個人山行報告書
<日程> 2013/5/25
<山域>御在所岳
<メンバー>三浦、伊藤(美)、森山
<山行記録>
徳川町3:55am発(20分)〜社台4:15着・4:20 am発(20分)〜菅田4:40 am着4:40 am発(15分)〜四谷5;00 am
〜御在所の裏道登り口駐車場6:00am〜P7取り付き6:55am着 7:15am登攀開始、P2ヤグラ終了点11:00着。(前尾根登攀時間3時間45分)
裏道登り口駐車場に、私たちよりも先に数名のパーティがすでに到着してヘルメットなどの登攀装備を準備していた。
彼らも前尾根だろうと思われるので、一足早く私たちが歩き始めて、先を急い急いでP7の取り付き点に一番乗りをした。
待ち時間なくP7から自由に登れるので嬉しい。P7はノーマルルートの途中でピッチを切って、皆の様子を見ながら登った。
正面クラックに#3と#2のカムを順番にセットして着実に登った。
このルートはV級で昨年、始めて登った時に、ころはつかみ所を知らないので苦労して必死な思いをしたものだ。
あれから何回か登っているうちにホールドとスタンスの位置を覚えてしまったので、今では気持ちよく登れる。
これからP2まで登るストレッチ体操として、いい準備運動になる。ミキティもシゲさんも、すんなり登ってきた。
2ピッチ目の最初の取り付きの一手がやや難しい。最初のボルトを越えて一歩登れたら、そのすぐ上には素晴らしいホールドに手が届く。
「たった一歩」だが、初心者泣かせの場所だ。トラバースの間にはボルトが3カ所しっかり打ってある。
テラス状にクラッックが走って、スタンスがしっかりしているけれども、このようなトラバースの途中で墜落すると大きく振られるので、
初心者を確保するためには、すべてのボルトにビレーを取って安全を確保した。
P6もノーマルルートで登った。最初のスラブを越える核心部分に古いハーケンが打ってある。
そこにカラビナを掛けてから、ゆっくりと足裏のフリクションを信じて登り切った。そのすぐ先に最初の終了点がある。
私はもう一段登った最上段のボルトを終了点とした。シゲさんは、「最後のここが苦手!」と言いながらも無事登り切った。
P5はIII級、コンテで越えた。P4の凹角ルートも III級であるが、ザイルを出しランニングビレーをかけつつ登った。
P3はワイドクラッックを抜けると高度感があるリッジに出る。
よく見ると岩には、アイゼンの爪跡が深く刻まれていて、まるで階段のようにしっかりスタンスとホールドが出来上がっているので安心して登れる。
P2(ヤグラ)の終了点にに到着して、皆で記念写真を撮影した時刻が11:05am。ほぼ予定通り順調に登攀できた。
強風で寒さを感じた。残念なころにP2核心の西洋トイレ型のチョークストーンを越えて、次の岩を乗り越える場所で突然シゲさんが「痛い!右足で鈍い音がした。右足に力が入らなくなった!」と叫ぶ。最後の2mぐらいの位置に達していたので、左足で頑張って登り切ってもらった。
おそらく右足のハムストリングスまたは腓腹筋が肉離れを起こした(全治1〜2ヶ月)。
足先は動かせるのでアキレス腱には異常はなさそう。
私たちがP2(ヤグラ)の終了点で懸垂下降のセットをして、下からアイゼンを装着した老練な関西系の登山者を待っていた。
その登山者は後から登ってきたにも関らず、横柄にも私たちがセットを完了している懸垂下降セットが邪魔だからヤグラの反対側にある終了点に下降点を移動してくれ!
と訳の分からないことをと言い出した。なんと無礼な人だ、と思ったけれども、従順に私はセルフビレーを解除して、岩の周囲を回ってアンカーボルトを探した。
しかし、そのような懸垂下降専用のボルトなどヤグラの裏側には存在しなかった。その人も諦めて、2つのパーティが同じポルトとを使うことを納得した。予定通り懸垂下降することになった。
ただしザイルダウンを投げた時に強風に煽られてザイルが左のブッシュに流れてしまい、枝にひっかかるやら、団子に結ぼれてしまうやら、面倒なことになってしまった。
それを私は降りながら延ばして下まで懸垂下降した。ミキティに続いてシゲさんが無事に懸垂で降りた(午前11時半)。
シゲさんはダブルストックをついて、痛い足を引きずってP1を経由して御在所山頂に到達できた。
12:15御在所山頂では名古屋市立大学蝶ヶ岳ボランティア診療班の学生の練習山行80名と芝生広場で合流し、ツエルトを使った担架の作り方の講習を30分程度実施した。
シゲさんが足を負傷したために、下山はロープウエーを利用した(12分)。
(注意)
一週間前の5月19日に確認したたP1からαルンゼに下りる岩の上にセットされていた2つのボルトは、根本の螺子を残したまま上部のナットとフック部分が取り去られていました