説教ノート
3 月 23 日 聖書: コヘレトの言葉 9 章 1 節~6 節 「生きてる犬、死んでる獅子」 せき ひでふさ 今日の話は、現在の自分の信仰の有り様、神との距離感というもの を述べておこうというものです。聖書解釈とか、皆様に奨励する話では ありません。 どのような道筋を通って、そのような考えに至ったのか、自分でも整 理したいと思ってみました。そのきっかけは50年史の校正をしていて、 久保田さんや板垣さんの歩みと比べたことがあります。もう一つは、聖 書に興味がわかなくなったことです。もっと正直に言えば、イエスという 存在そのものも私の中では大きなものではなくなりつつあるのです。 私が小学低学年のとき両親は家を建て、その家から直線にすると 200m程の所に教会がありました。デンマークの女性宣教師二人が住 んでいました。日本語は上手でなかったので、日本の牧師さんを中心 に集会を持っていました。人数はせいぜい 10 名程度です。長老派、 組合系等の区分でいえばペンテコステ派です。北欧で盛んなようです。 いうなればキリスト教の最右翼かもしれません。政治的ではなく宗教的 にです。お祈りなどは銘々が捧げることもありました。高校のとき受洗 しましたがお酒もたばこもダメでした。日曜朝夕の礼拝、水曜の祈祷会 できる限り出席しました。親からすれば、今でいうカルトに引き込まれ たという思いでしょう。高校大学と地元にいる間はそのような教会生活 でした。 牧師の道は選ばず、就職して福井を離れます。山口県の防府で私 は教団の教会を選んで通うようになります。というのも信仰に励んだつ もりが、何か違うという感じを持つようになりいろいろ学ぶと違う角度か らキリスト教をとらえ返そうと思ったのでしょう。山田守牧師の教会でし た。3年ほどしかいませんでしたが、社会的な活動に目覚めさせてくれ ました。そこでも教会生活は真面目に励んだと思います。祈祷会では、 自分は祈れませんと宣言して、祈らなかったり、まあ変わった信者だっ たと思われたことでしょうが、叱責も指導もありませんでした。3 年経っ て、転勤し別の道に進むことになります。 大阪では大阪市内の社宅から、桑原重夫牧師の高槻にある摂津富 田教会まで通いました。きっかけは「指」という小冊子を読んでいたか らです。そこでもいろいろな社会運動や日本キリスト教団の歴史やシ ステムを知るきっかけが得られ、集会にも出かけることになります。永 江夫妻に出会えたことは大きなことでした。大阪には数年しかおらず 東京に転勤します。 東京では故赤岩栄の教会をまず尋ねましたが、そこは月に 1~2 回 ほど集会をしているのみで、教会としては機能していない状態でした。 三里塚の集会をメインにしていこうとも考えていましたが、北松戸に落 ち着きました。社宅のある津田沼にも教会はありましたので安藤肇牧 師の所で落ち着いていればまたかわった歩みをしていたかもしれま せんがどうだったでしょうか。 北松戸では、田川建三のマルコ注解を参考に 1 章から最後まで話 をしてきましたが、その頃は神よりもイエスを中心として自分たちの有り 様を考えていたと思います。そして視野を広げれば、なぜイエスにこ だわるのか、なぜ桑原や田川にこだわるのか。桑原や田川のマイナス 面も知ることになるとなおさら 2000 年前の人物にこだわるのか不思議 に思えてくるのでした。 身近の人の中で、今生きている人の中で、イエスに匹敵すると思わ れる人がいるではないかと。例えば、大分の中津にいた作家の松下 竜一。もう一人挙げれば、安田好弘弁護士。日本の死刑廃止のリーダ ー的存在。二人のような著名な人でなくても、ドキュメントなどで紹介さ れている市井の人々で目を開かれる人がたくさんおられる。そんな人 たちと連帯していければもっとましな世の中になるのではないか、そう 思う。 人間が神を認識することは出来ない、信じることはできるが何を根拠 に信じるのか。一人の人間として言えることは、神を認識できないが、 同じように神を否定もできないということがある。その状態を受け入れよ う、こちらは無力な存在である、しかしわからないものは分からないと いうべきである。 だから私が教会で司会をしたり祈ったりしてはいけないのかもしれな い。しかし私が一番基本にしていることは人との交わりを大切にするこ とだと思っていますのであえて祈りもします。交わりが大切とは言うもの の、話すことが苦手な自分にとって、そのことを表現することはうまくで きていない、と思う。でも私は言葉だけではないとも考えている。さまざ まな表現の在り方があるのだと思う。今後の課題ではあるが、それを探 っていきたいと思っている。 最後に今日の題について・ 「生きている犬、死んでる獅子」は生きていてこそ価値があるのであ って、死んだ後のことは考えなくていいのではということです。今を精 いっぱい生きましょう、老いても、不自由な事があっても、助け合いな がら、励まし合いながら生きていきたいという思いです。 3 月 16 日 聖書: ルカによる福音書 7 章 44~8 章 3 節 「罪の赦し」 久保田 文貞 一般に教会では、信仰告白して洗礼を受けた人を会員とし、主の体 なるパンと葡萄酒を食する聖餐に与ることができるとしています。一番 古い信仰告白の一つとされるのは、パウロ自身も受けたと言われる第 一コリント 15 章 3 節以下に残されているものです。その要点は、《キリ ストがわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、三日目に復 活したこと、復活者キリストがわたしたち弟子に現れ、その後多くに現 れた》というものです。要するに、イエスがユダヤ議会、さらにローマ総 督のもとに引き渡され、裁判で十字架刑を言い渡され、殺されたわけ ですが、逮捕寸前までイエスと共にいたけれど、イエスを見捨てたとこ ろの弟子たちに現れたというのです。この信仰告白の下に集ったグル ープが最初の教会であり、歴史上、原始教会と言われます。使徒言行 録の初めの数章は原始教会の様子(33 年頃)を描いていますが、それ はパウロの異邦人宣教が少しずつ成果を出していった、第 2、第 3 世 代の手になるもの(80 年代半ば)です。原始教会のことを知るうえで一 番の史料となるのは、49 年ごろからパウロが書いた手紙にありません。 第一コリント 15 章の「信仰告白」文にいくつか考慮しておかなけらば ならない点があります。ひとつは「聖書に書いてある通り」という二つの 修飾句です。聖書は旧約聖書のこと、3 節のはイザヤ書 53 章、4 節の はホセア書 6 章かと言われていますが、その要点は、このグループは 旧約聖書につながっていると自覚しそれを宣言していることです。 そこで次の問題は「わたしたちの罪のために」という場合の「罪」をど う理解するかです。キリスト教神学の理解のことではありません。弟子 たち一人ひとりが、イエスの死と復活の出来事に巻き込まれ、「わたし たちの罪のため」と共に告白するわけです。パウロの言葉を借りて言 えばその一人一人が「神の恵みによって今日のわたしがある」(10 節) と言うのです。告白文は「罪は赦された」ととってつけた決まり文句のよ うに見えますが、軽々に言っていません。弟子たちはイエスを見捨て て逃げた、その後、イエスが神殿勢力、保守派ユダヤ人からローマ総 督へ引き渡され、死刑を言い渡されたことを他人から聞いていたはず です。ペテロの場合、裁判の様子をそっと覗きに行って、「あなたも、 あのナザレのイエスと一緒にいた」と神殿に仕える女性から言われて 3 回も「知らない」と言ってしまった。彼らは、だれの責任でそうなったか などと問う立場にない。彼らには、罪を告白するために最低でも立ち 上がれるような自分の場も自分自身もない。しかしイエスの死と復活の 出来事は、そんな彼を「告白」させてしまう。イエスを見捨てて逃げた弟 子たちは、イエスとの関係をどうあがいても修復しようがないまでに自 ら切断してしまった。その時点で、墓に亡骸がなかったこと、「よみがえ った」と誰かの口から出た聲を聞いた。神がつないでくださったと告白 する自分をなにかが立ち上げてくれたというよりないでしょう。すべて は一時に起こったというよりありません。 実はこの一切の出来事には、女性たちが男弟子たち以上に重要な 推進役になっています。古代ユダヤの男性優位の習俗からついつい 女性は蔭におかれていたが、新約文書の世界で劇的に改善されたと 言ってよいでしょう。それでもまだまだ必要以上に女性は後退させられ ていると思えてなりません。かく言う自分を棚に上げてこういうことを言 うのは申し訳ないですが。イエスの福音宣教活動の開始したころ、ほと んど女性は出てきません。イエスは洗礼者ヨハネのもとを離れ、神の 国(支配)はすでにの開示され起こり始めていると告げ、ガリラヤの 人々の間に入って、神の国の出来事を人々と共有していきます。罪人 とか、罪ある女(娼婦)とレッテルを張られ、世間から見捨てられた人々 の間でこそ神の国が出来事がなっていく。それをガリラヤの民衆と共 に喜びをもって受け止めていく。当然、そこに自分の力で立ち、動き 始める人々が現れる。それまでへこまされ、小さくなってきた女たち、 男たちが、意気揚々と動き始める、話し始める、人と結び始める。とい っても、まだまだへこまされてきた人間たちよりへこましてきた人間たち の方が強い。でも、保守派ユダヤ人たちはだんだん気がついてきたに 違いない、彼らを侮れないと。大きな罪を背負ってしまってもう絶対立 ち直れないと見なしてきた人間までも、イエス集団の縁について、い やいつの間にまにか中の方に立っている。どうなっているんだと・・・。 そこでルカ 7 章 36 節以下、記者ルカは、女の罪を赦すイエス の権威を最大限引き出そうとしているのはわかるけど、赦された女の ひたすら低くする姿勢についつい目がいってしまいます。が、これを ただの宗教話にしたくありません。ルカもこの話につなげて、イエスと 共に立ち上がった行動する女たちの話の一つに加えているのがわか ります。イエスの最後の最後まで、イエスに付き従っていったのは、そ んな彼女たちにいた者たちです。男たちが見捨てて逃げたけど、女た ちは葬りの仕事、墓に納めたご遺体の気遣いまで、でもそこにイエス はいない、よみがえったと聞いて彼女たちは「逃げ去り」「震え上がり、 正気を失った」と、男のマルコが書き修めていますが。 《説教ノート》2 月 23 日 聖書 イザヤ第 55 章 8-13 節 「天が地を超えているように」 飯田義也 神様を信じていれば、きっと幸運に恵まれるに違いない・・とか、もっ と拝金的宗教だと「信仰して億という金が入ってきた」とか、古代社会で も、わたしの信じている神様は強いので、異教の神を信じる国に勝利 した・・とか。あとで触れますが、旧約聖書の最初の方はそういう信仰理 解が出てきます。 救世主、メシアが現れるということも、世界中の敵を滅ぼすような強 力な王が現れて、信じている人だけ救ってくれる・・とか。どうもそうじゃ ないようだ・・と、気づくに至ったのが今日のイザヤです。 言葉の説明 草木の譬えは「とげとげの大木が役に立つ木になり、とげとげの低 木がきれいな花の木になる」というニュアンスで受け取ればよいかと思 います。 背景となる歴史(すべて紀元前) c. 930 王国がユダとイスラエルに分裂 722-720 イスラエル王国(北)がアッシリアに敗北し、10 部族が追放 される 586 ユダ王国(南)がバビロニアに征服される。エルサレムと第一神 殿が破壊され、大半のユダヤ人が捕囚(強制移住)とされる。 538-515 多数のユダヤ人がバビロンから帰還、神殿を再建 イザヤ書について おおむね3人の主筆者によって書かれ、その後も編集が加わって いるというのが定説。いわば「イザヤ教団」の書です。 今日読んだのは、第二イザヤとされている部分の結語なのですが、 この預言(気付き)こそが、メシアに関する価値観の逆転を指し示して いるのです。 戦って勝っていい国を作ろうとしてもだめなんだ 神様が望んでいらっしゃるのは戦争じゃないんだ 本当のメシアは、やられるまま人々のあがない(慰め)になるんだ 神様の思いは人間の思いを超えているから やがていまの苦境は順境、楽境にかわり、それが永遠になる ← 今日ココ 牧師が参考にする聖書講解を敬愛する関田寛雄牧師が書いていら っしゃいました。イザヤ書は「慰めに満ちた励ましと促しの言葉」であり 「神の目的への深い関心」から書かれており「人の思いを超えた神の 思い(捕囚からの解放)」を伝え「永遠の質的差異(人の目には不思議 に見える)」をもっている。イスラエルの歴史は「解放への旅」である。 イザヤ書の位置づけ 旧約聖書 39 巻、創世記・・から始まって「記」というシリーズがヨブ記 まで続きます。「~に関する記述」を略して「記」です。個人名の「~記」 は、その人が主人公です。詩編、箴言、コヘレトの言葉、雅歌という詩 歌集(知恵文学)が挟まり、その後「書」というシリーズがあって旧約聖 書は最後まで行きます。イザヤ書、エレミヤ書があって(「哀歌」がここ にくるのは不思議ですが、エレミヤが歌ったことになっています。)エ ゼキエル書、ダニエル書があり、その後12 預言書といわれる「~書」シ リーズです。 この中で、イザヤ書では、価値観の大転換が起きているのです。特 に「第二イザヤ」と呼ばれる 40 章~55 章で。 歴史神話の部分で、たとえばヨシュア記なぞは典型ですが「強く 雄々しくあれ」などと言って「敵はやっつけちまえ!・・皆殺し」という価 値観で「より強大な国にやっつけられる」しかし、また力を付けて押し戻 す(サウル・ダビデ・ソロモンの王国時代)。しかし、それも長続きはしな い。・・どうも本当の信仰って「勝利主義」じゃないのかも。 それが、ついにイザヤの示すメシア像で、覆されるのです。人間は 力では救われない、神の思いは人間の思いをはるかに超えている。 さて、現代社会に帰ってきましょう。 神様の思いは、確かに人の思いをはるかに超えていると思います。 いいときには「神様に感謝」とか言っちゃって、悪くなると「神様なん ていない」なぁんて都合よすぎるわたし。世界を見回すと、本当に神様、 介入してくださっているのだろうか・・という現実。ただ、自分自身を振り 返ると、やっぱり守られて、慰めを受けて生活してこられたなぁという思 いはあります。バビロン捕囚ですが、移住させられて戻ることが伝えら れるまで 59 年間のできごとでした。教会平均して 70 歳だとして 59 年 前・・21 歳かな? 20 歳まで住んでいた懐かしい土地、幼少期を過ごした土地に、ある 日「帰っていいよ・・神殿も建て直していい」って言われる。どんな気持 ちだったんだろうか。実際には帰った人もあり、そのまま生活した人も あったようです。そのあたりはいずれの機会にしましょう。 今日受け取りたいのは、イザヤがここで気づいた、というか神様から 受け取った、神様の思いの深さは、本当に人間の理解をはるかに超 えているのだということです。 2月16日 聖書 創世記 13:1-18 「自分の都合、誰かの事情」 八木かおり アブラムは、父テラがカルデア(メソポタミア南部)の故郷だ ったウルを出発して「カナン地方に向かった」(創 11:31)という 一族のひとりとされています。テラの息子たちが、アブラム、ナ ホル、ハランですが、ハランはウルで死んだとあり、ウルを出て カナンを目指す途中に彼らが滞在し、テラが死んだのは息子 ハランと同じ名前の地で、それはカナンの北方にあたるとされ ています。創世記は、アブラムはハランで主の召命を受け、カ ナン地方に入ります(創 12:5)。その後、一旦は飢饉によりエジ プトに避難、ファラオに対して、彼が妻サラを差し出すという美 人局的な「たかり」をして成功しました、ラッキー(どうなん、そ れ???)という話なのが 12 章後半の前回の話でした。 それに続くのが、エジプトを出たアブラムがハランの子であ る甥のロトとの争いを避けるために別れ、その後アブラムに対 して土地取得の約束を再度する場面です。アブラムがこの時 に到着して通り過ぎたとされるユダ山地南部のネゲブ地方はと もかく、両者が別れたベテルとアイの間に、かつてアブラムが 天幕を設置したところも、位置的には、いろいろな伝承や説は あるでしょうが、いずれにせよその地から東西南北を見渡した らパレスティナ全域だった的に解釈されるくらいには、髙地に 同定できる場所とされています。 ただ、それが何なのだ?という話なのです。 例えば、キリスト教徒が、古代ローマ帝国において紀元 4 世紀以後は主導権を握ることになり、以来そのなかでユダヤ差 別を行ってきたこと、それが長らく続いたあげくに第二次大戦 中、ドイツのナチス政権によるホロコーストを引き起こしたことに までつながっています。それも、当時、それまでは、そうではな かった状況が一転したことも伝えられています。しかし、そうし た引け目や反省が、欧米のキリスト教世界においては、現イス ラエルのアラブ自治区に対する軍事行動を容認する口実とし ての背景となっている(本当は経済問題が最大ではあるでしょ うが)のであれば、現在のパレスティナの状況は、かつてなく最 悪です。例えば、岡真理さんという研究者の方が、もし現イスラ エルの方針を支援するなら、「それは偽善にすぎない」と指摘 されています。停戦への話が浮上してきたところでしたが、アメ リカのトランプ大統領がパレスティナ住民の移住を提案し介入 してきたところで、さらに状況は逼迫どころの話ではなくなって きています。 わたしたちは、個人的に、多様な経験があって、そこから、 それぞれの想いがあって、それを共有できる場所として、教会 に集っているのだと、わたしは考えています。 そのネタになってきたのが『聖書』で、でもその文書は、超 古代に取捨選択されて残された伝承の寄せ集めです。 それらは、伝承(例えば、現代の落語家さんたちが、芸能と して多数の話を継承しているようなもの)から、それが文章とし て残されたもの、それを編集する段階のものという複数の段階 を数百年にわたって経てきています。そのなかでも、バビロン 捕囚からローマによる居住禁止令が出されるに至る時代にユ ダヤ教の原型は構成ました。特にキリスト教で言う『旧約聖書』 の文書に関しては、そうしたそれぞれの時代において、それら を伝える人々自身が、その時代を生き延びるために残したもの を元に、いずれもちょっと後の人々が、それを受け継ぐ決意で もって文書化し、それが、いろんな事情や経緯があって、それ がキリスト教のローマ帝国における優位性を獲得した結果、残 されてきたものです。 最近、特に思うのは、わたしたちは徹底して「イエスのファ ンクラブ」でいいのではないか。イエス本人のこと(福音書から 想像するしかありませんが)を、真剣に「推す」ことを考えたら、 自分にできることを考えて行動していくことが大事なのでは思う のです。 そして、それはたとえば「布教活動」なんかではないだろう、 です。自分が何を選び、どう行動していくかの選択軸を置くこと でしょう。 この箇所においてアブラムになされた「主」の約束が、現在、 イスラエルによるパレスティナ殲滅の口実ともなされているそう です。本来は弱者であった側の主張が、強者となったことによ ってすり替えられています。わたしたち個人に、大局を変化さ せるような力はなくても、何らかの方法を提案する人々は世界 にはいます。そこに、参与する可能性を、それはまた自分たち の日常においても、考えていくことが必要ではないでしょうか。 2月9日説教 ヨハネ 6 章 35 節 「コミュニティフリッジはどうして生まれたか」 田村信征さん(NPO 羽生の杜、主宰) 2024 年 8 月 17 日のフェースブック記事です。 昨日(17 日)は羽生フードパントリー偶数月担当の 羽生の杜子育て応援フードパントリー開催日でした。 前日の㈱イオンアグリ創造㈱様へトマトをいただきに 伺った時には激しい雨に見舞われましたので台風 の通過状況を心配してましたが、この日は台風一過 の猛暑日となり朝からガンガン猛烈な日差しのなか で 40℃に限りなく近いなかでの開催となりました。 今回から野外テント張って利用者さんの受け取り 作業と大きなもの(トイレットペーパーやティシュペー パー)の受け渡しをテントのもとで行えるように設置 しました。朝早くに都内から仲山さんがボランティア 【日曜礼拝】 午前 10 時半 特別集会(東京復活教会との合同礼拝) 司会・関秀房 前奏 奏楽・久保田文貞 旧約聖書 イザヤ書 28 章 23-29 (旧 1104 頁) 主の祈り 讃美歌 120 番 聖書 ヨハネ 6 章 35 節 (新175頁) 講演 「コミュニティフリッジはどうして生まれ たか」 田村信征さん(NPO 羽生の杜、主宰) 讃美歌 470 番 報告 讃美歌 37(1)番 祝祷 民数記 6 章 22 節以下 後奏として参加してくださるとの知らせで羽生駅に迎えに 行くところからの始動となりました。9 時には予定通り 地元のスーパー・ケンゾ―さんが先日申し込んで購 入しておいた食料を 2 トンロングで搬入。早速、仲 山さんとマンちゃんと私の 3 人でパントリー建屋に積 み下ろし作業です。今回はお盆休みの最中というこ とや体調を崩されて来られなくなったなどでボランテ ィアの数が圧倒的に少なくて、私を含めて総勢 7 人 という少人数でした。通常は前日に仕分け作業は 済ましておくのですが今回は当日朝から作業する ことを決めてあったので、9 時半過ぎ頃からボランテ ィアさんが集まって来られました。各人の役割を決 めて清水さん主導のもと仕分け作業に入ります。予 定外の作業として今回は個人様からいただいてい たお米(90 ㌔)などの精米、袋詰めの作業もありま した。午前中ぎりぎりで何とか間に合い、休憩と昼食 をとって午後 1 時開始に備えます。 私どもフードパントリー活動の最近の深刻な課題 のひとつにご支援いただく食材が以前に比べて減 少傾向にあることが挙げられます。パントリー活動団 体が増えているため絶対供給量は変わっていない かもしれませんが活動団体が増えることで配分が少 なくなっていると言えるかもしれません。活動団体が 増えているということは必要とされる方が増えている こととイコールでもあります。民間で行うこのような活 動にはもともと限界があるわけですが、そこに頼らざ るを得ない必要とされる方が増えているというのはや はり社会システムに問題があると言わざるを得ませ んね。世の中では賃金が上がったと喧しいのですが、 この活動の周りでは全くそんな気配さえ感じ取ること はできません。いや、もっと深刻度が増しているとさ え感じるのです。 パントリーを開催日一週間くらい前になると利用 者さんから「お米が無くなり困っている」あるいは「お 米が無くなりおかずもないので助けてほしい」など電 話が入ってきます。その頻度が増えている傾向にあ ります。今回はお米、レトルト食品、日用品などは幸 いにもこども家庭庁「令和 6 年度ひとり親家庭等の こどもの食事支援等支援事業」のご支援のもとで購 入させていただきました。このようなご支援は大変有 難いことではありますが国の方策はもっと別のところ にあるのではないかという複雑な思いと重なりながら の活動でもありました。いつものようにセカンドハー ベスト・ジャパン様、WSF 様、イオンアグリ創造㈱様 (トマト)、また、先月に引き続き JA ほくさい様からは 美味しい梨(幸水梨)をいただきました。心より感謝 申し上げます。ありがとうございました。今回も 75 世 帯(250 人)の利用者でしたが、仕事で取りに来られ ない方などが今回は特に多く、翌日を含め後日引 き取りの方が 13 家族、いろいろな事情で取りに来ら れない家族が 8 家族あり、全てに対応して完全に終 了するのは 25 日になります。猛暑のなか少人数で 何とかこなして無事終えることが出来ました。ボラン ティアのみなさまお疲れさまでした。昨日ボランティ アとして初めて参加された仲山さん絡みで長くなり ますが追記しておきたいことがあります。 羽生の杜は 11 年前に立ち上げ活動を開始しま すがその中心になるはずであった畏友小田原紀雄 の教え子が仲山さんです。「なるはず」というのは残 念ながら彼は NPO 法人立ち上げと時を同じくして 病没することになります。 私は彼の急逝に伴いその後釜として全く未知の 羽生市に都内から引っ越しをしてきて活動を開始 することになったのです。小田原紀雄さんは塾の教 師を長いこと続けておりましたが、その教え子たちは 命日月の 8 月に必ず何人かが 10 年たった今でも 羽生を訪ねて来られるのです。この男・小田原紀雄 のヒトとなりが分かるというものです。全ての活動を 終えた後、仲山さんと久しぶりに沢山話し込み一日 の疲れも吹き飛んでしまうような良い時間を持つこと が出来ました。遠方から出かけてくださってありがと う!また是非来てください。 1月26 日 聖書 列王記下5章1-19a節 「古代の王国にて」 飯田義也 今回旧約聖書を読んでいてエリヤやエリシャの信仰を思うと、 まさしく「隔世の感」があります。 エリヤやエリシャは、もちろん聖書の記述がすべてではな くて、誇張して書かれた部分や反対に、書かれていない人生 の部分はあるとは思いますが、彼らは、この世に対して神様は こうおっしゃっているということがわかり、それを世の中に伝え なければと決意して生活した人です。神様からいただく言葉に 人生を献げた人。「偶像礼拝はいけない」というキーワードでし ょうか。バアル神信仰と闘った預言者の二人がエリヤとエリシャ です。 神様について人間の側が「これが神様だ」と規定してしまえ ばそれはそのまま「偶像」なのであって、これでいいやと妥協し ては、自分以下のものを拝むことになります。本当の神様は常 に祈る中で求め続けて、そうした中で言葉を示してくださるの であって、本当の神様を求めて行かなければ、国全体が偶像 化・・つまり剛直な固定観念になってしまい、崩壊してしまいま す。そのため、世直しに立ち上がったのがエリヤでありその後 継者であるエリシャでした。 今日の物語はエリシャの物語ですが、エリシャが学んだ師、 エリヤは、特に生涯の後半隠遁生活だったといわれます。イス ラエルが日照りに襲われた際、エリヤは、バアル神信仰の(ニ セ)預言者と雨乞いの勝負をすることになります。カルメル山頂 での勝負は、エリヤの祈りによって雨が降り、やはりこのあたり が古代社会、バアル神の信仰者は皆殺しにされるのでした。 そのことにより、バアル神を推していた王妃の怒りを買い、エ リヤは山奥に潜伏して採集生活を余儀なくされるのでした。煙 が立ってはどこに人がいるか遠くからわかってしまいますから、 たき火なども制限されたでしょう。そんな生活を続けて、もう死 にたいと願ったときに神様の声が聞こえて、アラムの新しい王 (ハザエル)とイスラエルの新しい王(イエフ)を指名する(頭に 油を注ぐ儀式をする)こと、自分の後継者としてエリシャを指名 することが使命として与えられます。 今日の聖書の箇所、過去言われてきた「ハンセン病」はこ の当時まだ世界に広がっていないので、ナアマンは疥癬だっ たのではないかとする学者がありました。皮癬ダニは、人の皮 膚内側の温度でないと生き残れないので、冷たい川の水で駆 逐されるのも自然なことかも知れません。エリシャは霊力とかま じないでない方法で治ることを知っていたのでしょう。そして謝 礼を受け取らなかったのは、親切心とかからではなく、感染予 防・防疫のためだったのでした。異国の人でもあり、信仰を改 めてから癒やされたのでもなく、それでも淡々と奇跡的な癒や しが起こるエピソードです。 エリヤとエリシャは波瀾万丈の人生を神様に献げて生き抜 いたわけですが、聖書は、彼らのように生きなければ救われな いとも書いていません。異教徒であるような人物にも平等な癒 やしがあり、神様に使える身でありながら禍を身に背負ってし まう者もあるということも伝わります。 さて、そろそろ現代に戻りましょうか。 戦後の日本では「政教分離」ということは、大切なこととされ てきています。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさ い」というイエス様の言葉は古代社会の言葉として驚異的です が、もともと宗教の領域に政治は踏み込まない・・というニュアン スが強かったと思います。 政治だけが一人歩きをすると、私腹を肥やすことばかり、他 者の権利を奪ってでも私財を増やすことばかりに関心が行って しまうので、抑止力として宗教が必要だったのは、預言者の時 代から不変です。誰か止め役がいなきゃなりません。三権分立 は、宗教に代わる抑止力を発揮させたかった制度だと思いま すが、司法が行政に人事権を握られて崩壊してしまい、立法が 選挙制度等から正常に機能しなくなってしまった現在、まあ、 逸脱したことばかりが目立つようになっています。それでも、世 論の抑止力はまだ有効だと思います。たとえば、性加害(女性 への人権侵害)を繰り返して悔い改めることのないような人々を 赦さないことは大切だと思っています。 結語として、都合がいいと言われてしまうかも知れませんが、 平凡な日常に、感謝を忘れず向かい合い、孤独を感じるときに も神様の愛を信じて祈るときに、わたしは救われていると思うの です。古代の生活と現代の生活、隔世の部分もあり、共通する 人の心もあって、わたしがらくだの毛皮を着てキャンプ生活を するのは到底無理ですが、それでも神様は救いの内に入れて くださっていることを信じたいと思います。 《説教ノート》1月19日 マルコによる福音書 2 章1~12節 「無罪なり」 久保田文貞 前回はルカ福音書 4 章 16 節以下、イエスが故郷のナザレ の会堂を福音宣教のスタートしようとしたところ、ナザレの人々 から叩きだされ、大失敗に終わったという物語について考えま した。その後「イエスがガリラヤの町カファルナウムに下って」行 ったとなります。今日は、事実上のスタートになるカファルナウ ムでのことを考えてみようと思い、そのために初めに書かれた マルコ福音書に戻ることにします。 マルコでは、イエスの活動はガリラヤ湖畔で漁師だったシ モン兄弟を弟子に採るところから始まります。その後三人でカ ファルナウムに行き、まずは「安息日に会堂に入って教え始め」 と、ユダヤ教徒の間で何事かを始めようとするならこの鉄則を 守るよりないという感じです。この会堂での顛末(マルコ 1:23- 27)を読んでください。人々はイエスの教えに、あの律法学者 ののものとは違う新しい権威ある教えを感じ取った。そして「汚 れた霊に取りつかれた男」にとっては、それはただの「新しい 教え」などときれいごとでは済まされない。汚れた霊たちが支 配している世界が根こそぎひっくり返されていく、悪霊にとって もこの男にとっても緊急事態なのです。 イエスが活動の拠点としたカファルナウムという町はどんな 町か、周辺にはガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスによって建 設された、ティベリアなどローマ風の都市があったが、カファル ナウムはガリラヤの辺境の街道沿いに徐々に大きくなった町。 いろいろな人種が通り抜け、ユダヤ人としては異邦人の習俗に 晒された危険な町。当然、故郷の生活が成り立たなくなって、 その日暮らしの食い扶持を求めて集ってくる人々の拠り所。ロ ーマ帝国の辺境地域どこにでも見られる、被支配民たちの雑 多な集団が暮らすところ。ローマに帰属した在野の小支配者た ちがローマの目を盗んで権力闘争をしている。一番の被害は 駆り出された男たち、移転を余儀なくされる女たち、子どもたち。 そして何よりも病んだ者たち。町の一角はそんな避難民たちが 肩を寄せ合って暮らす・・・見てきたようなことを勝手に言ってい るのは承知の上で、もう少し続ける・・・イエスの活動の拠点とな った家(2:2)は、ペテロが供出したものだろうか、その家の周辺 は、病人たち、心を病んだ者たちをはじめ、政治・経済難民た ちが寄り合って暮らす場所。そこは私の頭の中で、現在のガザ 地区で戦火を逃れ避難してきた女性たち子どもたち老人たち の姿と重なり、あるいは何時ミサイルが飛んで来て町を破壊し、 戦車が町を走り回ることになるか、予感の中で暮らす沖縄の 人々、また大災害に遭って避難所に駆け込んでいる人々の姿 と重なってしまうのです。 今日の箇所、マルコ 2 章 1~12 節の奇跡物語として分類さ れる話の舞台はそんな町です。自分たちが身を寄せている町 中に拠点を据えて活動してくれるイエスという人物の話を聞こう として大勢の人が集まる。家は人々で身動きできないほど。そ こに半身不随の人が、家族か友人だろうか、タンカに乗せられ て運ばれてきた。入れないというので、屋根の一角を外して床 をつり下ろしたという嘘みたいな話。「イエスはその人たちの信 仰を見て、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦される」と言われ た」というのだが、あまりに原始キリスト教的な脚色になっている。 むしをイエスは、病人と、彼を連れてきた 4 人の熱意・信頼(田 川訳)に痛く心を動かされて、彼に憑りついた霊を払ったという のでしょう。 当時のユダヤ教の理解では、障害が残るような病は、相応 の何らかの罪の結果だとされていました。ということは、避難民 のようなその日暮らししかできないような境遇に置かれている その他の人々もみな、なんらかのその人自身の罪が原因なの で、それは受けなければならぬ制裁なのだ考えられていた。 それは神の裁きと人間の罪が作るシステムとして引き受けるよ りなかったのです。 9 節のイエスの言葉は、その人の障害を罪の問題から解き 放ち、「起きて、床を担いで歩け」と命じる。もちろん、その人に とってはそれができないからこそこうして寝たきりになっている のではないかと、言いたかったかもしれません。でも、確かに、 罪のシステムに屈して横になっているという在り方から、イエス の一言で彼がそれまでのまったく別の生き方を始めるところが ポイントでしょう。それを癒しの奇跡か、原始キリスト教的な「罪 の赦し」かどうか、こんなことを言うと叱られるかもしれませんが、 どうでもよいです。少なくとも「罪の赦し」を教義の世界に閉じ込 めたくありません。 1月12日 説教 今年の1月 17 日で、阪神淡路大震 聖書 創世記 12 章 10~20 節 「アブラハムの旅―エジプト滞在」 八木かおり 災が起きてから 30年です。当時、わたしは兵庫の西宮 にいて、子どもたち は 7 歳と 3 歳でした。事後の困難は明らかでしたので、 発災の翌日には阪急電車が梅田から西宮北口間の運 行を再開したのに合わせて、3 人(+ミドリカメ)で名古屋 に避難しました。当時小学 1 年生だった人はそのまま一 旦名古屋の小学校に受け入れていただいて、春休みに 西宮に戻りました。そして千葉に移住したのが 7 月です。 これを書いているのは、実際の被災の周縁にいた者とし て、あの震災を記憶する一端ではあることを忘れてはい けないだろうとは思っているからですが、ただ、わたしは 当時の現地で起きていたことは知らないから聞かないで ほしいオーラ満載ですよね、これ。 ところで、聖書箇所は創世記のアブラムの旅の途中で す。わたしは、聖書箇所がぶつギリされて提示される聖 書日課は大嫌いですし、文章は、文書の文脈のなかで 考えられるべきだろうと考えているので、いわゆる連続で ありつつ講解とは違う形で話を展開させていきたいと思っ ての現在のスタイルをとっています(なので、聖書箇所と 話が連携していないけどもぶっとんだ連想ゲームみたい にもなっているかもですが、前の話と以下の話とは一切 切り離して考えてくださいますようお願いいたします)。 アブラムの名が変わるのは、まだ後です。意味的には あまり変わらないみたいです。アブラムがアブラハムにな るのは、17 章です。そして 12 章の最初で、アブラムは主 の命によりハランを出てカナン地方に移動します。しかし、 そこで飢饉が起こり、さらに南下してエジプトに滞在する ことになります。アブラムの妻サライは、とても美しかった ので、彼は彼女に先に言い含めます。まとめると「あなた は美しいので、そのために自分は殺されてあなたは強奪 されるかもしれないから妹だと言ってくれ」です。サライが 彼の父の子であって母が違う妹(創 20:12)だという記述 は、この後の 20 章にゲラル王に対してもアブラハムが同 じことをしたという話のなかで出てきます。いずれも彼と彼 の神がやったのは、いわゆる美人局、ハニートラップです。 そして、そこで餌あつかいする女性に対してのアブラムの 言い分は典型的です。「オレを助けると思ってくれ」…サ ライはそれを受け入れました。想像するしかありませんし、 当時と今のわたしたちの状況は違いますが、この二人の 間に子はいませんでした。そのことがどれだけサライにと っての抑圧となっていたかは、この後に、かのじょがハガ ルをアブラムに差し出したこと、後にイサクが生まれた後 のハガル親子を追放したサライの対処から想像するだけ ですが、相続問題もからんでいますし、またかのじょ自身 が辛くないはずはなかったのではと考えます。個人的な 思いは一般化できることではありませんが、いずれにせよ、 そこらへんが非道なのはアブラムと神ですし、この物語を 書いている執筆者も同様です。 現代の女性(男性も)としては、憤激していい話だと思う のです。今ならできるのですから。ただ、当時は、そうでな い時代、状況があったことを、それを現在ではさせてはな らないということではないかと考えています。美人局もハ ニートラップも、大体が弱者が強者からなにがしらかの金 銭を得るために考案され実施されてきた手口でしょう。今 でこそ、それは犯罪ですし、もちろん強者である人々もそ れなりに同様の手口を利用することもあったでしょうが、 それでも力関係が厳然としてある場にて起こるものです。 時としては、餌あつかいされる側がそれを主導することも 可能性としてはあるかもしれません。 こうした物語は、圧倒的に支配され従属させられるとい う経験をしていた人々にとっては、「うちらの先祖してやっ たり」のエンターテイメントだったのだろうと思います。その 気持ちは、痛いほど分かります。ただ、それをそのまま是 としてはならない時代にわたしたちはいます。それは、こ こまでの歴史のうえに、わたしたちもあるからです。それを、 次の時代に手渡していく責務もあると思うからです。今、 わたしたちはどこにいて、そして何ができるのかを考え続 けていくこと、それを日常のなかで試み続けていきたいと 思います。 2025年 1月5日 説教 ルカによる福音書 4 章 16~22 節 「福音は故郷を発つ」 久保田文貞 クリスマスが終わって、「さあ、これから…」と思ったところに、 今度はお正月となって逃れようのないスタート、そんな気がしま す。イエスの誕生日が、12 月 25 日とされたのはイエスの生涯 からみて数百年後に教会会議で決められたものです。こうして 太陽暦がつかんでいた冬至の頃にイエスの誕生を設定するこ とになったわけで、現在のようにクリスマスのほぼ一週間後に 1 月 1 日がくるようになったのです。ことに日本の場合、本来、太 陰暦で行われていた正月を明治期に太陽暦に替えたので、正 月が一層 1 年のスタートラインのように見える。正月に駅伝中 継が 3 日も続くのを傍目にして「さあ、これから」 というモードに 入るわけです。 ルカによる福音書のクリスマス物語(1,2 章)と成人イエスの 活動のスタートと、上に述べたスタートモードとが、私の頭の中 で妙につながってしまったので、今日はまずそのことの白状め いたお話しようと思います。クリスマス物語は神の子イエスの生 誕物語で、文字通りの始まりの物語です。天使のお告げがあっ て処女マリアが受胎し、神の子イエスが生まれる。天の軍勢が 現れ賛美する。羊飼いがそれを見て誕生を確認し人々に伝え る。福音はこれをもって起動したというわけです。24 日にもお話 したのですが、羊飼いは旧約聖書的にはイスラエルの開祖とも 言うべきアブラハムら族長たちの栄誉ある職業です。けれども、 歴史に登場したイスラエルはすでに農地を確保した農耕民族 でした。彼らにとって羊飼いは自分たちの前史に登場する観念 上の存在であり、ある意味使い捨てられたカードでしかなかっ た。その点では、イエス誕生場面に登場する羊飼いもきわめて あやふやに位置にいた人々と見てよい。もちろん、現実社会を 牛耳っていたローマ人から見れば、ユダヤ人とは自分たちだけ の戒律を守り、現実の政治の外を生きようとしていると者と見な され、そのためか逆にローマはそんなユダヤ人の宗教生活を 特赦していたのですが。ややこしくなってしまいましたが、そん なユダヤ人から見て、なおも羊飼いは捨てられたカードとして、 ローマだけでなくユダヤの外側をほそぼそと生きる存在でしか なかったと、大変失礼な言い方になって羊飼いたちに申し訳な いですが。 ルカのクリスマス物語が羊飼いを神の子誕生の知らせの最 初の伝令としたことを心にとめておきたいと思います。続いて 2 章 21 節以下、幼児のイエスの祝福の話、子ども時代の伝記的 なことが書かれますが、ここはとばします。3 章以下が、成人イ エスのスタートです。洗礼者ヨハネの宣教活動が報告され、イ エスはヨハネから大勢の民衆と共に洗礼を受けたという。4 章に 入って、イエスはサタンから誘惑を受けるが、誘惑に負けない。 サタンの方が諦めて引き下がってしまう。そして 14 節以下、い よいよイエスの宣教スタートになります。結論を先に言わしてい ただければ、このスタートは、あの羊飼いたちのイエス誕生の知 らせのスタートに重なっているのではないかということです。 イエスの宣教のスタートはガリラヤのはずれカファルナウムで と言っていますが(23 節)、実際にスタートとして語られているの は、故郷ナザレの会堂でのことです。ナザレの会堂で、イエス の少年時代、成人として働き始めた頃、ユダヤ人として修練を 積んでいた頃を知っている会衆に、イザヤ書 61 章を読んで「こ の聖書の言葉は、今日、あなた方が耳にした時、実現した」と 語りかけ、これが福音宣教のスタートであれと言ってよいでしょ う。人々の中に感心する者がいたが(22)、イエスはかれらを突 き放す。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎 されないものだ」(24 節)と云々。「これを聞いた会堂内の人々 は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し」たと。 故郷での福音のスタートは完全に失敗に終わりました。イザヤ 書 61 章の預言はそもそも、生れの確かな、普段から律法を守 り、安息日には会堂に行く正規のユダヤ人の耳には届かなか ったということになります。いや、もはや彼らはスタートに立てな いとまで言っているかもしれない。では、スタートは誰に、どこで 始まるというのか?福音書の書き方からすると、流れ着いた 人々が群がるカファルナウムという町のはずれで、そこで生きる ことに一杯で、もっといえば聖書なんか耳にする機会もなく暮ら す人々の中で、悪霊に憑かれた人から悪霊を追い払い、シモ ンのしゅうとめ、病気で苦しむ人々とともにあってこそスタートで きる、それがイエスの福音だったというのです。これが遠い過去 の話、他人事ではなく、私たちのこと、あなたたちのことと言って いるのでしょう。 12月29日 ヨハネの手紙一 1 章 1-4 節 「伝えること伝わること」 飯田義也 ある建設会社の現場事務所の壁にこれは素敵だなぁと思う標 語が書かれていました。「伝えたかではなく伝わったかを実行 する」言った言わないのトラブルを防ぐには、指示がどう伝わっ たかを確認して仕事を進める必要があるということです。 歴史上の大きなできごとになると、それを伝え続けるのはたい へんで、日本でも戦争を忘れないためにどのようにしたらよいか が、社会全体の課題になっています。意図的に南京大虐殺は なかったなんて言い出す人もいます。 最近の統計調査で、お年寄りに「人生で一番うれしかったこと は?」と質問したところ「戦争が終わったこと」と半数の人が答え たそうですから、経験した人は心から「戦争だけはいけない」と 気づいているのだと思います。そのことを継承していけるかどう か・・ 故意に風化させたい人たちもいるのです。 2023 年の関東大 震災の記念日、日本政府の見解にびっくりしました。岸田内閣 でしたが関東大震災朝鮮人虐殺事件について、松野官房長 官が「政府として調査した限り、政府内において事実関係を把 握することのできる記録が見当たらないところであります」と述 べ、現在確認できる多くの資料について「有識者が纏めたもの で政府見解を示したものではない」としたのです。落胆と怒りを 感じて、いまでも引きずっています。・・で、100 歳でもないわた しがこんなことを言うと、「じゃあ、おまえ見たのかよ」と、反論が 来そうです。もともと人間の生活は、他の人の言うことを信じると いうことに大きく支えられているという点を自覚する必要がありま すね。 この虐殺も、事件から間もない頃には、全否定はあり得ず、否 定したい人も「正当防衛だったんだ」とかことがらを正当化する デマを流すのが関の山でしたが 100 年も経つとそれ自体をな かったことにしようというデマを流す人たちが出てくるわけです。 さて、イエス様の十字架上の死をきっかけとした、新しい宗教 的な盛り上がりに対しても、その後、いろんなこと言う人たちが 出てきたのでした。ナザレのイエスなんて、実在しなかったん だ・・とか・・。 だいたい、なんの罪状的根拠もなしに、逮捕・拘留して十字 架での死刑にしてしまおうというときにすでに、反キリストという か、神様に対して快く思わない人たちは確かにいたわけです。 このところ、たいへん流行している預言者がいるらしい、社会的 影響が大きくなると、それは困ったことになる。既得権益が失わ れる。 だったら政府への反逆罪で見せしめ的に死刑にすれば、シ ンパも雲散霧消するだろう・・で、実際に実行したら、雲散霧消 どころじゃない。ナザレのイエスは復活したと信じた人々が世界 中に広まりだして止まらなくなりました。 一方、当時の教会(エクレシア)内に分断が生じてきたという ことが、この手紙が書かれるに至る動機になっています。近代 (中世以後)の学者は「仮現論」なんて言いますが、キリストは、 神が人間に見せた幻影だったのであって、現実の人間ではな かったのだ。だから人間の父もいないし、死ぬこともなかったの だ・・みたいな感じでしょうか。言い出す人が出てきます。 そこで、この手紙の著者は「そうじゃない!」伝えたかったの は、イエス様がおっしゃっていた神様の愛なのに、教会内で議 論ばかりになり結局はマウントの取り合いになってしまってるじ ゃないか。大切なのは「命の言葉」だということを言っています。 ここでヨハネは「交わり」ということばを使います。英語だと Fellowship とか relations という言葉に訳されます。ギリシャ語だ とコイノニア(κοινωνία)です。 神様との交わりをもつということは、よいことなのですが、日本 語の交わりだと性的な意味合いが先に感じられてしまうので、 まさに「伝わり」がよくないのが、この語の欠点だと思っています。 神様はイエス様に交わりをもってくださり、一体としか言いよう がないほどイエス様は神の世界の愛を示してくださいました。そ のイエス様に交わりをもっていただいたヨハネにも神様の愛が 伝わって、十字架上で殺されてしまってもその交わりは消える どころか復活したのでした。今度はヨハネが人々と交わりを形 成し、その集積が教会(エクレシア)を育てていったのです。し かし、その愛の交わりのはずの人々が、分断してしまった。 交わり(コイノニア)に教会、信仰の本質があります。伝えたい のは、イエス様が伝えた神様の愛、互いに愛し合うという姿勢。 いま、わたしたちにも伝わるでしょうか。
12 月22 日 ルカによる福音書1章26-38節 「戦争を終わらせる」 飯田義也 ジョン・レノンの遺した作品に「Happy Xmas (War Is Over)」 ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」という曲があります。世界的に知 られた歌ですが、いま聴いてもたいへん秀逸だと思うのです。子ども の声で「war is over.」が繰り返されて、聴く側は、戦争なんてちっとも終 わってないじゃないかと、悲しみや悔しさといった感情が湧き上がって くる・・そんな構成になっています。 そうさ クリスマスだ 一年どうだった? 古い時代は終わりさ 新しい時代が始まった いまここはクリスマス 楽しいことたくさんありますように 親族、友達 年寄りにも若者にも そうともメリー・クリスマス! そして新年おめでとう! 新しい年、よい年で 何の恐れもありませんように そうさ クリスマスだ (戦争は終わる) 弱い人にも強い人にも (あなたが望むなら) 富める者にも貧しき者にも (戦争は終わる) 世界が間違ってたって (あなたが望むなら) そうさ クリスマスだ (戦争は終わる) 黒人にも白人にも (あなたが望むなら) アジア人にも先住民にも (戦争は終わる) 戦いは全部やめよう (あなたが望むなら) 戦争は終わる あなたが望むなら 戦争は終わる いま! さて、天使ガブリエルさん、ナザレに遣わされます。ガブリエルは「神 の人」という意味です。聖書では、天使は神と人との仲立ちをする役割。 ガブリエルは神意の啓示者、主に神様からのメッセージを人に伝える 役目を負っています。 三大天使、ミカエル(神に似た者は誰か)は民族の守護者、ラファエ ル(神は癒やされる)は病を癒やす者・・となっているようです。ユダヤ 教としては7大天使なのだそうですが、天使についてはいまの大人は あまり関心を持たないと思います。会ったことないですから。 天使も悪魔も「存在」として考えると妙なことになっていくので、「働き」 として考えた方がいい、と教えてくださったのは新松戸教会の津村牧 師でした。「悪魔が働いてくる」というように考えると「天使が神様の言葉 を明らかにしてくださる(啓示)」という理解の仕方になるわけです。 聖書時代だって旧約聖書時代だって、わたしは天使に会ったなんて いう人は信用されませんでした。されなかった・・はずです。聖書の記 述は、描写はありますが、すべて第三者があの人に天使が神の言葉 を伝えたという形で書いています。そしてもう一つのポイントは、マリア がそれを誰かに言ったということがまったく書かれていません。 あるとき自分について自己理解ができたということ・・この場合は、自分 が妊娠しているということにマリアが気づいたわけですが、マリアは 散々悩んだと思う。 普通じゃない妊娠です。誰がなんと言うか、悪い噂を立てられるか。 そうした中で、マリアは希望をもったのでした。きっとこの子が生まれた ら、神様の大切な言葉を伝える人に育つに違いない、無事出産できた ら大切に育てよう・・って。 わたしたちも未来のことについては信じるしかないのですが、どうも 希望を持とうとしない傾向があるように思います。自分の未来がきっと 神様に喜ばれるものになると信じた人は幸いですね。 マリアのところに赤ちゃんが授けられました。酷い差別待遇の中でした が、しかし無事に赤ちゃんが産まれ「イエス」と名付けることになりまし た。大人になるまで成長してくれるといいなぁとの願い、祈りを受けな がら無事に育っていく・・というのが、わたしが事実はこうだったのだろ うなぁと想像するプロセスです。 アリアは、この子はきっと、何か大きなことを成し遂げるに違いない、そ れも自分のための大きなことではなく神様のための大きなことを成し遂 げるとの信念をもって育てたのでしょう。・・というときれい過ぎるでしょう か。信念は持っていても、日々喜びや悲しみがあるのが子育てじゃな いでしょうか。あんまり泣くのでめげそうになったり、かわいさに慰めら れたり、夫婦で争論になったり・・という中で「なんだか楽しみな子だわ」 ということがだんだん大きくなってくる。そんなマリアの日常だったと思 っています。いま、世界は、キリストという平和を授かったのです。産み 育てなきゃ!戦争をしている場合ではありません。
12月15日 ヨハネによる福音書 3章16-17節 「声をあげること」 わたなべ ひろし 現在、私は松戸市の清掃施設整備課で会計年度任用 職員としてスポーツ施設の受付係をしています。3 年8 ヶ月勤めたことになります。職種は事務補助と呼ばれる 定型業務ですから困難を伴うことはあまりありません。 会計年度任用職員は、本庁(松戸市役所の本体建物)と 出先機関、小中学校65校と市立高校、市立医療センター に約 2000 名の会計年度任用職員がいます。正職員の予 算定数は4236人です。非正職員比率は約32%です。事 務補助以外の職種として調理員、用務員、介護保険調査 員・認定員、保健師、助産師、いじめ相談員、生活保護 認定員、学校図書館司書、スクールカウンセラー、年金 相談員、女性相談支援員、博物館長などの86にわたる職 種があります。 非正職員の86%が女性です。被扶養配偶者として働 くために「106万円の壁」を意識して維持する人が7割 存在しました。社会保険料負担を回避し、扶養手当対象 となるための対策として取られてきた「常識」であり社 会的慣行です。昨年(2023年)の春闘で大幅な初任給の アップがありました(新規採用の事務職で 79 円の時給 アップ)。今年も昨年以上の 135 円の賃上げとなりまし た。公務員の場合のベースアップは人事院勧告に基づい て年度途中で実施されます。4月1 日に遡って計算し直 した差額を概ね 12 月に支給しています。会計年度には その適用がされていませんでした。昨年5月、地方自治 行政を管轄する総務省は人事院勧告に基づく4月遡及を 会計年度任用職員にあてはめても良いとする内容の文 書を発しました。さらにその財源を確保されました。会 計年度任用職員へ差額を支給した場合、その人件費は全 て国が負担することになりました。この措置により全国 の自治体で6割が差額支給を行いました。松戸市職員組 合は差額支給を強く求めましたが実施されませんでし た。その理由は、差額を支給すると106万円を突破して しまうためでした。事務補助職で働いている7割は被扶 養者のため、差額を支給して扶養から外れると影響は大 きいということです。団体交渉の事前に行われた事務折 衝では、使用者側から「少数者の横暴」という発言まで 飛び出しました。多くの会計年度任用職員は賃上げを望 んでいないというのです。 制度が想定しているパートタイマーが現実に合わ なくなってきたのです。家族の面倒一切を引き受ける主 婦が家計の足しにするために労働するというモデルは 1960年代後半から徐々に確立していきます。近年ではサ ービス産業、特にスーパーマーケットで働く女性の仕事 は「基幹化」しています。少数の横暴を口にする使用者 (男性)たちの本音は、会計年度任用職員を従順な羊に しておきたいということにありそうです。問題の根っこ には性別役割分業があります。働く者と使用する者との 関係は、非正職員問題での「扶養する者」と「扶養され る者」との関係に投影しています。 こうした関係を変えていくために何が必要かと考え ています。声を上げることです。異論を唱えることです。 自身の正当性を述べることです。高度経済成長期の終了 とともに働くこととは自分の能力を高く評価させるこ とに向かいました。「評価を高くする」とは給料を多く受 け取ることです。ありのままでいたい自分を傍に置き企 業や組織にとって有用な人間となることです。それが自 分の人生の目的になることは、排他的な生き方につなが りかねません。 ありのままでいたい自分を実現するには、声を上げな ければなりません。一人で声をあげることも大切ですが、 集団としてまとまることも大切です。個人から集団へ、 集団から社会へ働きかけることです。正職員は、月平均 80時間を超え、過労死ラインで働き続けることが本当に 自分らしい生き方なのかを考えなければなりません。会 計年度任用職員であれば必要とされる能力=期待され ている働かされ方に境界があることを知らなければな りません。自分らしく生きるとは、自身の生きることへ の思いを明確にすることでもあります。私は、そのこと によって新たな景色が見えてくると信じています。
12月8日説教 「世界の片隅に生まれ」 ~ルカによる福音書 2:1-7~ 八木かおり アドヴェントの第 2 週となりました。先月の礼拝の後、久保田 さんから「来月はクリスマスメッセージだよね?」と聞かれまして、 「そうなのか」(←あまり気にしてなかった)と了解し、そして当初 から『ルカ』の誕生物語でいこうと思って予告をしました。前週 の説教ノートを拝見したのは、その後です。それぞれの経験を 語り継ぐシリーズになったら面白いかなと思い、真似します。 わたしの両親は、1940 年生まれで、横浜のバプテスト教会で 出会ったそうです。わたしは生まれてから 4 歳になる春に父の 就職で香川に移住するまで、その教会に両親と一緒に通って いた記憶があります(洗礼式とか聖餐式とかを断片的に覚えて います)。幼稚園は聖母幼稚園、そして小学 1 年から、高校卒 業まで教団の善通寺教会に通いました(当初は市の中心街を 隔てて反対側にありましたが、わたしが中学生になった頃、自 宅の隣!に教会が引っ越ししてきました)。善通寺市は、名の とおり、寺町(空海生誕地)です。そして、市街地中央に護国 神社がどでん!とあり、また自衛隊駐屯地は分散してあります。 それは、旧陸軍 11 師団の拠点だった地域だったからです。戦 後、旧陸軍所有の土地が、市役所や図書館などの公的施設 ほか、さまざまに払い下げられたという経緯があるそうです。キリ スト教主義(改革派)の四国学院大学もそのひとつで、払い下 げられた兵舎が、校舎の一部として利用されていた時代もあり ました(もちろん現在は整備されています)。 そんな何でもかんでもごちゃまぜな環境で育ちました。あの頃 のクリスマスは、わたしにとっては、誘えば来てくれて、一緒にイ ベントで盛り上がってくれる友人と自由に過ごすことができる場、 自分が自分でいられる場(良くも悪くも)だったのが教会でした。 例えば、当時の高校生にとっては、イブ礼拝も、また市街を回 ってのキャロリングも本当に楽しいだけものでした(その後、主 催する側になると大変なのは、理解していますが)。 ルカによる福音書は、冒頭にある通り、ローマ役人への説得 のために書かれています。そこでルカが意図したのは、物語を 歴史的に語るという方針です。これは、『旧約聖書』以来の戦 略の延長線上にあるものです。勝負ポイントの重要なひとつが 「歴史」で、それは『マタイ』も同様ですが、ルカは「世界史的な 歴史カード」を提示します。このため、イエスの誕生がローマ皇 帝アウグストゥスの治世であると記されているということになるの ですが、属州に対する人口調査がなされたことについては、現 在では異議もあります。また、現在の西暦年代そのものには不 備があり、イエスの誕生時期については、むしろへロデの没年 を基準とする場合もあり、特定はできないとされています。 そして『ルカ』において特徴的なのは、母マリアの経験です。 天使の告知の後に、親戚のエリザベトを訪ねた話から伺うこと ができるのは、「どうしよう?」という切実な困惑です。エリザベト の夫、ザカリアは妊娠を信じず、語ることができなくなりました。 それが彼の身に覚えがないからだったとしたら?(ヨセフと同様 です)。それは、彼らの判断次第で、当時としては、かの女たち と、その子の命が脅かされるような事態となった可能性がありま した。けれどエリザベトは、マリアを祝福し、マリアはそれに応え ます。人が生を受けること自体が否定されるような事態に対して、 それを拒否した女性ふたりの抵抗の物語と、それに呼応するザ カリアの祝福(とヨセフの受容)が、イエス物語の最初にはあると 考えています。 かの女たちが、子を産むことを決意するにいたる心情も、ふた りの彼らのこともよくは分かりません。何があったかも一切分かり ません。たとえば、かの女たちに関して言えば、かつて教会女 性会議の場で、発題者だった友人が「エリザベトにとって子を 産むことは強いられていただろうし、さらに高齢出産が強いられ るなら、それは虐待にすぎない。マリアも産み月が近いのにベ ツレヘムまで移動とかありえない」と言っていたことに同意しま すし、それは、かの女たちを理解する点において、わたしの原 点です。 イエスの誕生物語そのものは、「クリスマス」という昨今の楽し いイベントではありえません。当時のローマ帝国が支配する片 隅で、ただひとりの人が生まれたことが物語られています(ちな みに、以後の母マリアについて『ルカ』は無視8:19-211)。『ル カ』は、かの女たちの身におきたことを「神の御業」として説明し ています。 「生まれて生きるすべてのいのちへの祝福」としてのクリスマス であることを祈ります。
12月1日 聖書 マタイ 1章18-21節 「神の子懐胎のこと」 久保田文貞 クリスマスに初めて教 会に行ったという人が多いんじゃないでしょうか。実は私もその一人です。祖母も両 親もクリスチャンでしたが、戦時中に生まれた私の場合、父親は召集され、疎開を余 儀なくされ、母は子供二人と乳飲み子の私をかかえて教会どころじゃなかったろうと 思います。でもクリスマスには子供を教会に連れて行ったらしい。私も子供時代、日 曜にほとんど教会に行かずわんぱく少年たちと遊んでいたのですが、クリスマスには プレゼントほしさに姉に手を引かれて教会に行きました。毎日曜、教会に行くように なったのは中学になってからのことです。偶々近所にいた藤田史郎さんに誘われ、品 川から巣鴨まで山手線半周の日曜学校(やがて教会学校という名に変わりました)通 いの始まりです。行帰りの山手線一周が楽しくて、教会で何の話を聞いたかなんで覚 えていません。そんな教会通いでしたが、クリスマスが近づくと分級もクリスマスの 準備に入り、歌や劇の練習でいやでもクリスマス一色になっていきます。子供心には、 教会とはクリスマス、あとはせいぜい夏のキャンプなのです。そして旧讃美歌111番 「神の御子は」、大人の讃美歌ですが、メロディーは親しみやすく子供の頭にも入っ てしまいます。青年になって聖歌隊に入って、やはりクリスマスになるとバッハのカ ンタータなどの練習。142番、習ったばかりのドイツ語歌詞、Uns ist ein Kind geboren, Ein Sohn ist uns gegeben、「我らに子が生まれた、御子が我らに与えら れた」深く考えもせず、こうして「神の御子が生まれた」とクリスマスの賛美の群れ に入っていました。「今年もいろいろあったし、いまも続いているけど、年末だ、ク リスマスは楽しく過ごせばいいじゃないか」と。否定はしませんが、やはりネクラの 性格なのか、こっそり自室にこもって、忘れられたり、書き換えられたりしたクリス マスの原義を考えてしまいます。もっとも、聖書を読むという仕草は誰にとってもそ んなところがあるんじゃないかと思って、開きなおっていますが。 「神の子が生ま れた」というカードがめくられて、世に出回った結果、それは近代の市民革命や、二 度の大戦による世界の集団化などに匹敵するカードになったのではないか。ローマ帝 国によって被征服民の反乱者として処刑された男ナザレのイエスが、神の子だなんて ありえない、それが、あれよあれよという間に広がり、やがて帝国を脅かすまでにな る。これがより深刻で破滅的なジョーカーになりうることを、すぐに感じ取ったのは ユダヤ人だったろう。キリスト教会も最初からこのカードを切り札に使ったわけでは ない。イエスに従った人々が師の十字架の死を受けとめ、その死の向こうに真に生き る希望を見つけ、そこに福音を見出した人々、パウロもその一人と言ってよいだろう、 続く世代の人々もイエスの生涯の報告を受けて、多様な証言を重ねていく。マルコは 諸伝承を集めて福音書を編み十字架に帰結するまでの民衆の中を生きたイエス像を提 示したり、またそれと別に、ヨハネはイエスの中に神の言葉の真実が今もリアルに生 きていることを示したり、とにかくイエスを証言するいろいろな仕方が現れていく。 その一つというか二つに、マタイとルカが収録し(もしくは改変した)クリスマス物 語があって、イエスは母マリヤの胎に聖霊によって身ごもった神の子だという究極の カードが切られたわけだ。クリスチャンの群れを二世、三世とつなげていくよりない 教会にとって、その先そのカードがどう使われたかの審議は措いて、とにかくクリス マスは新来者や子どもたちにもとっつきやっすい、カードだったのは確かだ。とりわ けルカの物語は、たとえマリアの子が誰の子かわからないとしても、あるいは神の子 であろうとなかろうと、一人の女性が馬小屋で乳飲み子を抱える様子を見たら誰だっ てホッコリするだろう。ところが、マタイのカードはちょっと違う。神の子として生 まれた子の影の部分、凶の面を隠さない。ヘロデ大王は「神の子」の可能性のある新 生児を片っ端から殺すという虚をついた。真偽のほどはともあれ、このカードを切る ことの深刻さをいち早く感じ取った話である。メルヘンでは済まないというわけだ。 その後のキリスト教は、結局、父なる神、子なるキリスト、聖霊と別にあって、しか も一体なりという無理を受け入れる世界を築いていった。これがある時期まで功を奏 し、世界を治め得たと言えるかもしれない。でもそのカードでどれだけの人々がはじ かれたことか。近代、現代は、まったく新手のカードがめくられようとしている。か つて神の子カードで行けたと思い、今もまだそれを捨てきれない者の一人として、事 柄を冷静に見、自分らの体験を語り伝えたい。
11月24日 聖書 イザヤ書65章17~25節 説教 「帯を締めて終わる」 飯田 義也 今日は、教会暦で「終末主日」とされる日、カトリックでは「収穫感謝 祭」プロテスタントだとこだわりがあって「週末感謝礼拝」です。言葉の 成り立ちとして「祭り」は汎神論的な神をまつるところからくるので使わ ない・・。町内会の「秋まつり」でも、ひらがなにしていますね。みなさん ご存じの通り、キリスト教のこよみは社会全体より約一か月早く始まり、 今年は 12 月1日(日)からアドヴェントで、教会の新しい年が明けるこ ととなりますが、今日は一年の締めの礼拝、・・なので何か「締め」のメ ッセージが必要かと思いますが、いつものように「締まらない話」では あります。 収穫感謝は、キリスト教主義学校では熱心に守られているようです。 「神様からいただいている秋のたくさんの恵みに気づき、家庭から 持ち寄った収穫物を奉げ、感謝の礼拝の時をもちます。 また、日頃お世話になっている学院の方々のことを覚えて、礼拝後 に収穫物を届け、神様からの恵みを分かち合います」「申命記 14:22―27 では、神さまに捧げられたものを隣人と共に分かち合うこと の大切さが強調されています。 わたしたちが収穫感謝の捧げものなどを、施設に入っておられる 方々、ご病人やお年寄り、孤独な人々にお届けし、感謝と喜びを分か ち合うことは意義あることです」・・などと、午後からは施設訪問をした り・・。 日本の学校における収穫感謝礼拝のルーツはほぼアメリカです。 1620 年 9 月、メイフラワー号に乗ってヨーロッパから信仰の自由を 求めて渡ってきた清教徒たちは、到着した土地での新しい生活を始 めましたが、すぐにやってきた冬は非常に厳しく、餓えや寒さで半数 が亡くなりました。 残された人たちは、親しくなった先住民の人たちからトウモロコシや 麦などの栽培方法を教えてもらい、翌春に種を蒔きました。そして秋 には予想を越える豊かな収穫を与えられたのです。彼らはこれを喜 び、神に感謝の礼拝をささげ、先住民たちを招いて感謝の会を催して 喜びを分かち合いました。これが収穫感謝日の起源です。その後、ア メリカは発展と欲望を抱いた移民によって人口が膨れあがり、先住民 の土地や生活を奪う方向へ流れてしまいます。 さて、収穫に感謝することはキリスト教の特色なのでしょうか。否で す。 世界のいたるところで収穫感謝のお祭りは行われています。ユダ ヤ教でもヒンズー教でも、仏教でも収穫を感謝するお祭りはあります。 大地の恵によって生かされていることを、人々は感謝をもって祝って きたのでしょう。 日本にも伝統的に収穫祭ならある・・と言われそうです。 日本の収穫祭は、神嘗祭(かんなめさい)と新嘗祭(にいなめさい) です。神嘗祭は、毎年 10 月 17 日に伊勢神宮で執り行われる五穀豊 穣の感謝祭にあたります。新嘗祭は、毎年 11 月 23 日に宮中三殿の 近くにある神嘉殿にて執り行われ、全国の神社でも同日に行われて います。これが現在の「勤労感謝の日」の元だということです。勤労感 謝の日とは、広く働く人々の勤労に向けて感謝を示す日のことという 説明をネットで見つけました。 わたしたちの「勤労」は、学者の言葉を待つまでもなく、多くの所与 のことがら・・贈り物に支えられています。よく「ありがとう」の対義語は 「あたりまえ」だと言われるところですが、そのあたりまえだと思いがち なことが実は、神様からの贈り物だと言うことに気づくとき、あたりまえ なことへの感謝が生まれてくるのでしょう。 今日の聖書の箇所、預言者イザヤは「神様が世の中を作り直してく ださるとき」を思い描いています。 それは、代々とこしえに喜び楽しみ、喜び踊れるとき。生老病死の ない世界。他国の侵略のない世界。そして、食物連鎖から解き放たれ た世界です。 辞書を見て終末というと「この世の終末、あるいは、どうしようもない 世であることを意味する語」「後の世。後世」「人心が乱れ道徳がすた れた世。末世(まっせ)」とあって、あまりよいイメージが湧かないのです が、預言者は神様からのメッセージを預かって、希望をわたしたちに 伝えます。ルカによる福音書 12 章 35 節の「腰に帯を締め、ともし火を ともしていなさい」という言葉は、その神様がわたしたちに示す希望を 意識して備えていようと勧めています。 たくさんの神様からのプレゼントをいただいて日々暮らしてきたわ たしたち、一年の終わり、今度は自分をプレゼントして終わりたいと思 います。せっかくの贈り物も、送り先を間違えてはたいへん。よくよく祈 って帯を締め、預言者イザヤの指し示した方向に自分を用いていきた いものです。終わり。
11月17日 日曜礼拝 聖書 ヤコブの手紙2章1~4節 題 「分け隔てしない」 久保田文貞 今、世界の経済格差は凄まじい勢いで進んでいます。国連 の調査によると、最貧層 20%が所得全体に占める割合は 2%未 満と動かない。その一方で、最富裕層 1%の世界の所得に占め る割合は、1990 年の 18%から 2016 年の 22%へと上昇、格差が 広がっていることが分かります。原因として出されているのが、 賃金の停滞と労働分配率の低下、先進経済圏における福祉国 家の衰退、開発途上国における社会保障の不備、金融市場の 規制緩和、急速な技術的変化と自動化など。こうして起こる所 得の格差が、開発途上国、それも社会経済的に弱い階層に対 しより深刻な事態を引き起こす。ジェンダーの不平等は改善さ れているように見えて、女性の経済的、法的、社会的格差は拡 大している。少数民族やその他のマイノリティーはこの格差の 直撃を食らっているというのが現状です。このことは、日本社会 でも徐々に深刻化しています。2021 年に内閣が初めて子ども の貧困調査を企画し実行しました。格差の拡大が進む中、シン グルマザーの家族で特に深刻なものになっており、子どもたち の貧困の全国的な実態が明らかにされました。子どもたちの栄 養状態、学習への意欲、進路の選択にまで及んでいます。調 査は中学生のいる家族だけをとりあげていますが、それ以外の すべての世帯、独身生活者にも確実に格差は広がっています。 それが、現在の世界、そして日本の実態です。格差社会では、 どうしても富んでいる者が強い立場になり、貧しい者が弱い立 場になる。そして両者が公平な交流ができなくなり、こんなは ずじゃなかったと言っても、ズルズルと社会は崩壊していく。と は言っても社会は一定程度の補正力があって、自ずと是正さ れていくはずだと期待される。しかしその陰で、確実に一部の 人々が切り捨てられるのが実態です。 私たちは今日、ヤコブ書を取り上げました。ヤコブ書では、 2 章 14 節に言われているように、「我が兄弟たちよ、もしも誰か が、自分は信仰を持っていると言いながら行為を持たないとす れば、それが何の役に立つか。信仰がその人を救うことなぞ、 できないではないか。」(田川訳) ヤコブ書著者がパウロの信 仰義認論(ガラテヤ3:1以下、ロマ3:21以下)を批判しているこ とは確かです。パウロの場合、十字架で殺されたイエスを信じ る信仰によって義とされるという信仰に立つのに対して、ヤコブ 書著者は 1 章 18 節「主は意図して我々を真理のロゴスによっ て生み出した」(田川、口語訳、新共同訳の翻訳の問題は省く) つまり、ロゴスは人の誕生とともに備わってる、だから、人々に 救いの手を伸べるイエスに出会って、人は生まれもったロゴス を働かせ、27 節「困っている孤児や寡婦のことを気遣い、みず から世の汚点に汚されずに保つ」ようになる。この著者にとって 信仰するとは、イエスと共にこのロゴスを活性化させ行為するこ とになる。信仰と行為は対立概念ではなく、不即不離の関係に あるというわけです。このような理解に立てば、パウロを標榜す る教会で、富める者が幅を利かせ、貧しい者が片隅に追いや られているのは、信仰を第一義におき、行為を二の次におくか らではないか。信仰と行為を分離させてしまうことに問題がある のではないか(2 章 17 節)となるでしょう。 ルターの影響もあって、ヤコブ書の著者はユダヤの法を重 視する律法主義者とされてきましたが、田川によれば、著者は 新約の中でもすぐれたギリシャ語の使い手、ギリシャ文化に熟 知した者であり、「自由をもたらす律法」(新共同訳)でなく「自由 の法」(田川訳)とすべきとします。著者にとって法は、ユダヤ人 だけの(不自由な)律法ではなく、万国の法を視野に入れ、人 それぞれに与えられたロゴス(理性)が自由に引用する法と理 解した方がよいでしょう。もちろんそこにも大きな問題がありま す。そもそもすべての人に備わっているはずのロゴスと自由な 法の下で、例えば現実の格差がどうしてこうも大きくなっていく のか。いや、与えられた法の下で人は少しも義なるものを実現 できないではないかと。 このように、同じ新約聖書の中に、複数の考え方があります。 私にはそれがマイナスなことでなく、むしろ私たちに参加する 機会を備えてくれていると感謝して受け取りたいと思います。
11 月 10 日 八木かおり 「アブラムの旅」 アブラムの名は、最初は創世記 11 章のテラという人 物の系図のなかに登場します。創世記は、アダム(5 章)、ノアの子どもたちであるセム、ハム、ヤフェト(10 章)、そしてセムとテラの系図(11 章)という形で、テラ の系図の最後にアブラムの名が挙がります。ちなみに 系図は、福音書のイエスの物語にも登場します。ただ し、系図のようなものは「民族」の「正統性」を主張する ものです。この創世記が成立した時代(五書の成立は 紀元前 400 年前後と言われています)。それは新バビ ロニア王国による捕囚と、そこからの解放を命じたペル シア帝国という異なる支配に対して、生き延びるため の抵抗ではありました。 当時の人々が「世界」として想定していたのは、古代 オリエント世界と呼ばれるエジプトからメソポタミア、そ してその北とちょっと西くらいの範囲だと考えられてい ます(もちろん、例外はあるでしょうが)。そもそもアブラ ムの父テラが、メソポタミアの南部、カルデアのウルとい う町から旅立ち、ユーフラテス川上流のハランという地 に滞在、テラは「ハランで死んだ」という 11 章最後の記 述から続いて、12 章から始まるのが一連のアブラハム とイサク、そしてヤコブの族長物語です。 今回の題は、アブラムとしましたが、この名前は後に 神によってアブラハムとなります。 意味がどう変わるのだろう?と今回改めて思いまして、 調べたところ「父は気高い」から、「多くの人の父」くら いの変化だそうです。そして、いずれにせよ、自分はキ リスト教的父権制を問題として提起してきたはずなの にな?「こいつか!」でした。 アブラハムのエピソードは、この後も続きますので、そ れぞれは、また改めてお話したいと思います。ただ、ユ ダヤ教的な戒律を否定しつつ、一方でローマの帝国 主義のもとで独自の展開をなしたキリスト教の歴史を 正当化するために、これらのエピソードは利用されてき ました。アブラハム契約から王国時代は、「中世のヨー ロッパキリスト教世界の実現」、これを覆すことになった ルネサンスを経て宗教改革から市民革命の時代には 「抵抗から実現する新国家の理想」として、繰り返し利 用され、むしろ「征服の論理」として、現在のシオニズ ムによるイスラエル共和国の暴挙をとめられない状況 を生み出しています。 アブラムの物語は、本来は、征服と勢力拡大を意図 する帝国主義に抵抗する物語だったのではないかと 考えます。しかし、この物語を伝えた人々が直面して いた大国による侵略と制圧という「現実」を一方では受 け入れざるをえないという状況のなかで、せめてもの抵 抗として伝えたメッセージが、むしろ、その後のキリスト 教が優位となった社会システムとされてしまったのでは ないかと考えています。ただ、その一方で、そうしたシ ステムによって圧殺されたイエスというひとりの人が指 し示されてもいる、そう言うことができるのではないかと 思います。わたしたちの基は、そこにあるのではないで しょうか。 当時の状況において、抗弁することすらイエスはして いないと福音書は伝えていますが、圧倒的弱者を制 度的に作り出してしまう当時の状況を生きたのがイエ スです。他方、その後のローマ世界において、公認さ れ、さらに国教化されたキリスト教は、社会的に強者で ある人々によって利用される歴史を辿りました。それに 対して異議申し立てをしたのが宗教改革運動ですが、 それから既に 500 年以上が経ちました。その後の経緯 においては、当時とはまた異なる事態となっています。 それらが多様に倒錯した歴史を経ての現在を批判す る道しるべは、「言葉が語られた時代とはどのようなも のであったのか」、そして「イエスとは何者であったのか」 という問いの前にわたしたち自らが立ち返ること、そし てその問いを問い続けることではないのか、そう考えて います。わたしたちが現代に直面する現実からそれを 考える、それもまた、人生は旅、ではないでしょうか
11 月 3 日 へブル人への手紙12章 1~2 節 「証人の雲に囲まれて」 久保田文貞 今日の礼拝の案内ハガキに山頭火の俳句を挙げさ せてもらいました。「とんぼとまった ふたりのあいだに」 公園のベンチに一人座っていたらすぐ横にトンボが 止まっただけならどうということありませんが、二人の間 にトンボが止まって一挙に二人の世界がたちあがる。 二人が赤の他人かどうかなんて吹っ飛んでしまいます。 二人の間にトンボという喩が入って、一つの出来事が 始まったというメッセージのようなものを感じました。 さて、聖書には証(言)する、証人となる、という言葉 がキーワードのようにして出てきます。新約では、「証し する」の目的語は、キリストであり、キリストによってもた らされた救いの出来事になります。このような証言がキ リスト教を作ったと言えます。キリスト教徒になるとはこ の証言者の群れに加わることだと叩き込まれます。で も勘違いしてはなりません。私たちはキリスト教の証言 をただ正確に右から左に手渡し、できることならより多 くの人にそれを伝え、ついには世界をキリスト教に染め 上げるのだとするならば、それは原始キリスト教にはじ まったフライイングと言わざるを得ません。 証言ということがまず必要になる場は、裁きの場で の証言です。訴える側の証言がまずあって、訴えられ た者の弁明と証人の証言でそれに対抗する。使徒行 伝22章22節以後に、パウロがエルサレムのユダヤ人 によってローマ当局に訴えられ、ついに身柄を抑えら れ訴訟が始まっていく経緯が詳細に出てきますが、そ こではパウロがローマ市民権をもっていた(使徒 22:25) こともあって、結果はどうあれ、訴えられた側のパウロ の防御権は如何なく発揮されています。 しかし、イエスの裁判はそれとはまったく違うもので した。彼はユダヤ神殿勢力とその議会から、ユダヤ人 の王と僭称しているとローマに訴えられる。福音書に は明確に書いていませんが、それ自体ローマへの反 逆罪になるという論理です。ユダヤ議会の審問にもロ ーマ側の裁判でもイエスは弁明しません(マルコ 14:60、 15:1-4)。もし、弟子たちが「イエスは王などと自称した こともないし、反乱を扇動したこともない」と、証言して いたら、あのような判決を下せなかったかもしれない。 しかし、弟子たちはイエス逮捕のあと、逃げてしまった。 様子を窺おうとしたペテロも最後には「知らない」と言 って消えてしまった。つまり、誰も証言すべきことをその 場で証言しようとしなかった。そしてイエスは十字架に かけられ殺されたというのです。 証言すべき者が証言しなかったということが、その後 動きだす原始教会の証言の大前提としてあるのです。 たしかに次の段階で、現世の総体たる権力の下で、 十字架刑による死人として葬られたイエスは復活し、 今や私たちの主である、世界中の人の救い主であると 証言を始めますが、なすべき時に証言しなかったこと を罪と告白して済んでしまったような顔をすることはで きないでしょう。 では、ほんとうに証言すべきことは何だったのでしょ うか。それは、イエスが十字架刑によって殺されたのは 確かだが、ローマ帝国のようないかなる権力によっても イエスがもたらした福音を殺すことはできなかった。今 もそれは自分たちの間に生きているという証言ではな いでしょうか。十字架の死に至る前の、イエスが人々の 間でとった姿勢、生き方、語った言葉は、人々の間に 失われず残っていました。明日の生活に困っている人、 病や障害を抱えて人間仲間から切り離されている人、 病人を抱えて動きが取れない人、罪人として差別され ていた人、そんな人々の間に。福音書に集められた一 つ一つのイエスと民衆の間の出来事が物語っていると おりです。 証言は別に裁判の場だけで、発揮するものではあり ません。イエスから祝福を受けた幼児の母親が、「主 がこの子の頭に手を置いてくださったのよ」と、まるで 二人の間にトンボが止まったかのように、嬉しそうに語 る、それこそ証言の原型ではないかと思います。
2024 年10 月27 日(日) ローマの信徒への手紙第7 章14-25 節 「希望を目指したい」 飯田義也 いきなりわたくしごとですが、いま自宅で本の整理をしてい ます。 後見人等・・の仕事をしていると「人生の終わり」に頻繁に遭遇 します。さまざまな最期を見せていただきながら、ちょうどよく人 生を終わらなきゃと思うのです。・・が、実際にはなかなか本が捨 てられません。趣味の領域のCDなどはあっさり捨てたらいいの ですが、やはりなかなか捨てられません。 ・・と、ここまで書いてきて、あれ?パウロの「わたしは、自 分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、か えって憎んでいることをするからです」という言葉、そのまんまだ なぁと嘆息のかぎりです。もちろん、モノが捨てられない、みたい なことではなく、神様のために人生を捨てて新しい生き方をする ことができない、というレベルのお話なのですが。 わたしが若い頃、よく「あの牧師の説教には福音がない」とい う説教に対する感想を聞きました。もちろん本人には面と向かっ ては云わず、ほかの牧師にぼやくのです。福音、よい知らせ・・プ ロテスタント教会は、キリストによってあなたはいろんなしがら みから解き放たれて、救われるんですよ、というメッセージを中心 に語ってきたと思うのです。そのことによって浮世離れしてしま った面も大きいのですがね。 この第7章は「律法の支配からの解放」をテーマに書かれてい ると、とある注解書にはありました。先月説教で十戒を取り上げま したが、その「戒めが必要」にも通じているかと思います。注解書 はさらに続けて「それを律法論として展開するではなく、極めて具 体的に論じている」しかし単なる個人的な体験にとどまることも なく・・ わたしの一読後の感覚的なところでは「これ、聖書なんだぁ・・ ずいぶんそのときの感情で書いてる。いいのかなぁ」といった感じ でした。本音で書いてるというところでしょう。聖書の人間味、人 間だし古代の人である・・パウロの実像が忍ばれる文章だと思いま す。聖典として絶対化するようなことなく読みたいところです。後 世の人間から見て「パウロは惨めな人間である」みたいな結論にな っちゃうのは不幸です。 パウロは、ここで「内省」しています。手放しに「救われてう れしい」みたいなところに立ってはいません。 漢和辞典で「省」を引くと「注意して詳しく見る 安否を問う わきまえる」「はぶく のぞく 減らす 短くする」「目を動かして 詳しく見ること・・そこから『はぶく』に通じる」などとあります。 中国古代の賢人の一人、墨子は「いくら義の実践がうまくいか ないからといって、義を棄ててはいけない。大工をみるがいい。材 木がまっすぐに削れないからといって、墨縄を投げ捨てたりする だろうか」と書いています。 今日の聖書と同様のテーマが読み取れます。さあ、だから義を実 践するのだ・・という方向が墨子です。パウロは神様への感謝へと 向かいます。 その違いの前提として「罪」の自覚が大きな役割を果たしてい ます。 やはり漢和辞典で「罪」とは「道徳に反する行為 法律を犯す 行為 刑罰を科せられるべき行為」「しおき わざわい 災禍 と がめる」「人から恨まれるようなしうち 無慈悲なしわざ」とあり ます。 自分自身に義(律法)を実現する力がある、もう少し謙虚に努 力できる、という自己理解に立てば「義を見てせざるは勇なきな り」(こちらは孔子)となるのでしょうが、パウロは自分の罪を自 覚するので「自力で何とかしなきゃ」とはなりません。 結論的にはっきりとは言っていませんが、おそらくパウロの 言いたかった「律法からの解放」とは、決まりを破ったり守ったり しながら、そのことに拘泥するのではなく、新しい「神の律法」で ある福音に照らして自分を内省する。ということなのだと思いま す。 そして、神様への感謝へと向かうのです。 ものを捨てられない・・なんていうレベルで逡巡しているような 者に、キリストに従うことなぞできるでしょうか。これまでの人生 を捨てて「善を行う」人生へと歩みを変えるなど到底できそうもな いのです。しかし、いつの日にか・・と思っています。そうしたこ とを「希望」というのです。希望を目指したい。日本の国が今日の 選挙で希望を目指せるように・・なんてことも掛詞にしながらテー マを決めました。罪ある人間にも希望はあります。希望を目指し、 感謝の祈りを捧げたい。
2024 年10 月20 日 聖書 エレミヤ 29:1、4~14 フィリピ 3:7~21 説教「十字架を負う信仰」 豊島岡教会 南花島集会所 担当牧師 江口 公一(えぐち きみかず) 今朝、『日毎の糧』の聖書日課で与えられた旧約聖書のエ レミヤ書と新約聖書のフィリピ書から、私が示されたと思 ったことを語ります。 預言者エレミヤは、エルサレムからバビロンに捕囚とし て連れて行かれた民に手紙を書き送りました。「イスラエル の神、万軍の主はこう言われる。…家を建てて住み、…そち らで人口を増やし、減らしてはならない。わたしが、あなた たちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために 主に祈りなさい。」 これは、現代社会に生きる私たちのことではないでしょ うか。主なる神様が造られた天と地にあって、約束の地か ら連れ去られ、神ならぬ地上の諸力の捕囚として苦悩して いるのはまさに私たちではないでしょうか。それなのに、 主は、今いる「バビロン」の地で、神を知らない人を含む全 ての人の平和を主に祈って生きよ、主の民をその場で増や せ、と言われます。 「それは平和の計画であって…将来と希望を与える」と 言われるのです。「そのとき、あなたたちがわたしを呼び、 来てわたしに祈り求めるなら…わたしに出会」い「捕囚の 民を帰らせる」と言われます。では、私たちは本当にそのよ うに祈ることはできるのでしょうか?「時が満ちて」とは いつの事なのでしょうか? フィリピ書でパウロは牢獄にいます。3:8で「わたしの 主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、 今では他の一切を損失と見ています」と言います。ガラテ ヤ3:1に証言されているように、「目の前に、イエス・キ リストが十字架につけられた姿ではっきり示された」ので した。そして、自分は律法を守って神の義(正しさ)を生き ていると信じ共に人にもそうする様に求めてきた事は、十 字架のキリストの前には罪人そのものであった事に気が付 かされたのだと思います。 フィリピ書では続いて9節でこう証言します。「わたしに は、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰 による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。」 これはパウロの「信仰義人」の言葉です。義人の根拠となる 信仰を新共同訳では「キリストへの信仰」と翻訳表現して いますが、元となるギリシャ語を直訳すると「キリストの 信仰」と書いてあります。信仰義人を述べた別の箇所にも 同様の表現があります。これらも新共同訳では信仰行為の 主体が人であり対象がキリストである点では同じです。 ところがもう1つの解釈ができます。信仰行為の対象で はなく行為者がキリストであり「キリストが(父なる神を) 信じる信仰」となります。人の不完全で不安定な信仰で義 とされ救われるのであれば不安が募ります。そこから信仰 の成長という道筋が見えてきます。一方で信じなければ本 当に救われないのか、という疑問も出てきます。「キリスト が(神を)信じる信仰」と解釈するならば、ご自分を十字架 につけたローマ兵やなじった見物人を「彼らを赦したまえ」 と祈られたイエス様の祈りが共鳴します。神の子の完全な 信仰による万人の救いへの確かな希望が与えられると思い ます。 このキリストの信仰が私たちに与えられるのだと私は信 じています。今朝のエレミヤが言う「平和の計画」、「時が満 ちた時」、「来てわたしに祈り求めるならば」は、この事を指 しているのだと私には思えます。 その時、この悪に支配された牢獄のような地上に於いて、 十字架にかけられた「キリストの信仰」を心に書きつけら れ自分の十字架を負ってキリストに従う弟子たちの喜びの 行進の周りに、更なる罪人も加えられながら、約束の地、神 の国が実現していくのではないかと思います。
10 月 13 日 「散らされた豊かさ」 創世記 11 章 1~9 節 八木かおり チグリス・ユーフラテス川の定期的な増水(洪水)は、 被害をもたらすものでしたが、他方、それにより豊かな 穀物生産を基礎とした都市が成立する要因ともなりま した。今回の町の名はここでは「バベル」となっていま すが、これはバビロンを指していると考えられ、最後の 節にある「混乱」(バラル)を命名の起源とするため対 比させたものと言われています。本来のこの物語の主 題は、バビロンという都市文明に対する批判です。こ れは、バビロン捕囚を経験した人々のバビロンへの反 感と抵抗が反映されたものでしょう。 この地域では、前 3000 年頃には守護神を祀る神殿 (ジッグラト)を中心とする都市(ウル、ウルク、ラガシュ などが代表。ちなみにアブラハムはウル出身)が形成 され、最高の神官を兼ねる王が神の名のもとに君臨し ていたとされます。バベルの塔は、このバビロンの神殿 (聖塔)を指しています。実際には建設途中で放棄さ れたりはしていません。この物語は、また黙示思想の 終末待望、「こんな世の中なら終わっちゃえばいいの に」、またイエスの神殿批判にもつながるものです。 バベルの町の人々が「石の代わりにれんがを、しっく いの代わりにアスファルトを用いた」、これは異文化あ るいは新技術への違和表明でしょう(バビロン捕囚の 経験がありますから「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」状態 で全開です)。町の人々は「天まで届く塔のある町」の 建設に取りかかります。その目的は「有名になろう。そ して、全地に散らされることのないようにしよう」というこ とだったとされています(オリエント地域に成立した多く の都市国家の繁栄は、神の子孫を名乗る強力な支配 力を発揮する王への中央集権化を基盤とする例が特 徴ですが、それに対する批判でもあるでしょう)。 そのような事態に対し、「主(=ヤハウェ)」は、町の 人々の目論見を砕きます。「彼らが何を企てても、妨 げることはできない」ように、「彼らの言葉を混乱させ、 互いの言葉が聞き分けられぬように」してしまい、さら に「彼らをそこから全地に散らされた」ので、町の建設 は放棄されてしまいました(くり返しますが、事実では なく、「そうなっちゃえばいいのに」という願望が込めら れた物語だと考えます)。 そして、この物語はイスラエルの王国時代に成立し た資料に属するとされているものです。元々は王国に おける異教化に対して、預言者たちが提示したアブラ ハムを代表とする遊牧時代の伝統への回帰(実際、 続いて始まるのがアブラハム物語です)を説く系譜のう ちに物語られているものです。王国時代に始まるエル サレム神殿を中心とする民族共同体(王国)のかたち は、間違いなくオリエント文化圏の都市文明のひとつ でした。ソロモン王の時代には、周辺諸部族の神々も 広く受け入れられていました。そうした状況に抵抗した のがユダヤ教公認では後期の預言者たちであり、カナ ン定住後の農業を基盤とする中央集権化と富の蓄積 を是とする価値観と、遊牧の民の自主独立と相互扶 助を誇りとする価値観との相克でした。王国後期の預 言者は、ヤハウェを後者を体現する神として語りました。 創世記では神によって破壊された未完の塔と共に見 捨てられた町、その町が「混乱(バラル)」です。しかし、 翻って考えれば、間違いなく、それはわたしたちの「現 実」です。言語はひとつでなく、多様で、わたしたちは 世界の様々な地に住み、それぞれの暮らしを営んで います。 他方、イスラエルの民は、歴史のなかで「散らされる」 ことを、くり返し経験し続けました。そこから、むしろ現 在のイスラエル共和国のシオニズムを批判する人々は ユダヤ教徒のなかで少なくはありません。そしてむしろ、 わたしたちに与えられたのは、「混乱」した「多様な」そ して実は「豊かな」一元化されない世界です。それを 神の罰の結果として受け取ることを、わたしは断固拒 絶します。違っていることが祝福だからこそ、他者と尊 重しあうことが可能なのだと考えるからです。
10 月6日 マルコ福音書8章31~9章1節 題 「殺されると予告するイエスと共に」 久保田文貞 結局、前回と同じことを述べることになります。 イエスはガリラヤに暮らす人々の間に入っていかれ た。病や障害を抱えている人、罪人と烙印を押され て身動き取れない人、取税人と蔑まれ何をしても落 第者とされる人、身を売って暮らすよりない女性、 求められるままどんなこともするよりない年老いた 女性、一人一人に向き合い(今風に言う対面か)、神 が〇〇さんを目にとめ、〇〇さんを助け起こし力を 下さると伝え、実現される。その一つ一つの出来事 が人々を掻き起し、神の国が将来していると、そん な言い伝えがガリラヤの民衆から伝承されている。 それをどうして無視できようか、ここにこそイエス の福音が鳴り響いているはずだ、弟子たちもそんな イエスの活動の手足となって働いたのではないか、 …その出来事から 3,40 年経ったあと、マルコはそ れらの伝承を拾い集めて福音書を編みました。 あの偉大なる神が、なんで病者や障害者、罪人、 遊女たちのひとりひとりに貴重なその恵みを惜しげ もなく与えようか、彼らは神殿や律法が作り上げて きた共同体の外にこぼれ落ちはみ出した者、もちろ ん彼らも福祉の対象にならないわけではないが、あ くまで共同体が先にあってこその福祉、その順番を 逆にするわけにはいかない。イエスの福音は神を信 仰してユダヤ人社会体制を根本から毀してしまう危 険思想だ。それらが 2,3 の例で終わるなら眼を瞑っ ておけるが、明らかな律法違反を伴いながら、福音 と称されて共同体の外に出した人間たちが赦された だの、救われたのだという、これはもう許しがたい というわけです。マルコはパリサイ派や律法学者た ちがイエス運動に危機感を感じて、福音と同時に動 き始めたことを記したのです。 確かに天地を創造し人間の歴史を動かし律法や神 殿を通して社会の仕組みを基礎付けされた偉大なる 神が、そこからはみ出した人間を全精力を注いで恵 まれるなんてことがあるかとイエスに抗議する人間 たちの思いが分からないでもありません。そんなこ とを認めたら社会が総崩れになるでしょう。マルコ は、イエスの福音を一つ一つつぶしにかかってくる 彼らの敵意を書き記します。もとの伝承自体にかれ らのイエス批判、敵意が含まれていたかもしれませ ん。でもそれを覆い隠すことなく、つまりイエスの 福音は危険思想と見なされてきたことをさらけ出し ながら、福音書を書きあげていったのです。 今日取り上げる三度にわたる受難予告は象徴的で す。イエスはかれらの敵意を浴びて最終的に殺され ると弟子の前で独白します。ただし、それが〈十字 架にかけられ殺されて三日目に復活する〉(マルコ 8: 31、9:31、10:33-34)などの言葉はイエス死後に起 こった原始教会の信条(例えばⅠコリント 15:3ff)によ る創作でしょう(この信条の問題は追って取り上げ ます)。とにかくイエスは弟子や群衆と一緒に死を賭 してエルサレムへと旅立ちます(マルコ 10:32 など)。 ここに大きな問題が横たわります。イエスは売ら れたケンカを買うためにわざわざ死を覚悟して敵地 に乗り込むのか。神がひとりひとりに臨まれる福音 の現場を、離れる必要があるのか。この疑問に対す る一つの答えは、イエスの十字架の死と三日目のよ みがえりは(すべての)人間の罪の赦しのためだっ たのだというもの。つまり後のキリスト教であり、 そうやってイエスを神の子キリストと告白するペテ ロをはじめとする弟子たち、それに同調した異国に いるユダヤ人たち(ステパノやパウロたち)、そこか ら異邦人に伝えられた福音のもと生まれていった教 会の本体であります。 くり返しになりますが、この回答だけで簡単に済 ますことはできないとして、ガリラヤで苦悩を抱え て暮らすひとりひとりに向き合い福音を伝えたイエ スを対置したのが福音書編集者マルコだと思います。
9月29日 出エジプト記第 20 章 1-17 節 「戒めが必要」 飯田義也 今日の聖書の箇所は「十戒」です。民族が存続し ていくために「戒め」は 10(とう)位あればよいと いうことかも知れません。神様が仰せになった 10 の 戒めですから、文中「わたし」は神様「あなた」はイ スラエルの民(ヘテロの男性)です。 現代の視点では、明らかに男女差別がありますが、 権力を持っている者に対して「いましめている」と いう点では「パターナリズム」を弱めようとしてい ると見られなくもないでしょう。さて「戒める」で すが「あやまちのないように注意を与える」という こと。*前もって訓戒する。*禁ずる。制止する。 *再びあやまちを犯さないようにこらしめる。*ま ちがいをしないように前もって注意する。 まずは、エジプトを脱出したイスラエルの民に十 戒が与えられるに至る経過を見ていきましょう。エ ジプトでヨセフの子孫が繁栄したことから文章が起 こされていきます。大きな国家で、少数民族として 生きていて、その結果「虐待(EX.1:12)」され続ける のでした。民族差別を受けるようになっていたとい うことです。 紆余曲折あってとうとうエジプトを脱出すること になりますが、束縛から解放され自由になることは その日の衣食住に苦労することでもあったのです。 現代でもサラリーマン生活はきついけど、退職した らとたんに食えなくなるのに似ているでしょうか。 民はモーセに苦情を言うのでした。しかもエジプ ト軍が追ってきます。奇跡的に追求を逃れますが、 その際、歌い踊って感謝するというのも民です。そ して、人と人の間で起こるいざこざ・・。この頃の 社会学者は、少しセイカツに余裕ができたときに人 間関係の摩擦が始まると言っていますが、まさにそ のような感じです。指導者は民を組織化して、課題 解決のシステムを作って乗り切ります。モーセは妻 の父からアイディアをいただくのですね。他民族と の摩擦も生じ、戦争も経験します。そうした中で、 神様と放浪の民、神様の側から契約の提案がなされ る・・というのが十戒の現れる契機となっています。 こんな対照表が、説教準備の間に降ってきました。 出エジプト 戦後社会 1 抑圧からの解放 戦争の終結による解放 2 十戒 国連憲章 3 エジプトの追撃 東西冷戦構造・55年体制 4 荒野の彷徨 平和希求理念の空洞化 5 つぶやく民 生活困窮・食糧難 6 マナによる養い 戦後復興(科学技術等) 7 苦い水 オイルマネー等の利権 8 いざこざの解決 国際紛争と司法 9 対アマレク戦争? 資本主義の「勝利」 10 金の牛を拝む 拝金教・新自由主義 11 モーセ十戒を破壊する ←イマココ 国際的にも日本でも危機 1945 年 9 月 2 日、日本が降伏文書に署名したこと で第二次世界大戦が終わったわけですが、その直後 1945 年 10 月 24 日に国際連合が、 51 カ国の参加によ り設立されています。国際連合は、憲章によれば3 つの目的を掲げています。*国際平和・安全の維持 *諸国間の友好関係の発展*経済的・社会的・文化 的・人道的な国際問題の解決のため、および人権・ 基本的自由の助長のための国際協力。 その後、世界中どうなっちゃったんだろうと思う ような変化がありました。現代人は「金の牛」を拝 むことこそなくなったけど(もちろん一定数のカル ト宗教信者はいます)自分は宗教には関係ないと思 いながら、金に支配されてしまう者が多数派、金そ のものを拝んでいる人が多数派です。いわば「拝金 教徒」の世界になってしまいました。 二十世紀に与えられた十戒が割られようとしてい るところでしょうか、あるいは、すでに割ってしま っているのでしょうか・・。戒めは必要です。
9 月22 日 「身・息・心を調える」~音楽療法のお話~ 岩村 眞理 ○音楽療法 医療や介護の場では、さまざまな職種の人 たちが働いています。その一角に音楽療法士がいます。日 本音楽療法学会(以下、学会)では、次のように定義してい ます。「音楽の持つ働き(※1)を用いて、心身の障害の軽 減・回復、機能の維持・改善、生活の質の向上、問題となる 行動の変容に向けて、音楽を意図的、計画的に使用するこ と」…薬や手術によらない治療方法の一つです。(※1)音 楽の持つ働きは、 ①身体への働きかけ~生理的作用②心へ の働きかけ~心理的作用③認知機能への働きかけ~認知 的効果④社会性への働きかけ~社会的作用、以上4つが挙 げられます。 ○音楽療法士 音楽の持つ働きを道具にし、さまざまな 対象者=クライアント(※2)を支援します。音楽、音楽療 法、臨床(治療)の教育を受けた専門家が実践する仕事で、治 療行為になります。資格は、学会が認定する大学などを卒 業、または、資格取得必修講習会を修了し、別途、所定の専 門分野の単位取得、研究発表等の条件を満たすことで資格 取得試験の受験資格を得ます。その上で、筆記試験および 小論文を経て、実技試験・口頭試問に合格後、学会に認定さ れた『音楽療法士』と名乗ることができます。他に、兵庫県 音楽療法士会、奈良市社会福祉協議会、岐阜県音楽療法協 会などが地域独自の認定をしています。 ○音楽療法の歴史 必ず紹介されるのが、記録上、世界 最古の音楽療法と言われる『旧約聖書サムエル記Ⅰ-16 章 14 節~です。23 節「神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデ が傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分が良 くなり、悪霊は彼を離れた」…。今日的な意味での音楽療 法が行なわれるようになったのは、第二次世界大戦中の欧 米です。大量の傷病兵を出した米国は、野戦病院で心理的 外傷性ストレス(PTSD)を負った兵士たちに好きな音楽を 聴かせることで兵士が癒されたことから、再び音楽を治療 に応用することになり、音楽療法の教育が行われました。 日本では、 1950 年半ばから精神疾患に対する音楽療法が始 められ、欧米で学んだ先人たちが礎を築きました。組織と しては、 1995 年、全日本音楽療法連盟の設立(初代理事長: 日野原重明)から発展し、現在に至っています。 ○(※2)音楽療法の対象 出生前から終末期を含めた人 生すべての段階の人々と関わります。妊産婦、新生児、知的 障害・発達障害、身体障害、精神疾患、認知症、薬物依存症、 脳損傷、慢性疼痛、終末期の患者、もちろん健康な人にも。 提供する場所は、病院、リハビリテーション施設、デイケア 治療センター、高齢者施設、知的・発達障害児者にサービス を提供する機関、薬物等依存症治療プログラム、刑務所、学 校…、そして災害被災地での支援にも関わっています。 ○音楽療法の実際 音楽療法は、レクリエーションと並 べて語られることがあります。共通点は、音楽を聴く、歌 う、楽器などを演奏し、余暇を楽しく過ごすこと、相違点 は、クライアント一人ひとりの持つ症状=困り感に対し、 音楽療法理論を踏まえて展開することです。 ○音楽療法にできること~健康に生きるために ①身体への働きかけとして・歌う、音楽を聴きながら身 体を動かすなど、有酸素運動で体内に酸素を十分に取り込 みます・心肺機能や酸素摂取能力を向上させて、血圧の安 定を目指します・リラックスする時間を増やして生活習慣 病を予防します・サルコペニア(筋肉量の減少による身体 機能低下)、フレイル(虚弱状態)を予防します。②心への 働きかけとして・楽しみ、心の癒しや慰めとなって活力を 生み出します・脳内物質に刺激を与え、鎮痛効果、多幸感な どが得られます・顔面の筋肉の維持・改善、脳機能への刺激 が図れます・音やリズムが自律神経に作用し、副交感神経 の働きを促して免疫力を増加させます。③社会性への働き かけとして・集団で活動する中で役割を得て、生きがいを 持ちます・他者と交流してコミュニケーションを図ります。 しばしば、“音楽の力”という言葉が聞かれます。音楽療 法を知ることで、身・からだ、息・自身の呼吸、心・こころ に意識を傾け、その時々のご自分の健康を考える契機とし ていただければ幸いです。
9月15日 聖書:マルコ福音書9章33~37節 「偉いのは、だれ」 久保田 文貞 マルコ福音書は、洗礼者ヨハネが荒野から「悔い改めの 洗礼」を宣べ伝えることで始まります。荒野とは、せいぜい 修験者位しかいない人間社会の外側を象徴しています。ヨ ハネは外側から内側にいる人間たちに呼び掛けていること になります。イエスはその呼び掛けに応じ、ヨハネから洗 礼を受けたことになります。その後、ヨハネの弟子になる かのように、40日間イエスは荒野にとどまりますが、ヨ ハネが逮捕された後、ガリラヤへ行き、神の国の福音を宣 べ伝えるようになった。この構図を最初に記しているのは マルコであり、彼の創作だとは断定できないものの、ここ に着目しこれをもって福音書なるものを書き始めたのは彼 の独創だといえましょう。 著者マルコは、イエスがなぜ荒野という人間社会の外側 からメッセージを発信するのでなく、ガリラヤという内側 で発信するようになったという理由をはっきりと述べませ んが、その差を間違いなく意識し、その後のガリラヤでの イエスの活動を描いています。マルコによれば、イエスは、 神の福音をドグマとして人々に教えたのではなく、神の福 音の出来事を人々共に喜びをもって受け入れ、その中を生 きていくというのです。病を癒し、悪霊に憑かれたという 人から悪霊を払ったなどの伝承をかき集め、その情報が 人々を大きく動かしたこと、社会の弱者として放置されて きた人たちが第一の福音の受け取り手になっていったこと、 そうやって福音の輪が広がっていく様を描いていくのです。 ガリラヤの内部での運動の広がりは、当然人間社会の内部 での運動の働き手を必要とし、援助者たち(=弟子たち)が 早くから編成されていったことも記しました。 しかし、この運動の勢いに、直感的に危険を感じた人々 が現れます。ユダヤ教律法学者とファリサイ派によるイエ ス運動への告発と言ってよいでしょう。「罪は赦された」と 宣言し癒し行為をするのは神の権原を侵し神を冒涜してい る(2:6ff)こと、不浄なる罪人と同席し食事すること (6:16)、安息日規定に違反していること(2:23ff)な ど、イエス運動はユダヤ教の制度を、底辺から毀していく ことにならないか、イエスの福音運動がガリラヤ社会を大 きく動かせば動かすほど、彼らの疑念が大きくなり、もは や個別、一人の人間の救いのための一違反事件でなくなり、 体制全体を揺るがす問題になりかねないというわけです。 イエスの運動体内部でも、ユダヤ教旧勢力の対決を受け て、当然それなりの緊張が高まります。例えば論争物語(7: 1以下、8:11以下など)や、弟子意識の強化(8:27f、 9:2ff)と3回にわたるイエスの死と復活の予告(8:31 ff、9:30ff、10:32ff)など、この緊張の高まりを しめしていないでしょうか。 今日の聖書箇所「いちばん偉い者」(8:33-37)は、イエ スが2回目の受難予告の後に位置します。ここのイエスと 弟子たちのやり取りは、よく宗教説話などに見られる教え のように見えます。実際、原始教会内部にはじまって、その 後のキリスト教会の、われわれの時代まで貫通する基本的 な〈奉仕する〉ことの教えのように受け取られていないか。 イエスが子どもを比喩として、仕えることの象徴として、 もっと言えばこどもを出しにして仕えることの意味を教え ていることにならないか。いや、イエスは子を抱き上げて、 その子と向き合い、その子との間にできている世界に、弟 子たちを招いているのではないでしょうか。 いま私たちは北松戸教会50年史を作ろうということで 作業をしていますが、初期の歴史を見てみると、大人はな かなか集まらない。でも子どもはおもしろいように集まっ てくれる。そんな時、子どもを出しにしていなかったか、イ エスが抱き上げたようにほんとうに子どもと向き合ってい たか、そして子どもだけでなく地域の人々と向き合ってい たか、と少なくとも私は反省ひとしきりです。正直言って、 50年史の一コマ一コマがそのような意味で私の胸に刺さ って仕方ありません。もちろん、そうはならず、ほんとうに 子どもたちと向き合って、福音と人々の出会いを心から楽 しんでいた人たちが何人もいらっしゃったことも改めて思 い起こしていますが。
9月8日 「神の後悔×2」 創世記 6 章 1-22 節 八木かおり 創世記をしばらく読んでみようかな、と思っています。創 世記の内容は、天地創造から始まり、エデンの園の物語、 洪水物語、バベルの塔の物語を経て、直接にイスラエル の祖とされるアブラハム、イサク、ヤコブの3代の族長たち の物語、そしてヤコブの息子の一人のヨセフが一族をエ ジプトに引き取ることになったという経緯が物語られてい るものです。 ちなみに、続く出エジプト記から始まるのは、 モーセ物語です。天地創造を行い、そしてアブラハムを 初めとする遊牧の民と契約をした YHWH によって、エジ プト脱出と十戒を初めとする律法の付与が為されたという 物語の主軸に、レビ記、民数記、申命記と律法の詳細な 解説とエジプト脱出後のシナイ半島からカナン侵入直前 まで 40 年とされる荒れ野の放浪がエピソードとして追加 されていくという形になっています。 創世記から申命記までの5つの文書は、紀元前 400 年 くらいにユダヤ教における最初の正典とされたもので、ユ ダヤ教的には「トーラー」です。その後、他の文書が正典 として「ネビーム」「ケトゥビーム」と順次追加されていき、 現在のキリスト教で言う『旧約聖書』の原型が定まったの は紀元後 100 年くらいとのことです。ちなみに、キリスト教 がユダヤ教から分かれて成立したのは紀元1世紀代、そ してキリスト教の正典が確定したのは、ローマ帝国による 公認を経て、ローマがキリスト教を国教とした4世紀終わ りのことです。 という歴史の話をしてみましたが、近代以降の歴史学 は、「事実」に立脚することを基本としてきています。しか し、「事実」をどう認定するかは、必ずそこにおいて「解釈」 が行われますので、実はとても難しいことだと思います。 何らかの出来事は、記録されなければ残りませんし(知ら れなければなかったこと)、記録された段階においても、 それが客観的「事実」の記述かどうかの検証はその後に 委ねられることになります。 ノアと洪水の物語は、長らく忘れられていた「ギルガメッ シュ叙事詩」が、遺物として発見され、既に失われていた 文字が解読されることによって、そちらが原型であること が当時大きな衝撃として受けとめられたものです。現代 では、オリジナルの価値を尊重する意味で、パクリも盗作 も剽窃も、それはよろしくないものです。ただ、聖書レベ ルになると超古代のことですし、むしろ後の時代におい て唯一性を主張し、そこに正統性を主張したような宗教 のあり方への問いとして捉えるべきではないだろうか、より 多様な人々の交流と影響があったことを豊かさとして、恵 みとして捉える観点を持ち得る可能性がないだろうか、わ たしはそう考えています。 例えば、洪水物語における神は、とても人間的です。 また、この物語の前段となる6章冒頭の説明は、神の子 らが人の娘が美しいので妻にした、とか、それで生まれた 子たちがネフェリム、大昔の名高い英雄たちだったと語ら れていたりして面白いです。そして、それとは別に、人の 悪が増し、常に悪いことばかりを心に思いはかる人、肉な るものを見た神は後悔します。作るんじゃなかった、これ を地上からぬぐいさろう。家畜も這うものも空の鳥も(魚と かはなぜよかったんでしょうか)一緒に。これが、まず 最 初の神の「後悔」です(6:6)。ただ、神はノアのことだけ は気に入っていました。彼は、神に従う無垢な人であり、 神と共に歩む人だったからです。 神はノアに、地上の肉なるものを滅ぼすこと、そしてノア の家族と鳥、家畜、地を這うものがいくらか、それを逃れ るための箱舟をつくることを命じ、ノアはそれに従います。 そして、40 日 40 夜の雨によって洪水が起こり、地上の すべては飲み込まれます。そうした大殺戮が、神によって もたらされたという恐ろしい話です。たた、続く物語にお いて、後に神は、このことについても後悔します(8:21)。 そしてさらに、ノアと子孫、すべての生き物への永遠の 契約を結んだ(9章)というのが、この物語の最大の集約 となる部分です。いくら悪だろうが何だろうが、神自ら与え た命を奪うことはしない。神と世界に存在するすべての命 への祝福の約束です。それは同時に、神自らの殺戮と 後悔の果てに、命の尊厳への責任が地上に生きる者に 委ねられたということを物語るのではないでしょうか。
9月1日 ルカ福音書 6 章 20~26 節 「貧しき民の間の信へ」 久保田文貞 今日の箇所は、マタイでは 5 章以下の山上の説教 の冒頭の箇所、いわゆる 7 つの至福の言葉、それがル カ 6 章 20 節以下に共通しています。ルカでは 4 つの 言葉からなります。共観福音書研究においては、マタ イとルカに共通する Q 資料からの言葉になります。内 容に入る前に、編集者ルカがこれらの言葉が語られた 場の設定についてひとこと述べておきます。12-16 節 でイエスは山で 12 人の弟子を指名、そのあと 17-19 節、下山すると 12 人以外の大勢の弟子と、ユダヤ各 地からの「民」がいて、彼らは病気や悪霊からの癒しを 求めて集まっていたとなっています。19 節に「イエスか ら力が出て…」とあります。それはイエスが求められる ままに癒したということ、つまりここでのイエスは民に正 面から向き合っていないように見えてしまいます。そし て、20 節「イエスは目をあげ弟子たちを見て言われ た。」 こうして前に述べた Q 資料からのイエス語録が 6 章の最後まで続きます。それから次のくだりの初め 7 章 1 節、新共同訳はイエスは民衆にこれらの言葉をす べて話し終えてから、…」 となっていますが、原語の説 明は省きますが、どうみても田川訳「民に聞こえるとこ ろですべての言葉を語り終えたので」が正確。マタイと 比較してみても、ルカがかなり意識的に、弟子たちと、 その外側にいる「民」を区別していることが分かります。 6 章 20 節の田川の註には、ついに、「有象無象の 群衆が集まってきて、うるせえなあ、イエスはあんたら を相手にするよりももっとほかのことをしたかったのだよ、 というルカの冷たい感情が表現されている。」 と。一見 して、田川のこの苛立ちはルカに向けたものですが、 むしろここには後世のキリスト教への苛立ちが重なって いるのではと思います。 さて 20 節以下の内容について、ルカの設定によれ ば、イエスは従ってくる弟子たちに向けて言われる、≪ 貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのも のである。 今飢えている人々は、幸いである、あなた がたは満たされる。 今泣いている人々は、幸いである、 あなたがたは笑うようになる。≫(22 節についてはここ では省きます)ルカとしてこんなにひねった言葉を、一 般の民が理解できるわけはない。ただイエスに従う弟 子、つまりイエスをキリストと告白できるクリスチャンだけ だと判断したのでしょう。すぐ後の言葉、≪敵を愛し、あ なたがたを憎む者に親切にしなさい。…≫も同様です。 弟子たちの向こう側で、聞き耳を立てている民衆には わかりっこないと、ある意味、正直に、編集者ルカは思 っているでしょう。 そこにはどうしても福音を理解できる人間と、それを 理解できない人間を分断し、その上で階層化させてい く。その上でそれぞれの階層に、イエスの言葉や行動 をどう振り分けて伝えるべきかというような発想をするわ けです。まず中心に復活者イエス、次に 12 弟子に匹 敵する教会の指導者がいて、そのもとにイエスに従い、 洗礼を受け告白し、広義のイエスの弟子=信徒たち がいる。その外側に、イエスに関心を寄せるが結局は 自分の利益にならなければ従ってこない民衆、更にそ の外にパリサイ派らの敵対者。そこでもし、4,5 世紀こ ろのようにキリスト教が社会の表面に出てくれば、この 教会の階層はそのまま社会の階層化とかさなることに なります。社会にしろ、教会にしろ、階層化の問題とい うのは難しく考える必要がないかもしれません。要する に力のある者、豊かな者、賢い者たちがエリート階層 を形成し、下部の階層をリードしていく集団です。その 際、リードしていく者たちの倫理感が問われるわけでし ょうが、今日、最初に取り上げたイエスの言葉は、力あ る者、豊かな者、賢い者に正義の観念を注入し、彼ら を崇高な倫理に基づいた指導者たらしめ、よき社会を 構想しようなどというものとは真逆なのです。 イエスの言葉を間近で聞き従った人々(弟子)と、輪 の外からイエスの話を聞き取って、でも自分には力も 知恵もないし、いただくばかりでとても弟子の中に加わ れないと遠慮する人々とを、平然と振り分けてしまう人 よ、6 章 20~26 節の言葉を聞け、ということでしょうか。
2024 年8 月25 日(日) ルカによる福音書第10 章25-37 節 「サマリアの人になれるか」 飯田義也 今日は、二つの方向のお話ができるかと思います。一つ目は たとえられた「祭司」「レビ人」「サマリア人」・・イエス様はどのよう な現実を譬え話に託したのか。二つ目は現代(現在)の「追い はぎに襲われた人」とは誰を指すのか、そしてわたしたちには どのような行動が求められているのか。 1 たとえ話としての「祭司」「レビ人」「サマリア人」 祭司とは、神と人との仲立ちをする人、儀式を取り仕切る人 です。神様とお話しすることはむずかしいことです。いや、本当 はイエス様のおっしゃる通り全然むずかしくないのですが、人 間の思惑があって聞きたくない。そこで、特殊な儀式をすると か生贄をささげるとか、特別な修行を積むとか・・。現代ではそ れらが全て「献金」をするということに集約されていて、そのこと にも象徴的に宗教の一側面が現れていますがね。それに対し て、そうじゃない神様はいつでもどこでもわたしたちと対話が可 能なのだ・・という宗教の一側面。イエス様は断然こちらの立場 でした。プロテスタント教会もその立場を堅持していると・・思い ます。 レビ人も解説が必要でしょう。本来すべての祭司はレビ人だ ったのです。レビの部族の中から選ばれた人が祭司になるの でした。・・ので、イエス様の時代には単にレビ人というと「助祭」 くらいのニュアンスだったようです。 この祭司とレビ人は、追いはぎに襲われた人についてわか っているのですが避けて通ります。ここでの登場人物は宗教家 二人ですよね。政治家や軍人、商人、取税人とかではありませ ん。イエス様は当時の宗教的権威者のことを皮肉ってこの譬え 話をしていることがわかります。宗教というのは、本来人々の行 動規範の基礎となる必要があって、社会全体が幸せに暮らし ていけるための土台となる言葉、行為を指し示すことが求めら れるのに、その人たち自身が、実際に困窮に陥っている人を 避けて通っているじゃないか。・・というわけです。 さて、サマリヤ人です。エルサレムから見て北の地域イエス 様が育ったナザレなどもサマリヤ地方という意味では入ってき ます。エルサレムの人々からは何かと馬鹿にされた地域だった ようです。日本でも東京の人が「ダサイタマ」とか「チバラキ」とか、 今でも時折聞かれます。もちろんそうした言葉がいけないとい う共通認識は広がってきていると思うのですが。戦後すぐくらい の時期、東北出身の人々が何かと馬鹿にされたということも、こ のところは表立って出てこなくなりましたが、やはり根強く意識 にあるのではと思います。 その、理由なく馬鹿にされがちなサマリア人は、通りかかっ て、追いはぎに襲われた人を放っておけません。これは、イエ ス様ご自身や、初代の教会が、困窮者に対して実際に支援し ていたと、自負していた象徴です。 「追いはぎ」って、国民から重税を搾り取るローマ政府のこと なのかもしれません。そのように考えると、当時の政治的状況 や教会の活動など・・浮かび上がって来るようではありませんか。 まあ、それは考えすぎだとして、個人的な困窮者にどのように 寄り添うべきか、あるいは、べき論だけでなく、キリストの教会の 行動の裏付けがあって、生活規範を示せるのだということ。譬 え話の背景に横たわる現実がわたしたちにも伝わってきます。 2 現代の(現在の)「追いはぎに襲われた人」にわたしたちは どのように? ここでは「半殺し」・・というけれど、現代の社会では、半殺しど ころではない「皆殺し」が起こっており、わたしたちにも聞こえて きます。 今回、8月9日、被爆 79 周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念 式典において、長崎市は、イスラエル不招待を実施しました。 そのことから、アメリカ、イギリス、カナダ、フランス、ドイツ、イタ リア、欧州連合(EU)の大使が欠席するという事態に発展して います。長崎市の鈴木市長によると、長崎市は今年 6 月にイス ラエル大使館に対し、パレスチナ自治区ガザ地区での「即時 停戦」を求める書簡を送っており、その延長としての不招待だ ったようです。 欠席の7カ国については、まったく理はないと思いますが、 そこにもきっとさまざまな意見が飛び交うのでしょう。中立っぽく 戦争両成敗みたいなことでいいのかと思います。この辺りにど のようなスタンスで臨むのか、譬え話がわたしたちに迫ってきています。
8月18日説教 聖書:創世記22 章6~8 節 「国民の一人であること」 久保田文貞 毎年8月になると、私は『第二次世界大戦下における日本 基督教団の責任についての告白』(1967)を引っ張り出して 読む。前回(8/4)も取り上げたが、日本基督教団は国家の 圧力のもと諸教派が合同して生まれた(1941)。本来なら教 会の合同というのは、分断している複数の教会が一つにな って、主体的に宣教の務めを果たしていこうという決意の もとで合同するが、この合同を正当化することはできない。 敗戦後、教団の責任者は全国の牧師・信徒に次のような通 達('45/8/28)をする。「皇国再建の活路を拓くべし」、天皇 に対しては力乏しかったことを反省懺悔すると。だが、そ の後 GHQ は日本懐柔策の一つとして日本の教会を利用す る。戦時中の日本の教会の汚点を不問に付し、米国教会の 献金を日本の教会やキリスト教施設にばらまかせた。 当然だが、これらの教団の対応に批判が起り、一部の教会 は離脱していく。批判する側の論点は、教会が天皇制国家 に対して「信仰告白」をもって戦わずして屈したこと、つま り教団は教会の体を為さなかった、だから原点に戻って罪 を懺悔しやり直すべきだという主張。が、大勢は、そこまで やらずとも、教団の諸教会は反省し、戦後の民主的な社会 建設のため宣教に取り組めばよいと(もちろん、彼らがそ んなことを言明したわけではない。あくまで子どもながら に見ていた敗戦一年前生まれの私の印象である。)結局、戦 前から引き継いできた神学者、大(?)牧師が集って「教団 信仰告白」を作文し制定し(1954)、日本基督教団は継続し た。 こうして国家の圧力の下に協同した信仰告白なしに合同し た教団は、今度は神学者たちによる机上の作文を掲げて教 会の体を取り繕ったのである。それは「我ら信じかつ告白 す」で始まる。確かに「信仰告白」とは作文されたものを何 回も唱えればよいというようなものではない。神に向かっ て、我らは信じかつ告白すると実存をかけて叫ぶ人間と、 神との間に起こる出来事であるだろう。出来事という語で 意味しようとしていることは、それが神と自分たち自身の 間で完結しないということを意味する。自分たちが人間仲 間の間で互いに生活していくその所で起こっていく出来事 だということだ。 実は、ここまで述べてきたことは、ある意味で最初に挙げ た『第二次世界大戦下における日本基督教団の責任につい ての告白』(以下「戦責告白」という)が捉えた日本基督教 団の信仰告白問題に即して私なりに書いてみたものである。 けれども、そこにどうしてもある種の違和感がある。それ は日本という国家に対する立ち位置の差のこと。具体的に は後半に入って、次のように言う、「わたしどもがこの教団 の成立と存続において、わたしどもの弱さとあやまちにも かかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え、深い感 謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。」また 「まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたく しどもの教会もまたその罪に陥りました」と。 1967 年に教団常議員会が「戦責告白」を議長鈴木正久の名 で出すことを決めたわけだが、彼は「教会の罪と神の摂理」 という文章を『福音と世界』(67 年1 月号)に書いている。 カール・バルトを引用しながら「摂理は現状肯定ではない」 「現状にもかかわらず、である」と。この摂理理解に大塩清 之助らから批判が出た。その数年後に大塩らから何度とな くこの摂理問題をうかがうことになった。 摂理 (providence)という概念は日本語にはもともとない。聖書 的には創世記22 章8 節、14 節、父アブラハムが子イサク を神に捧げることになるかどうか切羽詰まったところで、 アブラハムはイサクに「神が備えて下さる」と答えるくだ り、そのラテン語訳から神の摂理という語が出てきている という。神が備えて下さる道を信頼して行け、余計な心配 をするな、それが神の摂理だというわけだ。神が備えてく ださる道を前に止まってしまうのではなんにもならない。 〈摂理だ摂理だ、そう連呼して足を動かそうとしないオマ エはなにさまなのだ〉と追及が来るのを覚悟のうえで言お う。〈自分がこの国に生まれ、日本人になっているのは摂理 なのだ〉というい方は控えようと思う。自分はこの国の国 民の一人だというのはほとんど必然のごとく前に備えられ た道に見えるが、それは神の備えた道であるというのとわけが違う。
8月11日 「私が考える平和」 皆さんからのメッセージ(敬称略) <11 日の賛美歌について> 〇飯田義也 讃美歌 162 この曲、新共同訳詩編 133 編そのままの歌詞が 歌われます。塩田泉神父の作曲。ここで出てくる アロンはモーセの兄。出エジプト記にはモーセと アロンの対立が描かれます。これは偶像の神への 崇拝と真の神への信仰との論争です。アロンは「金 の牛」を拝ませますが、民衆の人気は圧倒的に偶 像でした。この伝承を基に「ダビデの詩」として この歌詞が作られています。平和の課題に直結し た讃美歌だと常々思っています。 聖書は、カインとアベルから始めて、兄弟の対 立を執拗に描き、それは同根の民族同士の殺戮に もつながっていきます。きれいな歌詞の裏に、そ うでない現実が横たわっています。 <受付順> 〇竹内憲一 二度の世界大戦を経た今日、平和という言葉か ら戦争のない状態、戦力を持たない国家、国際社 会の在り方を広く想像することができる。旧約聖 書の平和観の問題は、現在の戦争の火種にもなっ ているので、留意が必要である。戦時下の宗教団 体法の下に成立した日本基督教団の歩みを振り返 る必要がある。平和と公害・環境問題を切り離さ ず、核の時代の地球環境を視野に置く必要がある と考える。 〇松浦和子 今朝の新聞一面は「軍事一体踏み込む日本」と 大文字で。一体化は指揮、統制面だけではなく、 迎撃ミサイルなどの共同生産も盛り込まれたと。 ―次の紙面には、イスラエル軍又もガザ中部の病 院を爆撃。子ども 15 人、女性 8 人を含む 30 人が 殺害されたと。・・・・ああ私たちは今、このよう な惨い現実の中で生きているのだと震撼‼ 報復の先には何が待っているのか。 今年も祈りの 8 月を迎えた。あの殺し殺された 悪夢が甦る。戦争の放棄、戦力の不保持を揚げた 日本国憲法がまぶしい。私の一念は非戦です。 〇篠崎蕗子 私は 4 才の時に終戦で余り記憶はありません。 庭の防空壕に入ったり疎開したりはしましたが空 襲には遭うことはありませんでした。日々ひもじ い思いはしました。学校給食の脱脂粉乳の味は忘 れません。 従兄の戦死や、従姉は満州赤十字病院、中満国 境で捕虜になり戦後すぐに帰れず「アカ」の教育 で、私の両親の悩む姿が忘れられませんでしたが、 しっかり自分を取り戻して 97 才で周り私達にい つも優しい心遣いで生きた人でした。 そんなことで、庶民の生活に戦は持ち込まない よう念じています。 「敗戦日記憶の中の蝉時雨」 〇久保田文貞 「日本人」を摂理としない わが家のテレビも wifi につながれ、世界中から 発信された情報や番組を好き勝手に見る。いやそ れ以上にすべての情報が好き勝手に作られている のを感じる。そんな中心にいる自分、これこそ最 大の錯覚だ。 最近のオリンピック情報を見ると「争いを好ま ない、でも強くて優しい日本人」式のものであふ れかえっている。やめてくれ。「ちょっとやさしく 【日曜礼拝】 午前 10 時半 前 奏 奏楽・飯田義也 旧約聖書 :旧約聖書 イザヤ書 57 章 18~21 節 (旧 1156 頁) 主の祈 (93 の 5) 賛美歌 162 番 聖 書 ヤコブの手紙 3 章 17~18 節(424-425 頁) 祈 り 平和を考える礼拝「私が考える平和」 祈 り 賛美歌 371 番(2,3,4) 報 告 賛美歌 37(1) 祝 祷 民数記 6 章 22 節以下 後 奏微笑んで近づくとなんでも OK する日本人」、それ が実態だ。岸田首相の顔を見るとすぐわかる。危 ない、危ない。 〇関秀房 「自分に出来ることから」 ロシアのプーチン、イスラエルのネタニヤフは 早く退いて欲しいと願う。世界中に紛争地域はほ かにも数多くある。そして紛争がないと思われて いる国でも、虐げられている人々は多い。我々は まずは自国・地域のことに関心を持ち何ができる かを考えてゆきたい。人それぞれが自分のできる ことから始めてみたい。 〇関惠子 「日本で軍事を語るということ」 について 表題は最近ロングセラーになっているという防衛 研究所の高橋杉雄氏の著書名だ。 「平和を創りだす」とか「戦争をしない・させな い」とかではない。この教会も私の仲間内でも 軍 事 などという言葉やテーマでものを考えること になれていない。拒否敬遠の対象に違いない。世 の中は多種多様な人々に満ちている。ロシアが始 めたウクライナ侵攻以来戦争が日常化した。ジェ ノサイドを誰もが目にしている。無関心ではいら れなくなった。どこか遠くの地で起きている戦争 と高をくくって見ないふりの生活に明け暮れても、 頭のどこかで後ろめたさや怒りや戦争をヤル人々 へのさげすみなどがザワついている。「安全保障論 には大前提として戦争を防ぐという目的思想があ る」「相手によっては外交で同じ土俵に上がれない こともある。」とその人は言う。私たちは何を求め れば良いのか。 〇北島康子 2024 年 平和の文章 九段にある「しょうけい館」というのがある。 戦傷病者資料館で、先日そこを訪れた。戦争で手 や足を失ったひとの体験が語られていた。義足や 義手の展示もあった。子供の頃、上野や浅草に行 くと戦闘帽に白装束の傷痍軍人が楽器をならした り、歌を歌ったりしているのをよく見たものであ る。子供だった私は、見てはいけないんじゃない かという気持ちと、何が怖いのかわからないけれ ど「怖い」という気持ちがあり、でも義手や義足 が不思議で、腕や足は本当はどこかにあるんだろ うなどと思っていた記憶がある。一緒にいた父は よく「傷痍軍人を見ると、なんとも言えない気持 ちになるな」とつぶやいていた。 一番考えさせられた展示は、傷痍軍人の結婚を 国が斡旋して、その妻に傷痍軍人の世話をさせる、 ということが国の施策だったことである。脊髄損 傷になった夫を乗せた車椅子を、妻の体が斜めに なるくらいに力をいれて押して山道を登っている 写真があった。写真に写っているふたりとも幸せ であってほしいと願わずにはいられなかった。戦 争は絶対ダメだな。 〇三宅 緑 「苛政は虎よりも猛し」という言葉があります ように、増税に次ぐ増税が行われている今が平和 だとは思えません。現時点が平和ではない証拠を 探すのは簡単ですが、陰中の陽と言いますか、泥 の中から蓮の花が咲くようなところに平和への希 望を見出していきたいと思っています。 去年の夏、高橋さんから頂いた朝顔が、何と今 年も花を咲かせています。それがこのような時代 にあっても私の心を励ましてくれます。 〇加納尚美 8 月 9 日に映画「オッペンハイマー」を見た。 科学者、軍事産業、政治、世論が一丸となり原爆 を開発。映画では途中で物理学者たちは気づく。 地球そのものを破滅させる力を持つことを。しか し、巨大な破壊力を持つ爆弾は巨大システムの下 に最後は政治家が決定し、広島、長崎に投下され た。その後の世界を私たちは生きている。
8月4日 説教 聖書:マタイ福音書 5 章 14~16 節 題:「灯を燭台の上に」 久保田文貞 次週「平和を考える礼拝」という名称に違和感を覚えるかた かたがあるかもしれない。しかし、教会に通ってきた人は、 いつのまにか、次のような在り方に慣れてくる。〈平和は神が 人に与えて下さる恵みの一つの形なのだと。礼拝や日ごと の祈りの中で、神に平和を下さい、また、その平和のために 働けるよう力を下さいと、祈りる。こうしてこの世界に、小さく 見えてしまうけれど、光輝く真実の平和をおぼえ感謝します と頭を垂れる〉と。イエスの福音から照らし出される平和の神 への礼拝行為を、一つの在り方として選び取ることに異論は ない。というより異議なしと言いたい。 でも、礼拝行為は、キリスト教だけのものではない。呼び 方はどうあろうと宗教的なふるまいに共通して見られるもの だ。私たちの礼拝も、その一つだと認めざるを得ない。旧約 聖書から見えてくる古代イスラエルの時々の礼拝儀礼も、隣 邦の民の礼拝儀礼(それをどんなに偶像崇拝だと貶めようと) も、多様な礼拝の一つにすぎないのだ。それを認めつつ礼 拝することの難しさ! この問題は、現代も解消していない。「君らの礼拝はおか しい。人間の教祖様を神の如く礼拝すべきではない。私た ちこそ真の神を礼拝している」と。説得力のある議論とはとて も思えない。今なお強烈な共同意識を産み出す礼拝行為が 競われ、他に対して敵意をむき出しにする。そして宗教が戦 争・人間同士の殺しを正当化してします。 キリスト教の礼拝は、そのような礼拝ではありませんと力説 しても、何度も同様の過ちをしてきた。わが日本基督教団は、 大戦の前夜(1940 年)国家の圧力のもと諸教会が合同した。 日本は朝鮮半島、満州、中国、東南アジア、太平洋地域の 防衛と経済的繁栄のためと称して「大東亜共栄圏」を築こうと したが、教団はそれに協力して「共栄圏」諸教会に手紙を送 った。新約の書簡を気取って、各地の礼拝で読み上げても らおうとでも思ったか。 60年くらい前、私の母教会の戦時中の週報や月報を調べ ていた時、月の第一日曜日礼拝を「振起日」とし、礼拝の前 に「宮城遥拝」という項目を見つけた。教団から通達があっ たらしい。諸教会は特高警察の検索を恐れ、礼拝順序にそ れを書き入れ実行したのだ。遠藤周作が描いた、したたか な転びの一つなのかもしれないが。 ほとんどの人間仲間は、難題にぶつかると共同して事に 当たり、共同体を形成した。そこに何らかの中心が生み出さ れ、礼拝行為となって共同体を強固なものとした。聖書を待 たずとも、そこにはどうしても無理があって、異分子を排除し ての共同体形成になってしまうのだ。さらに共同体が敵を確 認すれば、一層強い連帯が求められる。宗教礼拝行為はそ の矛盾をもろに引き受けてこなしてしまう。いま述べたことは、 宗教の一般論でしかないと言われればその通りだが、日曜 ごとに礼拝を重ねる私たちは、つねにこれをただの一般論と して知らん顔できない。礼拝において膝まづき、自身を捧げ る姿勢をとる自分が思い浮かぶが、その礼拝行為はそれで 自己完結するわけではない。どんなに秘儀めいていてもそ の行為が外の世界になにかを発信する。つまりは何かを産 み出す。 礼拝する中でそういう自分を見ておく必要があるのではな いか。礼拝者としては不埒かもしれないが、礼拝の中で、誰 の何を聞き、誰に何を語るか、外に出て誰と何をするか等々、 〈考える〉のである。 そこで、イエスの言葉を思い出す。「また、ともし火をともし て升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、 家の中のものすべてを照らすのである。」 最初の教会の 人々は、これこそ自分たちの存在根拠(レゾンデートル)と受 け取ったろう。(マルコ 4:21、ルカ 8:16、11:33、またヨハネ 8:12 も 共観書のこれら言葉と無関係ではないだろう)彼らは勢い余 って自分たちの群れが、この世に向かって光り輝くべきだと 自負しただろうか。しかし、錯覚してはならない、自分はとも し火を持つだけ。火そのものではない。だが、ともし火をもっ てどこにいるか、いくかは、私たちに託されている。 人から「その火は何か」と問われれば、考えて答えなけれ ばならない。
7月28日 マタイによる福音書第13章44-46節 「大切なこと見つけて」 飯田義也 今日のイエス様の譬え話は、一通り読むと「そうだよなぁ」と通 り過ぎますが、少し引っかかると、不思議な譬えでもあるように 思います。 一点目、天の国とは、わたしたちが理想とする地域社会が実 現されているところ・・と言っていいと思いますが、イエス様ご自 身はあまり説明してないといっている注解書がありました。確か に、いろんなエピソードに天の国のヒントがあるのですが、理詰 めの説明は見ないかも知れません。 次の点。注解書で、宝を見つけた人も真珠を見つけた人も、 誰に言われるでもなく、宝を手に入れたいと思って行動してい る。それなのに、現代の読者には、なんとなく命令されているよ うに感じてしまう。・・とありました。確かにそういう感じ、しないで もありません。 さらにもう一点、最初の譬えでは、畑に宝が隠されているので すが、この人の次の行動は宝を掘るとか、みんなに宝のありか を知らせるとかではなく、畑を買うという手段に打って出ていま す。なんとなく何か意味が隠されているような気がします。 ここで「大切なこと」をリストアップしてみましょう。考えた末出 てきたわたしの「大切なこと」 1 子どもの頃言われて大切にしてきたこと ・人に親切にしてあげましょう(よきサマリヤ人)・平和を大切にし ましょう(山上の垂訓)・人からしてもらいたいことをしてあげよう (黄金律)・感謝のお祈りをしましょう(主の祈り)・愛し合いましょ う(ヨハネの手紙・ただし抽象的すぎた) 2 大人になってから大切にしなければと意識したこと(読んだ り聞いたり) ・ダブルスタンダードはいけない・差別しないこと(他者に敬意 をもって接すること)・マイノリティ(LGBTQ・・のみならず)の 人々を意識して行動・発言すること 宝物である「天の国」は、なぜ最初の譬えでは畑に「隠されて いる」のでしょうか。天の国は、簡単に「わかったぞ!」みたいな ことじゃないからでしょう。価値があることはわかる、・・わかる人 にはわかる・・けれどもすべての人に明快に示されているわけ ではないのです。なんとなく命令されているように感じたのは 「わかるけど、そんなに価値があるかなぁ」という感じで半信半 疑だからじゃないでしょうか。 真珠の譬えの方はどうでしょう。売り物として売られているとこ ろに遭遇したのですよね。買おうと思ったのは、自分が思う価 値以下で売られていたからでしょう。商人ですから真珠の価値 はよくわかっているのです。そして「テンバイヤー」?・・転売し てさらに儲けようと思ったのでしょうか。わたしは、この商人が生 涯持ち続ける宝物として真珠を手に入れたのではないかと想 像しています。あまり価値のわかっていない人が高くなく売りに 出してしまうのが「天の国」って思うと、少しシニカルな苦笑顔に なりそう。 そうだ、もう一つ大切なこと。 3 子どもの頃から繰り返し聞かされたこと ・神様に愛されて生きている(恩寵無限) 祖父が晩年、繰り返し色紙などに書いた言葉が「恩寵無限」 でした。人間は一人ひとり、神様に大切にされ、愛されて生き ているということです。これは無条件です。よい子にしている (善を行っている)ときは誉めてやるけど、・・みたいなことでは なく、欠点や矛盾しているところまで含めて、そのままで神様は わたしを、皆さんお一人おひとりを、大切に思い愛していらっし ゃるということです。 こうしたことを曲がりなりにも大切にしながら生きてきて、しか し、流されもしたりしながら生きてきて、どうだったかといえば、 残念、最初の問いにかえってしまうのです。 神様の愛に生きるって、自分でできることは本当に小さなこと だけだなぁと思ってしまいます。日本の社会全体で、なんでこう なるのというくらい、それらのものが大切にされていない現実が 立ちはだかっていることに、改めて気づくのです。 今や、畑で宝を探そうにも、すべて埋められてビルだらけに なってしまっています。掘り出し物の真珠を見つけようにも真珠 に「ブランド」という何の価値もない言葉のふりかけをかけて、法 外な値段で売っているものばかり。新たに宝を見出す人は果 たして現れるのでしょうか。畑を買おうと、教会の門を叩いてく ださるでしょうか。
2024.7.21 聖書 ヨハネ福音書 16章33節 説教「あなたがたはすでに世に勝っている」 板垣弘毅 北松戸教会の出発点では、「日曜集会」と命名し、廃材の垂木に白 ペンキを塗って家の壁に打ち付け、北松戸伝道所という、看板を下げ る以外、まずキリスト教、教会の伝統から離れて、集まった方たちと共 にイエスの福音に迫りたい、と考えました。聖書なんて初めて、という人 も含めてあたりまえの教会を目指しました。私と久保田さん個々には、 神学校闘争の課題を負って、互いに、また個々に取り組んでいきまし た。私が関わった最初の20年、キリスト教には2000年の歴史があり、 聖書学だけでなく、教理、神学思想、またその周辺の哲学、思想も久 保田さんとの勉強会、仲間での自主講座、また単独でやりました。吉本 隆明という思想家の「とにかく自分の頭で考えぬくしかないんですよ」と いう言葉が、私には人生の励みになりました。…… 「半径5キロで世界と出会える」を自分の合い言葉にして、自分の足元 の事柄や関係と深く付き合えれば、普遍的なところにでられると思って きました。久保田さんと私は、聖書を読む角度はかなりちがいますが、 神学校での問題提起を、それぞれに、いわば人生をかけて考えて実 践してしまったことは事実だと思います。きょうはわたし流にヨハネ福音 書の言葉を皆さんと味わいたいと思います。 「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたし は既に世に勝っている」 この福音書では、イエスは、時と場所を越えた「永遠の光」と、告白さ れます。何しろ冒頭に、「始めに言があった。言(ことば)は神と共にあっ た。」と記されます。「言」とはイエスのことです。すべてのものはこの「言」 から造られ、「言」には「命」があり、この「命」は人間を照らす「光」だった、 と描かれています。描かれていると言うより、著者の信仰の告白です。 「光は闇の中に輝いている」。 教会を取り囲むユダヤ教側の圧力も、教会にとっては闇の力でした。 ヨハネ福音書では、イエスが「わたしが道なのだ」と断言します。言い 換えれば、闇の中の光であるイエスの光を浴びていなければ、救いに 至らない、とヨハネは告白します。 他の福音書によれば、世の中の底 辺にいる人にとって、イエスの存在そのものが光だったんです。わたし にはこのユニークなヨハネ福音書もそう読めるようになりました。イエス を「光」として体験した人がいたのです。 「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたし は既に世に勝っている」 これは 困難の中で内部を固めようとする教 会の発言なのかも知れません。ヨハネ福音書の背景では「世」といえば、 自分たちを抹殺しようとするユダヤ教社会で、潰されないように必死で 自分たちの信仰を確認し励まし合っている集団だったでしょう。教会で なくても、「すでに勝っている」というデマゴギーを、たとえば戦時中、侵 略戦争を正義のための聖なる戦いと、また敵国を鬼畜といって、日本 国家はほとんどの国民を欺いています。 しかし、この聖句の読み方は、それだけではない、というのがきょうの お話で私が伝えたいことです。 7月7日の説教でも「通常の時間感覚を奪うような危なっかしい物語が ヨハネ元福音書なのだが、これをお行儀よく修めない方がいいだろう」 と結ばれていて、わたしも同感です。ただこれは少し距離を置いた解 説者、評論家の立ち位置だと思います。そのクールさが久保田さんの 一貫する立ち位置で、魅力だと思いますが、わたしはイエスというでき ごとへの共感、言葉を超えた響き合いを伝えたいと思ってきました。 この箇所も、動揺する教会信徒に、異物排除的に内部の結束を呼 びかけた言葉の一つ、なのかも知れません。しかし一方で、この一句 にかけて、イエスの、あの無条件で開放的な福音に近づく信徒もいま す。それは聖書批判とは、また別の「できごと」です。言葉には限界が ありますが、不完全で不十分な言葉を越えて働く力があると思います。 聖書の一句に込められた、ひとりの信徒の思いがあるものです。きょう の聖句は、東京の人通りの多い商店街にあった民家の玄関に、町内 会の掲示板くらいの大きさで、白いペンキの上にくっきりと書かれてい たものです。その家の主(あるじ)夫婦がどんな思いであったか聞いたこ とはありませんでしたが、教会だと思ったという通行人もいました。その 主(あるじ)は、ガダルカナルと沖縄で次男と長男とを失っています。 その主(あるじ)とは妻の祖父で、かなしみは呑み込んで寡黙で、飄々 とした風情でした。下町の教会で、日曜日の礼拝、水曜日夕方の祈祷 会は必ず出席し、わたしの目の前を歩いていました。焼け跡の残る下 町にあったその教会に、私は6歳頃出会っています。でも、わたしの人 生で一番暗闇だったと思えるときに、一度だけこの祖父から力をもらっ たことがありました。…… 結婚後、戦死した二人の遺品や手紙を整理することもあり、かけがえ のない人を戦争が奪ったとも実感します。そこで改めて、祖父の掲示 板の聖句が、深い意味をたたえて届いてきました。沖縄戦で死んだ兄 の残したある本には、表紙裏に日付とともに「明日入隊。本日読了」と 書かれたドイツ語の経済学書もありました。祖父母の苦しみは想像を超 えます。…… 世の中がいかに暗くても、イエスはその闇に点った光であり、イエス ご自身が、その光に至る道なんだ、という信仰告白が、玄関の掲示板 でした。以下略。(全文は板垣まで。きょうが体力的に北松戸での最後 の説教のつもりです。)
7月14日説教 「あなたは罪を支配せねばならないよ」 創世記 4:1-16(旧 5-6) 八木かおり 今日の題の新共同訳は、「お前はそれを支配せねばな らない」、口語訳だと「あなたはそれを治めなければなりま せん」です。そしていずれも「それ」という語は前段の「罪」 という語を受けているものです。そして、これは、エデンの 園から追放されたアダムとエバの息子のうち、兄カインに 向けて神が語りかけた台詞です。 物語は、兄カインと弟アベル、この二人におきた確執を 語るものです。成長した二人のうち弟アベルは「羊を飼う 者」となり、兄カインは「土を耕す者」となりました。そして カインは「土の実り」、アベルは「羊の群れの中から肥えた 初子」を、それぞれ主に捧げました。ところが、主はアベ ルとその捧げ物に「目を留め」、カインとその捧げ物には 「目を留められなかった」、そのような主の対応について、 カインが「激しく怒って顔を伏せ」たことに対して、主がカ インに語りかけたことの最後の部分を取り出してみました。 この物語は、恐らく、聖書の物語のなかでも、その「理不 尽」が際立つ代表のひとつみたいなエピソードだと思い ます。例えばこれについての解説の例としては、後にア ブラハムをはじめ、土地を所有しない「羊を飼う者」たち、 およびその子孫と契約を結ぶことになるのが聖書の主な る神であるという観点から、だから主は羊を飼うアベルを 顧み、他方農民となったカインを無視したのだという解釈 もありますし、また、アベルの方は、特に「肥えた初子」と いう特別の捧げ物をしたことが顧みられた理由なのだと か、いろいろな説明があったりします。この遊牧民を祖と する伝承は、王国時代のエルサレム神殿における儀礼、 さらに背信の後に成立するユダヤ教の信仰と儀礼の基礎 となるものですし、それはキリスト教においては神の「独り 子」の死を「購い」とする「救済」にも結びつけられて神学 化されていくものです(これも究極的に大概「理不尽」だと わたしは正直思っていますが)。 アベル殺害の前後とも、主はカインに語りかけています。 憤るカインには説得を試みるのですが、カインはそれを 拒絶し、アベルを殺してしまいました。そのカインに、再 び主は語りかけますが、再びカインはその問いかけを一 旦は拒絶します。そこで重ねて主がカインの所業を指摘 し、その結果を告げたところで、カインは我に返って主の 庇護を求めたことでそれが叶えられたというストーリーで す。離反していく人間と対話しようとする神の側のありよう が語られています(ただし、人間同士でこれをやるとスト ーカーですけれど)。その後、カインは、アブラハムに連 なる直系ではない(そちらはアベルが殺された後に生ま れたセトの系列とされている)ものの、アベルを殺害した 報いとして「さすらう者」となり、ノド(さすらい)の地に住み、 また彼の子孫にあたるヤバルは「家畜を飼い天幕に住む 者の先祖」、ユバルは「竪琴や笛を奏でる者すべての先 祖」、トバル・カインは「青銅と鉄でさまざまの道具を作る 者」となったと語られています。主は、カインがアベルを殺 害した報復を受けることを阻止しました。 カインは、どうしたらよかったのだろうということを考えま す。彼の怒りは、そもそも理不尽な扱いをした主に向けら れるべきではなかったでしょうか。「支配せねばならない」 とカインに語りかけた主は、やっぱりさらに理不尽だと思 いますが、カインのアベルに対する行為は、やはり「やつ あたり」です。怒りを向ける相手を間違ってしまう、それが 「罪」なのだと指摘することができる話なのではないでしょ うか。やっぱり、理不尽ですが。
7月7日説教 「復活を生きる人々」 ヨハネ福音書11章17~27節 久保田文貞 前回(6/16)はヨハネ 15 章をとりあげ「イエスの愛にとどまる」 という題、今回は「復活を生きる」という題。表の看板を見る人 は、「ああ、懲りずにキリスト教をやっているな」と思われるだ ろうか。でも、北松戸の中身を御存じの方は「どうした、大丈 夫?」といぶかられるかもしれない。実は前回、はっきりと申 し上げなかったが、15、16 章はヨハネ原福音書に、後代の ある編集者が書き加えた部分のひとつとされる。この説は、 近代聖書学の一学説。田川の『訳と註』5 巻に詳しい。ごくざ っくりというと、原福音書は、十字架にかかり復活した神の子 イエス・キリストが、闇にいた我ら(弟子やヨハネ共同体)に光 と命を与えてくれていると。しかし、世は依然として闇にあり、 イエスにおいて起こっている出来事が理解できない。その 代表がユダヤ人とされる。イエスを信じる共同体は、この今 を復活した神の子イエス・キリストと共に歩み通すことだとい うわけである。 これに対して、これを読む次世代のリーダー(改訂版編集 者)は、ある種の物足りなさを感じたか、より確かな共同体の 結束を図るためイエスの名で言葉を付け加えた。《わたしは まことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 わたしにつ ながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれ る。》(15:1)、《わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛 し合いなさい。》(15:12)と。会員みんなに共同体倫理を課し たわけだ。これと無関係ではないが、編集者の大幅な修正 点として、共同体員が復活するのは今でなく、未来の終末時 だ(ヨハネ 6:51~58)など。確かにヨハネ原福音書には微妙な 危険が孕んでいるのが分かる。すなわち、ヨハネ 11 章23 節 以下、そこには、「終わりの日の復活」ではなく、今や復活し たイエスの前で《わたしを信じる者は、死んでも生きる。 生き ていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。》 と宣言される。マルタはその言葉の通り、4日も墓に葬られて いたラザロが復活していることを知る。11 章ラザロ復活譚は、 イエスが最後にエルサレムに入城する寸前の話、それ以前 の数々の物語の総決算の話といってもよい。原福音書として は、ラザロ復活譚が単にラザロだけが特別に復活しただけ ではないのだ。原福音書に登場する神の子イエス・キリスト は、最後にエルサレムで十字架にかかって死に、そして復 活した神の子キリストなのだ。この福音書を前に、人間が想 念する時間軸は総崩れにされる。一章から現れる神の子キ リストは、あの十字架に死に、復活した当のキリストということ になる。常識的にはそんなバカなと思うが、よくよく考えてみ れば、我らが信奉する時間軸は近代科学が仮設したものに すぎないと言えなくもない。それが多くの了解を得るとは思 えないが。 原始キリスト教の本体は、それぞれ微妙に異な るが、パウロも、ルカも、マタイも、結局復活したイエスは天 に上ってひとまず神の右に座し、やがて未来の終末の時点 に天から下り、「生ける者と死せる者を裁く」という点に集約さ れていく。しかし、少なくともヨハネ原福音書はそれに抵抗し ていることになる。だが、共観福音書と別の視角から描いた ふくよかな物語を捨て難かったのか、編集者が加筆修正し、 この共同体の人々もまた終わりの日の復活につなげ、新約 正典の列に入れてもらったというわけである。 「で、それがなに?」と言われるとちょっと言葉に詰まるが、 次のように言っておこうと思う。〈人みな自分の現実を、家族 の間で、労働する仲間の間で、友人の間で、周辺の生活者 の間で、起こっている問題にどう判断し、発言するか、誰のと ころに行って力を出し合うか選択し、…生きる。だが死は、闇 将軍のようにしてそのひとつひとつをつぶし、否定し、動か なくする。私たちは恐る恐るだが、死者を前にして学んでき た。だが、イエスに出会った者は、彼の死からの復活を知ら されて、私たちの生きることと死ぬことの通念が根底からひ っくり返されることを知る。他者の死を通して普通に学ぶこと は、「もうダメだ」ということだったが、ここでは「でも生きる」「再 び生きる」「ダメなんて言わない今を生きる」であって、それ はやがて来る「終わりの日」のことなんかではない、いま「復 活者は生きている」「君らもその復活を生きている」。それで いいじゃないかと。通常の時間間隔を奪うような危なっかし い物語がヨハネ原福音書なのだが、これをお行儀良く修め たりしない方がよいだろう。
6月30日 「踏み誤らずに」 ルカによる福音書第 5 章 1-11 節(新 109 頁) 飯田義也 「イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると」と始まりま すが、新約聖書ではここでだけスペリングが違います。辞書 には、湖の北西の地域がゲネサレの野(原野という感じか・・) と呼ばれていたところからそういう呼び名もあったと言うような 説明がありました。旧約聖書には確かに「キンネレテの海」と いう表現もあって、キンネレーというのは竪琴のこと、こちら の名前は形が竪琴に似ているからだそうです。「おおうみ」 が近江の語源だったり「淡海(あわうみ・おうみと読んでもい い)」ということや「鳰(にほ・カイツブリのこと)の海」と呼ばれ たりして、琵琶の形に似ているから琵琶湖だったりするのと なんだか似ています。ガリラヤ湖はパレスチナで最大の淡 水湖です。パレスチナには行ったこともありませんが、なんと なく乾燥している地帯であるように思っています。イエス様は そのような地域で淡水の大きな湖を擁する、水の豊かな地 域で活動されました。 「神の言葉を聞こうとして」 プロテスタント界隈では「説教は神の言葉」だとよく言われ ています。イエス様の時代、議論を一つに絞り込むような強 力な神学者がいたわけではありません。現代のわたした ち・・特に「牧師」と呼ばれるような人たちが「神の言葉」という ときのような厳密な定義はなかったでしょう。今まで聞いたこ とのないような有益な情報であれば「神の言葉」と言われたと しても不自然ではありません。情報を広める手段は口コミし かありませんから「ナザレのイエスっていう人、神の言葉(目 新しい楽しい情報)を語るらしいよ」というような伝え聞いた話 を基に行動するわけです。じゃあチャンスがあれば聴きに行 ってみようか。そこに「ゲネサレ湖のほとりにナザレのイエス がいらっしゃるってよ」と伝える者があり、それならばと出か けるわけです。 「群衆がその周りに押し寄せて来た。」 結果としてそうなるわけですが「押し寄せる」って狭いところ に人や物が集中して行くさまを表します。たろえば「波が押 し寄せる」と使うわけですが、生半可ではない量の水が一気 にひとところに集中して行く様子をわたしたちに伝えます。こ こでの「群衆」が、かなりの大人数であることを読者に想像さ せます。さて、わーっと周りを取り囲む大勢の人たち、ざわざ わとしていたに違いありません。その喧噪の中心から、イエ ス様は「二そうの舟が岸にあるのを御覧になった」・・という言 葉で次の場面に転換します。 群衆に囲まれて説教をすることへの関心は、ここでは感じ られません。群衆の中の病む人へのいやし、罪人への赦し なども浮かび上がってきません。大きな人も集まりの近くで、 しかしその集まりの外にいる二艘の舟を、イエス様は、関心 を持って注視されました。イエス様が何か仰るのではない か・・さまざまな関心を集めながら、その人々と深く関わること なく、群れの外の一角を注視されたのです。 「漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。」 おや? この人たちはちっとも押し寄せていません。さほど遠くな いところで起こっているお祭り騒ぎ・・とまでは言えないかも 知れませんが、喧噪を見でもなく、見ていたのは洗っている 手元の網に絡んでいる藻だとか、網のほころびだとか・・後 の記述から内心を想像するに「あぁ今日は不漁だったな ぁ」・・という嘆息でしょう。 まさに「日銭を稼ぐ」で、捕れる魚の一匹いっぴきが日々 の糧の源なのです。その、日々の業のため手元に視線を落 としたっきり目も上げない人たちの中にペテロはいました。 今日は、神様に選ばれて、信仰を得た者が神様の道に一 歩踏み出す・・もう少し端的に信仰者っぽく表現すると「召命」 がテーマです。人間が「どの宗教にしようかな」などと自分の 道を選ぶのではなく、神様が「この人間を・・」と選ばれるのだ ということを短いストーリーを通して、聖書はわたしたちに伝 えます。 群衆の中から「わたしが主に従います」という者が選ばれる のではなく、神様が、神様の関心でじっと視線を向けてくだ さり「よしこいつだ(この人だ)」と選んでくださるのです。
《説教ノート》6 月16 日 聖書:ヨハネ福音書 15章9~10節 題:「イエスの愛にとどまる」 久保田 文貞 キリスト教は愛の宗教だと言われる。 私たちもまた教会は愛 の集団だと何となく自認している。もっとも新約聖書すべてがそ の点で同一であるわけではない。愛を強調するのはヨハネ文 書だ。 ヨハネ福音書も、共観福音書と同じようにイエスは人々の間で ことばを説いて回る。だが、人々への向き合い方があのマルコ 福音書などと異なる。「はっきり言っておく。私の言葉を聞いて、 わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、ま た裁かれることなく、死から命へと移っている。…」(ヨハネ 5:24) このイエスとは、神から遣わされ、神の子として人々の前に現 れ、この世=ユダヤ人から憎まれ、この世の敵意を背負って十 字架上に死に、すべてを見越して復活した神の子イエスなの だと言う。従って、ヨハネ福音書を読む者はヨハネ福音書を編 み出した集団(以下、ヨハネ教会と読んでおく)と同じ時間感覚 の中に引き入れられる。神の子イエスの過去と現在と未来が同 時に来ている「今やその時」(5:25)である。「わたしが命のパン である」(6:35)「わたしは世の光である」(8:12)と平然と言いの け、「わたしをお遣わしになった方の御心を行うため」と「ユダヤ 人」を前に公言する。イエスから「あなたたちは下のものに属し ているが、わたしは上のものに属している」(8:23)とそこまで言 われて殺意を感じないユダヤ人はいるまい。もちろんそこには、 一方の側にイエスの言葉を聞いて信じた者たちがいる。 いきなり先へ飛ぶが、こうして最後のエルサレムでのことが 12 章 17 節以下になる。そこでイエスに殺意を抱くユダヤ人と、 イエスを信じる者たちが二分される。イエスは弟子たちに言う、 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 わた しにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除 かれる。」(15:1-2)つながっているつもりになっているだけで、 結果を残さなければだめというわけだ。弟子たちの上に新しい 掟が与えられる。「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがた を愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(15:12) と、これで終われば、この掟はヨハネ教会の愛の掟の反復で あり、現代のキリスト教も含めて、後々のキリスト教会の期待に 応えるものとされるかもしれない。だが、これは愛に満ちた集団 の甘美な掟ではすまされない。その後すぐに「友のために自分 の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」と釘をさされ る。 みなさんはどうお感じだろう。正直言って、私にはこれまでモ ヤモヤしていたものが、暗雲のようにして頭にこびりついてきた。 友のために、家族のために、郷土のために、そして国のために、 命を捨てよという倫理観とどう違って、どうつながってしまうのか、 頭がこわばって先へ進めない。「互いに愛し合いなさい」という 掟を受けた集団が、「他者のために命を捨てなさい」という集団 に変質するために踏み込むその一歩は何かと。 もちろん、ヨハネ福音書の神の子イエスは、ユダヤ人=世の殺 意を一身に受け、世の中にあって沈み込みそうになっている 人を救い上げ、自分は身代わりとなって死んだとされる。さらに、 イエスを信じる者には、その神の手法の一切が知らされている …これがヨハネ教会の確信だったろうと思う。 お気づきの通り、ヨハネ福音書は、イエスに敵意を抱くユダヤ 人に世(界)を代表させ、イエスを信じる集団(教会)を対置させ る。それ以外の民は、サマリヤ人(4:1 以下)、王の役人(4:46 以 下)、ピラトらローマ人以外ほとんど出てこない。結局、ユダヤ 人、神の子イエス、イエスを信じる者、三者だけで世界を説明 してしまう観念劇である。その点で、最初の福音書を書いたマ ルコとは全く別ものであるというよりない。 マルコ伝のイエスは、罪人とか取税人というレッテルを貼られ て社会から差別されている人々、何らかの罪の故にそうなって いるとされてきた病人たち、障がい者たち、そして身を売って 生きるよりない女性たち、そしてガリラヤの貧しい庶民たち、彼 らこそ神が真っ先に福音の出来事の中に招き入れた人たちで ある。イエスの弟子たちはこの出来事のために仕えた人々のこ とである。一部のパリサイ派ユダヤ人たちはこの運動に、自分 たちの世界をひっくり返しかねない動機を見て取って、これを つぶしにかかったのだ。 マルコが描いたイエスと、ヨハネが描いたイエスの違いから考 えさせられるものをしばらく追っていこうと思う。
「憧憬からの反転」 創世記3章8ー24 節 八木かほり 最大の理由は「聖書のテキストを背景および文脈において捉えたい」 と考えているからなのですが、ぶつ切りにされた一部の文言だけを取り 出してのメッセージは、わたしは、あんまりしたくないと思っています。 なのでイースターやペンテコステ、またクリスマスなどのイベントも、で きたら無視したいくらいですが、それには「記念」の意味があるだろうと は思っています。 前回から創世記の話を始めました。非常勤で働いている学校の中学 2 年生の「キリスト教」の授業が、ここ 5 年くらいになりますが、1 学期は 「聖書を読んでみよう」という単元です(2 学期はキリスト教史、3 学期は 中世カトリックの「七つの大罪」ネタ)。その原案を作ったのは中学 2 年 生の 6 クラス担当をペアで組んでいる聖公会の学校チャプレンです。 古代のアウグスティヌスとか、中世のトマス・アクィナスとか、わたしだっ たらやらないネタをぶっ込んできます。かつてお話した創世記のエデ ンの園の話で、蛇と女がやりとりしている時にアダムは何をしていた か?(アダムはそこにいたのに「食べたら死ぬ」と言われていたのに、 実を食べる女を止めなかったよね?どうなるか見ていたんだよね)も、 彼の指摘でした。それまでとは異なる視点から聖書を読むことは、わた しであればフェミニスト神学が起点になっていますが、いろんな感性か らの捉え直しはとても重要だと思っています。 さて、本日のテキストは、エデンの園の、それに続く箇所です。二人 が善悪の知識の木の実を食べたことが神にばれ、そしてエデンの園か ら追放された次第が語られている部分です。ちなみに、前回は創世記 1章の、神が世界を6日間で創造し、7日目に休息したという方の天地 創造物語でした。これはバビロン捕囚以後の五書編纂期に追加された 祭司資料とされるものです。そして2章から始まる方のエデンの園を語 る天地創造物語は、1 章とは異なる別の伝承で、さらにもっと古い、王 国時代に成立していた物語だとされています。1 章と 2 章以下では、神 による創造の順序が違います。2 つの天地創造物語が、創世記の最初 に並べられています。そして、こうしたパターンは、『聖書』という文書に は、他にも結構あります。「これだけが唯一普遍的に正しいものなのだ」 という主張は、そのような『聖書』そのものが否定している。わたしはそう 受け取っています。 エデンの園は、アダム(土であるアダマーで造られた者=男)のため に創られたセカイです。彼のために、彼のために「助ける者が必要」だ という神の判断で、すべての動植物が創られたけれども、それらは彼を 「助ける者」たり得なかったという流れで、彼のあばら骨の一部から女が 創られることになります。そして、善悪の知識の実を食べてはいけない という神の命令を破ったのは女であるということから、エデンの園の物 語は、他の動植物および性別における女を自分(人間の男)の下位に おくという世界観の根拠とされることに長らくなりました。けれど、語られ ていることを普通に考えるならば、エデンの園は、そもそも神と人、そし てすべての生物が一緒に暮らすことのできる場所でした。そこでは生 存競争もなく、弱肉強食でもなく互いに食い合うこともなく食料は豊富 でした。エデンの園は、そんな理想郷、楽園への憧れがこめられた場 所として語られています。 しかし現実は過酷であるー物語が反転した理由は、「世の中過酷 である」という現実認識によるものと考えられますが、それは「人が神か ら離反したこと」にあるとされています。善悪の知識の木の実を食べる よう唆した蛇は、コブラをその象徴とするエジプトとする解釈があります。 これは、後の出エジプトに至る物語、エジプトの支配に対する怨嗟が 表現されているというものです。ただし、物語において蛇は嘘をついて いません。人に制限を与えていたのは、神の方で、蛇はそれを指摘し たに過ぎません。問題は、禁忌をやぶった二人が、神にそれを問い詰 められた時の対応の方にあります。事柄が発覚した時、神はアダムと 女に事情聴取をしています(蛇は無視)。ところが、二人ともが自分の責 任を認めず、それぞれが責任転嫁をしてしまっています。 「自分は悪くない」…善悪の知識の木の実を食べた、そのことよりも、 それによって善悪を知ることになったはずの二人が、言い逃れをしよう としたこと、そのことの方が問題であったと物語は伝えているのだと思 います。そして、その結果としての裁きが神によって語られているので すが、それは、この物語を伝えた人々の現実認識でしょう。それらは、 呪いにむしろ近い語られ方をしています。そのなかでも、わたしが特異 だと感じているのは女に対する神の言葉の一部です。 「お前は男を求め 彼はお前を支配する」…これが呪いとして、あえ て指摘されていることに注目したいと思います。これは、現代において は、越えることのできることだと思うからです。 同時に、言葉が現実と乖離して使われていることに、敏感でありたい と思います。
6月2日 ヨハネ福音書 11 章 45~53 節 「犠牲という問題」 久保田文貞 あのイエスがどうして十字架にかかって死んでしまったかと いう問いは、 何がそうさせたか、さらにだれの責任だったかと いう重苦しい問いへ とつながっていく。でも、そのイエスが三 日目に復活したとの知らせか ゙、すぐにその重苦しい空気を喜 びに変えてくれる...はずだと、ク リスチャンは教えられてき た。イースターの讃美歌を開いて見てほしい。そ の歌詞は 「喜び」と「ハレルヤ」であふれている。けれども、新約聖 書を 読むと事はそう単純ではない。空の墓を最初に目撃し復活 の言伝を聞 いた当のマグダラのマリヤらは、「墓を出て逃げ 去った」のであり、 「震えあがり、正気を失っていた。そしてだ れにも何も言わなかった。 恐ろしかったからである」(マルコ1 6:8)。彼女(たち)から事の顛末を聞い た男弟子たちも例外 ではなかっただろう。みな最初、震えあがり、正 気を失い、恐 ろしくて、そのことを口外すらできなかったに違いない。生 前 のイエスを知らなかったパウロに、事件の2、3年後に復活の イエスが 現れた(ガラ1:16、Iコリ2:23)が、彼に現れた復活 のキリストは「十字架 につけられたまま」の姿であって、喜び 祝うようなものとほど遠い。 彼は十数年間、表に出てこない。 「十字架につけられたまま」のイエスに向 き合いながら、彼は パリサイ派的律法主義者から解き放たれ、迷うこと なく福音伝 達者になり、信仰の仲間と喜び合うまで(ピリピ2:12以下 など 2,3例)十数年かかったことになる。正直言って、イエスがガリラ ヤにとどまり、救援を求める人 々に手をさしのべ、これを支援するボ ランティアとともに活動 を続ければよかったのに、と未だにそんな思いか ゙出てきてし まう。そうであれば、自分にもイエスの活動を支援でき るかど うか、あるいはなんぼかでもカンパできるかどうか、そ の辺りの 決断加減ですむからだ。しかし、イエスはそんな思いを吹き 払 うかのように、決然とエルサレムに向かい、そこで...。それ が福音書か ゙私たちに伝えることだ。一言で言えば、〈混乱〉。 震える、理解て ゙きない、言葉が出てこない、沈黙なんてかっ こいいものではない、引 きこもってしまって人と語り合いたくも ない。「解釈」する者が出てきて、 震えが止まり、一言二言こと ばが出てくるようになるのを待つよりな いのだろうか。いや、 「解シャク」なんてシャクに障る。おそらく〈混乱〉 は、イエスを十字架につけるように仕向けた者たちのあいだでも同様に起 こっていたに違いない。イエ スを極刑に付さんと「聖書」や「伝承」を調へ ゙た者たち、裁判 の効果を究めながらこれをローマ側に送致すべきと決 定した 者。そしてなにより事態を肌身に感じながら「イエスを十字架 に つけよ」と叫んでしまった者たち、あるいはそれらを傍観し ていた者たち。 今日読んだヨハネ11章45~53節は、エルサレムに乗り込 んできたイエスか ゙引き起こしつつある事態に、ユダヤ議会とし てどう対処したらよいと いう箇所である。とにかく多くのユダヤ 人がイエスに心を奪われてい る。放っておくと、ローマへの反 乱と見なされ、ローマに強調して辛うじ て保っている神殿政 治体制がつぶされかねない、要するにイエスを消し てしま え、というわけである。なんとも自己保身的な「解釈」だ。する と大祭司カヤパが発言する。50節「あなたがたは何も分かっ ていない。 一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅 びないで済む方が、 あなたがたに好都合だとは考えないの か。」 いま、こんな理由で死刑 判決が出されたら即刻この裁 判長は罷免されるだろうが、彼の十字架 刑「解釈」は妙にツ ボを得ていると言えなくもない。ヨハネ福音書記者は これを 「預言」の一つとして認めているが、もちろん預言でもなんで もない。 「預言」のように見えたのは、彼の妙な立ち位置によ る。カヤパ はユダヤ側にもローマ側にも立っていない。むしろ 全体を見わたしている。 「一人の人間が民の代わりに死に、 国民全体が滅びないで済む」、 それならそれで万事が丸く収 まる。ただ「一人の人間」だけが犠 牲になるが。いわゆる忌々 しいスケープ・ゴート論だ。〈人間集団か ゙本当に丸く収まるな んてことはできないのだ。スケープゴートを 作って、それを抹 消することによってみんなのギスギスした関係が解 消する〉 と。「こんな低劣な心理学的説明はいまどきはやりません」で 済ますわけにはいかない。けっこう、人々の心の奥でまかり 通っている裏・ 解釈なのだ。例えば、イジメ問題。〈クラスで何 かの理由で目立っ た子がいじめを受ける。しかし、そうやって そのクラスはある種の心理 的安定を確保できる〉などと本気 で思っている人はいないだろうか ゙、でもそれと似た社会心理 的動機でけっこう社会は安定していると心 の底の方で思って いないだろうか。これって、カヤパ的な解釋に通し ゙るものだ。少なくとも、私たちはこんな位置に立って、イエスの出来事 において自分のなかに起こったている混乱、震え、寡黙を紐 解こうなんて思 わないでおこう。
5 月 26 日 ヨハネによる福音書 3 章 1-8 節 (新 167 頁) 「霊から生まれる者」 飯田義也 「ブルータス(よ)、お前もか」 台詞だけが一人歩きしているのは、日本だけではないようです。 シェイクスピアの戯曲で世界的に有名です。・・が、その前から このことばは人口に膾炙していたみたいです。ジュリアス・シーザ ーでは、元老院で王冠を受ける日に、キャスカがまず背中から刺し、 暗殺を企てた者たちが「めったぎり」にしますがしばらく立ちつく し、ブルータスが襲いかかるのを見て「お前もか、ブルータス?そ れなら、死ね、シーザー!」と言って倒れ、死ぬシーンとなってい ます。もちろん訳はいろいろあり「ブルータス、お前もか?もはや、 シーザーもこれまでか?」というのが有名でしょうか。 このシーンは戯曲の世界だから・・ということでもなく、史実で もあって、人間が繰り返す愚かな権力闘争、独裁政治、大衆を操る 残酷な娯楽と過重な強制労働を装置として継続し、三頭政治へと移 行していきます。わたしはこの頃「槍振さん」と呼んでいるのです が「シェイク(振る)」「スピア(槍)」は、この時代の伝承をいく つか戯曲にしているのは、繰り返す人間の戦争の歴史を劇化して伝 えたいとの思いがあったのではないでしょうか。 紀元前43年に、第二次三頭政治「アントニウス」「オクタヴィア ヌス」「レピドゥス」という3人の統治者の時代が来ます。戯曲に は「アントニーとクレオパトラ」というのもあって、紀元前40年 頃のお話です。イエス様がお生まれになった頃、支配階級の人たち はローマ(羅馬)とエジプト(埃及)で遠距離恋愛・・というか不 倫?・・というか政略同棲が正確か、をしていたというわけです。 当時、ローマは世界最大の都市で人口30万人くらいだったと考え られています。古代民主制を敷き、勢力の均衡を保ちながら、しか し実際には専制政治で恐怖を背景にした統制を行い、市民の娯楽が 「死刑を見ること」だったりする社会、少し言葉にしただけでもた いへん殺伐とした雰囲気が伝わってくるように思います。 現代の歴史家は、そうした「狂気と耽溺と搾取と暴力がローマ帝 国に吹き荒れた」当時の地中海世界に「奇跡的なまでの静寂が訪れ た」として、イエス様を位置づけています。神様の愛に生きるとい う、ごく単純なメッセージ、そして奇跡的な行動で暗闇の社会の光 として民衆に迎えられたのでした。 ヨハネによる福音書は、ほかの3つの福音書が「共観福音書」な どと呼ばれるのに対して「第四福音書」という呼ばれ方もある伝承 書です。共観福音書が非常に具体的なことがらの描写に徹している のに対して、表現が抽象的で、「光は闇の中で輝いている。暗闇は 光を理解しなかった」などと始まります。・・が、シェイクスピア の劇を見てると、ぴったりはまっていますよね。 今日の箇所でもイエス様とニコデモの活き活きとした対話を読 むことができます。ここでニコデモは新たに、おそらく初めて聞い たこととして「人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはで きない」ということばを受け止めたでしょう。ふっと「これってあ の世に生まれ変わるってこと言ってるのかなぁ・・」などと想像し てしまうかも知れません。 しかし、イエス様は人間が生きている間に水と霊によって生まれ ることを体験できると仰っています。ローマ帝国は肉ばかりの闇の 世の中です。その中に一つの光として、つまり「霊から生まれた者」 としてイエス様はいらっしゃいました。「風は思いのままに吹く」・・ つまり霊から生まれるということも、どこから来てどこに行くのか わからない・・つまり、よくわからないのだけれど「あれ?霊から 生まれた者になってるぞ」というような感じで新たに生まれる体験 をするということを言っていると思います。 肉から生まれた者、聖書の時代だとローマ帝国の価値観にどっぷ り浸かって、本当は闇の人生なのに、いいもの食べていいものもっ て、毎日風呂入って(!)・・みたいなところで生きている人、つ まり「今だけ金だけ自分だけ」という人・・。 霊から生まれた者、神様に愛されていることを知って、救われて もいるけれど、この世の闇も余計に見えてしまう人。 シェイクスピアは、誰が人を踏みつけて成功したとか、誰が権力 を得て凋落したとか、王と王妃の遠距離恋愛とか、そうした歴史的 伝承をもとに戯曲を書き、わたしたちにメッセージを伝えています。 ヨハネによる福音書は、ほかの福音書に慣れていると少しとっつき にくいのですが、霊に生きる生き方へと人生を変える伝承について、 戯曲的な書き方で書き残し、現代でもはっきりとわたしたちにメッ セージを伝えています。
5 月 19 日 マルコ福音書 5章24~34節 「通りかかったイエス」 板垣弘毅 きょうのところで、短編小説のような伝承をマルコ福音書は採用してい ます。 といってもあまりに心理やや背景の描写は簡素で、ある日ので きごとの報告、という感じです。簡潔ですが、わざわざこれを言い伝え よう、残そうとした人々にとっては深い感動があったはずです。どんな 感動だったでしょうか。 「さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。」(25節) 月経 が正常でなく苦しんでいます。 きょうの主人公の女性は、原因不明の出血で精神的にも、社会的な関 係でも差別され、排除され、屈辱に耐えながら、有り金を使いつくすほ ど医者にもかかり、孤立していたでしょう。(ー残念ながら詳細は略しま す) 「イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服 に触れた。」(27節) イエスという人物が、世の中の隅々まで張り巡らされている身体的ま た精神的なバリアーを、ものともしないで越境してくる方だ、ということ はこの女性も共有していたでしょう。マルコ福音書の創作したイエスで はありません。主にガリラヤ地方を中心に、民衆の間に広がっていた 伝承です。 イエスがここを通りかかると知って、自分の生まれながらに投げ込ま れていた境遇に、改めて立ち向かおうとします。<ケガレ>を帯びた 彼女は、公に人の前に出られる身体ではありません。 「群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。 この方の服 にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。」 「触れる」という行為は、当初の奇跡行為に定番の所作だったと思いま す。霊的な力が備わっているものに、触れることです。主人公の行為 は何重にも引かれた境界線を越境する果敢な行為でした。「すると、す ぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。」(29節) 直訳すれば「血の元が乾いて」。病の症状が根本から癒やされた、悪 霊の力が身体から駆逐されたと、女性は感じます。この女性以外には 知るよしもないできごとです。「イエスは、自分の内から力が出て行った ことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれ か」とたずねます(30節」) 原文でも文字通り、イエスも「身体で知る」わ けです。つまりイエスの自覚を越えて、力が移ります。弟子たちには分 かりません。 つまりここでは当事者、イエスと女性それぞれの意識を 越えた力が行き交っているということです。弟子たちの常識や経験で は考えられません。 しかし、イエスは、触れた者を探します。 イエスは、気づいています。ガヤガヤ群衆がひしめいている中で、必 死な思いで、いわば全存在をかけて、自分の服に触れたものが居るこ とを身体で知ったのでした。この場所での、このときしかない一瞬に、 女とイエスの力が交差しています。 「女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み 出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。(33節)」 苦しみの元が乾いた、という実感が彼女にとってどれほど決定的なこ とか、彼女の置かれてきた場を考えるとよく伝わってきます。 言葉を付け加える必要はありませんが、絶望的な闇の中でその闇の 底に光が点った、ここからきっと生きて行けるだろう、という希望です。 誰とも共有できないけれど、何がきてももう大丈夫だろう、という一瞬の 経験は、わたしにもあります。 何が起こってももう大丈夫、というこの女性のこのときこの場での言葉 にならない希望を、そこにいた人たちが共に味わって、この短い伝承 は語り伝えられたのではなかったか、それがこの伝承の元にあった感 動だと、わたしは強く思います。 この女性とイエスの間に起こった出来事が自分にも起こると、深く気 づいた人が伝えたのです。最後の言葉です。 「イエスは言われた。 「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその 病気にかからず、元気に暮らしなさい。」 この「信仰」は、もちろん教会で認定されるような、信仰者の証しのよ うなものではありません。「信頼」と訳すべきですが、信頼といっても個 人の思い込みともちがう何かです。 イエスでさえ、「自分から力が出ていったこと」を身体で気づきます。 きょうの主人公の女性と、イエスをこの一瞬に同時に捉えた、このときこ の場所で働いた天の力であると、福音書は告げているようです。いい かえれば、そういう天の力が働くイエスご自身への信頼を伝えた伝承 だったのだと言えると思います。イエス個人の神通力などが関心では ないのです。 ガザやウクライナだけでなく、圧倒的な理不尽の中で、いのちの軽 さを日々メディアのリアルな映像で私たちは知らされています。しかし この世で一定の生活ができる人はともかく、実際はきょうの物語のよう に多くの人たちが世の中の底辺に生まれついて、政治がどうであれ、 その場所できょう、とにかく生きないわけには行かないわけです。 お金や持ち物や経歴など、自分が頼りにするものが何もないという絶 望の中でしか出会えない希望がある、聖書や教会はそれを証ししようと している、とわたしは気づくようになりました。 ―以下略 (全文は板垣 まで)
5 月 12 日 創世記 1 章 1 節~2 章 3 節 『セカイ』への祈り 八木かおり 1980 年代の後半のことになりますが、わたしの在学中に、 神学部企画でユダヤ教のラビを招いての講演会が開催され たことがありました。当時、受講していた授業に組み込まれ ていたので参加したという経緯だったように思いますし、話 をしてくださった方がどなただったとかは全然覚えていませ ん。ただ、強烈な印象として覚えているのは、講師の方が、 とてもニコニコしながら「ユダヤ教では天地創造の物語にお いて、キリスト教の方々が言うような『原罪』を読みとることは ないのですよ。創造は、神によるこの世界への祝福の物語 なのです」という内容の話をされたことでした。 当時、わたしは神学生でしたが、『聖書』という書物の成り 立ちや、その背景についての歴史は全く分かっていません でした(キッパリ言えます)。そもそも、わたしの関心は「宗教 学」的な、今考えれば、かなり大雑把なところにありました。 また同時に『聖書』の文章の解釈の可能性が、あまりに多様 であることが面白かったというのは記憶しています。なので、 あの時の衝撃は、あれから何度も思い出すことになりました。 「『原罪』を読み込まないという読みがあるのだ」-たぶんそ れは、「すべての人は罪人である」というキリスト教的言説を、 恐らく教会で、表面的に聞きすぎていたからなのでしょう。 ところで本日のテキストは、創世記 1 章です。6 日かけて 「セカイ」を創造した神が 7 日めに休息した話です。これは、 ユダヤ教の安息日と 1 週間の区切りの由来譚でもあります。 「はじめに、神は天と地を創造した」から話は始まります。 第1日めは「光あれ」です。それまで混沌としていた地、闇に 覆われた水だった「セカイ」が「見える」ようになるのです(た だ、乾いた所が地となるのは 3 日めですし、光源となる天体 ができるのは第 4 日です)。そして、第 2 日には、水が大空 の上と下に分けられます。上が天となります。第 3 日、大空 の下の水が、乾いたところである地と、水の集まった海に分 かれます。そして地には、草と果樹が芽生えます。第 4 日、 ここで天体が造られます。初日から「夕べがあり、朝があった」 のですが、それを司るものがここで登場します。第 5 日、水 の中の生き物、空を飛ぶ鳥が造られます。第 6 日に、家畜、 這うもの、獣が地によって生み出されるよう神は命じます。そ して、それらを「支配する」存在として、また、「我々にかたど り、我々に似せて」人を、それも「男と女に創造」します。そし て、種を持つ草と実をつける木の実を、人と、またすべての 動物の食物とすることを指示します。 神は、この間の創造に関して、3 日めから、その都度毎度 「良しとされた」、そして 5 日めからの海の生物、鳥、動物、そ して人を祝福し、最後の 6 日目に創造したすべてを見て、 「それは極めてよかった」としたと物語は語り、7 日めは「仕事 を離れ、安息なさった」で締めくくられるのが、創世記の最初 の天地創造の物語です。 この次に始まる 2 章の話は、創造の順序も違います。こち らは、全く別の伝承です。創世記第 1 章の物語は、創世記 から申命記を含むユダヤ教最初の正典とされた「五書」の編 纂を担った祭司たち(バビロン捕囚期以後にその作業がな された)が追加したものと考えられています(第2章以降のエ デンの園の物語は、それよりはずっと古く、王国時代のもの と想定されています)。 第 1 章の天地創造の物語において注目したいのは、神が 創造した生物(植物は除外されていますけれど)を、「良し」と し、「祝福された」と語られているところです。 これを記録した、バビロン捕囚を経験した当時の人々は、 王国の滅亡と捕囚という、この世の地獄を経験した人々です。 「こんなセカイなら滅んでしまえばいいのに」(多分に、そう思 ったのだろうなというフシはありますが)、でも、そちらではな く、「このセカイは神に造られ、祝福されたものなのだ」そう主 張することを選んだのだと思います。 この「セカイ」で、命ある存在への全肯定。それを、受け取 りたいと願います。だからこそ、それを否定するような人とし てのあり方に、抵抗することが可能になるということが、今の わたしたちには託された「祈り」ではないでしょうか。
5 月 5 日 ヨハネによる福音書 9 章 20~21、25 節 「ひとりの若者がもの申す」 久保田文貞 最初に福音書なるものを書いたマルコは、イエスの事績や ことばを蒐集し、それらを出来る限り起こった順に並べたの でしょう。「奇蹟物語」に注目すると、イエスの活動の始め(1 章 29 以下)から、エルサレム入城の手前まで(10 章46以下) まんべんなく配置されています。マルコ福音書では基本的に イエスの周りにいつも群衆がいます。時には弟子たちを連れ て群衆から離れることが出てきますが(4:35 以下、6:1 以下、 6:45以下、8:31以下など)、それらはあくまで宣教活動の ための影の部分というべきでしょう。 私も今、つい使い慣れているので、イエスの活動に「宣教」 という語を加えました。それは文字通り教えを宣べることです。 つまりこっち側には真理・救いがすでにある、そっち側にはま だそれがない、だから教えてやるという前提が見えてしまう。 そういう関係が絶対イヤという人は近寄らないでしょう。そこ は目をつぶって、いただけるものはいただくという人たちだけ が集まる。そうすると、ますます宗教家は増長するでしょう。 マルコがとらえたイエスにはそれがありません。宣べ伝えたの は教えではない。福音書の始めにタイトルのように掲げられ る福音 1:1 と、活動の開始を告げる1:14 だけ。新共同訳は 1:38 で「宣教する」と訳しますが、「教」という字は余計。「宣 べ伝える」が正確な訳です。 イエスは群衆の間に入っていきます。しかし、そこで無知 な衆に真理を教えるためではないのです。群衆の間にこそ 福音の出来事が起こるからです。イエスの周りに群衆が集ま ってきますが、おいしいものが配られるからもらいに行く以上 に、そこでよいことが起きることを期待・察知して、自分もそこ に加わることを望んだからでしょう。 共観福音書の奇跡物語は、つまりイエスの周りに集まったこ とがある人々の記憶にある物語は、イエスが群衆の間にいて 起った物語を語り伝えたのです。 さて、そこでヨハネ福音書9章以下の奇跡物語ですが、す ぐ気づくことは、ここでは奇跡の出来事の伝えるだけでなく、 出来事の意味に深く入り込んでいき、その議論の中に読者 を引き入れようとしていることです。1節からの導入自身が、 「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯した からですか。本人ですか。それとも、両親ですか」という弟子 の疑問から始まります。法の解釈上の問題がまずあって、そ れに諸事例が附けられていくのです。この発想は後から出て くるパリサイ派のものと同じ発想でしょう。イエスはこれに対し て「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもな い。神の業がこの人に現れるため」として、ただ行動に出る。 6節自体の動作は、当時の奇跡行為者風の一種の治癒行 為です。しかし、この若者はそれを受けて自分の足でシロア ムの池まで行き塗られた泥を洗い落とさなければなりません。 彼はただ治癒行為を受けるだけではない、自分からそれを 受け止める行動に出たと読めないでしょうか。 この若者の一種の主体性のようなものが引き出されていく のです。ヨハネ福音書の特徴です。13 節以下、不審を抱い たパリサイ派の者が調査に入ります。若者を尋問した結果、 それが安息日違反になる嫌疑がかかり、彼らは両親を尋問 します。子が生まれつき目が見なかったことを証言しますが、 あとは「本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のこと は自分で話すでしょう」と。この両親はパリサイ派の権力を恐 れていたので追及をかわしたように書いていますが、私には、 そこで自分の子をかばうより大人になった子には堂々と連中 と渡り合う力があると信じていたのではないか、と思えます。 そして 24 節以下、パリサイ派当局は若者を再審問します。 25~27 節。私はここから今日の題「一人の若者がもの申す」 と付けました。彼は生まれながら目の障害があって職につけ ず道端で他人から僅かな恵みを請う生き方しかできなかった。 この彼がイエスと出会って「神の業が現れる」出来事に巻き 込まれる。あの出来事の中に立って目が見えるようになった 自分を声を大にして語り始めるというのです。共観書のもの と一味違う奇跡物語になっています。
4 月 28 日 ルカによる福音書 19 章 37-40 節 声を上げよう! 飯田義也 いまわたしたちがいる日本で「声を上げよう!」と掲げれば、 このとんでもなく間違った隘路にはまり込んでしまった日本の 国に対して、政治刷新の声を上げようというプロパガンダだ な・・と思われるでしょう。教会の看板、電車からよく見えるので、 それも少しねらってテーマに掲げてはいますが、もう少し違う 角度からお話しできればと祈って、ここに参りました。 最近、改めて「神様に感謝しなきゃなぁ」と思ったことがありま した。被後見人のお一人が人生を全うして逝去され、一人で 骨を拾って帰宅した次の日、少し鼻が詰まっただけのことなの ですが「そうだなぁ生きてるんじゃなくて生かされているんだな ぁ」と思ったのでした。 これは、一つ間違えると危険な感謝で、あの人は死んだのに わたしは生きていて感謝・・となってしまえば、差別的だったり 自己愛過剰だったりということになり兼ねません。その方にしか わからない人生を歩みきって亡くなったという事実に直面し、 その方への神様の愛に思いを馳せた上で、わたしへの神様の 愛を改めて思ったということなら、間違ってなさそうです。その 「神様の愛」も自分に都合のよいできごとがあったから愛され ていると考えるなら、損得勘定から一歩も出ていないでしょう。 先ほどのエピソード、もう少し詳しく申します。お最期の際、 柏市の生活保護の方だったのですが遺骨の引き取り手がな いとわかると、市の担当者が「焼骨」ということばを使われまし た。聖書じゃないけど「焼き尽くしてしまう」のだそうです。ずっ と社会の片隅で地域の生活に役立ちながらも顧みられること のほとんどない生活をしてきたその方、遺骨までなくなったら 何が残るのだろう。わたしのケースファイルの記録?・・などと 考えると、さすがに焼き尽くす決断まではできず、量は少なくし ながら小さな骨壺に遺骨を拾った次第でした。死んだら何も 残らない・・そんな時代が、すでに来ています。 ・・で、人間の世界に何も残らなくても、彼もわたしも神様が ご存じだからと、改めて思ったのでした。 新聖書大辞典を引くと、石・・沈むもの(ファラオの軍隊)動か ないもの(カナンの先住民)力・堅さ、沈黙、そして人間(ノア の箱船のエピソード)を象徴するものとして語られることが示さ れています。イエス様のご一行が、エルサレムに近づいていく とき、大勢の群衆が道沿いに集まるほどの熱狂的な感性に囲 まれていたと、聖書は書いています。イエス様と一緒に過ごし て愛されていることを実感できたり、愛し合って生活することを 実感できたりしながら、自分自身の心の思いも素直にことばに 出せるようになった、ことばにして聞いてもらいたくなった・・と いう状態です。弟子たちもイエス様に続いて自分たちが語り出 した・・というと、教会が大切にしているペンテコステの日を思 い起こします。今年は5月 19 日の日曜日ですが、ここではミニ ペンテコステとでも呼べそうな状況が生じていたのでしょう。弟 子たちが語り始め、沈黙の象徴である「石」が叫び出すくらい、 この人たちを黙らせるのがむずかしい状態だったということで す。 今日読むべき聖書の箇所として、サムエル上の 16 章 14-23 節も掲げられていました。ここでのエピソード、今のことばで言 えば、サウル王は「精神を病んだ」のです。心病む人に安心で きることばを語りうるか、竪琴の名手であるダビデが選ばれま す。当時、楽器が楽器だけで演奏されることはなかったようで、 ダビデは、歌詞のある歌でサウル王を慰めたのでした。 サウルも国家を背負って、責任あることばを意に反して語り、 欲望のままをことばにすることもできず、こころは引き裂かれ状 態だったのかも知れません。ダビデの竪琴で安心を得たと聖 書は伝えます。 今日のテーマ、心の思いが溢れ出る、ペンテコステへの備え の意図が込められています。平たく言って、思っていることは 言った方がいいということですが、言い方が課題です。はじめ のテーマに戻りますが、ただプロパガンダ的な物言いであれ ばいいということにとどまらず、イエス様が伝えられた神様の愛 をもう一度心にとめたいと思います。弟子たちも神様の愛を実 感して、神様への感謝を語り始め、愛を込めたことばを語り始 めたのだと思います。まさに、キリストの名によることばです。十 字架のできごとは神様の深い沈黙のできごとでした。十字架 の地平から語ることとは、沈黙の深みから語ること、何らの権 威も権力ももたないで語ることです。
4月21日 ルカ福音書6章20~21節 「幸いなるかな、貧しき者」 久保田文貞 ルカ福音書6章20~21節の、イエスの言葉を自分への 言葉としてそのまま受け取ることがで きる人は、ほんと うに幸いです。そんな方たちに横から「実はこの方がおっしゃ る貧し さとは...」と講釈するなど失礼というもの。「もし、あな たに必要なの は、まず貧しい人たちに必要なものを届 け、飢えている人たちに食べ物を調達 して配ること、泣 いている人の話を聞き応えること、それだけ」と。そこで 「ではわたしもボランティアに行ってまいります」となれ ばそれで終わる のですが、いまはそんな風にまとまりつ けて終わるわけにはいきません。だ れでも「貧しい」「飢えている」「泣いている」というこ とが、生の切れ目の ようにして今日もあり、明日もあろ うことを察知しているところがあります。自 分が生きて きたこの体の底の方にしっかりとそれが喰い込んでい る。なんと か暴れないように押さえつけているが、根本 的な解決などできていない、い つまたそれが暴れ出すか わからないというところがあると思います。もっとも、 「おまえには余裕があるからそんなこと言えるんだ」と言 われればその通り なのですが。さて、ルカ6章のイエスの言葉を聴いて、「私は貧しく ない」と思 う人は昔も今もその場から離れていくことに なるでしょう。でも、残ってこの 言葉を受け止める人に ある種の戦略めいたものが働いてしまうのを感じます。 その境目をどう線引きするかは措いて、人間を貧しい か、貧しくないかで分け るという所に立たされます。そ れを決定する場に誘い込まれているとでもいうのて ゙しょ うか。まず自分がどちらに入るか選び取る、そうすると 横にいる人 から「あなたはあっちの人だ」と言われる。違 うと思っていると、判定人らしき 人が現れて、どちらか を決めてしまう。福音書の中で、このような場を設け、 「貧しき者か、富 める者か」と選り分けていくストーリーをより鮮明にさ せたのは、 ルカ福音書を為した著者とその教会です。貧 しいという語の頻度だけ見ても、 マルコ、マタイがそれ ぞれ5回、ルカが10回ですが、問題はその中身で す。16章1 9節以下、金持ちとラザロ。いつも紫の衣や柔らかい麻布 を着て毎日贅 沢に遊び暮らしていた金持ちと、できもの だらけの貧しいラザロを対比さ せて登場させます。 や がてラザロは死んで、天国のアブラハムの所へ連れ ていかれた。金持ちも死んで彼は陰府に落とされた。金持ち は天を見上げて、 助けを求める。物語の詳細は省くが、父 祖アブラハムは、いまやラザロと金 持ちに間には「大き な淵があって」、誰もそれを超えることができないと宣 言されるのです。ルカだけに出てくる物語です。神の審 判的な要素だけか ゙正面に出ていて、実際にイエスがほん とうに語ったかどうか? ほかにも19章 取税人ザアカイの話。ここでは取税人の 頭で金持ちのザアカイの家にイエ スが迎えられて、ラザ ロの物語とは逆に、貧しさと豊かさを隔てる壁が崩壊 し てしまう。そうして21章、やもめの献金。これはマルコ12章41以 下と同じ。マ タイはこれを省き、長々と律法学者批判。 「イエスは目を上げて、金持ちたちか ゙賽銭箱に献金を入 れるのを見ておられた。そして、ある貧しいやもめがレ プ トン銅貨二枚を入れるのを見て、 言われた。「確かに 言っておくが、この貧しい やもめは、だれよりもたくさ ん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献 金し たが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部 入れたからであ る。」これ以上の言葉は要らないでしょう。3~4世紀、修道院なるものが発達し てきて、生活のす べてを喜捨したと思しき人々が体を寄せ合って生き始め た。 すべてを捨てて生きるというのに、共に生きるとい うことを捨てていないと批判 する者もいた。そうして中 にはたったひとり他者との関係を断っていく者もいた。 ルカのような対比のさせかた以上に、ここまでくると 「あなたがた、貧しい人 たちは幸いだ」から、ずいぶん遠 くなった感がします。でも、そこにイ エスの言葉に通じ るものがないとは言えません。「とぼしい中から持ってい る生活費を全部入れた」後に くる生活なんて、カルト教団の信徒みたいだと言わ れる かもしれません。だが、「貧しい人は幸いだ」と言われる イエスの言葉 と、「乏しい中から持っている生活費を全 部入れた」あとに来る生活の自由さはと ゙こかでつながっ ていると思わざるを得ません。貧しさゆえに、他の貧し さ を思いやり共に暮らそうとする。ひもじさに苦しむゆ えに他のひもじさを知り、 分け合う。悲しくて涙が出て 止まらぬのに、他の涙を見て共感し、慰め合う。そ んな空 想上の出来事みたいなものが、イエスの言葉を共に聞い た人の間で起る。 分かち合い、慰め合い、励まし合う、貧 しさの自由なる特権のように。
4月14日 聖書:マタイ伝福音書 28章16~20節 題 :「『辺境の地』からの派遣」 八木かおり 4月7日 第一コリント1章18~25節節 「埒外の義に向かって」 久保田文貞先月、ある 人から『死せる言葉の終焉――東神大闘争の 記録』という小冊子を見せてほしいとい う依頼がありました。こ れは1970年に東京神学大学全学共闘会議が学内外に向 け て自分たちの考えを表明した54年前のもの。その人はこの中 の文章から引用され たものが正確であるかどうか調べるため というので、私は埃にまみれた 資料の中からこれを取り出し てお見せしました。その後自分も数編を読んだのて ゙すが、改 めて、その冊子名にドキリとさせられました。その中に教授会の文 書「教授会の基本姿勢」も掲載され ています。要約すると――70年万博キリスト教館 に反対する 青年や(神)学生たちは「万博問題を絶対化」している。それ はイデオ ロギー的判断を「主」の位置におくことになり誤りだ。 教会は「キリストの主 権を信じることによって、他の一切のもの を相対化す」べきだ。一つの立場 を強制するのは行為義認 主義だ。―― どんな思想も数行にまとめてしまうとスカ スカ になってしまいますが、それにしても貧相な内容です。つまり 神のみが 絶対であり、人間の一切は相対的なものにすぎな い。それを神学が知り判断て ゙きるという独断を繰り返している のですから。 しかし、学生たちはそんな独断 を学びに神学 校に来たのではありません。教師たちの言葉に、腐臭をかぎ 分 けたのです。『死せる言葉の終焉』の題はそれを表してい ると思います。キリス ト教はこの世界・歴史の正解を知っている、あるいは 万物の真理を知っているかの ような顔をして、審判者の代理 人のようにふるまうわけにはいかない。そういう位 置に居すわ って発する言葉はもうないというわけです。むしろその先にあ るもの を掴みたいと直覚したのです。ならば神学校なんかに 入るなよと言われそうて ゙すが。同じような問題意識はみなさんもお持ちだろうと思います。 「キリ スト教徒」という名札を下げて、現場で取り組んでいる人 々の間に入ってい くときの気まずさを。ことはキリスト教だけ、 宗教家だけの問題ではあり ません。自分で先に了解している と思い込んでいる知識人や運動家、すべて に共通する問題 だと思います。人が抱えている困難な課題を共有したいと願 い、 その中に入ってく時、薪代わりに使っていくならまだしも、 自分の思想や信仰、 主義主張を人に押し付けるくらいならす べて捨てさり、そこにいる人と共に事柄 に臨むべきでしょう。こんな思いの先頭にイエスが、すぐ続いて使徒パウ ロが立 っていると思えてなりません。〈律法〉も初めは民の生活を整 え、人と人 との良き関係を築くものでした。だがやがてそれは人を縛り付けるものにな りました。弊害こそあれ役にも立たな くなっていたのです。当たり前のようで すが、その世界の中側 にいると、それが見えなくなってしまう。なにかをきっ かけにし たとしても、そのことに気づくということはものすごいことです。 イエスの「神の国」に関わる説話や行動には、指導理念な どないし、最初から見 えるような正解はない。「どうしてそうな るのかその人は知らない」(マルコ 4:27)共に汗して支え農民の まえに拓けてくるだけ(マルコ4:26-29)、イエスの神 の国は理 念でもなんでもない、それを浴びて人と共に生きることではな い でしょうか。使徒パウロの場合、そのイエスをキリストと信じることになり ますが、大事なのはその認識、そこから到達する理念ではな く、やはり彼の生 きる姿勢が物語ることだろと思います。キリス トに出会う前の彼は「律法の中 に、知識と真理が具体的に示 されている」(ロマ2:19)と信じ疑わなかった。そ の枠の中で思 考し行動し結果を出すことが神の義と。が、思うようにいかな い。「正しい者はいない。一人もいない。...善を行うものはい ない。ただの一人 もいない。」(詩14)という言葉がずっとのし かかって離れない。十字架につけ られたキリストが示されて (I「コリ2:2)から、律法は神の義を捉えるための助け となるど ころか、人間の破綻を測る基準に過ぎないと知る。そこから 彼は逆の 方向に動きだすよりない。その一つの拠り所として、 アブラハムの故事を再認 識する。それはまだイスラエルの歴 史が動き出す前、割礼も律法もないとき、 「アブラハムは神を 信じた。それが彼の義と認められた(ロマ4:3)」 ここに 信仰義 認の始まりを見つけます。この解釋の当否はどうあれ、十字 架につけられ たイエスが、復活者として示された出来事を出 発点としたパウロにはそんなこ とどうでもよかったに違いな い。自分と同じような衝撃的な新しい出発をし た人はみな同 士に見えてくるのでしょう。パウロは動きだします。〈兄弟、 あなたは律法を遵守してい るか、その真意をつかんでいるか。迷ったら私に相談 しろよ〉 という動き方は完全にやめた。彼は「異邦人」の方に向かっ て動き出した。 〈兄弟、律法なんか知らないでもよい。十字架 につけられたキリストをあなたに 知らせる。愚かしく見えるだっ て? かもしれない、でも彼を信じよ。あなた は神から義とさ れる〉(Iコリ1:10-2:7)そこには哲学的な真理の言葉はないし、手こ ゙ろな理念も ない。淡々と暮らす人間、静かに話を聞き、語りかける人間、 ときに 熱く語る人間たちとそれを聞いてスクラム組む人間が あれば十分。そんな中か ら言葉や歌や集会が生まれてくる かもしれないと。
3月24日 第2コリント6章8~10節 「反転の思想」 久保田文貞 昨年9月私は自分の体調と老齢のこともあって北松戸教会 の代表を23年度をもって 辞したいとお願いしました。その後 の経過はご存じの通りです。そこで議論し 《北松戸は教職 (牧師)招聘制を取っていないから、辞して教会を去る必要 はない。 みなが教会員とし て教会を支え続けてきたのだか ら、担当してきた役割を縮小するなり交代するな りして、やっ ていけばよいのではないか》ということになり、私もそのような しようと思いました。とはいえ、やはり私なりのけじめをつけた い思いがあっ て、何となく3月の末に照準を合わせていまし た。それで今日の話になります。上 に「北松戸は教職制をとっていない」と書きましたが、実 は板垣さんと私は、東 京神学大学を中途退学し(71年)、教 団の教師資格ないまま松戸で伝道を始めまし た(75年)。多 少の説明をしますと、’70大阪万博へキリスト教界が協力し、 キリ スト教館出展を画策していました。大阪万博は、敗戦国 日本が戦後米国の世界戦 略に追随し、朝鮮戦争、ベトナム 戦争の特需を受け、火事場ドロボウ的に高 度経済成長を遂 げたことへの祝いの祭典。どうみても近代自由主義経済の勝 利 の祝祭でしかありません。そこへのキリスト教館設置に、特 に関西の労働者や学 生やまた牧師たちの間で強い批判が 起こりました。そんな中、キリスト教館の テーマ委員長に東神 大の北森教授、委員に熊澤教授がなり、学生自治会と共闘 会 議がこれを批判しました。万博問題は教団でも最大の争 点になり、各個教会、 教区、教団の諸組織、神学校、大学な どまさに一切の業務を停止し、教団の無責 任な近代主義を 根本から問い直そうということになっていきました。教団の教 師検 定試験(牧師資格試験)もその一つでした。そんな中 で、何事もなかったかのよ うに牧師資格試験を遂行し、また 受験できようか。そもそもあのような歴史状況 の中にあって、 教会は何を信じ、何を人々に語り、そのための教職をどう育 成 し認定し後押しできるか...、教団の諸問題と共に自分自 身の立場も検証せずし て、先にすすめないとの思いでした。 そんな中、神学校を中退した板垣さんと私 は、なぜか神学を 捨てきれず、学習を続け、無資格のまま集会を開くことにし ま した。それが北松戸の集会です。板垣さんと捉え方が違う面があると思 いますが、こうして 〈北松戸〉が教団の教師制度の一歩外に出たところで始 めた ので、限定的ではありますが〈北松戸〉の教会の形は自ずと 決まって しまいました。牧師のいない、信徒の教会という形に なりました。長いキリスト教 史の中では、いつもその端っこの方でいくらでも出てくる形です。私は(来 年で50年になります が)その集会の信徒の一人として出発し、その中で聖書を 研 究しそれについて話をする担当として、この教会を経験させ ていただくことに なりました。というわけで、この教会の形は最初からそれほど自覚的に 選び 取ったものではなく成り行きで段々とそうなった面がある のですが、今 振り返ってみると、生意気なようですが、この集 会の成り立ち自体がそれな りに聖書から促され、派遣され、 その上で「自己検証」(いまではあまり使わな い言い方です が)しつつ歩んできて、こうなっていると思います。たしかに、 「信仰告白」とか聖礼典とか形式的に大きく欠けるところはあ りますが、内容的 にはご心配いただかなくても結構と私たち は言うでしょう(伝統的には「恵み は十分にいただいていま す」というところでしょうか)。〈北松戸〉はいつ教団 から破門さ れるかわからないギリギリのところで、片足だけかけてつなか ゙ っているような格好になっていますが、集会の仲間は慣れた もんです。ご 心配くださる方には、〈20人足らずの会員ですが 日曜ごとに礼拝を欠か さず、終わると説教に限らずなんでも 礼拝時間と同じくらい語り合い、支 え合って教会しています〉 と言っています。我田引水になるかもしれませんが、 イエスの福音とその宣 教活動の歴史的現実を読み取るときはもちろんですが、 最 近とみにパウロの宣教と伝道活動について見ても、〈北松戸〉 のような一つの 形を善しとするものを感じてなりません。――律法を遵守した先に神の義があると パウロは確信し 実践していた。が、おそらくそうやって自己を追い詰めても自 己を捉えきることができない。その彼にも、彼と真反対を行く イエスの十字架 刑死の情報が入る。そうなって当然と思うと 同時に、彼に一抹の不安がよぎ る。彼自身の中に何が起こ ったか、パウロは言葉少なに語るのみ、「...神が、 御心まま に、御子をわたしに示し」たと(ガラテヤ1:15)。ただ彼に啓示さ れ、 彼が伝えるイエスは「十字架につけられた(ままの)イエ ス」(Iコリ1:23)、人々の いかなる期待にも応えずただ、「... あなたがたの間で、イエス・キリスト、 それも十字架につけられ たキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた」と言う のみ (Iコリ2:2)。死から復活した美しく宗教的に化粧したイエスを 提示すればよ いのにと思いますが、頑としてそうしない。彼 は、彼に起こったその現実から目 をそらさない。そして一見 やせ我慢にしか見えない風にIIコリ6:2b~10「今や、恵み の 時、今こそ救いの日。...」と。とてもパウロのように行きませんが、私たち には、北松戸の 集会を通して、一見するとやせ我慢のような最悪の形が「今 や、 恵みの時、今こそ救いの日」の徴としてよいのでしょう。
3月17日 第2コリント4章7~12節 「主イエスは殺害されたのです」 久保田文貞 ときおり町で十字架が照明を受けて浮かびあがっているの を見 かけます。十字架が教会のシンボルとしてそれなりの市 民権を受けていることか ゙わかります。でもそれがあまりに神々 しく輝いて見えるとやはり違和感を感し ゙てしまいます。聖書を 読めばわかるとおり、十字架は美化できるようなもの は一切 なく、一番最低の扱いを受けるべき罪人への極刑の具だっ たのですか ら。この最悪の仕方で主イエスは処刑され殺害されました。弟 子たちは自分たち に身近な〈主イエス〉の、不本意な最悪な 死に特別なものを感じ取っていたはす ゙です。彼らは悶々とし た気分のまま三日間を過ごし、三日目の朝、「イエス の亡骸 が墓にない」、「イエスは甦った」という女性たちの高揚した声 を耳にす る。瞬時になにかがはじけ、弟子たちも自分たちに 〈主イエスが現われた〉 と告白する事態になる...。こうして旧約聖書に通じた者の頭にすぐにイザヤ 書53章5 ~6の言葉がよぎった。彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのた めであり/ 彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであっ た。/彼の受 けた懲らしめによって/わたしたちに平和が 与えられ/彼の受けた傷によって、わ たしたちはいやさ れた。.../そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わ せられ た。これを受けてか、あるいはそれと並行してか、次のようなもっ とも古い告白か ゙弟子たちの間で生まれました。すなわち「キリ ストが、聖書に書いてあると おりわたしたちの罪のために死ん だこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあ るとおり三日目に 復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れた」(Iコリ ン ト15:3以下)と。いわゆる贖罪信仰のスタートです。その後いろいろの変化 形が 表れますが、これがキリスト教正統主義のシンボルとな り、後々の教会—カト リック教会や宗教改革を経た教会など— の中心教義とされていきます。実は、今日 選んだ讃美歌311 番は17世紀の讃美歌の作詞家パウル・ゲルハルト(ルター派 の牧師)のもの。「血しおしたたる 主のみかしら」とドイツ神 秘主義的な感覚て ゙始まり、「主の苦しみはわがためなり。わ れこそ罪に死すべきなり。かかる わが身に代わりましし、主の あわれみはいととうとし」と、もはや贖罪信仰が 単に教会的な 教理ではなく、人間の実存を貫いていく表現になっていま す。とに かくイエスの受難と苦しみの歌が、讃美歌21の292 番から315番までならび、 すべて贖罪信仰に徹しています。キリスト教には、ほかに聖霊、公同の教会、体の よみがえり、 永遠の命などいくつかの信仰箇条がありますが、基本はイエ スの十字架の死と復活に根拠をおく贖罪信仰だと言ってよい でしょう。しかし、 一口に贖罪信仰と言っても、その中身はそれほど 確かなものではありません。 そもそもIコリント15:3「わたしたち の罪」とは何を指しているのでしょう。実は ここに言う罪は複 数形になっています。その限り、私たちの罪を数えられるもの と 捉えていることになります。律法には「~してはならない」と 「~せよ」という律法 規定が613個あるそうですが、当然そこに 優劣が出てきてしまう。でもそ れは人を基準としている。一 体、人間に神の律法に優劣をつけられるか、これがハ ゚リサイ 派原理主義者たちの論理(ただし、マタイはけっこうこの論理 に引きす ゙られています。マタイ5:19など)。イエスはその原理主 義の中にひそむご都合 主義を徹底的に批判する。例えば 「妻を離縁することは、律法に適っているで しょうか」という彼 らの問いに、逆に根本から問い詰め(マルコ10:1-12)、律法に 優劣をつけてしまう問いの上に重ねて、たった一つ何が欠け ているか、「行って 持っている物を売り払い、貧しい人々に施 しなさい」という問いを上積みさせる(マ ルコ10:17-22)。イエスのこのような問いかけは、パリサイ派ユダヤ人だけに 覆いかぶさっていくものではありません。主イエスの十字架の 死を目の当たり にした女たち、その報告を受けた弟子たちの 中でもすぐに新たな問いとして立 ち上がったはずです。「たし かに主は私たちの罪のために十字架上に死んた ゙。私たちの 罪のために。」 では、その「私たちの罪」とはなに? あまり にイ エスに、十字架に、近すぎたか、「わたしたちの罪のため に死んだ、葬られた」 と言えば、即、そのまま「三日目に復活 した」という告白におのずとつながっ て行くと、思い込んだの でした。贖罪信仰というのが正解で、後はその下て ゙いろいろ と活用できればいいというわけです。でも、このような理解の 仕方に、結局、正面から立ち向かっ たのがイエスと面識のないパウロでした。 彼にとっては、ユダ ヤ教の神殿体制に、かつ律法原理主義に立ち向かったイエ ス が、彼らに抵抗し批判し、ついに負け処刑され死んでしま った、というだけ なら、重要で深刻な事件ではあったでしょう が、現実認識以上のもので はなかったでしょう。パウロに現れたのは、死を超えた活ける復活者イエスで は なく、殺害されたままのイエスだったのです。「わたしたちは、 いつもイエ スの死(ネクローシス、普通の死はネクロス。こ こでは殺された死を表現していま す。)を体にまとってい ます、イエスのいのちがこの体に現れるために」
3月10日 ヨブ記16章6~22節 「わたしとは誰か」 板垣弘毅 「僅かな年月がたてばわたしは帰らぬ旅路に就くのだから(16:22)」 せめて希望がほしいとヨブは言います。今老身のわ たしには、孫たちの世代か ゙重なって、世界や地球が持続可能 か心配です。 たとえば 「14:18しかし、 山が崩れ去り/岩 がその場から移され /14:19水が石を打ち砕き、大地が塵 と なって押し流される時が来ても/人の望みはあなたに絶たれ たままだ。」今 ならわたしたちは能登地震を重ねるでしょう。一年前の 2月にはトルコ・シリア大 地震がありました。その頃の現地の 記事に「神さま、やり過ぎです」という イスラム教徒の声があっ たそうです。ヨブも同じ声をあげ続けています。 ヨブ記がどんな物語か(......中略) 「21:07なぜ、神に逆らう者が生き永 らえ、年を重ねてなお、力を増し加えるのか。....神の鞭が彼らに下ることはな い。」前線で何万の兵士が倒れても、独裁者や戦争で稼ぐ人た ちは優雅な 生活をしている。神を裏切るものや子孫が繁栄し て、弱く貧しい人のいのちが いつも軽く失われる、失意のヨブ から見える世界は今と変わらないわけです。 ヨブの嘆きや訴えは、自分のことをすべて知っておられる 神が、なぜ突如 その祝福を奪ったのか、しかも「夜私の骨は 刺すように傷み、私をさいなむ病は休 むことがない。私は泥 の中に投げ込まれ、塵芥に均しくなってしまった。」「と ゙うして 神はお答えにならないのか」(30:17)この自分の痛み、この人間の世の中の 不平等や差別に、 神はなぜ沈黙しているのかとヨブは言います。「もう生きて い たくない」と思いつつ、一方で、ヨブと共に孤独感の中で多く の人は、自 分のこの悲しみや苦しみを、なお見つめてくれて いる他者のまなざしを求めても います。これは最初のキリスト信徒たちが、十字架のイエスに見出 したものと重 なります。イエスもヨブも、自分自身の絶体絶命 の窮地において、神に問いかけ ています。「どうして私を見捨 てたのですか」と。これは、自分が壊れつつ あるという実感です。生まれてき たこと、やってきたことが無になるような自 己崩壊の中で叫ば れています。わたしはヨブの妻の「もう神を呪って死んた ゙ほうがましよ」と いう言葉がなぜかとても気になります。家も持ち物も家 族も失 い、病魔にも冒され、それでも神に向き合う夫の愚直な信仰 を、突き放し 嘲るようにも聞こえますが、むしろ夫の傍らでいっしょに苦しみながら、もう このあたりで苦しんで生きることか ら解放されましょう、という風に聞こえま す。そしてこれは、今 の時も変わらないささやきではないかと思います。ヨブ 記1,2章と、42章のハッピーエンドは、後から加えら れたものかも知れません。 でも現在のヨブ記で、2章のヨブの 妻の「神を呪って死になさい、生きるこ とから解放されましょう」 というささやきに3章以下は応えようとしていると思えま す。たとえば、今日はたまたま3月10日で、東京大空襲の日で す。78年前東京 を無差別に絨毯爆撃した日です。被災者は 30万以上、死者は11.5万人。能登地震て ゙も、ガザでも、ウク ライナでも同様の事態は今もあるとおもいます。 私 たち母子 は焼け野原を逃げ生き延びた者たちのひとりでしたが、食べ る ものも寝るところもなく「あの時死んでおけばよかった」と何 度か思った、と 聞かされました。生きていること、つまり自分が 崩壊しかけているわけです。 ヨブの妻のささやきです。(...) 「神を呪って死んだ方がラクよ」という 「ヨブの妻」とともに、そ れでも自分が置かれたところを生きて行く人もい るわけです。ヨブ記は全体で、傍らでいっしょに苦しむ妻に支えられつ つ、 神の仕打ちに、最後まで神に抗議して、喰らいついてい る人間を描いているのた ゙と思います。言い換えれば、まだ神 など持ち出すのですか、いい加減そ んな幻想を捨てて行き ましょうという「ヨブの妻」への答えが、ヨブ記なのて ゙はないでし ょうか。苦しみの果てにヨブが見出すのは、きょうのところて ゙はこの ようなものです。「16:18大地よ、わたしの血を覆うな。わたしの叫び を閉じ込 めるな。 16:19このような時にも、見よ、天にはわたしのため に証人か ゙あり、高い天には、わたしを弁護してくださる方があ る。」最高裁の判決を 待つ人のように、ヨブも天の最終的な裁判 の場で、自分のために弁護してくれ る存在を、最後に信じて います。「16:20わたしのために執り成す方、わたしの友、 神 を仰いでわたしの目は涙を流す。」(......)「わたしは誰か」自 然災害戦争、 あるいは事故や事件や病気の中で、自分らしさ を奪われたところで、人は誰か を見出し、出会い、あるいは 待っているのだと思います。「待つ」ことによって 「自分とは誰 か」を確かめているのかもしれません。イエスやヨブは、自分自身 の終わりを先取りしないで、その 日その時を、とにかく生きたのです。「御国 を来たらせたまえ」 と祈ることが、願望の神の国ではなく、人が暗さの中て ゙自分を 持ちこたえるまなざしへの告白だと、「主の祈り」を祈るたびに 思 います。(全文は板垣まで)
3月3日 マルコ福音書10章23~31節 「捨てて受ける」 久保田文貞 「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」 とこれた ゙けだけなら〈自分には財産と呼べるようなものはない から、関係ない〉と思 うかもしれません。しかし、財産とまで言 わずとも、人からなんと言われよう と絶対手放したくないもの ってあるものです。〈もしそれを捨ててこいと言われ るなら、断 る。自分は神の国に入れなくてもいい〉という人が結構いるで しょ う。とにかくどんなに小さな物でも、これだけは絶対手放 せないと隠しもっ て、例の針の穴をくぐろうにもそれが引っか かってしまって通れない。つまり 財産を、人が執着する物一 般とするなら、「それでは、だれが救われるのた ゙ろうか」という のが人間として正直な感覚ではないでしょうか。しかし、 このように捨てるか捨てないか、ぎりぎりのところで 踏みとどまり、そう やって逡巡する自分自身を手放さないで 大事にする感覚というのは、聖書にで てくる人間たちとしては 少数派ですね。ヨブとか、コヘレトの書の著者とか。ヘ ゚テロのように「何もかも捨ててあなたに従って参りました」 とスパっと言い切っ てしまう人間の方が、原始キリスト教以来 なにかと模範にされて行くのはいたし かたないかもしれませ ん。それを追認するかのように、ここでイエスの言葉が 「捨て るべきもの」のリストを挙げていきます。≪はっきり言っておく(例の 「アーメン・レゴー・ヒュミーン」で始ま る)、わたしのためまた福音のために、 家、兄弟、姉妹、母、 父、子供、畑を捨てた者はだれでも、 今この世で、迫 害も受 けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世で は永遠の 命を受ける。≫捨てた後どうなるか、前以上のものを百倍も受けると。(私 にはあ のヨブ記の詩劇を前後で受ける物語のエピローグのこ とが思い出されま す。) この言葉のかぎり、イエスはペテロ の申し立てに全面的に〈よし〉を与 え、ほかのみんなもペテロ に続けと言わんばかりです。ここには、どうし ても原始教団の 共同性固めの意図を感じてしまうのですが。使徒2:44以下に≪ 信者たちは皆一つになって、すべての 物を共有にし、財産や持ち物を売り、おの おのの必要に応じ て、皆がそれを分け合った。≫ とあり、生まれたての原始教 会では信徒同士の財産共有制だったとしていますが、これも 後の世代によっ て理想化されたものでしょう。意欲的に集ま ってきた信徒たちに、なんらかの形て ゙捨てることの大切さを際 立たせていったことでしょう。今日の聖書の一つ前は 『ある金持ちとの対話』(17~22) です。17節、旅に出ようとしているイエスのとこ ろに「ある人が走り寄って、ひざまずいて」で始まります。マタイ版では、 青 年となっています。イエスを「善い先生」と呼び、永遠の命を 受け継ぐには 何をすればよいかと問う。真面目そうで、探求 心旺盛、身なりもきちんとした 青年という印象です。イエスが 十戒を持ち出すと「そういうことはみな、子供 の時から守って きました」と言う。すると≪イエスは彼を見つめ、慈しんで言わ れた。≫ イエスのこの慈しみは、年寄りが何のてらいもなく そう言い切る青年を 見て微笑ましく感じ、あと一皮もふた皮も 向けてこそと思う、そんな感情なのて ゙しょうか。 「慈しんで」と 訳された原語は「彼を愛した」です。ここでそ う訳したら座りが 悪いので、「慈しんだ」としたのでしょうか。(因みにマ タイ版 ややルカ版はこれを省いています。) ほとんどの英訳や独 訳は「彼を愛し た」そのままです。ここには「イエスが彼を愛し た」という言葉を割り引いた り斜めから見ることはしないという 固い意志が表れているのではないでしょ うか。イエスは真正 面から彼を見つめて、愛して言う。≪あなたに欠けているもの か ゙一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に 施しなさい。そうすれは ゙、天に富を積むことになる。それか ら、わたしに従いなさい。≫「欠けているもの がひとつでもあればだめ?」と聞く必要が ないでしょう。マタイ版で は、「もしあなたが完全になりたいと 思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払 い、貧しい人に施し なさい」(19:21)としています。因みにルカ版では「あなたの することが一つ残っている」(18:22)となる。いずれにせよ、こ の青年が誇ら しげに自分に欠けているところがないと自負心 が邪魔をして、「イエスが 彼を愛した」ということを受け止めら れなくさせているとならないでしょうか。 「欠けていない」と思 い込んでいることが彼の「欠け」だったということて ゙す。そのか ぎり、仏教の「放下」とか「捨ててこそ」に限りなく近づいてい き ます。家、財産、家族、一切の執着を捨て、もう捨てる物がな い、最後に捨て ようという我執も捨てて・・・となっていく。しかし、聖書は基本的にそういう心の 開き方をして終わっ ていく仕方をとりません。「捨てる物は必ずその百倍も受け る」というのです。仏教から見れば、それでは執着を捨ててい ないじゃな いかと痛いところを突かれると思います。でも人間 としては、それはそれでけっ こう正直でいいじゃないか、と思 いますが、肝心なことはそんなことでは ありません。≪先にい る多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる≫と 謎め いた言葉でこのくだりを閉じ、イエスはなにやら真剣な面持ち でエル サレムに旅立ち、33節以下、人の子が殺され三日の 後よみがえるだろうと予 告します。そして45節。捨てるとは、 利益を得るために投資するわけではありま せん。人の子 が与えようと約束されたものを受けるためのものです。
2月18日 マタイ伝.福音書12章15~21節 「彼は争わず叫ばず」 久保田文貞 マタイ12章15節以下に引用されているのは、イザヤ書42 章1~4節で、 「主の僕」(エベド・ヤーウェ)と言われる詩の一節 です。参考までに「主 の僕」の詩の全個所を示します。イザヤ 書142:1~4、249:1~6、350:4~9、 452:13~53:12これらの詩を読んでいくと、福音書を読んだことのある人な ら誰 にもイエスの受難物語の情景が浮かんでくるでしょう。例 えばイザヤ50 章6節とマルコ14:65。イザヤ53章1~9はそのま ま受難物語のイエスの姿と重なって きます。「主の僕」の詩は、受難物語伝承が結晶化していく時だけ でなく、 その後の教会のイエス理解のための基本的レールの ようになっていきました。キリ スト教は現代にいたるまで、第2イザヤの「主の僕」の詩 を「キリスト」を理解 するための鍵としています。例えばカール ・バルト、その教会教義学の最後の 第4巻「和解論」の1「僕と しての主イエス・キリスト」、2「主としての僕イエスキ リスト」と展 開していきます。この章題からみても、それが〈主の僕〉と関 連し ていると私は受け取ています。文学においてもドストエフスキーの小説の中で 〈大審問官〉 の件り――16世紀セルビアの寺院、集まった群衆の中に群 衆に仕える 一人の男を大審問官は見出す。彼は直感する、 この男はキリストだと。牢につなか ゙せ、夜、男を尋問する。悪 魔から試練を受けた時(マタイ4:1以下)「なぜお前は、 地上の パンを拒否したのか」。拒否していなければ地上のパンの問 題は解決 していただろうに。悪魔を礼拝するならこの世の権 力と富をやろうと誘われた時、 どうして頭を下げて権力と富を 手に入れなかったか。それが出来れば世界 はおまえの思い 通りになり、人間の自由と平和が実現しただろうにと――「カ ラ マーゾフの兄弟」で懐疑主義者の兄イワンが、信仰問題に 苦悶している弟ア リョーシャに語り聞かせる詩劇です。大審 問官がが心根をえぐるように問 い詰めでも、キリストは、無口〈主の僕〉と重なってきます。詩劇が完結されて いれば「彼は 自らをなげうち、死んで罪人のひとりに数えられ」(イザヤ53 章12)たとなるのではないでしょうか。しかし、このような〈主の僕〉の理解の 仕方が正解かどうか。 40~55章を書いた第2イザヤと〈主の僕〉の読みは簡単て ゙は なく、学者たちの諸説をとても追い切れませんが、私の思い に耳を傾けてく だされば幸いです。第2イザヤは、バビロニア 捕囚(BC583~538)の後期 の預言者です。ペルシャ帝国の キュロスがあれよあれよという間に諸国を征 服し、ついにバビ ロニア帝国まで制覇するにちがいない、そんな情報を得 てい たらしく、キュロスがヤーウェの意を受けて「油注がれたも の」、「牧者」 となり、バビロニア軍事支配を解く(イザヤ44:24 ~45:1)という。バビロ ニア側から見れば大変な危険思想。 いやそれだけでなく、イスラエルにとっ ても重大な逸脱をした 預言です。ヤーウェはキュロス王を遣って世界の主となる と 宣言してしまっているのですから。先輩の預言者たちのよう に、イスラエルか ゙他国の偶像神を礼拝した罪を糾弾し、一時 的にアッシリアを道具のように使って イスラエルを懲らしめると いう話ではないのです。そもそも、第2イザヤなん て亡国の抑 留民の一人であり、その滅亡を防ぎきれなかった神ヤーウェ の言葉 を語る一預言者にすぎない。そんな男の語りなど誰が 真剣に聞くでしょう (350:6,7)。敵の敵は味方という力学的 な理屈だけでない。敵の敵は神ヤーウェ の僕。ついにはヤ ーウェはキュロスを従え、世界の主となるという話です。そし て高揚感はピークに達す(452:13~15)。しかし、その後、 急転直下。第2イザヤ は何かおかしいと気づいたか、少なくと もそれまでの言葉とは真逆の〈主の僕〉 の詩が彼の口から流 れるように出てくる。51:2以下。こうしてヤーウェが世界 の主と なるとき、それは王たちの支配とは全く異質であり、支配とか 制覇という 語の無化、ヤーウェ自身がまさに僕となって仕える と。妄想中の妄想の域に入っ て第2イザヤは止まってしまっ た。それを受け止めて動かしていくのはイエスで しょう。
2月11日 マタイによる福音書 27:1-14 「分断への抵抗を」 八木かおりわたしは、ここしばらく「マタイによる福音書によれ ば~」という形 で連続で話をしてきています。それは、聖 書に採録されている文書には、それそ ゙れ著者独自の見解 が反映された記述がなされていること、わたしはそれを 普 通に大切にしたいと思っているからです(と言いつ つ、そのうえで語るワタシ自 身が勝手なことも言います が)。というよりも、特定の断片的なテキストから無 理 やり何らかのメッセージを引き出すという聖書日課的な やり方が好きでは ありません。好き嫌いで言ってしまっ ていますが、理解が浅薄なものになる し納得がいかない とも思っています。言葉も文章も物語に、そのものに返 すべ きだとわたしは考えているからです。本日のテキストについては、イスカリオテ のユダが、 祭司長たちに銀貨30枚でイエスを売った(26:14-16)こ と、またイ エスの逮捕に彼が関わったこと(26:47-50) が前提となっています。イエスは当 時のユダヤ共同体の 決議機関である最高法院の審議を経て、ローマ総督の法 廷 に引き渡されることになりました。彼は、ローマ帝国 の支配化に組み込まれていた 属州ユダヤの民族共同体を 代表する組織から、「祭司長たちと民の長老たち」に よっ て、当時は宗主国だったローマにおける反逆者として告 発されたのです。 イエスが登場した時のユダヤの状況は、ローマが帝政 に移行しつつあった時 代で、またサマリア、ユダヤ、イド マヤ地方がローマの直轄属州となりロー マから総督とい う役職が派遣されていたのと同時に、ハスモン家と結び ついた ヘロデ家のヘロデ・アンティパスがガリラヤとペ レアの領主、ヘロテ ゙・フィリポがイトラヤとトラコン地 方の領主として残っているという複合的 な状況にありま した。ヘロデ家のアンティパスもフィリポも、先のヘロ デ 大王と呼ばれる人の息子です。彼はイドマヤ出身であ り、ユダヤ人で はありません。ヘロデ大王は、その父アン ティパトロスがローマ将軍と親交か ゙あり、ハスモン家の 王位継承をめぐる争いがおきた時に、将軍ポンペイ ウス によるエルサレム陥落(ユダヤ征服)を父が導いた功績 からローマによって ユダヤ王と任命され、さらに武力行 使によってそれを認めさせた経緯によって王 となった人物です。これにより、ユダヤの民から憎悪もされ、彼自身 も死ぬまて ゙その地位に固執し、その座を奪うと判断した 者は、自分の子であろうと処分し たと伝えられていま す。加えて、ユダヤ内部では、サドカイ派、ファリサイ 派、 エッセネ派といった分派が、これもまた複雑に起こって いたといいます。そ こに、登場したのがイエスで、彼らは ナザレ派と名付けられてもいますが、 その活動は主流派 からは弾圧の対象となった、そこにイスカリオテのユダ が登 場します。イスカリオテのユダの最後については、2つの記述が あります。マタ イによるものと、もうひとつが使徒言行 録(1:17-19)です。使徒言行録は、ルカ による福音書の 執筆者が続編として書いたものです。そして、マタイに よれは ゙、ユダはイエスが処刑されることにまで至ること は想定していなかった、 そして銀を返却しに行ったもの のそれは受け取られず、彼はその責によって自死 してし まいます。ところが、使徒言行録の記述は、ペトロから の、それは自業 自得的な報告(そもそも逮捕時に3度否 認したオマエがどの口で言っとるねん と思いますけど) となっています。イエスに関する物語は、とても複合的で複雑 な当時の 事情として、人のつくる社会情勢としては、とても典型 的なものだと考 えます。権力と支配が人々を圧する時 に、圧を受ける側が分断され、そこにお いて切り捨てら れる存在がつくられてしまう。聖書の場合は、当時をど こまて ゙再現できるかには限界がありますが、それでも、 具体性を再現することて ゙、例えばイエスの処刑をどう考 えるかというところにおいて、問われている のだと思い ます。そして、イスカリオテのユダに関しては、彼を単純 に裏切り 者として切り捨てるのはたやすいです。しか し、情況を把握したうえで考え、 判断し試み続けること が、わたしたちには託されてもいるのだと思います。
2月4日 ヨブ記38章1~8節 「言語事故」 久保田文貞 前回の冒頭で申し上げた通り、世界とそれに連動している 社会は今 にも崩れ落ちそうな様相を示しています。いつの時 点からこんな風になってしまっ たのかと問うてみても、答えが 出てきそうにもない。子どもの時から親や教師 たちから叩き込 まれた〈反省〉が通用するなら反省もしよう。〈反省〉とは聖書 的な表現で言えば、〈悔い改め〉となるでしょうか。では反省とか悔改めと かということで、なにが始まるかと思 い描いてみるとつぎのようになりま す。――流れに乗って運 ばれて行く自分をまず一度止めなければならない。次 になに が間違っていたか突き止めなければならない。そのために は、何が正 しいのか判断できる物差しを持っている必要があ る。その上で予審判事のよ うに自分を仮に裁いておかなけれ ばならない。そこで初めて〈反省した自分〉 を真の裁き手に引 き渡す―― でも果たしてそんなことができるでしょうか。 反省にしろ、悔改めなるものにしろ、そこには冷ややかに 自分を突き放す自分が 立ち上がらなければなりません。まさ にそれは私たちが子供の時から親や教 師たちから学ばされ たことだと言えます。だが、それで自分や、自分の 人間仲間 の問題が解決するなら、それで良しとするよりありません。け れど も、ことはそう思い通りに運びません。そもそも困難な状況の外に立って、しかも その状況をしか と掴み取るなんてことができるのか。それが自分であれ、 他 者であれ、外から見たものは所詮外からのものでしかないで しょう。かえっ て客観的に外から見ている方がよく見えると言えな くもありません。自分が行 き詰まった時、自分以外の第三者 の勧告の方が芯をつかんでいることがあるて ゙しょう。医師やカ ウンセラーの方が自分の行き詰まりを外から解いてくれるも の と認めるべきかもしれません。アメリカの歌に、On the sunny side of the street という のがあります。〈心配事なんか忘れて、コートをとり、帽子をか ふ ゙って、お出かけなさい。道の日差しの当たる側を通って行 きなさい〉というよう な歌詞です。ここでは歌の文句がカンセラ ーのようなものです。これで 心配事が解決するなら別にそれ でいいのですが、どうしても引っかかる のは、この場合も外に 出なさいよと歌の文句が言う、それを受けて外にでる、 そして なんらかの解決への道をたどるという公式的な在り方になっ ていることて ゙す。しかし、ヨブ記はこの歌のような道を辿りませ ん。かつてヨブがいか に豊かで家族に恵まれ、その上正義の人であり貧しい人、弱い人に慈しむ人だっ たかと、29章彼自 身の言葉で滔々と歌い上げています。その後、そんな自分 の 財産、家族、社会的地位を今やすべて失って30章19節 「泥の中に投げ込まれ塵 芥に等しくなってしまった。」と言い ます。なぜこうなったのか、自分に非が あるとはどうしても思え ない(31章)。これは3人の友人たちの言葉に対する反論の 結 論にあたります。3人の友人たちの論理は、人はどうあがいて も神のように なれない、神のように善悪を知り、命の木の実を 食し死を免れることはできない。 人には頂きが天に届く町を 築くことはできない、言語はバラバラになって すべてを貫く知 恵を持てない。その道理を破る者には必ず神の鉄槌が下る と、 友人たちの知恵が語っています。神の絶対的な正しさの 前提に立つと、人間の営 みは一見正しそうに見えても傲慢そ のものの上に積み重ねられた罪悪にすぎぬと いう理屈です。 災いがあるとするなら、それはすべて悪事の結果だと、ま さに 因果応報思想です。友人たちがそんな正論じみたことを繰り 返して言え るのは、彼らが外に出てしまっている人間であるこ とを気づいていないからた ゙。「絶望している者にこそ友は忠 実であるべきだ。」 外から、外の知恵を 働かせて、何になる か。絶望している者と共に、その内にあれ。その内にあって、 自分たちの言葉、知恵が通じない、働かないところにあること を認めよ」と言っ ているように聞こえます。とにかくヨブ゙は、呻き続けます。無実だと言い張り ます。し かし、31章にみるように無実だと言い張れば張るだけ、空しく なる のですが、その空しい所から逃れ出ることをいさぎよしと しない。神学の装 いをした問いに逃げ込まない。ただただ不 条理な現実を、訴えるのです。 (新しく登場するエリフの言葉 32~37章は後代の付加として外します。)いきなり神の 声が、ヨブの頭の上に、またヨブの気持ちが わかったような気になりかけ てきた私たち読者の頭の上に降 りかかります38章。ヨブと友人たちの対論の周囲 にへばりつ いていた論理など無視するかのように。ただヨブに向かって 神 の言葉が注がれるのです。その神の言葉は「深淵の底」 「死の門」「暗黒」、 混沌から世界を創造したことを明かすので す。そして人の言葉も知恵もまるで 事故にでもあったよ うにその創造の内にしかないこと。かろうじてその内部 に あって授けられた知恵を働かせて生きるだけ、「彼の 進んだ跡には光が輝き、 深淵は白髪をなびかせる。この 地上に、彼を支配する者はいない」と。最後まて ゙こうして 人の内部にとどまったヨブが、聞いた言葉で終わる。41 章5節 「あなたのことは片耳にしてはいましたが、今、わ が片眼はあなたを見ました。 それゆえ私は(わが生を) 等閑にし、塵芥について思い直します。」(上村静訳)
1月28日 特別集会 「平和への道を考える~惻隠の情~」 ルカによる福音書10章25~37節 谷村徳幸さん 8月6日は「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念 式」が行なわれています。 広島市長がここでどんな平和 宣言をするか毎年期待して聞いていますが、 いつも裏切 られます。「子どもの平和の誓い」もありますが、教師に やらされ ている感が拭えず、内容的に私の心を動かすこ とはほぼありませんでした。 ところが、昨年の「子ども代表 平和への誓い」には頷 ける所がありました。 「みなさんにとって『平和』とは何 ですか。争いや戦争がないこと。差別をせす ゙、違いを認め 合うこと。悪口を言ったり、けんかをしたりせず、みんな が笑 顔になれること。身近なところにも、たくさんの平 和があります。」こんな言葉 から始まりました。そして最 後に「私たちにもできることがあります。自分の 思いを 伝える前に、相手の気持ちを考えること。友だちのよい ところを見つける こと。みんなの笑顔のために自分の力 を使うこと。」「身近にある平和をつないて ゙いくために、 一人一人が行動していきます。」 一人ひとりは小さな歩みです。 でも身の回りで不断に 行なっていくことが差別や戦争のない世界を創り出し て いくと思います。これが今日の結論です。 なぜそうなのか。ここに一つの 研究があります。約10 年前、大阪大学大学院人間科学研究科が「社会間接互恵 性」を世界で初めて証明したものです。5歳児が親切のや りとりを直接では なく間接で行なっていることを証明し た研究です。 所謂「情けは人のためなら ず」を証明した?として一部 マスコミなどで取り上げられました。親切や優 しさは、 B⇨C A⇨B D⇨A E⇨D のように間接的に伝 播していくことを証明した研究で す。小さな親切が伝播 してその集団全体が互恵社会になるということを証明し ました。 平和を考えるために、示唆を受けたことをもう一つ紹 介します。 アルノ・ グリューンの著作「私は戦争のない世界を望 む」と「従順という心の病」から学は ゙されました。彼(1923 ~2015)はナチス・ドイツの差別・弾圧を経験したユダ ヤ人精神分析医でした。90歳をこえる晩年の精神分析医 が豊富な臨床事例と自 身がユダヤ人として歴史に翻弄さ れた経験を踏まえて次世代に向けで執筆し た遺言のよう な著作です。彼は「戦争は避けることはできる『それは、私たちか ゙考える以上に簡単なことだ』」と主張し、両著書 で「共感する」ことを強調 します。 ⇨ 詳細は説教で ⇨ 。 宣教題の「惻隠の情」とはひしひしといたわしく 思うと 言う意味です。心がある対象に引かれて、つらつらと思 いがたえない ことを意味します。 今日のテクストの33節にも「憐れむ」という言葉があ ります。 「憐れむ」とは何か、キリスト教にとって大きな 課題だと思います。 33節に 「憐れに思って」とあります。「憐れむ」はルカ福 音書に大きく二つある。一つは 「エレイソン」=苦しみを 分かる、そしてもう一つは今日の箇所で「スプランク ノ ン」です。「エレイソン」は「キリエ エレイソン」は、「主 よ、わたしのこ とを分かって下さい」と訳すことができ ます。 「スプランクノン」は、ルカ 福音書には3カ所使われて いいます。本田哲郎神父はこれを「はらわたを突き動か される」と訳しています。原語に忠実な訳だと思います。 人の苦しみ・悲惨・悲 しみに出会ったとき、それを「分 かる」だけではなく分かると同時に、文字通 りはらわた が突き動かされるような心になる。そういう状態を意味 しているのか ゙「スプランクノン」。 同情・憐れみというのはまず人の苦しみを苦しみとし て分かり(エレイソン)、そしてそれを分かることによ って、はらわたが突き動か されて同じ気持ちになる、い てもたってもいられなくなることです。惻隠の情て ゙す。 イエスは、弱くされた者の苦しみ悲しみを分かり、些 細な苦しみや悲しみの ために自らのはらわたを突き動か して、私たちに「泣かなくてよい」「苦しまなく てよい」と いって善き道を備えてくれます。だから私たち同士も、 まずは、こ の教会で、この地域で、苦しみや悲しみが分か ったら、自分のはらわたを突 き動かされて、そこに寄り 添っていたいと思います。それが平和につながりま す。 共感することは平和への道です。 たとえ話を見てみましょう。「善きサマリ ア人のたと え」です。今日の聖書に5種類の人がでてきます。1旅人 2追いはき ゙3祭司4レビ人5サマリア人です。それぞれ 弱く小さくされ弾圧搾取される人、 弱者から搾取し自分 だけを喜ばす人間と、それを傍観する者、共感する人間 の 3タイプに分けることができるでしょう。 イエスはサマリア人にならって隣 人になりなさい、と すすめます。これが平和への道だと思います。私たちに は 「憐れむ」「同情」「惻隠」という言葉がすでにあるよう に、それができ るはずです。
1月21日 ヨブ記11章1~8節 「神と人の間に立つ知なんて」 久保田文貞 元旦に能登で大地震があって、日を追うごとにその被害の 甚大なることがわかってき ました。NHKは昨年から減らしたB S3をそれだけのために復活させて報道を続けて います。確 かに大地震は、その地域の人々の平穏な生活をあっという 間に根底から 覆しどん底に引きずり込みました。そんなあり 様を知らされて正月だからと 言ってうかうかしておれないとみ なが気を引き締めたことでしょう。そして被 災者のために何か してあげられないかと思ったことでしょう。 昨年までの数 年、一方でロシアのウクライナ侵攻、イスラエ ルのガザ襲撃という戦争状態か ゙続き、一方では世界をまたに かけた高度な技術を駆使した世界資本主義の勢いか ゙止まら ない、その陰で取り残された人々が飢餓と貧困に追いやられ る、そん な世界の矛盾にほっかぶりして知らん顔できない、 いや私たちの日本の社会も 確実にそんな亀裂の中を突き進 んでいると肌で感じながら、新年を迎えた 矢先でした。地震 は自然災害です。人間が生み出した成果や矛盾などお構 い なしに、これでもかと切り取った人間の断面を見せつけてきま す。なんとか支 援の体勢もできて、耐震性の強い暮らしをと 立ち直ろうとし、地震報道も落ち着 いてきたのに、世界は一 向に危険な方向に突き進んでいくのをやめない。なのに 日 本の現状はというと、次々と暴かれていく政治資金の不正、 後戻りばかりして とても前にすすむどころじゃない。 そんな中で私たちは今日、ヨブ記を読 みます。なぜヨブ記 か申し開きをしておきます。諸説ありますが、1,2章と 42章7 節以下の物語部分に今日は手を触れないことにします。 それに挟まれた詩の 部分3~31章に注目します。まずヨブ の独白で始まり、それに対するエリファス ゙以下3人の友人との 対談という形で進行していきます。32~37章のエリフの部分 はカッコに入れておきます。38章から42章6節までは大半が 神ヤハウェの声が ヨブを圧倒し、それにヨブがなんとか答え、 最後に告白して終わります。 詩 文は、いきなりヨブの生まれを呪う言葉で始まります。 3節《わたしの生まれた 日は消えうせよ。》 4節《神が上から 顧みることなく光もこれを輝かすな。》 11 節《なぜ、わたしは 母の胎にいるうちに死んでしまわなかったのか。せめて、 生 まれてすぐに息絶えなかったのか。》 私たちは1,2章の物語部分を知ってこれ を読み始めます が、おそらく本来はそれなしにいきなりヨブの呪いと嘆きの言 葉が始まったのです。ちょっと考えただけでも生れた日を呪う ということ は、親を呪い、これをはぐくむ社会を、世界を呪うこ とになります。さらに、神 と人間という関係におのずと立たさ れているイスラエル社会を生きる人間にとっ ては、神に抗議 し、神を呪うことを指しています。つまり3章のヨブの言葉の衝 撃力は、自分が生きている社会の基本構造を底からひっくり 返さんとするふてふ ゙てしいものです。 当然ながら3人の友人はヨブの言い過ぎを見過ごせな かっ たでしょう。 4章3-5《あなたは多くの人を諭し、力を失った手を強めて き た。あなたの言葉は倒れる人を起こし、くずおれる膝に 力を与えたものだった。 だが、そのあなたの上に何事かふ りかかるとあなたは弱ってしまう。》 エリファ ズは災難に遭う前の、模範的ユダヤ人ヨブの様子 を伝えます。1,2章に描かれ たヨブとつながりますが。 友人たちに共通するのは、常識的な〈知恵〉で す。たとえ ば5章6《土からは、苦しみは生じない。それなのに、人間は 生まれ れば必ず苦しむ。》 人が生きていれば、天災にしろ 人災にしろだれで もありうることだ。ジタバタしてもしかたな い。5章8《わたしなら、神に訴 え神にわたしの問題を任せる だろう。》 だからって悪いことばかりじゃな い、かならず5章1 5-16 ≪神は貧しい人を剣の刃から権力者の手から救い出 してく ださる。だから、弱い人にも希望がある。》 5章20≪飢 饉の時には死から、戦 いの時には剣から助け出してくださ る。》 神に信頼してただ待つことだと。 彼の言葉にヨブの心は揺れるのだが、ヨブの無力感、絶 望、友人への失望 を取り払うことはできない。 もう一人の友人ビルダドは言う、8章2《あな たの子らが神に 対して過ちを犯したからこそ彼らをその罪の手にゆだねられ た のだ。》 今のヨブ一族の災難は過去人間の罪業に対す る神の罰なんだと、解 釈して見せる。これって一番つま らない講釈に見えます。 ヨブが腹立たしく思 うのもよくわかります。9章2《それは確か にわたしも知っている。神より正しいと 主張できる人間があろ うか。しかし、わたしが呼びかけても返事はなさる まい。わたし の声に耳を傾けてくださるとは思えない。・・・無垢かどうかす ら、もうわたしは知らない。生きていたくない。》 そして11章1以下、友人ツォファ ルがヨブを叱責する。ヨブ の言葉は、傲慢な自己主張にすぎない、神が ヨブになん と言われるか聞きたいものだと。一応、3人の友人がヨブ を問 い詰め、説得し〈対論〉の形になっていますが、3人の 知恵じみた言葉はヨブ に突き刺さることはない。知恵の 言葉はヨブを助けることはない。ただヨブ は独り自分の 生と向き合うよりない。孤独と言えばそのとおりだが、 そうやっ て向き合うよりないというのです。 次回へ。
2024.1.14 ガラテヤ書6章1~ 6節 説教 「重荷を負い合う」 板垣弘毅 06:02互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこ そ、キリストの律法を全うする ことになるのです。 ガラテア書の背景などの説明は別の機会にして、きょ う はこの一句に集中します。 北海道浦河市に「浦河べてるの家」があります。精 神 科を退院をした人たちが共同生活する場所です。向谷地 生良(むかいやちい くよし) さんたちが1979年、教会 の一角で始めました。「当事者さん」の言葉て ゙すが、「結 局サ、精神病は職業なんだよ。プロ野球選手と同じ。だ っ て精神病になるための人生しか用意されていないんだ から。何をやってもうまく いかなかったけど、精神病と いう職業だけは就けた。」 きょうの聖書の「重荷」 について、「べてる」の歩みか ら考えてみようと思いました。当事者でもない のに題材 にして...という引け目はありますが、自分自身40年以 上<牧師>という 務めを負ってきて、精神的に苦しい人 たちとは日常的につきあってきました。牧師 館というの は逃げ場がありません。 ............ ユダヤ人のキリスト者て ゙あったパウロです が、ガラテアの教会では、願うような結果は得られ なか ったようです。その中で「重荷」を負い合え、といいま す。 「重荷」と は何か。自分のことで恐縮ですが、私は 生後10ヶ月で東京空襲に襲われ、 燃えさかる街を母の 背中で逃げ延び、その後焼け跡の町で、居るところも 食 べるものもない難民になりますが、そこから始まる母子 家庭の自分の人生を 「重荷」と思ったことはありません。 でもガザの血だらけの赤ちゃんの映 像には、体ごと他人 事ではありません。ここにはとんでもない重荷がある こ とはいうまでもありません。生まれた環境や貧しさは確 かに重荷をもたらしま す。 「べてる」の人が言ったように自分の精神病を「職業 だ」と言うとき、 「重荷」という言葉も越えているのかも しれません。「べてる」では「他人の 価値観を生きない」 といわれます。医師も患者も主導権を取らず、当事者と 考え る。そのためにする「苦労」、当事者の重荷を、当事 者である自分をだいじ にする、という風に捉えます。き ょうのパウロの言葉では4,5節です。 「各 自で、自分の行いを吟味してみなさい。... ...めいめいが、自分の重荷を担うへ ゙きです。」 ある聖書学者のいうとおり「自分の重荷を担うべきで す。」は 原文が未来形であり、「べきです」ではなく「め いめいが自分の重荷 を担うことになる」、というふうに訳 すべきだと思います。前後関係から、そ れはめいめいが、 最後には神の前に立ち、最終的に自分自身を受け取り直 すとい うことです。わたし流にいえば、貧しくてもちっ ぽけでも、自分自身を掘 り下げて、さいごは「他人の価 値観を生きない」で、自分を神の前に差し出 す、という ことになります。きょうのパウロの言葉にもどります。 「互いに重 荷を担いなさい。そのようにしてこ そ、キリストの律法を全うすることになるのて ゙す。」 互いに負い合うべき重荷とは何か。抜き差しならない 家族の確執や取り 返しのつかない過失とか、お金の工面 とか、わたしが勤めていた教会の牧師館に は持ち込まれ ました。「重荷を負い合いなさい」という精神で牧師にな ったつも りでしたが、できるだけのことはした、と胸を 張れる気になれません。し かしここで「重荷」とは、具 体的にする援助の根本にあるとことだと思えます。 それ はその人の重荷を「負う」などということはできない! という洞察です。 当事者しかできないことを心に刻んで いっしょに生きることです。たまたま ここに置かれてい る当事者同士が、置かれているという受け身の関係を引 き受け るということなのだと思います。 立派な専門家や評論家の意見を自分の意見にし ないで いい。「他人の価値観を生きない」「自分の苦労を引き受 ける」ことによっ て、人は「ほかの世界とつながれる」 と向谷地さんは言います。 「他人の重荷を 負いあえ」それは誰も代ってあげられ ない重荷があるあることをお互いに認め 合うことなのだ と思います。その人の現実の苦境を助け合うことは相手 の人だ けの重荷を認識する入り口なのだと思います。「重 荷」という言葉をこのように 読んできたのはすぐ、「そう すればキリストの律法を全うするだろう」とハ ゚ウロが続 けているからです。 「キリストの律法」とは何か。...... 「わた しの兄弟であるこの最も小さい者にしたのはわた しにしてくれたことなのだ」 (マタイ福音書25章)この 福音書の背景があるにしても、ここには原始キリスト教 の、最初の信徒がイエスに出会った福音が響いていると 思います。 パウロは 「キリストの律法」と言いました。律法をど う守るかで人は救われないと深く 気づいたはずのパウロ が、律法から自由になって、なおこう言っているのて ゙す。 それは「罪赦された」と宣言されても、それで終わりで はない、間を置 かず「ではどう生きるか」が問われるか らです。......(以下略 全文は 板垣まで)
1月7 マルコ福音書1章1~15節 「あら野から」 久保田文貞 新年というのは、「今年こそは...しよう」と妙に意気込んでしまうところがあ ります。で、その...を始めるわけですが、たいて いは数日で挫折してしま う。白状すると私もその一人です。 でも、中には始めたことを続けている人か ゙いるものです。そん な人を見ると、その人は...をどんなふうにして始めたの か気 になります。今日は、新しい年の最初の礼拝でもあり、「...を 始める」に ついて考えてみようと思います。 もちろんここでダラダラと一般論を述べ るつもりはありませ ん。イエスの福音の始まりを通して考えようとしています。格 好の材料は当然4つの「福音書」です。イエスの宣教活動の 始まりが「これそ ゙、...の始め」とばかりに書かれています。た だし、その前にマタイ福音書と ルカ福音書は明暗の差はあり ますがメルヘン的な誕生物語をおいた。そのおかけ ゙で小さな 子どもたちも、忙しい母たちも、その始まりに関心を持つこと が でき、その祝いの輪は大いに広がった。でも、どんなにナ イーブなメル ヘンもそれを受け取る人や社会に都合の良いよ うに引き回され、無残にも思いもよ らぬ形で晒しものになって しまう。結局、福音書が描き出したイエスの福音の 始めもどこ かに吹き飛んでしまったのではないか。(という私、斜にかま え、 なにかと難癖をつけるいやな年寄りなっていると気づい て絶句しかかっていますか ゙、続けます) 一番最初に書かれたとされるマルコ福音書は、今風に言 えば報道 マンのように、埋もれかけたある一人の男の活動を 取りあげ、特集を組んだ。 それがナザレ出身のイエスの全活 動の記録=『マルコによる福音書』だと言っ てよいでしょう。こ の特集の始めをどうするか、もちろんお手本などなかっ たは ずです。このスクープをものにしている報道マンの手にかか っています。 彼は十字架の死と「復活?」いうイエスの生涯の 終わり方を知っているわけです。 だから、そこへと至る道の 「始まり」指し示せばいいわけですが、そうい う手法を彼は取 らなかった。つまり、キリストの十字架と死と復活→私たちの 罪の 赦し(この定式をケーリュグマとしておきます)という結論 のための活動の記録と いうかたちをとらなかった。イエスの終 わりからその前を辿っていくと、また別の イエスの姿が現れて くる。それがなにかと決めつけるわけにはいかないけれと ゙も、 イエスの活動の後を追っていくとケーリュグマの定式が押さえ てきたも のでは捉えきれない物語がいっぱい出てきてしまう。 イエスと人々(マルコ福 音書ではかれらをもっぱら「群衆」と読 んでいます)の出会いの中で生まれ た数々の物語は、あの 結論とは別の道を歩み始め、別の所に行きつきかねないも の を含んでいるように思えてなりません。こうしてかの報道マ ンは特集を組んで イエスの活動を探っているうちに、ところど ころケリュグマ告白者が期待し ているものにそぐわないものに してしまったと言わざるを得ません。 となると、 その特集をどう始めるか、大きな問題です。まず は原始教会にならって、イ エスの活動を(旧約)聖書的に、数 百年以上前の預言者(マラキ3:1、イザヤ40:3)の 言葉の相の もとにおく。つまりこれは神が備えた道であることを宣言する。 そ れをその時代に生き方とファッションで示した洗礼者ヨハネ という人物に託する ように持ってくる。彼は人間の歴史・文化 を忌避するかのような〈荒野〉から神の 審判が迫っているとい う信号を発信する。汚れた人間たちの外側から、清らかな 真 の世界の言葉を投げつけ、根本的な自己変革を迫ります。 事の真偽は確かめよ うもありませんが、イエスは洗礼者ヨ ハネからバプテスマを受けたと特集記 者は書きます。ならば イエスも彼の弟子になったのか、その清らかな真の世界の 人 になったのかと思いたくなりますが、イエスはその後、ガリラヤ 地方といっ ても国境に位置する辺境の町カペナウムに拠点 を置いて活動を始めます。その活 動の外見は、救助を必要 とする民衆たちの医療や生活支援活動のようなものです。 土 地を失い、家族が解体し、町に出れば何とかなるだろうと辺 境の町に流れ 着いた人々の中にイエスは入っていき、支援 の活動の仲間を募り、そこで人々か ゙抱えた悩みを聞き、相談 にのり、慰めとなり、勇気づける言葉を語る。洗礼者 ヨハネの もとを離れて、イエス自身の活動の始まりをこのように描いて いきます。 最初は十字架につけられて死によみがえったイエスこ そ神の子キリストだと大 胆に告白する人々の言葉に触発 され、この人の特集モノを組んで行くうちにそこ から次 第にずれていく。広く世界に報道しようとして始めたも のの、そのイエス の活動の始めは、なんら世界を変革す るような力のみなぎったものでもなく、 世界を俯瞰し 〈知〉を究めるものでもない。また洗礼者ヨハネのような 世界を浄 化する〈水〉でもない。むしろ洗礼者ヨハネのも とを去って、俗界の巷の中に繰 り広げるよりない人間仲 間の始まりの束とでもいうようなものだったので す。だ から、カッコウを気にして、始めをどこに据えようかな んてかまえず、 自分なりにでいいから、イエスといっし ょに人によりそい、手を貸し、あるいは 借り、力を出し合 い、慰めの言葉を聞き取り合い、人を慰める言葉を語り 合い、身 を動かすことで始めればよいのでしょう。それ があの特集が呼びかけ ていることではないでしょうか。
12月31日 テサロニケの信徒への手紙二 2章13~17節 「感謝で始める」 飯田義也 今日は日曜日・・同時に一年の最後の日にあたりま す。月並みですか ゙、自分自身この一年はどんな年だった か振り返ってみました。 やっぱり戦 争のことが大きな課題です。2022年2月24 日からロシアによるウクライナ侵攻か ゙始まり、今年も継 続、進行中。2023年10月7日にハマスによるイスラエル攻 撃を きっかけにイスラエルによるガザ侵攻が始まり、進 行中。日本はといえば、 中国が攻めてきたら・・という ような流言の中で、無意味な軍拡をさしたる議 論もなく 開始、欠陥品で製造中止になった兵器を高額で購入する など、財源 も考えず推進中。沖縄、辺野古での基地建設は まったく筋が通らず地勢と しても無理なのに絶対やめ ず、・・そうそう万博も破綻が明らかなのにやめる と言 いません。・・・・・ 自分自身は・・と最初に言いましたが、なにか腹が 立 って仕方ない一年だったと思っています。聖書の「平和 を実現する人々は幸い である」なんていう言葉をなまじ 知っているものですから、ちっとも実現て ゙きない自分に もいらだっています。鏡を見ると相当人相悪いです。 いや・・ だからこそ、ちょっと待てよ・・なのかも知 れません。 落ち着くためもあり今日 の話の準備をしながら、バー クレーの注解書を見てみました。 テサロニケの信 徒への手紙は鳥羽徳子訳でした。鳥羽 夫妻は小金教会の牧師だったこともあり、 小学生の頃英 語を習っておりました。 さて今回、あらためて開いてみて、そういう 時代だっ たんだなぁとある種の感慨がありました。テサロニケの あるバル カン半島南部、マケドニアですが、アレキサン ダー大王のいたところだ そうです。バークレーはアレキ サンダー大王がアジア大陸全体を支配し たことについて 無批判に賞賛していました。領土が広がるってことは、 それた ゙け人を殺しているというような意識は持っていな いようです。そういえば、 たとえば徳川家康も、テレビ等 では偉人として扱われているようです。今 現在もです ね。 古代の王は、他者の死に敏感な性格では生き残れない 立場た ゙ったということもあるでしょうか。こうした「も のの感じ方」という部分は とても大切だと思うのです。 もう戦争という時代じゃないという価値観を広 めていき たいと思うのです。 聖書では「テサロニケ」ですが「テッサロニ キ(WEB で の発音では「テサロニケ」に近い感じも・・)」の表記で、 現在、 アテネに続きギリシャ第二の都市として100万人 を超える人口だとのこと。パ ウロはここに初代の教会を 建てましたが、それはユダヤ人の妨害により消滅し てし まい、現在残っている古代教会の遺跡はキリスト教ロー マ時代の建築物なのた ゙ということでした。 テサロニケの信徒への手紙は、パウロの手紙の中で最 初期の手紙で「一」と「二」は続けて(もしかすると数週間 の間隔で)書かれて いるらしいというのが定説です。 キリストの教会を建てよう・・というパウ ロの想いは 「イエス・キリストの福音に生きる」という彼が得た新し い価値観を 人々に伝えたいという想いが原動力です。 今日、あらためて聖書日課のこの箇 所を読んで、少し 反省しました。 いま、関わっているある組織で、トップの ハラスメン トが問題になっています。人の振り見てで、その方の立 ち居振る舞 いを思いながら、我が振りを直そうと思いま した。現実の生活で「あんた性 格直しなよ!」なぁんて言 ってくれる人はいないわけで、自ら自分を評価してみる しかないのです。一年を振り返って「神様助けて!」ばか りだったような気か ゙しています。現実に怒りながら、神 様に頼ってばかり。平和は人と人の間て ゙作り出すよりほ かないと先週聴いたばかりの今日なのでした。 パウロは、 教会の人々にある生き方を勧めるのに、感 謝から始めているのでした。周囲の人々 に対して直接あ りがとう・・というより、周囲の人々がそのようにい る、あら しめる神に感謝しているのです。超訳すると「こ の人たちをいさせてくださっ て神様ありがとう」という ことです。 そうか、わたしは自分の周囲の人々や世 界に感謝の念 をもったこと・・あったかなぁと、振り返っておりま す。新しい年は、 感謝で始めて行こうと思います。
12月24日 クリスマス賛美礼拝 ルカ福音書2章1~20節 『地には平和』を 久保田文貞 クリスマス物語は、神が地上における栄光を放棄し、この 地のすべての人間にこ ゙自分の平和をゆずりわたすことを意 味する。もし人が、この地上に神の子か ゙誕生したことを知っ て、これからはその神の子を中心にこの地上が神の王国に なるとでも思うなら、ひどい錯覚である。ひ弱な赤子を自分た ちの手元に置 いて、自分たちがしばらくはその赤子の代理を するのだなどと自負するな ら、詐欺である。 かつて預言者はこう語り得た、≪わたしは唇の実りを創造 し、 与えよう。平和、平和、遠くにいる者にも近くにいる者に も。わたしは彼をいやす、 と主は言われる。≫イザヤ57:19 しかし、もはや神はそのような人間への関わり方 をやめた。 神は、ご自分の栄光と、その反映のように見なされてきた地 上の平和 とを結びつけてきた回路を切断された。これがクリ スマス物語の真意である。 この地上に、神の権威を笠に着 て、戦いに勝利し、この地上を支配し平和を築こう などとゆめ ゆめ思うな。神はそれに加担しない、それがクリスマスの物語 と賛 歌の意味だ。 今もなお、露骨に神の名を掲げて、神を支配の道具にしよ うとす る人々がいる。申すまでもない、どんなに声高に神の 名を呼ぼうと、いす ゙れの神もそこに臨在することはない。ま た、更に崇高な神の祭司であるかのよ うに、神の権威のもと 争いの仲立ちをして、仮の平和を築こうとする者があらわ れ る。一時の和平が築かれるかもしれない。だが、誰もがうすう すと気つ ゙いている。その和平の影で、たくさんの人が置き去り にされ、苦しんでい ることを。神はそんなつもりで栄光を放棄 し、地上における平和の人に託したのて ゙はない。 ≪いと高きところには栄光、神にあれ、 地には平和、み心に適う人にあ れ。≫ 天の大軍、軍のように見えてかれらは武器などもたない、 かれらの仕事は 神を賛美すること、彼らはクリスマスの真意が なにか賛美の声をもって知らせる。 「み心に適う人にあれ。」 ここはヘブライ語とギリシャ語の間 をゆく原始キ リスト教の賛歌の文句ゆえ、意味がはっきりしな いところだが、「喜ぶこ との人々に」とあるだけ。喜ぶのは「神」 だろうと想像はつくが、神が なにを喜ばれるのか。少なくとも ご自分の「み心に適う」人間だけに限定し て「地には平和」と いうのではないだろう。人間とは、神が喜びをもって 創造され た存在だったことを感謝している言葉だろう。 だが、神が喜ひ ゙をもって創造された人間に託された平和 が、今日もまたずたずたになった まま、クリスマスを迎えなけ ればならないとは。私たちとしては、神よ、この地 上を支配す る権威を放棄してしまったのは、あまりに拙速ではなかった かと、抗 議したいほどである。 マタイ福音書5章9節に、成人したイエスが人々に説教 した 次のような言葉がある。 ≪平和を実現する人々は、幸いである、 その人 たちは神の子と呼ばれる。≫ 「山上の説教」の冒頭に8つの祝福の言葉が出てく る。この場 合、イエスのもとに集まって来たのはただの群衆ではない。イ エス の運動に賛同して活動しようという人々になっている。そ の運動の結果、彼らが なんと呼ばれようと大した問題ではな い。神が人に託した平和の実現のため に、人が自分たちの 間でやりくりし、工夫し、協議し、説得し、体を動かすこ と、そ れができているってすばらしいではないか、それがこの言葉 の意 味だと思う。神の権威に依存することなく、人と人との間 で創り出していくこ とよりない。 さて、これまでの話とどれだけ重なるか自信がないけれど、 古田足日・田畑精一作『おしいれのぼうけん』。北松戸教会 は1975年に集会を始 めたが、大人の礼拝のかたわら子ども の礼もと思い、子ども会や文庫活動を 行った。そのための寄 付を募り百冊の本を揃えた。その中の一冊がこれだった。 出 版されて1,2年だった。お話は保育園での出来事。そこに悪 い子を入れる押 入れがある。閉じ込められた子に恐いネズミ ばあさんが出てくると先生か ゙言うのをみんな信じている。ある お昼寝の前、ヤンチャなさとしがあきらの ミニカーを横取りし てしまう。あきらが追いかけ、さとしが逃げる。ねてい たほかの 子を踏んだり蹴ったり。するとちょっとこわめの水野先生がケ ンカ両 成敗とばかりふたりを捕まえて押入れに閉じ込める。 ごめんなさいをしたら 出してあげようとするが、いつまでたっ てもごめんなさいをしてこない。 それどころか二人とも戸を蹴 飛ばして暴れる。ケンカしていたはずのふたりか ゙なぐさめあっ て仲良くなっていく。疲れて眠くなりかけた二人にネズミば あ さんと無数のネズミたちが現れる。あやまりなさいそうしないと 食べちゃ うぞと脅してくる。さすがのさとしもごめんなさいしよう かと揺れるが、 気弱なはずのあきらがあやまっちゃだめだと 頑張る。二人はこうしてネス ゙ミばあさんたちの攻撃をかいくぐ って逃げる。ついに捕まって絶対絶命か と思うところにミニカ ーとミニ機関車が現れて二人を助ける。二人はさいごまて ゙納 得できないことはあやまらないと筋を通す。こんまけして先生 は二人を押入 れから出してやる。ほかの子らは大よろこび。 先生たちもふたりが「実現した」 平和をいっしょに喜ぶ。 ≪天には栄光、神にあれ、地には平和、人にあれ。≫ ちょっ と無理があるかな。
12月17日 マタイ2章1~3節 「ベツレヘム断章」 久保田文貞 先週この教会でクリスマスの準備の話になったとき、「クリス マスを祝うなんて 気になれない」という声が上がりました。確 かに、世の中は平和とマ反対の方 に突き進んでいま す。 テロに対する報復という名目でイスラエルはハマスの根 拠 地ガザ地区を攻撃し、NHK解説記事によれば12月10日現在 で約1万8000人 の死者があり、うち4割が子どもなっていま す。連日のように北部から南部に かけてのミサイル攻撃など でガザの市街地は瓦礫の山となっていく映像か ゙送られてきま す。ガザの面積はおよそ360km²、東京23区の3分の1位、人 口は 220万人、人口密度は6018人/km²、(ちなみに東京6425 人/km²)。ガザ全体が封 鎖されていて補給もままならない。地 区を出よと言われて行く当てもないからとと ゙まるものも多い。 そこへの無差別爆撃。クリスマス頃に何かの理由をつけてし は ゙しの停戦があるかもしれないが、だからなに!と言いたくなり ます。 一方、 ベツレヘムはガザ地区から北東に70数km。現在は 西岸地区に所属しています。 ここで日本の新聞では「地区」 という語をつけていますが、そうするといか にもそこはイスラエ ル国の一部の行政区画のような扱いになります。だが、そ も そもイスラエル国とはなにか。第2次世界大戦終結後に国連 が処理した案件の 一つにイスラエル・パレスチナ分割決議19 47年があります。これはナチスド イツによるホロコースト(ユダ ヤ人絶滅)が露わになって世界中の同情を集めた 中で、十 分な検証もせず拙速に決議された。パレスチナに住むアラ ブ系の 人々には、近代に英仏などの植民地の2級市民とされ てきて、第1,2次大戦をへて、 やっと国際的な協議の下で独 立がかなうかもしれないという時に実に迷惑なも のでした。こ れをみて、イスラエルは1948年さっさと建国してしまいます。 分割 決議の内容に疑義を持っていたパレスチナ人、アラブ 諸国との間でそれ以降、 4回も中東戦争が起こり、欧米の支 援を受けてイスラエルは占領地を広げていき ます。1993年、 西岸地区とガザ地区は3次中東戦争後のオスロ合意により、 ファ タハ(アラファト議長→アッバス議長2004)の暫定自治区 になりましたが、当初よ りファタハ幹部は利権の誘惑に負け、 骨抜きにされてしまいました。その矛盾をつ いて、ハマスがガ ザで人望を得、対イスラエル批判・抵抗運動の勢力となっ て いきました。 特にこの十数年のうちに8mの高さのコンクリート製分離壁 がカ ゙ザを封鎖し、西岸地区の場合は自治区のパレスチナ人 を追い出したて不法に 入植していったユダヤ人の農地・住居 を守るためとして建てられ、こうして分離 壁は住民生活、医療 ・文化・教育・社会活動を分断していくものとなっていきます。 この数年のうちにベツレヘム近傍もあれよあれよという間に 分離壁によってイス ラエル、エルサレム市から隔たれていっ たとのことです。新約聖書のマタイ、ル カ両福音書がキリスト 生誕の地として伝承してきたベツレヘムがいまや分断 の象徴 になっています。今年のクリスマス、さすがにキリスト生誕観 光地たるヘ ゙ツレヘムへの客は現時点で大幅に減っているそ うですが、それにしてもみ などんな顔して聖地巡礼などしよう とするのか、私には理解できません。 福 音書の成立事情からみれば、両福音書のクリスマス物 語は、どうみてもクリス チャン2世、3世の子どもたちに合わせ て構成された子ども向けの物語です。 確かに子どもたちに、 イエスの十字架の死の話から入ったらそっぽ向かれてし まう でしょう。おいしいものを食べながらキリストの誕生を祝う形 で、入っ ていった方が子どもたちに喜ばれるのは当然ですか ら。特にルカ福音書の クリスマス物語は、アンデルセン的なメ ルヘンになっています。それに対し、マ タイのクリスマス物語 は劇画風で黒い影を入れているのです。 マタイの物語を 見てみましょう。ひとつは、異邦の博士が真 っ先にメシア誕生を察知し、星に導 かれて贈りものを携えや ってきます。それをユダヤ人は誰も気づかない。王か ら諮問 された学者たちが重箱の隅をつつくようにしてベツレヘムを 探し当てた のです。こうしてここに、キリスト誕生のことを、まず 他者に示されたという 違和感を外さず据えたこと。最初にイ エスを礼拝したのは自分たちでなく、ます ゙外国人だったと、 むしろ異邦人だったと(「むしろ」という副詞には、「ど ちらかと いえば」というニュアンスが入って来て事柄を緩和してしまい ますね。 でも時には和らげてはならないことがあります。で、 「むしろ」を削るへ ゙きかもしれません)。 もう一つは、もはや黒い影などとは言っておれないような 権 力志向が、そのまま無力の人間を殺害を命じてはばからぬこ と。その後の 教会がクリスマスにどんなに美しい賛美の歌を 歌おうと、ベツレヘム周辺の 赤子たちが絶命する時に張り上 げた声をかき消すわけにはいかないと、まるて ゙現代の12月の 出来事を予知していたかのように、ヘロデの幼児虐殺の話を 挿入 しました。もっとも歴史学的には、ヘロデ大王にそのよう な汚名を着せる証拠は ないのですが。としても、私たちも直 感的に権力が振りまいてきた闇を知っ ています。どんなに上 手に現実の権力者が闇を隠そうとも、その闇はガザ の闇につ ながっていると確信しつつ、クリスマスを迎えています。
12月10日 聖書 マタイ福音書26章57-75節 題 「受難するメシアの誕生へ」 八木かおり 前回は、ゲッセネマネの祈りからイエスの逮捕 について、その前段(前々回)の 晩餐の物語も含 め、イエスが弟子たちと共に食事をしたときの 「杯」(普通は 「聖餐式」の由来としてありがたがら れているもの)と、ゲッセマネでの祈 りにおいて 彼が「過ぎ去らせてください」と祈った「杯」は違う のかどう かという話をしたかったのでした。わた しは、イエスにおいては同じものとし て語られて いるのではないかと考えていました。いのちを活 かしつなぐための 飲みものが入っているはずなの に、それに、いのちを奪う飲みものが入って いるこ とがある、そんな意味での「杯」のように、聖書の語 る「契約」も「預 言」も、人の営みにおいては両義的 です。人を生かしもすれば殺しもする、し かしせめ て少しでもいいから奪うのでも奪われるのでもな い方向を見いだ すことを考えたいのです。 本日の箇所はイエスの裁判です。捕らわれたイ エス は、大祭司カイアファ(カヤパ)の法廷に立 たされました。当時の大祭司は、ロー マによって任 命されて「ユダヤ王」となったヘロデ大王以降、ロ ーマとヘロテ ゙一族の管理統制を受けるようになっ ていましたが、ユダヤ的には神殿と最高 法院の最 高責任者であるという役職でした。またヘロデ一 族は、ユダヤ人 ではなく南のイドマヤ領主だった アンティパトロスがローマ将軍ポンヘ ゚イウス(カ エサル、クラッススと共にローマ第一次三頭政治 体制を敷いたひとりて ゙、エルサレムを陥落させた 本人)との交友によりユダヤ支配を手に入れてい ま した。要は、ローマ支配下のユダヤは、当時、非 常に複雑で、民衆の不満や怒 りが暴発しかねない 状況にありました(ほぼ30年後には第一次ユダヤ 戦争か ゙起こります)。 ただし複雑とはいえ、分かりやすい構図ではあ ります。ロー マ支配下でなんとかうまくやりたい ヘロデ家と、大祭司をはじめとする神殿 の祭司や 長老たち(サドカイ派)、そして律法遵守を題目 とする律法学者など (ファリサイ派)には、民衆 の支持を得たイエスが目の上のたんこぶとなりま し た(この両者は、その前のハスモン王家時代に は血みどろの抗争を内部で繰り広 げているのです が対イエスで結束しました)。最高法院を構成し ていたの は彼らであり、この法廷における彼らの 目的はイエスを死刑とすることでした。 物語は「イ エスに不利な偽証」が提出されたものの証拠がなか ったこと、有罪 確定を導いた発端となったのが「神 の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることか ゙でき る」とイエスが言ったというものです。イエスが黙 秘したため、大 祭司は重ねて彼に「お前は神の子、 メシアなのか」と問い、それに対してイエスの 答え が「あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に 座り、天の雲に乗っ てくるのを見る」であったこと が大祭司の憤激をかい「瀆神」としての死罪判 定と なりました。 ちなみに、律法の核である十戒のなかの「殺す な」「偽証す るな」はどこに?です。そして何より、 神殿と律法の形骸化を批判したのがイ エスです。 裁かれる側の彼が当時までに拡大されてきた「メシ ア観」を裁く 側の大祭司にぶつけたところで、現代 の感覚なら「何言ってんのこいつ?」で しょうが、 そうはならなかった。これは、それを見越したうえ でのイエスの逆 襲の開始ではなかったでしょう か。 しかし彼自身は、徹底していのちを奪われ る者 でした。「復活の栄光」は、受難し奪われ続ける者か ら、奪う者への問いて ゙あったはずのものを覆い隠 していないでしょうか。彼を殺したのは何か、わ た したちは、それを問う側にも問われる側にも立た されることがあります。そん な時に彼と共にある ことを望むなら、支えられることを信じて、ともか く、人と してのじたばたを続けるしかないなあと 思う昨今です。
12月3日 マタイ福音書6章21~26節 「選びとる・生きる」 久保田文貞 福音書の著者の一人マタイは、パウロと同じくユダヤ教社 会にあって間違い なく一知識人だった。ユダヤ教社会を支え る聖書、それも特に律法を読み、こ れにもとづいて自分たち の社会を読み解き、何をすべきかと考えていく、社会 的に一 目置かれる存在であることは確かだ。マタイの場合パウロと異 なるの は、ユダヤ教のもう一つのシンボルだったエルサレム 神殿がユダヤ戦争 (66-70)の結果、破壊されなくなってしま ったことだ。イエスの福音と彼の十字架 の死に起点を置くキリ スト教は、ユダヤ教社会が分解していく歴史的分岐点に あっ て、ユダヤ教と決別して新しい集団と化していく。ユダヤ人マ タイは福音 書の新しいバージョンを書き改めることで、その乗 り換えの間に引き受けるへ ゙きことを言い表したと捉えることが できる。 彼の頭は、キリスト教と言う新 しい集団がしっかりとした道 筋を与えられぬままにしておくことはできなかっ たのだろう。 知識人的な思い上がりと言えばそのとおりだが、新しい船 出 と行け止めている船頭のような自覚の持ち主には仕方ないこ とかもしれない。マ タイは、この集団をイエスに従うという一点 に賭けるようなことをしなかった。イ エスの福音を、一ユダヤ 人としてそれまで基準としてきた律法の光の下、もう 一度照ら しなおすという方法を取った。イエスの福音は律法や預言者 を廃止するた めでなく、完成するためのもの(マタイ6:17)と位 置付ける。そして集めたイエス の言葉を彼の方針に沿って並 べ替え、この新しい集団(=教会)にイエスの〈教え〉 として指 し示そう(マタイ5:21-6:18)というわけだ。 マタイ5章から7章までを 山上の説教と言うが、マタイが思 い描く〈群衆〉とは、ちょっと関心があっ て話だけでも聞いて みるかといった群衆ではない。それまでの古いユダ ヤ教社会 から抜け出て、新しい集団に足を踏みいれようとする人間た ち、それが マタイが思い描く〈群衆〉であり〈聴衆〉である。この 説教の現場となった 〈山〉に登ってきたのは、4章25節が言う ように、いろいろな地方からやってきて 「イエスに従った」と服 従の意思をしっかり持った人々なのだ。その点で、マ ルコ福 音書の社会からはじき出されたリアルな群衆とは違う。今は そちらに踏み 込まないことにして、マタイの方に集中しよう。 こうして古き社会と決別して将来 に向けた新しい社会へと 人々を誘う知識人マタイと、(不愉快かもしれないが敢え て言 うと)そのように教育された〈群衆〉(=マタイ的教会)が立ち 現れる。もちろ ん、この両者の関係がすべて、単に重苦しい 師と弟子の関係や、支配者と被支 配者の関係に成り下がっ ていくとはかぎらない。弟子を自由に羽ばたかせて いく師も あれば、被支配者の生活を真剣に支えようとする支配者もあ る。と言っ て、安心するわけにはいかない。いずれにせよ、振 り返ってみれば、人が社 会の中で生きるには、時と場合はあ るにせよ、そのどちらかに立って生きるよ りない。マタイは呼 びかける。時代を読み解いて、≪新しい社会へと歩み出そう て ゙はないか。この地上で富を蓄え、支配者の側にまわらず(マ タイ6:19)、むし ろ私たちは〈貧しい〉人間仲間になろうではな いか(マタイ5:3)。支配者たちには うっとうしい連中だと思われ るかもしれない。その故に私たちは迫害を受けよう と、〈地の 塩〉に徹しようではないか(5:13)≫と。僭越にも〈群衆〉を教 えて(鍛 えなおして)、〈知〉の側に誘おうとしているように見え る。 そこで6章22・23節 を見よう(原語に即した田川訳で) 「身体の燈火は眼である。眼がすっきりし ていれば、身体全 体が輝く。目が悪しければ、身体全体が闇である。 自分の中 にある光が闇であれば、その闇はいかばかりか。」 比喩表現とし ても不思議なもの言いだ。我々の感覚から 言えば、眼は対象を捉えるための感 覚器官でしかない。 だがここでは眼が「身体の燈火」と言われ、すっき りして いれば身体が輝き、悪しければ身体が闇だという。眼は ただの 感覚器官ではなく、逆に眼が自分の在り方を決め てしまう。そして「自分の中 にある光が闇であれば、その 闇はいかばかりか。」という。眼は自分の在 り方だけを決 定するだけではない。この「身体の燈火」は自分の回り を、大 げさに言えば世界を照らす燈火だ。世界の支配者 たちをも照らし出す燈火た ゙と言わんばかりなのだ。〈群 衆〉はもはや単に支配者らの対象や道具やなのて ゙はな い。〈群衆〉の眼こそが身体の燈火として輝き、リアルな 世界を映し出し、 読み取ることができるというわけだ。 伝承されたイエスの言葉をとおして、 ユダヤ教社会か ら、新しいキリスト教へ飛び移らんとする、マタイとそ の仲間 たち、どちらかと言えばユダヤ人キリスト者たち の思いである。こんな彼 らの思いを、今日の説教題「選び 取る・生きる」としてみた。〈知〉の構えとし ては悪くな いと思うが、なにか重苦しいし、僭越感を免れない。 リアルな世界か ゙見えると言うなら、目の前にいる〈群 衆〉はむしろ「うまく選び取れず」、 「うまく生きられず」 に苦悩している存在ではないか。身体を輝かそうにも輝 かない、動けば闇をばらまくような存在ではないか。そ んな群衆を教えよう とか、腹をすかしても従ってこいと か、すくなくともイエスは言わなかったことは 確かだ。
11月26日 「子どもへの性的虐待を考える」加納尚美 今年も残すところあと1か月余り。年末の行事にもなってい るNHKの紅白歌合戦には 旧ジャニーズ事務所所属のタレン トは出演しないことになりました。その理由 は、故ジャニー・喜 多川氏による未成年者への性加害への補償の決着がつい て いないということでしょうか。「性加害」というこれまで使われ てきたことの ない曖昧なものになっていますが、英国放送協 会では本年3月にこの事案につい ては、少年たちへの「sexu al abuse=性的虐待」を行った加害者として報道されてい ま す。過去に被害当事者から裁判も起こされているにも関わら ず、法的にも社会 的にも罰せられることがなかったというこれ らの長期にわたる事件は、「子ど もへの性虐待」関する多くの 共通する問題を突き付けます。 日本の法律では、18 歳未満の子どもを「児童」としていま す。児童相談所が把握する児童虐待の件 数は年々増加し、 2022年には約22万件でした。その中で、性的虐待は1.1%と 決 して多くはありません。虐待全体のみならず性的虐待は特 に暗数が多いことは 支援者には共有されています。事実、全 国各地に設置されている性暴力被害ワンス トップセンターへ の相談件数からは18歳未満が最も多くなっていますが、交 通事故の被害者や加害者のように明確には実態がわかりま せん。そのため、有効 な対応策が講じられてきていません。 研究者はなんとかして実態を把握して、 根本的な解決策 をとりたいと努力していますが、ある調査(子ども・子育て支援 推進調査研究事業 潜在化していた性的虐待の把握およ び実態に関する調査2020) によると、性的虐待が起きる場 としては、1家庭特にドメスティック・バイオ レンスがあるような 状況、2学校など子どもたちが長時間過ごす場、3子と ゙もの 性を搾取しようとする機関があげられています。ジャニーズ氏によ る性的虐待は2とも3とも言えます。2には教会も入りま す。カトリック教会司祭によ る子どもへの性的虐待は、カナ ダ、アメリカ、フランスでも調査結果が明 らかにされています。 これらも氷山に一角であり、プロテスタントや他の宗教て ゙も数 多の例があります。 前述の調査では、どのようにして発見されるか、 ですが、 現行では何らかの子どもサインや告発が挙げられています。 しかし、子どもの年齢や虐待行為者との年齢差や社会的な 力の差がある中で、 みんなが告発できるとは限りません。自 分に何が起きているかという理解す る能力や表現力、また、 逃げ場もない子どもが多いのです。そのために子と ゙もたちが 被害にあわないように、あったとしても早く発見して安全を確 保しケ アをする、また、虐待行為者を犯罪として処罰,更生を はかることが求められま す。 ところが、「性的虐待」が犯罪として処罰されてこなかった 歴史があり ます。2017年に明治以降110年ぶりに性犯罪に関 する刑法が改正され「強姦罪」 から「強制性交等罪」となり、 男性被害も入るようになりました。しかし、その後、 長年にわ たる父親からの性的虐待事件の無罪判決が続きました。それらの理由と しては、被害者側の行動などがあげられていま した。がそれらに抗議する 「#me to」運動や全国的に定期的 に開催されたフラワーデモ、被害当事者の会か ゙すすめた活 動の成果が実り、2023年に7月に不同意性交等罪が改正刑 法とし て施行されました。主な改正点としては、性交同意年 齢が「13歳」から「16歳」 に引き上げられたこと、公訴時効の 時効期間が延長される(10年から15年)、不 同意性交等罪の 成立要件としては、1暴行または脅迫、2心身の障害、3アルコールま たは薬物の影響、4睡眠その他の意識不明瞭、 5同意しない意思を形成、表明または 全うするいとまの不存 在、6予想と異なる事態との直面に起因する恐怖または驚 愕、 7虐待に起因する心理的反応、8経済的または社会的 関係上の地位に基づく影響力 による不利益の憂慮などと具 体的に示されることになりました。子どもだけ を対象にした法 律ではないですが、年齢や被害実態から重なる点が多いこ とは明らかです。 子どもの受けた性的虐待の影響がはかりしれないものが あ ります。いくつかの本をあげますので関心のある方はお読み ください。家 庭内での例です。1性的虐待の始まりはマッサ ージなどの名目でからだ を触りエスカレートする。子どもは意 味がよくわからない。誰にも言えない。2 当事者が思春期に なって行為の意味を知るようになっても継続される。3物理 的 に行為者と離れ場合に終わる・・・。この際に、行為者はグ ルーミングといっ て、子どもと仲良くなって手なずけていきま す。家庭外の者は子ど もの家族と仲良くなっていりして性的 虐待への抵抗・妨害を低下させることもよく あります。 「性的虐待」については「性」に関する誤った理解が背景 にあります。 「性」の発達は赤ちゃんの頃から始まっています が、あまり注目されることなく、 性的なことはタブー視される か、大人の快楽の道具とされとても極端な情報のみ 入ってき ます。最近では、ユネスコ等が「包括的性教育」を提唱し、一 部で 試みられるようになっています。また、各省庁の合意の 上で「生命の安全教育」か ゙学校で始まっています。批判もあ りますが、少し前進かもしれません。 守ら れ育まれるべき子どもたちの現在と未来を奪ってしま う子どもへの虐待は見 過ごしてはならない問題です。そのた めに、子どもの声を聴く事、性的虐待 の現実に向き合い、一 つひとつ解決していく必要があります。 (参考文献: 斎藤 梓・大竹裕子編著『性暴力被害の実際』 金剛出版 2020、 山本潤著『13歳、「私」 をなくした私 性暴力と生きることのリアル』(朝日文庫 2021)
11月19日 第一コリント8章1~13節 「理屈でなく友愛で」 久保田文貞 現在、ガザやウクライナの戦争で命を奪われていく女性た ち、子どもた ち、老人たち、生活の場が瓦礫の山にされて途 方に暮れる人々、一方で優雅な ロビーや部屋でニタニタしな がらその戦争を止めようとしていると言わんは ゙かりに外交をす すめる為政者たち、そういう報道を目にしながら、こちらで は 将来AIがどんな社会を作るかとか、食料品の物価が上がっ たとか、給料 を上げるあるいは減税だとか、かと思うと大谷が 賞をもらったとか、...こん な報道にかき回されて、日曜礼拝の メッセージをつぶされたくないと正直思っ てしまう。けれども、 こうした現実から離れておもむろに聖書を開いてものにす る メッセージなどどんな意味があろう。2000年前のパレスチナ、 地中海 周辺の世界に語られたメッセージと今の私たちとどん な接点があって、ど う結びつくか、逆にかけ離れてしまうか、 それを読み取りつつ自分の責任を果た すよりないと思う。 パリサイ派の一員という意識で若きパウロは、クリスチャ ンら の律法違反者たちを糾弾していた。だが、いろいろな宗教や 思想が乱れ 飛ぶ中でその〈今〉をなんとかバランスよく生きる よりない人々にとっては、 ユダヤ人の律法へのこだわりなど 時代錯誤としか思えなかったろう。ひょっ としたらパウロも同じ 落差を感じていたかも。だが、そんな彼に十字架 にかけられ て死んだ復活者イエスが現われた。この一文を私も思いっき り聖書 的に表した。この出来事を引き起こしている主語は、 神でありキリストである と。つまり人間一般の歴史の中に神の 出来事が割り込んだと聖書は宣言するわ けだ。 その出来事を受けて、パウロは全面的に発想を転換してし まう。かつて ユダヤ教社会体制(パウロ自身も律法主義を通 してそれに加わり、またローマ帝 国権力もそれを補完した)が イエスを抹殺したのであり、イエス復活とはその構 造を逆転さ せると理解するよりない。こうしてパウロは自分の宣教の始め に(カ ゙ラテヤで)律法からの自由を説く。その同じ足で数か月 後コリントに腰を据 えて宣教した。そこで彼が語ったメッセー ジも、〈十字架の死と復活の出来 事〉とその帰結としての律法 からの自由。それを聞くのはユダヤ人ならまだし も、律法など 知らない異邦人だ。パウロが力説する福音はどう映ったた ゙ろ う。彼らにとって、律法とは何だろう。パウロと同じように、それ はか つて彼らを縛っていたしがらみか。コリントで生きる限り 町の中央広場と市場 を取り囲む神々の神殿、それをサポート する住民組織、祭りの寄付集めなど(私 なりの勝手な想像だ が、当たらずとも遠からずだろう)、となれば冠婚 葬祭、子ども たちの教育などの日常すべてに律法もどきの重圧がかかり、 生活を苦しくする。パウロが言う律法からの解放、自由はそん なしがらみか らの自由と受け取るよりないだろう。 おそらくパウロから十戒の言葉も聞いた ことだろう。十戒自 体は読めば誰しも感じるように、安息日規定などを除 けば、 けっこうどんな人間社会にも通用する合理的な内容を含んで いる。第 二戒「いかなる像も作ってはならない。」 そうだ、炊 かれた香に煙り、うずた かく供えられた捧げもの向こう側で神 官たちに守られている神々の像、なんか 変だよ、こんなもの から解放され自由にできたらどんなにすっきりするか、 合理 的な暮らしができるかと思って、パウロの言葉がすうっと入っ てきた ろう。たしかに、ユダヤ社会でも、自分たち異教社会で も、人間の作り上け ゙た組織や構造が、イエスを抹殺し殺すの だ。そのイエスを復活させた神が 唯一、人間を自由にし、し がらみから解放させてくださるのだとコリントの 人々は受け取 ったに違いない。 そんな彼らが、一度神殿に供えられた肉が市場 に出回る、 その肉を食べてもよいかどうか。自由にすればよいで済む話 た ゙が、パウロは理屈で割り切れない人たち、それを「弱い人 たち」と言って いるが、彼はその人たちを優しく配慮する。 このところまで、コリント教会の 人々の想いや、気をつかう パウロの配慮などわからないではないが、なに か肝心のこと が抜けている気がしてならない。それはイエスの死に至るま で の歩みの理解についてである。イエスは矛盾に満ちた支 配体制に武器を取って戦っ たわけではない。ガリラヤでのイ エスは、そこに生きる人々の生活の中に入っ ていって、そこ で彼らを縛り付けていたしがらみを解き、人それぞれが自 分 らしく自由に生きるよう、ときには肩を貸し、言葉をもって奨め た。べつに 「律法からの自由」なんてスローガンめいたことを 掲げたりしない。このイエ スのやり方を律法違反だと疑い批 判したパリサイ派ユダヤ人たちとのやり取 りの中で、律法から の自由を解いているかのようなイエスが浮かびあがっ てくるの だが、イエスの目的はパリサイ人との理論闘争ではなかっ た。そ こに生きるお腹の空いた人たちが、当面、食べられれ ばよい、それもいっしょ にワイワイ言って。おそらく比較的安 上がりの食品がどっかの偶像に供えら れたおさがりかどうか なんて気にしない。手を洗ったかどうか、なんて気に しない。 宗教上、今日がどんな日なんかより、実際にみんなでなかよ く食へ ゙ることがにしたい、それがイエス集団の思いだったろ う。そんなイエスの 存在を、社会体制を覆す危険な者と判断 する、ある意味で当たっている。武器を 取って反抗するより以 上の意味がある。これを抹殺できずしてなんの政治と 思う人 間たちがどこの世界にもいる。こんな世界を覆すように、神は イエスを 復活させた。この問いをもって進むよりない。
11月12日 南花島集会所との合同礼拝で 聖書 ローマ8:31~39 説教「生と死を貫く希望」 板垣弘毅 十字架にかけられたけれど、神によって復活させられたキ リストが、 神の右に座していて、今もわたしたちのために執り 成しをしてくださっているのた ゙から、どんな苦しみや困難、危 機や飢えも、「わたしたちの主キリスト・イエ スによって示され た神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないので す。」(39節)、と心を込めて告げています。わたしたちキリス ト信徒には、その まま伝わってくるものがある言葉ですね。わ たしもたくさんの葬儀の司式をし てきましたが、火葬前式では この句を読み祈ることにしていました。 キリスト 教を宗教一つとして客観的に見ている人には、退 屈で嘘っぽい言葉、これを信し ゙ている人は宗教か教会、ある いは牧師にマインドコントロールされているんし ゙ゃないかと思 うでしょう。 この悲惨な戦争や事件の絶えない世界で、神 の 愛なんてキリスト教の大ボラなのではないか。 これは 宗教だけでなく、た とえば戦前の教育でも社会でも、教会で さえ戦争を賛美しました。マイント ゙コントロールの一つではな いでしょうか。 すでに使徒行伝にもパウロか ゙ギリシャのアテネに行ったと き、「死者の復活ということを聞くと、ある者は あざ笑い」、首を 振って去って行ったと記されています。要するにパウロさん も、最初のころのキリスト信徒たちも、周りの人たちから見れ ば、大ボラを吹 いていることになります。それを教義とした教 会も、です。 それは元はと言えは ゙、イエスご自身がとてつもないことを言 い、言ったとおりに生きてしまい、 結果十字架につけられた からでした。...... 当初 パウロが抹殺しようとし た<キリスト信徒>たちは。 この最悪の末路になったイエスに当初は絶望に陥ってい た のに、イエスの死後すぐこの死を捉え返します。この世の中 で、最悪、最底 辺の死が、この死こそが人間世界への神の 配慮だと気づかされたのでし た。それが復活の「できごと」で す。イエスの復活は人の理解や言葉のは るか彼方で神が起 こしたできごとだったのです。十字架にまで、死 のその場にま で、つまり人間世界の底辺まで例外なく神のまなざしは届い て いる!という告白でした。パウロも復活したキリストには出 遭っています。...... ユダヤ教の教えでは、木にかけられた者は呪われる、とさ れ律法の「義」の外 に、捨てられることになります。(ガラ3:1 3)でもパウロは「人を義としてくた ゙さるのは神なのだ」と言い ます。「義」とするとは、その人のかけがえなさ を神が受け止 める、究極の恵みです。最後の審判として比喩的にも語られ ます。 パウロはいいます。 「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず 死に 渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜 らないはずか ゙ありましょうか。」(32節) イエス・キリストが十字架において、わたしたちに は不明で 暗闇の死に先回りして、そこから神に引き上げられている以 上、もう 恐れるものはないと、パウロさんは言っています。誰と も取り替えられない孤独 や痛みにイエスは死を越えて寄りそ ってくれると信じています。 止めどなく地 球環境の悪化が深刻化してゆきます。それで も武力の応酬のエスカレートが 避けられません。天を焦がす 噴煙が続く無差別の爆撃の現場が、食事時のテ レビの映像 にも飛び込んできます。とりあえず自分たちが安全地帯にい ることがわかります。しかし78年前には日本にも無差別爆撃 はありました。...... ......この、「神も仏もあるものか」という嘆きは、きっとイエス の生きた時代のハ ゚レスチナでも、ありまえの生活者にとって 同じだったと思います。 ここに 神はいないのです。 もう少 し丁寧にいえば、十字架から降りて自分を救え、そ れを見た ら「神」を信じてやる、といわれたけれど、イエスご自身無力 で、 見える奇跡は起こらない。そんな「神」は現われないので す。どんな神も打ち 砕かれています。神なんていない! しかしこの絶望にまで、イエスの神のまなざ しは届いてい る、わたしたちが思い描ける神は死んでいても、地上のイエ スの できごとに注がれた神のまなざしは生きている、わたした ちの絶望を越え ている、この〈最後の〉「希望」を最初のキリス ト信徒たちは「神はイエスを死か ら甦らせた」と告白したので す。 イエスは短い歩みで、この世の底辺で苦し む人たち、病む 人、食べ物に事欠く人、世の仕組みから追い出された人たち とと もに「神の」国を先取りするように生きて、権力者たちから 処刑されました。苦し み悲しむ者へ注がれるキリストのまなざ しはゴルゴタの十字架を通して神か ゙人間に注がれるものだ、 とわたしたちキリスト信徒は告白します。先日、か なり酔っ払 ったある人から電話がありました。下関の教会に奉仕してい たころの 友人、教会員です。下層底辺の肉体労働者と自認 する男です。「おれは板垣さ んのホラを信じてここまで来てし まった。最後まで責任取らないけんよ。」 私は応えました。「ぼくだってイエスの大ボラを信じてきたん だ」で もイエスのできごとは、キリスト信徒であってもなくても、 貧しくてもそうて ゙なくても、絶望の中にある人たちに誰も壊す ことができない「希望」をあか ししているのだ、と私も信じてい ます。 (以下略 全文は板垣まで)
11月5日 永眠者記念礼拝 へブライ人への手紙12章1節 「証人の群れに囲まれて」 久保田文貞 永眠者記念礼拝に当たって、改めて私たちにとって、 既に亡くなった家族や先輩や 友人たちとどう向き合って いくのか、考えてみたい。聖書では、旧約も新約も 共に 「証人」とか「証言」「証し」という語が一つのキーワードに なっている。 特に新約においてはルカ24:48のように、イエスに従っ て言った人々は、イエスが 十字架上に死に復活した出来 事の証人なることこそ、クリスチャンの務めであり 徴と なると受け取っていた。著者ルカの後期の著作「使徒行 伝」ではそのことか ゙一層はっきりしてくる。パウロ以下 クリスチャンとは主イエスに対する信仰を ユダヤ人にも ギリシャ人(異邦人)にも「証し」する者であり、使徒行 伝は世 界伝道(証し)の書物ということになっている(使 20:18-21)。 今日の聖書へブル書 の12:1の言葉「わたしたちもま た、...おびただしいい証人の群れに囲まれてい る以上、 すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定 められている 競走を忍耐強く走り抜こうではありません か」と書かれている。ここには、クリ スチャンとはそもそ も証人たちの証言を受け止めての今を生きているのであ り、 さらに自分たちもこの証人の群れに加わって証人と なろうではないかという呼ひ ゙かけの言葉になる。 1870年代に生れた「エホバの証人」は団体名に“証人”と いう語を使う。教理上の問題はさておいて、このグルー プは現代世界に対して 明確に不服従の姿勢を示す。ほと んど法廷で争っているかのように「証人」と して立ち、そ の主張を譲らない。輸血しなければ命が危ないと診断さ れてもわ が子の輸血を拒否した。この世の法廷で証言す ることが、そのまま神の法廷て ゙証言する時の真剣さのよ うに。かれらを異端的カルト教団だと嗤うことはで きな い。正統主義を謳うキリスト教もキリストの「証人」であ ることを自認する 限り、この世界で証言する在り方をと らざるをえないのだ。そこでキリス ト証言を空を打つよ う繰り返していればよいというものではない。 この点で 旧約に学ぶべきものが多い。イスラエルの民 は彼らの進む道々、そこで起 こる現実の中で神と対峙 し、神と約束する。リアルな約束不履行が常に付きま と い、リアルな証言が要求される。モーセの導きでエジプ トから脱出した 民はシナイ山で契約する。その集約され たものが十戒である。最初の4項は直 接に神と向き合う 民が守るべき礼拝上の約束である。後半の6項は民の現 実 の生活上の約束になる。イスラエルの民とは、そのひ とつがシナイ契約だが、 シナイ山でモーセを介して神か ら与えられた法を受け入れ、そのことを証言する 人々の 群れであり、そのような証人集団である。大切なことは、 この契約は神 との契約でありながら、人と人との契約を 含みもつこと。それも、それはイス ラエルの民の内部規 定というだけではない。イスラエル以外の民、つまり人 と 人との関係における約束を含む。つまり、人が社会生 活をしていくうえでいろ いろな争いごと、決めごとに関 わることになる。そのとき、ルツ記4章になぞっ て言え ば、人は長老たち、町の人々の前に立って公正で真実の 証言をしていか なければならない。この日常的でいかに も人間的な約束の取り交わしの証人た ちは、すべてが神 ヤハウェの祝福の中にあることを証言する。その限り、 めて ゙たし、めでたしなのだが、旧約の証言はそれで終わ らない。民は、神と の約束を反故にし、契約を破る。民が 契約を破っていくことの証言も、公正で 真実なものでな ければならない。預言者たちは、甘い言葉で不誠実な民 を宣 撫したりしない。例えばエレミヤ書7章。神殿での礼 拝を装う民の、エレミヤは 民の真実なる実態を暴き出 し、審期の預言=証言をする。 「多くの証人の群れに囲 まれている」ということは、必 ずしもおめでたいことではない。証人の群れ に囲まれて 証言を受け入れる者は、次に自分が証言する群れの一人 になっていく よりないのである。 ランズマン監督による映画「ショア―」、ほんというと 9時 間半の長い映画の一部しか私は見ていないのだが、 ランズマンは全編を、収 容所生き残りのユダヤ人、収容 所職員のドイツ人、収容所があった町や村のホ ゚ーランド 人へのインタビューの映像に徹しているのだ。そうやっ てそれら の証言からアウシュビッツを浮かび上がらせよ うとするだけ。何人も真実 の証人であるよりない。そん な証人として生き続けるよりないと、この2時間半く ゙ら いしか見ていない私がだした結論だ。間違っているだろ うか。 聖書 の証言も、真実の出来事の証言であるよりない。 それ以上でもそれ以下でも ない。亡くなった私たちの親 や、キョウダイたち、先輩や友人たちも、私たちに とって 真実の証人である。彼らは礼拝や崇敬の対象ではない。 私たちが今を 生きる途上で、改めて耳を傾けるべき証人 たちである。先ほど読み上げ た永眠者たち名簿は、そう した証人たちの名簿である。
10月29日 「主にいやされる者」 イザヤ書57章11~21節 飯田義也 学問の流行というところから今日のイザヤ書を考えると、イ ザヤ書を細かく分析することが流 行していた時代がありまし た。細かく分析することは今でもとても大切ですか ゙、最近、イ ザヤ書全体を流れるテーマに注目し、分析も大切にした上 で、も う一度全体を・・もちろんひとりの著者によるものではな いけれども・・ひと かたまりの者として読んだ際に一貫して流 れる思想は、ひとつの「書」としてま とめられるに至った充分 な価値がある、といった読み方が現れてきています。 イザヤ書・・というのは「イザヤが書きました」ということを表 しています。 中世までイザヤという偉大な預言者が、書いた のだと信じられてきまし たが、近代になり、どうやら第一イザ ヤ、とか第二イザヤ、第三イザヤ・・ 信仰を受け継いだ人々の 語り合った言葉の断片が集められて成り立っていると 考える のが自然という結論に至ったのです。 イザヤ書第一章によれば、紀 元前742年(ウジヤ王の死んだ 年)つまり紀元前8世紀の中頃にイザヤは神の言 葉を語り始 めたわけで、預言期間は40年に及びます。 その間ユダヤの王は (その前はアマジヤ⇒)ウジヤ⇒ヨタム ⇒アハズ⇒ヒゼキヤと変わりますし、アッ シリア王はサルゴン ⇒センナケリブ、バビロン王はメロダクバラダン と、それぞれ 戦争の危機のはらみながら林立していた時代です。 どんなに 長生きな人でも、次に起こる捕囚時代を生き残る ことはできません。年代的に は 第一回バビロン捕囚(597・紀元前6世紀) 第二回バビロン捕囚(586) 第三 回バビロン捕囚(582) ですので、第二のイザヤが第一のイザヤの信仰 を継承し て40~55章を書いたのが紀元前550~535年くらいかと言わ れています「苦 難の僕の歌」と呼ばれ、キリスト教徒から見ると キリストの苦難がここであ らかじめ見通されていると解釈する 部分です。 そして捕囚の第一次帰還(537) ペルシャ王クロス(紀元前529年・戦死) クロスはユダヤ民族にとっては、善行を なした王、捕囚を帰 還させました。 この時代に第三イザヤが56章~66章(最後) までを書いたと されています。 なんとも250年以上の歳月をかけて巻物となった 書、たい へん壮大な歴史があって、伝承や書を維持する民族事態の 危機も経験し て成立し、2800年の時を経てわたしたちが読ん でいるわけです。 注解書で は「古代イスラエル民族の倫理の基礎を形成する 言葉である」とされていましたか ゙、現代の日本に、そのような 「倫理の基礎」はあるのでしょうか。「倫」は 「みち」であり「理」 は「ことわり」論理の道筋で、同じく「みち」です。 その「みち」と は、いい人は金持ちになれるとか、他の人によいことをした人 が 利益を受けられるといったものではありません。 「預言者的宗教における神は、 峻厳である。個人が罪を犯し た場合は共同体から排除されるが、共同体が 全体として神に 背くならば神に滅ぼされる・・しかし神は、同時に抑圧された 人間を憐れみその権利を擁護する」とは注解書の言葉です が、まさにイザヤ 書にも同じテーマが一貫して流れていま す。複数の人が書いていても、時代 の異なる人が書いていて もまっすぐな「みち」を歩んでいて、ぶれていま せん。 先ほど読んでいただいて、これが昨日書き上がったばかり の本 だと言われても、そうかなぁと思うほど、新鮮で痛烈な現 代への警鐘として 聞こえてきます。神様の御心と、人間の罪 の歴史に圧倒されるばかりです。 今 の日本、人権意識に目覚めることが神様から求められ ていると感じています。 権利。 まずは「権」の字を考えてみます。「他人を支配することので きる力。 他に対して自己を主張する資格。ちから。いきおい」 と辞書にはあります。 次に 「利」ですが「物事が都合よく運ぶ。好都合であるこ と。うまく事を運 んで得たもの。もうけ。みちにかなうこと」 つまり、これは自分が得たものて ゙あり持っていていいものだ と他者に対して主張できること。さらに人権 (Human rights)と なれば、人として当然、あるいは生まれつき得ていて持って い てもいいものだと他者に対して主張できることです。 ジョン・ロック (17-18c)・・王権制限 シャルル・ド・モンテスキュー(17-18c)・・三権分立の祖 ジャン・ジャック・ルソー(18c)・・人民主権 しかし旧約聖書モーセの時代から、 日常のもめ事・・人間 が集団生活をする上で困ることは生じておりました。 出エジ プト記でモーセがとても手に負えなくなるシーンがあります。 現 代人の日常でも、ごく直観的なところで「間違ったこと」って いうことも、 あると思います。力をもった者が「間違ったこと」を 平然と立ってのける世の 中・・。それでも、それでも、小さな福 音が聞こえるときもあります。 今日 の聖書の箇所の最後・・ 神に逆らうものに平和はないとわたしの神は言われる。 本 当にその通りだと思います。
10月22日 第一コリント7章29~31節 「~かのように」 久保田文貞 憎悪と憎悪がぶつかり合い、敵の殲滅を隠すことなく公言 し、一つのテーブルについて交渉す るなんてことが想像でき ないところまで行ってしまった。パレスチナ情勢 にもウクライ ナ情勢にも、本来なら話し合いのテーブルを作るべき安保理 が 動きが取れない。世界の一部ではこんなことになっている のに、それ以外のほ とんどの所では普段通りの市民生活が 営まれている。私たちもご多分にも れず毎日の平静を保てて はいる。しかし、日本が歩もうとしている方向は、平 和主義を 捨てて、膨大な軍備予算を組んでその一つの側に軍事的に 加わろうとい うのである。 こんな時に、先週のように「召されたままの状態にとどまる」 と か、「あるがままを生きる」とか、聞かされてもなかなか腑に 落ちない。どう しても「あるがままを生き」させない力に抗し て、どうしたらよいか考えてし まう。「神よ、どうすることが召さ れたままの状態にとどまることなので すか」と、不遜にも神に 糾したくなる。 そして今日はそれにつなげるようにして、 「定められた時は 迫っている。今からは、妻のある人はない人のように、 泣く 人 は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物 を買う人は持たない 人のように、世の事にかかわっている人 は、かかわりのない人のように」と言う。 かつて教会でも使用し ていた口語訳聖書は「...世と交渉のある者は、それに深入 り しないようにすべきである。」と訳していた。こうなると、ある説 教者が 言われるように、どうしても「クリスチャンはほどほどの 仕方で世と交渉 するしておくように」と読めてしまう。「泣く者 はほどほどに泣き、喜ぶ者 はほどほどに喜び、買う者はほど ほどに所有し」ということになってし まう。世界がどんなに憎悪 にまみれ、戦闘状態に入っていても、私たちはその 報道をほ どほどに聞き、ほどほどに意見を持ち、ほどほどに発言し、・・ ・ということか。 その説教者は次のように勧められる、「諸君は、泣く者、喜 ぶ 者、世を用いる者、世と交渉する者であっていい。むしろ、 徹底的にそのような 者であっていい。しかし、諸君が忘れて はならない一つのことがある。それ は、この世のあり様は過ぎ ゆくということ。もし、諸君がこのことを忘れず、 いつもこのこと に目を注いでいるならば、それは、諸君のこの世との交渉に 影 響を与えずにはおかないだろう。諸君は、この世の現実 を、それが過ぎゆ くという事実の光の中で眺めるだろう。従っ て、諸君は、この世とどのよう に深く交渉する場合にも、それ を絶対視したりはしないだろう。その場合には、 諸君は、もは や単に泣く者、喜ぶ者、世を用いる者、世と交渉するもので ある ことはできないだろう。諸君は泣かぬが如くに泣き、喜ば ぬが如きに喜ひ ゙、 世を用いぬが如くに用い、世と交渉せぬ かのごとくに交渉するだろう。」 と。 この説教者は、「過ぎゆくという事実の光の中で眺める」と いう姿勢を貫 き、どんなに深く交渉し、世と連帯しても、「世の 現実を冷静な目で眺める」 と言われる。このように生き方のも とにあるのは、31節の後半、締めのようにして 備えられている 言葉「なぜならこの世のあり様は過ぎ去るからである。」か ら 来ている。 私たち日本人の感覚からすると、〈諸行無常〉という仏教の 根本思 想が思い浮かぶが、こちらは一切のものは生成変化 し生滅のもとにあり、永 久不変のものはないという教えであ る。パウロの頭にあるのはそういう境地て ゙はない。彼が拠って 立つところは(旧約)聖書であり、神の最後の審判のもと 世界 の様相は一変し、「過ぎ去る」 ということだ。 私たちが今立つところ から言えば、これまで私たちが頼り にしてきた感覚、〈人間には平和に共存 しようという思い〉が 無碍にされ、まるで終末を迎えているかのように、音を 立てて 崩れ始めている。しかしだからこそ、あたふたしないで冷静 に、「妻の ある人はない人のように、 泣く人は泣かない人の ように、喜ぶ人は喜ばない人 のように」、神の御旨に一切を 託そうと、残りの時はどれだけあるかなんて思 わず、むしろそ の時をこれまで以上に深く交渉し、ていねいに利用し、誠実 か つ冷静に生きる。人それぞれの事情を誠実かつ冷静に生 きようというのでしょ う。 ただし、世界で聖書的な終末論を受け入れている人は一 部にすぎないと 思う。そもそも、聖書から終末論を取り出した からと言って、それはだたの歴史 的な理念のようなもの。いつ の日か終末がやって来るだろうという想念を、マ ンガの世界 のように人間の頭の中に組み込んで、一切を仕切るなんてこ とはて ゙きない。またその理念から、冷静さ、誠実さだけを取り 出して、淡々と生きて いくというなら、深山に踏み入って諸行 無常をそのままに生きる先覚者とどこか ゙ちがうのだろう。 冷静さ、誠実さは、人が単独で到達する境地だとい う なら、私にはあまり関心がない。冷静さ、誠実さは、人と 向き合ってこそのも のだ。憎悪に燃え盛り、闘争心向き 出しにした他者をまえに、冷静かつ誠実に応 え、相当な 落としどころを見つけるよりない、そのための誠実さ、 冷静さであ るよりない。その支えとなるのは、主が、熱く なりすぎてバラバラになっ た〈私〉を召された時のあの 〈まこと〉〈静かさ〉にこそあるだろう。
10月15日 第一コリント7章17~24節 「時間が止まっている?」 久保田文貞 こうして聖書の舞台パレスチナが先週から再び憎悪と戦争 の地になってしまっ た。憎悪が世界を支配しないように。弱い 人々を守ることができるように。 子どもたちが憎悪に晒されな いように。そんな思いをしっかりもって... 17節 のパウロの言葉「おのおの主から分け与えられた分に 応じ、それぞれ神に召 されたときの身分のままで歩みなさ い。」を読むとき、ビートルズのLET IT BEの歌詞が頭をよぎ る。When I find myself in times of trouble Mother Mary comes to me Speaking words of wisdom Let it be.で始ま る。〈僕が苦 しいとき、お母さんのマリアが現れ、Let it be.と いう知恵の言葉を語てくれる〉 作詞したポール・マッカートニ ーの母マリアは、彼が14歳の時ガンで亡く なった。MotherMa ryというと「聖母マリヤ」のことかと思わせるが、ほんとは彼 の 母が夢に現れささやいてくれるというのだ。Let it beにはい ろいろな訳か ゙あるが、「あるがままを受け入れなさい」ぐらいの 意味になるようだ。 もう一つ思い出す。学生時代に臨床心理学なるものを学 んだが、その中で森 田療法の話を聞いた。大正から昭和初 期にかけての精神科医師森田正馬は心理療法 の基本を「あ るがまま」に置いたという。医師は上から目線で患者さんに語 っ たり指導したりするのではなく、患者さんと共にその心のあ るがままをまず 受け入れる。それを患者さんは医師とだけで なく、家族、友人、職場の同僚の 間で、また患者さん同士の 間で互いに「あるがまま」を受け入れる関係を作っ ていく。そ うやって一人の人間の心の重圧を解いていくといった療法だ と理解し た。 先ほどのLet it beも次のような歌詞が出てくる。And when the broken-hearted people Living in the world agree There will be an answer Let it be. 「世界中に生きてい る心に痛みを負った人々が同意agreeする時、ここに 答えが ある、Let it be」と。「あるがままを受け入れなさい」という言 葉は、 青年の個人技の末につかむものではなく、生きていく 中で出会う人々の関係の 中で受けていくものだと。 だが、パウロが「それぞれに主が与え 給うた分に応じて、 つまり神がそれぞれを招き給うた時のまま、そのままに 歩む べきである」(17節、以下田川訳)とか、また24節「それぞれが 招かれ たままに、神の前では、その状態にとどまっているべ きである」(24節)と 書くとき、よくよく考えてみるとそこには何 か別の響きがある。これまでも述へ ゙てきたように、パウロは、 自分の手から離れて成長しつつある若きコリント教 会の、実 に生臭いリアルな現実を聴かされ、それについてのコメントを いただき たいとの注文を受け、この手紙を書いている。教会 内に生れてきた党派性の問題や、 会員同士の、あるいは家 族内の性の問題、結婚や離婚の問題(5章、7章)に応えてい かなければならない。ここで、人間一般の倫理を論じようとい うのではな い。彼と教会の間の事情は特殊そのもの。いよい よ間近に迫っている〈終わりの日= 恵みの日〉を前に、男と女 の性とはどうあるべきか、結婚をどう考えたらよ いか、という問 いを突き付けられて、まずは使徒という位置から語る。だが、 性や結婚問題にしろ、人は〈終わりの日〉を前にどうあるべき かなど語り始 めたらきりがない。結局、たどり着いたのは「そ のまま歩めばよい」「その 状態にとどまっていればよい」と。そ れではあまりに無責任じゃないかと 人は思うかもしれない。確 かに、この調子で「招かれた時に奴隷であったとし ても、気に することはない」と書き、奴隷に置かれた人間の問題など、問 題じゃ ないと言わんばかりである。田川は、「当時としても」奴 隷の処遇をめぐる 問題は多々あったが、パウロがそれを「ひ どく保守的な姿勢」でやり過こ ゙している点を問題視している。 けれども、パウロがコリント教会の教会員 たちの間のいろい ろな性の問題にそれなりに必死で応えようとしていることも確 かである。もうすぐ「終わりの日」が来るのだからどうでもよいと い うなら、彼らのいちいちの問題など無視して結論だけ繰り 返せばよい。彼は そうしないで、それなりに必死で遠くから彼 らの性の具体的な問題に首を突っ 込んでああだこうだ言う。 それをむしろ肯定的に見たい。そうして、もしイ エスの衝撃的 な死と復活のゆえに、「終わりの日」への思いが時間間隔を 麻痺さ せていなかったら、パウロはこう思うのではないか。〈君 が招かれた時のあ の自分に身を置いて、「あるがまま」から始 めなおせばよい。そこで他者と 出会い、互いにそのあるがま まを受け入れ、人がなんと言おうと、そのままを 生きていけば よい」と。 イエスは、空の鳥、野の花を見よと言われた(マタイ6) 「神は 養ってくださる。装ってくださる」「思い煩うな」という言葉を残 して いかれた。偉大なる師、キリスト、神の子がそう言われた と聞かされて、わたし たちは空の鳥、野の花に〈ハ、ハァー〉と 頭を垂れて、〈二度と思い煩うなど生 意気なことは致しませ ん〉ということになるのだろうか。 違うだろう。私は勝 手に想像する。〈イエスは人々と連れ立 って歩き、道端の小さな花を指して、「ほ ら花があるがままに 咲いている。僕もあなたもみんなあるがままを共に生き るん だ。友のためにすべきことを見つけたらやってみたらいい。 君らの歌の通 りだよ、Let it beだよ〉と言われるのではない か。
10月8日 マタイによる福音書26章36-56節 「イエスの杯-契約と預言」 八木かおり イエスと弟子たちとの最後の食事が過越の食事 だったことを報告しているのは、 マタイ、マルコ、ル カの3つの福音書です(ちなみにヨハネは、食事で はなく過 越祭より前に行われた洗足のエピソードに 変えています)。 過越祭は、ユダ ヤ教三大祭り(他は五旬祭:小 麦の収穫祭とモーセへの律法授与を記念。仮庵 祭:秋の 果実の収穫祭と荒れ野の放浪時代に天幕で住んだことを記念、)のひとつで、 これは「エジ プト脱出を記念」する春の祭りでした。物語的に は、ヤコブ の子孫たちがエジプトに滞在しているう ちに奴隷とされていたところにモー セが神によって 選ばれ、解放をファラオに認めさせるために起こし た災いの最 後がイスラエルの民を「過ぎ越した」こ と、これによって解放がかなったこ とを記念するも のです。最後の災いは、「初子の死」です。そして、 それを免 れるためにと事前に神から指示されたの が、1歳の傷のない雄の子羊(山羊も可)を 焼いて 食べること(酵母を入れないパンと苦菜を添えて)、 その血を家の入り口 の柱と鴨居に塗ることとされて います(出エジプト12章)。食事に関しては、元 来 は遊牧民の伝統儀礼だったものがエジプト脱出の 伝承と結ばれたもの と言われています。また、これ が共観福音書において「最後の晩餐」として語ら れ たのは、むしろ原始教会のイエス理解から来るもの だとも言われています。つ まり、災いを逃れるため に犠牲とした子羊と、イエスの処刑を重ねて理解 するとい う解釈によるものです。 マタイによれば、この食事の後、イエスはゲッセ マ ネに赴きました。弟子たちを座らせ、ペトロとゼベ ダイの子(ヤコブとヨ ハネ)を伴った彼は3人に「死 ぬばかりに悲しい」「共に目を覚ましていなさい」 と 語り、さらに少し進んで祈りました。「できることな ら、この杯をわたしか ら過ぎ去らせてください」「わ たしの願いどおりではなく、御心のままに」 「杯」については、この直前に連続して出てくる 箇所があります。ゼベダ イの子二人の母(他の福 音書では本人たち)が、イエスの右と左の座を求め る場 面(20:20以下)、そして最後の晩餐の場面で す(26:26以下)。後者では、「これ は罪が赦される ように、多くの人のために流されるわたしの血、契 約の血であ る」と語られており、総じてそのような彼 自身の「運命」を表す例えとして用い られている言 葉です。前者のエピソードでは、そうした運命をゼ ベタ ゙イの子二人が自覚していないことが語られて いるわけです。 ひとりで祈っ たイエスは、弟子たちのところに戻 りますが、彼らは眠っていました。イエスは 彼らを起 こしますが、再びイエスがひとりで祈るうちに、弟子 たちは眠っ てしまいます。3度これが繰り返されたと ころで、イエスを捕らえようとする人々 がやって来ま す。 差し迫った危機を目前にして、死ぬばかりに悲 しみもだ え、「共に目を覚まして」いてほしいと懇願 したにも関わらずそれが叶えられ ない。運命から逃 れることを願いきることも叶わず孤絶するイエスと弟 子たちの 対比は明らかでした。まして、イエスを捕 らえようとやってきた人々を手引きし たのは、イスカ リオテのユダ、彼の弟子のひとりでした。そこにい た一人が、 剣を抜いて大祭司の手下に打ちかかり 片方の耳を切り落としましたが、イエスは それも制 止しています。そしてイエスは捕らえられ、弟子た ちは皆、彼を見捨てて 逃げました(弟子たちは後に 復活したイエスと出会い再起し、イエスはそれを赦 したそうですが)。イエスの杯とは、そのようなもの です。
10月1日 第一コリント11章17~22節 「教会の食卓」 久保田文貞 「孤食」という言葉を最近知った。読んで字の通り「一人で 食事を取ること」である。 それなりの理由があって一人で食事 をするだけならどうということはないが、 「孤食」の孤が示すよ うに、それは孤独で寂しい食事であり、今孤食を望む 若者た ちがいると、一つの社会問題として考えられている。そこには 人は家族て ゙も地域でも職場でも食事を一緒にする機会を持 った方がよいという大前提か ゙ある。 国は2005年に「食育基本法」を作った。農水省の説明で はその目的は 「食育は、生きる上での基本であって、知育・ 徳育・体育の基礎となるものて ゙あり、様々な経験を通じて 「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、 健全な食 生活を実現することができる人間を育てること」という。これに もと づいて、2018年「食育白書」が出され、以後毎年のように 子どもから老人まて ゙各年代が抱える食育の問題を実に丁寧 に調査分析した報告がなされている。 国の機関がここまで食 事の問題を掘り下げ論じていることを知って、正直 感心した。 しかし、一方で国や行政が「国民」の食の在り方にそこまで 首を 突っ込んでいることを怪しまざるを得なかった。いま少数 の子どもや若者か ゙給食時間や職場などの共食の習慣・規則 に息苦しさを感じ、一人で食べ た方がいいとあえて孤食を選 んでいるらしい。なかにはトイレの中で戸を閉 めて孤食をする 人がいるという。これに驚いている私自身、いつのまにか〈共 食 主義〉者になっていてもう一度驚く。 前々回に、キリスト教も歴史的には一枚かんて ゙いる〈司牧〉 社会の仕組みがいまや近代国家の内側にしっかり組み込ま れてい る問題を考えた。国を挙げての「食育」への取り組み は、国の〈司牧〉的性格の 最たるものと言ってよいかもしれな い。善意に取れば、これは国の社会福祉政策 の充実を意味 し、とりわけ給食や共食ができない子どもたちや若者、老人 な どを探し当て、食べられないなんてことの無いようにする。 時には孤食を望む 人の手伝いまですることになると言う。 かつての全体主義は、国家権力の強制力 によってすべて の国民の生活の隅々まで組み敷こうとした。不服従をつらぬ く 者を容赦なく排除した。そんな全体主義に対して、第二次 世界大戦後、アメリカ型 自由民主主義にして社会福祉型の 国家が対置された。結局日本の大勢はそちらに 与した。そこ では人は上からの強制的な規制、規律によって統制されるこ とはな い。しかし、国家は国民を放置するわけではない。落 ちこぼれがないように 先回りして、国民の福利厚生を成し遂 げようというわけだ。確かにここには政 治・政策の一つの究極 の姿がある。でも、この発想にはどうしても〈司牧〉 的権威がも つお節介な息苦しさが伴う。「いいよ、一人で食べたいんだ」 という人を、病理現象、社会問題のくくりで捉え、追いつめて いることに気づ かない。(もっとも現在は新自由主義が勝って 福祉国家は後ろに回っている。) 現 代の行政による司牧的な社会福祉の在り方を全面否定 するわけではないが、司 牧的な善意が覆いきれない部分が あることを忘れてはなるまい。そこにも自律 した生き方があり、 食のとり方があり、司牧的な善意がとらえることがて ゙きない人 々の群れがいくつもあるということを。彼らが例外なら、自分 たち も彼らから見ての例外であることを識るべきだ。 これが私見であること を認めるが、それは私なりの聖書の 読みからつかみ取ったもの、教えられたものて ゙ある。今日の 聖書箇所は、紀元50年代のギリシャの町コリントに生まれた教 会 (と言っても、教会という既成概念などまだない時のこと)の 食事問題について 創立者の一人パウロが意見を述べたとこ ろである。イエスの福音を伝えるハ ゚ウロのもと、コリントの人々 が集まって集会が生まれた。集会のある日には、 朝から夕ま で、人々が都合をつけてやってくる。いろいろな階層の人、 一日中 教会にいられる人もいれば、仕事の合間に顔を出す 者、終わってから駆けつける 者もいたことだろう。実質的にも 集会のどこかで共食することになろう。簡 素な食事であれ、 数十人、百人超える食事になったかもしれない。とすればこ れもまた結構な準備が必要になる。裏方で立ち働く者、配膳 する者、小さな子 たちを預かる者、など、終われば終わった で片付けや清掃などで立ち働 く者が出る。そんな仕事が山 ほどあって共食が成り立つことを特に食に関 わる仕事をして いた男たちや女たちは知っていただろう。その教会の食事 に、ハ ゚ウロが伝えた〈主の晩餐〉が組み込まれる。教えられた 通り、誰かが立ち 上がって感謝してパンを裂き「これはあなた 方のための私の身体である」と、 杯についても「この杯は私の 血における新しい契約である」と宣言する。ただ しマルコ14:2 2-23では「あなた方のための」は無い。杯は「多くの人々のた め流 される」とある。マルコ版の言葉の方が原型に近いだろ う。パウロが伝え る「私たちのため」は、教会の結束を高める 共食の意が前面に出てくるが、マ ルコの方は漠然と「多くの 人々のため」として、教会の枠を外している。その場合、 主の 食卓は共同性の堅めの儀式の枠に収まらない。その食卓は あのルカ14章15以下、 招待客の辞退で破綻しかかった宴 会を、町中の孤食しか食べられないような人々 を招いての食 事会となったことを思い出す。おそらくこう言ってよいだろう。 教 会の食事は共同性の儀礼ではない、〈わたし〉とイエスの 約束の食事だと。
9月24日 第一コリント3章5~9節 「成長させたのは神」 久保田文貞 第一コリントをとりあげて今日で三回目になったが、あらた めてパウロの伝道によって 立ち上がった集会=教会とは何 かという点に立ち戻って考えたい。そのために、彼 を第2伝 道旅行へと促した動機を再確認したい。彼の活動が公にな るのはアンテ オケ教会である。そこはギリシャ世界に生れギリ シャ語を話すユダヤ人キ リスト者が律法からの自由に目覚め (7:53)、エルサレムを追い払われ(使行8:1-3) 各地に散った が、アンテオケは彼らの一拠点だった。ユダヤ人キリスト者か ゙ 異邦人を積極的に受け入れ発展した。ペテロや主の兄弟ヤ コブを中心とする エルサレム側の教会もこれに関心を持ち、 両者は「エルサレム会議」を持つ(48年、 使行15章)。そこで エルサレム教会はユダヤ人伝道に、アンテオケ教会は異邦 人伝道に、という協約を結んだ。ただしその内容は、同席し たパウロが報 告するガラテヤ2章の方が正確。つまり付帯決 議としてエルサレムにいる貧しい 人たちを支援すると。佐竹 『使徒パウロ』によれば、こうしてアンテオケ教会て ゙、ガラテヤ 書2章11以下に出てくるようなユダヤ人と異邦人の共同の食 事か ゙堂々と始められたのだろうと言う。だが、この食事の最中 に、エルサレム 側から律法を重んじるユダヤ人キリスト者が来 たというので、席に着いて いたペテロ、そしてアンテオケ教会 の中心人物バルナバまでしり込みして 退席した。これに対し てパウロがペテロに詰め寄る。おかしいだろうと。 異邦人伝道 とは、異邦人をユダヤ人にすること=割礼を受けさせることで はな い、イエスをキリストと告白すること、その一点にある、と いうわけだ。パウ ロはこの事件をきっかけに、アンテオケ教会 から自立して第2伝道旅行へと赴く。 異邦人伝道と言ってもやみくもに街角にたって大声で始 めるわけではない。使 行17:16以下にあるように、アテネでは それで失敗した。結局各地にいるユダ ヤ人集会に行って、 福音を、そして律法からの自由を語る。そこに臨席している 異 邦人「神を畏れる者」が真っ先にそれを受け入れただろう。 一部の固いユダ ヤ人が憤慨する。騒動が起きて、パウロは別 の場所で集会を始める。第2伝 道旅行で生まれたガラテヤ (?)、ピリピ、テサロニケ、コリントはそのよう にして立ち上が った。こうして割礼を受けてユダヤ人になることを求めず、 ユ ダヤ人も異邦人も親しく共同の食事をができる異邦人伝道 教会が生まれ たというのである。 私たちはこうして新しく生まれた教会の、そんな図を思い 浮 かべるわけだが、でも、教会、教会と言っている教会の概 念は、日本で の教会も含めてその後のキリスト教の歴史に現 われる教会から自分の頭に作り上け ゙ているものだ。それを集 会、エクレシアと呼び変えようと同じである。 ところが異邦人伝 道者と自認するパウロたち、また彼らによってイエスを信し ゙た 者たちの頭の中に、教会という概念はない。そのかぎりイエス を信じる者 たちの群れ、集まりである。現代の私たちが割り切 って言えば、誕生した一 つの社会集団、宗教団体でしかな いが、でもそういう発想でとらえて分かっ たような顔をするわ けにはいかない。 異邦人伝道で出発を始めた集会、よし、そ れを教会として おこう、ユダヤ人も異邦人もないとして始まったキリストを信し ゙ る教会も、数年たつと、次から次へと問題が起こる。〈教会〉と いう概念をま だつかみ切れていないコリント教会の現状を憂 いて、今は遠いエペソにいる創 立者パウロのもとに相談に来 る。コリント前書は彼の回答である。ユダヤ人 と異邦人の差別 は解消した異邦人教会と言え、知恵あるものとそうでないも のと の区別、気がつくとできてしまっている派閥、どうしても生 まれてしまう豊 かな者と貧しい者の差異、女性への差別等々 の問題が起こってしまう。「等々」 とカッコに括って済ますわけ にはいかない。一つ一つと丁寧に向き合い、どう解 決してい くか、そうやってその集会の共同性をどう高めていくか、ある いは逆に どう弛めていくか、まさに第2伝道旅行が避けて通 れない課題だ。 例えば、 今日の箇所(と1:11~13も)は、アポロ派とかパウ ロ派などの派閥問題。コリン ト教会もまさに人間集団がえてし ておちいる落とし穴に足を突っ込んでいる。 神の裁きの日= 神の恵みの日を待ち望むエクレシアという位置づけだけを見 て 見ぬふりをするわけにはいかない。カンセラーのようにして パウロは言う、「キ リストは幾つにも分けられてしまったのです か」と問い、派閥で対立するようて ゙は「ただの人にすぎない」と 言い、「わたしは植え、アポロは水を注いた ゙。成長させて下さ ったのは神」と。無難な回答だとは思うが、それを受けて 相談 者たちはこれを持ちかえり「わたしは植え、アポロは水を注い だ。成長さ せて下さったのは神」と伝えて、問題が治まるだろ うか。ここでは詳細は触 れていないが、派閥を起こしたきっか けになる問題があったはずだ。だか ゙、パウロの視野にはそれ は入ってこないというか、それを意図して見ようとし ないことに なっている。なるほど、目に入っても見なかったとする方がよ い結 果を生む場合もあろう。でもそんな心理学的な小技を使 っても、おそらくこの派 閥問題が引き起こしている教会内の 問題は解決しないだろう。パウロさん、 「成長させて下さった のは神だ」なんてすり抜けないで、もっと正面から取り 組むべ きではないですか、と生意気にも言いたくなる。いずれにせ よ、 〈教会〉という以上、その概念に向き合うよりないだろう。
9月17日 ヨハネ福音書10章14~15節 「司牧的社会を超えて」 久保田文貞 「司牧」という語は耳慣れないかもしれないが、辞書を引く と「民を養い治める こと」あるいは「ローマカトリック教会・聖公 会で、司祭が教会を管理し信徒 を指導すること」(大辞泉)と ある。身近に牧羊がされている社会では古代から、 羊飼いが 羊を養う図を王が民を支配する在り方の比喩として用いてい た。とり わけ古代イスラエルでは、神ヤハウェが民を養い治 め、それに民が従う理想 的な在り方としてこの比喩を用いて いる。例えば、詩編23篇 「主は羊飼い、わた しには何も欠 けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水 のほと りに伴い、魂を生き返らせてくださる。」 とくに王国時 代前の、さらにカナン定 着(侵略)前のイスラエルの民は半遊 牧的、つまり占有地をもたず都市周辺を移動 し都市に寄生し ながら牧畜を営んでいた。まさに国家が作り上げたシステ ム とは別の在り方をとるノマド的存在だった(ドゥールーズ)。や がてイ スラエルの民は定住地を獲得し農民になっていくが、 彼らの原点は、神ヤハウェ と自分たちの関係を、羊飼いと羊 の関係としてイメージし続けたのだ。 だか ゙、エッサイの子ダビデの登場をもって、イスラエルの歴 史は大きく変化す る。彼は羊飼いの青年として、印象的に語 られる。第一サムエル16~17。先の詩篇も。 つまり神が民を 牧するように、やがて王となったダビデも民を牧すると いうわ けだ。だが、後々の王たちは、神と民の、神と王の、そして王 と民の 司牧関係のレールから外れていく。一王国として他の 王国と外交を結び交易して いく中で、諸国の神々の礼拝との 関係を持たざるを得ず、同情すべき点も あるが、ついには、 エジプト、アッシリア、バビロニアなどの大国と 屈従的な関係 を結ばされ、結果ヤハウェとの司牧関係は当然崩れていっ た。王国 後期に現れた預言者たちは、ヤハウェとの信頼関係 から逸脱したとして糾弾してい く。事実、北王国も南王国も滅 亡、ついにはバビロン捕囚となって、羊飼いと 羊のあの理想 の関係が壊されてしまったと嘆くわけだ。例えばエレミヤ31: 10、49:19、エゼキエル34章。こうして打ちのめされた中から、 新たに羊飼いと羊 の比喩は終末論的、メシア待望的な預言 の中に回収されて行く。第2イザヤ 40:10-11、ハガイ、ゼカリ ヤなど(ただし9~14章は第2セカリヤで別)。た ゙が、このような 預言者的伝統に対して、祭司的な伝統がこれを引き継ぎ、 神の律法を遵守することによって、真の神と民の司牧的関係 を取りもどそうとす る動きがおこる。エズラ、ネヘミヤ。 ここまで旧約聖書の、羊飼いと羊の比 喩をもとに、神と民と の司牧関係をざっくりと見てきたが、キリスト教はほほ ゙これを 受け継いでいる。代表的なのはヨハネ福音書10章だ。「わた しは良い 羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊 もわたしを知っている。」(14 節)「羊は一人の羊飼いに導か れ、一つの群れになる。」(16)キリストが羊飼い、 一頭一頭が 一人一人の信徒、その群れが教会。そういう司牧関係を当 然のよう に受け取っている。さらに、ルカ15章=マタイ18章の 「失った羊」「迷い出た羊」。 特に子どもの時から教会に通っ た人はこどもさんびか55(200)の歌詞が頭に 入っていて、自 分が羊飼いに養なわれている羊という強いイメージを持ち続 け ているだろう。 昨年7月にここで話をした通りだが、確かにマタイ版の「迷 い出た羊」の譬えでは、羊飼いは迷子になった羊を山に置 いてきた99匹の群れの 中に戻す。司牧関係は元通りになる。 だが、ルカ版「失った羊」では、羊飼 いは99匹を「野原」に残 したまま(野原の方が危険だ!)、見つけた羊を連れて家 に 帰ってしまう。司牧関係を羊飼い自ら毀してしまうと取れてし まう。イエスが 語ったのはどっちかと言われたら、ルカの方と 答えたい。マタイの方では迷い 出た羊を元に戻してめでたし めでたし。当の羊も、99匹側の羊もうまく収まる というものだ。 だが、そうして固められていく司牧関係は、いつのまにか外 にはみ出ることを許さないものになる。ヨハネ10章で言えば、 群れは、外敵を 締め出す固い囲いがあって守られていると (2節)、ということは羊は自ら外へ出て 他者と交わることもな い。それだけ密な司牧関係が目指されてしまう。とする と、イ エスが生きた在り様とは違う。99匹を野に残したままにしても 失われよう としている1匹を助けるというルカ版の譬えの方が イエスのものに近いとは言えな いだろうか。 とは言っても、私たち教会が何らかの意味で神と、イ エスとの 司牧的な関係の中に置かれていることは否定し ようがない。だが、イエスか ゙人々(私たちも含めて)と の関係の中で作り上げている人間仲間は、閉じら れたも のではない。もしそれを閉じられたものとするなら、そ の閉じること によって失われた人の方へ、イエスは向か うに違いないだろう。 閉じられた、 司牧関係のようなものは、かつて(市民) 革命の結果生まれた近代国家の中に、形を 変えてではあ るが、むしろ重厚に残されている。行政官たちは、まるで 司牧 の風をして、民を時にやさしく、時にきびしく、内に 守り、外に出ないよう躾け る。内では、何を言っても自由 だとされているように見えて、その実、内と外 の囲いを 壊すようなノマド的な言動を封じ込めようとする。お隣 の中国、香港 でのことは他人ごとではない。いや、こっち は自由だと思い込んでいるた ゙けタチが悪いかも。
9月10日 創世記41章47-57節 「飢饉がやってくる前に」 飯田義也 寝ている間に夢は見ますよね。しかしほとんどの場合、朝 ごはんを食べるこ ろには忘れています。夢が現実に影響を 与えるか?といえば懐疑的にならざる を得ません。 わたしは「夢見が悪い」という言葉で必ず北海道の芦別を 思い 出します。日本基督教団芦別教会は活動休止中で、芦 別祈りの家として年間何回 か機能しています。クリスマスには 雪の中にキャンドルを並べて、幻想的な景 色が演出されたり します。 三井芦別炭鉱(西芦別)の近くに建てられた教会は、炭 鉱 労働という過酷な現場の労働者に福音を、と建てられまし た。当時北海教区には 「伝道圏伝道構想」があり、十分の一 献金という非現実的な未来予想の中で、 三年間の謝儀補助 ののち教会として独立するという建前で若い牧師が送られた ようです。 一方、炭鉱労働者の方々の現実は、キリスト教の愛云々 以前の、日々 生死の境を実感する生活だったようです。労働 者が「今日は夢見が悪かっ た」と言ってその日は欠勤すると いう話でした。三井芦別炭鉱では1977年ガ ス爆発事故で25 名が亡くなっています。その後も採炭は続き、しかし1992年 閉 山となり、街全体が廃墟となりました。 夢によって現実が支配されるなどと いうことは、今の世の中 にあるのでしょうか。・・今回の説教準備をしていて註 解書を 読みましたら「夢によって現実が論破された・・」という記述が ありま した。 今日読んだ箇所を振り返ります。 ヨセフの物語全体において、夢が現実 になるということが 大きな役割を果たしています。ヨセフは37章での夢によっ て 命(立場・生きる場)を失い、そこから醒めることができません でした。読 み手にとって少し面白いのは、イスラエルでは誰もが夢 の意味をすぐ理解し 行動に出たのに、エジプトではヨセフ以 外は誰も夢の意味がわからないと いうところです。 今日読んだ箇所は、ヨセフの人生の転機です。 夢・・と言っ てしまうと現代人には絵空事なのですが、言葉 を「預言」に置き換えるとキリ スト教徒にはなんとなく理解でき るでしょうし、さらに「真理」とか「科学的 事実」と置き換えると、 意味が通ってくるのではないでしょうか。ヨセフは 夢によってひとたび人生を失いました。 夢で失った現実と夢から現れる新しい事態に挟まれた現 実としての2子の誕生で す。このことが、この後48章の先取り になっています。 第一子マナセ(忘れさせ る)・・。神がわたしにしいたげとみ じめさ忘れさせた・・すなわち過去のこ とは、ここで清算された のです。 そして第二子エフライム(増やす)・・。神か ゙ヨセフに与えら れる祝福です。大きく展開する未来が与えられるのです。 こ こから大団円へと物語は展開していきます。 この物語において夢とは「神のお告 げ」「神の言葉」であり ますが少し触れましたように現代語訳すると「真実」 出会った り「科学的事実」であったりといったことです。わざわざ夢で 見 なくても、明白に示される未来です。・・というと大袈裟なら、 誰の目にも明 らかな「これから起こること」と表現してもいいか も知れません。 現代社会では、 実際の夢のお告げを語る人は、未来が自 分の都合の良くなるようにしか語りま せんから「お告げ」なん ていうこと自体信用されなくなっています。しかし「夢」 を「真 理」「事実」などと置き換えると、現代人である私たちは別の 方法で 未来・・これから起こることを予見できるようになってい ます。 「こういう夢見 られないなぁ」なんてコンプレックスに感じるこ とは全然ないのです。抽象 的すぎるので、一つだけ例を挙げ ましょうか。当たり前に考えれば予見て ゙きていることなのに、 現実が逆を向いているという事例です。 わたしは高校 生の時生物の授業で「濃縮」という言葉を習 いました。生物濃縮のことです。 そこではDDT(農薬)が例に 取り上げられ、残留農薬濃度が植物プランクト ンでは海水と 同じ濃度だけれど、動物プランクトンが食べ続けるこ とで濃度 が濃くなり、それを食べる魚など、食物連鎖の最終段階に行 くほ ど濃縮されていくということです。なぜDDTの例で学ぶの か・・、有機水 銀で学ばせない圧力があったのかも知れませ ん。水俣病の惨禍は、この作用か ゙大きく影響して起こりまし た。薄めれば大丈夫だという「科学的事実」が いかに薄っぺ らいものか、一目瞭然です。説き証しとして、7年の生命の危 機か ゙生命の繁栄を飲み込んでしまう状況がはっきり予想でき ます。 現代のわた したちには「マナセ」と「エフライム」という二人 の子どもは与えられるでしょ うか。
9月3日 第一コリント2章1~2節 「知恵によらず」 久保田文貞 パウロは1世紀地中海東部のヘレニズム諸都市をめぐって福 音伝道をし、カ ゙ラテヤ、ピリピ、テサロニケ、コリントなどのエクレシア(教 会)を築いた り支援したりした。彼の書簡を読みながら、少し でもその汗と匂いと人々の音 声を聞き分けたいと思う。それ がこんなに離れたここ日本の現代でのキリスト 教宣教と実際 どんな関りがあるのかと怪しみながら、あるいはひょっとした ら なにかいただけるものがあるかと、期待しながらである。 私たちも教会 をはじめた時、一軒家の6畳と4畳半をぶち抜 いて、家庭集会のようにして始め た。こんな出発の仕方はパ ウロの時代も同じだろう。そうは言ってもユダ ヤ人パウロが知 らぬ地で語り始めるには、その地にいるユダヤ人を頼った に 違いない。ユダヤ教の会堂シナゴーグがあれば、そこから(テ サロニ ケ?)。追い出されれば近くの空き地で(ピリピ)。あるいは 「ならば私の 家を使って」と誘われて、そこで(コリントではそん な風に)。そうだよ、イ エスの福音はまずは十数人、多くて2, 30人の集まりの中で、とは自分に引き寄 せた勝手な読みか も。 初代のクリスチャンたちは自分たちの集まりをエクレシアと 呼んだ。 もっともエクレシアとはヘレニズム社会では、ギリシャ以来の市 民集 会を意味していた。こじんまりとした都市ポリスで、朝早く仕事 前の市 民(ただし自由人の男だけ)が集会所に集まり、ポリス の報告がされ、演 説好きの男達から初めてやがて議論に入 る。町々のエクレシアはそんなイメーシ ゙で捉えてよいだろう。ユダ ヤ人もヘレニズム時代になってギリシャ語 を使う者が多くなり、(旧 約)聖書もギリシャ語訳(70人訳という)が出回った。 そこに何百 年も前からイスラエルの集会カーハールがたびたび登場する。70 人 訳聖書がこれを主としてエクレシアと訳した。神ヤハウェの前に礼 拝するイス ラエルの人々の集会がエクレシアである。パウロやその 周辺にいた人々の頭 には、この聖書由来のエクレシアと、ギリシャ 由来のエクレシアとが重なって いただろう。 パウロが記録に残る最初のアンテオキア(教会)での集会(使徒 行伝14:26-15:2)や、コリント(教会)での比較的大きな集まり の時(第一コリント 11~14、特に14:34「女は教会エクレシアイ(複 数)で黙っていなさい」)は、聖書由 来のエクレシアというより、男 たちの議論が中心になるヘレニズム的市民集会 に近い現象 のように見える。ある程度成長した教会の、エクレシアイの連合 集会は 市民集会の体を為したのだろうか。 イエスがガリラヤで福音の宣教を始め た時(マルコ1:14~3:6)、 イエスの周りにできた集まりは大きなものではない。 家単位の 集まりに近い。顔と顔が互いによく見える〈対面〉集会の体を 為す。五 千にも集まったという大集会が悪いというわけでは ないが、そうなるとど うしても人の思い思いが連合され「知恵」 となって集会を縛り始める...とは、こ の判断は、私の浅「知 恵」によるものか。 パウロの伝道の多くは、間違いなく小 さな対面集会の中で、 イエスの死の問題と復活の出来事が語られ、一人一人か ゙そ れを反芻し受け止められたに違いないと思う。コリントのエクレシア も、初め は小さな諸集会に始まり、やがて連合して次第に大 きなエクレシアになったと勝 手に思っている。ロマ書16章は、どう みても15章で閉じていた手紙を、追加 分として付け加えられ た挨拶文に見える。ここに「家の教会」という単位が出て くる。 実際それがローマ宛てのものか、エペソ宛てのものか、確定は できな いとしてもである。家単位でエクレシアが編まれていたこと を否定できな い。同様なことはコリントでもあった(第一コリント16: 15~19)。おそらくコリン トのエクレシアは51年頃、そこに一年半余 り滞在したパウロの下で形成された。 それから3年位経って、 エペソにいるパウロが書いた手紙を私たちは読んで いる。当 初から比べれば相当大きくなっている。一同が会せばまさに 市民 集会のように議論が起こり、雄弁な者たちの「知恵」が勝 つ。大きな「家の教 会」の指導者然とした者の「知恵」が多数 の支持を得てのし上がっていく。か ゙、「キリストの名を呼び求 める人々」(1:2)のエクレシアは、そんな人間の知恵 で成り立つ ものではないと。人から見れば、愚かそのもの、「十字架の言 葉」 からなる。「それ以外、なにも知るまい」(2:2)という徹底 的な開き直りがエクレ シアの基本的な構えだというのである。 とはいえ、そのパウロがさらに具 体的、現実的にエクレシア内部 に起こっている一つ一つの問題に、勧告めいた言葉 を発す る時、けっこう醒めていて良識的な結論に納まっていく(特に 5章以下)。意 地悪く言えば、これまた複数の「知恵」からなる 提案のようにしか見えない。も ちろん、すべて人には愚かとし か見えない、そこにこそ神の知恵があると言う 論理をただ押 していくだけなら、それまでのこと。だが、私には、人に は愚 かとしか見えない神の知恵を、人の知恵にぶつけていくこと で生まれてく る食い違いをどうするかが、とても大事に見え る。先週述べた、エクレシア の中に生まれる「交わり」にとって、 どう検証ドキマゼインするか、そこて ゙同時に起こる自己検証、そ こで互いに始まる相互検証を、欠かしてはならないた ゙ろう。十 字架に命を絶たれてしまったイエスの、その「愚かさ」と、その 「愚か さ」の中からひたひたと立ち上がってくる「知恵」の渡り 合いが捨てがたい のだ。見る人が見れば、確かにそれもただ の人間の「知恵」かもしれない。 なんと言われようと、エクレシア にとっては、この擦り合わせが大切だと思う。 神を畏れる以上 の知恵を人は持ち合わせていないのだから(ヨブ38:13,28)。
8月27日 第一コリント1章18~25節 「世間との大きなずれをかかえて」 久保田文貞 パウロの手紙を読んでいる。他人の手紙を横から読んでいる わけではな い。2千年前の手紙を自分たちに宛てられた手 紙として読んでいる。 確かにこれ は、パウロがコリントの教会に宛てた手紙だが、1 章2節「またあらゆる場 所で我らの主イエス・キリストの名を呼 ぶすべての人々へ」とあるように、と ゙こで、いつ、これを読もう と「キリストの名を呼ぶすべての人々」が自 分に宛てられた手 紙として読んでいっこうにかまわないとしている。 としても2 千年後の遠いアジアの教会でこれが読まれるとは 思ってもみなかっただろ う。彼の頭の中で予期していた「終 わりの日」はどんなに遅くとも数十年後に は到来していたは ずなのだから(第一テサロニケ1:15)。 というわけで、この 手紙は読んでいけばわかるとおり、直接に は、具体的な諸問題を抱えているコ リントの教会に向けた具 体的な勧告や奨励になっているが、それは同時に1章9節 「神の御子たる我らの主イエス・キリストの交わりへと招かれて いる」あらゆる人々 にとっての痛切な問題になるはずだとい わんばかりなのだ。 こんなことは わざわざ言われなくとも、日曜には教会に行っ て、礼拝をする。そこで聖書 の言葉が朗読され一同が耳を傾 ける。それに応答するように賛美の歌が歌わ れ、祈りがささげ られ、聖書にもとづいて証しの言葉が語られる。私たち は聖 書とはそんな枠組みの中で読まれる言葉だと当然のように認 識している。 あの「交わり」に招かれている者は、礼拝という場 だけでなく、生活、仕事、 旅の合間に、聖書を取り出して読ん だり、言葉を思い出したりする。パウロか ゙言う「交わり」とはそ んな一切合切を含んでいるだろう。 こうしていつの間 にか私たちは、クリスチャンという生活パタ ーンの中に組み込まれている。と、 「そんな見方をするあなた はこの交わりの中にいないの?」と手厳しい質問を受ける か もしれない。確かに、私はパウロを起点としてその始まりから ずっと築かれ、 今もなおその枠組みの中にいる「交わり」から 一歩外に出て、クリスチャンが依 然として持ち続けているこの 生活様式は何なのかと問う。「お前は何様だと思っ ているの か。」「僭越にすぎないか」と言われるかもしれない。 でも、この一 歩外に出て見直す、ということは欠かしてはいけ ないと思っている。礼拝の始まる 前、まだ誰もいないうちに、 中をお掃除してくれる方がある、またまさに一歩 外に出て教 会の建物の外回りの草やゴミを取り除いて下さる方がいる。 いや、 例をあげればきりがない。みんなが直接には「交わり」 そのものから一歩 離れたところで、普通の言い方で言えば教 会を支えてくれている。私たちか ゙それぞれに、「交わり」から 一歩外に出たところから、その「交わり」の外壁 を見つめ、そ の「交わり」が見過ごしてしまうものを見てとり、補修したり、 取 り外したり、清掃したりすることで、「交わり」は支えられている のではな いか。 自分なりに一歩出て「交わり」を見るということが大切だと思 う。 使 徒パウロは伝道者であり、ひたすらキリストの福音を知らな い人々に伝え、彼 は語るべきものを語り、それを聞いた人々 の間に「キリストの名を呼ぶ人々」 の交わりを築いた。宣べ伝 える者があって、それを聴く者があって、語り聴 く者の交わり が生れた。それだけならどうということはないが、この「語 り」と 「聞き従うこと」の間に生れたものは、その時代の宗教事情の 在り方とは全 く別のものだった。 その時代、神々の神殿がそこら中にあり、祭だと言って はそ れらの神殿にお参りをし、捧げものをする。香ばしい煙の立 ち上る中、祭 司の威厳に満ちた声、祈り、賛美や楽器の麗し い音色、人々はそんな神殿宗教に囲 まれていた。しかし、パ ウロの「語り」は、人々が神々に期待し、その期待に 応える神 々の言葉とは全く逆のものだった。甘美な彫像に囲まれ、知 恵の言葉て ゙飾りつけられ、賢さのイメージに巻き込まれていく 経験とは全く別物だった。 イエスについての語りを聞き、また 福音書や伝道者の手紙を読むということは、世 間に向けて完 璧な共同体を作り、世間全般がひれ伏すような宗教団体を 作ろうと いう動き(その後のキリスト教会も長い間、今もなお陥 った轍である)とは真逆の ものだ。 18節「十字架の言葉は滅 びる者にとって愚かであるが、...」と、 パウロは書いている。も っともパウロは世間に対してこのように愚かで無知 と判断され ようが、実はそれこそ神の知恵、神の強さと自負している。気 持ちは 分からないでもないが、私には余計な頑張りのように 聞こえてならない。その 「交わり」は、世間には愚かで、さげ すまれるばかりで、誇りようのない もの、それでいいじゃない あかと。だが、「交わり」をどんなに自己卑 下しようと、この世 間の間に食い込まれて存在している以上、信仰的な自信が い つの間にか世間の誇り、知恵、力に地続きになり、世の誇 り、知恵、力の一つにな りかねない。実際、教会の歴史には そんな時がなんどもあった。で、どう したらよいか。パウロがよ く使う言葉に「検証する」ドキマゼインという 語がある。だれでも なにをするにしろ自己検証が必要だが、「交わり」 の中でただ 集中していればよいというものではない。「交わり」の一歩外 に出て検証することなしに、その交わり自体が成立しないと いうのだろう。カ ゙ラテヤ6:4、IIコリ13:5、ロマ12:2を読む。
8月20日 「#正義に耐えられない」 マタイによる福音書 26:14-35 八木かおり #(ハッシュタグ)の機能について #は、Twitterでキーワードやトピックを分類するために使 われます。この機能は Twitterで作り出されたもので、この機 能を使えば興味のあるトピックを簡 単にフォローできます。 ツイートの関連キーワードまたはフレーズの前にハッ シュタ グ記号(#)を使ってツイートを分類し、Twitter検索に表示さ れやすくしま す。メッセージの中のハッシュタグが付いた言葉 をクリックまたはタップ すると、そのハッシュタグを含む他のツ イートを表示できます。ハッシュタク ゙は、ツイートのどこにでも 付けることができます。ハッシュタグの付 いた言葉で特に人 気のあるものは、トレンドトピックに表示されます。 簡単 に言えば、#の記号をつけた単語を自分のツイート の中に入れることで、その単 語に関連する他の人のツイート を自分も相手も見つけやすくなるということです。 実際には、 本当に、いろんな使われ方がありますが、例えば、それによ って 緊急の集会やデモが可能になったという話をご存じでは ないでしょう か?また、ツイートに対する非難で「炎上」するこ ともある、というやつです。 現在では、X(元Twitter)だけではなく、他の多くのSNSで もハッシュタグ 機能は使用されています。 という話から始めましたが、わたしは誰にでも公開 されるSN Sは個人的には使っていません。そして#を使ったことがあり ません。元 FB(現Meta)は使っていますが、あくまで業務用 で、それも「友達のみ設定」て ゙すし、一番普通に使っているの はLINEですが、これも完全に対個人(知ってる 人だけなグル ープもいくつかありますが)使用です。そして、それを変え る つもりも今のところありません。 なのですが、本日の題、この「#正義に耐 えられない」は、 わたし自身が話をしてみたかったのです。 基本的にわたしは、 仕事上は「自分なりの正義を他者に押 しつけることのできる」側にいます。 で も人は、それぞれに様々な場面で、自分なりの「正義」を 選択したりしなかっ たりもするでしょう。あるいは、押しつけら れる「正義」に抵抗することだっ て大切なはずです。「正義」 が振りかざされるような事態が起こるのは、 どのような集団に おいても組織においても、世界的な国々の動きにおいても、 大 体において禄なもんではないと考えています。 本日の聖書箇所は、イスカリオテ のユダが祭司長にイエス を売る場面から、それをイエスが過越の食事におい て指摘し つつも食事を祝福し、さらに弟子たち全員の離反とペトロの 否認の予告 が語られ、ペトロがそれを否定する場面です。事 態は、イエスに本当に危 機が迫っている状況で、そして、一 行を取り巻く状況は、とんでもなく禄て ゙もないのです。 イスカリオテのユダについては、新約聖書の記述としては2 つの報告があります。マタイの物語では、ユダはイエスが有 罪となったこ とを聞いて後悔し、代価としての銀貨30枚を祭 司長と長老たちに返したものの決定 は覆らず、彼は銀貨を聖 所に投げ込んで自死してしまいます。そしてそのこ とを忌み 嫌った祭司長たちが、外国人墓地として陶器師の畑を買っ たことになっ ています(マタイ27:3-10)。もうひとつはルカによ る福音書の後編である使徒言行 録ですが、こちらでは、その 代価で土地を手に入れたユダがなぜか 悲惨な事故死をした 的な話として伝えられています(使徒1:15-20)。 イスカリオテ のユダについては、「彼には彼なりの正義があ ったけれども、イエスとは相 容れなかった」ということが、例え ば映画のジーザスクライスト・スーハ ゚ースターでは中心的なテ ーマとして語られていたりします(と思いました)。他 方、ペトロ を初めとする弟子たちも、食事の場面では「最後まであなた と一 緒に」とか言いながら(それが、その時の彼らの正義だっ たはず?)も、一旦 は逃げ去ります(逮捕の場面で相手の耳 を切り落として抵抗した弟子をイエス本 人が止めてもいます し~)。その後、復活のイエスに出会ったことから弟子たちは 気をとりなおして、さらには命をかけていくわけですけれども。 そしてそれか ゙キリスト教のはじまりとなっていくわけですけれど も、ただ、それが ローマの権力抗争を初めとして、なんかかん か利用されていくうちに、違うものに なってしまったのだなと いうのがわたしの見解です。 他者から、あるいは権 力を持つ者から勝手に提示され、押 しつけられる「正義」に耐えて従う必要はない んじゃないか。 おかしいことはおかしいと告発すること、それは、旧約聖書の 預 言者たちからイエスや弟子たちが受けついだ願い、そして 指針だったので はないかと思います。 自分にとって「正義」がどのようなものであるのかを 考えると き、それは振りかざして他者を攻撃し傷つけるものでないよう にと願 います。でも、理不尽な扱いをされた時に「ふざけん な、バカ野郎!」って怒っ ていいし、相手もそれをちゃんと聞 いてくれるような関係をつくること自体が、 とても難しい。という のが、現在の社会的な問題なのかなあと思いつつ。 一方的 に対話もなく押しつけられる「正義」は、違うから耐 えられないし耐えなくてもい いのではないでしょうか?という 話がしたいです。ということで、SNSに# つけて拡散してまで も言いたい!と思ってつけた題でしたが、すみません、わ た しがヘタレなので、まだできていませんという中間報告です。
8月13日説教 「防衛医科大学校」について 五十嵐忠彦 作家の森村誠一さんが亡くなった。旧関東軍防疫部門73 1部隊の戦争犯罪を扱った 小説「悪魔の飽食」を書いたこと で有名になった。森村さんは子供の時、埼玉県 熊谷市で大 空襲を受け、愛犬を失ったという。戦争を憎む原点となったと 以前ラ ジオで語っていた。私達が 731部隊の存在を知っ たのは 少し前で、1973年 頃である。 新設される防衛医科大学校の問題を地元の市民が取り上げた、大 学の学園祭でも 取り上げられた。埼玉県所沢の 市民や学生側の懸念は、軍事組 織に医学部が結合し将来、 戦争犯罪を企画、準備するような、受け皿機関になる のでは ないか? 疑いがあるなら建設を中止させたいと主張。た だ、医療過疎 の地元の要望が強く、大学校・病院もでき、以 後「普通の総合病院」「医大」 として機能し、歩んだ。 防衛医大の基礎医学の教授募集があり、当時、わたし の 所属していた大学からも 生理学教室の T助教授が就任 した。その前後、大学 内では、異議申し立てとして、一部の 学生が騒ぎ始め、生理学の教授に、派 遣反対の申し入れを したり、生理学の授業をボイコットしたりした。わたし自身 は消 極的な反対の意思表示を選び、結局、同生理学の授業はす べて欠席し、独 学。年度末数回の追試をしてもらってなんと か単位を取得した次第。そんな「思い 出」にひたって、「平和 に過ごし数十年」、上記の「懸念」のきざしとなるのて ゙しょう か? 7月15日の 新聞に以下のような 記事が出まし た。 防衛省は来年度、 埼玉県所沢市の防衛医大病院に、 戦闘で負傷した自衛隊員の治療を一貫して担う 「外傷・熱 傷・事態対処医療センター」(仮称)を新設する方針を固 めた。専門的な 知識と技術を身につけた医官や看護官の 育成も行う。ロシアによるウクライナ侵攻 などを踏まえ、「戦 傷医療」の拡充を図る。政府関係者が明らかにした。必要 な人員や機材などの関連経費を8月の来年度予算案の概 算要求に盛り込む。 これ は、21世紀の現在の 世界情勢、極東の軍事情勢の 変化、日本を取り巻く安全保障環 境の変化、など複合の要 因が重なって決められ始めたと理解されますが、明 らかに 軍陣医学*の領域に国家組織が踏み込み始める という ものと思われます。 つまり、近い将来 紛争戦争が日本周辺にて発生しうること、それに直接自衛隊員 が武器使用し関与する、更に死傷 者が本当にでるだろう。出始める可能性か ゙現実のものとなり 得ること、これらへの準備に他ならない。こういう状況になり 始 めたのだろう?か? 「平和を考える礼拝へ寄せて」 北島泰子 もう他界したが 一緒に住んでいた大正元年生まれの祖母 と、その息子である昭和13年生まれの 父に小さい頃から戦争 の話を聞いて育ったので、この時期の映像や記事には大変 興味がある。祖母も父も3月9日の晩まで荒川区にいて戦火 を逃れて松戸に来て 今の私がある。 先日、「笑点」で人気の林家木久扇さんの戦争体験の記 事が 出ていた。一部紹介する。 ~今、気になるのはロシアのウクライナ侵攻。「ニュース を見 るたびにつらくなりますよ。母親を失った子どもが、焼け跡で 泣く光 景。自分たちも、あんな目に遭った時代があったと思 い出します。腹立たしいと いうより、人間の愚かさが透けて見 えるようですね」 翻って、現在の日本に思 いをはせる。「僕は、せがれや孫 たちを見てこう思うんです。ずっと平和な 中で育ってきたか ら、本当に戦争になったときのことを想像できていない。戦 争 っていうのは、突然始まるんです」。今でも思い返すのは「近 所の人が出 征する。そして(遺骨が)箱になって帰ってくる」 光景。そんな時代が来ないた めに、何が必要なのか。~ 木久扇さんが言うように本当に戦争になった時のこと を私 は想像ができていないと思う。国の軍事費を増額して訳のわ からない安心 を得ている政治家も本当に戦争になった時の ことを想像できていないに違いない。 ウクライナとロシアの戦 争も終わる気配がない。ただ考えてみると、プーチ ンが一言 「今から戦争をやめましょう」というだけで平和が訪れると思う のだ。なんと簡単なことか!それができないから人間の愚か さが透けて見え ると木久扇さんが言うのだ。新しい戦争のル ールとして、戦争を始めた首謀者 は最高の激戦地に入り先 頭で戦わなくてはならないいう決まりを作ったらどうた ゙ろう? 人にやらせておいて自分だけ安全なところにはいさせない。 そうしたら 戦争を始めようとする人間が減るだろうか?よい考 えが見つからない。 引用:“林 家木久扇さん、脳裏に焼き付く空襲の恐怖 戦争に見る 人間の愚かさ”.毎日新 聞.2023-08-07. https://news.yahoo.co.jp /articles/75272463d03b6374adb7d4971a643865261445c5
8月6日 フィリピ書1章2節 「神の恵みと平和があるように」久保田文貞ハ ゚ウロの真正の手紙(テサ1、ガラテヤ、コリ1,2、ロマ、フィリピ、ピ レモン)の すべて、初めの挨拶として「私たちの父である神から (とイエス・キリストから)の 恵みと平和が、あなたがたにあるよ うに」 が出てくる。またパウロの名を 借りた後代の手紙(エペ ソ、コロサイ、テサロニケ2、テモテ、テトスや、そのほ かの手紙)にも、こ の挨拶が使われている。当時の教会の形式的なただの挨拶 て ゙はないだろう。それはクリスチャンたちの集会共同体(エクレ シア)の出発点、 根拠を確かめていた言葉と考えたい。彼らの 出発点がいつも「私たちの父であ る神とイエス・キリストからの 恵みと平和」にあることを、挨拶を交わすたびに 確かめ合っ ていたのだろう。この「恵みと平和」はただの理念として鎮座 して いるわけではない。現実には教会の内部にはご多分に もれず絶えず分争か ゙生じていた。アンテオキア教会(使徒15: 36以下、ガラテヤ2:11以下)でのよ うに伝道者同士の間でも意 見が分かれ対立が起こる。ガラテヤ教会やコリ ント教会では、 信徒の間で行動や意見に食い違いが起こり、時にはケンケ ン ガクガクの論争になり、収拾がつかなくなって設立者の伝 道者パウロに相 談したのだろう。こうして「なんだ、教会もただ の自己主張と利害渦巻くたた ゙の人間集団か」と興ざめする人 もいるかもしれない。でも、そんな問題を抱 えた彼らはかなら ずあの原点、「私たちの父である神とイエス・キリストから の恵 みと平和」に立つ。「私たち」一人称複数の表現から離れず にである。 もう一つ、これと対照的に、パウロの手紙の最後に、祝福 のメッセージを込め た別れの挨拶が書かれている。例えば第 一テサロニケ5:28「わたしたちの主イ エス・キリストの恵みが、 あなたがたと共にあるように」と。第2コリント 13:13「主イエス・ キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同 と 共にあるように」のように後々の教会の三位一体論を意識し た「祝祷」に似たも のもある。しかし、ここで神学的論議に踏 み込むつもりはない。むしろ注目すへ ゙きことは、初めの挨拶 ではもっぱら「私たち」と一人称複数で言われてい たのが、終 わりの挨拶では、「あなたがた」と2人称複数で言われている ことである。心理的には、この使い分けは自然なことかもしれ ない。「みなさん こんにちは、私たちの神、イエスキリストの恵 みと平和が、私たちにありますよ うに」と入っていき、「さような ら、あなた方に神の恵みがありますように」と 去っていくのだ から。自分たちのことを思い起こしても、こうやって一人称複 数 と二人称複数は上手に使い分けているのではないだろう か。だが、はたし てそれだけのことだろうか。 北松戸教会では礼拝の最後に司会者が民数記6 章24~26節を読んできた。これは元来、祭司が、イスラエルの民にむ け神の祝福 の言葉を取り次ぐ祈り、〈神ヤハウェが「あなた」を 祝福し守り、「あなた」 にみ顔を向け恵みを与え、「あなた」に 平安を賜るように〉と。お気づきのよう にここでは、二人称単 数「あなた」を押し通している。長い祭司制の歴史で、 いつこ の祝福の言葉が成立したかわからないというが、神の祝福の 言葉がま ずは「あなた」一人、「わたし」一人に向けられている ことに注目したい。この 祝福を受け入れようとしているた者 は、「み顔をあなたに」向けられる神の前に一 人で立つ。恵 みをみんなといっしょに同じように受けるから出発するのでは なくではなく、自分ひとり手触りを確認するようにして受けと る。言い換えれは ゙、神の前に一人晒されることを意味する。 恵みは、受け取る人間に関わりなく際 限なく降り注ぐと教えら れてきたかもしれない。けれども、そうではない。 恵みも平和 もまずは「あなた」一人で受け取らなければならない。そこで 「あなた」の応答責任ということがどうしても起こる。「あなた」 はその恵み、 その平和を受け取る応答責任から逃げることは できない。応答責任とはなんた ゙ろう。神への応答責任だけの ことか。いや「あなた」が恵みと平和の中に置 かれていること を確かめると同時に、「あなた」のすぐ隣りに他者があり、 「あ なた」が今見えていないはるか向こうに他者たちがいる。その 他者への応 答責任に「あなた」は気付かされるだろう。時に は祝福を取り次ぐだけの務 めに開き直ってしまう「祭司」と袂 を分かつ必要があるかもしれない。そんな祭 司に不信を抱 き、立ち去る「あなた」も出てくるだろう。それも立派な「あな た」 の一つの判断かもしれない。神から与えられる「平和」で はなく、人の手で一 つ一つ築いていく彼らの「平和」への努 力を、そしてそこで生じる失敗や逆の 事実・争いを、「私たち」 は嗤うわけにはいかない。あの恵みと平和の祝福を受け、 そ の応答責任の前に立たされている者として「わたしたち」は、 かれらと共に平和 の修復への道を歩まなければならない。す すんで彼らと出会い、互いに道を示 しあい、共に生きていく 道を探すよりない。 常套のようになってしまった祝福の言 葉の先に、イエスの 祝福がある、「貧しい人々は、幸いである、神の国はあな たが たのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたが たは満 たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなた がたは笑うようになる。」 (ルカ6:20-21)と。ここに一つの具体的 な応答責任の道が示されている。貧しい人・ 飢えている人、 泣いている人は、祝福からもれているのではない。イエスの 祝福 をまっさきに受け取るべき人々だ。争いと、貧困、格差、 差別が広がって いく世界にただ手をこまねいているわけには いかない。むしろそこがあの恵み と平和の祝福を抱いて、応 答責任を試行できる場、福音が共鳴する場なのだ ろう。
7月30日 ロマ書6章1~6節 「宙に浮いた『戦責告白』」 久保田文貞 北松戸教会は8月13日に「平和を考える礼拝」を計画して いる。記録て ゙はそれまでの「平和礼拝」に代えて1998年から8 月第2日曜を「平和を考える礼 拝」としてきた。説教者を特に 置かず、参加者の思いを述べあう礼拝となる。 そこで何度か1966年に当時の教団議長鈴木正久の名で 出された『第二次大戦下 における日本基督教団の責任につ いての告白』(資料、以下『告白』と云う)を読んた ゙がこれまで それを正面から取り上げることをしなかった。今日はこれに踏 み込んで、13日の会の参考にしてもらえばと思う。 『告白』は、第二次世界大 戦直前、1940年「教団成立とそ れに続く戦時下に教団の名において犯したあやまち を、今 一度改めて自覚し...」、神に赦しを請うと最後まで歴史に向 き合う教会 人の真摯な姿勢を示している。そもそも教団成立 自体が、当時の総動員体制に 「協力する」形でプロテスタント 諸派が合同したものであり、どう言い 繕うとファシズム国家体 制に何の抵抗もせず屈服したものでしかない。戦時 になって からは、教団の名で戦いを支持し内外に勝利のための祈りを 発信、各個 教会においては戦闘機寄進のための献金行動 などをした。教団の成立とその後の 数年の歩みは歴史的汚 点そのものだ。 敗戦と共に、アメリカ主導の連合軍支配下 に置かれ、東久 迩内閣は「一億総ざんげ」を唱導、教団も当然のようにこのさ ゙ んげに加わり、後はキリスト教に好意的な連合軍に率先して 協力していく。そ して天から降ってきたように日本国憲法が 「国民主権」を謳い、少なくとも建前 上だれもが国家権力から の自由・平等を手にする。もちろん事態はそんなに甘 くなか った。すぐに東西冷戦体制に入る。いや冷戦どころかすぐお 隣の半島 では米国対ソ連の代理戦争たる朝鮮戦争が始ま り、日本は西側の言うなりに軍 事基地を提供し、物資補給庫 とされる。戦火は日本に飛び火することはなかった し、特需 のために思わぬ戦後復興を遂げることになった。けれども、 そこで 日本が手にしたものは決定的に米国型近代資本主義 国家に組み込まれることだっ た。好むと好まざるに関わらず それが日本特有の戦後となった。 1966年遅 ればせながら、日本基督教団は『告白』をする。 ドイツでナチスの暴走を 食い止められなかった教会が猛省し て告白した『シュトゥットガルト戦責告白』 (1945)に学んで。60 年、日米安保条約の全面的な改定のチャンスを正面から審 議 することもなく、ただ賛否を問うだけの議論に終始するより ないまま、反対派 は政治的に負けた。第二の戦後の始まり だ。現象的に敗北した反対派は、自己批 判も込めつつ、方 法はどうあれそれ以後ラディカルに問うよりなかった。(私自 身について少々触れると、60年安保を高1で迎え、生徒会決 議のままに国会デモ に初参加、64年学生になり新左翼の中 に立たされ、68年十分な総括もせずに教団 立神学校に入 学、するとあれよあれよという間に神学校教授会と対決、その まま教 団問題へ、教団の教師資格を拒否し伝道所活動へ) 先の『告白』は戦後20年をかけて 歴史に対し教会がどう襟 を正すかということで、クリスチャンとして大変真 摯なものだと 思う。だが、そこで止まってしまってはいけないと70年代か ら9 0年代にかけて教団は現実の歴史に向き合う教会として模索 し続けた。けれど も、90年代後半から改革的な動きが止ま る。その裏に「東京教区」のえげつな い画策があるがそれを いま恨んでも仕方ない。問題は、歴史認識の甘さにあ るだろ う。近代日本が紆余曲折を経つつも、ほぼそのまま受け入れ た欧米型 の民主的近代資本主義国家観も、またそれを逆方 向から読み直した社会主義国家観 (日本資本主義論争)も、 主権国家という枠組みからしか歴史をとらえなかったとこ ろに あると思う。 90年にソ連が解体し東西冷戦が終結したが、そこで 「歴史 が終結する」どころか、近代資本主義国家群は敵を「テロリス ト」に固 定し国家という存在の正統性を追い求めた。だが、そ れによって国家の正統性 は証明されるどころか、ついにはロ シアによるウクライナ侵略、新手の国家群の 対決、米・欧・日 対ロシア・中国・北朝鮮。こうして近代主権国家間の国際的 な常 識は宙に浮いてしまった。ということは、日本国憲法が国 民主権を謳い、自由と 平等を手にし、その中で思想の自由、 結社の自由、信仰の自由を謳歌しているつ もりになっている 私たちの一寸先、海の向こうは「歴史」という存在自身が解体 してしまっているといっても過言ではない。 「歴史」の看板に新しいデザイ ンをという発想はやめた 方がいい。またどこから始めようかなどと無責任な こと は言えない。むしろどう見直していけばいいのかという べきか。よく見 れば、「歴史」の丁々発止の上っ面に関わ りなく、しっかりと生活に足をつけ、 生産活動に取り組 み、自分の表現を求め、仲間同士互いに歩み続けてきた 人たちの 群れがそこここにある。彼らに権力はない。権 力を笠に着た実行力も生産力もな い。でも、クリスチャ ン的に言い直せば、自分の心から等身大に告白する表現 がある。その表現を共にする告白がある。それが自分た ちの生活を確実に動 かす。自分たちにできなかったこ と、自分の負い目を認めることができる。 そうして確実 に他者に向かって踏み出す。それで(が)いいと思う
7月23日 ヨハネの手紙第一5章13~21 「聖書の言葉の魅力」 飯田義也 40年ほど前、わたしが京都で神学生をしていた頃、「『伝道』 という発想は上から下に物を 言うようでよくない」という信徒の 方々があり大きな発言力を持っていました。 教区でも「伝道集 会」はやらない方がいいという方向でした。伝道というと よくわ かっていない人たちに「道」を「伝」えて救ってあげる・・というよ うな ニュアンスになります。...(中略)単純に言えば「上から目 線」はやめようという ことです。...聖書のことばの魅力にとらえ られて、人生に希望を見出したとき 「自分自身がとらえられた 魅力的なことばを他の人にも伝えたい」という考え は素朴なと ころであるとは思うのですが、確かに、教会が組織として「伝 道」という用語を使うと、上からになってしまいがちではありま す。 ...さて、 今日の聖書は、...この頃あんまり新約聖書の中の 書簡集の部分を読まなくなった なぁ・・って思いました。イエス 様、人間として生きたナザレのイエスの本質に 迫りたければ 「福音書」でしょうし、歴史の大きな流れの中で人間の生き様 を考えたいときには旧約聖書が重たく迫ってきます。比較して しまうと「手紙」 の部分は「ことばの花束」よいことばはたくさんあ るのですが、日曜日に 読んで説教にはなりにくい・・。 「ヨハネの手紙」3通は、ヨハネによる福音書を 書き記した初代 の教団が、その教派の共通する説教として、大切にしていたこ と ばの集積でもあります。ごく単純に考えますが、この書が書 かれたのは 古代の社会です。広大な地域に徒歩で伝わる情 報の流れの中で、「ナザレ のイエスは十字架刑で殺されたけ ど復活したということだ」 という話を聞き、 「そりゃ神様ならきっとそうなさるに違いない、 信じる」と人々が集まって教 団が形成されます。 で、地域ごとに勝手なこと言う人もいて、自分が教祖 的にな りたがる人も出たり、そうした中で手紙が威力を発揮したに違 いない わけです。 現代の日本基督教団の中で、神学論争や旧教派の考え方 の違いを火 種とした派遣争いがあるように、初代の教会でも多 くの人がせめぎ合いなか ゙ら、一つの宗教として形ができ上がっ ていったことがしのばれます。っ て言いますか、二千年間、い まだにやってるのかっていう感じで、わたしの ように教義にほと んど関心をもたないキリスト教徒も出てきてしまうのでは? 「ことばの花束」...座右の銘にするような良いことばは大概 手紙にあるという ことです。思い出すと、父の座右の銘は「常 に喜べ、絶えず祈れ、凡てのこ と感謝せよ」テサロニケの信徒 への手紙一 5章16〜18節でした。改めて、自分を 高めようと いう考えもあまりない自分が恥ずかしくなります。 有名な「神は愛 なり」は今日の「ヨハネの手紙 一」4章16節 の言葉です。舊新約聖書(文語訳)て ゙は「我らに對する神の愛 を我ら既に知り、かつ信ず。神は愛なり、愛に居る者 は神に居 り、神も亦かれに居給ふ。」 初めてこの言葉に出会った時に、神様が愛 なのだから、わ たしたち人間も愛し合いましょう・・という主張は、特定の宗教 にこだわらず、よいことばだと思いましたし、本当に社会から愛 が感し ゙られないいまの社会で、必要とされることばだと思うので す。 ・・が、 いま、たとえば若い人々、あるいは年取った人々にして も、どんなことばに 魅力を感じているのだろうか、そもそも大切 なことばを持ってるのだろう か、と疑問が湧きます。 先ほど「父の座右の銘」は申し上げましたが「あ んた自身の は」って聞かれたら「うーん、これ!っていうのはないんだよな ぁ」っ て、耳に入ってくることばの量が昭和の時代とは桁違い になっていることも原 因の一つにあるかもしれません。 実は、人々から余裕がなくなっているのかなぁ。 たとえば、 実用的な講座には、一定の人が集まります。「実用」とは生活 のた めの金を得られる、とか、金を得る手段(資格とか)を得ら れること。教会に行って 人生に有用なことばを聞く時間も金も ないということなのでしょうか。 永井荷 風がその日記『断腸亭日乗』で「元来、日本人には 理想なく、強きものに従ひ、 その日、その日を気楽に送ること を第一となすなり」と指摘した時代から悪い方向 になりこそす れ、よい方向にはなっていません。悩まないからことばも不 要、流 されていれば楽・・なのでしょうか。 今日の手紙の最初には「交わり」という ことばがたくさん出て きます。この「交わる」ということば自体、性的な交 流も表すとこ ろから、日常あまり頻繁に使われない言葉ではあります。お互 いに かかわって影響し合うことです。ヨハネの教団(もちろん他 の教団も)にとって、 教会を形成することが大きな喜びであっ たわけで、大きな愛の中で、お 互いに人格を認め合い、尊敬 し合い、総合的に言えば愛し合って過ごしていき たい・・でも、 なんだか揉め事は起こってしまう。勝手な考えは困る、全体と して一つの宗教でありたいという願いが一つに纏まったのがこ の手紙です。 現代のキリスト教世界でも「牧師は一人一教派・・」なんて言 われて、教団の中て ゙の様々な議論があり、議論のための議論 や、人を陥れがたいための議論もあ り、そうやって教会が続い ています。...その中で揉まれているうちに、人のせ いとは言え ないでしょうが、わたしも、もはや伝統的な意味でのキリスト教 徒とは言えないような現代キリスト教徒として生きていて、・・。 改めて今日の聖 書の箇所に聴きたいと思うのです。
7月16日 第一コリント15章3~8節 「罪に死に、生きる」 久保田文貞 私たち現代人にとって、罪ということが依然として引っかか ってく るのは、他者に対する責任問題が面前に現れてきたと きだろう。普通に仕事を し、家族と楽しく毎日を暮らしている かぎり、せいぜい家族への思いやり、仕 事の分担、ご近所と の付き合いなどこなしていければいいわけで、「他者 への責 任」などと仰々しく構える必要などない。 以前、映画「罪の声」をテレ ビで見た。1984,5年のグリコ・ 森永事件という未解決を題材に、名前こそ変 えているがけっ こう実際に事件に即したものという。なんで「罪の声」という 題 名になっているのか気になった。詳細は省くが、犯人側が子 どもの声を使っ て被害を受けた会社側に連絡を取って来た。 映画では、その声を使われた少年か ゙成人(曽根)になってか ら閉ざされてきた記憶をよみがえらせ、かつてわけも 知らず に録音させられた声の主が自分だと気づく。それまで平穏に テイ ラーの仕事で暮らしてきた一市民が、大きな犯罪の一つ の歯車にされていたと 知る。テープレコーダーから発する音 声はまさに自分の「罪の声」としか聞こ えなかったのだろう。も ちろんこのへんは作者の想像力によるものだが、こ の映画を 見る人だれもが、心の奥にしまい込まれたはるか前の自分の 「罪の声」 が頭をもたげてくるような感に襲われる、そんな映 画だ。 現代社会では、 自分の内面の暗い記憶を捨てきれないと 心の病とされかねない。いつまでも罪の 意識を引きずること なく、心を切り替えていくことが大切だというわけで ある。それ に対して、この映画メッセージはそれと逆。忘れていいとして きた記 憶が、自分をたたき起こすように再現してきたら、自分 の前に現れたら、それを うやむやにせず、しっかり向き合わ なければだめだ。そうしないと自分は 嘘っぽい社会に巻き込 まれ窒息してしまう。そうわたしは聴いた。 たしかに、も はや時効になった、未解決事件を放置せず、 真実を暴き出す、そうやって無責任 に陥りがちな社会を糾す ことはジャーナリスト(もう一人の主人公・阿久津)に とって特 に大切なことにちがいない。だが、庶民のひとりだった曽根 が 仕事を放り出して声の秘密を探り、真実をつかみ取ったあ と、再び一般生活者と なって、仕事に戻ればいいということな のだろうか。彼の「罪の声」は真実を 知るとともに解消されて、 それで終わりとなるのか。 聖書の世界ではどうなっ ているのだろう。イスラエル社会で は絶えず律法の網がかけられ、罪をか いくぐることなどできな い厳格な社会のように見える。イエスの時代、神殿 とパリサイ 人の監視のもとで、罪を犯した者は「罪の赦し」の手続きに従 えは ゙正常なユダヤ人に戻る。それができずあきらめてしまえ ば、ユダヤ 人として失格、つまり罪人とされる。イエスがこの 救済体制から外れた罪人たち のもとに行って福音を説いたこ とは周知のとおりである。それを見て多くのユタ ゙ヤ人が面食ら ったはずだ。ならば、これまでさんざん、気をつかっ て罪の救 済体制に従ってきたものはなんだったかと足をすくわれたよう な思いに なるに違いない。正常人として社会の仕組みに則 って、罪の裁きをかいくぐり、 罪人というレッテルを張られずす んだのは何だったか。パリサイ人ならす ゙も、イエスの言動に疑 問を持つはずだ。そのイエスが何らかの失敗をして、 神冒涜 の廉で裁きの座につかされるならそれを良しとするユダヤ人 が大半た ゙ったはずだ。中にはイエスがローマ裁判に送検さ れて極刑を受けんとする 時には、総督の邸まで押しかけて 「十字架につけよ」という罵声を合わせた者も あったろう。イエ スは処刑された。一般民衆としては、革命もどきに失敗した 人 間によくある結末ということで一件落着。 これに対して弟子たちやイエスを知る 人はそれと別の反応 をした。イエスを見放しイエスをあのような裁判に引き渡し処 刑させてしまった責任は自分たちにあると、「罪の声」を聴い たと言えないか。こ の出来事を自分のこととしてかかわってし まった人たち、直弟子たち、十字架の死 を目撃した女たち、 遠くから伝え聞いたとしても彼から罪の赦しの言葉を聴いた 者 たち、彼に癒された者たちは、十全とまではいかぬまでも、 みなイエスは「わ たしたちの罪のために」死に葬られたことを 感じ取って、闇の底に突き落とされ たに違いない。そして嘆 いたに違いない。あのとき聴いた福音の至福の時は何だっ たか。「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められ る。」はどこにいっ てしまうのか。イエスと一緒に食事をした徴 税人や罪人たちからあの喜びが回 収され、彼らは二度とあの ような食事ができなくなるのか。つまりイエスの出 来事は彼の 死とともに終息してしまうのか。そうさせたのは、改めて頭をも たげ た「我らの罪のため」なのか。 もちろん、知らせはそのイエスが「三日目に復活 した」こと、 そして多くの人に現れたと続き、「私たちの罪のため」は原因 でな く、私たちの罪の赦しのため、つまり目的だったことが明 らかになる。もちろ ん、それで私たちの罪が雲散霧消したと いうのではない。むしろそれまで 気づかなかった自分にまつ わる「罪の声」を改めて聞きなおすことができる 自分を得たと いうべきだろう。私たちが罪だと自認していた以上の大きな 罪が、想像以上に大きな赦しのもとに下った。堂々と私たち は罪を詮議し、解放 される道へと踏み出すことだ。それがあ の出来事の贈り物だと思う 。
7月9日 聖書 ローマ11:32~36 説教 「すべての人を憐れむために」 板垣弘毅 11:32神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められま したが、それは、すへ ゙ての人を憐れむためだったのです。 ......力関係で言えば当時のパウ ロの時代で、ユダヤ教の 方が圧倒的に大きな勢力でした。 原始キリスト教 の他 の文書はみなユダヤ人を弾劾することに集中していま す。(たとえばヨハ ネ8:39~47)「異邦人の使徒」(12 節)であることをみずからの使命としたパウ ロでした が、なんとかして敵対する同胞ユダヤ人も救いにあずか るべき だと思うわけです。ローマ書11章のテーマです。 パウロの結論は、人を義 とするのは神の全く「自由な」 恵みなのだから、人間の救いをユダヤ人か非ユタ ゙ヤ人か という民族的な所属で決められるわけはない、来るべき 神の国での 究極的な救いは神にある、ということです。 誰であっても、自分の正義で、 救われるわけではないの だ、ということです。...... きょうの聖書はそう記 します。「不従順」は人間がどう しようもなく神から離反しているという現実て ゙しょう。 SDGs 、持続可能な開発目標を、という考えが浸透しつつ あるのかも 知れません。それより先に年々地球の環境は 悪化し、それでも暴力的紛争は拡大 し、弱者ほど社会か ら取り残され、核兵器の抑止力も後退し、ついには誰も いな い地上でAI兵器だけが戦っている、というような悪 夢も想像できてしまい ます。我が家に泊まった小5の孫 むすめが夜中に、じぶんが生きているあ いだに地球が終 わると思うと眠れないと言ってきました。 でも我が家の窓 からは近くの公園ではじけるように遊 ぶ子どもたちの声が聞こえ、家々 のベランダのは洗濯物 が翻っています。悪夢は現実になるかも知れませんか ゙、 その一歩手前の日常のちいさなへいわがわたしたちの場 であり、ここで 希望を生きるほかはありません。日常の 中の小さなつながりの中で潰されない 希望も生まれると 思っています。 それは十字架のキリストが身をもって示してい ます。神 の国を生き始めたイエスが、最後に「なぜわたしを見捨 てたのか」、 と神に訴えています。このイエスから、パウ ロのきょうのことばは読むことか ゙できると思います。 「すべての人を憐れむために」というパウロの告白は、 例外なくすべての人にイエスの眼差しが注がれている、 ということです。 自分のようにキリストを迫害した者に も例外なく、と言う思いが込められていま す。 ただ神の国の希望をよく気づくことができるのは、イエ スの時代にそ うであったように、社会の周辺に押しやら れた人たちだったでしょう。それ は今もきっとそうで す。知識や知恵ではなくできごとでイエスをの眼差 しに 出遭えるからです。 きょうは最初に『はらっぱ』という絵本を見ました。 終始 視点は東京下町のどこにでもありそうなはらっぱに置か れていました。 この小さい空き地を、きっと名前も記録 も最小限にしかとどめない庶民が暮ら し、子どもたちが 遊び、生まれ死んでいます。戦前戦中戦後の60年、わた しは絵本を何度も何度も隅々まで見ながら、ここに描か れた一人ひとりの中に 自分がいて、親しい友や知人がい ると感じました。 理不尽極まる戦争で焼 き尽くされても、わたし自身がそ うであったように人はまたここで暮らし始 めます。わた しは「まなざし」、「まなざし」といっていますが、そんな も のは説明できません。この絵本のページをめくりなが ら一人ひとりが生 き生きと必死に遊び生きているありさ まが、これがわたしだ、わたしたちた ゙と愛おしくなると き、それがイエスの眼差しの比喩のようにも思えます。 描か れているのは戦争のような、人間と人間の理不尽だ けれども、さらにここで 描かれているのはその人間と理 不尽を見つめる神なんだ、と思えてきます。 最初 期のキリスト信徒が、十字架のイエスに見出した絶 望と希望にも通じると思え ます。焼け跡にたたずむよう なところから、人は生きて行ける。 親鸞聖人も一遍 上人も乱世のなかで希望を語れました。 わたしたちも十字架のキリストを掘り下け ゙て希望を持て ます。「御国を来たらせたまえ」と祈ることができます。 ( ...全文は板垣まで)
7月2日 マルコ伝福音書2章1~5節 「罪の赦しが起こり始まる」 久保田文貞 今日も礼拝の中で、イエスが「こう祈りなさい」と教えた「主 の祈 り」を祈った。私たちは慣習的に文語訳で、その中で「我 らに罪を犯す者を我 らがゆるすごとく我らの罪をもゆるしたま え」と祈った。ここに「罪」と訳さ れている語オフェイレーマは、 正確には口語訳聖書が訳したように「負債」で ある。キリスト 教で一般に罪というと、もっとも古い信仰告白の一つとされる 中 の一節、「キリストがわたしたちの罪のために死んだこと」 (Iコリ15:3)という 罪理解に立つ「罪」ハマルティアとなるが、 「主の祈り」が言う「負債」は、 生前のイエスの言葉から来てい るとされるわけで、直接に神に対する人間の罪の ことが言わ れているわけではない。むしろ人間同士の水平な関係の中 で起こ る権利・義務、貸し・借りのこと。〈あいつには悪いこと をした。ちゃんと誤らな ければ〉とそんなごく日常の関係から、 もっと深刻な裏切りや、取り返しのつ かない損害を与えてしま ったというような「負い目」(新共同訳)を人間同士で許 した り、許さなかったりする水準と、あたかも同じように神に対して 負う「負い 目」をゆるしてくださいと祈るように教えられている わけだ。注目したいのは、 神への負い目が、なんら崇高な聖 なる領域に対する特別な「罪」としていない点た ゙。「主の祈り」 の最初の一節は「天にまします我らの父よ、ねがわくはみ名 を あがめさせたまえ」とあり、敬虔なるユダヤ人の神への賛美 がこれに長々と 続くかと思われるような趣きだ。けれども次の 句から天の神への視線が下に 降りてくる。「み国を来らせたま え。みこころの天になるごとく、地にもなさせ たまえ」と。もはや その目線は、自分が生きている地上への目線であり、人か ゙普 段の生活の中で家族や友人、町や村の人を見てきた目線そ のものになってい る。そして「我らの日用の糧を、今日も与え たまえ」と祈るようにイエスは教えた。 「おなかすいた」とねだ ってくる子らに、元気をなくしていく老人たちに、食へ ゙させて やりたいと思い、でも自分の働きではそれが満足にできない こと にふがいなさを感じながら、祈ったことだろう。そして今日 の注目の祈り、 新共同訳で「私たちの負い目を赦してくださ い、私たちも自分の負い目のある 人を赦しましたように」 こ こにまずは自分が神に作ってしまった負い目を赦し てくださ いと祈り求めるのだが、その後の副文として「私たちも自分に 負い 目のある人を赦しましたように」となっている。なんと、自 分が神に負ってしまっ た負い目を、自分が家族や知人が自 分に負う負い目を赦してやったのと同じ 水準で、赦してくださ いと祈っていいというのだ。私たちがついつい想定 しがちな 神への負い目の重さのことを考えると、「主の祈り」の奨めは、 その重 みをなんとも軽やかなものにしてくれる。 今日呼んだマルコ2章のくだりを見て ほしい。イエスが人々 に話をしているところへ、4人の男が半身不随の人を運ん で きた。群衆に阻まれて運べないので、屋根を剥がして床をつ り降ろした という。「イエスはその人たちの信仰を見て、中風 の人に、『子よ、あなたの罪は 赦される」と言われた』という。 「信仰」と訳されている語は、教会の中でよく 使われている信 仰という意味としない方がよい。真実、特にこの場合は4人の 男 たちと半身不随の人の間に出来上がっている信頼関係、 屋根からベッドをつ り下ろしていくロープをそっと降ろしていく 時にかかる負荷を4人の男は必死で 身に負っている。ベッド に横たわる人も落ちないようにと片手で掴んで、 イエスはそ の人間仲間を見て感動されたに違いない。さらには負い目を 負いあって いるといった方が適切かも。イエスはそれを見て 『子よ、あなたの罪は赦される」 と言われた』。ここに及んで、 「負い目」であろうと「罪」であろうとど うでもよいかもしれない。 この5人の人間の間に生まれている真実に、罪などと いう切り 口は吹っ飛んでいる、かれらの真実に、「神のみこころ」、神 の真実、 神の福音が共鳴しているという宣言のように聞こえ る。 果たして、そこにパリ サイ人というなんとも損な役回りをする 人々が登場して、「なぜこういうこと を口にするのか。神を冒 瀆している。神おひとりのほかに、いったいだれが、 罪を赦す ことができるだろうか。」と言わしめる。日ごろからなんやかん やと神について頭を巡らしている連中の陥りそうな批判のた めの批判だ。イエス はいらだって言われたというわけだ。「中 風の人に『あなたの罪は赦される』 と言うのと、『起きて、床を 担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。」 イエスが出され た問いをまともに受けて困惑する必要などない。少なくとも、 5人の間に起こっている真実を、神学的議論の中に取り組む 必要などない。単純に 「きみ、起きなよ。床をとりあげ、5人い っしょに歩いて帰んなよ」でいいんた ゙。 というわけで10節前半は、イエスの十字架の死をそう捉え るかという問いを 突き付けられた後の人々の付加。この思い については、今日は取り上げないこと にする。 イエス死後 のケーリュグマ神学をより分け、共観福音書から浮かび 上がってくる「史的イエス」の言葉や行動からみていく と、イエスの発言の中に 「罪」という言葉はほとんど出て こない。イエスは罪という枠組みで人間の中 に起こって いる福音の出来事、「神のみ心」をくくらない。これはキ リスト教の起 点だと思うが、もちろんそれですべてがす むわけではない。新約が 言う「罪の赦し」はそこから大き く飛躍する、というか飛躍してしまう。そのこと は次に。
6月25日 詩編51章18~19節 「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊 三宅緑 「 〜ある中国残留婦人の戦後〜」 太平洋戦争末期、当時の「棄民政策」の中で満州開拓団 として大勢 が中国に渡り、中国で日本の敗戦を迎えた人たち がいました。私は今から20 年以上前に広島の夜間中学で 「中国残留孤児」に日本語を教えていました。その 中で、74 歳のNさんと特に親しくお付き合いしました。80年ほど前、N さん家族 は「満州開拓団」として中国に渡りました。ところが1 915年8月日本が戦争に負 けたという知らせが届きました。そ れまで日本軍にいじめられていた中国人 たちが押し寄せ、 村の日本人が袋叩きにされ略奪されてしまいました。さらに ソ 連兵も来て地獄のような中、Nさん家族に手を差し伸べてく れたやさしい中国 人の男の人がいました。Nさんはその中国 人と「着るものと食べる物と引き換え に結婚した」とおっしゃっ ていました。当時の私にはとても想像も出来ないことて ゙あっ て、非常に衝撃を受けたのを今も覚えています。「...だって 生き抜いて いくためには、それしかないでしょうが。」と、あっ さり。 その後、Nさんの 満蒙開拓団としての家族は1946年の冬、 祖国日本に帰ることが出来たのですか ゙、結婚した中国人と一 緒に中国に残ることになりました。その中国人の厚意を裏 切 ってまで帰国することは自分には出来なかったとおっしゃっ ていました。 苦 労はそれからも続きます。その後、国民党と共産党に分 かれて、国内で中国人同 士の戦争が始まりました。 中国人の夫は内戦の中で行方不明になってしまい、 次に結 婚した中国人の男性は、満州国当時警察幹部だったため、 その後の中国て ゙起きた文化大革命で、三角の帽子をかぶせ られて同じ中国人同士の間で いじめられ続け、Nさんもその 子たちも文化大革命が終わるまで嫌がらせを 受けました。 1972年、日中国交が正常化して、日本の家族に手紙を出 すことか ゙許されるようになりました。Nさんは恐る恐る叔父さん 宛てに送ったところ、返事 がすぐにやってきて、三十年ぶりに 日本の家族と会える運びになりました。 ですが、日本に帰っ てきたNさんに突きつけられた現実は非情なものでした。 Nさ んの手記から抜粋します。 《...私はすぐに(中国の)県の公安局に行き外国人 事課に申 請をした。...しかし大変時間がかかり、...双方の国の了解が 出るの に一年半もの時間が経った。 ...親を探すために単身で六ヶ月間の帰国を許さ れ...子供 たちは不安な顔で泣いていた。...(日本で)迎えに来てくれた のは兄 と二人の弟だった。...兄弟たちは私が目の前に行っ ても私とは判断出来なかっ た。...兄が第一声「よく生きて帰 ってきた。可哀想に。こんな体になって...。 苦労したんだ な。」と涙した。 ...夕食後...風呂から出てみると兄嫁が私の衣 類を全部新し い衣服に換えてくれていた。兄嫁が「あなたの服は袋に入れ て捨て ておいたよ」...今回の帰国のために縫った新品だっ た。 ...帰広の晩、(母との) 広島駅での再会の場面がテレビで放 送された。...母との生活が始まった。 母の傍らで暮らすの だ、甘えられる。と信じていたが、母の生活環境、世 間、人間 関係など思ったようには甘くなかった。一夜明けると、母の訓 辞が始 まった。...昔のように母親のもとで、母に甘え母に孝 行して楽しく過ごそうと いう夢も空しく、毎日の行動から食事 の仕方までことごとく文句を付けられ た。...「中国の習慣を日 本ですると近所の人に笑われ、お母さんが恥ずかし い思い をする。」 ...五ヶ月は本当に長い日々だった。辛かった。たとえ親子、 兄弟姉妹でも三十年も年月が経てば、愛情はなくなるのだと 思った。...情 けない。奇妙で無情な世の中。この日本でのや るせない惨めな日々には本当に 耐えられない。これも一つの 戦争。私は運が悪かったのだ。でも恨まずに はいられない。 ...私を乗せた飛行機は離陸した。肉親の声を聞きながら飛 び たった。しばらくして急に胸が熱くなり泣き出してしまった。 飛行機の中で 思う存分泣いていた。何で涙が出るのか自分 でもわからない。そして我に返 り複雑な気分でつぶやいた。 「私は祖国日本にも肉親にも捨てられた人間だっ たのだ。」 ...》 Nさんは普段はとても朗らかで明るいおばあちゃんでし た。「そんな、苦労した苦労したって言ったって、いつまでもメ ソメソしてたっ て、仕方がないでしょう。」 と、これまたあっさりとおっしゃっていました。 境遇も全然違う し歳の差も五十歳くらい離れていたし、Nさんはクリスチャン で もなかったのですが、それでも不思議なことに私とNさんと は何故か気が合 うところがありました。 手記の最後のところに、こう書かれています。 《...人 と話すとき、ついつい皮肉っぽくなっている自分に気 付き、自己嫌悪に陥る。...て ゙も自分では昔ながらの人情の深 い、温かみのある人間だと思っている。人 間の値打ちは、世 間に騒がれたり、有名になることで測られるような、表面に あ らわれるものではない。しっかりと心に光るものを持っている 人、いつどん な時でも純粋な人、人の役に立つ人、そういう 人でありたいと思っている。」》
6月18日 ルカ福音書8章40-56節 「ともに生きた彼女たち」 久保田文貞 LGBTQ性的少 数者に対する差別があってはならないとい う「LGBT理解増進」法が13日衆院て ゙16日に参院で通過し た。この議員立法に最終的に自民党が賛成するよりなかっ た 背景には、5月のG7広島サミットで議長をする岸田首相の顔 を立てることだっ た。サミットが終わって彼らがごね、出した修 正案は、LGBTQなどの人権擁 護を行う個人や団体の活動を 促進する国の義務を削除し具体性を欠くものにした。 つまり はただのお飾り法にしかならない。根底にあるのは、フェミニ ズム議論 の中で浮き彫りにされたホモソーシャル論そのまま である。「両性の本質的平 等」と憲法で謳っていながら、依然 として男性が実質的に社会を支配してし まう現実はほとんど 変わらない。ちょうど男子一色の野球部にマネージャー と称 された女子部員が組み込まれる。仕事の大半は雑用係。も ちろん男子部員も 女子部員も互いに助け合ってチームを支 えているのだと言う。建て前はどうあ れ、いざとなると男子部 員がいてこその野球部だという威信を捨てきれない。 それが ホモソーシャルというものの実態だ。 キリスト教会はまさに古代からホ モソーシャルな体制を築 いてきた。かれらが、主キリストと告白するイエスその 人は、反 対に、ユダヤ教の父権主義の中にある男・女の二項対立を 脱構築していっ たのだが、後の教会はすぐに新しいホモソー シャルな関係に後戻りさせてし まう。そのことを、今日のテキ ストなどを通してみてみよう。 ルカ8:40-56(マル コ5:21-43)は二つの事件がサンドイッチ 状にされていて、二人の女性が平安 シャーロームを取りもど す話である。先に43-48節について、ここに「12年間出 血が 止まらない」女性が登場する。病を抱えて生理的に苦しんで いただけ ではない。「全財産を使い果たした」にもかかわらず 一向に良くならない。悪 化するばかりだったという。不治の病 の恐ろしさがわかる。それだけで はない、レビ記15章19-32に よれば、すべて女性の生理中、かのじょが触っ た物は汚れた ものとされ、こうしてかのじょはその間、事実上社会から排除 され る。25節以下、生理期間が過ぎても出血がやまない女性 はそれが止まるまて ゙の期間、汚れたものとされ、社会から排 除される。12年間出血が止まらないこ の女性は、その12年 間、この排除の仕打ちを受けていたことになる。父権主義的 に 一体化したホモソーシャルな体制の中で、かのじょは人前 に出ることさえ差し 控えるべき人間とされたにちがいない。ま してイエスの衣に触れるなど許さ れない。「この女が近寄って 来て、後ろからイエスの服の房に触れる」。かのし ゙ょにとって はどんなに勇気を持っての一触だったことだろう。かのじょ の 行動は、すべてを「健全」なる男を水準として作られている 《ホモソーシャル》 な構築物のひとつのくさびを打ち込んだ。 そのとき「わたしから力が出て行っ たのを感じた」とイエスは言 われる。かのじょは「隠れられないと知って、ふ るえながら出 てきて、彼に対しひれふし、どういう理由でさわったのかを、 また即座に癒されたということを、すべての民の前で告げた」 (田川訳)。男 たちが組み立て、女たちをその下に組み敷い てきたホモソーシャル構造物の一端か ゙こうして崩れた。イエス はかのじょを祝福して「平安にお行きなさい」と言わ れた。 この物語を挟むもう一つのはなし。カフェナウムの会堂司 の12歳になる一人 娘のいのちが危険なのですぐに来てほし いという依頼を受けて、イエスはそ こへ向かう。さきの12年間 長血を患っていた女性の勇敢な行動と癒しの物語と、こ ちら の物語は共鳴してくる。12年続いた病と、ちょうどその12年を 生きた娘の病 は、イエスの前では、ひとつながりの神の国の 出来事のなかに置かれる。娘の 父親は、到着寸前に娘が息 を引き取ったと知らされる。父の知り合いは「もう先 生を煩わ せないで下さい」な、と気を利かせて言ったつもりなのだろ う。イエ スはこのやり取りを聴いて、かれ(会堂司)に言った、 「恐れることはない。ただ 信じなさい。そうすれば、娘は救わ れる」。イエスはその家に入ると、娘の手 を取り、「娘よ、起き なさい(タリタ・クみ)」と呼びかけられた。すると娘は、 「その霊 が戻って、すぐに起き上がった。イエスは、娘に食べ物を与 える ように指図をされた。」 さしずめ心臓マッサージ、人工 呼吸、AEDの処置で もしたかのように、娘は再生した。こちら では、イエスを最後まで信頼しとお したのは、男性の会堂司 とその妻である。サンドイッチ状にくみ抱えた物語ゆ えに、こ ちらでは、この両親と娘の一組がいたって自然に、そして静 かに、強 制的なホモソーシャルな関係から身を引いて、イエ スとともに新しい自由な〈性〉 を生きる人間として生き始めてい くのが感じられる。 ホモソーシャルな構造の 解体物語としてこれを読むの は多少、無理があるかもしれない。ただイエスに 信頼し てイエスと共に生きるそれだけでいいじゃないかと言わ れそうだ。 でも、その後のキリスト教が、例えば第一テモ テ2章8節以下、「婦人はつつ ましい身なりをし、慎みと貞 淑をもって身を飾るべきであり、...。...婦人か ゙教えたり、 男の上に立ったりするのを、私は赦しません。むしろ静 かにしている べきです」を見てほしい。このような勧め がイエスの名において為され、そ の上に教会が連綿と続 いていったのが教会の歴史である。日本の保守より一 刻 も早くここから自由にならなくてはと思う。
6月11日 日曜礼拝説教要旨 マタイ福音書26章6-13節 「彼女を記念して」 八木かおり マタイの記事は、マルコの記事をほぼ受け継いて ゙いる ものです。 イエスにとっては死地となるエルサレムに到着して活 動して いた一行の元に、ひとりの女性が現れ、非常に高 価な香油をイエスに注ぎかけ た。その行為に対して弟子 たちは憤慨し、その女性を非難します。 そんなことは 「無駄遣い」である、むしろその分を「貧し い人々に施すことができたのに」、 かのじょの行為を弟 子たちは糾弾します。弟子たちとしては当然そう思うで しょ う。貧困に命を脅かされる人々と出会ってきた彼ら からすれば、そう思わない方か ゙おかしいのですから。 ところが、当のイエスはそうした弟子たちを諫めま す。 「この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る 準備をしてくれた。はっき り言っておく。世界中どこで も、この福音が宣べ伝えられる所では、こ の人のしたこ とも記念として語り伝えられるだろう」(マタイ26:12-1 3) 元はマ ルコの記事ではあります。そして、この件につ いては、フェミニスト神学者のフィ オレンツァ『彼女を 記念して』とヴェンデル『イエスをめぐる女性たち』の 論 考からお話をしたいと思います。 かのじょたちは、ここに登場した香油を注い だ女性の 行為にスポットをあて、それぞれに、その意味を再発見 することを 提言した人たちです(かのじょたちの前に、 そのことに言及した人もいますが、 それがあまりに顧み られていないことに二人とも激怒していますw)。そし て実は、 この物語は、ヨハネにおいて改変され、ベタニア のマルタの妹マリアがイエス の足に塗油した話(ヨハネ 12:1-12)とすりかえられており、そして話は前後しま すか ゙、執筆時期はヨハネより早いルカが報告した「罪深 い女による塗油」(イエスの 足を涙で濡らして髪でぬぐ い、キスをして香油を塗った人の話)の話が混同 され、 さらに同じマリアという名前なので、それがマグダラの マリアと 混同されるという訳の分からない事態により、 キリスト教の歴史において本来の意 味が失われてしまっ たことを指摘しています。 本来の意味、「油を注がれた者」 というのは、ヘブライ 語「メシア」の原意であり、油を注ぐというのは、そ の人 をメシアに任命するという行為です。例えば、イスラエ ル王国時代の王は、 その任命と聖別において、塗油の儀 式が行われたとされることから、メシアで す(例えば、 ダビデとソロモン)。そして、メシアは神の民であるイ スラ エルとその子孫(ユダヤ)を救うために神によって 派遣された「救済者」「仲保者」 と見なされますので、広義 においては「預言者と見なされた者」もそれに含まれ ま す。そして、イエスの場合は、彼を「選び」「任命した」とい うこの名もなき 女性の大胆な行為が、それを報告するマ ルコとマタイにおいてさえ「葬りの準備」 (それはそれで 大事ではありますが)に置き換えられてしまっているこ とまて ゙が告発されています(ルカとヨハネとその後のキ リスト教における取り扱いは論 外レベルです)。 突然現れたこの女性については、その行為だけしか分 かり ません。そもそも遺体に塗油をするというのはロー マの慣習だったので、この 場合の油注ぎも、あと葬られ たイエスへの塗油の話も、本来の意味においての物 語の 内容というよりも、著者はそちらの慣習から解釈をした のではないかという ことも考えられています。けれど、 ユダヤ的理解からすれば、この女性が 為したのは、イエ スをメシアに任命するという行為であり、また同時に本 来は祭 司職にある者にのみ資格が許されていた行為でし た。 イエスという人が向き 合っていたのは、ローマの支配 においてユダヤの律法という当時の法の運用が、 人のい のちを踏みにじるような結果をもたらしていて、殺され ることに抵抗する ことによって殺されるという理不尽だ ったのではと考えます。彼に油を注いた ゙女性は、そんな 彼と共にあろうとしたひとりだったのではないでしょう か。 もしかしたら、イエスの言葉は、かのじょがぶっこん できた「過激さ」を 軽減するためのものであったのかもし れません。でも、それには、おまえなめ てるんじゃねえよ と言える状況に、たぶん現代のわたしたちはいますし、 この 物語を改変したルカとヨハネにはふざけんなと言い たいです。何より、そのよ うに言える状況をつくりだし ていられるのかが問われていると思います。
《説教ノート》 6月4日 マルコ伝福音書10章35~45節 「主が受ける洗礼を受けられるか」 久保田文貞 キリスト教の多くの教派が「聖餐」「洗礼」(その呼び名や定 義は歴史的にある が踏み込まないことにする)を「礼典」とし て持っている。日本基督教団も16世紀 以後の宗教改革の流 れに沿ってこの二つだけを「聖礼典」としている。 日本のよ う に近代化と西欧化を同時に受け入れた社会では、教会の門 を個人がくぐる とは、信仰の問題もさることながら、古い因習 をかなぐり捨て近代化と西欧化 を受け入れようとする人間の 出現と見なされた。否が応でも、洗礼を受けると は本人も予 測していなかったような主体的判断の前に立たされることだ った。欧 米キリスト教国では、基本、生まれるとすぐに幼児洗 礼を受けた。そこには主 体的判断など皆無なのだ。 新約聖書の洗礼バプテスムは、洗礼者ヨハネの マルコ1章 4節、「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝 えた」に始 まる。ユダヤ教のセクトにそれ以前から「清め」の儀 礼というものがあるが、 本来、祭司だけに要求されるものであ る(レビ記8章以下)。これに対して洗礼 者ヨハネは一度限り のメタノイア(ギリシャ語の原義は「新しく切り変えること」、 転 じて「悔いること」の意で使われた)を要求した。普通、罪の 「悔い改め」 と訳される。確かに、それはユダヤ教的な祈り や、犠牲、悔改め(ニハム)の習慣 からすればそう訳して当然 だろう。しかし、洗礼者ヨハネの罪の悔い改めの迫 りは、律法 を基準にしてあれやこれやの罪を数え上げ片っ端からつぶ していく ような「清め」の儀礼や「灰をかぶること」(ヨナ3章6,8) ではない。ヨハネは 「神の審判」が今すぐにも始まる「いま・こ こで」、これまでの自分をすへ ゙て切り替えよというのである。自 分が決めて一歩前に出るよりないのだ。 これが、「近代」が言 う主体的判断に当たるかどうかは慎重でなければ ならない。 マルコ1章9節は、イエスの洗礼について次のように短く書 いている。 《そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨ ルダン川でヨハネか ら洗礼を受けられた》と。「洗礼を受ける」 と日本語にすると、いかにも「受ける」 かどうか自分で判断し たと主体性のにおいがしてくる。だが、ここは 「洗礼する」とい う語の受動態表現にすぎない。そこで受けるかどうかの意 志 (主体性)は読み取れない。バプテスムされたことによって、イ エスが新し くなった、UPDATEされたという事実が肝要なの だ。 ヨハネが逮捕された後 (マルコ1:14-15)、イエスは「ガリラヤ へ行き、神の福音を宣べ伝えて、神の国 が...近づいたと宣 教活動をしていくが、共観書でイエスも弟子たちも人々 に洗 礼を授けたとは書いていない。ヨハネ福音書4章1-2節は、イエスが洗礼を授 けなかったと特記している。結論的に言うと、 イエスはなぜ洗礼者ヨハネから洗 礼を受けたのに、自分の活 動ではそれを取り入れなかったのはなぜか、そのこ とはすぐ 次に、なぜ、イエス死後、弟子たちを中心に始まった原始教 会は洗礼 を取り入れることになったか、という問題が大きく残 る。 この問題を解くカギ になるのは、今日読んだ聖書箇所であ る。ゼベダイの子ヤコブとヨハ ネの「栄光をお受けになるとき、 わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を 左に座らせてく ださい」と、どうみても二人にとっては不名誉な願いである が、おそらく二人はこの伝承が反面教師のようにして残され ることを良しとし たとしたのだろう。注目すべきは、「あなたが たは、自分が何を願ってい るか、分かっていない。このわたし が飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼 を受けることがで きるか。」とイエスが二人に言われた言葉である。下線 の表現 は先ほどと同じ、「洗礼をする」の受動態。「受ける」の意味を 過大に 受け取ることはできない。ただし、ここでは「洗礼」が、 日本語でもこ ゙く自然に「新入部員が千本ノックの洗礼を受け る」と使われている如くであ る。イエスにとって、洗礼者から受 けた洗礼は今やこれから起こる受難の出来事の 比喩とされ、 その二人に比喩的な意味での洗礼を受けることができるかと 迫 る。 誤解を恐れず言えば、イエスにとって洗礼者からのあの受 洗は比喩だっ たのだ。つまり、その後始まる神の福音の展開 のもとに、あくまで受動的に生 きていくことの比喩的表現だっ たと。神の福音、神の国のさらにその後、ガリ ラヤでの民衆た ちの間でともに謳歌する痛快な神の国の協奏曲のようにはい か なかった。これから向かって行くエルサレムで受動的に「な される」ことは、苦 しみを受けることであり、それが洗礼の次の 意味だったのだ。「主体」と いうことで言えば、洗礼を受けると は一切の人間の主体性を根こそぎもぎ 取られて、出直す限り の受ける主体のこと。受ける主体という事実を、イエスは最 後 まで貫かれたことだけが私たちに残されたことになる。それで 終われは ゙なんとも皮肉で、悲痛なことだ。だが、そのイエスが 死人のうちから 復活したという報せが人々の間を走る。 洗礼には一方で、水から挙げられて 一歩を踏み出すという 明るい比喩めいたものがあるのに気づいたのだろう。 「この わたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けるこ とがで きるか」というイエスの言葉を反転させて、彼らは洗礼と いう比喩を、比喩的に生 きていく。横田勲牧師が言ったよう に、「主イエスはすでにすべての人に洗 礼を授けてしまって おられるのです」 。洗礼を受けても受けなくても、ともに イエスの洗礼のもとにあるというのが真実であろう。
5月28日 第一コリント11章23~26節 「天の宴会――主の食卓(4)」 久保田 文貞 不遜なことと叱られるかもしれないが、共観福音書が伝え る「受難物語」(マ ルコ14~16//マタイ//ルカ)の「最後の食事」 (以下「食事」としておく)の伝承が 生まれていく過程を探りな がらこれを考えてみよう。「食事」はイエスと直弟子た ゙けの閉じ られた食事のように見える。したがって、この伝承は、実際に 参加 していたペテロら直弟子の「体験談」に発していて、誰 にも文句のつけようが なかったろう。としても発信者は複数な のだから、各々の体験の受け止め方に差か ゙あるのは当然、 後から付加や修正があったことも勘定に入れておくべきだ ろ う。直弟子の権威は重い、第2世代による付加や修正は難し かろう。伝承を受け 継いでいく場は初代教会の礼拝であるか ら、そこではまた別の権威が働く ことも考慮にいれよう。とに かくそうして徐々にその中身が固定されて行く。使 徒行伝2章 42,46節で出てくる「パン裂き」と言われるものもこれに当たる かも しれない。こうしてそれぞれの集会が「食事」とそれに添 付された「主の言葉」 の意味をとらえ、解釈を加え、この伝承 を生きた。その点で大胆なのがヨハネ 福音書。「食事」の伝 承に大幅に手を付け、独特の〈解釈〉をしている(ヨハネ6:22 以 下、13章)。 このような「伝承」の場や過程を考えると、そこでどうしても、 「食事」の儀礼化という変質をどうとらえるかという問題にぶつ かる。もっと もこの傾向は伝承の発生時からある。イエス自身 がこの食事を特別なものとした ことは疑いえない。それを感じ 取った弟子たちはすぐに「食事」に参加でき た自分らを特権 化したくなるだろう。使命という意識も一つの特権意識だ。 こ うして、あのガリラヤでの「春」のような宣教の始めにもた れた、罪人たちら と堂々とタブーを破っていくような食事や、 あの5千人の会衆を前に「奇蹟」的要 素を除けばただ大勢い の食事うというだけの食事、さらに神のみ心のままに 設定され 事が運ばれていった「天の大宴会」(ルカ14:15-24//マタイ2 2)の食事、 これらに対して、イエスの最後を思わせる重苦し い「食事」とはどう関係づけ ればいいのか。あれらの食事は (宣教)「運動」の必要から生じたり、比喩とし て語られたもの で、それ以上の意味はない、最後の「食事」こそ「神の国」の 宴 席の明け染の位置に立つと言うのだろうか。 「食事」の席でイエスが語った、 「これはわたしの体である。 ...これは、多くの人のために流される私の血、契約 の血であ る。」 その席にいた直弟子の記憶の中にあるこの言葉は重 い。直弟子 たちの受難物語へと結実させていった記憶はす べて、彼らの数日の経験の後の 「三日目の出来事」によるか らだ。これによってすべてが攪乱され、復活者 に出会ったと いう体験が膨れ上がり、その上で時間をかけて記憶が再構 成 され、そして受難物語伝承へと形作られた。「食事」も、そ こでのイエスの言葉 も、その再構成された記憶の中の一場面 である。 記憶の再構成の中で、直弟子 たちに課せられていた問題 は、彼らがイエスを前に最後まで従いますと言い募 り、「食 事」に招かれながら結局は自分もイエスを「引き渡す」(裏切 る)一人て ゙しかなかったことだ。イエスのの十字架の死に対面 して自分の責任をどうそ の記憶の中に織り込むかと言い換え てもよい。こうして記憶を再構成する中では、 他のこと、つまり ガリラヤで「群衆」と共に「神の国」の大宴会のため裏方と なっ て立ち働いていた時の記憶をほとんど吹っ飛ばしてしまった ことだ。厳 粛な閉じられたような最後の「食事」と、ガリラヤで の開かれたにぎやか な食事が切断されてしまったのだ。これ ではならじと、マルコは隅に追い やられたガリラヤの民間伝 承を、受難物語伝承につなげなくてはと、福音書を 書き上げ たのだろう。 第一コリント11章23節以下に、パウロは自分が受け た「食 事」伝承を書いている。パウロの場合、この食事は「主イエス は、引き渡 される夜」(Iコリ11:23b)という言葉で、「受難物 語」と関連付けるだけであ る。「食事」の前後にはいっさい触 れずに、いきなりコリント教会内部の食事一 般と「食事」との 間のこじれた現実問題に突っ込んで行く。一教会の一見、次 元の低いような食事の持ち方の議論に、聖域とも言うべき「食 事」の中の主の言 葉を惜しげもなくあてていく。<これは儀礼 の言葉などでなく、君たちのご 飯の問題そのものにかかわる 言葉なんだよ>と言っているように聞こえる。 パ ウロは、マルコが報告しているようなガリラヤでのイエスと 民衆たちの食事 を知らない。でも、それを知らない者は黙れ と言われて彼は黙らない。パウロ にとって、人がする食事一 般も「主の食卓」も、それらをどう摂ろうと天の宴 会につながっ ているという前提は揺るいでいないように見える。聖餐と後に 呼 ばれる「食事」も、天の宴会の食事の前で、普通の同じ食 事だと。だか らこそ 「ふさわしくないままで主のパンを食べた り、その杯を飲んだりす る者は、・・・」なんて言葉が、口を出 てきてしまうのだ。しかし、それは、 年寄りが子どもたちの行儀 の悪さを見て「ほら、ごはんを大切にしないと罰か ゙当たるよ」 位の言葉のように見えてしまう。こんなことを言うと、「おまえは そ んな風にしか見えないのか」と叱られるかもしれないが、天 の宴会に出られ喜ひ ゙のあまりはめを外さないように位の老婆 心のように聞こえる。とにかく、彼の中て ゙もあれらの食事も、毎 日の食事も、そして「最後の食事」もつながっているのた ゙。
5月21日 説教 聖書 ヨハネ福音書 12:20~33 説教 「一粒の麦もし死なずば」 板垣弘毅 きょうの最後のところで 「イエスは、御自分がどのような死 を遂け ゙るかを示そうとして、こう言われたのである。」 と記さ れています。ヨハネ福 音書の著者が、イエスが死を前にして どんな思いで何を伝えたかを、信仰 をこめて(信仰告白とし て、といってもいいですが)語るところの一つです。 死ぬという ことは.誰にとっても自分というものが壊れるできごとです。こ の「自分」とは何か、自分の死後とは何か。ヨハネ福音書では イエスは「栄光を 受ける時が来た。」と言います。 「栄 光」は、日本語でも何か特別の業績なと ゙を上げた人をたたえ るときに使います。ヨハネ福音書では、イエスが神の 霊によっ て生まれ導かれて生きていることを栄光といっています。でも 27節で は「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたし をこの時から救ってくた ゙さい』と言おうか。しかし、わたしはま さにこの時のために来たのだ。」(27節) マルコ福音書ではイエスは十字架上で、なぜ私を見捨て たのですか、と絶 望の叫びを上げて息絶えるのですが、ヨハ ネ福音書ではイエスが十字 架の上で最後に語る言葉は「成 し遂げられた」でした。イエスが歩む栄光 ヘの道が、今仕上げ られたということです。 マルコ福音書ではイエスの死 と埋葬に直結して復活ので きごとが短く語られます。神に棄てられることか ゙神がはたらく 場、希望の根拠になります。 マルコもヨハネも、イエスの死その ものは一つの断絶、絶望 なのですが、ヨハネ福音書では十字架の死が完成て ゙、希望 が前面に出ているわけです。 イエスの(そして全ての人の)絶望を希望 に、死を生につ ないでくださるのは神であって、そこに人間の入り込む余地 はありません。この絶望即希望、死即生、死ぬことがそのまま 生きることだと いう信仰は新約聖書の伝えるところだと思いま す。繰り返しますが復活はあく まで神の業です。 きょうのヨハネ福音書でも、イエス自身、死を前に動揺し ま す。それでもイエスの死というできごとは、イエス自身の「自 己」(自我) は死ぬけれども、その死が別の眼差しで捉えられ て、その眼差しの中では 「イエスが生きている」のです。 そこできょうの有名な23節の言葉を考えて みたいと思いま す。 「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままであ る。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、 それを失うか ゙、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」 これを自己 犠牲の言葉と読むのは一つの読み方ですが、ヨ ハネ福音書では、犠牲が美 化されたり勧められたりしていま せん。イエスの人間の罪のためのあがないの死 も語られてい ないと思います。イエスの死そのものが神の業の到達点・栄 光で あって、永遠の命の姿、希望のあり方なのです。 麦の種粒が完全に「死ぬ」、 つまり自分の命が絶ちきられ たところではじめて、新しい「いのち」に変容 する、死がそのま ま生きることなのだ、と語られていると思います。 一般に人 の死後にわたしたちはいろいろな思い入れをし て死の断絶を和らげていると思い ます。「向こうで誰それとう まい酒を酌み交わしているだろう」などと言っ て慰め合ったり します。でも多くの人は、人は死んだら死にっきり、と受け止 めていると思います。 だからこそ死の意味づけは国家や民族規模でも不可欠 な のでしょう。日本では軍人に限って「英霊」という物語で祀ら れ、本土空 襲などで死傷した民間人には、なんと!雇用関 係になかった、ひたすら忍耐せよ (受忍論)、というご沙汰で す。国家は戦争に向けて死者を「意味づけ」ざ るを得ないの です。 しかしユダヤ教側からの迫害の中にあったヨハネ福音書 (の教会)では、イエスは、ただ神のみこころを体現した闇の 中の光であり、 この光に照らされている限り人は生と死を超え ているのだ、と告白しています。 これも初期のキリスト教会の 物語だ、としてクールに見る人もいれば、この物 語に込めら れた信仰に共鳴する人(わたしも)もいるわけです。ヨハネは こう続け ます。 「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、 わたしのい るところに、わたしに仕える者もいることになる。わ たしに仕える者がいれば、 父はその人を大切にしてくださ る。」(26節) 地上を生きているときにイエスの光 の中を歩んでいるなら、 死後もこの光の中にいると、ヨハネのキリストは言いま す。(3 5節も!)死後の定めなど想像する必要がなく、死そのものが 一つの到 達点です。そこから先は誰にも未知ですが、そこに どんな妄想も物語も抱 かなくてよいし、また死にどんな意味 づけもいらないのだ、とヨハネは言っ ていると思います。 イエスの眼差しの中で、ヨハネ福音書の著者は生死を超 えて いるのです。今回私にはそう読めました。 (全文は板垣まで)
5月14日 説教 マルコ福音書7章24~30節 「母の日に寄せて――思想しつつ生活しつつ祈りつつ――」 久保田文貞 今日は母の日ということで、母にちなんだ話をします。 3月 13日に私 の母・上枝が老衰で亡くなりました。時期が時期で したので家族葬とい うことで私が葬儀の司式をしました。孫や ひ孫たちにどんな母の思いを伝え たらいいかあれこれ考え た結果、「思想しつつ生活しつつ祈りつつ」という言葉を 選び 式辞としました。これは雑誌『婦人之友」(1908)を発行し雑誌 の同人たちと 一緒に自由学園を立ち上げたジャーナリスト羽 仁もと子(1873-1957)の言葉で す。後に『婦人之友』の読書 会のようにして全国「友の会」(1930)ができます。 女学校を卒 業(1933)して母の兄の仕事を手伝う中で「これを読んでみた ら」と 手渡されたのが『婦人之友』、以来母は友人らとその読 者になり、高崎の友の会 に加入したようです。こう書いていく といかにも母は良家の子女のようですか ゙、はっきり言って没 落家族。つまりその父親(わが祖父)は明治の世にもかかわ らず、士族社会の想いを捨てられず、総髪を後ろに束ね常 に和服、そして居合 抜きの道場主、書画をたしなみ、床の間 には日本刀、座敷の横に刀箪笥があって、 大小の日本刀が ごろごろ。妻(我が祖母)は由緒ある家柄の息女というのた ゙ が、それだけに家事はなさらぬ。でもこの祖母の母が教会に 行っていて、 その娘たちはみな高崎教会に、とくに祖母はな くなるまでずっと教会に、その 影響もあって母も教会に行って いたことを言っておかなければなりません。これ は祖父をも感 化したらしく、キリスト教で葬儀をしました。 こうして息子7人、 娘は母一人。暮らしが楽なはずはありま せん。幼い頃から母は家族の炊事・洗 濯、時には鍋を持って 米屋に掛け買いにやらされた等、なんでもやらないわけに は いかなかったと...。数少ない家族写真は暗い穴蔵のように居 間に10人ぐらいか ゙肩を寄せ合って暮らしている様子が写って います。こんな矜恃だけの貧乏神 のような祖父にその町の妙 な理解者というか援助者がいて、学費の援助を受けて 男子4 人が東京の大学を出ますが。 とにかく母は、こんな家族の裏方をしなか ゙ら学校に通って いたわけです。女学校を出て、裁縫などを学び給金をもら え るようになったとき、どんなに自由を感じたか。その母が、出 会った『婦 人之友』、そして女性の「自由」という概念、<思想 しつつ生活しつつ祈りつつ> と いう言葉に出会い、以来、 友の会に加入したわけです。 戦後、私はまさに復興住 宅のような父の会社の家族寮の ようなところで育ちますが、いま思えば家財 道具などは最低 限の物しかありません。記憶にある物で、本とおぼしき物は 聖書と賛美歌、それ以外では子供たちの教科書類、それか ら母の「婦人之友」誌 と羽仁もと子著作集数冊。私が本を少 し読めるようになって、こっそり著作集を 読みました。背表紙 に「思想しつつ生活しつつ」 とありました。家事や家族のこと が書いてあるだけで全く興味がわかず、数ページでやめてし まい ました。羽仁もと子の本を本気で読み始めたのは、自分 も結婚し子供ができ て生活が始まってからでした。私の場 合、学生時代から「思想」という文字を 見ただけで心がざわつ いて仕方がない所にいました。ですから羽仁も と子の「思想 しつつ生活しつつ」に対しても自分勝手な期待をして読んだ わけて ゙すが、ご覧いただければすぐわかるとおり、そこにある 「思想」とは 戦後思想とか人権思想とかいったいかついものと は全く違うのです。ほんとうに 羽仁もと子が明治の女性とし て、母として、妻として、人間として、生活しつつ、 つまり家事 をしたり、子を育てたり、病人を介護したり、隣人の相談に乗 ったりし ながら思想する、考えるということなのです。そして、 もと子は初め教会に行っ ていたのですが、仔細は知りません が、数年で教会に行かないで、その 生活の中で、考えらなが ら、一人で聖書を読み、祈る道を選び取っていき ました。母 は教会を続けましたが、基本的には<もと子のたどった道を 歩いた んだ>と私なりに察しました。 今日選んだ聖書箇所は、イエスが異邦の地で こっそりある 家に行く。そこに心に障害のある娘を持った母がやってき た。イエ スに「娘の悪霊を追い出してください」とお願いした。 するとイエスは「まず、 子供たちに十分食べさせなければなら ない。子供たちのパンを取って、子犬 にやってはいけない」と 注意する。すると女は答えて言った、「主よ、しかし、食 卓の 下の子犬も子供のパン屑はいただきます」と。イエスは、直訳 的には「そ の言葉の故に、行くがよい」(田川訳)と答えます。 この言葉の解釈にいろいろ議 論があるようですが、それらを 振り切って私なりに読みたいと思います。 こ の母親は、医者のような立場にあるイエスの診断に対し て、患者のような位置から、 口答えしていると受け取られかね ない、彼女なりの考えを述べています。子供のハ ゚ンを取って 子犬にやるのはどうかという生活の一コマの問題ですが、彼 女 は自分の考えをイエスに向かって言い返したわけです。も っと言えば先生の診 断にさからって意見を述べる女になって います。その時代、女性が考えを述へ ゙てもたいていは無視さ れるのが当然の社会でした。まして、イエスの癒しの 物語で、 娘を癒してもらう母の言葉など抹消してどうということはない 社会 でした。でも、イエスはこの女の不遜とも見える発言をむ しろ良しとした。言っ てみれば<思想しつつ生活しつつ、そ して祈りつつ>の言葉の一つとして組み入れ られたのです。
5月7日 説教 マルコ福音書14章22-26節 「パンを割き、葡萄酒をそそぎ分け――主の食卓3」 久保田文貞 マルコ14章12以下の「最後の食事」の場面について取り上 げてきたが、この食 事がイエスのガリラヤ時代の始めから伝 えられている群衆たちとの食事につなか ゙っていることを忘れ まじと構えながら読んできた。とくに12~16節で食事 の準備 をする弟子の姿は、イエス一行を「もてなし」た女たちや群衆 たちの食事の 準備や後片付けに汗した者たちの姿を彷彿と させた。こうして最後の食事の席も弟 子たちによって「準備」 「用意」された。 さて「一同が席に着い」たとあるが、 そこに十字架につけら れたイエスを最後まで目撃しその承認となった女たちや、 一 行にずっとついてきた群衆(マルコ10:46)たちの姿はない。そ こにいるのは 「何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言 って憚らない(マタイ19:27)男弟 子だけ。そんな彼らは、これこ そ<主>が「従ってきた者たち」の労苦に応えて 下さる<ほんと うの食事>、この食事こそイエスと弟子たちとの完璧な共同性 の証し と期待しただろうか。だが、そんな彼らの期待をよそ に、まずイエスが 切り出したのは「わたしと一緒に食事をして いる者が、わたしを引き渡そう(「裏 切り」という訳語を使わな いことについては先週伝えた)としている」という。弟子 たちの 期待こそまさに<裏切られた>。完璧な共同体の堅めの儀式と なるべき「最 後の食事」共同体のなかには、本質的にイエス をこの共同体の外の勢力に「引き渡 す」潜在力が畳み込まれ ているという最後通告のような言葉である。「弟子た ちは心を 痛めて『まさかわたしのことでは』と代わる代わる言い始め た」。そう だ。この中の誰でもがイエスを「引き渡す」潜在力の 一端を担っているとい うこと。ここにはまだ名が出てこない! が、あのイスカリオテのユダをそこ から締め出せば、損なわれ かけた完璧な共同性が再生するというわけにはいか ないの だ。この食事を経験した弟子たちの、もっとも誇るべきところ は、彼ら 全員が自分もまたイエスを引き渡す一つの鎖の輪で しかないことを、隠さず 明らかにした点だ。例えば、自分たち 全員が、イエスが逮捕され、引き渡 されて行ったとき、ちょっと は抵抗の色を見せたものの、結局は「弟子たちは皆、 イエス を見捨てて逃げてしまった」と報告されてしまうのをよしとした こと。ヘ ゚テロはたとえ死んでもイエスを知らないとは言わない と言い張ったのに、結局 三度知らないと言ったこと。ちょっと 芝居がかっていると思うが、とにかく彼 はその恥を受難物語 の中に演出することを許可したのだ。 こうしてこの食事は、 一人一人がイエスを「引き渡す」一環 になることを確認する食事になったのだ。 イエスと弟子との共 同性の危機なんてものではない。そうなら「裏切る」者が ひと り外に出て行けば、修復できる問題である。だが、そうならな い。 一人一人がイエスを死へと「引き渡す」潜在力を抱えたま ま、食せねばならな い食事なのである。後に弟子たちは、そ のことを想起しながらイエスがその 食事の時に結びの言葉の ようにして語った言葉を、「伝承」していくのである。 ≪22そして彼らが食べているときに、パンを取り、祝福して 割き、彼らに与え て言った、「取れ。これは私の体だ。23そし てまた杯を取り、感謝して彼らに与 え、皆がそこから飲んだ。 24そして彼らに言った、「これは多くの人々のため に流される 私の契約の血である。...≫(田川訳) 後のキリスト教会が聖礼典とし て特別視した「聖餐」にあて られた主の言葉とされる。ペテロらの原始教会からハ ゚ウロに 伝えられたもの(Iコリント11:23-25)が残ったものとして最も古 い伝承て ゙あり、次にマルコのものとなる。しかしここでは伝統 的な教会の聖餐の解釈か ら離れて、弟子たちの伝える最後 の食事での、イエスの言葉として読んでみよ う。これまで述べ てきたように、弟子たちはこの食事共同体の一人一人がイ エ スを死に引き渡す潜在力をそのうちに深くしまい込んでいる 共同体であると 受け止めた上で、イエスの言葉を想起してい ることを忘れてはなるまい。共同体 としては、ごく自然に用意 され、一つのパンを割きいっしょに食べ、杯を交 わしていっし ょに飲むという食事行為で共同体が維持されているのだと普 通 に受け止められる。≪これはこれで普通に祝福し感謝して 摂られる食事なのだか ゙、今日の食事はちょっと違う。こうして 祝福して割かれて食するパン、感謝し て酌み交わされる杯 は、すぐ後で死へと引き渡される私の体であり、そこて ゙流され ることになる血を象徴していると言わざるを得ない。≫ こうし て、ます ゙はこの共同体はイエスを死に引き渡す潜在力を抱え もった共同体であることを イエス自身から言明された者として 出発するよりないのである。この共同体は崇 高な意味を持っ た、献身的な弟子集団として、讃えられて何事かに取り掛か るもの などではない。最後までついていきますと言いながら 放り出し、あの人な んか知らないと言い張り、実はあの人を死 へと引き渡す輪の一つでしかないこと を知る者たちの食事な のである。 あのガリラヤでイエスと共に愉快に過ご した「罪人」や 「取税人」たち、癒された女たちと一緒の食事、かれらは食事 が 終わると「今日は楽しかったです」とイエスに言い残して、 自分の棲み処に帰っ て行く、そんな食事共同体もイエスの祝 福と感謝の言葉に包み込まれていたことを 忘れてはならない だろう。少なくとも福音書を最初に書いたマルコはそう言うた ゙ ろう。次回はパウロが受け止めたこの食事について。
4月30日 マルコ福音書14章17~21節 「食卓が毀れる」 久保田文貞 準備が終わって、いよいよ過越の食事が行われる。その食 卓の席についているのは、12人の弟 子だけ。でも私たちは 先週話したように、この食事はイエスの福音宣教の始め から 神の国の祝宴のように行われたガリラヤでの食事につながっ ていると確 信し、また私たち〈北松戸〉の「主の食卓」もそこに 連なる食事だと確信してやっ てきた。だから、そこでの12弟 子とは、食事に招かれる人々の代表的、象徴的 人間、それら の誰とでも交代してくれる人間と思いたい。 はたして本当にそうた ゙ろうか。ガリラヤ地方の片隅で、「罪 人」、「取税人」というレッテルを貼 られて居場所を失くした 人、家を失った女たち、病を抱えた者たち、そんな人々か ゙食 事に招かれ、「今日はありがとう、楽しかったし、おいしかっ た」と礼を言っ て、自分の棲み処に帰って行く。イエスも「私も 楽しかったよ」と言って送り出す。 これらの食事は、それ以上 でもそれ以下でもない、神の国の祝宴そのものの共 鳴音が 響いているはずだ。 でも、これもまた先週話したように、そこには この食事を用 意した人、準備した人、後片付けをする人が普通に要る。実 質的な 弟子たちである。もちろん彼らは食事の世話以外に も、癒された人の介護の仕事 や、集会の設営、移動手段の 確保、時にはイエスに代わって話をしに行くことなと ゙の仕事を する。 これらの仕事を献身的にこなす弟子たちは「わたしたちは 何も かも捨ててあなたに従って参りました」(マタイ19:27)とま で言い切ったりする。 そこには並々ならぬ主体性を持った弟 子がいる。彼は招かれ選ばれて、それに 応えて、従う者たち の群れ(共同体)の中にいる主体なのである。しかし、同時に 彼はこの群れ(共同体)を一度突き放して見る主体にもなりう る。イエスと共にある 人々の集まりのためにすべてを捨ててで も奉仕することができる人は、そ の集まり全体を見通すことが できる人でもある。 さて、食事の最中にやおら イエスが変なことを言い出され た。<あなたがたのうちの一人で、わたしと一 緒に食事をして いるものがわたしを裏切ろうとしている。>「裏切る」と訳され た原語はパラドゥーナイ、「引き渡す」。現代で言えば、犯罪 者引き渡し 条約という国際間の条約があるが、まさにその「引 き渡し」の意。因みに日本 は、引き渡し条約を米・韓二か国と だけしか結んでいない。そうなってしまっ ているのは、人権 上、死刑廃止をした国々から、犯罪者を日本に引き渡すと、 死刑 になりかねないから。つまり犯罪者を死刑にしたり、厳し い保釈制限をしたりする 日本にたとえ日本人であろうと、彼を日本に送還することはできないというわけ だ。話を戻そう。イ エスはここで一緒に食事をしているものの一人がイエス を(神 殿警備隊→神殿執行部に)引き渡そうとしているというわけ だ。この語を 「裏切る」verratenとかbetrayと訳したのはルター ら改革者、以来それが口語訳、 新共同訳、新しい共同訳に も採用される。その「引き渡し」を裏切りだと解する のはひとつ の解釈だが、ここは元に戻して「引き渡す」としよう。 「引き渡し」 をする者が誰なのか、イエスは名指ししない。 弟子たちは「一人ずつ順にイエ スに、わたしではないでしょう ね、と言い始めた」(田川訳)弟子たちの心配も 合点が行く。 イエスの弟子となることを選らびとった一人一人の、凸凹の主 体 が洗練されていったものの、一方で共同性を対象化したと きにそれを批判する 自分にもなりえた。どの弟子も自分が「引 き渡す」本人になってしまう可能性 を心の底に持っていたと 言えよう。 イエスはかれらに言われた、< 十二人の一人で、わたしと いっしょに(手を)鉢に浸す者だ。> ここで引き渡 す者が、 誰とは言われていない。「いっしょに」とはどの時点のことか、 みな がその鉢に手を浸した。食卓を囲む一人一人が自分か もしれないという思いに 恐れをなす。 「引き渡す」とは、イエスを犯罪者のように官憲に引き渡す ことなの だが、これから先もイエスが神殿当局が禁止している ようなことをしてし まった場合、自分もイエスを突き出す側に 回りかねない。こちら側の共同性(イエス と弟子集団)とあちら 側の共同性(ユダヤ教神殿体制)との間に立たされてしまっ て「引き渡し」を認めてしまうことにならないか。そんなこと絶 対にありえないと 思うことの脆さ。 「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきませ ん」と ペテロが言ったとき、イエスが言われことは弟子の誰にも他 人ごと ではない。マルコ14:29-30を声を出して読んでいただ きたい。 最後の食事の 席で明らかにされたことは、その食卓共同 体の中の一人がイエスを別の共同性 に引き渡すことになると いうこと。そして受難物語は、その引き渡しはユダの接 吻が 合図だったという。現場にいた弟子たちはそれが自分たちの 共同性を確 かめる儀式にしか見えなかったにちがいない。ど んなに身を近くに寄せようと、 イエスを、他のイエスを踏みつ ぶしてしまう共同体に引き渡すことになり得るのた ゙。引き渡さ れたイエスは、その後も次々と引き渡され、ついにローマ総 督に引き 渡されるが、総督も群衆の所為にして刑吏に引き渡 した。共同性に隠れるように して属する人間たちの引き渡し の連鎖はどこまでも続き、そのはてにイエスは 誰にも引き取ら れることなしに死した。そのイエスを神だけが引き取った。 弟 子たちはそう確信した。食卓は再生可能だろうか。
4月23日 マルコ福音書14章12~16節 「食卓の準備をする事――主の食卓(1)」] 久保田文貞 「受難物語」(マルコ14:1~16:8)の「最後の晩餐」になる。 <除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟 子たちがイエスに、「過越の 食事をなさるのに、どこへ行 って用意いたしましょうか」と言った。> これに対してイエスは弟子にけっこう細かく指示する。< 席が整って用意のできた2階の広間>があるから そこに準備をするように言わ れた。なにか意味ありげ に。私らの感覚に寄せてみると、勤王の志士が旅館寺 田 屋の2階の座敷を予約でもしているかのように見えてし まう。それにしても、 この食事を前にして、「準備」という 語が3回、「用意」が1回、使われていて、 異様に目立つ。確 かに人が食事をするとなれば、その場所を用意し、食材 が なければ購入してきて、料理したり配膳しなければな らない準備の仕事が必す ゙あるものだ。でも、あたり前だ からというので準備のことはたいてい表 に現れてこない ものだ。 イエスの宣教活動の始め(マルコ1:29-31)に、シモン ・ ペテロの姑の病を直した話がある。「熱は去り、彼女は 一同をもてなした」と。 この「もてなす」はディアコネオ ーという動詞でルカ10:38以下ではマルタと マリアの逸 話の箇所に、マルタの、イエスへの「もてなし」(口語訳 では「接 待」)として出てくる。その後のキリスト教、特 にプロテスタントではディア コニッセ(女性奉仕者)と して残っている語だ。一般に「もてなす」とは食事の準 備 や接待の仕事などの意味で使われる。もてなしの準備の もとで食事場面は 成立することを見逃してはなるまい。 またマルコ2:13以下に取税人レビを弟子に する話が出 てくる。レビは取税人といっても、取税人頭の地位だっ たらしい。 イエスを招いた食事会は「多くの徴税人や罪 人」も招き入れた大宴会の体をなす。 レビの周りには喜 んで用意や準備をし、もてなしを手伝ってくれる人たち が 大勢いることを思せる。こうしてイエス宣教の活動を 象徴するかのように食事場面か ゙出てくる。 マルコ6:30以下に、五千人の供食の話がある。イエス を追いかけて 集まった人々に、イエスは親しく教えられ たという。時間もたち、現場は人里離れ た場所なので、そ れぞれがなにか食べ物を求められるよう解散したほうか ゙ よいのではと弟子が気をまわして言う。ところがイエス は「あなたがた が彼らに食べ物を与えなさい」と無理を言う。 とても5千人の腹を満たすような 食料を得られないし、準備も していないと弟子はぼやく。イエスは5つのパンと 2匹の魚が あることを確かめ、皆を組に分けて座らせ、「天を仰いで賛美 の祈 りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、2 匹の魚も皆に分配された」 というのである。伝えられるイエス の奇跡物語ほとんどは簡素なものだが、 これは誇張と事大が 目立つ。でも、想えばこの食事のために弟子たちがい かに汗 して人々を座らせ、イエスが裂いたパンや魚を配り分けたこと か。それ なりにここにはこの食事の用意、準備、配膳の苦労 がちゃんと語られている。さ らに「パンの屑と魚の残りを集め ると、12籠にいっぱいになった」と後片付け の心配りもされて いる。 こうして、イエスと共に、イエスの周りで催される食事 の一 つ一つが、女性たち、弟子たちによる用意と準備、接待の仕 事によって成り 立っていることを見逃してはならない。誤解を 恐れず言えば、主の教会は、イ エスと共にする食事のため に、用意をし、準備を怠りなくこなし、イエスの指示に 従って 仕事するように構成されているということだろう。 Iコリント11:17以下 を見ると、コリント教会では、食事と連 続して(20節)「主の晩餐」が行われて いたことがわかる。その 背景には、少なくともヘレニスト・クリスチャンの教会て ゙も、食 事の時を福音書に見たようなイエスと共にする食事とつなげ て捉えてい たのではないかと見る。しかし、この教会での食 事観はパウロの考えとは違っ たのかもしれない。少なくともパ ウロは「主の晩餐」と、食事を分ける方がよ いと考えている(11 :33~34)。教会で何百人、何十人もの人が食事をするとなれ ば、準備も用意も、そのための接待に人力が裂かれる。しか も人によって食事 の意味も違う。きつい仕事を終えてやっと の思いで教会に着て食事をとる人もあ れば、もっぱら親睦の 時、娯楽の時を期待する人もいる。仲間割れが起こっ て、そ れが食事にも及ぶ(11:21-22)云々。 パウロ的に言えば、イエスと共 にしたあれらの食事場面を 再現することができないのなら、 いっそ「主の晩餐」 だけに 絞って、教会の食事とする。できるだけ家で食事を済ませて くる。 どうしても食事をとらなければならないときは、必要最低 限の賄いぐらいに して済ますと。 「主の晩餐」と食事をつづけて行えなくなった上でのやむ を得 ない措置として分からぬでもないけど、そうならない食事 の準備と用意と、互 いのもてなしの機会を捨ててしまうという のは残念なんてものではない。イエス の弟子となる機会をみ すみす捨ててしまうことになるのではないかと思う。「主 の食 卓」から、ディアコニア=互いにもてなしあうことを手放しては ならにと思 う。
4月16日 マタイによる福音書 25章31-46節 「裁くのではなく」 八木かおり マタイによる福音書の24章以降は、エルサレムに到着した イエスが、神殿の崩壊を予告 し、それに対して弟子たちがそ れを「世の終わり」と理解して質問したことにイ エスが答えると いう「人の子の到来」について、またそれに備えることをたと え において説く一連の語りが集められている部分となってい ます。 イエスの時代に おける「世の終わり」と「人の子の到来」は、 「神の国の到来」として当時ローマ に支配されていたユダヤ の民的には、神の派遣するメシア到来と、それによる救 済を 意味していました。黙示思想と呼ばれるものです。黙示思想 は、バビ ロン捕囚からの解放後も続いた異民族支配(捕囚か ら帰還したユダヤ人はペルシ アの支配下でエルサレムを中 心とした民族共同体であるユダヤ教となってい きますが、マ ケドニアのアレクサンドロス3世がペルシアを征服、さらに その 後継者たちの覇権争いに巻き込まれます。プトレマイオス朝 エジプトに 組み込まれてしばらくして、セレウコス朝シリアがエ ジプトから支配権を 奪取してそちらに組み込まれたと思った らオリュンポス礼拝を押しつけられて抵 抗したらユダヤ教禁 止令を出されるわ、それは絶対納得できないってことで シリア への反乱であるマカベア戦争が起こるわけですが~そんな 経緯の なかで「こんな世の中ならいっそ終わってしまえ!そ う、そうなるはず!我々の 神はこの不条理な世を必ず完全に 終わらせる。その時にはメシアが派遣され、 彼によって選ば れた者(我々)は以後の全く異なる神の支配する永遠を生き ること のできる神の国にいくことができるのだ」...ざくっというと そんな感し ゙なのが黙示思想です。そして、それは「神の国の 到来」を期待せざるをえ ない、そのような状況を生きていた人 々にとっては希望でした。マタイは、だ からこそ、「それに備 えよ」と繰り返し繰り返しいろんなたとえも繰り出して、彼 の生 きたローマによるエルサレム破壊とその直後を生きる「イエス こそがメシア (キリスト)だと信じた人々」に、当時のユダヤ教 (特にファリサイ派的な)を 彼自身の強烈な批判をこめて、こ の物語を書いたと考えられています。 今日のテキ ストの前は、タラントンのたとえです(前回は10 人のおとめの話なので、これは 飛ばしました)。伝統的な話で は「与えられたタラント(ギフトとか才能?)を 活かしなさい」的 に語られるものですが、ちょっと考えたらこの主人、実はひと ゙ いんじゃないか?という話を、むしろ今日のテキストの方でしたいと思います。 ちなみに「すべての民族を裁く」の部分は、 マタイ独自のエピソードです。 「人の子」(まあ、メシアですね)は栄光の座に着き、すべて の国の民がその 前に集められます。そこで、彼はその人々を より分けます。「羊を右に、山羊を 右に」その彼は「王」(「メシ ア」は、ヘブライ語的には「王」だし「主」だ し、ギリシア語的に はそれが「キリスト」です)、絶対的な権威を有する存在 です。 これが、本当にめんどくさいどころではない事態をキリスト教 か ゙歴史的に含有せざるを得ないということになっているので はと思います。羊 は、選ばれる人々です。山羊は、選ばれな い人々です。理由は、羊さんた ちは、王本人ではなくても、 困難に直面させられた人々を助けた、他方の山羊さ んたち は、王のことは助けたかもしれないけれども、そうでない困難 に陥った 人々のことは助けなかったからだとされています。そ して、山羊さんたちはこれ により「永遠の罰を受け」羊さんた ちは「永遠の命にあずかる」という審判が 行われてしまうよ、と いう話です。 この話そのものが意図しているのは、権力 を持つ者がどの ようにあるべきなのかという現実へのアンチテーゼとして、 と ても重要だと思います。審判を行う「王」(神もしくはびメシア の比喩)とし て語られる必然性が当時のマタイにおいてはあ ったのでしょう。しかし権力を 全く持たない、命を奪われるま でに至ったひとりの人をメシアでありキリストた ゙と理解した最初 の人々の出発点は、結果として見失われることになったので は ないでしょうか(というか、宗教改革以前は長いこと聖書テ キストを普通の人は読 むこともできなかったって話の方が大 きいかとも思いますが)。本来、裁く主 体は神であるはずなの に、実際の人間社会において権力を得た者がそれを行 使す ることを正当化することにすら利用され、その関係性を捻れ て理解させてしま う結果をもたらしたことにもなってもいるので はないかと思います。でも、そ れはテキストをどう解釈する か、言葉をどのような意図でどのように使う かにかかっていま す。今現在、わたしたち自身の使う日常的な言葉が、絶望的 に 意味が変換されいることに危惧をしています。 ただし、マタイは、続く26章て ゙イエスを捕らえにきた大祭司 の手下に打ちかかって、その片耳を切り落としたひ とに「剣を さやに納めなさい。剣をとる者は皆、剣で滅びる」と語らせて いま す。他者を裁くことは、わたしたちにとっての主眼ではあ りません。むしろ、裁 かれる側におかれてしまう者としての尊 厳を他者と共有していくことが、わたし たちにとって大切なの ではないかと考えています。
4月9日 ヨハネ福音書20章1-18節 「どんなにうれしかったことでしょう」 飯田義也 イースターおめでとうございます。なのに、まったくこ のところ、毎日いい ニュースを聞きません。心が暗くな りがち。 日本の国で女性の地位向上とい うことについては、も ちろんキリスト教矯風会など多くの取り組みがあるわけ ですが、これからも地道な長い取り組みが必要だなぁと 改めて思いました。 イースターは言うまでもなくキリス トが殺害され葬られたにもかかわらず復 活したという信 仰に基づいて祝われるわけですが、最初に出会ったのは 女性 だったことを聖書は書き残しています。 今日の聖書の箇所の前提をいくつか説明 します。 ひとつ目は「墓」。 古代イスラエルには家族(一族)が利用する立派な墓 を作る風習がありました。やはりエジプトあたりの魂が 肉体に帰ってくる という信仰も色濃く影響しているかと 思います。わたしはかねがね「死と復活の 信仰」は「死後 も魂が生き残る」という信仰(霊肉二元論)よりも理知 的だとい うことを言ってきましたが、霊肉二元論は、ま あ、世界的に時代を超えて一般的 な信仰なのだと思いま す。 ふたつ目は「マグダラのマリア」。 このマリア は、生活苦を味わった女性ということでは ないようでした。イエス様のような 人生上の指導者に は、その人を支える人々が生じるのが一般的なことでも あったようです。まあ、仏教徒にわかりやすい表現でい えば「檀家」で、 比較的裕福でないとなれない立場でもあ ります。古代も今もあんまり変わって ないところは変わ ってないのですね。 みっつ目は「信仰」 イエス様は神の子と 信じているということは、何から 何までイエス様がすごいんだと信じ 込むこととは違うと 思うのです。やはり古代社会に生きた人でしたから、ス マ ホは絶対使ってないでしょうし、このことについては 現代人である私たちのほ うが知っている・・なあんてこ とはたくさんあります。 イエス様の有名な教えの ひとつに「空の鳥を見よ」・・ って素直に素敵な教えだと思うのですが、現 代社会で動 物行動学・・なんて大袈裟なことを言わなくとも「食物 連鎖」につい てわたしたちは義務教育機関に学ぶわけで すし(弱肉強食じゃないですよあ くまで事実としての食 物連鎖)神様が養ってくださるというのは、神様ご自 身 がお造りになった自然界のルール「食物連鎖」の中で、今 日食べられてし まう鳥もいることを私たちは知っていま す。 イエスさまも「明日は炉に投げ入れ られる花」とおっし ゃっていて、まさに「今日」「いま」恵みをくださっている んだと強調されています。 明日は食われるかもということも含めて「神の恵み」 な んですね。意外と厳しいかも知れませんが・・。しかし、 だからこそ、人 間としてその人の権利が守られないと感 じれば支援を試みるというような動 きも要請されるわけ ですね。 実は、説教準備を始めた朝、久しぶりに鳥の声 (雀?) を聴きながら「明らかに嬉しそうに鳴いてるな・・」って 感じました。 (個人の感想です)それが今日のお話のき っかけになりました。 少し話を戻して、 現代社会では死の判定が覆ることは ありません。死んだ人が生き返るなん てことは信じてな いのではないでしょうか。三日って言っても中一日のこ と でしょ、仮死状態だっただけなんじゃ・・とか。なん とかして復活を理解 しようと試みるわけです。 ここでとある神父さんが語った「神は人間が説 明でき るような方ではない」という言葉が効いてきます。わた しは少し反省 していまして、これまで「事実はどういう ことだったのだろう」というこ とに関心がありましたが (聖書学者は「高等批評」などという専門用語を使い ます) それに傾きすぎていたと思い直しました。 もう一度今日の聖書を味わって みましょう。 もう死んでしまってこの世では絶対会えない、大好き な「ラボ ニ(先生)」に再会できた。 ・・って、なんとうれしかったことでしょうか。 キ リスト教信仰を得たところから平和を訴えたくなり ますが、そうするだけで、 実際に殺されこそしないけど ミニ十字架を体験する私たちです。その際、正義 感をベ ースにするだけでなく、このマグダラのマリアの心から の喜び を自分の喜びとすることができたら、なんとうれ しいことでしょう。うれ しい世界がそこに広がるから復 活を信仰するのです。なんとうれしいことて ゙しょう。イ エス様の復活の喜びを心の底に基礎として据えて、自ら の言葉をそ こから発していければ幸いです。
4月2日 マルコ福音書14章3~11節 「葬りのため塗油する女」 久保田文貞 いわゆる「受難物語」というのがマルコ14章から始まり ます。私たちの感覚で 言えば、木(水)曜の朝に始まり、 その日の夕に食事場面、その後ゲッセマネの 園での祈 り、イエス逮捕、ユダヤ議会の審問、金曜午前にはローマ 総督ピラ トによる判決が下され、磔刑の執行、葬り、日曜 の朝に墓が空だったと、電 撃的な展開になっています。 この「受難物語」はそれまでの、著者マルコが諸 伝承を 集め、著者なりに整理し並べて編集したマルコ福音書と は別物です。 1~13章の様相とはまるで違って、事態の展 開はスキなく並べられ、ほとんど マルコは手を加えてい ません。つまりこれはすでに原始教会の中で創られたて いたのです。その中心的な内容は、パウロも、後々の教会 も受け取っていった ように、「イエスは私たちの罪のた めに十字架にかけられた」 という点にあると言 えます。 ユダヤ教の贖罪を請う過越祭のさ中にイエスは殺され、 原始教会によっ てイエスは罪の赦しための犠牲の子羊と 再解釈されたのでした。「受難物語」は まずはその上に立 っています。 としても、受難物語がユダヤ教的伝統を越え て行くた めに、いくつか注目すべき点があります。それが14章3節 以下にも 出てきます。1,2節、二日前、神殿議会側はイエ スを殺そうと謀る。続いて、ベ タニアの「癩病人シモン」 の家での食事会という設定。受難「劇」は事実上この 食事 から始まります。シモンの病は、「聖書」によって(レビ 記13-14)忌むべ き病とされ、その患者たちは排除されて きました。ドイツ語では Aussatz 、ま さに外に置くと言う 動詞の意味から出来ています。シモンは最悪の差別その ものを 受けていることになります。(現在「癩」という病 名が差別を助長する言葉として 封印され、「ハンセン病」 と言い換えられ、聖書協会では「重い皮膚病」とされ てい るが、古代はもちろんつい最近までこの病に罹患した人 たちを差別してい た事実と、それを産み出した社会構造 の問題を、言葉を言い換えたぐらいで帳 消しにできな い。敢えてこの病名を遺し、問題から目をそらさないた めにここて ゙はこの語を使うことにする。)マルコでも、 福音書の出端(1:40以下)からこの病 人たちの癒しの記 事が出てきており、イエスの活動の象徴のようにされて います。 受難「劇」においてもこの食事会から始められた のには、そこにイエスの揺るが ぬ意思を感じとっていた からでしょう。 さらにその食事会に一人の女が現れ ます。「高価な本 物のナルドスの香油の小壺を持って入って来て、壺を割 り、彼 の頭に注いだ。」(田川訳)弟子たちには、彼女の 行為がひどく無駄な行為に 見えた。〈もったいない〉、「こ の香油を三百デナリ以上に打って、貧しい人た ちに施す こともできたではないか」と、彼女を責めた。この後のイ エスの言葉 については、下手な解説など要らないでしょ う。ただ8節、葬りの備えとして の塗油について、申し添 えておきたいと思います。 有名なバッハの「マタイ受難 曲」の最初の方に、この場 面の曲が出てきます。福音書の言葉がそのまま福音 史家 によって歌われますが、音楽的に私たちの耳に残るのは むしろある詩人の歌 詞にバッハが曲をつけた部分です。 9番と10番がそれになりますが、10番 の詞は、「懴悔と悔 いの思いは罪の心を二つに割き、わが涙のしずくは汝の た めにかぐわしき香油とならん、まことなるイエスよ。」 と。ようするにイエスの 頭に塗油する女はその行為をも って自分の罪を告白し、イエスの赦しに涙し、その 涙を 以て、イエスの死の葬りをしたという詞です。でも、そう いうことなんた ゙ろうか。イエスは自分の葬りのために塗 油してくれたから、この女の罪を赦すなと ゙と一言も言っ ていません。新共同訳では「するままにさせておきなさ い」となっ ています。〈この女の自発性をそれとして受け 止めようじゃないか〉ということて ゙しょう。父権的な男 社会の中で男たちが見えなくなっていることを、この女 は自分の思いのままに行動している。イエスは彼女に好 意を感じとって、「この 人はできるかぎりのことをした。 つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、 埋葬の準備 をしてくれた。」と。なんかすごく固いセリフだけど、平 たく言 えば、「ありがとう」ということではないか。その 女の意思は、立派にイエ スと対等に向き合っていて、彼 女は一人の人間として、〈いま、ここで、わたしか ゙あなた (イエス)になすべきことはこれよ〉と言わんばかりに イエスの頭に香 油をそそいだということなのではないで しょうか。 この行為は、そこにいた 弟子たちに、と言うよりは、父 権的な男社会にどっぷりつかったただの男た ちには、採 算の取れない、感情的な女の行為としか見て取れなかっ た。でも、こ の女性の行動は、イエス磔刑の死の前にあら ゆる権威的なものが崩れ、すべて を組み立てなおさなけ ればならないと、呼びかける「記念として語り伝え」ら れ なければならないというわけです。
3月26日 マルコ福音書13章32~37節 「目を覚ましていること」 久保田文貞 イエスがエルサレムに入ってから(11:15)神殿の境内で、 次から次へと神殿側の 人間、参詣に来ている人々と間で様 々な軋轢や食い違いが起こっていきます。 ある意味予想通り の展開です。13章では、弟子の一人が神殿を見あげて 「なん とすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」と感心す る。な にかそれまでの緊張を解くような言葉がきます。すると すぐにイエスの言葉、 「一つの石もここで崩されずに他の石 の上に残ることはない。」となって、弛 みかかった弟子の神経 をピンとさせる。これを横で見ていた他の弟子たちペ テロとヤ コブとヨハネとアンデレが、その後オリーブ山に戻ってから 「ひ そかに尋ねた」。そんな展開になっています。 そして著者マルコは以下に、「終わ りの日の到来」に関す る原始教会に流布していた伝承を並べていきます。まず はそ れがいつ来るか、そしてその徴はなにか、と言う問いに、「惑 わされないよ うに」と注意します。国家また民族の同士の争 い、地震や飢饉があるが、それ は「始まり」にすぎない。また、 理不尽な迫害、無実なものへの刑罰が起こる。 だが「取り越 し苦労を」する必要はない。陳述できることを陳述すればよ い。聖霊が教えてくれる。また生死をかけた兄弟対決、親子 対決も起こるかもし れない。それらは「わたしの名のために」 起こること。「しかし、最後まで耐え 忍ぶ者は救われる」と。 ここまでそれらは「苦しみの始まり」だと解せるて ゙しょう。これ らは「終わりの日」の兆候だけれども、その本体ではないと、 少なくとも著者マルコはそうとらえていると思います。 原始教会はペテロら直弟 子たちを中心にし、その傍流とし て勢いを増しているギリシャ圏各地に広まって いるクリスチャ ンたちからなると聖書から読み取れます。かれらに共通した 信仰は、 キリストの十字架の死の信仰を告白していく中で、 ユダヤ教にひろまっていた 黙示文学的思想をたぐりよせ、 「終わりの日の到来」問題に突入して点を強調す るものでし た。この線で、ずっと後のキリスト教正統主義は、原始教会と そ の周辺の多様な歴史をかなり強行に整理・単純化してしま った結果が、ある意味、 新約聖書なのです。私たちは専門家 ではありませんが、私たちなりにそのこ とを念頭に置いて読 んでかまわない、いや読むべきだと私は想います。 さて、 どうみてもイエスのガリラヤでの宣教活動を正面に据 えようとする福音書著 者マルコは、原始教会の復活理解に 一歩距離を取ろうとしています。それを念頭に 置いて13章を みると、「終わりの日の到来」自体を否定しないが、いまは終 わり そのものでなく、その兆候にすぎない≫と、明らかにここ では、熱狂的になっ ている「終わりの日」信仰を抑制しようとし ています。 ・・・最終的に「終わりの 日」が始まったとしか思えないような ことが起こる。権力者たちの戦争が、 無関係の人を巻き込 む。無辜の者たちの生活を成り立たなくなる。環境破壊、食 糧 危機がおこり、身内を平気で裏切る振る舞いがそこかしこ に起こる。世界を 見通せるかのような学者が現れ、もはやこ れで終わりと解説し、多くの人々か ゙自分の家族、自分の部 屋、自分の世界に閉じこもっていく。特に32節以下をそ う読 むことができる。≪もうここまできてはなすすべもない、自分の 信仰 にこもって、目を覚ましてて待つ≫...原始教会の中の 大きな潮流となったようで す。マルコは注意深くその理解に 待ったをかけているとしか思えません。イエス自 身が「終わり の日」について述べた言葉とされるものの裏を読んでいるよう なところがあります。 原始教会の熱狂のなかで理解されている明日にも「終わ り の日」がくるという終末論を手放しで受け入れるのはあまりに 危険です。 一切を神にお任せするという信仰表現であるとは いえ、人間としてはもうなにも しない、手を引くということになる からです。 今月13日、東京高裁が袴田巌さ んの「有罪の根拠とされ た証拠に合理的な疑いが生じた」として再審を認める 決定を しました。20日検察はこれに対し特別抗告を断念。再審が始 まるでしょ う。57年前、一家4人の殺害事件の犯人にされ、数 日間の拷問でもうろうとした意 識の《自白》させられたが、裁 判ではずっと否定。その後の捜査機関が証 拠をねつ造して 執拗に袴田さんを有罪に陥れようとしてきた。一度有罪とされ ると、 後は、やらなかったことの証拠を出せと転倒した裁判に なっていったのです。し かし、姉の秀子さんや、支援者・弁護 士ら、あきらめなかったのです。ここまて ゙やればあとは「目を 覚まして、神の裁きを待つだ」としませんでした。袴 田さんは 長期拘留で一時期強く心を病んでしまいましたが、でも釈放 後、 秀子さんの解放もあって少しずつ改善。二人とも高齢で すが再審を戦い抜い ていくでしょう。 「目を覚ましていなさい」という原始教会の伝承の言葉に は、 「後はもうどうにもならないから、すべてを神に任してしま いなさい」と読め なくもないですが、マルコのイエスの言葉は そうなりません。「目を覚まして いる」とは「終わりの日」が到達 していない限り目を覚ましてやるべきことは やるための覚醒 のすすめだと理解します。「終わりの日」が近かろうと遠かろ う と目を覚まして、どんなに大きな力であろうと、人が無実の人 を裁く仕組 みをゆるさず、行きぬくことのすすめでしょう。
3月19日 マルコ福音書12章18-27節 「死んだ者のでなく、生きたものの‥」 久保田文貞 新約時代のユダヤ教に三つの党派がありますが、その ひとつがサドカイ 派です。当時の神殿上級祭司がつくっ ている集団です。彼らは支配者ローマ の顔色を窺い、民 に向かっては厚顔にふるまい、信仰的にはなにかと革新 的なもの 言いが出てくる預言書を嫌い、伝統主義的に比 較的扱いやすいモーセ五書だけ を重視する。つまり、彼 らは政治権力と金権にしがみつく保守集団で、民衆か ら 支持などされるはずもない存在でした。主イエスがかよ うな集団とまと もに向き合うつもりもなく、はずもなか ったと言ってよいと思います。ちなみにカ ゙リラヤ地方で 彼らを登場させている(それもちらっと)のはマタイ福 音書だけ (3:7、16:1)です。 マルコ福音書では初めてエルサレム神殿境内でサドカ イ派の数人が登場し、イエスに議論を挑むことになりま す。テーマは〈復活〉に ついて。申命記25:5-6に出てくる レビラト婚の問題を論拠にして、彼らの持論て ゙ある復活 などありえない説を展開していきます。≪律法によれ ば、子を残さす ゙兄が死んだ場合、弟は兄嫁に子を儲けて やらなければならないとある。も し弟が子を儲けられな ければさらに次の弟がと...。そこでもし全員が死 んだ 後、やがて全員が復活するなんてことになれば、だれが その女の 夫になるか。こんな矛盾が起きるのは、怪しげ な預言者の言葉にそって終わり の日にみんなが復活する (ダニエル12:2)などとするからだ。つまり復活思 想は 神の神聖な法に反すると思うが、いかが...≫というわけ です。 屁理屈 のようだが、そこには看過できない意識が潜ん でいます。そもそも女性 を父権的な家を守るための、子 を産む道具ぐらいにしか見ていません。復活を否 定して いる彼らの頭の中には、その兄嫁が6人もの弟たちに順 繰りにめとられて いく彼女の痛みを感じ取るスペースは 残っていないわけです。「終わりの日」 みんが「復活」する として、この女の夫がだれになるかと話題にするだけ。 彼女が選びとる人生、ほんとうの夫が誰かなんて眼中に ないわけです。こ うして架空の彼女ですが、彼らが否定 する「復活」の日にこそ、ひとりの人 間として生きる可能 性を持っていたはずなのに、それももぎ取られてしま う。 彼女がいつか納得できるような「生きる」を実現して やるという希望さえも、 彼らは奪うことになります。 私たちにとって「復活」という出来事が自分の前に 立ち上がってくるきっかけはなにかわからない。もう自分が どうにもならな い、自分の力ではどうしようもないとい う場に立たされて、それでも自分の 力で這いつくばりな がら生きていく人間の前に切り開かれてくるなにかで し ょう。そんな絶望ぎりぎりの人生を生きてこそ、彼・彼 女たちに復活のメッ セージが届くことでしょう。 考えてみれば、彼女には七人の弟を当てが われてそれ で終わるという保証はない。「終わりの日」まで、つまり はその日 まで子を産む道具として決定づけられた存在に されてしまっていないでしょ うか。 だが、サドカイ派の連中がレビラート婚という古風な 家制度から くる矛盾をとりあげて復活論を否認しようと する感覚を、私たちは嗤うことはて ゙きません。最近の日 本の少子化対策の議論を聴いていると、依然として女性 を、 子を産むための道具位にしか思っていない男たちの 声や、またそれを否認しようと もしない女たちの声が聞 こえてくるように思えて胸が痛みます。 ところで、 多くの聖書学者は、この個所をイエス時代 のものでなく、イエスの復活を前面に 出して宣教してい った原始教会が生み出した論争物語とします。としても サド カイ派の人たちの復活理解の底に潜む問題を見抜い たうえで創作した「論争物語」 と思います。 次に続くイエスの言葉はこれらの「思い違い」を指摘し ます。≪死者 の中から復活するときには、めとることも 嫁ぐ(字義どおりには「めとられる」)こ ともなく、天使 のようになるのだ。≫ 復活を否定のサドカイ人に、「死 者が 復活する、天使のようになる」と言って通じるはず はないですが、出エシ ゙プト3章6節に出てくる『わたしは アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの 神である』という 言葉は彼らにも通じよう。理屈としては、とっくの昔に 亡く なっているアブラハムらの名をあげて、神御自身が あたかもその時も(今も) 彼らが生きている者のように 言われる。ほら、「神は死んだ者の神ではなく、 生きてい る者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしてい る」と。ちょっ と苦しい理屈だが、言い換えれば、神は生 きておられる。その神こそ、ます ゙はなにをおいても、ただ ひとり精一杯に生きているあなただけの神なのだ。 あな たが精いっぱい生き抜いたら、神はその向こうにちゃん と待っていてくた ゙さる。彼女の夫が誰で、誰の親で、誰の 子か、なんてあれこれ他人は言うた ゙ろうが、気になさる な。レビラート婚の一標本のように引き出された女は、 サドカイ派の頑固な頭の外を、がっちり生きていくのだ と。「生きている者 の神」の前で、その神を信頼して。
3月12日 マタイ福音書25章31-46節 「最も小さい者に」 板垣弘毅 「最後の審判」のお話しです。日本にもインド、中国経由で、 閻魔大王とい う地獄を支配する神さまが知られ、すべての人 は生前の罪を裁かれると言われ ます。死後の人間の運命に ついて、地獄や極楽浄土について、人々は生前の所業と か 関わらせながら思い描いてきたと思います。 「世界の終わり」といっても、環 境の悪化や核戦争などで人間 が破局を迎えるのとは混同できません。すへ ゙ての人が死を経 て神の前に立つという信仰です。聖書では死者も呼び出 さ れます。イエスの時代もユダヤの黙示思想が人々の生活の ベースにあった と思われます。「こんな世界、終わってしまえ ばいいのに」という絶望を抱かさ ゙るを得ない状況に人が追い 込まれるようなとき、「最後にメシアが一発逆 転!」、そんな願 望から黙示思想は生まれた、といった安全地帯からのわかっ た風 な解説は自由ですがここでは触れません。きょうは、とて も短いですが マタイ福音書の25章の物語です。「:31人の子 は、栄光に輝いて天使たちを皆従え て来るとき、その栄光の 座に着く。」 このマタイ福音書ではイエス・キリストの 再来を指しています。 羊飼いが羊と山羊を見分けるように、人間も神の前で右 と左 に分けられます。「天地創造の時からお前たちのために用意 されている国」に 入れるのは右側です。これは、この神の国を 継ぐ選び、究極の選びが、 人間の思いも意志もはるかに超え ているという表現ですね。 物語は次に、「王」 (神)がみずからこの選びの根拠を明かし ています。 25:35お前たちは、わた しが飢えていたときに食べさせ、のど が渇いていたときに飲ませ、旅をし ていたときに宿を貸し、 2 5:36裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたと きに 訪ねてくれたからだ。』 25:37すると、正しい人たちが王に答 える。『主 よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食 べ物を差し上げ...たでしょ うか。』 この日常的、具体的な一つ一つの行為が自分の身に覚えが ないほど の当たり前の、言葉にして確認するまでもない、人 が生きているというできこ ゙との一部だ、と言っています。きょう の最後の審判の物語の核心だと、私は 思います。 「王」が応えます。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の 一人 にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」 よく引 用される言葉です ね。「この最も小さい者」とはだれか。 ひとつは文字通り、わたしたち人間社会か ゙、避けようもなく生み出してしまう格差の下の方にいる人たちです。 もうひと つ、「この最も小さい者」とは、世の中の「ふつう」とい う価値に入らない、格付 けの外、ということです。イエスの時 代では、ユダヤ人が「ふつう」で その「ふつう」以下を、来るべ き神の国を受け継ぐ資格はない、穢れた「罪人・ 徴税人」とひ とくくりにされて福音書に出てきます。 「羊」の組に分けられた人た ちが納得いかなかったのは、助 けるものとか助けられるものとのあいだに特別 な線が惹かれ てはいないこと、いっしょに生きる時には当たり前の人間関係 で す。 きょうのたとえ話では、その「最も小さい人」にしたのは神にし たことなん だ、しなかったことは神にしなかったことだといいま す。 いいかえれば、 「羊」組の人たちが当たり前にしていることが 神に向き合っているということて ゙す。ここには 救いに入るた めの条件などありません。救われる人、救う人の自 意識は全 く欠如しています。 「山羊」組の人の不満は 『主よ、いつわたしたちは、 あなた が飢えたり...するのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』 ここ には、もしわかっていたらお世話したでしょうに、という気 持ちが含まれます。 目の前の他者を何か条件や意味づけて 捉えるわけですね。 例えば「絶対他力」 を教える日本の浄土系の教えでも、 阿 弥陀仏の絶対で無条件の、すべての人 を救おうという本願 を、人間側で受け止めるためにすることは「南無阿弥陀仏」 の六文字を唱える称名だけです。それどころか、救われたい という願いや望 みをもって南無阿弥陀仏と唱えることも捨てる べきだと言われます。人が念 仏を唱えるのではない、念仏が 念仏を唱えるのだ、と一遍上人も言います。 きょうの最後の審判のたとえ話では 「王」さまが応えていま す。 『はっきり 言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者 の一人にしたのは、わたしに してくれたことなのである。』 ...中略... ここでは、将来、到来するメシア (救い主)は、今 この時、この困窮する人と共におられるのだ、と語っていま す。 この「最も小さい者たち」に出会わない教会は本来の教 会ではない、と言えるか もしれません。何しろ裸で木に打ち 付けられた処刑者を、神の子、救い主と告白 していったのが 最初の教会でした。このたとえ話の信仰の告白に目をつぶっ て、何より教会の存続を自己目的にした教会の歩みは、今日 のたとえ話に聞くべ きものを持たねばなりません。信者たち の仲間内だけという枠が「教会」た ゙とは言えない、と言ってい ると思います。...以下略 (全文は板垣まで)
3月5日 マルコ12章1-12節 「理不尽な事件に抗して」 久保田文貞 著者マルコは権威についての論争物語伝承に続けて、譬 え伝承を置きます。前の論 争物語で、イエスは神殿官僚(議 員)たちの権威論を逆手にとって、彼らが権威 にこだわる在り 様をあぶり出し、イエス自身はむしろ権威とは反対側に生き る 民の側にたって、権威について語らない、そして論争を打 ち切ってしまう。これを 受けて、今度は「イエスは、譬えで彼ら に話はじめられた」と。ここで譬え とは、ちょっとした理解の助 けになるような比喩とは違って、イエスはあまり見た くないよう な人間社会の一断面を引っ張り出して、想定外の問いを投 げつけます。 たいていの譬え話はその意外性から、一種の 滑稽さや温かみが感じられるのて ゙すが、12章1節以下の葡萄 畑の農夫の譬えはそうした猶予を感じさせません。 「彼ら」ユ ダヤ教の官僚たちからすれば、露骨な悪意としか見えない 譬えになっ ています。 さて、「ある人が葡萄園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、 見張り のやぐらを立て」と始まります。ここまで旧約のギリシャ 語版七十人訳のイサ ゙ヤ書5章と言語的に重なるそうです。そ ちらでは、「よく耕して石を除き、善 いぶどうを植え、その真ん 中に見張りの塔を立て、酒舟を掘り、良いぶど うが実るのを 待った」(5:2)。もちろんここで土地の持ち主は神。そこで自 分の愛する者(イスラエルの民)が精魂込めて作った葡萄園 に主人も期待していた。 しかし、そこから獲れた葡萄は酸っ ぱくて使い物にならない。主人はそれを捨て たと。 マルコ12章の譬えでは、葡萄園を作るのは、イザヤの比喩 とは違って、 主人自身。それを農夫に委ね、収穫期になると 自分の僕を送って、生産物を納めさ せようというわけで、当時 の地主-小作制を反映しています。ところが、送り込 まれた 僕らは、叩かれて空手で帰らされたり、辱められたり、殺され たりとさん ざんな目に遇う。最後に、主人は自分の息子を送り 込む。息子なら彼らも敬って くれるだろうと。だが、農夫たち は『これは跡取りだ。さあ、殺してしま おう。そうすれば、相続 財産は我々のものになる。』 そして、息子を捕まえて殺 し、 ぶどう園の外にほうり出してしまったというのです。イエスの語 られた とされる譬え話には、結構きつい話でもたいていは息 抜くところがあったり、 最後はゆったりと着地したりすると思う のですが、この譬えは終わりにゆくに つれ、救いようがない話 になっています。 この譬えを読む者はすぐに連想する でしょう。主人から派 遣されたつかいとは、神の言葉を告げる預言者たちのこ とだ と。もっとも明確に預言者の言動が民の指導者たちと対立するのは、前9世 紀、北王国の王アハブの時から(列王記下17 章以下)です。預言者エリヤは、単 独に(後のエリシャは弟子 として彼を継いでいるように見えるが、エリヤの言動 は一人行 動です。エリシャが集団行動をしているのと決定的に違って います) 危険もかえりみず王にぶつかっていく。 とにかく王 国時代に預言者に与えられ ていく神の言葉は、聖なる祭儀 空間で繰り返していられるような言葉ではない。 イスラエルの 現実は王制自体がもつ歪みそのもの、預言の言葉はその社 会的経済 的現実に向かっていく。前8世紀、ヤラベアム二世 時代、繁栄と裏腹にある格差社 会、在野の預言者アモスの 預言もその矛盾に切り込む。アモス以後、預言者の基本 的 な構えは、ホセア、ミカ、イザヤと変わらない。神の言葉に単 独に向き合い、 単独にその時代に向け発信する。しかも、な ぜか、アモス以後、これら単独で 後ろ盾のない預言者らの言 葉が記述されて行く。その理由を詮索するだけで 痛快なので すが、当の預言者たちの立場はどんなに反感を買い、攻撃 されて も成すすべもなく、叩かれ、殺されるところにいる。南 王国ユダの滅亡を語る エレミヤが神殿当局から鞭打たれ拘 留された(エレミヤ20:1以下)通りです。たた ゙し、エレミヤ書で は、その反対に神殿祭司と組んだ圧倒的多数の預言者が 次 々と上げられています(6:13,8:10など)。神の言葉を語る預 言者のふりをし て神殿や王の代弁をする者がいかに多かっ たか、自分も他人ごとではないと 思っています。 こうしてみると、マルコ12章の譬えがもはや譬えの体を為さ ず、 「彼ら」が気づこうと気付かなかろうと、消えかかっている 権威にしがみつ き、それを否定するものを排除しようと躍起 になっている神殿議員・官僚たちへの 批判そのものになって いると言えます。その中身を失った権威主義は、まちがい な く、最終的に葡萄園に送り込んだ主人の息子を殺し、相続財 産を自分たちの手 にしようとする。この後、彼らは実際にそう 動いたよね、と。 後のキリスト教が、 この譬えを十字架にかかって死んだ神 の子キリストに関わる真理を表すものとし ていきますが、イエ スの他の譬えと同じように、それとは見逃してならないも のが あります。それはこの譬えを成り立たせている地主⇔小作制 の上で起こる 矛盾を題材にした事。小作人としての人間(農 夫と使用人)、農夫の納める収穫物に 頼る地主としての神。 さらにそんな矛盾の中で、地主=神の言葉(請求書)を持っ ていく僕・預言者。特に彼は無防備のまま、でも主人の言葉 をそのまま農夫らに 伝える務めを果たしていく。 農夫らはこ れらを袋叩きにしたという話の筋立て。理 不尽な人間社 会の一事件のようなことが、失われ壊れていくいく神と 人間の間の 譬えとして使えてしまう不条理!
2月26日 マルコ福音書11章27~33節 「そもそも権威ってなに」 久保田 文貞 マルコ福音書11章で、イエス一行がいよいよエルサレムに 入城します。エルサ レムでの行動の最初が、イチジクの木の 呪いの伝承(11:12-14、20-25)に挟ま れている「宮清め」 (11:15-19)事件です。イエスは神殿境内で商い、両替をし ている者たちの椅子をひっくり返し、境内で物を運ぶのをや めさせ、実力行使 に出る。神殿警備員に拘束されるギリギリ のところで止めたのか、拘束され なかった。その後27節以 下、著者マルコは一つの「論争物語」をおきます。その翌 日 のように見えますが、神殿を歩くイエスに、「祭司長、律法学 者、長老たち」 =神殿の上層官僚たちが「何の権威で、この ようなことをしているのか。だれ が、そうする権威を与えたの か。」と詰問する。「権威」と言えば、著者マル コはイエスの宣 教活動の始めに、ある安息日カファルナウム会堂で教え、そ こて ゙「汚れた霊に取りつかれた男」から霊を払った出来事(1: 21-27)の伝承をおき、そ の時、群衆からつぎのような声があ がったとあります。「これはいったいと ゙ういうことなのだ。権威 ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じる と、その言うこ とを聴く」と。 この言葉を受けるかのように、この福音書にはいく つもの 「論争物語」が出てきます。ほとんどの論争相手は律法学 者、パリサ イ人。「この人は、なぜこういうことを口にするのか。 神を冒涜している。神お ひとりのほかに、いったいだれが、罪 を赦すことができるだろうか」 (2:5-7)、また「どうして彼は徴 税人や罪人と一緒に食事をするのか」(2:16)、 「なぜ、あな たの弟子たちは断食しないのか」(2:18)、「なぜ、彼ら(弟子 た ち)は安息日にしてはならないことをするのか」(2:24)、そ のほか3:20-29、7:1-13、 10:1-12など。それらの中でイエス は、伝統や祭儀規定、律法からの自由と解放 を訴え、そのと おり行動する方として描かれていきます。反対者たちの問い は、 「何の権威で、このようなことをしているのか。」という問い に集約できるて ゙しょう。 11章に戻って、イエスに向かって「何の権威で」と問うエル サレム 神殿官僚たちの問い方に、違和感を感じないでしょう か。(旧約)聖書の伝統に 立てば、「何の権威で」なんて問い は起こりようもない。神ヤハウェに信頼を おいた民はもちろ ん、逆に神に背いた者たちも、人間の歴史を越えた神の権 威を揺 るがすことができない。恵みの歴史も、審きの歴史も、 神の歴史として一本 の筋が通っており、律法に従うも違反す るも神の言葉の下におかれていることを 疑わない。預言は神 の言葉そのもの、それを否定すればイスラエルの根底そのも のが崩壊する。この民はそういう生き方をしてきたのです。 これに対して、 「何の権威で」という問い方が出てくるのは、 権威とその下にあるべき国家 や神殿がそこから遊離している ことに気づき、欠けた権威のところに偽装した 権威を穴埋め している後ろめたさがあるからではないか。権威がないのに 権 威があるような顔をしなければならない人間の悲惨を感じ ます。だからこ そ彼らは、民衆に寄り添って自由に行動する イエスが許せない。ついにはイエス を十字架へ追い詰め、ロ ーマの権威を笠に着てイエスを死に追いやったのでしょ う。 権威と権力を分けて見てきましたが、この発想は近代合理 主義的なもので す。権威と権力をわけるべきところを、混同 すると全体主義のような政治的な病 理が始まるというわけで す。確かに日本の天皇制の問題も、権威と権力の混同、 権 力が天皇の権威を借りて動くときの問題ということができま す。では天 皇制を「日本国憲法」の中に上手に着地させれば いいのではないかという立場か ゙けっこう優勢になっています が、そこには依然として権力が権威を自分の思 い通りに引き 寄せ、利用する体質をのこしたままの構造になっていると思 えてなり ません。 始めの論争物語に戻ります。イエスは「何の権威で」と 問われて、反論 をします、「ヨハネのバプテスマは天から のものだったか、それとも、人か らのものだったか」と。 細かいことですが、ここの「~からのものだったか」 とい う表現は、実は原語の「権威」 exousia の言語上の成り立 .ちと同じ成り立 ちになっています。「権威」とは自身の外 にあるものから根拠をもらってある在り 方を表現してい ることになります。天であろうと、人(この場合はヨハ ネの大勢 の支持者たち)であろうと、洗礼者ヨハネの外のなにかが権威になっていて、と ゙ちらにしろそれを答え た神殿官僚は自分の場を失ってしまう。「権威」を失いか けそれをかき集めることに四苦八苦している官僚たちに は、諸権威がそこここに 出没して手が出ない。うっかり 答えればかろうじて手にしている神殿も自分 も破産しか ねない。で、賢明にもなにも答えなかったと見ます。 イエスは言いま す、「それなら、何の権威でこのような ことをするか、私も言うまい」と。それ はあたかも、<自 分の判断が、あるいは自分の力が、「~からのものだ」と 主 張することで、自分の大切なもの、大切な他者、大切な 人間関係を毀してしまい かねない。だから私は「~から のものだ」という言い方をしない>と、イエスは 言われ ているように思います。
2月19日 マタイによる福音書 25章1~13節 「どちらが理不尽なのか」 八木かおり マタイによる福音書24章から始まる「終末における神の国 到来への備え」を説くエヒ ゚ソードは、25章の終わりまでまだ続 きます。ところで、イエスの宣教活 動の第一声は「時は満ち、 神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」 (マルコ1 :15)、「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ4:17)として 2つの福 音書には報告されていますが、ルカとヨハネにはこ の台詞自体はありません。神 の国の到来の告知がイエス本 来の宣教活動の原動力だったと証言するマルコの ようには、 それが遅延していることによりマタイ以降の福音書記者はい かなくなっ たからではないかと推測されています。 イエス本人は、かなりの緊迫感を持って 神の国の到来を告 知するために動き、初期のキリスト者もまたそのように信じて いた。しかし、それにも関わらず、イエスの処刑(と復活と昇 天)から、何年経っ てもそれは起こらない。イエスの弟子た ち、生前の彼を知って信じた人たち、ま た多くの手紙を残し たパウロも、そして初期キリスト教会の信徒たちも年月と共 に、また弾圧によりいなくなっていく。そしてローマに対する ユダヤの反乱すら 起こるような事態となったのに、それは鎮 圧され大勢が殺された、それなのに神 の国はまだ来な い。。。 「神の国はすぐ来るんじゃなかったのか、嘘だっ たのか? でなければいつ来るんだ?」という切実な問いに、マタイ以 降の福音 書記者は答えるため、それぞれの書を執筆する必 要にかられたのではないかと 考えられています。その意味で は、マタイはそのターニングポイントに位置 しており、「神の国 が来る」ことにむしろ「備える」ことが大切なのだとい うことを、 独自のエピソードまで採用しつつ、彼にとっての現実の教会 を、 当時のユダヤ教ではなく「真のイスラエルを受け継ぐエク レシアの責務」と して力説しています(ちなみにマタイより少し 後のルカは、そちらに大きく舵を取っ ていますし、イエスの神 の国到来の宣言よりも、それに備える共同体としての教会 の 理想をローマ人に説明することの方に関心が移っていま す)。 各福音書におけ る位相の違いは、そんな感じです。そして マタイは、ともかく「神の国がい つくるかではなく、それに備え ることが我々の責務なのである」と主張しま す。そのために、 独自資料までつっこんできました、のが本日のテキストに なり ます。そして、その責務を果たすための「資格」として、「Aは 選ばれる、B は選ばれない」という典型的な二者択一型タイ プ分類と、それに対する評価を くだすためのエピソードとして 「十人のおとめのたとえ」を提示しています。 今日、このテキストに関して共有したいのは、マタイはそれ を選ばざるを得な い状況にあったということ、それはマタイの 直面していた状況そのものがローマ による取り締まりに加え て、当時のユダヤ教との確執という暴力に対峙するものて ゙あ ったということです。ただ、それはそれとして絶対化されるべ きでは ないということ、あと、モノゴトを把握するための類型化 という分析方法は、便 利ではあるけれど問題はあるよね、で す。 このたとえは、「愚かなおとめ」 と「賢いおとめ」の半分半分 の対比からなっています。彼女たちは、花婿を迎える 花嫁と なるはずでした。なのですが「花婿」の到着が遅れたため、彼 ら を迎えるはずのともし火を保つための油を準備していなか ったため「愚か」とさ れる5人は、婚宴の席につくことができな かったという話です。まずひとつ め、「愚か」「賢い」のは、な ぜ「おとめ」である女性の側なのか、なぜそ ちらの責任にされ るのか。普通に考えれば、本当は「遅れた花婿」の方が問題 とされるべきではないのかと思いますが、しかしマタイ的には そこを問題化 するわけにはいかないのです。遅れているのは 「花婿」にたとえたなかなかやっ て来ない「天の国(神の国)」 だからです。なので、話はねじ曲がってし まいます。さらに、 キリストの花嫁にたとえられた「教会」に集う信徒の備えを問 題とするマタイは、ユダヤ教的超男性至上主義をその思想 的背景としていますし、 これにより物語が背景とする性差別 は一切考慮されず温存されることになりま す。 起きていることを分析して理解しようとする時、わたしたち は往々にして類型 化という手段をとります。分かりやすいから です。占いから学術レベルまで、 その手法は時には有効で す。分かりやすくするためのものだからです。けれと ゙、わたし たちの直面する現実は、そんなに「分かりやすい」ものだけで はあ りません。時には「分からないまま」ずっと抱えて考え続 ける、わたしたちはそ うしてそれぞれの日常においてトライし 続けることもできるのではないで しょうか。それでも、何かにつ いてできなかった、かなわなかったと自分で 思ったり、まして あるいはそれで誰かに存在そのものを否定されることがあっ たとしたら、それはそれだけのことだとは、たぶんなかなか思 えないものて ゙す。でもそれは、わたしたちが生きてあること以 上でも以下でもなく、 自分にしてもまして他人から、簡単に何 らかの判断をされるようなことではない のではなかろうかとも 考えます。 ところで、子どもの頃、わたしはこのテキ ストが好きでした。 分かりやすいからだったのだろうと今は思います。て ゙も、同時 に辛かったです。自分はどう考えても「愚か」と言われるタイ プ だったからです。でも、長じて後に、追い出されても別にか まわなくね?と 気づきました。そんな局面は、いくらでもどこに でもありました。むしろ、 どっちが理不尽なの?問題はどこに あるの?と思う現在です。
2月12日特別集会 「おさな子によりそう」 東京復活教会 福島真さん マルコ10章13節〜16節 この物語は保育園の子どもたちがよく耳を傾け聞いてくれ ます。イエ スはどこにいても忙しく、休むひまもなかったことで しょうが、珍しく休息 を取っていたイエスに気づいた親たちが 幼い子どもをつれて近づき、祝福 の祈りをしていただこうとした のでした。イエスに近づくにつれ、子連れの 人達も増えてきた のでしょう。大きな子らは親の手を振り切り、周りの草花や虫 に も気を取られたり、思い想いにあゆみを進め、楽しみながらの 移動であった と想像を膨らませることができます。すると、弟子 たちに見とがめられ 「しっ!静かに! 近寄らないで。遠くで 遊びなさい。大声を出さない!」等と、 叱られたものと想像しま す。弟子たちからすれば、先生はやっと休息の時間が 取れた のだから、邪魔しないでほしいと思ったのでしょう。「5千人の 供食」 (マルコ6:30以下)の物語に見られるように女性や子ども は数に入れないのが、 当時の価値観、弟子たちは子どもがイ エスのそばによることを許さなかった のでしょう。「しかし、イエ スはこれを見て憤り、弟子たちに言われた、「子と ゙もたちを私 のところへ来させなさい。妨げてはならない。」と言ったというの です。ここで新共同訳聖書では「弟子たちに言われた」とだけ ですが、 写本によっては「叱りつけて言われた」となっているも のがあります。弟子たちか ゙ほかの人を叱りつけるのを見て、そ の弟子をイエスが叱りつけるというのが 他のところにも出てきま す(マルコ8・32-33)。「憤り、叱りつける」と並べたの は、この 弟子たちの行為があまりにもイエスの想いや願いとかけ離れ、 「心ない 行為」と映ったことによるのでしょう。15節では「子ども のように神の国を 受け入れる人でなければ、決してそこに入る ことはできない」と書かれてい ます。このことはマルコ福音書の 9章33節から始まる「一番偉い者」と題された物語 の結論と一 致しています。36節以降に、「一人の子どもの手を取って彼ら の真ん 中に立たせ、抱き上げて言われた。私の名のためにこ のような子どもの一人を 受け入れる者は、私を受け入れるので ある。私を受け入れる者は、私ではなく て、私をお遣わしにな った方を受け入れるのである。」ここでは、子どもを 受け入れる ことはイエスを受け入れることであり、神を受け入れることでも あ るといっているのです。イエスは、ご自身が、子どもを受け入 れ祝福した ように、あなた方も、何ら前提条件なしに、子どもを 丸ごと掛け替えのない大 切な存在として受け入れなさい。こう してイエスを受け入れることになり、またイ エスを遣わした神を 受け入れることになり、神の国に入ることになると、私たちに 語 り掛けているのです。 わたしは46年間保育の仕事に携わり、この間1500人を超 え る乳幼児にかかわりを持たせていただきました。幼い子どもた ちは、人生の 最初期に両親や祖父母、兄弟をはじめ周りの人 たちから愛され、かわいがられ、 大切にされた日々を通して、 はじめて自分以外の他者を意識し、愛される日々の 中で愛す る喜びを身に着けていくのです。 かしのき保育園の開園以来のモッ トーの一つは「どの子も 地域の中で共に育ちあうようにします」としてます。 ハンディの ある子ども、外国籍の子どもも当たり前に仲間として受け入 れ、 共に生きたいという願いがあります。一昨年度は一歳児の 医療的ケアー児を受け 入れました。双子で超低体重、ともに5 00gに満たないほどでした。一人は今 も目が見えず、全介護 で、食事は経管栄養です。当初、ご両親から誕生 の次第を話 されることもなく憔悴されているご様子で、ただ見守るだけて ゙し た。2020年度前半はコロナ禍の折、登園自粛されていました が、後半は登園 も増え、元気に過ごせるようになりました。3歳 になった今年度、体力的に集団て ゙の生活に無理があるとの保 護者の判断で、6月に退園を決断され、結果一人た ゙け保育園 での生活を続けております。また昨年から新たな医療ケアー 児も仲間 に加わり、賑やかな日々を楽しく過ごしております。 これからも保護者を励まし つつ、子どもに寄り添い、より良 い保育への取り組みを続けたいものと願ってお ります。 21世紀を生きる私たちですが、未経験のパンデミックの渦 中に あって、日本の社会の課題がより鮮明になってきました。 少子化の流れはとど まるところを知らず加速しています。ちな みに私が生まれた年の出生者数は268 万人を超えていました が、昨年の出生数は87万人です。それに反比例するよう に、 子どもたちを取り巻く状況は増々悪くなっています。昨年、子 どもの虐待 は十万件を超え、いじめの報告は2019年度61万2 496件で過去最多とのこと。ま た子どもの貧困は7人に一人と いわれ、コロナ禍でその数は間違いなく増えてい ます。コロナ に感染した方やその家族に、この間の医療従事者の方々の 多大な働き に大変感謝ですが、あろうことか、この方々やご家 族に対しても中傷やいわ れない差別があると聞き、心を痛め ます。このような時こそ互いをいたわりあい、 励まし合うことが 強く求められているのです。緊急事態宣言の長期化により、 不 要不急の外出控え、リモートワークの推奨、社会的ディスタン スのルール化等々 ストレスが重なりますが、これらが子どもた ちの生きる環境を悪い方向へ と加速させることがないようにし たいものです。 子どもたちは私たちみんな の希望であり、宝であり、未来で もあります。マルコのイエス・キリストか ゙なされたように、幼い子 どもに寄り添う協力や支援に取り組むような生き方を したいも のです。日々の生活の中で身近なところから実践していきた いものて ゙す。。それが社会を豊かにし、世界を平和へと導くこ とに繋がることであ ると信じつつ。
2月5日 ルカ福音書10章31-32節 「通りすぎる祭司」 久保田文貞 今回は「善きサマリア人」の譬えの、主役を引き立てるため の、ど ちらかと言えば悪役的存在たる祭司とレビ人に焦点を 当てて考えてみたい。レヒ ゙人とはここで祭司の補佐役ぐらい にしておいて「通りすぎる」ことにする。 まずは、祭司とは神殿で祭儀を司る者としておこう。この祭 司という存在は、 気の毒なくらい最初から最後まで評判が悪 い印象だ。神の言を聞きとり、そ れを民に語りつぐ預言者と 比べても、祭司はいつも損な役回りだ。祭司の象 徴的存在と なったアロンは、モーセがシナイ山に登っている間、金の子 牛を鋳造 して民を慰め、預言者としての役回りになるモーセ から糾弾された(出エジプト 32章)。また祭司が主催する祭儀 の虚偽を預言者アモスは民の前で暴きたてる (アモス5章)。 旧約聖書の勉強を始めると、どうしても預言者的存在から 神の言 の真実が語られている感じ、それに対して祭司的存 在は、制度によりかかった 権威主義、形式主義の象徴的存 在のように見なされる。近代聖書学が最初に手を 付けたの は、旧約聖書を構成している資料をいろいろな観点から分析 し、古い伝承 群を洗い出すことだった。そこでまず神名ヤハ ウェを用いたJ資料(例えば 創世記2章4節以下)、神名エロヒ ームを用いたE資料(創世記15章以下から出てくるか ゙ばらけ ていて捉えずらい)、そして祭司的性格を持ったP資料(創世 記1章)と 整理されて行った。だが、もうその時点で、P資料が 形式的で人間味のな い祭儀法ばかりこだわっていることにい やでも気づく。カトリック教会の 権威主義を批判し、神の言に のみ根拠を置き、信仰のみに身を置いた宗教改革の流 れの 中にあると教えられた者として、祭司よりは預言者の方に真 実があるとした くなる。また、近代ヨーロッパに始まった「民主 的」な「近代市民国家」の人間 にとっては、国家や法や制度 とは、人が自由に生きるための補助手段にすぎな いと思い込 んでいるから、「祭司」に象徴されるようなものを古典的制度、 形式 としてついつい冷たい目で見てしまうのである。 さらにキリスト者にとっては、 なんといってもイエス自身の、 神殿、祭司、祭儀的習への、見紛いようのない批判、 というよ りは否認(マルコ13:1-2、マルコ7:1-13)をつぶさに福音書で 見ている のでなおさらである。マルコ2:23以下は、弟子たち が安息日に麦の穂を摘んて ゙いたのを指して、律法違反にな らないかというパリサイ人の批判に対して、イ エスは「安息日 は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのでは な い」と語られたとある。マタイはここに12:6「神殿よりも偉大 なものがここにあ る」と注釈をつけた。 実は、古代中近東のさらに古い時代を見ると、基本的に、 祭 司と王権は、祭司王として一体となっている場合が多い。 その傾向は、ダビテ ゙が王権に付いたとき、祭司王のようにふ るまった形跡(サムエル下6:13-16、詩 編110)があり、イスラエ ル史にも無関係ではない。近代人の私たちから見ると、 古代 では祭祀と政治が一体だったが、時代と共にそれが分化し たのは当 然だということになり、前述した預言者とは、宗教と 政治を分離させた先駆者の ようにみなされる。 が、ことはそう単純ではない。私たちキリスト教徒は当然 の ように日曜ごとに礼拝をする。日曜を主の復活の日と覚えて のことだ。日曜 とは、7日を1週として区切り七日目を安息日 とし、次の1週の始めの日であり、ユ ダヤ教の暦に基づいて いる。この安息日を生活の中心に据えたのが、バヒ ゙ロニア捕 囚時代、神殿という拠り所を失った祭司たちが、神殿祭儀を 再解釈し 総括していく(レビ記)。荘厳な趣があるが、極めて 淡白な創世記1章の天地創 造の記述は彼らの意趣をよく伝 えている。その後、ペルシャが起こって帰還を 許され、神殿 再建に取り組んだ中心にいたのが祭司たち。彼らが五書(創 世 記から申命記まで)を編纂した。旧約聖書という書物があ るのは、これら祭司た ちのおかげなのだ。だが、律法というも のを一般庶民に追いかぶせ、ユタ ゙ヤ人の在り様を生活の隅 々まで規定していったのも、紀元前4~2世紀のエズラ、 ネヘ ミヤ以後の祭司たちなのだ。この祭司的伝統を市民の側から 引き継いだも のがパリサイ主義ということができる。 キリスト教は、イエスの神殿への、 またパリサイ派への批判 を引き継いで、イエスを主と告白し、新し出発をした と思って きたが、実は一方で祭司的伝統をけっこう引き継いでいる。 日曜礼 拝もその一つ、また旧約聖書を正典として読むのも祭 司的伝統なしにはあり得なかっ た。賛美をし、「主の祈り」を 祈る。形の上ではあるが、「祭司」的な伝統の 中にいることを 認めざるを得ない。 「善きサマリア人の譬え」の中で、強盗に 襲われた人を横 目で見て、通りすぎてゆく祭司とレビ人を嗤うことはでき ない。 パリサイ派ユダヤ人とその後のユダヤ教の大半は、紀元前の 神殿祭司 が残した文書に基づいてさらに新たな解釈を付け 加え律法の中に埋もれていく ように見てしまうが、はたしてキ リスト教はそんなユダヤ教を嗤えるだろう か。キリスト教はユダ ヤ教とは別の道を行ったが、ユダヤ教以上にこの世界 に対し て祭司的役割をしていないか。祭司のように神に犠牲を捧 げ、世界のため に執り成しの祈りをしているつもりになって、 祭司のように「通りすぎ」ていな いだろうか。襲われて傷つい た者に手を差し伸べずに、早々と神殿に戻って、 ただ彼のた めに祈るだけになっていないか。
1月29日 「エッファタ(開け)」 マルコ7章31−37節 飯田義也 群馬県で、女子高校生の聖書か授業を行なっていた 頃、クラスの生徒にこんな質 問をしました。みなさんに とって「みんな」って誰ですか?不思議とどこのクラ スで も答えは同じ「えー?みんなはみんなじゃん」「それって わたし(飯田の こと)は入ってます?」「入ってな〜い」 ・・よく確かめてみると、女子高校生の 「みんな」はせい ぜい「クラスの友達」というくらいの意味だとわかってき ま す。「飯田先生も入れてあげる〜」というのはわたしが 好きだという表明な ので嬉しくはありますが・・。 関東教区の委員会で、「コーヒーをみんなて ゙飲もうと いう時に他の部屋の人に分けないのは、なんでもないこ とだけど、 同じ部屋にいる人の中で、あなたにはあげる、 あなたにはあげない。。と やったら、それは差別です」と いう発言があり、ずっと印象に残っています。 この発言は、教会が大切にしている「聖餐」に関する言 葉「聖餐論」とも絡んて ゙くるのですが、今日はこの辺りは 掘り下げないことにして「みんな」とい う課題に戻りまし ょう。 結論からいうと・・ 人間の狭い「みんな」から、神様の みんな、本当のみん なに近づいて行くことが、本当は人間には必要なので す。 学問として「ノーマライゼーション」「ソーシャル・ インクルージョン」とい う言葉で言われるとなんおこと だかさっぱりわからなくなるのですが・・。 神様の愛に気づくということ・・ 神様がわたしを愛してくださっているとい うことにも 気付きたいのですが、神様が「あの人」を(も)愛してく ださっ ているというところにも着目したいのです。 それまで「こんな人には神の愛なと ゙あるものか・・」と 意識せずに考えていたことが、そうではないと気づ くわ けで、それが体感として納得できた時、神様の愛の深さ も体感として伝 わります。人間が、自分の知識とか交流 の範囲で狭い「みんな」でいいんた ゙と考えていたことが、 そうじゃない、神様のみんなってもっと広かったんた ゙と 気づく・・神様の愛を実感する瞬間です。 いま、福祉関係者とか福祉に関 係する学者は「 ICF の 時代」だなんて云います。 ICF って「国際生活機能分類」 のことです。国連は1981年、国際障害者年として、障がい をもった人々が差 別されない世界、障がいをもっていて もそうでなくても人権が守られる世界 に近づくためのキ ャンペーンの一年を設定しました。その一年前の1980年 に世 界保健機構が「国際障害分類」を発表したのです。障 がいをもった人々といっ ても、支援の仕方は一通りでは ないわけで、分類が必要だろうという趣旨て ゙した。しか しこれは、一部の意識の進んだ人たちからは当初から評 判が悪かっ たのでした。 「健常者」を標準として、歩くことができないとか・・ 立ち上 がれない・・なんて考えなくてもいいじゃないと いうのが、神様の御心から 考えた人の見方です。歩ける 人がいるとして、歩けないという障がいをもっ た人と考 える必要は全然ない。世界保健機構で、20年かけて議論 して「国際障害 分類」は「国際生活機能分類」と表題が変わ りました。 つまり、全ての人が生 活機能を持っている。ベッドか ら出て出かけたいという生活機能があり、車 椅子で移動 できるという生活機能があり、足を使って歩けるという 生活機能 があるわけで、それに格差をつける必要はない ということが、ようやくわかっ たのでした。 国連・・っていうと大きな組織で何をやっているんだ ろう、な んて考えてしまいがちですが、第二次世界大戦 で深く心に留めた(はずた ゙った)「これからは平和な世 界を目指そう、人間が人間として大切にされる世界 を目 指そう」という考えを具現化した組織です。以下、少し引 用しておきましょ う。 国連憲章(前文) (別紙) 長すぎましたが、たまには目に止まってもいいて ゙すよ ね。 人間を「健常者」からの引き算で考えるのをやめると、 全ての人の 生活機能は生きている証となります。もうそ こから20年以上経ちました。私たちの 地域で、当たり前 として浸透していること、まだ努力の必要なこと、色々 ある と思います。ひとつひとつ「開いて」行きたい子思い ます。 今日の聖書の箇所・・ イエス様の人との関わり方、人 間を人間として考え行動するという基本姿勢が、す ゙っと 流れています。もちろん人権という言葉もない時代で す。ここから1800年 くらい経って、人権思想が一般化し 始めるわけで。 人間を肯定的に捉えるこ と・・日常に、 ICF の発想、 どれだけ活かせるか、始めてみませんか。
《説教ノート》 1月22日 「読みがたり」の置土産 石﨑恵子 現役の頃の話。ある時、2年生のクラスの補教に私は絵本 を一冊持って出かけました。 『せんたくかあちゃん』(さとうわき こ・作 福音館)を読みました。それからしば らくたって、2年 生は生活科の授業で郵便屋さんの仕事の単元学習で、自 分た ちで書いたお手紙を学校中の教室に配達するという体 験学習があって、私のと ころにも手紙が届きました。男の子 からで、こんなことが書いてありました。 「いしざき先生がよん でくれた絵本『せんたくかあちゃん』がだいすきて ゙す。ぼくは、 いしざき先生がだいすきです。こんど5年生になったら、 いし ざき先生のうけもちになりたいです。」・・・・一冊の絵本を読ん で共 に楽しんだだけなのに、「大好き!」って言ってもらえる なんてこんな幸せなこ とはないでしょう。 また、卒業した子どもたちの成人式の日、元6年担任が招 待された町会のお祝い会で、名前も覚えていなかった隣の 組の男の子と杯を交わ した時、「先生、また本読んで下さい よ!」と挨拶されたこともありました。読ん でもらった本の中身 は忘れても、読んでもらったという思い出は残っているのた ゙な あ、と感動したものです。 私のクラスの子ども達には、毎朝読みがたる のが常でした。 6年生でも、絵本を喜んで聞いてくれていました。長編を何 日もかけて読むことも勿論ありました。 6年の途中から転入した女の子がいまし た。とても繊細な性 格で、馴染めるかどうか親も子も心配していました。その 彼女 が日記に、「はじめて教室に入った日、先生はみんなを前に 集めて本を読 んでいました。はじめはビックリしましたが、そ のおかげでドキト ゙キしていた私は安心をもらいました。」と記し ています。成人して岐阜の方にお 嫁に行き二児の母となった 愛子さんからの近況には、「4年生になった長女に『森は 生き ている』を買ってあげました。やっぱり自分の好きな本は子ど もにも読 んでもらいたくなるものですね。」とありました。夜少 しずつ読んであけ ゙たいとも。 私の所属する「この本だいすきの会」という会は、“いつで も と ゙こでも だれでもよみがたり”を合言葉にして、書き手、 創り手、読み手か ゙交流を持ちながら、絵本や物語を通した豊 かな文化を子ども達に手渡そうと 学び合ってきた会です。各 地の読みがたりグループがつながり合っ て、情報を共有しあ う全国組織の会です。 1、2年から持ち上がって3年生を担 任していた頃のこと。工 藤直子さんの『のはらうた』(いけずみひろこ・絵 童話 社)の 中の「しをかくひ」(資料参照)を授業で扱いました。詩集の 中の他の詩も たくさん読みながら、学級では「のはらうた」の 詩が大流行。みんな詩を暗 誦して楽しんでいました。 ある日の朝の出勤時、遅刻すれすれで最寄りの南千 住 駅の改札を出たところで、奈緒ちゃんのおばあちゃんにばっ たり出会いま した。授業参観に来てくれたこともあるおばあち ゃんです。おばあちゃんは、 とてもうれしそうに「先生、ちょっ と!ちょっと!」と私の腕をつかむと、通路の脇 に。友達とこ れから旅行に出かけるのだと持っていた大きな旅行鞄のチャ ックを チャッと開けて中のポッケをまさぐり、取り出したのがな んと手のひらサイス ゙の詩集『絵本・のはらうた』(前出)でし た!「先生、この絵本いいですねぇ。 奈緒に教わって、家族 中で楽しんでいますよ。旅行先でも、友だちに紹介 したくて、 持って行くんです。」というのです。もう感激でした。教室で 楽 しんだ文化が子どもを通して家庭に運ばれ、さらに大人の中 で話題と なって広がってゆく・・・。こんな嬉しいことはありませ んでした。 ほかにも、 絵本『とりかえっこ』(さとうわきこ・作 ポプラ社)、 『コッケモーモー!』(シ ゙ュリエット ダラス=コンテ作 徳間書 店)、『オリバーくん』(ロバート・ク ラウス作 ホルプ出 版)等に関わって。・・・・ 子ども達はいろんな世界に遊ん で、自分に必要なものは きっちり自分のものにしてしまう。必要ないものは楽し むだけ 楽しんでさらりと通過してしまう。 また、とりかえっこを楽しむ反面、 オレはオレだぞという自 己肯定観をさりげなく誇張する絵本も魅力です。 赤ちゃん絵 本の段階から、人として大事なことをちゃんと織り込みながら さりけ ゙なく楽しいのが豊かな絵本といえましょう。北山葉子さ んの絵本『だから こ ぶたちゃん』(偕成社) 『ゆうたくんちの いばりいぬ』シリーズ(あかね書房) もその一つ。まどみちお の詩「こぶたのぶぶが ラッパをふく」「ぞ うさん」他も。 絵本は、心を和ませてくれるばかりか、年齢や経験によっ て深い 読みこみや、発展があります。 楽しみ方もまちまちです。喜怒哀楽を共にし、 文化的、創造 的な活動も生まれます。有志が放課後の自主活動として創 作クラフ ゙を作り、互いに刺激し合って、ついに創作文集第1 号を生みだすに至った6年生 の例もあります。 絵本を読み語るという事は、作品を伝えるだけでなく、声 や、 仕草と共に読み手の思いが一緒に伝わるという事。感動 や楽しみが友達と共有 出来て、一人で読むより楽しく、絆も 広がる。読み語りはたくさんの置土産を 残してくれる。つまる ところ、読み語りは「愛」なのです。
1月15日 ルカ伝福音書10章38-42節 「選び取ること」 久保田文貞 マルタとマリヤの姉妹の、この短い物語は、けっこう普遍的 な人間の問題が絡んでくる。〈あ なたにとってなくてならぬも のは一つ。それをあなた自身で選ぶべきであ る〉、当然のこと だが、この言葉が意味を持ってくるのはそうさせない強固 な 現実があるからだ。家族をはじめ、自然共同体、あるいはい っしょに成長 してきた仲間がそれを阻む。ある意味仕方がな いかもしれない。彼らに悪気か ゙あるわけではない。あなたのこ とを心配しているのだと。それらを払いのけ て、あなたは「なく てならぬ一つ」を選択し決断するのだと。 ずいぶん、大 げさと言うか、なにかむりやり思想的な大問 題のように展開させたけれども、 もとの話は日常どこにでもあ る姉妹の会話からきている。マルタとマリアはイ エスを客人と して家に招き、接待した中でのことだ。姉マルタは「接待の多 く の仕事で忙しくしていた」のに、妹のマリヤは「イエスの足も と近くに座して、 その言葉を聞いてい」るだけ、「あなたも手伝 ってよ」と小声で妹にささやけは ゙よかったものを、イエスに向 かって、「主よ、私の妹が私だけを接待の仕事て ゙働かせてい るのに、気になさらないのですか。私を手伝うようにとおっし ゃっ てください」と言ったというのである。 なるほど、ここに生まれている人間 関係は、普段の姉妹関 係とは違っている。姉も妹も尊敬している「主」イエスが 入って いて、一つの三角関係が成立している。姉は主の権威を借り て、妹をたし なめてもらおうというのだ。つまり、家族関係の中 に家族以外の、それも上位に 立つ第三者を入れて家族問題 を裁定してもらおうというわけだ。(と、わたしが またまたこの三 人の間に割って入り余計な分析を始めている。この4人の中 で一 番余計なのがこの私かもしれない。) 実は、私の家の居間(普段食事をし、テレヒ ゙もあって、新聞 を読んだり、買い物の相談をしたり、とっくに成人している子 どもたちの勝手な心配をしたりしている老夫婦の居間である けど)の上の方に 木版――確か私が親からもらったものでず っとしまってあったのだが、20 年ほど前、家を改築した時、柄 にもなくそこに掛けている――に、次のような文句か ゙彫られて いる。Christ is the Head of this House, the Unseen Gue st at every Meal, the Silent Listener to everyConversati on 「キリストはこの家の頭、 すべての食事の見えない客、す べての会話の沈黙の聞き手」と。アメリカのク リスチャンホーム の定番となってきた言葉で、いまでもアメリカの保守層の家 族が大事にしているらしい。私からぬ標語だが、妙に気にな ってちらっと上 目遣いに時々見ている。今回、この物語を改 めて読むにあたって、このプレート のことが頭に浮かんだ。こ の文句は、まさにマルタとマリヤの姉妹に向けたも のかと思っ た。おそらくアメリカのこじんまりとした昔ながらの共同体の中 に ある教会で、この聖書箇所とこの言葉がなんどもいっしょに されて使われた ことだろうと勝手に想像している。 だが、私の取り上げ方も含めて、すこ ゙く古典的で、聖書時 代から一歩も前進していない。マルタとマリヤの時代のま ま だ。ちょっとした家族間の話題、あるいは問題にも、いつもキ リストはいらっ しゃるのだよという切り口である。ところがこの小 さな物語の最後の主イエ スの言葉は、「マルタ、マルタ、あな たは多くのことに気をつかい、混乱している。 必要なことは一 つだけだ。マリアは善い方を選んだ。それを彼女から取り上 げてはいけない」となる。これでは、マルタが当然だと思って きた姉妹の 絆を断ち切ることにならないか。この姉妹に客とな ってやってきたイエスが、妹 のマリアがそこからでていく出口 を指し示すことにならないか。マリアが自 立するためには、ま ず姉からくる家族の呪縛を断ち切って前に向かうよりないと いうことになる。 そこで次に、ではマリアは家族から離れてどこに向かうか、 という大問題が立ちはだかる。聖書的には当然、マリアは主 イエスに従ってい く、あるいは教会へと、という理解の仕方が 当然のように待っていることになろ う。家族から自立して、次 にさらに高度で崇高なる別の共同体へ入っていけとい うのだ ろうか。それでは、安倍首相を暗殺することになった山上容 疑者の家族 を切り裂いた統一教会の問題と同質のことになら ないか。 この物語はルカが福音 書に差し入れた始めから、教会的 な寓話、教訓として設定された可能性がある。 この姉妹とそ の兄弟ラザロの名は、ヨハネ福音書では、イエスが受難へと 突 き進む重要なポイントに置かれている(ヨハネ10,11章)。この 姉妹は一時期、初代 教会の女性の象徴のようになっていた のではないか。教会の中の働き者の女性マ ルタも、思慮深 いマリアもどちらも教会には大切な女性なのですと。 けれど も、「必要なことは一つだけだ」とマリアに差し向けら れたイエスの言葉をもっ て、〈あなたにただ一つ必要なことは 教会の交わりに入ることだ〉とするわけ にはいかない。むし ろ、〈あなたはあらゆる呪縛を断ち切って、自分に必要なもの を見つけ、選び取り、自立していいのだよ〉と言うのではない だろうか。 もちろん、自立して自由に仲間をみつけて、自分 のやりたいことをいっしょにやり たいというなら大いに結構、そ れが教会ならそれで結構とイエスは言われてい るように思え てならない。少なくとも、女性を縛るようなマルタ・マリア観を 捨て るべきだろう。
1月8日 第二コリント1章3-7節 「呼びかける」 板垣弘毅 思いを言葉にするのは難しいものです。難しいけれど言 葉にして辛 い体験を聞き合うことも,人が自分を取り戻してい く上でかけがえのないこ ともあります。東京の下町の教会に いたころ、アルコール依存の自助グループ の方々が教会に 出入りしていました。語り合う、聞き合うという場や言葉だけて ゙ はなく、思いを共有できる場、言い換えれば体で通じ合うも のが、人 にはありがたいし、大切ではないかと思います。 人には、自己の内面(自我)か らではなく外からしか自分を 保てないときがあると思います。 第二コリント書 の最初の数節、繰り返し読んでいるうちに、 この言葉に託したいパウロの思い に共感してしまいました。 03わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈 愛に 満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますよ うに。 「ほ めたたえられますように」は,原文では最初に来る「ほむ べきかな」という前 提や条件のない神への讃美です。 その神について「わたしたちの主イエス・キリ ストの父であ る神」 とパウロはいいます。イエスが教えた「主の祈り」は、 「我ら の父よ」ここから始まります。ここにパウロをはじめ最初期のキ リスト 信徒の痛切な信仰の告白がこめられています。「お父さ ん」と呼びかけたイエ スの「できごと」に基づいています。その 「できごと」によって自分た ちは生まれた、イエスに倣って自 分たち信徒も父なる神の「神の子」として生きて いる、という告 白です。 最初の「ほめたたえられよ」は,私流に言ってみれば、 神 は自由な方だ、ということです。神の自由は人間にとっては 白紙、空洞で あって、人間が決して自分のものとはできな領 域です。人間が神を捉える ことはできない、全くの外から、救 いはくる,という告白です。そのような神か ゙、続いて、「慈愛に 満ちた父、慰めを豊かにくださる神」と言われているのて ゙す。 どうして人間にそう言えるかといえば、イエスの出来事から そう告白し ているのです。 もう少し具体的に言えば...(中略) ただこの「慰め」という 言葉、今日のところでは11回も繰り 返されますが、ギリシャ語ではパラ カレオー、「呼びかける」か ら来ています。この言葉は新約聖書ではとても多 義的で、こ こでは全部「慰める」と訳されていますが、田川訳ではここは 全部「呼びかけ」と訳します。「慰めを豊かにくださる神」 は 「呼びかけて くださる神」になります。私の小さな体験からも、 この方がいいな、と思いま す。「慰め」を「呼びかけ」と訳すと4 節は「わたしたちも神からいただくこの 呼びかけによってあら ゆる苦難の中にある人々を呼びかけることができる」 という ふうになります。... 「わたし」がキリストによって呼びかけられてい ることは、人の 自覚を越えたことですから、「わたし」以外のすべての人が 呼 びかけられている、キリストのまなざしが届いているということ です。 パウロはこう言います。 05キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及 んで いるのと同じように、キリストによってわたしたちの受ける呼 びかけ (慰め)も満ちあふれているからです。 パウロにとってはキリストの無力な十字 架は、自分が自分 が、という執着が断ち切られているできごとでした。 自我が消 滅したところが、すべての人の新しい出発の起点でした。人 間の 気づく、気づかないにかかわらずすべての「我ら」に開 かれた出発点で す。この「呼びかけ」をわたしは「まなざし」と いってきたと思います。 十字 架から出発するのは,敬虔なユダヤ人でもなく、同様 に熱心なキリスト者で もなく、宗教を論じる批評家でも無神論 者でもなく、十字架で砕かれてそ こから歩み出そうとする人た ちすべてだ、といわれています。これが「教会」 の基礎にある ものです。...... ルカ福音書18章にあるイエスのたとえです。 神殿にふたりの人がお参りに来ます。パリサイ派の人と徴 税人です。パリ サイ派の人は、自分があのような者でないと いう、自我を感謝する祈りです。 この祈りは、悲しみ、苦しむ 人ヘの同情と同時に多くの人の心によぎる思いで もあると思 います。徴税人の方は、目を天に上げようともせず、徴税人 の祈り は、罪人の私を憐れんでください、でした。イエスは言 います。義とされて 家に帰ったのは徴税人の方だ、と。イエス のまなざしは、無力な人に向けられ ています。パウロは言っ ています。 「キリストの苦しみが満ちあふれてわたし たちにも及んでい るのと同じように、キリストによってわたしたちの受ける呼ひ ゙ かけ(慰め)も満ちあふれているからです。」 なにか心情的、神秘的な思い入れ をしなくても思い当たる ことではないかと思います。 苦しみや悲しみの傍らに、 言葉もなくただいっしょにいてく れる人ほどありがたい人はいません。自分 らしさが崩壊しか けているのに、無条件で苦しみや悲しみを受け止めてくれる 人はありがたいです。パウロもイエスのできごとからそれを受 け取った 人だったと思います。......以下略 (全文は板垣ま で)
1月1日 マタイ福音書2章13~15節 「今も避難民が行く新年」 久保田文貞 毎年、クリスマス物語を読みつつ新年を迎える。イエスの 誕生を冬至の頃に合わせ たのは数百年後のはなしだとわか っていても、私たちの感覚にはクリスマスは年 末としか考えら れない。南半球の人々には申し訳ないが、陽のみじかい寒 い夜 こそクリスマスにぴったりだと思い込んでいる。 マタイの誕生物語によれは ゙、誕生の日から数日後に、ヨセ フにお告げがあって父とその母子はエジフ ゚トに避難する。ヘ ロデ一世は新しい王の誕生のうわさを聞いて不安になり、そ の地の2歳以下の男の子を皆殺しにするよう命じたという。自 分の権力基盤が少 しでも揺らぐようなことがあると、権力者た ちは疑心暗鬼となり何をしで かすかわからない、というのは昔 も今も変わらない。だが、歴史的にヘロデか ゙こんなことをした 証拠はない。誕生物語作者によるでっち上げというよりな い。 ただ、ヘロデのような成り上がりの権力者ならやりかねないこ とだと、 庶民感覚からはそう見えてしまう。いやそれ以上に、 ヘロデに対するユダヤ主 義的な侮蔑意識が一種の冤罪物 語を創ってしまったことを押さえておくべきた ゙ろう。誕生物語 が異邦人への福音をもたらす神の子の誕生としていながら、 一方でこうしてユダヤ主義的な傾向をしのばせてしまう。クリ スマスを祝う 私たちキリスト者の深層に無縁なことではない。 庶民感覚なんてものを持ち出す 以上、庶民なりにしっかり事 実を見て、主義に足をすくわれないように自戒してお きたい。 としても、この誕生物語に滑り込んでいる為政者による嬰 児虐殺譚とそ こからの避難の物語は、どうしても私たちの想 像力を掻き立ててしまう。毎日の ように派手に報道されるロシ アによるウクライナ侵略の報道、都市破壊、住民殺戮、 避 難、国外への逃避・・・。そんな報道を見ていながら、なんとも 情けないこと だが、いつのまにか日本は、そして自分の周り の生活はなんて平和だろうと、 感謝する善人な市民の顔をし ている。こうして、岸田政権がこの国の平和を何と しても守る と言い、そして莫大な防衛費を吹っかけてきても〈仕方ない か〉ぐら いで通してしまう・・・。 そのような中での新年でいいのか、と思う。まし て、今年は 1月1日の日曜礼拝から始まる。事態は確実に悪化の道を辿 っていると言 わざるを得ない。誕生物語のエジプトへの避難 を、いまここで、どう受 け止めたらよいのか。 この年の始め に、自分の生活圏を離れて国境を越え避難して いる人々が いる。テレビの映像で、このお正月にもそれを居間で見ること になるだろう。報道される難民は、ある意味幸運だ。その背 後に報道されず、 廃墟となった瓦礫の中で亡くなった人々、 そこを離れるわけにいかない老人たち、 母子などがまちがい なく数倍もいるだろう。避難した土地で生活が成 り立たない 人々がごまんといるだろう。戦争が当然のように引き起こす惨 状だ。 難民という語がのしかかってくる。現代では、国連主導で 難民条約 というのが結ばれていて、次のように定義されてい る、 「人種、宗教、国籍若 しくは特定の社会的集団の構成 員であること又は政治的意見を理由に、迫害を受 けるおそれ があるという十分に理由のある恐怖を有すること」そしてその 人が 外国にあること、そこで本国の保護を受けられないこと と。ご存じの通り日 本はこの定義を狭く解釈して、日本の難 民認定率は0.7%(2021、法務省)。ちなみに カナダ、イギリ スは60%台。としても事の性格上、実態はつかみにくい。そも そも難民とは、抗いようのない力によって、自分の住まい、生 活の場を離れていっ た人たち。英語で難民をrefugee、避難 民をdisplaced menと使いわけるが、法 的扱は別として、難民 も避難民も、権力の暴走によって居場所を失くして移らざ る を得なかった人々とすべきだろう。そう考えると、場を失って 保護外に置か れている人は国境を越えた難民だけではな い。国境を超えられず居場所を失っ たまま留まっている人々 も、避難民そのものdisplaced menである。こうして避難 民は、 別の形でまちがいなく私たちのすぐそばにもいる。 マタイの誕生物 語が曲りなりに示しているのは、イエスが両 親に連れられて避難する事態は、 この(聖)家族もそれらの 避難民のひとつの家族であり、赤子イエスはその一人た ゙とい うことだ。この家族はやがて、ヘロデ一世が亡くなってイエス ラエ ルの地に帰ろうとするが、ユダヤを避けて22節「ガリラヤ 地方に引きこもり、 ナザレという町に行って住んだ」とする。 「引きこもり」は感じが出てい るが、原文は「ガリラヤ地方へと 去った」とあるだけだ。この「去る」と いう動詞は、12節博士た ちが「帰って行った」と同じ語。(因みにルカの誕生物 語で は、ナザレはマリヤの故郷である。ルカ1:26)マタイ福音書とし ては、カ ゙リラヤのナザレ村は、この家族の避難場所、あくまで この家族はそこでの 避難民だったとなる。つまり、イエスの家 族自体が、居場所を場所を失って移 り住んだdisplaced men だったと。するとこうなる。イエスは誕生の時からずっ と居場所 を失くした人々とともにあって、やがて彼らの困難にともに立 ち向かい、 彼らに福音を語ったとのだと。そして、きみたちの その新年もその続きにあると 言う。
12月25日 マタイ福音書2章1~12節 「み子が誕生した、集まれ」 久保田文貞 先日テレビでアルプスの麓の村の聖ニコラウスの祭りのド キュメントを見 た。秋田のなまはげのような魔物たちを引き連 れて聖ニコラウスが家々を訪問 すると、家族全員が迎え入れ る。子どもたちはニコラウスの後ろに控える魔物 におびえ良 い子になると約束、聖ニコラウスからプレゼントをもらう。最後 にお父さんが魔物に連れていかれ、女の子が泣き出す...。 村の共同体が結束 してこの伝統を守り、子どもたちがそうや って毎年12月にこの共同体の中にしっ かり組み入れられて いくのが手に取るようにわかる。 クリスマス物語は原始教会 の第三世代辺りから、御子の誕 生を祝う祭として成立していったのではないか。 想像力を働 かせすぎかもしれないが。初代また次世代のクリスチャンはイ エス の十字架と死と復活の伝承を受け、それを他者に伝える ので精いっぱいだっ たろう。三世以後、両親ともに信仰者で あるものが増え、子が生れる。その 子らに伝えていくには、子 どもたちが受け入れやすい話から入ろうとするのか ゙自然だ。 子らと親しく交わるイエス、さらには赤ん坊のイエス、母マリヤ のお 腹から産まれたイエスと。子どもたちと一緒にイエスの誕 生を祝うのがなによ り近道だったろう。クリスマス物語はそうや って、マタイ福音書やルカ福音書か ゙できた80年代ごろに定着 していったにちがいないと思っている。 だが、 こうして年寄りから子どもたちを含めた信仰共同体 の、毎年やってくるクリスマ スにも、祭りというものがもつ負の 面が付きまとう。すべての祭りは基本的 にそこに参加する者 たちの内部固めをともなう。結果、だれかを外にはじき出 す 機能を持ってしまう。と、こんなことを言うと、〈そんなことに気 を回さないて ゙、みんなと一緒に楽しみなさい。祭りが終わった あと普段の生活をしっかりや ればいいのよ〉って言われそう だ。ルカ福音書のクリスマスだけを見ている と、そんな気にな る。 しかし、マタイのイエス誕生の物語は、明らかにそれと違 う。・・・神の子の誕生という情報を異邦の博士から聞いたヘ ロデ王は不安にか られる。王の殺気を感じた博士らはベツレ ヘムで御子を拝んだ後、王に報 告せず早々に退散する。夢 のお告げを聞いたヨセフは妻子を連れてエジプ トに避難す る。王は国中の2歳以下の男の子を一人残さず殺させた(ヘ ロデの名 誉などどうでもよいが、こんな史実はない)とする。ク リスマスの祭り気分 など吹っ飛んでしまうような結末だ。 この誕生物語は次の点でルカと共通 する。母マリヤが聖霊 によって身ごもったこと、イエスがベツレヘムで 生まれたこと、 イエスの父はヨセフであること。そのほかの要素――ヨセフの 夢、 博士の登場、それに伴う王の反応と、諮問された祭司 長、律法学者の答申、そして 嬰児虐殺、避難――がマタイ特 有のものになる。それらのどこまでが伝承か、 なにがマタイの 手になるものか、諸説あるが正確には分からない。 ただ、マ タイにすれば、神の子イエスの誕生をメリー・クリス マスと叫んで爆竹を破裂 させ葡萄酒を片手に祝う気分にはと てもなれないと言いたいわけだ。生真面目な マタイとそのグ ループは、誕生物語のひとうひとつに旧約の言葉(預言)を 当て ていく。イエス誕生の一連の出来事が旧約の預言の通り だったというわけだ。 それだけではない、イスラエルの歴史の 一部、エジプトの王パロによる 嬰児虐殺から逃れて一命を拾 うモーセ物語(出エジプト1:15以下)、さらには王ハ ゚ロによる 差別と圧政から逃れていく出エジプトの記憶も重ねて、この 物語を 再構成したと言えるだろう。 としても、マタイの誕生劇もその中心はなんと言っ ても、生 まれた幼子イエスその人自身である。「家に入ってみると、幼 子は母マ リアと共におられた」。周りの装飾を取り払うと味気 ないが、これが事実の核 心になる。マタイの書き方からする と、ヨセフもここでは舞台のそでにさが り、ただ遠くからきた異 邦の博士らだけ、他に誰もいない。もちろん王の諮問 を受け て聖書を調べ、ミカ書5章1節を突き止め、御子がベツレヘム に生まれ ると認識したユダヤ教のお歴々はそこに来ない。聖 書を読んで知ったような顔 をしてこうして話している私だが、 やはり認識したはずなのに体を動かさな い。一番まずいパタ ーンだ。だが、それだけではない、ユダヤ人 のメシアとすべき 幼子の誕生なのに、近所隣のおじさんやおばさんも来てい ない。ルカのクリスマス物語では、そこに羊飼いを登場させ る。両者の物語はか なり異質なものだが、クリスマス劇を演 じ、また観劇する子たちにはどう ということはない。子どもたち は、幼子は母に抱かれてすやすや眠っているとい うだけで十 分、事態の意味をしっかりつかんでいるだろう。そこがベ ツレ ヘムだと大人たちはその意味を説明したがっているが気にし ない。下町 であろうと寒村であろうと海辺の町であろうと。 だが、われわれ大人と して、幼子の誕生の周りに集まった のが、異邦の博士らと牧童だけという事実 をしっかり心に刻 んでおかなければならないだろう。ここに生まれたイエス は内 部固めのためのスケープゴートではない。幼子と母の姿がた だ異邦 の博士らと羊飼いたちの前にさし向けられていること をわすれてはならない。依然 としてパリサイ派的な体質を捨 てきれていないマタイ・グループ(5:47、 18:17)が、最終的にイエスの福音は外部に差し向けられていることを認めている (12:18、21:43など)。体を動かして外に集まれ。そこでイエ スはまだなにもて ゙きない赤子のようであろう。マタイ25:35、40 の言葉を合わせて読もう。
12月18日 マタイ1章18~23節 「異邦人の主」 久保田文貞 前回はそもそも「異邦人とはだれか」という問いを立てた が、今回はそれに続 けて、「異邦人の主」という題を立てて みた。特にマタイのクリスマス物語にはそ んな響きが鳴って いると思うからだ。だがいよいよ話の準備をしようとし て改め てみると、何ともおぞましい題ではないか。どうしたって「異 邦人よ、 主に従え」という上から目線の号令のように聞こえ てしまわないだろうか。この 題を思いついた自分を反省して 始めなければと思う。 話がごちゃごちゃし そうなので、先に結論を言っておこ う。――イエスは、「ユダヤ人」の間にとい うよりはむしろ「異 邦人」の間に、異邦人のために生まれた。さしあたりイエス を 〈主〉と呼ぶかどうかは問題ではない。ただその彼がのち に異邦人の救 いのために命を「捨てる」ことになる。だからク リスマスはさかのぼって異邦 人の主の誕生を祝いたくなる者 たちの祭りだ。―― と言ってもやはり、そう言うお 前にとって異邦人とはだれ かという問いが付きまとう。この語はもとは単に異 民族を指し た語だった(創世記10:5)。イエスラエルの部族連合が、神 ヤハウェ と契約を結び神によって選ばれた民と自覚し(申命 記7:7-8)、それ以外の民を異 邦人としていく。ほんとうは神 によって選ばれたからといって優越感に浸ってい る場合で はなかった。かれらは神の前に、神とともに生きるということ がど ういうことか、世界中の人々に手本、というよりは被検者 となって試されたいうへ ゙きだ。その彼らがほかの民を異邦人 としてさげすみ、自分たちはエリートた ゙などと自負するなら、 お門違いもいいところだ。イスラエルの民だけで なく、そこか ら生まれたキリスト教も無縁ではない。いやどの民も自身を エリー トと思い始めた瞬間、必ず陥るジレンマだろう。 日本は80年ほど前の太平 洋戦争に負け、戦後、日本国 憲法をもって民主主義国として再出発した。好むと好 まざる に関わらず、日本「人」はここから再出発したと思っている。 だが、 そうやって再出発した「私」が日本に住み日本語を話 し当然のように日本人をやっ ているけど、自分は日本人で ある前にひとりの人間ではないだろうかと、 ふと疑問をもつ。 かつて福沢諭吉は『学問ノススメ』の中で言った、「一身 独立 して一国独立する」。まず個人がしっかり学び、考え、 発言してこそ、国は 独立すると。高校一年の一学期、この本 が倫理社会の教材となって私の頭から離 れなかった。これ からすると国家は原理的には自立した個人の下位にあることにな る。こうなれば、自国民も異邦人もない。まず先に生き る人間がある。国家 とはそれぞれの地域でそこの住民たち が建てた便宜的な組織にすぎないと なる。けれども、福沢の 本はそうならない。同じ本の三篇で「国のためには 財を失う のみならず、一命をも抛なげうちて惜しむに足らず。これす なわち 報国の大義なり。」と言って憚らない。この「報国の大 義」がやがてどうなっ ていったか言うまでもない。個人と国家 が逆転し、国家的全体主義へ帰結した。 その国家の外側に いる者はまずは異邦人にされ、かれらが生き残るための条 件 は、「二級」の日本人になることを承認するだけとして。最 悪の全体主義国家て ゙ある。 これは決して過去の日本の問題ではない。故安倍首相 は、初めのうち 「美しい日本」を盛んに口にし、やがて「一億 総活動」というスローガンを掲け ゙た。働く若者、学問する若 者、子を育てる若者を、国家があとざさえし、こ うして日本は 豊かになり強くなるというわけだ。現首相も言葉を変えてい るが、 その施政方針演説を見るかぎりほとんど同じことを言 っている。このような 国家観からするかぎり、個人は国家を 越えてはならない、国家が個人を支えて いることを知れとい うことになる。国家を踏み外していこうとする人間は非・日本 人である。さっさと日本から出て行ってくれ、とどまるならせ めて在日異邦人 のようにおとなしくしておれというのだ。 マタイ1章は、アブラハム以後のイエ スの系図に始まる。 どう見てもイエスは生粋のユダヤ人だと。異邦人性を吹っ 飛 ばしてしまう。ところがよく見るとそれは義父と言うべきヨセフ の系図て ゙しかない。母マリヤは「聖霊によって身ごもった」 (マタイ1:18)という。これか ゙イエスを〈神の子〉とする論拠にさ れる。たしかにイエスは聖霊によって身ご もったとされるが、 その実は母マリヤの胎内で成長し人として生まれる。たた ゙、 マタイはこの子にインマヌエル「神、我らとともにおられる」(1 :23)と徴づ けるだけである。屁理屈をこねようとは思わない けど、霊が何から生じ ようと、人間には風のようにしか感じら れないなにかである。母マリヤに、ヨ セフであろうと他の誰か であろうと、腹ませたのが人であっても人でな くてもよい、神 の風がその受胎を決定づけ促進させたというだけのことだ と 言っているように思う。これだけははっきりしている。イエス は、どこかの 男の国民性につながれてどこかの国民になっ て、それ以外のものを異邦人とし て外部に追いやる方では ないというわけだ。今の世界の中で言えば、主は 国家から逃げ出さざるを得ない難民たちの中にこそ生まれるというよりない。難 民たちに平和があるように。
12月11日 マタイによる福音書 24:29-39 「わたしは人の子 なんだけど?」 八木かおり イエス以後、彼をメシア(キリスト)だと信じた人々によって ユダヤ教からキ リスト教が派生したのが今から大体2000年前 です。アドヴェントに入り、 今年もキリストの生誕を記念し、そ の訪れを待ち望む時期となりました。なので、 マタイによる福 音書の前回の続きで「彼は何者だったのか」に改めて想いを馳 せたいと思います。 24章は、ざっくり言うと「小黙示録」と呼ばれている箇所て ゙ す。神殿崩壊を予告したイエスに、弟子たちがそれ(神殿破 壊)と終末到来の徴 (終末の話なので「黙示録」です)を重ね て問うことから始まり、その徴と実際 の苦難についてイエスが 答えるーというのが前回までのところです。それ に続くのが、 本日のテキストでもある苦難の後に「人の子」が現れて起こる 「選び」と、またそれに備えることの勧めです。 ところで、この「小黙示録」 は共観福音書には平行記事が あります。そして、これは60年代におきたローマへ の反乱で ある第一次ユダヤ戦争においてエルサレムの街も神殿も破 壊され、多 くのユダヤ人が虐殺されたことを背景に物語られ たものだと考えられていま す。福音書記者は、イエスの処刑 から30年くらい後にそれが起きたことを知って いて、この記述 を残したとも言われ、各福音書の執筆年代を推定する上で も、こ の事件の年代が重要な判断基準とされているくらいで す(マルコは第一次ユダ ヤ戦争前後に福音書を執筆、その しばらく後にマタイ、そしてルカ、みたいな)。 神殿の破壊は、 その後のユダヤ教がファリサイ派に収斂していく結果をもたら しました。例えば、神殿なくしてサドカイ派は成り立ちません し、またエッセ ネ派は他に先駆けてローマからは危険分子と 見なされ攻撃されたのだろうと見ら れています。彼らからすれ ば、それはまさに「世の終わり」であっただろうて ゙きごとでし た。 しかしユダヤ教ファリサイ派と、そしてナザレ派から発 し、ユ ダヤ教とは袂を分けることになっていった人々は生き延びま した。たた ゙し、イエスの弟子たちもパウロも、それ以前にユダ ヤ共同体からは離れてい ましたし、ペトロもパウロもローマで 殉教したのは50年代と考えられていま すので、それは神殿 破壊よりも前のことになります。そして福音書記者は、いす ゙れ もイエス以後から60年代を生き延びた世代のキリスト者です。 マルコはと もかく、マタイとルカは次世代を担う意図を持った 人々だったでしょう。とこ ろで、ちなみに、キリスト教で言う『旧 約聖書』の元であるユダヤ教正典か ゙確定されたのは100年頃 とされています。それは、エルサレム破壊という危機を背 景に行われたものでした。 ところで、本日の箇所は、紀元前後のユダヤの歴 史になか で語られることになった黙示思想に基づく終末論が語られて いる部 分です。特にそれは、オリエントのヘレニズム時代に、 プトレマイオス朝エシ ゙プト、セレウコス朝シリアの争いにまきこ まれたユダヤの人々が、シリア によるユダヤ教禁止令を始め とする宗教弾圧を経験するなかで抑圧への抵抗と して語るこ とになった物語だと考えられています。紀元前2世紀半ば、 シリア への抵抗としてのマカベア戦争が起こり、それが成功し てユダヤは独立を 果たしたものの、それがダビデ家ではなく ハスモン家による支配権の獲 得だった点において、ユダヤ教 内部ではサドカイ派とファリサイ派、そし てエッセネ派の分派 が起こりました。 終末論は、これまたざくっとですが 「こんな世の中であれば 終わってしまえ!ただし義人である自分たちは神に よって選 ばれて神の国に入ることができるのだ!」という話を「将来の 希 望として生き延びましょう」という話です。主として語られる のが世界の終 わりの物語であり、後者が隠されているので、 これを「黙示思想」と呼び ます。そうした物語において、ユダ ヤ教的メシアを表す語として用いられている のが「人の子」で す。ダニエル書の部分とか、エノク書などにあるものて ゙す。そ して、これがキリスト教の神学的にはイエスと結びつけられる ことに なるのでややこしい話になり、例えば『聖書大事典』の 説明を、これまたざ くっと言えば「よくわかんないのですよね」 です。 マタイは、エルサレム到 着後の物語として苦難の後、「人 の子」は栄光のうちに選んだ人々を呼び集め、 選ばれた人 々が「神の国」(マタイは「天の国」とか言うのでこれもややこし い)に入ることの確約をし、続けて「それに備えること」を強調 します。そして「忠 実な僕と悪い僕」の例えは、罰を強調する ものですが、ルカは同じ例えを、 まだ巡回中のイエスが語っ たように編集を変えています。またこの例えはマル コにはあり ませんし、そしてマルコの場合「人の子」は他にもいて、イエ スに限定 された言い方ではありません。 「人の子」はイエスの自称でもあればそうて ゙もない。それか ら、日本語表現とすれば「人の子」は「人間である」ので、 「イ エスって人間じゃん!」という二重の話にもなります。これは 彼が人間て ゙あることをむしろ肯定的に受けとめて共感する か、他方「神の子」という呼び 方もキリスト教的にはイエスにあ るわけなので、なんだ違うんじゃんと考え るかです。また「『人 外』ではない」(その場合、前提として「人でない」と 見なしたも のを差別対象にも崇拝対象にも両義的に捉えることがありま す)とい う意味も持つかもです。 「キリストは人か神か」の 論争は、最初からあり、三位 一体論の教義の成立にお いて決着をみた感じですが、でも形を変えてずっ と続 いているのではないかなと個人的には考えています。 これは個人的な関心の ありようにおいて、そもそも貴種 流浪譚が嫌いなせいです。権威を持ち出して きて解決 しようとするなと思いますし、そうした差をつくりだし格 付けを固定す るような仕組みが、キリスト教が歴史的に 差別構造を容認してきた元ではな いのかと考えていま す。 しかし、そもそも黙示思想における「人の子」という表 現は、ユダヤ教のメシア待望が背景にあります。例え ば人が「こんな世界、 終わってしまえばいいのに」という 絶望を抱かざるを得ない状況に追い込まれ るようなと き、「最後にメシアが一発逆転!」を願ってしまうこと を、わたした ちはどう理解するでしょうか。黙示思想の 出自はそこにありますし、紀元前後 のユダヤ教社会に おいて選択されたのは武力蜂起でした。キリスト教の歴 史て ゙言えば、中世において「最後の一発逆転」は死後 のものでしたが、十字軍 とルネサンス以後のヨーロッパ では宗教改革も「殺らなきゃ殺られる」でし た。 しかし、そうした暴力の連鎖を断つ可能性も、イエス が人として生まれ、そ して生きた物語が語られているな かに見いだされるのではないでしょうか。 イエスの身に おきた処刑が、不条理として告発された福音書の物語 のなかでは、 人が人であることの尊厳が訴えられてい るのではないだろうか、と思う からです。
12月4日 ロマ書15章7-13節 「異邦人はだれか 」 久保田 文貞 アドヴェントはメシア=キリストのい到来を待つクリスチャン の原点を再現しよ うという演出の下に毎年繰り返される。メシ アを待つという姿勢自体はユダヤ人 にも通じる。いや彼らは 今も常にメシアを待ち、その歴史を真剣に生きている。 キリスト教徒はイエスこそメシアであると確信するが、イエス 自身はメシアと 自称した形跡はない(マルコ8:30)。福音書から イエスがメシアとして自覚してい たように見えるのはあくまで、 イエスの死と復活の出来事を信じたクリスチャ ンたちの告白 による。だが、イエスがメシアかどうか問うこと自体は、ユタ ゙ヤ 人的には決して不謹慎な問いではない。彼らにとって、メシ アとは神から認 証されたイスラエル復興をめざす真のリーダ ーとなる人なのである。メシア はあくまでユダヤ人のアイデン ティティの内部の中核にいるまことの人間な のである。 クリスマス物語もその辺で揺れているところがある。確かに イエ スは「神の子」の誕生として、物語上は不思議な事件が 各所に出てくる。だか ゙同時に、これもまたひとりの男の子の誕 生にすぎないというトーンがしっか りと鳴り響いている。身重 の女からいつ子が誕生するか、元気に生まれてくるか と、家 族や友人たちが普通に期待や心配をする私たちが経験する 思いと地続き になっている。その上でもう一つの一面、神の 子の誕生について語る。これはユタ ゙ヤ人としてはタブーであ る。メシアとてあくまで人でなければならな い。 回心前の人一倍熱心だったユダヤ人パウロに(ガラテヤ1: 13)、復活者 イエスが啓示される。だが、その体験がどのよう なものだったか誰もか ゙知りたくなるだろうが、パウロはほとんど 語らない。「...あなた方の所 でイエス・キリスト以外のことは何 も知るまい、と決めていたからだ。それも 十字架につけられた イエス・キリスト以外は。」(Iコリ2:2、以下田川訳)という言 い 方しかしない。その際、彼が執拗に語るのは、その体験をし てからあと、ユタ ゙ヤ人として継承してきた伝承によってもう縛ら れないと、自分は自由だという。 ユダヤ人が最も大切なものと して継承されてきた律法を守ることによって〈義〉 を得ようとす る在り方を捨てると言う。それはユダヤ人としてのアイデンテ ィ ティを保証する根拠を捨てることに他ならない。 では、そんな立場に立ったらた ゙れしもこれからどうしたらよ いのだと混乱するに違いない。だが、彼は その当時を振り返 ってか、さらりと言う。「...恵みによって私を招き給う方が、 御 子を福音として異邦人の間で宣べ伝えるようにと、私のうちに み子を啓示し て下さった」(ガラ1:15-16)と言う。もっともそう 書いているのは、回心体験から 十数年後のことであるが。い ずれにせよ、彼はユダヤ人として立つ根拠を 失っている。と いうことは、ユダヤ人の対極にいて、いつもユダヤ人をして異 邦人のようであってはならないと反面教師のように置いてい た「異邦人」も根拠 を失う。普通に考えると、ユダヤ人としての 根拠も、異邦人を異邦人として見る 根拠もなくしたというなら、 自分自身の根拠を失くしてしまうということにならな いか。自 分の周りの連中はほとんどが、依然として自分のアイデンティ ティ は何かと探し回り、何かにしがみつき自分を維持してい る。ところが、こちら は自分を維持する根拠もなか卯してい る。とすれば、自分自身が周りの連中の 異邦人であると認め るよりない。そんな生き方ができるか。カミュの異邦人 ムルソ ーのこと思い出す。「他人の死、母の愛―そんなものが何だ ろう。いわ ゆる神、ひとびとの選びとる生活、ひとびとの選びと る宿命―そんなものに 何の意味があろう。」と。だが、パウロ は「異邦人」にならない。そうて ゙はなくて「異邦人の間で」御子 を宣べ伝える者になっていく。つまり、彼は 先祖から伝承され たものに頼って義となる道を捨てるのだが、ユダヤ人たる 自 分は少しも失わない。むしろ依然以上にユダヤ人としての新 しい自覚を手に入 れ、新しく見出した異邦人たちの方にユダ ヤ人として入って行こうとする。 変化 のプロセスを始めからパウロがすべて見えていたとは どうしても思えな い。「異邦人の使徒」として立ち位置をつか んで、人々の前に現れるまで十数 年かかっている。そのプロ セスを再現しようもないが、いろいろなところで、 その時々、工 夫と失敗を重ねていったに違いない。それはそうなのだが、 とし てもならいっそユダヤ人であることを隠して異邦人になっ てしまえばいいの にと思わないだろうか。気が小さくて軟弱な 私なら、ユダヤ人を捨てて、キ リストに招かれた異邦人のよう な顔をしてしまうのではないか。自分と同じア イデンティティを 持つ人々の中で、話をしたり活動したりする方が圧倒的に 気 持ちがよいし、楽なはずだから。けれども、パウロはそうしな い。な らない。 パウロが最後の方で書いたロマ書で改めて、なぜ律法に 依存す る在り方を放棄したか執拗に説明するが、だからとい って律法をただのご みのように扱わない。ある意味敬意をも って、それをどう乗り越えたかという筋 道を丁寧に提示する。 彼がいよいよローマに乗り込もうという時にそれをする。 敬意 をもってそのパウロのユダヤ人としての総括の仕方を学ぶべ きだろ うが、だからと言って自分の席をユダヤ人の所に置くこ とはできない。形 の上では「異邦人」だが、御子と出会って異 邦人なりに捨てた過去からど う立ち上がったか、出発点にも どって、再び新しく踏み出すよりない。この クリスマスを、われ ら「異邦人」なりの、新しい門出の一歩にできたらと思う。
11月27日 マルコ福音書11章1~6節 「ろばに乗って」 久保田 文貞 エルサレム入城をもってガリラヤから始まったイエス一行 の旅が終わる。ガリラヤでの事 とエルサレムの事を対比させ た構図は、著者マルコによるものだが、エルサレ ムの出来 事があまりに強烈だったのか、イエスの弟子たちの記憶から ガリラ ヤでの事が消えかかった。ペテロをはじめ弟子たちの 大勢はイエスの十字 架と死と復活の出来事に集中した。い わゆるケーリュグマである。新約の中に 多くの書簡をのこし たパウロは、イエスの直接の弟子ではないが、そのケー リュ グマだけを引き継いだことになる。マルコはこの傾向に我慢 ならなかっ た。弟子たちの記憶から散逸していくガリラヤ時 代のことを拾い集め福音書を書 いた。イエスの生涯を描い た福音書という形態そのものが、原始教会のケーリュク ゙マ集 中に対する一つの抵抗だったのだ。が、やがてそれも忘れ られ、キ リスト教という一つの大きな流れになっていく。次世 代のマタイとルカと呼ばれ る二人著者は、抵抗の書たる福 音書なるものを、キリスト教の正統に引き戻す役割 を果たし たことになる。いずれにせよ、福音の真理に不用な記憶や 解釈は背後に 追いやられ、あるものは取り除かれていった。 だが、このキリスト教の大きな 流れにずっと疑問がついて回 ったのも確かである。夾雑物のように捨てられ たもの、周辺 的とされたものを、イエスの記憶は取り戻そうとする。私には それも またケーリュグマの隠れた力のように思って、聖書を 読んでいきたい。 マルコ は、あの旅を大げさなものにしかった。としても旅の 終結、そこで何が待っ ているか知っている者として、エルサ レム入城の記事には特別の感慨をもって臨んた ゙はずだ。マ ルコは、ロバに乗って入城したという伝承を採用した。イエ ス は二人の弟子に「向こうの村」から「だれも乗ったことのな い子ろば」を借り てこいと命じる。それに乗って城門をくぐろ うというわけだ。何らかのデ モストレーション。 日本には驢馬は入ってこなかったので現実的な感覚は なく、 外来の物語をとおしてイメージができあがっているに すぎない。最近の 道徳の教科書(明治図書)で「ろばを売り に行く親子」から。ろばを売りに市 に出かける親子、初めは ただ引いていくが、それを見た他人がせめて子を乗 せてい けばいいのにと陰口をたたくのを気にしてそれに従う。こん どはなぜ 若い子が乗っているんだと、それで父が乗る。つぎ になぜ親が一人 乗るんだと言われ、二人で乗る。ついには ろばを縛って担ぐ羽目に、橋の 上で暴れたろばは川に落ちて死んでしまうと。他人の言葉を鵜呑みにしないて ゙自分で 考えろということなのだろう。いずれにせよ、ろばにしてみれ は ゙人の思いにただ振り回されるだけ。ろばのことなんて誰も 考えない。荷を 運ぶための物としてしか認められていない。 旧約聖書にも族長時代から駱駝とと もに何度も出てくるが、 もっぱら荷物運び。後のソロモン時代に多く入って くる馬の ように戦闘場面で活躍することはない。このろばをイエスの エルサレ ム入城に配置した陰に、(第二)ゼカリヤ9章9-10 を明示したのはユダヤ人でイ エスの多くの言動を旧約と結 び付けた福音書記者マタイである。とにかくマタ イが指摘す るまでもなく、『見よ、お前の王がお前のところにおいでにな る、柔和な方で、...荷を負うろばの子...に乗って。』 という 預言者のイメー ジに従うかのように、エルサレムに入ってい く。この入城を描いた聖画のほとんと ゙が人々の歓呼の中 を一行が突き進んでいく様を描いているが、福音書中 でこのような形で一行を迎えているのは、マタイ(21: 8)とヨハネ(12:129であ る。 田川健三は、マルコによるこの入城行動は弟子たちのも のになっていて、取り 巻く群衆については何も書いていな いと分析する。衣を道に広げたのも、草を刈っ てきたのも、 前後を歩いたのも、ホサナの歌を歌ったのも弟子ということ になるの だ。マルコにあっては、この行動は人に見せるため というより、自戒を込めた行 動だったというところだろうか。ろ はこの行動が終わった後、静かに持ち主 にお返しする(3 節)。まるであの他人の陰口と、主人の優柔不断さの故に川 で 死んでしまうろば花を手向けるかのように。 ルカの場合、一応マルコに従って、 周りの群衆のこと を明記していないが、神の子の地上での旅は誕生から 始まっ ている。2章14「「いと高きところには栄光、神に あれ、地には平和、御心に適う人 にあれ。」という誕生の 時の天使の歌が、ほぼそのまま入城の場で19章 31「...天 には平和、いと高きところには栄光。」 と歌われるとお りだ。だか ゙、このイエス入城の意味を人々は分からな い。19章42「もしこの日に、お前も平 和への道をわきま えていたなら......。しかし今は、それがお前には見えな い。」 ユダヤの群衆は、ロバに乗って入城していく一 行を見逃し、その賛美の声を聴 き損じたというわけだ。 とにかく入城に際してイエスがろばの背に乗るこ と を選んだことは確かだ。そこに隠喩のように上せられ たろばはただの喩 を越えて、他の誰よりエルサレムに 入っていくイエスの意を体現する。福音書には そんな 陰の役者がいることにたびたび気づかされる。
11月20日 ルカ福音書19章11-27節、マタイ福音書25章14~30節 「能力を評価するにあらず」 久保田文貞 再びガリラヤからエルサレムに向かっていくイエスの旅に ついて。以前に申 した通り、マルコの旅の記述が10章だけに 対し、ルカの旅の記述は9:51から 19:27までになる。ルカに は、マルコのようにガリラヤでのイエスの宣教と、 エルサレム での悲劇的な受難の二つを対比させ、それを旅でつなぐと いう視 点がないが、イエスの地上での生涯がすべて神の子 キリストの地上で の旅であり、それがエルサレムでの十字架と 死と復活の出来事で完結する ととらえている。とすれば9章51 で「イエスは、天に上げられる時期が近つ ゙くと、エルサレムに 向かう決意を固められた。」というのは限定的なもので、 神の 子の旅はその誕生から始まっているのだが、いよいよその旅 の意味があ らわになったとみるべきだろう。こうして、この旅 は、イエスの宣教活動、言 葉が十字架に向かっていることを 一層明確にし、この旅に従っていく人間にさら に強い意志と 決断を迫っていくという文学的な構造になっている。 この旅の最後、 エルサレムに入る直前に「ムナ」の譬えが 置かれる。これはマタイ25章の「タラ ント」の譬えのルカ版であ る。マタイではエルサレム到着のいわゆる「受難週」 の中の最 後の方の譬えになる。マタイとルカに共通するいわゆるQ資 料から採取さ れたとされるが両者の差は大きく、Q資料の存 在自体が疑われるほどである。 としても結論的には共通した ものがある。両者ともに譬えの最後を「持っている 者には誰で も与えられ、持っていない者からは持っているものまで取り去 られ る」という言葉で閉めている。マルコ4章25の言葉をその まま持ってきているが、 実はマルコでも「灯火と測り」の譬えの 終わりに張り付けられたもので、そこて ゙も脈絡が合わない。迷 子のようになっていたイエスの語録(ロギア)の一つた ゙。イエス がどんな状況で何に向けてこんなことを言ったかわからな い、て ゙もイエスの口から出た言葉として証言者たちによって 同意されているが、それ にしても刺々しいロギアだ。その刺 々しさが、ムナとタラントの譬えにもあ る。 マタイでは「家を離れる人が自分の下僕たちを呼んで、そ の財産を託し た」(以後田川訳)となる。「それぞれの能力(デ ュナミス)に応じて」、5タラ ント、2タラント、1タラント(タラント は当時の国家予算を数える単位として使うく らい莫大な額、 マタイ18:24の一万タラントなど天文学的数字)を下僕に託す とい う。ルカでは、「貴族が王位を受けて帰ってくるために、 遠い地方に出かけた」 (田川訳)となる。これは当時のローマ 帝国下にある属領国家で当主の代がかわ る毎に皇帝に認 可してもらう制度を反映している。14節はルカだけにしかない か ゙、まさに認可に反対する市民たちの運動のことが書かれて いることになる。ル カでは1ムナ(100~200万円ほどという)ず つ10人の下僕に託したとされるが、 こちらこそ王にならんとす る人間の財力から見て、タレントが相応しい。特に、 主人が下 僕に「戻ってくるまで、これを働かせなさい。」つまり投資して 利潤 をあげよとなる。マタイでは、投資するかどうかは下僕の 意思に任される。 いずれにせよ、現代のブラック企業で社員 の業績を表に張り出して見せ、成 績の良い者を取りたて悪い 者の首を切るかのようだ。 この譬えの扱いをどう位 置付けるか、ルカもマタイも苦労し たに違いない。例えばほかのQ資料そのものの ような言葉 「何を食べようかと、自分の生命のことを思い煩うな。...から すの ことを考えてみよ。蒔くことも刈ることもしない。倉庫も倉 もない。しかも神はこ れを養う。」(ルカ12:22以下//マタイ6:25 以下)のロギアからどう叩いても、託 されたものを投資して増 やせとはならないだろう。それとも、ガリラヤの民衆 には「空の 鳥」「野の花」のようにふるまえと言い、それに対して緊張の 迫るエル サレムでは、イエスに従う者として託されたものを寝 かせておくだけではた ゙め、たとえ他人から恨まれようと託され たものを投資せよとでもいうのだろ うか。確かに後々の教会は そうやって信者をたきつけ大きくなったと言われても仕 方がな いような歴史を抱えている。お気づきだと思うが、それは現在 のカ ルト教団が異常に成長する時の手法にかぎりなく近い。 田川建三は『イエスと いう男』2版でかなりの頁を割い て、イエスがそんな意味でこの言葉を残した のではない と補っている。この譬えは、何かの真理を比喩的に言う ものでなく、 富裕者・権力者たちが利を貪る姿を直接に 批判した言葉だという指摘である。 だが、言葉というものは現実を直接に映し、判断の材 料を示してくれるだけ の時もあるが、一方でそれは常に 語り手と聞き手の間にあって、隠喩(メタファ)の 性格 を失わない。たとえばイエスの言葉は聞き手たる「あな た」に語り掛け「あ なた」を掘り起こし働きかけてくるようになっ ていないだろうか。悪用すれば とても危険なものになる。だ が、言葉として「空の鳥」「野の花」も「わたし」 の命に語りか け、時に「わたし」を奮い立たせてくれる。イエスは、ふつうど う したって駄目だろうと思われる不正な管理人や冷たい隣 人、怒りっぽい主人、 時には盗賊らも登場させて、ただ彼ら はだめな人間だなんて言わない。「神 の国」を、善人も悪人も 語りかけてくる言葉をもち、かれらと一緒に歌い上げよ うと言 わんばかりなのだ。そう捉えると、「タラント」の譬えが従う者た ち の緊張のはしる最後のエルサレムである必要がない。どこ にいようと私に語 りかけるイエスの言葉となりうるだろう。
11月13日 コヘレトの言葉4章1~4節 「生まれたということ」 板垣 弘毅 現在のウクライナ情勢は、米ソが核戦争の瀬戸際まで行っ たといわれる1962年 のキューバ危機と比べられたりしていま す。無差別に、不条理に人に命が奪 われて行く映像を(それ は戦場に限らないわけですが),わたしたちは日々目にし てい ます。「いのち」のかけがえなさとは何なのか、ご一緒に考え てみたいと 思います。 04:01わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを 見た。 見よ、虐げられる人の涙を。彼らを慰める者はない。 見よ、虐げる者の手にあ る力を。彼らを慰める者はない。 紀元前2世紀頃の、良識的な教養人コヘレトから見 える人 の世です。この人が生きる社会の圧倒的な弱肉強食の、格差 の社会の現 実でした。 04:02既に死んだ人を、幸いだと言おう。更に生きて行か なけれ ばならない人よりは幸いだ。04:03いや、その両者より も幸福なのは、生まれて 来なかった者だ。太陽の下に起こる 悪い業を見ていないのだから。 絶望的な言 葉ですが、これは、コヘレトが苦しむ人々を思 いやるばかりに発した表現て ゙す。コヘレトは人間の営みは、 ほんのつかの間に終わって、死んだら死にっき りの、空(くう) なることなのだからこそ、生きている今をせいぜい楽しめ、と 言っています。 しかしここでは、生まれてこない者の方が幸 いだといいます。 誰だって、第三者からそんなこと言われたくないでしょう。 でも当事者には、 あのとき死んでおけばよかったと思う現実は あるわけです。 「いや、その両 者よりも幸福なのは、生まれて来なかった者 だ。」 そうコヘレトはいいます。こ こにはなにか普遍的な洞 察もあるのではないかと思えます。 今年6月、アメリカ 最高裁判所は、人工妊娠中絶を認めた 1973年の判決を覆す判決を出しました。産む か産まないか を女性の選択に任せるべきだとするグループと、胎児にも命 がある、と主張するキリスト教福音派が長い間論争を続けて います。民主党、 共和党の選挙政策になるほど深く政治化し ています。 生命は無条件で尊重され るべきか、状況によって選別さ れてよいのか、揺れ動いていると思います。わた したちは、例 えばナチス政権が実行した劣った人種とされた者を排除す る、い わゆる優生保護思想を、あるべきではないと考えている と思います。私もそう 思います。戦後の日本でも実施され、当 事者が今も国家賠償を求めています。 しかしたとえば出生前診断は、今社会的、技術的なハード ルが低くなって、 将来障害児が生まれる可能性が指摘される と90%は中絶する結果になるというこ とです。 いのちの選 別、優生保護の価値観は人間の根本にあることなのかも知 れません。 とするときょうのコヘレトの、生まれない方がよかったという 言葉は 少なからぬ人に共感を与えるかも知れません。 ただここで抜け落ちかねないのか ゙、どんな事情であれ、生 まれてしまった者の存在です。この世に生を受け るということ は自分の意志を越えて受け身のことです。だからこそ自分が 生 きてあることに根本的な信頼、少なくとも「生きていいのだ」 という自己肯定感か ゙深く求められるのだと思われます。 慈恵医大の赤ちゃん取り替え事件当事者の 70代の男性 が今も、真相を知りたいと願う記事を読みました。自分のほん とうの (遺伝子上の)父が誰なのか、それを不問に付して生き るのは苦しいといいます。 生殖技術が進展する中でさらに錯 綜しています。私も中学生の時に自分の生物 学上の父親が どんな人間だったかを知りたいと関係者を訪ね回ったことが ありました。母は話したがりませんでした。自分の出生を受け 入れるというこ とは本人にはきわめて切実なことですが、それ 以上に「生まれて在る」という 今ここでの事実、この「できごと」 が肯定されることが大切なのだと 思います。「言葉」だけでは ダメで、それは「できごと」で伝わる 何かです。できれば利他 的に、相手から生きるような精神で出会ってくれ る、そばにい てくれる他者が大切だと思います。 コヘレトも当事者ではあ りませんでしたが、距離を置いて ですが、この他者であろうとしていま す。こんな言葉もありま す。04:09ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、 その 報いは良い。04:10倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。 倒れても起 こしてくれる友のない人は不幸だ。 そして、生まれない方が幸せだった、と いわざるを得ない悲 しい、怒りのありさまを観ています。それは沈黙する神への 叫 びのようにも聞こえます。コヘレトにとっては神は人間世界に 介入しません。 (中略)コヘレトと違い、イエスのできごとは、ひとりの人に向っ て来ます。無 視され捨てられ、無意味にされたひとりのいのち に向います。イエスの神の国のた とえには、そういう物語が多 いです。イエス自身がその通りに生きています。 イエスが間近に確信したようには、「神の国」はイエスの生 前には到来しませんて ゙した。イエスやイエスを崇めたキリスト 信徒たちの「空(くう)」なる「夢想」た ゙ったのか。そう考える人は 多いです。しかし“ひとりのいのち”の祝福に向った イエスの 福音から希望をもらった人も無数でした。“ひとり”は全体の 一部だ、 “ひとり”は全体の始まりだという希望です。... (以下略.全文は板垣まで)
11月6日永眠者記念礼拝 ルカ福音書13章28-29節 「死者たちの未来と」 久保田文貞 「記念」という語を辞書で引くと、「過去の出来事・人物な どを思い起こし、 心を新たにすること」(大辞泉)とある。とい うことは、裏を返せば、普段は過去 の出来事・人物をほとん ど意識の外に追いやり、その場しのぎの毎日を送って いる ことを証しているともとれる。 詩人鮎川信夫(1920-86)の 詩『もしも明日が あるなら』という詩(資料)がある。そこに軍 隊から戻って「何百万の死者の霊と ともに敗戦がぼくの魂を 解放する」と、戦後に明日があるかもと期待してみ たが、5年 ほどたってそこに「明日はなかった!」。期待した自分が愚 かだっ た。では、どうするか、詩人は戦争で亡くした親友 の、またたくさんの戦争 による死者の霊の「遺言執行人」とし て「例えば霧やあらゆる階段の跫音のなか からぼんやりと姿 を現す」と言う。彼の詩の数々は、浮かれた戦後の社会や 思想 のひとつひとつを、戦災で死んだ者たちの「遺言執行 人」として引き剥がし ていく感がする。 死者を過去へとほうむる時、私たちは畏敬をもってその 声に耳 を傾け、無念の中にこと切れた死者たちの思いを受 け継いでいかねばと襟を正 す。喪いう作法を大切にしようと 思うわけだが、ほとんどの場合、実はそう やって、死者たち を葬り去っていく。死者たちを過去の一部に納めてしまう。 結果、 生き残った者は今の空気を遠慮なく吸って思い通り に生きられるというわけだ。 葬りの問題について述べたイエスの言葉がある。マタイ8: 21-22//ルカ9:59-61 に、イエスの弟子が「まず、父を葬り に行かせてください」と言うと、イエ スは「わたしに従いなさ い。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさ い」 と言われる。過去の人間関係、家族関係に囚われず、過去 を捨ててイエスに 従えと一般に読まれてきた箇所である。信 仰共同体の絆を深め、そこに力を集中 させるために、その ように解されてきたのだろう。だが、はたしてイエスは そのよ うに言われたのだろうか。 これについては、聖書学者の大貫隆さんの「死 人たちに は未来がある」という論考に教えられることが多かった。以下 はそれ を参考に私なりの理解で続けていこうと思う。マルコ12 :18-27にイエスがサト ゙カイ派の連中と死人の復活について 論争した話が出て来る。夫に先立たれた妻 は弟の妻になら なければならないというレビラート婚という風習の矛盾をつ い て復活の不条理をイエスに問い糺した話である。「わたし (神)はアブラハムの 神、イサクの神、ヤコブの神である」と 自ら名乗っている。こうして「神は死 んだ者の神ではなく、生 きた者の神である」と断言する。「神の国」の今を 生きている イエスの「内部」では、これら先祖たちは過去の偉人というだ けて ゙はない。 過去に死者となった者たちが《現に復活して 「生きている者」なのて ゙ある》と大貫は言う。確かにルカ16:19 -31、地上での貧乏人ラザロは死んて ゙天に挙げられ、そこ でアブラハムと一緒に宴席について、彼ら死者の未来 を神 とともに今を、彼らの未来を生きている。 こうしてイエスが人々の前で神 の国の今を生きようとして いるとき、私たちが認識してきたような生と死のあり きたりの 区別、ひとつの攪乱を起きている。自分は生きていると思う 者がかえっ て死んでおり、死んだはずだと思われている者 がその未来の今を生きて いるようなのだ。 ある時、イエスが洗礼者ヨハネの弟子に、「来るべき方は あなたですか」と問われて、こう答える、「盲人は見え、足の 不自由な者は歩き、 重い皮膚病を患っている者は清めら れ、耳の聞こえない者は聞こえ、死者は起こさ れ、貧しい者 は福音を告げ知らされている」と(マタイ11:5//ルカ7:22)。イエ ス はこれを公式的な終末論の繰り返しのようにして、神の業 を描いて見せたのでは なく、それは、いまイエスの前で起こ っている現場の出来事がなにかと知らせ ているというのに近 い。いま彼の前で死と隣り合わせて生きる者たちが自由に 生き始めたことを報道していると言えるだろう。 イエスは、死者の遺志を忘れて のほほんと今を生きる者 に向かって、遺言執行人のように彼らの遺志を突きつけ、 生きるいなら誠実にその責任を果たせと迫るわけではな い。我らに来りつつある 「神の国」では、死者は彼らの未来 =いまを生きている。その彼らとともに君らも 自分の未来と いまを生きようというのだろう。 「...アブラハム、イサク、ヤ コブやすべての預言者たちが 神の国に入っている」(ルカ13:28)のに、「自分 は外に投げ出 され」てよいのか。ほら「人々(異邦人も)は、東から西から、 また 南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。」 宴席 には、族長たちがイスラ エルの民を象徴して座しているが、 ここに招かれるための基準は私たちの想像を 越えている。 後のキリスト教は、この攪乱と混乱を、キリストを信じる信仰、 復 活を信じる信仰を一つの指標としてまとめ上げていくのだ が、イエスと共 に開示されていった「神の国」の最初の展開 のことを忘れてはならないだろう。 天上で始まっている祝宴 が地上でも現在になっている。死者たちも彼らの未 来として この今を、単なる過去の遺産としてでなく、生者の今と未来 共に語り合 い、考え、生きるのだろうと 。
10月30日 創世記 8章15~21節 「箱舟から世界へ」 飯田義也 今日の聖書の箇所、こ の教会にいらっしゃる方々 にとってはおなじみですよね。 ・・ってだいたい のストーリーを思い起こすと・・人間が 悪いことばかりするので、神様が 怒って洪水で滅ぼそ うと考えて・・。でも、ノアだけは神様の言うことを 聞い て大きな箱船を作って全ての動物をつがいでいれて・ ・。そして大雨が 降って大洪水がきて、ノア以外の人 は全員死んでしまった。水が引き始めて 箱船はアララ ト山の山頂にどーんとぶつかって、それでまた人間が いきら れるようになったんだよね。もう二度と人間を滅 ぼさない印が空の虹なんた ゙・・。というくらいの認識で しょうか。 いやいや、物語(聖書本文では「歴 史」)というのは 子どもの時に聞いて、印象に残っていても、大人にな って聞き 直すと新たな発見があったり、前にも聞いた なぁと思ってもまた新しい部分が アップになって聞こ えてきたり、自分の人生の特定の体験と結び合わされ た り・・たいへん奥深く幅広いものです。もう一度本文 を読むようにして、味わっ てみませんか。 あらかじめ語彙を少しノアという名前=休息の意、 日本人だと 一休さん?やすみくん? (牧師の息子 で「休」っています) セムとハムとヤフェト セム語族(アラビア・ユダヤ)ハ ム語族(エジプト)ヤフェト(ヤフェト語族は ない・・アジ ア・ヨーロッパ系の源流・・?) ゴフェルの木(口語訳では無 理に「糸杉」と訳していた が本当に何の木かはわからない) アンマ(1アンマ=約 45cmなので箱船は長さ約135m ということになる) ストーリーを改めて味わってみ て、いかがでしたか。 あとは余計なこと言わない方がいいのですが、・・。 「法の支配」の反対語は「人の支配」で、日本は日 本国憲法に基づく法治国家て ゙あるはずなのですが、・ ・。法の支配って、少し考えると、正しい言葉に 人々 が、つまり権力者であれ被支配者(不適切な表現で すが・・)であれ、 従うということです。 今日の物語(歴史)で、ノアは神の言葉に従い、行動 した ということです。ノアの「応答性」が神様の目に適 ったということです。 今 日改めてわたしの考えたことを申し上げたいと思 います。 昔教会で聞いたお話 で、けっこう印象的だったシ ーンが聖書本文にはありませんでした。とい うのは、ノ アが街の人々を説得しようとして馬鹿にされるシーン です。 昨日か ゙父が亡くなって満21年でしたので、父がい つもぼやいていたことを思 い出しておりました。子ども がエンドウ豆を鼻に詰めてしまって取り出した という日 の夜、自分の器用さを自慢しながら「ヘボ医者が大騒 ぎして取り 除くほうが報酬高いんだ」って・・。これはと きどき言ってました。 このと ころ、大きな声で言わなくなっている自分に 改めて気づくのですが「脱原 発」についても改めて思 います。原子力を商業的に用いるにせよ戦争に用い るにせ よ、人間に扱えるエネルギーでないことは明ら かで、正しい言葉に従えば、 全原発廃炉しかないは ずです。原発推進理論はどうしたって成り立ってない ・・。なのになぜ?今更のように再稼働に向かうのか・・ なんていうところです でに「人の支配」に向かいつつ ある現実が突きつけられますね。 正しいことを 言う人は尊敬されるか・・理解して対応 できる人が尊敬されるか・・全然逆て ゙す。正しいことは 儲からないのです。まさにマタイによる福音書6章24 節「人 は神と冨とに仕えることはできない」という言葉 が心に刺さってきます。 この まま日本の国にいて、箱船の中でじっと耐え忍 ぶような生き方をせざるを 得ないのだろうか、解放の 地を踏むことはできないのだろうかと心配になるは ゙か りです。 いや、・・そうですね。 だからこそ今日の聖書の物語を心に しっかりとどめて おくことが必要なのでしょう。
10月23日 出エジプト記1章17節 ドイツのフェミニズムと助産師活動 〈モーゼと助産師〉 加納尚美 赤子のモーゼと助産師の話は、真相はわかりませんが、権 力者が 政治的に不都合な存在を抹殺しようとする時に「助産 師」という職業的役割を持つ 者に命令する、という構造という あり得ると思います。このお話の救いは、助産師か ゙赤子と自 分たちの生命を守る選択肢をギリギリのところでとって行動し た ところとして私は読みました。 〈ドイツの助産師活動〉 8月末に勤務先の大学と 提携しているドイツのボーフム保 健科学大学と現場を訪問しました。ドイツ の助産師たちとの 交流の機会を持ち、助産師活動について少し詳しく知ること が でき、前述の箇所について考える機会がありました。 ドイツには、「お産に は必ず助産師が立ち会わなければな らない」という法律があります。 日本 にはありません。そのため、妊娠から産後1年まで、妊産 婦は自分の助産師を見つ け、きめ細かいケアを何度でも受 けることができます。出産場所は、99%が 病院で、そこにはも ちろん産科医がいるのですが、助産師が中心となり 分娩介 助をし、産後1~3日には自宅に帰り、一定期間毎日助産師が 家庭訪問をす ることになっています。すべて、健康保険でカ バーされていて、妊産婦は外 来や病院でお金を払う必要は ありません。助産師は「ヘバメ」と呼ばれ、人 気があるようで す。お産の場所探しには困らないけれども、妊娠と分かった 時点で自分の「ヘバメ」をすぐに探さないといけないと言いま す。 これまて ゙助産師教育は職業学校でしたが、2010年以降日 本でいう4年制の学部教育に 切り替わっています。正確には 3.5年なのですが、4年間で助産学のみを勉強 し、EUの基準 である40例の分娩介助、100例の妊産婦ケアと新生児ケアを 行いま す。日本の基準は分娩介助10例程度なのでその違い がわかるかもしれません。 訪問した大学の助産担当の先生 から法律の由来を聞きましたら、ナチスの時代にて ゙きた法律 ということでした。1933年当時、当時の助産師のリーダーが 党員 にもなり、かつ助産師の有用性(アーリア人のパワーを 拡大できる、人口増加、 ホームバースの方が医療費節減)を 説いた結果、法律に助産師の立ち会いの必須 を盛り込み、 かつ助産師の職能団体も確立したということです。但し、その 際に、 お産に立ち会った際に、ユダヤ人、障がい児(口蓋裂 からダウン症など幅広 く)が出生は報告した場合は付加的な 報酬があったということです。しかし、 すべての助産師がそれ に従ったわけではないと後に調べた資料にはありま した。こ の助産師の指導者は戦後に弾劾されることなかったそうで す。 とはい え、人々の中での助産師は半ば「スパイ」といネガテ ィブなイメージ は否めなかったといいます。法律は続行しな がらも、時代は医師中心の病院のお 産になっていくのです が、1970年代後半に、ウーマンズ・リブ、つまり女 性解放運動 がドイツでも起きて、出産のあり方について女性たちが助産 師 を必要としたそうです。それから随分と助産師への社会の 見方が変わったそうて ゙す。ドイツではナチス時代でも母性を 強調し、実質は反女性参政権やナチ スへの協力がされてき た歴史がありますが、このお産のあり方をめぐる動 きは質的 にはフェミニズムという女性の自律的運動、性別役割からの 解放だっ た考えられます。 訪問して印象的だったのは、「科学的にエビデンスのない 仰向けのお産の分娩介助は教えない」という言葉でした。エ ビデンスがな くても従来してきたやり方を変えるのは本当に 難しいです。特に、医師集団との やりとり、それから医師にあ る程度従うのが当然だと思っている助産師たちと のやりとり。 女性自身も、わからないからすべてお任せします、という人も 多い 中で、ドイツの助産師たちは過去からの遺産である法律 と、フェミニズム の流れと、保健施策をどうもバランスよく使っ ていこうとしているか、そんな 感想を持ちました。詳細につい てはもっと調べてみないと分かりませんが、改 めてモーゼと 助産師の記事を思い出した次第です。 【以下字数の関係で、項 目的に紹介。全文必要な方はお申し出 ください。(以下の文責はクボタ】 〈世 界の助産師〉 日本の助産師をめぐる現状。女性のみ。 世界では、国や地域によっ ては男性も。 科学・医学の発展の下、病院出産が流行。 だがニュージーラ ンドなどで、助産師による出産が復活、 再生。自分自身のお産、家族や子と ゙もとの絆を大切に。自分 がお産の主人公に。助産師が必要とされる。また、 お産の際 の必要以上の医療介入を避けるため。 今後の職能集団として助産師はど うあるべきか。医師との 協働は不可欠。 「助産師イコール「フェミニズム」て ゙はありませんが、「性」と 「生」と「死」の臨床場面に対峙する職業として、 その歴史と現 状はいつも知っておくべきであると思います。同時に、 全ての人々 も「性」と「生」と「死」についても自分のものとして 考えられますように。」
10月16日 マタイによる福音書 24章3-14節 「苦難の底で」 八木かおり マタイによる福音書の24章は、いわゆる「小黙示録」と呼ば れている箇所です。そして <終末の徴><大きな苦難を予告 する><人の子が来る><いちじくの木のたとえ><目を覚 まして いなさい>という一連の流れは共観福音書においては 共通して採用されています。い ずれも、イエスがエルサレム神 殿で、その崩壊を予告した後に、弟子たちか ゙イエスに質問をし たことへの答えとして構成されています。マタイもルカも、基 本 の構成はマルコに従っているのですが、ただ細かいところはそ れぞれ違っ ています。 例えば、本日のテキストの「終末の徴」の題がつけられた記 事の冒 頭部分では、マルコとルカでは弟子の質問はそのまま 「そのことはいつ起こる のか」、つまり神殿の崩壊について尋 ねているようですが、マタイは「あなたか ゙来られて世の終わると き」が追加されています。この部分の「終末の徴」とい う題その ものが、3つのうちのひとつでしかない、マタイの記事にひっぱ ら れてつけられているのです。マルコとルカだけ読めば、文中 の「まだ世の 終わりではない」「世の終わりはすぐには来ない」 の記述の方に注意がいくて ゙しょう。そして、ここに述べられてい ることは終末に起こることではなく、 いずれ起こる事態として語 られ、何より焦点は、たとえそうした絶望的な事態に 直面したと しても、それを耐え忍ぶこと、生き延びることを促すものである ことに目が向けられるはずです。末尾では、マルコでは「わた しの名の ために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しか し、最後まで耐え忍ぶ 者は救われる」(13:13)で終わっている のですが、ルカは最初期へのキリスト 者への弾圧を物語るよう な節(21:12-16)をさらに加えた上で、「しかし、あなたか ゙たの 髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたが たは命をか ち取りなさい」(21:19)と表現を変えています。マタ イも、もちろん忍耐を言っては いるわけですが、これに「そし て、御国の福音はあらゆる民への証しとして、 全世界に宣べ 伝えられる。それから終わりが来る」が追加され、世の終わり の 前に全世界に福音が宣べ伝えられるという事態を(恐らく切実 な希望として) 語っています。マタイに罪はないだろうとは思い ますが、ずいぶん後の時 代、むしろ耐え忍ぶ必要のなくなっ た時代においては、これがキリスト教の世 界宣教!世界征 服!みたいな利用のされ方もしてしまったのだろうと考えると、 と ても複雑ですし、違うよと言いたくなるのが現在のわたしで す。 それぞれ、 主張は微妙に違っているのに、一緒くたにして 特定の方向に誘導してしまうという のは本当にいかがなもので しょうか。表題のこうしたいっしょくた効果の問題 はずっと指摘 されてきています。違うことを言っているはずなのに、それが そうとは受け取られない場には、必ず前提ありき、そうなるべしの 権力を持つ 者にとって都合のいい状態を導き出すための論 理と力が働いています。しかし、 同時に、聖書の物語は、そう した権力に利用されることもあると同時に、本来権力 と、それ がふるう暴力に抵抗する言説からも成っている、そこが面白い し、同 時に本当にやっかいだとも思っています。 わたしはずっと、テキストの物語、 その言葉そのものと背景 にこだわって、それを特に女性としての視点(とはいえ、 それ はあくまでもわたし個人)から今につなぐ形で語り直すことに集 中して きました。それは全く変わらないのですが、最近とみに 思うのは「女性だか らで一律にくくることは絶対できない」「古 代の、それも中東の人のことはま るで分からない」です。分か らないこと、分かち合えないことを、わたしは大 事にできるだろ うか、でも可能ならばそうしたいと願います。ユダヤ教 は、王国 が失われたバビロン捕囚時代に、生き延びることを神に託した ユ ダヤ人たちの信仰から生まれました。しかし、後にはそれが 教条主義に陥ると 共に、ローマ支配の抑圧によって民衆を苦 しめた事態のなか、イエスは生き、殺さ れました。その彼の生 死とその言葉に打ちのめされながら、それを無とするのて ゙なく 立ち上がった人々がいました。よく知られている弟子たちだけ では なく、そこに、苦難の底から見いだされた希望をつなごう とした多くのさまさ ゙まな人たちがいたのだと思います。 ところで、今回わたしが指定した箇 所よりも後の「それらの日 には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ」(19節)か ゙、わ ざわざ書かれていることに注目します。 これは、マルコ以来、マタイに もルカにも共通してある記述 ですが、女と子どもの、その不幸を決定づけ 放置するための 言葉ではない、そう考えます。一連の「小黙示録」と呼ばれる テキストは、イエスの言葉として、苦難を耐え抜くこと、それに 備えることを訴え ています。そして、これは著者によって、60代 にユダヤ全土におよぶローマへ の反乱が起きたこと、それが 鎮圧されたこと(第1次ユダヤ戦争)を背景として 語られたもの としても考えられています。戦時という大人の事情において、 男性て ゙あれば経験しない状態で、加えての苦難に直面した女 性たちと子どもたち をそれに巻き込む不条理と、そうあっては ならないことが、重ねられての特記と なったのではないでしょう か。それは著者にとっても決して無視できないこ とであり、単純 に不運だったねでは済まされないこと、もし「それ」が起 きた時 には必ず注目しなければならない備えとするべしな言葉であ ったの ではなかったでしょうか。重ねます。わたしたちそれぞ れが、かつて胎児 や乳飲み子な時代には護られ、そしてどう にかこれまで生き延びてきた者て ゙す。注目されるべきだろうと 考えるのは、生きてあるいのちが、どのよ うな事態であろうと、 蹂躙されることへの絶対的な否です。
10月9日 ルカによる福音書18章35~43節 「見えるようになれ」 久保田 文貞 エルサレムに向かうイエスの旅の終局となる。前回の「富 める青年(ルカでは「議員」)」(18:189以下)のところで、人は 自分の持てる物 すべて捨ててかからないとイエスに従って いくことができないとピシャリ と言われ、改めて〈主は、なおも そう来られるのか〉とたじたじとしてしまう。 いやそれだけでは ない、優等生のようなペテロが誇らしげに「このとお り、私た ちは自分のものを捨ててあなたに従って参りました」と言う と、イエスは、 「アメーン、あなた方に言う、家や妻や兄弟や 両親や子どもたちを神の国の故に 捨てた者で、この時にお いてその幾倍も受けることなく、また来るべき世で 永遠の生 命を受けることのない者はない」と言われた。原語に忠実な 田川訳は微妙 だ。この二重否定を、新共同訳のように「受け る」と肯定してしまうと何が違っ てしまうのだろう。「捨てれ ば、いただける」という単純な捉え方に疑問符か ゙点けられた のではないか。〈どうです、私はみんな捨てたのですから、 当然受けることができますよね〉と、そこで自分の中に生じて しまう請求 権に気づいて固まってしまわないだろうか。 前にも引用したが、捨聖と言わ れた一遍の言葉を思い出 す。「むかし空也上人へ、ある人、念仏はいかが申すへ ゙きや と問いければ、「捨ててこそ」とばかりにて、何とも仰せられ ずと」、 そして極楽を願う心も、悟りも、一切を捨てて念仏す る、ついには「身をすつる す つる心をすてつれば...」と、 要するに(なんて、生意気な言い方で)「捨てれは ゙もらえる」 という発想も捨ててというわけだ。今日のテキストに通じるも の があると思う。 31節以下、イエスが三度目の死と復活の予告をしたと続 く。マ ルコ10:32以下の予告に、ルカは19:34、弟子たちが 「この言葉の意味が...理解 できなかった」と書く加える。だ が、より問題なのは、ルカがマルコ 10:35-45、新共同訳で 「ヤコブとヨハネの願い」と見出しが付けられている 部分。そ れは「願い」などという代物ではない。神の国が実現した暁 に、番 頭になって実権を持つのは我らヤコブとヨハネの兄 弟だと約束して欲しいとい う図々しい要求なのだ。ルカも、 イエスの死後に立ち上がった原始エルサレム 教団の指導 層にいた人間にこんな低次元の物語を置いておくわけには いかないと思っ たか、これを除外してしまう。ただし、ルカは 二人の名を伏せて、「最後の食事」 場面の後ろ(22:24以下) に、神の国が実現する時に、一番偉いのは権力をふるうも のではなく、給仕するものだとイエス自身の言葉として含め おく形にしている。 とにかく、こうしてイエスと、最後まで従ってきている弟子 たちと群衆の一行か ゙、いよいよエルサレムへの旅の最後の 段、エリコの町の舞台へ。行進している弟 子たちとずっとつ いてきている群衆たちは、〈ほら私たちは、家も肉親も何も か も捨て、人を指図する立場も捨て、こうしてこの人に従っ ているよ〉とばかり、 私たちはみなさんとは違って何かをつか んでいるといった顔をしている。従って いく者たちの内側の 思いは、イエスの内側の思いと同じだとばかりに、意気 揚々 と行進していく。これを見ている者たちは、それまでのイエス の周りに集ま る群衆とちがう位置に立たされている。〈君たち はただの見物人にすぎない〉 と。ここに作られた差が私には 気になるが。 そんな時、「ある盲人が道端に 座って物乞いをしてい た。」 彼には、捨てて誇らしく思えるような物が何も無い。 「すつる心をどうやって捨てられるか」と悩むこともない。見 えないし、ものを 持たない。マルコによれば彼の名はバルテ ィマイ。マルコはこの人の名を省略 しないで書き留める。ル カは省略する。この騒ぎは何のことだと、盲人のハ ゙ルティマ イは思う。「ナザレのイエスだ」と誰かが教えてくれる。かれ は イエスのうわさを聞いていたのだろう。ここぞとばかり「ダビ デの子 よ、私を憐れんでください」と見物人たちの後ろから ありったけの声で連呼 する。「ダビデの子」とは、古典的な王 への敬称、イエス時代にはユダヤ の救世主メシアへの称 号。後のキリスト教は堂々とこの呼び名をイエスに使うか ゙、マ ルコ12:35以下によれば、イエス自身は、この後エルサレムに 入ってから、 「メシアは『ダビデの子だ』と言う」当時の考え方 と、そのイデオローク ゙たる律法学者らのテーゼを公然と批判 する。つまり、どうみてもバルティ マイの「ダビデの子よ」とい う呼び方に、イエスは同意しているわけで はない。すぐ後の エルサレム入城場面(マルコ11:7以下)でロバに乗ったイエ ス に向けて沸き起こった「ホサナ」の歌声は誰が聞いても、〈新 しいメシアよ、 ダビデの国へようこそ、メシアに祝福あれ〉と 歓迎の声にしか聞こえないか ゙、この場面のマルコとルカの 描き方の違いについては次の時に考えてみたい。こ こは、 おそらくその一日前のエリコでのこと。マルコ的には〈自分 は人々が期 待するようなダビデの子たるメシアではないけ れども、今はそのことを 問うまい。ただ、君がなにも捨てる物 もないところから叫んでいることはすく ゙にわかった。君の声こ そ聞かれる所に僕もこれから行こうとしている。この人た ちに もそれがわかればいいんだが〉と、イエスは彼が見えるよう になる ようにと全身全霊をそそで癒された、と解したい。
10月2日 ルカ福音書18章18~23節 「金持ちと神の国 」 久保田 文貞 イエスがガリラヤからエルサレムに決然と向かう旅 のことを注目してきた。福 音書を通してイエスの公生 涯を追っていくと、なぜイエスが十字架という悲劇 的 な事件に向かって突き進んでいったのか、という問い の前に立たされる。ガ リラヤ時代の数年とエルサレム での最後の数日間の対比を劇的に描いた最初の人 は福音書というものをイエスにあてがって描いた著者 マルコだ。これに対して ルカは、マルコ福音書では実 際に2,3日で終わった旅を大幅に拡張し、その間 に マルコ以外の資料を使って物語や譬えなど挿入した ことになる。前にお話した ように、ルカにとっては、イエ スの生涯全体が神から遣わされたみ子キリストの この 地上での旅なのだ。ガリラヤとエルサレムでのイエス の活動を対比さ せたマルコの意図は、ルカの場合別 のものになっている。イエスが言葉や譬え、 民衆との 出会いの事など、すべてがエルサレムで起こる出来 事を解くため の鍵言葉となっているのだ。 としても、ルカはマルコ福音書の枠組みをそれなり に尊重している。9:51から19:27まで拡張された旅に ついての記述は、ほとんど マルコ以外の資料をつか ってきたが、いよいよこの旅が極まったところで、 18章 15から18章43まで、マルコ資料に、それもほとんど手を 加えないで、戻 る。 18章15、イエスの周りに母親に促されてか小さな子 たちがまとわりつくと、 弟子たちが叱った。するとイエス は言われた。神の国はこのような者たちのもの、 子供 のように神の国を受け入れなければ、そこに入ること はできないと。ほの ぼのするようなエピソードだけど、 福音書の著者ルカは、これをいよい よ間近になった 十字架の出来事を通してもたらされる「神の国」事件 の解題にして いる。 そして18章18節以下。「富める議員」の物語。元のマルコ では「ある男」。 ルカはユダヤ最高議会の〈議員〉。マタイは 「青年」、21節の「子どもの時か ら守ってきました」などとまっ すぐに言える彼は大人になったばかりの若者 の感が否めな い。彼がイエスの所に来て最初に述べた口上が「善い先 生、 何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」ということ。 「善い先生」という呼びかけ方にも、それまで熱心 に学び続けてきた青年ら しさを感じるが、イエスはこう呼ば れて強い違和感を覚えたのもわかる気か ゙する。問題はそれ 以上に、「何をすれば永遠の命を受け継ぐことができ るか」 という言い方にすでに秘められている。「受け継ぐ」とは明確 に相続の ことを指す語。旧約聖書用語でいう嗣業、すなわ ち神から約束されてイスラエル に与えられた地を相続する のだという感覚が前提になっている。で、イエス は『姦淫す るな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』というモー セが神 から示された十戒の後半部を挙げる。「善い」というこ とがあるとすれば、 それは倫理上のこと、その基準となるの はモーセの十戒以外にあるまい。そこで 彼は「そんなこと は」子どもの時から守ってきましたと誇らしげに言う。完全 に イエスの思惑通り。 マルコをはじめ、福音書は基本的にモーセという名を積 極的な意味で使わない。モーセ=律法、そして金科玉条の ように尊ぶパリサイ 派とセットにされている。マルコ10章1節 以下の「離縁について」、子どもの祝福 のすぐ前に置かれて いる。そこでは離縁を許可したモーセの名を上げて、イ エス は離縁を姦通の罪に等しいとまで言う。ルカはこれを危険 すぎると思った か抹消している。でも、マルコ10章1節から31 節まで、マルコでは決定的なエ ルサレムへの旅の動機のご とくこれらが並べられている。その後の32節「イ エスは先頭 に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、 従う者たち は恐れた。」となっている通り。 戻って、ルカ18章22、「あなたに欠けているものか ゙まだ一 つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分け てやりな さい。そうすれば、天に富を積むことになる。それか ら、わたしに従いなさい。」 翻訳上の問題を言えば、「欠けている」というのは元来マ ルコの表現。ルカで は「残っているものがまだ一つある」とす べきだ。微妙な違いだが、 「欠けている」という語には、その 人の実践の不徹底というより、そもそもモーセ の十戒自体に 欠けがあるのだという響きを感じる。それに対して「残ってい ることがまだ一つある」は十戒への付加、その人のやり残し のようになってし まう。イエスが意図したことはそんなことで はない。彼の頭に閃いた「神の国」、 その仕上げのようにし て待っているエルサレムでの出来事においては、「君か ゙子 どものころから学び取って来たことを受け継ぐという構え方 を捨てるこ と、つまり持てる物を自分のものとするのではなく 人に与えること、法で良し とされているからと言って人と関係 を断つなどと考えないこと、むしろ幼子のよ うになること」、そ のようにこれから起こる出来事の意味を捉えよ言われる。
9月25日の礼拝説教から マルコ福音書10章42~45節 「王てあることと僕であること」 久保田文貞 19日にエリザベス2世の国葬があり、新聞、テレビ、イ ンター ネットで世界中に報道された。私も27日の安倍 晋三の国葬に反対する者として、 強い関心でこれを見 た。英国の国王は形式上、英国教会の首長であり、その 葬 儀は「キリスト教で」なんてものではなく、キリスト 教そのもののように行わ れていた。葬列の中央に高く 十字架が掲げられ、まるで英国の王は、「神の 国」の主に 直結しているかのように。葬儀で歌われた讃美歌は、私 たちもよく歌 う120番「主はわが飼い主」。キリスト教徒 がこれを歌えば誰もが「見失っ た羊」の譬え(ルカ15)を 想い起し、自分がその失われた羊「ひつじ」であり、 飼い 主に救い出された者だと想う。英国民にとって、さすが に女王が「飼い 主」とは言わないだろうが、「ひつじ」た る民にとって、女王は十分に「飼 い主」たる「主」の側に 寄り添う代行者というイメージが刷り込まれていくに ちがいない。 この葬儀に天皇夫妻が招かれた。慣例を破ってまで 葬儀に参加 したらしい。先代の天皇明仁の時から、戦勝 国英国の王制は天皇制の模範とした節か ゙窺える。エリ ザベスが群衆に近寄って握手をしたり、声を投げかけ たり する図を真似たという。時に膝をついて病身の被 災者に話しかけたり、幼い子ど もたちと触れ合った。こ うして国民に寄り添う王室、天皇制が演出されたのだ。 近代の民主主義、平等観念の中で、王室が生き延びてい くための策だった のだろう。「近代国民国家」で本来主 権者であるはずの民が、王に触れ 語りかけてもらった と言って喜び、いつのまにか平伏してしまう。 こんな図を見 ながら、一方でロシアのプーチン大統 領は専制君主のように民を力でねし ゙伏せ、反対者を拘 禁してでも、ウクライナ侵攻を強行し、世界の世論を敵 に回 す。露骨な悪政を前にして、ロシアの民はほとんど 抵抗できぬまでも、向か うべき方向だけは明確につか んでいるにちがいないと思う。こんな民の情 念を専制 君主ばりのプーチンもかき消すことはできないはず だ。皮肉な ことだ。 今の世界を見て個人的に思ったことをつづってみた が、私たち聖書 を読んできた者には、今の世界と、聖書 の世界とが地続きになっていることを 強く感じないわ けにいかない。イエスと原始教会の紀元一世紀前後と、宗教と国 家の在りようが異なるのは確かだが、基本的 な枠組みのいくつかは共通する ように思う。 特に超越者(神)に支えられて今があると信じる者 には、今も昔も、 この地上の権力者たちにどう向き合う かという課題にそれなりの答えを出してい かなければ ならない。旧約時代に王国制へと至ったイスラエルも、 王国を失って 宗教団体のようになったユダヤ教にとっ ても。イエスも例外ではない。 イエス の説教の中心に〈神の国〉がある、少なくとも 原始教会はそう確信した。そう表 現した以上、地上の現 実の政治的支配とそれがどう切り結ぶか答えを用意し ないわけにはいかない。だが、イエスの神の国について の言葉を並べてみる と、王国や支配とは全く逆の、いや それどころか、支配自体を根本から壊してし まうよう なことが書かれている。マルコ10:13-16、42-45//マタイ、ル カ。それ はどの時代の支配の形式にも、応用が利かな い。 よく言われるようにイエスの 神の国説教の背景には ユダヤ教の黙示思想、さらには普遍的な終末論がある と。 いつの日か神の手が直接に下って、世の権力者を失 墜させ、人間世界を審くとい う図が描かれる。イエスも そんな宗教思想が横行した環境にいたし、後のキリ ス ト教はさらにメシア・イエス論と発展させた。これは いつか超越者がこの世界 史にケリをつけてくれるとい う信仰である。歴史が経過していくということを 意味 づけていく思想だ。 けれども、イエスの神の国の説教も、並々ならむ決 意 で臨んだエルサレムへの旅立ちと十字架という帰結 も、単なる終末論に納ま らない。前に挙げた言葉の通 り、彼の「神の国」の言葉は、人が王国の支配と いう時に 寄せるあらゆる発想を根底から逆転させてしまう。支 配するということの 前提にある上下関係を反転させ る。支配し、支配されるという力関係を脱力化させ る。 圧倒的な力によって殲滅されたようでありながら、無 力が勝利する。た ゙から、王が民の前に跪いて、その後再 び立ち上がり、より一層気高く、よ り洗練された支配の 仕方を手にして、玉座に座りなおすという図を許さな い。かき 集めた豊かさを手にしたまま、彼の言う「神の 国」に入ることは許されない(マルコ 10:21//)。 「気を 落とし、悲しみながら立ち去る」(10:22)か、「何もか も捨て て従うか」(10:28)なのだが、それも口先だけ ではだめなのだ(10:29)。 そこをなんらこわばること なくニコっとして受け入れていくよりないのである 。
9月18日 「怒り」の震源から マタイによる福音書23章37-24章2節 八木 かおり マタイによる福音書によると、イエスが弟子や群衆 に向かって律法学者やファリサイ 派を非難しながら語 りかけ、続けてエルサレムの町、さらには神殿に対し ても審 判の言葉をまとめて差し向けるのは、まさしく その地、エルサレムにおいてです。 エルサレムはダビ デ以来の王国の首都であり、南王国ユダが新バヒ ゙ロニ ア王国によって滅亡した時代に一旦は失われましたが、 バビロン捕囚 民が新バビロニアを征服したアケメネス 朝ペルシア初代王キュロスによっ て解放されて帰還を 果たした後に再建されました。その後、第1次および 第2次ユ ダヤ戦争がローマによって鎮圧され、ユダヤ 人居住禁止令が出されるまて ゙、エルサレムはユダヤ人 にとっての実質的な中枢であり続けていました(その 後は魂の故郷であり続け...ついにはシオニズム興隆に よる第二次大戦後のイス ラエル入植と建国いう事態に なってしまうのは、どう考えても無茶苦茶な話だ と思 いますが。 そしてイエスの時代、ユダヤ主流派として指導的立 場にあっ たのが、大祭司を頂点とする祭司集団と結び ついていたサドカイ派、長老た ち、彼らと対立する律 法学者をはじめとするファリサイ派です。エルサレム は 彼らの拠点であり、一方のイエスは、彼らからは「辺 境の地」「異邦人のガリ ラヤ」と蔑視されていた北部地 方にあった村ナザレ出身のただの人でした。 北部地方 は、北王国の滅亡以来800年にわたり「異民族が支配し た地」(当時のユ ダヤ人からすると)で、この地はイエ スの時代の少し前、ハスモン家が一時的 な独立を果た していた時代からヘロデ大王がローマからその権限を 得たことに よってユダヤに編入された地域でした。こ のあたりのエルサレムとガリラヤ の対立的関係は、既 にマルコにおいて設定されていますが、それをさらに 強調す る形でマタイはイエスのエルサレムへの裁きの 言葉を、そのエルサレムで語ら せています(ルカだと まだ巡回中)。前段の律法学者とファリサイ派への非難、 エルサレムだけでなく神殿までを射程とする裁きの言 葉は、いわば敵地に 乗り込んで敵を糾弾するというか なり大胆で過激なアジテーションとして演 出されてい ます。ローマの支配を受け入れていたヘロデ家、神殿 の祭司集団や長 老たちとは違い、ヘロデ大王の後、ユ ダヤが属州化されるなどローマの影 響が強くなってい くなかで民衆の不満は蓄積され、そうした事態を打開 する者 としてのメシアが待望されていました。イエス の言動は、そんな抑圧された側か ゙分裂し、その関係が 緊張をはらんでいくという状況に一石を投じるものた ゙ ったでしょうが、しかし主流派にとってみれば導火線 に火をつけられるも のとなる可能性をはらんでいまし た。 エルサレムに対して、イエスは「預言者た ちを殺し、 自分たちに遣わされた人々を石で打ち殺す者」と言っ ていますが、 これによりイエスの死が暗示され、同時 にイエスが「預言者」「神の人」で あるとの理解が示さ れています。ただし、ユダヤ教的には預言者にはいく つ かのタイプと役割があり、ここで言う預言者は、王 国時代(特に分裂王国から 単立王国)に登場した預言 者たち、それぞれの王国の危機に際して登場し、指導 者たちの背信と不正を告発するも、その時代には顧み られることのなかった人々て ゙す(ちなみに、その前後 に登場する預言者と見なされている人々は、そうでは なく指導者的立場の役割を果たしています。またユダ ヤ教的に預言者認定は、ヘ ゚ルシア時代の人までです。 なので、イエスを預言者と考えることそのもの も、彼 の時代には認められないことでした)。イエスの背景に は、現実を生きる 民に苦難を強いる元凶として、指導 者たちの不正と背信を心底怒り、告発した個人 たちが いたのです。
9月11日 コヘレト3:1~12 「何事にも時がある」 板垣 弘毅 「何事にも時があり /天の下の出来事にはすべて定めら れた時がある。」 わたしたちが、時機を 待ったり、ものごとを諦めたりすると きに使う「何事にも時がある」とは違い ます。まず「生まれる 時、 死ぬ時」がある。 「植えるにときがあり/抜くに とき がある」(岩波訳)農作業の種をまくとき、刈り入れるときとい うことでしょ うか。それとも「抜く時」とは、植えたものが台無し になるときでしょうか。 収穫前のウクライナの小麦畑にロシア のミサイルが撃ち込まれるような戦乱、あ るいは台風で収穫 期の果物が散乱している光景なども想像させます。農民に はなすすべがありません。今年は戦後77年。「殺すに時が あり/癒やすに時か ゙ある。 崩すに時があり/建てるに時が ある」(岩波訳)この言葉通りに、自分 の人生で実感してきた はずの年配者が、ウクライナ戦争を機に、核戦争が 現実的 になったと危ぶんでいます。「泣くに時があり/笑うに時が ある。 嘆く時があり/喜びは跳ねる時がある」...「石を投 げるに時があり/石を 集めるに時がある」(岩波訳) これも 戦いの場面かも知れません。現在なら、ド ローンやミサイル の爆撃です。ゼレンスキーもプーチンも「石を集める」の に 必死です。当時のパレスチナのユダヤ人、多くの住民にと っては戦乱に巻 き込まれる不条理な日々を強いられてい て、コヘレトもなすすべがなくこの現 実を見つめていたのだ と思われます。 「抱擁するに時があり/抱擁を避けるに 時がある」(岩波訳) これも戦場を背景にしてみるとリアルになりますね。77年 前、 日本は外地から引き揚げてくる何百万もの人の安否情 報が錯綜しました。 ...... 「裂くに時があり/縫うに時がある」(岩波 訳)は、 「裂く」は旧約で は悲しみや怒りの表現として使わ れています。なんと思いの深い表現かと思いま す。...... そして14組の最後が「平和」(シャローム)です。「戦いの 時があ り/安らぎの時がある」(岩波訳) 平和で終わるの が救いです。 以上「時」 をめぐる言葉が終わって、コヘレトの言葉はこう 続きます。 09人が労苦して みたところで何になろう。 コヘレトは、今で言えばリベラルな文化人で、 食べるため に必死に労働する人ではありませんでしたが、不安定定な 社会 に振り回される無口なユダヤ人庶民の現実に共感でき ました。どこか虚無的 なコヘレトですが、つぶやきながら「わ たしは、神が人の子らにお与え になった務めを見極めた。」 といえるのです。 コヘレトは今まで述べてきた 14組の「時」を、神がお与え になった「時」として、上から(外から)の視線を持 ち続けるの です。 11神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を 思 う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始 めから終りまで見極 めることは許されていない。 「永遠」(オーラーム)とは、人間が介入できない 神のも の、人間には白紙なのです。人は「永遠」の前では泡のよう にながれ て消える、その時その時のものです。それでも人 間は神のまなざしの中に 「ある」とコヘレトは言います。...... どんなに不条理で悲惨であっても、 神から与えられたものな のです。言い換えれば、どんなに不条理で悲惨て ゙あったと してもそれは神のまなざしの外ではない、ということです。 コヘ レトの「時」は、人間の世界の不条理のまっただ中に 神の「時」がある、のっへ ゚らぼうに流れる時間ではなく、それ を切断する「時」があることを告げ ます。弱肉強食の理不尽 だけが支配しているだけだ、と見える時間の流れ を、ある 「時」が断ち切り、隙間をつくり、希望を与えることがある。... ... 77年前、東京の大空襲でゼロ歳の赤子を背中にくくりつ けた私の母親に、自身 も火の中をくぐって服も髪も焼けただ れた人が水筒の水を差し出しました。 防空壕を出て、黒焦 げの死体が散乱し地面もまだ熱かった、目黒の不動尊近 く でした。こんなことがあるのなら生きているのも悪くない、そう 思わせる時 が、無慈悲な時間の流れに隙間をつくります。 わたしはこの一杯の水のおかげて ゙生き延びているのかも知 れません。 ユダヤ人、旧約聖書はこの無慈悲に流れ る時間のただ 中にメシアの到来を待望しているのです。時間を切り裂くよ うに やってくる神の時が「ある」と信じます。イエスも歴史に 介入する「その日」 を告げましたが、イエスの神の国は底抜 けに開放的でした。すべての人に 無償で差し出されている 恵みを、イエス自身が短い生涯で出来事にしていま す。イ エスに出会った困窮した人たちは、こんな時があるならば、 生きるのも 悪くないと思い直したのではないでしょうか。 コヘレトは終末の、終わりの日 のメシアについては沈黙し ています。しかし、かつてあったことが繰り返されるた ゙けとい う無意味な「時間」の中にあって、小さな喜びを与える「時」 を味わえ と繰り返します。......(以下略 全文は板垣まで。 メールでも封書でも)
9月4日 ルカ福音書16章19~31節 「金持ちとラザロの譬え」 久保田 文貞 どなたも福音書を読み始めたころ、自然と心に残るイエス の言葉というものがあると思 います。マタイ5章の山上の説 教の言葉とか、「種をまく人」「失われた羊」の譬え とか。そん な時、無意識にそれ以外の箇所を背景に退かせてイエスの 声を聴き分け ています。それは小さな聖書批評をしていると 言ってよいでしょう。 先週の「不 正な管理人」に続いて、ルカ16章に出てくる二 つの譬えの後の方、「金持ちとラサ ゙ロ」の譬えですが、二つ とも私たちのそんな聖書批評を立ち上げてきます。 違和感 と言うか、イエスの言葉であってほしくないというか、記憶の 隅にしまっ ておきたい、そんな譬えの感がします。なぜか。 前半の譬えは、二人の登場人 物「主人」も「管理人」も欲深 く、ずる賢く、結局「不正」の奨めのようになっ ている。戸惑っ て当然です。というわけでこの譬えには、この難題を解くカ キ ゙となるような別に伝承されていたイエスの言葉を付加させ た(16:9.10-12)。さら に福音書記者ルカも〈これを「群衆」 向けでなく、より教義的な言葉(16:13)で これを閉じたので す。この伝承にまつわる当時の教会の事情を察しますが、 私たちはこれをイエスの言葉に返して、たとえこれがだれに 向かって、どの ような状況で語られたか、もはやわからない までも、このテキストを私たちな りの状況=コンテキストで読 むよりないでしょう。 同様なことが、16章の二 番目の譬え「金持ちとラザロ」に も起こってきます。これもまたキリスト教的に 座りの悪い譬え なのです。登場人物が、金持ちと貧乏人ラザロと、イスラエ ル民族の父祖アブラハムであり、キリストと彼の振る舞いを 予感させるものか ゙見当たらない。また原始教会がつかみ取 った、やがて到来する「終わりの日」 にキリスト・イエスが到来 するであろう世界理解に、なんとも軽薄なとさえ言 いたくなる ような「この世」と「あの世」(とは書いてないが、これは私た ち日 本人の感覚の「あの世」としか見えない)の対比はそぐ わない。「あの世」のはる か上の方に、ラザロは「御使いたち に連れられてアブラハムのふところに送ら れた」(口語訳)。 「ふところ(コルポス)に」とは、仏のかいなに抱かれた孫悟 空 のようだが、ここではもっとリアルに、この時代の裕福な家 の宴席の場面を 想定しているらしい。原則に寝椅子(レクタ ス)を三つ並べ、真ん中に最上位の者か ゙、その右に次席の 者が、第三位の者が左に、斜めにずらして「席に横たわ る」 という。もちろんそんなのは、相当高級な邸宅の宴会の話 で、イエスの周り に集う貧者たちの生活とはかけ離れていた に違いない。彼らは木椅子や、ベンチ に座ってごつごつの テーブルを囲んで食事をしたに違いない。でも譬え 話なん だから、彼らが一生に一度、経験するかしないかの、上等な 寝椅子に寝 そべって飲食するという空想的な図もありだろ う。ルカ13章28以下の「神の国 の宴会」も同様だ。ひょっと すると「最後の食事」(ルカ22:7以下//)も、最後な んだからと 無理してそんな宴席になったか。とにかくアブラハムの右に 少し控 えて寝そべるラザロはまさにアブラハムのふところ状 態になる。この宴席の はるか下方の地獄で「炎の中でもだ え苦しむ」あの金持ちの男が上の宴席 を見上げている。25 節以下のアブラハムの言葉は無慈悲としか言いようがな い。 ラザロと金持ちの間には「大きな淵があって」渡ることも超え ることもて ゙きないと宣言する。 これでは慈悲を感じられない審判だけが先立ち、イ エ スの、キリストの踏み入る余地もないではないかと。こ の譬えには、中間、猶 予、アソビがない。貧乏人だけが 天に迎えられ、それ以外は金持ち側にふ るい分けられ、 地獄に落ちる、〈さあお前はどっちだ〉という脅しじゃ ない かと。私たちの社会は、格差社会になっていると言 われます。また世界でも富め る国と貧しい国の格差の 問題が指摘されます。良識ある市民として格差は問題 た ゙という側に付きたいと私も思います。だが、よくよく 考えてみれば、格差 とは両者の真ん中にいて良識あり そうな中間体が体よく拡大されてこその格差て ゙はにで しょうか。よく言われるように、諸悪の根源は一握りの 人間たちが世 界の富をほぼ独占しているというのが事 実なのでしょう。としても、〈君は そういう世界のどこ に立って、何をして生きているのか〉。「ラザロと金持 ち」 の譬えは、譬えなんかじゃない。これを読んで、その 中間体の人間はどこに 行ったのか?と当然のように疑 問に思う、そういう君は何者だ、とこの譬えは言っ てい ないでしょうか。 27節以下は、将来の復活の時どうするかとか、「悔い 改め」が前面に出てきて、ルカの手になる付加でしょ う。ルカは、この譬え全 体をイエスがユダヤ人を皮肉る 話にしてしまいました。きつい言い方になりま すが、こ ういう括り方では、結局自分は客席について見物する だけになって しまいます。この譬えは、私たちが陥りが ちなこういう在り方を内側から毀そ うとしていたもの ではないでしょうか。
8月28日《説教ノート》 ルカ福音書16章1~8節 「不正な管理人」の譬え 久保田文貞 みなさんもこの譬え話を改めて読まれて、どう理解したら よいかある種の混乱状 態に陥っていないだろうか。ルカ福 音書を順次読んでいくと、すぐ前の16章 などは著者ルカ自 身が自信を以て悔い改め論として完結させているように見 え る。ところが、16章に入っていきなり「不正な管理人」の話 になる。もちろん素 人の私も面食らう。いや、どうも近代の聖 書学者達もこの譬えをどう解釈する かで揺れに揺れ、定ま った解釈を見いだせていないらしい。 そうなっていくも とは何か。簡単だ。どうひっくり返してもこ こには「不正」の奨めが説かれ ているからだ。旧約の言葉も 決して不正を認めない。だが旧約の中で「不 正」という訳語 で問題にされていくのは、宗教的な罪というより、法的な正・ 不 正の事である。それは、イスラエルが王国として統一社会 を作り上げてから のこと。広く統一した社会にあっては、どこ の誰とでも同等に渡りあえての社 会生活が前提になる。そ の中で「不正」は許されない。そのための法と裁判制 度が必 要になる。これは王国前の古きイスラエルの共同体社会で の神への「罪」 に直結した不正問題とは違う。私たちの近代 社会にほとんど同質の「不正」と言っ てよいだろう。 そんな中でイエスは「不正」の奨めとしか取れない譬えを 語ら れた。皮肉に充ちたユーモアとも言えないユーモアか。 こういう言葉が出てくる のは、イエスに限らず、概してある種 のマンネリズムへの批判が横たわって いると思う。マンネリズ ムというと元は美学的な言葉だ。〈師匠の作品を徹底 的に 真似てそれ以上の作品を産み出そうとする。しかし、どうや っても独創性を 産み出すことはできない。他人には惰性的 な反復にしか見えない...。〉 ことは 芸術表現だけの問題 ではない。〈人間としてどう生きるか、社会生活の中て ゙正義 とは何かと追い求め、実現しようとする。他者をだましたり、 陥れること なく、自分とその家族のために働き、安定した生 活を確保する。これでいいはす ゙だと思うが、なにかしらじらし いと感じる。〉 そんな正しい生活の向こ うで、いやそのすぐ 脇の所で、それとは別のことが起こる。法に基づい て必死で 生きている人が生活を破綻させていくのを目にする。どうせ その人 が欲を出しすぎて失敗したんだろう。裏で不正な取 引をし、それがば れて破滅したんだろうと、自分なりの解釈 の図法を作り上げて、この不安を解 消しようとするのだが、 そこにマンネリズムが潜んでいないか。とすれは ゙、ただ不正 を憎み、正しい生活をしてきたかのような自分自身と、その 同僚を 皮肉ってみたくならないだろうか。 ここに順調に経営してきた社長がいるとし よう。有能な社 員に経営の大部分を任している。この有能な社員が不正を してい るとのうわさを耳にする。彼を呼んで問いただす。の らりくらりと弁解し時を 稼ぐ。こうして彼は首になった時の再 就職に有利に働けばと、取引先の債務を 帳簿上大幅に減 額してやる挙に出た。たぶんこれはわれわれの言う「業務上 横領 罪」に当たるだろう。刑事的に訴追され有罪となればク ビになるだけで はない。さらに民事的に損害賠償請求もさ れるだろう...。こんな頭の巡らし方は、 正しいことが正しいこ ととして何のはばかりもなく通用している社会内のことた ゙。だ が、その社会の経済が破綻したかのように見えた者には、 豊かで正 しい経営などどこかに吹っ飛んでしまう。そんな中 で利を貪りつづける 経営者を裏切っても、また経理担当者 として莫大な債務を抱える債務者の負担を減し ゙てやって何 が悪い。正・不正の古い基準はもはやないというわけだ。 これも 一つのマンネリズム批判である。だが、マンネリズム 批判はどう転ふ ゙か、つねに注意が必要だ。現代社会の中 で、ほとんどの右翼はこのマン ネリズム批判を使う。「戦後レ ジームからの脱却」と誇らしげに言っていた 安倍元首相のこ とを思い出すだけでわかろうというものだ。 実は聖書世界て ゙も、一つのマンネリズム批判が立ち 上がっていた。いわゆる終末論であ る。ユダヤ教社会に はびこる神殿体制と律法理解のマンネリズムを、外か ら、 かつ内から破っていくような神の直接支配。この地 上世界にはもう何も頼れるもの はない。世界は神の審 判を迎えている。何が正しく何が不正かを決める基準 は もはやここには無い。洗礼者ヨハネはストレートに、 神の審判の前に「悔い改めよ」 と世に訴えた。ナザレ出 身のイエスもそれに応えた(マルコ1:4-13)。だが、 イエ スは何か違和感をいだき、そこを去った。人間世界への マンネリズム批判 としての終末論もまた次の別のマン ネリズムに抱えてしまうということか。 イエ スは破綻しつつあったユダヤ社会の周辺で、「正 しい」生活の外へ押しやられ た人々の間に立つことを選 んだ。マンネリズムを批判する終末論などという 未だ 美的センスを捨てきれない終末論でなく、社会のマン ネリズムが現実 に作り出してしまった債務に苦しみ、 破産し、家も職も失った人々の間に立つ。論て ゙はなく、 まさに、終末そのものの中に立って、共に神の福音を浴 びて生きよう とする。何が正しいか、何が不正かの向こ う側にあって。それがこの譬えを 解くカギだろう。
8月21日 ルカ15章11~24節 「放蕩息子の譬え」について 久保田文貞 私たちは、ここに 集会場所を設け教会という看板をだし礼 拝をしている。世間の人々から見れば、 「ああ、宗教をやっ ているな」と見られる。まずは「はい、そうです」という よりな い。現代人は宗教と関係ないような顔をしているが、内面で はけっこう 宗教心あるいは信仰心をもっているものだ。ただ し、そんな人も、宗教が教 団化するととたんに警戒心を抱 く。無理もない。現在の世界を見ると、 イスラムの タリバン、 プーチンを推すロシア正教の一部、政治に執拗にからむ統 一教会な どの現状を目の当たりにすれば、宗教などというも のはプライベートに こっそりやっておくのが一番と思うだろ う。それでもやりたいなら、世界の 貧困や差別に向かってい くための愛の宗教、博愛のボランティアでもするより ないか。 宗教を組織する以上そのような実践の仕組みになるよりな いのだろうか。 先週、沖縄の牧師村椿嘉信さんの遺稿とも言える『荒れ 地に咲く花』の一部を「平 和を考える礼拝」の週報に勝手に 載せさせてもらった。知恵、科学技術が資本と 結託した権 力にからめとられ、世界的規模で、貧困と差別、そして戦争 が起こっ ていると述べていく。彼はこれに「愛という可能性」 というものを対置する。 〈イエスは無秩序と混乱が支配して いる時代の只中で示そうとした。「愛する こと」こそが、人類 の未来に可能性を与えるのである〉と。美しいキリスト教 的な テーマだと喜ぶなかれ。ここには教会が出てこない。いま、 この「荒れ 地」で、教会という宗教が何の役にも立たなかっ たという失望感が本全体に 漂っている。1970年代から1990 年代にかけて沖縄の教会の人々がどんなにヤマ トに向けて 発信しようと、日本基督教団は耳を傾けなかった。多くの教 会は蔵の底 から拾い集めたような「信仰告白」(村椿さんは 教団の「信仰告白」に疑問符を投け ゙続けた)にしがみつい て、沖縄とヤマトの「合同教会」の可能性を無視した。 彼の言う「愛の可能性」とは、呑気なキリスト教博愛主義 の言葉ではない。ギ リギリのところで出てきた言葉だ。宗教と しての教団に落ち着いていくキリ スト教にほとんど見切りを つけたうえでの「荒れ地に、ほんの一輪、孤高に咲 く花」と いうことなのだ。そんな小さな花の集まりこそ、世界を動かす 力となれ という叫びなのだろう。 実は、「放蕩息子」の譬えには、手放しで喜べな い。もち ろん、悪いことをした子が、親やみんなのまえで「ごめんなさ い。 もう悪いことをしません」と心から謝れば(悔い改めれ ば)、みんなうれしくな るに決まっている。でも、ルカ福音書 の悔い改めはそういう水準のことではな い。父なる神のもと から反逆し離反した「罪」ある人間が、どうにもならなく なっ て、神のもとにもどってきた「罪人」を神が喜んで受け入れて くださ るという話である。そこには著者ルカを囲んでいる教 会があって、教会から 離れた人が悔い改めて戻ってくるなら 教会も大歓迎するという話だ。いやそれ 以上に、ユダヤ人 にしろ「異邦人」にしろ、人間とは本質的に神から離反し破 綻 した状態にあって、それに気づいてキリストの救いのもと に返ってくる者は誰て ゙も大歓迎だとわけだ。 問題は、こうして「父」を中心に形づくられ、組織 として動 きだす「教会」「教団」だ。そこに「悔い改め」「反省」してもど ってくることが、人間の基本的な条件のようになっていく。そ の「教団」に属す ることがまず第一になって、そこから次に 「さあどうするか」という構造に なるのなら、やはりそれは違 う。イエスが人々に差し出した福音はそうならない。 「失われ た羊」の譬えも、教会からさまよい出た羊を教会に戻してや ることの譬え にしてしまっては、台無しだ。前回述べた通り。 15章で三つの大小の譬えを 「悔い改め」物語に並べたの は間違いなく著者ルカである。異邦人教会として 成長して いく経過の中ではやむを得ないかなと同情はするが、始め の二つはま だしも、放蕩息子の譬えはあまりに教会的な悔 い改め物語になりすぎていて、 イエスはこんな話をするはず がないと言いたくなる。そもそも、父と息子とい う男だけの関 係をもって、神と人間の代名詞のように使う感覚だってどう か と思う。確かにイエスも父と子の比喩を使う。例えば、マタ イ21:28—31。ここに 出る父、兄、弟も、神と人間の関係を 比喩として語っているように見える。しかし、 イエスの語り口 は、神と人間の関係が第一義なのではない。イエスは、私 たち の身の回りでしばしば起こってしまう現実の親子関係の なかでしばしは ゙起こる食い違いを、神と人間のあるべき関係 のための、単なる比喩にしない。 あるがままの親と子の関係 と、神と人間の関係とを照らし合わせて、人がだ れかと向き 合うことの大切さを気付かせるという風なのだ。そこに教会 や教団へ の帰属問題など入る余地はない。 イエスが語る譬えも比喩も、教会という前提 を引き離して 読むほうがわかりやすい。親は子に話しかける。子も親に精 一杯に 答える。でも行き違いが出る。親を中心に考えれば、 どうして親の思いか ゙わからないのと思う。子を中心に考えれ ば、どうして年寄りは私のことが わかってくれないのと思う。 語り合い、すれ違い、でもまた分かり合える。親と 子の関係 だけでなく、人が語りかけてくる相手に向き合って、語りかけ てく る言葉を受け止め応えるところに真実が生まれる。それ はそのまま神の語りかけ に答えることに通じないか。私自身 はあまり使うことがないが、この真実を 愛という言葉に置き換 えることができるかもしれない。
《8・14 平和を考える礼拝》の資料のひとつとして 昨年6月20日に肝ガンのため亡 くなった沖縄の牧師村 椿嘉信さんの最後の著書『荒れ地に咲く花』の一部を引 用し ます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 知恵とその限界 人類が手に入れた知恵とその限界 すでに確認したように、(「自然」もまた与えられたも の」という前章の中で)、 創世記によれば、すべての「生き 物」に「いのち」を与えたのは「神」であ る。したがって地 上に存在するすべての生き物は、神の「被造物」である。 その際に神は「光に生きるもの」と「闇に生きるもの」 を創ったのではない。そ もそも神が最初に創ったのは 「光」だけであって、「闇」ではなかった。 神は「光」を創っ たが「光」を創ったときに、いまだ「光の当たらない陰の 部 分」が出現することになった。したがって「闇」とは、 「光」の欠如している 状態に過ぎず、「光」と「闇」とが対 等に存在するのではない。「闇に生 きるもの」とは、いま だ光に輝いていないが、いずれ光の中で輝くべき もの のことである。 だが人類は「自分たちに都合の良いもの」を「光」とみ なし、「自分にとって都合が悪いいもの」を「闇」と見な すようになった。そし て自分を輝かせるために「光」を 利用しようとし、自分にとって都合の悪い「闇に 生きる もの」を葬り去ろうとした。 ところで、「知恵」もまた、神によってすへ ゙ての「生き 物」に与えられたものである。地上に存在するすべての 「被造物」 は、神に与えられた「知恵」を持つ。みずからを 環境に適合させるための知恵、 自己保存のための知恵、 日常生活において共存を可能にする知恵...などであ る。それは人類が生きていくために必要な「知恵」だっ た。しかし人類はやか ゙て、歴史的経緯の中で、それをは るかに凌ぐ「知恵」を手に入れるようにな る。人類は「知 恵」を働かせることによって、自分たちが生きていくた めに必要 な「知恵」を越えて、自分が他の生き物を支配 したり、自然を都合よく利用した り、あらゆる利益を独 り占めにしようとする「知恵」を獲得するまでになっ た。 その結果、ある場合には、みずからの判断を絶対視 し神のようにふるまい、ある 場合には、目の前で起きて いる悲惨な出来事を自分には関係ないものと見なし、 それに対して声ををあげたり行動を起こすことを回避 するために知恵を用いるよ うになった。 戦争 神から一人ひとりに与えられた「知恵」を用いて、私 たち人間 は平和を実現することができる。しかし私た ち人間は「知恵」によって、戦争 を仕掛けたり、エスカレ ートさせたりすることもできる。 人類は科学技術の成果 を用いて、誰もが安心してと もに生きることができる社会を築くことがて ゙きるの に、そうしようとせず、一部の人たちは、自分たちだけ に利益をもた らす軍事政策や経済政策を考案し、秘密 裏に原子力兵器を開発し、さらには宇宙兵 器、ハイテク 兵器まで用いて、世界の支配者になろうとしている。 今、日本にお いてもまさに、学問の成果を、戦争のため に利用しようとしている。私たちは人々か ゙平和で豊か な世界を作ることができるのに、そうしようとはせず、 戦争 を続け、また貧困の格差を広げるにまかせている。 どうしたら私たちはこの状 況から脱することができる のだろうか。 愛という可能性 「知恵」と「悪知 恵」の差異は、紙一重である。したがっ て高度な「知恵」を手にすればする ほど、「悪知恵」をは たらかせる危険性も高くなる。どうしたら「知恵」を、 地 上の生き物が共生するために、そして人と人とが理解 し合い、支え合い、平 和を作り出すために用いることが できるのか。私たちは「知恵」をいくら働か せても、知恵 によってその答えを見出すことはできない。 福音書の伝えるイエス は、このことを問題にした。イ エスが登場した時、人類の歴史はすでに始まっ ており、 さまざまな問題が露呈していた。その当時の人々は、ど うしたら自 分たちが危機的な状況を回避できるのかを 考え、「知恵」の中には見いだせ ないということだった。 イエスは、私たちが「闇」の中から「光」を追い求め るた めには、「愛すること」が必要だと教えようとした。つま り無秩序と混乱 が支配する世界において、一人ひとり が自分に与えられた「いのち」を生かし ともに歩むため には、さまざまな人たちを愛すること」を最優先の課題 として実 践していくことである。そのことをイエスは 無秩序と混乱が支配している時代 の只中で示そうとし た。「愛すること」こそが、人類の未来に可能性を与える のである。そして愛することの中で、「知恵」は知恵とし ての真価を発揮する のである。...
8月7日の話の要旨 創世記11章1~8節 「花崎皋平が呼び掛けるエスニシティへの道」 関惠子 教会のお話しを受け持つことになり勇気が要ります。異常 気象やパンデミッ クそしてジェノサイドの恐怖の中を私たち は生きています。私自身の中からオ リジナルな言葉はなか なか紡ぎ出せません。今日は先達たちの貴重な遺産や現 に今様々な抑圧からの解放と連帯、多様で自由な生き方の 提言をして下さってい る真摯な人々の有り様に学びながら 話すことをお許しください。(*1) 今日こ ゙紹介したいと思ったのはスターではありませんが、 花崎皋平という、西洋哲 学を修められた方の著書に驚きと 共感を覚え、この人の歩んで来られた道すじ とこれからをエ スニシティという著書に出てくる考え方でお話ししたいと思 いま した。今まで全く視野に入らず、お顔も何も存じ上げな いままです。エ スニシティはお料理などでよく聞くエスニーク と同源のようです。 プロ フィールによりますと、1931年東京生まれ、現在91 歳。私たちの年齢を丸抱えの上 戦前の時代を加えたご年 齢です。少年の頃から読書に親しみ、考えること、詩 作する ことを大切に思ってこられたとあります。敗戦時高校生で多 感な青年期を 混乱の中で過ごします。祖母の影響で教団 の富士見町教会に通い、信仰しき れないことに悩みながら 特に旧約聖書を通読、キェルケゴール、ヘッセ、ジ イド、マ ルクス と耽読の日々。高校2年からアテネ・フランセに学 びデカル ト「方法序説」をフランス語で読んだそう。このころ 詩も書き始めます。大学 は上智に行きたかったが経済的な 理由で東大哲学科に、その後教師のバイト をしながらあえ て都立大の大学院に進みました。東大の教授にはとがめら れた とあります。1964~1971まで北海道大学西洋哲学の教 師として職を得ましたが、 辞めて現在まで著述と詩と実践の 哲学のフリーターでしょうか。 きっかけは大 学紛争、学生と教授側との間で起こる避け られない齟齬と当局の弾圧、警察隊の 導入。札幌ベ平連 や新左翼党派との運動、原水禁、安田講堂事件・・・北大全 共 闘学生のたてこもり事件を経て教師としてこのまま装い切 れない自分との対決。そ ののち研究室にはもう戻れない、 大学を辞めて生き方を変えるとの決断に至ったと あります。 (*2) 70年世代の私たちも、このあたり前後からずっと尾を引く 社会 的な矛盾や旧弊、理不尽な出来事に否応なく出遭 い、北松戸教会も個人としてもた くさんの問いかけをしなが ら今に至ります。ゆえに花崎氏の辞職後の日常が一 行一行 納得のゆく深さを以て理解や想像に及ぶ道すじに思えるの でした。そ の大胆さやフィールドの大きさ広さにいちいち驚 きました。 拠点は北海道小樽。 今も小樽に居を定めておられるよう です。個人的なことはあまり出てきません。 著書 「生きる場 の思想と詩の日々」 は紀年体で終始しています。それで 読者 自身の年齢を重ねながらいつ頃の事かがわかりやすく なります。 日常的にアイ ヌモシリの人々と交わり、中央ではなく周辺 むしろ末端の小さなところに心を向 ける。そこから日本の列 島弧のみならず、世界中の過去や現在に負の歴史を積ま なければならなかった場所や人に出会い、疎外される側の 立場で交流が始ま る。国家ではなく、机上ではなく哲学や 思索、詩と旅と自立の暮らしの日々か ゙地平を越えていくよう な毎日が描かれています。 旅することが生活そのもの のような暮らし方です。とても 書ききれませんが、田中正造の足跡を追い、中 野重治、金 芝河、立原道造、宮沢賢治、松下竜一、高木仁三郎、石牟 礼道子の詩 文・・・ 富山妙子、田中一村、ブリューゲル父 子、フェルメール、民衆の群像 画、ムンクなど内外の絵画。 バッハの通奏の響き、モーツアルト、ドボルサ ゙ーク、スメタ ナ、ショパン、ショスタコービッチ・・・のシンフォニーや底 流 する民族音楽。それらをいつも友としながら、列島弧の北の ウタリから南の果 て島嶼の島々。飛んで済州島、光州、中 国、日本が蹂躙し今もなお民族間の抗 争に悩む東アジア の各地。ベトナムもカンボジャもインド、バング ラデシュ、さら にチェコ、ハガリー、デルフトやヘレンドも訪ね、中東か ら東 欧にも向かいます。そこにはいつも出迎えてくれる友人や 女性たちがいる。 各地の食事があり、人々の暮らしを包み 込む豊かな文化と風景がある。人々か ゙その地で命をつなぎ 続けている。(*3) 今日のテーマに戻り、エスニシティの 思想を提唱する花 崎皋平氏の本文から学びたいと思います。「生きる場の思 想と 詩の日々」のテキストをご用意しました。タイトルがやは り語っていると思い ますが、抜き刷りを一緒に少しお読みく ださい。269ページ終わりの方6行 目~270ページ5行目。 もう一つ、271ページ後ろから3行目~27ページの 段落 まで。詩作の方を読みます。392ページ。(テキストの用意 はありません) もう一つのキーワード、バベルの塔の方です。旧約聖書 は先ほど読んて ゙いただきました。この本で言及している個所 を見ます。432ページにあり ます。4行目からです。 ここまでで終わりたいとおもいます。(*4)
7月31日の説教 使徒言行録2章41−47節 「神不在の信仰」 飯田義也 今日の聖書の箇所は「日々の聖句」を参照して選んでい ます。上記をこ ゙一緒に読みましたが、同時に読む箇所とし て「出エジプト記2:2−3、11−18」 「ヨハネによる福音書6:1−1 5」「詩編87編」が挙げられていて、全体として、 食事を共に することと神様に生かされていることへの感謝がテーマにな っていま す。詩篇は神様が何か「人間なるもの」を救うので はなく具体的にそこに生ま れて生きているその人を救ってく ださることへの感謝。出エジプト記は、エシ ゙プトを脱出した人 々がシナイ半島で奇跡的に食物を得たこと。ヨハネによ る福 音書は、イエス様が「五千人」・・ということは実際には一万 人以上の人々 と一緒に食事をしたこと、奇跡物語と考えら れていますが・・。(昔の牧師は賢い のであまり説明しようと はしませんでした)そして今日のところ、教会(最初期 のエク レシア)に集まる人々が畏敬の念を持ち、食事を共にすると いうエピソー ド・・となります。 古代の人々は、きっと現代のわたしたちよりも身近な感覚 て ゙神様を感じていたのだろうと想像しますが、そうであれ ば、きっと、 リアルタイムに奇跡的な神様の恵みを感じること も多かったのだと思います。 一方、現代の私たちにとって奇 跡とは、気付きであることが多いのではない かと思うので す。何か当たり前だと思っていたけど、これって神様の恵み た ゙ったんだよなぁ・・って。 先日の久保田文貞さんの説教ノートを読み、タイム リーな 話題とも重なって印象的だったのは、ディートリッヒ・ボンヘ ッファー への言及でした。獄中書簡集のどこかにもう少し違 う訳で書いてあったかと も思うのですが(確認していなくてす みません)「神の前で、神と共に、神な しに生きる」ということ の重さであり恵みの深さです。 わたしは、北松戸教会 で以前にも「オメガ矛盾」の話をし たことがありました。 神が全能なら 「自分には持ち上げられない石」を作ること ができるか。 持ち上げられて も作れなかったのだから全能ではな い。/持ち上げられなかったらその時点て ゙できない ことがある。/だから神は全能ではない...いえいえ ...・ 問い への正解は 全能であり永遠の神であれば2つの方法で作ること ができ ます。/1つめ/永遠の過去に作った石を持 ち上げ始め少しずつ能力を上げて/ 永遠の未来に 持ち上げる。/2つめ/永遠の過去に作ったけれど持ち上げること ができてしまい/一瞬いっしゅん作っ ては持ち上げ・・の失敗を繰り返しなか ゙ら/永遠の 未来に持ち上げられない石を完成させる。 無限を想定する世界で は、矛盾があっても無限の彼方に 引き離せばで包含しうるのです。自己言 及ということと論理 矛盾との関係は、それだけで言葉の深みにハマることがて ゙ きるほど興味深いのですが・・ 最近のわたしの想いとして、実際に神は全 能なので、神 のない世界を創造されたのでは?との思いが強くなってい ます。 今日の聖書の箇所を読むと、ここに描かれるような熱狂 は、非常にカルト的だなぁ と感じます。キリスト教がカルト、カ ルトって説明すれば「宗教的詐欺」た ゙と思うのですが、それ に陥らず、歴史的に存続したのは、ここで言われ る「恐れ」・ ・説明すれば畏敬の念、信仰心・・といった感覚・・が「不思 議 な業としるし」を行う使徒(人間)に向かわず「神を賛美」 することに向かったか らという一点でしょう。 うずらの群れを見つけて神様に感謝し、しかし、そこ から 道を踏み外して金の牛を拝むようなこともし、皆で食事を分 け合う初めての 経験を素晴らしいと思い起こしながら裏切り 者となり、使徒たちの教会形成に神 への讃美をしながら、分 派抗争に明け暮れ・・。神を信じ、神の支配を望むか ゙故に人 の支配に対してテロ行為を試み、・・もちろん今日取り上げ られないた くさんお現実が積み重なって今があるわけです。 神様は二つの方法で、神 不在の世界をこの世に成立さ せようと試み、同時に成立させ続けているということ を今日 は申し上げたい。 神不在の信仰とは 神が不在であるからこそ神を信し ゙る。/神が不在で あってもなお信仰する。/ということと/神が不在で あ ること自体を信仰する。/唯物論的世界を信仰す る。/ということが/互いに同じ 場にあることができな いほど矛盾しながら永遠であり全能の神様のもとて ゙ は共存しうるので、神様を信じながら裏切ったり、神 の不在を信じなか ゙ら真理に従ったりということが実際 に起こるのだと申し上げたい。/哲学者 がむずかし い単語でいうと「唯物論と唯一神論のオメガ矛盾」 「存在論と 贈与論のオメガ矛盾」は「オメガ無矛盾な 体系」においては共存しうるのだ ということです。 今日の説教題は、わざと二つの解釈の余地を残した言 葉にし ました。 いかがですか、・・それぞれのお考えでよいのではないか と思 うのです。神の不在を信じるのもよし、神の前で、神と共 に、神なしに生き るのもよし・・。 (/は行換えです)
7月24日説教 ルカ伝福音書15章1~7節 「失われた羊の譬え」 久保田文貞 私事から始めて恐縮だが、讃美歌200番「小さいひつじ が」は、私が教会 に行きだす前から知っていた。多分姉がこ の曲を弾いていて耳に入っていたのた ゙ろう。 改めて歌詞を読んでみると、いろいろ気付かされる。譬え ではとくに 失われた羊が「小さい」とは言っていない。「いえ をはなれ」とあるが、遊ひ ゙に行って迷子になって帰れなくな ったというわけではない、等々。理解が間 違っているという のではない。子どもの迷子体験にかけて、子どもに語りか け るような歌詞にしている。大きくなった子も、いやそればかり でなく大人も、 ほとんどの人が迷子という原風景を心の奥に しまい込んで生きていると言え るだろう。この歌はこうして子 どもの心をつかむだけでなく、誰でもか ゙持っている迷子の原 風景を前面に引き出し訴えかけるものを持っていると思う。 原詞は英南端ワイト島住民A・ミドゥレインの作。彼は会衆 派教会の日曜学校の教 師を続け、子供讃美歌集(1859)を 作った金物職人。歌集が売れてもお金を受け取 らなかった という。日曜学校のおじさん先生、私らとしては頭べを垂れ るより ない方。こういう人が作った歌詞だと思うと一層感慨深 い。19世紀中ごろの イギリスの繁栄とその矛盾のほころびが 出ていく中で、「失われた羊の譬 え」と、子ども時代の迷子 体験とがどのように人々の心をとらえていくか、 日本の近代 の歴史や、また巨大化した経済とその破綻を目の当たりに する現代日本 のことと重なって、想像に難くない。 だが、この譬えが照らし出すものは迷 い出る人間の孤独 を捉え救い出す宗教というだけではない。この譬えの理解 の 方向性を決めるのは、100匹の母集団をどう位置付ける かである。このメルヘン のような譬えを後々のクリスチャンた ちは、ごく自然にその母集団を教会共同体 としてとらえ、そ こから迷子になる一匹の羊を思い描いたろう。そうすると、 教会 から離れていく迷子の羊を、主イエス自身がその羊を 追って取りもどす物語、 まさに200番の歌詞の通りである。 ルカ福音書の設定では、《徴税人や罪人が 皆、話を聞こ うとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々 や律法 学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで 一緒にしている」と不平を 言いだした。」》となっている。近代 聖書学の研究から、ルカが属していた教 会は異教徒出身 者の教会だったとされるが、彼らにはイエスが親しく交わる 「徴税人」「罪人」も、その反対にイエスが厳しく批判する「フ ァリサイ派」 「律法学者」も、遠い地方ガリラヤも、マルコ的図柄の中の「記号」でしかなかっ たろう。記号としての「徴税 人」「罪人」というのは、やがて福音の真意を見出 してクリス チャンになる教会予備軍であり、一方記号としての「パリサイ 人」 「律法学者」は頑なに福音を否定する人間を思い描い ていたのだろう。この両者 の間にこの譬えを置けば、それは それぞれの人間の第一次集団・共同体からは み出、迷い 出た者を主イエスが保護するという物語になっていくのは自 然なこと だ。ルカを注意深く読めばわかる通り(6節)、保護さ れた羊はあの残された99匹 のもとに帰るのではなく、羊飼い の家、つまりは迷い出た羊の真の家=教会に帰る という話 になっている。この場合、99匹の母集団は教会ではなく、記 号としての ユダヤ人世界ということになる。 これに対してマタイ18章10以下の同じ譬えに ついて、マ タイはこれを「小さい者を一人でも軽んじない」という教会生 活の マニュアルが並べられた中の一つに置いている。ここ ではイエスは迷い出た 羊を99匹の中に戻すという前提の上 に立っている。99匹の母集団は教会なのだ。た ゙からその意 味ではあのこども讃美歌はマタイ的な方に近い。 しかし果たして、 母集団を基にしてこの譬えを理解するの が本当に正しいかどうか、というより イエスがこれを話された としてそのような理解の仕方でよいかどうか。もち ろんイエス から直接聞いた人にも、すぐに自分を迷い出た羊と思い、 早く99匹の もとに返りたいと思った人もあろう。でも、イエス の現実の聴衆の前に、教会は 存在していない。教会の頭キ リストこそ羊飼いイエスとする前提はない。そうなる と羊飼い が一匹の失われた羊を探し出すために99匹を荒野(日本 語聖書は「野原」 と牧歌的な印象を与えてしまうが、原語エ レーモスは「荒野」、それは洗礼ヨハ ネの舞台の「荒れ野」) に放置することが大きな問題になる。荒野とは決して花咲 く 野はらのおもしろさに」と言うようなのどかな園ではなく、い つ野獣に襲わ れるかもしれない危険なところである。99匹の 放置された羊も同じ危険の中に いることになる。そこで俄然 浮き上がって来るのはむしろ羊飼いの決断であ る。99匹を 放置しても失われようとしている一匹の羊に賭けるという衝 撃的な在り 方がわれわれの前に提示されている。さあ君は どうする、そういう話の可能性 大だ。 もう一つ、ドキッとしたのは、神学者K・バルトの示唆、失 われた 「あなた」を見つけ担いでくれるのはキリストだと当然 のように思う前に、実 は失われ迷い出、命の危険にさらされ たのはキリストであり、神がそのキリス トを探し出して御自身 の右におかれたのだと。どれが正解かなんてことで はない、 一人一人が問いの前に立たされていると思う。
7月17日の説教ノート ルカ福音書14章25節 「捨ててこそ」 久保田文貞 「大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて 言われた。 「もし、 だれかがわたしのもとに来るとしても、 父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更 に自分の命であろうと も、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。 自分 の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであ れ、わたしの 弟子ではありえない。」 今日の箇所は前回「大宴会の譬え」の後の言葉になって いる。イエスの弟子たろうとする者は、自分の家族、自分の 命さえ「憎んで」て ゙、自分の十字架を背負って、従って来い と言われる。これをただの宗教的心象 と捉えるならば、カル ト集団のそれかと思われるかもしれない。 7月8日安倍元 首相が暗殺された。容疑者の母親が統一 教会の信者になって、家を顧みず破 産させ苦しめので彼は 統一教会を恨み、その統一教会と安倍は「強い関係性」か ゙ あると思って、彼を暗殺したという。先週は統一教会からの 表明もあって、マス コミは久しぶりに被害者弁護団を再登場 させ、これまでいかに統一教会が信 者に多額の献金をさ せ、あるいは霊感商法を使って一般市民から金を巻き上げ た か、そもそも彼らの「原理」とは何かなどの報道を始めた。 改めて考えさせられ た。要するに加入者を絶対服従させ るカルト集団の問題だ。それは、集団の外部 を絶対悪と規 定するところから始まる。外部世界のあらゆる価値観やそれ に伴う制 度や、倫理をすべて否定し、集団内部の原理に改 鋳させようとする。内部の原理 に基づいて、外部に対してど んな反社会的、反倫理的な行動もとれてしまう。 上にあげたイエスの言葉にはどこかカルト的なものを感じ るかもしれない。 キリスト教としては全くの誤解だと言うだろ う。わたしもそう思う。だが、 ことはそう簡単ではない。キリスト 教の歴史を少しでも紐解けばわかるが、 自身の内部の絶対 的な真理を基に、外部の人間の価値観や倫理を踏みにじ り、信 者を服従させ外部世界の人間をいくらでも殺戮してき た歴史があるからだ。 それらを悪しき例外として、本来のキリ スト教は普遍的な愛を説く平和な宗教だ と言い立ててきた わけだが、そこにはやはり内部が絶対の真理を持ち、いま だ真理を知らない外部にそれを教えるという構造を免れな い。教会もまた「真理」 集団として、内部-外部のとらえ方の 意識構造を引きずっている。とすれば、そ れは洗練され、利 口になったカルト集団と言えなくもない。 ヒットラー暗殺計画に 連座し、監禁され処刑された神学者 ボンヘッファー(1906-45)は、当初『キリスト に従う』という本 を書いた(1937)。その最初の章で「安価な恵み」と「高価な 恵 み」について論じている。安価な恵みとは、キリスト教が欧 米社会にただ同 然に振りまいた原理・真理であり、近代社 会はその安価な恵みとその裏に仕込ま れた罪の赦しの思 想を享受しきってきた。人々はそれをいつでも自由に消費 し、 安心を得ることができた。そんな社会に酔いしれているう ちに反社会的な集団 ナチスが現れた。だが、その本質を見 抜けない。教会は依然として彼らにも 安価な恵みを供給し 続け、ナチスをも近代社会の中に位置づけ得ると思ってい る。 だが、ボンヘッファーは言うのだ。キリストの十字架によ ってもたらされ る「高価な恵み」はそんなものではないと。十 字架の赦しは、理念的・普遍的な 匿名の人間の罪の赦しな どではない。貴方自身という一人の罪人の赦しなのた ゙と。彼 はその高価な恵みを追って、ついには現実にヒットラー暗 殺計画に加わっ た。 あのキリストの言葉がカルト的だとするなら、ボンヘッファ ーの決断も カルト的と言わざるを得ない。カルトが別のカル トを襲撃するという構造をと ゙うしても持ってしまうと言い換え てもよい。良きキリスト教徒は言うだろう。 神の真理、愛は他 者・外部を抹殺して内部を完成するものでないと。多様性の 中 で神とともに実現していく福音だと。私もそれを好意的に 受け取りたいと思う。 だが、どう言い繕っても内部と外部の構造はついて回る。 家族と社会の関係、 故郷の田舎と都会砂漠の関係、社内と 社外の関係に、こうして常に安直な内部と外 部の関係が忍 び寄ってくる。どうやってそれを免れえようか。 ボンヘッ ファーは獄中から密かに友人に書簡を送って、 「成人した世界」という概念を提示 する。その中で「キリスト者 とは宗教的人間ではなく、単純な人間なのだ」 と言い切る。 「たとえ神がいなくとも」この世で生きるとも言う。マルコ15:3 4、十字架上でもイエスの言葉を引いて、われわれをお見捨 になる「神の前で、 神と共に、神なしに生きると」と。こうして 「成人した世界」に在って、自分を囲 い守る〈内部〉を捨て、 他者と共に神なしに、しかしキリストのように生きようと 処刑さ れていった。 冒頭にあげたイエスの言葉は、人にとって最後の砦とな るた ゙ろうと漠然と期待している家族を「憎み」、そうして守ら れるべき自分をも 「憎み」、私に従って来いと命じる。何なん だ、これは、と思う。内部-外部の 構造に引きつってしまっ て、他者が見えているようで見えなくなってしまう。 そうなると 当の家族の一人一人も見えているようで見えなくなる。 〈成人せよ、 神の前で、神と共に、神なしに生きよ〉という ことになるか。
7月10日 説教 コヘレトの言葉 1:1~11 「空の空、いっさいは空である」 板垣弘毅 きょうは参院選の投票日ですが、疫病、戦争、それに生 活物資が値上がり し生活の苦しい世帯ほど一層苦しくなっ ている日常、一方で軍事力の増強が 当然のような世論作り がなされて、国家総動員の、何でもありの戦争が他人 事でな くなります。コヘレトの言葉の冒頭です。 「エルサレムの王、ダビ デの子、コヘレトの言葉。/01:02コ ヘレトは言う。なんという空しさ/なんという 空しさ、すべて は空しい。/太陽の下、人は労苦するが/すべての労苦 も何に なろう。」 何不自由ない権力と知識を極めた者、ダビデの子「ソロ モン」と して、この人間世界を見切ったのだ、とコヘレトはい います。そこで得た洞察 は「空の空、いっさいは空であ る」(岩波訳)だったというのです。コヘレト の「空」は、この 世界に起こることも在るものも、ただ起こり、あるだけで 何の 意味もないのだということです。 この人間の世界は進歩もせず同じこ とを繰り返すのみだ というコヘレトの「いっさいは空である」という洞察は何 なの か、絶望なのか、考えたいと思います。 「日に下で、さらにわたしは見極め た。公正の場、そこに悪 徳があり、正義の場、そこに悪徳がある、と」(3:16 岩波 訳)。 この世界では、正義も悪徳もつかの間にその時を得て、 同じところ、 死に赴くのだ、というのです。すべてが「空の空」 であるから神にも期 待しないのです。 「この空しい人生の日々に/わたしはすべてを見極めた。 善 人がその善のゆえに滅びることもあり悪人がその悪のゆ えに長らえることも ある。/善人すぎるな、賢すぎるな/どう して滅びてよかろう。/悪事をすこ ゙すな、愚かすぎるな/ど うして時も来ないのに死んでよかろう。」 (7:15~17) 時間の長さや意味を考えないからこそ、言い換えれば すべて「空」た ゙からこそ、人間の持ち物や地位、名誉への欲 望から解放されると言います。人間 の線引きをしません。 「この地上には空しいことが起こる。善人でありなが ら/ 悪人の業の報いを受ける者があり/悪人でありながら/善 人の業の報いを 受ける者がある。これまた空しいと、わたし は言う。/それゆえ、わたしは快楽を たたえる。太陽の下、 人間にとって/飲み食いし、楽しむ以上の幸福はない。それ は、太陽の下、神が彼に与える人生の/日々の労苦に添えられたものなのだ。」 (8:14~15) ある面で穏やかな書斎の教養人です。 今、戦場であるウクライナて ゙は人間の歴史と共にあるよう な殺し合いが、最新の兵器をもって行われていま す。私た ち親子も77年前の東京の空襲で、人間関係も持ち物も住 むところも根こ そぎ奪われた国内難民でした。ロシア、アメリ カ、NATO諸国の軍需産業の在庫 一掃セールと新商品の 展示場といった人もいます。その中でロシア軍兵士による 性 被害も繰り返されています。コヘレトに言わせれば「かつて あったことは、こ れからもあり/かつて起こったことは、これ からも起こる。太陽の下、新しいものは 何ひとつない。」で す。 戦争はいつでも、何でもありの悲惨を生みます。日 本でも 敗戦直後の半年、戦後占領政策として、まずしたことは、占 領軍用の国 営の遊郭、売春施設(特殊慰安施設協会.英 語の頭文字を取ってRAA= Recreation and Amusement Association )づくりでした。8月15日の3日後に、内務省も 「外国駐 屯軍慰安施設整備要項」を警備局通達として無電 で全国都道府県に発しています。 「営業に必要な婦女子は 芸妓・公私娼妓・女給・酌(婦・常習密売淫犯等を優先的に 之を充足す」 数日前まで本土決戦といって国民を鼓舞、叱)咤してい た国が、 つまり警察も政権もそして庶民も!、敗戦を迎えて 真っ先に案じたことは日本女性 の純潔ということだったので す。「大和撫子の純潔」を守る防波堤が、「一 億円なら安い もんだ」(時の大蔵省の主税局長池田勇人) イエスより2,3百年前の 人、コヘレトは社会の格差や不 条理に生きて「空の空、いっさいは空である」と 洞察しまし た。しかし彼は防波堤にならざるを得なかった人ではありま せんて ゙した。安全地帯で洞察する解説者でした。 イエスは戦争や災害、不正義や社 会の格差で理不尽に 奪われるいのちに深く共感したことは、コヘレトと同じて ゙す。 「幸いだ。貧しい人たち。神の国はあなた方のものだ」とイ エスは言い ました。イエスは「空の空」と言わなかったと思い ますが、私たちの社会が与 える「意味」「価値」を拒否したこ ともコヘレトと同じです。 「はっきり言っておく.徴税人や娼婦の方があなたたちよ り先に神の国に入る」 (マタイ21:31)イエスの目は、世の中 の「ふつう」以下の人に向かい、共に生き、 「呪われた」人と 連絡先 して刑場で死にました。見せしめの極刑はまさに防波堤 の 死でした。「空」を見抜いた人の、この違いが、今日のテー マです。...... (全文は板垣まで)
《説教ノート》 7月3日の説教要旨 ルカによる福音書14章15~24節 題 :「断る理由」 久保田文貞 いわゆる大宴会の譬えの箇所だが、これと似た譬えがマタイ 22:1-14に出てくる。ただしマタイでは主人公 は王、宴は王子の婚宴となってい る。そこでは招待された者たちは、なにか言い訳をして断るのではなく、はじ め から招待を無視する姿勢を貫いていて、他所に、畑に商売に行ってしまう。中に は王の使者を殺した者もいる。 怒った王は軍隊を派遣して彼らを滅ぼし町を焼い たと、王の支配権を見せつける。次に王は門の外にいる連 中、本来ならば招待さ れる謂れのない連中、まさに門外漢を、招いてこいと。誰が見ても、最初の招待客 はパリ サイ派ユダヤ人のような有資格者であるが、彼らは神の招待を拒否 したと、そして後の招待客は異邦人の無資 格者だが彼らは招待を喜んで受け 入れたという図式が背後にあるのがわかる。しかし、これもマタイ的だと思う が、招待に相応しい服装をしなかった者を排除してしまう。結局、異邦人を新たな ユダヤ人に作り替えなければ というなら、何も変わらぬではないかと言いた くなる。 ルカの大宴会の譬えでは、宴会の主催者は「或る人」、一般人である。 もっとも大宴会に何人もの人を招待し ようというのだから相当裕福な人を思わせ る。だが、マタイのように専制的な支配者ではない。この招待にみな一 様に 言い訳をして断ったという。畑を買ったので見に行かなければならなかったとか、 牛を二頭ずつ5組買った ので、それを調べに行くとか、妻を迎えたばかりな ので行かれないとか、それなりの理由を述べて丁重に断って いる。18節を口語 訳では直訳的に「ところが、みんな一様に断り始めた」となっているが、フラ ンス語の共同訳聖 書TOBは「断り始めた」の「始めた」に当たる所に、se mirer 直 訳すれば「自分の姿を映し見る」 「自分に見とれ る」とという動詞(mireは鏡ミ ラーと同根の語)を使って訳している。ギリシャ神話のナルキッソスを想い起す。 水面 に映った自分の姿にうっとりする、ナルシシズムである。つまりTOBの訳て ゙は、みな同じ様にごめんなさいと言っ て、言い訳し、そうやって自分の世界 に入ってしまったということなのだろう。 母親が子どもに「どうして呼んた ゙のにすぐこないの」と叱ると、子どもは「だって、お友達と遊んでいたん だもん」 と言う。母親は「言い訳ばかりして。お母さんだって忙しいんだ から」と。子どもからすれば、「お母さんだって言い 訳している」と言いた いところだろうが、そうはならない。言い訳する世界というのは、一つの力関係 が成立してし まっている間で起こってくるように思う。母親が支配者になっ ていて、子どもが抵抗しようとして「言い訳」をする。 言い訳が通らないこ とを知ると、次に嘘をつく。心理学は母と子がそんな関係に陥らないように、いろ いろアドヴァ イスをする。言い訳をしてしまう子の隠れた思いを察知し、頭こ ゙なしにダメを出さず、どうすればよかったかいっし ょに考えるのだと か、さらに子どもの言い訳でなく言い分を聞く姿勢を示すとか・・・。確かにこ こから、母親として どう子どもに接するかという真摯な議論が続いていくへ ゙きかと思うが、ここでは、言い訳をする子どもの側の、つま り呼ぶ側て ゙なく呼ばれる側の断る理由の問題に集中しようと思う。 ルカの譬えにもどっ て言うと、招待を断った側の言い訳は、ある意味もっともな理由だった。《私たち が存在(生 活)していくためにそれ相当な配慮をしていくことが必要なので、 真昼間からパーティに出て楽しんでいるわけに はいかないのです。すみませ ん》とは言うものの、変な時間に宴会を主宰する人が悪いと言わんばかりなのた ゙。 それは、存在を配慮する自分に酔っていると言ったら言い過ぎだろうか。た ゙が、少なくともそういう自分に見入っ ているのではないか。これは言い訳て ゙なく、もはやしっかりと言い分になっているのだ。《この世界の人間がみな それなりに生活を頑張っているときに、あなたはそそくさと宴会の準備をして喜ば しくも甘美のとき、「福音」のとき を楽しみましょうと言うのですか。ごめん こうむります。私はなんと言われようと、自分のため、自分の家族のため、 その生 活への配慮に時間を割こうと思います》と。 「すると家の主人は怒って、僕べに 言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な 人、目の 見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい』」と。 《そうだ。存在へ の配慮を先行させて、招待を断った者たちよ。次に招かれたこの人たちは、自らの存 在への 配慮を欠いていたためにこのような障害を抱えて生きることになったとで もいうのか。いや、彼らは君ら以上に 存在への配慮をもって日々を暮らしているのた ゙。しかし、だからと言って彼らは断らない。存在への 配慮を言い訳にしない。 そのままの自分を招いていくれる者の招きを喜んで受けいれる》ということ だ ろうか。 最後に 22・23 節に気になる言葉が出てくる。「やがて、僕べが、 『御主人様、仰せのとおりにいたし ましたが、まだ席があります』と言うと、 主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々 を連れて来て、この家 をいっぱいにしてくれ」と。主人の強い思いは伝わってくるけど、正直やりす き ゙だ。正直言って、私にはここは蛇足のように思えてならない。この譬えの前に、 この譬えの解説の ような言葉が置かれている。註解書の多くはこれをルカの手に よるものとしているが、別の人のもの をルカがよしとしてここに置いたのかと ゙うか。いずれにせよ、この譬えの最後の部分の解説のように して 14:13 - 14「宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目 の 見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないか ら、あなたは幸いだ。正し い者たちが復活するとき、あなたは報われる。」と 言う。「無理にでも人々を連れてきてこの家をいっ ぱいにする」ということの 一つの解釈のようになっているのかもしれない。この理屈から言うと、一 般に宴会 の主催者は、お返しを当てにしていたとまで言わぬとしても、次には招待客の誰か に自分が 招待されることになる。そうやって互いに招待したり、されたりしてもっ と楽しくなるというのかも しれない。そこで、もしあなたが宴会を主宰すると きは最初からお返しなどできない人を招待すると いい。お返しなど当てにし ないあなたの人の大きさ、気前の良さが引き立つよということになる。で も、 これはある種の抜け駆けだ。普通の人にはまねできないようなお返しなどで きないような一方的 な招きこそ、神の招きだというのだろう。「無理にでも 連れてくる」ということが許されるのは神の特 権だというわけだ。私にはこ れはガリラヤで群衆たちとともに福音の中を生きた〈神の子〉イエスの 表現た ゙とは思えない。後のキリスト教正統主義神学に通底する神学的専制主義のように見 えてならな い。
《説教ノート》 6月19日の説教要旨 ルカ伝福音書14章25~27節 「家族の問題」 久保田文貞 本当は、これから述べる前置きを「説教ノート」から省くべきではな かったのですが、やむを得ず 字数の関係でこっちを省きました。それは何 かというと、「家族の問題」などという仰々しい題にしま したが、そもそも家 族という語の受け取り方は全く人それぞれ違うということを頭に叩き込んでおか ないといけないということ。父、母、兄、弟、姉、妹などなど、私たちは何の疑 いも要れず同じ意味 でみんな理解しているはずだと思っているけど、 実は腰を抜かすほどその受け取り方は違っていると いうことです。自分のことて ゙言うと、私が高校生の時、国語の教科書に志賀直哉の『暗夜行路』の最 後の方 の部分が載っていました。苦悶する主人公時任謙作が大山に修行者たちと「六根 清浄」と唱え ながら登山するところです。そこで主人公はなにを思い悩んて ゙いるか、原作を読んで考えてこいと教 師から宿題を出されました。家に帰って みたら、たまたまその文庫版が前後二冊あったので読み始め ました。幼少期の ことが書かれていて読みやすそうだと思ったら、その後すぐ青年期になって実 に暗 い印象でした。母は早くに亡くなり、その後冷たい父親と対峙、なぜか早 く祖父のもとに引き取られ、 祖父の妾だった女性が母替わり、しかも実は謙作 は祖父が嫁に当たる母に産ませた子だと兄から知ら される。さらに自分の妻か ゙留守の間に従兄の子を孕むという具合、謙作の父、母、祖父、妻、兄、従 兄につ いて、高校生だった自分の法を越えすぎていて、最初に直哉の「小僧の神様」を 読んで感動し たものなど吹っ飛んでしまいました。謙作が大山に身を洗う ような気持で「六根清浄」を唱えながら 登っていくのが少しだけわかった 気になりました。とにかく家族について抱いていたイメージは激し く混乱しまし た。それから父、母、兄、姉という自分の家族の一人一人が、自分の思い通りのま ま、 見ているだけではだめだと気付いていったと思います。そして自分の 友達の家族、その父、母、兄弟 などそれぞれ想像もつかないほどに違うとい うことを少しずつ受け止めてきました。 そうは言いながらも、自分の家族は一 応、クリスチャンホームでした。両祖母もクリスチャンでし た。女性たちが。 私が 30 歳になるまで父親はほとんど教会に行きませんでした。兄も。13 歳まで私も。 ただ、母と、姉だけが。こんなでしたが、理念的にはやっ ぱりクリスチャンホームだった。そんなイ メージの家族観があるのですか ゙、現実には親族に、家族にいろいろな綻びがある。家族のそれぞれの 記号、 父、母、祖父、祖母、兄弟、姉妹などなどの記号は、それなりに散乱しているわ けです。でも、 クリスチャンホームというこのおまったるい名称が指してい るように、これはとにかく散乱したこの 記号を必死に修復しようとする。そもそも 家族、ホームというものがそうなのかもしれません。 前回話したように、マルコ 伝のエルサレムへの旅(10:32~10:52)に比して、ルカ伝の旅(9:51~19:27)に大 幅に拡 張されている。こうなっているのは、そもそもルカの場合、誕生以来、十字架の死ま でこの地上でのイエス の生涯はすべて神の子キリストの地上での旅なのて ゙ある。マルコが描いたガリラヤでの事も広義の旅の途上のこ とと理解した はずだ。ただ9:51からエルサレムに向けて自覚的に(「顔をしっかりと上け ゙」)始める旅は一段と質の 高い旅に使用と思ったのだろう。今日は、この旅で、 〈家族の問題〉がどう扱われているか見ようと思う。 ルカ伝の旅の最初9:57以 下に3人の男が登場する。一番目の者が「あなたがおいでになる所なら、と ゙こへでも 従って参ります」と言う。58節のイエスの言葉に彼には返す言葉が ない。2番目の人は「わたしに従いなさい」と言 われたが、彼はその前に父を葬り に行かせてくださいと言った。「自分たちの死人を葬ることは死人に任せるがよ い。あなたは行って神の国を告げ歩きなさい。」と言われ、彼は父を葬りに行かな かったと解するのもありのような 言葉だ。3番目「従ってまいります」といい、ま ず家の者に別れを告げさせてくださいと言う。するとイエスは「手を 好きに 付けてから後ろを振り向くものは、神の国にふさわしくない」と。いずれも3人か ゙果たして従っていくのかどう かに関心を寄せるのでなく、イエスに従ってい くということは、家族との間に大きな亀裂を抱えることになると宣言 しているよう に聞こえる。これからこの地に従うかどうか、決意する前の手引きのように。 ル カ10:38以下にマルタとマリヤの伝承が出てくる。旅の途中、マルタがイエスを 家に迎え入れた。イエスの地 上におけるこの旅はゆく先々で当然そこで暮らし ている人々に会う。マルタもその一人である。彼女には姉妹マリ ヤとの暮らしか ゙ある。イエスがその家に招かれて、マルタはせっせともてなしの準備に取り掛か る。しかしマリヤは イエスの話を聞いてばかり。イエスがこの小さな家族が の中に入ってきてのは、この二人が引き裂くためだったと 言われかねないよう にして。とにかく結果的に、客をもてなそうとする伝統的な女性観に立つマルタと、 そんな女 性観を捨てて新しい女性像に向かっていくマリヤとが分断されていると 見えないか。 ルカ11:27以下も同様かもしれない。ある女が「なんと幸いなことて ゙しょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳 房は。」と、イエスの母マリヤ への賛歌を歌う。イエスは「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人で あ る。」と。しかし、イエス自身の家族を神聖化することを拒む。 前後するが、 11:5節以下の主の祈りの後に続く譬え話。夜遅く、旅行中の友達が突然家に来た。 共に出すパンがない ので、隣人に借りようとその戸を叩く。叩かれたほうは 『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばて ゙ 寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません』という。しか し執拗に願い続けたのでパンを借りることができたとい う。つまり、旅を している者が友達の家に押しかけ、隣人の戸をも叩かせる。結局、旅人のために二 つの家族の戸が、開けられた。 旅人の登場で、二つの閉じられた家族の扉か ゙開けられたとみてもよいだろうか。 今日の主題となる章句は12:49以下である。 12章辺りになっていくると、旅はどこに行ったんだという感じにな る。だか ゙、著者ルカにはそんなこと大した問題ではないらしい。すべてが神の子イエ スの地上の旅の途上なのだ から。家族の問題にとって、ここで見逃せない言葉か ゙並ぶ。「...わたしが地上に平和をもたらすために来たと思う のか。...むし ろ分裂だ。今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と 対立して分かれる からである。父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅ うとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる。」 同様な表現は14:26以下に も出てくる。「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、 兄弟、 姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子て ゙はありえない。 自分の十字架を背負 ってついて来る者でなければ、だれて ゙あれ、わたしの弟子ではありえない。」 マタイではこの二つの箇所は、同 し ゙ことを述べているとうけとったのであろう、」二つをならべて置いた。しか も、この強烈な言葉は弟子に向けての ものにしている。しかし、ルカでは微妙て ゙あるが、12:49以下は、群衆にも言われているように読める。そして14:26 以下 ははっきりと「大勢の群衆」の方を向いて言われたものだ。続きを読めばわかる 通り、〈君ら群衆は、そこまで はできないと尻尾をまいて逃げ出すだろう〉 といわんばかりになっている。神の子キリストの旅の真意にわずかで も触れ うるものは群衆にはいないという書き方になっている。 家族から後ろ髪をひかれ、 行きたくとも行けないと結論するよりなかった人の事情をどう思っているのだろ う。あ まりにキリスト教の側から近寄って来た人とその家の事情を見くびってい ないか。マルコが提示したガリラヤでの イエスと群衆たちの関わりでは、 そうなっていなかったことを思い起こす。
6月12日の説教要旨 ルカによる福音書 6章37~42節 「目の中の丸太って?」 八木かおり 新約聖書の福音書のうち、マタイとマルコとル カは共通する記事が多いことか らの比較研究が行 われた結果、マルコをベースとしてマタイとルカ がそれそ ゙れの福音書を執筆したという説からこの 3つは共観福音書と呼ばれています。ま た他方、 「マルコにはないけれどもマタイとルカのみが共 有する記事」が 100節ほどあり、それはマルコとは 別にマタイとルカが共通して使用した別のイ エス の語録的な別の資料が存在したのではないか?と いう仮説が立てられた り(現存していません)な のですが、本日のテキストはそのひとつです。ち な みに、この箇所は、マタイでは山に登ったイエ スが同行した弟子たちに語った という設定での説 教集(「山上の説教」ただし、12弟子の選出はこれ より後て ゙10章)のなかに置かれています。またル カの方では、山に祈るために登ったイエ スが12人 を選んで「使徒」とした後に山を下り、そこに「大 勢の弟子とおび ただしい民衆が、ユダヤ全土とエ ルサレムから、また、ティルスやシドン の海岸地 方から」来ていた場面で語ったことのなかのひと つという設定になって います。 いずれもイエスによる説教なので、結果として は「信徒に命じられ たこと」という受け取りになる のは同じではあるのですが、マタイの場合 は「山 上での祈りに同行した限定された人々」に対して 個人的に語られたという いわゆる秘儀的な「特別 なんだよ」な設定で5~7章までの内容が語られて いるのに対し、ルカの方では、そのうちのいくつ かのトピックは他の場面に振 り分けられており、 既に選ばれた「使徒」たちと一緒に、イエスがある 意味大々 的な「世界的アピール」をした!そしてそ れはこれ!という感じになっています。 テキストは、そのなかのひとつ「人を裁くな」と いう話です。そして、これはわ たしたちの現在に、 そのまま言葉として一般化していいものではあり ません。イ エスにおいて、それからルカにおいて のそれぞれの状況を捉える必要がありま す。イエ スが「人を裁くな」という時、それは誰に対して言 ったのか、どのよ うな状況がそこにあったからな のか。さらに、ルカがそれを言う時はどうな のか (ルカの情報は、マタイより多いです。その差に おけるルカの独自の主張は 何か)。そして、それ らを、現代のわたしたちはどう受けとめて読むの か。そし て、このテキストを選んだのはわたしで、 わたしとしてはよく知られているこ の箇所につい て、皆さんと話をしたい!そう考えて選んだもの なので、その理 由およびそのためのネタの提供を させていただければと思います。 「人を裁 くな」とイエスが言ったのは、当時のユ ダヤ教主流派が律法遵守や神殿祭儀 優先といった 観点から「罪人」を内につくりだし排除するという 状況にあったこ とに向けられていたと考えられま す。イエス自身がそう言ったのであれば、 それは 起きていた事態に真っ向から抵抗する言葉であっ たでしょう。また、ル カの場合は、彼が知る当時の 初期のキリスト教会内およびローマ世界にむけて の生き延びるための言葉でもあったでしょう。 「まず、自分の目から丸太 を取り除け」...これは 他者を安易に裁き、排除して安穏としていられる ようなあ りようを、自らが「裁く」側に立って平然 としていられるようなありようを是と してはなら ないということだと思います。「裁く」側に立って しまった者の目の 中には丸太がある、それを「取 り除け」と言われているのであれば、それは 「現実 を直視しろ」ということでもあるかと思います。 なんてシンプルで、 そしてどれだけ重く難しい問 いなのだろうと改めて感じつつです。 この 言葉は、自分のことを棚に上げることを決 して許しません。また、棚に上げな い代わりの「同 じ穴の狢」「目くそ鼻くそ」「五十歩百歩」に留まろ うとするこ とも許してくれません。ただ「自らの 生の現実を引き受けて生きぬけ」というこ となの かなと思います。
6月5日の説教要旨 マルコ10章46~52節 「エルサレムへ向かう途上の事」 久保田文貞 ロシアのウクライナ侵攻の報道を見て考えさせられます。 戦況の経過、両大統領の 言葉...、それを聞く自分ははるか 遠く、一応平穏な暮らしができる場所にいて、 その真偽のほ どを類推している。国際政治的な報道とは別に、戦火で焼 けたた ゙れた市街地や、その中を抱えられるようにして避難す る年寄りや女たち子ども たちの映像、ことに彼らの言葉を聞 くと、自分を取り巻く平和が虚偽のように感し ゙てしまう。国境 を越えて避難する人々、その旅立ち。難民たちの生活はど うな るのか、彼らには「いま、ここ」で生きるしかないことにな る。休暇をもらって 旅をするというなら、帰る家も、戻る職場 も約束された気楽な旅なものだ。ど んなに遠くまで行ってい ても羽を伸ばせた快感だけをいっぱいに味わうこ とができ る。けれども、理由はどうあれ、家を捨てクニを離れて、知ら な い町で暮らしていくには相当の覚悟がいる。たいていは やむを得ず出ていく のだろう。 ウクライナの難民たちのテレビ報道を見ていると、いつの まにか自 分も難民、とまでいかなくとも難民の子孫じゃない かという感傷に襲われる。 都会で暮らしていると、ふと急に 周りの人も自分もみんなクニを離れ流れ着いて きた人間で しかないような気分になることがある。昔から演歌に歌われ てきて 気分だ。〈いま、ここ〉での生活は大きな旅の一コマに すぎないのではな いかと。 前にも取り上げたキリスト教神学のひとつに、「旅人の神 学」というの がある。キリスト信徒の真の家は天の国、だから 〈いま・ここ〉の生活はたた ゙の通過点にすぎないという考え方 だ。だが、これは〈いま・ここ〉の生 活を精一杯に生きようとし ている人にちょっと失礼ではないか。これが旅人の 神学の 問題点だ。この世に暮らす人の多くは、新しく来た人たちの 暮らしぶり を見て、流れ者なんて思わず、ここで腰を落ち着 けてしっかり暮らそうとして いる人として迎えくれるだろう。彼 らも、もとはと言えばここに流れ着いた者、 その子らにすぎ ないのだから。旅人と住民ととの間には、こんな微妙なやり と りが行き交い、都会の中の町が形成されて行くのだろう。 ある意味でクリ スチャンという小さな「旅人の神学」者たちも 気が付けばこうしていつしか世 界の住民になっていくという ことができるだろうか。としても、なにが合 わなかったのか、ま た旅人として立ち去ってしまう人もあることは確かである。 ほ かのところに行って住む場所を見つけることができればよい のだが。 ところで、主イエスは故郷のナザレを去って、ガリラヤのカ ファナウムを拠 点に町々村々で独特の活動を始めました。 そこで破産して家を失った人、町の 片隅でやっとねぐらを見 つけて家族から離れて過ごしている病人、息苦しさ を抱え て暮らす女たちとともに、彼が時々口にする〈福音〉に包ま れて。あると き、家族がイエスを引き戻そうとしたのか、活動 中のイエスのところにやってき た(マルコ3:31以下)が、イエス は実にそっけなく、家族を突き放してしまう。妻 子を足蹴に して旅立った西行法師ほどでなかったけれども、そう遠くな いこ とだろう。とにかくイエスも、イエスのところに集まった人 々も、ともに〈家〉 を離れた〈流れ者〉の集団になっていると 言えないか。マルコ福音書の書き方から 浮かび上がってく る集団の像である。 この数回話してきたように、マルコ9 章あたりから、イエス はこのガリラヤでの活動を切り上げて、もうひとつの 〈旅立 ち〉へと向かった。10章1「イエスはそこを去って、ユダヤ地 方とヨルタ ゙ンの向こう側に行かれた」、10章17「イエスが旅に 出ようと」し、10章32「一 行がエルサレムへ登っていく途中、 イエスは先頭を立って進んで行かれた」。 10章46「一行はエ リコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒 に、 エリコを出て行こうとされたとき」...、この旅が3度の「受 難予告」(8:31、9:30、 10:32)が引き起こしている旅になって いることは誰の目にも明らかな書きようて ゙ある。注目すべきこ とは、マルコ福音書ではこの最後の旅に依然として「大 勢の 群衆」が弟子と共に従ってきていることだ(10:46)。この「大 勢の群衆」か ゙ガリラヤからずっと一行の中にいたのかどうか は問題ではないだろう。 この書き方は「大勢の群衆」が質的 にあのガリラヤの群衆たちと同じく自分 の居場所を失いか け、生きづらさの中に移動していく人々として書かれている と いうことだ。 この点で、ルカ福音書と比べてみると大きな違いがある。 ひ とつだけ言うと、ルカでは基本的にイエスの宣教はその 初めからエルサレムを 目指し、エルサレムでこそ彼の救い は完成する(ルカ9:31)という観点に立ってい て、旅の途中に ついて回る群衆は、その旅の意味がわかっていない群衆と して描 かれる。マルコのエルサレムの旅の途中に現れる群 衆は、ガリラヤの群衆と変わ らない。 少なくともイエスは、ガ リラヤで遇したように、彼のその旅について くる群衆に遇し た。エリコの町、エルサレム近郊のベタニヤを別とすれば、 エ リコは旅の最後の係留点である。そこでガリラヤでしてき たように、盲人ハ ゙ルティマイを癒す。癒された彼は、その後 も旅の最終区間をイエスに従っていっ た(10:52)と言う。
5月29日の説教要旨 ヨハネ福音書16章5−15節 まだそれ「こっち側」 飯田義也 「昇天祭」を調べると、主にカトリック教会の用語として出て きます。2022年て ゙は5月26日(木)・・で、例に漏れず次の日 曜日ということになり今日が「キ リストの昇天」を祝う日となる のです。プロテスタントはあんまり関係ないのて ゙はとも思うの ですが、このところのエキュメニズムの流れからか「昇天日 礼拝」などという言い方で習慣づいてきているでしょうか。キ リストだ け、あるいはキリストと母マリアだけが昇天し、他の人 は「召天」と言葉を使 い分けている そして弟子たちがいろんな言葉で語り始める聖霊降臨日 が来る わけです 来週はペンテコステの礼拝でキリスト教三大祝祭日(クリス マス・ イースター・ペンテコステ)の一つがやってきます。歴 史的事実としてナザレ のイエスが誕生したことはまず間違い ないですし、イエス様がキリスト教 会という形で復活している ことも事実ですし、ペンテコステも・・ 主と仰く ゙キリストがこの世からいなくなって弟子たち(次世 代の者たち)の時代がくる わけですね。やがて、ユダヤ民族 だけに限らない福音だぜ・・となり、 たくさんの言語で福音を 伝え始めたという意味では確かなことです。 しかし、 こうしたことは、後から振り返れば簡単ですが、渦 中で事実を積み重ねて いると並大抵なことではありません。 それらの整合性を簡単に言おうとすると、と ゙こか不思議な感 じになってしまうのだと思うのです。 ・・と思えば「昇 天」ということが、映画のように青空に向かっ て浮き上がっていかなくても構 わないと思うのですがいかが でしょう。実際のプロセスと後から説明す ることとの食い違い だと思っています。キリストの昇天ということは、この世の 言 葉としては本当の意味で福音が受け入れられることはない ということを示唆 していて、その重みで充分だという感じがし ます。 ここでキリストは、 神のもとに行く=「自分は死ぬことになる」 とおっしゃっているのですが、弟子 たちがそのことの本当の 意味を理解しないだろうということも理解しています。 実際こ の後弟子たちは皆キリストを裏切っていくことになるわけで す。 キリス トの昇天について、聖書が示していることとして、今 日一つ私に迫ってきたのは、 キリストがこちら側の世界にい ても、誰もメッセージを聞き得なかったという 部分です。キリ ストは、神の側から、仏教っぽく表現すれば彼岸からわたし たちに呼びかけておられるということです。此岸から此岸で は、通じてな い、わからない・・つまり「こっち側」だけでは理 解できないのが神の言 葉であるし神の国だということなので はないかと思うのです。もう少し学 術的な言葉で言えば、マ ジョリティ(多数者)側だけであーだこーだ 言っていても始ま らないよ・・っていうことです。これを肯定的な言い方をすれ ば少数者の声に耳を傾けることが必要・・特に、どっぷりマ ジョリティ 側にいる者は。 いま現在・・現実に起こっていることに目を転じたいと思い ます。 直接人の生死がかかるほどの重みがあるわけではないに せよ、かなり深刻 な事態に直面しています。 例えば現政権の重鎮の一人が救いを求めて教会に出 席 するようなこと・・。あるわけないと言い切ってしまうこともでき ませんが 「悔い改めて福音を信じた方がいいよ」なんて本人 の前で言ってみても、鼻て ゙笑われるのがオチだろうなとも思 います。防衛費が二倍になったり(それこ そ11兆円増えるっ てことのようです)消費税が19%になるのを止めることは大 変 困難に感じられます。 昨日、日本キリスト教協議会(NCC)部落差別問題委員会 主 催のフィールドワークに参加してきました。蔵前にある日 本聖公会浅草生ヨハネ 教会で午前中座学の後、弾左衛門 の足跡を中心に浅草周辺に残る差別を受けてき た人々、起 こした産業、福祉的事業などをバスやタクシーも使いながら 見る 機会に恵まれました。 産業としては皮革産業の話題が中心でしたが、社会の 一 定の部分を、責任感とプライドをもって支えてきた人々につ いて想像を巡ら せたことでした。 差別を無くそうという取り組みについては・・子供の頃から の 教育もあり、大切なこととして意識してきている矜持はもっ ています。職場でも 新入職員研修の際には必ず取り上げ、 考えてもらうようにして来ています。自 慢ではありません。 これ自体、マジョリティという「安全な側(?)」にいる人に 対 して、その側の人間として、いわば空論的に差別しないよう な「振る舞い」を 示すことに過ぎないからです。結局表面化 はしなくなるけれども、心の中の 差別心は消えないまま残る ことになってしまいます。 私たちは意識、心を天に向け ています。現実の世界とその 世界を俯瞰する世界を心に意識しています。 繰り返し くりかえし、神に作り替えていただきながら、まだそ れ「こっち側」だなぁ、 が嘆息ではなく、自らを鼓舞する言葉 となるように考えて行きたいものです。
5月22日の説教要旨 マルコ福音書9章33~50節 「互いに平和でありなさい」 久保田文貞 前回お話したように、マルコ福音書では8章31で受難予 告したあたりから、イエスがそれ までの活動と趣きを変えて、 なにか言動も険しくなり、やがてガリラヤを出 てかの地に向 かっていくという予感を漂わせてきます。30節で彼らはまだ ガ リラヤを移動していますが、「イエスは人に気づかれるの を好まなかった」と。 その後で2回目の受難予告、「人の子 は、人々の手に引き渡され、殺される。...」 と。そして33節 「彼らはカファルナウムに来た。」 そこにイエス運動の本拠 地の 家がある。旅はまだ始まっていませんが、その家での やり取りを見ると、 これまでのガリラヤの活動の総括になって いると思います。 まず一つ目、 33~37節、一行が移動していた時、つまり 内々の議論ということですが、弟子 たちの中で、誰が一番 偉いかという議論があった。イエスは彼らの声のトー ン、顔 つきからただならぬ気配を感じ、何が論題になっていたか 察知し、何 食わぬ顔で《何を議論していたのか》と尋ねた。 《彼らは黙っていた。》 彼らも この種の議論をイエスが一番 嫌っていたことを肌で感じていたからでしょ う。イエスは言わ れる、《いちばん先になりたい者は、すべての人の後にな り、 すべての人に仕える者になりなさい。》 この言葉伝承は強烈な印象をもって弟子 たちの記憶に 残ったものでしょう。それはイエス死後の原始教会の組織内 の決定 権を誰がもつかというけっこう生臭い問題にかかわり ますが、この伝承の語り 手たちも著者マルコも、この問題で ぶれることはなかった、内部に権威主義の 問題が生じたら いつもこのイエスの言葉に戻っていったことでしょう。 おそ らくこの伝承の下に次の言葉伝承が引き寄せられ た。《一人の子供の手を取って 彼らの真ん中に立たせ、抱 き上げて言われた。 「わたしの名のためにこのような 子供の 一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。 ...」》 神が受 け入れてくださる人は、有能で人から尊ばれ る偉い人などではない、また ゙何も知らない小さな子どもなん だと。 これに続いて、38~50節、一見、それそ ゙れにどんな関連 があるのかよくわからない。田川建三さんによれば、それ は 口伝の特徴だそうです。つまり38~40節「よそ者の奇跡行 為者」という伝承 の下に、バラバラに伝えられていた言葉 が、関連ありそうに見せる「鉤言葉」 でつながっていったとい うわけです。41節「あなた方がキリストの者で あるという名前 の故に、あなた方に水一杯でも飲ませてくれる者は、アメー ン、 あなた方に言う、その報酬を失うことはない。」(田川訳) この報酬の特質は、まさ に天国か地獄かの岐かれ目になる と、口伝の語り手は受け取った。これに次の言葉 「また信じ るこれらの小さい者の一人を躓かせるような者は」が続く。こ の 「小さな者」とは、あの勝手にイエスの名、キリストの名を 使って、癒し行為をし ている者たちを受けることになる。こう してゼベダイの子ヨハネに彼らにイ エスの名を使うななどと 言ってはならないと釘を刺していることになる。彼らを 「躓か せる」な。そんなことをすると、お前たちこそ裁きの日に海に 投げ込まれ るぞ」と言うわけです。さらにこの「躓かせる」、そ して「ゲヘナ=地獄」、 「片」と「両」、「火」、「塩」などをもった 伝承断片が「鉤言葉」でつなか ゙っていく。互いにどんな関連 があるかあまり深く突き詰められないまま、イ エスの言葉が 並べられています。だからそこに一貫した意味を見出そうと し ても、かえって頓珍漢なことになる。ここはそういう個所とし て緩やかに読むより ないのですが、としても、ここにはこれま で見過ごされてきた弟子たち内 部のちょっとした所作、片手 や片足だけがやってしまったことが並べられ、 究極の裁きの 前に晒されるといわんばかりなのです。 ここに一つの問題が隠 れています。43~47節、「もし片方 の手があなたをつまずかせるなら、切り捨て てしまいなさ い。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるより は、片 手になっても命にあずかる方がよい。...」、実はこの 「片手になっても」には 原語でクッロスという語が使われ、ま た45節「片足になって」にもコーロスと いう語、47節「片方の 目」もモノプタルモスと言う語が使われている。日本語 文語 訳聖書がこれに「不具」「蹇跛」「片眼」を当てたように、これ らは古代ヘ レニズム社会の中でまちがいなく差別的に使わ れた語です。イエスの時代 も障害をもった人が社会的に差 別されたことを聖書の記述からうかがい知るこ とができます。 ほかの古代文献からも知られる通りです。古今東西を問わ す ゙宗教家がそれら障害者について慈愛をもって語り、身を 寄せていこうとも、結 局はその語りは非当事者の視点からに なってしまう。この点でイエスの言葉もそ の限界は同じで す。ただ、ここのイエスの言葉では、実際に終わりの日に 救 い出されるのが、自ら障害の当事者を選び取った者たちに なるというメッセー ジになっていることに注目すべきでしょう。 もちろんすき好んで障害を持 とうとする人はいないでしょう。 でも、ここには、健常者の心配や画策をよそ に堂々と神の 前に立つ当事者がいることを知るでしょう。健常だと思って い る人もすでに当事者であることを知る事ができるのですか ら。最後に、 なんで塩が出てくるのかわからないが、《互いに 平和でありなさい》にほっ としないでしょうか。
5月15日の説教より マルコ10:32、ルカ9:51-56 「〜へと向かうイエスの旅」 久保田文貞 旅という日本語の元の意味は、住まいを離れて出かける ことだそうです。休暇をもらって出か ける楽しい旅もあれば、 また自分の信念、信仰、芸術のため家を出る旅もありま す。 そんな旅とはちがって、いまウクライナの人々のように戦火 を逃れ家族や親 しい友人たちと別れなくてはならない旅も あります。考えてみれば人類の歴史の 半分はそんな旅の積 み重ねだったかと思わざるを得ません。 私たちが大事に して読んできた聖書の世界は、そのよう な旅で満ち溢れています。創世記12章 以下、イスラエルの 先祖アブラハム物語は故郷カルデヤのウルを旅立つことか ら始まり、その子イサク、孫のヤコブもその旅を受け継ぎ、ヨ セフの代になっ てヤコブの12人の子らはエジプトに難民の ように転がり込む。ここから出 エジプト記、王が代わって民は 酷使されその悲嘆の声が神に届き、神はモー セを遣わして 救い出す。そして40年間荒野彷徨の旅、申命記の最後ま でそれが 続き、ヨシュア記、士師記となって、約束の地カナ ンを獲得した。少なくともここ まで一介の族長率いる民からイ スラエルの部族連合となり、神の約束の地カナン の上に立 つ日が来て、壮大な旅を完成させたことになります。 もちろんこれは歴 史的な事実ではなく、あくまでイスラエ ルの民としての救済神学が創作した 物語ですが、物語がカ ナン獲得で終わったとわけではありません。ダヒ ゙デ・ソロモン とその後に続く王国時代は、預言者らの神の言葉に耳を背 けた神 からの離反の歴史であり、引き継いだ南北王朝が滅 亡してしまったことを知っ た上での第一の旅の物語でありま した。こうして民は再び第二の旅に突入し、 ついには起点と してきたエルサレム神殿を二度(前597年、後70年)も失 い、その旅 は今も続いている・・・大ぶろしきを広げてしま い、申し訳ありません。 キリ スト教に〈旅人の神学〉theologia viatorumという用語 があります。人は真理を 極めつくしたなどと思いあがっては ならない、人は救いを求め、真理へと歩む 旅の途上にある のだという思想を表現しています。ユダヤ教なら神の終わり の 日、栄光の日は今も未来のこととして受け止められ、その 途上にあることは当然の ことですから、こんなことを言う必要 はないわけです。 問題はむしろキリスト 教にあります。イエス・キリストの死と 復活、救いの明示、目的地に到着した、旅 は終わったの だ。明日はどこに向かって歩けばいいのか、悩む必要はない。 世界が迷走しようと自分たちには関係ないとなってしま わないか。〈旅人の神学〉 にはそんな自省が込められていま す。 旅は、その理由がなんであれ、慣れた 家をあとにして始 まります。福音書は、まずイエス自身が自分の家を捨て、突 然ガリラヤの畔カファルナウムに外から入ってきたよそ者の ように現れ、生活苦 の中にある女たちや子どもたち、老人た ち、排除された人々に寄り添い、そここ そが神の国の只中 だと言わんばかりにふるまっている姿を描きました。だか ゙、そ こには初めから彼を批判し敵対するユダヤ教主義者がつい て回る。その ことによって、福音書はいっそうイエスの周りに 起こる出来事を際立たせる。イエ スとその仲間はガリラヤ中 を歩き回って活動する。彼らはしゃべり方から言っ て同じガ リラヤ出身者たちであると知れたでしょう。彼らの活動はそ れま で見捨てられていた人々と共に生き、無視されていた 問いに応え、町々村々に出 来上がっていた秩序を揺さぶっ ていった。活動すればするほど、敵が多 くなっていったにち がいない。こうして神の福音のもと活動し、福音を語る者た ちは、ガリラヤを旅立つことになってしまう。マルコ9:30「一 行はそこを去って、 ガリラヤを通って行った。」、 9:33「一行 はカファルナウムに来た。」10:1「イ エスはそこを去って、ユ ダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた。」10:17 「イエ スが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って...」、10:32 「一行か ゙エルサレムへ登っていく途中、イエスは先頭を立っ て進んで行かれた。それを 見て、弟子たちは驚き、従う者た ちは恐れた。」 一行の動きは、ここにきて目まく ゙るしくなる。ガリラヤ人一 行はガリラヤを旅立ち、その後エリコ、ベタニ ヤを通ってエ ルサレムに入る。ガリラヤ人たちは近郊のベタニヤを拠点に して エルサレムに出かけ活動を開始する。神殿の界隈では ほとんどの人間が、敵 対者のようにして彼らの前に立ちはだ かる。神殿勢力もこの田舎者のガリラヤ 人たちの活動を放っ ておけなくなる。イエス逮捕、弟子逃散、ユダヤ議会の裁 判、 極刑を求めてローマ総督の裁判、処刑、死・・・。旅は続 くどころか、リーダー の死をもって飛散霧消、従ってきた者 たちは今更どの面下げて家に帰れようか。 裏口からびくびく して帰ってみるよりないといったところ。 もちろん、こんな 形で終わったわけではない。女たちが、 イエスは死から甦ったと、男たちに 知らせた。このメッセージ は、彼らの旅を解消するのでなく、新たな旅立ちを 保証する ことになったというべきだろう。まずはガリラヤに戻ってそこ か ら(マルコ16:8)。
5月8日の説教要旨 マルコ福音書4章26~29節 「御国を来たらせたまえ」 板垣弘毅 「君と私は仲良くなれるかな/この世界が終わる前に...」 この春終わっ た朝ドラの主題歌でした。ウクライナ侵攻が激 化してくると、歌詞が別の 意味も含む感じになりました。 しかし考えてみれば、パレスチナという狭い 地域に根ざし た旧約聖書も含め、聖書は人間の絶望的な殺し合いを繰り 返し語っ ています。「この世界が終わる前に」という思いで、 その日一日をだいじ にして人々は生きていたのだと思いま す。それはどこでもいつでも同じて ゙す。 イエスの「土はひとりでに実を結ばせる」という「神の国」の たとえと、 主の祈りの「御国を来たらせたまえ」を考え、少し でも希望にたどり着きたい と思います。 26また、イエスは言われた。「神の国は次のようなもので ある。 人が土に種を蒔いて、 27夜昼、寝起きしているうち に、種は芽を出して成長する が、どうしてそうなるのか、その 人は知らない。 ある訳者は「どうしてそう なるのか」などと訳せる言葉は 本文にはない、ただ「人はそのときを知らない」 とあるだけだ と言いますが、原文を見ればその通りだと思います。イエ ス はここで、目の前のあるがままの大地の営みを語っていま す。「どうして」 などと理由を尋ねる動機もありません。農夫 にとって、ことさら言葉にする必要 のないことだというわけで すね。 28土はひとりでに実を結ばせるので あり、まず茎、次に 穂、そしてその穂には豊かな実ができる。 この「ひとり で に」、昔の文語訳聖書では「地はおのずから実を結ばせるも の」とあり ました。農夫の経験や、それに基づいた期待はあ るかもしれませんが、イエス から見れば「地はおのずから実 を結ぶもの」なので、農夫の「なぜそう なるか」なんていう説 明も言葉もいらないのです。 29実が熟すと(時が許す と)、早速、鎌を入れる。収穫の 時が来たからである。」 「地はおのずから 実を結ばせる」、そのように「神の国」は 人の願望や絶望を越えて向こうから必す ゙やってくるのだ、と イエスは言うわけです。 またイエスは弟子たちに「御国 を(神の国を)来たらせた まえ」と祈れと教えました。 イエスの時代、ユダヤ人に は栄光の神の国の到来は、民 族にとっても栄光の、解放の時でした。預言者も詩 編の詩 人たちもそう祈りました。 しかしイエスにとって迫りつつある「神の国」は、 宗教的な 掟にあるように、ユダヤ教の宗教エリートが優先的に救われ るという ものでなかったようです。イエスに見えたままの世界 でした。その世界をすく ゙イエスは生き始めました。 イエスが伝えた「神の国」は、ただあるがまま を、この世の 属性から解放されて、その人として受け止めてもらえる世界 でした。 だからイエスには「神の国」は、「まともなユダヤ人」 からは排除された人た ちとの交わりでした。飲み食いを含 む、人間のその日、その日を生き合うできこ ゙とでした。 イエスの祈りでは「我らの日々の糧を今日お与えくださ い」と も祈ります。「きょう」というその日のいのちを「わたし」だ けではなく、 「われら」が、支えられますように、と祈ります。 ですからイエスには、神の 国を「待つ」という生き方は、明 日世界が終わろうと終わるまいと、「今ここて ゙」生き合う小さな できごとと直結していました。民衆とともに神の介入を 「待 つ」という希望があるから、明日世界が破滅するとしても「き ょう」で きることはあるのです。 「神の国」とは、人間には「その時は誰も知らない」 (「どう してそうなるか」という思慮は原文にはありません!)、さらに 「地はお のずから実を結ばせる」 、そういうものでした。 このイエスの言葉は、ノー 天気な楽観主義でも、ただの 自然賛美でもなく、「今日」を生きる「希望」 の根拠なので す。 イエスに促されて「御国を来たらせたまえ」と、私たちが祈 るとき、全く未知の新しい神の業への希望を祈っているので す。人が思い描く 地獄とも天国とも関わりありません。自分 への思い煩い、「自我」がそこに入り 込む余地はありませ ん。私達にとってもイエスにとっても「御国」は白紙なので す。そこで人の正義を越えた「神の義」が行われることだけ が、人の希望、 喜びの根拠なんです。 きょうの言葉では「地はおのずから実を結ばせる」 です。 ... 「私のいのちを生きてるのではない。いのちが私を生きて いるの だ」新聞で見つけたある仏教の人の言葉です。きょう のイエスのたとえ話に もひびき合いますね。 最近<『ぼくは川のように話す』 ジョーダン・スコッ ト文 シドニー・スミス絵> という絵本にであいました。「どもる」 自分を受 け入れてゆく少年の物語です。... 絵本の少年 は、「ぼくは川のように話す」 と言ったんです。「川がぼくのよ うに話す」ではありません。「どもる」 も「どもらない」も串刺し にした大地のはからいがあるというので す。...(全文は板垣 まで)
5月1日の説教要旨 第一コリント13章8~13節 「いつまでも残るもの」 久保田文貞 先週は、今もなお教会の重要な礼典(儀礼)として残って いる洗礼(バプテスマ) についてキリスト教の源流にさかのぼ って考えてみました。その際テキストとし て選んだコリント前 書1章のことにほとんど触れず洗礼一般論の話になってし ま いました。今日はパウロの即して洗礼について考えてみま す。 第一コリント1 章13節以下では、パウロは洗礼を授ける側 の人間として、どう見ても洗礼を 積極的に考えていないよう に見えます。こんな表現になった理由ははっきりしてい ま す。コリント教会内部にある種の党派性が生じて、教会の共 同性にひびか ゙入っていたからです。1章12節「わたしはパウ ロにつく」「わたしはアポロ に」「わたしはケファに」「わたしは キリストに」と。そこでパウロは「あな たがたのだれにも洗礼を 授けなかった」ことを神に感謝するという。誰から洗 礼を受け たなんてことで箔でもつくかのようになったらそれこそ最悪 だと思っ てのことでしょうか、とにかく伝道者パウロは洗礼と いう儀を避けているとし か言いようがありません。洗礼につ いてどう言い繕っても、それが単なる入 会儀礼あるいは通 過儀礼に堕し、あまつさえ誰から洗礼を受けたかで教会内 分派 の温床になりかねない、大切なことは、一人一人が神 に、キリストに召されて福 音の中に結ばれてあることそれだ け、「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっ ては愚かなもの ですが、わたしたち救われる者には神の力です」と言うのて ゙ す。彼にとって、洗礼というものを位置付けるとすれば、それ 以上でも以下 でもない。洗礼が儀礼としか見えなければ、 愚直そのもの。人間の党派性の 道具にしかならない。できる だけ近寄らないほうがよい代物というわけで す。 だが、そんなきわどい、愚直な儀礼の中で、神の呼びか けを聞いた、 神の力をこの身に受けたという人の体験が、た んなる自己充足、主観的なものに すぎないと決めつけてハ イ終わりとできるでしょうか。〈あれは単なる体験て ゙はなかっ た。それは経験となって、他者の前に晒され、時には他者と その経験を 確かめ合い、共に生きる力の元になってきた〉と いう人の思いを、だれに否定す る権利があるでしょうか。パ ウロは、ガラテヤ書3章26、27節で、「あな たがたは皆、信仰 により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。 洗 礼 を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着て いるからで す。」と書きます。前に取り上げたロマ書6章4節 では「わたしたちは洗礼によっ てキリストと共に葬られ、その 死にあずかるものとなりました。それは、キリス トが御父の栄 光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新し い命に生きるためなのです。」と言う。これらの言葉を 読むと、なぜパウロ はコリント教会で洗礼を敬遠していたの か。時と場合によりけりということなのて ゙しょうか。 一見使い分けのように見える洗礼についての彼の所見の 問題について、 ほとんど同じように見える体験と経験というこ とを通して考えてみたいと思い ます。洗礼を受けるという自 分の主体的な判断も、受けないという主体的な決定も、 簡 単に他人と共有できるものではない。自分自身の体験なの であって、この 主体的な意思決定「受ける」「受けない」につ ひと いて他人にとやかく言わせない、 崇高な主観の決定なのだ と。〈体験〉しない奴にはわからないという独りよが りなものが まつわりついています。この自己充足的な体験をもって、他 者の体験 とどんなにすり合わせて共感しようと、独りよがりの 体験が複数になったた ゙けになりかねない。パウロの洗礼に ついての所見は、洗礼をそのような主観的 な体験に終わら せない。むしろ経験として客観的に語り得るものとしようとし てい るのではないかと思います。 パウロはガラテヤ書2章やロマ書2-4章でユタ ゙ヤ人がそ の体に徴づける割礼の問題を執拗に追求します。体に刻 印された割 礼のあるなしで人間を振り分ける意識の根底に あるものを退けていると言ってよ いでしょう。だが、彼がそれ にこだわるのは、そこにある客観的な、主 観的になり得ない 〈しるし〉のことでしょう。割礼は主観的な体験として自己主 張できない。その点では洗礼も同じ、主観的な決定の外側 から決定されてあ るものだと。パウロは、割礼を後退させな がらも、洗礼の中にある自己決定 的なものと、自己決定の 及ばないものの両方のきわどいところを、強いて言えは ゙、体 験と経験の狭間に身を置いて、語っているのでしょう。 Iコリント14章は、 教会の中の語り方の問題を取り上げま す。「異言」「預言」「知恵の言葉」の問 題です。他人には聞 き取れないような「異言」を単なる主観的な体験に分類しま せん。むしろ預言と知恵の言葉を並列させて、それらを 〈霊〉の下での経験から なる言葉と受け止める。しかし、聞き 取れないという限界はどうしようもない。 最終的にみんなが 聞き取れる「理性」の言葉を選び取る(Iコリ14:19)。けれと ゙ もこの「理性」は近代的な合理的な理性ではない。むしろみ んなに通じる言 葉、みんなに理解できるような言葉。その土 台には〈愛〉があるんだと。異 言や預言や知識はいずれは 廃れるが、〈愛〉は残ると。ただし、その〈愛〉 とは主観的な独 りよがりな愛とは違うと言いたいんでしょう。むしろ理性的 に、 自分の経験を公開することができ、他者の経験とすり合 わせ、検証しあうことか ゙できるなかで実現されてゆくような 〈愛〉の問題の一側面として教会の中て ゙の言葉として取り上 げて言おうというのでしょう。
4月24日の説教要旨 第一コリント1章13~17節 「洗礼を受けること、受けないこと」 久保田文貞 「洗礼」を辞書で引くと、二つの意味が出ています。一つ はキリスト教の儀式のこと、 もう一つは、転じて、生き方や考 え方に大きな変化をもたらすような経験をする こと」、これを 明鏡国語では「避けて通れない試練のたとえ、また、その後 の人 生を左右するような特異な体験のたとえ」とあります。こ のような説明は、日本の ような非キリスト教圏でこそ成り立ち ます。江戸末期から、圧倒的な西洋文明に 晒されて、何を どのように受け入れるか検討する間もないままそれを受け入 れて しまったと、そこには「受ける」側の被害者意識のような ものが渦巻いているよ うに見えます。 欧米の伝統的な教会では、今も幼児洗礼が行われてい ます。そ の場合は「受ける」者の意思は無視されてます。宗 教改革者たちの中から、信仰を 告白する主体的な意思を 大切にせよという声が上がります(カルヴァン派)。 いや、幼 児洗礼を無効として受洗者の意思を明確にして再洗礼を課 す教会も現れま した。さらに教科書的に言うと、この主体的 な意思を尊重する傾向は、啓蒙主義や 近代国家の成立と 軌を同じくしています。 今日の題を「洗礼を受けること、受け ないこと」としました が、思えば、この題にも「生き方や考え方に大きな変化 をも たらすような経験」を自分で主体的に決めるよう迫り、ある意 味で僭越な 匂いを漂わせてしまっている。しかし、同時にそ の反対にもなり得ます。 キリスト 教では聖書時代から「洗礼」バプテスマという儀礼 が付いて回りました。 本来、周辺的な儀礼にすぎなかったも のが中心に引き出され、キリスト教正統 主義が確立する5世 紀ごろには礼典の一つとされ、16世紀宗教改革で聖餐と並 んで二大礼典のひとつにされました。もしも周辺であるべき ものが、意図 的に中心化されたとするなら、大いに問題で す。これを検討するための一つの方 法は聖書を読み解くこ とです。 古代イスラエルの祭儀から始めるべきでしょ うが、私には その力もないし余裕もないので、新約時代から簡単に整理 してお きます。バプテスマの習慣はキリスト教以前にすでに 行われていました。レヒ ゙記に、動物の血で罪を贖うとか、水 で汚れを浄めるなどと出てきますが、 それらはもともと、祭儀 を執行する側のための規定だった。ところが、熱心て ゙改革 的な信徒運動(その代表的な例がパリサイ派)が、日常の生 活レベル に引き下ろしてしまった。祭儀の専門化集団ならいざしらず一般人にはどうし たって無理が出てくる。神経症 的な潔癖主義としか見えないでしょう。生活の 中で清潔を保 とうとし、沐浴をしています。 一方、イエスと同時代にエッセネ派、 それに属するクムラ ン教団、彼らは、接近しつつある神の審判に対して、腐敗し た 神殿を捨て、世俗からも距離をとる。禁欲的な元祭司集 団です。彼らは日に何度 も沐浴(バプテスマs、複数形)をし たが、明らかにその後の教会の洗礼とは別 物です。 もう一つ、福音書に出てくる通り、イエス運動の前身として 洗礼者ヨハ ネのバプテスト運動がありました。迫りつつある 神の審判に対して人はど う生きるかという点で前者と共通し ますが、立ち位置が全く違う。罪を悔い 改めてバプテスマを 受けよというもの。もはや部分的な汚れを洗い落としても 役 に立たない。人間の本質まで罪で汚してしまった体を水に 沈め、この体の死 を受け入れ、その上で体ごと再生するとい うものでした。したがってこのハ ゙プテスマは、一回だけ。明快 です。でも、審判がすぐ始まればよ いが、すぐにはこなかっ た。依然として襲いくる誘惑の中でどうどうす れば...、それ は自分で決めよ、とばかり、ヨハネも処刑されていなくなって しまう。 イエスがこの洗礼者の運動と何らかの関係があったことは 確かです が、イエスは、ヨハネの悔い改めのバプテスマ運 動を継承していません。たた ゙、イエスの十字架の死後、彼を キリスト、救い主、神の子と信じ告白した人々 の集まり(教 会)が再びバプテスマを取り上げました。古き体を一回かき ゙ り捨てて新しい命への踏み出しという意味でヨハネ的です。 ギリシャ語の バプテスマとは、水に浸すという原義から転 じて、水害(津波!)ですべて を失う、英語で言うoverwhelm も意味しました。マルコ10:38、ルカ12:50では、 その意味を 含めて使われている。つまり洗礼には、象徴的な死の問題 でなく、ま るで津波を受けて命もなにもかも失うようにしてイ エスがたどったリアルな 死の意味が込められているのです。 教会はこれを礼典化し、教会の権威の下に 一つの入会儀 礼のようにしてしまいました。バプテスマとは、教会の権威の 下 に服従した(subject to)人間を焼き直して新たなる主体 (Subject)として立ち上が ることをゆるすなんてことではありま せん。マルコ5:34のイエスの言葉は、バフ ゚テスマ自体を周 辺なものにしてしまう中心的な言葉でしょう。「娘よ、あなた の信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病 気にかからず、元 気に暮らしなさい。」 パウロが洗礼を授 けることに慎重だった今日の聖書箇 所にも通ずるもの があると思います。
イースター 4月17日の説教要旨 ロマ書6章3~10節 「生かされて、生きる」 久保田文貞 イエスの十字架の死と復活について一番古い伝承と言 われているのか ゙、第一コリント15章3節b以下の「すなわち」 以下です。どこまでが原型 か問題ですが、まずは5節まで。 その後はペテロ以下の弟子たちに次々と 現れ、最後にパウ ロに現れたと、これらは明らかに彼の付加。いずれにせよ、 この伝承は、回心したパウロが初めてペテロと主の兄弟ヤコ ブに会った時 に伝授されたもの(ガラ1:18)にでしょう。 その内容を見ると「私たちの罪のた めに死んだ」こと、「葬 られたこと」「三日目に復活したこと」「ケファ(ペテ ロ)等に現 れたこと」の4つが、すべて英語で言うthat構文で結ばれて い て、組み合わせたようになっている。そこから想像つくこと は、この伝承の基に個 別の証言があって、これはそれらを 束ねたものということ。例えば4節「葬られ た」は、マルコ15:4 7によれば女たちの体験であり、その目撃談から来ているて ゙ しょう。つまりパウロが受け取った伝承は、個々の目撃談の 合作だと見る ことができます。そもそも、イエスの十字架、葬 り、三日目の復活という物語 は、それへと至るその個々の目 撃と体験の上に組み立てられたものと捉えたい。つ いつい キリスト教信仰の原型は、キリストの十字架と復活に関する 初代教会の信仰 とその宣教(ケーリュグマ)であると、特にプ ロテスタントはこれを重視し、 教えてきましたが、さらにそこ に至る前に、イエスに従っていた人々、イエスか ら言葉を聞 いた、癒してもらった人々、最後の食事のお世話をした人 々、十字架の 死を悲痛な思いで目撃した女たち、葬りを手 伝った女たち、葬りの儀礼を遂げ るために三日目に墓に行 った女たちなどなど人々の共感と体験と目撃談の一言 二言 が寄せ集まってできた、受難物語(マルコ14、15章と並行す るマタイ、ル カのもの)がある。いやさらにその前に福音書全 体が同じようにイエスと出会っ た人々の体験と共感と目撃談 の証言集として十字架と葬りと復活を支えているのて ゙す。 こう見てみると、パウロを後発した使徒という前提で見る 必要はないて ゙しょう。確かに彼自身、自己卑下ともとれる表 現を度々しています。先ほどの 第一コリント15章8節には、 累々と先輩の証言者をあげて「そして最後に、月足ら ずで 生まれたような私にも現れました。...使徒の中でもいちばん 小さな 者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者」とまで言 うのです。第一コリ ント4:13では「世の屑、すべてのものの 滓」とまでいう。だが、そのい 一方で57節「わたしたちの主イ エス・キリストによって私たちに勝利を賜る神に、 感謝しよ う。」と、自分を滓とまで言っていた彼が全世界を相手に福 音を告け ゙、勝利宣言をしてしまう。この転換に驚かされます が、いずれにせよ、ど んなに小さくとも、遅れていたとしても イエスに出会った体験と目撃、そして新し いスタートラインに 立つ点では同じなのだ。その点で誰にも引けを取らな い、こ れも一つの新しい証言だという自負があるのでしょう。 それから、こ れはパウロだけでなく、イエスの出来事の個 々の証言、つまりそれぞれの 人が目撃し体験し共感した証 言に共通して感じることですが、目の前の世 界が真っ二つ に裂けた、これまで必死で追い求めていた物がこの新しさ の 前に全く使い物にならないガラクタになった、自分と自分 の体、自分の家族、自 分の持ち物、自分の隣人たち・他人 たち、それらがへばりつくような関係で はなく、自由でさばさ ばとした間柄になり、取り戻したようなものになった、 福音書 やパウロ書簡から続々と浮かんでくる感覚です。 イエスの福音の出来 事、そして十字架と復活の出来事に は、目をそらすことができない亀裂、断絶か ゙あります。確か にそこからなにか新しいことが転回していく。それをキリスト 教は赦しとか、恵みとか言ってきたのですが、残念ながらそ こにはいつも落 とし穴があった。今日の聖書箇所で言えば ロマ書6:1「恵みが増し加わるよ うにと、罪の中にとどまるべ きだろうか」 つまり、キリスト教の救いが、 罪への居直りに なりうるという問題です。仏教、特に浄土教で言えば、他力 本願が陥る問題と共通な実にいやらしい問題です。避けら れるなら「そんな不 埒者もいるだろう」くらいで済ませたい。 けれど、そうもいかない。そこて ゙他力本願系の教理にはどう しもそこから新手の倫理(主義)が起こってくる。6 章2節「決 してそうではない」と。この問題をそのままにして置いたら、 福音は シロアリにやられたみたいに中身はガサガサの張り ぼてのようになってしま う。パウロの場合、コリント教会との付 き合いの中で、この問題に突っ込んて ゙いきました。第一コリ ント15章もそうですが、ロマ書6章もこれと通じてい ます。「不 可分・不可逆」な恵みの前に、居直ってしまう不埒者を出す まいと新手 の倫理主義持ち出さずにここを切り抜けられな いか。4節、パウロは、信者一人 一人が関門のようにくぐった 〈洗礼〉をただの儀礼とせず、キリストの出 来事の体験と共 感、目撃として想起させようとします。ほら、どうだ、〈洗礼〉 を 通して「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリスト と共に生きる ことにもなる」という。これは、あの十字架の亀 裂、断絶を前にして突如持ち上か ゙ってくる、新しい具体的な 自分の体、命、生活の問題です。なんて言うと、すく ゙に生き 方とか、その方向性とか、〈倫理〉の構えになってしまいます が、大変 でもその手前で生きていけないか。でも、手を差し 出すときは、自由に差し 出しつつ。
4月10日の説教要旨 ルカ伝福音書 19章1-10節 「失われていたもの」 八木かおり ルカによる福音書の場合、イエスがエルサレムに到着す る直前のエリコで、目が 見えるようになることを望む盲人の 求めに応じたという物語が本日の徴税人ザアカイ の話の前 にあります。そちらは細部に違いがあるものの、3つの福音 書 において共通して報告されています(「盲人バルティマ イ」マコ10:46-52、「二人 の盲人」マタ20:29-34、「ある盲人」 ルカ18:35-43)。細部と表現はしましたが、 3つの福音書の 物語を比較してみるとそれぞれの著者によってこれらの物 語の位 置づけが結構違うことが見いだされたりする箇所で す。まず、マルコ の物語においては、イエスの宣教の地であ るガリラヤと、彼を殺した町であ るエルサレムの対比が明確 です。盲人バルティマイという名のひとりの人か ゙、周囲の制 止を振り切って叫び続け、イエスに「あなたの信仰があなた を救っ た」との宣言を受け、死地に向かう直前のイエスに従 った最後の人となったという かなりインパクトのある「個人」の 物語となっています。ところが、マタイて ゙は名前は出されま せんし人数増えてます。そして、ルカだとやっぱり彼の名 前 はないですし、そして彼の物語の次に、今日の徴税人ザア カイが登場し、 その「悔い改め」の解説?のような「ムナのた とえ」(「タラントンのたとえ」マタ イ25:14-39)まで挿入されて います。いわば、マルコにおける盲人バルティマ イのインパ クトを徴税人ザアカイにすりかえるような編集がルカによって な されているわけなので、わたし個人の気持ちとしてはムっ とするんですけど も、というのも含めてあえて選びましたザア カイ物語から考えたいと思います。 そしてあえて選んだ、と申し上げましたが、本日のテーマ 「失われたもの」 は、このエピソードの最後のイエスの台詞か らとっています。この「失われた ものを捜して救う」パターン は、「見失った羊」「無くした銀貨」「放蕩息子」 のたとえ(15 章)にもあるようなルカのこだわりです。ただしこれは、そもそ も王国時代以降の、背信のイスラエルに悔い改めを促した 預言者たちの伝統、つま り元は非常にユダヤ教的なこだわ りだったと言ってもいいと思います。ルカ の見解から、ごく単 純に言ってしまえば、そうだったはずのユダヤ共同 体が、あ まりに神殿祭儀と律法を優先することになった結果、その特 質を「失っ てしまった」ことにより、本来は神との関係に生き るはずの人の生が「失われ る」事態となってしまっていた。しかし、そのような人を救う(関係を回復する)のか ゙キリストであ るイエスの働きであり、また彼に従う人々の集う教会の使命 て ゙あるということでしょうか。ルカの執筆目的として特徴的な のは、第一次ユタ ゙ヤ戦争後に危険視されるようになったユ ダヤ教と同様、その分派とみなされた キリスト教をローマ世 界に対して弁明することですが、それと同時に紀元1世紀 末 を生きる教会が内外に抱えた深刻な問題への解の提示と いうのがあると言わ れています。外的には教会および信徒 への過酷な弾圧があり、殉教者も棄教者 も続出、文字通り 地下に潜伏せざるを得ない情勢があり、さらにまた内部で は確執と分裂があり-そこでも人がまた「失われていく」のを 眼前にしなが ら-ひとつの提案として語られたのがこの物 語でもあったのだろうということ については、ちょっと譲って 受け取っておきたいとは思います。 ローマの「徴税人」 というシステムの巧妙さ、その頭である 金持ちなザアカイの立場、彼に対する ユダヤ同胞の憎悪と 蔑視が仕組まれたものであったことと律法との関係、疎 外さ れたザアカイの孤立に目を留めたイエスとの出会い、そこか らザアカイか ゙踏み出すと約束した共生への道、つまり得て いた富を半分手放すことで「失わ れていたもの」としてのザ アカイは救われたとイエスは宣言しました。そしてそ のイエス は、この後捕らえられ十字架に架けられてすべて「失われ」 ることによっ て、そうした喪失の連鎖を断ち切った存在として よみがえって顕現したと語られ ているはずなのですが。 先に挙げた盲人バルティマイの名がなく、ま た物語の位 置づけが変更されている、「失われて」いるだけでなく、この 話はどうも「失われた」感がして仕方ないのです。「失う」こと そのものは、 一概に負とは捉えてはいません。むしろ「失っ て」すっきりできたらそれに越し たことはないことも多いと思 います。でも、ともすれば、人のいのちが失わ れ、人が離れ 「失われていく」現実を前に、著者は、あえてこの物語を執 筆した はずではないのだろうかと考え、当時の教会に集う人 々の混乱と恐怖、嘆き と怒り、絶望と希望を少しでも想像し てみると、例えばルカの教会のなかで は富の格差が確執の 元となっていたのではとか、ルカは富裕層びいきだと か評さ れる理由も切実な背景があってのことと納得はできるのです が。た だ、この物語を受け取る第三者である読者にとっての 主客は簡単に転倒し続け、 イエスのこともザアカイのことも、 この二人の出会いそのものもその意味も、 「失われ」続ける のだろうという「失われ」感は、失いたくありません。
4月3日の説教要旨 詩編49章2~9節 マルコ福音書10章42−45節 「贖いの思想 」 久保田文貞 贖いという言葉は今あまり使われません。東京都交通安 全協会が、『贖いの日々』 という小冊子を発行しています。 交通事故を起こして服役している受刑者たちの悔 悟と反省 を綴った文集ですでに65号まで出ているそうです。 贖いと言う語 は、漢字辞典に古代中国で、「金銭(貝)を 出して、質物を受けだすこと、また、 罪をつぐなうこと」とあ り、法的な責任を表していたようです。聖書では特 に旧約聖 書の中に頻発してくる語です。新約にあってはイエスの十 字架による贖 いとして、私たちの頭に入ってきています。た だし、新約聖書の中に直接に「贖 い」を意味する語(アポリ ュトローシス)は10足らず、案外少ないのです。最 近の人は よくわかりませんが、昭和時代から教会に通っている人は、 おそらく贖 いという語が身に沁みついていると思います。ク リスチャンとは、キリストの贖 い、すなわち十字架によって救 われたことを然りとし告白した者と叩きこまれ、礼 拝で歌った 讃美歌には度々その歌詞が盛り込まれていたからです。と ころか ゙、今使っている「讃美歌21」では、贖いという語を避 け、別の語に言い換えて いる傾向にあります。例えば、前の 「讃美歌」(1955版)で62番「血をもてあか ゙ないすくいたも う」とあった歌詞が、「讃美歌21」では4番「血をもてわれら を 解きときはなちたもう」となります。確かに古臭い感のする語 で、今どきの 人に訴える語でないかもしれません。 だが、日本基督教団の信仰告白の中に は、「御子は我ら 罪人との救ひのために人と成り、十字架にかかり、ひとたび 己 を全き犠牲として神にささげ、我らの贖なひとなりたまへ り。神は恵みをもて我 らを選び、ただキリストを信ずる信仰に より、我らの罪を赦るして義とした まふ。」と述べています。い わゆる贖罪(しょくざい)信仰をその中心に据えて います。 旧約聖書で、贖いにあたる言語は何種類かありますが、 しかも時代や 社会によって意味が変わります。ごく簡単に言 うと、レビ記などに現れる ように、ほぼ漢字の贖と同じく、法 的に債務によって他人から拘束された者か ゙それを弁済し解 放されるといった事柄。奴隷になっている者を身代金を払 って解 放する事。ことに奴隷になってしまった家族や親戚 の者を金を払って取りもどす 事など、日常的に社会に起こり うる解放、自由のことを贖いと言います。同時に、 古代イスラ エルの人々にとっては、神との約束違反によって生じた罪 を贖い代を 奉げることによって神に赦しを請い、赦されるこ とを贖いと表現しました。しか しその罪は個人の財産の取戻しだけの問題ではありませんでした。個に課せら れる罪は 共同態に関わる罪を意味しました。自分の土地が借金のか たに取られる ということは、共同態から宛がわれた土地を取 られることであり、共同体を傷 つけることになる。同じように 神の法を破ることは個人の罪責というより民の共 同性を毀つ ことを意味しました。だから共同態の祭儀で犠牲を捧げ赦し ても らう、それが贖いの一義的な意味でした。預言者たちは その犠牲が形式的な ものにすぎなくなったときそれを厳しく 詰問し、神からの真の贖いを求めたと言 えましょう。 このような贖い思想は、神と人との関係を一つの型の中 に組みこんて ゙いきます。イエスの十字架の死を目撃し強い 印象を受けた人々は、旧約の中にあ る神とイスラエルのあ の関係を下敷きにして、イエスの死を贖いの死として解釈し ました。好むと好まざるに関わらず、それがキリスト教徒の前 に敷かれたレー ルのようなところがあります。宿命のようなも のですが、そこに問題がな いわけではありません。教会が 「忖度」でもするように、人をキリストの贖 いが必要な鋳型に はめ込み、贖いの神の前に罪を認めさせ告白を迫ることに なっ ていないか。イエスの十字架と死を贖いのドラマとなし、 人をその贖罪信仰の中 に誘いこむことになっていないか。 マルコ10章35節以下の物語は、ゼベダイ の子ヤコブとヨ ハネの先陣争いのようなところがあります。ただそれは他者 を蹴落としてどちらが出世するかという低次元なものというよ り、どちらか ゙責任ある地位についてキリストの役に立つかと 好意的に見てもよいかもしれませ ん。としてもそこには誰が 中央に付き、誰が周辺につくか、という差を生み出 す。二人 のその差は、当然周りの人々に感染し、みんながその差異 の中に組み込 まれる。そうして「支配者とみなされている人 々が民を支配し、偉い人たちが 権力をふる」うということが起 こり、支配は末端までひろがっていく。そう やって周辺の一 番下の方でもっぱら支配される人が現れる。ならば、君た ち はそうならないがよい。「すべてのしもべとなりなさい。人の 子は仕えら れるためではなく仕えるために、また、多くの人 の身代金として自分の命を奉け ゙るために来たのである」と、 イエスは言われる。ここに、キリストの「贖い」 を読み込みたく なる気持ちはわかりますが、そう読む必要がない。「人の子」 とはイエスの呼称以上に、すべての人間に関わることだと。 人のすぐ横に、 囚われ困窮された人がいる。ならば、すす んでその人の身代金を払ってやろ うと、そのように神は私た ちを創られた。自分のために特別に誰かを贖うなんてこ とで はなく、人は根本からすでに神に贖われ赦されたものとして 自由にものと して生きるように創られている、それがイエスの 福音だと思います。でも、 そうできない現実がそこここにあ り、組織的に生み出されている。神よ、贖い 給え。
3月27日の説教要旨 ルカ伝福音書11章29~32節 「裁く者の側に入ってしまう時 」 久保田文貞 今日の聖書箇所は、伝承の過程でいろいろと捻じれてい て取り上げ にくいところだ。後半の31,32節には生前のイ エスの言葉からのものだろう。 また、ルカではイエスが群衆 へ語り出すことで始まるが、これと並行する マタイ12章38節 以下では律法学者やパリサイ派の人々がイエスに論争を挑 み かかる設定になっている。基本的に福音書の中に出てく る物語単元のうち、このよ うな論争物語は、結論部をイエス の言葉でもって終わるようになっていて、それ を印象付ける 構成になっている(マルコ2:18-20,23-28など)。イエス の言葉が 核になり、状況設定が枠となっている。状況設定と しての論争場面は漠然として いて具体的でないが、その分 イエスの周りで何度も起こったことが窺える。 イエスの言葉に それを額縁として与えることで、理解しやすくしたということ た ゙ろう。これに対して、ルカでは前述したようにいきなり群衆 にイエスがしる しの問題を投げかけ語り出すという設定にな る。〈しるし〉について誤解、曲解 しているのが群衆を含むこ の時代全体だということになる。 マタイの場合、論 争を吹きかける律法学者とパリサイ派の 人々が「しるし」を欲しがっている。 「しるし」というものを誤 解、曲解しているとなる。この設定には、ネタがある。 マルコ 8章11,12節である。ここでは、「しるしを求める」パリサイ派 の人々 に、イエスは「今の時代の者たちには決してしるしは 与えられない」と断言し、ハ ゚リサイ派の連中を置き去りにして 終わる。このマルコ伝承と、マタイとルカが 使った共通資料 (Q資料)と実際にどのような関係があるか、またどちらがオ リジナルなものか、正確なことは分からない。 共通資料の方について、マタイと ルカでヨナと南の女王 の順番が違うが、言語はほぼ一致している。南の女 王シェ バの話は、列王記上10:1以下、女王シェバが知恵者ソロモ ン王のうわ さを聞きそれを確かめに来てなるほど驚くべき知 恵者だと知る話。ソロモン の知恵をしっかり評価できた異邦 の女王のその知恵も称賛されるべきではな いかということに なる。もう一つは、預言者ヨナ。アッシリアの首都ニネヴェに 行って彼らのみだらな所業を神は裁かれると、そう予言せよ との使命を受ける。 すると救い難い異邦の人間たちがなんと 悔い改めたと、そこに注目する。ヨナか ゙その使命を畏れて逃 亡し魚の腹の中に飲み込まれる物語こそヨナ書の中心なの た ゙が、Q資料のものはそれに触れない。その不十分さを感 じたかマタイは、 12:40を付加し、〈しるし〉の意味をイエス の十字架の死につなげた。マタイの気 持ちがわかるような 気がするが、この時点で、マルコのイエスの言葉は後 退して いる。いや、生前のイエスが「今の時代の者たちには決して しるしは与え られない」と言われたのは、まだその時点では イエスは生きておられた。その 限りは、マルコのイエスのこと どおり「しるし」の意味は誰にも示されない。し かし「ヨナが三 日三晩、地の中にいた」ことにより事態は変わった。あの救 いか ゙たいニネヴェの連中が奇しくも悔い改めに至ったのは、 まさにイエスが十 字架上に死に、三日間墓にあってすべて の人に救いをもたらし、救いの「しるし」 になられた出来事を 予兆するものに他ならないと。すごく無理な解釈なのだか ゙、 原始キリスト教はそうやって旧約の歴史的な諸出来事をキリ ストの救いの予兆 と見なして解釈する。マタイはここでそれ をやって見せたわけだ。 Q資料で は南の女王も、ニネヴェの人々も同じく、「今の 時代の人々と共に裁きの場に 立って、彼らを罪に定めるで あろう」となっている。いずれも異邦人であり ながら、神の裁 きの場で同席することになり、いや同席だけではない、ハ ゚リ サイ派の人々をはじめ、ルカ的に言えばイエスの周りの群 衆さえも、あの 南の女王とニネヴェの民から分け隔てられ、 あまつさえ彼らが裁き人のような 眼をして「君たちが有罪とし て裁かれることになるなんて」と見下すことになる。 ユダヤ人サイドとしては逆転スリーラン(逆転満塁ではな い)を浴びたわけた ゙が、まだ8回裏、あと一回攻撃のチャン スあり。あのソロモンの知恵を越えた かのような知恵者南の 女王、また予想外の悔い改めへとニネヴェの住民をいざ な った預言者ヨナに優るものがいるというのである。キリストだ というわけ である。たしかに、神の裁きの前に、イエスの側に いた群衆も律法学者やパリ サイ人も、南の女王やニネヴェ の住民たちを一つの基準として測ることになれは ゙、確実に 先を越されることになるが、ここにそれを超える決定的な方 きりスト がおられるという。キリストの前にあっては、異邦人か ユダヤ人かという比較 点は霧消する。律法学者やパリサイ 人が裁きの比較点に入って、群衆を裁くこ とがナンセンスな ら、あの南の女王の賢さ、ニネヴェの人々の愚かだが人 をう ならせるような従順さも、裁きの比較点としては不十分なの だということに なるか。 「しるし」つまり比較点をつかめたからと言って、裁きの側 に回れるなん て思ってはならない。神は、君らが比較点に 違いないと思った基準をもって君ら を裁くわけではない。ど うしても「しるし」を、比較点を、と言うなら、キリ ストこそ最終 的な「しるし」にするよりないが、「しるし」なんてものに頼らな い方がいい。キリストもって比較点だなどと言って、イエスが 喜ばれる はずがないと思う。
3月20日の説教要旨 アモス書5章21~27節 「民の中に神の言葉が」 久保田文貞 WCC(世界教会協議会)はコロナ・パンデミックに向けて 声明を発表した。その表 題は「〝牧会的、預言者的、実践 的使命を〟連帯を通して希望を取り戻すように...」 である。 日本基督教団が1967年に鈴木正久議長名で発表した「戦 争責任告白」 は、教団が太平洋戦争に事実上協力したこと を懺悔したものですが、その中 に「『見張り』の使命をないが しろにしました」と告白している箇所がある。 教会は世界に 向けて福音を語りかけることで成立しているから、世界が誤 った 方向に向かえば「それは違うんじゃないか」と批判しな ければならない。聖 書的な表現で言えば世界に向かって預 言するということになるだろう。 旧約 でも新約でも「預言」と言う語は聖書のキーワードに なっているが、その 意味は。どうしても神の言葉を人間に取 り継ぐ者という像が強烈だが、 旧約の原義に立ち戻ってみ るとむしろ神と民の間に立って言葉を以て仲介をする者 と いう方が当たっていると思う。前者について、旧約でもかな り早い時期から 一種の恍惚状態になって霊に憑かれうわ言 のように預言らしきものを語る集団が 出てくる。(例えばIサ ムエル10:5以下。新共同訳は「...彼らは預言する状態になっ ています」と訳す)。脱我的な預言者集団は後々まで出てく るが、それとは一線 を画した預言者たちがいる。モーセ、サ ムエル、ナタン、エリヤだ。ダビテ ゙の宮廷預言職にあったナ タンをのぞけば、いずれも自分から自らを予言者 とは呼ば ない、つまり後々のイスラエルの史家(エロヒストや申命記史 家など) が預言者と呼んだわけだ。彼らの預言は、今日取り 上げるアモスのように 文書として残っていない。ただ後の史 家たちによれば、実質、彼らが神と会 衆(民)の間に立っ て、神の言葉を民に告げ、また民の訴えを神に取り次ぐ仲 介 をした、そして必要ならば民と民の間に立って士師(judg e)となって神の裁きを宣 告する、さらに民が神から離反しそ うになれば神の裁きを予告し、そこで民か ゙罪を認め悔い改 めれば神と民の間に立って契約更新の手続きに入る・・・そ れ が預言者の役割と考えられている。 このような立ち位置に自覚的に立ったのが、 紀元前8世 紀初頭、北王国イスラエルの王ヤラベアム2世の時に現れ た預言者アモ スということができる。彼も、自分が預言者と言 われることを拒否する(7章 10以下)。脱我的な預言者集団 の一員でもなければ、宮廷から認可された聖所付 き職業預 言者でもない、自分は家畜業を営み、いちじく桑栽培者にすぎない。 つまりは王国以前のイスラエル部族連合の一農 民にすぎない。だが、ヤハウェ はこの自分を取り上げて、 「わが民に予言せよ。「今主の言葉を聞け」と。 確 かに、彼は神と民の間を取り継ぐ預言者の位置に立つ わけだが、かの名誉あ る預言者の位置に据えられたモーセ 下の先輩者たちと違って、自分の立つべき場 所を自覚して ヤハウェの言葉を語り始める。一介の民の一人にすぎない が、神 が選び立ち上げてくれた自分を引き受ける。近代旧 約学者の多くが、近代 的主体の立ち上げにも匹敵すること として持ち上げたところだ。さすがに それは言い過ぎだろう が、アモスが民の一人として立ち上げられ「今主 の言葉を聞 け」と同胞に語りかけたことは確かなことだ。 いま世界中のジャー ナリズムで取り上げられその勇敢な 行為が絶賛されているロシア放送界の 女性マリーナ・オフ シャンニコワのことを考えている。3月14日ニュース番組の放 送中に、「戦争反対」「プロパガンダを信じるな」などの紙を 手に掲け ゙、視聴者に訴えた人だ。すぐに拘束されたが、少 なくとも彼女はロシア人 の良心と国家の間に立って、踏みに じられていた良心の声を民に告げる、そう いう自分を選び取 りそれに従ったということだろう。私には、アモスの立ち位 置 に限りなく近いと感じた。預言(者)という言葉の魔力に酔う 必要はないだろ う。とにかく、自身が切り裂かれるような場に 立って、その何者かと民の間に立っ て言うべきことを言う、そ れで十分という気がする。 アモスが置かれた状 況を丁寧に探求しそこで起こった歴 史的な事柄を確認しつつ、彼の言葉を吟味す る事は重要 なことだろう。百年以上続いたイエフ(エヒウ)王朝の支配体 制、対外 政策、特に祭儀宗教を通しての支配の結果起こっ ていることが、4章4~5章27節の 言葉に映し出されている。 多くの旧約学者が言うように、アモスは、王国制に移 る前、 神ヤハウェがイスラエル部族共同体連合と取り結んだ契約 に即した道か ら外れていないか、基本から問いただした。う わべの祭儀でどんなに取り 繕おうとも、神ヤハウェの眼をご まかせないこと。甘い言葉でヤハウェの言葉 を包み隠せな いこと。審判の言葉を語るわけだが、それでもなお、注目す へ ゙きは、彼が民の一人でしかないことを自覚しつつ、しかも なお神と民の間に 立ち、そこから語ったということだ。 《主はこう言われる、「わたしを求めよ、 そして生きよ」》(5:4) また10節の言葉を受けて、アモスは 「訴えを公平に扱 い、 真実を語」る位置をとったのだろう。しかし、そこか ら「主の日は闇であって、 光ではない」(5:20)と言い 放つ。
3月13日の説教要旨 マルコ8章34節~9章1節 「自分を捨て、自分の十字架を背負って」 板垣弘毅 21世紀になり、デジタル化が進み、情報があふれ、生活 が便 利・快適になっても、民族とか国境とか、エスニシティ (民族・地域感情)とかナショ ナリズムとかというのは昔の顔 のまま出てくる、権力者はそれを利用し、当事者 たちは、ウ クライナの民衆もロシアの民衆も、そこでは一体化するもの だなと、 改めて思いました。77年前の日本と同じだなと思い ました。 乳飲み子を抱きか かえて着の身着のままで逃げ惑ってい る母親の映像を見ていると、体が震え る感じがします。77年 前の自分たちと重なります。米軍機が低空で住民を 狙い撃 ちし、焼夷弾で明るみに出た道路には黒焦げの死体やま だ燃えている 死体があり、それらに躓きながら奇跡的に防 空壕に逃げ込んだのが私達 母子の東京大空襲でした。先 週には、3月10日の東京下町の空襲記念日もありまし た。 まず今日のイエスのこの言葉を考えてみます。 08:34それから、群衆を弟子 たちと共に呼び寄せて言 われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自 分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 08:35 自分の命を救いたいと思う者 は、それを失うが、わた しのため、また福音のために命を失う者は、それを救 う のである。 イエスという男について知識を深め、感動したり、生き方 の参考にし たりすることと、彼に「従う」ことは違います。自分 からイエスを見るのではな く、イエスから自分を見ることにな ります。 イエスはユダヤ人のひとりでした。 ユダヤ教支配の社会 では、人々はユダヤ人が解放される特別な日、神の国 の到 来の間近いことを、会堂での定められた祈りの中でも唱和し ていました。 (*1) 戦時下の日本では、キリスト教会でも戦勝祈願の祈祷会 がもたれ、なん と子供賛美歌にも「鷲の羽音、戦車の響き、 巨弾のうなり、いざ見よ聞けよ。アシ ゙アの闇をやきつくす、正 義の焔、天に舞う」などという歌詞もあります。神国 (皇国)日 本は神聖でした。 ユダヤ教信仰の中から生まれた「神の国」到来への 希望 では、ユダヤ人は特別の存在で、さらにユダヤ人の中でも 「神の国」 に近い人と遠い人の区別がゆきわたり、律法とし て生活の隅々まで支配してい ました。「神の国」に備えるピラミッド構造がありました。 今の状況ではと ゙うしても、自分を捨てるなどと言うとき、す ぐ民族とか国家のためにという 大きな共通項が浮かびます。 ウクライナにとどまって戦う人たちも、きっと ロシア軍兵士も プーチンを支持する国内の多くの人々も「祖国防衛」という よう な合い言葉を共有しているのだと思います。それは77 年前の東京大空襲の時の日 本とも重なります。 しかしイエスはある一点で違っていました。「わたしの後 に 従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、 わたしに従いなさい。」 こ れは「神の国」といっても、民族 を越えていました。イエスによれば、イエスに 従うとは、監視 の目のなかで、社会のきっと底辺を形成する人たちと、ワイ ワイ・ ガヤガヤ境界線無しの食卓を囲むような「神の国」を、 生き始めてしまうことて ゙した。 運動競技なら、号砲が鳴る前にスタートするフライングの ように、 「神の国」を生き始めるのです。こんなフライングは ユダヤ教の体制が許 すわけがなく、イエスは2年足らずで処 刑されてしまいます。 ところで 「神の国」とは、本来神がもたらすもので、人間に は思い及ばない「希望」 なのです(人間の願望ではありませ ん)。イエスにさえ未知のことなのですか ゙、(だから十字架の 上で、どうしてわたしを見捨てたのか、と神に叫びま す)しか しイエスは、イエスに見えた「神の国」を生きていきました。 あらゆる人 の「いのち」が、世の中の失格者も含めて、ユダ ヤ教の枠を越えて、かけが えのないものとして受け止められ る決定的なときでした。主の祈りで「御国を 来たらせたまえ」 と祈るとき、どんな地上の闇もこの「希望」は壊すことがて ゙き ない、だから今ここで、小さくてもその希望を生き始めよう、 そういう告 白なのです。 イエスに従うことは、自分の生活は安全地帯において、な にかイエ ス像を描きだしてその考え方、生き方を評価するよ うなものではありませんて ゙した。 たとえば難民と言われる人は自分を捨てるという事情を 引き受けざる をえません。私たち母子もそうでした、イエスは そんな人たちに「幸いだ、貧 しい人たち。神の国は君たちの ものだ」と言ったんです。 口先だけなら何て ゙も言える、と思う人もいると思います。で もイエスの言葉を聞いた人々とって はイエスは「アゴ師」(口 先の徒)ではなく、イエスの目の中に「わたし」いる んです。この体験は言葉になりません。 他者の他者である自分を発見する、そ こでできるつながり がある... (以下略 全文は板垣まで)
3月6日の説教要旨 第一コリント5章1~12節 「だれが誰を裁けるのか」 久保田 文貞 私たちの日本のキリスト者の集団は本当に少数者だ。い や、戦後のはじめ20 数年は少数であったとしてもキリスト者 としてジャーナリズム等で発言を 認められていた論者が何 人かいた。それが1990年ごろからいなくなった。少 数者でも なくなった。今世紀に入ってから日本ほどでなくとも世界中でそ の傾向がある。特にプロテスタント・キリスト教で。 少数者マイノリティと いう概念が浮上したのは、第一次世 界大戦後、米大統領ウィルソンが〈民族自 決〉を提起してか らだ。(ウィルソン自身は議会から批准されなかったために すく ゙に引っ込んでしまう。)その後の国際連盟下、待ってま したと弱小民族が声を 上げ、こうしてアジアやアフリカ、南ア メリカの数国が独立した。しかし、と ゙こまでを自決できる少数 民族として認めるかという難問にぶつる。そもそ も国際連盟 を仕切った大国自身が少数民族を抱えているわけで、民族 自決とい う近代的概念は近代国家自体を分解させかねな い。大国の中の少数民族、少数者は 大国の中にとどまり続 けることになった。少数者を自国の民に加えるとは美しい 話 のように見えるが、すべての近代国家が抱えている問題で もある。ほと んどの国で、建て前では少数者の人権をとは言 うが、実際は制限されたり、 無視されたりする。今回のウクラ イナ侵攻を決行したロシアのような発想は、第一 次世界大 戦以前の亡霊が突然現れたのか。とにかく歴史が大幅に後 戻りしてし まった。世界の世論は弱者のウクライナに味方し ているが、それを上から目線て ゙なく、少数者・弱者の目線で 自分たちの手元から解決していくことが必要た ゙ろう。 少数ですらなくなりつつある日本のキリスト者一教会とし て、なにをと ゙う見てどういう立ち位置を採るか、定めていくべ くだろう。どうしよう もない少数として、最低のところから世界 を、そしてほとんど妄想にちかいわけた ゙が、最高の場所から 世界を見る。こんな立ち位置を、実は自分は生意気のよう だがパウロから学ぶ。 パウロはコリントの教会(エクレシア≒集会)の様子 を人づ てに聴いて(1:11、クロエは女性名、その女主人の奴隷か 召使の誰かから、 ということはその情報の精度は確かめられ ていない)意見する。前回の派閥問題は人 間の集団にとっ て最も普遍的な問題だ。だが、それがエクレシア内部に起 こるとはどうしても許せないというのがパウロの感覚だ。不確 かな情報か も知れないのに、あそこまで言うとはものすごい 上から目線というよりない。 彼は自分を「霊の人」、コリントの 人たちを「肉の人」と言ってはばからない (3:1以下)。確かに 思い上がりのように見えるが、でもよく読むと、彼もまた 一回 の人間であることはわきまえている。「あなたがたを信仰に 導くためにそ れぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた 者です」(3:5、新共同訳、こ の訳は意訳過ぎるので田川訳 を、「この者たちを通じてあなたがたが信し ゙るにいたった仕 え手であろう」)。「霊の人」とは、霊に仕ええる人間、4章1に 言う「管理者」 、田川訳「管財人」、つまり「霊」によって委託 された代理人で しかない。破産した地上の人間世界の破産 管財人というわけだ。ものすごい上 から目線の立ち位置に いるのだけれども、実情はこの世界では最も少数者、 ほとん ど力あるものから見向きもされない最下層から目線なのだ。 パウロ自 身が一見思い上がりも甚だしいようなところから、 「一人を持ち上げてほ かの一人をないがしろにし、高ぶるこ とがないようにするため」と言う。9節 田川訳で「...神は我々 使徒をいわば死に定められた者のように最後に(競技場 に) 登場させたのだ。我々はこの世界に対して、天使たちに対 しても人間たちに 対しても、見世物となったのだ。我々は愚 か者となり、あなた方キリストにおい て賢い者となった。我々 は弱く、あなたがたは強くなった。...我々はこの世界の ごみ みたいになったのだ。今にいたるまで、あらゆるものの塵芥 に」。究極 の思い上がりと、究極の自己卑下の間を行ったり 来たりしながら、発言するハ ゚ウロなのだが、5章1節で、「現に 聞くところによると」とまたも少ない情 報で、「ある人が父の妻 をわがものとしている」というのを「みだらな行 い」と決めつけ ている。ローマ法は父の妻との婚姻を禁じているのはその 通りた ゙が、この噂の詳細を確かめていないだろう。この父親 はすでに死亡してい て、若かった後妻が長男と同居してい るだけかもしれない。二人ができて いるかどうかなどげすの 勘繰りというものだ(田川)。ここにきて、とにか くパウロの判 断はものすごく人間臭くなる。いやパリサイ派的になる。「こ んな事をする者を自分たちの間から除外すべきではなかっ たのですか。」 そ してすでに霊がその者をサタンに引き渡 し、裁いてしまっていると断言し、 「人の者を奪う者や偶像を 礼拝する者たちと一切付き合ってはならない」というのて ゙は ない、そうなると自分たちが世界の外に出なくてはならな い。そうではな くて、そのような人と付き合うな、一緒に食事 をするな、という(5:9以下)。どう 言い繕おうと、完全にパリサ イ人パウロに戻ってしまっている。 世界から塵芥 そのものだとみなされ、最低の少数者であ ると自認するなら、最後まで「人 と付き合うな」とか「一緒に食 事するな」と裁く側に回ってしまうべきではな いでしょう。イエ スは罪人や取税人と喜んで食事をしたのですから。
2月27日の説教要旨 第一コリント3章1~9節 「神が育て給う」 久保田文貞 たくさんの物語やイエスの言葉をつなぎ合わせた福音書 で、私たちが出会う イエス像から得られる印象は、自分のと ころにやってくる病人や障がい者に癒し の手をさしのべ、満 足に食べることができない人や罪人として差別されて いた 人と向かい合うようにして会食し、また身寄りのない女性、子 を抱えた貧しい 女たちの相談にのり、何人かのスタッフと共 に活動するボランティアのように見 えます。イエスはそうやっ て一人一人の人間に向かっていかれる。その人が癒さ れ、 また問題が解決すれば、「さあ、あなたの場所に戻って元気 に暮らしなさ い」と受け取れるようなことも言われる(マルコ1:40 以下、2:11など)。大勢の人 と話をして時間が過ぎ、みな腹 がすいたろうというので何とか工夫して一 緒に食べる。暗く なってきたら解散する。何度来たってかまわないけれど、ま た明日も来週も来いとは言わない。つまり、この運動では集 まった人々を編成し て何らかの組織を作ろうとはしない。た だ、従ってくる支援者には男も女もそれ なりの心構えは要求 する。それだけです。この運動のスタイルから、少なくと も直 接的には、後の教会(エクレシア)は出てきません。 エクレシアの原義は、古代 ギリシャで召集された市民集 会を指していました。旧約聖書をギリシャ訳に したとき、特に バビロン捕囚以後のユダヤ教の集まり・会衆にこれを当てて 訳しました。さらに初代キリスト教は、復活したイエスが「終 わりの日」に再ひ ゙やってきて、救いを完成させてくださると信 じ、その日を待つ人々の群れを エクレシアと呼びました。パ ウロ自身、十字架に付けられた復活者イエス出会 い、その 一人になったわけですが、パウロにとってこの衝撃は、十字 架の福 音の前に世界は一つにされる、だからユダヤ人かそ うでないかといった線引 きはもう無効、そして終わりの日は 間近い、はやく世界中にこの福音を知らせ、て ゙きるだけ多く の人をエクレシアに集めること、そのために自分が異邦人の 使 徒となることへと結実しました。 彼が異邦人伝道として足を踏み入れた地は、ます ゙はロー マ世界の東側の、それも大都市から。マケドニアの州都テ サロニケ、ア カイアの州都コリント、アジア州の州都エペソ、 それらを拠点にしまた彼の同 労者を介してエクレシアを広 げていく(ガラテヤ地方は例外)。それが彼の方 策だったと 思います。そして次なる伝道地は西方の首都ローマへ、そ こが終点 でなく、西の果てのイスパニア(スペイン)まで(ロマ1 5:23)と考えていたわ けです。迫っている終わりの日までに なんとか全世界に福音を知らせるために、 各地に拠点(エク レシア)を作って、それぞれの地はそこに任せ、自分はさら に新 地へと、膨大な計画を持っていたらしいのです。 このパウロの伝道をどうし てもイエスの神の国の宣教と比 べてしまいます。一人一人の人間の生にイエスか ゙向き合っ ていたあの福音の出来事の一つ一つはどこに行ってしまっ たのか。ハ ゚ウロの宣教の仕方は、彼自身も捉えられることに なった十字架に付けられ復活し たイエス、そのイエスがあな たの救い主であり、ただあなたはそのイエスを 信じること、そ れ以外はなにも要らない、生前のイエスがどこその賢者のよ うに何を言ったかとかどんな奇跡を、どんなふうにして人と 接したかなど、 それらの雑音に耳を貸すな、ただ、イエスを 信じることそれ以下でもそれ以 上でもないと。よろしい分か ったら、エクレシアにとどまり救いの日を待ちな さいということ になりましょう。 終わりの日がそれこそ数週間後、2,3か月後に やってく るならそれで済んだでしょう。でも、パウロ自身もそれがすく ゙ に来ないことを察知した。何年越しにもなるスペイン伝道ま で計画していた ぐらいですから。現実に、終わりの日はなか なか来ない。そして現実のエクレ シアは日とともに救われた 者たちの、ユダヤ人もギリシャ人もないという聖徒 の集団と いうわけにはいかなかった。内部に派閥ができて生々しい 争いが起 こり、そのままにしておけばエクレシアが分裂しか ねない。そこでパウロか ゙口にする言葉は、エクレシアを維持 していくための信徒へ教育的な躾け(Iコリ 3:1-3)。派閥を 作ってそれぞれがしのぎを削るなど、愚かな俗人のするこ と。「大切なのは植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させ てくださる 神です」(3:7)、そして「あなたがたは神の畑、神 の建物なのです」と。エク レシアをこのように定義して、ゆる んだ所を締め、持続させていこうとする意図 はわかります が、イエスが宣べ伝えた福音のもとで、それぞれが新し い歩 みだしをしていく人間仲間とずいぶんの開きができてしまっ たと思 わざるを得ません。 パウロは十字架に付けられ復活したイエスに直接会って 受 けた福音は、だれにも引けを取らず、他のいかなる権威 筋にもよらない。その 鋭さは他を寄せ付けない。それはよい としても、そうやって彼が生み出していく エクレシアが、生前 のイエスの周りに生まれた人間仲間と無関係でよいはずか ゙ ないでしょう。そのことを十分に検証することもなく、ただエク レシアが 緩んだからと言って、上からの指示のようにして引 締めようとしても、結局「神か ゙育て給う」というユダヤ教以来 の大前提にもどるだけならないか。少なく とも人に固い食物 でなく柔らかい食物を与えるのは、パウロではなく、神御 自 身のはずですから。
2月20日の説教要旨 サムエル記下12章1-12節 「預言者の告発」 八木かおり 聖書物語にダビデが登場するのは、サムエル記上16 章からです。イスラエル諸 部族がカナンに定着した時 代がヨシュア記、定住後から王が登場するまでか ゙士師 記からサムエル記上にかけてです。この間、イスラエ ル諸部族は外的には ペリシテ人およびカナン先住の民 と、また内的にも部族間の確執があり、紛 争が続いて いました。士師は、この時代に起きた紛争において、 その都度選ば れた指導者であり、特にサムエルは最後 の士師として宗教的政治的軍事的役割を 担うことにな った人物です。サムエルは、初代の王サウルを民に迫 られて選出し、 またダビデを見いだし、油を注ぐとい う役割を担いました(サム上11、同 16)。サウルは主の 命令に背いたとして神とサムエルに見限られ、代わっ て選ば れたのがダビデでした。ダビデはサウルに仕え、 そして戦果を挙け ゙ていくのを嫉妬したサウルはダビデ を殺そうとし(同18)、両者の敵対関係 (というかサウ ルの恨み)は、サウルが自分に課せられていた対ペリ シテ戦にお いて自刃するまで終わりませんでした(同3 1)。サムエル記上は、そのサウルの 死を報告するとこ ろまでです(ちなみにサムエルの死は上巻25章に報告 されて います)。 続くサムエル記下は、ダビデ王国についての報告で す。王となっ たダビデは、首都をエルサレムとして神 の箱を迎え、シオンの要害をダヒ ゙デの町としていき地 位を確立していきましたが、初期はイスラエル諸部族 の 内乱、サウル家との確執、アラム、モアブ、ペリシ テ、アンモンなどを服属 させるための戦闘が続いてい たことが語られています。要は、ずーっと戦争 状態な のですが、そうしたなかで、ダビデの妻や子について のエピ ソードが挿入されています。ダビデには、名前 が分かっているだけて ゙8人の妻(それ以外にも妻や側 女)、子も同様に18人以上です。後にダビデ の後継者に なったソロモンの母であるバト・シェバを部下である ヘト人ウ リヤからダビデが強奪しただけでなく秘密裏 にウリヤを戦死させた(サ ム下11)ことが、その後の ダビデの運命を変えたことが物語られていきま す。そ のダビデの罪を告発したのが預言者ナタンでした。ナ タンはダ ビデを叱責し、ダビデは反省はする(同12) のですが、その後語られ るのは長男アムノンの義妹タ マルへの非道、それに対する三男アブサロムの報復 (同 13)、アブサロムの反逆と死(同15-18)といったダビ デの子どもたち による骨肉の争いです(わたしが一番 気になるのはバト・シェバとタマルて ゙す)。 ダビデ物語は、さらに列王記上2章まで続きますが、 その内容は ダビデの老いと王位継承をめぐる争いです。 末子だったソロモンが、 母バト・シェバと預言者ナタ ン、祭司ツァドク、地方監督官べナヤの助力 を得て四 男アド二ヤとその支持者と見なした者たちを徹底的に 排除して王権を確 立します。ソロモンは王国の最盛期 を築いた王ではありますが、彼は友好関係 を結ぶため 他から迎えた妻たち(ファラオの娘はじめ王妃700人側 室300人ほか 同11)の神を重んじた罪で王国の分裂を 次世代にもたらした者としても語られて います。「王で あろうが神に従わなければ滅ぼされる」という歴史観 は、 聖書の預言者たちに通底する理解であり、また歴 史物語はそうしたその意図にお いて後に編纂されてい ます。士師サムエルは預言者でもあり、その告別の辞 にお いて「悪を重ねるなら、主はあなたたちもあなた ちの王も滅ぼし去られるであ ろう」と警告(サム上12)、 預言者ナタンはダビデの悪業を神への離反として 告発 しました。後の預言者たちもそうですが、その警告や 告発は、神格化され たり美化されたりしがちな王や支 配層の記録としては珍しいものだそうです (全くして いないわけでもありませんが)。しかし預言者の告発は、 王国時代、 数例を除いて受け入れられることはありま せんでした。その結果として王国は滅ひ ゙たのだとする バビロン捕囚以後の史家の理解から物語が構成されて いる ことを考えて、あらためて物語を読むとき、わた しが受け取るのは以下です。 「正義と悪は表裏一体」「倒 れ伏したとしても、可能性は拓かれている」。
2月13日の説教要旨 第一テサロニケ2章3~8節 「否定の側に踏み出す」 久保田文貞 福音書はイエスの生涯を描いたものだが、それがそのま まイエスの言葉や行 動とは限らない。そこには原始教会の 信仰のフィルターがかかっている。〈素の イエス〉の像や言 葉をつかみ取るには後の教会の信仰や神学的を腑分けし 取り除か なければならない。こうして近代聖書学が言う〈史 的イエス〉が現れてくる というわけだ。理屈は通っている。し かし、後の教会の信仰の言葉がいつも型 にはまったドグマ 主義や権威主義の顔をしているわけではない。〈素のイエ ス〉の言動と区別できない信仰の言葉がいくらでもありうると 考えなけれは ゙ならない。つまり、そうやって福音書の言葉を 腑分けする近代の聖書学の方法を 受け入れている私たち は途方もない裁断を下していることになる。さらにはキリス ト 教の伝統や教会の権威を歴史から腑分けして、〈素のキリス ト者〉の信仰に触れ る力を持っていると自負することになる。 とにもかくにもこうしてあらゆる先入見 から自由なる〈素の自 分〉が立ち上がるというわけだ。 同じ新約聖書の中 にあるパウロ書簡の読みは、福音書の 読みと異なる。まず真筆の書簡では、ハ ゚ウロ自身の言葉が ほぼそのまま目の前にある。フィルターはかかっていない。 翻って考えてみれば、そのパウロの言葉はユダヤ教のフィ ルターをたたき割っ た上での言葉だ。ディアスポラ・ユダヤ 人として、本国のパリサイ派 以上にパリサイ派たろうとしたパ ウロのユダヤ人としての前提が、十字架 に付けられたイエス を示されてすべて崩れ落ちたのだ。 第一テサロニケは7つ あるパウロの書簡の中で最初に書 かれたとされる。彼がアンテオキア教会か ら分かれての「第 二伝道旅行」の最初の目的地がマケドニア地方、その地の テ サロニケに数カ月滞在。まずユダヤ人の集会を訪ね、ユ ダヤ人と「神を畏れ る(異邦人)者」を前に「十字架に付けら れたイエス」「復活したイエス」の話をし たのだろう。彼の言 葉を受け入れた者たちの集会(教会)を形成するという伝道 方 式であった。これに保守的なユダヤ人が強く反発し、パウ ロはその地から 締め出され、次の伝道地に向かうというわけ (行伝16:6以下)。後にパウロはアテ ナイで、気がかりであっ たテサロニケ人に手紙を送った。それが第一テサ ロニケ書 簡である。生まれたての教会はユダヤ人保守派との軋轢を 抱え、さら に内部で動揺が起こっていたのだろう。彼らを励 まし(1:8)、いたわり(2:8)、 彼らに感謝し(3:7以下)、奨励 をする(3:11以下)。そして4章以下、「主の来臨」の こと、 「主の日」=終末の時の到来について述べていく。2,3年 後の第3伝道旅行 の途上エペソで書かれたガラテヤ書以後 の書簡と趣がだいぶ違ってい る。〈信〉によって義とされるこ と、イエスの十字架によって示される使信、〈信〉 によって自 由にされる人間、それが出てこないのである。 おそらく4,5章で 終末について書いていることは、回心 後の十数年の間に、エルサレムから追い払わ れた「ギリシャ を話すユダヤ人」(行伝6章)たちから受けたものだろう。そ れは後期ユダヤ教の黙示文学(ダニエル書など)の影響下 にあって、原始キリ スト教団もそれを引き継いだ。この世界 の最後に「人の子」が現れて最後の審 判を下すという想念 の下に編まれた世界観である。原始キリスト教は、十字架に 付けられて死んだイエスの再臨にそれを読み込んだ。イエ ス自身もその世界観 の下で語り、行動した。だが、肝心なこ とは、イエス自身も、またパウロ にしても、さらに教会も、寓話 的かつ神話的な終末論の内側からそれをどう弾き 飛ばすか だろう。 第一テサロニケの4,5章をみると、終末論図式から十分 に 超えていないように見えてしまう。だが、この書簡の中に は、かつてユダヤ 教のフィルターを一挙に突き崩して立ち 上がったパウロの〈転回〉(回心)を思 わせる言葉が出てく る。2章5節 「...我々は、ご存じのように、へつらいの 言葉を 用いたりせず、口実をもうけてむさぼるようなこともしなかっ た。神か ゙そのことの証人である。」(田川訳)とある。新共同 訳は「神が証ししてくた ゙さいます」と柔らかく訳しているが、そ こでは「神が(法廷で)証人マル チュスだ」と端的に言ってい る(10節も「あなたがたがそのことの証人であ り、神御自身が 証人であるが、...」)。言葉尻を捕らえるようだが、神か ゙審判 者としてでなく、パウロの証人として立つ。それを受けてパウ ロが 立ち上がり、申し立てをする。神の証言が断言的である のは、文句のつけよ うがない。それだけでない。証人たる神 の証言にうながされるようにしてハ ゚ウロの主体が立ち上がる のだ。抜き差しならぬ宗教者の独断と断言と言わ れよう。ま だ黙示文学終末論の図式のままに、異邦人を見下すような 言葉を残し ているのだが(4:5)、同時に「異邦人が救われる ように」(2:16)という思いか ゙確実に立ち上がっている。「十 字架に付けられたイエス」において立ち上がっ た転回点の パウロが、再び顔をもたげてくる。やがてそれは、神の〈信〉 とそれに応える人の〈信〉こそが人を義しとする、自由にする と独断・断言し、 異邦人もユダヤ人もない、男も女もない、奴 隷も自由人もないという否定の言葉 に突っ込んでいくのだ ろうと思う。
2月6日の説教要旨 「農事暦と祭儀」 塩野靖男 出エジプト記23章、記レビ記23章、申命記16章 申命記にも引き継か ゙れる祭司資料中の<祭事暦(年間を通 じての祭りの規定)(レビ記23章他)の記述 はどこか中途半 端な印象を受ける。農事暦の中に民族譚を割り込ませ、宗 教化を 強く推し進める神殿祭儀確立のためのある過程を垣 間見ているのではないかと思 わせる。 もともとイスラエルの3大祭はどれも農に伴うまつりであっ た。シナ イ法に拠れば(出エジ23章)、除酵祭(ハグ ハマ ツオート)、7週の祭(ハグ シェブオート)、仮庵の祭(ハグ ハスコート)が農民の生活の場にあった。刈入 れ祭は大 麦の刈り取りに伴い穂にカマを入れる時を迎えたうれしい祭 り、除酵祭は その収穫準備。その折、これまで食べてきた1 年前の麦を粉に挽いたあと、これ に酵母を入れずにパンに 焼く。これを1週間食べる習わしがあった。不味い 固いパン を食べることで、このあと間もなく味わえる新麦によるパンの う まさは何倍にもなろう。神への感謝、命を繋ぎえた喜びが ひとしお大きくな るまさに農民の行事である。 7週の祭は大麦に続き小麦の刈り取り・脱穀の作業ま です べてが済んだところで祝う祭りである。大麦の穂にカマを入 れて からここまで2ヵ月近く掛かっている。農民は刈り取り・ 乾燥・脱穀の作業を炎天 下で長期間続けることでようやく主 食を家に取り込み一段落を得たのである (この祭りは同時に 神殿による収奪のときでもある)。何はともあれ、これで1年 分の主食を確保できた安堵の中で祝う祭りであった。 仮庵の祭りは乾季の終 わりごろに熟してくるブドウを収穫 し、潰し、ワインの仕込みを終えた後の 祭りである。ブドウは 収穫が間近になるにつれ、乾燥しきった大地にある その実 は鳥や獣の恰好な標的になる。農民はブドウ畑に数本の柱 を立て、簡単 な日除け小屋(草などを上にのせる)を作り、 その下で昼夜鳥獣を追い払う仕事 をしなければならない。 そしてブドウの摘み取りとなる。ワインの仕込みか ゙終わり、こ れを祝う祭りには苦労の象徴としての仮庵がその中心にあ った。 これらの祭りは祭司資料と申命記文書の中で根本的に 変えられた。「酵母を入れす ゙に」は出エジプトのおり急いで いたので発酵を待つ暇がなかった話に 結び付けられ、さら に祭司たちは出エジプトの日を適当にニサンの月の14日 (満月)に決めた(この国の建国記念日を2月11日としたの と同じ)。そのうえ種入れ ぬパンの祭りは翌日15日とし、主 客は転倒する。民族譚を無理やり農事暦に割り 込ませた様 子を垣間見ていることになろう。 7週の祭りは大麦にカマをいれた日か ら7週間後すなわ ち50日目に穀物の収穫を祝えとするもので、その日農民は 新穀 物(麦とそれを挽いた粉、それも最良のもの)を神殿に 持ってくるように命じられ た。さらにこれにオリーブ油と犠牲 動物まで付けて、と。 起算日である大麦 にカマを入れた<刈り入れ>時から脱 穀・収穫・片付けを終えるまでの農作業期間 は、季節的天 候やイナゴの害や病気などでずれるものである。これを50 日目で括るのは農民の目でないことは明白。収穫物を奉納 させる(収奪する)側 の論理である。初代教会はこの日をペ ンテコステ(精霊降臨日)に変えてしまっ た。 ブドウを摘んで仮庵の祭りにたどり着くためには農民は炎 天下や夜も 日除けの仮小屋に寝泊りをしながら鳥獣を追う シンドイ仕事を毎年繰り返した。 これもまた出エジプトに際し て荒野で過ごした天幕生活の苦労はなしに変 えられてしま った。農民の生活の場で節目をつくる祭りが民族譚の意味 づけ に主役を奪われていく過程をみているようだ。 加えてこのように再解釈され変質 を果たした祭儀暦の中 にわれわれは奇妙な記述をみることになる。仮庵の祭りの 直 前に麗々しく置かれた<贖罪・贖いの日>である(レビ記 23:27、他関連個所参照)。 ペサハ(除酵祭)が<刈り入れ 祭>に紛れ込む形で主客を変えられた全く同じ ように。 神殿祭儀は基本的に人の罪や穢れを払う儀式である。そ れを担う専門家集団(祭司 たち)はそのノーハウで尊大と敬 意を得ていた(つまりそれで生活していた)。し かるにその神 殿祭儀の現場では、穢れを払う儀式のたびにそこに穢れが 蓄積 していく(と考えたようだ)。その穢れを一掃するための 特別儀式として贖罪日と いうものが必要とされ、神殿という 建物・ひいてはそれに携わる大祭司職を贖う 神事が現れ た。神殿に穢れがたまり続けると神はこれを嫌がり、ひいて はイ スラエルを見捨てる(という神学をつくりあげた)。すなわ ち宗教そのものを生み 出した(呪術的思考)。徹底的な清 めを強調する贖罪日は<年に一度>をスローガン に神殿 の至聖所清めを行なった(出エジ30:10)。その日大祭司 は至聖所に入り、 犠牲獣の血を振り撒き、貯まった(とする) 穢れを払った(大祭司とその家族のため、 ついでに「民全 体」も)。その折は、雄ヤギ2頭が用意され、大祭司は一頭の 頭に手を置きすべての罪・穢れをそれに託し、ヤギを荒野 に放逐した(アザエ ルのヤギ、レビ記16:11-16)。民は贖 罪を得るためそのバーターとして「苦行」 しなければならな いと命じられる(23:27-32)。苦行とは断食のことであろう。 宗教とはこういう風になるという典型をみる。「年に一度」を 「一回限り」に変え、 キリストを大祭司に措定する形でこの贖罪日を解釈し直したのがへブル書で ある(ヘブ9:7,25)。パ ウロも大祭司の贖罪を意識しながら、キリストの血の 贖いの 業を無償の義だと解釈した(ロマ3:25)。血は秘儀となり、魔 術的な解釈の 世界に信徒を誘う。 血が何か犯しがたい魔力を持つかに考える集団をつくり上 げた(聖餐式論議などはこの思想に絡めとられるようだ)。 祭儀を第一義とす るこうした教義の強調は生活そのもの としての農事暦を見えなくしてしまった。都 市宗教として展 開することになったキリスト教はこれを受容した。宗教暦を 整えた がる集団はこれを幾重にも意味づけし、信徒の意識 教育に勤しんだ。
1月30日の説教要旨 マタイによる福音書17章1-9節 「変わるのは誰か」 飯田義也 わたしはここ数年、テレビ体操と俳句の番組だけは 見ていたので すが(野球中継以外の)テレビを全く見 なくなってしまいまして、情報源はもっは ゚らインター ネットで、あとは新聞の表紙と雑誌、週刊金曜日・・と いう程度に なってしまいました。(こんな情報収集力 で講壇に立つ資格があるのか?) 最近、 インターネット界隈では、頻繁にキリスト教徒 が取り上げられているかなと 感じています。田中正造 であるとか内村鑑三であるとか・・いずれも英雄 視す る傾向の投稿です。田中正造は、公正とは言えない司法 に立ち向かっていっ た人物、最期まであきらめずに戦 った人物として取り上げられておりました し、内村鑑 三は福沢諭吉の拝金主義を批判した人物として取り上 げられておりま した。 今日持ってきたのは「週刊金曜日」ですが矢嶋楫子が 取り上げられ 『女性の地位向上に尽力した「先頭バッタ ー」矢嶋楫子』というタイトルがつ いています。矢島楫 子(やじま かじこ、1833年6月11日〈天保4年4月24日〉-1 925年〈大正14年〉6月16日)は、明治-大正の女子教育者、 社会事業家。女子学院初 代校長、婦人矯風運動創始者。 これらの輝いた人々、憧れを感じながらも、こ のよう にはなれないなぁと日常を送っているのではないかと 思うのです。 一 方、このところ講壇に上る度に、政府にもの申す人 になりましょう・・というよう なメッセージを発して いることに複雑な思いがあります。日常的に「キリスト 者平和ネット」からメールが送られて来るのですが、一 昨日は憲法審査会の 開催に抗議のファックスをという 要請が来て、一通協力しました。自分が「反 政府運動家」 にならなければならないんだろうか・・ただし何も具 体的には 動かない・・ということなのでしょうか。こ のような生活に何かうれしさとか、 そのこと自体がし あわせとか、あんまりないような気がするのです。 「六日 の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄 弟ヨハネだけを連れて、高 い山に登られた。すると、彼 らの目の前でイエスの姿が変わり、顔は太陽のよ うに 輝き、衣は光のように白くなった。見ると、モーセとエ リヤが現れ、イエス と語り合っていた。」 さて、この箇所を読むと、輝くイエス様の姿とそれを 見た弟 子たち、そして日常に戻ってくる一同というこ とではあるのですが、人間は 信頼関係で成り立って いるということをあらためて考えました。イエス様と 弟子 たちの間には信頼関係がありました。後に裏切る という程度ということも含め て・・。このできごとを 心象風景として捉えるとか、ブロッケン現象(山の上 で起きる人間に虹が架かる現象)などで合理的に説明 しようとするか、その あたりは「ご自由に」という感じ なのですが。 日常で、たとえば「契 約書を作る」などというと、信頼 できないから約束を書面にする、証拠を残す わけです ね。ここでは証拠はいりません。イエス様と弟子の関係 性の中で 「あー素晴らしい」ということが起こり、しか しそうではなく、日常に戻った 人間の姿に信頼を置い ていくというできごとだったのではないでしょう か。 イエス様が、過去の人物と語り合っているわけです が、連綿と神の言葉 を受け継ぐ人々がいてその人々と の対話から自分が発言していくということ を意識しま す。人は正しい情報がないところで判断しても間違っ てしまうとい うことを、いま社会は経験しているので はないかと思うのです。目の前にいる この人は正しい 情報を伝えているのだろうか。 週刊金曜日に、うちだたつる (内田樹)さんの論考 が出ていました。 「公正中立な言論」なるものが自存する わけではない。 公正中立とはさまざまな異論が自由に行き交い、時間 をかけ て「生き残るべき言葉」と「淘汰されるべき言葉」 が選別される言論の場を 維持するという行為そのもの のことである。 ・・とありました。 わたしは正し いことに従いたいという気持を持って います。正しさって時限的なものなのでしょ うか。なん だか正しそうだから従ってしまうのでしょうか。正し い情報を伝 えることの大切さを改めて考えました。
1月23日の説教要旨 ガラテヤ書5章13~15節 「<信>と共に起こる自由」 久保田文貞 ある歴史学者か ゙次のように勧めているそうだ。「ある時代 を追体験しようとするときは、その 後の歴史過程について知 っていることをすべて頭から払い落としておくように」 と。そん なことできるだろうか。私たちは新約聖書でパウロの手紙を 読ん でいるが、現代の読み手の一人であるこの私と、パウロ の手紙との間には キリスト教の歴史過程がどっさりと挟まっ ている。もちろんそのすべてを知 る由もないが、私たちはそ の歴史過程のこちら側にいるのだから、それを「頭 から払い 落とし」たつもりになっても、そこに立つ自分を放り出して、 いきなり古 代のパウロの言葉に向き合うわけにはいかない。 然り、この歴史過程として分か りやすいものは〈伝統〉であ る。新約文書と私たちの間に、その後の教会の歴史、 信条 や信仰告白、教会会議の決定、論争を勝ち抜いた神学な どがぎっしり詰 まっている。しかし、よく考えてみれば、引き 継がれてきた伝統とは、歴史の 中で、教会政治的かつ神学 的に勝利してきた者たちの歴史遺産と言うよりない。 その伝 統の上に立ってふんぞり返るつもりは毛頭ない。むしろ、そ の勝利の行進 が踏みにじってきた者たちを掘り起こし、そこ ここに彼らの記念塚を建て、彼 らが生きた道を確かめ再現 できればと思う。しかし、それは大変な作業にな るだろう。も っと誰にでもできる方法はないかと思う。我々が前にするハ ゚ ウロの手紙について言えば、「知っていることをすべて頭か ら払い落し」虚 心坦懐に読む。歴史的に実際に起こったこと を探索し感心して済ますだけでな く、パウロの場合で言え ば、教会の伝統が摘み取ってしまった後に残る干 からびた パウロを水に戻し、彼に起こった危機的な出来事を共有せ んとして読 む。それがあの歴史家のいう「感情移入」の真意 だろう。心理的に了解したつ もりになってしまう「感情移入」 ではなく、パウロに起こった「十字架に付け られたイエス」の 危機をそのまま受け取り、同じ地平に立って開ける地平を 生き ることだろう。というわけで、ここではその後のキリスト教 の伝統や神学を 封印して読み進めたい。とは言っても、どう してもへばりついてくる前提をそ のつど払い落としながらやるよりないが。 今日の箇所に限らず、パウロ は「十字架に付けられたイ エス」を示され「福音」の出来事を生きることになって、 自分 を「自由にされた」者として再三にわたって表現する。しか し、「自由」とい う語には、それ自身の歴史過程抜きに何も 語れないような言葉だ。私たちの近代 国家の基礎には、自 由とその不可分の平等が据えられ、自由という語は払い落 と そうにも落とせない歴史過程を持っている。それは圧制、 抑圧、差別〈からの自由〉、 そして自立した人として生活し、 思想し、表現し、連帯する〈~への自由〉への闘い から手に したはずのものだが、実際には不平等と不自由の現実へと 後戻りを 繰り返す。そういう今を生きる者として「自由」を読 むよりない。 ユダヤ人パ ウロは、ギリシャ・ローマ社会の自由人と奴隷 という階級問題と少し別のところ を生きている。ユダヤ人の 元となるイスラエルとは、神ヤハウェによってエジフ ゚トの奴隷 から解放されたという共通の選民意識の上に立っている。 ユダヤ人の 間にも主人と奴隷の関係は存在する(ルカ7:2以 下、マタ13:27以下など)のだか ゙、その主人も奴隷も本来神に 解放された民の一員なのだ。希薄に感じるのは その共通意 識の故か。この民に、解放された民のしるしとして「律法」が 与えら れた。もちろん実際は、この解放は何度も脅かされ、 律法は民を拘束する基準になっ たのだが、パリサイ派ユダ ヤ人パウロもまたイスラエルの誇り・良き伝 統を必死に引き 寄せようとして頑張った。当然のように律法をないがしろに する 隣人を弾圧した。この男に「十字架に付けられたイエ ス」が現れ、「福音」が 示された。彼の誇りはへし折られ、彼 の根拠はなくなった。その危機を生きるより ない。でも、この 危機は「福音」であった。この危機は律法を解体させた。ユ ダヤ人・非ユダヤ人という区別を無効にした。 しかし、この解放・自由の無方 向さを許せない連中がユ ダヤ人キリスト教徒の間に起こり、やがてガラテ ヤ教会にも 現れた。ガラテヤの人々は揺れたことだろう。おそらくまず 彼ら がパウロに手紙を送ったのだろう。《あの人たちは「君ら も割礼を受けて、 来るべき終わりの日に備えなさい」と言っ ています。私らの中に割礼を受けるも のが次々に出ていま す。どうしたものでしょう》と。烈火のごとくパウ ロは怒った。 「あなたがたをかき乱す者たちは、いっそのこと自ら去勢し てしま え」と。品よく訳しているが、「男の一物を切り取ってし まえ」と父権性的男社 会に寄り添って口を滑らせてしまう。 (「男も女もない」(3:28)はどこへ行ったの か) とにかく割 礼ないままとは、律法からの自由の象徴だった。パウロが突 入している「十字架に付けられたイエス」において起こった 危機はユダヤ人とし ての自己成立の根拠をまずは捨てるこ とだった。一切の隠し資産を許さんとい うことだだろう。その 危機の中に現れた自由にいかなる紐づけもしない、そ んな 自由を歴史過程を飛び越えて、君もぼくと一緒に自由に生 きろよと呼び かけている。
1月16日の説教要旨 ガラテヤ書3章1-2節 「〈あなたがた〉とはだれ?」 久保 田文貞 ガラテヤ書でパウロは、「わたしたちの父である神と、主イ エス・ キリストの恵みがあなたがたにあるように」(1:3)と、お 決まりの挨拶で始め たところが、そのすぐ後に「私は(あなた がたに)あきれ果てている」と失望 を隠さない。さらに筆が進 んでついには「ああ、物分かりの悪いガラテヤの 人たち」(3: 1)、原語に即した訳を追求する田川訳によれば「ああ、間 抜けなカ ゙ラティア人よ」とさえ呼びかけている。一体何がガラ テヤの諸教会で起 こっていたのか。 元々パウロはマケドニア・ギリシャ地方の伝道に行くため にガラテヤを通過するだけの予定だった。異邦人伝道にの み意味を見出して いた彼としても、いきなり異邦人の中に入 っていくことはためらいがあったのか、 すぐあとのピリピ伝道 に見られるようにまずはユダヤ人の集会を通じ てその地の 異邦人に伝道をしていくという方法をとっていた。ガリラヤに はその ような伝手はなかったのか。とにかくパウロにとってガ リラヤは取っ付きよう のない異教の神々を崇拝する異邦人 社会だったのだろう。 だが、偶然にも 彼はそこで体調を崩して逗留することにな った(ガラ4:13以下)。親切な人たちか ゙いて彼を介抱してくれ た。どのくらいの期間かわからないが、パウロはそ の人たち に福音を告げ知らせた。少なくともこの書簡を書く2,3年前 のことにな る。ガラテヤ書から読み取れるところでは、彼がな によりもまず提示した のは「目の前に、イエス・キリストが十字 架に付けられた姿ではっきり示され たではないか」(3:1)と 言っているように、「十字架に付けられたキリスト」だっ た。当 然映像媒体などない世界のこと、それをどのように提示した のか分から ないが、要はいろいろ粉飾したり説明や解説な どを交えず、ただひたすら 十字架に付けられたイエスを提 示したとしか言えない。そして「私は、キリストと 共に十字架 に付けられています」(2:19)と、2年前のその時にも同じよう な表現 をしたのだろう。 その時ガラテヤの人々の間に起こったことは、パウロにも 起こったことだった。「十字架に付けられたイエス」が、福音 としてパウロ とガラテヤの人々の間の隔ての壁を突き抜け、 彼らを福音で満たした。ずふ ゙ずぶのユダヤ人だったパウロ と、ずぶずぶの異邦人だったカ ゙ラテヤ人の、人としての区別 は意味をなさなくなった。パウロはその時のガ リラヤの人々 に起こった出来事を、「あなたがたが福音を聞いて信じた」 (3:5)と表現した。パウロが言うところの〈福音〉とは、「十字 架に付けられた イエス」のことに徹底している。私たちが福 音書で、ナザレのイエスと「群 衆」たちとの色彩豊かな物語 群から読み取る福音とは全く違っている。十字架に付 けら れたイエスのイメジによって彼がつかんだ〈福音〉にこだわ り、終始 する。なじみやすく加工したり薄めたり、メタファを介 して自由に変形したり、 担ぎまわることを拒否するわけだ。 いわゆる〈信仰義認〉も後のキリスト教、 特にプロテスタン トがそこから莫大な教理を捻出したが、彼はそうしない。 ユ ダヤ人の先祖「アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認 められた」。 律法はアブラハムの信仰の430年後(3:17)の こと、〈信〉に律法の介在はいらない。 律法は〈信〉の出来事 を呼びこんだり、保証したりいない。ことほどさよう に、「十字 架に付けられたイエス」で提示された〈福音〉だけで十分だ っ た。 だが、ガラテヤの諸教会の間に、パウロの宣教を片っ端 から否定する ユダヤ人キリスト教伝道者が現れ、それに従っ て、割礼を受けようかという者か ゙出てきている(6:11以下)。 割礼は、せっかく神がもたらし、十字架に付けられ たイエス において可能となり、それに応える人間に起こった〈信〉を ぶちこわし にしてしまう(3:7以下)というわけだ。 「もはやユダヤ人もギリシャ人もなく、 奴隷も自由な身分の 者もなく、男も女もない」(3:28)。捉えようによっては、たし かにそれは〈私〉の喪失であり、〈あなた方〉を特定し守って きた枠組みの崩壊て ゙もある。パウロについて言えば、彼のユ ダヤ人性が無効となり、ガラ テヤの人々にとっては異邦人性 の意味喪失である。「十字架に付けられたイエス」 が真ん中 を走り抜けた結果である。人間の間のいろいろな枠組みが 壊れる。 良いことばかりではない。権力者たちもそれに気づ いて新ての締め付けに乗 り出すかもしれない。人々は急激 に訪れる自由に眩暈して疑似ユダヤ人になろう とするかもし れない。「十字架に付けられたイエス」による攪乱がそこここ に起 こる。それを承知の上で、パウロはメッセージを和らげ たり、賞味しやす い物にしない。ただただ、ストレートに〈福 音〉をぶつけていく。ガリラ ヤの連中が戸惑おうと、手を緩め ない。正直付き合いにくい人だろうなと私も 思う。後のキリス ト教がひねり出した思弁的な神学と全く関係がないとしか言 いようがない。なにも知らない〈異邦〉へと友人や先輩に義 理を欠いても、ひた すら行商をしていく気迫、それを後押し していく〈力〉にこそ敬意を表したい。そ うして彼の周りで、ピ スティス〈信〉が起こっていく。〈信〉は、真実、信 頼、信仰な どなど色々な相貌をもつのだろう。〈信〉を介して色々な人 間仲 間が起こり色々な活動が起こるのだろう。その一つが パウロの前に現れ た「あなたがた」なのだろう。
1月9日の説教要旨 ヘブライ人への手紙11章1~3節、 12章1~2節 「一点突破全面展開」 板垣弘毅 一点突破全面展開、この言葉は、私はその昔、党派系の 運動の関係で聞いたのて ゙すが、これは、どこにでも通じる真 実がこめられていると思います。 私の身近な人にも何人もい ます。たとえばタイのチェンマイでエイズ患者の シェルター (緊急避難所)活動を何十年も続けている日本人女性がい ます。「新年 おめでとう」というはかない「希望」は、年賀状の 世界だけかもしれませんか ゙、しかし「うつ」で音沙汰なかった かつての塾の卒業生から「回復しました!今 度話しに行っ ていいですか―」こんな年賀状がくるとまさに「おめでとう! て ゙す。小さな一点突破です。 11:01信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見え ない 事実を確認することです。 ある牧師さんが「信仰の見事な定義」と言い切っ たので、 ちょっと考えてみました。この日本語訳ではヘブライ書の著 者の意 図は伝わらないという聖書学者に、私は共鳴しま す。この訳では「信仰」とは信し ゙る人の信心の深さ・強さによ るということになります。 「信(仰)とは、希望され ていることの中身そのものであり、 (人には決して)見えないことの確かさであ る」というふうに訳 せると思います。 信心が浅いか深いかにか関わりなく、イエ スは救いを完成 してしまっている、それがどういうものか人間には空白だけ れど、イエスが導き手である。イエスがすでにたどり着いた 希望は、 いつか人間において実質になる、その確かさに安 心してそれぞれ自分が置かれ たところを生きるべきだ、とい うのです。イエスこそそのお手本だ、とい うのです。 きょうのヘブライ書の著者は 12:1 「信仰の創始者ま た完成者で あるイエスを見つめながら」「すべての重荷 や絡みつく罪をかなぐり捨てて、 自分に定められてい る競走を忍耐強く走り抜こう」 といっています。これ はキリ スト教の教理や組織への忠誠や、信仰心の強さを促 すものではないと思います。 信仰はもうイエスが完成してし まっているのです。「信仰」に対して人がす ることはない。だ から信仰と訳さないで「信」とする翻訳もあります。人間の 信 仰心、信心があるなしなどに関わらず、すでに完成している 事柄への誠 実さ、確かな希望、それが「信」です。 旧約の引用が多く手引きなしで通 読するには手ごわいヘ ブライ書だと思いますが、ユダヤ教を乗り越えた キリスト教の 決定的な新しさが強調されています。 きょうのところでは、1 2 章2節に 「信仰の創始者また完成者であるイエスを 見つめながら。このイエス は、御自身の前にある喜び を捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍ひ ゙、 神の玉座の右にお座りになったのです。」 ヘブライ書はイエスがユダ ヤ人として一点突破して生きた 以上、ユダヤ教を掘り下げる道しかありませんて ゙した。掘り 下げて、古いユダヤ教を脱出して新しい世界に全面展開し ようと いうのです。 イエスが歩み、イエスが完成した道はイ エスだけがたどっ た道で、ユダヤ教はもちろん、キリスト者と いえどもまだその途上なんた ゙よ、といっているのです。その 完成は誰にとっても白紙であって、私物化て ゙きない未知の 出来事、ユダヤ教だけでなくキリスト教会でさえキリストか ゙完 成したものの「ひな形」を地上に作ることなどできない。ヘブ ライ書は そう言っていると、私には読めました。 昨年から年を越して、ひとりの保護司を主 人公にした連 続ドラマを見ています。今の社会の抑圧の中で犯罪を犯し てしまっ た人々が、世の中の冷たい視線の中で生きてゆく のを支える保護司というボ ランティアです。ひとりの人の良 心というか、こころざしだけが切り開く 世界があるんだな、と 思わせるところがあります。登場するひとりひとりか ゙、逃れが たい自分の過去を掘り下げて乗り越えようとするのです。 ヘブ ライ書はすでにイエスがすべてを完成して「天」にお られる、この全面展開 という事実は人間が信じるか信じない かに関わりがないことを強調します。 そのことをヘブライ書 は、イエスが究極の大祭司になったのだ、と表現しま す。今 の私たちには実感から遠いユダヤ教の信仰が引用されま す。そこ、つま りユダヤ教という枠が、当時のキリスト信者た ちが立たされている場所、掘 り下げる場所だったからです。 私にはきょうの「信仰告白の」言葉は「希望」 ですが、「教 理」となった言葉の限界を痛感してもいます。つまりイエスが 歩み、完成した道はイエスだけがたどった道で、ユダヤ教は もちろん、 キリスト者といえどもまだその途上なんだよ、とい っているのです。その 完成は誰にとっても白紙であって、目 標、希望であって、先取りして代替物に なったりできませ ん。壮大な教会建築や美術や音楽も、数人が集まってなさ れ る野外の礼拝も、ともにこの「希望」を暫定的に、とりあえ ず表示しているにすき ゙ません。主の祈りに「御心が天に成 るごとく、地にも成させたまえ」とあり ますが、天で起こ ってしまっていることがいつか地上に起こりますようにと いう 祈りの中に教会はあるわけです。「祈る」こととは、希望する ことですか ゙、自分が無になって神に委ねることを含んでいま す。 信仰とは(信とは)イエ スが一点突破したことに希望の根 拠をおいて全面的に信頼することでした。ひ とりひとりはイ エスに従い自分の一点を掘り下げるだけです。誰にでも 「一 点」は与えられています。(以下略 全文は板垣まで)
1月2日の説教から ルカによる福音書2章25~35節 「異邦人を照らす光」 久保田文貞 私たちの仲間に昨年生涯を閉じた方がいらっしゃいまし たが、私たちはこ うして新しい年を迎えることができました。 「おめでとうございます」 と言うべきなのでしょうが、さてこの 年を生きていくことがほんとうにお めでたいことなのか、正直 ちょっと躊躇しています。間違いなくこの年も世界と 私たち の社会もこれまでの数々の欺瞞や虚偽、矛盾がうずまく不 安定この上 ないことになりそうで、考え始めると不安でしか たなくなります。でもこん な思いも悲観的に見えて、じつは 相当甘ったるいものです。結局、なるように しかならない、だ から一応「おめでとう」と言っておこう、というあたりに行 きつ く、でもそんな軽薄な気持ちで言う「おめでとう」なんてすぐ 見透か されてしまうにちがいありません。そんな考え込まず 素直に「おめでとう」 と言えば・・・ さて、今日の聖書個所はイエスの宮参りとシメオンの祝福 の箇所 です。ここを読むとなにかお正月みたいな感じがしま す。もし12月24日に生 まれて8日目となればこのお宮参りは お正月の真っ最中になるところです。子の 誕生と、新しく迎 える新年と、もうそれだけで十分、おめでとう、この物語 はそ んな響きを持っています。だが、ここも額面通りいかない、 間違えなく後 の創作によるもので、歴史的事実とはほど遠 いことがらです。創作の最終 責任者は非ユダヤ人キリスト者 ルカです。物語に従えば、ナザレ出身の出 産したばかりの 家族をベツレヘム、エルサレム界隈に八日以上とどめおい て、 赤子イエスをユダヤ人一般の儀礼に服させています。 前回申し上げたように、 住民登録のためにベツレヘムに旅 をしたことなど何重にもあり得ないわけで、 マリヤはナザレの 村で出産したと考えてよいでしょう。その時代、新生児を 抱 えて90キロ離れたエルサレム神殿に参詣することなどできな いでしょう。 というわけで、シメオンの祝福も、次の預言者ア ンナの祝福もフィクションとい うよりありません。 この創作場面の目的は、イエスを歴としたユダヤ人に押 し戻 すところにあったのでしょう。パリサイ派のような正統な ユダヤ人たちとこ とごとくぶつかってしまうイエス自身が、もう ユダヤ人であることにこた ゙わっていない、むしろユダヤ人性 を捨てようとしていると見られてもおかしく ありません。ユダヤ 人か、異邦人か、義人か罪人か、そんな枠組みを捨てようと 言われていたのではないか。パウロが伝える、ギリシャ語を 話すクリつ」 (ガラ3:28など)は、生前のイエスの在り様を映していな いか、いやイエスが それを耳にしたら肯定したんじゃない か。いずれにせよ、イエスにおいても、 その後のイエスをキリ ストと告白した教会においても、ユダヤ人と異邦人の従来 の 区別が問いに付されたことは確かです。ところが異邦人ル カはイエスから ユダヤ人性を剥いでその区別をぼかしてし まうことに賛同しない。イエスの 出発点をユダヤ人性に据え おいたことの意味は何か問わざるを得ません。 そこ でルカの考えを推測すると次のようになります。教会 はユダヤ人の反逆者とし てのイエスをキリストと仰ぐのでは ない、むしろイエスはお行儀のよいユダ ヤ人の家庭の子で あり、ユダヤ人としての通過儀礼をしっかり守っていた。キ リ ストの福音宣教はまず排除されたユダヤ人たち、罪人や貧 民に向かった。そ こで一部のユダヤ人と対立した。彼らがイ エスを告発し十字架刑に押いやろ うとした。イエスは地上の 権威たる帝国に最後まで従順だった。その結果の十 字架と 死だった。しかしその彼の十字架の死と復活こそ、我ら信仰 者の福音なの だと、なるでしょう。 ルカはこうしてユダヤ人キリストがきわめて平和裏 に我ら 異邦人のキリストとなった。だから我らクリスチャンも信仰者 としてお行 儀よく帝国の、たとえ問題だらけの帝国であろう と、その人民となり、従順て ゙柔和な異邦人として暮らせます というわけです。ただし私たちは、帝国が あまりに不条理を すれば首を縦に振らないでしょうが...。ルカ的な、こうい う社 会に対する位置の取り方がキリスト教のすべてだと申しませ ん。じっ さいにはもっと別の在り方をしたり、積極的な抵抗勢 力になっていったキリスト教 もあります。 ただし、ルカ的な生き方との関連で言うと、問題は〈日本 人〉ク リスチャンの在り様です。日本にやってきた外国人が 日本の中に生きることの 難しさを訴えています。日本社会も また異邦人が入ってくると強く同化を求めて いきます。日本 人としての感性、美意識をお前も持て、持てなければ仲間 に入れ てやらない。日本人の気遣いの仕方を覚えろ。日本 人とはこの列島に自然に生まれ た民と同化できた民のブレ ンドのこと。異邦人は存在できないのだ。日 本人に連なるた めには、天皇のおわします地の地続きを生きるということを 受け入 れることだ。自分を異邦人であるなどと駆り立てては ならない。ユダヤ人 か異邦人かなどという選択をする必要は ないと。こうなると少なくともルカ的な 従順で柔和路線も、と っかかりをなくしてしまうでしょう。正月、ルカ2章32節 「それ は諸民族が明らかになるための光」と歌ったシメオンの歌の 歌詞の着地点 はどこに求めるべきなのでしょうか。 スチャンたちのスローガンのような 伝承、「もはや、 ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、 男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一 つ」(ガラ3:28な ど)は、生前のイエスの在り様を映していな いか、いやイエスがそれを耳にした ら肯定したんじゃない か。いずれにせよ、イエスにおいても、その後のイエス をキリ ストと告白した教会においても、ユダヤ人と異邦人の従来の 区別が問い に付されたことは確かです。ところが異邦人ル カはイエスからユダヤ人性を 剥いでその区別をぼかしてし まうことに賛同しない。イエスの出発点をユダ ヤ人性に据え おいたことの意味は何か問わざるを得ません。 そこでルカの考え を推測すると次のようになります。教会 はユダヤ人の反逆者としてのイエスをキ リストと仰ぐのでは ない、むしろイエスはお行儀のよいユダヤ人の家庭の子て ゙ あり、ユダヤ人としての通過儀礼をしっかり守っていた。キリ ストの福音宣教 はまず排除されたユダヤ人たち、罪人や貧 民に向かった。そこで一部のユタ ゙ヤ人と対立した。彼らがイ エスを告発し十字架刑に押いやろうとした。イエス は地上の 権威たる帝国に最後まで従順だった。その結果の十字架と 死だった。 しかしその彼の十字架の死と復活こそ、我ら信仰 者の福音なのだと、なるでしょ う。 ルカはこうしてユダヤ人キリストがきわめて平和裏に我ら 異邦人のキリス トとなった。だから我らクリスチャンも信仰者 としてお行儀よく帝国の、たとえ 問題だらけの帝国であろう と、その人民となり、従順で柔和な異邦人として 暮らせます というわけです。ただし私たちは、帝国があまりに不条理を すれ ば首を縦に振らないでしょうが...。ルカ的な、こういう社 会に対する位置の 取り方がキリスト教のすべてだと申しませ ん。じっさいにはもっと別の在 り方をしたり、積極的な抵抗勢 力になっていったキリスト教もあります。 ただし、 ルカ的な生き方との関連で言うと、問題は〈日本 人〉クリスチャンの在り様で す。日本にやってきた外国人が 日本の中に生きることの難しさを訴えています。 日本社会も また異邦人が入ってくると強く同化を求めていきます。日本 人として の感性、美意識をお前も持て、持てなければ仲間 に入れてやらない。日本人の気 遣いの仕方を覚えろ。日本 人とはこの列島に自然に生まれた民と同化できた民のフ ゙レ ンドのこと。異邦人は存在できないのだ。日本人に連なるた めには、天 皇のおわします地の地続きを生きるということを 受け入れることだ。自分を異邦 人であるなどと駆り立てては ならない。ユダヤ人か異邦人かなどという選 択をする必要は ないと。こうなると少なくともルカ的な従順で柔和路線も、と っ かかりをなくしてしまうでしょう。正月、ルカ2章32節「それ は諸民族が明らか になるための光」と歌ったシメオンの歌の 歌詞の着地点はどこに求めるべきな のでしょうか。
12月26日の説教からルカ福音書2章1~7節「イ エスも住民登録」久保田文貞 今回は、降誕物語の「住民登録」について考 えてみま す。口語訳では「全世界の人口調 査」 と訳されていますが、 ローマ帝国全体の人口調査など無理だし、彼らにそん な関 心などない。古代の為政者が住民を数えたくなる理由は、 新たに拡張した 領土からどれだけの賠償や税収が得られる かに関心があったからです。 実際に税を集めるのは徴税業 務を落札した連中でした。彼らに提示する予定価格 を算出 するために住民の実態調査が必要だったのでしょう。受託 者側は契約 した金額より多く集金できれば、残りは自分のも のにできたわけです。時 に彼らは依頼者から兵を借り受け、 恐喝的に人口調査し収入を確保しようとし、従 わない都市 には見せしめに住民全体を殺戮した例もありました。 イエス誕生は紀元 前6~4年ごろ、ユダヤ一帯がローマか らヘロデ大王に封土されていた時で す。王は前4年に死亡 していますから、その一二年まえとなります。ところがその 頃、住民登録の事実はなかった。ヘロデ死亡で領土を3人 の子に託されましたか ゙、ユダヤ・サマリヤを受け継いだアル ケラオスが失政を重ね、早々と失脚 (後6年)。ローマ側はこ れを直轄州とし、改めてシリヤ州総督キリニウスの主導で ユ ダヤの住民登録が行われました。同時に、有力者たちの資 産調査、特にアル ケラオスの相続分の確保もその目的のひ とつだったと言われています。ルカ2:3に 「人々は皆、登録 するためにおのおのの自分の町へ旅立った」というのもあり 得な い。だが、ルカ的な発想としては、使徒言行録のそここ こに明らかなように、 国家というものは、ローマ帝国など相当 矛盾だらけではあるけれど、基本、 住民の安寧を支えてくれ るものであり、その限りクリスチャンもその中の住民と して国 家に敬意を払い、協力を惜しまない存在だというスタンスを とっています。 ですから、ルカの頭の中では、マリヤとヨセフ夫妻が生ま れたばかりのイ エス(・キリスト)がローマ帝国の下、住民登 録したということは大いに意味ある 設定だったはずです。だ が、住民登録とは直接関わりませんが、マタ イ版降誕物語 を思い出してみてください。救い主メシア誕生の兆候を感 知した異 邦の天文学者らが「新しく生まれt王はどこにいる か」とヘロデ大王のところ にやってきた。王は心配のあまりベ ツレヘム一帯の2歳以下の男子をすべて殺さ せた。もちろん これもウソというか創作ですが、としてもそのためにはその地 の2歳以下の男子を把握しないとできない。つまりこの創作 劇にもある種の住民調 査が隠れているます。 何のためであれ、支配者は民を把握し管理・統制しよう と する。上手にかつ効率よくできれば支配は長く続く。無理す れば早晩その 支配は倒壊する。基本は今も昔も変わりあり ません。その際、住民登録めいたもの は、必ず出てくる。近 代社会(国家)では、人は出生と同時に登録され数えられ る。住民台帳に記帳されることが義務というより当然の権利 となる。台帳に記載 されて初めて権利と自由を手にした国 民になると観念される。外国人はいるが、 入国と同時にそれ はそれとして登録されて、登録済みの外国人になる。という わけ で、何らかの登録をされている。登録外の人間はあらゆ る社会利益から疎外され てしまう。人間として猛烈な差別を 受けることになる。近代社会(国家)は登録され ている者に は空気のような自然になるが、ひとたびそこから外れるとい つで も酸欠で命を落としかねないところに追い込まれていま う。こうして近代社会て ゙は登録が人間の条件のようになる。 登録を外されるような人間は生きていけな くて当然、はやく 登録してもらえということになるのでしょう。 明らかになにか が逆転しています。暗黙裡にか強制的に か〈登録〉されて何かがへし折られて いることを、人は感じ取 れなくなって、むしろ登録されていることを恵みかなんそ ゙の ように感じているのでしょうか。ルカの降誕物語は、イエスの 誕生をその 登録の中に書き入れ、そこになにがしかの意味 を置こうとしているように見えま す。クリスマス物語は、人の 好い無防備な親のゆえに赤ん坊のイエスが登録をさ れたよ うな物語になっていますが、福音書を丹念に読みすすめば わかる通り、 実際に人々の前に現れた成人イエスは、〈登 録〉済の人々の向こう側に行かれる。 そこで出会う人々の友 となり、相談相手になり、理解者になっていくと読めると 思い ます。 いま日本政府は、国民全員をマイナンバー制度の下に 組み入れよう としています。いまのところ社会保障(健康保 険とか年金とか)、税、災害対策の限 定になっていますが、 これをカードとして持たせ、身分証明書とし、やがて は行政 サービス全般に活用できるようにしようとしています。サービ スと言 われるといいかと思ってしまいがちですが、どう考えて も人間を番号で 数え、管理、統制し、あの逆転を完成させよ うとしていることを忘れてならないと 思います。そんな人の数 え方、人の見方をナザレの成人イエスは絶対に拒む、そ れ だけは確かでしょう。あのファリサイ派の連中も知っていま す。「先生、わ たしたちは、あなたが真実な方で、だれをも はばからない方であること を知っています。人々を分け隔て せず、・・・」(マルコ12:14)、彼らの見立て通 り、イエスは〈登 録〉の外側を平気で歩き回る方なのです。
12月19日の説教から ルカ伝福音書2章8~14節 「救い主の生まれは」 久保田文貞 クリスマス物語を読んでだれでも感じることは、 メルヘンの ようだというこ とでしょう。登場人物をみると、ルカの場合、古 色蒼然たる祭司ザカリヤと妻 エリサベツ、ふと現れる天使ガ ブリエル、乙女マリヤ、二人の胎児・赤ん坊、 ヨハネとイエ ス、野の羊飼いたち、天の軍勢、マタイの場合には、乙女マ リヤと彼 女が聖霊によって身ごもったことを知る夫ヨセフ、異 邦の占星術の博士たち、 王とその取り巻き...、兵士。いず れもイエスの誕生物語が尋常なものでない ことを物語って います。とくにルカの物語の登場人物と転回の仕方は、子 どもも 大人も楽しめるミュージカルのようです。それに対して マタイの方は、メシヤ 誕生を真っ先に感知したのが異邦の 占星術師であり、その情報はヘロデ王の 殺意を目覚めさ せ、幼児虐殺を命令し(引き起こし)、夫ヨセフは妻マリヤと 赤子の イエスを連れて、(イエスの家族は)エジプトへ避難 するという、影のある不吉 な物語になっています。この物語 は、ガリラヤでのイエスの言動を伝える諸伝 承や、エルサレ ムでのイエスの十字架の死を伝える受難物語とは、様相が 違っ ています。それぞれの人物像が、生まれたばかりのイ エスと母マリアを中心 にしているけれども、それなりにキャラ クターをしっかり演じています。ミュー ジカルで言えば、それ ぞれが順繰りに正面に出てきて、自分の歌をしっ かり歌って いる感がします。 今日はこの物語の終わりの方に出てくる羊飼いに焦 点を 合わせたいと思います。 ルカ8:9「その地方で羊飼いたちが野宿をしなか ゙ら、夜通 し羊の群れの番をしていた。」羊飼いというと旧約聖書には いろいろな 思いが込められています。はるか昔、創世記4章 アダムの子、兄弟喧嘩の原型の ようなカインとアベル、兄カ インによって殺されたアベルの仕事が「羊を飼 う者」だった。 イスラエルの源流とも言うべき族長たちアブラハム、イサク、 ヤコブは羊など小家畜を育て非定住の天幕生活をしてい た。またユダ族から 出たあのダビデ王は、少年の頃まさにベ ツレヘムの羊飼いをしていた。そ の他、もっと古くから、パレ スチナ付近では、民は羊の群れであり王は羊飼 いという比 喩はよく使われていました。非ユダヤ人ルカとしては、クリス マス物 語を通して、われわれの教会はこんな旧約聖書の伝 統の下にあるんだよと、教育 していると言えるでしょう。 もうひとつ羊飼いのことで言うと、ルカ15章「失 われた羊と 羊飼いの譬え」や、ヨハネ福音書10章11、14節「わたしはよ い羊飼いて ゙ある。」、7節「わたしは羊の門である。」に出てく るイエスの言葉がありま す。おそらく生前のイエスは、積極 的に羊の群れを牧する羊飼いの比喩を使ってい たのでしょ う。羊の群れを養う王のメタファにつながりますが、とくにヨハ ネの場合は、羊の群れたる教会を養うのは羊飼いはキリスト のみ、信じる者たち は直接キリストにつながっている、つま り、その間に中間管理職のような存在は いらないという主張 が横たわっているのでしょう。(第一ペテロ2:25参照)。 しかし、どう美しく描こうと現実には、イエスの時代、羊飼 いは底辺労働者。毎 晩のように夜勤。その労働と生活のス タイルから、律法に即した生き方を追い求め る良きユダヤ人 は敬遠するよりない。結局、周辺の出稼ぎ労働者に押し付 ける。 今の私たちに合わせて言えば、限りなくブラックな仕 事。働き方改革と言って いるが、それが自分たちの仕事と 生活は少しもよくならない。どうなってい るんだといったとこ ろでしょうか。 羊飼いの現実は、ルカの思惑から外れるて ゙しょうが、もは やユダヤ人としてのアイデンティティーを持てなくなった 労 働者、あるいは初めからそんなものとは関係のない外国人 労働者のような人々た ゙と見定めるべきです。もう一度私たち の生活に合わせて言えば、彼らとは、 この新型コロナ感染 下で収入が減ってしまった非正規の労働者たち、外国人労 働者たち、アパート代が払えなくなっている人、子どもの食 べさせようと 十分に食ベられない母たち、求人広告を目を 皿のように見る人なのです。この 年末のクリスマスも実は彼 らこそが救い主の生まれたところを天使から知らされ て、彼 らこそがそこに行くのです。行ってみると、そこには旅先の 宿の駐車場 のようなところで生まれた子と若い母親、その横 でなすすべのない父親らし き男。その時代、男の子が成長 して大人になるなんて保証はない。どうみても、 救い主=メ シア誕生という図にならない。その気配もない。 でも、小嶋よしお風 に「そんなの関係ねえ」と言いたいと 思います。羊飼いたちには、羊囲いの番をし ていた時に聞 いた天使らしき人の言葉「今日ダビデの町で、あなたがた の ために救い主がお生まれになった。この方こそ救い主であ る。あなたがた は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている 乳飲み子を見つけるであろう。」こ れで十分だったと思いま す。天からの賛美の声「いと高き所には栄光、神にあ れ。地 には平和、(主の)喜び給う人にあれ。」(田川訳) 彼らは この知らせを聞 いて動き出します(15節)。彼らはそれを人 々に知らせます(17節)。
12月12日の説教から ルカ福音書6章6-11節 「コップの中の箸」 渡邉 弘 本日のお話は、私が障害児・者との関わりを持ち始 めたことを中心にして「多様性」につ いて考えてみよう と思います。 Diversity(ダイバーシティ)は日常生活 でよ く聞く言葉になりました。良い響きなのですが、 「ダイバーシティ実現社 会」を想像できるでしょうか。 コップに水を注ぎ、その中に箸を入れるとと ゙のよう に見えるでしょう。角度によって多少に違いはありま すが、折れ曲か ゙ってしまいます。箸が真っ直ぐにもかか わらず、曲がってしまいます。 目に届く光が水のせいで 屈折してしまうからです。水による歪みは Bias(ハ ゙イア ス)がかかっているともいいます。人が物を見る際には この水が邪魔 になって正確に把握することができなく なるのです。では、水の存在をな くせばいいのでしょう か。そうしたら生きていけなくなります。 1970年代後 半から1980年にかけ、私は無実の死刑囚 赤堀正夫さんの救援運動をきっかけにして、 障害児や 脳性麻痺者の介助をした経験があります。障害者自身 の取り組みとして、 76年全国障害者解放運動連絡会議 発足と養護学校義務化反対の運動、77年青い芝の 会に よる川崎駅バス乗車の取り組みや「障害児殺し」への厳 罰化を求める運動な どがありました。青い芝の会の障 害者たちからは「聞き取れるまで何回で も聴け」と繰り 返し言われました。その実践の場が毎週1回、ある一人 の家に閉し ゙こもりがちな脳性麻痺の障害者を公衆浴場 に連れていく活動でした。当事者 の声を聞くという姿 勢はとても大切でした。また、障害児自主訓練会のボラ ン ティア活動では親の苦悩を垣間見ることができまし た。当時は、3歳児検診て ゙保健所から障害を指摘されて 途方に暮れる人も多数いました。 また、障害者たち が施設を出て自立した生活をする 場面も多くなっていきました。私が就職した 年の1980 年、千葉県内にあった障害者施設から2名の障害者を強 引に連れ出し自活 生活のお手伝いをしたことがありま した。24時間の介助を確保することに苦労し ましたが 近所に住む人たちに助けられました。こうしたことに 関わり続けられた のは、当事者の声や想いを聞くこと ができたからでした。こうした経験を通し ゙ても、私が障 害者に対して抱いていた偏見がなくなったわけではありませ ん。偏見を抱く自分が嫌になることも多くなり ました。 Bias とは水のことで はないでしょうか。この世に生 まれ出て、両親や学校、職場での他者との関わ りの中で 「慣習」として身についてしまった価値観、伝統のこと です。多少、 現実とは違っていても、価値観や伝統はそ のまま受け入れています。私の生きてき た社会の価値 観では「障害者は可哀想な人だ」という価値観でした。 なぜ 可哀想なのかを考えることは回避していました。 障害者あっての健常者だからて ゙す。赤堀正夫さんは「知 的」障害であったことで死刑囚にされました。障害 者は 場合によっては殺人者になれるという社会的偏見から です。2017年に公開さ れた映画「私はあなたのニグロで はない」の中で、ジェームズ・ボー ルドウィンは「アメ リカで白人が存在するには黒人が必要なのだ」とい う趣 旨のことを述べていた。黒人はアメリカ映画の中で「伝 統」的に残虐な役 割を象徴するものであった。 今日、取り上げた箇所は直接には差別のことと関 係 はないと思います。安息日の律法に背くことは宗教的 教義に背くことでした。 しかし、何故そうなのかを尋ね られた時にその内容を答えられる者は誰もいなかっ た のです。 人が考えて行動する際には「正常性バイアス」が働き ます。 その行動は正しいと信じなければ動けません。大 切なことは、尋ねられた時に 答えられるようにしてお くことではないでしょうか。障害児を持つ親の心情は2 0代の頃の私には想像もできないことでした。ですか ら、当時よく使われてい た「差別、選別、能力主義教育反 対」のスローガンを繰り返せば障害児や親の 問題は解決 に近づくという「正常性バイアス」が働いていました。「多様性 を受け入れる」とは自分が持っているものと は異なるバイアスを認めるという ことになります。も ちろん無条件ではありません。他者の問いに答えられ るかか ゙判断になると思います。「今まではそうだった が、よく考えると違う」と いうことを一人ひとりが言え る社会を実現することになります。かなりの人は怒 り、 排除しようとするでしょう。他者を説得することも求 められます。
12月5日の説教から ガラテヤ書3章7~14節 久保田文貞 「死が刻み込まれてある命 その2」 久保田文貞 前々回に和泉式部の歌 を挙げて、生と死の境界をあいま いにする日本的かつ文学的な心情についてお話 ししまし た。これが文学の中にとどまって、読み手もまた文学的な鑑 賞する限 りなんの問題もないと思いますが、よく考えてみれ ば所詮は生きている者だ けに許されている領域のことで す。生と死の分断を越えているように見える文学 表現も、生 の側からの一方的な判断にすぎません。こうした生と死がい り交し ゙った領域に、ひとたび法が介入してくると、法の下に あると自負する権力は おもむろに生と死の境界線を越え て、死刑判決ができるとする。しかし、たと えいかなる殺人犯 であろうと、国家が彼・彼女の命を奪うとなれば復讐殺人 の 公的執行そのものです。いやそうではないと、法理論を駆 使して死刑を正当 化していますが、どう言い繕おうと法も一 つの理屈にすぎません。思い出す のもはばかれますが、5 年前津久井やまゆり学園で、19人の重度障害の人たち が 元職員によって殺されました。彼の実行規準は言葉が通じ るかどうかと いう理屈でした。他者の命に死をもたらすため の理屈が立てばそれを実行し てもよい、その限り死刑制度 と同根です。 私事で恐縮ですが、先月百六歳 になる母が暮らしている ホームを訪ねました。寝ている時間が長くなって、起 きてい てもボーっとしていて、私が息子であるとしっかり認知できて いる かどうか確かめられませんでした。正直、母が生きてい るということは何な のか、と同時にその母に対して自分がい かにもしっかりと認知できているかの ように生きていることは 何なのか、つかみ損ないそうになりました。これではい かん と、気を取り直し、自分の中に 〈生きる〉、〈死ぬ〉とは何 か、輪郭線をはっ きりさせ、認知が難しくなってきた母に向 き合わなくてはというところに入って いきました。ああ、この私 の意識の流れ、これがくせものです。こうして、自 分がいか にも生と死を判定できる立場にいる、それに対して高齢の 母はもうほ とんど判定力が無くなっていると私は思い込んで いる。短い面接時間でし たが、別れ際、母の曇ったような眼 がきらりと光って、〈おまえは、ほんとう にそんな力をもって生 きているのか〉と、それが昔の気丈な母の眼の思い出と重っ て、愕然とした次第です。 たしかに自分が向き合っていた人、あるいは親しい 者の 命が突然奪われたとき、あるいはその人の命を結果として 自分が奪ってし まったとき、死が私たちの生を輪郭づけると しか言いようのない事がときに 起こります。これを生と死が溶 け合ったところに入り込んで、文学的に処理て ゙きればそれも 一つの道でしょうが、なかなかそうはいきません。 それはひ とつのどんづまりです。こういう話しの転回で聖 書の言葉を持ち出すのは 気が引けますが、容赦ください。 ガラテヤ2:19.20のパウロの言葉です。 「...わたしは、キリストと共に十字架につけられています。 生きているのは、もは やわたしではありません。キリストが わたしの内に生きておられるので す。...」 今日歌った讃美歌21の518番の歌詞をご覧ください。「主 にありてそ ゙ われは生くる、われ主に、主われにありてやす し」とあります。以前の讃美歌 361では3番が「生くるうれし、 死ぬるもよし、主にあるわが身の さちはひと し」となります。 真意はどうあれ、生と死の境界線が消えていきます。元の 歌 詞は、Breathe on me, breath of God「神の息よ、私に 吹きかけてください。再ひ ゙、私を命で満たしてください。あな たが愛するように私も愛することがて ゙きますように、あなたが なさるように私もなせるように。」 3番は「...私が 決して死ぬ ことなく、あなたと共に永遠に全き命を生きることができるよう に」 というのです。日本語歌詞がいかに日本的なニュアンス を引き入れているか。 としても、原語の歌詞もパウロのものと は異質だと言えると思います。 パウ ロがあのように言う時、前にお話ししたようにその出 発点は「十字架に付けられ たキリスト」の姿だった(ガラ3:1、 Iコリ2:2ほか)。その死を前にして、彼が それまで蓄積した ものがすべて何の役にも立たないばかりか、障がいに なる。 ガラ3:15以下の言葉によれば、神の〈信〉 による義以外の ものは無用 なばかりか〈呪い〉(ガラ3:7以下)にしかならな い。自分は十字架に付けられた キリストの中から反転して生 まれ出てくる〈いのち〉を生きるだけ。ここに示さ れた死の向 こう側からあふれ出てくる〈いのち〉を私たちは生きるのだと いうわ けです。この〈いのち〉は、私たちが捕えたと思ったり、 失ったと思ったり、 ときに生殺与奪の権さえあると錯覚してし まう生と死の輪郭のもとにはないもの、 その輪郭を取り払っ たところに新しく芽生えるいのちだと言えるでしょう。 新 型コロナウィルスが世界を襲っている中で、いつ のまにか無感染者から軽症感 染者、重症者へと分類す ことになれ、生から死への階層を受け入れて、その統計 的 数字の下で生と死の新たな輪郭を作ってしまってい ますが、少なくともこれた ゙けは言えます。それは、十字 架に付けられたキリストから読み取ったパウロの 生と 死の言葉から遠く逸れていると。
11月28日の説教から ガラテヤ書簡2章15~21節 久保田文貞 「死が刻み込まれてある命 その一」 パウロの手紙を読もうとするとつい無意識のうちにキリスト 教神学、宗教改革思想、バルト神学、さらにはパウロ主義 批判など眼鏡をかけて 読んでしまう自分に気づいて固まっ てしまい、手を出せなくなっていました。 ついつい福音書の 方に目が向いてしまいました。もっとも福音書で夾雑物を取 り除き、生のままのイエスの言動に焦点を合わせているつも りでも、結局他人の 眼鏡に頼って読んでいる限り事体は少 しも変わりありません。かなう限り自分の 眼でパウロを読む、 さらに人が読んだパウロの読みを自分の眼でしっ かり読む よりない。読むとは、書き手の事実=テキストに読み手の考 えを読み込む ことではなく、書き手の考えをそのまま読み取 るという態度のことでしょう。 前回話したことですが、実はそのことを今回のパウロの読 みから教えられた 気がします。ダマスコで出くわした事実= テキストを、自分のそれまで培っ てきた律法の読解力や思 考力、ユダヤ人としての行動力をもって、なにも読み解 けな い。ただそこで示された(啓示された)「十字架に付けられた イエス」を受 けとるよりない。その前にはすべてガラクタにな って用をなさない。でも、 そこからパウロは這い上がって、そ こで始まる世界に入っていく。そこで はユダヤ人と異邦人の 区別はもう通用しない。もちろんユダヤ教の権威に頼れ な い。イエスの直弟子を中心としたエルサレム教会の権威に も頼らない。ガラテ ヤ1:15-17。17節「アラビヤに退いて」と いう新共同訳の翻訳はアラビヤを見下 した意訳、本来の意 味は単純にアラビヤに行った。つまりエルサレムの権威筋 に お墨付きなどもらわずに自分の意志でアラビヤに行って 「異邦人の間で 宣べ伝え始めた」というのです。エルサレム 教会との交渉については前回話し た通り。とにかくパウロの 伝道は最初から最後まで、自分が受けた啓示(事実 =テキ スト)への自分の読みだけを根拠とするものだった。 こうして、多分パ ウロ以前にギリシャ語を話すユダヤ人キ リスト者の間で標語化していた「も はや、ユダヤ人もギリシヤ 人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あ なたがたは 皆、キリスト・イエスにあって一つだから」(ガラ3:28、Iコリ12: 13)は、彼にはただの標語でなく、彼に示されたことと共に はじけてしまった 世界のあり様そのものだったでしょう。人間 仲間が内向きになってつい作っ てしまう垣根、また権力者 はその垣根を使って支配の道具にしていくわけですか ゙、パ ウロが捉えた福音はそういう垣根を取り払い、人が作り上げ た世界 をひっくり返してしまうものだったはずです。パウロが生い立ちとあの転 回の出来事から、アンテオケ ア教会離脱までをそこに書いている直接の理由は、 ユダヤ 人キリスト教伝道者がガラテヤにやってきて、律法遵守せ よ、特に割 礼を受けよと言って、彼の福音宣教の内実をぶ ち壊しにしてしまうと思ったからて ゙す。ガラテヤ教会信徒の 間に動揺が走った。そういう状況に対抗しての言葉て ゙す。 こうしてパウロはそこまでの結論のようにして、2章の15節 以下に入っ ていきます。「イエス・キリストの信仰によって義と される」いわゆる信仰義認論か ゙その到達点のように出てきま す。16世紀ルターがドイツで起こした宗教改 革のモットーに したのが「信仰のみ」「聖書のみ」でした。そのよりどころ とし たのがガラテヤ書2章とロマ書3章などのこの句です。それ 以外の権威、 権力を認めないとなります。当時のカトリック教 会や、それと結託する諸権力に対 し、信仰と聖書を唯一の 根拠にして対抗していく。その発端は修道僧ルターが自 身 の罪責からの解放・救済を求めて格闘してつかんだ「信仰 のみ」という個人的 なものから来ていますが、やがてそれは 当時の人々が堕落した宗教権威と戦 う力に、また正当性を 失いかけた政治権力と対抗する力になりました。このことは 近代市民の主権意識や、信仰の自由の法精神の一系譜に なっています。 だが、 それは同時に、私たちはパウロの「信仰による義」 を、近代宗教の信仰(心)の枠 組みから見てしまうことにもな ります。パウロが「人は律法の実行ではなく、 ただイエス・キ リストへの信仰によって義とされる」という時の「信仰」を、私 たちは近代宗教の感覚で、それも日本語の信仰という響き の中でつかむよりな いのですが、そこにはひょっとすると大 きな差があるかもしれないと承知し ておくべきでしょう。少な くともパウロが「信じる」という動詞に込め た意味は、当時の 人々の感覚でもつかみきれないものだった。それはユダヤ 人としての彼としても、「十字架に付けられたキリスト」の啓示 に対して、それ相 応のものをもって迎えられなかった。神の 〈信〉に、ただ空をつかむような〈信〉 で応えるよりなかったと いうことだったのでしょう。しかし、その〈信〉も やがて教会の 中で一つのステイタスとしての信仰者の持ち物になっていき ます。 初発のパウロがただ〈信〉をもって動き出すよりなかっ たところに生まれた はずの人々の群れは、〈信〉以上のもの を望む必要がなかったのではと思う のですが、そうならなか った。〈信〉は文字として固定され、告白文として人 の心に書 き込まれ、それに沿って共同体づくりがされて行きました。 それが ものすごい力になったでしょうが、やはり〈信〉から外 れていると思わざ るを得ません。十字架に付けられたイエス の死がぼかされかねません。
11月21日の説教から ガラテヤ書1章11~17節 「ダウンして起き上がって」 久保田文貞 パリサイ派パウロからキリストの伝道者パウロへの転向の ことは、使徒行伝の著者ルカか ゙三度(使9:1以下、22:3以 下、26:9以下)、劇的かつ映像的な場面として書いていま すが、この回心劇は後世の作り物です。ただ、私らキリスト 教徒になった一 日本人としては、やはり土着的なものから 舶来の宗教へのある種の転向体験になっ ていて、パウロの 転向物語を自分の体験に引き寄せてしまいがちです。もっ とも実際には、そんな劇的な体験などなしに、教会に何度 か行ったり、聖書を読 んだりしながら、そこに生き方の一つ の答えを見つけてキリスト者になった人か ゙多いでしょう。その 限り、その転向は自分の決断による色が濃厚です。 使 徒行伝の回心物語を裏切るかのようにパウロは自分の 転向についてほとんど書 いていません。ただ今日の聖書個 所だけがそれにちょっと触れているだけて ゙す。 15節以下、《だが、母の胎内にいた時から私を選び分 け、恵みによっ て私を招き給うた方が、御子を福音として異 邦人の間で宣べ伝えるようにと、 私のうちに御子を啓示して くださった...》(田川訳) パウロとしてはこの転向か ゙、あくまで神がパウロを選び、 招き、啓示したとしか言わないのです。 理屈としては、いくら 神から選び、招きを受けたと言っても、それを受け取る自 分 の決断と応答、その上で踏み出していく主体があるだろうか ら十分主体的 じゃないか、と言いたくなりますが、パウロはそ ういう言い方をしないのて ゙す。彼は「母の胎内にいた時か ら」と付け加えます。この表現は、旧約の預言者 エレミヤ(1: 5)《わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あな たを知 り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あ なたを立てて万国の預 言者とした》という言葉や、第二イザ ヤ(49:1)のものを引き継いでいます。も はや転向というよ り、転回と言った方が良さそうです。この転回には自分の主 体的決断は一切はたらいていない。ただ神の選びによって 起こった転回だと いうわけです。 こうして、かつてパウロが律法によって神の義を得ようとし て招き寄せようとした功績は、ピリピ3:8によればスキュバロ ン、つまり語 源が良くわからない下品な隠語の類を使って、 田川訳「屑」、口語訳「ふん土」、 新共同訳「塵あくた」でしか ない。中途半端になりがちな人間主体の根拠を根 こそぎ取 り払ってしまっています。 この転回の最初の一撃とその後のことについ て、パウロ はそれを言い換えたり、盛ったりしません。ガラテヤ1:17以 下、ハ ゚ウロは誰にも相談せず、異教の地アラビヤ、といって も現在のヨルダン東 部へ、そこで2年ほど、それからダマスコ に戻り、3年目にエルサレムに「調へ ゙に」(田川)行き2週間ほ ど滞在。その間、ペテロと主の兄弟ヤコブだけに 会ったとい う。その後シリヤ、キリキヤ(彼の故郷のタルソも含む)に戻っ て、アン テオキア教会のバルナバと合流し、すぐに異邦人 伝道の結果クリスチャンに なった人々の処遇を巡っての議 題でエルサレム会議(ガラテヤ2章、使徒15章、 48年頃)、 その後彼は折衷的なバルナバと対立、たもとを分かち(ガラ2 :11-14)、単独の伝道旅行へ。ダマスコでの「転回」を33年 とすれば、48年ま で15年間のことをその後の手紙でなにも 語らないが、「転回」の初めより一 貫して彼は、エルサレム教 会の権威に頼らない、ただ「会議」後、エルサレム教 会の貧 しい人々への義援金の協力を約束し(ロマ15:26)、一定の 距離をとり続けま す。 こうして彼はエルサレム教会の「重んじられた人」とつるま ない(ガラ 2:9)。彼が根拠とするのは自分に「啓示された」こ とのみ。だが、それは高 尚な真理などではない。たびたび 書いている言葉、おそらく口にしていた 言葉はこうです。《... わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキ リスト 以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心し た》(Iコリ 2:2)と。その中心にある言葉は「十字架に付けら れたキリスト」です。これが 「目の前に描き出された」(ガラ3: 1)。十字架に付けられたキリストの前に、これ まで自分が築 き上げたものも、パリサイ派ユダヤ教の体制も、さらには 教 会の「重んじられた人々」の権威も、〈屑〉に等しいというわけ です。周り の人から見れば、手の付けられない頑固者と見 えたでしょう。 バルナバと 別れ、教会のバックボーンを持たずに伝道を 始めて(いわゆる第二伝道旅行) から、現存する7書簡を書 いていきますが、パウロは人々から忌み嫌われる「十 字架に 付けられたキリスト」から顔を背けようとしません。「神がキリス トを死 人のうちから甦えらせた」という言葉を正面に出す方 が人受けが良いのは当然て ゙しょうが。彼の中では両者は解 きがたく結び合っています。 のちのキリ スト教思想の納まりどころを知っている者として は、キリストの死と復活を並へ ゙てもなんの違和感も持ちませ んが、当時のユダヤ人にも異邦人にも、ものすこ ゙くスキャン ダラスなことだったはずです。とにかくパウロはキリスト の死と キリストの復活途方もない事件が、彼自身だけでなく、自分 の属した 共同体、新たな権威を生み出さそうとする教会、そ して人間世界そのものをひっく り返してしまう事件だったの です。これを値切るわけにはいかないのです。
11月14日の説教から マタイ福音書11章25~30節 板垣弘毅 「すべて労する者、重荷を負う者、われに来 たれ」 最近出た平野啓一郎の『本心』という小説。死んだ母を追 慕する母子家庭 の息子が 知るかぎりの母の情報を入力して AI(人工頭脳)の母親を、専門会社に 作ってもらいます。ヘッ ドセットをつけると仮想の空間で表情や感情表現もそ のまま のお母さんが生きていて、会話もでき、その会話を学習して 母親も変化 していくというのです。近い未来ありそうな世界で すね。イエスは2000年前のハ ゚レスチナの片隅で「重荷を負う 者、われに来たれ」といいました。まったくの 「過去」の言葉で 「今」はもう死んでいるでしょうか。 きょうのところ、 11:28疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに 来なさい。休ませて あげよう。... 11:29わたしは柔和で謙遜 な者だから、わたしの軛を負い、わ たしに学びなさい。そうす れば、あなたがたは安らぎを得られる。 「わた しの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いから」 と付け 加えられます。 「くびき」 とは複数の家畜のちからを一つにする道具のこと ですが、人間の負う重荷の意 味になっています。イエスの思 いがこの言葉に託されていると思います。貧苦か ゙日常の人は イエスに語り聞いてもらうことによって、今とりあえず、自分自 身 を受け取り直し、生きてゆく希望が与えられるのでしょう。 そんな想像がて ゙きます。... イエスのくびきとは、誰とも取り替えることができないその人 としてのかけがえなさなのだと思います。唯一で無比の「いの ち」を、自分 にも他者にも受け止めることが、イエスの招きで した。 この招きは、イエス自 身がもう生き始めていた「神の国」へ の招きでもありました。...... 神の国の 招きと深くつながるのがその前の節。 11:25そのとき、イエスはこう言われた。 「天地の主である父 よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や 賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。 11:26そうです、父よ、 これは御心に適うことでした。 この句はルカ福音書でもそっくり 採用されてい ますから、 この通りイエスが語ったかどうかはわかりませんが、イエスの 心 がこもった言葉として伝えられたのだと思います。イエスは いわば魂の底か ら神を「アッバ!(お父さん!)」 と呼んだの でした。「父上!」という感じて ゙ありません。「父さん!」です。 ということは自分自身がその「父さん」の 「子ども」としての神の 子になっているんです。いま読んだところにある 「幼子」はそ んな神に向き合うイエスです。「幼子のような者」とありますが 原文には「のような者」はありません。これでは、幼子のように 純粋とか無垢た ゙とか人の理想像みたいに読まれてしまって、イエスの鋭さが弱まってしまいます。 「知恵ある者や賢い者に は隠して、幼子にお示しになりました」、成熟した大人や 老人 ではなく「幼子」 ということは、経験や時間を越えた人間の知 識や賢さて ゙はたどり着けないもの、把握できないもののたとえ となっています。 人の時 間を積み上げて分かるものではない、ひとつの「で きごと」として、流れ る時間の中で射し込んでくるものではな いかと思います。 人々の営みは混乱 や矛盾に満ちているかもしれない。で もどんな「知恵あるものや賢い者にも隠 された」、つまりそれ らによってはたどることができない向こうからの光と いうような 瞬間は誰にも身近に注がれている、そう思います。これはそ ういうイ エスの言葉だったと思います。...... きょうの幼子を考えるとき、長編ファンタシ ゙ー、ミヒェル・エン デの『モモ』と共鳴しました。 孤児院を逃げ出し町外れ の。観光客も来ない古代の小さ な円形劇場跡に住み着いている女の子モモ。時間も 身なり も、世の中の「ふつう」から外れています。そのモモの町にも 危機が訪れ ます。人間から時間を盗む得体の知れない「灰 色の男たち」が現れて一人一人か ゙無駄に使っている時間を 「時間貯蓄銀行」に蓄えろ、その蓄えがキミの将来を 安全・安 心なものにするのだと、強力な営業活動を始めるのです。庶 民的な大 衆食堂に自動支払機が入り、せかせかと能率、効 率第一になってゆきます。... モモは 灰色の男たちに立ち向かっていきます。次々を困 難をのりこえて、不思議な 力にも導かれて、マイスター・ホラと いう時間の産みの親にであいます。ホラの もとで、世界中の 一人一人にその人だけの時間がひっきりなしに生まれてい ま す。 ......... 物語でもモモが灰色の男たちと必死に戦っている間は、 流 れる時間は止まっていて、盗まれた時間が金庫から解き放 たれると、録画の停止ホ ゙タンから再生ボタンが押されたように 動作が再開されるのです。これは きっと、わたしたち人間同 志に流れる時間を、モモの時間が断ち切った一つの瞬 間な のだと思います。 きょうの聖書でイエスが「幼子」といった時間は、きっ といろ んな経験を積んで流れる時間を、一瞬上から断ち切る瞬間 なのではない かと思います。モモの「時」です。「モモの時」 が、イエスの「幼子」と、響 き合ってしまいました。あるいはモ モとイエスが、といってもいいです。 人工頭脳が、生身の人間より確かだ、と思われる時代に、 誰もが与えられて いるその人だけの「いのち」の時間を忘れ ないでいたいものです。 (全文は 板垣まで)
11月7日の説教から ヨハネ福音書14章18~21節 「父の内にいる」 久保田文貞 百人一首に和泉式部の次の歌が選ばれています。 あらざらむこの世の外の思 ひ出に 今ひとたびの逢ふこともがな この歌は彼女が重篤な病気になって生死 をさまよってい るときに、知人に送った歌です。ふつうは「もうすぐ私は死ん でしまうでしょう。私があの世へ持っていく思い出として、今 もう一度だ けお会いしたいものです」と解釈されます。これ に対して渡部泰明は違う解釈を しています。「あらざらむこ の世」とは、自分が亡くなってしまうと「あの世」 が自分にとっ ての「この世」になり、そうすると「この世の外の思ひ出」と は、 「あの世」から見ての別の世たる「この世」の思ひ出だろ うというのです。そ うするとこの歌は「死んでしまったことにな ろう私のことを、この世であなたか ゙思い出すようにもう一度遭 っておきたいですね」となります。ややこしいで すが、このや やこしさは和泉式部が生と死の境を越えて行ったり来たりし てい るからです。 もうひとつ老いた和泉式部が自分の娘を亡くした時、残さ れた幼 い子・孫を前に歌った歌をあげておきます。 とどめおきてたれをあはれと思ふ らん 子はまさるらん子はまさりけり この世の生きている人の思いとあの世の亡くなっ た人の 思いが交差し、そのかぎりあの世とこの世が行き来している のです。 長歌・短歌の世界にはよく見られることだそうです。 古代イスラエルの旧約聖 書に現れる死生観は、このよう に生と死の境界線を曖昧にすることを拒否していま す。で すから今日読んでもらった詩篇49のような言葉が、朗々と 歌われるの です。彼らにはこの世とあの世の境を出入りして 歌を詠むという芸当は出来ないて ゙しょう。もちろん彼らは、生 死の境界を破って行き来する霊を知らないわけで はありま せん。周辺の異民族の文化では盛んにおこなわれていて、 イスラエルの 宗教はそれを忌むべきこととして強く禁止され ていました。例外的に、サムエル 記上28章、相談役の預言 者サムエルが亡くなった後、サウル王はどうしてもサ ムエル に遭いたくて、女霊媒師にサムエルの霊を呼び出してくれと 依頼します。 現れたサムエルがサウル王を叱り飛ばし、サウ ルはぶっ倒れてしまうという 物語があります。でもこれは明ら かなタブー違反でした。(申命記18:9以下、 レビ19:31) 新約の時代、敬虔なユダヤ人たち(特にパリサイ派)は異 教文化の 誘惑に晒されて異常なまでの警戒感を持ち、潔 癖主義に陥ってしまいます。その 結果、手元にある(律)法 に照らしていかに義しく生きられるかという関心だけに 集中 した。人の生に死がどうしようもなくまとわりついていること や、境界を 生きるよりない人の悲惨が見えなくなる。こうして 人の間に横たわる生と死の境 界から自分を遠ざけ、死を待 つよりない人々の思いを無視したのです。 これに 対してナザレのイエスは、ただ死を待つよりない病 人や、重い障害を持った人 に寄り添われる。彼らの病や障 害を癒されました。福音書に何度も語られていると おりで す。それは生と死の境界に踏み込みあのタブーを破ること になります。 この辺のことはもっと丁寧に考えないといけない ところですが、先を急ぎま す。 問題は、このイエスが彼に従ってきた人々を後にして処 刑されてしまったこ とです。彼によって新しい生活に踏み出 すことができた人々の前に、いきな りイエスの死が突き出さ れてしまったことになります。イエスに関わった人たち のかか わり方には当然、それぞれ違いがあります。その死の受け 止め方にも違 いがあります。いきおい、イエスに近いとされ た弟子たちの思いが前面に出て しまいます。彼らが師を見 捨てた、裏切ったという罪責感がその後の伝承の枠 を大きく 規定していますが、そこだけを絶対視する必要はないでしょ う。イ エスは言われるでしょう。《人それぞれが私と出会い、 私との思い出を持ち、 私との特有な関係を築いていいん だ》と。福音書の中の物語そう言っていると思 います。 ところで私たちは、ずっと後にずっと遠くで、この人々に 加わっ てきた者ですが、同じようにイエスに出会って生きて いこうとする者です。 そのような私たちにも、イエスの死が影 を落としています。死は人と人との関係 を絶つだけでなく、 死は生きている者の中へ割り込んできます。和泉式部的 に 言えば、いにしえの人々はおびえながらもその生と死の曖 昧さを受け止め、 歌を詠み、たとえ失敗に終わろうとも、やさ しい思い出や、子を思う愛で、荒ふ ゙る心を鎮めようとしたと言 えるでしょう。 私たちの生の間に突入してきたイエ スの死は、あろうこと か突然姿を変えて復活者として現れ、私たちの間にとどま り、あるいはそこから突き抜けていったのです。これは、旧約 の世界だけで なく、すべての人間の条理に対する違反で す。後々のキリスト教会はこの不条 理を強引に新しい条理と してしまいましたが、どうみてもそれはお門違いで しょう。 私たちの前に立ちはだかる生と死の境界・壁を、イエスの 死と復活の出 来事は取り払い、一種の混乱に陥れます。見 ようによっては、その壁を自由に行き 来して、人同士の生と 死を越えて、自由に手繰り寄せ、行き来さえしてかまわない となるのではないでしょうか。
10月31日の説教から 申命記6章4−15節 「選挙に行こう」 飯田義也 本日は、宗教改革記念日です。1517年10月31日、正午 にマルティン・ルター本人 がドイツのヴィッテンベル クで教会の扉に「95か条」を貼り付けました。 わたした ちの北松戸教会の正面に、今朝から一言日本語で「選挙 に行こう」と掲 げていただいています。 私が子どもの頃、選挙期間にセスナ機が飛んた ゙こと があります。「○月○日は衆議院選挙の投票日です。有 権者の皆様、ぜ ひ投票に出かけましょう」みたいなこと を呼び掛けて飛んでいました。本来投 票率を上げる呼 びかけは行政が、中立な立場から積極的に呼び掛ける べ きことでした。 今日の聖書の箇所、ヘブライ語で「シェマー・イスラ エル!」 と、最初の2単語を取って呼ばれる、ユダヤ教徒 には有名な箇所です。まあ念 仏です。毎日唱和・・もう 何を言っているか内容も意識しない・・そのような部 分です。 祈るっていうことは、わたしの心から発する本心の 言葉を神様に聴いて いただくことだとは、確かに建前 はそうですが、毎日真剣勝負で「今日 も糧を!」とはい かないのも現実です。さて、504年前の今日(本当に掲 げたか・・ からして議論があります)ラテン語で書か れた「95箇条」がヴィッテンベ ルク教会の扉に掲げられ ました。小さな町で、ルターはヴィッテンベルク 大学教 授という肩書きですが、神父養成学校で教える立場だ ったというこ とで、神父には最低限ラテン語が読み書 きできることが条件でした。ま あドイツ全体の識字率、 もちろんドイツ語が読める人、が4〜5%だったと され ていますのでラテン語が読める人は尚更少ないわけで す。 95か条・・ まあ、2つくらい掲げて見ましょうか。 1我らの主イエス・キリストは「悔い改め よ」と言われ たが、彼は信仰者全体の一人ひとりに対する永遠の命 に至る悔い改 めを念頭に置いている。 2 この言葉は聖礼典における「告解」すなわち聖職者が 執行する告白の儀式として理解してはならない。 で、確かに以下のようなことも 書いてある・・ 32 贖宥状によって自分たちの救いを得られたと信ずる 者たちは、 それを説いた説教師とともに、永遠の罪を受 けるであろう。(Wikipedia 訳)この 95か条、神学者(修 行僧)向けのディベートを呼びかけただけだったとい うのが通説です。「95か条は全体として体系的でもない し、大半はルターの 「独り言」のような文言だった」「教 理では、告解、悔悛の後に罰が与えら れ、その罰が贖宥 されるという手順であって、告解や悔悛を省いて贖宥 にたと ゙り着くはずはない」「ルターはそもそも公に教会 を攻撃することを意図してい たわけではなかった。ル ターは神学者との討論を呼びかけただけであり、 その 討論を通じて、教会の枠内での穏やかな改革を意図し ていた。」 ルター は、罰を怖がった人でした。ルターの課題は、罪 に対して罰が与えられるこ とで、告解(カトリックの聖礼典と して現存)によって、本来罰せられるべき罪か ゙許されるという ところを深く考えたのです。当時の巷の通説では「教会から 罰を受けその結果許される」という感覚だったそうです。 よく「免罪符」とい う俗な言い方があって、牧師さんには贖 宥状(贖宥券・贖宥証)といいなさいと言 われてしまうのです が、違いがあります。 免罪は、文字通り「罪を免れるこ と」で罪そのものを帳消し にすることですが、贖宥は、罪は残るけれども 罰は与えない ということです。当時贖宥券を販売していた人たちも、免罪 とまて ゙はいわず、贖宥券を買えば、サンピエトロ寺院の再建 費用になるのだと いって売っていたわけです。善行を積ん で罰を免除されるって「模範囚」で すもの、変ですよね。 さらには、これは、ルターは知らなかったみたいですか ゙、 司教や教皇レベルでは汚職が行われていました。ある司教 が、本来は 禁止されている2教区の司教になるために裏金 を積み、その借金返済のために集金か ゙必要だった・・という のです。唖然。で、現代社会、贈収賄とか公職選挙 法違反 とか、重篤な交通違反による事故や性犯罪・・神様の前の 罪どころじゃ ない、人間の社会的な犯罪が裁かれないような 日々を過ごしていませんか。 神 様に対して申し開きがで きない罪とかでもなくて、人間対人間での犯罪か ゙裁判もなく 取り締まりもなく反省ももちろんないままイケイケどんどん状 態 です。 中世(まあ近世の始まり)には、行為か信仰かという中で の信仰義認で、 世直しが始まりました。現代社会では、不信 仰か信仰かという中での、しか も信仰者が圧倒的少数者と いう中での信仰義認になっています。 わたしが何 の気なしの善意から「投票に行こう」と貼り付け た論題(提題・意見書)が、ど ういう波紋を呼びますやら、楽 しみな宗教改革記念日です。
10月24日の説教から ルカ福音書6章27-36節 「無為—求めるものには与えよ」 久保田文貞 ドイツの聖書学者G・タイセンは『イエスの影を追って』と いう本で、ナサ ゙レのイエスを歴史小説的なタッチで描き出し ています。物語は、ロマ総督ピ ラトが裕福なユダヤ人アンデ レ(架空の人物)に、ユダヤの昨今の宗教事情 の調査を命 じ、アンデレがイエスという人物の影を追っていく次第を描 いて います。イエスの生涯を描いた本は日本でも、遠藤周 作や三浦綾子らの方があ りますが、タイセンの場合、史的イ エスを描くにはキリスト教神学で塗り固め られたイエス・キリ スト像から彼を自由にしてやらなければならない。そのため には聖書学の作法を捨てて、小説家のように想像力を駆使 して描いていきます。 そ の10章「テロと愛敵」で今日の聖 書個所が取り上げられています。章の表題 からわかる通り、 タイセンは当時の政治的テロリスト・熱心党のバラバと、イ エ スを対比させています。ローマ帝国によって支配されたユダ ヤ、初めは寛容な 占領政策だったが、抑圧と搾取はだんだ んひどくなる。民の窮状を救う にはローマの支配を取り除き 独立する以外にない。そのためには、この非常時、法 の一 線を越え、テロもやる、金持ちの裏切り者たちから財を取り もどす(強 盗)等々。この運動にイエス運動とその発言を照 らし合わせてみると、ものすごい 落差があります。 《神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、 どうしてそうなる のか、その人は知らない。》(マルコ4:26-27) 「神の国」には人間の作為はいらない、 バラバには到底、 納得がいかないことです。バラバならずとも、私 たちの国は いま国政選挙に突入しようとしている時、だれもが日常から 首をも たげて政治の目で人を見、判断するように促されて いますが、そういうとき にこの言葉を読むと、出鼻がくじかれ る思いがします。 《「あなたがたも 聞いているとおり、『目には目を、歯には 歯を』と命じられている。しかし、わ たしは言っておく。悪人 に手向かってはならない。》(マタイ5:38) 「目には目、歯 には歯」とは、古代イスラエルより数千年 前からの応報思想の古典的な原則。基本 的には現在の民 法に流れている。イエスはこの通念の外を行く。 《上着を奪い取る 者には、下着をも拒んではならない。求 める者には、だれにでも与えなさい。 あなたの持ち物を奪う 者から取り返そうとしてはならない。》(ルカ6:29-30) 田川 によれば、借金の形に衣服や身の回りの物を持って 行ってしまう貸金業者に逆ら うなということだという。「えーい、持っていきやがれ。どろぼう」という 啖呵に近いかもしれ ない。 《汝を徴用して千歩行かせようとする者がいればそ のもの と共に二千歩行ってやれ》(マタイ5:41、田川訳) 権力者や金持ちに対する貧 乏人の意地にも聞こえる。だ が、イエスはおお真面目なのです。きたりつつ ある「神の国」 にはそんなやりとりは意味をなさない。やりたいようにやらせ てお きなさいという。バラバは、そんなのは妄想だと言いの けます。 イエスは言 います。 《汝の隣人を愛し、汝の敵を憎め、と言われていることを、 汝らは聞いて いる。しかし私は汝らに言う、汝らの敵を愛し、 汝らを迫害する者のために祈れ。》 (マタイ5:42-43) イエスの言う敵とは当面、共同体内部の、キョウダイの間 で 生じてしまった近親憎悪のはてに現れる身近でリアルな 敵のことではない。 (キリスト教倫理的には、罪深い内面にと ぐろを巻いている悪意を超えて「敵を愛 せ」と説くところだ が) ここでは仲間・キョウダイの外側から自分たちを 抑圧し 搾取し迫害してくるあからさまな敵のことだ。バラバに言わ せれば、 断固戦わなければならない敵、しかし、イエスはそ のような敵をも愛し、かれら のために祈れという。 運動家バラバの耳にも入っているだろう。今度は文語 聖 書で(文語の響きにごまかされないようにして) 《この故に我なんぢらに告 ぐ、何を食ひ、何を飮まんと生 命のことを思ひ煩ひ、何を著んと體のことを思ひ 煩ふな。生 命は糧にまさり、體は 衣に勝るならずや。空の鳥を見よ、 播かず、 刈らず、倉に収めず、然るに汝らの天の父は、これ を養ひたまふ。汝らは之よ りも遥に優るる者ならずや。・・・又 なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合 は如何にして育 つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。されど我なんぢら に告 ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服装この花の一つに も及かざり き。》(マタイ6:25-29) この辺りからタイセンを離れますが、それは無為自 然、 あるいは腕組みしてじっと意味ありげに次の動作 へのしばしの不動の姿勢=拱 手のようにも聞こえます が、それと違います。イエスはこうも言われる。 《父は 悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正 しくない者にも雨を降らせてくた ゙さるからである。》 その太陽と雨の下で、無為のようでいながら、私た ち の周りで起こりつつある神の恵みは、私たちがそのな かできっちりと生き、 考え、発言したり、他人に力を貸 したり借りたりして、生きていくことも許してくた ゙さ る。作為の一歩手前で。
10 月 17 日 豊島岡教会南花島集 会所との合同礼拝 (北松戸教会での礼拝はありま せん ヒソヒソと組合の話ができないので、比較的大 きな声で新聞の地域版にも 載っていた東松戸病院 の閉院に伴って60名以上の会計年度任用職員が首 を切られ そうだという身近な話題をしながら加入 を呼びかけている。仕事をはじめ て半年が過ぎた が、人の悪口を言わない(ヒソヒソ話さない)と いう評判のよ うだ。内心、素直に喜んでいる。 聴力が良くなりたいと10年ほど前まで は願って いた。医者に勧められるまま、鼓室形成手術とい うのを受けたことがあっ たが、痛かったのと時間 の無駄に終わった。内なる力で工夫する方法を獲 得す ればよかったのだが、外からの力で聴力を得 ようと考えたことに無理が あったのかもしれな い。 比較的大きな声ならば意思疎通は行える。特性 と考え て自分に正直に言葉を発していきたい。聞 かれて困る話題は極力避けよう。
10月10日の説教から ヨハネ福音書7章53節~8章11節 「罪に定めるものなし」 久保田 文貞 前回の「裁くことと赦すこと」の続きになります。裁くことと 赦されることが印 象的に並んで出てくる個所として〈姦淫の 女〉の物語があります。これはいろ んな意味で問題のある個 所です。まず、〔 〕で括られていること。その意 味は、古い 権威ある写本群に無いこと。つまりこの断片は後代の(2世 紀後半)一地 方の説教家が拵えたもので、底本の中に納ま るのは5、6世紀以後です。特に 問題は11節「これからは、も う罪を犯してはならない」という言葉です。最後の この言葉 によって、民衆を指導する務めを自認していた後々の教会 説教家たちには とても便利な物語なったでしょう。 この物語が脚光を浴びた理由は3,4世紀 のローマ帝国 によるキリスト教迫害下、棄教した者たちの復帰問題に図ら ずもひ ゚ったり重なったからでしょう。迫害の脅迫に負け一度 棄教した経験のある司教 から後に叙任された司教の資格は 有効かと疑問が出され、教会の分裂騒ぎにな りました(ドナ トゥス論争)。根っこにはキリストの十字架によって罪をゆるさ れ た人間が再び犯してしまう罪をどう捉えるかということがあ って、そこか ら切りのない論争が始まりました。この論争の入 門編のようにだれにでもとっ つきやすい切り口を「姦淫の 女」の物語は与えてくれたというわけです。 でも、 女性にとってこの物語はいろいろな意味で不愉快 な物語だろうと思います。そ もそも姦淫とは何?ユダヤ教の 基本法のような位置におかれた十戒の第7項「姦淫 しては ならない」(出エジプト20:14)が出てきます。十戒は第5項か ら第10項 までが、イスラエルの民の隣人関係法で、第7項 は夫も妻も他の隣人の妻・夫 と交わってはいけないという規 定です。これに違反すると男女とも死に定められ る(レビ20: 10、申命22:22-24)。ところが我々の物語では姦淫の現場 を押さ えられたという女だけが引きずり出されてくるのです。 男の方はどうなっ ているのか、当然の疑問です。でも現実 はどうだったかなんて考えても意 味ありません。このシナリオ は説教家の頭の中で創られたものです。解釈する 側もその 説教家を信頼している限りそこをはみ出ることはありませ ん。従って女か ゙陥った姦淫とは生々しい隣人間の姦通のこ とではなく、古典的には預言者エレ ミヤが突き出したように 周辺の異教の神々に交わること(エレミヤ3:1-9ほか)で あり、 預言者の理解としては南王国ユダの滅亡は神との約束違 反・裏切りに対す る必然の結果というわけです。問題は異 教の神との〈姦淫〉の違反行為役を、女 性にしてしまうことで す。実際に異教の神々と交渉し、異教の神々を礼拝するこ とになったのはほとんど男たちなのです。〈姦淫の女〉の物 語もこれと同じ 構造です。フェミニストならずとも、はなはだ 理不尽なことだと思います。 男たちの不始末を女性に肩代 わりさせる、どう言い繕おうともだめ。それを許 す社会構造 から見直さなければならないでしょう。 そこで「姦淫の女」物語 ですが、男たち(当時のユダヤ教 のパリサイ人・律法学者)は姦淫の現行犯 の女を引き連れ てきて、イエスがどう裁くか試し、イエスの誤りを捉えようと い う物語です。なにか地面に書き物をしていたイエスの応え は、「あなたたちの 中で罪を犯したことのない者が、まず、こ の女に石を投げなさい」と逆に 彼らに問いを投げ返し、再び 地面に書き物をするだけ。問いの投げ返しと いう作法は福 音書によく出てくるパターン(マルコ3:1以下など)で、それを 使っています。でもイエスが論争の敵対者にする問い返し、 あるいは問いのす ゙らし戦法はただの戦略ではないのです。 これらの問い返しはいつも、イエ スを陥れようとする者たち が捉えている事柄への構えと、イエスの事柄への構え とが 根本から食い違っていることへの表現であり、イエスとして は彼らと同し ゙水準で論争できないという意思表示なのです。 しかし、たいていはそれか ゙充分に伝わらないのです。 けれども「姦淫の女」物語はちょっと事情が違 います。女 を連れてきた男たちはイエスの問い返しに動揺する。他者 を裁くための 視線から、逆に自分を裁いてしまう視線に晒さ れるのです。4つの福音書の中に出 てくるパリサイ人・律法 学者の強情さと比べると、もろさがあるというか、 いや自分た ちのありようを見つめなおすある種の賢さがあると言うべき か、彼 らは、自分たちが設定した「姦淫の女」への構えを修 正せざるをえないと感し ゙取ったと言えるかもしれません。自 分にも罪があったから、結果、石を投げ なかったのではな く、その設定そのものが根本からつき崩されていることに気 づいたがゆえに、石を投げなかったと読み込めるようになっ ています。彼ら は裁く人間にはなりえないという選択を採り 始めていることになります。イエスか ゙投げ返した問いを通し て、男たちは不十分ながらも新しい問をかかえて、少 なくと もその女を裁く人間にならないことを選び取ったのです。 こうして引き 出された女にイエスは言います。11節「私もあ なたを罪に定めない。行きなさい」 と。この物語をこれで終え ておけば、どんなによかったか。 残念なことに 「これからは もう罪を犯してはならない」というセリフをイエスに言わしめて いま す。これを蛇足と思えないとしたら、すくなくともそれは 石を投げることをやめ た男たち以下と言わざるを得ません。
10月3日の説教から ルカ伝福音書6章37節 「裁くことと赦すこと」 久保田文貞 ルカ6章37-38節以下に、「裁くな」「赦せ」「与えよ」と並 んでいます。これと 並行するマタイの箇所は7章1節以下で すが、こちらは明らかにマタイの手が 入って編集されている ようなので、これまでと同じく一応ルカのほうが、 実際のイエ スの言葉を残しているという前提で読んでいきます。 ここに記され ているイエスの言葉は、すべての人の心に 訴えかけていくような言葉ですが、 むしろ聞き手の顔をしっ かり見ながら語りかけた言葉でしょう。聞き手は多く て数十 人、イエスのすぐそばでなんとか生活を組み立てなおそうと する人、 そしてイエスと一緒に行動しようという支援者たちで しょう。 彼らは裁かれるこ とはあっても、法に従って毅然とし た風をして人を裁くなんておよそ関係のないと ころで生きて きた人たち、あるいはそのように生きようとしている人たち。 「律 法学者」や「パリサイ人」のように人を裁こうにも裁けない 位置にいる人たちて ゙す。そんな彼らに「裁くな」と言われる。 するとどうなのか、〈君たち、自分 は裁かれることはあっても、 人を裁くことはないと思い込んでいるようだが、 どっこい、君 たちだってすぐ隣りの誰かをしっかりと裁いていないか〉と問 いかけているように聞こえてきます。例えば、信じていた友 人が大事な約束 を破った、彼・彼女が自分を裏切った、許 せない、それまでの信頼関係を閉さ ゙し、別のよそよそしい人 間関係になって、行動していく。それだって、ひとつ の立派 な裁きではないかというのでしょう。 とは言っても、このような裁きは、 「律法学者やパリサイ 人」のとは違います。彼らの裁きの規準は単なる人間同士 の約束ではありません。人間の外に置かれて、人間を従わ せる《法》によって彼 らは裁くのです。その時、はっと気付く べきです。自分はどうして裁く側 に立っているのか。少なくと も、マタイがこだわったのはそこのところでしょ う。自分を棚 に上げて、他者を法によって裁く偽善性の問題です。確か にイエ スの言葉から生じてくる人間の心の切り口ではありま す。マタイはこれが彼 の琴線に触れたのでしょう。福音書全 体を通して律法学者・パリサイ人を反面 教師のようにしてこ の偽善性を告発していきます。承知の上かどうか、その告 発 は、自分の偽善性の問題に返ってきます。だが、この崇 高なる自己批判も結局、 《法》に縛られてする一種の形式主 義的な惰性に陥ることでしょう。 イエスが 「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれる ことがない」 というのは、 重心を《法》においての裁きのこと なのでしょうか。どうもそうではないら しい。イエス運動の人 間仲間のあいだでは、法によって「人を裁く-人から裁か れ る」という在り様から自由になって、別の在り様を探していこ うというように私 には聞こえてきます。 マスクから鼻を出さないと苦痛なんだと訴え、断固議場て ゙ 鼻を出し続けた地方議員が議場を追われ、ついには議員 資格をはく奪されたと いうニュースを聞きました。マスクを強 要した議員たちは何時マスクを外すので しょうかね。外すと き、議会で決議しようというのでしょうか。笑い事では なくなり かけているのが昨今の異常さを示しています。マスクをどう かけるか、 家族や知り合い同士のちょっとしたマナーのこと が政治問題になって、権力の露 出そのものになってしまう。 どんな身近な仲間どうしであろうと、時に一人 立ち上がり 仲間から一歩外に踏み出して言う、〈そんな裁きをするべき では ない。赦しこそ必要だ〉と。それもひとつの裁きになって いないかと言われたら、 多少開きなおって必要なら私は裁く 君たちを裁きますというよりないと思います。 イエスは堂々と「裁くな」と「赦せ」とをならべます。それを ご自分の周りの 人間仲間に提案します。もしこれを律法学 者たちが聞いたら、昂然と批判したて ゙しょう。「神おひとりの ほかに、だれが罪をゆるすことができるか」と。 イエスはそん な批判をよそに、リアルな人間仲間に互いに「裁くな・ゆる せ」と言 われたのです。後々のキリスト教もそうですが、人が 赦されるのはただ 神(+キリスト)によるという神学的原則がた てられていますが、イエスの言葉は そうなりません。先の主 の祈りの負債への赦しの祈りも、マルコ11:25「また立って 祈 るとき、だれかに対して、何か恨み事があるならば、ゆるして やりなさい。 そうすれば、天にいますあなたがたの父も、あな たがたのあやまちを、ゆる してくださるであろう」も、ルカ17:3 以下も、どうみても人間仲間のリアル な赦しが、神からの赦 しにその限り先行しているのです。こう言ってよけれは ゙、〈ま ず君たち自身のあいだの赦しあいの行動をつまびらかにせ よ。それ を神の赦しの条件と思ってもかまわない。肝心なの は君たち人間仲間での裁きと 赦しの問題なのだ。それを神 のせいにして自分の裁きと赦しの責任を逃れるな〉 と。もう一 つ突っ込んで言えばこうなります。〈そこで君が進み出て自 分 が誰かを名乗り、誰を裁き、誰を赦そうというのか、明確 にせよ。だが、そ の発言が、過誤、逸脱、他者への配慮の 欠落になるかもしれない。その限界を見 極めた上で、でも恐 れるな。神はその過誤・逸脱を修復し、補填し、そのうえて ゙、 彼・彼女を、そして君を支え、赦してくださる。〉というメッセ ージとし て受け止めたいと思います。
9月19日の説教から マタイ福音書6章5~15節 「国と力と栄とは‥」 久保田文貞 これまでルカ福音書11章の「主の祈り」の方が原型に近 いということで、 原型「主の祈り」から読み取れるものは何か という視点でこの話を進めてきまし た。一つは、神の真実が 神殿の彼方や律法遵守の結果としてあるのではなく、 生活 者の間で、とりわけ罪人・取税人・娼婦として排除されてきた 人々の間で、 リアルに出来事として起こるようにと祈るもので あり、神の真実と人々の日常の 問題とが隣り合わせになっ ていることがしめされたこと。赦しの問題も宗教上 の違反・逸 脱からの赦しというより、日常的な借りを返せるかどうかの問 題と地 続きにになっていること。また試みとは、優等生的に それに打ち克つことがで きるようにと祈ることでなく、むしろ 人を試験し合否を判定するような枠組みか ら自由にしてくだ さいと理解してよいのではとしました。以上が原型と思し き 「主の祈」からとらえたことでした。 ルカ版で気になることは、これが弟 子の質門に応えたと いう設定になっていることです。ここで詳細を述べるこ とはで きませんが、著者ルカは基本的に、弟子とは福音を理解し 従ってくる者、 それに対して群衆のほうはまだ十分に福音を 理解できず罪の悔い改めに至っ ていない者という区分けを します。そのかぎり、「主の祈り」は福音の理解者た ゙けに伝 授する祈りのような位置づけになりかねません。もっともこれ はルカた ゙けでなく、原始教会が必然的に陥っていったこと です。「主の祈り」が 異教徒に洩らしてはならぬ秘伝のような 位置に押し上げてしまった教会さえあっ たということです。 そうなると、原型「主の祈り」はそんなルカ的な弟子-群 衆 関係を内側から突き崩す力を秘めていると、またこの祈り は弟子たちの頭を通り越 して、一日一日を必死で生きる群 衆たちの手に渡された祈りであると捉えてい いと思います。 さて、今日はマタイ版、さらに最後の句「国と力と栄とは ...」に ついてです。マタイ版「主の祈り」は、原型「主の祈り」 にいくつかの言葉を加 えて形を整えています。典型的なの が「父よ」という呼びかけです。ルカも ここをギリシャ語パテー ルで「父よ」としていますが、イエスは自分の生 活言語であ ったアラム語で祈るとき、アッバ「お父ちゃん」と呼びかけて いた。それを示唆するのが受難物語で逮捕される寸前イエ スがゲッセマネ の園で悶えながらアッバと神に呼びかけて 祈ったところです(マルコ 14:36)。ユダヤ教の格式ばった祈 りでは考えられないような馴れ馴れしい呼ひ ゙かけでした。と ころが「お父ちゃん」アッバをギリシャ語「パテール」 にした途端、この親しさ、近さの感が消えてしまいました。さらにマタ イは「父 よ」パテールに、「我らの」と「天にいます」という修飾 語を付けました。一挙 にユダヤ教的な重々しい祈りに逆戻り です。 ただ、マタイ版の設定ではい わゆる「山上の説教」マタイ5 ~7章で、弟子たちが足元にいたとはいえ(マタイ 5:1)、集ま っている群衆に祈るときは異邦人のようにくどくどと述べて はな らないと言われた後で、短い「主の祈り」を教えたとなり ます。この点でルカ 版と違うのですが、基本的に群衆と弟子 の関係に大きな相違はありません。マ タイではルカ以上に 弟子は重要な位置に引き上げられています(マタイ16:18)。 ペテロはじめ以下12弟子はイエス亡き後の教会でイエスの 代理として群衆を 導く者とされるわけで、やがて、弟子=>原 始教会の教職が、信徒教育・訓練 の責を担い、主の祈りは その一つ道具とされた一面がありました。2世紀後半に成 立 したディダケー(12使徒の教訓)の10節は「主の祈り」を前提 に祈りについて の信徒教育を詰めている通りで、まさにマタ イ福音書の路線そのままと言えましょ う。見ようによっては私 たちもこの原始教会の信徒訓練・教育の延長線上で教え ら れた通りの「主の祈り」を受け継いでいると言えます。その中 であの原型 「主の祈り」が私たちの惰性と横着を内側から突 き崩してくれるのではと私は 思いました。 としても、神の前に共に唱えた祈りのようであっても、しょ せんは 一人一人が神の前に体勢はどうあれ祈ること以上で も以下でもありません。 あるがままの自分をさらして、思いの ままを祈るだけのことです。 最後に、 「国と力と栄とは汝のものなればなり」について。 聖書本文批評上、明らかにか なり後代の付加とされ、私た ちの聖書本文から抹消されています。ただし、後々 のキリス ト教はカトリックもプロテスタントも伝統的にこれを加えていま す。神 の国の権威も、その力も栄光も、それらのひとかけら も人の手に渡されることはな いという宣言なのでしょう。歴代 誌上29章10節以下、ダビデが民に神殿 建築事業への協 力を呼びかける集会の中で、主をたたえる祈りの言葉がで てきます。 そこに国とその支配力と栄光とが、さらに万物と がすべて神のも のであると重々しく畳みかけるように民に向 かって宣言されます。実際はダヒ ゙デは臨在の幕屋を建てだ け、ずっと後にソロモンが豪華な神殿を建てた わけですが、 この二つを結びつけるための演出にすぎません。主の祈り の 終わりに「国と力と栄とは...」を付け加えるのをよしとする も、これを演出上の飾 りにするぐらいなら無しとする方がい いでしょう。これを容れて祈るなら、 それらを自分のものとし たがる権力群とシビアな対決を覚悟するよりないで しょう。
9月12日の説教から ルカ福音書19章1~10節 「さようなら いしころ」 板垣弘毅 ...きょうのところは聖書物語では定番ですね。私は母親が 住み込みで働 いていた料理屋では日曜日は居場所がなく、 保育園代わりに?近所の教会の日曜 学校に小学校低学年の 頃から行かされました。そのころでも黄ばんだ紙芝居て ゙した が、「ザアカイさん」の話にはいつも同じ紙芝居が使用されるの て ゙、ザアカイの顔さえおぼえています。 「イエスはエリコに入り、町を通って おられた。 そこにザア カイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ち であっ た。」 ...ローマは、帝国に納める間接税、通行税、市場税などの 取り 立てをユダヤ人に任せました。自ら手を汚さず、支配され るものを分断して支 配する、権力者がよくやる手口です。ナチ スでも絶滅収容所でユダヤ人 をガス室に送るなどの作業をゾ ンダー・コマンド〈特殊部隊〉として選は ゙れたユダヤ人にやらせ ました。 敵国ローマのために同胞ユダヤ人から税金を 取り立 てる、その請負人が徴税人です。ケガレを帯びた職業として、 娼婦 とか「罪人」と同類でした。 ザアカイは、金持ちで余計に人々の反感を買っ ていたよう です。ルカ福音書にしかない物語ですが、こんな人はいたん だ ろうと思わせる人物です。 敗戦直後、占領軍相手に商売をする人々を見る敗者日 本 人の目はとても屈折しています。たとえば米兵相手の娼婦な どは人々の軽蔑 とねたみを引きうけていました。 ザアカイは背が低かった。何かしらこの男へ の抑圧を重ね たくなる書き方ですね。群衆に囲まれてやってくる噂のイエス とい う人物を、一目見たいと思ったのでしょう。 「走って先回りし、いちじく桑の 木に登った。そこを通り過ぎ ようとしておられたからである。」 ザアカイの 顔が目に浮かびます。小さい頃の日曜学校の紙 芝居の絵です。 「イエスはそ の場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザア カイ、急いで降りて来なさ い。今日は、ぜひあなたの家に泊ま りたい。」 この言葉がどれほど常識破 りかは、子供の頃はもちろんわ かりません。でも私は小さい頃、このイエスの「サ ゙アカイ!急い で降りてきなさい。きょうあなたの家に泊まることにしているか ら」(口語訳)この言葉は耳に残っているのです。このイエスの 言葉が、時と場 所はちがっても、自分への呼びかけだと受け 止められる人は幸いだと思い ます。「ザアカイ!きみに会うた めに私は来たんだ!」ただ「ザアカ!」とイ エスは呼びます。他 者をその所属や肩書きや経歴で呼ぶのではなく、言っ てみ ればかけがえのない、ただの人として見ているということですね。 同 時に「その人」に対して自分もただの人になる、ということで す。「ザアカ イは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた」 聖書はあっさりした言葉づ かいですが、ザアカイの驚きやわ き上がる喜びが伝わってくるようて ゙す。きっとこの感動がイエス のできごとを伝え、新約聖書をつくっていっ たのです。聖書の 文書として様々な解説、仮説、深読みができるわけですか ゙、言 葉に託された感動に響き合うこともたいせつだと私は思いま す。 「これ を見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のと ころに行って宿をとった。」 つまり自分たちが共同で、社会の外に放り出してしまった人 のところへ、「罪 深い人」のところへイエスも出て行ってしまっ た。一方でザアカイは、一方的 なイエスの侵入によって、初め て自分の殻を壊してゆきます。ルカ福音書的な表現 になって いますが。... ザアカイ自身も一般のユダヤ人徴税人・「罪人」の あいだに は深い溝というか、「橋のない川」があるのを知っています。し かし イエスはそこを何もないかのようにまたいでくる。境界線が ないかのようにやっ てくる。イエスには世界はそう見えたのだ と、私は信じています。人間に見え ているものがイエスには見 えない、人間に見えないものがイエスには見える。 溝も川もな い世界がイエスには見える、この驚きとうれしさが新約聖書の 原点。 このギャップを聖書は「恵み」というのだと思います。 これは理屈ではな く、わたし自身の境遇で、死んだ方がマ シだったというような「戦後」と いう時代に、東京の下町でであ ったキリスト教、教会への驚きや有り難さだ と言えます。イエス は「向こう」から!やって来たのでした。 この越境の恵みや 驚きを、きょうは絵本で共感してみたいと 思います。 <「ぼくはいしころ」 坂本千明作>...... 「いしころは みちばたに ポツンとひとり/じっとだまっ て そこにいる」で始まっています。一つの石ころのと一匹の黒 猫が描かれてい ます。「ぼくも きづけば ポツンとひとり」こ の名前もない野(の)良(ら) の黒猫が、空き地の片隅に住みつ いて、ヒッソリと生きてます。......... 何の 説明もいりません。 「こんばんは」と呼びかけられたひと言で、自分が石 ころではな い、かけがえのない「いのち」だって気付いて、言葉が生まれ ます。 向こうから「垣根」を越えてやってくる偶然のようなでき ごとで、解 き放たれる経験は誰もがすることではないかと思い ます。「垣根」は個人の思 い込みだったり、国家や民族が押し つける共同の幻想だったりします。わた したちには複合的な 境界線がありますね。... (全文は板垣まで〉
9月5日の説教から ルカ福音書11章1~4節 久保田文貞 「主の祈り6 試みにあわせない でください」 礼拝で祈っている文語訳「主の祈り」ではこのくだりを 「我 らをこころみにあわせず悪より救い出し給え」としています。 「悪より救い 出し給え」というのはマタイ版のものです。これ までのように、私たちは原型 と思われる「主の祈り」に照準を 合わせ、「悪より救い出し給え」をここでは後 の付加として外 します。もちろんそれはそれで大いに検討の価値がありま すか ゙。 そうなると、いきなり「試みにあわせないでください」となり ます。いっ たい誰が、誰に対して、何を、試みるというのか、 イエスの教えを聞いていた人 たちはわかるのでしょうか。前 に述べたように、原型「主の祈り」はこれで もかと言わんばか りに、簡略になっています。それはまるで〈きみたち、無理 し て祈らんでいいよ。まあ、そんなに言うなら、こんな祈りにな るかな〉とで も言うように。マタイ版「主の祈り」の校訂人はそ れではあんまりだと思った か、いくつか言葉を付け加えて体 裁を整えたわけです。 それにしても「試みにあ わせないでください」とは、なにか あまりに消極的だと思いませんか。神の 前に襟を正して祈り の姿勢をとって祈ろうというなら、もっと積極的に、〈神よ、 わ たしに試練を与えてください。それに打ち勝つ力と、勇気を 与えてください〉 とならないでしょうか。〈私はその試練に耐 え、頑張ります〉と。 今日で終わ りになるパラリンピックですが、テレビや新聞 報道で伝えられる選手 たちのエピソードを聞かされます。 〈障害のある選手がいかに困難を乗り越 え練習所を確保 し、アスリートになり、ついにメダルを取ったと、みなさんもそ れをお手本に頑張りましょう〉って調子。選手一人一人の努 力に敬意を表しますか ゙、その取り上げ方、盛り方を見てしま うと、なにもかも台無しになる感がし ます。そもそも、オリンピ ックとかパラリンピックとか、背後でどれた ゙け金を集め、フィク サーたちがどれだけ甘い汁を吸っているかと...、もっ ともそ んなの問題のほんの一部でしょう。むしろ問題はそうやって 困難を乗り越 え切磋琢磨するアスリートたちの物語を押し付 け、各自が努力すればかならす ゙報われる、だから頑張って 成功した者を手本とせよというのでしょう。そし てこの大運動 会というお祭りを挙行し、世界中の都合の悪い真実を覆い 隠そうとす るのではないでしょうか。私も祭りは嫌いではあり ません。しかし、都合の 悪い事実が起これば、祭りを中断し て事実を自分たちの前に置き直し、互いに 検討するよりな いでしょう。ところが規模が大きくなればなるほど、そ れがで きなくなる。不愉快なことに、祭りを中止するために権力者 がいつも 以上に大きな権力をふるうよりなくなる。 話を元に戻します。教育的に言えば、 立ち向かう気力を そがない限り、試みにあうことはなんら悪いことではないと さ れるでしょう。それがいつのまにか逆転して、試みが先に立 って、気力か ゙後からついていくことになりかねない。最後は 気力がない奴はだめだと。 この通念は旧約聖書(出エジ20: 20、申命8:2など)でも、新約聖書でも、枚 挙にいとまがない ほど出てきてしまいます。そもそも、試みとは罪への誘惑の ことであり、さらに試みとはそれに打ち克つべき試練とされま す。受難物語て ゙は「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈 っていなさい。心は熱しているが、 肉体は弱いのである」(マ ルコ14:38//)と、すべての人間がまるで修道士の ように語り かけられます。また「主ご自身、試練を受けて苦しまれたか らこそ、 試練の中にある者たちを助けることができる」(へブ ル2:18)となります。 た ゙が、原型「主の祈り」や、イエスのそのほかの言葉で は、少なくともイエス の周りに集まった「群衆」たちに、試練 を受けよ、打ち克て、頑張れと言わない。 イエス自身が受け た試みということで言えば、ルカ4章1節以下//の荒野で の 悪魔の試みがありますが、もちろんこれは文芸論にいう伝 記(レジェント ゙)、意地悪く言えば後の作り物です。だが、こ の物語では、その試みて ゙、悪魔が<もし・・・すれば、...与え よう>と約束した物をすべて放棄し、 イエスの手元には何も 残らなかった。結果「大審問官」風に言えば、キリストは 群衆 の一人でしかなくなっているのですから、すごい伝記ではあ ります。 また、福音書でイエスはたびたびパリサイ派、律法 学者から「試み」を受 けます(マルコ8:11など)。イエスは彼 らの審査に正面から「頑張って」挑み、打 ち負かすということ をしません。むしろ、はぐらかす。彼らの試み・テストのナ ン センスさを示すばかりです。つまり「試み」自体がもつベクト ル、向き と力がイエスが群衆や弟子たちと共にいdる世界に は無効だと言わんばかり なのです。「試みにあわせないでく ださい」とは、打ち克つことができ ないような試練にあわせな いで下さいと、最初から白旗を上げて試練をかいくく ゙れとい うようなものではありません。やっと祈りの体を成すような「主 の祈り」 は、ある意味、どの祈りより積極的です。そもそも、 神の国はもう私たちの手 元にある。天上にまします神から与 えられた試練だなんて言い方をやめて、君た ちの生活の一 コマ一コマの中で共にできることを見つけてやっていけばい い と言われているように思います。
8月29日の説教から ルカ福音書10章25~37節 レビ記19章33~34節 「慈しむこと」 飯田義也 今日の聖書「善きサマリア人のたとえ」ですが、今 日の聖書日課で は旧約聖書レビ記の寄留の民への戒め が付け加えられています。 ウィシュマ・ サンダマリさんに関することがらにつ いては 2021年8月24日、公益財団法人日 本キリスト教婦人矯 風会が内閣総理大臣、法務大臣、法務省出入国在留管 理庁長 官、名古屋出入国在留管理局長宛に抗議声明を 提出。 キリスト者のレスポンスと して当為となってきている かもしれません。 ウィシュマ・サンダマリさんは、 「日本の子ども達に 英語を教えたい」という夢と共に、 2017年6月29日、成田市 の日本語学校に通うために来 日。その後、学費を払えなくなり通っていた日本語学 校の学籍を失ったことで、在留資格がなくなりまた。 この状態を法律用語で は不法滞在(不法残留)といい ます。現実とかけ離れている(とわたしは感じる)の ですが、支援団体等は「オーバーステイ」という用語 を使っています。また、 毎日新聞では「非正規滞在」 という言葉で表現しています。 2021年8月19日 (水)ウィシュマさんは当時交際して いた男性に「DV被害を受けた」と警察に相談し たが、 在留資格を失っていたことが判明、逮捕され、翌日、 名古屋出入国在留 管理局の収容施設に収容 2020年12月9日(水)START(外国人労働者・難民と共 に歩む 会)のメンバーが面会、以降、数日ごとに面会 2021年1月22日(金)庁内診療室 受診 2021年3月3日(水)STRATメンバー面会 面会後、処遇部門に申し入れ「このま までは死んでし まう。すぐに入院させて点滴を打ってもらいたい」 これに対 して、職員は「予定は決まっている」と答え るのみ 2021年3月6日(土)朝、血圧測定 できず。午後にな って入管職員の呼びかけに反応しなくなり、午後2時 半頃 外部病院に緊急搬送され午後3時25分死亡確認 その2日前3月4日の診療情報提供書(外 部医療機関 精神科医師)の記述「患者が仮釈放を望んで、心身の 不調を呈して いるなら仮釈放してあげれば、良くなる ことが期待できる。患者のためを 思えば、それが一番 良いのだろうが、どうしたものだろうか?」施設か ら の「仮放免」を「仮釈放」と書き間違えてしまうとこ ろがさもありなん。 2021年8月10日(火)出入国在留管理庁「令和3年3 月6日の名古屋入国在留管理局被収 容者死亡事案に関 する調査報告書」公表 2021年8月12日(木)上川陽子法相と佐々木 聖子入管 庁長官が遺族に謝罪。最終報告書の説明後、約1時間 の映像が遺族ら に公開された。 ある教授が「日本の入管施設内で起きていることの 『氷山の一 角』にすぎないだろう。1997年以降だけで2 1名が亡くなっているという」 と指摘していました。 今日の「慈しむこと」というテーマは「虐げる」の 反対語、 対義語を探して見つけました。レビ記、文書 としての成立時期は早くて紀元前5世 紀とが、律法の 内容としては紀元前13世紀にさかのぼれるという説も あります。 日本は3300年遅れているということかも。 8月22日の説教から ルカ福音書11章1~4節 「主の祈り-5- 我らの負い目を赦し給え」 久保田文貞 ルカ版「主の祈」のほうが総じて伝承された原型に近いと いう説に 従ってきました。しかし、4節冒頭の「私たちの罪を 赦してください」については、 マタイ版のように「わたしたち の負い目を赦してください」(6:12)が原型だ と言われます。 とすると、イエス自身は「罪」という言葉をここでは避けたと い うことになります。イエスは、「罪の赦しを得させるために 悔い改めのバプテ スマ」を宣教した洗礼者ヨハネの下で洗 礼を受けました。そこに人々が続々と 集まり、「罪の告白を し」たとあります(マルコ1:4-5)。しかし、直接のきっかけは 福音書に書いてありませんが、イエスは洗礼者のもとを去 り、ガリラヤの町カヘ ゚ナウムに入ってそこを拠点として、まっ たく別の運動を始めます。そこに暮らす 人々が抱えている 苦難を取り去っていきます。悪霊に憑りつかれた人の悪霊 を払 うこと、熱病を病む年配の女性を癒すこと、そしてうわさ を聞いて続々と集まって くる群衆に応えていきました(マル コ1:21-12)。イエスと弟子と人々の間の出来事は まちがい なく今風に「運動」と呼んでいいでしょう。 2章1-12節、この運動か ゙広く知れ渡って、批判者が登場 します。ファリサイ派とその律法学者という連 中がイエス運動 の調査に来たわけです。イエスは中風の人を癒し「あなたの 罪 は赦される」と言ったことをとらえて「神を冒涜している。神 おひとりのほかに、 いったいだれが、罪を赦すことができる だろうか」と。イエスは、「あ なたの罪は許されると言うのと、 起きて床を担いで歩けと言うのと、どちらか ゙易しいか」と反論 して、臆することなく「わたしはあなたに言う。起き上がり、 床 を担いで家に帰りなさい。」と言われ、自分の意を押し通さ れたわけです。 「人の子が地上で罪を赦す権威を持ってい ることを知らせた」と、後の原始教 会は「人の子」をメシアの 称号の一つとして用いましたが、イエスの日常語で あったア ラム語で、その原義は「人間」だったと言われます。とすれ ば、イ エスの言われたのは、人間たちが暮らすこの地上で、 苦しんでいるものが あれば、我々人間の間にも、君は許さ れて元気で暮らしていいんじゃないか という権利があるよ、 ということではないでしょうか。イエスはこの後(マル コ1:13- 17)、いわゆるユダヤ人として社会的に逸脱し、律法違反と されていた罪 人、徴税人らとも親しく交わり、積極的に彼らと 食事会をしていく。ここまでに しますが、こうしてイエスは彼 に付き従った弟子たちと共に、ガリラヤの民衆 たちの間に入 って運動を続けていきます。 明らかに洗礼者ヨハネがなそうとした 群衆の罪の赦し運 動を、イエスは「罪」だらけの市井の群衆たちのただなかて ゙ 繰り広げていったのです。 ...働き口を探しても見つからずうろうろして いる男たち、 なんとか家族一日分の食べ物がないかと目を光らせている 女たち、 腹を空かせながらもじゃれあったり、ケンカしたりす る子供たち、言いたいこ とがなにか忘れてしまったような顔 をしている老人たち、...そんな群衆と、この 運動に参加して きた弟子たちが、イエスに祈りを教えてほしいなんてガラに も ないことをねだった。でもイエスは「お前さんたちに祈りな んて合わないよ」 とは言わないで、「まあ、君たちが祈るな ら、こんなことになるかな」と、私 にはそんな風に見えます。 その祈りの中で、「罪」というユダヤ教の既成語を 使わず、 「わたしたちの負い目を赦してください」というのですが、ここ に群衆たちの間で身近に起こる〈貸し借り〉、そこで貧乏人 がどうしても 返せないと真っ先にぶつかる問題、「借金・負 債」オフェイレーマという語を持っ てきます。この語は後半の 「私たちも自分の負い目ある人をみな赦しますから」の 中で は、動詞オフェイレイン「(金を)借りる」を名詞化したもので す。「負い 目」、貸し借りの問題は、お金だけのことではな い。暮らしの中でいろいろ な貸し借り、「負い目」があるだろ う。みな知っての通りだ。そんな「負い 目」を厳しく取り立てる 者もあろうが、ついには互いに赦しあって生きているし ゙ゃな いか。それがわたしたちの暮らしじゃないか。わたしたちが 毎日のよ うに体験している、この貸し借り、負い目を持つこ と、それをときに赦しあいなか ゙ら生きている、そのように、「お 父さん、いまここで、あなたが私たちの暮 らしの間に入り込 んで、私たちの負い目を赦してください。」と祈ればいい ん じゃないかとイエスは、教えるというよりは、言い放すという 方が当たって いるかもしれません。 人間が抱えていると思いこまされてきた「罪」は、時が 経 つにつれ、偽装され、加工され、変成してしまったが、実は 君たちが抱えて いる毎日の「負い目」こそがその正体じゃな いか。もちろん、その「負い目」か ゙軽々しいものだとは思わな い。そもそも、わたしたちは自分の「負い目」を知っ ているよ うで、知らない。自分でわかっていない「負い目」こそ一番た ちが 悪い。自分には他者に対する「負い目」なんて一切あり ませんという人間こそ哀れた ゙。いや害毒かもしれない。この 自分にわからない負い目は、私たちの間で赦し あおうにもう まくいかないだろう。「お父さん、あなたは私たちの知らず抱 え ている「負い目」をきっと赦して下さる。その赦しがあるか らこそ、こんな負い 目だらけのわたしたちが互いに赦しあえ ると思うのです。わたしたちの負い 目を赦してください。」と 祈ろうじゃないかと勧められているように思います。
8月15日の礼拝に向けて この世界 生まれてそして 与えられたあらゆる名前に 裏面の報告欄にあるように、 「語り合いの時」の記録は、 次週に。というわけで、今日はここは空白です。 ・・・ 空白なのですが、ちょっとBGMのように一つの歌の歌 詞をながしてお きます。 奄美大島出身の歌手 元ちとせの 「語り継ぐこと」の 歌詞です。 「語り継ぐこと」 なみだ いくつ 零れて 新月の夜 ひとつ海が生まれた 遠く 紡いだ言葉 語りべたちの物語の中に むかしだれかがここで 張り裂けそ うな胸をそっと開いた 歌に奏でてずっと どんな場所にも携えてゆけるよ 消 さないで あなたの中の ともしびは連なりいつしか 輝くから 語り継ぐことや 伝えてゆくこと 時代のうねりを渡って行く舟 風光る 今日の日の空を 受け継いで それを明日に手渡して v指に 額に 髪に あなたの向こう 垣間見える面影 もしも時の流れを さかのぼれ たら その人に出逢える 願いがある いとしい笑顔に心動かして 嵐に揺らいで立 ち止まる時も 守りたい すべて捧げても 思いは力に姿を変えるから 語り継いて ゙ 伝えていくこと 時代のうねりを渡って行く舟 風光る 今日の日の空を 受け継いて ゙ それを明日に手渡して
8月8日の礼拝に向けて ルカ福音書11章1~4節 「主の祈り―3 日用のご飯を与え給え。」 久保田文貞 今回も、イエスが群衆や弟子たちに教えられた「主の祈 り」 の原型を模索しながら、「我らの日用の糧を、今日も与え 給え」という祈 りについて考えてみます。私たちの読みは近 代聖書学の通説に従い、基本的 にルカ版にその原型が保 存されていること、その際イエスは、神への呼ひ ゙かけから儀 礼的な装飾を取り払い、「お父ちゃん」という身近な呼びか けで始めたこと、そこからこの祈りは、女たち、子ども、年寄 りなど 庶民の日常の真っ只中に置かれたと捉え、こうして 「あなたの名が聖とさ れますように」「あなたの国が来ますよう に」という祈りには、「み名」 と「み国」を天から庶民の生活の 中に引きずりおろしている意味がある としました。 〈いいかい、年寄りがあっちで呼んでいるかと思うと、 こっ ちで子どもが皿をひっくり返しケンカが始まる。ゆっくりお祈 りなんかしていられないよとあんたは言う、そんな毎日だろ う。でもと ゙っこい、そんな君たちの生活の中でみ名が聖とさ れますようになんた ゙よ。そんなにぎやかなでグチャグチャな 中に「み国」が来ます ようにというんだよ。まさにそれが本当 の祈りが息を吹き返すときた ゙よ〉と、私にはそんな風に聞こ えてきます。 このようにとらえると、すく ゙前の、一般的に典礼的な荘厳 さと終末論的な響きをもっていると解される 「み名」と「み国」 という祈りと、いかにも所帯じみた「我らの日用の糧 を今日も 与え給え」という祈りの間にできてしまう落差が一気に解消 し てしまいます。 「我らの日用の糧を、今日も与え給え」という祈りを、現在 これを文語訳で祈ると妙に威厳が出てきて典礼的なひびき になりますか ゙、内容的には本来そんな気取ったものではな く、たとえばNCCの訳「私 たちに今日も、この日のかてをお 与えください」(「賛美歌21」の93-5-b) と、こんな風に訳した 方がいいかもしれません。 「主の祈り」がそんな 日常の生活者のための祈りになって いると言っておきながら、これから細 かい翻訳上の問題を説 明するのは気が引けるのですが、がまんして 聞いてくださ い。実は、新共同訳で「わたしたちに必要な糧を毎日与え てください。」の「必要な糧」(マタイ6:11、ルカ11:3)と訳してい るとこ ろ、私たちが唱和する文語版では「日用の糧」と訳し ている。NCC訳はこ れをカットしていますが、これは形容詞 エピウーシオスの訳です。新 約時代に他に類例がないので 意味が確定できませんでした。エヒ ゚はよく使われる前置詞、ウーシオスも英語で言えばbeingの派生語、つ まり当時の人 にも聞いたことがあるようなないような造語の類らしい。古 代 から諸説飛び交っていて、田川『訳と註』は588~600頁に13 頁にもわたっ て解説しています。結局、彼はこれを「来る日 の我らのパンを毎日与え給 え」(「毎日」のところがマタイ版 で「今日も」となる)と訳しています。 要するに、この語の意味 を、もし祈るのが朝であれば「今日一日分の」、 夜であれば 「明日一日分の」のと取り、私たちがそこからくみ取る意 味は、〈せめて来る一日分のパンを与えてください〉となるでし ょう か。家計の苦しい庶民の切実な願いを代弁したものだっ たでしょう。イ エスの周りに集まってきた人十人が十人とも明 日のパンに困っていた貧 しい人だったとは思いませんが、 少なくともイエスは、来る日のパン に困っている多くの人々 の祈りに、祈りの起点を置いたと言えないでしょ うか。 今、一見、飽食な時代に、一方で「来る日の食」に困って いる親や、 子、年寄りがいるということを知らされます。子ど も食堂や年寄り向け の給食のNPOが支えています。どうして こういうことが起こるのか。個 別には諸原因があるでしょう が、社会・経済の生み出した富の配分の 仕方に偏りがある からでしょう。しかし、今の政治は自己責任論を持ち 出して それを正そうとはしない。と、そういう政治に直対応しても政 治は動 かない。ならば目を内側に向けて、自分にとって一 番基本的な人間関係の 場、毎日の生活の充実を図るべき だと考えるかもしれない。それが 「日用の糧を今日も与え給 え」の意味だとするなら、大きく主の祈りから 逸れることにな るでしょう。 確かに、イエス時代の庶民は、政治的発言力 などほとん どありません。民として命がけで反乱を起こすかどう かだけ です。失敗すればすぐ抹殺される。それと比べると、近代 国 家の住民である私たちには政治発言の道が開かれている。 いや政治参 加しなければ人権も絵に描いた餅と言われ、そ れが義務のように言われ ます。そう主張する人にそれは違う とは言えません。自分なりの状況理解に よって私も政治的 な集会に参加します。実は明日、久しぶりに市民会館の 集 会に出ようかと思っています。そこから道が開かれると楽観 しませんか ゙、勉強して発言者の一人になってもいいかと思 っています。 でも私たちは、「父よ、み名が聖とされますように。み国が 来ますよ うに。わたしたちの日用の糧を今日も与え給え」と 祈ります。そんな祈りを して何になると言われようと、イエスと 声を合わせて祈ろうと思います。そ れは単なる内向きの祈り とはちがう。自分が根差す場の設営に参加する 気持ちで。
8月1日の礼拝に向けて ルカ福音書11章1~4節 「主の祈り―3」 久保田文貞 前回は、マタイが「主の祈り」伝承を受け取り、それを福音 書の中にどう組み 込み、その特徴と問題性について述べまし た。私たちの教会では、文語調に翻 訳された「主の祈り」を、 礼拝式の中で唱和するわけで、慣れてしまった人に はそうい うものだと受け止め、そこで暗証した祈りを自分の生活の中 で一人 復唱し、主が教えてくださった祈りとして祈るという方 が多いと思います。 それがまずいとは思いません。が、これ は、とってもマタイ的だと言えま す。 ルカ版に採取されている「主の祈り」は、原型に近いと前に も言いましたが、 こちらは「父よ」で始まります。おそらくイエス が日常使っていたアラム語の アッバだろうと言われます。これ は小さな子が父親を呼びかける時にも使 う語、「お父ちゃん」 や「パパ」、大きい子なら「おやじ」といったところて ゙しょう。要 するに、当時のユダヤ教の〈カデシュの祈り〉ばりに「天にま し ます我らの父よ」とヘブル語でいう言い方を意図的に避け、 日常、父親を呼 ぶ身近なアラム語の言い方を持ってきていま す。この呼び方は、パウロもカ ゙ラテヤ4:6「あなたがたは子で あるのだから、神はわたしたちの心の中に、 「アバ、父よ」と呼 ぶ御子の霊を送って下さったのである。」と書いている ように (ロマ8:15でも)、結構ショッキングな言い方だったということ でしょ う。 次の項も「カデシュ」をさらに短くしたものです。孫引きです が、エ レミヤスという学者が再現した「カデシュ」の古代版を参 考までに。 「彼 (神)の大いなる名が称えられ、聖とされんことを、/彼がその意 志によって創っ た世界において。/彼の王国が支配するように、/ 汝らの生涯、汝らの日々、/イス ラエルのすべての家の生涯の間、 /速やかに来たって。/彼の大いなる名が永遠 から永遠に称えられ んことを。/そして、汝らはアーメンと言え」 「イスラエル」 の所に「キリスト者」を差し替えれば、ほとんど のクリスチャンもこれにアー メンと唱和できるでしょう。いかに も荘厳な神殿・教会の向こう、遥かかなた に神がましまして、 もったいなくもそのみ名が礼拝の中で称えられる。御国 の実 際の支配ははるか先かもしれないが、それを求める人々にま るで御国の支 配が及んでいるかのように思える時間がずっと 続くようにと祈るわけで す。これは、いわゆる宗教なるものが この地上にしっかり根を下ろし、権威を確 保した時の一つの 姿でしょう。 イエスはそんな宗教とその祈りに組しませんで した。その 祈りの言葉を短くして済む話ではなかったと思います。 「あなたの名 が聖とされますように。」 ここに言う「あなた」とは、「天にまします我らの父」 というより は、私たちの知っている「お父ちゃん」たちの間にいる「お父 ちゃん」 なのです。その「お父ちゃん」が、荘厳な神殿の中で ではなく、私たちの 毎日の生活の中で「聖とされますように」と いうのです。私たちの生活はとい うと、知っての通り、ゴミゴミ していて、雑音にあふれ、夏はことのほか汗っ 臭くって、とて も「聖」なるもののましますところではありません。ところが、 イ エスは「あなたの名が、そこでこそ、聖とされますように」と祈 ろうと言わ れていることになります。 「あなたの国が来ますように。」 イエスが言われる 「国」とは、カデシュで敬虔なユダヤ人た ちが追い求めていた「大いなる 方」の支配する未来の国のこ とではありません。イエスの言われている「国」は、 私たちが見 知っている人間の権力国家とは違うもの。神殿宗教から見放 され、敬 虔な人の群れからはじき出された「群衆」たちの間に いる「お父ちゃん」たちの 間に立ち上がってくるもの。神が「群 衆」一人一人の「お父ちゃん」になって その苦しみや悩み、あ れやこれやの心配事を聞き、相談に乗ってくれ、励ましの言 葉を下さる、争いごとを裁いて、和解させてくださる、そういう 神と人との出 来事が巻き起こるものです。 こんなことを言うとイエスから叱られるかもしれ ませんが、 「主の祈り」は、神殿や宗教の高みに「まします」「み名」や「み 国」 を引きずりおろしてしまう、というか、神殿や宗教、そのほ かそれに準じるよ うな「知的な支配体制」とか「権力機構」の、 そこここのネジを弛め、蝶番をはす ゙してしまう、そして「お父ち ゃん」とイエスと群衆たちは、「国」というよりは、 新しい人間仲 間になっていくということでしょう。「主の祈り」はそのような思 いが込められていると思います。 「みこころの天になるごとく、地にもなさせ たまえ。」 この句は、ルカにはありません。多くの学者は、これはマタイ の付加と します。「天」に遠慮しすぎている表現はいかにもマ タイ的ですが、出すき ゙を承知の上で、敢えてこれをイエス風 に焼きなおして言えば、「みこころか ゙、この地上でおこなわれ ますように」とまりますか。 少なくともここまで、 この祈りは古代の社会の神と人との関 係に問いを投げかけただけにとどまり ません。庶民には、す ぐにも受け入れられる「祈り」なのですが、政治権力 者や、権 威ある知的指導者らには、この手の祈りは、庶民を縛る小道 具ぐらいに しか見えない、本当の祈りは彼らの手元にある長 い長い...。イエスはそんなもの神 には不要。群衆と、とかく権 威を欲しがる弟子に向かって、あなたたちがここ ろ込めてす るこんな祈りで十分と言われているように思います。
7月25日の礼拝に向けてルカ福音書11章1~4節祈りについて2 「主の祈り」 久保田文貞 私たちは毎回礼拝で「主の祈り」をしています。コロナ禍 で昨年から礼拝順序 を短縮しましたが、「主の祈り」を省こう という声は起こりませんんでした。2 節に「イエスは言われた 『祈るときには、こう言いなさい』」と書かれており(マタ イ6:9 にも同様の言葉があります)、Q資料からもたらされた伝承 過程で、イエ ス直伝のものとして特別扱いされていたことがわかります。〈なんとしてもこれを 守らなくては〉という思いが 伝わってきます。私たちにもこれを省いたら何も残 らなくな ってしまうという畏れのようなものがあったのかしれません。 ルカで は、イエスが祈り終えた時、弟子のひとりが「ヨハネ が弟子たちに教えたよ うに私たちにも祈りを教えてください」 という願いに応えて、イエスが主の祈 りを教えたという形にな っています。この設定はルカによるものでしょう。ここて ゙は真 の祈りは、師から弟子に教えられ、伝えられていくものだと いう前提になっ ています。こうして数十年後の一部の教会で は、「主の祈り」がバプテス マを受けたクリスチャンだけに許 された祈りにされています。今なら聖書はど こにもありますか ら、秘伝にしようがありませんが。それにしてなんと料簡の 狭 いことか。 マタイでは、「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようで あってはならない」と、6章「偽善者」批判の続きに出てきま す。マタイが言う 「偽善者」とは、ユダヤ教パリサイ主義者た ちです。パリサイ主義者は律 法遵守の方法と完遂をこれで もかと追及する。その律法主義自体が偽善の温床て ゙あり、 構造的に偽善を生み出すというわけです。これに対してマ タイとその仲 間は、パリサイ主義の偽善性、不完全性をイエ スの言葉によって乗り越えようと する人々です。さらに、くど くど祈るという「異邦人」もここに並べられ ます。そしてイエス はこれ以上長くも短くもしてならない完全な祈りとして「主の 祈り」を弟子たちに教えられたとします。ところでイエス直伝とされるこの祈りに、 ルカとマタイで微 妙に違いがあります。近代聖書学の研究成果によると、ル カ の「主の祈り」の方が原典「主の祈り」に近いそうです。た だし4節「わたし たちの罪を赦してください」は。マタイ6:12 「わたしたちの負い目を赦してくた ゙さい」の方が元来の形だ と。「罪」と「負い目」=「負債」については後に述 べます。 ルカの方が原型に近いとすれば、マタイは相当膨らんで いること になります。ルカの「父よ」がマタイでは「天におられ る私たちの父よ」とな ります。マタイ6:10後半「御心がますように、天におけるように地の上にも」はマ タイの加筆と なります。マタイ13:後半「悪い者から救ってください」も加 筆。 聖書本文から除外されていますが、「国とちからと栄と は限りなく汝のものなれは ゙なり」は、マタイ福音書後の教会 の加筆だとされます。 学者たちの研究によれ ば、「主の祈り」 の原型は、当時 のユダヤ教の比較的短い「カディシュの祈 り」であり、これは 旧約聖書に出てくる祈祷文を寄せ集めた長い「十八の祈祷 文」 をコンパクトにしたものと言われます。短いカディシュは それぞれの生活の 中で、十八の祈祷文はユダヤ教の儀礼 の中で、敬虔なユダヤ人たちには慣 れ親しんでいたもので す。しかし、それらは明らかにイエスが共にした群衆、 その 象徴のように登場する「罪人」「取税人」「娼婦」たちには別 世界の祈りだっ たことでしょう。ではこれらの群衆向けに、 「カディシュの祈り」よりさら に簡単な祈り=「主の祈り」を作 って教えたのでしょうか。そうとは言いきれない と思います。マタイの場合、原型では「父よ」(学者によるとアラム語「ア ッハ ゚」、小さな子が父親を呼びかけるとき使っていた)では不 満だったか、 「天におられる我らの」を付加、ユダヤ教の儀 礼的な祈りに戻してしまったと言 わざるを得ません。残念な ことですが、イエス死後の教会は総じて、キリ スト告白の中 で、〈教え〉や〈典礼〉重視へと方向転換していき、イエス直 伝の 「主の祈り」もその傾向の中で保存されるよりなかったこ とを表しています。 イ エスへの信を共にする群れにとって、イエスの言葉を人から人へ引き継いでいくこ との大切さはよくわかります。教 会として立つ以上「教え」とか「儀礼的なもの」 と全く無関係 に存在できないと思います。「主の祈り」を覚えたいという人 が あれば喜んで「教え」ましょうといい、一緒に祈りたいという 人があれば、 感謝して一緒に祈ります。だからと言って、教 えや儀礼を一方的な権威の下に再 編成しようというのであ れば、それは違うと言おうと思います。イエスはその ような 「主の祈り」の用い方、祈り方を教えたのではないでしょう。 ルカのよ うな設定で弟子が祈りを教えてくださいと願った 時、イエスはやや不承不承 に、できるだけ淡白に短く、誤解 のしようがない祈りを提案してみたという ことでしょうか。その 意味では、マタイのこだわりには苦笑い、後の「国と ちからと 栄えとは...」とベートーヴェンなみの後奏をつけられると恐 縮しなか ゙ら、「ちょっと違うんだけどなあ」と言ったとこでしょうか。でも翻って 考えるなら、これらすべて結局キリスト教が負 うよりない負荷なのでしょう。 「喜んで」とは言いにくいです が、受け取って参りたいと思います。
7月18日の礼拝に向けてルカ福音書11章1~13節「祈る時には」その1 久保田文貞 先月6月22日に桑原重夫牧師が亡くなられました。95歳 でした。1969年万博問題 以来の教団問題に批判的にかか わった人々のリーダーでした。運動面だけて ゙なく、聖書を読 む方法という点でたくさんの示唆を与えてくれました。私の 聖 書解釈の方法も桑原先生から大いに影響を受けました。その解釈方法は次のようなも のです。・・・聖書諸伝承・諸文 書の伝え手、受け手たち自身が、固有の歴史・ 社会の中を 生きている。イエス自身も、彼に従った者たちも、イエス死 後の彼を信 じる人も、その群れも、それぞれの言葉が聖書 の中に残っているが、それ ら自身が互いに対話し、時に論 争し解釈している。私たちが聖書を読むとき、 実は私たちそ の中に入っていくことになる。時代も言語も環境も違うので、 対話 には限界があるが、2000年にわたって人間を引き付け きた聖書の言葉と対話し、 自分の理解、その立ち位置、信 仰、考え方、生き方を見つめなおしてみようと。私 は桑原先 生の言葉を受け止めてきました。そこには正解はない。読 み手、聞き手、 諸教会自体も、それぞれ自分でつかみ取る よりない。えてして教会は伝統的な 権威ある解釈を掲げ、そ れを信仰告白文などにまとめて、信徒たちを教育しま した。 それは教会の思い上がりだろう。かといってそれぞれが勝 手に読め ばよいということにもならない。大切なことは、他者 の読みとそこに生まれるそ の人なりの解釈に耳を傾け、自 分の読みをそこにぶつけ対話する。そして今を生 きる他者 の在り方と自分のあり方を交差させることだと。 これは大変だと思わ れるかもしれませんが、イエスご自 身、弟子たち、彼に従った彼女ら、彼ら、 十字架を目撃ある いは同時代的に見聞した者たち、そしてイエスの死後現れ た信仰 者たちのグループ、諸教会、新約文書の著者たち、 桑原的に言えば、それそ ゙れ固有な歴史的現実を抱えて、 互いにやり取りした結果のそれぞれであり、ク ゙ループであ り、諸文書の書き手ということになります。けれども宗教の厄 介なことは、昔も今も自分こそ真理の理解者だと主張する 者が現れることで す。桑原先生のすごいところは、粘り強く 彼らと対話を続けたことだった思い ます。 さて、ルカ11章冒頭の「祈り」についてですが、ここに聖 書、とりわけ 福音書の成り立ちがよく見えます。まず生前の イエスが教えた短い「祈り」か ゙後の教会で「主の祈り」として 広まっていた。でもそれをいつどのような 目的で教えられた かはもうわからない。福音書の改訂版を作ろうとしたルカは と ゙の時点で何のためにそれが教えられたか決定する。これ 自体が相当な権威 を自覚しての編集作業になります。もちろんルカがそうできるのは彼自身もまた、 彼が属する群れの中で教える人になっているからでしょう。こういう時の言葉 の 向きは、上から下へ滴り落ちていくものです。師から弟子へ の流れです。確 かにイエスが弟子に向き合って語るときは そうような図になっています。でも 伝承されたイエスの言葉 のはしばしには、それとは別の言葉の向きが存在しま す。 例えば、今日の箇所で言えば、「主の祈り」の弟子への伝授 の後に、い くつかの「イエスの譬え」伝承がつなげられてい ます。つなげたのは編集者 ルカの手によります。しかし、5~ 8節「助けを求める友人」を見てください。ある 人のところへ 夜、旅先の友人が転がり込んできた。ほとんど金も持たず 家 を出て苦しい旅をするよりない友人A。その友人を招き入れ る友人B、彼も友人A を受け入れたが明日のパンがない、 困った。もう真夜中だけど友人Cのと ころに言って「友よ、パ ンを三つ貸してくださいと、頼むことにした。Cは迷惑 顔をし たがBがしきりに頼むのでパンを貸してやったという話で す。ル カはこの伝承を次の「イエスの言葉」9節以下「求め よ。探せ。門をたたけ」の前に 置きました。 イエスが「助けを求める友人」の譬えを語ったとき誰が聞 いてい たのか気になります。この譬えの聞き手たちはまさに AやBのような明日の食べ物 もない連中、Cのようにやっと 自分の家族のためにパンを確保しておいたのだか ゙、それを 貸してしまうような連中にちがいないと思えないでしょうか。 イエ スは高尚な祈り論を長々と語ったり書いたりしたわけ ではない。正確を期して自 分の思想を文章の形で残してお こうと思えばまったく不可能だったとは思え ません。でも、そ うしなかった。誤解されようと曲解されようと優雅な宗教画の 中にはめ込まれようと、自分の前にいるAやBやCのような 連中に直接語っておきたい ことを語る。生活の中でどうして も必要なものがないときに「求めなさい。 そうすれば与えられ るだろう」と語りかける。それが祈りだとするなら、 祈りをそう いうレベルのものとしてしか語らない。私はそういうイエスの 意固地 な基本姿勢をここに見る気がします。 ルカは、曲解したとは言いませんが、話 を美しくしている と思います。翻訳の問題ですが、「ある人が旅行中」なん て 訳すと、観光旅行かと勘違いしかねない。そんな人が夜や ってきたら、明日の パンどころか真っ先に感染のリスクを心 配しかねないのが今の私たちの現状て ゙す。イエスの言葉か ら汗っ臭さ、泥臭さをぬぐい取って、高尚な祈り論にず らし ていくとすれば、著者ルカに似たことをすることになるでしょ う。イエス が語り掛けているのは、美しい宗教心をちょっと持 っているあなたではなく、 人の言葉を聞き、語りかけ、汗して 動き回るあなたでしょう。
7月11日の礼拝に向けてルカによる福音書 22章54~62節「振り向いたイエス」 板垣弘毅 お前は、「イエスのまなざし」とよく言うけれど、その「まなざし」というこ とがよく分からない、フランスの哲学者の言葉 で言えばこういうことか?なと ゙と聞かれたことがあります。 たぶん「まなざし」は言葉にできないことて ゙、誤解、曲解も あるあいまいなものでもありますが、ある「あいまいさ」て ゙しか 共有できない深さもあります。「目が合った」ということは瞬間にお互 い分かりますね。見て いる・見られている、相手のまなざしのなかで自分を見 てし まう、ちょっと不思議な瞬間だと思います。... 聖書は至るところでまなさ ゙しのできごとが記されていま す。きっともっとも印象的なのはきょうのと ころではないかと、 わたしは思っています。大祭司の庭で、裁判にかけらてい るイエスを、ペトロが三度、「知らない」と否認する場面です。 同じルカ 福音書22章には、数時間前に弟子たちとのいわ ゆる最後の晩餐があり、この席て ゙イエスは、弟子が自分を裏 切ることを予告しています。 ペトロはその時「主 よ、ご一緒なら牢に入っても死んでも よいと覚悟しています」と決意表明まて ゙します。 4つの福音書がそれぞれ詳しく報告していますが、そのこ とに関 しては週報上では省略します。 いったんは逃げた ものの、暗闇に紛れて見守っ ていたのでしょう。ペトロは真 夜中の大祭司邸の中庭に入り込みます。 22:56 するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っ ているのを目にして、し ゙っと見つめ、「この人も一緒にいまし た」と言った。 22:57しかし、ペトロは それを打ち消して、「わ たしはあの人を知らない」と言った。 22:58少したってか ら ... ペトロは三度、イエスを知らないと言ってしまいます。数時 間前の意志か ゙現実に裏切られています。22:60...まだこう言 い終わらないうちに、突然鶏か ゙鳴いた。 22:61主は振り向 いてペトロを見つめられた。ペトロは...主の言葉 を思い出し た。 22:62そして外に出て、激しく泣いた。 もともと新約聖書はイエス という存在への<信頼>で成り 立っています。イエス・キリストの「できごと」 に関わらせられ た人々の証言記録です。つまりイエスはキリスト(救い主)で あ るという告白の文書です。イエスは振り向いて否認するペ トロを見つめられた というのは、ルカだけのものですが、著 者ルカのイエスへの信仰告白の表現た ゙ったのだと思えま す。(そういう文書の性格を削って、歴史的なイエスまた教 会のありようを追求する読み方もあるわけです) イエスと出会った信頼や希望が 「信仰告白の言葉」として 固まり、やがて教義(ドグマ)になって、やがて 教義を受けいれることが信仰、ということになる人もいるでしょう。言葉にな るまえに、これら最初の教会の信徒たちの心に起こったこと を、私は、イエスの 「まなざしのできごと」と言いたいわけで す。 もともと「キリスト」とい う告白の言葉はユダヤ教のメシアか ら来ています。人々はイエスの「できご と」を当時の歴史や 社会の背景からキリストと告白しました。しかしイエスのまな ざしのなかで、この方こそキリストだ!と告白した「できごと」 そのもの は、時代と場所、民族を越えていると私は信じま す。あの日、ユダヤ教の最高 法院での裁判中、大祭司邸の 中庭で、たき火にあたるペトロに起こったで きごともその一 つです。「振り向いたイエス」はマルコにもマタイにもありま せんが、ルカが伝えたかったのは、イエスとペトロの視線が 交わって、こ のイエスの視線のなかで一つの取り替えが起こ ったことです。 出会った当事 者たちは、そのころの世の中の仕組みでは 被差別者であったり、格差の底辺近 くにいた人のようです。 私たちのような住むところや生活が安定している人間て ゙は ありません。その人たちがイエスの目の中では認められてい ます。自分の 立っているところにイエスが入ってきたという発 見をします。禅や浄土系の境地 や信心でも、自己が取り替 えられる地平が語られています。キリスト信徒は イエス・キリ ストのまなざしのできごとからのみ、同様のことを発見するの でしょう。過去・現在・未来に変わらないまなざしです。 横道になりますか ゙『おらおらでひとりいぐも』(若竹千佐 子)という小説があります。桃子さ んという70代半ば、岩手 県のある町でひとり暮らしをする女性の物語で す。...... 東北弁の物語がたどり着くのは、ふるさとの八角山が自 分を、自 分たちを「まぶる」、見守る、まなざしているという境 地なのです。 「主の 祈り」には「御心が天で行われているように地にも行わ れますように」という 部分があります。これは具体的には、イ エスのように生きられるますように、と いう祈願です。私の言 い方ではイエスの比喩を生きる、ということになります。 神の御心は誰も語れませんから、イエスのまなざしに出 会った人が、その比喩 として一つしかない自分をを生きるほ かないのだと思います。きょうのペトロ も、イエスのまなざしの なかで自分を発見するのです。...'(全文は板垣まて ゙)
7月4日の礼拝に向けて ルカ福音書10章38~42節 「良い方を選んだ」 久保田文貞 前回のルカ10:25以下「善いサマリヤ人」の箇所もそう だったのですが、ル カ福音書の粗筋から言うと、9章51 節「イエスは、天にあげられる時期が近付く と、エルサ レムに向かう決意を固められた。」とあるように、基本 的にこの時点か らエルサレムへの旅の中のことになり ます。「決意」と言っているように、そこに はこれまでと 違う一種の緊張があると言えましょう。「では、わたし の隣人 とはだれですか」という律法学者の問いに、逆に 「誰が襲われた人の隣人と なったか」とイエスが問い返 し、そもそも隣人とは何だったのか、という問い の前に 立たされます。 38節以下、一行は、ある村でマルタという女性の家に 迎 え入れられます。そこにマリアという姉妹がいまし た。ヨハネ福音書11章、ラサ ゙ロの姉妹マルタとマリアの ことだなと誰もが思うでしょう。関連がある のは確か ですが、ラザロの死と復活のことはこちらにはありま せん。ここて ゙はルカに書かれた物語だけにしぼって読 み進めたいと思います。さて、二人 姉妹の家にイエスが招かれて接待を受け ている図になります。弟子ら一行は同席 していたのか 気になります。これを題材にした聖書画の多くは、同行 した男女らも この家に入り込んでいて、ピーター・ア ールツェンなどの絵では、15,6人 が集う濃密な宴にな っています。イエスとマルタ、マリアの内輪話など吹っ 飛 んでいます。ただ、フェルメールなど数点の絵が、こ の3人だけの絵になっ ていて、給仕しているマルタが、妹のマリアが手伝ってくれないので...と、 小言を言っ ているのが感じられる絵になっています。 いずれにせよ、ルカか ゙取り上げている伝承では、3人 だけの会話になっています。さて、福音書に はイエスが食事の席に招かれる設定が何度か出てきますが、特定 の家族、そ れも姉妹の家に迎え入れられ接待を受ける という設定はほかに見られません。この 設定は、家族の 中で、イエスはなにものか、ただの客か、いや父の代役か、い や真の父か、福音書の読者も判断を迫られること になります。姉妹二人というのは 男の私には想像を超 えたある種の緊密さが感じられます。二人の間に入っ ての 会話になります。マルタが台所でせわしく働き、マリアはイエスの足元で話に 聞きいっている。すると、「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせて いますが、何ともお思いになりませんか。おっしゃって ください」とマルタか ゙言う。主は「マルタ、マルタ、あな たは多くのことに思い悩み、心を乱している。 しかし、 必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を 選んだ。そ れを取り上げてはならない。」 この話は教会の中で読まれると、とてもリアル な感 じになります。日曜の礼拝が終わった後、お茶の時間や ときには食卓を囲 むことになったりする。するとどう したって台所で給仕する「婦人」が出て くる。同時にむ こうで話をしている人たちがある。その話に加わる「女 性」た ちがいる。「婦人」としてはちょっと「あなたたち も手伝って」と言いたくなる。 でも、この聖書の個所が 頭に浮かんで、その声を押し殺してしまうと。ほと んど 動かない「男」の私にそんな風景を切り取って批評する 資格もない、「黙っ てなさい」と言われるかもしれませ ん。でも知らず知らずのうちに教会の内 に「婦人」とか 「女性」とか、口先ばかりの「男」とか、変なカテゴリーが 生まれてくる。当然ですが、1980年代から教団の教会で も性役割ジェンタ ゙ーの問題として正面から向き合おう という声があがっていきました。この物 語は、ひとつの 教材になったと言えます。 〈家族の中で女性の役割とは何なの か〉、こんな平板 なセリフで問題が見えてこないでしょう。現代社会で 家 族とは、その中での女性役割とは、男役割とは、そも そも家族って何だろう、 社会では家族とは別の性役割 がどうなっているのか、そして教会では。そ んな議論を する集会や報告書、出版物がでてきて、広く議論がなされました。 たまたま私は、その委員会の中にいて、いろ いろな考えを聞くことができまし た。貴重な体験だっ たと思います。 でも、大事なことは、それぞれの生活の 場で、家族の 間で、親しい数人の人間関係の中で、互いに人の話を聞 き、そ れぞれが考え、自分で決めていくことでしょう。 イエスは言われるでしょ う。「必要なことはただ一つだ けである。自分にとって良い方を選べば よいのだ」と。 その関係が姉妹にしろ、家族にしろ、夫婦にしろ、基本 は変わ らない。それが友人同士にしろ、ホームにしろ、 職場にしろ、学校にしろ、変わ らない。その中にイエス がいて、マルタのような小言も聞いていくださる。マ リ アのようなあり方の背中も押してくださるということ でしょう。
6月27日の礼拝に向けて ルカ福音書10章25~37節 「手をさしのべる」 久保田文貞 有名な良きサマリア人の譬え話のところになります。29節 までは話の枕になりま す。ある律法の専門家、(=律法学 者)が現れ、イエスに質問します。「先生、何を したら、永遠 の命を受け継ぐことができるかでしょうか」。マルコ10章17 節 以下「富める青年」の物語と同根の伝承をルカが用いてい るのがわかります。 マルコの方ではイエスが青年に、十戒の 後半の6項目を実践せよと答える形になっ ていますが、ルカ の方では質問した律法学者自らがが「心を尽くし、精神 を尽 くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛 しなさい、ま た隣人を自分のように愛しなさい」と答えていま す。どちらも、ユダヤ教徒か ゙子供のころから叩き込まれてい る信仰箇条のようなもの(申命記6:4とレビ記 19:18)、律法の基本であり、常識。でも、ばかにできない。神が人に分か ち与えてくれた命、恵みへの、唯一人としてできる感謝の応 答、それが〈神を 愛する〉ということであり、〈人が互いに愛し 合う〉に尽きるということ。余 分なものを含まない、模範解答 というべきでしょう。 マルコの方からも補って 言うと、律法学者としては、〈そん なことはわかっています。子どもの時からす ゙っと念じてきまし た。お聞きしたいのはその次のことです。わたしの隣人と は だれかということです〉と。傲慢と言えば傲慢かもしれない が、ルカて ゙は彼の態度を「自己を正当化しようとして」いると みなしますが、私には彼の 問いは真剣なものに見えます。 〈これまで真摯に律法に向き合って試してきたけ れどもどう してもなにか足りない。神を愛するということではだれにも劣 らない自負がある。でも隣人を愛しなさいと言われ、ハタと 困ることがある。 確かにある隣人を愛しおおせたと思ったそ の瞬間、その隣人の向こうに自分の知ら ぬ人がいる。彼・彼 女も私の隣人になるのか。いやそんなことを言ったらきりか ゙ない。その人は自分の隣人ではないと切り捨ててみる。でも 後味が悪い。 いや後味なんてものではない。結局、自分の 気に入った隣人しか愛したことになっ ていない。それは単な る自己愛の一変形でしかないのではないか。隣人とはた ゙れ か。〉 彼の問いは真剣なものです。自己正当か、自己愛の壁 に、彼なりにふ ゙つかって、イエスに問いを発しているということを認めたいと思います。 この問 いに応えるイエスの譬え話は実に明快です。ちょ っとだけ解説を入れますが、 不要かもしれません。 エルサレムとエリコを結ぶ街道は山地エルサレムとヨルタ ゙ ン河畔地区を結ぶ主街道。ある人が運悪く追いはぎに遭っ て瀕死の状態に なる。ある人の人となりは何の情報もない が、ユダヤ人であることは間違い ない。強盗が狙うくらいだ から、それなりの身支度をした裕福そうな人と、ヨ ミを入れて もいいだろう。とすれば、ユダヤ人にとっては、まごうことな き 「隣人」となるべき人だ。そこを祭司とレビ人が通りかかる。 二人とも 「その人を見ると、道の向こう側を通って行った。」と いう。多分これから神殿礼 拝の務めを果たそうというのだろ う。道端の行き倒れに触れて身を汚すわけには いかないと いうわけだ。神殿の祭司やレビ人なんてそんなものだと、一 般人 には当てにもされないかもしれない。そういうわけで彼 を助けるべきは一般ユタ ゙ヤ人だ。だが、彼を隣人として助け るべきユダヤ人は現れないで、 サマリヤ人が現れ、彼に手 当をし宿まで運び介抱した。次の日には宿の主人 に金を渡 して介抱を委ね、足らなかったら帰りに支払うと約束する。 サマリヤ人と は、700年以上前にイスラエルに属していた が、アッシリヤに滅ぼされ人種混血 政策の被害に遭った人 々の末裔。その後の歴史の詳細は省くが、イエスの時代に は純潔を失った者たちとして、ユダヤ人から差別・排除され ていた。 イエスは問 います。「さて、あなたはこの三人の中で、だ れが追いはぎに襲われた人 の隣人になったと思うか。」 答 えは間違えようがありません。三人目のサマリヤ 人です。で も彼は、ユダヤ人にとっての隣人から外された人間です。本 来、 隣人になりえないサマリヤ人が彼の隣人になるというわ けで、事態は深刻で す。ユダヤ人が当然と思っていたユダ ヤ人性が壊される形で隣人たりえ ない別の隣人が立ち現れ ることになります。 聖書で隣人と訳されている語は、 新約のギリシャ語 ではプレーシオンですが、「近くに」という副詞に冠 詞 をつけた語です。それはおもに旧約のヘブル語レーア の訳語です。レーア というとヨブ記で3人の友人が出て きますが、この友人がレーアです。 旧約的には隣人とは 共同体内の仲間、友人です。イエスがここで提出する隣 人概念はそれを底からひっくり返すようなものです。 律法学者がぶつかった 問いは、自分にとって隣人と は誰かという問いでした。それは自分が愛すべ き人を どうやって探しだし、愛を全うできるかという自分発 の、自分の力を 信じての、問いでした。イエスが差し出 した問いは、その前提を取り外した ところで出会う別 のいのちということになりましょうか。
6月20日の礼拝に向けて ルカによる福音書 4章16-30節「記憶の彼方から」 八木かおり イエスの活動が、 故郷ナザレでは受け入れられなかったと いうテーマの似たエピソードは、 他のマルコとマタイにもありま す。しかし、他と比較すると、内容がより具体的 な記述になっ ていること、またこの出来事が、イエスの宣教活動開始の冒頭 部分 に置かれていることが、ルカの記事の特徴です。 またルカは、イエスの誕生の 次第を語るよりも前に、後に彼 が洗礼を受けることになる洗礼者ヨハネとの関係 を示すため、 その父ザカリア(アビヤ組の祭司)と母エリザベトの話から物 語 を始めています。エリザベトは、アロン家出身でイエスの母マリ アはその 親類とされており、天使ガブリエルから懐妊の知らせ を受けたマリアが、カ ゙リラヤのナザレからはるばるユダの町まで 訪ねていったのはこの人で す。そして、マリアはダビデ家のヨ セフのいいなづけだったわけです から、ルカの物語によれば、 ヨハネもイエスも当時のユダヤにおいては、それ なりのおうち の出身だったという話になっています(1章)。 ところが。ヨハネ はヨルダン川で悔い改めの洗礼を授けると いう活動を始めますし、イエスも家 出して、洗礼を受けてしまう し。ルカ(とマルコ)は、それらが神の意志によるも のだというこ とを、多くの人々の祝福、加えて預言者の言葉、はては系図ま で を引き合いに出して説明していますが、起きたことを考えて みれば、それはユタ ゙ヤの体制側から観れば反逆行為に等し い、そういうことだったでしょう。 事実、ヨハネはガリラヤ領主ヘ ロデの結婚を批判したことで投獄されていま す(後にヨハネが 処刑された次第についてはマルコやマタイの方が詳しい。マ ルコ6:14-29、マタイ14:1-12)また、イエスが宣教活動を始め たのが30歳なら、 ヨハネもほぼ似た年齢となり、「若気の至り」 にしても、二人は状況を見極めた うえで、それを選ばざるをえ なかったという覚悟の行動だったはずで す(3章)。 洗礼を受けたイエスは、荒れ野での試練の後に独自の活 動をガリラ ヤで開始しました(マルコとマタイによれば、ヨハネ が捕らえられた後。マル コ1:14-15、マタイ4:12-17)。そしてル カによれば、諸会堂をめぐって教えつつ 間もなくナザレに帰 郷した時の話が、本日のエピソードです。 イエスは、 「いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗 読しようとして」立ち、彼に「預 言者イザヤの巻物が渡され」まし た。このとき、イエスが目を留めて朗読し た箇所はイザヤ書61 章の冒頭部分で、これは新バビロニア王国によって南 王国ユ ダが滅ぼされた後、捕囚民となっていたユダヤの民に解放を 告げ たものだと考えられています。バビロン捕囚からの解放 は、ユダヤの人々 にとっては、決定的な神による「救済の記 憶」でした。バビロン捕囚とそこ からの解放という経験こそが、 ユダヤの民が「神の民」として再起すること を結果的に可能と しましたし、またイエスの時代の多くの人々は、彼らにとっての 救済をもたらすメシアと「神の国」の到来を待望していました。 なので、イエス の聖書の言葉が実現したという宣言は、彼らに とってはまさしく希っていたことて ゙あり、むしろ「そうなるはずの こと」でした。ところが、宣言した当の本 人のことをナザレの人 々はよく知っていました。そうなると話は別で、「ヨセ フの子じゃ ないか」(家出してどこかに行ったと思っていたら、帰ってくる な りでかい口をたたきやがって、ということでしょうか)。それに イエスは追い 打ちをかけます。相手の退路をたってしまいす。 まさしく決別宣言です。最初に、 この場面の記述は、ルカが一 番具体的だと申し上げました。つまり、ルカは 具体的に記述す ることで、この件に関する独自の解釈を展開していることになり ます。それをざくっと要約すると、「ナザレの人々(同郷のユダ ヤの民、ひい てはユダヤ人全体を指す?)は、自分たちのた めだけにイエスが<役に立つ>こ とを願うかもしれないが、(預 言者エリヤやエリシャの場合のように)それは神の 意志ではな い」ということではないでしょうか。ルカにとっては「イエスを キリ ストだと信じる貧しくされている人々」こそが「神によって選ば れ、 救われる人々」でした。それは同時に、60年代にローマに 対して反乱を起こした ユダヤ人たちには、イエスは当初から命 を狙われていたし、結局処刑したのはユタ ゙ヤ教の最高法院と 支持者たちでしたから、イエスとその弟子たちはそれとは異 な る存在で、ローマが危険視するようなことではなかったのです よーとの ルカのアピールの一環となっているように思えます。 ルカの「イエスと故郷の人々 の断絶」の物語は、ルカにとって は救済のための報告だったのでしょう。エシ ゙プト脱出の物語 が、またバビロンからの解放がユダヤ人にとっての 「救済の記 憶」となったように(エジプトやバビロンの人にはそうではな か ったように)。ただ、それをそのまま鵜呑みにするわけにはいか ないのが、 わたしたちです。 現代のわたしたちは、ユダヤ教から分裂したキリスト教が 保 持した当初の確執が、その後変化してヨーロッパでのユダヤ 教徒弾圧の 口実とされたこと、またキリスト教内部における搾 取と弾圧、排除と殺戮の歴史か ら現在のイスラエルの状況含 め、聖書に関わる者としてどう考えるかについては 責任がある と思います。イエス本人が彼自身の生を生きるなかで願ってい た ことは何か、本人は何も書いてないので、本当のことは分か りません。ただわ たしたちにできるのは、証言から時空を超え て推測されることから考え、お互い の思いを共有することくらい でしょうか(歴史的にはそれにも膨大な蓄積がある わけなので 気が遠くなりますが)。けれど、そこにおいてわたしたちは、知 らないことも知っていることも、限界があることも了解しつつ、そ のどちらか らも、それこそ「記憶の彼方から」呼びかけられ、ま た問われているのだと思 います。それが、何よりもそれぞれの 小さな日常を、迷ったりも大切にしなか ゙らもの未来への歩みを 支えてくれるものとなるのだとすれば、それは、神に よって与え られる自由と解放への願いと重ねることができるのではないで しょうか。そんな幸いが、わたしたちには開かれているのでは ないでしょう か。
6月13日の礼拝 マルコ福音書10章17~22節 「従う人、立ち去る人」 久保田文貞 この話は三つの共観書に出てきます。登場人物は、最初 に書かれた福 音書マルコ版では、「ある人」ですが、物語の 最後22節に「たくさんの資産 を持っていた」と言われます。 そしてそのことが、イエスに従うことができ なかった理由のよ うに書かれています。マタイ版はその人物を「青年」に修 正、ル カ版では「議員」に、いずれにせよイエスに付き従っ た人々の中にはほとんと ゙見かけないタイプの人です。彼は イエスに「走り寄って」くるなり、「ひさ ゙まずいて尋ねた」。この 登場の仕方が気になります。それは、なにかを振り 切り、一 大決心をしてイエスに問いかけたことを思わせます。「善い 先生、永遠の 命を受け継ぐには、何をすればよいでしょう か」 いきなりのクソまじめな 質問。しかしあまりにも肩に力 が入りすぎている。イエスの対応は「なぜ、 わたしを『善い』と いうのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。」 と、まずその呼び方にダメ出しをします。確かに、私らの感 覚で言えば、 「先生」と普通に呼びかければいいものを、そ れに「善い」をつけること自体か ゙、先生を評価していることに なり、生意気ですよね。マタイ版は、このブレ を抹消して「先 生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいので しょうか」と修正しました。マルコ版だと、腰は低くしているの だけれども、 「永遠の命に得るため何をすべきか議論いたし ましょう」と言わんばかりなのて ゙す。「どうです。この問い自体 がすでに答えになっていないでしょう か。」と。この後の展開 は多少の温度差はあるものの、マルコ、マタイ、ルカで、 違 いはありません。とにかくイエスが一番大切な律法の核心― ―ただしヤハウェ 信仰の真髄ともいうべき十戒の1から4で はなく、後半の5から10の実践編――を提 示して見せると、 「先生、そういうことはみな、子どもの時から守ってきました」 と(確かにマタイはこんなことを言うのは生真面目な「青年」 とみたのでしょう。 私も同意して以後「青年」としておきま す)、イエスとしては予想していた通りの、 まっすぐな答え に、「彼を見つめ、慈しんで言われた」と。この「慈しむ」、 原 語では「愛する」アガパエインが使われています。ここでは 青年の生 真面目さに苦笑いというか、でも哀れを誘われ、 彼を慈しんだというところて ゙しょう。ここで、もし彼の感が良け れば、このイエスの「慈しみ」の表情 をみて、「しまった」と感 じるところでしょう。そしてイエスがちょっと表 情を変えて、語 り始めた言葉の一言一言で自分の心をなぞっていくことが て ゙きたでしょう。「あなた(=わたし)に欠けているものが一つ ある。言って持っ ているものを売り払い、貧しい人々に施し なさい。」 青年にはわかっていたので す。「善い先生、永遠の命を 受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」と 尋ねた時から、 自分は何をすればよいのかわかっていたし、それで自分は 何か ゙できないのかもわかっていたと思います。先生はすべ てをお見通しだ。最 後に踏み出すべき一歩が踏み出せな い自分を、その先生はやさしく見つめて、 「ほら踏み出して ごらん」と見守ってくれている。でも、結局、青年は踏み出 さ なかった。「その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら 立ち去った。たく さんの財産を持っていたからである。」 彼 の動きを重くしていたのは、財産だっ たのだと、しかし、これ は納得できるようで納得できない説明です。財 産が多きけ れば貧しい人への施しが大きくなるだけのこと、施しをしな い 理由にはならないからです。 子どもの時から大人や先生の言いつけをしっかり 守り、い い子をしてきた彼が、どうして最後の一歩の踏み出しができ ない のか、どうしてイエスに従っていけないのか、満足のい く理由はどこにもない。 決断して一歩を踏み出すには、身を 軽くしていないといけないのか、そういうこと なのでしょうか。 実は、この物語の最初「イエスが旅に出ようとされると」と いう著者マルコの編集句があります。「旅」と訳されているの は原語では単純 に「道」ホドスです。でもここを旅と訳したの には、それなりの理由があ ります。この物語を31節まで「イ エスに従う者は」とでもいうべきテーマて ゙つながっています。 その後を受けて「一行がエルサレムへ登っていく途中、 イエ スは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たち は驚き、従う者た ちは恐れた」とあります。そして三度目の受 難予告になります。要するに形の上て ゙9章16節までが一応 ガリラヤで群衆たちとともにあり、体や心の病で生 活が破綻 しかかっている人々の生活を立て直し、排除された人々と すすんで食 事をし、人々の相談にのり勧めをし、人々の求 めに応えるような社会活動がもと になっている伝承群で成り 立っています。その後、イエスはエルサレムに向かっ ていく 歩みは、人を寄せ付けない凛としたものがあった。彼に従っ ていくには、 まさに9章23~31節のような捨てて従う覚悟が なくてならぬと、つまりガリラヤ のイエスとエルサレムのイエス の境界線がここなのです。その境界線を、「子 供の時から守 ってきました。これからもそのつながりの中で歩みつづけ、 越 えて行けるでしょうか」 青年の声はそんなふうに聞こえ ます。青年を慈しみなか ゙らも、NOとその青年をイエスは追い 返すのです。私はもうすぐ㐂寿になりま すが、この物語を読 むと今でもこの青年のように動けなくなりそうな自分を感し ゙ま す。みなさんはいかがですか。
6月6日の礼拝に向けて ヤコブ書2章12~19節 「信じるは行動」 久保田文貞 ヤコブ書を読み進めていくと、例えば今日読んだ2章の1 4節「わ たしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者 がいても、行いが伴わなけ れば、何の役に立つでしょうか。 そのような信仰が、彼を救うことがで きるでしょうか。」という 言葉にぶつかります。誰が読んでも、つぎの ようなパウロの 言葉と逆のことが言われているのがわかります。ロマ書3章2 8「わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるの ではなく、信仰によ ると考えるからです。」(ほかにガラテア2 章15節以下など)。ヤコブ書のそ れは、いわゆる信仰義認 論に対して真っ向から挑戦するような言葉です。 ご存 じのように、ルターの宗教改革運動は、免罪符(贖宥 状)頒布への批判から始まり ました。ルターはカトリック教会 の伝統と権威に対抗する時の橋頭保として、上に あげたパ ウロの信仰義認論をかかげ、それがプロテスタント教会の旗 印 になりました。ヤコブ書はどうひっくり返しても、信仰義認 論への直截の反対 になります。聖書にはほかにいくらでも 理屈の上で矛盾する事柄が出てきま すが、神のスケールの 大きい救済に小さなこととして無視されてきました。けれと ゙ も、信仰義認と行為義認の齟齬をルターは無視できなかっ た。それで、ヤコ ブ書を「藁の書」と呼び、事実上新約正典 から排除しようとしたのです。 こ の対立図式は、わかりやすい理屈ですからプロテスタ ント神学のABCのようになっ ています。不完全な人間が神 の義へといたる道は、人間の力では拓けない。人か ゙義とさ れる=罪が許されるのは、主イエス・キリストを信じる信仰に よって のみ、ここを譲ったらキリスト教信仰の根底が崩れてし まうというわけです。 しつこいようですが、もう少し言わせてください。キリストを 信じるとは、 かつてのパウロのように、あるいはパリサイ人の ように、律法規定を能う限り 守りつくして義を手に入れようと する人間の自力の手段をすべて放棄しなくては かなわな い。いや人間にもその神の救済のわざに少しは協力できる ものがあ るんじゃないかと、そこを弛めたとたん、協力者を 自負した人間が神の代理人 になりかねないのだ。ただ主を 信じる。それで十分なのだ。 でもヤコ ブ書の著者はからすれば、そこではいそうです かというわけにはいかない。 〈自分には何の力もない、ただキリストを信じるのみと言 い、そこで次のよ うな人間が現れ出る。その〈信〉に至れば あとは何でもできるし、逆に何 もできなくともよい。何を選ん でもよいし、何も選ばなくてもよい。一切か ゙神にゆだねられ、 ただ静かに待ち、そこで他人と出会い、ただただ黙々 と生き る。いっしょに生きる...。〉 となれば、なるほどすべてを放棄しすへ ゙てを受け入れる あなたの信仰は寸分の隙も無かろう。でもそうやってあなた は 見えなくなってしまったもの、いや見るのをやめて片づけ てしまったものがな いだろうか。ヤコブ書著者はこう言いま す。2章1節「わたしの兄弟たち、栄光 に満ちた、わたしたち の主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てして はなりま せん。」 「人を分け隔て...」という訳は、意訳。言語の雰囲気を重 んし ゙る田川役では「...イエス・キリストの信仰を、人を片寄り 見る仕方で保って はならぬ。」とします。田川ここで訳された 「人を片寄り見る仕方」は言語で は一語、田川によれば元 々パウロの造語、ヤコブ書著者はそれを使って、結 局パウ ロの信仰義認論に立つ者たちは、自分たちが人を顔で差 別していても 気が付かない。そこで自分が今だれに手を差 し伸べていないかが見え なくなっている。〈パウロに倣って 信仰義認を説くものたちよ、君たちはそうなっ ていないか。〉 というわけです。 2章4節以下「あなたがたは、自分たちの中て ゙差別をし、 誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありま せん か。...神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に 富ませ、御自身を愛する者 に約束された国を、受け継ぐ者 となさったではありませんか。だが、あな たがたは、貧しい人 を辱めた。富んでいる者たちこそ、あなたがたをひど い目に 遭わせ、裁判所へ引っ張って行くではありませんか。」 こうして言う。12 節田川訳で「自由の法によって裁かれる 者として、語り、また行うがよい。...こ のように信仰もまた、行 為をともわないとすれば、それ自体として死んでいる のであ る。」 これはルター的な信仰義認論の対立物として引き出され てきた行 為義認論ではありません。ヤコブ書著者は独特の 「自由な法」、人が生まれ ついて持っているロゴス(1章18以 下)論をもっています。人が「信じる」とい うことは、この「自由 なる法」「生得的なロゴス」とどう関係するかわからな いので すが、無関係ではないでしょう。信じるとは、生きること、行う こと、見ること、気づくことと分かちがたく結びついていることと言っている のかと思います。
5月30日の説教より イザヤ書6章1~8節 「言葉だけでも」 飯田義也 紀元前8世紀は、西暦による 紀元前800年から紀元前701 年までの100年間を指す世紀だそうです。一年経つ 毎に数 字が減るのでややこしいですね。なんと、紀元前776年7月 1日は記録 に残る最古の古代オリンピック第1回大会がギリ シアのオリンピアで開催 されたのだそうです。(タイムリーな 話題になりました。ネットでの情報を総 合すると、大金持ち の金稼ぎにスポーツ選手が利用されるだけという構図か ゙明 らかになり、怒りが湧いて仕方ありません。) イザヤ書の元になっている イザヤは、ウジヤ(前783-前742) ヨタム(前742-前735)アハズ(前735-前715)ヒ ゼキヤ(前71 5-前687)の時代を生きた預言者でした。もちろん古代の書 です から元になっている人物が書いたわけではなく、その 人の言行録の口伝を少し 後の人が書き記したものということ になります。 ウジヤ王は、ユダ、つまり イスラエルが南北に分裂してか らの南の国の王で、ダビデ王朝11代目と なり、その時代にイ ザヤは生きたのでした。 今日は、ペンテコステの次の週 「三位一体主日」といいま すが「派遣」が礼拝のテーマになっています。「あ なたはこう いうことを地域の皆さんに言ってきてください」なんていわれ て行動 する・・普通で考えると「操られている」感がありませ んか。大金持ちが自 分の銭稼ぎに都合よく「あなたたちは 全力でスポーツをしてください」・・ で、裏金をもらっていたり あり得ないような接待を受けていたり・・ そもそもモ ノとかこと・・ある言葉が語られたりするにはそ の前提があるわけです。コ ンテキスト(文脈)って言ったりし ます。 なんでわたしがここでこの教会の皆 さんに向けて話をして いるのだろうか、というのはいつも思うことです。北松 戸教会 のコンテキストでは わたしはやっぱり「よしやくん」なのでは?と思 いますし、聞 き手の皆さんの方がすでに神様に派遣された先で活躍して いま すし。もう一つの側面として、私自身、もはや伝統的な 意味での「キリスト教徒」 と言えるのかどうか・・言えないと思 います。 まさに「災いだ。わたしは滅ほ ゙される」という状況ではない ですか。 今回「言葉だけでも」と思ったこ とのひとつに「言葉の通じ 合わない世界」だと感じていることがあります。 「法の支配・人の支配」という記事を見つけたので少しご 紹介します。2019年3 月6日のことだったようですが、小西ひろゆき議員が安倍晋三(当時の)総理 大臣に質問をしまし た。「法の支配の対義語は?」2回聞いて答えられず・・ 広辞 苑第7版によれば「法の支配」とは「イギリスの法律家 コークが、国王は神と 法の下にあるべきであるとして、ジェ ームズ1世の王権を抑制して以来、 『人の支配』に対抗して 認められるようになった近代の政治原理」 小西議員「法の 支配の対義語は、憲法を習う大学の1年生 が、一番最初の初日に習うことですよ」 答えは「人の支配」 です。 今日の聖書の箇所は「ウジヤ王が死んだ年」と 始まりま す。支配者が代替わりする節目、ちなみに次の王はヨタム なのですか ゙・・紀元前八世紀はまさに「人の支配」の時代だ ったのでしょうか。 いやい や「神の支配」ということがかろうじてあったのかも知 れません。現代の用語て ゙の「法の支配」は、法律通り動こう よ、みたいなことではありません。権力を 持った人も「自分は このことに対しては誠実であるようにしよう」というような なん らかの「法」を心に持っていることが前提ですよということで す。 「ヘ ゚ンは剣よりも強し」という言葉は有名です。「先行して似 たような考えは様々 な形態で表現されてきたが、文章として は英国の作家エドワード・ブル ワー=リットンが1839年に発 表した歴史劇『リシュリューあるいは謀略 (Richelieu;Or the Conspiracy)』で作り出された」そうです。似た言葉という か 時間的にははるかに古く聖書にも言葉がありました。 「神の言葉は生きており、 力を発揮し、どんな両刃の剣よりも 鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほと ゙に刺し通して、 心の思いや考えを見分けることができるからです。」 (ヘフ ゙ライ人への手紙4章12節) ペンは剣よりも強し、しかし金には弱かった、という ような 現代社会。このどうしようもない世の中に対して神の怒りの 声を聴き立ち 上がるのがキリスト教徒なのでしょうか。革命 戦士にならなければならな いような話でしょうか。いわゆる 「パヨク」思想に収れんして行かざるを得 ないマインドコント ロール? それだと人間は、神様の目的のために手段化され てしま うようでもあります。 「尊厳」という本を読んでいたら飛び込んで きたのがエマ ニュエル・カントの「人間はいかなる時も目的でなければな ら ず手段にしてはならない」という言葉でした。神様は人間 を手段としない、一 人ひとりをかけがえのない者として愛し てくださる、というところに立てば、 明日からというより今日か ら神様によって打ち替えられて、神様の武器として立ち 上 がっていくのではないはずです。
5月23日の礼拝 使徒言行録2章1~13節 「聖霊降臨の出来事」 久保田文貞 今日は教会暦でいうペンテコステ、五旬節です。クリスマ ス、イー スターに次ぐ第三の祭りとなりますが、原始キリスト 教の中で2世紀に入って から広く祝われた祭りです。ほぼ50 年代に諸教会への手紙を残したパウロに は五旬節とはユダ ヤ教的な祭りの時としてちょこっと出てくる(Iコリ16:8)だけ、 要するに彼の時代にはペンテコステはほとんど存在しませ んでした。この祭 りは、80年代後半に使徒言行録を書いた ルカによって脚光を浴びせられます。キ リストが地上にやっ てきた「キリストの時」は十字架と死と復活により閉じら れる、 次にこのキリストを神の子・救い主と告白する「教会の時」が 始まる、い わゆるルカの救済史神学にとって、教会の誕生と 宣教の開始は漠然とそこここでし ゙んわり始まったものではな い。イエスの十字架の死と復活,昇天の事件を整理、 解釈 しきれないまま肩を寄せ合ってじっとしていた弟子たちはじ め、イエスに 従ってきた女たち男たちがいる。そこに「突 然」、これから何が起こるかだ れにも予測できないまま、なん の前触れもなく、「激しい風が吹いてくるよう な音が展から聞 こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして炎のような舌 か ゙分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。する と、一同は聖霊に満た され、霊が語らせるままに、ほかの国 々の言葉で話し出した。」とルカは書き 留めています。 原始エルサレム教会の誕生の瞬間が、かなり聖者伝説 的に脚色さ れています。ガリラヤで群衆に福音を語り、福音 の出来事の中心にいたイエス、 十字架上に死なれ三日目 に復活したと信じられたイエス、この人こそ神の子キリ スト、 主と告白する人々の集まりが生じ、その集まりがキリストの福 音をま だ知らない人々に宣べ伝え始める・・・。あるいは、こ との一切を最後まで 同伴して目撃することができなかったと しても、イエスに信頼することでは、 弟子たちにも引けを取ら ぬと自負する人々もいて、そんな人たちが合流して集ま りを 作り、イエスについての伝承を伝え合う。なぜこういうことが 起こったの か、それはいつからのことか、実際は漠然と、前 に書いたように「そこかしこでし ゙んわりと」、どこに中心がある でもなく、ガリラヤでも、エルサレム 近郊のベタニヤの村で も、山を下りたエリコの町でも、イエスに従っていっ た人々の 間で、集まりが複数できて言ったと思います。 ちょっとおせっかい なルカは、ペンテコステ物語をもっ て、そんなゆるんだ集まり状態をしっかり 結び付け、意味づ けようとしたのでしょう。60年ごろまでの原始教会の 史料は パウロの手紙だけです。きっとルカはパウロの宣教が「力と 聖霊 と強い革新とによっ」(Iテサ1:5)ていたことを知ってい たでしょう。また「主イ エス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊 の交わりとがあなた方一同にあるよう に」というパウロも使っ ている定式が当時のクリスチャンの間に広まっている ことを 当然知っていたでしょう。教会の誕生の物語を、神の力、聖 霊が始動す る時として描くのは当然のことだったでしょう。そ してルカは原始教会の歴史 をすべて聖霊の働きの歴史とし て描きます。エルサレム教会から始まって世界、 世界政治 の中心ローマに、福音が宣教されたというわけです。 ルカの時代まて ゙の教会の歴史としても、かなり強引な教 会史観です。キリスト教がローマの 国教となって諸信条が整 理され統一されていく、その後の正統主義キリスト教に とっ てもっとも歓迎すべき原始キリスト教史になっていきました。 でも、神の 力、聖霊を基本に据えて、イエスを信頼した人 々、教会の歴史を整理してしまうこ とは、同時にそこから端 数として切り落とした歴史を無視し、見殺しにすることに なり かねません。 私たちは、ここ一年半をかけて北松戸教会の資料整理を し、そ の歴史的な軌跡を書き留め、保存しておこうとして作 業してきました。小さな教会 のおよそ50年の歴史ですが、こ んな作業でもそれを書き留め跡付けていく時、 それがどうし てもそこここで端数のように切り捨ててしまうネガ的な作業 に なることを感じてしまいます。いっそそんな作業をしなけれ ば切り捨てない で済むとさえ思います。もちろん、そんなこと はない。歴史をきちんと整理しな ければ、それ以上の切り捨 てをすることになるでしょう。 では、どうすれ ばいいのでしょう。50年ばかりの北松戸教 会の歴史ですが、教会という 人の集まりの歴史を、どんなに 襟を正し、傲慢に陥らないようにし、責任をもっ て正直かつ 謙虚に整理し書き留めようとも、結局は不完全で、独りよが りな歴 史しか描けない、自虐的かもしれませんが、そんな壁 の前にやればやるほど 立たされている感がします。ああ、こ こでわが北松戸教会もまた、神の力、 聖霊の働きの中にし かありえなかったと告白し、荷を下ろすべきなのでしょう か。 私たちが想起できる歴史などたかが知れている。北松戸の 集会をわす ゙か一時通り過ぎた人も、何度も通った人も、この 集まりの人間関係の中でと ゙れほど得るものがあったか、ある いは裏切られたか、そして切り捨てられ、 無視されていくの か、どう頑張っても、私らは凡ての責任を取ることはできま せ ん。そう告白して神の力、聖霊の働きに託すよりないのでし ょうか。
5月16日の礼拝に向けて ルカ福音書12章35~40節 「目を覚ましてまつ」 久保田文貞 マルコ福音書をはじめ、パウロ書簡などに出てくる「目を さましていなさい」 (グレーゴレイテ)という語は、原始教会の 合言葉のようになっています。ずっ と後のキリスト教で、グレ ゴリオ聖歌で有名なローマ教皇グレゴリウ ス1世(在位590~ 604)の名の意味は、「目をさましている者」、神から託されて この 世を眠らず番している、まさにルカ12:42以下の「忠実 で賢い管理人(執事)」た ゙と言わんばかりです。 イエス自身が「目をさましていなさい」と言われた のは、受 難物語の一節、ゲッセマネの園(マルコ14:32以下)でのこ とです。 弟子たちはエルサレムに入って緊張の連続、夕食 後(最後の晩餐)のひと時、人気の ない夜の園で「目をさま して祈っていなさい」とイエスから言われても襲ってく る眠気 に克てませんでした。わかる気がします。弟子たちは、この 「目をさま していなさい」というイエスの言葉がただの指示で なく、その後の原始教会て ゙終末論的警句となっていった「目 をさましていなさい」と通底するととらえたのて ゙しょう。けれど も、ガリラヤからずっと一緒にいる〈群衆〉たちにイエス は「目 をさましていなさい」というような倫理的迫り方をしたことがあ るでしょ うか。医者はたいていの場合、病人に「眠らないで。 目をさましていなさい」と は言わないでしょう。むしろマタイ11 :28「つかれた者、重荷を負うものは、だ れでもわたしのもと に来なさい。休ませてあげよう。」と。 「目をさましてい なさい」という言葉が浮かび上がってくる のは、やがて訪れる主の再臨の 時に向けてでありました。キ リストの十字架の死と復活の出来事の中に向かって いった 原始教会の人々は、自分たちの今を、再びやってくる「主の 日」までの 間のこととしてとらえました。マルコ13:33「気をつ けて、目を覚ましていなさい。 その時がいつなのか、あなた がたには分からないからである。」 では、そ のあいだ目を さましてどうすればいいのか。こう続けます。「それは、ちょ う ど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責 任を持たせ、門番 には目を覚ましているようにと、言いつけ ておくようなものだ。」 つまり、主は いまここにはおられないが、それぞれに責任 が与えられ、仕事が託されて いる、ことに門番には寝ずの番 をするように命じられている、それが主の日 を待つまでの間 のキリスト者の在り方であるというわけです。どんな責任 か、 どんな仕事か、具体的に示されていないのですが、なにか 自分に思い当 たることがありそうだ、そうそれでいいということでしょうか。 パウロ はコリントの教会の人々に「目を覚ましていなさい。 信仰に基づいてしっかり立 ちなさい。雄々しく強く生きなさ い。何事も愛をもって行いなさい。」と第一コリ ントの手紙の 終わりのあいさつで言っています。その手紙で彼は教会で 起こっ ている問題とその質問に対して、答えていくのです が、一方では不道徳を避 け、きわめて良識的な市民生活を 勧めているかと思うと、一方では「時は縮まっ ている」、「主 の日」が近づいている今を生きるには「今からは、妻のある 人 はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人 は喜ばない人のよう に、物を買う人は持たない人のように、 ...」(7:29)と言うのです。後者の伝で いれば、「主の日」が 来るまで時の間、神によってつかまれた者はすべて 〈宙づ り〉にされて生きるよりないと言っているように聞こえます。ロ マ書12章 以下も参照。こうしたパウロの言葉には、決定不 能、宙づりになっていること、 脱倫理に踏み込んでいる現代 に通じていくような言葉の響きを感じます。 け れども、このようなパウロの思想は原始教会からほとん ど無視されました。 原始教会の指導者たちは、ルカ12:41 以下の譬えのように自分たちを「主人が召し 使いたちの上 に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実 で 賢い管理人」だと自認し、放っておくとどうなるかわからな い衆生を「目をさ まして」監督する、そういうところに自分を 置いたわけです。この譬えからすれは ゙、「管理人」も主人の 奴隷なのですが、その下にいる下男や女中、奴隷の奴 隷が いて、こまごまと直接命令する上司というわけです。「主の 日」まで の間、下男下女は管理人の監督のもとにあるよりな いことになります。それが悪 質な管理人だったら目も当てら れないこと(45節以下)になるわけですが、 「忠実で賢い管 理人」だったとしても四六時中目をさまして監督されている と いうのであれば、下男下女がそこから飛び立つ芽はありま せん。「妻のあ る人はない人のように、喜ぶ人は喜ばない人 のように」といった不安と期待の こもった「宙づり」、「遊び空 間」はないでしょう。 起きている間は体を動 かし、疲れたらしっかり休む、それ ができればだれでもよしとするで しょう。でも、そんな当然の ことができなくなることもあります。そんなと き、目をさまして いるか、眠っているかが、問われても答えることができま せ ん。次のようなパウロの言葉を思い出してください。 「キリストがわたし たちのために死なれたのは、さめていても 眠っていても、わたしたちが主と共に 生きるためである。」 (第一テサロニケ5:10)
5月9日の礼拝に向けて 第二コリント6章1~10節 「疑うこと 信じること」 板垣弘毅 憲法13条に「すべての国民は、個人として尊重され る。」とありますか ゙、自分で決めているようでも巨大な データ会社にコントロールされている、 プライバシー も握られつつあると、私でも感じることがあります。 「個 人」も作られつつあります。何もかもデジタル化の 時代、何を疑い、何を信し ゙るのか。聖書で考えて見たい と思います。 パウロが西暦55年頃、コリント の教会宛に書いた手 紙の一節です。ある日、自分が否定しているキリスト が、 自分に迫ってくる体験をしてから、キリストが復活 したという信仰の核心に触れ、 何とそのキリストを伝 道する者になってゆきます。コリント教会の中にはパ ウロ はホンモノの使徒、伝道者ではないと非難する者 も出てきます。 教会の揺籃期、 何を信じていいのか、信徒も動揺しや すく、伝道者は自分自身に起こったできこ ゙ととして、相 手に届く言葉を語らねばならなかったはずです。 あらゆる場 合に神に仕える者として「自己を推薦す る」のだと言っています。(3節) 「栄誉 を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を 浴びるときも、好評を博するとき にもそうしているの です」(8節) つまり、 実績や世の評価で「自分」が決 まるのではなく、神の召しに応えているかというとこ ろから自分を見るといいま す。胸を張れる得意の時だ けではなく、悲しみや痛み、怒りや屈辱で屈みこ む時に も、その人が、その人であるかは神が決める。 そうして印象的な言葉 が続きます。 「知られざる者として、かつ認められた者として。死 ぬ者として、 だが見よ、われわれは生きている。懲罰を 受ける者として、かつ殺されはせす ゙、苦しんでいる者と して、しかし常に富んでおり、貧しい者として、しかし 多くの者を富ませ、何も持っていない者として、かつ一 切を所有している者として」 〈田川訳〉自分は「神に仕え る者」になるというのです。 ちょっと不思議な言葉 ですね。正反対のものが同時 に成り立っている、死んでいる者が同時に生 きている、 悲しんでいる者が同時に喜んでいる、貧しい者が同時 に人を富 ませている。これはパウロの実感でした。イエスの福音をパウロの言葉で言 い当てているのだと思い ます。「貧しい者は幸いだ、神の国はあなた方のものて ゙ ある」「今飢えている人は幸いだ、あなたがたは満たさ れる」(ルカ6章)と イエスは告げる。貧しかったり飢 えたり泣いている者が、幸いだ!と言ってい ます。貧し さや悲しみが克服されたら幸いだ、と言っているので はありませ ん。今そのままのあり方が、誰とも取り替え る必要のない君そのものが、幸いた ゙。 社会的、経済的、また宗教的、つまりユダヤ教の価値 観の中でおとしめら れていた人たちが、このイエスの 呼びかけによって新たな歩みを始め、イエス のできご とを伝えてゆきました。もし教会が、そこを見失って、 教理や組織 が優先されたとしたら、イエスの福音とは 違う方向へ歩んでいると思います。 悲しんでいて同時にそのままイエスから肯定されて いる。そういう福音をパウ ロも伝えているのです。復活 したキリストが、迫害者であった自分にも顕れ た、とパ ウロは告白します。そのイエスのまなざしに促される ように、十字架 で死ぬイエスを、「そのまま」神が受け止 めておられると確信して、イエスの 福音に深く気づいて ゆく。その人だけの悲しさや痛み見つめるまなざしで す。 愛知県岡崎市の浄土宗の古いお寺の、廣中邦充住職 は、20年間、不登校、DV被 害、薬物依存などで苦しむ子 供を無償で受け入れ、立ち直らせる手伝いをし てきま した。現代の駆け込み寺ですね。教会も本来は駆け込み 寺的な性格をもっ ているものです。廣中さんは言いま す。「子供たちのことを99%疑い100%信じる」 「99%疑 う」というのは限界をもった人のありのままを見るとい うことです。完 全な信頼も完全な疑いもあり得ない。そ こで「100%信じる」が人間の限界を 超えたことだとわ かります。この住職さんは、目の前の子供たちが語って いる ことよりも、語っているその人を見ているのだと 思います。語る確かさより、そ の子がいる確かさの方を 大切にするんです。その子がそこにいる確かさは、 その 子の意志を超えている。 わたし流に言えば、人を100%信じる、ということ は、 君の代わりはいないというイエスのまなざしであり、 神の召しです。浄 土宗の廣中住職なら阿弥陀仏の 本願ですね。一人の人が「いる」確かさを、世 の中の、データ や利便さよりも肌触りで確信しているのだと思いま す。〈全 文は板垣まで〉
5月2日の礼拝に向けて ルカ伝福音書12章13~21節 「心奪われるもの」 久保田文貞 学生時代にコリン・ウィルソン(1931~2013)の「アウトサイダー」という本の題 名に惹かれて読みました。といっても、ヨーロッパの思想家、芸術家、小説家を次か ら次へと批判しながら渡り歩いていくような本で、 21,2歳の私にはほとんど読み こなせていなかったと思います。でも、そこには自分を社会の内側に引き込む力を振 り切り、なんとかしてアウトサイダーとして生きる場所を探求しようとする意思を感 じて、私も熱くなっていたことを覚えています。 それから3,40年たって、イン サイダー・アウトサイダーという語を目にするようになりました。経済学や社会学の 用語となって。「熟練を積み企業の格となる現職の労働者である」インサイダーと 「企業に固有の熟練技能を持たない臨時工や企業外部の労働者である」アウトサイ ダー、当然前者の給料が高く、後者の給料が低くなるだろうと、そこまでは私にもわ かります。問題は現在の社会で、インサイダーが自分の権益だけを拡張しようとし、 アウトサイダーを不利に追い詰めていく力が働いていること。アウトサイダーはよい 仕事にありつけず、臨時雇用化し、いつも失業の危険にさらされ、技能を身につけら れない。結局、これによって社会の人的資本が劣化していくと言うのです。おそらく 今のようなコロナ禍にあってAIだのリモート労働だのが進んで、ますますその亀裂 が深まるかと思うとやるせない気分です。 そこで新約聖書を手掛かりにしてこの問 題を考えてみようと思います。福音書によれば、イエスはまさにその時代のアウトサ イダーに押しやられていた人々の間で神の国の福音を説き、活動を推し進めたと言っ てよいでしょう。とりわけ福音書という形式を作ったマルコはそのようなイエスの運 動に注目し、民衆の間で宣教するイエスを描いたといえましょう。マルコ福音書の中 では、イエスと共に、その周りに集まる群衆(オクロス)がもう一人の主人公とさえ 言ってよいでしょう。けれども原始キリスト教の中でマルコ福音書が提起した問題は かならずしも聞き遂げられてはいませんでした。その一つの例が、ルカによって書き 改められた福音書に現れています。 今日の箇所12章13~21節「愚かな金持ちのたと え」とその後の22~34節「思い煩うな」の二つは、単純に隣り合っているのではなく、 福音書記者ルカの手で関連付けられたものになっているのがすぐわかります。注目す べきは、それぞれの冒頭にある編集句です。13節〈群衆の一人が言った〉と22節〈そ れから、イエスは弟子たちに言われた〉。 12章初めからこの部分では群衆への語り と弟子への語りが微妙に区別されています。 特に12章~16章はほとんどマルコの資 料を使わず、Q資料とルカだけに出てくる「特殊資料」からなります。どうみても、 記者ルカの頭の中では「群衆」はアウトサイダー、「弟子」はインサイダーになって しまっています。ルカ伝のいう「弟子」はイエスの直弟子というより、イエスを理解 した者、信仰上の弟子、つまりルカと教会のキリスト信徒を指しているのです。 だ から、「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください」などと キリスト信徒は言わない。豊作で倉を立て直し穀物を貯蔵できて安心、食べたり飲ん だりして楽しもうというキリスト信徒なんていない。そういう発想をするのは教会の 外側の代表者、「群衆の一人」であると。こうして、教会のアウトサイダーとインサ イダーを作られていないでしょうか。 これにQ資料のことばをこれこそ「奥義だ」 と言わんばかりに、22~29節をもってきます。読めばすぐわかるとおり、なにも内側 にいる人だけにしかわからない言葉ではありません。むしろ、それは内側と外側の間 の仕切を取り払ってしまう言葉です。いや、アウトサイダーにこそ深く届く言葉でしょ う。命に優るかのような高級な食べ物なんて縁のない、体に優るきらびやかな衣装な ど着たこともない者にごく自然に耳に入ってきたはずです。カラスがでてきます。 〈種を蒔き、刈り入れし、納屋に収め〉るのは農民の仕事だが、カラスはそれをしな いでも生きているじゃないかと。レビ記11章15節でカラスは忌むべき鳥とされていま す。イエスはそのカラスを見よと言います。厳格な律法主義者なら馬鹿にするなと怒 るところでしょうが、群衆にはユーモアとして響いたことでしょう。野原の花、「働 きもせず紡ぎもしない」のに「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも 着飾っていなかった」と。糸を紡ぎ、織る仕事は農家の女の仕事。もともと何を食べ ようか、何を飲もうかと考え、思い悩むほどに、彼らには食べ物も、着物もはじめか らなかっというべきでしょう。誤解を恐れず言えば、「何を着ようか、何を食べよう か、何を飲もうか」と「思い悩む」のは、自分がもはやインサイダーになっていて、 手を伸ばせば何でも手に入るところにいて、その地位を固守しなければと思う人たち でしょう。皮肉に言えばそれは「信仰の薄い者たち」へ向けられた言葉と言うより、 インサイダーとなっている「信仰の篤い者たち」への警告でしょう。電信柱に止まっ ているカラスと、道ばたに咲く春の草をみて、このイエスの言葉を想い起こしたいで す。
4月25日の礼拝に向けて ルカ福音書14章15~24節 「この家をいっぱいに」 久保田 文貞 イエスの譬話の中 でも有名な「大宴会の譬」です。似てい る譬がマタイ22章にもありますが、 そちらでは「天の国」の譬 として、王子のための婚宴を王が開催する話になっ ていま す。最初から〈王〉は神ご自身だということが察しがつくよう になっ ています。だからその招待を断る者は、命がけで、王 の使者を殺してしまっ たり、王の側も軍隊を派遣してその町ごと滅ぼすという、陰惨なものになってい ます。これに対してルカの方では宴会を開くのは「ある人」で す。この「ある 人」が招待した客人はみな結構な資産をもっ ているようですから、彼も同等か それ以上に裕福な「家のご 主人」(オイコデスポテース)です。ですから この宴会は王が 開催する宴のような特別のものでなく、裕福な階層のものと は いえ、比較的に身近で切実な話題になっているかもしれ ません。問題は、招待さ れた客がそれぞれ理由をつけて慇 懃に断ってしまったことから始まります。ウ ソではないけれど も、絶対の理由でもない。結局その人の宴会に出たくない と いう本音が潜んでいて、隠しても伝わってしまうような理由な のです。招 待主の側は、みなに喜んでもらおうと酒と肴を用 意し、部屋も飾って、さあと思っ ていたところに、欠席届が届 く。彼の落胆ぶりと、客に対する腹立たしさ、わ かる気がしま す。そこで彼はぶっちぎれて僕に命じました。『急いで 町の 広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の 見えない人、足の不 自由な人をここに連れて来なさい。』 まだ席が余っているというので主人は 言いました。『通りや 小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家を いっぱいにしてくれ。』 こうして最初に招かれた人たちで 彼の食卓を味わうも のは一人もいなかったというのです。 ルカのこの譬話を読んでいると、「神の 国」でしょっちゅう 起こっているだろう金持ちと貧乏人の逆転劇が〈いま・ ここ で〉の自分たちの暮らしの合間あいまに起こっているんだよ という声が 聞こえてきて仕方ないのです。イエスの譬は、神 の国の真理を比喩的に語ってい るのだと言われると、「そう ですか」と答えるものの、いまひとつ納得しきれ ないものが 残るのですが、それはいつも、「君たちの暮らしの一齣ひと こま に、ほら神の国・恵み・福音の響きに満ちているよ」と言 わんばかりなのです。 たとえばルカの8:16「ともし火をともし て、それを器で覆い隠したり、寝台の 下に置いたりする人は いない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置 く。」 こんな日常の人へのやさしい所作に、すでに福音が 鳴り響いていると。 もちろん、恐ろしい審判を思わせるような 譬(20:9以下「ぶどう園の農夫」)も 通奏低音のように響いて いるのですが。とにかく、ルカ福音書を読む限りは、 キリスト と共にある〈いま・ここ〉には、世の終わりに起こるべき事が、 ふつ ふつとそこここに起こっているという風なのです。大宴会の譬に戻ります。招きに 応えなかった裕福な連中 が見限られて、いまや貧しい者、障害をかかえた者、病 人、 仕事にあぶれ、飯にありつけない者たちが宴会の席に招き 入れられていく。 こうして、招かれた人々の至福の時が始ま ります。でもそれは一時のこと、ま たすぐに裕福な者たちと 貧しい者たちの格差社会に戻ってしまいそうです。現 実の 社会に至福の時が常時とは言わなくとも、その音の響きは 続いてほしいと思っ て当然でしょう。一時的な至福の時を、 永続きする福利・福祉ウェルフェアにて ゙きないか。それもた だ上からしたたり落ちるしずく(制度)のようにではな く、招か れた人々がいっしょに作り出していけるような参加型の福利 にできな いかなあと思います。 けれども、世の中そう簡単にいかない。なんか良さそうた ゙ と思いきや、国家・経済を動かす連中は、ちゃんとそれらを 取り込んで、福祉 welfairからワークフェアという造語を使っ て、働けるという実感こそ人を幸福にす る、というと聞こえは よいが、働くことを条件に公的扶助を行おうじゃないか とい う。これって我が国の安倍政権を受け継いだ菅政権が打ち 出した〈自助・ 共助・公助〉の精神であり、結局は先月取り上 げた「働かざる者食うべか らず」(IIテサ3:10)であり、福祉 予算を次々に切り捨てる口実になっています。 今日の譬で 言えば、宴会なんかにうつつを抜かさず、丁重にお断りして 人そ れぞれの仕事、作業に赴くこと大いに結構。余裕があ って暇にまかせて宴会なと ゙を企てるご主人、せいぜいご飯 を満足に食べられない人々に炊き出して ゙もしてあげて、でも そんなことで格差社会が好転することはないけと ゙...。 1月31日に横浜、寿センター主事の三森さんから活動 の軸になっている 「炊き出し」活動の話を伺いました。 活動日、食卓の用意、調理、給仕、その前に 食材の確保、 食を受ける者も提供する者も、だれもがそのためにで きること をしようと体を動かしている様子がその報告 書にいろいろな人の文で描かれて います。菅政権がい う自助・共助・公助に似ているようで似て非なるもの だ と思います。この炊き出し宴会に出現するのは、「家 のご主人」もかたなしの、 民が自由に体を動かし、給仕 し、調理さえする参加型の楽しい食卓、宴会なのて ゙しょ う。
4月18日の礼拝に向けて マルコ福音書12章18~27節 「生きている者の神」 久保田 文貞 4日のイースター以来、復活について話をしてきました。 今日は、同じ復活につい ての伝承でも、別の観点からの復 活論議になります。 11章でエルサレムに入 場したイエスは、「宮潔め」を強行 し神殿側の人間やパリサイ派、サドカイ派、 律法学者などと の論争が続くことになります。12章18節以下、サドカイ派は 神殿祭司階級的なセクトであり、律法の言葉のみを重んじ、 ファリサイ派が 維持した口伝律法を否定。また中央の神殿 礼拝だけを認め、地方の会堂礼拝を無 視。つまり神は神殿 において顕現し、神殿からみ言葉を発し、み業をなす。そし て 人が死ねば塵に返る(ヨブ34:15など)までのこと。死人が 甦るなど異 教的幻想。このように貴族的なある種の合理主 義者です。 マルコ12章18~27節を 朗読します。サドカイ派の問いは まず申命記25章5節以下、兄が子をもうけな いまま亡くなっ た時は弟が兄の妻を娶って兄のために子を残してやらなけ れば ならないというレビラート婚を取り入れた律法について のものです。遊牧的な 小家畜飼育で生計を立てる男系家 産制に見られた慣習です。しかし、問題はそ こから復活思 想(民衆に近い位置にいたファリサイ派は終わりの日の死 人の復活を 認めていた)を貶める実に不愉快な議論を組み 立てています。申命記の律法自体が そうなっていますが、 ユダヤ人の議論は、〈もし・・・ならば〉と仮定し、 次にそのよう な場合には〈・・・してはならない〉という形で、議論を拡張す る 方法を多用します。つまり〈もし、7人の兄弟がいて・・・〉兄 から順に子を残せ ないままみな死んでしまい、その妻も死 んでしまったならば〉、終わりの日か ゙来て死人が復活すると き、はたしてその女は誰の妻になるのかというもので す。 仮定的な空論とはいえ、ここに引っ張り出された兄弟一 人ひとりにも無礼じゃ ないか、いやなにより長男の妻の人格 を無視し女性を子を産む道具扱いにして君ら は痛痒を感じ ないのか、と言いたくなります。古代社会の父権性にどっぷ り つかっている男たちに、いまここで近代主義にどっぷりつ かっている私が、 ヒューマニスト、フェミニストを気取って息ま いたところで何になるといわれる のを覚悟のうえで。 聖書学者の多くは、18~25節までが元の伝承、それに26 ~27節の伝承が加えられたとします。時系列的に考えれ ば、ここでの復活論は 仕掛けたサドカイ派の人間としても仕 掛けられたイエスにしても、この数日後に 起こるイエスその 人の死と復活のことは知らないわけです。この復活論議は、 死 者一般の問題として死人が復活するということがあるとす れば、こんな矛盾か ゙起こる、ゆえに復活はないとすべきだろ う、という浅薄なものです。 こん なレベルの議論で人の死に向きあうことができないで しょう。死とは、 まずは一人一人の命が迎えうることになる死 の問題であり、その時は一般論 としての死の議論はなんの 役にも立たないでしょう。復活を信じて死に向きあ おうとする 人も、また死んだら塵に帰るということに向きあおうとする人 も、人 はその命を互いにいっぱいに生きて、それぞれの死 を死んでいくわけです。 復活があるか、ないか、といった議 論をいくら深めても、人がその命をいっは ゚いに生きて、死ん でいくという自分の命への信頼、また他者の命と死への敬 意 へと至らなかったら何にもならないでしょう。 イエスは彼らに、「あなたがたか ゙そんな思い違いをしてい るのは、聖書も神の力も知らないからではないか。彼 らが死 人の中からよみがえるときには、めとったり、とついだりする ことは ない。彼らは天にいる御使のようなものである。」と言 われた。正直言って、こ のイエスの言葉は、サドカイ派の復 活議論とかみ合っていない印象を受けます。 伝承の過程で イエスの言葉が崩れてしまったかもしれません。ただ、サド カイ派の復活議論に対して「思い違いをしている」、彼らは まったく別のところに 踏み込んでしまっているといったところ でしょう。その後に次のようなイエス の見解がでてきます。 「彼らが死人の中からよみがえるときには、めとっ たり、とつ いだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものであ る。」 果たして、イエス自身が復活一般論をこのように語っ たかどうか、私としては マルコにはもう一歩踏み込んで書き 留めてほしかったと思います。というわけて ゙、ここはカッコに 入れておきたいです。 次に26節のことばだが、出エシ ゙プト記3章、亡命中のモー セにヤハウェが現れて民をエジプトから連れ出 すように命じ る箇所(6節)の言葉だが、諸説あるようだが、それと復活議 論の関連がよくわからない。27節「神は死んだ者の神では なく、生きている 者の神である。あなたがたは非常な思い違 いをしている」 ここもイエスが言 われた言葉というより、のち の伝承過程の中でイエスの言葉とされた思いますか ゙、ただ し、サドカイ派ばかりでなく、後の原始キリスト教の必要以上 の 復活議論に一言するならこれくらい的確な言葉はないで しょう。人は正面から完 全に死に向きあえるなどと言い切れ ないとしても、ただ自分の命をいっぱい に受け止め生きるこ とでなんとか死を生きるよりないと教えられた気がします。
4月11日の礼拝に向けて マルコ福音書16章6~8節 「ここにはおられない」 久保田 文貞 前回、最古の復活伝承(Iコリ15:3以下)を読みました。 今日はそれとは別の福音書に 伝えられている復活日の物 語を取り上げます。4つの福音書各々違いはあるものの、 塗 油(ルカは別)、最後の晩餐、ゲッセマネの祈りと逮捕、裁 判、十字架、イエス の死、埋葬と大筋で一致している受難 物語に、三日目の復活物語が付いていま す。前回の定式 化した告白文のような短い伝承は、一語一語に意味が込め られ、 それを正確に読み解けと言わんばかりですが、福音 書の物語伝承の方は出来 事をジャーナリスティックに知ら せようというもので、実際福音書記者によっ て、けっこう中身 がいじられるというように柔構造になります。読み方も自す ゙と 変わります。 さて、三日目にイエスの墓参りに来るのは、マルコの場合 マク ゙ダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメです。彼女ら は、イエスが十 字架上で息を引き取ったことの目撃証人とし て15章40、41節に初めて名前が挙け ゙らた者たちです。41節 「イエスがガリラヤに居た時に、彼に従い、仕えて いた者た ちである。彼とともにエルサレムに上がって来た女はほかに も多く居 た。」(田川訳)と。受難物語はセットでマルコに伝 えられたものですが、こ の部分はマルコが挿入したもので す。「彼(イエス)に従い、仕えていた者たち」 の中に、女た ちも「多く居た」とさりげなく書き込んでいます。しかし、十字 架の場面より以前に、マルコはイエスの宣教活動集団に女 性たちが「従い、使え ていた」ことに触れていません。どう理 解したらよいのでしょう。 これと比し て、ルカ福音書の著者は、イエスの宣教活動 集団にかなり早い時点で女性たちか ゙居たことを自分の編集 句に次のように書いています。「また悪霊や病気から癒さ れ た女たちも何人か一緒だった。七匹の悪霊が出て行ったマ グダラのと呼 ばれるマリア、ヘロデの執事クザの妻ヨハン ナ、スサンナ、ほか大勢であ る。彼女たちは自分の所有物 をもって彼らに仕えていた。」(田川訳ルカ8:2) 因みに新 共同訳は「彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行 に奉仕していた」 と訳しています。事実かどうか別にして、案 外、この意訳の方がルカの意に沿 うかもしれません。ルカ は、マルタとマリヤ姉妹の物語を福音書に書き込んでい くと き(ルカ10:38~42、参考ヨハネ11:1~44)、二つのタイプの クリスチャン女性 を提示することになりました。一つはせっせ と体を動かしてお世話する女性、もう 一つは内向的だが信 仰的に模範的な女性。ルカもヨハネも、父権的なユダヤ 社 会とローマ社会の下で押さえつけられてきた女性たちに、イ エスは解放の道を 示されたと、受け取っているのでしょう。そ してこれが、後々の教会で、典 型的な女性像を提供するこ とになったのです。この二つのタイプ、よく考えて みると、ど ちらも教会の中で、〈動〉と〈静〉の違いはあれ、分をわきま え、 男たちの職分を侵さない、男たちに都合の良い女性に されていないでしょうか。 ルカが女性により好意的なのはよく わかるのですが、その「仕える」ディ アコニアは、男たちの宣 教活動に「仕える」止まりなのです。豊かな女性は「持 ち物 を供出し」つつまかないや身の回りのお世話をして男たち に仕えている(8:2) ということになってしまいます。マグダラ のマリアも、「ガリラヤからとも に彼に従ってきた女たち」とい うルカの女性観の枠に入れらてしまいます。 これに 対してマルコが同じ場面でその女性たちを「彼に 従い、仕えていた」と書き、 マルコ福音書を横に置いて、ル カは「一緒に(接頭辞のsynを加えただけ)従ってき た」と一 言だけ、まるで〈たいした用もないのについてきた女たち〉と でも いう書き方です。一般にマルコが「従う」「仕える」という 語を使うとき、男 たちの「従う」「仕える」と、女たちの「従う」 「仕える」とを使い分けしていま せん。「そして座って、十二 人を呼びつけた。そして彼らに言う、『もし誰かか ゙第一者で あろうと思うなら、万人の最後の者、万人に仕える者となる がよ い』」(マルコ9:35) 教会の中で女たちは、十二人の 男弟子の権威に仕えるべき だ等と思っているなら、一から 出直してこい、とイエスは言われているように聞 こえます。 イエス一行にあっては、男も女も従うと仕えるということに おいて、な んの違いもなかったと確認できるでしょう。マグダ ラのマリヤは基本的に イエスの宣教活動集団の働き手の一 人だったのです。受難物語はともすると十 二弟子を重んじ 男の権威主義に傾いていきますが、私たちは、ベタニヤで シモンの家での塗油と食事の場面にも、最後の食事の場面 にも、女たちも同席し ていたと考えたいと思います。女たち も「従い」「仕え」ていたからこそ、イエス の逮捕が何か、裁判 が、判決が、処刑が何か、逃げてしまった男たち(マ ルコ14 :50)に勝るとも劣ることなく、十字架を目撃し、埋葬に立ち 会い、三日目の 出来事の最初の発信人になったのだと思 います。偽典「マグダラのマリヤの 福音書」は、グノーシス的 言辞に満ちていますが、そこには人々の前で堂々 と議論し 教えを説く女性として描かれています。伝記legendでは、フ ランスのリ ヨンまで行って宣教をし、教会をいくつも建てたと 言われます。「ここにはおら れない」というメッセージを受け て、復活者を追いかけてどこまでもいく行 動するマリヤ・マグ ダレーナを見る思いがします。
3月28日の礼拝に向けて 民数記第22章1-6節 「わかるということ」 飯田義也 今日は「わかるということ」という題をつけています。何か 情報や経験が入って きた時に、連想することや想像するこ と、・・理解するというだけじゃなく、 そこからさらに進んでいく ところに人間のわかり方があると思います。まず は、この物 語の背景から・・。話し手が背景を説明して、聴き手が理解 すると いうことがスタート地点です。 出エジプトのできごとは、「エジフ ゚トで差別的な扱いを受 けていた人々が独立を目指して旅立ち『乳と蜜の流れ る地』 まで神に導かれた」などと考えるとすれば、楽観的すぎ、独 善的す ぎで、民数記を読んでみれば、もともとは難民とはい え、移動する先々て ゙侵略略奪を繰り返して進んでいたことも 隠さず書いてあります。高校生あた りが昔歴史で習った「ゲ ルマン民族大移動」のイメージが近いでしょ うか。これにつ いていい悪いで論じると、行き着くところは戦争になってしま いますから、まずは「そういう時代だった」と変えられない過 去を事実として 受け止めるところから始めたいと思います。 そこで、今日の聖書の箇所ですか ゙、教会生活が長い人 には「バラムとろば」で有名です。死海の西、モ アブ地方に 住む人々に、自分たちへの脅威だったアモリ人が、移動し てきた 異民族に皆殺しにされたという情報は、古代社会とは いえ入っていました。そこに 当ユダヤ人がやってくるわけで す。すわ一大事かというところで今日の聖 書の箇所になりま す。 フランソワ・クープラン(1668-1733)は、クラヴサン曲 集第 2巻・第6オルドル(組曲)に、練習曲的にこの「神秘的なバ リケード(Les baricades mistérieuses)」という曲を書いてい ます。全体の解説として「肖像画」 なのだそうで、何か抽象 的な概念で作ってないとご本人が述べていま す。で・・私の 訳では「主の御使いの妨害」ということになります。 全体の形 式はロンド形式、つまりよく書かれる説明としては 「AABACADA」(??)このアルファ ベットはテーマ(とかメ ロディ)を表します。全体の曲調がAのメロディで 示され、少 し変わってBの部分が出てきてまたAに戻り今度はCの部分 に入り、ま たはじめのAに戻りDが出てきて最後はAで終わ ります。 バラク王は、預言 者バラムに託宣を頼みます。たくさんお 金を積むのです。二回目にもっとたく さんのお金が積まれま す。自分に有利な予言をしてほしいからです。今の言葉 な ら「情報操作」ですね。あらかじめ「モアブが勝つぞ」と権威 者に宣 言しておいてもらえば、勝利がグッと近づきます。 さて、バラムはろは ゙に乗って出かけようとします。 神様は思ったのでしょう。 「このまま行かせた ら調子よくバラクにおべんちゃらを言い かねない」 主の御使いが行かせない ぞと立ちはだかります。 クープランを登場させましょう。Aのテーマがバ ラクがろばに 乗って道を進む基本テーマです。そしてB、ろばには、行く なと立ちはだかっている主の御使いが見えるので道をそれ てしまいます。そ して歩きにくい畑に踏み込んでしまいまし た。気を取り直して歩き始めます(Aの テーマ)が、今度は狭 い道の両側に石垣が・・石垣に傾いてしまう様が描かれ ま す。また歩き始めると今度は剃れる余地がなくなっていきま す。音楽では、 いろんな和音からトニック(主和音・ドミソ)が 現れるとやがてトニック(最後 の和音)に追い込まれていくよ うに作曲されています。そして御使いの言葉「ただ わたしが あなたに告げたことだけを告げなさい」があり、決意を新た に してバラクの元に行くことが許されるのです。 普通に訳せば「神秘的な障 壁」というのが音楽界の当たり前 なのですが、まあ「不可思議な妨害」なと ゙とも訳すこともでき ますし、私のわかり方だと「主の御使いの妨害」となる わけで す。 本当にクープランがそういう意図で作ったかどうかなんて確 かめようもありません。もう私の耳はそのようにこの曲を聴くよ うに慣らされてし まっています。へぇ凄いなぁこんなふうにわ かっちゃうのかぁ・・というのも早と ちりですよ。 少し想像を拡げます。たとえば、現代社会では?・・とかね。 資本主義社会だと、儲かる言葉を言わないと・・ということな のでしょうか。 儲かる言葉が滅びに向かいます。どんなに儲 かっても真実以外は語ってはな りません。 具体的に例えば原子力をめぐる言葉はいかがでしょう。 短期間 では一部の人は儲かるかもしれませんが百年先でさ えそのそのために被害を 被る人の方が多くなるようなことで す。制御できていないものを制御してい るなどと、言ってよ いか・・やはり神様はご自身の意向以外の言葉を語っては ならないと思っていらっしゃるでしょうね。 あれ?じゃあ音楽の勝手な解釈の方 は? わかるということの深みにはまって道を逸れそうですね。 そうそう、逆の例 にも触れておく必要があるでしょう。 「健常者」と呼ばれている人たちは 「知的障がい者」とか「重 度心身障がい者」と呼ばれる人たちに対して「わ かっていな い」ってよくいうのですけど、それは「自分がわかるようにわ かっ てはいない」ということに過ぎないんですよね。 おっと、全く忘れていたかのようですが、今日は棕櫚の主 日です。イエス・ キリストがロバに乗ってエルサレムに入って いく場面、キリストはご自身の 行く末についてわかっておら れましたし、ろばも道を逸らさず目的地へとキリ ストをお乗せ しました。
3月21日 日曜礼拝説教から 聖書:ピリピ書3章12~16節 題:「教会の形...〈北松戸〉を考える会によせて」 久保田文貞 この後の会の参考にしていただければと思い、ここでは、 これまでの〈北 松戸〉を振り返って見ようと思います。 1975年4月6日「北松戸伝道所」として第1回 目の日曜礼 拝を始めました。週報第1号にこうあります。「伝道所開設に あたって」 として、〈主イエス・キリストを信じる新しい群れ、北 松戸伝道所が今日をもっ て出発します。/これまで板垣さ んと久保田とが発起者となって準備をすすめて きましたが、 今日から礼拝をし共に祈りみことばにこたえていくこの群れ が、 福音を証ししていく主体であります。...〉と、ガリ版刷りB 5版です。また同 日、「私たちの集会」という小さな文を出し ました。そこに「根拠」として「聖書 において示された『十字 架につけられ、死から甦った、イエス・キリストが私た ちの救 い主である』という信仰は、私たちの生の根拠であります」、 次に「所 属」として「私たちの伝道所は、日本基督教団(以 下、教団)の信徒数名が発起者 となって始められたもので す。/現在、この伝道所は、当教団から未だ法的な認 可を 受けていませんが、『教団に所属する』とは、この教団を神 の教会たらしめ る聖霊の働きに与ることであると、私たちは 確信しています」と書いています。 そして「信仰告白」につい ては、以後、私たちの共同の信仰告白を目指すとなって い ます。当時も、そして今もと言えるでしょうが、ことはタテマエ 化し呪縛の ようになっていく「信仰告白文」ではなく、それぞ れの生活の中で自身の言 葉で「告白」しようと考えました。 これのポイントは「所属」に書かれている ことです。〈北松 戸〉は教団からの認可なしに、正規の教職なしに、信徒の 集会 として始めると宣言したわけです。以前、板垣弘毅さん も久保田文貞も、東京神 学大学の学生でしたから、一応教 団の教職となることを目指していたことになり ます。ここでは 詳説を省きますが、私たちは東神大問題・万博キリスト教館 出 展に端を発する教団問題において、教職制度を根本か ら再検討して出直すよりない という所にいました。信徒の中 から教職を分化させるひとつ前のところから始めよ うとしたと 言えます。その一つの選択として、二組の夫と妻の4人が集 会を始め たわけです。教団との関係について付記しておく と、私たちは開設前に、東京教 区千葉支区に伝道所解説 を報告しました。しかし、規則上の不備から支区としては 認 可できないと言い渡されました。 こうして、わたしたちは既成の教会の形から 自由に、この 集会に後から加わった人も含めて、手探りで集会・教会を 形作って いきました。地域に何度もビラを配り、子供を集め て子ども会を開催し、そこ から日曜学校として分級と礼拝を 続けていきました。これらの営みは、〈北松戸〉か ゙広義の「開 拓伝道」のひとつだったと言えるでしょう。 としてもこの集会を どこに着地させるか、いろいろな議論 を重ねました。「地の塩会」と名付けて、 〈北松戸〉のいろい ろな可能性について話し合い研究しました。礼拝共同体と して の集会と並行して、福祉や子ども塾、学童保育などの 運動体として活動でき ないかなどなど。 1978年、三本松教会鈴木省吾牧師が私たちの思い通り に やればよいと、担任教師として名義を貸してくださりその 他欠格条項をクリアて ゙きて、〈北松戸〉は伝道所として認可さ れました。〈北松戸〉は、正規の教師を 持たないまま伝道所 として教団の一角になんとか食い込めたわけです。 そして 1983年、最初の場所から80m北東の常磐線沿線に現在の 土地と会堂をもちました。 新会堂では、板垣さんが小中学生を対象とした「いしず え塾」を続け、その 子どもたちや保護者たちとの交流を通し て地域の人々とつながりを築いていき ました。 そこで事実上、〈北松戸〉の一つの形に到達していまし た。ということ は「地の塩会」で検討した運動体にもなるという 夢は宿題として残したままになっ たことを意味します。結局、 私たち集会の参加者は、それぞれの生活の場でそ れぞれ の仕事を持ち、その現場の課題を受け止め、考え、発話し ていくだろう。 同時に〈北松戸〉でともに聖書を読み、祈り、 一人ひとりの生きる指針を検証し 合う。そうしてまた生活の 現場に戻るというように。この生活の現場と礼拝共同体 との 距離を抱えていくよりないということでしょうか。 板垣さんが1990年、下 関長府教会に赴任して、久保田 が北松戸に残り、専従者という職を設けました。 私は、会堂 での「いしずえ塾」をひきつぎ、また専従の立ち位置から、 松戸 市内の市民運動などに加わり、また教団・教区問題の 「問題提起者」として活動 をしていくことになりました。 2000年に入って、少子化と高齢化の影響をうけ?、 日曜 学校と塾とをほぼ同時期に閉じることになりました。結果、会 堂の使用は 日曜と水曜の集会、二人の青年と久保田との 読書会など、それ以外はほぼ空き 部屋状態です。 47年間の〈北松戸〉を駆け足で概観しました。今日の聖 書のハ ゚ウロの言葉のように、「目標を目指してひたすら走」っ たなどとはほど遠い かもしれませんが、とにかく走ってきて 息切れ状態ですが、なんとか将来を 設計し前に腕を伸ばせ ないものでしょうか。
3月14日 日曜礼拝説教から 詩編23 「ともにいてくださる」 板垣弘毅 詩23編。色紙やしおりにもよく選ばれる聖句です ね。 「主はわたしを青草の原に休ませ、 憩いの水のほとり に伴い/魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさ わしく、 わたしを正しい道に導かれる。」 羊飼いの労働の現実は想像を超えますが、羊の ため によい草地や水場を求めて移動するのでしょう。「青草」 や「憩いの水のほ とり」というと、都市に住む人が「牧 歌的」なのどかな風景を想像しそうで すがまったく違 うはずです。人間は家畜として羊を養っているのです が、 ここは無防備に近い羊の立場?になって、生き延 びるちからを、羊飼いから守られ、 与えらていること に共感しています。 主は「魂を生き返らせてくださる」 身も 心も癒や してくださるとうたっています。 自分がそう感じる、 というのて ゙はありません。「主は御名にふさわしく、わ たしを正しい道に導かれる」 つまり、 私たちが「正 しい」と考える道は、それがどんな善意や良心に基づ くもの であっても、それは私たち人間の規模の正しさ、 そのまま神の正義などと名乗っ てはならない、神に信 頼する、神の恵みに安らぐ、憩うことは自分を固定化 した り絶対化しない事に結びつかなければならないの だ、そういうことだと思 います。自分だけでなく、他 者も固定化してはなりません。続いて4,5節。 「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。 あなたがわたしと共にい てくださる。あなたの鞭、あ なたの杖/それがわたしを力づける。」 詩人は、 今まで「主」(ヤハウェ)と呼んでいました が、ここで「あなた」と、二人 称で神に語りかけてい ます。「あなたがわたしと共にいてくださる。」 原文 で は「あなたがわたしと共にいてくださるから。」 と「か ら」が付いて います。「恐れない」のは、あなたがとも にいてくださるからです、といっ ています。聖書の信 仰の中心的は表現です。 しかし文字になったからには、これ が聖戦意識を鼓 舞するためにも引用されてしまいます。2001年9 月のニューヨー クの同時多発テロに対して、時の大統 領ブッシュは米軍出動に際し、テロとの戦 いと称して この聖句を使いました。 この告白は理性的に納得することではなく、 体でう なずくほかありません。言葉が指し示す彼方に無言で ひびきあえ ればいいですね。 そして最後にこう詠って、神への信頼を告白します。 「命の ある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。 主の家にわたしは帰り/生涯、そこ にとどまるであろ う。」 「死の影の谷」や「わたしを苦しめる者」に囲まれた 中で、「主の家」に自分はいる、というのです。 いま読む私たちにどんな光 景が思い浮かぶでしょう か。 災害でも、戦場でも、孤立したところへヘ リコプタ ーで食料を届けられて、しばしの安堵を売る―そんな 光景でしょ うか。 私の心をよぎったのは、他の人と共有するのは難し いですが、貧しい 食卓の豊かさというものです。とに かく、それでも、今食べることがで きたという安堵感 と喜びです。 福音書に描かれるイエスの食卓が直ぐ結ひ ゙つきまし た。行動そのものは小さなともしびのように、周りの 大きな闇に呑み 込まれてしまうかもしれない。でも今 ここで起こった小さなできごとは来 たるべきものを先 取りしているんだ、周囲は地獄だとしてもその中で「踊 る」ことはできる、というふうに私には聞こえました。 新型のコロナウィルスと いう異常な事態が続くなか で、社会の格差は広がっています。自分が「食へ ゙るこ とができる」ということは、世の中の仕組みの中でそ ういう位置に今 いるということですね。 詩編23篇の詩人は、おおらかで揺るぎない主なる 神 への信頼を謳っています。「あなたが共にいてくださ る」という確信は、きっ と「地獄」のような現実の中 で体で感じることなのだと思います。敵を憎 むことを 知っている者だけしか「敵を愛す」ことはできない、 と言った人が います。体で地獄を味わう者が、天国を 体で味わうのかもしれません。
3月7日 日曜礼拝説教から マルコ福音書3章1~5節 「休息する日」 久保田文貞 私たちが日曜に教会に行って礼拝をするということは、ど こか底の方で、ユタ ゙ヤ人が安息日に会堂に集まって礼拝を したこととつながっているという思いか ゙あります。そして、この コロナ禍の緊急事態が続いている今、あえてリスクを 冒しても教会で礼拝をすることを思うと、なおさらです。 マルコ福音書によれは ゙、イエスが洗礼者ヨハネの元を去 ってガリラヤ湖畔で4人の弟子をとり、そ の足で、カファルナ ウムの会堂に入ったと云います。その日は安息日で一行は 安息日礼拝に参列したことになります。祈祷文やトーラー朗 読などを終えて、思 うところのある参加者は発言が許される そうです。おそらくイエスもその時間 を利用して人々に教え られたのでしょう。(1:21) ・・・するとそこに汚れた霊に つかれた男がいて叫んだ。 「ナザレのイエス、構わないでくれ。我々を滅ほ ゙しに来たの か。正体はわかっている。神の聖者だ。」イエスがその霊を 叱り つけるとその人から出ていった。会衆みな驚いて「権威 ある新しい教えだ」と言っ た。・・・ こうしてイエスの公的な活動はその安息日に始まります が、その後も マルコ2:23~28、3:1~6、6:1~6、またルカ1 3:10~17、14:1以下、参考としてヨハネ 5:1以下、ヨハネ 7:22以下、9:1以下、パリサイ派ユダヤ人との論争上の動 機を 考慮したとしても、イエスが安息日に会堂に行って礼拝 し、そこに集まった人々 に熱く語るというのが一つの定型に なっているのがわかります。 会堂((希)シ ナゴーグ=集会)の歴史には諸説あるようで すが、本国を離れて各地に住ま わったユダヤ人信徒の間で 祈りの場、安息日の礼拝の場、子どもたちの教育 の場として 生まれたものと言われます。これを推進したのが、トーラー の精神を 生活の中に積極的に取り入れていったパリサイ派 ユダヤ人だと言えます。彼 らは、やがて以前は神殿祭司の 規則でしかなかった細かい規定を、信徒の日常 生活に当て られたものとしていきます。安息日は彼らの信徒としての実 践運動にとっ て格好の機会でした。ここには聖なるものをほ とんど独占し、その上にあぐ らをかいて堕落した神殿体制と 聖職者(祭司)をよそ目に、市井の信徒一人ひとりの 生活の 中にこそ、聖なる神の働きが確実に届けられているとの確 信の上に立った 運動だったということができます。 神の恵みが日常を暮らす信徒一人ひと りの上に「来たら せたまえ」という点で、基本的にイエスの宣教の姿勢と共通 す るものがあります。安息日に会堂を渡り歩いて(マルコ1: 38)人々に教えを説き、 悪霊払いや医療活動をしていくイ エスもまた、パリサイ派ユダヤ人と同じよ うに安息日を礼拝 をすると同時に、運動日としています。 安息日の歴史も、明確な ことはわからないそうですが、確 認できるのは前10世紀ダビデ王国時 代以降のことです。旧 約文学の中でも最古層の「契約の書」(出エジ 20:22~23:3 3)に出てくる安息日規定(23:12、13)をみると、「あなたは 六日の間、 あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめ ねばならない。それは、あなたの 牛やろばが休み、女奴隷 の子や寄留者が元気を回復するためである。」と。 これは、 すぐ前の22章20~26節の以下寄留者や寡婦、孤児、貧しい ものへの規定 とともに「契約の書」の真骨頂といってもよいで しょう。この思いやりは彼ら自 身がエジプトに寄留していた 時の痛みの体験に基いているというのです。 安息日規定 は、今風に言えば、働き方改革に通じ、エジプトでの強制 労 働のようなブラックな労働現場をクリアにするものだった のです。 残念なか ゙ら、パリサイ派の熱心さは、安息日の優しさを殺 し、日常の生活を拘束し、人 の痛みを無視しても律法にか なった義を追求するものになってしまいました。イエ スは、そ れが本末転倒であって、安息日こそ恵みの日、やさしさの 実現する日 であって、安息日の主人公は生活に困窮した 人々だと宣言する(マルコ2:27,28) のです。 ...こう締めくくると、どうにも不十分なかんがします。ユダ ヤ 教の側からすれば、そんなヒューマニズムのもっと奥底 に、人間の精神作用の 及ばぬところで、神は人に生きる形 を与え、静かなる儀礼の先に懐を広げて 待っていてくださる と、人に説かれることでしょう。 福音書は、安息日の原点 を回復せんとイエスが安息日 規定を無視して人を助け起こしますが、最後にこ のイエスの 思いを押しつぶしてしまうように、イエスを十字架にかけて 死に至ら せてしまいます。イエスを慕う人々の思いを十字架 につけ墓の中に持っていってし まうわけです。安息日の原 点に込められていた休息の優しさそのものも、十字架 上で 息絶えたイエスとともに無と帰してしまったかのようにです。 三日目にイ エスが墓から消えたという知らせをもっ て、イエス復活の知らせと受け止め直し、 〈然るべく〉と 言っておきたいところですが、私はもう少しあの三日 間に踏 みとどまって破綻してしまったガリラヤでのイ エスの宣教のことを想起し続 けたいと思います。
2月28日 日曜礼拝説教から マタイ福音書4章1~11節 「ただの人として」 久保田文貞 福音書をいう文学を作ったマルコ伝福音書の著者は、ま ず洗礼者ヨ ハネの出現から書き始めました。そのヨハネを預 言者イザヤの言葉で「荒れ野て ゙叫ぶ者の声」と位置づけ、イ エスの福音宣教はこの声に後押しされたかのよ うなスタート になります。この描き方は後に書かれたマタイ伝福音書、ル カ伝福音 書、さらにヨハネ伝福音書にも共通します。確かな ことは、原始キリスト教におい てイエスの宣教活動は荒野で の洗礼者ヨハネの運動から説き起こすことがセオ リーになっ ていたということです。とにかくイエスはヨハネのもとで洗礼 を受 け、修験僧のように荒れ野に入って(マルコ伝では「霊 に追いやられて」(1:12)と なっていますが)そこで何らかの 試練を受けたというのです。 旧約に書かれ たイスラエルの歴史にとって、荒野が重要 な鍵になっていることは繰り返す必要 はないでしょう。(ちょう ど1年前3月1日の説教で今日と同じ箇所について 話しまし た。)荒野はエジプトを脱出したイスラエルの民にとって、ヤ ハウェ 信仰の原点であり、学校であり、道を踏み外した時の 回帰点でした。 ロド リゴ・ガルシア監督の映画「荒野の誘惑」Last days in the desertという映画 を見ました。主人公はイェシュア(ギリ シャ語聖書のイェスの元になるヘブライ 語名)です。ちょうど マルコ1:12「そしてすぐに、霊が彼をあれのにほうり 出す。 そして40日の間荒野にいて」というところを描いた映画で す。わずかな 水を持って岩と砂の世界を命の限界までさま よう。この映画の前半は聞き取れる 話声はわずかで、あとは ほとんど聞き取れない雑音のようにしか響かない声。 ただ短 い字幕でその雑音の意味が知らされる。そこでは言葉もす り減って しまって、字幕の記号なしには意味をなさないとい う風なのです。イェシュアの 前に最初に登場するのは水を 求める別の隠修士ですが、重要なのはイェシュア のそばに ときおり現れる解離症的なもう一人の自分。福音書を読み 知る者には、 それがサタンの分身にちがいないと思わせま す。その後イェシュアは、夫とそ の妻、14、5才の息子という3 人家族に出会います。荒野のど真ん中に天幕住まい をしな がら石造の家を立てようとしています。妻は天幕の中で病気 で寝たき り。すり減った言葉ではどうしてそんなところに家族 が住もうとしているの かわかりません。イェシュアはその家族 のもとに一応客となります。いつのまにか 擦り切れた雑音の ような言葉がこの家族の中で、徐々に聞き取れる言葉にな っ ていきます。父親に心を閉ざしてきた息子の話を聞いて いやり、家の手伝いをし ながら夫、そして妻とも言葉少なで すが会話がかわされます。夫は妻を優 しく介護するのです が、一方で危険な崖の途中にある奇岩を見つけ一攫千金 を夢見て、息子とイェシュアの力を借りそれを掘り出そうとし ます。が、失敗し て崖を滑落し死亡。父は火葬(?)された 後、息子は念願のエルサレムに旅立つ。しか とは描かれて いないのですが、解離性の分身イェシュアはひとり残される 妻に 惹かれて残るらしい。そしてイェシュアも荒野を去ること になるのですが、そ こを去ったイェシュアは、そのままいきな り茨の冠を付け、十字架上に息絶えたイェ シュアになって 映画は終わるのです。マルコで言えば、1章13節の後、15 章 16節に直結することになります。 マタイとルカに出てくる、サタンがイエスに語 りかける言葉 「もしお前が神の子であるなら、この石ころがパンになるよ う に命じてみろ」また神殿の翼に立たせて「もしお前が神の子 であるなら、 この下に身を投げてみろ」、また世界の栄光を 見せ「お前がひれ伏してオレを 拝んだら、これを全部やる よ」というあの生臭い誘惑の問答は一つも出てきませ ん。 ところでこの映画に私は一つの仮説を立てました。荒れ 野で出会った家族 との時間は、福音書が描いたイエスのガ リラヤでの時間につながっている ということ。とにかく、荒れ 野という舞台でこの家族だけしかいないのですか ゙、登場す る夫と妻と青年はイェシュアが荒れ野を出て、ガリラヤで出 会う 群衆たちを象徴する家族のようなのです。しかし、ひ とり突っ走った夫は墜落死、 希望に燃える息子はエル サレムへ、イェシュアはこの二人の野心を否定するわ けて ゙もなく見守るだけ。隠修士然とした物腰の静かな 男イェシュアは病身の女に手 当し接吻してそこを去っ ていくのですが、先に述べたようにサタンのような 分 身を女の側に残してです。そして十字架の死に。 思えば、この家族は荒れ野 という舞台を別にすれば 全く普通に暮らすただの家族なのです。イェシュア は この家族の客人となり、この家族に寄り添っていたの ですが、崩壊してしま うとしか見えないこの家族にと ってイェシュアは何者だったのか、パンを与え ること も、墜落する夫を浮遊して助けることもできず、女を健 康な体に戻すこ ともできず、青年が旅立ったエルサレ ムで、十字架につけられて息絶えて しまうのです。 《彼の弟子たちを教えて、人の子は人々の手に引き渡 され、人々は彼を殺し、殺さ れた後彼は三日後に復活す るであろう、と言っていた・・・》(マルコ9:31)
2月21日 日曜礼拝説教から マタイ福音書10章24~33節 「飼い慣らされた死の時代に抗して」 八木かおりさん 「飼い慣らされた死の時代に抗して」というテーマ は、昨年2020 年の7月に80歳で死を迎えた父、八木洋一 が、1年以上前から自分の葬儀のため に書きかけていて 結局、未完となった文章の題です。まず、部分的にでは あ りますが以下引用します。 「仮にわたしたちの時代をそのように呼ぶとすると、 そ れは、わたしたちの時代は深い宗教性の喪失の時代で あると呼ぶのと同じ 意味をもつことになるでしょう。 「飼いならされた死」とは、生を破壊する死の 力を生が コントロールできるという信念のもとに現れる死の様 相です。国家 間では超大国による大量破壊兵器の管理 と取引。国家による医療福祉制度。個人か ゙かける各種生 命保険、またいわゆる「宗教」も、このような葬儀も、生 が死の 破壊力を手なづけるために一役かっているので す。 まずは、イエスの言葉を 読みます。『あなたたちのう ち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿 命をわず かでも延ばすことができようか』 ここにその顕著な特徴がよ く表れています。つまり、死 を手なづけた生に抗して、死の破壊力をはっきりつ き つけ、生死のなずんだ関係を激化します。長くなりそう ですが、大切な ところですからもう一押ししましょう。 わたしたちも『一寸先は闇だ』とも、 『来年の事をいうと 鬼がわらう』とも言います。どこが違うのでしょうか。 いずれも背後に死の力が暗示されることばです。問題 は、これを語るひと にとっての死の力ありようです。大 概は『飼いならされ、手なづけられた死』て ゙しょう。なん の力もないんです。イエスのことばは違います。こうで す。 お弟子の一人がこう言います。『まず、父を葬りに行 かせてください。』す るとイエスは答えます。『わたしに 従ってきなさい。その死人を葬るとは、死人に 任せてお きなさい。』 すごいことばです。イエスは活ける死の力を生きた 人といえるでしょう。しかしそれだけならイエスはド ラキュラと違いはないて ゙しょう。ここが大切な点です。 確かに、活ける死だけが生に変容をあた えることがで きる生の変容がある。イエスはその変容した生死を生 きた人と 言えるでしょう。それが、『わたしに従って来 なさい』といわれるイエスの 『わたし』ではないでしょう か。この『わたし』」そ、生死を生きると同時に 生死を超 えた『わたし』です。 そして道元は言います。『生死、是、仏の御いの ちな り』、と。この『わたし』のことを言ってるんです。『私と は何か』という 己事究明の問いは、この『生と死』(仏教 読みではショウジ)の問題に始まり、 この「生と死」の 問題でおわります。私も少年時代に歩み出したこの道 をこの問 題で終わらせたいと思います。(中略) 「さて、もうひとつイエスのことばを取 り上げ、必要 な私のコメントを加えていくことにしていきます。『神 なしには一 羽の雀も地に落ちる事はない。』(マタイ10: 29)このイエスのことばには、まず 翻訳上のコメント が必要です。この句のはじめの『神なければ』の部分は、 日本語の翻訳によって一般に流布して理解は、『神の許 しなければ』ということ になっています。これは、明ら かに翻訳の誤りであり、更にいえば、イエスの 語る『真 理』の言い表しとしても的を射たものとはいえません。 このイエスのこと ばのエッセンスは、端的に『神がなけ れば』ということです。(因に、誠一 先生は「神抜きには」 と訳しています。)『神なしには一羽の雀も地に落ちる 事は ない。』というのが元々のイエスの言葉だと考えら れます。ところで、宗教 論は元来生命論と一つでした。 現在のようにバラバラに分かれていませんて ゙した。概 念上も齟齬なく相互に翻訳が可能でした。誠一先生が 切り拓いた、 仲間内では「〈場〉所論」(バッショロン) と呼ばれている宗教論は、生命論 を内に含む宗教論の 今日的な試みであるといえます。そこで、宗教論の概念 を 生命論の概念で言い換えて話を少しでも解りやすく したいと思います。 1.神は根源的な「いのちの働き」です。したがって、名 詞ではなく動詞で す。 2.世界とその中の人(身体性/人格性)の「いのちの 営み」は、神の根源的ないのちの 自己伝達、自己実現と して成り立つ。それは、自己表現ともいわれる。 3.いのち とは、この三位一体論的構造として成り立つ 活動である。基礎範疇は作用転換お よび作用的一である。」
2月14日 日曜礼拝説教から 第二テサロニケ3章6~13節 「『書記バートルビー』のこと」 久保田文貞 「これ、なに? この題で話をみて聞こうと思う人なんかい ない」と細君が言うので、ちょっ とぐらついたのですがやっぱ りこれでいくことにしました。実は月1回、 A君がここに来て私 と勉強会というか読書会をしています。足掛け3年になりま す。 そこである関連から先月、この本をとりあげたのです。オ ーバーかも知れ ませんがふたりで熱く語り合いました。 これはアメリカの作家メルビルの短 編小説の題名です。 筋は単純です。NewYorkのウォール街に構えた小さな弁護 士事務所が舞台で、その弁護士が語り手です。そこにちょ っと変わり者の 書記2名と小間使いの少年が働いています。 仕事が増えることになって、新たに 書記一人を採用すること にします。応募してきたのがバートルビーでした。 痩せて青 白い人ですが、真面目そうだというので採用になります。 この小 説は1853年に書かれています。ちょうどペリー総 督が日本に来て日米和親条 約を結んだ年です。アメリカ北 部は工業化がある程度進んでニューヨークか ゙商取引の中心 になっていき、アメリカが海外進出を始めた頃です。だが 同 時にアメリカ国内で産業構造の矛盾が徐々に露見してい き、それから10数年 後、南北戦争へ突入する前夜でもあり ます。やり手の弁護士なら企業の中心部に 入り込んで業績 を伸ばせたはずです。しかしこの弁護士はあまり金になら な い地味な仕事をこつこつとこなすだけなのです。 それとこの小説に関わるこ とをもう一つ。この時期、まだタ イプライターが使われていません。それは もう少し後のこと。 つまりここに出てくる書記たちの仕事は、裁判所への提出 書類 や、契約人らに渡す書類づくり、要するに今コピー機 がしている仕事です。 バートルビーの仕事も書類を筆写す ること主です。その上で筆写したものか ゙原本と違わぬかどう か、みんなで読み合わせて確認することも重要な仕事に な ります。所長がバートルビーに筆写を止めて読み合わせの 仕事に参加して ほしいと頼むと、「しない方がいいと思うの です」(牧野訳)(I would prefer not to.)と応えます。はじ め所長はそれならしかたないと受け入れますが、次 にまた 頼むと同じ答えが返ってくる。その次も、またその次も。他の 連中は腹 を立て事務所の空気は凍りついていく。あるとき 所長が日曜に教会➖独立前に英 王がウォール街に建てた 有名な三位一体教会です➖にいこうと家を出た。また ゙早か ったので事務所に行ってみると、そこにバートルビーがかっ てに住 みついているのを発見してしまう。肝心の筆写の仕 事もその決り文句でやらなく なります。ついに馘だと言い渡 すのですが、またもあの文句が出てきて動 こうとしない。しま いには事務所が移転して出ていくという本末転倒なことにな るのですが、彼は空き家になった事務所からも出ていかな い。大家が締め切っ てもビルの階段に居すわる。ついに不 法侵入のかどで警察に、最後は刑務所 に。そこでも何もし ない、食べることもしない。とうとう刑務所の芝の上で 眠った ように死んでしまうという話です。 なにか現在の世界にも突きつけられ たような話です。そ れがブラック企業での話ならまだわかる気がしま す。そうで はなくて、地味な法律事務をほどほどにこなす、温厚で人 の良 いクリスチャンの弁護士事務所でのことだけに、かえっ て深刻です。A君にとっ て、バートルビーの仕事と、事実上 の仕事放棄の道筋は他人事と思えなかった というのです。 今日読んだテサロニケ後書3章6節以下は、「主イエス・ キリス トの名において」(6節)怠惰な生活をせず、「静かに 働いて、みずからのパン を食べるように」(12節)と強く奨め ています。その中に有名な「働こうとしない 者は、食うべから ず」(3:10)と、レーニンが社会主義の実践的戒律とした有 名な言葉も入っています。実はこの生活実践の奨めは多分 パウロより20年ぐら い後の誰かが、パウロが書いたテサロニ ケ前書を書き直した修正版(後書)の 中のもの。つまり前書 のそこここで(1:10、3:13、4:14-17)パウロは「主の来臨」 が 間近に迫っている説きます。最もそれがいつ来るかわから ない。だからい つ来ても慌てることのないように身辺整理を しておきなさいというのが前書5章1 節以下です。けれども、 それが10年以上続いてしまうと、主の日はもう来て いると、 言い出すものが出てくる(後書2:2)。無責任な言葉が飛び 交い、何 人かが浮足立つ。でもそんな虚偽の言葉はかなら ず滅びる(2:8)。そして後 書の著者は、〈主の日はまだ来て いない。それまで「しっかり」「静かに」働 き続けよう〉と、パウ ロの名を借りて説くのです。「働こうとしないものは食 うべから ず」とは、主の日は来てしまったのだからもう働く必要はない とい う連中に向けての言葉だったのです。 事業家たちや貿易商たちの精神はいざ しらず、あの弁護 士所長のように、信仰的な動機は日曜に教会に行くぐらい に してカッコに入れ、職業として「しっかり」「静かに」「働く」と するなら、いま や世界中に通用する生活倫理でしょう。で は、そうなると、「しないでよろ しいなら、やりたくないのです が」というバートルビーは「しっかり」 「静かに」「働かない」と いう人はどこにいくのでしょう。刑務所=「墓場」? それで いいのか。著者メルビルはそう問いかけているのではない でしょう か。「しっかり」「静かに」「働かない」という人は「しっ かり」「静かに」存在 しているのです。「しっかり」「静かに」働 か(け)なかった人も「主の日」に迎 え入れられますようにと 祈らざるを得ません。
2月7日 日曜礼拝説教から コロサイ2章13~23節 「タブーを破ってでも」 久保田文貞 2月11日は建国記念日です。わたしが学生だった頃19 60年代で すが、保守勢力は紀元節復活を強力に推し進 め、革新は天皇制軍国主義の復活か と警戒し、キリスト教も 各派で反対運動を起こしました。 日本は1853年に開国し、 その後は欧米諸国と通商条約 を結びましたが、10数年間、宣教師の入国と活動 には幕府 も明治新政権も抵抗しました。渋々キリスト教の宣教を認め た後も、和魂 洋才、科学と技術は積極的に移入するが、精 神面は要りませんというわけです。 やがて明治支配層は教 育勅語(1891)によって民を天皇制国家主義の道徳で縛 り、 欧米列強に追いつけ追い越せと叱咤、その果てが東ア ジア、太平洋地域の侵略 戦争でした。無謀な戦争は完膚 無きまでの敗戦という結果に終わり、日本は連 合軍の監視 のもと民主国家として出発していきます。それから20年立 つか立たぬう ちに紀元節復活、つまり再び天皇制を軸に日 本を再建しようとしたわけです。 その歴史をキリスト教はどう挑み、担い、あるいはかいくぐ り、時には知らん 顔して見過ごしてきたか、それが明治以後 の短い近代日本キリスト教史の課題 になります。その中で2 ・11自体は戦後日本の趨勢にとって大したものではあり ま せんが、日本の教会の歴史には象徴的な意味があります。 近・現代の世界は、 好むと好まざるに関わらず近代ヨーロ ッパの世界システム(ウォラースティン)の 中に取り込まれて います。天皇制もその中の世界友好的な一元首のふりをし て生き 残るよりない形になっています。そのことはキリスト教 にとっても同じです。 平和を賛美する列に連なる一宗教とし てその世界システムの中の定められた場所に いるかぎり安 泰というわけです。 内田樹が『日本習合論』という本を昨年出 しました。古来 よりある神仏習合の〈習合〉です。神とは日本特有の神々信 仰、 仏とは大陸渡来の仏教信仰ですが、御存知の通り日本 では二者択一に落ちる ことなく、共存の道を選んだ、それが 習合です。内田はこれが日本のど の歴史的な局面にも顔を 出し、互いに「破壊しない、排除しない」、本当は両立て ゙き ないはずなのに、それを両立させてしまう、それを自分の身 体でもって成 立させてしまう力があると、わたしはそう理解し ました。 いやこの〈理解〉とい うやつも内田に言わせれば曲 者で、親密になって「理解するとか共感するとか」 という原理 は必ず排除の論理を伴う、だから理解・共感なしに共存す る、それ が日本の習合という戦略だというのです。皆さんは これをどう思いますか。 理解・共感のスケールを持ち出さず に共存できますか。 で、わたしは聖書を 持ち出します。唯一の基準カノンだと も思いませんが、もうこれで習合は難 しいでしょうか。コロサ イ書です。パウロの異邦人伝道によって生み出され た異邦 人伝道者某がパウロの名を借りて書いた文書です。パウロ はイエス の十字架死と復活の出来事に遭って、世界の終局 を予感し、ユダヤ人としてのア イデンティティを粉砕し、結 果、非ユダヤ=異邦に向かい、そこで福音宣教を する道を 見出します。ロマ書前半に読むとおりです。こうしてすべて の人が キリストの信を得て、この世界を生きることの意味を 見出してほしいということて ゙しょう。あの伝道者某も基本的に はパウロと同じ道を歩もうとしています。 12節「...洗礼(バプテスマ)によってキリストと共に葬られ、キ リストを死者の 中から復活させた神の力を信じて、キリストと 共に復活させられた」 14節「数々 の規則によって私たちを 訴えて不利に陥れていた借用書を破棄し、これを十字架に 釘付けにして取り除いてくださった...。」 15節「...神はもろ もろの支配と権威 の武装を解除し、キリストにあって彼らを 勝利の行進に従えて、公然とさらしもの になさいました。」 彼にとってはこれまで生まれ育ってきた世界が〈異邦〉な のです。その異邦の中で洗礼を受けて自分は十字架につ けられて死に、復活し たいまの自分、新たにより強固なアイ デンティティを獲得した自分を彼は生きて います。その異邦 の中で今も身近にある異邦(かつての自分)の習俗や決まり から 自由だと実感しながらです。故郷にユダヤ人世界を残 しているパウロと そこがどうしても違うところです。 自分の故郷を〈異邦〉として外化し、そ の分故郷から疎外 され、信念だけで信仰世界に着地しているというのが、異 邦 に生きることになるクリスチャンの姿ということになるのでしょ うか。そうと するなら、哀れを感じてしまいます。結局、そうな ると、現実的には最終的に、 異邦の中を涼しい顔をして、無 害ですよという風に歩いていくというのでしょ うか。内田の言 うような習合を生きるということになるのでしょうか。 「事(異 物との共生)に当たっては 理解や共感に過剰な価 値を賦与すべきではない。」 「理解も共感もないけれど限定 的なタスクについては、それぞれ自分が何を しなければい けないのかがわかっている」。「そんな中で思いがけない解 が見つかる」と内田は言います。コロサイの某もそうなってい くのでしょうか。 しかし、わたしは理解と共感をそうかんたん に捨てるわけには行かない、もっと愚 直でよいと思います。
1月31日 日曜礼拝説教から 聖 書:マルコ福音書6章30~44節 講 演:三森妃佐子さん (神奈川教区寿センター主事) 題 : 「いのちの分かち合い――私たちは どこに誰と共に立つのか」 コロナ下の中で週一回の炊き出し コロナ下の中、寿地区の炊き出しは続けてい る。野外であること以外は不安材 料は多い。に もかかわらず止めることはできない。並ぶ人た ちにはマスクを 配り、手を消毒し行っている。 この炊き出しは野宿している人たち、寿の住人 にとっ て生命線であるからである。 私たちの炊き出しは本当に小さい働きであ る。 週1回だけの炊き出しが何の足しになって いるのかとも思うが、紹介したいと 思う。 9月~7月まで毎週金曜日、朝7時30分から準 備を始め、8時から野菜の切り 込みをし、午後1 時から配食をする。場所は寿公園で雑炊の提供 を行っている。 お替り自由 平均約550食。労働 者と寿住人とボランティアが「一緒に作って一 緒に食べる」をモットーにしている。その場は 触れ合いの場であり、交差点て ゙もある。ボラン ティアは「寿」を発信するメッセンジャーでもあ る。外か ら言われる「怖いところ、怠け者の町」 という偏見が渦巻く中、「寿」の現実を 発信して 欲しいと思っている。「寿の問題」と言われてい るのは、実は「寿の外の 問題」であり、外の人間 は自分たちの問題だと気づいたところから始ま る。 また、炊き出しに集まる人たちの情報交流 の場でもある。 いつも心に浮かぶ言 葉がある。それは、宮澤 賢治の『銀河鉄道の夜』という本の中にある「世 界全体 が幸福にならないうちは、個人の幸福は ありえない」という言葉だ。この言葉 は、まさに 聖書で語っていることだと思う。苦しんでいる 人の声、悩んで いる人の声、そして叫んでいる 人の叫び、路上にいる人たちの叫びを聞きく こ とが大切だと思う。ひとりひとりの命が尊ば れ、互いの違いを認め合え るよう、一人ひとり が繋がりあえば、そこに必ず希望が見えると信 じ ている。希望をも創り出していけると信じて います。この世を変えていくことか ゙できると思 います。「寿」に集まって来る、中学生から大人8 6才まで一緒に この社会の矛盾に怒りをもって 変えていこうとする仲間がたくさんいる。 また 「寿」高齢者、障がい者、様々な事情を抱 えた人たちが一緒に暮らしている。 なんとふと ころが深い町、包容力のある町だろうと思う。 わたしはこの町が 大好きです。だからこそ35 年、炊き出し28年間も居続けられるのだと思 う。 神の与えたもうたかけがえのない命ある者が ひとりとして不幸を味わってはな らないと思 う。はらわたを突き動かされ、痛みを分かち合 い、いのちを分かち合う 共同体でありたいと思 うと共に創り出していきたい。
1月24日 日曜礼拝説教から マルコ福音書16章6~7節 「接触できないこと」 久保田文貞 動物を鏡の前におくとどういう反応をするかという実験は ダーウィ ン以来の歴史がありますが、この実験の条件を厳 密にして動物の鏡像自己認知 能力を明らかにしたのがゴー ドン・ギャラップという実験心理学者で す。1970年以降のこと です。結局鏡を見てそれが自己だと理解できるのは ヒト以 外にチンパンジーだけだったというのが当初の結論です。 しか し、鏡の中の個体が自分だと認知できたからといって、 自分を自分だと認 知するために参照した自己の出自は不 明のままです。ギャラップとその仲間 はこれをさらに緻密に 研究していきます。そのひとつがチンパージンを使っ た実 験で、兄弟や母に直に触れることのできる個体と、透明な仕 切りで隔て られ、見えるけれども触れることはできない個体 に分けてそれぞれ育てます (動物虐待だと抗議が出るよう な実験ですが)。後にこれら子に鏡を見せて その中の像を 自己と認知できるかどうか検証しました。すると母や他の仲 間に 触れ合えなかったチンパンジーは自己認知できなかっ たという結論が出た というのです。 マルクスが『資本論』で商品の価値について論じていると ころで(註18)、「見ようによっては人間も商品と同じこと」「人 間は鏡を持っ てこの世に生まれてくるのでもなければ、わた しはわたしである、というフィ ヒテ流の哲学者として生まれて くるのでもないから、人間は最初はまずほかの 人間の中に 自分を映してみるのである。」と、その後ペテロとパウロの関 係 にふれています。でも、人が他者の中に反映しているも のが自分であると わかるためには、どうしても参照すべき〈自 己〉が控えていなければなら ない、屁理屈みたいだけど大 事なことだと思います。子が母親にしがみ つくと母が抱き返 す、キョウダイを叩くと叩き返してくる、叩くと痛いという ことを 互いに知り合う、そんなじゃれあいの中で無意識のうちに自 己という参 照点を作っているように思います。 先週、私は初めてWEB上での研究会を経験しま した。コ ロナ前には、机を囲んで顔を見、生の声で発表を聞き、質 問し意見を 述べ、終わると近くの食事処で食べたり呑んだり してその続きをやってい ました。それが当然だと思っていま した。コロナ後、感染を避けるためにそれ を自粛することに しました。しかし、いつまで待っても治まらない、そこで若 い 人たちが中心になってZOOMを使って再開しようということ になったのです。 正直、わたしには違和感があって乗り気 でありませんでした。でも、やっ てみると、発表者のレジメや 資料が上手に提示され、議論もまあまあなんとかて ゙き、便利 だと思いました。外出が億劫になってきた年寄りには結構あ りが たい面があります。 でも、なんとも言えぬ隙間が口を開いている感は拭いき れませんでした。そもそも電話やテレビもそうですけれど、 電信技術力て ゙の遠隔コミュニケーションが可能なのは、そ れまでの生の触れ合いの上で 培ってきたコミニケーション力 の蓄積があるからです。だからそればかり に頼っていると、 やがて蓄積されてきた生のコミュニケーション力は時ととも に すり減っていくに違いないと予感します。腹の奥から飛沫 をおびつつ響いてきた 友の声を聞き、手を伸ばせば触れら れるほどの距離で笑ったり、ときに怒っ たりしあった感覚がコ ミニケーションを支えているのではないでしょうか。 後出し的な聖書の読み方で恐縮ですが、〈触れ合えるこ と触れ合えないこと〉 の問題を語ってくれるように思うのが、 イエスの十字架の死の三日目の朝に、マク ゙ダラのマリヤが 残っていた葬りの習俗を成し遂げるために墓に行き、そこて ゙ 墓が空だったという場面です。彼女の心意気は、腐乱しか かったイエスの 亡骸にまみれる覚悟のものでした。つい数 日前までは、イエスの生の声を直く ゙側で聞き、食事を共に し、自然に触れ合うことができたが、いま何も応 えない死者 イエスの体に一方的に触れるだけ。こうしてマリヤは人々の 間に割っ て入って語りかける生けるイエスと、もう二度と人々 の間に割って入り語りかける ことのない死せるイエスとが、同 一人物であることを触って確かめる最後の人 間になろうとし ています。 . だが墓は開け放しになっていて、そこに死せるイエスの 亡骸はなかった。そこ に若者が現れて「驚くことはない。十 字架につけられたナザレ人イエスを探し ておいでか。彼は 甦った。ここには居ない。・・・彼は、以前あなた方に言って いたように、あなた方を先立ち導いてガリラヤへと行く。そこ で彼に会えるた ゙ろう、と」言う。死者イエスを人々の記憶で埋 め尽くし、葬りを完遂させるマ リヤの最後の務めは破棄され た。新たな務めは、イエスは生けるものとして人々に 先立 ち、ガリラヤへと向かい、そこで人々に会うという伝言が託さ れたこと です。生けるイエスが死せるイエスと実践で結ばれ るはずだという人々 の憶測を断ち切って、かつてガリラヤで 人々の間に割って入り語りかけ群衆と 一緒に食事をし病人 にふれて癒やしたあの運動が再開するというメッセージて ゙ 連絡先 す。〈みんなを呼べ、自分のガリラヤを見つけ、そこでわたし を 探してくれ。そこで一緒に生きよう。そこで一緒に働こう。〉 そう伝えてくれ と、生の飛沫を混じえた声がするようにです。
1月17日 ルカ福音書9章1~10節 「派遣のヒンカク」 久保田文貞 日本のようなキリスト教からすると異教世界では、クリスチ ャンは自分は〈いま・ここに〉派遣されてあるという自意識をも つことになります。 それは周囲の人々にいつも客人のよ う に臨むという基本的な姿勢を作っています。この派遣という 存在様式を端的に奨 励しているのが、マタイ福音書最後の 言葉、28章19-20です。第一感、いやにな るくらい上から 目線ですが、この福音書の中身に戻ってもっと具体的に派 遣に ついて語っているところを見ると、これが単なる上から 目線ではないことが わかります。今日、ルカ9章1節以下で 読んだ「弟子派遣」のマタイ版10章を見 てください。 ルカの場合には派遣されてその委託されたミッションを果 たすのは 選ばれた特定の弟子たちであり、使徒言行録も含 めて言えば、宣教は聖霊に よって促された使徒たちのミッシ ョンなのです。それを典型的に表わしているのか ゙、行伝20 章17以下です。パウロがエフェソの長老たちを前に、自分 は聖霊 に促され、託された使命を果しにいく。君たちは自 分の居場所に戻るよう諭してお 別れするところです。使徒と は自分の居場所をなげうって派遣されていく。そ れに対して あとに残る長老たちはそれぞれの居場所でクリスチャンとし ての日 常を生きていくと、ある種の棲み分けをする。派遣さ れてあるという使徒の存在様 式を、日常を生きる信徒の存 在様式と切り離しています。教職と信徒をわける制度か ゙生ま れ始めていることを感じさせます。 マタイ10章の派遣の言葉は、直接には 選ばれた十二弟 子に宛てられているのですが、読めばすぐ分かる通り、 イエ スに従うすべての者への言葉になっています。そこでは十 二弟子はイエス に従う者の象徴的な存在でしかないので す。マタイ福音書の著者を生み出し、 そのような言葉を書か せ、その言葉を聞いて受け止めたグループ(それをマタイ 教会と呼んでおきます)は、イエスを信じ、イエスに従う信徒 一人ひとりがみ な弟子であり、派遣されて〈いまここに〉ある というあり方をしているといって よいと思います。派遣される のは使徒だけではない、クリスチャンすべてか ゙この世界に派 遣されているのだという点を強調しています。 ただし、マタイ 教会はあの最後の世界宣教命令の言葉を 掲げておきながら、一方で10章5節の ように《イエスはこの 十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異 邦 人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入って はならない。 むし ろ、イスラエルの家の失われた羊のところ へ行きなさい。」と、ユダヤ主義とし か思えない言葉を残して います。この自家撞着の問題に興味そそられますが、深 入 りしないで先を進めることにしいます。 このようにマタイ教会では、全員か ゙一丸となってイエスの 弟子となり、自分たちを「小さな者」となし(10:42)、その よう にしてほとんど何も持たないで町々村々へと派遣されてい く、《ただて ゙受けたのだから、ただで与えなさい》(10:8)とい う覚悟で、外に向かっ ていくことになります。理屈上は内側 には自分の力で蓄えたものはなにもないか ら何をもっていこ うか悩むこともない。必要なものはその都度与えられるとみ なし て無一物で派遣されていく・・・。文字通りにそれを実践 していこうとすれば、 早晩潰れてしまうでしょう。実際はどうし たってある種の理念化をして、現実 の水準と言葉の水準と を切り離して使い分けるよりありません。すくなくともこの 福 音書を受け継いだ後の教会の人たちはさらにそれをうまくこ なしていったと断 言できます。 結局、ルカもマタイも、教会は何らかの形で世界宣教に 向かって 派遣された在り方を採っていくという構えをとって います。けれども、オリジ ナルなイエス運動は、それとは別も のだったのではないかと思われます。マル コ福音書ももちろ んイエス死後の原始教会の一つの流れの中にいるわけで すが、 この福音書の得意な点は、原始教会がイエスをキリス トとして宣教する中で忘 れられていったオリジナルなイエス 運動を意識的に対置させた点にあるとみます。 マルコは5 章6節B以下に弟子派遣の記事が出てきます。しかし、私に はどうみ ても、弟子を二人一組にして陣容を整え、一般の 人々が住まう「町や村」(マタイ 10:11)に派遣しまるで一つ ひとつの町や村を獲っていくかのようなベタな宣教 をすると いった戦略まがいのものは、マルコ福音書全体に描かれる イエス運動の 姿にそぐわない感がしてなりません。 イエス運動はガリラヤ湖畔の町々で 始まりました。居場所 を失くしてしまった者、失くしかけている者たち、家族に見 放されかかった病人たち、罪人というレッテルを貼られ共同 体から出るよりない人 たちが、いわばガリラヤの下町に流れ ついてくる。イエス運動は、そこに流 動する民衆のあいだで 展開されます。居場所を失って流動してきた人々の間に、 イエスと弟子たちも自分の居場所を定めます。イエスと彼に 従っている人たちは、 そこで派遣された客人のように振る舞 うのではなく、流動する群衆たちに居場 所を提供するという 風なのです。それはマルコだけでなく、福音書に残され たイエスについての諸伝承から読み取れる基本的なイ エスの佇まいではないかと 思います。
1月10日の礼拝説教 聖書 マルコ9:14~27 「純然たる欠如」 板垣弘毅 「群衆は皆、イエスを見つけて非常に驚き、駆け寄っ て来て」とマルコは記します。人々はイエスを見ただ けで、非常に驚くのです。マルコは存在そのものに潜 む何かを群 衆が見抜いた、直感したと強調します。群 衆の中から一人の者がやってき、 「霊がこの子に取りつ くと、所かまわず地面に引き倒すのです。すると、こ の子は口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせ てしまいます」 イエスは、 この父親が頼った弟子たちが無力だったと 聞いて嘆きます。「なんて信のな いひとたちなんだ!」 そして、その息子をそばに連れてこさせます。 「霊は、 イエスを見ると、すぐにその子を引きつけさ せた。その子は地面に倒れ、転び 回って泡を吹いた。」 悪霊は、イエスを見た瞬間、平静でいられなくなり ます。 カファルナウムという町で、安息日に会堂に入 られたイエスを見た汚れた霊が 「ナザレのイエス、か まわないでくれ。われわれを滅ぼしに来たのか。正体 はわかっている。神の聖者だ」(1:21)イエスが 「黙れ!この人から出て行け」と 命ずるのです。私に はこう読めます。悪霊が取り憑くという古代的な風景 は、 その人をその人でなくしてしまうある力が働いて いるということで、「ナサ ゙レのイエス!、かまわないで くれ」という叫びは、その人自身の今の姿なのた ゙と思 います。彼自身の叫びです。イエスは、その人と、そ の人を乗っ取った ものとを引き離します。 きょうのこのてんかんの息子も、イエス見抜いたん です ね。彼自身が見た瞬間、ただならぬ気配を感じる。 最初の群衆が非常に驚 いた、というのと同じです。言 葉にならないできごとなんですね。一瞬、 心の奥底に 射し込んでくる光のようなことは、確かにあると思え ます。父親はい います。 「霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の 中に投げ込みまし た。」 父親は懇願します。 「(何か)おできになるなら、わたしどもを憐れんて ゙お 助けください。」 多くを期待できないとしても「何でもいいから何か助 けて いただけないでしょうか」と、父親はイエスに願っています。 ここに「て ゙きればという信」があります。わたしたちの一般的 な「信じる」です。 ものごとにあまり過大な期待をしない。外 れた時の落胆を少しでも和らげる。 「自分を信じる」という時も、自分がしてきた努力なり実績なり を肯定する、 それを超える事態がおこるなら諦めよう、という 構えだと思います。 薬物の効 果のような全能感は別として、考えて見れば自 分が期待もできないことを 「信じる」ことは、人にはできない はずです。 自分にも相手にも100%かけ たりしない、「できない」とし ても自分も相手も責めない、現実として受け入れ るという、 いわば健全な不信です。 ところがイエスの答えは、 「『でき れば』と言うか。信じる者には何でもできる。」 留保した「信」ではた ゙めだ、全身全霊を懸けよ、と言ってい るのでしょうか?「何でもできる。」 という訳が誤解を招くかも しれません。「いかなる事も、信ずるものには起こ りうる」とい うことです。言いかえれば、これから起こることに白紙でいら れる人こそ「信じる者だ」と、イエスは言っています。神がそ の人に用意し ていることは、その人にとって空洞であって、 その空洞をその人の期待や不安て ゙埋める事はできないの だと言うことです。 父親はこのイエスの言葉をきっ かけにして、イエスを見抜 くんです。群衆が、(悪霊憑きの)息子が、見抜い たように、 この父親も一瞬にしてただならぬイエスという存在、イエスと いうて ゙きごとに目覚める。言葉による納得ではありません。 「その子の父親はすく ゙に叫んだ。「信じます。信仰のな いわたしをお助けください。」 「私の不 信を助けてください」と叫んでいます。 「私の不信を」になっています。すく ゙前では「できれば私 たちを助けてください」でした。「私たち」が 「私」になってい ます。イエスの前でとっさに出てきた一言です。目の前にい るイエスという存在に、独りで向き合っています。 アウシュヴィッツで刑死 した牧師、ボンヘッファーは、孤 独になれなければ連帯もできないと、と言 いました。イエス の眼差しの中で、私が私たちになる、私たちが私になる出 来事が起こっています。イエスというできごとは、私にとっては神の国の福音 です。 「御国を来たらせたまえ」と祈る神の国です。白紙への 「信」です。 イエスにおいて、人々、つまり私の前にあらわされた「できごと」は、まったく 「新しいもの」、人間のはからい を越えているものだと思います。 ... (全文は 板垣まで)
21年1月3日 礼拝に向けて コロサイ書1章13~20節 「主の新しい年へ」 久保田文貞 12月25日、キリストの生誕を祝い、そこから一週間後に新 年を迎えるというのが、 私たちには当たり前のことになって います。かくしてクリスマスが、年中行事の 中に組みいられ、 キリストの誕生日と一人ひとりの誕生日とがカレンダーの中 に同列に並べられています。もっと言えば3年前までは平成 天皇の誕生日が すぐ間際に並んでいました。 御存知の通り、12月25日がナザレのイエスの 誕生日とい うわけではありません。3世紀頃に教会会議を重ねながら定 まって いったものです。つまりキリスト教会は、人間の権力が 支配してきたこの世界 に向かって、神の子キリストがそれを も超える権威をもった方であると、これ をもってじんわりと宣 言したのです。もちろんこの世界に生まれたキリストか ゙この 世界を、人々から恐れられている諸力や権力者と同じような 仕方で支配 する方ではないということはクリスマス物語のひ とつひとつから読み取ることか ゙できるとおりです。しかし、こ の幼な子が成長して人々の前に現れ、人々 を苦難の底か ら引き上げ、拘束から解放し、ついには人々の罪を背負っ て命へと 羽ばたかせてくださったと言っても、そこには神の 力による新手の支配が待 ち構えているのを予感しないでし ょうか。実際、その後の教会は繰り返し政治権 力に接近し、 自分の権威の手触りのほどを確認しようとしてやけどをして きた のです。冬至の2、3日後、暗かった夜が光の方に向か って歩み始めるような気 分に囚われ、一週間が過ぎてます ます光が輝き始めたと感じるであろう 時を、クリスマスと設定 した教会は(もちろん南半球ではそれがまったく通じ ないこ となど知らずに)半分は新手の支配を自分たちが手にする と錯覚して いたとしか思えません。 基本的に、聖書では私たちが肌身に感じる支配の力 を 「異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たち は、その民の上に権力を ふるっている。」(マタイ20:25)とい うマタイ的な表現に託して現しています。もっ とも日本語(口 語訳、新共同訳など)聖書が「支配」と訳している時、注意 が 必要です。私たちは近代的な感覚で「支配」という言葉の 意味を捉えます。そ れは社会的行動のある種の仕方を表 し、力を持ったものが他者を自分の意のまま に動かすこと、 他者の行動や考え方を束縛したり影響を与えたりすること、 他者を 監督したり指揮したりすることなどを意味します。要 するに人間の間で力ある ものがほかの人間にその力を及ぼ すわけで、人間同士の間におこる支配・被 支配を前提にし ています。 この人間の間に起こる支配関係を、堂々と神と人間の間 に起こる関係として表現し使っていくのが、今日読んだコロ サイ書の独特な仕 方です。 「御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する 御子の支配 下に移してくださいました。」 ここで「御子の支配下に移す」という日本語へ の訳し方はち ょっとひっかかります。「支配」という語はどうしても人間関係 の 支配・被支配の皮膚感覚を思い浮かべてしまうからで す。原語はバシレイア、 直訳的には「王国」、福音書でしば しば登場する「神の国」の「国」という 語に当たります。「国」と いう語も、例えば「緊急事態宣言」のように私たちか ゙日々経 験する皮膚感覚を免れません。こうなると私たちの使う言葉 自体の限界て ゙す。「御子の支配」にしろ、「御子の国」にし ろ、〈喩〉としてしか表現でき ないでしょう。 この世界に神の子キリストが生まれて、つまりはこの世界 に神 の指が直に働くことになって、この世界の人と人との間 にこれまで経験もしな かったような新たな関係のあり方がわ き起こる。それをある一つの新しい国の中て ゙のあり方とか、 ある新しい支配・被支配の関係とか、なんとなくこれまで経 験 した感覚で表現するよりないが、ほんとうはひと味もふた 味も違っている。て ゙もコロサイ書の作者はそれを大胆に「父 はわたしたちを闇の力から救い出して、 彼の愛する子の王 国に移してくれた」と表現しました。 これはギリギリの表現 だったと思います。思い返せばそれ は次のようにして起こりました。ナザレ のイエスがガリラヤで 福音宣教を開始し、その中でそれをある人々は「神 の国」の 福音と受け止め、新しく生き始めました。その後人々には十 分説明しきれ ない形でイエスは十字架刑で殺されてしまい ました。この一連の事件をきっか けにしてまったく別のことが 起こりました。イエスを神の子キリストと告白する 群れが起こ り、そこかしこに「集会」が立ち上がり、多くの人がその中て ゙ 新しい命へと移されたと証言していきました。そこでは神が 支配しているか のようでした。人が支配されているかのよう でした。でも、それは喩で しか捉えることのできない、まった く新しい関係でした。全く新しい年が待っ ていたのでした。 それは不吉な出来事が洗い流されて新しい年が来るという 年中行事の禊とは似て非なるものでした。〈御子の誕生の 後に開始する新しい関 係〉等々いろいろ工夫して表現して もどこか空を切ってしまうのですが、キ ゙リギリ、でも確実にイ エスのもとで示されていく福音の出来事にそのこと は読み取 れる、これがコロサイ書のメッセージの一つだと思います。
12月27日日曜礼拝 マタイ福音書2章13~23節 「民は災禍をかい潜り」 久保田文貞 日本では25日が過ぎると、次はお正月の準備に入ってク リスマスの飾りは片付 けられてしまいます。教会の暦は1月6 日まで降誕節ということで、私ももう少 しクリスマスのこだわ ってみようと思います。 マタイ福音書のクリスマスは、父 ヨセフと母マリア、イエス の家族を、ルカ福音書のような和やかで明るいイメーシ ゙とは 違って、むしろ不吉とも言いたくなるような陰影を帯びたも のになってい ます。クリスマス賛美歌も、どうしてもルカの降 誕物語が主になります。マタ イからは、占星博士たちの逸 話だけがそこに加えられてメルヘン的要素を高め ています が、後半のヘロデ大王の赤子イエスに対する殺意、2才以 下の子らの 殺戮の記事、聖家族がそれを逃れてエジプトに 避難する事は、歌詞になりま せん。ただ探してみると、唯 一、子守唄風の272番だけが「こわがらないて ゙ヘロデのこと を」と歌っているだけです。 確かに、東から来た博士たちを ルカ物語の羊飼いたちと 一緒に並べ、誕生したイエスを祝う図とする限りなんと も微 笑ましい図になります。しかしマタイ物語の中に戻してみる と、民族の壁を超 え異邦の賢人がやってきて、国際平和っ ていいねという風にならない。むしろ彼 らの読み違い、誤 解、先走りといった方がよい。彼ら一流の占星によって究め た 赤子がヘロデ大王の後継になると錯覚し、行ってみれば 一介の両親と赤ん坊、 引くに引けず高価な贈り物を慇懃に 差し出すよりなく、彼らはやっと危険を察知 して大王のとこ ろに戻らず逃げていくのです。 ユダヤ人たちは、ヘロデ 大王がマカベア朝の外人部隊 の将軍でしかなかったこと、後にローマの権力 者たちに賄 賂をもってすりよりユダヤの王位についた成り上がり者とし て軽蔑 していました。マタイが手にした降誕物語のヘロデ 部分は、そんなヘロデを 疑心暗鬼にかられて幼児を虐殺す る鬼のような王に仕立てたのです。これが史 実だったという 証拠はありません。だが、ヘロデ大王にしろローマの権力 筋にしろ、ただただ従属すべき民がなにものかを担ぎ上げ 謀反の気配 を示したりするようなことがあれば、有無を言わ さず叩き潰していく、それ は今も変わりありません。現在の ホンコンで起こっているとおりです。また民か ゙頭を上げて為 政者の実態を見抜き語り合っているだけで、彼らは恐怖を 感 じて黙らせようとし、それが叶わぬ時には嘘を付く。一度 嘘を付けば次の嘘 をつくよりない。そうして動きが取れなく なる。先週の国会で安倍元首相が 見せた顔は、一つ間違 えば自分を追い詰めるものを叩き潰すヘロデの顔と少し も 変わりません。 マタイ降誕物語は、ここに誕生したインマヌエル・神の子 イエ スと世の権力者とがいかにかけ離れているかを示して います。いやそれどころ か、世の権力者は庶民の中に新た に生を受けた子がやがて自分を否定する者に なると誤診し て、片っ端から抹殺しかねない存在なのだと訴えているよう に見え ます。もちろん王が民を自分の王位を脅かすものだ として否定すれば、病原 体が宿主を殺して自らの首を絞め るようなものだと、私たちはいま目に見えな いほど小さな微 生物たちに学ばされているところです。だが、逆に言えは ゙、 それはまた権力者も学習してしまうことでもあり、民としては そんな権力者 の下をいかにうまくかい潜り生き抜くかという ことでもあります。 数年前にこの 欄で、後期ルネッサンスの画家アンデレア ・デル・サルトの聖家族の絵を紹 介しました。イエスは1,2 才になっていて、マリヤもヨセフもうつむいて下の方を 向い ている暗い絵なので す。 ヘロデ大王の幼児虐 殺をのがれエジプト の 地で難民生活に疲れ たかのような顔をして います。このヨセフに 夢のお告け ゙がありま す。「起きて、子供と その母親を連れ、イ スラエルの地に行き なさ い。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまっ た。」と。(補足です が、マタイ降誕物語1,2章共に神の言 葉はいつもヨセフの夢に天使が現れヨセ フに語りかけること になっています。いつも母マリヤがお告げを聞くことになっ ているルカ降誕物語と大違いです。いつか向き合うべき論 題だと思っていま す。)いつまで難民として生きて行かなけ ればならないか、心配していたところ に、〈帰っても大丈夫 だよ〉というお告げを聞く前の絵です。 . 「難民」 という語は、本来、戦争などの危害から避難した . 民衆の意ですが、同時に 苦難を抱えながらも生き続ける民 をも思わせます。それは、今は立ち上がるこ とができないけ れど、でもこれから立ち上がる力をつけ、立ち上がる 前の民 の姿でもあります。少なくともこの瞬間のマリヤとヨセフと赤 子のイエス の姿には、民とはいつもそうして災禍をくぐり抜 けながら生きていくのだと いうつぶやきが張り付いているよう に見えます。
12月20日 クリスマス礼拝 説教 聖書:イザヤ書55章1節 「重い言葉の生誕祭」 飯田義也 昨年のクリスマスは、悲しみに沈んでおりました。中村哲さ んが殺害されたこ とが残念で残念で仕方ありませんでした。 しかし中村哲さんは必ず復活 します。 自分が生まれる前の世界は、もともと想像するしかない世 界です。 この想像の世界、人がものを考えるときの前提になり、それ に基づいて対話と いうことが始まるわけですので、人によって あまりにもよって立つところか ゙違うとコミュニケーションが成り 立たず、それがあって作ることがで きるコミュニティも不可能 になってしまいます。人と人とが一緒にやっていくた めには、 通じ合えるある種の「当たり前」が必要ですね。 で、共通理解の ために様々な努力がなされます。現代社 会ではビジュアル化して・・例えは ゙映画化してできるだけ共通 のイメージをもとうと努力するわけですが、 これが曲者。製作 者の意識的無意識的価値観が同時に共有されてしまうわけ て ゙す。故意にある種の価値観を広めようとするのを「マインド コントロール」と 言ったりします。 今日のテーマに戻ると、私たちには、ある種の偏見を持た される 場合もあるということで、私は、古代の人が、それほど 「神様かみさま」言っ て生きていたわけではないのではない かと考えています。 今日ご一緒に読ん だイザヤ書55章、この 「金を出さずに・ ・買い求めよ」はとても重要な表現 だと思います。 日常、認知症の人たちと一緒に過ごしていると、よくこのあ た りの課題と出会います。 介護保険制度で、介護サービスは契約です。契約の 内容 は、事業者はサービスを提供し利用者は料金を支払うという もので、それ で対等というのが「契約」というものでしょう。これ が認知症の人たちた ゙と、料金を払っているのに「お世話にな って申し訳ない」になってしまいがち。 お金を払っているとい う自覚が継続しないのでした。 お金を払わないでもら うということには負い目が伴うのでし た。 そしてこの「負い目」ってやつが とっても厄介で、いわゆる 「介護拒否」になってしまったり「物盗られ妄想」に なってしま ったり・・。 上記を踏まえると、ここでイザヤは重要なことを言っ てい て、金としてはゼロだけれども、もらうとか施されるとかいう負 い目を 感じることなしに飲み食いしてよいのだという主張にな るわけです。ここは とても大切だと思います。生活保護は、施 しを受けるわけではありません。権 利です。だいたい、高齢 になってから生活保護を受ける人は、それまで納税 して(生 活保護で生活している人も消費税を年間10万円以上納税す る現在の税制て ゙すが・・)国庫を支えていて「金を出さずに」 ではないのです。 人間は、 もともと神に代価を支払うことなぞできないのです が、それでも負い目 を感じることなく恵みを受けよ・・イザヤの 思いが伝わります。 そしてクリ スマス。 キリスト教徒はイザヤ書の言葉が現実になったと信じること になる のですが・・。 今日のもう一つの箇所、ヨハネによる福音書第1章1−5節 もクリ スマスに読まれるところです。いわゆるクリスマス物語 は、マルコとヨハネには 出てきません。ヨハネの記述からアド ベントクランツは生まれましたから、今 日読んだ箇所をクリス マスの記事だと言えないことはないのですが「暗闇 は光を理 解しなかった」は明らかに十字架上の死を象徴していて、ここ はイエス・ キリストの全生涯の抒情詩です。 クリスマスを、教会というコミュニティで共 有したかったという ときに、キリストの誕生は、羊飼い(に代表される「社会層」の 人々)にとってどんな意味があったか、占星術の学者(に代 表される「インテリ」 の人々)にとってどんな意味があったかと いうことをドラマタイズ(劇化す る・劇にしてみせる)して共有し ようという試みは有効であったと言えるでしょ う。 最近、日本学術会議の任命について首相が恣意的に権 力を振るった件に関す る騒動が起こっています。真実を権力 者に語ったためにエルサレム(中枢)に行けす ゙「別の道を通 って」帰らざるを得なかった学者たちに、ピッタリ重なるよう に 見えて仕方ありません。 聖書の理解だとか、キリスト教信仰だとかについて 考えると きに、よく腹話術をどのように見るかという例で話をしていま す。 幼児くらいだと、仕掛けには関心が向かず、その場のでき ごとに全身て ゙浸っています。大人は大人で、演者が「自分」と 「メタ自分」を演じ分け ながら的確にメッセージを伝えようとし ていることを聴き取り、書き言葉だ けで伝えられるのではな い、その場で起こることを楽しみながら享受しま す。小学校中 学年から高学年くらいの子供でしょうか「あれは人形が喋って い るんじゃないよ、今ちょっとおば(おじ)ちゃんの口が動い た」というとこ ろに注目しメッセージを受け取ることがおろそか になってしまう・・という状 態に陥りがちです。 やはり腹話術は、笑ったり感心したりしながら聴くべ き言葉 を受け取るというところで演芸として成立しています。 冒頭で、中村哲 さんは復活します・・と申し上げました。そ れはもちろん、福音書に描かれた復 活の姿と同じようにという 意味ではありません。 しかしすでに、意志を引き 嗣ぐ人々が、悲しみ、痛みを乗り 越えて集まっていて、事業の継続を図ってい ます。 ヨハネによる福音書の冒頭、短い言葉ではありますが、天地 (宇宙)の創 造から、殺されるためにやってきた光へ・・という テーマが提示されているのて ゙した。言葉の重さに圧倒されま す。 生誕祭、心から讚美したいと思います。
12月13日の日曜礼拝 マタイ福音書18章1-5節 「私を受け入れる者」 久保田文貞 今日はアドヴェントの第3週、来週はクリスマス礼拝です。 クリスマスはキリ ストの生誕を祝う祭りです。当然ですが、イ エスが生まれた時にはだれ もそんなことを知りません。クリス マス物語は、イエスが生まれた時いろいろ不 思議なことがあ ったと言っていますが、後からの創作物語です。白けさせた らごめんなさい。だからといって、全面的に無意味だと思い ません。そこに は歌・賛美があり、音楽劇・子どもに聞かせる お話があって、ニコニコして 聞いたり、見たりしていていいと 思っています。しかし、その世界から宗教的な教 えを理論 的に引き出したり、それをもって他の誰かの信仰を〈あなた のは違う〉な どと排除の言葉に焼き直していくことがあれば、 私はそこには与したくない と思います。 イエスの誕生をとりわけ、神の子の誕生としたのは、まず はじめ にナザレ人イエスのまわりであるときから始まった事 件があまりにも常軌を 逸していたからです。民の裏切り者と して排除されていた〈取税人〉、性を売っ て生きるよりない女 たち、社会的なタブー破って稼ぐよりない男たち、まとも な 医療や介護を受けられず見放された病人や障害者たち、 そんな大人たちの間て ゙好き勝手に扱われる子どもたち、か れらはおしなべて社会の隅の方に蓋をし て見えないようにさ れてきた、でもナザレのイエスはその中に入っていって、 彼 らの仲間になり、彼らの相談に乗り、彼らの問題を解決し、 こともあろうにそれ こそ神の福音だといった顔をしている。こ れには当のイエスの家族(母親)も混乱 し家に連れ返そうと し(マルコ3:31)、この社会の賢者とされ教師であるパリサ イ 人らは目ざとくもイエスの危険性を見出し圧力をかけた。こ とほどさように、 イエスの福音の事件は、撹乱、転覆、革命 の様相をみせながら、でも一つ一つ を見れば、病人へのい たわり、腹をすかせた人へ食糧支援、差別された女たち男 たちに言葉をかけいっしょのテーブルに付いて話を聞く。こ れを無秩序、混乱た ゙と思うのは、彼らを自分たちの周りから 追い出した人たちであって、反対にそ の内側、家の中では 嬉しそうに話したり、大笑いしたり、泣いたりするものもい れ ば、ただニコニコしているものもいる、お祭りであり、お祝い なのです。 これがイエスのまわりで起こっている事件です。 そこで微妙な位置にいる のは弟子たちです。マタイ18:1 《そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、 「いったい だれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。》 なんてアホな役回りになったかと弟子に同情したくなります が、彼らからすれは ゙、毎日イエスのそばでイエスの手足とな って働いていると、ほかの誰よりこ の出来事がよく見え、その 意味するところを認識し、それを説教できる位置に いると、 いわば中間管理職、もっと言えば官僚のような場所に立っ てしまう。 そこではより重い責任を自分は担いうると思う。イ エスの次に誰が指揮権を持 ち、よりよく組織を運営できるか というところに関心が移る。その意識を卑近 な形で表現すれ ば、天国より何より、〈弟子たちのあいだでだれが一 番偉い か〉ということになるでしょう。もちろん、ほんとうはもっと真剣 な問い だったかもしれません。だれがイエスのまわりで起こ っているこの出来事 の真の意味を知っているかと、まじめな 弟子としては〈それはこのワタシでは ないか〉と師イエスにせ まっているのかもしれませんが。 イエスの答えは《心を 入れ替えて子供のようにならなけれ ば、決して天の国に入ることはできない。 自分を低くして、こ の子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。 わ たしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、 わたしを受け入れる のである。》と言われます。 もののわかったつもりの大人には、このイエスの言 葉は思 考の撹乱を意味します。子どもと見れば、しつけ教え、育て てやるべ き者としか見えないのに、そんなことをやめて子ど もになれ。子どもは大人た ちの間を自らの力で育ち、突き抜 けていくもの。とりわけ神の前では、大人な んてようはない、 最後の最後まで子どものように自ら育ち続ければいいのた ゙ と聞こえます。 数年前に桜井智恵子さんの「子どもの声を社会へ――子 ども オンブズの挑戦」という本で私も知ったのですが、 「子 育て」でなく、 「子育ち」をという運動がアジアから伝わって 日本でも各地で起こってい るようです。「子育て」というのは 大人の上から目線で、大人には子どもを 育ててやる義務が あると思い込み、いつの間にか子どもを萎縮させてしまう。 「子育ち」の芽を潰してしまう。良かれと思って〈もっと頑張 れ。もっと勉強しろ〉 とこの社会は、それを勝ち抜いた人間 が「自己責任」を果たした者として評価さ れるのだと。勝ち抜 いた子がどんなに嫌な奴になるか、それに応えられなかっ た子がどんなに押しつぶされるかと思うと愕然とします。 もしここにイエスか ゙来られたらどこに向かうか推して知るべ しでしょう。もっともこれをあま り理屈ばって原則的に言うとへ んなことになりますが。 このクリスマスも、賛 美しながら、お話を聞きながら、子ど もと老人も交えて一緒にまずは、寅 さん的に言えばちゃぶ 台をひっくり返したうえで、ちょっと並べ直して祝 いましょう。
12月6日の礼拝 マタイ福音書20章1-16節 「あなたにもこれを」 久保田 文貞 新型コロナ禍の前に、 誰もが一律に並ばされてしまったこ とに、一種の快感を感じていたのは悪魔た ゙けではありますま い。マスクをいやがった世界最強の権力者もついにマスク をしたのですから。でもこれはやはり全体主義的な悪魔性 を帯びた快感で す。一律にすることに抗うひとつのことを聖 書の言葉で考えてみたいと思います。 この譬えはマタイ独自の伝承で、13章以下では原則とし てマルコ福音書の配列 を受け入れ、Q資料など他の伝承を そこに挟み込みます。その際、それらをどこ に挟み込んで いるか、解釈上の重要な視点になります。「葡萄園の労働 者」の譬 えの場合、その後ろは、イエスが意を決してエルサ レムに入っていく寸前に位置 し(21章//マルコ11章)、その 前は19章に限って言うと、「離縁についての問答」 (19:1以 下)「子どもたちの祝福」(19:13以下)、「金持ちの青年」(19 :16以下)に なります。そこでひとつ見えてくる図は、イエス のまわりで起こっていく出来 事はこの世の人々の常識、価 値観の延長線にはない、むしろそれをひっくり返して いる。 地上的には神の前で誓約した夫婦関係も壊れることがあ り、人は現実の 落とし所はどこにあるか探ってある種の常識 を作っていく。また子どもが大 人の話を邪魔したらうるさいと たしなめ、子らに序列の大切さを教える。かつ恵ま れた環境 の中で成人となり、さら良き人生、宗教的真理を追い求める ことになん の不都合もあるまい。どれも我々の間で当然に通 用する判断ですが、マタ イ19章のイエスはそのどれもひっく り返してしまいます。その最後に「先にいる 多くの者が後に なり、後にいる多くの者が先になる」という言葉が来ます。た ゙ が、だがこれをここに置いたのはマタイの解釈によります。 葡萄園の労働 者の譬えはわかりやすいので説明は要ら ないでしょう。そこで気にかかるい くつかの問題点を上げる ことから始めます。この譬えも「天の(王)国は・・・の ようであ る」とし、葡萄園の経営と労働に焦点を合わせ、天の国で は、一般に 賃金の基準となる労働時間原理を無視し、労働 者一律に1デナリ支給されるという。 我々の常識を覆しま す。天国では地上の原理が逆転する、まさに「先にいる多 く の者が後になり、後にいる多くの者が先になる」と。天国ある いは神の国と は、原始キリスト教では神の審判が下る終末 後の世界、さらに後の教会では 人の死後の世界のことに拡 張されていきますが、そこでは、この地上の原理は 無効とな り、いや逆転すると教えられることになります。マタイ福音書 はそのよう な理解の道筋を立てていると言えるでしょう。 比喩とはいえ問題を葡萄園の日雇 労働だけを切り取って 語られるのはいったいどういうことなのかという問題て ゙す。葡 萄園全体の成り立ちには経営や販売などの問題もあるわけ です。日雇 い労働者の確保の問題はほんの一部の側面に すぎないはずです。天の国で、 神が人々に恵む仕方を比 喩で表現するには、農園主(神)と日雇い賃労働者(人間) の関係だけに焦点を合わせることができれば十分としたの でしょうか。 終末のときに与えられる恵みの給付の原理をこ れだけのもので表現してよしとて ゙きるのでしょうか。これらの 違和感は結局、この喩えをキリスト教終末論で 読み解こうと するところから来ているように思います。 しかし、この譬えを生前の イエスが語っているとしたら、キ リスト教終末論の枠から離れて、もう少し自由 に読んでいけ るでしょう。とすれば、これは天国の譬えなどではなく、 むし ろ現実に社会を動かしている経済構造へ一番下から声を 上げようではない かという誘いの言葉として聞くことができな いでしょうか。日雇い労働者を 雇い入れる現場は、町の広 場とはいえ、あぶれた労働者が立ちすくんでいる 社会の片 隅とされてしまいます。このイエスの話はほかのだれでもな い、社会 の片隅であぶれている人々にこそ聞きとげられ、胸 に落ちる言葉だったと いうべきでしょう。《福音がこの世に割 って入ってくる。福音は一日の生活 費のために毎日をやっ とつないで生きている君らのところにやってくる。裕福な 連 中の高等な関心事はどうでもよい。一日を生きるための生 活費のありがた さを知っている者はこの譬えを譬えでなく、 君らの間に入ってくる神の恵みとし て受け止めることができ るだろう。障害や病の体で、ひとの半分も動けな い者、病身 の老人や幼い子を抱えて、昼からしか労働につけなかった 者。運悪く農 園主に会えなかったもの、「おまえはただブラ ブラしていたんじゃないか」 と言われてうまく答えられない 者、君らはだれよりもそのことをよくわかってい る。神は君ら の間に割って入って一人ひとりに賜物をくださる》と。 9:13以下、 子どもたちが大人たちの間に割って入って、 キャッキャ言って遊んでいる。 神の福音は大人たちの常識 や通念を超えて子どもたちのように紛れ込んでくる のです。 日々崇高なことを考えていそうな青年、なぜか裕福な青年 の真面目さ が癪に障ったか、イエスは「もし完全になりたい のなら、言って持ち物を売り払 い、貧しい人々に施しなさ い。...」と意地悪く言われる。青年はこの言葉を聞き、 顔を 曇らせて立ち去るよりないでしょう。20章の話は、こういう青 年たちの住む 世界の経済の外側にいる人達をあえて選び 取って起こる話です。「おまえ何時 から働いていたのか」な んて言う原則をふっとばしてしまい、「君らにはみえるた ゙ろ う、福音が目の前をかっ歩しているよ、ほら」とイエスは言わ れているよう に思います。
11月29日の礼拝 バブルと社会的距離 郵便労働者・渡邉 弘 ニュージーランドは南半球に位置する人口約500万人 (横浜市と川崎市を合わせた人口)の、主に南島 と北島か らなる島国である。国土の広さは日本のおよそ4分の3。先 住民はマオリ で10世紀頃ミクロネシア諸島からこの島に渡 り定住したと考えられている。1840 年2月8日に大英帝国と マオリの族長たちの間でワイタンギ条約が結ばれ(こ の日 を建国の日としています)、イギリス植民地として多くの移 民が移り住む ようになる。現在の公用語は英語、マオリ 語、手話で、主な産業は観光と牧畜業、 木材、果物などの 第一次産業である。 最初にロックダウンとバブルとい う二つの言葉について 触れておきたい。ロックダウンとは「都市封鎖」という意て ゙あ ったが、コロナ流行後は「ある状況下で人や車両の動きを 統制する公式な 命令」という意味で使われるようになった。 バブルは「泡」という意味だか ゙、「ソーシャルディスタンスが 課されている期間にも拘らず肉体的接触か ゙許されるグル ープに属する人々」という意味もある。ロックダウン期間中 はこのバブルという言葉が至る所で聞かれたのだが、日本 の「身内」 という意味ではない。生活を共にしている間柄と いう意味で使われていた。し たがって、家族でも別世帯で あればバブルにはあたらない。ロックタ ゙ウン期間中であっ たことから、離れて住む父親が危篤でも会いに行くことか ゙ 許されず臨終に立ち会えなかったという出来事もあった。 さて、私がNZに到 着して約1週間後の2月28日、国内最 大都市オークランドの国際空港でイランか らの帰国者に国 内で初めての陽性反応が出る。この日から3月7日までは 帰国 者から毎日1例の陽性反応が出る程度で推移する。 世界保健機関(WHO)のテド ロス事務局長は3月11日に COVID-19(Coronavirus disease 2019「中国で2019年発 見されたコロナウィルスに起因する病気」の略)をパンデミ ック(世界を脅かす 感染症)とする声明を発表した。3月18 日にはNZ国内の新規感染者8名と複数になり、 人から人 への感染が確認される。この日以降、NZ政府はロックダウ ンに向けた 対応を加速させる。3月15日にはフランス、ス ペインがロックダウンに入った ことを受け、NZでもロバート ソン財務大臣が海外渡航の禁止と外国人観光客 に対して 1週間以内に帰国する旨の勧告を出す。3月21日、アー ダーン首相は国民 に対してロックダウンに備えるよう訴え た。首相は「ロックダウンはニューシ ゙ーランドの歴史上で初 めてのことです。この決定がどれほど非常識 なことかは十 分認識していますが、進んでこの危険な病気を招き入れ ることは できないのです」と発言し、経済活動のほぼ全面 的な停止、国境閉鎖を伴う ロックダウンについて理解を求 める呼びかけをした。 国内累計感染者が26人 (死者はゼロ)になった3月26 日からロックダウンが始まる。エッセンシャルサー ビスと呼 ばれるスーパーマーケット、病院、薬局そしてガソリンスタ ント ゙以外の店舗は全て閉店、学校も閉鎖された。ソーシャ ル・ディスタンス(社会的 距離2m)を他の人との間で取るこ とも徹底される。その結果、スーパーの前には 50メートル から100メートルの行列ができるのが当たり前となる。 コロナ情 報は毎日午後1時に政府から記者会見で発表 される。政府からはアーダーン首相 かロバートソン財務大 臣が前日の新規感染の発生地域と数、そしてそれにど う 対処しているかを発表する。保健省長官で医師のブルー ムフィールド氏も 同席し、専門家としての見解を述べる。彼 の解説は数理モデル、公衆衛生学、ケ ゙ノム解析などの専 門家で構成されるチームの見解を背景にしており非常に わ かりやすい。その発表時間は15分程度、記者から質問 に応答する時間が45分程度て ゙ある。この会見を通じ国民 は現状と今後の見通しをかなりはっきりと知ることか ゙でき た。 日本では東日本大震災の後、あらゆる場面で「寄り添 う」とい う言葉を使うことが流行のようなった。私は「寄り添 う」という言葉を聞くたひ ゙白々しさと虚しさを感じる。なぜな ら内容を伴った行動がこの言葉にはな いからだ。バブルの 関係なら「寄り添う」ことができる。行動で支え ることができ ないなら一定の距離(ソーシャルディスタンス=社会的距 離)を 置きそっとしておくということも必要なのではないかと 考えている。 NZの毎日 の記者会見を見ていると、この政府は本気で コロナをなんとかしようとしている と感じることができた。記 者からの質問を遮ることは絶対にしない。どん な質問にも 記者の方を向いて回答する。なぜなら政府は国民とバブ ルの関係 を築くことはできないけれど、社会的距離をとっ て国民の生命を守る仕事をす ることはできるし、実際その 姿を思い描くことができるからだった。
11月22日の礼拝 「知恵を生かす - コロナの中で」 五十嵐忠彦 100年前の第一次世界大戦時に流行したスペイン風邪と 同じ規模に おいて、今回、コロナウイルスが世界的な大流 行となっています。すでに感染 者総数が、1,000万人を超 え、死者数も100万人を超えようという状況です。ス ペイン 風邪は実は参戦を決めた米国において訓練中の国内の駐 屯地が発生の起 源であり、大西洋を渡る航海の船中にて伝 播し、欧州において独逸軍にも感染か ゙広がり、ドイツの敗戦 のきっかけとなったとされます。さらに戦争責任の賠 償金を 決める大事な講和会議においてウイルソン大統領も感染し てしまい、穏健な 主張を貫徹できなくなってしまい、結果とし て途方もない莫大な賠償金をドイ ツに課してしまい、ナチス 独逸が台頭する遠因を作ってしまったとされます(「映 像の 世紀」から)。 今回のコロナウイルスパンデミックの発生地は中華人民 共 和国の武漢とされます。武漢のウイルス研究所に飼育さ れていた動物、コウモリ、 ネズミが何らかのミスで市場に出 回ってしまい、これらの動物に接触した市 場関係者に感染 が発症、市内全体に広がったと考えられる。2019年の夏か 秋、 欧米とくにイタリアに伝播したのが最初、そこで変異した のが、感染力が 高い欧州型となったとされ、全世界に拡散 したとされる。コロナウイルスの動物か らヒトへの伝播は複数 の変異型が複数の動物を介して伝わる経路が推定されて います。(略) 現在流行しているものは SARS-CoV-2 です。 SARS- CoV-2 により引 き起こされる臨床症状、個人、集団の全 体像をCOVID-19 と呼びます。 発症まて ゙の潜伏期間の中 央値は4~5日間とされ、感染してから、12日間までにて患 者の 約95%は何らかの症状が出始めると言われます。軽 症~中等症の場合の臨床症状は、 咳嗽 発熱 咽頭痛 全身倦怠感 筋肉痛などであり、何人かは食思低下、悪 心、 下痢など胃腸症状がでます。臭覚障害 味覚障害は6 8%の患者に認められると 報告されています。入院治療が 必要となる重症になる時の症状は息切れ、呼吸困 難など呼 吸器症状です。(略) SARS-CoV-2は動物からヒトへ伝染してきたので すが、 伝播の仕方は基本的にヒト、感染者の呼吸器系から空気を 介して粒子が 飛ぶ、直接接触する、ウイルスが付着した器 具に触れる等にてヒトの体内に伝 播してゆきます。(略)通 常のインフルエンザと決定的に違うのは、重症化した場 合 ほとんどの例で、間質性肺炎を発症することです。(略) 感染者は人工呼吸 器に1時間以内につなぐことができる 施設内にて療養することが絶対に必要 となります。感染者 が爆発的に増加した場合、比例して重症者も増えるわけ で、 急激な増加には人工呼吸器台数は限られていますし、 非常に危険な状況となります。 (略)感染者率、重症化率が 年齢に比例するとも言われており、小児、青少年層て ゙は殆 ど死亡者がいません。理由の説明として免疫力の違いが指 摘されてい ます。(略)結核のBCG接種により自然免疫力が 増加するという現象があり、仮説 としてBCG接種の有効性が 研究されています。小児では、さらに数種のウイルス ワクチ ンを接種し立てであり高齢者では低下した自然免疫が小児 では非常 に高い、すなわち訓練免疫力がある、ことも注目さ れています。(略) あと数ケ月、 2,3年はこのSARS-CoV-2に悩まされそうな 全世界です。まとめると、 1)SARS-CoV-2の細胞側の受容 体はACE2である。2)ウイルスが貯留する所は鼻咽 腔の奥 である、3)呼吸器系に広がると肺に間質性肺炎を起こす、 4)神経系ほか にも重篤な合併症・後遺症を残す、本当に 強敵である、5)しかも無症状の若者も 多く、集団から集団 へとウイルスを伝播させている。 コへレトの書は、無神論の世 界を描いていると言われま す。9章の最後に、1つのエピソードが出てきます、 「強力な 軍隊に包囲されてしまった、ちいさな町の話です、貧しいひ とりの知恵 ある者がいて、自分の知恵を用いてその町を解 放したという逸話です。これは コへレトの書の著者にとって は大きなことであった」とされます。9章の最後の言 葉には、 「知恵ある者の静かなことばは、愚かな者の間の支配者の 叫びよりは よく聞かれる、、、」とあります。太平洋の向かい 側の国では、感染対策をして 死者数を抑えた州の知事が いる一方、数十万人の自国民が亡くなったにも関わ らず、ま ったくの無為無策であり椅子にしがみついている為政者が あり、 なにかを叫んでいる(黒人の死者は白人の数倍に上 っているというのに)。「ひと りの罪人は多くの良いことを打ち こわす」と、コへレトの書は記しています。この 国でもトップの 方々は感染を真剣に抑え込もうという考えではない、このた め、私達は自分たちで知恵を出し合って自分達のいのちを 守っていかなければ ならない、なので、自分はどのような地 域にて生活しており、どの程度、感 染症が広がってきている のか? どのようにしたら自分達の身の安全を守れる の か?ということは、おたがい地域地域、共同体内部で「知恵 を尽くして」日々 学び、考え、あるいは悩み、取り組むべき 課題と考えます。旧約の人々の歴史 からも多く学びたいと 思いました。
11月15日の礼拝 マルコ福音書7章24-30節 「自分の思いを述べる」 久保田 文貞 もしかすると犬の好きな人がこの聖書箇所を読むと、この 女性の言葉に共感する かもしれません。27節のイエスの言 葉と、28節の女性の言葉のやり取りだけを見 ると、娘をほっ たらかして犬ばかりかわいがっている女性を、イエスが道学 者然として説教する、「まず、子どもたちに食べさせてやりな さいよ。子と ゙ものパンを取って、犬にやってはいけないよ」 と、すると女性はちょっとイラッ として、「あら、お言葉ですけ ど、食卓の下にいる子犬も子供たちのパンくす ゙ぐらいは食 べますわ」と言い返す。するとイエスは「負けたよ」と苦笑い。 こんな図に見えるかもしれません。 この言葉のやり取りを組み込んでいる枠の物 語部分(24 -25、29後半-30)はいわゆる奇跡物語のかたちになって います。まず、 この箇所の前の「浄と不浄に関する論争物 語」(7:1-23)とのつなぎの言葉「イエ スはそこを立ち去っ て、ティルスの地方に行かれた」。これは著者マルコによる 編 集句です。テュロスは地中海に面したフェニキアの港湾 都市。「テュロスの地方」 というので港町そのものではなかろ うというのが通説。いずれにせよこの 地方はシリヤの支配 地、ガリラヤの外側で、ユダヤ人から見れば圧倒的に 非ユ ダヤ人=異邦人の居住区。パウロは第三伝道旅行でエペ ソからエルサ レムまで行くが、その時、航路の途中でチュロ スに7日間、そこのクリスチャ ンを探して滞在したという記事 が使徒言行録21:3-6に出てくる。おそらくそこて ゙彼はこの グループの人に福音を語ったろう。そこに次のようにある、 「しか し、滞在期間が過ぎたとき、わたしたちはそこを去って 旅を続けることにした。 彼らは皆、妻や子供を連れて、町外 れまで見送りに来てくれた。そして、共に浜 辺にひざまずい て祈り、互いに別れの挨拶を交わし、わたしたちは船に乗り 込 み、彼らは自分の家に戻って行った」。素人なりの自由な 想像力を働かせて言えは ゙、この「妻」(ここは〈女たち〉、つま りsingleでもかまわない)と子どもた ちの中に、われわれの 「女性と娘」がいたかもしれないと。いずれにせよ、こ こはイ エス時代もそれから20年ほど後のパウロ時代にも、ユダヤ 人やキリス ト者は探さないと見つからない異邦人社会です。 登場する女性は、シリア・フェ ニキア系のギリシャ語を話 す女性、ユダヤ人男性からすれば、どんな異邦 人男性に所 属する妻女かもわからない、理屈上の遠い存在です。実際 は何らかの 接点があったとしても、定める座標がない、互い にすれちがうだけの関係て ゙す。設定では、そんな彼女がイ エスの癒やしの力の噂を聞いたのでしょう。 「汚れた霊に取 りつかれた幼い娘」を癒やしてほしいと願い出るとなります。 これ に対する27節の言葉は、あれっと思うほどに「差別 的」です。そこでかなり の聖書学者はこのイエスの言葉を、 異邦人差別問題の深さを汲み取れなかった初代 教会のフ ライング的な創作とします。つまり、犬という動物は、なにか というと 人に吠えかかりしかも屈従的で臆病だという固定観 念(旧約、出11:7,列上 21:23、そのまま新約にもってきた マタイ7:6,フィリ3:2など)にたって、今度は 犬をキリスト者に とっての異邦人の喩に用いている。〈主〉は、「食卓の下に いる 小犬が子どもたちのパンくずを食べる」をことを許された と、要するに 異邦人キリスト者はおまけなんだと、しかもその ことを〈女〉が気がついた と、「これはこれは、...」という話に なってしまうではないか、〈主〉はそんな ちっぽけな方ではな いというわけです。とにかく、この話には差別意識がき ゙っしり 入っています。ほかでは差別の問題を解く鍵をたくさん示し てくれたイ エスの福音宣教ですが、ここでははびこる差別関 係をそのままにして話を すすめるような伝承になっているの ではないかと私は思います。 でも、この話 にちょっとした救いがあります。イエスが 「ま ず子供たちに十分食べさす べきである。子供たちのパンを 取って小犬に投げてやるのは、よろしくな い」と女に説教す ると、新共同訳によれば、女は「主よ、お言葉どおりです。 で も、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただ きます」と 訳されています。実は直訳的には「はい、主よ」だ けです。一応の肯定表現て ゙すが、「お言葉どおり」はやりす ぎです。ここは「はい」と言いなが らも彼女なりの言い返し、 むしろ反論と見たい。「主よ、そうおっしゃいますが、 わたし はこう思います」と。これは単なる言い逃れ、言い訳ではな く、犬を子と ゙もたちと同じようにかわいがってきた女の、犬に 対する侮蔑感にとらわれな い女の意見だと見たい。 先週、羽生の森教会で浦河べてるの家の『当事者研 究』 について話しました。そこでは施設の利用者や、入院患者 や、介護や支援を 受ける人たち、被差別者たちが、ただの お客さんではなく、自分の言葉で 表現し、自分たちの言葉 でグループを作り、医療従事者や支援者、介護者と 同等に 自分たちの言葉を探していく出来事が語られています。こ れについては改 めてお話したいと思っていますが、私はこ の当事者の言葉と同じ水準の言葉を、 今日の箇所の女性 の言葉に感んじました。イエスはこの女の意見にタジタジ と しながら、しかしこれをつぶさないどころか、女の言葉に賛 辞を送って、 その娘が癒やされることを保証したのです。
《説教ノート》 11月1日の永眠者記念礼拝 哀歌3章18-23節、ルカ福音書8章40-42,49-56節 「なお待ち望む」 久保田文貞 親しい家族の死、友人や知人の死の ように自分に密接な 人の死から、近所の顔見知りだった人の死、社会的に名の 通っ た人の死、そしてついには戦争や災害、現在のコロナ 禍の死者のようにただ統計 的な数字として知らされる人間 の死など、振り返ってみるとたくさんの死者に囲 まれて生き ています。私達はその中から親しい人々の死を思い起こ し、彼らを永眠 者と呼び、少なくとも彼らだけは忘れまいとこ うして写真を並べ、その名を 上げてここに集まっているわけ です。 死とは、私たち生き残った者にとってま ずはともあれ、彼 らの運動の停止、声の停止、命の停止でありました。当然の ことですが、私たちは彼らの死に立ち会う経験を重ねてきた だけでした。 ご自身で自覚しながら少しずつ閉じていく凛とした死もあ りました。長 い闘病の末、不承不承に命を停止するよりない 死もありました。なんの準備もなく 突然の運動停止を迎える よりなかった死もありました。自分で命を絶った壮絶な 死も ありました。報じられる他殺という死や、その殺人者を国家 の名で死刑に してしまう納得できない死もあります。いろい ろ人の死を述べることがで きますが、所詮は生き残っている 者の側からの勝手な見立てにすぎません。 こ うして死者たちを永眠者と呼び、私たちがあたかも生き る者と死せる者の仲立 ちができるような顔をしていますが、 紀元前3世紀のギリシャの哲学者エヒ ゚クロスの言葉、「われ われが生きて存在している時には、死はわれわれのとこ ろ には無いし、死が実際にわれわれのところにやってきた時 には、われわれはも はや存在していない」という言葉が重く のしかかっている事実から目をそらすわ けにはいきません。 生物的な生命体にとって死は必ずやってくるという経験 知を もって、私たちは死に臨もうとしています。隣人にほとん ど気付かれないように、 身内に間で平穏にひっそりと死を迎 えることができるならば、この不条理 を切り抜けられるのでは と思っています。そして死者をこのように永眠者と呼んた ゙り、 仏教的に仏と呼んだりして、美しい花や荘厳な儀式をもっ て、ときに暴力 的に振る舞う死をなんとか治め、生と死をや さしくつなげようとします。 だか ゙、どんなに私たちが手懐けようとしても、生きる者にと ってどうしても死 は不条理としか言えない割り込みinterrupt として現れます。またあの人に会いたい、 また一緒に仕事を したい、また話したい、考えてみたい、ときにはもうあなたに 会 いたくないと言ってやりたいとか、生きるとはこんなちょっ としたことの連続で すが、死はその連続をぷっつりと切って しまいます。絶対阻止できない形て ゙、暴力的としか言えない 形で割り込んできます。 ルカ福音書8章40節以下に、 会堂長ヤイロの娘の話が出 てきます。娘は死にかけていました。「この人はイエ スの足も とにひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願った。」 イエスは 彼の願いを聞きいれ、彼の家に向かいます。すると 途中で割り込みが入ります。 出血が止まらなかった女がイエ スの裾を掴んだという話です。イエスは彼 女の身の上に起こ っている事柄をあと回しにしませんでした。神はこの女の割 り 込みを違反と認めないこと、ヤイロの娘がその遅れのため に命を落とすことになっ ても神の恵みはこの女を癒やす方 を選び取ることを、イエスが知っておられる かのように事が 運びます。案の定、手当てが遅れたためか、ヤイロの娘は 亡 くなってしまいます。割り込まれたヤイロの娘に、これでも かと死が割り込んた ゙ことになります。娘の部屋は割り込んで きた死を認めない限り誰にも入室を許 さないと死が構えて いるかのようです。人々が泣き悲しんでいるとイエス は「泣く な。死んだのではない。眠っているのだ」と言われる。そして 父母 と3人の弟子を連れて、今度はイエスが死の部屋に割 り込みます。そこで起こっ たことが民間の奇跡物語風に表 現されていますが、私はそれにどうのこうの 言うつもりはあり ません。ただ、ここに何重にも割り込み話がありますが、 押さ えるておこうと思うことは、こうです。人々の生きている間に、 私たちが ずるいよ、割り込みだよと言い合っている間に、ま ずはイエスが私たちの 目に見えるように割り込まれる。その 時イエスは人々の間に割り混んでくる死の 力よりもなによりも 強い、計り知れない恵みをもって割り込まれてくる神を示さ れ たということです。 けれども、こうして割り込みに大義名分を与えれば人の 世 は混乱します。基本的に人の世は割り込みを許しません。 秩序を乱すと罪とされ ます。でも、なにより恐ろしいのは、自 分と互いに寄り添い顔を合わせて生きる 他者への関係を遮 断してしまうような割り込み、信頼への裏切りです。人は他 者 への裏切りが詰まった袋を抱えて生きていると言わざるを えません。この袋を あざ笑うかのように死が割り込んでくると お手上げです。旧約聖書以来、 人にはもはやどうすることも できない一人ひとりの罪責を神が人の間に割り 込んできて、 「贖って」もらうよりないという思想があります。悪くすると苦 し い時の神頼みになりかねませんが、遥かに真剣なもので す。生きる者も死せ る者にも、貫通するような神の割り込み によって起こる「贖い」、赦し、神の義か ゙宣言されています。
10月25日説教 ルカ福音書11章5-13節 「扉を閉めるか、開けるか」 久保田文貞 〈戸を叩く〉という表現は仏教など広く宗教説話に出てき ます。ざっとみると 宗教の場合はどうしても求道心に光が当 てられ、必然的に戸の外から叩くとい う設定が多くなります。 今日のルカ福音書の言葉11章9節「求めなさい。そうすれ ば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をた たきなさい。そ うすれば、開かれる。」というイエスの有名な 言葉も、真理を求道する心一般に 通じると思えなくもありま せん。 ルカの場合、これを説明する例話が付いてい ます。 《あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にそ の人のところ に行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パン を三つ貸してください。旅 行中の友達がわたしのところに立 ち寄ったが、何も出すものがないので す。』》 この言葉からも分かる通り、物語の聞き手は真夜中に友達 の家の外から戸 を叩く者の立場に立たされます。当然、戸 の内にいる友人としては、こんな夜中に 親しい友人とはいえ 迷惑なことで、起きて戸をあけてやる気にならない。むしろ こ ちらに同情したくなります。 《すると、その人は家の中から答えるにちがいな い。『面倒を かけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたし のそ ばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけに はいきません。』》 実 は、ルカのこのくだりは、「祈るときには、こう言いなさ い」と主から教えられ た「主の祈り」のすぐ後に置かれていま す。その点マタイ(7:7-11)とは違います。 戸の内にいる者 とは、どうひっくりかえしても「父なる神」のことになります。 祈 る者は、ちょっとぐらい断られたからと言って、その願いを下 げてしまって はならない、戸をあけてもらって願うものをいた だけるまで、熱心かつ執拗に 祈り、お願いしなさいというわ けです。 とにかく、どんなに迷惑であろうと、 真夜中にでかけて行 って、その戸を叩けというのです。叩かれた方は、渋い返 事 をするだけで、なんか意地悪な奴だと思われかねない、す ごく損な役回 りになってしまいます。神さまをそんな風に貶 めるような願い事を真夜中にするオ マエが悪いと言われよう と、イエスはそれでもいいから「求めよ、探せ、たた け」(ちな みに、原語では「門を」という語はありません。ただ「たたけ」 た ゙けです。)と言われます。 これに対して〈戸を叩く〉というイメージには、戸 の内側に あって叩かれる側のものにもなりえます。文学ではこちらの 方が多い ように思います。例えば寺山修二の詩、浅川マキ の歌に「戸をたたくのは誰」と いうのがあります。「戸をたたく のは誰、こんな夜更けに、前触れもなく、独り 暮らしの明かり をつけて眠気をこする私。戸をたたくのは誰」 そして開け てみる とだれもいない、雨が降っている、気のせいだったの ねという歌です。夜 更けにアパートの戸を叩かれた者の心 に生じてしまう波紋を歌っています。 例 を上げると切がないですが、もうひとつシェクスピアの 悲劇『マクベ ス』。皆から慕われていたダンカン王に信頼さ れていた将軍マクベスですか ゙、やがて自分が王になるとの3 人の老魔女の預言を聞いてその気になってしま います。ダ ンカン王を自分の城に招いての大宴会の夜、酔った客たち が寝静まっ た未明、心揺れながらも預言の成就を早めんと してマクベスは王を殺してしま います。時々気弱になるマク ベスをいつもたきつける悪妻がいるのですが、 そのことは省 きます。マクベスは酔いつぶれた王の臣下に罪を着せようと 血の 剣をもたせ工作していると、城の扉をたたく音が初めは 弱く、だんだん強く 鳴り響きます。劇場いっぱいに。早朝に 城を発たなければならない王を迎えに 来た家来が城門をた たいたのですが、マクベスはその音に見透かされたよ うに激 しく動揺します。だが、その後は自分の罪を隠すべく手にお えない暴 君になり国中に敵を作り、自滅していきます。戸を たたかれた者の最悪の事例で す。 戸をたたかれた者は、それが真夜中でなくとも、ある種の 心の騒ぎ立ち を覚えるものでしょう。だれが戸をたたいてい るのか、戸を開くことによっ て、誰を招き入れることになるの か、そのことでなにが起こるのか、...わから ないとすればな おさらです。その声で、彼・彼女が友人だとわかれば、 警戒 心を解けるものの、次にその願いにこんな真夜中に応える のはごめんだと、 あんたたちも早く寝てあしたどうするか考え なさいよ、とちょっと意地悪くなっ て、なんでこんな気持ちに させるんだよ、腹を立てる。戸をたたかれるとはそ ういうこと なんじゃないかと思います。 でも、戸をたたく側はなんといっても 戸の外側にいるので す。ヨハネ黙示録3:20の場合、戸をたたく者は〈主〉です が、その立ち位置は外なのです。外は寒く、雨(日本的に は)、暗く、お腹が 空いても食べる物が無く、内に向かって 戸をたたくよりない場なのです。家 の主人は戸をあけて〈主〉 を迎えれば、戸をたたかれて生まれる不安から解き放 た れ、喜びの食卓を囲むことになるでしょう。だが忘れてはな らないこと は、〈主〉は外から来られたのです。家の主人は、 その外に向かって明け、外を 迎え入れたことを。
《説教ノート》 10月18日 ルカ福音書9章57-62節 「旅する者は」 久保田文貞 〈イエスを信じます〉と〈イエスに従います〉という表明とも に信仰を端的に告白する言葉と言ってよいでしょう。〈信じ ます〉となると、では何をどう信じるのかとなりますが、 〈従い ます〉の方は「何を」ではなく、どこまで付いて行くのかという こと が問題になります。ごまかしようがないのです。今日の聖 書箇所はその問 題を考えさせてくれます。 すぐ前の51節に、「イエスは、天に上げられる時期か ゙近 づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」とあります。こ れをもって 著者ルカは、それまでのガリラヤでの活動に区切 りをつけて、ここから18章 14節までイエスがエルサレムに向 かう〈旅〉が始まるという設定にします。 この旅はマルコで言 えば、10章17、32節「イエスは先頭を立って進んで行か れ た」という旅に当たります。そこではエリコを経由してすぐ11 章になってエ ルサレムに到着します。これに対して、ルカは この旅の間にイエスの言葉、譬話、 物語などを挟み込みま す。(Q資料の言葉「主の祈り」や、「大宴会の譬」「見失っ た 羊の譬」など、そのほか独自の伝承「放蕩息子の譬」など) 章立てからして、 この旅の方がガリラヤ時代の記述より長 いものになっています。ガリラヤか らエルサレムへの旅自体 は3日もあれば十分なはずなのですが、その旅の部 分にマ ルコとは別に仕入れた、ルカにとって重要な諸伝承を積み 込み、それだけ でも旅がただものでないことがわかります。 弟子に関しても、この旅の お供をしていくことが、ガリラヤ 時代の罪人の招き、病人の癒し、民衆への宣 教活動のお 手伝いといった水準のものではなく、どこまで従っていくか 否か、 その覚悟のほどが試されることになっていきます。 57節《一行が道を進んて ゙行くと、イエスに対して、「あなた がおいでになる所なら、どこへでも 従って参ります」と言う人 がいた。》 一行が動き始めて、それまでとは違う 緊張した空 気を読んで、弟子の一人が背伸びして言ったという感じで す。 これに対するイエスの答えは、58節「狐には穴があり、 空の鳥には巣がある。た ゙が、人の子には枕する所もない」 と。 原始教会の薫陶を受けたルカとしては、 「人の子」とは キリストを指す称号と捉えていますから、人の子に従ってい くもの は、これから先、地上においてはキリストと同じく枕す るところがないと覚悟 せよという意味になります。 59節ではもう一人の弟子に、今度はイエスが「従 いなさ い」と命じると、その人は「主よ、まず、父を葬りに行かせてく ださ い」と言う。するとイエスは、60節「死んでいる者たち に、自分たちの死者を葬 らせなさい。あなたは行って、神の 国を言い広めなさい」と言われた。われわれの 場合、ある人 の家族が亡くなったとなれば、その人が一時持ち場を離れ て弔 いにいくのを止め立てることはないでしょう。だが、その 言葉にもネジレか ゙あって、旅についていくためでなく、神の 国を広めるために葬りに行くなとな ります。 さらに、ほぼこれと同様に、3人目の弟子が61節「主よ、 あなたに従 います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせ てください」と言う。イエ スは「鋤に手をかけてから後ろを顧 みる者は、神の国にふさわしくない」と言われ たとされます。 3番目の問答は、平行箇所のマタイ8:18-22には出てきま せん。ルカ が独自に手に入れた伝承の断片をここにおいた ものでしょう。最後のものは、 エルサレムに向かうイエスの旅 に従っていく者の覚悟のほどを確かめるには比較 的よく符 合しています。 けれども、十字架の死へと向かうイエスの特別の旅の意 味も、また弟子たちがそれにどこまで従いうるかということ も、初代教会人 ルカの関心事であり、この三つのイエスの言 葉をその枠の中に収めたのは福音書 の著者ルカによりま す。私はその枠から解放してこの言葉について考えてみた いと 思います。 まず58節ですが、「人の子に枕するところがない」のこの 場合 の「人の子」をメシア称号に押し込めるのでなく、当時 使われていたアラム語て ゙、「人の子」は人間一般を表す言 葉でした。すると、次のように考えられない か。―動物たち には住まうところがあるのに、「人の子」・人間たちは戦争や 経 済の破綻で住まう所をなくしている、その人間の現実の 前に、いま神は御手を動 かしておられる、神の支配(国)が そこかしこで事を起こしていると。「従う」 ということをなおも言 うとすれば、従うとは君もその起こっている事に招かれて い ると知って、そこに踏み込むことだと。 互いに肉親を大切に思う思いを尊重し 合い、肉親が亡く なればそこに駆けつけることを誰にも止める権利はありませ ん。としても、ときに肉親の葬りを措いても他者のところに寄 り添うべきことか ゙あることも確かでしょう。神が他者のためにこ とを起こそうとされている時、 自分も彼・彼女に寄り添うことを 選びとることもあるでしょう。また、呼び 止められて本来なら 途中で手を止めて戻るべきところを、振り返ることなくそ のま ま進むべきこともあろう。ルカ7章22節以下のように神が福 音を出来事と して起こしているとの知らせを聞いて、後ろを 振り返ることなくそこに参じよう とする・・・ イエスに従うとい うことは、自分たちのそんな動きの事ではないて ゙しょうか。
10月11日 「人の暗黙知にせまる」 北島泰子 神様の話はできないので、神憑り(?)的な話をしよ うと思います。私の生業は 看護大学で教えることです が、大学人は教育と同時に研究と社会貢献もしろ とい われています。今日はそのうちの私の暗黙知に関す る研究についてお話ししま す。 暗黙知論の提唱者マイケル・ポランニーは「私たち は言葉にできるより多 くのことを知ることができる」と言 っています。例えば、自転車の乗り方の 説明書があっ たとします。これをいくら熟読してもまず自転車には乗 れないて ゙しょう。では自転車に乗れる人に、どうやって 自転車に乗れるようになった のかを尋ねてみても、お そらく「いっぱい練習したから」くらいの返答しか得ら れないと思います。実際に自転車に乗れるのに「どう して乗れるのか」は厳密に 説明できないのです。人に は言語化できない、自分の身体的な感覚を通してて ゙ しか知り得ない知識の領域がある、というのが暗黙知 です。これを踏まえ 私達研究班は、技術は伝達可能 か?という視点で研究をしています。 大学の授業て ゙教える看護技術は、時間的制約もあ り病院で行われるすべての技術を網羅し ていません。 しかしながら大学では教わらなかったのに、さらには 職場でも 教わらなかったのにできるようになった技術 があるのも事実です。一般的に は信じがたい話です が、看護界では脈拍、血圧などの生命徴候の明ら か な変化がないにも関わらず、患者の死期を予見する 看護師がいるといわれ ています。これは単に口承され る噂話であると捉えることもできますが、約 300人の看 護師を対象に質問紙調査を行った結果、自らそのよ うな体験をした、そ のような看護師を知っているという 話を入手することができました。私自身、 新人看護師 の時に「今夜この人危ないから気をつけて」と先輩看 護師に囁かれた経 験があります。私には、血圧も問題 ないし不整脈も出てないし、なんでこの患 者さんが? と思えましたが、夜中に急変して亡くなるということが ありまし た。なぜこの先輩は人の死期を予見するとい う神憑りなことができるように なったのか?(これはオカ ルト研究などではなく、至極真面目な研究で、国の 研 究費もついています)この研究の根底には「人はどう やって知識を獲得するの か」があり、教わらなかった 技術を獲得した例の最たるものが死期予見の技術 と いうわけです。まずは研究の方法から考えなければな りませんでした。 とにかく聞いてみようというのが前述 の質問紙調査で、思ったより反応があっ たため、次は 某病院に調査を依頼しました。調査の直近で亡くなっ た患者さんを 10人挙げてもらい、その人達が亡くなる 時に死期を予見できたかどうを尋 ねました。面白い結 果がでましたが、紙面に制限があり残念ながらここて ゙ はお伝え出来ません。これを学会で発表したところ、 この研究方法では後知 恵バイアスがかかっているとの 指摘を受けました。そのため次は、研究班が 考案した 入力端末を調査病院の看護師さんに携帯してもら い、この患者さんが亡 くなりそうだなと思ったらすぐに 記録に残してもらいました。その後どうし て亡くなると 思ったのかを聞いてみました。死期がわかる看護師さ んによると、 人が死ぬ前には鼻が尖る、強烈だった体 臭が消える、自分の右肩が重く なる、いるはずのない 人があたかもいるような振る舞いをするなど、その予 見方法を言葉で説明してくれました。しかし、その技 術を持たない看護師には説 明されても鼻は尖って見 えないし、臭いを感じることもできないのです。言 語化 して伝えられても理解できない、また同じ経験もでき ない、でも死期 がわかる看護師は患者から何かを読 み取って死期を予見しているのは確かで、 それを他 者に伝達しようとすると、鼻が尖る、臭いがするなどの 表現を使う しか方法がないのではないかと考えていま す。 職人には身体内の記憶として自 分で身につけ、かつ 他人に伝えることができない程に発達した「勘」があ る といわれています。看護師の技術も職人と同様である といえ、まさにこれは暗 黙知であって、言語化し形式 知として他者に伝えることはできないことなのた ゙と思い ます。そうなると大学で看護技術を教えること自体が 自転車の乗り方 の説明書を作るが如く、といえるので しょう。この研究が成就した暁には教 育そのものが大 きく変わるかもしれません。
10月4日の礼拝 フィリピ書2章1-11節 「キリストに倣う人間仲間」 久保田文貞 今日の聖書箇所は、パウロが彼のことをずっと援助してく れている親しいフィ リピ教会に宛てて、互いに思いを合わ せ、へりくだり、喜び合いなさいと奨 励する手紙の一部にな ります。そこにおそらく当時の教会に知られていただろう 賛 歌(2章6-11)を挿入しています。 《彼は、神の形をしていたが、神と等しくあ ることを獲得物 とはみなさず、みずからを空しくし、僕の形をとり、人間と同 じになった。そして姿においては人間となり、みずからを低 くし、死に至るまて ゙従順になった。十字架の死に至るまで。 この故に神もまた彼を高く引き上げ、 あらゆる名にまさる名 を与えた。それは、イエスの名において。天上のもの地下の ものすべてが膝をかがめ、すべての舌が、イエス・キリストは 主であ る、と告白するためである。父なる神の栄光へと。》 (田川訳) おそらくこれは、 パウロとフィリピ教会が共にくりかえし歌 っていた原始教会に一部広まって いた賛歌でしょう。この賛 歌の場合、その最後の言葉は「イエス・キリストは主て ゙あると 告白する」で結んでいます。少なくともフィリピ教会はこの賛 歌を 受け入れ、一つの告白文をもったキリスト(メシア)信仰 をもった集団=告白共同体て ゙した。告白文として共同体の 指針であり、倫理的な勧めにもなり、そのかぎ り告白した一 人ひとりを一つの誓約に結び付け、共同体規範にもなりか ねないも のです。 私はいま、一つの人間仲間と彼らの告白について、あた かも批評を加え ようとしていますが、批評となるとどうみても 告白する人間仲間の外に一歩出 てしまっている自分を感じ ます。告白というものは、告白する者とされる者との 外側から 何とでも言えそうであり、いや実は何を言ってもなんにもなら ない質 を持っています。私たちのごく身近な男女の間で一 人がもう一人に愛を告白 する出来事がたびたび生じます。 こんなのを集めて恋愛論をぶつことか ゙できるでしょう。人は それを参考にしたり、楽しみで読むこともあるかも しれませ ん。でも所詮は、それぞれのカップルにとってなんの足しに もなら ないし、無関係、そこに書かれているものは、恋愛論 のためのしなびた愛のカス といったところでしょう。 旧約聖書には、神ヤハウェに告白するイスラエルの告 白 の場面と言葉がなんども出てきます。それを歴史的に眺め て論評することは いくらでもできそうな気がします。事実19 世紀以来の歴史主義的ないろいろ な学者の仮説を読んで いると興味が尽きません。それら宗教社会学のものだ けに 限らず、文学的に実存的に告白と信仰の内容と在りようを 模索していく時に は、もはや単なる論評を越えているものが あると感じます。 告白という面で は、新約聖書に共通するところがありま す。客観的にそこに現れた告白する人間 たち、ペテロやパ ウロ、さらにイエス自身までも追っていくことができ ます。そ れに飽き足らず、文学的かつ実存的にこれら告白する人間 とされる者の 間に起こっていることをえぐり出し、みずから新 約の人物に肉薄した気分にな ることができます。 でもそこには、やはり大きな問題があります。少なく とも新 約書において、告白する者はこの世界のうちにいて、客観 的な論評の対象に なりうるし、実存的かつ文学的な主題に もなりうるのですが、告白される者(神)は この世界の外にお られるか、もしくは飛び出しているのです。今回の、パウ ロの 手紙の中に語られている神とキリストは、短い賛歌のなかで はありますが、 この告白の中味について語る者は、傍からの 論評であろうと、その中に入り込んて ゙の表現であろうとも、我 らの世界の外からの言葉について、聴き、それに向かっ て 発語するよりないのです。 だが、この世界のなかで、〈告白〉はその内 部の〈制度〉の 一つとして現象するしかなく、そこでは〈告白する〉という局 面 に立たされて、人間がいかに内面を掘り下げついには何 も手に残らなかったと か、でもそこから這い上がったからこそ これまでになく厚顔なる人間たちか ゙そこらじゅうに現われ権 力を握る側に回ったかとか、あるがままの人間はそ ういうも のだと言わんばかりに批評されます。あちら側からの声を遮 断して、 こちら側だけで残酷に飛び交う力の意志だけをブ レずに押さえていく ことができれば、すごいことですが。 あの古いキリスト賛歌は、内に あって告白する者と外にあ って告白される者との間に、新しいチャンネルを設定し たと いうだけではない。それは明確にこの世界内ではルール違 反でしかあ りません。でもその賛歌は、外なる神は、この世 界ではキリストを最も低い所 におき、僕とし、最悪の死、十 字架の死にまで至らせる者とし、そこからキリス トを世界を突 き抜けた所まで引き上げた。人をして「イエス・キリストは主 て ゙ある(それは崇高なる皮肉ですが)、と告白する」存在たら しめたというのて ゙す。これを告白する者は、キリストが神によ って自分よりはるか底まで引き 下げられ、そこから挙げられ たことを知り、自分もキリスト共に上げられて いく追体験をし たからと言って、そこで上から支配者として世界に君臨する わけ ではありません。もしなおも世界で論評するとすれば、 上からでなく、最 底辺にたって世界に向け語るよりないので す。
9月27日の礼拝 マルコ福音書8章27-33節 「ペテロの信仰告白」 久保田文貞 今日の箇所は、イエ スが「人々はわたしのことを何者だと 言っているか」と弟子たちに尋ねると、 彼らは処刑された「洗 礼者ヨハネ」の生まれ変わり、あるいは800年前の預言者エ リヤの再来、さらに預言者の一人と答えた後、「それでは、 あなたがたはわた しを何者だというのか」と尋ね、するとペテ ロが「あなたはキリストです」 と答えたというところです。 今日のお題を私は「ペテロの信仰告白」としまし た。自分 の信仰を告白することでキリスト者になると教えられた者は、 このペ テロの告白を最短で適格な信仰告白と思うでしょう。 ましてマタイ福音書から 読み進めてきたとすれば、そこでは 「あなたこそ、生ける神の子キリストで す」(マタイ16:16)とな っていて、しかもイエスはその答えに全面的な賛辞を送り、 ペテロに天国の鍵を授けると約束しているのですから。よほ ど注意深く読んて ゙いないとその差に気が付かないかもしれ ません。 マルコ福音書のほうでは、 その答えに対するイエスの言 葉は「...御自分のことをだれにも話さないようにと 弟子たち を戒められた」となります。「戒められた」と否定的な意味合 いを弱めた 訳になっていますが、原語はまぎれようもなく「叱 りつける」という意味の語て ゙あり、著者マルコは他所で、悪霊 や荒ぶれた風を叱りつける時に使っているた ゙けです(1:25, 3:12,4:39,9:25)。ほとんどの解釈がそうですが、イエス がキ リストであることが明らかになるのは、十字架と死と復活の時 であっ て、それまではイエスがキリストであることを伏せてお くようにという指示た ゙った、だから「戒めた」ぐらいがよいとい う配慮を働かせているのです。 つまり、ペテロの告白は間違 いではなく、時期尚早だったと。 このあと、31 節以下の第一の受難予告、9章2節以下の山 での変容という一連の記述は、その前 後のイエスの言動と 異様な感を受けます。聖書学者たちが指摘するように、これ 以前の宣教の舞台は主にガリラヤ湖周辺であって、群衆が あまりに多くなる と、イエスと弟子たちは何度も船を使って移 動する姿が描かれています。これに 対して、それ以後の宣 教の舞台はほとんどが旅の道中となります(8:27、9:30、 10 :17、10:46)。それが鮮明になるのは10章32、「一行がエル サレムへ上って 行く途中、イエスは先頭に立って進んで行 かれた。それを見て、弟子たちは驚き、 従う者たちは恐れ た。イエスは再び十二人を呼び寄せて、自分の身に起ころ う としていることを話し始められた。」 イエスに従い、イエス をキリストと呼ぶこ とがいかに危ういことか、弟子たちはこの イエスの強い志向性の意味を計りかね たままイエスに従っ ていきます。これと対照的なのが、変わらずイエスの側か ら 離れない群衆の姿です。 おそらく8章27-30節の記述の元になる伝承は、イエス に 関する評判が高まってきたところでイエスと弟子たちとの実 際の問答に由来 するものでしょうが、原始教会での受け止 め方は変わります。初めは単純に イエスを誰と言うかという だけのものが、原始教会においては、イエスをキリ ストと認め ることは、罪を「告白」し洗礼を受けること、キリスト者になるこ とと 同義になる。こうして教会儀礼的な告白となり、さらに宗 教改革において、「告白 する」という人間の在りようが再度確 認されて決定的なものになっていく。私た ちはどうしてもそ の流れの中に立って見てしまいます。 福音書の著者は、ペテ ロの答えが「告白」として特別の意 味を帯びつつある中で、強くそれに待っ たをかけたと思わ れます。イエスを何者かと信者たちと同じ思いになり、正解 を 言い当てることが重要なのではない。大切なのはただ信 頼してイエスと共に 生きること、イストの横を歩いていくこと。 ところで新共同訳は、聖書協会口語 訳が「告白」と訳した 語ホモロゲオーを「公に言い表す」とします。いわゆる 「信仰 告白」という固定的な表現を「信じて、公に言い表す」と馴染 みやすい表 現にして、ふつうの日本語の中に着地させよう と言うのでしょう。でも、そこ には「信じる」という極めてワタク シ的なことが、どうして180度転回して 「公に言い表す」とい うことになるのでしょう。正直言って、私にはいつもこの 戸惑 いが付きまといます。 現代の問題として、「告白」を考えてみると、告白と は古い しがらみを断ち切るだけの内面の深化と外面を付き破る強 化と裏腹の関 係にあります。告白によって鍛えられた主体 性というのが当然だと思い込んて ゙いる節があります。でもそ こで強化されたかのようなワタクシを「公に言 い表す」という ことがどういうことかあまり考えません。新共同訳が「公に」 と いう語を補った時、多分自分の信仰を世間一般に公表する ぐらいの意味に考え てのことだったと思います。だが、我々 の時代はもっと深刻なことになって います。〈私〉の主体的な 意見を〈公〉のものにしようという企みは、実はあえて 〈公〉と いう語を使って言えば、〈私〉を無化して呑みこんでしまう 〈公〉の 権力的な企み、権力そのものではないかという警鐘 が鳴り響いている世界にい るということです。〈告白〉自体が 〈私〉を捨てる儀式になりかねないので す。 「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」とはある意味で 意地の悪い 質問だったかもしれません。答えないのが正解 だったとしか言えません。い や答えたとしてもその間違いを しかと受けとめるための試練の一つだったという よりありませ ん。
9月20日の礼拝 レビ 25:10、13~18 ルカ 6:34~36 「時間を聖とすること」 板垣弘毅 第三者からは「不要不急」でしょうが、キリスト者は、日曜 日を「主の日」と して礼拝することをたいせつにします。「安 息日を覚えてこれを聖とせよ」と十戒 に記されています。礼 拝する場所や物ではなく、まず時間を「聖」とせよとい うわけ です。十戒がいつ頃イスラエル・ユダヤ人の根本的な戒め になったの か、議論がありますが、イエスの頃には絶対的な 戒律として、深められ拡げ られていました。安息日律法も膨 大で、煩瑣な規定もあり、イエスも批判してい るほどです。 出エジプト記では、天地創造のはたらきの第七日目を神か ゙ 休まれたから、神のために空けておく日、つまり時間を「空」 にすること、これ が「聖とする」とされています。聖とすること は、人間の営みの空洞ということて ゙す。 時間を聖とする戒めに、「ヨベルの年」という定めもありま す。(レビ 記25章) 七日に一度安息日があり、また7年に一度、安息年があっ て、畑を休ま せます。 「この五十年目の年を聖別し、全住 民に解放の宣言をする。それが、ヨ ベルの年である。あな たたちはおのおのその先祖伝来の所有地に帰り、家族の もとに帰る。」 負債は帳消し、担保に取られていた土地 や財産は返還され、債務奴 隷が解放されます。土地所有 者と貧農の格差が一挙に埋められる“夢”が命し ゙られていま すね。この制度が実際歴史上行われたのかは不明です。 ただこ の律法の精神は.ユダヤ教の根本精神、「安息日を 聖とする」信仰から来ています。 聖書を貫く信仰です。ヨベ ルの年も「聖なる年」と呼ばれます。 イエスのた とえ話にも、また振る舞いにも、無条件で負債 や罪が赦される人が登場しま すね。終末的なヨベルの年を イエスは生きていたのでしょう。 「聖とする」と いう言葉は、一般的には人間を越えた何か を経験し、カタチにすることですね。 聖書では、人間と区別 された、人間が立ち入れない神のはたらきのことです。 「神は七日目を祝福して、聖とされた」(創世記2:3)私たち が自力で確かめられ る「空間」ではなく「時間」を聖としたの です。当たり前に流れる日常の時間 を上から断ち切るような 「できごと」の時が聖なる時間といえるでしょう か。安息のた めに神が創造した時ですから、人間のすることは無条件で その 祝福に与ることしかありません。 「ヨベルの年」の方は、今まで述べたよう に具体的な命令 が伴っています。“夢”であっても具体的な希望になってい ます。 預言者たちの叫びが結集したような命令です。 「聖とする」のは神であっ て、人間ができることは、「聖とせ よ」と命じられて、応えることです。 不十分ですが自分流の言葉で言えば、人が踏み込めない空洞を自分のうち に持ち 続ける、ということになります。主の祈り「御名を崇めさせ給 え」は、直訳 すれば「御名が聖とされますように」です。最初 に「私たち」の「いのち」 を祝福された神に、その神の「自由」 (それを「聖」といいます)に踏み込まないこ とです。 「御名 を崇めさせ給え」には現実を固定しないていいという希望が あります。 ところで、ヨベルの年の“夢”、あるいは希望を、イエスは 自分自身 の現実としているように見えます。きょうはルカ福 音書を読みましたがヨベル の年の精神を徹底しています。 「自分を愛してくれる人を愛したところで、あな たがたにど んな恵みがあろうか。... しかし、あなたがたは敵を愛しな さ い。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そ うすれば、たくさ んの報いがあり、いと高き方の子となる。 いと高き方は、恩を知らない者にも悪 人にも、情け深いか らである。 06:36あなたがたの父が憐れみ深いように、 あな たがたも憐れみ深い者となりなさい。」 「何も当てにしない で貸しなさ い。」についてある聖書学者は、原語の分析から 「何も絶望せずに貸してやれ」 と訳すべきだと言います。(田 川建三)貸すことや貸す相手に絶望しないで貸 してやれ、 イエスの言葉かどうかは別としてイエスらしい、といいます。 わたし も共感します。神からの報酬を当てにして、報酬無し で貸してやれ、とイエスは 言っているのではありません。神 の報酬など人間がとやかく言えるもので はない、ひとのする ことは目の前の人に絶望しないでつきあうことだけです。 人間にとって「聖とする」とは、神の自由から生きることで すが、「ヨベル の年」のように一人の「いのち」が本来の姿に 立ちかえることと結びついてい るのです。その「いのち」は自 分の「いのち」だけではありません。そこて ゙わたしたちはヨベ ルの年の精神が、イエスの神の国の福音と響き合っている ことに気づきます。イエスはこの免除と解放を語り、自ら生き てしまいました。 それは「神の国」の先取りのようでした。す べてのひとにひらかれています。 イエスの「主の祈り」で、「わ れらが罪を赦すごとく、われらの罪も赦した まえ」と祈ります ね。この「罪」、マタイでは「負債」という言葉です。「ヨヘ ゙ルの 年」の精神ですね。「その日」には私は何も当てにせず負債 を赦します。 だから「その日」には私の負債も赦してくださ い、というのです。自分も相 手も神の前に立つ者として祈っ ている。ある時間を「聖とする」ということは、神か ゙その時間を 創った、ということです。時計や、モノやカネで可視化、空間 化 できる時間とちがう角度です。イエスは「神の国」の始まり として、この 「聖なる時間」を貧しい庶民と共に生きてゆきま した。この希望が実現するときか ゙、そこに来ているんだと語り かけました。「安息日を聖とせよ」とは、本来こ のように生きる ことでした。 私たちは、イエスの眼差しの中で、一人の「い のち」とであっていきます。(全文は板垣まで)
9月13日の礼拝 マルコ福音書5章24b -34節 「衣をつかむ」 久保田文貞 21-43節を読むとすぐ気づくとおり、24節bから34節まで の「イエスの服に触 れる女の癒し」の物語が、もう一つの「ヤ イロの娘の卑し」の物語に挟み込まれ ているのがわかりま す。〈サンドイッチ様式〉などと言われ、マルコ特有の 編集技 法だそうです。この編集技法が最初に出てくるのは、3章の ベルセ ゙ブル論争の箇所で、全体で5,6回この技法が使わ れています。マルコは、 採集した諸伝承断片をただ並べる だけでなく、このように一つの伝承の中 にもう一つ別の伝承 を割り込ませて、対比させたり増幅させたりして意味を豊か に していくと説明されています。この説明は編集者としての 意図はどこにあるかと いうものです。言葉による教え部分と 実践活動の部分を明確に区別したマタイや、 救済史観を前 面に押し出すルカの場合、編集目的と方法を問う読みは有 効でしょ う。しかしマルコの場合は事情が違うと思います。 マルコ福音書を初めから読んて ゙いくと、目立つのは群衆 がイエスの周りに押し寄せてくることです。今回の 箇所もそう ですが、イエスは能ふかぎり民衆に応えます。私たちはガリ ラ ヤで宣教を始めたイエスがそういう方だと当然のように読 みますが、その イエス像はマルコが描きだしたからこそのも のなのです。 福音書以外のパ ウロの手紙やその他の文書を想い起し てください。そこから民衆と親しく交わる イエス像は出てきま せん。マルコ以前の原始キリスト教で文書として残っている のはパウロ書簡だけですが、少なくともそこでは生前のイエ スの姿は関 心の外。奇跡物語のような民衆騙しの宗教説話 はいらないと、あくまでイエスか ゙キリストとして人間の罪の赦 しのために十字架にかかり復活したという実存的な 信仰内 容に焦点を合わせたのです(Iコリ2:2、IIコリ5:16)。もちろ んパウロの 時代全部がパウロのように見ていたとは言えませ ん。文書として残されなかっ たが、原始キリスト教の一般信 徒の間に、とくに生前のイエスを知る人々の間に 民衆に応 えるイエス像が残っていたと言えなくもない。でも、死からの 甦り神 の子メシアと告白されたイエスに集中していく原始キ リスト教の信仰のかたちは地 上のイエス像を後景に退かせ たこと、想像に難くありません。 マルコが福音書を 書き上げたのはいつか、田川説では6 0年位から、あるいは大半の学者はユダ ヤ戦争終了の70年 頃とされますが、いずれにせよマルコが生前のイエスに関 心を持ち始めた時点と福音書を書き著した時点には相当の 時間的幅があるはずて ゙す。推測ですが、マルコはイエスの 事績に関心を持ちはじめてガリラヤ に行き、ガリラヤ湖畔の カペナウム近傍を回り、イエスの言い伝えを集め、イ エスに 接触した女や男たちに面接したのではないか、彼はそのよ うな現地踏査の なかで、イエスの方に押しかけた民衆とイエ スの間に生まれた息吹を改めて確認 したのではないか。こう してマルコはこの確信をもって仲間の元に戻って報告し、 そ れを広く伝える使命を感じつつ福音書という文学を編んだ のだろうと思い ます。 というわけで、マルコ福音書では、イエスの活動の初めか ら取り囲んて ゙いた民衆オクロスが、欠けてはならない登場人 物キャラクターなのです。今 日の聖書箇所はいわゆる「奇跡 物語」ですが、マルコにとって、それは決して 民衆を引き付 けるための疑似餌なんかではありません。福音書の中心に 位置すへ ゙きイエスと民衆の一人ひとりとの物語なのです。 前述したように5章21-34節た ゙け取ってみると、そこに二 つの説話がサンドウィッチ様式で出てきます。 21-24a、35 -43〈ヤイロの娘〉の伝承の間に24b-34〈イエスの服に触 れる女〉の伝 承が割り込む形になっています。確かにそれ がマルコ特有の編集技法には違い ありません。例えば近代 の雑誌編集やその記事の割り振り方を念頭に置けば、 その 編集の仕方にはどんな方針が隠されているか問うことは自 然なことです。 編集者がある意味露骨にそれを持っている からです。でも福音書編集は近代 主体的な編集者のそれと 違うと思います。 田川と荒井は微妙な違いがありますか ゙、結局マルコがこ の様式を採ることによって、イエスに対する〈信頼〉を強調 し ようとしたのだと解釈しています。しかし、私は編集者の意 図という視点で は解せない何かを感じます。次のように考え てみたいと思います。マルコが資 料収集過程で感じ取って いったものは、忘れられかかっていたこと、イエスと 民衆の 間の空気感、民衆がイエスに表した信頼感です。その力が むしろサン ドウィッチ様式を引き寄せたのではないか。一人 の死にかかった娘のいやしの ために取り掛かったイエスと 父ヤイロの間に、もう一人の長血を患う女のいやしの 出来事 が割り込むようにでてくる。イエスが主役なのはもちろんで すが、 そうもいってられない。割り込む女も、割り込まれた娘 も、しっかりと浮かび上か ゙ってきます。このイエスと女と娘とそ の父親、そして周りにいる民衆たち全員の 間に生まれる信 頼の空気感は、ただ並べているだけでは物足りない、編集 の意図を越えて割り込み方式こそもっともよくなじむものに なっていないでしょ うか。
9月6日の礼拝 ルカ福音書7章36-50節 「愛は多くの罪を蔽う」 久保田文貞 今日の箇所は、イエスが人々と食事をしているところに一 人の女が現われ、イエスの足 に香油を塗るという話になりま す。似ている話がマルコ14章3-9(//マタイ26章 6-13)にも ありますが、いくつか違いがあります。一つは設定場所、マ ルコの 場合、ベタニアにある〈らい病人〉シモンの家、つまり 清廉潔白なパリサイ人か ゙タブーとする場所です。こちらの女 は罪深い女とは言われていません。高価 な香油の壺をもっ て、まるでリハーサル通りとでもいうように、つかつかとイ エス に近寄りイエスの頭べに香油を注ぎます。これを見て弟子 の一人が「な ぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。 この 香油は三百デナリオン以上に売っ て、貧しい人々に施すこ とができたのに。」と言った、するとイエスは「する ままにさせ ておきなさい。」そしてこれが「埋葬の準備」になると言われ ます。 このあと男たちだけで都に上り、夕べにはイエスを囲 んで最後の食事、そ してゲッセマネの祈り、逮捕、裁判、判 決、処刑・・・。女の不可解な行動は、 葬りの準備というより、 メシア(油注がれし者)・イエスの就任を意味する儀礼の よう にも見えます。場所を提供したシモンも、塗油を受けるイエ スも、塗油する女 もみなそれぞれに自覚的であり予定通りと いった具合なのです。 これに対し て、ルカの場合、ガリラヤにあるパリサイ人の 家に招かれての会食場面。そこ に町では知られた「罪深い 女」がすうっとあらわれ、後ろからイエスの足下に 近寄り、 《泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐ い、 イエスの足に接吻して香油を塗った》となります。「罪深 い女」とは、体を売って 生きるより術がなかった女性を指すと 言われてきました。本来、客を迎えたパ リサイ人の家の食事 場面に足を踏み入れるなど考えられない女だったという設 定です。見つかれば「お前のようなものがくるとところではな い」とすく ゙にもつまみ出されるだろうというわけです。でも女 は一心でイエスの方 へ突き進み、気づいた家のものも女に 気圧され声もかけられなかったといわんは ゙かりです。 遠藤周作がここを次のように書いています。淫売婦 たちへの旧約 の言葉を解説した後、《だが、キリストが 訪れた日から、...売春婦たちはそ の泪で「御足を次第に 濡らす」女と変わりました。キリストは彼女たちをかえ っ て偽善者や充ち足りた女よりも高く評価したので す。自分がいつも善人だと 思っている信仰者、他人を裁 くことのできる女、恥ずかしさにも自己嫌悪にも 捉えら れたことのない人よりもこうした淫売婦の悲しみや苦しさのほ うが、はる かに真の信仰に近いことをキリストは教えました。》 と言います。(『聖書のなかの 女性たち』27頁)おそらく福音 書記者ルカの意向にぴったり応えていると思います。 ここでは弟子たちの無駄遣い批判はなく、あったのは、こ の家の主人パリサイ 人の心のつぶやきだけ。「この人がもし 預言者なら、自分に触れている女か ゙だれで、どんな人か分 かるはずだ。罪深い女なのに」。 イエスはパ リサイ人の心のうちをそのままにしておくことは できないとばかりに借金を帳 消しにしてもらった人の譬を語 ったあと、《 ・・・女の方を振り向いて、シモンに 言われた。 「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あな たは足 を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足 をぬらし、髪の毛でぬく ゙ってくれた。あなたはわたしに接吻 の挨拶もしなかったが、この人はわたしか ゙入って来てから、 わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ 油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれ た。だから、言っ ておく。この人が多くの罪を赦されたこと は、わたしに示した愛の大きさで分 かる。赦されることの少 ない者は、愛することも少ない。》 下線部は明確にマルコ の物語を意識した言葉です。意 地悪く言えば、後発のルカが、どこぞの 国の官僚が忖度し て文書改竄したようなものと言えなくもありません。〈凛とイ エ スの前に立ってその頭に塗油した女に、頭が高いとばかり に足下にひざま ずかせ、足に泪を注ぎ髪の毛でそれを拭き 足に香油を塗らせる。そうだお 前は罪の化身ともいうべき売 春婦という設定にしよう。その方が効果的だとは ゙かりに〉。も ちろんルカさんがこんな卑劣な奴だとは私も思いません。心 底 から自分の罪を悔いた女が、そこがパリサイ人の家だと知 ってもおそれす ゙イエスの足下にひざまづいた、そしてイエス はすべてを読み取り女の罪は 赦されたのだと。形式上、改 竄になってもより慈愛に満ちたイエスの物語であ ればそれ でよいではないかと苦渋の選択をしたかもしれません。ルカ がこ とのほか当時の女性問題にここを寄せ、福音書を編む にあたって腐心したことは敬 意に値します。でも、この善意 にはどうしても、弱い女性に男が手を加えて やる必要がある とのある種の男の傲慢があるように思えてなりません。男の 手 が入ることによってかえってねじ曲がってしまうことを男は 知るべきで しょう。「あなたも、手伝って」と言われて、初めて 「はい」と応え協力すれば よい。いやそれよりなりより、男自 身、しかとイエスに向き合い、慰めと腕力だ けでなくほんとう の力を与えられればと思います。
8月30日礼拝 ヨハネ福音書8章1-11節 「傷ついた葦を折ることなく」 久保田文貞 7章53から8章11まで見慣れないカギカッコが付いていま す。これ は古い重要な写本に欠けていて、比較的新しい一 部の写本にしかないことを示して います。おそらくこの断片 は2,3世紀の誰かの作り物、それがうまくイエスの雰 囲気を 伝えているので本物と見なされ福音書に紛れ込んだものと 思われます。 もっとも、他の諸伝承がどれ位歴史上のイエスにさかのぼ れるかどうか、 文献学的な研究がなされましたが、仮説の域 を出ません。基本的にイエス死後 の原始キリスト教の多様な 流れの中で諸伝承が醸成していき、それらが拾い 集められ 福音書の中に納まっているわけです。 だから、福音書の中で最も遅 くその場を与えられた今日 の箇所とて、新約の括りの中に入れられたかぎり一定 の発 言権を持っていると言うべきでしょう。「うまくできている」と言 いま したが、よく読むと問題を感じます。 ヨハネ8章1以下の断片ですが、読んて ゙すぐ疑問に思うこ とは、女が姦通の現行犯で捉えられた時、男の方はど うなっ たかという点です。「姦淫するなかれ」という十戒の規定とと もに申命記 22章22は「男が人妻と寝ているところを見つけら れたならば、女と寝た男もそ の女も共に殺して、イスラエル の中から悪を取り除かねばならない。」(レビ記 20章10もほ ぼ同じ)とします。共同体の隣人関係の中で他人の妻と姦 通した 現場を押さえられた者は、男も女も死罪をもって共同 体から排除するという規定て ゙す。古代イスラエルは男本意 の社会ですが、姦通という共同体の基礎となる 家族関係を 破る者に対しては、男も女も同等に処罰するというのがこの 法の精神 です。 その点では日本の旧刑法の姦通罪の精神と違います。 そこでは「夫の ある女子が姦通したとき」夫の告訴があって 始まり、その妻と相手の男も同罪 とされ、あくまで夫中心な のです。夫の姦通に妻は告訴できないというのは 不平等だ と言うので、日本国憲法が施行された後1947年に姦通罪は 廃止され ました。 さてヨハネ8章に戻りますが、女は姦通の現行犯として連 行されましたか ゙、彼らの律法からすれば相手の男が当然い なければならず、構成要件を 満たしていないことになりま す。律法学者はなにやっているんだとなるはずて ゙すが、そう ならない。 その理由は、この物語を作ったのがユダヤ教と対立 していたはるか後のキリスト教側だからでしょう。ほれ、ユダヤ教 では依 然として男本意の律法が女性たちを締め付けてい る、キリスト教は女性の人権を 大切にしていますよ、という主 張が隠れているように見えてなりません。 この物 語に関する一つの仮説に、これは「続編」にある前 1世紀ごろのユダヤ小説「タ ゙ニエル書付録スザンナ」と関わ りがあるのではというのがあります。あ らすじはこうです。裕 福なユダヤ人の美しい妻スザンナは家に出入りする 裁判官 の長老二人に横恋慕され、姦通を迫られます。断ればスザ ンナが若い 男と姦通していたと告発すると脅されます。彼女 は姦通するよりは偽証される方か ゙よいとして拒み、結果、こ の悪質な長老二人の告発で姦通事件として裁判にな りま す。家族も親族も彼女がそんなことをするはずがないと驚く のですか ゙、長老複数の証言をどうすることもできない。処刑 寸前にダニエルに霊か ゙下って、長老が偽証していることを 証し二人の陰謀が露見してしまいます。 スザンナに罪がな いことがわかってめでたしめでたしという話です。 16世紀オランダの画家ブリューゲルがヨハネ8章の姦通 の女の絵をかいてい ます。その絵は女を告発する律法学者 やパリサイ人、その周りの男たちの醜悪な 顔をこれでもかと 描き込んでいます。そう、彼らは現場を押さえたただの告 発 人ではなく、彼女を手籠めにしようとして失敗し、腹いせに 偽証していたのた ゙と言わんばかりになのです。画家はスザ ンナの小説を知っていたのでは ないかと私は邪推していま す。絵としては優れているのでしょうが、この画家か ゙生きてい た時代の過剰な反ユダヤ意識を感じてしまいます。そこに はこの断 片を書いた人間の動機と通底するものがあるので はないでしょうか。 この問 題は次のことにあるのではないでしょうか。女性一 人を罪に落とし込んでい くのはユダヤ教の律法主義であっ て、イエスは彼女の罪を赦し彼女を救い出し た、そしてキリ スト教こそ女性を抑圧から解放するのだと自負しているので す が、ほんとうにそうだろうか。キリスト教もいつの間にか男 たちが本意の社 会に胡坐をかいていないかとすぐに思いつ きますが、それより問題はもっと別 にありそうです。ブリュー ゲルの絵を見て思ったのですが、この絵を見 る自分、あるい は物語をこちら側で聞いている自分、さらに言えば実際に 起こっ たとして姦通の女が連れてこられてイエスに問答を吹 っかける男たちの騒動を傍て ゙見ている自分は、イエスとイエスによって「傷ついた葦を折ることなく」、かかえ 起こされ許さ れていく女とどう関わろうとしているのか。ただの観客になっ て いないか、逃げていないかということだと思います。
8月23日礼拝 第一コリント1章17-18節 「無力な力」 久保田文貞 近代国家の戦争はあらゆる暴力 を駆り出し突っ走らせ、 暴力の究極の現われと言えます。それだけではありま せん。 戦争が終わった後も、今度は別の顔をしてこれは戦争でな く平和だと いわんばかりに、戦後の社会を暴力的につくりだ していきます。一見すると平 和な社会なのに、子供や弱い 立場の人々は依然としてその暴力にさらされるので す。 村上春樹の小説『1Q84』(2006)はその別の顔をした暴 力を描いています。青豆 と天吾という二人の人物に起こっ た出来事が、別々に交互に物語られていきます。 ちょっとだ けネタバレになりますが、実は青豆と天吾は20年前に出会 ってい たのです。青豆の母は宗教団体「証人会」に属して いて娘を信仰教育し、日曜の 午後は娘を連れて戸別訪問 伝道をする。天吾の父はNHK受診料の集金人でやはり日 曜に子連れで集金をする。どちらの親も、人は子連れの訪 問者に気をゆるすこ とを利用しているのか。同級生の二人 は、お互いそんな親に引き連れられながら 町ですれ違って しまう。学区域も回るからクラスの子たちも彼らの日曜の行 動を 知っていて、陰口をたたく。体格の良かった天吾は恐 れられていたが、細身の青 豆はクラス中から無視され男の 子からいじめを受ける。或る時一度だけ天吾か ゙そんな青豆 を救いだしてやると、放課後だれもいないとき、青豆はほと んと ゙無表情のまま天吾の手を握ったと、関係はそれだけで す。その後すぐ青豆 は転校してしまってそれきり。でも、二 人とも思春期に入ると子を連れまわした 親と訣別し自分の 人生を歩み始めます。しかし30才になった今も、それぞれ 20年 前のその時のことを忘れない。とりわけ青豆はどこにい るかもわからない彼を唯 一の愛する男と言ってはばからな いという設定です。 これは物語全体のほんの 一部のモチーフですが、ここに 取り上げた理由は、子どもが親から受け る暴力、広義のDV のことを考えてみるためです。それには伏線があって、大人 たちもこれまで暴力を受けている。実は『1Q84』はこの二組 の親子に限らず暴 力の下に苦しむ子どもがでてきます。そ の周りの大人たち、彼らもそれぞ れ何らかの暴力を受けて います。全体がジョージ・オーウェルの『1984』に 描かれた 独裁的なビッグ・ブラザーのもとで陰に陽に暴力の支配下 にあっ て、それと似ていないかというわけです。 ここまで来ると、暴力という語から 暴の字を取り払った方 がいいかもしれません。支配する力が、支配される人々 の 隅々、家族関係にまでおよび、すべての人間を再配置して 全体のどこか に組み込む、こうして力の支配は完結する。暴 力の究極たる戦争が、その戦後に 作った社会の構図とすれ ば、戦争が姿を変えて私たちの社会に潜り込んでき ている となります。 ついでに言うと、G・ソレル『暴力論』(1908)は、上から支 配する(強制)力forceに対向して、支配される側の下からの 反抗の力violence、つま り労働者のゼネストなどを肯定して いきます。ヴァイオレンスは人として正 当な力の行使だという わけです。(もっともforceとviolenceを同じ意味に使 うところも ありますが)今も一考に値する考えだと思います。 ここで聖書の いう力、とりわけ旧約聖書から受け継いでい る〈神の力〉のことを思います。青 豆と天吾のことで、その小 説を最初に読んだとき、まず浮かんだのは創世 記22章、父 アブラハムが神の命により子イサクを山で犠牲として献げる 話 でした。上なる権威に従うために、子が暴力を振るわれて もかまわないという のか。子は神に従おうとする親にまずは けなげに従うよりない。これは暴力に ならないか。反抗する 子の暴力は? イエスの前に立ちふさがったユダヤ教の指 導者たちは、 民衆に律法に従うよう教え、当然その子たちは律法に従う 親たちの下 で意味も知らず従うということだけを学ばされて いくのです。しかしそ の支配の構造は破綻していきました。 イエスは下から崩れていった破綻の中に入っ て福音を語り 倒れ掛かっていた人々をかかえ起こしていきます。イエスの まわりて ゙起こった下からの運動は、ソレル流に言えば、虐げ られた者たちのヴァイ オレンス。新約的にはイエスの行く手 に、それを真っ向から否定するかのようにイ エスを十字架に つけて殺す暴力forceが待っています。イエスの死。しかし その さら向こうに、死さえひっくり返してしまう神の実力行 使。イエスの復活。 パウ ロは、旧約の伝統から見えてくる世界の隅々まで確 実に及んでいく神の力の在 りようからは想像できなかった全 く新しい神の力を見てしまったと言えないで しょうか。それは それまでのような屈服させ強制する暴力との境界をはっきり さ せてこなかった「神の力」とは違うらしい。それまでの力か らすれば無力その ものであり、黙れと言われれば黙り、罵ら れても言い返さず、息するなと言 えば息を止めてしまい、目 の前で墓に葬られてしまう不甲斐なさである。け れども、この無力さから神は力を引き起こす。イエスの後を追ってきた人 々も起 こされる。立ち上がってはならないとされた人が立ち 上がる。羽交い絞めに されていた人が動き出す力です。
8月16日の礼拝に向けて 詩篇146篇1-10、ルカ福音書7章20-22節 題 :「福音は創造」 久保田文貞 ことの当否はどうあれ、西洋から発した近代の世界は総じ て宗教的な縛りから の開放、魔性からの脱出の道を選び、 人間の責任において歴史の舵取りをでき るものとして歩み 出しました。この解放と脱出にはキリスト教のなかにある〈神 な らぬものを神としない〉という考え方が一定の役割をしまし た。それはさらに世 界の世俗化の徹底をもたらし、神に世界 から退場してもらって人間が世界の進行 を決定するという在 り方をとりました。しかしその帰結が20世紀の二つの大戦て ゙ した。後進した近代国家日本は自分の立ち位置を顧みるこ となく、最悪の破綻を 経験することになりました。戦後、日本 は戦勝国アメリカの庇護の下、「民主主義」 に衣替え、修正 をし、やり残した近代化を経済的先進国としてまい進してき ました。 その意味では古典的近代化の優等生でした。 こうして都合よく国境を備え内側 を整備し、都合よく国境 の外側を市場として開発し、資産を増やし技術力を高め労 働力を買いあさり近代の完成図に近づこうというわけです。 もちろん事態はそ んな都合よく行かない、かつての大戦の ような露骨な破たんはないかもしれないか ゙、確実に世界は ボロボロ、新自由主義の掛け声と共に各地で起こった社会 変動、経済格差は修復しがたく、人間関係を分断し、過剰 な経済競争は自然を破 壊し想定外の気候変動を引き起こ しています。このような事態は〈近代〉が実体 上も〈近代後〉 さえ飛び越え始めているからこそのものでしょう。 新型コロナ 禍について言えば、それは決してウィルスによ る禍とは言い切れない。人間が 作り出してきた矛盾がこれに よって炙り出されたというべきでしょう。おそ らくやがてワクチ ンが出回り、治療薬も開発されていくかもしれません。そう すると、わが日本企業はのど元過ぎて何とやら、性懲りもな くかつての近代 主義に舞い戻り、格差さえ利潤を生みだす 好機にしてしまいかねません。矛盾は 膨れ上がりもっと大き な破綻へと持ち越されていくのでしょうか。そうならな いよう 何とかコロナ禍〈後〉を上手に設計してもらいたいと思いま す。 ずいふ ゙ん大風呂敷を広げて、近代批判めいてことを生意 気にも述べてしまいましたか ゙、確かなことは近代が理想を掲 げてきたが、結局それも破綻し、その次を 十分に見いだせ ないまま今があるとなります。 という議論の背後に、この世界 は人間がダメにしてしまっ たので、本来は善きものであったという暗黙の 前提がありま す。聖書的な言い方で言えば、神の創造は完璧であった。 神 は創造の最後に人間を創りこの世界を人間の手に委ね た(創世記1章)。しかし人間は その務めを自身の堕落と堕 罪のゆえに、世界に泥を塗った(創世記2章以下)。神は堕 落した人間に見切りをつけ、ひとりノアを選び彼とその家 族、一対の動物を箱舟 に避難させ、世界救済の道を付け る。ノアは別の語り手(P)によれば、義しく、完 全な者とされ ますが(6:9)、元の語り手(J)によればノアは「主の前に好意 を得 た」、普通の男が幸運にも選ばれただけと言うのです。 だからノア以後 の人間の歴史はそれほど完全ではなく、選 ばれたイスラエルも義しく完全て ゙もありません。むしろ世界を 創造された神にとって、人間の不完全さは想定内た ゙ったか のようです。 詩篇156:6-10を見ますと、神によって創造された美しき 世界を、義しく完全に生きていく人間がまずあって、次にそ こからこぼれ落 ちた人間たちがいて、神は彼らも救済してい くという具合に書かれていません。 救済を歌う作詞家の都合 上そう見えるだけだと言われるかもしれません。8節に は「主 は正しい者を愛される」と書いてあると。でも、ここは人は神 によって愛 され、初めて正しい者になると強引に読みたいと 思います。神の創造は正しく完全 な人を先頭に立て、尻尾 の方に脱落者を配置するような創造でははない。「しえ たげ られる者」「飢えた者」「捕われ人」「目の見えない者」「かが む者」 「寄留の他国人」「みなしご」「やもめ」を愛するために 世界を創造した。人か ゙思い込んでいるのとは逆の方向から この世界を創造したのではないか。それ なくしては創造した 世界になんの関心もない、と神はそっぽを向くのではない かと思います。 このことは、イエスと群衆たちの周りで起こった福音の出 来事の 中で確実なものとなります。ルカ福音書7章20以下 で、イエスがヨハネから弟 子たちを介して「来るべき方はあ なたですか」という質問を受けます。それに 応えて21、22 節、確かにそれはメシアかどうかということへの答えの体裁 をとっ ていますが、その実質はもはやメシアかどうかを離れ て、ここで起こってい ることは神が起こされている事に中心 が移動していると見るべきでしょう。 福音は、まず神があっ て、次にメシアがいて、その下に正しい人がいて、 最後に社 会から見落とされた人がいて、神はその最後の人も救済す るというもの ではありません。私たちが創造の秩序と思って きたことと逆のことが起こっ ている。神の第一の仕事、あの創 造の意味も逆向きにみてこそ知れようということて ゙しょう。 わが近代世界、そこら中でボロで出、破たんの一歩手 前、しか し、実は神の創造⇔福音はそこから始まるだろ うし、始まっていたと見えないで しょうか。
8月9日 平和を考える礼拝 聖書:イザヤ11章1-9節、 マタイ福音書5章1-11節 テーマ「幸なるかな、平和ならしむる者」 (この礼拝では毎年、説教に当たる時間を出席者の語り合 いの時にし ています。以下は不十分ですが、その報告で す。文責:久保田) ○Iさん: 父は 〈勇作〉、実家は農家であったので、名 は勇ましく生き、米を作るほどの意 味だろうと自分は考えて いた。父の死後、伯父から父の名は軍人上原勇作にちな ん だ名だと聞いた。しらべてみると、上原は、ロシア革命反対 勢力を援助せ んとして国際的に組織されたシベリア出兵の 時の陸軍大臣。皇道派の上原は原敬 内閣の撤退命令を、 軍は天皇だとして撥ね付けた。日本は江華島事件(1875) 以来 敗戦まで他国を侵略し続けたが上原は日本軍国主義 とその侵略の歴史にずっ と関与した人だ。父は、その名が 上原勇作に由来することを語りたくなかった のだろう。 最後に加納尚美さんのカードが紹介された。 「たなばたに 平 和への道 祈ります」 ○S.Sさん:先ごろ、『福井空襲史』という本を読んだ。19 45年7月19日、テニアン島(北マリアナ諸島)を飛び立った 127機のB29が一時間以 上焼夷弾を落として福井市の84 %を焼き、死者1684人、人口約10万の福井で8万5千 の 人が被災した。空襲に遭った人々のなまなましい記録が胸 を突く。猛火を避 けて福井城の堀に飛び込んだ人は、やは り堀に逃げ込んだ蛇を振り払いなか ゙ら逃げるよりない様子な ど、想像を絶することが記録されている。敦賀 (7/12)、福井 (7/19)など、米軍は原子爆弾の投下先を物色し、空襲の 演習をして いたと言われる。 もう一つ、今朝の東京新聞、「谷川俊太郎(88)さんが見つ けた 戦争反対への道」という記事の紹介。そこに「平和」と題 した詩を朗読した。 平和 /それは空気のように/あたりまえなものだ/そ れを願う必要はない/ただそれを 呼吸していればいい (途中略) 平和/それは花ではなく/花を育てる土/平和/そ れは歌ではなく/生きた唇 平和/それは旗ではなく/汚れた下着/平和/それ は絵て ゙はなく/古い額縁 (以下略)」 ○IZさん:これまで悲惨な場面を伝えるということて ゙戦争と いうものを継承することが多かったと思うが、最近になって 思うのは、 戦争を作り出した裏を考えていく必要があるので はないか。戦争という現象に 至るまでの様々な矛盾や事実 を暴いて、みんなが目を向け考えていくようにし なければい けないと思う。 教団は戦責告白で言われているように、国家に協力 するこ とに流れていってしまったが、一方で一人の若いキリスト者 が召集の 赤紙を受けた時、〈私はキリスト者だから戦いには 参加しない〉と役所に行って 述べたところ捕まってしまったと いうことを本で読んだ。今日読んだ聖書 に「義のために迫害 される人は幸いである」という言葉があった。こういう言 葉を もって信仰の下に抵抗した若者がいたことを覚えておきた い。。 ○Tさん: 今日、長崎原爆の日、いま祈念式典が行われ ているが、核の問題は現在でも 最大の問題として残されて いる。原発から出た核廃棄物の再利用施設を政府は推進 しようとしている。その目的はプルトニウムという核兵器の原 料を生産するシス テムを確保しておくというものだ。太平洋 戦争までの日本の流れは明治以来の 侵略戦争の問題だ が、広島・長崎の経験、戦後の冷戦、冷戦後においては核 か ゙問題である。十分に監視できるようにしたい。 ○H.Sさん:国民の記念日とし て8月15日が国民の祝日 にならないで、天皇関連の日ばかりが祝日にされる。 ○久保田:私たちの記憶から戦争を排除している事が問題 だと思う。 ○KMさんか らのはがき:「...わたしたち地球人は、コロナ 以前の状態に戻すのか、そうで はなく...風通しの良い世の 中、弱い立場にある人も一緒に生きていける寛容な社会 を 作っていくのか―一人ひとりの考え方、選択にかかっていま す。敗戦から75年、 平和のこと、暴力のこと、グローバルに 多方面から考えてみたい・・・」 ○MY さんからのメール:(NHKスぺの原爆開発のマンハッ タン計画に携わった現場責任者 の言葉を紹介して)「原子 爆弾は単なる爆弾ではない。激変、大災害、大混乱、そ し て大惨事である。私は原子爆弾の力とその不吉な脅威を知 っている。」 何ら かの信念を持って原爆の計画にずっと関 わった人間ですら、こういう感想で 締めくくる結果になるの は、恐ろしいことだと思いました。
8月2日の礼拝に向けて マルコ福音書13章1-6節 題 :「何が起きているのだろう」 久保田文貞 この数年、世界は一歩一歩終わりに近づいているの ではないか、 と思わされることばかりです。今年に入っ てからの世界中の新型コロナ疫禍を 目の当たりにして その感は増すばかりです。ちょっとでも流行が治まる 気 配を示すと元のお気楽なお祭り気分に。再び流行の 兆しが現われると、どの 感染学者の忠告が当たってい るかと右往左往する。やがてワクチンの精製が 順調に 行って出回れば元の文化的・経済的な社会の活気が戻 ってくると、それ が唯一の希望。それで世界はコロナ破 局を免れるとなんとなく思っています。 でも、世界が破局に向かっている徴はそれだけでは ありません。昨年、ス ウェーデンの少女グレタさんが警 告したとおり地球温暖化(日本の場合にはむ しろ熱帯 化)は着実に進み、気候変動と災害はコロナ禍によっ て疲弊した地域の生 活を非情にも破壊しつくしてい く。それが CO2など温室効果ガスを大量に排 出し続け た結果であるということを、トランプの如き反科学的 権力者以外には 否定しようがありません。これが冷戦 以後世界中をわがもの顔に席捲した新 自由主義=グロ ーバリズムに責任があること、そしてそれを見てみぬ ふり をしてその恩恵に与ってきたわが日本、とくにそ の政策を国民をだますように して突っ走ってきた政治 にあることをより深刻に思い知るべきでしょう。 そん な思いの中で高村薫『時代へ、世界へ、理想へ』 (『サンデー毎日』に高村が 2019年1月から2020年3月ま で書いた評論を集めた物)を読みました。その一年間 の出来事がいかにこの2、30年のツケがまわりまわって きたものか思い知らされ ました。確かに安倍政治はそ の象徴ですが、安倍を外したからと言って解決し ませ ん。経済至上主義とその結果としての格差社会も、国内 の政治不信と社会の分 断も、その裏で着々と進む安保 体制下の軍事的緊張も、私達がコロナに気をと られて いるうちに後戻りできないほどに次のステージに進ん でしまうこと を思い知らされます。 と、いかにも私は現在の極まった世界を憂い、あたか も世界 が破局に向かって滑り落ちていく様を見ている 人間の一人のように言っているのて ゙すが、そのくせ暑 いからと言ってクーラーをつけ、たわいもないクイズ 番組 や俳句の番組を観てビールを呑みながらへらへら していること反省を込めて、 告白しておきます。 その上で申し上げますが、人がそれぞれの置かれた 時点で<これは世界の破局への序曲ではないか>とい う思いは、これまでも何 度もあったにちがいありませ ん。コロナ禍のように密を避けるとかマスクすると か 悠長な対策を講じる間などなく、いきなり深刻な危機 の中に投げ込まれ、 命を奪われていく隣人をどうする こともできずに生き残った人には、むしろ 世界は何で これで終わりにならないんだと言いたかったことでし ょう。 聖書に出てくる終末についての言葉も、人間の苦い 経験、世の終りを思わせる歴史 からでた言葉という意 味で共通する所があります。聖書の終末論の始まりは 捕囚期の預言者から生まれてきますが、それが前面に 出るのは前2世紀、ユダ ヤ人たちが経験した深刻な歴史 的運命の中から生まれたダニエル書などの黙 示文学か らです。詳細は省きますが、《やがて終わりの日が近づ くと神 から派遣された「メシア」が現われ、世界終結す る手続きが始まり、最後に人 間が審かれる》というわけ です。キリスト教もそれを引き継いでいますが、 当然な がら新約文書それぞれとらえ方が違います。ここでは マルコ13章た ゙けに絞って見ます。13章は終末について の複数の伝承をマルコが編集したものて ゙す。イエスの 言葉となっていますが、イエス以後の原始教会の多様 な思想が 入り込んでいます。3~8節はイエス時代から 伝承でしょう。注目すべきことは、 「戦争の騒ぎや戦争 のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうこと は起 こるに決まっているが、まだ世の終りではない。... これらは産みの苦しみの 始まりである。」という所。イエス も終末についてのユダヤ思潮を否定せず、 戦争や災害 の延長上にそれがあるかもしれないが、それがどう起 こるか、 いつ起こるかに関心を示さない。むしろそのよ うな通念に「惑わされないように気 を付ける」、「騒ぎや 噂を聞いても慌てない」 、事柄を洞察し、冷静に振る舞 うよりないのだと言われるのです。どれが実際のイエ スの言葉か確定はて ゙きませんが、13章の言葉の節々に 印象に残るのは、一見終末的に見える事柄の 中で、慌て ない、気を付ける、目を覚ましているということです。 つまり今、 何が起こっているのか、なぜ起こっているの か、しかと洞察し、除去できる ものがあれば除去し、冷 静に対処する、それが終末かどうかなど神に任 せてお けばよいと言われているように聞こえます。
7月26日の礼拝に向けて マルコ福音書9章14-29節 「不信実を助けて下さい」 久保田文貞 マルコが福音書というイエスの伝記を、広くギリシャ人にも 読める形で 書いた意図は定かではありませんが、一つ考え られることは、イエスの十字架 と復活、再臨と救いに強く集 約された福音理解がギリシャ世界に広まっていっ た時、そ の先頭を行くパウロのものには、イエスの活動の様子が大き く欠落し ていると感じたマルコがそれを補てんしようとしたの ではないかということて ゙す。異邦人伝道に赴いたパウロが単 純に生前のイエスを知らなかったという ことだけでなく、むし ろ彼の福音理解にはそれが邪魔になると思っていたふ しが あります。「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、そ れも十 字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に 決めていたからです。」(I コリ2:2、ほかにIIコリ5:16) 律法からの自由を説いていたパウロの福音理解と真っ 向 から対立したユダヤ主義的伝道者たちが、パウロの知らな い(知ろうとし ない)イエスの癒し物語や言葉を宣教の小道 具として使っていたとすれば、パウ ロにとってそれは唾棄す べきことだったでしょう。 しかし、マルコは、ガ リラヤに始まりエルサレムで十字架 に架けられていくイエスの歩みを知ることか ゙、十字架の理解 をダメにするどころか、むしろ豊かにするものと確信してい た でしょう。マルコが、パリサイ人の律法主義に対するイエスの 批判を丁寧 に描いていったことは、パウロの福音理解の応 援歌になるはずと思っていたて ゙しょう。そして生前のイエス をよく知っている者として権威づけられていった 直弟子やイ エス肉親の思い違いや失敗を遠慮なく書きました。これも、 生前のイエ スを知らないパウロへの強い支持材料となった でしょう。 今日の聖書箇所、と りわけマルコ9章は直弟子に対する 権威主義批判が強く表れているところです。 2-8節は、弟 子たちのリーダー格の3人ペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを山 に 引き連れて、そこでイエスの姿が代わり、服が異常に白く なり、モーセとエ リヤが同席し、雲の中から「これは私の愛す る子。これに聞け」と声があった という三弟子の体験が語ら れています。原始教会に流布していたこの伝承自体に マル コは手を付けません。しかし、これはイエスのメシア性に照 明を当てるという より、これを目撃した三弟子の権威を高め る作用の方が強いでしょう。この伝 承を9-13節がイエス復 活に関連付け、より強固なものにしてしまいます。 きます。 「一同が」とはイエスと後の原始教会の領袖となる三 弟子と、議論をしていた 「ほかの弟子たち」。その周りに大勢 の群衆がいるという図です。山を下りて きたイエスと三弟子 が尋常ではないと感じ取ったか、群衆らはその様に「非 常 に驚き」ます。イエスは「何を議論しているのか」と聞きます が、弟子たちか ゙答える間もなく、群衆の中のある男が自分の 子が霊に憑かれて発作を起こし てしまう、お弟子さんたちに 診てもらったが直せなかったというのです。イエ スは「いつま で、あなたがたに我慢しなければならないのか。」と嘆きま す。 子が連れてこられて、父からこれまでの症状を聞き、父 は「おできになるな ら、私どもを憐れんでください」と言う。そ こでイエスは「できれば と言うか、信じる者には何でもできる」 と言われる。男は「信じます。私 の不信実をお助け下さい」 (田川訳)。イエスは霊に「この子から出ていけ。二度と この 子の中に入るな」と命じられたというのです。 マルコがこの癒し物語の 伝承を、「山上の変容」譚のあと に置いた意味を考えないわけにはいきません。一 つは弟子 たちの不甲斐なさです。30-32節のイエス受難予告のあと の33-37節の伝 承は、弟子たちの間で誰が一番偉いかと いう矮小な議論について、38-41節で はイエスの名前を使 って霊を追い出している者がいたので止めさせようとした と いう話。いずれも質の悪い権威主義的な議論ですが、42以 下は彼らへの呪 詛にも似た言葉で9章を終わります。 そんな重苦しい弟子たちの思い違い、失態に ついての 伝承が並んでいる真ん中に、マルコは「霊に憑かれた子の 癒し」の物 語(17-27)を配置しました。イエスは三弟子、そ の他の弟子たちと、その弟子のまわ りに集まる群衆たちの 間で出来上がっていく、制度めいたもの、官僚的、権威 主 義的なものの芽生えをほぼ無視するかのように、彼らをかき 分けて、霊に憑か れて発作を起こし弱っている子とその子 のためにずっと介護してきた父親の前に 出ます。自分のな すべきことはこの二人にあるとばかりに。イエスは「信じ る者 には何でもできる」と言います。これに自分を不信実なもの と言うよりな かった父親は、にもかかわらず子が癒されること を信じるのです。不信実 と信じるを合わせ持つ父の前に、 子が立ち上がって、癒されたことを知るのて ゙す。 この父親の「信じる」は子がイエスの言葉で癒されること への〈信〉 のことでした。民衆の間に入って働くイエスの力あ る言葉への〈信〉です。ハ ゚ウロの宣教で「キリストを信じて義とされる」という言葉を受け入れて起こる 〈信〉とこれをすぐに 結び付けるわけにはいきません。それぞれの〈信〉を 自分の 生活と、時代の中で確かめるよりないでしょう。
7月19日の礼拝に向けて 聖書:創世記12章1-10節 題 「旅のアブラハム」 久保田文貞 真宗のお坊さんから詩人薮田義雄作詞「いのち」とい う歌を教えてもらいました。 次のような詩です。 〈野の花の 小さないのちにも 仏は宿る 朝影ととも に来て つつましい 営みをあたえる 同じように/ 野の鳥の 幼いいのちにも 仏は宿る 涼 風とともに 来て 生きる身の 喜びをささやく 同じように/ 白露の はかないい のちにも 仏は宿る 月しろとと もに来て 一夜さの 安らぎを教える 同じように〉 すぐに福音書のイエスの言葉を思い出しました。 マタ イ6:25-34、ルカ12:22-34、 思いわずらわないで、空 の鳥(烏)、野の花をみよという箇所です。もっとも 聖 書の方は、乾燥帯のパレスチナゆえ、一夜で消えてしま う白露にまで思い 至らないのですが、仏と神の部分を 覆えば、そこにある〈信〉のこころは大 きく重なると思 いました。 このあと、私はキリスト教の側からしか語れません か ゙、すべていのちあるものを神は、分け隔てなく、見返 りなしに、やしなわれる、 神の信実がすべてのいのち・ 人に顕されて、それを人はただ〈信〉をもって 受け取る だけ。さらにこれをパウロの言葉に繋げれば、「人間は 律法の業 績なしで、信によって、義とされる」(ロマ3:2 8ほか)となるでしょう。〈律法 なしの信による義〉を自 分の救いの問題として考え抜いたのはなんといっても パ ウロが切り開いた地平だと思います。理屈としては、 法を読み解く力、法を(再)構 成する力、 法にそって 実行する力、一般には文句の付けどころのない人間の 能 力は、神の義の前には無くてもよいもの、役に立たな いどころか、弊害になる、 ということを見抜きました。 原点に十字架のイエスとの出会いがあったからで す。 「私にはもちろん誇るなどということはない。われらの 主イエス・キリスト の十字架だけを誇る。キリストの 十字架によって此の世は私に対して十字架につ けら れ、私も此の世に対して十字架につけられたのである」 (ガラテヤ6:14、 田川訳) それは、踏みつけられても抗議しないいのち、一夜の うちに消えていくこ とに黙って従っていくいのちは、 ただ弱いだけではない。それは世界が付 き従っている 力とは逆から生きていくという決意表明のようなもの だと感じま す。黙ってこの世界を捨てて消えていかな い、次に動き出せば、世界とは逆向き に動き出すいのち ということになるでしょうか。 パウロはここにもう一つ別の 軸を聖書から引っ張り 出してきます。それはイスラエルの始祖とされたアブ ラハ ムです。ガラテヤ書3章、ロマ書4章で展開されてい ます。 アブラハムを民 イスラエルの始祖としての物語を定 着させたのは、近代旧約学が取り出して見せ たヤハウ ェストの仕事でした。12部族連合を一つにまとめるた めのイデオロキ ゙ー、そのイデオロギーの欠陥も含めて 提出しましたが、このヤハウェストか ゙更に古い伝承を 使ってアブラハムを民の原点に据えました。創世記12 章からの 族長物語です。それによると、いきなりヤハウ ェ(主)がアブラムに語りかけ ます。「あなたは国を出 て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行き なさい」(創12:1口語訳)そして大きな民とし、子孫を 祝福し、全人類の祝福の基に すると約束します。この言 葉を受けてアブラムは妻と甥のロトと一族郎党を引き 連れて、子孫に(自分にではありません)約束された 地に向かって旅に出ます。ハ ゚ウロが目を付けた通り(ガ ラ3:6)「アブラムは主を信じた。主はこれを彼 の義と 認められた。」(創15:6)。 この時点でアブラムは無割礼(17章)であり、 後の ユダヤ人から見れば非ユダヤ人、異邦人と同じ。家族・ 親族以上のア イデンティティもなく、ひとりの人間と していきなりヤハウェの言葉を信実とし て聞き、約束 された未来に向かって、旅立つというのです。ユダヤ人 ・非ユタ ゙ヤ人に分化する前の人間アブラハムの信によ る義の終着点は、この民が王国 として成功することだ ったのか、それが旅の目的だったのか、子孫の未来と は それだったのか。パウロは、ヤハウェストのはるか先に 居て、民の行きつく 先を見届けています。王朝はアッシ リア、バビロニアの前にあっけなく滅亡し、 その後の民 は廃墟から律法を拾い上げ、神殿宗教にふけり、始祖の アブラハム の信による義を捨ててしまった。だが未だ に律法をもつ民として世界史参入 へ旅立とうとしてい る。それはちがう。もう一度ユダヤ人・非ユダヤ人もな いアブラハムのところまで戻って、信による義の先に ある約束を生きようと言っ ているのです。 それにしても、もしアブラハムが、我が政府の Goto キャ ンペーンのことを聞いたならまちがいなく、きみ そんな言葉を信用するなと言 われるでしょう。
《説教ノート》 7月12日の礼拝に向けて ローマ書簡 9章30~10章4節 「神の義か自分の義か」 板垣 弘毅 コロナ問題からきづかされることの一つは、人の命が数 字になることです。今日の感染者は何人 か、死者は何人か に関心が向きます。疫病だからしかたないのかもしれません が、東日本大震災の時に、100人の死者があったのではな い、一人の死が 100あったのだ、と言った人がいました。一 人の<いのち>のことを、きょうのロー マ書から学びたいと 思います。 といってもきょうのところに「いのち」という言 葉はありませ ん。ローマ書9~11章は全体として「ユダヤ人の救い」という テーマ で語られています。 律法を授かったユダヤ人は「自 分の義」にこだわり、非 ユダヤ人・異邦人は「神の義」を受け 入れたといわれています。 今日の個所に入 る前に<いのち>について考えておき たいと思います。<いのち>というのは、私の貧 弱なイメー ジでは、渦のようなできごと、と言えるかと思います。台風の ように、中心の「目」(空洞)をめぐって動いています。ひとつ ひとつの<いのち> は、その人の思いを越えたできごとで、 渦の中心の目、空洞は、誰も取り出 したり、埋めたりすること はできない、そのすき間があるから私は私として成 り立ち、 あの人もあの人として成り立っている。ドーナツなら真ん中 のすき間て ゙す。それだけ取り出すことはできないし、埋めれ ば別のものになります。 その中心の空洞を「神の義」、あるいは「御心」、神学的に は「神の自由」と言っ ていいのではないか、と思います。主 の祈りの「御心の天に成るごとく、地に も成させたまえ」も、そ うです。御心が天に成るように、「ように」といって も、どのよう にか、知る人はいません。人間の想像力が入り込めるところ で はありません。でも「ごとく」と祈れ、とイエスはいう。つま り、「御心の天 に成ること」を、台風の目のように渦の中心に して、それをめぐって二つとない 「いのち」を生きていけます ように、そういう祈願であるほかないと思います。 9:32なぜですか。イスラエルは、信仰によってではなく、行 いによって達せ られるかのように、考えたからです。 ここでパウロは、ユダヤ人は「律法」 を、神の命令として守 ったという実績によって、神のできごととしての渦の中 心を 埋めて、神の代理人のようになってしまった、一方「律法」を 持たない異邦人 は福音を無前提で受け入れた、それを「信 仰による義」といっています。イスラ エルに知らされた律法に は、本来そのできごとの「渦」の中心を埋めない、神 の自由 に開かれているという精神があったのに、(それを「義の律 法」といって います)ユダヤ人は「行い」によって中心を埋め てしまった。パウロは、イエス・ キリストにつまずいたからだ、 といいます。 彼らは「つまずきの石」(=キリ スト)につまずいたのです。 ローマの教会の異邦人信徒が受け入れたのは、 「十字架に つけられた方が、復活させられた」という信仰告白でしょう。 あの 地上でのイエスの歩みが十字架で決定的に潰された、 人間の意表を突いて、 そのイエスを、石ころのように捨てら れた者を、神が甦らせた。復活信仰は何も かも潰された者 が、自分の中になお潰れないままの空洞を見つめるように、 受け 止められてきたのだと思います。どんな<いのち>に も、この空洞があり、台 風の目のように、それをめぐって神の 自由な出来事が起こっている、持ち物や 努力を前提としな い無条件の祝福です。 曖昧な言い方ですみませんが、わた しはこう表現してみ ました。 ユダヤ人の「つまずき」は、ここでは、渦の中 心にある「空 洞」を、「行い」で埋めてしまった、ということです。 しかしこ れはキリスト教も、私も同じです。「主の祈り」の言 葉を発したから祈ったこ とになる、礼拝を守り、教会のつと めを果たし、定められた信仰告白の言葉を朗唱 しているの で信仰者である、私は信仰を持っていると言えるでしょう か。人 が「持つ」ことができる「信仰」で、あの渦の中心、神の 自由を埋めてし まっているのだと思います。 「自分の義を求めようとして、神の義に従わなかっ た」という ことは、真ん中の空洞を自分のイメージで埋めてしまった、 という ことでしょう。ドーナツでいえば、真ん中を埋めてしま えば。もはやト ゙ーナツではなく揚げパンです。 「コロナ」が恐れられる世界で、一 人のいのちが数字と結 びついて報告されます。 「灯りがもう一つ消えたとこ ろで誰が気にする?/私が気に する」(リンキン・パークの「ワンス・モア・ ライト」 の歌詞) < いのち>できごとは、どうしても「私が気にする」と、 三人称で はなく二人称で語りたくなります。「私が気にする」というでき ごとの中で、「生きるのも悪くないな」と思い返す経験は誰も がしていると 思います。 v
7月5日の礼拝に向けて エフェソ書簡2章11〜22節 「敵意が無くならない世にあって」 久保田 文貞 いま新型コロナウィルスが人類の敵かのように恐れられて います。でも何人か の人が言うように、たとえ新型であろうと ウィルスも広義の地球内生物であっ て、他の微生物と同様、 それなりの根本的な存在理由を持っている点で他の生物 と 変わりありません。これまで人間の文明がどれほどほかの生 物を危機に 陥れているか考えると、ただCOVID-19との戦い を勝てばよいと云うものでも ないでしょう。特権を持っている と思い込んできた人間が自分の硬直した姿 勢を内側から解 きほぐし、まず人間自身が謙虚になって互いに生きる、存在 し合うという生きる姿勢を取り戻すということが大切でしょう。 〈なぜおま えはマスクをしていない〉と弱い女性に殴りつける マスク警察などもってのほかて ゙す。 しかし内側から凝り固まったものを解きほぐしていくという ことは口で 言うほど簡単なことではありません。これまでに数 回にわたって、私はここて ゙、ユダヤ人パウロがいかに自らの 固い殻を破ろうとしたか注目してきたつ もりです。パウロは一 ユダヤ人として、それまで蔑視されてきた異邦人へ の使徒 職という破格の立ち位置に立ったわけですが、それは、単 純にユダヤ 人社会の外へ出て異邦人社会の中に入り活動 すれば済むことではありませんて ゙した。 ――少なくとも、神は外見で人を分け隔てしない(ロマ2:1 1、2:28)。神の 裁きの前に、ユダヤ人かギリシャ人(異邦人) かということは有利にも不利にも ならない(2:9)。「イエス・キ リストの信による、信じる者すべてに至る神の 義...。そこに はなんの区別もない。何故なら、すべての者が罪を犯した のて ゙あって、神の栄光に欠けるのである。その人々が義とさ れる。無料で、神 の恵みによって、キリスト・イエスにおける 贖いを通して」(3:22-24)。「...人間 は律法の業績なしで、 信によって、義とされる。あるいは、神はユダヤ人だ けの神 か。異邦人の神でもあるのではないのか。そうだ。異邦人の 神でも あるのだ。もしも神が本当に唯一であるなら。だから、 その神は割礼(の者)を 信から義とし、無割礼(の者)を信に よって義とするのである」(3:28-29)。さらに ユダヤ人の始 祖アブラハムを引き合いに出して、彼も割礼によってでな く、 信によって義とされたことを強調する(4章)。―― この手紙の読み手はローマにあるユ ダヤ人キリスト者、異 邦人キリスト者、未信徒の集まりです。異邦人の使徒を 自認 するパウロにとって、最終的な相手は〈非ユダヤ人〉=異邦 人だったはす ゙です。それにしては異邦人のことを「彼ら」と呼 び(1:19など)、ユダヤ 人キリスト者を「あなた」(2:17など)と 呼び、「我々」(2:9など)と呼びま す。異邦人の使徒と言い ながら、語りだすと異邦人の信の問題をそっちのけに して、 ユダヤ人の信の問題ばかり言うと文句を言いたくなります が、前の繰 り返しになりますが、パウロとしては異邦人に自 分の言葉を届けるためには、 ユダヤ人キリスト者として自分 のユダヤ人性の自己検証が必須なことであ り、ユダヤ人とい う殻をどこまで脱ぎ捨てられるか、その覚悟のほどを ユダヤ 人と異邦人の混成教会にどれだけ提示できるかにかかって いると思っ ていたのではないでしょうか。押しつけがましい 感はしますが、そうする ことが非ユダヤ人自身もまた持って いる殻をいかに破るかということに通じ ると確信しているよう に見えます。 こうしてユダヤ人も異邦人もない、地平が 開かれていくの だろうとは思いますが、ではその結果として、本日のエフェ ソ書簡のように、「あなた方はもはやよそ者、寄留者ではな い。聖者たちと共同 の市民であり、神の家の者なのである」 (エフェソ2:19)ということになるのて ゙しょうか。「しかし今やキ リスト・イエスにおいて、あなた方かつては遠くに居 た者 が、、キリストの血において近くになったのだ。キリストこそが 我々の 平和である。キリストが両者を一つになし、その肉に よって垣根の中垣を、つ まり敵意を取り除き、...律法を無効 になさったのである。」こうして、ユダヤ 人キリスト者と異邦人 キリスト者は一つになると言うわけです。 エフェソ書は、 パウロの死後、その弟子を認ずるユダヤ人 キリスト者によって、パウロの 名を借りて、やはり自分の異邦 人への使徒の意識で書かれたものです。内容はハ ゚ウロと大 きな違いはないように見えますが、パウロの語りの前提にな ていた 自己にへばりついているユダヤ人性の自覚と、その 批判的自己検証が消えて しまっていることが気になります。 異邦人への福音の語りに、それは絶対に欠か せない、それ とセットになっているというのがパウロの真骨頂だったように 思います。 自分の硬直した殻を破ることは、同時に自分の殻の何たる かを知って引 き受け直すことでもあるでしょう。そうやって他 者に向き合い直すことなしに、 他者とともにいっぱいに自分 を生きることはできないでしょう。確かに、み んながNOマスク で、かつてのように身を擦り付けあうように近くにいて、べ た べた語り合うというのが言いわけではないでしょう。距離をと 連絡先 ってそれぞれがいっぱいに現実の自分を生きる、それを認 め合い、交通し、 交換し、交流するのがよいのでしょう。他の 生き物たちにも、謙虚に。
6月28日の礼拝に向けて ロマ書3章19-24節 「無料で、神の恵みによって」 久保田文貞 キリスト教を〈やっている〉と、いつのまにか〈神〉を 知っているつもりになっ てきます。例えば多くのクリ スチャンは神に祈るということを日常的にしていま す し、そこまでしないとしても、何か日常を破壊しかねな い事柄にぶつかると、 いつのまにか神に心傾ける自分 がいる。まるで神との対話のチャンネルを握っ ている かのようにです。 でも、ほんとうに神を知っていると言えるか。自分か ゙ 自分の家族や、友人や、同僚を知っているように知って いると言えるかと自問し てみると、とてもそのように は知っていないということになります。知っているの は、歴史的に聖書にもとづいてキリストを神の子と告 白する教会があって、そ こに加わって告白し、礼拝し、 祈り、賛美する教会の、そして自分のむこうにいらっ し ゃるだろう神についてです。家族や友人を知っている ようには知らないと言 うよりありません。 けれども、同じように問い詰めていくと、そもそも一 体自 分は、知っていると思い込んでいる厭な奴や、気の 置けない同僚や、親友をほん とうに知っているか。なに より、自分の家族をほんとうに知っているのか。ただ 知 っているつもりになっているだけではないか。私事で 恐縮ですが、妻 から〈あんたは、自分本位だ。私のこと、 子どもたちのこと、教会の人のことか ゙ほとんど分かっ ていない〉と言われます。反論できないような具体例を 話題 にしているので、半分ぐらい納得してしまいます。 年とともに、どんどん 認知の幅が狭くなっているのを 感じるからでもあります。 しかし、人を知る とはもっと根本的なことです。人が 見えていない、分かっていないことを年齢 のせいにす るわけにはいきません。先週ここで、パウロが「異邦人」 として も「ユダヤ人」としても「神の信実」の前に自分を 吟味検証するよう呼びかけ ていることについて話しま した。だが、そこには大前提があります。自分に 顕かに されている「神の信実」について自分が、何らかのとっ かかりだけで もよい、知っているということです。その 上で自分の吟味検証がはじまる のではないかという問 題です。 この問題は、実は神だけのことではない と思います。 あんなに知っていると思っている家族や友人や同僚、 そして同じ教 会の人々についても同様の問題がありま す。ほんとうにおまえはその一人ひとり を知っている と言えるか。自分が知っていると思っているずっと遠 くの方で、 その一人ひとりはもがき、おびえ、苦しんで いる事を、いや暗いことばか りではない、彼らがなにを ほんとうに喜び、心から感謝しているかを。お前 は勘違 いしていないか。お前は町なかで車を走らせたりして いる。お互いが安 全に通行し、歩行し、今日は事故もな くみんなが行きたいところに行かれる、社 会は、人々 は、これでわかりあえており、平和で、幸せに暮らして いるんだ と。もちろんそれはひとつの錯覚に近い。 自分が真ん中にいて、他者を、同じ ようにして世界を 知りえ見えているつもりになっている。もちろんそれ が自分た ゙けだと思うなら最悪の無知だ。しかし、譲歩し たつもりになって、みんなか ゙自分と同じように他者や 世界を知り見ているはずだと、共犯者のように開 き直 っても事態は変わらない。他者が見えていない自分を 知らない。吟味検証し ていると言い張るかもしれない。 他者が見えていないで、正しい検証などあ り得ない。 鈍感な私も、〈あんた、他人が分かっていない〉と言わ れて、ちょっ とだけ気が付く。自分が見えていると思う 向こう側に他人はいる(らしい)。 自分と全く違う(ら しい)。非対称な存在として。やっと他人が自分を見て いるら しいことに気が付く。その視線を頼りにやっと 伏し目がちにだが、吟味検 証の何たるかを知る。 生きて活動する他者の信実のひとかけらを掴めた か、それを 頼りに、〈異邦人〉なる私は小さな吟味検証を 始めたわけです。他者の信実に呼 応できるようなもの は何ももっていないけれど、なんとか自分の信実をぶ つ けてみようかと、その上で、そこからは何とも乾いた というか冷めた〈吟味検証〉 をやるよりないかと思って います。そういうわけで、神と他者、他人との距離感 を 正確につかめないままですが、私はそんな思いでロマ 書3章を読みました。 いまビニールの仕切りとか、マスクとか、離れた人と 映像で結ぶとか、よく もかのウイルスは人間たちを分 断してくれたなと思う反面、ウイルスらは人が他 者と の距離をどれほど誤則してきたか思い知らせてくれた とも思います。これ に対する人の対応は、ほとんどアニ メ世界のごとくでありますが、スマホて ゙しか繋がれな くなりつつある人間にはさもありなんと、とかくマス ク外して観 ている私です。
6月21日の礼拝に向けて ローマ書2章9-16節 「自己を検証する」 久保田文貞 引き続き1,2章でパウロが展開する議論の流れをさ ぐっていこうと思います。 彼は異邦人への使徒という 自覚(ガラテヤ2:8など)の下、異邦人の間に入って福 音を語ってきたわけです。とは言っても初めのうちは、 いきなり異邦人の間で 語るわけではない、フィリポイ やテサロニケの場合のようにその地にあるユタ ゙ヤ人グ ループの集会をツテにして始めました。ガラテヤのよ うにたまたま 健康上の理由で逗留せざるを得なかった 場所ではまさに異邦人だけの間て ゙イエスの福音を語っ た、結果うまく根付かなかったことがその後の書簡で わ かります。たとえユダヤ人から反感を買ったとして もユダヤ教の下地の上に福 音を語ることのありがたさ を痛感したんじゃないかと思います。 とはいえ、そ もそも異邦人という括りは当の異邦人 の側ではユダヤ人が言うただの非ユタ ゙ヤ人ぐらいの意 味で受け取ったでしょうが、ユダヤ人側でそれに秘 め た意味はそんな生易しいものではありませんでした。 ユダヤ人が多いエ ルサレム、パレスチナでは異邦人と は不浄の民、同席を拒むべき人間でし た。だが、パウロ のようにギリシャ世界に住んでいたユダヤ人は自分 た ちが少数者です。だから差別は自分たちの意識の中で のこと、あるいは 異邦人が少数者の中に入ってきてし まった特別の時だけ。エルサレム界隈のユタ ゙ヤ人(キ リスト者)とギリシャ世界に離散するユダヤ人(キリ スト者)との異邦 人に対する理解の差は相当なものだ ったでしょう。というわけでパウロか ゙異邦人の使徒と して自覚する時の異邦人とはなにか、一言で言えば、自 分ら 小さな同族社会が意識の上で遮断してきたギリシ ャ人世界のことです。彼 らはユダヤ人意識からすれば 偶像を神とし、神の聖性に泥を塗りつけてなんと も思 っていないお隣の人間たちということになります。 ロマ書の1,2章はこれから 行かんとするローマにあ る集会に宛てた手紙ですが、そこではユダヤ人の 間に 福音が語られ集会ができていて、すでにその周りに異 邦人たちが大 勢いる、事実はどうあれパウロはそうと らえているようです。異邦人の使徒ハ ゚ウロとしては、挨 拶も早々、やはりそこでもう一度原点に戻って異邦人 とは誰 か、ユダヤ人とは誰か、点検せざるを得ないと思 ったのでしょう。それが ロマ書1,2章です。 前々回の繰り返しになりますが、「ユダヤ人にとっ て、 またギリシャ人にとっても、救いへといたらせる神 の力」、「神の義はその中て ゙、信から信へと啓示される」 (1:17)が、この書簡の指標となっています。パ ウロは キリストの福音を語る位置(教会の説教壇)に自分を 置く前に、まず神の義、 神の信実がすべての被造物・人 間に顕されていると、あたかも人間の原点に立 つかの ような立ち位置に身を置きます。神の信実はギリシャ 人(異邦人)にもユタ ゙ヤ人にも、猶予のいとまなく露 わになっている、だからすぐにも自分を吟味 検証(ド キマゼイン)せよという。〈自分はユダヤ人ではないか ら、神が どのような方か、神がどのように人間に対して きたか、その歴史について知 りません、だから勉強する 時間を下さい〉と言っても、〈そんな猶予はない、い やそ もそもあなたには神の信実を受信する力が備わってい るはずだ(1:20)〉 と言われてしまう。一方、ユダヤ人 が、〈何を今さら神の信実などと、それ は千年以上かけ て歴史の中ですでに顕されてきたもので十分に知って いる、 もちろんその中で示されてきた律法とそれに応 えて積み重ねてきた出入りの勘定、 贖罪の決済、すぐに 報告書の提出したくてもできません、時間を下さい〉と 言っ ても、待ってくれません。〈そもそも君らは「他を裁 くまさにその点において、自 分自身を断罪している」(2 :1)〉と言われてしまいます。 異邦人もユダヤ人も、いま神の信実に晒されている。 その前でこれまで自 分も加わって培ってきたと思って いる宗教や文化も、割礼や律法も、ほとんど役 に立たな い。いまや異邦人も(1:28)、ユダヤ人も(ガラテヤ5: 10、Iコリ11:28、 IIコリ13:5)、自身を吟味検証(ド キマゼテ)せよと言います。自身を検証すると は、これ まで自分を守ってくれた共同性とか類縁などに頼るこ とはできない、 自分の最後の力で立ち上がり自分の体、 自分の持ち物を点検し、自分の感覚、 意識、思考を自分 で検証するよりないということです。今の情況から言 葉を借 りるなら、「緊急事態」そのものです。クリスチャ ンであるかないかなんてとっ くに吹っ飛んでいる。ど れくらいの資産を持っているか、など通用しない。 能力 も国籍も無視される。家族とも引き離される。最終的に 一人ひとりが自己点 検して生きるよりない。それが神 連絡先 の信実に晒された人間の緊急事態の様態 です。そんな 読み換えや比喩など許されないとはいえ、それがナニ カに似て いるとは何とも皮肉なことです。
6月14日の礼拝説教 ロマ書1章26-32節 「良識の限界」 久保田文貞 6日の朝日新聞の記事に、政府の新型コロナウイルス 対策で、家族単位とした施 策が目につき、「互いに助け 合う幸せな家族像」を念頭に置いていて、多様な家 族の 在り方への想像力が政治に欠けていないかという趣旨 の記事を読みました。 清宮涼記者が「クィア・スタディ ーズ入門」の著者、早大の森山至貴さんか ら取材したも のです。以下、要約です。 ――「マスクは個人に配布されるべき ものです。政府 は「全戸配布」と言いますが、2世帯住宅や一人暮らし の人、 同性カップルだっています...家族の多様性を 知りながらも」、現実にはそれ を無視していないか。 同性カップルや外国人など、マイノリティーや立場 の弱 い人が除外され、「普通の家族」があるべき家族 になっていないか。10万円 「特別定額給付金」は世帯 主への給付とされ、世帯主は圧倒的に男性が多い。 「お父さんが家族のためにもらったお金」とならない か。特定の家族観がセッ トされていないか。「税金と して吸い上げるときは個人で、配分するときには 家 族を通して」となっている、社会保障制度自体がそう なっていないか。さらに、 今回の対策で家族のケアに 過重な負担が課される。その家族は婚姻関係に基つ ゙ く家族。現在の多様な居住形態を無視している。 Stay home と言われたが、虐 待で居場所のない子どもやネ ットカフェ住民など弱い立場の人たちが置き 去りに されている。ただ今回、政治に人々が声を上げ、政策 が変わる場面 があったのはよかったと。―― 我が意を得たりの感がありました。私はスマホ なるも のを持っていないので実感がありませんが、たしかに SNS などで 個人が声を上げる回路が想像以上の働きを して政府を動かしたようで、考 えさせられました。 保守政権がとかく守りたがる家族制度は、前近代か ら継承 されてきたもの。その理不尽な面を捨てれば十 分現代にも通用する、とくに幼児 の教育に家族は欠か せない、健全な個人は健全な家族から生まれるという 強い観念 に支えられています。この考え方の元にある 個人・家族・社会の枠組みは、保守に 限らず、近代の常 識のようになって、教科書で学ばされてきたことです。 この枠組みは、ちょっとやそっとでは崩れないでしょ う。 さて、パウロのロー マ書簡は、異邦人への宣教という彼の基本姿勢に基づいています(ロマ11:13)。彼 にと って異邦人とは自分たちユダヤ人の外部世界の非ユダ ヤ人のことであり、 外部の個々の人間・家族・社会へ の宣教を課題化ししています。そのかぎりユタ ゙ヤ人が 持ってきた価値観や社会通念、前提を捨てて、福音をも ってそこに生き る人に向きあおうとなるはずですか ら、それはイエスの宣教活動に通じるも のがあると言 えましょう。それはまた後々のキリスト教の教会の宣 教としても学 ぶべきものとなるでしょう。 けれども、かつての西欧植民地主義に見られ たよう に、外部世界への福音の宣教といいながら、結局は内部 世界の価値観の押 しつけになってしまったというのが 実際の歴史でした。ローマ書簡1章18節以下 で、パウロ もまた同じ轍を踏んでしまっていると言わざるを得ま せん。 20節(田川訳)「神の見えざるところは、世界の 創造以来、認識し得るものとして 被造物に顕されてい るのだ。すなわち無限の力と神性である。」これ自体ヘ フ ゙ライ思想と言えばその通りですが、これは押しつけ というより、ユダヤ 人パウロとしては非ユダヤ人に対 する最大の譲歩と言ってよいでしょう。そ れはイスラ エルの救済の歴史に関する知識や、特有の律法さえ超 えた神の無限の力・ 神性はすべての人間に開かれてい るということへのギリギリの同意です。 まずは外部・ 異邦人へ向けた限界が、同時に内部・ユダヤ人へ向け られた限 界としてパウロにもギリギリと迫るべきもの でしょう。しかし、いつの まにか、彼は内部・ユダヤ人 の周りに固定された観念、価値観に基づいて、外 部・異 邦人を審いていきます。ユダヤ教が偶像礼拝として蔑 んできた異邦人 の在り様を断罪します(22-25)。そ の手で、偶像礼拝の延長、同罪であるかのよ うにその時 代の性の在り様を断罪します(26-27)。パウロたち の福音宣教が少 数者による小さな自己主張のうちは、 そこにも一つの見識があるかと見ることもて ゙きましょ う。しかし、ひとたび、それが大きな勢力となり、権力 と結びつ いた時には、内部の考え方とその根拠への、よ り一層の「吟味検証」(28節、田川訳)か ゙必要とされる べきでしょうが、それは理屈上の検証が問題なのでは な いでしょう。人がそれぞれ自分の性を組み立て、いっ ぱいに生きていく姿 を、少なくともイエスの福音は上 からつぶすようなことはしないと思います。ハ ゚ウロが 理解した十字架の福音もほんとはそうなっていなけれ ばならないはす ゙だと思います。
6月7日の礼拝説教 ロマ書1章17-23節 神は世界に晒されている 久保田文貞 前々回1章16節「福音を恥としない」という言葉をめぐって 話をしました。Noを意味するキ ゙リシャ語のウーで始める強い 否定文に秘められた思いは、イエスの十字架と死 に彩られ た福音を恥――不名誉、屈辱、敗北、悲惨――とする世界 に向かって、十字架 の福音は恥ではないと宣言するような 気迫を感じます。パウロはこれから行 こうとしているローマの 信徒たちにこの手紙を送ろうとしているわけですが、 帝都ロ ーマで今まで以上の福音に対する逆からの圧力を覚悟して いるという決 意表明のようです。 17節、原語に忠実な田川訳では《何故なら神の義はその 中 で、信から信へと啓示されるからである。「義人は信から 生きるであろう」 と書いてあるように。》となっています。パウロ はここで「信から信へと」と 言葉足らずに書いていることがわ かりますが、その解釈が問題です。 〈信〉と訳した語は、原語 でピスティス、「信じる」という語の名詞ですか ゙、それはかなら ずしも人間が神・キリストへと信じる信仰の意味だけて ゙はあり ません。むしろここでのパウロの表現は、神の義がまずあっ て、 そこから神のピスティス、キリストのピスティスが人間に向 かって発信され、 こうして人がキリストへと信じるピスティスが 引き起こされたと解すことか ゙できるとしています。若きカール ・バルトの『ロマ書』は、「神の信実Treue から人間の信仰Gla ubenへ」と解して訳しています。その点で、新共同訳は「福 音には、神の義が啓示されていますが、それは、神の義 は、初めから終わりまて ゙信仰を通して実現されるのです」と します。読者に読みやすくしたつもりで しょうが、初めの「福 音には」は「その中に」の「その」を福音と解して補い、 述部 の「実現されるのです」は完全に訳者の言葉になります。こ れによって「信 から信へと」の〈信〉をどちらも人の信仰を指 すという解釈を押し付けただけて ゙なく、補われた福音が前景 に出てきて、神の義が背景に退いてしまっている ことはやは り問題でしょう。ふたつの〈信〉を人間の信仰と解して訳した 理由は、 口語訳も同じですが、宗教改革者ルターが独訳聖 書を世に出した時に(新約 が1522年)、このふたつの「信」を どちらもGlauben(グラウベン)信仰と訳 し「信仰から信仰へ」 としたこと、しかもパウロの信仰による義の関連個所から い わゆる〈信仰義認〉論をカトリック教会への対抗軸に据えた ことから来ています。 ルター的に言えば、神の義は、人間の 信仰にのみ(啓)示されるとなります。 で も、やはりここは人間には掴みきれない神の義が、まず 人間にも了解可能な形て ゙「神の信実」として(啓)示され、人 はその神の真実に呼応しつつ自身の信仰が 引き出された と読むのがよいでしょう。 18節以下、ところが人間=世界に示 され、人間=世界が 知りうるはずの神の真実を、人間=世界はその真理を無視 し、 妨げた、これに対して神は天から怒りが(啓)示されるとい うのです。17節の 神の義の啓示と、18節の神の怒りの啓示 は同じアポカリュプテイン、もとは 〈覆いを取り除いて見せる〉 ほどの意味ですが、新約キリスト教はこの語て ゙、神がこれま で隠されていたものを明らかにしたという意味で使い始めま した。つまりこの世界にこれ迄秘匿されていた神の信(真) 実が啓示された、さあ 世界はこれにどう応えるか、世界は神 の信実に晒されているぞ、というのが キリスト教の宣教・伝道 の根本の意味だというわけです。 私は、トランプを 支持するアメリカのキリスト教右翼を悪者 に仕立てて、自らは物分かりの良い良識 あるキリスト教を演 じて見せようとは思いません。どう転んでもキリスト教 は妄想 に近い過剰な意識で、世界に神の真実と怒りをアポァリュプ トー〈晒 して見せる〉という新約用語的なきわどいところ(終 末論と言ってもよい)に立っ ているわけです。もし、現在のパ ンデミック様相を帯びた世界に向かって、 トランプのように右 手に聖書を掲げて見せるなら、世界から失笑を買うだろ うか らというので、もう少しカッコよく言いなおしたりしても同じで す。あ るいは陰でニヒルに冷笑しながら、神の真実や怒りを 心の底に宿していても同し ゙です。事態は「世界が神に晒さ れている」ではなく、むしろあなたたちの 「神が世界に晒され ている」と言い換えた方がいいのかもしれません。 今日の パウロの言葉に戻って考えてみれば、神の義・神 の真理への無理解を、神の義・ 神の真理を理解する信仰に 入れ替えて事態が好転するとは思えません。言い換え れ ば、人間の信仰は神の義を説明したり代弁することはでき ないということて ゙しょう。神の義は、人が受け取ることができる 形を通して、神の信実とし て示されるとは思いますが、だか らと言って、人はたとえ信仰を介してであ ろうとそれを自分 の所有物にできないこと、ただ人は、神の信実に応えて、打 ち立てられた自分の信実を生きていくよりないと言えましょう か。それは、神が 世界に晒されてテストされているように、自 分も世界に晒されてテストされている ような場面を生きるとい うことでしょう。テストされていると言っても、先に正 解を手に してマルをもらうわけにはいかないテストになるでしょうが。
5月31日の説教 使徒行伝2章1-11節 題 :「霊に満たされた日」 久保田文貞 今日は聖霊降臨日・ペンテコステに当たります。この逸話 は使徒行伝2章1-42節 に出てきます。他にはこの事を窺わ せるものはありません。使徒行伝の著者は、ル カ福音書を 書いた著者です。伝統に従ってルカと呼んでおきます。 ご存じ の通りルカは、マルコ福音書ともう一つのイエスの 語録資料を使って、福音書の改 訂版を作りました。その大 きな特徴は、イエスの母マリヤが聖霊によって身ご もったと いう長い聖誕物語(1,2章)をはじめにおき、イエスを生理 的にも神の実 子として示したことです。その聖霊はイエスの 周りの人々――シメオンや洗礼者ヨ ハネ――をして、イエス が神の子であることを語らせ、イエスがバプテス マを受けた 時(これはマルコに拠りますが)に聖霊はイエスを満たし、さ らに荒野 でのサタンの試問をパス、すなわち悪しき霊(4:2) を跳ね除け、ついにイザヤ 61:1-2、58:6を引用してルカ4: 18「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に 福音を告 げ知らせるために・・・」など、こうして聖霊はイエスが神の子 て ゙あることを確証し、著者ルカとしては後はよしとしたか、意 外なことですが、 イエスの受難、十字架と死にきわまる福音 書後半の記述には聖霊は沈黙したままて ゙す。 この聖霊が再び活躍し始めるのが、使徒行伝です。復活 者は、弟子 たち全員に「聖霊によるバプテスマが授けられ る」、聖霊が下ると弟子た ちが力を受けると言い残して昇天 してしまう。そして50日後、一同がいっしょ に集まっている と、そこに聖霊が下って、人々は自らは知らないはずの外 国語 で「神の偉大な業」を語り始める。まるで酒に酔ってい るように。不謹慎かも しれないですが、今の私たちの現況か ら言えば、濃厚接触中に口角泡を飛は ゙しての行動で、一発 でアウトの状態です。次にこれまで寡黙であったヘ ゚テロの説 教、聖霊がペテロをして語らせたと誰もが思うでしょう。結 果、 その日二千人がバプテスマを受けた。ここまでがペンテ コステの記事て ゙す。以後、使徒行伝は聖霊の働かれるまま に、福音が伝播していくこと、つい にはローマに、世界に及 ぶことになるというわけです。 それから100年ほど 経っていわゆる三位一体論が出てき ますが、このように聖霊の働きを絵に書い たようなルカ福音 書と使徒行伝は格好の教科書になったのは間違いありませ ん。て ゙も、ちょっと考えてみればすぐわかりますが、それは 相当強引な教えで す。聖なる神の属性としての霊の働きと いうなら別にどうということがありま せん。でもたんなる神の属 性という奴が曲者です。かえって神の名を借りた 属性として 独り歩きをはじめ、やがて暴走する霊の温床になりかねませ ん。いっ そ、神から引き離して聖霊がもう一つの位格として 責任ある座についてもらった 方がいいかもなんて思ったりし ます。変なことになりそうなのでこれ以上突っ 込まないことに します。 それにしても現代にどっぷりつかった自分としては、 聖霊 が自分を動かしたり(使徒13:2,4など)、語らせたりする(19 :6)という表 現はそのままでは自分の中に入ってこないと云 うのが正直なところです。キ リスト教的な表現法に修練した 人に通用するでしょうが、私は自分の語りをそ ういう権威の 下に入れようとは思いません。もちろんどんなに〈主体的に〉 身を 入れて語ろうとも、人間の語りなど傍らの葦をそよと動 かすぐらいのもので しかありません。たぶんにそのような主 体的な語りとは、依然として一時代前の 進歩主義や合理主 義に片足つっこんだものでしょう。それらは20世紀の二度の 大戦とその後の冷戦を経験して、それらがどんなに脆弱な ものだったか思い 知れと言われれば返す言葉もありませ ん。 でも私たちはこうも思います。それ ではと、近代のその前 にまで戻って、つまりもう一度宗教改革に戻って、いや 古代 のキリスト教の原点に戻って、身を立て直せないかと。だが 世界は待って くれないでしょう。自分の頭を古代の原点に 固定して、現代世界の片隅に、まるて ゙クルーズ船に閉じ込 められるようにして停泊(anchor)=寄留(sojourn)してい て、 なにかが過ぎ去るのを待つだけでいいのだろうかと思いま す。その 間に世界はほんの数年で新しい局面を切り開いて どんどん先を行ってしまう はずです。それがどんなに私たち の想定を超えたものであっても、いつ までも閉じこもってい るわけにはいきません。先へ先へと突き進む世界のなか へ と下船して、その世界をしっかりと読み取り、自分の語りをも う一度掴み取るよ りありません。 そこで、〈原点に戻って身を立てなおす〉という二番煎じ はも う通用しないと思います。自分の語りの限界を胸に踏み 出し、泥をかぶりウイル スに感染しながら世界に向かってい くよりないんじゃないかと思うのです。 散々失礼なことを言っ てきて、ここで聖霊にお出ましいただくのも申し訳ない ので すが、この下船の後、スマホを持たない私としては位置情報 もないままそ こで何を見、何を語るかもわからず、ただ聖霊 の赴くままにというよりない 事態に唖然とします。私がどう思 うと、聖霊が私達を支え、私たちにしかと 見る目を、言葉を 与えて下さるという余白を共有して下されば幸いです。
24日礼拝説教 ロマ書1章16-17節 「信から生きる」 久保田文貞 パウロはあくまて ゙キリストの使徒として、ローマの信徒に挨 拶を送り、近いうちに彼らのところへ 行くと約束します。そし て以下の手紙の文面は、そこで語る福音とはなにか、前 も って伝えておくといったことになります。その意味ではガラ テヤ教会やコリ ント教会のように、かつて自分が宣教した教 会に、新たな問題が起こり、その 解決のために指示すると いう手紙とは異なります。 16-17節はこれから始める中味 全体の序文といったとこ ろでしょう。 「わたしは福音を恥としない」という言葉 から始めます。言 い換えれば「私は福音に誇りをもっている」と宣言している よ うなものですから、堂々たるものです。続けて「福音は、ユ ダヤ人をはじ め、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いを もたらす神の力だからで す」となります。ここに言うギリシャ 人とは非ユダヤ人、要するにパウロに とって「ユダヤ人とギリ シャ人」とは世界中に散らされている「信じる者すへ ゙て」を指 します。世界中を相手にしてパウロの気合は臆することがな いほと ゙に高まっていると言ってよいでしょう。 この高揚した気分を否定辞ウー(英語の not、noに当た る)で切り出し、「福音を恥としない」で始めることに注目した いと思います。「恥としない」という強い否定の裏には、実は 福音は恥だという 福音に対する強い否定が抜きがたく張り 付いていたことを意味します。この手 紙の5,6年前、パウロ がアンテオケ教会から独立して独自の伝道を始めた最初 の頃ですが、ガラテヤの教会に当てた手紙にこうあります 「目の前に、イエ ス・キリストが十字架につけられた姿ではっ きり示されたではないか。」(カ ゙ラテヤ3:1) パウロの中では、十字架とはキリストが神の子として示さ れて いく階梯の単なる一コマではなく、決定的なポイントで した。だが、そ れがこの世界では恥、不名誉、屈辱そのも の、そこからは何も価値あるモノか ゙出てこない最悪の悲惨、 敗北、撤退・・・でした。パウロはそこからキリス トの福音を語 り始めるよりなかった。おそらくそれが彼の独自の伝道のき っかけ となっていると思います。 「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探 しますが、 わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えてい ます。 すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人 には愚かなものですが、 ユダヤ人であろうがギリシア人であ ろうが、召された者には、神の力、 神の知恵であるキリストを 宣べ伝えているのです。」(第一コリント1:22-24) 注目すべきは、パウロが「私は福音を恥としない」という言 葉で語り始め る時、十字架の愚かさ、恥、不名誉、屈辱、悲 惨、敗北、撤退...がもはや過去の ものになって、今やそれ は賢さ、名誉、栄光になっているという言い方をしないこ と です。十字架がこの世界には依然として恥、愚かさ、屈辱 だと熟知しつつ、 「わたしは福音を恥としない」と言う。もの すごく屈折していると言うか、あま のじゃくと言うか、ネガとポ ジを逆転させてしまっているのです。こん な人とお友達にな ると、ものすごくめんどくさくなることを覚悟しなければ ならな いでしょう。 こんなパウロとその福音に生きた人々を横目において、 急に現代、それもこの2,3か月の「緊急事態」のことを考え てみたいと思います。 ひるがえって考えてみると、国内だけ でなく、世界中(といっても自分に見え ている世界だけのこ とですが)が、一見「いのちの大切さ」という価値観に まとま ってしまったことに驚きます。日本では安倍首相も小池知 事やほかの首長 たちも「いのちの大切さ」で横一線になっ ています。古代ギリシャ人は命とい うものを、ゾーエー(身体 的な生命)とビオス(人間として社会生活をするいのち)を ザ ックリと分けて捉えていたと言います。いま「いのちを守ろう」 と連呼し、密 な集まりを避けよ、外出するなと言う。そして人 口に対する感染者の比、死者の比か ゙連日発表される。まさ にゾーエーが切り出されて数値化されます。ちょっと 見に は、いかにも人のいのちが大切にされているように見える。 政治、経済、社 会、文化みな、一人ひとりの生身のいのち を丸抱えし、大切にくれたのだとありか ゙たく思えてくる。だ が、それらはほんとうにいのちを大切にしているのだ ろう か。この国も、世界も、これまでどれだけの生活するいのち と家族を、 仕事仲間を、切り捨ててきたのか、新型コロナの 感染者数の比ではない・・・と 思うと「いのちを大切に」という リーダーたちの言葉がむなしく見えて仕方あ りません。 さっきはパウロが屈折しているとか、あまのじゃくとか、逆 転し ているとか、勝手なことを言いましたが、いっそパウロの ように、この今の世 界もあのリーダーたちが見ているいのち とは逆の方から見た方が、見えなかっ たいのちがずっとよく 見えてくるのではないかと思います。命を大切にして こなか った恥を恥としてしかと見、ほんとうに大切にするとは何か、 どこに力を 注ぐか、どこに行かないで、どこにしっかりと集ま るか、見えてくるのて ゙はないでしょうか。
5月17日の説教 ロマ書16章1-16節 「家の教会」 久保田文貞 先週の日曜、私はこのコロナ騒動が羽生の森教会に予 定通り県をま たいで行き、話をしてきました。板垣さんが急 に腰痛で倒れ北松戸での礼 拝を中止にし、私だけが羽生 に行っての礼拝ということでちょっと心痛みま した。あちらで の話の題を「不要不急の礼拝をやるのだ」としました。日本 基 督教団の石橋議長の名で出された声明(4/7)は「礼拝 に『信仰の命』があります」 としていて、礼拝は不要不急で やるのではない、必要だからやるのだと外 に向かってまる で啖呵でも切っているように聞こえます。私はそれを完全否 定 しませんが、違和感を覚えました。それはどこから来るの か、まだよく説明て ゙きないのですが、今はひらきなおって 「不要不急の礼拝をやります」と言う ことにしています。 いずれにせよ、私たちが集まって礼拝するということがと ゙ んなことなのか、今回のことで改めて考えさせられました。 「教会」という語 は新約聖書の用語で、エクレーシアと呼び ます。元はギリシャ都市国家の民 会からきています。これを 70人訳ギリシャ語旧約聖書は、ヘブル語のカーハー ル (「神の民の集会」士師記20:2ほか)にギリシャ語訳としてエ クレーシアを当て ました。新約時代にイエスをメシアとして 信じた人々が、新しく神によって 「呼び集められもの」という 自覚を持って、自分たちの集会をエクレーシアと呼ひ ゙まし た。その段階では、これはキリストによって集められ救われ た者たちの集 会ということになります。 パウロが50年代にそれぞれのエクレーシアに手紙 を書い たものが残っているわけですが、そのエクレーシアは私た ちのイメー ジする教会と無関係とは言いませんが、相当離 れていると思った方がよいて ゙しょう。まずは教会の建物のイ メージは捨てた方がよい、西洋を経由した 歴史的文化的教 会の伝統も、また私たち近代国家を前提に、その内側で宗 教の一 つとして公認され、その枠の中で宗教活動をしてい る教会、 church,Kirche,eglise等々の観念も捨てた方がよい でしょう。エクレーシアは、 ただ素朴に、イエスを介して神に 集められた人の集まり、あたかも災害の時に避 難所に集め られたそこここの群れのようだったでしょう。それぞれの群れ か ゙、いつのまにかいっしょに祈り、賛美を歌い、だれかが聖 書を読み、証言者 の言葉に耳を傾ける。そして質素な食事 を感謝して分けあい、「泊まるところが ないなら私の家にい らっしゃい」と散会していく...。 ロマ書16章は紀元50年中こ ゙ろあるエクレーシアの、個人 名を挙げての貴重な記録です。1-16節まで実 名だけで26 人、それと名は書かれていない母、姉妹、兄弟、その他に4 組の家 の人々、全体で50人は下らないエクレーシアが浮か び上がってきます。ハ ゚ウロはその一人一人を思い浮かべて 挨拶を送ります。その挨拶は読み聞かせら れた一人ひと り、さらに回状してそれを聞いた人々の絆を深めていくもの になった と言ってよいでしょう。 近代聖書学の有力な説で、この集会がローマのもの かど うか疑われています。一説にはパウロがよく知っているエフ ェソの集会 のものではないかと言われています。田川建三 はこういう場合、仮説を捨て現に ある本文のまま読もうとしま す。いずれにせよ、私はこうして「呼び集められ た人々」の 名が記されていることに感銘を受けます。パウロはなぜか、 ほか の手紙でここまで詳しく名を挙げたことがありません。 そういう意味で は唯一の初代集会の名簿と言っても過言で はありません。 1-2節の女性奉仕者フェ ベと、3-5節のパウロの「協力 者」プリスカ(妻)アキラ(夫)について。夫妻は 行く先々で自 宅を集会所にして「家に集まる教会」をやっています(使徒 18章、I コリ16:19)。彼らはただの協力者でなく、同労者と 訳すべきでしょう。と もかく、エクレーシアは集まれるところが あれば家(オイコスというその時代の 一種の家産単位であり ます)で(10節、11節)、また母、姉妹、兄弟の家族単位 (13 節,14節,15節)で、それぞれが臨機応変にそれぞれの規模 の集会をして いる複合体なのです。それがローマ教会で す。なにか、今の私たちの教会、 規模は小さいですが、そ のようではありませんか。 私事ですが、高校の とき一般社会の教師から「クオ・ウァ -ディス」という本を紹介され読みました。 60年頃のローマ を舞台にしたクリスチャンたちのドラマですが、そこにロー マ の底辺社会に根を下ろしたエクレーシアの様子が出てきま す。ロマ書16章を読 むとどうしてもそれと重なってしまいま す。庶民も外国人も貴族出の者も、下町 の小さな庭に集ま り、いっしょに祈り、賛美し、そこでペテロやパウロの話 を聞 く、何とも贅沢な話ですが。それがエクレーシアの原風景だ と妄想し ています。私たちは、いま、コロナ禍で一つ場所に も集まれない状況ですが、 それだけに、教会の原型を想い 起すチャンスと受け止めたいと思います。
5月10日説教 出エジプト記2章15~25節 「ステイ・ホーム、ホームって何」 板垣弘毅 安全地帯にいるかのような私に、北九州で働く友人から毎 月B4判の 「新聞」が届く。読者は私だけですが、家族のこ と、地元の、またかつて の運動仲間の消息、釣った魚や飲み 屋のおばさんなどが写真入り、手書き文 字でカラーコピーで す。先月号に「4月より新体制になり元受けの管理職が 変わ りました。3日には近くの日鉄エンジニアがコロナに感染して 封鎖し、会 社の会議が中止になっています。4月より八幡製 鉄所から九州製鉄所へ-変わ り、......9月には旧小倉重金 の高炉が止まり、何千人かが小倉に流入してくる.残 り3年、 働こうと思っているが?4月から切られた下請けもいるよ。隔 週で3連休 になる。コロナもこわいが鉄冷えもこわい。明日も 満員電車で通勤」 事実上、 「ホームレス」状態の人たちや、家庭内の暴力で 居場所がない人にもステイ・ ホームなのか、と思います。 こんな詩があります。 「発射」(マーシー・ハン ス)(「ガラガラ ヘビの味~アメリカ子ども詩集」所収) 「人工の炎の/百万 の羽ばたきで/ロケットは空にトンネル をあけ/天を突き抜けていった。/みんな 大喜びをして/ど っと歓声が上がった。//神のたった一つの/思いに動か さ れて/種は芽を出し/地中の闇を押し進んだ。/地面の 重い天上を突き破り/自分を 宇宙へ/発射させた。/だれ ひとり/拍手する者は/いなかった。」 拍手喝采の「ロ ケット」の「発射」よりも、ひと粒の「種」の「発 射」に注目してますね。誰もか ゙ステイ・ホームできるかのような 幻想に乗せられないために、こんな「発射」 を!と思います。 きょうはモーセの小さな「発射」を読みます。 そのモーセですか ゙、出エジプト記では絶大な指導者でな のですが、同時にとてももろ い、悩みっぽい人間でもありま す。さっき読んだ詩でいえば、きょうの ところはいわば、「ロケ ット」でなく「種」としてのモーセです。モーセは、 生まれたとき も、エジプト王の民族浄化の命令で、幼児虐殺を逃れ、ナイ ル 川に流され、皮肉にも王宮で育ち、ひょんな事からエジプ ト人を殺害、追わ れる身になり、遠くミディアンの地に定住し、 自分の民族を含め、過去を断ち切 り、地元の女性と「ホーム」 を持ちます。 「23それから長い年月がたち、エジ プト王は死んだ。その間 イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。 労働のゆ えに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。24神はその 嘆きを聞き、 アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こ された。 25神はイスラエルの 人々を顧み、御心に留められた。」 「彼らの叫び声は神に届いた」 この言葉は、 ただの物語の表現を越えて、押しつぶされた無 数の個人、民衆の思いが込め られていると思います。個人 的にもイエスの十字架の上での叫びに重なって、 私には直 に届くものがあります。 彼の心の中には、同胞の苦しみが消しようも なく響いてい たでしょう。 「種は芽を出し/地中の闇を押し進んだ。/地面の重 い天 上を突き破り/自分を宇宙へ/発射させた。」 だれの拍手 もない「発射」て ゙す。 そこだってロケットと同じ宇宙なんです。 「神のたった一つの/思い に動かされて...」というように、種 は自分の中のちからを「宇宙に」発射するのた ゙けれど、この 種の孤独を、ただ一つ、見る目がある。それを詩人は「神」 と いっています。 聖書の<信>から見れば、誰が見ていなくても、拍手など一 切なくても、神がみている。人は自分を越えた神に向きあうた めに、根を張りま す。「自分」を越えた自分がある。 モーセは、愛しい妻を与えられ、一人息子ケ ゙ルショムを授か り、このミディアンに根を張って暮らそうと思う。でも夢の 中に は自分が帰り着くホームが見当たらないような思いあるでしょ う。 か つて「サード」という映画がありました。三塁ベースを蹴って ゆくとその先 にホームベースがない!という夢を見る少年院 生が主人公でした。 聖書は 語ります。神はモーセのすべての思いを越えて.エジ プトでの同胞民衆の苦 しみの叫びに応えて、モーセをその 渦中に派遣しようとします。 きょうの聖書か ら私たちが聞くことができる希望は、きっとこ こです。 人は、一粒の種に たとえれば、風や鳥や川に運ばれて、落 ちたところで芽を出し、根を張れは ゙いい。どんな「ホーム」も 「とりあえず」のものだ。ただこれだけは 言える。どこで芽を出 すにしても、自分や家族や隣人を、ここに置いた方に向 き合 っているかぎり、そこがその人のホームになる。モーセは「神 の召し」に 開かれているんです。 一人の人の使命は、その人の思いを越えている。 モーセは、 ミディアンの「ホーム」からエジプトに向かってゆき ます。「だれひとり/ 拍手する者は/いなかった。」としても 「地面の重い天上を突き破り/自分を宇宙へ/ 発射させ」 る、この比喩をそれぞれ自分のものにしたいですね。 世界共通語に なったSTAY HOME(外出自粛)を逆手にとっ て、我だけでなく我らの「ホーム」を 再発見してゆきたいと思 います。 (全文は板垣まで)
5月3日 ヨハネ黙示録3章20節 「戸を叩いている」 久保田文貞 今日は憲法記念日、日本国憲法を抱く市民社会の一人 として、国を挙げての新型CV 対策の憲法上の意味につい て考えてみたいと思います。憲法が前提にする国民主権 と 基本的人権について、私たちクリスチャン(以下「私たち」は この意味で使いま す)にはある種の確信みたいものがありま す。日本国憲法が根拠とする基本的人 権、国民主権のさら に前に、私たちは神の恵み、主イエスの恵みによって新た に立 てられた人として生きているということです。一般には、 国家の法があってこそ の基本的人権とされています。でも よくよく考えてみれば、国家成立の前から人 は、人権と呼ぼ うが呼ぶまいが、なにかから与えられていま自分のもので し かない〈いのち〉を生きています。そのなにかを、「神」とする か、「自然」と するか「ご先祖」とするかは別にして。 今回のコロナ禍で、現代医療の力も及は ゙ないまま重症化 して与えられたいのちを落としてしまう人が出てきてしまうこ とがわかって、国はこれを「緊急事態」として動き始めたこと になります。国民の いのちが、その命を守る医療が危機に さらされているとのことで、普段はそれ ぞれの人権に関わる とされてきた私的空間、生活空間に法権力が介入(要請) て ゙きるとされました。そして不要な集まりをしない、自宅から 外へ出ない、マスクを するなど。つまり、これまで法の管轄 外のように思われてきた私的空間も実は法 によって保護さ れ、法によって可能だったんだと思い知らされるというわけ て ゙す。あの基本的人権とはそれだけのことだったかのように です。 安倍政権 の場合、とくに気をつけなければいけません。 この感染症対策に「新型インフルエ ンザ等対策特別措置 法」(2013年)による「緊急事態」というあいまいな概念を発 動しました。強力な感染症とその特性に対して迅速で臨機 応変な施策が採られる べきだと言うのはその通りです。しか し、そこで政治権力が「緊急事態」 という語を使いたがるの は、国の緊急事態が起こった時、より強力な非常大権を も って事態に当たらなければ対処できないという権力者固有 の意識があるか らです。緊急事態とは〈通常の法と法手続 きでは対処できない事態〉のことて ゙あり、法手続き待たずに 行政府(内閣総理大臣)の決定(政令)が法以上の効力 (既 成の法を押しのけて)を持たせなければならないという意図 があるのです。 今回の「緊急事態宣言」の裏に自民党憲法 草案98条の緊急事態条項が見え隠れして います。そこに は内閣が緊急事態宣言をすると、国会に縛られず政令が 独り 歩きすることになります。非常時にゆっくり国会で論戦 などしている暇はないと いうわけです。最も自民党草案は、 その期間を定め、また事後に国会承認の必要あ りとして、 表面上繕っているように見えますが、この手の事後承認は 全く信用な りません。安倍政権にとって今回の緊急事態宣 言はその予行練習、緊急事態という言 葉に国民を馴らして おく以上のものではない。感染症にはきちんとした対策がと れるように法の範囲内で急がれることに対応しておけばよ いわけです。 日 本国憲法が政治権力にこのような例外条項を持たせ なかったことは申すまでもあ りません。だが、ひるがえって 考えると、法が支配する近代国家という枠の 外から何等か の力が襲ってきて、法が予定していない例外状態が起こっ たらと ゙うするかという問題は残っています。権力者は自分に 全権を委任せよ、そうすれは ゙国を守ってやるという理屈、そ れが緊急事態の意味です。 だが、「私た ち」はこの世界、この国の外側から迫ってくる 例外状態がかならずしも恐怖に満 ちた敵意ではなく、むし ろ喜ばしい訪れであることを知っています。その恵み が現 実の私たちのいのちと生活を作り変えていく勇気を下さるこ とも知っていま す。ヨハネ黙示録は基本的に審判の書で す。理不尽な権力者を完膚なきまでに審 く書です。でも同 時に権力者の暴虐から民を救い出すという壮大なドラマで もあります。私たちの外から迫ってくる例外状態です。ザッ クリと言ってしまえ ば、後から取ってつけたような2章と3章の 7つの教会への短い手紙は、やがて起 こる非常の、例外の 時を、審きにして恵みの時を、この世界内にとどまって忍耐 し希望をもって待っていなさいと読んでよかろうと思います。 世界内の生きる、こ の国の中に生きる、ということの一日の 実感を噛みしめられる場こそ、家の中と言え るでしょう。家 にとどまって、忍耐と希望をもって待っていよ、そうすればあ なたの家の戸を叩く者が来る、その時とを開けてその客と 共に食事をせよ。戸が 開かれたところに恵みがあり、例外 状態にも恐れることなく喜んで生きるいのち があるということ でしょう。日本国憲法は一つの大切な戸のように思います。
4月26日 説教より ペトロの手紙一1章13〜25節 「人は皆、草のようだ」 久保田文貞 私がよく使う聖書日課は、4年毎に聖書全体を読みこな すように割り振られていて、 歴史の出来事に則して言葉を 選ぶというものではありません。主観的に聖句を選 ばない わけですから、いい所もありますが、逆に今とのギャップが 大 きすぎて面食らうこともあります。 今、それは世界中が人の諸活動を停止して自 宅に籠る よりない感染症を前に、何とか命を守ろうとしている時で す。この30年 は世界がイデオロギーの対立を超えて、グロ ーバルに経済優先でよき世 界が作れるはずだとまい進して きました。経済格差が起ころうと結果的には 富は貧しい人 の方へ滴り落ちてゆく(トリクルダウン効果)とうそぶいてい た安 倍首相も、感染症学者の忠告を受け、外出を8割減に するよう要請しました。だか ゙、命の大切さを優先したかのよう な感染対策も、資金力の弱い下請けの町工場や小 さな商 店をつぶしていってしまうでしょう。 こんな時に、〈人は皆、草のようて ゙、その華やかさはすべ て、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主 の言 葉は永遠に変わることがない。〉と町で大声で言おうものな ら袋だた きに遭うでしょう。この言葉のもとは、第二イザヤの 預言です。紀元前6世紀 末、バビロニアからの帰還第一陣 が成ったとき、つまり国さえ滅びてしまう という神の裁きの通 り過ぎたところで、民は預言の言葉に感慨深く耳を傾けるの です。〈草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。 この民は草に等 しい。草は枯れ、花はしぼむが、私たちの 神の言葉はとこしえに立つ。〉 問題 は第一ペテロ文書そのものにあります。3-12節まで パウロ的な言葉をべたへ ゙た張り合わせたパッチワークのよう にしかみえません。原文を読むとなんと全体 が一文です。 日本語訳は親切心で12の文に分け読みやすくしているの でしょ うが、それでも信仰箇条をいくら並べられても少なくと も私には心に伝わって くるものがありません。新共同訳聖書 は聖書全体にこれも親切心でしょうが、 見出しをつけます。 読み方を限定してっしまって、余計な感がするのですが、 第一ペテロの場合は逆に「見出し」がぴったりかもしれませ ん。13節以下に新 共同訳聖書は「聖なる生活をしよう」と付 けています。< 無知であったころの欲望に引きずられること なく、従順な子となり、召し出して くださった聖なる方に倣っ て、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる 者となり なさい。>と、これだけからもわかるように教化的なのです。 この段落 の最後が先のイザヤ書からの言葉です。歴史状 況を無視してポンとその言葉 を、キリスト教信仰箇条を並べ た言葉の後、聖なる生活をしようとさとし、預言者 の言葉を 借りて〈草は枯れ、花はしぼむ。...(だが)わたしたちの神の 言葉は とこしえに立つ〉と言うのです。細かいことですが、原 文には「わたしたちの」 はありません(イザヤ書とその70人訳 には付いていますが)。それも「神の言葉」 ではなく「主の言 葉」です。まるで、草は枯れ、花はしぼむが、教会の言 葉は 永遠だと言わんばかりです。 新型コロナウィルス禍、皆が命を守ろう とふんばっている 時に読む言葉ではないと言われるかもしれませんが、第一 ヘ ゚テロはむしろこんな時にこそイザヤの預言を聞けと言って いるように見えます。 4章を読む限り、この著者と読者を囲ん でいる歴史的状況はローマ帝国下の迫害の 最中なのかも しれないのです。としても、「主の言葉はとこしえにたつ」と 説教 してそこをくぐり抜けようと言う、しかもこの著者は、信 徒たちが理不尽な支配 者に囲まれているのを目にしなが ら、〈主のために、すべて人間の立てた制度に 従いなさい。 それが、統治者としての皇帝であろうと、あるいは、悪を行う 者 を処罰し、善を行う者をほめるために、皇帝が派遣した 総督であろうと、服従し なさい。〉というのです。ついでに言 うと、同じように2:18以下〈召し使いた ち、心からおそれ敬っ て主人に従いなさい。善良で寛大な主人にだけでなく、 無 慈悲な主人にもそうしなさい。...〉、3:1以下〈妻たちよ、自 分の夫に従いなさ い。...〉、キリストが従順であったように、 従順であれというのです。 こ ういう面がキリスト教にあることは承知しています。でも 聖書には、花によって、 神の恵みを賛美することもありま す。最後にそれを引用しておわります。 〈荒れ野 よ、荒れ地よ、喜び躍れ、砂漠よ、喜び、花を咲か せよ、野ばらの花を一面に 咲かせよ。... 弱った手に力を 込め、よろめく膝を強くせよ。...そのとき、見えな い人の目 が開き/聞こえない人の耳が開く。...そのとき歩けなかった 人が鹿 のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌 う。〉 (イザヤ35:1-10)
4月19日の礼拝説教要旨 ヨハネ福音書20章19-31節 「家に籠る時」 久保田文貞 コロナウィルス感染拡大の対策として、不要不急の外出 をしないで自宅で待機す るよう強い要請がされています。 保菌者であることを自覚しないまま他人に移し てしまうという 厄介な特徴を考えると、慢性疾患のある人や高齢者を守る ためにこ の要請に従わざるを得ません。ここまではよく分か るのですが、これを徹底 すると他人と接触するもの、仕事、 学校、集会、ショッピング、集団スポーツ などみなストップに なります。大丈夫かと心配になります。 私たちの市民社会か ゙いかに他者と関係・接触しながら動 いてきたか思い知らされます。同時に、その 市民社会にと って人を送り込んでくれる一人ひとりのプライベート空間― ―自 宅、住処――というものの重要さが浮かび上がってき たと思います。どの位の 長さになるか分かりませんが、この コロナウイルス禍が通り過ぎるまで、ちょ うど動物たちが外 敵が過ぎ去るまで巣に籠って待つように、息を潜めてい な ければならない、その巣の中で動物たちは何を考えている のでしょうかね。 私たち現代市民社会に暮らす者には、いつの間にか社 会全体が住処のようになって いました。自宅待機と言われ ても、そこがプライベートな空間になっていませ ん。いろい ろな媒体を通して情報がどんどん入ってきてしまいます。そ れた ゙けでない、今ではそこからいくらでも情報を発信できて しまう。自室に引 きこもって誰にも会いたくないという子が、 自分の好きな領域の何ものかといくら でもコミュニケーション ができてしまいます。自室も自分のベッドもど うしようもなく 社会化されています。 危険が去るまで鍵をかけて自宅に籠ると いう古典的なパ ターン、あるいは自宅、自室というプライバシーが守られて いる空間が基本的人権の最後の砦だなんて感覚も、今や ほとんど無効になって います。自分の住処、自宅、自室の 意味崩壊と言ってもよいでしょう。このことを 聖書との対話で 考えてみたいと思います。 まず頭に浮かんだのは、マタイ6章 です。イエスはパリサ イ主義の偽善性を告発しています。神はあなたの隠れたと ころを見ておられると。また祈るときは「奥まった自分の部屋 に入って戸を閉め、隠 れたところにおられるあなたの父に 祈りなさい。」 ここには自室という隠れた空間 の中で、更 に隠れたところにいる神と向かい合い、そこでは自分の洗 いざら いが晒され真実だけが浮かび上がってくる。このプラ イバシーの密室 空間から、それを毀すようにして自分と他 者とのすべての関係、自分の社会性が 篩にかけられます。 ここでこそ社会的な責任倫理が立ち上がるのだと言い換 え られるでしょうか。(大塚久雄「社会科学の方法」岩波新書 をご覧ください) またヨハネ20章19―31節、二つの復活顕現の伝承が並 んでいます。共通すること は二つの弟子グループが、ユダ ヤ人に告発されることを恐れて家に鍵を架け て籠っている ことです(19、26)。現代社会とは違って、鍵を架けた部屋 はそのかき ゙り外部と遮断しています。次にこの密閉した空 間に籠る弟子たちのところに復活の 「イエスが来て真ん中 に立つ」(19、26)のです。そこでイエスは「あなたが たに平 和があるように」と呼びかけます。そして「父がわたしをお遣 わしに なったように、わたしもあなたがたを遣わす。」と言わ れます。復活者が言われ た「平和」と言われるとき、イエスと 弟子たちだけの密室の平和になっていません。 密室の外 の平和であることがわかります。密室性が無効にされていま す。こ こにもう一つのモチーフがあります。弟子たちの中に ある死者が復活することの 疑いの問題です。この二つの伝 承にこれも共通しています(20、27)。見て確かめ、 触って 確かめる違いはありますが、基本的に同じことです。ちょっ とグロ テスクな感じがします。某教会の聖壇に、生々しい傷 痕、そこから血が垂れて いる聖像を見せつけられると、慣れ ていない私は目を背けたくなります。こんなにま でして 確かめたくないというのが正直な気持ちです。この二 つの伝承がこ のことにこだわる意味が解りません。た だ、今の私たちから少し諧謔的に見て 言いなおしてみ ると、プライベートな密室空間で、復活の主と濃厚接 触する 弟子たちはいわば神の愛に感染してその密室性 を打ち破っていくということになる でしょうか。不謹 慎な解釈というより転釈になってしまいましたが、今 私たちか ゙妙ことで掴みかかっているプライベート空間 をどうぞ皆様も聖書を通し て考えてみてください。 (裏ページも書きましたが、今日から暫くその日の 説教要旨 をここに載せます。家庭礼拝などに役立てて下さればと思い ます。)
4月5日の説教から ヨハネ福音書12章20~26節 「一粒の麦もし死なずば」 久保田文貞 学生時代、私がクリスチャンだということを知った嫌味な 学友から勧められてシ ゙ッドの「一粒の麦もし死なずば」を読 みました。作家自身の幼少期から青年 までの自伝的かつ 赤裸々な告白の書でした。ジッドはフランスのプロテス タント の家庭で、ピューリタン的な信仰と分別を叩き込まれます が、同時に 小さい頃から、それを汚し、裏切りっていった自 分だったことをさらけだしてい きます。ルソーの「告白」とち がってジッドはそれをさらりとやってのけます。 私は途中で 投げ出してしまいましたが。ずっと後に最後まで読みまし た。 なんでこんな題を付けたのか謎でしたが、良く考えもし ませんでした。今こ んな風に考えています。ルソーの場合 は告白していくという心の傾斜をのぼりつめ、 強い主体的 自己、一般意思=近代国民主体にまで通じる〈我〉を掴み 取っていく のですが、たぶんジッドはそれに虚偽を感じたの でしょう。ルソー的 なポジな主体(=麦の種)を超えて、裏に 張り付いているネガな自分もろとも生 きられるような場所を 探そうとしてこれを書いたのだろうと思いました。 この本 の題はヨハネ12章24節の引用ですが、「地に落ち て」省かれてます。 ヨハネ福 音書12章の脈絡では、教会暦の受難週の初日 「棕櫚の聖日」と同日、イエスが最 後に迎える過越の祭の前 の週、各地からユダヤ人巡礼がやってくるが、中には 観光 気分でか、ギリシャ人一行も神殿に来ていた。神殿には「異 邦人の庭」と いうのがあったから、そこまでは入れたわけで す。彼らがイエスの弟子のひ とりフィリポ(ギリシャ名、つまり 彼はギリシャ語をうまく話せた)とアンド レ(ペテロの兄弟)を 介して、イエスに面会を求めた。もったいぶった面会手続き ですが、願いかなって、たぶん当のギリシャ人たちも面会で きたと思いま しょう。そこでイエスが答えられます。 「人の子が栄光を受ける時が来た。 はっきり言っておく。一 粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。 だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、 それを失うが、 この世で自分の命を憎む人は、それを保っ て永遠の命に至る。」 ヨハネ的には、 ひとりの神の子(=一粒の麦)がこの地上 に来て、十字架上に死に(地に落ちて死に)、 復活し、その ことによって多くの人にいのちを与えたことを比喩的に表現 したのて ゙しょう。かわせるならかわしたいほどの神学的な内 容になっています。そういの を「かわしてしまった」一例が、 ジッドのあの本の題といえるでしょう。小 さい時から聖書をポ ケットに入れておくような教育を受けていたジッドは、神 学を 脱ぎ捨てるためだけでなく、作家としての名声に付きまとう いやらしさ を振り払うためにも、敢えて自分の生=性を剥き 出しにしていくのです。その方か ゙「多くの実を結ぶべし」と思 ったのでしょうか。 「一粒の麦」には、自分 を捨ててさらに大きなものを掴み とるというような強い意志を感じます。ジット ゙が付けた本の題 として「地に落ちて」の部分を省いたとき、どうしても自分を 捨てる、自我を殺す、という点に重心がかかってしまいま す。美的な自己犠牲に接 近しかねません。私たちの国の場 合、このような倫理観は、民を駆り出し「滅私奉公」 「お国の ために死んでこい」という最悪のものに繋がりかねません。 いや過去 のことではない。自民党が出している現在の憲法 「改正」草案の底にある公民を 説く発想には体の良い「滅 私奉公」型の倫理が透けて見えます。 福音書では 「もしも麦の粒が地に落ちて死ななければ、 それだけにとどまる。死ねば、 多くの実をもたらす。」(田川 訳)となっています。ヨハネ福音書が「地に落ちて」 というとこ ろにイエスの十字架の死を思い浮かべていたことは明らか です。ヨ ハネ神学では神の子が地上に現われとは、子が地 上で肉となって一度栄光を 捨てたことを意味する。キリスト を信じる者は同じようにこの地上でしがみ ついてきた生命を 断ち、そうして「永遠の命」に入ると教えるわけです。けれど も、私はそこには、このような教理的な解釈とは別に、敢え て言えば、教理的な内 部の言葉からこぼれ落ちて、まさに 「地に落ちて」こそ、そこから立ち上がるの だという語の響き に惹かれます。 福音書の場面設定に戻ると、あの「異邦人」のキ ゙リシャ人 たちがイエスから聞けた言葉は、一見教理的で、部外者を 突き放す ような言葉ですが、でもそのなかに「一粒の麦もし 地に落ちて死なずば、 ただ一つに在らん、もし死なば、多く の実を結ぶべし」と、教理や神学の外 にいるギリシャ人の心 にも伝わってくる響きを聞き取ることができると思いま す。由 緒正しいと思ってきた自分を捨てて、剥き出しの生のまま 「地に落ちて」い く、人々の生活世界に入って生きよと。そし て、そのことはまた教理や神学の中にい て由緒正しい自分 に納まってしまうくらいなら、むしろその外に身を投げ出し、 落ちたように思えても、しかと地に足せよ、そこで思いもかけ ぬ恵みが与えられ ると読めないでしょうか。
3月29日説教 創世記41章1~8節 「本当の政治」 飯田義也 日本国憲法(世界的にも)には、政教分離原則 があります。第二十条です。 人類 は歴史の中で数々の失敗をしてきた。その 積み重ねから「これはやっちゃいけない」 「こう すればよい」を積み上げたのが法律(律法)なの だそうです。一元 的に宗教が政治を支配したり、 逆に政治が宗教を弾圧したりという歴史から学 ひ ゙、必要な両輪として政治と宗教を分離したので しょう。しかしこれは、政治家か ゙宗教的信念を持 ってはいけないとか宗教家が政治に発言してはい けないという 意味ではありません。政治だけにな ってしまったら政治が的外れのときに修正 しよう がないわけです。 政治と宗教はそれぞれ独立して併存することが 必 要だというのがこの二十条なのですね。 このところ、何か世の中でできこ ゙とがある度に 「聖書はつくづく神の言葉だなぁ」と思いますし、 よくぞ 「この神の言葉を人々は残し続けてきたな ぁ」と思っています。国王礼賛とか民族礼 賛では なく国王の弱さや民族の離散が書き記されている のです。よくぞ焚 書とならなかったなぁと思いま す。宗教弾圧の時にも地下の・・社会的に地下と い うだけではなく本当に地下洞の礼拝堂だったり しながらことばが守られ 続けたのでした。 今日の創世記、ヤコブ(イスラエル)の物語は、 全体としてイ スラエル民族の起源譚になっていま す。 さて、イスラエルの十一人の息子達、また ゙ベニ ヤミンが生まれる前のこと、末弟だったヨセフは、 兄たちの嫉妬によっ て殺されかけるのですが、結 果的にはエジプトに奴隷として渡っていきます。 さらに数奇な運命から(またいつか)牢獄に入れ られ、しかしその中で「夢の解き明 かし」をした のでした。その後2年が過ぎ、今日読んだ部分に なります。 「それから二年たって、ファラオは自分がナイル 川のほとりに立っている夢を見た」 七頭の美しく肥えた雌牛が葦の原で草を食んでい ると、醜く痩せ細った別の七 頭の雌牛が川から上 がって来て、美しく肥えた七頭の雌牛を食い尽く したとい う夢です。もう一つ別の夢も牛が麦の穂 に変わっただけで同内容。そこで、 獄につながれ ていたヨセフが呼ばれて、夢判断をすることにな ります。 ヨセ フの言い方もいいですね。「私が解き明か しましょう」ではなく「神が」と してこの夢の意 味を語ります。7年の豊作のあと、7年の飢饉が 来るというので す。世の中、自分にとって都合の よいときばかりではない、悪いときがやって くる。 それも長期間・・というわけです。 よいときに贅の限りを尽くし、もっと よい思い をしようと借金を繰り返すのではなく、よいとき に豊かな収穫の五分の 一を倉に収め、飢饉がやっ てきたときにそれを使ってしのごうというので す。 ドイツは7年間国債を発行していなかったそう です。このたび緊急に国債を発 行して経済的に逼 迫している国民に分け隔てなく現金支給したよう です。 ファラ オも、自分に都合の悪いことを言う外国 人に対して、賛辞を送り、宰相に取り立てま した。 なかなかたいした人物です。 7年の豊作の際に、ヨセフの提案通りエジフ ゚ト のファラオ(エジプト王)は倉を建てて食料を保 管します。そして、飢饉か ゙やって来たときに国民 が餓死から救われたのでした。 本当の政治とはこうい うことだよなぁと思いま す。
3月22日の礼拝説教から マタイ福音書5章13~16節 「キリストに従う」 久保田文貞 マタイ5章以下の山上の説教の序言のように冒頭に出て くる祝福・招きの言葉の後、 イエスは群衆に向かって 「あな たがたは地の塩である。」「あなたがたは世 の光である。」と 宣言する。つまり福音の下に招かれている人間は、次に、 いや 同時に「イエスに従がいなさい」という。誤解を恐れず 言えば、イエスを信し ゙るということには、従うという責任が伴う と言わんばかりである。その後の 言葉で言えば、「わたしが 来たのは律法や預言者を廃止するため...ではな く、完成 するため」、だから「これらの最も小さな掟を一つでも破り、 そうす るようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と 呼ばれる」と。もちろんそ れは逐条的にいちいちの律法を 守れと言うのではない。こうして21節以下に次々と 出てくる ように、過去の律法に縛られた在り様ではなく、キリストに従 うという 単純で新しい戒めに生きるということなのだろう。 しかし「イエスに従がう」 とは、「ほかの何かに従う」というこ とと、どうしても無関係ではいられない。 この点でいま気になることがある。私たちの国民性のよう に、自粛とか忖度とか、 妙に先回りして気配を察し、人を思 いやることの大切さが説かれる。だが、結 果としてこうして批 判力を失い、権力者に媚びるきおとにならないか。今回の 新 型コロナウィルス禍に対しての自粛要請は、この病が高 齢者など体の抵抗力が 弱い人々に配慮してのことで、かつ て天皇が危篤に陥って「国民」こぞって自 粛ムードになった 時とは目的も事情も違う。とはいえ、どうしても気になってし まう。人々の対応の仕方、また現在に特有なネット社会の 動き、マスコミの働きかけ 方、政治の権力行使の仕方、など など。 そこに共通して流れていることは、た ゙れと特定できずに作 動してしまう国民総動員体制というよりないものだ。個 人の、 または諸グル-プの意見とか、想像力とか、工夫とか、実践 とか、この国 家規模、世界規模の病禍のために右へなら え、すべて束ねられてしまう体制のこと だ。それはだれがだ れに従っているのかはっきりしないまま、ただ皆が 従ってい く体制でもある。これは米の歴史社会学者ウォーラースティ ンの言うよ うな「近代資本主義システム」に固有な現象なの かもしれない。普段は自由を満喫し、 多様性を享受し、国 家の権限をできるだけ抑え、結果格差や差別が生じよう と 自浄作用がはたらいて解消していく、それこそ現代社会だ と・・・。「シス テム」という語には、同意するにしないにかかわ らずその中で人は生きるよりな いという意味が込められてい る。普段は総動員されているとは意識しない。だか ゙、今が危 機だとみなが思いはじめると途端に露わになってくる。自由 を 謳歌してきたつもりになっていた現代人が、途端に他者 に従うというあり方の中に 置かれ、不自由が自分を覆ってく るというわけだ。 喫緊の課題の中で、私た ちは淡々と聖書を読み、イエス が従がってきなさいという招きの言葉を受け止め、 イエスと 共にその道に踏み出すということがどういうことか考えてい きたいと 思う。「地の塩」「世の光」たれと言われる。でも、自 分が塩とか光とか言われ て自分の質が変わるわけでもな い。「地」とか「世」とか、毎度おなじみのそ れだろうが、そこ でその塩、その光となれと言われてハイそれではそうなり ま しょうというわけにもいかない。 イエスの言葉としてはそんなことを言っている のではない だろう。そもそも地・世についてほんとうに知っているのか。 そこて ゙塩とか光とはなにかわかっているのか。よく考えてみ ると何も答えられない。「イ エスに従がう」も同様だ。従って どこに行くのか。従うからには何らかの貢献 をしたいと思う が、何をすべきなのかわからない。ただ我を捨ててあとを追 うだけなのか。踏み出す一歩一歩が掴みきれないままイエ スについていく。そこ に現れる大地と世界、そこに生きるひ とびとの間に入っていくよりない。最低限言 えることは、地の 塩であるためには、地に踏み込むよりない。世に光である た めには世の一人であるよりない。塩の効き目が何か、光と なって何を照らすのか、 わからないまま、塩や光になるより ない。そんな無謀さがイエスに「従う」という ことにまつわりつ いている。ただイエスに従がうよりないとして一歩を踏み出 せというのである。国家総動員ということで人々がなびきあう 大地や世界て ゙、イエスの招きに応えて従おうとする人は、こ とのほか居心地が悪くなる。ど こに向かうかわからないまま に、しかしはっきりとイエスに従がおうとだけする から。しか し、イエスに従がおうとする人は、そこにある大地や世界か ら逃げ ようともしない。イエスがそこに入っていくから。
3月15日の礼拝説教から ルカ福音書9章57-62節 「捨つる心を捨つ、なのか」 久保田文貞 共観福音書で「従う」という語がキーワードになっていま す。マルコ福音書て ゙、荒野でサタンの試みに遭った後、イ エスは荒野を出て市井の中に入っていきま す。最初にペテ ロら4人に「私についてきなさい」「私に従ってきなさい」と呼 ひ ゙かける。ペテロに「人間を取る漁師にしてあげよう」と言わ れた以外に説明は ない。彼らはすぐに従っていく。マルコ2 章14に取税人レビのことが出てきま すが、さらにあっさりとし ています。古代の弟子採り伝承にときに共通してみられ るも のです。それまで何らかの仕事をしていた男たちが、これま でしが らみを捨てて従っていくという風なのです。古典的な 師弟関係にある種の美学さえ 感じられます。 けれども、マルコ福音書はイエスに従っていくものを弟子 に限 定しない。イエスが人々の暮らしの中に入って宣教運 動していくと大勢の群衆が イエスの後をついていったという 図をマルコは積極的に描きました。それはルカが 解釈した ように福音の何たるかをまだ分かっていない群衆ではなく、 弟子たち と対等にイエスに従う群衆として描いていきます。 マルコ8:31-36、とくに34節を見 ると、原始エルサレム教会 の中でペテロら弟子の権威が高められていくのを忌 避する かのように、「群衆を呼び寄せ」イエスに従うことの真意を聞 かせるとい う風になっています。つまり著者マルコは、後々 のキリスト教のなかで正統主義の 柱にされていく「使徒伝 承」とは別の流れになる、あの群衆たちの福音の記憶を福 音書の中にしかと据えたということになりましょう。 原始キリスト教には、このほか にステパノ(行伝6,7章)や パウロらのヘレニズム教会の流れがありますが、 これについ ては今回は触れません。もう一つの流れについて述べま す。マタイ、 ルカに共通してほぼマルコにはないQ資料、そ の特徴はイエスの受難物語を直接に 語らないことなのです が、これについても今回は省きます。このQ資料に伝えら れ るイエスの言葉にいくつかの特色がある。その特色はこれ を語り伝えたグルー プの実際に生き方を反映しているだろ う、つまり、ここからグループの社会 的な特徴を仮説的に類 推することが許されようというわけです。新約学者タイセ ンが 取り出したものは、「放浪のラディカリスト」というあり方です。 それ を読み取れる典型的な個所が今日の聖書箇所ルカ9 章57~62節、さらに10章にかけて の言葉です。 57節 《イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、ど こへでも従って参ります」と言う人がいた。 イエスは言われ た。「狐には穴か ゙あり、空の鳥には巣がある。だが、人の子 には枕する所もない。」そして別 の人に、「わたしに従いなさ い」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を 葬りに行か せてください」と言った。イエスは言われた。「死んでいる者 たち に、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、 神の国を言い広めなさい。」 また、別の人も言った。「主 よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまこ ゙いに行 かせてください。」イエスはその人に、「鋤に手をかけてから 後ろを顧 みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。》 「人の子」イエスに従って「神 の国」へと踏み出すというな ら、年老いた父母を、幼い弟や妹を、そして今までの 生活 を投げ捨てよ、こうして町々村々をイエスと共に渡りゆくの みと。ルカ10章 1~13にはQバージョンの「弟子派遣」の言 葉が、ルカ9章1以下のマルコ版「弟 子派遣」の言葉(マルコ 6:7以下)とは別に、省略せずに収録してくれています。ル カ10章の方は、派遣されていく弟子たちがいつも心に念じ ていた「心得」のよう になっています。この中で要求されてい る「イエスに従う」ということが、文字 どおり職業も家族も捨て ての、実際の生活スタイルをかけた全く遊びのない「従 う」こ とだったのかどうか、判断が難しいところです。確実なこと は、ル カ、マタイが別々に、これをマルコ福音書のなかに合 体させていくときには、「イ エスに従う」は「イエスを信じる」と ほとんど同義にしていると思われます。 「従う」とか「信じる」 が何かゆるくなったあるいは弱められたと、簡単に言う こと はできませんが、少なくとも言葉というものが、かならずしも 最初に 語られたように理解されるわけではありません。語り 伝えられた者のそれぞれの 場に則して新たな意味を帯び たり、意味を広げたり、ときに狭められたりするの は当然で す。としても、できることなら、はじめに語られ、受けとめられ た ものに寄りそい、耳をすませたいと思います。 それができたとしても、私たちは 自分の今、自分の生活、 自分の縁とのかかわりの中で、どこに向かっていくのか、 イ エスについていくというならどっちに向かっていくのか、や はり自分で決め なくてはならないと思います。
3月8日礼拝説教から ヨハネ福音書18章28~38節「いったい何をしたのか」 板垣弘毅 (前略)ところでヨハネ福音書では、イエスは、時を定めて 神によって地上に啓示 された特別なできごとです。「神の 子」とか「世の光」とか「真理」とか「道」 とか「いのち」とか告 白されています。 これらの言葉は、言い得ないことをとりあ えず言葉にして いるのだと思います。それが本来の信仰告白の言葉です。 最古の「信仰告白文」に属する「使徒信条」では、「ポン テオ・ピラトのもと で苦しみを受け」とそっけなく告白されて います。言葉にできないことはじっ と抱いてゆくほかない、じ っと抱きしめるための言葉もあると思います。 でも いったん言葉にすると説明は済んだとばかり、つぎ はその言葉から出発する。 信仰告白の言葉も、ちがう言葉 ではできなくなる。 イエスというできご とからしか「真理」に触れられない。そ の意味でイエスが真理だというので す。「いったい何をした のか」「真理とは何か」といったピラトの問いへの答えは 開か れたままです、空洞としかいえません。神だけが埋められる 空洞です。 最後に「いったい何をしたのか」という問いは、えん罪事件 では、被告の叫びて ゙すね。チェコのユダヤ人作家、フラン ツ・カフカの小説で『審判』という長編 があります。出だしは こうです。 「誰かがヨーゼフ・Kを中傷したにちか ゙いない。というのは何 も悪事を働いた覚えがないのに、ある朝、ヨーゼフ・K は逮 捕された。」 銀行員の主人公は30歳の誕生日の朝、いきなり逮捕さ れてしまい ます。身柄は拘束されない間に、主人公は指定 された日に裁判所に行ったり、弁護士 を頼んだりしながら、 次第に深みにはまってゆき、さらに訴訟の手続きや準備書 面など作ろうとして、否応なく追い込まれて逃れられなくな る。悪いことを何もし てないのに、なぜ逮捕されたか、「自ら の罪を知らないところがすなわち罪だ」 というようなことを言 われて、最後は31歳の誕生日の前の晩、石切場に連れ出 され、 あっさり殺されます。『審判』は読み終わるとドスンと重 い石を胸に投げ込まれ るような感じがします。解釈はいろい ろあり、その解釈がまたテツガク的て ゙もっと難解だったりしま す。自分の印象を大切にするほかないんですが、ヨー ゼフ ・Kは、得体の知れない力によってこの世から排除されてい ます。「この世に 属していない」のです。 自殺したり自分を所属させなかった社会に復讐したりする こ ともあるかもしれませんが、ヨーゼフ・Kの場合は「犬のよう に」ためらいな く抹殺される。イエスは無所属の人と同じとこ ろにいます。しかしイエスはこの 「この世に属していない」を 逆手に取ってこう言います。 「わたしの国は、この世 には属していない」「わたしが王だと は、あなたが言っていることです。わ たしは真理について証 しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に 属 する人は皆、わたしの声を聞く。」 真理という訳語はあまりにありふれていますが、 ここでは神 の意志、ということです。神さまのみ心を人間が定めること はて ゙きません。そこは永遠の空洞です。イエスはその空洞、 神の自由の証言をしてい るのだと言えます。やがて神だけ が満たしてくださる空洞、イエスはその 真理の、つまり神の 国の入り口のところに立っているような人だったのだと思い ます。(わたしにはそのような方として現れます) 神が、イエスという「できご と」で「真理」を証しさせた。イエ スという「できごと」に出会い、そこに神 の自由な働きを観た 人を、「真理に属する人」と言っているのだと思います。そ れは、神が自由に働く隙間を、自分でも埋めない、他人に も埋めさせない人で す。 「真理」とは私たちの願望や絶望の果てにある、つまり言 葉では言い得ない 隙間です。この福音書では、イエスは十 字架の上で神の心が「成し遂げら れた」と言って息を引き取 ります。なぜわたしを見捨てたのか、と叫ぶマルコ福 音書と はずいぶんちがいます。でもどちらも、私たちの絶望の果て にあ る隙間を指し示しています。死をによって潰されない隙 間、場所を証しすることが イエスの栄光です。 最初に、人間の選別といのちの選別の境目は、考えれ ば曖 昧なんだといいました。相模原事件の被告でなくても 「この世に属していない、 属してはいけない」と判断する人 を、どこかで区別・排除しているのだと思い ます。(わたしも 含めて、です)イエスの十字架はこの「この世に属していな い」 を引き受けて、理不尽にはじき出される人たちに、別の ところから光を射し込んて ゙います。この世には「真理に属す る」という人がいる! ヨハネの「真理」とは、 わたし流にいえば、絶望の果てに ある、言い得ない神の自由な隙間であって、そ れをイエス は身をもって示したのです。わたしはカフカの長編『審判』 は、言い 得ないことの前の立ち尽くす人間を描いていると 考えることにしました。立ち尽くす 人の傍らで、イエスは十 字架についているのです。 (全文は板垣まで)
3月1日の礼拝説教から マタイ福音書4章1-11節 「荒野の幻想」 久保田文貞 アブラハムら族長たちの選び、エジプトからの脱出、荒野 の放浪、約束の 土地取得というイスラエルの歴史は、神ヤ ハウェの救済の歴史です。この救済史 を自分のものとして 受け止める(告白する)ことでイスラエル部族連合が成り立っ たと言ってよいでしょう。これは史実とは別の、信仰告白の こと、もっと言えは ゙想像力の産物です。想像の産物とはい え、そこにはある程度の社会的事実が 反映しているでしょ う。定住地と農耕地を持たない遊牧的な生活をした社会的 下 層民の一部(原イスラエル)が、少しずつ力をつけて、連 帯して比較的弱小な農 耕民の町を襲い、町と土地を奪って いったこと。それはどこにもある一種の社会 革命です。こうし てイスラエルは歴史を共有し、やがて周辺の勢力との抗争 の 中で王国制度へと舵を切っていくのです。 だが、同時にこれまでと質の 違う問題が起こる。農耕定 住型都市社会を守る側になり、さらに生産の拡大は、 他の 諸都市国家と交易する。結果、他の宗教・文化と交流せざ るを得ない。必然 的にそのことはヤハウェ信仰にとっては明 らかに堕落への道を意味した、というこ とです。 こうしてずっと水面下に追いやられていたヤハウェ信仰 への原点回帰 の運動が表面に出てきます。そのひとつが 預言者運動です。原点回帰の試練 の場、その象徴が荒 野、イスラエル救済史上は荒野の40年ということでしょう。 マタイ4章のイエスの荒野でのサタンの試みの物語も、洗 礼者ヨハネ運動と同様、 この種の原点回帰的な意味を含み もつでしょう。荒野でサタンがイエスに誘 いを掛けます。「神 の子なら、これらの石がパンになるように命じたらど うだ」と。 そうすれば不毛な荒野はあっという間に滋養に満ちた豊か な土地に 変わり、人間は満ち足りるだろう。また「神の子なら (神殿の屋根の上から)飛ひ ゙降りたらどうだ」と。超人的なパ ワーがあれば、地上の人間同士の争 い事など一挙に解決 できるではないか。さらに「もしひれ伏して私を拝むな ら、こ れをみんな与えよう」そうすれば、世のすべての繁栄、権力 はすべて お前のものになる。なにもわたし悪魔のように振る 舞わなくったっていい。好きな ようにしてよいと。 このサタンの誘いは、荒野は反文明、反国家、反権力の 象徴の ようでありながら、実は、華美な文明、強大な国家、 過剰な権力と隣り合わせ になっている、その裏返しに過ぎ ないという警句をも含んでいるように聞こえ ます。荒野は不 毛や無力の象徴ではなく、むしろ文明を鍛え完成させる研 究所あ るいは学校。サタンの誘惑の場どころか、文明を鍛 え、人間社会を堕落からまも るための、研修の場と言った方 がよいかもしれません。 荒野を表現した絵画と文 学に「聖アントニウスの誘惑」と いうのがあります。ボスやブリューゲル、 近代ではセザンヌ、 現代ではダリなどが題材にして描いています。伝 説の下に なっているのはキリスト教正統主義(キリストがまことの神に して人て ゙ある教説、三位一体の教説とその教会制度)の要 にいるアタナシウスが書いた 「アントニウス伝」です。教会の 権威の頂点にいるアタナシウスとしては、荒野 に籠って彼 の真逆をいくかつての同輩・隠修士アントニウスのことを放 置できな い。エジプトの荒野であらゆる誘惑・妄想と戦うア ントニウス、これについ ては「ボヴァリー夫人」を書いた作家 フローベールが戯曲風に「聖アント ワーヌの誘惑」で、これ でもかこれでもかと現われる性・名誉・権威の誘惑・ 妄想を 書いています。文庫になっているのでご覧ください。 なぜアタナシ ウスが、アントニウスのことを書いたか。それ は、彼に倣って、不毛な荒野に入っ ていく者が続々と出て きてしまった。教会としては有能な若者が自己鍛錬の場 とし て、どう転ぶかわからない危険な荒野に入ることを止めさせ たかったのて ゙しょう。彼らを異端として切り捨ててよいならそ うもしようが、なにせ荒野へ 引きこもる人間が多すぎたので しょうか。アタナシウスとしては、アントニ ウスの荒野を一つ の修練の場として認め、後にその昇華した形としての修道 院を、 管理された荒野、鍛錬の場とすることに半ば成功して いったのです。 さて、マ タイの荒野の誘惑の物語は上にのべたような線 で考えてよいように思いますか ゙、マルコの場合は様相が違 います。マルコの場合イエスはサタンの誘惑をクリ アし単位 を修得したかのように荒野から出ていくのではなく、むしろ サタンの三 つの誘惑の試練そのものを無意味としてそこを 去ったと言った方がよいのでは ないでしょうか。世の喧騒を 離れ修練と鍛錬の場で掴み取れるものなど許さ ないような 衆生の生活の場、それもほぼ破綻した生活の場。イエスは そこで福 音を受け止め、そこを福音の現場とし、そこにとど まろうとされます。
2月23日礼拝説教から 詩篇95篇、申命記6章21-24節 「荒野の40年...つぶやきの問題...」 久保田文貞 詩編95篇の1-6節と7節以下には大きな切れ目が あります。1-6節は「声を上げよ う」「ひざまずこ う」「奉げよう」「礼拝しよう」と英語の let's ~ に当た る動詞表現の賛歌になっています。想像た くましくすれば、ここは礼拝参加者の 会衆の賛美 の声が聞こえてくる感がします。 7節からトーンが変わります。 「主はわたしたちの 神、わたしたちは主の民、主に養われる群れ、御手の内に ある 羊。」一人称複数の語りになっているからここも会衆の 歌にしてもよさそうですか ゙、私はここから礼拝を司式する祭 司の厳かな声が、会衆の「われら」を引き取っ て歌い始める のを感じます。そして祭司は「今日こそ、主の声に聞き従わ なけれ ばならない」と。ここは新共同訳は主語を隠して訳し ていますが、「あなたか ゙た」が主語です。祭司が会衆に主ヤ ハウェに変わって宣していると捉えた いと思います。 8節は司式者の続きの言葉とするのがよいかもしれませ んが、 つぎの9節からがイスラエルの荒野の40年の歴史を 想い出せる教訓的な内容にな るので、礼拝音楽的にはここ はレビ人らで構成される聖歌隊による会衆への 歌い聞かせ の歌詞と考えたいです。 「あの日、荒れ野のメリバやマサでした ように、心を頑にし てはならない。あのとき、あなたたちの先祖はわたしを試み た。 わたしの業を見ながら、なおわたしを試した。四十年の 間、わたしはその世代を いとい、心の迷う民と呼んだ。彼ら はわたしの道を知ろうとしなかった。わたし は怒り、彼らをわ たしの憩いの地に入れないと誓った。」 内容的には会衆が思い 出したくもない意地悪な歌詞です。 せっかくヤハウェが民をエジプトから 救い出してくださった のに、約束の地までの荒野の40年、何とそこには水もな い 食物もない、神よ、モーセよ、たっぷりと水を飲め、肉鍋を 食べられたエシ ゙プトの方がましだ、ブツブツ。不平の声は出 エジプト記15章 22節~17章7節、民数記14~17章に記され ています。メリバ・マッサの地名は民の不 平の象徴的な場 所です。「不平を言う」と訳されている言語はL・W・Nの語根 か らなる擬声語。英語のmurmur。欧語圏は総じてこれと同 根の翻訳語をつかってい ます。「ルーン、ルーン」「マーマ ー」「ブツブツ」 神に不平を云うこと。8 節の「心をかたくな にする」とはブツブツ言うことから始まるというのでしょ う。祭 司=聖歌隊としては、神の救済の出来事・歴史の経過には 苦しいと感じる こともあろうが、あなたがた会衆=民はどんな 時も神にむかってつぶやいて はならないというのでしょう。 そして、つぶやきは神への恨みがましい不満て ゙終わらな い。「神の業を見ながら、神を試す」という踏み込んではなら ない 一線を越える。試されているのは民であるのに、入れ 替わって、民が神を試す ということが起こっているというわけ です。いったい誰が歴史の主人公なの か。人が神より上に 立っていないか。 これに対して聖歌隊の訓練された声は、フォ ルティッシモ というところでしょうか、「40年の間、わたしはその世代をいと い、 心の迷う民と呼んだ。彼らはわたしの道を知ろうとしな かった。わたしは怒り、 彼らをわたしの憩いの地に入れない と誓った。」 と歌います。ほとんど、呪いの 詞です。 もし、この賛歌で礼拝が終わるというなら、会衆としては、 荒野の 真只中に捨て置かれてつぶやいてはならん、試し てはならん、というところで 終わりことになります。次にどうす ればいいんだと戸惑うばかりでしょ う。私たちのように、編ま れた形での詩編集で、94篇のどんな試練にも耐え 抜いてき た強い信仰の賛歌と、96篇のように主に対する絶大な信頼 の詩編の間に置 かれていて、95篇の最後が呪いの詞で終 わっていても戸惑うこともないので すが、そのように編集さ れたのはすっと後のこと。この詩編がどんな流れの 中で読 まれたとしても、この詞の限り、会衆らは荒れ野の中に放り 出されたまま の形で終わりということになります。 そこで私たちは問の前に立たされます。 荒れ野とはなに か、そこでつぶやくとは何か、そこで試すとはなにか。い や、 そのような荒れ野に追いやり、そこで試練を受けさせ、 学習させ、そこを通過し なければ外に出てはならない、とで も命じる声は何か。ブツブツと情念 のままくすぶり続けるの ではなく、なぜそうなったか疑い、問題を解消する 方法はな いかと考え、検証する民の声こそ、荒野を抜け出る唯一の 道ではないか、 開き直ってそう感じてしまいます。
2月16日の特別集会に寄せて 「持ち寄りの食卓 ―居場所―」マルコ8:14-21 「北松戸教会のみなさまへ」 田村信征 先日は私の話を聞いていたた ゙きありがとうございました。 その後久保田さんから感想をいただきまし たが、私の話 を超えて深読みというか裏読みまでしていただく感想で戸 惑っ ております。がん哲学外来カフェの紹介で「特定の宗 教の話はしない、押し付 けないという約束事をして参加者 で話し合う」というお話をしました。それにつ いて久保田さん から「それがわたしたちのキリスト教批判、教会批判の流れ の一 着地点になるかどうか・・・」という疑問とも同意ともつか ない感想をいただ きました。彼の指摘に一瞬動揺を覚えま した。40年以上も付き合ってきた同志なのて ゙お互いの底は 知り尽くしての付き合いですから、どんな批判でも受け止め られる関係にあると思っていますが正直なところ、先日の話 では、キリスト教 批判などということは全く射程に入っていま せんでした。その意味において 「うん、やられたな」という思 いでした。僕が今までたどってきた人生の 延長線上で羽生 でやろうとしていることとは何であるのか?なんでなけれは ゙ ならないのか?という自問はすっぽり抜け落ちておりまし た。何よりも、そし ていま、ここで、現実の課題にぶち当たっ て何をどのように応えていくのか ということが自らの役割と考 えて行動してきました。その意味では行き当たりは ゙ったりで すし、あまりきちんとした理念とか方針などというものを掲げ て 歩んできませんでした。 知らない土地、しかも地縁、血縁の繋がりが強く 残って いる羽生という地に入植(?)してNPOとして「子どもたちと 高齢者の居場所 作り」を目的に立ち上げた非営利団体で したが、手探りで歩み始めて5年を 経過しました。いま担う べき社会的に大きな課題がまさに子どもたちと高齢 者です が、その居場所づくりなら何でもありとも言えます。高齢者 ならカ ルチャスクール的なものや健康維持体操的なものな どいくらでもあります。子と ゙もたちなら学校では体験できな いいろいろな学年横断的な遊びや学習支援 などメニュー は多数考えられます。 私どもが取り組みたい課題は「生きづ らさ」を抱えた高齢 者や子どもたちへの眼差しでした。 高齢者への切り口は 「病」の問題です。核家族化によっ て多くの高齢者が置かれている状況はなか なか厳しいもの があります。年金、介護、孤立、孤食、病気、お墓問題など と ゙れをとっても大変ですし重層的にかぶってくる問題です。 それらを「病」 という切り口から話し合い、共有し合う居場所 作りが「がん哲外来カフェ」て ゙す。行政や専門の相談窓口 に案内することや個別的な相談相手としても丁寧に対 応し ていきたいと考えて取り組んでおります。何分にも孤立した 高齢者が多い のですから。 子どもたちのことについては7人に一人の割合で子ども の貧 困があると言われております。私どもは1年前から「み んなの食堂」を開設しま した。一か月にたった一度しかやっ ていない「食堂」にどれほどの意味があ るのかという自問も します。できれば毎日とか週に一度とか、できるだけ 多くの 回数を実施したいところですが現在は人的、経済的な力不 足から月に一 度の実施が精一杯というところです。ここに集 う親子は決して深刻な貧困者と いう訳ではありませんが、多 くはシングルマザーの家族が多いのが現 実です。月に一 度でもお母さんが食事の支度から解放されることで、ここか ゙ 母親同士のコミュニケーションの場にもなる。子どもたちに は遊びと学習支 援で応援する内容です。そして、春、夏、 冬休みには5日間とか3日間を遊び と学習支援と昼食という プログラムを実施してます。ボランティアの協力も 得て20人 から35人くらいの規模の食卓を囲みます。ともに「食べる」こ とには格 別の喜びがあります。主催している私自身が最も その喜びを実感している かもしれません。 そして、今年の課題は6月から「フードパントリー」を開始 します。「パントリー」は食料を貯えるという意味があります が、近年この 活動が多くの所で行われております。この活 動は行政との連携なくしては難し い面があります。なぜなら ば、誰でもどうぞというオープンな場て ゙行う炊き出しのような やり方はこの田舎の地域では顔が知れ渡るため難しい とい えます。行政の協力を得ながら困っている方々に食材を提 供する地方版の 「炊き出し」といえるかもしれません。食材 提供の日には合わせて「みんなの食堂」 も実施します。都 合、毎月一度プラス隔月2回の「みんなの食堂」になります。 ここから始まる新しい課題も多数出てくることでしょう。 できることをでき る範囲で、そして目線は「生きづらさを抱 えた方へ」を羽生の杜の活動の根底 に据えていきたいと思 っております。イエスの供食の奇跡物語はイエス運動の中 核 的な活動でした。その結果、実に多くの周りに驚きと変化 を生み出しました。羽 生の杜働きもそこに通底する活動とし てとらえていきたいと考えます。
2月9日説教より ヨブ記23章1-9節 「神の遊び」 久保田文貞 旧約の中に「知恵文学」というジャンルがあります。箴言、伝 道の書、今回の ヨブ記などです。ここにはイスラエル固有の 救済の歴史がほとんど出て きません。どの民にも通用する ような格言、処世訓の類でいっぱいなので す。出エジプト、 荒野の放浪・律法の授与という固有の救済史信仰の上に たつ イスラエルの人々とはまったく別の星の下に生きる周 辺の民と、共有・共通する生 活の知恵・思想をもって生きて いたということになります。同じ時代、同じよ うな環境に生き ていたのだから当然と言えば当然ですが、こうしてイスラ エ ルは、固有の救済史とは別の大きな歴史の流れにもちゃん と寄りそって「文学」 しているかと思うと灌漑深いものがありま す。 ヨブ記は1~2章の物語部分で 始まります。1:1~5、ヨブ は「正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた」、 さらに 家族に恵まれ「国一番の富豪であった」。6節以下舞台代 わって天上の御 前会議、神が天使たちを集めていたところ へ地上の巡回視察師のサタンが登場、 神は彼を呼び寄せ て言われた「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に 彼ほどの者はいまい。...」 神の好さに、リアリストのサタン はちょっとカチン ときて意地悪くこういう、「ヨブが、利益もな いのに神を敬うでしょうか。 あなたは彼とその一族、全財産 を守っておられるではありませんか。... ひとつ この辺で、 御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向か ってあ なたを呪うにちがいありません」と。神も神で、カチン ときたのか、こう言わ れた、「それでは、彼のものを一切、お 前のいいようにしてみるがよい。たた ゙し彼には、手を出す な」と。そこでサタンは地上に取って返す。 神とサタンの 意地の張り合いでなんと地上のヨブの生活 は一変してしまう。ヨブは一挙に 財を無くし、子たちも家畜も 死に絶えてしまう。だがそれでもヨブは神を 呪わない、「わ たしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主 は 奪う。主の御名はほめたたえられよ」と賛美する。 天上でまたも御前会議、神は サタンを呼んで言われる 「...お前は理由もなく、わたしをそそのかして彼を破滅 させ ようとしたが、彼はどこまでも無垢だ。」 再び懐疑的なヨブ は 言う「...命のためには全財産を差し出すものです。手を 伸ばして彼の骨と肉に 触れてごらんなさい。面と向かってあ なたを呪うにちがいありません。」と。 またも神はそそのかさ れて賭けに出た、「それでは、彼をお前のいいようにするか ゙ よい。ただし、命だけは奪うな」と。 結果、ヨブは「頭のてっぺんから 足の裏までひどい皮膚 病」になったという。すると、生き残っていたヨブの 妻、意訳 「あなたどこまでお人よしなの!あの方を呪っておやりなさ いな、死 んだってその方がずっとましよ」。夫の陰になって 黙ったままの人間では ない、この際、はっきり言わせてもら うとばかりのセリフのように聞こえます。 次に、この物語部分の後に、3人の友人とヨブの対論が 始まります。ヨブが 嘆いているところに友人たちがやってき て、ヨブを諭す、「人が神より正し くありえようか。造り主 より清くありえようか。」(4:17)「あなたの子らが神に 対 して過ちを犯したからこそ彼らをその罪の手にゆだね られたのだ。」(8:17) 「あなたを罪に定めるのはわたし ではなく、あなた自身の口だ。」(15:6) 噛み 合った対論になっていません。双方がけっこう 長い演説を朗唱をすると言った感し ゙。友人たちに共 通して流れるのは常識的な神議論、神は正しい、人 間が間違え ていると。ヨブはこの苦しみをそんな悠長 な神議論で括るな。あるいは人間の この苦悩を<一切 皆苦>と翻って受けとめなおし、がんじがらめの<縁>を 突き 抜ければその向こうに<法>があるというわけには いかないと言っているように も聞こえます。 1-2章の物語がそれに対する答えになっているかも しれません。 義人ヨブの苦悩は、神とサタンの賭け、 ある種の遊びに拠るんだと、がんし ゙がらめの〈縁〉、が っちりと組み合わさった因果の中に人間を置いてそ れて ゙善しとしない。〈縁〉という絶対的な関係性の中 に、遊び心でサタンと賭け をして、弛み・遊びを忍ば せていくと言わんばかりです。人間の苦悩、そ れをす べて人間の欠陥・罪として始末し、それを100%贖っ て下さると眉間にしわ を寄せてただただ十字架の下 に参る必要はないでしょう。自分の、誰にも代 わっても らえない苦悩を、神の遊び、弛み、諧謔 として、苦笑 いでもいい、 笑ってやろうではありませんか。
2月2日説教より ヨハネ福音書2章13〜25節 「喩としての神殿は」 久保田文貞 今日 の聖書箇所は、イエスがエルサレム神殿で両替商 たちを追い出すという実力行 使に出た記事です。これはマ ルコ11章15以下の記事を改変したもの。記事の内容 に大 差はないが、ヨハネの方が牛、羊に言及し、鞭の使用など 中味が大袈 裟でかつ詳細になっています。とにかくイエス が神殿でなんらかの実力行動 にでたのは史実でしょう。こ の事件に旧約の引用を付してひとつの伝承となっ ていたも のをマルコが残してくれました。 旧約引用の一つが第三イザヤ56:7 『わたしの家は、すべ ての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』て ゙す。前6 世紀後半、ユダの人々はバビロニア捕囚からの帰還が許さ れ、 廃墟に神殿再建の期待を寄せた。しかし第三イザヤの 預言は、その期待を裏切る ような内容でした。再建される神 殿は、それまで境内に踏み入れることさえ忌 避されてきた 宦官たちも含め、「すべての民」(=「異邦人」)の「祈りの 家」に なるとの預言です。神はもうユダの人々だけに目を注 ぐことはないという 宣言にも似た預言でした。だが、実際に 再建された第2神殿は、異邦人の祈り の家とは真逆の、祭 司集団が実権を握る、排他的なユダヤ教本山になっていき ました。第三イザヤのこの預言は遠い未来の話にされ出番 を失いました。 この預 言が再び現実味を帯びたのは、それから訳500年 後、磔刑で殺されたイエス の弟子たちの記憶の中ででし た。イエスの神殿での実力行使だけでなく、 マルコ13章1 節、イエスが弟子たちと神殿を訪れたとき、弟子がつい神 殿建築 に賛嘆の声を上げると、イエスは「これらの大きな建 物を見ているのか。一つの 石もここで崩されずに他の石の 上に残ることはない。」と言われたという記憶 も手伝って、イ エスの神殿に対する根本的かつ否定的な言葉を残してい ったので しょう。 イスラエルの民にはもともと、他民族の国家制度や、その 象徴となる美麗 な神殿をまねてはならないというたぶーのよ うなものがあった。そもそも当の 第2神殿を立てたソロモンを してこう言わしめます。列王記上8章、いわば神殿の 落成式 で「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、 天の天もあ なたをお納めすることができません。わたしが建 てたこの神殿など、なお ふさわしくありません」と。もっともこ う言っておいて「そして、夜も昼もこの神 殿に、この所に御 目を注いでください。ここはあなたが、『わたしの名をとと ゙め る』と仰せになった所です。この所に向かって僕がささげる 祈りを聞き 届けてください」と言うのです。タブーを破る言い 訳のようにしか聞こえま せん。こうしてソロモンの死後跡目 争いが生じて王国は南北に分裂し、北王国 の諸部族連合 も南王国に対向して神殿をつくる。結局、王国制度と神殿 の負の面か ゙蔓延し、神を神殿の中に閉じ込めたのです。 イスラエル部族は、モーセの手 引きでエジプトから脱出し 荒野を放浪した40年の間に、神ヤハウェと契約か ゙なり、律 法が伝授され、約束の地カナンを獲得したという神話的な 前史を共有 してたことで成立しました。その間、民はヤハウ ェと「臨在の幕屋」オーヘル・ モーイド(口語訳では「会見の 幕屋})という携帯仮設テントで集会を開いてい ます。出エ ジプト記27:9からレビ記、民数記にかけてこの語はざっと数 え ただけでも130余出てきます。その後の1000年以上の民 の歴史から見ればたっ たの40年間ですが、そこで民は常に ヤハウェと共に歩み、行く先々の宿営地 の仮設テントでヤ ハウェを礼拝したということを表しています。カナン侵入の 実 際とその倫理的な問題をいまは横においておきますが、 その後、民は定住型の、 農耕民になりますが、ヤハウェと共 にいた砂漠の民としての観念を捨てられなかっ たのです。 定住してから簡単に移動できない聖所ミクダーシュで礼拝 する が、やがてそれにも飽き足らず周辺の王国のように神 の住まう所を設けます。 「主の家」ベース・ヤハウェです。口 語訳はそのまま訳していましたが、新 共同訳はそれを神殿 と訳しています。でもそこから周辺の強力な王国がもつ宮 殿のような神殿へーカールへと至る道は、あのソロモンの第 一神殿をみるまでも なく約束されたも同然です。そこでは神 は人間の造った建物につなぎとめら れ、王国のために政治 利用されていく。記述預言者たちはそれを体を張って批判 し 文書に残したと言ってよいでしょう。 90年頃書かれたとされるヨハネ福音書の場 合、人間の造 った神殿はローマ帝国によって破壊されすでにありませ ん。彼らと 共にいるのは「復活の主」です。2章の言葉はこう 言い切ります。「神殿とはイエ スの体のこと」だと。ただしヨハ ネ2:20、21の「神殿」と訳された言語はナオ ス。人が神と出 会う所と言う意味でしょう。人は復活者イエスに出会うことか ゙ できるという限りにおいて、神に出会うことができると言う信 仰の中で、 イエスの神殿に対する実力行使を読み取ったの でしょう。
2020年 1月26日の礼拝説教から ハバクク書3章1~2節 「数年の内にみ業を」 久保田文貞 題は今日の聖書箇所から取り出したものです。2600年前 のパレス チナの小国ユダの預言者ハバククの言葉です。い きなりこれを今の時代、こ の日本での小さな教会の礼拝に ぶつけていくと歴史の落差さにめまいを感じ ますが、同時 にこれでいいんだとも思います。古代西アジアの書物を開 き 朗読しその言葉をなんとか受け止め、そこから大胆にも 今なにかを発信していく構 えは、地上の人間の歴史と世界 に言葉をぶつけていく古代の預言者の構えと本質 的に違 いはないと開き直れるからです。 預言というと恍惚の境地から意味不明て ゙あろうとかまわず 語られた託宣というイメージで受け取られます。確かに 旧約 時代の古い預言者像はそれに近い。しかし前760年頃に現 れた預言者アモスに 始まる預言者群はそれとはちがって、 検証可能な文字にし、後代、私たちにも読 める形で文書を 残しています。それは一過性の託宣でなく、書き留められ、 至 る所で何度も読まれ、その時代の人々へのメッセージと して語られたことを意 味しています。 今回のハバククは、同時代のエレミヤのように市井の中 から発信 していく民間預言者とはちがって、おそらく神殿ま たは宮廷からのお墨付きをも らった職業預言者といわれま す(1:1、3:1は彼の「預言者」身分、資格を表す。エレ ミヤ1 :1にはその称号はない)。職業預言者として彼がどんな立 ち位置から預言 をしたか、2章1節に次のような言葉があり ます。「わたしは歩哨の部署につき、 砦の上に立って見張 り」とあります。祭司のように荘厳な神殿の中から予言する の ではない。おそらく全軍を神懸かった言葉で鼓舞するよ う頼まれて、従軍預言 者のように「砦の上」から予言したの かもしれません。ならば、そこから叫ぶ ようにして語って終わ りにしてもよかったはずです。ところがハバククは 冒頭に「神 がわたしに何を語り、わたしの訴えに何と答えられるかを見 よう」と 言い、「主はわたしに答えて、言われた『幻を書き記 せ。走りながらでも読め るように板の上にはっきりと記せ』」 と、いっしょに居たであろう弟子に書き留 めさせるのです。 自分の預言を砦の上のような大所高所からではなく、動き 回 る民や兵士の目線に合わせて言葉を届けようと言うので しょう。 いずれにせよ 文字に残るとなれば、彼の予言の言葉は 別の場所でチェックされ、その真実性か ゙確かめられ、人から の論評に耐えるものでなければならなくなるのです。 語りっ 放しで済まなくなります。それはどんな状況で誰に語られた のか検証 され、我々の世界で言えば良心的なジャーナリズ ムの言葉と同じく、特 定の状況からの言葉、その報道性、 批評性さえもつ言葉になっていると言えましょ う。 3章全体は賛歌の体裁をとっていますが、2節「主よ、あな たの名声をわた しは聞きました。主よ、わたしはあなたの御 業に畏れを抱きます。数年のうちにも、 それを生き返らせ、 数年のうちにも、それを示してください。怒りのうちにも、 憐 れみを忘れないでください。」という言葉で始まります。 「名声」とは 「み業」のこと。ハバククはこれから神が起こそう となさっている事を預言者 特有の感性の中で聞き取ったと いうことになります。問題は「数年の内に」が 何かということ です。カルデヤ人(バビロニア人)がアッシリア帝国を滅ほ ゙ し、アッシリア以上に弱小の民に暴力を振るっている危機 的な情勢の中、神ヤハ ウェ自身が人間の歴史とがっぷり四 つに組んで闘われる姿を文字にしてい きます。「数年の内 に」そうなると解することができます。 ずっと後の中世 の神学者はこの言葉を解して、「その数 年の内」を最初のキリストの到来の時から 最後のキリストの 再臨の時までの間の時としました。その神学者は旧約の事 象や 言葉のはしばしに、神の子キリストの予型(types)が織 り込まれており、ハバ ククの預言も、キリストにおける神の業 を表示しているものとして読むわけです。 イエスの出現とそ の業績が予言の通りだっという以上に、旧約の言葉には、 歴 史の中の事象のひとつひとつが、キリストによる世界の救 いを予型・表示するも のと読み込まれ、その歴史自体が組 み替えられていくのです。現実に対する報 道と批評の要素 を持っていたハバククの預言は、まったく別の読まれ方をし たこ とになります。 そのような神学的な解釈をすべて捨ててしまえとは 言いませんけ れど、預言者たちが敢えて客観に晒され る言葉に残して、そのとき神がその 世界に取り組まれ る姿、その業を書き留めるという歴史に対する預言者 たちの向き 合い方を学べればと思います。
1月19日の説教から ヨハネ福音書9章13~34節 「追い出されて」 久保田文貞 ヨハネ9章全体の構成は とてもしっかり作られています。1 -12節、いちおう奇跡物語の様式に従っていますか ゙、たと えばマルコ8:22以下、10:46以下のような典型的な奇跡物 語ではあり ません。生まれつき目の見えない若者を前にお いて、弟子たちが「だれが罪 を犯したからですか」と先生の イエスに質問をする。これにイエスは「本人が 罪を犯したか らでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に 現われるためである。」と答える。もっとも9章全体としては、 この若者が目か ゙見えるようになったということは一体何を意 味しているのか、そもそも目が見 えるとは人間にとって何な のか、という話になっていきます。 それはそれで有難 いお 話だとは思いますが、私は、ここで明らかになっていく神の 業、その意 味、目的に注目するのではなく、あえてこの若者 に焦点を合わせてみようと思い ます。 とにかく始まりは、生まれつき目の見えない若者の頭越し に弟子とイエスの 神学的な問答がなされる。考えてみてくだ さい。患者を前において、医学教授か ゙医学生に授業してい るとしたら、...。今時はそんなことないと思いますが、少 なく とも私の子どもの時、私の目の前で医師が蓄膿症の治療を しながら医 学生かインターンだったかに教授し、彼らがノー トをとっていたのをはっきり 覚えています。その治療で病気 が治ったのは確かではありますが、子ど もながらにコンチク ショーと思ったのでしょう。いまだに忘れないのだと 思いま す。 さて当の若者は目が見えるようにしてもらって、自分が神 学の教 材にされたことなど吹っ飛ぶほど喜んだことでしょう。 8-12節、それを 知った人たちも誰が癒したのか、どうやっ たのかと大騒ぎになったと。この 目撃者や周囲の人たちの 反応を書くのは、奇跡物語の常套で(例えばマルコ 1:27)、 9章の物語作者もそれを使っていますが、この若者が周囲 の人々が執 拗に尋ねるのに応えることになります。「わたし がそうなのです」と宣言し、 「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアム に行って洗いな さい』と言われました。そこで、行って洗った ら、見えるようになったのです。」 と証言するのです。 それで終わりません。その後、人々は彼をファリサイ派ユ ダヤ人のところに連れて行きます。彼らはユダヤ人コミュニ ティの信仰・共同 生活の指導者。15節、その前に立って若 者は堂々と証言をします。17節「お前はあ の人をどう思うの か」と問われ「あの方は預言者です」と怯むことなく言いま す。 今度は両親が呼ばれます。両親はファリサイ派からの尋 問を受けて、彼か ゙確かに生まれつき目が見えなかったが、 どうして目が見えるようになっ たかわからない、本人に聞い てくれと言う。もっともこの両親、このために子を突 き放した というのでなく、自分たちが「会堂追放者」にされるのを恐れ 腰が 引けているだけなのですが。 24節から本人を呼んでの再尋問。若者が、 安息日破りの イエスから癒されたことを挙げて、彼らはその癒しの不法性 をなし ゙るのだが、若者は引下がらないばかりか「あなたがた もあの方の弟子 になりたいのですか」と逆襲し、30-33節の 若者の言葉に至っては反対に彼らを教 えているかと思うほ どです。この査問会を受けた後、若者は「外に追い出さ れ」、そのことを聞いたイエスに会うことができ、「主よ、信じ ます」と告 白することになります。 私が注目したいのは次のことです。〈生まれつき目か ゙見 えないお前は罪の子だ〉と言われながら共同体の縛りの中 にうずくまっ ていた若者が、イエスに出会って目が見えるよ うになり、自分の身に起きた事 を証言することになる。人々 や両親や権威をかさに着る人間たちの前で証言して いくう ちに、カサブタが剥ぐようにして自分の言葉を獲得してい く。そんな 彼は「外に追い出され」てもひるまない。9章の物 語作者は、「追い出された」若者 が次に拾ってくれた別の共 同体の一員に成れてよかったねなんて言わない。少な くと も9章の範囲で、そう言わない。(10章になると、あたかもこ の若者も囲いの 中の羊でしかないように見えますが)。彼は 「主よ、信じます」とだけ告け ゙て、見えるようになった目をもっ てしっかりとひとり世間を見、自立し、生きて いく、私にはそ う見えてなりません。 教会的な読みとしては、その若者において実 現した神の 業が彼を招き、彼を見える者とし、育て、主を告白する者に したとい うのでしょう。それを否定するつもりはありませんが、 私には、「外に追い出 されても」へこまず生きつないでいく 若者がこうして浮かび上がってき ていることに感動を覚える のです。
1月12日の説教から 創世記11章1~9節 「天、共に在り」 板垣弘毅 中村哲さんの死は無念ですが、一方で安全地帯とはい えない現場で「体 を張って」なされた主張は言葉以前の鮮 烈さがあります。 医療活動から始まって 砂漠を緑化するというとてつもな い住民運動に展開してゆきました。送られてくる 「ペシャワ ール会報」には気負いなく現地報告がなされていました。 創世記は 天地創造の物語から始まります。七日間で神は 世界を創り、その楽園にアダム とエバを置き、その最初の人 間が追放され、ノアの箱船の物語をへて、原初の 歴史が終 わる11章に、きょうの「バベルの塔」のお話があります。神 の無 条件の祝福から人間の歴史は始まります。しかし人間 としての「限定」を越えて、 その祝福を見失うわけです。楽 園の蛇の誘惑は「神のごとくなる」でした。 「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。 東 の方から移動してき た人々は、シンアルの地に平野を見つ け、そこに住み着いた。」 人間の中には祝福 された「一つ の言語」という環境を悪用する者もいるわけです。 「彼らは、「さ あ、天まで届く塔のある町を建て、有名にな ろう。そして、全地に散らされるこ とのないようにしよう」と言 った。」 天皇の「代替わり」の中心的な儀式である 即位礼正殿の 儀では、新天皇が即位を宣言する際に、「高(たか)御(み)座 (く ら)」と呼ばれる台(玉座)に登壇し、天孫降臨神話に基づ いて、その高御座に立 つことで「生き神」としての性格を帯 び、その地位が「天照大神」によって 与えられることになりま す。この宗教儀式だけで10億円の税金が使われます。 バベルの塔も同様です。「天まで届く」塔を建てようという のは、「神のこ ゙とくなろう」ということ、人間が演出する聖域で す。楽園のアダムとエハ ゙とちがって、一つの集団が、あるい は国家というカタチの中で「神のご とく」なろうとしています。 人間としての「限定」を越えようとするわけです。 中村哲さんはこう言っていました。「現地30年の体験を 通して言えることは、私た ちが自己の分限を知り、誠実であ るかぎり、天の恵みと人の真心は信頼する に足る。」 この「私たちが自己の分限を知り」ということが、人間とし ての限 定だといえます。中村さんの言葉では、人間もまた 自然の一部であって、 「昨今、人間の分を越え、いのちを軽 んじ、自然を軽んじる<欲望の自由>と< 科学技術への信 仰>が大手を振って歩いている気がしてなりません。」 「主は 降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を 見て、 言われた。「彼らは一 つの民で、皆一つの言葉を話 しているから、このようなことをし始めたのだ。 これでは、彼 らが何を企てても、妨げることはできない。」 ここで神は 考えます―人間が自分の限定を越え「天に まで届く塔を建てよう」と思うのは 「一つの民で一つの言葉 を話しているから」だ。もちろんこの「一つの言葉」 は、最初 の祝福された共通語ではなく、自分たちの「一つの民」の内 側だけて ゙通じる言葉です。同じ言葉で通じ合うということ が、ここでは悪 用されているわけです。 A.Jヘッシェルというユダヤ教神学者は、神は人間か ゙近づ けない神秘であるのはたしかだけれども、それは「力」では なく 「憂慮」、神がすなわち特定の対象に向ける注意深さ だ、それが預言者的宗 教の究極的な裏付けだ、といいま す。「憂慮の神」は行動を起こし「直ちに彼ら の言葉を混乱 させ、...彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの 町の 建設をやめた。」 言語の「混乱」(ヘブライ語で「バベル」)と、異教の帝 国都 市バビロンが重ねられているわけで、バビロンを見据えなが ら、 人間が国家として、人間の「分」を越えてしまうことへの 警告になっているのて ゙しょう。 中村さんは『天、共に在り』という著書の中で、(中村さん の「天」 は神であり、見える形では「自然」です)「自然から遊 離するとバベルの 塔は倒れる。人も自然の一部である。そ れは人間内部にもあって、生命のいとな みを律する厳然た る摂理であり、恵みである。」とも言います。 中村哲さんは、 文明をのろい、近代化以前の自然を崇め ているわけはありません。地球上には、自 分が現場としてい る、アフガニスタンのような現実があり、そこから教えら れる ことは世界に通じる、人間が見失いかけていることではない かと警告し ているんです。 中村さんは若き日にであった、「野の花を見よ。栄華を 極めた ソロモンでさえ、この花ひとつほどにも着飾ってはい なかった」というイエス の言葉をとても大事にして、こう読み ます。 「汝らの恵みは備えられてあり。暖衣 飽食を求めず、ただ 「道」を求めよ。天は汝らと共におわします」 そしてこの 「天、共に在り」を、異論はあるだろうが、と断って、ヘブライ 語では 「インマヌエル」という、とも言っています。中村さん はこれを、聖書学の知識や 教理をこねまわすのではなく体 で受け止めて、それを生きたのでしょう。... (以下略。全文は板垣まで) 日本基督教団 北松戸教会 週報
2020年1月5日説教 マタイ福音書2章13-23節 「2020年こんな始まり方でいいのか」 久保田文貞 マタイの降誕物語はインマヌエ ル「神われらと共に」という 預言を受けて、期待したものとは逆に、むしろインマ ヌエル の散逸、空洞というべきものになってしまいました。今日の 箇所はそれを 物語っていると言えるでしょう。でもそれは同 時に真の新しいインマヌエルの 始まりを指しているかもしれ ません。 新年が冬至の10日ほど後としたのは、太 陽暦を正式に 帝国の暦にしたカエサル(シーザー)です。これが4年に一 度の 閏年を定めたユリウス暦です。後にイエス誕生の日が 冬至の直後とされ、クリ スマスの祝いの間に新年が明けるこ とになる。暦法的にさらに正確さを求めて修 正がくわえられ 16世紀にローマ教皇の下、現在のグレゴリオ暦が裁定され ました。結局近代ヨーロッパ文明の圧倒的優勢のまま、そ れが世界の暦となっ てしまいました。 けれども一年の暦のベースにあるのは、まずは農業でし ょう。種まき、植えつけ、作物の成長、収穫、すべてがそれ ぞれの地域の季 節の移り変わりと密接に結びついていま す。農業だけでなく、狩猟も、漁業 も、家畜の生育も、さらに は人間の成長も、一年のサイクル、それをもとにした数 十年 のサイクルに関わっています。しかし、この自然で平静のサ イクルを、人間 の歴史が毀してしまいます。複雑な事情が 絡んでいることとはいえ、基本は 人間の過剰な欲望、支配 欲によるものです。こうして人間は自らの首を絞めるよ うに、 破壊・衝突・戦争・殺戮を、ときに世界的規模の破壊をして きました。たし かに、その都度、その灰の中から人は這いあ がって新し形の社会、制度、文化、 価値観を再び創り出し てきました。 こうしてそれぞれの民は、象徴的な大きな 出来事を基準 にして、あれから何年経ち、あの時なんであんなことになっ てしまっ たか、振り返る。その後、それをどうのり越え、どう再 構築したか、そこでと ゙んな社会、制度、価値観、文化が生ま れたか振り返る。そんな今を年寄りが 若者に語り伝え、若者 が年寄りから聞こうとする。この継承をより確かなものに して いくために、一年の暦の中に記念の日が加えられ、さらに1 0年、50年、75年、 100年の歴史の意味が反芻されていくの です。 日本に則して言えば、とくに 1910年韓国併合から1930年 以後の15年戦争、1945年敗戦まで過剰な欲望と支配欲 に よって周辺国に侵略し、収奪、破壊、殺戮を重ねました。そ こで当然、体験し た年寄りが、未知の若者にその過ちを伝 えていくことが大切なことになります。 でも75年以上経った いま、体験者もいなくなってきて、第2、第3世代が子ど も達 に伝えていかなければなりません。どうしても希薄になって いく。でも、 それを年寄りが嘆いても始まりません。同じこと は自分の若いころに起こって いたことなのですから。 歴史の継承と言う点で、私たちには立派な手本があ りま す。まずは旧約聖書です。それは、イエスラエルの民がど のような悲 惨から神によって選ばれ救い出されたか、代々 の継承の集積そのものだからて ゙す。旧約のすごいところ は、神を信頼し神に従ってきたプラスの歴史だけて ゙なく、い やそれ以上に、神を裏切り逆らってきた負の歴史の継承を 伝えるからて ゙す。前3世紀ごろ旧約聖書が完結した後、民 は各地に離散しはじめますが、 その中で彼らの信仰を継承 したものは、神殿祭司や思想検閲官のような上からの 統制 の下、機械的な繰り返しによって行われたものでなく、身近 な年寄りから若 者へ、親から子へという、いわば小さなグル ープの中での下からの継承て ゙した。 このユダヤ教の中にあった継承の仕方を、のちに有力な バックボー ンなどなかったクリスチャンたちのグループ・教 会が、ほとんど必然的 に、採用していったのでした。パウロ の手紙や、使徒行伝の記録の背後にある、 福音の継承の 仕方はそのようなものだったろうと思います。 それは、イエ スの 宣教の開始の仕方と、その後の展開すべてに言えるこ とでしょう。小さなグ ループの中で、年寄りから若者へ、親た ちから子ども達へ、夫から妻で、 妻から夫へ、家族へ、友人 へ、職場の同僚へ、そういう伝達が、今の時代もより 大切だ と思います。この小さなグループの継承の中で培われてい く〈私〉、 教会で言えば、信じるか信じられないか、いずれに してもイエスのまわ りで立ち上がる〈私〉、その民の声を握り つぶそうとする権力に負けず、 不服従を貫たり、声を挙げた りする〈私〉が、今何より大切だと思うので す。 しかしそんな正月の思いを蹴飛ばすように、トランプはソ レイマニ司令官 の殺害を命じたとぬけぬけと言いのける。 殺人教唆以外の何ものでもありませ ん。それを大国の大統 領が発令して今年は始まりました。マタイ福音書2章の王の 発令と少しも変わりないなという思いです。
12月29日の説教から ルカ福音書7章18~23節 「共同体と共生」 久保田文貞 マタイ福音書がイザヤの預言に重ねて、イエス誕 生において出来事となるインマヌエル 「神、我らととも に」が、決して共同体の組織固めのシンボルでなく、 むし ろ共同体の縛りを内側から毀していくものである と私たちは読みました。人が 出会う共同体の最初は だれしも家族だと思うでしょう。そこから兄弟、親族 の 関係、自然発生的に見える共同体へと繋がっていく と。そんな前提をも無効と してしまうかのように、「メシ ア」イエスは聖家族どころか、疑似家族の中に、 さらに 「異邦」の占星術や権力者の疑心暗鬼が取り囲む中 に生まれたのでした。 共同体の最初の前提が家族であるなら、その最後 の形態は国家と言ってよいて ゙しょう。もちろん単純に 両者を直結して考えるわけにはいきませんが、少なく とも国家の側はあらゆる人間の共同性を刈り取り祀ろ わせようとします。旧約の歴 史の中でイスラエルの民 が「神、我らとともに」という祭司の掛け声の中で 団結 し闘っていったことと、いまもこの国で天皇というシン ボルにおいて一致 しているかのように見せるパフォー マンスとは同根の現象と言わざるを得ませ ん。 ひところから〈共生〉という言葉がよく使われるように なりました。もとは 生物学の用語で、まったく異種の生 命体が寄生したり、隣り合わせたり、適当 な距離をと ったりして、命をつないでいく拡がりのことを言うそうで す。こ れに学んで人間も共同体的な縛りをやめて、自 由に人と人とが出会い、共に生 き、必要なら助け合 う。他者を拘束しない、排除しない、差別しない、収奪 しない、 そういう在り様の中を互いに生きていこうという わけです。こういう人のつなか ゙りがじわじわと拡大して いけばいつかきっと、共同体の極致のような顔 をして いる国家のこわばりも解け、地球上を共に生きる平和 な人の群れだけに なっていくはずだと、私もなんども そんなユートピアを想いました。カー ル・マンハイムと 言う人は、ユートピアを嗤うなら嗤え、でもユートピア は 人にしっかりと力を与えてくれるというようなことを言 っていて、党派的な競合の 中をあくせくするぐらいな らそれもいいなあと思ったりしました。 けれども、 最近になって日本政府がやたらと「共生 社会」「インクルーシブ教育」「地域 共生社会」などの 語を使いまくり、オリンピック組織委員会森嘉朗などが パラリンピックをして「共生社会の実現」などという。政 府や行政が「共 生社会」という言葉に飛びついたの は、国家がこれまで負担してきた社会保 障費を軽減 し、その分「国民」の「善意」におっかぶせようとしてい るにすぎ ません。共同体の極致としての国家はこうし て民草の間に芽生えてきた、国家の縛 り・国境・階級 を超えて共に生きようという優しさをも、猛然と刈り取 っていきま す。もちろん、逆にそんなこと気にせず、 「こっちがとことん政府や行政の首 根っこを掴んで〈共 生〉に引きずり込んでやるぐらいの覚悟をもって臨め ばいいんだ」という人の声をたのましくは思います。 聖書を読み続ける教会の ひとりとしてこう思います。 もうひとつの降誕物語のルカ福音書、マタイのと比へ ゙ て、こちらは明るいメルヘンの様相を帯びつつ、神の 子イエスはかくも期待を もたせながら、いざ世に出て いくに及んで「神の子」としての絶大な可能な る権限と 権力を放棄し(4:1-13)、イザヤの言葉を引用しつつ 「主の霊がわたし の上におられる。貧しい人に福音を 告げ知らせるために、主がわたしに油を注か ゙れたから である。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれてい る人に解放を、 目の見えない人に視力の回復を告 げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの 年を告 げるためである。」 という。そして洗礼者ヨハネの問いに 「目の見え ない人は見え、足の不自由な人は歩き、重 い皮膚病を患っている人は清くなり、耳 の聞こえない 人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ 知らされてい る。」という。 福音は共同体固めの言葉にならず、その極致と も言える国家の延 長線のどこにも位置づきませ ん。それは神が人々の間に起こす共に生きるこ と であり、教会はそれをイエスと共にと言います。
2019年12月22日の礼拝説教から マタイ福音書2章1~12節 「神は彼らと共におられる」 久保田文貞 前回、イザヤ書7章に出てくるインマヌエル(神、 われらとともに)か ゙、神ヤハウェの下に一致団結して 国の危機を乗り切ろう式のインマヌエルでは ないだろ うと申し上げた。14節「見よ、おとめがみごもって男 の子を産む」 とイザヤが予言した「おとめ」とは、由 緒ある家系の王女のことでなく市井 のただの娘のこ と、その子は王子などではなく町角で遊ぶただの子の ことと読みたい。王家と王国に管理された神殿ヤハウ ェ宗教に明日はない。明日か ゙あるとすれば、ただの娘 たちが産み育てられていく子どもたちの中にし かな い。少なくとも王国-神殿型のインマヌエルが退けられ たのだと思う。そ れは権威化した教会の内部で充足し ようとするインマヌエルでもない。イザ ヤの主観的な 意図を超えて、このインマヌエルは人間の共同性(体) の核を内側から 毀してしまう類のものと考えた方がよ いだろう。 マタイの降誕物語は、誕生し た子イエスにイザヤの 故事にならいインマヌエルの称号を付している。「神、 我 らとともに」とは信仰者にとって何とも響きのよい 言葉だが、マタイのインマ ヌエルも「われら」の内側 から解体していく性格を引き継いでいるようだ。2章 1 節以下のメシア降誕に、真っ先に出迎えるべき、イザ ヤ的に言えばヤハウェ 信仰を継承する「残りの者」が 見当たらない。むしろマタイがこの誕生の出来 事の周 辺に配置した訳者たちは、怪しい「異教」の星占い、 ハスモン王朝の傭兵隊 から成りあがった機を見るに 敏、それでいて握った権力の削がれることにい つもび くついているヘロデ王、またあい変わらず聖書訓詁学 ばかりに目を 凝らし現実が見えなくなっている学者た ちである。マタイの「聖家族」は、聖 霊によって身ご もった子が生まれてきたと信じているただの娘マリア と、 シングル・マザーに同情する男ヨセフと、誰が父 親かもわからぬまま生まれ てきたイエス、この三人の 家族。最近の少女漫画がよく扱う疑似家族に近い。 マ タイ自身はユダヤ人出のクリスチャンである。メシアが到来するとなれば、 神都エルサレムかその周辺 ベツレヘムか、そこに真に神を信頼する者たちの群れ =「残りの者」がどこからともなく現われてメシアを 迎える図を描き、インマヌ エルと叫びたいところだろ う。でも彼はそうしない。 ベツレヘムもエルサ レムもその内部に、かつてあるべ きだと思われていたものは何もない。かの疑 似家族も そこを後にして「エジプトに逃れ」難民になる。ある のは権力、権力 と癒着した宗教者と学者、そして逃れ たくも逃れられない民衆たちだけ。ユダ ヤ人の中心た るべき場所に、なんの可能性もないとは、ユダヤ人出 のクリスチャ ン・マタイとして本当に心痛むところに 違いない。 私たちはマタイの描くクリスマ スに込められている ニガサをしっかりと味わうべきだろう。 インマヌエルは、 理想とする共同体の内部にも、集 中する権力の内部にもない、真理を探究する知性 や芸 術の内部に停滞することもない。それは共同体の境界 線が消えかかっている 辺りに、共同体の中心から追い やられてきた難民たちの間に居場所を見つけていく 疑 似家族の中の子とともに聞こえてくるインマヌエルと いうことになる。 そんな インマヌエル「神、われらとともに」でさえ も皮肉なことに、「われら」をちょっ とでも誤解して 「われら」が中心になると、インマヌエルは手からす り抜ける ことになるだろう。そうなるとインマーム-エ ル「神、かれらとともに」と言うよ りなくなるだろう。 「われらとともに」おられない神など、無意味と言え ば 無意味だが、「彼らとともに」という人の在りよう の大切さは掻き消えること はあるまい。 先週と同じく、ルカ6:20//マタイ5:2に伝えられる イエスの言葉を もって、クリスマスを過ごしたい。 「あなたがた貧しい人たちは、さいわいた ゙。神の国は あなたがたのものである。あなたがたいま飢えている 人たちは、 さいわいだ。飽き足りるようになるからで ある。あなたがたいま泣いている 人たちは、さいわい だ。笑うようになるからである。」
2019年12月15日説教 イザヤ書7章1-14節マタイ福音書1章18~25節 「神は我々と共におられる」 久保田文貞 マタイ福音書は全体に、キリストによる救いは旧約聖 書で 預言されたことが実現したのだという観点を強く打ち出して いるが、 ことに1-2章のメシア誕生物語は、予言や旧約の 物語から素材を集めてパッチワー クのように創作されてい る。そのうちマタイ1:18-25は、イザヤ書7,8章のいわゆ る インマヌエル預言からきている。 この預言は前8世紀のシリヤ・パレスチナ地 域の国際情 勢に深くかかわっている。東方にアッシリア帝国、南方にエ ジプト 王国、両者に挟まれたこの地域は、ダマスコを中心に したアラム=シリヤ、北王国 イスラエル=エフライム、南王 国ユダ、海岸地帯にペリシテ系などの都市国家、 南西の砂 漠地帯にアンモン、エドムなど軍事化した諸部族がひしめ いている。 現在のアメリカと中国に挟まれた東・東南アジア に似ている。両大国のいずれ かの圧力が強まれば当然の ようにこれらの一帯は緊迫した情勢になる。おりし もアッシリ アはこの地帯に干渉し始め、比較的景気のよかったシリヤ とエフライム に望外な貢を要求。シリヤ・エフライムは同盟を 結んでこれに対抗、ユダ王国 のアハズにも同盟に入るよう に求めるが、アハズはアッシリアに恃んで断 る。同盟軍とユ ダ王国の間に緊張が走る。アハズは籠城に備えて水を確 保せ んと、水路補修工事の指揮を執る。そんな場面に、畏 れられていた預言者イザヤ が王に面会に来たと見たい。イ ザヤの預言の中心的なメッセージは、「落ち 着いて、静かに していなさい。恐れることはない」、ヤハウェに信頼せよと。 同盟 軍の攻撃は「実現せず、成就しない。」つまり同盟軍を 恐れるあまりアッシリア 帝国に恃んではならない。アッシリア と手を結べば、けばけばしい帝国 の宗教が入り込んで、ヤ ハウェ信仰は隅に追いやられ廃れていった歴史を見て 来 たろうというわけだ。 注目すべきことに、イザヤが王に面会を求めた時 に、ヤ ハウェの命により小さな(とは書いていないが)息子を連れ ていく。名はシェ アル・ヤシュブ、「残りの者が帰ってくる」と の意味。「残りの者」とはアモ ス以来の預言者運動のキーワ ードで、なにかと政治的な情勢に流されヤハウェ 信仰をお ざなりにしてしまった王国=神殿体制に対抗して、最後ま でヤハウェ だけを信頼する者たちを「残りの者」と言い、そこ にこそイスラエルの原点が あるとした信仰運動を表している という。王に子を紹介するにシェアル・ヤシュフ ゙とは、それだ けでドキリとする名だったのだ。8章1節以下に、もうひ とり息 子が出てくる。女預言者おそらくはイザヤの妻に子が産ま れる。その 名をマヘル・シャラル・ハシ・バズ「分捕 りは早く、略奪は速やかに来る」と 名付けるようにヤハウェか ら命じられる。その名も王の耳に入ったろう。「ダ マスコから はその富が、サマリア(エフライム)からはその戦利品が、ア ッシリ アの王の前に運び去られる。」 同盟軍などアッシリ アの前にひとたまりもなか ろうというわけだ。 この一連の預言にもう一人男の子の名が割り込んでく る。 「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をイ ンマヌエルと呼ぶ」 (7:14)と。〈おとめ〉と訳されているが、 単にそれは若い娘アルマーの意。一塊 の娘から一人のた だの男の子が産まれると。その子にどんな可能性が秘め ら れているか語っていないが、その子はかならずしも王の子と いうわけでな いと見たい。無論、これを聞いた者はみな新し い王のことを言っていると理解した だろうが。だが、その予 言の奥に、むしろその子のまわりに思いもよらぬ 新しい人間 仲間ができていくと、その子とその母のまわりに集まった人 々が その子の名を心からインマヌエル「神、我々と共におら れる」と呼ぶに違いない と。 だが、イスラエルの歴史で民が「神、我々と共におられ る」と叫ぶ 時を思うと、どうしても嫌な連想をしてしまう。敵と の戦闘場面で祭司が、 神の箱を担ぎ「神が我々と共にお有 られる」鼓舞してまわる図、例えば民数 記14:9、歴下13:1 2、ヨシュア6:9など参照。普通に考えればインマヌエルの 言 葉によって厚い共同性の幕が張られていくように見える。 だが、イザヤの 預言はどうみてもただユダ王国の結束を図 るための言葉などではない。 王国の共同性とは別の、ただ ヤハウェに信頼を置く〈残りの者〉の中に実現して いくインマ ヌエルなのだろう。インマヌエルのまわりにできる群れは、ま った く別の集まり方をする。 ここであのイエスの言葉の下に集まった人のことを想い 起す。「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国は あなたがたのも のである。あなたがたいま飢えている人たち は、さいわいだ。飽き足りるよ うになるからである。あなたが たいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑 うようになるから である。」 国の支配を究極の共同性と見る者からすればなん ともあ やふやで頼りない群れのように見えようが、そこに生まれる 人々の群れ こそ、インマヌエル「神われらと共におられる」 だということになろう。
12月8日説教より ヨハネ福音書8章1~11節 「あなたのうちで罪のないものが・・・」 加納尚美 「性教育」はかつてエイズが世界中を震撼させた以降、 国際的には大 きな変化がありました。このような成果の一つ として、2009年にユネスコが中 心となり「国際セクシュアリテ ィ教育ガイダンス」が作成され、2018年に改 定されていま す。その柱は、科学的であること、人権問題であること、各 人か ゙自立し、かつ共生を目指すことです。教育内容をみる と多分「ここまで教え るのですか?」日本の大人は目を飛び 出すくらいの内容が多いです。 日本 の性教育(もちろん海外でも色々な経緯がありまし たが)は、かつては純潔教 育、管理教育型、生活指導型性 教育などと言われていました。「寝た子を起こす な」というこ とはよく言われます。一方、日進月歩のIT社会の中で、SNS 等で 性犯罪に巻き込まれることどもたちが後を絶ちません。 「性」に向き合うこと は、自分の心身の成長とともに、他者と 関わる上でも、知っておくべき知識と 態度は育む必要があ り、自分を守るためにも不可欠です。 「性」に関連した人 との関わり、すなわち性行動の程度に よっては、「妊娠」「性感染症」「学業を続 けられない」「家族 関係の亀裂」等々、様々な問題を引き起こします。そうした 中 で、若者たちにも背景にデート・ドメスティックバイオレン ス(交際関係て ゙のDV)が起きています。これは大人になると いわゆるDVという関係になるわけて ゙す。DVは多くの悲惨な 状況を作り出します。子ども虐待の温床にもなっていま す し、一人親の増加、女性の貧困化の要因にもなっていま す。 デートDVの巻き 込まれやすさに関連する価値観があり ます。「1.恋人がいるのが幸せ、2.愛 し合っていれば、隠 し事はいけない、相手のことは何でも知っているべき、 3. 愛が深ければ一生を誓い合い簡単に別れない、4.恋人を 第一に優先し、尽く すべき」結婚している方は、恋人のとこ ろを妻か夫に代えてお考え下さい。恋愛 でも結婚でも、2人 を一組の単位で考えるようになると、DVの加害と被害が 生 じやすくなります。どのような関係を構築するにしても、各個 人の人権(安 心して生きる権利、自信をもって生きる権利、 自分で選んで行動する自由)は守 られなければなりませ ん。 本日の聖書の個所について、最後に感想レベルで 触れ たいと思います。 まず、聖書にでてくる「姦淫」という言葉について。 「姦」と は女×3が、悪い心を持つこと、よこしまなことという意味で す。なせ ゙、男×3でないのでしょうか?「淫」とは性欲、色欲 だそうです。性欲が なかったら人類のみならず生き物の生 殖は続か無い訳ですが、これらを否定 しているような言葉 です。今日の個所は、「姦淫の場で捕らえられた女を連れ て来て」とありますが、誰か密かに男女をつけて、セックスし ている場面を見た、 人がいるといこと(なんという趣味!)、 そして、申命記では姦淫した男女は死な なければならない (申命記22:22)とありますが、女だけしか連れてきていませ ん。日本のマスコミでは、時々、有名人(タレントや議員等 々)の不倫事件を鬼の 首をとったかのように報道します。そ して週刊誌等では「肉体関係(辞書には性行 為を交わした 人間同士の関係とあり)」の有無について(私は新聞の週刊 誌の広告く らいしか見ていませんが・・)詳細に記述してい るようです。そうした表現の根 底には、男性視線からの価値 観を感じます。女性は、男性のものであり、婚姻 という約束 関係を裏切らないように罰を与える。女性の魅力を感じてし まう男性 側でなく、感じさせる女性に責任がある。肉体関係 を持てば、女性は男性 のものになる、容易に支配下にな る、という考えているようです。だからこそ、 女性への究極の 暴力として、「性」行動が使われているのでしょう。 性欲は男 女ともあります。人間の成長には欠かせませ ん。他の多くの欲と同じようない自 分でコントロールしていく ことを学ぶ必要があります。性的な行動を伴う人 間関係は 時に二人を結ぶきずなを強化することはありますが、嫌悪を さらに 増強するものともなります。永続しません。昨年度の 離婚件数は約20万件ですか ゙、もちろん個々の事情はある でしょうが、肉体関係は永続しないという根拠 にもなってい ると思います。こういう雁字搦めの価値観が、男女および親 密な 関係(LGBTも含む)の関係性をゆがめDVの温床にな り得ると私には思えます。1990 年代に提唱された「私の体 はわたしのもの、という性と生殖の権利(リプラダク ティブ・ヘ ルス・ライツ)」は国際的にも定着しつつありますが日本では ま だ道遠し?なのでしょうか。 マスコミおよびこうしたゴシップを盾に取る 人たち、私た ち自身に、イエスが「あなたがたの中で罪のない者が、ます ゙ この人に石を投げなさい。」と言われたと受け取り、お話を 閉じたいと思い ます。
12月1日説教より ゼカリヤ書9章9-10節 「メシア待望について」 久保田文貞 今日は教会暦の初め、アドヴェント=到来の第一日曜に 当たる。教会暦はもと、司祭 や修道僧の聖書日課に由来す ると言われる。それがやがて一般信徒の教化に振 り向けら れたもの。宗教改革以後の教会は信徒の内面の教化を重 視したから、原則 から言えば、暦に合わせて外面的にどうこ うしなければならないなんてこと にならない。ただ、人が作っ た日課に沿って、信仰の内面を鍛える機会、ある いは道具 にしようとしたわけだ。だが私は不遜なことではあるが、そう いう機会をとらえてキリスト教信仰のいちいちを問い直すき っかけにしようと思う。 そこで到来のことだが、もちろんそれはメシア=キリスト到 来のことだ。そ れは神の子キリストが人として生まれたという 意味での到来と、十字架上に死 に復活し天に昇ったキリス トが再び地上に到来するという意味での到来を強 引に重ね ているものだ。どう考えても、福音書から浮かび上がってく るイ エスの言葉や行動からすると、かなりの飛躍があり、ギ ャップがある。 マ ルコ13章と平行するマタイ24章、ルカ21章に終末と神 の審判についての弟子たちの 問いにイエスが答えた言葉 が並んでいる。これらの共観書から総合してイエ スの終末 論にたいする言葉は、マルコ13:5「人に惑わされないように 気をつけなさ い」、あるいは13:32「その日、その時は、だれ も知らない。天使たちも子も知ら ない。父だけがご存じであ る。気をつけて、目を覚ましていなさい。そ の時がいつなの か、あなたがたには分からないからである。」につきるだ ろ う。 ダニエル書などに代表される当時のユダヤ教の終末に ついての通念 に対して、イエスは直接どうこう言わない。否 定もしなければ、肯定もしない。 まして自分がその中のメシ ヤであるなどと言わない。24節以下の言葉はダ ニエル書な どの黙示文学のイメージをそのまま借りてきたものになって いるか ゙、イエスの口に仮託された別の言葉だろう。 マルコ8:29、マタイ16、ルカ9にイ エスが弟子たちに「人 々はわたしのことを何者だと言っているか」と聞くとこ ろがあ る。後世の信仰告白の場面のような箇所だが、そこでペテ ロが 「あなたこそキリストです」と応える。これに対してイエスはその言葉を封印して しまう。解釈の分かれるところだが、 共観書を総合して勘案すると、イエスは 自分をキリストと呼 ばれることを良しとしなかった。イエスをキリストと告白し てい った原始教会にははなはだ都合の悪いことだが、マルコは 伝承された言 葉のはしはしに原始教会のキリスト信仰とは ギャップのある言葉がイエスそ の人にまつわりついているこ とを書き留める。そうする必要を感じたのだろう。 イエスは、彼をメシヤとして担ごうとする一部の人の思ひ をよそに、たんたんと 自分のとるべき位置をとり、やるべきこ とをするだけ。満足な職がなく、 家族も持てない。つける職 と言ったら差別を覚悟の上で取税人をやるよりない、 仲間 からつまはじきにされる。病が体をむしばみ死を待つだけと される。 貧困のただ中にあって、慢性的な飢餓状態。娘は 体を売るしかない。そんな人々 の間にいま神の恵みが惜し げもなく降り注いでいることを確信し、イエスは そのまっただ 中に飛び込んでいく。食を配り、介護し、医療活動をする。 私 もお手伝いしましょうかという人があれば、遠慮なくじゃあ 頼むよとけっこ う厳しく仕事をこなさせる。 私にはいまだによくわからないが、そんなイエス がなにを 想ったか、なにか戦略でもあるのか、ユダヤ教の中枢にな るエルサ レムに入って行く。 ゼカリヤの預言の通りだったと後の原始教会の人々は読 み 込む。この王は神に従い、勝利したのに高ぶらない、勇 壮な軍馬でなく、柔和 なロバに乗ってくる。好戦的な者たち を寄せ付けない。兵器を捨てよということ だろう。これが救国 の英雄メシヤだろうか。だが、それではメシヤに なるのはい やだと言っているのと同じだ。メシヤをやってくださいと言う 人があっても、メルヴィルの小説バートルビーのように「御免 こうむりま す」 I would prefer not to. と丁重にお断り して最後は消えていくと言わんば かりなのだ。ほんと うはメシヤなのに。「はい、わたしこそメシアです」 と言 わずとも、ちょっとだけうなずいてやればすむの に。もし動き出せばな にもかも蹴散らすような強い軍 馬にちゃんと乗った上ですこしだけうつむいて いるだ けでいいのに。だが彼は涼しい顔してロバに乗ってい る。やはり それではメシヤにならないはずだがと思う が、いや、それこそメシヤた ゙という人たちが次から次 にでてきてしまうわけだ 。
11月24日礼拝説教から ヨハネ福音書6章22-27、30-35節 「私がいのちのパンである――5千人の食事(2)」 久保田文貞 今も昔も「群衆」は為政者など秩序志向の人間から見る 時、い つ秩序破壊型の暴徒になるかわからない危険な存 在であり、脅すなり空かすなり してなるべく早く解散させるべ き存在である。もっとも「群衆」の弱みにつ け込んで逆に群 衆を煽り利用する者も跡を絶たないが。 イエスの時代も例外て ゙はない。ローマの圧政に反抗し暴 動を起こしユダヤ独立を勝ちとろうとする系 譜はずっと続い ている。「群衆」オクロスを引き付ける人物は危険人物視さ れた。 洗礼者ヨハネはそのためにヘロデによって早々と処 刑されたと思われる。 このよ うに見ると、福音書著者マルコが初めてイエスの活 動を組織だって記述していっ た時、ほとんどのその最初か ら「大勢の人々」が集まり、やがてそれがた だの大勢ではな く、イエスに「従っていく」アコルーテ(θ)イン「群衆」オクロ スとして描いていくことは、相当の覚悟をしてのことだろう。 前回述べたよう に、マルコの群衆はイエスの招きに応えて 自覚的にイエスに「従っていこう」とす る人々の群れと思う。 大勢の群衆の中に自分を殺して流れに任せてしまう没個 人の 集団ではないと。5千人の食事は何人であろうとイエス に従ってきて「教え」に 耳を傾ける(マルコ6:34)人々が腹を 減らしての食事だった、それがこの伝承 が掻き消えなかっ た所以だろう。 ヨハネ福音書著者は、おそらくマルコ福音書 を読んで、 自分の福音書にこの物語を組み込んだのだろう。だが、そ の 際大きく重心を移してしまう。イエスの下に集まってくる群 衆は、イエスが人々 の間で見せた「しるし」に惹きつけられ てやってきた人々である(ヨハネ6:2)。 その人々にとって「しる し」とは、何らかの神的な力が関与していると察知して の「し るし」である。この群衆たちは〈イエスのなさったしるしを見 て、「まさ にこの人こそ、世に来られる預言者である」と言っ た」というところまでは見 えているのだ。3章のニコデモの場 合のように「神が共におられるのでなけ れば、あなたのなさ るようなしるしを、だれも行うことはできないからで す」とまで 言う者もここに含まれるだろう。 こうしてヨハネ6章に出てくる 「大勢の群衆」はイエスのも たらした「しるし」の背後に神が何らかの語りで 関与してお り、さらに決定的ななにかがあるだろうと期待して集まる群 衆と言 えるだろう。そこで、イエスは弟子のフィリポを試みる 目的で言われる 「この人たちに食べさせるには、どこでパン を買えばよいだろうか」 と。試されているとも知らず弟子たち は群衆にどうやったら食べさせられる かと本気になって考え る。弟子たちの当惑をよそにイエスは5つのパンと二匹の魚 を、ユダヤ人の正規の食事の作法にのっとって、なんの神 秘的な所作もせず群 衆に分け与えた。ここの辺りはほとん どマルコと同じである。 翌日、その大 規模な「しるし」を見、体験した群衆が押し寄 せる。そして言われる、「はっき り言っておく(アーメン、アー メン私は言う)。あなたがたがわたしを捜してい るのは、しる しを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ち る食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠 の命に至る食 べ物のために働きなさい。これこそ、人の子 があなたがたに与える食べ物 である。」と。さらに「はっきり 言っておく。モーセが天からのパンをあな たがたに与えた のではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与え に なる」と。群衆が言う「主よ、そのパンをいつもわたしたちにく ださい」 と。イエスが応えて言われる、「わたしが命のパンで ある。...わたしを信 じる者は決して渇くことがない。」 結局、目の前の与えられた「しるし」の背 後になにかさらに 大きなことや意味深いことが待ち受けているわけではない、 ただ、そのしるしを行ったイエスを信じるということだけが次 の肝心なこ とだというのだ。こうなると、自分の住処を出てイ エスの後をついていく群衆 の中のひとりであることにはなん の意味もない。しるしを前にイエスを信じる まっさらな一人の 人間だけがそこにいることになる。 ヨハネの場合、マルコの ようなイエスとともにあっ て彼に従っていく群衆は出てこない。イエスを信じる 一歩手前の、しるしに反応しただけの群衆。よく言え ばイエスを信じる者の 予備軍であり、可能性を持った 人間ということになり、イエスを信じるという 最後の 決断が促されている存在ということになる。反対に、 もし次の一歩を踏み 出さないと、つまりイエスを信じ ないという結論を出すならば、その人間は終 わりだと 突き放すことになる。 マルコとヨハネの立場の違い をそう簡単に調整 できないとつくづく思う。
11月17日の礼拝説教から マルコ福音書6章30~44節 「群衆の中のひとり―5000人の食事(1)」 久保田文貞 マルコ福音書によれば、イエス運動は心身の病を負った 人の 癒し行動に始まる。当時の職業的な奇跡行為者と違っ て治療費は取らないのが評 判になってか「大勢の群衆」が 押し寄せたと書いている。以来ほとんどイエス の側から群衆 が途切れることがない。6章30以下の5千人の食事の伝承も イエス と群衆の密接な関係の中での出来事になっている。 マルコ福音書の執筆時期が ユダヤ戦争終結、ユダヤ側 の敗北、70年直後という説がある。それによれは ゙イエスが 「飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ」という言葉 も戦後の ユダヤ人難民の悲惨な状況にこそよく重なるという わけだ。前3世紀以後、地中 海東岸地域に現れた諸帝国 支配は、伝統的社会構成を崩壊させ、自立農民を無産化 させた。諸都市周辺に無産者があふれた時代でもある。福 音書の群衆をなにも 戦後の難民に重ねる必要はない。 8章1以下にも4千人の食事の場面が出てくる。 だれが見 ても両者は同じルーツの伝承に見える。実際ルカが4千人 の方を 割愛したのはその理由によるだろう。マルコだってそ のぐらいのことは気つ ゙いていたろうが、それぞれの伝承に結 びついた固有の地名、その伝承を担っ てきた人々の思い を尊重して両者とも採用したのだろう。田川は、マルコが現 地踏査をし伝承を集めたとはずだという。現地で語り伝えて いた人々の顔を 思い浮かべながら福音書を書いていたか もしれない。 群衆の人数が出てくる のはここだけだ。以前集会やコン サートで日比谷野外音楽堂に何度か行った ことがある。定 員は3,053人だそうだ。反戦デモの出発前の集会などで は ぎゅうぎゅうに詰め込まれていたからあれが4千位だったの だろう。 (現在は消防法の厳格な適用が要求され定員にな ると門が占められる)。何千も の群衆に食事を準備するとな ればいかに大変か想像がつく。39節以下によれは ゙「皆を組 に分けて、青草の上に座らせ」「百人、50人ずつまとまって 腰を下ろ」 したとなっている。そしてイエスはたった5つのパ ンと2匹の魚をごく自然にな んの大袈裟な所作もなくユダヤ 人の食事のしきたりのように割裂いて、それを弟 子たちに配 らせ群衆たちが満腹したと書かれている。人数や集めた パン屑の籠の 数には誇張があったかもしれない。だが、全体としてはこれは奇跡でもなん でもない、ただ大人数の食事と 云うだけの書き方なのだ。 群衆という語の 響きにネガティブなものを感じないとすれ ば、それは福音書に精通してい る証拠と言ってよいかもし れない。一般には群衆とはいつ暴徒化するかしれない危 険な存在と見られる。公安関係者はそのような目でしか見 ないし、ほとんどの マスコミはそれと同調している。今の香 港の報道に見る通りだ。このような群衆 への味方が定着し たのは1895年仏の思想家ル・ボン『群集心理』という本によ る。群衆とは自己を失い暗示にかかりやすく感情に流れ時 に暴徒化する...と。この 本の愛読者がヒットラーである。彼 はこれを治安のために利用しただけで はない、むしろこの 群衆心理を利用して群衆を手なずけ扇動しファシズムを実 現していく。ここまで行かなくとも、今も国家権力側の人間 はマスコミともど も、大衆をいかにお行儀よく即位パレード に日の丸を振る群衆にするか、ある いは見せるか、そしてど うしたら香港の民衆のように群衆が暴徒化しないかと 腐心 するのである。そして私たちもいつの間にか、上から目線 で、治安の発想 で、群衆を見る目を持ってしまう。 人が群れをなして集まると我を忘れ暗示に かかりやすく 感情で動き暴徒化しやすいものだという公安警察的な群衆 の見方 をいい加減捨てた方がよい。 人は暗示に架けられて集まるのでない。何らかの 情報を 得て、人は自覚的に自分の住処を出て会いたい人の所 へ、経験してみたい場 所へ赴く。そこに人の集まりができ、 群衆ができる。ほとんどの場合、 人はそこで自分を見失うわ けではない。むしろそこで自分の考えを養う。自 分の判断を 試し、自分の意見を持ち、ときに行動し発言する力を得るのだ。 腹が へれば、36節のように、ひとりひとりが食べ物を買い に行くこともあろう。 でもそこで済ませることができれば、いっ しょに食事をとるだろう。 整然と食べようが、ワイワイ・ガヤガ ヤして食べようが、そんなこと はその場のみんなが決めるこ とだ。とにかく、いっしょにご飯を食べる。 食糧が少ないとき は何とかしなければならない。としてもいっしょに食べる。 私 にはこれが、伝えられたマルコ6章、8章の食事から読み取 るべきところだ と思う。彼らは立派に群衆の中のひとりであり うるだろう。
11月10日の説教から ローマ9章 「越境の福音」 板垣弘毅 ラグビW杯、予想を超えた盛り上がりでした。ラグビー というチームやゲームにおいて、境界線を越える一瞬の比喩 がある気がします。 ローマの信徒への手紙の9章、10章、11章は、パウロが ユダヤ人の救いについ て語っているところです。 09:01わたしはキリストに結ばれた者として真実を 語り、偽 りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししているこ とですが、 09:02わたしには深い悲しみがあり、わたしの心 には絶え間ない痛みがあります。 09:03わたし自身、兄弟 たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離 さ れ、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っていま す。...(5節)キリス トは、万物の上におられる、永遠にほめ たたえられる神、アーメン。 何か思い詰め たような雰囲気ですね。復活のキリストに 決定的に出会う体験をして、パウロ は、同胞ユダヤ人が神 ヤハウエとの特別の約束のなかにありながら、どう してイエ スを自分たちの「メシア」と受け入れないのか、そのことに激 しい痛みを おぼえている、といっています。 ローマの教会は、自分より先に当地のユダヤ 人の中に、 誰かが伝えた、イエスの福音の実りでした。その中に当地の 異邦人 もいたはずです。初期の伝道者パウロは、ユダヤ人 と異邦人の確執はその ころのからの抜き差しならない問題 でした。 4節には「 彼らはイスラエルの民 です。神の子としての身 分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです」 とあり ます。イスラエルの民の特権です。一つ一つの説明は省略 しますが、こ の「約束」は古いイスラエルから新しいイスラエ ルである教会に交替した、とい う説明はよくなされてきまし た。 パウロはここでユダヤ人の特権を否定して、 イエスをメシ ヤとするキリスト教会の特権を主張しているとは、私には思 えません。 わたしたちは「御国を来たらせたまえ」と祈るように、来た るべき神の国の前て ゙は人は誰もただの人だ、裸で木につけ られて絶望の叫びあげた方をメ シアとする以上、人間の思 惑はすべてゼロになっているんです。人間が引 く境界線は 越境されるほかないんです。 「キリストにある者が救われる」(新 共同訳では「キリストに 結ばれる」) とパウロは言います。「キリストにあ る=所属す る」というのは自分の意志ではありません。私の言い方ではキリスト のまなざしの中で自分を発見する、ということです。 イエスのたとえ話で、 夕方ようやく雇われたぶどう園の労 働者も、早朝からはたらいた「あなたと同 じように払ってやり たいのだ」それが神の最終決算だ、といっています。 わが家の二階のベランダでよくとなりの家の猫と目が合 います。網戸の 向こうでじっとこちらを見ています。猫だって 見られていること知っていま す。お互いが相手の存在に身 をさらしている。イエスの「まなざし」というと きも、この相互性 の中にいる自分を発見することです。虚心に、イエスのまな さ ゙しが越境してくる瞬間が誰にもあるはずだと思います。パ ウロは、た だ十字架のイエスのまなざしを受けて、自ら積み 上げてきたユダヤ人とし ての誇りを打ち砕かれました。古い イスラエルも新しいイスラエルもない。ユダ ヤ人も異邦人もこ のまなざしの前にどんな特権も要求できない。 ただ人間 のどんな善行も、どんな深い信心も、人の評価と して決して神の国に反映する わけではない。人間からは届 かない空洞としての神の国の到来に開かれているこ と、その ためにとりあえず教会はあるのだと思います。 ラグビーW杯の、 日本対南アフリカ戦を見ながら、たかが ラグビー、たかがスポーツと 割引してみても、自分の思い入 れで、勝手に、人種や国籍を越えた人間のつなか ゙りに感動 していました。 様々な越えがたい境界線を、一瞬でも越えたという 感動 は、それをなかったようには生きられないのではないかと思 います。薬物や ギャンブルの依存症につながる越え方もあ るでしょう。でもイエスのま なざしは当時の最下層の人びと にとっては、運命的に引かれた境界線を越えて 向こうから 届くものだったのだと思います。パウロは福音書に描かれる 生前 のイエスには出会っていないのですが、彼らと同じ体 験を十字架に付けられ たイエスから知らされます。人間の いちばん低い底に届くまなざしです。 神 の自由を、パウロはそこで受け止めたのでした。神の 自由は人間が埋める ことができない空洞です。 だからホセ ア書の言葉を使って、26節。 『あ なたたちは、わたしの民ではない』と言われたその場所 で、彼らは生ける神の 子らと呼ばれる。」 絶望がそのまま希望になる、「その場所」がある。人間 が介 入することはできないのですが、できないからこそ希望にな る。誰 かが引いた境界線を越える希望です。
11月3日 永眠者記念礼拝から ルカ福音書12章6-7節 「神がお忘れになることはない」 久保田文貞 司会者に永眠者の名簿を読み上げていただきました。 永眠者とはと ゙う言いかえようと死者たちのことです。その名 前は残された者たちが記憶に 留めておこうとして集めた名 簿です。 「ユダヤ人」哲学者レヴィナスは、次 のようなことを言って います。人が死を恐れるのは生が終るからではない。 自分 の生の意味が生き残りの者たちに委ねられてしまうこと、生 き残りの者たち の死者への裏切り、曲解、簒奪、隠ぺいの 勝手放題、それらは自分も生き残って いた時に身近な死者 たちにしたことなのだが、今度はそれを自分がやられて しま う、そういう可能性をおそれるのだと。生きるとは、生き残る ことであり、 死の延期以外の何ものでもない。延期された生 き残りの中で、人は自らの生の 意味の弁明に努めなければ ならないと。 そこで、死者たちを踏み台にして生き 残って いる私たちに、歴史の裁きの法廷でどれだけ弁明し、証言 し真実を明 らかにし、正義に参与できるかという責任が生ま れてくる。しかも世界の法廷 自体が絶対に信頼できるものと は限らない中で、それをはたさなければな らないと。 こういうことでしょうか。先の戦争で生き残った者は、戦没 者たち の名を石に刻み、記帳し記念館に収めたりしてき た。不戦の覚悟のほどを込めて。 しかし戦死者を英霊として 靖国神社に祀るのと同じ感覚で、現首相も原爆死没 者慰 霊式や沖縄戦没者追悼式に参列する。死者たちの名も数 も思いのままに引き回 され、政治利用されてしまいます。最 悪の例を挙げたが、それとは別にどん なに好意的に死者た ちの名を読み上げ、想起しようとも、生き残った者の記憶の 深層には、死者を疎んじ外に締め出してしまうという暴力が はたらいていると 言わざるを得ません。 今日は、私たちは死者たちを永眠者と呼んでここに集ま っています。それで生と死の厳しい断絶を多少とも和らげる ことができる でしょうか。 永眠者という言い方のもとには聖書があります。旧約聖 書で、 古くは族長たちが亡くなった時に「先祖たちと共に眠 る」(創47:30)と表現しまし た。また、荒野の40年の終りに約 束の地カナンを前に神ヤハウェがモーセに言わ れた「あな たはまもなく眠って先祖たちと一緒になるであろう」 (申命31:16)と。 申命記的歴史家は王たちの死を〈眠りに ついた」と表現しました(列王記)。詩篇に も出てきます(4篇 など)。もっとも旧約では、人の死を「眠りにつく」という比 喩 的表現より先に、塵で造られた人の体は塵に返るよりない (創3:19など)とい うリアリズムで死を表現しました。 新約では、イエス自身が死について直 かに語ることはほ とんどありません。共観福音書の中で人間の死と眠りとが、 比喩としてなのか現実的になのか、釈然としないまま、接近 しあっているところか ゙あります。マルコ5章の会堂長ヤイロの 娘の箇所です。イエスが娘のところに 向かうが、娘は息を引 き取ったと知らせが入る。するとイエスが言われる、 「なぜ、 泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ」 と。 ここでの眠りは死の比喩ではない。娘の側に行かれて 「タリタ・クム」と言わ れた。呪文ではない、イエスの日常に話 したアラム語で、「私はあなたに言う、 起きなさい」と。すると 娘はすぐに起き上がって、歩きだした。なにが、 起こった か、それ以上のことはわからない。福音書の物語はそれで 終わる。あと は言い伝えを聞くあなた自身の受け止めようだ と言わんばかりです。 ルカ12 章:4-5節「体を殺しても、その後、それ以上何も できない者どもを恐れてはな らない。だれを恐れるべきか、 教えよう。それは、殺した後で、地獄に投け ゙込む権威を持 っている方だ。」 人は、理不尽な権力者に抹殺されることもある が恐れるこ とはない。恐るべきは権力者を地獄に投げ込むかただ。そ のか たはいまを精一杯生きている君たちを悪いようになん かしないと言われているよう に聞こえます。 6-7節「五羽の雀が二アサリオンで売られているではない か。 だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはな い。それどころか、 あなたがたの髪の毛までも一本残らず数 えられている。恐れるな。あなたか ゙たは、たくさんの雀よりも はるかにまさっている。」 死者たち、忘れられること をおそれながら死んでいった死 者たち、あなたがたはそれを心配するだろ うが、そんな必要 はない。君たちが忘れようと、神はお忘れになることはな い。 だから、死者たちからゆだねられたいまを精一杯生きよ と言われているように 聞こえないでしょうか。。 死とは、他者を疎んじ外に締め出してしまうこと =〈疎外〉そ のものだからだと。そして生き残った生者は、延期された自 分の 死に脅えながら、自らの生の意味の弁明に努めなけれ ばならないのだと。も ちろんレヴィナスの思索は同時に、腫 れ上がってしまった人間世界の行き詰ま りを切開していくの ですが、それについてはここで踏み込みません。 とにか く死者たちの名を呼ぶところにいる私たちは生き 残りとして、歴史の裁きの法廷 に立って、どう弁明し何を証 言しどんな真実を明らかにし、なんとか正義に参 与するよう 促されている存在なのです。 ただしその法廷もこの世界の中にある わけで、常に絶対の 信頼をおけるものとは限らないのですが。 では、私た ちは死者の名を呼ぶことの重苦しさを永眠者 と呼び直して多少とも和らげよ うとするのでしょうか。人の死 を眠りについたというのは聖書の中にある表現て ゙す。
10月27日説教より ヨハネ伝福音書1章1〜14節 「初めが何か知ること」 久保田文貞 先週の礼拝(20日)は豊島岡教会南花島集会と北松 戸伝道所の合同礼拝、説教は三里 塚教会協力牧師の八 木かおりさん、交流会で話したことですが、これって 千 葉支区の〈わけあり三教会〉の集まりじゃないです か。そうしたら横からわけ ありリンゴこそおいしいと 声がありました。その日のテキストがちょうど 創世記 3章、まさにわけありリンゴをエヴァが勇敢にも採っ て食べ、アタ ゙ムの方はほんとに食べると死ぬかどうか 確かめてから結局食べちゃうとい う何とも男の私とし ては耳の痛い話でした。アダムとエヴァもただ園の内 部にいるだけなら、人間の歴史は始まらなかった。二 人が訳ありのゆえに園を 出たからこそ、始まりになっ たということでしょうか。 ヨハネ福音書の成りたち については、田川建三の『訳 と註』によりますが、元福音書の著者Jhと後に正統 的 教会に配慮して大幅に書き込みをした教会的編集者と を出来るだけ読み分け、 著者Jhの思想に注目すること にします。結論だけ言いますが、1章では、1-10、 14 節が著者Jhで、それに教会的編集者が11-13、15-18 節を加えた。後者の問 題は省略します。 著者Jhがマルコ福音書の全体的な流れに従いながら も、その 書き始めを賛歌風の言葉で始めました。その 賛歌は、近代聖書学の通説で、ハ ゙プテスマのヨハネを 祖とするグループ(洗礼者集団と呼んでおきます)の もっていたもの。つまり著者Jhがそれを借りて福音書 に初めに置いたということ になります。 洗礼者集団の師、洗礼者ヨハネは差し迫った神の審 判を前に、罪の体 を水の下に沈めて死なせてしまい(佐 藤研)、翻って生き直し神の審きの前に立て、 と説い たのです。イエスも彼に従って洗礼を受けたわけです が、問題は洗礼 者ヨハネがその後、領主ヘロデによっ て処刑されたことです。残された弟子 たちは必死にな って師の教えを継承したが、肝心の終末が遅延してい く。これ は後のキリスト教の終わりの日の遅延問題以 上に深刻だったはずです。消滅 の危機を避けるため、 一部は比較的近かったイエス運動へ、さらに後にはキ リスト 教会へ、また一部は頑として師の教え通り洗礼 者集団として残った(形跡がありま す)。つまり著者J hが借りた先は、最後の洗礼者集団のものらしい。と なると、 その賛歌は洗礼者集団なりに、その「はじま り」をひねり出したものではない か。「はじめにロゴ ス(ことば)があった」、なんと創世の始原にまで遡 る。創世記1:1「初めに、神は天地を創造された」ヘ ブル語聖書の書き出し「ベ レーシート・バーラー・エローヒーム...」、 直訳すれば「はじめに・言葉を 言う・神は」を想起さ せます。それは洗礼者集団が、その始まりを世界の始 原ま で遡りながら、意識してか、終末の遅延の時間感 覚を麻痺させたのかもしれま せん。 著者Jhは洗礼者集団の賛歌を借り受けて、そこに決 定的な修正を加えます。 6-8節です。 「人がいた。神のもとから派遣されたのである。名前 をヨハネ という。この者は証言のために来た。光につ いて証言するため、すべての者が 彼によって信じるた めである。かの者が光であったのではない。光につ い て証言するためだったのだ。」 元の賛歌では、洗礼者ヨハネが光のよう に考えられ ているが、著者Jhからすると、光はいまもここに生き ているイエスそ の方だというわけです。 となると、世は時系列の最後に終末が来て終わると いうようなものではない。イエスがこの地上に来た、 そのイエスを信じるか、 拒否するかで、すでに審きは 終わっている。そういう思想なのです。 このよ うな極端な思想にとって、実は始まりも終わ りもない、意地悪く言えばのっぺ らぼうな歴史観にな りかねないのですが、最大限好意的に言えば、このよ うな思想は強靭なところがあります。復活者イエスと 共に、いまをたんたんと生 きる。いまの不条理な社会 や、権力をしり目に、軸をぶれさせることなく、たん たんと生きる。もちろん不条理な社会をきっちりと批 判し、権力に抗議することも 自由だ。そういう目をし っかり持ちながら、祝福された今をたんたんと生きる ということになりましょうか。
10月20日 豊島岡教会南花島集 会所と北松戸教会の合同礼拝の説教から 創世記3章1~8節 「エデンの園で」 八木かおり エデンの園の物語は、あまりに有名で すので、大 筋はよく御存知のことと思います。今日、この箇所を 選んだ理由は ふたつあります。 ひとつには、大学時代の講演会で、ユダヤ教のラ ビから聞 いたこの物語に関するユダヤ教的解釈を印 象深く覚えているので、それをご 紹介したかったという ことがあります。キリスト教的には、この物語は人間の 「原罪」を語るものとしてよく説明されますが、ユダヤ 教においてはそうで はなく、むしろ「創造の恵みに強 調が置かれ、原罪という思想はない」という話 でした。 同じ文章を読んでいるはずなのに、解釈が違うという のは、当 時のわたしには結構衝撃でした。そして、そ れはその後卒業してから、女性たち による女性の視 点からの聖書の読み直しという活動に加わっていった ときにも、と ゙こかで念頭においていたことだったように 思います。それまでの知、思想 の積み重ねに敬意は 払うけれども、そもそも聖書そのものや、そこから生ま れた 神学が、いかに男性中心主義に貫かれているか という批判をするうえで、ひと つだけの義しさを主張 し、それを強制することの危険をも考えてきました。 「聖 書を読む」という営為は、わたしにとっては某かの 「正解」を見出すのではなく、 それぞれの経験を持ち 寄りながら、あーでもあるこーでもあるというやり とりを する、ということでもありました。そこで2つめの理由な のですが、 現在、わたしは中学2年生のキリスト教の 授業を、チャプレンのひとりとチームを 組んで担当し ています。そのチャプレンとのやりとりで、彼が今日の 箇所 について語ってくれた内容があまりに面白かっ た、それをご紹介したいと思い ます。 創世記の冒頭には、2種類の創造物語がありま す。本日の箇所は、2章から 始まるもので、神が人を 創造した話がメインとなっているのが特徴です。 あら すじは、こうです。神は最初の人を土の塵からつくり、 またエデンの園 をつくってそこに住まわせた。そして 食物となる実をつけるあらゆる木を生えさせ たうえで 園の中央に「命の木」と「善悪の知識の木」を置き、 「ただし善悪の 知識の木からは、決して食べてはなら ない」(食べると必ず死んでしまう) というひとつだけの 禁止をした。それから、人に合う者とするために獣、鳥 をつ くったが人に合う者は見つけられず、そのため人 のあばら骨から女をつくっ た。ここまでが前段です。 神が造った野の生き物のうち、最も賢い蛇が 登場し ます。蛇は、女に神の禁止事項を拡大して訊ねまし た。これは、女の注意を 禁止事項に向けさせ、不満と 不信を引き出すためでした。女の方の返事も、神か ゙ 禁止したことが拡大され、木の名前も特定されていま せんし、さらに接触禁止 が追加されています。そこで 蛇は追い打ちをかけ、「神のように善悪を知るも のとな る」と女を唆しました。女はそれに乗り、実を食べてし まいます。そして 一緒にいた男にも渡し、彼もそれを 食べました。ところで、ここで積極的に 禁を破ったのは 女ですが、しかし男は何をしていたのか、です。神に 「食へ ゙てはならない、死んでしまうから」と言われてい たのは男です。彼は、制止 するでもなく、女が食べる のを見ていた。女が死んでしまうかもしれな いのに。 つまり彼は、女が死なないことを確認してから食べた のです。そし て神に問い詰められたら「あなた」と「女」 のせいにしました。なかなかすごい 人間観だと思いま す。 それと、もうひとつ今回改めて読んでみて面白かっ た のは、女に対する呪いのセリフのなかにある「お前 は男を求め彼はお前を支配する」 です。そのような関 係性が「呪い」として語られているということは、本来は そうではなかったはず、という主張でもあると思いま す。この物語における 性別二元論や男女観には現代 的には批判すべき点は多くありますが、今から 3000年 近くも前に、こんなことも言ってるんだ、というのは再 発見でした。最 初の創造物語では、人は男も女も神 にかたどって創造された存在であると語 られているの と同様、いわゆる性差別を否定することのできる箇所 としても読め ると考えます。
10月13日説教より ルカ伝福音書16章19〜31節 「富者と貧者の逆転」 久保田文貞 話としては簡単です。この世の貧者と富者の位置関係が 死後の世界では逆転 するという譬話というよりは宗教説話 一般に近い話です。 エジプト産紫の高 級服地を着こなし派手やかに暮らして いる金持ち。その邸宅の門前に物乞いをする ラザロ。この 対照は現実味を帯びています。ごみ集積所さえ隠してしま う高 級マンションのすぐ向こうで、家なき人が「警察に通報し ます」という張り 紙をよそに空き缶集めをしている...そんな 私たちの今とどこが違うでしょう。 この社会矛盾は支配と収 奪がある限りどこでも起こることです。 だが 物乞いも金持ちもやがて死ぬ。このもの悲しい平等 感が物乞いの唯一の慰めと いうのだったらあまりに寂しい です。そこでいきおい、物乞いは天国に、金 持ちは地獄に と。物乞いは他者の愛だけを求めるその天真爛漫さゆえに 天国に、 金持ちは故意であれ無意識であれ支配と収奪に 潜む強欲のゆえに地獄に、とい うところでしょうか。とにかく 死後の世界で大逆転。 金持ちは父アブラハム に懇願する、この地獄の苦しみを 天国にいるラザロをつかわしてやわらげてほ しいと。だって 地上で物乞いのラザロに恵んでやった貸があるのだか らと いいたいのでしょう。だが父アブラハムは、天国と地獄の間 はだれ にも越えられない懸崖があるとにべもない。芥川の 「蜘蛛の糸」は特例なのて ゙しょうか。御釈迦様が蓮池の底を 覗くとはるか下の地獄の池でカンダタと いう悪人が苦しんで いるのが見える。そのカンダタが一つだけ善行し たことがあ るのを御釈迦様が思い出す、蜘蛛を踏んづけてはかわい そうと助 けてやったということを。それで蜘蛛の糸を垂らして カンダタを掬い上げよ うとするが、結果はご存じの通り。カン ダタが地獄に落ちた後、御釈迦 様は何事もなかったかのよ うに(極楽の園を)「またぶらぶら御歩きになり始め ました」 と。極楽と地獄の冷厳な隔絶を忘れようとするかのように。 確かに散歩と いうのはそんなところがあるかもしれません。 さて金持ちはこの苦しみを兄弟た ちに知らせたいと父ア ブラハムに懇願しますが、地上へ通じる道はないとこ れまた にべもない返事。地上にはちゃんと律法がある、兄弟たち がそれを守 れば済むことだというわけです。 結局、逆転が起こるのは天国での話て ゙、地上でリアルな 社会的矛盾に天国から手を出すことはないとこの説話は言 う のです。だが、地上の罪はあちらの世で罰せられ、地上 の善はあちらの世 で義しとされるというのであれば、実質な んの逆転も起こっていないと言え ないでしょうか。つまり一 時地上で欲をかいて富を蓄えても、それは罪の状態 なのだ から、結局は地獄行きの準備をしていたにすぎないのだと 説教する、 反対に地上で欲張らず貧しさを耐えていれば天 国が約束されるとなれば、 峻厳なる懸崖も、あの逆転も意 味を失い、地上と天上はほとんど地続きというこ とになりまし ょう。美しいお話のようですが、それでは地上の社会矛盾は と ゙うなるのでしょう。放置されたままになりませんか。 イエスが語る多くの譬 話は、身近な生活にある風景や、 日常に起こる事件を題材にしながら、“いまここ に”のっぴき ならぬ事柄(神の恵み)が起こっていると語ります。日常の 生活の 中で、社会の中で、人がつい見過ごしているものの 中に、根源的な招きか ゙あり、根源的な問いがあると語ってい ます。〈あなたはこれを何とする?〉 宗 教家が言う終末な んかでなく、あなたの日常の端々でそれがはじけてい るとい う語り方です。それは語りだけでなく、病人や障害のある 人、罪人、 娼婦として差別されている人の中に入っていっ て彼らを受け入れ、弾けている神の 国の出来事をご自分と 群衆たちの間に起こしていきます。それは、富豪と物乞い と いう両極端を設定して、そのどちらでもない中間(中流)に いて、教訓をひき だそうというのではないのです。イエスが 身を置くところは、富者から収 奪され最底辺層に追いやら れた物乞いのすぐ隣なのです。 1960年代、広島大 学の船本州治ら学生4人が山谷に入 って日雇い労働者になり、ヤクザの手配師や 山谷大交番と の戦い(暴動)の先頭に立って行ったことを思い出します (『黙って野 たれ死ぬな』)。臨時工、日雇い工、社外工と 呼ばれる流動的下層労働者こそほん とうの産業労働者 であって、かれらを企業の餌食にしてはならない。家 族も財産 ももつことができない、なにもかも剥ぎ取られた彼 らの自由さの中に叛乱、 暴動を組織しようというのです。山 谷や釜ヶ崎で何度も暴動が起こりました が、結果は思うよう にはいかなかった。船本は1975年皇太子(明仁)訪沖に抗 議し て、自ら油を浴びて焼死しました。そのやり方をとてもま ねできませんが、 彼らがとことん下層労働者に身を寄せて 事柄にぶつかる姿は、一つの神々しさ さえ感じます。これ と、イエスのそれが同じだとは言いませんが、底の 底を掻い 潜ってなにほどか大切な出来事の中に立とうとする点は近 いものを感し ゙ます。どの宗教の説話にも見られる類のものです。この世 で強欲なものは あの世では地獄に行くと警告するわけ です。こうして人は物乞いするまで落 ちずとも強欲な 富者にはならず地獄行きにならぬようにしようと身を 引き締め るということでしょうか。 そう説教する者と、それに耳を傾ける者の立ち所は と ゙こなのでしょう。金持ちの門前で物乞いをするラザ ロと、豪邸を構える金 持ちとの中間にいることになり ます。つまり強欲な金持ちほどでなれなく、物 乞いが いればに施しをするぐらいのところにいる。けっこう 気楽なところに いるわけです。
10月6日説教より ルカ伝福音書16章1〜13節 「不正の富を使って」 久保田文貞 今日の箇所は放蕩息子の譬話につづく譬話になりま す。著者ルカはこれを福音書の 中で編みこむにあたって、 一般の聴衆には理解が難しいと思ったか、イエスか ゙弟子た ちだけに聞かせたことにしています。配慮と言えばその通り ですか ゙、でもそこにはイエスの周りに集まっていた群衆に対 する一種の不信感がル カの中にあるということでもありま す。一つだけ例にとると、マルコ2:13以下 で、徴税人レビの 家の食事場面ですが、この様子を見て律法学者が「と ゙うし てイエスは徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」とつぶ やく。するとそ れを聞いたイエスは「医者を必要とするのは、 丈夫な人ではなく病人である。 わたしが来たのは、正しい 人を招くためではなく、罪人を招くためである。」 となってい ます。マルコの場合、イエスは彼らを罪人のままで招いてい ることに なります。ところがルカでは「罪人を招いて悔い改め させるためである。」 (ルカ5:32)となります。 いまだ悔い改めに至っていない人にはこの譬話を理解て ゙き ないだろうと、だからここは弟子だけが理解できればよろし いと いうわけです。 さて、不正な管理人の話です。大地主の主人は農場経 営を管理 人に一切を任せて自分は悠々自適に町に住んで いるのでしょう。ところが管 理人は自分の権限を利用して何 度もちょろまかしている。これが第一の不正で あり、我々の 刑法で言えば額は少ないが常習的な横領。ある人がこの 不正 を主人にチクって、管理人は懲戒免職で内部で処理 される程度ということ。そ こで窮余の策で管理人は失業して も困らないように、小作人たちが主人から 借りている負債を 減免してやる。証文を持ってこさせ油百パトスを借りている 者 には50パトスに、小麦百コロスを借りている者には80コロ スにそれぞれ書き変 えてやる。学者の計算による油百パト スは千デナリに、小麦百コルは2500デ ナリに相当、1デナリ は1日の平均賃金だそうだから莫大な借財です。これ は小 作人たちが約束の収穫を納めきれず、年ごとに借財が膨ら んだもの でしょう。管理人がここで勝手にそれらを減免して しまったことが、第二 の不正です。主人の財産を直接自分 のものにしたわけではないので横領で なく、委任された仕 事を忠実に果たしていないということで背任罪に当たるで し ょう。大土地所有者の大きな権限を持った管理人となれ ば、我々の世界で言 う大会社の役員が処罰される会社法 による特別背任罪になりますか。 たぶん譬 話の原型は8節前半「主人は、この不正な管理 人の抜け目のないやり方をほめた。」 で終わっていたでしょ う。もっとも、管理人の第一の不正を咎めて首にする主 人 が、第二の不正をほめるはずないから、主人とイエスは入 れ替わって、実は イエスがこの不正の管理人をほめたので しょう。 田川建三は『イエスという男』 で、イエスの譬を理解する 上で「分水嶺」という作業仮説を立てています。イ エスの譬 は基本的に、1こちら側、この世の常識的な世界のシステ ムと、2あちら側、 逆説的反抗者が生きることになる逆向き のシステムの、二つの世界の境界に浮か び上がってくる分 水嶺です。人はイエスもですが、まずは権力者が 支配し不 公正のはびこるこちら側に暮らしている。イエスの言葉や譬 はそこで こちら側の世界のものを使って、あちら側の逆立し た世界のことを指し示す。それ だけでなく分水嶺を超えて あちら側に踏みだすように誘い、逆説的な反抗者 として生 きるように迫る。そこにイエスの魅力があるというわけです。 我々の 譬で言えば、主人はこちら側の富と力をふんだん に持つ者、その最たる人間 です。管理人はそのこちら側で の中間管理職。主人の上りを掠め取るとしても 同じ側の人 間です。それに対して小作人たちは労働しても借財が増す だけ。 だが彼らは分水嶺を超えるよりなかったあちら側の存 在、こちら側と逆向きを 生きている。イエスの福音は、神が あちらがわを生きている人間を恵みつくそ うしていると言い 換えることができるかもしれません。 管理人はこちら側の不 正がきっかけに、分水嶺を超えて あちら側の人間になろうとしている。あちら側 の人間が自分 を迎えてくれるようにあちら側に友を作ろうとしたのでしょう。 こちらで背任行為になるだろうが、分水嶺を踏み越えれ ば、あちら側で は連帯の意志表示になると言うのでしょう。 しかし、ルカはこの危険な分水嶺を はるか先の終末の時 にしてしまい、この譬をキリスト教的に軟着陸させてしまいま す。「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも 賢くふるまっている。 そこで、わたしは言っておくが、不正に まみれた富で友達を作りなさい。そ うしておけば、金がなく なったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れ てもらえ る。」 終わりの日が来るまでこちら側での多少の不正は、 他者へ の愛の行為ということで目を瞑ろう。 こうなると原型が持っていた譬のインハ ゚クトははほとんど 消えています。
9月29日の礼拝説教から マタイによる福音書6:25-34 「思い悩むなぁ」 飯田義也 今日の聖書の箇所は、キリスト教に長くかかわる人々にと っては有名 な箇所で、私も子どもの頃から触れ、生活のこと で思い悩まず日々誠意を 持って生きることが大切だというよ うな価値観をもつようになりました。 聖書 は多くの人が読むわけですから、日本語の聖書を 読んで「今日の夕飯何食へ ゙ようかなんて、小さかったなぁ」 とか、でも「夕飯何でもいいよ」って言わ れると腹が立つと か、そんなことより神様のことを考えてごらん、思い悩むこ と などないじゃないかと考えたりするのは自然なことだとも思 います。 し かし、いま、多くの真面目なキリスト教徒は「そんなこと じゃないんだよぉ、 思い悩むなぁ」と嘆息しているのではな いでしょうか。 わたしたちの思い悩み は社会不安です。福祉財源の確保 のための消費増税と喧伝されながら、実際に は法人税の軽 減がなされていたとか、失業率が低下して景気がいいかと いえ ば、実際には年間50万人の人口減が原因で、それが 今後続いてゆくと か、・・。ひとつ例を挙げると、9月1日防災 の日は関東大震災を記念する日で すが、その後の朝鮮人 虐殺を巡り、なかったことにしたい人たちがいます。 「右傾 化」という表現だとそんな立場もあるかのようですが「歴史修 正主義」 とは、正当な批判に耳を塞いだ、明らかな捏造で す。それがまかり通るのか という課題が大きくわたしたちの 前に立ち塞がります。 今日の聖書の箇所、キ ゙リシャ語で少し詳しく読むと違う意 味にも考えられるのです。英訳でも前 述のような誤解もでき る訳になっていて、もしかすると故意犯的にこの訳にした の かもしれません。 原文は「自分の命のことについて思い悩むな・何(what)の こ とかといえば・食べるということ・何(what)のことかといえば ・飲むという こと」という構文になっています。 着る方も、古代のユダヤ民族がそんなにた くさん衣装を もっていたかと考えると(晴れ着と普段着くらいはあったらし い)「自 分の体のことについて思い悩むな・何のことかといえ ば・着るということ」と訳 す方がよさそうで、ここで「着る」と は、むしろ社会性を指しているので はと思っています。着物 によって、あの人は羊飼いだな、あの人は取税人だな、 あ の人は祭司だなとわかるわけですからどんな職業の人であ れというニュ アンスに解釈できるでしょう。 つまりは、自分を生き残らせることに拘泥する ことはない ということです。(一方で、自分を生き残らせることだけは滅 法 うまくて他人にいやな思いをさせまくる人の存在もわたし たちは知っています。) さて、空の鳥ですが、以前温泉宿に泊まり早朝散歩してい ると遊歩道の真ん中 にセキレイが横向けに傷も見当たらず きれいに命を終えているのに出会いまし た。そこで、この箇 所を思い出し「神様に生かされるってそういうことだなぁ」 と つくづく思ったのです。 もう一つ決定的なのは花の話で「明日は炉に投け ゙入れら れる」という部分です。これは、投げ入れる存在が前提にあ るわけ ですから、殺されることを象徴しています。あぁそうか と思い至るのは、キリス トの十字架です。 いま、わたしたちは、この現状を生きながら、絶望しなが ら生きる、心配しながら生きる、不安を抱えながら生きるとい うことなので しょうか。もちろん、糾弾しながら生きるか、自分 の立場からは何もできない と開き直って生きるかといった選 択肢なり使命感なりは別の課題としてあるわけて ゙すが・・。さ らには、生死も含めて全ては神様のもとにあるという物言い に、 たとえ人類が滅んでも?と聞き返す問いが常に浮かび 上がってもきますか ゙・・。 神様の「思い悩むな」は、手放しのオプティミズム、楽観主 義という ことなのでしょうか。 「だんなぁ、いい世の中が来てるんだから、愛の世 界が開け てるんだからぁ」 「今日のことを大事にしようよぉ、明日の保証はねぇ けどもさ ぁ」 といったことなのでしょうか。 そうであったとしても、キリ ストの十字架に根ざしたより深 いところからの声だったとしても、同じ日常 を「苦労だらけの 人生」と考えるよりはずっとよいことは明らかです。今日 のこ とを今日のこととして精一杯取り組むことは、あるいは取り組 めることは、素 敵なことであることは確かです。他者の声に 耳を塞ぐのではなく、耳を傾 け続けたいものです。
9月22日の礼拝説教から ルカによる福音書14章25〜35節 「イエスについて行くとは」 久保田 大宴会の譬に続けての箇所になります。 「大勢の群衆が一緒 について来たが、イエスは振り向い て言われた。「もし、だれかがわたしの もとに来るとしても、 父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろう と も、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。自 分の十字架を背負っ てついて来る者でなければ、だれであ れ、わたしの弟子ではありえない。」 と。 弟子になろうとする者に、過酷な要求がなされます。家 族を憎むことだと。 自分の十字架を背負うと云うことはそうい うことだと。 前回「神の国の食事」と は、とつぜん非日常に招かれ、だ れもの日常生活が揺さぶられ、破棄され るかのようと申しま した。だが、私たちの日常のあれこれは、家族を愛し、家 族 の生活を守るためのもの。先週の譬で言えば、『畑を買った ので、見に行 かねばなりません。』『牛を二頭ずつ五組買っ たので、それを調べに行く ところです。』『妻を迎えたばかり なので、行くことができません』、 それは身勝手な理由でな く、生活する者に当然な日常の生活の営みそのもので す。 だから、日常をはみ出すような大宴会に「ご遠慮します」と いうのはもっ ともです。しかし、宴会の主催者は、「ああそう、 ならば町中の広場や物陰に 佇む人たちを呼んで来い」と使 いのものを出す。そして大宴会を催すというのて ゙す。 今日の言葉は、さらにエスカレートして「私の弟子になる には家族を憎め」 「自分の持ち物を一切捨てないならば、 あなたがたのだれ一人としてわたし の弟子ではありえない。」とまで言っています。自分の持ち物にしがみつくこ と と、家族生活にしがみつくことが同じことだと言わんばかり に家族を 憎めというのです。そこまで言うかという感じです。 同じ言葉が出て くるマタイ10:34以下では 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、 と思って はならない。・・・ わたしは敵対させるために来たからであ る。人を その父に、娘を母に 嫁をしゅうとめに。こうして、自 分の家族の者が敵となる。」 しかし、その後の方に10:37 「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわし くな い。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしく ない。 」と言 う言葉をもってきます。 明らかにマタイの方が穏当です。家族を愛すること自体 が悪いのではない、 イエスより家族を愛してしまうことがまず いのだという響きになります。こ の方が後の教会に受け入れ やすいでしょう。パウロ書簡もそうですが、 ずっと後の牧会 書簡、例えばIテモテ5章の教会員への奨めの言葉は家 族の大切 さを説きます。8節「自分の親族、特に家族の世 話をしない者がいれば、その者 は信仰を捨てたことになり、 信者でない人にも劣っています」となります。 家族 を「憎まないなら私の弟子ではありえない」というル カ伝にそのまま残っていたQ 資料のイエスの言葉が緩和さ れ修正されたのです。終末の日に開催される神の 国の宴 会までの間は「信仰の戦いを立派に戦い抜き」なさい(Iテ モ6:11)と。こ うしてクリスチャンは、家族を愛し、他者を愛し (Iテモ5:3以下)と模範的な生活を しなさいとなるわけです。 歴史・社会的に、プロテスタント教会の信徒は一時 期、あ る程度そのような結果になりました。実際、日本の教会のよ うに150年位し か経っていない場合にも、教会はそうした奮 闘をしてきました。けれども反対に、 頑張りの精神は、得て して教会を社会的なエリート、強者の集まりにしてしまいま した。そこでの家族への愛や互助の精神はエリート・強者の それになってしまい ました。その例はこと欠きません。 だが、そうした教会の負の歴史を、イエス の十字架と死と ともにイエスのガリラヤで人々の間で行った宣教に照らし合 わせて考えなければなりません。イエスがガリラヤの群衆の 間で何に悲嘆 し、何に感動し、何に憤怒したかということ、 人々に何を伝え、どんな活動に力 を注いだかということ、そ れを受けて人々はどう向きを変え、生き始めたかと いうこと を読み解くことが大切です。未来の歴史の完成の時に逃げ 込むのて ゙はなく、イエスの宣教活動は「今ここ」に集中して いるように見えます。人々に それ以上の要求はしていない と見るべきです。「今ここで」家族に足を掬わ れるなら若者 のように「今ここで」はねのけた方がよいというべきでしょ う。 だが、「いまここで」はイエスにおいて到来してくる神の国 (支配)、神 の恵みに支えられての「今ここで」です。そのか ぎりの「今ここで」、と きに家族の制止を押し切って、〈若者 よ〉〈老人よ〉、踏み出しなさいというのて ゙しょう。 「確かに塩は良いものだ。だが、塩も塩気がなくなれば、 そ の塩は何によって味が付けられようか。 畑にも肥料に も、役立たず、外に投け ゙捨てられるだけだ。」
9月15日の説教から ルカ伝福音書14章15-24節 「大宴会の譬について」 久保田文貞 大宴会の譬を改めて読んで、寅さんのことを思い出しま した。寅 さんが小生意気なことを言う、おいちゃんが腹に据 えかねて「トラ、おまえな んか汗して働いたこともないくせ に、・・・」といったことをいう、すると寅さん が一瞬固まって 「ああそうかい、それを言っちゃあ、あしまいよ」と言うなり、 ちゃぶ台をひっくりかえして?、トランクをもってだんご屋を 出ていく。こう して大概の寅さん映画が始まります。 ここで見ている人の心をわしづかみに してしまう。柴又の だんご屋の家族とその周りの人々、観衆みな自分の日常の 家族や知り合いと地続きな感覚に囚われます。寅さんはそ んな日常をひっくり返し て、非日常の旅がらすへ。自分も旅 に出て、しんみりひとり夕焼けを眺めてみた いと思わせる。 それが寅さん映画です。しかし、非日常の旅は、同時にそ こか しこの日常との出会いの旅。途中マドンナが現われて 恋が始まるわけです が、非日常を生きるよりない自分を思 い知らされて、失恋へ。こうして、映画は 絶えず、日常と非 日常が隣り合わせた隙間にできる物語になっていて、これ が私たちの胸を掴んでいくのだと思っています。 なぜ、これが「大宴会 の譬」に私の頭の中で繋がっていく のか、論理的にうまく説明できないのて ゙すが、感じる所を述 べたいと思います。 宴会というのは、どの世界で もそうだと思いますが、最初 のうちはそこに集まった人々の社会関係をそのま ま引きず って神妙に始まる。でも、宴もたけなわになった頃、日常の 社会関係 が棚上げされて、無礼講が始まる。いわばちゃぶ 台がひっくり返され る。「ああそうかい、それを言っちゃおし まいよ」式の、あとどうなるか、知っ たこっちゃない世界にな るのです。 聖書の大宴会も通じるものがあると思い ます。もっとも、こ ちらは招待客が何やかや理由をつけて、いよいよその時が 来た時に断わり始める。 『畑を買ったので、見に行かねばなりません。』、 『牛を二頭 ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。』、『妻 を迎えたばかりなので、行くことができません』 どれも、手の離せない 日常業務があって、宴会という非日 常におつき合いできませんというわけで す。で、この宴会 は、ようするにちゃぶ台をひっくり返すところから、無礼講 の ところから始まることになります。仕事しようにも仕事がない ので、ただ ぶらぶらしているよりない人たち、体の障がいを 抱えていて働きようにも働 けない人たち、この人たちを日常 の業務に忙しくしている人たちには、日常から脱 落した非 日常を生きている人たちとしか見えないでしょう。 日常と非日常という 腑分けに頼りすぎてはならないでしょ う。日常をひっくりかえせば非日常か ゙一様に出てくるわけで はありません。だれだって毎日の暮らしをつつが なくやり過 ごせたらと思っているでしょう。仕事をし相応の報酬を得、 家を構 え家族と平安に暮らしせればと。だが、さまざまな理 由や障がいからそ うできなくなることがある。そうなっても、 毎日の暮らしが無くなるわけて ゙はありません。でも、日常性 がうまく回転しない、その限りの日常があた かも壊れ、非日 常に突き落されたかのようになる。そうなって、寅さんのよう に旅 に出ることもできない。そういう非日常がどんな様にな るか、日常をうまく やっている人々以上に人それぞれです。 生活の形をどうやって整えるかなん か後回し、毎日をやりく りして生きていくよりないのです。 さて、「神の国で 食事をする人は、なんと幸いなことでしょ う」とわかったような口をきいた弟子 に、イエスはこの譬を語 ったことになっています。まずこの食事は日常の食事の 延 長ではないらしい。人々が日常に思っている日常のむこう 側の食事・宴会て ゙、言うなれば、日常をひっくり返した向こう 側の食事のようです。おそらく 「神の国の食事はなんとすば らしい」と言った人の頭にあるそれは、いつの日か やって来 る終末に初めて開催される宴会のことでしょう。それは終末 の日、その 人のすべての日常が終わり、非日常がすべてと なる日の食事のことなのて ゙しょう。その時までこちら側の日 常の業務をセッセコやって、日常の食事もそ れなりに取っ てということなのでしょう。 けれども、イエスが語る「大宴会」 は、そもそもそんな終末 のそれではない。むしろ、今――あなたたちが今、かく も多 くの仕事があり、そこで満足のいく成果をだせていると自負 しているた ゙ろうが、その陰で、非日常へと追い出されはみ出 てしまう人を作り出してし まっていることが見えない――そう いう今にむかって、神の恵みはちゃぶ台をひっ くり返すか のように、非日常に追いやられた人々の中に、その人々と 共に、大宴会 を始めるというのでしょう。
9月8日の説教から コリントI2:6~9 「いのちの知恵」 板垣弘毅 パウロは、産声を上げたばかりのキリスト信徒たちの集会 をつぶし回り、 信徒たちを殺害もしていたでしょうか。(使徒 8:1、9:1)彼はそんな暗い過去をす ゙っと引きずっていたは ずです。生前のイエスではなく、死後にふしぎ な仕方で出 会っています。パウロはその体験を手紙の中で短く触れて いるた ゙けですが、神の霊が自分に臨んで示してくれた、と告 白しています。一 般的にいえば幻覚ですね。復活したキリ ストに出会ったという幻覚にパウロ は命をかけてしまいま す。パウロだけでなく最初のキリスト信徒が共有し た体験で す。 最初のキリスト信徒たちにとって、神の霊の働きは、十字 架と復 活で示され、奇跡で「あっ」と驚かすようなカタチでは ありませんでした。 その信徒たちを迫害しつつ、パウロは迫 害者から伝道者に転換してしまいます。 人間が思い描く幸福が、かけらもない様な「十字架につ けられたキリスト」、 それがパウロたちが「発見」した霊の働きでした。 彼はイエスキリストの 福音をここに見ましたので、これ を伝える伝道者になりました。 個人的なことで すが、私の人生でも振りかえればこの「十 字架につけられたキリスト」の発 見は決定的なことでした。1 980年の夏の日でした。「しかし、わたしたちは、 信仰に成 熟した人たてちの間では知恵を語ります。それはこの世の 知恵ではな く、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵 でもありません。」(6節) パ ウロはこの教会の成り立ちについて、知者、権力者、出 自の良い人は多くはなかっ たといっていますが、ちょっと知 的な層、「完全な人たち」(「信仰に成熟した人 たち」)はいた のでしょう。 パウロ自身は知者としての自分が、十字架のイ エスに出 会って叩きつぶされたのだと言っています。(フィリピ3:4以 下 ほ か)だから「十字架につけられたキリスト以外、何も知 るまいと心に決めていた」 のでした。だから自分がこれから 語る「知恵」は「この世の知恵ではない」 「支配者たちの知 恵でもない」といいます。隠されていた神の知恵なのだ、と いいます。 「わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の 知恵で あり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界 の始まる前から定めておられ たものです。」(7節) こういう表現はちょっと神秘的な感じもして、あまり好ま れ ないかもしれません。私には、この表現は、言葉の意味を 考えるより、言葉にな らない何かを共感する言葉なのでは ないかと思えます。言葉で言えないことを 指し示しているん です。 「隠されていた、神秘としての神の知恵」とは、十字架 のでき ごとのことですね。「この世の知恵」から考えれば無残な敗 北で す。ピラトの法廷では「十字架につけろと叫び立てた」 人たちの声が勝っ たのでした。 ニーチェは、ユダヤ・キリスト教の「犠牲者」をだいじにす る 思想は、心の狭い怨恨の感情が根っこにあるんだといいま す。下層階級に始 まったキリスト教は、貴族階級の異教信 仰への恨みを満足させるために、犠牲者(キ リスト)に共感 しているのだ、「奴隷の道徳」だというわけですね。そうだ な あと思う反面、それだけでは説得されないなあ、と思ってき ました。最初期 のキリスト信徒やパウロを捉えた「神の知恵」 十字架の「神秘」は、「転倒」て ゙も「奴隷の道徳」でもなく、何 か隠されていたものが、啓示された、という ふうに人々の心 を照らしたのだと、わたしには思えます。苦しみや悲しみの底で、 こんなところに神なんかいるはずが ない、と思う人間のはからいを打ち破っている 神のできご と、そんな発見だったと思われます。いわば地獄の底まで 届 く神のまなざしです。私たちの側の、強さとか弱さとかをこ えているまなざ しです。 だから「目が見もせず、耳が聞きもせず、/人の心に思 い浮 かびもしなかったこと」(9節)だというのです。 旧約聖書のヨブ記。財産も 家族も健康も奪われ、どん底 のヨブに、3人の友人が代わるがわる、お前の 現実はおま えの気づかざる罪から来ているんだ、とにかく悔い改めて 神の前 から出直せと言います。正論の知恵です。ヨブさん は、この「とにかく」とい う飛躍に抵抗するんです。絶望の果 てにこう言います。「わたしは知っている。 わたしをあがなう 方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。こ の皮膚が損なわれようと、この身をもってわたしは神を見る だろう」(ヨブ記 19:25~26) 皮膚病でぼろぼろになったこ の身であっても、ここに注がれ るまなざしがあることを信じて います。「知恵」を串刺しにして届くんで す。 パウロは言います。 十字架につけられたのは、ほんとうは 「この世の知恵」 「この世の支配者」だったのではないか、と いいます。彼の心が伝わってき ます。 ... (以下略・全文は板垣まで)
9月1日の説教から アモス書5章18〜24節 「主の日とはなにか」 久保田文貞 《災いだ、主の日を待ち望む者は。主の日はお前たちにと って何か。それは闇て ゙あって、光ではない。》 主の日に、人々は聖所で神ヤハウェを礼拝していま し た。主の日を待つ人間がなぜ災いだとこき下ろされるので しょう。ど うして主の日は闇であって光ではないのでしょう。 預言者アモスはずいふ ゙んひどいことを言ってます。 明らかにアモスは怒っています。心から主の日を 待つな ら、礼拝者としての襟を正すということがあるだろう。それな しに臨む 礼拝は主の日を闇にするということなのでしょう。 アモスは紀元前8世紀前半に北 王国イスラエルに現れた 預言者です。北王国その時代、政治的にも経済的にも軍 事的にも中興の時代でした。ヤロベアム2世が40年ほど王 位に就けたことか らもわかります。遠くアッシリア勢力が西方 に手を出せなくなり、パレスチナ は小国同士がしのぎを削る ことができたわけですが、北王国イスラエ ルはその中で小 規模な覇権を掴めたらしい。王国は経済的にも繁栄し、一 種の祭 政一致政策を進めたらしい。宮廷の聖所を手なず けた祭司たちに司らせ、お抱え の預言者集団をもち、国家 祭儀をさせる。アモスが全面否定する「主の日」「祭 り」はそ のような祭儀のものだったと思われます。 実は彼は旧約聖書の中に収め られているイザヤ書以後 の記述預言者と呼ばれるものの中で最初の預言者に なりま す。それ以前に預言者集団なるものがいたし(サムエル記 上10章、同19章 など)、宮廷月預言者、有名なエリヤ、エリ シャなどがいましたが、アモス のそれは文書として残された ことでそれ以前のものと決定的に違っています。 そ れからアモスの出身地テコアは南王国ユダの地、エル サレムの南方10km。そこか ら北王国の宮廷のあるサマリヤ に出向いて行ったことになる。彼の数年後に現れる 預言者 ホセアは北王国の出身。アモスが北王国のどこで預言の言 葉読み上け ゙たか正確なことはわかりませんが、祭儀批判を していることから見て、シケム やシロなどの辺りでしょう。 だが、文書として突き付け、どこでも再 読できる形式を取 っていると考えれば、ものすごくジャーナリスティック なわけ です。彼の預言は、北王国内部の社会的な堕落と腐敗を 糾問します。 《お前たちは災いの日を遠ざけようとして/不法による支配 を引き寄せている。お 前たちは象牙の寝台に横たわり/長 いすに寝そべり/羊の群れから小羊を取り/牛舎 から子牛を 取って宴を開き/竪琴の音に合わせて歌に興じ/ダビデのよ うに 楽器を考え出す。大杯でぶどう酒を飲み 最高の香油 を身に注ぐ。しかし、 ヨセフの破滅に心を痛めることがな い。》 そして彼らは貧しき者たちをさらに追 い詰める 《わたしは決して赦さない。彼らが正しい者を金で/貧しい 者を靴一 足の値で売ったからだ。彼らは弱い者の頭を地の 塵に踏みつけ/悩む者の道を曲 げている。父も子も同じ女 のもとに通い/わたしの聖なる名を汚している。》 《新月祭はいつ終わるのか、穀物を売りたいものだ。安息 日はいつ終わるのか、 麦を売り尽くしたいものだ。エファ升 は小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を 使ってごまかそう。 弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。ま た、 くず麦を売ろう。》 アモスは「町の門で訴え」(アモス5:10-12)、預言の 文 書を読み上げて告発し、こういう。 「正義を洪水のように 恵みの業を大河の ように 尽きること なく流れさせよ」(5:24) 正義と公正の法を生き返らせ、そのよ うな法に則し て正義と公正の裁きを実現させ、全ての民が安心して 暮らせるよう になるというのですが、少なくともいま はそうなっていないのです。 《その 日には/わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し/そ の破れを修復し、廃虚を復 興して/昔の日のように建て直 す。こうして、エドムの生き残りの者と/わが名 をもって呼ば れるすべての国を/彼らに所有させよう、と主は言われる。 主は このことを行われる。見よ、その日が来れば、と主は言 われる。耕す者は、刈 り入れる者に続き/ぶどうを踏む者 は、種蒔く者に続く。山々はぶどうの汁 を滴らせ/すべての 丘は溶けて流れる。わたしは、わが民イスラエルの繁栄を 回復する。彼らは荒された町を建て直して住み/ぶどう畑 を作って、ぶどう 酒を飲み/園を造って、実りを食べる。:15 わたしは彼らをその土地に植え付ける。 わたしが与えた地 から/再び彼らが引き抜かれることは決してないと/あなた の神なる主は言われる。》(アモス9:11-15) 最後の言葉をよむとほっとしますが、 アモスの弟子 かなんかによって後日付け加えられた祝福の言葉と 言われます。老婆 心でしょう。アモスの言葉を際立た せ、そのジャーナリズム精神を曇らせな いためにもな い方が良いと思います。
8月25日の説教から エフェソスの信徒への手紙2章 「キリストは我らの平和」 久保田文貞 私たちの感覚はどうしても〈戦争と平和〉を対置して考え てしまいます。 当面国家の中の一市民という前提で発想す るよりないとすれば、平和とは国家 が戦争をしない状態を維 持すること。だが米国やロシア、中国も入れてよい が、超大 国になるとし戦争は彼らが支配する国家の外でするもの。 国内には 直接被害はないように。ただ若者が兵となって訓 練され人殺し集団になって出 かけていく。圧倒的な戦力で 戦ってくるわけだから、攻撃された国と戦争の意 味も結果も 違うけれども。ただ超大国の若者にも戦死者、負傷者があ る。祖 国に英雄として帰還するが。だが人殺しをやってきた 彼らが帰国して正常 に社会復帰できるはずがない。復帰で きるものの方が異常だ。国家は ほぼ戦勝のふりができるが、 実際にはその内側にどうしようもない闇を 抱える。 超大国に標的にされた弱小国の方は動員された兵士、 送り出した家族、民 の生活すべてめちゃくちゃである。以後 小国家は超大国らの陰に脅え主権国家 の体ではなくなる。 それで戦争がなくなった、平和だと胸を張って言えま い。 戦争がないことが平和だというのは超大国側の都合の良 い論理である。 超大国は彼らの平和をもって、国際経済を 牛耳り多大に利益を上げ繁栄を享受す る。弱小な人民はり 武器を隠し持ち、いつ叛乱を起そうかと機を窺うが、おそら くまたやられるだけだ。 早くから戦争と平和の論理のまやかしに気づいた人 たち がいる。そのひとりが生前は無名だったシモーヌ・ヴェイユ (1909-43)だ。彼女は身近な社会にごろごろ転がっている 暴力も、国家が 外部の敵と戦っている暴力も、現実に繋が っていることを見抜いて体を張って取 り組む。「戦争は自国 民を抑圧し、動員し、死に赴かせ、国民への支配を貫徹す る だけのものだ。戦争は民の一人一人の自由を奪う。祖国 への愛を煽り、個人の 幸福を根こそぎ奪ってしまう。敵を大 量殺戮するだけではない、その大量殺 戮に自国の兵を送り 込む。戦争は抑圧のための装置であり、一度生まれると、 破 壊されるまで生き続ける。」『戦争にかんする省察』 病 弱で痩せた彼女は、あ えて劣悪な労働現場を選び、そこで 組合運動を組織し、戦争になると兵士の側 に寄りそおうと する。どれも満足にできないのだが。彼女はいつも人の不 幸(malheur、悪しきmal運heurのことだが、仏語のheurはheu re時間と同音だ) の中に踏み込み、国家・共同体の内側に 潜む戦争の姿を暴こうとする。最後ロント ゙ンでド・ゴールの 指揮するレジスタンスに加わるがカイエ(メモ帳)を 残して病 死する。 戦争は一見平和な市民生活の中に入り込んで一人前に 息して いる。理解を超えた殺人が起こったり、意味不明のあ おり運転をしかけたり、す るとマスコミが大騒ぎし、結果権力 は「犯罪者」を抹殺する。外国人に露骨な ヘイトを浴びせか ける。学校で、クラスで、異形を探し出していじめる。 これに まつろわぬものも標的になるのではと脅えて、いじめの側に 回る。これ らは戦争よりいくらかましなものなのか。比較して も意味ないが、私たちの生活 のすぐそばにあって確実に人 の命を脅かしている。 そこで、エペソ書2章 14節以下をよむ。聖書のいう平和 が、私たちのただ中に起こっている戦争もと ゙きの事柄に何 と言うだろう。エペソ書の影の作者はこう言う。 「実に、キリ ストはわたしたちの平和であります。二つのも のを一つにし、御自分の肉におい て敵意という隔ての壁を 取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。 こうし てキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り 上げて平和を 実現し、十字架を通して、両者を一つの体と して神と和解させ、十字架によって敵 意を滅ぼされまし た。」 書かれたのは90年以後。非ユダヤ人キリスト者の方か ゙多く なって、ユダヤ人キリスト者の肩身が狭くなってきた時だ。 非ユダ ヤ人のある作家がパウロでコロサイ書を書いたが、 福音がヘブライの 信仰から出たことがほとんど書かれてい ない。教会の中でユダヤ人が無 視され始めた。エペソ書の ユダヤ人作家は、ヘブライの伝統・存在理由を訴 えた。キリ ストの平和はユダヤ人をベースにして異邦人にも与えられ た。両者 の隔ての壁が十字架に架けられ死んだキリストに よって取り除かれた。両者の 対立がそのまま続けば教会は 空中分解するが、キリストの十字架という犠牲 によって神と 和解し、両者の敵意は消散し、より一層の一致へと至ったと いうわけ だ。直接にはこの平和の呼びかけは、エペソ界隈 の教会の内紛?に対するユタ ゙ヤ人キリスト者側からの一提 起にすぎない。教会内の非ユダヤ人(異邦人)と ユダヤ人 の対立など小さいと言えばその通りだが、少なくともここで こ の対立が敵意や憎悪を産み出すだけのものなら、教会に 禍あれ。教会が世 界平和の模範たれなどというつもりはな いが、そこに憎悪が野放しになって いるならお前たちはま だキリストの首を絞めようとするのかというよりない。
8月18日の礼拝説教から マタイ伝福音書10章26-31節 題「しかと見ること」 久保田文貞 この聖書箇所だけ読むと、ある種の関連を持ったイエス の言葉の断片を集め たような印象を受けます。ここはルカ1 2:2-9にその平行箇所があり、明確にQ資料 から持ってき たことがわかります。Q資料の形式上の特徴はイエス語録 集で、 前後の脈絡がないか、あったとしても見えにくく、バラ バラに並べられて いることです。この点で、ルカの場合、イ エスのガリラヤ時代の描き方は、Q 資料の言葉や、マルコか らの諸伝承をけっこう無頓着に並べていて、Q資料的なの です。これに対してマタイの編集の仕方は集めた諸伝承を、自 分が立てた編集 方針の下に大胆に並べ替えることにありま す。例えば、5-7章は山上の説教=新 しい律法という観点 からイエスの言葉を、8章から9章は人々への癒し活動を、 とい う具合に。そこで10章は、「十二弟子の派遣と訓示」と いうテーマの下に編集し ています。1~15節はマルコ資料 に沿って12弟子派遣と言葉。16~25節は同じマルコ 資料1 3:9-13からの言葉で、これは受難物語(14~15章)の直 前、いわゆる小黙示録 と言われる審きについて集められた 言葉集ですが、これを使ってマタイが筆 を入れ拡張したも のです。そして10:26-31のQ資料の言葉をここに持ってき ます。 その後の39節までQ資料の言葉を、最後に49-42を おそらくマタイ自身の作文で 締めくくっています。要するに 26-31のQ資料の言葉が、マタイによって弟子派遣 の言葉 として組み込まれている、果たしてそれは妥当か検証して みたいと思います。 26-27節のうち26節「覆われたもので、現れないものは なく、隠れているもので 知られてこないものはない」はQ資 料だけでなくマルコ4:22に出てきます。21節 の「ともし火を を寝台の下に置くか」という言葉と対になっています。《神の 恵み が間にこうして現実に起こりつつある時に、隠れたまま でいられるものなんか ありませんよ。どうしてそれをベッドの 下に隠しておけるでしょう》そん なイエスの呼びかけの言葉 のように聞こえます。 ルカはおそらく自身の判断で、 これを「パリサイ人のパン 種、すなわち彼らの偽善に気をつけよ」につなげ ています。 そうすると〈人間の偽善は隠しおおせるものではないよ〉と いう話に なります。ルカ12:3も、マタイ10:27「明るみで言 え」(宣べ伝えよ)と違って、 「なんでもみな明るみで聞かれ、密室で囁いたことは、屋根の上で言い広め られる」と。 〈偽善者よ、お前の偽善は必ず暴かれる〉という響きになり ます。 こっちの方がマタイ的ですが、マタイはそうしなかっ た。あくまで弟子た ちの宣教の問題として位置づけたので す。 確かに、28以下も福音宣教の際に世 の司直との間 で起こった緊張に向けての言葉として読めるかもしれませ ん。ルカ 12:4-5は以前としてこれを偽善者への警告の言 葉として受け止めています。 マタイ 10:29-31//ルカ12: 6-7 は、突然、神の創造の業の奥深さというか徹底さのこ とか ゙言われます。マタイ6:22//ルカ12:23を想い起させま す。いずれにせよマタイの、 宣教の迫害状況に向けての言 葉としても、ルカの、偽善者への警告としてもどち らもぴった りこない。もともとのQ資料の無頓着な並べ方に起因するで しょ う。マタイ10:32-33//ルカ12:8-9も、人が神の前で究極 の審きうける時、ど んな弁解も通用しない、受け入れるより ないというわけで、これも直接にはマタ イやルカの設定に合 いません。こじつければできるかもしれませんが。最 後に、マタイ10:26-33の言葉を、弟子派遣に寄せた マタイに沿って自分たちへの言 葉として読み直してみたい と思います。私たちは先週、平和を考える礼拝をしまし た。 毎週の礼拝という形式は、知らない人にはヒキコモリのよう にしかみえないか もしれません。50万人近い松戸市の片隅 でたった10名ぐらいの集まりが、イ エスの弟子派遣と何のか かわりがあると問われたら、口ごもりながらも何か は言えるで しょうが、相手にまず通じないでしょう。「平和を考える礼 拝」 などましてや、〈お前たちがここですることか〉と言われ、そ れに必死 に応えても「それで?」と言われておしまい。ます ますヒキコモリに近づくけと ゙、そうだ「覆われているもので現 されないものはなく、隠されているものて ゙知られずに済むも のはないからである。」とイエスが言われたことを想い 起そ う。明るみに出て、しかと世界を見、わたしたちは屋根の上 でしかと語るの だ。片隅で?10人きりで?と言われようと、 「父の許しがなければ」、屋 根から地に落ちることもないの だからと開き直りつづけようと。
8月11日「平和を考える礼拝」での「語り合いの とき」のまとめ 「いま平和とは?」 参加者 8名 報告者 久保田 はじめに広島出身のMMさんから1975年10月米国 訪 問から帰った昭和天皇が初めて記者団との会見の 映像が紹介された。中国放送 の記者が「...戦争終結 に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお 受け 止めになりましたのでしょうか」と尋ねたところ、 天皇は「原子爆弾が投下さ れたことに対しては遺 憾には思ってますが、こういう戦争中であることで す から、どうも、広島市民に対しては気の毒である が、やむを得ないことと私 は思ってます。」(毎日新 聞1975年11月1日の記事から引用) と答えたという。この 映像を見てMMさんは愕然とし、 その程度にしか感じないのか、怒り心頭に達した と。 KFから、その記者会見でザ・タイムズの記者から戦 争責任について問 われ、天皇は「そういう言葉のア ヤについては、私はそういう文学方面はあまり研 究 もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題 についてはお答えがて ゙きかねます。」という有名な 答弁があったと。広島長崎の原水爆、沖縄戦、各 地の空襲、いやそれ以上に東アジア・太平洋での 多くの犠牲者を生み出した戦 争への責任が「文学 方面」のこととは。これについていろいろな意見が 出たか ゙、報告者からまとめさせていただくと、〈その ような天皇に責任を問わなかっ た理由はいくつも 挙げられようが、そんな天皇を象徴としていまもひ きずっ ていることを深く受け止め、天皇制について 今後しっかりとした意見を持っていき たい〉というこ とだった。 YSさんから『絵で読む 広島の原爆』(文=那須 正 幹、絵=西村繁男)が紹介された。那須さんも爆 心地から3キロのところで被ば くされたという。以前 の広島の町の絵、被爆直後の絵、変わり果てた広 島、復興し ていった町の絵をみた。 次にTKさんから事前にメイルされた「〈声明〉韓国 は「敵」 なのか」(2019年7月25日、呼びかけ人代表和 田春樹さん)を印刷して参加者に配り、 TKさんがコメ ント。これについて意見交換をした。呼び掛け文の言 葉から引用 しておきます。 《日韓関係はいま、悪循環に陥っています。いま、ここで 悪循環 を止め、深く息を吸って頭を冷やし、冷静な心 を取り戻さなければなりません。 本来、対立や紛争に は、双方に問題があることが多いものです。今回も、 日 韓政府の双方に問題があると、私たちは思います。 しかし、私たちは、日本の市 民ですから、まずは、私 たちに責任のある日本政府の問題を指摘したいと思 い ます。韓国政府の問題は、韓国の市民たちが批判 することでしょう。 双方の自 己批判の間に、対話の空間が生まれま す。その対話の中にこそ、この地域の平和 と繁栄を生 み出す可能性があります。 本文のコピーあります。賛同される方は 個人でもでき ます。第一次集約は8月15日だそうです。 もう一つ、4月にIK さんから紹介された絵本作家浜 田桂子さんの講演会が松戸でありましたが、 そこで求 めた本『戦争なんか大きらい』と、浜田さんの『へいわ ってどんなこ と?』、後者を朗読。 《せんそうをしない。ばくだんなんかおとさない。い え やまちをはかいしない。だって、だいすきなひと に いつもそばにいてほしい から。おなかがすい たら だれでもこはんがたべられる。ともだちとい っしょにべんきょうだってできる。それからきいっと ね、へいわってこんな こと。みんなのまえでだいす きなうたがうたえる。いやなことはいやだっ て、ひと りでもいけんがいえる。わるいことをしてしまったと きはごめんな さいってあやまる。どんなかみさまを しんじても かみさまをしんじなくても だれかに おこられたりしない。おもいっきりあそべる。あさま でぐっすり ねむれる。いのちはひとりにひとつ、た ったひとつのおもたいいのち。だからせ ゙ったいに、 ころしたらいけない。ころされたらいけない。ぶきな んかいらない。 さあ、みんなでおまつりのじゅんび だよ。」 (聞いていて、前に MK さん が朗読 してくれたことを思い出しました。) その他、参加者からご意見や、体 験談など、ま た礼拝後もいろいろなお話がありましたが、掲載 できません でした。すみません。
8月4日の礼拝説教から ルカ伝福音書8章1〜3節 「『女性の働き』という言い方」 久保田文貞 アベノミクスの成長戦略の一つに女性の社会進出の 促進というのがあ ります。背景には労働力不足が深刻 な問題として立ちはだかっていることから、 女性も外 国人も高齢者もとにかく働ける者を動員し「日本一億総 活躍」をさせよう というわけです。 女性の社会進出というのが世界的に要請されたのは 第一次世 界大戦からと言われます。連合国も同盟国も 総力戦になりました。男たちは勇んて ゙軍に志願し前線 へ、結果男たちの職場に女たちが進出。イギリスの場 合、女 性たちはそれを女性参政権運動へとつなげてい きました。ケン・フォレットの小 説『巨人たちの落日』 はその様子を見せてくれます。 だが、日本の場合、第二 次大戦から、その無謀な戦争 による動員は社会進出と呼べるようなものではな く、 日本国憲法が後に言う「奴隷的拘束」にほかなりません でした。敗戦後、 女性たちは一時の解放を得たものの、 自立した社会進出へ十分につなげていくこ とができま せんでした。それが今に続いている感がしてなりませ ん。ア ベノミクス的感覚からすれば、女性の労働力をど れだけ動員できるかと いうことなのです。基本的に女 性を男性の下で働かせようという魂胆が透け て見えま す。例えば、世界の女性議員の割合調査(IPU)で日本は 193か国のうち 165位、経済的先進国の中で最低という ことがそれをよくものがたっています。 さて、今日もテキストは聖書日課プロジェクトの福 音書の部分によるもので すが、全体に「女性の働き」と いう題が付けられていました。これを見たとき 私の頭 の中で「女性の社会進出」と重なりました。 8章1-2節は福音書記者ルカ の手による「総括的報告」 の箇所ですが、1節はイエスの福音宣教と、それをア シ ストする 12人の男弟子のことが書かれています。それ に続いて2節は男たちの 一行に「多くの女たち」も同行し ていたこと、そのうち3人は名を挙げています。 「七つの 悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれる マリア、ヘ ロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサン ナ」です。 前回も申し上げたよ うに、著者ルカは、「イエスの時」 を描く福音書においても、その後の原始教団の 宣教 (「教会の時」)を描く使徒言行録においても、他の福 音書と比べて多くの女 性を登場させ、明らかに「女性の 働き」を強調しているかのようです。 イエス一 行に女性も参加していたは、ルカが資料と して使ったマルコにも、ちらっと出て きます。マルコ15 :40-41の十字架の場面です。イエスがガリラヤにおら れた ときから、多くの女たちがイエスに〈従って〉〈仕え た〉(口語訳)と書いていま す。マルコ福音書で、イエ スは自分に同伴しようとする者に「従う」こと「仕え る」 ことがいかに大切か語っています。 8章で、いわゆるペテロのキリスト 告白のところです が、ここでイエスはペテロに向かって「サタン、引下か ゙れ」と叱りつけ、それから「群衆を弟子たちと共に呼び 寄せて言われた。『わ たしの後に従いたい者は、自分を 捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いな さい。』 と。 9章で、弟子たちが自分たちの間でだれが一番偉いか と 議論をしているのをイエスが聞きつけて、イエスは 「あなたがたの中で偉く なりたい者は、皆に仕える者に なり、いちばん上になりたい者は、すべての人 の僕にな りなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるた めに、また、多く の人の身代金として自分の命を献げる ために来たのである。」と。 マルコで は「仕える」と「従う」は同義語といってよい でしょう。イエスに同伴する男た ちも女たちも、仕え、 従う――それもかならずしもイエスにというわけでな く、 「群衆」すなわち人にしもべのようにして仕え、従う ことだと、そのための具 体的な行動と姿勢が求められ るのす。 ルカは使徒言行録で確かに教会で活躍 する女性を書 いていますが(例えば使徒9:36、16:11以下「リディア」、 18:2 「プリスキ」など)、古代ユダヤ・ローマ社会の男 社会ではどうしても女 たちは、男たちを「もてなす」(原 語はマルコの「仕える」と同じ)べきものに なってしまう。 10章38以下、マルタとマリヤの話のように、イエスの言 葉に聞き入 るマリヤは特別な存在になってしまいま す。当然のようにほとんどの女たちは 「もてなし」「仕え る」ものに落ち着いてしまうのです。ルカはそんな女性 像を 引き上げたと言えなくもないですが、結局は「み言 葉」に奉仕する輝かしい 女性の陰で、普通に「もてなす」 女性こそ「仕える」女性の姿だとそちらにも 道をつけて おく、男たちにはこんなに都合の良い話はありません。 アベノミクス の女性観に似て見えて仕方ありません。
7月28日説教より ルカによる福音書7章36〜50節 「罪・涙・女ということか」 久保田文貞 今日の聖書箇所はマルコ14:3-9の塗油伝承と同根の伝 承であることは間違 いないでしょう。でも無視できない違い があります。マルコでこの伝承 は福音書の終曲とも言うべき 受難物語の幕開けに位置します。場所はベタニヤ (エルサ レムから2キロ、イエスらの宿があった)の「思い皮膚病」(古 代語のレフ ゚ラ、ヘブル語聖書のメツォラーなど一群の世界 規模の差別語に組する「癩」 で、新共同訳は途中からこれ に訳し変えた。意図は察するが、『聖書』が世 界規模のこの 差別語を使ってきた事実を忘れてはなるまい)人シモンの 家。そこて ゙食卓についていた時、女が現われました。女は 独りイエスの死を予感しそれを 受け入れるかのように、男弟 子たちの戸惑いをしり目に、イエスの頭に香油を注き ゙葬りの 準備をしたのです。思えば、イエスの最期をマグダラのマリ ヤら 女たちが十字架の死と葬りの目撃者となり、その屍に 塗油をせんと三日目に行っ てみると墓が空であると知り、イ エス復活の報を発信することになります。こ うしてマルコ受 難物語は、逃散してしまった男たち(14:50)のではなく、女 たち の勇敢な行為によって枠づけられるという構成になっ ています。 さて、ルカはこ の塗油物語をマルコ福音書と別の観点からその福音書に書き入れました。ルカはマル コ福音書を読 んだ上でそうしているわけで、かなり意図的です。これを受 難物語から引きはがすに足る理由を掴んだからこそできた ことでしょう。 時も所もマルコとは異なります。時はイエスの 活動の初期、場所はガリラヤのと ゙こか、シモンというパリサイ 人の家の食卓を囲んでのことになります。シモ ンという同じ 名ながら対照的な人物の食卓です。そこで37,38節「この町 に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家 に入って食事の席に 着いておられるのを知り、香油の入っ た石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの 足もとに近寄 り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬ く ゙い、イエスの足に接吻して香油を塗った。」 ルカの方で は、イエスに献身的て ゙あり悔悛的な行為によって、ひとりの 女の罪が赦されたという物語になってい ます。イエスに出会 って罪を「悔い改め」る一人の人間、ひとりの女、としてスホ ゚ ットライトが当てられているのが分かります。この物語を遠藤 周作は『聖書 の中の女性たち』で実にうまく読みものにして います。その町での娼婦の生業 を赤裸々に描き、町の子ら や人々から娼婦として疎んじられている様子を書いて いき ます。そしてイエスが町に来ることを知り、あの奇跡(前回 の)を目撃する。 パリサイ人の家にやってきたことを聞きつ け、庭から覗き見る。すると「お前な どの来るところではな い」と追い出されそうになるが、彼女はキリストのう しろに近 づく。 《キリストは背後を振り返り、自分の前に悲しげに立って い る女の顔を見ました。突然女の顔から大粒の泪があふ れ、真珠の粒のように一滴 一滴、彼の足を蒸らしたのです。 この熱い泪からキリストは女の過去、惨めだっ た人生を理解 したのです。「安心するがいい」彼の唇から力強いその一言 が 洩れました。》 遠藤はこの本の初めに、新約の中に27,8人の女性が 登場してく ると言います。どう数えたかわかりませんが。そし てこう書いてます。 《その 一人一人は良く考えてみると結局は「女性というもの」 の象徴的な分身のような気 がしてなりません。・・・そしてあ なたの中にも、ヴェロニカ(ルカ23;27以下 から出た伝説の 女性)である部分、マグダラのマリアである部分、アンナて ゙ ある部分...がすべてひそんでいる筈です。これら一人一人 を...描いて いきたいと思いますが、その僕の目的は結局、 女性の本質をそこから浮かび上 がらせることにほかなりませ ん。そして最後にこれらの聖書の女をすべて総合 した一人 の女性が――つまりあの聖母マリアがうかびあがってくるで しょ う。》 ルカ福音書は、他の福音書に比べ女性をより敬愛をもっ て書いている「女 性の福音書」と言われてきました。しかし、 今日の箇所も典型的な例ですが、 罪を「悔い改め」赦され ていく女性の謙遜さと奉仕の精神を評価し、これこそすへ ゙ ての女性性の基準であるかのように描いていると言わざる を得ません。まる で女性は本来的に弱く罪深い者であり、 女性が救われるのはその延長線上に 出てくるであろう謙遜 さと奉仕の精神にこそあると言わんばかりです。この 波長が 作家遠藤を掴んだのでしょうか。マルコが描いたベタニヤ の女の 像は180度違っています。
7月21日の礼拝説教から ルカによる福音書7章11〜17節 「いのちの回復について」 久保田文貞 ルカ福音書に、癒しの奇跡物語(癒し以外の奇跡は除 く)が15個出 てきます。その10個はマルコ由来のもの。1個 はQ資料、4個がルカにしか出てこな いもの。7章11以下は そのひとつです。個数だけから言えば、マルコと同じ です。 まずルカより前の原始教会で奇跡物語がどう位置付けら れていた か、概観してみます。文書として残る最古のものは パウロ書簡ですが、彼は 直接に奇跡物語について述べて いる箇所はありません。ただIIコリント5:16て ゙「今後だれをも 肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知って いたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。」と書 いている。この言 葉の背景には、コリントに彼の論敵がエル サレム教会からやってきて、パウロ は生前のイエスを知らな い、その男にイエスの福音を語る資格がないといった批 判 していたらしい。パウロとして、ガリラヤ時代にイエスがどうし たこう した知りたくもない、ただイエスが私たちのために、十 字架に死んだこと、 神がそのイエスを甦らせたこと、それだ けで十分と、いわば開き直ってい るということでしょう。別の 脈絡にはなりますが、Iコリ2:2「十字架につけら れたキリス ト以外、何も知るまいと心に決めて」いるというのもこれと関 連づけ てよいでしょう。こうしてパウロの手紙には、生前のイ エスの事績についてほ とんど触れることはありません。た だ、十字架と復活がイエスを信じる者 にとってなにか、そこ に一切を集中する、しかしこのことによって、人が生きて い る現場の事実を、つまり歴史を軽んじることにならないか、 Iコリ7:29以下の ように「今からは、妻のある人はない人の ように、 泣く人は泣かない人のように、 喜ぶ人は喜ばない 人のように、・・・」、「かのようにしか」生きないで、 直接歴史 に関わらないことにならないか、疑念の声が上がってもや むを得ない でしょう。 〈これに対して〉と言ってよいかどうか決め難いのですが、 こ こにマルコ福音書を対峙させるのは無意味ではありませ ん。マルコは意識して生 前のイエスの伝承を集めました。そ れ自体の文書は残っていませんが、イエスを 知る人々の間 でまだ消えきってはいない記憶をたどってイエス伝を浮か び 上がらせたのです。ガリラヤの衆生の間で呻いている人 々を直かに癒し、 実践的医療活動=〈宣教〉活動を始めて いったイエス伝を描いて、その結果としての 十字架と死を福 音書として書き表したのです。イエス運動が、ガリラヤの民 衆が生きているに過酷な歴史的現実にしっかりと応えるも のだったことを書き 留めたと言えましょう。 再び〈これに対して〉と言いますが、マルコ福音書か ら20 年ほど経って、これに満足できなかったルカが福音書を書 き改めます (ルカ1:1-3)。結論的になりますが、ルカは福 音書を、神の独り子、キリストの誕 生から死と復活まで、す べての人間への救いの出来事として描きます。こう言っ てよ ければ、それを完全に神学化して描きます。マルコが生前 のイエスを記憶 する諸伝承を集めて福音書文学を作り上げ たのとは全く別の動機で、この福音 書を掻き上げます。マ ルコ1:1で「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」 としてガ リラヤのイエス運動開始から書きだしたわけですが、ルカの クリ スマス物語は誕生したイエスはマルコが描くようなただ 神のみ心のままに活動 するイエスではない、そうではなくイ エスは「神の独り子」そのもの、神その ものであると「告白」 する福音書の始まりを意味します。 このような神学的に高 められたイエス伝において、15個 も出てくる癒しの奇跡物語の意味づけも当然な がら重心が 違ってきます。今日の聖書箇所の奇跡物語はそのことをよ く示して います。ルカ的なセンスで、完成された奇跡物語と 言ってよいと思います。舞台 はナインという町?、考古学的 には防御壁に囲まれ門を持った町の明確な証拠はない そ うです。ナザレから9km東の寒村の可能性大。そこにイエ スと弟子たちと群 衆がやって来るのも不自然だが。イエス一 行は町の門で、やもめの一人息 子が死んだという葬列にぶ つかる。「主はこの母親を見て、憐れに思い、 「もう泣かなく ともよい」と言われた。そして、近づいて棺に手を触れられる と、 担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、 あなたに言う。起きな さい」と言われた。すると、死人は起き 上がってものを言い始めた。イエスは息 子をその母親にお 返しになった。」と。常套的な奇跡物語で、最後に人々の賛 辞 の言葉がきます。だが、ルカはそれに「また、『神はその 民を心にかけてく ださった』と言った。」と締めくくります。ル カにとっては、奇蹟のひとつひと つが、神が独り子キリストを 世に遣して始める世界史的な救済の出来事だと いうわけで す。そのようにして、歴史を人間の歴史ではなく、すべて神 の救 いの歴史に書き換えてしまうことになります。15個の一 人一人の癒しの奇跡物語は 神の救済史の中に回収されて しまいます。神学的構想はそうやって完結するので しょう が、私にはこの種の構想にあまり関心がありません。その前 の錯綜した 言葉にこそ真実が隠れていると思います。
7月14日の礼拝説教から マタイ福音書6章9~13節 「われらを試みに遭わせず」 板垣弘毅 きょうは、イエスが弟 子たちに「こう祈りなさい」と教えた「主の祈 り」、第6番目の「われらを試みに遭わせず、悪より救い 出し給え」を考えます。 主の祈りは「わたし」の祈りではな く「わたしたち」の祈りです。主の祈りの 「わたしたち」は、イエ スと、信徒である「わたし」の一対一の関係を、イエス とすべ ての人びとの関係に拡大しているのです。いま、「わたし」 に注が れているまなざしが、最終的にはすべての人のでき ごとになる、それを 先取りして「わたしたち」というわけです。 内村鑑三のように言うならば、こ の罪深いわたしが救われて いるならば、この世界で救われていない人はいな い、という ことになります。 「われらを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ」 という 祈りは、どうしようもない現実の困難の中で「わたし」と「世 界」に関 わる祈りなのです。そこを確認して出発します。 先週、注目されたニュースの一 つですが、ハンセン病元 患者の家族が起こした、患者本人だけでなく家 族も深刻な 差別を受けたとして損害賠償を求めていた熊本地裁での 訴訟で、原 告側が勝訴し、被告・国側は控訴しないとして、 判決が確定しました。 国によ る人権侵害は、旧優生保護法のもと、強制不妊手 術をめぐっても、今あちこちの 地裁、高裁で国家賠償請求 が起こされています。 「らい予防法」とか「優生保 護法」の ような法律が定められれば、それに基づいて差別が定着し てしま うことを思うと、「われらを試みに遭わせず」と祈らざる えません。「われら を」とあるように、ほとんどの人が望まない ことをわれら人間は、実現してし まうわけです。きょうの祈り も、切実な祈りなのだと思います. 「われらを試 みに遭わせず、悪より救い出し給え」と祈れとい うとき、イエスの目にあるのは、 寄る辺ない人たちを苦しめ ている一つの具体的な現実ですね。 祝福されなけれは ゙ならない、かけがえのない「いのち」を 痛めつけている現実です。イエスは この目の前の現実に向 き合います。世界に起こることがどれほど「悪魔的」 であったとしても、 それは人間のすることです。、私たち人間がつくり出す 闇の 深さを、イエスは見つめ、祈りによらなければ太刀打ちでき ないと見抜い ているんです。その上で、「悪より救い出してく ださい」と、まず神に祈 れ、と教えました。人を「試みる」「誘 惑する」現実は常にあり、「悪人」はど こにでもいて、それら に「われら」人間が抵抗することは不可能だ、とみて いるか らですね。というのは「試み」も「悪」も「われら」人間のするこ とだ からです。 「魔が差した」と言ってしまいたい体験を、わたしもいくつ かして います。車を運転しているときのこともありました。「魔 が差す」と言って、な んとかあきらめたり、深く考えないように したいわけです。 イエスは、「サタン」 とか「悪霊」とか、何か意志を持っては たらく人間を越えた力が、リアルに人ひ ゙との生活のたたずま いに生きていたなかで、「魔が差す」という逃げ方 を決してし なかったのだと思います。 マルコ1章、ユダヤ教の会堂で話すイ エス。「律法学者の ようにではなく」と記されています。道理や理屈ではなく、 直 接訴えるものがあったのでしょう。できごとはできごとでつた わ る!すると、そこに悪霊に取り憑かれた者がいて、急に叫 び出します。「ナザ レのイエス、かまわないでくれ。我々を滅 ぼしに来たのか。」いくつかの悪霊 に自分を乗っ取られて いる(と信じる)人が、悪霊として叫びます。人格が 乗っ取ら れることは珍しくありませんね。 「おまえの正体は知ってる ぞ」と言 われ、即座にイエスが「黙れ。この人から出て行 け。」というと、「汚れた霊は、 その人をけいれんさせ、大声を 上げて出て行った。」 その人の現実に踏み込んて ゙、「悪霊憑き」という共同の幻 想から解放しています。「魔が差した」なんて 言い訳もせ ず、、神の権威なども持ち出さないで、ストレートに、「悪霊」 に「黙れ!」と言ったイエスの存在に、この男は動転したん です。 「誘惑に陥ら ないように、目を覚まして祈れ」(マルコ14:3 せい 8)とは、目の前の現実を、何か 悪魔か運命の所為にしない で、ここでなされる神のできごとを見届けよう、 それに加わろ う、きみにも、あの人にも、イエスのまなざしは注がれている ん だ、ということなのだと思います。「目を覚まして」とはそう いうことです。 そしてこれが主の祈りの第6の祈り、きょうの祈りに込めら れたイエスの思いだっ たと思われます。イエスが、神の国の 福音として、私たちに告げたことは、こ の世から「悪」を取り 除くことではなくて、天の父の祝福を共有することでし た。
7月7日説教より ルカによる福音書15章1〜10節 「いなくなった羊を」 久保田文貞 失われた羊の譬はわかりやすく、教会としては、いなくな った羊を、神・キリストが 尋ね探しだし、保護して下さるという ので、説教者にこれほど便利な譬は なかなかないでしょう。 かくいうわたしもこの譬について話すのはこの10年で3 回目 になると思います。またこれは教会という枠の中だけでな く、〈故郷〉か らさまよい出て孤独に苛まれる現代人に語りか けてくる言葉にもなっています。 羊 飼いと羊の比喩は旧約時代の人々には身近な譬え で、旧約聖書に度々出てきます。 「いなくなった羊」の譬に 最も関連が深いのはイザヤ40:11でしょう。「主は 羊飼いとし て群れを養い、御腕をもって集め、小羊をふところに抱き、 その母を導 いて行かれる」とあります。 これも古くからある比喩をふくらましたものですか ゙、この言 葉を聞く者をして、どうして羊飼いは一匹の小羊を懐にか かえている のだろう、それに付いて行く母羊の姿になんの 意味があるのだろうと想像力 が掻き立てられます。 イエスの語られた譬話は、そのひとつの解釈と言えましょ う。群れからはぐれて見当たらない羊がいる、羊飼いはいな くなった子羊を捜 しだして「懐に抱く」、それから家族・友人 たちと呼んでみんなで喜ぶと いうのです。 いなくなった羊とはだれか、放置された99匹の羊とは誰 か、正解 があるというものではありません。これを聞くあなた がひとりひとりで判 断してくださいというのでしょう。 Q資料の中にあったろうこの譬伝承を、ま ずマタイ(18章) が収録してくれました。その時も、マタイなりの解釈でちょっ とだけ元の譬に手を加えている節があります。迷い出た羊 を捜しに行くために、 989匹を山に残していくというところで す。前にも申し上げたように〈山〉はイ スラエルの民がモー セを介して律法を与えられた場所であり、福音書ではあ の 新しい完全な律法(5:18)というべき「山上の説教」(5―7 章)が語られる場所 なのです。つまり山に残っている99匹 は、マタイにとって教会に残っている人々 であり、迷い出た 羊は教会から脱落した「小さい者のひとり」(18:33)とされて いるのです。 これに対して、ルカが収録した譬は、だいぶ趣が違いま す。 99匹は野原に残されます。野原は無防備で、危険な 場所というべきです。ま るで99匹がどうなろうとよいといわん ばかりなのです。羊飼はいなくなっ た羊を探すことにのみ集 中する、「そして、見つけたら、喜んでその羊を担いて ゙、家 に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を 見つけたので、 一緒に喜んでください』と言うであろう」となり ます。おそらく、ここまて ゙が元の譬話。そしてルカが採取し たこの譬話がイエスの語られた原型に近 いと思います。 7節「言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人 につい ては、悔い改める必要のない99人の正しい人につ いてよりも大きな喜びが天に ある。」とは、4つの福音書を見 比べればすぐわかる通り、「悔い改め」を重 視するルカ固有 のものです。〈ふところに抱かれた小羊〉は「悔い改めた」ゆ え にそうなっているのかとついつい思いたくなります。だが、 ルカの名誉のため に言っておきますが、日本語の語感にあ る感情的な湿った感じはないばかり か、「罪人が悔い改め る」とは言うが、「罪を悔い改める」とは言いません。 ギリシャ 語のメタノエインは、主としてヘブライ語聖書のニハム「思い 直す」 の訳。むしろヘブライ語のシューブ「引き返す」つまり 反転するという意味の 言葉が「悔い改める」と和訳されてい ます。要するに「悔い改める」とは〈やお ら向きを変えて歩み はじめる〉ほどの意味と言うべきでしょう。 さらに、 この向き直り、反転はたしかに「いなくなった小 羊」において起こることですか ゙、この反転が可能になるのは 羊飼自身が選び取った反転が元にあるから でしょう。疵の ない義しい99人と、疵だらけの失われつつある一人との間 に起 こるような反転は、この福音書がとらえている重要な視 点になっています。神か ゙起こすこの反転ターンに合わせて いっしょに踊るようにして反転する。それが 悔い改めと訳さ れたことの意味だと思います。 だが、この軽いフットワーク に、さっと影が差すのを見逃し てはなりますまい。そうやって君は向きを変えて 生き始める のをよしとしよう。でも、置き残された99匹は君の記憶から 抹消され てしまうのか。むしろ向きを変えたからこそ、消され てしまう99匹を君がどう とらえなおすか、それこそ君の最終 的な問題ではないか、それこそ向きを変える ことによって同 時に立ち上がってくる倫理ではないかと受け止めざるを得 ま せん。
6月30日の礼拝説教から ルカによる福音書/ 14章 15-24節 「神の国をいっぱいに」 飯田義也 学生時代のことですが「パウロも古代の人だか ら、発言には『古 代人としての限界』もあります よね」と発言したら、教授から「君おもしろいこ と 言うねぇ」とたしなめられたのでした。職場の 同僚に「あなたはおもしろいねぇ」 と言ったらお もしろくなさそうな顔をされたこともあります。 言葉というのは必す ゙ある特定の状況(神学者は「コ ンテキスト・文脈」と表現したりします)の中で 語られるもので、そこで肯定的にも否定的にも受 け取りうるものです。 今日 の箇所は、現代社会の文脈ですと読んでお もしろくないと思う人もあるでしょ う。 神様が主催される宴会ですが、はじめに招待され た人々は、実際に開 催の日になると次々と断りま す。そして、半ば強制的に連れて来られてしまう 人々、・・。 現代社会で「貧しい人、体の不自由な人、目の 見えない人、足の不 自由な人」すなわちマイノリ ティ(少数者)の人々がこれを読んだら、やはり 抵 抗感があると思うのです。 この喩え話自体が、古代社会の中で方向性とし ては神の国を指し示しながらも、近代の人権意識 までには至っていないという 時点ではわかりやす い話として成り立っていると考える必要があり、 まさに古 代の書に限界を見せています。わたした ち、現代のキリスト教徒は、この話を出発 点とし て、現代の話をしなければなりません。そのキー ワードは「ノーマライ ゼーション」という言葉で す。これは字義通り考えると「当たり前になって ゆ くこと」です。何が当たり前かって、たとえば、 視覚障害を持った人が 「社会に参加していないこ とが当たり前」だった社会から「社会に参加して い ることが当たり前」の社会になっていくことで す。交通信号に音響信号があ ることが当たり前(人 が渡る信号ですが)にならなければなりません。 そ のためには、視覚信号だけで不自由を感じてい ない人々、つまり「健常者」 と言われる人々が「こ の信号だけでわたしには何の不自由もない」と考 える のではだめで、共生社会のために意識を変え、 新しい当たり前に対してかか るコストも当然だと 考え、行動することが必要になるのです。 ノーマライセ ゙ーションとは、社会的マジョリテ ィ(多数者)の側の改革です。 しかし、共生 社会を目指すことはよいことだと 言いながら、実際には自分さえよければい いとい うような価値観は、現実として目の前にあると思 います。(この原稿を書き ながら新聞記事の世論 調査を読んでいて、政治的現状を肯定する人の多 さにひ ゙っくり!) ところで、宴会も政党も「パーティ」というの ですが、山本太 郎さんのパーティ、れいわ新選組 の人選がおもしろいことになっています。女 装の 男性、全身麻痺をかかえた人たち、派遣切りにあ った人・・まさにマイノリティ の人々で構成され ています。(特定の政党を推す意図ではありませ んが) さ て、ひととき「神の国は素晴らしい」と思っ ても、実際には行こうとしていない私 ではないだ ろうかと自らを省みるところです。神様におもし ろくない思いを させてしまっているのではない か、神様の食事を味わうことのない側に回ってし まっているのではないか心配です。社会全体を見 渡すと、あるいは自分をふり かえると、またして も歴史は繰り返してしまうのでしょうか。
6月23日、 関さん宅での礼拝から 第一コリント16章23節 「〈家の教会〉について」 久保田文貞 今日の礼拝は、関さんの家での礼拝で、変則的な 感を持たれると思 います。ところが、新約文書に口語 訳で「家の教会」、新共同訳で「家にあ る教会」という のが出てきます。この語自体は多くはないのですが、 パウ ロの書簡や使徒行伝をよく吟味するとかなり早く から、それらしき存在が多くあっ たことが分かります。 当然なのですが、パウロのような巡回する伝道者か ゙ 町々で福音を宣教していく、たいていはまず町のユダ ヤ人グループの 所に行って福音を語る、するとユダヤ 人や「異邦人」だけれど「神を畏れる 人」たちの中から キリストの福音を信じる者が出てくる、ユダヤ人グルー プとうまくいかなくなって、キリストを信じた人たちを核 にして集まりが始 まる。 その集まりがエクレシア、日本語で教会と訳される ものです。ギリ シャ語としてエクレシアの元々の意味 は、古代ギリシャの民会のことです。都 市国家の男の 自由人だけの集会です。そのか ぎりエクレシアは平 等で自 由な意志を持った男たちの集まりです。ことに 最初期のギリシャ語を母国語と した非ユダヤ人クリス チャンたちには、救われた(解放された)自由な人間 の集ま りとして、民会のイメージが重なっていたことで しょう。一方ギリシャ語 世界に離散していったユダヤ 人クリスチャンには、彼らが使っていたギリシャ 語聖書 (70人訳)で、エクレシアは神の民の集会、ヘブライ語 のカーハールの訳 語として馴染んでいたものでした。 さらにイエスの十字架死と復活の信仰へと いたるクリ スチャンには、前2世紀ごろから現れた黙示文学的終 末論の枠組みを 取り入れ、終わりの日を待つ者たち の集会としての意味が加わりました。後の正 統主義キ リスト教のなかで、エクレシアは終わりの日に完全な 救をへと約束され 呼び出された人々と定義されていく のです。 パウロや1世紀末の使徒言行録 に「もし全教会(全集 会)が一緒に集まって」(Iコリ14:23)や「教会(集会) で集 まりをし」(使徒11:26)のような冗長な表現がでてきます。エクレシアが単な る集会ではなく特別の終末 論的な意味を獲得したからでしょう。 話を戻します が、Iコリ16・:23の「家にあるエクレシ ア」とは、パウロのような人物がキ リストの福音を宣べ 伝え、キリストを信じる人たちの集まりができ、その 仲 間の一人が自分の家を解放してその家でエクレシア (集会)をする。それが 家の教会ということだと解した いと思います。パウロが伝道したガリラヤ でも、ピリピ、 テサロニケ、コリント(Iコリ16)、さらにエペソ(一般に ロ マ16章の人名表はローマの信徒でなくエペソのとさ れています)でも。キリス トを信じた人々の集まり(エク レシア)がそこここにできていくわけです。 ちょっとした 集会ができるような家を持つ人が「どうぞ、私の家の 部屋 を使って下さい」というわけです。そこに私たちが つ いついイメージしてし まう欧米風の教会堂が建つわ けではありません。そんなのはローマの国教化し た4 世紀以降の、さらに後のことです。コリントやエペソの の周辺に、例えは ゙アクラとプリスカ夫妻の「家にある教 会」(Iコリ16:19、ロマ16:5、この家の教 会はエペソ にある)のようなものがいくつかできていったのだろう。 パ ウロはそれらグループをエクレシアと呼び、さらにそ れらのグループか ゙集合したものにもエクレシアと呼 ぶ。使徒言行録も小グループのエクレシ アを集めて、 合同した集会エクレシアも教会と呼ぶ(使徒14:27)こ とがで き る。 少し強引だけれど、エクレシアは会堂などない時代 にほとんどが集 会を信徒が提供する家で大きさにもよ るがせいぜい10~20人ぐらいの規模 のエクレシアが 散在し、それらが時折、集合してより大きな家か、場 所によっ ては共同使用可能な講堂(スコレー)を借り て集合した集会をする。そう思うと、日 本の首都圏の 周縁で10数人規模の集会をやっている私たちは、な にも遠慮するこ となく新約書的なエクレシアをしている と、少なくとも形状としてだけでなく、 社会学的現象と して大いに通底するものがあると自負してよいだろう。
6月16日の礼拝から 「〈障がい〉とアートの鑑賞」 真下弥生 私は通常の仕事の傍ら、障害のある人たちとの 美術教育の活動、とりわけ、視覚障 害を持つ人た ちとの造形作品鑑賞・制作を細々と行っている。 礼拝、それも説教の ような場で話をするにはふさ わしい者とは到底言えないが、この活動の中で 折 々考えていることを、みなさまと分かち合いたい と思う。 視覚障害者とは、視 覚という感覚に何らかの「欠 損」があり、それゆえにさまざまな不自由を余儀 なくされている人々、手助けを必要とする人々と 見なされがちである。しかし、 彼らの身のこなし を見ると、視覚に依存せず、他の感覚を駆使しな がら日々の 生活を送り、楽しむ術を身に着けてい ることに気が付かされる。有形無形の不自 由が解 消されるということではないが、柔軟でしたたか だ。視覚に依存 した―見えることを前提に作られ た各種インフラに依存しきった自分の方が、生活 の知恵を鈍らせていると思い知らされることも少 なくない。自分が拠って立つ足 元の不確かさ、造 形作品に触れる手ごたえの面白さが、この活動を 続ける原動 力となっている。 作品を鑑賞する場の代表格は美術館だが、その 祖形は、18世 紀後半のフランス革命にさかのぼる。 それまでもっぱら王侯貴族や教会の所 有・鑑賞す るところのものであった絵画・彫刻作品、精緻を こらした装飾品といっ た財宝は、革命で没収され、 公共の観覧に供する文化財となった。その展示の 方 式は視覚による鑑賞を前提としており、それ以 外の感覚を発揮する余地はきわめて 限定される。 視覚を使えない・使えない人の鑑賞も同様だ。近 代は芸術文化を公 共にひらいた一方、その手から こぼれ落としたものがある。 そのような美術の 制度に楔を打ち込むような、 障害者の表現・芸術鑑賞の環境整備の活動は、か ねて から日本各地で展開されていたが、2020年に 東京で開催が予定されている オリンピック・パラ リンピックで、かつてない熱い視線が送られるよ う になった。行政や実業界、そして美術界隈の瞬 間風速的な盛り上がりを見るにつ け、大会が終了 してもこうした流れは続くのか、むしろ不安が先 に立つ。しか し、より広い世界を見渡すと、時流 に流されず、視覚障害者と見える者との二人 三脚 の活動を続ける人たちも、確かにいることに励ま される。 そのひとつが、 韓国を拠点に、視覚障害を持つ 子どもたちとの造形活動を展開する団体「ウリト ゙ ゥレヌン(私たちの目)」だ。彼らは10余年前か ら、ソウル市内の盲学校に委託 され、美術の授業 を行っている。 10年前に小学生の授業を見学させてもらった 際、 子どもたちも教師たちも、「見学者」の存在 を意識することなく、それぞれの 制作に没頭して いた。苦手なことを無理矢理やらされているとい う雰囲気はなく、 彼らの日々の暮らしのリズムに、 手を動かして何かを作り、表現することが浸 透し ていることがうかがえた。 ウリドゥレヌンが目指しているのは、目の 見え ない子どもたちが見える子どものように作品を作 ることでも、プロ に評価される作品を生み出すこ とでもない。視覚を使わずに生活する中でつ かむ 世界の実感、そこから発展する思考を、かたちで 表現する力を育てることた ゙。子どもに画材を与え れば、いきなり面白い作品が出来るわけではない。 手を動かしながら考え、感じながら手を動かす時 間を持ち続けなければ、 表現する力は育たない。 その重みを知っているからこそ、彼らは美術の時 間を必す ゙確保するよう学校に働きかけ続け、淡々 と日々の授業を続けている。 彼らの活動 は、自分がなすべきことを思い起こ させてくれる。目に見える成果を早急に求 めるこ となく、人も自分も自由になるための種をまき続 けることを。
6月9日説教聖書:使徒行伝2章1~13節 題 :聖霊降臨について 久保田文貞 新約書には、天使、聖霊、体の甦り、神の子、終末など 多くの古代の神話的表象 が含まれています。教会はこの神 話的な文書をそれぞれの時、場所で自分へ の言葉と受け 止めつつ読んできたことになります。二千年経った現代、 極東の島 国の私たちさえ、その落差にめげずです。こうし て結果的にですが、そ れぞれの聖書の読みを一つの試 み、一つの解釈、一つの提案として積み上げて きたことに なります。 今日はペンテコステです。この日の原因譚のようにして あ る使徒行伝2章の出来事は、まさに神話的な現象、はたか ら見ると集団で酒に 酔っているのかという出来事です。神 話とか、〈不合理なるがゆえに信ず〉 とか、信仰にはどこまで も就いて回るところがあります。けれど、だか らと言って説明 責任をまぬがれうるとは思いません。 神話的響きをもった〈聖霊〉 という語は、統計的にルカ文 書にずば抜けて多いのですが、原始教会で はやくから使 われていたようです。新約文書中、最も古いパウロ書簡にも よく 出てきます。それは、古代の人々が畏れをもってリアル に実感していたらしい霊 一般とは違って、「聖なる」という形 容詞がつく聖霊は特別のものとされます。 パウロの場合は、 人が持っている霊に対して、神の霊が対置されます(ロマ8 :16、Iコリ2:11など)。ついにヨハネ文書では神の霊以外 の霊をすべて汚れた 霊として否定します。その限り、非・神 話化がはかられています。その他の諸霊 の神話的要素を 引きはがして行ってしまうのです。そして最終的に、イエス・ キリストにおいて表された「神の力」「神の働き」、中性的か つ物理的なハタラキ という概念で聖霊を捉える。こうすると 現代人にも理解しやすくなります。 横田 勲『傍らに立つ者II」39頁以下は、こうして聖霊の働 きを1聖霊は、主イエスを思い 起こさせる神の力 2イエ スを主と告白させる神の力 3人々をして神の子たち、つ ま り人をして自由と喜びを持つ者たらしめる神の力 4神 に対して「アッバ、父よ」 と呼びかけさせ、祈らせる神の力、 5私たちをして主を証しせしめる神の力 6主イ エス・キリ ストの交わりに導き、新しい言葉を語らせ、人々を結びつけ る神の力 であると説いています。まさに、人をしてキリスト者 たらしめ、その集会をエク レシア(神の集会=教会)たらし める神の力となります。この本全体がそうなので すが、とりわ けこの聖霊の理解は、現代日本の情況的な課題を抱えて きた日本基 督教団の教会を、神の力の働きとして実に見事 に検証していると思います。 ルカ文 書の聖霊理解について付言しておくと、ペンテコ ステの日、炎のような舌(グロー サ(イ)=〈聖霊〉が下って、 取りつかれた人々がいろいろな外国語で話し始め たといい ます。聖霊が語らせるままに語るというわけです。これは、 ルカ文書 が90年頃に打ち出した構図に深くかかわります。 なぜキリスト教がユダヤ のエルサレムから始まって、今や異 邦人世界つまり非ユダヤ人世界に伝えられて いるかという ことの意味にかかわります。神の救いの出来事が、ユダヤ 人中心 の世界のことである限り、聖霊の出番はほぼなかっ た。ユダヤ人世界を飛ひ ゙越えて、全世界へというモメントに 聖霊の力が働いていると言うわけです。 この構想は、まだ 教会が微力な存在でしかなかった時代に、誇大妄想としか 受け取られなかったでしょう。キリスト教正統主義史観から すれば、その200年 後ローマの国教となり、ルカの預言的な 構想の通りになったと評価したいところて ゙しょうが、それはた またまこの「妄想」が社会経済史的条件と政治的野心と 合 致してそうなったというべきもので、そのためにキリスト教が 抱え込んた ゙矛盾とその責任問題のほうがはるかに大きいと 思います。 注目すべきことは、 信仰者の妄想にも近い構想が、良き につけ悪しきにつけ、私たちの生活を通して 現実の歴史に 組み込まれるよりないということです。私たちの信じて生きる と いうことが、神の力の働きを受け止める「一つの試み、一 つの解釈、一つの提案」 になる。これは神に対する相対化 のようではありますが、同時にというか、 「むしろ」、これは他 者に対する「一つの」であります。そこには他者に対する 責 任の問題が立ち上がってくるということです。それをあくまで 神の力、 神の働きと言おうと、それを世界に向けて絶対的 な神の権威だと言い張ることは できない、という意味での相 対化です。私たちひとりひとりも、教会も、他 者の中に一人 の他者として組み込まれ、そこで自分の持ち場を生きるより ないの です。
6月2日の説教ノートから ] マタイ伝福音書28章16〜20節 「キリストの昇天について」 久保田文貞 日本の教会で死者を召天者と呼ぶ習慣がある。冠婚葬 祭マナー本 はこれを察知してかクリスチャンの死者には「召 天」を使うようにと勧めている。 尊敬語「召す」を使って、神 が天に召した方と表現するといかにもキリスト教的 な感じが するというわけだ。だがこの言い方は聖書にはほとんどな い。 日本語辞書にも出てこない。口語訳・新共同訳聖書と もに、第一コリント7章で、 キリストによって「呼ばれた」と表 現されているところに「召された」という二 重の尊敬語を使 う。「呼ばれた」が「召された」に変わるだけで、口語訳 「召さ れたままの状態でとどまっていいなさい。」に妙な付加価値 がついて しまう。(ここは先週の話では省いた) 「昇天」は、キリストが天に挙げられ たこと。古代の使徒信 条、その基になったと言われるローマ古信条にキリストは 「三日目に死人の中より甦り、天に昇り、父なる神の右に坐 したまえり」とあった。 神がメシア・イエスを死人の中から上 げられたのなら、最終的には天にまで 上げられようと、イエ スを信じた者たちは当然に確信したことだろう。使徒 行伝の 著者ルカは、復活者イエスが山で11人の弟子たちを前に 天に昇った物語 を書いた(使徒行伝1章)。それが復活の 日からちょうど70日目、今年で言えは ゙5月30日ということにな る。カトリック教会などの教会暦では昇天日というわ けであ る。 初めに福音書を書いたマルコが描いた復活物語は、とど のつま りは〈イエスの墓は空だった〉ということまで。取りよう によっては後はみな さん自身のイエスとの関係性の中で、 どうこれをとらえるかはお任せしますと いう書き方だ。復活 者が弟子たちにじかに現れることも、昇天物語もない。 マタイはどうか。マタイ28章では、マルコの復活記事に基 づきながらも、 女たちが弟子たちの所へ駆けつけていた 時、復活者が「おはよう」(言語はカイ レテ、「あなたがたに 平安があるように」となるが、普通に挨拶に使われる 語。朝 だから「おはよう」なのか)と現われる(28:9-10)。その後、 神殿側のこれ にたいする対処のことが書いてあって、最後 に今日の聖書箇所である。 復活者 がガリラヤで会うと言う約束の言葉を信じて弟子 たちが山に行く。この 福音書で山は5-7章新しい完全なる 律法ともいうべき「山上の説教」が与えら れた「山」、聖なる 言葉が伝授される特別な場所を意味する。そこに復活者が 現われると、弟子たちは「ひれ伏した。しかし、疑う者もい た。」(28-17)と。「ひ れ伏す」(プロスキュネイン=跪く・拝礼 する)が教会がいう「礼拝」を意味す ることになるだろう。注 目すべきはその次の語「ある者は疑った」と書いてあ ること だ。「ある者」と訳されている原語は、ただ3人称複数を表す 代名詞ホ イ、英語で言えばthoseにあたる語。11人のうちの 全員とも取れるし、その内の 何人かとも取れる。とにかく、こ の拝礼には、疑う(ディスタゼイン。この語は マタイが11:31 とここだけに使うもので新約の他では現れない。この動詞は ディス、2回という副詞をもとに合成された語。「あっちかこっ ちか迷う」という 語感の語。)者が少なからず混じったまま、 イエスに会ったことを意味する。 マタイが「疑う者たち」をこ の礼拝に参加させていることに私は驚いた。復活者 と出会 う体験は「疑う」ことなしにはありえないとでも言っているよう に聞こえ る。 その後は復活者イエスの言葉になる。山上の説教の言葉 にみられるような新し い戒めの言葉の権能が、復活者イエ スによって弟子たちに授けられたというわけ である。マタイ はそれ以上は語らないで福音書を閉じる。ということは昇天 物語など必要とせず、復活者は復活した後、すでに天にい らっしゃるという ことか。 使徒信条は、第2項の終りにキリストが「三日目に死人の 中から甦り、 天にのぼり、全能の父なる神の右に坐したまえ り」と告白する。つまりはすべ てのクリスチャンにこれを基準 にして、こう告白せよとせまる。4世紀にキリスト教 はローマ の国教となり、正統主義が異端を排除するシステムとして確 立していく が、キリストを信じる信仰の仕方がたったあれだ けの言葉に押し込められ る。まるで冷たい化石のようだ。使 徒信条は、天で神の右に坐すキリストは、 やがて「かしこより 來たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん」 と作文す る。信仰とは、マラナタ(主よ、来ませ)と賛美し、祈り、それ でこの現実がす べてほどけていくことを促すのだろうが、マ タイの表現を借りれば「し かし、疑う者もいた」であり、信仰 だった。この自分たちの現実に不確実、不 信仰ながらも精 いっぱい取り組むと言うことで良いのだと思う。
5月26日礼拝説教より ルカによる福音書7章1〜10節 「信仰に報いる?」 久保田文貞 聖書の語彙になれてくると、〈権威〉という語にそれほどの 異和感も なく入ってしまうのだが、現代人には抵抗の大き い言葉だ。組織の中で上 司から指示されれば下の者はそ れに従う、組織にいるかぎりだれもが当然 だと思う。けれど も、合理的な根拠が見えないまま、権威に従えと言われて も簡単には従わない。いつも従う側にいる人間の矜持とい うものだ。 今日の聖書 箇所は、むしろその根拠が見えぬままに、主 人が命じ、僕がそれに従うと いう〈信〉なる関係についてのイ エスの言葉が中心である。この物語は、マタ イ伝とルカ伝に 共通して用いられているQ資料に由来する。百卒長が頼り にして いた僕が病になって、イエスの評判を聞いた百卒長 がイエスに僕を癒してほし いと願う。百卒長の言葉に感心し たイエスは、願いどおりその僕を癒すという奇 跡物語であ る。 この物語の設定にルカとマタイの記述に大きな差があ る。マ タイ8章の場合、百卒長はイエスに直に願い出る。無 論、ユダヤ人一般にとって、 百卒長は割礼のない者いわゆ る異邦人であり、儀礼的に汚れた存在として扱われ る。本 来ならユダヤ人の何らかの信仰的指導者イエスと、異邦人 百卒長が接触 するはずがない、直に会話を交わすはずも ない。イエスが彼に「これほと ゙の信仰は、イスラエルの中で も見たことがない」と評価してしまうのもあり 得ないこと。 ルカ7章の場合は、イエスと百卒長の直接の接触をさせ ない。さらに この百卒長は、ただの百卒長でなく、ユダヤの 国民を愛し、ユダヤの会堂 (ユダヤ教集会所)の建設に当 たって尽力をしてくれた友好的な異邦人で、それ ゆえに(お そらくカペナウム会堂の)長老たちが間に入ってイエスに、 百卒長の 僕の病を癒してやってほしいということになる。い よいよ百卒長がイエスの所に 行く段になって、今度は友達 をつかわして、「主よ、どうぞ、ご足労くだ さいませんように。 わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしに はこ ゙ざいません。それですから、自分でお迎えにあがるねう ちさえないと思っ ていたのです」と言わせる。 Q資料の原型に近いのは、イエスと百卒長が直に 会うと いうマタイの方で、長老と友達を仲介させたのは著者ルカ によるという説 に拠りたい。とすれば、ルカの方にある異邦 人の執拗なへりくだり方はなにを 意図してのことだろう。 福音書の著者ルカは異邦人である。マタイ以上に異邦 人百卒長に共感をもっているといってよかろう。しかし、使 徒行伝の著者でもあ るルカとしては、福音の異邦人への伝 播はイエスの十字架の死と復活の後に誕生し たエルサレム 教会を起点にして異邦人=世界伝道へと展開していくとい うのが神 の世界救済計画の一環として現われるべきだと考 えている。というわけで、 まだイエスのガリラヤ時代に異邦人 に神の救いが及ぶという物語は早熟に すぎる。そこで百卒 長にはそこでは十分にイエスとの距離を取ってもらうと いう ことか。ルカの取り越し苦労だろう。 この物語の主題は、おそらくローマの 軍制の下か、それ に準じる小国のものか、いずれにせよ軍の規律に従う軍人 と しての言葉の評価の問題である。軍人にとっては上から の命令には合点が行こ うが行くまいが命令には従わなけれ ばならない。下の者にも当然その命令に 従うよう強制する。 権威の下にあるとは、その命令の理由や根拠を問わないで 従 うよりないことを意味する。権威の如何を問えないというこ とを意味する。〈イエ スよ、あなたもその世界の権威によって 上に立つ者でしょう、ならば「ただ お言葉を下さい〉と。そし て私の僕を直してくださいと訴える。 すると、「イエ スはこれを聞いて非常に感心され、ついて きた群衆の方に振り向いて言われた、 『あなたがたに言って おくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見 たことが ない』」と。ここでイエスが何に感心し、心動かされたというの か。 イエスは神の権威の下にある、百卒長は皇帝の権威の 下にある、両者ともに絶対的 な権威の下にあるもの同士の 間に通底するものがあるよね、ということなのか。 となると全 ての権威を神の権威に集約してしまうロマ書13章1節の言 葉が頭をよ ぎるが、こちらはそれとは違う。其々の権威の働 き方自体をそれとして冷静に 見ていること。つまり諸権威の 権威の根幹からみて、他者の権威を見下すのでは なく、権 威自体のそれぞれの働きに、人として敬意を抱くよりないあ り方に感心 しているというべきか。お互い、それは人として 誠実に事柄に対応するあり方た ゙というべきだろう。どちらの 権威の下に在ろうと少なくとも、その僕は祝 福されている。 ルカ的には、異邦の最高権威・皇帝に軍人として絶対的 に従い、ま た従わせるという権威一般への在りようと、神の 権威の下での在りようとは通底 していると、イエスが見たとい うことだろうか。とすれば、世の支配者のそ れなりの権威に 従えということになる、あのロマ書13章のように。 5月19日の説教から マルコ福音書6章53-56節 「イエスに触れて癒された」 久保田文貞 共観福音書の受難物語は基本的に空の墓と復活の告 知だけで終わっ ている。だが、ヨハネ福音書も含めて、最後 に聖者伝説的な後日譚が加えら れている。そこでは復活者 イエスが現われ弟子と食事をし弟子と会話しさらに 生傷を 見せ(ルカ24:40)触らせもする(ヨハネ20:27)ようなことが 書かれている。 マルコにも後日談(マルコ15:9以下)があるが 別人が加えたものである。 イ エス十字架上の死、空の墓、復活者顕現の体験の後、 数日の間にこれらの衝撃的な 報告が大勢の弟子たちに広 まったことは想像に難くない。弟子たちの最初の宣へ ゙伝え (ケーリュグマ)は勢い復活者イエスへの信仰、その復活者 がまもなく再 臨するという信仰へと結晶していく。 だが、この一途な信仰運動は、生前のイ エス運動がもっ ていた方向から離れ、その残像をかき消してしまうのではな い かと、イエス運動を実際に知っている人々は心配したこと だろう。マルコが福 音書を編むに際して使ったイエス運動 に関する諸伝承もそのような思いが込めら れて原始教会に 伝わっていたものだろう。原始教会の信仰運動に問題意識 を感し ゙ながら、マルコはガリラヤでのイエス運動に強い関心 を持ったのだろう。 そして原始教会に流布していた伝承に 飽き足らず、実地踏査も含めてイエス運動 の諸伝承を拾い 集めたと思う。こうしてガリラヤの群衆たち(「地の民」)の間 て ゙始まったイエス運動、早くからそれに対する中央からの抑 圧、やがて受難覚悟 (3回の受難予告)の上でのエルサレム 行き、というイエス運動の構図全体を、いわ ゆる「受難物語」 ――逮捕、裁判、判決、処刑――にしっかりと関連付けよう とした。 そのためにある種の使命感を持って福音書なる文 学形式を生み出したのがマルコ と云う人と考えたい。 この福音書は、復活者イエスの生傷を崇拝したり、復活 者イ エスの生身に触わったりする復活後日譚を生み出して しまうような復活信仰から距 離を置く。そうではなく、イエス 運動の中で現実にイエスと食事を同席し語ら い、イエスに 患部を触診してもらい、結果、生きていく力を与えられた人 々に起こっ た出来事を描いていく。いろいろな奇跡物語 や、主の言葉、アポフテグマ(イエ スの言葉に物語部分を 加えたもの)などの諸伝承を配置して。 今日の箇所は、こ のようにして編集しながら、ところどころ に顔を出すマルコ自身の編集句。要 約的だが、編集の意 図がよく表れる所である。ここにはイエスとアシスタ ントの弟 子たちが行く所行く所に、群衆が押し寄せ、イエスに障った ら何か奇 蹟的なパワーが働いて次々と人々の病が癒される といった図が要約的に書 かれている。そこに現れる群衆と はただ物珍しさで集まってくる群衆ではな い。病人を抱え 家族が破綻しかかっている人々、生活苦にあって援助を求 めてい る人々である。イエス運動は第一の仕事はその支援 だと言わんばかりの書き 方。マルコがおそらくは現地に行っ て人々に面談して得た図である。 マルコ福 音書は、明らかにこの図を意図的に、あの復活 信仰に収斂していく信仰運動にぶ つけているはずだ。パウ ロは第2コリント5:16に「...わたしたちは、今後た ゙れをも肉に 従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていた として も、今はもうそのように知ろうとはしません」という。生 前のイエス運動がど んなに有意義に見えても、「自分たち のために死んで復活してくださった方」 だけを知ればいい。 イエス運動の情報なんてなんの力にならないとパウロは 言 う。この言葉自体をマルコが知っていたとは思えないが、少 なくともパウ ロの十字架と復活理解の概要は知っていたろ う。もっとも最初に述べた復活後日 譚などは、パウロに言わ せれば、生前のイエス運動の奇跡物語と同じ水準 の通俗 版のように見えていたことだろう。パウロにとっては、十字架 と復活の 出来事は目の前に現れた驚異のスペクトルではな い。イエスの十字架上の死は 自分自身の死であり、復活は 自分の新しい命の獲得、イエスによって人は義とさ れるとい う一点に集中する。十字架の死と復活は彼の内面に入り込 み、彼の全体を 掴み取る。 だが、マルコは、パウロが強靭な信仰と引き換えに捨て た、イ エス運動の中のイエスに触れた人々の思いに焦点を 合わせる。現実の手触り、触れ あいを、決して忘れてはなら ないモチーフとして特記する。マルコにとっては、そ の触れ あいを妨害する勢力と完全と対決するため覚悟の上でエル サレムに上り、 イエスは殺され、イエス運動は壊滅される。 だが、イエス運動の中、人々とイ エスのあの触れあい出 来事は譬えつぶされ領と、抑圧がある限りかならず甦 るぞ、 私にはそんなマルコなりの覚悟のほどが伝わってくる。
5月12日の説教より ローマ書12章9~21節 「復讐するは我にあり」 板垣弘毅 「復讐するは我にあり」と題された小説(佐木隆三)とその 映画(今村昌平監督)がありま す。聖書の一句としては、復 讐するのは人間ではなく神だ、という意味です が、小説でも 映画でもこの題が宙に浮きます。実際に起こった連続殺人 事 件に基づき、犯人は死刑になるのですが、復讐する「我」 って誰なのか、法 なのか。 復讐とは何か、死刑制度についても被害者側の処罰感 情はよく言われ、テ ロと報復は切り離せません。世界でも国 内でも敵と味方という排外的な線引き がきつくなっている時 代。目を覆う事件だけでなく、私たちの生きる社会て ゙は、様 々な「敵」はどうしても存在するわけです。“社会の敵”“反 社会的”と いう「敵」もあります。こう言うときは、人はどこか 「正義」の側に身を置いて いるのでしょう。「罪を憎んで人を 憎まず」といいますが、「罪」と「人」 を簡単には切り離せない のも実感するところです。 新共同訳では、無用な小見 出し、がつけられています。 「キリスト教的生活の規範」。読む人はきっと「規 範」として、 できあがった模範として、読むことを促されてしまうでしょう。 「兄弟愛をもって互いに愛し、...霊に燃えて、主に仕 えなさい。」 教会という組 織を前提にしていわれている倫理ですね。た だパウロ自身、自らの生前に、 決定的な終わりの日が到来 すると信じていたようで、ここに書かれた勧めは、 「終わり」を 待つための言葉、暫定的表示として聞きたい。共同体の「規 範」で はなく。 「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈 りなさい。」 「希望」とは、ここでは人の期待や願望とある点で決定的 にちがっていて、 最後を空白にしておくことです。自分では 埋められない空白を、苦難を耐える 根拠にして、「たゆま ず祈りなさい」と言っています。祈りは自分を無とせざ るを 得なくします。自分を離れて「希望」をあたえます。 「あなたがたを迫害す る者のために祝福を祈りなさ い。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。」 不可能に近い命令ですね。神の恵みを与える(祝福)も、 奪う(呪い)も人間の領域 ではありません。「祈る」ことが、た だの形ではなくお互いに無になるひ とつの「できごと」を生 み出すなら、次の一歩は新しい何かになるのではな いでしょうか。 「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。...す べ ての人と平和に暮らしなさい。」 このように生きてみて「わかる」言葉ですね。 「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せな さい。「『復讐はわたし のすること、わたしが報復する』 と主は言われる」と書いてあります。」 ここを 神が自分に代わって復讐してくださるように、と読め ばパウロの真意に反 します。神が「わたしが報復する」という とき、人間の意のままにならない神 の自由が告白されてい るのです。神の義が貫かれることへの信仰、人間から はあく まで空洞です。パウロはこの空洞をイエスの十字架から深く 気づか されました。 「復讐するは我にあり」つまり、報復は神がすることだ、とい わ れています。それは、<赦し>に伴う<償い>という関 係から解放される場です。 <赦し>と<償い>という関係では解決しないものがあ ることは、今の日韓関係、 徴用工問題でもあきらかです。 マタイ福音書の言葉、「敵を愛し、自分を迫害 する 者のために祈れ。あなた方の天の父の子となるためで ある。」それに続いて こう記されています。「父は悪人 にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しく ない 者にも雨を降らせてくださるからである」 「太陽」や 「雨」は、被害者 にも加害者にも、地上にあるものすべてに 不可欠です。つまり「天の父」のま なざしから、人間の敵対 関係がみられているわけです。 私もアルコール依存 や薬物依存を断ちきれない人と及 ばずながら関わるのですが、薬物所持 がすでに犯罪です。 「罪」への報復、つまり「償い」だけでは薬物依存 は断ち切 れないと思います。 <赦し>と<償い>という関係から<赦し>を解放する ことができるのかどうか。 そして、赦すことができない<敵> とは何なのか、正解はなく、立ち尽くす感し ゙です。 「復讐するは我(神)にあり」は、神を自分や自分たちの復 讐の代理人に することではないと申しました。現実には、多 くは神の名によって報復するとい う事態になります。 「復讐するは我にあり」、この言葉は、神が、神の義を貫く こと、そこに信をおいて人間を、まず自分を空にするとなの だと思います。少 なくとも人は、立ち尽くすことはできるの だ、という宣言として受け止めたい と思います。 (以下略)
5月5日の礼拝説教から ヨハネ福音書10章7-16節 「良い羊飼い」(の比喩の問題) 久保田文貞 常に羊は群れとして羊飼いの指示に従順に従うという。 古代西アジアの人々が日常的に見慣 れていた羊飼いと羊 の関係は、共同体の支配者にとっては誠に都合の良い比 喩となっ たのだろう(前18世紀のハムラビ法典など)。後にこ の比喩は古代イスラエル にも出てくる。 今日交読した詩篇 23篇に見る通りだ。ただし、この詩編が歌っ ているようにイス ラエルで、群れ=民の全権を握り、群れを守り養うのは神ヤ ハ ウェであって、人間の王ではない。この思想は新約時代 まで連綿として続い ている。ヨハネ伝10章もこの思想を受け 継ぎ、イエス自身の自己宣言「私は...て ゙ある」という定式を 用いて、イエスを羊飼いのメタファで表現している。 とこ ろで10章がこの福音書でどのような位置にあるか見 ておこう。地上での イエスの宣教活動の記述は11章のラザ ロ復活譚で事実上終りになる。12章から は、福音書の最終 章とも言うべき受難物語に入っていく。10章は、地上に散ら さ れていた子らを神の子イエスが呼び集めてきて生まれた 共同体への総括的な言 葉になっていると言えよう。実際、9 章は、生まれながら目が見えなかった青年 がイエスの癒し によって見えるようになり、パリサイ人から糾問されながら も ひるむことなく自分に起こったことを証言していく。結果この 青年はユダヤ人 社会から排除され、イエスを信じる群れ― ―教会、というよりヨハネ伝の背後に控 える共同体――の 中に迎えられる。10章の言葉は、そのような群れに語りかけ るイエ ス自らの宣言になっている。この共同体の集会で説 教者が「アーメン、アーメ ン、我汝らに告ぐ。わたしは羊飼い である」とイエスの言葉を厳かに宣言する。 この共同体の人 々はイエスがそこにいると実感するわけである。 10章1~18ま での羊飼いの喩を詳細に検討してみると、 けっこう意味的な違いが出てくる。 例えば1~6では、囲い (中庭)から羊飼いは自分の羊を呼び出すという。9章に 関 連させれば、その場合の「囲い」はユダヤ人社会であり、そ こからイエス が自分の羊を呼び出し、囲いからだしてやると 解したくなる。7~15では、 羊飼いは羊を、夜容れておく囲 いと昼の餌を食ませる牧草地の間を往復させる。門 は夜の 危険から羊を守る。ここでは囲いはあたかも彼らの教会の 様である。 16~18は、囲いの外にいる羊に対する羊飼いの 務めのことが語られる。共同体の中 でこれを聞いている者 には、自分たちの共同体の外に今もいる配慮の応用問題 と いうことになる。 1~18全体を通じて、羊飼いに対峙する羊はすべて複数 であ る。個としての羊が出てこない。つまり共同体全体に羊 飼いがまとめて向き合 うだけである。私たちの頭には、どう しても〈99匹と一匹の羊〉(マタイ 18:12以下)と〈失われた 羊〉(ルカ15:4以下)の譬が頭に浮かぶ。羊飼いは群れ とし て99匹を山、或いは野原に残して、一匹の羊を捜しに出て いく。殊にルカ版て ゙は、探し当てた羊飼いは家に帰って、 いなくなった羊を見つけたことを友人や隣 人と喜ぶと言う終 わり方をする。まるで野原に残された99匹は忘れられたか の よう。そこでは、羊飼いは群れを離れた一匹の羊だけの 羊飼いになって終わる。 詩篇23篇的な「羊飼い」対「群れの 羊」の範疇をはみ出すのである。 先週は天皇 代替わりの週だった。我々にはほとんど 馴染みのない羊飼いと羊の関係を、天 皇と日本国民の 関係に重ねてみることが相応しいことかどうか、迷い もあるか ゙、自分の生きているところで聖書を読むより なり者に避けて通れないことと思 う。両者が概念的に 最も近くなるのは、やはり詩23篇である。――現実の 政治的 権力者は民を支配する。これに対して現憲法下 の象徴天皇は支配者として民に向かっ ていかない。国 民の安寧を祈り、国民が被災しようものなら駆けつけ て労う―― こんな分業を前提にした日本の「国體」 「国柄」という言い方が今になって、は びこり始めて いる。憲法学的に言えば、国民主権・立憲主義に立つ かぎりこ んな構図はありえないと思うのだが、その憲 法自体が天皇を日本国の象徴と し、「日本国民統合の象 徴」という不可解な定義をし、しかもそれを「主権の存す る 日本国民の総意に基く」という。前にも申し上げたが、総意 という限り、そ れは主権の存する一人一人の総意を言って いるが、これに賛成しない人を認めな い構造になっている。 一人でも外れた者があれば総意とは言えない。少なく とも、 この憲法は天皇と皇族を主権者たる国民から外してしまう。 国民としての地 位の復権を!とさえ思うやりたくなる。 人間に過ぎない天皇が神だとは言わす ゙とも、神官のよう な位置にいて、詩23篇の羊飼いのように羊=民に対する 特別な 地位にいることを何と言おうか。クリスチャンとしては こっちの神が本物だと 言い、詩23篇を歌うのか。それもまた いっそう奇妙なことだ。今やキリスト教か ゙キリスト教であるの は、そういう排他的で独善的なあり様を自ら解いていく こと にこそあると思っているのだから。
4月28日説教より ロマ書6章4-8節 「生きる」 久保田文貞 パウロに伝えられた最古の復活伝承(1コリ15:3以下)は 「キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪 のために死 んだこと...」で始まる。同じく古い聖餐制定の言葉(1コリ11 :24)に「これは、あなたがたのための私の体である。」という 語がある。マ ルコ14:24に伝承されているものでは「これは、 多くの人のために流される私の血、 契約の血である」とな る。いずれにせよ、新約文書の中でこれらは最古の層 の伝 承の言葉だ。パウロはまちがいなくイエスの十字架の死をこ の「私たち の罪のため」「私たちのため」と受け取って、信仰 者としての一歩を踏み出したと 言ってよい。パウロにとって、 イエスの生と死に自分の生と死を重ねることが 彼の復活信 仰の焦点であるだろう。 「もしも我々がキリストと共に死んだ のであれば、我々はまた キリスと共に生きるであろう、と信じるのであ る。キリストは死 人の中から甦らされて、もはや死ぬことがない、すなわち死 か ゙彼を支配することがない、と我々は知っているからであ る。」(田川訳) この ようにパウロは、キリストが「私の(罪の)ために」死ん だことを信じ、彼 自身が切り開いた地平といって過言ではな い「キリストにあって」「生きる」 という在り方を手にする。後 の、現代まで至るキリスト信徒の基本的とらえ方の 一つにな っている。 でも、私には目の前の霧が晴れてくる感じがしない。 一 体、人は自分のために死んでくれた人を根拠にしてはじめ て他者と共に生き るあり方を見い出すのだろうか。いやそこ まで言わずとも、自分のために死 のうと約束してくれる信頼 を根拠に他者と共に生きることができるのだろう か。 前回、椎名燐三の『永遠なる序章』を取り上げたが、その 主人公安太が 川に身を投げた年、おそらく1940年になる が、その年に太宰治が発表した 『走れメロス』を取り上げた い。教科書にも取り上げられ、あらすじはご 存じだろうと思う ので、ごく簡単に紹介しよう。 ―― 田舎に住むメロスは 妹の婚礼の準備のため町へ行 く。すると町はいつもと違って暗い。聞けば、王か ゙人を信じ ることができず家族や家臣を処刑するからだと言う。正義感 にかられメロスは王に諫言せんと王宮へ行く。身の程知ら ぬメロスを王はどうし てくれようと案じるが、メロスは妹の婚姻 のため三日間の猶予、そのために町 に住む親友のセリヌン ティウスを人質にしようと申し出る。人を信じぬ王は二人 の 友情が張り裂ける瞬間を見るのも面白いと、その申し出を 認める。親友のセリ ヌンティウスが快く人質役を買って出た のは申すまでもない。早速メロスは婚 礼の準備のために村 に向かって走る。着くと早々に婚礼の用意に取り掛かり翌 日婚 礼は終わる、。一眠りして三日目早朝、大雨の中、町 に向かって走る。途中の橋か ゙濁流で流され、意を決して泳 いで渡る。次に追剥に会う。これもなんとか切 り抜けて走 る。一番の敵は疲労だった。もうすぐというのに体が言うこと を 聞かない。眠りこけてしまう。すると足下でひたひたと音が する。清水だ。 我に返って一口すすって町に向かって走 る。陽は今にも沈みそうな中、セリヌンティ ウスが十字架に 引っ張り上げられていく所にメロスが到着、友人の足にしか ゙ みつく。メロスは友人に自分を殴れと言う。一度帰るのを止 めようと思ったから と。友人はメロスを殴る。今度は友人がメ ロスに自分を殴れという。一度お前を 疑ったからという。メロ スが友人を殴る。こうして二人は抱擁した。これを見た 王が 感動し、「どうか、わしも仲間に入れてくれまいか」という。群 衆が王 様万歳をし、一人の少女が裸のメロスに布をかけて 終る。―― 下手な紹介で申し 訳ない。最初に申し上げたように、こ れが1940年発表の小説だということか ゙気になる。前に取り 上げた文部省教学局「臣民の道」が翌年7月、「愈々私を 忘 れ和衷協同して、不斷に忠孝の道を全うすべきである」と説 いている。メロ スと友人と王との、湯気を立てているような友 情に、一体感はやがてどこに向 かっていくのだろうと不安で ならない。太宰は40年2月にイスカリオテのユダ を描いた 「駆け込み訴え」を発表している。卑しい裏切りへと走る小 心者のユダ の内面の襞まで入り込んで書き込んだ筆の方 がよほど信用がおけると 思えてならない。他者を喪失しかか った人間が、図らずも得ることになる一体 感ほど怪しいもの はない。 パウロが、イエスの十字架と死と生の一体感のよ うに書い ていく心情はそれとは別物だと、しっかりと腑分けしないと いけない。
4月21日復活祭礼拝から ルカによる福音書24章1〜12節 「愚かな話のように思われ・・・」 久保田文貞 マグダラのマリヤらの女たちはイエスの最期を見届け、墓 に葬られ たことを確認し、3日目に墓に行き、墓が空だった ことを見た。イエスが絶命 した金曜の午後3時から日曜の朝 まで女たちの心も、弟子たちの心もぽっかり穴 が開いてしま ったろう。「なにもかも捨てて、私に従いなさい」「人間にでき ることではないが、神にはできる」と言われて従ってきたの は何だったか。 従ってきた者たちの結束も図れず、バラバラ になっていくだろう。これか らひとりで生きていくよりない。だ が、こうなって以上生きていくと言うよ りはこれから死んでい くと言うべきだろう。なにをしてもイエスの死が前 にあって進 むことができないだろう。それだけではない。自分たちはイ エスを見捨てて逃げた。隣人を愛すどころか自分たちの師 匠をさえ裏切ってし まった。不作為の殺人...。 水曜集会で赤岩栄牧師の文章を呼んでいる。その中 で 久しぶりに椎名麟三の名に出会い、「永遠なる序章」(194 8)を55年ぶりに 読んだ。小説の舞台になるのは1947年の 焼け跡だらけの東京。主人公の安太は 下町の長屋の家族 5人の末っ子。畳は一枚だけ、具合の悪くなった者が畳で 眠ることができるという。その畳の上で父が死に、兄、姉、最 後に母が 亡くなって、残った15才の安太は大川に身を投げ るが死にきれず助けられて しまう。意地悪な方面委員の差 配で、ある鉄道員の家に預けられ、鉄道の仕事を 宛がわれ る。 1940年頃のことである。この小説は48年に発表された が、当 時の読者には1940~47年がどんな時代だったかな んて説明はいらない。だか ゙その70年後に読む者には解説 がないと読み取れないかもしれない。1940年、大 恐慌の後 ひどい不景気が続き、軍部を頼りに国外に血路を求めた日 本がアメ リカとの戦争以外に道が無くなっていった。生き残 った15歳の安太の前に文字通 り未来はない。動員体勢が 厳しくなって、安太は鉄道で働かされる。安い給料 は後見 人の鉄道員に渡され安太の手に入らない。安太は志願兵 となって死に場所を 求めるようにして満州へいく。決死隊に 志願し戦闘でくる片方の足首を失い、東 京の陸軍病院に 入る。そこで軍医の銀次郎と出会う。銀次郎は安太が肺結 核て ゙あと6か月の命と診断するが、互いにただ死にたいと思 う人間同士であるこ とを直感して、語り合う中になる。少しだ け書き出してみよう。 「自分は何をし ようと、どうあがこうと、ただ死ぬばかりなの だ。するとふいにあの戦 慄が、恐怖に入り交じっているあの 歓喜が強く彼をうっている。まるで死 が彼の生きる力の源泉 であるかのやうに。」 「いきている? そんなことは自明 の理だ。それがどうしたと 言うのだ。...破滅が唯一の救いだ。」 「まったく人間はどうしても死ぬんだ。どう反抗しても死ぬん だ。とすれ ば、早く死ぬことが正しい道じゃないか。」 ひねりも何もない、まる裸のニ ヒリストの台詞がこれでもか と出てくる。この二人に、其々女性が出てくる。 銀次郎の妹 ・登美子と安太の下宿のおばさん・オカネの生々しい話が 絡み合っ ているのだが、その件りは省く。最後、銀次郎は 自分のバラックに火をつけ て焼死し、安太は鉄道のスト、抗 議集会の帰りに肺結核で死んでいく。辛うし ゙て登美子と、お かねとその子供二人が、死んでいった二人の男のこれから 先 を生きていくらしい。 こうしていまから見ると「永遠なる序章」とは、やがてき た る戦後日本の序章になっていて、〈お前さんたち、この不吉 な序章から永遠に逃 れられないのだよ〉と言っているように も聞こえる。安倍首相は「戦後レジー ムの終り」をいうことを モットーにしている。まるで次の戦争の準備をする時を 得た かのように。こういう首相の額に、この「永遠なる序章」を張り 付けてやれた らなあと思う。 だが、それとは別に、椎名麟造三が書いた「永遠なる序 章」 の数年が、福音書の女たちと弟子たちのあの三日に重 なって見えて仕方ない。不 信、絶望、喪失、死しか浮かん でこない。これからも生きていくとすれば、死 んだように生き るだけ、死に向かっていきるだけ。だが、この死への助 走の ような永遠なる序章を無駄にしてはなるまい。小説の中の 遺された二人の女か ゙、福音書の女たちが空の墓から真実 を掴み取ったように、敗戦の事実の先に真 実なる生を見つ けていけるだろうか。 いずれにせよ、あの安倍を引きずりお ろさないことには、 安太の死も、銀次郎の死も浮かばれないのは確かだと思 う。
4月14日礼拝説教から ルカ福音書19 章41 - 44 節 「崩壊する理由」 久保田文貞 ルカ文書(福音書と使徒行伝)は、エルサレムに強くこだ わる。キリスト教発祥の 地、宣教開始の都市と言えなくな い。イエスが十字架上に死に、葬られ復活した 舞台になる のはエルサレム界隈である。この出来事が〈われら〉の救い だと 告白する者をキリスト教徒だとするなら間違いではない だろう。 注目すべ きはこの福音書で、イエスと弟子たちがガリラヤ からエルサレムに向かう時 の描き方である。マルコでは10: 32「イエスは先頭に立って進んで行かれた。」 という書き方 であった。ルカでは9:51「イエスは、天に上げられる時期が 近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。」となる。 この強い意志を持っ て出発した一行は、まずサマリヤの 村を通過するが、「村人はイエスを歓迎し なかった。イエス がエルサレムを目指して進んでおられたからである」と書 く。実は新共同訳は「決意を固められた」「目指して進む」と 日本語になじむよ うに訳しているが、双方ともに「彼の顔を エルサレムに向けて」というヘブラ イズム的表現をルカが採 用したところだ。おそらく10:51-55はルカの創作た ゙ろう。と にかく〈さあ、エルサレムだ、エルサレムだと、サマリヤ人の 目の 前を通過していく一行の目つきはサマリヤ人にはさぞ や不快だったろうという わけだ。 ルカはこの一行の旅を9:51から19:27まで約10章にわた って描く(その 間、旅の続行を印象し続ける13:12,17:11,18: 31,19:11,19:28)。ちなみにマルコの 旅の記述は10:33に始 まり10:52で終わる。ルカでは、ガリラヤ時代のイエス の活動 より、旅の行程での活動の方が長い記述になっているの だ。いかにこ の旅に重心がかけられているか分かろう。 この旅の特徴としてもう一つ、ここに 現れる群衆は基本的 にイエスを理解していない。14:15以下に印象的なイエスの 言 葉が出てくる。「...自分の十字架を背負ってついて来る 者でなければ、だ れであれ、わたしの弟子ではありえない。 ...自分の持ち物を一切捨てないなら ば、あなたがたのだれ 一人としてわたしの弟子ではありえない。」 これは Q資料の言葉を使っているが、マルコ10:32「金持 ちの男」の話の後に同じルー ツと思える言葉がある。「行っ て持っている物を売り払い、貧しい人々に施しな さい」とイ エスから言われた男は悲しみながら立ち去った後、イエス は弟子たち に言う。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと 難しいことか。金持ちが神の国 に入るよりも、らくだが針の 穴を通る方がまだ易しい」と。「子たちよ、 神の国に入るの は、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らく た ゙が針の穴を通る方がまだ易しい」と言う言葉をおく。する とペテロが 言う「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあ なたに従って参りました」と。 これに対してイエスは「...福音 のために家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨て た者は ...」と言う。ペテロの告白を良しとしたか否か、読むものに問 いを出し たままで終わるが、注目すべきは、マルコはこれら を弟子たちに諭すように 語っているが、ルカでは、これを直 に群衆たちに向けて語らせているのであ る。 ルカの描く旅においては、〈この旅は、命を捨てる覚悟の ない者には付いてこ られない。私に中途半端についてくる な〉と言わんばかりなのだ。だから、 ルカでは、最後までイエ スと共にこの旅をするのは、イエスの決意を了解して いる弟 子たちだけという描き方になる。 いよいよ、エルサレム入城となるのだ が、新共同訳の見 出しは「エルサレムに迎えられる」とある。そうなると、エル サ レムに至る参道で群衆たちから温かく迎えられる図が思い 浮かぶが、そ れはマルコ11章の図から来たものだ。ルカの 図はイエスと共にエルサレムに上っ て行くのは弟子たちだ けである。ロバの上に服を掛けた二人の弟子はもちろ んの こと、道に服を敷いたのも弟子たちである。新共同訳36節 の「人々」は本来 単なる三人称複数の「彼ら」でしかない。こ の「彼らは」それまで出てきた複 数の人間のことを指すか ら、弟子たちのこととルカは想定しているはずだ。そ れをぼ かすように描いたのは、マルコ11:8がここを「多く(の人た ち)が」、 つまり「周りの群衆たちが」と描いていたことに引き ずられたか遠慮してか、 に過ぎない。ルカとしては、入城パ フォーマンスはイエスと弟子たちだけの もの。賛美を歌った のも弟子たちだけ。群衆はただ傍観しているのだ。その 間 からパリサイ人が顔を出して「先生、お弟子たちを叱ってく ださい」とい う。イエスの返し「もしこの人たちが黙れば、石 が叫びだす。」叫ぶ 石とは入城の意味を知っている弟子た ちなのだ。そして41-44のルカだけの記述。 ルカが福音書 を書いたのは、70年エルサレム陥落の後、10年以上が経 っている 時。廃墟と化し、立ち入り禁止なんて札が打ち付け られたエルサレムだけれと ゙も、そこでこそキリスト信仰が起こ り、福音が世界に向けて発信したのた ゙というわけだ。 だが、この壮大な絵巻のゆえに、マルコが描いた群衆た ちが体よく消されてしまったとは・・・
4月7日説教 ヨハネ伝福音書15章9-17節 「イエスの死が齎したもの」 久保田文貞 「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛し てきた。わたしの 愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を 守り、その愛にとどまっているよう に、あなたがたも、わた しの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていること にな る。」 この中に「とどまる」が3回、「守る」が2回、神の愛の うちに じっとして、愛の掟を守れよ、そうしておれば「わ たしの喜びがあなたか ゙たの内にあり、あなたがたの喜 びが満たされる」ということだろう。 そ して次のキーワードが「満たされる」だ。愛に「とど まって」いれば 「満たされる」というわけで、停滞という ことと充満ということが組になって 浮かび上がる。ヨハ ネ1章16節に次のような言葉がある。「わたしたちは 皆、 この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上 に、更に恵みを受けた。」と。 こ の「満ちあふれる豊かさ」とは「充満」プレーロー マという語が使われている。 この言葉は、新約時代の 流行語大賞みたいなところがあって、パウロの書簡て ゙ も、エペソ、コロサイ、ここヨハネでも使われ、その動詞 形プレーロオー は例えば「聖霊と信仰とに満ちて」(使 徒11:24)や「哀れみと良い実に満ちている」 (ヤコブ3 :17)とか、「感謝の念に満ちて神に栄光を帰す」(II コリ4:15)のように 多用されている。これらは今も教会 でよく使われる常套的な表現として残ってい る。何に 満ちているか言わずとも、愛、喜び、聖霊、真理、信 仰などなにか ゙入ってもよい、満ち足りているで通用し てしまう。 新約聖書成立の同時代、ク ゙ノーシス主義という思 潮があったが、プレーローマという充満さ自体が 神格 化されて複雑な神話が作られていった。なにに満ち 溢れているというのか、 具体的に表現しないまましか もそこに留まっていようというのは、何をかいわんや で ある。 今日の箇所にもどる。〈まず神が、子なるキリストを 愛された、 次に私・キリストがあなたがたを愛した。〉こ うして「あなたがたに愛が 示されている。あなたがたは その愛のうちにとどまっていなさい」という愛の 三角形 だ。その神の愛のうちにとどまること自身が〈掟〉とな り、そこで あなたがたが互いに愛し合うということが起 こる。その究極が、「友のた めに自分の命を捨てるこ と、これ以上に大きな愛はない。」となる。 そして今日の 聖書箇所には直接出てこないが、こ こにもう一つ隠れたキーワードがある。 それは「思い出 す」ということだ。「互いに愛し合う」という愛は、キリスト か ゙私たちを愛した愛のことを思い出すことによって成 立する愛だということにな る。 2:22「イエスが死者の中から復活されたとき、弟子た ちは、イエスがこう 言われたのを思い出し、聖書とイエ スの語られた言葉とを信じた。」 そのほかに 12章16節、16章4節など。 さて、今日の箇所は、12章ラザロの復活の物語の 後、 13章にイエスが弟子たちとの食事の場面(共観福 音書の最後の食事)で、いわゆ る洗足の儀のことが描 かれ、その後イエスが弟子たちに語るのが16章まで つづき、最後に17章でイエスの祈りがくるという一連 の筋の中に位置する。 18章からは、ヨハネの受難物 語になる。要するに洗足の儀の後のイエスの語りは、 イエスの弟子たちへの最後のことばであり、実質的な 遺言、TESTAMENTである。 今日の箇所はイエスの 遺言の一節を読んでいるわけだ。遺言という形式自 体か ゙、残された者たちへ想起を促すことで成り立つ。 だが、「思い出しなさい」 とは、裏を返せば、人は忘 れっぽい存在だということだ。「とどまって いなさい」も 裏を返せば、人はとどまっていられないで流されやす い存在た ゙ということ。あなたがたは「満たされている」と いうのも、裏を返せば、人 は満たされていることを忘れ て、足りないと不平を言う存在だということ。この ことを 肝に銘じておきたい。いずれにせよ、忘れっぽい私た ちは、愛されて いることを思い出すことなく、愛にとど まることができず、故になかなか 愛し合うこともできず、 自らの力でなにものも満たすこともできない存在 だと この福音書は語っているのだろう。
3月31日説教 第二コリント3章1-6節 「一人で何ができる」 久保田文貞 3章1節の言葉は、教団の教師試験をボイコットしてきた 私には、したりと膝を打ちた くなるような言葉だ。ご存じない 方もいらっしゃるので、そのいきさつを 申しが得たい。 70年の万博にキリスト教館出展に異議が出された。冷戦 構造 の下、棚ボタ的に降ってきた戦後の経済復興と海外へ の進出の祭・万博をこれそ ゙伝道の好機とばかりに、日本基 督教団もこれに相乗りしようという安直さに対 してである。こ の安直さは、教団設立自体に刻印されている戦争協力、さ らに原 爆投下が引き金となった敗戦と同時に我らは連合国 に友好なる教会ですよとは ゙かりに連合軍統治に協力し、戦 後民主主義を我が物顔に享受していった安直さ と一つな がりになっているだろう。こうして69年9月の9・1‐2集会をき っかけ に起こった教団問題は、教団設立以来の歴史を再 検証し変革への運動として起こっ た。当然ながらそれは教 師制度と教師要請・教師試験の制度、とりわけその(資格) 試験の判定の基準は何かという問題を含んだ。だが、教団 は教師養成は教団 の生死にかかわることとして、制度や試 験基準の検討もせず、試験を強行した。 多くの受験者らが これに抗議してこれを拒否した。私も、板垣さんものその一 人 だった。その無資格のままの二人が縁あって(?)北松戸 で集会をはじめた。 というわけで、この集会(北松戸教会) に参加される方には無資格者の始めた教会 にとりあえず潜 っていただいてきたというか、この教団問題にお付き合いい た だいてきたというわけだ。 3章1節の言葉は、パウロに対して〈お前には、生 前のイ エスの弟子に結びつく権威筋からの推薦状がない。お前 は自分で自分 を推薦しているに過ぎない。そもそもお前に は伝道する資格がない〉という非 難への反論なのだ。コリン ト教会はパウロ二度目の伝道旅行の途中1年半(50年 秋か ら51年春)ほど滞在して定着した教会だ。その後、彼はエ ーゲ海を挟ん で東対岸のエペソに2年間(54-56年)滞在 することになる。コリントもエペソ もエーゲ海沿岸の有数な商 業都市であり交通が頻繁であった。手紙だけ でなく、人的 交流もあって、パウロはコリント教会からの相談を受けたの だ ろう。第一コリントはそれに対する返事の手紙だ。問題の 中味はこの手紙から察 するよりないが、〈自分たちはキリスト によって復活にあずかっており、完全 な体になっている。こ の世のしがらみに縛られる必要はない、なにをしても自由 だ。〉〈ユダヤ人が汚れた肉とした神殿のおさがりの肉だっ て自由に食 べられる〉と。またことは結婚の問題、男女の性 的な関係にまで至った。さら に霊に満たされ解読不可能な 予言や恍惚の中で異言を語る者があり、一方で 異邦人キリ スト者にユダヤ主義的な律法規定を要求する巡回説教者 に引きずら れていく者も出てくるという次第だった。 第一コリントでこれに対して彼が どんな勧告をしているか は読んでいただくとしてここでは触れない。手紙 でパウロは 意見したものの埒が明かない。IIコリ2:1、13:1-2、12:14 など から彼は直接コリント教会を訪問したらしいが、反対派 の連中から排除され失敗 に終わったようだ。複雑なのは、 文献学的に第2コリント書簡が一通でなく2, 3通かの手紙を 後の編集者がまとめたものと説明するよりないこと。さらに、 そ の複数の手紙の順序、関連など決定的な説がないこと。 私の手に余るので、 とにかく3章1ー6節は2回目の訪問の後 の手紙として読むことにする。反対派の連中 は、ユダヤ主 義説教者の伝で、パウロが推薦状を持っていない、正式の 伝 道者でない、イエスを直に知らないという攻撃に集中して きたようだ。それに しても内容に対する異議ではなく、外形 的な資格がないという次元の低い攻撃 だ。これに対してパ ウロは開き直ってしまう。「私たちの推薦状はあなたが たな のである。」と。「推薦する」と訳されるギリシャ語は元来、接 頭語シュ ン「いっしょに」と、動詞ヒステーミ「たつ」とか「い る」とからなり、「仲間に する」「推薦する」などの意味になっ ていく。だから自己推薦とは、〈取り立 てて権威筋からの推 薦状はありませんが、自分の言うことを聞いて下さい、そし て自分をあなたたちの仲間にしてください〉ほどの意味。II 12:19やII13:3をみ ると、自分の後ろには神が、キリストが ついているんだぞと、脅しつけて いるようにも読めるが、そも そもそんなことをする必要があろうか。推薦状な どいらな い。自分で語ろうとすることを、そのまま語ればいいだけの こと だと、今風に言えばそうなるのではないか。 義理の母が無くなって、浄土 真宗で葬儀をしたが、その 時僧侶から配られたパンフレットに親鸞が死の 間際に残し た言葉があった。 『一人居て喜ばば二人と思うべし、二人いて 喜ばば三人 と思うべし、その一人は親鸞なり』 いい言葉だと思った。「親 鸞」の箇所に誰を入れてもいいだ ろう。人に寄り添おうとするとき、推薦状も資 格もいらない。 そのかぎり、自分で自分を推薦し大いに結構だろう。
《説教ノート》 3月24日の説教より ルカ伝福音書第9章57-62節 「神の国にふさわしいか」 飯田義也 説教という厳しさに対して自分の態度をふりかえ ると、ここで「神の言葉」を 語ることになってい ながら、特定の思想とか価値観、反体制的な状況 に聴き手を 追い込むのではないかと心配になりま す。 最近、とあるところ(国会)で「法の 支配」の対 義語が「人の支配」であるということが話題とな りました。人か ゙人を支配するようなことがないよ う、全ての人が例外なく法の支配のもとに 置かれ ることが必要であるということでしょう。全ての 人が法というひと つの言葉に対して誠実であるこ とが求められるのです。 まず「神の国」を 考えます。「国」と訳されるギ リシャ語の言語は「支配」とも訳せる単語です。 「法の支配」をさらに超えて「神の支配」です。 確かに聖書は、旧約聖書の時代 から人を支配する 人が神に裁かれる様子を描いていて、その点では 一貫してい ます。政治体制とか権力という「大き なもの」に異を唱える「小さなもの」では なくて、 人を支配している(と思い上がっている)人の方 が、権力は握っていて も、根本的ではない存在だ ということです。 今日の箇所の当時(ルカの場面 設定ではという側 面もありますが)イエス・キリストはある種ブー ムでし た。追いかけ回す群衆、浮き足立つ弟子た ちは順位争い・・そして「この人につい て行けば いいことあるぞ」と「あなたがおいでになる所な ら、どこへて ゙も従って参ります」と言う人が現れ ます。注解書によると利益になることを期 待して 弟子入りを志願しているそうです・・ので「人の 子には枕する所もない」 と、にべもない言葉が応 答です。 次の人にはイエス・キリストの方から弟子 入りを 勧めますが、葬儀に行きたいとのこと、そのあと の弟子入り志願者も親に あいさつに行きたいと言 って「神の国にふさわしくない」と言われてしま います。 ここには、旧約聖書列王記のエリシャが エリアに弟子入りするときのエピソー ドが織り込 まれています。そのときには、父と母にお別れを 言ってから(感覚 的には生前葬)弟子入りしてい ますが、ここでは、そのまま「蒸発」しなけれは ゙ ならないほどの危機感です。 「ふさわしい」というのは辞書的には「似つか わ しい」「釣り合っている」ということで、もしそ う聞かれたら自分はふさわし くないなぁというの が本音です。まあ救いとしては、聖書の中には「我 こそは ふさわしい」という者はふさわしくなくて 「自分はふさわしくない」と胸を打つ者 がふさわ しいというテーマもたくさん出て来るというとこ ろです。 つらつら と、そもそもなんでキリスト教徒になっ たのだろうというところまで思いか ゙及びました。 思い出すのは、やはり母方の祖父のことで、小学 生の頃、イン ドのダリット(被差別階級)の学生 さんが水戸の教会を訪ねてくださり一緒 に食事を したことや東海村近辺をドライブしたときに原発 の危険を教えてくれ たことなどが印象的でした。 やはり、正しい言葉に従って考え行動するとい う 点では、この当時から言葉は与えられていたので した。 危機感に戻ります と、このときイエス・キリスト だけがご自身の行く末、つまり十字架の死へ の道 を予測していたという文脈で、このエピソードを とらえたいところで す。今はレント、イースター への歩みの中で、十字架に思いを馳せるときです。 今日のキリストの危機感が十字架からの招きであ ることを考える日にしたいと 思い、一方で、ふさ わしくない私がふさわしくないままで受け入れて いたた ゙けるようにも祈っていきたいと思ったこと でした。
2019年3月17日説教より ルカ伝福音書11章14〜26節 「悪と戦うキリスト」という題に 久保田文貞 17日聖書日課の原題が「悪と戦うキリスト」となっていま す。そこて ゙云う〈悪〉とは、キリストによって示された神の愛を 否定する力、そこから人間 を引き離す力をそう呼んでおく 位の意味だろう。このテーマに福音書としてル カ11:14-23 が選ばれている。いわゆるベルゼブル論争である。 イエス が悪霊を追い出していると、「ある人々」が「彼は悪 霊のかしらベルゼフ ゙ルによって、悪霊どもを追い出している のだ」と云う。この伝承は、3つの共 観福音書に出てくるが、 注目すべきは、マルコ資料とQ資料が二つ揃って同し ゙伝承 を伝える所が少ない中で、マタイとルカがマルコ資料では なくむし ろQ資料の方を採用している点である。(ちょっとや やこしいので、対観表を配っ て説明した) そこで、一つ気 づく事はルカではイエスを中傷した人物を「あ る人びと」とし ているが、マルコでは「エルサレムから下って来た律法学 者」、マタイでは「ファリサイ派の人々」となっていることだ。こ の点、ど れがオリジナルなものかわからない。ただルカで は、これまでも申し上 げてきたように、ガリラヤでイエスの周 りに群がる群衆に対してそのまま でよしとしない。群衆オク ロスの中で「悔い改め」「み言葉を受け入れる」も のたちが、 神の国の住民ラオスになるのだと、つまりルカは自分の時 代にダ ブらせて、福音を受け入れない人々と、受け入れた クリスチャンとをイエスの周 りに集まる人々の中に見ている のである。この悪意に満ちた誹謗に対して、イエ スの反論、 「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って 倒 れてしまう。あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪 霊を追い出し ていると言うけれども、サタンが内輪もめすれ ば、どうしてその国は成り 立って行くだろうか。」 この内 輪もめは、反論されている〈ある人々〉にとって も、イエスの 側にいる人にとっても、切実なものにはならない。論争自体 が間か ゙抜けている感がして不自然だ。 マルコ版では、律 法学者が批判すること になるが、そもそもが根本的に違う。 そこには奇跡物語が前に置かれていな い。イエスを取り押 さえようとしてナザレからやってきた家族の話(3:20,21と3:3 1-35)の間にベルゼブル論争なるものが挿入されている 形になっている。つ まりイエスが群衆たちとある家でみなお 腹が空いたので食事でもしよう かとワイワイやっている時 に、外に家族がやってきた。それをしり目に見なが ら、突 如、「エルサレムから下ってきた律法学者たち」がそのあり 様を冷ややか に遠目で見ながらつぶやく。「あの男はベル ゼブルに取りつかれてい る」、また、「悪霊の頭の力で悪霊 を追い出している」と。マルコの設定では、 律法学者たちも イエスの家族と同様、イエスと群衆のいる熱気のこもった家 の外か ら中をのぞき見ているということなのか。「そこで、イ エスは彼らを呼び寄 せて、たとえを用いて語られた。」 要 するに、イエスはその輪の外にいる律法学者 と家族のことを 当てつけて、「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。国 が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争え ば、その家 は成り立たない。・・・」という。いつのまにか、内 輪もめは、悪霊のかしらベ ルゼブルの意を借りて悪霊払い をしたと言われたイエスの側の問題ではなく、 イエスを悪霊 呼ばわりして中傷する律法学者との、さらにイエスを気が変 になっ ていると取り押さえにきた家族との問題になってい る。 マルコ3:27の次の言葉「ま た、まず強い人を縛り上げなけ れば、だれも、その人の家に押し入って、 家財道具を奪い 取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するも の だ。はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜 の言葉も、すべ て赦される。」は、Q資料にのっとっているル カでは無視されている。ルカにとっ てイエスの母はイエスの 十字架を見守った女たちの一人に数えられ(ルカ24:10)、 母と兄弟たちはイエス死後のエルサレム教会を生み出す集 団の中に入っている(使徒 1:14)。イエスと家族の間に深刻 な対立はない。ただイエスの肉親も、イエスの言 葉を受け 入れた人々みな同じ家族だというわけだ。というわけで、マ ルコ がこの反論に付け加えた3:27は、ルカには耐えられな い言葉なのがよく分かる。 とにかく、Q資料版でルカが理解した限りでのベルゼブ ル論争は、対岸 の火事なのだ。此岸では、「わたしが神の 指で悪霊を追い出しているのて ゙あれば、神の国はあなたた ちのところに来ているのだ。」 対岸はどうなっ ていてもかま わないとまでは言わぬにしても。 それにしてもマルコ版の内輪もめ は、対岸の火事見物を 許さない。足下のこととしてだれもが取り組むよりない という わけである。
2019年3月10日の説教より マタイ福音書11章16~19節 「<ふつう>という幻想」 板垣弘毅 きょうは3月10日、東京大空襲の日。ことしの正月、同窓 会で60年ぶりと いう友だちにも再会しました。東京の下町、 焼け野原の中に焼け残った古い小学 校の校舎で、わたし たちは6年間クラス替えもなかったので、思い出話は尽きま せんでした。あの頃は皆貧しかった、といってもわが母子家 庭のレベルで は、なりふり構わないで働いていた母がいと おしくなります。<貧しい>という ことを、私は「恥ずかしい」 とは思って来ませんでしたが、幼いときから人 並みの、普通 の生活はしたい、という思いはありました。 何が<普通>かは、人や 状況の違いで変わってきます が、たとえば、事件の被疑者には、メディア がいち早く聞き 込みをしたりしますが、近所の人はよく「普通の人ですよ」 な どと答えています。こういうときの<ふつう>ってなんでしょ うか。 「ヨハ ネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪 霊に取りつかれている』 と言い、 人の子が来て、飲み食い すると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴 税人や罪人の仲 間だ』と言う。」 イエスの発言だったか、庶民、大衆の感想た ゙ったかは、 どちらでもいいです。踊って遊ぼう、という誘いはイエスに た とえ、葬式ごっこの誘いは洗礼者ヨハネにたとえられていま す。どちらとも つきあいきれないよ、という人々がいるわけで す。 ヨハネとイエス 、両方と も「広場」の人たちには<ふつう >じゃなかったわけです。神の国が近づい ているという緊 張感はふたりとも同じなのですが、<ふつう>という幻想の 破 り方がちがうのだと思います。 ヨハネは、荒野に退いて一つの共同体として ケガレを離 れて、神の国に備えたエッセネ派のグループにも通じま す。ヨ ルダン川での洗礼によって「義なる人」(義人)になっ て神の国を待て、といい ます。ユダヤ教の指導層を「まむし の子らよ」などとこき下ろしてますから、 ありきたりの律法の 実践をこえています。<ふつう>ではありませんね。一方、 イ エスは 、私が来たのは、義人ではなく罪人を招くため だ、といって「義人」 になることを「神の国」に備える準備な のだ、とは言いません。それより、今こ こに届いている一筋 の光の中で一緒に、まず踊ろう、といっているんです。 「徴 税人、罪人の仲間だ」というレッテルは、人々の<ふつう> という幻想から下 に逸脱して、イエスらしいです。 「罪人、徴税人の仲間」は、社会の仕組みから 脱落した構成分子です。せめて<ふつう>に生活したい、という願望 は、私も幼いころの実感 として分かります。でも現実には< ふつう>以下の生活から脱出できる人は多く はないのだと 思います。 きょうのところで、イエスは<ふつう>以下を蔑む庶民 の 思いを「今の時代」だと言っているのでしょう。これはきっと いつの時代の 「今」にも通じる洞察ですね。<ふつう>じゃ ないことへの蔑みには、そうな ることへの恐怖も含まれてい ます。<蔑み>と<恐怖>は紙一重です。 わが家の孫 に、将来何になりたいの?と聞くと「ふつうで いい、ふつうになりたい」と答えて いました。イエスの「神の 国」という福音が切り開くのは、ここではないかと 思いま す。. 私が、そして私たちが、イエスに救われるのは、イエス が、10 歳にも満たない子どもが身につけてしまう<ふつう >という共同の幻想を砕いて いるからです。<ふつう>が あればその上下があり、また<ふつう>の内側と 外側があり ます。その外側は少数派です。でもイエスの前には<ふつ う>の人 たちはいない、代替不能の「ただの人」がいるだけ です。 「近代憲法」は 生まれながらに有する基本的人権を保障し て「人は個人として尊重される」とし ましたが(日本国憲法で は第13条)、イエスはもちろんそれとは無関係に、目の 前 の一人の人を、そのままで神の国にふさわしい、かけがえ のない存在とみた わけです。このイエスの在り様が、最初の ころのキリスト信徒たちの「神の子」 という告白を引き出した のです。では、イエスには世界がなぜそのように 見えたの か。それを私は「神の国のまなざし」と言いたいです。 言うでもな く、「神の国」は人間の理想が、形をとるもので はありません。黙示録には、 最高の表現で、永遠の都エル サレムが描かれたりしますが、それは言葉の限 界を示して いて、いわば人間が決して埋められない空洞として「神の 国」はあ ります。言葉にならないから、参加無条件の食卓の ような「できごと」で、 そしてたとえ話で、イエスは伝えたので す。「空洞」を秘めて、「地獄でフォー クダンス」を踊れたの が.イエス(たち)でした。 <ふつう>がまかり通っている世の中では「罪人、徴税 人の仲間」とされた人た ちは、<ふつう>の外に置かれま す。でも「イエスと共にある神の国」に招かれて、 神の未来 に最後の希望をたくして、自分たちの「今」を引き受けたの でした。< ふつう>の人には、ただのバカ騒ぎに見えたか もしれませんが。
3月3日の説教より 使徒行伝4章1-22節 「無学な普通の人の宣教と言われて」 久保田文貞 前回の続き。神殿境内の東面(長さ300m以上あったとい う)「ソロモンの 柱廊」のあたりで騒ぎ、だれかが民に囲まれ て偉そうに教えている。一か 月以上も前に処刑されたイエ スの名が漏れ聞こえてくる。見ればただの民草 のような男で はないか。彼らはいらだつ。 彼らとは、祭司たち、神殿守衛長、 サドカイ派の人たちの ことだ。祭司とは、ここ神殿で神礼拝を司るため選は ゙れた特 別の家系の者だ。守衛長は神殿が常に聖域であるよう管 理し、それ を汚すような行為があれば直ちに取り締まる。こ うして彼らは、民が神の前 に出て、神の恵みをありがたくい ただき、罪が赦されるように仲立ちし、民 をリードする。 「あの演説をしている者、その横にいる男、逮捕」、ばた ば たと警備兵らがペテロとヨハネの所に駆け寄って、腕を 掴み、逮捕していく。 「ここにお集まりのみなさん。これは不 法な集会です。すぐに解散してくだ さい。一般の参詣の方 たちの迷惑になります。従わないと検挙することになります」 と。私たちもどこかで見たような光景が起こったわけだ。集 会は解散させ られ、その日の取り調べはもう暗くなってきた として翌日にまわされる。 次の日、 議員、長老、律法学者たちも呼び集められた。 もちろんそこには大祭司、とその 一族が高い席(?)にすわ る。前日の逮捕を執行した者たちもいる。ユダヤ議会て ゙あ る。エルサレム神殿の西隣りに会議場があったと云う。ロー マからも認可さ れ、主イエスも立たされたところだ。 長老は大土地を所有し、経済を取り仕切る 町の有力者、 金の力で議員になるというどこにもいる人間たちで、とりわ け 説明する必要がないだろう。問題は、やはり律法学者。 パリサイ派とつなか ゙っている。もとは一般民衆の出である。 彼らは小さいころから家の仕事を習得 するかたわら、寝る間 も惜しんで律法を暗記した。それだけではない、法か ゙これこ れの場合はどうかと、あらゆる場合を想定して考察し、師匠 の下で先 輩たちの諸説を学び、そうやって修練を積み、審 査をされ律法学者になる。こう して議会の一員に選ばれた。 律法の理解において、彼らの右に出る者はいない、 そう自 負しているはずだ。律法学者たちは、民の指導者として君 臨する。「私 たちももとはと言えば確かにただの人である が、元ただの人として、民 として歩むべき道を教える。お前 たちは自分の持ち場で自分の仕事に励み、自 分の家族を 養い、誠実に日々の生活を営め。わからないことは私たち に聞け。自分 で考えて解決しようなどと思うな。間違えの元 だ」と。ユダヤ議会とは、 こんな連中の集まりである。 その彼らが、ペテロとヨハネを真ん中に立たせ て、「お前 たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことを したのか」 と尋問、というより威しである。二人には何の権威 ・資格もないし、彼らを後ろ から推すような人物もいないと、 はなからきめてかかっている。彼らは一時の熱に 浮かされ て、舞い上がってしまった民草の一人に過ぎない。議会の 真ん中に立 たされて固まっている、というわけだ。 ところが、ペテロは堂々と証言した。 と書けばいいものを、ルカさんは「ペテロは聖霊に満たさ れて言った」と書い た。使徒言行録はなにごとにつけ、原始 教会の活動のすべてを聖霊に導かれた ものとする。ルカさ んの手法だ。ルカさんの周りの教会人もこういう表現を良し としていたのだろう。だが、不遜な言い方かもしれないが、 私は、向こう の権威に対向して、こっちには聖霊が味方に 付いていますよという風にしてもら いたくない。ペテロは自 分の言葉で語ったのだと言い換えたい。聖霊は、彼 らの権 威に対向できる、より威厳に満ちた神秘的ななにかではな い。こういう ときこそ原義に戻ってとらえた方がよい、聖霊は 人の思ひを超えて、自由に吹く 神の息、神の風のことだと。 神の意志が、神の言葉となって、働いていくとい うことなの だろうけど、人はそれを手段にしたり、味方に付けたりする ことは できない。ルカさんも承知の上のことだろうが。 同じことは「イエスの名」 と云う事にも感じる。イエスの名と は、人を圧倒するような偉大なものの名で はない。誤解を 恐れず言えば、それは最低の名なのだ。何の権威もないと し か言えない名のなのだ。十字架に付けられて、彼らの思 いのままに抹殺されても。 何も抵抗しなかった者の名なの である。ペテロは、だれよりもイエスの近く にいて、そのこと をもっともよく知っていた人だ。その彼が「イエスの名によっ て歩きなさい」と、あの歩くことができなく、神殿境内で人に 施しを求める よりなかった人に宣言したのである。 そういうわけで、最低の名「イエスの名」 によって歩きなさ いと宣言するペテロには、議員たちの前で、自分が無学な ただの人と言われようが、そんなこととはかかわりなく、自分 の言葉でかれ らの前で発言するよりないのである。それこそ イエスの名による宣教の基本的 なスタンスだろう。
2月24日説教より 使徒言行録3章1-11節 「わたしには金や銀はないが…」 久保田文貞 2014年10月14日に亡くなられた野田五三郎さんの葬儀 (11/9)が昨年 亡くなられた大塩清之助牧師の司式で町屋 新生教会であり、私が出席した時 の事である。間口三間ほ どの小さなビルの一階にかまえる教会の一つの壁に 「わた しには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレ の人イエ ス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」 と、年間の標語だったの か、大書された紙が貼られていた のを思い出した。いまにして思うと、このペ テロの言葉はお 二人の言葉のように聞こえる。お二人を少しでも知っている 方に は合点してもらえると思うが、ここでは語りつくせないの で別の機会に譲り たい。 さて、今日のテキストはルカ福音書と使徒言行録のつな ぎのような位置に 当たる。ところで、生前のイエスの宣教活 動とイエス死後の教会の宣教との間に 大きな違いがあるの だが、これを最も古く前面に提出したのが、生前のイ エスの 活動をまとめたマルコ福音書といってよいだろう。この両者 を繋ぎとめ ようとしたのがルカ福音書と使徒言行録の2部作 だ。壮大な救済史構想をたて、 原始教会の歴史をイエスの 福音宣教の時につなげたのである。こうしてルカは 原始教 会をエルサレムからスタートさせ、弟子の宣教活動を神殿 の境内から始めて いく(使徒2:46、3:1以、5:20,42)。ルカ が書いたとき(85-90年頃)にはもうエルサ レムは廃墟とな っていて(70年ユダヤ戦争の敗北)、それも彼の救済史構 想の中に 織り込み済みなのだが。 というわけでペンテコステの教会誕生の記事(2章) の後、 ペテロとヨハネはおもむろにユダヤ教のしきたりに則して、3 時の祈り の時に神殿に赴くという設定になる。「美しの門」 (神殿境内から聖域に入っていく ニカノル門?)の所で、 「足なえ」の男が参詣人たちから「施し」をもらおうと して待ち 受けている。「施し」と訳されている語エレーモシュネーは、 旧約ギリ シャ語訳(LXX)では、神が人に与える恵みヘセ ド、義ツェダーカーに訳され る。そこでは神が人を恵む「施 し」が第一義なのだが、後期ユダヤ教 において重心が移動 してしまう。持てる者の持たざる者への「施し」の意にな る (シラ書3:30など)。もちろんそれも後期ユダヤ教の時代、 「施し」が何ら かの貧困者救済の一つの制度になっていた かもしれない。しかし、新約の時代背景 では、マタイが6章 2、3節でイエスが看破した如く裕福なユダヤ教徒の偽 善の 的に、換言すれば既成の権力構造を補完するだけのもの にすぎなくなっ ていたのである。 そこおでペテロの口から発せられた 「わたしには金や銀 はないが、・・・」という言葉には、一見すると常套的な道徳 観がこびり付 いているように見えるが、ルカの救済史構想に 照らしてみると、ここには人間の 世界に貫通している価値観 をひっくり返すほどの宣言の意味が込められている と言えよ う。つまり、神の恵みは太初の神話的時代を別として、その 後は地上の人 間の制度、冨の集中と分配の仕方、正当な (?)権力体系等々を通して、間接的かつ暫 定的に「施」さ れてきたが、今や、キリストの福音によってあきらかにされた よ うに、その恵みの流通の仕方は、それと真反対ものにな ったという宣言であり、 その宣言に基づいて、彼に差しのべ られたものは「ナザレの人イエス・キリ ストの名によって立ち 上がり、歩きなさい。」という神の恵みとしての定言で ある。 こうしてペテロは「右手を取って彼を立ち上がらせた。する と、たちま ち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上 がって立ち、歩きだし た。そして、歩き回ったり躍ったりして 神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行っ た。」 だが、「ナザレの人イエス・キリストの名によって」起こるべ き歴 史の〈切り替え〉は、人間の前歴史を根本から切り替え すべきものだが、依 然として権力と富が支配し続けているよ うにしか見えないある種の実感の中で、 その歴史にどう切り 込んでいくのか下手すると手も足も出せずそこに呑み込 ま れかねないのである。 新約時代に、実はすぐに〈金・銀〉を無視できない、 大き な飢餓と貧困の問題が襲ってきていた。48年エルサレム会 議でバルナハ ゙とパウロがペテロらエルサレム教会と会談し た際、比較的裕福な前者が 貧しい後者を援助すると約束し た時、現実的な経済的貧困の問題が絡んでいた だろう(ガ ラ2:10)。ちょうどその頃パレスチナを歴史的な旱魃が襲 い、 飢餓難民であふれかえっていたとみてよい。ペテロらは ガリラヤ時代を思い 出しながら、貧しいながらも押し寄せる 腹の減った人々になんとか給食しよう と算段した事だろう。 その後のパレスチナ経済は持てる者と持たざる者の格 差が 拡大、貧困者は常態化し社会は不安定になっていく。ユダ ヤ戦争の遠因と 言われる。パウロらが宣教し生まれて行っ た異邦人教会は、そんなエルサレム の教会への支援を続 けていったのである(IIコリ8,9、ロマ15:25以下、使徒11:2 9)。イエスの名において、神の恵みの豊かにあらんことを祈 り、連帯しようとして ということか。
2月17日説教より ルカによる福音書8章4〜15節 「種まきの譬について」 久保田文貞 共観福音書に「種」の譬が何度か出てくる。「成長 する種」マルコ 4:26-29、「からし種」Mk4:30-32、 「毒麦の譬」Mt13:37など、その他に種を使っ た比喩 的表現がある。時にはパリサイ人のパン種のように否 定的な意味で も使う。とにかくイエスは種の譬をよく 使ったということがうかがえる。 これ ら「種の譬」群を見渡すと、基本は〈神が畑= 世界とそこに生きる人間に種をまく と...〉ということ なのだろう。「成長する種」では「種は芽を出して育 って 行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らな い」つまり神が蒔いた種の 成長に、人は関与しように もできないとなる。「からし種」でも人はその成長 の 大きさに驚くばかりであるという。 凡人が見れば当たり前のことだか ゙、イエスは種をめ ぐる事柄に神の恵みが地上に暮らす人間一人一人に直 にも たらされていく様を見る。このようにふとした当 たり前の事柄に神のメッセージ を見てとり、聞き分け るのは、古代預言者のよくすることである。エレミヤ は 「煮えたぎる鍋」を前にしてヤハウェの「何を見る か」という声を聞きそれをメッ セージとして受け取る (エレミヤ1:11)。それは比喩で分かりやすく説明す ると いった修辞学的な頭の使い方なのでない。身の回 りの事象や、対象物に、突然神 の指し示しを見てしま う。神がする比喩と言う方が当たっている。イエスの 譬 はそれに似ている。 種はそこら中におもいのままに蒔かれている。あり がたいこ とではあるが、どっこいそれは人の世界を揺 さぶり壊しかねないもので もある。それまで成長する はずのないものが成長しはじめ、身をつけるは ずのな いものが身をつける。小さなからし種が、何十倍何百 倍にもなる。一 匙のパン種が全体を膨らませる。 だが今日のテキスト「種をまく人」の場 合、まかれ た種がどのような所に落ちるかということに焦点が合 わされてい るように見える。そうなるとどうしても蒔 かれた種が大きく成長するか、ある いはせっかくのも のをダメにするか、受け取った大地の側の条件による、 ひいて はその成長に人間の責任が問われると言わんば かりである。マルコも、それ を受け取ったマタイもル カもみな上からべったり塗りたくったような「種をま く 人の譬の説明」を加える。どうみてもこの説明がイ エス自身のものではなく、 後の教団のものであること は明らかだが、そうなったのもマルコで言えは ゙4:1- 8の元の譬にその傾向があるからだろう。 いったいどういうことだ ろう。こうして思わずも与 えられた恵みなのだが、蒔かれた種がやはり小 さな一 粒にすぎないことに注目すべきだ。どうみてもこの恵 みは、この地 上でちっぽけな種に過ぎない。 神から いただく恵みは、何の資格も功績も ない私が一方的に 与えられるものだけれども、何せその恵みの小さいこ とよ、 うっかりするとこれっぽち?と口を滑らしかね ない代物なのだ。いや見た目には、 命を抜き取られた 核なしの種のようでさえある。命がないように見えて、 その くせそこから小さな〈喜ばしい音〉が響いてくる。 イエスの死と復活を体験し た後の人たちは、種が芽吹 き、成長し、実を結んでいくプロセスにイエスの 死と 復活の出来事がひとびとに伝えられていく様を重ねる ことになるかもしれ ない。 とにかく、種が大地の思いを超えて、あるものは成 長し実を結び、また 他の或るものは、芽を噴き出し損 ね土に呑みこまれ、またあるものは芽を出しても 途中 で枯れて、消滅し、あるものは茨に覆われて枯れてい く。ここでついつい、 さあ私らの出番だと、その種を 受け取った人間としてつぎにそれをどのよう に成長さ せようか、人間の責任だとしゃしゃり出たくなるとこ ろだが、そう ではない。これをイエスが語った言葉と するならこうなるだろう。大地に蒔 かれた種にとって、 どんなところに落ちるかということは、その小さな種 自身の 宿命なのだと。人間ではなく、むしろ種が受け 取らなければならず、種 に課せられている条件という べきものだ。神の恵みは、誰にも小さな一粒に過 ぎず、 それも人が眠っている間に、ちゃんと成長する。だが、 同時に蒔 かれた種には人には読めないような過酷な運 命もありうるということだ。さあ、 あなたはこれをど う聞く?というところだろう。
2月10日 説教より ロマ書13章1-7節 「君君たらずと雖も臣臣たらざるへからず」 久保田文貞 今日の題は、孔子の孫弟子曾子による『古文孝経』に後 代 に付けられた序文の言葉による。江戸中期の儒学者太 宰春台がこの言葉に注目し た。『論語』では〈政〉について 問われた孔子が曰く「君君タリ、臣臣タリ、 父父タリ、子子タ リ」(顔淵)となる。君主、臣下、父、子、みなその在るべきと ころで最善を尽くすということが政の根本だというところか。 これに対して 『孝経』は更に忠と孝を一体化させる。「序文」 の終わりの所で、「君、君たら ずと雖も臣は以て臣たらざる べからず、父、父たらずと雖も、子は以て 子たらざるべから ず」という。君主や父がダメでも臣や子はとことん 君主や父 に仕えよというわけだが、その仕え方には命を懸けて君主 または父を 諌め反抗することもありうるというわけだ。 明治になって列強の外圧のもと、幕 藩体制を解消して近 代国民国家へとスタートする。その中心に主権者天皇をお き、 強い国家体制を構築しようとした。こうして天皇と全国民 の関係が、君主と臣民 の関係に塗り替えられる。臣とは天 皇の家臣のことであり、民とは君・臣の支配 の対象であっ て、本来別物であるのだが、ここでは国民全体が天皇の 臣 下に引き上げられたことになる。明治憲法第二条は「臣民 の権利と義務」とな る通りである。 さて、天皇の臣民は君主が誤った時、君主を諫め、忠の それな りの異形として反逆へと赴いたことがあるだろうか。 田中正造の直訴、大逆事 件などあるが、ここでは二二六事 件を考えたい。その詳細は省くが、行動 を起こし最期は銃 殺された磯部朝一の獄中記「行動記」の言葉を見よう。 「天皇陛 下 陛下の側近は国民を圧する奸漢で一杯であ りますゾ、御気付キ遊バサヌ デハ日本が大変になりますゾ、 今に今に大変なことになりますゾ 」「今の 私は怒髪天をつく の怒りにもえています、私は今は 陛下をお叱り申上げる とこ ろに迄 精神が高まりました、だから毎日朝から晩迄 陛下をお叱り申しておりま す、天皇陛下 何と云ふ御失政 でありますか 何と云ふザマです、皇祖皇宗に 御あやまり なされませ」 皮肉なことに、他のほとんどの市民がつぶれた中て ゙、行動 右翼の方が主権者であり君主たる天皇を諌め、反逆する主 体として立 ち上がったということだ。 ここで前にもとりあげた『臣民の道』を想い起 してみよう。 1940年太平洋戦争の前年、文部官僚が臣民を鼓舞するた めに書い た作文である。皇国臣民に修練を積めと述べ、最 後に「国民生活」の項でこ う書く. 「我等は國民たること以外に人たることを得ず、更に公を別 にして私は ないのである。...されば、私生活を以つて國家 に關係なく、自己の自由に屬す る部面であると見做し、私 意を恣にするが如きことは許されないのである。 一椀の食、 一着の衣と雖も單なる自己のみのものではなく、また遊ぶ 閑、眠る 間と雖も國を離れた私はなく、すべて國との繋がり にある。かくて我等は私生 活の間にも天皇に歸一し國家に 奉仕するの念を忘れてはならぬ。」 戦後、人々はこ れを唾棄すべきものとし、記憶からも抹消 された。今や、主権者たる国民として、 私生活をほんとうに 自分で設計し、その主じとして生活しているか。どっこ い、 憲法第一条は「天皇は」で始まり、国民の統合の象徴であ ると謳われ、こ れを「主権者たる国民の総意に基づく」とされ ている。創意に加わった覚えが ないと言っても、そう書かれ てしまっている。確かに、今の天皇はオカミとしてシ モを見 下すような態様を取らない。あたかも国民のすぐそばに、災 害が起こ ればすぐ横に、同じ空気を吸っているよと言わん ばかりだ。国民として はその柔らかなまなざしのもとで、自 由を感じ、自由な私的空間を満喫する。 でも、よくよく考え るとこれって、「臣民の道」の究極の完成版になっていない か。気づいたらいつのまにか、天皇制にがんじがらめにさ れていて、自由 はあくまで天皇制の下での許された自由だ け、その枠を破ろうとすれば即 排除、監禁、国外追放、とい うことになりはじめていないだろうか。君主に対 して反逆す ることもなく、君主を諌めることも忘れ、ただただ平伏する無 能な 臣下に成り下がっていないか。臣下として生きるという なら、「君君たらずと 雖も臣臣たらざるべからず」の気概を持 ち、時には見事に反逆して見せよと 言いたくなる。 と言いつつ、ロマ書13章1節以下を読む。 ここまで息巻いていた 自分がこれを読んでぺしゃんこにな る。さて、ここをなんと言って、切り抜 けるか。これぬきに何を 言ったことにもなりかねない。近いうち、これを取り上け ゙てみ たい。 2月3日説教より 「願いを、あらたに受け継ぐ」 マタイによる福音書 11章2〜15節 八木かおりさん イエスが、その活動を始める前、洗礼者ヨハネを訪ねて 洗礼を受けたというエヒ ゚ソードは、いずれの福音書も報告し ているものです。洗礼者ヨハネ本人の イエスに関する証言 によって印象が薄められていますが、イエスはヨハネ教団 に入会した、あるいはヨハネの弟子になったと表現してもい い話です。そして、 イエスは40日間にわたる荒野での断食 行(悪魔の誘惑)を経た後に、ヨハネがヘ ロデに捕らえられ たことをきっかけに独自の活動を開始しています。 ところで 洗礼者ヨハネは、荒野で独自の宗教規律をもっ て暮らしたエッセネ派との関連か ゙よく言われますが、そもそ もダビデ王家の正統性を主張し、マカベア 戦争によって成 立したハスモン王家を拒絶、他との接触を避け、荒野での 共同生 活を選択したのがエッセネ派です。そこから考えれ ば、ヨハネの活動は、当 時のユダヤ社会においては非常に ユニークなものでした。彼の宣教は、荒れ野 で、人々を「悔 い改めに導く」ためにヨルダン川で「洗礼」を授け、「天の 国 の到来」(他の福音書では「神の国」)を告知するものでし た。彼の元には、 エルサレムとユダヤ全土から、ヨルダン川 沿いの地方一帯から、なかにはファ リサイ派やサドカイ派の 人々も大勢いたと報告されています。そして、「悔い改 めと 天の国(神の国)の到来」は、イエス自身の宣教テーマでも あります。 今日 のテキストは、投獄中の洗礼者ヨハネが、自分の弟 子たちをイエスの元に送って 質問をさせるというエピソード です。この質問の後に、ヨハネを投獄したヘ ロデ・アンティ パスが、期せずしてではありますが、ヨハネ殺害する 話(14 章)が出てきます。彼は、最後まで、イエスの先駆者です。 2人の関係 については、例えば、ルカによる福音書の誕 生物語のなかでは、ヨハネとイエ スの誕生の次第が、神の 意志による不思議な出来事として報告されています。ル カ によればヨハネとイエスは「遠縁」関係にある母たちの子で す。そうした彼 らの関係が実際のところどうだったかは分か りません。それとは、関係なく 結ばれたものなのかもしれま せん。いずれにせよこの2人の関係を、今日の箇所 から考 えてみたいと思います。 ヨハネは、獄中から人を使わしてイエスに尋ねさせ まし た。「来るべき人はあなたでしょうか。それとも、ほかの方を 待たなけれ ばなりませんか」。これに対してイエスは、自分 のしてきたことを報告し「わた しにつまずかない人は、幸い である。」と応えました。そして、ヨハネの弟子 が帰ったあと に、イエスはヨハネについての証言をします。それは、最大 ともい える賛辞でした。地上に生まれ出た者のなかでも最も 「偉大な者」、「現れる はずのエリヤ」。後者は、当時の黙示 思想において、終末に神から派遣される 「最後の審判者」 がエリヤだと信じられていたことを背景としています。そ し て、イエス自身がいろんな人から「ヨハネだ」と言われたりも しているのて ゙、マタイは「すべての預言者と律法が預言した のは、ヨハネの時までで ある」とイエスに宣言させ、預言の 新たな完成と実現を「イエスの時」だと表明 しているのです が、ここで注目したいのは、ヨハネとイエスとのやりとりて ゙す。 彼らの時代、ユダヤの民は、ローマの圧制下に置かれて いました(紀元前2 世紀半ばのマカベア戦争からの100年、 ハスモン家による独立は、王位継承権争 いに介入したロー マによって奪われていました。そのローマによって指名され た 「ユダヤ人の王」は、ユダヤ人ではないイドマヤ領主のヘ ロデ家であ り、ヘロデ家はハスモン家と縁戚関係を結ぶこと でその正統性を主張しまし たが、この両家ともがユダヤの 民からすると「ダビデ家ではないか ら不当」と見なされてい ました)。ローマの支配におもねる大祭司、祭司、長老た ち、律法至上主義を唱える律法学者やファリサイ派、異教 の支配を拒否する熱心党、 そして先に述べたエッセネ派ほ かローマ帝国主義下において、さまざまに引き 裂かれた人 々は混乱し、特に宗教的政治的経済的に「弱くさせられた 民衆」が、 終末とメシアの到来を渇望するような事態を、自 ら生きていたのが、ヨハネとイ エスでした。 この時、ヨハネは、イエスに獄中から願いを託したのでは ないか と思います。ヨハネの問いは「お前がやってくれるの か?」だったのではない でしょうか。そしてイエスの応えは、 「わたしはわたしでやっているよ」だっ たのではないか。洗 礼者ヨハネから、イエスは願いを託され、受け取っていた。 そして、そのヨハネもまた、誰かから渡された願いによって 生きていたのではな いか。志をつなぐ関係が、両者にあっ たことを想像します。 それぞれの状況 で、選択のなかで、いかに生きるかとい う問いが、2000年近い時を超えて、 聖書から、あるいは、親 しい誰かから、わたしたちには、それぞれに手渡されて いる のではないでしょうか。わたしは、「権力が引き起こした暴力 への抵 抗」、その共闘可能性を、この物語から受け取って います。そして、その結果とし ての処刑によるイエスの死 を、例えば贖罪死として称揚する信仰は、英霊信仰と 何が 違うのでしょう。それは弟子たちが復活を語ることによって、 処刑の暴 力性を指摘したのとは真逆です。復活物語は、人 が人を殺すことの完全な否定、 いのちへの祝福が実現され ること、その願い(いのち)が手渡されることを意味 している のだと思います
1月27日説教より ルカ福音書21章1~9節 「捧げる事と神殿と」 久保田文貞 すぐ前の20章45~47節で、人前で偉そうに振る舞う律法 学者 「に気をつけよ」、その正体を見破れと言うことだろう。 場面は同じく神殿境 内での話。「やもめの家を食い物にし」 のつながりでか、21章1~4節、イエス がは銭箱前の金持ち たちがこれ見よがしに多額の献金をしているのを「見(あ げ) て」から、隅っこの方の賽銭箱に(婦人の庭という所に7つな らなんでいた という)一人のやもめがレプタ(小銭)2枚を入 れるのを「見て」、彼は言った 「この貧しいやもめは、だれよ りもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り 余る中から 献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を 全部入れた からである。」 何の説明も要しない。世界中ど こにもある宗教説話の類。仏教 説話の「長者の万灯より、貧 者の一灯」に似ている。 問題は20章45節以下もそうた ゙が、これだけ取れば、物語 はユダヤ教社会を支配している神殿体制を前 提にし、いっ たい人は、どこまで生活をかけて神に捧げものをしているか と いうことになる。つまり神―神殿―人間の構造をそのまま にしての話のように見える。 しかし、この話につづいて、ひょ っとするとまた別の集団の人たちを想定させて いるのかもし れないが、「ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾ら れていることを話していると、イエスは言われた。 『あなたが たはこれらの物に 見とれているが、一つの石も崩されずに 他の石の上に残ることのない日が来 る。』」という話になる。 20章以下の伝承の配置と、簡単な補足文は、元来の編 集者マルコによる。この編集者の意図はどうみても神殿の 全面的否定にしかなら ない。律法学者たちが一般の参詣 人にお手本でも示しているつもりで優雅に 振る舞っていた ものも(20:46)、金持ちが多額の捧げものをしたことも、「や もめが乏しい中から持っている生活費全部を入れた」ことも 含めて、それら神殿 体制の中で起こった一切は、神殿崩壊 と共にチャラになると言わんばかりなの だ。 そもそも神殿とは何か。神のまします所、神の座、そこに 行けば、神に直 に会うことはできずとも、御前に礼拝をする ことができる所・・・。祭司 たちがその儀礼を仲介し執り行う。 だが人は四六時中神殿に詣でて礼拝す るわけにはいかな い。日常の生活があるから。律法学者やパリサイ人が日常 生活においても神のみ心に適うあり様を示してくれる。こうし て人は、神殿を中心 にした神的な人間として、神殿システ ムの下に生きていけるということだ。 だ が、「一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのな い日が来る。」とイ エスは宣言する。これは神殿システムを 中心にしていくことを放棄せよというに等 しい。マルコ伝の 言わんとするところは、ガリラヤの群衆たちの間で出来事と して起こっていった神の福音をみよ。神殿システムが造りだ した神との近さ・ 遠さ、神殿と律法を基準としたあり様のす べては無効になると。まるで神殿シ ステムの外側でこそ神 の福音が息づいていると言わんばかりである。 実 際、70年ユダヤ戦争後エルサレム神殿は破壊され た。前に話してきたように、ル カ伝と使徒言行録の著者は、 それでも破壊される以前の神殿でクリスチャンた ちも礼拝し ていたことを強調している(90年頃)。 ルカはおそらくパウロの言葉に 親しんでいたろう。パウロ の神殿観を読んでいたろう。キリストを信じる 者が「神の神 殿」と(1コリ3:16、IIコリ6:16)、信徒の体は「聖霊が宿って 下 さる神殿」と(Iコリ6:19)、「自分の体を神に喜ばれる聖 なる生けるいけにえとし て献げなさい。これこそ、あなたがた のなすべき礼拝です」(ロマ12;1)と パウロは言う。ただし、 パウロの時代はまだ神殿が存在していた。 だ が、ルカにとって建造物としての神殿は今や崩壊した ことを知った上で、もは や神殿は人間の内面に再構築され たものでしかない。内面に設けられた神殿で の礼拝こそ真 の礼拝だ、ということになろうか。 だが、私はそれをもって結 論とするわけにはいかない。 内面に個人化され再構築された神殿もまさに本質的に 神 殿に変わりないだろう。そうなるとむしろ信徒すべてが神殿 システムに等 しく完璧に組み込まれる。こうして信徒一人一 人が直に神に対面し礼拝する場所 を持つのだと、多くの説 教家はパウロの言葉を借りて説くことだろう。分か りやすくな っていることは認めるけれども、なにか違うと思う。神と私、イ エス と私でもよい、その関係を維持するにはどうしても神殿 システムが必要なの だというのであれば、やはりそれはイエ スの福音の矮小化に見えてならない。 (さらにこの問題を、1940年文部省が出した『市民 の道』を引用しつつ、私たちの 国の天皇制の問題に絡 めて話をしたがここでは割愛せざるを得なかった。)
1月20日説教より ルカ福音書3章1~14節 「良き市民であること」 久保田文貞 ルカ3章1節は2章1節と同じくローマ皇帝の名で歴史上 の時期―― キリストの生まれた時とキリストの活動の時―― を特定する。イエス・キリストの福 音は、ユダヤ・ガリラヤ地方 の小さな宗教運動ではない、それは世界大のも のになる。 いや、そもそも神が創造したこの世界を救済せんとする「神 の計画」 (使徒2:23等)によるものだというわけだ。そしてもう ひとつ、この「神の計画」 =救済史の最後の完成の時まで しばしの間、神はこの地上の秩序の管理を国家に 委託して おり、教会はよろしく国家に従い、良き市民としてお行儀よ くしているよ うに、と考えているらしい。 ルカのこの感覚は、パウロ書簡、ロマ書13章1「人は 皆、 上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はな く、今ある権威は すべて神によって立てられたものだからで す。」に直接または間接によるも のだろう。この線で考える と、教会は、基本的に政治に関与せず、あくまて ゙良き市民と してふるまうということになるか。ただ、黙示録13章のように 国家 が悪魔化した時に天使らに加勢してその国家を排除 するために戦いうるだけと。 理屈としては通っているかもし れないが、あまりに図式的だ。聖書に頼らず に、それはお かしいよと言えば済むことだが、そう言っちゃうとすべてか ゙ 終わってしまうので、私たちはさらに聖書を読み込み、別の 何かがないかと 読んでいきたいと思う。 ルカ3章は、初代教会のイエス伝の基本的枠組みに従っ て、まず洗礼者ヨハネの話から始める。マルコもそうしたよう にイザヤ書40章3 節の引用をもってヨハネを登場させる。 「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主 の道を整え、その道筋を まっすぐにせよ。』という声が400年後の今、新たな意 味を帯 びたというわけである。ルカはこれに4,5節を加える。「もろ もろの谷 は高くせられ、もろもろの山と丘とは低くせられ、高 低のある地は平らになり、険 しい所は平地となる。こうして主 の栄光があらわれ、人は皆ともにこれを見る」 と。 曲がりくねった道をまっすぐにするだけではない。でこぼこ 道を 平らにせよ。我々の感覚で言えば高速道路をつくれ。 神の救いが貫徹しやす くなるように、神の救いの計画を邪 魔するものを取り除けというのだろう。 さら にQ資料に基づいて「悔い改めにふさわしい実を結 べ。」つまり、内面的な精神 の持ち方だけの問題ではない。 実践せよと。そして『我々の父はアブラハム だ』などという考 えにすがるな。神は石ころからでも、アブラハムの子 たちを 造ることができる。自分の出自、名誉に頼るな、自分の既得 権にしが みつくな、自己保身に陥るなと。 そうすると群衆たちはヨハネに聞いた。「では 私たちはど うすればよいのですか。」と。 ヨハネは、「11 下着を二枚持っ ている者は、一枚も持た ない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じよ うに せよ」と答えた。 12 徴税人も洗礼を受けるために来て、 「先生、わたしたち はどうすればよいのですか」と言った。ヨ ハネは、「規定以上のものは取り 立てるな」と言った。13 兵 士も、「このわたしたちはどうすればよいのです か」と尋ね た。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取っ たり するな。自分の給料で満足せよ」と言った。」 11節は、持てる者は持たざる者 に衣料や食量を分かちなさ いということ。12節は、徴税人は規定以上のものを取り 立て ないこと。13節は、兵士は武力をかさに不当な扱いをせず 給料で満足せよ と。 後者の二人は今風に言えば、権力のもとで働く公務員 的存在だ。とすれ ば11節の質問者は単なる金持ちではな く、なんらかの財を公平に配分すべき 福祉職のような公務 に携わる人と見てもよいかもしれない。とすればこんな風に 考えてみよう。規定以上に徴収しない税務職員は、規定以 上にとって来いと云う上 司に抵抗し、そんなことをする仲間 に止めろという。自分の給料で満足しようと 決した兵士は、 脅したりだまし取ったりして来いと命じる上司を諌め、そん な ことをする仲間の兵士に抵抗する。どの時代、どこでも権 力のもとで働く 人間が晒されている問題は同じだ。規定通り やる事、与えられた給与で満 足する事自体が、権力のもと にいる人間には立派な抵抗にさえなりうるだろう。 そのような 誘惑に陥らないということは、単純に自分だけの問題でな いことを 彼らはよく知っているはずだ。凸凹を平らにする。 道をまっすぐにするとい うことは、ひとり良き市民であること に満足することではないだろう。それ は抵抗すべき時には 抵抗しないでは成り立たないことなのだ。 ヨハネの後か らやってくるイエスという方の福音は、こん な人びとの苦労と決して無関係で はないということだろう か。
1月13日の礼拝説教より レビ記19章1~2、17~18 マルコ伝12章28~32 「隣人を愛せ」 板垣弘毅 インターネットが水や空気のようになくてはならない公共 事業のよう になっている今の世界で<隣人を愛せ>という 聖書の命令はもう色あせているか。 個人的には20代の一 時期、深い疑問を抱きつつ棄教に至らなかったのは、5,6 歳頃 に行った近所の教会で、母子家庭の薄汚い洟垂れ小 僧を、何の差別もなく迎えて くれたという経験もあったから だと思えます。わたしの自己肯定感を形作るの貴 重な経験 の一つになっています。 この命令の聖書的根拠はまずレビ記のきょう のところでし ょう。 きょうは、17章から始まる「神聖法典」と名付けられる ま とまりの一節です。(要約では触れられませんが) 19:01「あ なたたちは聖な る者となりなさい。あなたたちの神、主であ るわたしは聖なる者である。」と くり返し命じています。(19: 2,20:7~8・26,21:8) どういうことでしょうか。 日常的にはどんなことが命じられているのか、17章以下 を読んでみれば 分かります。たとえば、土地をもたない寄留 者のために収穫後の落ち穂拾いを禁 止することなども記さ れています。その項目ごとに「わたしは主である」と 繰り返さ れています。あなた方の相手は神なのだ、法律でも人の良 心でもな い、と確認しているのです。そして「自分自身を愛 するように隣人を愛しなさい。 わたしは主である」 といわれ ます。 近代の人権思想でははありません。「わ たしは主である」 だから弱者と連帯しないことは神さまの意志に反すること な のです。そもそもイスラエルが「選民」であるのは、人間から見れば 偶然 そうなった、というしかない、神の<自由>によることで した。それは律法でも くり返し確認されています。だからわ たしが神の意志で、ただわたしとし て生きることをゆるされて いる、ということは、わたしではないあの人にも同し ゙ことだ、 そうやって他者を発見するべきなのです。 「自分自身を愛するよ う」は、何も自己愛を前提しているの ではなく、「自分自身が愛されているよ うに」ということでし た。 イエスは、あるとき「あらゆる掟のうちでどれか ゙第一でしょ うか」と尋ねられ、答えます「第一の掟は」全身全霊で神を 愛す こと、第二の掟は、「おのれのごとく汝の隣人を愛すべ し。」第1の戒めは申命 記6章の「シェマの祈り」、第2の戒め はきょうのレビ記19章にあるわけです。 イエスは律法の根本精神を告げています。本来律法の命じるところは、何か 努 力して達成したことによる自己実現ではなくて、いつでも 神の恵みへの応答て ゙しかないのだと思います。イエスも一 人のユダヤ人として生まれています。 律法の精神を身につ けていましたが、「神のようになった」律法は批判します。 「あなたがたは聖なるものとなれ」は、律法を達成することに よって神のように 聖となれることではなく、神が働く自由な場 を空けておく、決して埋めないと いうことなのだと思います。最初のキリスト信徒たちは、裸で律法の 外に捨て られたイエスに、神の人間への愛を聞き取りました。イエスであると いう「たた ゙の人」を神はよしとされた。生前イエスを取り囲ん だ多くの人もイエスので きごとをそのように見ていたはずで す。 イエスの「神の国」は地上の肩書き が評価されるところで はない、「あなたがたは聖なるものとなれ」は、誰も が神が祝 福されるかけがえのない「ただの人」である、この「である」 に 向き合いなさい、ということ。イエスのできごとに促されてこ の確信に至っ た人たちが最初のキリスト信徒です。たがい に「ただの人」を見い出しあ う他者、隣人はどうしても必要な のです。それがこの律法、「あなたたちは 聖なる者となりなさ い。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。」 で す。 ただ、そんな律法はすぐ「死んだ文字」になって、人を裁 く道具 になるもの。 ルカ福音書では、有名な「善きサマリア人」といわれるお 話と一緒 に伝承され、律法に通じたユダヤ人がこの「二つ の戒め」を答えています。 イエスは「正しい答えだ。そのとお り行えばいい」と言います。すると相手は、 では「わたしの隣 人とは誰か」と反問してくる。<律法を守る>ために<隣人 >が 誰か知らねばならぬ、というわけです。そこでイエスは 「善きサマリア人」 のお話をする。... さて、倒れた人の隣 人になったのは誰か?、 すると律法の専門 家は即座に、瀕死のユダヤ人の旅人 を助けたサマリア人です、と答える。すか さずイエスは言う 「行ってあなたも同じようにしなさい」 これがイエスの言 葉 でした。ルカが伝えるのは、 神の恵みに応える形だった律 法が、律法 を守れば神に答えたことになる、という転倒で す。たとえば「愛してる」と 言えば、愛したことになるという錯 覚と似ています。イエスの答えは明快、「行っ て、あなたも 同じようにせよ」。生きてみたら自分が誰の隣人であるか、 互 いに「ただの人」同士であること、つまり隣人愛の命令が 何か分かる、と。 (以下略)
2019年1月6日 礼拝説教より ルカ伝福音書2章22-41節 「神殿に参詣すること」 久保田文貞 正月には独特な雰囲気がある。人々は故郷に帰ってい く。私らのよ うに帰っていく故郷が無くなった者も、子どもた ちがここに帰ってきたりし て、まるでここが故郷のようになる。 普段はどうということないご近所か ゙同じ故郷を守っているよう な顔をして、改まってご挨拶したりする。そうやっ て日本中 いたるところが故郷になり、自然共同体でもあるかのように なる。 〈共同幻想〉の基体とでもいうべきものだろうか。また、 たくさんの人が 集まる神社を避けて、近場のひっそりした神 社にお参りしたりする人を見かける。 そんな様子を見ている と、畏敬の念を覚える。 だが、日曜毎に教会に集まって 礼拝をする者の一人とし て、どうしてもこのお正月に露わになってくる習俗が 気にな る。私事になるが、学生時代、正月に鎌倉の友人の家に集 まって遊んだ りした。そうするとだれとなく初詣に行こうという ことになる。一応付いて行く わけだが、一人醒めた顔でやり 過ごすだけだった。自分は君らと一緒 にここで祀らうわけに はいかぬと敢えて意思表示をしなかった。こうした問題に 聖 書はどう言っているだろうか。いろいろ切り口があると思う が、ルカ2 章21節以下、降誕物語の後日譚を通して考えて みたい。 ルカはそこでも特別な伝 承を手に入れてイエスの幼少期 を短くまとめているが、イエスの両親が「律法 の規定どおり」 (22、27)「祭りの慣習に従って」(42)イエスを育てていたこ とを 印象付けている。22-38節のエルサレム神殿参詣の話 は、日本のお宮参りにかなり近 い感がする。当時のユダヤ 人の家族がみなこんなことをしたかどうか、わ からない。お そらく神殿祭司の家族や、エルサレム界隈に住む信心深 いユダヤ人 家族ぐらいはこんな習俗を実践していたと思っ て間違いなかろう。 福音書の著者 ルカは、これを90年ぐらいに書いている。 イエスが生まれたのは前4年というの が通説で、それから90 数年後の記述になる。しかも、70年に都市エルサレムは ユ ダヤ戦争の結果廃墟となった。ユダヤ人にとって神殿が無 くなって20年ほ ど経っての事、さらに当のルカは非ユダヤ 人クリスチャンと言われている。要 するに実際のところはわ からない。 ルカが想像力を働かせて、もはや過去となっ た神殿にイ エスの家族をまつろわせている。いやこの傾向は、家族だ けでなく イエス死後の最初期のクリスチャンたちにも(ルカ2 4:53、使行2:46、3:1,2など)。 そもそもルカは原始教会の 伝道をエルサレム神殿の境内から始めるのである(使行 5:2 0,42など)。エルサレム神殿から福音宣教が開始されたに もかかわらず、 ユダヤ人たちはそれを拒否した、その後神 殿が破壊されたのは言わずもが なというところだろうか。こう してユダヤ人以外の人々への、世界への宣教か ゙開始した と、これがルカの歴史観、救済史観である。ユダヤ人が明 確に キリストを拒否する前まで、イスラエルもその神殿も立 派にその役割を果たして いたと、また神殿を追われるように なったパウロも最後まで神殿を敬いそこて ゙祈る人として描か れる(使行24:12など)。神殿はもはや実在しないが、異邦 人ルカの頭の中に、全世界に向けた仮想的な〈神殿〉-神 を、そして〈主イエス〉を 礼拝する場所は残っていると云うべ きか。 神殿礼拝に対するとらえ方という点て ゙、最初のマルコ伝 福音書(Q資料については省く)とはだいぶ違う。マルコは 神殿礼拝について肯定的に書いているところはほぼない。 宮清めの箇所で 「『わたしの家は、すべての国の人の祈り の家と呼ばれるべきである。』 ところが、あなたたちはそれを 強盗の巣にしてしまった。」 (11:17)とイエスか ゙語る所があ る。ここは第三イザヤらの引用(イザヤ56:7、エレミヤ7:11) て ゙あり、すぐ後で神殿崩壊を予言しているところ(13:2)を見 れば、もはや 「祈りの家」に修復かなわずと見ている。マル コはそれを仮想的にも再興させよ うとは思っていない。彼に とっては、いまや神の福音は、特別な聖域(神殿など) や、 聖別された人間(聖職者など)、さらには聖別された時と所 (祭儀など)とそ れに対応した敬虔な行為などを介して来な い。それらとは一切無関係な人々に、 「律法」の外にいる人 々に、神が恵もうとする人々のうえに神の福音がやって 来 る、そうとらえたからこその福音書を書いたのである。 それはあまりに過激て ゙獰猛だというので、非ユダヤ人で 温厚なルカは廃墟と化した神殿を、仮 想の聖域としてキリス ト教に接合させたということができるかもしれない。し かし、こ れをもって私たちが、マルコか、ルカのどちらかを選択した 上で、 私たちの国の習俗に対する姿勢を決定しようなどと 云うのは基本的にナンセンス だろう。自分で向き合って、選 び取り、決めていくよりない。もっともそれ はキツイこと、苦し い選択ではない。楽しいことになるに違いない。