説教ノート

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8月31日の説教より 「子どもと暴力」  マルコ 9:37 ―剣をとるものは   剣でほろびますーマタイ26:52 加納尚美  仕事柄、生まれたばかりの新生児に時々接する。 最近の脳生理学の知見では、出生直後の子どもは すでに大人の意味ある言葉に反応するという。 改めて人が育つための環境、養育者の影響が大 きいことを思わされる。新生児をみていると、 自然と性善説を支持したくなる。  子どもの犯罪に関する事件はショッキングな 出来事である。警察白書によれば戦後の少年少 女による暴力事件は1950、60年代をピークに大 幅に減少しており、その頃ほどでもないが1997 年以降僅かながら増加傾向にある。子どもの数 が減っているので、犯罪率を示すと多少様相は 異なるだろうが。  一方、子どもが被る暴力の中で、最も痛まし いのは虐待ではないだろうか。1996年厚生省児 童家庭局による調査では、虐待・ネグレクト (養育放棄)の死亡数は105人。 これを疫学的に計算すると全国の医療機関外来 には約18万人の子どもがきていることになります。 医療機関にこない子どもの数はさらに多いことに なる。 加害者は実母が最も多く、次に実父と続く。 このような実態はかなり深刻に受け止められ、 少子化時代の育児サポートに力を注がれている 所以である。 虐待の温床になっている家庭でもう片方で問 題にされているのが、ドメスティック・バイオ レンス(夫・恋人からの暴力)である。  2001年には年間116人の女性が配偶者に殺され ています。内閣府による最新の調査でも4人に1 人の女性が配偶者に暴力を受けたことがあると いう結果がでている。社会の中での男女差別は 身近な家庭という場で暴力という形がとられる ことを物語っているともいえる (DVチェックを思い出して下さい)。子ども たちはこうした現状を目撃しているし、子ども へ暴力にも波及していくことはしばしば報告さ れている。  子ども虐待の背景にはDVの存在が指摘され つつある。DV被害は長期にわたる虐待が続ため、 暴力のサイクル理論が理解のてがかりになる。 周囲の者は、なぜ彼女は逃げないのか、と不思 議に思いますが、暴力の目的が支配であるとす ると頷ける。 長期に虐待を受けると自尊心が低くなり自信が なくなり、いとも簡単に支配されてしまう。セ クハラ事例にも当てはまる。いわゆるマインド コントロールに酷似している。  ベッカーという男性は、母親からの圧倒的な 虐待から逃れボディガード会社を設立し、今で は多くの要人・市民を暴力被害から守る仕事を している。そのため彼は同時に多くの加害者に 出会う。ほとんど自分と同様な境遇を生き抜い た人たち。彼は、「暴力的な人間の場合、ほと んどは子どもの頃にその窓がぴしゃりと閉じら れてしまったのだ。子どもを部屋に閉じ込めて おくような親がいる限り、監獄はいつもあふれ ているだろう。社会はそのツケを払うことになり、 中でも高い代償を払うことになるのが被害者で ある」と、The gift of fearに書いている。 彼は、途中で支援者に出会い、別の道を辿れた とも告白している。なんとか支援の輪を広めた いと思う。  攻撃力は生きるために必要な力だが、これを いかに制御するから前頭葉にかかっている。 認知科学では、これを刺激するのは「言葉」 「考え方」と言う。そして、身体を動かすこと を通じての理解が最も大切なのだそうだ。イエ スの身体=つまり生き方を通した言葉と読み替 えてもいいのではないか、という気がする。


8月24日 説教より 日本におけるキリシタン 弾圧について  大田一臣  「天草・島原の乱」(一六三七年十月〜一六三八年 二月)の鎮圧後、本格的なキリシタン弾圧が幕を あけ、以後、二百数十年間、キリシタンは、一人 の宣教師もいなくなった状態の中で、独自の宗教 をつくりあげ、七代にわたって地下組織の中でそ の息吹をつたえつづけました。一五四九年ザビエ ルがキリスト教を伝えてから再びヨーロッパの宣 教師によって隠れキリシタンが発見されるまで、 およそ三百数十年の歴史がそこにあるわけです。  ポルトガル系イエズス会は、当時の支配体制と の融合をはかりつつ、貿易などの利害をからませ ながら、一方において、多くのキリシタン大名 (片山右近、大友宗鱗、小西行長など)の輩出を とおして広められていきました。そのもとで、セ ミナリヨ、ハンセン病療養施設、孤児院など、神 学的要素だけではなく、道徳的な社会福祉施設な どが運営されました。セミナリヨでは、神学だけ ではなく、当時の世界史的な意味における最先端 の数学、天文学、哲学などの教育がおこなわれて いました。そうしたありかたが信長の庇護の下、 全国的な展開をみせるわけです。  その後の秀吉の時代において、最初はキリシタ ンに寛容的だった秀吉が一変して「伴天連追放令」を 下すことになってしまいます。これは、一五八七 年九州出陣の際にであったポルトガル人の武装し た態度などがあるとされ、当時のヨーロッパ列強 の世界進出をすくなからず反映した姿に危機感を 抱いたとされています。  秀吉の「伴天連追放令」に輪をかけて、徳川幕 府は、次々と弾圧令を発布し、一六二七年宣教師 追放について例外と延期を許さず火刑にする命令 が布告され、島原の領主であった、松倉重政も自 らの生命と領地を救うべく、キリシタン弾圧をは じめました。キリスト教の根絶をはかるため、領 内の役人にキリシタンの名簿を作成させ弾圧の強 化を図ったり、代表的な信者に対しては、みせし めのため雲仙の硫黄泉に投げ込むなど、言語に絶 する暴虐の限りが尽くされました。もちろん天草 も例外ではありませんでした。当時の天草・島原 のキリシタン農民は、残酷極まるキリシタン弾圧 により、一六〇〇年代十一万(全国的には50万 〜70万とも)もいわれたほとんどのキリシタン が棄教したといわれています。  「天草・島原の乱」の以前三年間、凄まじい凶 作にみまわれます。しかし、領主の農産物などの 供出要求は、苛酷な取り立てを数々の拷問をとお して強制していました。 「天草・島原の乱」は、そうした苛酷な農民政策 と天災の地獄の中で、「天草四郎」という一人の 奇跡の救世主を作り上げ、一旦は棄教した農民が、 地獄の中で大量に「たちかえり」を実現しました。 そして、島原地方で起きた一揆に、天草での「一揆」 の農民が合流し三万七千もの人々が原城にたてこもり、 十二万の幕府軍を敵にまわして壮絶な籠城闘争を 繰り広げました。そして一人残らず殺され、後世 にその哀歌を残したのです。  「乱」は、苛酷な農民政策への怒りの一揆とし てみるか、キリシタン弾圧への反乱としてみるか という論争があったり、「反逆の徒」として 異端の烙印を押されたり、評価がいろいろあります。 そして結論的に「乱」のきっかけとその位置づけ について「わからない」としてしまう向きがあり ます。当事者が全て死亡し、後世には何も残って いない以上無理からぬ事ではあると思いますが、 ただひとつ。当時は、現実的にはキリシタンであり、 かつ農民であった人々がほとんどだったと思うし、 同じ人間が苛酷な取り立てと同時にキリシタン弾 圧をも受けるという現実ががあったと思うのです。 キリシタン弾圧への反乱か、農民一揆かと無理に 選別するのではなく、日本独自の封建制下、過酷 な農民政策への怒りの表明という側面もあっただ ろうし、キリシタン弾圧のなかで「立ち返り」を 実現した人々が生きるも死ぬも地獄という現実の 中で自分たちのありようをあのような形で表現せ ざるを得なかった側面というものもあったと思うのです。 「乱」は、そうした面を複合的に今に伝えている と思います。


8月10日「平和を祈る礼拝」より 10日「平和を祈る礼拝」を行いました。 毎年 この日は参加者(今年は16人)が自由に思いを 述べ、シンポジウムのようなスタイルで「説教」 に替えています。また、昨年は、1967年に当 時の鈴木正久議長の名で出された「第二次大戦下 における日本基督教団の責任についての告白」を 礼拝の中で朗読しましたが、今年はそれと対照的 な、1944年に日本基督教団統理者の宮田満の 名で出された「日本基督教団より大東亜共栄圏に ある基督教徒に送る書簡」の一部を朗読しました。 バラバラだったプロテスタント諸教会は、 1941年宗教団体法に基づいて「日本基督教団」 を設立させ、国家総動員体制に服したわけです。 そして戦闘機奉献のため献金を募り、1944年秋 に「教団決戦態勢宣言」を常任常議員会で決議し、 「必勝祈願の祈祷会」を全国的に展開する教団で ありました。こんな教団ですから、アジアに侵略 していた日本軍の実体などに目をやることなく 「大東亜共栄圏」つまり日本によって侵略された 地域にある諸教会へ、侵略を正当化する手紙を 送ったと聞かされても驚くことはないかもしれま せん。それにしても、あらためてこの書簡を声に 出して読むと、ほんとうにおぞましい気分になり ました。  草稿者は、パウロの手紙に似せて、何の良心の 呵責もなく、諸教会にいい気持ちでこの文章をし たためたことでしょう。もちろん、受け取ること になった被侵略地の諸教会は間違いなくこれを握 りつぶしたことでしょう。この書簡を出すように 言われた事務員は、アホらしいと、いい加減な作 業しかしなかったのだと思いたい。この書簡はあ まり話題にもならなかったようです。戦後、教団 はこれを黙殺し、忘れられていたのですが、60 年代中頃から教団の戦争責任問題が検討されるよ うになって、再び陽に晒されたわけです。 中身について少しだけ触れておきます。 「彼ら敵国人は白人種の優越性という聖書に悖る 思想の上に立って、諸君の国と土地との収益を壟 断し、口に人道と平和とを唱えつつわれらを人種 差別待遇の下に繋ぎ止め、東亜の諸民族に向かって 王者のごとく君臨せんと欲し、皮膚の色の差別を もって人間そのものの相違ででもあるかのように 妄断し、かくしてわれら東洋人を自己の安逸と享 楽とのために頤使し奴隷化せんと欲し、ついに東 亜をして自国の領土的延長たらしめようとする非 望をあえてした。」  欧米植民地主義の実態と、それに対する被植民 地側の人間の思いを、ちょっと見ると、批判的に うまく書いている作文のようですが、いくらうま く書けているとしても、著者自身が、実は欧米人 と同じような手口で同じアジア人を差別し「王者 のごとく君臨せん」としている〈日本帝国〉の側 に立っていることに少しも気づいていないか、気 づかぬ振りをしている以上、まやかしの文章であ り、誰の心にも突き刺さらない文章です。ほんと うに差別され、支配され、抑圧された者たちの文 章はこんな高慢な文章にはなりません。   もうひとつ、「書簡」は欧米の「個人主義」を 「放縦」なものと言い切って、自国の「高遠の理 想と抱負」を朗々と述べ、「乞う、われらが今少 しく『大胆に誇りて言う』ことを許せ。」と言って、 実は天皇制を喧伝する。アジアの、キリストを信 じる人々に向かって、である。 「われら国民は、畏くも民を思い民安かれと祈り 給う天皇の御徳に応え奉り、この大君のために己 自身は申すまでもなく親も子も、夫も妻も、家も 郷も、ことごとくを捧げて忠誠の限りを致さんと 日夜念願しているのである。この事実は諸君が既 に大東亜戦争下、皇軍将士の世界を驚倒せしむる 勇猛果敢なる働きを見て、その背後に潜む神秘な 力として感づいていらるる所であろうが、…」 と天皇制が「世界に冠絶せる万邦無比なる」「国體」 であることを認めよというわけです。そしてアジ アの精神史、日本の精神史みたいな都合のいい雑 な文が続くのですが、「バカなことを…」と嗤って すますわけにはいかないと思います。  表現の違いこそあれ、これと同じ感覚で日本の 世界進出を礼賛し、その政治的安定の要に天皇が いるのだと本気で思っている〈日本人〉、そして 日本人キリスト教徒の顔が次から次へと思い浮か ぶのですから。もっとも、天皇制とキリスト教が このように結びつくからと言って驚いてはならな いでしょう。キリスト教は、国家のような支配機 構が住民を円滑に支配するためのイデオロギー装 置の一つになる宿命を、その初めから持っている のですから。  宗教の宿命とはいえ、このように宗教と道徳と 政治倫理とが、そのまま順接していく事態の背後 にかならず悲劇や矛盾がついてまわります。この ことに何の疑いも持たない宗教者の感覚を疑います。 そうなるくらいなら、むしろ宗教は妄想に終わった 方がよい、道徳は背徳に堕した方がよい、政治は 混乱した方がよい、と本気で思います。  宗教と道徳と政治が互いに順接させない、いや それどころか、逆説させたいのです。権力に順接 したがるキリスト教や宗教の〈本質〉を、脱構築 しちゃいましょう。  「平和を祈る礼拝」の報告にかえて  (く)


先週の説教から 詩編三二章 「主にわたしの背きを 告白しよう」    関惠子    詩編の音読による交読文を毎週耳にしている。 深く自省を促し、瞑想する時間を共有する気持に なる。自らに対する戒めや反省、限りない神への 信頼と讃美、苦しみや悲しみの訴え、内なる世界 の平和を求める言葉が引いては寄せる波のように 繰り返される。    わたしは罪をあなたに示し咎を隠しません でした。わたしは言いました。「主にわた しの背きを告白しよう」と。そのとき、あ なたはわたしの罪とあやまちを許して下さ いました。  ブッシュと追随したブレアの戦いは今も全く終 わってはいません。フセインの勢力が絶たれても、 なお人々は逃げまどいテロは繰り返され、米兵は 排斥され悲劇が拡大しています。良いことは何も ない戦争の無益さをいやと言うほど見せつけられ ています。  私は第二次大戦が終わってしばらくしてから生 まれました。戦後世代などといわれ、平和民主主 義の時代の申し子のようにして豊かな時代を暮ら してきたと言われています。実際先の世代の人々 のように愛する親や兄弟や恋人達を戦場に送り出 したり、戦火の中を逃げまどったり、食うや食わ ずの暮らしをしたりという体験はありません。バ ブリーな時代も通り過ぎてきました。今の日本に 生まれて良かったと公言する人も数多くいます。  けれど本当に戦後だった時代があったのかどうか。 よく考えてみるととても疑問です。いつも隣りあ わせで数々の戦争を傍観し続けてきたのではなかっ たか。海に隔てられ、見えないふりをしていたにせよ、 いやというほど対岸の烽火を見過ごしてきたので はなかったか。  風雨の中、Don't Attack IRAQやNo WAR , Love Peaceのゼッケンを胸にデモにも参加しました。 世界中の戦争に反対する人々のうねりに呼応して のデモでした。にもかかわらず戦争は止みません でした。私たちには何が出来たでしょうか。  作家の五木寛之氏が最近「運命の足音」という 本を出しました。読まれた方も多いことでしょう。 ベストセラーになって、この本に即したテレビ番 組も放映されました。何冊ものベストセラーの快 走を素直に読めないと言う人もいます。しかし 「強い者として生き残った自分。弱い人々を踏み 台にしてずる賢くも強く生きのびてしまった自分」 に対する後ろめたさをずーっと引きずりながら生 き続けているのが私だと、彼は告白していました。 何度も断筆を重ねながら、七〇を越えた彼の耳元 に「もういいのよ、書いてもいいのよ」と外地で なくなったお母さんの声がして、どうしても語れ なかったこと、言葉に出来なかった引き上げ前後 の少年の頃の出来事を、戦争の犠牲者でもある母 の声に促されながら書いたのだと語っていました。 私はそのようにして命からがら生きのびてきた人 々を代弁する作品として、このごろの彼の作品を 読んでいます。  みずみずしく生まれた命をこともなげに抹殺す る戦争や少年達の犯罪がきちんとした反省や対策 も施されないままに次々と消費され続けています。 詩編の交読は胸に迫りますが、一方でこの調音は 外の世界、敵対する勢力をあくまで拒み逆らうも のを悪として滅し尽くして下さいと祈るのです。 平和を望む人々の気持ちに偽りはないと思われま すが、答えはいつも遠のいてしまう蜃気楼のようです。


 

  先週の説教(7月27日)から  創世記二章四〜二五節 「第二の創造物語」   久保田文貞    事柄の起源を問う問いというのは、事柄の本質 を究め、支配しようという欲望が見え隠れするよ うに思う。「なぜ、ここにこんな大きな岩がある かというとな、実は…」というような、たわいの ない原因譚にしても同じことだろう。天地創造物 語のような大風呂敷を広げた話になると、この欲 望は隠しようもない。もちろんこの欲望は特定の 個人の露骨な欲望というわけではない。  例えば、創世記一章の第一の創造物語は、国が 滅び「バビロン捕囚」という経験をしたあと、ペ ルシャ帝国の傘下でエルサレム神殿を中心とした 一宗教教団としてまったく新しい形の再生をする 中で織り上げた屈折した欲望の物語である。政治 的な欲望が絶たれたとすれば、宗教にとっては、 どんな王も追いかけて来られない天地創造の時ま で遡った観念劇として、言語の上で支配するより なかったのだと形容することができるだろう。  創世記二・三章の創造物語は趣きが一変する。 確かに天地創造について述べるが、その主題は懐 疑し、誘惑に落ち、堕落する男と女の人間ドラマ である。聖書学者の通説では、この物語はダビデ・ ソロモン王の時代(前一〇世紀)に編み上げられ たものとされている。その時代は、イスラエルが 半遊牧的な部族共同体の生活から脱却して、王国 としての支配に成功した、イスラエル民族の長い 歴史の中では例外的な時代だ。イスラエルが政治 的に支配することができた時、この物語は、古く からオリエント諸民族の間でいろいろなヴァリエ ーションで語り継がれてきた創造物語を、王室が 喜ぶような物語ではなく、むしろ男と女の悲劇的 なドラマに改編させた。このようなことができる のは誰か。 月本照男は「これを文書として最初に伝えた人々は、 …王宮や神殿とははっきりと距離を置き、これと 批判的に対峙しえた地方のヤハウェ信仰者であった、 と思われる」(「創世記注解�」)とする。  ただし、よくある建国神話には神々や王たちの 不祥事をけっこう鮮やかに描いているものがある。 それをもって、そのモチーフを担った政治的な批 判勢力がいたと断定するわけにはいかない。権勢 を誇る王は、いくらでも諧謔的な批判や道化を楽 しみうるものだ。というわけで、やはり、単調な ものであろうと、ドラマ的なものであろうと、私 には、この両者の創造物語に事柄の起源を究め、 支配しようとする底意地がみえてしまう。だが同 時に、第二の創造物語にある男と女の悲劇が、と もするとむき出しの支配にも利用されかねない創 造物語に、むしろテーマの座を奪うようにして居 座っていることに感心する。  この男と女の物語で、フェミニストが引っかか るところは、女が男を「助ける者」として、男の 一部を抜き取って創られたということ。これは未 だに続くイスラエルの父権制から派生する男性優 位、女性差別問題の主犯格の物語ということになる。 これに対して、絹川久子は次のような解釈をする。 〈大地から最初に創られた人間アダムは、男と女 を含む集合名詞であって、人間の一部を持って女 性を創ることによって、もう一方の部分がはじめ て男性になる〉という物語だというのだ。男と女 が結局、第一の創造物語にあるように、「神はご 自分にかたどって創造された。…と女に創造され た」(1章27節)と神が人を男と女とに分け隔 てなく創造されたのだという。この解釈が文献学 的にどうあれ、この解釈の前提になっている理解 は、正しいという言葉を何回も重ねられるぐらい 正しい。しかし、こういう正しさも、落とし穴が ある。男と女というジェンダーが、社会歴史的に あるいは諸関係の構造作用の中で構成されたもの に過ぎぬという、現代の構成主義からの問題提起 は、生物学的〈性〉自体にまでおよんでいる。 もっともこういう考え方自体の内に、物事の起源 を問う問いを捨てて立っているところがあるから、 勝負にならないのだが。だが、私にはパウロの 「もはや男もない女もない」も含めて、「男と女 を神は平等に創られた」という〈もの言い〉自体 を深く反省していくよりないと思われる。


7月20日の説教から ヨハネ福音書1章6〜18節 「洗礼者ヨハネ」    久保田文貞  洗礼者ヨハネは、「証しするために来た」と いうのが、8節までに、3回くり返される。 15節では〈ヨハネは、この方について証しを し、声を張り上げて言った。「『わたしの後か ら来られる方は、わたしより優れている。わた しより先におられたからである。』とわたしが 言ったのは、この方のことである。」〉と書か れている。マルコ他共観書では洗礼者自ら「わ たしは、かがんでその方の履物のひもを解く値 打ちもない」、また預言者イザヤの語を引用し て自分は〈「主の道をまっすぐにせよ」と荒れ 野で叫ぶ声〉であると言ったという。  ヨハネ福音書は、共観書に比べると、イエス を神の言(ロゴス)、神の嫡子ととして強調し た分、洗礼者ヨハネをただの証言者として低く 抑えようとする傾向が強くなっているようだ。  背後に洗礼者ヨハネを導師とする教団がなん らかの形でキリスト教に影響を与えていたとし て、それを牽制する意味があったと説明がされ るが、要は、洗礼者ヨハネが単にイエス・キリ ストの「証言者」でしかないと「自己規定」し ていたことであろう。  洗礼者ヨハネの「証し」は、裁判用語ではあ るけれども、裁判所から証拠として採用される という折り紙付きの、権威づけられた証言とは ちがう。「荒野から叫ぶ声」とは、「荒野」と いう何の裏付けもなく、依拠するものもない所 から、聞いてもらえる保証もないただの「声」 ということである。実は、そのような声が預言 者の声であり、「神はこう言われる」という預 言の前の常套句が本来の意味を獲得し、人々を 震撼させる声であったのだ。私たちに引き寄せ て言えば、それは裁判所から採用されなかった 証言を、それでも裁判所に向かって、外から発 する声に裁判所が薄気味悪がることに限りなく 近い。  イエスのことを証言するとは、本来、証言も 採用されず、記録も残されず、時に裁判の様式 も取らずに、だが、極刑または実質的にそれに 近い形で抹消されていった者たちのために証言 することに似ている。  イエス・キリストという人物は、確かに、後 に一大勢力となったキリスト教のゆえに、権力 闘争ゆき交う世俗にも通用する権威の代名詞の ようになっていき、キリストの名で証言する、 あるいはキリストを証言することの意味が180 度ちがってしまったことは残念でならない。 イエスは、抹殺されていた人々とともに、抹殺 されたのである。だれからも振り返られないで 踏みつけられて死んでいった人々とともに死ん だのである。このようなイエスと、彼が共に あった人々について証言する声も、十中八九聞 かれない。このような証言を聞くには、ただ耳 を傾けるだけでは承知しない。本質的にそれら の前には沈黙があるだけである。だからぼくら は、その沈黙に分け入って、その沈黙せる証言 を自分の中に組み込むより仕方がない。 〈われわれの現在〉の自明性を徹底して疑問に 付すことが必要である。どんな歴史的思考も、 あの「喪失の心理」を歴史性の本質に組み込むこと、 すなわち我々の知を超え、記憶を超え、伝聞や 伝統を超え、物語叙述する行為を超えたものへ の関係をわれわれの〈歴史への関係〉それ自体 のなかに組み込むことをしないかぎり、結局は 〈われわれの現在〉の特権を意識的にか無意識 的にか確認することに終わってしまうからである。  (高橋哲哉「記憶されえぬもの         語りえぬもの」より)  特権的な証言席を与えられた証言、発言の場 を与えられた言説(この小さな私の文も含めて) は、できるだけうまくやってもらうよりしかた ないが、そのような席や場をもたない抹消され た者たちの声と、彼らへの証言を何とかして自 分の中に組み込みたいと思う。  ところで、抹消された者たちに連帯してご自 分も抹消された主イエスを、つまり十字架に掛 けられて死んだイエスを、神が上げたとクリス チャンは信じる。抹消された者たちの声を神が 聞いてくださると、おそろしく楽観的に生きる ことになるわけだ。


先週の説教 (7月13日)から ヨハネ福音書一章一〜五節 「初めに言葉があった」 世界にしろ、国にしろ、 自己にしろ、その「初め」に ついて語ることは、内部に とどまり、 内部で完結していてはできないことです。自己の 「初め」を語るには、例えば両親のように、自己 の外にあって自己に先行する他者がいて、はじめ て可能になります。  近代ヨーロッパに発した近代国家の場合、その 「初め」は、それに先行する王権から革命を経て、 主権を奪取して成立したととらえます。しかし、 日本では天皇制というイデオロギーで国家を束ね ようして、その「初め」としての「建国」の時を、 神話まで遡ってしまう。神々と天皇は切れ目なく 繋がっている。それに先行する他者がいないわけ です。   さて、ヨハネ福音書の書き出しは「初めに言が あった」という有名な書き出しです。その後「言 は神と共にあった。言は神であった。この言は、 初めに神とともにあった。万物は言によって成った。 成ったもので、言によらずに成ったものは何一つ なかった。言の内に命があった。命は人間を照ら す光であった。」となっています。これは、明ら かに創世記の書き出し「初めに、神は天地を創造 された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、 神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。 『光あれ。』こうして光があった。神は光を見て、 良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、 闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。 第1日である。…」を念頭において、書かれています。 どちらも世界の創造が、「神の言」によって創ら れたという点で共通しています。 そしてどちらも創造の語り手は、世界の中にいて、 自己とその世界が神とその言によって創造されたと 語っています。このことが指し示している重要なこと は、自分とその世界が、神=〈他者〉に向きあって いる、あるいは神=〈他者〉によって括られている、 そのように自己とその世界を了解しているというこ とです。 しかし、どちらもこの自己と世界の在り様を抽象的 な思考によって獲得しているわけではありません。 創世記一章の創造物語は、南王国ユダが新バビロニ ア帝国に滅ぼされ、エルサレム神殿が破壊され、王 国の主だった人々がバビロンに強制移住させられる という民族の悲劇的な経験の中で、預言者たちの口 を通して語られた創造についての語りの集大成でした。 それは、イスラエルの民の存在根拠が抹消されよう かという最悪の事態を、どこまで戻ってとらえなお すかということでした。預言者たちは、神がこの世 界全体を突き放し、徹底して裁く方であることを民 に物語り、同時に彼らは、この世界がすべて、その ような裁きをなさる神の言によって祝福されて創造 されたこと物語りました。徹底的な裁きの理解が徹 底的な祝福の理解を生み出した。 「初めに言があった。」という書き出しではじめた ヨハネ福音書も、基本的に重なります。 神を知らず、自分=被造物のなんたるかを知らず 「闇」の中をさまよっていた人間が「神の子キリスト」 に出会い、自分・命のなんたるかを知り、神を知る ようになる。この新しい自分・命を創造する「神の 子キリスト」は、自己に先行し、支え、守る方。す べてを書き換え、すべての根拠を書き直すべき事態 を引き起こした歴史的事件は、個々の人間の滅びる べきであった命において起こったということなので しょう。  ひとつは、小さな一民族の特殊な危機的な歴史経 験であり、もう一つは、そもそも個人が闇から光へ と救出されたという特殊な個人の経験でありました。 どちらも小さな特殊な経験ですが、その思想のおよ ぶ範囲は世界大になっているわけです。どうしてそ うなるか。それは自己も含まれる内部を飛び越えて、 その外に出なくては説明のつかない経験をしたから でしょう。  自己の内部世界の破綻、崩壊、解体。そこから自 己を救出した他者による回復、再生、命。この出来 事は小さな、力のない人間に起こったけれども、事 柄の理解の深さと広さは世界を突っ切ってしまうほ どであり、この世界を対象化させてしまう、という ことなのです。  


7月6日の説教より ヨハネ第一の手紙1章1,2節 「永遠の生命を信ず」      久保田文貞 credo vitam aeternam  横田勲『傍らに立つ者�』使徒信条講解26から。 「永遠の生命」という語は半分以上がヨハネ文書 の中に出てくる。マルコ、マタイ、ルカの共観福 音書で出てくる「神の国」をなんらかの理由で 「永遠の生命」にしたと言います。「永遠」とは 無制限な時間のことでなく「単純に来るべき世界 に属するもの」の意味」「永遠の生命とは、神様 との正しい関係のうちにある生命のこと」、結局 「共観福音書が言っている「神の国」と同じ内容」 だというわけです。このことは前回の「からだの よみがえり」と密接な関係がある、そこで言う 「からだの」は「よみがえり」が「抽象的なもの、 観念的なものでなく、具体的なものである」こと を指した。「からだのよみがえり」は同じことの 別の側面、人間が神との正しい関係に入ったこと の不変性を指しているというのです。  この「からだのよみがえり」「永遠の生命」が 共に「聖霊の働き」によるものであることを忘れ てならぬ、そのことを間違うと、永遠の生命が努 力目標になってしまう、そうなるといろいろな矛盾、 ズレが起きてしまうと言います。 「あなたたちは聖書の中に永遠の生命があると考 えて、聖書を研究している。ところが、聖書は私 証をするものだ」(ヨハネ5:37-39) この点で「富める青年」(マルコ10:17-31並行箇所) に典型的な問題が表れています。彼は永遠の生命 を受け継ぐには何をすればいいかとイエスに尋ね ました。聖書に書かれている戒めを守っている、 けれども「いまひとつ、生きていることの、しっか りした肌ざわりがない」。信仰的かつ求道的で真 摯な問いでした。 イエスの応えは「あなたに欠けているものが一つ ある。行って持っている者を売り払い、貧しい人 々に施しなさい」というものでした。「この「与え よ」「施せ」はただ戒めとして言っているわけで はありません。ここの「施せ」「与えよ」は、彼 が思いつめているものを相対化し、人はいかなる 支えの中で生きているかを示す言葉です。」「人 が最後のところで行きつくのは人間関係です。友 です。」「不正にまみれた富で友達を作りなさい。」 (ルカ16:9)  この聖書の言葉は横田勲さんが生前なにかという とよく引かれた言葉です。 「永遠の生命」を目的化してはいけない。観念と して抽象することができない。「主イエスにのみ 集中するとき、私たちは、その「永遠の生命に」 触れる ことになる」というのです。 こうして使徒信条講解は終わりになります。そ してこの本の最後の言葉としてこう結んでいます。 使徒信条は、主イエスの苦しみ、十字架、死、陰 府について書いている。しかし、我々の苦しみ、 十字架、死、陰府については、触れておりません。 そして、このことが喜びの源泉なのです。」 ここに横田さんの真骨頂が出ていると言ってよ いでしょう。ともすると形骸化し、人間のあるが ままの命を硬直化してしまいかねないオーソドッ クスなキリスト教ドグマを、主イエスにのみ集中し、 人間の傍らに常にいます主イエスとともに「食事 をし」、「歌をうたい」「祈り」「喜ぶ」ことで 「賛美」の声にしてしまうと言ってよいでしょう。 これも「聖霊の働き」であって、人の思想的な戦 略として生まれたものではないというわけです。 人からなんと言われようと自分の傍らに立つ主イ エスを信じ、喜ぶということですから、このこと 自体については第三者は手も足も出ないです。 信仰とはそういうことかもしれませんが、でもそ ういう生き方をしながらも、確実に信仰者も歴史 の中に組み込まれて、歴史的現実の関係の中で責 任を負うことになります。「聖霊の働き」と言お うとその働きは現実の歴史の諸結果として相対的 に責任を問われます。それは〈私〉の責任ではな いとは言っても理解してもらえないでしょう。 ちょっと意地悪い疑問だとは思いますが、横田さ んの本を読んでいてずっと感じたことの一つです。