個人山行報告書
<日程> 2010/7/24~7/25
<山域> 北アルプス南部
<メンバー>伊藤(聡)、山城
<コースタイム>
7/24 晴れ夕方少し雷のちガス
:新穂高温泉ロープウェイ西穂高口駅(am9:40)―西穂山荘(am10:40)―西穂独標(pm12:30)―西穂高岳(pm2:30)
―間ノ岳手前2865M付近TS(pm4:10)

7/25 晴れ
:T.S(am4:40)―間ノ岳―天狗ノ頭―奥穂高岳―(am11:30)穂高岳山荘(pm12:00)―エスケープルート白出沢(pm1:00)
―(雪渓2時間)―白出沢出合(pm6:00)―ロープウェイ西穂高口駅(pm7:20)―ひらゆ温泉

<山行記録>

7月24日(土)
:事前に聡さんから「俺は厳しいぞ、気合はあるか?」と何度も言われて臨んだこの山行
山行チェックリストの「核心を通過するために必要な技術は何か?」に「体力、気合」と書いたら、気合は消して、心の中にしまっておくように言われた。気合も何も、新人はいつも一生懸命やるしかない。
雪訓や御在所ではご一緒したことはあったけれど、テントが一緒になったりしていなかったので、聡さんとマンツーの山行に少し緊張しつつも、とても楽しみにしていた。

朝、新穂高温泉のロープウェイ乗り場は、始発の8:30を前にものすごく混雑していて、長蛇の列。
荷物を量ったら、聡さん18キロ、山城13キロで8キロ以上だからそれぞれ‘荷物券’が必要だった。
前泊したのだけれど、臨時便が出ているとはいえ、少し遅い西穂高口駅到着となる。
コースタイム14時間超えの計画書は初めてで、ロープウェイを使うためにどうしても遅くなる出発を少し心配していた。
西穂高口駅から西穂山荘までは、小さな子供も一緒にあがっていく、まるで行楽地のような賑わいだ。
しげさんとの鈴鹿山行で、春山の花に賑わう人々を経験したことはあるが、こんなに人が多いのは初めてでびっくり、まるで下界だ。
人が多くて進めないところもあれば、なんだか足取りも重いこともあって、西穂高岳にコースタイム4:30より30分多い5時間かかってしまった。
もっと歩けると思っていたし、もっと歩かないとこの計画書は遂行できないので、自分ががっかりだった。
とはいえ、御在所ではない初めての岩稜帯はとても楽しく、トレーニングの賜物か、高度感も心配なく、落石に注意しながら進むことができ、とても整備された登山道だと思った。

西穂独標を過ぎる頃、人も少なくなってきて、「山」って感じがした。
途中、聡さんから「呼吸法」について伝授されたが、なかなかうまくできない。
なんだかバテ気味になった頃、聡さんが「今日はココでテントを張ろう」と一声。
計画書の半分も進めずに悔しかったけど、正直フラフラで、ホッとした。
テントを設営している中、遠くで雷の音がする。「怖いなぁ」と聡さんがつぶやく中、マンガ「岳」でしか、雷の怖さを知らない新人は、ピンときていない。テントに入り、荷物を整理すると、ソーセージと桃缶を食べて、鶴の一声ならぬ聡さんの一声「どうする?昼寝する?」に仰天、今までの山行全てが雪の上でのテント生活で、今回初めて雪の上でないテント泊に、雪で水を作ったりする必要がないことや寒さの心配があまりないことに、少し緊張が緩むも、雪があって水がどこでも手に入るよさも感じつつ、「昼寝」を選択する。
横になって5分としないうちに「ねぇねぇ、見てみて!変な毛が生えてる!」と腕の白い毛を見せてくる聡さんに、「眠れねぇよっ!」と突っ込むと、「あっ、寝てたの?寝るのに飽きちゃった」と聡さん。今までにないリーダーだ、注意が必要だと感じる。
ほどなく、どうして寝たいか?というと具合が悪いことが発覚、夕食のパスタを作るも食べれず、その後吐きまくることになる。
‘軽い熱中症だね’と聡さんに診断される中、頭も痛く、頭痛薬を飲み就寝。心配していた、雷はどこか遠くへ行ってしまった。

7月25日(日)
:朝、3:30に目覚ましがなると、聡さんは「熱はないか?吐き気は?頭痛は?食欲は?」と私の健康チェックを一通りすると、なんとっ、いびきをかいて寝てしまった!「リーダーが寝ちゃったから、いいのかな?私も寝ちゃおうかな。」と思っていると、もう一度目覚ましがなり、「ダメだよ、起こさなくちゃ!」と朝一教育される。食欲がなく、朝ごはんが食べれない私を心配してもらいながら、聡さんは昨日の夕ご飯の私の残りのパスタを‘スープパスタ’にして食べていた、知恵を感じた。

昨日より、食料が減り軽くなったザックと、マシになった体で出発。
引き続く、岩稜帯は少し難易度UPしていて、注意して通ったけど、楽しかった。
以前なかなかできなかったと思う、降りること、降りるために足を置くことがスムーズにできたと思う。
山登り3回目で行った昨年の宝剣岳は恐怖体験だったけど、今行ったら楽しめるかもしれないと思った。

奥穂高岳に到着し記念撮影をすると、聡さんが今後の行程を決めるために足早に穂高岳山荘に向かって行ってしまった。
30分のコースタイムではあるが、‘ハシゴ’を含む単独行動に、迷ったらどうしようとドキドキしたが、一人にさせるだけある迷いようのない道に救われ、落石はしてもいけないし、落石を受けないように人の動きを見て予測することの大切さを知りながら、聡さんの元へ到着。
安心したせいか、おなかも空いた。昨夜と朝、食べれたなかったことを配慮していただいて、穂高岳山荘で消化の良さそうなうどんを選んで食べる中、エスケープルートの穂高岳山荘から白出沢が決定した。

白出沢の雪渓は、事前に注意するように情報をもらっていて、心構えはしていたけれど、状態はそんなに心配するような感じではなかった。
それでも、傾斜もあるし、アイゼンではない登山靴でピッケルを持っての下降に、聡さんに確保されながら少しずつ進む。
どうしても、ピッケルを持っていない方の手でロープを持ってしまう私に、聡さん曰く「手を放せ、犬の散歩みたいにしろ!君は犬だ!たまにワンっていってもいい」に、「この人、絶対に‘S’だ」と思う。
事故も起きているし、沢を登ってきた人の情報で警察もいたということもあって、慎重に進む。
聡さんが「これは雪訓だねぇ」という中、少し滑ると確実に聡さんが止めてくれる。
雪訓なら、滑って滑落停止とかした方が、早く到着するのにな、と思いながら、へっぴり腰で進む。
聡さんのキックステップのトレースをたどって、後ろ向きに下りていくのがうまくできなかった。
考えてみると、キックステップは今までにトラバースとかしながら行っていて、後ろ向きだとうまく見れなくて、怖くて進まない私を見かねて、好きに進ませてもらうことになるが、それもなかなか進まない。
雪渓みたいなところは、すばやく通過する必要があることを教えられていたが、2時間は雪渓にいただろうか、「いい雪訓だよなぁ」と笑う聡さんを目の端で捉えながら、私はなかなか近づかない雪渓の淵に、永遠に雪渓が続くかと思い、下山できなかったら会社になんて連絡しようと考えていた。

ようやく雪渓を抜けると、ずっと上から見ていて他のパーティが休憩していてうらやましかった場所ではなく、もう少し降りた岩場でやっと休憩となった。雪の上では、落石の音が聞こえないからだ。
やっと休憩できると思ったのにずいぶん進んで辛かったけど、大事なことだと思った。
雪渓を抜けてからは、ちょっとした渡渉やシュルンドを見た。
休憩では、シュルンドでビバークした聡さんの話を聞いたりした。バテ気味の私に、コースタイム3時間のところが5時間かかると判断され、聡さんが荷物を持ってくれた。感謝と自分に少しがっかりしながら、断然軽くなったザックを背負い、足の両親指にできた水ぶくれに苦労し進んだ。
よく考えてみると1500Mほど下山するのも初めてだ、隊長と下山した常念から長堀尾根1000Mを更新した。
いつか2000Mとか下る日も来るだろう。聡さんの核心は、帰りの眠さと戦うことで、名古屋到着は12時前となった。

まだまだ、山登り1年目の私は、全ての季節が初めてで、夏の山行の暑さや夏の雪渓など、これまた学ぶことの多い山行であった。
この計画を作成しているときに、「槍穂の縦走といえば、中高年憧れなんだよ、わかる?」と聡さんに語られたが、この週末に経験して、その魅力が分かった気がした。
いろんな人に、西穂から槍の計画はたぶん難しくて、いけても南岳だろうと思われていただけに、そこにもたどり着けなかったし、半分の行程しかこなせなくて悔しかった。いつか、またリベンジしたい。

【雪渓について】
世界有数の豪雪国の日本は、特に日本海側からの雪雲によって、特に北アルプス連峰は大量の雪が降る。
富士山は日本一の高さではあるが、地理的な要因で北アルプスの山々ほど積雪量がない。
冬の強い西風により、日本の雪渓のほとんどが、山頂や稜線の東・北東・南東方面にある。
西側に降った雪が、強い風で飛ばされて東側に落ちたり、急峻な谷ゆえに周囲に降り積もった雪が、雪崩れて集積されたりする特徴がある。
積もった雪は、東側の深い谷であるために強風も吹かず、たまったままとなり夏どころか秋にも溶けず、万年雪となり氷河化することもある。
また、尾根の風下側に雪が吹きだまってできる「吹きだまり型雪渓」と、急な傾斜から雪崩で運ばれてきた雪が谷の底に積もってできる「雪崩型雪渓」がある。
いずれの場合も、局地的に周囲より多量の雪が積もったために生じたもので、夏にも融けきらずに越年する雪渓を「越年性雪渓(多年性雪渓)」といい、積雪が融解と凍結を繰り返すことによって氷化し、密度が立方センチメートル当たり0.5グラム以上のフィルンfirnと呼ばれる固い雪となる。
雪渓が成長して、厚さや広がりを増せば氷河化する。氷河化した雪渓は自体の重さで傾斜上を滑ることがある。
ちなみに比較的平らな凹地にできた雪渓は雪田と呼ばれることが多い。
雪渓や雪田の周辺部では、雪解け水が凍結、融解を繰り替えることによって岩石が壊され、雪田のある凹地は次第に拡大されるのが、雪食作用である。

【白髪ではない白い毛について】
福毛、幸せの毛、宝毛、猫の毛、宝髭と呼ばれ、1.肩、2.腕、太もも、3.目尻、頬の順に発生が高く、「あまり人に話したり、見せたりしてはいけない(幸せがこない)。」「縁起がいいものなので、抜いたりきったりしちゃダメ。」「白い毛があるだけで幸せになれる。縁起がいい。」「願い事があるとそれが生えてきて、願いが叶うと抜ける」というジンクスがある。