個人山行報告書

<日程> 2010/4/17、18
<山域> 中央アルプス 木曽駒ケ岳 雪上訓練⇒変更の池山尾根
<メンバー>山口、山城
<コースタイム>
4/17 三十三年会記念樹(pm12:20)―池山小屋(pm3:20)
4/18 池山小屋(am5:20)―大地獄手前(am9:50)―(am10:50)池山小屋(pm12:00)    ―三十三年会記念樹(pm2:00)

<山行記録>
4月17日(土)快晴
4月18日(日)晴れのち曇り

佐合さんが風邪で欠席で、隊長とマンツーマンの雪訓に怯えながらの参加。
12月の雪訓は12人の大所帯だったのに、二人きりだぜ。
朝7:00山口邸に集合すると、由美さんが仕事で出勤準備をする中、「駒ヶ根では朝方まで雪が降っていて、千畳敷付近はかなりの積雪があり、雪崩が心配されるということで、南山AC隊は北八に変更」とトシさんから連絡を受けた隊長は、急遽ノーマルタイヤの山城カーが行けそうな、そして山城も行けそうなところをパソコンでパチパチと調べ、池山尾根に決定。池山尾根って!?となんだか知っているような、知っていないような、謎に満ちた心境に陥っていたが、「思い出した!プルさんが1月に計画してくれたところじゃないか!」こりゃ、頑張らないといけないなと思いながら出発。山城カーのハンドルをはじめて握る隊長は楽しそう。

登山口を目指すと、冬季通行止めで思いのほか下のほうから歩く。昨日降った雪は残っているものの、雪訓のはずが全然雪がない。
行動時間が短かったのも手伝って、気持ち楽勝で、池山小屋に着いた。
隊長は、着くまで「小屋で泊まるかどうかは、わかんない」と言っていたが、到着すると程なく山城人生2回目の小屋泊まりが決定する。
快適な池山小屋では、水作り、夕食の準備をしながら、ロープワークの確認をされる。
すっかり忘れてしまっている自分にビックリ、隊長ガックリしながら、‘できないとツマミのビーフジャーキーが食べることができないの刑’に、危うく処せられるのを免れる。
夜は、外には星空が広がった!山城史上初、「待ってました!山での星空こんばんは!」星空の報告を隊長にするも、隊長はそんなの全然驚かない(そりゃそうだ、経験値が違う、どこの星空もチベットには負ける)。
そうこうしていると、暗闇の中にヘッテン。誰か来た!小屋で他の人と一緒になるのが初めてで、興味津々。
単身のそのお方は、なぜか私たちの名前を知っていて、驚いていると、昼間うっかり私が落とした計画書を親切に拾ってくださり、渡してくれた。ありがたい。
どうやら、南山OBの方がご友人にいるらしく、猫屋敷をご存知だった、世間は狭い。
明日の朝、隊長から4時おきを宣告された瞬間から眠気に襲われる。


翌日、朝からラーメンに紅茶に定番メニューをなんとなく一人前に平らげることできたような、できていないような。
以前は、食べた瞬間からおなかを壊していたから少し成長したような気がする、1ミリくらい。
アタック装備で出発すると、上はやっぱり雪がある。
隊長の予定では、進みながら雪訓をこなす算段だ。
危なくないところ以外は先頭をいかせてもらうのだけれど、トレースのない雪道に「なんだ、コンチクショー、誰か歩いとけ!」と思いながら進む。

そうこうしているうちに小地獄の手前辺りで、知らない人に追い抜かれる、
ヤッタートレースだ!と思うものの、体力的にも疲れてきて傾斜もあり全然同じように足が置けないし、ついていけない。
大地獄の手前で、「今日はこの辺にしようか」の隊長の言葉に、「待ってました、おっしゃるとおり!」と撤退を決める。

自分では、スタコラサッサ、周りから見たらヨチヨチ下山。
アイゼンをはかなくても良さそうなところに出ても、「雪訓だから」と外すことを許されず、足が重い。
ようやく池山小屋に戻ると、テントなどの撤収とあわせて、しばし休憩。
そこで、今までやってみたかった、予備食「ジフィーズちらし寿司」を作ってみることにした。
初めての利用に、説明を読まなすぎて失敗。
下界でもらって海外で食べたときはとっても美味しかったのに、自分で作ったらシャビシャビでまるで‘スープdeちらし寿司’不味い。
不味いけど、完食。私、‘ご飯っ子’だから、とにかくご飯は元気が出る。

下山すると、お風呂に入り、行きの買出しで試食をして、美味しかったチーズケーキを隊長と手にいれ帰途につく。
時間に余裕があったので、ステラに寄って隊長に念願の「ザック70リットル」を見立ててもらう。今度使うのが楽しみだ。