鹿島槍ヶ岳報告書

<山域>北アルプス北部 後立山 鹿島槍ヶ岳 
<日程>2007/08/11−08/12
<メンバー>渡邊(LD)・小川・伊藤・水戸・森山・古山・服部・黄

8/11(土) 晴のち曇りのち雨
7:00大谷原駐車場集合8:00−8:40西俣出合9:00−11:00高千穂平11:20−13:00冷乗越13:15−14:15冷池山荘−14:30TS
8/12(日) 快晴 3:00起床-5:30TS−6:30布引ケルン7:30−8:20鹿島槍ヶ岳南峰
8:40−9:15北峰ケルン10:10−11:30TS・冷池山荘12:30−14:40〜15:00西俣出合−15:30〜16:00大谷原駐車場=薬師の湯=名古屋

チーム猫屋敷へ入会して丸1年が過ぎ、3度目を数える追悼登山に参加させてもらった。2004年12月5日の新聞記事を偶然目にし、
のちに貴船の鈴木さんのHPで猫屋敷の方だと知った。その年の夏、活動の場を求めていた私は山口さんとお逢いしていた。
そのまま活動にすぐ加わっていたら、お逢いできていたかもしれない・・・。
折に触れ、聡さんからその人となりを伺い、逢いたかったなと思わせる好青年。
追悼文集「毅」の「鹿島槍北壁主稜」、季節は違うが間近にその雄姿を見に行く機会を得た。
一番好きだったという鹿島槍は最高のロケーションを有していた。

今回の追悼登山は登山口に着くまでに色々とハプニングがあった。ケロさんは終わるまで一番楽しまれたことでしょう。

まず最初に聡さんが前週、笠槍縦走中に重度の捻挫をして参加できなくなった。
次に、同じ南山大学山岳部OBの浜島さんが、出発当日お祖母さまの逝去で参加できなくなった。
間際に配車変更をして、私は単独深夜移動にさせてもらった。結果的にはライフラインの役目を果たすことになった。

体力に欠ける私は、一旦仮眠。深夜起床、慌しく出発しようとしたところ、車に置きっぱの携帯がチカチカしている。
なんと緊急連絡が入っていた。鈴木さんの車が動かないので、ピックアップしていくようにとの指示だ。
鈴木さんは全員のお酒と食材の準備をして下っているので、是が非でも合流せねばならない。すぐに連絡を取り、鈴木邸の駐車場へ急ぐ。
そこで待っててくださったのは青白い顔をした鈴木さんだった。車の調子以上に御自身の調子が悪そう。肺炎治療の影響とのこと。
とても、お連れできず(ケロさんからは絶対に連れてくるよう命が出ていたが・・。)、ひとり大谷原へ向かう。
合流する際、少々道に迷ったが無事8名が顔を揃えた。

鈴木さんはとてもとても食べきれないほどの食材とビールの用意をしてくれており、半分近く減らして、各自共同装備として分担する。
が、半分はケロさんが担当したのではないだろうか?1年ぶりの山行とはとても思えなかった。流石でございます。
この度の山行は、ケロさん以外、純ちゃんとルミナちゃんが杵柄でそれ以外の方は猫新人チームという構成。
黄さんも歩行時間の長い山行は初めてのよう。ケロさんは終始、黄さんをサポート。
重い荷物背負って自分のペースで歩けないのは辛いことでしょうが、ケロっとしてた。見習わなくては・・・。
5人の新人を一手に面倒を見るという、ケロさんを試すような山行だねと言ってましたが、本当にお疲れ様でした。

さて、赤岩尾根は鹿島槍の双耳峰を間近に、北壁の顕著なルンゼから布引山を一望できる、すこぶる快適な尾根で西俣出合から涼しいトンネル(沢の暗部に作られている)を潜って登山道へ上がっていく。
稜線に上がるまでは、結構急坂。ところどころのやせ尾根では涼風が心地好い。
高千穂平まで上がり、ザレ場のトラバースを2,3箇所行けば冷乗越にでる。ここから見るテンバはあまり好きではない。
一旦、ググッと下がり、またひと登りしなければならない。ビールが美味しくなる行程と思えば、楽しくなるかも。
今年の夏休みは天気に恵まれている。この二日間、天気の心配はいらなさそうである。その代わりに、猛烈に暑い。
熱中症になりかけたのは私とルミナちゃん。私は毎度、寝不足からくるものだが、ルミナちゃんは帽子の通気性に難があったようだ。
熱が篭ってしまい、高千穂平あたりで具合が悪くなったと思われる。純ちゃんの帽子を借りたら、治まってきた。
私は合計で小1時間、登山道脇で寝たら回復した。なんだかんだとゆったりと休憩たっぷりで純ちゃん曰く、「こんな楽しい登山初めて。」とのこと。
聞けば、休憩なんてまず取れなくて、写真を撮ろうとすると「心の写真に焼き付けろ。by伊藤聡」とか、山口さんとの山行は走って登っていたとか・・・。
とはいえ、お二人ともほとんど山に入っていないのに強く、歌いながらの下山は楽しかった。
ルミナちゃんがリズムを取るのに歌っていた「○っこきむし、○っこきむし」は、笑えました。
歌といえば、聡さんが職場の人と行く予定の槍ヶ岳がぽしゃって、純ちゃん・ルミナちゃん・藤井さんの4人で急遽行くことになったのですよね。
お二人にとって相当きつい行程だったそうですが、最後の槍への登りの途中ずっと、歌を歌っていたとか。
文集にも触れておられましたが、そんな話を思い出しました。

記録や話しを聞く限りでは今回の宴会は上品に終焉したように思います。
テント設営後、三々五々ビールを開け、適当につまみながら始まった。各々自然と役割分担できてました。チームワーク良かったと思います
。ただ、ポンピングするのに鍋を抑えてもらうよう頼まなかったのは反省。炊いていたご飯の鍋がひっくり返っちゃいました。
ボスがいたら、大目玉を食らうところです。
すき焼きも酒量も、昨年までの桁外れの消費には足元にも及ばなかったけれど、それなりに飲んで食べて楽しかった。
最後はやはりケロさんが食いシゴキっぽかった。
そういえば、“ヘッド捻じ曲がり事件−大阪商人、中国四千年の秘儀に負ける−”というサスペンス並のサブタイトルがつくハプニングがあり、「水戸さんの馬鹿力。」と2,3度ケロさんになじられたような気がします。
ヘッドは修理に出しましたが、修理代金で新品交換となりました。修理に出すたびに新品交換されるケースが多い。ラッキーである。
あと、朝食のサンドウィッチも美味しかった。食当は黄さん大活躍でした。ラーメン以外の朝食もたまにはいいかも。
テントもダンロップに女性だけで5人泊まるなんて、はじめてでした。

宴会も終盤になってきた頃、けっこうな雨が降り始め、そのままお開き。
3時頃はこの夏一番の星空。雲海が広がり、幻想的な日の出と剣岳の朝焼けは綺麗だった。

追悼会として、布引ケルンにひまわりがとても素敵な花束と百合とカーネーションの花束を献花。お線香とビール、タバコを捧げ、皆で黙祷。
ケロさんから遭難状況の説明があり、この場所で眠っていると思うと目頭が熱くなった。
前方は憧れの剣岳、遠く槍ヶ岳が聳え日本アルプスのいいとこ取りのような場所。遺影となっている写真は、まさにここなのだ。
純ちゃんとルミナちゃんはそのまま留まり、鹿島槍ヶ岳(南峰)には黄さん、服部さん、シゲさんが登頂。
北峰ケルンへは、ケロさん、古山さんと私の三人で行きました。
ヨーロッパ遠征前、山口さんが確認されていたように、ともにケルンはしっかり積み上がっていました。
北峰はとても快適だった。北壁・・・天狗の鼻からの急峻なルンゼ、稜線の細さ、ここに雪がついたら・・・高みを目指す方たちがそそられる要素があるのでしょうね。
富山側からの強いアゲンストの風にトンビが抗っていた。下界では真夏日が続いているが、山頂では防寒具を着ないと寒い。
真夏でさえ風が強く体感温度が下がる。トンビは力尽き風に戻されるとまた体制を立て直して風に向かっていた。
その繰り返しをぼーっと眺め、ケルンを後にした。


チーム猫屋敷もこれから仲間が増えていくでしょうが、鹿島槍に眠っている熱い心を持つ先輩がいたことを伝えていただければと思います。
そして、また逢いにいきたいと思います。