ボスが語る、ボスの部屋
ローツェ南壁について |
![]() (写真:中日新聞社提供) ボス完登の ヒマラヤ ローツェ南壁(8,516m) 冬期としては世界初の快挙となりました (日本山岳会東海支部隊 2006年12月27日 15:35分) |
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ボス ローツェを語る 1月10日にネパールより帰国したボスの完登祝いに猫屋敷メンバーが集結しました。皆から設問攻めに会うボス。あのタフなボスでさえ疲れがまだ残っているとのことでしたが、笑顔でいろいろと語らってくれました。 <現在の体調は?> 8000mの高度がもたらす疲労がまだ取り切れていない。軽くお腹が壊れ気味で1日1食の日々。指先にまだ痺れがあり、しばらくはのんびりしたいが、2週間くらいしたら山に行こうかと考えている。 <最後トップをずっとしていたクーロアールはどんなかんじか?> 斜度は70度くらい。ヒマラヤ襞(ひだ)の雪面をずっと登っていた。稜線手前で日が当たってグサグサの雪になり今山行で一番の難所だった。 <登りきった時に何を思ったか?> もうこれ以上登らなくていいんだと思いほっとした。 |
![]() 疲れを隠し笑顔で皆と語るボス |
<どうやって隊員に選ばれたのか?> 隊長の田辺さんと2年前に東海支部の主催するヒマラヤ研究会で知り合った。一緒に登山はしたこと無かったが田辺さんが覚えていてくれて電話で今回の話のお誘いをいただいた。 <登はん時はどういったかんじで登っていたのか?> 単なる雪面であればランニングビレイは時間短縮のため取らなかった。フィックスロープが確保ロープであり太さφ6mm。 <ベースからC2はどんなかんじだったか?落石はどうだったか?> 2隊に分かれて行動していたのだが主に自分の居ない方のチームがルート工作を行っていたため実は苦労していない。落石は風の強い日や天気の良い日によく起きた。落石を避けるために朝3時から行動したことやルートを伸ばすのを見合わせてキャンプに戻ったこともあった。C3付近で一度顔くらいの大きさの石を目の前で避けた。 <どういった難所があったか?> 7300m地点の垂直の岩。ルート工作はしていないがトラバースが非常に怖く、フィックスロープに完全にぶら下がった箇所もあった。またここを抜けたところのクーロアールに落石集中箇所があり苦労した。 7800m、C3手前は落石が多い。フィックスロープにザイルが当たって傷めることも起きた。 |
![]() 神妙な面持ちで耳を傾ける猫のメンバー |
<昨年12月27日に新聞に載った写真について> C2で撮った写真を使った。あれはテントから顔を出して撮ったのだが面倒臭かったのと逆行で眩しかったのであんな顔になってしまった。もうちょっとまともな写真はなかったか?田辺さんの笑顔の写真があれだけだったもので。。。 <登山中はずっと風呂が無いけど臭くないのか?> 全く臭くない。登山中は週に1度シャンプー用の湯を作ってもらってそれで行っていた。こっちに戻ってから風呂には入っているが何か垢が取り切れていないような気が。。。 <帰国前にカトマンズで何か観光してきたか> 航空チケットがキャンセル待ちで取ったため、カトマンズに着いてすぐに帰る慌しいスケジュールとなった。コックと一緒に観光へ行こうと約束していたのだが非常に残念。 |
ローツェ隊からのメールなど 登山活動状況について現地より届いてきたものです |
<2006/11/27 現地登山隊より>
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(写真:中日新聞社提供)
<2006/12/27 日本山岳会東海支部より>
<2006/12/15 現地登山隊より>
ローツェ隊、12月1日にA隊(田辺、剣持、山口、シェルパ)C2 (7100m)を建設しました。
当初の予定より約5〜6日遅れです。今回は、風がとても強いのと、積雪が多いのが特徴です。
今年は偏西風が南側からのがかかっているため、止む事がありません。 風は、行動を妨げ、体温を奪います。
今の7000m付近では、平均気温がマイナス20度近いのですが、だいたい、風速15〜20m前後の風が吹き続けています。体感気温はマイナス30〜35度になります。1分も素肌や指などを出
していれば、たちまち凍傷になります。また、風は落氷、落石を誘発します。
積雪が多いのは、その落石を押さえてくれる反面、過去2回の遠征で、岩伝いに歩いて行けたところが、斜度60度近いカリカリの氷の斜面になっていたりしているため、ルート工作に手間取ったりしています。
B隊がC2へのルート工作した際は、01時に出発したのですが、途中の通称「象の鼻」の周辺で、猛烈な風が吹いていたため、耐風姿勢をとっていたにもかかわらず、千田、山本両隊員が10m近く飛ばされてしまいました。斜面の傾斜は50〜60度近く、6mmのフィックスロープがあって、それが切れたり、登高器が外れなかったので事亡きを得ましたが、安全の為、後続のシェルパの荷上げは中止しました。その後、マイナス20度近い中、2人で日の出まで風を耐え、そこから6時間登り、C2までのルート工作をしてきました。
また、ルート工作を終えて、BCに下りても、毎日が砂嵐の連続 で、テントの中、パソコン、寝袋すべてが砂だらけです。テントや服のファスナーが砂で削れて壊れてゆきます。ゆったりと落ち着いて休む場所はありません。でも、がんばりますよ!コックが作ってくれるうまい日本食がなによりの楽しみといえます。
本日12月2日よりA隊がC2からTC3(仮C3)のルート工作に向かいます。12月3日より入れ替わりでB隊がC2に入り、TC3へのルート工作、設営に向かいます。
(文章:中日新聞社提供)
<2006/9/25 現地登山隊より>
本日25日、BCにて30cmの降雪のため、C1(6600m)への行動中止。
通信行いました。通信、シシャパンマBCでは、バッテリのみでの起動ですので、不定期で送受信をしています。
24日のプジャーをしているときに雪が降り始め、モンスーンの最後のあがきで、BCで40cmほど昨日から積もりました。
もう2〜3日したら、晴れる予報なので、C1(6600m)に上がります。
まだ、全員が高度馴化しきれていないので、何人かは軽い頭痛はありますが、同じ行動で動いています。
他に日本隊としては、近藤賢司ガイドの公募隊が来ています。周辺には、ノルウェー、コロンビア、アメリカ、イタリア、中国、スペイン隊などが来ており結構にぎやかです。
(文章:中日新聞社提供)