個人山行報告書
<日程> 2010/1/22~24
<山域> 中央アルプス 上松尾根~木曽駒ケ岳
<メンバー> 青山、山城
<コースタイム>
1/22 北股沢駐車場(am8:40)―敬神の滝小屋―金懸小屋(pm2:00)
1/23 金懸小屋(am9:45)―2600M付近台地BC(pm3:30)、トレース付け
1/24 2600M付近台地BC(am7:30)-木曽駒ケ岳(am11:11)―往路下山(pm5:30)

<山行記録>
1月22日(金)~24日(日) 天候: 全て快晴! 夜は雪

年明けからクライミングやジムに連れて行ってくれているプルさんが、雪山を計画してくださった!
新人にとって、計画をしてくれる方は神様だ!ついていきます、プル先輩!と心に誓ったものの、雪道に入ると膝ラッセルしているプルさんについていけなくなる。
雪上訓練で行った御岳とは同じ雪山でも全然違う、ザックも食料とMSRで過去最重量。
でも、プルさんはもっとたくさん持ってくれているから、頑張らなくちゃ。

少し高さがあるところがてきめんに登れない。途中巻き道で時間の短縮を狙うものの、登山道から外れると全然上がってこれない私を見かねて元の道に戻ったりした、すいませんプル先輩。
そんな中、予定の東北東のコルでのテント泊を変更して、そんなに標高も変わらないお布団や毛布、机のある快適な金懸小屋での泊まりとなる。
ヤッター!念願の小屋泊まりデビューだ!プルさんは自分のお家より快適だと話していた。
屋根から落ちてきたような圧縮された雪の塊のほうが密度が高いから、水を作るのにいいことなどを教えてもらいながら、雪を雪袋に入れたり、水を作ったりした。火をつけるときに、ちょっと危なっかしかったらしく、その後3日間MSRに触れる機会を失ってしまった。
触らないとうまくなれないし、複雑な心境だ。
到着した時は、消耗していたけど休憩をしてプルさんが作ってくれた濃縮コーンポタージュを飲んだり、少し横になったりしたら少し元気になった。(山で飲むコーンポタージュは、なんて美味しいんだ!)
夕日が綺麗なポイントらしく、水戸さんが話していた雪山の星空とともに楽しみにしていたが、雪が降ってきて見ることができなかった。
いつかまた、今度の楽しみになった!
今まで経験した、2回の山の上でのテント泊は、5人とか6人の真ん中で暖かく寝かせてもらっていた。3回目の今回、2人しかいないので、初めて片側が端っこになることが寒さが不安でしょうがなかったが、プルさんは快適さを求めて2・3テン予定を、1・2テンにしておいてくれたりして、思いのほか暖かく過ごせた。夜は、プルさんとたくさんお話しをした。

2日目は、雪も増えて昨日の疲れも出ていて、思うように進まない。プルさんにいつも待っていてもらう。
やっと着いたテン場で、設営を指示され、その間にプルさんがトレースをつけてくれることになった。
ならしてもならしても、雪はモコモコして平にならないし、なかなか進まない。
プルさんがトレースから帰ってこなかったらどうしよう、帰ってきて作業が進んでいなくて怒られたらどうしよう、という不安の中、怒る準備をしてプルさんが戻ってくるが、なんとなくテントを建ててフライをかぶせ、水用の雪を集めて、ザックの荷物をテントの中に並べておいて落第点を免れたようだ。夜は、昨日に引き続きパスタをしこたま食べた。
プルさんは、鼻血を出したりして、テントの中で流血だ。樹林帯でテント泊が初めてで、夜は風が木をざわめかすのが恐ろしかった。

3日目の朝は寝坊をした。
以前、隊長が書いていた報告書で「寝坊した人間に登頂の資格はない」というのを読んだことがあったが、出発。
初めてのアタック装備だ。
雪訓の御岳で2日目の朝の準備のときに隊長に「アタックの時と同じ準備をして」と言われて、アタックしたことがなかったからわからなくて教えてもらった。思えば、3ヶ月前の私は雑誌で知った言葉の“アタックザック”は、山で熊が出たときに投げて撃退するためのものだと思っていた。
この何ヶ月かでたくさんのことを教えてもらったし、まだまだこれからも知ることがたくさんあるんだろうなと思った。
アタック装備は、まとめてプルさんが持ってくれて、空身での出発。
昨日プルさんがつけてきてくれたトレースは、どこまでも続いていた。
樹林帯を抜けると、朝日が眩しく輝いていた。プルさんも光って、ちょっとかっこよかった。見下ろすと、虹がかかっていて幻想的。
「後学の為に先に行ってみて」と言われ、少し迷ったりするけれど、振り返りプルさんに確認しながら先頭を行かせてもらった。
雪質にも恵まれて、誰も歩いていないところを歩くのは、凄く気持ちが良かった。
視界が開けてくると「映画みたい」な世界が広がっていた。
例え方が悪いけど、映画とかでしかみたことない世界だから、そんな中に自分がいるのが不思議だった。
「木曽前岳までは、すぐそこだよ」というプルさんの言葉とは裏腹に思いのほか遠く、私の山頂は木曽前岳になるかと思った。

今回の山行は、いろんな人からアドバイスをもらっていた。そんな中、プルさんは、私のスペック(パッキングの遅さや歩行の遅さ)を再確認しながらも、予定通り事を進めていく。
途中、どこで判断をして、計画を変更するんだろうと思ったりしながらも、当たり前に山頂を目指す。
どうしてそんな自信があるんだろう?と不思議に思っていたけど、木曽前岳に到着してから木曽駒ヶ岳に向かいながら、登頂が現実的になるにつれ嬉しくて涙が出た。プルさん、凄い!尊敬します!

山頂に着くと、プルさんとこぶしをぶつけ合った。それまでもそうだったけど、言われるままに写真撮影。
フィルム写真でその場ではわからなかったけど、後で凄く上手に取ってもらえて感動が再び。
本人曰く“アングルの魔術師”らしい。
晴天の中、並ぶ山々をプルさんが紹介してくれた、「富士山こんにちは」。感動の登頂から、現実に戻り、一目散に下山を開始。

この3日間で、プルさんは私が行動開始4時間でスタミナ切れするのを分析していた、疲れて下山途中の7合目、プルさんが「また、行きましょうね」と言ってくれた。凄く嬉しくて、頑張って下山しようと思った。
まだ、日があるうちに登山口に到着、と、ここでハプニング。
登山口から駐車場に行く道で、プルさんとはぐれること30分、名前を呼ぶも滝の音に消され、携帯はつながらないし、プルさんが迎えに来てくれたときには、泣きながらの駐車場到着に。
今回、せっかくの雪山山行で凍傷で撤退は絶対したくないと、急に搭載された‘二重靴’は、履き慣らしてないので、靴ずれが不安だったけど、最初のうちかかとが少し痛かったけど、この3日間のうちに靴ともずいぶん仲良くなれた気がした。
思い返せば、初日より3日目のほうがずっとわかんで歩くのも上手になった。
学ぶこと、経験できたこと、感動は、なによりきっと一生忘れない山行になった。