説教ノート 2006年1月から12月分
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12月31日説教から ルカ福音書2章15−20 「羊飼いの話」 久保田文貞 ルカのクリスマス物語は、天使のお告げを受けた 羊飼いがイエスの誕生を目撃し、メシア誕生の証 人となって人々にそれを知らせたということで幕 を閉じます。 地中海東岸一帯で牧羊が行われて いましたが、羊飼いは社会の底辺層の仕事でした。 イスラエルの草創期、イエスの時代の千年以上前 の族長たちは羊など小家畜の飼育をしていました が、彼ら自身、農耕定住者の周辺を半遊牧的に、 つまり定住できない者として生きていた人々です。 イエスの時代、ロ−マ帝国下のパレスチナでも、 そのことは変わりません。この時代には、ユダヤ の主だった構成員(例えば福音書に出てくるパリ サイ人やサドカイ人)は土地持ち農耕民、商工業 者です。羊飼いは基本的にこれら構成員の外部に 位置する人間だったと言ってよいと思います。少 なくとも、クリスマス物語は「社会の最も卑しい 者たち」をここにもってきていると言って差し支 えないでしょう。福音書の主要なキャラクターと なっている「罪人」「取税人」「娼婦」らと同列 に置かれていると思います。その羊飼いに向かっ て、彼らと対極的な目線をもった天の使いが、神 託を告げるのです。この世界の内部にどっかと腰 を据えている者に対しては、神の言葉が自分たち の頭越しに通り過ぎてしまったわけで、猛烈な皮 肉になっています。こうして彼らがメシア誕生の 証人になる。メシアがもってくる救いの対象外で あると内部の者たちから見なされていた羊飼いの 目線で、メシアが生まれたことの証言がなされる わけです。 これと同じような対比を使ってい る物語にテーバイの王オイディプスの有名な物語 があります。精神分析学を提唱したフロイトがエ ディプス・コンプレックスとして参照した物語で す。テーバイの王ライオスは、自分の息子に殺さ れるという神託を受け、生まれた息子オイディプ スを家来に命じて殺させようとします。王妃イオ カステーはそうはさせじと息子を羊飼いに山に捨 てさせる。すると隣のコリントスの羊飼いが赤子 を拾いそれをコリントスの王妃が自分の子として 育てる。成長した王子オイディプスは自分がほん とうの息子ではないと知らされて悩んだあげく、 アポロン神殿に行って神託を聞く。すると彼が父 を殺し母と結婚してしまう運命にあることを知る。 そうなってはならじと彼はコリントスの王の元に 帰らず放浪の旅に出る。途中、道中で従者を連れ たある男と喧嘩になり彼らを殺してしまう。実は それが彼の実の父ライオスなのだが、彼には分か らない。その後、彼はテーバイの都に行き、そこ で市民を脅かしていた怪獣スフィンクスを退治し た者は、王の未亡人となっていたイオカステーと 結婚することが許され王として迎えられると知る。 彼はその怪獣を退治せんと挑み、出された謎を解 き見事怪獣を退治する。こうして彼は実の母と結 婚し、テーバイの王なる。オイディプスは、やが て国中に起こる不吉なことの原因を知ろうとして 神託をうかがいが確かなことは分からない。その 時育ての親コリントスの王が死んだ知らせを受け、 あの呪いが実現しなかったことを喜ぶも、すぐに 彼がコリントスの王の子でないことを知らされる。 そして彼は自分の生い立ちを審査する。その時の 決め手となる証言をするのがあの羊飼いたちであ る。身分の卑しい羊飼いの証言で彼は権力と知を 備えた王の座を転げ落ち、自ら目をえぐり出し自 分の運命を呪ってふたたび放浪の旅に出る。 こ こで天上から最も遠い存在である羊飼いの目線に よる証言で、叡智と権力が結びついた英雄が葬ら れ、「真実」を証言する民が、民が証言する「真 実」が、つまり「法」が権力の前にどかっと居座 ることになるのです。 この対照的な二つの物語 に共通することは、天使のお告げと神聖な者の託 宣という天上からのことばに始まり、それと最も 対極にある卑しい羊飼いの証言でもって物語を終 わるということです。クリスマス物語では、メシ ア誕生が羊飼いの目線の「証言」の枠の中に填め 込まれるということを意味します。それは単なる 貴賤譚の問題ではすまなくなるということです。
12月24日の説教から マタイ福音書2章1−6節 「参加するクリスマス」 久保田文貞 世界がよってたかってひとりの青年を抹殺した。 とにかくやっかいな青年だった。彼は親族や隣人 から見放された病人たちのところに行って介抱し た。彼は、人間仲間から排除された人々のところ に行って、彼らの居場所を設けた。彼は、裏切り 者とされ反社会的だと烙印を押された人々に真実 をもって接し、引き離されていた人々をつなぎ、 隠れていろと言われていた人に外に出ていこうよ と言う。「黙っていろ」、「お前の書き物を発表 させない」と封じ込められている者たちに「話せ」 「書け」と呼びかける。そうやって支配層の人々 がふたをしておきたいことを片っ端から開けてい く。 そんなことをする彼をなんとも邪魔だと思 う連中のやりくち・・・どんな軽微なことでもい い。いや、それもでっちあげでよい。彼が社会に どれだけ有害かというイメージを作り上げればよ い。後は流れに任せれば自ずと彼は自分の居場所 を失う。そして彼は抹殺される。見てろ、身内や 隣人たちを閉め出した連中、知的な貢献をしてい ると自負しながらその世の中のお剰りをちゃっか り頂戴しているインテリたち、そして最も有利な 位置をしめおいしいところを独り占めする最高権 力者たちと彼らにお追従しせっせと利を稼ぐ者た ち、この連中がきっと彼を踏みつぶす。そういう ものだ・・・。こうして彼は最悪の処刑方法で殺 された。 受難物語は、「キリスト・イエスはわ たしたちの罪のため十字架につけられて死に、復 活した」というパウロ的な告白と、なぜイエスが 十字架につけられることになったかという理由に ついて、つまりガリラヤでのあの活動なしにはそ れがあり得なかったという見解とを、つなげる働 きをしているように見える。けれどもそれは物語 の意図というより、物語自体がもっている自由な 可能性の所産のような気がする。クリスマス物語 にもそれを感じる。イエスをキリスト(救い主)・ 神の子と信じる人々が、その生まれまで遡って作 り上げた誕生物語の中に、ちょっと待てと、内か ら物語を揺さぶっていくものを抱えていると思う。 福音書によれば、マリヤは聖霊によって身ごも る。ルカでは、マリヤを由緒ある祭司ザカリヤの 親戚筋に組み入れるけれども、「聖霊によって」 身ごもったとすれば、どんなにバカげたことであ ろうと、私生児を生む一介の娘が、その由緒ある 血の流れを止めることになる。マリヤは、ベツレ ヘムの旅先でお産をしてしまう。泊まる場所がな く馬小屋でお産をしたという。そこがどんなに卑 賤な場所かという言い方はしたくない。しかし、 宿屋の側は、掻き集めたような疑似家族には、正 規の客室を用意できない、正規のお産を保証でき ないと言わんばかりに、居場所を与えなかったと いう読みをしよう。天使がこのメシアの誕生を教 えたのは、夜羊の番をしていた羊飼いであった。 この夜勤の仕事がユダヤ教社会の中でどんな評価 を受けていたか、歴史学的な証拠にたよらず、羊 飼いは、この文の初めに挙げた人々、イエスがそ の側にいようと思った人々と同じ仲間なのだと読 もう。 マタイ福音書の場合、生まれた子の元に、 異教のマギ(占い師=3人の博士)たちが来る。 マギからメシア誕生のことを聞いたヘロデ王は、 それが自分の地位を危うくすると直感的に捉える。 彼は新生児を皆殺しにする命令を出す。やはり幼 子に居場所は与えられなかった。わたしたちは世 界から居場所を与えられなかったメシアの誕生を 祝うだ。現代にたぐり寄せて言えば、年金だけで 生活できなくて夜遅くまで道路工事のわきで交通 整理している年寄り、定職に就けなくてパートで かせぐ人々、うわべの繁栄と豊かさに惑わされて 故郷を離れてきた出稼ぎの外国人労働者、そして 権威ある研究とは縁のない、しかし歯に衣着せず もの申す、いかがわしい知識人などなど、ますま す居場所をなくしてもがいている連中がクリスマ スの隠れた主役なのだ。
12月17日の説教から マタイ福音書一章 「クリスマスの系譜」 久保田文貞 「系譜」という語を最近よく見かけます。直近 のところでは萱野「カネと暴力の系譜学」など。 もともと系譜は系図と同義ですが、人の血統に限 らず物事のルーツを遡って考察する意味で使うよ うです。古くは、ニーチェの「道徳の系譜学」の ように。そこでは近代ヨーロッパが当然のように まき散らした「道徳」の出自が問われ、その首根っ こにキリスト教の罪意識が絡みついているのが暴 露されます。 系譜を固めようとする営みは、例 えば天皇の系譜のように、多くが自己の権威を高 めるためになされる。だが、系譜を固めようとい う願望には、必ず自己の生まれ・素性への疑いが 孕んでいるものです。 今回の題を「クリスマス の系譜」としましたが、実はクリスマス自体が、 初期のクリスチャンたちの系譜学genealogyの産物 です。彼らは、十字架上に悲惨な死を遂げたナザ レ出身のイエスをメシア=キリストであると「ひ とつ心になって言表」つまり告白し、彼を神的な 存在にまで高め、「キリストを信じる」という 「告白する在りよう」作り上げたと言えると思い ますが、そこまで来てしまってその彼らが避けて 通れなかったことのひとつがイエス・キリストの 系譜の問題です。キリストが神の子であって、同 時に人であるも言っておかなければならない、そ の交差点をどうするか。神の子の系譜で言えば、 キリストは「聖霊によってやどり、おとめマリヤ より生まれ」という物語に到達し、人の系譜で言 えば、「ダビデの子孫」としたわけです。 マタ イ福音書は冒頭に創作したキリストの系図=系譜 を載せました。ただし、それは義父ヨセフの系図 です。イエスが「聖霊によってやどり、おとめマ リヤより」生まれたという以上、ヨセフの系図は 血統的に無意味なはずですが、「ダビデの子 (孫)」という称号の父系的な系譜をものにする ために、どうしても男系の系図が欲しかったので しょう。そこでアブラハムに始まって、ダビデと その子孫の王達、さらにバビロンからの帰還後は ゼルバベル以下、途中からは旧約文書にはない名 を並べることになりました。そして14代を3つ に区分した42代の系図を(いやな表現で恐縮で すが)でっち上げたのです。 この系図に4人の 女性が挟み込まれています。タマル、ルツ、ラハ ブ、ウリヤの妻(バト・シェバ)です。ひとりひ とりの物語を省きますが、4人に共通することは 「異邦人」(この概念自体がバビロン捕囚と帰還 後のユダヤ教=現在手にする旧約聖書の原型を作っ たユダヤ教の概念であり、マタイもその申し子) です。この異邦人性ということで言えば、バビロ ン以前のイスラエルや王国以前には収拾がつかな くなるほど異邦人性だらけだったはずです。むし ろ彼女たちに共通することはスキャンダルを抱え ていることです。タマルは義父ユダの子を産んで しまう。ラハブは遊女であり、旧約にはボアズの 母とは書いていない。ルツは賢い異邦人の嫁とし て描かれているけれども、今風に言えば小説の主 人公にすぎない。ウリヤの妻はダビデの家来の妻 でダビデは彼を最前線に送って戦死させ、自分の 女にしてしまうという不倫相手です。 第一感こ れらはこの系図の染み・汚点のように見えます。 しかし、私には逆に彼女たちによってこの父系図 が掬われている感じがするのです。いやもっと言 えば、系図に出てくる男達は実は系譜の主役では なく、イエスの義父ヨセフの影の薄さが示すよう に、脇役でしかない。そもそも父系図の後ろに隠 された孕む性の方がはるかに意味豊かだというこ とをこのでっち上げ系図が奇しくも物語ってしまっ た感がします。
12月10日の説教から ピリピ2章12−18節 「聖化」の問題 久保田文貞 コリント教会への手紙と違って、ピリピの人々へ の手紙は、よほどお互いの信頼関係が強いらしく、 パウロは彼らに「従順」であるようにと遠慮なく 迫っていきます。しかし、この「従順」は使徒パ ウロへの忠誠を要求する質のものではありません。 すぐ前の「キリスト賛歌」にあるように、この 「従順」は「おのれを低くして、死に至るまで、 しかも十字架の死に至るまで従順であられた」と いう賛歌の一節に示されているように、イエスの 生き方に根ざしたものでした。「十字架の死に至 る」まで貫徹したイエスの従順の先に、神の救い の達成が約束されていた。その救いにあずかれる ように「恐れおののいて」ただひたすら待つ。 「自分の救いの達成に努める」とはそういうこと を言うのでしょう。「達成に努める」と訳されて いるのは、「達成する」「獲得する」という意味 の動詞が未完了形で表現されているのを工夫した 訳です。未完了形は動作の反復を表します。何度 も何度も「達成しよう」と努めるというわけです。 しかし、この反復も「努める」とはいえ、努力 の結果達成されるものではない。「あなたがたの うちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現 に至らせるのは神であって、それは神のよしとさ れるところだからである。」つまりあくまで神の 意志による救いだというのです。 こうして「責 められるところのない純真な者となり、曲った邪 悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子とな る」というのですが、こういう言葉が後になって 使徒の戒命のように受け取られると、重心がずれ てしまいます。 例として、17世紀初頭のピュー リタンを参照したいと思います。彼らは、神の選 びの教説を徹底し、人の意志に関わりなく神は誰 を救われるかあらかじめ決定していると受けとめ ます(予定説)。としても、真に救われる(た) 者はなんらかの神の恵みを受け取っているにちが いない。真に救われた者の共同体(教会)を造ろ うとして、そのしるしを求めました。彼らが注目 したのは、救いの体験を表現することでした。彼 らは、予定説を採っている以上、主観的な回心体 験をもって救いの証拠とはできない。そこにひそ んでいる傲慢を見てしまうから。彼らは、確実な 回心体験を持てず、懐疑的な自分を正直に告白す るその正直さにこそ神の恵みを見たのです。いわ ゆるピューリタン的な厳格主義はうわべにすぎな い。救いの保証を完全には得られない者として、 しかしその恵みにこだわって、自己の内面をえぐっ ていくところにこそ彼らの特長があります。その ように自己を告発するかのように内面をえぐって いく前提として、一方に強靱な自己があるわけで す。ですから、えぐられる内面は、同時に内面の 他者であり、他者の内面になる。要するに正直さ と表裏一体の、自己にも他者にも容赦しない厳格 さが露出し、しかし、予定説なのですから、その 厳格さが救われていることの確証でもない。 わ たしらのような湿った人間関係に慣れた者には ちょっと寄りつきがたいものになっているのです。 これが草創期アメリカのニューイングランドのク リスチャンのありようでした。 自分が救われる かどうかという問いが、必ず、誰が救われて、誰 が救われないかという問いにずれていってしまう なら、こういう問いは立てない方がよいのではな いかと思います。
11月19日の説教から マルコ10章42−45節 「仕えること」 久保田文貞 「…異邦人の支配者と見られている人々は、その 民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力 をふるっている。 しかし、…あなたがたの間で偉 くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなた がたの間でかしらになりたいと思う者は、すべて の人の僕とならねばならない。」 このイエス の言葉を引き出すきっかけになったのは、ゼベダ イの子ヤコブとヨハネが他の弟子たちを抜け駆け するように「栄光をお受けになるとき、ひとりを あなたの右に、ひとりを左にすわるようにしてく ださい」。とイエスに頼んだといういことになっ ているからです。これに対して、イエスがいらだ たしげに言う、「あなたがたは自分が何を求めて いるのか、わかっていない。あなたがたは、わた しが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを 受けることができるか」と。イエスからすればこ こで二人が「できません」という答えを期待する も、二人は「できます」と自信満々。さらに、そ のいきさつを見ていた他の弟子たちも憤慨するの です。 ここで弟子たちはおしなべて、完全に同 じモードに入っています。彼らは、これまでイエ スのあとを追って、イエスの活動をアシストして きた。病人を癒し、生活復帰させたり、社会から 葬られようとしている人に手を差し伸べ、自立し て生きる方向を示してきたり、とにかくユダヤ教 の支配者、エルサレム当局がなしえてこなかった ことをやり遂げてきていると自信過剰になってい る。その傲慢さをたしなめるお話になっていると とらえることができます。 しかし、わたしはこ こに、単に上昇志向を諫める訓話以上のものを感 じます。まず第一に、そうやって人々に「奉仕」 しているようでいて、内実は人々を支配し、管理 する人間になろうとしているという問題です。こ れは個々の品性の問題ではなく、人間集団の組織 の問題です。このような問題が人々の心を強く揺 さぶるのは、イエスの死後、弟子たちが造った教 会の中でのことです。教会組織の中では、支配か、 奉仕かという問題がよりリアルになってしまいま す。「仕える」という顔をしてその実は「支配す る」という転倒し、屈折した内部倫理が生まれて きて、この物語が新しい場をつかむ、いやそれど ころかそういう場がこの物語伝承を完成させたと 言えるかもしれません。 しかし、第2に、そも そも「仕える」というのは、誰に「仕える」かと いう問題です。日本語で「仕える」という字を使 うとき、もともと侍が主君に仕えるという意味で、 ホワイトカラー的な気位の高さを感じさせます。 けれども、古代語の「仕える」は、新約ギリシャ 語にしても旧約ヘブル語にしても、「奴隷」と同 根の語です。「すべての人の僕(=奴隷)となる」 とは、文字通り取れば、人の主人となるというあ り方、人を支配するというあり方を完全に捨てる ことを意味します。そこで新たな逆向きの「奉仕 する」という支配が始まるということではありま せん。 「すべての人の僕となる」ということは、 「すべての人」を知らなければなりません。もち ろん人は「すべての人」を知るわけにはいかない。 いやそれどころか、何も語らず姿を消していった 人、発言の機会をもたず沈黙している人もいる。 実はその人自身さえ受けとめかねている自分自身 さえある。けれども、むしろここに「すべての人 の僕となる」ということの鍵があるかもしれませ ん。それは、これらの記憶にとどめられなかった 人々、死角に入っていて見えてこない人々の「僕 となる」、「仕える」という困難事を常に追い求 めるということではないでしょうか。
11月12日の説教から 創世記32章21−32節 「神と格闘する」 久保田文貞 話は少し戻ります。ヤコブは伯父ラバンとの別 れ話が穏便に片づいて故郷に帰るわけですが、今 度は、兄エサウと和解しなければなりません。そ もそもヤコブが故郷を離れたいきさつは、ほとん ど騙すようにしてエサウから父の祝福=相続権・ 長子権をもぎとってしまい、怒った兄に襲われか ねないことを恐れてのことでした。そこでヤコブ は故郷に入る前に兄の様子を偵察させたり、贈り 物を何にするかなど思案する、それが32章の前 半です。兄のいる故郷に入る寸前に、今回の物語 −−ヤボク川の渡しでヤコブが神と格闘する−− が挿入されているのです。 この物語背後には、なぜイスラエルでは腿の筋 を食べないかという理由を説明する起源譚、ある いはイスラエルという呼び名の謂われを説明する 起源譚、そしてヤボク渡しに古くから伝わる民間 説話が透けて見えてきます。ここでは、イスラエ ル救済神学の息のかかっていないレベルでこの物 語を考えてみようと思います。 ヤコブは、夜、 ヤボク川の手前で宿営し人々を休ませ、夜中に家 族を起こして川を渡らせるという妙な行動をした ことになります。夜、河を渡るというのは、尋常 なことではありません。明るい日差しの中、堂々 と渡ればよいものを、夜暗い中、危険を承知で家 族や荷物を渡らせる。この乾燥した地方に数少な い川は、必然的に諸部族の支配領域を仕切る境界 線をなしていました。ヤコブが兄や父を裏切る形 で故郷を捨て、再び故郷に戻る物語の境界越えと して、ヤボク川とその渡しにまつわる説話が使わ れたというわけです。 そして、彼の負い目、良 心の呵責が、夜、境界を超えるという設定を選ぶ のもいたって自然なことです。 境界を越えると いう行為は、こちらの世界からあちらの世界(= 異界)へ渡る行為のことであり、そこにはこちら を裏切るようなある種の後ろめたさがいつも張り ついている。こうして境界を越えてはならぬとい うタブーが、物語上にそこを守る魔物めいたキャ ラクターを作っていくのでしょう。それがイスラ エル救済史神学化されると、神に置き換えられる わけです。 ヤコブは境界を越えさせまいとする 魔物と一晩中格闘します。かつて父と兄を裏切り 故郷を捨てるようにして境界を越えて出ていき、 今度は、異境の地でその地の妻を4人も得、財産 を築いたあげく、それをもって故郷へ帰えるため に境界を越えて戻ろうとする、そのヤコブの境界 越えを阻もうとするのです。 ここには、人との 縁を絶ちきって〈越え〉なければならなかったと きの自分史の暗い記憶が見えてくるような気がし ます。それを越えると仲間を裏切り、自分が破綻 しそうな気がして、なかなか越えられない。それ は、仲間に対する義理がたさというより、仲間で いることでもってきた自分を断ち切るのが怖くて 裏切らないだけ。一種の自己防衛であり、保身術 にすぎない。反対に、越えることの重さを無視し て厚顔にも大股にまたいで越えていくという無神 経も最悪です。 ヤコブは超えるということがそ れほど華々しいことではないことを知っているか のように、夜を選んで河を渡ろうとしました。し かし、超えさせまいとする異界の格闘家は強い。 異界の魔物はヤコブのモモの窪みに手をやって、 ヤコブの足のつけ根の関節を外す(out of joint)。つまりヤコブという人間の骨組みを崩す わけです。こちら側からあちら側に越えていく時、 何らかの形で、引き受けるべきひとつの脱構築で す。もちろん、それを無視して境界も夜もものと もせず、外れた関節もそのままに突っ走るのもあ りかもしれませんが。
11月5日の説教から 第一ヨハネ3章11−24 「死からいのちへ移る」 久保田文貞 「わたしたちは互に愛し合うべきである。これ が、あなたがたの初めから聞いていたおとずれで ある。」 「互いに愛しあう」という文句は、い まではあまりにウソ臭くて、気恥ずかしさ抜きに 語れない感じがしまうが、少なくとも最初期のク リスチャンたちにはそんなことはない。この表現 はものすごく抽象化されてしまっていますが、そ のインパクトはまだ失われてはいなかったでしょ う。 ヨハネの手紙を生みだしたグループの人々 (教会)は、「主は、わたしたちのためにいのち を捨てて下さった」というあのイエスの出来事を 受けとめ、イエスを信じる人間のあり方を「互い に愛しあう」ということばに集約しました。人と 人との根底の関係を「憎しみ」と「愛」にふりわ け、「憎しみ」の帰結は他者の抹殺であり、殺人 になる、反対に「愛」の先には命があるというの です。もちろんその愛は、「言葉や口先だけで愛 するのではなく、行いと真実とをもって愛し合お う」というわけで、観念的に頭の中で必死に愛し ていてもだめだ、他者のために自分の手を足を体 を動かしていこうというのです。 ここには、複 雑な人間の社会関係を「憎しみ」か「愛」かの人 間関係にまで微分してしまうというある種の原理 主義があります。これはどのような人間関係にも 通用しますから、キリスト教といわず現代社会一 般でけっこう無意識に同じような原理主義が働い ています。 例えば、いまマスコミをにぎわして いる〈いじめ〉問題。他者を憎み、無視し、抹殺 するか、あるいは他者を受け入れ、他者に与え、 他者を愛するかという一対一の人間関係で起こる ことが、集団の中では特別な力学が働いて、特定 の人に「憎しみ・無視・抹殺」を向けてしまうと いうことが起こる。このような力学が働く原因は まずまちがいなく、個々が自分が仲間はずれにさ れることを恐れて、特定の人を抹殺する〈いじめ〉 行動に荷担してしまう。そこでひとりひとりが他 者に対する態度を責任的に選択できるような自由 な関係を作らなければならない。それができてい るところでは決して〈いじめ〉が起こらないと説 明されています。 けれども、この説明の前提に なっている〈自由な責任的な選択〉とは、実はエ ゴイズムのすすめでもあります。一対一の〈憎し み〉か〈愛〉は人間的にやむを得ないこととされ ているのです。あくまで集団的に特定の人を〈い じめ〉るのがいけないというわけです。公平な競 争はむしろ善しとされ、不公正な競争がいけない とされる。これを極端に推し進めているのが現在 のグローバリズムといってもよいでしょう。 し かし、この自由主義のすすめは〈いじめ〉行動に 集中する可能性をもったエネルギーを蓄積を促す ことになると考えるべきです。ひとたび自分がや り玉に挙げられ、競争に負けるかもしれないとい う不安に駆られるや、特定のスケープゴートを作っ ていく方に走る可能性は十分にあります。 この ような社会にあっては、一対一の微少な関係の中 で、自分ひとり美しく「互いに愛しあう」を実践 していればよいというものではなくなります。エ ゴイズムが群をなして機能し始め、外部=他者を 抹殺することによってより駆動力を得ようとする 事態に、わたしたちはきちんとNOを言うことが 必要になるでしょう。
10月29日の説教から ヨハネ福音書11章4節 「死で終わらない」 久保田 文貞 「わたしは復活であり、命である。わたしを信 じる者は、死んでも生きる。」(25)イエスの口に ここまで言わせてしまうともうあとがなくなると いう感じです。 ヨハネ福音書の基本的な手法は、 ここまでいくつかの独立した物語−−−井戸辺で サマリヤの女との出会い、ベトザタ池での病人の 癒やし、5千人の供食、盲人の癒やしなど−−− に、イエスのことばをつなげていきます。つまり 読むと情景が思い浮かぶような具体的な物語が、 露払いのようになっていて、あとから本物のイエ スの言葉(説教)がとうとうと流れて終わるとい う5章のパターンが典型的です。 しかし、全体 として謎めいています。ヨハネ福音書は「しるし」 という語を使います。「この世」に対して表面的 には人が驚くような「しるし」が示される、しか し、「この世」はその後ろに隠されている「真理」 を悟らない。そこでイエスの言葉が「真理」を語 るわけですが、そのイエスの言葉もまだ謎めいて いる。例えば「わたしは世の光である」「わたし は命のパンである」ととつぜん飛躍する。たしか にイエスの説教は物語のうらにひそむ真理を語っ ているようであありながら、実は〈ことば〉の表 面的な意味をどこまで追っていても真実に到達で きないと言わんばかりのなぞになっている。つま りイエスの言葉がなおも「しるし」でしかないと いう感じなのです。 11章は病死したラザロ復活 の物語です。共観福音書にも病死した娘を生き返 らせる物語が出てきますが、その場合は周囲の連 中が死んだ死んだと大騒ぎするのですが、イエス は病人を癒すように娘を起きあがらせる(マルコ 5章)といういわゆる奇蹟物語です。ヨハネ福音 書のラザロの方は、奇蹟物語を単に大がかりにし ただけではない。もう4日もたって朽ちかかって いる墓の中の死人をイエスが「ラザロ、出てきな さい」と呼びかけて復活させるのです。最初に掲 げたことばも、物語レベルの終わった後の総括的 な説教として語られるのではない、この物語のむ しろ前半に差し込まれています。これはもう、こ れまでの謎めいた「しるし」の域を踏み外してい ます。死んでいた人が、人々の目の前でイエスか ら呼び出され、まるで宴に招かれた人のようにい のちへと入ってくる感じなのです。 物語を聞く 者はほとんどのものがはっとして、「あ、ラザロ だけでなく、このわたしが呼ばれている。」と気 づくしかけになっています。隠されていた「しる し」はもう半分くらい開きかかっています。「し るし」は、人がイエスは何者か判定するための証 拠ではない。人がイエスをメシヤかどうか、ある いは預言者かどうか品定めする基準として「しる し」を見るかぎり、その意味は閉ざされてしまう。 そうではなくて、「しるし」は実はこの地上に肉 の姿でやってきた神の子イエスの〈あなたへの呼 びかけ〉なのだ、言い換えれば、受肉したイエス そのものが、実は神があなたへ呼びかけている呼 びかけなのだというわけです。 半分開かれてい るといってのはちょっと過大評価をしているかも しれません。ヨハネ福音書としては、この後から 始まっていくイエスの十字架の死と復活の大きな 物語をもってその最後的な意味が開示されるのだ という構成になっていると言うべきなのでしょう が、その最後の物語もイエスが神の子であるかど うかの証拠をみたいと思うものには真実が閉じら れてしまうという構造になっているのです。
10月22日の説教から 第一コリント11章23−30節 「開かれた聖餐か」 久保田文貞 パウロがコリントに伝道し て生まれた教会がまだ5年ぐらいしか経っていな い頃、エペソに滞在していたパウロの所にコリン ト教会に起こっていたいくつかの問題について意 見を求められたようです。その一つが教会での食 事の「主の晩餐」問題です。この食事がどんなも のであったか議論のあるところですが、次のよう に捉えます。 この教会では午後の食事を単なる 食事でなく「主の晩餐」として特別な食事として いた。この食事の最初に伝承された主の言葉… 「これはあなたがたのための、わたしのからだで ある。わたしを記念するため、このように行いな さい」…が唱えられ「パン裂き」と祝福を行う。 それで食事が始まる。弱い立場の者は空腹のまま 食事の終わるのを待っているらしいから食事は各 自の持ち寄りだろう。その「食事の後」(25)つま り長々と続いた食事の最後にもうひとつの主の言 葉…「この杯は、わたしの血による新しい契約で ある。飲むたびに、わたしの記念として、このよ うに行いなさい」…が唱えられワインの入った杯 を飲む。少なくとも一部のコリント教会の人々に はこの食事全体が「主の晩餐」と考えられたのだ ろう。すなわちパン裂きで始まり、杯で終わる食 事全体が主イエスと共にある熱狂的な時間と観念 されていた。だからこそこの熱狂に浸っている者 には周りが見えなくなる。家から食事を持参でき ない貧しい者たちが腹を空かしてこの食事に加わ れていない、そういう実質の食事の問題がわから なくなっているのだろう。このようなコリント教 会の「主の晩餐」の展開はパウロにとって意外な 展開に思えたかもしれない。パウロはきわめて冷 静に、混然とした「主の晩餐」を、実質の食事と 儀礼としての「聖餐」から引き離してしまう。と いうよりその食事から「聖餐」を抽象してよりいっ そう儀礼化させた。 ただし、パウロはこれをもっ て「聖餐」の儀礼化を普遍的なものにしようとし たわけではないでしょう。コリント教会の進路を 失ってしまったような「主の晩餐」を沈静化させ るために最低限の主の食事だけにし、その他の実 質の食事を各自家で済ませてくるようにという勧 めをしたのでしょう。 とすれば、この大人びた 解決の仕方にちょっと問題を感じます。「貧しい 人々」(22)「弱い者」「病人」(30)に「恥をかか せ」ないために各自家で食してこいというわけで す。つまり彼らは家で「恥をかかないで」ひっそ り空腹に堪える、空腹の問題は多分〈熱狂〉に流 れていった「主の晩餐」時代より深刻な問題にな るでしょう。「聖餐」を儀礼化して簡素にし、実 質の食事の要素を払拭する・・・なんのことはな い「熱狂」が「儀礼」に姿を変えて、今度は「儀 礼」が食事を十分にとれない人々の存在を隠蔽し てしまうかもしれないからです。 しかし、「聖 餐」が決定的に後のクリスチャンの心をとらえる 動機になったのは、同じ聖餐の設定語としてマル コが伝えているイエスの言葉の中にある「多くの 人のため」ということです。これはパウロも早く から受けていた「(主が)私たちの罪のために死 んだ」(1コリ15-3)という言葉と同根の信仰です。 イエスが十字架刑を受けあのように最悪の死を死 んでいったことが、人の「罪のため」と表現した ことがどのような意味だったかという議論を超え て、とにかくその死が深く私たちのひとりひとり の生き方に関わっていることは認めたいと思いま す。そのことを教会の食事に重ねてもよいでしょ う。けれども、あのイエスが悲惨な死を遂げた道 行きには、「貧しい人々」「弱い者」「病人」が パンを充分に食せない問題が欠かせないステップ として組み込まれているのです。そのことに取り 組んだ結果の死をイエスは死んだといってもよい。 「聖餐」を「多くの人のため」として捉えるなら このことを決してはずせないのです。
10月15日の説教から 創世記48章12〜22 「手を頭の上に置くこと」 久保田 文貞 キリスト教会の儀式に〈按 手礼〉というのがあり ます。もとはローマカトリック 教会の聖職(サクリ・オルディネース=聖なる諸階 層)を任命する叙階の秘跡(サクラメント)のこ とです。先輩の聖職者が新たに聖職になる者の頭 に手を置いて権威を継承するものです。その基本 の考えは、古カトリック時代、グノーシス主義に 対抗する基準として、キリストの12使徒に由来す る権威と教えを「頭に手を置いて」〈使徒継承〉 するというものでした。それを実体的に演じてみ せるのが〈按手礼〉と言ってよいでしょう。 実 は、16世紀の宗教改革はローマ教皇の権威に対抗 して、「信仰のみ」「聖書のみ」という原理を打 ち立て、当然、教皇を頂点とする聖職者ヒエラル キー(位階)を否定することになります。キリス トを信じる信仰、キリストを証しする聖書、それ 以上の、それ以外の〈使徒継承〉を断ち切ったの です。 このことは、たとえ正統的な信仰を守る という大儀名分があろうとも、特定の実体を持っ た教会や特別の人間に、法的な権威を持たせてし まうとキリストの福音と背反してしまうというこ とを意味します。宗教改革はその悲劇的な結末を 読みとって、〈信仰のみ〉〈聖書のみ〉という福 音主義の道を選び取ったのです。 しかし、その 宗教改革運動もやがて自己の教会を擁護しようと 守りの態勢に入って、結局は教会の権威を持ち出 し、使徒的継承を再起動させました。もちろんこ うした動きにはいつでも宗教改革の原点に立って、 教会や教職の権威主義を内側から批判していく運 動が起こってきます。 さて、私たちが所属する 日本基督教団は、1970年の万博キリスト教館出展 問題を機に、福音を近代主義的なイデオロギーに おとしめてしまったこと、また批判者に「造反」 というレッテルを貼って、ひたすら形式的な「正 常化」を呼号する教会・教職の権威主義、教会の 自己保身と保守等々が批判されました。それが多 くの人々に受けとめられ、その後約20年批判と 改革の時代となりました。 その中で、当然、教 職制度、按手礼も問題化されました。「教職」が 教会の中で教師という機能を超えて権威化され、 しかもその根拠として「使徒継承性」が持ち出さ れることに対して激しい批判がなされました。 しかし、残念ながら結果的に運動は頭打ちになり、 形勢は逆転してしまいました。現在はその「反 動」、20年間なされた批判と改革の兆しはいま や「粛清」一色といってよい。 兵庫教区は、こ の反動に教区として抵抗できる数少ない教区なの ですが、そこで、教職たちが新教職の頭に手を置 く「按手」行為をやめるなど「使徒継承性」の名 残を排し、独特の按手礼を教区決議し、今春執行 したですが、反動化した教団側の、その司法権を 握っていると錯覚している「信仰職制委員会」は、 「教憲・教規」に即して「頭に手を置かなかった」 按手礼を無効だと答申したのです。 なにが問題 かおわかりだと思います。「手を頭に置く」こと は、古代イスラエルでいくつかの場合に行われま したが、いずれにせよ象徴行為でしかありません。 親が子を祝福するために子の頭に手を置いてやる、 痛みが激しい部位に手を置いて癒してやる、師匠 が弟子の頭に手を置いて一人前になったことを認 めてやる、などなどそれ自体はけっこうなことで す。けれども、それをどうして規則にしなければ いけないのでしょう。どうして「頭に手を置か」 なかったことを違反として裁かなければならない のでしょう。本末転倒です。もっとも「法」とい うものは本末転倒な格好をしてしか存在できない ものなのでしょうが。
10月8日の説教から ヨハネ福音書6:22−33 「命のパン」 久保田文貞 「5千人の供食」と呼ばれる記事は、マルコにも とづく共観書の記事と深くかかわっています。年 代的にはマルコ福音書が2、30年先行していま すから、ヨハネも共観書を横に睨みながらこの物 語とそれに続く説教を書いていったと言ってよい でしょう。 ヨハネのこの物語が、マルコのもの と微妙に違っている点は、奇蹟行為と群衆の位置 づけです。マルコの場合、イエスは、弟子たちが 宣教活動に疲れているので、しばらく人を避けて 休養させよう舟で向こう岸に行かせるが、そこに も群衆が押しかけてきてしまう。そこでイエスは 群衆を追い返さず、懇ろに応対する。夕暮れになっ てみな腹が減ってくる。(弟子たちはいつもそう いうとき、食べ物などを用意しなければと気遣う 裏方の仕事をしていたことがうかがわれます。) この場合、食糧を調達できるような場所ではない から群衆を解散させてめいめいで食事を取るより ないと提言する。弟子たちのいかにも自然な提案 に対して、突如イエスは「奇蹟行為者」になる。 パン5つと魚2匹を祝福して裂き、5千人の腹を いっぱいにする奇蹟を行う、というものです。こ の物語の流れでは、イエスが群衆ととことん付き 合っていく過程で食糧調達の問題にぶつかり、そ こでわずかな食糧を分けて群衆の腹を満たすとい う奇蹟を行ったわけで、群衆のための、臨機応変 的な奇蹟行為になっています。 これに対して、ヨハネの場合は、イエスは初め から先を読んでいます。群衆たちに給食すること が、単に腹を満たすためのものでなく、実はそれ 以上の意味をもったものであることを教えようと しているのです。ここでは「群衆」はある意味で 卑しめられています。彼らは、パンの問題を解決 するイエスの奇蹟行為に感激して、奇蹟の後もイ エスと弟子たちを追い回すだけの、この世界 (「この世」)を象徴的に代表する存在になって います。 しかし、それと同時に、このヨハネの 物語で、イエスはその群衆に単なる食糧ではなく 実は「いのちのパン」を惜しげもなく、あるいは それを受ける資格に関わりなく、ふるまっている のです。しかも、この食事は、53節以後に明確 に書かれているように、イエスの死後出現した最 初期の教会の中で生まれ、後に「聖餐式」と命名 された儀式のことをしっかりと念頭に入れた上で、 この世界のすべての人々に対してふるまわれる 〈食〉なのです。 もちろん、ヨハネ福音書的に 言うと、これはこれでたいへん厳しい意味があり ます。食したいと思う人には、だれにでもこの 「いのちのパン」を与えようとということは、こ の世界のだれもが、その恵みの下にあると同時に、 実はその審きにも晒されているという表明をとも なっているからです。 いま日本基督教団の諸教 会で、聖餐式で信者以外の人にもパンと葡萄酒を 提供すべきかどうか、つまりオープンにするか、 クローズドにするか議論しています。私たちの教 会では、当然オープンですが、この問題をいきな り聖書に問うてもストレートな答えは出てきませ ん。自分たちで、聖書やその歴史を参照しながら 決めるよりありません。「聖餐」受給資格や執行 資格が問題になるのはどんな状況のもとであった か、現在これを問題にすることがどんな意味が隠 されているのかなど、それなりに興味はあります が、宗教改革時代のように聖餐問題に熱くなって 戦争までした連中と同じような目をしている人に ぶつかるとガックリきてしまいます。
10月1日の説教から ピリピ2章6−11節「弱い思想」 久保田文貞 2章1−11で、パウロはピリピ教会の人々に 「キリストにあって」「同じ思い」「一つ思い」 であってほしいと奨めるわけですが、「同じ思い」 とか「一つ思い」とか聞くと、ぼくは生理的に警 戒してしまいます。もっともここでは党派心や共 栄心を捨て、謙虚にしなさい、自分のことばかり でなく他人のことも考えなさいと言うのですから、 異なるものをむりやり一つにしてしまうというの とは違いますが。 しかし、なにかしっくりいか ないものが残ります。へりくつに聞こえるかもし れませんが、結局、「キリストにあって」「同じ 思い」「一つ思い」が一人歩きをはじめて〈法〉 のようにならないか。だが、その後の教会の歴史 は、キリストのように「自分を捨て」「謙虚」で あれと信徒に命じながら、共同体をしばり、異者 を排除するという多くのねじれた現象を呈すこと になったといわざるをえないのです。 この点で パウロの責任はすこぶる大きいと思うのですが、 そうともいいきれない面をもっています。例えば、 ここでの場合、彼は当時うたわれていた讃美歌の 一節を引用します。 「キリストは、神のかた ちであられたが、 神と等しくあることを 固守すべき事とは思わず、 かえって、おのれ をむなしうして 僕のかたちをとり、 人間 の姿になられた。 その有様は人と異ならず、 おのれを低くして、 死に至るまで、従順 であられた、 しかも十字架の死に至るまで。」 この後に、このキリストを神が高く上げ、彼に 栄光が帰せられるように歌うのですが、手紙の論 旨の流れから言えば、後半はなくてもよかった。 この箇所について、昨年のクリスマスに「神が 神であることを捨てた日」と題して話をしました。 そこでも申しましたが、キリストが神のもとを去っ て、私たちの前にあるということは、彼が私たち の前で神たろうとする在り方をやめたということ であり、他者をかがめさせ、他者を支配する、そ のような在り方をやめるということなのです。だ から「謙虚さ」を売りにして、なにか搦め手から この世界をまとめ上げようとか、支配しようなど ということはまったくの誤解であります。「ひと つ思い」などという言葉を一人歩きさせて、パウ ロの言葉を引っ張らない方がよいのです。 パウ ロがこの讃美歌の詞に「しかも十字架の死に至る まで」を加筆したことに注目すべきです。ともす るとそこで歌われている「へりくだり」(ケノー シス) が美学的なものに流れていきかねないわけ ですが、そこでこの加筆がそれを退けます。キリ ストは神と等しくあることを捨てて、奴隷の形・ 人間の姿になり、十字架刑という最悪の死を死ん だ・・・人間がこの世界で他者に出会い、渡りきっ て行くときに参照できるのはここまでです。 こ の後に、神がキリストを高く上げ、すべての名に まさる名を彼に与えたという栄光頌(ドクソロ ジー)がついていますが、もしこれによって前半 の内容をぼかしてしまうようなことがあれば、後 半こそ封印しておいた方がよいと思います。わた したちは、すべてを説明しきって、克服し勝利す る生き方・「強い思想」を生きるのでなく、説明 して相手を屈服させることができないことをみと め、むしろ屈曲し、送り込まれてくる相手の生を 受け入れ、発信されてくる存在の信号をただ聞き 取ろうとする生き方を選び取ろうと思います。そ れを「弱い思想」と呼ぶならそれもよかろうと思 うのです。
9月24日の説教から 創世記34章 「異者との出会い」 久保田文貞 ヤコブがカナン(パレスチナ地域)に戻ってき て、最初にやらなければならなかったことは兄エ サウとの和解でした(前回)。次にやるべきこと は一族が居留する場所を定めることでした。34章 はその事をめぐる事件を扱っています。 ヤコブ はシケム(ここではカナンの中央に位置する小都 市の名と、そこの指導者ハモルの子の名が同名) という小都市国家から「野」つまり支配地のはず れの土地を買った(33:19)というが、実質的にはそ この居住権と、草地、水利、やせた土地の耕作な どの使用権を買ったというだけのことで、あくま で寄留者、よそ者にすぎません。これまでの物語 の続きから言えば、ヤコブ一族はものすごい資産 を持っている(32:13以下)ことになっていますが、 それは誇張、シケムの総資産を揺るがすような寄 留者とは思えません。ここに現れるヤコブ一族を、 都市住民に対しては、普通の半遊牧的な寄留者に 戻して考えたいと思います。 さて、その寄留者 ヤコブの娘ディナが、地元の娘たちの所に遊びに 行く。田舎の娘が町に遊びに行くという設定にす ると私たちにはわかりやすくなりますが、シケム 側も、せまい田舎町に定住するだけの者ですから、 どっちもどっちでしょう。ただ、シケム側が地主 であり、有利な位置にいることは確かです。若い 娘ひとりで町に入っていく好奇心に危険が伴うの はやむをえません。 町の支配者ハモルの息子シ ケムが、ディナを見そめてしまいます。聖書の書 き方はこうです。「その地のつかさ、ヒビ人ハモ ルの子シケムが彼女を見て、引き入れ、これと寝 てはずかしめた。」確かに娘を「はずかしめた」 わけですが、物語全体の流れから見ると、侮辱を 受けて怒っているのは、ヤコブ側の男たち、それ もヤコブの息子たちなのです。この後ずっと、す べては男たちのディナをめぐる取引が語られます。 ディナの思いなど何も斟酌されていない。彼女は この出来事の後、シケムの男たちがみな殺しにあ い、子女、妻たちが虜にされ略奪される日まで父 の元に帰っていません(26)。ディナの気持ちはシ ケムにそそがれていた可能性だってあります。 シケム側は、手続きをとらずにこうなったことの マイナス点を考慮して結納品など相当の条件をヤ コブ側に示します。もっとも彼らにも打算(23)が あった。ここでヤコブと親族になれば、彼の資産 が実質的にシケムの総資産に加算されると。父親 のヤコブの態度は、息子たちの強硬な態度に比べ て、最初からはっきりしていません(5)。兄弟た ちの中でも最も強硬で、復習の実行にあたるのは、 ディナと同じ母レアの息子たちでした。ただし長 子ルベンは名がない(35:22)。 ヤコブ側の条 件は、シケムの男たちが割礼手術をすることでし た。けれどもそれはその兄弟の陰謀でした。成人 男子の手術は3日目位が炎症負けして動くに動け ない状態になる。その時に復讐を決行するという ものでした。結果は前にも述べたとおり、シケム 殲滅と略奪でした。後のヨシュア記・士師記に描 かれているような戦利品を一切とらない、女に手 を付けない「聖戦」ともタイプが違う単なる攻略 でした。 いずれにせよ、印象に残るのは肝腎の 娘ディナの影があまりに薄いことと、一方、男た ちの策謀、虚栄、残虐、いいところ一つもない箇 所でした。「異者との出会い」と題をつけたので すが、かろうじてそれができているのは、むしろ シケムとディナの、一方的な出だしであれ、また 手続はどうあれ、二人の事実婚とその可能性だけ ではないかと・・・。もちろん、イスラエル血統 主義がそれを評価するはずがありません。
9月17日の「説教ノート」がなかったので 24日の週報に載せられた映画評−−−アレクサ ンドル・ソクーロフ監督の「太陽」−−−(『教 会と聖書』9月号)を転載します。 有楽町の数寄屋橋の下に川というか堀のような ものがあったのは覚えていますが、銀座の三原橋 の下にほんとうに水があったのはいつのことなの か知りません。ただ、その橋の下の両側をえぐる ようにして、もうずいぶん前からキワモノっぽい 映画をするうす汚い(失礼)映画館がありました。 学生時代にデモか何かの帰りに、とにかく頭を切 り替えたくて、変な勇気を出してその映画館の一 つに入ったことを思い出します。映画館の並びに は赤提灯が並んでいて、その橋下だけは戦後のヤ ミ市の一画に陣取る飲屋街の風情で、オツにすま した四丁目交差点から百メートルたらずの場所だ とは信じられないようなところでした。 で、話 題作の「太陽」という映画が八月からかかってい るというのを聞いて、九月初めの月曜日の午前 (ヒマな奴だなあ、なんて言わないでください。 こちらの原稿のためという、ちょっとした名分を もってのことなのですから)に、久しぶりにここ に行ってきました。橋下はまだ朝なので赤提灯の 灯はついていませんでしたが、昼飯の仕込みが始 まっていて人々はもう忙しそうに立ち回り、昔の 雰囲気はちょこっと残っています。「太陽」のか かっている映画館の前には始まる二〇分ほど前な のに人だかりができていました。 前書きが長く なりましたが、今日は、〈写真〉のかかる〈小屋〉 のことを先ず書きたかったのです。映画はどこで 見るかというのが、けっこう映画にとって大事な 要素だと思っています。「風と共に去りぬ」と言 えば、有楽座(もうありませんけど)かスカラ座 あたりで見たい。東映のヤクザ映画なら新宿で、 寅さんの映画なら浅草六区あたりで、「エドワー ド・サイード」なら運動体の集会で見たりと、偏 見と言われようなんと言われようと、ぼくには映 画を見る場所を選ぶところから、〈映画を見る行 為〉というのが始まっていると思うのです。ハリ ウッドのだれそれが好きで好きでたまらなくって、 追っかけのようにして試写会の募集に公募し、な んとしても見に行くというのも含めてです。もち ろん、これは東京付近に住んでいる者のたわごと だとは承知していますが、でも、他の地域にはそ の地域の同じようなことがかならずあるはずだと 思い込んでいます。 というわけで、「太陽」と いう映画には、その橋下のちょっと場末の雰囲気 を持った映画館が嘘のようにピッタリでした。ロ シアの映画監督ソクーロフは、二〇世紀を動かし た人物ヒットラーやレーニンを独特の詩情に満ち たタッチで、描き出してきた人だそうです。「太 陽」とは、彼が日本人の俳優を使って、大戦末期 から敗戦、そして「人間宣言」にいたるまでの人 間ヒロヒト(イッセー尾形) を描いたものです。 ほとんどの場面が、皇居内の特製の防空壕の中、 空襲がないときだけ、ヒロヒトの陰気な生物学の 研究室というわけで、それが、この橋下の防空壕 のような映画館の延長にあるのではないかという 錯覚に捕らわれました。 ずっと、周辺的なこと ばかり書いています。そう、この映画のコンセプ ツ、ある種の観念の方に向けてにじり寄っていく のが憂鬱だからなのです。神を人間と峻別する神 観に慣らされたものや、「無神論」という近代主 義の落とし子をそのまま奉じているものには、 「アラヒトガミ」などと聞くともう初めから薄笑 いを浮かべて、そのことをそれ以上穿鑿しても無 駄と考えるでしょう。確かに、この問題を「神学」 的に考察する位なら、嗤ってすませた方がよいか もしれない。いや、そもそも「神学的に」という ことと「考察する」ということの背理性を認めよ うともせず、〈人間をアラヒトガミにすることは、 理に反する〉と「論理的に」批判したつもりになっ ている方がずっと悲惨だと思います。たぶん、こ の映画にはそんな思いへの広がりがある。 19 世紀末から20世紀にかけて、後進国日本の支配 層は天皇制という独特なモーターをあつらえて、 なりふりかまわず列強の仲間入りをしようと紛れ 込んでいった、「純朴な」ヒロヒトはその傀儡の ように「神」に祭り上げられたのだと、そうやっ て彼を被害者に位置づけ、その悲しさ、可笑しさ を描いていく。なるほど、政治権力がひとつの観 念的な血統と人間を神的な存在に仕立て上げ、そ の吸引力を利用して矛盾に満ちた支配を貫徹し、 国民にその服従を課し、果ては内外共に何千万と いう人間を死に追いやったということの最大の責 任者は、祭り上げられた天皇というよりは、それ を利用した国家の実質の支配者というべきかもし れません。もし、ヒロヒトが人間宣言をした後、 退位し、さらには天皇制に終止符が打たれたとす れば、ソクーロフの描いたヒロヒトの悲哀も諧謔 もその詩情のまま受け取ることができたでしょう。 しかし、そうは問屋が卸さなかったのです。ヒロ ヒトは生き延びただけでなく、「人間宣言」をし たと大騒ぎされたその本人が、今度は「象徴」と いう椅子に座らされ、いや、訴追を免れると知る や、自らすすんでその座に登り、元の木阿弥となっ た感がものすごく強いのです。 とすれば、ソクー ロフの描く人間ヒロヒトをぼくはあえて評価した くありません。(「あえて」と書いたのは、実は、 この映画がけっこう長いのに、ちっとも眠くなら ず、おもしろかったからなのですが。)その後4 0数年だらだらと天皇をつづけたヒロヒトの後日 談は、蛇足中の蛇足、最悪の後日談だという思い をこの映画を観てただただ気づかされました。そ ういう余計な、間延びした歴史を作ってしまった 責任、いや今も作っている責任は、今度は完全に 私たち「国民」(この言葉をポジティブに使うの はこれが最後であればいいと思う)にあると言わ なければなりません。
9月10日の説教から マルコ8章23−30節 「私は何者か」 久保田文貞 イエスが弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々 へ出かけたとき、イエスは弟子たちに尋ねます。 「人々は、わたしをだれと言っているか」。する と、これに対して弟子たちは、自分たちの知って いる情報を提供します。バプテスマのヨハネだと か、エリヤだとか、例の預言者だとか。すると今 度は、「それでは、あなたがたはわたしをだれと 言うか」と弟子たち自身に問いを向けます。 1 番目と2番目の問いは、ほとんど同じようでいて、 実はものすごい落差があります。最初の問いは、 知っている情報を第三者的に伝えればいいので気 楽なものです。でも、2番目の問いは「あなた」 への問いであり、「わたし」として実存的に応え なければならないものです。問う「わたし」と問 われる「あなた」が向きあって、応える「わたし」 と応えられる「あなた」が入れ替わる。そういう 「我−汝」の関係が、ただの情報交換をするので はなく、自分たち自身の関係を選び取らざるをえ ない場所−−−歴史的背景としては初代教会の洗 礼式や教師就任式のような儀礼の中で必要とされ る言葉であり、関係性です−−−に入っていくと 言ってよいでしょう。 この変化と落差に、ペテ ロは少しも動ぜず「あなたこそキリストです」と 応えのけるという印象です。多分、物語の設定と しては間違いなくペテロは弟子を代表し代弁して いることになっているはずです。「私的には」 〈おいおい他の弟子たちよ、こんな大切なこと代 弁してもらっていいのか〉とちゃちゃをいれたい ですが。 いずれにせよ、こういうことが際立た されてくる。つまり、人々がうわさしてイエスに 伝統的なレッテルを貼っているけれども、弟子た ちはそういう無責任なレッテル貼りでなく、主体 を賭けた実存的な〈告白〉をしているのだと。 他人にレッテルを貼ることによって、人は自分の ポジションを決め、収まりのいい所を探そうとす るのでしょうが、そのちょっとした行為が、その 他人にはものすごい圧力になったりするものです。 ことに力ある者が無力な者に対してレッテルや概 念、「かくあるべし」ということを押しつけると きにはまさに〈暴力〉に等しいものになるでしょ う。基本的に人は自分が何者であるかということ は、信頼できる他者に向かって、対等な関係の中 ではじめて打ち明けながら自己決定したいと思う でしょう。 しかし、そうは言っても、やはりあ る種の、前もって存在するレッテル、概念を使っ て自分を言い表すよりない。そのかぎりは、自分 を何かに代弁させて、「戦略的に」表現するより ない。そのような戦略的な構えがゆるされるのは、 虐げられた弱い者が、むさぼりをほしいままにす る強い者に対抗して、自分が自分であるために、 自分を開いていくときだ(スピヴァク)と思いま す。 ペテロがイエスを前に「あなたこそキリス トです」と告白する〈我−汝〉の儀礼を、マタイ 伝の改訂版のようにそれ自体一人歩きさせ、言葉 の権力・教会の権威のようにしたくありません。 もし、「あなたこそキリストです」という表現が、 〈戦略的に〉必要なものとされるかぎり、この 〈我−汝〉の極限的な人間関係がほんとうに生き てくるでしょう。
9月3日の説教から エレミヤ書32章6−15 「表現する行為」 久保田文貞 45章によれば、エレミヤは弟子のバルクに預言 を口述筆記させたということです。確かに一部の 預言はそうだったのでしょう。けれども、8世紀 にあらわれた預言者アモス以来、旧約聖書に残さ れている預言者の言葉は〈書かれたもの〉として 残っていて、基本的にそれらの預言は、記述され たものです。先にリアルタイムの語りがあったは ずだとか、いや記述が先だなどと議論しても意味 がありません。残されたものは、いずれにせよ 「書かれたもの」しかないのです。 エレミヤは、 12章のように、神に向かって対話をしかけるよう な言葉を書いています。それは瞑想の言葉と言っ てよいでしょう。そこでは書きつつ、吟味、選択、 反省しつつ、というのが一体となっている書き行 為の産物であること、まちがえありません。少な くとも私たちの手元にある預言の言葉はその延長 上にあるでしょう。 現在の私たちには、こうした書き行為を、ごく 普通のことに考えますが、おそらく今から2600年 ほど前のパレスチナの世界では、王の書記官や、 宗教儀式の言葉を筆記する祭司、商業上の必要か らする経理担当者らの世界で占有されていた書き 行為を、それまで憑依状態の中でのうわごとのよ うなお託宣=預言に、文字記号を使いはじめると いうことは画期的なことだったでしょう。 語り から書き行為へと移行することには、預言者たち の基本的なメッセージが込められていると思えて なりません。つまり、神の言葉を語るということ は、記号を駆使して、分節化し、吟味、選択、反 省を重ねてこそはじめて可能になるのだと。それ は書き行為のための特有の時間、場所をもぎとっ てこそ実現できることです。 ヴァージニア・ウ ルフが、ヴィクトリア朝時代の父権社会でなぜか 女性に理解を示したがっているケンブリッジのイ ンテリ男性らの前で、講演した記録が「自分だけ の部屋」(A room of one's own)という本になって います。そこで彼女が講演したのは高邁な文学論 などでなく、実に単純なことでした。男たちのよ うに女性が発言し、ものを書けるようになるため に、鍵のかかる部屋とお金をよこせと。言い換え れば、吟味され、考察された表現行為には、その 行為を保証する現実的な手段が必要なのだという ことでしょう。 預言はそもそもが民間的な巫言 者が語る得体の知れないお告げでしかないと見な されていた中で、いわゆる記述預言者たちはいう。 神の言葉は、吟味、選択、自己批判ということと 切り離すわけにはいかない書き行為を介して、そ のための場所と時間をもぎとってこそ書きとめら れるものと。 エレミヤ32章5以下の話は、南王国 ユダの首都エルサレムがカルデヤ軍に包囲され、 王国が風前の灯火にあった前587年のことです。エ レミヤは王国に都合の良い預言を拒否し、審判の 預言ばかりする。ついには包囲の中、敵性分子と して拘束されてしまいます。そのとき郷里に金が 必要な親族があってエレミヤに土地を購入してほ しいという話があった。エレミヤは、南王国が滅 びカルデヤに占領されてしまうと預言していたこ とになるわけですからその土地を今さら購入して もなんの価値もないと承知しているのですが、土 地購入が神意であると受けとめ、敢えて商取引の 慣習通り、監獄にいるものをみな証人に立てて譲 渡証書を作って契約してみせ、その証書を瓶に入 れて保存させます。一連の行為全体が、吟味され、 選択され、反省されてなされているのです。この 契約とその経緯全体が預言書の中に書きとめられ、 まさにその行為全体が、ほかの預言らしい預言の 書き行為と同じ水準になって割り込んでいます。 いまの時代、私たちが聖書を読み、クリスチャ ンとして生きるということは、近代国家などによっ て用意された宗教という指定席にお行儀よく座っ ていることにはなりません。どうしてもその座を 蹴って、あらゆるもの・機会を表現の道具として 表現せざるを得ないのです。譲渡証書を作るよう な一見無味乾燥な機会も利用して、吟味し、選択 し、自己批判しつつ・・・。
8月27日の説教から 「戦争で死ぬということ」 島本慈子(しまもと やすこ)著を読んで 大田 一臣 私の父は、 九州の天草というところで生まれたんですが、戦 争のさなか、島は沖縄から日本本土への通り道に なっていたため、東シナ海の方からB29が山を越 えて現れ、島の造船所めがけて機銃掃射の嵐を浴 びせたり、防空壕の上にある墓石に無数の弾痕が 付いたことなど話してくれることがあります。だ からといって「戦争反対」の強い意志のもとに語 られるということではないのですが、底流にある ものは、当時父たちが学校でやっていた「竹槍訓 練」等に比して圧倒的な武装力を誇るアメリカに 日本が戦争を仕掛けることへの無謀さを、いくら か自嘲気味に話しつつ、「無駄な戦争」というか たちで戦争の実態を語っていました。それは、人々 の平穏で静かな具体的な生活の中に、突然突き刺 さる戦争の悲惨な現実に対するものであり、嫌悪 感だったと思います。 この本の第1章に書かれ てあるのは「大阪大空襲」に関する記述です。当 時の若い女学生の作文を引用しながら、「一人の 少女は、頭を打ち抜かれて倒れた。学徒動員の少 年の頭が半分吹き飛び、そこから白い木綿のよう なものが何本も垂れ下がっている。」など、生々 しさが伝わってきます。島本さんは「戦争で死ぬ こと」についてまず「正当化される大量殺人」を あげ、「他のあらゆる死と一線を画す」戦争の残 酷さを強調しています。そして「憎しみの連鎖」 がマスコミなどで拡大再生産され人々に焼き付け られ、戦争で翻弄される現実を紹介しています。 第2章では城山三郎氏の「指揮官たちの特攻」 という著書の引用から始まり、「伏龍部隊」とい う特攻隊の悲惨な消耗戦の実態を暴露しています。 伏龍とは「機雷を棒の先に持ち、潜水服を着て、 海底に縦横50メートル間隔で配置される。敵艦 船がきたら、その棒を敵艦の艦底に突き上げて、 爆発させる。」というものだったそうです。実際 は一度も実用化されることなく、漫画そのものの いでたちで、訓練のさなかにいたましい死を多く の若者が遂げています。44年10月にはフィリ ピン戦にお いて「特攻機」が登場し、500機を 超える特攻機が海の藻くずと消えました。6月か らは沖縄戦で2000を超える若者が死んでいま す。アメリカの原子爆弾の製造工程で、多くの労 働者が自分たちが作っているのが何なのか知らさ れず、大量殺戮の歯車に労働者が絡めとられてい く現実を語りつつ、「戦争は兵器を求め、兵器は 労働を求める。戦争をする国においては、本人の 自覚とは関係なく毎日の仕事が殺戮にむすびつ く。」と言っています。考えさせられることばで す。また、島本氏は「9月のいのちー同時多発テ ロ、悲しみから明日へ」と題された第8章のなか で「カミカゼ」という言葉を「命を軽く見るとん でもないやつら」と言う意味の「世界語」として 紹介しています。 息子を9・11で亡くした父 親が、アメリカで「これはカミカゼと同じ」と語 るのを聞いて衝撃をうけたと。そしてその父親が、 アメリカが報復としてアフガニスタンを攻撃して いくことを批判していくことを紹介しています。 「憎しみの連鎖はおかしい」と。 おりしも9月 1日関東大震災の日、東京では自衛隊、米軍、韓 国のレスキュー隊などが参加 して、3国合同の 「防災演習」が対テロをまじめに想定して行われ まし た。悲しむべき事態がどんどん進行していく とき「戦争で死ぬこと」の 意味を問い直す必要が あると思います。
《説教ノート》いま考えていること −−−関わりの中で−− 松浦 和子 北海道浦河に「べてるの家」が生まれ たのは12年前のこと。16,000人の過疎の町に、浦 河赤十字病院の精神科を利用する当事者と、地域 の有志が10万円の元手で日高昆布を買い付けて産 地直送をはじめたのだ。 いまや年商1億円を稼 いで、一大地場産業になっている。働いている人 も100 人とか。昨今、テレビでも新聞でも、「昆 布も売ります。病気も売ります」「安心してサボ れる会社作り」等々精神医学以外の分野からも注 目が集まって、紹介されたので、ご存じの方もあ ると思う。見学に訪れる人も年間2000人の由。 私は3年ほど前から、当事者さんとの出会いから、 取手の精神福祉家族会、共同作業所「ふくろうの 郷」、NPO法人らしん盤、の活動に関わっている。 そんな中でべてるの家「非」援助論に出会った。 1978年、浦河へやってきたソーシャルワーカーの 向谷地さんは、外出するのにも、三日前の届け出 が必要、というような医学は〈囲〉学、看護は 〈管〉護、福祉は〈服〉祉の精神医学の実態を知 る。自身も足かけ5年病棟出入り禁止の苦境に立た される中で、1988年「私は治せない医者です」と 自認する精神科部長、川村敏明氏がやってきた。 その頃べてるの家は、消防車、救急車、パトカー も出動して、問題のおきない日はなかったという。 数々のエピソ−ドは圧巻だ。 初期のこの混乱が 原動力であったのだろうか。次第にありのままを 肯定しながら生活をする、批判はされても、最後 は受け入れられる、その安心の場づくり、仲間づ くり が出来ていく。年に一度の“妄想大会”は町 の名物だそうだ。彼らにつきまとう幻聴は“幻聴 さん”と呼ばれて、自分の言葉で披露される。つ まり弱さを隠さない。弱さの情報公開だ。向谷地 さんは弱さの文化と表現する。 病気が治ること や、社会復帰することばかりが評価される時代、 右下がりの降りていく生き方はまぶしい。 又、 かれらは人と遮断され、配慮されつづけてきた不 幸を生きてきた。だから家族や、まわりは、当人 の苦労を肩代わりしない。人として当たり前に尊 重していこう、とも説く。そうか、難しいことだ けれど、そうなのだと得心する。 10月から開始 される自立支援法は、1割負担もさることながら、 当事者の現状が全く捕らえられていない法律だ、 と改めて思う。 人間関係のストレスから発症す ると言われる彼らに、自立、就労と追い立てる。 働けること、治ることは幸いなことだけれど、 そうした枠内に入れない人たちの生き方を認めて こそ、共存の社会なのに。 残念ながら、学校に は能力主義が、国には軍隊が競り上がってきた。 べてる風など、どこ吹く風。よしささやかでもべ てるの風よ、各地に、病む人たちのところにたお やかに吹かそう。 これはイエスの福音と融合す る。
8月13日 「平和を考える礼拝」に参加して 久保田文貞 8月13日の日曜礼拝は、「平和を考える礼拝」 ということで、説教はなし。参加者がそれぞれ思 うところを述べる時間をもうけて、語り合いまし た。 松浦さんが、後藤竜二文・高田三郎絵「紅 玉」を朗読し、感想を話して口火を切ってくださ いました。青森のりんご園を経営していた作者の 父が子らに語った話だそうです。 ・・・敗戦直後の9月、北海道の美唄でのこと。 父のりんご園が、朝鮮や中国から強制連行されて きた労働者たちにおそわれる。彼らは川向こうの 飯場から解放されて、りんご園にやってきて大騒 ぎをし、手当たり次第にリンゴを取って行こうと したという。日中戦争に兵隊としてかり出され帰 還したばかりの父は、覚えた片言の中国語で「オ ネガイダ、リンゴヲ トランデクレ、リンゴ ウッ テ カゾク ヤシナウ、タノム トランデクレ」 とリンゴを取っている男に言ってみた。するとぼ ろを着ていた男は「ミンパイ(明白)」=「わかっ た」と言って、みなが取ったりんごをそこに置か せて、りんご園から出て行ったという。取ってし まったリンゴは持っていくようにすすめるが彼ら はなにも持たないで・・・ 作者の父は、「支 那」で日本軍がどんなに中国人に卑劣なことをやっ てきたか見知っていたと言います。敗戦を迎えて、 加害者の日本人は、被害者の彼らから、どんな仕 打ちを受けてもしかたない、でも「リンゴを取ら ないでくれ」という願いを必死で彼らに伝えてみ るというのがその時の父の気持ちだったのでしょ う。そんな父の訴えを「ミンパイ」と聞いてくれ た中国人たち。 自宅でこどもの文庫を長い間やっ てきた松浦さんによれば、先の大戦を被害者の観 点から描いたこどもの本はこれまでもたくさんあっ たけれども、日本人を加害者の観点から描いた本 はほとんどないそうです。「紅玉」はその数少な い一つだそうです。 生活者としてごく普通に暮 らすはずの人が、いきなり招集されて植民地や他 国に行かされ殺し合いの現場に立たされて、はて は当地の民間人に対する加害者の位置に立ってし まう。本意ではなかったと言い逃れの抜け道がな いではないが、それだけに自分を加害者の視点か ら語ることの意味は大きいでしょう。 やはり、 戦争のおそろしさは、普通のお父さん、お兄さん をそういう鬼にしてしまうこと、普通の老人や母 や子らをそういう鬼の被害者にしてしまうことで す。近代国家というタテマエ上、国家が起こす戦 争の責任は、そういう政府・軍隊を許した国民の 責任であるということはけっこうみんなわかって いると思います。しかし、それだけでなく、その 戦争に、兵卒として、後方支援として、現実的に 参与したことの責任まで掘り下げられなかったら、 国家としてほんとうに非戦の意思を固めることは できないでしょう。 折しも、首相の8月15日 靖国参拝が大きく報道されていますが、その論議 のひとつに靖国神社にA級戦犯を合祀しているこ とに批判が向けられています。A級戦犯はあくま で戦勝国の国際裁判の被告であって、私らがほん とうに問題にしなければならないのは、あくまで 自分たちの戦争責任問題です。それは、国家の名 分と利益のために弱い立場の人々、ことに他国の 人々の生活を踏みにじり、命まで奪ったことの責 任の問題です。これを曖昧にしてどうして平和を 願うなどと言えましょう。
8月6日の説教から マルコ15章33〜41節 「人生60年、さまよいつつ・・・」 関 秀房 マルコ伝も終わりに近づき、イエスの死、十字 架については今まで以上に重ねて言うこともあり ません。イエスの人生30数年であったという事実。 それにくらべて自分は12月に還暦を迎えます。す でに退職させられて、優雅な?毎日を過ごしてい ますが、自分の歩んできた人生をふり返ってみよ うと思います。信仰の遍歴は、以前話したことが あります。会社でのあり方、信仰(人生観)を通 しての歩みは無関係ではあり得ません。支区総会 や教区総会では積極的に発言してきましたが、実 は人前で話すことは、あまり得意ではありません。 語尾がはっきりしないといわれます。自信のない 証拠です。じっくりと考え、これと決めたら他を 省みず、突き進んでいく性格のように思っていま す。福井での、今で言うカルト宗教のようなキリ スト教にのめり込みました。今でもそれは貴重な 体験だと思っていますから、世に言うカルト的な ものに対して寛容です。そこで今ひとつ突き抜け きれなかったことが教団の教会に移るきっかけに なります。会社に入って、転勤した場所で防府教 会の山田守、摂津富田教会の桑原重夫、(北松戸 教会の久保田文貞、板垣弘毅も含めるべきでしょ う)日本基督教団を改革した中心的な牧師に巡り 会いました。牧師の道を選ぶ選択もあったのです が、サラリーマンいわゆる大企業に就職しました。 信仰一筋の学生時代では、大学闘争とはほとんど 無縁でしたが、保守政治はいずれ終わり、若い我々 が中心になれば、社会主義的民主的な世の中になっ ていくだろうと漠然と思っていました。実社会に 出て、いわゆる立身出世は望みませんでしたが、 それでも大学卒業と言うことで、ある程度の出世 は保証されてたというべきでしょう。管理職を拒 否し、組合員のままでいる人のことが新聞記事に でて、自分もそれでいいのではと考えたことがあ ります。革新的な牧師たちの考えや、天皇制問題、 社会問題の集会に出席し、現実の会社組織はまさ に天皇制であると感じました。朝礼の3分間スピー チで社長批判をしたり、労使協調路線をとる組合 の大会で批判的な発言をしたり、無投票で決まる 支部の役員に疑問を持ちわざわざ立候補したり、 残業代は労働者の権利とばかりに請求したり、会 社側としては、やりにくい従業員であったろうと 思います。そんな私でしたが、管理職試験をすす めてくれる人もいました。受験した理由は、会社 の労務部に成り下がった組合に組合費を払いたく なかったからです。このように書くと、会社の中 で孤立しているように思われますが、いつもいつ も肩肘張っているわけではなく、会社の体制に不 満を持っている人も多くいて、影ながら温かく見 守っている人もいました。ですから、会社は結構 楽しく、転勤した先でも慕われました。最後に勤 めた子会社では、中小企業の良さを味わいました。 家族的な雰囲気で、パートさんの意見も尊重し、 いろんな改革もやってきました。残念ながら、本 体が産業再生機構のお世話になり、我々の部署は 自主独立できたにもかかわらず、ひどい条件で身 売りされました。このことに関しては、かなりの 発言をし、抵抗もしましたが、最後は強権で、部 署替えをさせられました。教会、会社、運動、そ れぞれ人と人とのつながりの中で生かされている と思います。失敗失態いろいろ経験しますが、そ れもまた自分の一部として受け入れていきたいと 思います。1歳の時、福井大震災で、たまたまおば さんが逃げるとき、その通り道にいたために助け 出され、阪神大震災では、単身赴任していて、寮 にいて助かりました。車の運転でも、雪道でスリッ プしたり、迷い込んだり、一つ間違えれば・・・ ということがあります。父は60歳後半、そのまた 父は50歳後半で人生を終えてます。私はいつでも OKですが、残された人生、どんなドラマが待ち伏 せているかは知るよしもありませんが、惠子さん はじめ、教会内外の多くの人に支えられて、これ からも自分のペースで歩んでいこうと思います。
7月30日の説教から ピリピ人への手紙1章 「生きるとは誰のものか」 久保田文貞 パウロはおそらくエペソの獄中でこの手紙を書 いたわけですが(使徒行伝19章のアルテミス神殿 の銀細工人等が起こした騒乱と訴えに関連してい ると考えられます)、その状態の中でパウロはピ リピの教会の人々のことを想い起こし彼らと親交 を持てたことを喜び神に感謝します。この事件が パウロの命を左右するような大事件かどうかわか りませんが、それが市の経済と深くかかわるアル テミス神殿を否定する外国人パウロの事件とすれ ば、パウロが次のように書いているのもあながち 大袈裟とは言えません。「そして、どんなことに も恥をかかず、これまでのように今も、生きるに も死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然 とあがめられるようにと切に願い、希望していま す。わたしにとって、生きるとはキリストであり、 死ぬことは利益なのです。」 この言葉を元にし て作られたと思われる讃美歌があります。『讃美 歌21』の518番です。「主にありてぞ われは生く る、 われ主に、主われに ありてやすし。 主 にありてぞ 死えむ、 主にある死こそは いの ちなれば。 生くるも良し、死もまた良し、 主 にある恵みに、変わりはなし。 われ主にあり、 主われにあり。 生くるも死ぬるも ただ主のた め」 かなり感傷的な詩になっていますが、好き 嫌いは別にして、人の置かれた状況や心の状態如 何によっては、心の奥底まで根を下ろしていくよ うな内容の詩です。曲をつけて、飲みやすくした 劇薬というところでしょうか。しかし、中身は生 死に関わる極限に踏み込んだものです。そこで 「生くるも良し、死ぬるも良し」とか「生くるも 死ぬるもただ主のため」とこうもあっさりと言っ てしまっていいものか、何かがサアーっと退いて いきます。もっとも、私も若いころこの讃美歌の 感傷的なところにけっこう惹かれていたのですが。 元となったパウロの言葉は微妙に違います。パ ウロの文は、「キリストが公然とあがめられる」 ことが決定的に重要で、「(パウロが)生きると はキリスト(のためであり)、(パウロが)死ぬこ とは、(キリストが公然とあがめられるためには) 利益なのです」というものです。少なくとも主観 的な心の起伏を感傷的に楽しむものとは違います。 パウロのはもっと単純で、本気でキリストのため にすべて献げてしまう、というところまでいって しまっているのです。 この過激な精神の高揚だ けを切り取って特化してしまうと、カルトと変わ りありません。しかし、パウロはキリストに身を 献げることの法悦に浸っているのでもなければ、 そういう献身を催促しているとも思えません。ま たパウロは、身内の結束を固めるために自分を投 げ打って献身的な奉仕の何たるかを示そうとして いるのでもありません。彼が行おうとしているこ とは、キリストが公然とあがめられること、つま りキリストが身内だけであがめられるのではなく、 キリストを知らない人々によってあがめられるた めの、彼らへの献身なのです。それがキリストへ の献身の内容というべきでしょう。さらに一般化 して、これを〈他者への献身〉と言い換えようと 思います。自分の生きる重さ、価値を他者に贈り 物として差し出す在り方のことです。これもカル トとどこが違うと叱られそうですが、違いは明白 です。自分の身内の共同体内の共同体のための献 身でなく、自分の身内の外、共同体外のための献 身であり、身内への贈り物でなく、他者への贈り 物を目指す在り方なのです。これが生きることは キリストのため、死ぬことは益の内容だと思いま す。
7月23日の説教から ホセア書1章「一方の愛?」 久保田文貞 紀元前8世紀にイスラエルに現れた記述預言者 たちは自分が受けた霊感を、その名称が示すよう に〈記述〉された言葉をもって書きとめられたと いうことが決定的なことです。 霊感を受けてエ クスタシー状態になって、そのかぎりはなにを言っ ているかわからない、でも結果的には理解できる ような言葉・託宣を発するという預言者のタイプ は、古代中東にはいろいろな形ではるか前から存 在していました。イスラエルの場合もそういうタ イプの預言者や預言者集団がずっと存在していま した。その点で、8世紀にアモスを嚆矢として現 れる預言者たちは憑依状態の最初から理解可能な 言語やイメージで受けている。彼らはほとんど間 をおかず、そのまま自分が聞いた言葉、受けたイ メージを伝令者のように語ることができるわけで す。 しかし、アモスの次世代の預言者ホセアの 場合、確かに預言の言葉が書き記され残されてい るからまさに記述預言者と言ってよいのですが、 彼の表現はその中でも特異なものでした。「主は ホセアに言われた。「行け、淫行の女をめとり/ 淫行による子らを受け入れよ。この国は主から離 れ、淫行にふけっているからだ。」 彼は行って、 ディブライムの娘ゴメルをめとった。彼女は身ご もり、男の子を産んだ。 主は彼に言われた。「そ の子をイズレエルと名付けよ。間もなく、わたし はイエフの王家に/イズレエルにおける流血の罰 を下し/イスラエルの家におけるその支配を絶 つ。」 この預言は、地のクーデターで始まったイエフ 政権に対する審きの預言ですが、同時にホセアが 「淫行の女」ゴメルと結婚せよという神の言葉を 聞き、それを実行し子どもを3人もうけ、子ども たちに、イズレエル(イエフの血のクーデターで 虐殺が行われた地(列王記下9,10章)、ロ・ ルハマ(憐れまれぬ者)、ロ・アンミ(わが民で ない者)と最悪ななまえをつけたという報告を含 んでいます。子どもたちにとってはいい迷惑です。 ゴメルは3章1以下、4章12以下からみて、下 級の神殿聖娼だったと推測してよいと思います。 解釈が分かれるところですが、読みようにとって は一度結婚したゴメルは結婚した後も男を取って いたらしい。それでかどうか、一度ホセアは離縁 したらしい、ゴメルはまた古巣に戻って遊女をす る。ホセアは神の言葉を聞き、また彼女を身請け して妻にする。(3章1以下) この壮絶な家族 図は、ひとえに男ホセアが神の言葉を聞いてその 通り実行した結果うまれたものです。もちろん、 そのテーマは、〈背信の民イスラエルに対する神 ヤハウェのかくも忍耐強き深き愛〉ということに なるわけですが、このメッセージをホセアはひと りの遊女を巻き込み、間に3人の子どもを産ませ、 神の言葉を家族ごと〈代演〉=代理表出してしま うわけです。 記述預言者といわれる人々が、神 の言葉の内容を自分の行動を持って表現すること があります。それを〈象徴行動〉と呼んでいます が、例えばエレミヤは首に軛をつけて綱を引かせ 審きの預言をします。この辺りまでなら示威行為 として理解できます。だが、ホセアのように家族 全体を差し出すようなことになると、私などは二 の足を踏んでしまいます。でも、よく考えると、 家族をそっとしておいて自分だけ孤軍奮闘すると いうのは、ある種の家族の切り捨てを意味してい るかもしれません。妻や子どもの意向も聞かず一 方的に夫の使命感に燃えた仕事の中に家族を巻き 込むのはどうかと思います。家族がどんなに強い 絆・共同性で結ばれていようと、共同に一つの表 現をするということはその家族間の代理表出がど こまで許されるかという問題と突き当たるはずで す。
7月16日の説教から ・・・子ども虐待を考える・・・ 加納尚美 加納さんのことを紹介したホームページです 子どもが犠牲になる事件はそれだけでも悲しい ものであるが、加害者が保護者となると世の中ど のようになるのかと、暗い気持ちになる方が多い と思う。その一方で、そうした加害者個人のキャ ラクターが強調され、テレビでは連日映像が垂れ 流され、本来の人の命、尊厳を大切にしよう、と いう主旨から離れていっているような気がするの は私だけだろうか。 南アフリカで約400万年 前に生存していたアウストラロピテクスが、ヒト だけの特徴である直立二足歩行していたことはほ ぼ確かと言われている。その決定打の化石の名は 「ルーシー」と名付けられている。直立二足歩行 が手と道具を使うことを促し、そうした生活が脳 を発達させた。ゲノム解析により、約20万年前に アフリカで出現した現代型ホモ・サピエンスが世 界中に分布したのが私たち人類の先祖であるとい う。ちなみに日本列島には12000年前に古モンゴロ イドの子孫が縄文文化を花咲かせ、約2300年まえ に新モンゴロイドが朝鮮半島から渡来したと考え られている。前置きが長くなったが、直立二足歩 行は、ヒトの脳を発達させたこと、骨盤の形が変 形させた。つまり、上半身の体重と内臓のすべて の重さが骨盤にかかるのでそれを回避するために、 ヒトの骨盤は横に広くまた浅くなったが、上半身 と内臓の重みを支えるために骨盤の出口は狭く、 また前方に曲がって重力のかかり方を減少させて いる。つまりヒトの骨盤は、出口が狭く、前方に 屈曲しているので他の動物と比較すると難産体質 である。しがって大きな頭の胎児は産めない。そ のため非常に未熟な状態でヒトの子どもは生まれ る。先祖が同じ類人猿と比較しても(ゲノム解析 ではヒトとチンパンジーとは1.2%の違いがあるだ けとのこと)、人間の新生児の首はすわっていな い、歩けない、把握できない等々。ヒトの子はと ても無防備で弱く成熟するまでに非常に手間がか かる。人間の新生児は生理的早産とも言われる所 以である。しかし、それ故言葉を獲得し、人とし て」社会性を育まれる。人類の今日は、そうした 子どもを養育できる力があったからこそ現代の繁 栄があると考えた方が妥当であろう。子ども虐待 は人類のこうした歩みを覆す不安を私たちに与え るものである。 では、子ども虐待とは何か。2000年に児童虐待 防止法ができた。ここでいう児童とは児童福祉法 と同様に18歳に満たない者を指す。虐待とは具 体的には、身体的、精神的、性的虐待、育児放棄 (ネグレクト)を含む。 加害者は実父、実母が多い。検挙件数はそれほ ど急増してはいないが、児童相談所相談件数は年々 増加している。昨年度(2005年度)は34451件で、 2000年と比較すると約2倍になっている。子ども 虐待は、過去からひきずっている事柄、そして現 代特有の事情双方をみてみる必要がある。 江戸時代の260年間(1852年の人口:男約1416万 人 女約1304万人)は人口の増減がなかったこと が知られている。人口調整のために、子どもの人 身売買(例:森鴎外の山椒太夫)、間引きといわ れる嬰児殺しが広範囲に行われていたらしい。幕 府や領主は度々禁止令を出しているが効果はなかっ た。 子守歌をみると「ねんねんころりよ おころり よ ねんねんしないと背負わんぞ ねんねんころ りよ おころりよ ねんねんしないと 川流す ねんねんころりよ おころりよ ねんねんしない と 墓立てる」間引きの基準は、子の数が多い、 高齢妊婦、養子縁組をしてからの妊娠、厄年の子、 丙午の子、多胎の子(畜生腹と言われた)、女児 の方が男児より女児が忌まわる、というものだっ た。 現在では、家族計画の普及、母体保護法によっ て望まれない妊娠・出産は減少しているはずであ るが、子ども虐待の実態の一端からみると考える べきことは多い。昨今の学習理論の中では、人は 切り取られた知識や概念を理解するのではなく、 「状況に埋め込まれた学習」といって状況に参加 しながら学ぶ、ということが言われている。子ど もの言葉の獲得などはわかりやすい具体例である。 だとしたら尚更、子どもたちの生きる世界はどの ようになっているか。家庭内が暴力によって均衡 を保たれていないか、テレビ、インターネット、 マンガ、ポルノグラフィから人を踏みにじるメッ セージを日々受け取っていないか。最も弱いいた いけない子どもを養育する状況を学ぶ生活状況は あるのか。親になれば自動的に母性愛、父性愛が 芽生えるとはいえない。人は数百万年の命の継承 の中で、子どもを育てる学びを伝えてきた。暗黙 の呪縛から解き放たれ現実を直視するとき、はじ めて子ども自身、養育者自身の声を受け止める血 の通ったシステム化が成立する。そのような意味 で「バイバイベイビー」(ジャネット&アラン・ アルバーグ)には、子どもと養育者の関係が見事 に描かれている思ったので、冒頭でご紹介させて いただいた。
7月9日の説教から マルコ6章6b〜13節「油を塗って…」 久保田 文貞 イエスが十二弟子を派遣する物語です。「イエ スは、附近の村々を巡りあるいて教えられた。」 イエスはふだん、カペナウムのまわりの村々を回っ ていたらしい。少なくともマルコは取材を通して そう捉えています。そこで「教えられた」と書い てありますが、すぐ後の弟子派遣の言葉から遡っ て考えると、この教えとは、後のキリスト教がイ メージ・アップするような宗教的な心理を説く 「教え」ではなく、むしろ、イエスが村人と接し ながら、病人や悪霊に憑かれているされた者を癒 していった行為を含むものだったと思います。 「神の国」がもはや猶予の余地なく起こり始めて いるとイエスが感知する〈現場〉は、ユダヤ教の 本山エルサレム神殿や熱心な宗教家の内面ではな く、人々が毎日を暮らす村々の生活の場だという ことをこの短い言葉が示しているのではないでしょ うか。そこは決してただ美しい田園というわけで はない。人々の矛盾が渦巻くところ、病が生活を 直撃し、明日のパンをどうするか心配し、大切な 人を亡くして途方に暮れるやもめたちや残された 子どもたちが暮らしているところです。そういう ところで〈神の国〉がふつふつと活性化し始める。 その真ん中に飛び込んでいって、癒しのわざをな し、慰めの言葉を語る、それがここの「附近の村々 を巡りあるいて教えられた。」ということではな いかと思うのです。 イエスの活動に加わり、その運動を理解した人々 が、今度はそれぞれ自立してこの活動の輪を広げ ようとする、きわめて自然なことです。それに応 えてイエスは弟子たちを派遣しました。それがこ の12人の派遣の物語だと思います。 この記事 に描かれている図は、完全に弟子派遣の結団式と いうべきものです。派遣する者が、派遣される者 に、汚れた霊を制する権威の言葉を授与し、その 持ち物を限定し、村々に入ってからの行動手順な どを言い渡す。このものものしい結団式がそのま まイエス時代に遡るとすれば、イエスの運動の集 団がある時期、組織論的な質を変えたと言わざる をえません。半ば大雑把な臨機応変でソフトな組 織から、能率的で規律ある堅い組織へと。 しか し、このような組織上の変節が、イエスと彼に同 行するグループに起こるとは考えられません。こ の変節が説明できるところは、やはりイエス死後、 イエスが率先して村々を巡り歩いた活動を想起し て、それを引き継ごうとした者たちが現れる時で す。結団式はある種の無理をしなくてはならない ところでこそ必要とされます。 いずれにせよ、 最後にマルコは次のような言葉でこの場面を締め くくります。「そこで、彼らは出て行って、悔改 めを宣べ伝え、多くの悪霊を追い出し、大ぜいの 病人に油をぬっていやした。」(12-13) 「悔い改 めを宣べ伝え、多くの悪霊を追い出し」というの は、よく出てくるイメージですが、その次の「大 勢の病人に油を塗っていやした。」というのが、 ちょっと衝撃的です。この「癒し」は少しも奇跡 的ななにかを意味していません。まるで被災地へ の医療団のようではありませんか。村々を、軟膏 を持ってまわり、ヨロズ相談を受け、病の者には 必要あれば油を塗ってやる、そして、自分たちが なんでそんな活動をしているかと問われれば、 「あなたがたの間に、待ちに待った「神の国」が やってきている。自分たちもその中に入っていた いんだ、その働き人になりたいんだ」と言うでしょ う。そうして軟膏の油まみれの手でおじさんやお ばさんたちをさすってやる図を思い浮かべたいと 思います。
7月2日の説教から 創世記32章 「再会する顔」 久保田文貞 帰郷したヤコブは、これまで放置してきた兄エ サウとの問題を片づけなければなりません。そも そもヤコブが故郷を立った理由は、兄エサウが長 子として受けるべき父イサクの「祝福」(それは 一族の神ヤハウェの祝福を意味し、同時に家督相 続権を意味した)をだまし取ってしまったゆえの 兄の怒りを避けるためでした。 彼は母の郷里パ ダン・アラム(ハラン)に行って、20年間、伯 父ラバンの仕事を手伝い伯父の財産を殖やし、そ こで伯父の2人の娘レア、ラケルとそれぞれの女 奴隷の計4人の妻との間に子どもを11人もうけま す。「家族が増え、財産が増える」それこそもぎ とった「祝福」のゆえというのでしょう。ヤコブ は伯父の所から、多人数の家族を引き連れ、自分 の取り分として厖大な資産をもって逃げるように 故郷に戻ったわけですから、兄エサウとなんらか の和解をしなければならない。それが32・33 章です。 ヤコブが人を遣って兄の様子を窺わせ ると、エサウは400人を引き連れてヤコブを迎 えようとしているという。緊張が奔る。「ヤコブ は非常に恐れ、思い悩んだ末」(32:8) 兄の攻撃 の被害を和らげるために、人と財産を2組に分け る。「私は兄が恐ろしい」、兄は「私も母も子ど もも殺すかもしれない」と、ヤコブを祝福した神 の助けを祈り求めます。さらに兄への能うかぎり の贈り物を用意し、21節、それらの贈り物を順 繰りに「先に」(「顔の前に」)行かせ、なんと かして兄の怒りを贈り物で「なだめ」(直訳すれ ば「顔を覆う」、「その後で顔を合わせば、「恐 らく快く」(原語にはない)「迎えて」(直訳 「顔を受け入れる」)くれるだろうと。ヘブル語 の表現は、「顔」(パニーム)という語を駆使し て、人間の姿勢や気持ちの志向性を表現します。 21節には、パニームという語を5回も使って、 兄と再会するいろいろな顔と顔がヤコブの中をよ ぎっていくのがわかります。兄をだまして「祝福」 をもぎとった顔、兄の嫉妬、怒りの顔、ヤコブが 贈り物をこれでもかと見せて、なだめられていく 顔、兄の心を一身に読みとろうとする弟の 顔・・・。 23節以下、ヤボクの渡しでヤコブ は不思議な人物と格闘する。ヤコブはここでも祝 福をもらうまではかぶりついて放さない。根負け した人物は彼を祝福する。そこをペヌエル「神の 顔」と名付けます。 そして再会。ヤコブは、4 00人の手勢を引き連れたエサウにいよいよ再会 という時になって、家族を、「女奴隷とその子供 たちをまっ先に置き、レアとその子供たちを次に 置き、ラケルとヨセフを最後に置い」たと書いて あります。前に位置する者の方が先に危険にされ るから、これは明らかに、一番愛しい者を最後に 置いた、つまり家族を序列化したことになります。 なんとかヤコブを悪者にしまいと註解書はかばい 立てしますが、この家族の俗っぽさをさらけ出す 物語作者の方が好感を持てます。それでも観念し たのか、ヤコブは「みずから彼らの前に進み、七 たび身を地にかがめて、兄に近づいた」とありま す。兄を騙して「祝福」をもぎとり、4人の女を 愛して子を11人もつくり、自分の取り分をがめつ くも伯父からもぎとって逃げ帰るヤコブは、神に 忠実というよりは、自分の欲望に忠実というべき でしょう。その彼が、自分の手にした「祝福」の 成果をなんとしても確保しておきたいと、ここで は卑屈な顔になりきって、兄にすり寄っていくの です。それがヤコブの再会を期す顔、「祝福」へ の欲望の顔というべきでしょう。 それに比して、 兄エサウの何か欲望を抑えた顔が対照的です。
6月25日の説教から ピリピ人への手紙1章1-11 「監禁の中から」 パウロは49年春頃、マケドニア地方に水路上陸 し、最初にピリピで宣教を開始しました。その地 のユダヤ人の集会を足がかりに活動をしています。 このような集会にはユダヤ人ではないけれども、 ユダヤ教の教えにひかれて参加している「神を恐 れる者」たちもいました。ユダヤ教の分類では 「異邦人」になるわけですが、まずまちがいなく 彼らこそ、〈異邦人への使徒〉を看板にしていた パウロの話を受け入れていった人々でしょう。そ んな中から誕生したピリピ教会は、ずっと後まで パウロの活動を援助したりして、数少ないパウロ の理解者だったようです。 もっともこの49年と いう年は、皇帝クラゥディウスが、ローマに起こっ たある騒擾事件の責任をユダヤ人によるものとし て、ユダヤ人をローマから追放するという勅令が 出た年です。この事件はローマのクリスチャンの 動きが絡んでいたという説が有力です。この勅令 は帝国内のユダヤ人全体の一々の動きに対して敏 感に作用し、ユダヤ教の一派としか見られなかっ たパウロの活動にも深く影響を与えたようです。 ピリピの隣町テサロニケでは神経質になっていた ユダヤ人が市民を動かしてパウロを告発させ、パ ウロは這々の体でテサロニケを後にしました。残 された教会の人々はその尻ぬぐいで大変な目に遭 わされたわけです。 それから5、6年経って、 パウロは小アジアのエペソ(現在のトルコ西岸) に2年間滞在して、そこから自分がかつて設立に 参加した諸教会に多くの手紙を書いています。ピ リピ書もその一つですが、この手紙を書いている 時パウロは「監禁されていた」(1:7)。おそらく 使徒行伝19章21以下のアルテミス神殿銀細工師の 抗議行動事件と関連があると考えるのが一番自然 です。 パウロは獄中でピリピ教会に手紙を書く わけですが、次のように書き始めます。「わたし は、あなたがたのことを思い起こす度に、わたし の神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、 いつも喜びをもって祈っています」と。 獄中に 監禁されている人は、獄外の人や物事を人一倍、 想像力を働かせて思うでしょう。しかし、パウロ はこのような獄中になくとも、遠くの人をひとり ひとり思い浮かべて神の祝福と平和を彼らのため に祈るのです。ローマ人への手紙16章、第一コリ ント16章は手紙の最後に知人の名前一つ一つを挙 げて、それぞれに短いコメントをつけるほどです。 手紙ではあるけれども、それらはパウロが人々の ことを思ってする祈りに近いものがあるでしょう。 ピリピ1章の背後にあった実際のパウロの祈りは ひとりひとりの名前を挙げての祈りだったと思い たい。 このような祈りは、旧約の中にも例がな い。神を讃美し、神と祈り手の関係を描き、神に 真剣に助けを求める、・・・そういう祈りは詩篇 などにたくさんあるけれども、自分の仲間の名を 挙げてひとりひとりの神の祝福を祈るひとりひと りに感謝するというのはほとんど見当たりません。 手紙の最後にひとりひとりを思い浮かべ、祝福し 感謝するのと同様な想像力を、パウロは〈祈り〉 の中に持ち込んでいます。確かに気恥ずかしいほ どにクリスチャンはこのような想像力を働かせな がら、他者への神の恵みと他者への感謝を祈りま す。パウロが教えてくれたことと思います。
6月18日の説教から マルコ福音書4章26−32節 「成長の譬え」 久保田文貞 「神の国は、ある人が地に種をまくようなもので ある。 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出し て育って行くが、どうしてそうなるのか、その人 は知らない。 地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、 つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。 実 がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきた からである」。(4:26−29) イエスの譬えの特徴は、聞き手に卑近な例を取 り上げ、わかりやすくしているとよく言われます。 野菜などは、今よりずっと自宅の周辺で自給自足 に作っていたろうから、聞き手にとって作物が生 長する図は子どものころから自然に頭に入ってい たでしょう。けれども、イエスは難解な思想を単 に身近なわかりやすい例で説明したわけではない。 むしろ「神の国」が高邁な宗教論や高潔な修練の 世界と無関係に、実はただの人、一塊の生活者の 日常の中に割り込んできていることをそのまま表 現したのではないでしょうか。 ・・・人が畑に 種を蒔く。作物はそれがなぜ、どのように成長す るか人にはわからない。それでも、確実に育って いく。・・・ これに続いてあげられている譬え は、外形的にはより譬え(パラボレー)に近づい ています。「神の国を何に比べようか。また、ど んな譬で言いあらわそうか。 それは一粒のからし種のようなものである。地に まかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、 まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくな り、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほど になる」。 ・・・神の国の到来は、初めは目に も付かない小さな動き、変化にすぎないが、やが てとてつもなき大きなものであることが知られ る。・・・ 2つの譬えの底に共通して流れてい ることは、「神の国」という、この「身近である」 という出来事は、人がただの人をやめて、出家し たり〈何者か〉になってりして、参与したり、推 進したりしても、どうこうなるものではない、ま さに〈身近〉に確実に起こり始めているというこ とです。 反論が出るかもしれません。そんな卑 近な小さなことがどうして人間の「救い」になり うるか。それは、ひとりの人間の小さな救いには なるかもしれないが、ひとりだけの救いがほんと うの救いになるはずがない等々。このように反論 したくなる気持ちは私もよく分かります。〈何者 か〉になって全体的な視野に立って参与し推進 し、・・・そのあといくらでも言葉をつないでい けることになるでしょうが、残念ながらイエスは そういう方向に進まなかったし、仲間をそういう 方向に引き入れようとしなかったと思います。 この点では、人の「計らひ」を徹底的に退けよう とする親鸞の自然法爾、非行非善の考えに似てい ます。けれど親鸞はどう見ても秀でた知識人です。 知識人としてのおのれに課す戒めというふうに響 いてきます。それに比べるとイエスは、卑近な生 活の場の信仰者。 ではイエスは何もしなかった か、と言えば、第一にYES、彼は種が生長して みせる人々の生活する場で、その成長する力を人々 といっしょに愛でるだけです。第2にNO、彼は その成長を妨げようとする力、神の国が割り込み をつぶしにかかろうとする人々を、その場から出 ていくように要求する。その意味ではイエスは当 時の比喩で言えば、羊を守る牧童のような人だと 言えましょう。
6月11日の説教から ヨハネ福音書20章11-18 「マグダラのマリヤ考」 久保田文貞 マグダラのマリヤについて、聖書が記述してい ることは案外に少ないのです。しかし、福音書を 読む者にとってとても印象的に、彼女の名が、イ エスの十字架の死の側に最後まで立ち会った女性 たちのひとりとして(マルコ15:40//マタイ27: 56)、イエスの葬りを見届けたひとりとして(マ ルコ15:47)、復活の証人として(4福音書)出 てきます。後のキリスト教にとって決定的な位置 を占める〈受難・復活物語〉において、彼女は、 筆頭弟子ペテロ以上の役割を担っています。 け れども、受難物語以前には彼女の名はほとんど出 てきません。唯一ルカ伝8章2節に、イエスと同 行する弟子たちのグループに女性たちも加わって いたと報告しているところで、「七つの悪霊を追 い出してもらったマグダラと呼ばれるマリヤ」と いう名が出てくるだけです。ガリラヤでのイエス と弟子たちの活動に女性たちが加わっていたとい うことは、マルコ15:41「彼(女)らはイエスが ガリラヤにおられたとき、そのあとに従って仕え た女たちであった」という記述から明確です。マ グダラのマリヤがその中のひとりだったというこ とは疑えないでしょう。 受難・復活物語であれ だけの注目を浴びることになる女性が、ガリラヤ 時代のイエスと弟子たちの活動の中にほとんど名 が出てこない理由が気になります。えてして、こ ういう空白が後の人々の想像力の餌食になるもの です。M・マリヤも御多分にもれません。ルカ伝 7章37節以下で、「涙でイエスの足をぬらし、自 分の髪の毛でぬぐった」と伝えられている「罪の 女」こそマグダラのマリヤその人だとまことしや かに言われ、ヨハネ伝に登場するラザロの姉妹マ リヤも彼女のことだと言われ、7世紀に教皇グレ ゴリウス二世はこの3人が同一人物だと裁定を下 し、さらに想像力は、その後の彼女の伝説を作っ ていきます。例えば、ステパノが殉教した後、多 くのクリスチャンがエルサレムから追放され(使 徒8:1)ますが、その時に彼女も追放され、各地 を伝道して回る。途中荒らしにあってマルセイユ に漂着し、そこで布教し、その地の王を改宗させ たりする。さらに彼女は使徒の務めを引退した後、 荒れ地に引きこもり修行と祈り三昧の余生を送る。 死後昇天し、遺骨はブルゴーニュのウェズレーに ある聖マドレーヌ聖堂に手厚く葬られたという。 このような伝記(Legende)は、民間説話の中で際 限なく膨らんでいきます。 カトリック教会の正 統は、グレゴリウス二世の声明にそって、彼女が もと「罪の女」≒遊女だったが、悔悛し(ルカ7 章)た後、イエスと弟子たちをサポートする女性 のひとりになったということです。イエスや弟子 たち・男性たちの活動をフォローしサポートする 〈女性〉性の象徴的存在にされています。さらに マグダラのマリアは、近代に入ってからも「罪の 女」に悔悛をすすめ、保護する福祉施設の代名詞 のようになってしまいます。 彼女に対する、こ のような不当な取り扱いは、福音書自体の中にそ の萌芽があると言わざるをえません。イエスのガ リラヤ時代の活動に加わった女性たちの姿を、た とえルカのように好意的にであれ、あくまで父権 制社会の男たちのタッチでしか描けなかったとい うことに思いをいたすべきでしょう。
6月4日の説教から 創世記31章 「繁栄と破綻」 久保田文貞 前回は、イスラエル十二部族の血の神話が実は、 後の言い方で言えば「異教的」としか言えないよ うな異物を素材にして作られていることを注目し ました。護教論的なキリスト教のもの言いからす ると、さまざまな異物の中から、神はご自分の愛 する民を、ほとんど奇跡的に選ばれたのだという ことになります。「奇跡的に」というのは、この 選びは、選ばれた者がまわりのほかの者たちに比 べて優れていたという理由でなく、神がただ選び たい者を選んだとしか言えないものだったという ことです。つまりイスラエルは実体的にはただの 人間くさい人間集団にすぎない。それが神の民た る所以は、なぜか神がこの民を自分の民に選び、 祝福したからだというのです。イスラエルの民が 神聖なのではなく、神が人を選び祝福する人間へ の関わり方が神聖だということになります。 ヤ コブの家族の物語は、前回見たようにヤコブが血 縁の2人の娘と結婚し、4人の女性に12人の子ど もをもうけたのですが、同時に縁戚すじの一塊の 居候ヤコブが、莫大な資産を手にするアメリカン ドリームのような話でもあります。伯父ラバンの 所で言われるまま二十年縁戚者とはいえ、事実上 は一寄留者として、一雇われ人として働く。「や ぎも子を産みそこねたことはなく、またわたしは あなたの群れの雄羊を食べたこともありませんで した。また野獣が、かみ裂いたものは、あなたの もとに持ってこないで、自分でそれを償いました。 また昼盗まれたものも、夜盗まれたものも、あな たはわたしにその償いを求められました。わたし のことを言えば、昼は暑さに、夜は寒さに悩まさ れて、眠ることもできませんでした。」(31:38) しかしその間、彼は才能を発揮して、伯父の資産 を増やしました。彼が後に故郷に帰って、例の兄 に気兼ねして相当のおみやげを持っていきますが、 そのリスト「雌山羊二百匹、雄山羊二十匹、雌羊 二百匹、雄羊二十匹、乳らくだ三十頭とその子供、 雌牛四十頭、雄牛十頭、雌ろば二十頭、雄ろば十 頭」(32:14)をみると、彼の持ち帰った資産がいか に莫大かわかります。 とにかく、ヤコブは自立 したいので、分け前を欲しいとラバンに申し出る のです。(30:29)ラバンの態度は義理と欲とのせ いであやふやなので、ヤコブは伯父ラバンが留守 の間に自分の取り分を持って故郷に戻ってしまい ます。そのとき妻たちも実の父ラバンを捨て11人 の子どもを連れて従っていきます。この辺りの話 は、大げさになっているとはいえ、俗っぽいとい うか、人間味のある話です。「聖書」ということ で言えば、あまりに俗っぽくて「異物」というべ きでしょうか。これに対しても例の神学的な読み 方が分け入ってきます。 このヤコブ物語は、家 族が増え、財産が増えるという単なる世間的な成 功物語の風をしているけれども、実はそれはヤコ ブの才能でも何でもなく、ただ神の祝福があった からだと。父イサクがヤコブをパダン・アラム (ハランという伝承もある)に送り出す時の祝福 (28:2)、ヤコブがラバンに独立を申し出た時の言 葉(30:30)に見られるように。 しかし、神が選び祝福する者が成功し、それか らもれた者は、脱落するというだけなら、ある種 の同語反復でおもしろくもおかしくもありません。 この選びと祝福が、いつも人間の予想を裏切る、 人間が想定した結果と全く別の想定外の結果を生 む、つまり神の選びと祝福の無節操、意外性に驚 かされるのです。 5月28日の説教から ロマ書6章15〜23節 「奴隷という比喩」 久保田 文貞 クリスチャンになるということは、あまりこだ わらず一般的な言い方で言うと、キリストを信じ、 神に服従するという在り方を受け入れた人間とい うことになると思います。そういう杯を飲み干し た人にとっては、パウロの言語世界の言葉はもう それほど苦痛なく読み進めることができるでしょ うが、その切り替えをしていない人にとっては、 相当異和感を感じるでしょう。 私は教会で説教 をする側に立っている者ですけれども、この種の 言葉はそういうスイッチの切り替えをしないとほ んとうに読めないものなのか、つまり異和感は残 るにしろ、受け入れるかいれないか、服従するか しないかという線引きに左右されない場所に立っ て読めないものか、常々思うのです。 今日取り 上げた箇所は、露骨に神の奴隷になる在り方を前 提にした議論になっています。パウロは、ユダヤ 教の伝統的な律法の下で生きていた自分を否定し て、キリストに服従する・キリストの奴隷となる 在り方へと変わった、そういう現在を生きていま す。この転換は、ユダヤ教徒にとってはものすご い転換なのでしょうが、服従するかしないか、受 け入れるか受け入れないかという二項図式だけで 読んでいると、実際にはこの転換は〈服従する〉 という根本的な在り方には何の変更もないという ことになります。律法を通して神に服従するか、 律法によらずただ神の恵みによって神に服従する かの違いだから。結局、神に服従する在り方をす でに選び取ったという自負をもってパウロの手紙 を読む者は、律法の下にあろうと、神の恵みの下 にあろうと、自分自身が選び取った神への服従と いう世界内の物語を読むだけということになりか ねません。キリスト教の伝統の短いこの国のクリ スチャンは、どうしても自分の信仰的な内面の決 断に重心がかかってしまいます。勇気を持って飛 び越えたあのリアリティの方へ、あるいは普通の 日本人とは違う世界を生きているという自意識の 方へ引き寄せながら、ついついパウロの言葉を読 みたくなるものです。 しかし、こういうパウロ 文書の読み方はあまりおもしろくありません。神 に服従するかしないかという自己の決断の世界内 で同語反復しているだけのこと。そういう飽きな い人間がまだいつづけるということにときどき敬 意を払いたくなる現代人がいるとは思いますが、 そんな評価はどうってことはありません。 神の 服従するかどうかという主体的な問題ではなく、 パウロ自身がメシア=キリストのこの世界内へ入っ てきた事件に出くわして、とてつもない衝撃を受 け、全面的に生き方が変えられた出来事を読み出 せないかと思います。これは信仰的・内面的にど う捉え、どう解釈するかということではありませ ん。私たちが当然のようにその内部に生きている と思っている唯一の〈近代世界〉、だれにでも同 質で例外なく同様に臨むはずだと信じ込んでいる 一枚岩の〈世界〉に、その世界の内側でふんぞり 返りながら理解している人間の事態を揺るがすも のはなにか。この世界の外側から来るものはなに か。私たちの貧相な世界内的なSFの宇宙人でな く、この世界を外から揺さぶり、自分を根底から 転換をせまる方はどなたか、それにこそ関心があ ります。 多少SF的なユダヤ教黙示文学の伝統 の中で、その枠組みを超えて、世界外から介入を 受けて自分の生き方を変えていった人がわずかで すが、何人かいます。そういう人たちの残した言 葉を通して、閉塞したこの現代に向かってそれを 打ち破るように語りかけてくる言葉のようなもの を聞きたいと思うのです。神の奴隷であるという 歴史制約的表現も、そのような出来事への表明の ひとつとして聞けないでしょうか。
5月21日の説教から ルカによる福音書17章21節 「稚拙の美」 飯田 静世 東洋独特の絵画と言われる水墨・墨彩画は、し み、かすれ、汚れなど一見不合格と思われる加筆 をを、大切な味わいとします。描く私にとっては、 一見失敗と思われる線、色などが、筆を進めるに したがって生彩を放ってくることに驚きを覚える ことがありますので、手がけた作品は放棄しない で完成させるように努めています。 和紙はとて もデリケートな生き物のよう。それぞれの紙は個 性的な味わいを醸し出します。こちらの状態は勿 論のこと、その日の天気によっても反応が違って くるので、ご機嫌を窺いながら、押したり引いた り、紙と格闘をしているような気持ちになること もあります。ですから自分の意志、決断だけでは どうにもならない。紙に(自然に)委ねるという 柔軟性が絵を画く側に要求されてくるのです。 一方、創作をすると赤裸々な自分が剥きだしになっ てしまいますので、仕上げ直後は、自己嫌悪に陥っ てしまうことがあります。そんな時「稚拙の美」 「たかだか一枚の紙の上、思う存分我が儘(自分 を解放させる)するように」と諭した今は亡き師 匠の言葉で励まされています。 キリストは「幼 な子のようにならなければ天国にはいることはで きない」と言われました。 誠文書新光社「とも に育つ」(師岡章)によりますと、子どもは白紙 状態なので大切にされ、必要とされる教育を受け る権利を保障されている。このような子ども像を 感じるようになったのは、フランスの歴史家P・ アリエスによると、17 世紀以前には子どもは〈小 さな大人〉〈若い大人〉として大人と一緒にされ、 仕事も遊びも共に行っていた。17世紀以降になっ て、近代的家族制度が出来上がると、今のような 子どもが発見されたという。 キリストの時代に、 人の数にも加えられなかった子どもを、天国に入 るものとして、その実体に目を注いだイエスの眼 差しの明晰さ!私はマタイのこの部分を読むとあ の〈稚拙の美〉という言葉を想い出すのです。と 同時にボランティアで関わっている老人ホームの 絵画教室が目に浮かんできます。ここで幼児と老 人の共通性を数多く見出すからです。作品の出来 具合など眼中にないかのように、ただ無心に筆を 動かしている姿。筆を動かすことに熱中して、真っ 黒になった画面を、自己実現を達成して誇らしげ に眺めている美しい顔。これこそ絵を描くことの 原点だ!結果の如何にかかわらず、生きるプロセ スこそ大切なのね!深い感動を覚えた瞬間でした。 では、私にとっての天国とは? どんなに頑張っ ても満足できない作品。 どんなに頑張っても稚 拙にしか生きられない私。蒔くことも、刈ること も倉に取り入れることもできない私。もうキリス トに委ねることしかできない私。そしてそこには 拡がっていく果てしない平安。 「また『見よ、 ここにある』『あそこにある』などとも言えない。 神の国は、実にあなたがたのただ中にあるの だ」。」 (ルカによる福音書17章21節)
5月7日の説教から 創世記29章31節〜30章 「ヤコブの子づくり」 久保田文貞 ヤコブが12人の子どもを持つ話は、後のイス ラエル12部族連合・イスラエル共同体がその連 合の起源を説明するものです。もともとは別個の 半遊牧的な部族が、連合して先住していた城塞都 市農耕民の支配に対抗して連合し、その周辺から 漸次、その拠点たる都市を絡め取っていった結果、 成立したのがイスラエルでした。彼らが昔を振り 返って、自分らの共通の先祖をヤコブにおいて、 間違いなく後付け的な家族史を作っていきました。 ですから、歴史学に堪えるような史実性がここに あるわけではありません。しかし、その素材となっ た材料にはそれぞれの部族の現実や、連合の過程 での微妙な関係などいろいろなものが反映してい るでしょう。そこで気づいたことをいくつか、箇 条的に書きます。 依然として、ヤコブの妻を 〈故郷〉からもらうこと。族長物語の脈絡から言 えば、祖父母にあたるアブラハムとサラの故郷ハ ランですが、その想定では500Km も離れている所 です。父のイサクも、そしてヤコブも妻をハラン の親戚筋からもらうことになっています。ハラン はイスラエルがありもしない血族関係を後付けす るための仮想的な〈故郷〉なのです。そのために は、ハランはイスラエルの信仰の〈故郷〉でもあ るべきだと思うのですが、そうなっていません。 そこがおもしろいです。ヤコブはそこに寄留(レ アの勧めで、兄エサウの復習を避けるため亡命し たことになっていた。27:41以下。この亡命と妻取 りがダブっている)している時、ハランの親族ラ バンの2人の娘レアとラケルを妻にし、さらに子 どもを生むということでは、2人の召使いジルパ とビルハも事実上の妻になります。この4人がイ スラエルの12部族の母ということになります。 そこで注目すべきは、ヤコブが義父ラバンの財産 を一方的に分捕ってカナンに逃げ帰りますが、妻 たちは父ラバンを捨てて、子どもたちを連れてヤ コブに従います。その時、ラケルは「父の家の守 り神の像を盗んだ」(31:19)というのです。イ スラエルの仮想的な〈故郷〉はイスラエルにとっ て神を神とせず、偶像を神とする〈異教徒〉です。 つまりヤコブの妻たちは全員異教徒なのです。そ もそもがイスラエルとは〈異教徒〉の中からしか 生まれなかったし、他者を〈異教徒〉とするとこ ろでしか存在できなかったということをよく示し ていると思います。 もうひとつ、半遊牧的な部 族社会が家父長的な父系性社会だったと言われま すが、ヤコブの子ら十二部族の起源譚のような物 語の中で、魅力的に活躍するキャラクターたちは ほとんど女性たちです。男の役どころは、確かに 財産決定権を掌握し、支配権を持っているようで すが、ちっとも魅力が感じられません。娘たちが 父を捨てて、夫の元に奔ること、子どもを作ろう として奸計をめぐらすこと、それらの物語が、父 権制が張った網などものともせず、闊達にふるま うのを見ると痛快な感じがします。 こうして、十二部族はヤコブの子という血縁に つながれますが、物語のそこここで、そんな血縁 のふがいなさ、人間くささを隠しきれないでいま す。つぎはぎだらけの物語を、必死に一本の神学 的なラインで統一させようという努力は、族長物 語を編んでいった時代のさらに数百年後のこどで す。
4月30日の説教から マルコ福音書2章21〜22節 「新しく創造される」 久保田文貞 “だれも、真新しい布ぎれを、古い着物に 縫いつけはしない。もしそうすれば、新 しい つぎは古い着物を引き破り、そして、 破れが もっとひどくなる。まただれも、 新しいぶど う酒を古い皮袋に入れはしな い。もしそうす れば、ぶどう酒は皮袋を はり裂き、そして、 ぶどう酒も皮袋もむ だになってし まう。” わたしたちは次のように考えます。イエスは、 これまで体験したことのないような形で、神の支 配(国)、神の審き、そして神の恵みがこの世界 に直接に及びはじめていると感じとり、神の恵み が展開しようとしている最先端に身を投じました。 福音書に報告されているイエスの働きは、その神 の恵みの展開に沿ったものでした。この働きによっ て、神は、“罪人”として見捨てられ、排除され た人々や、「病」「憑きもの」「身売り」のゆえ に汚れていると見なされていた人々の間で、もっ ぱらその人人の至福を実現なさろうとしていると いうことがわかりました。それは、それまで人々 が予測していた神の支配、神の審き、神の恵みと は180度ちがっていました。 それまで神がこの人 間世界を治める仕方は、宗教指導者や権力者たち の治める仕方と基本的に矛盾するものではないと 考えられていたといってよいでしょう。ですから、 イエスが神から派遣されたメシアであるならば、 現在の不条理な侵略者ローマの政治支配を廃して、 真に上に立つべきものが上に立つような世界の実 現すべきだと期待されました。けれどもこのよう なメシア待望論は、結局、神の支配とこの世界の 政治的支配が同じ向きを向いているという前提に 立っています。このような前提に立っているユダ ヤの指導層や宗教的な正しさを追い求めてきた人々 は、イエスのまわりに起こっている出来語を認め ませんでした。イエスが何らかの機運を求めてエ ルサレムで行動を起こしたときに、彼らはイエス をつぶしにかかりました。憎悪と悪意が彼を取り 巻き、イエスの弟子たちもイエスを死へと引き渡 す力に抗することが出来ず、彼を見捨てました。 こうしてイエスは木の杭にくくられ、ほとんど 神を呪いながら死んでいったのです。イエスがそ の身を投げうった「神の支配」「神の恵み」の出 来事の、未曾有の展開は頓挫し、破綻したとしか 見えませんでした。古い着物は、真新しい布切れ が縫いつけられれば破れてしまうのを知っている かのように、真新しい布切れを憎悪し、排除しよ うとします。そして、それは成功したかに見えま した。 「墓は空だった」。イエスの亡骸が墓の 中になかったと福音書は報告しています。意気消 沈していた弟子たちに電撃が奔ったことでしょう。 “神がイエスを死人のうちから掻き上げた”とい う確信が人々の心を捉えたのでしょう。イエスは 再びガリラヤで弟子たちに会うというメッセージ をつかみ取った人々がいました。 新しい布きれは、確実に古い着物を引き裂いて いったのです。この世界は、ズズッと後戻りでき ないようにしてズレてしまったのです。けれども、 その引き裂き方を誤解してはなりません。神の恵 みがその受取人を選ぶ選び方は、偏向としか言え ないような色のついたものでした。
4月16日の説教から マルコ福音書15章29〜39節 「十字架の死と復活」 久保田文貞 受難物語には、イエス を、あのようにむごい十字架上の死へと追いやっ たのは「あなたではないか」と読む人すべてに問 いかけ、責任追及をしているような面があります が、同時に、その反対に自責の念に駆られている すべての人ににじみ出てくるような安らぎを与え ようとしているのではないかと感じます。 自分 がなしたことに「責任を取る」ということが大切 なのはいうまでもありません。それをあいまいに し、なんとなく責任放棄を許しあうというのが、 日本の社会の特性だと指摘されてきました。イエ スの十字架の死の責任問題をそういう緩和の仕方 で考えてはならないでしょう。しかし、緩和され ているのです。 イエスのあの最悪の死に、人々 はなすすべもなく手を貸し、イエスを引き渡し連 行する力のひとつになった。悪意も、殺意も、服 従も、同情も、悔悟も、冷静さも、熱意も、すべ て同じ値でしかないように取り扱われて、イエス を最悪の死へと引き渡す機械の歯車のひとつになっ た。・・・これが受難物語の、ひとつの結論です。 悪くすると、それは責任回避の常套になりさが りかねません。戦争犯罪人の裁判で、被告がすぐ に陥るのは、〈それは、命令されたからやったこ とです〉という責任回避です。戦争という機械の 歯車のひとつでしかなかったと言いたいのでしょ う。たしかにそれは、ひとつの真実です。命令に 従わなければ、切り捨てられるという世界で生き ている人にそう簡単にそれに従うなとは言えませ ん。 しかし、受難物語が、人にイエスの死の責 任を緩和させるように感じるのは、それが実は神 の摂理であり、神の計画だったからだ(実はこの ように読めるところがあるのも事実です)という のではありません。むしろ受難物語は、イエスを 死に追いやったのは、ユダ、ユダヤ当局、ピラト、 烏合の衆のような群衆だけでなく、イエスをあれ ほど慕い、服従した弟子も、その象徴的な存在で あるペテロも、そして同様に〈あなた〉も、とい う突っ込み方をしているわけです。それは私が思 うよりはるかに真剣だろうと思います。 結局、 問題は、この責任応答性がどこから生まれてきて いるのかということでしょう。どうして、そこま でイエスの死の責任を掘り下げ、自分のこととす ることが出来るのか。それが出来てはじめて、他 者の責任の問題を軽々しく言えない地平が開けて くるはずです。 そのような新しい地平が開けて くるのは、〈墓が空だった〉という事実の解読か ら始まりました。イエスの死体は墓にない。その ことは、イエスの死体を追い求めて、その怨念に しがみついてはならない。イエスを神格化し、物 神化するなというメッセージが込められていると 思います。 イエスの十字架上の死に動転してい たひとびとは、そこにイエスがガリラヤで〈あな た〉に会うというのは、それを赦しと受け取る前 に、ガリラヤでもう一度〈あなた〉に問いかけよ うという呼びかけの意味ではないでしょうか。そ の呼びかけに応える中で、はじめてイエスの死の 出来事の一塊を自分も担ったと認ざるをえないこ と、他者だけを責めるわけにいかないこと、今後 は他者と共に〈ガリラヤ〉でイエスに応えるとい うことがなになのか考え、行動をしようというこ とでしょう。
4月9日の説教から マルコ福音書15章1−15 「ローマ管轄の裁判」 久保田文貞 前(3/5)に「…このイエスの無 抵抗。そこではすべての引き渡しの評価のもとに なる悪意、善意、合理的、不合理などが色を失っ て、ただの引き渡しになっている」と言いました が、ユダヤ議会(サンヘドリン)で行われた裁判 はもちろん、そしてその後、ローマ総督ピラトの 下に送還されて行われた裁判においても、イエス を死に追いやるのは、ユダヤ人の悪意としか言え ないように描かれていることを考えると、そうと も言えないかと一瞬不安になります。確かに、祭 司長や律法学者たちのイエスに対する殺意は、イ エスのエルサレム行きの決心の時からずっと続い たものとして描かれてきているのです。ユダヤ議 会での有罪判決は最初から決まっていた。それは、 イエス殺しを、合法に装うための茶番にすぎなかっ た。ユダヤ人こそイエスを十字架につけた最大の 責任者だと、結論できなくもないのです。 だが、 受難物語はかくもユダヤ側の責任を肥大させてお いて、ほんとうにそうなのか、読者の良心に語り かけるのです。 ピラトの裁判は、ユダヤ人の剥 きだしの悪意とは対照的に、ピラトは狡猾でひや やかなな人物という役どころですが、印象として はむしろ醒めた知的な男の感さえします。ただ、 かれのやらしさは、そうやってユダヤ人の上に、 イエスの死の責任を出来るだけ負わせておくとい うところでしょう。いやそれは、他者の生殺与奪 の権をもつ人間の根本問題かもしれません。人間 を死刑にするという究極の権原を法の名の下に発 効させるときも、その審判者がどうしても引き受 けなければならない根源的な〈殺意〉を何とか躱 わしたいという思いを、ピラトは隠す風もなく天 真爛漫に主権を代行しているのです。 こうして、 この「引き渡し」の最終段階で一連の引き渡しの 性格をもっともよく表しているものが、ピラトの 裁判だと言ってよいでしょう。イエスが移送され てくる。それなりの手続きで告訴事実を審査しよ うとするが、それが見当たらない、告訴人に確か めても埒があかない。ピラトは尋常ならば公訴棄 却の決定をすべき事を知っている。が、政治家ピ ラトは、被侵略民を慰撫するために〈祭〉に合わ せて行っていた恩赦の制度をここに採用しようと する。彼は群衆に彼を恩赦にしようかと聞く。ユ ダヤ人群衆が「そうしてくれ」などと決して言わ ないのを彼は十分知っているはずだ。彼はユダヤ 人の殺意だけを剥きだしにして自分は責任の外に 引き下がろうとしている。 究極の権力をもぎとっ た主権者たちの、他者を殺すという究極の権限発 効が、実は合法でも何でもなく悪意・殺意の実力 行使にすぎないということがまさにここに露顕し ています。あらゆる訴訟に公正で明解な法による 審きを追求すべきことは言うまでもないことです が、究極の主権者がもぎとっている他者に対する 生殺与奪の権(戦争とか、死刑判決とか、テロリ ストというレッテル張りの結果生まれるあらゆる 効果とか)の最終根拠は、結局は他者への悪意・ 殺意でしかないことを主権者は知るべきです。近 代国家の場合は、一見しくみそのものが整合性が あるように見えるだけ、いっそう危険です。国民 主権はいつでもファシズム入り口に立っているよ うな制度だということを肝に銘じておかなければ ならないでしょう。
4月2日の説教から マルコ福音書14章53−65節 「ユダヤ管轄の裁判」 久保田文貞 受難物語によれば、ゲッセマネの園で逮捕され たイエスは、エルサレム城壁内の大祭司官邸に連 行されます。ローマ法にはパウロの場合のように 未決勾留という制度がありますが(使徒行伝22章 以下)、ユダヤ教の法の下ではそういう制度がな く、逮捕された者はすぐに裁判が開かれなければ ならないらしく、被告ナザレのイエスの審理もす ぐ始められたと思われます。 さてそこで「祭司 長、長老、律法学者たちがみな集まって」大祭司 が議長となって裁判が行われます。祭司長、長老、 律法学者の3グループは、正に当時ローマから一 定の自治権、裁判権を認められていた議会(サン ヘドリン)の構成要素でした。第1グループは大 祭司経験者、神殿頭、神殿管理人、神殿在庫管理 者などの貴族的上級祭司で、議会の実質的執行委 員です。彼らは役職をたらい回ししているので、 アンナス、イシマエル1世、エレアザルなど、イ エスの裁判にあたったこの連中の名前はけっこう 割れています。第2集団の長老は、ほとんどがエ ルサレム在住の大地主の金持ち、アリマタヤのヨ セフやニコデモなどが入ります。第3が律法学者 グループ。彼らは階級的には中産階層以下が多く、 トーラー解釈のプロ集団で、議会の法の番人のよ うな働きをしていると考えてよいでしょう。こう して大祭司と、議員の総勢70人が「みな」という ことになりますが、後のミシュナによれば法廷開 催のための定足数は23人。こういうのは保守的に 維持されますから、イエスの裁判の時の議員数は 3,40人でもよかったでしょう。これも後のユダヤ 文書によるものですが、法廷は、被告と証人台を 囲むように議員らが半円形状に座り、後方に律法 学者見習たちが床に直に座っている、イエス裁判 のイメージもほぼ同じと考えることにします。 ユダヤの裁判は、検察官も弁護人もなしで、いき なり証人尋問から入ります。つまり証人が告訴し、 反対の証人が弁護するわけです。手続き上、ほん とうは被告人に有利な証言から始めるはずなので すが、受難物語はその辺の事情を省き、いきなり 告訴証言から入っています。トーラー(律法)に、 死罪にあたるような重要な事件は、証人の証言が 一致しないとならないという規定がありますから、 さすがにそれを無視するわけにはいかない。律法 学者集団が目を光らせていますから。そして証人 は偽証を恐れます。偽証は十誡第9項に「偽証をし てはならない」とあり、もし後でそれが偽証だと されたら、「命には命、眼には眼、歯には歯」の 原則が自分に及びかねないのです。(申命記19章 16以下) というわけで、もともとでっち上げの 裁判が妙なところで証言同士に齟齬が生まれます。 業を煮やした裁判長の大祭司カヤパは、被告人に 反対訊問の機会を与えるが、イエスは沈黙したま ま、ついに裁判長による被告人訊問に入る。「あ なたは、ほむべき者(神)の子、キリストである か」と。イエスが初めて語った、「わたしがそれ である。あなたがたは人の子が力ある者の右に座 し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」と。 裁判長は叫ぶ、「どうして、これ以上、証人の必 要があろう。あなたがたはこのけがし言を聞いた。 あなたがたの意見はどうか」。こうして裁判席に 着いていた議員は「皆、イエスを死に当るものと 断定した」というのです。 被告人の自白は証言にはなり得ないはずなのに、 それまで律法の原則を追い求めていた審理がここ で突如途切れて、律法の〈例外状態〉に突入しま す。つまり議会が法の例外状態に踏み込み、そこ で主権を行使する権限を宣言するのです。律法の 枠を外れることであり、神の主権を侵す越権にな るはずです。律法学者たちは敢然とNOを言うべ き事態なのですが、裁判長はそれを無視したか、 あるいは学者らが情勢を見てそこは黙りを決めた か、とにかく〈法〉は、その例外状態を前に完全 に死んでいたのです。裁判はイエスを、〈法〉の 及ぶ範囲外に追いやりました。「引き渡され」 「引き渡され」イエスは身ぐるみ剥がされ、その 「剥きだしの生」に剥きだしの権力が襲いかかる のです。
3月26日の説教からマルコ福音書14章43−52節 「イエスの逮捕」 久保田 文貞 エルサレム城壁内での最後の食事の後、一行は 約2キロほど離れたゲッセマネの園に行って祈っ たというわけですが、その間、イスカリオテのユ ダは、「祭司長たち」の所に密告しに行っていま す。彼らは人気のない夜の園で祈っている、それ はイエスを捕らえるのに格好の機会だということ でしょう。 公安的な事案に携わる権力機関は、 古今東西を問わず、闇に紛れながらかつ敏捷に行 動するのが一種の美学になっている。もっとも、 全然見えないというのではない。むしろ日々の暮 らしをほんわかと過ごしている人々の肝を寒から しめる程度のある種のショーでなければならない と彼らは知っているのです。 いずれにせよ、こ の受難物語の総監督は、ユダヤ教社会を根底から 揺るがしかねないと当局から睨まれたイエスの、 その逮捕場面を実に見事に描いていると言ってよ いでしょう。 彼らは、逮捕しようと目を付けた 人間のまわりにそれとなくじわじわと近づいてい く、合図があると黒っぽい男たちがわっと駆け寄っ て、周りの人間が何が起こったのだろうとほんの わずかな心の隙をとらえて、あっという間に彼を 引っ立てていく。私が数回目撃した逮捕の図です が、どうしてもそれとイエスの逮捕とが重なって しまいます。肝の据わった活動家なら、そんなこ と屁とも思わないでしょうが、私も含めてたいて いの人間は、‘それは突然起こった逮捕だった’、 ‘自分は一瞬何が起こったかわからなかった’… 自分にそんな言い訳をしながら、その途端に腰が 引けていた自分を思い出して恥じ入るものです。 しかし、生活者にとって腰が引けるのも無理から ぬ事だと思います。あの公安警察の人間たちの権 力の形相、敵意に一度でいいから向きあってみれ ばわかります。 イエス逮捕の合図が、密告者ユ ダの接吻だったというのは意味深です。もっとも 聖書の中の文書が生産されていった社会の中では、 ユダヤ教でも後のキリスト教でも、挨拶のしかた として、接吻は普通の慣習の範囲内にあるようで す。いずれにせよ、イエスに対するユダの親しい 間柄をあらわす接吻が、この裏切り=引き渡しの 合図となるというのはあまりにも皮肉なことです。 逮捕の現場で、そこにいた者が小役人に斬りか かって片耳を切り落としたエピソードが報告され ています。これは、その時イエス側の人間がちょっ とは抵抗したぐらいの意味しかない話しですが、 こんなのがあってかえって一連の出来事に真実味 を与えます。だからといってすべてが同等に真実 の出来事というわけにはいきません。それはそれ、 あれはあれ。 切り落とした人物が共観書では特 定されませんが、ヨハネではペテロになっていま す。さらに、マタイは「剣をとる者はみな、剣で 滅びる」という格言(私は、イエスはこういう見 え見えの格言的ことばに関心がないという理解に 立ちます。)をどこかから引っ張ってきています が、マルコに描かれるイエスはこの抵抗行動を叱 責する風もなく、むしろ剣や棒をもってイエスを 捕まえに来た連中をなじっているだけです。ここ からイエスの無抵抗主義などの理念を引き出すわ けにはいかないようです。ただ、この逮捕=一方 的な「引き渡し」にイエスは事実上無抵抗状態の まま引っ立てられていったというのが、受難物語 の基本的な報告要旨であることには変わりありま せん。
3月19日の説教から マルコ伝14章32−42 節 「最後の祈り」 久保田 文貞 前回、最後の食事場面が、福音書の中に多く出 てくる「開かれた」食事場面と異なって、十二弟 子に限った「閉じた」食事になっていることに注 目しました。〈受難物語〉がそうさせたと考えま す。そもそも〈受難物語〉とは、イエスに従った 者たちが、理不尽なイエスの十字架の死を必死で 解釈し、数年の間そこに釘付けになっていたこと を示す航跡なのです。 というわけで、そこに出 てくる一つ一つの挿話が〈受難物語〉という一貫 した構成物の中にきっちり填め込まれているわけ で、それによってそれぞれの挿話が強く変形を受 けていると言わざるをえません。その点で、受難 物語以前のガリラヤ時代の諸断片とは違います。 そちらでは一つ一つの挿話が独立していて、バラ バラに取り扱えるのですが、こちらでは、時間的 にもほんの数日のことであり、全体ががっちりと 結びあわされています。「最後の食事」と「最後 の祈り」、そして「逮捕」、「裁判」、「判決」、 「処刑」へと続く一連の出来事は、たった24時 間以内に起こったこととして描かれているのです。 そもそも食事の後、弟子たちが3回も居眠りをし てしまうだけの長い時間を祈りのために取るだけ の時間的余裕はないし、ユダが神殿当局に訴え出 て、神殿警備隊を引き連れ、いまだゲッセマネで 祈りをしているかどうかわからないはずのイエス の集団の所にやってくるというのも、あまりにで きすぎています。というわけで、結論的に言えば、 「最後の祈り」の場面も、史実かどうかという議 論の外にあり、構成劇の一コマのようなものなの です。 「最後の祈り」の場面について、キリス ト教オーソドックスの理解は、聖餐(食事)によっ てイエスが「私たち」の罪のために死なれた(贖 罪論という)こと、とりわけパウロはキリストの 体にあずかることであり、この食事によって教会 が一つになることだと意味づけてきました。しか し、この理解の裏に構成劇の流れから、実は作者 の意図や意味づけがどうあろうと、主人公イエス は「最後の食事」でイエスは自分の体を弟子たち に「引き渡し」てしまい、イエスの孤立だけがいっ そう際だっていく、そしてゲッセマネの園で、イ エスの孤立した苦悶は頂点に達するのです。「選 ばれた」十二弟子は、イエスの悶え苦しむ祈りの ことを少しも理解せず、居眠りをする。それも三 回。すぐ後で捕らわれたイエスを前にしてペテロ が三回イエスを知らないというのと同じく。 イ エス「引き渡し」のモチーフは、それぞれの引き 渡しを担当する者の、ある種の責任放棄と解放感 の連鎖で構成されています。引き渡された者は、 ババを引いてしまって早くやっかい払いをせんと ばかりに次の者にイエスを引き渡していくか、あ るいは最終的には消費してしまう。で、イエスに よってイエス自身の体を引き渡され「選ばれた」 十二弟子は、食事の後、祈りの場で居眠りを三回 もするということで、消化し、消費してしまう。 ところで、マジメなクリスチャンはこの居眠り を自分のことのように恥じ、苦悶するイエスを見 放した自分を責めるにちがいないと思いますが、 そしてこの構成劇が表面上はそれをねらっている にちがいないと思うのですが、私はそうでもない と受けとめています。引き渡された商品は、消費 者のもとでは消化し、消費することがかならずし も怠惰、責任放棄というわけではない。この引き 渡し劇の最終的なプロデューサーは神ご自身であ り、この引き渡しの最終的な支払いをするのは神 ご自身のはずですから。
3月12日の説教から マルコ14章22−26節 「『最後の食事』試論」 久保田文貞 現在の日本基督教団の常議員会に、聖餐式が乱 れているから正すようにという内容の議案が出て います。教憲・教規に則って、バプテスマを受け ていない人に聖餐に与らせてはいけないという主 旨です。教憲・教規にバプテスマを受けていない 者は聖餐を受けてはいけないという明確な禁止条 項や罰則規定を表記しているわけではありません。 しかし、教団内の「正統」主義的な解釈は、たと えば教団発行の「式文」もそうですが、聖餐は 「陪餐会員」=信徒のみにゆるされた〈閉じられ た〉closedな食事だとしてきました。けれども、 現在かなりの教会が、バプテスマを受けていない 礼拝参加者で聖餐を受けたいと思う人に、openに して「聖餐に与かる」ことを認めています。これ に我慢ならんという人がいて、上記のような提案 をしているのです。私は、どちらかと言えば、 openな方に賛成しますが、ことはそれほど単純で はありません。 北松戸の「最後の食事」理解も そうですが、聖餐について、いわゆる「最後の晩 餐」(マルコ14:22-26//)以外に、5千人の食事 (マルコ6:30ff)や福音書に描かれているあらゆ る食事の場面も含めて、イエスと共にする食事を 原型にして捉える捉え方があります。けれども、 そう考えると、どうしても「最後の食事」の場面 だけが、ほかの食事から浮き上がってしまうので す。イエスが共にする食事は、それ以外すべてオー プンなのです。なぜか「最後の食事」だけ、それ までほとんど意味をなさなかった「十二弟子」に 限定され、結果的に女性たちやほかの弟子たちを 閉め出して、「閉じられた食事」を行っているの です。 この異常さをどう説明するか。従来の理 解は、十二弟子は全イスラエルの象徴、つまりメ シア・イエスが、明らかに自分の体と血をその犠 牲として献げるという意味を込めて執り行う過越 の食事に、いまだ全イスラエルを招くことはでき ないから、暫定的に十二人をその代理として招く というもの。しかし、どう転がしても「十二人」 という設定自体が作り物臭さをプンプンにさせて いると思います。 イエスが人々と共にする食事 がオープンだったからと言ってただの宴会という わけではなかったでしょう。イエス自身の意識に おいては、あれらの食事は「神の国」の饗宴だっ たのです。だからこそ普通には招かざる客まで招 く、いや普通には招かざる客こそ主客として招く、 たぶんに旧約の預言者がよくする「象徴的行為」、 すなわち神のことば・意思を代理表象するパフォー マンスと同じように、神のことば・めぐみの中に ひたりながら、振る舞ったのでしょう。ですから、 私には、たとえ象徴的にせよ、十二弟子に限定す る意味などもともとイエスにはないと思うのです。 過越の食事が当時どのように行われていたにせよ、 「最後の食事」は最後までイエスについてきた連 中はもちろん、そこで初めて加わった者も含めて、 いっしょに食する食事だったと考えたい。十二弟 子に限定したのはイエス死後の原始教会だと考え ます。むしろ重要なのは、受難物語の、あの「引 き渡し」という大きな流れに(前回、前々回参照) この食事を置いてみるとき、イエス自らその身体 を、ユダや大祭司や総督ピラトだけでなく、彼の 弟子たちにも、パンと葡萄酒という形でですが、 「引き渡し」をしたということにあると思えてな りません。
3月5日説教から 「裏切りの理由」 マルコ福音書14章10−11 久保田文貞 イエスの12弟子の表がマルコ3章16以下に 出てきますが、そこで最後のイスカリオテのユダ の名前に申しわけのようにして「このユダがイエ スを裏切ったのである」と注記されています。と ころで、「裏切る」という語は原語では14章1 0の「引き渡す」と同じ語です。受難物語で、ユ ダから祭司長たちに引き渡され、そして大祭司と 最高法院に引き渡され、次にローマの総督ピラト に引き渡され、刑が決定されると死刑執行人に引 き渡されるます。まさにそれは「引き渡し」の連 鎖です。 「引き渡す」ということにはどんな意 味があるのでしょうか。それは国家や会社組織に 見られるように、権原を持ったものが他者を管理 し動かす移動と本質的に同じです。そこでも引き 渡される者の意思を無視し、送致したり、拘束・ 留置したりするのです。ただ、それが合法的に、 だから合理的に引き渡しがされます。 これに対 して、同じ引き渡しでも「裏切り」と訳した方が ピッタリ来る場合もあります。ユダの裏切りのよ うに「悪意に満ちた」不合理な引き渡しです。し かし、一見すると法に基づいた合理的な引き渡し も、この悪意の引き渡しも、大きな差はないだろ うと福音書は言っているようです。 逮捕され、 裁判にかけられていくイエスは、一貫して無抵抗 です。逮捕されたときも、反撃しようとしたペテ ロを叱った程です。またどんな偽証に対しても反 論をしない。イエスのこのイエスの無抵抗。そこ ではすべての引き渡しの評価のもとになる悪意、 善意、合理的、不合理などが色を失って、ただの 引き渡しになっているのです。 ここで次のよう な問いを私は出してみたい。いったい人はそのよ う他者を悪意であれ、善意であれ、合理的であれ、 不合理であれ、理由を付けながら、引き渡す権威 があるのだろうかと。 基本的にこの引き渡しに 直接であれ、間接であれ、登場人物のすべてが共 犯関係にありあます。そしてそのことは受難物語 の読者、聞き手すべてに及ぶように出来ています。 人は他者を引き渡さずには生きていかれないこと の、根本的な反省、自己批判がここにあると思え てなりません。他者を移動させ、引き渡しても何 の痛痒も感じなっている社会構造の中に活きてい ます。それでいいのか、君は開き直って、イエス を今も思いのままに引き渡し、たらい回しにし、 そのようにして他者の意思を無視して引き回し、 引き渡し、拘束しようというのか、という声が受 難物語から聞こえてこないでしょうか。 イエス はその引き渡しに服しほとんど沈黙したままなの ですが、受難物語の方がこう囁いていないでしょ うか。そもそもが他者を引き渡すという有り様を 捨てよう。他者をどんなに配慮し、大切にしなが ら、やむを得ず、引き渡しますと弁解しようとも、 結局人はそうやって、究極的には死に向かって他 者を引き渡してしまう。そういう在り方をやめよ うと。 最後に、人はそうやって、他者ばかりで なく、自分自身も引き渡す、というさらに根本的 な問題に入っていかざるを得ません。ユダはイエ スを引き渡し、裏切ったと同時に、自分を引き渡 し、自分に裏切ったという自傷行為をしてしまっ たとも言えます。神がその引き渡しの究極の悲劇 を、慈悲のうちに包んで下さるようにと祈るより ないように思います。
2月26日の説教から マルコ15章16〜32節 「推定無罪」の思想 関 秀房 最近、世論や常識というものがいかに当てにな らないか、思い知らされている。いくつかの出来 事から、そのことを話してみたい。2月4日早稲田 大学で「田川建三講演会」があり、「思いこみの ひつこさ」と題して講演があった。共観福音書、 マタイ、マルコ、ルカは「登り口はちがっても結 局は富士山の頂上にたどり着く」論の三者とも結 局は同じことを言っているのだ、というキリスト 教界の根強い「常識」「信仰」がある。それに対 し田川は、三者はそれぞれ主張があり、別個のも のであることは、研究者には常識になっている。 しかしながら分かっている研究者たちが、マルコ の翻訳をするときに、マタイの主張の影響を受け て間違った翻訳が多いと指摘する。2月18日「ゴビ ンダ学習会」で法廷通訳の話があった。語学力と 通訳力とは別個のものであり「テスト」として、 先生の翻訳すべき日本語を聞いて相手に日本語で 伝える。そのとき内容から理解しそれを相手に語っ てしまう。話されたそのままの日本語を伝えない。 勝手に理解して語り、正しく伝えたと思っている。 私は、教団常議員会やフォーラム東京教区誌など で、教団や教区の財政について、これはおかしい よといくつか指摘している。教団では出版局の経 理処理がまさに粉飾決算であり、東京教区では二 億円近い金が何の監査も受けず放置されてきた。 しかし、いくら声を大にして言ってみても、偉い 牧師先生方がやってらっしゃるのですから、まさ か間違ったことはなさっていないでしょう、と聞 く耳を持たない。2月16日東京高裁にゴビンダさん の再審請求の要請に行った。高裁の事務官3人に対 し、支援者11人がひとりひとりこの裁判の不当性 を訴えた。私も、今の裁判所は「推定無罪」の原 則を覆し、「推定有罪」に立っているのではと述 べた。むしろ、有罪とするには疑わしいことが多 くあるにもかかわらず、そのことは無視し、周辺 の状況証拠で有罪としている。これでは、誰だっ て犯人にされてしまう。S・トゥロー著「推定無罪」 という本がある。映画にもなっている。筋書きや 映画の内容より、判事が陪審員を選ぶ場面に興味 がある。75人の陪審員候補の中から誰が12人の陪 審員として相応しいかを述べている場面である。 引用しよう。 まず判事は宣言する。「被告人は 無罪と推定されるのです。無罪と。サビッチ氏が この犯罪を犯さなかったという考えに立脚しなけ ればなりません。」そして中年の男に質問する。 「あなたは被告が起訴の理由となっているこの犯 罪を犯したと思いますか?」彼は「さあ、まだわ かりません」と答える。即座に判事は彼の陪審義 務を免除する。そして「みなさん、あなた方が推 定しなければならないことを、もう一度言ってお きます。サビッチ氏は無罪である。裁判長の私が そう言っているのですよ。彼を無罪と推定するこ と。皆さん自分に言い聞かせて下さい。あそこに いるのは無罪の人間である、と」そして検察側に は合理的疑いの余地なく有罪を立証する責任があ ること、被告人には無言でいる権利があることを 表明する。 いささか強引で罠に掛けているよう に思えるが、そこでは徹底して余談と偏見を排除 する。公判で確認されたものだけが証拠となり事 実となる。その証拠と事実から、有罪であるかど うか判断する。その際、疑わしきは被告人の利益 に、が原則である。オウム裁判、9.11以降、検察・ 裁判所の横暴が目につく。当たり前の権利さえも 剥奪されている。お上が、怪しい、犯人だと決め てかかったら素直に信じてしまう、まさに「推定 有罪」である。イエスもそのように十字架にかけ られた。
2月19日の説教から ヨハネ福音書3章22-30節 「彼は盛んになり、我は衰ふべし」 久保田 文貞 共観書(マルコ、マタ イ、ルカ)では、バプテスマのヨハネが〈神の裁 きの日が迫っている、悔い改めのバプテスマを人々 に受けよ〉と説いた洗礼運動がまずあって、そこ に故郷から出てきたイエスがやってきてヨハネか ら洗礼を受ける。その後、おそらくヘロデ家の乱 れた婚姻関係を糾弾していたヨハネが、ヘロデ・ アンティパスによって逮捕された。首魁を失った グループは一時求心力を失ってしまったと思われ ます。イエスはグループと別れて、ガリラヤの人々 の生活の場に入っていき、そこで独自の運動を始 めていきます。これが共観書から見えてくるバプ テスマのヨハネとイエスの接点であり、イエスの 宣教活動のきっかけとなりました。 ヨハネ福音 書だけが、バプテスマのヨハネの逮捕がイエスの 活動の開始の後になっていて、3章に両グループ がニアミスする記事が出てきます。ヨハネ逮捕が イエスの活動の前か後か、マルコの報告している 記事の方が3,40年ほど古いので分がいいのですが、 洗礼者ヨハネからイエスへの引き継ぎということ から言えば、ヨハネ福音書の筋立ての方がバプテ スマのヨハネ本人の口でこのように両者の差を述 べておくことができるという有利な点がありこと になります。 共観書のヨハネはあくまで神の審 きの日の前ぶれであり、人々をして審きの日を前 に悔い改め・方向転換したことを、全身を洗い清 めることで表明させていくわけです。これに対し て、ヨハネ福音書の場合は、洗礼者ヨハネは単な る一般名詞メシア、取り替え可能なメシアの露払 い的な性格の預言者ではないのです。「わたしは 水でバプテスマを授けたが、このかた(イエス) は、聖霊によってバプテスマをお授けになる。」 彼は「すべての人を照すまことの光」(1:9)であっ て「上から来る者」「天から来る者」であって、 「すべてのものの上にある」というのです。彼は 「先在のロゴス、神の正真正銘の子なのであって、 「父のふところにいるひとり子なる神」であり、 このイエスによって「神が現された。」 洗礼者 ヨハネとはそのことを証しするものだというので す。 しかし、この大胆な表明には、同時にそれ に匹敵するカクシダマが潜んでいます。先在のロ ゴス、神の子イエスは、「肉体となり、わたした ちのうちに宿った。」と言ってしまった。この言 葉のすぐ後で、「わたしたちはその栄光を見た。 それは父のひとり子としての栄光であって、めぐ みとまこととに満ちていた」とまさに地上で神の 子の栄光があらわれたと讃美するのですが、イエ スはなんと言い繕おうと、「人となった」のであっ て、そのかぎり神であることを止めたのです。イ エスを神だと言えば言うほど、その神が神である ことを止めて人となったということを真剣に受け とめなければならないのです。神の子という称号 を仮に認めるとして、この地上では〈いま・ここ で〉彼はほかのなにでもない人間なのであり、神 であることを止めた神の子イエスなのです。その イエスが、この地上で人としてだれといっしょに いようとしたか、だれのところで心血を注いで自 分の生をいっぱいに生きたか、残念ながらバプテ スマのヨハネはそのことを知る前に処刑されてし まったのです。
2月12日の説教から 第1コリント14章6−19節 「通じない言葉」 久保田文貞 コリント教会の中に、祈りや讃美の場面で他の人 には理解しがたい異様な言語を話し出す者が数人 いたらしい。その現象を「舌で語る」という言い 方をして、この問題をどう捉えたらよいかとパウ ロに尋ねた答えが14章の中身。 「舌で語る」 という表現ですぐにパウロにその中身が通じたよ うだから、この現象はその時代の教会にある程度 見られたものなのだろう。この「舌で語る」とい う語を、日本語訳はどういうわけか、ほとんどの 翻訳が「異言」と訳す。ちなみに主だった欧米語 の諸訳はそのまま「舌で語る」と直訳がほとんど。 この翻訳上の問題に好奇心そそられるが、これ以 上追求しないことにする。 この他人に理解でき ない「舌語り」をパウロは「人にむかって語るの ではなく、神にむかって語る」現象と見た。しか し、それでは舌語りをする者と神との交通の内容 は、他の教会のメンバーに伝わらない、「徳を高 める」(3)ことにならないという。ここに出てくる 「徳を高める」とは、「家を建てること」「建築 すること」を意味する語から転移している「建徳」 という意味の語だが、その集会(教会)を構築す るという業界語になりつつある言葉である。「舌 語り」では神と自分だけの対の関係しか構築しな い。教会では、そのような舌語りも、みなに通じ る言葉に解釈し直され、教会全体の構築に効用が なければいけないというわけである。 「舌語り」 をする者よ、神との関係に閉じこもらず、外部に 向かって語れ、讃美し、祈るなら、他の者にわか るように語れ、神と自分だけの世界という殻を破 れ、とパウロは言いたいのであろう。だが、自分 と神との間で交わされる「舌」「異言」は、解釈 者とか翻訳者とかいう第3者が間に入って、ほん とうに他の人々に伝わるだろうか。多分、そのよ うな「舌語り」をする人々を教会に繋ぎ止めるた めに解釈者がその中身を「建徳」的なものに作り 替えてやったのだと思う。気持ちはわからないで もない。共同体を維持するために独りよがりな言 語を建設的な言葉に組み込んでいくというのは自 然なことだ。しかし、もう一つ手前の所で考えて おくことがあるような気がする。 そもそも、宗 教の言語の肝心の部分はここで言う「舌語り」 「異言」と同じく、聖なる者と宗教者との間だけ に通じる内部の言葉なのではなかろうか。が、同 時にその異様な言語は確かに理解不能なまま外部 に語りかけているのではないか。 他者には入り 込めないような世界を突っ走って「舌語り」が分 節していく異様な素材を、教会の内部にしっかり と定位させなくてはと、ある種のお節介、共同体 論者が立ち上がって教会を建てていく。でも、そ こでの問題は、「異言」を理解可能なものに作り 替えてしまう言葉の暴力だ。悪意どころか、善意 の風をして「異言」は改変されて取り込まれる。 その暴力に耐えられなければ、異言は単なる異常 と見なされて、その彼・彼女は共同体を出される ことになろう。それに耐えられた者が、やがて 「舌語り」能力を削がれて丸く共同体の中にはめ 込まれていくのだろう。異言は廃れ、予言が興り、 やがて予言も廃れ、通常の言語が共同体をそれと なく拘束するだろう。だが、実はそのようにして 建設される共同体の内部言語も、外部には異様な 舌語り、異言を語る者と見なされるはずだ。外部 に向かって「舌語り」「異言」を語るよりないの だ。ものすごくかっこわるいと言われようと、で きれば解釈者というものを間に挟まずに、そうやっ て内側の壁を破っていく方がよいのだ。
2月5日の説教から 創世記29章14〜30節 「ジェンダーの脱臼に向けて」 久保田文貞 イサクの跡目を継ぐことになったヤコブの「嫁」 を探す物語が29章から始まります。前回見たよう に、この物語は兄のエサウとの跡目相続の闘いに こすいやり方で勝ったヤコブが、エサウの反感を 避けて一族の故郷に亡命する物語を引き継ぐ形で、 「嫁」取り物語にすり替わっていきます。ここで 私は「妻」と言わないで「嫁」という語に異和感 を覚える方がいるのを承知でこれを使っています。 なぜなら、物語を読めば一目瞭然ですが、事柄は 男中心に形成された族長家族を前提にして回転し ており、まさに女は子作りのための存在としてし かみなされていない連中の話になっていて、どう 見ても「嫁」という日本語を当てるのがふさわし いと思うからです。 ヤコブの伯父ラバンの娘ラ ケルに恋して、ヤコブは7年間けなげに働いたけ れども、7年たった日にラバンから妹を先に嫁が せるわけにはいかない、ラケルが欲しかったらま ず姉のレアを嫁にせよ、その後また7年間働いた らラケルをやろうと、ヤコブはまた7年働いて結 局姉と妹二人を「嫁」としてもらうことになりま す。そして30章につながっていく子作りの物語。 姉と妹がこの家父長制の拘束の下で自らを露わに して、自己主張しつつ子作りの闘いをしていく。 結局、彼女らの女奴隷も含めて、12人の男の子を 産んでいくわけです。それにしても、家父長制社 会の嫁取り物語が、支配権を持っている男の話で は物語が成り立たない、屈従をなめざるを得ない 女たちのやりとりの中でこそ、生身の人間の間の、 興味深い物語となるという皮肉に男は手出しがで きないという感じがします。 ところで、私たち は古代社会や封建制社会よりはるかに開明的な所 にいると自負している近代人の側にいて、こんな 物語を読んでいるわけです。こちら側から見ると、 ヤコブの婚姻物語はいかにもいびつな女・男の関 係からなっていると見ています。でもはたして、 私たちの現代社会は、この性差の問題について、 ほんとうに優れた社会になっているか、という問 題があると思います。この問題は男女共同参画基 本法の成立という形で、政治のレベルまで引き込 んだ取り組みがなされました。ということはまだ 問題が残っているということです。しかし、その 内容を見るとどうも首を傾げたくなる中身になっ ている。例えば教育現場について、男女の体操服 を同じにする・ ロッカーや下駄箱の男女別の禁止・ ランドセルの色を固定しない・教科書の挿絵に男 の子はズボン、女の子はスカートに髪飾りという パターンを止めるなどなど。 この種の取り組みを全面的に反対はしませんけ れども、性差の問題は基本的に、法や政治(共同 の規範を前提にした強制)で解決できるものでは ないという理解が大切だと思います。それはキリ スト教というある種の勢力を担っているものにも 言えます。神の教えとか、宗教的な権威とかを振 りかざして、性差の問題に片を付けようとするこ とに反対です。 女であるとか、男であるとか、 このふたつの範疇で当然のように考えますが、自 分もそれとなく従ってしまっている男と女という 範疇は、文化的社会的に引き渡されているもので しかない。すくなくとも引き渡されたものが「そ うじゃないよ」と思ったら、自分で取り替えて引 き渡すよりない。それを法や政治の力を借りてや れると思うことには落とし穴があると思います。 時に政治や法の衣装をまとうこともあるでしょう が、それはせまい意味での戦術でしかないと思い ます。
1月29日の説教より マルコ福音書11章15〜19節 「神殿への批判」 久保田文貞 最初の福音書記者マルコが指し示したことは、 イエスの十字架と復活の物語(これを受難物語と しておく)の前に、ガリラヤでの活動があったこ と、そして重要なことはガリラヤでの活動の評価 なしに受難物語を評価できないということだった と思います。ガリラヤでの活動は、受難物語のよ うに目に見えるような太い筋のまわりに小さな伝 承を縫い込んでいけばよいというものにはなりま せんでした。イエスの言葉伝承にしても、奇蹟物 語伝承にしても時系列的につなぎようがないもの でした。つまりひとつひとつが独立して完結した 物語になっているか、あるいはその場の状況から 分離して自律した言葉になっているのです。しか し、このガリラヤでの活動がこのような表現になっ ているということは、その活動がまだ太い筋の物 語で括られていないということを意味しているの ではないかと、私は思っています。イエスは目の 前の、行き場のない、当時の社会体制から見離さ れたガリラヤの人々、ひとりひとりに焦点を合わ せて、彼らと関係をもつところを自分の場を定め、 力を注ぎます。 しかし、そのような活動のさな かにちょっと唐突な感じで裂け目がでてくる。マ ルコ福音書の表現では、いわゆる受難予告が3回 なされ、その3回目(Mk10:32)に辺境ガリラヤを 後にして中央エルサレムに向かっていくのです。 それはあたかも、時代の矛盾・歪みを避けがたく 一身に受け、日常を生きていかなければならない ガリラヤの民衆をそこにおいてきてもなお、その 矛盾・歪みの発信者に打って出ていく、が、その 結果は権力に打ち倒される悲劇的な英雄のようで もあります。マルコの構成(と私はとらえます) によれば、イエスがエルサレムに入って真っ先に 向かった所は、さらにその中心ともいうべき〈神 殿〉でした。 〈神殿〉は、古きイスラエルの用 語では単純に「神の家」、そこまで遡ることにど れだけの意義を見出していいか迷いますが、本来、 乾燥地帯に散在する都市群の間を放浪し、時に都 市に寄留する半遊牧的な社会層を出自とする〈イ スラエル〉という、どちらかというと観念的な 〈民〉概念からすれば、彼らの神に「神の家」は なじまない。放浪する民に、神だけが定住するわ けにいかないから。というわけで、神殿は、ヤハ ウェ神の民イスラエルの物語からすれば、他の神々 の存在形式をとるというべきです。量的には少な いけれども、旧約の預言者が〈神殿〉を批判する とき基本的にイスラエルの原点に戻っていくのが わかります。 イエスの神殿批判を、どこまでそ の枠組みで意味づけられるか断定的なことは言え ませんが、少なくとも、神の座を自分の領域に囲っ て、神の権威を傘に着、そのようにして自分らの 支配の矛盾を隠し、歪みをもたらしながら何の痛 みも感じない輩の象徴的存在としての神殿をたた き壊すという〈物語〉に清涼感を感じるのは私だ けではないでしょう。 しかし、それが悲劇的な 物語に終わらざるをえない・・・これをどうしよ うか、という問題が、どさっとかえってくるわけ です。ガリラヤで続く断片的な物語をこれからど う建て直していくのか、イエスの弟子たちはほん とうにそれを受けとめたかというと、残念ながら そうでもなかったと言わざるをえません。
1月22日の説教より ヨハネ福音書3章1節〜12節「ニコデモへの批 判」 久保田 文貞 ひとつの共同体の性格を読み取とうとする時、 ひとつの方法はその中心をさぐることです。なに が目的になっているか、だれが中心にいるか、そ の共同体を現実に動かしている力は何か等々。し かし、私はそういう探り方以上に、その周辺から 探求することがけっこう重要だと思います。こと にキリスト教信仰共同体=教会にとっては、その 境界線をどこにおいて、そこでどのように周辺の 問題を捌くのかということが、本体の生死を決し ていくのではないかとさえ思います。そもそも教 会とは、その中心にいるイエスが、神の民・神の 救済の完結的な共同体(=古代ユダヤ教)から神 の冒涜者として最低に不名誉な十字架刑に追いや られ、共同体外へ排除されたことへの対抗、抗議、 対案、オルタナティブとして生まれたという面が あるからです。つまり教会は、共同体の否定者を 「隅の礎石」として抱いているところから出発し ているからです。 にもかかわらず、ヨハネ福音 書を抱く共同体(以後、ヨハネ共同体と言ってお きます)は実にすっきりと共同体の輪郭線を引い ております。それは「信じる者」と「信じない者」 の間に通っています。「しるし」(奇蹟)を見て 信じるか、キリストの苦難と死への道筋を目前に しても信じるか、死から復活したキリストを信じ るか、それによって配給される「永遠の命」を信 じるか、いろいろなレベルでの「信じる」が提示 されているが、「信じる」と「信じない」の間の 輪郭線は基本的に変わってはいません。 ことほ ど左様に、きわめて単純な輪郭線があるのみなの ですが、その周辺のあたりを微妙に動くキャラク タ−のひとりとしてニコデモがいます。彼はロー マから限定付きの自治権を与えられたユダヤ教議 会の議員でした。イエスを大祭司が裁判する際、 一議員として同席してと思われる人物であり、 「信じない」人間の代表というべきユダヤ人の仲 間であり〈向こう側〉の人間です。そのような立 場にありながら、「夜」人目を忍んでイエスに会 いに来る。ユダヤ教共同体の中心近くにいる者が その周辺に、ユダヤ教の側から引かれた輪郭線間 際までやってくる。そして「ラビ、わたしどもは、 あなたが神のもとから来られた教師であることを 知っています。神が共におられるのでなければ、 あなたのなさるようなしるしを、だれも行うこと はできないからです。」と言わせます。イエスの 答えはこうです。「人は、新たに生まれなければ、 神の国を見ることはできない。」これに対するニ コデモの疑問は、少々ばかげています。「年をとっ た者が、どうして生まれることができましょう。 もう一度母親の胎内に入って生まれることができ るでしょうか」と。こんなレベルの問答でヨハネ 共同体の聴衆が満足していたはずはないと思いま すが、とにかく物語の語り手、あるいは著者はそ ういうレベルの話しとして押し通すわけです。結 局、「あなたはイスラエルの教師でありながら、 こんなことが分からないのか。…わたしたちは知っ ていることを語り、見たことを証ししているのに、 あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。 わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、 天上のことを話したところで、どうして信じるだ ろう。」(10−12)「御子を信じる者は裁かれない。 信じない者は既に裁かれている。」(18)となって いき、ニコデモはイエスを「信じる」ことができ ないものとして周辺から中央へ戻っていくのです。 しかし、このことはヨハネ共同体から見れば、輪 郭線に近寄ってきた者をまたずっと向こうに追い やってしまう結果になっています。未練は感じて も、「信じない者」は輪郭線を渡れないという原 則に忠実です。ニコデモあと二回、7章45以下と 19章38以下に登場します。どちらもやはり向こう 側から輪郭線に近寄ってくる独特なキャラクター として。ことに19章の方は、アリマタヤのヨセフ と共に、処刑されたイエスを埋葬する者として輪 郭線に限りなく近くに。しかし、それ以上ニコデ モに手を出せない。こうして語り手・著者はあま り魅力のない共同体主義者に終わっています。惜 しいことです。
1月15日の説教より ロマ書12章3−8節「無意識の神」 久保田文貞 ロマ書12章1節以下の奨めの言葉は、全的な信 頼を神に寄せ、神の御心に沿った在り方をしよう というものです。それは、自分の全人格を神に引 き渡し、自分の意識の内にあるものも意識の外に あるものも、すべて神にゆだねたあり方をしてい こうというのです。このような在り方を、教会= そのようなあり方を目指す信者の群の中でどうす ればよいか、「神が各自に分け与えてくださった 信仰の度合いに応じて慎み深く評価する」、つま り〈自分の自覚できる能力なんてたかがしれてい る、何が役に立ち、何がじゃまなのか、人には十 全に知ることができないのだ、だから、慎み深く 自分を評価し、自分の力を受け容れるよりないの だ〉という、暫定的な響きのする、慎ましい倫理 観が奨められることになります。 マタイは、 〈隠れた所におられる神は、人が隠れた事を見て 報いてくださる〉(例えばマタイ6:6)というよ うな言葉を書きとめています。この「隠れた事」 とは、自分が作為的に他人の目に触れぬように隠 した事以上に、自分が無意識のまま為してしまっ て「隠されている事」の方が重大な意味を持ちま す。マタイ25 章の比喩は、最後の審判に臨んだ者 が審判者から「さあ、わたしの父に祝福された人 たち、天地創造の時からお前たちのために用意さ れている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わた しが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いてい たときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいた ときに訪ねてくれたからだ。」とお褒めの言葉を いただきます。しかし覚えがない、「主よ、いつ わたしたちは、…(そのようなことを)したでしょ うか」と尋ねます。そこで審判者は答えます。 「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの 最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてく れたことなのである。」その後の段では、これと 全く反対の者の話しが続きます。 ここには、人 が為した行為は、それが悪であれ、善であれ、そ の時点でその人自身には把握できていなかったこ とが、最後の審判で審かれるということが示唆さ れています。そして、次のことを意味します。す なわち、人間の意識外の行為も、神はちゃんと見 ておられ、それを漏れることなく総て審くのだと いうことです。 しかし、残念ながらこのような あり方を現代人に説くわけにはいきません。いた ずらに神への全面降伏を要求し、全財産の引き渡 し要求をするわけにはいかないのです。(もちろ ん、今も前時代に軸足をおいて要求するふりをす ることはできますが)。 「神は死んだ」という ニーチェの言葉にそのまま同意することは難しい けれども、少なくとも神は仮死状態であること、 もはや「隠れた所」にさえいないこと、人間の無 意識を支配する方でないこと、それを認めないわ けにはいかないのです。前時代的に、現代人は神 を殺して傲慢になっていると繰り返し言うことが できますが、それが時代に噛み合う言葉にならな いことを知ってそうするなら、ただの自己満足で しかないのです。もっとも、一部の現代の人も総 てを制御しきれないことをうすうす気づいていま す。ともすると、われわれが捨てようとしてもが いてきた(悪しき)宗教性を次から次へとたぐり 寄せようとすらします。それは止めた方がいい。 とにかく、私たちは理想的な宗教、慎み深くお行 儀のよい信仰からはもう遠く隔たってる、そこに 帰るわけにはいかないことを声を落としながら言 うよりはないと思うのです。
1月8日の説教より 創世記28章10−22節 「夢」 久保田文貞 前回見たように、高齢のイサクは生前贈与の形 で双子の兄エサウに財産を引き継がせようとしま したが、そこに妻レベカが奸計を用いてイサクの 祝福を弟のヤコブの方に与えさせてしまいました。 この物語の前提になっていることは、父が子に対 して行う祝福は、神の祝福を人間が代行するとい うことです。だから祝福行為をしてしまったヤコ ブには、そこに錯誤があろうと人間のエゴが介入 しようと、これを後戻りさせられなかったという のです。こうして、祝福の自然な流れを、人間の 欲望が割り込み歪にしてしまうという物語になっ ています。そしてひどい話しなのだが、「父イサ クは言った。「ああ/地の産み出す豊かなものか ら遠く離れた所/この後お前はそこに住む/天の 露からも遠く隔てられて。お前は剣に頼って生き ていく。しかしお前は弟に仕える。いつの日にか お前は反抗を企て/自分の首から軛を振り落とす。 エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持っ て、ヤコブを憎むようになった。そして、心の中 で言った。「父の喪の日も遠くない。そのときが きたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。」」と。 この祝福の流れから疎外された兄が弟に対して抱 く殺意の方がが、むしろ大いなる悪とされていく のです。そして母リベカは寵愛するヤコブを兄の 恨みから逃れさせるために亡命させるのことにな るのですが、亡命の旅は、いつのまにか、祖父ア ブラハムや父イサクと同じように故郷での嫁探し の旅物語に接合されていくのです。 この亡命の 旅から嫁探しの旅への転換点に、ベテルでの夢物 語が出てきます。ベエルシェバから故郷に向かう 途中、エルサレムの北15キロ程の所で野営しま す。そこでヤコブは、夢を見たというのです。天 と地上の間に階段があってそこを天使が上がり下 りしている幻です。ユダヤ教の魅力のひとつは天 と地を決然と分離させる。両方がだらしなく繋がっ ていない。人間と神を結ぶラインを人間の方から 作ることができない。あのバベルの塔のように。 しかし、この物語は、たとえ夢とはいえ、天と 地を結ぶ階梯はないというユダヤ教とキリスト教 の基本原則を破っています。とはいうものの、こ の階梯を人が上り下りするわけではありません。 あくまで神がヤコブの夢に現れて、直接ヤコブに 告げるのです。それはアブラハム(15章)やイサ ク(26章)がが与えられた祝福、カナン(パレス チナ)の地を約束の地として与え、そこで子孫が 繁栄するという内容の同じ祝福です。後のイスラ エル救済史観がこの物語に逆投影されているのは 確かなことですが、としても寄る辺ない漂流の寄 留民に、神が約束の地として与えてくれたと受け とめる素地を全部否定するわけには生きません。 故郷から遠く隔たった地が神から生きる舞台とし て示される。人はいつまでも故郷にしがみついて いるわけにはいかない。いやむしろ故郷を離れ、 後にすることによって解き放たれている。戻りた いという願望まで否定しないけれども、人はもう 故郷に戻れない。漂流して生きていくよりないこ と、その漂流の場所が与えられているに過ぎない こと、その漂流の場所で他者と出会い生きていく よりないこと、いや生きていくことが出来ること。 そのような祝福の言葉のように思います。そのよ うな人間への言葉として、この物語を感慨深く読 みたいと思います。 神がイスラエルにこの地で 他者を追い出し、殲滅する権利を与えたというの は錯誤であり、最大の誤解です。