談に乗る、いわば中間 管理職で、社会・経済史的には、社会が成熟して いくために欠かせない階層です。 さて、マタイ23章のイエスの言葉「律法学者 とパリサイ人とは、モーセの座にすわっている。 だから、彼らがあなたがたに言うことは、みな守っ て実行しなさい 」という言葉は、彼らが「モーセ の座」から発信する言葉を否定していないどころ か、それを「みな守りなさい」と言うわけです。 彼らが「モーセの座」について民の教育をしたり、 相談を受けたり、助言したりすること自体を評価 している。その上で次のように言う。「しかし、 彼らのすることには、ならうな。彼らは言うだけ で、実行しないから。」  確かにこのことばは どうひねっても「言うだけで実行しない」ことの 非を突いています。彼らは「すべて人に見せるた め」に行動すると言われ、だから「上席を好み」 「人々から先生と呼ばれることを好んでいる」と 批判されています。 しかし、この批判はイエス があのガリラヤで、事ある毎にぶつかったパリサ イ人との対立点からかなりずれています。パリサ イ人の問題は、安息日論争にいちばんよく現れて います。彼らは不言実行どころか、トーラーに対 するイエスの弟子たちの軽さを追求する人たちで あり、よりトーラーの言うところを民の模範となっ て実践した人たちです。実は、マタイの23章の パリサイ人批判は、ほとんどがイエス自身の口か ら出た言葉ではない、マタイ特有の関心から拡張 したものです。 イエスが問題にしたのは、パリ サイ人が律法を語ると途端に律法が凍てついてし まい、現実に生きている人間を追いつめたり、切 り捨てたりしてしまうようになる、そういうパリ サイ人の問題でなのです。「言うだけで実行しな い」という切り口だけのことではありません。律 法を守れと他者に強要して、その結果、人が生き るということを根本から支えている神のめぐみを 干からびさせてしまうことの問題です。例えばトー ラーの中心にある十誡は、掟として人をしばるも のではない、その反対に人間が生きることを祝福 し、神のめぐみが人の支えとなっていることを宣 言することばだというのがイエスのメッセージだっ たのではないでしょうか。
4月22日の礼拝説教から 創世記37章 「ヨセフ物語 その1−偏愛−」    久保田文貞  37章から始まるヨセフ物語は、もはや諸伝承 の寄せ集め的な様相はなく、筋の一貫した小説風 の物語になります。それもヨセフとその兄弟の人 間くさい物語で、神がほとんど登場しません。  物語は、再び、これまでにも何度も出てきた家族 の間での偏愛のモチーフから始まります。老いた 父ヤコブが、12人の子の第11番目、妻ラケル の子ヨセフを「他のどの子よりも愛して、彼のた めに長そでの着物をつく」ってやった、つまり父 がヤコブだけを露骨に寵愛するのです。 また、 ヨセフは年若い異母兄弟たち同士の間で育てられ るのですが、彼らの悪いうわさを父に告げ口する という陰険な性格の子として描かれています。さ らに他の兄弟たちが明らかに不快感をもよおすよ うな夢の話しを語り聞かす、いや兄弟ばかりか父 も亡くなった母もいつかヨセフに頭を下げると解 釈するよりない不快な夢を語るのです。兄弟たち がヨセフを憎み、彼を抹殺しようとするのも無理 からぬ感さえします。 父ヤコブはこのようなヨセフを偏愛するのです。 近代的な教育観、家族観によって育てられた者に は、アブラハムに始まる族長物語の中に何度も出 てくる父子、母子、兄弟、姉妹の間の「偏」愛に 対して、何か理屈をつけないと通り過ぎることが できないほどです。二人の兄弟がいると、片方だ けを「祝福する」というのは、アダムの子カイン とアベルの故事に始まっています。その時、兄カ インを嫌い、弟アベルを偏愛した主体は神です。 神学は、人間に対する神の選びという教説をそこ から引っ張り出します。神はそうやって、御自分 の民イスラエルを選ばれたと見るわけです。出エ ジプト33・19の言葉は、この神の選びをストレー トに要約します。「主は言われた、『わたしはわ たしのもろもろの善をあなたの前に通らせ、主の 名をあなたの前にのべるであろう。わたしは恵も うとする者を恵み、あわれもうとする者をあわれ む』。」 イスラエルの歴史的困難を常に象徴し てきたエジプト脱出後の荒野放浪の40年、その 期間こそイスラエルが編成され、形成された時と 理解されるわけですが、神は、そのままにしてお けば歴史から抹消されてしまうような弱小の、放 浪の民を選ばれて御自分の民としてくださったと、 もはや自分もそれに含まれている救いの歴史とし て、このような文体で書かざるをえないような 〈神学〉の世界です。 〈神学〉とはなんでしょ う。ここによくその素顔が出ていると思います。 それは、意地悪く言えば、自分の信仰する神を正 当化する理屈であり、他者にその神の正当性を要 求する護教的な言葉です。しかし、神学の元になっ ている、「神によって救われている」という意識 自体に、ここで問題にしている偏愛モチーフ、神 の選びがすでに入っています。つまり〈神学〉は この偏愛を言葉で弁証し正当化し、他者に要求す る言葉にするわけにはいかないのです。〈神学〉 は偏愛によって成り立っているのですから。〈神 学〉は神の偏愛の中でさらに美しく、的確に応え る言葉を探すよりない、讃美の歌声を美しく研ぎ すまされたものにしていく行為に似ています。  放っておいても成り立つ家族愛の中でこそ、偏愛 がいっそう引き立つはずです。自己と神の関係を 峻厳なものにしていく場としてはよく分かります。 けれども、その選びから普遍的な人間の救いへと 結びつけようとすれば、どうしたってその歪みは ぬぐえないはずです。信仰の言葉は、神と自己と のほとんどナルシズムに近い閉じられた言語でし かあり得ないと思われます。  
 4月15日の礼拝説教から ピリピ3章7〜11節 「「キリストのうちに自分を見出す」−−   そんなこと言っていいのか」 久保田文貞  前に記したように、ここではピリピ書簡はもとも と3通の手紙を一通の手紙に合成したものという 説にのっとって読んでいきます。そこで3章2節 から、第2番目の手紙になります。喜びに満ちて いた第1通目とがらりと雰囲気が変わって、ピリ ピ教会にパウロに反対する巡回説教者が現れて、 一部の人が動揺している様子が窺われます。パウ ロの書いているところから推論すると、反対者の 主張は、ユダヤ人以外の者(異邦人)がほんとう にメシア・イエスを信じるなら、それを機に、ユ ダヤ人としてのしるし=割礼を受け、来るべき審 きの日に備えよというものだったと思われます。 しかも彼らはなんらかのユダヤ教の血筋あるいは 権威筋からの認証をちらつかせていたのかもしれ ません。パウロは、そういうものなら自分には彼 ら以上の「頼み」(ペポイテーシス)があると言っ て、自分が並々ならぬエリート・ユダヤ人である ことを明かします。 しかし、これらの血筋の良さ、 熱心さを「キリストの故に損」と思い「糞土のよ うに思」っているというのです。そうして「キリ ストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基 く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を 見いだすようになるためである。 すなわち、キリ ストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかっ て、その死のさまとひとしくなり、 なんとかして 死人のうちからの復活に達したい」と言うのです。 宗教者、思想家として能うかぎりの修練を積み、 求道して積み重ねてきたものを、十字架につけら れて死んだイエスに衝撃を受け、その死が〈私た ちの(罪)ため〉という一点で、今や「損」にな り「糞土」になったというのです。そのキリスト に肉薄しようとするすさまじさ、わたしも若き日、 ほんとうに圧倒されました。しかし、同時にこれ らのパウロの言葉にいつも異和感がありました。 あのイエスの福音は、こういうパウロのキリス トを信じる信仰の在り方の徹底とそのまま繋がっ ていくだろうかいう疑問です。換言すれば、ガリ ラヤで民衆たちに福音を宣教し十字架につけられ て最期を遂げたイエスは、すべての人にパウロの ようなキリストに対する信仰を要求するだろうか ということでもあります。 そもそも、この箇所 で言えば、いったい自分の知識や熱心さを「損」 だ「糞土」だと翻って捨てて見せるほどに人は、 知識も熱心さももともと持ってはいない。あのよ うなパウロの言葉を聞くと、人はかえって「へぇ、 パウロって人はすごい人なんだ」と感心するばか りです。そういう知識や修練などと縁のない人は、 もとよりそんなものに頼りようがないです。 イ エスがガリラヤで「罪人」とされ、取税人、罪の 女とされた人々を招き、この人々こそ神の国に招 かれた人々であると、言葉と行動で身をもって示 してきたことを思うと、このようなパウロの言葉 は、なにか空振りしていると思わざるを得ません。  ただ、修練を積んで何とかしてイエスの弟子に なりたいという、そういう角度からイエスに接近 しようとする人には、パウロの言葉もそれなりに シングルヒットぐらいにはなるでしょうけれど、 それ以上ではない。人は、そのままで招かれてい るのですから。 4月8日の礼拝説教から マタイ福音書25章1−13節 「寝過ごす・見過ごす」   久保田文貞  イエスの十字架刑死は、政治 的な権力はもちろん宗教的な権威も含めて、この 世の諸勢力がイエスに対して実行したことの、最 後通牒、最終的な回答、決定的な否でした。イエ スは、罪人、取税人、売春婦こそ神の国の住民だ と宣言し、彼らと共に食事をし、彼らと共に生き た。パリサイ派ユダヤ人がこれをどんなに批判し ても言うことを聞かない。そういう在り方をイエ スはエルサレム諸勢力に突きつけました。半ば自 暴自棄のように、勝ち目は最初から計算していな いと言わんばかりです。それは、闘いと言えない 闘いの質を帯びています。結局、イエスは、法的 保護外にあった奴隷が反乱を起こした時に執行さ れてきた十字架刑に処せられました。十字架刑に はにはポジティブなもの、役に立つもの、評価で きるもの、なにも残されていません。 けれども、 そこになにかが起こった。自分もイエスを捨てた のではないかと自身を苛み、絶望の淵にある弟子 たちの〈実存〉にぱっと光明が差す。「このどう しようもないダメなオレにこそ神の国が約束され ていたではないか」と、弟子たちは突如自分たち もイエスが手を差し伸べたあの罪人たちの一人だ と思いこむ。 イエスが復活したという信仰はそ のような〈実存〉を想定してやるとわかりやすく なります。しかし、復活のメッセージを最初に受 け取ったものは、女たちでした。マグダラのマリ ヤ・・・彼女はルカ8・2「悪霊を追い出され病 気をいやされた数名の婦人たち、すなわち、七つ の悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれる マリヤ」、彼女はイエスを裏切った意識に苛まれ、 実存的に絶望していた弟子とは違うのです。彼女 は知っていた、「あのイエスは死をその肉体に引 き受けて、朽ちていくものであった」と、「イエ スは、自分と同じように滅びていく者、罪人のま ま葬り去られていく者の悲哀を受けとめる方だ」 と。彼女には絶望や裏切りという〈実存〉的な媒 介項を経由してイエスの復活を理解する必要など なかった。口を閉ざされ、闇に葬られていった人 間のひとりを生きた彼女にとって、十字架刑に死 んだイエスが最後まで自分たちの仲間になって、 闇に葬られようとされた方だということ、彼女に はそれで十分だったのではないでしょうか。イエ スはもうそれで十分に神の国を生き、自分たちに 身をもってそれを説いてくれたということでしょ う。世界がどのように彼を葬り去ろうとも、彼女 にはもうそれで十分、だからこそ、彼女たちは他 の弟子たちと違って、逃げたり裏切ったりする必 要がなかった。そして、最期まで十字架処刑場に とどまって、闇に葬られていくイエスを見守った のでしょう。 マタイは、10人のおとめという 譬えを、プロパー受難物語(26〜27章)の寸前に諸 材料を参考にしながら創作しています。終末の事 態に向けて〈目を覚ましていろ。その時がいつで あるか、あなたがたにはわからない〉というわけ ですが、そればかりか思慮深く、次に起こること をしっかり計算して待っていろと、花婿を接待す る女に言いつける。眠りこけるのは女だと決めつ けんばかりに。さらに無思慮な女たちが「ご主人 様。ご主人様、どうぞ開けてください」と叫んだ という。読者には明らかに終末の事態と、イエス の十字架の死と復活物語が重なって見えます。な まくらな女たちには、イエスの十字架と死の実存 的な意味がわからんだろうという男弟子系列の語 りが響いています。とすれば、この譬え創作の神 経は相当なものです。こういう神経で、十字架の 後日談を語らぬ方がよかったとさえ思います。
4月1日の礼拝説教から マタイ福音書22章41-48 「支配を捨てるメシア」 久保田文貞  実を言うと、「支配を捨てるメ シア」という言い方は、メシアの原義からすると 形容矛盾かもしれません。メシアとは「油注がれ し者」という意味ですが、その元をたどると、イ エスの時代からすでに千年以上前、まだイスラエ ルが諸部族の連合体としても定まっていなかった 時代、ひとりの人間にカリスマ的な支配権を委ね る時の儀式にたどりつくからです。つまり複数の 部族が同盟して事に当たった方が有利だと判断し た時、宗教的または軍事的なカリスマ的権限をも つ者を選んで油を注ぐことにより権威づけ急場を 凌ごうとするわけです。こうして「油注がれし者」 は部族共同体内部の真っ当な成員から選ばれるの ではなく、それから外れた無頼漢や奇人、限りな く外部に近い者から選ばれる。救世主を共同体 (間)の外部から迎えざるを得ないということは、 どこの世界にも見られることです。例えば片田舎 の少女ジャンヌ・ダルクがフランスの窮状を救っ たように。旧約の歴史にもそのような例が豊富で すが、もっとも突出しているのがダビデ王です。 イスラエル諸部族は隣国ペリシテとの軍事的緊張 を抱えて、彼らを束ねる恒常的な権限をもった王 を必要としました。その際イスラエルは血統的に はがぜん有利なサウル王の子を選ばず、反対に一 時はペリシテの雇われ部隊になっていた無頼漢ダ ビデを選んで油を注いでしまいます(サムエル5・ 3)。 彼のあとイスラエルの王が続々と生まれま すが、「油注がれし者」=王は諸部族が委託した 権限の上にのみ成り立ったはずなのですが、当然 のこと、多くの王はアジア的な専制君主として振 る舞っていきます。 紀元前6世紀になって、パ レスチナ地域の小国イスラエルの分裂国家のユダ が消滅して、以後イスラエルは政治的な独立をほ とんど遂げることがない。紀元前2世紀のハスモ ン王朝や現代の欧米系シオニスト国家を例外とし て。 そういうわけで「油注がれし者」=メシア は爾来、古代預言者の将来的なビジョンの中に生 き残りますが、そこから担ぎ出される時は、イス ラエル復興の英雄、軍事的・政治的リーダー、カ リスマ的な軍事的政治的指導者にならざるをえな い、本来そういう性格のものだったのです。 イ エスとパリサイ人の間で行われるこの問答のマル コ版(12・35)では「律法学者たちは、どうして キリストをダビデの子だと言うのか。」とイエス が人々に問いかけたことになっています。イエス は詩篇110篇の引用をして強引に、キリスト=メシ アはダビデの子つまり政治的指導者ではないと論 証する形になっています。99%、この物語はイ エス死後キリストの称号を彼に附した教会の作話 だと思います。しかし、最悪の十字架刑で殺され たイエスを、教会がメシア=キリストという称号 で呼んだということは、大変な錯誤であるか、あ るいはものすごく画期的なことであるかどちらか です。本来軍事的政治的にしか存在し得ないメシ アを、軍事的政治的にまったく関心を示さなかっ た、いやむしろその反対を向いていたイエスをメ シアとしたのですから。教会はメシアを武装解除 してしまった。人間の権力や野望の外部から、権 力や野望を放棄させたところに、預言者のビジョ ンだけから、ほとんどユートピア(非場所)から、 メシアをこの地上に引き寄せたのですから。
3月25日の礼拝説教から マタイ福音書22章23−33 「不透明性への権利」    久保田文貞  論争物語が続きます。今度の相手はサドカイ派 人間です。このグループは神殿祭司や大土地所有 者が多く、彼らは、パリサイ派と違って、旧約に もともと存在しなかった「死人の復活」論を俗説 として退けていました。その彼らがイエスに問い かけた中身は、「死人の復活」説の矛盾をつく実 に彼ららしいものでした。「モーセはこう言って います、『もし、ある人が子がなくて死んだなら、 その弟は兄の妻をめとって、兄のために子をもう けねばならない』。25 さて、わたしたちのところ に七人の兄弟がありました。長男は妻をめとった が死んでしまい、そして子がなかったので、その 妻を弟に残しました。26 次男も三男も、ついに七 人とも同じことになりました。 27 最後に、その 女も死にました。28 すると復活の時には、この女 は、七人のうちだれの妻なのでしょうか。みんな がこの女を妻にしたのですが」  この話しの下地になっているのは、兄が死んだ 場合、弟が兄の妻を自分の妻とするリベラート婚 という風習です。半遊牧的な古代イスラエルの草 創期、親の財産を分割相続するほどの経済基盤が ないところでは長男が家督相続して家族を養うよ りなく、かつ女性を財産の一部としてしか見てい なかったいうことが背景にあります。しかし、ずっ と後のイエスの時代には、ユダヤ人の家族形態は すっかり代わっていて、リベラート婚はほとんど 実情にそぐわなかった、それでも例外的にごく小 規模に見られたかもしれない。それにしても、こ のようなリベラート婚によって、一人の女性が7 人の兄弟の妻となるなどというのは、あまりに女 性を馬鹿にしたもので、こういうフィクションを 無神経に使うというのはさらに悪質なものになっ ていると言わざるをえません。この話しの中で、 7人の男のアイデンティティーの方は傷ついてい ない、女のアイデンティティーだけが引き裂かれ ている。男たちの自己は透明ですっきりしていて、 女の方に一切の矛盾が書き込まれ、女は不透明で 不完全な存在だと、言わんばかりです。 こうい う捉え方の前提になっているのは、人はそもそも、 何らかの系列に所属して自己同一性をしっかりと もつべき存在だということです。自己同一性を持 てない者を否定的に見るわけです。基本的に、自 己同一性を維持できるのはなんらかの支配集団に 所属できていることを意味するでしょう。しかし、 人はそうやって集団に帰属し自己同一性を目指し てセコセコすべき存在なのでしょうか。 イエス は29−30節まで、いかにもまともな復活論争をやっ ているように見えますが、肝腎なのは「『わたし はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であ る』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、 生きている者の神である」というくだりだと思い ます。神は「生きている者」のために、アブラハ ムの、そしてイサクの、ヤコブの神になる。神は、 生きている者のために、同一性を捨てる。透明性 を捨てる。引き裂かれてあることを本来の在り様 として生きている者と同じ様であることを選び取 るのです。むしろ人は、不透明な者として生きる と読みたいと思います。 こうして私たちは、自 らの不透明性を引き受け、同時に不透明な他者と それぞれ非対称な存在であるけれども互いに見出 し合う存在になれるのではないでしょうか。
 3月18日の礼拝説教から マタイ福音書22章15−22 「神と皇帝の棲み分け?」 久保田文貞   パリサイ人とイエスの 論争物語が続きます。ここでは、ローマに対する 納税問題がテーマになります。納税問題を理解す るために歴史的背景を述べておきます。紀元後4 年、ローマからパレスチナ一帯を安堵されていた ヘロデ大王が死んで、息子たちに王国が分割され ますが、ユダヤとサマリヤはアルケラオスに嗣が れます。ところが彼は2年後に失脚し、以後ユダ ヤとサマリヤはシリヤ州の管轄下におかれてしま います。支配者ローマはユダヤから税を取り立て ることになり、シリヤ総督クィリニウスがエルサ レムにのりこんできて台帳作り(ルカ2章2節はこ の人口調査をイエスの誕生時につなげた)を命じ ました。こうしてユダヤとサマリヤの住民はロー マに税を納めなければならなくなったわけですが、 これに対して、当時ヘロデ時代からくすぶってい た不満が表面化し、ガリラヤ(出)のユダがゲリ ラ戦を組織して武装抵抗しました。これにはパリ サイ派の一部も熱心党に合流。「ローマ人に税金 を払うことに耐え、神の以外の死すべき人間を支 配者として承認するのは、恥である」 パリサイ 派から生まれた熱心党ザドクの言葉です。こうい う信念を実践していくと必然的にこの世界では悲 劇的な結末を迎えることになります。結果はロー マ軍による悲惨な殺戮が続き、反乱は鎮圧されま した。 こうして納税問題は、イエス時代にも、 また後の福音書が編まれる時代=ローマからの独 立を目指して闘ったユダヤ戦争前後にも、危険な 議題でした。 パリサイ派ユダヤ人がイエスに、 ローマに税を納めるべきか否かという論争をふっ かける、YESと答えれば、ユダヤ人大衆の反感 を買うだろう、反対にNOと答えればローマから 反ローマ分子として睨まれるだろう、どっちに転 んでも答えるだけで不利になる問いでした。しか し、イエスが出した答えは、21節「カイザルのも のはカイザルに、神のものは神に返しなさい」と いうものでした。 これは後のキリスト教の中で 教会が、国家との関係をどう考えるかという問題 の基準の一つにしてきました。古くは教会と国家 の、近代では、政治と宗教の棲み分け論=政教分 離論の聖書的な指標になりました。 これに対し て、田川建三はこの言葉の解釈に異を唱えました。 当時、ユダヤ教神殿体制は、ユダヤ人成人男子に 神殿税を賦課していました。これは世界中に散っ ているディアスポラ・ユダヤ人にも義務づけられ ていました。集金や送金が可能だったのは帝国が ユダヤ教を公認していたからです。これに加えて、 農国畜産生産物に対する十分の一税、さらに日常 的な罪のお払いのための犠牲代、すべてが神殿の 収入になる。イエスがそのような利権団体に成り 下がっている神殿に真っ向から対決したことは、 すぐ前(21:12)の「宮浄め」のところで見たと おりです。とにかく民衆にとってはローマの人頭 税、通関税、そのうえ幾多の神殿税の負担は相当 の重圧だった。とすれば、皇帝の像が刻まれてい るデナリ硬貨を見て「あれ、これはローマ皇帝の ものじゃないか。皇帝のものならば皇帝にお返し 申し上げればいいだろう。−−−神様のものは神 様にお返し申し上げさせられているんだから」つ まり「神のもの」=神殿専用硬貨?は神殿に搾り 取られているのだからとなるのではないかという わけです。 イエスは、帝国の支配と神殿支配の 両方から抑えつけられていた人々の側にとどまり 続けました。結果的に、イエスはユダヤ教神殿体 制から死罪の告発を受け、ローマ総督によって十 字架刑の判決を受けることになったのです。
 3月11日の礼拝説教から マタイ福音書22章1−14節 「婚姻のたとえから」      久保田 文貞  マタイ21章の婚宴の譬えは、ルカ14章16節以下 の大宴会の譬えと同じ根から出ている譬えです。 ルカの方は「ある人」が主催する大宴会での話で すが、マタイの方は、王が王子のために催す婚宴 という設定になっています。どう考えても、誇張 し複雑化しているマタイの方が改ざんの度合いが 強い、ルカの方がオリジナルに近いといってよい でしょう。さらに、トマス福音書64は、断る客人 が拡大されその理由もそれなりの説明が増えてい ますが、終わりの部分の主人の言葉(「道に出て 行きなさい。おまえが見出した人々を連れてきな さい。彼らが晩餐に与るように」)は簡単明瞭で、 私にはこの部分はよりオリジナルに近いのではな いかと思っています。 ルカ版の大宴会の譬えで表現され提示されてい るは、迫りつつあり、その兆しがあちこちでイエ スとその弟子たちの活動の中に実現しつつある 「神の国」の像=イメージです。誰が聞いても 「ある人」の位置に神が入るということはわかり きったことですが、「ある人」=神に重心がない。 招待を受けて当然と思っている客が慇懃にそれを 断ったので、主人は「町の大通りに出て行って、 出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい」 (マタイ22:9)というわけで、まさか自分が 招待されるわけはないと思っていた人々が宴の席 に招かれることになったという、この逆転の出来 事にポイントがあると思います。譬えを聞く者ば かりでなく、語る者もともに驚いている緊急事態 です。多分オリジナル版は、「神の国」に招かれ て吹っ切れたようにワイワイやっている連中の喜 びの出来事にこそ関心を向けていると思います。  マタイ福音書の著者はそれでは満足できない。 喜びの出来事の次のことを考えます。この宴の主 催者は王(神)であること、その宴は王子(神の 子=キリスト)の婚宴であること、招待客に使わ された僕は預言者であり、それらの客はイスラエ ルであること、彼らは預言者を拒否し、招待を断っ たこと、それ以外のもの=異邦人、罪人らが招待 を受けること。明らかにマタイは偶喩的に物語の 諸要素を配置し直し、王(神)の意志、指示、命 令が前景に張り出してきて、王(神)が主役であ ることを強調します。明らかにマタイの方がもと の物語をズラしているわけですけれど、見かけの 大きな違い以上に、この微妙にズラしていく意図 に注目すべきでしょう。マタイは前代未聞の宴会 出席メンバー構成の次に起こってくる問題に踏み 込みながら、そこから物語を再編し、そうやって 中心をハズしていく。で、私たちはその逆にズラ し、ハズして、物語の封じられたもとへと遡る。 そういう読み方をしたいと思うのです。 「神の 国」の宴会に招待から外されてしかるべき「君」 が招かれた。この譬えを聞く者の多くがそのこと に驚愕するはずです。喜びすぎて羽目を外すもの がたくさんでてくるでしょう。マタイはそれに我 慢できない。だから、マタイがこの物語を語る側 にまわれば、招かれたものの在り方にどうしても 触れざるを得ない。そうやって語るマタイは、自 分が招かれた時の驚きと喜びを凍結させてしまう。  むしろ、この宴会の場では、招かれた驚きと喜 びをじっと内に秘めて味わうも良し、無防備に有 頂天になるも良し、下手であろうと上手かろうと 歌うも良し、野暮な演説をはじめるも良し、悪酔 いして寝込むも良し、キリストはにこにこしてみ ている。私はそんな想像をします。
  3月4日の礼拝説教から マタイ福音書21章28−46節 「問いに答える」とは 久保田文貞  マタイは、28節以下の「二人の息子」のたとえ を、23節以下の「権威についての問答」の後につ なげました。そこでは、エルサレム神殿前庭で両 替人の机を倒したり、商人を追い払ったり、挑発 的な教えをしたりするイエスを見かねて、祭司長 や民の長老たちが「何の権威によって、これらの 事をするのですか。だれが、そうする権威を授け たのですか」とイエスを詰問します。これに対し て、イエスは「ヨハネのバプテスマはどこからき たのであったか。天からであったか、人からであっ たか」と逆に彼らに問いかけるのです。この問い は、「天からだ」と答えれば「なぜヨハネに従わ ぬ」ということになる、また「人からだ」と言え ばヨハネを神から使わされた預言者だと信じてい る熱狂的な連中が騒ぎ出す。どちらに答えても、 彼らに不利な問いになっているというのです。  福音書伝承としては、真の権威をもったメシア・ イエスの叡智ある切り返しだったということでしょ うが、私はもう少し別のものを感じます。彼らに とって権威の源は当然、まず神なわけですが、そ の神の権威に基づいて仕切っているのは自分たち だという自負があるわけです。ただし、彼らにとっ てやっかいなのは、預言者という存在です。神殿 という組織的な神の権威筋とは別の、とつぜん神 の言葉を語る預言者を古くから認めてきたので、 預言者とすれば無視するわけにはいきません。し たがって、この権威論争は、神殿勢力側からすれ ば、イエスが預言者なのかということを確かめた かったのでしょう。イエスはこの問いをはぐらか すわけです。伝統的にはイエスこそ真の権威をもっ た方だと言いたいのでしょうが、問題化されてい るのは、権威の源を探りたがる在り方なのです。 よく考えると、どんなことにも何の権威によるか などと探りたがる目の向き自体が、人と人との関 係をいびつにしてしまう。そんな発想を捨てよう よと読みかえたいのです。 マタイは独自の資料から「二人の息子」という たとえ話をここにもってきました。父が兄に「ぶ どう園へ行って働きなさい」というと「いやです」 と答える。だが、後で考え直して出かけた。父は 弟にも同じことを言うと、「承知しました」と答 える。だが、出かけなかった。「この二人のうち、 どちらが父親の望通りにしたか」とイエスが問う。 彼ら(マタイの頭の中では先の祭司長ら)は「兄 の方です」答える。このたとえは何のひねりもな いです。たとえの必要がない。〈「はい」と言っ た以上、その通り実行しなさい〉と言えば済むこ とです。けれども、無理は承知でわたしはこの陳 腐なたとえを、せっかくマタイが直前に置いてく れた権威問答でもって揺さぶりたいのです。この たとえを同じようにはぐらかしたいのです。どの ように? 「はい」と答えようと「いやです」と 答えようと、また返事の如何に関わらず、その通 り行おうと行うまいと、人の生き方は父親の意志 を基準にして評価されるべきものだろうか。「は い」ということもあるし、「いいえ」ということ もあっていいんじゃないか。やることもある意志、 やらないこともあると言っていいんじゃないか。 どっちかに決めなければならないということは窮 屈なだけでなく、人と人との関係をひどくいびつ にするのではないでしょうか。  
2月18日の説教より マルコ15章42〜47節  「葬り」      関 秀房  この箇所はイエスを墓に納める記事です。考え たいことは、四福音書がこの出来事を書いていま すが、なぜこの記事が書かれたのかということで す。 この朝の九時頃イエスは十字架につけられ ます(15:25)。そして三時頃「エロイ、エロイ、 ラマ、サバクタニ」と叫び、息を引き取ります (15:35、37)。通常、十字架刑では2〜3日間苦し ませるものと言われますので、ピラトが不審に思っ たように(15:44)異様に早い死です。そして都 合の悪いことに、その日は安息日の前日なのです。 つまり後三時間ほどで日没(一日は日没から日没 まで)になり安息日になってしまいます。申命記 (21:22、23)では十字架刑の死体を翌日まで放っ ておいてはいけないとあり、まして翌日は安息日 なのです。弟子たちなどイエスの近くにいた人た ちはすでに逃げ去っていますが、アリマタヤのヨ セフという人が突然現れイエスの遺体引き取りを 願い出ます。本来死体はきれいに洗われ香油をぬっ て衣を着せるものらしいのですが、そのような時 間もなく、墓に葬ったのでしょう。このようにイ エスの葬りのいきさつをマルコ福音書は書きます。  葬りの記事で、四福音書相互にくらべてみます とマタイ福音書では番兵をつけて墓を見張らせる 記事をわざわざ付け足して書いています。ヨハネ 福音書はニコデモを登場させてヨセフと一緒に行 動させています。アリマタヤのヨセフについては、 外典のペテロ福音書、特にニコデモ福音書に詳し い記述があります。 おそらく葬りの記事は、安 息日が終わった日曜の朝の出来事を述べるために 必要なものだったのでしょう。マタイ福音書が付 け足して「墓石に封印し番兵までつけて墓を見守 らせた」とする記述はそのことをよく表わしてい ます。それは「弟子たちがきて彼を盗み出し、 『イエスは死人の中から、よみがえった』と、民 衆に言いふらすかもしれません」とわざわざ書い ていることに表れています。 しかし、本当に 「復活」が必要だったのでしょうか。絶望と悲嘆 にくれていた人々に希望と勇気を与えたと言われ ます。この「復活」は次の機会に話したいと思い ますが、「十字架の死」で終わってはいけなかっ たのでしょうか。死は等しく全ての人に訪れます。 むごい死もあれば、穏やかな死もあります。しか し死は死です。この現実を受け入れるかどうかで す。死の現実を逃れるため我々は、「生」を、い や現実の「死」も「葬り去」っているのではない かと思ったりします。現実に生きたこと、イエス と交わった一人一人が体感した奇跡と感動、そし てイエスもまた、人々の交わりの中から力を得た 事実。そしてイエスの十字架の死。福音書の「葬 り」はこの事実を「葬り去」っていないでしょう か。 広辞苑には「葬る」に二つの意味があるこ とを示しています。(1)死体などを墓所におさめる。 (2)存在を世間からおおいかくす。「葬り」という 行為は常に(2)も併せ持っていることを知っておく べきだと思います。   
 2月11日の説教から ピリピ書2章19〜3章1節 「パウロとそのスタッフは」 久保田文貞  パウロは、シリア一帯の指導的な位置にあった アンテオケ教会の伝道スタッフの一員として活動 していましたが、そこから離れ、独立した活動を はじめます。この活動が伝統的に第2伝道旅行の 開始です。49年春頃とされています。それ以後、 彼は精力的に西を目指していきます。ガラテヤ、 ピリピ、テサロニケ、コリントの諸教会が作られ ました。西行きのコースは、エルサレム教会への 献金活動(52年)を果たすために中断されますが、 エペソに戻ったパウロはそこで約2年程の滞在を 余儀なくされます。この時パウロはエペソで、逮 捕され監禁されたらしい。伝統的に獄中書簡と言 われているピリピ書(1:12-13、ピレモン書 (9-10)、(なおコロサイ書もそれに入れられてい ますが、近代の聖書学での通説ではパウロの名を 借りた後の偽書)はこの時期に書かれたとされて います。 このパウロの独立した伝道活動に、一 貫してパウロを助けてきた人物としてテモテとい う若者がいます。使徒行伝16:1−3によればパウ ロは第2伝道旅行のはじめに、小アジアのリュス テラで、ギリシャ人を父としてもち、ユダヤ人を 母とするテモテという青年を同行させます。テモ テというギリシャ名の意味を漢字表記にすれば 「敬神」というほどの意味。テモテの父は、ユダ ヤ教的には「神を敬う者」としてディアスポラユ ダヤ人の周辺に広く存在したユダヤ教親派の一人 だったかもしれません。使徒行伝は、パウロがテ モテを連れて行くにあたり、彼に「割礼を受けさ せた」とありますが、これではアンテオケ教会か ら独立した第2伝道旅行の意味が吹っ飛んでしま います。使徒行伝の思い違い、それもパウロの伝 道活動の意味を理解できていないかなり根本的な 思い違いです。 このテモテのことを、ピリピ書 の2章19節以下で、パウロは「テモテのような心 で、親身になってあなたがたのことを心配してい る者は、ほかにひとりもない。 人はみな、自分のことを求めるだけで、キリスト・ イエスのことは求めていない。しかし、テモテの 錬達ぶりは、あなたがたの知っているとおりであ る。すなわち、子が父に対するようにして、わた しと一緒に福音に仕えてきたのである。」とベタ ほめしています。ピリピ書より少し後に書かれた コリントへの手紙でも「わたしは主にあって愛す る忠実なわたしの子テモテを、あなたがたの所に つかわした。彼は、キリスト・イエスにおけるわ たしの生活のしかたを、わたしが至る所の教会で 教えているとおり、あなたがたに思い起させてく れるであろう。」と書いています。パウロはテモ テを相当信頼しているのがわかります。 それか らエパフロデト。彼は、監禁されているパウロの もとにピリピ教会の人々が贈り物をしていますが、 それを送り届けた使者です。しかしエペソに着い たら重い病気になったが、なんとか助かったらし い。そしてパウロがいま書いている手紙をもたせ てピリピに返そうというわけですが、この青年を パウロは「わたしの同労者で戦友である兄弟」と 書きます。 パウロが同労者と言う時、別にパウ ロの弟子というわけではない。ほかにもテトス、 シラス(シルワノ)いますが、彼らは弟子ではな く同労者なのです。プリスキラ、アクラ夫妻のよ うに、パウロより先に活動し、パウロを支援した 同労者もいます。つまり、私たちはついついパウ ロの手紙を読んでいる関係上、彼を中心に捉えて しまいますが、必ずしもそうではない。パウロ自 身もそのひとりである同労者たちの集団が、この 時期存在していたということをしっかりと見てお くことが重要だと思います。かれらの活動は、パ ウロのように直接の資料がないから隠れています が、少なくともパウロの活動の外側に別の重心が 動いていたことを勘定に入れておくのが大切だと 思うのです。
2月4日の説教から マタイ福音書21章12−17節 「理解されない中で」 久保田文貞  マタイ伝では、エルサレムに入城したイエス一 行はそのまま神殿に向かい、イエスは「庭で売り 買いしていた人々をみな追い出し、また両替人の 台や、はとを売る者の腰掛をくつがえ」したと書 いています。マルコ伝ではさらに「器ものを持っ て宮の庭を通り抜けるのを許さなかった」とあり ます。神殿に贖罪のためにお参りに来た人は、犠 牲として献げる鳩などの動物をそこの特定の業者 から買わなければならないようになっていました。 それを購入するのに、一般通貨を仕えない。偶像 を禁止するユダヤ教の宗法に則って皇帝の像が刻 まれていた通貨を使わせず、神殿特有の通貨(シ ケル、出エジプト30章13節)に両替させたわけで す。その両替も神殿から特別許可をもらった業者 がやる。このように神殿の祭司貴族とそれとつる んでいる業者は犠牲祭儀の利権をがっちり握って いるのです。 このイエスの行動は、「宮浄め」と言われてき ました。マルコが受け取った伝承の段階から、イ ザヤ56:7 『わたしの家は、すべての国民の祈の 家ととなえらるべきである』 というのが付帯され ていたようです。つまり、この伝承は、イエスが 汚された神殿を浄め「祈りの家」にしようとした と見ているわけですから、神殿それ自体を否定し ていません。その限りまさに「宮浄め」です。  神殿を肯定する傾向は、イエスが十字架で死んだ 後、復活したという信仰の発信地になったエルサ レム教会がしばらくのあいだ持っていたものです。 しかし、イエス自身はもっと否定的に神殿を捉え ていた。 イエスが神殿について語った言葉とし て、重要なものがもう一つあります。マルコ13: 1、弟子のひとりが神殿を指して「なんという見 事な石、なんという立派な建物」と言うと、イエ スは「あなたは、これらの大きな建物をながめて いるのか。その石一つでもくずされないままで、 他の石の上に残ることもなくなるであろう」と言 われたという。ここには汚れた神殿を浄めればま だ存在意義はあるという中途半端な考えはありま せん。基本的に全面否定です。神殿に対する徹底 的な批判の言葉は、預言者の伝統の中に存在する わけですが、イエスのこの言葉はそれよりもさら に過激なものだと言わざるをえません。そのよう なわけで「宮浄め」と呼ばれているイエスの行動 は、もっと直截に、イエスが神殿体制全体にどう しようもなく腹を立てていたと言い表しておく必 要があります。イエスは、その行為が神殿の根本 否定となることを恐れず、あのような示威行動に 出たと捉えてよいと思います。 そもそも、神の座を具象的な形でこの世界に組 み込めば、人間の権力と癒着するのは必定。その ような装置となった神殿をどのように浄めようと も無意味だと思います。だが、この批判を引き延 ばしていくと、〈神〉を代理表象しているものを すべて引きはがして、ついに〈神〉はまる裸に、 ゼロ点になってしまうはずです。要するに「宗教」 という衣をはぎ取ることになる。私は、そのよう に無神論に限りなく近づいたところにナザレのイ エスを立たせるよりないと思うのです。イエス自 身がどのように神の真実に懸け、神から派遣され たメシアと自負しようと、余分なものをはぎ取ら れた神はイエスとともにゼロ点に近づくだけでしょ う。
1月28日の礼拝説教から マタイ21章1−11節 「表出すること」 久保田文貞   「表出すること」とい う題にしましたが、実は「登場の仕方」というこ とで話します。 子どもの時、父に連れられてよ く「鞍馬天狗」の映画を見に行きました。角兵衛 獅子の杉作が窮地に陥ると、知らせを受けた鞍馬 天狗が白馬に跨って馬を駆るシーンが出てくる。 すると館内から声がかかり拍手が湧き起こるので す。この登場の仕方からして、白馬を駆る天狗は 悪を懲らしめる正義でしかないわけで、いたって 単純です。月光仮面でもスーパーマンでも、悪を 駆逐する正義の味方というこの手のモノはその登 場の仕方に決まった型があるように思います。  これに対して、ちょっと変わった登場の仕方なの が、寅さんのもの。寅次郎が柴又のトラ屋に帰っ てくるとき、おいちゃんやさくらやタコ社長が寅 さんのうわさをしていると、そこに寅さんが店の 前を通り過ぎる。寅さんは申し訳なさというか、 恥ずかしさというか、すぐに店に入れない、そう いう登場の仕方をする。観ている者はもうこれだ けで寅さんが自分と同じ地平のすぐ手の届くとこ ろにいそうな感じになる。 もうひとつ、「カラ マーゾフの兄弟」の中でイヴァンが弟の神学生ア リョーシャに話して聞かす詩劇「大審問官」のキ リストと大審問官の登場の仕方について。舞台は 15世紀、宗教裁判の火の絶えなかったスペインの セヴィリヤ。「百人近い異教徒が焼き殺され翌日、 キリストはいつともなくおもむろに現れた。する と一同のものは−−奇妙な話であるが−−−それ が主であることを悟ったのだ。」その到来の仕方 は、終末論的な「東から西へかけて輝き渡る稲妻 の如き出現ではない。」「 人々は押し寄せ、心を ふるわす。ありがた涙をこぼしながら彼の踏んで いく土を接吻する。」群衆がキリストに魅せられ ていた時、寺院の横を大審問官の僧正が通りかかっ た。それと知った群衆はどよめき、僧正に土下座 する。かち合ってはならぬ二つの権威が同じ場所、 同じ時間に登場してしまう。それに立ち会った群 衆たちの動揺・・・作者ドストエフスキーはこれ については書いていません。 このキリストの登 場の仕方にどうしても、私はエルサレムに入城す るイエスの記事を重ねて見てしまいます。福音書 はイエスがロバの子に跨って、入城したと報告し ます。この登場の仕方はゼカリヤの預言(9:9)のシ ナリオに従っています。明らかにイエスをメシア (キリスト)とする線上に立っています。けれど も、登場するメシアが鞍馬天狗のように軍馬では なく、子ロバ(それも「ろばの子である子馬」と 口語訳のように捉えれば、牡馬と雌ロバの子は貧 相で弱く嫌われる。反対に牡ロバと雌馬の子は丈 夫で使いやすい騾馬として重宝されるという)で あると。この登場のさせ方で、このメシアは力で ユダヤの独立を勝ち取り、世界を制圧するような 仕方を取らない。いやそれ以上に、このメシアは この世界の力の前に明日にも処分されかねない子 ロバのように、帝国の力によって処刑されていく ということを暗示しています。しかし、同時にそ のように悲惨な死を遂げることで、メシアであろ うとするということを暗示しています。鋼のよう な帝国の、命を蹴散らし、人を支配する力によっ てではなく、ロバのように柔和に、命に寄り添い、 虐げられた人を助け起こすという約束を暗示して いるのでしょう。
 2007年 1月14日説教から 創世記35章16-22 「祝福と影」                  久保田文貞  ベテルの町の由来を語る話は、ヤコブがハラン に向けて旅立つ時ににも(28章10節以下)出てき ました。その時はヤコブの夢枕に天に昇る階段が 現れ、それを記念してそこに石を立て「神の家」 ベテルとしたというものでした。その後、物語と して、ヤコブは十数年間、伯父ラバンの許で過ご したことになっており、その間に妻達を得、男子 11人をもうけ、財をなしてカナンに帰ってくる。 兄エサウとの和解も成立して、ヤコブはベテルに 行くように神に命じられたというのです。 そこ でヤコブは一行に「お前たちが身に着けている外 国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えな さい。」と言いつけ、「人々は、持っていた外国 のすべての神々と、着けていた耳飾りをヤコブに 渡したので、ヤコブはそれらをシケムの近くにあ る樫の木の下に埋め」、その上でベテルに祭壇を 築いて礼拝をしたという話になっています。 今 度の場合もベテルの町の由来を語る物語の形式に なっていますが、近代の研究による資料分析では、 こちらはずっと後の祭司資料によっているとされ ています。好意的に捉えれば、この物語部分は祭 司の間に特別に伝わっていた伝承がもとになって いるということでしょうが、いずれにしても入り 込んできた「異教的」「外国的」な祭祀用品を廃 棄・浄化して礼拝するという感覚はずっと後の神 殿職業人のものであり、ヤコブの生活の臭いが感 じられません。異物を一掃したことのご褒美のよ うにヤコブは祝福を受けるわけですが、当然それ もまた祭司らによる構成的な創作物語の印象が強 いです。 興味深いのは、16節以下のラケルのお 産と死の物語です。旅の途中、ヤコブの最愛(29 章)の第二妻ラケルは産気づいて難産になる。助 産婦は「心配ありません、今度も男の子ですよ」 と励ますが、ラケルは苦しんで死んでしまうとい うのです。これほどお産のことを記述していると ころはありません。基本的に旧約聖書は、父系社 会下の男達の物語ですが、ここまでお産の中身を 語るこの伝承はひょっとすると女たちの口を伝わっ てきたのかもしれません。としても、モーセ五書 は最終的に男たちによる編集を数回経て出来上がっ ていますから、男たちのお産への見方が炙り出さ れたものと見ることができます。 男女の生理的 な現象や出産の生理を不浄としか見ない祭司感覚 (レビ記12、15 章)まで持ち出さずとも、イスラ エル救済史をまとめあげその前史に創造物語を伝 えるヤハウェストは、お産の苦しみを、女(イヴ) が誘惑に負けて神の命を破った罰として神話化し て伝えています。ラケルの場合、お産の苦しみの 果て死んでしまうわけですが、創世記を最終的な ものに編集していった男たちの眼差しには、この 産褥死とイヴにかけた呪いとが重なって見えてい たにちがいないと思います。もし先に述べたよう に、この伝承を初めに女たちが伝えていたとすれ ば「いや、お産の苦しみは呪いなんかじゃない」 と、お産を介助する助産婦たちとともに女たちが 言っているように思えてなりません。とにかくこ うして、ベニヤミンが生まれヤコブ=イスラエル の12人の男子が出そろいました。 もうひとつ、12人の名簿が示される前に、ヤコ ブ一族の恥となる記述がつけ足されていますい。 ヤコブの長男ルベンが、ラケルの側女ビルハ(ヤ コブは彼女にダンとナフタリを産ます)の床に入っ て寝たというのです。「父の妻を犯してはならな い。父を辱めることだからである」(レビ記18章 8節)そのままです。こういう負の系譜を書きとめ ていることを覚えておきたいと思います。
2007年 1月7日説教から マルコ福音書10章23−27節 「駱駝が針の穴を通る方がずっと易しい」                 久保田文貞  10章17節から「富める青年」の物語になり ます。ひとりの青年がイエスの許に走り寄り、跪 いて尋ねた。「よき師よ、永遠の生命を受けるた めに、何をしたらよいでしょうか」と。このご大 層な登場の仕方に、すでに語り手の中に、この青 年に対するある種の悪意を感じます。その身振り も、呼びかけの仕方も、その問いも、礼を尽くし ているわけですが、しかし、彼はそうやって体よ く、イエスを彼の作った枠の中に組み込まそうと する。〈自分があなたの前に投げかけた「礼」に 応えて、あなたの役回りを果たせ〉〈あなたは、 わたしが割り振った「よき師」という位置につい て、同じくわたしが最高の位置に置いた「永遠の 生命」という欄の中身を埋めるのだ〉と言わんば かりです。もうこの時点で彼はイエスに問う形を とりながらも、実はなにも問うていない。空欄に 埋めるべき正解すらすでに彼は持っているわけで す。「いましめはあなたの知っているとおりであ る。・・・」とイエスが言うとおりです。十誡の 後ろ半分が並べられますが、もう彼にはそこにな にが入ろうといいのです。肝腎なのは自分が「よ き師よ」と呼びかけ、「永遠の生命を受けるため になにをしたらよいか」という問いに師が応える ということなのです。その「なに」の中身は無意 味な穴埋めです。イエスの半ば投げやりな回答は、 イエス自身がその無意味さに辟易としているので はないかと思うのです。 青年はこう答えます。 「先生、それらの事はみな、小さい時から守って おります」。 青年がイエスに求めているのは、 彼が組み立てている世界観への同意なのだと思い ます。自分の設けた問いに「よき師」が答え、 「自分はそのように行っています」と言うと、 「よき師」は「そうか、そうか。感心じゃ」と。  そう考えるとちょっとアホらしい話ですが、私 たちの対話には、けっこうそれと同じような構え をした会話が多いものです。ほんとうは問う必要 のないことを問うていて、実はそう問う自分を認 めてもらいたがっている・・・それ自体はかわい らしいことですけれど、その延長線には、結局、 自分の作った枠組み・世界観を、認めてもらうだ けでなく、他者に認めさせる、ひいてはそれを他 者に押しつけるというあつかましさにつながって いくのです。 イエスは、この青年に「あなたに 足りないことが一つある。帰って、持っているも のをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。 そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、 わたしに従ってきなさい」と言われたことになっ ていますが、物語上は青年の富への執着心が彼を つまずかせることになっていますが、やはり問題 なのは、彼の中に刷り込まれ、彼が選び取り決定 している彼自身の世界観、そしてそれはこの世界 の価値秩序にしっかり組み込まれている世界観で す。「永遠の生命を受けるためにはなにをしたら よいでしょうか」というほんとうは真剣な問いが、 問いになっていず、単なる同語反復にしかなって いない。「AはAですか。」「はいAはAです。」 というアホらしい問答は付き合っておれんよ。そ んな繰り返しをして慰め合っている連中にそのこ とを知ってもらうより、「駱駝が針の穴を通る方 がずっと易しい」ということなのでしょう。