説教ノート 2004年5月から8月分



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8月29日の説教より リアルに見るために      加納尚美 片側     石原吉郎 ある事実のかたわらを とおりすぎることは そんなはずでは ないようにたやすい だが その 熱い片側には かがんで行け 事実は不意に かつねんごろに 熱い片側をもつ    石原吉郎については、手持ちの1冊の詩集が 彼を知るすべのすべてである。これまで、折々 に自分にとっての新たな課題に出会った時に、 この詩を思い出す。また、時に、引用する。私 が見ているつもりだったことは、見えない集積 が背後にあることを教えてくれる詩である。  「見える」ということは目からの情報が脳の 回路を通って前頭葉(前頭前野)に届き、そこ で認知されてようやく意識化されるプロセスで ある。記憶、抹消からの運動、感情にも影響を 受ける。例えば、ある専門領域の訓練は、座学し、 見て、触って、書いて、また勉強して、といった プロセスを繰り返す。その結果、専門的に「見 える」なる。  一方、訓練されて「見えている」と思いこんで いると、目の前に展開されている未知な現象を 見落としてしまう。また、見たくないものは見 ないようにもしてしまう。権力の抑圧がある場 合など、見えないものを「見える」と思い込ま される場合もある。「見える」ということは 一筋縄ではいかないらしい。  また、経時的見ないと、そのことの意味がわ からない場合もある。  仕事上、生まれたての赤ちゃんの身体の変化 一つ見えるようになるには、上記の要素が不可 欠である。話せない赤ちゃんのサインを赤ちゃん の立場から解釈することも然り。  私たちが今生きる複雑な世の中がよく見える ためにどうしたらいいのだろうか。見えている と思わず、心開いてもっと見てやろう、経過は どうか、どこから見ようとしているのか。司馬 遼太郎の歴史小説を、「竜馬がいく」から幕末、 明治を前後しながら読み進め、イデオロギーに 凝り固まった指導者たちの危険性は、きちんと 見ようとしない所からくるものと思っているこ の頃である。 


8月22日の説教より 「記憶を耕す」  松浦 和子  8月の新聞には 「記憶」という二文字が目に つく。今年のヒロシマ平和記念式典で広島市長は 「核兵器のない平和な世界を作るために、記憶と 行動の1年にしよう」と呼びかけた。 「記憶とは、過去のものではない。むしろ過ぎ去 らなかった(過ぎ去らせてはいけない)もののことだ。 とどまっているのが記憶であり、自分の現在の土壌 となってきたものは記憶だ」 と詩人の長田弘は書く。  その個々の記憶を、個人の記憶にとどめず、よく 耕すこと、掘り起こすこと、つなげること。……… あの大戦から59年を経て、今多数の日本人に戦争の 実体験はない。  だが体験はなくても想像はできる。たった1枚の フォトからでも、1行の記事からでも。表現された 向こうにあるものはなんなのか。見えないものを見 ようとする想像力があれば、報道が伝えない叫び声や うめき声を聞くことができる。  昨秋以来つづけてきた、フォトジャーナリストの 広河隆一さん、豊田直己さんらの、パレスチナ、 アフガニスタン、イラクの戦場ををつたえる写真展を 見る機会を得た。クラスター爆弾の投下によって、 逃げ惑う市民、負傷し、死んでいく子供たち、散る 肉片…思わず目を覆ってしまった。  しかし広河さんは「目をそらしてはいけない。戦争は きれい事ではない。それにわたしたちには、この少 女を見つめる義務がある。この少女は米軍のクラスター 爆弾を支援したのは日本だった。わたしたちに目を 背ける権利はない」と訴える。  そしてメディアのあり方に危機感を持った人たちが 集まって”DAUYS JAPAN”も発刊された。  賛同者の一人落合恵子さんは立ち止まる雑誌という。 池田香代子さんは、うそは見抜けという。  戦争は、あの遠い日の戦争ではなく、その後の59年も 今も続いているのだ。  人間はなぜ戦争をするのか、なぜこんなに残虐にな れるのか。そしてまた、あとは改憲を待つばかりの、あの 戦争につながる波が、私たちの足下にひたひたと押し寄 せている今、記憶を耕し、立ち止まって問いつづけていこう。       地球という小さな星の上で すこしでも 記憶すること 記憶し 問いつづけること 伝えること 記憶し 伝えつづけること 幼く絶たれた命を 奪われた尊厳を 振り返り 伝えつづけること 石川  逸子
8月8日の説教より 障害者福祉について 大田 一臣  昨年の国会で、障害者基本法が改正されました。 「障害者を差別してはいけない」「障害者の自立 及び社会参加の支援等のため・・」などの文言が ちりばめられてはいますが、その「基本法」を政 策のなかで実際に行っていくべき国の行政政策は、 そうした「基本法」に明示された理念とは、ほど 遠い福祉切り捨て政策を断行していると言わざる を得ません。  新聞報道によれば厚生労働省は、06年度まで に国から移る税源3兆円分の補助金廃止案を、8 月20日までに提出するよう都道府県に求めています。 それに先駆け全国知事会は、昨秋自主的に9兆円 分の補助金削減案をまとめましたが、その中に障 害者介護支援費なども、補助金削減対象としてあ げられています。補助金が削減されるというのは、 障害者にとっては、直接の生活基盤に直結する重 大事です。しかし厚生労働省はこれまでにも、今 年3月には小規模作業所への1カ所あたり110 万円程度の補助金を削減するとか、入所施設の新 設、定員増に伴う増改築の補助金をカットするなど、 地域での自立した生活を自分の手でこじあけたい と思っている障害者にとっては、とてもつらい現 実が突きつけられていると言えます。  東京のとある入所授産施設では、それまで一律 一人当たり年間18万円支給されていた障害者福 祉手当が、その施設30数人分そっくり500万 円ほどが、昨年から打ち切られたままです。  7月30日、厚労省の審議会の介護保険部会では、 軽度の要介護者の訪問介護を廃止し、介護保険制 度の大幅後退を行う内容を取りまとめました。 今回は見送られましたが、障害者の支援費制度が、 この介護保険制度と統合することもささやかれて います。そうなると、重度の24時間介護を必要 とする障害者は、ややもすると一生施設から外に 出られなくなる可能性もあります。少ない収入源 で生活を強いられている彼らから、じわじわとは ぎ取るように進められる福祉切り捨て行政は、こ の間とどまるところを知りません。障害者福祉の 現実をしっかりみていく必要があります。  
8月1日の説教より マルコ伝5章21-43節 「12才にもなっていたからである」       飯田静世  もう12歳になっていたからである。  怨霊への恐怖から遷都して建てられた平安京は 百鬼夜行、魑魅魍魎跋扈する空間であり、病は呪 いによってもたらされるという信仰のもと、陰陽 師が一世を風靡した。他方ギリシャに生まれた ヒポクラテス(BC460-375)は「病人は神から罰を 受けた罪人ではない…病気を癒すものは自然である」 とし、病人の現状を全体として捉え、将来の経過 を正しく予知しようと、彼特有の合理的説明を与えた。  2003年7月に発行された安保徹著『免疫革命』に よると「免疫学の分野でも、免疫の化学的メカニズム についての分析研究が主流を占め病がなぜ起こり、 なぜ治療するのかという過程や仕組みを解説する取 り組みが行われていないので、直接的に医療に免疫 療法が反映されたという例がほとんど見られない。 もっと総合的視点から病気の根本的謎を解き、そ の真の治療に役立てたいと25年間の免疫学の研究 の末、1990年白血球の自律神経支配の法則を発見。 同時に現代医学が病を治療させないで、ガンや アレルギー疾患や膠原病など慢性疾患の患者数は 増加する一方の事実を見ると、現在医療の目指す 方向に疑問を感じ、現在医学、医療が病を重くす る悪循環をもたらしていることを解明した。  自律神経は交感神経と副交感神経のバランスで 成り立っている。精神的、肉体的ストレスに罹る と、そのバランスが交感神経優位へと大きくぶれ、 それが白血球のバランスを崩して、体内の免疫力 を低下させる。だからストレスを取り除かないと、 病気が根本的に治癒することはない。また対症療 法として現代医学の強い薬を使えば、その成分が 身体にストレスをかけることになる。病気の不快 な症状は治療反応であることを見る。  反面リラックスしすぎると、副交感神経過剰優 位となり、リンパ粒増加でアレルギー性の病気が 起こる。近年子どもたちのアレルギー、アトピー 性皮膚炎が増加し、社会生活に支障を来すような 重症、、難病患者が著しい。豊かになりすぎた環 境と少子化による過保護に原因を見る。子供達は 子供らしく外で遊ばせ、紫外線に当て、交感神経 を緊張させることが必要。」  会堂長(普段は礼拝の準備や管理をしており、 地方の顔役であり、住民の上に権力を持つ) ヤイロはパリサイ人としての自分の身が不利にな ることも顧みず「幼い娘が死にかかっています。 どうぞ手を置いてやって下さい。」とイエスの足 下にひれ伏してしきりに願った。「死んだのでは ない、眠っているのだ」イエスにとっての死は、 新しい生命への目覚めの入り口なのでしょう。 「タリタ・クミ」イエスの用いたアラム語にイ エスの息吹を感じます。  「幼い娘」父親に認識されていた娘は12歳に なっていたのだ。12という数は完全数。当時この 社会では一人の自立した女性と見なされていたの でしょうか?過保護に育てられた娘は子供らしい 生を生きることなく、長い眠りについて了ったの でしょう。  他方、対照的な女性が登場する。12年(完全数) も出血が止まらない女性は「らい病」と同じく 「不潔な者」として(レビ15:25f)社会生活から 排除され、ひたすら生きんがために医者に全財産 を払い、一切の生きる術を失った。今はただ一途 にキリストを求めて、群衆の中を突き進んだ。 イエスの慈しみの眼差しは等しく二人に注がれる。 「もう病気のことは気にしないで、元気に生きて 生きなさい。」というイエスの祝福のことばが、 すべての苦しみ、ストレスを癒し、過保護から解放した。
7月25日の説教より 創世記12章1−8節 「パスポートを持たないで行け」     久保田文貞  1〜11章の原初時代の物語を終えて、実質的 に、12章1節からのアブラハムの物語が、イスラ エルの歴史の始まりになる。伝承ではアブラハム は故郷ハラン(ユーフラテス川の上流、現在のシ リアとトルコの国境付近)を妻サラと甥ロト、そ れからハランで加わった者達を伴って出発したと いう。彼は「蓄えた財産すべて携え」とあるが、 他の人々もみな財産を整理してこの集団に加わった ということになるだろう。とにかく、一行は定住 地を見つけるまで移動生活をする覚悟だと言いた いのだろう。彼によって「地上の氏族すべてあな たによって祝福に入る」と言われる。この「氏族」 は、ミッシュパーハ、多くは家族と訳される語で ある。彼の集団も血縁的な氏族(clan)を考える べきか。 彼らは、メソポタミアとエジプトに挟ま れた「三日月地帯」と呼ばれる所、現在のシリア からヨルダン、パレスチナを移動する。  その生活形態は、いわゆる半遊牧民生活である。 小家畜(羊、らくだ)を飼いながら、草地を巡り、 自ら生産した毛皮や乳製品だけでなく、ある程 度の商業活動もする。乾燥地帯では、水利のあ るところは定住民が都市を造り、農耕をしている。 彼らは当然一定の自衛をしている。半遊牧民達は、 それらの都市周辺農耕地の外側の草地=ステップ や、休耕地を、都市と使用契約をして使わしても らう。家畜の糞尿が肥料にもなるわけだ。しかし、 この種の平和な関係だけではない。紀元前1400〜1300年 のこの地帯には、当時の古文書に出てくるハビル とかアピルと人々が出てくるが、彼らはエジプト 王朝の文書では、もっぱら略奪集団のように描か れている。いずれにせよ、れらの集団は社会のあ る種の層のこと、「既成の社会秩序の内部に含ま れず、法的保護の枠外にあるような集団」(山我哲雄) と考えてよい。 アブラハムの名を冠する集団も、 このような人々の一郭を占めたに違いない。その 時代を、定住者達ががっちりと自分達の利権を守 る間を、あるいはその周辺を、渡り歩き、したた かに生き抜いた人々だったとしてよいだろう。 このような農耕可能な裕福な都市定住民と、そ の周辺の流民との関係は、昔の異国の話しという わけではない。臨時工やパートと正社員の関係、 非組合員と組合員との関係、フリーターと呼ばれ る人々なしに成り立たない社会、不法滞在者とし て扱いながら彼ら抜きに成り立たない業界、これ らすべて、わたしには旧約の人々の始めの頃の姿 と重なって見えて仕方ない。  また、イスラエルという概念は、現代のパレス チナ事情を認識する限り、そこに何も酌むべきも のがなかったし、ないと断定したい心情に駆られ るが、誤解を恐れず言えば、現代のパレスチナの 民衆こそ、あのハビルやアピルにより近く、イス ラエルの原形を留めているとさえ言える。 もうひとつ、これが教会の説教だから無理して 合わせるわけではないが、ナザレ人イエスが福音 を宣べるために向かった人々は、紛れようもなく、 「既成の社会秩序の内部に含まれず、法的保護の 枠外にあるような」人々であったことも思い起こ さざるをえない。これらすべて、理念でもなく、 理想でもなく、現実のこととして、イエスはわた したちに突き出す。
7月18日の説教より マルコ14章43〜52節 「危険な足音」   関 秀房  この2週間の間に荒井幹夫さんと大道寺幸子さん の追悼集会に出席した。お二人にとって29年前の 1975年5月19日は、まさに人生のターニングポイント になる。その日は、「東アジア反日武装戦線」を 名乗る3グループ8名が連続企業爆破の容疑者とし て一斉逮捕された日である。前年の8月30日、三菱 重工本社が爆破され多数の死傷者を出し、その後も 企業爆破は続いており、警視庁は戦前戦後を通じ アジアを中心に海外経済侵略に関係した88社を 「重点防備対象」に指定し1企業10人〜50人が24時 間態勢で監視する事態までになった。そしてある 日突然、自分の息子・娘が爆弾魔として、全ての マスコミ世間から非難される中、家族会を結成し て彼らの支援を続ける。その中心が荒井幹夫さん であり大道寺幸子さんであった。50代半ばでの激 変に、果たして現在57歳の自分は可能だろうかと 省みるとき自信がない。  追悼集会に出席したのは、死刑廃止運動に関わり、 彼らの支援ニュースの発送を手伝ったりしてきた からであるが、ここ数年前のことである。当時私 は三菱重工爆破事件を知り、自分があそこを歩い ていて被害に遭い死んだとしてもしょうがないか なと思った事を覚えている。どちらかといえば被 害者より犯人たちの方に傾いていたのだろう。そ れにしても彼らとこんなに接近した関わりに驚い ている。大好きな作家である松下竜一の場合も彼 らとの接点ははじめは何もなかった。処女作「豆 腐屋の四季」が後年彼ら政治犯の間で話題になり、 その縁で「狼煙を見よ、東アジア反日武装戦線"狼" 部隊」が書かれた。そのころの時代状況では理解 し得なかったことが、今こそ真剣に問われ、彼ら の提起した問題(天皇制、爆弾で人を殺傷するこ との誤り)を深めていくことが大事だと教えられ ます。(松下センセも6月17日亡くなった。)  権力に捕らえられることを拒否して"大地の牙" 斉藤和さんは服毒自死した。この5月、彼の軌跡 をたどった「でもわたしには戦が待っている」が 刊行されている。先日、斉藤和さんと一緒に戦い、 現在東京拘置所にいる浴田由紀子さんと面会した。 また"さそり"のメンバーだった宇賀神寿一さんは 18年の刑を終えて昨年出所しているが、この間何 度かお会いしている。本当にみんな(支援する人 も囚われている人も)心優しい正義感の強い人た ちだ。  聖書の箇所はイエスがまさに捕らえられるとこ ろである。君が代日の丸攻撃がますます強まる中、 私たちは捕らえられる側にいるのか、それとも捕 らえる側に身を寄せているのか省みたい。権力に よる大義名分を掲げた殺人(死刑、戦争)を許すこ とは捕らえる側に身を寄せていることになると 思います。
7月11日の説教より ルカ伝10章25-36節 「隣人という概念を壊して」   久保田文貞  25節以下の律法学者とイエスの問答の中身は 一見すると律法の核心をついた議論のようだが、 ユダヤ教徒から見れば、27節の旧約引用 (申命記11-13ff)は毎日朝と夕に朗唱するシェ マーの一部であり、後半(レビ記9-8)はユダヤ 教の有名なラビ達がたびたび律法の核心を説明す るのに使うポピュラーな箇所であって、この問答 に注目すべきことは何もないはずだ。10才くらい のユダヤ教徒の子弟でも答えられそうな回答から なる。  としても「隣人とは誰か」という問いは、常に 「他者とは誰か」という問いと隣り合わせになって いて、イエスの時代だけでなく、私たちの時代の、 倫理の根幹を揺さぶる可能性を秘めた問いである。 「隣人愛」なるものがなにがしか説得力を持つとす れば、それは強力な外部が弱小な内部を抑圧・抹殺 しようとし、それに抗して弱小な内部の側でこれが 叫ばれてこそである。そのような時に、「隣人を愛 せよ」という言葉がきらりと輝き、人の心を打つ物 語を創る。  しかし、一つの人間仲間が自分達の既得権を守ろ うとし、他者への配分を拒否し、他者を抹消さえし かねない中で「隣人愛」が唱えられるなら、最悪だ。 共同体がその内部の仲間を愛するという掟は、自己 が自己を愛することに他ならず、その根底に宿る原 理は、AはAなりという自同律、同語反復にすぎな い。それは、自己崩壊・腐食の前段にすぎない。  律法学者の「私の隣人とは誰ですか」という問い に「自分を正当化しようとして」(29節)という注 釈がついている。この問いまでも律法学者を悪者に しようとするが、この陳腐な問答において最後のこ の問いこそその律法学者が自同律を突破する出口に 近づいているというべきだ。  一般に聖書学者は次に続く譬え話とこの問答とは 別の伝承だと分析するが、二つの伝承と、さらには イエスと律法学者とが、「隣人とは誰か」という問 いで交叉し引き合う力に抗しようがない。30節以下 の譬え話は、一見教訓的な臭いぷんぷんの寓話であ る。聴く者は無意識のうちに「お前はこれら登場人 物の誰に当てはまるか」という問いの前に立たされ る。そしてたいていの者は自分の属する共同体の中 で「隣人を愛さなければならない」という前提で生 きているから、はたして自分は強盗に襲われた者に 手を差し伸べてきたか、これからもそうするか、と いう問題の立て方−モード−の中に入っていく。け れども強盗を助けたのはユダヤ人の宗教指導者でな いだけでなく、ユダヤ人一般を飛び越えて、サマリ ヤ人だという。ユダヤ人から見てサマリヤ人がどの ような者かというと、彼らはユダヤ人共同体を除名 された者、交わりを忌避された者、忌むべき異端で あった。サマリヤとは、歴史的説明はどうあれ、ユ ダヤ教という内部がその内部性を高めるために強行 して作った特別な外部にかつて排除した身内を閉じ こめておく場に他ならない。イエスはそのサマリヤ 人を被害者を救助した者とする。聞き手は足場を失 う。自分が救助される側に立たなければならないこ とに気づく。近いようでいて最も遠い外部に、自分 の隣人を見よと言われる。それが自分の同一性を担 保してきた内部を壊せということを意味し、隣人概 念を脱構築せよということを言っているように聞こえる。
7月4日の説教より テサロニケ人への第1の手紙1章 「なぜ手紙か」 久保田文貞  パウロの全書簡と、パウロの事跡をずっと後 ではあるが、記録している「使徒行伝」とを丹 念に比較検討すると、テサロニケ人への第1の 手紙がもっとも早く書かれた書簡であることが わかるという。彼は、いわゆるエルサレム使徒 会議(48年)後、アンテオケア教会と岐かれて第 2回伝道旅行に旅だった。その途中、マケドニ ア州の首都テサロニケでも伝道したが、ユダヤ 人の訴えでそこに留まれなくなって逃げてしまった らしい(2:14,17)。その後ペレア、アテネを経 由してコリントに1年半滞在している(使徒18:11) が、そこでこの手紙を書いているというのが通説だ。  一般に「この手紙の執筆の主たる目的は、 (4:13以下)、キリストの再臨前に死んでしまった 信徒達が(この時点でパウロはそう信じていた のだが)キリストの再臨の時まで生き残るパウ ロ達と比較して何らかの不利益を蒙るのではな いか、」(青野太塩、岩波)という問いに答え たものとされる。そのとおりだと思うが、この 手紙の隠れた動機として、彼が官憲に追われる ようにしてテサロニケから逃げてしまったこと の負い目を合理化しているのではないかという タイセンの指摘も見逃せない(「新約聖書」86 頁、教文館)。  しかし、同じタイセンが同書5章の標題「第 1世代における手紙記述の始まり」に上げてい る点に注目したい。彼は言う「原始キリスト教 における手紙記述は一つの危機の産物だった。」  「一つの危機」とは何か、著者は直接にそれ が何かを明言していない。ただ、新約聖書の諸 文書が成立していく運びを、歴史・文学・宗教 という面から概観していくこの書物全体から読 み取るよりない。  パウロは、イエス処刑(30年頃)の2,3年後に 「回心」したとされるが、その後すぐにアラビ ア(ナバテア)に赴いて伝道活動をしたらしい。 アンテオケ教会に移って(47年頃)から使徒行伝 の記述が始まるが、その前も故郷で伝道をして いたと思われる。つまり回心後ずっとキリスト を宣べ伝える活動をしていたのだが、テサロニケ への手紙を書いた50年まで、信徒共同体に手紙 を書くことをしていない。少なくともこのよう な手紙が残され始めたということは、このよう な文書を残しておくべきだという判断が生まれ たことを意味する。つまり書簡文書と不分離な 関係の信徒共同体が成立し始めたということだ。  それまでは、キリスト教伝道説教者の非日常 的な生の「聖霊」の声が、ユダヤ教的な礼拝儀 礼の日常性をぶち破るような攪乱状態を各地で 起こした。それがイエスをメシアとし、主とす る説教者達の運動だった。生の聖霊の声、預言 者的なパロールが各地にクリスチャンを産み出す。 これに対してユダヤ教の側から強い反発が起こる。 さらにはその意を酌んだユダヤ人キリスト教の 説教者も現れる。生の声は掻き消され、その声 で燃え上がった火もたわいもなく消されていく。 そこに登場するのが、書簡だ。書かれた真理。 動かぬ文字。かき消えない文書。それが教会を 不動のものにし、堅固なものにする。 しかし、この文書、書簡が今度は教会を固定 化し、組織化し、保守化させる。キリスト教の 歴史は、その後の文書、書簡支配の歴史だと言って もよい。テサロニケ第1の手紙は善し悪しを別 にしてそのようなキリスト教の歩みの嚆矢と なった記念すべきものだ。
6月27日の説教から 創世記11章1-9節 「バベルの塔」 久保田文貞  ソフィア・コッポラ監督の映画「Lost in Translation」 を見た。「翻訳すると失われてしまうもの」ぐ らいの意味だと思う。舞台は東京である。 ハリウッドの中堅の映画俳優ボブが、コマー シャル撮影のために来日。新宿のホテルに1週 間ほど逗留する。その間、通訳がつけられるのだ が、仕事のことだけでなく、日本人と心の機微 が通じない。そんな場面が何度も出てくる。異 国で孤独になる。そこへ国から突然時間を無視 してアメリカの妻や子どもからのFAXやケイ タイが割り込んでくる。そのズレがかえって孤 独感を増す。同じホテルにシャーロットという 新婚の女性がいる。夫は新進のカメラマンで仕 事に忙しく妻をホテルに残して飛び回っている。 この孤独な二人がだんだん知り合いになって、 友情をはぐくむという話し。  この映画で、私は主人公ボブに感情移入する。 日本語の字幕を通して。東京が舞台なのでかな りの部分で日本語の会話が出てくるが、もちろん そこには字幕がない。音声言語でその部分を理 解する。ねじれた言語関係の中に入ってこの映 画を見るわけだ。アメリカでの上映では、観客 は日本語部分を字幕で見ているに違いない。そ の字幕で果たしてどれくらい日本人の側の気持 ちを読み取っているかはわからない。とにかく、 どちらにしても、奇妙なことが起こっている。 映画を撮る側も観る側も、二つの言語、二つの 文化、二つの社会が交流する中で一度は一方の 側に引き込まれるのだが、最終的その外側に立つ。 つまり、異言語間で起こるズレから、人間の コミュニケーション自体に隠し持っているズレ のところまで引っ張っていく。そのズレをゆる す遊び空間がふわっとおそってくる。  国連という国家間の空間がある。主権国家が 議論する場を担保するということは、それぞれ の主権性を留保して始めて成り立つ空間だ。 理論的には国家の主権性が及ばない隙間を作って 初めて議論が可能なるはずだ。だが、実際には、 その遊び空間はほとんど否定されていて、大国 の主権が弱小国の主権を一方的に制限する装置 に成り下がっている。そればかりか超大国は国 連が自分の側につかないと知るや国連を無視し てわがままを押し通す。私には現代のバベルの 状況に思えてならない。  古代のバベルは、何だったのか。 結論的にいう。考古学で有名な西アジアのジッグ ラトゥ(=塔)は古バビロニア時代から存在したが、 「焼いた煉瓦」や「アスファルト」を使い「天ま で届く塔」というイメージのジッグラトゥはネブ カドネザル2世(602-562)、つまりユダが新バビロ ニア帝国に踏みつぶされた時の王が建てた塔である。 というわけで「バベルの塔」は、亡国の民イスラ エルがバビロンに強制移住させられた所で話題に なっていたジッグラトゥを念頭に置いた物語である。 亡国の民の視点から「高慢」に陥ったバビロンが どんな力を持って世界を支配しようと思っても、 やがては亀裂が生じ破綻するという話だ。だが、 この高慢さの根にあるのは個人の倫理、道徳の問 題ではない。人間同士のコミュニケーションの問 題だ。人間の共同の意思、計画…が、すこしも隙 がないまま、一丸となって突き進むことで起こる 問題だ。 何人かの人はそんなときかえって、孤独感に苛ま れる。弾かれた人や、外国人…がそこから物語を 作る。その語りに耳を傾けよう。
6月20日の説教より マルコ福音書7章14-23 「内部から腐敗が始まる」  久保田文貞  「パリサイ人と、ある律法学者たちとが、 エルサレムから来て、イエスのもとに集まった」 (7:1)という。イエスが先頭に立ってユダヤ教 の戒律を破っているという風聞がエルサレムま で聞こえたのであろう。公式の調査団というの ではなく、ユダヤ教の戒律になぜか熱情を燃や すタイプの連中がボランティア的に調査に乗り 出したのだろう。私らの国の町々に昨今出没す る自警団に似たものだと思う。権力装置と民衆 が絶えず乖離していく隙間を、お節介にもつな ぎ止めようというわけだ。権力装置を維持しよ うとする者たちから歓迎されるのは言うまでもない。  彼らはイエスの弟子達のうちに手を洗わない で食事をしている者がいることを発見する。彼 らはしてやったりと、イエスに詰問する。「なぜ、 あなたの弟子たちは、昔の人の言い伝えに従って 歩まないで、不浄な手でパンを食べるのですか」 と。もともとは祭儀(神事)に携わるための特別 な法であった浄・不浄の規定が、一般の生活者の 領域まで下りてきての結果である。神の民として の確証をえて、ユダヤ教の団結を確保しようとい う民族主義的な熱情がそうさせている。  それにしても、イエスの運動の中では、戒律ど おり手を洗う者もいれば、洗わない者もいて、不 統一なのである。つまり手を洗う者は手を洗わな い者にその習慣を強要しない、逆に手を洗わない 者は洗う者を当てこすったりしない、私にはそん ないい加減さ、不統一があるというのがとても貴 重に思える。  さて、エルサレムからやってきた自発的調査団 に対するイエスの応えは、ここではいつになく明 確だ。イエスは彼らを「偽善者」と呼ぶ。そして 〈あなたがたは、人間に固執し、自分たちの言い 伝えを守るために、神のいましめを捨て、言い伝 えによって、神の言葉を無にしている〉と言う。 それから、事態の推移を見守っていた群衆に「す べて外から人の中に入って、人を汚しうるものは ない。かえって、人の中から出てくるものが、人 を汚す」 と言う。もう後戻りできない。自発的調査団は イエスとその弟子たちへの調査の域を超えて、攻 撃を組織化してくるだろう。  イエスは、手を洗おうと洗うまいと、そんなこ とは「ちいせぇ、ちいせぇ」というわけだ。神が 創造されたもので、初めから神の〈よし〉=祝福 にもれているものはない。その恵みのことを思えば、 なにが汚れているか。〈今や〉、神の恵みの時、 神の国がはじけつつある時、福音の時。  では、汚れとは何か。大貫隆(「イエスという 経験」)によれば、古代人イエスの感覚では、神 の国がはじけて、「サタンが稲妻のように天から 落ち」た(ルカ10:17)、そのサタンが地上に展 開している「神の国(神の恵みの実現)」に暴力 的に妨害しているという。とすれば、そのように して人間に入り込んだ悪霊こそ、汚れであり、そ れを外に追い出せということになる。私たちは こんな古代の世界観まで付き合う必要はないと思う。 しかし、どのような機序をとってであれ、確かに 人間とその集合の態は、「中」?から壊れ、崩れ ていくと捉えるべきことがあまりに多い。〈よし〉 とされている恵みの相貌を次々と「内部」から壊 していくものは何か。
6月13日の説教より ガラテヤ書5章13節 「自由」の理解  久保田文貞  「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために 召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪 を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕え なさい。」  パウロが伝道してできたガラテヤ地方の数個の 教会には、「異邦人」だった人が多かったらしい。 「異邦人」とはもちろんユダヤ人を前提にしての ことである。そもそもガラテヤ地方ではユダヤ人 の方が外国人で少数派であるから、ユダヤ人が彼 らを「異邦人」と呼ぶのは転倒した話しだ。つま りその位ユダヤ人は強固な信念(仰)をもって自 ら異邦人でありながら、在の人間を異邦人と呼んで しまうということだ。そしてなぜか、在の人間の 一部の者が、そう呼ばれることを覚悟の上で、 「神を恐れる者」(とこれもユダヤ人の側で異邦 人求道者につけた呼び名)になっていったらしい。 キリスト教が始まる前からのことである。 各地 の離散した(ディアスポラ)ユダヤ人はごてごて した寺院を持たず、犠牲(金がかかる)を要求せ ず、律法という言葉だけを崇拝する簡素な宗教の 営みをしている、と在の人々の目に写ったに違い ない。ユダヤ人の宗教は、在の寺院のような地縁、 習俗、地場産業にどっぷり浸かって、郷党社会を 支配するただの地方権力とは180度違って見えた はずだ。ユダヤ人の宗教は、合理的で、倫理的で あり、金がかからない。 キリスト教はディアスポラ・ユダヤ教が敷いた レールの上を走り始めた。パウロの伝道活動も例 外ではない。パウロの伝道説教を聞いたガラテヤ の人々は、それをユダヤ教の枠組みで聞いたはずだ。 だが、異邦人へのメッセージの迫り方がそれまで のユダヤ教のものより強い。何がそうするのか、 怪しんだことだろう。キリストは人間を救おうと してその罪のために自分自身を献げたのだ(1:4)、 パウロはその福音を異邦人へ伝える使命を持って いる(1:7)、人間は皆、信仰により、キリストに結 ばれた神の子(3:26)なのであって、もはやユダヤ人 もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、 男も女もない(4:28)・・・。ガラテヤ人からすれば、 彼らはユダヤ人でもないし、生粋のギリシャ人でも ない。その彼らにとってパウロの説教は、自分達を 地べたから引き上げてくれると受け止めただろう。 そしてキリスト自ら犠牲として献げられた以上、 寺院に金のかかる犠牲代金を払わずともよい。 パウロは彼らを異邦人として差別しないと宣言して いるとも言える。彼らはパウロの説く「自由」を 歓迎し福音を受け入れた。  しかし、パウロが去った後、しばらくしてやって きたユダヤ人キリスト教の説教者は、ガラテヤの 人々を「神を恐れる者」つまり求道者として捕ら えた。多分、パウロが言うよりずっと善意を持って、 ガラテヤ人の不完全さをユダヤ人として完全な者 にしてやろうと、 割礼を勧めた。また教会に行くようになっていた ガラテヤ人も周りから「お前はユダヤ人になった のか、しかし一人前として扱われていないだろう」 とからかわれ、落ち着く先、今風に言えば アイデンティティを見失う。  両者の利害が合 致して結びつくのは、明らかだ。ガラテヤ人が割礼 を受けてしまう。 「あれほどのことを体験した のは、無駄だったのですか」(3:4) パウロの落 胆のほどがわかるが、ガラテヤの人々の気持ちもわかる。
6月6日の説教より 創世記9章18〜28節 「ノアの子孫」   久保田 文貞  わかっていないと言われようと、私はノアの 洪水物語がどうしても好きになれない。悪を滅 ぼすために洪水を起こして、唯一義しい人ノア とその家族、それから地上の生き物を絶やさな いように一番いずつ方舟に非難させて助け出す というのだから。前回にも触れたように、これ はジェノサイド、民族浄化の精神と限りなく近 い。まだ、神々のいい加減な戯れや恣意を暴露 する古い洪水物語神話の方が好感が持てる。 と思っていたら、ここにきて(9章18節以下) 急に雲行きが変わった。 「あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天 幕の中で裸になっていた。」というのだ。飲む とやたら裸になりたがる奴がいるが、ノアもそ の手の酒癖の悪さをもっているらしい。  神ヤハウェがノアにけっこう長々と語りかける。 すると彼は一言も言葉を発せず「すべて神が命 じられたとおりに果たした」(6:22、7:5) つま り、いつもまじめで、口数が少なく、神の 「み心」になに一つ口答えせず実行する…それ が6章から始まった洪水物語のノアのキャラク ターだった。それがここにきて酔っぱらって裸 になって、25節以下ではそれまで沈黙を守って いたのに、声を出すことになる。それも自分の 醜態を見た息子のハムの子カナン(つまり、ノ アの孫に当たる)を「呪われよ、奴隷の奴隷と なり、兄たちに使えよ」という。C,F,Gの 単調な和音の羅列に飽き飽きした誰かが、不協 和音を投げ込んでくれた。その点はありがたく 思う。だが、ノアの踏み外しから始まったこと で、息子ハムの子カナンに八つ当たりするのは いただけない。カナンという名が意味するのは、 イスラエルがパレスチナに侵入していった時の 先住民であり、かつてはイスラエルが彼らの諸 都市に寄留した(寄生したと言った方が正確か も知れない)。やがてイスラエルの勢力が優勢 になると今度はカナン人が被征服民の立場に追 いやられる。25節の「奴隷の奴隷となり、兄た ちに仕えよ」というノアの呪いは、なぜカナン 人は奴隷身分のものが多いかという原因譚に なっている。要は、後で取って付けた理屈とい うことである。もっとも古代の土地争い、支配 権争いに、近代主義的なヒューマニズムをもって 身を挟んでいったところで何にもならないのは よく分かる。けれども、せっかくのノアの失態 の話を、またまた本流たる自民族優位、その枝 葉である他民族の劣位の方向に持っていってし まうでは台無しだ。  人々から立派な人だ、偉いお父さんだと言わ れているけど、実は酒癖が悪くて酔っぱらうと 素っ裸になる親父実態を子はよく知っている ものだ。セムとヤフェトの二人の兄弟は、「着 物を取って自分達の肩に掛け、後ろ向きに歩い て行き、父の裸を覆」い、そうやって「顔を背 けたままで、父の裸を見なかった」という。 これは人の肌を見てはいけないとか、見せては いけないとかいう民族性の違いだとかいうこと 以上に、ではタブーを踏み越えそうなことに どう対処してみせるかという演技の問題だ。 二人の馬鹿げた大仰な行動は、諧謔で道化た 演技なのだ。これを真に受けて、あたかも神 でもあるかのように、ハムとその子カナンを呪い、 セム、ヤフェトを祝福してみせる親父の演技は ずれていると思えてならない。 (くぼた)
5月30日の説教より ルカ11章1〜13節 「主の祈」から何を 久保田文貞  「主の祈」は少なくとも2世紀半ばにはキリスト 教会の礼拝で典礼文のように扱われた。だが、 50年代に諸教会に書簡を書いたパウロがこれ に触れていないことや、70年もしくは60年 に書かれたマルコ福音書にこれが出てこないと ころを見ると、初期の教会では「主の祈」は一 般に知られていなかったようだ。  「主の祈」は、ルカ福音書とマタイ福音書 (6章9節以下)が共通して使用した[Q資料」 にあったものだと考えられている。Q資料を伝承 したグループを「Q教団」と言っておくと、Q資 料のテキストを社会学的に分析するとき、このグ ループは各地を放浪する説教者集団のようなもの だという仮説が立てられている。とすれば、「主 の祈」もこれらの巡回説教者達が各地をまわって 広めたはずだ。それにしてもイエスみずから教え たとされる「祈り」にしては、認められるまでず いぶん時間がかかっている。Q教団自体の初期教 会時代の認知が遅れたということだろう。  ルカ版では、弟子の一人が「主よ、ヨハネが弟 子に教えたように、私たちにも祈りを教えてくだ さい。」とお願いしたことになっている。マルコ 伝ではよくイエスに叱られていた弟子達が、ルカ 伝ではずっとお利口さんになっている。「主の祈」 を伝授されて不思議ではないほどの信頼を受けて いるわけだが、ここはQ資料にすでに存在してい た枠組みと考えたい。  前回見たように、イエスが洗礼者ヨハネのグル ープから引き継いだものは、「神の支配(国)」 「神の審き」がすぐそこに押し迫っているという 臨場感であるが、イエスがヨハネと決定的に違う ことは、ヨハネの場合はまだそれに対する宗教的 な備え・読みが有効だと考えていることに対して、 イエスの場合は「神の国」が、それに対する人間 の準備・期待・読みを超えてやってくるというこ とだ。ヨハネはそれをもっぱら審判として堕落し た社会を断罪する主調音になっていたが、イエス においては、神の国の開始の時間も、開始する場 所も、此岸の人間の予期を超えたものであり、神 の国を求める人々にはただそれをそのまま受け止 めるだけの恵みであった。あちらからやってくる ものに対してまだ来ないと誰が自信を持って言え ようか。いや、信仰的に洗練されており、修行を 積んだものほど、まだだと言いたがる。しかし、 彼らの思わくを超えて、もうそれが起こっている。 「罪人や酒税人」「娼婦」たちの間に。  この脈絡で考えると、「主の祈」は、ヨハネが 弟子に教えた「ヨハネの祈」とそう大きな差がな かったかもしれない。ヨハネも「神の国」の実現 と、それに対応した生の有り様を祈り求めている のだから。ただ、よく言われるように、「天の私 たちのお父さん」という呼びかけは、つまり神へ のこの親近感は、イエスの専売特許である。どう みても洗礼者ヨハネからは出てこない。  神の国としてあちらから迫ってくるものに向かって、 人が多少の賢しらをもって備えようと、それに失 礼があってはならぬと構えようと、ひとたまりも ない。それは近寄りがたく、畏るべきものに囲ま れた方ではない。捨てられた者、死にかかった者、 悪に取り憑かれた者、立て直しができなくなった 者の所へ来ていて、抱え起こし、守られる方である。
5月23日の説教から マルコ2章18-22節 「私らは婚礼の客」   久保田文貞  イエスの弟子たちは、なぜ断食せず、大喰い し大酒を呑んで(ルカ7:33以下)はばからぬのか。 ヨハネの弟子たちは、師の洗礼者ヨハネに真似 てパンも食べすぶどう酒も飲まず、野密やイナ ゴを食べて、到来せんとしている「神の国」に 備えている。パリサイ派ユダヤ人たちも、公式 行事としての断食日だけでなく、日常生活に断 食を取り入れている(週2回月曜と木曜に断食)。 いずれも、当時のユダヤ教社会において、神の 裁きの日が押し迫っていると通念されていたと いう背景でのことである。  他国の支配下に置かれて、ユダヤ教としての 活路が閉ざされていく中で、世界の末期を感じ 取り、遂には時間がはじけて神の直接支配が始 まるはずだと観念する。これがイエスの時代に 至る200年ぐらいの間に醸成されてきたユダヤ教 の終末思想のである。とにかく洗礼者ヨハネは、 神の国が直近に差し迫っているという緊張の中 を正直に生きた。彼にはこれまで積み上げてき た社会の制度や価値を寸借する余地すらない。 野密やイナゴを食べ、毛皮を着た生活とはその ことを意味するだろう。そこへいくと、パリサイ 派の連中は、どんな緊急事態であろうと、冷静 に要るものと要らないものを選り分け、使える 物は持っていくという現実主義者だ。だが、神 の直接支配という緊急事態を前に実績を上げて おくという考え方は、気が利いているようで矛 盾している。神の直接支配=「神の国」とは、 理屈から言って、そこではわれわれ人間の実績 が及ばないことを意味するからだ。「地獄の沙 汰も金次第」という辛辣な諺があるが、それを 文字って言えば、「金」に限らず「神の国」の 沙汰も、「この世」の 功績、身分、価値…次第 だというなら、そんなものは「神の国」でも なんでもない。人間社会の後日譚というだけの話。 今この国で目の色変えて論議している年金社会 とそう変わりないことになるからだ。 ひどく宗教的な言い方しかできないが、神の 直接支配=「神の国」は、人間界の延長上にあ るものではなく、彼岸から人間界に突入してく るものだということになる。洗礼者ヨハネは、 その彼岸性を鋭く感じ取っていたと思われる。 純粋にそのことを宗教的に応えようとしたと 言ってもよいだろう。  だが、ナザレ出身のイエスは全く別の応えを 出す。「花婿がいっしょにいるのに、婚礼の客 は断食できるだろうか。」 つまり、この「今」 とは、婚礼の宴に備えて身を整える問題ではない。 むしろ婚礼はすでに始まっている「今」が、神 の直接支配=神の国に応えるための大切な「今」 である。「神の国」とはその到来の前にいかに 備えるかではなく、すでに始まっていると喜ぶ しかない時と場所であり、宗教者の宗教が何の 役にも立たなくなっている時と場所であり、こ の世界に対しては「おちょくっているのか」と 言われ兼ねない無礼講の時と場所なのだ。  だから、神の直接の支配がもうすぐ始まると、 どんなに宗教心を高揚させ、そのことに純粋に 応えようとしても、結局は、神の国の到来を前 に絶対服従しているという宗教だけが純粋培養 されて残るだけである。このような宗教は、こ の世界の権力関係に流し込まれて良いように弄 ばれるだけだ。 (くぼた)
 5月16日の説教より  詩の起源  大田ほたか  詩というものはどのようにして起こったの か、そんなことを考えてみる。1904年生ま れの、セシル・ルイスという詩人が書いた、 「詩を読むために」 という本を参考にして、私なりの考えも交えな がら話していきたい。  まず最初に、人間というものがどういう生き 物であったかを考えてみる。人間というのは、 「言葉」を持つ生き物であった。まずそこに詩 を作っていくという人間の原点があると思う。 また、人間は「遊ぶ生き物」、生活上不必要な ことをして遊ぶ生き物であるととなえた学者も いる。動物などもじゃれあったりけんかの真似 事をして遊んではいるが、純粋に生活上全く不 必要なことをする生き物はやはり人間であろう。  さて私たちの祖先は、ありとあらゆる自然現 象に囲まれていた。古代の人たちにとってそれは、 脅威でもあり、畏敬の念の対象でもあり、また かわいらしい花や蝶々や小鳥などは愛情の対象 でもあった。そして古代人は、それらあらゆる ものに名前・・・言葉・・というものを与えて いくのである。それによって、自然への恐怖、 自然の驚異といった感情を少しずつ克復してい くのである。広い意味で考えてみれば、もうそ こに詩が始まっているのである。  古代人は、狩りをして動物を捕って食べたり、 畑を耕したり、家を造ったり、器を造ったり、 いろいろな仕事をしていた。また、他の部族や 民族と戦争をしながら生きていた。その際、戦 争の勝利、豊作などを願って、祈りをとなえな がら、魔術、魔法のような儀式を行っていたの である。セシル、ルイスによれば、それがあら ゆる芸術の起源であったという。  そして人間というのは、遊ぶ生き物であるが、 遊びの中で「言葉遊び」、例えばしりとりなど をして、言葉で遊ぶというようなこともしてくる。 その遊び心というのも詩にとって一種の原動力 ともなっていたのである。  では、詩人というのは、どのようにして出来 上がってきたのか、という点に話を移すと、や はり古代の人々のしなければならなかったいく つもの仕事、狩り、耕作、家づくり、器作り、 しかし、そういった現実的な仕事をこなすのに は難しい、今でいうと精神障害者、身体障害者 などの人たちが、魔術や芸術を生み出してきた とルイスは言っている。戦争や狩り、農耕、な どのために祈る言葉はしだいに進化し、魔術な どから独立した調子のいいリズムを持った言葉 の羅列へと進化していく。もうすでにそれが詩 である。日本で言えば短歌とか俳句のたぐいで あるが、どんな意味のない文章でも、どんな ナンセンスであっても、いったん七五調のリズム に乗せてしまうと、何かいいことを聞いたような、 うたを聴いたような、魔法にかけられたような 気分になってしまう。しかし、詩には弱点がある。 それは、言葉の壁をなかなか超えられないとい うことである。例えば日本の詩人の書いた 「ふらんす」という言葉は、英語の「France」 とは全く違う意味合いを持って来る。しかしそ れは詩の持つ魅力でもある。
5月9日の説教より エレミヤ書26章1-6節   「語る場所」 久保田 文貞  一連の「神殿批判」は、エレミヤの予言活動 の第3期として、あの申命記的改革を推し進め たヨシヤ王が自己の力を過信して、エジプト 第26王朝の王ネコと戦いを交えて戦死してしまった (609年)後の時代の予言とされている。  南王国ユダは、この敗戦でエジプトの軍門に 下り、ヨシヤ王がアッシリア帝国のパレスチナ、 シリア一帯に対する支配力の低下にともなって 北部に広げた領地を失い、再び大国に隷属する 小都市国家になってしまった。王はネコの思い のままにエホアハズ、エホヤキムと首をすげ替 えられた。さらに、そのエジプトがカルケミシュ の戦いで新バビロニアのネブカドネツァルに敗 れる(605年)と、南王国は手のひらを返すように 新バビロニアに朝貢、さらに新バビロニアがぐら ついたという情報を得ると、再び反旗を翻す。 宗教の面から言えば、大国への隷属は、当然そ の宗教の移入を意味する。ナショナリスティック な預言者たちや後の歴史家たちは、判で押した ようにこれを論難するわけだ。  そのような中でエレミヤは神殿を批判した。 同時期の神殿批判は7章1〜8章3節にもある。 26章と共通することは、まず第一に預言を語る 場所である。「主の神殿の門」で語るように神 は命じた。それは、内部にもぐりこんで獅子身 中の虫になるということとは違う。「門」はあ くまで外部と内部の境界に位置する。当然のこ とだろうが、エレミヤは神殿の内部に神がまし ますという前提を捨てている。基本的には、 人間の敷いたレールに従って神が動くというの でもなければ、人間が指定した場所に納められ るというのでもない。神は内部でもなく、外部 でもなく、その境界で発言する。それが預言者 の発言のスタンスを決定している。  もうひとつのことは悪の道を捨て、正義を行 えば、「この地、この所にとこしえからとこし えまで住まわせる」が、そうでないならば 「シロにしたようにする」ということ。  古き聖所シロは、北王国イスラエルの国家神 殿とされた所だ。721年北王国がアッシリアに よって滅ぼされてしまった時、当然のことなが らシロも破壊された。エレミヤが、エルサレム 神殿に向かって「シロのようになる」と預言す ることは、エルサレム神殿が破滅することを宣 言したことに他ならない。風前の灯火のようで あれ、大国の間にあって、北王国のようにでなく、 まがいなりにもこうして生き残ってこられたのは、 エルサレムに主の神殿があるからだと南王国の 人々は信じた。エレミヤはその神殿が破壊され るというわけである。エルサレム不滅信仰に 頼ってきた人々にとって、神の神殿が崩壊する と神の名で語ることは、神への冒涜であると 映ったはずだ。エレミヤは告発され、裁判にか けられる(26章7節以下)。死刑判決が下され ようかという時に、一部の「長老」たちから反 対意見が出る。100年前の預言者ミカの例が出 され、預言者を裁くことに慎重であるべきだと いうものだ。その意見が通ったらしい。こうい う記事があると、学者は想像を逞しくする。 ヨシヤ王時代に改革に燃えた年代の人々が、 残っていて、あの改革の精神がエレミヤ処刑の 動きにブレ−キをかけたのだろうと。そうかも しれない。とにかくエレミヤ生き残るが、彼 を取り巻く情勢はよくならない。(久保田)
5月2日の説教より マルコ1章35〜39節 「主は出て行く」 久保田 文貞  イエスはナザレ村を出た。それまでの日常の 生活を離れて、荒野とヨルダン河畔で活動して いた洗礼者ヨハネの運動に近づいた。荒野とは、 人間社会を隔絶したいという念に駆られた人々が、 人間社会と適度の距離を持って隔絶した雰囲気 を味わえるところ。つまりきわめて理念的な領 域なのだ。ヨルダン河畔とは、現実の人間社会 と理念的な「荒野」の接点と言ってよい。洗礼 者ヨハネは「荒野」を宗教生活の場としながらも、 現実の社会との接触を積極的に図った、そうい う宗教家だ。「罪の赦しを得させるために悔い 改めの洗礼を宣べ伝えた」(マルコ1-4)。洗礼 者は荒野の理念をそのまま、腐敗した(純粋な 理念に照らせばどんな社会も腐敗して見えると いう一般原則を差し引いたにしても)現実の社 会に住む人間たちにぶつける。そのひとつの帰 結がヨルダン河畔の洗礼運動というわけだ。  洗礼者ヨハネが逮捕された後、イエスはガリ ラヤに行った。「ガリラヤに行った」とは、あ るじを失った「荒野」のグループを後にして、 現実の人間社会の中に入っていくことを意味する。 福音書記者は、そのイエスの言動の基本を次の ように要約して報告している。 「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて 福音を信ぜよ。」(マルコ1-16)  それを理念と言わずとも、彼が何らかの信念 を持って、「ガリラヤに行った」ということで ある。ガリラヤは彼の出身地ナザレを含む広範 な地方なのだが、彼は自分の出身地に戻ったわ けではない。そこはまだ何ほどか、村共同体の 地縁性が残るところ。イエスが拠点としたのは ガリラヤ湖畔カペナウムという地方都市だ。イエス の生きた時代、1世紀ローマ支配下に入ったパ レスチナ一帯は、貨幣経済が押し寄せ、農産物 の商品化がすすみ、価格の高下落をまともに受 けた多数の自営農民が破産することによって、 家(オイコス)経済が破綻していく。ルンペン 化した人々が日雇い労働を求めて都市部に集まって くる。このような人々が、ユダヤ教の厳格な戒 律に応えようもないことは誰の目にも明らかだ。 「罪人」「病人」「とは、社会構造上の階級概 念だと言ってもよい。  イエスが、向かい合ったガリラヤとはそのよ うな場所のことである。彼は、そのような場所 を選んで、そのただ中に入っていくという意味で、 依然として理念的であるわけだが、「神の国」 「福音」といった理念をもったいぶらずに、そ こに全部ぶちまけてしまう。理念は理念たるこ との意味を失うほどに。  神の国、福音を宣べ伝えるとは、どうしても 神のこの歴史・世界の救済の計画について識った 者が、この歴史・世界に優位して「教え」 「導く」というモードに入っていく。イエスも そこから自由であったとは言えない。けれども、 イエスはあそこで充電してきた理念を惜しげも なく、「汚れた霊に取り憑かれた者」(1-23)熱 を出して寝ていた「シモンのしゅうとめ」、 「病人や悪霊に取り憑かれた者皆」(1-32) 「らい病(ママ)を患っている人」 (1-40)彼・彼女ら一人一人に注ぎ尽くしてしまう。  早朝「人里離れた所」で「祈った」(1-35) という宗教行為を通じて、熱い思いになった 「理念」を注ぎ尽くすために彼は「出てきた」 (1-38)のである。その理念は回収されてはならない。