春山合宿報告書
<日程> 2011年5月2日(月)~4日(水)
<山域> 南アルプス 光岳
<メンバー> 鈴木、伊藤(聡)、山城、太田
<コースタイム>
5/2晴れ、5/3曇り時々雪、5/4晴れ:
5/2一日目:名古屋(pm7:40) ⇒ 易老渡 (pm11:00頃)
5/3二日目:易老渡(am6:00) → 面平 → 易老岳(am2:15) →  三吉平 → 光小屋(pm6:00)
5/4三日目:光小屋(am7:47) → 光岳(am8:05) → 光小屋(am8:40) → 三吉平・易老岳・面平 → 易老渡(pm3:30) ⇒ 名古屋

<山行記録>
聡さん、こうへいくんは猫屋敷から出発、山城家で山城さん、太田が合流し易老渡へ出発した。
途中、恵那峡SAで聡さんとこうへいくんが夕食をとり、再び車を走らせた。
遠い。インターを通過してから2時間くらいかかると聞いてはいたけれど、本当に遠かった。
そして、細い真っ暗な道をものすごいスピードで走りぬける聡さんが峠の走り屋のように思えてきた。おもしろかった。

太田にとっては、これが初めての宿泊登山となる。テントを張ったことさえない太田の、未知の世界への第一歩だ。
本来なら今回、太田は技術的にまだ参加できないコースだったのですが、聡さんはじめみなさんのおかげで行き先変更(雪崩の危険のため北穂高岳からさらに変更あり)となり参加させていただくことができました。ありがとうございます!気合いを入れていかねば…。

易老渡に到着して、すぐさまテントを張り出すメンバー。
何から手をつければいいかわからず、ただひたすらみんなの動きの素早さに圧倒されているうちにテントは完成していた。
初めてのテント泊はおもいのほか快適に眠れた。

翌朝、出発。先頭からこうへいくん、山城さん、太田、聡さんの順に橋を渡り歩き始めた。
太田は新人ということで共同装備を少なめにしてもらった。けれど、次第に呼吸が荒くなり歩き始めて20~30分でしゃがみこんでしまった。
「吐きそうです…」。結局吐かなかったけれど、最初から大失態。
前回の千畳敷雪上訓練のときと同様、歩き始めがいちばんしんどくて、「あ、私もうだめかも」とおもってしまう。
その後は30~40分毎に休憩をとり、よたよたと遅れをとりつつメンバーの後を追った。
歩き始めは元気だけれど次第に遅くなる。こうへいくん、山城さんが振り返りつつペースをあわせてくれている。
後ろから聡さんもフォローしてくれている。ひとりだったら諦めていただろうなと感じた。

昼が過ぎたくらいから、不安になる。光小屋まで行けるのだろうか。「…遅れて…ますよね?」何回聞いたことか。
その度、いけるいけると言っていたメンバーもそのうち不安になってきたみたいだった。積雪もだんだん多くなってきていた。
聡さんの指示で太田のザックが少しずつ軽くなっていく。これで歩ける!けれど、すぐにペースは遅くなる。
「あ、いいテン場!」という聡さんの言葉にふらっとするこうへいくん。「行きましょう」、誘惑を振り切り先を進めるこうへいくん。
それでも、これでよかったのかと心配そうなこうへいくん。ごめんなさい、リーダーこうへいくん。小屋を目指すという素晴らしい判断をありがとうございます。
夕方になると雪が舞い霧で視界も悪くなってきた。光小屋に辿りつけないのではないかと本気でおもったけれど、なんとか到着。
12時間行動だった。もう少しで着くとおもってからがとてつもなく長く感じたのはきっと太田だけではないと信じています。
疲れた…。それにしても、すごく立派な山小屋。

太田にとっては、小屋に着いてからがまた初めての連続だった。なにから手をつければいいのか、もうばたばただった。
みんなのやっていることを真似てみる。でも、そのひとつのことに時間がかかる。手際の悪さに自己嫌悪…する余裕さえなく、夕食タイムに突入。
新品のミニフライパンが登場し、居酒屋シェフさとちゃんが大活躍してくれました!!
サイコロステーキから始まり、アスパラベーコン、エリンギのバター炒めなど次々と出てくる料理たち。おいしい!!!
光小屋にたどり着くまではもう限界だとおもっていたのに、いざ料理を目の前にすると食が進んだ。聡さんが「本当に限界なら喋れないし食べられない」と言っていた。
両方できた自分が少しうれしかった。そして、雪から水を作るのが楽しみだったので、できたときは感動した。
それと、もうひとつ、山城さんのアスパラベーコンへの情熱も感動した。
シェフさとちゃんの料理があまりにおいしかったので、メインのすき焼きのときにはすでに夕食は終盤を迎えている雰囲気だった。
うどんなんて食べきれないだろうと誰もが感じていただろうに、3玉投入。
案の定、無理だと諦めたときにはうどんはすでにみんなのコッヘルに行き渡っていた。仕方なく、鍋に戻し翌朝の食事にまわした。

テントは小屋の中に張った。なので、そこまで冷えることはなかった。
山城さんは0時頃外に出たそうだけれど、太田だけ気付くこともなく眠っていた。
…たしか、そうでしたよね。2日間で、太田はテントでもおもいっきり眠れることを知った。
 
翌朝、天気は良好。朝食後片づけをし必要なものだけ持って光岳山頂を目指した。ザックがない分、とても身軽だった。
光岳の頂上は、木が生い茂っていて太田がイメージする“頂上”というものではなかったけれど、確かに「光岳」という頂上の木が立っていた。
ついに頂上へきた!こうへいくんが山の説明をしてくれていた。富士山も見えた。写真を撮り、光小屋へ引き返した。

ザックを持ち、下山を始める。
下り坂にさしかかると、山城さんが「昨日この辺ほんっときつかったよねー。ほんっと大変だったー」と言った。
そうだ、この辺、ほんっときつかったところだ…と前日を振り返りながら下った。
後で聞いた話だけれど、前日の登りは山城さんも必死だったそうだ。
新人の太田が山城さんの後を追っているので、弱音を吐いていられないといった感じだったようだ。
山城さんはよく「私が入ったときは(今の太田より)もっと体力がなかった」と言うけれど、いまだに信じられない。太田から見たら、大先輩だ。

ルートがわかりづらい地点も多々あったけれど、順調に下山していく。
途中切り立った(?)ところがあり、こうへいくん、山城さんは上側の雪がない木が生い茂ったところを、そして、太田は聡さんについてもらい下の積雪のあるところをアイゼンを使って通過。それは、往路も同様だった。
太田は、だいぶ下って雪がみられない辺りまで来たら、登山道入り口の橋近くまで見覚えのない道ばかりだった。
こうへいくん、山城さんを追いかけるのに必死だったのだとおもう。
一人だったら遭難していただろうか…。唯一、自分が最初にしゃがみこんだ位置だけはしっかりと覚えていた。
前日はザックの中身をメンバーに持ってもらったけれど、翌日は持ってもらうことなく下山できた。
けれど、共同装備をみんなにまかせてしまったからというのもあるとおもう。体力をつけなくてはと今回もまた実感しました。
 
 帰路も峠の走り屋さとちゃんは健在でした。往路は暗くて見えなかったけれど、山道に桜が咲いていてきれいだった。
温泉に立ち寄り、夕食もとって高速道路へ…とおもったら、17kmくらいでしたっけ、渋滞情報が舞い込んできたため下道で帰名。
またもや真っ暗な中車を走らせて下さった聡さん、ありがとうございました。

帰路、もう二度と来ないだろうな~と全員一致で呟いていた光岳。
山城さんの「でも、もしかしたら数年後に新人が入ったらまた来るかも」という言葉に、私は“もう無理!”とおもいつつも、そのときは今回よりは順調に登れるかなとふとおもった。
また、今回の太田の初めてのテント泊は非常に快適だったけれど、それは山小屋にテントを張ったためだ。
ザックはテントの外でも大丈夫。さらに、本来なら全部テント内でやることを今回は小屋の中で行った。
次はもっと限られた空間でこれを全部やるんだとおもったら、大変なんだろうなとあらためて感じた。

それにしても、こうへいくんの往路のザックはほんとうに和みました。
葱とセロリを一本のままザックにくくりつけている姿。いつか私もやってみたいです。本気です。

光岳、お疲れ様でした!そして、太田へのご指導ありがとうございました。