剣岳八ッ峰下半縦走報告書

<山域>北アルプス北部 剣岳・八峰下半
<日程>2007/07/27-7/30
<メンバー>伊藤(聡)・水戸

7/27(金) 快晴     名古屋=立山−室堂12:30−16:00剣沢BC
7/28(土) 曇りのち雨 2:00起床-3:00判断−4:00剣沢撤収−雷鳥平TS
7/29(日) 曇り/晴/雨 2:00起床−3:00雷鳥平−4:30剣御前小屋5:00-5:30剣沢6:00−8:00八峰T・U峰ルンゼ登攀開始
−13:00T峰よりの稜線に出る。下半縦走開始−15:00頃W峰懸垂開始−18:00頃X峰懸垂開始−19:30雪渓へのルート探し
-20:30ビバーク−24:00頃?就寝
7/30(月) 雨のち曇り 4:30頃より行動開始−6:00頃雪渓脱出−8:30頃救助手伝い終了-12:00剣沢13:00-雷鳥平TS16:45撤収
−最終で立山駅へ−臨時第2駐車場にJAF20:00過ぎ到着−深夜(未明)名古屋帰着−会社へ出勤

GW以来、ザイルを結んでいないまま聡さんと念願の剣岳へ。
出発前から車を電信柱にぶつけたり、高速道路走行中、目の前でトラックのタイヤがバーストしたりとお互い暗黙の不吉感が漂っていた。
→いやいや、わくわく感でした。
立山駅では最後の駐車スペースをちゃっかり他のおっちゃんに盗られ、それでも無理やり停めようとしていたら、どこぞのおっちゃんが
「あの建物(カルデラ博物館)の裏の駐車場へ入れて。」と。
最初の核心は、重いザックを背負って階段上ることでした。はぁ〜・・・。気を取り直して、観光客でごった返している室堂に到着。
さぁ、さくっと剣沢まで上がるぞ!
御前小屋では偶然、鈴木さんと合流。剣沢TSでは楽しい焼肉となりました。

アタックの朝、準備をすべて済ませ、3:00テントの外に立ち、出発するかどうか検討。
懸念していたように荒天の兆しに、撤退の意見。
聡さんからひよっていたと後から指摘されたが、そうかもしれない。
心が剣を畏れていたようだ。
雷鳥平まで降りたら、今度は下りたくなくなった。
聡さんにお願いしてテントを設営させてもらう。
そのうち、鈴木さんも下山してきた。剣を覆い被さるような竜雲に恐れをなしたとのこと。
束の間コーヒーを飲み、鈴木さんを見送る。
この時置いていって下さったレトルトカレーが、ビバークの御馳走になるとは思いもよらなかった。
鈴木さんが発った1時間くらい後からすごい雨になった。
それでも、剣への想いが届いたのか、わずかながら期待のできる天気図に変わった。
聡さんは慎重だった。
かなりの降雨の後の登攀、雪渓の処理、いずれにしても厳しい登攀になることを想定していくつかのターニングポイントを作った。
そして、雷鳥平からのアタックを実行した。
結果は、甘かったと反省。いくつかの課題が残ったが、また、剣と向き合う機会を作り、課題がクリアになるよう頑張りたい。

さて、八峰下半に今年まだ誰も入っていないらしいことと、特に今年のように雪が多いとルンゼ登攀の方が厳しいでしょうと、
長次郎雪渓出合で出合った5人パーティのおひとりから聞かされた。
この方が、Y峰のシュルンドに転落されることになるなんて夢にも思わなかった。
また、それを目撃することになるとは・・・。

はたして、ルンゼはとても1時間あまりで抜けられる状態ではなかった。
Tピッチ目、登れそうな箇所はX級くらいの垂壁。雪渓がルンゼを被っている。
高さは4mくらいか。ロープを出し、空身で聡さんがリード。
私はザックを背負ってフォロー。
驚いたことに右足ハイステップして体を引き上げようとしても、下から引っ張られているように重い。
もがく・・・まずい!!と思っているうちに、ずりずりとグランドフォールしてしまった。
聡さんがセルフを取っていなかったら一緒に引きずり落としていたかもしれない。
思っている以上に荷物が重かった。空身で上がったら、なんてことはないのに・・・。
本チャンの怖さを思い知った。

薄れ日が差し込み、天気が回復してきたと思っていたら予報通りお昼頃から雨になった。
Tピッチ目で怖い思いをしたので、かなり慎重に登る。
聡さんはステルスC4のアプローチシューズで快適そうに登っている。
登山靴でスラブは、ちと怖いが慣れてくると信じられるようになる。

ルートは草付を高巻いた方がよいように感じたが、できるだけルンゼに沿って登攀した。
リードはすべて聡さんだが、一緒にルーファイさせてもらった。
自然、上へと導かれて行く。
所々、古い残置ハーケンが出てきた。6ピッチほどロープを出しただろうか?
上部のスラブはかなり嫌らしく感じた。
ロープを出したり、しまったりの時間がもったいないような気がした。技術的な課題だ。

稜上の縦走は難しいところはなく、すこぶる快適だがこの頃は雨が止み、風が出てきていた。
レイアリングをこまめに行い、体温を逃がさないよう心掛ける。

W峰の懸垂は池ノ谷側へ40mほどの下降。
雪渓の中への下降といったイメージだ。
ここで、ロープが回収できなくなり、聡さんが登り返すことになる。
先に下降していた私は、ルーファイを命じられる。
ガラガラの暗〜い急坂を雪渓の切れ目まで下り、X峰への登り返しルートをチェックする。
雨で滝と化している箇所から登り返しはできると確認し、ガチガチ震えながらセルフを取って聡さんを待つ。

あと、1つで下半は終了だ。
もう、今日は剣沢小屋まで下って小屋で泊まろう、そうしよう!と二人で話しながら、X峰の懸垂ポイントに到着。
対岸のY峰で懸垂下降しているパーティがいる・・・今朝、出合った人達だ。
なんだか、嬉しくなった。
2人は前方のガレ場に下りるためのフィックスを張っている。残りの3人はシュルンドが開いているので、ビレーしながらへつっている。
と、聡さんが「落ちた!」と叫ぶ。見ると、まさに引っ張られるように人がシュルンドの中へ吸い込まれていった。
救助されるまでとても心配だったが、2人転落していて1人骨折で、1人無傷だったと知った時は安堵した。

目撃した時は下降したら手伝いに行こうと思っていたが、雪渓から脱出できずビバークすることになる。

最後の下降地点をふたりで確認し、懸垂をセット。
セットはすべて聡さんが行ったが、スリングの確認や引くロープなどお互いにチェックしていた。
これまで真新しいスリングが残置されており、一日前くらいに下半を縦走したパーティの存在を感じていた。
が、ここではそのスリングはなかった。懸垂ポイントは裏側へ下降する箇所もあるようなのでそちらへ下りたのか?
聡さんが下降し始めてから、15m下の右側にしっかりとした踏み跡のあるアプローチを確認。
しかし軌道修正はできず、そのまま真直ぐ下降することになった。結果的には正解ルートであった。

X峰と大きな岩との隙間(約1.5mくらい)、傾斜のあるガレ場に降り立つ。
後ろはチョックストーン、前は雪渓に阻まれてコルへ上がれない・・・。

雨が降り出してきた。
日没・・・。ヘッデンを点け、アイゼンを履き、雪渓と岩の間を抜けようと試みる。
足掛かりがない。アイゼンが滑る。
暗闇で眼前の雪壁が立っている様に感じる。
足元がぱっくり開いているように見える。
ここからよりも岩の上からルートを探した方が良さそうだ。
聡さんが行く。雨が降っている上、暗くて危ない。

もう、ビバークしましょう。ビバーク、ビバーク。
聡さん、斜面なので大きめの岩を椅子のようにセットしましょう。
はい、はい、これでよし。
ばさばさっとシートを敷いて、ツエルトを被る。
聡さんのレーション袋から林檎を取り出し、勝手に切って二人で分けて食べる。あはははは
めちゃくちゃ美味しかった。
続いて、コンソメスープを飲む。はぁ〜生き返る。

この時、心の中でお逢いしたことのない藤井さんと会話。
追悼文集「毅」を直前に読んでいたので、先輩である聡さんとビバークしちゃってます、みたいな感じで。
こういう時はどうされていたのかなぁ、とか。
まぁ、なるようにしかならないでしょ。
ここはラッキーにも風も遮れるし、斜面という点を除いてはビバーク適地じゃない?
落ち着いて、朝を待ちましょう、と。
まぁ予定通りのビバークだしね。
寒いといっても夏だしね。悲壮感はなかった。

林檎とコンソメで人心地ついたら、ジフィーズで夕食。
レトルトカレーを持ってきていたから、疲れた体には食べやすかった。といっても、私は一口だけ。
本当に美味しかった。

途端に睡魔に襲われ、シュラフに入って爆睡。
2時間後に寒さで目覚める。
聡さんはツエルトの外で震えていた。
下の段で丸くなって寝ていた私がほとんどのツエルトを被っていたようだ。すみません。

ガスを点け、暖を取る。
3:00頃の月は煌々と輝いていたが、朝方は雨になった。

対岸の事故のパーティもビバークをしたようだった。
時折、声が聞こえていたが、どうなったのだろう。

夜明けとともに行動開始。
聡さんが岩の上に登る。
誰かと挨拶している。誰?・・・山岳警備隊の人。
私達も救助して欲しいくらいだね、なんて言いながらルートを探す。
ある程度脱出ルートに目処が立った頃、救助隊の方が私たちの予定を聞く。下山するだけです。
なら、ストレッチャー搬送を手伝って。あぁ、はい、ここを出たらお手伝いします。
なーにが、どこからでも出れるよぉ、と富山弁でスタスタ下りてきてくれたのは、園川さんだった。

目の前に園川さんがいらして、ドキドキしちゃった。

なんだ、昨夜行こうとしていたルートで良かったのか。
でも、暗闇で不確実だったのでビバークしましたと言ったら、それが正解。とおっしゃってくれた。

園川さんは、ボートの搬送システムを構築、私たちに下で待機するよう指示をされ、若い隊員に「ばか!」と叱咤。
不謹慎かもしれないが、かっこよかった。

ビバークされた事故パーティの方々は火気などの装備がなかったようで、なかなか厳しい夜を過ごされたよう。
聡さんがしきりに、合流できたらもう少しマシなビバークだったろうにと、気遣っていたのが印象的でした。

それにしても、搬送ルートが半端なくショートルートでした。
雪渓が2mに渡って切れている箇所で、ボートを持ち上げて雪渓に渡すところが核心。
男衆3人で重そうなボートを必死で渡していました。
私は何の役にも立ってませんでしたが、いい経験をさせて頂きました。

剣沢雪渓の登り返しでは、シャリバテでスピードが上がらず休憩していたら、途中御一緒になった森中ガイドさんがコーヒーを下さった。
3.4のコルでビバークしたと思い違いして労ってくださったようです。

剣沢小屋でUFOを1.5人前食べて、御前小屋で30分仮眠して、ダッシュで室堂に行き最終のバスに乗って、ようやく下山。
聡さんが車ネタでなにかありそうだな、なんて言うから・・・。
やれやれ、美味しいもの食べて帰りましょう、とまっくらの駐車場へ行ったら、完全放電によるバッテリー上がりでレガシーはウンともスンとも言いません。
あはははは

では、JAFが来るまで、文登研で食材を調達してたという五十嶋商店で材料買って、駐車場で食べてましょう。
そうして、JAFの親切なおじさんが来て小1時間色々みてくれて、エンジン切らなければ名古屋まで帰れるのではと言われるくらいに回復。
よかった、よかった。
立山ICに22:00過ぎに乗り、朝方帰宅して着替えて会社へ出勤。

これまでの中で一番の忘れられない夏合宿になりました。