部屋の片付けをしていたら古いテープを見つけた。

第33回 北海道吹奏楽団体コンクール(金賞)
1988.9.23 24 25


特に目立たない普通の女の子だった私は中学生になったら友達に誘われて吹奏楽部に入った。
特に楽器の希望は無く、友達と一緒のクラリネットになった。

初めての日。マウスピースを皆に渡される。
みんな最初は音が出ない。けどだんだん音が出せるようになる。
私はその日、最後まで音が出なかった。
悔しいんだかなんだかわからずに涙が出た。

その後も私は上達しなかった。
楽器がなんとか吹けるようになっても私は演奏の中に入れてもらえない。
ヘタな音が入ると音がにごる。

友達は「もっと練習してうまくなろうね!」って調子なので
辞めたいんだけど言えない。
一人でもくもくと練習してた。


そんな私は2年生になると突然上達した。
(それまで使っていた楽器が悪かったという噂もあり)
うまくなると練習は楽しくなるもんだ。みんなの演奏にも入れてもらえた。
どんどん楽しくなっていった。演奏って楽しい。

コンクールの曲が決まった。
ヴェルディ作曲 「運命の力」序曲
部員が多いのでA編成で出るはずだった。
でも私は学校の行事予定表を見た。A編成の地区大会の日は学校の運動会がある。
そのことを先生に告げると、急遽B編成で出場になった。
学校行事を優先させる、ということだ。
A編成は50人、B編成は25人出場だ。
出られるメンバーが半分になる。
私、気がつかなきゃよかった。。。

この曲はクラリネットが重要だということで
私はサード(3番)クラリネットのパートリーダーとなった。
ヘタなのにいいのかなぁ?
フルートの子はむちゃくちゃ上手いのに先輩を優先してということでメンバーに入れなかった。
彼女はめちゃくちゃ悔しがっていた。
複雑だった。

とにかく練習、練習の日々だった。
出られないみんなの分も頑張ろう、そういう意識になった。
とにかく難しい曲で、自分の実力のなさを痛感した。
でも頑張らなくちゃ、私も重要なパートの一部なんだから。


もしかしてこれっていいんじゃないか?
演奏してそう感じるようになったのはいつの頃だろう。
いけるんじゃないか?
細部もちゃんとできるよう、家でも特訓した。

夏休みはブラバン一色だ。
毎日制服を着て、楽器を持って学校だ。
暑いなんていってられない。夏が終われば地区大会だ。
最低でも金は取りたい。


秋が来た。地区大会だ。
うちの中学はいつも地区止まりだった。
歴史を変えたい。

私にとって初めての地区大会。場所は札幌市民会館(かな)
かなり緊張した。でもそれ以上のパワーを感じた。
あんなに練習してきたんだ。自分を信じて演奏した。

結果は金賞。それに全道大会出場!
地区止まりだったうちの部が。。信じられない思いがあった。

何が変わったかというと周りだ。
「がんばってね!」声をかけられるようになった。
でもここでうかれちゃいけない。
B編成は全道で終わりだ。全国大会出場はできない。
だからB編成で北海道で一番になろう!
これが最後の演奏だから。


最後の演奏。
北海道からたくさんの強豪が集まる。
北海道厚生年金会館。北海道の中でホールクラスでは一番の会館だ。
たくさんの素晴らしい演奏会がここである。様々なミュージシャンがここに来る。
(もち、福山雅治もここでやることになるのよ〜て、思うと一緒のステージに立ったのよ♪)
何故か緊張がなかった。
もうここにこないかもしれない、と私の中にあった。
こんな運命は二度と無い気がした。
校長先生やら関係者がたくさん見てる(近いので)

札幌地区代表・・・アナウンスが流れる。
みんなで一番輝く演奏が出来た。そう思った。


「運命の力」序曲
曲のタイトルが泣かせるねぇ。
テープを聴いて、とにかく勢いがあるなぁ。と思った。
結局、結果は金賞。金賞の中でも1番だった、というのが喜びに輪をかける。
演奏後のみんなの顔がすごく満足。結果きいてないのによい演奏だってみんなわかった顔。

あれから10年以上たつけど、あれからあんな気持ちになってないなぁ。
3年の大会は「今度は全国」みたいなプレッシャーで地区で終わった。
あれから私、おちたなぁ(;;)

でも、こころに熱くこみ上げるものがある。
私の運命はこれからなのかもしれない。

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