説教ノート 2005年1月から6月分
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6月26日の説教から 創世記23章 「サラの墓」 久保田文貞 アブラハムに長い間連れ添った妻サラが亡く なって懇ろに葬る物語です。 「サラはカナンの地のキリアテ・アルバすなわ ちヘブロンで死んだ。アブラハムは中にはいって サラのために悲しみ泣いた。」(23/2) 彼は一人、サラが寝かされている天幕に入って、 サラの遺体のそばで悲しみ泣いたというのです。 夫と妻だけの別れで十分だといわんばかりです。 子や兄弟や親族が弔問にくるような場面はでて きません。さらに言えば、そこには神の名もで てこない。近代的な概念になりますが、〈宗教〉 の気配もありません。アブラハムは妻サラの剥 き出しの死を、ただただ一人で受けとめる、そ ういう描き方です。 これに対して、対照的なのはヤコブの葬儀で す(50章)。エジプトの高官になっていた子の ヨハネは父の元にエジプトの侍医を使わして亡 骸の処置をさせ、70日間も喪に服したあと、エ ジプト王朝の部下を引き連れてカナンに戻り、 エジプト流の「荘厳な葬儀」を7日間にわたって 行ったというのです。 もっともこの違いは、物語の質の違いによる ところが大であります。サラの死は、口承譚的 な物語で、要領よく短くまとまっています。ヤ コブの葬儀は、ほとんど伝記のようなヨセフの 成功物語・小説に近い文学です。しかし、この 違いを差し引いても、サラの弔いは、夫だけが 妻に告別するという、今風に言えば、密葬に近 いものです。繰り返しになりますが、そこには 神さえ呼び出されていない。 これはやはり衝撃的です。 23章の口承譚の大部分は、アブラハムが愛妻 の墓を求める話になっています。彼は、城壁都 市小国家ヘブロンの住民であるヘテ人から、洞 窟墓地を買います。 アブラハムはヘブロンに帰属する草地で家畜を 飼っていた天幕生活者です。まず間違いなく、 彼はヘブロンのヘテ人と草地使用契約を結んで いたと思われます。 両者の利害は一致していたようで、互いにたい へん友好的でした。墓地の代金を受け取ってし まっては、友情を裏切ることになる。これは贈 与でなくてはならない、というわけです。これ に対して、アブラハム側は寄留者として草地使 用契約を結んでいるだけで十分恩恵を受けてい る。この上墓地を無料で手に入れるわけにはい かないというのです。結局、エフロンは代金を 受け取り、ごく普通の墓地譲渡が完結するので すが。このようなやりとりは友好的に契約を結 ぶ場合の、作法だったのかもしれません。 さて、この物語が三千年後にこんな形で読ま れて、説教のテキストになるなど、全くの想定 外だったはずです。その点、教会の礼拝のテキ ストとして読まれることを想定しているパウロ の手紙などとは根本的に違います。もっとも創 世記12章から始まっているアブラハムの物語全 体は、カナンを遊牧する小さな民の族長を、神 がご自分の民として選び祝福するというテーマ が貫いていて、後代のユダヤ教の会堂で朗読さ れるていのものになっていますが、そこに採集 されている一つ一つの物語は、かならずしもそ れに従順ではない。神が少しも参照されず、た だ妻の死を悲しみ、妻を葬る墓を求めて、寄留 の民として誠実に交渉するだけ。だが神は、そ の大切な場面に神を参照しようともしない、こ んな男をご自分の民にした、これがこのテキス トの福音のように思います。
6月19日の説教から マルコ15章1〜15節 「何も答えない」 関 秀房 ユダヤを治める総督ピラトの前に連れ出され、 イエスが裁判を受ける。そしてピラトによって 十字架刑の判決を受ける。マルコ、マタイ、ル カそれぞれの福音書はピラトの扱いが異なる。 ピラトをどう扱うかと言うことは壮大なローマ 帝国とどういう距離をとるのかと言う問題である。 マルコは「祭司長たちのねたみとわかりつつ、 群衆を満足させようと思って、イエスを引き渡 した」マタイ(27章)は「私には責任がない。お 前たちの問題だ。民たちは『その血の責任は、 我々と子孫にある』」ルカは(23章)「何の罪も 見いだせない。ヘロデにも調べさせたが同じだった。 死刑に相当しないから、鞭で打ち釈放しよう。 この提案を三度したがそのたびに群衆が十字架 刑をと叫んだ。」 マルコ、マタイ、ルカを比べてみるとピラトの 責任がだんだん軽くなり、群衆(ユダヤ人)に責 任をおっかぶせている。これが単なる物語の世 界ならいろんな修飾も許される。しかしながら 不幸な(?)ことにこれは聖なるものとされてしま った聖書である。この箇所が原因でユダヤ人が 忌み嫌われ流浪の民になる。そしてナチスによ り最大の惨劇が起こされる。ここまでくるとイ エスという一人の裁判ではすまなくなる。宗教 の絶対性、真理問題は流さなくていい血を流す。 ここで私は当のイエスが自身の裁判について、 なぜ何も語らなかったのかと疑問を持つ。事実 はわからないが、福音書は「何も答えなかった」 と書く。 つい最近、1961年に発生した名張事件の奥西勝 さんは、ようやく7回目の再審請求で再審を勝ち 取った。再審を勝ち取るまでには、本人、弁護人、 支援者が並々ならぬ努力を重ねている。しかし ながら、冤罪を訴えながら処刑された人もいる。 これらの裁判では多くの裁判官が誤った判決を 出し続けた。検察も証拠を隠した。 しかしそのことに対し誰も責任をとっていない。 イエスの裁判では「救い主」イエスであるため に責任は誰かを問う。訴え出た祭司長・長老・ 律法学者か、判決を出したピラトか、十字架を 求めた群衆か。聖書はおよそ考えないだろうが、 なすがままにし「何も答えなかった」イエスの 責任はどうなのだろう。「救い主」「ユダヤ人 の王」を否定しなかったために、群衆(ユダヤ人) は責任をとらされたともいえる。このような責 任論は酷であることは承知しているが、黙って 殺されていく美学だけは持ちたくない。 現代の我々は、死刑制度そのものを廃止する声 を上げることも出来る。死刑制度を存続させて も殺人は減らない。被害者遺族の感情を利用して、 事の本質を見誤ってはそれこそ無駄死にになる。 イエスの死は我々の罪のために必要であった、 などという神学(死ん学)はご免被る。 一番必要なことは、誰も殺さない、誰も殺させ ない、今ある与えられた人生を精いっぱいみんな と歩むと言うことです。名張事件に見るように 真実が明らかにされ、無実の人が救われること です。この事実の前に我々は慰められ、勇気を 与えられる。そして二度とこのような悲劇が起 きないよう(イエス裁判も)にすることです。
6月12日の説教から マルコ福音書10章13〜16節 「子どものように」 久保田文貞 私たち現代人が当然のように頭に浮かべる「子 ども」概念は近代的なヒューマ ニズムのの中に位置づけられたものだと言われ ます。この「子ども」がどのようにしてヨーロッパ で発見されたか、フィリップス・アリエスが 『〈子ども〉の誕生』という本を書いて解き明 かしてくれました。例えば、彼はこのように指 摘します。「中世において、また近世の初頭に は(下層階級ではさらに長期にわたって)子ど もたちは、母親ないしは乳母の助けなしで済む ようになるとすぐ、すなわち遅い離乳のあと何 年もしないうちに、7才ぐらいになるとすぐ大 人たちと一緒にされていた。この時から子ども たちは一挙に成人の共同体の中に入り、老若の 友人たちとともに日々の仕事や遊戯を共有して いたのである。集団生活の活動は何者にも孤独 とプライバシーの時間を残すことなく、あらゆ る年代や身分の者たちを同じ流れのなかに引き ずりこんでいた。」 17世紀頃から「子どもは大人たちから分離され てゆき、世間に放り出されるに先立って一種の 隔離状態のもとに引き離された。この隔離状態 とは学校であり、学院である。」 こうして「子ども」は、良き社会人としての 道徳・教養をすり込むべき対象と見なされる。 つまり資本制社会の中でお行儀よく生産活動を する人間としての訓練・規律を教え込まれるわ けです。 アリエス以後、教育史はこの子どもの近代を 丹念に記述していきます。例えば北本正章『子 ども観の社会史―近代イギリスの共同体・家族 ・子ども』。それらを読むと子どもを大人から 引き離す名分を与えたのが、教会であり、キリ スト教寄宿学校、学院であることがわかります。 そこで重要な働きをしたのが福音書の言葉でした。 「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、 決してそこに入ることはできない。」(マルコ10:15) 子どもはほんらい「神の国」に受け容れられ、 無垢な存在なのであって、罪深い大人たちが子 どもを罪に誘い込む、というわけです。とすれ ば、一般に無垢なる子どもを「良き大人」のも とにあずけ、良き教育を施すべきだと。キリス ト教が近代の教育制度の一つのスイッチになって いたことは間違いないでしょう。日本のミッション スクールの歴史も同じ軸で考えてよいと思います。 もちろん、それ以上に前に記した近代の社会的 条件がこれを実現したことは言うまでもありま せん。 とにかく、こうして裕福な貴族の子弟の教育 に始まって、やがて国が金を払っても貧しい労 働者の子弟をある程度教育した方がよいと官僚 たちの知恵が働いて公教育が始まり、私たちの 〈子ども〉概念の枠組みが作られていくのです。 では、イエスのあの言葉はなんだったのでしょうか、 あの「子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福さ れた」行動はなんだったのでしょうか。それは、 大人たちの、社会の、枠組みにはめ込まれた子 どもを、その枠組みから「抱き上げ」、その枠 組みを無視して「祝福する」ということだった のす。もちろん、子どもは無垢だから、可能性 そのものだから、神の国に入れるというのでは ありません。 「子ども」の項には、だれを代入してもよい。 あなたでも、わたしでもよい。それは、社会の 規律を学ばせるための道具となるような言葉で はありませんでした。
6月5日の説教より ロマ書13章1節 「服従と抵抗と」 久保田文貞 私たちが教会に集まって聖書から聞きとる平 和、自由、神の国と、この世界の、平和、自由、 神の国とはどういう関係にあるのでしょうか。 クリスマスで「天に栄光、地に平和」(ルカ2:14) と天使の歌声に会わせて歌うとき、実は、神の 平和がこの地上に惜しげもなく降り注ぐことに なる出来事を感動と感謝のうちに讃美している のです。それは、神の平和が、この地上の義人 たちに、お情けのようにひとつまみずつ小出し に与えられるというのではない。この地上の悲 惨を背負った人間、満足に食べることができな い人間、居場所を失って途方に暮れる人間、人 間同士の関係が壊れて切り裂かれている人間、 人を支配し管理し貶めて権力を誇る人間、その 下で卑屈にも権力にこびることしかできなくなった 人間、そういう人間たちの地上に、神の平和が どっと津波のように割り込んでくると、ルカ福 音書のクリスマス物語はこのエピソードを通し て語っているのです。 この「平和」は、ともすると私たちが期待し がちなのですが、決して「穏やかな静けさ」と いうようなものではありません。ルカ福音書に も次のようなイエスの言葉が収録されています。 「あなたがたは、わたしが平和をこの地上にも たらすためにきたと思っているのか。あなたが たに言っておく。そうではない。むしろ分裂で ある。今から後、一つの家に五人いるならば、 三人は二人と、二人は三人と対立して分かれる からである。 父は子と、子は父と、母は娘と、 娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、 対立して分かれる。」(12:51以下)と。 またルカ14:15以下の「大宴会の譬え」、マタ イ20:1以下「ぶどう園の労働者の譬え」、ルカ 15:1以下「見失った羊」のように、この〈神の国〉 の様相は、およそこの世界の秩序を真っ向から 否定しかねないような、反秩序の国、「国家」 の改訂版というよりはむしろ「反国家」と言わ ざるをえないものです。 こうしてみると、イエスと共に教会がこの世 界に「神の国」のメッセージをもって向きあう時、 この世界の国家の原理と、そしてこの世界が戦 いつつ制圧し形作ろうとする平和と、どうやって、 どこに接点を見つけたらよいかという問題にぶ つからざるをえません。「主の祈り」の末尾に 「国と力と栄とは汝のものなればなり」と祈る とき、実は現実の国家はこの祈りによって全否 定に近い形で傷つけられているはずなのです。 もちろん現実の圧倒的な権力を握っていると自 他共に認める主権国家は教会のこんな祈りなど どこ吹く風と気にも留めていないわけ ですが。 この問題に対するパウロの解答は、クリスチャン が背負わされる難題を一挙に肩から下ろしてく れます。ロマ12:1で「人は皆、上に立つ権威 に従うべきです。 神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべ て神によって立てられたものだからです」と ローマの教会の人々に勧告します。ここにはや がて到来する「神の国」はこの世の帝国を超え る圧倒的なものなのだから、そこで人がその権 力を倒す必要などない。むしろこの世の権力は 「神の国」が到来するまでの当面の悪事を取り 締まる暫定的なものだと捉えるわけです。こう してあの難題はきれいさっぱり消えてしまいま すが、それではイエスがガリラヤの人々の間で 「神の国」を説き、行動して見せたあの言葉と 出来事は、時期尚早の勇み足だったのか、ある いは将来を垣間見せる予告編でしかなかったの でしょうか。私はこうしたパウロ的な解決法に 組しくありません。たとえ難問で解答がすぐ見 つからなくとも、イエスが提出した問いを握り しめていたいのです。
5月29日の説教より 創世記22章6節 「父と子は一緒に歩いた」 久保田文貞 アブラハムとサラの老夫妻に念願の男の子が 与えられ、喜んだのもつかの間、神がアブラハ ムにこう命じたというのです。 「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサク を連れて、モリヤの地に行きなさい。 わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼 き尽くす献げ物としてささげなさい」。 読む者をぎくりとさせます。後の律法(申命記12:31、 レビ18:21)や預言者(ミカ6:7、エレミヤ19:5) が固く禁じ告発する人身犠牲を、神自らアブラハム に命じているからです。物語は、この命令に対 してアブラハムが淡々と付き従う様子を描いて いきます。 「次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置 き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若 者と息子イサクを連れ、神の命じられた 所に向かって行った」。 物語の進行上アブラハムの心の動きはカット されています。…アブラハムよ、お前は沈黙せよ、 心の動揺を見せてはならない。従うとはそうい うことだ…とでも言うように。 アブラハムの日常をつんざくような命令に対 して、彼は必死にこの非日常を、 日常につなげようとしているのでしょうか。 アブラハム物語全体の流れからすれば、アブ ラハムの〈日常〉そして〈人生〉とは、親戚縁 者と別れて故郷のハランを出立し神が約束して くださった地に向かって歩んでいくことでした。 定住者の感覚からすれば、そのような旅自体が すでに非日常的ですが。いずれにせよ、彼の人 生は、社会学的には半遊牧民としてカナン(現 パレスチナ)周辺を家畜を追いながら旅して暮 らしていく。旅の日常のその途上、神、ないし は神の使いが彼に言葉を、殊に祝福の言葉を差 し入れていく、彼はその言葉に信頼して旅を続 けるわけです。 今回の神の命令はそういうパターンを断ち切 るような内容です。自分の分身とも言うべき長 子を献げよということは、〈お前の日常を停止 し、お前の人生を放棄して、私に従うことがで きるか〉ということに等しいでしょう。モリヤ の山の祭儀(カルト)は日常の生活・暮らしを 破壊しかねない危険な聖域です。 お伴をしていた若者にアブラハムは言いつけ ます。 「お前たちは、ろばと一緒にここで待って いなさい。わたしと息子はあそこへ行っ て、礼拝をして、また戻ってくる。」 生活者アブラハムはこのとき少なくとも聖域 に足を踏み込み、〈聖なるもの〉に向きあえる 人になっています。ただの生活者でもあり、 〈聖なるもの〉にも向きあえる人、これこそア ブラハムの魅力です。しかし、その魅力がここ では仇になっている感じです。子どもの父であ ることを忘れたかのように、寡黙な父は神に向 かって子を生け贄にしようというのですから。 物語の落ちは、実は神が犠牲の動物を用意し ていて、子のイサクを献げる必要 はなかったというのです。危険をはらむ祭儀 (カルト)から危険因子が取り除かれて、アブ ラハムとその家族の、日常的な生活の中に、つ まりその旅の中に、聖なるものが祝福者、導き 手として軟着陸するわけです。物語の聞き手と しては、ほっとすることになりますが、依然と してこの家族には、父親の狂気沙汰の神へ の服従心がずっとついて回ることに変わりあり ません。
5月22日の説教より マルコ福音書16章1〜8節 「弟子たちとペテロに告げよ」 小柳伸顕 先日、教皇ベネディクト16世の就任式をテレ ビで見ていて、イエスはどこにいるのかと思い ました。まさか、あの就任式の場にはいなかった と思います。またサン・ピエトロ広場を埋め尽 くした50万人とも言われるカトリック信徒の群 の中にもいなかったのではないでしょうか。 ベネディクト16世は、ドイツ人司教で、 ラツィンガーが本名、ヨハネ・パウロ 2世のブレーンでした。とくに彼の名前を有名に したのは、ラテン・アメリカの解放の神学を弾 圧したことです。 いまから20年ほど前にこのラツィンガーの名 前を聞いたことがあります。釜ヶ崎で働いてい たドイツ人司祭ハインリッヒさんからです。彼 は、ラツィンガーが、解放の神学批判をする前 に、ブラジルに1〜2年生活したら、あの神学批 判は書けなかったと指摘していました。ハイン リッヒさんが、釜ヶ崎で生活した経験と重 ねると、このラツィンガー批判がよく分かります。 ハインリッヒさんは、自分の足で現場に立ち、 肌で解放の神学を実践する人々と出会えば、結 論は違っていた、と言うのです。 ハインリッヒさんは、ご自分が属するフラン シスコ会でこの点を主張しましたが、「それは、 ハインリッヒ神父の個人的な体験だ」と一蹴さ れたそうです。 今朝のテキストは、一般に復活物語として扱 われてきました。しかし、ことばを変えれば、 イエスとどこで出会えるのか、イエスはいまど こにいるのかとも言えます。 イエスの死後20〜50年たち、エルサレム教団 が、ローマ帝国やユダヤ教からの迫害の中に あったとはいえ、、組織を守るために指導者た ちは、汲々としていたのではないでしょうか。 その現状を見て記者マルコは、この物語を書いた。 否、この警告を復活物語に託したと言えます。 警告は、若者から女たちへ、そして弟子たち、 さらに教団のリーダー・ペテロへ。まさに下か ら上、現場から教団リーダーへの批判と読むこ とができます。 その内容は、イエスとは、エルサレム教団で はなく、イエスが生前生活した現場ガリラヤで 出会えるというのです。これは、さきに言いま したハインリッヒさんのラツィンガー批判と共 通するようにも思えます。記者マルコが、エル サレム教団を批判できたのも、イエスの生前の 活動を知るために、ガリラヤへの足を運び、人々 の声を聞いたからに違いありません。 この記者マルコの警告を素直に受けとめるなら、 わたしたち自身が「わたしにとってガリラヤと はどこか」「わたしのガリラヤ」を探し、そこ へ足を運ぶことではないでしょうか。
5月15日の説教より マタイ福音書6章28〜30節 「生命光る時」 松浦 和子 さくら草、れんぎょう、ほとけのざ、芍薬、 バラの花、・・・野辺にも路地にも次々と花咲 く5月。明日は炉に投げ入れられる花でさえ、 神はこのように装って下さる。ましてあなたが たによくして下さらない筈があろうか、−−− とマタイは神の慈しみを説く。 先週「とりで9条の会」の発足を記念して、 窪島誠一郎さんをお呼びして、おはなしを聴いた。 演題は「無言館のこと」。 1997年、長野県上田市の郊外に開設された無 言館は、あの太平洋戦争で戦死した、画学生の 遺作や遺品が展示されている美術館である。画 学生たちは、あと5分、あと10分と恋人を、家 族を、故里を画いて、戦地に赴いていった。或 る者は生きて帰ったらもう一度絵を画きたいと たよりに書いてきた。 戦後、画学生たちが生きていたら、立派な絵 描きになったでしょうね、と無言館に来られ た方がよく言われるけれど、そういうことでは なく、一人の人間の、もっと生きたい、もっと 画きたいという切実な希いを断ち切った。一期 一会の時間を断ち切った。それが戦争の時代 だったということを考えたい、とはなされた。 約2時間、ご自身の幼少からの生き越し方を 内省されつつ、たんたんと、誇張なく、静謐な 語り口は、聴く者の心の扉を叩いた。 「あなたはいま、どう生きていますか」と。 60年も経つというのに あなたの絵具は ちっとも乾いていない ちっとも乾いていないあなたの絵具は あなたが今も、そこに生きていることを 私たちに教えてくれる 窪島誠一郎“乾かぬ絵具”より抜粋 時を惜しみ、生命をいとおしみ、絵画で表現 しようと精いっぱいその時を濃密に生きた画学 生たち−−普段、平凡に生きる日々を、圧倒的 な力で阻まれてしまったあの狂気の時代、いま 再び、国内にも国外にも、戦没者を出すことな ど決してあってはならない。 彼らはいま、乾かぬ絵の中から、絵の前に佇 む者に対して、静かに語りかけているのだ。そ してこれは野の花さへも装って下さる神のご意 志に外ならない。
5月8日の説教より マタイ福音書20章20−28 「母は愚かなのか」 久保田文貞 「憶良らは今は罷らむ 子哭くらむ その彼 の(そを負ふ)母も吾を待つらむ」 の歌の意味は、「この憶良はもう退出しよう。 うちには子どもも泣いていようし、その彼らの 母(憶良の妻)も待っていようぞ」(斎藤茂吉 訳)というのです。同僚たちと夜酒を飲んでい る時、「じゃあ、家で子どもや妻が待っている から、お先に失礼」というのは難しい(少なく とも私には)ものです。仲間の世界と家族の世 界は完全に分離しようもありませんが、意識の レベルでは別物なのです。双方の世界を使い分 けるのは、それぞれに対してある種の遠慮がは たらくのです。そういう遠慮をする必要のない 人がときどきいますが、それは両世界を貫くだ けの力を持っているからでしょう。 さて、本日の聖書箇所は、ゼベダイの子らの 母はイエスに「王座にお着きになるとき、この 二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人 は左に座れるとおっしゃってください。」とお 願いし、イエスから「あなたがたは、自分がな にを願っているか、分かっていない。」と返さ れてしまった話です。もっともこの自分勝手(?) な母の嘆願をそばで聞いていた弟子たちが腹を 立てたということで結局はみんな勘違いをして いるという話です。そして福音書は「異邦人の 間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが 権力を振るっている。 しかし、あなたがたの間では、そうであっては ならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、 皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者 は、皆の僕にりなさない。」(20:25-6)という イエスの言葉を付して結んでいます。 ところで下敷きとなっているマルコ伝の場合、 この嘆願を申し出たのは、母ではなくゼベダイ の子らヤコブとヨハネ自身になっています。も とは単に弟子たちの上昇志向を批判する話でした。 そこにマタイ伝が、イエスの最古参の弟子(マル コ1:19)であり、いつもペテロとこの二人だけ が重要な場面にイエスに同行を許されていた (マルコ1:29、5:37、9:2、14:33など)者がこ んな低レベルの勘違いをするはずがないと考え、 こういう願いをするのは得てして母親というものだ というわけで、ここに母を登場させたというこ とでしょう。もちろん相当の偏見だと思います。 そうでない母がごまんといるし、逆にそういう 父親もごまんといる、つまり親だけでなく人が もっている潜在的な自分本位・自分勝手が、み なと共同の課題に取り組んでいるとき、ふと顔 を出してしまうという問題なのです。 だいたい母親(だけでなく父親も)が自分の 娘・息子が立派に育ち、人々の役に立ち賞賛さ れるような仕事をして欲しい、と願う情を、上 昇志向的な自己本位とするのは、ちょっと酷です。 ただし、マタイ伝がここを母に変えたために、マ ルコの物語よりもずっとリアリティーが増して いるのも確かです。それはなにからくるか。イ エスと仲間の共同作業をしている世界に、ゼベ ダイの母がいきなり親子・家族の世界を持ち込 んだところ生じる違和感が、私たち読者、聞き 手の記憶にある違和感と共振するからでしょう。 もっともゼベダイの母の名誉(こんなところ で名誉というのもおかしいか)のため付け加え ておくと、彼女は最後までイエスの十字架の死 を看取った女たちの一人(マタイ27:56)であり、 マルコ15:40からすればそれがサロメという名であ った可能性が高いのです。
5月1日の説教より ロマ書12章9〜21節 「喜ぶ者と共に喜び泣く者と共に泣け」 久保田文貞 新共同訳聖書が、この箇所を、旧ルター訳聖 書に倣って「キリスト教的生活の規範」と見出 しをつけたのは、最悪な見出しだと思います。 こんな見出しなら、ほんとうにつけない方がよ いです。ちなみに、見出しをつけている聖書を 手近なところで調べてみたら、岩波訳には12章 全体を「献身としての礼拝」とし、八木 誠一訳 は12章から15章13節まで全体を「信徒への使徒 のすすめ」としてまとめ9−21節を「愛」とする。 ほんらい聖書に見だしなどついていないので、 これらはちょっとした記憶の手がかりにつかえ ばよいのでしょうが、ときに訳者の踏み込んだ 解釈が出ていることを承知しておかなければな りません。 なぜ規範ではまずいか。規範は辞書的に言え ば「�のり。てほん。模範」(広辞苑)のこと です。〈則るべき手本が、自分の横にある。そ れに従ってそのまま行動しなければならない〉 という事態の中での「規範」のことです。お習 字を習うときのまさにお手本のことを考えれば よいでしょう。はたしてパウロはそういうお手 本をここに書いているのでしょうか。 たしかに、 このくだりは「〜しなさい」と命令文が頻出し てきます。規則集のような体裁です。しかし、 実際には、9節から13節まで原語では、動詞 は省略されているか(9a)、すべて分詞形、つま り命令文になっていません。直訳的な岩波訳は 「愛は偽りなきもの〔でなければならない〕。 悪を憎悪し、善に結びつき、互いに対する兄弟 愛において〔肉親間のように〕優しく愛する者 〔となり〕、尊敬をもって〔互いを〕立て合い、 熱心さにおいて遅れをとらぬ者〔となり〕、霊 において熱くなり、主に隷従し、希望において 喜び、患難において忍耐し、祈りにおいて専念 し、聖なる者たちの困窮を共に担い、旅人を熱 くもてなす〔−不断にそのようになりなさい〕。」 この訳の〔 〕の部分を取り除けば、日本語 としてはごつごつしていますが、原文に近くな ります。新共同訳の場合、14節以下が命令文に なっているから、命令文のように補えばよいと いうことなのでしょうが、これらを命令文で表 現されたくないというのが、書き手にも読み手 にも感じ取れないでしょうか。 ここは6節に書かれているように、「わたし たちは与えられた恵み(カリスマ)によって、 それぞれ異なった賜物を持っている」のです。 この恵み(カリスマ)を与えられて、その結果 が、9節の分詞構文で表現されたことのように 起こってくるのです。「〜しなさい」という普 通の命令とはちがうのです。あくまで「恵みの ままにいなさい」という限りでの「なさい」な のです。 ですから、ここには道徳表や倫理の条項が並 んでいると考えてはなりません。 パウロの時代、世の中の思潮としてそういう道 徳表が好んで出回っていたようです。実際パウ ロもそれらを気軽に用いたりします。たとえば ガラテヤ書5章など。 しかし、外見は観念的・模範的な道徳表であって も、パウロがロマ書で明確にしているような 「恵み(カリスマ)」をそのまま喜んで受け取 るところに自ずと現れてくる生き方こそ、その 到達点と考えるべきでしょう。
4月24日の説教から ヨハネ福音書2章1〜11節 「徴に満ちた物語」 久保田 文貞 マルコ福音書2章9節に次のようなイエスの 言葉が伝えられています。「花婿が一緒にいる のに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が 一緒にいるかぎり、断食はできない。」 ここでイエスは、「神の国」に取り囲まれて いる事態を、婚礼に招かれている客に譬えました。 この「婚礼」ガモスは、この場合、厳粛な結婚 儀礼のことをイメージしてはいけない。むしろ 呑んで歌って踊り出すような、羽目を外した結 婚パーティの方に近いでしょう。 イエスは、とにかく神の国のことを、婚礼に限 定せずも、神が主催するパーティと表現しました。 有名な譬え「盛大な宴会」(ルカ14:15以下//マ タイ22:1以下)には、ユダヤ教の精進を積んだ 「義しい人」が出席せず、むしろ社会から「罪人」 (不浄な者)というレッテルを貼られた人々が招 かれるのです。またマタイ8:11には「いつか、 東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、 イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く」と言わ れるように、そのパーティに出席するのはユダ ヤ人以外の者になっています。そして、イエス は譬えによる言葉表現だけでなく、福音書の記 者が何度も使ったように、「罪人」「取税人」 「遊女」といっしょに食事をして、神の国の食 事の場面を実演したのです。婚礼のであろうと なかろうと、とにかくこのパーティは、「あれ、 あんな人が来ている。だれが呼んだの?」「な んて格好して来たんだ」等々、私たちの頭の中 にある何らかの規準を毀してしまうものだった のです。イエスの神の国の福音の実演はにはパー ティ・食事が何よりも身近で重要だったのです。 そこで、いわゆる「カナの婚礼」の物語です が、ここにはいまだ「はじけていない」普通の 婚礼場面がでてきます。イエスと彼の弟子はた だの客人として招かれているだけです。この婚 礼の主催者は、あの「神の国」の饗宴のことを 何も知らないことになります。ヨハネ福音書記 者が何を意図したかにかかわらず、「カナの婚 礼」と「神の国の宴会」のギャップがおもしろ い。このギャップをなんとかしようというもの は共観福音書からでてきません。イエスが神的 な存在であるという観念・信仰まで行き着いて しまっているヨハネ福音書の世界でこそ、イエ スがごく普通の人間的な婚礼でどう振る舞うか に関心が行くわけです。カナの婚礼では、・・ ・人々はそこにだれが出席しているかしらない。 ただただ、人々は婚礼を楽しみ、新郎と新婦を 祝福し、そして「世話役」の指示に従う。しか しそこに出席している方が、神の子・キリスト であるとみなが知ったら、婚礼の中途であろう と彼を首座に据え、婚礼はさらに次元の高いハ レのレベルに入るだろう。 最上の葡萄酒がイエスによってふるまわれたこ とは、そのことを表しているように思います。 結局ヨハネの場合、どうもパーティの社債者 =主役はだれかにこだわっているように思え てなりません。共観福音書に出てくる、イエス が語り、実演した神の国の宴会は、主催者がだ れであろうと招かれた人が喜び、楽しむ、少な くともパーティの主催者は客に照準を合わせ、 客が主人公だと思っているような宴会です。で すからカナの婚礼物語に即して言えば、「主よ、 どうぞ隠れて、黒子に徹してください」、主役 は、新郎新婦であり、招かれた客一人一人なの ですから。
4月17日の説教から 創世記21章1〜8節 「イサク(笑い)の誕生」 久保田文貞 アブラハムに始まる創世記の族長物語は、神 がひと握りの小さな家族集団を選び出し、祝福 するという物語です。文学的には、これらの物 語は、後のイスラエル共同体の、さらに一時は パレスチナ一帯を支配したことがあるイスラエ ル王国の始まりをもの語る神話文学です。です から、これらは現実の共同体や王国を飛び越え、 その根っこにあるものをいとも軽やかに「笑い」 とばすところがあります。 …年老いたアブラハムとサラ夫妻は子があり ませんでした。跡継ぎを心配して正妻サラは夫 に勧めて召使いの女ハガルに夫の子を産ませま すが、子を孕むとハガルはサラを軽んじました。 夫に訴えると「好きにしなさい」というわけで サラは妊婦ハガルに酷に当たって、結果ハガル は出てしまう。ところが主の使いが荒れ野で彼 女に現れ、女主人の所に戻るように言いつけ、 生まれる子イシュマエルを祝福し子孫の繁栄を 約束するというのです。(16章) 創世記25章 に、イシュマエルの系統は東の砂漠の民の先祖 になると書かれていますが、イスラエルの傍流 にされてしまいます。(6世紀に現れたイスラ ム教の伝統はアブラハムとその子イシュマエル を自分たちの祖先としています。)父権制のイ スラエルとしては、基本的に男の長子が家長と して相続し、その他の女・子は家族一般であって、 それ以上には数えられません。もちろんそんな ことだけでは、つまらない系図だけしか残りま せんから、結局、物語はものの数に数えられな かったはずの子や女が脇役として物語の中に現 れます。皮肉っぽく言えば、それらはイスラエ ルの正統な系図を高めるためのダシに使われて いると言わざるをえないのですが、実際には正 統なる血統を高めるというより、むしろ彼らか ら〈笑わ〉れている感がしてなりません。 イサク誕生の物語は、直接にはアブラハムと サラが〈笑い〉ます。年老いた夫妻が、神の使 いから子を与えられると聞かされてのことです。 「アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひ そかに言った『百歳の男に子供が生まれるだろ うか。 九十歳のさらに子供が産めるだろうか。』」 (17:17) アブラハムと天の使いのやりとりを 影で聞いていた「サラはひそかに笑った。自分 は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、 主人も年老いているのに、と思ったのである。」 (18:10-12) サラが言う「楽しみ」とは性的な快楽そのも ののことです。「私も若ければその快楽をいっぱ いに楽しんだものだけれど、この年ではそれも 昔のこと、そんな私に子どもができるわけない わよね、ハハハ」と。 18:13-15は、「なぜ笑ったのか」とこの笑い を不謹慎なものとして否定的に描いていますが、 こういうマジメさ自体がこの物語では〈笑い〉 の対象になっているのが後の史家にはわからな いのです。イスラエルの祖先は、取るに足らない砂 漠の小さな家族だということ自体、この笑いの 対象でもあります。そこをただありがたがって いるのではなく、神ご自身のユーモアぐらいに 受け止め、私たちの国の神学者がよくするように、 「聖なる歴史」?、「神の救いの歴史」?を、 襖と障子と畳の四角四面の部屋に押し込めない 方がよい。創世記の物語のもとになっているお 話には、きっとあのすこやかな笑いがあったと 信じます。
4月10日の説教から ロマ書8章18〜30節 「聞けなかったものを聞く」 久保田 文貞 パウロはここで、この世界が「虚無に服し」 そのあげく「うめき」「苦しむ」のはすべて 「服従させた方(神)の意志」によるものであ り、その神は世界が「いつか滅びの隷属から解 放されて」「栄光に輝く自由にあずかれる」だ ろうという〈もの言い〉をします。このような もの言いを神学と呼びます。神学とは、人が信 仰的な立場から、神の考えていることや、神と 人間、神と歴史との関係について、考え、語って しまうことです。そこでは、人として生きてい る普通のスタンスから、かなりの跳び超えをし て語ることになります。学問というのは、たし かに対象となるものにむかって、かならず一種 の跳躍した地点から語る、すなわち理性的にも のを記述しはじめるのですが、神学の場合は、 人がそこまで跳躍できるのかという問いをかか えたまま、その対象にむかっていく離れ業をやって しまっています。 その結果、このような神学的な語りには、人 間の苦難を神の次元から平然と語っていくという、 神には許される〈語り〉を人が代わって語って しまうという問題が起こります。神学はいきおい、 どんな人間の苦しみも神の計画の内にあると神 の意志を代弁するわけです。 そのように考え、語る、キリスト教的な神学や、 教会や、ひとりひとりの信仰は、それによって どんなことを背負い込むのか知っておかなけれ ばなりません。 わたしたち人間には、どんなに好意を持って 他者のことをとらえ、代わって訴えてあげたい と思っても、その人の思いの千分の一も語れな いと感じると思いませんか。いや、そもそも他 者を代弁するなどということ自体が自分の思い 上がりだと、思いませんか。そこで他者から身 を引いてしまえばそれまで。しかし、そのよう な限界は必死で代弁しなくてはと思った人に見 えてくることで、そのような人はだからといって 身を引かない。そのような限界を知りつつ代弁 ならぬ〈代理〉をすることになるでしょう。人 がなぜ、どのように、なにを〈うめき〉〈苦し む〉のか、人はそこでなにを思い、何をうった えようとし、何を記憶したのか、他者の自分に は代弁しようがないことを自分の心に刻み、し かし、その人のそばで自分も生きようとすること、 わたしたちにはそのぐらいのことしかできないで しょう。けれども、そもそもだれのそばで生き ようと言うのか。自分の身は一つしかないわけで、 そこでものすごいえこひいきというか、切り捨 てをしてしまいます。他者の思いを語るという ことが、ものすごい暴力的な切り捨てをするよう に、他者と共に生きるということ自体も同じこ とをします。 ここで神学的に語るパウロは、この問題をい とも簡単にクリアします。 「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてく ださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知 りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないう めきをもって執り成してくださるからです。 人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何である かを知っておられます。“霊”は、神の御心に 従って、聖なる者たちのために執り成してくだ さるからです。 」(26,27) パウロのもの言いがすごいところは、そのこ とばには計り知れない切り捨てがあると知って いるらしいこと。神が神の計画を成し遂げるた めには、そうして神学的記述の外に追いやった ことや、抹消されたという人の思いを、神は本 気でぜんぶ看取ってやれよという、このような 注意書きを入れたと言うことでしょう。
4月3日の説教から ルカ12章32節 「恐れるな、小さい群れよ」 久保田文貞 「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は 喜んで神の国をくださる。」 1919年ドイツで、マックス・ウェーバが自由 学生同盟の講演会で二つの講演をした。そのひ とつが「職業としての学問」という本になって います。ウェーバは2000年に56歳で亡くなって いますから、亡くなる1年前の遺言的な講演だ と思っても良いでしょう。私が友人の板垣夫妻 と北松戸の地で集会を始めて少し立った頃、何 かのきっかけでこの本を改めて読みました。そ の一部にいたく感激したのです。 「こんにち、究極かつもっとも崇高なさまざま の価値は、ことごとく公の舞台から引きしりぞき、 あるいは神秘的生活の隠された世界のなかに、 あるいは人々の直接の交わりにおける人間愛の なかに、その姿を没し去っている。これは、われ われの時代、この合理化と主知化、なかんずく かの魔法からの世界解放を特徴とする時代の宿 命である。現代の最高の芸術が非公共的であって 記念碑的な存在ではないこと、また、かつて嵐 のような情熱をもって幾多の大教団を沸き立た せ、また互いに融合させた預言者の精神に相当 するものは、こんにちではもっとも小 規模は団体内での人間関係のなかにのみ、しか も最微音をもって脈打っているにすぎないこと、 これらはいずれもゆえなきではない。」 脈絡をほとんど吹っ飛ばして「預言者の精神 に相当するものは、こんにちではもっとも小規 模は団体内での人間関係のなかにのみ、しかも 最微音をもって脈打っているにすぎない」とい う箇所が私の記憶に残っています。この講演は、 1919年ですから、ドイツの状況は第1次大戦の 最中にベルリンで革命が起き、皇帝が退位、降 伏に調印したばかり、ひっくり返るような歴史 のさなかにありました。 ウェーバは強情な人で、直接には講演の中でそ のことを触れないのです。ただ、これから学問 を目指す学生たちに学問の道を進むとはどうい うことかを敗戦のことに触れずに語るのです。 もちろんそういったからと言って、彼が歴史を 無視しているというわけではありません。故あ って間近の歴史にあえて触れない。この 歴史がもっと基底のところでじわっじわっと動 いていることに注意を喚起しながら、学問を志 す学徒たちに心得を説いているわけです。 私たちは別に学問を志す集団ではありません。 世の中からは、小さな、変な教会と見なされ ているであろう一宗教です。けれども、ウェーバ があの学徒たちに勧めた在り方に共振するとこ ろがあります。歴史(私たちが毎日多様な関係 の中で生きている現実です)のうわべは走馬燈 のようにカラフルな絵を見せていますが、その 基底部の事実をしっかりつかんで離さないで生 きていく(学問していく・信仰していく)には、 今このような時代には小さな群れのピアニッシ モの動きでやらざるをえない、いやそれでいい、 というメッセージだと受け取っています。 私には、それが福音書に伝えられているイエス のことばにつながってしまうのです。 「小さな群れよ、恐れるな。あなた方の父は 喜んで神の国をくださる。」
3月27日説教より マルコ福音書14:58-6 「誰が、何が復活されたのか」 久保田文貞 逮捕されたイエスは最高法院(サンヘドリ ン)での裁判にかけられたと受難物語は言う。 弟子たちはみな逃げてしまったはずだが(50)、 ペテロは後を追って大祭司の中庭まで入ってい たという。その位置から裁判の内容までつぶさ に傍聴できたとは思えない。 裁判でのやりとりは、その後のピラトの裁判 と同じく受難物語作者の構想力による。もっと もそれは、一戯曲家の主体的な構想力というの ではなく、あくまでイエス・キリストを信仰す る教会の構想力ではあるが。そこでは、イエス の十字架と死は何であったかという主題性が勝って いて、実際には何があったのかという史実性へ の関心は主題を補うために利用されているだけ である。 そういうわけで、大祭司の下での裁判場面と は、イエスは無実であるにもかかわらず、ユダ ヤ人社会の支配層からなる「最高法院」(サン ヘドリン)の裁判による「故殺」(〈司法によ る故殺〉Justizmord)であったことを物語ろう とする。 というわけで、証言に食い違いがあったという 記述も作りものにちがいない。もともと裁判す る裁判官たちが殺意を抱いていたというのだか ら、証言のくい違い(申命記17:6)があっては ならないなどと体裁を繕ってみたってほんとう はなんの意味もないはずだが、ウソをつく者は、 つまらないところで真実味を出そうとするとい う人間の心理を描いているわけだ。 とにかく注目すべきことは、イエスを殺そう というユダヤ教体制側の殺意が、裁判という形 式を整え、そこでの証言が一致しなければなら ないという体裁をとったことだ。つまり彼らは、 イエスを恣意的に殺したのではなく、彼の死は イエス自身が法を冒した故に自ら招いた死だと 言おうとした、そうこの物語は語る。 エルサレムの人々が、そしてユダヤ教の自治政 府の官僚たちまでもが、イエスを死に追いやる にための「事実」を作ろうとしてもがいている というわけだ。 そこで、証言が食い違うということがじつに 象徴的である。事実かどうか争うことに意味が ないはずのところで、〈事実〉の物差しを取り 替え、その値を変えてしまう。このフィクション こそ真実なのだと。とすれば、証言は人の数だ け在って、くい違って正常である。むしろ一致 する証言ほど信用ならないという逆転が起こる。 このことは、実際の公安事件の裁判を傍聴して いて感じたことだ。初めから被告を有罪にして 抹殺しようという企みが先行する。さすがに裁 判所も下手なことを記帳され記録されることを 嫌うから、注目を浴びてくると露骨なことはで きない。しかし、原則としてそこでは「事実」 がまずありきではなく、「意志」がまずありき なのだ。だから事実とは作られるものという逆 転した事態が押し切られていく。 この点では、復活の証言も似た側面をもつ。 復活という事実性を無理にこじつけようとすれ ばするほど、フィクションとしての事実がせり 上がってくる。一致しようもない証言を並べ立 てて真実味を出そうなどとしない方がよいわけ だ。イエスは死からよみがえったという証言は ひとりで足りる。イエスを抹殺しようとした力は、 この世界に成立してはいけないと思ったものを 消去しようとしたのであり、この世界に闊歩し ていてはならないと判断した故に彼を葬ったの である。 しかし、それと反対の力がイエスに働いた。神 はイエスがなそうとしてことを取り上げ、それ がこの世界を闊歩することを願った。このフィク ションとしての事実の、食い違ってしかるべき 証言が復活証言である。復活証言は人の数ほど合っ て、食い違う。
3月20日の説教から マルコ14章66〜72節 「決断、実行、頓挫」 関 秀房 私自身のキリスト教信仰の変遷については何度 か話したことがある。北陸(福井)の小さな町の教 会は、高1のとき受洗し社会人として郷里を離れる 24歳まで過ごした。その教会はペンテコステ派と 言われ北欧(デンマーク)の宣教師が牧会しており、 お祈りの時は周りの人がアーメン、ハレルヤと口々 に唱える。いなかでの信仰生活は、これこそ真理 であり何にもまして第一義とすべきであり一人で も多くの人に伝道すべきだと考えていた。酒たば こはやらず、日曜の礼拝、夕拝、水曜の祈祷会、 特別伝道会などの集会には熱心に参加した。今考 えても見上げた信仰生活である。 しかし何年も続けていると、青年として性の問 題を始め何か違うと思うようになり、いろいろ本 を読み考え、1971年山口県防府に就職したのを機 会に日本基督教団に転籍した。革新的な牧師の元 で教団問題やキリスト教・宗教批判の視点を持つ ようになる。そして1978年こちら(船橋)に異動し てきてからは北松戸教会に通うようになり、教団 ・教区・支区では遅れてきた者であるが、大きな 顔をして発言してきた。当然執行部には受け入れ られないが、少しは真実を明らかに出来たと思っている。 会社でも、たぶんにこのような信仰のあり方が影 響し、従順な会社員ではない。社長を天皇とする ような天皇制的組織には時には異議を唱えてきた。 私はまともなことを言ってきたつもりだが上には 通じないことが多かった。 聖書によると、ペテロは兄弟アンデレと一緒に 漁師をやめてイエスに従った。イエスは社会の底 辺であえぎ傷ついている人たちこそ主役であると 考え、その人たちの活力を引き出し一緒に福音を 語り始めた。その働きに弟子たちも目覚め、大き なうねりを作り出していく。イエスこそ我々の求 めている方だと深く心に感じた。しかしながら、 このうねりは権力者たちにとっては危険なものと 思われ弾圧を加え、イエスを陥れる。この大事な ときにペテロはイエスを3度知らないといい、あ たかも裏切ったかのようにとられている。しかし ペテロはイエスのことが気になり近くでたき火に あたり裁判の成り行きを見守っていた。女の人か らイエスと一緒にいた人だと言われても、イエス のそばにいるためには関係ないと言わざるを得な い、そうしてでも見守り続けた。でもしつこい追 求によって3度も否認し、イエスと一心同体と自 認していたのにと嘆き悲しむ。 人はこれこそもっとも大事なものだと思い、そ れを実現するためには人生をかけてもよいと考え る。しかし信念を貫こうとしても、その想いは途 中で頓挫・挫折する。ペテロの決断・実行・頓挫 にせよ、始めに述べた私のいなかでの決断・実行 ・頓挫、教団に移ってからの決断・実行・頓挫、 社会人としての決断・実行・頓挫。はた目には失 敗・敗北・再起不能と見えるかもしれない。 でもそのような壁に突き当たるとき新しい考え発 想が出てくる。挫折・頓挫と見えたことが一時の 小休止であったことがわかる。人生は決断、実行、 頓挫の繰り返しと思う。明るく、楽しく時には涙 も流しながら、この繰り返しを螺旋階段のごとく 上っていきたい。
3月13日の説教から マルコ14章43〜50節 「イエス逮捕される」 久保田文貞 ソルジェニーツィンの『収容所群島』の初め の章は「逮捕」となっている。ソ連の秘密警察 GPUが政治犯を逮捕するケースが並べられている。 夜、数台の車が政治犯にされた者の家の前に乗 り付け、引っ立てられていくよくあるパターン。 一般にはまだ車がほとんどない時代だから、夜 しんと静まりかえったのどかな住宅地に、車が 轟音をとどろかせて入り込んでくるというだけ で、あたたかなベッドに入っていた者や、夜遅 くまでゆっくりと好きなことをやって者たちみ な、秘密警察の到来を悟って貝のように身を固 くする。自分の家の玄関の戸が蹴破られて、人 の暮らしの中にどっと異質な存在が割り込む。 逮捕の恐ろしさはこの落差にあると思う。権力 を握る者たちの暴力が、自分たちの世界だと 思っていたマイホームに私的所有も「人権」も 無視して入り込んでくる。何のことはない、私 的所有として、人権として認められていると 思っていたものが、権力から一時貸与されてい たに過ぎず、自分のものではなかったと思い知 らされる。 逮捕劇には、人混みの中でいつの間にか奇妙 な男たちに囲まれて腕を捕まれ声を出す暇もな く拉致され、近くに止めてあった車に押し込ま れ、誰しれずその中から消えてしまう逮捕。そ れほど親しくもないものから映画の切符をも らってたっぷりと映画を楽しんだ後、映画館を 出た途端、連行されていくケース。等々。 イエスの逮捕劇も特筆に値する。ゲッセマネ と言われたオリーブ山の一部にある公園のよう な場所で、イエスは数人の弟子を伴って祈って いたという。過越の祭だから望月の頃である。 月明かりの中、エルサレムとオリブ山を隔てる 谷の方から「群衆」が上ってくる。先頭に立つ のは、つい数時間前イエスと「最後の食事」を 共にした弟子のユダである。群衆は明らかにこ ちらに向かってくる。弟子達はイエスのそばに かけよる。この群衆は神殿の権威筋が遣わした 神殿守備隊(「下役」、ヨハネでは「一隊の兵 士」も加えている)を主とする者たちだった。 彼らはイエス逮捕に向かった連中だった。どれ がイエスかほとんど面識のない者に分かるはず がない。合図は、裏切り者のユダがイエスに近 づいて、彼に接吻することとなっていたという。 接吻と言っても、ただの丁寧な挨拶以上のもの ではない。だが、数時間の別れ惜しむかのよう な親しみを込めた挨拶が、逮捕の合図とは。ユ ダは、師と弟子という相互の信頼で長い間練り 上げた関係の中に、それとは異質の暴力を引き 入れたのだ。人が、毎日の暮らしの中で、作っ ている人間関係や、約束事や習慣、そして何よ りも一人一人の暮らし自体は、命のやりくり の所産であって、したたかなものだが、無粋な 暴力装置の前にはいかにも弱いの だ。 逮捕とは、命をもったやわらかでしなやかな 身体を、冷徹な命令と機械のような装置と古風 に言えば鎖と剣で、拘束し時に命さえ奪うこと の実行開始のことだ。 逮捕以後、権力の歯車が回転をはじめ、この身 体を次の部署からまたその次の部署へと「引き 渡し」が始まる。福音書は、この「引き渡し」 (「裏切り」も同じ語群の語)という言葉をじ つに印象的に多用する。それは日本語に言う 「たらい回し」であった。逮捕以後、人を人と して扱わなくなるのだ。
3月6日の説教から マルコ14章32〜42 「ゲッセマネの祈り」 久保田文貞 受難物語の筋では、この物語は「最後の食事」 を終えて、イエスは11弟子と、オリーブ山に あるゲッセマネの園に行った。11弟子と言った のは、イスカリオテのユダは食事の途中で姿を 消しているからだ。 そこで、イエスは弟子たちに祈っている間、 座って待つように言った。そして、ペトロ、ヤ コブ、ヨハネの3人だけを連れて行った。やがて この3人にも「ここを離れず、目を覚ましていな さい」と言い残して離れたところに行って祈った というのである。 祈るため弟子から離れて独りになるというモ チーフは了解できるが、3人を別格に扱うのはと りわけこの3人を信頼していたということだろう か。私たちは、最後の食事のところで触れたよ うに、受難物語はイエス死後のエルサレムに生 まれた「原始教会」によって編まれた物語だと 理解する。そこには、イエスに最後まで同伴し ていた弟子たちが目撃して伝えた伝承群が反映 していると思うが、最終的にマルコ伝に採集さ れた受難物語は、少なくとも2、30年ぐらいの間 にかなり神学的に整理された形になったものと 言わざるをえない。とりわけ12弟子との最後の 食事という設定は、弟子の権威に根拠を持たせ た原始教会の聖餐の祭儀が逆に働いて構成しな おされたものと考える。イエスの最期まで行動 を共にした「弟子たち」が12弟子だというのは 唐突すぎる。 マルコ15章40以下によれば、イエ スの最期を見届けたのは、マグダラのマリアら 3人の女性とその他の女性であり、彼女たちはガ リラヤにいたときから一行と行動を共にしてい たのである。あの最後の食事の場面に彼女たち がいないことの方が不自然である。そのことは そのままゲッセマネの園の場面にも当てはまる。 イエスがゲッセマネの園で独り祈るために離れ たところに行った時、残されたた弟子を12弟子 と特定する必要はないのだ。 ゲッセマネでの場面の「福音書記者」ナレー ターは、居眠りをしていた弟子たちには知りえ ないことを語り、イエスの内面、イエスの祈り の中身まで踏み込んでいく。想像たくましい伝 記作者のように語るのだ。イエスが独り、苦悶 し祈っているのに、3度も繰り返し居眠りをし てしまう無理解な弟子というモチーフは、イエ スの受難の意味をその時点で誰も理解できてい なかったという解釈が作った物語と言わざるを えない。この3度の居眠りが、14章66以下の3 度のペテロの否認と呼応していることはもちろ んである。 そして、この場面は、暗闇の中でユダの手引 きでやってきた神殿警備隊によってイエスが逮 捕される場面にそのまま引き継がれていく。 「イエスは三度目に戻って来て言われた。 「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。 もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人 たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、 わたしを裏切る者が来た。」 イエスが人々から辱めを受け、見捨てられ、 袋だたきに遭おうとしているとき、弟子たちは 居眠りしてしまったが、イエスはこれに対して 「これでいい」(apechei)と言った。この語の 一般的な使い方は、「領収済み」ということだ が、そこから転じて「これで十分」(英語、独 語の権威筋の訳)、口語訳「もうそれでよかろ う」や「こうこれでいい」は間違いとは言えぬが、 〈苦しみはイエスだけで十分〉〈イエスの苦し みはお前たちには追い切れぬ〉と原始教会には都 合の良い解釈と同伴する。しかし、これに対し て、TOB仏訳〈万事休す〉や、佐藤研訳〈事は決 した〉は、苦難をイエスのみに帰す捉え方を後 退させ、そっけない言葉になる。私たちは、前 に述べたとおり、受難物語を最終的に整理した 者の筆が強く入り込んでいると考えるので、新 共同訳「もうこれでいい」としておくのもよし と思う。しかし、マルコ福音書記者も受難物語 を採集する時、手を入れている。それを考える と〈万事休す〉もよいか。
2月27日の説教から 「最後の食事」 マルコ14章12〜26節 久保田 文貞 イエス死後、イエスは復活した、イエスこそ 真のメシア=キリストだと信じる人々がエルサ レムで原始教会(エクレシア・「呼び出された 者たち」「集められた者たち」ほどの意味=誰 が訳したか知らないが、これを「教会」と訳し た。誤訳と言った方がよいけれども、あまりに 定着してしまって私たちも仕方なく使っている。) を作った。かなり早くから、イエスがエルサレ ムで十字架にかかって復活するまでのエピソー ドが語られ、伝承として固まっていったと思わ れる。それが後に、受難物語(たとえばマルコ 14,15章)として福音書に収録されている ものだ。 「最後の食事」物語はその中にあって、かな り重要な位置を占めていた。それはただの食事 ではないと示そうとして、食事の準備段階から イエスの指示があったことを細々と報告する。 そしてこの食事は十二人の弟子に限定されてい る。 「十二人」を特化するのは、福音書ではマタイ だけ、基本的にそれは原始教会の手法である。 この十二人はパウロにも伝えられている(第一 コリント15:12)。 原始教会はイエスの弟子たちが早くからヘゲ モニーを握った。受難物語では、イエスを十字 架に引き渡し、イエス逮捕後こわくなって逃げ たと、ほとんど彼らの告白によって成り立って いる物語が重要なモチーフになっている。しか し、それは決して弟子たちのマイナスにならな い。むしろ弟子の権威を高める物語になってい る。 しかし、弟子たちの権威を高めようとすれば するほど、生前のイエスの時代の現実と乖離し ていく。イエスがいつも弟子たちと行動を共に していたというのも、それが弟子たちからも由 来している伝承だと思うが、それでもそのこと は間違いなかろう。イエスは単独で行動してい なかったのだろう。しかし、弟子を十二人に認 定した伝承(マルコ3:14以下、6:7以下)は あるが、それらはイスラエル十二部族の再興と いう象徴的な意味をもたせたものであって、イ エスの普段の活動には女性たちもいたし、十二 人限定する必要などない。実際に福音書の中に 活躍してくる男の弟子の名は4、5人で後は女 性であるとさえいえる。 というわけで、12人に限定する特別な食事と いうイメージはどうしても、イエスから由来す るものではなく、弟子の権威を高めようとする 原始教会から由来するものだと思う。 イエスの宣教活動において、食事が重要な位 置を占めたことは、福音書が必死に語るものだ。 社会から排除され、一緒に食事をすることを拒 否されていた人々、つまり福音書の中で「罪人」 「取税人」「遊女」として登場する人々を招い てイエスは食事する。あるいはイエスの宣教活 動に触れようとして集まった人々と一緒に食事 をする。イエスはそれをこの地上でも始まって いる「神の国」の食事としてとる。食事は、イ エスの福音宣教の重要なポイントである。弟子 たちはその食事の世話をする役割を持つばかり である。食材がなければ買い出しに行く。みん なに行き当たるように配る。(マルコ6:30以下) それが弟子の仕事でしかない。いやそれこそ弟 子の仕事というべきだろう。 それゆえ「最後の食事」を特化して、弟子の 権威を高め、以後の教会での指導体制を確保し ていく中心に見えてくる「弟子」の姿は、あの 生前のイエスの弟子から、根本的にずれて しまっている。 (久保田文貞)
2月20日の説教から 詩篇40編 「自分の整え方」 久保田文貞 この詩の1節から5節をわたしなりに散文に するとこんな風になる。 「 私はどこまでも逆境を耐え忍び、主を待ち 望んだ。すると、主は私の方に身をかがめて、 私の叫びを聞いてくれた。主は、二度と外に 出られないように固くふたされた「滅びの穴」 から私を出してくれた。もがけばもがくほど 深みにはまっていく「泥沼」から引き上げて くれた。そうやって私をこの台地に立たせて くれた。この台地を自分の足で立つこと、自 分の足で歩み出すことその喜びは他の何にも 比べ難い。喜びあふれる私の口から、歌が流 れ出していく。新しい歌、神を賛美する歌、 それは主が私にくださった歌。 多くの人が、私に起こったこの出来事を目 撃し、私の喜びの歌声を聞いた。そして人が 顔を向けなければならない方向を見失ってい た時に、この私の出来事の故に、顔を向ける 方向を取り戻し、そうやって人は主に向かって 目を上げた。人が何をほんとうに恐れなけれ ばならないか分からなくなっていたときに、 そうやって人は主を畏れ敬い、主に信頼をお くこととなった。 」 二千数百年前の詩が、現代人の私の共感を 誘い、内面をうがっていきます。一人の人間 として、唯一の神に向きあい、神が自分の身 に起こした、特別の、ある一つの救いの出来 事、「滅びの穴、泥沼からわたしを引き上げ、 わたしの足を岩の上に立たせ、しっかりと歩 ませ」てくださったことを神に感謝し、賛美 するのです。このような賛美に、神殿で行わ れる大規模な礼拝など必要ありません。個人 が一人でそっと祈る個人的な、あるいは家族 で行うような小さな礼拝で十分です。そのよ うにして個として神と向き合い、個としての 自分が鍛え上げられていくというのが、旧約 の底流に流れているひとつの特徴です。そも そもイスラエルの原初は、小さな家族集団の 神から出発したのであり、一人一人の歩み・ 旅を導き、伴ってくださる神への信頼から始 まりました。 「あなたはいけにえも、穀物の供え物も望まず、 焼き尽くす供え物も罪の代償の供え物も求めず、 ただ、わたしの耳を開いてくださいました」 (7)とこの詩人が歌うように、神殿礼拝など 必要はなかったのです。 しかし、神と一対一関係に根ざした、この 強靱な神への信頼には、同時に自分の敵に対 する強烈な憎悪が剥き出しになるのです。 「わたしの命を奪おうとねらっている者が恥 を受け、嘲られ、わたしを災いに遭わせよう と望む者が侮られて退き、わたしに向かって はやし立てる者が恥を受けて破滅しますよう に」(15、16)と呪いの言葉を吐くのです。 更に問題は、この詩人が自分の身に起こった 救いの出来事を、集会でどうどうと発言し報 告をする。そして自分の身に起こったことの 喜びを共有してほしいとよびかけ(17)ます。 当然呪いも共有してもらいたいということに なります。 このような強固な〈私〉が直結して共同体 を作り、共同体の敵を作るとなると、このよ うな個人の詩篇もそのままストレートに心を 合わせてうたいづらくなります。でも、相手 は歌の歌詞です。歌うという時空は、散文的 に思考し、決断を絞り出していくのと同じレ ベルにありません。歌の文句をそのまま歌に 共感する人の思想性だなどと言って批判する ほど愚の骨頂はないでしょう。
2月13日の説教から マルコ13章28−31節 「人の子が戸口に」 久保田 文貞 マルコ13章はいわゆるこの世の終末について イエスが述べたとされる言葉が集められていま す。しかし、イエスにとって神の支配が直接こ の地上に及ぶということは、なにもこの宇宙の 破局が来て、不可思議なことがそこら中で起こ る必要などないのです。イエスは天上のもので あった〈神の国〉がこの地上で起こり始めたと 確信していました。天上の〈神の国〉と地上の 〈神の国〉は今や隔てる垣が壊れてツーカーに なっていると考えているのです。これまで天の 上に隠されていた神の国が、この地上で露わに なっているのです。 この〈神の国〉=〈神の支配〉はどのように この地上で展開されるか、それは私たち人間の 常識、秩序感覚、価値観を超えていました。 〈神の国〉の祝宴に招待されるのは、「罪人」 や「取税人」「遊女」など当時のユダヤ教社会 体制の外部に追いやられていた人々でした。イ エスの行動原理は、彼が感じ取った〈神の支配〉 のやり方でした。それは、この代の間隔からす れば、破天荒で、恣意的、原則無視、秩序の反 転というべきようなものでした。 ですから、 当時のユダヤ教に流布していた〈神の審 判〉がこの世界に及び、全人類が救われる者と 滅びる者に分けられ、地上世界が破滅し、歴史 が最終局面に入るという〈終末〉のイメージは イエスのものではないのです。。 にもかかわらず、新約聖書は、ユダヤ教黙示 文学的な〈終末〉のイメージをけっこう描き出 しています。これらは、基本的にイエス死後の キリスト教原始教会の産物です。そこではイエ スを、神の派遣したメシア(キリスト)である と主張するためにユダヤ教から借りたイメージ を借りてキリスト教の教理を構築したわけです。 終末についての教理もそのひとつです。 問題は、これらの原始教会の教理が、実際の イエスの理解の仕方と食い違っていることです。 福音は、不可知の未来において起こる終末=神 の裁きにおいて、勝ち組になるための「奥義」 を伝達しようというのではありません。キリス ト教会は、勝ち組になるための保証、救いの約 束手形を発行する所ではありません。正直言って、 そういう傾向をもったキリスト教が主流となって います。それだけではありません。現在のアメ リカの政権のように、明らかにキリスト教的な 装いを持って神とキリストが後押しする「自由 と民主主義」の世界を勝利させるために、かつ ての神聖ローマ皇帝よろしく地上の権力・暴力 を行使するということにもなります。 イエスが「神の支配」として、〈最終・究極 のこと〉としてとらえものは、私たちが当然の ように作り上げている秩序、常識、価値体系を、 逆転、転覆、攪乱、破棄するというように表現 し、それを体現していかざるをえないものでし た。それは頭で考えると、否定神学みたいなこ とになり、動きがとれなくなるのではないかと、 ものすごく難しくなりますが、実は案外簡単な ことなのです。 人々は、イエスの説かれた福音の譬えのよう に、毎日を暮らしている。子どもたち や、親たち、若者たち、年寄りたち、いろいろ な人に出くわしながら、けっこう勇敢に、そし て気前よく、常識から自由になって、手をうご かし、足を運んでやっている のです。それができないのは、偉いさんたち、 彼らにはとても難しいはずです。
2月6日の説教より 創世記13章1〜13節 「ロトの物語」 久保田 文貞 ロトは、アブラムの甥(創12:5)、故郷ハ ランを出たときから、アブラムの家族と旅を共 にしてきました。旅といっても私たちがイメー ジする旅ではありません。行く先々でどこに天 幕を張るか裁断し、水場や家畜の餌場となる草 地を交渉し、もちろん自分たちの食糧もその都 度確保しなければなりません。その一切合財が 族長の判断にかかっています。その孤独な族長 を支え導くのが族長の神、「アブラハムの神」 です。ロトの家族が行動を共にしたということ は、彼も同じ神を神として礼拝していたという ことです。 二つの家族は、はじめパレスチナ(カナン) に行きますが、飢饉のためエジプトに避難しま す。そこでたくさんの家畜を殖やし、ネゲブに 戻ってきた時にはかなり裕福になっていた。 「その土地は、彼らが一緒に住むには十分では なかった。彼らの財産が大きすぎたから、一緒 に住むことができなかったのである。アブラム の家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者た ちとの間に争いが起きた。」(6−7) 二人の族長は、以後別々の行動をすることに なりました。ロトは「よく潤っていた」ヨルダ ン川の低地帯を選び、アブラムは反対に水場の 少ない、砂漠地帯の多い高地の方に行きます。 もっとも、半遊牧民としてそれぞれの行く先を 選んだというわけで、行った先が全部彼らのも のになるわけではありません。それでも明らか にロトの方が良い土地を選び、アブラムの方が カスをつかんだということになります。神がア ブラムに言います。 「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東 西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地を すべて、私は永久にあなたとあなたの子孫に与 える。あなたの子孫を砂粒のようにする。…さ あ、この土地を縦横に歩き回るがよい。私はそ れをあなたに与えるから。」 この箇所もパレスチナの土地はすべてイスラ エルのものだという後々の神学的領土観に寄与 してしまうことになりますが、この物語の流れ としては、将来性のない土地の方に向かわなけ ればならないアブラムとその家族への神の祝福 と恵みこそこの物語の真意でしょう。アブラム の神は「東西南北を見渡し」て「見えるかぎり の土地」が、「よく潤っていた」方でなく、む しろごつごつした荒れ地の続く方をこれから彼 らが遊牧していく土地として示し、その上で彼 らを祝福するのです。 出エジプト記33章19節の「わたしは恵もうと する者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ」と いう神の宣言がここに鳴り響いています。 確かに祝福するということの根源には、「恵も うとする者を恵む」という一種の恣意的な選び が横たわっていると思います。こんな〈私〉が 祝福を受けているということは、神の露骨な贔 屓なくしては考えられないと受け止めざるをえ ませんから。 しかし、同時にこのような選びの物語には、 ロトのように選ばれなかった者の物語が存在す ることを忘れるわけにはいきません。選ばれた 者たちの勝ち組の救済史の陰に、選ばれなかった 者の負の救済史が非存在として存在します。救 済史によって枝葉として刈り取られた者たちに はなにがあるのでしょう。これは、神の業なの でしょうか。いや、神の業だと考える救済史観 の上に立った人間の筆になるモノです。〈救わ れた〉ということを原点に立ち返って捉えなお すべきでしょう。
1月30日の説教より マルコ福音書10章42−45 「異邦人というもの言い」 久保田 文貞 新共同訳聖書の用語解説で〈異邦人〉とは、 「ユダヤ人以外の人。旧約では諸国民・異国の 民・国々と訳される事がある。新約時代のユダ ヤ人は、神の約束によって特に選ばれ、そのし るしとして律法を与えられた神の民イスラエル の子孫であることを誇り、他の民族を異邦人と 呼んだ。割礼のないもの、律法を持たないもの なども同様の意味。」とある。つまり異邦人とは、 選ばれた民以外の人、神の救いの外にある人と いうことになる。旧約時代の初期は、イスラエ ルの民は、自らを数多の部族、民の一つにしか すぎないと捉えていた。それが旧約時代の終盤 エズラ・ネヘミヤ時代になると、血の純血を意 識し、ユダヤ人以外の者と結婚したものを強制 的に離婚させたり、従わない者を排除した(エ ズラ9,10)のに見られるように、自己の異邦の 民を汚れた者と、神の救いから除外された者と 考えた。 新約時代のユダヤ教は、それをさらに徹底し た性格になっていた。マタイ23章はユダヤ教エ リート「パリサイ人と律法主義者」を非難する 言葉がイエスの口を借りて並べられている。た とえば23節、彼らは「薄荷、いのんど、茴香の 十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正 義、慈悲、誠実はないがしろにしている…。も とより、十分の一の献げ物もないがしろにして はならないが。ものの見えない案内人、あなた たちはぶよ一匹さえも漉して除くが、らくだは 飲み込んでいる。」と。ここでマタイがパリサ イ人を批判している手口は、自己以外の者を神 の救いから排除していく選民意識の問題ではな く、むしろ律法の本義を守っていないこ、つま り律法の不徹底の問題だ。もっともパリサイ人 の側から言えば、彼らは律法の本義をないがし ろにしたのではなく、むしろそれを、日常の生 活のレベルまで徹底しようとしたにすぎない。 もちろんこの論争は両者が向かいあって対等に バトルしたものではない。一方的にマタイとそ の聞き手だけの間で批評する者もなく息巻いて いるにすぎない。結局、浮かび上がってくるのは、 マタイと彼の背後にいる集団も、パリサイ人た ちと同質の選民意識を持っているのではないか ということだ。 マタイも、選ばれた民であるべきキリスト者 を刈り込んで、真に精鋭された選民に磨き上げ ていくことを目指している。そうやって、必然 的に律法を完成するような質の信仰を持てない 仲間や意識を排除する。このような完全主義は、 結局は異邦人・罪人を排除するはずだ。 これまで、マタイの問題をあげてきたが、こ の問題は神からの救いを求めるキリスト教一般 に関わる。自己の救いを求め、それをつかみ得 たことの背後にはかならず、それをつかみえな かった者が出てきてしまう。もし救いをつかみ えた者が集団〈教会〉をなすなら、その集団外 〈異邦人〉には絶対とは言わぬまでも〈救い〉 の色はずっと薄くなってしまうだろうから。 イエスは、内部の中にさらに精鋭された内部 を作っていくというような在り方をしない。反 対に、内部から外部へ排除されていく人々の側 に立って、彼らの中にこそ神の国、神の救いが あると宣言しました。内部からはじき出された 人と、ご自分も一緒に内部からはじき出されて、 そこに「神の国」「神の義」をずらしてしまった。 そうやって内部を解体しようとした。
1月23日の説教から ガラテヤ書2章15−21節 「信頼について」 久保田文貞 「人の義とされるのは律法の行いによるの ではなく、 ただキリスト・イエスを信じる信仰に よることを認め て、わたしたちもキ リスト・イエスを信じたのである。」 (ガラ2−16) プロテスタント・キリスト教の原点のような 言葉であるけれども、翻って読み直すと、パウ ロには一貫して「神から義とされ」たいという 強い願望があることに気が付く。初めそれをユ ダヤ教内部の掟を守りつくすという形で達成し ようとした。しかし、その掟をないがしろにし ようとするクリスチャンたちへの攻撃をしてい るうちに、十字架につけられて死んだキリスト の事件の中に、真実に神によって義とされる道 を見いだす。その事件がなんと「わたしのため」 の出来事だとさえ言って憚らない。 「生きているのは、もはや、わたしではない。 キリストが、わたしのうちに生きておられ るのである。しかし、わたしがいま肉に あって生きているのは、わたしを愛し、 わたしのためにご自身をささげられた神の 御子を信じる信仰によって、生きているの である。」 (ガラ2-20) 改宗後の「わたしのため」が、改宗前の自己 中心的なものと違って、自己解体的、他者中心 的な可能性を持っているとある人々は言うのだ けれども、それでもって内部を閉鎖し、外部を 排除する問題の解消の道がつけられたとするな らそうではないだろう。 むしろ、パウロが到達したキリストへの信仰 の道は、〈信仰義認〉というその後のキリスト 教の、プロテスタント・キリスト教で開花する ドグマ主義の基礎となった。 私たちがいまその中にいて目の前に見ているよ うに、キリストを信仰するこの宗教は、絶えず キリストへの告白を要求し、そうやって「神に 義とされる」在り方を育成している。もちろん パウロも宗教改革者も、信仰自体を功績とみな しかねない信仰義認主義の落とし穴を知っている。 信仰は主体的な志向ではなく、信仰が恵みだと いう念押しをする。 「わたしは信じる」ということが主体的な告 白(表出)行為ではなく、その主語わたしは) と述語(信じる)との全体が神の恵みによって 成ったと表出(告白)する。だがここに、どう しようもない自家撞着をかかえることになる。 これは形式的な論理矛盾の問題ではない。ユダ ヤ教を解体する方向性を持ちながら、必然的に 招きよせられる新しい共同体=教会を生み出す ことになるから、ここに再び新しい内部を作り だす。この内部はあの第2の表出の中での産出 物であるから、基本的に内部の人間が反省的か つ主体的に内部をいじる、あるいは告発すると いう回路をもてない。この内部は、外部から声 を聞くしかない。もちろん、そのような性格の 内部からすれば、外部とは、〈神〉として表象 されたものでしかない。現実の教会の外部には、 現実の人間や世界が外部として存在しているの だが、そして現実の教会の内部はそれほどに純 粋でも何でもない世俗なのだが、意識としては 完全に内部に浸かりきる。それがあの二重の表 出のみそであり、問題でもある。 こうして、「わたしは信じる」ときわめて主 体的でありながら、一方でその主体を瞬時に無 化する手段を併せ持つ。わたしには、このよう な出し入れの装置をもった人間は「近代国家」 にとっては実に都合のいい人間ということになる。 だが、さらに問題なのは、はたしてこのように してパウロによって自覚的に把握されたキリス トへの在り方は、ナザレ出身のイエスが身を賭 して活動したあの2,3年の出来事と繋がって いるのだろうかということだ。
1月16日の説教から 創世記12章10-20節 「異邦の家族」 久保田文貞 アブラ(ハ)ムなど族長とその一族の暮らしは、 荒涼とした砂漠と農耕可能な土地がまだらに存在 する地域を、小家畜を追いながら草地を求めて移 動する半遊牧民的なものだった。もちろん農耕可 能な地にはその生産に見合った規模の城郭で囲ま れた都市国家があって、そこには定住農耕民が 住んでいるわけだ。族長たちは寄留民として、都 市が管理する収穫後の畑地やその周辺の草地の利 用、さらに水利権に頼らざるを得ないから、彼ら に比べて相当に弱い立場にあるはずだ。カナンの 台地のような乾燥に弱いところでは雨期に十分な 降雨がないとすぐに飢饉に見舞われる。都市周辺 を移動する社会的弱者たちに飢饉はもろに襲うこ とになるだろう。 この物語をそうした寄留民の置かれた位置をふ まえて読もう。カナン南部のネゲブ地域に滞在し ていたアブラム一族はその地に飢饉があってエジ プトに避難した。アブラムの心配は妻サライが美 しい(ヤーファー)のでエジプト人がサライを略 奪するために彼を殺しかねないということだった。 そこで彼はサライに言い含めて彼女を自分の妹と 偽ってエジプトに入国する。するとエジプトの王 (ファラオ)もサライの美しいことを聞いた。す ぐに彼女は「ファラオの宮廷(=家)」に「召し 入れられた(=直訳すれば「取られた」)。もち ろんアブラムは彼女を妹と偽ったわけだからそれ を認めている。そして妹を差し出した対価として 滞在許可だけでなくかなりの財の提供さえ受けて いる。しかし、ファラオは宮廷に恐ろしい病が流 行ったので調べると、それが実はアブラムの妻サ ライを自分の女にした故であることを知る。それ でアブラムを呼びつけ彼女を返し、国を去らせた というのである。 これと似た話が創世記に他に二つある。20章1節 以下と26章1節。3番目のはイサクとレベカ夫婦の 話だが、共通するのは寄留民として異邦の民の支 配下に身を寄せるとき、美しい妻の故に殺されな いかとという不安に襲われ、妻を妹といつわるの だが、後でそれが分かってしまうということ。こ れらの話の前提になっていることは、その地の支 配者たちはだれも寄留民の美しい妻を手に入れる ために夫を殺してからでないと手を出せないと言 うことだ。一番目の話では、ファラオでさえ、夫 が生きている限りその妻と関係すると災いが及ぶ と恐れる。 不倫だとかそうでないとか喧しく毎日のように ゴシップが飛び交う世界に住んでいる我々としては、 これらの物語は、夫婦関係を尊重するなんと美し いお話とおもわれるかもしれないが、そういう問 題ではない。ここでは、事情は違う。男たちは、 女たちからほとんどの法的権利を奪っていた。自 体ではなんの保証もない女、たとえば有力者の娘 などを選んで妻の位置に据える。そうすることに よって初めて女は、妻として保証される。そこま では誰でも分かる。だが、寄留民の生殺与奪の権 を握る支配民、エジプトの王までもが、その寄留 民の妻を奪うのに、なんで夫を殺してからでない と妻を手にいれることができなかったのかがわか りにくい。ここでは人間を殺すなというタブーより、 他人の妻を奪うなというタブーの方が大切だと当 然のように思われている。夫と妻の関係の方が、 支配者と寄留民の関係より強固なものとして捉え られている。寄留民の妻が、寄留民の男より尊ば れる。そういう逆転が起きている。でもこれはよ く考えるとその通りだと思う。支配=被支配の関 係より、男と女の対の関係の方が根源的なのだから。
2005年 1月9日の説教から マタイ伝18章15−20節 「権威について」 久保田文貞 「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、いって 2人だけのところで忠告しなさい。言うことを 聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入 れなければ、他に一人か二人、一緒に連れて行 きなさい。すべてのことが、二人または三人の 証人の口によって久呈されるようになるためで ある。それでも聞き入れなければ、教会に申し 出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、 その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。」 > ほとんどの註解書が指摘するように、この 言葉は、明らかに著者マタイが所属する教会の 会員同士の争い事に対処するための規則である。 それをイエスの口から出た言葉とするには無理 があると誰もが認めざるを得ない。自分たちが 決めた「教会の規則」によって会員間の争いを 裁いていくとき、そこにイエスの権威がリアル に働いているに違いないという確信と信仰が、 このような時間の錯誤を引き起こす。 それにしても、この規則はなかなか慎重な手 続きを定めている。第一段階は、当事者間だけ で内々に処理するように勧めている。それがか なわぬなら、第二段階で、複数の承認を前にし て問題を処理するようにし、それでも解決でき ないとき、教会の公的な機関に申し出なさい、 という。そしてそれでも聞き入れないとき、そ の人を「異邦人が徴税人と同様に見なしなさい」 というのである。 最後の部分に多くの人が引っかかるだろう。 イエスご自身が、当時のユダヤ教社会から罪人 の代名詞のようになっていた「徴税人」をその まま招き、受け入れている(マルコ2・15など) のに、ここマタイでは完全に教会の外にいる存 在として扱われているからだ。「異邦人」につ いては少し複雑だ。マタイも、おそらくパウロ らによって開始され、ある程度の成功を収めて いた「異邦人」伝道のことは知っているらしく、 異邦人に宣教するイエスの言葉を採用している が(マタイ12・18、21、マタイ福音書の下敷き となっているマルコ福音書では、イエスは異邦 人を宣教の相手にしていない)、一方でマタイ 教会は「異邦人」をマイナスの符牒・教会の外 部に置いてしまう。 つまり、彼らの異邦人伝道とは、外部の人間を 造りかえて内部の人間として取り込むための装 置のことでしかない。 教会内の紛争処理の問題に戻る。気になるこ とは、ここに言う紛争は、初めからどちらが悪 いかということが決まっている点だ。だから、 争い事とか紛争とかの次元で 問題にしていない。最初から罪人をどう裁くか という視点しか許さない書き方なのだ。だが、 共同体内の違反者を裁くということは、基本的 に訴える者と訴えられる者のフェアな争いとし て公平に裁かなければならない。告発者側の証 人は複数いようと、被告側の証人も複数いる場 合を想定しなければならない。 そのような両者を公平に裁く者は、原理的に 共同体の利害の外に立たなければならない。も ちろん理屈の上でそうであろうと、裁く者は絶 対に内部の人間だ。しかしそれでも、裁く者は、 内部にあることを自覚し、しかも裁くことの根 拠が外部にあることを受け止める、超人的な芸 当をしなければならない。つまり、ここでも裁 くことの権威は、徹底的に外部に根拠をもたな ければならない。
2005年1月2日の説教から イザヤ書42章5〜9節 「新しさについて」 久保田文貞 新しいということは善であって、古いことは悪 とは言わぬまでも、ほとんどは評価されない風潮 の中にいます。履いていた靴が古びてほころびて くれば、新しいのを買って捨てます。 消費という軸で考えると、もっとはっきりする かもしれません。消費された物は、後はゴミとし て処理される。リサイクルは安易な消費主義に対 して、いやまだ使い道があると、とことん消費を 追求するけれども、もう使えないとなれば最終的 にはゴミを出す。やはり消費の原則に従っています。 消費の反対は生産ですから、一応、生産された物が、 ひとまず新しいと言えます。これは物質的な物に 限りません。新しい制度、新しい技術、新しい考 え方、新しい生活、すべて広義の生産にかかわり ます。 生産と消費という軸で考えると、課題は限りな くありますけれども、あまり倫理的な問題になら ないで済むところがあります。人間の問題を、経 済的、合理的、かつ能率的に改良していくことが 課題になります。ここには生産し、消費する人間 をまずはそのまま受け入れて事柄を考えようとし ますから、楽観的で暗さはない、そのかわり、な にか忘れ物をしたように引きずっていくものが残る。 何を引きずっているのか? 生産と消費という 軸で社会を動かしていくときにこの流れにどうし ても付いていけない人が出てしまう問題があります。 生産=消費主義はその部分を例外として処理し遇 します。社会の中で生産に追いついていけない人 を生産ラインからはずして対処しようとします。 グローバリズムが進んでこの基本にある資本主義 が世界中を席巻する今日では、生産・消費主義は 生産性の低い国や社会全体を例外として処理し処 遇しようとする。その結果は、単純に経済の問題 では済まない。政治の問題、人間の問題が横たわって いるのではないかと言うことになります。 いかにも中立的で、合理的な生産・消費の軸の 背後に、自分の利益だけを追求するエゴイズムが あるのではないかという問題を真剣に考えなけれ ばなりません。 合理的で能率的な生産と消費の生活のあり方自 体が、独立して非社会的に成立するはずがありま せん。この様なあり方は必然的に同じような生き 方をする他者を必要とします。もし他者がそれを 拒むならば、生きていかれない場に他者を引き込 みます。一番良い例が世界経済の和久の中にどんな 国の・社会の経済をも巻き込んでいく世界経済主 義(グローバリズム)です。それはある意味で、 閉じていた社会をむりやり開かせ、容赦なく新し いモノをその社会にねじ込むのです。新しいもの が善いとはそういうことを含みます。もちろん閉 じた社会が良いというわけではありません。しかし、 むりやり開かれた社会の中での新しさが善いとい うことにはなりません。 このような新しさの問題を睨みながら、わたし は次のような聖書の言葉にぶつかります。 「新しいことをわたしは告げよう。…新しい歌 を主に向かって歌え」(イザヤ42:9-10) ここには差異を求めて市場を開拓し回り、閉じら れた社会をこじ開ける強引な人間の業が見せる 「新しさ」とは別のものがあるように思えてならない。