説教ノート 2004年1月から4月分
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4月25日の説教から 創世記6章 「ノアの洪水」 久保田 文貞 洪水神話は、古代中近東に広く分布していた。 それらのひとつ古代バビロニアの神話では、神々 のむら気な会議の結果、世界に大洪水を引き起 こすというもの。神エアエンキは目をかけてい たウトナピシュテムを洪水の危機から救い出す ために、方舟を建造させる。7日間の大雨が終 わり、方舟から鳩とツバメを放つが初めは戻って くる。やがて鳩とツバメが戻ってこなくなって 水が引いたと分かったという話。つまり悪に染 まった人間を一掃するとか、義人が救われると か、倫理的なものがない。というよりは、世界 の命運を握っている神々の無責任さ嘆きながら も、それを冷笑しさえする民衆が、人間くさい 神々をすぐ近くに感じていることを思わせる。 創世記が1章から11章までの原初物語に、ど のような伝承を、どの時点でイスラエルの歴史 理解の中に収録したのか、厳密には分からない が、天地創造、神に対抗する人間、兄弟殺し、 人間全般の堕落、そして洪水物語につながる全 体の流れから見ると、自ずと指さす方向が見え てくる。それは、未分化な状態でイスラエル諸 部族に入り込んでいた伝説や神話群を、次のよ うな観点から整理する。つまり、神は人間の逸 脱、堕落、反逆に対して容赦なく裁く方である こと、同時にそのような人間をぎりぎりのとこ ろで赦し、祝福する方であること。そしてこの 整理された物語がイスラエルの歴史が始まる前 に置かれた。 特に洪水物語によって、神話・伝説がいかに イスラエル化されたか、確かめられる。神話の 中にあった神のむら気、無責任さが、抹消され る。神は筋の通った、倫理的にまっすぐな方、 責任を持って人間を裁く主体になる。そのよう な神に恭順で、正しい人間が救われる。ベタベ タと取って付けたような人間主体の多様体など は、愚かな人間として物語の素材にはなっても 評価されることはない。 洪水物語は、あらゆる迂回路を閉ざすほどに 明解だ。選ばれた義人の家族と生き物以外は、 世界から悪を浄化してしまう。cleanseクレンズ という、あのおぞましい英語単語が浮かんでく る。もとは「傷口を洗浄する」ほどの意味だった が、「浄化・浄罪する」という宗教的な意味が 付加され、それが他ならぬついこの前の世紀に 「民族浄化」という語として使われ、実行された。 そこにはどんな手段を執ろうと、民族の敵・裏 切り者(「反国家分子」)・反対行動をする者 を抹消し殲滅してよいのだという思想がある。 現在の世界は、圧倒的な力で殲滅される側の抵 抗をテロリズムというレッテルを貼って、支配 する側がまさにクレンジングしようとしている。 私にはこのことと、洪水神話がどうしても重なって しまう。 イエスの福音が想い出される。イエ スは、ユダヤ教支配者たちによって貼られてい たレッテル、つまり裁きの日に有罪として裁か れ抹消される人間だというレッテルを無効にする。 そればかりか、そのように抹消予定のレッテル を貼られていたものが、「神の国」の住民にな ると宣言する。そのことを実際に生き通すとい うことで彼は妥協しない。それがどんなに地道 で、目立たなかろうと、こんな生き方は、支配 者の許容範囲を超える。支配者たちの算段では、 彼は目立たぬように、無視されたまま、抹消さ れる予定だった。 しかし、思いもかけぬ〈神〉が、彼を忘れな い民が、彼は生きていると、連帯して宣言する。
4月18日説教より マタイ福音書28章1〜10節 「復活宣言」 久保田 文貞 今回はイエス復活物語一般について述べます。 イエスは確かに尋常でない決意をして、ガリ ラヤを後にしてエルサレムに向かったと思われます。 マルコ8章31節によれば「人の子は必ず多くの苦し みを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥 されて殺され、三日の後に復活することになって いる、と弟子たちに教え始められた。」と記され ています。この短い予告の断片が、復活信仰に立 つ初代教会の強い影響を受けていることは間違い ないと思います。けれども、イエスが弟子たちに、 これからエルサレムに向かって行くと打ち明けた 時、そこにイエスの並々ならぬ決意があったとい う目撃者の声を無視することができません。 イエスが、1,2年という短い期間ですが、ガリ ラヤ地方で活動した基本的なスタンスは、何かと いうと、次のようなものでした。ユダヤ人社会を 支配している人々とその末端で活動している人々 (パリサイ派ユダヤ人)から〈罪人〉として埒外 に置かれた人々にこそ、神の恵みが与えられる =〈神の国〉が実現しつつある、自分の周りでそ のようなことが起こり始めていることを知らせる ことでした。 勘の良い支配者たちは、このような活動がユダ ヤ教社会の構造を下方から崩壊させていくと感づ くだろうと思います。たいていは表向き無視する、 しかし現実には裏でこっそり首謀者を実効的に抹 殺するというのが歴史の倣いです。 逆に、そのような活動をするものの倣いとして イエスも自分が何から敵視され、抹殺されようと しているか肌で分かっていたと思います。エルサ レムに上るということは、そのような敵意のただ 中に入っていくことを意味しました。 この人間の構図とは何か。支配者にのし上がった ものたちが、自分たちと、自分たちの支配に恭順 な者たちの権益を守り、これに〈普通の人々〉が 不平を言わず堪えること、そしてこれに堪えられ ない人々にペナルティを課し、見せしめとして社 会の保護外に置くこと。そのような社会が現れる ということです。ユダヤ教社会の場合これが強力 な宗教という背骨を持っているから、その社会か ら排除されることがその人にとっては死以上の重 みを持つことになります。共同体の中で共同体の 名誉の死を死ぬことは喜びとされます。(もちろ ん、そのことも大きな問題ですが) しかし、た とえ命を奪われずとも共同体から排除され、その 保護、尊厳を奪われることは、共同体の死以上の 死への告発となるでしょう。 イエスは、エルサレムに入って、そのような死 への告発を受けました。これは、その社会から排 除された人々(神の国はそのような人々のただ中 にあると宣言されたあの人々のことです)の〈代表〉 〈代理〉〈表現〉〈表象〉となりました。 支配する社会は、基本的にいつも何かを抹殺し、 埒外に置き、例外装置をもたずには、支配しきれ ないのです。人が人を支配するという在り方は、 必然的にそういう陰部をもつのです。イエスはそ のど真ん中にたたき込まれたのです。 でも、それまで黙り続けて、人に引き回される ままにしていた〈神〉は、何を思ったか そのイエスを死人から挙げたと、宣言した、 これが復活物語です。
4月11日説教より マルコ福音書16章1−8節 「生きる力さまざま」 飯田義也 クリスマスが冬至と関係が深く、太陽の祝祭 だとすれば、イースターは、春分後初めての満 月に続く日曜日に行われ、月の祝祭と言えるか もしれません。 キリストの「復活」は、たいへん「解釈」の むずかしいことがらです。解釈などせずに、た だ信じなさいという立場もあろうかと思いますが、 私は過去、とにかく解釈し、その時々の一つの 理解法を示してきました。確かに、ある言葉に ついて、解釈がいろいろだと困ることもありま すが、最近逆に、解釈の幅が多くの人を救うと いうなら、それもいいかなとも思うのです。ひ とたび死んだ人が生き返った事件、と考えるも よし、キリストは、教会という体に生きている などと考えるのもよし、・・です。 過去、現在より女性が抑圧されていたという ことは事実ですが、だからといって嘆き悲しん で生きていたわけでもなかろうと思います。今 日の記事で、何の前提もなく3名の女性の名が でてくるのは、原初教会で活躍し、有名だった からだと推測されます。ともあれこの3人、 イエスの墓へ駆けつけんばかりに急ぎました。 「石は既にわきへ転がしてあった」との聖書 の記述では、象徴的に、死と生を隔てるものが 取り去られ、死と生とが連携するものとなった ことが示されます。リアリティがあるなと思う のは、彼女らにとってそれが恐怖の体験であった という記述です。理解を超えた事象に出会うと、 受け入れるには時間が必要です。 この記事が示すように「キリストの復活」 には、直接の証言者がほとんどいません。その 時代の人々といえども、言葉として 「復活」に出会った人が大半でした。それでも、 特に、社会の「底辺」(さらに阻害された「底点」 と表現する人も・・)に置かれた人々(地の民) にとっては、そのまま、何の解釈の必要もなく、 生きる力の湧く言葉でした。 悲しいかな、キリストの復活の前も後も、神 の言葉に従って生きようとした人々は、殺され続 けの状態です。神は見殺しにされるのでしょうか。 見殺しにされるのだとしか、・・。いえ、だから 復活なのです。「いつか見ていろ!」です。 英語圏では精神障害や精神疾患を月に関連づけ る言葉がありますが、自分を「太陽」だと考える 人々から「月」の存在とされる人々が、いつまで も「日陰者」のままではありえない・・復活には そんなメッセージが込められていると思うのです。 さまざまな人々の生きる力がさまざまに湧き、そ の人らしく生きられるように・・。教会には、 今でも明確に、神から託された使命があります
4月4日説教より マルコ15章33-34節 「イエスの死」 総督も、ユダヤ人群衆も、ローマの兵卒たち も、イエスを十字架刑に追いやった。事態は坂 道を転げるように加速してイエスを死に追いやる。 しかし、彼らの殺意・動機はいずれも希薄である。 イエスの周りに、露骨な悪意、人を刺し殺すよ うな嘲笑、冷ややかな無礼、人を見殺しにする ような無視、ただ命令に従って悪意さえかみ殺 して実行する腕力、そういったものが確かにう ず巻いている。だが、最終責任が見えてこない。 どの福音書もあくまで淡々と事態のいきさつを 描く。 人が他者を殺す場合の動機は、厳格に見てい くと、案外不明確なものだ。親鸞は「歎異抄」 で人は、業縁=機縁というものがなければ、人 を殺そうと思っても殺せない、逆にそれが殺す まいと思っても殺してしまう、つまり「契機」 という不可避の一本道しかないというようなこ とを言っている。 ギリシャ神話のオイディプス王の悲劇、彼は テーバイの王子で、父王ライオスの若き日の過 ちの故に、運命に絡み取られて、実父を殺し、 実母と結婚してしまうというタブーを犯してし まう。オイディプスはこのタブーを破るまいと あがけばあがくほど、この悲劇に引きずり込ま れていく。ギリシャ悲劇の基調音は、人はこの 運命の力にどんなに逆らおうとしても逆らえな いという点にある。 しかし、運命に逆らえないということは、人 間の主体性、責任能力を危うくすることだ。こ れは、近代ヨーロッパを発祥とする考え方と正 面から対立する。近代的人間は、「運命などと いう非科学的なものに縛られてはならぬ。自分 の力で逆に運命を従えさせよ」というわけだ。 だが、この自信満々な近代人に対して、結果的 に警鐘を鳴らすことになったひとりが、フロイ トだ。たとえば彼は、前のオイディプスの神話 を人間の心の分析に応用した。近代人の自我は、 オイディプスのように自分では気づかぬもろも ろの契機によって決定されているのであって、 自由な主体的な決断というものは実はほとんど ありえない。人間の人格は過去の新生児以来の 経験が地層のように積み重なって編み上げられ ているにすぎないというわけである。 これは近代人が当然のように考えていた責任 主体性を脱構築する。それは、誤解を恐れず言 えば、近代の民主主義国家体制の基礎とも言う べき人民の基本的人権自体に、ただ闇雲に依拠 していられないということを意味する。 キリスト教信仰はある意味で、近代的主体主 義と親和関係にあった。信仰者は、あの絶対的 な主体性をもった神に、向き合えるだけの主体 性をもつ。神は、信仰者の罪のために子イエス を十字架にかけ死なせた。そのようにして悔悛 する主体を立ち上げる。また神はイエスを死か らあげて、そのようにして罪から開放された信 仰者の主体をも掻き上げる。こうしてキリスト 教は、近代がさしのべる手の中に身を投げ出し ていくことができた。 けれども、ほんとうにそういうことなのか。 イエスの死によって照らし出されるのは、むし ろ人間の責任主体のちぐはぐさ、的はずれさで はないか。責任の根拠、その責任のそのまた根 拠・・・は、とえぐっていく内面の深さ、真摯さ、 それに伴うおしゃべり、説明、解釈、それらを 十字架の沈黙の前に葬ったのではないか。 (久保田文貞)
3月28日の説教から マルコ8章31−34節 「何を背負うか」 マルコ8:31-33の受難予告から推して、何ら かの形でイエスは自分が殺されると周辺の人に 漏らしていたと思われる。もちろんここには、 後にイエスの処刑について教会が受けた情報を もとに整えられた形跡があるから、実際にイエ スがどの程度の予感をもっていたか分からない。 この予告に対してペテロがイエスを諫めた。彼 の反対意見は何だろう。〈数日前、あなたはベッ サイダで盲人を癒し視力を回復してやり、家に 帰してやった。その前には数千人の腹を空かし た人々を満腹させた。チュロスでは重病の子を 死から救い出し、デカポリスでは、耳の聞こえ ない男を聞こえ話をできるようにしてやった。 あの物語はなんだったのか。あなたの癒しを待 つ人々はまだたくさんいる。あなたはそれを途 中で放り出すというのか。狡猾で邪悪な支配者 たちに負けを覚悟でエルサレムに殴り込み、自 分の命を晒して敗北していく美学、物語の完結 を求めようというのか。そうやって、現実に苦 しんでいく人達、差別を受けて生活がずたずた に切り裂かれてしまっている人達をここで見捨 ててしまうのか。あなたの意気を受け止め、あ なたの優しさに感動して、生活をなげうってあ なたに従ってきた男や女たちが信用できないの か。〉こういうボヤキ風の想像力もどきは、ク リスチャンや牧師たちの心の底にうずたかく積 もっているものだ。 イエスはペテロに〈サタンよ、私の後ろに失 せろ〉(以下佐藤研訳)と感情を露わにして叱っ た。「振り向き、弟子たちを見ながら」と言う のだから、ここでは弟子たちの思いがみなペテ ロと同じだと見抜かれているというのだろう。 「お前は神のことがらを思わず、人間のことが らを思っている」 神のことと人間のことの間 に決定的な裂け目があって、妥協点がないと言 わんばかりである。たしかにわたしたちは、人 が誰かを選択しその人の側に立つという在りよ うは、誰もがより満足できるような行動方針の 妥協点を探すという在りようと水と油のように 違うという経験をする。そこには、どちらがよ り効果的かとか、どちらが最大の幸福値を産み 出すかとか、そういう計算を成り立たせないよ うなものがあるものだ。イエスが、そこで人々 に求めていたことは、どんな不利な状況が待っ ていようとも、ある人々の側に立とうとする者、 あるいは命の大切さをほんとうに守ろうと思う 者は、どうしてもある種の力と向き合い、対決 しなければならないということではないか。少 なくとも、福音書記者マルコが、この断片に込 められた意味をこのように受け止めていたと思う。 「もし人が私の後ろから従ってきたいと望む ならば、自分自身を否み、自分の十字架を担っ て私に従って来るがよい」 この十字架の受け止め方は、パウロがよく伝 えている「キリストは私たちの罪のために死な れた」(�コリント15:3)というような捉え方 とまったく向きが違う。キリストが十字架にか かって死んだのは、私たちの罪のため、さらに は私たちのため、という定型句が、イエス復活 信仰→キリスト・神の子・救い主とセットとなっ て、〈自分の十字架を担う〉という決断への促 しが背後に退き、ぼやけてしまうというのだ。
3月21日の説教から マルコ福音書14章53〜65節 「イエスは黙り続けた」 久保田文貞 大祭司、祭司長、長老、法学者、議員などエ ルサレム界隈を仕切っているユダヤ教支配層た ちは、イエスのガリラヤでの言動と、ことにエ ルサレムに上ってきてからの行動に脅威を覚え たのでしょう。自分たちがローマ侵略軍との間で、 時に譲歩し、時にきわどく我を通して築いてきた、 この現実的な〈秩序〉を、たかがガリラヤの田 舎から出てきた預言者気取りの男にかき回され てなるものか、この彼らの自負、矜恃を一応理 解できないでもありません。しかし、、ユダヤ 教の秩序を底からゆるがすイエスとその運動へ の憎悪は、もう誰に求められない、イエスを絶 滅させるために、次から次へとカードがきられ ていく。大祭司の公邸の中庭での裁判は、それ が公式の手続きを踏んだかどうかなどお構いな しに、ただイエスへの殺意を強化するためだけ の儀式にしかなりませんでした。イエスを極刑 に結びつけるような証言を一致させようと躍起 になるもなかなか証言が一致しない。それがま た彼らの憎悪をかき立てる。大祭司は「何も答 えないのか、この者たちがお前に不利な証言を しているが、どうなのか。」と言ってもイエス は答えない。それがまた彼らを苛立たせるのです。 「ドッグヴィル」という映画を見ました。 前に「ダンサー・イン・ザ・ダーク」という問 題作を撮ったラルス・フォン・トリアー監督の 作品です。彼は、アメリカに行ったことがない 北欧の人です。それでもアメリカを描く。アメ リカの醜さを遠慮会釈なく突き出すのです。 ロッキー山脈の麓、人口たったの二三人の取 り残されたような一見平和な村、銃声、そこに 田舎には見たこともないような美しい女性グレ ースが追われて来る。村のジャーナリストで、 日曜には集会所で説教をする村で唯一のインテ リの青年トムが彼女を廃坑にかくまってやる。 追っ手が遠ざかってから、集会所で会議。トム は村の連中にグレースをかくまってやろうと提 案、グレースは村の人々に労働奉仕することを 約束し、人々から受け入れられる。グレースは 村の人々のためにこまめに働き信頼を獲得する が、警察が来て彼女の手配書を貼っていく。さ らに独立記念日の祝いの日、警察は彼女が強盗 の片割れかのような手配書を貼っていく。村の 人々は動揺し、再び集会所で会議、トムはギャ ングの圧力だと言い、彼女をかくまおうと言う。 これまでの二倍彼女を働かすということで、村 は彼女をかくまい続けることにするが、村人の グレースに対する態度が一変する。彼女は村人 の奴隷だ。男たちの性のはけ口にされ、逃がし てやるとだまされ金を取られ、乱暴を受けたあ げくまた村に連れ戻される。ついに首枷をかけ られ女たちから酷使され、男たちに弄ばれるグ レース、インテリのトムまでも彼女に関係を迫 るが、真実の愛を彼に求めるグレースは彼を拒 む。この映画のセットは、むき出しのフロアに 間取りが白線で書かれているだけ、すべての住 民とその欲望がむき出しになっている。 アメリカ(ドッグヴィル)は彼女の骨の髄ま でしゃぶり尽くし、しかし、グレースは何も言 わず、なされるがままに従うのです。ついにア メリカの良心(トム)が耐えきれず(?)彼女 をギャングに密告する。最後の日、実はグレー スこそボスのひとり娘であることが分かって、 ボスからすべての権限を譲り受けたグレースは、 子分たちに村人を射殺させてしまいます。 イエスの裁判のことを考えていた時にたまた ま見たので、どうしてもそれとダブって考えざ るをえませんでした。どんどん内に閉じこもっ ていく社会がそれと同時に内なる外部を追いつ めていく無惨、少なくともアメリカは現在、映 画以上にこれを地球サイズで繰り広げています。 「テロリスト」なる手配書をそこら中に貼り、 それと指定してはなぶり殺しにする悲惨、 そのままで終わらないと思います。
3月14日の説教より エレミヤ6章13〜15節 「平和がないのに『平和』という」 久保田 文貞 多少前回の繰り返しになりますが、エレミヤ の預言の背景を述べておきます。紀元前七世紀 後半アッシリア帝国は、北からの騎馬民族によ る外患、帝国各地で内乱が勃発して弱体化し、 辺境地域の支配力も落ちていました。そんな中、 南王国ユダはかた時の春を謳歌します。ヨシヤ 王治世一八年に神殿から「律法の書」が発見さ れ、王も民もその書に従って悔悛、つまりイス ラエルの原点に立ち戻り、異教にまみれた宗教 を浄化し、特に地方神殿を廃止し異教の祭司を 粛清するという「宗教改革」を断行したのです (列王記下二二・二三章)。 この「律法の書」が書かれたのは七世紀前半 マナセ王の時代、アッシリア帝国に忠実な属国 に成り下がり、ということはこの時代の必然と して支配者とその同盟国群の宗教・文化をずぶ ずぶに受け入れざるを得なかった(もっとも現 代も同じ事が起きていますが)。中央のこの傾 向に対して一部の地方の下級祭司≒レビ人と彼 らの支持者や教え子たちの間に王国時代以前か ら続く古き良きイスラエルの伝統が残っていた ということです。基本的にこのような層からア モスやホセア、ミカなどの古代イスラエルの予 言者たちが出てきました。「律法の書」もそれ と同じ根から発していると考えます。お察しの 通り、アナトトの下級祭司出身のエレミヤも、 まさにその層から出ています。若きエレミヤは 当然のこと、ヨシヤ王の宗教改革に熱い期待を 寄せました(十一章二〜五節)。 しかし、ヨシヤ王ら支配層の関心は、イスラ エルの信仰の原点に戻ることでなく、ダビデ・ ソロモン時代の版図を回復しようという大イス ラエル主義を達成することにありました。もち ろんそんなことは不可能でした。人的パワーも なく蓄積もなく情勢もそれを許しませんでした。 弱体したアッシリアの残党を援助するふりして エジプト第二六王朝の王ネコ世はアッシリアが 持っていたシリア・パレスチナ地域の宗主権を 奪おうと進軍してきました。この進軍の目的は、 同じくその地域の支配権を取ろうとした新バビ ロニアと戦うためでした。ところが熱くなって いるヨシヤ王は、このエジプトの大軍に 正面から戦いを挑み、戦死してしまいました。 エレミヤは、ヨシヤ王の宗教改革運動が大イ スラエル主義の方にずれ、ついには初期の信仰 復興運動を忘れて軍事的な単なる民族主義に堕 していったことで痛く失望したようです。彼は 宗教改革の片棒を担いで故郷の地方神殿支配・ 支持層から恨まれ、北から災い(アッシリアを 追いつめた騎馬民族)がやがてエルサレムを包 囲するという預言がはずれ、完全に孤立します。 誰に向かって語り、警告すれば 聞き入れるのだろうか。 … 見よ、主の言葉が彼らに臨んでも それを侮り、受け入れようとしない。 主の怒りでわたしは満たされ それに耐えることに疲れ果てた。(六・十) 孤立した預言者の、預言という様式を逸脱し た生の人間エレミヤの声です。「耐えることに 疲れ果てた」と、身体の底から発生してくる言 葉を書き残し、その言葉を後の人々が省略せず に伝え残すことに、私は感動します。預言者と それを生み出した層に生きた人々は、現実のイ スラエルのまずまちがいなく少数派であり、例 外者でなのです。一面、彼らはヤハウェ信仰の 原則主義者と言えます。その限りで、孤立する 運命にあると言えます。なぜなら、原則だけで 人は生きられないから、それを押し通せば孤立 します。ただし、預言者は、ちょっとずるいで すけれど、ここで「本物の預言者は」とします が、他の民の宗教(神)や文化をただ否定した り、それと共存し交渉することを非難するので はない、むしろ彼らとの共存の中でこその、自 分たちの神ヤハウェへの信頼を説くわけです。 その限りでの孤立者であり、例外者、原則主義 者なのです。彼らは、孤立や例外を恐れて〈も の申す〉ことを自粛したり、連帯すべき人々と 連帯することを回避したりすることができない のです。
3月7日の説教より 第一コリント3章10〜17節 「教会は恵み」 久保田 文貞 九節に「あなたがたは神の畑、神の建物なの です」という言葉があって、一〇節「わたしは、 神からいただいた恵みによって、熟練した建築 家のように土台を据えました。そして他の人々 がその上に家を建てています。」と続く。 教会を建物として比喩的に語るということは、 わたしたちにはとても分かりやすい。なぜなら、 〈教会〉という語で私たちがイメジするのは、 何といってもまず教会風建築物だからだ。それ が一七節のように「神の神殿は聖なるものだか らです。あなたがたはその神殿なのです」とい うような言葉が続いているだけに、比喩を飛び 越えて、実体的に教会の建物は神殿なのだと踏 み込みかねない。さすがにパウロはそこまで 言ってはいないだろうとは思う。けれども、そ れがまんざら誤解でもないような解釈への道を 彼自身がつけていることは認めてもらわなくて はなるまい。 パウロの味方をして言えば、彼は、少なくと も私たち現代の日本のクリスチャンがイメジし ている〈教会〉という感覚の語をボキャブラ リーとして持っていない。彼がエクレシアとい う語でイメジするものは、〈終わりの日〉を控 えて、キリストにおいて神の恵みに与ることに なった人々の群れ=〈呼び集められた者たち〉 のことだ。コリント教会(一応これまで通りそ う呼んでおく)は、パウロがこの手紙を書いて いる四,五年前にそこに一年半滞在して〈伝道〉 活動して形成された集団であり、手紙の内容か ら見てもけっこうな人数が出入りしている。し かし、それでもこの「教会」は固有の建物を 持っていない。まだ建物を所有することに関心 を持っていない。つまり、そこには、わたした ちが当然のように持ってしまっている「教会建 築物」に引きずれるようなイメジがないと言って よいだろう。彼らは、差し迫っている「終わり の日」という終末論的な意識を共有している以 上、この地上に「神の恵み」を固定し、神の聖 性の拠点を作ろうとは考えないのだ。 ここで比喩された「神の建物」「神殿」は、 かつてこの地上に構築物として実体を持ってい たものではないからこそ、比喩なのである。 「おのおのの仕事は明るみに出されます。 かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕 事がどんなものであるかを吟味するからです。」 つまり、「神からいただいた恵みによって」 土台が据えられ、その上に建てられる建物は、 火に晒され、「聖なるもの」「神の霊が内に住 んでいる」ものとして、「神の神殿」だと、比 喩として語られるのみなのだ。 問題は、これ を比喩として受け止めず、教会はこの地上に あって、実体ある有益な物として、この地上に 長く存続する物として、宗教的な聖なるモノが 宿る所として地番をもつべきだという考えに流 れていくことだ。 「わたしは、神からいただ いた恵みによって、熟練した建築家のように土 台を据えました。」この「神からいただいた恵 みによって」というのは、ただの常套的な修辞 句ではなく、「神によってあなたがたはキリス ト・イエスに結ばれ、このキリストは、私たち にとって神の知恵となり、義と聖と購いとなら れた」(一章三〇節)と書いているときの「神 のよって」と同義だろう。パウロが据えた土台 は、神の恵みのよると言うべきだが、同時に、 神の恵みがその土台となっていると言っても大 差ないだろう。つまり、土台はパウロが「あな た方の間で、イエス・キリスト、それも十字架 につけられたキリスト以外、何も知るまいと心 に決めていた」(二章二節)と書いたときの 「十字架につけられたキリスト」のことだと 言ってよいだろう。 この土台は、この世界に おいて、抹殺されること、無視されること、最 悪の不名誉となることを、生きるということに ほかならない。神の神殿、神の建物という比喩 は、いずれにせよ、十字架という最悪の土台の 上に構築とも呼べないような、「建てる」とい う語にもおよそ相応しくないような、〈建物を 建てる〉ということを示唆するだけだ。 (久保田)
2月29日の説教から 創世記5章1〜32節 「アダムの系譜」 久保田文貞 この箇所は、世界と人間の創造の出来事を、 人間の歴史の時間の中に組み込もうとする。 世界の始まりを誰が見て、報告できるのか、 という素朴であるが、根本的な問いなどどこ吹 く風とでもいうように、アダムの子孫10代 あげて、その年数を数えていく。 それぞれの息子の誕生年が書かれ、それから 後、何年生きたか、何歳まで生きたかが書かれ ている。アダムの場合で130歳の時、シェト をもうけ、それから800年生きて、930歳 まで生きた。という。アダムの誕生年を第1年 とすると、エノシュは235年に、ケナンは3 25年に、生まれたことになり、途中省略、レ メクは874年、ノアは1056年に生まれた ことになる。ノアが600歳の時、洪水が起こった (七章六節)というから、これでいくと洪水は、 人間アダム創造から1656年目に起こった勘 定になるという。さらにこの年齢表からいくと、 アダムは9代下のレメクの誕生も知っていたこ とになる。 この年譜をまとめた祭司資料編集者のやろう としていることは何だろう。〈創造〉と〈洪水〉 を時間的に繋げることだが、この年譜の中に隠 れている意味をいくつか読み解きたい。 � この馬鹿げて誇張された年齢は、オリエン トの洪水前の10代の王の年譜と比較すると、 実はずいぶん割り引かれている。洪水伝説はオ リエントの神話に由来するが、それだけでなく このアダムの系譜は、創造から洪水までを10 人の王が治めたという「シュメール王名表」と も関係がある。この王名表は「天から下った王 権」の正当性を根拠づけるためのものだが、そ れぞれの統治期間は1万8千年から、2代目ア ラルガル王や8代目エンメンドゥランナ王など は7万2千年になる。これらの王は統治する都 市が違うから単純に足し算するわけにはいかな いが、アダムの系譜と桁が違う。アダムの系譜 がいかに抑え気味にしたか分かる。 � 決定的な違いは、アダムの系譜で書かれて いる人物は、どれもただの人であること。10 代にわたる人物はみな、子をもうけて、その後 何年か生きて、息子や娘達をもうけて、死んだ というだけのもの。とくにこれといった取り柄 もない人生がならぶ。これに対して、オリエン トの王名表は、王権の根拠・正当性をこけおど しで主張するためのもの。王権の正当性を自己 主張するために歴史をねつ造する。これは古事 記、日本書紀で天皇支配を確立するために奈良 時代に行われたことと同じだ。 � 三節「自分に似た、自分にかたどった男の 子をもうけた。」 われわれは親に子が似るのは自然なことだと 思っている。しかし、ここではそれ以上のこと が述べられている。1章26節「われわれにか たどり、われわれに似せて、人を造ろう」27 節「神は御自分にかたどって人を創造された」 つまり、アダムは、神にかたどって造られたの だから、シェトもまた神にかたどられて生まれ た。そしてこのことは、もうくりかえされないが、 すべての人が神にかたどられて生まれたのだと いうこと、したがって、 すべての人は1章28節の神の祝福(「神は彼 らを祝福した」)にあること。それは特別の人 間だけが、たとえば王だけが占有することでは ない。系譜にたまたま名が出てくるのもだけで はない、すべての人が神の形にかたどられて、 かけがえのない存在だということを示唆する。 � 21節のところで、エノクの人生について 「神と共に歩み」という説明がつく。これら10 代にわたる人物は、どれもただの人であった。 代から代へと繋げられて粛々と生きていく、 なんにも特筆すべきものがないただの人たちだ。 しかし、彼らにはエノクのように自覚していよ うと、他の者ののように無自覚であろうと、 「神が共に歩む」。オリエントの王達や英雄た ちの神話と根本的に違って、たびたび復活セレ モニーをして統治年数を引き延ばすのではなく、 人は「神と共に歩む」ゆえ、あともどりのでき ない、ただ1回の生を生きるだけということ。
2月22日の説教から ヨハネ福音書三章一六節 「神の救い」 高橋 幸一 私の人生を通して神様がどのように救いの業 をして下さったかをお話しします。 敗戦後六〇年すぎました。戦争から敗戦の当時、 私は幼少期を過ごしました。この体験が私の信 仰の原点です。一九四四年まで、私は深川に住ん でいましたが、その年伊豆に疎開しました。 一年後の大空襲で一帯は全滅してしまいました。 私は、三九年深川の伝道所で生まれました。 父母は熱心なキリスト者で、自分の家を伝道所 として開放していました。父の里は伊豆で、祖 父は若い時分に、奥山金山に多くの青年達が働 き、堕落していくのを見て、これを救いうるの はキリスト教以外にないと感じたようです。こ うして村の知識層にキリスト教が入っていきま した。父は大工でした。東京の木場で働き、母 と結婚しました。母は木更津の生まれですが、 伯母がはじめに救われ、家族全員が主イエスを 信じるようになり、結婚しました。 戦時中、キリスト者は迫害や弾圧を受けました。 教会に出席するのも困難でした。南豆教会も牧 師がいませんでしたから、礼拝もできませんで した。そのうえ聖書まで官憲に取り上げられて しまいました。しかし、疎開中の伊豆は美しく、 神様の創造を直接語りかけておりました。父は 大工の棟梁で、教会を建てたりしていたのです が栄養失調で、私が小学一年生の時に亡くなり ました。敗戦直後の混乱の中にあって四人の子 供を抱えて、母は本当に途方にくれたと思います。 父が最後に皆に残した言葉「イエス様を信ずる 信仰を無くさないように」は、それからの私達 の財産、宝になりました。母は中学校の用務員 になって子供を育てるために働きましたが、食 べさせるということがどんなに大変だったか、 長女は宇都宮にお手伝いに、二番目の姉は叔父 の所に貰われていきました。姉が子浦の港から 船に乗って遠くへ行ってしまうという経験をし て、兄弟の欠けることのつらさ、悲しさを感じ 小さいながら心の痛みを覚えました。 叔父叔母は信仰を持った親切な人達ですから、 姉は幸せだったと思いますが、やはり私達と同 じ心の痛みを覚えていたようです。 母は用務員として一六年、こま鼠のように働 きました。そういう中で賛美は絶えない家庭で した。私は、五年生の頃から日曜学校に行ける ようになりました。中学一年生から牧師につい て紙芝居をするなど日曜学校の手伝いをするよ うになりました。高校は昼間の定時制でしたの で、土曜は休みで、週報配りとか、教会の手伝 いをし訓練されました。 教会生活を守り、時分は正しい生活を守って いるとの自負は、私を傲慢にし、人を裁いてい たようです。しかし、大島で行われた伊豆地区 の青年と高校生の集会に参加して変えられました。 大島元村教会の相沢先生がヨハネ三章一六節で 説教をなさいました。当時の私の心に鋭く迫って くるものでした。イエスの十字架によって、自 分の意固地な考え、自分は皆より正しいんだと 思う心が打ち砕れました。 相沢先生は、中国に兵として行った時のこと、 部隊で「夜になったら村に忍び込んで豚を盗って きて、食べようじゃないか」と相談がまとまった が、大変勇気がいることだったけれど、自分は 「行かない」と言った。皆が豚を担いで帰って きて、火を燃やし調理して食べる段になって、 「おい、相沢、食べないか」と言われて、 「うん、いただくよ」と食べた、というのです。 相沢先生は自分の意志の弱さ、自分は正しくい られると思っていたのが、簡単に転んでしまう、 そんな弱さに思い知らされたそうです。 当時、私は定時生高校の生徒だったのですが、 仲間に密柑山から蜜柑を盗ってきて、学校の近 くの露天風呂で食べるものがありました。私は そういうことをしない正しい人間、彼らとは違 うと思っていたわけですが、ある時「高橋、み かん食べないか」との言葉に食べてしまった経 験がありました。相沢先生の話とダブって、正 しいと思っていた自分が一帯何者なんだろう、 じぶんをまるで神様にしているんじゃないか、 と示されたのです。そして自分の弱さの故に神 様がどんなに犠牲を払って愛して下さっている か、イエス様が犠牲となって、自分のために、 その罪のために、悪い心のために十字架にかかって 下さったかということに気づかされました。 教会に帰って、牧師の勧めに従って洗礼を受 けました。一九五七年イースターで高校三年生 のことでした。その後、いろいろなところを通 りましたが、牧師にさせられました。 私は、自分が正しいと自負していた頃、神様 は怖い方と思ってあれもしない、これもしない 人間でしたが、自分が救われねばならない罪人 だと示されたとき、神はイエス・キリストに よって本当に愛の方とわかり、しなければなら ないことを主にあってしなければならないと、 主にならいたいと思って生きてきました。
2月15日の説教から ヨハネ福音書一章四三〜五一節 「ナザレから何か良いものがでるだろうか。」 久保田文貞 前回の箇所で見たように、はじめにイエスの 弟子となったアンデレも、ペテロもイエスの弟 子になるということがどんなことか、よく理解 できていません。四三節以下に登場するフィリ ポとナタナエルの場合も同様です。フィリポが ナタナエルに出会っていう言葉は「モーセが律 法に記し、予言者たちも書いている方に出会った。 それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」 というものです。ここには自信に満ちた、フィ リポの二つの前提があります。一つは、彼が権 威ある律法と預言者の書に何が書かれているか 知っていること。もう一つは、イエスがそこに 書かれた人物であると判定していること。そし てナタナエル。彼は「ナザレから何かよいもの が出る(ことがあり得る)だろうか」と疑問を 投げかけます。これも「律法と預言者」に通じ た者としての疑問であります。ここでいう預言 者とは、士師記から列王記までの歴史も入ります。 つまり、ふたりの会話の中身は、ユダヤ教の神 学と救済の歴史に照らして、ナザレの人イエス を自分たちの師として選ぶべきかどうかという ことです。そのかぎり二人とも、判断基準をユ ダヤ教の権威においています。 このナタナエルを見て、イエスは「見なさい。 まことのイスラエル人だ。この人には偽りがな い。」と言います。これは、皮肉以外のなにも のでもないとわたしは思います。ナタナエルは 律法と預言書の神学のフィルターを通してしか 人を見ていないということにおいて「まことの イスラエル人」なのです。フィルターを通すこ とで、かえってイエスその人が見えていない。 わたしたちが他者と出会うときにいつも陥る落 とし穴です。 関東神学ゼミナールから出している機関誌 「fad」の最近号に、ちょうど私は「ナザレ から何かよいものが出るだろうか」という文を 書きました。そこに書いたのは、一九九〇年頃 から日本でも紹介され始めたクレオル「文学?」 のことです。カリブ海を取り巻くアンティーユ 諸島は、コロンブスがアメリカを発見したとき に到着した島があるところです。スペイン人が 金などの収奪を終える頃には、先住民はヨーロッ パ人が運んできた疫病が原因でほぼ全滅。一八 世紀に入って、ヨーロッパ人が砂糖黍などの植 民地農業の経営に乗り出したとき、不足した労 働力をアフリカから奴隷船で運ばれてきた黒人 で補ったのです。キューバ、ジャマイカ、ハイチ、 ドミニカ、プエルト・リコなど名の知れた大 アンティーユ諸島は二〇世紀中頃に独立してい きますが、東側に位置する小アンティーユ諸島 は本当に小さな島が並んでいて、グアドループ やマルティニークなど独立できない島があります。 そこには現在、アフリカから連れてこられた人々 の子孫、先住民、白人との混血ムラート、イン ド人、中国人などが住んでいます。そしてかつ ての植民地支配国の言語、スペイン語、英語、 フランス語、ポルトガル語などが、アフリカの 言語や、先住民の言語などと混じって独特の言 語が使われています。これらのハイブリッド (異種混淆)な人々、言語、文化、習俗が、広 義のクレオールです。旧そして現・植民地の混 合語、混合意識から、およそ「文化」という語 に値するものが生まれるか。もしそんなものが 出てくるとすれば、有力な植民地人が本国に学 んで産み出す模造文化にすぎないと、これが欧 米人の「常識」だったのです。もちろんそんな ことがいつまでも通用するわけがありません。 母国語がどれと言いようもないクレオルの人々が、 いろいろな言語で詩を発表し、物語を書く。そ こには、おれこそ生粋のアメリカ人だ、イギリ ス人だ、フランス人だと、「自己同一性」ぴった りの人間たちには書けなくなってしまった力を 持った、活ける人間の言葉があふれていたのです。 私には、「日本人」には表現できなくなってし まった、心打つ言葉を在日韓国・朝鮮人の作家 たちが次々に生産していることと重なっています。 これらの人々は、占有しない、支配しない、 守りに入らない、人をフィルターにかけて見ない、 やむを得ず、あるいは自ら選び取り、そういう 場に生きているのです。イエスが歩んだ場にか ぎりなく近いと思いませんか。
2月8日の説教から エレミヤ四章一〜二節 「真実と公平と正義をもって」 久保田 文貞 エレミヤは、ベニヤミンのアナトテ出身です。 ユダの領域とはいえ、すぐ北の方はアッシリア によって百年ほど前に(721)滅された、かつて の北王国イスラエルの地が広がっています。アッ シリアの政策は征服地の諸民族の文化、習俗、 宗教を解体・混合させ、アッシリアの下に同化 させようというものでしたから、その地で培わ れた北王国イスラエルの信仰的遺産 ― 例えば、 エリヤの所業や、ホセア、アモスの預言など ― は南王国ユダの地に避難されたと思われます。 エレミヤ書三章一〜一二節など見ると、まず まちがいなく若きエレミヤは南に難を逃れたホ セアの言葉を知っていたはずです。彼は亡国の 民イスラエルに向かってここでくり返し「立ち 帰れ」と主の言葉を投げかけます。もしアッシ リアによる同化政策がほんとうに徹底していたら、 もはやその言葉に実際的な意味はありません。 しかし、エレミヤがこの預言を語っている時期は、 すでにアッシリアは滅びていた(609)か衰退し きっていたらしい。「立ち帰れ」という言葉に はそれなりの現実的なチャンスが読み込まれて いたかもしれません。 「立ち帰れ、イスラエルよ」と主はいわれる。 「わたしのもとに立ち帰れ。 呪うべきものをわたしの前から捨て去れ。 そうすれば、再び迷い出ることはない。」 もし、あなたが真実と公平と正義をもって 「主は生きておられる」と誓うなら 諸国の民は、あなたを通して祝福を受け あなたを誇りとする。 だが、政治的空白になるはずの北の諸地域は すぐにエジプトと、東からスキタイ、さらに アッシリアを倒した新バビロニア、諸勢力の刈 り場でしかなかったし、南王国がその地に手を 出す力などないばかりか、その南王国自体が風 前の灯火だったのです。 エレミヤは南王国ユダに対して、諸国はやが てユダを滅ぼすという預言をします(四章五節以下)。 エルサレムの通りを巡り よく見て、悟るがよい。 広場を尋ねてみよ、ひとりでもいるか 正義を行い、真実を求めるものが。 いれば、わたしはエルサレムを赦そう。 「主は生きておられる」と言って誓うからこそ 彼らの誓いは偽りの誓いとなるのだ。 主よ、御目は 真実を求められておられるではありません。 この預言は的中しなかったらしい。北からの 勢力はまだエルサレムまで来なかったのです。 この種の預言が現実とならなかった場合、預言 者の権威は二度と立ち上がれないくらい失墜す るはずです。この問題は、後の箇所で検討する ことにします。 とにかく、所与の状況は八方塞ぎでした。北 イスラエルの地に呼びかけても主に立ち帰るも のはいない。辛うじて残っている南王国ユダも 為政者や国の支配層の人たちは国際情勢の動き に一喜一憂して、そこで何をするべきなのか、 考えない。だれも「正義を行い、真実を求める」 ということ、「主は生きておられる」と声高ら かに宣言することに意義を認めないのです。 「そんなことして何になる。正義が通用する くらいなら、あるいは真実だと言ってそれが聞 かれるくらいなら、もともと苦労なんかしない。 「主が生きておられる」と誓う体裁を取るだけ なら何度だって誓ってやろう。けれどそれが、 何になる。現実の状況はもうそんな美しい宗教 心の問題ではないのだ」というのでょう。 でも、エレミヤがそのような状況の中で主か ら聞く言葉は、「正義を行い、真実を求める」 「主が生きておられる」場に立つこと、なのです。 それはまるで、状況とは、ただただどうしよう もないと言って屈従するものでなく、それどこ ろか、主の言葉が=それを聞きとった君が作り 出すものだと言わんばかりです。(久保田)
2月1日の説教から マルコ福音書一四章三二〜四二節 「決断の時」 関秀房 中坊公平は「罪なくして罰せず」という題名 の本で、罪のない国民が住専への税金投入に よって罰せられた、と言う。住管の社長を請け 負い、これ以上国民のため税金投入(罰)しな いためにあらゆる手段を講じる「決断」をした という。 しかし自分は国民の側にたって判断している という自負ほど怖いものはない。「罪なくして 罰せず」とは罪あるものは罰せられて当然とい う意味でもあろう。刑事事件では検察と弁護士 は相対する立場である。しかし民事では弁護士 同士が互いに分かれて活動する。この民事に、 検察を介入させることはタブーである。民事不 介入という大原則を元日弁連会長は国民のため と称して破っていく。安田の中坊評「人を罰す るとか摘発することは、弁護士のそもそもの職 責と相容れない。私を刑事告発するなら、少な くとも私に事情を聞くのが弁護士として当たり 前なのです。それさえせずに、警察が逮捕した、 だから刑事告発したというわけです。そんな馬 鹿な話はありっこない。発想そのものが貧困で すよ。彼はまず、物事を正か悪かで見る。しか し、その正は必ず国家とか強い者の側であって、 弱者が悪なんです。そして警察・検察を使って 拍手喝采のなか、万事を正当化・合理化していく。 大変恐い扇動政治なわけです。まさに ファッショそのものです。」 安田弁護士裁判は検察が逮捕し、中坊が告発 して事件として成立した。安田は、逮捕された とき「ほっとした、これで弁護士をやめられる」 と語っている。それほど麻原裁判を初めとして いろいろな弁護に全力で取り組み、身も心もぎ りぎりまで使い果たしていたのだ。しかし勾留 されて三日後には「猛烈に腹が立ち、寝ていて も怒りで飛び起きるほど」という。あまりに理 不尽な警察・検察・住管に、対決する「決断」 をする。電卓も何もない拘置所で、二億円が従 業員に横領されていた事実を様々な通帳や書類 の束から計算し明らかにする。(この横領の事 実を検察は知りながら黙認し、その代わり安田 を罪に陥れる証言を強要することに使う。) この時点でこの裁判の勝負はあり、地裁は保釈 を認めるが、高裁がそれを三度も棄却するとい う暴挙で、酔っぱらい運転より軽い最高二年の 罪で十ヶ月も勾留された。一審の判決は完全無 罪であった。弁護団の一人は300%(検察立 証を崩す、真実立証、でっち上げ立証)勝たな ければこの裁判は勝利しないと言っていたが、 その300%を獲得した、極々まれな裁判である。 それだけ検察、住管は事件にもならないものを でっち上げたのである。国民のためと称して罪 無き人々を罪に陥れ罰したのである。未だに中 坊がそれに対して謝罪したと言うことを聞かない。 住管では十数億円の詐欺を指導し、告訴を免れ た代わりに弁護士を廃業せざるを得なくなった。 森永、豊島で有名になり朝日やNHKで大いに持 てはやされた人の実体である。懲りもせず検察 は控訴した。 イエスは自分に身の危険を感じゲッセマネで すさまじい祈りをする。弟子たちは何回も起こ され、一緒に祈ってくれと言うのに、寝てしまう。 マルコの弟子批判はここまでくるとしつこいと 感じ、ある意味私などはマルコの意図とは反対 にイエスの指導というか日頃の関係がまずいか らではと思ってしまう。それはともかく、イエ スは「十字架」を最終的には受け入れる「決断」 をした。それは後にキリスト教が意味づけした 贖罪(罪人)のためか。時ここに至ってはあき らめか。私には、贖罪のためやあきらめではなく、 この情況では苦渋の選択だが、自分が行ってき た生き方・宣教の結末として避けられないもの として受け入れたのだろうと思う。(大貫隆は 「イエスという経験」の本で「イエスは死それ 自体を恐れたのではない。自分に迫りつつある 死の意味が見えないことに恐れ、もだえたので ある。」という。それはイエスの「イメージの ネットワーク」が破滅したことであり、その上 で「責任倫理を生き抜いた」と語る。しかし結 びにあげた四点を見てもわかるように、結局 「標準文法」になっている。) 私たちには、 安田弁護士やイエスのような決断を迫られるこ とは無いだろう。しかし、国民のため、贖罪の ためといって安易な「決断」をすることだけは 避けたい。
1月25日の説教から 第一コリント三章一〜九節 「協力の裏表」 久保田文貞 教会という共同体をどうとらえるかという意 味において、パウロがコリント教会と の関係で発言していることはとても興味深い。 教会誕生の歴史的な経緯から先に言っておくと、 まずイエスの死(約三〇年頃)後、弟子たちを 中心にしてエルサレムに原始教会ができた。そ れは、十字架上に死に復活したイエスこそ真の キリストであると告白することに重点が移った 共同体であった。イエスがガリラヤで始めた 「神の国」運動とは質の違う別の共同体である。 確かに、イエスは、ガリラヤでやってきたこと をともなって、ユダヤ教の総本山エルサレムに 上ってきたのであり、そこで時のユダヤ教宗教 権力とさらにその上部の支配者ローマ帝国に反 抗する者と見なされ処刑されたわけだから、エ ルサレムという場所は特別な意味を持つ。また 弟子たち(の多く) は彼こそメシア(イスラエルを救う救国者)で あるという確信をいだいたから、「新しいイス ラエル」はエルサレムで旗揚げすることに何の 抵抗もなかったろう。こうして数年のうちにこ の確信は様々なアイデアで肉づけられ、〈キリ スト教〉の母胎になる。 共同体の問題に限定していうと、原始教団は、 このイエスの出来事において終末論的な「神の 支配(神の国)」=「神の恵み」のスケジュール が開始したと認知していたから、彼らの基本的 な姿勢の第一は、このスケジュールどおりに救 いが完成していくのを、祈り、讃美、告白の礼 拝をもって、ひたすら〈待つ〉ことだ。だが、 さすがに、じっと待っているわけにはいかない。 イエスがガリラヤでどのような人々に向かって 神の国の福音を宣教したか、その出来事はユダ ヤ教正統派がいう〈義人〉ではなく、むしろそ の体制が排除した〈罪人〉を巻き込み、福音が 福音を連鎖反応のようにして生み出した。その ことを忘れ、再び敬虔なるただの礼拝者として、 神の恵みを私するわけにはいかない。というわ けで、第二に、最初期のクリスチャンたちは、 最後の決定的なことが起こる前に、この救いの 出来事にさらにいかに多くの人々を招くことが できるかということを課題とした。つまり、神 の恵みを他者に向かって告げていくということは、 単に一共同体の存続のために新メンバーを募る というようなことではない。 クリスチャンにとって福音を宣教するという ことは、次のようなメシヤ・イエスの言動から 促されることなのだ。すなわち、イエスがユダ ヤ教支配層から抹殺される危険も顧みず、ガリ ラヤの「地の民」の側に立ち、彼らを排除し、 その生を放置するユダヤ教当局・支配層と対峙 してやまなかったこと、つまり、ユダヤ教の外 へ排除されその境界線に、さらにその外部にあ る世界にこそ、神の国・福音が向けられていた ことによる。そういうわけだから教会という共 同体は、本来自己目的化するわけにはいかない。 言葉を外部に向けることによって、したっがて 自己の中心を捨てながら、自己を再回収すると いうパラドックスをかかえている。 教会は 〈伝道者〉の起点となる既存の教会をつぶして までも、外部に向かってキリストの福音を宣教 する。パウロの伝道はそういう悲壮感が漂って いる。パウロが約一年半(50-51年頃)の伝道 活動でコリント教会を立ち上げて四,五年後、 その教会の中でだれから洗礼を受けたかという ことでアポロ派とかパウロ派、ケパ派などの派 閥ができたらしい(第一コリント一章以下)。 彼らの間に争いがあったが、こういう抗争が基 本的に内部指向であることはだれの目にも明ら かだ。自己の勢力を伸ばすことによって教会を 形成しようとすることは、イエスの福音の基本 的な方向と反対を向いている。パウロはそれを 「わたしたちは十字架に付けられたキリストを 宣べ伝えています」、あるいはそのような「キ リスト以外何も知るまい」と言い表している。 ということは、派閥抗争を中止して、ひとまず お互い協力することができたとしても、基本的 にそのようにして拡大する共同体は始めからボ タンのかけ間違えをしているように思えてなら ない。とすれば、かえってイエスの福音をねじ まげ、似て非なるものにする。 ところが、パウロは、アポロもパウロも「信 仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分 に応じて仕えた者」であり、「大切なのは、植 える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させて下 さる神」だという説明でこの問題を回避する。 教会内の分争問題を解決するために、いかにも 中庸に富んだ、かしこい解決のしかただとは思う。 しかし、ほんとうはその程度の説明でこの問題 が片づくとはどうしても思えない。ここには、 共同体自体を目的にしてしまうとかならず引き 込んでしまう問題が横たわっているだろう。 パウロ自身の、教会を「成長させて下さるのは 神だ」という安易な説明の背後に流れているも のは、共同体内部を有機的に結びつけ、その目 的へと組織化していこうという、共同体拡大強 化の発想のように思えてならない。上に記した ように、「十字架に付けられた」イエスの福音は、 そういうものだったとは思えない。
1月18日の説教から 創世記四章一七〜二四節 「カインの末裔」 久保田文貞 有島武郎が同人誌「白樺」に寄稿し始めてか ら八年、本格的に文学に取り組み、一九一七年 「カインの末裔」を書いた。北海道の農場に小 作人として雇われる頑強な仁右衛門が主人公で ある。彼は、妻子を捨てることはしないが、酒 を呑む、喧嘩する、博打をする、人の妻を寝取る、 農場の規則を破る、・・・学習院中等科から札 幌農学校へと進んだブルジョア有島と一八〇度 対称の極に生きる人間である。有島ほど白樺派 の作家の中で、無産階級の人間を書き続けた者 はいないが、ここでは明らかに彼は仁右衛門に ある種の憧憬を感じている。もっと言えば、仁 右衛門ら極貧に生きる者の生命力に、時代を託 してみようかという風に聞こえぬでもない。 有島はこの仁右衛門に「カインの末裔」を見 てこうした題をつけたのだろう。有島は自作を 解説して、「(仁右衛門が)人間と融和してい く術に疎く、自然を征服していく業に暗い。そ れにも拘わらず彼は、そのディレンマのうちに 在って生きねばならぬ激しい衝動に駆り立てら れる」と書いているが、その程度の解説でほん とうは済まないはずだ。 創世記の原初史全体の位置づけから言えば、 カインの末裔は、神の救済の歴史から外れた人々 の物語ということになる。つまり、有島は、 〈神の救済の歴史〉から外れなかった人々より も、外れた人々にまなざしを向けたということだ。 しかも、有島にとって何を〈神の救済の歴史〉 と見ているかをさし措いても、彼は自分をその 歴史から外れていない側にいると自覚している。 そして彼は、〈神の救済の歴史〉の中に自分が 入っていることをただ享受していられない。だ からこそ、彼はそこから外れている〈カインの 末裔〉に惹かれる。〈神の救済の歴史〉からむ しろ外れた場にある、いやそのような放置され た場でこそ、どんな境遇をもものとせず、貪欲 に生きようとするエネルギーが輝いているとい うことになる。とすれば、自分も属してしまって いる〈神の救済の歴史〉の賞味期限切れを、つ まりその無効を読みとっていると言えないだろうか。 聖書としては、こういう読み方をされるとヤ バイわけだ。救済の歴史から外したもの、除外 したものの中から、人の心を撃つような生命力 が出てくるというのでは、救済の歴史を支える 土台の一郭がくずれていくことを意味するからだ。 ところで、原初史では、カインの末裔は、物 流の根幹をおさえ(ヤバル)、文化の先端をい き(ユバル)、生産技術を先導する(トバル・ カイン)者、すなわち文明人である。そして、 古い「レメクの歌」が加えられる。レメクは妻 たちに、〈敵は俺を殺そうとしたが俺はかすり 傷、反対に俺は奴を殺してやった〉というよう な内容の歌を歌う。最後に「カインのための復 讐が七倍ならレメクのためには七十七倍」と締 める。十五節では、兄殺しのカインに対する復 讐を禁じるために神が「カインを殺す者は、だ れであれ七倍の復讐を受けるであろう」と言った が、こちらでは、レメクが自分の復讐をせよ命 じる言葉になる。 もちろん、ここでの物語は、神の救済から外 れたことによってかえって文明を手に入れたカ インの末裔たちは、同時に復讐に復讐を重ねて 殺し合う人間に落ちていったと言いたいのだろ う。そのような人間たちが六章以下のノアの洪 水の物語で粛清されてしまうことになる。 神の救済の歴史から外れた者の中に、逆にな んらかの光明を見ようとするということは、そ ういう物語をひっくり返すことを意味する。私 は今、キリスト教の説教という枠から言葉を発 しているから、ここに言う〈神の救済の歴史〉 とは、そのままの意味で取られるかもしれないが、 もっと広い意味で捉えたい。〈この世界の勝ち 組であること、この世界を領導すること、いつ も内部にそれも中心近くにいること〉などなど。 これらは、いつも負け組、被支配、外部をつく ることによって, 自分が勝ち組だということを 確かめようとする。 このようにして、負け組をあしざまに言って、 自己の救済を確保し、救済の歴史の真ん中に自 己の位置を取ろうとした者に対して、最後まで 抵抗し批判し続けたのは、他ならぬあのナザレ のイエスだ。イエスは〈神の救済の歴史〉を転 倒させる。いやもっと正確に言わなくてはなら ない。イエスは、人々がこの世界に引きずり下 ろしている「神の救済」とその秩序を、無効で あると宣言し、むしろその外部に、今回のテー マに多少無理を承知で当てはめれば、カインの 末裔に〈神の恵み〉の働く場を見出したのである。
1月11日の説教から ヨハネ福音書一章三五〜四二節 「イエスの弟子の意味するもの」 久保田文貞 誰かの弟子になるということは、師の教えを 受けようとすること。このような師弟関係が成 立するということは、少なくとも師が自分の教 え(思想や運動)を他の人に広めようとする思 いがあるからだ。だが、教えには人に広めよう としないで、むしろ自己の思想を孤絶して極め ようというものもある。洗礼者ヨハネが荒野で 修験者のような出で立ちで修行を積んでいる様 はそのように見えておかしくない。けれども、 洗礼者ヨハネの基本的なスタイルは、「主の道 をまっすぐにせよ」と「荒れ野で叫ぶ声」(1:23) という昔の預言者の言葉に拠る。何時の世も、 現実の世界を失望してそれを嗤いものにし、そ れと交渉を持たず自己の思想を極め孤高に暮ら すのだという人間がいるものだ。イエスの時代に、 そんな人間が世を捨てて集まる場所が、彼らが 嫌う「文明」からほどよく離れた東の「荒れ野」 だった。それらのほとんどが、(これは私の推 測の域を出ないが、大きく間違っていないはずだ) 「荒れ野」で遠吠えするだけの声だったろう。 洗礼者ヨハネもそうなる危険があったはずだが、 どういうわけか、彼は「荒れ野で叫ぶ声」を 「文明社会」との休戦ラインを超えた所まで 持っていく。それは立派に他者に働きかける一 つの運動である。「主の道をまっすぐにせよ」 というメッセージの中身が倫理的だからという のではなく、洗礼者の「荒れ野」と「文明社会」 との間に揺れるスタンスの取り方自体が、人の 有り様を底から揺り動かすようにすぐれて倫理 的だからだ。彼の活動のすべてが人を惹きつけ てやまない。そのような彼に弟子が付いていく のは当然だ。 ヨハネ福音書は、この洗礼者ヨハネが最初に ナザレ人イエスが「神の子」であると証言した という筋書きにした(1:34)。そもそも洗礼者 の存在意義は、「光について証しするため」(1:7) の者ということだ。「言葉(ロゴス)が肉と なった」つまり「神」がこの地上に人間の形を とってやってきたことを洗礼者が証言するとい うのである。他のことは、洗礼者ヨハネを歴史 的な対象としてある程度追うことができたが、 この証言はあまりにも唐突である。物語の流れ からいっても、ここに登場する二人の弟子に とって、師のこの「証し」に対しては了解不能 でなければならない。特にユダヤ教の神観に多 少の知識を持つ者ならば、聖なる者として、こ の世界から隔絶しているべき〈神〉が、我々に 卑近な肉の形をとって、この地上を「歩いてい る」(1:35)というのは、神を冒涜するレベル の問題だとわかろうというものだ。 師が「見よ、神の子羊」と指示したのを受けて、 二人の弟子はなんの説明もなく、イエスのあと を追っていく。「ラビ、どこに泊まっておられ るのですか」と言うと、イエスは「来なさい。 そうすればわかる」とだけ答える。そして「彼 らはついて行って、どこにイエスが泊まってお られるかを見た。」 この問答で、「泊まる」とは、単なる「ねぐら」 のことではなく、この地上に神の子が滞在して いる場所の意味なのだ。本来なら、見てはなら ぬ場所、聖域を二人の弟子は踏み込んだことに なり、生きて戻れない類の結果があってもおか しくない出来事なのだ。ヨハネ福音書において は、イエスの弟子となるということは、洗礼者 の弟子となることとは、わけが違うのだ。神の (子の)弟子となること。つまり、ここでの弟 子とは、師の教えを学び、その上で何か特別な 任務を持ち、師の手足となってアシストするお 付きなのではない。地上を歩むイエスが神の子 ロゴスであると、なにほどか分かって、彼につ き従っていく人間のことなのだ。イエスが神の 子ロゴスであるという証言を受け入れる者はみ な弟子になるいうわけだ。 このことは何を意味しているだろう。弟子と なるために教えを修得するために競争をしたり、 相互の位置を特定して効率のいい組織を作った り、一部の弟子の身分を聖化したり…、そのよ うな一切が無効にされる。神の子の弟子はおし なべて、零度の線に横一列に並んでいることに なる。それは、社会制度的にものすごい過激な 線描画になっているはずのものなのだ。
2004年1月4日説教より エレミヤ書一章一〜一〇節 「国に対する権威を」 久保田文貞 呼びかける者があって、〈わたし〉=主体が 立ち上がる。 役場に、年金でも納税証明でもなんでもいい、 届けをする。届け出をするということが、それ 自体きわめて自己決定的なふるまいだ。数年前 〈自己決定〉という語が目に付いた。何でもか んでも役所や施設側の措置や決定に当然のよう に従わされていた人々が、自己決定権を主張し た。それなりに痛快だった。しかし、そこで自 己主張し手にした自己決定によって、実はまん まと役所の拠って立つ権力装置の思惑の中には め込まれていくことになったとは皮肉なことだった。 話を戻す。届けを受理した役所はちょっとい すに座って待っているように言う。しばらくし て「**さん」と呼び出しの声がする。声に出 すか出さないかに関わりなく、体が「はい」と 言って立ちあがる。〈立ち上がる〉という言葉 が最近よく使われる。パソコンの影響だ。 パソコン自体はただの機械だが、その中に電 気的に処理した情報=データや、あとから加え られたデータなどを、命令通りに何億分の一秒 単位で処理できる。関連づけられた命令の無数 のつながりをプログラムと呼ぶ。パソコンの基 本的な動作を管理するウィンドウズなども一つ の膨大なプログラム(命令の集まり)だし、 ワープロ用のソフトウェアなどもプログラムだ。 プログラムの名前をキーボードでを打ったり、 アイコンをクリックしたりして、命令の塊に なっているプログラムを呼びだす。それに応え てそのプログラムが作業場に連れ出されてくる。 さあ「あなた様の命令に何でも応じます」とプ ログラム全体がスタンバイされる。これがコン ピュータ世界の「立ち上がる」という意味だ。 呼びかけられあるいは呼び出されて、「はい」 と応え、ある種の態勢を整えてしまう、つまり 「立ち上がる」ということが、私たち人間にとっ ても根源的な事柄だ。呼びかけられて〈わたし〉 という主体が〈立ち上がる〉と言っても、自分 は何も相手の命令に何でも従うわけではない反 論されるかもしれないが、相手の指示に従うに しろ従わないにしろ、まずは相手に応えるとい う態勢に入れられてしまっていると気づくこと が大事な点だ。 だが、一切は届ける=登録するという主体的 な行為から始まっているわけだから、呼び出さ れる前に主体は立ち上がっているはずだと反対 意見がだされるかもしれない。確かに、最初の 役場の例からすればその通りだが、届け出も登 録ももともとは呼びかけられて立ち上がった主 体の行為だと、ほとんど〈信念〉じみてなのだ が、言っておこう。 呼びかけられて立ち上がるということは、た とえどんなに卑近な事柄であっても、ほんとう は、エレミヤが神によって呼ばれて新しい主体 を立ち上げることと同じように、その都度かけ がえのない主体の立ち上がりなのだ。美しく言 うとそういうことになる。 もうひとつ、神のような完璧な他者に呼び出 されて、他者の完璧な他者性をもった言葉が授 けられ、それを聞いてしまったエレミヤは、そ れまで自分を覆っていて、その外ということさ え思いつかなかった、この世界の内部にいて、 その世界の外を知ってしまう。「諸国民、諸王 国に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼ し、破壊し、あるいは建て、植えるために。」 彼は内部にいて、外部=他者の言葉を語る。こ の言葉は内部の言葉のようでありながら、外部 に根拠を持った言葉であり、外部から内部にお よんでくる。それによって、内部は、内部から はおよびもつかない発想・形式・力学によって、 それまで肝腎の骨組みだと見なされていたもの の関節が外され、処理・解体され、そのことが 実は再建であったり、改変であったり、思いも かけぬ投資であったりする。 外部の言葉を語る〈預言者〉が内部の力によっ てどんな抵抗を受けるか言わずもがなだ。 外部から呼び出されて、「はい」と立ち上が らざるをえない新手の〈主体〉たちよ。こころ してかかろう。