説教ノート 2005年7月から12月分

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2005年12月25日の説教から  ピリピ2章5から10節 「神が神であることを捨てた日」       久保田文貞 「キリストは、神のかたちであられたが、神と等 しくあることを固守すべき事とは思わず、かえっ て、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人 間の姿になられた。その有様は人と異ならず、お のれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の 死に至るまで従順であられた。それゆえに、神は 彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に 賜わった。それは、イエスの御名によって、天上 のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆる ものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、「イ エス・キリストは主である」と告白して、栄光を 父なる神に帰するためである。」 これはパウロ が引用した当時の讃美歌の一節と言われます。ピ リピ書が書かれたのは54年頃ですから、その以前 に作られ相応の期間を経て地中海東部付近のクリ スチャンたちに知られていたことになります。キ リストは「神のかたち」であったが、神と等しい 在り方を捨てて人間になった。その人間としての 有り様は人間の死、それも「十字架の死」まで引 き受けたというのです。「十字架の死に至るまで」 という部分は、パウロが受け取った讃美歌に付加 したものだと言われます。としても、この詩は、 キリストが神であることを放棄して、人間の、そ の最悪の死まで寄り添ったことを歌うのです。  伝統的なキリスト教神学は、このキリストは、人 にして神であることを必死で論理づけようとしま した。キリストは神の子であると告白したわけで す。 その真偽はともかく、この賛歌は、そのよう な神学とはちょっと違う様に思います。 前にも 取り上げた現代イタリアの思想家ヴァッティモは、 キリスト教がその起源である神から漂流してしまっ たことを指摘します。キリストは神のかたちを捨 ててその起源から離れてしまっていること。その キリストと同舟するキリスト教も神と共に居られ ない、神の現前を手にしていない、神は伝承の中 に記念碑的にしか認められない。だからいまだれ も、絶対者なる神を根拠にして他者を説得したり、 命じたり、この世界の秩序を根拠づけたりする資 格も力もない。そういう根拠の根拠=「強い思想」 を持っていると自認する学問や政治や経済がある わけだけれども、それとキリスト教はほんらいな んの関係もない。キリスト教は、「おのれをむな しう」するキリスト、神が神を捨てたところから、 つまり「強い思想」、世界の根拠の根拠となるこ とを止めたところから、漂流をはじめた者たちの 群に過ぎない。「強い思想」に対する「弱い思想」 に過ぎない。強い思想がその故に排除し、黙殺し、 窒息させんとする弱い人々の弱い声を発信するこ とが出来るに過ぎない。強い思想は、それでも弱 い者たちの声を、考えを圧殺するでしょう。弱い 思想なのですから。弱い思想は、弱さを克服しな いで、むしろ屈曲するというのです。克服して根 拠の根拠をもぎ取って、他者を屈曲させる有り様 は、とらないのです。弱さとは、抽象的な何か (抽象化された途端、ある種の強引さをもつから) ではありません。弱さは、あるがままの命に寄り 添います。寄り添い、いっしょに屈曲するという のです。


12月24日の礼拝説教から 「地に栄光はいらない、平安を」 マルコ2章11節から12節          久保田文貞  106番の讃美歌「荒野のはてに」という讃美歌は、 天使が野で羊飼いたちのところに現れ、救い主が 今生まれたことを告げる、すると背後に「天の大 軍」がいて彼らが大合唱をするというところで、 クリスマス物語のクライマックスを歌っています。 繰り返し部分は、「グローリア イン エクセル シス デオ」は、2 章14節は、「いと高きところ には栄光、神にあれ」というのをラテン語の歌詞 で歌っていることになります。しかし、ここで止 めているということは、後半の「地には平和」を 省いていることになります。意地悪く言うと、神 への栄光を第一義に讃美し、地上の人間に対する 関心は二の次になっている感じがします。このこ とはこの讃美歌の詞だけの問題ではありません。 そもそもルカ福音書のクリスマス物語自身が根本 的に持っている傾向です。神あるいは神の子を前 にしてまわりのすべての者を低くし、謙遜にさせ るという一種の遠近法みたいなものです。 この 心理は別にキリスト教や宗教だけのものでない、 私たち人間社会一般にも共通することです。或る 者に対する敬慕の念が、他の人間仲間をおとしめ、 彼らに対する無関心、彼らの痛み、屈辱感に無感 覚になってしまうという問題です。 クリスマス とは、愛と恵みの神が地上の人間に神の独り子を プレゼントする、人はその恵みをありがとうござ いますと喜びと謙遜と畏れをもって受け取る…ほ とんどのキリスト教の歴史はそういう風に捉えて きました。これはキリスト教の背骨のようなもの になっています。燭火礼拝に有名なクリスマス讃 美歌を6曲選びました。これらいずれもそれを畳 返すような中身になっています。神をカッコに入 れておけば、とにかく無尽蔵な豊かさを持った方 が、あらゆる人間に恵みと祝福と平安を与えよう というのですから、そのベクトルの向きにだれも 不快を感じないだろうと普通は思います。 でも こういうたれ流しのような恵みのシステムに群が るのがクリスマスなのでしょうか。戦争を引き起 こしておいて、クリスマスだから一週間程は停戦 しましょうと呼びかける。これがクリスマスなの でしょうか。 キリスト教はそういうシステムの 中心にイエス・キリストをおいたのですが、実は 当のイエスご自身は自分を、神の恵み・平和・祝 福の、人畜無害な配給システムの中心に納まろう とはしない、いやそれどころか、そういうシステ ムがほとんど必然的に見落とし、無視し、排除し た人々の側に赴き、彼らと共に食事し語り合い、 事柄を共有しようとした、ということが福音書の 研究によってだんだんわかってきたのです。 イ エスの活動は、2,3年で彼の処刑で終わってし まいますが、その基本的な生きるテーマは、地べ たに這いつくばる人間との関係を第一義に据える ことでした。ガリラヤ地方の民衆の間に彼はいま した。破産した男やその家族、その結果生きてい くためにユダヤ教徒としての務めが果たせず排除 されている人々、病とそのレッテルの故に人間と して扱われなくなっている人々、彼らは人々から は神から遠い人、神の救いにはあずかれない人と 見なされていました。イエスはそういう人間たち の側に行きます。そういう人間たちの間で自分を 投げかけていく。ですから、この世界のシステム にのってよい場所を締め、そのシステムの歯車に なっていると自認している連中ーパリサイ人や律 法学者と呼ばれたユダヤ教の指導者ですがーから 敵視され、最後に殺されるのです。 このイエス の誕生を先の讃美歌のように「神に栄光」と歌う ならそれもよし、しかし、自分は地には平和、地 べたに這いつくばる人たちのところに行くとイエ スは言われているように思えてなりません。
12月18日の説教より     「沈黙する」       詩篇39篇    久保田文貞   “わたしは黙し、口を開きません。あな たが計らってくださるでしょう。”(10節)  再び「ゲド戦記」から。6巻を改めて初めから 読んで、物語の筋以外でずっと印象に残ったこと は、〈静かなこと〉〈寒いこと〉〈ひもじいこと〉 そして〈海〉です。決して短くはない、多くの言 葉で構築された物語なのですが、どうしてこうも 〈静けさ〉〈沈黙〉が全編を支配しているのでしょ う。もちろん作者ル=グウィンが静けさを愛して いるからなのでしょう。だから主だった登場人物 が寡黙なのだと思っています。著者はその沈黙の 時間をいろいろ工夫して描写します。 ゲドの師 匠オジオンは言います。「聞こうというなら、黙っ ていなくてはな。」「冬の間にあったことといえ ば、雨がひり、雪が降ったこと。そしてしたこと といえば、神聖文字の分厚い本のページをめくり つづけたことだけだった。一方オジオンはといえ ば、凍てつく森の逍遙や山羊の世話からもどって くると、長靴の雪をはらい落として、そのまま黙っ て火のそばに腰をおろした。」 ゲドはオジオン から魔法の技術を教わりませんでした。彼が学ん だのは「森を逍遙し、いかにしたら寡黙でいられ るか」ということだったのです。ゲドはロークの 魔法学院に行ってからも、やがて大魔法使い (Archmage)として院長になった後も、オジオン から学んだ〈静けさ〉を最後まで押し通します。 「どんな力も、すべてその発するところ、行きつ くところはひとつなんだと思う。めぐって来る年 も、距離も、星も、ろうそくのあかりも、水も、 風も、魔法も、人の手の技も、木の根の知恵も、 みんなもとはおなじなんだ。わたしの名も、あん たの名も、太陽や、泉や、まだ生まれてない子供 の真の名も、みんな星の輝きがわずかずつゆっく りと語る偉大なことばの音節なんだ。ほかには力 はない。名前もない。」「ことばをきくには静寂 がいる。星を見るには闇がいる。踊りというもの はいつもがらんどうの穴の上で、底知れぬ恐ろし い割れ目の上で踊られるものさ」 とにかく、語 り手は、聞くために〈静寂〉を、受け容れるため に〈空白〉を用意しなさいとそこかしこで手をか え品をかえ伝えてくるのです。このことは、凍て つくような〈寒さ〉、不足気味の、簡素な〈食べ 物〉、にも通じます。愛しさや恵みを受け容れる ために、代用品で満たすことなく、空けておくこ と、真実の言葉を聞くために静寂をもって待つこ と。それはアドヴェントのことを語っているよう に思えてなりません。 アドヴェントは、救い主 の到来を待つ期間として教会暦のはじめに設定さ れています。到来する中身の重要性は認めますが、 そこを匿名にし、答えを伏せておいてもなお、そ の空けておこうとする構え自体、静寂の中にいよ うとすること自体が、とてもたいせつなことだと 言っているように思います。確かに教会では、キ リストという答えが最初からわかってしまってい るのですが、私にはアドヴェント自身の中に、ど こへ向かうかわからないある種の賭けのように、 そして、ただただ静かに何ものかが語るのを待て と言っているように思えてなりません。
 12月11日の説教から  詩篇146編「歌と物語と信仰と」    久保田文貞 歌は人間の歴史や情況と無関係に作られたり、 歌われたりするわけではありませんが、どこかそ れを飛び抜けているようなところがあります。旧 約聖書の詩篇中に集められている詩は、一見して お分かりになると思いますが、古代ユダヤ教の讃 美歌で、本来は何らかの旋律がついていた歌です。 現在のユダヤ教でも旋律をつけて歌われますが、 古代の旋律はもうわかりません。 16世紀の宗 教改革期、特にジュネーブの改革派教会は、華美 に過ぎた教会音楽を棄てて、礼拝では詩篇歌だけ を歌いました。「讃美歌21」の113番から1 72番に詩篇の詩をもとにして旋律がつけられた 歌が集められていますが、その名残でしょう。こ のようにキリスト教会では詩篇歌はいつの時代に も通用する歌として歌われています。ということ は歌が人間の歴史や情況の中から生まれてくるけ れども、それを飛び越えてはじめて歌になるよう なところがあって、歌からその背景の歴史や情況 へと一意的にさかのぼるわけにはいかないのです。 歌の中にある、ある種の無責任さが逆に歌の命に なっているのです。 というわけで、第146篇 の詩篇の歴史的背景を問うことは詩歌の本質から 言って、あまり意味がないと思います。それでも 詩篇の註解者たちの多くが、その詩人の歴史的 〈座〉を探ろうとします。註解者たちはこれをエ ズラ・ネヘミヤの改革が終わった後に位置づけま す。その根拠のひとつが「正しい者」(8節) 「悪しき者」(9節)の対置のしかたにあります。 紀元前5世紀のエズラ・ネヘミヤの改革と言われ ているものは、ペルシャ帝国支配のもと、ユダヤ 教が民として政治的に独立する在り方を放棄して、 エルサレムを中心とした一定の自治権を認められ た宗教団体になりさがり、律法を規準に据えた社 会形成をしていく道を選び取りました。その後の 教団体制の社会で「正しい者」とは教団内部の模 範生であり、反対に「悪しき者」とは教団外部の 人々を指します。この宗教的な2項図式の裏には、 その体制にのってますます豊かになっていった地 主・支配層、その反対に土地をなくしてエルサレ ムにあふれる大衆(デーモス)の対立が・・・。 第一四六篇の詩篇をこの大衆たちの賛歌と考える となるほどピッタリします。 としても、歌はそ ういう現実の環境を超えて、一人歩きしていくも のでしょう。擬人的に言えば、歌は生まれた情況 から意味を固定してほしいと要求せず、人の心の 琴線にふれれることができればそれでうれしがる という性格のものなのでしょう。 同じようなこ とは、〈物語〉にもあります。「むかしあるとこ ろに・・・」で始まる話しなどに典型的に見られ るように、情況を飛び越えて語られ、聞かれる。 つまり語る者、聞く者が互いに時代情況を超えて その物語に共鳴すれば、もうそれで物語の役目は 終わるわけです。クリスマス物語も、受難物語も、 十分歴史的な装いをし、一見すると解釈されるこ とを待ち、意味を突き出したがっているように見 えますが、実は歌のように歴史情況を飛躍して繰 り返し語られ聞かれる性格のものだと思うのです。  歌や物語は、こうして無意識のまま歌い、語り、 聞く者たちの〈生のかまえ〉を作っていってしま います。 
  12月4日の説教から   サムエル書下2章から3章1節       「サウルの家とダビデの家」        塩野靖男  テキストはユダ族と北イスラエル部族間の合戦 記事です。もう少し具体的にはユダ族の中のダビ デの家と、ベニヤミン族の中のサウルの家との間 の戦いです。イスラエル初代の王となったサウル とユダの王から連合王国の王となったダビデとの 間の確執を示しています。戦いの指揮をとってい るのは両軍の軍の長で北はアブネル、南はヨアブ。 両者ともそれぞれ癖はあるものの、主君のために その生涯を仕えきった武将でした。ユダとベニヤ ミンとの国境近くギブオンでなされたこの戦いは 両軍の傷みわけであったようですが、戦いの中で アブネルがヨアブに叫ぶ「いつまでこんな悲惨な 戦いを続けるのか、兄弟同士いがみあうのはやめ よう」(26節)は、いみじくも2つの家のいがみ 合いの根深さを言い得ているようです。ヨアブも その声に応えて軍を引き離し、両軍ひき上げたと いう話しになっています。  サウルはこの直前、 対ペリシテ戦で死んでいます。サウルに残された 唯一人の子イシボセテを擁して北諸部族を束ねる アブネルはこのあとダビデのいるヘブロンへ出向 いて和平工作をなすものの、暗殺されてしまいま す。サウル王朝なるかもしれないイシボセテの存 在は部下に寝首をかかれて潰えてしまいました。 かくしてダビデの下に集約することになったのが、 ユダ・イスラエルの連立王国です。しかし、これ も次のソロモンの代を終えると再び元に戻ったこ とは周知のとうり。 今日はこの2つの家が属する各々の部族の特徴 を浮かび上がらせたいと思います。 サウルはベ ニヤミン族の出です。その領地は北のエフライム 山地と南のユダ高地に挟まれた狭いところですが、 カナン侵入に際して特記される多くの町々を含み ます(エリコ、ギルガル、ミヅバ等々)。族長伝 承ではベニヤミンはヤコブの2人の妻の内ラケル の子で、ラケルのもう一人の子がヨセフです。カ ナン中央山地はいわばラケルを共通の祖と認識す る部族の地ということになります。ベニヤミン族 は士師時代の後半、その悪事によって他部族から 絶滅の手前まで打ちのめされる話が残っており (士19から21章)、その中から初代のイスラエル の王が誕生したわけです。ダビデはユダ族に属し ます。その嗣業地はユダ高地そのものです。領地 は広いものの生産性は低く、人口密度も小さいと ころです。ユダ族は族長伝承によれば(創38章)、 兄弟部族から別れひとり南方のベツレヘム地方に 移りカナン人と結婚したとあります。士師時代初 期のカナン人と雌雄を決する戦いの記事の中にユ ダ族の名は見当たりません(士5章)。族長ユダに 繋がるエルとオナンの二つの氏族の消滅、ペレツ とゼラなど3つの氏族の形成、また士師記1章か ら知るユダ南部の幾つかの小部族がユダの系列に 取り込まれていく様子などから、われわれはユダ がすこぶるカナン的であることを了解します。ダ ビデ王の施政はまさしく親カナン的でした。 後 代、新約聖書中の主要書簡を書いたパウロは自分 がベニヤミン族の出であることを誇っています (ピリ3の4、ロマ11の1)。 またイエスをダビデ すなわちユダ族に繋げようとしたのは初代教会の ユダヤ人信徒たちでした。信仰の足元の吟味は常 に必要とされるようです。   
11月27日の説教から  マルコ13章14−23節 「終末論の脱臼」             久保田文貞  「もうこの世はおしまいだ」と嘆く心境なら誰 だって一度二度ならず感じたことがあるでしょう。 その宗教版が終末信仰であり、その教義化したも のが終末論です。早くは今から2700年以上前のユ ダ王国の預言者イザヤは、地上の民が神の掟を破 り、神との約束を棄てた故に、神がこの地上を裸 にし民を焼き尽くすという審判の図を預言してい ます。(24章)ただし、「わずかの者が残された」 (6 節)とちょこっとだけ書いてあります。 つ まり悪しき人間があまりにはびこりすぎて、神は 人間だけでなくこの世界丸ごと大掃除する、その 際、数少ない正しい人間は除外されるという図で す。終末論という宗教思想は、基本的に神の審判 を受けなかった「残りの者」が担う思想ですが、 ときにその審判を審かれる者に連帯するほどに深 化させて表白する預言者エレミヤのような宗教者 が現れます。終末論が真実味を帯びてくるのはこ の点にあると思います。 正しい人間だけが残っ て、悪い人間は滅びるというだけのことなら、そ れは単なる同語反復にすぎない、無意味な言葉で す。問題はそういうことではなくて、善悪という 規準を無効にしてしまうような事態がある、ごく 一般的な生活者が数千人数万人と亡くなっていく ような事態が起こって、なぜなのか説明できない、 まずそういうことがあります。さらに正しさ・正 常さ・善意を丁寧につなげていった真理の連鎖が、 かえって仇になって大規模な矛盾を引き起こし、 目の前で崩れていく。そういうこともあります。 こういう説明不可能な生命の崩壊、人間の力への 否定を逃げずに連帯し引き受ける人がいて、そん な言葉があるものだから、バカにできません。  しかし、キリスト教がその系列を引き継いで、最 終的にモノした終末論は問題ありです。教会は神 の審判のプログラムを先に見てしまい、その代理 店のようにして、世界を管理しようとするからで す。表はすべての人を救うという美しい言葉が、 その裏に、反対者(悪人、異教徒、反キリスト、 無神論者、共産主義者、テロリスト等々、貼りか えられる)を審くという言葉が…。言葉だけなら どうと言うこともないのですが、それが政治権力 と見えないところでいつの間にか合体するから、 その弊害は無視できません。 キリスト教が、世界を支配するモードに入って しまったのはいつからかと言えば、その初めから と言わざるをえません。やはり、イエスを〈キリ スト〉・〈神の子〉という指定席に座らせて、そ の時を神の審きが世界に進入し、世界が更新され る決定的な時と見定めたその瞬間からこの危険が 孕まれていたのです。 神という根拠の〈根拠〉 を認知し、それ故すべてを説明し、すべての行き 着くところを知っているという立場に立つキリス ト教と、一方で、世界はすべて把握でき、説明で きるとし、そのようにして世界を管理し支配しう るという立場に立つ〈近代〉とは、基本的に同じ 構えなのです。 とにかく、この種の構えに共通することは、人 よりも早く確実に根拠を示し、根拠について説明 し、根拠という第一原理で威圧する、そうしてす べての疑問、問いを封じ込め、沈黙させる暴力で す。強引な強い思想です。キリスト教終末論もそ の流れの中にほとんど浸かっています。このよう な強い、お節介な終末論をなんとか脱臼させてし まうことはできないでしょうか。 イタリアの思 想家ヴァッティモは〈弱い思想〉ということを言 います。その弱い思想のモデルとして受肉という 考え方を聖書から引き出します。神は自己を世界 の絶対的な根拠、世界の全能者・主権者となるこ とをやめて、ただの一塊の人となった。受肉とは、 神が神として自己主張する回路を断ったことであ り、神が神として啓示する構えを棄てたことだと いうのです。こうして神はこの世界に〈漂流〉し てしまったと言います。人はもはや神を絶対的な 根拠として利用してはならないのだ。神の権威を ひけらかして他者を威圧し、多様な「過去や他者 に由来する一連のこだまや、言葉やメッセージの 残響」を沈黙させてはならないというのです。 天から降りて肉となり、弱々しく漂流してしまっ た神、絶対なる第一原理、根拠の根拠となること を忌避した神を、聖書の、そしてキリスト教の伝 承にやはり弱々しく張りついているものを読み取 りながら、あの弱々しい受肉者と共に、近代や形 而上学や世界宗教が棄てたものをそれに向けて反 響させていこうと、ヴァッティモの思想を私は理 解しています。
11月20日の説教から マタイ23章13節 「天の国を閉ざすもの」  “律法学者たちとファリサイ派の人々、あ な たたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の 国を閉 ざすからだ。自分が入らないばかり か、入ろう とする人をも入らせない。”  O・ヘンリーの短編に「最後の一葉」というの があります。あまりに作り物っぽいのですが、象 徴とか、喩についての実験室的なモデルを提供し てくれます。 舞台は貧乏な芸術家が集まるニュー ヨークのグリニッジビレッジ。それぞれ田舎から 出てきたスウとジョンジーはアトリエを共有して そこに住んでいたが、ある晩秋、流感がはやって ジョンジーの方が感染してしまう。満足な治療も できず彼女は肺炎を併発し、医者に診てもらった ときには「助かる見込みは、十に一つといったと ころ…その見込みも、あの娘が行きたいと思わな い ことには、どうにもならん。」というところま できてしまいます。 スウが彼女の部屋に行くと、 ジョンジーが12,11…8つと何かを数えてい る。「また一つ落ちたわ。あと5つしかないわ」 と言うのでスウが聞きます。「何が5つなの? ね え、わたしにも教えてよ。」「葉っぱよ。蔦の蔓 についている葉っぱ。最後の一葉が落ちたら、私 も行かなきゃならないんだわ」。見ると窓の外の 煉瓦の壁に蔦が這い上がっていて、そこに数枚の 葉が残っているわけです。 ジョンジーは残った蔦の葉に自分の命をなぞら えています。スウは「まあ、そんなばかげたこと は聞いていないわ Oh, I never heard of such nonscense.」「蔦の枯れ葉と、あんたの病気がよ くなることと、どんな関係があるのよ。What have old ivy leaves to do with your getting well?」と怒ります。スウは一種の合理主義にたっ て、蔦の葉に自分の運命を託すなんて無意味だと いうわけです。 一階の住民で、この二人の娘を 後見していると自負している、傑作をいつか画く とは口ばかりの老画家ベアマンにそのことを打ち 明けます。その晩は嵐のような悪天候で、ジョン ジーの部屋に戻ったスウは口実を設けてブライン ダーを降ろしてしまいます。 そのまま寝入って しまったジョンジーは次の日の朝、ブラインダー を開けてもらって見ると、昨夜の風雨にもかかわ らず最後の一枚が残っているのを目にします。そ の葉はいつまでも落ちない。やがてジョンジーの 体は回復していく。医者も峠は越えたと言う。し かし、ジョンジーとスウは、今度は老画家ベアマ ンが肺炎になったと聞きます。実は嵐の晩ずぶぬ れになりながら、ベアマンは一枚の葉を壁に画い たというのです。それが彼の最後で最初の唯一の 傑作masterpieceになったという落ちになっていま す。 現代の聖書学は、歴史上のナザレのイエスと、 一般名詞キリスト(メシア・油注がれたもの)と を区別し、イエス死後のキリスト教が、史的イエ スを覆い隠してしまった、そしてその覆いを取り 除こうとして奮闘しています。その作業の成果は 大変興味深いものですが、一人一人の信仰者がイ エスを素朴にキリストと告白するありようまで否 定することは来ません。キリストという符牒を取 り上げてしまうことはできません。それが落ちそ うなら、渾身込めて画いておくことも必要だと自 戒しています。
11月13日の説教から 創世記27章18〜29節 「祝福をもぎ取る」 久保田文貞 族長イサクと妻リベカの間に生まれた双子の息 子エサウとヤコブの跡目相続をめぐる、ちょっと 生々しい家族内紛争の物語が25章19〜34節、27章 1〜40節まで続きます。 25章の方は、兄エサウの 長子権を弟ヤコブが食べ物と交換に譲り受けてし まう話しです。そこではエサウは狩人で野の人、 ヤコブは天幕の周りで働く人という設定になって います。半遊牧民的小家畜飼育者として暮らして いる族長生活では、明らかにヤコブの方が適して いる感じがします。だが、父イサクは外へ出て狩 りをするエサウの方が好きだった。自分の夢を野 で逞しく狩りをする野性的なエサウに託すわけで す。それに対して母親の方は家庭的なヤコブの方 を愛したというのです。このほんの数行に、私た ちにも刷り込まれてしまっているジェンダー(社 会的性別)が動員され、納得させられそうになり ますが。 狩りから帰ってきて疲れ切ったエサウ は、天幕のそばでおいしそうなスープをつくって いるヤコブに食べさせてくれと言います。すると ヤコブは「まず、お兄さんの長子の権利を譲って ください」と言う。エサウは「ああ、もう死にそ うだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが 答えたというのです。こうしてまんまとヤコブは 長子権を取ってしまいます。家族物語としては、 たとえ長男であろうと家を大事にしない兄は家督 を継げない、家を大事に思う弟が家を継ぐべきだ と言いたがっているのがわかります。 この話しは父イサクが高齢に達して、跡継ぎを 決めようとする段になって、さらに手の込んだ展 開をします。 父親は兄エサウを祝福して家督を譲ろうとし、 死ぬ前にしかの肉料理を食べさせよと命じます。 これを聞いた母リベカはその祝福をヤコブに受け させようと策略を講じます。しかの代わりに飼育 している小ヤギで料理してヤコブに食べさせ、目 の衰えたイサクがエサウに与える祝福をヤコブが だまし取ってしまおうというわけです。どんな手 を使ってでも自分のお気に入りの子をえこひいき する、鼻持ちならぬ教育ママをリベカは演じてい ます。イサクはまんまとだまされてヤコブを祝福 してしまう。近代法の感覚からすれば、詐欺的な 不法行為があったのだからその法律行為を無効と 主張できるはずだというところですが、古代の族 長時代の人々は、たとえ正当性を欠くとはいえ、 神の前で約束してしまったことは覆せないと考え ます。神の力を畏れている人々の在りようを示し ていると思います。 いずれにせよ、夫、妻、兄、 弟の間に繰り広げられる家督相続をめぐるおどろ おどろしたいかにも人間的な物語が、神の民イス ラエルの選びの救済史イデオロギーの中に組み込 まれて、ギシギシ音をたてているような気がしま す。 私には、はじき出されていくエサウが哀れ に感じます。長子権などそんなにほしければくれ てやる、自分は外に出て思いのままに生きたい、 それでいて父の祝福もほしがる、弟にだまされて 獲られてしまうとやはり悔しい。そんな人間くさ いエサウがイスラエルの外に出されて、エドムと いう異邦のひとつに配置されてしまう。そうやっ て手にしていくイスラエルの神の選びという信仰 は何だろうと多少懐疑的にならざるをえません。
11月6日の説教から  ロマ書8章20節 「生ける者も死ねる者も」 「被造物は虚無に服していますが、それは、自分 の意志によるものではなく、服従させた方の意志 によるものであり、同時に希望も持っています。」 久保田文貞  死というものは、どう言いつくろっても、生の 否定の形をしています。私たちがことに応じて、 変化させる息づかい、心臓の鼓動、そして感情の 流れと共に外に向かって表現するいろいろなサイ ン、死というものは、それらすべてを放棄させま す。それは肉体の生命活動を停止したということ を最低限含みますけれど、しかし、そのこと自体 はそれほどの問題ではありません。問題は、彼女・ 彼が死によって生きている者との関係を絶つとい うことです。生き残った者には、彼女・彼の死に よって一方的に関係を絶たれてしまう、これがな んともやりきれないことです。彼女・彼が手がけ ていた仕事が止まってしまう。彼女・彼がいろい ろな人と結んでいた関わりが一方的に切られてし まう。近くにいた者としては、その欠けを修復し なくてはなりません。  一見どんなにおだやか で、やすらかな死であろうと、生き残った者たち に、否定という事実を突きつけることをぬぐい去 ることはできません。他の人に迷惑をかけないで、 ひっそりとそしてぽっくりと死にたいという願望 を持っている人がある調査によると65%あるそ うです。わたしも軽い気持ちでこのアンケートを うけるなら、そういう選択肢に丸をするかもしれ ません。しかし、他の人に関わりのない死などな い、残された人に生の否定を突きつけない死はな い。それは言い方を変えれば、他の人と関わりの ない死を私たちは基本的に死ぬことはできないと いうことです。ということは、私たちはいつでも、 他者との関係を断絶していく死をかかえて生きて いるということを意味します。 パウロが、「被 造物は虚無に服している」と言うとき、被造物と しての人間は、いつでも他者との関係を断ち切る 虚無を抱えもっていると言い換えることができる と思います。パウロは「罪が、死によって支配す るに至った」(ロマ5:21)と書いています。 その虚無に耐えられず、人は罪を犯すのだと言い たいのでしょう。虚無への恐怖から逃れるために 人は自分の栄光を自分で手元に置き、富を積み、 自分を中心にして人との関係をたぐり寄せておく。 そして他者を強引に自分に結びつける。それは関 係性の強化のようでいて、実は関係性の破壊を意 味します。人と人との関係は一方通行では成り立 たないのですから。関係の破壊、断絶とともに忍 びよる虚無、それは、もうかぎりなく死と隣り合 わせになっています。もがけばもがくほど、他者 との関係を絶つことになる。どうして人はこんな 在り方しかできないのか。そういう問題をパウロ は「それは、自分の意志によるものではなく、服 従させた方の意志によるものである」と、つまり 被造物としての人間はそうしかけられているのだ から、この問題を自力で解くことはできないとい うわけです。しかしパウロは「同時に希望も持っ ている」と言います。その希望の元をあのように 服従させた方、つまり神がちゃんと用意してくれ ているというわけです。「一人の罪によって、そ の一人を通して死が支配するようになったとすれ ば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受 けている人は、一人のイエス・キリストを通して 生き、支配するようになるのです。」 この希望 の根拠は、「イエスは、わたしたちの罪のために 死に渡され、わたしたちが義とされるために復活 させられたのです。」という彼のゆるぎない信念 です。もちろん、この信念もパウロにとっては、 自分の修練によって到達した悟りではなく、神か ら与えられた信仰だと表現せざるをえないものに なっているのですが。 いずれにせよ、死、虚無 が断絶していく人の関係性を人は自力で解消でき ない。この呪縛は、なんらかの自己への関係の迫 り、他者からの迫りによってしか解除できないと いうことだと思います。
10月23日の説教から マルコ福音書9章38−41節 「名前の大切さ」 久保田文貞  “ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を 使っ て悪霊を追い出している者を見ましたが、 わたし たちに従わないので、やめさせようとし ました。」  イエスは言われた。「やめさせては ならない。わた しの名を使って奇跡を行い、そ のすぐ後で、わた しの悪口は言えまい。わたし たちに逆らわない 者は、わたしたちの味方なの である。”   ル・グウィンの「ゲド戦記」の 舞台となる世界(the earthsea)では、魔法使い たちがその世界を守り、人々の力となり、人々に 助言し、人々から尊敬を持って遇される、そんな 時代があったことを物語るのですが、全編にわたっ て印象的なことは、すべてもの存在者は、みな真 の名を持っている、しかし、ほとんどの人は自分 の真の名さえ知らない、まして他者の真の名を知 らない。優秀な魔法使いだけがその名を知ること ができる、ということになっているのです。 も ちろん、それは物語上のことです。名とは親かだ れかがつけて、それが登録され実名となる、それ 以上でもそれ以下でもないと同意せざるをえない です。しかし、物語とは言え、なにか気になって 仕方ありません。この頃はやたらに本人かどうか 確認するためのIDが要求されます。名前と生年 月日と住所、それを証明するなにか、そうやって 身分を特定し、得体の知れないものを閉め出そう とする。本人をものすごく大切にしているようで いて、その実はその人をものすごく疑っている。 IDをもっている人が中に入ることができ、ID をもたない人は玄関払いされる。IDをもつ者の 優越感ともたぬ者の劣等感がとげとげしく混じり 合い、実に味気ない世界です。アースシーの世界 のような真の名があるのだということになれば、 IDなどにのさばらせておく必要がないのにと愚 痴ってしまいます。 アースシーのような〈真の 名〉の魅力は、なんなのでしょう。人は自分の思 いを超えて、自分だけの真の名をもって生きてい る。このことは、人が自分で意識している以上に、 その命がはぐくまれ、大切にされているというこ とを暗示しているように思います。ちなみに「ゲ ド戦記」の主人公の大魔法使いハエタカ (Sparrowhawk)の真の名がゲド(Ged)であり、彼 はこの名を寡黙な師匠から成人の式の時に教えら れました。自分の真の名を知るということは、自 分の真の道を知ると言うことでした。 重要なこ とは、その存在を真実かどうか確かめふるい落と すことではなく、その存在をかけがいのないもの として掻き上げることです。「アースシーの魔法 使いたちは存在者の〈真の名〉にともなう〈かけ がいのないもの〉のことを知って、自分たちの力 と業を使うことができるのです。 最初に掲げた イエスの物語は、取り憑かれ、困惑している命を 救い出すために、つまり人のかけがいのない命を 救い出すために、イエスの名を使ってだれか別の 者が奇跡をしたからといってなんの不都合があろ うかという話です。「ナザレのイエスという〈真 の名〉を、かけがいのない名をもつ大切な一人一 人の命のために、あるいは問題解決のために、は ばかることなく、どうぞ何度でもお使いください」 とイエスが言われているように思えてなりません。 (先週の話では、靖国合祀の名前の問題だけでお わってしまいました。話し損なった文を書きまし た。)
10月16日の説教から 第1コリント6章12-20節 「自由と責任」久保田 “ 「わたしには、すべてのことが許されている。」 しかし、すべてのことが益になるわけではない。 「わたしには、すべてのことが許されている。」 しかし、わたしは何事にも支配されはしない。”  「私にはすべてが許されている」というのは、 パウロの周辺ではスローガンのように広まってい たと思われます。十字架という最悪の方法で処刑 され、死人のうちから挙げられたキリストによる 救い・恵みによって、人は束縛から解き放たれ、 すべてに自由になったのだというわけです。 だ が、この自由というのが案外くせもので、伝統的 な儀礼や規範的な人間関係の束縛から自由になる というのはくみしやすいことですが、やっかいな のは自分の体です。体からわき上がってくる欲望 が自己を制約する、もっと言えば体はやがて死と いう虚無に服さなくてはならないという死の恐怖 が、自己を制約していると捉えると、体の束縛か らの自由の問題は生きている限り逃れられないこ とになります。これに対して、パウロは、神が 「キリストにおいて」それらすべての束縛から私 たちを解き放ち、私たちを義としてくださる、こ うして私たちは今や自由なのだというわけです。 「この自由を得させるために、キリストはわたし たちを自由の身にしてくださったのです。だから、 しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれて はなりません。」(ガラテヤ5:1) ところが、 コリント教会の中に、この自由の喜び、仏教用語 でいうと「法悦」をそのまま自分の体の自由を実 践しようとする人々が出てきました。性のタブー からの自由を訴え、欲望のままにその自由を満喫 する、食事のマナーから解き放たれ、食欲の赴く ままに食べる。実際に、それがどの程度のことだっ たかパウロの言葉だけでは分かりませんが。「あ なたがたは、自分の体がキリストの体の一部だと は知らないのか。キリストの体の一部を娼婦の体 の一部としてもよいのか。決してそうではない」 (15)「食物は腹のため、腹は食物のためにある が、神はそのいずれをも滅ぼされます。体はみだ らな行いのためではなく、主のためにあり、主は 体のためにおられるのです」(13) やっかいな 体の制約は、ひるがえってやっかいな体の自由の 問題になったわけです。そこで「体をどう捉える か」が鍵になりました。パウロはこう言います。 「体はみだらな行いのためではなく、主のために あり、主は体のためにおられるのです。神は、主 を復活させ、また、その力によってわたしたちを も復活させてくださいます。 あなたがたは、自分 の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。」 (13b−15a)  そして「体は神からいただいた聖霊が宿ってく ださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身 のものではない」(19)と、そこで「自分の体で神 の栄光を表しなさい」(20)とほとんど讃美歌の歌 詞のような宣言と奨めをしています。 別にこれ に異議と唱えるつもりはありませんが、でもほん とうはこれでもって、あの制約からの自由の陰に 生じてくる問題は解決したと言うわけにはいかな いと思います。現実に何に束縛されているかを知 り、それに対してどう闘い、解放を勝ちとり自由 を手にするか、この広義の〈からだ〉の問題はよ りせり上がってくるはずです。これを、ただ放埒 な自由、自分勝手な自由はダメだ、それは虚偽の 自由だなどと言うだけなら、あの自由は絵に描い た餅にすぎません。
10月9日の説教から ルカ福音書19章1−10節「福音は無礼講なり」     久保田文貞  「無礼講」とは広辞苑によれば「貴賤・上下の 差別なく礼儀を捨てて催す酒宴」と説明していま す。儒教では〈礼〉は理に基づく社会全体の秩序 を意味しますが、これを聖書世界のトーラー(律 法)に置き換えれば、イエスがその福音のひとつ のモデルとして語り、徴税人や遊女たちを招いて 会食したという図は、まさに無礼講の図と言って よいでしょう。 ザアカイは徴税人の頭として出 てきます。ローマ帝国が異邦世界を州や属国に編 入するとそこから税を取ることになりますが、多 くの場合その集税を現地の徴税請負業者に任しま す。その際、業者に年間徴税予定額を出させて多 額の業者にそれを任せる制度を取っていました。 当然徴税業者はその納入約束額を必死で集める、 そしてそれを超える分は基本的に自分のものにな るという仕組みです。徴税人の頭とは、この請負 業者またはその雇われ支配人と思われます。です から、イエスがガリラヤで徴税人たち取税人たち と食事をした(マルコ2:15)、その中のひとり 「収税所に座っていた」というアルファイの子レ ビ(同14)、ここに出てくる徴税人はおそらく請 負業者から雇われている下っ端の徴税人でしょう。 これらの徴税人たちは売国奴として、徴税される 側の同胞ユダヤ人から当然嫌われる。ユダヤ教徒 にとっては皇帝の顔が刻印されているローマ通貨 は同時に偶像入りの通貨を意味します。宗教的な 感性から言っても、そういう通貨を同胞から取り 立て取り扱う徴税人は宗教的に忌避される理屈で す。       その仕事に就くだけで人から 差別される仕事を誰だって好んでする人はいない でしょう。ほんとうは人が生活するということは、 かならずこういう面を抱えて生きざるを得ない。 そんな「汚い」仕事とは無縁だというような顔を して「きれいな」仕事だけを選んで生きていくこ とができるのは、人の社会生活が分業という事態 に突入したからです。でも、それはたまたま運が よくてそんな場にいるにすぎない。別の場にいざ るをえない人もいる。この分業という事態の中で、 どの場にいる人も精いっぱい生きようとしている ということを理解するなら、職業の貴賤など言え ないはずです。人が精いっぱい生きるということ をほんとうに承認し合えるなら、分業によって生 じるいろいろな秩序とその矛盾を攪乱する方向に 向かうでしょう。そして、人々を愉快な無礼講の 世界に誘うことになるでしょう。 「人が精いっ ぱい生きる」などとものすごく抽象的に言いまし たが、それはこういうことです。イエスは「神の 国の迫り」の中で、理屈、理論以前の確信を持っ てその無礼講の宴を「精一杯に生きている人々」 と共に食事する、あるいは「病人」という社会的 なレッテルを貼られて身体の負担以上の負担を負 わされながらも「精いっぱい生きようとする」病 人たちの癒しに奔走し、専念するときの、「精一 杯に生きる」ということです。つまりそれは、精 一杯に生きる人間への神の然り、肯定です。背の 低いザアカイが人混みの中、イエスを見ようとし て木に上った、それを見つけたイエスが「今日は、 ぜひあなたの家に泊まりたい」という、それはこ のザーカイに精いっぱい生きようとする人間を見、 それをよしとする神の然りを読み取っている、そ こに起こる無礼講を世論でいると言ってよいでしょ う。 
  10月2日の説教から 創世記 26章15−25節「井戸を掘ること」       久保田文貞  乾燥帯地域で都市生活者の周辺に移動しながら 暮らす半遊牧民生活をしていた人々にとって、自 分たちと家畜の飲み水を確保することがどんなに 大変なことか、私たちのような温暖で湿潤な国に 住む者には理解できないかもしれません。好い水 場は都市住民が占有しています。都市住民となん とか交渉して余分の草地の利用権と水を買うこと ができれば、そうします。例えば民数記20章17節 以下のように通過することさえ拒まれれば、さら に水を求めて移動しなければなりません。一番良 いのは、自分たちで井戸を掘って確保することで す。アブラハムもそれができるときにはそうしま した(創世記21章25節、ここには半遊牧民生活者 の苦労がよくでているのでぜひお読み下さい)。  さて、イサク物語は父アブラハムと子ヤコブの 物語に挟まれていて、実際にイサクが主人公とな る物語は、案外少ないのです。(これは伝承史的 な問題と関係するらしいのですが、それには立ち 入ると混乱して収拾がつかなくなりますので避け ることにします。)しかし、今日の箇所26章こそ 数少ないイサク固有の物語を感じさせるところで す。 ここでの物語は、イサクとその僕たちの井 戸掘り話につきると言ってよいでしょう。18節で はまずイサクはアブラハムがかつて掘った井戸を いくつか掘りなおします。一度掘った井戸が途中 で枯れて使えなくなると言うことは湿潤な私たち の気候でもときどきあることです。それが乾燥帯 ではたびたび起こるようです。ペシャワールの会 の中村哲医師は医療援助の延長線上に衛生的な水 確保の必要を感じて会としてずっと井戸掘りに取 り組み千五百以上の井戸を掘ってきました。しか し、アフガンのような乾期のある国では、よい水 脈でないと乾期が長引けばすぐに井戸は枯れると 報告しています。先進国の機械化した井戸は渇水 に弱い、それに対して原始的に掘った井戸は現地 の人の力でまた使えるようになるというのです。  イサクに聞かせるまでもない、イサクは井戸掘 りの名人です。イサクは18節から25節までの間に 少なくとも6本の井戸を掘っています。掘った井戸 に争いごとが起こると、彼はすぐ引き下がってま た次の井戸を掘る。またその井戸を人に取られる と次の井戸を掘る。彼は争いを好まない、それで いて水脈を読む能力に長け、井戸掘りの技術を僕 (弟子)に教える、そんな姿が浮かび上がってき ます。 この井戸掘りの物語に、25節はベエル・ シェバの井戸を掘って「そこに祭壇を築き、主の 御名を呼んで礼拝した。」と書かれています。井 戸を神からの賜物として物語を神学的な包装紙で 包んでいますけれど、元の物語はもっと純粋に井 戸掘り名人イサクの物語が伝承の底にあったので はないかと思います。 井戸辺は、その使用権がどうあれ、喉をからし たよそ者が水を求めて立ち寄る場所です。創世記 24章10節以下、出エジプト記2章15節以下も、水汲 み仕事をする若い娘たちが井戸辺でそこに水を飲 みに来たよそ者の男と出会う場になっています。 親からすれば気が気でない場所です。しかし、井 戸辺は生活水を確保すると同時にそうやって人が 外部と出会う場所にもなっていることを覚えてお きたいと思います。
9月25日の説教から  使徒行伝2章17節「老人は夢を見る」       久保田文貞 「老人は夢を見る」という文は、いわゆるペン テコステ(五旬節)の日に聖霊が一同にくだった 時に使徒たちが各国語で自由に話したという奇怪 な現象に人々が驚いているところで、ペテロが立 ち上がって〈実はこれこれしかじか…である〉と 説き明かしをする中で引用する預言者ヨエルのこ とばです。「終わりの時に、わたしの霊をすべて の人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預 言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。 わたしの 僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を 注ぐ。すると、彼らは預言する。」 つまり「終 わりの時」には普段幻など見なかった若者が幻を 見、もう夢など見なくなった老人が夢を見、発言 権を認められていない「僕やはしため」=奴隷た ちが預言者のように威厳を持って神の言葉を語る。 その時には人々が前提している秩序や、役割分担 が攪乱する。よい企画が出るはずがないと考えら れていた未経験の若者や、頑固な老人たちが、次 から次へと新しい案を出していく。また語る能力 も資格もないと考えられていた人たちが語り始め る。神がキリストにおいて実現された恵み・救い の時は、まさにそういう攪乱の時であり、夢や幻 を見るはずのない者が見たイメージを見逃さない ように、語るはずのない者が語る言葉を聞き逃さ ないように、というのでしょう。 今月14日に私 の94歳の父が亡くなりました。父は田舎の商業中 学を卒業して、昭和初期の暗い不景気の時代だっ たのですがちょっとしたコネがあって信託銀行に 就職することができ、徒弟のように仕事を覚え働 きました。途中戦争があって2度兵役に取られま したが、運よく内地を離れることなく、戦後すぐ に復員し銀行員に復帰することができました。そ してひたすら戦後の経済成長とともに歩み続けた ただのサラリーマンです。 父は寡黙な人で器用 な人ではありませんでした。私が牧師になりたい と言った時も「そうか。途中で止めるな。最後ま でやり通せ。」とそれだけ。父は退職してから、 母の郷里に近い榛名山麓に家を建てて住むように なりました。彼はそこで小さな畑を作り、土に親 しみ、信託の仕事で身につけた株の情報を新聞で 追い続ける毎日を送りました。 それともう一つ、 現役の時代には週末というと仕事仲間と麻雀に明 け暮れていた父が晩年になってから突如、日曜毎 に欠かさず礼拝に出席するようになりました。書 くことが好きな父は何を思ったか聖書の筆写を始 めました。結局、新・旧約聖書全巻を3回半、遠 い昔の異国の写字生のように几帳面な楷書で写し 取りました。父が亡くなって後に残った厖大なファ イルをみて、筆写しながら父は何を考えていたの だろうと気になり始めました。私はこんな仕事を していますから、聖書を読むとなるとどうしても 聖書研究的に、そこに何が書かれているのかと意 味を探るように読みます。聖書を読むとはそうい うことだと思いこんでいる節がありました。これ に対して、父はただ黙々と書き写す、それは私の 読み行為に対する挑戦かもしれないと怪しみまし た。まるで解釈を前提とする読み行為をそうやっ て引きずり落としているのだろうかと。 こうし てある種の攪乱が私の中に起こりました。しかし、 それは案外心地のよい攪乱でした。
9月18日説教より 第1コリント5章「道徳の問題ではない」     久保田文貞  5章は、パウロがコリント教会内で起こってい る性的な乱れに忠告を与える内容になっています。 1節にはかなり具体的に書いています。「あなた がたの間にみだらな行いがあり、しかもそれは、 異邦人の間にもないほどのみだらな行いで、ある 人が父の妻をわがものとしているとのことです。」 問題に成っている人物は「ユダヤ人」出身者では なく「異邦人」出身者であることを思わせます。 父親の財産の一部と見なされた女奴隷を子がその まま相続して自分の性の対象にしてしまう、こん なことはギリシャ世界でもめったにないことだと いう入り方をします。つまりユダヤ人か異邦人と かいうのと関係なく、人間として問題じゃないか というわけで、たいへん常識的な導入の仕方です。 2節の翻訳は口語訳の方が正確でしょう。「むし ろ、そんな行いをしている者が、あなたがたの中 から除かれねばならないことを思って、悲しむべ きではないか。」さらに云えば、「除かれる」と 受動態になっているのは、あくまで「除く」主語 はやがて最終的な裁きを完遂させる神を想定して、 青野訳のように「除かれるだろう」と未来的に訳 すのがよいでしょう。 パウロは9節以下で次の ように言います。「わたしは以前手紙で、みだら な者と交際してはいけないと書きましたが、その 意味は、この世のみだらな者とか強欲な者、また、 人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切つ きあってはならない、ということではありません。 もし、そうだとしたら、あなたがたは世の中から 出て行かねばならないでしょう。わたしが書いた のは、兄弟と呼ばれる人で、…そのような人とは つきあうな、一緒に食事もするな、ということだっ たのです。」 ここでは、〈そういう人たちと一 切つきあってはならないとなると、君たちがこの 世に生活することができなくなる、最終的な裁き は神が行うのだから、君たちはそのような者とお つきあいせず、一緒に食事をするのを止めておけ〉 という言い方をします。 しかし、これって随分 だなと思います。教会に来ている人で、その人が 悪い奴だと思ったら、つきあうな、一緒に食事も するなというわけですから。少なくとも、罪人と 名指しされて一緒に食事することを忌避されてい た人々と、イエスが堂々と、むしろ好んで一緒に 食事をしたことと正反対のことを言っているので すから。 ただし、こんな風にあまり一般化して 両者を対立させても意味がないと言われるかもし れません。しかし、パウロ自身がここに特定した 父親の女を自分のものにして「みだらな行いをす る者」の問題から、後半では反道徳的なリストを 挙げて、議論を一般化してしまっているわけで、 そうなるとどうしてもイエスと比べないわけには いきません。 問題は、この人自身の問題を離れ、教会の秩序 一般を優位において考え始めることです。イエス にはこういう思考法がない。自分の仲間をどのよ うに秩序付け、維持するかという発想で言動を組 み立てません。イエスは、自分の目の前にいる人 が社会からどのように排除されようと、彼・彼女 が神からそのままでよしとされ、神から食卓に招 かれていることを確信し、彼・彼女と一緒に食事 の席にうれしそうにしてつくのです。
9月11日の説教より  マルコ福音書13章3−13節「目の前の戦争から一つ 退きながら」                 久保田文貞  マルコ13章で、イエスはこれからやってくる終 末について語るくだりがあります。設定としては、 昼間の神殿での活動の後、陽も落ちかけた頃、イ エスが最も信頼していた4人の弟子がそっと小声 で質問するということになっています。5節以下 のイエスの答えも声を抑えたように語られたとで もいうかのようです。つまり著者マルコは、イエ スがこういう話をふだんからしていないというこ とを識っている。さらに言えば、イエスは、以前 からユダヤ教の中にあった終末についての語り= 黙示録をほとんどそれとして語らなかった、そし てガリラヤで語られたイエスの言葉に黙示録めい た語りが見当たらないのは偶然ではないでしょう。 そこで5節以下のいわゆる「小黙示録」はイエス 以後の何者かがユダヤ教黙示文学から短く再構成 して、キリスト告白共同体の中に語り伝えたと考 えます。 さて、内容は3つに別れます。第一は 5節から8節までで、「世の終わり」の前兆とし て戦争や地震が起こるけれども、それは「産みの 苦しみの始まり」だということです。ユダヤ教の 終末論は、後のキリスト教の中で思弁的に突き詰 められた世界の宇宙的な最後というような意味で はない。あくまでイスラエルが異邦の民から受け る屈辱と苦難の「時代の終わり」のイメージなの です。ですから1世紀中葉のユダヤ教徒は終末論 的信仰に燃えて、ローマの支配からの解放闘争に 向かったのです。その典型的な戦争がユダヤ戦争 ですが、それ以前にも危機はいくつかありました。 いずれにせよ、それらは異邦人による支配が続い た「世(=時代)の終わり」を目指したのです。 ですから世界の究極の終わりというよりは「一つ の時代の終わり」といってもよいはずのものでし た。「小黙示録」は、新しい世への一つの「産み の苦しみ」にすぎないと言っているらしいのです。 とすれば、この小黙示録は、ローマに対する戦い に明らかに一歩退いて、それに命を預けるわけに はいかないと言っているわけです。 第2は、14 節から23節まで。「憎むべき破壊者が立ってはな らない所に立つのを見たら」という暗示的な言葉 で始まります。これが具体的に40年頃のカリグラ 帝の立像をエルサレム神殿に持ち込むかどうかと いうので一触即発の危機を迎えるが、その破壊者 はカリグラ(=ガイウス)かもしれません。いず れにせよ、神をも恐れぬ独裁者が現れ、権力を恣 にするとき「そのときは逃げなさい」、そんなや つと勝負を賭けないでひたすら逃げようじゃない かというわけです。 第3の部分は、24節から27 節。ユダヤ黙示文学のイメージとして使われてき たダニエル書以来の一般的な表象です。この「人 の子」とイエスの「人の子」が結びつけられてい ることはいうまでもありません。これについてこ こで深入りしませんが、一つだけ言っておくと、 イエス自身はこのような「人の子」と自分を同定 したことはありません。 とにかくここには、イエスの言葉ではなく、原 始キリスト教団が採りいれた終末論が地肌を見せ ているのです。
9月4日の説教より エゼキエル37章1〜10節「枯れた骨の復活」─骨の うたう─       関 惠子 エゼキエル37章には、凄惨な戦いの末に放置さ れた谷間を埋める累々とした骨の様子が記されて いる。そして「これらの骨は生き返ることができ るか?」と主の言葉が問いかける。答は「あなた のみがご存知です。」とそらされているが、決し て生き返ることがないことは明白である。 戦死やあわれ兵隊の死ぬるやあわれとほい他国で  ひょんと死ぬるやだまって だれもゐないとこ ろでひょんと死ぬるやふるさとの風やこひびとの 眼やひょんと消ゆるや国のため大君のため死んで しまふやその心や・・・・骨は骨として 勲章を もらひ高く崇められ ほまれは高し・・・・骨は  なんにもなしになった  この他数々の詩を残してフィリピンで戦死した 竹内浩三という25歳の青年がいたことを、稲泉連 著「ぼくもいくさに征くのだけれど」によって知っ た。詩そのものは以前に目にした記憶があったが、 竹内浩三の人となりや彼の生きた時代、そして撃 ちてし止まんの兵隊にはとうていなりきれない枠 の外側にいる自分を見つめる姿に触れた。同時に、 この本を書く稲泉連もまた、周囲に同調できず学 校や会社といったふつうの社会から一歩ずれたと ころを歩む青年であり、時を超えて出会い歩み寄 る二人の青年に感銘を覚えた。 一方戦禍を逃れ てさまよう女たちや子供の姿もいろいろな形で記 録されている。「母への詫び状」は著者藤原咲子 が、その母への深い疑念を何十年も引きずって苦 しむ物語である。母藤原ていはベストセラーとなっ た「流れる星は生きている」を著して一躍有名な 作家になった。この本は3人の子供を命がけで連れ 帰ることが出来た著者と難民となって逃げのびる 人々の壮絶な記録である。 この夏、戦後60年と いうこともありTVや新聞・雑誌などこぞってた くさんの「戦争もの」が取り上げられた。沖縄や 靖国も限りなく語られた。いずれも風化させては ならない凍りつくような記憶ばかりである。我々 はメディアによる大がかりな商品媒体をただ消費 するすることで終わってはならない。今このとき も逃げまどい抹殺される現在を作り出しているの は、私たち自身であることを知らなければならな いと思う。
8月28日の説教より 身近なドメスティック・バイオレンス」      加納尚美 「ドメスティック・バイオレンス」、日本でこ うした言葉が使われるようになったのは10年にも 満たないと思います。英語直訳の家庭内暴力だと 家庭内で暴れる子どもに使われてきているので、 英語のカタカナをそのまま使われています。他に は女性への暴力、ジェンダー・バイオレンスとい う言葉もありますが略して「DV」は比較的普及 されてきたのではないでしょうか。 親しいはず の夫、恋人、パートナーとの関係性の中で起きる 身体的、心理的、社会的、経済的、性的暴力をさ します。内閣府の調査(2002年)では女性の6人 の1人が身体的暴行を受け、恐怖を感じるような 脅迫を受けた人は5.6%でした。 日本では2001年に「配偶者からの暴力の防止及 び被害者の保護に関する法律」が制定され、こう した暴力被害者の一部分に対応しています。被害 者は圧倒的に女性です。暴力が起きるのは本来人々 の憩いの場であるはずの家庭です。家庭という枠 が密室性を保持し、圧倒的な権力関係を産み出さ れる中で暴力が発生するという構図です。子ども の虐待も基本的に同様な構図といえます。最近で は、子どもの虐待の背景にはDVの存在も濃厚な 事例が多く報告されています。 DVには、3つのサイクルがあります。第1相 は、緊張の高まり小さな虐待が次々におきる蓄積 期で被害者は度重なる虐待で次第に無気力になり ます。第2相は、激しい虐待の起きる暴力爆発期、 第3相はハネムーン期と言われ、加害者は一変し て優しさと悔恨を示し、愛情のこもった態度とな ります。被害者はこれこそ加害者の真の姿と思い 込んでしまいます。これらの周期が次第に短くな るほど、虐待は激しくなると言われています。  なぜ、暴力をふるう相手から逃げないのか?と疑 問を持つ人が多いのですが、要は、暴力とは相手 を支配する手段として使われているのであり、絶 対服従という世界にはめ込まれてしまっています。 そのため、支援の原則は、第2の支配者になって はならないということです。相手の意思を尊重す る、ことが支援の原則になります。ただし、実際 問題はなかなか難しい。まずは被害者自身が暴力 被害にあっていることを自覚しないこともありま す。圧倒的な権力の前では人はそれに立ち向かう のは難しいことです。しかし、少し相手から離れ てみる、恐怖の緊張から解放される時間を過ごす、 同じような苦難をくぐる抜けてきた人の話を聞く、 事例を示される、等々という経験の中で、自分の 力を取り戻していきます。そのプロセスの中で、 対応策は個々によって変わっていきます。そうし て当事者が力を持つことは、当然、二者間の力関 係にも影響を及ぼします。
8月21の説教より  私の好きな詩  マタイによる福音書 5章3−10              大田  ほたか 「道士月夜の旅」        作者  日夏耿之助 (ひなつ こうのすけ)        月光(つきかげ)大地(つち)に降り布き                  水銀の液汁を溶解(とか)しこんだ天地万物の裡(あはひ)       ああ 儂(わ)が旅く路は 坦々とただ黝(くろ)い                              儂(わし)は わが他人らとまたわが在国(くに)より旅立(かしまだ)ち           いまぞ寔(まこと)にわが故園に復帰(かへ)る      わが家郷(くに)の指す方は                                黝(くろ)き寒林をかいくぐり 性急の小渓(おがわ)を徒渉(かちわた)り            灰白(くわいはく)の雲垂るる 峻山(しゅんざん)の奥秘(おくが)に在る         今宵 色青い月光(げっくわう)のながれ簇(よ)る大街道を  落葉踏みわけ 身を疼(いた)め         こころを暢々(のびのび)と瞳をすゑて               儂が赴く故園(ふさると)の指す方を辿る( たど)  辿る    好きな詩はたくさんありますが、この詩が好き です。作者は長野県生まれ。それだけでも同郷の 私は心がわくわくするのです。この詩は長くて、 全てを引用 するわけにはいかず、肝心と思われる 部分を残して後は割愛しました。この詩は騒がし さと欲望の渦巻く都会の生活を捨てて故郷に帰る、 そんなことをテーマ にしています。この人は大変 難しい詩を書く人で、これはわかりやすい方です。 読む限り彼の故郷は山の奥、険しい山、山、鋭い 川の流れる信州の自然です。 少なくとも海では ありません。そんな場面で詩人は作り事をするこ とができない。故郷に向けて疲れた心は既に癒さ れています。体はぼろぼろですが心の強さ が肉体 の弱さを癒しています。最後に作者は、辿る、辿 る、と二つ同じ言葉を使っています。故郷への道 は決して短くはありません。彼の強い決意と体力 と険 しい道のりを行こうという強さ。 そして、 これは、ただ単に都会から古里へ帰るということ にとどまらず、何かを象徴しています。この詩は 死への旅である、故郷への道を辿り、辿り、戻っ てくるという想いは詩の中には一切ありません。 彼の天国は山々の奥秘にあって、そこに辿り着い たら、天地万物のあるこの世にもう二度と戻れな いというこ とを知っている。そんな決意すら感じ るのです。 詩でも音楽でも絵画でも、芸術との 出会いは運命的なものがあると思います。私はた またまこの人が長野県の人だということで、興味 を持ってちらちらとめ くってちょっと難しそうだっ たけれど挑戦してみようと買ってみました。よい ものは必ず心を癒してくれ、生涯の友となるので す。
8月7日の説教から 「雲のように囲まれている」ヘブライ書11:35− 12:4     飯田静世  辻子実著「侵略神社(新幹社・2003年)」に出 会った。帝国時代に海外に建立された官幣社を侵 略神社と呼んでいて、いい呼び方だと思った。  侵略神社は、戦前700とも800とも言われたが、今 は消滅し、ほとんど神社側の資料で確認できるの みらしい。日本の植民地、あるいは占領地に政治 的目的で創建され、皇国臣民化教育、八紘一宇思 想の宣伝、強要の場として利用された。海外で創 建された神社の中には、移住者の素朴な信仰から 建てられた神社もあり、居留民神社などと呼ばれ てもいたが、その多くも侵略神社の役割を担った。  台湾神社(後に神宮・1900−1945)は、台湾皇 民化政策のシンボルとして君臨したが、祭神の一 座(この場合、一座、二座・・と数える。神その ものを数える場合は一柱、二柱・・。)は北白川 宮能久だった。北白川家は、明治期に次々と創設 された官家の一つだが、その初代能久は、日清戦 争に従軍し、1895年、清国より台湾を「割譲」さ れ、武力鎮圧のため渡台したが、同年「戦病死」。 皇族の海外死は初めてで、台湾総鎮守、能久の 「英霊」をまつる靖国神社の2面性をもつ神社が、 官幣大社として創建されることになった。貴族院 で建議案として審議承認されたのだ。ちなみに、 もう一座の祭神は、神道で開拓三神と呼ばれる大 国魂命、大己貴命、少彦名命で、後に天照大神が 中央に加えられた。(信者は、祭神にはこだわり があるので、あえて取り上げた。詳しく経過がわ かると面白いので、是非ご一読を。)当然、巨額 の費用をかけての創建である。 朝鮮半島におい ての侵略神社は朝鮮神宮で、現ソウル市の南山に 建てられた。古来、王城鎮護の山として伐採が禁 じられ、珍しい常盤の松を有する山であったが、 意図的にそこに創建するのである。祭神の決定に ついては、朝鮮神話上の始祖、檀君をとの意見も ある中で、天照大神、明治天皇とされた。当然、 朝鮮総督府内で混乱を生じ、警察関係者も治安維 持の観点から難色を示しすほどであった。 日本 古来の神道的常識(出雲大社の大国主命かその土 地の神大国魂神または開拓三神)からも異例であっ たので、国内でも論争になったらしい。さらに、 後年出版された「近代神社神道史」に「皇祖天照 大神を新領土に祀り、国家権力を背景として、新 附の異民族にその信仰を要求することとなった。 それはあたかも嘗てヨーロッパの国々がアジアの 植民地政策において、キリスト教を伴ってきたの に似ている。このようなことは、嘗て日本人の思 想にはなかったことであり、それは日本の政治か ら神道感覚が失われたものと言えるものである・・ 朝鮮神宮以後、昭和十年代に入ってアジアの各地 に天照大神を奉祀する神宮・神社が次々と建てら れた。それは間違えもなく神道思想の変質であり、 数千年の神道史上未だ嘗て前例のないことであっ た。」と総括されている。 1936年、神社規則制 定以降、朝鮮総督府による皇民化政策は強制色を 強めて本格化。平壌のミッションスクールにおけ る定期的神社参拝の強制が端緒となった。校長ら は参拝拒否を表明、対して知事からは事務局に思 想係を新設。「参拝拒否は天皇を侮辱した罪にな る」と取り締まりを強化し、18校が廃校、さらに 閉校が相次ぐこととなる。 当時、朝鮮半島には プロテスタント信者が64万人と言われていた。そ の半数以上を占める長老派教会では、神社参拝に 抵抗したために、教会内における国旗掲揚塔の設 置と国旗への敬礼、礼拝時における宮城遙拝、国 歌斉唱、皇国臣民の誓詞唱和の義務づけ、讃美歌・ 祈祷文への取り締まり強化などが行われた。1944 年になると、神社参拝に反対して投獄された牧師・ 信徒の獄死が次々と伝えられるようになる。戦後 すぐの引き揚げ方もたいへん特徴的。総督府と神 社側で、すばやく密かに「昇神の儀」を行い、社 殿を自ら「焼却」したのである。もちろん、民衆 やソ連軍によって放火された例も多かったようだ が。 このほか、中国(満州)、シンガポール、 樺太、ブラジル、ハワイ、香港、インドネシア、 タイ、ベトナム、フィリピン、インドの各地にも、 おおかた同じような経過をたどりながら神社は創 建された。南洋諸島には、彩帆(サイパン)神社、 昭南(ポナペ)神社など、20を超える神社が創建 された。それぞれ、祭神の格、神社の格にこだわ り、権威の維持に細心の注意が払われた。 侵略 神社と、強制参拝が人々に及ぼした影響、被害に は計り知れないものがある。これらの過去を顧み ると、小泉首相の4度に及ぶ参拝がアジアの国々 を恐怖に陥れているであろうことは、まったく想 像に難くない。靖国参拝反対の心は、政教分離の 視点だけではない。アジア全体が平和的に共存し なければ、人類の存続すらむずかしくなる昨今、 さまざまな背景をもって生きる人々への正しい認 識と愛ある想像力が問われるのだ。 いま、雲の ように囲まれながら・・。
7月31日付け説教について執筆者よりおことわり   これは、2つの障害者差別法について、   書いたものですが、特に「障害者自立   支援法」について、この原稿では、   「成立した」と書いてありますが、   それは間違いで   正しくは、衆議院厚生労働委員会での   採決が7月13日に強行されたもので、   その後、衆議院が解散され、この法案は   いったん廃案になっています。   こうした法案が、また提出されないよう   監視していく必要があると思います。    ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー    7月31日説教より 「2つの障害者差別法」 大田 一臣  7月なかば、国会で「障害者自立支援法」が成 立しました。また、7月15日には「心神喪失者 等医療観察法」という法律が施行されました。こ れらの法律はどちらも非常に差別的な法律です。  まず、「自立支援法」という法律は、広く障害 者が受けていた支援費制度、介護給付制度等を全 面的に見直し、「利用者負担の見直し」として1 割から3割の自己負担を障害者に強制するもので す。なにしろ、350万円の貯蓄があると判明し た場合は(つまり、私有財産を調べあげられたあ かつきに)その貯蓄から没収するという内容すら 政省令に記されています。地域の自治体の財政難 の状況下、福祉制度の後退の中で重度の障害者が 地域で自立生活を行うことがより困難になるばか りか、介護のサービスの枠から漏れてしまう障害 者が続出してしまうのは必然な情勢となってきま した。 具体的にみてみると、「食費や光熱費の 実費負担、利用したサービス料(や医療費)の自 己負担」をかかげていることです。負担対象は世 帯所得での収入が判定されるので、かなりの割合 がこの負担対象になります。金額的には、住民税 課税世帯で1割負担をする上限を4万200円、 非課税世帯(あるいは障害基礎年金1級受給者) は2万4600円、非課税世帯でこの金額を負担 すると生活保護世帯になる場合、あるいは収入が 年80万円(障害基礎年金2級相当)の場合は1万 5000円。この金額を負担すれば生活保護以下 になる場合は、初めてゼロという具合です。 都 内のとある作業所に通う障害者の場合具体例をみ ると、この障害者には、障害基礎年金2級で年間 80万の収入があります。行政から作業所で働く 際の支援費として25万円が作業所に支払われて います。この法律下では、自己負担として行政が 負担している25万の1割の2万5000円。食 費 4万8000円、光熱費1万円。合計8万30 00円を障害者は月に支払わねばならなくなりま す。しかし年間80万の収入で月約7万弱では、 支出の方が上回ってしまいます。この場合1割負 担に対する上限1万5000円が適用され、定率 負担2万5000円負担のところが1万5000 円となるという仕組みです。はたらけどはたらけ ど、お金が出て行くだけという事態から、一万円 だけ残る計算です。 精神障害者に対する自己負 担の強制としては、2005年10月をめどに、 精神保健福祉法32条に明記されている精神医療 通院費の公費負担制度を廃止し、新法での「自立 支援医療」として解消され、今まで5パーセント 負担であったものが、一気に1割から3割負担に なるということもわかっています。「医療観察法」 という法律について少しだけふれます。この法律 は、数年前の大阪の「池田小学校」殺傷事件を皮 切りに「保安処分」制度が声高に叫ばれる中、精 神障害者に対する実体的な保安処分として、裁判 で不起訴になった精神障害者を、裁判官の決定で 何年でも病院に閉じ込めることができるという法 律です。この法律で唯一強制入院を行う際の根拠 としてあげられるのは、誰も科学的に証明できな い「再犯予測」であり、「再び同じ事件を起こし かねない」と裁判官が思えば、それで鑑定入院が 命じられ、すべてが決定されます。そしてこの法 律は、「そ及処罰の禁止」をうたった憲法を無視 し、法律の施行以前にさかのぼって法が適用でき ることを付帯決議でうたっています。現に東京地 裁でさかのぼって7月28日に適用されました。 7月29日段階で既に8件以上この法律の適用者 が存在します。松戸でも適用されています。
7月24日の説教から ヨハネ福音書2章1−11節 「客人としてイエス」   久保田文貞  イエスが人の婚礼に客として招かれて出席 したという設定は、ヨハネ福音書のここだけ にしか出てきません。イエスは、あくまで結 婚式の客、その場の主人公は、新郎と新婦な のです。式の世話役も在る意味で重要な役所 ですが、裏方にすぎません。  母マリヤがイエスに「葡萄酒がなくなりま した」と言うと、イエスの応えがふるってい ます。「婦人よ、私とどんな関わりがあるの です。私の時はまだ来ていません。」 初めて物語を聞く人には、自分の母親になん と無礼なもの言いかと思うでしょうが、福音 書を何回か聞いたことがある聞き手には、違 和感なしに聞ける。この福音書はそうやって 聞き手に謎を解いていく力を要求しているよ うなところがあります。この福音書を書き、 読み、聞く人々は、「人の子が栄光を受ける 時が来た」(12:23)というのが、十字 架への苦難が始まる時であることをよく知 っているのです。  さて、水瓶が6個置いてあったとあります。 2、3メトレテスという容量は、百ぐらいつ まり百キロ近い重さになります。とても一人 で持てるようなものではありません。それに いっぱい水を入れさせて世話役のところに持 っていかせる。 するとそれが、不思議や不思議、最上の葡萄 酒になっていたというのです。何も知らない 世話役は味見をしてみるとそれが最高の葡萄 酒だった、それで「だれでも初めに良いぶど う酒を出し、酔いがまわったころに劣ったも のを出すものですが、あなたは良いぶどう酒 を今まで取って置かれました」と花婿に言っ たというのです。  この物語で痛快なのは、その奇跡を行った のは自分だとイエスが名乗り出ない、 隠れたままでいることです。だれあろう、神 の子キリストが身分を隠して普通の結婚式の 客になりすましている、そこでそっとイキな 奇跡をして知らぬそぶりを決め込む。これは 一種の貴賤譚です。高貴なお方が身をやつし、 庶民のもとに下ってくる。そして庶民を助け、 そのまま身分を語らず退場する。お上が庶民 の心を掴むためによく使う手ですが、こう言 うのが現代でも、水戸黄門が流行っているよ うに依然としてもてはやされる。自分は中間 管理職にしぼられる所詮はヒラにすぎないけ れど、最上級のお上が、悪い中間管理職を裁 いてくれると期待できることの心地よさとい うところでしょうか。  しかし、ここはそれとは少し違うと理解し たい。イエスは婚礼の席に一客人のままでい るのです。確かに後で、苦難の時を「自分の 時」として特化し、そのことによって「この 世」自体が裁かれる、つまりキリストを受け 容れる者と、拒む者に振り分けられるわけです。 原理的には、人間を救われる者と救われない 者とに二分することになるのですが、しかし、 実際には神の子キリストを信じるか、信じな いかの二分法の外側、あるいはその二分法自 体に引っかからない人々がどうしても出てき てしまう。イエスが奇跡を持って水を葡萄酒 に変えたことをなにも知らないまま、若き(?) 新郎と新婦の婚礼をそのよい葡萄酒を飲みな がら楽しみ二人を祝福する人々がいる。同時 に友人や知人(イエスもその一人にすぎない) たちから、祝福を受ける新郎と新婦がいる。 そのことがなんともすてきだと思うのです。
7月17日の説教から ヨハネ福音書2章1−11節 「客人としてイエス」      久保田文貞  イエスが人の婚礼に客として招かれて出席 したという設定は、ヨハネ福音書のここだけ にしか出てきません。イエスは、あくまで結 婚式の客、その場の主人公は、新郎と新婦な のです。式の世話役も在る意味で重要な役所 ですが、裏方にすぎません。  母マリヤがイエスに「葡萄酒がなくなりま した」と言うと、イエスの応えがふるってい ます。「婦人よ、私とどんな関わりがあるの です。私の時はまだ来ていません。」 初めて物語を聞く人には、自分の母親になん と無礼なもの言いかと思うでしょうが、福音 書を何回か聞いたことがある聞き手には、違 和感なしに聞ける。この福音書はそうやって 聞き手に謎を解いていく力を要求しているよ うなところがあります。この福音書を書き、 読み、聞く人々は、「人の子が栄光を受ける 時が来た」(12:23)というのが、十字 架への苦難が始まる時であることをよく知っ ているのです。  さて、水瓶が6個置いてあったとあります。 2、3メトレテスという容量は、百ぐらいつ まり百キロ近い重さになります。とても一人 で持てるようなものではありません。それに いっぱい水を入れさせて世話役のところに持 っていかせる。するとそれが、不思議や不思 議、最上の葡萄酒になっていたというのです。 何も知らない世話役は味見をしてみるとそれ が最高の葡萄酒だった、それで「だれでも初 めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったこ ろに劣ったものを出すものですが、あなたは 良いぶどう酒を今まで取って置かれました」 と花婿に言ったというのです。  この物語で痛快なのは、その奇跡を行った のは自分だとイエスが名乗り出ない、 隠れたままでいることです。だれあろう、神 の子キリストが身分を隠して普通の結婚式の 客になりすましている、そこでそっとイキな 奇跡をして知らぬそぶりを決め込む。これは 一種の貴賤譚です。高貴なお方が身をやつし、 庶民のもとに下ってくる。そして庶民を助け、 そのまま身分を語らず退場する。お上が庶民 の心を掴むためによく使う手ですが、こう言 うのが現代でも、水戸黄門が流行っているよ うに依然としてもてはやされる。自分は中間 管理職にしぼられる所詮はヒラにすぎないけ れど、最上級のお上が、悪い中間管理職を裁 いてくれると期待できることの心地よさとい うところでしょうか。  しかし、ここはそれとは少し違うと理解し たい。イエスは婚礼の席に一客人のままでい るのです。確かに後で、苦難の時を「自分の 時」として特化し、そのことによって「この 世」自体が裁かれる、つまりキリストを受け 容れる者と、拒む者に振り分けられるわけで す。原理的には、人間を救われる者と救われ ない者とに二分することになるのですが、し かし、実際には神の子キリストを信じるか、 信じないかの二分法の外側、あるいはその二 分法自体に引っかからない人々がどうしても 出てきてしまう。イエスが奇跡を持って水を 葡萄酒に変えたことをなにも知らないまま、 若き(?)新郎と新婦の婚礼をそのよい葡萄 酒を飲みながら楽しみ二人を祝福する人々が いる。同時に友人や知人(イエスもその一人 にすぎない)たちから、祝福を受ける新郎と 新婦がいる。そのことがなんともすてきだと 思うのです。
7月10日の説教から 第1コリント6章1−11 「裁判沙汰」    久保田文貞  教会内部の裁判沙汰になった話です。コリ ント教会はできてからまだ3、4年しか経っ ていません。それだけでも十分若い教会です が、そもそも教会という形自体が確立してい ない時期のことで、私たちの感覚からする教 会とはだいぶ開きが在るともいます。何が違 うか、やはりそれは、キリストによって示さ れた神の恵みの出来事が最終段階に入って 「終わりの時」をこの世界が迎えるはずだと いう確信を持った人々の集まりだと言うこと でしょう。しかし、それとてすでにイエスの 死から20年ほど経っていますから、この世 界がその最終段階をどう迎えるか不透明にな ってくる。パウロはいずれにせよ、キリスト によってこの世界の人間が決定的に「罪」の 呪縛から解放されて、神の前に自由に生きる ことができるようになった、そのことを喜び、 その福音をすべての人に知らせようという意 気込みは失っていない。「終わりの時」がど のようなシナリオで、どのようなステージに 展開するか彼にはどうでもよくなってきてい るところがあります。  そんな中での、教会内のゴタゴタの発生。 神の恵みの時、その最終的な展開としての 「終わりの時」を間近に迎えた教会としては、 一見あまりにも生臭い感じがします。でも逆 に言えばこれがパウロと彼が育てたコリント 教会の魅力です。もっともっと聖なる者に没 頭してもよいはずなのに、「日常生活にかか わる争い」(4節)が教会の中に持ち込まれ ているのです。このほか、たぶんエペソに滞 在しているパウロのもとに持ち込まれたコリ ント教会の現状報告は、教会でとる食事のこ と、結婚のこと、教師のこと、どれをとって も実に生臭い話なのです。その生臭い話にパ ウロは自分が確信している 「イエスの十字架と死、復活」の中心点を惜 しげもなくフルに働かせて割り込んでいきます。 今回の場合、そのもめ事を当事者たちは 「聖なる者たちに訴え出ないで、正しくない 人々に訴えた」という。この「正しくない」 とは「不正な裁判官たち」というのではなく、 あのキリストにおいて示された神の「義 」 のことを知らない、あるいは「神によって義 とされていない」裁判官のことでしょう。 「聖なる者たち」とはその反対概念、つまり 「キリストにおいて神によって義とされた者」 のことでしょう。そういうわけで、パウロは 日常の生活にかかわるもめ事を他の人々が仲 裁し、教会の内部で円滑に解決しなさいとい うことを言っているだけでしょう。「だけ」 とは言いましたが、福音だとか、信仰だとか、 キリストの十字架と死、復活だとか、日常生 活の一番卑近なところで、惜しむことなく消 費してしまいなさいという風に聞こえてきます。  「そもそも、あなたがたの間に裁判ざたが あること自体、既にあなたがたの負けです。」  教会の間で日常生活のもめ事が在ることで 負けになるのではありません。それを市井の 裁判所に訴えることで負けになる。 「なぜ、むしろ不義を甘んじて受けないので す。なぜ、むしろ奪われるままでいないのです。」 ああ、キリストは不義を甘んじて受けたでは ないか。むしろ奪われるままに、ついには下 着まで与えたではないか。パウロはまちがい なく、ここで十字架に賭けられたキリストの ことを想起しながら、この言葉を書いている はずです。
7月3日の説教から マルコ福音書4章26〜32節 「神の国が成長する」 久保田文貞 「神の国は、ある人が地に種をまくようなもの である。 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を 出して育って行くが、どうしてそうなるのか、 その人は知らない。 地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、 つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。 実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時が きたからである。」  たぶん、こういうイエスの言葉を、今私たち がしているような「キリスト教会」の礼拝式の 場で「聖書」として読み、その「解き明かし」 のようにして「牧師」が語ると、もうそれだけ で意味も解釈の方向も決まってしまうように思 います。それはそれで一つの趣向でしょうが、 できればそういう我々の時代の一宗教の伝統の 中に収まった聴き方、読み方ではなく、ナイー ブな一人の独特な信仰をもった異国の青年のこ とばにまで戻してこれを聞き、読んでみたいと 思います。 (もっともこういう読み方ができると思うこと も相当ナイーブだとは自覚していますが)  譬え話は、その形からしてどうしてもイソップ 物語のような寓話を期待してしまいがちですが、 イエスの場合はそうではありませぬ。一宗教の ドグマを「信徒」に分かりやすい譬えでもって 解き明かすための比喩ではないのです。神の国 の本質だとか、神の国のある重要な側面だとか を、説明するための小道具ではないのです。 ・・・穀物の種を蒔くだろ。自分の畑じゃなく たってかまわない。お前さん、どう見ても土地 持ちに見えないから。とにかく人からなにがし かの賃金をもらって種を蒔くでもいい。すると どうだ、人が眠っている間に、それがだれの畑 であろうと、種は育って芽を出し、ついには穂 をつける。刈り入れが来ればちゃんと収穫できる。 すごいじゃないか。オレが言ってる〈神の国〉 って、そういうことだ。  〈神の国〉が来ているからと言って、自分に 何ができるだろうか、どんな自分であろうか、 どんな身なりで臨もうか、何を持っていったら いいのだろうか、などなど、そんなことを考え る必要はない。ほら、畑に蒔いた種のこと、中 庭の家庭菜園で栽培している芥子種のことを想 い出してみなよ。おまえさんたちが眠っている 間に、成長している。どんどん大きくなって成 長していく。〈神の国〉にわたしらはもう取り 囲まれている。その喜びの中に入っている。そ の祝宴の中に 招かれている。・・・ この「ナイーブな独特の信仰をもった青年イエス」 がもたらした神の国の知らせは、福音書全体を 読めば分かるとおり、ユダヤ教という宗教を骨 格として築いていた社会体制の秩序、方式、ス タイルを攪乱させるものでした。この体制が良 しとした「義人」たちをむしろ否定し、ダメと した「罪人」を〈神の国〉に優先して招いたの ですから。  そのような攪乱が、眠っている間にどんどん 成長すると聞けば、だれだってまんじりとでき なくなります。結果、この青年はその社会の憎 悪を一身に受け、抹殺されました。  この青年の言葉に感動した人々は、抹殺され た彼が後期ユダヤ教の中でイメージされてきて いたメシアその人であると解釈し直し、キリス トとして信じられたことはご承知の通りです。