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01月20日


1942年にヴァンゼー会議でホロコーストが最終決定される。

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ヴァンゼー会議とは、15名のヒトラー政権の高官が会同して、ヨーロッパ・ユダヤ人の移送と殺

害について分担と連携を討議した会議である。会議は1942年1月20日にベルリンの高級住宅

地グローセン・ヴァンゼー街にある親衛隊の所有する邸宅で開催された。



会議以前にもすでにユダヤ人絶滅を国家目的とすることを示す証拠文書があったが、ヴァンゼー会

議がユダヤ人に対するナチス・ドイツの政策を理解する上で特別な地位を占めている理由としては

(1)会議の開催に関わる完全な文書記録と会議の議事録が戦争で失われなかったこと

(2)会議の出席者がユダヤ人の追放や組織的殺害を実行するのに必要な主要省庁の上層幹部だっ

たこと

(3)会議以降に大量移送や会議目的に適う絶滅収容所における組織的な殺害が激化したこと

(4)会議の議事録がニュルンベルク裁判の尋問や反対尋問において広く使用されたことが挙げら

れる。



18世紀以降、啓蒙主義の浸透によって解放されたユダヤ人の社会的地位向上と西欧社会への同化

が進むにつれて、反ユダヤ主義は宗教的なものから人種的なものへと変質した。19世紀後半にな

ると、ユダヤ人の同化と地位向上によってひき起こされた「ユダヤ人問題」の根本的解決を訴える

論調が盛んになり、社会ダーウィニズムに基づく疑似科学的な人種論によって組織的なユダヤ人迫

害への理論的な基礎が置かれた。



しかし、ホロコーストはナチス政権のもっていた独特の世界観や強迫観念により引き起こされた事

件であり、その背景には非常に思想的[要出典]なものがあると言われている。ナチス党員は、「

世界中のユダヤ人は、我々アーリア人の純血を汚そうとする陰謀を張り巡らせている。これを阻止

するには、組織的に彼らを狩り出し、社会から除外するしかない」というプロパガンダを盛んに行

い、これでドイツ国民を洗脳した。それが第二次世界大戦中の極限状態の中で歯止めがきかずエス

カレートして、ホロコーストに至ったと考えられている。



ナチスによる迫害と殺戮は、段階的に行われた。まず、第二次世界大戦の開始より数年前に、ドイ

ツ国内でユダヤ人を社会から除外する法律が制定された。次に強制収容所が建設され、犠牲者はそ

こで過労か病気で死ぬまで奴隷労働をさせられた。ナチス政権が東ヨーロッパで新たな領土を占領

するたびに、アインサツグルッペンと呼ばれる特殊機動隊がユダヤ人や抵抗勢力を公開銃殺刑にし

た。ドイツ国内のあらゆる官僚組織が、この大量殺戮計画を迅速に実行できるように尽力したため

、当時のドイツは一種の「殺戮国家」となった。



その一方で、「劣等民族」または「不穏分子」としてシンティ・ロマ人(約20万人)、ポーラン

ド人(300万人のキリスト教徒と300万人のユダヤ人)、セルビア人(50万から120万人

)、ロシア人、スラブ人、知的障害者、精神病者、同性愛者、黒人、エホバの証人、共産主義者、

無政府主義者、反ナチ運動家なども殺害したとされる。実際にナチスによって殺害されたこれらマ

イノリティーの合計は、900万人とも1100 万人ともいわれている。当時のドイツは、ヴェ

ルサイユ体制に対する不満と世界恐慌以来の経済破綻によって、ヴァイマル憲法の民主主義に対し

て失望が広がり、ナチスが政権を獲得していた。



絶滅を目的とした収容所としては1942年からアウシュヴィッツ=ビルケナウ、トレブリンカ、

マイダネク、ベウジェツ、ソビブルなどの収容所が次々と完成しゲットーや占領地域から多くのソ

連人捕虜・ユダヤ人が送り込まれた。アウシュヴィッツ強制収容所には大規模な軍需工場が付置さ

れ、多くの付属収容所を従えた一大生産基地を形成していた。その他の多くの収容所は僻地に建設

され収容者数も多くなかった。ラインハルト作戦と呼ばれるポーランド=ユダヤ人絶滅作戦に沿っ

て作られた収容所ではほぼ全員が直接ガス室に送り込まれたとされる。とくにトレブリンカ強制収

容所の犠牲者は群を抜いて多く、およそ90万人がそこで殺されたと言う。



1944年中頃には、「最終計画」はおよそ完成していた。ナチスが容易に手に届く範囲のユダヤ

人社会は、ほぼ全て殲滅された。ポーランドではユダヤ人の約90%、フランスでは25% が殺

害された。5月にヒトラーは、演説で「ドイツ国内と占領領土におけるユダヤ人問題は、解決しま

した」と豪語した。1944 年後半になると、殲滅計画を続けるのは難しくなった。ドイツ軍は

ソビエト連邦やバルカン半島、イタリアから撤退を余儀なくされ、同盟国の日本とイタリアも敗戦

色が強くなった。ロシア軍が東ポーランドの強制収容所に接近すると、囚人はドイツ国内の収容所

に移された。アウシュビッツも閉鎖されたが、収容所の記録によると、最後の囚人は13人の女性

だったが、全員殺害された。証拠を隠滅するために、ユダヤ人は収容所から収容所へ食料もなく雪

の中を無理に移送「死の行進」され、その過程でさらに10万人死んだと言われている。